堀井On-Line



4142, 究極の五木メソッド55 ー①

2012年07月28日(土)

         『きょう一日。〜非常時を生き抜く究極の五木メソッド55 』五木寛之著より
   * <五木メソッド38手順のまとめ、より> 朝、布団の中でやるメソッド
 なかなか良い本である。毎朝これを実行したら良いだろう。朝風呂の中で数年来、この半分近いマッサージをしてきたので分かる。
それと現在、週二回のヨガ教室での色いろなポーズが、この中に取り込んである。 ーまずは、そのへんの要点をコピーしてみる。
≪ 1.寝たまま、両手をこすりあわせる   2.両手の指を軽く組んで上下に動かす  3.指の組合せを変えて同じ動作をする
 4.指の組み方を逆にして手首を上下に   5.指と指の間を手刀でたたく      6.指を一本ずつ親指の腹でこすりあげる
 7.親指と人さし指を合わせて反らす    8.指を手の甲の側に一本ずつ反らす   9.親指を除く四本の指をそろえて反らす
 10.爪の付け根を親指と人さし指でもむ  11.中指、薬指、小指を曲げ伸ばしする  12.親指で手のひろを万遍なく押す
 13.足の爪もみ。足裏も押す       14.再び、両手をこすりあわせる     15.その両手を丸めて、顔に近づける
 16.手のひらを目、鼻、口元、耳へ    17.頭皮を指で押さえて前後左右に    18.親指でこめかみのくぼみを押す
 19.同じように、眉の付け根を押す    20.眼高にそって目の上の骨を押す    21.同じ要領で、目の下の骨を押す
 22.小鼻のわきを人さし指で押す     23.口の上から歯ぐきを押さえ左右に   24.下あごの両側のくぼみを親指で押す
 25.ほほ骨の下にあるくびみを押す    26.耳の付け根をはさんで上下にさする  27.耳のはしをつまんで引っ張る
 28.手のひらで両耳をふさぎ、離す    29.片膝を胸に寄せ、反対の足を伸ばす  30.同じ動作を、もう一方の足でやる
 31.両ひざを抱き込み足首を前後左右に  32.両端の足裏を合わせてひざを開き深呼吸 33.足首を反対の足ひざに乗せ倒す
 34.同じ動作を、足を組み替えてやる   35.寝たまま、両手をバタバタさせる   36.両足をのばし、両手を下腹部に置く
 37.深呼吸。好きな言葉を口に出して言う 38.「きょうも元気だ」と言って起きる 
 人はさまざまです。百万人いれば百万通りの人間がいる。体質がちがうだけはありません。その人の環境がちがう。
 年齢がちがう。気質がちがう。経歴がちがう。ですから、自分ひとりのための方法、というのが最も大事なのです。(中略)≫
▼ この時代に生き抜くために、このぐらいのことは習慣にしておいた方がよい。習慣は第二の己であるからだ。どれもこれも、
 三大成人病対策にもなる。これらは手足のマッサージと、顔と耳と頭のマッサージ、足と腰の関節の伸ばし、そして呼吸法に
 分けられる。三年前から本気になって腰痛対策のため、メソッドを取り入れ、更に一年前からスポーツジムに通いだした。
 そしてヨガ。しかし腰痛は直ったわけでなし、少し椅子に座り続ければ軽い痛みが出てくる。しかし、直ぐに収まるが。
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3776, 閑話小題
2011年07月28日(木)
   * 世界が誇る中国高速鉄道の話
 中国で当初から問題になっていた高速鉄道で事故が起こってしまった。 高速列車にしては死傷者が少なかったのは不幸中の幸い。
・まずネットで、「これで中国が日本のシステムを盗んでないことが証明された」と、痛烈な批判が出た。
 日本はマグネチウド9で一人の死者も出なかったのに、中国は大雨と落雷だけで、これだけの死者が出たとの批判も。
・“国産”と自負していた新幹線の実態は、日本や欧州、カナダから導入した車両や地上設備、運行管理システムの寄せ集めで、
 系統だった運用の可否が懸念されていた。その問題の列車の衝突車両を、世界のマスコミが見ている目前で埋めたのはお笑い以下。
 ソ連が崩壊したのはチェルノブイリ原発事故当時の、あまりにズサンな国家体制が露呈してしまったからである。 
 一党独裁の良否が、そろそろ中国国内でクローズアップされる時期にきている一現象である。
 ▼ 以上が、今回の事故から露呈した高速鉄道の危険性の問題。 「当事者の一人は、自分は絶対に乗らない述べていた」と、
  マスコミが報じている問題点が本当なら、これから数年間で大事故が頻繁に起こることになる。ということは、
  恐ろしい大問題を中国は自らの手で作り上げてしまった。
   * アメリカが国債のデフォルト?
 何か物騒な話になってきた。共和党がアメリカの借金総額の上限の金額の上のせ条例に反対し揉めていて、もし通らないと
 アメリカ国債の債務不履行になる危機にあるという。そのため、ドル安がジワジワ進行してきた。 共和党との対立でドルと
 国債の価値を下がると誰が一番得をするか、それはアメリカ自身である。 一番損をするのは日本。それは、初めからの
 アメリカの意図としていたこと。現在の日本の震災と荒廃した政治混乱の、この時期に借金棒引きは願っても叶ったりである。
 9・11、9・15、3・11の経済・自然災害の三連発後で弱体した日本の最後の拠りどころの預貯金の多くが、アメリカ国債に
 とって替わっている。それが不払いとなれば・・・ 考えただけでも恐ろしいである。まずは隷属国家から借金棒引きは当然か!
  ・・・・・・・
3411, マイナス思考法講座  ー2
2010年07月28日(水)
「マイナス思考法講座 ープラス思考をやめれば人生はうまくいく」 ココロ社 著 
   ーまずは、「はじめに」よりー
 この本の主旨は、「マイナス思考はプラス思考より優れている」、これに尽きます。物事を前向きにとらえるプラス思考、
 一見いいように思えますよね。「物事を後ろ向きにとらえるよりも前向きにとらえた方がいいに決まってる」
 と思うかもしれませんが、こと思考においては、必ずしもプラスがよいとはいえないのです。なぜかというと、
「プラス思考こそが、現実逃避の温床に他ならない」からです。プラス思考こそが究極のマイナス思考といってもいいでしょう。
 プラス思考そのものより、プラス思考で行動することで、人間のマイナス面が助長されてしまうといった方が正しいかもしれません。
 プラス思考の根本的な考え方「何事もプラスに考えよう」は、「耳が痛くなる情報を耳にしたくない」という人間誰もが
 持つ気持ちと合わさると、「物事のマイナス要因を忘れよう」に、ついつい翻訳されてしまうからです。
  【 プラス思考の問題点を4項目にまとめてみます。】
 1.プラス思考を身につけても、不幸に耐えられる忍耐力、不幸を幸福と読みかえる超解釈力が身につくだけ。
「不平不満を言うのではなく、現状の自分が幸せである、と思いましょう」という考え方がありますが、自分が幸せだと思ったら、
現状に対して何も手を打たなくなってしまいます。本当に幸せならそれを噛みしめていればいいのですが、そうでもないのに無理に
自分は幸せであると思いこみ、現状に対して何もしないのであれば、いずれ、幸せと思いこむこともままならないほど、不幸になって
しまうことでしょう。プラス思考は耳触りがよいので、つい現実を見誤ってしまう。現実を直視しないことには現実をよくしようがない。
 2.プラス思考は、他人にとってはマイナス思考です
「プラスにとらえる」とは、「自分にとってプラスにとらえる」ことで、つまりは、他人を無意識にマイナスにとらえることになる。
プラス思考とは、自分を軸にしている限りはなかなか見えてきませんが、どこかでプラスをすると、どこかがマイナスになり、
その結果、自分1人の中でプラスでも、周囲と合わせて見ると、誰かから幸せを引いて誰かの幸せがマイナスになっているのです。
 3.プラス思考だと、ありのままの自分を肯定するばかりで成長の機会がありません。
ありのままの自分をひたすら肯定するプラス思考のままでは、ありのままのあなたは、いつまでたってもありのままで、
成長することがないでしょう。ありのままの自分を乗り越えていくことが、成長には不可欠なのです。
 4.プラス思考は、必ず裏切られる運命にあります
「人を信じよう」と言いますが、信頼して仕事を発注した相手がスケジュールを守ってくれなかったり、彼氏が友だちと旅行と
言っていたのに実は女の人と2人で旅行だったり……  一言、事前に釘をさしておけば、裏切られることはなかったのに、
「信じよう」などと思って策を打たないから、ひどい裏切りにあってしまうのです。
▼ プラス思考は、マイナスを乗り越えた上での考え方であり、その背後にはマイナスを考えた上でのプラスを
元もというのであって、ここで書かれている上っ面の思考法ではない。 それより、言葉を額面どおり捉え、現実逃避に
知らないうちになっているケースが多いはず、それを諌めているのである。肯定は意志であり、否定は感情である。
人間は意志の動物であると同時に感情の動物。両者の混合が必要だろう。
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3036,閑話小題
2009年07月28日(火)
 * 新潟駅前の貸金女子事務員殺害事件の犯人が逮捕
 * 加山雄三の『私の履歴書」が面白い
(字数制限のためカット 2010年7月28日) 
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2671, 幸福の4階建て -3
 2008年07月28日(月)
*不幸の4階建て」を考えてみる
「幸福の4階は、克服できない苦難や悲しみの中にある」というが、逆の「不幸の4階建て」とすると、
 どうなるか考えてみた。 前回の「おばさん、の話」を書いていて、おばさんの特徴に弛緩というキーワードが出た。
 その反対の言葉が幸福の4階の「克服できない苦難や悲しみ」になるのではと・・・。
 不幸の建物の4Fは弛緩とすると、これから1〜3Fが導き出される。
 3Fは、やる気も目標も無く、同じことの繰り返し。
 2は、不満で悶々とする日々
 1は、当面の問題から逃げて、上手くいかないと他者に責任転嫁
不幸の4階建というテーマが、不幸なおばさんの姿から成立するとして、弛緩しているおばさんは果たして不幸なのか?との疑問も出る。
