堀井On-Line



5251,二度の地球規模の大爆発 〜地球大進化46億年 ー②

2015年07月31日(金)

  ー「地球大進化 第2回 知られざる“生命の星”の秘密」ー
   * 二度の大爆発
生命の絶滅の危機をもたらした大爆発をネットで検索し、まとめてみた。
≪ 二度の全球凍結の後、さらに二度の地球規模の大爆発で、生物は
  大きな岐路に立たされる。
・まずは、内側からの爆発である。 2億5000万年前には地球内部マントルから
巨大な熱の固まりが一気に突き上げる大噴火があった。生物も実に90%以上が
絶滅するという、史上最大の絶滅をもたらし、絶滅のふちに追い詰められた。
その試練の後、恐竜の支配、哺乳類の誕生があり、それらの大量絶滅後に、生物
の化石がほとんど見つからない空白の時代が長く続いた。
 しかし、この大変動がその後の生物の世界に劇的な変化を促すことになる。
大量絶滅から1億年後の世界、つまり今から1億5千万年前(ジュラ紀後期)には、
生物の世界に起きた劇的な変化、それは巨大な爬虫類、恐竜の出現である。
これは30mの体長を誇る草食恐竜、アパトサウルス。そして、この時代の白獣
の王となった肉食恐竜、アロサウルス。こうした恐竜たちは他の生物を大きく
上回る高い活動能力を持っていたと考えられている。一方この頃の私たちの祖先
は、恐竜に怯えながら暮らすネズミのように小さな姿に変えて、かって繁栄を
極めた面影はありません。なぜ私たちの祖先に代わって爬虫類が巨大化し、
地球を支配することになったか。それが大量絶滅後の生物の進化をめぐる大きな
謎となっています。そして、次は外(宇宙)の隕石の衝突へと続く・・
・次は、外側からの爆発。 メキシコのユカタン半島にあるチクシュルーブ・
クレーターは、約6,500万年前に地球に巨大隕石が衝突してできたものである。 
クレーターの直径は約100〜300km、深さ15〜25km、衝突した隕石の大きさは直径
約10km、衝突時のエネルギーは広島型原爆の50億倍を超えたと推定されている。
これで、恐竜が絶滅したといわれる。それで餌でしかなかった小型の生命が、
生延びる機会を与えられ、これが類人猿を生み出す切欠にもなった。 ≫
▼ 生命は、地球規模の大変動に適応させるため、己を変え続けることで、
生延びてきた。しかし、最近では、都市化が端的に示しているとおり、
環境を人間に合わせて変える道を選んできた。それを文化・文明というらしいが、
その結果に一つが、オゾン層の破壊による温暖化問題や、核兵器使用による
人類自滅の可能性、などが出てきた。今世紀中に人類は、死滅する可能性すら
あるという。人類という、地球にとって「ガン」が、文明に隠された爆弾で、
大爆発する可能性があっても何ら不思議でない事態が生じてきた。
・・・・・・
2014年07月31日(木)
4886,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー44
   * つれづれに 〜赤いカップ制度(仕事のゲーム化)    
 話は実家の量販店時代に戻る。 まずチェーンストアの統一伝票を導入
して部門別管理を採り入れた経緯を以前に書いたが、その後日談になる。 
その「仕事のゲーム化」とは・・・
【 まず本店ビルを建てかえ、部門別管理をゲーム化した『赤いカップ制度』
 を始めた。そして劇画のような?日々になっていった。まず部門責任者と、
それぞれ年次売上予算と利益予算を決め、それを月次、日次予算に落とす。
そして各部門単位のレコードの曲を決め、予算達成をすると総務に連絡、店内
に、その曲流す。それで社員の誰もが、どの部門が達成したかを知る。
早い部門だと、日祭日などでは、二時間もしないうちに流れることもある。
逆に、流れない部門は、一週間、二週間経っても流れない。その上、車座に
並んだ朝礼で、成績順に並ぶ。更に月次で一番営業成績の悪いところが、
一ヶ月間、15分の早出で店頭掃除をする。早出代として毎日千円、月3万円を
割り出し、ベストの部門全員に近くの趣味の店のコーヒーカップ・シリーズを、
景品として贈呈。 逆にワースト部門は、真っ赤に塗ったカップを、売場の
何処かに置いておく。(これを現金にするとリアルな競争になるため、若い人が
楽しめて仕事が出来るように配慮をした。)結果、担当の能力が明確に現出する
ため、不振の責任者は追込まれる。これに利益率を換算した結果が明示される。
そのため、責任者は堪ったものでない。その上、週初めのチーフ会議も成績順に
並ぶ・・ 仕入が当てればよいが、外れると、パートまで・・ 担当者には
仕入れ権限も大幅に与えられているため、それぞれが商店主のようなもの・・ 】
▼ 必死さが生み出した仕組みである。都会のファッション専門街ビルは、
 活性化のため、不振店を自動的に排除をするシステムで競わせているが、
同じようなもの。 私が辞めた後に、反動でピンク一色になったのも当然。
桃色は同時に赤色(赤字)も?伴うから始末が悪い・・ 
 35年前、こんなこともありました! とにかく必死だったが、面白かった!
新潟駅前シリーズも、卑怯ツアーも含め、殆どの人は、こういう面白みの
極みを経験しないで死んでいくようだ。 周囲は大変だったのだろうが・・
会社整理の極みゲーム後は、75歳に想定した死の壁が待っている。
どうゲーム化するかだが、これは大変! 余命三ヶ月で、リンゲルの大量投与?
で、何故か、一年前の文章に続く。 
ーー
2013年07月31日(水)
4519, どうせ死ぬなら「がん」がいい ー5             
      『どうせ死ぬなら「がん」がいい』近藤 誠 (著), 中村 仁一 (著)
 日本エッセストクラブ編の‘11年版ベストエッセイ集’の「老いた人、瀕死の
人にも希望を」が、二人の説を裏付ける内容。医師も若い時には、その不条理に
思い悩むが、何時の間に、その世界に染まってしまう恐ろしい世界でもある。  
  ーまずは、冒頭の一部を抜粋してみるー
《 * 老いた人、瀕死の人にも希望を  ー榊睦子
 この春、研修医になって独立した息子が忙しい勤務の間を縫って帰って来た。
元気がない。就職したての頃の笑顔が消えている。「仕事はどう?」と水を向けると。
「愚者さんの最期を看取ったよ」と息子。「薬が殺したようなもんだ。」 
どきりとする。息子の話によると、その六十代の終末期の癌患者は、1%の成功例
しかない治療薬を処方された直後に亡くなったという。もちろん主治医は患者を
救う努力を続けて来たし、患者と家族との間でインフォームド・コンセンも
なされている。主治医には何の落ち度もないのだが、息子は、善意の陰に見え
隠れするもの ーその治療薬の臨床例を増やしたい、百に一つの成功の快感を
味わいたいーを見落としてはいなかった。彼は立場上、主治医に対して異を
唱えることのできなかった自分を責めているのである。
「希望」はすべての人にある。余命幾許もない人にもあるはず。この患者は、
もしかしたら、それを奪われてしまったかも知れない。それから数ヶ月経って
息子から衝撃的話を聞いた。同僚の研修医が自死を遂げたという。原因は不明。
大変、優秀であったその研修医は、「笑顔しか思い出せない」と息子が言うほど、
明るく穏やかな人。彼に一体何が起きたのだろうか。
 次は看護師をしていた娘から聞いた話。白血病の末期であったその少女は、
亡くたる数日前に、窓の外に自分がいると言って怯えはじめたが、次第に落ち
着きをとり戻し「お母さん、がっかりしないでね。泣かないでね」と母に言った
後、昏睡状態に陥り、眠るように亡くなったという。少女はその生涯で一番大事
な仕事ー母を慰め励ますことーをやりとげて逝ったのである。
死に行く人にも希望はある。それは前途洋々たる人の場合、桁遠いに重く
大きい悲願と言っても良いのでなかろうか。・・・ ≫
▼一%の成功事例しかない治療薬を提示すること自体問題だが、同じ死ぬなら、
それに挑戦するかの判断は本人次第。当事者になってみなければ分からないこと
だが、私ならどうだろう?早く逝けるなら前倒し?・・ 医師も難しい職業。
人間は全て、死んでしまう。結局は延命の手助け。これも必要だが必ず限界
がある。その上、ビジネスの要素も関わってくる。現状の医師と病院システム
で中では、自分が判断するしかない。
・・・・・・
2012-07-31
もうこれは世界大恐慌 ー
          「もうこれは世界大恐慌」朝倉慶著
  * あの債権は、何処にいったのか?
 不思議でたまらないのが、リーマンショックの原因となった不良債権の行方。
バージン、ケイマン諸島は、世界の金持ちが金融口座をつくって脱税をするもの
と思っていたが、不良債権を塩漬けにする基地でもあった。そこに飛ばして
おけば、鉄の塊に金粉を塗装して置いておくようなもので、実際の金か鉄の塊
かの調査権が及ばない。 永久に隠しておけば良いが、そうはいかない。
もしかして永久に抹殺して封印して置くことも可能なのだろうか。どうだろう?
そうすると、6京円の不良債権は大変だと不安がっている私たちの方が無知と
いうことになる。どうなっているのか金融の世界は?
 ーその辺の記載をコピーしてみるー
≪20年前のバブル期に大損した損失は今だ表に出てこない。
このオリンパスの粉飾はたった一社特有のことなのだろうか? オリンパスが
使ったタックスヘイブン、バージン諸島、ケイマン諸島には大金持ちの資金だけ
でなく、隠れ借金が膨大に隠されている。日本のバブル崩壊の100倍のスケールと
いわれたリーマンショック後、巧みに封印され隠されてきた欧米金融機関の膨大な
不良債権も、やはりこれらタックスヘイブンに眠っている? ジェットコースター
のように激しく上下したオリンパス株は、なぜあれほど上下に動いたのでしょうか?、
裏に何かあるのでしょうか? すべての矛盾が複合的に絡み合っています。
様々な点が線に結ばれる時、いよいよ資本主義という世界の屋台骨が怒濤のごとく
崩れ去るのです。恐ろしくも激しい、驚愕するような大変化のドラマが始まろう
としています。一体昔の損失はどこに消えたのでしょうか? リーマンショック
の後、欧州では大々的に会計制度を変更しました。当時レベル3と呼ばれた証券化
商品でしたが、このレベル3の商品に関しては時価評価をする必要がない、と欧州
当局はお墨付きを与えたのです。通常サブブライムローンを含んだ証券商品は
当時ではほとんど無価値と判定されていたのですが、いわゆる金融破綻を避ける
ための当局の緊急措置として時価評価したら欧州のほとんどの金融機関は
実は債務超過となるからです。≫
▼ 世界中の政府が口裏を合わせて、地下深く隠して表に出さないと合意して
 いたら、短・中期的は表に出ないで済む。要は、金メッキをした金と分かって
いても、それを本物の金として認め、金庫を開けない約束を国家単位で決めれば、
それで通ってしまうのが金融の世界ということなのか。1千兆円の日本の国債も
永久国債にして塩漬けにする手がある。金利が上がったら、その分の永久国債を
刷ればよい。何せ永久に返済無用。何時か破綻が来るというが、そんなのは
知ったことはない、というのがその時点時点の権力者である。日本のバブル崩壊
は、大部分の都銀と、幾つかの証券会社と、多くの会社が倒産、吸収合併で
消えて無くなった。やはり何時までも隠し通せる訳がないのが現実である。 
私も既に世界は恐慌に入っているという論である。
・・・・
3779, ユング ー13
2011年07月31日(日)
     * 箱庭療法 ー2
  ☆ ゲニウス・ロキ <その場所や土地に宿る「精霊」>
 どの村、国にも聖地があるが、殆どの家に仏間と祭壇がある。家だけでなく、
守護霊が、それぞれの人間の魂にいるという説がある。それを箱庭の中に表出
させるのだから、興味がわいてくる。人間の脳は、20億年以上の生物の進化が
創り出した得体の知れない機能の塊。 箱庭の作品の写真をネットで見ると、
底知れぬ人間の潜在意識の奥行きの深さの一端を見ることができる。
≪ ーつづきー 「箱庭療法」では、「ゲニウス・ロキ」を重要視する。 
 古代ローマの思想では「ゲニウス」は「精霊」、「ロキ」は「土地」を
表していた。「ゲニウス・ロキ」で、<その場所や土地に宿る「精霊」>の意味。
その時その場に宿った力(精霊)が、無意識の深層心理の神話的な力と結びつき、
それが創造力となり箱庭」に表現される。この「ゲニウス・ロキ」を実現する
ことが、治療者の「見守る」行為。実際になにもしないが、大きな精神力が必要。
「見守る」とは言っても、治療者ではない一般の人が「見守る」のとは、異なる。
「箱庭」になにも表現されないセッションでも、治療者が作り出した
「ゲニウス・ロキ」のなかで、患者の内面では変化が起きてくる。それが、二回
以降のセッションで現われてきます。初めの数回のセッションでは落ち着きがない
被験者も、その数を重ねることで、徐々にまとまりのある箱庭を作るようになる。
箱庭という守られた空間に自分の気持ちを繰り返し表現することで、その課題が
浮かび上がる。それは、あくまで遊びの中で行われる。遊びの中には、成長を
するための要素が多く含まれている。≫
▼ その箱庭が、玩具の配列で、精霊が浮かび上がってくる。箱庭の解釈は、
 大ざっぱにいうと、左半分が内面を、右半分は外面を、手前から上に向かって
現在から未来へと向かう。ところで、聖地は典型的なゲニウス・ロキが在る
ところに存在している。その周辺には必ずといってよいほど、岩場が存在する。
ピラミッド、中南米の古代聖地、ギリシャの神殿、エルサレムなどは、その典型。 
もう一つは立地上、民族の存続上に大きな戦略的拠点でもあるが。
箱庭療法、一度は、やってみたいものだが。
 ・・・・・・・
2010年07月31日(土)
3414, 「憎国心のすすめ」
 18年の海外生活から帰国した著者が大分の山中に居を構えて5年、変わり
果てた祖国・日本を憂えている。ここで、ひとりの地元青年とのやり取りを
通して、日本再生には愛国心ではなく憎むという感情、いわば「憎国心」
が必須と説く。最近は著者の見方にかなり感化されてしまったが、老化から
くるマイナーの見方でもある。しかし「憎国心のすすめ」は極論になるが、
それで日本人にアメリカの間接統治を知らせたいのである。
それを前提にしないと国家改革など不可能である。日本は、いまだ長年に
わたった洗脳で思考停止状態にある。その実態に憎悪心を滾らせないと、
真の己の姿が見えないというのは至極当然のこと。
  ―印象的な部分をランダムに書き出してみた―
《 愛ではない。この日本を救うのはむしろ、憎むという感情、いわば憎国心!
 ・・・ 愛するために憎む。想うために考える。この日本を。「俺の仕事の
動機はいつも怒りと愛だ」と私は無理に続ける。「悶死したくなるような怒りの
先に愛が見える。そのとき、仕事をする情熱が生まれ、行動の意味が完結する」
「ははぁ・・・」「日本に帰ってきてから、怒りはほとんど極限に達している。
でも、その先の愛は見えない。だから、もっと、徹底的に憎国心を高ぶらせる」
「ゾー・コ・ク・シ・ン・・・ですか」「無論そんな日本語はない。
いま、とっさに考えついた。愛国心の相対だ」「ははぁ・・・」
「憎国心さえもっと鍛えれば、もしかすると、死ぬ前に、もう一度この国を
愛することができるかもしれない」》
《 日本人を一言で要約すれば<考えない>ということであり、―ジャップ
(日本人の蔑称)は考えないという特殊能力を持っている、ということになる。
人間が考えないでいられるというのは、ムズカシイ以上に実にありえない
不思議な才能であり、特殊の才能である、特異能力とも呼べるものであり、
貴重な力となりうるからである。<考える>という根本は、まず疑問が無くては
ならない、それからしてジャップには無い。次に推理、次に分析、最後は統合。
この4段階、どれもない。疑問がないのは、比較感覚がないからということ
になる。比較がないから、考えない。・・・・ 》
《 中村元「日本人の思惟方法」の引用からー
(日本人は)西洋人の目には、シナ人などよりはるかに浅薄な印象を与える。
日本人自身は世界の文化を総合したつもりでいるが、じつは単なる
便宜主義的な無反省な折衷混合状態に陥っているおそれが少なくない。》
更に著者は日本人を嘆く。
《 「一言で言えば日本人は他律的な民族だということである。それは縄文から
 続くわれわれの本性だったのだ。他律とは、(自分の意志によるのではなく、
他からの命令や束縛によって行動すること)であり、カントの用語によれば、
意志が理性の命令でなく、感性の自然的欲望によって規定されること、である。」
「すべて。そして誰かが操作している。このにほんじんの本性を、骨の髄まで
他律的であることを知っている誰かが、どこかの国が、どこかの民族が、
その欠点をたくみにつき、利用し、一層助長、推進させ、摂取し、操っている。
そして、これほど歴然としている数々の証拠実例を、なぜ人々は気づかないか?」》
 ー著者の視点で人生を振り返ってみると、アメリカの属国としての
  価値観を疑いもせず、あくせく生きてきただけ?になる。
・・・・・・・・
2009年07月31日(金)
 3039,「自信を与えてくれた人」
 何気なく見ていたブログに紹介してあった一文。世の中には心を打つ色いろな
出会いがあるもの。本人にとって何にも替えがたい自信になったろうし、前向き
にさせてくれる出会いである。ネットで調べたら、この人の漫画は何度も目にした
ことがあったが、軽妙な暖かい人物像を描いている。その「元気を与えてくれた人」
は、数寄屋橋の絵の中の何かに共振をしたのだろう。その絵に感動し十五年後に
買い求めた人と、その絵を見てみたいもの。
《 あれは今から二十年も前、私が二十二歳のときです。私は数寄屋橋で風景画
 を描いていました。ええ、まだ数寄屋橋の下にはチャンと川が流れていたころ。
私の描いた油絵を、大勢の人が見て通るんですが一人だけ、三十分も一時間も
そばで見ている人がありました。そして最後に私の住所と氏名をきいたんです。
そのときはそれっきりでしたが、五年前にその人から手紙をもらいました。
「あなたは忘れているかもしれないが、私はあのとき住所をたずねたものです。
あのときとてもあなたの絵がほしかったのだが買えなかった。こんどようやく
家を新築したので、ぜひあのときの絵を売っていただきたい」そういう内容。
その頃のぼくの絵なんか売れっこありません。その絵はチャンとぼくの手もとに
あったんです。しかも、何度もぼくは住所を変わったんで、その人は苦労して
見つけてくれたに違いない。ぼくは感激しましたね。さっそくその人と
いっしょに〃ガクプチ〃を買いにいったりしました。》 ー鈴木義司
《鈴木義司=読売新聞の夕刊の4コママンガを描いている漫画家、
 2004年7月17日午後2時45分に死去。享年75歳。むかしテレビ番組
「四コママンガ道場 お笑いマンガ道場」に出ていた》
▼ 享年が75歳で、この文章は42歳の時の文章とすると、亡くなる33年前の
 1971年頃の文章になる。絵を描いていたのが、その20年前というから1951年
ということになる。岸恵子の『君の名は』が1953〜54年、その二年前に数寄屋橋
で絵を描いていたのである。 新築の家の絵に欲しいというところが良い。
この逸話の中から、それぞれの人生が浮き上がって見えてくる。


5250,全球凍結 〜地球大進化46億年 ー①

2015年07月30日(木)

ー「地球大進化 第1回 知られざる“生命の星”の秘密」2004年11月22日分ー
 の再放送を先日見たが、これが、面白い! 〜まず、その内容説明より〜
《 私たちの「母なる地球」は小惑星の衝突・融合で生まれ、海洋蒸発や
 全球凍結等の大変動を経てきた「荒ぶる星」だった。40億年前に、微生物で
始まった生命は、大変動を乗り越え、酸素を作り、目に見える大きさにまで進化
してきた。そのたくましさを幅広い取材で描く。》
   * 二度の全球凍結
生命が現在に至るまで多くの試練があった。二度の全球凍結と、二度の大爆発。
(二度の大爆発は次回に取上げるが)、初めの全球凍結を乗越えるため、
「真核生物」が生まれでた。その凍りついた氷が解けて、海がうまれ、そこから
生命が進化していった。新しい全球凍結では、「多細胞生物」が生まれた。
何事も、克服できないと思われる困難に自らを劇的に変化させ(進化)、
生命は生延びてきた。  〜その辺りから〜
≪40億年の生命の歴史のなかで、80%以上の時間、私たちの祖先は微生物の
ままだった。では、なぜ大きくなったのか。その謎に迫る「全球凍結」仮説が注目を
集める。全球凍結とは、二度、地球全体が赤道付近も含め完全に氷床に覆われた
状態のこと。その二度というのは、22-24億年前と、6−7億年前のこと。
不思議なことに、どちらの出来事も生物進化の重要な局面と時期的に一致する。
 古いほうの全球凍結は、「真核生物」(簡単に言えば細菌以外の生物)の、
新しいほうの全球凍結は、「多細胞生物」の出現と一致するのです。
そして、そのどちらも酸素濃度の急激な上昇が生物進化の鍵を握っていたのでは
ないかと考えられています。この二回、地球はすべて凍りついた時に、光合成
による酸素が、空気中のメタンを激減させ、温室効果を低下させたからだ。
 しかしこの危機が、長い進化の停滞を打ち破った。全球凍結後、一転して高熱
になった地球では、光合成が活発化し、そこで作られた酸素を利用して、生物は
コラーゲンを大量生産するようになったのだ。コラーゲンが細胞の接着剤となり、
生命は大型化を可能にした。≫
▼ この番組で、科学者は、「地球の生命は、この2度にわたる全球凍結の
大変動がなかったら、今でもバクテリア以上に進化していなかった可能性がある。
動物は現れず、微生物だけの世界になっていたかも知れない」という。
生物黎明の太古の時から、地球は環境大変動システムで、生き延びる生命を
選別してきた。宇宙、地球、大自然、そして生命は、知れば知るほど面白い!
・・・・・・
4885,閑話小題 ーこの20年間最大の変化とは? 〜2
2014年07月30日(水)
        ー『スマホの次に流行るものは』岡田斗司夫ーより
  * 20年後には、どうなっている?  
20年前は、Windows95の発売直前であり、まだパソコンも、ネットも、
携帯電話も普及したての頃。スマートフォンも、タブレットPCもなく、ノート
PCが普及を始めて5年ほど経った頃である。それが今ではスマートフォンと
タブレットPC。 これは未来学者も想像すら出来なかった優れもの。
それからして20年後の予測など、考えられないはずがない。
  ー以下の箇所は、既に現在進行のものが多いー 
≪・二十年後は検索がさらに滑らかになり、何かを思い出したとき、それが
本当に自分の記億なのか、ネット上のデータなのか、区別がつかなくなる。
SF的にいうと「脳の外部化」だ。これからスマホは、腕時計やメガネのように
ウエアラブルで身に着けるようになる。さらに小型化すれば、肉体の一部に
埋め込まれるかもしれない。情報は画面で見るのでなく、プロジェクターで
外部に映し出される。会議で紙の資料を配らなくても、視線と連動して
目の前のテーブル上に文字や絵が投影される。そうなると現実の光景と、
ヴァーチャルな画像とが共存するのが当たり前になる。
・二十年後の地球は、人口が増えすぎて資源が底をつき、経済は低迷して、
あらゆる人が貧乏になっている。資源とエネルギーは最小限にし、情報だけは
ありあまるほど使うのがカッコイイ平均した生き方になる。その次には、限り
ある時間をいかに大切に使うかもかっこよくなる。その時代は、実際に活動する
のでなく、やった気になることで満たされる。自分でエベレストに登るのでなく、
そのヴァーチャル映像を自宅で眺め、疑似体験するのが楽しみになる。
数万人に1人ぐらいは、手間と時間と金をかけて実体験するが、ヴァーチャル
映像の感動に比ぺてせいぜい五割増しが限度という具合。それなら、ほとんど
コストをかけずに疑似体験したほうがいいことになる ・・・(略) ≫
▼ 年金生活と年齢もあるが、以前ほど海外旅行に行きたいと思わなくなった
のは、これまで行った先の写真と 映像をネットで手軽に見ることで擬似体験が
出来ることがある。実際に現地に行った上、ネットで検索したベストのブログの
写真や映像を見ると、その何割かを追体験をした錯覚が起き、記憶そのものが
書き換えられる。二度、三度の繰返しで、擬似旅行体験が、よりリアルになる。
 またシネマではヴァーチャル世界が年々迫力を大幅に増し、実体験より遥かに
刺激的になっている! またスマホとタブレットのネット情報を、大型TVにも
映し出すことが可能になった。物価は上っても、ヴァーチャル情報の値段は
下がり続けるため、疑似体験の価値が限りなく高くなる。インスタントラーメン
を食べながら、高級レストランの食事場面を見て、満足するしかない時代。
缶ビールとツマミをスーパーで買って、居間で「酒場放浪記」で日本各地の
居酒屋で、レポーターと供に、店内の客と一緒に飲んでいる気になっている
視聴者と同じようなもの。これは未来でなく、現在、既に起こっている現象。
目を凝らしてみれば未来は既に起こっている。気がつくかつかないかである。
・・・・・・
4518, 大往生したけりゃ医療とかかわるな ー8
2013年07月30日(火)             
          『大往生したけりゃ医療とかかわるな 』中村仁一著
  * 「断食往生」の具体的工程   
人生など考えてみれば、日々、緩慢なる自殺行為の積み重ね、それが病となって
死に至る。とはいえ、それが中途半端のため、直接、自殺するのも問題を残す。
そこで断食で餓死という方法=「断食往生」もある。
  ー まずはその部分を抜粋して、考えてみようー
《 まず、基本的には、現在の、死に際に医療が濃厚に介入する「医療死」では
 なく、子どもの頃に接した年寄りの死に方、何百万年と続いていたご先祖様の
死に方、「自然死」が希望です。ぼけたり、寝たきりが年余にわたれば、わが家
は家庭崩壊してしまいます。 そこで、タイミングがむずかしいのですが、
完全にぼけ切る前に、山折哲雄さんの提唱する「断食往生」ができないかを
考えています。具体的な工程は、山折さんは教えてないので、中村流に考え、
まとめた「事前指示」が表5。西行さんのように「死に時」が察知できれば、
非常に楽だと思います。できるだけ体内サインに敏感になれるよう、できるだけ
自然に任せて様子をみるというトレーニングを積むようにしています。
○ 中村流「断食往生」の具体的工程
  一、五穀絶ち 7日間  二、十穀絶ち 7日間 
 三、木食 7日間(木食は木の実だけを食べること) 四、水断ち 7日間
これを見ると、すぐ顔色を変えて、医者ともあろうものが自殺を勧めるとは何事
かと、威丈高になる建前論者がいますが、大丈夫です。日本人の自殺願望という
のは、いっそひと思いにとか、注射一本でというせっかちなものです。
このようにほぼ一ヵ月もかけてというのには、よほど強靭な精神力が必要です。
そんな日本人は、極めて稀でしょう。なぜ7日間にしたかには理由があります。
比叡山延暦寺の修行の中に、千日回峰行がありますが、その7百日目位の時に、
断眠、断食、断水の「籠山行」があります。そして、水断ちは9日間以上やると
危ないという言い伝えがあるということを聞いたのと、老人ホームで、一滴の水
も身体に入らなくなって亡くなるまで、7日〜10日が多いという事実を重ねた結果。
 延命治療に間しては、日本尊厳死協会の「いっさいの」ではなく、個別に
「心肺蘇生」「人工呼吸器」「人工透析」「人工栄養」「輸液」に関して指示
しています。 心臓は、もう70年以上も生きているんです。
原因のいかんを問わず、ひとたび停止すれば、そのままでいいのです。》 
▼ 30年の間のホテル営業で、様々な自殺があった。警察からは泊めた方も
当事者として自殺者の動機とか事情が知らされる。自殺者にとって、この世は
苦海で、死ぬだけの理由はそれぞれに十分にある。誰も自殺などしたくない、
死ぬしかない理由が、あるから死ぬのである。 数日後、体調が悪くなって、
「あと三ヶ月です!」と言われれば、死ぬまでの間は地獄。そうこう考えると、
断食往生などの自死も真剣に想定しなければ。大往生など諦め、もがきながら
逝くのも自然だが。
・・・・・・
3778, ユング ー12
2011年07月30日(土)
  * 箱庭療法 ー1
ユングといえば(日本では)河合隼雄、砂遊び療法を箱庭療法に発展させた人。
彼の著書で、その概要は知ることになった。一種の創造療法だろう。幼児の頃、
砂場で山を作ったり、幼稚園で初めて手にしたクレヨンで我を忘れて家や
動物の絵を描いた、あの頃に立ち返り、用意されたオモチャの植物や動物で、
思いのまま自分の内的世界を表現することで、自分の中の何かにつながる方法。 
その辺のことを、あるHPに分かりやすくマトメテあった。
まずは、その部分をコピーしてみた。
≪「箱庭療法」は、1929年、イギリスの小児科医ローエンフェルトが、
 子供のための心理療法として考え出したもの。 ユング派の心理療法家ドラ・
カルフが「砂遊び療法」として発展させた。 後に、日本の心理療法の第一人者
であり、ユング派心理療法家でもある河合隼雄氏が日本に持込み「箱庭療法」
と名づけた。 その方法はいたって簡単。52cm×72cm、高さ7cmの
長方形の箱に砂を入れます。さらに、動物や植物、建物などの様々なおもちゃ、
人形などを用意し、適当な場所においておきます。患者は、箱庭のなかに、
先ほど説明したおもちゃや人形を自由に使って、遊びながら自分の内的世界を
 表現していきます。ここでは、治療者は、特になにもしません。患者を見守る
役に徹します。この「見守る」ことには、深い意味が込められています。
治療者は「見守る」という行為を通して、患者の状態を深く理解していきます。
また、患者は治療者に見守られていることで、安心して自分自身の内面を表現
することができます。1回の治療単位をセッションといいますが、患者が箱庭を
見つめるだけで、なにも表現しないセッションもあります。ただ砂にさわって
砂遊びをしているだけのセッションもあります。こんなセッションのときでも、
治療者は特に指示をしないで、見守り続けます。     ーつづく ≫
▼ 人生を俯瞰すれば、箱庭みたいなもの。色々なオモチャを掻き集めて、
 自分の庭に配置する。それを、小さな箱内でやるのだから、面白いといえば
面白い。言語というと、その限界で真の気持ちが表現できないが、玩具を箱庭に
気ままに配置すると、自分の中の精霊が知らないうちに心の底から湧き出て
きても何ら不思議ではない。私は家庭菜園は知らないが、そこには、箱庭的な
面白さがあるはず。他に遊戯療法というのがある。これは遊びを通して悩みや
問題を表現し、子供の心理的な問題に取り組み、課題を乗り越える。
この場合、次から次へと玩具を変えて落ち着きのないケースが多くなる。
言葉や絵となると、その表現に限界ができるが、玩具の組み合わせは、それを
取り除き具体的なモノを組み合わせることで自分の心が表現される。 
この随想日記は、言葉の箱庭?になるのか?
  ・・・・・・・・
3413, 中学校同期会 −65歳
2010年07月30日(金)
 まだ65歳まで半年あるが、先日、長岡郊外にある蓬平温泉で中学校・同期
の会が開催された。出席者が67人で約2割が出席をした。この年齢では2割弱が
亡くなってので、亡くなった人が、逆に出席している「あの世の会」と思うと
一人ひとりが際立って見えてくる。把握された亡くなった一割近くの27名の名が
呼び上げられ、黙祷をした。5年前に還暦の会が開かれたが、このときは、
三分の一の110名の出席者。4割減ったことになる。60歳を過ぎると年々、
老化が目立つようになる。 事故、糖尿、脳梗塞などで、何らかの問題が肉体に
出てくる時期にはいった。今回の同級生に卒業以来初ての出席の女性が2人いたが、
どのような感慨があったのだろう。 前回の還暦の会の時には懐かしさのあまり
泣いていた人がいた。私のいたクラスに面倒みの良い女性が二人いて卒業以来、
頻繁にクラス会を開かれていた。20歳代を除くと、高校時代を含めて、ほぼ
毎年開かれていた。 しかし年々、参加者が亡くなったり、転居をしたために、
還暦を機会に、他のクラスに呼びかけ同期会になってしまった。地方だから
可能なのだろう。 男80歳弱、女86歳強の平均年齢と先日、発表されたが、
まあ全体活き活きしており、その位は生きそうだ。それにしても、65歳は長く
生きたものである。この年齢になると分かってくることは、人生は生きること、
そのことが目的である。それで充分。しかし、恵まれている人は何処までも
恵まれており、そうでない人は、そこから抜け出せないのが人生。九州など
県外からの出席者が三分の一位だったが、一回ごとが一期一会になる。
子供の頃の想い出は魂の故郷というが、昔話に花咲くとき、なるほど合点がいく。
通ってきた道で出会うことは、奇跡的なこと。一人ひとりには、それぞれの
宇宙がある。その宇宙同士が触れ合うのは素晴らしいと、歳を重ねるごと実感。
幹事は大変である。とりつかれたように役をこなしていたが頭が下がる!
・・・・・・・・
3038,明日になれば何とかなる!
2009年07月30日(木)
 これは菊田一夫の言葉である。誰もそうであるように、若いときは心配性の
傾向が強い。そして長い人生で色いろ経験して分かったことは「先の心配事は、
その時になってから当たるしかない。で、今は問題の中心から目を外さない。
明日は、明日の風が吹く。今心配しても、今心配している範囲のことしか
考えられないのだから、それ以上のことは考ても同じこと」である。
「明日になれば何とかなる」の菊池の土壇場での悟りのような言葉は、心に迫る。
創業時の不安感は、底知れない海の上を小さなボートで漂っているようであった。 
そういえば一休の逸話があった。 一休禅師が亡くなる直前に、三巻の巻物を
弟子たちに遺した。そして・・ 「この先、私が亡くなった後本当に困り果てた
時にだけ、これを開けなさい。それまでは絶対に開けてはならない」と遺言し、
遷化されました。何年か後に、寺に大問題が持ち上がり、寺の存亡の一大事
になりました。弟子たちは、知恵の限りを尽くしましたが、妙案を思いつかず、
どうしようもなくなってしまった。そのとき、一休禅師が遺してくれた巻物を
思い出して、恐る恐る紐解いてみると、そこにはこう書かれていた。
 一巻目・・大丈夫  二巻目・・心配するな  三巻目・・なんとかなる!
それを見た弟子たちは、あっけにとられ、笑い出した。そして、そのときに
素晴らしい解決策を思い浮かべた。「なんとかなる」と信じていたら、本当に
「なんとかなる」もの。「なんとかなる」だけではなく、人生は思いようで、
本当は「なんとでもなる」ということである。19才でライ病発生以来深刻な
体験をもとにリアルな小説「いのちの初夜」などを書いた北条民雄に次の言葉。
《 私にとって最も不快なものは、あきらめである。あきらめ切れぬ、という
 言葉は、あきらめを肯定してそれに到達しえぬ場合にのみ用うべきものである。
が、私はあきらめを敵とする。私の日々の努力は実にこのあきらめと戦うこと
である。あきらめるくらいなら自殺した方がよほどましである。というよりも、
あきらめと戦うためには私は決して自殺をも否定しない。死んで勝つという
ことは絶対にないが、しかし死んで敗北から逃れるということはあるのである。》 
(北条民雄(頃日雑記より)
 絶望の果てに行き着いた言葉だから、鬼気迫ってくるのである。 
明日になれば何とかなると、何もしないで生涯を過ごした人を多く
見てきたが・・ 大部分の人は似たようなもの?


5249,哲学は生の芸術だ 〜ニーチェ「超」入門〜

2015年07月29日(水)

           〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著
    * 哲学は生の芸術だ
「その人の生き方が、哲学そのもの」とすると、その人生が芸術作品になる。
それは人生を俯瞰すれば、わかる。ということは、志、信念、信条が、その人の
シナリオになる。生き様が、そのまま芸術作品ということになる! 〜p19
≪ ・・哲学は「真理を追求する」学問だと考えられている。高校の倫理社会
 の教師や大学の先生たちが教壇の上で今でもそう言っているし、簡単そうな
哲学解説書にもそう記されているので、みんなそう思ってしまう。
 ところがだ、二ーチェはまったくそんなふうには思っていなかったのだ。
「哲学は論理の正しさがどうのこうのというものではないし、そもそも
哲学は学問ですらない」とニーチェは考えたのだ。
 ニーチェは、哲学は人間が今ここに生きるべき生の本質だと考えた。
生き方が哲学だと思っていた。真理がどうのこうのではなく、まず生き方を
二ーチェは重要視する。だから、論理が正しいから真理だという考え方はしない。
 この生き方が人間としてまっとうかどうかということを問題にする。
このまっとうさとは、社会的、倫理的、宗教的な真摯さの意味ではない。
人間本来のまっとうさを具現化しているかということだ。
 だから、人間はどうあるべきかということをニーチェは生涯をかけて考え、
あとで説明することになるが、人は超人として生きるべきだと考え至った。
さらに二ーチェは若い頃から、
「哲学は芸術的なものであるべきだ」とも考えていた。バーゼル大学での
 就任講演ではすでにこう述べていた。
「きわめて日常的なものが、まったく新しい魅力をもって立ちあらわれてくる
 こと、いな、まるで魔法の力にかかったように、たったいま生まれたものの
 ように、いま初めて体験されるもののように見えるということこそ、
 学問と芸術の共通点である」(秋山英夫「思想するニーチェ一)
伝統とでもいうべき緻密で乾いた論理の果てに見出されたものが哲学では
なく、哲学は生の芸術に貢献すべきものなのだ。ニーチェは知入への手紙
(1888・5/4)で「われわれ哲学者は芸術家と取り違えられるほうが嬉しい」
とさえ記している。これほどユニークな哲学観を持っていた二ーチェの言葉を、
 次に「哲学者の書」からいくつか拾っておこう。
すると、二ーチェが哲学をどう考えていたかが実感できるだろう。
・「哲学は芸術であるのかそれとも学問であるのか。…哲学の目的やその産物
 のうちには芸術がある。しかし、概念による叙述というその手段において、
 哲学は、学問とたったこれだけの引用でも、おおかたの人の哲学に対する
 イメージとまったく異なる考え方をニーチェが持っていたとわかるだろう。
 実際、過去の哲学者でもこういうふうな哲学観を持っていた人はいないのだ。
 これを共有しているのである。それは、詩作芸術の一形式である」
・「哲学者…彼は詩作しつつ認識し、認識しつつ詩作する…」
・「世界構成(別名は哲学)の美しさと壮大さが、今や、世界構成の価値を
 決定するのである。すなわち、それは、芸術として判定されるのである」
・「(哲学以外の)ほかの学問(自然、歴史)は、ただ説明することができる
 のみであって、命令することはできない」
・「哲学者が製作するものは、(彼の著作に先立って、何よりも)彼の生活。
 それこそが、彼の芸術作品である。すべて芸術作品というものは、第一
 には芸術家に、第二には他の人間に、向けられたものなのである」
・「哲学者…彼は詩作しつつ認識し、認識しつつ詩作する…」
・「世界構成(別名は哲学)の美しさと壮大さが、今や、世界構成の価値を決定
 するのである。すなわち、それは、芸術として判定されるのである」
・「(哲学以外の)ほかの学問(自然、歴史)は、ただ説明することができる
 のみであって、命令することはできない」
・「哲学者が製作するものは、(彼の著作に先立って、何よりもまず)彼の生活。
 それこそが、彼の芸術作品である。すべて芸術作品というものは、第一には
 芸術家に、第二には他の人間に、向けられたものなのである」 ≫
▼ 数年前、準備15年、実業30年、合計45年の創業人生について書いた。
 芸術作品と思えないが、一応、物語になる。喜劇か、悲劇か? 両方である。
その生活そのものが世界構成を作りあげていた。一つの気休めは面白かったこと。
・・・・・・
4884,閑話小題  ー「Line」殺人の深層とはー
2014年07月29日(火)
   * 「Line」殺人の深層は
 「Line」による苛めが背景にある?が、ニュースを見たときに感じたこと。
 仲の良かった母親が、去年10月に死んだ後に、父親が結婚。時間からみて、
愛人だった人?とすると、殺したかったのは、友人ではなくて、父親と、
新しい母親。 その転嫁がネット上での虐めの仲間外れ?
【佐世保・高1女子殺害!〜母の死後、少女の生活激変「頭よすぎ変わってる」
産経7月28日(月)
 殺人容疑で逮捕された同級生の少女(16)は周囲から「文武両道で多才」
と評価される一方「暗く、変わった子」とも見られていた。昨年秋に母親が亡く
なって以降、生活が激変していた。女子生徒の遺体は首などが切断されていた
だけでなく、胴体にも切断しようとした痕があった。学校関係者によると、
少女をめぐる環境は1年間で激変。仲が良かった母は昨年10月に他界。
冬季に父親とともに年代別の全国規模のスポーツ大会に出場した際は、
「母のためにもがんばる」と話していた。事件現場となったマンションで1人
暮らしを始めたのは今年4月。大通りに面し、父親の職場に近く、学校へも
徒歩圏。「アニメ好き」が共通点だった女子生徒の自宅とは徒歩で10分ほど
の距離だった。少女は9月から海外留学する予定で、自ら1人暮らしを希望。
父親は「留学の練習」ということで許可したという。進学校に通い、父親の
影響で始めたスポーツだけでなく、芸術的な才能にも恵まれていた。
父親は地元で顔が広く、「誰もがうらやむような名士の一家」。ただ、学校
関係者によると、少女は小学生時代に同級生の給食に異物を混ぜる問題行動を
起こしていた。中学校では小動物の解剖に夢中になっているという噂が広まり、
「少し浮いた感じになっていた」という。】
 佐世保の高1女子殺害の内容が凄惨である。
直ぐに思いついたのが、昨日のブログで引用した内容である。
《 若い世代には、スマホが普及した別の理由がある。仲間はずれにされない
 ためだ。無料通話やメッセージのアプリ「LINE」が急速に普及したのは、
メールやツイッターと違って、簡単に仲間はずれができるからだ。例えば三人の
仲よしグループがあるとしたら、LINEで全員が同じ画面とメッセージをやりとり
できる。その一方でAさんとBさんが陰でグループをつくり、Cさんを仲間はずれ
にできるのだ。喫茶店などで若い人が集まっていると、みんな黙々とスマホを
いじっていることがある。お互いに話さないのは異様だが、実はあれが彼らの
社交術で、誰々とお茶を飲んでいるとその場にいない友人たちにLINEでしている。
・・・》
 複雑な家庭環境の激変の中で、9月から海外留学もあり、ネット上の虐めが、
この犯行になったのだろう。3年前から現在に至るまで、数ヶ月に一度は、想像
を絶する嫌味、嫌がらせがある。その経験を重ねるうちに、「全身全霊を込めて、
首を叩き落とすイメージ」を、相手の顔を見たとき、想い出したとき、持つ。
20回で相手は自分の中では死者・ゾンビに変身。怒りは不思議と消える。
 わざわざ代表してくるのに、??回以上が数人いた?が、墓穴二つになると
直感し中止。佐世保の少女、若いから、実行に移したのだろう!小動物の解剖で、
呪いがカタチを変えて彼女に? 小動物を父親、愛人?に見立て拷問していたと
仮説をすると!真の敵は両親の不和というより、父親? 父親、義母、娘の業火
の日々が永遠に続く! ネットは、恐ろしい。
・・・・・・
4517,スポーツ自転車の勧め! ー4
2013年07月29日(月)
  * マウンテンバイク    「自転車で痩せた人」高千穂 遙 (著)
 私が現在乗っているのがマウンテンバイク。 舗装されてない山道などを走る
ため、特徴は丈夫かつ軽快さである。ただ値段の安さに惹かれ買ったが、私の
毎朝のコースからみて、これがベスト。小さく軽いのがよい。
  ーそこで、ウィキペディアで調べると、以下のとおりー
《 1970年代後半にアメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ郊外の
マリン郡で、ヒッピー達がビーチクルーザーや実用車などに太いタイヤをつけ、
急勾配の山を下りタイムを競った遊びが始まりと言われている。同時期に
北カリフォルニアでも同じ遊びが発生していた。初めは手作りだったが、
一つのジャンルの大量生産で一般に広がっていった。マウンテンバイクの定義は、
【 荒野、山岳地帯等での高速走行、急坂登降、段差越えなどを含む広範囲の
乗用に対応して、軽量化並びに耐衝撃性、走行性能および乗車姿勢の自由度等の
向上を図った構造の自転車のこと。舗装路でも広く利用されており、用途に
よって様々な形態が存在する。】である。 
 マウンテンバイクは、クロスカントリーバイク、ダートジャンプバイク、
ダウンヒルバイク、などの種類がある。
・クロスカントリーバイク=山道の長距離走行に特化したバイク。
 軽量なフレームに軽量なサスペンションフォークが組み合わされ
・ダートジャンプバイク= ジャンプスタントに特化した、BMXに近いバイク。
 小さめで取り回し易いフレームが、堅牢なクロモリか、十分な補強を
 施したアルミニウムで作られる
・ダウンヒルバイク= 山を下り降りる事に特化したバイク。
 数メートルの崖を飛び降りるなど過酷な環境に耐える強度が必要。
・プレイバイク= 2010年頃よりジャンルが定着し始めたMTBとBMXを
 ミックスさせたバイク。・・・ 》
▼ 以上だが、MTBはポタリングに手軽な自転車で、軽快さが良い。
 それとママチャリと同じく、普段の生活の何にでも使えるマルチがよい。
親が、このタイプを少年用に買うことが多いこともあり、HCの自転車売場
では、丈夫でない見た目だけMTB風のチャリが並んでいる。そのため愛好家から
は「モドキ」とか「ルック車」などと呼んで、良いイメージはない。
その見分けはデザインで直ぐ分かる。また「悪路走行禁止」と書いてあるのも
ある。私のようなスポーツ車初心者に向いている。とにかく軽く小回りがきき、
乗りこなしがスムース。次は、クロスバイクのつもりだが、折畳式も捨てがたい。
スポーツジムと、家でパソコンか、TVか、読書になりがちな生活の中で、
これはソロで出来る手軽な趣味になる。早朝に加えて午後からのポタリングの
習性も悪くはない。それと現在、ジムや、図書館への移動に使うことも考えてよい。
趣味としてポタリングにするとなると、違った切り口が出来てくる。それより、
まず事故に気をつけなくては。これまで色々なマウンテンバイクを見て、
デザインが違うとしか思ってなかったが、実は、使用目的が違っていたのである。
・・・・・・
3777, ポタリング
2011年07月29日(金)
  最近、面白い言葉ーポタリングを知った。ーネット辞書によるとー
【 ポタリングとは、自転車でぶらつくことを意味する和製英語で、観光
名所などに自転車を用いる「散歩」的なサイクリングをいう。散走とも言う。
サイクリングの一種で、散歩程度に軽く走ることをいう。】
中高年のオジサンが、行く当てない風にママチャリに乗っているのとは、違う。
毎朝、ウォーキング代わりに、信濃川まで一時間、自転車で散走をしているが、
サイクリングというには違和感があったが、適切なポタリングがあった。
「ちょっとポタリングしてくる!」なら、丁度よい。自転車は野球帽を少し
深めに被っていれば目だたないし、人は気に留めない。また電動アシストなら、
エネルギーは普通の自転車の三分の一か、五分の一で済む。近くのSCや図書館に
気楽にいけるのも良い。この御陰で生活が一変したと言ってよい位である。 
イメージとして、サイクリングは、中・長距離の場合に使い、目的は自転車に
乗る方のニュアンスが強い。またツーリングは、長距離で、自転車で旅行をする
場合につかう。 東京など密度の濃い都会の二時間の散策なら、かなりの場所に
行くことが出来る。現在、信濃川のポタリングが主だが、今度は午後などに
折りたたみ自転車を車に乗せて日本海沿岸をポタリングするのも面白そうだ。
そうこう考えると、周囲に面白いことは、山ほどある。ただ気づいていないだけ。 
ベストの敵はベターというが、その通り。それにしても「ポタリング」という
語感がよい。これから少し与太るで,「ヨタリング」という言葉も浮かんでくる。
 陰鬱の時、少し与太らないとやってられない。 でも、自重の時期である。 
で、自転車でヨタルしかないか。少し離れた場所のポタリング用に、もう一台、
安い折りたたみでも買うか?でも、車で一時間で何処かあるのか考えると?
  ・・・・・・・
3412, マイナス思考法講座  ー3
2010年07月29日(木)
 著者はここで、「人間とは自分にとって都合のよいことを信じたがる」と指摘。
 その結果、「信じる」というより「期待しすぎる」ことになってしまう弊害が
出てくる。そして「期待に沿わなかった」結果に対し(自業自得でしかないのに)、
「裏切られた」と思ってしまうことになる。以下の絶望的、否定的な見方の多くは
自分自身に対する本音。それを隠すために無理をして逆の自分をイメージしている。
他者から見れば、大したことがないのに、必死に「あるべき自分」を演じている。
この構成は14の絶望ワークからなっている。この本を読む前に自分の意見を
入れてみた。書いた本人は哲学書を、ほぼ読んでないのではと思いざるを得な
かったことも事実。「しかし、くだらない、嫌われ、恨まれ、何をやっても
失敗する、誰も理解してくれない存在」と自覚することこそ第一歩である。
汝自身を知れ! のソクラテスの言葉を己に当てはめれば、下記のとおり。
 ー14の絶望ワークー  ≪ ≫内は、私の意見。
第1講 あなたはくだらない存在です     
   ≪だから、指摘されたら怒るのである。あくまで相対でしかない、それは!≫   
第2講 あなたは嫌われています       
   ≪もちろんである。だいたい誰からも好かれている人など信頼できない≫
第3講 誰もあなたの話を聞いていません   
   ≪聞いて欲しい、ということ自体が、もう対他的になっている≫
第4講 あなたの話は面白くありません    
   ≪面白い話など、そうそうあるわけがない。だから、本を読むしかない?≫
第5講 あなたは恨まれ、攻撃されます    
   ≪今さら、いわれる筋合いじゃない。そういう人こそクズである。ったく!≫
第6講 あなたは空気が読めません      
   ≪空気の読めない人など、元もと傍に寄せないこと≫
第7講 人はわかりあうことができません   
   ≪当たり前じゃないか! 名を出版社名にした理由が、この辺で分かる≫
第8講 あなたは成長できません       
   ≪要らぬお世話じゃ! これも上記の同じである≫
第9講 弱音を吐くことは許されていません  
   ≪泣き言も、やせ我慢も、それはそれでいいじゃないか≫
第10講 人はみな悪人です          
   ≪当たり前のこと、で、どうした。そう思っていれば裏切られることも無い≫
第11講 恋愛はすべて「脈なし」です    
   ≪逆に、脈がありすぎたら、どうする? うるさいだけか≫
第12講 あなたは何をやっても失敗します  
   ≪当たり前だろう、だから死に物狂いで練習を繰り返すのでは!≫
第13講 本当のあなたを知る人はいません  
   ≪本当のあなた、って何じゃ?自分で自分を知っているのかい≫
第14講 あなたの夢は叶いません      
   ≪夢は夢だけのこと。それを計画に落とすのが智慧だろうが・・・≫
 ーマイナス思考は人を不幸にするとされているが、逆に、その考え方が慎重に
 ものごとを進め、確実に幸せになれる。要は、「慎重にいこう」こそ、
人生の要諦。一つの失敗が、99の成功を破壊してしまうということ。
 ・・・・・・・・
3037,読書について
 2009年07月29日(水)
 読書については何度も書いてきたが、それでも何度も取りあげる価値は
充分にある。手軽に時空を超えて多くの人や現象に接することができる情報伝達の
手段である。大学卒業間近に、色いろ重なって頭がグチャグチャになってしまった。 
そのグチャグチャになることが学生時代には最も重要な経験と、後で知ったが、
そこで「もっともっと本を読んでおくべきだった」という後悔の念が起きた。
そこで決心したことは「何があっても、毎日二時間の読書」であった。
それを今でも守っている。私レベルとしては朝の散歩と、この随想日記と共に
最高の習慣になっている。まずは読みこんでない人が直ぐに分かる。 
これは学歴とは違い、意志が大きく左右する学力の問題。この詩は、読書の
素晴らしさと効用を素直に表現している。また書物を旅に置き換えて読んで
みると、ほぼ同じく感じることができる。人生で時間だけはリッチであった。
  ー 「書」 ー         西條 八十 《少年詩集》より
1 雨が降るとき、−風引いて            
  すきな遊びが出来ぬとき、                                       
    こどもよ、書物をあそびなさい。  :(旅行紀を読んで遊びなさい)
     書物はあなたをつれていく、   :(空想はあなたをつれていく)
     海山こえていく千里
     知らない国や、とおい国。
  見たこともない人たちや、
  また、めづらしい動物が
  あなたと遊び、話する。
     書物を読めば、友だちは     :(旅行の空想に出れば)
     いつも出てくる、目のまえに。
2 どんなにだいじにしまっても、
  万年筆や、カメラなど
  なくしてしまうこともがある。
     かわいい鳩なき時計でも、
     電気じかけの機関車も、
     こわれてしまうことがある。
  書物は、いっぺん読んだらば      :(旅行は、一度旅先に行けば)
  あなたのこころの奥ふかく            
  じっとそのまま残ってる。
     書物がくれる財産は、      :(旅行が与えてくれる経験は)
     一生消えない、なくならない。
・・・・・・・・
2672, 雁行的進歩とは
 2008年07月29日(火)


5248,遠近法こそ、人間の認識方法だ 〜ニーチェ「超」入門〜

2015年07月28日(火)

* 遠近法こそ、人間の認識方法だ   〜哲学『超』入門:白取春彦著
 絵画の手法である遠近法を、ニーチェは人間の「生の根本条件」と提示して
いたとは知らなかった。時間的に、空間的に近くの出来事に大きく影響される。
それも若いうちで、還暦を過ぎる辺りから「遠き日は年とるごとに近くなり」
になっていく。
≪ 『悦ばしき知識』(162)に二ーチェはこんなことを書いている。
「…エゴイズムというものは感情のもつ遠近法的法則だ。これによれば、
近いもの程大きく、また重要に見えるし、その反対に、遠くなるにつれて
すべての事物の大きさと重さが減ってゆく」
 遠近法というこの言い方は二ーチェの著作に頻繁に出てくる。しかし、
現代のわたしたちは「遠近法で考える」という表現をほとんど使わないし、
聞いてもすぐにはその意味がわからない。ふつうは、遠近法は絵を描くときの
基礎的な手法の一つとして理解されている。
つまり現実の距離感をキャンバスの平面に再現するために遠くの物は小さく
近くの物は大きく配置する手法のこと。これを透視画法とか遠近法という。
それが人間の考え方や見方にもあるということをニーチェは指摘したのだ。
さっきの引用例でいえば、エゴイストはいつも自分の利益にばかり関心がある
ために自分の損得にあまり関係のない事柄や人は自分にとって重要性も意味も
ないように感じているのだ、と説明されるわけだ。
 ニーチェはたんに人間のものの見方に新しい名称を与えただけではない。
遠近法による見方というものがなければ人間は生きられないと指摘をしたのだ。
どんな人間にしてもさっきのエゴイストと同様に、これは今の自分に重要、
あれは自分とは縁遠いものだから関わらなくてよい、といった価値の大小や強弱、
切迫性によって判断し、今どころか、この一瞬を生きている。つまり、エゴイスト
とさほど変わらないというわけだ。しかし、このような価値判断こそ、まさしく
人間の認識の仕方であり、生存していくための必須な側面となっている。
 その認識の方法こそ、まさしく遠近法だという。ちょっと考えてみればわかる
ように、みんなの遠近法がそっくり同じだということはない。それぞれに異なる。
だから、価値判断もまったく別々になる。客観的にこの価値だけが正しいとか、
真だということは絶対にいえない。ところが、各人にとっては、その各人の価値
判断こそがもっとも有用なものであり、正しい、もしくは真だと思っている。
そして、そういうふうに思い込んでいるからこそ、人は今の価値を信じ今の行動を
意味あるものとして、この瞬間を生きていけるというわけだ。しかし、それは少し
も自覚的なものではない。本人は遠近法を意識することもない。
なぜなら、遠近法という形式の中でしか人は「物を見る」ということができず、
その枠の中でしか物事を理解できないからだ。
したがって、二ーチェは遠近法を人間の「生の根本条件」だとした。≫
▼ 当り前のことだが、私たちに、それが自覚出来てない。情報化は、
さらに身近な現象を多く、細かく提示する。「時間が解決する」も、その一つ。
まず一歩、その場から離れ、遠くから見る必要性がある。近くのものは遠くに、
遠くのものは近くに。最近、『多宇宙説』が言われはじめた。我々が住む宇宙は、
10の500乗の宇宙の1つでしかないという説。『地動説』と同じ位のインパクト
ある驚愕する説だが、これでは、遠近法など、吹っ飛んでしまう。
・・・・・・
4883,閑話小題 ーこの20年間最大の変化とは? 〜1
2014年07月28日(月)
   * この20年間最大の変化と、今後は? 
 毎日、SF世界のような思いもよらない社会的変化が次々と垣間見ることが
できる。「これからどうなっていくのか?」が面白い 
               ー『スマホの次に流行るものは』岡田斗司夫ー
≪・この20年先を読むには、過去二十年間を振り返るとよい。1994年以降の
大きな流れは、ネットが身近になったこと、携帯電話が普及したこと、クレジット
カードを持つ人が増えたこと。現在、これらの機能はスマートフォンに入っている
のだからたしかに便利。しかし若い世代には、スマホが普及した別の理由がある。
仲間はずれにされないためだ。無料通話やメッセージのアプリ「LINE」が急速に
普及したのは、メールやツイッターと違って、簡単に仲間外れができるからだ。 
例えば三人の仲よしグループがあるとしたら、LINEで全員が同じ画面とメッセージ
をやりとりできる。その一方でAさんとBさんが陰でグループをつくり、Cさんを
仲間はずれにできるのだ。喫茶店などで若い人が集まっていると、みんな黙々と
スマホをいじっていることがある。実はあれが彼らの社交術で、誰かとお茶を
飲んでいるとその場にいない友人たちにLINEでしている。
・この二十年間で我々に起きた最大の変化は、考えるよりも先に検索する癖が
ついたことだ。検索することは、考えることとほぼイコールになっている。
例えば、選挙でどの党に投票するか決める場合、かっては自分で考えた。
今はまず検索し、自分が納得できる意見を探そうとする≫
▼ 13年以上、欠かすことなく、この文章を書き続けることが出来たのは、
 検索機能があったため。テーマが決まれば、キーワードの検索で絶対量の
情報をとり、その過程で、考えをまとめていく。それが私にとって考えること。
後は、図書館でのネタ探しと、ネットサーフィンもある。このお陰で、
「脳の外部化」が、間違いなく行われた。一度ネットに上げれば、何時何処
でも、それにアクセスし、内部検索にキーワードを入れると、過去に書いた、
調べた情報のベースから考えることが可能になる。私にとって、この13年間
は、そのベースづくりの期間でもあった。しかし、その底の無さに呆然とする。
・・・・・・
4516, スポーツ自転車の勧め! ー3
2013年07月28日(日)                 
  * ポタリング ーつれづれに  「自転車で痩せた人」高千穂 遙 (著)
 4年近くで、一日12キロ、年に200日として(冬期間を除き)、9千キロ
は走ったことになる。 当然、自転車はボロボロに近い。この本を読むまでは
「月に一度の空気入れ」の鉄則を知らなかったが、息子に「時どき、空気を
入れたほうが良いよ」と言われ、三月に一度の割に入れていた。それとスプレー
式の錆止めを2年前から挿し始めた。 それとHCでパンク修理グッズを見つけた
ので、次のパンクから挑戦するつもり。
 ここでママチャリについて、【日本独自の車種で、通勤、通学、買い物など
あらゆる場面で使えるが、スポーツとしては使いづらい。 日本の道路事情で、
歩道に乗ることを認めていることもあり、スピードが出しづらくなっている。 
現在、都市部で大きな問題の歩道上の自転車事故は、スポーツ自転車とのスピード
の出しすぎによる接触が多く、道路事情に自転車の仕組みも絡んでいる。
 値段も安く、メンテナンスも手軽で、丈夫で、使用頻度も高く、何処にも置ける
気安さがある。値段が安いのが特徴で2〜3年も乗れば、盗まれても諦めがつく。 
スポーツ車では、クロスバイクとマウンテンバイクがママチャリに近い。 
軽さでマウンテンが、次にクロスバイクが適している。  現在、節約も含めて
自転車通勤が都心で多く見られるようになった。また運動として著者のように、
ライダーや、(私のような)ウォーキングからの乗り換えも増加している。 
イオンも自転車専門チェーンを道路沿いに出店を始めた。 日本は自然に恵まれ
自転車でのスポーツ環境が整っている。スポーツや遊びの場面を考えると、
日本に適している。団塊世代が定年をむかえた昨今、自転車は最適である。
もう一歩踏み込みこむかどうか? 鎌倉とか京都に自転車を持ち込み、散策する
のも面白そうだが、東京都内も良さそうだが・・ その前に県内のポタリングか。 
・・・・・・
2012年07月28日(土)
4142, 究極の五木メソッド55 ー�
   『きょう一日。〜非常時を生き抜く究極の五木メソッド55 』五木寛之著
 * <五木メソッド38手順のまとめ、より> 朝、布団の中でやるメソッド
 なかなか良い本である。毎朝これを実行したら良いだろう。朝風呂の中で数年来、
この半分近いマッサージをしてきたので分かる。それと現在、週二回のヨガ教室
での色いろなポーズが、この中に取り込んである。
  ーまずは、そのへんの要点をコピーしてみる。
≪ 1.寝たまま、両手をこすりあわせる 2.両手の指を軽く組んで上下に動かす  
 3.指の組合せを変えて同じ動作をする 4.指の組み方を逆にして手首を上下に   
5.指と指の間を手刀でたたく     6.指を一本ずつ親指の腹でこすりあげる
7.親指と人さし指を合わせて反らす  8.指を手の甲の側に一本ずつ反らす  
9.親指を除く四本の指をそろえて反らす 10.爪の付け根を親指と人さし指でもむ  
11.中指、薬指、小指を曲げ伸ばしする 12.親指で手のひろを万遍なく押す
13.足の爪もみ。足裏も押す      14.再び、両手をこすりあわせる     
15.その両手を丸めて、顔に近づける  16.手のひらを目、鼻、口元、耳へ    
17.頭皮を指で押さえて前後左右に   18.親指でこめかみのくぼみを押す
19.同じように、眉の付け根を押す   20.眼高にそって目の上の骨を押す    
21.同じ要領で、目の下の骨を押す   22.小鼻のわきを人さし指で押す     
23.口の上から歯ぐきを押さえ左右に  24.下あごの両側のくぼみを親指で押す
25.ほほ骨の下にあるくびみを押す   26.耳の付け根をはさんで上下にさする  
27.耳のはしをつまんで引っ張る    28.手のひらで両耳をふさぎ、離す    
29.片膝を胸に寄せ、反対の足を伸ばす 30.同じ動作を、もう一方の足でやる
31.両ひざを抱き込み足首を前後左右に 32.両端の足裏を合せてひざを開き深呼吸 
33.足首を反対の足ひざに乗せ倒す   34.同じ動作を、足を組み替えてやる   
35.寝たまま、両手をバタバタさせる  36.両足をのばし、両手を下腹部に置く
37.深呼吸。好きな言葉を口に出して言う 38.「きょうも元気だ」と言って起きる 
 人はさまざまです。百万人いれば百万通りの人間がいる。体質がちがうだけは
ありません。その人の環境がちがう。年齢がちがう。気質がちがう。経歴がちがう。
ですから、自分ひとりのための方法、というのが最も大事。 (中略)≫
▼ この時代に生き抜くために、このぐらいのことは習慣にしておいた方がよい。
 習慣は第二の己であるからだ。どれもこれも、 三大成人病対策にもなる。
これらは手足のマッサージと、顔と耳と頭のマッサージ、足と腰の関節の伸ばし、
そして呼吸法に分けられる。三年前から本気になって腰痛対策のため、メソッド
を取り入れ、更に一年前からスポーツジムに通いだした。 そしてヨガ。
しかし腰痛は直ったわけでなし、少し椅子に座り続ければ軽い痛みが出てくる。
しかし、直ぐに収まるが。
・・・・・・
3776, 閑話小題
2011年07月28日(木)
  * 世界が誇る中国高速鉄道の話
 中国で当初から問題になっていた高速鉄道で事故が起こした。 
高速列車にしては死傷者が少なかったのは不幸中の幸い。
・まずネットで、「これで中国が日本のシステムを盗んでないことが証明された」
 と、痛烈な批判が出た。日本はマグネチウド9で一人の死者も出なかったのに、
 中国は大雨と落雷だけで、これだけの死者が出たとの批判も。
・“国産”と自負していた新幹線の実態は、日本や欧州、カナダから導入した
 車両や地上設備、運行管理システムの寄せ集めで、系統だった運用の可否が懸念
 されていた。その問題の列車の衝突車両を、世界のマスコミが見ている目前で
 埋めたのはお笑い以下。ソ連が崩壊したのはチェルノブイリ原発事故当時の、
 あまりにズサンな国家体制が露呈してしまったからである。一党独裁の良否が、
 そろそろ中国国内でクローズアップされる時期にきている一現象である。
▼ 以上が、今回の事故から露呈した高速鉄道の危険性の問題。 
「当事者の一人は、自分は絶対に乗らない述べていた」と、マスコミが報じている
問題点が本当なら、これから数年間で大事故が頻繁に起こることになる。
ということは、恐ろしい大問題を中国は自らの手で作り上げてしまった。
  * アメリカが国債のデフォルト?
 何か物騒な話になってきた。共和党がアメリカの借金総額の上限の金額の
上のせ条例に反対し揉めていて、もし通らないとアメリカ国債の債務不履行に
なる危機にあるという。そのため、ドル安がジワジワ進行してきた。 
共和党との対立でドルと国債の価値を下がると誰が一番得をするか、それは
アメリカ自身である。 一番損をするのは日本。それは、初めからのアメリカの
意図としていたこと。現在の日本の震災と荒廃した政治混乱の、この時期に借金
棒引きは願っても叶ったりである。 9・11、9・15、3・11の経済・自然災害の
三連発後で弱体した日本の最後の拠りどころの預貯金の多くが、アメリカ国債に
とって替わっている。それが不払いとなれば・・ 考えただけでも恐ろしい。
まずは隷属国家から借金棒引きは当然か!
  ・・・・・・・
3411, マイナス思考法講座  ー2
2010年07月28日(水)
「マイナス思考法講座ープラス思考をやめれば人生はうまくいく」ココロ社著 
   ーまずは、「はじめに」よりー
 この本の主旨は、「マイナス思考はプラス思考より優れている」、
これに尽きます。物事を前向きにとらえるプラス思考、一見いいように思えます。
「物事を後ろ向きにとらえるよりも前向きにとらえた方がいいに決まってる」と
思うかもしれませんが、こと思考においては、必ずしもプラスがよいとはいえない
のです。なぜかというと、「プラス思考こそが、現実逃避の温床に他ならない」
からです。プラス思考こそが究極のマイナス思考といってもいいでしょう。
 プラス思考そのものより、プラス思考で行動することで、人間のマイナス面が
助長されてしまうといった方が正しいかもしれません。
 プラス思考の根本的な考え方「何事もプラスに考えよう」は、
「耳が痛くなる情報を耳にしたくない」という人間誰もが持つ気持ちと合わさると、
「物事のマイナス要因を忘れよう」に、ついつい翻訳されてしまうからです。
  【 プラス思考の問題点を4項目にまとめてみます。】
1.プラス思考を身につけても、不幸に耐えられる忍耐力、不幸を幸福と読み
 かえる超解釈力が身につくだけ。
「不平不満を言うのではなく、現状の自分が幸せである、と思いましょう」
という考え方がありますが、自分が幸せだと思ったら、現状に対して何も手を
打たなくなってしまいます。本当に幸せならそれを噛みしめていればいいが、
そうでもないのに無理に自分は幸せであると思いこみ、現状に対して何もしない
のであれば、いずれ、幸せと思いこむこともままならないほど、不幸になって
しまうことでしょう。プラス思考は耳触りがよいので、つい現実を見誤う。
現実を直視しないことには現実をよくしようがない。
 2.プラス思考は、他人にとってはマイナス思考です
「プラスにとらえる」とは、「自分にとってプラスにとらえる」ことで、
つまりは、他人を無意識にマイナスにとらえることになる。プラス思考とは、
自分を軸にしている限りはなかなか見えてきませんが、どこかでプラスをすると、
どこかがマイナスになり、その結果、自分1人の中でプラスでも、周囲と
合わせて見ると、誰かから幸せを引いて誰かの幸せがマイナスになっている。
 3.プラス思考だと、ありのままの自分を肯定するばかりで成長の機会が
ありません。ありのままの自分をひたすら肯定するプラス思考のままでは、
ありのままのあなたは、いつまでたってもありのままで、成長することがない
でしょう。ありのままの自分を乗り越えていくことが、成長には不可欠。
 4.プラス思考は、必ず裏切られる運命にあります
「人を信じよう」と言いますが、信頼して仕事を発注した相手がスケジュール
を守ってくれなかったり、彼氏が友だちと旅行と言っていたのに実は女の人と
2人で旅行だったり……  一言、事前に釘をさしておけば、裏切られることは
なかったのに、「信じよう」などと思って策を打たないから、ひどい裏切りに
あってしまうのです。
▼ プラス思考は、マイナスを乗り越えた上での考え方であり、その背後には
 マイナスを考えた上でのプラスを元もというのであって、ここで書かれている
上っ面の思考法ではない。 それより、言葉を額面どおり捉え、現実逃避に
知らないうちになっているケースが多いはず、それを諌めているのである。
肯定は意志であり、否定は感情である。
人間は意志の動物であると同時に感情の動物。両者の混合が必要だろう。