しかし、幸福の4Fの逆の意味で、不幸とは弛緩そのものが大きな要素と考えてよい。誰もが、幸福と不幸の4Fの建物の要素がある。
自分の趣味を持たないで日々に流されると「こてこてのおばさん」になる。それも不幸な・・というとこだ。ただ自分で気づかないだけ。
それは「おじさん」にも、言えることだが。 現在の日本が、この不幸の4Fに近いのでは、いや自分自身が、そうではないか?
と感じたのではないか。 いや、自分は違うと自己説得しているのではないか。「日々、戦場」を己に課すことが、果たして幸福?
「日々、私は何て幸せ!」と何となく思っているのが不幸?なんだろうか。 あまり考えてこなかった中年女性が、不幸なんだろか?  
そう勝手に、他者を思い込んでいるだけじゃあないか? 幸福など考えるから、訳が解らなくなるのである。まあ、弛緩もいいものだが! 
 幸・不幸の裏表ががあるからいいのでは、人生は。 てなところか!
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2007年07月28日(土)
2307, 最近ホテルでは・・・          [ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ
ホテルのオープン以来20年近く、自殺は数件あったが、病死者は無かった。ところがこの6~7年前から病死者が4人も出ている。
どういうことだろうか。心不全、ガンの末期の人?、脳梗塞などなど。この月曜日、出社すると「前日の午前中に病死者が出た」
という報告。土曜日の夜半、いや日曜日になった未明の0時を過ぎの「2980円パック」の客が病死をしたという。 
時間になってもチェックアウトをしないので、電話連絡を入れてもノックをしても反応なし。もしかしたら自殺か?と
ドアを開けたところ、中年男子が裸で倒れていたという。身体を触ったところ、既に冷たくなっていたので慌てて救急車を呼んだ。
何かの手違いで、救急車に三台の消防車もきて、20人近くの消防士で現場は一時は騒然したという。
(字数制限のためカット2012年7月28日)
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2006年07月28日(金)
1942, 今日は「新潟活性化の会」           \(^▽^*)おはよう         
これで4回目になる。 あと一回で私の役割は終了。 地域活性のデザインつくりに加わってみて、なるほどプロセスに
筋が通っているのが理解できる。本来は代議士と市議会がすべきことだが、当事者は目が曇るのだろう。
転がっている球は自分では方向転換できないのと同じだろう。アウトサイダーの生き方・視線が少しは役に立っている。
ただ、アウトサイダーとしては、のめり込まないことだが・・このプロセスの中で気づいたことは新潟県は危ない!本当に危ない!
日本が危ない!ということと同じだが。金沢は富山と福井を従え、その後背に関西を控えていて、これに関東が直結する。
金沢が環日本海の玄関として拠点都市になって至極当然である。 森元首相も、まだ当分隠然たる政治力もあるし、
それに引き換え真紀ちゃん、あまりにも・・・? ここでは、まあいいや。手をこまねいているのか新潟よ!という感があるが・・
でも材料が無い!いや、本当に無いのだろうか? よく目を凝らしてみたら、過去のインフラが膨大にあるじゃないか。 
高速道路、新幹線、飛行場、港・・・ 無いのは戦略構想が無いというから・・・頭の足りない巨人と同じである。
・絵図・絵図!!環日本海都市としてのデザイン描いて、知事と市長が馬鹿みたいに
 言い続けなくてはならないの! そして東港とか西港の空き地に何を持ってくるか考えるの!
・そして特区とかを造るの。東京都新潟区という隠れコンセプトを作るの!
・飛行場に乗り入れるの、それも新潟駅再開発の完成に合せて! これをゼロからやれ!といっているじゃないの!
 ホボあるんじゃないか。 無いのはグランドデザインでしょう!
・それと、あと数パーセントの投資で拠点都市のイメージと明確な位置づけが出来るの!
・20数年前に飛行場まで開通させておけば、新潟は変わったでしょ!
・飛行場周辺に、中国・韓国・ロシアの物流と情報基地が出来ていたでしょ!
・サッカー場も、イベント場も、佐渡観光も行きやすくなったでしょ!
・北関東圏の人は北海道、九州、沖縄、韓国、中国の飛行ルートも新潟になっていたでしょ!
・新潟競馬場も至近距離にあるので、もっとお客を呼べたでしょう!
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2005年07月28日(木)
1577, 大阪から何がみえるか-1
 ー大阪の衰退は日本の近未来の姿か?
大阪と札幌から、いち早く時代の流れが見えると言われる。特に商人の町の大阪は、いち早く時代の流れをつかんで動いた。
しかし、最近の大阪は全く変わってしまったようだ。まずは終戦後に総合商社が、メーカーが、そして金融機関と東京に本社を移し始めた。
現在残っているのは、電力・ガス・私鉄という地域産業のみになってしまった。更に大阪の企業は生産拠点までもが海外に移転してしまった。
(字数制限のためカット 2012年7月28日)
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2004年07月28日(水)
1212,パスカル(1) 
 ー哲学についてー22
学生時代には、パンセが常に傍らにおいてあった。当時の不安な気持をいつも和らげてくれた愛読書であった。
現在、読み返してみて当時の哲学書の幾つかが、心の底の根幹をなしていたことに気がついた。
特に人間観は、大きくパンセに影響を受けていた。生き方はニーチェとロマン・ローランである。
当時のささやかな読書が、人生を大きく左右しているとは。「人間は一本の葦にすぎない。自然の中で一番弱いものだ。
だが、それは考える葦である」パンセの第一節である。彼は物理学、数学などで成果をあげたが、哲学者としても名を成した。
あまり知られてないが、慢性的な病による苦痛の中で人間とは何か、生きるとは何かを問い詰めた。 
彼の20年の慢性病が哲学を深めていった。「考える」という一事において、「自分が苦しんでいる」という一事において、
パスカルの「尊厳」のすべてがある。パンセの中の所々に「病の善用を、神に願い祈る」部分が見られる。
  ーパスカルが31歳の時、神秘的な体験した。
1654年11月23日22時30分?24時30分の間に、パスカルの生涯を一変させる出来事であった。
「火」の夜の出来事である。(恐らく)ヨハネの福音書17,18章を読んでいた時に、白光色の「光」が見えた。
彼の死後に、上着の裏に縫い込んだ『覚書き』が発見された。 その一節が次の文章である。
   (以下、字数の関係で中間カット09年07月28日)
▼ 以上が、その時の文章である。心の奥で深い痛苦を抱え、社会のひずみ、欺瞞に満ちた人間関係の幻滅等が、
 この一夜で一挙に溶け去った。そして歓喜にいたった。キリスト教徒でない私が読んでも感動する言葉である。 ーつづく
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2003年07月28日(月)
845, 親父の小言  わが愛息へ
 ー親の小言と 冷や酒は後で効く
火は粗末にするな     朝は早起き機嫌良くしろ
(字数制限のためカット 2010年7月28日)
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2002年07月28日(日)
 470, いい人とは
この意味を考えたことがあるだろうか。子狐レベルの対話の「いい人悪い人」の話である。
突き詰めると「自分にとって都合のよい人」でしかない。「いい人の振りをしよう」というのが子狐の名前の語源といってよい。
「その時の自分の都合のよい権力者に擦り寄っていく」のも、もう一つの語源だが。あの人は本当にいい人だーそう自分にとって
とっても都合のいい人だ。ただそれだけだ。それが解ってないからお互い傷つけあうことになる。都合などその都度変わるからである。
ゲゼルシャフトー契約社会とゲマインシャフトー血縁社会の差も一生理解できないレベルである。
少し知り合うともう何か相手を利用することだけを考える人がいる。教養のない女ー特に小汚い中年の女に多い。
男も子狐というレベルの男もそうである。こういう人間にとっての人脈とは利用できる集団か、人との繋がりでしかない。
人脈とは「自分が過去奉仕し続けてきた貸しのある繋がりである」ことが解らない。少なくともいい人の振りをしないことだ。
ベタベタした人間関係がこういう誤解をつくりあげる。地方などの非移動社会ー固定社会では、いい人を演じなくてはならないのか?
どうであろうか?!真っ当に生きようとしたら、悪い人を演じなくてはならないのか?
いい人とは善悪という道徳的価値観が、それも小さな社会の縛りが入ってくる。それも気違い部落の?
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2001年07月28日(土)
 [90] 人生のコツ
ツアーで今ひとつの楽しみは、全国より集まってくるツアー仲間である。本当に色々な人がいるものだ。
推測だがどこかの高校の校長だったのではないかと思われる67歳初老の人の事が印象的であった。
「60歳までに50回の秘境を中心にした海外旅行と、人生の余白を可能な限り 埋め尽くす生き方」をその人の感化で、その旅行で決心した。 
その人の言うに「自分の父の家系は40歳前半までに全員死ぬ家系!若いときよりその死期までに人生総て生ききる生き方をしてきた!
家族で日本中を車で総て回る計画を立て実行、そしてその時期がやがてやってきた。しかしどういうわけか死ななかった。
それなら一年一年が勝負と世界中を回る計画をたて実行、いまだ死なず世界中をほとんど回ってしまった。」この時、これだな!と思った。
そして先ほどのの決心をしたのである。 「人生は後回しでなく、前回し」人生だけでなく何事もそうであるが。
その時「貴方だけが何故生き残れたか、こころあたりは?」の私の質問に「毎日朝食にキャベツを千切りにして、紫蘇のドレッシングを
かけて食べている」との答え。 後は好きな事だけをやる事だそうだ。 なるほどと考えさせられた。


4141, 閑話小題 ーユーロ安など

2012年07月27日(金)

   * ユーロ安が止まらない!
 ユーロが、ついに95円を割ってきた。4年前までは160円代だったのが、4割以上も下落したことになる。
これはスペイン10年債利回りが7.59%にまで急上昇し、更にイタリアの地方都市が破綻危機に瀕しているなど、
ヨーロッパ金融危機がスペイン・イタリアの地方政府・都市に出始めてきたため。日本だけでなく、欧州に輸出している
中国などが直接影響を受けている。もしユーロ圏内の国でデフォルトでも宣言されたら、更に国債や株式・為替市場が暴落する
負の連鎖が始まる。 やはりロンドン・オリンピックが終わる頃から荒れた経済が表立ってくる。既に会社経営から退いたので、
以前ほどの心配はないが、それでも日常生活に直撃してくることになる。このオリンピックが白々しく思えるほど世界の経済は
逼迫しているということ。
   * いじめ
 小学校、中学校時の虐めは誰もが何らかのカタチで経験している。色いろ見てきたが、それぞれが酷いもの。人間に格差と、
差別がある限り、自然発生的に起こるのは避けられない。虐め側の人は家庭に問題があり、成績が下位にあるか、性格が捩れていて、
自分より下位の人の弱点を見つけ徹底的に攻撃をする。彼らの特徴に徒党を組む習性が強く陰湿な集団リンチ的要素が強くなり、
強者にヘツライ、弱者に強持てになる。 中学校の虐めグループの、その後は、当然?修羅の人生の人が多い。今回、問題に
なっている大津市の虐めによる自殺はタチの悪い虐めのようだが、今日明日にも自殺に追い込まれる直前の小・中学生が数百、
数千人が存在していると考えられる。しかし小・中学校時代の虐め経験は必要悪の側面がある。特に会社組織は弱肉強食社会。
そこには表立たない筆舌に言い表せない虐めが存在している。そのための免疫を子供時代につくっておく必要性がある。
虐める方も虐められる方も家庭問題による歪みの起因の要素が大きい。般若の面は差別による虐めの怒りの表出というが。
・・・・・・・
3775, ユング ー11
2011年07月27日(水)
   * ユングの能動的想像とは? ー2   〈 ユングー地下の大王  コリン・ウィルソンー③ 〉
  コリン・ウィルソンは、ここで能動的想像の実例を幾つか取り上げている。この内容からみると共同意識の世界まで入り込んでいる
 ようで、夢の世界の奥行きの深さを感じさせられる。 私も夢で数知れないほど、奥の深い内容のものをみてきた。
 【ーP/242ー もう一人のユソグ派の分析家J・マーヴィン。スピーゲルマソは、母親と娘と老賢人に出会った洞窟での「空想」で、
 24歳のときに能動的想像の技法を獲得し始めた。ある日騎士があらわれ、母親と娘をさらって行った。その騎士は、自分は話すべき
 いくつかの話があり、また話を口述させたい「数人の他の人が自分の国」にいると説明した。 それからスピーゲルマソは数年を費やして、
 騎士、尼僧、色情狂の女性、老いた中国人、その他の人々が口述したいろいろな話を書き留めた。これらは、四巻の本になって出版された。
 あきらかにスピーゲルマソはブラッド・アブセッツと同じ技法 ーつまり「別の自己」が内気を克服して自分を表現するがままに任せる
 方法を用いた。そしてその結果は、多くの点で似ていた。 このシリーズの第四巻『騎士』(「一九八二年)のなかで」スピーゲルマンは
 きわめて重要なことを観察している。すなわち、能動的想像を実行するのに成功すると、「共時的な事件が規則的に起こり、きわめて
 神秘的な方法で世界とかかわりあえる」ことを観察した。 起こることは、内部的な仕事によって世界との関係がともかく変わることだと、
 スピーゲルマンは言っている。それから彼は、雨ごい師の重要な話 ーもともとはリヒアルト・ヴィルヘルムによってユソグに告げられた話
 を述べている。< ヴィルへルムは、旱害に苦しんでいる遠い中国の村にいた。雨ごい師が遠い村から招かれた。 彼は村はずれにある
 一軒の小屋を所望し、三日間そこから外に出なかった。 その後土砂ぶりの雨になり、ついで雪が降った。これは一年のその時季には
 前例のないことだった。・・ヴィルヘルムは老人に、「あなたはどういうふうにして雨を降らしたのか」と聞いた。 老人は、自分が
 それをしたのではないと答えた。「私はあらゆることがきちんとしている国からやって来ました。雨が降るぺきときには雨が降り、晴れが
 必要になれば晴れます。人々自身がきちんとしています。ところが、この村の人々はみな、道からはずれていますし、自分自身からも
 はずれています。 私はこの村に到着してすぐに、それにうつり(感染し)ました。それで、私は一人になれるように、村はずれの一軒の
 小屋を所望したのです。私がもう一度道にかなうようになったとき、雨が降りました」と。「道と自分自身にかなう」と老人が言っている
 ことは、ユングが個性化と言っているもの。脳の二つの半分の間に適切な交通があった。> 雨が降らない村の人々は、左脳の自我で
 支配されていた。左脳の自我は、もろもろの問題に過剰に反応する傾向にある。・・アメリカのハワード・ミラーは、人間には既に、
 ある形の能動的想像を持っているとミラーがいっているのは実際には、右脳は オーケストラ、左脳が指揮者だということだ。】
  ▼ 連続シリーズの夢は、一種の能動的想像になるのだろうか。人は夢日記をつけると、つけないとでは、大きな違いが出てくる。
   夢は、潜在意識を覗く手立て。それを記録にして書き残す習慣は、考えてみれば自分を知る一番の方法である。 父親の初七日に、
   父のベッドでみた夢(以前にも書いたことがあったが)。父親の魂が私に入れ替わってしまった夢である。 父がガン末期で、
   死の恐怖と闘っていた時に、傍にいて、それが直に伝わってきていた。そして、初七日に、その恐怖心が、そのまま夢で、
   体感したのである。問題は、それから。ハッとして目覚めたとき、父親の自分が、私として存在している奇妙な実感である。 
   それから、私に10年以上、変な感覚が身についてしまったのである。今から思うと、その感覚を使って、もっと見るべき
   世界を見てきた方が良かったが、それは今だから言えること。自分の内なる沼には、底知れぬ深さがある。
・・・・・・・
3410, この国の終わり −6
2010年07月27日(火)
  * 日本の余命はあと僅かである  (P・107)
  どの時代でも、彼らの邪悪な発想(考える能力)は私たちの発想をはるかに超えていた。 彼らの悪辣さの度合いは、
 日本人の常識ではとてもついていけない。そのため私たちは、世界を覆っている真実に対し、考えることを放棄し信じることをやめる。
  福沢諭吉は彼の『文明論之概略』の中で、開国を迫る列強の真意を次のように要約している。
≪ 即ち彼ら毛唐(=「外国人」の蔑称)の本音は、要するに「自分たちと商売をせよ、さもなくば殺す、と言っているのだ」と看破。
 その性温厚にして軟弱な江戸時代までの日本人にとって、この考え方は常識をはるかにはずれた奇想天外の暴言であり、
 だからこそ福沢もわざわざその事実を本の中でコメントしているのだ。 しかし彼らにとっては常識も常識、至極まっとうな
 言い分であり、数万年の歴史をそれのみ集中して生きてきたといっても過言ではない。
  そのような「彼ら」が、いままでは局地的な侵略と征服のみで過ごしてきたのは、ただ単に地球を一極支配するだけの能力が、
 いま少し足りなかっただけのことである。 あるいはIT革命、情報革命といった、新しい最終的な手段が出そろっていなかった
 ためでもある。 彼らはそれらが出そろうまで、辛抱強く臥薪嘗胆してきた。虎視眈々と、いまに見ていろと舌なめずりをしながら、
 それでもその時々にできうる最高の手段で、一極支配の地ならしをしてきたのである。 そしていますべてを手中にし、
 すべての条件が整ったというわけだ。 福沢は彼らの言い分を「商売をせよ」と、当時の日本人がやっとフォローできる表現を使って
 解説したが、本当はそんな生易しいものではない。 彼らが歴史で実証していることは、「自分たちの奴隷になれ、さもなくば殺す」
 ということなのだ。 商売は、金儲けは、とっくに済んでいる。 金儲けの最終段階は、いまも昔も奴隷制度の貫徹である。
 さらに、究極の奴隷化とは、頭脳の奴隷化なのだ。つまり、マインドコントロールのことである。 いまこそ彼らは堂々と宣言する。
 「我々の家畜になれ、奴隷になれ、ロボットになれ、さもなくば殺す」 それが最後の「お触れ」なのだ。≫
 ▼ それが30数年前から始めたアメリカの金融戦争である。 ドル一極支配下に入れ、さもなくば叩き壊す。
  その際たるものが、この金融恐慌。 これで欧州連合のユーロは風前の灯である。たしかにドルも傷ついたが、
  胴元の被害は、早々に元に戻る。 更には中国もドルを1兆ドルも持たされた。そして、数年後には、それらを
  アメロとかいう新ドル?でチャラにする。 それで日本は、その最大の被害者になるのである。家畜の運命は、そんなものか。
 ・・・・・・・
3035,「顔」を哲学すると
 2009年07月27日(月)
 「顔」について哲学をしている文章に殆ど出くわしたことがない。 特に女性の場合、その造作で人生を変えてしまうほど大きな
要素になるのにである。そこでネットで調べてみたが、これはというのが、やはりない。それでは自分で考えてみることにした。
 古代よりクレオパトラや小野の小町など、美人は特別に扱われてきた。 考えてみれば顔の部分のバランスと、全身のバランスが
整っているだけで、何で?と誰も疑問を持たない。 そこで考えられるのが、顔が露出した全身の凝縮した表出であるからだ。
また眼は内臓が身体の外に、そのまま出ている唯一の部分である。「眼は口ほどに、モノをいい」というほど、内面が現出しやすい。
さらに顔は何代もかかって作られる。更に、年齢を重ねると苦労とか、感動、感激の蓄積した内面が、そのまま現われ出てくるから、