5247,他諺の空似 〜ことわざ人類学 〜④

2015年07月27日(月)

             『他諺の空似 〜ことわざ人類学』米原万理著
   * 一蛇の道は蛇一
 妻の目からみた夫の変容の姿が可笑しくもあり、悲しい。
これが嫌なら、途中で人生を下りるしかない。 以下は、妻の目からみた
『生・老・病・死』の移りの現象である。そういう私も、来年に入ると、
【六〇代の妻が七〇代の夫に望むこと】の時節になる。
「孫や近所の子供たちが逃げ出すような恐ろしい容貌と身だしなみ」や、
「風呂場や洗面所やトイレがどこか、自分がなぜ笑っているのか、覚えてない」
 世代に入ることが、それを全く自覚出来てない。〜その幾つかを抜粋〜
≪ ● 二〇代の妻が三〇代の夫に望むことは何か。
一、魅力的な容貌で、金銭的に不自由していないこと
五、適度におしゃれで身だしなみに気を遣うこと
六、頭がよくて機知があること
七、音楽や文学や美術を楽しむセンスがあること
八、妻と家族に思い遣りと気遣いを忘れず、時々プレゼントをすること
九、妻を心から愛し(肉体的に)、ロマンチックな雰囲気作りが巧いこと
 ● 三〇代の妻が四〇代の夫に望むことは
一、まあまあの容貌(とくに頭髪の状態が心許なくなっていないこと)
二、十分に稼いでいること
三、自分がしゃべるよりも、妻の話を聴いていることの方が多いこと
四、妻の冗談にちゃんと反応して笑うこと
八、妻の誕生日や結婚記念日を覚えていること
九、最低週一回はセックスする用意があること
 ● 四〇代の妻が五〇代の夫に望むことは
三 安定的に仕事をして定収入があり、豪華な外食をする程度に
四、妻が話しているときに、一応首を振ること
五、妻が言う冗談の趣旨を理解できること
 ● 五〇代の妻が六〇代の夫に望むことは何か。
二、所構わずゲッブやおならをしないこと
六、健康であること、せめて寝ころびつぱなしに
  なるほど肉体的に衰えていないこと
八、テレビを見ながらでも、妻の作った料理に反応すること
九、せめて週に一度はヒゲを剃り、月に一度は爪を切ること
 ● 六〇代の妻が七〇代の夫に望むことは何か。
一、孫や近所の子供たちが逃げ出すような恐ろしい容貌と身だしなみを
  していないこと
二、風呂場や洗面所やトイレがどこか、自分がどこに入れ歯を置いたか、
  自分がなぜ笑っているのか、覚えていること
六、普段はちゃんと衣服を着用していること
六 肉体的に健康で、家具を動かしたり、電球の取り替えに 役に立つこと
九、せめて三日に一度はヒゲを剃ること
 ● 七〇代の妻が八○代の夫に望むことは何か。
一、息をしていること
二、健康であること・せめて糞尿をこぼさずに便器に命中できる
  ほどの筋カと精神力があること              ≫
▼ 誰にでも訪れる老いのプロセスが、あまりに具体的で笑いを誘う。
「老いるほど、身だしなみに気をつけること」というが、社会的接触が
少なくなるため、身嗜みの感覚が鈍くなる。クロス自転車で、早朝の
ポタリングをしていると、時に、「いい年をして!」という風な視線に出会う。
気にしなければ良いだけだが。そういう人ほど風体が悪いから我慢がなる・・
・・・・・・
4882,閑話小題 〜草食系男子のつくられかた!
2014年07月27日(日)
   * 秘仏開帳 〜エロ本の効用が無くなった現在
「近年、草食系男子が多いのは、ネットで簡単にエロ写真や動画がみれるため」
という説がある。47年前の欧州旅行の御土産は、北欧の道路の売店で売られて
いる無修正のエロ本が通り相場! まず初めの買物は北欧美人の? 到着をした
翌日、早速、各自が数冊買って部屋で互いに見合っていた。 今では・・ 
そんなものはネットで幾らでも。 何ごとも「秘すれば花」。
世阿弥「風姿花伝」の『秘すれば花』の正しい意味は…
 ①本当に重要なものは、他人から隠しておかなければならない。
 ②他人に隠しているものは、本当は大したものではない。
イラストレーター‘みうらじゅん’の以下の説が面白い! 
 ーエロ本は、隠れて見てこそ良いもの
≪ いまは小学生でも、PCのアクセス制限をすり抜ければ、いとも簡単に
女性器の鮮明な画像がゲットできる。 無修正の動画だって苦もなく観られる。
私が子どもの頃は、エロ本を手に入れるのもひと苦労で、それも墨などの修正
入りが当たり前。大人が隠すことで「いいもんだぞ、いいもんだぞ」と思い
込まされてきたようなもの。実際はそんなにいいものでなくても、隠されると
見たくなるし、手に入れたくなる。アソコを「観音さま」と呼ぶほどの有り難み
があった。ネット時代になると、その有り難みはすっかり失われてしまった。
セックスレス、草食系男子、少子化の原因これだと思う。
 「秘仏開帳」は日本独特の文化で、神道の神様も目に見えないように、
日本人は隠されると有り難みを感じる。だから女性器はもっと「秘仏」として
扱うぺきであろう。見慣れてしまえば有難みは消え、あの形状が単にキモいと
感じるようになり、その次には飽きてしまう。女性を口説こうとしない草食系
男子になるのも無理はない。昔のエロ本は表紙だけ美人で、買って開くと中身は
ブサイクな女の子ということが多々あった。最近のエロ画像、エロ動画に出て
いるのは若くて美人ばかり。「こんな美人には一生出会えない」と思う女子が、
映像の中でものすごくサービスしてくれる。身近な女性に興味が持てなくなる
のも当然だ。 政府が本気で少子化対策に取り組むなら、いますぐパソコンと
インターネットの使用を禁止するしかない。≫
▼ 少子化対策も、意外と、こんなところにあるのかも? 姉4人の中の環境
 にあり裸体などを普段の生活で見ていたこともあり、自分から見たいとかいう
のは無かった。姉が読んでいた「週刊実話」とかいうエロ雑誌を胸ときめかし
隠れて読むくらい。父親が男女間のことに関しては特に厳格で、父親っ子だった
こともあり、シモネタなどもっての外。学生時代の悪友に『お前は竹のような奴。
何があっても、最後は何事もなく収まっている』と言われていた。
「真面目な路線の上を面白おかしく生きる」は、家系、血筋。それでも25人の
学生寮で生活していたこともあり、エロテープ、エロ写真を誰かが持込むと、
部屋に集まって?・・ 当時も現在も、草食系と肉食系がいたが、2割が8割を
独占する法則が、当然、存在していた。逆に、2割の肉食系は、どういう訳か
就職先には恵まれなかった。その辺は、ハッキリしている。
・・・・・・
4515, スポーツ自転車の勧め! ー2
2013年07月27日(土)          
               「自転車で痩せた人」高千穂 遙 (著)
  * 4年間のポタリングからのギアアップの時節 ?  
4年近く前に、「電動アシスト自転車が5万9800円の破格値でスポーツ用品
チェーンのヒマラヤが売り出す」という記事をみて思い切って購入した。
当時は電動アシスト自転車の殆どが10万円以上。そして、まず信濃川まで
試乗してみて驚いた。それまで遥か遠く感じた長岡大橋まで僅か15分。
それも全然、疲れが残らない。それまでママチャリしか乗ったことがないのが、
マウンテンバイクのため軽快で、6段切替で、電動アシストとくれば、その段差
に驚いて当然。それと大手大橋からみる信濃川のパノラマの美しさに感動。  
そこで30年近く続けてきた早朝の一時間ウォーキングを、ミニサイクリングに
切替え、現在まで続いている。 ウォーキングを30年近く続けていたことも
あってか、電動アシストもあってか、体重変動はゼロ。電動アシストでなくとも、
ギアチェンジのスポーツ車で、このコース試乗をしていたら、この方に切替えて
いたはず。この5月のゴールデン・ウィーク明けからは、週に一度は午後から
一時間以上を走り始めている。
 服装は、スポーツセンターで着ているトレーニングウエア。ズボンは時どき、
登山用ズボンにする。 それに網目のベストを羽織る。帽子は網目の野球帽。
これも、そろそろヘルメットに切替える時期。靴はランニングシューズか、
ウォーキングシューズ。中途半端だが、中途半端の入門者なら、仕方がない。 
4年近く乗ってきたマウンテンバイクも、ボロボロ。一日、百円換算からしても
十二分に元をとった感がある。そろそろ電動アシストのクロスバイクか、折畳み式
を考えている。折畳み式なら、「途中までジテツウ」をもじった「途中から
ポタリング」が出来る。近くの観光地などに車で行き、トランクから出して、
ポタルとか・・ しかし、クロスバイクの前輪をワンタッチで外せトランクに
簡単に乗せることができるものがある。どちらを選ぶかだ。著者の本格的
「純競技用のマシン」は、私の年齢では無理? 地元が雪国のため12月〜3月が
走行が出来ないハンデがある。とすると来年春まで待つか? 先が多く残されて
ない?ので、すぐか? 迷うところ。他にオートバイ、スポーツカー、カヌー
など考えられるが・・ 健康と年齢からして、これか。 
・・・・・・
4141, 閑話小題 ーユーロ安など
2012年07月27日(金)
  * ユーロ安が止まらない!
 ユーロが、ついに95円を割ってきた。4年前までは160円代だったのが、
4割以上も下落したことになる。これはスペイン10年債利回りが7.59%に
まで急上昇し、更にイタリアの地方都市が破綻危機に瀕しているなど、
ヨーロッパ金融危機がスペイン・イタリアの地方政府・都市に出始めてきたため。
日本だけでなく、欧州に輸出している中国などが直接影響を受けている。
もしユーロ圏内の国でデフォルトでも宣言されたら、更に国債や株式・為替市場
が暴落する負の連鎖が始まる。やはりロンドン・オリンピックが終わる頃から
荒れた経済が表立ってくる。既に会社経営から退いたので、以前ほどの
心配はないが、それでも日常生活に直撃してくることになる。
このオリンピックが白々しく思えるほど世界の経済は逼迫しているということ。
  * いじめ
 小学校、中学校時の虐めは誰もが何らかのカタチで経験している。
色いろ見てきたが、それぞれが酷いもの。人間に格差と、差別がある限り、自然
発生的に起こるのは避けられない。虐め側は家庭に問題があり、成績が下位か、
性格が捩れていて、自分より下位の人の弱点を見つけ徹底的に攻撃する。
彼らの特徴に徒党を組む習性が強く陰湿な集団リンチ的要素が強くなり、強者に
ヘツライ、弱者に強持てになる。中学校の虐めグループの、その後は、当然?
修羅の人生の人が多い。今回、問題になっている大津市の虐めによる自殺は
タチの悪い虐めのようだが、今日明日にも自殺に追い込まれる直前の小・中学生
が数百、数千人が存在していると考えられる。しかし小・中学校時代の虐め経験
は必要悪の側面がある。特に会社組織は弱肉強食社会。そこには表立たない筆舌
に言い表せない虐めが存在している。そのための免疫を子供時代につくっておく
必要性がある。虐める方も虐められる方も家庭問題による歪みの起因の要素が
大きい。般若の面は差別による虐めの怒りの表出というが。
・・・・・・・
3775, ユング ー11
2011年07月27日(水)
          〈 ユングー地下の大王  コリン・ウィルソンー� 〉
  * ユングの能動的想像とは? ー2   
 コリン・ウィルソンは、ここで能動的想像の実例を幾つか取り上げている。
この内容からみると共同意識の世界まで入り込んでいるようで、夢の世界の
奥行きの深さを感じさせられる。私も夢で数知れないほど、奥の深い内容の
ものをみてきた。
【ーP/242ー もう一人のユソグ派の分析家J・マーヴィン。スピーゲルマソは、
 母親と娘と老賢人に出会った洞窟での「空想」で、24歳のときに能動的想像
の技法を獲得し始めた。ある日騎士があらわれ、母親と娘をさらって行った。
その騎士は、自分は話すべきいくつかの話があり、また話を口述させたい
「数人の他の人が自分の国」にいると説明した。それからスピーゲルマソは
数年を費やして、騎士、尼僧、色情狂の女性、老いた中国人、その他の人々が
口述したいろいろな話を書き留めた。これらは、四巻の本になって出版された。 
あきらかにスピーゲルマソはブラッド・と同じ技法 ーつまり「別の自己」が
内気を克服して自分を表現するがままに任せる方法を用いた。そして結果は、
多くの点で似ていた。このシリーズの第四巻『騎士』(「一九八二年)のなかで」
スピーゲルマンはきわめて重要なことを観察している。すなわち、能動的想像
を実行するのに成功すると、「共時的な事件が規則的に起こり、きわめて
神秘的な方法で世界とかかわりあえる」ことを観察した。起こることは、
内部的な仕事によって世界との関係がともかく変わることだと、
スピーゲルマンは言っている。それから彼は、雨ごい師の重要な話 
ーもともとはリヒアルト・ヴィルヘルムによってユソグに告げられた話。
< ヴィルへルムは、旱害に苦しんでいる遠い中国の村にいた。雨ごい師が
遠い村から招かれた。彼は村はずれにある一軒の小屋を所望し、三日間そこ
から外に出なかった。 その後土砂ぶりの雨になり、ついで雪が降った。
これは一年のその時季には前例のないことだった。・・ヴィルヘルムは老人に、
「あなたはどういうふうにして雨を降らしたのか」と聞いた。 
老人は、自分がそれをしたのではないと答えた。「私はあらゆることがきちん
としている国からやって来ました。雨が降るぺきときには雨が降り、晴れが
必要になれば晴れます。人々自身がきちんとしています。ところが、この村の
人々はみな、道からはずれていますし、自分自身からもはずれています。 
私はこの村に到着してすぐに、それにうつり(感染し)ました。それで、私は
一人になれるように、村はずれの一軒の小屋を所望したのです。私がもう一度
道にかなうようになったとき、雨が降りました」と。「道と自分自身にかなう」
と老人が言っていることは、ユングが個性化と言っているもの。脳の二つの
半分の間に適切な交通があった。>  雨が降らない村の人々は、左脳の自我で
支配されていた。左脳の自我は、もろもろの問題に過剰に反応する傾向にある。
・・アメリカのハワード・ミラーは、人間には既に、ある形の能動的
想像を持っているとミラーがいっているのは実際には、右脳は 
オーケストラ、左脳が指揮者だということ。】
▼ 連続シリーズの夢は一種の能動的想像になるのだろうか。
 人は夢日記をつけると、つけないとでは、大きな違いが出る。夢は、潜在意識
を覗く手立て。それを記録にして書き残す習慣は、考えてみれば自分を知る一番
の方法である。父親の初七日に、父のベッドでみた夢(以前にも書いたが)。
父親の魂が私に入れ替わってしまった夢である。父がガン末期で、死の恐怖と
闘っていた時に、傍にいて、それが直に伝わってきていた。そして初七日に、
その恐怖心が、そのまま夢で、体感したのである。問題は、それから。ハッと
して目覚めたとき、父親の自分が、私として存在している奇妙な実感である。
それから、私に10年以上、変な感覚が身についてしまったのである。
今から思うと、その感覚で、もっと見るべき世界を見てきた方が良かったが、
それは今だから言えること。自分の内なる沼には、底知れぬ深さがある。
・・・・・・・
3410, この国の終わり −6
2010年07月27日(火)
 * 日本の余命はあと僅かである  (P・107)
 どの時代でも、彼らの邪悪な発想(考える能力)は私たちの発想をはるかに
超えていた。彼らの悪辣さの度合いは、日本人の常識ではとてもついていけない。
そのため私たちは、世界を覆っている真実に対し、考えることを放棄し信じる
ことをやめる。 福沢諭吉は彼の『文明論之概略』の中で、開国を迫る列強の
真意を次のように要約している。
≪ 即ち彼ら毛唐(=「外国人」の蔑称)の本音は、要するに「自分たちと
 商売をせよ、さもなくば殺す、 と言っているのだ」と看破。その性温厚に
して軟弱な江戸時代までの日本人にとって、この考え方は常識をはるかに
はずれた奇想天外の暴言であり、だからこそ福沢もわざわざその事実を本の中で
コメントしているのだ。 しかし彼らにとっては常識も常識、至極まっとうな
言い分であり、数万年の歴史をそれのみ集中して生きてきたといっても過言
ではない。そのような「彼ら」が、いままでは局地的な侵略と征服のみで過ご
してきたのは、ただ単に地球を一極支配するだけの能力が、いま少し足りな
かっただけのことである。 あるいはIT革命、情報革命といった、新しい
最終的な手段が出そろっていなかったためでもある。彼らはそれらが出そろう
まで辛抱強く臥薪嘗胆してきた。虎視眈々と、いまに見ていろと舌なめずりを
しながら、それでもその時々にできうる最高の手段で、一極支配の地ならしを
してきたのである。そしていますべてを手中にし、すべての条件が整ったと
いうわけだ。福沢は彼らの言い分を「商売をせよ」と、当時の日本人がやっと
フォローできる表現を使って解説したが、本当はそんな生易しいものではない。
彼らが歴史で実証していることは、「自分たちの奴隷になれ、さもなくば殺す」
ということなのだ。 商売は、金儲けは、とっくに済んでいる。
金儲けの最終段階は、いまも昔も奴隷制度の貫徹である。さらに、究極の奴隷化
とは、頭脳の奴隷化なのだ。つまり、マインドコントロールのこと。いまこそ
彼らは堂々と宣言する。「我々の家畜になれ、奴隷になれ、ロボットになれ、
さもなくば殺す」 それが最後の「お触れ」。 ≫
▼ それが30数年前から始めたアメリカの金融戦争である。ドル一極支配下に
入れ、さもなくば叩き壊す。その際たるものが、この金融恐慌。これで欧州連合
のユーロは風前の灯。たしかにドルも傷ついたが、胴元の被害は、早々に元に戻る。 
更には中国もドルを1兆ドルも持たされた。そして、数年後には、それらを
アメロとかいう新ドル?でチャラ。それで日本は、その最大の被害者になる。
家畜の運命は、そんなものか。
 ・・・・・・・
3035,「顔」を哲学すると
 2009年07月27日(月)
 「顔」について哲学をしている文章に殆ど出くわしたことがない。 
特に女性の場合、その造作で人生を変えてしまうほど大きな要素になる
のにである。そこでネットで調べてみたが、これはというのが、やはりない。
それでは自分で考えてみることにした。古代よりクレオパトラや小野の小町
など、美人は特別に扱われてきた。考えてみれば顔の部分のバランスと、
全身のバランスが整っているだけで、何で?と誰も疑問を持たない。
そこで考えられるのが、顔が露出した全身の凝縮した表出であるからだ。
また眼は内臓が身体の外に、そのまま出ている唯一の部分である。
「眼は口ほどに、モノをいい」というほど、内面が現出しやすい。
さらに顔は何代もかかって作られる。更に、年齢を重ねると苦労とか、感動、
感激の蓄積した内面が、そのまま現われ出てくるから、人間は顔に興味を抱く。
どんな人間も顔にはドラマが書いてあると大作家が語っていたが、その通り。
男の顔は履歴書で、女の顔は請求書とは、よくいったものだ。
徳岡球子が歴史上の人物の顔をモチーフにした「面構え」シリーズで多くの
作品を残している。漫画的の描き方で、その人間の内面の味を炙り出している。 
晩年の顔ほど、その人の人柄が出るからだろう。その意味で写楽の絵が、
その典型である。 一月前にWoWoWで「写楽」を映画でみたが、これが面白い。 
ところで若い女性にとっては、美人かどうかが一大問題。  
(字数制限のためカット 2012年7月27日)


5246,他諺の空似 〜ことわざ人類学 〜③

2015年07月26日(日)

             『他諺の空似 〜ことわざ人類学』米原万理著
   * 馬鹿と鋏は使いよう
 馬鹿と鋏の、馬鹿を当時のブッシュ大統領として槍玉に上げている。
9・11テロも、何か不思議な奇妙な事実が次々と出てきた。日本に居ても、
ブッシュの何?は見て取れた。改めてブッシュを考えると、恐ろしい限り。
無能について、他人をとやかくいう資格はないが、自覚はしている。
『軍産複合体』というシンジケートがアメリカには存在し、政治をコントロール
している。それが馬鹿を、次は黒を、そして、その次は女を大統領に据えて、
強力な指令を出す。  〜その辺りから
≪「馬鹿と鋏は使いよう」もまた、ものを気楽にポイ捨てしたり、人をリストラ
 したりすることを戒め、資源の有効活用を説く諺で、実に普遍的な真実を言い
当てているのだが、今のところ、日本以外の地域に類諺を探し当てられず。
もっとも、諺化していないからといって、切れない刃物や無能な者を使い方
次第で役立てる精神や試みまで皆無というわけではない。
 たとえば、2000年のアメリカ大統領選は、モニカ・ルインスキースキャンダル
のおかげで共和党には絶好のチャンスが訪れ、ここで強力な候補を立てれば圧勝
楽勝だったというのに、なぜよりによってブッシュ・ジュニアのような、政治、
経済、法律、外交のどれをとっても無能な候補を立てたのか、私にとっては
長いあいだ大きな謎だった。 (その無残な履歴とは)
・二〇代と三〇代に飲酒運転で逮捕歴があり(妻のローラも十七歳のとき飲酒
運転で級友をひき殺している)、
・名門工ール大には金と権力を持つパパのコネで潜り込み、勉強せずに遊び
惚けていてコカイン吸引で有罪判決を受けたという疑惑のどら息子。
・大学卒業後も酒びたりの自堕落な生活を送り、ベトナム戦争中もパパのコネ
でベトナム行きを免れ、
・パパの全面支援のもと下院議員選挙に立候補したものの落選、またまた
パパの人脈を頼りに石油ビジネスを手がけるも二回も会社を倒産させ、その尻
ぬぐいもパパの息のかかった銀行や同業他社にしてもらったという、何一つ自分
の失敗の責任をとったことのない男。
・さすがのパパも息子にはまともなビジネスは無理と悟り、大リーグ球団
テキサス・レンジャーズの株を買い取って共同経営者に据えた。
四〇歳になるまで、金と権力を持った身内のコネに頼りきりで仕事らしい
仕事をしたことがない、まさに金さえあれば馬鹿も旦那を地でいく男。
・テキサス州知事になってからも、知事としての霧に無関心で、政策の勉強を
嫌いだと公言し、「これほどまでに政策や国家運営にうとい人物が、州知事は
もとより、なぜ、よりによって大統領の座に就きたいと思っているのか」と
周囲に不思議がられている。「なぜ読み書きしゃべる能力が小学生レベルの、
知性も才能も勤勉も努力も欠如した男を」と。
石油価格を牛耳ることで、世界経済に対する覇権を維持し続けたいにとって、
お馬鹿なブッシュが理想的大統領である理由である。
なぜブッシュでなくてはならなかったか、そして、彼が馬鹿であるからこそ、
共和党とそのバックにいる軍産複合体には都合が良かったということ。≫
▼ 日本というアメリカのポチの飼主が、この程度だが、後ろには『軍産複合体』
 という得体の知れないシンジケートが複雑に背景として存在する。小沢一郎が、
過って『首相とシャッポは軽いほうが良い』と口を滑らしたことがあったが・・
娑婆は、馬鹿でなければ出来ないことがある。それが政治というもの!創業もか!
・・・・・・
4881,閑話小題 ーエコ葬〜フリーズドライ葬
2014年07月26日(土)
   * エコ葬儀、フリーズドライ葬
日本では大方が火葬だが、遺体を凍らせる「フリーズドライ葬」が、エコ葬儀と
して注目を集めている。そこでネット検索をしたところ、以下の内容が出てきた。
≪ これを開発したのは、スウェーデン生物学者のSusanne Wiigh-Masak氏。
 科学教室などでも良く使われる液体窒素は、いろいろなものを瞬時に凍らせる
ことで知られています。例えば凍らせたバラの花を手で砕いた映像をなどを見た
ことがあるが、あのようにフリーズドライ葬は、この液体窒素を使用し遺体を
マイナス18℃で乾燥凍結した後に砕いて細かくする。そして水銀などの重金属を
取り除いてから、でんぷんを主材料にする生分解性の容器にいれて埋葬するもの。
原理としてはフリーズドライの食品を作るのと同じ。埋葬した遺体は時間をかけて
土の中で分解し、植物などに栄養を与えてくれることにもつながる。
死んだら皆土に還る…が本当の意味で実現できそうです。まだ、いくつかクリア
しないといけない課題はあるが、この方法を「プロメッション(promession)」
と呼び、費用は約290ユーロ。大よそ4万円。韓国でも本格導入を計画。 ≫ 
▼ 重油で焼かれるイメージは、何か良くないが、乾燥冷凍後に砕かれ土の
 中で分解されるなら?これなら庭の木の下に埋めることも可能? 特に、
災害時に手軽にトラクターにコンパクトな乾燥冷凍機を持ち込めば、処理が
スムースにいく? どちらと問われれば、私はフリーズドライを選ぶが、所詮は
死んでしまえばゴミ。 先日、スーパーで果物を乾燥させたチップスを買って
サクサク食べた・・ あれ。
 ところで以前、イタリアのドキュメントで、マフィアが殺した遺体を処理する
「硫酸入りプール」の存在をレポート。何か、寒々とした後味の悪い内容だった。 
やはり重油で1時間かけ、焼いてもらう火葬が良い?そういえば中国で、遺体
捨場に着の身着のままで捨てられた遺体を映し出すTVレポートを見た。 
それも前にレポートされていた本人の映像が映し出された後に、凍りついた遺体。 
ところで、フリーズドライをセメンに混ぜた墓は? 生々しい?
 位牌程度なら? ・・お後が宜しいようで! 
・・・・・・
4514,スポーツ自転車の勧め! ー1
2013年07月26日(金)
   * スポーツ自転車入門   「自転車で痩せた人」高千穂 遙 (著)
 私のは、電動のマウンテンバイク。値段は5万9800だが、これが大当たり!
それまで30年近くのウォーキングの習慣があった為、それを自転車に切替えた
のでスンナリいった。早朝の一時間が、自分へのプレゼントと思えるほど。
   まず ー内容(アマゾンより)ー
50歳の春、肥満体型と高脂血症、高血圧を改善するために手にしたのは、
スポーツ自転車だった。わずか2年で24キロの減量を成し遂げ、体脂肪率は24%
から10%以下に。 明るく楽しく、そして激しく愛車に乗りまくる日々を活写する
とともに、ダイエット成功の秘訣をすべて公開する。
 〜入門書としても最適な本である。主観で、まとめると、こういうこと。
≪ 自転車には、ママチャリとスポーツタイプに、まず分けられる。そして、
 スポーツタイプには、ロードバイク、マウンテンバイクがあり、最近では、
この二つをミックス(=クロス)したクロスバイクが現れてきた。これに
折畳みが出来るフォルディングバイクと、車輪の小さなミニベロがある。
それと色々な競技を楽しむBMXがある。 著者は健康不足を医師に指摘され、
考えあぐねた上にスポーツ自転車を思いつき、クロスバイクを2002年2月から
乗り始めた。しかし暫くして、物足りなさを感じて特別仕様のスポルティーフ
の自転車をつくる。 その後、気がついたのが、ツールドフランスなどで見る
「純競技用のマシンのTREK5500」。これを買ったのが正解で、人生のパートナー
になってしまった。これを買って決めたことが、「毎日乗ること」。 
値段が高いため、一度乗ると、自転車から離れることが出来ない。
公衆トイレなら中に持ち込む。盗まれる危険が高いからだ。そして2年で、
20キロ、体重の10%以上の減量に成功した。そして一年後、更に10%、58キロ
まで体重が減った。定例走行距離が64キロになっていた。
「自転車はすごい。自転車はいい。自転車は楽しい。」と、断言する。 
定年退職をむかえ、体力に自信のない人、健康に不安な人、無趣味の人、
時間を持て余している人、一日中ボッとしている人にお勧め。型はスポーツ車、
出来ればロードタイプがいい。 自転車と思うと目が飛び出るほど高いが、
自動車、オートバイからすれば安い。その価格で、F1クラスのスーパー
レーシングマシンが手に入るのである。こんなことは自転車以外、絶対にない。
〈暇を持て余し、不健康この上ない諸君。 スポーツ自転車を買おう。
買って、毎日数十キロ(20〜50キロ)走ろう。そうすれば体重脂肪率10%
以下は、決して夢でない・・・〉 ≫ 
▼ これは自転車入門書。著者にとっての効用の一つが肥満と血圧の改善。
 ここには書いてないが、自転車で自然の中を汗をかきながら走って見える
景色と爽快感は何もの代え難い。 実際に4年近く信濃川にかかる二つの大橋と
両側の土手を自転車で一周しているので、よく分かる。 年齢が年齢なので
電動アシストだが・・ 著者のように毎日60kmの走行ができれば25kg痩せること
が出来るかもしれないが、普通の人では無理。とにもかくにも、走りまくること。
一度走り出せば、必ず病みつきになる、これは! これを読んだ御陰で、
早朝に行き交う自転車の種類とマニアのレベルが少し見えてきた。 
そして自分のレベルもである。ママチャリでノンビリと走っている人から
レーシングマシーンに乗っている人まで、何組も出会う。そこに電動アシスト
のマウンテンバイク。ママチャリレベルである。一昨日、昼間、20万以上も
する折畳み自転車を乗っているのを見かけた。
それも、この本を読んでなければ分からないこと。
・・・・・・
4140, スポーツジムの景色 ー2
2012年07月26日(木)
 去年の同月同日にスポーツジムについて書いていたので、その一年後の感想
を書いてみる。所用で市外に出てた以外に、気が進まないとかで休んだことは
一度も無い。露骨な卑しい?視線を感じて、何度も止めようと思ったことが
あったが、「とにかく一年」と思っているうちに何とも感じなくなっていた。
その後、各種のエアロビックスのプログラム全てに参加してみたが、三月から
のスローヨガに週二回だけに参加している。(勘違いで一回休んだ以外は全勤)
それと円座に置かれた6台のマシーンと、交互に置かれたステップ台を、
インストラクターの掛け声で12人が参加するイージーライン(30分)を
連続二回と、ウォーキングマシーン(20〜30分)が私の日課。
滞在時間は平均二時間である。16ヶ月になるが、40年、50年以上の
足腰の関節の硬化が徐々に解れてきた実感がする。しかし「養生に預金無し」で、
続けるからこそ価値がある。とにかく雰囲気が明るいのが気に入っている。 
早朝4時過ぎから13時過ぎまでが午前の部で、午後の部は13時過ぎの
スポーツジムから21時に就寝するまで。 その意味で、日課として大きな
位置を占めている。顔見知りになっても軽く会釈するだけ、個人的会話はゼロ。
ただ独り黙々とコースをこなして帰ってくる。この一年で変化したことは、
午前中から午後になったこと。会員は老若男女、幅広い。それらの人が毎日、
同じプログラムに参加する。4〜11月までは一日三時間の運動量は健康に
とって、このうえない。金・日・祭日は、休日と契約規定で参加出来ないため、
近くの市営のスポーツジムに参加をしているが、これも相変わらず通っている。
値段は三ヶ月、1800円で、これも慣れると丁度良い使いかってになる。 
今のところ新しい生活環境の中、何とか肉体も精神も正常を保っている。
人間は働きの中で社会に組み込まれていると思っていたが、そうじゃない
ことが分かってきた。全て一人一人の思い込みで生きているだけ! 
「一日一日を面白可笑しく生きること」ただ、それだけ。ところで時どき
会うスナックのママさん、「毎日、風呂とサウナだけで、他は気が向かない
と行かない」といいう。私の場合、スローヨガだけ参加という使い方もある。
そういえば一言二言話す同じ年代の男性がいるが、ヨガだけで帰っていくが、
六回参加して一回千円としても十分に価値がある。一週間の日程の中で、
他に二回の図書館通いがあるが、他に新しい世界を探す時期にきているが・・
毎日をフワフワ浮いたように気ままにいるのが、こんなに充実感があるとは
思わなかった。母親も家内も、これをやっていたのだ。これが「日々是悠々」
なら、私は数十年も「日々是恐々」だった。
家内からみて、「私は生活を楽しむ人、貴方は働く人」だったか?
・・・・・・・
3774, スポーツジムの景色
2011年07月26日(火)
 スポーツジムに通い始めて4ヶ月足らずになる。そこには中年女性を中心に、
あとは年代は30歳から80歳半ばまで様々で、平均40歳半ばというところ。 
65歳の私が場違いという感は全くなく、中年女性の二人連れが目立つ。
夫婦は数組である。男女は一対三の割合だが、私の選んだコースが平日中心の
10〜17時までコースで、主婦が中心ということもある。スタッフに客の集中する
時間帯を聞いたところ、夜と、土・日曜日という。それでも私の行っている
午前中でも満杯だった会員が、5月の連休明けから、急減した。ここでも東北
大震災が直撃しているようだ。(二ヶ月先払いのため、その影響は2ヶ月先に?)
 そこで、顔見知りが二人いたが、地元だから当然のこと。 場所は自宅から
車で1〜2分(500m先)のところにあり、オープンして半年も経ってない。 
このオープンは私にとって渡りに舟だが、イメージと実際に通う実感は違う。
一年以上、通ったと通わないとでは、これでは大きな差が出て当然である。
これは是非とも勧めである。私の場合、オープンの10時に行って、イージー
ラインの予約札をとって、30分近くはマッサージ・ルームで過ごす。
そして10時半からの25分間のイージーラインに参加する。これは6台のマシーン
(腰、肩、脚など)で、バランス良く配置され、一人のインストラクターが
指導するシステムになっている。それが終わると再び、マッサージ・ルームか、
ランニング・マシーンで30分過ごす。その後、エアロビックスか、再び
イージーラインに参加し、大よそ二時間で終了する。週に一度は外出をして、
近くで昼飯をとって午後のエアロビに一部に参加する。早朝の、この随想日記
の書き上げ、信濃川の川辺のサイクリング、そして、このジムが、昼までの
生活習慣の三本柱になっている。午後からは、本を読んだり、録画を見たり、
昼寝をしたり気ままに時間を過ごす。 頭も身体もフル回転で健康そのもの。
昼飯が非常に美味いこと、このうえない。 成るほど、この日々は、平凡で、
刺激が少ないが、それでも良い。ギアチェンジをしてみて、リタイアをした
人は、実際に何をして過ごしているのか不思議だったが、成るほど合点。 
誰とも殆ど口をきかないとしても、そこにいるだけで孤独感は少なくなる。
レオタードなどを着た女性たちのエネルギーに溢れた場所は、そこに居る
だけで充電になる。特にブラで補填した? 胸の膨らみには!
 ・・・・・・・
3409, この国の終わり ー5
2010年07月26日(月)
 終始一貫、日本の現状と先行きに悲観的である。欧米人を知り尽くしている
からである。一神教は他の宗教に対して、奴隷か、死の二者択一ということを
である。共産主義圏の崩壊後は、それほど日本の位置づけは大きくなくなった。
 後は、日本からの借財をチャラにする、いつものコースである。それが、
911であり、915である。これは、仕掛けられた事件と見れば、
 以下の著者の論が理解できる。
  * 日本人なぶり殺しの条件は整った 
≪(P−107) この章では、考えることのできない日本民族の明日の運命が
 問題だ。その運命は‥、喩えれば、10メートル先の線路は切断されていて、
 目前の千尋の谷に渡した鉄橋は影形もなくなっているのに、時速5百キロほど
 の速度で突っ走る無人列車に乗っているような状態が日本民族の現実である。
 しかもそれは自然とそうなっているのではなく、完全に「彼ら」によって
 仕組まれている。それに気づき、かつ確認する方法は2つしかない。
・ひとつは私がここで紹介する何冊もの本を読み、その内容をまず最初に疑った
 後で、自分の努力で検討し、真偽を探り、試行錯誤を繰り返しながら深刻に
 悩み、時には身の危険を冒した個人的なリサーチを試み、また世界各地を自分
 の足で回り、最低1、2年の期間その場所に滞在し、実地に自らの経験を積み、
 見聞を広め、再び文献を洗い直して真贋を探るといった努力をすること。
 だが、これはほとんど、というより確実に不可能だろう。 問題は、私の時代
 と違って、それだけの時間的余裕がまだ残っているかどうかであり、それに
 関して私は百パーセント悲観的である。 日本滅亡の必然を学び取り、
 納得したときに、もうこの国はない。
・もうひとつの、より安易だが、さりとてしないよりはずっとましな方法は、
 この私の文章を最後まで読み、内容を信じ、私と一緒に立ち上がり、行動
 することだ。 しかし(そうするとしても)、最初からもう一度はっきり
 断っておこう。まず九分九厘すべては手遅れである――と。この国は終わる。 
 仮に私たちがその無人暴走列車に乗っていることを確認
 できたからといって、それを止める方法は何ひとつないのだから。
 何しろブレーキが「彼ら」によって破壊されているのだから。
 これは一種の完全犯罪なのだ。となれば、またしても奇跡が必要である。
 昭和では吹かなかった神風が、平成で吹くだろうか? 私たちは新しい
 『立正安国論』が生まれるのを祈るしかない。しかし―、時代が違う。
 21世紀の安国の実用にはならない。 ・・イルミナティの確信犯的犯罪など
 に対しては、もはや、いかんともしがたいのである。・・  ロスチャイルド
 やロックフェラーといった世界の超・大財閥から流れる彼らの資金は潤沢・
 膨大にある。見返りはそれ以上に膨大なのだから、彼らの出資を躊躇させる
 ものは何もない。  後は世界の他の部分の征服との兼ね合い、つまり一極
 支配へのスケジュール的なタイミングに過ぎない。 即ち彼らの言う
「アジェンダ(実行予定順位)」だ。 ≫
▼ この文章が4年以上前に書かれている。2008年9月15日のリーマン・ブラザー
 の倒産から始った金融恐慌と、2012年末から起こる?大恐慌と新ドルなどの
通貨切り替えが、日本人、世界の弱者への「なぶり殺し」ということになる。
そこで著者の林秀彦は、99パーは、既に手遅れという。
この国は終わっているのか? 気がついても、どうにもならない!
 ・・・・・・・・
3034, バブル時と現在の比較は
2009年07月26日(日)


5245,ペットの話

2015年07月25日(土)

 居間の座いすの、障子とガラス戸一枚越しのサッシで囲まれたベランダに、
籠に入ったインコが鎮座している。30数年間、代々にわたって10羽目になる。
平均滞在3年になるが、殆どが逃げていくか、病気で死ぬ。現在のインコの
滞在は4年半。一代前の中型のコガネインコは、頭が良くて懐いていたが、
一年半で病死をした。現在のインコは、オウム科で最小の型で、性格が穏やか。
とにかく癒される。 以下の哲学者のペットに対する指摘が分かりやすい。
   * ペットは教師    ーニーチェ「超」入門ー白取春彦著ーより
≪ 本当の教師はさまざまな角度から能力を自覚する契機を与えてくれる人だ。
 知識など二の次にすぎない。日陰に押し込められている能力を解放さえさせて
くれれば、必要な知識などはおのずと吸収されてくるものだからだ。
そして、そういう真の教師は生身の人間とは限らない。
 書物である場合も多いだろう。風景かもしれない。一皿の料理かもしれない。
ある見知らの人間の態度かもしれない。飼い犬かもしれない。
 犬が教師になるかもしれないというのは隠喩でも皮肉でもない。
人が犬などのペットを飼うのは、本能という自然にしたがういさぎよい態度に
魅了されるからだ。動物はいつも今を生きている。来るべき時間に起きること
を想像して心配したりしない。過去を振り返って悩んだりしない。つねに今を
受けとめて生きている。空腹ならば食べ、空腹でなければ餌に見向きもしない。
素直に本能にしたがい、恥じることもない。欲望を明瞭に露出する。
それでいて、自分だけよければいいという態度をとらない。
喜ぶときは素直に喜ぶ。しかし、多少の我慢とあきらめも知っている。
彼らは真っ直ぐに生きているのだ。 人間もまたそういう生き方に
あこがれている気持ちがあるから、ペットを飼う。
 ペットの癒しというのは、自然に生きることを見せてくれるからなのだ。
その意味で、一匹の犬でさえも、わたしたちの良き教師になりえるのだ。
もちろんそこには、人間が押し込めているものを解放してくれる働きがある。
これこそ、教師と呼ばれるものの最大条件ではなかったか。≫
▼ インコの「ピーコ」、鳴き声の呼びかけで振向くと、たった一つの芸、
『連続枝回転』を3〜8回、最高で50数回もする。居間の席を立って何処か
に行こうとすると、「行くな!」という意思表示と、朝の餌ねだりの回転が、
何とも愛らしい。思いたって餌をやると、必死に食べている途中に、ハッとし、
食事を中断して、枝に移動、回転をする。気持ちが真っすで、今を生きている。
 ペットから、ニーチェに飛躍するが、 〜ニーチェを語る一節から〜
『要するに、世界は無価値、無意味なものだ。この言い方は一見して絶望的な
感じを与えるものだが、人が世界に意味を与え続けている意味で、今の生こそ
が光源なのだと気づかせてくれるものである。』と、ペットは人に教える。
・・・・・・・
4880,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー43
2014年07月25日(金)
   * チェーンストアの組織論の特徴
 チェーンストア組織論の特徴は「3階層」「5職能」 で表現される。
 (少し専門的な内容になるが)
★ 「3階層」 とは<トップ><スペシャリスト><ワーカー> の階層。
 階層を増やさず、可能な限りフラットにし、ミドル・マネジメントを
 増やさないシンプルな組織が特徴。 
 ○ スペシャリストは、それぞれの専門で、店舗なら多くの店の運営を、
  バイヤーなら、各部門の仕入れ経験をこなし、それぞれの商品の専門
 キャリアを多く持っている人をいう。売場では、多くの店と売場を
 経験した店長、次長がスペシャリストに入る。
 ○ ワーカーは、マニュアルに従って作業をする職階の人で、ノンキャリア
 社員、パート、アルバイト。ところが、情報機器の進化で、現場段階の
 ワーカーと、スペシャリストの区分が曖昧になっている。
  スペシャリストの技能が情報機器で簡単に使えるようになっているため。
★ 「5職能」 とは横割りを5つに増やし トップの下で
 <スタッフ> ※トップのためのスタッフ
 <サービス>
 <ライン・スタッフ>    
 <クリエイティブ・ライン> (商品部)〜仕入れ担当で、一般的にバイヤー
 <オペレーション・ライン> (店舗、加工、物流施設の運営)
  の機能で分担する組織である。
▼ 旧来型の組織論のライン、スタッフ、サービスの3職能を、3階層、5職能
で理論付けが特徴! 目新のが<ライン・スタッフ>=ラインのためのスタッフ。 
クリエイティブ・ラインやオペレション・ライン(マネジャー)に付くスタッフ
のこと。ラインの業務プロセス作り、カイゼン、有益な情報・データの提供など
でサポートするスペシャリスト。 これらは、チェーンストア統一伝票システム
から成立した部門別管理と、それぞれのマニュアルが、ベースになる。
それぞれの教育計画は、社員と幹部の登用試験制度と、配転計画のキャリアから
成立する。トップ育成計画と、スペシャリスト育成教育、正社員教育システムに
則って、それぞれ行われる。特にトップ教育は、本人以外には知らされずに
行われるメニューがある。職能として、スタッフとして、新規出店の開発部門、
経営計画作成、サービスの財務などの配転の中で育てられる!
官僚のキャリアの育成計画は、この計画にそって出世競争の中で勝ち残った者が
選択されるのと同じ。右上がりの時代ならよいが、右下がりになると、配転計画
段階で、多くが排除されていくしかない。私自身は、自ら10年目に行うべき
配転計画の判断ミスをしてしまった。それも、自分の限界と割りきるしかないが・・ 
高度経済成長時代の鬼っ子ということか。
・・・・・・
4513, 大往生したけりゃ医療とかかわるな ー7
2013年07月25日(木)
           『大往生したけりゃ医療とかかわるな 』中村仁一著
 著者そのままを私の事前指示書にしたいぐらいだ。そこで早速、図書館から
借りていたこの本を、アマゾンで注文をした。その本に、自分の希望を書いた
ポストイットを貼り付け、仏壇の引き出しに入れておけば、それがそのまま
指示書になる。そして気が向いたらまとめてブログの分類コーナーを作り、
張り付けておけば良い。 実際のところ、気がすすまないのか、面白いのか。 
死際を考えると、すべきこと。ーまずは、その指示書からー
≪  ー 事前指示書(その1)ー    2006年9月17日2 中村仁
「医療死」より「自然死」が好みのため、意識不明や正常な判断力が失われた
場合、下記を希望する(ぼけた時は、ぼける直前に「断食死」を
敢行するつもりだが、タイミングを外す場合も考慮して)。
1 できる限り救急車を呼ばない
1 脳の実質に損傷ありと予想される場合は、開頭手術は辞退する
1 原因のいかんを問わず一度心臓が停止すれば蘇生術は施さない
1 人工透析はしない
1 経口摂取が不能になれば寿命が尽きたと考え、中心静脈栄養、
  末梢静脈輸液は行わない
1 不幸にも人工呼吸器が装着された場合、改善の見込みがなければ
  その時点で取外して差し支えない
   ー 事前指示(その2)ー
1 使い古しの臓器は提供しない
1 葬儀式は簡素に家族だけで、遠方の者には連絡せずとも良し、
  葬儀会館使用も可
1 読経、死後戒名は不要
1 告別式不要、供花、香典は辞退すること
1 死体処理は完全に灰にするか、凍結乾燥粉砕で肥料にせよ
  (もし、偲ぶよすがが欲しければ、髪の毛か下の毛を刈り取るべし)
1 年忌法要、墓石詣リは不要(但し、死体処理が希望通りにならず、骨が
  残れば、死後戒名、年忌法要行うも苦しからず、墓石詣リも勝手たるべし)≫
▼【一切の延命処置を拒否し、葬式は密葬。坊様の読経も墓も必要としない。
 骨は、先祖の墓に読経なしで、家族の手だけで入れて欲しい。】これが私に
似合っている。父の口癖が「死んでしまえば、それまでよ」。 死ななくても、
「いつ何時、何ごとも、一期一会、瞬時過ぎれば、それまでよ」である。
・・・・・・
4139, 元始、ママは太陽であった ー2
2012年07月25日(水)
  * スナックは「未知なる異空間の社交場」
 著者の言葉そのままに、何処の店も似たかよったりである。
この長期不況のため、客足は激減、スナックの数も同様である。
何とか存続しているのは、昔からの店で固定客を掴んでいる店だが、
話は不景気の話ばかり。やはり還暦過ぎると、以前のような元気は減退、
それにつれて回数も減っている。それでも月に平均二回は通っているが一晩
3〜4軒のハシゴが2〜3軒で帰ってくる。高度成長期の一時期を除くと、
スナックは儲かる仕事ではなくなった。まあ、よく維持していると感心する。 
 一部をコピーする。
≪ 日本全国にスナックはたぶん15万軒ぐらいある。15万軒の扉の中で、
 毎晩『つぐない』や『銀恋』や『麦畑』や『津軽海峡冬景色』が何万回も
歌われて、何十万人もの家族が、何十万人もの家長のママを囲んで和気藹々
夜を楽しんでいる。家に帰れば別の家族が待っているママもいるし、ひとり
暮らしのマスターもいる。 店の中では一緒に遊べる家庭があって、飲んだり
歌ったり、お腹すいたら焼きウドン作ってみんなで食べたり、「今度はどこの
温泉に行こうかなど盛り上がったりしている。この数年でやたぶん200軒以上の
スナックに足を運んできたが、裕福なママやマスターなんて一人もいなかった。
「儲けを考えたら、こんなことやってませんよ」というのは、僕がいままで
インタビューで、一番よく聞いた言葉のひとつ。でも、そこには別の「幸せ」
と呼ぶのは大げさかもしれないけれど、こころのコリをほぐしてくれる温い
なにかが、確かにあった。有名スポーツ選手を射止あたり、年収、何億という
女社長になったり、名家の女家長どして君臨したりオンナ道の「勝ぢ方」にも
いろいろあるのだろう。でも、もし僕がいい年したオバサンだったとしたら、
気の良い常連たちに恵まれた、場末の小さなスナックのママでいる以上の
幸せは、なかなか思いつかない。 ところで一説によると、日本で一番多い
スナック名は「来夢来人」(ライムライト)という。ネットによると、
その名前のママが四人揃ってライムライト・サミットが開かれたといか。
不景気話が中心だったと思うが?・・ スナックを「未知の異空間の社交場に
人生の酸いも甘いも知り尽くしたママが待っていると考えるか、酔っ払い相手
の怪しげな空間として捉えるか」でスナックの価値(意味)も変ってくる。 
カフェやバー、こじゃれたレストランがない町は日本中にたくさんあるけれど、
スナックのない町は殆んどない。共通の異空間を人を求めているのだ。≫
▼ そういえば、タンザニアの年越しに行ったスナックが印象的だった。
 タクシードライバーを中心にした小さな村の中に10坪位の掘っ立て小屋
だが、カウンターがあり、テーブルと椅子が5〜6あるスナック。
そこに30歳位のグラマーの現地人ママがいて、年末の年越しのため10人位
が焼肉パーティーをしていた。私たち日本人5人が、そこに加わり大騒ぎ、
しかし、10メートル先にはハイエナが数匹、唸り声をあげていた。
タンザニアの片田舎にも日本と同じようなスナックが存在していること
自体が奇妙な気持ちだった。スナック、そこは漆黒の異次元の寂しさを
紛らわす共同空間でもある。
 ・・・・・・・・
3773, 閑話小題 ー今場所は面白い大相撲
2011年07月25日(月)
  * 今場所は面白い!
 大相撲、今場所は、いやに面白い!相撲はプロレスと同じでないとしても
「現在も談合の臭い強い○○業界?」と酷似した世界。いずれにしても数年内に、
これまでの延長上の事件が発覚、「現在の相撲協会は解体、根本的出直しの事態
になる」こと必定。「税金免除の談合社会も終わりをつげる」可能性を孕んでいる。
しかし、少なくとも今場所は八百長はやりつらい。で、まず「あの方」が引退に
追い込まれた。この場所全体を俯瞰すると三十代半ばの力士達の、勝率が極端に
良くない。興行上、大関以上に日本人は一人は必要。そこで来場所から、何の引退
の替わりに日本力士が大関になる筋書きになってはいたが、今場所は難しい。で、
・・ 全体が阿吽の呼吸で場所全体の筋書きを創作するといえば、恰好がよいが、
阿吽の談合が大相撲の本来の伝統?「それを今さら何をいっているか!」が、
彼ら役者(親方を含め)の言い分である。それをいっては御終いだが、
事実は事実。現在の協会が解体されれば、国技?を前提にした税金免除だけでなく、
これまでの備蓄金も没収される。せっかく日本的伝統を長年かけ、つくり上げて
きた親方制度の蜜が吸えなくなるため、親方衆が保守的になるのは当然。 
で、今場所は、どうも、こうも、「僕らは、そうすれば良いの?」が、露出して
いるから、これほど面白い場所はなかった。今場所は、優勝は大関の日馬富士。
大関に一歩及ばなかった一人を含めた関脇の三人が、大関に向けて一線に並んだ。 
また、八百長で20数名の力士が追放された効果で、若手が一挙に十両・幕内に。 
地位は人を作るで、数場所で、それなりの実力が備わってくるはず。
その怪我の功名で、相撲が俄然面白くなってきた。この傾向は数年は続くだろう。
有望な力士も、古参に苛められ若いうちに、その力が発揮しないうちに枯れて
しまうのが、これまでのパターン。その上に、貸し借り、金銭のやり取りで
昇進が決まってくるから関取になったと同時に変になってしまう。その意味で
当面は大相撲は復活するだろう。 若手有望力士の台頭がテーマでキャンペーン
をはれば良い。ということは古参力士の大量引退劇が始り、相撲自体が新鮮に。 
何処の世界も同じ。老兵は消え去るのみか!
 ・・・・・・・
3408, この国の終わり −4
2010年07月25日(日)
  * 「取り繕い」国家の「その日暮らし」民族
ー(P・53) 原爆を落とされる直前まで、私たちはせっせと竹槍を作っていた
 のはつい最近の出来事である。いくら資源不足の国とはいえ、なんとも象徴的
な風景ではないか! それが何になったか。この大悲劇の教訓は、その後も全く
生かされなかった。現在、足音高らかに近づいた究極の世界的大陰謀という
「目」に対し、私たちの「目」は老眼にかすみ、日本民族総家畜化という「歯」
に対しては、私たちの「歯」は全部抜け落ち、入れ歯さえもちあわせていない
のである。 この世界は常に修羅場であり、「決闘の場」なのである。いったい
世界で昨日今日何が起きているのかが、わかっていない。 新聞に書いてある
程度は読んでいるかもしれないが、その記事を疑う段階までは決していかない。
ブッシュの言動と小泉の言動の間にある因果関係を考察する意欲もない。
ということは、即、明日の自分の命には無関心だということである。なぜか?
考えるということができないからである。目にはカラオケ、歯にはパチンコで
毎日を過ごしているのである。明治国家がインスタント国家であり、急場しのぎ
国家、間に合わせ国家、一夜漬け国家、ツギハギ国家だったことは確かなことだ。 
 世界のあらゆる事情に応急対応を迫られ、いずれかゆっくり腰をすえ・・
と一時しのぎのつもりが、ずるずるここまで生き延びた。
▼ 現在の民主党の沖縄軍事基地の対応も、まさに著者のいう「取り繕い」
 そのものに終始している。この本が書かれて4年経ち、その二年後にリーマン
ショックがあり、世界に先駆けて国家存亡の危機に立たされている現在でも、
ただ「その日暮らし」の政策しかたてることが出来ない。4年前には、この著は
「過激」に受け止められたが、現在ではご覧の通り。自民党と民主党という
二大政党の看板はあれど、旧態以前の体質は変わってない。軍事も、金融も
米国に支配され、身動きがとれないで、ただ目先を「取り繕い」、
「その日暮らし」をするしかない。ほぼ完全占拠されている現実が直視できない。
軍事ひとつとっても、ほぼ全て米国製。部品補給をストップされれば裸同然に
なる。中国、北朝鮮の防衛の一環のための米軍基地の配置というが、実際は
日本の軍事占領。金融も、アメリカ国債に500兆円も買わされている。
で、変動為替で、ある時期に来るとドルの価値を下げチャラにさせられてきた。
それを知って知らないふり。政治家も官僚も、むしろ尻尾を振って従わざって
いるとしか思えないのである。彼らは日本がアメリカの支配下にあることを
 知り尽くしているからである。 北とか中国の脅威より、この見えざる
搾取の方が遥かに深刻である。これが現状である。
 ・・・・・・・・・
3033,刑事が家にやってきた
 2009年07月25日(土)
    (字数制限のためカット 2012年7月25日)


5244,他諺の空似 〜ことわざ人類学 〜②

2015年07月24日(金)

             『他諺の空似 〜ことわざ人類学』米原万理著
   * 寄らば大樹の陰 
 下ネタや、以下のようなグローバルのネタは、悲しいかな、地方では書籍
でしか知る機会がない。ロシア、それも極東は、アメリカ開拓時に酷似して
いるのだろう。 何事も現場に行くと、思いとは違った世界が見えてくるもの。
≪ 六年ほど前、大学の先輩で長年某老舗商社の名物社員だったMさんの送別会
がもたれたことがある。「何を今更、商社員に海外出張や海外赴任は日常茶飯で
しょうが。どうせ飲み会の口実でしょう」 声をかけてくれた幹事のS君に言い
かけて、口をつぐんだ。手渡された案内状の文面から「ヴラジヴォストーク市」
という文字が飛び込んできたからだ。
「まさか……冗談でしょう。モスクワ支店長もつとめたことがあるMさんを」
体のいい肩たたきだと思うんだ。まあ、オレもそろそろかなあ」S君は力無く
微笑んだ。送別会でも、友人たちの誰もがMさんに同情した。
「あいつも今まで気味悪いほど順調だったのに、ついに運に見放されたか」
豪放轟落な快男児として慕われてきたMさんも、この時ばかりはびびっていた。
 ・・「でもね、ほらオレ再婚だから、子供はまだ小さいし、家のローンは
いっぱい残ってるし・・」 声を詰まらせてグイッと杯をあおった。
Mさんは死地に赴く、その場にいた誰もがその時そう思った。
 帝政時代に太平洋に開かれた不凍港として建設されたヴラジヴォストーク市は、
ソ連時代は太平洋艦隊の基地となり、外国人の出入りを禁止したいわゆる閉鎖
都市だった。ゴルバチョフのペレストロイカが始まってしばらくして閉鎖を
解かれた時は、画期的な出来事として騒がれたものだ。
 ところが、たちまちソ連中のマフィヤが集結し、ソ連邦崩壊以降は、激動の
かの地でももっとも物騒な街となった。日本や東南アジア諸国から持ち込まれる
中古車をはじめとする大量の物品が、原価の数百倍、いや数千、数万倍の価格で
取引されるのだから、当然。利益の匂いを敏感に嗅ぎ付けて群がってきた。
経済が破綻し、貧富の差が急激に開いたことによって社会不安が広がる中、
ただでさえ犯罪率がものすごい勢いで上昇するところへ、マフィヤ同士の縄張り
争いが日常化するのだから、たまったものではない。そこへ明らかに金を持つ
無防備な日本人が乗り込んでいくのだ。狼の群れに飛び込む兎、狐の群れに投げ
入れられる鶏、猫の群れに放たれる鼠、蝿たたきの下に飛び込む蝿。標的に
ならない方が不思議である。ホテルや住宅地は、マフィアの合戦の対象になって
いるから、いつ流れ弾に遭うかもしれない。彼を送り出す商社が防弾チョッキを
配給したと聞いた時には、私も膝が震えた。
 そのMさんから赴任後半年ほどして電話がかかってきた。声が拍子抜けする
ほど陽気である。「いやあ、米原さん、寄らば大樹の陰ですよ」何だか心配して
あげて損したなあと思ったほど嬉々としている。そんな私の胸中など察するはず
もなくMさんは得意げに話を続ける。「てゆうか、灯台もと暗しってのかなあ。
クックックックッ。要するにだねえ、この街最大最強のマフィヤが直接経営する
マンションに入居したんですよ。これ以上安全なところはないんだな。
警察なんかよりはるかに頼りになるんだよ、これが」 ・・・≫
▼ ここで、戦後日本が選択した生き方が、まさにこれであったと指摘する。
 世界最強の暴力団=アメリカの傘下に入ることで、自国の安全を確保する
道を歩みざるを得なかったが、これが幸いした。利権を守るため、警察官と
称して殺戮を続けてきたが、アメリカの最大の邸宅内の飼犬として被害は最小?
救いは、そのことを大部分の国民に自覚が無いこと。ポチよ、沖縄は・・
・・・・・・
4879,閑話小題 ー最近、またカラスが・・
2014年07月24日(木)
   * 最近、またカラスが・・
 このところ、若いカラス数羽が自宅の庭周辺のテリトリー争いで、威嚇の鳴声
が鳴響いている。一年ほど前に以下の文章を書いていたが、現在も、その延長戦
が続いている。ポタリングを毎日2時間していて見かける動物は、ほとんどが鳥。
その中でカラスが目立って多い。その上、庭に雀の群れ、小さな地鳥、渡り鳥が
次々とやってくる。 ー去年に書いた内容といえばー
≪ 4440, 閑話小題 ーカラスの糞かけ <2013年05月13日(月)>
 数年前になるが、自宅近くを自転車で走っていると、カラスが低空できて、
二m先に糞を落としていった。「これは果たして私を狙ったか、偶然か? 毎朝
近くを通る度に考えていた。ところが一昨日の朝日新聞のコラムで、四コマ漫画
「ののチャン」が、専門家に質問する形式で、「カラスの糞かけは、意図したか
どうか」を取り扱っていた。よくあるので、取り上げたのだろう。 
答え手は「あくまで偶然で、カラスにとって何ら利益にならない」と、ゲーム説、
カラカイ説には否定的。専門家とはいえ、私のように30年以上、毎朝、散歩や
ミニサイクリングでカラス観察をしていた訳でない。で、私はゲーム説。(中略)
 ・・そういえば、散歩中の小型犬を、カラスが至近距離で威嚇し遊んでいる
のを見たことがある。犬の飼主も、そのやり取りを面白がって見ていたが、
明らかにカラスが小犬をバカにし遊んでいた。 
 ところで昨日の午後、帰宅をすると、隣の空地で4羽のカラスが入り乱れての
空中戦。よく見かけることだが昨日は違っていた。二組の激しい乱闘。初めは
車内で見ていたが、決着がつかないので、一度、車庫に車を入れて門の陰から
みたが、その間7〜8分。 鳴声を聞きつけた他のカラス数羽が駆けつけ、騒然と
した乱闘は、見もの。上下に体勢を入替わり互いの身体をワシヅカミの突つきあい。
4羽が無事に飛びたったのが不思議なほど。 最近、来ているのが、その一羽? ≫
▼ 今回は、他の小さな渡り鳥や、モズも入乱れて、カラスと牽制しあっていたが、
 どうも、我家のインコが野鳥の興味を惹くようだ。で、「カラス除けグッズ」を
ネット?と思ったが、他の野鳥も来なくなる上、無粋。 そういえば近所の土手も、
信濃川河川敷も、野鳥の絶対数が年々減っているのが気がかり。至近距離の田畑
20反も住宅地に変わってしまったがこれも小さな緑地の我家の庭のテリトリー
争いの激化の理由?仕事から離れ、自然と向合う機会が多くなると、今まで見て
見えなかった自然に触れあうことが多くなる。地方の良さは、軽井沢、那須など
に行かなくとも触れ合える! ますます御隠居生活に慣れてきている。
・・・・・
4512, 閑話小題 ーつれづれなるまま
2013年07月24日(水)
   ―つれづれに―
 人生も、あと二年もしないうちに古希。杜甫の詩「人生70 古来 希なり」
の年齢になる。後悔も、満足感もさしてない。人生の終わり間近には必ず後悔の
念に支配されるという。 実際に、こんな時代の断層を経験をするとは思いも
よらなかった。それと地球の絶景をこれほど多く見ることが出来るとは・・ 
日進月歩の情報端末の進化が、日常生活を変えるとは・・ 
 終戦直後に生を受け右上りの時代を40歳半ばまで経験し、その恩恵を受けた。
そしてバブル崩壊と、9・11テロ、リーマンショック、2011年の東北大震災、の
三つの経済・自然震災で、世界が更に変わった。それがあっても良い時代だった。 
団塊世代の一年前に産まれ、時代の恩恵を十分に受けてきた。 バブル崩壊と、
新世紀21世紀の時代変動の中で、何とかソフトランディング?が出来た。
「時代のめぐり合わせが良い世代は、最後までハッピー」という説がある。
現に同年代の人たちは、大方が恵まれていた。 2〜10数歳年上の兄姉達は
戦前・戦中時代派。 時代の価値観に大きく影響されているのが見て取れる。 
両親が明治生まれ、叔父叔母は明治・大正時代に、兄姉は、昭和1桁生まれから
10年代。それぞれの時代に大きく影響されている。それからすると、私は
「終戦生まれで、高度成長期育ち、最後は、その崩壊で御終いの人生」。
そして、日本の本格的衰弱を目の当たりにして最期を迎える。 
長生きをするほど、辛くなる。
   ーいま、ドラッグストアが面白いー
 最近の中小のSCには、スーパーの横に、必ずドラッグストアが並んでいる。
スーパーは生鮮三品を周囲のメイン通路に配置、挟むように日用品と、袋物食品
などを配置している。酒とツマミの買出しに週一、SMと、ドラッグストアに
通って二年になる。 そこでは地元スーパーと、全国チェーンのドラッグストア
との非生鮮食品と日用品をめぐる激しい戦いが見て取れる。
更にSCの入口近くに、コンビニが出店、両者の隙間をつく構図になっている。
ドラッグストアも、ここで色いろ模索をしている。近くにある3つのチェーン
が同時に、食品コーナーを二倍ほど拡張、98円均一の小パックの単身者向け?
コーナーをつくった。 企業規模と、小回りをきかせた、それぞれの特徴を
備えた本格的な戦いになっている。 酒あり、生鮮あり、缶物食品あり、
パンコーナーあり、冷凍コーナーあり、である。消費者も商品と値段に敏感に。 
県内最大の「コダマ」も、いつの間にか、全国チェーンの傘下になっていた。
これに消費税のアップが控え、小売の最前線は更に熾烈な戦いになる。
・・・・・・
4138, 元始、ママは太陽であった ー1
2012年07月24日(火)
 ある雑誌の「元始、ママは太陽であった」都築響一、
  のスナック・ママのレポートが面白い。ーまず、その一部を抜粋するー
≪「スナックの良い店の見分け方がありますか?」と聞かれるが、そんなのが
 あったら苦労してないです。スナックのドアがああなっているのは、そこが
家庭だからだ。「家庭的」じゃなくて「家庭」。あのドアは店のドアというより、
ママなりマスターなりと、常連さんたちがつくる「家」のドアなのだ。
ドアがガラス張りで、中の暮らしが丸見え、なんて家はあんまりないでしょう。 
ママやマスターという「家長」がいて、常連さんという「家族」がいる。
僕みたいな一見の客は、知らない家にお邪魔する人間としてドアを開け、奥の
ほうで和んでる一家に「僕も混ぜてもらってもいいですか」とお願い、
「まあ上がって飲んできなよ」とか言われて上がりこむ。ちゃぶ台やコタツの
かわりのカウンターで肩を並べて飲んで歌って、そういうのを2、3回も繰り
かえせば、知らないうちに家族の一員になっている、スナックとはそういう場所。
だから長いこと営業しているスナックでは、ママやマスターと常連たちが、
やたらとバーベキューだのボウリング大会だの栗拾いだの一泊温泉旅行だのに
行ったりする。どんなに歴史があるところだって、レストランやショットバー
がそんなことをするだろうか。飲食業にもいろいろあるが、スナックという
業種は、開業するのがいちばん簡単な飲食業でもある。飲み物と乾きもの出す
ぐらいだから、調理師免許もいらないので、一日講習を受けて食品衛生責任者の
資格を取って(よくカウンターの隅とかに青い板が貼ってある、あれ)、保健所
に食品営業許可、警察に酒類販売のための風俗営業の申請をすればいいだけ。
あとは毎月の家賃と、お酒とつまみと氷代と、カラオケのりース代を払えれば
やっていける。バーやキャバクラみたいに女の子を何人も雇うのでなければ、
人件費もかからない。料理店とちがって食材の心配をする必要もないから、
商売としてリスクは、他の飲食業と較べてずいぶん少ない。そのかわり、
儲らない。スナックでお客さんが払う金額というのはふつう、キープポトルを
飲んで3000円から5000円ほどだ。最近では、それくらいで飲み代、歌い放題
という店もたくさんある。ドリンク代を考えれば、カラオケボックスより安上り、
なんてこともある。それで一晩に5人か10人、常連が出来れば上等という店が
ほとんどだから、お金儲けのためにスナックをやってるママやマスターなんて、
日本全国にひとりもいないのではなかろうか。≫
▼ 20歳頃から現在まで46年間、スナック、居酒屋で酒を飲んできた。
 20代後半から30代半ばまでは、仕事に没頭していた為、スナック通いは
少なめだったが、それ以外は、月に二回は通っていた。だから、上記に書かれて
いるのは全国津々浦々、殆ど同じということがよく分かる。 男は傷ついて
誰かに慰めてほしいが、連れ添いは「ツレナイ」ため、外のママ様にお上手を
言って欲しいのである。女の子を置いている店は、クラブの要素を入れて、
疑似恋愛空間をつくってお客を呼び寄せる。アルバイトや、酒好き、男好きの
女性を客に如何に集めるのもママさんの腕。それもこれも、采配一つで店の盛衰
が決まってくる。ただ一つ絶対的基本がある。店は綺麗に磨きあげておくこと。
愚痴を言わないこと。客の悪口を言わないこと。
プロ筋の店が少なくなってきた。客もだが! ーつづく
 ・・・・・・
3772, 閑話小題
2011年07月24日(日)
  * タレントは日本特有の職業人
 NHKのBS番組「クール・ジャパン」で、各国の外国人が日本のテレビ番組
に特殊性を語っていた。日本のTV番組は、それぞれの国からみると、過剰な
ぐらいサービスが徹底していて、特にバラエティー番組に、その傾向が見られる
という。そこにはタレントと称する職業があり、何でもこなすマルチ的才能の
職業がある。  ーそこで、タレントをウェブ辞書で調べてみるとー
【 俳優や歌手以外で、その才能・個性をセールスポイントにTVやラジオに出演
して活躍する人を一般に「タレント」といいます。バラエティーやクイズ番組に
出演している司会者、リポーター、コメディアンなどをさすことが多い。
プロダクションに所属してチャンスをつかむほか、街を歩いていてスカウト
されることなどもある。いずれにしても、きっかけをつかむ運と、魅力ある
キャラクターを持っているという、生まれついての素養が重要となります。】
とあった。このような職業は外国では存在しておらず、日本固有のものという。
また、日本のようなバラエティーも特殊であり、そのテーマに教養を取り上げる
ことなど外国では考えられない。その意味で、日本は遥かに外国を凌いでいるとか。
もし、それぞれの専門家が、それ以外の番組に多く出演しただけで、仲間内で馬鹿
にされる土壌がある。教養番組に出演する時は、背広を着て、厳しい雰囲気が常識。 
ゴールデンタイムに、教養的知識を面白おかしく番組が構成されるなど有得ない
といか。お笑いなら徹底的にお笑いに徹するのが習い。 タレントという存在、
そう言われてみれば不思議である。タレント教授、お笑いタレント、元プロ野球
タレント、タレント代議士、マスコミ出身タレント、など不思議といえば不思議な
存在である。専門職で名をなした人が、そのキャラでバラエティーに出て、
その場を盛り上げる一員である。そういえば、公道で通行人がインタビューを
された時、多くの人が堂々と受け応えする。一億総タレント化の様相でもある。 
しかも今度は携帯電話がパソコン化されてきた昨今、ミニブログなどのツイッター
で、誰もが情報を発信できるようになってきた。その中で、色々な方面の多種の
タレントも出現始めてきた。面白いといえば面白い時代、総白痴化と否定だけは
してはいられない。 それにしても、TVの露出度が高い低いで、その人気度が
はかられる時代、変といえば変である。    バカタレ!
 ▼ NHK[クールジャパン」HPより
 (字数制限のためカット 2012年7月24日)
 ・・・・・・・
3407, 人みな骨になるならば ー15
2010年07月24日(土)
 * 心理学が自虐 
(−P199)もしフロイトの「発見」のうち、後世によって葬られず引き継がれる
べきものがあるとすれば、それは人間が認識において都合の悪い現実よりも快い
虚偽を愛し、しかもそのことに自分自身で気がついていないという、つまり
われわれは自らの「無意識」を信用できないのである。われわれの無意識は
われわれに信じたいように信じさせる傾向があり、しかも、その操作をわれわれ
に気づかせない。ということは、われわれが信じていることが、信じざるを
得ないことか、単に信じたいことか、わわわれには判別できないのである。 
いったんこの思想に感染してしまうと、以後、人間は自分の判断を無邪気に
信じ込むことが出来なくなる。それまで気づかれなかった自分の暗黒面を知り、
受け入れ、引き受けることで初めて精神的な健全さが回復されるとするフロイト
以後の治療論仮説は十分実証されているわけではない。なぜなら、そうした
「無意識」の洞察なしでも治療効果が得られる心理療法や薬物療法がいくつも
知られてしまったからである。とはいえ、われわれの「無意識」が、まるで別の
生き物のように、意識的な感情や記憶や判断を本人の知らないうちに歪ませるのを
勘定にいれておくことは、いくばくか愚行を防止するのに有用なはずである。
目常生活において、おいしい儲け話に飛びつくことが危険であるのと同様に、
世界や人生に関する認識においても、自分たちに好都合すぎる筋書きには眉に
唾しなければならない。願望充足をたくらむわれわれの無意識が、
そのように誘導しているのかもしれないからだ。
 フロイト以後、いやしくも十分知的な教養人は、何らかのムシのよさを
 備えた世界観や欺瞞の人生観を受け入れがたくなった。
・話がうますぎるような信念は自己欺隔であり、
・自民族や人類だけを特別視する思想は単なる願望思考の産物でしかない。
・輪廻転生は「死んでも命のあるように」という見苦しい未練の現れで、
・極楽往生は現世の不如意を慰める童話である。
・文明をもった宇宙人の存在を信じたがるのは人類の孤独を
 ごまかしたいためであろうし、
・超能力への期待も味気ない現実から目をそらし繍時の夢を見たいがため。
▼ 上記の中にも、多くの示唆がある。フロイトの「人間が認識において都合
の悪い現実よりも快い虚偽を愛し、しかもそのことに自分自身で気がついて
いないという、つまりわれわれは自らの「無意識」を信用できないのである。
 (字数制限のためカット 2012年7月24日)


5243,閑話小題 〜今朝方みた、夢分析と現在の心境

2015年07月23日(木)

   * 今朝方みた、夢分析
・今朝方の夢が何とも微妙な内容。パリのホテルを一人で、観光に出発する。
地下鉄に乗って、コンコルド広場に出るが、自分の宿泊先が、何処の街の、
何というホテルか、憶えてないことに気づく。呆然としていると、後ろに何か
気配がする。黒人少年3人が、財布を狙っていた。睨むと、逆に強奪しそうな
雰囲気。 まずい!と思ったところで夢からさめる。 財布を強奪されたら、
パリの街で、如何したのだろう?と不安の襲われる。
 そこで、布団の中で、夢分析。
僅かな金しかない財布以外、何の手がかりが無いのが現在の私。
それもスリに狙われ、危険の中で、ただ呆然としている。
それも襲われる直前に、自分から夢を切断してしまう私が、ここに居る。
実際、襲われたら、警察に事情を話して日本大使館に行くだろう。
あの少年3人は「生老病死」の「老病死」?「生」は、パリを彷徨う自分。
余命三ヶ月、半年と悟った時、もっとドロドロの夢になるのだろう。
 まだ、今のところ、幸せ!ということだ。 
   * プロ野球も、大相撲も面白くなってきた
・大相撲が、一昨日、白鵬が負けたことで1敗が4人になり俄然面白くなった。
しかし、昨日は照ノ富士が白鵬に破れ、関脇栃煌山も大関に破れて二敗、
一敗が横綱二人になったが、まだ何がおこるか分からない。
間違いなく、白鵬は全盛期の力は下降気味。物語としては、照ノ富士が優勝し、
来場所か、翌場所横綱昇進が相撲協会に良いが、そうさせない力を、まだ白鵬
が持っている。もう一つの物語は、関脇栃煌山が優勝して、来場所の大関挑戦。
まだ千秋楽までの4日間がある。面白くなったが、結局、終わってみれば白鵬? 
心情的には病み上りの鶴竜だが。
・プロ野球も、セリーグ、「0強、6弱の6つ巴戦」の様相が面白い!
珍しい現象だが、巨人の原監督が監督としての寿命が既に終わっている
から面白いのだが・・ 選手と共に、勝って喜び、負けて落込んむ原監督。
何かが足りない? 優良選手の在庫オーバーが、大きな問題。どうしても、
監督の後姿に気持ちが集中する。
・・・・・・
4878,閑話小題 ーインコのプライド?
2014年07月23日(水)
   * インコのプライド?
 ストレスで、週に一度は狂ったように籠内を飛び回る。ヒステリックである。
二日前のこと、ヒステリックに飛び回っていた時、水飲み場に身体全体が落ちて
しまい全身びしょ濡れ! その姿を家内と笑って見たところ、怒って拗ねたのか、
駕篭の一番奥の物陰で睨みつけ、半日、何度も呼びかけても出てこない。 
プライドが高く、少し叱ると、少しの間、無視などで怒りを現すが、今回は半日
も拗ねていた。鳥にも三分?を改めて確認した。ラクダも失敗で叱られた場合は
納得するが、理不尽の怒りには、根に持って何か機会に攻撃するとか。
 懐いたペットは、飼主の露出した魂そのもの。下手な?家族より親しみを持つ。 
  ーネットのペット川柳よりー 特に1、7、12、14、19は? 家庭内で・・
 < 1、 挫折して ペットに学ぶ 処世術 (ひまわりさん)> よしよし(,^^)/
 < 2、 散歩中 愛犬モテキ 俺ボヤキ  (婚活男子さん)>
 < 3、 似てますね 嬉しいけれど ブルドック (ゆずママさん)>
 < 4、 家出した 猫が太って 帰って来た (あきちゃんさん)>
 < 5、 犬だけど おやつの時は 猫かぶり  (蘭璃さん)>
 < 6、 まだ残る ローンの柱 かじる犬  (らくちゃんさん)>
 < 7、 飼ってます 犬・猫・鳥と 虫・夫 (りのんぱさん)>   
 < 8、 パパの背を 見たからできる お手と待て (良馬さん)>
 < 9、 まっしぐら 犬も子供も 妻の膝 (伊那のザザムシさん)>
 < 10、 鎖より 絆でつなぐ うちの犬 (おたふくまめさん)> 
 < 11、 ほれ投げろ!遊ばれてるのは我が主人 (醜いカラスの子さん)>
 < 12、 ご飯まだ?ペットにエサやる 妻に聞く(まつながともふみさん)>
 < 13、 もの言えぬ 君は夫婦の 司会役 (犬猫主夫さん)>
 < 14、 妻娘 俺はタローと 連立し (びわこ鯰さん)>   
 < 15、 会釈され 連れてる犬で 思い出す (多国籍さん)>
 < 16、 愛犬に 脛を齧られ 親想う (多国籍さん)>
 < 17、 ペットだけ 動かす妻の 重い腰 (さごじょうさん)>
 < 18、 元彼の 名前と知らぬ 旦那様 (まささまさん)>
 < 19、 ペットより 先に逝ってと 妻が言う (クジラさん)>   
 < 20、 プラズィオン ペットのそばより 俺の横 (はるやすさん)>
▼ どれもこれも切実な問題? 7の<飼ってます犬・猫・鳥と虫・夫>の、
「犬・猫・鳥と」を「ペットのピーコと」に置換えると、家庭内の私の立場!
・・・・・・
4511, 大往生したけりゃ医療とかかわるな ー6
2013年07月23日(火)
           『大往生したけりゃ医療とかかわるな 』中村仁一著
 著者は「・・・延命措置をお断りします」の宣言だけでは不十分と、自分の
事前指示書を作成している。まず事前指示として、以下の項目をあげている。
内容は医師であればこその内容で、そのまま雛形にすればよい。これを機会に、
ブログに書き残しておくつもり。ほぼ著者の指示書を咀嚼するだけだが・・
 ーまず、その部分から抜粋
≪   ー延命措置事前項目ー より
(1) 心肺蘇生(心臓マッサージ、電気ショック、気管内挿管) (2) 気管切開
(3) 人工呼吸器 (4) 強制人工栄養(鼻チューブ栄養、胃瘻による栄養)
(5) 水分の補給(末梢静脈輸液、大量皮下注射) (6) 人工透析 (7) 輸血
(8) 強力な抗生物質の使用  (9) その他
  次に事前指示の項目(表4参照)とは何かについてお話ししていきます。
 � 心肺蘇生(心臓マッサージ、電気ショック、気管内拝管など) 
心臓や呼吸が止まった時に行う治療手技です。  両手で強く胸の真ん中あたり
を圧迫して心臓を動かそうとするため、肋骨骨折は、当然起こります。 
また、心臓が細かく震えた状態(心室細動)で有効な血液を送り出せない
場合、これを改善する目的で電気ショック (AEDはこれです)を行います。
口対口で肺に空気を送り込んだり、手動のバッグを使う場合もあります。
 さらに、気管内に管を入れ、アンビューバッグで空気を送り込んだり、
人工呼吸器に連結したりします。 ひとたび心臓が止まったり、有効な血液量
が送り出されないと、酸素不足に極端に弱い、脳の神経細胞がやられてしまい、
再び心臓が動き出したとしても、その杜絶した時間の長さによって、脳死や
植物状態になって蘇ることになります。 私は、一度心臓が止まれば、原因の
如何を問わず寿命と考えていますので、AEDなどは、平にご容赦というところ。
溺れた子どもなどには、有効な場合もあるが、生きものとしての賞味期限の
切れた年寄は、考えてみるべきでしょう。
 � 気管切開  痰が多く詰まって窒息しそうな場面や脳死の場合に、
のど元に穴を開けます。  ・・以下略  ≫
▼ 生々しいが、それでも、元気のうちに意思を示しておいた方が良い。
 特に(1)などは絶対にして欲しくない。(2)の気管切開、(3)の
人工呼吸もである。(4)(8)も一時的ならまだしも!生かしておくだけの
延命は、お断りである。死亡解剖も一切、お断り。臓器移植も駄目。今まで、
家族とこういう内容の話をしたことがないが、ブログの分類のコーナーに項目を
つくって書き残し、正月で集まった折などに話うつもりである。下手に5年、
10年、生かされたくはない。次回は、著者の事前指示書を考えてみる。 
まだ、早いと思うが、本来は還暦までにすべきこと。
・・・・・
4137, 大方は40歳で右下がり
2012年07月23日(月)
   * 男は40歳でポンコツ化の曲り角!
 少し前の週刊SPA! になるが
 ≪40代会社員のポンコツ化が尋常ではない【証言集】≫があった。
  ー それは、「40代会社員の劣化メカニズムを徹底解明」特集で、
    劣化事例を紹介していた ー  
・「バブルの頃は良かった。友達の付き添いで行った面接で受かったりしたもん」
 と自慢話を連発
・「係長(男・45歳)という役職なのに、部下のミスは部下のミス、絶対に
 尻拭いをしてくれません。ランチに誘われても必ず割り勘。なぜこいつが
 係長になれたのか、我社の七不思議」(代理店・28歳)
・「IT関係の職業なのにも関わらず、僕の上司(男・46歳)はファイルの圧縮
 さえできない。Excelの関数はおろか操作もままならない」(SE・25歳)
 ポンコツ40代を見ていると、「自分はこうにはなりたくない」と誰もが
 強く思うはず。しかし心理学者の和田秀樹氏は「人は40代になると必ず
 劣化します」と断言する。
▼ 現場の一線に立っている人も、管理職としての能力も、30歳代までで
 成長は終わると、いわれている。私の事業人生を振り返っても、右上りが40歳
まで、後は下降?、その後の判断した結果は、右下がりの起因をしたものばかり。
40歳の頃、富士銀行に勤めていた高校の同級生が支店長への出世コースから
外れ出向になったっと聞いて驚いたことがある。激しい競争社会では、その辺が
ピークということ。結局、先が見えエネルギーも出し切ったところで、外に
出さないと、組織そのものが弱体化する。その頃が厄年として男も女も大病や
人生を揺るがす事故や失敗が起きてくる。逆に、その辺に予定挫折として前向き
に自分から転職・転業などの節目をつくる方法もある。 男の一生は大変だ。
への字の右上がりから、下りのテッペンが40歳。下がりきったところで少し
右に流れたところが65歳以降。 少し長い?とすると、最近は80歳以降か。
40歳右下がり説からすると、ピークを維持するため何かを学び続けなけば
ならないことになる。戦後日本を一人の人間と喩えてみると、1985年の
プラザ合意が明らかに右下がりの決定事項。そして、現在66歳とすると、
自分そのもの。4年前のリーマンショックが、次の大きは節目で、
その大津波が今年末、日本と世界を覆い尽くす可能性が高い。
・・・・・
3771, ユング ー10
2011年07月23日(土)
  * ユングのいう、能動的想像とは? 
 ーあるブログに、能動的想像法の要約があったー
{ 能動的想像法は、睡眠と覚醒の中間の状態で、一種の夢想状態に近い。 
 眠りと覚醒の中間、眠りに落ちるすんでで留まり、意識を持ちながら夢の中を
観察するような、そういった状態。ただし、そこでは、あくまで観察するだけで、
干渉はしない。願望を叶えるために夢を操作するような、そんなことはしません。
魂ともいえるものが自由にしている状態を、ただ眺め、観察する。この時重要に
なるのが、記録。これは、単に書き留めるだけに留まらず、それは一種の表現。
書き留めたり、絵に描いたり、粘土で作ったり、踊ったり、歌ったり、演じたり、
また信頼できる人に話したり、そうすることで、無意識の闇にあったものが命を
持ったまま、現世に顕現するのです。そうすることで、こちら側に生きる我々が、
こちら側に生きながらあちら側に参加する、そんな感じになってきます。
それが魂の体現の一部となる。 人間を豊かにし、特に現実問題と十分に向き
合ってきた中年期・老年期の人たちに対しては、今までになかったものを与えて
くれたり、今まで見逃していたものに、気づかせてくれたりします。}
▼ なるほど、面白い。この実例が〈ユングー地下の大王ーコリン・ウィルソンー〉
 にあった。その幾つかを、次回にコピーし考えてみるが、あちら側は、あくまで
能動的想像をしている本人の潜在意識の世界。いや、更に深い共同意識の世界。
意識を持ちながら夢の中を観察する状態で、魂を眺めているのが能動的想像と
いうこと。子供時代の頃の夢を見ている時のマドロミ状態が、こんなものかも
しれない。ユングは自分に、この能動的想像力があることに気づく。フロイト
との仲たがいなどで、自分の精神が崩壊の寸前に至り、精神病者が苦しんでいる
妄想を垣間見ることができた。その一つに「血のなかに溺れかけた欧州の幻覚が、
翌年の1914年に現実になり、その幻想は間違ってなかった認識をえたのは幸運。
作家の創作も似ているが、あくまで、これは潜在意識の観察であり、本人の魂の
開放である。重なっている部分は、主人公の魂の開放を通して、読み手を満足
させようとするところ。(全ての小説が、そうとは限らない。)
 ところで、過って行ったことのある世界の旅先を、毎日のようにTVで放送して
いる。実際に見てきた以外の所も映し出す。そうすると、当時に立ち返り、
そこに自分が行っているような奇妙な感覚になる。これも、能動的想像法の
一つになるのか?老人が過去の思い出に浸っている時、心は能動的想像の
世界に入っている? だから、勝手に孤独な老人と決め付けるのは間違い。
この年齢になって分かったことは、行蔵にあまりに多くの経験があることだ。
 ・・・・・・・
3406, この国の終わり ー3
2010年07月23日(金)
 * 「転ばぬ先の杖」こそが知性の原点
 恐怖と不安は鋭敏な自衛感覚を育て、それによって人間である限り永遠に
尽きることのない敵に対処することこそ、人間の知の原点。その典型的な形が、
外交をはじめとし、最後の原爆投下にいたるまでのすべての闘争における
攻撃と防御のストラットジーである。恐怖は考えの母であり、不安は考えの
教師である。考えた結果を個人的な知性に転じるという能力もまた、疑うという
能力をも持っていなければ達成できない。疑いの度合いが深ければ深いほど、
そしてその疑いの解答が明晰であればあるほど、人は賢くなる。
「何故」があり、「何故なら」がある。 西洋哲学は恐怖と不安への疑いが
原点であり、西洋宗教も同じである。それが日本人以外の人間たちが持つ知性。 
一神教的知性なのだ。 賢い人、とは、知性があるということを古風に言った
言葉である。ただの「物知り」とは違う。知恵者とも言った。
知恵は智慧とも書く。・・・・
▼ー感想: 知性とは、モノゴトを知っているということでなく、恐怖と不安
 を感じ取り敵に対処する人間の原点をわきまえ知ることである。持っている
知識を、それに対処する智慧を知性という。言われてみれば、当たり前のこと。
(字数の関係でカット2012年7月23日)
 ・・・・・・・・
3031,卒業40年周年か〜 −3
 2009年07月23日(木)
* 奥野君への手紙        (今日、本人の手元に届く)
 学卒40周年記念に参加をしてクラスの名簿に貴君の名前をみて懐かしく、
手紙を書いています。卒業前の半年間(S43・9〜44・2)日記をつけており、
それを20数年前に倉庫の隅から見つけ出しました。書いたことすら忘れていた
ので、タイムマシーンで当時に戻ったような気持ちで読み返しました。 
8年前に始めた私のHPの中央の下にある分類のブログに書き写してあります。
ブログに同月同日に毎日載せたものです。従って、毎年半年は、当時の日記を
毎日読み返しています。その時、貴君が、あの馬小屋のような寮に卒業間近かに
訪ねてきて、これから社会に出るにあたって多くを語ったことや、佐渡に広瀬君
などとご一緒したことを思い出しています。先日の会では石川譲治君や、
服部学園の園長の染谷(服部)、川村、福田君などの顔が見受けられました。 
その前日に銀座に合気道の面々が集まり、一杯やりました。 三崎、木矢、伴、
鈴木(加藤)、高杉です。三崎さんは10年前まで、新潟に16年近く転勤できて、
2〜3ヶ月に一度のわりで古町などで酒を飲んでいました。ところで私は、その後    
・ジャスコに一年在社後に、 ・産業能率大学に途中編入をし、
・その後金沢の「いとはん」(ジャスコに吸収)に一年半在社、
・千葉の郊外に貸しビルをつくり、その中に居酒屋の養老の滝のFC店と、
やはりFC店の焼きたてのベーカーリーを二年間従事(その当時に結婚) 
・家の事情で実家の事業(衣料量販店と衣料専門店)を5年間従事をし、
・34歳から新潟駅前でビジネスホテルを30年近く経営をしています。
 2001年の9・11のテロと、去年の9・15の金融恐慌以来、苦戦をしていますが、
何とかやっています。どちらかというと、創業屋的な人生だったと思います。
30歳前半までに問題を吐き出し、後半は、それまでの勢いで何とか辿り着いた
というところ。
 ところで、貴君の住所をグーグルアースに入れてみたら、仙台空港の南10キロ
ほどの漁港のようなところで驚いています。資生堂に入社して、都会にドップリと
浸かっているかと思いきや、その正反対の場所で。 実際、東京のアスファルト
ジャングルなどより、遥かに良いことは、新潟飛行場の周辺をみれば分かります。 
それだけでも良い人生を過ごしてきた貴君の姿が目に浮かびます。
(それぞれに価値観があるでしょうが) 何かチャンスがあったら、会うのも
面白いでしょうね。 それでは、お元気で。 あの日語り合った、延長の気持ちで
思いのまま書いてみました。   2009年07月22日     堀井八郎  
追文)8年前より、ブログを開いています。 暇のおり覗いてください。
検索に堀井八郎を入れると出てきます。当時の写真や、先日のクラブや、同級の
二次会の写真があります。分類には当時の私の日記があります。  
〜 22・23・24歳の日記のコーナー〜


5242,他諺の空似 〜ことわざ人類学 〜①

2015年07月22日(水)

             『他諺の空似 〜ことわざ人類学』米原万理著
    * 医者の不養生 
 この本の第一章の冒頭からして、際どい下ネタで引きこむ。
男なら、目くじらを立てたくなるが、女だから良いだろうになる。
さすがにロシア文学の翻訳家、かつエッセイストである。その彼女も
9年前に癌で他界している。『ガセネタ&シモネッタ』の本を出しているから、
この程度で驚いている方が野暮!  〜その辺りから〜
≪ 「ママ、ママ」 出張先から帰宅するなり、娘が駆け寄って来て、
 コートを脱ぐあいだも息継ぎするのも忘れてしゃべりまくる。
「きのうママがお留守のあいだにね、パパったら綺麗なお姉さんを連れてきたの。
それでね、リビングのソファーでね、一緒に横になってね、お姉さんのスカート
まくり上げちゃったの。それで股のあいだにね……」ここで娘は肺に溜めて
いた空気を使い切ったらしく、息を吸い込んだので、抱きしめて言った。
「はるかちゃん、もうすぐパパがお仕事から帰ってくるでしょう。
お話の続きはそのときにしてね」 まもなく夫が帰宅し、親子三人で
夕食の卓を囲んだ。頃合いを見ておもむろに娘を促した。
「はるかちゃん、ママがきのう留守していたときに、パパが何をしていたのか、
話してちょうだい」 夫は飲んでいたみそ汁を喉に詰まらせて咳き込むが、
娘は得意になってしゃべり始めた。
「パパったら、お姉さんの股のあいだにね、ほら、パパが出張中に
ママがよく連れてくるオジサンのものを口の中にくわえるでしょう。
あれと同じものを突っ込んでたみたいなんだ」
 これは最近離婚した女友達Fから聞き出した離婚の発端。ちなみに別れた
夫は彼女の二十何人目かの男で八歳年下、初婚から数えて七人目の夫だった。
「あいつの純粋さに惚れて結婚したのに、若い女と浮気しやがって、許せないわ」
Fはひとしきり息巻いたものの稼ぎのいい前夫と別れるや生活水準が急降下した
のだろう、今更ながら、「やぶ蛇だったんだよねえ」などと口惜しげである。
 思わず、「ちょっと、やぶ蛇ってのは違うんじゃないの」と茶々を入れた。
Fのノー天気な自己中心主義は、観察する分には面白いが、諺の使い方が
間違っているとなったら話は別。 ・・・ Fが怪訝な視線を向けているのに
気づいて弁明。「あんたの場合は、むしろ、盗人猛々しいとか、自分のことは
棚に上げてって言うんじゃないの? 彼の浮気を裁ける立場じゃないでしょう。」
「医者の不養生・坊主の不信心昔より然りと『風流志道伝』にもあるでしょうが。
浮気性の人間に限って、他人の浮気を許せないものなの。」 ・・・ ≫
▼ 子供の目を通した生の浮気の現場の描写が面白い。それと七人目の夫を
 持ったFのエネルギーも恐れ入る。地方もあって、あまり具体的な下ネタを
聞くことはない。スナックのママの、『下の娘、嫌がる亭主を強引に犯した時の
子供なの』ぐらい。男同士は、意外と具体的下ネタは御法度。特に父親は、
その点に関し非常に厳格であり、具体的な会話は皆無。下ネタに関しては
詰らない、味気ない?人生。なら、中の下ネタなら幾らでもある?ありません!
・・・・・・
4877,閑話小題 〜大相撲の立ちあいに、肘打ち!
2014年07月22日(火)
   * 昨日は、初孫の顔を見に東川口に!
 生まれたばかりの孫の顔を見に川口に行ってきた。私が8人兄姉の末っ子も
あって、実子の生れた時も、子供の扱いが苦手で、戸惑った。昔から孫自慢を
聞くが、いま一つピンとこなかった。中・高校の同級生で、離婚や死別を
切っ掛けに県外の嫁ぎ先の近所に引越していった人が知人だけで三人もいる。
それだけ孫が可愛いという。 で、昨日の感想は、「成るほど!」である。
名前がスケートの浅田真央からとって、愛央(まお)。その顔が真央そっくり! 
彼女、金メダルを取れなったため、暗いイメージがついたが、愛嬌があり美人。 
女の子は、美しいか、そうでもない? では雲泥の差。半分?は決まってしまう。 
 これで、一つをクリアーしたことになる。ご対面の時、家内が「今の子供は、
みんな可愛いらしいね」と息子に言うと、「実は、そうでもないんだよ!」・・
 話が変わるが、その後、大宮駅まで見送りに来た息子と三人、居酒屋で晩餐
をすることになった。その時に、息子が歩きながらスマホで電話予約。
「知っている店?」と聞くと「知らない!」と、歩いていく。そこで
「検索のキーワードは何?」と聞くと「大宮駅、居酒屋、個室、予約」。
スマホのGPSが、道筋を誘導し、遊歩道を2〜3分歩いた飲食ビル9Fへ。
その間、僅か5分!探したり、迷う余地ゼロ。丁度良い店であった。 
それにしても時代は変わったものである。
   * 大相撲の立ちあいに、肘打ち!
 エジプト人の若い力士が、ここで二日続けて金星をとった。よく見ると、
立合いの出あいがしら、肘打ちを相手の顎に全身で叩きつけている。これは、
厳禁の握り拳で殴るより危ない打撃系格闘技。連続して負けた二人の横綱、
それを恐れ自滅した相撲内容。 近々、禁止?これは一種のカテゴリーキラー! 
モンゴル人の横綱が、その地位を利用して格下力士に張り手をしているが、
これも打撃系の軽いもの。最近は平気で、横綱に張り手をするツワモノもいる。 
格闘技のカテゴリーキラーといえば、柔道がある。ロシアのサンボや、
レスリングの技を柔道の持込んで、柔術から生まれた「柔道」に対し、
レスリングの「倒して背中を付ければよい」という考えを取り入れた
「JUDO」になっている。このため本来の柔道の姿が変わってきた。
大相撲も、時代の流れをふまえ、規則も変えるべき時? 
いや、何でも有りが面白い?
・・・・・
4510, どうせ死ぬなら「がん」がいい ー4
2013年07月22日(月)
     『どうせ死ぬなら「がん」がいい』近藤 誠 (著)中村 仁一(著)
 今まで大半の日本人には「命の長さが絶対」という思い込みがあった。
医師も最大限生かそうとし、家族に示そうとした。また日本人には死に目に
立会うべきという通念があり、家族が集まり、最期を看取るのが価値あることと
信じていた。でも、それは本人にとっての幸不幸でなく、一種の儀式のためで、
家族はモニターの波をみていて死にゆく人をみていない。当人にとって
延命は苦痛そのもので、「孤独死」でしかない。 
 以下の項目も、辛辣な医師と家族への批判だが、こんなもの。
    * 第三章 日本人と死
・死に目に立ち合う症候群      ・臨終のすったもんだ
・胃ろうと「生かすことはいいことだ」・1時間かけて食べさせるのは愛情?拷問?
・生死も「長いものに巻かれろ」   ・自然に死ねる「野垂れ死に」「孤独死」
・90歳過ぎるとだれも遣骨を取りに来ない 
・死後の始末を他人に頼むには、金がかかる
・「香典医療」で死ぬ前の数ヶ月に大金を使わせる ・余命6カ月エクササイズ
・日本人は自分で決められない   ・無言の「若さ圧力」「健廉圧力」がすごい
・「平穏死」と「胃ろう」       ・がんの治療やーめた
・がんを放っておくと家族がうるさい  ・薬師もにわか軍医も医者に昇格
・放射線科で一生懸命になった理由… ・昔の「老衰死」は大部分、がん
・モルヒネは太古からの痛み止め剤    ・「在宅での看取り」への動き
・男が長生きしたら、老害でまわりが困る ・カロリー制限しても寿命は延びない
・死にゆく姿を見せるのは最高の遺産   ・あなたは立派な患者だった
▼「野垂れ死に」「孤独死」が理想の死に方とは思いもよらなかった。
一番恐れている死に方が、実は理想とは。 数年前に独り住まいの孤独死が問題
になり、そのTVドキュメントを放映していた。そこで、誰かが 「孤独死が悲劇
というのは周囲の思い込みでしかないのでは?」と疑問視する見方があった。
家族に囲まれても、死に逝く者は孤独である。死に目の立会も、孤独死への
恐怖も、残されたものの思い込み。生き残るものは立場からして違うのである。
哀しみの感情を満たすため、当人の真の辛さが二の次。で、逝く者は地獄。  
やはり自分の延命に対する「事前指示書」を示しておくべき。そうこう死に
準備を考えると、65歳が引け時だったか。
・・・・・・・
4136, 閑話小題 ー日記は翌日の午前中に
2012年07月22日(日)
  * 日記は翌日の午前中につける
ある本に、「日記文学は、平安期に栄え今も古典として残る名作が多くある。
当時の貴族たちの多くは、日記は翌日の午前中に書いた。つまり前の日の出来事
を思い出して書いた」とあった。これを知ったのは最近のこと。前日とはいえ、
時間をおいて思い出すのは脳にとって良い上に、起きたことを冷静に見つめる
ことができる。私は日記的メモとして陰山手帳、10年三行メモ帳、
フリー落書帳を、三冊持っており、数日以内に2〜3日分をまとめて書いている。
しかし翌日午前中に書く習慣化しておくのがベスト。改めて考えると手帳お宅、
そのものである。内省的性格からして、これほど自分を落ち着かせる習慣は
他には見当たらない。朝4時過ぎに起きて、この随想日記の校正をしてブログに
アップし、ポタリングに出て、食事をしながらモーニングショーをみた後、
風呂に入り、自室のパソコンの前に座って、翌日分の随想日記内容の下書きを
書いたり、読書をして午前中を過ごすのが日課。その中の空き時間にiPadで
週刊誌や、世界遺産などの写真集などを見たりしている。今までは、ポタリング
の出発前の10分間ほどだったが、9時過ぎに時間を移行することにする。
それほどして書いたものを読み返すのは、ネットに上げた、これぐらいだが。
  * 父親のこと ー2
 父は太平洋戦争前までは、実家の老舗の古道具屋の二代目で、母親が嫁に来た
ときに父に聞いたそうな。「家って金持ちなの?」、それに対して父は「資産が
7万円位で、金持ちの目安が10万だから、金持ちではない」と。 そして
10数年後に戦争が始まり、それから数倍にした財産の殆んどを無くしたという。
しかし、その財産の一つが、空襲で焼けた後の繁華街の四角のあり、そこで始めた
商売が当たり一時的だが、全国にも知られた繁盛店になっていた。
父は戦前、道具屋をしていた頃に、その商売柄、津上退助、野本恭八郎
( 野本互尊翁)など戦前・戦中の財界人にフリーパスで会うことが出来て、
年に数点の骨董品を買ってもらうだけで商売が成り立っていたという。
そのため世の動きに対する知識や教養が必要ということを肌身で感じていた。
コンプレックスだけでなく、子供には学問を身につける必要性は分かっていた。
早寝、早起きがベースにあり、20時半に就寝、5時前に起床し、新聞を読んで
いた。綺麗ずきで、チリ一つ落ちていない家であった。晩年の趣味は骨董品の
収集、旅行、株式、旅行。 怒鳴ることは無かったが、その代わり強烈な皮肉が
飛んできた。自分だけでなく家族に従業員に非常に厳しい人だった。
要する地味にして目立たないこと、自己主張をしないことが大家族の掟。
兄姉達は、常に父親の顔色を窺って、側には近寄らないようにしていた。
その父親が亡くなったのは満70歳。 私も3年半後に、その歳になる。
ファザーコン、マザーコンは、人間の心の底に誰も抱えているが、
その人の原点である。幼児体験は強烈な経験だった。
・・・・・・
3770, 閑話小題
2011年07月22日(金)
  * 時間でみる施設の使用料金
 スポーツセンターや、シネマを一時間あたりの使用料でみると面白い。
スポーツセンターは、月5980円。20日は通っているので、一日300円。
私の実感は三十分500円で、二時間平均は滞在しているので2千円の価値は
感じる。2千×20日=4万円なら行かないが1万2千円なら行く。それに
しても安い。知人が、「スポーツジムは一人当たり一回2千円の計算がベース。
これに会員数と稼働率をかける」と言っていた。私の選んだコースの場合、
日・祭日を除いたコースで、特別参加の日払いだと一日2400円。
風呂、サウナ、プール、マッサージ・ルーム(マシーン)、ロビー、トレーニング
・ルームありで、10時〜17時まで使い放題300円は価値がある。 
月に一度は行っているシネマは二時間で千円、一時間あたり五百円なら充分に
価値がある。最近のシネマはデジタル化のため圧倒的に画面も音響も迫力があり、
別次元の世界に我々を引き込んでくれる。年齢もあるのだろうが、スナックや
居酒屋は、酒・肴などの飲み食いも入れてとしても一時間あたり千五百、二千円
からみると、圧倒的に映画の方が価値がある。現在の不景気、ネット化、デジタル
化で情報量が日ごと飛躍的に増えていることにある。大相撲や、プロ野球、
行楽地は現地まで行かなくても、家でパソコンやTVで、情報や、現場感覚が
実感できる。それも無料に近い値段で、である。スポーツ・センターも、よく
見ると、殆どマシーンである。映画も、現在では殆どデジタルでつくられている。 
考える時は考え、休む時は休む。その時に道具としてマシーンを使えばよい。 
・・・・・・・・
3405, この国の終わり ー2
2010年07月22日(木)
   * 考える遺伝子の不在 
 日本の現状に対して、殆んど誰も考えてない国家に絶望をしながらも、
何とかしたいという著者の気持ちが伝わってくる。これでも考えて生きてきた
つもりだったが、この数年来、何を考えて生きてきたのか反省しきりである。
10年来の哲学等の学習効果が少し考えに厚みが出てきたが、そうすると人生全体
に疑問を持つようになる。こと日本人全体をみれば、ほぼ99パーセントは考えて
ないように見かけられる。「考えて何になるの?」という質問が帰ってくるのが
落ちになる。 欧米、特に欧州では中学校の段階で哲学の授業があるという。
考えるとは、陸続きの他民族の侵略の恐怖や不安がああるからだ。それを真剣に
考える時に、それが立ち現われる。海に囲まれて当面の攻撃が考えられない
日本民族にとって、考える必要がそれほどないから、考えられないのである。
 ー 以下の、箇所は辛辣だが、的を得た内容である。ー  −P34 
要するに「脳が足りん」のだ。 考えるー、という脳の機能が、少なくとも他の
民族と比べ極端に欠乏している。猫でももう少しましに考えて行動しているのでは
あるまいか。 それは一方において、日本人があまりにも鋭敏で潤沢な「感じる」
という機能を持っているために、考える機能のほうが圧倒され、脳の土俵から
押し出されてしまったせいなのかもしれない。つまり右脳と左脳、ロゴスとパトス
の千秋楽の結果である。この事実への感慨は、母国の中の異郷、身寄りが一人も
いない九州の山中に住み着いたこの六ヶ月、日々ショックを新たにし、今日も
変わらず、修正できず、ますます強まる一方である。国家は芯の芯まで腐り果て、
民族は脳死状態で、植物人間化している、ということを、ほとんど誰も考えて
いないのである。いや、考えることができないでいるのだ。うすうすは感じては
いるらしい。そもそも思考力よりも直観力の鋭かった民族である。なにやら
日本の全体がおかしく、どこかが狂っていて、怖ろしい結果が近づいている、
といった漠然とした恐怖は、なんとなく感じてはいるらしい。何しろかつて
この国には起きようもなかった異常な犯罪は、それこそ日常茶飯といった感じで
起こり続けている。帰国してからのこの半年間でも、すでに数え切れない。 
あまりの立て続けさに、私も忘れるし、人々も覚えきれず、次々に忘れて
いくようだ。確かに世界中で犯罪は起きている。ニューヨークだって、パリ
だって、私が十八年暮らしたオーストラリアだって、犯罪は起きる。
しかし、これほどの異常な内容の犯罪は聞いたこともない。どこであろうと、
起きているのは「並みの犯罪」だ。並みの犯罪とは、犯人は、それがどんな種類の
犯罪であろうと、何かは考えている。どんなにバカな考えでも、異常な考えでも、
愚かな考えでも、邪悪な考えでも、要するに、ナニカは考えている。
≪恐慌以来の日本国家の存亡の危機に対し、国民の危機感の希少さに驚き唖然
 としている。それが考える遺伝子の不在としたら≫
・・・・・・・・
3030、卒業40年周年か〜 −2
2009年07月22日(水) 
  * 卒業40周年記念に参加してみた人間模様。
 1〜2年次の教養課程の同級生では、TVでよく見かける服部学園の
 服部幸應と、大阪学院大学の白井総長が面白い存在。
・服部幸應は実名が染谷で、当時は存在感が殆どなかったが、常に財布に
 10万円を入れているという話はあった。一年留年をしてアメリカに行って
 いたのか、留年をしたためアメリカに行っていたのかはファジーである。 
 二次会のクラス会が彼のために開かれているかどうかは定かではない。 
・私が学生時代で一番親しくして、卒業まじかで大喧嘩をした○○譲○。
 ハッタリ屋だったが20年前のバブルの崩壊で倒産。借入金が280億で、
 ビルが17棟だったという。 前回は身を隠している状態で不参加だった。
 三次会の最後は彼と飲んだが、二棟だけビルを隠して持っていて現在は、
 それが生活のベースになっているとか。更に、この恐慌で、経験を買われて
 コンサルタントもしているという。 バブル時の倒産劇は、人生の大きく
 覆いかぶさっているというが、そうだろう。
・クラブ関係では、神田周辺の菓子問屋に養子に行った男が土産として、
 仰々しい包みのお菓子をくれたが、家内が言うに、「これって、前週に買おう
 と東京駅の地下の店のカリントウ。すごく有名だけど、わざわざ並んで買って
 くれたのかしら」と言っていた。「まさか、そこの社長じゃないと思うけど、
 少しは有りえるかも」と答えていた。お返しで、新潟の酒を送ったところ、
 自宅に電話があり家内が出て「そこの社長なんですか」と聞いたら、そうだと。
「先週、買おうと店まで行ったら行列で買えなかった。奇遇です・・・」
 家内は、本当か嘘か?その辺は調子が良いが、相手も悪い気がしないだろう。
・卒業してから数年後に、先ほどの石○譲○と、私の自宅に遊びに来た伊香保
 温泉の「村松屋」に婿養子に入った友人の根岸君。十数年前に脳溢血になって、
 九死に一生を得たとかで、半身不随になっていた。それでも朝一の高速バスで
 來京し、最終のバスで帰ると言う。以前に一族の「いとこの会」を、
 その旅館で開いたことがあった。
・亡くなっている人はクラスの約一割である。還暦を越えると、社会的に
 如何こうは、三番目か四番目。10年後には出席できる?


5241,窃盗専門の「泥棒刑事」 −⑦

2015年07月21日(火)

           『泥棒刑事』 元三課部長刑事 小川泰平著
   * 被害届を拒む女性。そして孤独で寂しい泥棒たち
 何か、内容が下ネタになるが、話題としては面白い。そういうこと!
≪「泥棒には入られていません」「絶対に入られていません」と言いはり被害届
を出さない女性がいた。これは被害者のほうに何らかの事情があるのは確実だ。
あるとき、1人の空き巣を逮捕し余罪を追及していくと、100件以上の余罪。
被疑者を捜査用車両に乗せて「引当り捜査」を行う。私はその空き巣被疑者の
自供に基づき被害者宅を訪ね、「お宅に空き巣に入った、犯人を逮捕しています」
と、事情を説明に行くのだが、一件だけ「入られていない」という被害者がいた。
もちろん被害届も提出されていない。実際に空き巣に入られていても、被害額が
僅少であったり未遂であったりした場合は、面倒だなどの理由で警察にさえ届け
出ていないかたも時にはいる。それでも、引当り捜査で行くと、そのようなかた
でも、「忙しくて……、面倒で…」などと言いながらも協力してくれるもの。
しかし、この一件の被害者だけは「入られていない」の、1点張りである。
被害者が帰宅している時間帯にもう一度訪問した。20歳代前半の美人の女性。
「絶対に入られていません、何回言わせるんですか」と怒られてしまった。
そこで被疑者から再度の調べをしたところ、ある物が「机の引き出し」に入って
いたことが分かった。「大人のおもちゃ」であった。事情聴取を女性警察官に
任せることにした。何とか説得し被害届を提出してもらった記憶がある。
金額は6000円で。我々ドロ刑にとって、被害届1枚は「血の1滴」と言われる。 
 大人のおもちゃを持っていた被害者とは話はまったく別ものなのだが、
泥棒は基本的に孤独であり、さびしがり屋が多かった。泥棒は構ってくれる人
がいなくなることを非常に恐れる。孤独な生活を送っている泥棒は、逮捕された
後に取調べを受けるとき、人と人とのつながりを取り戻すかのように饒舌になる
者が多い。不思議と思われるかもしれないが、取調官と別れたくないがために、
やってもいないヤマ(事件)を自供する者さえいる。これを「空ヤマ」と言う。
 ・・たいていの泥棒は、シャバと刑務所の問を行き来している。そうした
泥棒というのは、寂しがり屋が多かった。泥棒稼業を送る彼らは、ほとんどが
一人暮らしで身寄りもなかった。彼らの多くは逮捕され刑務所生活を送る。
刑務所に入っても泥棒は馬鹿にされる存在でしかない。そして、2、3年の刑期
を終えて社会に出てくる。そのとき、彼らのほとんどはあまりお金を持たない。
刑務所では刑務作業に対して報奨金が支払われるが、刑期が2、3年の泥棒は、
刑期中に金を貯めることはほとんどできない。刑務作業で稼いだ金は出所後の
交通費で消えてしまうりだから手元には金はいくらもないのが通常である。
そこで、出所した常習者のほとんどが、更生施設などに身を寄せるしかない
のだが。そこも長続きしない。また、就職して働く者もいるが、給料などの
待遇もよいはずがない。月15万も稼げれば良いほうだろう。彼らは少し
働いて金ができると、たとえばスナックに出入りするようになる。
そうしているうちに、働いて得た金だけではとても足りなくなる・・ ≫
▼ ネットで『女性用大人の玩具』と検索したところ・・ 出るは出るは!
 今度、生まれるなら、老いたら機能不全?になる男でなく、女性ですか。
・・・・・・
4876,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー42
2014年07月21日(月)
   * 31年の新潟~長岡間の通勤
 老いた母親をおいたまま新潟に引越すわけにもいかず、31年間も新潟~長岡
を通勤になった。しかし、高速の乗物空間の往復一時間は読書の最適環境。
私の性格からみて地方の閉鎖性に同化されない為に、職住分離は必要である。
新幹線車内は一度、県外に出たような感覚になる。だから30年も続いた。
それと、機内や高速鉄道の車内は「ぼんやり時間」としてベスト空間でもある。
長岡住民の7〜8割が地元出身者だが、新潟は流入組7〜8割。僅か30分で
世界がまるで違う。それも慣れだが流動が少ないのは良くない。それは、この
三年間で、さらに実感している。排他的で、プライドが高く、烏合で、常に人の
目を伺う比較世界の傾向が強い。それも、外部からみれば越後・新潟の差異範囲。 
ところで、30年の新幹線交通費の総額は、マンションが一つ買えるほど。
全線開通直後、長距離通勤のための税制が変わり、経費で落すことが可能になった。
 何処も所属しないで済んだ代金とみればよい。酩酊しての乗り過ごしは8回。
そのうち3回は湯沢などに宿泊、スナックへ。今から考えると、冷汗もの。
そうこう振り返ると、やはり70歳前半が寿命? 今さら生き急ぐことも、
死に急ぐこともない。今や職住分離の職が無くなり、自宅中心の生活。
新幹線の代りが「ハリウッド映画」と、ポタリング。これで一度、生活圏から
出たような錯覚が、ストレスを最小にしてくれる。
   * スラスラと、思ったことを文章化出来る?
 知人に「思ったままを毎日、書けるのが羨ましい!」と言われたことがある。 
読む方は、2〜3分だが、書き上げる方は、この程度の拙文でも、テーマのネタ
探しを含めたら2〜3時間は軽く掛かっている。これでである。しかし、書き
上げた達成感と、プレッシャーが丁度良い刺激になっている。その後、読返し、
書いている自分は何者?と、ドキッとすることもある。時間が過ぎると、書いた
時点の自分は、別人のような人。 吐いてしまった、書いてしまった言葉は、
二度と戻らない! 言葉は恐ろしいし、それを文章化して責任を持って公表する
のは、更に恐ろしい。そのままの自分の本音が、そのまま出てしまうからである。
そのため、早朝、何度も書き直す。それが考える訓練と、思考そのものになる。
「日々、是、口実」が、分かっていても?自嘲しながら続けている得体の
知れない自分は「何者だろう?」
・・・・・・
4509, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー7
2013年07月21日(日)
         『 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 』ー番場浩之著
 スポーツジムののヨガに週二回、百回以上も続けると、一寸とした動作も
ヨガ的になる。ポタリングの車上の姿勢と呼吸とか、起床の前の屈伸とか、
夜半に目が覚めた時の姿勢と呼吸とか、居間でTVを見ている合間の姿勢とかを、
意識するようになった。これが続けてきた一番の収穫。また早朝の30分の瞑想
も良い。この結果、夜半の半睡の状態も、瞑想のイメージを持つと、心穏やか
に不眠状況を受け入れることが出来るようになる。
  * 3日目ーA 正座から四つんばいになって・・
1、まず正座になって(踵を重ねない)両手を膝の上に自然に置いた自然体から、
  軽く御尻を浮かすようにして爪先を立てて、膝の前で床に手のひらをつく。
  短距離のスタートの姿勢だが、手のひらは地面にベッタリつける姿勢。
2、「静かな一呼吸」−>「軽い一呼吸」−>「深い一呼吸」を入れながら、
  狼が吠えているように、顎を上げ、胸を開き、背骨をそらす。
3、そこから腰を入れ、手をつけたまま立ち膝になり、踵をつけたまま背中
  を丸める。額を膝につけて息を出し切る。
4、緩めて、元の正座に戻る。そこで軽く一呼吸をする。
5、もう一度、1,2の動作をした後、軽い呼吸をしながら、膝裏を伸ばし
  ながら尻を持ち上げる。横からみたら、三角形に見える姿勢である。
6、息を出しながら、かかとに体重をかけ、肘と膝を伸ばした状態で腰を入れ、
  眉間を見あがるようにして顎を上げる。犬や猫が、四つん這いで、背筋を
  伸ばしている姿である。
7、「軽く一息」を入れて緩めたら、ゆっくり息を出しながら、膝をつき、
  「基本単位」に戻す。
 ▼ 犬や猫が寝起きに、これをやっている。背中を丸めたり、反らしたり
  しているポーズである。動物が誰に教わることなく本能的に行う運動には、
  それなりの良さがある。
   * 3日目ーB 手の指を開く体位
1、正座に座り、親指と人差し指で朱印を結び、肘を直角に曲げて前腕は床と
  水平に手の平を上向きにする。 「静かな一呼吸」−>「軽い一呼吸」−>
 「深い一呼吸」を入れながら、手指が反るぐらいに開き、息を止めて、少し、
 その状態を保つ。
2、ゆっくり息を出しながら、最初の基本体位に戻って、軽く一息をしたら、
  もう一度1,2を繰り返す。
3、1を行った後、手指を開いたまま息を止めて少し静止。息を止めたまま、
  ゆっくり親指から順に小指まで折り込んでいく。 最後に、親指を握りこむ
  ように「グー」でしっかり握る。
4、さらに、息を止めたまま、小指から親指まで順に指関節を伸ばした状態で
  開いていく。最後にしっかり開ききった上に、ゆっくり息を出しながら
 「基本体位」の朱印に戻って軽く一息。
5、再度、1、3,4を行う。  ポイントは、どの姿勢の場合でも背筋を
  ピンと伸ばすこと。
▼ ヨガ教室では、正座をして、深呼吸をしながら上に向け延ばした手を、
 逆の手で反らすことを毎回している。あとは、投げ出したフクラハギをバタ
バタ地面に叩くのも居間などで手軽に出来る。常に、小まめにマッサージと
屈伸をする習慣をつければ良いということ。
・・・・・・
4135, 閑話小題 ー父親のこと、など
2012年07月21日(土)
   * おもいのままに 
 緑の原野からサバンナへの移行をした、とか分かったようなことを言っている
割に、話題の中心は世界情勢、特に世界恐慌という大津波襲来の内容が多い。
百年、5百年、千年スパンの大変動の大波が襲来するのを、外海?の地平線に
目を凝らして見つめるのは人情として当然だが、どうも期待半分のようでもある。 
現に到来した時の惨状は、10年〜20年以上にわたる長期的になり想像を絶した
になるだろう。現に私が、その前波で一年前に事業継続を断念したこともある。
しかし裏山に避難して海原をみると地平線の本体の大波は近づいているのがよく
分かる。眼下をみると、これまで通り人々は何も変わることない生活を送る人と、
海辺で浸水が始まり慌てている人もいる。鈍い人は現実に大波が来ないと分から
ないのだ。ただ、それぞれの立ち位置で、問題の大きさが違うから難しい。
5階以上のビルの人にとって、それほど慌てることもないが、目先の生命は
助かっても生活圏が根こそぎ破壊されてしまう 時どき週刊誌に、大津波の襲来と
対応策が見出しに掲載されるが、売らんがための大げさな見出しとして、狼少年の
騒ぎとして見ている。しかし、NHKが特番で危機の深刻さを報じているので、
分かっているはずだが。また私の知人の子弟が外国に留学やビジネスで滞在して
いる人が多い。彼等も二分していて、対策をとる人、とらない人がいる。
どっちにしても、この年齢になれば何があっても先が知れている。初めは、
戦争勃発による株式の暴落から始まり、ハイパーインフレ、そして銀行閉鎖か? 
それもなく、延々と現状が続くのか?そうあって欲しいが、有り得ないこと。
   * 父親のこと
 父については何度か書いたが、年齢を重ねるごとに父親のことを思い出す
ことが多くなっている。年齢が父の晩年に近づいているためだが、どうしも自分と
対比してしまう。 私が父親の42歳時の子供だったこともあり、私を特別視を
してくれていた。その影響はプラスマイナスにも、現在も強くある。
父親の死は最大の子供へのプレゼントという話を聞いたことがある。自立をする
ためだ。その意味で26歳の時に亡くなったことは丁度良いタイミング。 
その頃から創業を始め、結婚も重なり決断は自分独りでするしかない。
経験不足の身にとって一つ間違えると地獄のそれは、結果が直接、跳ね返って
くるため厳しい。それも、自信が無くとも、分った振りをして決めるしかない。 
事業人生の40年間は、特に、その場で瞬時に判断しなければならない世界。
去年の節目から16ヶ月になるが、今だ解放感で空中を浮いているように気持ち
が軽くなっている。現役の方が良かったなど懐かしむ気持ちは今だになれないが、
後悔とか、未練は全くない。父は42歳で終戦を向かえ、10数軒あったという
貸家は長岡の空襲で全て燃えてしまい一財産の殆んどを失い、そこから裸一貫
から第二の人生が始まった。その頃に私が生まれたが、当時の記憶は生まれた
数ヶ月後からハッキリと憶えている。変化変化の刺激的な日々だったから。
その中で必死に働いていた両親の姿が子供心に輝いて見えていた。
 ・・・・・・
3769, 下流の宴 ー2
2011年07月21日(木)
 昨日、7回シリーズの「下流の宴」−最終回のビデオをみた。
これでシリーズの録画、3、4、6、7をみたことになる。内容は団塊世代の
現状の起承転結の転結そのもの。遅かれ早かれ人生は、こんなものであると・・
下流と見下された少女と、上流?家族の母親との対比の中で、下流、上流とか
いう世間体の虚実を浮かび上がらせている。 この隠れテーマは、
「総中流だった団塊世代の崩壊と現代の若者」で、上流とかいう虚妄の実態を
面白可笑しく表現している。下流と蔑まされた痛いげない少女の必死な姿を通し、
人間の品格とは何かを問おうとしている。あの夫婦の姿は多かれ少なかれ、
定年をむかえている団塊世代の家庭内に見られる実情。そこで、問われるのは、
「考える」ということ、定年までの準備の有無、そして、これまでの人生を
如何に生きてきたかである。あの家族の父親が自分、医者の娘というだけが誇り
の母親が家内、そして二人の息子を、あの二人の子供に重ねると、他人事でない? 
で、どうした!である。 家族には、それぞれの結末が待っている。 
最後は永遠の果てに散っていくのである。それが早いか遅いかの差でしかない。 
医者を偉そうに取り扱っているが、現在の医師の8割は技術者でしかない。
そのことを当人たちは熟知している(はずである?)。何かに向かい一心不乱で
努力する姿勢、それに対し全く無頓着の生様、それぞれの人間の姿を作家の
林真理子は表現したかったのだろう。蔑まされていた娘が独りで、医科大学に
入って、医者の道を歩くところで、終わっている。それをバカバカしいと断念
する方が面白いのでは?と、思った。が、これはこれで良い。
「世の中の人が総下流なら、それは中流ではないのでは?」と常々思っていた。
娑婆では下流は平均値の半分以下の収入を言うらしい。国民年金で生活する人
たちが下流?というのだろうか? 鳩山一族が上流? こうなってくると、漫談
になってくる。ところで、私が学生時代に入っていた馬小屋のような寮の住人。 
その人たちの実家は玉石混合だったが、学生時代の寮生活は、こんなものと、
誰もが着るもの、食べるものに無頓着であった。 親が自営業だった?から、
仕送りは実家が裕福かどうかに関わらず、ギリギリだった。むしろ、それを
全員が楽しんでいるようだった。誰も実家の裕福さなど問題にしてなかった。 
日本は、アメリカの属国だったこともあり、経済大国といわれ、アメリカに次ぐ
豊かさを一時的に謳歌した。それが、この20年間で・・ 最後は東北大震災が
トドメ。下流とは言わないが、中の下。団塊世代と同じである。
米国が国債のデフォルトを臭わせてきた・・ 500兆以上は買わされて
いるというが・・ 待っているのは、下流の宴か、やはり。 
  ーたまたま去年のテーマが、それであった。
 ・・・・・・・                               
3404, この国の終わり
2010年07月21日(水)
      「この国の終わり ー日本民族怪死の謎を解く」林 秀彦 (著)
 18年間の海外生活から帰国した著者の目に映った日本は、いまにも滅亡
しようとしている無惨な姿だった。この本で三冊目になるが、時系列でいうと
遡って読んでいることになる。帰国後の早い段階で書かれたためか、日本の惨状
の驚きと、怒りが新鮮である。アメリカが60年間かけて作りあげた被植民地
国家の悲惨な姿に唖然とし、そして怒りの言葉が続く。私自身に著者が罵倒して
いると思いながら読むと、一言一言が胸に刺さる。日本人には、そもそも
「考える」という総合的な頭脳的現象が存在していなかった、という著者の
見方が一貫している。世界は常に修羅場であり、「決闘の場」なのである。
相手が選ぶ武器は、こちらの武器でなければならない。剣には剣、銃には銃。
何より必要なのは悪だくみには悪だくみ、最低でも同等同質の武器を持たないで
生存が不可能というが・・。グローバル化、ネット社会に入ってしまった現在、
これまでの島国の国民性の改造が必要になる。ーまず、印象に残った箇所から
 * 恐怖不感症もしくは不安鈍感症 −P63
日本人は、世界一信じやすい民族なのだ。「疑っちゃ相手に悪い」という心情
が働く。何でもかんでも「信ずるものよ、幸いなり」で貫く。疑うことは不道徳、
といった観念まである。恐るぺきノータリン、ノータリンここに極まれりである。
疑うという心情作用は一種の恐怖であり、不安によって触発される。
簡単に言えば、人は恐怖と不安という触媒によって進歩する。ところが日本人は
恐怖不感症である。不安鈍感症である。あるいは逆に、あまりにも臆病で卑怯
だから恐怖や不安を先回りして回避する。目をつむり、恐怖の実体を無視する。
そしてその場限りの「逃げ」だけで片付ける。だかち戦争をはじめとする
すぺての防災対策は後手後手になる。治にあって乱を忘るるなかれ、などという
段階ではない。乱の真っ最中でも、その乱を感じ取れずボケている。
呆けているほうが楽なのだ。そしていままでそれで何とかやってこられた。
幸いなことにこの列島は資源がほとんどない、だから助かった。
〜〜
 この国家的危機の中でも、国民の危機感が感じられない。そして頭を
(首相を)取り替えることで、目先の不安解消にしている。もう絶望の事態
だろう、これでは。65年かけたアメリカによる日本国民への植民地化計画の
完成が、現在の日本人である。自分を見ればかることだが、家内や親戚など
身近な人を見ても、その完成体?に近いのでは、と新鮮に驚いている。


5240,窃盗専門の「泥棒刑事」 −⑥

2015年07月20日(月)

           『泥棒刑事』 元三課部長刑事 小川泰平著
   * 南米人の場合
 南米に何度かツアーで行ったが、それは物騒である。事務所に強盗は
日常茶飯事。入られた時に差し出すお金を用意しておくという。見境なく
殺人をするため、とにかく抵抗をしないのが現地の常識。警察も強盗、
泥棒を抵抗なくとも射殺する、とか。
≪ コロンビア人の中にはペルー人と共犯関係を組む者もいた。コロンビア、
 ペルー共にスペイン語で言葉が適じ、ペルー料理屋で知り合ったらしい。
これは中国人も同様であるが、最初はまじめに働く気で日本に来ていても
手っ取り早く稼げる泥俸に渉転職する者もいる。彼らの特徴は、中国人窃盗団
にもましてその手口の荒っぽいことが第一に挙げられる。まず侵入手口だが、
マンション、アパートならベランダ側に回り、ガラス窓を「叩き破り」
「突き破り」等の方法で大きく破るのが特徴の一つ。ここ数年「焼き破り」
という方法で侵入する場合もあるが、石やバールを使い荒っぽく破っている。
侵入後の物色だが、彼らが"仕事"をした現場はまさに「足の踏み場もない」
という表現がピッタリ。あたかも台風が通過したかのごとく部屋じゅうの物が
散乱している。こうした被害に遭われた方々は我が家の状態を見て、荘然自失
の状態。それほど被害現場は酷かった。これは南米人特有のラテン気質の反映
と言えるかもしれない。・・(略)
 南米系の窃盗団の場合、彼らの特徴の一つに、持っていける物は何でも
持っていくということ。パソコンなどは当然のように持ち去っているが、
テレビや炊飯器も盗んでいる。つまり中国人は安物は残すが、南米系窃盗団の
場合はごっそり持っていくのが何よりの特徴。彼らが持ち去った物の中に
信じられないような物まで含まれていた。それは食料品である。その中には
ビール、コーラ、野菜や肉までも含まれていた。南米系窃盗団はそんな物まで
持ち去るのであった。南米系の窃盗団の特徴はそのラテン気質からくるものか、
荒っぽいがその反面極めて大雑把で、そのため貴重品を見逃すという例もたび
たび見られた。・・ ≫
▼ いかに南米が貧しいか窺い知ることができる。中国は、距離的に近いため、
 金目の盗品を持ち帰り処分が可能だが、南米は、そうはいかない。だから、
現在、生活する物資を持ち帰ることも頷ける。近くのアパートに韓国、中国、
フィリピン人が入居しているが・・ 人種というより、そう長居をしないため
「やり逃げ」感覚が危険である。
・・・・・・
4875,意味としての心  ~意味の意味
2014年07月20日(日)
       ー『意味としての心ー「私」の精神分析用語辞典』北山修著ー  
  * 空虚の穴埋めと、意味の発見  〜意味の意味について、再び!
4年前の随想日記で <「人みな骨になるならば」頼藤和寛著>の
『意味の意味について』について書いた。
【 ・・ われわれの一生は無意味かもしれないし、意味のあるものかも。
 それを決めるのは、われわれ一人一人の思い込みにすぎない、と言わん
ばかりである。そして、やはり「思い込みにすぎない」のである。 自分の
人生には意味があるとするあつかましい人物と、宇宙規模で考えれば無意味
だとする謙虚な人物との、いずれが正しいか判断する根拠などない。
思いたい放題であり、思った者勝ちのようなところがある。… 】
 〜要は、「人生の意味など適当な意味付けでしかない!」ということ。
価値観の価値に、非常に似ていて、人生色いろ!の理屈付け。
それでも、そのことを考えないより遥かによい。
  『意味としての心ー「私」の精神分析用語辞典』北山修著ーの中に、
「意味」について解りやすい解釈がある。『意味というミ』の小テーマで、
《 意味とは、意=気持、を充実させることである。私たちの自己は広がり
であり、空間で、器、容器をイメージさせる。そして、たえず欠如や不足、
欠乏を抱え込み、その内容が満たされて豊かになることが、これらの充足願望に
共通する目標であります。その逆の不満や不足を意味する「満たされない」
「足りない」「充実しない」は不幸で不快であり、これが重なると「虚ろ」
「空っぽ」「空虚」など、寒々した空洞体験を出現させる。その空虚の穴埋
として、実のあるものを生み出すこと、多く表現することなどで、充満する
ことで満足する。その充満が得られ、その充満の限界をこえかけギリギリの
ところに止まるならば「たまらない」という快感につながることもある。
そして記号というカラの器を充実させるのが読み取られて味わわれる意味
内容であり、この意味のミも、記号のミになのなのでしょう。 》
 現在、シリーズで書いている『事業人生を決心して45年、の語りなおし』
は、3年前の結果を踏まえた物語の書き直し! それぞれの節目の要素と、
物語の根こそぎの『意味』の変更。 『意味』に一番近い言葉は「価値」だが、
その意味は「物がもっている、何らかの目的実現に役立つ性質や程度。
値打ち。有用性。」 目的により、それぞれ人により違っている。
「意味」の『意』は「気持」。『味』は、ミ。満るのミ、記号で言う、身、
実、につながる。その時々の節目で、何が満ち、何が実として、あったか? 
逆に、何が足りなかったか、の棚卸は、ある意味、内省になる。 
〜「人間、生まれて、飯を食べ、糞をして、死ぬ、ただ、それだけ( )」
のカッコ内に「?」を入れるか、「!」か、大きく『意味』が違ってくる。
・・・・・・
4508, どうせ死ぬなら「がん」がいい ー3
2013年07月20日(土)
     『どうせ死ぬなら「がん」がいい』近藤 誠 (著), 中村 仁一 (著)
  第二章 医療に殺される
 現代医療の根源を問う問題である。現代医療の肯定派の医師との公開討論は
直前にドタキャン。それだけ、根は深い。 裸の王様と同じで、誰かが現代医療
の病巣を指摘しなければならなかった。このような問題を今まで聞いたことがない。 
としても、世界で一番の医療システムであることは、認めてよい。延命医療の
盲信が良くないのである。 数年前の「インフルエンザ・パンデミック騒ぎ」
の時、世界のタミフルの7割が日本に流れたという。振り返ってみれば、普通の
インフルエンザより、遥かに致死率が低かったのである。これは薬品メーカー
の陰謀?=販売戦略でしかなかったが、その総括は全くなされてない。
これと同じで、盲信していると、医療そのものに殺されるてしまう。父親も、
同級生も、治療で、苦しまないで死ねたのが、盲信したため、拷問のような
苦痛?の中で死んでいった?と思うと、すえ恐ろしい。
 ー第二章 医療に殺されるー 
 目次の小項目には、その恐ろしい現実が、そのまま書かれている
・「がんにかかるとすぐ死ぬ」イメージは医者が作った  
・99の死屍累々は隠して1の成功例だけを強調
・胸部CT検査2回で「避難」レベルの彼ばく      
・「免夜力とがん」と「笑うとがんにならない」のウソ
・病院に寄りつかない人は確実に長生き        
・検診は受けない、自分の血圧も知らない
・がんになったら太りなさい。コレステロールが低いほど早死に 
・今までの日常を保ちながら、がんとつき合っていく
・高血圧のガイドライン操作で薬の売り上げが6倍に   
・教授が執刀? それは危なかった
・同窓会に行かない理由                   
・日本人の寿命が廷びた原因は医療ではない
・「予防医療」センターは「患者を呼ぼう」センター      
・医療検査に近づかないと人生終盤が有意義に
・余命3ヶ月がはやる理由                   
・「医者は治療をすすめる」これは永遠に変わらない
・財政難で検診が変わる                
・がんやインフルエンザを「めしのタネ」にする人々
・世界のタミフルの7割が日本に流れた…       
・ワクチンやってもインフルエンザにかかります
・医療で死にかけても「信仰」は消えない      
・医療は桐喝産業。不安をあおって患者を増やす
・ネズミの実験で成功しても人間の体は別もの   
・2つの薬を抱き合わせる「新薬」商法
・老化と言われたくない症候群             
・大学病院はいい「実験」を受けられる病院
・医療体制はもうじき崩壊する             
・日本人のスリムな体形が手術向きだった
▼ 誰も目先、死にたくない。老いてからのガンを老化現象とみるか、
 病とみるかで変わってくる。現代医療の信頼も共同幻想でしかない。
スポーツセンターの血圧計で、測定したらギリギリ?の125〜140。
子供の頃、両親から聞いていたのが、年齢+90が高血圧の目安だった。
ところが、そこには130と、説明書にある。私の年齢からすれば2割も目安が
下がったことになる。とはいえ、現状の自分の数値を知っておく必要もある。
・・・・・・
4134, 「夏目漱石の自己本位」 ー3
2012年07月20日(金)
        『定年後 ー豊かに生きるための知恵』 加藤仁著
  * 他人志向型人間
「自己本位」の対照に「他人志向型」人間がある。学生時代のゼミで読むよう
指定された本にリースマン著『孤独な群集』があった。 以前にも少し取り上げた
ことがある。  ー 大まかにいうと
《 都会の群衆は、それぞれが孤独であり、他人に対して無視を装っているが、
 実は非常に敏感で、その視線を気にしている「他人志向型人間」が多い。
これは都市という空間が、人工で創られているためで、各々は個々に分断されて
いるため内情を知りたいのである。要は内幕情報屋的傾向の強いのがが都会人。》
が、私の記憶として残っている。 そこでアマゾンで調べてみると、
【 この本が書かれた1950年代アメリカというのは非常に興味深い10年間
であります。戦後の繁栄を謳歌し、今や万人の上にアメリカの夢が輝いている、
そういう光がある反面、冷戦が社会にもたらす緊張、そして勃興する消費主義、
台頭する大企業、人々は次々と「長いものに巻かれ」て自己の表現よりも大樹への
忠誠とへつらいという軍門に降っておりました。そんな時代の空気を吸い込んで
書かれたこの書の主人公は、やはり、他者の視線を例えば会社で四六時中気にする
ような、「他人志向型」人間であり、仕事によって自己表現をするというかって
のアーティストとは異なり、仕事を家計の質を得るための手段にすぎぬと割り
切って、自己表現の場を瑣末な消費主義に求める、そんな連中であります。】と。
 都会の中にあって、誰もが、それは素振りも見せず、それぞれが自己本位で
生きていかざるをえない。しかし、心は空虚の孤独な群集と化してしまう。
特に勤め人は、都会暮らしで日々の仕事に忙殺され、自己本位というより、組織
という集団の中に自己を見失いがちになる。そうであればこそ、その中に自己本位
のライフワークを確立しておかなければ漱石のような鬱病に陥ってしまう。
そのような世界から、自己本位人間に定年後こそ移行すべしと著者は勧める。
その変化が出来ないで、定年後も仕事仲間と付き合うのが一般だが、
「昔の首輪を付けたまま群れをつくり、街中をさ迷う犬」に喩えられる。
一度、孤立をして、孤独の世界をつくり、そこで新たな自分と対峙しないと、
そう簡単に自分は変えることは出来ない。他人志向も達観すれば、それはそれで
良いのだろうが・・いい歳をした老人が群れて、我を忘れて他人の噂をしている
姿もいただけない。 特に男は!
 ・・・・・・
3768, 福島原発事故は実際、何処まで深刻なのか?
2011年07月20日(水)
  大震災と、それに伴なう福島原発事故が起こって4ヶ月以上になるのに、
一番深刻と思われる原発事故の深刻度がハッキリしない。先日、図書館から
借りてきた「新潮45〜6月号」にー特集・震災後をどう生きるかーがあった。
実に、現在知りたいと思っていた、哲学者や、学者、その道の評論家が、
それぞれの視点で論評を書いていた。 現在、一般的に知られている事実を
科学作家の竹内薫が次のように、書いていた。
【 マスコミも含めて、日本人の多くが原子力発電の基礎知識をほとんど
 持っていなかったことで、いまだに多くの誤解がまかり通っている。
  スリーマイル島とチェルノブイリの事故の違いも知られていないようだ。 
・スリーマイル島ではメルトダウンが起きたが、格納容器が破壊されず、
 環境への影響はほとんどなかった。
・チェルノブイリは、まともな格納容器すらない、旧東側の原発であり、原子炉が
 爆発して(核爆発ではない)、放射性物質が成層圏にまで吹き飛ばされた、未曾有
 の大事故だった。 旧ソ連は事故を当初から隠蔽し、海外で放射性物質が検出
 されて初めて大騒ぎになった。
・今回の福島事故は、深刻であることは間違いないが、スリーマイル島の事故
 を超え、チェルノブイリより被害が小さい事故、というのが世界中の科学者・
 原発エンジニアの共通する見解だ。
・最悪の事態を迎えたとしても、格納容器が内部の蒸気圧に耐えられずに爆発し、
 高度500m付近まで放射能物質が飛散し、周囲に拡散するにとどまるという。
 4月12日に事故の深刻さが「レペル7」と認定され、「ほれみろ、チェルノ
 ブイリと同じではないか」という論調のマスコミもあらわれたが、政府が
「チェルノブイリではない」と主張しているのは、ある意味、正しい。・・ 】
▼ 世界の科学雑誌は、一般的に事態を冷静に見ており、原発事故を
「1.未曾有の自然災害」×「2.40年前の技術水準の原子炉」とし、
 数十年かけて再生可能エネルギー技術をスケールアップするまでは、原子力
発電を使い続けるべきとしている。 日本のTVを見ていると、まるで世界中が
原発反対で一致団結をしているように思われるが、それは正確でないという。
また、「想定できたはずの人災」にすり替えようとした動きは、後だし
ジャンケンであり、原子炉の破壊が人災というなら、2万人以上の死者を出した
大津波に対しての、10メートルの防波堤に対して、更に大きな人災論を
マスコミは騒いで良いはず。これまでの過剰反応は収まってきたが、それでも
大気にばら撒かれた放射性物質の影響は、次第に身近に来ている。
問題は、若い人である。その中で、幼児が、10〜20年後に、ガンなどに
なる可能性が出てくること。私たちの年代には、どっちにしても、先は限られて
いるので、騒ぐこともないので、国全体としては落ち着いているのである。
とはいえ、この事態は健康面だけでなく、政治経済などの先行きに予断を許さない
ことは間違いない事実。それに気づいた人たちが、観光地、温泉などに徐々に
戻りつつあるようだ。まずは、この夏の電気エネルギーの供給。
  ・・・・・・・
3403, マイナス思考講座
 2010年07月20日(火)
「マイナス思考法講座ープラス思考をやめれば人生はうまくいく」ココロ社(著)
  ーアマゾンの内容紹介より
前向きなポジティブ思考で「その気」になっても実際には何も変われていない、
ってことありませんか? そんなあなたにこそオススメしたい最終兵器がマイナス
思考! 落とし穴だらけのポジティブ思考を捨て、仕事・人間関係・恋愛で本当に
役に立つ“戦略的マイナス思考”を身につけよう。本当の成長は、徹底的な
絶望から始まるのです! 人気ブロガーによる究極の自己啓発書!
▼ この本はまだアマゾンの内容紹介と、読者の感想しか読んでない。
 なるほどと思う部分と、何も知らない何の経験のない人が
読んだら誤解を受けそうでもある。プラス思考・肯定思考は意志そのものである。
それに対しマイナス思考は感情面が強い。したがって、二つをミックスしながら
考えを進めてこそ、思考が高まる。 単純なマイナスも、プラス思考もない。
一般にいうプラス思考は、マイナス思考を乗りこえた上の積極的な働きをいう
のであって、頭の軽い明るい人の軽薄思考とは違う。
ここで「絶望ワーク」という、14の講座が展開されているが、もちろん、
それらを乗り越えた上の思考であることは当然である。先日の全国紙上で、
アメリカの「肯定思考法」の行きすぎに疑問を呈している論があった。
ただ、それだけで良いはずはないのは、誰の目にも明らかだが。格差という
視点からみて、肯定思考は「一段上にアップスケールなど考えるより、現状を
肯定し、それを受け入れるべし」と捉えがちになる。マイナス思考なら、
「現状を絶対否定をして社会全体を破壊するか、現状に満足している
自分を否定する」ことになる。 そうすると、ヘーゲルの正・反・合の適応が
考えられる。正=プラス思考、反=マイナス思考、それらから導き出された
ランクアップした思考こそ、練りこまれた結果となる。マイナス思考で準備を
して、プラス思考で実践をすることがより有効になる。思いもよらない失敗を
した時、我を取り戻すために必死になって、マイナスを取り繕うために、
プラス面を探し出し気持ちの動揺を最小にする作用として、プラス思考を使う
ケースが多い。 しかし徹底的に、そのマイナスの中心点をみるためには、
マイナス思考は重要である。とはいえ、人生は「にっこり笑ってハンカチーフ!」
でなければ、生きられない局面が多い。 だいたい、「マイナス思考講座」
という題名の本が出ること自体、世界が金融恐慌だからだ。今後、10~20年は、
いや50年スパンで歴史的大混乱は避けられない中で、「マイナス思考」を持つ
のが自然であり、「プラス思考・肯定思考」そのものが、不自然になるのは当然。
明日にでも、この本が送付されてくる。
 ・・・・・・・・
3028, 『死ぬときに後悔すること25』+2
2009年07月20日(月)
      『死ぬときに後悔すること25』 緩和医療医・大津秀一著
《人生の目標は、『死ぬ時に後悔しないこと』》と言ったのは、日蓮だが、
この本は新聞の書評で知り、ネットで概要を調べただけで、実際に読んでいない。
しかし、それだけでも、その骨子をしることは出来たようだ。 その骨子とは
 〜〜
末期医療の現場で1000人の死を見届けた医師が書いた本で、
「人は亡くなる時にどんなことを後悔しているのか」をまとめたもの。
人は生きている時に、「仕事で出世したい」「人生に成功したい」
「お金持ちになりたい」とか思うのが常かもしれないが、
最期を迎える時に思うことは、どうも違うようだ。 
 ーその25のこととは?ー
健康を大切にしなかったこと  △     たばこをやめなかったこと  ○
生前の意思を示さなかったこと  ○    治療の意味を見失ってしまったこと ?
自分のやりたいことをやらなかったこと ◎ 夢をかなえられなかったこと  ○
悪事に手を染めたこと  ○     感情に振り回された一生を過ごしたこと ○
他人に優しくなれなかったこと  ○  自分が一番と信じて疑わなかったこと ○
遺産をどうするかを決めなかったこと △  自分の葬儀を考えなかったこと ○
故郷に帰らなかったこと  ○    美味しいものを食べておかなかったこと ◎
仕事で趣味に時間を割かなかったこと◎ 行きたい場所に旅行しなかったこと◎
会いたい人に会っておかなかったこと ◎ 記憶に残る恋愛をしなかったこと ?
結婚をしなかったこと  ○       子供を育てなかったこと ○
子供を結婚させなかったこと ○    自分の生きた証を残さなかったこと ◎
生と死の問題を乗り越えられなかったこと ○ 神仏の教えをしらなかったこと ○
愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと  ○
  (字数制限のためカット 2011年7月20日)