人間は顔に興味を抱く。どんな人間も顔にはドラマが書いてあると大作家が語っていたが、その通り。 男の顔は履歴書で、
女の顔は請求書とは、よくいったものだ。徳岡球子が歴史上の人物の顔をモチーフにした「面構え」シリーズで多くの作品を残している。
漫画的の描き方で、その人間の内面の味を炙り出している。 晩年の顔ほど、その人の人柄が出るからだろう。その意味で写楽の絵が、
その典型である。 一月前にWoWoWで「写楽」を映画でみたが、これが面白い。 ところで若い女性にとっては、美人かどうかが一大問題。
(字数制限のためカット 2012年7月27日)
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2670, おばさん、の話
 2008年07月27日(日)
「おばさん」という言葉が、既に「何とかハラスメント」という圧力があるという。
 ーおばさんとは、
「女という演技を止めた女性」「男と同じ部分をみつけて、同化を始めた女性」「老化のバランスの崩れに対して
抵抗しなくなった女性」「世間という世界にドップリ漬かった中年女」等々、書けば幾らでも要素が出てくる。
女という演技を止めた女というのが、言いえて妙。 女性が一番美しいのは、40歳前後という。 
  (字数制限のためカット 2010年7月27日)
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2007年07月27日(金)
2306, 1歳の息子に届いた成功者100人からの手紙 ー1 
  祥伝社 チャールズ・J・アクイスト      ー読書日記
 このようなプレゼントを、かって聞いたこともなかった。そのユニークな依頼に誠実に答えてくれるアメリカ人が素晴らしい。
成功者は、何かの共通した言葉を持っている。過って一歳だった自分の子供へのプレゼント!という、思いもあるのだろう。
彼らのシンプルだが真髄をついた言葉には感動するものが多い。米国の弁護士の著者が、息子の1歳の誕生日のプレゼントとして
「世の中で成功している偉人から、人生で成功するための助言をもらう」というアイデアを思いつき、1年近くかけて実行。
依頼をした「成功者」のジャンルは、政治、経済、芸能界、スポーツなど。大統領、大リーガーなどの著名人からの素晴らしい
アドバイスが届けられた。本書はそもそも、極めてプライベートなものとして依頼されたもので、「本にする」というアイデアは、
依頼者の一人のリチャード・ブランソンが、出版のための依頼だと勘違いして手紙に書いてきたところから思いついたもの。
その為に出版にあたっては、返信してきた全員に再度依頼して承諾書をもらった。その結果、95%の人は快諾し出版に至ったという。
この本の利益は全て寄付をするという言葉も書き添えたところが良い。  著者が送った質問は次の通りである。
*どうすれば人生で成功できますか?  *世界で一番大切なことはなんですか?
*愛とはなんですか?         *幸せとはなんですか?
(次回、私のこの答えを書いてみようか?)
これに対する答えが、回答者の価値観を浮かび上がらせている。上記質問に対して、空欄に答えを書いて返信してきた人、
書ききれず別途に長文を書く人もいた。 著名人だけあって、自分専用のレターパッドを使っている人もいた。
レターパッドにタイプ打ちして、自筆のサインを見ると、この人はこんなレターパッドなのか!とか、サインはこんななのか!とか、
普段あまり目にすることのできない、側面を見ることができる。
  読んでみると、なかなか心のこもった座右の銘が多い。 次のことは、その中で多く見られた言葉である。
一番のベースとして、大事なことばかりだ。「ベストをつくせ」「家族と友人を大事にしなさい」「愛とは、見返りをもとめないこと」
「決してあきらめない」「誠実であれ」「好きなことを極める」「親のいうことをきけ」等々ある。
   以下、印象的な人の言葉を抜粋してみる。
●良い判断を下すには情報が必要だ。
●すべての善人に過去があり、すべての罪人に未来がある。
●自分の性格判断の簡単な方法は、何もしてくれない人にどう接しているかを知ることだ。
●言いわけはするな。 友人には必要ないし、敵は信じないから。
●信仰心に栄養を与えて育てれば、疑念は飢えて死ぬだろう。
●勝とうという意欲より、勝つために努力しようとする意欲の方が大切である。 モーガン・ウーテン(高校バスケットの名コーチ)
●ぼくのアドバイスは、‘毎日を最後の日と思って生きよう、そして自分を信じよう’ リチャード・ブランソン(実業者ー冒険家)
●自分の身に起こることを常にコントロールすることはできないが、起こったことに対する反応をコントロールすることはできる。 
 失ったものはあきらめ、負けないすべを学ぼう。           フィル・ニークロ(元大リーガー)
 まだまだ、面白いもの多くある・・・     ?つづく
                 (○´ω`○)ノ**SeeYou**again!
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 2006年07月27日(木)
1941, ローマから日本が見えるー16       \(^▽^*)おはよう
 第七章「創造的天才カエサル」?2
    ー植民都市の建設ー
  徴収上の問題を解決をすると同時に、カエサルが行ったのは、属州にもローマ市民権を積極的に増やしていく方策であった。
 ローマと属州が共同運命体になるには、属州にもローマ市民を積極的に増やしていく方策である。
 彼は大きく分けて二つの方法で、属州在住のローマ市民を増やしていった。
・一つは、族州民にローマ市民権を与える方法。
「古くからローマ人は敗者も同化する」という独特な哲学を実践していたが、それを属州民にも適用していった。
      (字数制限のためカット 2011年7月27日)
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2005年07月27日(水)
 1576, 次にくる波 
ー2007年から、いよいよ経済大変動がやってくる
 著者:浅井 隆           ー 読書日記
HPに「次にくる波」の概略が解りやすく書いてあった。これを数回読めば、買って読むことも無いだろう。
少しオーバーと割り引いて読んでみても、現在の日本は異常事態である。 何らかのクラッシュをきっかけに、
このような最悪な事態になる可能性は大きい。ゼネコンと政治家と官僚のタカリシステムをみても、絶望的になる。
   (字数制限のためカット 2010年7月27日)
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2004年07月27日(火)
 1211, 哲学についてー21
 ー哲学 つれずれに
「哲学について」は、読んでいる方は面白くないだろうが、書いていると意外と面白い。
自分の内面を見つめていることになるからだ。そして、自分の考えと思っていたことが、以前読んだ哲学者の言葉でしか
ないことに気づいたり、それまで考えていたことが浅知恵でしかなかったことに一人赤面をする。私たちが経験して考えたり、
脳の中で考えたりしていることなど、先人は数百年前、数千年前に既に考えていたのだ。
    (字数制限のためカット 2011年7月27日)
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2003年07月27日(日)
 844, パイロゲン
 十数年位前に知人に紹介されて、パイロゲンという健康ドリンクを飲んでみた。
たまたま初めて飲んだ日に「飲み会」があった。 酒がそのままストレートで・・・一晩で
10回以上トイレに行くことになった。しかし次の日は二日酔いは全くなし、早速常用するようになった。
3年以上は飲み続けた。 その前後に胚芽米酵素の『ハイ・ゲンキ』という健康薬品を飲み始めた。
(字数制限のためカット 2010年7月27日)
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2002年07月27日(土)
 469,チンパンジーの話
チンパンジーの集団行動について2~3年に一度くらいTVでドキュメントを放映する。大体が京大の研究グループのものだが、違うものもある。
面白いので必ず見ている。彼らの集団は猿の集団と一緒で一匹のボスで率いられている。 常に二番ボス、三番手がいて、その序列は
実力により明確に決まっている。 ボスは常に二番手の脅威にされさてている。時に二番手と三番手が組んでボスを追い落とすこともある。
ボスも時にデスプレーとして、ヒステリックに木や石を投げつけたりして自分の存在の示威行為をする。時にボス争いで死闘が行われたりする。 
その争いは政治家の派閥や権力争いに酷似している。チンパンジーの研究は人間の原点の研究でもある。ボスのいない時に浮気や
小競り合いなどある。 若い恐れを知らないチンパンジーに対するリンチ事件や序列争いも人間に酷似している。
今でもハッキリ憶えているのが、あるボスがメスに恋するが全く相手にされず遠くからメスを見ている目付きが人間のそれとそっくり。
       (字数制限のためカット 2011年7月27日)
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2001年07月27日(金)
 [89] 城と教会そして宮殿
ヨーロッパはお城と教会そして宮殿が素晴らしい!何処の街に行ってもこの三点セットはある。
それぞれの個性という点で素晴らしい!また周辺のくにを侵略して富を根こそぎ奪うのだから規模が違う!
美的センスもよい。外観を眺めているだけで充分満足できる。文化という点である時期、王侯貴族のシステムも必要であろうか?