5239,窃盗専門の「泥棒刑事」 −

2015年07月19日(日)

           『泥棒刑事』 元三課部長刑事 小川泰平著
 * 外国人窃盗団の手口 〜中国人の場合
 日本人は、単独で、無施錠のドアか、窓のガラス破りが殆どで、現金か
貴金属だけを狙う。中国人は高価なものを中心に何でも手をつける。南米の
窃盗団は、食品から何でも見境なく盗むのが特徴という。〜その辺りから〜
≪ 外国窃盗犯の場合は日本人の窃盗犯と違い複数で侵入することが多い、
 いわゆる外国人窃盗団である。外国人の窃盗団の手ロは一目でわかる。
とにかく仕事が荒っぽい。侵入方法も物色方法もすべてが荒っぽいのが特徴。
2003年が外国人犯罪のピークと言われているが、当初は、この外国人の窃盗団
には手口捜査があまり有効ではなかった。窃盗団のリーダーの指示どおり侵入し
物色するからだ。また、その手口が伝えられマニュアル化されており、日本人の
常習者のように、この手ロならといった具合に、30人くらいに絞れることは
まずなかったのである。  ・・中国人の場合その特徴は顕著だった。
 中国人は地元意識が強く、出身地ごとに集まり徒党を組む性格がある。
この場合、集るのは食材店や料理屋。中国人は味に対して保守的で故郷の味から
離れられない。そこで故郷の料理を出す店に通うのである。たとえば福建省出身
なら福建料理を出す店に、上海出身なら上海料理の店に行くという具合である。
それが窃盗団の構成にも反映されていた。彼らの立ち回り先には、メンバーを
集めるため窃盗団の構成員が常にいて"リクルート"活動を行っていたのである。
こうして誘われた者は上海、北京、東北なら語学就学生や職業訓練生が多かった。
また福建省出身者の場合は密航者が多くを占めていた。福建省出身、上海出身、
北京出身、東北出身の窃盗団はいつでも身近で人員を補給できたのである。
これは泥棒とは別のマフィアもほぼ同じで、中国人の徒党の特徴を示す最も
大きな指標。  中国人の窃盗団の場合、2つのパターンがあった。
一つぱ、正規に入国し語学学校に通ったり、就学ビザや留学ビザを持つ者。
もう一つのパターンは、最初から日本に泥棒のために来日した窃盗団。
 中国人の進入方法では、アパート・マンションの中階以上の玄関から入るのが
特徴であった。「ピッキング」「サムターン回し」といった侵入方法で、中国人
窃盗団の十八番である。この表のドアから侵入するということが中国人窃盗団の
第一の特徴である。次の特徴は集団ですばやく"仕事"を行うことから、その手ロ
は限りなく荒っぽい。彼らが仕事をした現場は目も当てられないくらい散乱
しているのが普通。引き出し内にあるものすべてをぶちまけるのである。
さらに盗んでいく物にも特徴が表れる。日本人泥棒の場合、そのほとんどが現金
か貴金属であり、他のものには手をつけない。ところが外国人窃盗団は金目の
ものとなると洗いざらいかっぱらっていくの。中国人の場合、現金はもちろん、
貴金属も盗むが貴金属は安物には手をつけず高価なものだけ選別して盗むのが
特徴である。現場で選別するのであるから、相当な目利きの人物がいるという
ことになる。そのほかには、ノートパソコンも必ずと言っていいほど盗まれる。
しかしノートパソコンも3年以上古い型だと盗まれないことが多い。また面白い
ことに、新型でも台湾製のパソコンには手をつけていなかった。被害に遭った
ほとんどがソニー、パナソニック、NECなどの日本製のパソコン。≫
▼ 東北大震災のとき、福島第一原発の周辺の家が泥棒に荒らされた映像を
見たが、全ての箪笥、押入れなどが、散乱している様に唖然としたが・・ 
外国人の窃盗団だったのだろう。犯罪に関して、日本もグローバル化に入った。
10年ほど前、関西系の人の話では、住民間の窃盗に対する切実な危機感の
話を聞いたことがあった。
・・・・・・
4874,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー41
2014年07月19日(土)
  * 創業時の取引先の営業関係者が、ほぼ亡くなった!
 毎年の忘年会の常連メンバーを思い浮かべると、ホテル創業時の営業担当の
3分の2が、亡くなっていた。30数年前からの営業関係者なら、さもあり
なんだが。大体が60歳前半のガン。70歳過ぎが、二人。その中で、80歳過ぎ
まで10数年間、古町の老舗料理屋を毎月通っていた近くの不動産屋の遊び人?
がいた。倒れた前日、飲みに誘われたが、先約があったため、他の?かと飲んだ
後、さらに自宅で酔いに任せウィスキーを、一本を空にした翌朝、脳溢血で
意識不明になっているのが発見され、一年後に意識回復することなく亡くなった。
 酒の壮絶死は、後先、身近で見たのは、初めて。私も一つ間違えれば? 
営業担当もあって、ガン死が殆どだが、建設関係は、酒によるガン悲話 
<夫の意に反しての単身赴任の結果、ガンで亡くなり、そのショックで
 奥さんが重いノイローゼに・・云々> 
<営業の酒席の過多でアル中で、離婚>などを多く聞く。営業担当は、飲み屋の
 付けを抱えているため、競争関係者に、その支払いの代償に、自社の利益に
 反する情報を売ることもある?
  * つれづれに 〜語り直しは、内省!
 装置産業は、創業で当てれば天国だが、後は何もすることがない。
立上げで、勢いをつければ枝と幹が出来たようなもの。日常業務は、支配人、
マネジャーの仕事。一棟目の一周の春夏秋冬を経験すれば、二棟目以降は一ヶ月
も過ぎると、何もすることが無くなる。そこで事務所で本を読むか、年二回、
海外旅行で刺激を得ることになる。あとは、お決まり小人閑居して酒。
しかし、お客の生命を守る危険な仕事。火災、ヤクザの脅し、酔客などの苦情、
自殺など、いつ何時、何が起きても対応しなければならないため、常に緊張感が
必要になる。リタイア後、その縛りと、45年間の刷りこみから解放感で、宙に
浮いているよう。『現役時代は良かった』の心持ちはゼロ。現在も、そのまま
同じ。同年代の人の仕事の話を聞いていると『   』。 
 振返ると、その持て余した時間が、人生にとって大きな贈物だったことが、
見えてくる。これは振返ってこそ見えてくること。そうと、当時、もっと意識を
していたら、味わい方も違っただろう。過去は、変えられないが、見方、解釈は
変えることが出来る。 それもこれも、どうでも良いことだが。
・・・・・・
4507, どうせ死ぬなら「がん」がいい ー2
2013年07月19日(金)
      『どうせ死ぬなら「がん」がいい』近藤 誠 (著), 中村仁一(著)
 対談ということもあり、目次の小項目がテーマが、ずばりキーワードである。 
これを並べれば概要になる。どれもこれも、今までの思い込みと真逆な内容。
「ガンは悪性なら助からないし、良性なら助かる」それが分かってない。
それを延命させようとしただけ苦痛を与える。自然死こそ本人のため。
私も20年にわたり毎年、胃腸や肺を胃カメラやCTスキャンなど半日検診を
欠かさず受けてきた。結果からすると、2~3年に一度でよかったのでは?
必要がなかった? 早朝ウォーキングを毎日一時間以上を続けてきたことと、
ストレスを溜め込まないことが、私の健康法だった。
   一章 がんの誤解を解く 
・どうせ死ぬなら「がん」がいい 
・治療しなければ、がんはけっこうな病気
・がんが痛むのではない。治療で痛むむ 
・がんの9割に抗がん剤は無意味
・抗がん剤が「効く」とは、しこりが一時小さくなるだけ
・「腫瘍内科医になるのは、おやめなさい」の意味
・ひとりも痛まない老人ホームの「がん放置患者」   
・胃がんも肝臓がんも放置すればラクに死ねる
・手遅れの幸せ。安らかな自然死           
・がんの9割は「末期発見・治療断念」「放置」がいちばん
・家族ががんだとわかったら   ・人間ドックを受けたために、がんで玉砕
・いくらでも見つかる「潜在がん」「がんもどき」   
・がんの集団検診をやめたら、がんが減った"
・この半世紀、日本人の融がん死亡率は変わっていない 
・姉の乳がんが「乳房温存療法」「がん放置療法一のきつかけ
・150人以上の「がん放置患者」を謬て理論と事実が一致 
・本物のがんと「がんもどき」・本物のがんは、見つかった時点で転移している    
・「早期がんを手術で取ったから助かった」の誤り
・手術は「人工的な大けが」。傷口が痛み、がんがはびこる 
・スキルス胃がんも切らない方が余命が延びる 
・「抗がん剤が効いた」という論文のカラクリ
・腹永も消える、安らかな自然死  
・「治僚しない」ことに耐えられない日本人 
・「やるからには徹底的に」が医者の性格
・手術で大きな後遺症を抱えて寿命が縮む        
・症状のない前立腺がんを放射線で虐殺
・放置すれば最後まで痛まない胃がん、肝臓がん、食道がん、子宮がん
・消えるのは「がんもどき」。末期がんからの生還例はない 
・1%の可能性だけ見て99%を考えない"
・西行が桜の下で死ぬ夢を叶えるためにしたこと      
・治療を拒み、飲まず食わずでスーッと逝った"
・食べないから死ぬのではなく「死に時」が来たから食べない
▼ どれもこれも「ガンを老いの病と捉え、抵抗をしないで、従うしかない」
 ということ。西洋医学に限界と無理がある。目先、医療知識のない患者は、
医師の方針に従うしかなく、恒例の手術か、抗がん治療に入っていく。誰もが
自然死を選ぼうとしないのは自然の成り行き。で、管に巻かれて悶え死んでいく。
 「この論を信じるべきか?」で、真逆の真逆の論?「がんで死なない生き方」
中川恵一著を借りてきた。 
・・・・・・
4133, 「夏目漱石の自己本位」 ー2
2012年07月19日(木)
          『定年後 ー豊かに生きるための知恵』 加藤仁著
「自己本位」が無作法に行われたら人間社会は成り立たない。そこには当然、
心得がある。それを厳格に守るのが個人主義。我々は社会の中に生きている。
社会にはルールや心得がある。それを知った上で自己本位で生きて
いかなければならない。
   * 当然、「自己本位」に心得がある!
≪「他人本位」から「自己本位」に生き方を転換するには、
 三ヵ条を心得ておかねばならないと漱石は言う。
第一に、自分の個性の発展を遂げようとするならば、
  他人の個性を尊重しなければならない。
第二に、自身が有する権力を行使しようとするならば、
  それに付随する義務を忘れないこと。
第三に、自己の金力を示したいのであれば、
  それに伴う責任を重んじなければならないことである。
 講演の最後に、漱石はこう言いきっている。
《 ただもう一「つ御注意までに申し上げて置きたいのは、国家的道徳という
ものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見える事です。
元来国と国とは辞令はいくらやかましくっても、徳義心はそんなにありゃ
しません。詐欺をやる、誤魔化しをやる。ペテンに掛ける、滅茶苦茶なもので
あります。だから国家を標準とする以上、国家を一団と見る以上、よほど低級
な道徳に甘んじて平気でいなければならないのに、個人主義の基礎から
考えると、それが大変高くなって来るのですから考えなければなりません。》≫
▼ 漱石は「自己本位」という金鉱を見つけたことで、その後の進むべき道を
 見い出した。聴衆に対して「もしどこかにコダワリがあるなら、何かを掘り
当てるまで突き進むと、各人各様にもって生まれた個性がそこにぶつかり、
初めて腰がすわる。そこに腰を落ち着けて前進していくと、個性に磨きが
かかり、発展し、幸福感と安心がもたらされる」と、説く。このことは定年
退職者にも、同じく当てはめることが出来る。若さを失う要素の一つは周囲に
流されやすくなり、他人本位になることがある。まだ江戸時代の滅私奉公の
気持ちが抜けきらない時代に、「自己本位」を言ってのけたのだから、驚いて
しまう。単一民族で、島国では、互いを大事にするあまり他人を意識過ぎて、
自分を確立する機会が減ってしまう。特に勤め人は孤立に弱い。
・・・・・・・
3767,閑話小題 
2011年07月19日(火)
  * 女子ワールドカップ・サッカーで日本が優勝
 テレビで話題を盛り上げるため、日本が優勝すると笑いながら言っていた
解説者はいたが、殆どの人は、「日本が優勝するなど有得ない」と思っていた。
ところが昨日、一般の予測に反し日本女子が優勝をしてしまった。
ドイツに買ったのだから、日本がアメリカに勝っても不思議ではないが、24戦
して22敗、二引き分けの相手である。もし勝つなら「何とか引き分けに持ち
込んで、PK戦で勝ちを拾うしかない」と、思っていたのが、正夢になった。
結果的には大震災と原発事故で瀕死の状態の日本に米国が勝ちをプレゼントした
ことになる。 米国の一方的な攻撃の中で、耐え抜いてPK戦に持ち込んで勝利
したのだから、恐れ入る。 その中で、神憑り的な幸運が試合の随所でみられた。
明らかに弱者である日本は、一方的な攻撃に耐え抜く弱者の戦法が、最後に幸運を
引きよせた結果を生んだ。最悪の事態の時に、最悪の出来事を呼び寄せることを
「布置」と、先日、ここで書いたが、逆に、この時期に有得ない幸運?を
引き寄せることも「布置」というのだろうか? 
  * メタボの雀、再会
 昨日の朝、女子サッカーを見た後、何時もの信濃川の川辺のサイクリング・
コースのベンチで、ストレッチをしていると、前に書いたことがあったメタボの
雀が、何時もの通り、50センチ位のところまでやってきた。このところ
見かけなかったので、餌が無かったが、ポケットに手を入れ撒いたふりをすると、
そのあたりを必死に餌を探している。 信濃川の雀、その後、何気なく自転車に
乗りながら観察しているが、餌が豊富なのだろう、全体にメタボ気味のようだ。
  * そろそろ、軽い鬱になりそうな
 三月末を区切りに、自宅に中心の生活に変わり100日余りになる。
だんだん慣れてはきたが、そろそろ軽い鬱がきそうか。早朝、この随想日記の
仕上げと、電動アシストのチャリで信濃川土手のサイクリング、そしてスポーツ
センターと、午前中は過し、午後は流しに入る。映画館、SC、図書館に行ったり、
読書をしたりで、時間がたっていく。しかし、今度は余裕が出来てくると、
周囲の人の視線が見えてくる。 事が事だけに獄門打ち首のサラシの身の上か、
1〜2年は蟄居閉門である。本人には、そんな意識は少ないが、あの視線は、
やはり、そういうことか?という感がする。 元もとアウトサイダーを基本と
してきたので、「その辺の輩」への逆視線はある。 私も人間、環境の動物。
今さらか・・ それ以前の初老性欝か、大震災の背景も?
 ・・・・・・・
3402, 「壊れ窓理論」の経営学
2010年07月19日(月)
「壊れ窓理論」の経営学 ー犯罪学が解き明かすビジネスの黄金律ーレヴィン(著)
 ーアマゾンの内容説明からー
小さなことが大きな成功と失敗を生む! 「壊れ窓理論」とは、小さな犯罪
(壊れ窓)を放置すると大きな犯罪を招く、だから小さな犯罪を取り締まれ、
というものだ。この犯罪学の理論をビジネスに当てはめたのが、本書である。
有名企業の豊富な事例をもとに、あなたの会社の「壊れ窓」を防ぐ方策を伝授。
  =まず、その要点をまとめてみると・・=
≪ 「ニューヨークの凶悪犯罪が減ったのは地下鉄の落書きを消したから」
「あなたの会社にも壊れ窓はないか?」という再三の問いかけと、ささいなこと
を大事にするか疎かにするかで大きな差がつくという指摘にドキッとさせられる。
序文の一行目に「汚いトイレとは、壊れた窓である。・・・」とある。
「一枚の割れた窓のようなチョットした綻びが、毎日そこを通りかかる人々に
向かって強いシグナルを発する。 壊れたまま修理されてなければ、建物の所有者
はそれに気づいてないか、目をつぶっているという意味だ。ということは、近辺
では窃盗や破壊行為や暴行など、もっと深刻な犯罪が見逃されていたかもしえない。 
少なくとも、誰も目を配っていないのは明らか。これが壊れ窓理論の核心である。」
と・・・
 ここで、さらに鋭く「もし、あなたが経営者で、小さなことはどうでも
よいと本気で思っていたら、本書を是非とも読んで欲しい。あなたの会社を
救えるかもしれない。ともかく、些細なことがビジネスの成否を大きく分ける
というのは、どれだけ強調しても足りない。・・・壊れ窓とは汚れたカウンター
かもしれないし、見つけにくい場所に置かれたセール商品、適当に羅列された
メニュー、態度の悪い従業員かもしれない。≫
▼ 耳が痛い。あまり細部に口を出すのは管理・監督まで指示するから、
 と目を瞑ること自体が出発点から間違っているのである。忘れていたこと。
内部的にも、その辺を見られる。そういう目で色いろな店とかを見て合せ鏡に
するのも良い。自分自身の壊れ窓、身近の人の壊れ窓、知人の壊れ窓、という
視点で、その性格を見ると面白い。 私は?癖、 はたまた??か。
 ズット壊れたままか。何度も修理をしてきたが、何時の間にか・・ 
誰か笑っているけど、壊れているのを自覚してない方が恐ろしい。
 ・・・・・・・・
3027,アキバ・オタク文化
 2009年07月19日(日)
 現在、秋葉原が注目を浴びているが、秋葉原は昔から時代の10年先を
行っていたという。現在は秋葉と、中野ブロードウェイは「お宅」だけでなく、
外国観光客のスポットになっている。引きこもりのオタク文化は、新自由主義
の変化が引き起こした歪みの側面がある。しかし電器商品や、萌えとか、
コスプレなどのファッションは面白い独自の世界を形成している。
 ーウィキペディアによると
・まず戦後、闇市から出発。 ・1960年代に入り、家電の街になって、
・70年代になってオーディオの街に、
・80年代がマイクロコンピューターの街になり、
・90年代でマルチメディアの街に、・2000年代になってオタクの街になった。
  ≪字数制限のためカット 2011年7月19日≫


5238,窃盗専門の「泥棒刑事」 −④

2015年07月18日(土)

              『泥棒刑事』 元三課部長刑事 小川泰平著
   * 泥棒の前科を嫌うヤクザ者
 泥棒と強姦罪と痴漢は犯罪者の中で、地位が最も低いというが・・ 
その中でヤクザが上位というのが合点がいかない。娑婆で、徒党を組んで、
弱者を苛め、恐怖という虚構でショバ代を取るのだから、忌み嫌われるて当然
と思っていたが、あにはからずである。娑婆の世界が、そのまま持込まれて
いるようだ。恐怖心の洗脳は、それだけ強いということ。 〜その辺りを抜粋〜
≪ ヤクザという人種は"男気"とやらを売りにしている関係上、格好をつける
輩である。彼らにとってみれば泥棒などはアウトローの片隅にもおけぬ、極めて
せこい存在にすぎない。実際、刑務所などでは泥棒、つまり窃盗犯は服役者の中
でも最も下位に位置し、受刑者の中で軽んじられている。刑務所内では受刑者
たちは暇に任せていろいろな話をする。そのときまず話題にのぼるのが犯行歴。
つまり「何をして刑務所に入ったのか」ということだ。
 一般的に雑居房ではさまざまな犯罪者が一緒に暮らしているが、そこで威勢
のいいのがヤクザ者。そしていちばん肩身の狭い思いをしているのが窃盗犯、
つまり泥棒である。刑務所のみならず留置場などでもそれは同じである。
泥棒は強姦犯や痴漢と並びどこへ行っても、肩身の狭い思いをする存在。
だが、ヤクザの中にも窃盗の前科前歴をもつ者がけっこういるのである。
その多くは、本物のヤクザになる前の不良時代のものだ。彼らは不良時代
や暴走族時代、何らかの窃盗事件で捕まっている者が意外と多い。
大半がオートバイ盗や部品盗、なかには事務所荒しや、出店荒しといった侵入盗
の窃盗前科をもつヤクザもいる。しかし、本物の組員となってからは泥棒に手を
染める奴はほとんどいない。そして泥捧の常習者であるヤクザというのも、
また聞いたことがない。≫
▼ 刑務所は悪党の巣窟。何度か犯行を重ね、出入りする度に、様々な犯罪
 手口を習得していく。悪党のための悪の教習所の役割になっている。特に、
泥棒同士の手口の方法、手順は具体的だろう。その手合いにあったら、
一般人は、防御が不可能。せめて金目の物は、銀行の貸金庫に預けて置く
しかない。玄関のドアがガラスなので、男物の靴を多く並べて置いているが!
・・・・・・
4873,閑話小題 ー初孫が産まれた
2014年07月18日(金)
   * 初孫が産まれた
 一昨日夕刻、二番目の息子から予定日より半月早い女児出産の電話が入った。
68歳の初孫である。家内が東京に出かけていて留守だったが・・ 嫁さんが、
高齢出産?で、万一を考えて、二ヶ月前から入院をして大事をとっていた。 
出産前に男女の識別は分かっていた?のだろうが、何も言わないことから、
女児だろうと推測をしていた。 亡くなった一番上の姉夫婦に孫がないので、
もしかして私たちも?と諦めかけていたが、これで御祖父さんの仲間入り!
孫は可愛いというが、これだけは持ってみないと? 
   * つれづれにー大相撲の若手人気力士『遠藤』の災難
 現在「遠藤効果」もあって大相撲人気が戻ってきた。一年前とは大きく違った。
八百長が少なくなり?、モンゴル、ロシア、東欧、フィリピイナの混血、エジプト
人などの真剣勝負が、内容を面白くしている。そこに去年、学生横綱だった
『遠藤』が数場所で、幕内に上がってきて停滞していた大相撲人気に火をつけた。
姿かたちと相撲内容に花がある力士で、見ていても面白い! 早速、『永谷園』
のコマーシャルに出演し、取組み前の懸賞金が連日、出るようになった。 
ところが今場所から、その数が横綱よりも多くなってしまい、最後の仕切りで、
館内では横綱を超えた大声援。 そうすると何が起こるか。横綱に勝つのは至難
の技だが、自分と同じ位の力量の遠藤に勝てば、給料分の懸賞金が手に入る上に
注目される。そのため、嫉妬とライバル心を加え、目の色を変えて挑んでくる。
遠藤にすれば堪ったものではない。その中で、最後は6〜7勝をするのだから、
やはり力量があることは確か。これに白鵬、朝青龍レベルの新人、二人
(照の富士、逸ノ城)が加わってきて、他の若手にも火がついてきた。
しかし、遠藤以外に日本人の有望力士が見あたらないのが気にかかる。 
ところで、三役昇進のタイミングに遠藤の四股名が『清水川』に決まったと
数ヶ月前の朝日新聞にあった。清水川は1938年に追手風部屋を創設した、
追手風の生みの親であり、元大関の名前。遠藤をはじめ、勝っても、負けても
面白い相撲をとる力士が、このところ、多く見かけるようになった。
数年前の大相撲存亡の危機の取組みの成果が、一挙に出てきたということ。
・・・・・・
4506, どうせ死ぬなら「がん」がいい ー1
2013年07月18日(木)
     『どうせ死ぬなら「がん」がいい』近藤 誠 (著), 中村 仁一 (著)
 『大往生したけりゃ医療とかかわるな』の中村仁一と、
『がん放置療法のすすめ』の近藤誠が「がん」と「死」を語った内容。
二人は20年以上前から、「がんは手出しをしなければ、痛まず穏やかに死んで
いける。治療せず放っておいた方が生存期間も長い、医者の常識に騙されるな」
と説いてきた。  まずは、ーアマゾンの内容紹介ーより
≪がん、医療の常識を覆す異色の医師対談。がんは放っておくと増殖・転移
し、痛みにのたうち回って死に至る…という悲惨なイメージは、医療界のでっち
あげだった。20年来、「『がん死』のお迎えは最高。ただし、治療しなければ」
(中村)、「がんの9割に抗がん剤は効かない。患者よ、がんと闘うな」(近藤)と
言い続け、実際に多くの「がん放置患者」の穏やかな臨終を見届けてきた2人が、
がんという病、医療の実態、そして人間の死について語り尽くす。≫
ー 印象に残った箇所を幾つか、書き出してみた。これ知っているか知らないかで
 大きく違ってくるー
* 抗がん剤の有効判定が(⇒がんのしこりが一定程度小さくなるだけで)
延命効果は実証されていないこと、逆に抗がん剤で 大きなダメージを受ける
のは正常細胞、不必要な手術と抗がん剤の副作用が苦しみ悲惨な最期を迎える
要因でしかない日本人に多い固形がんは抗がん剤は効果なしなら、やめるべき。
* 50歳を過ぎた男性の2人に1人は、死後解剖すれば前立腺がんが見つかる。
これは放っておいても大きくならない潜在がんで、何の害も及ぼさない。
また、甲状腺がんも、精密に検査できるなら、日本人の3人に1人はかかっている。
 しかし、実際に甲状腺がんで亡くなるのは、全ての死亡者の中のわずか0.1%。
つまり、1000人に1人のみである。* 現在の医学技術で「早期がん」として
発見できるのは、直径1センチ前後の大きさである。この程度の大きさは、
がんの一生の中では30回くらい細胞分裂を繰り返した後の晩期の段階である。
* 最近の研究では、「がんは大きくなってから転移する」というのは間違い
であることが明らかになってきて、「がん細胞はできるとすぐに転移する能力
がある」の方が正しい。
* 著者の経験によれば、逸見政孝さんのようなスキルス性胃がんの場合、
胃の全摘出手術を受けずに放置した患者で1年以内に死亡した例は皆無で、
ほとんどの人は3年以上生きていた。
* 世間でがんと診断される病気の中には、本物のがんと、がんもどきがある。
がんもどきは治るが、本物のがんは発見された時すでに他に転移を繰り返して
いるので治らない。がんもどきは放置しておいても命に関わりがないので、
手術をしてもしなくても 同じ。本物のがんは手術してもすぐ再発するし、
手術で体力が落ちることからかえって死期を早める。本物のがんを放置した
患者の多くは末期になってもほとんど痛まない。患者の多くは最後まで意識を
持ちながら、苦しむことなく枯れ死んでいく。がん治療しようとすると、治療
による痛みに苦しめられ、通常の人間らしい暮らしを根こそぎ奪われてしまう。 
というわけで、がんは治療せずに放置するに限る……。
*「予防医学は患者を呼ぼう医学」「大学病院は、いい実験を受けられる病院」
 など・・・
*「早期発見と早期治療でがんは治る」という世間の常識とは、
現実はまったく逆である。悪性は、関係ない?
▼ 「悪性のガンなら、遅かれ早かれ死んでしまう。それなら手術や抗がん剤
 などの治療などすべきでない」という 二人の主張するのも道理で、身近の人
のガン死をみていると同感である。とはいえ、ガンで死なない注意をしているか
どうかで大いに違ってくるのも確か。タバコを吸い、酒をビールなら二本、
日本酒なら2合以上を飲み続け、ストレスと運動不足などが加わると、ガン
リスクは大きくなるのは当然。還暦まで生きたら、後は野となれ山となれ、か。
・・・・・・
4132, 脳の中の小さな存在
2012年07月18日(水)
 体操の内村航平のインタビューの中の言葉に驚いた。「どうして一秒の間に、
あれだけの回転が出来るのですか?」の問いに対する答えが凄い。
「私の脳の中に小さな自分がいて、彼が冷静に自分を見ていて次の指示を出して
いる。終わってからでも内容を憶えていて、間違いを正してくれる」等であった。 
これは訓練の繰り返しで、色いろのことを自問自答する中から自然に出来上がった
「セルフ」である。その精度が高いため、世界のトップになれたのだ。
その小さな存在には科学的訓練のベースの裏づけがある。擬人化した「セルフ」
には、無意識のレベルに達した自己客観視する自分が、幾重に重なっていて、
直感的連続動作を冷静に見つめていて、瞬間の動作を修正している。柔道でも、
同じような話を聞いたことがある。世界のトップクラス相手の攻撃に対した防御
は、考えて対処するのでは無理、練習の重なりで直感的反射防御まで訓練して
いないと防げないという。世界一流まで持ち上がたレベルの高い「小さな存在」
に、自分を委ねているのと同じである。 親とか、小さな地域的価値観から
一歩も踏み出すことが出来ない「小さな自分」に縛られているそれもあるが、
その辺の下世話な内容は、ここでは止めておく。ここは世界的アスリートの話。 
天才的芸術家や小説家などは、その小さな自分が、冷静に現象の中の本質を直感
して、それを脚色、新たな創造をする。野球のイチロウにしても、こういう右脳と、
左脳の論理が組み合わせが出来た上で、脳の奥で瞬時に動作を指示する司令塔が
あるようだ。 将棋や囲碁の名人にも同じである。 少し話は変わるが、毎朝、
過去の、この随想日記を読みかえしているが、毎日繰り返していると、読み返して
いる自分が別人格として存在しているような妙な気持ちになる。3、5、10年
前の同月同日の自分と対話している毎朝の自分の存在である。
私=自分は、それぞれの瞬間瞬間いて、これを書いていた。しかし、時間の経過
と同時にTPOSは変化していく。その上に自身も変わっていくため、それぞれを
含めた自身の範囲として、「自分」が立ち上がってくる。哲学的になるが、
脳の奥の小さな存在は、言葉だけでなく、直感も持っている。そのセルフの
直感こそ、天の閃きになる。それでも上手くいかないケースもある。
世界を知れば知るほど、自分の卑小さを直感するが、小さな存在は確実に
真の言葉と直感は研ぎ澄まされていく。 真なる自己、真実の時は、感謝、
感激、感動、極限の時、静粛の中に存在する。 この瞬間は永遠である。
 ・・・・・・・
3766, ユング ー9
2011年07月18日(月)
      〈 ユングー地下の大王  コリン・ウィルソンー� 〉
   * 幽体離脱とは          
 事故などで仮死状態の時の幽体離脱の色いろな体験談を聞くが、共通点がある。
 私も何度か幽体離脱と思われる経験をしたことがある。突き詰めれば夢だろう・・
 夢にしては、あまりにリアルである。 ユングが六八歳のとき、散歩中凍った
 道路で滑って、くるぶしを折って、その二、三日、はげしい心臓発作に襲われた
 時に、幽体離脱をし地球の大気圏の境目辺をさ迷った時の体験の手記がある。 
 幽体離脱は、人間の限りないエネルギーが、あるキッカケで、その外に出て
 しまい、外から自分の肉体を眺めているイメージをいう。
【 ユングはこの神秘に対して一つの鍵を与えるように思われる一つのケースを
 挙げている。彼は一人の女性の患者が難産の末に死にそうになり、彼女自身が
 自分の肉体の上方の空中にあって、自分の肉体を見下ろしているような感じに
 なったと述べている。彼女は医者がヒステリックになったのを見ることができた。
 それから、彼女の家族が入って来た。彼女は彼らの反応を見た。彼女は自分の
 後ろに春の花が咲いている公園のような不思議な光景があることを知った。
 それは「別の世界」への入口であることを彼女は知っていた。
 彼女は、もし自分がそれを見たら、自分の体を再度入れたくなるかもしれない
 ことを知っていた。それで彼は目をそむけ続けていた。彼女が目を覚ました
 とき、看護婦に自分が見たことを話すことができた。看護婦は、この患者が
 医者やその他のことについて言ったことを正しいと認めざるを得なかった。】
【 ユングはあからさまに言うことはあきらかに気が進まないが、彼が一般的な
 意向は明白である。一九四四年に彼自身が死に近づいた経験をしたために、
 彼は心は肉体から独立していると確信するようになった。これは、死後の生活
 が実在しているという意味であるように思われる。事実、一九三四年に書いた
「魂と死」という論文で、彼はもうすんでのところでこのことを肯定しそうに
 なり、生命とは「死という究極の目標」の一つの準備だという考えを、世界の
 宗教は受け入れているように思われると注釈している(ここでも彼はことばを
 慎重に選んで話しているので、だれも、死後の生命を信じていると、彼を非難
 することはできない)。このような「体外遊離経験」はー
「意味のある偶然の一致」と一まとめにして考えると、宇宙が混沌とした集合で
 ないことを確実に示している。 ーP183 】
▼ 体の外に出た自分を眺めている夢は、あまりに現実的過ぎる内容である。
 人間の脳は、あまりに奥行きが深い。夢は犬でもみるが、人間は幻覚をみる。
 
その幻覚が思わぬ人知をこえた幽体離脱を生み出すだすのだろうか。
・・・・・・・
3401, おテレビ様と日本人 ー5
2010年07月18日(日)
 この本を読んでいて他人事でありながら、実は自分自身のことではないか?
自分が、そのまま嘲笑されているのではないか?と感じとり自分の過去を振り
返ってみた。 テレビが家に入ってきた50年前の中学校二年の頃に、熱中して
成績が落ちる一方であった。そして、ある時にハッと気づき急遽、高校受験に
熱中したが、タッチの差でギリギリセーフあった。高校時代はテレビなど見て
いる余裕は全くなく、ただ授業についていくのに精一杯。ある意味で健全だった。
ところが、東京の学生時代の二年目にテレビを買ってしまったのが大失敗と、
これを読んで気づいていた次第。私も御多分にもれずテレビ大好き人間。 
相撲に、プロ野球、ドラマ、映画、etc、と、これまで、バカ製造機の餌食に
なっていた。それでも毎日、数時間の読書をしてきたから半分はブタ化?を
逃れたと、心の中で言い訳をしている始末。 私と比較ならないほど更に家内が
TV好きなので、そのブタ化が合せ鏡のように見て取れる。
反面、学ぶところもある。ほぼ一切のジャンルを問わないで、世界、日本の
ナンバー・ワンのものを見ている。スポーツといえば、ゴルフ、テニス、
サッカーなどの騒がれ中継されているもの。教養?番組では絵画、クラシック、
各種演奏会。 映画も名作と騒がれていたものの殆ど。これほどのものなら、
TVの弊害というより、有用だろう。 世界一流の絵画を解説つきで見ると、
成るほど理解度と、対象の輝きが更に増す。ということは、有害になってブタ化
していたのは、むしろ私のほうではないか? まあ、いいか! 
そこで私が録画をしたTV番組のタイトルを改めて見てみたが、著者のいう
毒番組が過半数以上?。 現在では、代議士まで、いかにTVに出て、自分を
さらすかに苦心をしている。実際のところ、それが次の選挙対策なる。
彼らにとって、選挙民の投票で現在の地位が保たれているからだ。政治家として
の能力より、タレントしてのパフォーマンスが要求される。だから、あの宮崎県
知事なっている何某が、臆面なく御笑いパフォーマンスで役割を果たしている。
世も末だ。 その意味、愚衆から選ばれた政治家が政治をした結果が愚衆政治
になっているのである。TVの出だしの頃、西部劇などで、白人の主役が
インディアンに襲撃にあい、反撃して殺しているのを喜んでみていたが、
あのインディアンは、我われの姿でもあったのである。白人=善人、
インディアン=悪人という洗脳でしかなかったのである。ハリウッド映画が
全盛を極めているが、その内容には隠された洗脳も多く含まれている。
・・・・・・・
2009年07月18日(土)
「生の科学、死の科学」 −養老孟司 対談集ー 3
        【生きる哲学との出会い】 ー橋口譲二(写真家)ー
 *清水次郎長や殿山泰司の顔がなくなった
養老 いまの日本に「清水次郎長の顔がなくなった」と、TVに写真が出たとき
  ‘あっ’と思った。ちょうどブータンに行ってかえってきて、向こうには
  よくある顔だったんですね。人生やることは大体やってきて、修羅場も踏み、
  この辺で落ちついたという『まあ、こんなものだ』という顔。そういう顔が
  日本人からなくなった。 ブータンの顔は日本人によく似ている。
  モンゴロイドがゴチャゴチャの混ざった顔。 ・・そこで思い出したのが、
  黒澤明「七人の侍」です。 あの役者の顔が、幾らでもいるのです。
橋口 侍のような顔がなくなったのはのは、何でだと思います?
養老 「都会になったから」です。 都会人の顔になった、役人の顔になった。
  一種つくられた顔です。
橋口 何時ごろだと思います。
養老 気がついたのは15〜20年前からです。「面構え」「面魂」という
  言葉が死語になった。
橋口 僕が新宿の街角で少年達の顔を撮りはじめたのが1981年で、その頃
  からと今とでは変わりました。それはバブルの影響が大きい。バブルは人を
  とにかく豊かにして、しかし努力をして得たものでないので、落ちていった
  と思います。文化の享受の仕方が一面的になったというか、何か平たくなった
  印象です。以前に新宿にいたのは、いわゆる不良で、彼らは、自分を取り
  繕っていないし、自分を隠していない。不器用で、去勢されてない。
  ブータンの役人の顔が日本人に似ているのは、ある種、器用で要領のいい
  日本人の顔が浮かび上がってくる。
   ーー
 情報化の影響もあるのだろうが、世界が情報で溢れかえって、地区地区の
土着の味が無くなりつつある。日本の地方の辻浦々まで、情報が行き渡って、
その地区の特有の人間性とか祖先から受け継いできた 風習が損なわれてきて
いるからである。意識の全国総都会化で、地方のブロックが希薄になった。
また時代のエネルギーが消沈している時は、脂ぎった者同士が塀の上で争う
場面が少ないということか。
 


5237,窃盗専門の「泥棒刑事」 −③

2015年07月17日(金)

             『泥棒刑事』 元三課部長刑事 小川泰平著
   * プロの仕事「二点三角破り」 〜窃盗の基礎知識
 犯罪の4分の3が窃盗。そのうち万引きと空巣が多くを占め、無施錠のドアか、
 窓を割って進入する方法が多い。そこで、プロの「二点三角破り」がある。
≪ 外国人の荒っぽいのに比べると、日本人の泥棒には芸の細かい者が多い。
彼らはクレセント錠近くのガラスをドライバーを使い破る方法を好む。
「こじ破り」という方法でガラスを小さく割り、鍵を開けるのである。
少し具体的に言うと、マイナスドライバー1本を使い、2枚引きサッシ窓の
クレセント錠付近の部分の、ガラスとゴムパッキンの溝にドライバーを差込み、
こじるようにすると、窓ガラスにヒビがーつ入る。同様にもう1本ヒビを入れる。
クレセント錠の付近に2本のヒビが入り、三角形の形に破れるわけである。
これをブ回の仕事「二点三角破り」と呼んでいる。プロ中のプロになると、
2センチくらいに破る者もいる。同様の手ロで「三点四角破り」の常習者もいる。
ごの方法だと音もほとんど出ないしガラスが飛び散ることもない。そうして
破った隙間から指またはドライバーの先端でクレセント錠を開錠して室内へ
侵入するのである。こうした窓破りの道具で最も多く使われるのがドライバー。
しかし、ドライバーを持ち歩いていると、職務質問にあったとき不都合が生ずる
場合もある。そうした職質でドライバーを持っていたために挙げられてしまった
経験をもつ泥棒のなかには、侵入用具のドライバーを直前にコンビニ等で購入
する場合もある。そのほかには、侵入用具を現調する者も多い。
現調とはドロ刑の隠語で、「現場調達」を縮めたものである。現調に用いられる
のが多いのは、「移植こて」である。ベランダ等でのガーデニングには欠かせない
園芸用のスコップである。そのスコップを使い、ガラス窓を「突き破り」
「叩き破り」の方法で破kのである。そのほかでは、石を使う方法もある。
石を靴下などに入れ、それをガラスに叩きつけて割る方法。・・・ ≫
▼ 空巣に入られた経験がないが、20年程前に、仏壇の小さな仏像が
何時の間にか消えたことがあったが、見当はついていたが、警察には
届けなかった。空巣に荒らされた現場の写真を見たことがあるが、箪笥から、
本棚、押入れの全てが引き出され、部屋全体が見るも無残に散らかされた様は、
それは酷いもの。プロは、そこまで徹して捜し出す。
・・・・・・
4872,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー40
2014年07月17日(木)
   * 類似ホテルが2年もしないうちに!
 2年もしないうちに、このコピーホテルが隣地にオープンしたのに驚いた。
近くの居酒屋の主が隣の旅館を買収をして、全く同じレイアウトで建ててきた。 
不意打ちだが仕方がない。私の後を追うように、駅裏に二棟合計350室まで・・ 
更に、ある不動産会社の紹介で富山の材木商が訪ねてきた。 その翌年から、
全国に大量出店をした『αー1』の社長である。
『百億の不動産があるが、その有効活用にビジネスホテルを考えているが、
如何なものか?』 の調査である。そして10年もしないうちに、至近距離に
200室のホテルを建ててきた。現在は?数千室もあるだけに引くに引けない? 
簡単にコピー可能なこれ、何の価値がある?と、深刻に考えてしまった!
その時が、節目。 決断するまで考えられなかったのだから、私もしれたもの。
 当時、雑誌記事で『一時期、ビジネスホテルを成功させたが、嫌気がさし
転業した』人の手記を読み、方向を考えたが、350室から500室への拡大
戦略を止めることはなかった。長期の装置産業のホテル業を選択したことに
問題があったが、10年間の期限を切らなかった方が問題?長期装置のため、
暇を持て余し『ぼんやり時間』を充分満たすことができた収穫でもあったが・・
 「上手く転進して二桁のホテル展開をしていたより、豊潤な時間を充分に
味わうことが出来た」という見方も出来るが、どうだろう? 現在の、αー1、
ルート・インの姿。 どの道、好きで選んだ道、「毒を食わらば皿までも」か。 
それでも万一の備えがあったので、最悪に至らず、こんなことを書けるのだ。 
20年目で気づいたことは、「この事業の営業指数が日本経済の先行指数として
現れ出ている!」ということ。装置産業だけに金利、原油価格、為替などが
直接コストに跳ね返ってくる。 今だバブル崩壊による深刻なデフレから
立直れずにいる日本の近将来に悲観的なのは、先行して大波に流された自分の
裏づけがあるため。 どの道、遅いか早いかの差だが。
この時期の東京オリンピック開催は?それを覆い隠す目暗ましでしかない。
阿部首相の隣に苦渋に満ちた?副首相の顔を見るにつけ、それもヤムナシが、
政冶? 隠れた‘世界恐慌!’ なぜ直視しない?   
・・・・・・
4505, 大往生したけりゃ医療とかかわるな ー5
2013年07月17日(水)
           『大往生したけりゃ医療とかかわるな 』中村仁一著
 死んでいくにも準備が必要である。それが具体的に分かりやすく書いてある。
筆者の主催の「死を考える集い」から生まれたのだろうが、分かりやすい。
私も年内には、幾つか選び、実施するつもりである。あまり気持ちが良くないが、
死に装束、骨壷、棺桶、位牌は通販で取り寄せることができるし、戒名は自ら
つくってあるので、書き込めばよい。遺言も、このコーナーで書いたこと、
そのものになるが。ブログをネット上の墓場と想定して書いているので、
別に必要がない。 問題は物の整理だが、「物」より「こと」を重視して
きた事もあり、物は殆どない。会社も消滅、自宅は家内名義。 
一番、重要なのが、「事前指示書」である。
  * 「自分の死を考える」ための具体的な行動十五カ条
1.遺影を撮る               2.遺言を認(したた)める
3.別れの手紙、録音、録画を準備する     
4.「余命6カ月」を想定して、したいことの優先順位を書き出す
5.死装束を誂える             6.骨壷を用意する
7.棺桶を手に入れる(入ってみる)     8.事前指示書を完成する
9.献体、臓器提供の手続きをする      10.墓地、霊園を手に入れる
11.戒名をもらう             12.散骨の手続きをする
13.人生の節目に“生前葬パーティー”を行う 
14.事あるごとに家族や周囲と「死」について語る 15.物の整理をする
 ひとつひとつの項目に対して自分なりの答えを出して、具体的に行動すことで
死がより身近なものになります。死がより身近になるということは、生がより
身近になるということでもあります。
▼ 特別養護老人ホームの医師になって四百人近い老人の死に立ち会った
 体験から、著者は「自然死」の本当の姿を知らない現代医療の本質的問題点
をついている。 同時に「私たちも患者のひとりになり得る」医療に対し、
“まともな”あるべき姿はどうあるべきか、死をどうとらえるべきか?
を問うている。そして50〜60歳代になったら、近代医療と関わるな、
まだ末期ガンを幸運と捉え死んだほうが良策という。 
以下の去年の同月同日の内容が関連している。
・・・・・・
4131, 夏目漱石の「自己本位」という生き方
2012年07月17日(火)         
 ♠ 夏目漱石の「自己本位という宝の発見!」   
           〜『定年後 ー豊かに生きるための知恵』加藤仁著
 著者は、25年にわたり定年退職者の退職者の取材を続けてきて、ゆうに三千人
を超えているという。「はじめに」で、まず夏目漱石の47歳時の講演
『私の個人主義』で、当時としては思い切った「自己本位の勧め」を取上げている。
私の場合、20歳の時点で創業を決意した時から、「自己本位」になっていた。
しかし勤め人にとって、定年後が第二の人生の創業になる。「定年後の人生こそ、
自己本位であるべし」が痛いほどよく分かる。他人の思惑から遠く離れた自己
本位の生き方に大きなヒントがある、という言葉が痛いほど分かる。
定年後は自己本位への第一歩から始まる。
 ー以下は、漱石の『私の個人主義』の中の一部を抜粋したものー
≪*「 私はこの世に生まれた以上何かしなければならん、といって何をして
 好いか少しも見当がつかない。私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の
 人間のように立ち竦んでしまったのです。・・そのころ、明治33年、33歳の
 時に、文部省から突然、英語研究のためとして、英国留学を命ぜられる。
 そして1年が過ぎ、苦悩が極まった時に、あることに気づきます。
 自分はこれまで「他人本位」だったのではないか、そして、それこそが「空虚さ」
 や不安の根本原因だったのではないかということです。(私の個人主義)
*「今まではまったく他人本位で、根のない『うきぐさ』のように、そこいらを
 でたらめにただよっていたから、駄目であったということにようやく気がついた
 のです。私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、
 後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似
 をさすのです。(〜中略)ましてやそのころは西洋人のいうことだといえば
 何でもかでも盲従して威張ったものです。だからむやみに片仮名を並べて人に
 吹聴して得意がった男がどれもこれも皆是なりといいたいくらいごろごろして
  いました。(〜中略) つまり鵜呑みといってもよし、また機械的の知識と
 いってもよし、とうていわが所有とも血とも肉ともいわれない、よそよそしい
 ものをわがもの顔にしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、
 またみんながそれを賞めるのです。」(同前)
ー苦しみの中から、漱石はあることに気づきます。それが「自己本位」。
「自分を主体にし、個性を大切にする」ことに気づいたことで「他人本位」が
 自身の根源的な問題であると気づいた漱石は、「自己本位」こそが「空虚さ」
 から脱出する鍵を握っていると考える。つまり、外から無批判に「鵜呑み」
 で受け入れた「よそよそしい」知識や価値観を用いて生きるのではなく、
 丁寧に吟味し咀嚼して「わが血や肉」と呼べるものを自分の中に養成し、
 それにもとづいて生きる生きかたに目覚めたわけです。
*「私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってからたいへん強くなり
 ました。彼ら何者ぞやと気概が出ました。(〜中略) その時、私の不安は
 まったく消えました。私は軽快な心をもって陰鬱なロンドンを眺めたのです。」 
ー 1914年に学習院での講演で、47歳の漱石は、それまでの人生における煩悩を
 告白し、いかにして袋小路から抜け出したかを語っている。
「他人本位」から「自己本位」に脱し、自身の神経衰弱を克服した漱石は、
 次代を生きる若き聴衆に向けて、次のように熱く語りかけている。
『 ああここにおれの進むべき道があった!ようやく掘り当てた! 
 こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたははじめて
 心を安んずることができるのでしょう。(〜中略)もし途中で霧か靄
 のために懊悩していられるかたがあるならば、どんな犠牲を払っても、
 ああここだという掘り当てる所まで行ったらよかろうと思うのです。
(〜中略)だからもし私のような病気に罹った人が、もしこの中にあるならば、
 どうぞ勇猛にお進みにならんことを希望してやまないのです。もしそこまで
 行ければ、ここに俺の尻を落ちつける場所があったのだという事実をご発見に
 なって、生涯の安心と自信を握ることが出来るようになると思うから
 申し上げるのです』(同前)≫
▼ この漱石の言葉は、現在でも、私たちに強く響いくる。当時の学習院
 での講演で、「自己本位」を説いたのだから、さすが漱石である。
キリストも、「自分を愛するように他人を愛しなさい」と言ったので
あって、他人を優先して愛しなさいとは決して言ってない。
・・・・・・
3765, ユング ー8
2011年07月17日(日)
 フロイト邸でおきた、ユングのオカルト現象は有名だが、フロイトは半信半疑
だったようだ。ユングには、特殊の超能力があったのは事実である。 以下の
フロイト邸での出来事は、知る人ぞ知る事実である。
【 1909年3月、ユングとエンマはウィーンのフロイドを訪問した。 
 そしてフロイト邸で、「本棚のボルターガイスト」という有名な事件が起ぎた。
「オカルト現象」に関しては、フロイトは完全に懐疑論者だった。1909年までに、
心霊現象のまじめな研究者によって、ボルターガイストー物を投げる霊ーは、
通例は精神的な悩みのある思春期の人と関連があることがあきらかになった。
そしてこれから、ボルターガイスト活動は、思春期の人の無意識的な心、
いわば、はげしい内部葛藤の「外在化」ーによってともかく引き起こされる
という説が生まれた。ユングはこの説を信じ、ボルターガイスト活動を
「外在化現象」とよんだ。フロイトとユングが超常の実在について論じていた
とき、突然本棚から大きな爆発音が起こり、二人とも跳び上がった。
「そら、これが外在化現象の一つの実例ですよ」とユソグは言った。
「ばかな!」とフロイトは言った。「いや違います。私が正しいことを証明する
ために、しばらくすると、もう一度音がすることを今予言します」。
ユソグがこう言ったとき、本棚で第二の爆発が起こった。フロイトがその後
ユングに出した一通の手紙から判断して、フロイトは半分以上納得したらしい。
しかしその後フロイトは数回こういう音を聞いた。そこで彼は、なんらかの
自然の原因があるという結論に達した。ユングはフロイトと議論すると横隔膜が
熱くなるのを感じたから、自分がそれを引き起こしたのだとかたく信じていた。
フロイト派の注釈者たちは、音は、乾ききった本棚の木材から起こっただけの
ことだといつも主張していた。しかし実際になにが起こったのかを知ることは、
今日では不可能である。】
▼ 父親が亡くなった直後から10年間あまり、私に特殊な感覚が身について
 いた時期があった。(偶然の一致が、あまりに多いのは)現在も残っている。
この10年は哲学にはまり、論理的になったこともあり、その感覚が薄れて
しまったようだ。人間の存在、いや、自分の現にある存在の方が遥かに不思議
というのが哲学。実際に、そのとおりである。
 ・・・・・・・
3400, おテレビ様と日本人 ー4
2010年07月17日(土)
  * 泥を食う豚、&、バカにつける薬としてのテレビ
 ここまでアメリカによって非植民地化人間に仕立てられてしまった日本。 
これまで何を考えてきたのか、何をしてきたのか、を考えさせられる言葉が続く。
冷戦下では、敗戦国として、これしかなかったのだろうか。一人の日本人として
考えなければならない。あてがわれた憲法を今も大切に、誇りを持って
維持している健気さ! 
ーP196ー【私は現在の地球上の国々に別称をつけている。印象的な、いくつか
の例を挙げれば次のようなもの。虎視耽々の虎(中国)、手負いの猪(アメリカ)、
砂漠の狐(イスラエル)、遠吠えの狼(ロシア)、追い詰められた野犬の群れ
(中近東)、老衰のハイエナ(イギリス)、踊るチンパージン(韓国)、叫ぶ山猿
(北朝鮮)、昼寝のイタチ(フランス)、うずくまるピュ―マ(ドイツ)など。
 それでは日本は何かというと、無論、「泥食う豚」というところだ。
これ以上ぴったりのイメージは今のところない。 ・・食うている泥とは、
無論テレピだ。一昔は日本人は「蓼食う虫も好き好き」だった。どちらかと
いうと雑食系の日本人は個性があった。変人奇人、変わり種、自説を曲けない
一徹者、頑固おやじ、へそ曲がり、そういう人たちと議論するのは楽しかった。
ところが今の日本人は、一億全員、同じ声しか出さない。「ブー」である。・・】
ーP211【 アメリカがサダム・フセインを殺さねほならなかった理由は、
自分たちの知性を殺人という悪にすりかえての国際法に頼ったからだ。
フセインに知性がない暴虐だと裁断し、自分たちには知性があることを立証する
ために911で立証し、完全に他の絶対多数としてのバカたちを騙し、石油、経済
安定という偽善を打ち立てたのだ。でなければ、バカはもっと、とめどなくバカ
をし、知性の善を弱さとしてしまい、とめどない混乱が起きる。知性の善用は、
即、悪であり不幸の原因となる。なぜこんな大矛盾の不幸が人間に起きているか。 
テレビと人間の関係がそれ明かす。 機械が知性を先回りしすぎたのだ。
もし兵器が、この時代でもまだ弓矢の段階だったら、現在の国際紛争も丁度均衡
が取れているだろう。現在の人間の知性は、弓矢並みであり、それがフィット
しているのだ。 アメリカがイラク・アフガンに攻め込むのも、鉦や太鼓で鎧兜
程度であれば、これほど「悪」がはびこり、「悲惨」が現実になることはない。
人間はいまだにこの「悪」と「悲惨」を征服し、解消できないにもかかわらず、
核兵器を持ってしまった。 テレビを持ってしまった。それを知性化し、知性
利用することは不可能だ。 どうしてもテレビを悪用するしかない。唯一の
「バカにつける薬」こそ、テレビなのだ。残るのは、ほんの僅かな、
知性ある人間が悲憤慷慨し、嘆き哀しみ、絶望し、諦める現実だけだ。】
 ▼あの911事件は明らかに、私たちがテレビで植え付けられたものであり、
真実とは大きな隔たりがあると信じて疑わない。単純にアメリカ公共事業の
戦争屋の仕掛けた罠だけと言い切れないが、逆にアルカイダの単純テロでは
ないことは間違いない。それらが入乱れた複合的な結果だったとみるべきか。
いずれにしても日本人との差は歴然としている。そして、2012年には?
・・・・・・・・
3025, 閑話小題
 2009年07月17日(金)
* マッチ・ポンプ
 ーウィキペディアによるとー
【 マッチポンプとは「マッチで火をつけておきながら、それをポンプで消す」
 というように、自分でわざわざ問題を作り出しておきながら、そ知らぬ顔で、
自分がそれを解決することで賞賛や利益を得るような、偽善的な自作自演の手法
を意味する和製英語である。1966年、黒い霧事件第一弾の田中彰治代議士事件で
初めて使われ、元々は金品を巻き上げる意味で使われた。】
色いろのケースがあるが、同じことを繰り返すうちにアシアトを残す。 
金銭・物品が絡めば犯罪である。 そして、一番大事な信用と信頼を無くす。 
人間関係は、信用の上に成り立つ。
* 自民党の末期現象
  (字数制限のためカット 2010年7月17日)


5236,NHKスペシャル「腰痛」治療革命  ー②

2015年07月16日(木)