4140, スポーツジムの景色 ー2

2012年07月26日(木)

 去年の同月同日にスポーツジムについて書いていたので、その一年後の感想を書いてみる。
所用で市外に出てた以外に、気が進まないとかで休んだことは一度も無い。露骨な卑しい?視線を感じて、何度も止めようと
思ったことがあったが、「とにかく一年」と思っているうちに何とも感じなくなっていた。その後、各種のエアロビックスの
プログラム全てに参加してみたが、三月からのスローヨガに週二回だけに参加している。(勘違いで一回休んだ以外は全勤)
それと円座に置かれた6台のマシーンと、交互に置かれたステップ台を、インストラクターの掛け声で12人が参加する
イージーライン(30分)を連続二回と、ウォーキングマシーン(20〜30分)が私の日課。滞在時間は平均二時間である。
 16ヶ月になるが、40年、50年以上の足腰の関節の硬化が徐々に解れてきた実感がする。しかし、「養生に預金無し」で、
続けるからこそ価値がある。とにかく雰囲気が明るいのが気に入っている。 早朝4時過ぎから13時過ぎまでが午前の部で、
午後の部は13時過ぎのスポーツジムから21時に就寝するまで。 その意味で、日課として大きな位置を占めている。
顔見知りになっても軽く会釈するだけで、個人的会話はゼロ。ただ独り黙々とコースをこなして帰ってくる。この一年で変化した
ことは、午前中から午後になったこと。 会員は老若男女、幅広い。それらの人が毎日、同じプログラムに参加する。
 4〜11月までは一日三時間の運動量は健康にとって、このうえない。金・日曜・祭日は、休日と契約規定で参加出来ないため、
近くの市営のスポーツジムに参加をしているが、これも相変わらず通っている。値段は三ヶ月、1800円で、これも慣れると
丁度良い使いかってになる。 今のところ新しい生活環境の中、何とか肉体も精神も正常を保っている。人間は働きの中で
社会に組み込まれていると思っていたが、そうじゃないことが分かってきた。全て一人一人の思い込みで生きているだけ! 
「一日一日を面白可笑しく生きること」ただ、それだけ。ところで時どき会うスナックのママさん、「毎日、風呂とサウナだけで、
他は気が向かないと行かない」といいう。 私の場合、スローヨガだけ参加という使い方もある。そういえば一言二言話す
同じ年代の男性がいるが、ヨガだけで帰っていくが、六回参加して一回千円としても十分に価値がある。
 一週間の日程の中で、他に二回の図書館通いがあるが、他に新しい世界を探す時期にきているが・・・ 
毎日をフワフワ浮いたように気ままにいるのが、こんなに充実感があるとは思わなかった。母親も家内も、これをやっていたのだ。
これが「日々是悠々」なら、私は数十年も「日々是恐々」だった。家内からみて、「私は生活を楽しむ人、貴方は働く人」だったか?
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3774, スポーツジムの景色
2011年07月26日(火)
 スポーツジムに通い始めて4ヶ月足らずになる。そこには中年女性を中心に、あとは年代は30歳から80歳半ばまで様々で、
平均40歳半ばというところか。 65歳の私が場違いという感は全くなく、中年女性の二人連れが目立つ。夫婦は数組である。
男女は一対三の割合だが、私の選んだコースが平日中心の10〜17時までコースで、主婦が中心ということもある。
スタッフに客の集中する時間帯を聞いたところ、夜と、土・日曜日という。それでも私の行っている午前中でも満杯だった会員が、
5月の連休明けから、急減した。ここでも東北大震災が直撃しているようだ。(二ヶ月先払いのため、その影響は2ヶ月先に出る)
 そこで、顔見知りが二人いたが、地元だから当然のこと。 場所は自宅から車で1〜2分(500メートル先)のところにあり、
まだオープンして半年も経ってない。 ここのオープンは私にとって渡りに舟だが、イメージと実際に通った実感は大きく違う。
一年以上、通ったと通わないとでは、これでは大きな差が出て当然である。これは是非とも勧めである。
私の場合、オープンの10時に行って、イージーラインの予約札をとって、30分近くはマッサージ・ルームで過ごす。
そして10時半からの25分間のイージーラインに参加する。これは6台のマシーン(腰、肩、脚など)で、バランス良く配置され、
一人のインストラクターが指導するシステムになっている。それが終わると再び、マッサージ・ルームか、ランニング・マシーンで
30分過ごす。その後、エアロビックスか、再びイージーラインに参加し、大よそ二時間で終了する。
 週に一度は外出をして、近くで昼飯をとって午後のエアロビに一部に参加する。 早朝の、この随想日記の書き上げ、
信濃川の川辺のサイクリング、そして、このジムが、昼までの生活習慣の三本柱になっている。午後からは、本を読んだり、
録画を見たり、昼寝をしたり気ままに時間を過ごす。 頭も身体もフル回転で健康そのもの。昼飯が非常に美味いこと、このうえない。
 成るほど、この日々は、平凡で、刺激が少ないが、それでも良い。 ギアチェンジをしてみて、リタイアをした人は、実際に何をして
過ごしているのか不思議だったが、成るほど合点してきた。 誰とも殆ど口をきかないとしても、そこにいるだけで孤独感は少なくなる。
レオタードなどを着た女性たちのエネルギーに溢れた場所は、そこに居るだけで充電になる。特にブラで補填した? 胸の膨らみには!
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3409, この国の終わり ー5
2010年07月26日(月)
  終始一貫、日本の現状と先行きに悲観的である。欧米人を知り尽くしているからである。一神教は他の宗教に対して、
 奴隷か、死の二者択一ということをである。共産主義圏の崩壊後は、それほど日本の位置づけは大きくなくなった。
 後は、日本からの借財をチャラにする、いつものコースである。それが、911であり、915である。
 これは、仕掛けられた事件と見れば、以下の著者の論が理解できる。
  * 日本人なぶり殺しの条件は整った 
≪(P−107) この章では、考えることのできない日本民族の明日の運命が問題だ。その運命は‥、喩えれば、10メートル先の線路は
 切断されていて、目前の千尋の谷に渡した鉄橋は影形もなくなっているのに、時速5百キロほどの速度で突っ走る無人列車に
 乗っているような状態が日本民族の現実なのである。 しかもそれは自然とそうなっているのではなく、完全に「彼ら」によって
 仕組まれている。それに気づき、かつ確認する方法は2つしかない。
・ひとつは私がここで紹介する何冊もの本を読み、その内容をまず最初に疑った後で、自分の努力で検討し、真偽を探り、試行錯誤を
 繰り返しながら深刻に悩み、時には身の危険を冒した個人的なリサーチを試み、また世界各地を自分の足で回り、最低1、2年の期間
 その場所に滞在し、実地に自らの経験を積み、見聞を広め、再び文献を洗い直して真贋を探るといった努力をすることである。
 だが、これはほとんど、というより確実に不可能だろう。 問題は、私の時代と違って、それだけの時間的余裕がまだ残っているか
 どうかであり、それに関して私は百パーセント悲観的である。 日本滅亡の必然を学び取り、納得したときに、もうこの国はない。
・もうひとつの、より安易だが、さりとてしないよりはずっとましな方法は、この私の文章を最後まで読み、内容を信じ、
 私と一緒に立ち上がり、行動することだ。 しかし(そうするとしても)、最初からもう一度はっきり断っておこう。
 まず九分九厘すべては手遅れである――と。 この国は終わる。 仮に私たちがその無人暴走列車に乗っていることを確認
 できたからといって、それを止める方法は何ひとつないのだから。何しろブレーキが「彼ら」によって破壊されているのだから。
 これは一種の完全犯罪なのだ。となれば、またしても奇跡が必要である。 昭和では吹かなかった神風が、平成で吹くだろうか?
 私たちは新しい『立正安国論』が生まれるのを祈るしかない。しかし―、時代が違う。21世紀の安国の実用にはならない。
  ・・・イルミナティの確信犯的犯罪などに対しては、もはや、いかんともしがたいのである。・・・
  ロスチャイルドやロックフェラーといった世界の超・大財閥から流れる彼らの資金は潤沢・膨大にある。
 見返りはそれ以上に膨大なのだから、彼らの出資を躊躇させるものは何もない。  後は世界の他の部分の征服との兼ね合い、
 つまり一極支配へのスケジュール的なタイミングに過ぎない。 即ち彼らの言う「アジェンダ(実行予定順位)」だ。 ≫
 ▼ この文章が4年以上前に書かれている。 2008年9月15日のリーマン・ブラザーの倒産から始った金融恐慌と、2012年末から
   起こる?大恐慌と新ドルなどの通貨切り替えが、日本人、そして世界の弱者への「なぶり殺し」ということになる。
   そこで著者の林秀彦は、99パーは、既に手遅れという。この国は終わっているのか? 気がついても、どうにもならない!
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3034, バブル時と現在の比較は
2009年07月26日(日)
 大よそ20年前と現在を比較した年表があった。 (日経新聞記事内)
比べてみると、なるほど面白い。如何に金融政策に我われが踊らされているかが理解できる。
 当時は、それだけ豊かというと、その実感はない。(反対に、当時と比べて現在は貧しいかというと、それも感じない)
           ー1990年ー           ー2009年ー
日経平均株価    3万8915円(89年年末)     9287円(07年7月10日)
日本の土地資産   2477兆円 (90年末)      1253兆円(08年末)
平均マンション価格  6123万円 (90年、首都圏)  4775万円(08年、同)
新設住宅着工数     170万戸             109万戸(08年)
ゴルフ会員権価格   4388万円            325万円
サラリーマンの小遣い  76000円           45600円
大卒求人倍率       2・86倍            1・62倍
▼ 土地資産は半分だが、今回の暴落を考えると、三〜五分の一。   株価は四分の一だが、買い支えを考えると、五分の一。
 サラリーマンの小遣いは6割は厳しい。             ゴルフ会員権が十三分の一は、喜ぶべきか悲しむべきか。
バブルが異常過ぎたとすれば、健全な数字。いや、まだ高い。   株・土地・マンションなどは、まだまだ下がってよい。
20年前でなく、私が大学を卒業をした40年前からみたら、現在の半分以下の豊かさ。
半分以下になっても、情報化で自由と個人がより尊重されれば心は豊かになる?
 ただ、現在は、世代間ギャップがあまりに大きいので、マイナー世代が荒んでいるが、
荒みが荒みで無くなっていく。 人生は、その時々でやるべきことをこなしておけば後悔はない。 いや、あるか!
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2669, 日本経済の崩壊と資産防衛 ー2
 2008年07月26日(土)
ドルが暴落をしたところで、アメリカは何の損失も受けることはない。 金本位制度に戻せばよいからだ。 
無制限に刷ったドルで金を買い占めておいて、権威の失墜したところで金本位制度に戻せばドルの価値は戻る。 
その時点でアメリカはドル本位制度に戻す選択肢を持っている。ところが落ち込んだ日本円は、元に戻ることは無い。 
金そのものがアメリカの40分の1しかないのである。もちろん、アメリカは、金本位制度のドルと、それまでのドルは
交換できない仕組みにする。そう考えると、国家戦略としての奪略である。日本を属国にしておく為に金の備蓄に異常なくらい
圧力をかけたという。 日本など、使い捨てで最後は全てを剥奪する手はずになっている。残酷なものだ。 アメリカ本土には
穀物だけは充分に生産能力がある。更にアラスカには資源が充分に埋まっている。日本がアメリカの国債を500兆円近く
持たされている事実をマスコミは騒がないが、既成の事実である。これらも価値として半分、いや三分の一になる可能性も出てくる。
地方は実感として、既に恐慌一歩手前になっている。これにガソリンの異常高とくれば、一人一台という所有が当たり前の地方では、
深刻な家計の問題が生じる。農業・漁業、公共事業で景気維持をしていた地方は、この一連の経済崩壊の中で更に悲惨な事態になる。
その上に年寄りの多い地方は、年金破綻が大問題にもなる。実際には第二次大戦と、明治維新の時代より、大きな時代の変化に
晒されているのである。日本のバブルが弾けたときに株価が6分の一になったが、それからするとアメリカは3千ドル代になる。
ドルも60円を割ることになるだろう。 これから10年スパンで考えると、こと日本は最悪の道を辿るしかない。
アメリカのドルは64間年で、30分の一価値に落ちてしまった。それは金一オンス、一ドルの値段が、35ドルになってしまった
ことからも知ることが出来る。35年間つづいた米英の通貨支配が終わり、多極化の時代に入りつつあるということだ。
この時代にアメリカの属国だった日本が、このプロセスの中で一番の劣化をするしかない冷徹な事実がある。
中国は製造工場として、インドはサービス業を特化して、それぞれ特性を生かし紆余曲折を繰り返しながら成長をするだろう。 
その中で日本は、企画製造型のメーカーという生き方が主流になる。知恵を生かした会社経営が求められる。個人としては
知恵を生かした生き方である。ドラッガーは「知識社会」の到来を予測していた。そのモデルが日本と言って無いが、
充分に条件は揃っている。とりあえず、今年も含め目先数年は、緊急事態である。 緊急処置をとらなければ手遅れになる。
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2007年07月26日(木)
 2305, ぼくの血となり肉となった500冊・・・
          ー立花隆著           ー読書日記ー
 6年の間、毎日一文章を書き上げてきてプロの物書きの凄みが見えてきた。特に一流といわれる人の圧倒的読書量と、
書き上げてきた多岐にわたる文章の多さに唖然とする。問題の在りかを見つける感覚と、それを正確に文章に書きあげる能力は、
シッカリした下積みの基礎があるのだ。 どの世界でもプロは甘くはない。底知れぬ能力ある人たちの中で頭角を現すのは、
そう簡単でない。しかし、ここまで見せつけられると納得をする・・もの書きの下積みのインプットは尋常ではない!
 ー その一部を抜粋する ー
私はいちばん真剣にいちばん多くの本を読み、本格的な人格形成を行ったのは、二十四歳で大学を卒業して文春に入り、三十四歳で
「田中角栄研究」を書くにいたるまでの十年間である。その十年の間に、私はせっかく入った文春を辞めて大学に戻ったり、
はたまた大学をやめてもの書きになったり、もの書き稼業を捨てて、新宿でバーを経営したり、かと思うと、何もかも捨てて、
中近東とヨーロッパを放浪する旅に出たりと、あまり尋常ではない人生の軌跡をたどっていた。その十年の間に、私ははじめての
著書『素手でのし上った男たち』を上梓し、つづいて第二の著書『思考の技術』を出版した。
     (字数制限のためカット 2011年7月26日)
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2006年07月26日(水)
 1940, 新潟活性化案ー3         おっ w(゚Д゚)w  ハァョ?
7月の22日、三回目の新潟活性化のための会が、会社の事務所で開かれた。 県の??と、長岡、三条、新潟の地区の経営者など7人の
会であった。7月の28日に開かれる会の下準備の意味もあった。
   当日の朝、それまで二回の会の主だった流れを以下の通り纏めてみた。
・環日本海拠点基地としての位置づけを明確に打ち出すー首都圏の日本海への窓口として物流や工場の基地としての機能を充実させる   
・環日本海基地としての拠点として 新幹線の東京駅から直接乗り入れの国際空港を打ち出す。
・新潟駅再開発が、今年施工命令を出されたが、 その工事に重ねて新潟空港と機能を一体化をしていく。
 新幹線の延長線路に新潟駅と国際空港のリニアを共同運用をする。
 飛行場周辺に10~20万単位で土地を先行取得し、高層ビル特区として容積率を1000パーセントにアップして
 取得額の倍を目標にして売却。それを工事費用の一部に当てる。350億の試算になっているが、単線など考えられるあらゆる
 知恵を使い半額以内にコストを抑える。 そこの住民はリニアカーを格安で利用できるようにする。
 キーポイントは、
  *東京駅からの新幹線の飛行場乗り入れ
  *新潟駅再開発との共同事業
  *新潟駅と飛行場と飛行場周辺地域との一体化
  *飛行場周辺の高層ビル特区による事業費の捻出
  *飛行場周辺の特区構想ー  養老特区、外国人特区、物流特区、中国人特区、レジャー特区・・・
  *北陸新幹線への待ったなしの対策として完成を2015年(新潟再開発新駅の完成)を厳守する
   ーー 
 地元の経営者は、現在の新潟県の環境に非常に厳しい危機感がある。だから、こういう会が開かれているのだろう。
北陸三県対新潟県の地域間競争が切って落とされようとしている。そして、どちらが勝利を収めるか誰の目にも明らかである、
それに対して枝葉末節の対案も出せないのが現状。2014年の北陸新幹線の開通までに新幹線の新潟空港の開通、そして特区構想の推進。
 (字数制限のためカット 2012年7月26日)
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2005年07月26日(火)
 1575, 道路公団副総裁が逮捕!
現職の道路公団の内田副総裁が逮捕された。
≪字数制限のためカット2010年7月26日≫
ーーーーーーー
ー産経新聞の記事から 2005年7月25日
  道路公団副総裁を逮捕 
(字数の関係でカット 09年07月26日)
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2004年07月26日(月)
 1210, つれづれなるままに
 ーアメリカの最終断末魔ー
アメリカの双子の赤字は何を意味するのかを考えると、底知れない恐ろしさをおぼえる。
≪字数制限のためカット2010年7月26日≫
・・・・・・・
2003年07月26日(土)
843, SF小説作家・小松左京の21世紀検証
 今月号の「文芸春秋」で小松左京が「SF作家として21世紀が予測していたようになったかどうかを自分で検証する」
 レポートが面白い内容であった。本人が正直に「自分はその頃は生きていないから、責任をとらなくていいや」と思っていた。
(字数制限のためカット 2012年7月26日)
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2001年07月26日(木)
 [87] エルミタージュ宮殿
今回の旅行のハイライトはやはりエルミタージュだ。
カテリーナ?の冬の宮殿といわれ、ちょうどパリのルーブル美術館と匹敵する内容であった。
300万点ある所蔵の一部しか見れなかったが、ただ案内された壁画や展示物は見た事のある物ばかりであった。
制限された時間内で駆け足であったが、その印象は強いものだった。 エルミタージュはただ美術館と
思っていったが、広大な宮殿でベルサエユ宮殿に似ていた。 その豪華さにまずは驚かされた。
夏の宮殿と言われるカテリーナ宮殿も行ってきたが、これもまた目をみはる豪華さで感激してしまった。
当時のカテリーナ女王の権勢は絶大であることは、この2つの宮殿を見てうかがい知ることが出来た。


4139, 元始、ママは太陽であった ー2

2012年07月25日(水)

   * スナックは「未知なる異空間の社交場」
 著者の言葉そのままに、何処の店も似たかよったりである。この長期不況のため、客足は激減、スナックの数も同様である。
何とか存続しているのは、昔からの店で固定客を掴んでいる店だが、話は不景気の話ばかり。やはり還暦過ぎると、以前のような
元気は減退、それにつれて回数も減っている。それでも月に平均二回は通っているが、一晩3〜4軒のハシゴが2〜3軒で帰ってくる。
高度成長期の一時期を除くと、スナックは儲かる仕事ではなくなった。 まあ、よく維持していると感心する。 一部をコピーする。
≪ 日本全国にスナックはたぶん15万軒ぐらいある。15万軒の扉の中で、毎晩『つぐない』や『銀恋』や『麦畑』や
『津軽海峡冬景色』が何万回も歌われて、何十万人もの家族が、何十万人もの家長のママを囲んで和気藹々夜を楽しんでいる。
家に帰れば別の家族が待っているママもいるし、ひとり暮らしのマスターもいる。 店の中では一緒に遊べる家庭があって、
飲んだり歌ったり、お腹すいたら焼きウドン作ってみんなで食べたり、「今度はどこの温泉に行こうかなど盛り上がったりしている。
 この数年でやたぶん200軒以上のスナックに足を運んできたけれど、裕福なママやマスターなんて一人もいなかった。
「儲けを考えたら、こんなことやってませんよ」というのは、僕がいままでインタビューで、一番よく聞いた言葉のひとつ。
でも、そこには別の「幸せ」と呼ぶのは大げさかもしれないけれど、こころのコリをほぐしてくれる温いなにかが、確かにあった。
有名スポーツ選手を射止あたり、年収、何億という女社長になったり、名家の女家長どして君臨したりオンナ道の「勝ぢ方」にも
いろいろあるのだろう。でも、もし僕がいい年したオバサンだったとしたら、気の良い常連たちに恵まれた、場末の小さな
スナックのママでいる以上の幸せは、なかなか思いつかない。 ところで一説によると、日本で一番多いスナック名は「来夢来人」
(ライムライト)という。ネットによると、その名前のママが四人揃ってライムライト・サミットが開かれたといか。不景気話が
中心だったと思うが?・・ スナックを「未知の異空間の社交場に人生の酸いも甘いも知り尽くしたママが待っていると考えるか、
酔っ払い相手の怪しげな空間として捉えるか」でスナックの価値(意味)も変ってくる。 カフェやバー、こじゃれたレストランが
ない町は日本中にたくさんあるけれど、スナックのない町は殆んどない。共通の異空間を人を求めているのだ。≫
 ▼ そういえば、タンザニアの年越しに行ったスナックが印象的だった。タクシードライバーを中心にした小さな村の中に
  10坪位の掘っ立て小屋だが、カウンターがあり、テーブルと椅子が5〜6あるスナック。そこに30歳位のグラマーの
  現地人ママがいて、年末の年越しのため10人位が焼肉パーティーをしていた。私たち日本人5人が、そこに加わり大騒ぎ、
  しかし、10メートル先にはハイエナが数匹、唸り声をあげていた。タンザニアの片田舎にも日本と同じようなスナックが
  存在していること自体が奇妙な気持ちだった。スナック、そこは漆黒の異次元の寂しさを紛らわす共同空間でもある。
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3773, 閑話小題 ー今場所は面白い大相撲
2011年07月25日(月)
   * 今場所は面白い!
 大相撲、今場所は、いやに面白い! 相撲はプロレスと同じでないとしても「現在も談合の臭い強い○○業界?」と酷似した世界。
いずれにしても数年内に、これまでの延長上の事件が発覚、「現在の相撲協会は解体、根本的出直しの事態になる」こと必定。
「税金免除の談合社会も終わりをつげる」可能性を孕んでいる。 しかし、少なくとも今場所は八百長はやりつらい。
 で、まず「あの方」が引退に追い込まれた。 この場所全体を俯瞰すると三十代半ばの力士達の、勝率が極端に良くない。
興行上、大関以上に日本人は一人は必要。そこで来場所から、何の引退の替わりに日本力士が大関になる筋書きになってはいたが、
今場所は難しい。で、・・ 全体が阿吽の呼吸で場所全体の筋書きを創作するといえば、恰好がよいが、阿吽の談合が大相撲の本来の伝統?。
「それを今さら何をいっているか!」が、彼ら役者(親方を含め)の言い分である。 それをいっては御終いだが、事実は事実。
現在の協会が解体されれば、国技?を前提にした税金免除だけでなく、これまでの備蓄金も没収される。 せっかく日本的伝統を長年かけ、
つくり上げてきた親方制度の蜜が吸えなくなるため、親方衆が保守的になるのは当然。 で、今場所は、どうも、こうも、
「僕らは、そうすれば良いの?」が、露出しているから、これほど面白い場所はなかった。今場所は、優勝は大関の日馬富士。
大関に一歩及ばなかった一人を含めた関脇の三人が、大関に向けて一線に並んだ。 また、八百長で20数名の力士が追放された効果で、
若手が一挙に十両・幕内になった。 地位は人を作るで、数場所で、それなりの実力が備わってくるはず。
 その怪我の功名で、相撲が俄然面白くなってきた。 この傾向は数年は続くだろう。有望な力士も、古参に苛められ若いうちに、
その力が発揮しないうちに枯れてしまうのが、これまでのパターン。その上に、貸し借り、金銭のやり取りで昇進が決まってくるから
関取になったと同時に変になってしまう。 その意味で当面は大相撲は復活するだろう。 若手有望力士の台頭がテーマでキャンペーンを
はれば良い。ということは、古参力士の大量の引退劇が始り、相撲自体が新鮮になる。 何処の世界も、同じ。老兵は消え去るのみ  か!
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3408, この国の終わり −4
2010年07月25日(日)
  * 「取り繕い」国家の「その日暮らし」民族
 ー(P・53) 原爆を落とされる直前まで、私たちはせっせと竹槍を作っていたのはつい最近の出来事である。
 いくら資源不足の国とはいえ、なんとも象徴的な風景ではないか! それが何になったか。この大悲劇の教訓は、その後も
 全く生かされなかった。現在、足音高らかに近づいた究極の世界的大陰謀という「目」に対し、私たちの「目」は老眼にかすみ、
 日本民族総家畜化という「歯」に対しては、私たちの「歯」は全部抜け落ち、入れ歯さえもちあわせていないのである。
 この世界は常に修羅場であり、「決闘の場」なのである。 いったい世界で昨日今日何が起きているのかが、わかっていない。
 新聞に書いてある程度は読んでいるかもしれないが、その記事を疑う段階までは決していかない。ブッシュの言動と小泉の
 言動の間にある因果関係を考察する意欲もない。ということは、即、明日の自分の命には無関心だということである。
 なぜか?考えるということができないからである。 目にはカラオケ、歯にはパチンコで毎日を過ごしているのである。 
 明治国家がインスタント国家であり、急場しのぎ国家、間に合わせ国家、一夜漬け国家、ツギハギ国家だったことは確かなことだ。 
 世界のあらゆる事情に応急対応を迫られ、いずれかゆっくり腰をすえ、・・と一時しのぎのつもりが、ずるずるとここまで生き延びた。
▼ 現在の民主党の沖縄軍事基地の対応も、まさに著者のいう「取り繕い」そのものに終始している。
 この本が書かれて4年経ち、その二年後にリーマンショックがあり、世界に先駆けて国家存亡の危機に立たされている現在でも、
 ただ「その日暮らし」の政策しかたてることが出来ない。 4年前には、この著は「過激」に受け止められたが、現在ではご覧の通り。
 自民党と民主党という二大政党の看板はあれど、旧態以前の体質は変わってない。軍事も、金融も米国に支配され、身動きがとれないで、
 ただ目先を「取り繕い」、「その日暮らし」をするしかない。ほぼ完全占拠されている現実が直視できないのである。
 軍事ひとつとっても、ほぼ全てが米国製。部品補給をストップされれば裸同然になる。中国、北朝鮮の防衛の一環のための米軍基地の
 配置というが、実際は日本の軍事占領。金融も、アメリカ国債に500兆円も買わされている。で、変動為替で、ある時期に来ると
 ドルの価値を下げてチャラにさせられてきた。それを知って知らないふり。
 政治家も官僚も、むしろ尻尾を振って従わざっているとしか思えないのである。彼らは日本がアメリカの支配下にあることを
 知り尽くしているからである。 北とか中国の脅威より、この見えざる搾取の方が遥かに深刻である。これが現状である。
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3033,刑事が家にやってきた
 2009年07月25日(土)
 先日、家に帰ると家内が
「今朝、あなたが出かけて直ぐに刑事がきて『御主人がいますか』というので、普段は8時15分に出るのですが、
病院に一度行った後、そう20分ほど前の11時前に出かけた」といったという。そこで刑事が「先ほど真ん前のアパート2Fの
一番奥の部屋の窓が割られ、泥棒が入りそうになったが、部屋には住人が居て、通報をしたため逃げた。
    (字数制限のためカット 2012年7月25日)
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2668, 日本経済の崩壊と資産防衛
 2008年07月25日(金)
二年と三年前に二回受けたセミナーのシリーズが、再び開講するというので一昨日、受講してきた。
講師の清水洋氏は《平成20年からマーケットの大転換》があると言い続けてきたが、いよいよ現実化をしてきた。
《日本経済はかってない構造変化を体験するので、早めに手をうって事業と財産を守れ》というのが、彼が一貫して言い続けている
ことである。今年になって、サブ・プライム問題がアメリカで表面化をして、一挙に世界の景気の陰りが出てきた。
数年前に出席したときに、言っていたことが、まさにそのとおりになってきた。今年になって読んだ本にも同じようなことが