   * 「痛みへの恐怖」こそ、腰痛原因
 6年前、最後になる重度の腰痛で本気に腰痛対策を次々始めた。
 その時を含めて医者通いは一度もなく現在に至っている。
・まず、ベッドに「低反発シート」と「低反発枕」を、
 事務所に椅子と、居間の座椅子に、「低反発クッション」を設置。
・通販で「座椅子型エビ反りマシーン」を購入、就寝前に、エビ反りを実施。
・縦型振動マシーンを購入、この上に立って足裏を、次に腰を下しマッサージ。
・全自動腰マッサージクッション(パッション)を購入をして、
 これも一日、数回、使用。 以来、重症の腰痛にはなってない。
 一番効果があったのは、低反発シートとクッション。 
しかし、それ以前に、痛みの原因が、「痛みへの恐怖」とは驚き。
「上記を実施しているから大丈夫!」という認知が最大の効果要素とは!
   〜その辺りから
≪  なぜ、脳の鎮痛の仕組みが衰えるのか?
  その大きな原因と考えられているのが、「痛みへの恐怖」。
腰痛に対する恐怖や不安の気持ちが強いと、それがストレスになり、脳の
痛みを抑える働きを持つ部位が衰え、結果として痛みが長引いてしまいます。
そこで今回番組では、専門家とタッグを組み、腰痛への恐怖を減らすことで
痛みを改善するプロジェクトを行いました。その結果は・・・?
・痛みへの恐怖を減らして腰痛を改善するプロジェクト。
映像を見て正しい知識を知るだけでは、恐怖や不安が減らない人もいます。
そうした人に向けて専門家が考えた対策第2弾が
「1回3秒、背を反らす姿勢をとる」というもの。といっても通常の
腰痛体操のように、筋肉を鍛えることが最大の目的ではありません。
この姿勢に秘められた「狙い」とその効果は・・?
・番組が行った対策プロジェクトでは、映像や姿勢など手軽にできる対策に
よって恐怖を減らすことで、慢性腰痛に悩む方の半数以上に改善効果が
見られました。しかし一方で、全く効果が見られなかった人も。
そうした人に対する治療としていま注目されているのが、専門家による
サポートのもとで心理療法を受ける「認知行動療法」です。
オーストラリアの病院では、薬や手術でも効果が得られない重度の患者に対し、
3週間にわたって1日8時間カウンセリングと運動を繰り返すという徹底的
な認知行動療法を行い、大きな成果をあげています。
日本でも3年前、腰痛治療の指針となるガイドラインで、認知行動療法を行う
ことを強く推奨できる「グレードA」に位置付けられた。(慢性腰痛の場合)≫
▼ 心理療法「認知行動療法」で、腰痛が改善するとは驚きだが、半世紀に
亘って腰痛を抱えてきた身にとって、現在でも、釈然としないところがあるが、
話半分としても、グレードAである。私の腰痛は、毎年数回、決まった時期に
自然発生するか、腰を冷やした場合である。重症の場合、一ヶ月。軽症だと、
二週間で収まる。ホッカイロで暖める療法で、母親から学んだ。重症の場合の
苦痛は、言語に絶する。立っても、座っても、横になっても、何をしても、
脂汗が出るほどきつい。
・・・・・・
4871,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー39
2014年07月16日(水)
  * 客室は一日限りの限定販売、在庫の翌日持越し不可品!
 色いろあったホテルの立上げも、学生ショップ共々、無事に軌道に乗せる
ことが出来た。そこで、気づいたのが、<どんなにお客に支持されても、客室
在庫以上は売れない。イベントなどで一万人が市内に溢れかえっても、それ以上
は機会ロス。 逆に当日に売れ残った客室の在庫持ち越しが不可能であること> 
この辺が、この商売の限界で、物販やファッションのような面白みが全くない。
ホテル立上げは派手で面白いが、その後は、客室という単品を売る地道な商売。
ハレと、ケ(質素)がハッキリしている。 まだ学生ショップを兼用をしている
時は、面白味があったが、撤退すると、宿泊客の自殺や苦情以外は、変わりばえ
ない日が続く。 それも新築、増築が続いている内は、刺激があったが・・  
そうこう振返ると、10年が節目時? それもあって、準備期間15年間は、
書くネタは幾らでもあるが、ホテル開業後の15年目以降からは、ネタがない。 
この辺りから母の軽い痴呆症が始まり、その介護と、ストレス解消の秘境旅行に、
暇に任せ行くようになっていた。そして、バブル崩壊の潮流の変化が、デフレと
共に表立ってきていた。20以上あった都銀が、3つに集約された時期である。 
そして、母が亡くなった後の2001年の9・11テロから、地元を含めた地方経済は
大きく落ち込んでいった。 それがそのまま、当方の業績に跳ね返えっていた。
その3年後の中越地震、6年後の柏崎沖地震である。さらに1995年にマイクロ
ソフトがウィンドウ95を出してネット社会が本格的に普及を始めていた。 
そこに携帯電話など情報機器の進化で、根こそぎ、ビジネスのあり方を変った。 
当初、付帯売り上げを含め6千円あった客単価が、最後は3分2以下まで落込み、
これに客数が3分の2になって、会社整理段階で、売上高が3分の1になって
しまった。振返って考えるほど、10年目辺りが、郊外への転進か、撤退時。
この事業、有余った余剰資金と不動産を持ってする事業。私のような小資金しか
ない者は、期間限定で、転進する場合を除いてすべきではない!ということ。 
実際に身に沁みた痛みを伴った言葉である。そんなこと解っていた筈だったが、
バブルは、見境をつかなくさせていた。 でも、心底、面白かった!
・・・・・
4504, 閑話小題 ー最近の大相撲が面白くなった
2013年07月16日(火)
  * 最近の大相撲が面白くなっている
 朝青龍の一連の不祥事も冷めやらぬ内に、「野球賭博」と「八百長」問題が
続き、多くの力士が追放され、体質も一新?以前のような馴合い相撲が出来なく
なったこともあってか、勝負への気迫が格段と増し、このところ面白くなっている。
TVで50年近く観戦してきたが、これだけ真剣で引き締まっっているのも珍しい。
大相撲の面白さは、わずか数秒の間に、多くの要素が詰まっていることにある。
ところで、横綱が下位力士に張り手をするのを見る度に、怒りを感じていた。
逆に下位が横綱の顔を張るのは厳しい上下社会でタブー視され、殆どなかった。
 先日、若手力士が横綱の顔を張ったのには驚いた。これは横綱を含めた一門の
力士から出稽古などで、報復されるだろう・・ また、今度はアフリカ出身の
力士も出てきた。 外国人への開放は、モンゴロイド系だけに絞るべきと思うが、
今さら後には戻れない。神事の余興で神社で行われていた力比べが、興行として
発展したもの。 ムラ社会の中で、ある程度の八百長はあって然るべき。
 柔道の世界にレスリング選手が参入してくるのと同じで、大相撲の性格も
変わっていく。あの小さな円で、色々な人種が一瞬の技を競うのも面白い。
やはり外国人に開放したのは正解ということか。
   * 今さらだが、どうも世界経済が変である
 世界経済を引っぱってきた新興国が、ここにきて変のようだ。
あれだけ元気の良かったブラジルが、何と「来年のワールドカップの当地開催
反対のデモ」が起こっている。経済効果も考えると、マイナスよりプラスの要素
が多いはず。経済的反動で、一般市民の経済的困窮が開催反対運動につながって
いる。あれだけサッカー好きの国民が反対するのは、よほどのことだろう。
これまで元気だった新興国が3重苦にあえいでおり、近い将来、世界的金融危機
が近々に勃発しそうな様相である。数ヶ月前まで一オンス1800ドルまで高騰して
いた金の価格が1200ドル前後まで落ちている。積極的に買いに入っていた中国、
インドなどが緊急に売りに出たため。20Gで世界の主だった首脳が集まり、
持ちこたえていた世界経済に黄色の点灯である。インド中央銀行がドル売り介入
をしたと見られ、世界各国が微妙な空気になっている。エジプトは小麦在庫が
50万トンを切ったと言われる。これは一ケ月で80万トン余り消費する中で、
半月しか備蓄がない中の政治混乱。これに食糧暴動が発生するリスクが高くなって
おり事態は危機的状況。更にEUも、中国も、危ない。表立つまでは、今までの
延長だが、一度起こってしまえば一挙に燃え立つのが世界経済。グローバル化は
弱肉強食を果てしなく強くするが、弱者はネットで繋がり、強者を攻撃する構図
の混乱は当分、続くことになる。壮年まで、敗戦から高度成長期を生きて
こられたことに感謝ということか!
・・・・・・
4130, マネー大動乱  −3
2012年07月16日(月)
 * ユーロの崩壊の可能性?     
        「日本と世界を直撃するー マネー大動乱」増田悦佐著
 リーマンショックをキッカケに欧米が没落過程に入ったといってよい。
世界は人種間、民族間、国家間、すべからくフラットになるプロセスに入った。
それが良いか悪いかは解らないが、これまでとは全く違った激流が押し寄せて
きている。本格的情報化社会のもたらした新時代の到来である。
その中でユーロ圏という人工的な経済共同体が出来たが、壁にぶつかり
 右往左往している。南欧系を抱え込んだため、大きな価値観の差が大きく
立ちふさがっている。もしユーロの崩壊ともなれば、数千年続いてきた
白人主導社会の崩壊に繋がる可能性が強くなる。 
 ー 以下はそれを指摘している部分である。
≪ ユーロというあまりにも人工的にでっち上げられた共通通貨が採用された
ことで、これらの加盟国の勤労倫理が改善するとか、借りたカネは返さなければ
ならないといった市民社会の倫理が浸透するとかの変化があったのだろうか。
人間の働き方や生き方は、制度が変更されたからといって5〜10年でガラッと
変るものではない。むしろ、突然変わってしまったら、南欧ののんびりした
雰囲気を満喫きた観光客を失望させてしまうだろう。ギリシャ、ポルトガル、
アイルランドあたりでの危機対応策が公式に債務不履行と認められるかどうかは
別として、何らかの債務不履行なしでユーロ圏金融市場が再建できると考える
のは白昼夢に近い。ここにきて格付けが大きく引き下げられたイタリアも、
かなり危ない。このへんの金融市場の混乱は既定の事実で、あとは実際に
起きるのがいつになるかというタイミングが興味の焦点ということになる。 
すぐにもやってくるヨーロッパ発の金融危機が打上げ花火のように派手な
ものになろうと、比較的地味に抑えることができようと、これからの
ヨーロッパ経済が回復のない没落過程に入っていくことだけはまちがいない。
これは、決して世界にとって悪いことではない。大した働きもないくせに、
夏は一〜二ヵ月のバカンスをとり、「ヨーロッパはアジア、アフリカ、中南米
の人間より生まれつきできがいいのだから、いい生活をして当然だ」と
思いこんでいる連中は没落して当然なのだ。 第二次世界大戦が終わるまで
(フランスやベルギーの場合は、一九六〇年代まで)、この手前勝手な思いこみ
が通用していた最大の理由は、アジア、アフリカ、中南米の植民地を収奪して
いたからだ。イギリスがその典型だが、戦後のヨーロッパは、慢性的な経常赤字
を垂れ流しながら、慢性インフレによる合法的な借金踏み倒しをすることで、
稼ぎよりいい生活をし、欧州諸民族の人種的優越性という虫のよい思い込みを
維持してきた。 そういう連中が、やっと身の丈に合った生活水準に引きずり
下ろされるのだ。まじめに働ぎ、自分たちの稼ぎの範囲内で生活してきた人たち
にとっては、なに一つ悪いことはない。むしろ、そのタカリ屋たちが、
没落すれば、自分たちの取り分が増える。アジア、アフリカ、中南米の
人たちには、間違いなく歓迎すべきことである。≫
▼ 白人主導のシステムとして、マネーを支配下に置くことがある。
 これまではドルだったが、それに対抗すべしと欧州がユーロという共同通貨を
作り上げた。しかし、それが崩壊の一歩手前に陥っている。恐らく、これから
数十年かけて、新しい通貨システムが構築されるだろうが、その間は恐慌と
戦争などの大混乱が生じる厳しい時代に入った。問題は何時、発火するか。
 ・・・・・・・
3764, ユング ー7
2011年07月16日(土) 
  * 集合的無意識と、元型
潜在意識には、個人が長い年月を経て蓄積してきたさまざまな人生経験に
とどまらず、個人を超えた「普遍的なもの」とアクセスする場合がある。
この「普遍的なもの」から送られてくるメッセージによって、人類の長い歴史や
文化という大きな文脈の中における、自分の本質的な位置をとらえることができる。
▼時間と空間を超えて、すべてにつながっているもの <集合的無意識と、元型>
 〔1〕人類に普遍的に存在する「集合的無意識」
 潜在意識には、個人の過去の経験とは無関係な誰もが普遍的に所有している
 無意識層があり、ここに、時代、国家、地域、 民族、文化、さらにはすべて
 の人類における「共通の意識」があると考え、これによって、人類が考え方を
 自然に共有できるとも考えた。 このような人類に存在する深層意識の共通点
 を「集合的無意識」とした。
 〔2〕集合的無意識に触れるから、自他との会話が可能になる
 古今、時空を超えた地域の神話や昔話が心をとらえたり、そこに自分と似た
 ような人物を見出したりする。また時代や地域の異なる宗教に真理を見出す
 ことが出来ある。時代や地域を超えた「普遍的なもの」に「自分」の本質的な
 位置を理解することができます。
 〔3〕元型
 集合的無意識を構成しているものを「元型」と呼び、世界各地の神話や伝説、
 遺跡や壁画、宗教、芸術、小説、映画、夢で「普遍的なイメージパターン」
 を生み出している。元型は、子を生んで育む母性イメージとしての「母親元型」、 
 厳格に教え導く父性イメージとしての父親元型」、男性の心の中の女性的な部分
(女性像)である「アニマ」、女性の心の中の男性的な部分である「アニムス」、 
 社会に適応するために身につけた外向きの顔である「ペルソナ」、自我を形成
 する過程で発達させることができずに抑圧さえた人格である「シャドー」がある。
 〔4〕自己
 特に重要な元型は「自己(セルフ)」と呼ばれるもの。これは「完全なるもの」
「最高なるもの」を意味し、この元型から生み出されるイメージパターンは、
 悟りや解脱などの宗教的境地や、イエス像・天使像・仏像などの頭上や背後に
 ある光の輪、あるいは、金やダイヤモンドなどのような物質に与えられた特別な
(尊い、神聖な)意味などが挙げられる。「自己(セルフ)」の元型は、
 自分らしくない人生を生きている場合や、自分の人生が意味のないものに
 感じられる時に、生きる意味を与えたり、自分らしい人生を選択していく
 ための力となったりする。
◎ 我々が自然に安らぎを感じたり、太陽を崇拝することは人類に共通すること。
 その共通するものがあるからこそ、我々は自分とも他人とも対話したり、
つながることができる。民族に伝わる神話や昔話が、それぞれの民に共感するのは、
それぞれの集合的無意識が働くからである。ところでペットにも集合的無意識が
あるんじゃない?共通項があるから可愛いのでは?
  ・・・・・・・
3399, おテレビ様と日本人 ー3
2010年07月16日(金)
 * 限定的な陰謀、対極的な陰謀
 ここまで書いて良いものかと思うほど辛らつだが、これが真実である。
さらに「ゆとり教育」で植民地人間=ブタ化の完成である。
   (字数の関係でカット 12年07月16日)
≪ヤフーのブログ「バードウォッチ」に転載します!≫
   ・・・・・・・・・
3024,明治・大正と昭和・平成の符号説
 2009年07月16日(木)
 「生の科学、死の科学」 −養老孟司 対談集ー  〜2
  【憂国の時代】 ー関川夏央ー
*明治・大正と昭和・平成の符号説
 この中で、関川が語っていた明治・大正と昭和・平成の符号説が面白い。
  ーその概要をまとめるとー
 現在の激変の時代を幕末から明治維新期に例えると分かりやすいが、明治・大正
と昭和・平成の符号説というのがある。「時代の状況」がそっくり見えるのである。
その平成も大正時代を越えて21年になる。 大正という時代は、明治の近代国家
づくりが日清・日露戦争を経験し完成。「大正デモクラシー」という教養を尊ぶ
自由な時代。第一次大戦の好景気があり、関東大震災があり、その5年後と言えば
昭和の大不況の真っ只中。昭和・平成といえば、バブルと、その崩壊、平成不況と
阪神大震災とピッタリ符合する。そうすると、次にくるのは第二次世界大戦という
ことになる。これから10年間は大恐慌の嵐が吹き荒れ、そして戦争?それとも、
既に戦争があり、全ての国が敗戦したのだろうか?
     (字数の関係でカット11年07月16日)


5235,NHKスペシャル「腰痛」治療革命  ー①

2015年07月15日(水)

  一昨日、NHKスペシャルで、ー「腰痛」治療革命ーを放送した。
< 腰痛は、「腰」ではなく「脳」に原因があり、劇的に改善する可能性が!>
 が、その要点。偶然だが、6年前の一昨日の同月同日(7月13日)に、
私にとって最後の重症?の腰痛について書いてあった。「最悪を覚悟した上で、
上京する!」と決めたと同時に痛さが何故か半減、無事、学校行事に参加して
きたが、決心が痛みを半減させたとは知らなかった。 〜その日の内容から〜
【  3021,卒業40年周年か〜
   2009年07月13日(月)
 「大学卒業40周年記念の集い」に参加してきた。
これまで、20周年、30周年記念の集いにも参加をしたが、良いメルクマール
になってきた。(10周年は、20数年前から企画されたので、『集い』そのもの
が無かった) 今回は、数日前から腰痛が出て、上京など無理の事態だったが、
「這ってでも行く」と決めた瞬間から、痛みが少なくなった。
 まず「前日の金曜日に銀座でクラブの仲間が集まろうよ」の誘いを断り、
当日の土曜日だけを出席すれば何とかなるのではと考えた。出席するとしたら、
前日に東京に行って、クラブ仲間の会の出席は一度ホテルで休んだ後で、
腰と相談すればよいと。「当日に上京するよりも、前日に行き、翌日ギリギリ
までホテルで待機して集いに参加すれば何とかなるはず」ということで決行、
クラブの会にも出席。二日間を乗り切ることができた。最後は覚悟である。】
その時には気づかなかったが、不安と迷いが、腰痛を拗らせていたようだ。
 NHK・HPの  ー腰痛」革命ー の案内より〜
≪ その腰痛、「腰」ではなく「脳」に原因があり、劇的に改善する可能性が!
 治療しても効果がなく、一度治ってもぶり返すなど長引く「慢性腰痛」。
最先端の治療現場では、「脳」の働きを改善し、慢性腰痛を克服する対策が、
大きな成果をあげています。たとえば腰痛 の不安を解消する映像を見たり、
恐怖心を克服する運動をするだけで、改善する人たちがいます。専門的な
心理療法で、極めて重い症状の患者の腰痛が改善するケースも出始めている。
3か月以上痛みが続く「慢性腰痛」の方へ。世界が認めた最新対策を伝える。
・厚労省研究班の調査によると、いま腰痛にお悩みの方は2800万人、
 実に日本人の4人に1人に及ぶと言われています。中でも問題なのは、
3か月以上続く「慢性腰痛」の人が半数以上を占めると考えられていること。
通常なら、腰痛の原因となる腰の骨や筋肉の異常は3か月たたずに改善
するはずです。痛みの大元は改善しているはずなのに、なぜか痛みが
長引く人がたくさんいるというのは、一体どういうことなのでしょうか?
最近の研究で、痛みの長期化(慢性化)に「脳」が大きく関わっている
ことがわかってきました。脳にはもともと、痛みを抑える鎮痛の仕組みが
備わっているのですが、慢性腰痛の人ではその仕組みが衰えていることが
わかってきたのです。 ≫
▼ 現在、3年前からスポーツジムで、週2〜3回のヨガ・エアロに参加。
 これが、セルフ・腰痛治療のかわりになる。これが腰痛の身にとって、
決して楽でなく、数時間は痛みが残る。それでも徐々に良くなっている
から続いている。不安、恐れが、腰痛だけでなく、人生のあらゆる問題に
なっている。大方が、これに潰され、人生を小さくさせてしまう。
この私の対策が、不安・恐怖を凝視し、「正中心一点無」の言葉。
これは極限の場面で前向きになるために絶大な効果がある。後ろ向きは、
最大の内なる敵。腰痛も、「何とかなる。ガタガタするな!」ということ。
・・・・・・
4870,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー38
2014年07月15日(火)
   * 設計と、建設と、ゼネコン・シンジケート
 ビル設計の私の方法は、各階の平面図を設計士と話合い何度か書換えながら
穴があくほど凝視する。その過程で他の戦術などを考える。そうこうすると、
夢の中で、その場に立つまでになる。今では3DやCGがあるが・・問題は設計
担当者と自分レベル。それが、そのまま出る上、後になって隠れた問題が出てくる。
 千葉・千城台と、実家の商業ビルの基本設計担当者が事務所を辞め独立していた。 
その担当者とは呼吸が合い、創造(想像)力が引き出されていた。が、彼は私を
全くの素人と見ていた。私の場合、創造工学などの本を何冊か読み込んでいた。
また学生時代のゼミなどで、ものを考え出したり、作り上げるに、何も捉われの
ないピエロ役「X」を仮想し、暗黙のうちに誰かが演じ、飛躍した案を正・反・合
を繰り返しながら練り上げていた。 千葉、長岡の手掛けた二つのビル設計も、
私がピエロ役(暗黙)をしていたが、それを未熟?にしか思えなかったのか、
一度会った後、居留守を使ってきた。それより、千葉と長岡の露わな姿を身近で
見ていたこともあったか。 この人物、一棟目のホテルの成功をみた後、改めて
組みたいと言ってきたが、許せないのが私の限界。既に故人だが、設計担当として
神がかり的であった。 長期投資は、時代の変遷を乗越えなければならないため、
長期的視点(神的視線)が必要になるが、ところが分かってないのが多い! 
創業は、その都度、会計事務所も、設計事務所も、何もかも変えるのが筋だが・・ 
その甘さが、贅肉として、付いていた。 当初のビル建設から薄々気づいたのが、
建設業界そのものがゼネコン・シンジケートの存在。当時のビル建設の99%は、
その談合で決定されていた。あとの一%は、関係者の熟知した中で、何とか?・・ 
 その網の中で、私は小虫レベル。その都度、何とか努力をしたが、長年かけた
膨大かつ緻密の網目で、雁字搦め。10数年前に社会的大問題になって、大きく
変わったというが? 今でも巧妙に、マフィア化し、巧妙に現存? 相手を
パターン化し、シンジケートが談合で決めた粗筋どおりに、施主を躍らせる集団
詐欺的要素が強い世界。装置産業は、これと、税制のカラクリで、長期的に存続
するのは至難の業である。軌道に乗ったころには、時代遅れの産物になる。
だから、長期の装置投資をする時に、当初からシェルターを組込むしかない! 
創業は上手くいけば天国、失敗すれば地獄。その中間にあるのが煉獄。
そこは <キリスト教の教義において、小罪を犯し地獄に行くまでに至らないが
すぐには天国へ行けない霊魂が、苦しみを受けながら浄化 され最後の審判を
待つ場所、その状態> 老後は、誰しも煉獄状態? 創業は、地獄、天国、煉獄
が直に味わえる。で、シェルター内は、煉獄? 建設業界は、生き馬の目を抜く
修羅世界でもある。偶然だが、以下の文章に続く!
・・・・・・
4503, 実録・ゴールデンブリッジからの身投げ
2013年07月15日(月)
 先日、蔦屋で本を一冊買ったところ、レジの人がいうに、「今なら、シニア様
なら無料でDVDが借りられます」という。そこで借りてきたのが、『ブリッジ』。
軽い気持ちで、身投げ自殺のドキュメントのタイトルにひかれ借りてきたが、
初めから終わりまでシリアスで見入ってしまった。次次とサンフランシスコの
ゴールデン・ブリッジから身投げをしていくのが映し出され、遺族や友人が、
インタビューに答えている。このところ『大往生したけりゃ医療とかかわるな』や
『どうせ死ぬなら「がん」がいい』の読書録と、その下書きを書いているので、
死にゆく者の心模様がシリアスに伝わる。橋の手前で、死のうか迷って考え込み、
決断する悲痛な姿が痛ましく映し出されている。 バンジージャンプのように、
飛び込んでいく。身近の人の証言では、ほぼウツ病で、それが高じ自殺に到る。
生きているのが辛く、死にたいのである。 反面、誰かに助けて欲しい気持ちが
迷いを生み出す。その中で、一人、助かった人がいた。足から落ち、上手く靴が
水面に突き刺さって衝撃を和らげた上に、水中でサメかアザラシ?が踏み台に
なり、押し上げられたという。普段なら40Mの落差の衝撃で亡くなるが、
このブリッジは66M。内容は暗く恐しいが、心の闇が、身投げを通して
浮かび上がってくる。  ーウィキペディアによるとー
≪『ブリッジ』(原題:The Bridge)は、2006年に公開されたアメリカの
ドキュメンタリー映画。社会の禁忌としている『自殺』をテーマにしている。
観光の名所のゴールデンブリッジに1年間カメラを設置し、自殺者の様子をカメラ
に収めた。後に遺族にインタビューをし、そこから自殺を図る人々の様子を映し
だそうとしている。映画では24人が、橋から66Mの高さから海面に向かって飛び
降りている。監督のエリック・スティールはこの映画を取る際、映画の宣伝効果で
自殺者が増加しないように極秘に行っていた。また、橋の柵に足をかけたら管理局
に通報することをルールとして定めていた。映画は主に橋とその周囲の日常を撮影
した風景、自殺者の飛び降りるシーン、遺族や友人、目撃者へのインタビュー、
遺書などから構成されている。中でもインタビューの映像が多く、自殺者の情報は
インタビューの情報でしか語られない。自殺者の多くが精神的な病やトラブルを
抱えていることがその中で分かる。≫
▼ 2006年の時点で、この橋からの自殺者は年に24人もいるというから、
 全員撮ったことになる。次から次へとブリッジから飛び降りるが、躊躇して
いるうちに警官や近くの人に、取り押さえられた人が数人いた。生死の問題も
あり、それぞれの人生が浮かび上がる。ゴールデンブリッジという名所が、
ロマンチックな気持ちを駆り立て、志願者が国内から集まってくる。県内なら
新潟の万代橋が河口に近いため海に流され、死体が上がりにくいとか。
人知れず消えている人がいるのだろう?テーマがテーマだが、決して後味が悪く
ないのは、シリアスすぎて、実感がわかない為? 死ぬには死ぬ理由があるはず!
・・・・・
2012年07月15日(日)
1129, マネー大動乱  ー2
     「日本と世界を直撃するー マネー大動乱」増田悦佐著
 アメリカの金融業界と他の産業の格差は二倍。そして製造業が商業より三割高。
日本もアメリカほどでないとして同じ傾向にある。最近では公務員が民官に比べて
2〜3割以上も高いことが問題になっている。強い立場を利用して御手盛りをして
いるのである。情報化もあり、一強多弱の傾向が全ての産業で強くなってきた。
日本の自動車業界も日本資本はトヨタとホンダぐらいしか残っていない。
家電にいたっては総崩れの様相になってきている。グローバル化は世界各国の
垣根を超えた戦いになり、一強しか生き残れない事態になる。
 ー第二章 アメリカの金権社会は、荒治療でしか直せないー
  * 産業間格差と、一業界一社の時代
≪ 日本の金融業界の給与水準は、その他産業の20〜30パー増しくらいである。
これがアメリカだと、その他全産業の倍。20〜30パー増しではなく二倍なのだから
驚いてしまう。製造業と商業の給料ベースを比べると、日本では製造業が商業の
15〜16パーセント多いだけだ。これがアメリカになると、製造業は商業よりも
30パーセントは高くなっている。あらゆる職種について給与水準の差が大きい
のがアメリカの特徴なのだ。当然、給与がいい産業には誰れもが殺到するから、
どうしてもその産業は慢性的に人員過剰になる。いくらでもスペアは利くから
リストラもしやすい。逆に、低賃金のところは慢性的な人手不足になりがちだ。
人手不足だから時給を上げて人を手当をしようとすると採算割れになるので、
他ではどこにでも採用されそうもない低賃金労働者で久場を凌ぐしかない。
移民には絶好の勤め口だが何時までも経っても生産性が低いままだ。
結局、会社ごと産業ごと衰退してしまう。アメリカに比べると、日本はどの
産業を見渡しても収入に大きな格差がない。人手不足も人員過剰も極端ではない。
それでいながら採用する会社側は「人員過剰の人手不足時代だ」と愚痴をこぽし、
雇われる側は「天職に転職したい」と夢ばかり追いつづけている。どちらの陣営
も自分たちがいかに恵まれた環境にあるかご存じないが、一般庶民が夢を追い、
高い要求水準を主張しつづけられるのは文句なくよいことだ。
 参考までに、お隣の韓国は教育水準がますます高くなっている。
だが、1997〜1998年の大不況でIMFが乗りこんできて、大企業は一産業一社
というアメリカンスタイルにつくり変えてしまった。おかげで、それまでの
7〜8つの財閥が競争して採用活動を展開していた時代は遠い昔、企業の求人
活動はすっかり衰退している。電機.電子ならサムスン、自動車なら現代に
採用してもらえるかどうかで、その後の人生が天と地ほどもちがってしまう。 
同業で生き延びているのはクズ同然のその他大勢企業だけだから、敗者復活戦
もありえない。同じ電機業界でも、パナソニックもあればソニーも日立も東芝
もあるという構造はいま、世界中でも日本だけになりつつある。
ドイツもかっては大きな産業ごとに代表的な企業が3〜4社ずつあって
しのぎを削っていた。これがドイツという国家の活力になっていた。いまは
そんな状況ではないぜいぜいフォルクスマゲンとダイムラーペンツ、BMWを
抱える自動車くらいしか、複数の企業が切磋琢磨して高い技術水準を維持できる
産業は残っていない。こうして改めて見渡すと、いまや基幹産業ならどれを
取っても少なくとも三〜四社の大企業同士の激しい競争が続いている国は、
日本だけなのだ。あとはどこでも、基幹産業それぞれで国際競争に打って出て
通用する企業は一社だけという「競争」環境になっている。≫
▼ 情報化によるグローバル化が産業間格差と、一業界一社の時代を作り上げた
 といってよい。但し、その周辺で、それにとって変わる群れがいることが前提
になる。問題は個人レベルの格差に直接影響すること。日本の産業も大きな
亀裂が出来たようだ。
 ・・・・・・・
3763, ユング ー6
 2011年07月15日(金)
* この東北大震災を、ユングの「布置」とし日本国家に置き換えてみると!
 10年前の9・11テロと、3年前の9・15のリーマンショックで大打撃を
受け瀕死の事態に、今度の3・11の東北大震災と福島原発事故が重なり襲った。 
これを「二つの歴史的経済震災」に対する、この東北大震災は「めぐり合せ」
(布置)と考えると、この大地震の意味が見えてくる。 世界的経済震災が二つ
日本に直撃した。それで経済基盤が弱い東北・北海・北陸など地方経済は、
これ以上ないほど疲弊をしていた上に、このめぐり合わせである。ただ偶然が
重なっただけでなく、そこに意味を見出すべきである。 
 また世界全体からみれば、地球温暖化の中で原子力の是認が流れになっていた
矢先のこれ。「西洋的合理主義に対しする根底からの見直しのサイン」と、この
「布置」=めぐり合わせを見るべきではないか。日本もグローバル化の時代の中、
西洋的合理主義の考え方を、根底から変える機会と見るべきである。また同時に
開放も図るサイン?ではなかろうか。外国人を入れるだけでなく、外国に日本人
も出ていくべき時期。現在の政治体制では日本は成り立たなくなっているが、
現在の日本は自己修正能力が失われている。 この「布置」は、この震災が
最後のダメ出しとして、否応なく壊滅的状態まで個人から国家までの既存の
システムの破壊が進むことになる。世界は日本を先駆けとして、その崩壊と
先行きを冷静に学習することになる。これは取ってつけた民主主義と、隷属
国家の末路として捉える。波乱の中で現状を変えるのは、信長か、秀吉のような
下克上で、成り上がってきた者である。 日本も世界も、思い切ったダウン
サイズの時期に来ている。 この10年間の、幾つかの自然災害の頻発は、
地球規模の大転換へのサインである。まさに、その時に、9・11、9・15
の経済大震災である。やはり、来年後半にかけて、世界は政治的、経済的に
大津波が荒れ狂うことになる。 その中で、全体が、より合理的な、身丈に
あった生活になっていくのでは? 現に、日本は、その一歩を踏み出している。 
 ・・・・・・・・
398, ゴリラは人間の隣人 ー1
2010年07月15日(木)
 ビートたけしと、ゴリラ学者の京大大学院教授・山際寿一の
「ゴリラは人間の隣人」をテーマにした対談が面白い。山際寿一の
「アフリカでのゴリラ研究の現地ドキュメント」を数年前にTVで見た。
  ーまずは、印象に残った部分からー
≪ゴリラと人間は97パーセント以上同じ遺伝子を共有しているとか。
ならばゴリラが分かれば人間も分かる?・・ 遺伝子かみると、オラウータン、
チンパージー、ゴリラは「ヒト科」に属しており、人間に非常に近い存在。
サルとの差の方が遥かに大きい。では、「人間と類人猿と大きく違うところは何」
というと、人間は劇を作ること。類人猿のゴリラやチンパンジーは、劇を見て
いても意味が分からない。その中に入っていけない。劇中で、AとBという人間
がいたとして、それぞれの行動を見ながら、どういう思惑で、何をしようかと、
劇中の人物に共感しながらみるが、しかしチンパンジーやゴリラは、それが
分からない。彼らは現実に起こって事実からあまり離れられない。しかし
我われは現実から離れて、空想の中でドラマを作ることができるわけ。≫
▼ ー以上だが、これは人間にもいえること。本を読み込んでない人は現実の世界
から離れることができない。現実を形而下とすると、形而上の言葉の訓練が
ないので想像力や空想力が弱い。小説を読むとは、文字から作者の創りあげた
イメージの世界に入り込むことである。 本を多く読み込んでいる人と、ほぼ
読まない人とはゴリラと人間の差ほどがある、というと言い過ぎになるか? 
その位、本を読み、考えることは人間の人間たる所以である。人生設計を前もって
作っておいて、それに従い生きることは自分の人生劇を作ることになる。必死に
生きてきた人は、形而上も形而下の質量が豊富になるので、言葉とイメージは、
それに比例して出来てくる。ゴリラと人間の差は考え、イメージする質量が
圧倒的に違うということになる。情報手段としての言葉がキーワードということ。 
街に徘徊するヤクザは、ほぼゴリラの原型の世界とみれば分かるだろう。
時どき弱者を見つけてデモンストレーションをしたりするが、他者への
迷惑は、あれほどかけない。   ーつづく


5234,「エリック・ホッファー自伝」 〜⑥ 

2015年07月14日(火)

             「エリック・ホッファー自伝」中本義彦訳
    * ある若い女性との出会いと、別れ
  ホッファーに深い矛盾が見て取れる出来事である。人生で誰もが、
 経験する分かれ道がある。もし、二人の女性の申し出を受け入れていたら、
放浪者として世に受け入れられた哲学者としての彼は居なかった。別れで一番、
傷つくのが本人同士。こういう傷口から深い思索と、新しい出会いが出来てくる。 
時空を超えて悲しみが伝わってくるようだ。 〜その辺りから
≪・ある初夏の朝、レストランから出ようとしていると、赤い列車がシャタック
アベニュー駅に到着するのが見えてきた。こんな早く旅行しているのはどんな
人だろう。列車からは若い女が二人降りたが、手には小さなスーツケースを
持っている。明らかに初めての来訪で、列車を降りた所であたりを見回している。
様子を見ているうちに、急に話しかけてみたくなり、足早に彼女たちに近づいて
「何かお手伝いしましょうか」と声をかけた。彼女たちは驚いたようだった。
二人の女は昼と夜のようにまったく対照的である。一人は背が高くてとても
美しく、もう一人はずんぐりしていて、きれいとは言えない。
「手荷物係さん?」とずんぐりした方がたずねた。「いいえ、給仕係さんですよ」
と私は答えた。みな笑った。私は動揺を隠そうとしゃべり続けた。彼女たちは学生
だろうか。大学はちょうど休みの時期で、次の学期が始まるのは数ヵ月先だった。
サマースクールに出席しようとしているのだろうか。それなら、いろいろと
落ち着くまで時間が要るだろう。「とにかく、そのときまず必要だったのは
朝食である。私はスーツケースを持ち、レストランに案内した。私はテーブル
をとり、カウンターに行き、オレンジジュースと果物とハムエッグを注文した。
食事中も彼女たちは笑いっぱなしで、私を好奇な目で見ている。きれいでない方
の目は私に対する疑いが見てとれた。私は「心配しないでください。別に私は
頭がおかしいわけでもないし、知らない人に声をかけて朝食をご馳走する
趣味はありません。姿を見かけた時に、話したいと思っただけです。
 ・・(略) 彼女たちにはある計画があったのである。ある晩、フレッドが
人生の目的について私を諭した。人間は目的をもっていなければならないし、
自分の非凡な能力を無駄にするのは罪だ、と。彼女はヘレンから最近の物理学
の動向について聞かされていたのだ。そして、私の理論化する才能を生かせば、
奇跡的なことが成し遂げられるはずだし、物理学部の誰よりもすごいことが
できる。並外れた数学の力があれば、アインシュタインのようにもなれるかも
しれない、と彼女は信じ込んでいた。ばかげた話だった。二人の女性が、
私を驚異の人物に仕立てようと決意している。まったく常軌を逸していた。
私は心からヘレンを愛していたが、彼女たちの期待に応えるために、四十歳
まで残されたわずかな人生を費やすのは、あまりにも惨めだろう。おそらく
物理学部の人たちは、すぐに私が偽者だと気づき始めるだろう。どうして自分
に並外れた才能があるなどと信じられよう。もしこのまま彼女たちと暮らせば、
一時の平和も見出せないだろうと思った。私は一刻も早く行動を起こして、
放浪生活に戻らなければならなくなった。こうして収穫期が近づいたある日、
私は何も告げずに、バークレーを離れた。・・・ ≫
▼ 何か、ホッファーの傷の疼きが、そのまま井伏鱒二の詩が代弁している。
 <この杯を受けてくれ どうぞなみなみ注がしておくれ  
           花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけ が人生だ>
 先短い人生、一時的安住を選ぶか、放浪哲学者の道を選ぶか。
20才代、創業のための自己配転をした節目の孤独感を思い出す。
目指す所が、あまりに遠く、現状に安住できない二重構造の自分が、
存在していた。 極限を乗越えていくのが青春であり、青年である。
・・・・・・
4869,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー37
2014年07月14日(月)
   * 閑話小題 −なぜ、あなたはいつもお金が足りないのか?
『 なぜ、あなたはいつもお金が足りないのか?』小堺桂悦郎著ーに、
 45年間の事業で実感した真髄が、そのまま書いてあった。
《 ・・多くの経営者が、「儲けようとして損をしている」わけです。
 誰しも、自分から損をしようとする人はいません。ならば、まず徹底して、
 損をしないようにしましょうと、私はアドバイスをします。》
のぼせ上り、より儲けようと歯止めが利かなくなり、ミスに繋がっていく。
ファッションなどの不良在庫の発生原因の多くが、売れ筋商品の代替商品がヘドロ化
したもの。 チョッとした違いに消費者は敏感だが、売り手が気づかず仕入れ
をしてしまう。 売れ筋がベストとすると、その品切れをベター商品で補おう
として不良在庫になって、損失につながる。これ事業も、人生も全く同じ。
10年、20年かけ積上げた利益の保留分が、創業時の周到に準備を重ねた構えを
忘れ、目先のベターに妥協をした結果、損失に変えてしまう。新潟駅前では、
それが駅から一番離れたのホテルと、駐車場。これが、それまでの利益のみ
ならず、本体の経営を揺るがす。ちなみにベストは、関越自動車道からの
東バイパス沿い立地。その判断ミスが致命的な戦略ミス。
それを戦術的リストラでカバーをしても、所詮は無理。3年前の結果は、
ベストでなく、ベターの選択の結果である。現在も同じことが言えるのでは? 
決して、ベストではない? 流れで、自宅に、そのまま住んでいる。
ところで、私の場合どうだろう? 3年まえも、そうだったが、今日明日の
資金繰りに追われたことは、人生に一度もなかった。それは、むしろベスト
でなく、ベターだったのか?「なぜ、人はいつもお金がたりないのか?」と、
問われれば、「万一の備えと、その知識が足りないため!」になる。 
ワーストは、ベターの服装を着て擦り寄ってくる。 で、このザマ! 
アベノミックスは、決してベストではなく、ベターでしかない。
ベストは何? 意図的なブラックスワンで、一度、現状を
清算をさせ、国家非常宣言をした上で、思い切った国家的リストラ。 
当然のことだが! グローバル的には秒読みに入っている。
私、個人は、まさに一歩先に・・ いや、そうせざるを得なかった!だけ。
・・・・・
4502, 大往生したけりゃ医療とかかわるな ー4
2013年07月14日(日)
          『大往生したけりゃ医療とかかわるな 』中村仁一著
*(末期ガンで早々}逝くも地獄、残る(死に損なうの)も地獄
『どうせ死ぬなら「がん」がいい』と『大往生したけりゃ医療とかかわるな』
を読むと、老いることも、死にゆくことも、決して甘くないことが分かる。
そう遠くない未来を垣間見ているようで呆然とするが、これは目を背ける
ことが出来ない。子孫を遺す役目を終えた50歳から還暦辺りになったら、
「がん死」がお勧めという。余命6ヶ月と宣言され、幸運と私に思えるか?
 何をしても少しでも長く生きたいと思うのが人情。 近代医学の成果で
長生きをした結果、長生きをし特老に入って死に逝く人を見送り、その悲劇
を実感した著者の率直な実感だから説得力がある。拷問ようなの苦痛を
味わった挙句、息を引き取るのが大半ならば、点滴、薬漬けを拒否し、自然死
に近い状態で死んでいく方が良いのかも。
 胃瘻と鼻チューブなどで延命させるのが果たして本人に良いだろうか。
医療サイドは、出来ること全てを注ぎ、延命させるのが基本であり、家族も
見殺しに出来ないという罪の意識が、拷問に近い状態でも生かそうとする。
それは逆に拷問のため生かしておくことと変わらない、のが分からない。
鼻チューブから栄養をとる違和感は半端でないため、患者は隙あらば
引き抜こうとする。そこで両手を縛り付けるが、それは拷問と同じこと。
患者は食べないから死ぬのではない。死に時が来たから食べないのである。
それを無理に生かそうとするため、拷問状態になる。「できるだけ手を尽くす」
は「できるだけ苦しめて地獄を味あわせる」と同じ意味になる。
そうこう考えると早々と死ぬのも、ひとつの選択になる。
末期ガンで早々逝くも地獄、医療で死に損なうのも地獄。 このところ、
中学、高校の同級生がガンや自殺で亡くなったが、著者の見方によれば、
これは生、老、病、死の苦しみを最小で済ませた幸運の持主。老いて逝くのも
大ごとということ。 そうこう考えると自殺も選択肢の一つになる。
そういえば、図書館で断食で自ら命を断つプロセスを事細かく記録した
文庫本があった。食を断つのは自死かどうかだが・・ 元気なうちに何?
を用意しておくのも必要なことかも。死ぬのは、生きてきたのだから仕方が
ないが、問題は死際の精神的、肉体的苦痛である。 
 やはり生きているうち今を充実させるしかない。「今ヨリナキニ」である。
それと「今日という日は、残された日々の最初の一日」と、思い味あわなければ
ならない。 地獄の瀬戸際で何をみるのだろうか? 幸せだった日々に感謝
しながら、両親に両側を挟まれ光の中、消えゆくイメージを瞑想で中で創れる
かもしれない。死際の準備も、この著書にシッカリ書いてある。 
次回になるが、なかなか含蓄がある。 母親は痴呆症になる前に、全て準備
をして私に託していった。本当は還暦前にしておくべきことだが、
今でも遅くはない・・ 何事も準備である。
・・・・・・
4128, ヨガとは何?という素朴な疑問
2012年07月14日(土)
 スポーツジムのヨガに参加して4ヶ月になる。‘スロー’ヨガというから
初心者向けだが、腰痛持ちもあって少し厳しい。定員50人に、平均40人位
が参加している。男性参加者が10名位で、片隅で目立たないようにしている。 
その中、時どき先生がヨガの説明をする。先日の内容は、「ヨガは瞑想法の一つ。
無念無想になるために呼吸法と、色いろなポーズを取ることで、そこに気持ちを
集中して、頭を空ッポにするためのもの。従って、ヨガが上達したとか、しない
とかは気にすることはない」という。なる程!いいことを言われる。週二回、
4ヶ月経った印象は、「腰痛解消のために病院で集団治療をしている感覚。」
腰には良いが、少し痛みが残る。それでも合計33回、ヨガを続けてきた成果が
出始めてきた体感はある。 数十年かけて固まった足腰が、徐々に解けている
のがポーズの積み重ねで実感する。ーそこでヨガの意味をネットで調べてみたー
 ≪  ◇ ヨーガの意味と起源 
 ヨーガの起源をたどると、紀元前二千五百年程のインダス河流域のハラッパや
モヘンジョダロなどの遺跡から、ヨーガの坐像の印形が出土していることから、
その頃を起源としているようだが、実際に「ヨーガ」という言葉が宗教用語として
確認されているのは紀元前五百年前後のベーダンタ時代で「ヨーガ」とは
「馬を車体につなぎ、その馬車をコントロールして、道をはずさず、人生の目的地
へ行くこと」を意味していた。 カタ・ウパニシャッドでは 「真我(アートマン)
を車主、肉体を車体、理性を御者、意志を手綱と心得よ。賢者たちはもろもろの
感覚器官を馬と 呼び、感覚の対象を道と呼ん でいる」と述べています。
このことから「ヨーガ」は、馬を車に「つなぐ」が語源であり、意味するところは
「結ぶ」「コントロールを する」「バランスをとる」との意味をもってきました。
 又、少し遅れた同時代には釈迦族のゴータマ・シッタルダが悟りを開き、
仏教がスタートしています。このお釈迦様も二十九歳の時、王宮から出家して
山野で六年間修行された後、ブッダガヤで瞑想し、悟りを開かれたのですが、
その間、瞑想をしたり、断食をしたり、野山で遊行した修行が、まさに当時の
ヨーガそのもの。その生きたお釈迦様の実際に語った言葉を、後に弟子が書き
残したと云われる「ダンマパダ(法句経)」の中にも、「ヨーガ」という言葉が
語られています。「まさに智はヨーガより生じ、ヨーガなくして智は滅ぶ。
その道理を知りて、ヨーガを行じ、智を増大せしめよ。」「智」というのは、
物事を分析するだけの知識(分別知)ではなく、知に日がついて光あふれた、
命の智恵「英知」と云われています。それを人々に伝える人を、かつて、日知り
「聖人」と云ったのです。このように「ヨーガ」とは、「結びつける」
「コントロールをする」「バランスをとる」という意味と、その「修行法」
「技法」として発達してきたのです。それでは何と何とを「結びつけ」
「バランスをとる」のでしょうか?
 それは、�身体と心をバランスよく結びつける。�内なる私(真我)と
大いなる我(宇宙)とを結びつける。�人と人をバランスよく結びつけること。
仏教では、それを三宝と云って、�身体と心をバランスよく結びつけ解放した
人間存在を「仏(ブッダ)」といい�宇宙や自然の法則と自己とを調和させる
生き方を「法(ダルマ)」といい、�人と人とが調和し助け合う平和な社会を
「僧(サンガ)」といって尊んだのです。そしてヨーガでは、その方法を、
具体的な生活法(ヤマ・ニヤマ)、運動法(アーサナ)、呼吸法
(プラーナヤーマ)、瞑想法の階梯(プラティヤハーラ、ダーラナー、
ディヤーナ、サマーディ)そして祈りの言葉・神の名(マントラ、ジャバ)
等として、 私達に伝えてきているのです。 ≫
▼ ≪「真我(アートマン)を車主、肉体を車体、理性を御者、意志を手綱と
 心得よ。賢者たちはもろもろの感覚器官を馬と 呼び、感覚の対象を道と呼ん
でいる」と述べています。このことから「ヨーガ」とは、馬を車に「つなぐ」
が語源であり、意味は「結ぶ」「コントロールを する」「バランスをとる」
との意味をもっていた。≫が、ヨガの本質。内なる真我と大宇宙を結ぶ修行こと。
 10数年ほど前に、散歩で出会った地球の核の一点を擬人化して現在も話を
しているXが、宇宙。向き合っているのが真我ということ。
・・・・・・・
3762, ユング ー5
2011年07月14日(木)
ー「共時性」の幾つかの事例を、<「タオ心理学―ユングの共時性と自己性」
                ジーン・シノダ・ボーレン著>から抜粋ー
例1 ある女性が、妹の家が燃えているハッキリした夢をみて、妹が安全か
  どうか電話でたたき起したところ。まさに、その通り火事になっていて、
  電話で目をさましたために命拾い。
例2 ある研究者が高度に技術的で分かりにくい問題にぶつかっていて、
  情報がえられず困っているとき、ある基金募集のパーティーに出席した
  ところ、たまたま隣の席に座った人が必要な情報を提供してくれた。
例3 ある女性がある町にやってきて、昔の同級生に連絡をとろうとした
  けれども住所がわからず、混雑したエレベーターに乗り込んだところ、
  たまたまそこに彼女がたっていた。
例4 ある人のことを考えているとき、電話が鳴る。
  出てみると、私がちょうど考えていた相手だった。
例5 私はキッチンで夕食の支度をしながら、夫のジムに向かって、
  「テーブルに花が欲しいわ」と言いました。子供達はそのとき外で遊んで
  いて、私の声の届かない遠くにいました。しばらくすると、娘のメロディが
  家の中にまっすぐに入ってくると、手にピンク色の花束をかかえていて、
  「ママ、ここにあるわよ」、と言ったのです。
例6 人の死を知る能力のある人がいます。ある人の場合、夢や白昼夢として、
  死ぬ人がスーツケースを持ってその人の前に現れるのを見ます。そして暫く
  すると、そのスーツケースを持って現れた人が、亡くなった知らせが届く。
▼ 単なる偶然とは思えない、これらを、ユングは、共時性(シンクロ二シティ)
 と呼んだが、その人によって、その要素の強弱があるようだ。私は、Aーabc、
bーabc、Cーabcの9段階の二番目のAのb辺りか。その人の持っている
一つの感覚であり、それが物理的にあったり科学的に証明されるものではない。
前回も書いたが、事業の立ち上げや、ホテル計画を実行段階に入ると、必ずと
いってよいほど、身辺に普段は起らない事故とか、ごく身近な倒産、不幸が起こる。
今回、それが共時性の前段階の「布置」ということを知ったが、今度の当方の倒産
でも周辺でも、事故、大病があった。私の場合、負債債権処理など、あと二年は
要するから、二年間は大病、大事故には心しなければならない。 ところで、
今回の東北大震災。 国家を人間と喩えると、明らかに「布置」の思えてしまう。 
次回に取り上げるが、そう考えると、今回の震災のユング的見方が見て取れる。


5233,窃盗専門の「泥棒刑事」 −②

2015年07月13日(月)

            『泥棒刑事』 元三課部長刑事 小川泰平著
   * 犯罪の4分3が窃盗
「窃盗」や「盗難」は、日々の生活で起こりえる危険である。それに関して、
事前に知識を身につけておいた方がよい。 〜面白そうな要所を抜粋すると
≪ ・泥棒は初犯はほとんど逮捕できない。一回で終わりという泥棒はおらず、
 常習犯は繰り返す。そのうちに徐々に犯行手口が見え、検挙の端緒をつかむ。
泥棒が犯行を重ねるうち、「あいつは必ずこうやる」という癖が見えてくる。
30年間の警察人生で出会った特徴的な泥棒のエピソードを紹介されている。
・金庫専門ドロはその場で破るか、持ち帰ってゆっくり開けるかの両パターン。
泥棒は軽業師みたいな小柄な人間が多いが、金庫ドロはその理由で大柄の人間
が多い。しかしクマヒラ金庫は持ち帰れない重量のため、開けるのに時間が
かかるので諦めるケースが多い。著者はクマヒラの防盗金庫が破られた話は
聞いたことがない。
・犯人尾行や、取調室でのやり取り、黒帯犯人の大捕り物や質屋との信頼関係
作りなど、隠語も豊富に盛り込んだ捜査裏話も面白い。 外塀がないなど
「プライバシーがない家」の方が狙われにくい。泥棒に狙われやすい場所は
おおむね1階ないし2階と最上階。そして2階でも、ベランダの背の高いところ
が狙われやすい。
・タンスと仏壇から物色するのが泥棒の常套手段。泥棒を捕まえるため質屋
との連携、外国人窃盗団の違いなどが面白い。空き巣の実に7割が窓の侵入。
そして、侵入手口の8割以上が「ガラス破りによるもの」と、
「無施錠の家を狙ったもの」。 ≫
▼ それでも欧米に比べ、日本の治安は段違いによい。目星をつけた
 観光バスに集団スリが車で付いて回るケースが多い。身近で、あまり
空巣に入られた話は聞いたことがない。地方ということもあるが・・
よそ者が目立つこともある。「下着泥棒」の聞きこみにきた刑事が、
「この辺で空巣の話を聞いたことがない」という私の話に、「目立たないが、
アパート内で、結構、多くある」という。アパートの住人は、地元民との
接触が少ないので、伝わってこないのだろう。地元では、長岡花火の日が
狙いどこだろうが、注意勧告が無いということは、泥棒も花火を見ている?
・・・・・・
4868,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー36
2014年07月13日(日)
    * 暴力団事務所がホテル至近に二つ!
 開業前の一時期に、開設の事務所をゼネコンの現場事務所の背中合わせに、
ベニヤ板一枚で仕切りを置いていた。(その後、東跨線橋近くに移動したが・・) 
そのゼネコンの現場事務所に暴力団の二人が、恐喝に来て、一人は、ドアの外で
誰も入ってこないように見張りが立ってから、大声で、「何で挨拶の来ない!」
「ここは、どこの縄張りか分かっているのか!」とかの恐喝劇が始まった。
修羅場を経験した私でも、ライブでベニヤ板一枚で聞くのは初体験。
その迫力は、自分でなくとも氷つくほどの恐怖である。現場事務所の主任が一人
になるのを見届けて来たのだろう。しかし現場主任は冷静沈着で、対応していた。
その直後に聞くと『こんなのに金を出したら、市内の暴力団が次々と来ますよ!」
と平然としている。その直後、近くの交番に電話をしても、「その程度では
受付できません!」と軽く受け流されてしまった。しかし、帰宅してから、その
応対に腹が立ち、交番に激しく抗議の電話を強くした。その結果、その暴力団
事務所前にパトカーが数日間、見張ることになった。それ以来、その後のホテル
建設のゼネコン現場事務所には、一切に暴力団は顔を見せなくなった。開業して
から分かったことが、ホテルは、ヤクザ、チンピラの絶好の凌ぎの標的。
しかし一度、出したら、その筋に直ぐ知れ渡ってしまう。 当然、30年間、
一度しか脅し取られることはなかった。当時の副支配人は包丁を突きつけられ
脅されたが、そのチンピラ二人は、その後、県外の検問逮捕された。開業後、
1〜2年に一度は巧妙な脅しが定期的?に続いていた。現場責任者が対応するが、
酔客と、ヤクザ、チンピラの恐喝のストレスは、想像の域を超えるという。 
 ホテルマンの教育で一番初めに受けるのが、客からの罵声に備えた訓練。 
お客に扮したトレーナーが、大声で無理難題を言うのを、ひたすら受け流す
訓練。暴力団は、弱みを見せないで迷わず警察に電話をするのが基本だが、
民事と刑事の境目を彼らは熟知し巧妙に仕掛けてくる。何があっても直ぐに連絡
するが、刑事とて公務員、あてにならない! 前門の虎が脅し客なら、後門の狼は
私? 考えただけで、私でも怖ろしい! その後に、暴力団の不当行為をなくす
法律として、平成4年に「暴力団対策法」が施行されたのを境に、脅しが年々、
減っていった。それでも、手口は巧妙になって続いていた。今では、暴力団と
知って宿泊をさせると、宿の方も罰せられる? 事務所も、それを隠して契約
をした暴力団が逮捕されたニュースが流れていた。暴力団にしたら、年々、凌ぎ
が厳しい絶滅動物になっている。 30年間、ニアミスは一度も無かったが、
相手も、自動的に交番と、暴力団対策課に連絡する相手は、一番の難敵。
犯罪捜査に積極的に協力するフロントは、私設交番でもある。そこに恐喝など、
無知なチンピラ以外に仕掛けてこないが、それでも仕掛けてくるから・・ 
警察は全ては解決をしてくれないが、直ぐに相談する習慣こそ、大事。
一番悪いのは泣き寝入り!そういえば、一晩に43人が宿泊したことがあった。
・・・・・・
4501, 閑話小題 ーバランスボール
2013年07月13日(土)
   * バランスボール
 腰痛の本は雑誌などの記事で読んだことがあったが、図書館から借りて
読むのは初めてである。母親が腰痛持ちだが、私もその体質を引き継いだ。
腰痛は昭和38年の長岡豪雪で高校の屋根の雪下ろしでのギックリ腰から持病
になり、現在も完治はしていない。借りた本に、腰痛にはバランスボールが
良いとあった。書斎の椅子にバランスボールを交互に使うことを勧めている。 
さっそくHCに行ったがサイズは大・小のうち、その小しかなかった。
小でも大丈夫だろうと1500円で買ったが、やはり小さい。台を置いて辛うじて
使っているが不安定。スポーツセンターのエアロの一つに「バランスボール」
がある。当初、数回、参加したことがあったが今は参加していない。
これは直径80センチぐらいのゴムの厚いもので、この上に座ってストレッチ
やエビ反りや、上下のバウンドをする。机の横において腰が疲れると椅子から、
これに乗り換える。まだ3日なので効果は分らないが、直感的にみて良いようだ。
ところが、何時の間に家内が、居間のTV前で椅子がわりに使い出した。
 この半世紀の間に、3年に一度位の割合で強い腰痛になっていた。
軽いのは季節の変わり目で、年2〜3度の年中行事。最後に重いのきたのが
4年前の7月で、治るまで一月以上を要した。この時のキッカケが、
「パッション」という腰叩き専用のマッサージ機を購入した時のこと。
あまりに腰が気持ちが良くて、使いすぎて逆に重症の腰痛になってしまった。 
それ以来、本気になって腰痛対策を幾つか取り入れた。まずベッドに低反発枕
と低反発マッド。会社の椅子には低反発クッションを。居間のTVの前には
低反発クッションを導入。それ以来、大きな腰痛は4年間、一切ない。
2年前からのスポーツジム通い運動と、16ヶ月間、週二回のヨガ・エアロ
の効果もあって、今では腰の重さが五分の一以下の軽さになっている。 
特にヨガは腰痛の自己治療と思えるほどで、足腰の歪みを修正してくれる。 
借りてきた本によると、椅子に座った状態で、体重の三分の一の重量が腰に
かかるというから、私なら20キロである。毎日、4時間近くパソコンの
前の椅子に座るので、その負担が実感している。
 ・・・・・
4127, 閑話小題 ーシネマ
2012年07月13日(金)
   * 相変わらずのシネマ通い
 今年になってから平均して月3回はシネマ通いをしている。少し通い過ぎ?
だが値段の割に価値を感じるからだ。エネルギーを持て余している現在、手軽な
ストレス解消になる割りに毒は少ない。物語に意識しドップリ浸かるのがコツ。
最近のシネマはデジタル特撮効果で画面も映像も圧倒的迫力がある。
家でもWOWOWなどで映画やシリーズのドラマを見ている。頭には決して
良くはないのだろうが、面白いこと、この上ない。今年に入って特に面白かった
のは、韓国映画の「マイウェイ・12000キロの真実」、邦画で「外事警察」、
ハリウッド映画では「バトルシップ」というところ。千円のため、居酒屋一軒分
で月三回は価値がある。 最近では外れは殆んどないが、もし千五百円なら半分
も行かないだろう。映画の開始前に予告が流されるが、それに洗脳されてしまう。
時代背景の家具や服飾を見るのが楽しみ、というのも年齢のため。一つ酒を飲み
交わす場面で、徳利は江戸末期になって出まわるようになったもので、それまで
は鉄瓶のようなもので温め、杯についでいた。19Cのロンドンを背景にした
映画は、時代考証を見るだけで面白い。 話は変わるが、先日、家電店で
80インチのTVを見てきた。80万位だが、ここまで大きいと迫力がある。
月3回のシネマ通いは、たまたま面白いのが来ていたためで、1〜2回で充分。
   * オスプレーの反対運動
 飛行機とヘリ兼用のオスプレーの反対運動、何故、あそこまで反対するのか
不思議。沖縄に配備されると一番困るのは中国で、都合が良いのは日本。
飛行コースを決めておけば、別段、危険ということはない。ヘリコプターの
役割もあるので、飛行機と違って、滑走路を必要としないため何処からでも
離発着が可能である。 反対理由は中国からの裏指示と疑うのは当然である。
沖縄の飛行場周辺の街は、基地のために後から出来たものが殆んどで、わざ
わざ基地を街の近くにつくった訳でない何故か誰も、このことを言わない。
嫌な臭いがする反対運動である。  話は変わるが、原発に対するアンケートで、
「全エネルギーの25%を原発が担っているが、15%位が良い」、が一番
多い調査結果が出た。現在の日本は、「原発は危険だが、存続が必要」なこと
ぐらいは、分かっている。このままいけば、周辺各国から、寄って集って領土
など資産を毟りとられてしまう。原爆被爆国だからこそ、原爆を持つ権利が
十分ある理屈もある。もう敗戦国の負い目から脱皮すべきである。67年も
経って何が保証である。表立った再軍備をすべきで、原爆を持つべきである。
 ・・・・・・・
3761, ユング ー 4
2011年07月13日(水)
  共時性とはシンクロ二シティの訳語で、ユングは、「意味ある偶然の一致」
 と言っている。ユングのいう共時性(シンクロ二シティ)の定義を
 「臨床ユング心理学入門」 山中 康裕著で、
  第一の定義  非因果的連関の原理
  第二の定義 「別々の出来事が、互いに因果関連はないが、時間的に
         一致してそのつながりに意味が感じられる事態を示すこと」
  第三の定義 「別々の出来事が、時空間的に互いに一致して、しかもそこに
         意味深い心理的関連が感じられる事態を示すこと」
  第四の定義 「心の世界と物質の世界をつなぐものとして考える場合」等、
        定義している。
 ここで山中 康裕は、「そのような心の現象は実際に多く存在し、従来の
  確率論で予測される期待値よりはるかに高い確率で生じている」
*また、河合隼雄は、「希望する人にとっては、共時的現象がよく見える
 ようになる。共時的現象は、実のところよく生じるが、われわれがそれを
 把握していない、と考えられる。「希望する」人は、心が広く開放されて
 いるので、共時的現象によく気づく」
*ジーン・シノダ・ボーレンは、「自然発生的な共時的出来事は、心の中の状況
 が活発に働き、強い情動を帯びるのに共鳴し、それにともなって起こるものです」
 「心が霊的に中心化されてくると、タオに触れることによって、積極的に共時的
 出来事がおこるようになってくる」「まず、霊的な価値を求めよ。何事であれ、
 必要な形あるものはやがてやってくる」「イエスは、人々をみちびくにあたって、
 神の国について教え、この最高の価値は人々の手元にあって到達できるものである
 ということを語りながら、それを求めるように説きました。私には、もしも人が
 まず神の国を求めさえすれば、現実の必要をみたすために共時性が与えられる
 であろう、と語っているように思われる」と述べている。
▼ 私も、この6番目の感覚を得るまでは、半信半疑より、ほぼ否定的であった。
 しかし、この感覚が内側から出てからは!一変。作家の佐藤愛子も、この感覚を
身についてから、その経験の本を出している。しかしネットを始めた頃か、哲学書
を読み始めた頃からその感覚は急激に薄れていった。共時性は、人間の持っている、
ある情報器官がはたらいた結果だが、現在の情報端末は、それをはるかに超える。
特にモバイル携帯は、人間の6感を超えて我々の存在のあり方を根底から
変えようとしている。 で、過去分の同月同月をコピーして驚いたが、7年前の
7月13日に偶然、ユングの共時性について書いていた。これも意味深い偶然
の一致していた。
   ・・・・・・
3396,  蛸が、サッカーの結果を予測
2010年07月13日(火)
 蛸がサッカーの結果を8試合全部を当て話題になっている。面白そうなので
少し考えたみた。蛸からすればサッカーの勝負など関係がない。ただ、どっちに
入るかでしかなく人間が騒いでるに過ぎない。 とはいえ偶然の一致?が、
8回も続くことは有りえないから、何かがあるのか。
考えられることを挙げてみると
・蛸の予測に自信を持ったチームが勝ち進んだか、     
・誰かが予測をして蛸を人知れずに誘導しているのか、
・蛸が水槽の外の誰かの顔を見て左右を判断しているのか、 
・上記など全てを直感で判断する超能力がある、
・人間には知りえない何かの能力がある、等が考えられる。
 マスコミが注目をしてたには、それなりの実績があったはず。 
諸説が出てくるのだろうが、夢があり面白い。何かトリック?を見つけるより、
そのままにしておいた方がよい。理屈からみれば、何で蛸が人間どものゲーム
の勝敗を当てなければならないのか? その理由など一つもない。
当った当たらないは、人間が勝手につくり上げた虚構でしかない。
でも事実、試合前に勝っている方に入っているではないか?といえるが、
その勝ち負けを設定しているのは人間様。8回も当たったという人間様の論理
そのものを疑う必要がある。ドイツの勝ち負けの視点からみている、そこに何か
あるとみるべき。とすると、水槽の中で、誰かのサインにしたがっている説が、
有力に思える。 でも、そんなことは、どうでも良い。スペインの優勝より
大きな話題になったから、それで充分である。蛸は三年しか生きないと
いうから次回は無理とか。


5232,窃盗専門の「泥棒刑事」 −①

2015年07月12日(日)

           『泥棒刑事』 元三課部長刑事 小川泰平著
  * 窃盗専門の「泥棒刑事」が明かす泥棒の実態
 泥棒専門の第三課元刑事が書いた本だから、面白くないはずはない。
30年間、ホテル経営をして中で、常に不審者が数人、宿泊をしていた。
そこに刑事が目をつけて、フロントの宿泊者名簿と、出入りの時間をチェック。 
指名手配、挙動不審者をマーク、尾行などは日常茶飯事。その中で、流しの
チンピラが恐喝をしてくるのが居るから、目くら蛇に怖じず、そのもの。
日本の警察は凄い。駅前のホテルでのチェックは、防犯からみて、効率は良い。
 それにしても、世の中、得体の知れない人間が多い。〜その辺りから
≪ 窃盗には1、侵入盗 2、非侵入盗 3、詐欺盗 4、乗り物盗がある。
 ・1の侵入盗とは空き巣のように、自宅や事務所に侵入する泥棒。つまり、
 住居侵入罪や建造物侵入罪になる場所に侵入し盗みを働くというものである。
その手口は、空き巣、忍び込み、居空き、事務所荒し、金庫破り、旅館荒し、
官公署荒し、学校荒し、病院荒し、給油所荒し、出店荒し、工場荒し、
更衣室荒し、倉庫荒しなど、多岐にわたっている。
 ・2の非侵入盗とは、ひったくりや、スリなど、屋外での犯行をいう。
具体的な手口としては、ひったくり、スリ、万引き、自動販売機狙い、さい銭盗、
置引き、仮睡者狙い、途中狙い、色情盗、等々である。
 ・3の詐欺盗とは、窃盗ではあるが、装ったり、ロ実を設けたり、詐欺的要素の
ある窃盗のことをいう。手口としては、職権盗、慶弔盗、追出し盗、買物盗など。
 ・4の乗り物盗とは、乗り物を窃取するもので、自動車、オートバイ、自転車盗。
 こうして見ていくと、泥棒の種類には空き巣狙い、金庫破り、事務所荒らし、
車上狙い、置き引き、出店荒らし、万引き、自転車盗などがあるが、数が最も
多いのは、自転車盗などの乗り物盗である。
 侵入盗に関しては、空き巣狙いと、事務所荒しである。そしてこの空き巣と
いうのは、「家人等が不在の住宅の屋内に侵入し、金品を窃取する」泥棒をいう。
空き巣の手口というと、千差万別ではあるが、侵入方法ということに限ればある
特徴が見えてくる。まず時間帯であるが、ドロ刑には「宵空き」という言葉がある。
つまり空き巣が発生する時間帯は夕暮れ時が最も多いということである。夕暮れ
あたりが薄暗くなりベランダ等への侵入などで人目につく可能性も多くない。
またその特間帯に帰宅するサラリーマンはほとんどいない。そしてなにより、
通常自宅に人が居れば電灯がつく時間に部屋が真暗であるので不在であることが、
一目瞭然なのである。そして夕暮れ時に犯行に及ぶことが多くなるのである。
 次に侵入場所であるが、いちばん多いのがマンション、アパートなど集合住宅
の一階である。さらに付け加えるならば都市部において泥棒が狙うのはもっぱら、
マンション・アパートなどの集合住宅である。一戸建ては普通あまり狙われない。≫
▼ 時どき、玄関のチャイムが鳴るが、誰も居ないことがある。その内の一つが、
 泥棒が所在の確認のケースがあるという。日本には泥棒の専門職?が、3千人
存在していて、一人あたり数百件の余罪を持っているという。万引きを含めると、
3〜5%は、危ない線上にあるというが・・ 中学の同級生に一人は、危ない?
のが居たことから見て、頷ける。空巣に入られた経験が無いが、知らないだけ
かもしれない。「嘘は泥棒の始り」というが、悪い奴は何事も身近から始める!
・・・・・・
4867,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー35
2014年07月12日(土)
   * 駅前ホテルと旅館の社長たちの抗議
 開業直前のこと、以前の会社の事務長が、わざわざ長岡から近況を知りたいと
開設準備室に訪ねてきて、世間話をしていると、開業予定地の真前のホテル社長
から『これから、伺います!』と一本の電話。 その事務長は長岡近郊で工場を
経営していたが火災のため倒産した経歴を持つ人で、威風堂々としている。
しかし、前の上下関係もあって、私の前では表向きは服従だった! 
当人は元社長なので、それは知り尽くしている。その雰囲気の中、地元のホテル、
旅館の主だった社長連中が7〜8人、ドタドタと乗り込んできた。何だろう?
と思ったが、要は、税込み3980円の価格破壊に対する抗議と圧力のつもり? 
ところが、事務長は、その空気に固まってしまったが、それが、彼らに恐ろし
そうな人に見えたようだ。 それと、私にすれば15年間の準備期間を持っての
覚悟がある。烏合の衆になった彼らの方が、明らかに恐れているのを見て取れた。
そこで『私は、ホテル・旅館の組合に入る予定は一切ありません。問題がある
なら、訴えればよいではありませんか! 名刺を見ると、素人の駆け出しの私に
とって貴方たちは、神様のような存在。それが、こんな、抗議をしてくるとは!』
と、我ながら、冷静な受け応え。 彼らは、罵声を浴びせようにも、得体の
知らない恐持ての来客が腕を組み座っている。その人が、私の一言で絶対命令的
に立ち上り席を譲るのを見て、気を飲まれたのが分かった。 第一、グリーン、
ハイマート、ステーションホテルや、その後、自死?した旅館の主も? で、
ここで知ったのは、何とも大らかな世界の存在。で、数分で、すごすごと、何を
しにきたのか?曖昧のまま、帰っていった。それよりも、事務長、何と面白い
場面に出くわすことが出来たことか。 それとも極限の恐怖だったか? 
私はゼロというより、面白かった!が。現在も、そのまま経営している彼らか、
その子息が、三年前に「そら、見たことか!」と喜ぶ姿が目に浮かぶが、
「それ、逆でしょう?」という考えは、彼らには、あり得ない?毎日が青色吐息
で、この原油高!その世界が全ての彼は、止めるに止められず!万一のシェルター
の備えがあるかどうか?「倒産や、廃業は悪い!」の銀行系価値観の盲信が、
自分を縛っていることすら理解できない。人様の財布の中までは分からないので、
これも私の思い込みか・・ 長岡も、新潟も、まずは、根こそぎの価格破壊が
新規参入の役割。だから、地元では創業など、すべきでない。それまでの売り方、
商習慣を破壊するのが新規参入者の役割。だから既存の人たちを根こそぎ否定
せざるを得ない。で、駄目だったら、止めればよい。そこに当然、軋轢が生じる
が、それを受け止めればよい。そのまま、結構!である。
・・・・・・
4500, 大往生したけりゃ医療とかかわるな ー3
2013年07月12日(金)
          『大往生したけりゃ医療とかかわるな 』中村仁一著
  * 年寄りの不具合は、すべて老化が原因か、老化がらみ
 現代医療は、「老い」を「病」にすり替える。「病」は、回復の可能性が
あるためだが、老いはどうになるものでないのに、病気扱いにし薬漬けにする。 
老人性鬱も、老いれば誰でも落ち込む。それを病気といって薬を与えれば、
自動的に薬中になってしまう。で、それが高じてボケを早めるパターン。
保険で薬が安く入手できるので、直ぐに病院に行くが、相手も商売の要素が
強いところ。病気という毒を、違う毒で征する危ない手法を駆使するところ。
   ーそこで、この本で面白そうな要所を抜粋ー
・リハビリテーションは、リ(再び)ハビリス(人間にふさわしい)エーション
 (状態にすること)の合成語で、人間が人間にとってふさわしくない状態に
 置かれた時、再びそれにふさわしい状態に戻すことを指し、病前の姿への
 復帰を意味するわけでない。以前なら死んでいたものが、死ぬでもなく
 助かるでもなく、ただズルズルと生かされている事態が起きる。
・「死」を、止めたり、治したりすることはできません。しかるに、治せない
 「死」に対して、治すためのパターン化した医療措置を行います。これらは、
 せっかく自然が用意してくれている、ぼんやりとして不安も恐ろしさも寂し
 さも感じない幸せムードの中で死んでいける過程を、ぶち壊しているのです。
・点滴注射もせず、口から一滴の水も入らなくなった場合、亡くなるまでの
 日数がどれくらいかというと、7日から10日が多い。
・「できるだけの手を尽くす」が、「できる限り苦しめて、たっぷり地獄を
 味わせる」とほぼ同義になっているといっても、いい過ぎではない状況。
・日本人は、病気や障害を理由に、甘えて依存しがちです。また、それを許す
 傾向にあります。こういうことをしていると、欲しくない時にも、無理やり
 口の中に押し込まれるという「拷問」にかけられることになる。
・死にかけの人間が医者にすがるのも、あまり感心しません。なぜなら、いかに
 生きるか、いかに死ぬかは人生の問題、医療で解決できる問題ではないからです。
・初めから、本人が誰かに何かをしてもらいたくて、自分の足で立とうとせずに
 ぐにゃぐにゃしていたのでは、両側から無理に抱え上げようとしても、
 どうにもなるものではありません。今、老いも若きも、病気は医者に治して
 もらおう、苦悩は誰かに解決してもらおうという、この手のひ弱な人間が
 日本中に溢れています。
・現在の日本人は若さにこだわり、「年のせい」を嫌って認めようとはせず、
 近代医療に過度の期待を持ち、老いを「病」にすり替えています。なぜなら
 「老い」は一方通行で、その先には「死」が待ち構えています。一方、「病」
 には、回復の可能性があるからです。 ・・・年寄りの不具合は、すべて
 老化が原因か、老化がらみです。今さら、医者にかかって薬を飲んでみた
 ところで、若返らせることは不可能で、根本的には、どうにもなりません。
・問題は、健康は、人生を豊かに生きるための手段であるはずなのに、それが
 目的になってしまっている点にあります。本来、「健康は、こういう生き方を
 するために、この程度必要」というものでしょう。それが「生き方」もない
 のに、「健康」だけを追い求めることに、どれほどの意味があるのでしょう。
▼ 「還暦を過ぎたら、自然体で、あまり病院などに行くな。どの道、少し
 早かれ少なかれ亡くなるのだから」と、特老の医師が言うのだから、内容は
シリアスである。「表面的に健康に戻すために、毒を盛って、毒を征する」のが
実態なら、毒を毒のまま放置しておいた方がよいというのも筋が通っている。
成人病で突然死した人と、特老などで不自由な生活をおくっている人と、
どちらの生き方を選ぶかというと、どうだろう? 介護生活が平均10年も
残されていると知った現在、末期ガンで余命半年も喜ぶべきかもしれない。
不自由の長生きも辛いということ。
・・・・・・
4126, 第一感は叡智である
2012年07月12日(木)
 倫理研究所の「日捲り」にあった言葉。 「第一感を働かせよ、これは叡智。 
気がついたら間髪いれず実行。」と。出来る人は、これを純粋に実行している。
ひと呼吸を入れると必ず迷いが出る。その前に実行すればよいことを出来る人は
知っている。もし迷いが出ても、「迷った時は、可能な限り実行する」という
駄目押しの信念を持てばよい。即実行をしないと人生、後悔をする。
そこで、「倫理研究所」のHPを覗いたら次の内容があった。
  ー 万人幸福の栞17ヶ条ー        ー逆も真なりー
1 今日は最良の一日、今は無二の好機 (今日は最悪の一日、今は無二の危機、
                          と考え一日に挑戦する)
2 苦難は幸福の門                (順境は不幸の門)
3 運命は自らまねき、境遇は自ら造る       (運命を考えるときは、
                           境遇が悪いときだけ)
4 人は鏡、万象はわが師    (鏡を見すぎると、何が何だか分からなくなる)
5 夫婦は一対の反射鏡             ( 乱反射があるだけ )
6 子は親の心を実演する名優である      (子供は、親の歪み?)
7 肉体は精神の象徴、病気は生活の赤信号 (精神は肉体の象徴? 違うだろう。
               健康は生活の青信号?これも違う!未病もある)
8 明朗は健康の父、愛和は幸福の母(陰鬱は不健康の父?トラブルは不幸の母? 
                    裏表じゃないか、健康も不幸も?)
9 約束を違えば、己の幸を捨て他人の福を奪う (約束を守るだけでは不足?
                     もう一歩踏み込んだ実行! 無理?)
10 働きは最上の喜び       (方向が正しいなら良いが、間違って
                    いれば、働くほど最悪の悲しみの道)
11 ものはこれを生かす人に集まる   (使い切った後、いかに捨てるか?)
12 得るは捨つるにあり            (得るは拾う人にあり)
13 本を忘れず、末を乱さず (本も、末も叩き壊せ、創造は、そこより始まる)
14 希望は心の太陽である   (絶望から、全てが始まる。空即是色である。
                       希望を目標まで具体化すべき)
15 信ずれば成り、憂えれば崩れる (疑いは、考える第一歩。憂いを乗り
                     越えてこそ厚みのある実現がある)
16 己を尊び人に及ぼす   (人の美点を尊び、その結果、美点を吸収する。
                        それが己を尊ぶことになる)
17 人生は神の演劇、その主役は己自身である(人生は悪魔‘=欲望’のなすが
                    まま、欲望と後悔の織り成す絨毯である)
▲これが裏表を成すのが人生。だからこそ味わいが出てくる。だからこそ、
 明るい視点で人生を日捲りで確認する必要がある。ー逆も真なりーは、
 居間で晩酌をしながら下書きしたもの。酔いで歪みが出てきたためか、
 すらすらと書けたが・・ 正・反・合の、反。
・・・・・・
3760, ユング ー 3
2011年07月12日(火)
 ユングといえば、「布置」と「共時性」である。 
〈次数の関係でカット2012年7月12日ー ブログに貼り付けてあります!)
 ・・・・・・
3395, 何故、名古屋の資産家の息子が麻布で?
2010年07月12日(月)
 学生時代に30日間、一緒に欧州旅行した男が、何ゆえに麻布で撮影会社の
社長になったのか?非常に興味があった。その話を一昨日に会って聞いたが、
チョットしたドラマ仕立て。撮影会社といえばカメラマンとモデルやタレント、
そしてスタジオが舞台になる。撮影の世界は世間一般とは異質である。
人間関係が広く、うるさい上に腕の差が作品で明らかになる。その世界で麻布周辺
で三箇所のスタジオに80数人の会社を経営をしているのだから、そのプロセスの
話しが面白くないわけがない。その会社を独立させるまでの経歴がドラマ仕立てで
面白い。三時間が瞬く間に過ぎてしまった。プライバシーもあるので具体的に
書けないが、静岡の友人と、その話しを三時間に渡って聞き入ってしまった。 
大学を卒業後、普通の会社に4年間勤務した後、実家の貸しビル業に戻ったが、
親父と衝突など色いろあった後、東京の撮影会社に勤務(弟子入り)。
そこは百貨店の商品のチラシやパンフレットの写真を扱っていた。そのうち
一つの百貨店をイトーヨーカ堂が買収した時に、社長がスーパーの写真など
撮りたくないと拒否反応。そのため、わざわざ分社。その会社の責任者になった
が、撮影写真一点あたりの価格が百貨店の半額以下にプライスを抑えられた。
そこで知恵を発揮して採算にあうようにした。その結果、ある時点から分社の方
が組織的に大きくなり、稼ぎかしらなった。それを良しとしない社長との対立。
会社を辞めた、ところ過半数が辞めたので、やむなく会社を設立、現在に至った
という。そこから一人の男の人生が見えてくる。寡黙な純粋な男だったが
ユニークな人生を生きることになるとは驚き。そこの人間関係は非常な華やかな
世界で、有名タレント、歌手、プロ野球の選手など、撮影で接するのが日常とか。
それにしても、学生時代の色いろな友人から見えてくる人生は面白い。
面白か、恵まれているから、会う機会ができるということもある。このリーマン
ショック以降、経費削減の影響を直撃しているという。 
最後は、人間性、品格で人生がつくられる、ということ。
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3020.旅する力ー深夜特急ノートー4
2009年07月12日(日)
旅する力 ー深夜特急ノート ー4
 「旅する力ー深夜特急ノート」 沢木耕太郎著    読書日記
    第三章 旅を生きる
 * そのたびの最大の幸運は、第一歩を踏み出した所が香港だということ。
のちになって理解することになるのだが、香港から東南アジアを経てインドに
入って行くのには、そこから徐々に異国というものに慣れていくのに理想的な
ルートだったかもしれない。気候とか水や食べ物といったものに徐々に慣ていく。
湿気、暑さ、食べ物の辛さ・・。だから、インドに入って下痢をすることも
なかったし、どこでもすぐにその土地の食べ物を美味しく食べることができた。
 解)そう言われると、成るほどと納得する。登山のように徐々に空気の希薄に
  慣れていくのは同じことか。
*私は、何時のころからか、新しい国に入ると、暇そうな人を見つけては言葉を
教えてもらうようになった。しかし、語学の乏しい私には、多くの単語を一度に
覚えるのが難しい。そこで、次第に必要最小限の単語だけを教えてもらうように
なった。 いくら 何 どこ いつ  こんにちは ありがとう さようなら
この二つのグループの7つの言葉さえ覚えていれば、まったく情報のない国に
入って放置されても、なんと切り抜けることがわかってきたからである。
もう一つ、宿も、かりに安宿も、中国人が経営している限りは 最低の清潔が
保たれてしたし、食堂も、どんなみすぼらしい店構えでも、中国人が調理を
しては火が通った安全な食べ物を提供してくれる。私は、やがて、どんな
ところに行っても、まずはチャイナタウンを探すようになる。
 解)世界中どこに行ってもあるのが中華料理店で、味の外れは少ない。
(一番外れが大きいのが和食の店) 何処に行っても、中国人がいるから、
いい加減な料理も出せないのだろう。


5231,思いが人生をつくる ー③ 〜最もやっかいな‘スピリチュアルなプライド’

2015年07月11日(土)

思いが人生をつくる ー③ 〜最もやっかいな‘スピリチュアルなプライド’

        『思いが人生をつくる』〜ジェームズ&リリー・アレン著
   * もっとやっかいな‘スピリチュアルなプライド’
 人間は程度の差があるにせよ、多かれ少なかれ、‘知的プライド’も、
‘スピリチュアルなプライド’を持っている。 問題になっている「IS」
 の原理主義をみれば、極端なプライドが浮び上がって見えてくる。
 それは、ユダヤ教、キリスト教も同じこと。 〜その理由とは〜
≪・「知的プライド」より、もっとやっかいなのが「スピリチュアルなプライド」。 
 なぜならこのプライドは、「知的プライド」よりもあいまいで、なおかつ人を
 容易にだますからです。「スピリチュアルなプライド」が、同じ信仰をもたない
 人に対して「救われない存在」というレッテルを貼るのです。「スピリチュアルな
 プライド」をもつ人が、「世界はおかしい、すべてさかさまだ。私たちが社会を
 正さなければいけない。私たちだけが、スピリチュアルな信仰を啓発することが
 できる」という発言をするのです。
・しかし世界は、このような人が生まれる前から存在していましたし、
 彼らの信仰する宗教が現れる前に存在していたという事実はどう説明するので
 しょう? 「自分よりも他人をもっと尊重しましょう」というスローガンは、
 明らかに受け入れがたいものです。この「人を混乱させる」スピリチュアルな
 プライドを排除しましょう! すべての宗教は善であり、神の道を純粋に説いて
 いるはずなのです。私たち人間はすべて、人生の灯りを探求しており、また
 自分たちの灯りに従って生きているのです。そして一番の理想は、その灯り
 のみに従うこと。すぐ他人よりも優れている人は、すべての人に奉仕しなければ
 いけません。「知的プライド」を克服する良い方法は、「私たちは無知である」
 と知ることで膨大な量の知識、無限の世界、そして私たちが想像もつかない
 ような概念のことを考えるのです! ≫
▼ 「自分よりも他人をもっと尊重しましょう」は、一見、素晴らしい言葉。
 「自分と同じように他人を尊重しましょう」が正しい。出来ないなら、まず
フリをすればよい。人は概ね一ランク〜二ランクは自分を買い被っている。
問題は、自覚できるか出来ないか。出来ないと、他人の揚げ足をとって、
鬱憤を晴らすしかない。だから、世には争いが絶えない。しかし、これなくして
人は生きられない時がある。生きる灯り、これは経験と知識を通し得るしかない。
・・・・・・
4866,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー34
2014年07月11日(金)
   * 開業前の戸惑い
 店の先頭に立った切った張ったの千葉・長岡の8年間の生活から、今度は、
小さいが社長の立場。御客との直接接点がゼロになってしまった。しかし、準備
期間の一年は、開業直前までは何もかも独りである。学校に新卒、職安には中途
採用、リクルートには東京まで管理職の募集に行かなければならないが、それら
は長岡で経験済み。前宣伝も広告代理店と打ち合わせ、ホテルの備品の購入の
全てを自ら決定していく。それらが、直前に集中するため、加熱状態になるが、
それが面白い? 既存の組織があれば、それぞれの部門の責任者を決め、一つ
ずつ対話をしながら決定していくのが、それが無い場合、独り言を口に出して
決めていく。開設準備室のベニア板一枚、隔てたゼネコンの現場事務所の主任が、
それが何とも不気味だと注意もされた。8年ぶりの今回も、独りからの出発。
 この慣れには、3〜6ヶ月は、かかるが、戸惑が先にたつ。 全て、置いた
環境が自分を慣れさせる。ホテル開業の数週間前に、学生ショップの開店。
その後、ホテル開業になる。 その間に、色いろなことがあった。
ある30歳前後の女性が、開設事務所に履歴書を持って訪ねてきた。
『私は古町で、学生ショップの会社の事務をしている。ある長岡の問屋の方から、
貴方のことを聞いているが、貴方の経営戦略が面白そうなので、是非、事務に
雇って欲しい』という。私にすれば『エッ何?』の小説のような話。
『商道徳上、いくら何でも、それは出来ないでしょう』といっても、なかなか
引き下がらない。最後は引下がったが、今度は『私が立場上、駄目なら親友が
働きたいというので、駄目もとで、面接だけでも!』と、本人を連れてきた。
それが品が、この上ない上流階級?ふうの御婦人。 私を余程の凄腕と勘違い
をしているよう。なるほど、長岡と新潟だけでも、これだけ割りきりが違うと、
思い知った。 もう一つ、開業直前、地元紙に〈学生ショップを併設した面白い
ホテル〉の見出しで、記事を書いて貰った。掲載された当日の夕方、自宅に一本
の電話、『私は三条駅前で学生服を販売している者だが、貴方のアイデアの
ホテル開業を羨ましく思う。間違いなく成功するでしょう・・』と、一方的な話。
何と答えてよいか分からず、「はい、そうですか、有難うございます」と、
丁重に答えるしかなかった。15年の準備期間を経た立ち上げ。 その戦略を
褒めてもらったり、押しかけが来たり! 世の中は、面白いもの。
その間には、前の会社の、ある社員が訪ねてきて『会社がピンク色?に染まり、
誰一人、真剣に仕入れをしない。あるのは男女間の噂話。このままでは会社が
潰れてしまう。クーデターを起こすので戻って欲しい!』と必死の訴え! 
私も命を張った大勝負の時節!で、断ったが、これ、誰にも言わなかった秘話。
その数ヶ月後、会社の危機を議論をした翌日、心不全で亡くなっていた、という。
彼の口癖が『とにかく、この会社が好き!』だった。何とも哀く気の毒な出来事
だった。 この頃から、姉夫婦の立ち上げた会社の不調の噂も流れてきていた。 
商売は常時戦場!決して生易しくない。
・・・・・・
4499, 大往生したけりゃ医療とかかわるな ー2
2013年07月11日(木)
   『大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ』中村仁一著
  *「治療に関する思い込み度テスト」
「私たちの医療に対する信頼は思い込みでしかない」と著者は、医師の立場から
切り捨てている。私も変わっているので、このテストで○は2〜3つしかない。
現在の医療を信頼してはいけないということ。
特に老人は、病院にとって金のなる木。信頼するほど真逆の結果、
搾り取られるだけ!というのも、至極当然。その結果、何とか長生きした先が
特老というのも、極論とも思えない。還暦を過ぎたなら、病院でチューブで
繋がれる道でなく、自然死を選ぶのも一つの選択。 ーその辺りから抜粋ー
≪「医療の鉄則」があります。1、死にゆく自然の過程を邪魔しない 
1、死にゆく人間に無用の苦痛を与えてはならない今の医療現場では、この真逆
 が行われている。 私が主催する「自分の死を考える集い」の参加者に、
 以下のような「治療に関する思い込み度テスト(信頼度テスト)」を行なった。
�ちょっと具合が悪くなると、すぐ医者にかかる
�薬を飲まないことには病気はよくならない  �病名がつかないと不安             
�医者にかかった以上、薬をもらわないことには気がすまない 
�医者は病気のことなら何でもわかる     �病気は注射を打つほうが早くよくなる           
�よく検査するのは熱心な医者だ       �医者にあれこれ質問するのは失礼だ           
�医者はプロだから、自分に一番いい治療法を教えてくれるはず
�大病院ほど信頼できる医者がたくさんいる 
�入院するのなら大病院・大学病院が安心できる�外科の教授は手術がうまい           
�マスコミに登場する医者は名医だ      �医学博士は腕がいい              
�リハビリはすればするほど効果が出る
 いくつ◯がつきましたか? 奇人、変人の多い「集い」では、
 ○印がゼロがかなりでした。
�の説明は学術専門誌の編集長・インゲルハイム氏の言葉の引用です。
「ニューイングランド・ジャーナル・メディシン」の編集長は「病気の80%は
医者にかかる必要がない、かかった方がいいのが10%強、かかったために悪い
結果になったのが10%弱」と言いました。4世紀半以上も前の話なのに、
今も反論がないそうです。病気を治す中心をなすのは、本人の自然治癒力です≫
▼ これでも日本の医療制度は世界一のレベル。病院とはいえ、経営システム
 が必要で、一番の利益になる老人に、可能な限りの医療を施すのも自然である。
問題は、当人の死に方の選択になる。そのためには、このような視点を知って
おくべきである。少しの延命のため、無用の苦痛を与えるのが果たして治療と
いえるのだろうか? 40年前に父が大手術の一年後に亡くなったが、亡くなる
一月ほど前にポツリ言った言葉が耳に残っている。「あれ程の苦痛なら手術を
しなかった!」と。悪性のガンは、どのみち助からない。なら、人間ドックも
手術も無用ということになる。医者が自然死を勧めるほど実態は薬漬け、
チューブつき。酒を飲んできた人は麻酔の効きが悪いというし・・
死に際の厳しさは、実際は壮絶だろうが、生き返って誰も証言しようがない。
生きているうち、楽しみ、味わうしかないのか。
・・・・・
4125, マネー大動乱
2012年07月11日(水)
     「日本と世界を直撃するー マネー大動乱」増田悦佐著
 世界の激動する国際金融危機を解りやすくダイジェストに俯瞰した内容。
著者の視点で日本国内のついての悲観論と、欧米や新興国についての楽観論に
対して、まだ日本はマシと論じている。 それぞれの章ごとに、ポイントになる
部分を書き出して、それについて論じてみる。世界のマネーは動乱に入った。
 ー 第一章 アメリカは財務省・ウォール街複合体に潰される?!
        〜上位一パーセントの総取り!
【 2007年で、最も裕福な1パーセントが合衆国の全ての資産の34.6パーセント
 を所有しており、次の19パーセントの人口が50.5パーセントを所有している。
要は、二割の人口が85パーセントの資産を占めている。逆に連邦政府が定める
貧困ライン(4人家族で2万2千ドル=180万)以下の生活をおくっている人
が4620万人。人口比にすると15パーセントも存在する。信じられないことだが、
生活保護やフードスタンプ(低所得者向け食料配給カード)など、国や州の援助
がなければ生活が出来ない人が47〜8パーセントもいる。失業率は2008年
初頭で5パーセントだったのが、リーマンショックで10パーセントを一時期
超えたが、去年の秋には8パーセントまで下がってきた。ではオバマの失業対策
が上手くいったかというと、そうでなく、職探しを諦めてしまった失業者が、
労働人口から外れた「無業者」になって、失業調査から外れてしまっただけ。
・・アメリカの実質世帯所得は5万ドルで日本円すると400万円。
これも下落傾向にある。】
▼ ネットでその辺を調べたところ、「全人口の上位1%の税引後世帯収入の
 割合は1979年の約8%から2007年の17%に上昇、2倍になった。全人口の上位
5分1の富裕層が受けとる税引後世帯収入は、1979年の43%からさらに上昇し、
2007年には53%だった。言い換えれば、上位5分の1の富裕層の総額は、他の
5分の4所得を超えている。」とあった。現在の日本も、同じ傾向にある。
特に地方の衰退は激しい。世界的みて富裕層といわれる人は100万ドル、
 日本では1億前後の流動資産を持っている人をいう。だいたい1・8%の
世帯が入るとか。50数世帯に一世帯というと、なる程、そうか?である。
身辺を見渡してみて、豊かそうな人は、その位は持っていそうである。
 そういう人たちは、何があっても、しぶとく豊かさを守る知恵がある。
 ・・・・・・
3759, ユング ー 2
2011年07月11日(月)
       < ユングー地下の大王  コリン・ウィルソンー� >
 あまりに有名な幻覚?だが、序文の冒頭から以下のような刺激的な内容から
始まっている。 ーまずは、その部分からー
【ユソグは六八歳のとき、日課の散歩中凍った道路で滑って、くるぶしを折った。
その二、三日、はげしい心臓発作に襲われた。彼は病院で酸素とカンフル注射で
生き続けた。ユソグに付き添っていた護婦は後に、「私は、死にかけている人が
一種の白熱光で取り囲まれているのを見たことがありますが、あなたもそういう
光で取り囲まれていましたよ」と彼に語った。この状態でユングは、生と死の間
をさまよった人々によってしばしば述べられてきた幻影を経験したらしい。
その第一は、約千マイルの上空から見られ、青い光に浸された海と陸地のある
地球の幻影だった。彼は、赤味を帯びた黄色のアラビアの砂漠や雪でおおわれた
ヒマラヤ山脈を見分けることができた。つぎにそのそばに、彼は阻石のような
巨大な石の塊を見た。 しかしそれは、彼がインドで見たことがある、ある寺院
のようにくり抜かれていた。その入口の近くに、一人のヒソズー教徒が結珈趺坐
の姿勢で坐っていた。ユソグはこう言っている。 近づくにつれて、「私は、
あらゆるものがはがされて行くかのような感じがした。 私が目指したか、
欲したか、あるいは考えたあらゆるものや、走馬灯の様な地上の全ての光景が、
消え去るか、私からはぎとられていった。それは、この上ない苦痛の過程だった」。
そして彼が、そのヒンズ教徒によって、灯心が一杯ともっている寺院内部に案内
されたとき、「私の真の仲間であるすぺての人々」にまさに会おうとしている様
だという確信と、自分の生命の意義と自分が、この世に送られて来た理由が突然
わかったのだという確信をもった。そのとき、ヨーロッパの方角からなにかが
彼のほうへ浮き上がって来た。彼は、それが自分の治療をしていた医者だという
ことがわかった。しかしこの医者は古代のコスー医療の神、エスクラピウスの
寺院のあるところーの支配者に変わってしまっていた。その医者はユングに、
「あなたは死ぬことが許されないでしょう。少なくとも三〇人の女性があなたが
この地球を去るという計画に抗議をしています」と説明した。ユングは、
その幻影があせるにつれて、深い絶望感を感じた。自分はしぼらくの間死んで
いて、それから生によびもどされると確信していた多くの人々のように、
ユングはもどらざるをえないことに憤慨した。その医者が古代の王の形をして
ユングのまえにあらわれたので、彼は、この医者は死のうとしている 
ー実際その医者の死が、彼自身の死の代わりになるのだろうーと信じた。
一九四四年四月四日、ユングがベッドの上に坐ることを許された最初の日、
その医者は熱のために病床につき、その直後敗血症で死んだ。 ユングが、彼の
最後の患者だった。 それは幻影の時期であった。「毎晩私は、もっとも純粋な
至福な状態のなかに浮いて驚いた」。朝が近づくと、彼は「今灰色の朝が再び
やって来ると、今灰色の世界がその贈り物の箱をもってやって来る」と感じた
ものである。そして彼が肉体的により丈夫になるにつれて、幻影は止んだ。
ユングは幻影を、ある形の夢か幻覚とみなさず、根本的な現実に対する洞察と
みなした。「それは想像の産物ではなかった。幻影と体験はまったく現実的な
ものであった。それらについて主観的なものはなにもなかった。
それらはすべて、絶対的な客観視をもっていた」。 】
▼ これは、まさかと思えるほど衝撃的だった。ということは、私には父親が
 亡くなって10年ぐらい、妙な霊感が身に備わった。しかし、その直後に
結婚し、様々な事業体験で極限の経験をしてきた中で、その新たな感覚が増強
されていった。この感覚は他人に言っても信じてくれないことは
(自分が経験してない時を考えれば)分かりすぎるほど分かっていた。
その中で、この文章である!
 ・・・・・・
3394, おテレビ様と日本人 ー1
2010年07月11日(日)
 この本はテレビの与える弊害を書きつらねている。それも「7人の家族」
「鳩子の家」テレビ・映画の脚本家として活躍した人だから説得力がある。 
テレビ局からの一方的な押し付けで思考力を奪ってしまう弊害は大きい。
 4万年前の洞窟の絵文字から、人間は考え、それを他人に伝えてきた。
その中から、他者の持つ複雑な考えの意味を理解しようと勤め、
自分の考えを進化してきたのである。そして人間は、「考える動物」として、
他の動物と違って、飛躍的に文化・文明を蓄積してきた。それが、テレビ様
の御かげで、根本から破壊された。人間が創りあげたテレビという機械に、
人間は勝ち目のない戦いをし、それに隷属されている。人生は短いのに、
日本人の総白痴化が、ここで顕著になっている。 経済、政治について語る
日本人の内容の浅いのも「おテレビ」のお蔭という。 
「911・考えない・日本人」と合わせ、納得させられう点が多い。
 ーまずは、要約部分からー
≪ テレビのない時代、人間が余暇を過ごした方法の一つは読書だったから、
 テレビと本を比較すれば言いたいことがわかるだろう。知的な刺激を求め、
人間が本と親しんだその時間の大部分は、今テレビに奪われている。
本には良書と悪書の区別があった。だが今、テレビに「良番組」「悪番組」など
の識別をすることはない。あまりに一過性で、人に判断の余裕を与えないからだ。
この番組はコマーシャルをはさんで、すぐ次の番組に移る。 焼け野原の都市に、
本屋の数は少なかった。 古本屋はアリババの洞窟のような魅力があった。
実際本の起源は洞窟から始まっているのだ。 約四万年も前に、柔らかい岩や
粘土に刻み込まれた絵文字によって。人間は自分の考えを他者に伝えたい本能を
持つようだ。また同時に人間は、他者の持つ複雑な考えの意味を理解しようと
努力を始め、自分の考えと同化させる努力を始めた。同意・同感するたびに、
あるいは異論を抱くたびに、人間は人間らしくなっていった。 その結果、
何万年もかけて地球上でたった一種類の珍種哺乳「考える動物」が誕生したのだ。 
この珍種が、絶滅一歩手前にきている。本を失い、その代替としてテレビを
与えられ、考えるカを失ったために。もうすぐ人間の最大の敵は、再び歴史
以前、石器時代と同じように、他の動物、野獣たちに戻る日が来るだろう。 
考えるカがついてからの長い期間、人間の最大の敵は、無論、人間だった。
それはお互いに自分の損得を優先して考えるようになったからだ。それは単に
金銭、物質の損得への考えだけではなかった。何よりも人間は、人間らしい
人生を送ることへの損得を考えた。 短く貴重な一生を、どうすればより
実りの多い時間で満たすことができるかの損得を考えた。
   ( 字数制限のためカット 2011年7月11日)


5230,閑話小題 〜古希を過ぎると!

2015年07月10日(金)

   * 中国が変と言われてきたが、ついに? 〜②
 知らなかったが、一昨日の中国の株式市場で、半数近くの銘柄が、商い
ストップになった。暴落しそうな会社が、それを阻止するために、自主的に、
売買を停止する権利があり、それを実施したため、半数の商いがなかったため。
こういう狼狽の投げ売りには、目先は有効に働くが、大きなウネリを止めることは
不可能である。それにしても一年で株価が2・5倍の方が、よほど異常であり、
その反動があって当然。株主の8割が一般投資家(日本は2割強)というから、
大暴落が起きたら、国家そのものが大揺れになる。また、信用取引が三倍まで
可能で、当り前のように行われているという。当面は腕力で抑えるだろうが、
次のステージが、どうなるか。 昨日は、世界中が固唾をのんだ一日だった。
   * 古希を過ぎると・・
 一昨日、スポーツジムの行くため、車に乗ろうとしたがドアが開かない。 
さて、どうしようか?と迷った。バッテリーがあがったようだ。
・ カード会社の「ロードサービス」か、
・ 自動車保険に電話をしようか、
・ 購入会社トヨペットのサービス部門か?  と迷ったあげく、
何を血迷ったか? トヨペットに、「どうも、バッテリーが切れたようで・・」
と、電話をしたのが間違いの元。早速、サービスが新しいバッテリーを持ってきて、
既存のものが寿命かどうかも確認なしで新しいのに交換し、「2万5千円」の請求。
電話で「バッテリーが変」といえば、相手は商売。交換依頼と解釈して当然?
「まだ、年金受給者の自覚が足りない」と、家内に嫌味をいわれ・・
「一年点検時」にバッテリー交換の時期といわれていたような? その辺りの記憶
は曖昧だが・・ まあ、緩んでいるということ! 年金暮し、こういうのが効く!
・・・・・・
4865,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー33
2014年07月10日(木)
  * つれづれに 〜事業を通した「力と、遊びと、学びと、その背後の闇」
 事業を通して多くを学んだ。その一つが金沢でのこと。追込まれ、気持ちが
深く沈んでいた時、内なる声が浮かんできた。「私は、ここに学びに来ている。
順調で満足しているより、この事態こそが学びではないか。こんな惨めな状態は
二度と経験はできない。現状がマイナスほど、逆にプラスになるはず。
そんなことも分からないのか!」と。そこで現象を改め見直すと、全てが違って
見えてきた。逆境は学び、順境は遊びと、割り切ればよいということか。
3年前も、そのことを思い出し、「こんな経験、二度とない。倒産の当事者に
成りきって、今すべきことを一つずつ処理をしろ」の、内なる声にしたがい
冷静?に取組めた。これは、節目時の対処を何度か経験してきたこともある・・ 
それをみていた、月次経理監査で30年、来社をしていた税理事務所のJさん
曰く、「楽しんでいますね!貴方は現在、何が起き、どういう立場にいるか
分かっていない?」と、呆れ顔。 それに「分かっていないのは彼方!」とも
言えない。偽悪的にいえば「これで創業から終わりまで起承転結の全てを経験
できる! これは立上げからの行蔵を持った私の45年の最期の仕上げ!」
の気持ちが、身体も心も自由にしてくれていた。 表立った心は沈んでも、
こころ根まで折ることはない。痩せ我慢としても、冷たい視線?に対し、
逆照射をしているしかないが。
 ブラックスワンの長期的対策をしてない中小企業の9割?以上の方々が、
その視線で、面白おかしく中傷している自分の姿が分からないのが、ブラック
ジョーク。 他人には、隠れた45年が見えないし、見ることもない。学び、
遊び、働きと、それらから解き放された自由な心、の4分類で考えると、人生が
鳥瞰して見えてくる。 「学び」を切口にすると、マイナスの出来事が真逆に
見えてくる。「遊び」も同じ、現象そのものを遊べばよい。失敗も、遊びで
括ると、ケセラセラ!に、思える。「働き」で括ると、戦略的失敗も、無我夢中
だから・・になる。全てが意味(価値)づけが可能ということ。この3つの
括りも、宇宙的括りの解き放された自由な切口で、包み込めばよい。
死んで3日もすれば、300年前、死んだのと同じになるのだから。
 人生の鳥瞰は面白い!
・・・・・・
4498, 大往生したけりゃ医療とかかわるな ー1
2013年07月10日(水)           
 * 現役医師の「自然死」のすすめ    
         『大往生したけりゃ医療とかかわるな 』中村仁一著
 以前から、新聞や雑誌などの見出しをみたり、書店で立ち読みをしていた本
だが、偶然、図書館の返却コーナーで見つけ、読んでみて驚いた。現在の医療の
ありかたを根底から否定している内容である。生殖能力を終えた動物は、延命
などの無駄な努力をしないで自然死をしなさい。その無駄な努力は、医師など
による洗脳によるもの。それも特老施設の配置医が、長生きしている特老の死を
見るにつけ、薬で何とか生き延びた結果の、痴呆老人の目線から、書いている
から考えさせらる。  =まずは、概要の部分を抜粋する=
≪ 医者にも格付けがあって、大學病院の医者が頂点で、旧国立病院や日赤、
 済生会、県立、市立などの税立病院と続き、次が民間の大病院、中小病院の
医者で、一番下が町医者といわれる開業医で、老人ホームの医者はさらに
その下ですから、いわばホームレスレベル。ですかから、県立病院の部長で
あっても、開業した途端に最下位の町医者に転落するわけです。
世間では、「そんな小さな町医者では駄目」というのがふつうなのですから。
考えてみれ当然です。・・
 ・・配置医はホームレスレベルという構図です。その老人ホーム勤勤も12年目
に入り、最後まで点滴注射も、酸素吸入もいっさいしない「自然死」を数百例も
みせてもらえる得がたい体験をした。病院では、最後まで何かと処置をします。
いや、しなければならないから、「自然死」はありえません。在宅における死も、
ふつうは病院医療を引き継ぎますから、ほとんど「自然死」はないっていいで
しょう。また、医者の方も、何もしないことには耐えられないでしよう。
しかし、それは、穏やかな死を邪魔する行為なのです。ですから、殆んどの医者
は「自然死」を知りません。人間が自然に死んでいくのを、見たことがありません。
だから死ぬのにも医療の手助けが必要だなどと、いいだすのです。
「死」という自然の営みは、本心、穏やかで安らかだったはずです。それを、
医療が濃厚に関与することで、より悲惨で、より非人間的なものに変貌させて
しまうのです。世の中で、一番の恐がりなのは医者でしょう。それは悲惨な
死ばかりを目のあたりにしてきたせいだと思います。・・ がんでさえも何の
手出しもしなければ痛まず健やかに死んでいきます。
 以前から死ぬならがんに限ると思っていました。近年、年寄りのがんの自然死
を70〜80例みて、確信に変わりました。繁殖を終えた年寄りは「がん死」が
一番のお勧め。「手遅れの幸せ」を満喫するには、「がん検診」や「人間ドック」
など受けてはなりません。病院通いが多いのは、医者たちが、「健やかに老い
なければなりません」と洗脳してきたせいもあります。今、年寄に対する、重圧
は、かなりのものは、健康食品やサプリメントの売れ行きをみれば分かります。
本来、年寄りは、どこか具合の悪いのが正常なのです。不具合のほとんどは
老化からがらみですから、医者にかかって薬を飲んだところで、すっかりよくなる
わけはありません。昔の老人のように、年をとればこんなものと諦めることが必要。
ところが、「年のせい」諦めようとせず、「老い」を「病」にすり変えます。
なぜなら「老い」は一方通行で、その先には、「死」がありますが、病気なら回復
が期待できますから。人は、生きものである以上、死ぬという運命は免れません。
最先端医療といい、再生医療といい、所詮、「老いて死ぬ」という砕内での話です。
年寄りは、あまり近づかない方がいい。≫
▼ ‘まえがき’の一部だが、これが概要である。これを読んで、さっそく、
『どうせ死ぬなら「がん」がいい』という近藤誠と著者・中村仁一の対談集を
買ってきた。まだ目を通した段階だが、多くの共通点がある。上記の‘まえがき’
の内容である。ガンには良性と悪性があって、悪性は、どのみち助からない。
それを延命するのが果たして当人に良いのだろうかという素朴な疑問がある。
裸の王様ではないが、誰が声高に主張するかだった。それを放射医と、特老の
配置医が公にしたのだから反響は大きいの当然である。この本も特老の医師と
いう視点で、壮年以下の年齢の人には当てはまらないが、参考にする部分は
多くあるはず。根底から私の先入観を覆す内容である。そういうこと!
・・・・・・
4124, 老後の備え
2012年07月10日(火)
           「老後に後悔しない10の備え」三浦朱門著  ー�
  * 老後の備え ーあってもなくても、虚無
 学生時代に社会学を専攻した。社会といえば人間の集団をいう。個々にみれば
人間学ということになる。人生とは、その人間の始まりから終わりまでをいい、
老後は最後の2割ぐらいの時期。その備えを人生の半ばの中年期から如何に
準備するかを問うているのが、この本。その時々に、やるべきことを明確にして
全力で生きれば老後の備えなど考えることもないが、とはいえ、長年かけた準備
は必要である。 私の場合、何度も書いているが「50歳代の10年間に30年分
の人生を生きること」が人生の最終の備えの仕上げであった。
この御陰で60歳になってから、精神的に非常に楽になった。し残したことが
少ないという実感は他人に対しても自分に対しても余裕を持てる。40年近い
事業人生は常に最悪の事業破綻の心配が纏わりついてきた。その恐怖感が逆に
リスク管理をさせることになった。 倒産すれば全て失うし、失業保険もないし、
退職金もない。まる裸になってしまう。その危険の海の中でこそ智恵が出てくる。
しかし、想定外の事態が起こるのが事業。その事業破綻の備えは人生の備えと
大きく重なる。破綻の備えを事業計画の組立の中に入れておくのは基本である。 
私は、第一に「家族は事業に直接関わりを持たせない」であった。家業と事業
の違いは、会社規模に関係なく家族・親戚を事業に関わらせているかどうか。
家業は家業で、それはそれで良い。ただ危険度は高いが、長年かけた備えの知恵
がある。家内の実家を見ていると、つくづく感じる。何があっても生き延びる
体質がある。長年かけた老後の備えに、日記帳的記録を書き続けることがある。
私の場合、このブログ。大きな挫折で虚無に陥りそうな気持ちを何とか支えて
くれている。 この著書は、「老後に後悔しない10の備え」を勧めているが、
老後に至った現在、「今から」より、「今更」の内容。 行蔵の中身の質量を
高めておけば、それが老後に生きてくる。 それぞれの人の視界にみえる地平線
内の景色は、その人だけのもの。目先の生活の心配をしないで済む余裕があれば
良いが、時代が時代で一寸先は闇である。その中にあって、孤独に耐えらる教養
と趣味。この二つをベースとした構えを中年から本気になって構築すべきである。 
ところで、老後という言葉。死ぬまで、その人に纏わりつく不安の化物にも思える。
それは還暦から20年以上も生きなければならない分、大きくなっていく。
人生は何とかなるもの。何ともならない時は、自分は無になっている。
だから「いま・ここ」で、精一杯生きるしかない。ただそれだけ。
・・・・・・
3758, ユング ー 1
2011年07月10日(日)
 < ユングー地下の大王  コリン・ウィルソンー� >
15〜6年前に、この本を買って読んだ時の衝撃は現在も残っている。
それ以前にスェーデン・ボルグの霊に関する本を読んだことがあったが、
この序文からして、一挙に著者によって、「ユング」の異様な世界に引き
込まれてしまった。6年ほど前に、文芸春秋の誌面で立花隆が、「ユング」
について、書いた時、ここで取り上げた。ユングといえば、超常現象と霊に
ついて、心理学者として真正面から向き合った人である。それでフロイトと
袂を分かった。日本では河合隼雄と秋山さと子が、ユング研究で知られている。
また江戸時代に明恵という坊様が、夢世界の著書を書いている。
著者のコリン・ウィルソンは、これまた面白い人物で、「アウトサイダー」
以来一貫して、「現代人の精神の貧困を問題視し、その原因と克服の道は何か」
を問い続けてきた人物。この著書は、序文から終わりまで、息をつかせない
ぐらい濃い。 オカルト、共時性(意味ある偶然の一致)、能動的想像など、
ユングの神秘的側面を明快に説いている。この本を読み返したと同時に、連日、
不思議な夢を見ている。私の人生の節目時に、ユング心理学を通して自分を振り
返るに丁度良い機会と、怖いが、オカルト世界を再度、覗いてみたい。
一笑にふすなら簡単だが、この世界は踏み込んだものしか知ることが出来ない。
この10年哲学を独学してきたので、オカルト世界を探索し戻ってくる命綱
(哲学が)と気休めもある。ユングは、内面の対話を重視した心理学者。
ソクラテスの対話法にも影響され、患者との対話と、バランスを重視した。
「汝自信を知れ」を潜在意識に求め、それまで科学者がタブーにしてきた
オカルト世界の神秘世界に正門から入っていった。ユング関係の本を数冊、
目を通しため、毎日、明らかに潜在意識の地下世界の夢を見ている。
この手の世界は自分の内面の意識下の何かを刺激する。 以前から、ここでも
書いているが、人より強い?霊感が私にある。ネット世界になってから、
この手の話題は静まった。 直感、霊感より、ネットによる認知が強くなった
のでは?と思われる。何が今さらユングだが、でもユングはユングである。
それで何を知ることが出来る? 宇宙の外のXとやらを何でもよいから、
ネットで公開したら良いではないか。神秘主義など、情報不足のなせる技。
で、終わってしまう。 
・・・・・・
3393, 閑話小題
2010年07月10日(土)
  * お金の恐ろしさ
 金の持つ威力、魔力は今さら言うに及ばない。では、その恐ろしさを本当に
知っているかというと疑問? その魔力の金を金融工学で創りあげ、破壊した
のがアメリカである。 金があれば世界の9割が自由になるし、無ければ今日
明日の飯の心配をしなかればならない。1万円を持って千円の買い物をするのと、
1千円を持って1千円の買い物をするとでは気持ちの余裕が違う。身近で金に
まつわる人間模様を見ていると、その恐ろしさを実感する。親戚が親からの
相続で大金が入ったところが、人相と着ているものが様変わをした。
環境=条件が人をつくる典型的事例である。逆の話しは幾らでもある。 
だから、その恐ろしさを充分に知り尽くさないと・・・・
  * 再びユーチュウブについて考えてみる!
(字数の関係で中間カット2012年7月10日)
  * 不機嫌とイライラ
 歳をとるとともに人間は円熟していくと青年期までは思っていた。
ところが社会に出て、仕事を通してみる年寄りは機嫌の悪い偏屈の人の方が多い
ことに気づいた。 30年前から駅前で事業を始めて出あった老人の何割かは、
明らかに不機嫌とイライラの塊のような人が多いという事実がある。 
しかし今度は自分が60歳を過ぎた辺りから、イライラが多くなってきた。 
それは肉体の老化の上に、精神の老化もある。あの出会ったイライラした
老人の不快を自分が、その歳になって始めて気づいたのである。 
なるほど人生は60歳までと曽野綾子が述べていたが、その一端が分かってきた。
それと社会は年寄り向きには出来ていない。円熟なんぞは、年寄り仲間でしか
通用しないのも、道理である。むしろ不機嫌、イライラは避けることの出来ない
事態と割り切って、人に見せないようにカモフラージュすべきである。 
自分もそうであるように、同年代の知人も老化現象が起こっている。 
他人から聞いた片耳で喧嘩を仕掛けてくる、それを、待ってましたとばかり
受けて立つ、というような老化現象を自分にみる。先のことを考えられなく
なると、過去の経験がフラッシュのように思い浮かぶ。40年前のことを思い
出して独り怒ってみたり、ニヤニヤしたり、年老いた幼児である。
これが高じると痴呆症ということか。 晩年は、冬景色ということか。


5229,閑話小題 〜中国経済が変と言われてきたが、ついに?

2015年07月09日(木)

   * 中国が変と言われてきたが、ついに?
 数日前から、中国の株式が変である。昨年7月以来、株価が2.5倍なら、
当然、反動がくる。それにしても、半数近くが売買停止とは、異常事態である。
これが、隠れていた世界恐慌の現出のキッカケにならなければ良いが。
 〜以下は、ネット上のニュースだが、どうなることか?
≪ 中国リスクへの警戒感が市場に広がっている。上場銘柄の約半数が売買停止
 となる「異常事態」にグローバル投資家は、株式や商品などのポジションを
手仕舞い始めた。実体経済への影響も懸念され、金利は低下、リスクオフの
円買いも出ている。・・
 8日の中国株式市場の上海、深セン取引所では約1300社の企業が売買停止。
全上場企業2808社のうち約45%が売買できない状況となっている。・・
 中国株が下落したこと自体を、市場関係者が驚いているわけではない。
上海総合指数は年初から60%、昨年7月からは2.5倍という急上昇を
みせてきた。 ≫  
   * ギリシャの末期現象と大阪都構想の破綻
 ギリシャが、EUのギリシャの改革案の是非で、大方の予測に反して、
「ノー」を主張する現首相を支持をする選挙結果に終わった。この結果を
携えてEUと交渉するというが、本末転倒は誰の目にも明らか。
気の毒だが、「ヨルダン化」「レバノン化」の茨の道が待っている。
 国家とはいえ、『金が無いのは、首が無いのと同じ』。首無しの彼らが、
地中海のエーゲ海を背景に右往左往する見苦しい姿が、現実問題として、
目の前につき付けられる。ところが、これが近未来の日本の姿である現実を、
誰も語らない。 橋下の『大阪都構想』が、僅差の投票で破綻したが、これと
何か似たところがある。全国各地から大阪市と大阪府の二重行政の甘さに惹かれ
移住してきた連中は、無駄の廃止など、もっての外。その彼らに判断の一端を
委ねることが誤り。その点、ギリシャも同様。 オリンピックの、お祭り騒ぎ
の日本国家も同じこと。ギリシャはEUが見捨てないとタカを括っているが、
果たして、そうだろうか。残留ならドイツのEUの離脱もあり得ること。
 ある日、EUもギリシャも、怒涛のような金融の大混乱が生じて、特に
ギリシャは国家破綻の可能性が強い。 日本の近将来の行方が見ものである。
その時、誰も助けてくれないことが理解できないのだろう、彼らには、
いや、日本もである。 〜以下は、あるHPのコラムだが・・ 
――   何もおきなければよいが・・
《 本欄7月7日付け「9月リスクに身構える市場」で挙げた、米利上げ・
 ギリシャ危機・中国株不安の3つのリスクが早くも共振現象を引き起こし、
市場を揺らせている。なお、引け後の日本時間朝6時台に、ブリュッセルで
ユンケル欧州委員長とトゥスクEU大統領が記者会見。EUホームページで
伝えられる発言は、語気鋭い。「合意できずば、ギリシャは破たんし、
国内の銀行は倒産する。それはないという錯覚に陥っている人がいれば、鈍感と
言わざるをえない。」(トゥスク氏) ユンケル氏は「ギリシャのユーロ離脱は
回避したいが、ユーロ離脱に備えた詳細な計画も既にある。」と明かした。
市場では、「プランB」と呼ばれる非常時対応計画。 独ビルト紙も、
メルケル首相がブリュッセルに持参する「5項目プラン」の中に
「ギリシャのユーロ離脱のケースも含まれる。」と報じている。
たしかなことは、今週中が、ギリシャにとって「ラスト・チャンス」ということ。
「もはや時間的猶予は数週間も無い。」と語られる。 ECB(欧州中央銀行)
保有のギリシャ国債(35億ユーロ)償還が7月20日に迫ることを考慮すれば、
ギリギリの期限設定と言えよう。》   問題は、今日、明日である。
・・・・・・
4864,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー32
2014年07月09日(水)
   * ホテルと学生ショップのオープン
 ホテル一角の学生ショップは、メーカー社長と新潟市内の販売権の移動も話が
ついていた。 更にペガサスの立地セミナーで確実に値上するはずのバイパスと
生活道路のクロスしたポイント箇所を把握、長岡郊外の二つの更地を購入した。
それが数年で倍近くに値上がりをしていた(税制の関係で5年後売却)。 
千葉・千城台ビルの売却資金が、次期計画の基礎資金を予定。 
後で気づいたが、この二ヶ所こそが、郊外型ビジネスホテルの立地。それを薄々
気づきながら売却したのが、私の限界。当時、郊外型ホテルに取り組んでいたら、
数十棟のホテルチェーン展開が可能だった。しかし、リーマンショックで、
これも間違いなく壊滅の道を歩んでいたから同じ! 
現に郊外型ホテルのルートインとαー1が、現在、苦境に陥っている。
 振り返ると、節目の時々こそ、アップスケール(脱皮)の機会があった。
予定挫折で節目を自ら作り、転進した時にチャンスが生まれていた。
 そこで、孤独、孤立に自らを置いた第一歩からから、創業が始まる!
決断をして、大風呂敷を広げ、行動を起こしてしまえば、もう後には引けない。
しかし今度こそ、白紙である。目先の問題は、経営計画書の作成と、ホテルの設計と、
千葉・千城台ビルの売却。それと、有り余った手持時間を使った「宅建資格試験」の
セミナー通い、から出発。
 フロントやベッドメイクなどホテル業務など何も知らないため、ただ呆然自失。
そこで考えたのが、ホテルの一括の運営委託。その場に立てばこそ、知りえたこと。
最終的には、ビルメンテと、ベッドメイクだけにして見積もりを4社に取ったところ、
開けてビックリ玉手箱! 47万、140万、240万、320万である。詳細を
見ても同じ。何で、これだけの差が? とんでもない世界に自分が飛び込んで
しまったことを改めて実感した一現象である。最終的に、これにフロントの夜間
委託を加えた。そして片腕の人材、これが、帯に短し、襷に長しで、見つからない。 
最後の最後に、リクルート本社の中途採用部門を通して、マネジャーを採用する。
 その他の学生服ショップとフロント要員は、中途採用と新卒を6人を採用した。 
オープン前に、何日か研修したが、寄せ集めのため、バラバラで手ごわい相手。
その上に学生ショップのオープンでは、学生服メーカーの思うまま、なすがまま。 
相手は既成の組織がある上、内装費の一千万円近くを出させてのだから、耐える
しかない。 次は、付属のレストランである。そこで、コーヒー卸「Sコーヒー」
の営業担当に相談すると『任せてください!そんな難しくはないですよ。一人、
面白い男を紹介するので、任せれば良いですよ!』で、開業直前に本人が乗込んで
無事にオープン。 そこで飲食業界の一種独特の世界を知る! ホテルなど、
よくぞやったもの! 全てが綱渡りで、赤裸々の自分が露出するが、それこそが
己を導いてくれる。 咽喉過ぎれば熱さ忘れるから人は生きていける!
・・・・・・・
4497, 怒らないって本当は恐い! ー12
2013年07月09日(火)                      
   * 怒らない作法      『怒りの作法』小川仁志著
 矛盾しているが、ここで「怒らないという方法」について言及している。
≪ 怒らなくても問題が解決する時に、あえて怒る必要がない。その場合、静観
する勇気も必要で、淡々と処理をする。相手が怒っている場合、特に注意すべき。
ネガティブの人、卑小な人を相手にすると、同じレベルまで落ちる危険がある。
 ニーチェは、他人の成功を妬んだり、自身の弱さを他人への復讐心に変えていく
ような人間を「ハエ」と表現、そこで「そんなハエを叩いて人生を過ごしては
いけない」と警鐘。もう一つ、人間が一人考え行動できることに限界がある。
そういう限界に謙虚になるのも必要なこと。怒って解決できる物事ばかりでない、
気が熟するの待つことも必要である。その間に、知恵を増やすか、仲間を増やし、
力を増やしてから、改めて怒れば良い。その意味で、信長型ではいけません。
待つという意味では秀吉型でも足りない、家康型でなければいけません。・・≫
▼ 一連の事業撤退のプロセスで、地方経済の惨状認識の実感と周囲の段差に
 驚き、怒りさえ感じた。商売柄、津波の到来が早い立ち位置にあっただけだが。 
ニーチェは「ハエ」と表現したが、私は「シラミ」である。そういう私もシラミ
だが、ただシラミを自覚している。いや自覚できないのがシラミだから? 
 私は?・・ だから、そろそろ気持ちに余裕が出来て、改めて見渡すと、
危険度が増しているのが分かる。民主党も酷いが、自民党も酷い。あの戦犯の
二人が首相と副首相になり、更に悪い間違いをしようとしている。その付けを
支払うのは国民である。その自民党に国民が多く支持いているのだから。 
確かに政治的にみて憲法改革は必要。甘い餌で釣ることもありだが。
 怒るには覚悟がいるが、怒らないことにも覚悟がいる。その場をともかく
遣り過し、タイムラグを置く。 そのため「シラミ」と頭の中で繰り返す。
これが一番、効果があるが、「三ヶ月に一度は、嫌なことはあるもの」と覚悟。
面白いもので慣れ。シラミ、ハエは事実は事実であると確信すると割り切れる。
「娑婆娑婆」である。その意味で、この経験は私の人生の物語にとって必然
だったことになる。 受け止め方の問題でしかないが・・
・・・・・・
4123, 予言の書「日本の自殺」 ー11
2012年07月09日(月)
  * 戦後民主主義の弊害
 アメリカに与えられた擬似民主主義を、現在でも大事に守っている府ぬけた
日本も、ここまでくると呆れ果ててしまう。まずは憲法改正と、原爆所持は最低
条件である。そして海洋国家として空母を7〜8艘の配備をすべきである。
決して極右的発想でない。 中国と北朝鮮が隣接して隙を伺っている現実が、
その必要性を求めている。この国民では無理だろうが・・・
 ー次の箇所が正しく疑似民主主義の徴候を書き出している。
  所詮は、アメリカに充てがわれた民主主義国家。
【 平等主義のイデオロギーに限らず、「戦後民主主義」という名の疑似民主主義
 のイデオロギーは、すべて現代1975年時の日本の「自殺のイデオロギー」と
して機能している。それをわれわれが疑似民主主義と呼ぶ理由は、それが民主主義
本来のあり方とは似て非なるものだからである。それは混沌とした意識にとっては
確かに民主主義と大変類似したものに見えるかも知れないが、決定的に重要な
いくつかの本質点において、本来の民主主義とは明確に異質のものだからである。
 〜疑似民主主義は次のような幾つかの特徴を持っている。病理診断の言葉を使う
  ならば、これを疑似民主主義の徴候群と呼んでもよい。
* 疑似民主主義の第一徴候群は、その非科学的性格である。疑似民主主義は、
 イデオロギー上の独断的命題の無批判的受容から出発する。 
 そのドグマに従って行動するなら、必ずや全人類の解放が実現され、
 一切の社会問題が完全な解決をみるであろうと、そのイデオロギーは主張する。
 その命題は唯一、絶対的なものであり、完全で、誤りなきものである。
 問題の鍵は、どれだけ多くの大衆が、どれだけ強く、また熱烈にこの福音を
 信ずるかにかかっている。 「信ぜよ。さらば救われん」なのである。
* 疑似民主主義の第二徴候群は、その画一的、一元的、全体主義的性向である。
 多数決原理の誤った認識の仕方に端的に示されている。疑似民主主義は本来、
 多元主義のための一時的、かつ極めて限定された調整のための手段、便法として
 工夫された多数決を、一元主義、画一主義、全体主義のための武器に巧妙に転用
 するのである。 多様なものの見方の存在を否認する方向で作用することになる。
* 疑似民主主義の第三徴候群とは、権利の一面的強調の仕方にある。 
  疑似民主主義にとっては、義務も責任もどうでもよいことである。
  できるだけ権利、権利と主張し、取れるだけのものは取り、しかも
  義務と責任はできる限り拒絶する。
* 疑似民主主義の第四徴候群とは、批判と反対のみで、建設的な提案能力に
  著しく欠けるということである。個人や社会のアラ捜しをすることは、
  易しいが、問題解決の提案は骨の折れることであり、責任も生じる。
* 疑似民主主義の第五徴候群とは、エリート否定、大衆迎合的な性格である。
  真の民主主義はエリートやリーダーシップを否定するものでないばかりか、
  それに重い責任を課するものである。専門家を否定し、リーダーシップを
  否定するなら、その結果として、どうしようもない衆愚政治の泥沼に落ち
  込んでいくほかない。
* 疑似民主主義の第六徴候群とは、コスト的観点の欠如である。 
  疑似民主主義は、その権利主張の一面的性格、提案能力の欠如、
  大衆迎合主義などから、大衆の気に入りそうなことを並べたてるだけで、
  その制約条件を覆いかくそうとする。こうした偽善的なポーズで、大衆の
  人気取りをしている限り、国家は破産し、社会は滅亡するしかないのである。】
▼ 以上の懸念のとおり、これらの症候に冒された隠れ社会主義政党が与党に
 なった結果、収入の二倍の国家予算を組み、動きが取れない事態をつくっても
 平然としている。それも国民が擬似民主主義の徴候群におかされた結果だが、
 それにしても酷い。
・・・・・・・       
3757, 下流の宴
2011年07月09日(土)
 NHKで「下流の宴」という面白そうな連続ドラマをあったが、見るほどで
ないと見過ごしていた。しかし、先日の夕方に二回分の再放送を見て、そのシビア
の内容に苦笑してしまった。エリート・サラリーマンの母親(医者の娘)の息子が
中卒でフリーター。 何とか受験校に心を入れ替えてチャレンジさせいのに、その
彼女が、母親の目には下流家庭の娘。その娘に、「私は医者の娘、旦那も一流会社
勤め。貴女のような家庭とは身分が違うのです」と言い放つ。しかし、その旦那は、
リストラ対象で自分たちも下流に?なろうとしている、で・・・侮辱を受けた娘は、
「私が医大に入学すれば、結婚を許してくれますか?」というところで、終わった。
しかし、これはあくまでドラマでしかない。小中学校の基礎が出来てない人が、
猛勉強で今さら! が現実。私の一番上の姉が、その母親に考え方がそっくり。
婿取り娘で、長岡社交界が彼女の庭。彼女が意識している庭の住人は、上流だとは
当時も、現在も私には思えないから喜劇にしかみえない。もちろん、その人たちは
上・中流など全く意識にはない。自分のことを一番知っている? しかし学歴と
学力のない姉は付き合いを、その庭の人たちに絞り、見栄に全てを入れていた。
(字数の関係上カット、2012年07月09日)
 ・・・・・・・
3392, 911・考えない・日本人  ー8
2010年07月09日(金)
             「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
 著者の哲学についての解釈が書いてある。自身の言葉だから、納得する。
特に「哲学することの要点は、驚異と認識、懐疑と確実性、自己喪失と自己発見」
は、分かりやすい。  = 哲学とは =    (P−217)
* 科学のように進歩発展があるものではなく、その確実性を求める
 ものでもなく、人間が共に語り合って確認しあう過程のこと。
* 哲学とは、人間が「目覚める」ための試みである。
* どんな人間でも、自分が人間であることを意識し、自分の運命や
 経験を意識すれば、誰でも参加できるものが哲学。
* 哲学は、誰でも、人間である限り手にすることができるものである。
 ただし、他人に教えてもらって覚えるものではなく、
 自分自身でトライするものである。
* 哲学は真理を自分のものにすることが目的ではなく、
 それを求める過程のことである。
* 哲学は人間同士の交わりである。
* 哲学は自分が人間となるために現実と関係を持ち、その現実に集中すること。
* 哲学の根源は、人間が森羅万象に持つ驚きと疑いから発するものである。
 徹底的な疑いが心の中に起きていない限り、哲学することは不可能である。
* 哲学の起源はそれぞれの人間が、自分自身の弱さと無力さを認めることで
 あった。その自分のカの及ばないことを無関係だと思い、無関心に
 なるならば、人間は哲学を失い、非人間化する。
* 世界の存在は頼りないものであり、信じられないことに満ちている。
 それらに疑問を持ち、考えない限り人間は人間の価値を失う。
* 人間が人間同士助け合う動物だという考え方は欺瞞であり、常に人間は
 孤独であり、平和には常に限界がある。故にどんな場合でも人間は自分独りで
 自分にとって確実なことを見出さなければならない。それが哲学することである。
* 人間が自分の挫折をどのように経験するかということが、
 その人間を決定する要点
* その個人的な困難と困惑の中から、目標を探り出すことが哲学である。
* 哲学することの要点は、次のようものである。すなわち、驚異と認識、
 懐疑と確実性、自己喪失と自己発見。
  〜〜
独りで血の滲むように考えてきたことが、上記のことから読み取れることが
出来る。多彩な経験と挫折が豊富?にあるからだ。人間は考えるからこそ、
人間の人間たる所以である。より多く世界を見て、より多く考え、
感動すること!それが哲学につながる。


5228,思いが人生をつくる ー②  〜知的プライドは危険

2015年07月08日(水)