書いてあったが・・ 講師は予告どおりになっているので上機嫌だったが、聞いている方は、その激しさに震撼とした空気であった。 
  その内容を印象に強かった順に大筋書いてみる。
・金利の高騰は、既に始っており6〜7?になっている。 出来たら固定金利に換えておくこと。
・とにかく破産者が多い。生活保護世帯も二年間で130万から150万世帯に増えた。
 零細・中小企業の倒産、廃業が信じられないぐらい多い。
・ガソリンスタンドが現在4万あるが、60パーが淘汰される。
 (一例をとると、ガソリンは赤ランプがついてから入れにくる車が増え、その上に千円しか入れない)
・地方は老人と子供が増えて、商売が成り立たない職種が増えてきている。
・問題は国債だが、それより年金の未払いの数字が膨大にあるのを、国民は知らされてない。800兆円あるという。
・生産者優先の社会から、消費者優先の社会への大転換が雪崩をうって進みはじめた。
・金は現在、Kgあたり350万だが600万はいくだろう。
・アメリカのドルは近々には暴落をするが、その後に金か農作物本位制度で復活する。しかし日本は暴落はするが金を持つことをアメリカ
 から間接的圧力で持たされなかった。アメリカの金の在庫量が7500万トンだが、日本は170万トン、ドイツは350万トンしかない。
・郵政民営化は、郵貯の資金が外国に逃げることを意味している。
・国家破綻の結果として、ハイパーインフレが生じ、国債が暴落。国民の資金の価値が暴落。それで国の借金をチャラ?国家破綻は政府の破綻。 
 それを外国メディアが正確に報じる。(外国メディアに敏感であれ)国民は、消費意欲が極端に落ち、さらなるデフレへ。
・スイスフラン、ユーロダラーや、金の現物にリスクヘッジをしておくこと。
・2〜3年後には、ドルと円の破綻は間違いない。
・人口減少社会は、300年に一度の社会的大変化の時代に突入。それは、明治維新、第二次大戦の終戦に匹敵する
  ー以上だが、次回は私なりの意見を書く。  - 2008年07月23日 13時〜17時 会場 御茶ノ水 山の上ホテル −
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2007年07月25日(水)
 2304, また地震!どうなっている?まったく! −8
今回の地震で不思議なのは、家の倒潰の数に対し火災が無かったことである。全壊1000棟、半壊2000棟、
被害住宅1万数千棟からみて、何で火災が発生しなかったのか? 祭日の午前中としても奇跡的である。
それもダウンタウンと隣接している住宅密集地で、かつ年寄りが大部分の中で?それと同じことだが、死者が11名も
合点がいかない。余震が何回かあってから本震があったのではない。突然の本震の中、三桁に近い犠牲者が出て当然、
不幸中の幸いである!柏崎市は‘家内の実家’があると同時に、母系の親戚があり、知り合いも何人かいる。
いま住んでいる長岡と、事業をしている新潟と、家内の実家のある柏崎と、丁度バランスが取れていた。 
それだけ柏崎は因縁があるところ。越後の英雄?田中角栄の出身地の西山が長岡と柏崎の丁度中間にある。
角栄の地元の中で、柏崎は最も利益を受けていたところである。直接的には、今回の刈羽原発と道路網である。
原発だけで3兆数千億、関連を入れればサラに増えるだろう。家内の実家が建材屋をしているので、その内々の豊かさに驚かれる。
柏崎は地味で堅実が特性、しかし小粒だが時代の変化には敏感である。深海の底にシッカリ根を張っている生きもの、
そうヒラメかカレイのような人が多い。家内がそうだからである。長岡は城下町で、派手でプライドだけが高いところで、
柏崎とは全く性格が正反対のところがある。両者とも昔ながらの越後気質が残っているが・・・
   (字数制限のためカット 2011年7月25日)
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2006年07月25日(火)
1939, 降りかけコーヒーの味!
(字数制限のためカット 2010年7月25日)
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2005年07月25日(月)
 1574, 日本人の苗字ー2
日本の苗字の多い順ランキングは、
この本によると以下の通りである。
1位 佐藤 1914300人 2位 鈴木 1692300人 3位 高橋 1406000人 4位 田中 1324200人 
5位 渡辺 1090400人 6位 伊藤 1072400人 7位 山本 1068200人 8位 中村 1041200人
9位 小林 1011900人 10位 加藤  853300人
田、藤、山、野、川、木、井、村、本、中などが名前によく使われる漢字ベスト10である。
これからみて、自然と土地の名前と関係の深い文字が多いことが分かる。元々、苗字を持つことは特権階級のものだった。
江戸末期の苗字を持っていた人口は20〜30万人、約1万姓だった。明治初期の苗字の義務化により、29万の姓が増えてイッキに
30万になった。それ以前より非公式に使っていた例も多かったようだが、一般的には、苗字は100年しか経ってない新しいものである。
明治8年の平民苗字必称義務令が出たときに、慌てて作られた苗字が多くあった。
    (字数制限のためカット 2010年7月25日)
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2004年07月25日(日)
1209, ヘーゲル ー哲学について−20
  ーヘーゲルー
 マルクスの後になってしまったが、近代哲学でヘーゲルが基点になる。ヘーゲルは、「現実世界とその歴史は精神的な
発展していく姿ー現象と考え、それは自己認識に到達するための歴史的プロセスである」と考えた。
 心や精神は無機質の自然から生まれたのではなく、それ自身が存在の中心的な構成要素であり、現実を構成する
歴史的プロセスの主体と捉えた。この全プロセスを現におこっていると認識しているもの(存在の究極的な本質)を、
ドイツ語で「ガイスト」と呼んだ。 この意味は「精神」と「心」の中間のようなものであった。
ヘーゲルにとって、ガイストは、存在の核心、存在の究極の本質であった。
ガイストが自己認識を目指して発展する姿であった。それが達成されると、全ての存在は調和をしてひとつのものになる。
それをヘーゲルは「絶対者」とよんだ。 それが「絶対的観念論」である。
  ヘーゲルには3つの理論がある。
    (字数制限のためカット 2011年7月25日)
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2003年07月25日(金)
 842, エンドレスの巡礼
 先日、殺人未遂で逃げ回っていたお爺ちゃんが、エンドレスのお遍路さんでTVに出演をして、たまたまTVを見ていた刑事に
正体がばれて逮捕されてしまった。当地では「エンドレスお遍路」で有名の人だった。TV出演を拒否すればと思ってしまうのだが、
そこが人間の持つ浅ましさだ。 実を言うとこのエンドレスの老人の存在を知っていた。『到知』という月刊誌で、
俳優のショーケンー萩原健一の文章に登場していたのだ。ショーケンは、お遍路を年中恒例にしており、その詳細を書いていたのだ。
その文章でエンドレスの爺ちゃんの存在を知って「70歳を過ぎたら、こういう生き方も良いのかもしれない」と感心をした。
すべてを失い駅などでホームレスをしなくてはならない時が万一きたら、思い切ってエンドレスのお遍路も良いじゃないかと考えた。
絶望をして、死にたくなった時でもよい。実際に、お遍路の道中に行き倒れて死ぬのも、病院で管に繋がれてのた打ち回って
死ぬよりはずっと良い。その最後のよりどころを、この老人は儚くも潰してしまった。「歳とっての逃亡」でしかエンドレスの巡礼は
できないのかもしれないが。「巡礼は自分の過去に向かって歩いていくこと」と聞いたことがある。その行き先のまた先が神仏なのだろう。
まだ巡礼をしたいとは思わないが、いつか駆り立てられる日がくるかもしれない。母が80歳を過ぎ痴呆症の現象が出始めの頃に
面白い夢をみた。母が5~6歳の巡礼姿で玄関口にいる。その姿をすでに亡くなっていた母の妹がじっと見つめているのだ。
恐ろしい悲しい神秘的な夢であった。人生はエンドレスの旅路なのかもしれない。
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2002年07月25日(木)
 467,内山由蔵さんへの手紙
葉書ありがとうございます。この春奥様がご逝去されたと、兄より五月の連休頃に散歩の途中に会った時に聞きました。
謹んでご愁傷申し上げます。 丁度私が西アフリカに行っていて留守、参列できなった非礼お詫びします。
今年の2月ごろ堀内トシさんより手紙で「見聞皆師そのご追加分を送ってもらいたい」との依頼されました。
去年の五月より個人のホームページを開設して、毎日「随想日記」を書いたのをコピーして送りました。
その時に2部コピーして、内山さんにもと思ったのですが、少し差出がましいかと、そのまま手元にあるのを今回送ります。
その後の分もあるのですが、この秋頃に再び送りたいと思っています。毎日文章を一文書くのは大変ですが、頭の活性化には
ベストのようです。自分でも色々のことを考えているのに驚きます。「書き出す」ことの重要さを改めて実感しています。
土曜日が一番都合が良いので、いつでも連絡をください。大手通りは何をしても無駄だと思います。
同じ努力をしても半分以下の効果しかないからです。同じ努力なら二倍の効果のある場所でやるのが道理だと思います。
  ー内山さんの手紙の下書きーより
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2001年07月25日(水)
 [86] ホームページ用3dソフトが完成
(字数制限のためカット 2011年7月25日)