        『思いが人生をつくる』 〜ジェームズ&リリー・アレン著
  * 知的プライドは危険
 学生時代、読書の絶対量の少なさを自覚し、知的コンプレックスに陥った。
以来、早朝を中心に2〜5時間の読書習慣を続けてきたが、この程度。しかし
半世紀近く続けると、その量が質の向上に繋がってくるが、大学ノートに、
せめて1ページでもメモの習慣を付けておけばと後悔をし、14年前から、
個人HPで、その内容を記録をし、公開を始めたのが、これ。 自ずから、
8〜9割方の人が、読書の絶対量が少ないことに気づくことになる。
特に地方の人は、それに気づく機会が少ない。そうすると、対話できる
相手が少なくなる。そこで、自分の壁が出来ていく。所詮、それも馬鹿の
壁になるが、それが知らずにプライドになっていく。 これが危険という。 
〜その辺りを抜粋〜
≪ 外見や衣服、もしくは富や地位をひけらかすプライドといった些細な問題は
 取り上げません。もちろんこのプライドも、好ましくありませんが、所詮は
弱い心、もしくは大人気ない心から生まれたもので、心が成熟すれば克服できる。
 より危険なプライドは、「知的プライド」です。なぜならこのプライドは、
成熟した心に現れながら、その存在は明確ではないからです。
熱心な研究や思考の力、もしくは高等教育によって誰かが他人より秀でると、
そこに「知的プライド」、もしくはそれに近い感情が生まれます。
 ある人はこの感情によって、他者を「惨め」と決めつけたり、物事の真意を
つかめない人に対しては、もっとエスカレートして「馬鹿な連中だ!」と叫んだ
りするのです。この類のプライドが、近代の改革を台なしにしています。
利己的な改革に異常なほどに固執している政治家があまりに多く、自分に賛同
しない人を「惨め」ととらえ、この感情を他の民族や先人たちにまでも、
伝染させるのです。・・・
 「私は真理を守るために力をつくします」
そう老いた哲学者に語りかけた若者がいました。
「若者よ、そんなに真理を守ろうとしているは、真理か、
 それとも、真理に対する自分の意見か、どちらなのだ?」
哲学者は、そう静かに質問したのです。
人が真理を知るとき、それを守ろうとしません。なぜなら、真理そのものが
守られた存在だからです。同じように美徳に関しても大騒ぎなどしないのです。
静かに、しかし、明確に、真理は、それ自体が人生の中で人格のようなものと
して存在意義を示しています。人格とは、だれもそれに対して反論したり、
議論できるものではないのです。 言葉や議論は、砂の上に書かれた文字のよう
なものです。それに対し人の行動や人格は、人生という永遠の岩の上に、
けっして消えないように刻みこまれた彫刻のようなものなのです。 ≫
▼ 「世間」を嫌っているのが、私のみすぼらしい「知的プライド」が、
 原因だろうかと、思い浮かんだ。現象をそのまま、事実と区別しない輩。
こういうことは、黙っていればよいものを。わざわざ。知らないということは、
底知れぬ恐ろしさがある。 この「知的プライド」の危険性もだが!
この半世紀も何を読んできたというのか? このことを知るためか!
・・・・・・
4863,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー31 
2014年07月08日(火)
  * 都銀支店長の全面協力が、出発第一歩!  〜後半編へ
 時は、1980年3月1日。都銀・営業のTさん(兄と私の嫁を世話をした恩人)
の上司である支店長が、私に面会したいという連絡が入っていた。
当日、本店の朝礼で辞任挨拶をした足で銀行に行った応接室で、辞めるに
ついての経過と、今後の事業計画を述べたが、それを黙って聞いていた支店長が
おもむろに、『現状のままでのホテル計画なら賛成できないが、貴方が会社を
辞め、以前に手がけた千葉のビルを売却して始めるのは筋が通っている。当行と
して今後の資金計画の全てを協力します!まず千葉のビル売却からですね!』と。
金融の知識や、長期資金調達方法が皆無の私にとって、渡りに舟の信じられない
言葉! 小説のような話である。何ごとも、実績? 直前に辞任の挨拶をして
きた帰りに、次の事業計画の最大の理解者を得て、最大課題の解決の糸口を
得たとになる。その間、僅か一時間。幸先良い出発になった。地銀の役員
クラスでは、無理! 今の私が都銀の支店長なら全面協力をするが・・ 
地方豪族化した彼らでは?それもあり、今回の私の結末は、地方豪族システム
の価値観で染まった地元権力の残存者には最高の物語? それもいい。
 あと一つ、現在も酒友だが、当時の相互銀行の計算センターの部長が、
そこの契約コンサルタントのW先生が、私の事業計画を聞きたいという。そこで、
ありのままを話すと「この事業計画は間違いないでしょう!」の、お墨付き。
私にすれば15年間の捨身の計画だが、誰も、それを知らない。もし都銀の
支店長の全面協力が無かったら、その経営コンサルタントと契約することに? 
その後、姉夫婦の倒産の後始末と、義父の会社の不動産トラブル解決をして
貰うことになったが・・ 既に20数年前に亡くなった。
・その前の節目は、実家の会社で、産地の大手問屋の全面協力と、暖冬で
 暴落した冬物で大当て、波に乗せたこと。 
・千城台ビルの二店舗は、商社のS氏が本気で面倒を見てくれた。 
・その前のジャスコ辞任後の産能大時代では、千葉の新興住宅地の中央四つ角
 商業地の売出し記事をみて応募、抽選で当選、次へのステップになっていた。
・今回は、都銀支店長が全面協力の約束。 などなど、節目節目で、何もかも
プラスに働いたのも、右上りの時代に捨身で挑んだため。どれも紙一重で、
思わぬ因縁がプラスに導いた。捨身で、全力で節目に挑めばこそである。
・・・・・
4496,怒らないって本当は恐い! ー11
2013年07月08日(月)              
  * 怒りへの反発を覚悟し、耐えて生きる   『怒りの作法』小川仁志著
 怒りっぽい私は、常に反発されてきたが、それぞれの問題の中心点を凝視、
考えることで何とか乗り越えてきた。考え続けると、いつの間にか、その答えが
導き出されてくる。だから、この「怒りの精神論」が身にしみる。
  ーその辺りからー
≪ まずは怒りの精神論。 怒りは強いメッセージを発する。当然、それに
対する共感と反発が出てくる。そのメッセージが強いほど異論が噴出するのは必至。
それを予め承知した上で怒る必要がある。その覚悟がないと、大きは精神的打撃を
受けたり、怒りに臆病になってしまう。だから怒りには覚悟と準備が必要になる。
覚悟とは予め事の困難さを了解し、受け止める心構え。それはある種の決断と
いってよい。決断なしに闇雲に怒ると、後で後悔することになる。怒るべき時に、
決断して怒らないとチャンスを逸してしまう。怒りは一日24時間の中の例外事項、
怒るべき時に怒る一瞬の決断が必要ということ。 ひとたび怒ると決断するには、
どんな反発が来るか、どう対処すべきかを想定しておかなければならない。
 反発には、積極的に否定してくるのと、消極的に無視してくるのがある。
特に積極的に否定してくるのは厄介である。そこで重要なことは、反発を予め
予測して、その際の自分の出方を決めておくこと。それさえしておけば、対処が
数分の一で済ますことができる。そのためには経験の積み重ねが必要だが。 
心の準備が出来ていたとしてもへこむのが人情。そこに心の強さが必要となる。 
そのために自分の主張が正しくなければならない。正しければ、怒りは無駄には
ならない。 この国では、怒りは仏教文化の影響もあってマイノリティに捉え
られがちである。そして、孤立をしてしまう。心の強さとは孤独の強さをいう。 
岡本太郎は、「孤独ということは絶対に社会的だ。孤独者とは肉体的にも精神的
にも、他からの制約を誰よりも鋭く感じ、それに傷つきながら、なおも絶望的に
挑む人間である」と言っている。誰からも理解されなくとも、それでも挑み
続ける人間を孤独者と捉えている。孤独とは怒りと深く結びついていて、
それらがともに創作の根源になっている。・・・ ≫
▼ 怒りを表出するには覚悟がいる。その場で怒るか、タイムラグを置くか。
 過去の怒りが、数十年の時を超えて、蘇ることが、最近ちなみに多くなっ。
50歳位までは過去を振り返らないようにしてきた。しかし、還暦を過ぎた頃
から、思わぬ記憶がフラッシュバックすることが多くなってきた。
「遠き日は 年とるごとに 近くなり」である。それもマイナーの怒りの
記憶が多く占める。それにしても己の無知蒙昧には独り怒った後に自嘲する
ことになる。過去は決して消えてなく記憶の奥に刻印されている。だから、
老いて心身が緩むと過去の封印された記憶が、あちこちから飛び出してくる。
 それも面白いが・・ 過去は現在の記憶でしかない。
そこに脚色も嘘も加わり、その都度、書き変えられ、違ったものになる。
・・・・・・
4122, 閑話小題ーつれづれに世相
2012年07月08日(日)
   * つれづれに  
 激変する世界と日本の渦中で、一戦を退いた立場で鳥瞰している毎日が
刺激的である。情報化社会の本格的到来で情報はネットから簡単に手に入る。
世界は既に恐慌突入か、その一歩手前で一年先の経済見通しは全く見当が
つかない事態。10年前に現在の事態を誰が想像しただろうか。 
80年前の世界恐慌より遥かに大きい恐慌前夜というが、実際のところ
起こってみないと分からない。しかし、ただ事でないことは確か。こういう
カオスの中では、軍事力しか頼ることが出来ない。それも原爆の保持が前提。
この国は被爆国という建前で、保持をしないという国是?がある。しかい世界
の常識は、この国では通じない。 目先の世界恐慌は避けて通ることは出来ない
ことは誰の目にも明らか。20G会議も、目先の対処療法しか対策がない。 
不安を煽るようなことばかり書いているが、リーマンショックは起こった。 
その原因となった不良債権が世界中の銀行、政府、企業の金庫に塩漬けで
置かれている。それが債権市場か、株式市場で暴落が起こった時に、表立つ。
その火薬庫に火の手が近づいている。ロンドンオリンピックも、この状況の
中では盛り上がらない。数ヶ月ぶりにいった居酒屋の主人の話では、長岡の
飲み屋街は、惨憺たるもの。これも20年近く言われ続けてきたことだが、
他に働き場が無い上に、一日一日を生き抜いているだけ、という何時もの悲鳴
に似た愚痴。歳が歳だけに、行き先は死だけと真顔。前の事業の整理も終わって
身軽になり、身体が浮いたみたいに気軽だが、日ごと何か気が抜けていく。
リーマン以来の経営危機の立場から解放された分、逆に身辺が見えてくる。
世間的価値観を割り切ってしまえば、けっこう面白いことに満ちている。
しかし実際のところ明日、死ぬかもしれない舟板一枚下は地獄もある。
それが人生。天国も地獄も、娑婆にありということか。何はあれ後悔はないし、
ほどほど満足している。自主独立を貫けたのが最大の収穫?
最後は自問自答で自分を説得するしかないか。
 ・・・・・・
3756, ジャズについて(�) ー「ジャズ完全入門!」� −20
2011年07月08日(金)
     ー 「ジャズ完全入門!」 後藤雅洋著 ー �
  * 楽器編成の基本は、ビッグバンドにあり!  ーP・60
【 ビッグ・パンドにはそれこそ膨大な組合せがあるが、思い切って
 要約してしまえば、ジャズの入門者には次の三つを覚えれば十分だろう。
それは「ビッグ・バンド」「スモール・コンポ」「ビアノ・トリオ」の三バターン。
そしてこの三形態も、基本はビッグ・バンドにあるので、まずこれを見ていこう。
ビッグ・バンドの土台を支えているのはリズム・セクション。リズム・セクション
というのは、ピアノ、べース、ドラムスそしてギターから成っている。
なぜこれらの楽器をリズム・セッションと呼ぶかと言えば、ジャズの要のリズムを
提供するからだ。だがベースとドラムスは先ほどの説明から分かるとしでも、
初めての人は、ピアノとギターがリズム楽器というところがわかりにくいかも。
 クラシックでは、ピアノは、オーケストラをバックに従えたピアノ協奏曲を例に
出すまでもなく華麗な主役であり、ロック・ファンにとって、もちろんギター・ソロ
が目玉になっている。しかしロックでもサイド・ギターが渋くリズムをカットして
いるようにジャズのビッグ・バンドも、ギターはコードを掻き鳴らしつつリズムを
提供している。そしてピアノもまったく同じことをやっているのだ。
そしてそのコード・サウンドを押さえたリズム・セクションに乗って、
ビッグ・バンドの花形楽器ホーン・セクションがバンド・サウンドを吹き鳴らす。
ホーン・セクションというのは、おのおの数名からなるトランペット、サックス類、
トロンボーンのことを指し、これにサックスを受け持つミュージシャンが適宜楽器
を持ち替えて、たとえばフルートなどを吹いたりする。またスイング時代のバンド
では、ベニー・グッドマン・バンドのようにクラリネットが加わることが多かった。】
▼ ビッグ・バンドの楽器編成を基として、ピアノ、ベース、ドラムス、ギターが
 リズム・セッションの基本。ジャズファンの、まず初め憶える第一歩である。 
そこからピッグ・アップしたのが、スモール・コンポとなる。
トランペットはジャズの花形だが、リズム・セッションにならない。
  * ジャズの花形楽器、トランペット
【 ジャズの歴史のところで、サッチモの吹いたトランペットの親戚のような
 楽器としてコルネットが、1920年代は主役だった。しかしモダン期以降は
逆転して、ほとんどがトランペットに変わっていった。トランペットはジャズを
代表する楽器といって過言でない。よく通る高音域と華やかな音色の輝きが、
ジャズのダイナミックな特質と一致しているからだろう。実際ルイ・アーム
ストロングをはじめ、一時代を築くようなミュージシャンにはトランペッター
が多い。代表例はマイルス・デーヴィス、クリフォード・ブラウン、そして
リー・モーガンだろう。】
▼ トランペットが主流なら、トランペットが聞こえたら、
 モダン・ジャズとみてよい?
・・・・・・・
3391, 911・考えない・日本人  ー7
2010年07月08日(木)
   「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
 * 陽気なロボットが、日本人の原型    (P−192)
≪ 三歳児以下の日本人。自分を客観視するアイの代名詞を持たず、他者を
 客観視するユーを持たず、故に内言語が生まれず、故に反省意識が生まれない。
故に知性が育たない。故にその近代史は「突き当たり」の連続だった。故に人類
で唯一無二の原子爆弾被爆経験民族の栄に輝いた。「過ちは繰り返しません」と、
善のアメリカに原爆を頂いた悪の日本人は、見当違いの悔恨の思考を働かせて
死者に誓い、賑罪をし、より一層の悪化を改善と信じた。こうした日本人の
三歳児性は、無論原爆の出現やその被爆とは関係ない。われわれ日本人は動物
心理をの水準を超えたことは一度もないのだ。知能ではなく、心理として狸や
狐と大差ないということだ。彼らも内語を持たず反省意識を持たないからだ。
原爆を落とした悪よりも、落とされた状態をつくった自分のほうに悪を見る
脳みそは、内言語と反省では作りえない言語以前の反応である。ニャーという
猫言語が、ワンという犬言語に尻尾を巻いた心理・外言語構造である。
動物には外言語しかない。いや、言語ではなく、吠え声、鳴き声だ。日本人は
その「音」を使ってきた。「訓」ではない。もはや音と訓の区別もつかない。
どっちがどっちだっけ?ハヤシ?リン? ・・ 人間が人間の条件とされた
ものを次第に失っていく西欧社会や、アメリカでは「陽気なロボット」
(自己満足した卑小な人間の形容)。人間としての尊厳さも、崇高さも字の
とおりの意)とか、色いろある。どれも絶望的に人間性を失った人間を嘆く
言葉であり、その論証には反論の余地がない。≫
▼ この辺の論も外から見た日本人の姿をシビアに表現している。
あまりにアメリカに飼いならされ良いように収奪されても、それさえ気づかない
三歳児以下の日本人の滑稽さを嘆いている。「アイ」と「ユー」さえ持ちえず
「ウィ(我われ)」しか言えない幼児性から抜け出れない日本人。そして、
あと二年後にアメリカは??を宣言、日本が持っているアメリカ国債と、
ドルの価値を半減にしてしまう。それが分かっていても、どうもこうも
ならない陽気なロボットの日本。それが現状の様相である。
・・・・・・・・
16,旅する力 ー深夜特急ノート ー1
2009年07月08日(水)
    「旅する力ー深夜特急ノート」沢木耕太郎著   ー読書日記
 深夜特急を初めて読んだ時の興奮を今でも憶えている。その後、TVでも
ドラマ化されたが、これも良い脚本。その後、彼の本を何冊か読んだが、それに
勝るものはなかった。この本も、沢木の旅好きの子供の時からの由来と、旅の
指導書のようであり、なかなか説得力がある。 深夜特急の読者を狙っている
ようだが、そうだとしても納得できる。全体の総評を書こうかと思ったが、
一章か、二章単位で印象的な部分を記録として書き残しておいた方が良いと
判断して、何回シリーズで書くことにした。
   まずは ー序章  旅を作るー から
  一行目の出だしからして惹きつけられる。
*「旅とは何か。その答えは無数にあるだろう。私には大槻文彦が『大言海』
 で記した次の定義が最も的を射たもののように思われる。 
 《家ヲ出デテ、遠キニ行キ、途中ニアルコト》ー・・・しかし、旅は同時に、
 終わりがあるものである。始まりがあり、終わりがある。そこには旅を作る、
いう要素が入り込む余地が生まれるのだ。人は旅をする。だが、その旅は
どこかに在るものではなく、旅をする人が作るのだ。・・・
(解説)旅と旅行の違いは、「旅は、その途中を味わうことを目的とし、
旅行は 目的地に行くことを主にすることをいう」ということは知っていた。
私にとっての秘境・異郷の旅はとりあえず遠くに行くこと、そして文化・
文明 というより、大自然に触れることであった。それは目的地だけでなく、
その移動の中に垣間見る景色にあることが多い。
*「余儀ない旅」ではなく、「夢見た旅」を始めようとするとき……既に旅の
姿が整えられていく。夢が生まれ、それを具体化し、実現する。そのように
 して、旅を作っていく。しかし、人によってその作り方は違ってくるだろう。
  だから似た夢でも、まったく違った旅になってくるのだ。
(解説)一回の旅行は、終わって帰ってきても終わりがない。その旅行記を
  書いて総括し、写真を整理し、そして、その後にガイドブックや、ネットで
 情報を取って記憶を再編集する。そして何時かTv番組で放送をしているのを見る。
 その都度に一度行った旅行が再編されるのである。だから、どんどん自分が
 膨らんでいく。  とにかく一度その地に足を入れることである。 
そうすると、作った旅が自ずから動き出していく。


5227,「エリック・ホッファー自伝」 〜⑤『適応しえぬ者たち』

2015年07月07日(火)

            「エリック・ホッファー自伝」中本義彦訳
   * 適応しえぬ者たち
「季節労働者キャンプにいることが何を意味しているのかがわかった。
 ここにいるわれわれはゴミの集まりなのだ、と。」 
誰が好んで、ここに居るものか、社会に適応できぬ者たちが、ここにいる。
まあ、シビアである。 私の社会生活、アウトサイダーと自認していても、
適応できないだけかもしれない、 〜その辺りから〜 
≪ ―開拓者としての放浪者?―ば かげた考えのように思えた。しかし、
白い砂漠を横切って歩いている間中、この着想について思いをめぐらせていた。
開拓者とは何者だったのか。家を捨て荒野に向かった者たちとは誰だったのか。
人間はめったに居心地のよい場所を離れることはないし、進んで困難を求める
こともない。財をなした者は腰を落ち着ける。居場所を変えることは、痛みを
伴う困難な行動だ。それでは、誰が未開の荒野へ向かったのか。明らかに財を
なしていなかった者、つまり破産者や貧民。有能ではあるが、あまりにも衝動的
で日常の仕事に耐え切れなかった者。飲んだくれ、ギャンブラー、女たらしなど
の欲望の奴隷。逃亡者や元囚人など世間から見放された者。そして、このほかに
冒険を求める少数の若者や中年が含まれる。おそらく現在、季節労働者や放浪者
に落ちぶれた者と同じタイプの人間が、一昔前は開拓者の大部分を占めていた
のだろう。新しい国への移住はほとんど例外なく、これに妥当する。
 オーストラリア移住の前衛を占めたのは元受刑者だったし、シベリアに定住
したのは流罪者や囚人だった。アメリカで初期と後期の移住者は失敗者や逃亡者、
重犯罪人だったし、宗教的情熱に突き動かされた開拓者だけが例外である。
ともかく、この放浪者と開拓者の親縁性の発見は、私の心を強く捉えた。
それから何年もの間この発見、表面的には放浪者にも開拓者にも関係ない考察と
絡みあい続け、それまで関心を抱くことがなかったテーマについて考えるよう、
私を導いたのである。そして、人間の独自性とは何かという根本的な問題に
突き当たったのだ。
 人間という種においては、他の生物とは対称的に、弱者が生き残るだけでなく、
時として強者に勝利する。「神は、力あるものを辱めるために、この世の弱きもの
を選ばれたり」という聖パウロの尊大な言葉には、さめたリアリズムが存在する。
弱者に固有の自己嫌悪は、通常の生存競争よりも遥かに強いエネルギーを放出する。
明らかに、弱者の中に生じる激しさは、彼らに、いわば特別の適応を見出させる。
弱者の影響力に腐敗や大敗をもたらす害悪しか見ないニーチェやD・H・ローレンス
のような人たちは、重要な点を見過ごしている。 弱者が演じる特別な役割こそが、
人類に独自性を与えているのだ。われわれは人間の運命を形作るうえで弱者が
支配的な役割を果たしているという事実を、自然的本能や生存に不可欠な衝動
からの逸脱としてではなく、むしろ人間が自然から離れ、それを超えていく
出発点、つまり退廃ではなく、創造の新秩序の発生として見なければならない。≫
▼ 弱者の立場から、その役割の重要性を看破している。「特別の適応」を
 弱者は見出していく。弱者の自己嫌悪は、通常の生存競争より遥かに強い
エネルギーを放出する。それは、挫折をした節目で、内に向かって出てくる
それである。それが強者に勝利する原動力になる。適応しないことも時に重要
になる。ただし、目的が、そこに有るかどうかが、孤高と弧底?の境目になる。
・・・・・・
4862,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー30 
2014年07月07日(月)
  * 本来、この事業構想は正しかったのだろうか?  ー前半、終了ー
 この事業は、280室で駅前シリーズを終えた後に、郊外型ホテルへ切替えるか、
事業売却であった。そこで節目を作るのが、学生時代に構想した創業型事業人生。
それを作らなかったのが、三年前の結果に繋がった。1985年のプラザ合意直後
から生じたバブルと崩壊は、明治維新と、太平洋戦争敗戦と同じぐらいの大きな
節目である。アメリカの陰謀による経済敗戦であり、更に9・11テロ、9・15の
リーマンショック、3・11の東北大震災である。 それが私の事業にも直撃、
これまで深手になることを読めなかったのが致命傷になった。創業当初の
10年間で、ユデ蛙になったためである。「ご覧とおり、そのまま結構」である。 
これを書いて気づいたことは、創業時に転売した二ヶ所の土地が、実は郊外型
ホテルの立地だったこと。あの時に「もしか、ここがホテル立地?」という
想いはあった。しかし、新幹線開業した直後の上越新幹線最終駅前の周辺に、
執着するのも仕方がない?あと講釈としても、十年目に大きな節目を作るべき
だった。進むべきか、立止まるか、引くかのサイン?があった。 その時、
そのサインを読み違え、戦略を新潟駅周辺に280室から、500室の拡大
戦略をとってしまった。当時、大型チェーンの駅前などの繁華街店舗が急激に
衰退していった。その頃に、ペガサスでは駅前立地から本格撤収を指示していた。
事業構想は10年スパンか、駅前周辺300室内なら正しく、それ以上は致命
的間違い! 新潟駅前シリーズは、バブル崩壊による日本経済、特に地方の
衰退が本格的に始まった中で、舵取りを間違えた結果、最期は、これ。
直接原因はリーマンショックと、東北大震災?で、間接原因は500室の駅前
への過剰投資。だから諦めはついている。歴史的バブル経済の崩壊にかかわらず、
逆に新潟駅前でバブッタのである。これが直接原因で、最後の二つは、
駄目だしの間接原因ともいえる。物語として、私には、これが丁度良かった!
 〜と、思うしかない。 そして、反省の日々! そして、外海には、更なる
大津波の音がする。内海では、その中、祭り(東京オリンピック)の準備で
ミニバブル! 高台からの下界の景色を、妙な気分で見るのも?
「天気晴朗なれど、波高し!」が内海の景色!ここからみえる
人生68〜75年の最期の祭り?が、面白そうだ。
・・・・・・
4495, 怒らないって本当は恐い! ー10
2013年07月07日(日)                     
   * 石原と橋下の怒りについて     『怒りの作法』小川仁志著 
 怒りといえば、石原と橋下。TVで常に怒っている。アメリカの間接統治
のために与えられた憲法さえ変えることが出来ないのが二人の怒りの根にある。
更に実質的に日本は官僚が支配している実態に対しても怒っている。二人とも
怒りを実に巧く使い、改革を実施してきた。実質、占領下の現状に対し、
怒るのが当たり前だが、それを表立てると何故か失脚をする。
 歴代の首相も何故か、独立を企てると失脚してきた。アメリカにとって一年の
首相交代は間接的統治に理想的である。ーその辺りから抜粋して考えてみようー
≪ 橋下大阪市長と、もう一人石原都知事の二人は、事柄に対して本当に怒り
 を示せる人物だということができます。彼らのメッセージはしっかりと
伝わるのです。それが人気の秘訣でもあるのでしょう。彼らはまず怒ります。
そしてその怒りのモードに諭理を載せます。なぜ怒っているのか、なぜ
メッセージを発しているのかが明確なのです。そして筋が通っています。
ただ、両者の怨りの根源は大きく異なります。石原都知事の場合は、偏った
保守思想に恨源があるのに対して、橋下市長の場合は、世の中の不合理さに
対する怒りに恨源があります。 石原都知事は外国人に対する差別的発言に
顕著なように、自分の思想に反する事柄を排除しようとするエネルギーが怒り
の源泉となっているのです。これに対して橋下市長の場合は、弁護士出身
だからというわけではないでしょうが、世の中の不公平に対して挑戦しようする。
・・・ そんな橋下市長がぶち上げたのが大阪都構想です。大阪市を特別区に
分割し、他の市と一緒に再編してまとめようという。 これによって、
大阪市が副都心として活性化するというわけです。 同じ独裁的イメージを
醸し出す二人ですが、いわば石原知事が偏向思想に基づく自己中心型独裁
であるのに対して、橋下市長は、奇しくも彼が解放と表現したように人民開放型
独裁のです。この違いは偏りに怒りの恨源の違いに基でづくものといえます。
私もこうした橋下市長の怒りの根源には、石原都知事の偏向思想と連って大いに
共感します。この共感を持てるかという点は、実はメッセージの威力に影響を
与えます。というのも、共感とは納得感であって、誰もが納得できるというこは、
それだけ論理的だということだからです。≫
▼ 東京と大阪の首長までは、彼らの手法が有効に働いたようだが、
 こと国政においては難しいようだ。遅かれ早かれ政治的謀略で消え去る
可能性が強い。しかし、ここは怒りの話。都会人なら、二人の怒りを理解できた
としても、それが全国区となると、民度からして、理解できないのである。
その意味で、二人は怒りが洗脳され、安穏とした日本という国の実態に怒りが
向いているだろう。それにしても怒らなすぎる日本人は! 考えないからだ。
怒りが私の人生を狂わせたと、少しは思っていたが、そうじゃない、怒りこそが、
大きな原動力になっていた。歳をとったら、少しは大人しくした方がよいが、
これでは怒って当然のこと。 「怒り」の肯定論があるとはね!
・・・・・
4121, 空腹感のすすめ
2012年07月07日(土)
             「老後に後悔しない10の備え」三浦朱門著  
 最近、「空腹の勧め」をTVなどで紹介しているのを見かける。以前も、
ここで飽食の猿と空腹の猿の生存年齢の違いを取り上げたことがあった。
生物は長年、飢餓の境目に生きてきたため飽食に対しての身体が出来ていない。 
著者は、空腹感状態の方が身体に良いという。私は終戦直後に生まれ、それも
大人数の兄姉の末っ子だったたこともあり、
今でも腹八分目は食べないと気が済まない。 ー以下は、そのくだりー
  * 空腹のすすめ
≪人間にかぎらず、動物というのは空腹であるのが健全な状態である、と言う。
 空腹である、ということは、摂取した食料が体に採り入れられ、それが身体
各部の必要なエネルギーになり、新しい細胞を作っている、ということであって、
動物の体を作ってゆく、という面では生産的であり、体内に蓄積されたエネルギー
を消費するという面では消費的な活動をしているのである。空腹というのは、
今、体内に採り入れた養分をしかるべき所に配分しております、という合図。
それで、もう体の中の余分なエネルギーは残っていません、というのが疲労で
あり、休息と食事の時間、ということになる。それなのに、生物の中でも最も
恵まれた動物である人間は、空腹を感ずると、すぐに食べはじめる。
体を生産的なことに動かしながらも、食べ物、飲み物を口に入れる。
考えてみてほしい、空腹感は、あれで結構、好ましい状態なのではないか。
少なくとも食いすぎの状態よりも、気持ちがいい。「腹が減ってきた。
何を食おうかな」と私たち祖先は考えて、獲物になるものを探したのであろう。
空腹はそういう根本的な動物の行動を促す動機になる。それなのに現代の日本の
ような先進国では空腹を感ずると食料が手に入る。戦前の家庭婦人の場合は違った。
朝から掃除、洗濯、昼食は残り物でいい加減にすまして、午後は洗濯物をとり
入れて、アイロンをかけて収納する。さて一休みという段階で、ちょっと空腹感
を覚える。空腹になって、それでは夕食のメニューを何にしようか、その材料を
買いに着物を着替えて、駅前のマーケットに買物に行こう、夕食は何ということは
まだはっきりしないが、マーケットに行けば、その日の安いもので、亭主の好さな
ものが見つかるだろう。つまり空腹が夕食の準備、そのための買い出しといった
新しい行動をうながしたのである。こうやって、夕食の準備をして、子供には
先に食べさせて、寝かしつける。 自分は空腹をガマンして、午後八時ごろに
帰宅する亭主を待つ。≫
▼ そういえば独身時代、三食を自分で準備をして食べていた頃は、
 時間が来たから食事をするというより、腹が減ったため食事をしていた。
そのためか、何を食べても美味しかったことを憶えている。この年齢だと、
腹5分位が丁度よいというが、まだ腹8〜9分目まで満たさないと物足りない。
 人間は精神的空腹感も同じように必要か!青年期の精神的渇望感が懐かしい。
・・・・・・
3755, 夢はリアル
2011年07月07日(木)
 昨日の朝の夢は、生々しい内容である。 ーその内容とはー
【 経営破綻しそうな会社を引き受けないかと言われるが断る。そこに社長の
奥さんがいたので、「助言はするので、あなたが引き受けるべきです」というと、
「二つの経済震災と、自然震災で失敗したというが、そんなのは言い訳、この
事態でも乗り切れてこそ、真っ当な経営者。貴方の言うことは当てにならない」
と、言われた夢。】
 生々しい、辛らつの指摘であり、その指摘は至極当たり前の道理である。 
意識、無意識を含めて、今回の破綻の8割は、3つの震災が原因と思っているが、
反面、それは黙っていればこそ。それを堂々と、ここで書き、また周辺に公言
している脇の甘さが、現在の私。 心底(沼)でドロドロしていたのが変容して、
具体的に夢になって自分を責める。 2割の見方こそ8割の道理がある。 
それを前提と考えてみると、「9・11からの長期低迷で売上が三分の二になり、
更に7年後の9・15=リーマン・ショックから二年半で三分の一になったこと
は果たして想定出来なかったのか? それも、三年目に入っても売上が2割以上
も続けて落ち続けていたが、二年目で収まると楽観視していた、リーマン・
ショックの経済大震災に対する認識の甘さ。 いや、ギリギリのリストラは
実施してきたが・・ 夢は、誰も思っていても直接いわない事実を、潜在意識が
生々しい幻影で教えている。 あの眼差しを見れば感じるか?
30年で一応、事業のフルコースを味わったことになる。10年登り、10年
緩やかな降り、そして10年で、絵に描いたような急激な降り。 それに対し、
手をこまねいているしかなかった長期装置産業の宿命。そんなことは、分かって
いたことでしかないのでは?と、言わんばかりの、夢の中での指摘。
それを赤裸々に書いている現在の私がいる。「喜劇と悲劇は紙一重でしかない、
というのは、このことか」という心の声。 それでも、仕方がないと、
独り嘯くしかない。自嘲か、これは。 と同時に、それをも事業のコースと
楽しんでいる変な自分こそ、私そのものか。 意味など、あと講釈。
 ・・・・・・・
3390, 閑話小題
2010年07月07日(水)
  * Yotube の世界
 ビデオ・カメラを購入しアップロードをした機会からYoutubeを見る
ようになった。それから面白い画像の紹介を私のブログ「バード・ウォッチング」
で、毎日のように紹介している。世界中でYoutubeの面白映像の話が会話の
中で取上げられているのを真似たのである。そうすると意識して探すようになる。
ブログには一日一枚の写真を載せているが、適当の写真を探し出すのが大変だが、
それよりもズット楽である。 「面白い、衝撃的、軽いもの」を中心にアンテナを
立てているが、次から次へと底知れず出てくる。一日20憶のアクセスも
分かるような気がする。
 * 角界賭博の処分は妥当?
 (字数制限のためカット 2011年7月7日)
 ・・・・・・・・
3015,エジプト・ピラミッドの謎
2009年07月07日(火)
 一昨日の日曜夜のーNHKスペシャル・エジプト発掘 
第1集 「ピラミッド 隠された回廊の謎」が面白い。
一昨年、二度目のクス王のピラミッドを見学してきたが、あの巨大なピラミッド
を5000年前にどのようにして造ったのか、これまでも多くの番組で取り上げていた。 
その中で一番尤もらしいのが、「砂漠の砂をピラミッドの周囲に建設の高さに
積み上げて、巨石を運び上げる方法」であった。しかし、今回の説は違っていた。 
岩を上に搬送するトンネルを螺旋状に造りながら上に運ぶという説だった。 
近くの崩壊した小さなピラミッドにも、そのような痕跡が見て取れた。
  ーNHKのHPの番組紹介からコピーからー
【 今から約5000年前、エジプトの砂漠地帯に忽然と現れたピラミッド。
 その後500年あまりに渡ってピラミッドは建造され、その数は現在確認されて
いるだけでも100個を越える。その中でも最大規模を誇るのが、世界遺産にも
登録されている「クフ王の大ピラミッド」。高さ147m、底辺の長さ230m。
世界最大の石造建造物である。平均2.5トンの石を300万個積み上げて造られている
大ピラミッド。地上60メートルの場所には、重さ60トンもの巨石も使われてる。
クレーンもない時代に、この巨大ピラミッドをいったいどうやって造ったのか? 
古来、様々な研究者が謎解きに挑んだが、答えは出ず、古代エジプト史上、
最大の謎とされてきた。ところが今回、ついにこの謎を解き明かしたという
人物が現れた。フランス人建築家ジャン・ピエール・ウーダン氏である。
彼は、最新技術を駆使し、建築家の視点から、「内部トンネルを使って建設した」
という独特の説を世界に発表した。番組では、ピラミッドの登頂調査をはじめ、
ウーダン氏のピラミッド調査に同行取材、神秘に満ちた、大ピラミッド建造の謎
を興味深く解き明かしていく。】
▼ ー以上だが、近年になって、ピラミッドの近くに、その建設に従事した
 労働者の村が発掘された。その調査から分かったことは、4000人の労働者が
20年の歳月をかけて造られたという。
 (字数制限のためカット 2012年7月7日)


5226,「エリック・ホッファー自伝」 〜④

2015年07月06日(月)

            「エリック・ホッファー自伝」中本義彦訳
    * 運命の出会いと別れ
 ホッファーの放浪者としてのベースは、『旧約聖書』との出あいである。
それを引き合せてくれた運命的邂逅の相手が、雇い主のユダヤ人であった。
<ユダヤ人の神は他の神とは違い、怠惰な貴族でなく、働き者の職長である。>
のとおり、ホッファーも放浪労働者として、真理を追究していく道を選んだ。
 〜その辺りから〜
≪・ドイツ系移民の子としてニューヨークで生まれたエリック・ホッファーは、
 7歳で母を亡くし同時に失明。15歳で突然視力が回復すると、また視力を失う
 怖さから本を貪り読むようになる。18歳で父を亡くし天涯孤独の身になると、
 さまざまな労働に従事するかたわら公立図書館を利用して読書に没頭する。
 家系はみな短命で、50歳以上生きた者が誰もいなかった。自分の命も40年
 だと疑う事なく信じていたホッファーが40歳までの"半生"を綴っている。
・ローズベルトが大統領になる前のアメリカは、自己憐憫とはまったく
 無縁だった。言葉を交わした人間の誰一人として、自分の不孝を他人の
 せいにする者はいなかった。
・雇い主のシャピーロとの会話は本の話題が中心で、彼は私が何を読んでいる
 のか知りたがった。彼は大学を卒業しており、死んだ叔父が倉庫を残さな
 かったら、学者の道に進んでいたらしい。つまり、大学教授になる代わりに、
 やり手のくず鉄屋になったのだ。私は贈罪日に倉庫を閉めたのを見て、
 初めてシャピーロがユダヤ人であることに気づいた。それからユダヤ人に
 関する本を読み始め、シャピーロが私に関心を示したのは、彼がユダヤ人で
 あるからだと確信するようになった。ユダヤ人は特別な民族である。
 彼らは神を見つけ出し、その数に比して歴史的に大きな役割を担ってきた。
 <ユダヤ人の神は他の神とは違い、怠惰な貴族でなく、働き者の職長である>
 そうした神を崇拝し模倣した西洋においてのみ、機械時代が訪れた。
 中国人と日本人はその発明の才と技術習得力にもかかわらず、機械時代を
 招き寄せられず、西洋から受容しなければならなかったのだ。
 この考えにシャピーロは喜び、ぜひそのことを書いてみるべきだと言った。
・古代の始まりからユダヤ人は、人間の顔に表れる象形文字を判読する能力に
 秀でていた。人間が何をしようと何を考えようと、それは顔に刻み込まれる。
・新たな好奇心が私を旧約聖書へと導いていた。ちょうど筋肉がついてきたという
 意識が、青年をウェイト・リフティングやレスリングへと駆り立てるように、
 精神が成熟してきたという意識が、私を未知の新たな仕事へと向かわせた。
・貧困者に対して非情になるなという訓戒が、争いごとにおいて
 貧者の肩をもつなという冷めた諫言と並存している。
・この世の現実に執着するあまり、古代ユダヤ人は来世のことを考えなかった。
 彼らにとって最高の報酬とは、自分の寿命を延ばしてもらうことである。
・真実を構想して未知のものを思い描き、物語を語る能力は、未知のものを
 探るうえで必要不可欠な才能だ。≫
▼ 放浪労働者から解放される機会が多くあったが、敢えて、その道を
 選ばなかったのは、40歳までしか生きられないという思い込みがあった
ことと、旧約聖書の影響である。しかし、放浪労働者は違っていた。
ただ社会的不適応者でしかなかったが、彼らの群れには魅力が隠されていた。
・・・・・・
4861,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー29
2014年07月06日(日)
  * 新規事業の構想とは
 新規事業は《「①現金商売で、②箱物を絡めた、③妻子などの親戚を入れない、
④転売可能で、⑤手堅いこと」を前提に、自らを捨石と割り切る!》と、自分に
ダメ押しをした。 そして、千葉・千城台ビルと、長岡郊外の更地を売却をして、
新潟駅前の更地一点にエネルギーの集中を、第一歩とした。それに躊躇があるなら、
覚悟が出来てないことになる。 独り落下傘で敵地に舞い降りる決死の覚悟だった。
まずは、千葉と長岡と同じく、孤独、孤立からの出発である。不安と緊張の中で、
漆黒のような闇に向かって、ただ一歩ずつ進むしかない。ところでホテル名は、
学生服メーカーのブランドを付け『ベンクーガーホテル』にした。
その上にツイン、ダブルルームをカットしたシングル専門にして、税・サ込3980円
の価格破壊を仕掛ければ、成功確率は500%!の確信が生まれていた。
これで15年間の準備は一応、出揃った。「新しい酒は新しい皮袋に盛れ」とは
《新しい内容や思想を表現するために、それに応じた新しい形式や方法が必要で
あるということ。すなわち、いつまでも古い形式にこだわってはならない、
というたとえ。》をいうが、創業も同じ。まず第一歩は独りになり、己を無に
して市場に聞きながら、踏出すのが基本。 事前調査で、ビジネスホテルは
月〜木曜日が、ほぼ満室、金土が5〜6割、日曜が3割、平均稼動8割が目安。
それに対し、学生服は平日が閑散日で、土日が、その三倍の売上げの世界。 
平日はフロントに、土日はショップにシフトをし、回わせば、究極の合理化。
その上、学生服の荒利が4割近くで、値引きはゼロ。軌道に乗せれば、大いに
利益貢献をもたらす。 しかし、学生ショップと、ビジネスホテルの融合は、
短期的にはプラスに働いたが、長期的に失敗。学生服は制服の自由化で右下がり
の衰退が始まっていた。 ホテル名にするなど、言語道断と、十年近く経って
気づくことになる。しかし創業時の二ヶ所の土地転しと、学生ショップの利益は、
二、三棟目のホテル開業に大きく貢献していた。これはこれで、良かった? 
それにしても、何だろう、この男? ドンキ?
・・・・・
4494, 怒らないって本当は恐い! ー9
2013年07月06日(土)
   * なぜ世界中でデモが起こるのか
 現在、北アフリカと中東をはじめ世界中でデモが起きている。
デモは集団による政治のメッセージである。ここでは、格差問題が若者を中心
に怒りとして燃え上がった。その背景には携帯電話という情報機器の普及で、
体制側の腐敗と貧富の格差の情報が隅々まで流されることがある。日本のデモ
のようにお祭り騒ぎで練り歩くだけでは怒りは伝わらない。怒りが伴った暴動
こそ、その意思が伝わる。  ーまずは、その辺りからー
≪ 議論と同じ意味で怒りを道具になるのは、メッセージを伝える感情だから。
 つまり行動である。その中で、一番わかりやすいメッセージの伝達行動は、
デモでないだろうか。 通常、デモは政治的メッセージを発信するために、
集団で練り歩く行為をいいます。デモンストレーションの略ですが、語源は
「示す」という意味を持っている。したがって、デモの本質は、人々が自分の
意思を示す行為である、と言えるのである。しかし漫然と歩いているのでは
効果がない。怒りが示されると俄然と効果が現れてくる。世界で変革を求める
デモが起きているが、それはもっと非日常的な非常事態であってしかるべき。
しかし先進国のデモは、そうでない。特に、日本のデモは、どれもお祭り騒ぎ
である。それは去勢されたから。安保闘争の時に圧倒的な取締で潰えた後、
すっかり大人しくなってしまった。それでも、唯一怒りを伴ったデモらしき
ものは反貧困を掲げた運動だった。派遣切りをはじめ、人をモノ扱いにする
ような新自由主義的な自民党政治に対し、さすがに人々が怒った。
この運動で自民党政治の行き詰まりもあって、ある程度効果があって、
一度政権が交代した。そして、誰もが、貧困が解消されたかに見えたが、
実際は自民党的体質を変えることは出来なかった。反貧困の湯浅誠が、
内閣参与という形で迎えいれられることで去勢されてしまった。・・ ≫
▼ 携帯電話、スマホは、国境を超えて情報を一瞬のうちに世界に行き来する。
 今さらグローバル化を元に戻すことは不可能。それは情報を通して、世界が
平準化していくことを意味するが、様々な格差の拡大を生む。その怒りが
世界中に噴出するのは避けがたいことになる。現に中国が年間十数万件も
暴動が起きている。それが一斉に起きてないから内乱になってないだけ。
社会には、貧困、格差問題は常に存在する。問題は、グローバル化が貧困、
格差を拡大する力になるからである。ということは、世界各地で起きている
デモや暴動は、ますます激しくなっていく。時の権力者は、その矛先を自国
より弱い周辺国に向けるため、国境問題を操作する。グローバル化は
戦争の機会を促進することになる。
・・・・・・・
4120, オニババと、粗大ゴミ
2012年07月06日(金)
  * 女の変容    「老後に後悔しない10の備え」三浦朱門著
 流石に20歳年上の書いた老いについての話は参考になる。奥さんが
曽野綾子なら旦那に対しても厳しいはず。特に「男から見る女性の、対男性
の態度に四つの時期」が面白い。女性は更年期を過ぎる頃から第四期の
オニババ化が始まる。  ーその辺りを抜粋するー
≪ 男から見ると、女の対男性の態度に四つの時期がある。
・ 最初は男を敵視し、警戒し、ことさらに無関心を装う思春期。
・それから特定の男あるいは男たちには打ち解けて、彼のことに心遣いを示し、
 男としては、うん、この女は優しくて、オレの世話を何くれとなく見てくれる、
 と思わせる。これを青春期とする。これは結婚しても数年は続く。
・第三期はオバサン期である。オバサンは家庭の主として独裁権を振るう。
 それに従わない者は、子供であろうと亭主であろうと容赦しない。
 彼女の独裁権が及ばないのは、舅と姑だから、彼らへの鬱憤は専ら、
 亭主にむけられる。舅、姑は亭主の親だからである。
・第四期がオニババだが、こうなると、彼女は世を呪い、人を恨み、身のまわり
 のあらゆる物が、自分の意図と違う状況にあると、すざまじい勢いで叱り
 つける、そのくせ、自分は何もしない。人に指図してやらせるだけである。
 この場合の指図される相手は、多くの場合い、亭主しかいないから、オニババ
 の夫としては、少なくとも肉体的には健康であることが望ましい。 ≫
▼ 数ヶ月前に、色いろあって自宅の名義が家内に変わった。
 予測はしていたが、急に態度がオーナー然として、私は宿六扱い。
ペットに餌をやっていたのを見て、「居候が居候に餌をやっている」だと。
オニババ化の一場面である。この数年で、団塊世代が大量に定年を向かえ
家の滞在時間が多くなった。現在、日本中がオニババと団塊粗大ゴミが
イガミアッテいる。私など平均4時間は外出。ちらほら愚痴が聞こえてきて
いるが、当人にとっては切実の問題。以前読んだ、あるエッセーにあったが、 
定年になった時に、「食事以外は外出するか、自室以外に出ないよう」
妻に言い渡されたという。まあ、現在の私も似たようなもの。
家が大きいので、まだ助かっている・・ 更年期を過ぎ、身体が老化を
始めると過去の思い出が大きな比重を占めてくる。人間の記憶の大部分が
マイナーで占められている。記憶は主語が消えてしまうので、そのマイナー
を身近の人に見ることになる。その槍玉が連れ合いになり、オニババ化が
進んでいき最悪、熟年離婚になる。せっかく、会社の嫌な上司から
解放された挙句に、である。
 ・・・・・・・
3754, ワシも族か〜  ー�
2011年07月06日(水)
  あるブログにあった「ワシも族」、によると、
【・定年で毎日が日曜日状態になった父さんが、
 ・家でやることもなくゴロゴロ 
 ・妻がどこかへ行こうとすると「ワシも一緒に」と着いて来る男性を指す。
 一般的のサラリーマンは、「定年になったら、あれも、これもやりたい」
と考えるが、何をしても中途半端で飽きてくる。 定年で急にはじめても、
アマチュアになるには遅すぎる。最低で10年の準備が必要。
そこで、妻に縋るしかない。 TVのワイドショーで「ワシも族・度」
が紹介されていた。
1)近所で人当たりが良いが、家では無口 2)夫が家事をするのは「手伝い」と思う
3)妻の予定や行動をよくチェックしている 4)妻にはつい、つらく当たってしまう
5)妻の家事に手は出さないけど、口は出す 6)妻のお出かけにはよくついていく
7)妻子を養ってきたとの自負がある
【判断基準】・3個以下:とりあえずは大丈夫? ・4〜5個:ワシも族の素質、
十分です ・6個以上:要注意!見捨てられるかも会社人間の習性で、
「自分では手を出さずに、命令すること」「部下が作成したものを批評し、
自ら積極的に行動しない」が習慣化しているからだ。 】
▼「ワシも族」といえば、私の夫婦間では、家内の方が前より「私もやりたい」
 と、言う方。女なら、それは愛嬌だが。私がネットに夢中になれば、見よう
見まねでネットで情報をとったり、ネット・ショッピングに夢中になったり。
海外旅行といえば、初めは反対するが、私が申し込む直前に「私も行く」と、
のたまう。大反対をしたもの(ハンモック・チェアーや、健康機器)を良さそうか
どうかを見極めてから、都合の良い理屈をつけて始める。それが、今度は逆転。
 私も暇時間のつぶし方は得意だが家内には敵わない。相手は38年、年中である。 
一般的には仕事にネルギーを奪われ、ライフワークの趣味を作り上げてこなかった
ツケが、定年後にくる。でも、それでも妻の後についていくだけ、まだましか。
 いくら東京が好きとはいえ、5日連続とは!驚くより呆れる。
「ツアーに出ているよう」だと! 内容からして価値あるツアーだが!
・・・・・・・
3389, 911・考えない・日本人  ー6
2010年07月06日(火)
           「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
■ 自問自答が知性を磨く (Pー189)
  他者との対話とは別に自分自身との対話=自問自答がある。
    著者の考える=「哲学する」についてが、なかなか面白い。
≪ 哲学について、ポール・ソシャールの『言語と思考』には
   次のように書かれている。
*「子供は三歳半ごろ自分を指す代名詞〈私=I〉を使いはじめ、そのときに
 動物心埋の水準をはっきり乗り越える。…つまり反省意識という人間の段階は、
 言葉に結びついている。思考が内言語(註:個人の頭の中だけに聞こえる言葉)
 であるからこそ伝達できるのであり、意識状態の科学である心理学もできあがる」
*「(I)の言語化と(you)のそれとは切り離せない。
  それは対話の言語化である。自己の想像した対者との対話も含んでいる」
*「人間では、言語は外言語であると同時に内言語でもあるので、外言語として
 はコミュ二ケーションの役を果たし、内言語としては思考と反省意識を確保する」
*「人間を理解し、その水準を見定めようとするものは、
 言語問題に取り組まなくてはならない」
*「言語は人間の発明したもののうちで最高のものである。人間は話すからこそ
 知恵があるのだ。人間の身体は原初から何も変わっていない。変わったのは
 精神の働きだけだ。人間は言語のおかげで自己を完成し、知性を発展させてきた」
*「言語の無限の能力は単なる感情や状況を示す信号だけでは満足しなくなる。
 …… 言語は対象を離れ、独立する。本質的にコミュニケーションの手段では
 なくなり、思考の道具となるのだ。人間だけがこの〈内言語〉を持っている。
 内言語はもはや言語ではない。発音されないからだ。
 音情報は脳に移動され、自己の意識化を助ける」
*「人間は言語化されていない思考を心に浮かべることはほとんど不可能である」
 まだいくらでも引用したい文章はあるが、読んでいてもつらくなる。なぜなら
 言語段階から見ると日本人が人間としていかに未成熟かが歴然としてくるからだ。
 特にこの「反省」「内言語」の段階は幼児並みに思えてくる。どうやらわれわれの
 大脳皮質は、前述した角田説の逆作用で、成長を停止しているとしか考えられない。
 饒舌な内言語の会話が知性を磨く。連続的な自問自答である。われわれは内言語
 の失語症を起こしている。だから「失理症」に陥る。主語のない「味言語」は、
 結局主観と客観の区別がつかない。それが「無反省」、つまり精神の言語化、
 あるいはまた逆に言語の精神化を妨げる。 ≫
▼ 子供が、(自分)という言葉を持った瞬間から人間になるというが、
 そこから、自分に対するyouが出現する。いや、youが(自分=I)を
創出する。それが、動物と人間の境目になる。人間の記憶が、その辺から始る
のは、自分という言葉を語るからで、その時から人間は飛躍的成長が始る。
また日記が人間の成長に大きな役割を果たすのは、それを一度、ノートに外に
出すことで内語を外語とする作業の中で考えることになるからである。
サルトルの対自、即自である。偶然だが、去年の今日、同じようなことを
書いていた。 面白いものである。


5225,「エリック・ホッファー自伝」 〜③

2015年07月05日(日)

           「エリック・ホッファー自伝」中本義彦訳
   * 自殺未遂の場面と、覚醒!
 自殺決行の場面をリアルに書き連ねている。自分の走る歩道の足音を拍手
のようだ、というのも、緊張の極まりのためだろう。「口中に、百万本の
針が突き刺さったようだ」というのも迫真がある。ー以下の場面は圧巻・・
≪ ビンを包みから取り出している間、熱にうなされたような思いがかけめぐる。
 私はビンのふたをはずし、口いっぱいに一気にシュウ酸を流し込んだ。
口中に百万本の針が突き刺さったようだった。激情に打ち震えながら、シュウ酸
を吐き出した。つばを吐き、咳をし、唇をぬぐいながら、暗闇にビンを投げ捨てた。
 つばを吐き、咳をし続けながら、急いで道に戻った。泥道を走り抜け、セメント
道に入った。舗道に響く足音は拍手のようだ。興奮して、独り言を言いながら、
群衆にたどり着くまで走り続けた。ランプも、点滅する信号も、鳴り響くベルも、
路面電車も、自動車も、人間が作ったすべてが自分の骨身の一部のように思える。
ひりひり痛むほどの空きっ腹を抱えて、カフェテリアへ向かった。
 食事をとると、一本の道――どこへ行くのか何をもたらすのかもわからない、
曲りくねった終わりない道としての人生―という考えが、再び頭に浮かんできた。 
これこそ、いままで思いもよらなかった、都市労働者の死んだような日常生活に
代わるものだ。町から町へと続く曲がりくねった道に出なければならない。
それぞれの町には特徴があり目新しく、それぞれが最高の町と主張して、チャンス
を与えてくれるだろう。私は、そのすべてを利用し、決して後悔をしないだろう。
私は自殺をしなかった。だがその日曜日、労働者は死に、放浪者が誕生した。≫
▼ ホッファーの知的欲求は、盲目の7年間の暗闇の中から生まれ出たのでは
 ないだろうか。死の淵で知ったのは、放浪者として、曲がりくねった道を歩く
ことで、新しい町と出あい、色いろな知識を得つづけるのが自分の人生と悟った。
「慣れ親しむことは、生の刃先を鈍らせる。おそらくこの世界において永遠の
よそ者であること、他の惑星からの訪問者であることが芸術家の証なのであろう」
という思いが、ここで固まった。人生は己の芸術作品である。永遠のよそ者、
他の惑星からの訪問者なら、一つの町に留まらない。町々の間を、自己配転をし、
多くの出あいを求める。これは死の淵に立ってこそ知りうること。
 死んだような都市労働者の日常生活から、放浪者として彷徨いながら、
多くの世界を知っていくことの意味が、ここで理解出来る。これは、地方の
城下町を凝視すると見えてくる。非日常から逃避して、日常に沈み込む
恐ろしさが不気味に迫ってくる。 あのゾンビのような人たち。
『変化、挑戦、戦い』の繰り返しの中から、新しい出あいの機会が現れ出る。
・・・・・・・・・
2007年07月05日(木)
2284, 10歳の放浪記 ー2            *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ
 この番組の中で、教職員を前に上条さなえさんの講演の一部を放送していた。
その内容がユニークである。「あなた方仲間に年配の口うるさいオバサンがいる
でしょう。彼女らを嫌わないでください。彼女たちは誰からも愛されなくなって
しまったのです。誰からも愛されなくなると、人を愛せなくなるのです。
先生の仕事は子供を愛することです。人を愛することです。その為には人に
愛されなければなりません。さらにそのために、まず自分を愛せなくてはなり
ません」という言葉が何とも説得力があった。一年間のホームレスの後、養護
学校に初めて行ったとき、アンパンを食べようとしていた自分に、男の先生が
「自分の弁当と交換してほしい、東京のアンパンが食べたい」と、家庭の味の
する弁当を交換してくれた。その時、「必ず良い人間になる」と自分に誓い、
先生になりたいと決心をする。 教育に無条件の愛情以上に何の能力が必要
なのだろうか。 ヤクザが気の毒に思い、10歳の子供にいう。
「俺のような人間になっては駄目だ。人間真っ直ぐに生きなくてはいけない」
これも、自己否定からくる良心からの説得力のある言葉である。
「うらやましがられることもあるけど、やっぱり平凡な人生がよかった。
まず親が『幸せ』と感じなければ、子供も幸せになれない。それぞれの自分の
人生に価値を見いだしてほしい」「私の書く小説すべてがハッピーエンドに
終わるのです。色いろな経験から、そうしなくてはならなくなったのです」
の言葉が重い。 最近、14歳というのがキーワードになっている。
中学二年生、誰もが覚えがあるだろう、あの揺れ動いていた時期の日々を。
誰も周囲から居なくなって、自分ひとりが取り残されてしまったような
不安の日々。ひとつの節目だが、その前の十歳も大きな節目となる。
そこで決まってしまう時期でもある。初めて自分の自我に目覚め、人間と
しての最初の?壮烈な戦場がある。そこには虐めと、虐められるギリギリ中で、
人間としてのベースがつくられる。彼女のような経験は特殊だが、しかし
大きく揺れる時期でもある。一番問題なのは、親が全て取り仕切り、自主性を
刈り取ることである。10歳の子供が、ケネディーの「国家が何を自分にして
くれるかより、国家のために自分が何ができるかを問え」を「親」に
切り替えるとは、驚きである。        (* ̄∀ ̄)**SeeYou
・・・・・・
4860,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー28
2014年07月05日(土)
  * 15年の準備期間の総括! ―チェーンストア理論とは
 多くを学んだ割りに、大きく脱皮出来なかったのは、「根が怠け者」がある。
だから、20歳で創業を目指すと決心したことで、何とか人生を全機
(人間としての機能フルに生かす)でないとしても、その数分の一は生きること
が出来た。終戦直後に生まれ、地元長岡の焼け野原からの時代は間違いなく右上り
の時代。アメリカ占領統治から独立過程で、アメリカ的合理主義が求められていた。
その一つの現象が、アメリカのチェーンストア業態。未開の大陸、流通業の小売で、
合理的業態として、セルフ方式のチェーンストアが、アメリカ全土にあった。 
JC・ペニー、シアーズ・ローバックが当時の雄であった。 現在ではウォルマート
などが主だが・・ 学生時代に、日本の流通革命を目差すペガサス・クラブと、
流通コンサルタント・渥美俊一の存在を知る。当時の都市の駅前には、業種店の
百貨店と中小小売店が賑わいを見せていた。そこに業態店のスーパーを中心とした
新たな流通バイパスの業態店を!というから、これ!と思うのは当然。ちなみに
業種店とは、駅前に残存するが、メーカーなどの売り手サイドの括りで、問屋を
仲介にした仕入を主にした店で、「何を売るか」で、括られる。
それに対し業態店とは、「どのように売るか」で括られた店。セルフ方式で安く
売るスーパーや、ディスカウント店である。コンビニは、車で10分の商圏の中、
10分以内に消費する商品を、24時間営業を、売りにしている。それに対し、
駅前・駅中の靴屋、化粧品店は、あいも変わらず? その為、何時の間にか、
スーパーや、ネットで、売上げは激減状態!
 卒論に「流通革命」をテーマにしたこともあり、チェーンストアのシステムの
話になると我を忘れるが、これ、はまると、意外と面白い!その中で、一番要は、
チェーンストア統一伝票と、その伝票にバイヤーが書き込む仕様書発注である。
それさえ、詳細に書けば、それが、そのまま契約書にもなる。これが曖昧だと、
売り手が曖昧な商品を納入可能になる。 ある規模になれば、生産地で、直接、
メーカーと共同開発の特別発注が可能になる。 このところ、イオンが、イオン
ブランド品に比率を上げているのは、競争激化による。 そこで、トレード・
オフで、ホット商品の無駄をはぶいて数段の値段を下げで、カジュアルにする。
アメリカのディスカウントチェーンは、メーカーと組んで、商品開発から取組んだ
商品を売る、業態店をいう。 値下がり品だけを売る店は、チープ店である。
 小売を科学するとは、流通戦争の中で、生延びる中で生まれてくる。
だから、商売のヒントと原則が、数限りなく積上げられてある。その中で面白い
のが、ロスの概念! 商売をすれば当然、ロスが発生する。
これを、元から予測して、「発生は仕方がないが、最小にする!」という考え方。
これ、人の生き方にも当てはめることが出来る。「思いのまま生きた分、心の傷も、
喪失感が多くなるが、それ以上に得ることがある!」と言い換えることが出来る。 
冒険を恐れて、周囲の価値観の範囲で、人生を終える時に、やりたかったが、
やれなかった機会ロスがあまりに多かったことに気づくが、既に遅し!
そのゾンビが巷に多い。 彼らの敵は、逆の人生を生きてきた人!
・・・・・
4493, 怒らないって本当は恐い! ー8
2013年07月05日(金)
 人間を閉じ込める心の壁と構造について、何度も書いてきた。
「〜をしてはいけません」という心の壁。それについて何も考えずに、そのまま
一生を終えてしまう。そして、心の奥で両親を憎むというのが親子の関係にある。
それに反発し、両親の元から離れるのが親離れになるが、それが出来ないとミニ
ミニワールドでつい果ててしまう。そして、それを打ち消すために、その価値観
を家族をはじめ、周辺に押し付けてしまう。それも無知の自覚無しときている。
小さいほど、満ち溢れたエネルギーは毒を強くする。それで、まずやられるのが
自分自身。あの老人たちの暗い顔が証拠である。
 ーその辺りからを抜粋してみるー
   * フロイトの心の構図と怒り
≪ 怒りという感情を持たないようにするのではなく、いかに上手くコントロール
 するかだが、精神分析医のフロイトは、歴史上初めて、人間の心の構図を明らか
にした。彼は私たちの心は、実は三層構造になっているという。まず人間の根底
にはエス、あるいはラテン語でイドといわれる無意識の心的エネルギーがある。
これに対し、悪さをすると叱られる父親の存在に象徴されるような、ある種の
規範意識が対立します。これを超自我という。これは両親の道徳観が子どもの
心の中に内在化されたもの。従って超自我の多くは「〜してはいけません」という
禁止の形をとります。これは行為だけでなく、不道徳の思いに対しても作用する。
そうして両者は対立することになる。その両者を調停するのが自我です。
両者の対立をうまくコントロールしたり、阻止したりする機能を働かせることで、
自我は発達していく。それは思考をつかさどる意識の領域にほかならない。
つまり、心というものは、学校での三者面談のような構造になっている。
先生役の自我は、常に緊張状態に置かれていて、いつ爆発してもおかしくない。
これを防ぐのが防衛機制という機能です。人は自我を維持するのに危機を感じた
とき、無意識のうちに、その危機を避けようとします。たとえば不愉快の過去を
忘れてしまうために、持ちたくない意識を外に締め出します。これは「抑圧」
という防衛機制の一種です。また、本当の欲求が満たされなかったから他の
ことを行ったのに、それを正当化するため丁度の良い理由を見出すことがある。
手の届かないブドウを、酸っぱいに違いないと決めてかかるキツネのように。 
これを「合理化」という。さらに、自分の願望と裏腹の態度や行動をとる
「反動形成」も防衛機制の一つです。したがって怒りの感情をコントロールする
というのは、フロイトのいう自我が正常に機能して、防衛規制がきちんと働く
ことによってはじめて可能になる。それができないとキレまくることになる。
怒りをコントロールするためにも、自我の形成が大事になってくる。
自我は思考を鍛えるということにつながっていきます。欲望と規範の間で格闘
する自我とは、計算であり、配慮であり、決断にほかならない。 ・・思考を
鍛えて怒りを飼い慣らすことができれば、日常世界がもっと豊かになるはず。≫
▼ サラリーマンが、いちいち怒っていたら、組織の中で生きていくことは
 困難になる。だから、まず、気持ちを押しとどめるしかない。上記の「抑圧」
も「合理化」も「反動形成」も、嫌が上にも身につけるしかない。 そして、
それが性格形成の元になる。組織そのものが一つの人格として三者面談を形成
してくる。それが組織人というもの。それも給料の内と割り切るしかない。
そこに埋没しないためには、ライフワークとしての趣味を持つしかない。
 怒りは、その行き詰まった自分を考えるキッカケになる。「エス」「超自我」
「自我」の心の構図の論は怒りを考える上で理解しやすい。「自我」にとって、
怒りこそエスを正しい方向に導いてくれるということを。それも若いうちにである。
・・・・・・
4119, 閑話小題 ー平均寿命と医療費
2012年07月05日(木)
   * 平均寿命と医療費
 あるレポートに「世界一高い医療費を払っているアメリカで78・3歳、
最低の北朝鮮でも67歳の平均寿命」とあった。アメリカとキューバの平均
年齢は全く同じだが、キューバの医療費はアメリカの一割でしかない。
北朝鮮では年間、たった一ドル。社会主義という背景もあるが両国とも最貧国。 
皮肉ではないが栄養失調ギリギリの粗食は健康に良いらしい。ちなみにロシアが
65歳、インドは64歳である。 日本の医療費は、先進国の平均値より低いが、
女性が86・4歳、男性が79・6歳,男女平均83歳と世界最長である。
こと医療体制をみると、日本は色いろの問題があるにしては最良のシステムに
なっている。現実的にみて、財政破綻状態だが決して住みにくい国ではない。
   * アメリカの学費ローンの実情
 アメリカでは所得水準が下半分以下の家庭に生まれたら、返済義務のない
奨学金を獲得して大学に入ることは不可能という。入学金とか学費などの学費
ローン(総額9兆円)は、全米の学生の三分の二が借りているほど一般的とか。
しかし、このローンの仕組みも多くの問題を残していて、卒業直後に計画的自己
破産による棒引きケースが続出した時期があった。その当時のクリントン大統領
が、罰則として大学を中退しようが自己破産しようが、学費ローンだけは永遠に
返済しなければならない法制化をした。それは当人の許諾を得ずに給与天引きで
ローン返済をする厳しいもの。アメリカは学費ローンに限り厳格のようだ。
日本では本人の学費ローンは、あまり聞かない。大体が親がローンを組むケース
が多い。それにしても日本の大学進学率が五割を超えているのは問題である。
まだ三割なら分かるが。もっともアメリカも5割を超えている。ドイツは三割強、
先進国は4割前後というから、日本が取り立てて高い訳ではない。 
私の年代では18%だったが。
 ・・・・・・・
3753,ワシも族か〜  ー�
2011年07月05日(火)
 私もついに「ワシも族」になってしまった。 家内は、この数年来、JR東が
2〜3ヶ月に一度の3〜4日間乗り放題のサービス期間、毎日、日帰りで東京
名所見物を楽しみにしている。 8時過ぎの新幹線に乗って、18時過ぎに
長岡に着く列車で帰ってくる。それも、何年も続けていると、予めネットで調べ
ていた行き先をこなすのも手馴れたもの。 妹や義理の姉を度々、従えて行く。
ついに暇を持て余している私も「ワシも族」として、家内に従うことになった。 
行き先は、国立新美術館で行われている「ワシントンナショナルギャラリー展」。 
乃木坂の美術館としか知らなかったので、まさか近年新しく出来た(黒川紀章設計)
国立美術館とは露知らず、ついて吃驚!それもワシントンのナショナル
ギャラリーの印象派とポスト印象派の、多くの作品を目の当たりするとは・・。
見学者の行列にそって作品を観るごとに驚いている次第。初めのうちは、何だ、
この程度かと思っていたが、次々と有名画家の写真集や、TVなどで観た有名な
絵画が出てきたのに驚いた。絵画から出ているエネルギーの直感こそ魂。
  ーこのHPの紹介文よりー
「ワシントン・ナショナル・ギャラリーが所蔵する12万点の作品の中でも、
特に質の高さと絶大な人気を誇るのが、その数およそ400点の印象派とポスト
印象派の作品群です。本展では、その中から日本初公開作品約50点を含む、
全83点を紹介します。クールベやコローらバルビゾン派や写実主義を導入部とし、
印象派の先駆者といわれるブーダンやマネを経て、モネ、ルノワール、ピサロ、
ドガ、カサットら印象派に至り、セザンヌ、ファン・ゴッホ、ゴーギャン、
スーラなど、それぞれの表現によって印象派を乗り越えていったポスト印象派
に続きます。 17年ぶりに来日するエドゥアール・マネの《鉄道》、日本初公開
のフィンセント・ファン・ゴッホの《自画像》、ポール・セザンヌの
《赤いチョッキの少年》、そして同じくセザンヌが父を描いた初期の名作
《『レヴェヌマン』紙を読む父》など、いずれもワシントン・ナショナル・
ギャラリーの「顔」、美術史において印象派、ポスト印象派を語る上で欠かせない
名作の数々。 まさに、「これを見ずに、印象派は語れない」 
http://www.museum-cafe.com/report/5333.html 
http://totemokimagure.cocolog-nifty.com/zakkan/2011/06/post-d2d9.html
     次回は「ワシも族」とは、どんな人種か? について・・
 ・・・・・・・
3388, 911・考えない・日本人  ー5
2010年07月05日(月)
  「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
 * 日本史は最低のドラマか?
= さすがに、古事記と日本書紀がつまらない物語とは書いてない。
  日本史である。辛辣だが、この視点も必要 =
 ー以下は、内向きになっている日本に対する忠告である。ー
≪ 日本史は最悪の作家の書いた最低のテレビドラマで、これではいくら
視聴者のIQが低くても視聴率は取れない。善悪という山場のない、ドラマのない
国に、私はくたびれている。神と悪魔の戦いがない国ほど、グウタラな国はない。
そして・山場がないという意味は、意味がないということなのだ。善もなく、
悪もなく暮らす。何事にも意味を求めずに生きる。一体、何がその生活に残るか? 
考えてくれ、頼む! 善が悪に勝つこともなく、悪が善に勝つこともない。
戦いはなく、葛藤はその一日に、一生に、歴史に、ない。そんな生活と歴史に
残るものは何か?ほら、答えはあなたの今にあるじゃないか。
自分の今日の生活にあるじゃないか。 ・・・・ 
 たとえば、歴史上、最も男性的な日本男性は誰か。日本武尊だとしよう。
ヘラクレスと比較すればいい。日本史最大の賢者は誰か。聖徳太子だとしよう。
アリストテレスと比較すればいい。日本最大の武将は誰か。織田信長だとしよう。
アレキサンダーと比較すればいい。日本最大のバカタレ(バカタレント)は誰だ。
ビートたけしだとしよう。マイケル・ムーアと比較すればいい。一方はただの
世渡り上手な傲慢なバカだが、一方は真摯なインテレクチュアルであり、
かつ前者には皆無な勇気の美徳を持ってい。≫
▼ 辛辣である。 島国で海が要塞になっていて、小さな世界で安穏できる
 自然環境が日本を考えないで済ませている。しかしネットで世界が結ばれ、
その中で生きるしかない現代では、それでは済まされない。アメリカ史を考えて
みれば、日本史より低いドラマだろうか? その質は、歴史の長さと地政学に
関係してくる。高度成長期の真っ只中に日本のTV業界の脚本家として名を成し
活躍したぶん、現在の日本の現状とのギャップが鮮明に見えるのである。
隷属国家の考えない日本の姿が、あまりに酷く悲しいから書くのである。
茹で蛙の日本人、ここで民主党に政権を与えたが、あの政策をみていると、
彼のみたまま。二大政党という劣悪な政争ドラマが、それを証明している。
「その姿は、自分の今の姿にあるじゃないか」が考えさせられる!


5224,「エリック・ホッファー自伝」 〜②

2015年07月04日(土)

           「エリック・ホッファー自伝」中本義彦訳
   * 希望でなく勇気  
 希望は誰も持つが、いざ実行となると難関が立ち現れ、萎えてしまうもの。
私の経験からして、勇気は「呼吸」である。大きく吸い込み、息を止め、一歩
を踏み出す。そのためには普段より「否定1に対して、肯定3」の思考と行動
習慣が必要になる。  〜その辺りから
<自己欺瞞なくして希望はないが、勇気は理性的で、あるがままにものを見る。
希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は長い。希望に胸を膨らませて困難な
ことにとりかかるのはたやすいが、それをやり遂げるには勇気がいる。
闘いに勝ち、大陸を耕し、国を建設するには、勇気が必要だ。絶望的な
状況を勇気によって克服するとき、人間は最高の存在になるのである。>
「希望」と「勇気」。どちらも自分の先に対する「可能性」への心の動きだが、
「希望」が思考に留まるものなのに対し、「勇気」は行動を伴うもの。
しかし、自己欺瞞としても「希望」が必要だ。そして、それを実現するには
「勇気」が必要になる。ホッファーは、ここで、ゲーテの以下の詩を取り上げる。
《 財産を失ったのは──いくらか失ったことだ!
  すぐ気をとなおして、新しいものを手に入れよ。
  名誉を失ったのは──多くを失ったことだ!
  名声を獲得せよ。
  そうすれば、人々は考え直すだろう。
  勇気を失ったのは──すべてを失ったことだ!
  そのくらいなら、生まれなかった方がいいだろう。」
               「「温順なクセーニエン」第八集) 》
▼ 「正中心一点無」の言葉が、私の行動の一歩を踏み出す時に、
 思い浮かべる言葉であった。「希望」と「勇気」の間には深い溝がある。
兎にも角にも、その向こう側に向かって飛び越えなければならない。
ネットで「勇気」のポジティブな対語(反対語ではなく対になることば)
として、「智恵」とあった。また、「慎重」も。「智恵」は、「勇気」の
中から生まれ出てくるが、事前の「智恵」も必要である。それが「準備」と
いう計画の具体的練り上げへのダウンに繋がっていく。
・・・・・・
4859,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー27
2014年07月04日(金)
  * 15年の準備期間の総括! ー2
 この準備期間の15年は、緻密に練られたようだが、実際は成行きの要素
が多かった。事業を立上げ、それを転売をする度にアップスケールする創業を
求めた結果が、自然に準備そのものになった。私の性格が外交的というより、
内省的のため、その都度、非常な緊張感が付きまとっていた。医者に診て
もらったら、恐らく、自律神経失調症か、対人恐怖症と診断されただろう。
人間は、気づかどうかだが、全ての精神症の要素を持った総合体で、問題は、
そのバランス。その中で、特に初対面の相手との対面が苦手だったが、いざと
なれば腹は据わるもの。その「いざ」の場面から、自ら逃げるから、精神症
から精神病に陥ってしまう。絶対的父親の元で育った八人姉兄の末っ子が、
父親のような創業を、何を血迷ったか求めれば、精神的限界に立たされて当然。
何とか、その都度、本屋の中の天使に導かれ手にとった本で、乗り切っていた。
 その中で、様々な場面で、多くの判断が求められた。
・大きな問題の一つが、連れ合いである。 右腕タイプか、全く商売の興味を
 示さない家庭的な人? 結果として選んだのが、後者タイプだったが、
 どうだろう? これだけは答えが出ない人類永遠の課題! 右腕タイプは、
 事業が拗れた場合に、相打ちという自滅の危険が生じる。巷に多々みかける!
・次が、現場の要の人材である。これが、なかなか定まらず、直前まで手こずって
 いた。職安やリクルートを介して何人かと面接をしたり、数ヶ月間、使って
 みても、相性が合うのが見つからない。大問題だったが・・
・出揃った事業資産は、駅前の土地(当時の時価1億円)と、長岡郊外の更地
 二ヶ所と、現金1億(千城台の売却)。そこで《事業資産は、博打場に投入
 した掛札!手元に戻らないと、割切ること!》と、何度も自分に念を押す!
 それまでの実家の急場の助っ人の立場が、今度は、全てが直に跳ね返ってくる
 白刃の真只中! 本番の創業が始まる。出発点で、5百%の成功確率の準備を
 整えていた手ごたえは、あった。しかし最後は「後は 野となれ 山となれ!」
・・・・・・
4492, 怒らないって本当は恐い! ー7
2013年07月04日(木)
   * アポロン(光)とディオニュソス(陰)
≪ プロレスで人気レスラーが最初はヒール役に椅子で叩いたりひどいことを
 させます。観客を怒らせるためです。そして観客に、「どうしてもっとやり
返さないんだ」というストレスを十分ため込ませた後、一気に反転攻勢に出る。 
そうすると観ているほうは、ついに発現した怒りのマグマにカタルシスを感じ、
すっきりするわけです。そもそも人間の感情として怒りが具わっているという
点については、哲学者たちもいろんな形で論じています。たとえばニーチェが
『悲劇の誕生』という本の中で、アポロンとディオニュソスという対照的な
世界観を描いたのは、そのことをいいたかったから。アポロンは美と光の神、
ディオニュソスは、狂乱と陶酔の酒神、激情の神です。古代ギリシア人たちは、
アポロン的、つまり表面的に見ると明るくて楽天的だと思われていたのですが、
決してそんなことはない。実は人生の暗黒側面と激しく戦って、それを征服し、
苦しみも哀しみ為すべて受け入れた人たち、いわばディオニュソス的な側面が
あるわけです。その意味では、アポロン的なものはディオニュソス的なものの
影であって、本質的なところで苦しさを受け入れているからこそ、彼らは強く
明るく生きていけたのです。 つまりニーチェによると、ディオニュソスに
象徴される怒りの感情は、むしろ人間の本質であるともいえるのです。
 ・・もともとニーチェの思想というのは、怒りや苦しみを、あるがままに
受け止めることによって、はじめて人は善き人生を送れるとするもの。
これが彼の超人思想の根幹ですから、その意味で怒りは避るべきものではなく、
素直に受け入れるべき感情にほかならないといる。 ≫
▼ 誰にも光と、陰の側面を抱えて生きている。それが厚み、深みである。
 山高ければ谷深しである。人生には美と光の日々と、狂乱と悲観の暗黒の
日々がある。また、それが混合している。それも光の当て方で幾らでも
変わって見えてくるから面白いのである。両親や、社会のバイアス(先入観)
に縛られ、光の当て方さえ知らずに、小さな岩場の穴に閉じ込められている
ことさえ、知らずに一生を終えるのが全て人の人生である。他者に原因を
求めるだけでなく、また自分に原因を求めるでなく、問題そのものに原因を
見出すことが正しく怒ること。怒りを生み出している原因は客観的なもの。
それは粘り強くなければ得ることができないため自然と粘り強くなる。
 今まで、感情についての考察の論を読んできたが、「怒り」を、これほど
肯定している本は珍しい。怒りっぽい私にとって救いになるが、考えてみれば
気が短いだけ。確かに怒りに光と陰がうかび出る。自分に怒り、相手に怒り、
社会に怒り、国家に怒り、運命に怒り、人生に怒っていたら、せっかくの
人生が台無しになるが、正当に怒れば、道は開けるというのか? 問題は、
ディオニュソスを、どう扱うかということ。本当に恐しい相手だが!
・・・・・・
4118, 財政恐慌 ー5
2012年07月04日(水)
「財政恐慌 ーついに金融と財政の死に至る無限ループに突入した」浜矩子(著)
財政恐慌の原因について、明快にプラザ合意によるバブルと崩壊と指摘している。
悪いことに、国家リストラを建前でいいながら、政治家も国民も、目先の安易を
選択し続けてきた。そして、この財政の惨状に至っても「成長なくして生存なし」
と曰っている。その合意もアメリカの強要で、後で考えてみれば陰謀としか
思えないもの。 しかし、そのアメリカも金融バブルの崩壊である。
  * あの時が、つまずきの始まり
≪『 日本が間違えたのは、1985年のプラザ合意時だと思う。あの時、
 日本は新世界への大飛躍の入り口に立っていた。ドルの過大評価が修正される
ことの裏返しとして、円の価値が上がる。それに伴って、日本経済の体質と構造
が変わる 』ハズだった。日本の取った政策はあくまで「円高不況回避」
「輸出立国の看板は下ろさない」であった。悪魔に魂を売ったファウストの
ような日本経済のファウスト症候群の原点だった。その結果が、言わずと知れた
バブル経済の出現。その時に先送りにされた課題が現在の我々にのしかかる。≫
▼ あの時から27年間、バブルと崩壊を経た後、ただひたすら財政投入を繰り
返し、一千兆という膨大な借金を積み上げてしまった。考えてみたら私の新潟駅前
事業シリーズ、あの時からホテル拡大が本格的に始まった。投資の資金計画さえ
立てれば銀行が応じてきた。そして目先は計画通りに順調に売上が上がったが、
目標数字は三年もしないうちに計画より下回っていた。要は、プラザ合意の背景
があって資金需要先が必要だったのである。新幹線開通の勢いと、価格破壊の戦略
もあったが、プラザ合意のアダ花でしかなかった。時代の流れに乗り、その後、
激流に流されただけ。それを乗り越えるのが経営。この大津波の飲み込まれた
のは、それまででしかない。何とか近くの山に逃げることが出来たが、山上から
見えるのは内海の向こうの大津波。しかし、防波堤の内側の人たちは、のんびり
内海を眺めているため、叫び声が聞こえていない。逃げた人たちが山の上で手を
振っているのを見て笑うだけ。江戸の長き眠りをアメリカの強引な開国要求で
醒まされ、無血革命で近代国家造りを余儀なくされ、その膨張の結果、日米大戦
に引きずりこまれ敗戦。その後はアメリカの属国として世界第二位の経済大国に
なった。しかし、プラザ合意を強引にアメリカにのまされて、バブルと崩壊の中、
ドルとアメリカ国債という紙切れで溜め込んだ資産を収奪されている。
それもこれも娑婆娑婆! 所詮はイエロー・モ(ヤ)ンキーか。
・・・・・・
3752, 創業と 野良の話
2011年07月04日(月)
 ゼネコンは慢性供給過剰状態が30年以上続いている。某ゼネコンの担当で、
4棟を一緒に手がけたMさんから聞いた話だが、その本社の営業会議で上司が
営業の不甲斐なさを責め立てるに、「野良猫でさえ自分の餌は探してくる。
それさえ出来ないのは、野良猫以下だ!と、罵倒されてきた」と、愚痴を聞か
されたことがあった。その時、「この人は何も分かってない、野良猫は都会の中、
野生の本能を使って食扶持を探している。生き馬の目を抜くゼネコンの営業は、
とことん飢えた野獣の感覚を研ぎ澄まさないと、その中で勝ち抜けない」
という比喩を言ったのである。 大手ゼネコンの中で、中堅ゼネコンの営業が、
修羅場の闘いの中で、獲物を獲得するに野良猫の感覚を持たなければならない。
この厳しい環境の中で、営業は大変である。ここで同じ話をしても、その言葉を
解釈出来る人と、侮辱されたという受け止め方しか出来ない人が分かれる。
 私の知人が大手の?を早期退職をして、「独立をしたいので助言をして欲しい」
と頼まれたことがあった。その時に、長年、大組織を背景にした人が果たして
一匹狼になれるものか、本人も、相談された私も疑問であった。振り返ってみて、
よくぞ、こんな失礼なことを言ってしまったと冷や汗ものだが、
「高級住宅に住む宅上犬が、飼い主の家から出て野良犬になるようなもの、
外に出れば、餌を自分で探さなければならない。外でゴミ箱もあさらなければ
ならない事態もある。その覚悟があれば、上手くいく」と。それでも本人は
嫌な顔をしないで?聞いていた。そのまま、その道に突き進み、経験を
生かして第二の職業で自己を確立している。そういえば、以前にも同じような
相談を受けた人が、もう一人いた! その人も二転三転の後、第二の人生を
ハッピー・リタイアーをした。ギリギリの野生に立ち返り、見栄も外見もかき
すて、ただ成功させるに、どうしたら良いか、考え、準備し、身体が宙に浮いた
状態で、計画をこなしていくかどうかで何とか自立出来る人が1〜2割、
いや、もっと確率は低い。それほど自立は難しい。だから、野良犬、野良猫
という例え話で、創業のシビア(動物的野生)の必要性を、経験から説くが、
その覚悟を反応でみる。本人は、「頭を垂れて自分の方から聞きにくる第一歩
からして、計画のチェックをしにきているに過ぎない。」で、初めは上手く
いっても、私のように震災三つで、はい、さようなら!である。 
何かをやろうとしたら、準備、準備、準備。準備さえしてあれば、野良猫でも
野良犬でも、なれる。 野良犬、野良猫を宅上で軽蔑し、頭で考えていただけで
準備なしに、やれば結果は火を見るより明らか。 否定の視点でしか対象を見る
ことが出来ないから、その中心点と、その奥にある、血と汗を感じ取ることが
出来ない。場数を踏むか、多くの事例を見て消化してきたかが、大きく左右する。 
それとて死んでしまえば皆、同じ。
・・・・・・・・
3387, 金融のミニ講演
2010年07月04日(日)
 一昨夜、新潟の駅近くのイタメシ屋で金融のミニ講演会に出席した。
日系カナダ人の保険業の社長で、香港とシンガポールに支店を持っている人の
生の金融情勢も面白そう、と。 ーその要旨といえばー
・日本国家の金融もギリギリのところに来ているので、海外に口座を作って
何割かの金融資産を出した方がよい。その手伝いが自分の仕事の一つという。
世界中の10位の通貨にして置いておくのでリスクヘッジが簡単にできる、
とか。(字数制限のためカット 2011年7月4日)
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3012,死ぬまでに知っておきたい5つの秘密
2009年07月04日(土)
 アメリカのケーブルテレビ局の番組で(死ぬまで知っておくべき五つのこと)
の制作を著者が依頼されたことに端を発して、周囲の人たちから「幸福な賢人」
と見なされている1万5千人の高齢者を探し、その中から235人の60歳以上の
高齢者に「幸福な人生を生きるための秘訣」についてインタビュー。 
彼らの言葉から浮かびあがってきた、その「幸福に生きる秘訣」を、
「5つの秘密」としてまとめると
1 自分の心に忠実であること    2 思い残すことのないように生きる
3 愛になれ   4 いまを生きよ  5 得るよりも与えよ
 今さらの内容だが、それでも1万5千人の統計の結果と言われると、いやに
 納得するが目新しいものはない。〈 自分の好きなことをライフワークにして
生きてきた者にとって、何を今さら 〉である。そうじゃないのが大部分だから、
こういう番組が出来、こういう綺麗ごとになるのだろう。
といって、否定するものではない。
 ーそれよりも、その中で紹介している賢人たちの発言が印象に残る。ー
  「自己実現と好奇心と探求に情熱的に取り組むことだ」ウィリアム 64歳
  「人の顔色をうかがうな」             ドン 78歳
  「あわてて幕を引くな。アンコールか第四幕がつきものだから」ジョシ79歳
  「自分の心に従い、こうありたいと願う人間になりなさい」 ボブ 59歳
  「お金を目標にしてはだめ。節約し、楽しめる仕事を選びなさい」メイ72歳
  「つねに、することを五つ以上、見つけなさい」      ルーシー 101歳
  「自分や人を深く尊敬しなさい。人を傷つけてはならない」ジュリアン 76歳
 ー何事にも興味を持ち続け、周囲には積極的に働きかけ、明るく生きなさい、
とうことだ。周りをみると、歳を重ねるに従い胡散臭くなっていくのが大部分。 
人のことを言えるか、と言われそうだが。特に、中途半端に生きてきた自主性
の無い人ほど群れたがるから「薄汚れたジメジメした悪臭」が漂っている。 
その逆の「不幸に生きる、5つの秘密」という人間になっていく。
1、仲間を大事に、助け合い、自分を高め、奉仕に努める
2、世界は色いろなことに満ちている、独りでは出来ないので、そういう仲間
  を求めて寄り添い、悩みを分かちあうことこそ、老後にまず必要である。
3、愛されるために、自分は生きる。 愛される人間になりましょう。
4、過去の人生を振り返り、その思い出を大事にする。
5、死んでしまえば、それまでよ。 生きているうち、元気なうち。
  貪欲に人生を求めましょう。
 やはり老人は孤独が似合っている。孤独に耐える老人であるべきである。
 持って産まれた性格もあるが。
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2647, 座敷童子と出会える宿 ?1
2008年07月04日(金)
 借りてきた「新潮45」の5月号を読んでいると、外務省休職中の佐藤優の
手記が載っていた。 それが《私の出会った「日本の妖怪」》という、彼らしく
ない内容であった。 そこには「座敷童子」と出会った体験記が書いてあった。
彼には圧倒的多数の人にとって予想外のことを勘で当てることがしばしばある
ので、それが霊視能力と勘違いされることがある。その彼と座敷童子との出会い
の体験記が面白くない訳がない。東北には、座敷童子が出るのを売りにしている
旅館が何軒かあるという。宿泊業をしているものにとって、妖怪を売りにして
いる逞しさに驚くばかりである。それも、二年先まで予約で満席というから、
驚きである。何かファンタジーがあって、面白いキャラで微笑ましいのがよい。
 妖怪に会うと幸福になるというのが、またミソである。たまたま、新幹線の
座席の前に置いてある小雑誌の特集が [東北の妖怪・特集」であった。
  ー まずは、そのサワリを抜粋してみる ー
 *「座敷童子が出た!」
大学生、社会人になって、妖怪のことは、ほとんど忘れていた。私が妖怪を再び
リアルに感じるようになったのは、2年前に岩手県盛岡市で座敷童子に会って
からのことだ。先程、内地の妖怪は「人間に災厄をもたらす奴らがほとんどだ」
と言ったが、もちろん、例外もある。座敷童子は例外的に幸福を呼ぶ妖怪なのだ。
座敷童子東北地方で、家の中に出現ナる、子供の姿をした妖怪。これが居ている
間はその家は栄えるが、いなくなると没落するといわれている。子供には姿が
見えても、大人には姿が見えない。岩手では、いくつかの小学校に「座敷童子」
が現われた。生徒と遊びたわむれたり、夜九時ごろ、無人の教室で机やいすの
間をくぐっては楽しそうに遊んだりした。やはり、その姿は子供だけにしか
見えなかったという。〉(水木しげる『図説日本妖怪大全一講談社+α文庫)
 (字数制限のためカット 2011年7月4日)


5223,思いが人生をつくる〜ジェームズ&リリー・アレン

2015年07月03日(金)

       『思いが人生をつくる』 〜ジェームズ&リリー・アレン著
 アメリカ的成功本のはしりの本。 「人生は考えたとおりのものになる」
良いことを考え、良いことをすれば良い結果が自ずと生じるもの。そして、
逆も。今から思うと、子供の頃から母親が、似たようなことを繰り返し、
私に語っていた。 〜まずはアマゾンの内容紹介より: 
《「心のなかの思考が、私たちをつくっている」アレンの成功哲学は、
シンプルであるがゆえに気づいた人はみな、人生の夢の頂に登っている!
100余年の時を経て、アレン夫妻初のカップリングBOOK。 著者略歴
・アレン,ジェームズ
 1864年英国生まれ。15歳のときに父親が他界。以降さまざまな職業に就いたが、
34歳のとき、思い立ったように毎朝瞑想をするようになる。その後、瞑想から
得たインスピレーションを書きとめ、そのアイデアをもとに19冊の本を出版。
1903年に発表された『As a Man Thinketh』は、当時の世界中の成功者たちに
支持され、今でも多くの人に影響を与え続けている
・アレン,リリー・L.
 1867年英国生まれ。25歳で、当時29歳だったジェームズ・アレンと出会う。
1895年にジェームズと結婚、以降夫の執筆活動を影で支える。
1912年にジェームズが他界したあと、ジェームズ・アレン哲学を世に広める
という使命を悟り、執筆活動を続け、10冊以上の本を出版する
  〜目次そのままが、概要にもなる。
■ 思いはあなたが生みだした子供 〜リリー・L・アレン 
  ・思いはあなたの子供
〜「思い」という私たちの子供たちが人を支配し、世界をも動かしているのです。
  ・恐怖
〜善良で純粋な魂を持つ人にとって、恐れることは何1つないのです。
  ・プライド
〜「知的プライド」は危険ですが、もっとやっかいなのは、
 「スピリチュアルなプライド」です。
  ・疑い
〜すべての人は善であり、誠実だと信じましょう。
  ・誠実
〜誠実になることは、信頼されることです。不誠実は恐怖に満ちています。
 誠実は、恐怖を知りません。
  ・希望
〜「希望」が存在するところには、「健康」「幸福」「純粋」、
 さらには「徳」が存在するのです。
  ・美
〜「美」のみが真理です!そして「美」のみが永遠なる存在なのです
  ・シンプルな法則
〜一度に一つのことだけを考えましょう。心の力を散乱させないようにするのです。
■ 人は思ったとおりの人間になる〜ジェームズ・アレン 
  ・思考と人格
〜人は思考の主人であり、人格の作者であり、状況、環境、運命の製作者なのです。
  ・思考と環境
〜特定の思考を継続すれば、良くも悪くも、その結果が必ず人格と環境に現れます。
  ・思考と健康
〜明るい思考ほど、病を軽くする医者はいません。
  ・思考と目的
〜人は自分の目的を抱き、一心不乱にその達成に前進すべきです。
  ・思考と物事の達成
〜すべての功績は正しい思考の結果なのです。
 それらは同じ法則と手法によって支配されています。
  ・ビジョンと理想
〜あなたが心のなかで賞賛するビジョン、たたえる理想こそが
 あなたの人生をつくり、あなたはそのとおりの自分になるのです。
  ・静けさ
〜真の自制心は力です。正しい思考は勝利です。静けさは力強さです。
▼ <「知的プライド」は危険ですが、もっとやっかいなのは、
「スピリチュアルなプライド」です。> には、ドッキとした。逆と思って
いる節があるからだ。他者をみると解るが、自分となると、それが曇る!
知的も、スピリチュアルも低いから、よりマイナスの人と比較したがる!
・・・・・・
4858,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー26
2014年07月03日(木)
   * 15年の準備期間の総括!
 このテーマを書き始めて改めて思うことは、30年間の新潟駅前のホテル
事業そのものより、その準備期間の15年間の方が遥かにインパクトが強く、
どの場面も、私の実力の極限?を超えていた。無心で取組んだ問題の中心点に
立向かい、堪えていると、その能力が何時の間に蓄えられいく。 
その立ふさがった壁、岩盤にこそ、問題解決の糸口が隠されていた。
そのためには、まず立ち向かうしかない。 節目ごとに、それまでの全てを
かなぐり捨て、それまでの実績を一度‘空’にして、立向かう中で、新たな色
(現象)が立ち現れてくる。何も無いと、逆に、自由に何でも取組め、かつ
考えることが出来ることになる。コップの水を一度、空にすればこそ、新しい
水を入れる事が可能になる。3年前の結果が、ベストと実感出来たのは、多くを
失えばこそ、新たな出発が可能になったからだ。これを書いていても、それぞれ
の節目では後悔しても、今からみれば、それはそれで!と、その時の己を容認
するしかない。 15年間の自己配転の繰返しの中で、基礎知識と基礎経験を
積上げた。一に準備、二に準備、三に準備。この結果で最後は終わったが、
これが私の限界、「御覧のとおり、そのまま結構!」である。 これが限界と
本当にいえる程でもないことは、わかってはいる。
しかし、私にとっての限界は、どれもこれも超えていた。
 ・20〜34歳までが完全独立の準備期間。
 ・新潟駅前シリーズ前半15年が50歳で、第二の節目。
 ・最後が65歳、事業人生の最後の節目になる。 
いずれの場面でも、何はともあれ、目先の創業の成果を上げるしかない!
創業は、いや事業は大相撲でいえば、14勝1敗では駄目で、最低でも8勝7休
でなければならない。まずは、真剣勝負の場に、自分を置いて、あとは出たとこ、
しかない。 どの場面でも、順調に枝と幹をのばし、張っている時より、節目
の時節の方にチャンスが隠されていた。白紙に戻して、考えるからだ。極限に
たつと、それまで得た知識、経験の蓄積が表立ってくるため、それらが消化
されるため、「人生に、無駄は無し」になっている。語り直しだからいえるが、
挫折をした下向きの時ほど、上向きへのヒントを拾うことが可能ということ。
それと、両親の愛情を直に受けていたことが、非常に大きい。これは準備以前
のことになる。この辺が、心の芯になる。 それと高度成長の時代も含めて、
全てに恵まれていた。これが下地にあって、この結果にも何ら後悔はない。 
手作りヨットの遊びは、運航も良いが、準備期間が一番、面白い!今だから
こそ言えることだが・・ なかなか、書き直しもエネルギーがいる!
・・・・・・
4491, 怒らないって本当は恐い! ー6
2013年07月03日(水)         『怒りの作法』小川仁志 著                      
   * 怒りの蓄積がストレスになるが、解消の中にお宝がある
 怒りには、ストレスがたまるデメリットがある。しかし、それを正しく利用
すればメリットになる。2年前の節目時に、まず考えたのはウツ病対策である。
身体を動かすこと。暇を持て余さないこと。周辺の「C」さん?の毒素に触れ
ないことである。それでも、3月に一度は仕方がないと割り切ってはいたが、
彼らの毒はCなるが故に強い。 で、何より身体を動かすことが、まずは基本。
そして、滅多に味わえない経験を、先人の言葉の中から探し出すこと。
そして、最もストレス解消になったのは、この経験と思いを言葉として表現
することだ。「C」さん? の卑しさを言葉として表現し得た時の快感は、
既にそれでストレス解消になる。 ただ、その人に、その自覚さえないから、
罪もない。 ここで紹介している子どもの養育概念に「セキュア・ベース」
という言葉がある。「心の安全地帯」と訳される。子どもが安心して外の世界に
出ていけるのは、親の存在があるからである。誰しも自分の心の平静を保つ
ことのできる場所や状態を求めている。とりわけこの理不尽な社会においては、
なおのこと。怒るという行為は、押しつぶされそうな心を、正常な状態に戻す
機能を果たします。 怒ることが出来るから、人は安心して理不尽な世の中を
歩いていけるのである。映画の物語からして、そうだ。普通、怒りが人を
不愉快にするが、でも主役が冷静に、暴力に対し暴力を持って対峙して問題を
乗り越えたときの快感を味わいに映画館に行くのである。 その怒りは、
見るものを心地よくさせる力を持つのである。だから、この2年間はウツ病
予防と割り切ってハリウッド映画を毎週のように通った。主人公と同化して、
ネガティブの怒りにポジティブに怒りことで、ストレスを発散し、セキュア・
ベースをつくっていたことになる。平静を装っているが、実は、受けている
ストレスは同じ。しかし、それなりの防具を着ているだけ。しかし、一番
身近な家内は、ここぞとばかりに、全身で傷口を直接、蹴り上げてくる。 
そう人生は、甘くない。
・・・・・・
4117, 財政恐慌 ー4
2012年07月03日(火)
  ー ユーロ危機に対する質問群 ー  
「財政恐慌 ーついに金融と財政の死に至る無限ループに突入した」浜矩子(著)
● 1、我々は今どこにいるのか 2、いかにしてここにきたのか 
  3、なぜ、ここにきたのか 4、我々はどこに行きたいのか
≪ 1、今どこにいるのか? =今、我々は閉塞感のさなかにいる。
 2、いかにしてここにきたのか =高度成長期が終わり、ニクソン.ショック
   があり、プラザ合意があり、バブル経済を経て、失われた一年に見舞われ、
   小泉劇場に踊らされ、リーマン・ショックの衝撃を味わい、格差の深化に
   おののき、衰退国家化することを恐れつつ、ここにきた。
 3、なぜ、ここにきたのか? =ここに至る変転の節目節目で、タイミングを
   逸し、流れに身を任せ過ぎ、時流に飛びつき過ぎ、変身を恐れたから、
   ここにきた。
 4、どこに行きたいか?=我々は、ほっと安心できるところに行きた
   がっている。デフレや失業や年金問題や、通貨戦争や国々の財政破綻
   などを心配しなくていい。そのような安らぎの天地を求めている。
● 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか どれくらい遠くまで
  行かないと、行きたいところに行けないのか
  ≪今、必要なのは、成長戦略ではなくて成熟戦略だ。大きく積み上がった
  富をいかに上手に分かち合うか。そのための新しいメカニズムを考案して
  いくことが必要だ。そのために、これまでの集権的管理のメカニズムを改変
  する必要がある。中央から全方位にばら撒く時代は終わった。
  地域社会の自己決定力と自己展開力をどう強めるかである。≫  
 ● 行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、
  我々はどうすればわかるのか≪自分にとって最適の場所に着いているのに、
  それに気づかない、これは怖いことである。成長よ再び。円高よ去れ。
  そう願うあまり、対応によっては、着いたはずなのに、その場所を忌避
  していのではないか。 昨日の答えで、明日の質問に答えようとする。≫
 ● 我々は地図を持っているのか=持っているのは古い地図ではないか?
   むかし居たところに戻る地図ではないか。
 ● 我々はなぜ元いたところから立ち去ったのか=元いた場所が不相応に
   なったため、成長期から成熟期になったため。
 ● 我々はここで立ち止まりたいのか=この場所の良さを引き出していくしかない。             
 ● それとも、我々は元に戻って最初からやり直したいのか =それは無理。
   それなら、ここを新しい出発点にすればよい。】
▼ 以上だが、アメリカの支配下で一時的にしろ世界第二位の経済大国になれた。
 しかし、既に、その時は終わってしまった。そのことを、まずは悟らなければ
ならない。数年以内に、貧乏国に陥ってしまう。日本こそが財政恐慌の最たる国。
・・・・・・
3751, 閑話小題
2011年07月03日(日)
   ▼ 西鶴人情橋
 図書館で古本の無料配布で貰った10冊の一冊、「西鶴人情橋」を、何気なく
手にとって読んだところ、これが面白い。300頁を毎日1時間半平均で四日で
読み上げた。作家は吉村正一郎。初めて聞く名だが、物語に引き寄せられ、
ドップリと吉村の世界に引きずりこまれた。 西鶴と主役の侍を通した江戸時代
の大阪の物語だが、正統派の侍に対比させ、アクの強い西鶴の人間性を浮かび
上がらせている。脇役の西鶴が実は主役のところがミソ。
  ーアマゾンで概要をみると・・
【俳諧師から草本作家への転身をはかる井原西鶴。亡父ゆずりの豪剣をふるう
磯部信十郎。二人の奇妙な友情を軸に織り成される人間模様の数々。
米相場を左右する大坂商人たちの葛藤と幕閣中枢の暗闘には、謎の美剣士がからむ。
―剣あり、恋あり、友情ありの、浪花元禄時代絵巻。第3回時代小説大賞受賞作。】
とあった。 なるほど小説大賞なら面白いはず。 こういう何気なく読み始めた本
を一気に読むことは以前なら、無理である。最近になって気づいたことだが、
会社経営は膨大のエネルギーが取られていたようだ。しかし一度、肩から外れると、
こんなに楽かと驚いている。 余世に入ったということか! 10年続けてきた、
この随日、もうそろそろ他に切り替えたら?
  ▼ 扇風機が売り場からホボ消えていた
 物持ちの良い我が家の20数年年近く使った二台の扇風機と二台の
冷房も寿命がきたようだ。 (字数の関係でカット 12年7月3日)
  ・・・・・・
3386, 911・考えない・日本人  ー4
2010年07月03日(土)
 「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
  * たまたまその日は・・・を取りさってみると ーP/80
 出来事の真相を見極めるのに最も有効な手段は、その起きたことに対する情報の
中に、どれほどの偶然が含まれているかを見極めることだ。偶然が多ければ多いほど、
その情報は捏造性が高い。偶然を取り去れば、残るのは必然要素なのだ。
必然には矛盾がなく、偶然には矛盾がある。
911 に関するアメリカ政府の発表した情報には、偶然がギュー詰めになっている。
たまたまその日は……、といった矛盾だ。 どんな小さな偶然でも、それを丹念に取
り除いていくと、必然要素が残る。
たまたまその日、二十四時間迎撃体制を取っている戦闘機の発進がニューヨークの
すぐ近くにある米軍基地から遅れた。
たまたまその日ブッシュはフロリダの小学校にいた。
たまたまラムズフェルドを含め、ペンタゴンの幹部たちは、
 直撃されたビルの正反対側にいた。
たまたまその日は貿易センタービルのオフィスには、政府関係者はいなかった。
 しかもたまたまそのビルの中には、CIAやFBIはじめとする政府の秘密情報機関が
多く入居していて、たまたまそこに保管されていた重要な秘密書類は灰儘に帰しった。
たまたまその存在が完全に抹殺された。、、、、
たまたまアルカイダの幹部は、その日ワシントンにいたし、同じようにたまたま
テキサスの別荘(ブッシュ家のたまたまご近所)にいたビン・ラディンの一家は、他の
すべての民間航空機がアメリカ上空の飛行を禁じられているにもかかわらず、
たまたま何機の飛行機を乗り継ぎ、事件直後に国外に脱出した。
 構造学的にも物理学的にも、あの種の外的傷害ではパンケーキ現象でビルが崩壊
することはありえないのに、たまたまああの二棟(及びもう一棟)とも、
同様の崩壊現象を起こした。これらはブロッカーズやポール・トンプソンの著書
には、これらの「たまたま」が羅列されている。 
・・・問題は、たまたま彼等を訴えている人々が、無力ということ。
▼ これらの偶然が、あまりに多い今回の事件。 どうみても変だが、
 マスコミは、それを取上げようとしない。そういえば真珠湾の攻撃の時も、
明らかに情報が漏れていたのに、アメリカは見て見ぬふりをしていた。
あの攻撃で、一番メリットがあったのは、アメリカの公共事業の軍需産業であり、
その情報でメリットを上げた投資銀行である。株も為替も、その情報を知った
上での買いが入っていたのは、周知の事実である。
・・・・・・・・・
3011,アンカリング効果
2009年07月03日(金)
「世界は感情で動く」 ー6       読書日記
 ー 行動経済学からみる脳のトラップー   
   *アンカリング効果
 船が錨(アンカー)を降ろすと船と錨を結ぶ鎖の範囲し動ごけなくなること
からくる比喩で、最初に印象にの残った数字や言葉に影響されることを言う。
店頭で、1万円に赤線を引いて7千円を見ると、お買い得と思ってしまうこと
をいう。「本日限り」「女性半額」「先着10人限り」等の、色いろなアンカー
が待っている。我われは、知らないうちに自分でアンカーを降ろしている。 
いま一度、それを点検してみる必要がある。 アンカリング効果は、
偏りや歪みを意味し、転じて偏見や先入観という意味の一種である。
・物事の交渉、売買の判断をする際に、初期判断条件として始めに印象に残った
数字(値段)や物(品質・量)が、 その後の判断全体にまで影響を及ぼす
心理の傾向を指す。
・アンカーとは、不確実な事象を予測する時に特定の特徴や情報の断片を
あまりに重視することを指し、最終的な決断、結論までアンカーを過度に注目、
意識してしまい決定される事象のことをいう ーアンカリング効果として、
面白い事例があげられる。「紙を半分に折り、また半分に折り、この動作を
100回くりかえす。そうしたら紙の厚さはどれほどになりますか?」
大多数の人は1メートルくらいと答え、一番大きな数字をあげる人
でも、厚さ数十メートルである。しかし正解は、地球から太陽までの距離
(約1億5千万キロ)の800兆倍なのだ。そんなに!と驚くかもしれない
けど、計算したらその通りなのだ。「紙は薄っぺらいもの」という固定概念
という脳のトラップに見事に嵌っているのである。 初めてついた仕事しか
出来ないと思い込んでしまう人が多い。これもアンカリングになるのだろうが、
人は、その仕事に錨を下ろして鎖の範囲を決めて、他のことは絶対に出来ない
と決めてしまう。私の見る限り9割?の人が、そうである。 考えてみれば、
自分で勝手に思い込んでいるだけのこと。転職や転業は、例えると、ある箇所
に穴を掘っていて、一度そこから出て他に似た穴を掘るのと同じである。
それは経験を重ねると解ること。一見違うようだが扱う対象が違うだけ。
それが理解できないのである。そして多くの人は、その穴から一生出ることが
出来ない。  人生は誰も同じだが。カミサンもアンカリングか。 
これは梃子でも動かない。 ったく!


5222,閑話小題 〜中学校の古希会 〜②

2015年07月02日(木)

   * 中学校・古希での見聞とは
 卒業から古希の会まで半世紀以上、それ以来、初めて出会った人が何人かいた。
また、様々な日々を過ごしている人の話を聞いたが、それがユニークで面白い。
<月に一度、東京駅近くの居酒屋に大学時代の友人が集まり、13〜17時まで
酒を酌み交し、17時半の新幹線で帰ってくる。年に一度ぐらいは、それぞれの
地方の友人の所を訪ねて、地元を案内してもらう。>とか。
<去年、大病をして死線を彷徨い3ヶ月入院した。>とか、女性では、
小児麻痺で、片脚が少し短く、俗にいうビッコをひいていて、何時もオドオド
していた女性が、最近、手術で正常に戻り、見違えるほど明るく、嬉しそうに、
「正直に本当に嬉しい!」と言っていたり、少し暗く神経質だった男が、
明るい人格者風?な教師になって、<出世コースを登るか、教師として現場に
残るかの分かれ道で、現場に残った。それが良かった!> とか、様ざま。
 私のように地方で、肩肘を張っていたのが、9・11テロ、9・15のリーマン
ショック、3・11地震であえなくダウンしたのもいるし、田舎の成功者?として、
金を、これ見よがしにチラつかせていた人が、??で倒れ、死の恐怖に怯えて
いる人もいた・・  駅前を学校区にした中学校は、分類される直前のため、
「人生の事前事後」が漫画的に垣間見えてくる。たかが人生、されど人生である。
還暦より、古希の方が、様ざまな人生が色濃く出てくる。 とすると喜寿は?
   * つれづれに
 新幹線内の焼身自殺があったが、50年間、犯罪?による死者が無かったとは
奇跡的である。 際どい場面を、新幹線内で目撃をしてきたので、「半世紀」も
無かったこと自体が、不思議である。車内や、ホームには隠しカメラとか保安が
緻密になされていることを犯罪者は、知っているため、タブーなのだろう。
新幹線内で時々目にするのが、三国人のエゴ丸出しのマナー不足の振る舞い。
特に子供が酷いが・・親は見てみぬふり。それに対する、日本人の無視の冷やか
な態度と、それさえ分からない彼ら。 ヤクザが、私の前席の一番前に座り、
トイレの手洗所の獲物を狙い、カーテン内に引き込んで・・ 
助ける以前に、その迫力に、唖然と席から見ているだけだった・・ 
酔った労務者風の乗客が母と私に絡んできた時、脅し返したこともあった・・
ほぼ全席、サラリーマンが気に入らなかったか、甘くみたか、やはり労務者風
の男が大声で、「この虚勢犬どもめ」と喚き、悦にいっていたのが、車掌が
来ると、急に大人しく黙ってしまい、その後は、最後まで狸寝入りとか・・ 
その中で、一度も死者が無かったとは驚き。新幹線通勤30年には、色々ある。
・・・・・・
4857,閑話小題 ーつれづれに漠然と!
2014年07月02日(水)
   * ぼんやりと、考えてみると!
 時間とは何だろう? このところ、鳥瞰的に30数年前の時間を超えた
過去の語り直しをシリーズで書いているが、「遠き日は年とるごとに近くなり」
の感が、ますます強くなっている。 新しい気づき、切り口から見える当時が、
新鮮に思えてくる。死んでしまえば、全てが永遠の彼方に消えてしまう
のか?それとも、永遠に経験は刻印され残るのか? 
 私と行蔵の記憶の刻印から成立しているのか? その刻印も、後で書き換える
ことが可能なのか。世間の流説は、ほぼ嘘だが、それを疑わずに信じるものには、
それは真実の記憶になるのか? バカがバカと自覚できないのが世間様。
その彼らが作った妄想を真実がごとく信じ、まかり通るのが俗世界。
そこでしか生きることが出来ない私たち人間? それも小さな世界の中。
 過ぎ去った昔と現在。宇宙的時間からみれば、同じ様なものだが、
間違いなく、時間差の中で違う人が存在している。それが、自己と、自分の、
言葉の意味の違いになる? 刻々変化する世界と、自分の受け止め方の変化。
両者とも、儚い泡のようなものでしかない。なるほど、《ぼんやり》とは、
「闇」―蛍と星にある背景。「独」―独りでいること。
「閑」―逆茂木に囲まれ時空。「怠」―勤勉だけでなく、怠慢も善。
「懶」―心の余白。の様というが、
過去を覗き見ると、それが、ぼんやりと、解るような? 《ぼんやり》と、
《無我夢中》の言葉の対比が、何とも面白い。これからして、無我夢中は、光、
輝きになるが・・ 人生を取り囲んでいるのが、先の5つの一字の漢字。 
ぼちぼち、過ごすしかない。
   * 夢と現実の境目で
 一月ほど前に、久々に大学時代の友人に電話をしたところ、数日後に大腸検査
をすると浮かぬ声。知人で何人か死んでいるのと、検査も初体験で、そのことで
頭が一杯で、落ち込んでいるという。その後、その結果がどうか?は、大腸だけ
に電話を躊躇った。そこで、先日、思い切って携帯に電話を入れたが不在。 
その夜半の夢の内容が、《 居間でウトウトしていると、当人から電話。 
非通知だっが、私ではないか?と、折り返しの電話。そこで『検査の結果は、
どうだった?』と聞くと、『う〜ん』しか答えない。そこで『入院をしているの?』
と聞くと、曖昧な生返事。 まずかったかな?と後悔したが、時すでに遅し!》 
 ところが、朝起きて、暫くして、あの会話は、居間で転寝の現実の電話か、
夢だったか分からない。そこで携帯の着信記録を見て、夢と確認が、今度は、
あれが正夢では?と、気になって、性懲りなく、電話をしたところ、
『ああ、あれ! 単なる胃腸の疲れで、何ともなかったよ!』と、明るい声。
・・・・・・
4490, 怒らないって本当は恐い! ー5
2013年07月02日(火)
  * 哲学者と、ジェファーソンの教訓   『怒りの作法』小川仁志 著  
 ここで、哲学者は怒りについて、どのような教訓を残しているか取り上げている。
・ギリシャの哲学者ピタゴラスが、「怒りは無謀をもって始まり、
 後悔をもって終わる」といっている。・・・
・デカルトは『情念論』の中で「怒りによって真っ赤になる人は、怒りによって
 真っ青になる人より恐ろしくない」と表現している。赤くなる人は、頭に血が
 上っている人でラッパ型。青くなる人の方が余程怖い。最初は事態の深刻さに
 青くなる、しかし、その後、恐ろしいほど冷静に対処することができる実務型。
・ストア派哲学者セネカは、「憤怒より己を抑えるには、他人の怒れるときに
 静かにそれを観察することなり」と提案。
・アメリカ建国の父トーマス・ジェファーソンは、「腹が立ったら 何かを
 言ったりしたりする前に10まで数えよ! それでも怒りがおさまらなかったら
 100まで数えよ、それでも駄目なら 1000まで数えよ」というのがある。
  決して我慢をしろというのでなく、その間に冷静になって考えろ!考えた分、
 良い結果が生まれるということだ。ピタゴラスの教訓は、直情型の怒りに
 対するもの。怒ってばかりいては短い人生のロスだが、ボッとしているのも。
▼「腹が立ったら、10、100、1000まで数えよ!」は、その間に冷静に考えろ
 ということ。私の場合、「二年スパンもの」。正しい怒り方、すなわち問題
解決型怒り方とは、粘り強い思考を持って、正しいエネルギーを使うことになる。
怒りは、目を外らさないで中心点を見続けていると、時間の経過で殆んど収まる。
その鎮静に膨大のエネルギーを投入するが、そこで多くの認識が出来てくる。
この倒産劇の中で、多くの怒りを経験し教訓も得た。 怒りにも、私憤と義憤が
あること。救いようのない怒りと、救いのある怒りがあること。何事も実際に
自分が経験してみないと分からない。今回の一連の私憤はデカルトのいう、
「青くなる怒り」。世界は既に世界が恐慌に深く踏み込んでしまっている。
その直撃で青くなったのは、世界恐慌のウネリの到来を感じたからである。
それも、後に控えている歴史的大津波の到来が見えたからだ。地元も含め、
地方の中小・零細の8割以上はただ呆然と立ち竦んでいる。残る2割の多くも、
時間の問題でしかない。その中で、何処かの首相が、10年後の一人あたりの所得
を150万円増やすと曰わいている。耳を疑うより、怒りが込み上げて来たが、
これは公憤である。「腹が立ったら、10、100、1000まで数えよ!」というが、
挫折は、「二年(スパン)もの」。私の場合は、どうだろう? 自分も周囲に
対しても、腹の底から笑えたが! 「怒らないって本当は怖い!」は、
現在の自分にピッタリ。現在、もっと笑い、怒り、哀しみ、楽しめということ。 
・・・・・・
4116, 財政恐慌 −3
2012年07月02日(月)
「財政恐慌 ーついに金融と財政の死に至る無限ループに突入した」浜矩子(著)
英国の怪物的俳優で異様な喜劇俳優アトキンソンことミスター・ビーンの過って
の持ち役の一つがサー・ベンジャミンだった。サー・ベンジャミンは、ロンドン
市長主催の晩餐会の栄えある舞台で、「人生の不確実性」について語った内容が
新鮮である。この著書で、欧州危機について、この質問を、そのままに答えて
いる形式になっている。
  * ミスター・ビーンに聞こう
【・・ これを考えていくにあたって、皆さんにご紹介申し上げたい人物がいる。 
 その人の名は、サー・ベンジャミン・フレッチャー。イギリスの大物政治家で
自ら交通大臣や社会保障大臣を歴任・下院議長も務めた。彼は架空の人物である
彼を演じて大反響を得たのが、ローワン・アトキンソンである。イギリスの怪物
的俳優で異様な喜劇俳優だ。物言わぬドタバタ男キャラクター「ミスター・ビーン」
としての彼をご存知の皆さんは多いだろう。ミスター・ビーンは何も言わない。
だが、アトキンソンは実は極めて多芸な俳優さん。七変化的な役柄の演じ分けが
得意だ。そんな彼のかっての持ち役の一つが、サー・ベンジャミンだった。 
サー・ベンジャミンは、ロンドン市長主催の晩餐会でスピーチに立つ。 
市長の晩餐会はイギリス恒例のビッグ・イベント。その栄えある舞台で、
サー・ベンジャミンは「人生の不確実性」について語る。 その中身は、
あたかも今日の日本を語っているがごとくだ。「今日、イギリスは一三八○年
以来最大の経済危機に直面している」と、サー.ベンジャミンは口火を切る。
なぜ一三八○年なのかはよくわからない。・・ここから、その「我々がみずから
に投げかけるべき質問群」が並べ立てられてた。この紙面上に再現してみよう。
 ー 我々がみずからに投げかけるべき質問群 ー 
● 我々は今どこにいるのか           
● いかにしてここにきたのか なぜ、ここにきたのか      
● 我々はどこに行きたいのか
● 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか 
  どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか
● 行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、
  我々はどうすればわかるのか
● 我々は地図を持っているのか                 
● 我々はなぜ元いたところから立ち去ったのか
● 我々はここで立ち止まりたいのか               
● それとも、我々は元に戻って最初からやり直したいのか 】
 ▼ これを現在の自分と書き換えて自問自答して考えると、面白い。
 ここで著者は、対象をユーロ危機に置き換え質問に答えている。
それぞれが個々のテーマとして成り立つ質問群。私たちは9・15ショック
という大地震直後の大津波来襲を目前にした茹で蛙。 遊びなされ!
 ・・・・・・・
3750, 自分の居場所のみつけかた ー�
2011年07月02日(土)
            「自分の居場所のみつけかた」ー斉藤学著
 人生はままならぬもの。特に少年・青年期は傷つきやすい時期。ところが
中年期、そして晩年期に入ると、過去の出来事のガスが心の底の沼に溜まり、
いつの間にか泥沼になって猛毒が湧き出てくる。 それに老化が重ねると、
その毒で脳がやられ下手をすると、重症の鬱病か分裂病になる。それを防ぐ
には孤独に徹し、先人の知恵などを借りて洗浄をしないと老醜を曝すことになる。
憎しみが重度になると、主語(相手)を選ばなくなり、憎しみの連鎖が始まる。
以下は怒りと憎しみの意味が分かりやすく書かれている。
【 ● 怒りに羨望が絡むと「憎しみ」に変わる  ーP・118
「怒り」と「憎しみ」の間には少し差があります。怒りは、相手に欲しいものを
おねだりしてももらえないというときの感情です。まだ相手の愛を求めています。
赤ちゃんが「オギャー」と泣いて、お母さんのおっぱいの必要を示す。
これを「怒り(アンガー」と言います。そこに「羨望」が入ってきます。
これは相手が持っているものを、本来自身が持つべき、とその人から取り
上げたくなる感情。「エンヴィー」という言葉の由来は、「横目で睨む」です。
つまり、人の持ち物を睨む。それを取り上げたいという感情。怒りに羨望が
絡んでくると「憎しみ」になります。「嫉妬」というのは男女の関係で、
自分の持っている人をとられるのでないかという焦燥、怒り、不安の複合した
感情です。 取られることを恐る感情、取ろうとするのも憎む感情です。
ここにも「憎しみ」があるわけですが、男女関係が絡まないエンヴィーとは
区別されます。 嫉妬は人聞関係を破壊しません。むしろ人間関係を破壊される
ことを恐れる感情ですが、憎しみ、憎悪は人間関係の破壊に結びつきます。
もう一度、赤ちゃんとお母さんの関係で考えてみると「おっばいが欲しいのに
もらえない」というときに発生する感情はアンガー。お母さんはいいもの
(おっぱい)を持っていて、弟だの妹だのがどんどん出てくるお母さんが持って
いるものをみんな自分のものにしたいと思ったら、これはエンヴィーになります。
 ですから、愛情というのは考えてみるとかなり厄介なもので、一つ間違えると
怒りに、もっと間違えると憎悪に転換します。そういう「関係」に身を置くのが
厄介だと思うと、逃亡心が生まれてくる。こんな面倒な関係からは離れたくなる
こともあるでしょう。昔の東洋人の思想の中には、そういう面倒な関係が嫌だ
というものがありますね。 いろいろな欲望や感情が渦まいた俗世から離れて、
仙人のように淡々と生きる生き方に憧れるというものです。それをやるとなると、
どこかで線を引いて、人間関係からリタイアすることを考えなければなりません。
あれこれ面倒なことがあるうちは、山の中で仙人のように暮らすことに憧れる
かもしれませんが、いざ本当に離れたところで一人暮らすとなったら、
今度は記憶の中の人間関係にわずらわされることになる。 
人間は人の中でしか生きるしかないのです。】
▼ 大人数の兄姉の中で、私が両親の住んでいた実家に住みついて家屋敷
 などを引き継いだため多くの葛藤があったのが世の倣い。「怒り」×「羨望」
=「憎しみ」は肌で嫌というほど感じ取ってきた。私も家内も愛情を限りなく
受けてきたが、逆の与え方は上手くない。「自分」というものは、自分一人の
閉鎖系で成り立っているより、人との「関係」として成り立っていると著者は強調。
 「愛」というのは、そういう関係性を言っている。 だから、年齢を重ねるほど
人間関係は丁寧に扱わなければ。「ピーク、エンドの法則」がある。 
記憶は、ピーク時と、終わりが引き立ってくる。その数パーセントで、8割
以上の記憶を決まる。ドロドロの経験が少ない人は、その辺の構えが甘くなる。 
心の奥の沼に大切な人生経験をマイナーにして落とし込んでしまう。
・・・・・・・・
3385, 911・考えない・日本人  ー3
2010年07月02日(金)
            「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
 ー以下の箇所は、欧米の一神教と無宗教の日本の差でもあるー
 * 生存に必要な要素、それは悪 (P・62)
≪ 男のいない日本に、「男らしさ、勇気」があるわけがない。 
 白人の根本的な善悪の問題は道徳科目ではない。哲学科目だ。当然、日本にある
わけがない。 日本の悪は改心と謝罪の対象である。白人の悪は復讐の対象である。 
根本的に異質だ。人間の生存に不可欠な、最も重要な要素は何か。悪である。
悪を身につけない限り、生きられない。人間を悪から解放するものは、より強力な
悪しかない。 悪がないことは善か? ノー。それは無知であり、バカだ。 
生きる条件、つまり《人間の条件》を持たないということだ。
 そしてここに911の問題が拡大される。あの出来事の真の意味を理解できない
限り、今後の人間の条件はない。「神は死んだ」というニーチェの言葉を、もっと
深く理解しなくてはならない。だが、悪がわからなければ、神もわからない。 
悪のない日本には、死ぬ前から神は存在していなかった。存在しない神は死ぬ
こともできない。つまり「意味」がない。 意味――、神と悪は鶏と卵だ。
ねえ、ちょっと、ほんとに・・ 冗談じゃなく、日本史をよく勉強してごらん。 
そして、その後で世界史を勉強してごらん。そうすれば、いまなぜ日本が。
これほどに惨憺たる状況にあるのか、実にハッキリ、完全に分かるんだ。
▼ 「人間の生存に不可欠な、最も重要な要素は何か。悪である。
 悪を身につけない限り、生きられない。人間を悪から解放するものは、より
強力な悪しかない。悪がないことは善か? ノー。」 これは、ユダヤ教などの
一神教の考えかただが、島国の日本人には考えられない思考法。アラブ・欧州
には悪が身近に常にあるから、考えるしかない。 現在の惨憺たる状況は、
過去の歴史をみれば分かること。僅か30年前に隣国中国では、呆けた老人・
毛沢東の方針で、2千万とか3千万人が虐殺されたのである。
あれが悪か善かは歴史が証明するが、あの世界では、善人は悪党の片棒を担が
されるか、殺される。現在、日本はアメリカに60年以上かけて隷属的人間に
変えられた。思考が出来ない哀れな人間にである。
=偶然、以下の「垂直の言葉」に、思考について書いてある。面白い偶然=
 ・・・・・・・・・
3010,垂直な言葉
2009年07月02日(木)
「魂とは何か」池田晶子著    ー読書日記
 池田晶子の「魂とは何か」という本に、「垂直な言葉」というがあった。
横に流れる時間に対して、垂直の時間=永遠の時間、という言葉がある。
「今という瞬間の中にこそ、永遠がある」を宗教的、哲学的に考えていくと、
感動、感激の瞬間に感じた垂直の時間の意味の一端を理解することができた。 
ところが、今度は「垂直の言葉」である。 池田晶子は判りやすい。 
いや、判ったような気にさせる、と言うほうが本当である。
 ーまずは、その部分である。  P-217 
* 考える不思議、「常識」の不思議 【対談】石川好×池田晶子
池田 当たり前のことを言われても、何を言いたいのか読み手がわからない、
   と受け止められているのではと。
石川 それは、あなたの言葉が垂直だからですよ。
池田 以前に、おまえは右か左かと訊かれたので、私は垂直だ、と答えた
   ことがあったけど。
石川  そうそう、その意味。日本人の中で、言葉を横でなく縦に、垂直に
   降りていくものと自覚的に使っている人は、めずらしいと思うんです。 
   なぜかというと、日本の風土の中に、垂直に考える習慣がないからね。
   横の社会なんですよ。(字数制限のためカット2,012年7月2日)


5221,閑話小題 〜今年も半分が過ぎた

2015年07月01日(水)

   * つれづれに 〜今年も半分経過した
・そういえば、昨日で今年も半年が経過した。身辺では、さしたる出来事もなく、
 1月15日に古希を向かえ、数日前に中学校の同期の『古希の会』があった。
 身辺では、このくらい。 前の会社の債権関係の動きは一年半、全く無し。
・国内では、小さな噴火が頻繁に起きたが、数百人、数千人単位の死者が出る
 ほどの規模のものは、まだない。しかし、不気味に、頻繁に起きている。
 以前、これほど続くことなどなかった。やはり3・11が契機である。
・経済もアベノミクスで金融が緩んでいるためか、倒産が目立たない。
 安部政権になって、資金供給量が二倍になったにもかかわらず物価は、
 今までは安定してきたが、円安効果で、物価の高騰は始まってきたようだ。
・ギリシャが、今日、デフォルト?になるが、これで、株価大暴落とまでは
 いかないようだ。その行方は茨の道だが、落ちどころは分からない。
 現政権を選挙で勝たせた責任を国民自身が現実で受け止めることになる。
 数年前に、ギリシャに行ったが、地中海の温暖な気候の中で、誰が一生懸命
 働くかである。恵まれた環境が、その原因とは皮肉である。
・自民党と組んだゼネコンマフィアが、オリンピックの箱物をネタに、規模の
 拡大を始めた。自民党に勝たせすぎたツケが、日本にもまわってくる。
 必ず起きるといわれる、大噴火、南海トラフト地震、そして国家財政の破綻を
 考えると、ギリシャ、韓国の後追いをしている。
・一年前にはスガタもカタチもなかった、イスラム国という、得体の知れない
 イスラム原理主義の集団が、世界中でテロを本格化を増してきた。
 ネットで呼びかければ、何処でも共鳴者による爆弾攻撃が可能という。
 まだ日本で起こってないが、これもどうなることやら。
 新幹線から50年。死者が一人も出なかったが・・ついに焼身自殺が出た。
・75歳に死亡推定年齢を決めたが、前後3年のブレを入れると、最短で、
 二年半になる。直ぐだが、その焦りが無いのは、どこかで信じてないから?
 70歳を超えると、背後にあった死の不安が、前方に位置をかえて向かって
 来るというが、成るほど、そのとおりのようだ。
・・・・・・
4856,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー25
2014年07月01日(火)
   * 無我夢中の面白い4年半であった!
 ただ、ひたすら必死に過ごした日々。 この頃に再読をしていたのが
「無私の精神」(小林秀雄著)。
「有能な実行家は、いつも自己主張より物の動きの方を尊重しているものだ。
現実の新しい動きが看破されれば、直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人。
物の動きに順じて自己を日に新たにするとは一種の無私である。」
何も知らない中で、半狂乱状態だが、無私?で問題に取組んだ4年半。!
その頃、激情を抑えた状態の自分を孫悟空の如意棒に例えていた。
「円形グラフ内の自我99%を抑えた1パーセントの棒に自分に譬え、
孫悟空の如意棒状態にすれば、何事も可能!」と。対象に全身全霊を入れれば、
それは己の入魂の作品。 これは建物にも、システムにもいえる。しかし時間が
経てば、何の未練も無くなるから、心は不思議。 大きく息を吸って大きく
吐いた一呼吸の中に、4年半の現象が入ったような感覚。 長年かけて積上げ
られた老舗の信用が背景に有るか無いかでは雲泥の差も、実感。 現場と、
幾つかのチェーン店のシステムの差が、明確であり、その差さえ埋めれば、
そのまま成果になるため、楽といえば楽である。仕入は、問屋やメーカーには、
大のお客様。慣れると、これほど気分の良い仕事は、他にはないだろう。
反面、一つ間違えると、実績に直に跳ね返える。本店が当時、7億近くの売上
とすると、4〜5億の仕入権限を持つことことになる。それも、産地に現金
支払条件で歩きわたるのだから、これほど、面白い仕事はない! 
更に、これが博打的要素が強い相場物なら、ゲーム感覚になって遊びに昇華
することも可能である。 前任者の数字を落とすことなく引継ぎ、本店ビルを
建替え、残留の大半を入替え、統一伝票システムと、部門別管理で数字を入れ、
ホッとし、自分を振るかえると、今度は自分自身の問題。そのまま留まると、
実兄との舵取りの違いが表立つのは明白。それと私に、権利という基盤が無い! 
それなら、再び外で!になる。 そうこうあって、一年間暖めていた新潟ホテル
シリーズが始まる。 そこで、引継ぎを兄に持ちかけると、その必要はないと、
信じられない言葉! 引継ぎなどなくとも大丈夫と信じて疑ってない。
「何も知らないことを、知らないのである!」‘何も知らないことを、知って
いると知らないとは雲泥の差’ 凍りついた瞬間である。他人事でない! 
日々、何も知らないと自分に言い聞かせてないと、誰しも陥いること。
・・・・・・
4489, 怒らないって本当は恐い! ー4
2013年07月01日(月)                    
   * 怒りの四分類       『怒りの作法』小川仁志 著
ここで、直情型から、それをむしろ前向きに捉える問題解決型まで怒りを
4つに分類している。  ーまずは、その辺からー
≪ 『怒りの方法』辛淑玉著の中で、「噴火型』「イヤミ型」
 「放火型」「玄関マット型」「問題解決型」に分類している。
・噴火型というのは、怒りを感じた瞬間から攻撃的になるパターンといいます。
・イヤミ型はその場では対応せずに、まったく関係のないときに、
 ぐさっと胸に刺さることをいうパたターン。
・放火型は、自分では怒りを表現せずに、周りを焚きつけて怒らせるパターン。
・玄関マット型は、踏まれても踏まれてもじつと我慢して、
 怒りの感情を表に出さないパターン。
・問題解決型は、怒りの素を見つけ、すばやく対応するパターンです。
 そして読者には、最後の問題解決型の怒りを勧めています。
この分類は一見わかるような気もしますが、実はあまりうまく整理できて
いるとはいえない。・・(中略)そこでむしろ、怒りを表に出すかどうか、
問題解決に結びつけようとしているかどうかという二つの指標によって
分類すべきだと考えます。そうして改めて分類してみると、
 �表に出さないうえに、問題解決に結びつけようともしない怒り、
 �表に出さないが、問題解決に結びつけようとしている怒り、
 �表に出すが、問題解決に結びつけさつとはしない怒り、
 �表に出して、かつ問題解決にむすびつけようとする怒りの4つに
 分けることが出来る。  それぞれ見てみましょう。
△ まず� 表に出さないうえに、問題解決に結びつけようともしない怒りは、
「自爆型」と呼ぶ。彼らは、ただ単に怒っているものの、それを表情や言葉に
表すことはありません。だから他人は気づかないのです。 しかも怒りの原因を
究明し、それを解決しようともしないのです。したがって、怒りは自分の中で
増幅し、しまいには心身を病んでしまうことになります。あたかも怒りで自爆
してしまうかのように。たちが悪いのは、自爆の際、他人を巻き込むケース。
つまりキレてしまい、他者を傷つけるのです。おそらくこういう人は、
テロリストや無差別殺傷の犯人に多い。
△ 次に、�の表に出さないが、問題解決に結びつけようとしている怒りという
 のは、「勤勉型」といえます。 彼らも�と同じく怒りを表情や言葉に表すこと
はありませんが、少なくとも問題解決に結びつけようと水面下で努力はします。
ただ、表に出さないだけに、周囲の理解を得ながら物事を進めるわけには
いかないのです。
△ さらに、�表に出すが、問題解決に結びつけようとはしない怒りは、
「ラッパ型」といえます。怒りを表に出すだけで、一向にそれを問題解決に
結びつけようとはしないのです。いわばラッパのように大きな音を立てて騒ぎ
立てるだけで、問題を解決しようという建設的な姿勢はこれっぽっちもない場合
をいいます。自分の発言に満足しているだけなので、評論家に多いといえるかも
しれません。ちなみにアメリカ軍の消灯ラッパをタップスといいますが、
この語は「終わり」を意味する比喩としてよく用いられます。ラッパ型の怒り
には何の展望も描けないのです。 
△ 表に出して、かつ問題解決にむすびつけようとする怒り、これを「実務型」
 の怒りということができる。怒りを表に出して他人に認知してもらおうという
もので、それをキチッと問題解決に向けようというもの。≫
▼ 一つの怒りに、この4つのプロセスを経る場合が多い。
 その痛みを時間の経過の中で耐えている間に、考えるという働きが出てくる
からである。怒りっぽい私など、何時も独り心の中で、このプロセスの中にいる。
結局、全ての怒りは時間が解決する。怒りはエネルギーの元と割り切るしかない。
怒るだけ損でなく、怒るだけ得になっていく。
・・・・・・
4115, 財政恐慌 ー2
2012年07月01日(日)
  * 共同債の発行など気違沙汰! 
「財政恐慌 ーついに金融と財政の死に至る無限ループに突入した」浜矩子(著)
 連日のトップニュースがユーロ危機である。一つ間違えると世界恐慌になる
からだ。ギリシャ、イタリア、スペイン、キプロスと、その危機はモグラ叩き
のように次々と出てくる。その都度、ドイツ、フランスを中心にしたEUが財政
対策を打ち出し、何とか乗り越えている。数日前も何とか緊急対策を打ち出した。
しかし、ここまで来たかというのが、「ユーロ共通債」構想。 字のとおり、
ユーロ圏として一本化した債権を発行することで、ユーロ圏で統一的に財政資金
を調達しようとする代物。これまでの、加盟各国が個別に国債を発行するのでは
なく、調達窓口を一本にしようとするもの。ブタちゃん=PIIGSにとって、
これほど有難い国債はない。ユーロと同じく、ごねて、どんどん共同債を発行
してもらえるからである。ギリシャ、スペイン、イタリアにとって、7%近い
金利が遥かに低くなる。金利の低いドイツが逆に高くなるため認める訳がない。
しかし、そうでもしなければ、PIIGS各国は、財政破綻の限界に来ている。
ユーロは暴落し、嫌われた通貨に成り下がった上に、共同債など無理ときている。
何をしてもユーロ構想が、メルトダウンに入るのは時間の問題。著者は、ここで
「ある地域内で単一通貨を導入して、うまくいく二つの条件がある。一つは、
その地域内では、どこも物価水準、失業率、金利、賃金が同じ、要は経済格差が
全くない状態であること。二つ目に、地域内に存在する経済格差を埋める
中央調整装置の存在が前提としている。この二つが存在しているかというと、
否という。著者は、ドイツが前者の経済格差を無くする方向を求め、フランスは、
財政難諸国を救済する仕組みの強化を目指そうとするが、この二つは、根本的に
相容れないもの。現在のユーロは、股裂きの刑にさらされているという。
ドイツもフランスも、今さら、ユーロ圏脱退も出来ない。それをPIIGSが、
その足元をみて、今までの安楽の延長の生活を求めている。それも、時間の問題
が現時点である。何処かの国では、国債発行がGDPの二倍、国家予算は税収の
二倍になっても、その都度、首相を取り替えて、国家リストラを避ける。
ユーロ圏は同じ道を歩きだしただけ。PIIGSを、最終的に準加盟国という名目
にして排除するしか存続の道は無いが、私の見立てになる。恐ろしい日々は続く。
・・・・・・・
3749, ジャズについて  ー「ジャズ完全入門!」−19
2011年07月01日(金)
              ー 「ジャズ完全入門!」 後藤雅洋著
 歴史については「音楽の本」のジャズの章に詳しくあったので、ここは飛ばし、
 「ジャズに使われる楽器とその編成」についての、ポイントを取り上げる。
【 ジャズで使われる楽器は、基本的にクラシック音楽と同じ。違うところは、
 クラシック音楽の音色のメインとなる弦楽器類(ヴァイオリン、ビオラの類)
はメッタニ使われず、ベースは、ジャズでは独自の演奏法を行う。クラシックで
使われないものでジャズ特有のものはドラム・セットで、この存在がジャズらしい
リズミカルな躍動感を作り出すキーポイントとなっている。クラシックの楽器類
マイナス弦楽器(ベースを除く)プラスドラムセットがジャズ特有のタイトで
キレの良いサウンドを作っている。以上のように、楽器そのものより演奏法に
よってジャズらしさが出ている。
* まずは、リズムの強調。ジャズのベースは、音楽の最低音部を受け持つだけ
 でなく、2ビート、4ビートといった基本ビートがハッキリと聴き取れるよう、
クラシックのように弓で持続音を弾かず、指で弦を弾いてリズムを明確にしている。
* 次に、楽器奏法の特徴は、ピアノ、トランペット、サックスといった
 クラシックでも使われる楽器が、どうしてジャズ特有のダイナミックで個性的
な聴こえ方をするのかという、楽器を「ミュージシャンの身体に引き寄せて」
演奏しているからだ。(以下、字数の関係上カット、2012年7月01日)
   ・・・・・・・
3384, 911・考えない・日本人 −2
2010年07月01日(木)
「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
  ーアマゾン、内容紹介、よりー
≪ まだ信じているのですか? あの事件が真実だなんて。911の以前と以後では、
 人間の歴史は完全に代わり、人間の条件も全く変わった。これだけは確かである。
911は、人間が最後にたどり着いた最大の愚かさと、最大の悪の結晶だった。 
これだけは確かなことである。911は、ある一部の人間たち、私風に命名すれば
「ファイナル・パワー・エリート」たちが仕組んだものである。
私は「911同時多発テロ」と呼ばれている事件は、すべて《彼ら》の自作自演、
ヤラセであり、捏造であり、その他どんな言葉を使ってもいいが、ブッシュ政府
が公式に発表している内容とはまったく違うものということを、確信している。
なぜか?まず疑ったからである。疑わしい要因、要素が多すぎると感じたから。
次に考えたから、知る努力をしたからである。そのときに私の持った精神状態は、
「情熱」と呼べるものとほとんど同じものだった ≫
 ー 以下は、家畜化された日本人への強烈な批判だが、言いえて妙。ー(p86)
【 給費留学生など、日本の若い頭脳がアメリカに召集された。江藤淳なども
その中の一人だったが、あのようなろくでもない 日本人のクズが、モルモット
代わりに研究されたのかもしれない。確かにあのような男を典型的日本人モデル
として研究すれば、その洗脳のたやすさ、誘導のやさしさ、また、一般的な人間
家畜化の手引き材料としては理想的だったに違いない。その性温厚にして、地球
上の人類の例外中の例外、闘争本能ほぼゼロ、嫉妬心ゼロ、執念深さ同じくゼロ、
喉もと過ぎれば熱さを忘れ、知性、理性、論理力はほぼ狐並み、言語、特に国語
に対する認識・意識ともに幼児並み、借り物言語に痛痒を感じず、哲学志向ゼロ。
おだてにはすぐ乗り、《彼ら》の差し金で少し高い地位に就かせれば、黙って
いても《彼ら》の意を先取りし、率先して日本人を家畜化させるお先棒を担ぐ。
あの当時のフルブライト奨学金で渡米した日本人の全リストでも作ってみれば、
そうした証拠が出るはず。その後彼らが、どのようなジャンルにおける、
どのようなポジションで、どのような手先活動をしたか。多分アカデミー関係が
多いはずだ。教授や教師ほど、この使用人に適した職業もない。日教組と地下
では連動している可能性も高い。】
▼ この十数年、特に感じてきたことがズバリ書かれている。アメリカ占領国で
 日本人が家畜化されていることすら気づいていない哀れさ、その手先が歴代の
自民党であり、社会党(現社民党)である。特に著者が移住していたオースト
ラリアの視点からみると、それがリアルに見えるようだ。特に失われた20年で
日本の劣化の激しさが鮮明になってしまった。  ― つづく
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3009,誰が電気自動車を殺したか ?  ー2
2009年07月01日(水)
 GMがそのまま本気で電気自動車に取り組んでいたら、現在も世界NO・1
の優良メーカーだったはず。将来の先取りが本来あるべき戦略であったのに、
それを自ら葬ったことで自分自身を殺すことになった。この数年は多目的の
SUV(スポーツ多目的車)という大型車に社運をかけてしまった。そのうえ
自社でローン会社をつくり、車だけでなく住宅ローンまで扱っていたという。
歴代のホワイトハウスのスタッフが石油会社の出身者で占められ、電気自動車
の抹殺に組していた。「誰がアメリカ合衆国を殺したか?」に題名を変えても
よいようなアメリカの縮図でもある。腐りきったネオコンがアメリカを支配し、
それに憎悪を抱いたイスラム原理主義者が9・11のテロを行い、
彼等の戦略に引きこまれ、アフガン、イラクに戦争を仕掛けてしまった。
  (以下、字数の関係上カット、2011年7月01日)
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2645, アメリカ狂乱 ー1
2008年07月01日(火)
 「アメリカ狂乱 ー次の大統領統は誰か」 日高 義樹 (著)
本屋で平積みしてあった本だが、何時か図書館に並んだら読もうと思っていた。
それが数日前に、図書館で読んだら、数十年近くに渡り、アメリカの国内事情
と大統領選挙を見てきた著者の視点のため多角的に分析していて説得力がある。  
  (以下、字数の関係上カット、2009年7月01日)
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2007年07月01日(日)
2280, ビジネススーツ        ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!           
ー 超高層ビル=ビジネススーツ・ビル論 ー
*半月ほど前の読売新聞に掲載されていた建設史学者の鈴木博之氏の
「ビジネススーツ・ビル論」が面白い。超高層ビルの外装を、ビジネス・スーツ
と類推するところがユニークである。ー超高層ビルが林立すると、そこに立ち
並ぶ超高層群は無個性化を始め、ビジネススーツのように縦ストライブの、
抑えた色調の外装パターンになり、外観からはビルの存在感を消そうとする
傾向に入った。それを「国際化」と見る人もいる。ー概略は、このようである。
 (以下、字数の関係上カット、2008年7月01日)
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2006年07月01日(土)
1915, スペイン画家・堀越千秋 ー6  おはようございます!(*^▽^)/
 文化とかという難しい?ことでなく、スペインの日常料理から現地の生活実感
を垣間見ることができる。私など、三度行ったスペインのバールの美味い酒の
ツマミの印象だけで、「もし永住するならスペインが良いな?」と思っていたら、
一撃を喰らう内容があった。
≪スペインの町でキョロキョロしている日本人旅行者たちは、
「イヤァ、スペインは美人が多くて結構ですな」など言いがちである。
おまけに「スペイン料理は日本人の口にあっているし」とも言う。
「オリーブ油が如何だこうの言いますが、私は大丈夫です、美味しいですよ」
という人がいる。じゃあ、今夜みそ汁も白米も一切やめて、固いバンにオリーブ
オイルとラード(マンテカ)塗ってくてみなよ。あんたの好きな烏賊のリンク
揚げと、二週間続けて揚げて使ったオリーブ油で好きなスペイン・オムレツを
こしらえて喰いなよ。≫ (以下、字数の関係上カット、2011年7月01日)

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