4138, 元始、ママは太陽であった ー1

2012年07月24日(火)

 ーある雑誌の「元始、ママは太陽であった」都築響一、のスナック・ママのレポートが面白い。 ーまず、その一部を抜粋するー
≪ 「スナックの良い店の見分け方がありますか?」と聞かれるが、そんなのがあったら苦労してないです。スナックのドアが
ああなっているのは、そこが家庭だからだ。「家庭的」じゃなくて「家庭」。あのドアは店のドアというより、ママなりマスターなりと、
常連さんたちがつくる「家」のドアなのだ。ドアがガラス張りで、中の暮らしが丸見え、なんて家はあんまりないでしょう。
 ママやマスターという「家長」がいて、常連さんという「家族」がいる。僕みたいな一見の客は、知らない家にお邪魔する人間として
ドアを開け、奥のほうで和んでる一家に「僕も混ぜてもらってもいいですか」とお願いして、「まあ上がって飲んできなよ」とか言われて
上がりこむ。ちゃぶ台やコタツのかわりのカウンターで肩を並べて飲んで歌って、そういうのを2、3回も繰りかえせば、知らないうちに
家族の一員になっている、スナックとはそういう場所なのだ。だから長いこと営業しているスナックでは、ママやマスターと常連たちが、
やたらとバーベキューだのボウリング大会だの栗拾いだの一泊温泉旅行だのに行ったりする。どんなに歴史があるところだって、
レストランやショットバーがそんなことをするだろうか。
 飲食業にもいろいろあるが、スナックという業種は、開業するのがいちばん簡単な飲食業でもある。飲み物と乾きもの出すぐらいだから、
調理師免許もいらないので、一日講習を受けて食品衛生責任者の資格を取って(よくカウンターの隅とかに青い板が貼ってある、あれです)、
保健所に食品営業許可、警察に酒類販売のための風俗営業の申請をすればいいだけ。あとは毎月の家賃と、お酒とつまみと氷代と、
カラオケのりース代を払えればやっていける。バーやキャバクラみたいに女の子を何人も雇うのでなければ、人件費もかからない。
料理店とちがって食材の心配をする必要もないから、商売としてリスクは、他の飲食業と較べてずいぶん少ない。そのかわり、儲らない。
 スナックでお客さんが払う金額というのはふつう、キープポトルを飲んで3000円から5000円ほどだ。最近では、それくらいで飲み代、
歌い放題という店もたくさんある。ドリンク代を考えれば、カラオケボックスより安上がり、なんてこともある。それで一晩に5人か10人、
常連さんが来れば上等という店がほとんどだから、お金儲けのためにスナックをやってるママやマスターなんて、日本全国にひとりも
いないのではなかろうか。≫
▼ 20歳頃から現在まで46年間、スナック、居酒屋で酒を飲んできた。20代後半から30代半ばまでは、仕事に没頭していた為、
 スナック通いは少なめだったが、それ以外は、月に二回は通っていた。だから、上記に書かれているのは全国津々浦々、殆ど同じという
 ことがよく分かる。男は傷ついて誰かに慰めて欲しいが、連れ添いは「ツレナイ」ため、外のママ様にお上手を言って欲しいのである。
 女の子を置いている店は、クラブの要素を入れて、疑似恋愛空間をつくってお客を呼び寄せる。アルバイトや、酒好き、男好きの
 女性を客に如何に集めるのもママさんの腕になる。それもこれも、采配一つで店の盛衰が決まってくる。ただ一つ、絶対的基本がある。
 店は綺麗に磨きあげておくこと。愚痴を言わないこと。客の悪口を言わないこと。プロ筋の店が少なくなってきた。客もだが!ーつづく
 ・・・・・・
3772, 閑話小題
2011年07月24日(日)
  * タレントは日本特有の職業人
 NHKのBS番組「クール・ジャパン」で、各国の外国人が日本のテレビ番組に特殊性を語っていた。
日本のTV番組は、それぞれの国からみると、過剰なぐらいサービスが徹底していて、特にバラエティー番組に、
その傾向が見られるという。そこにはタレントと称する職業があり、何でもこなすマルチ的才能の職業がある。
  ーそこで、タレントをウェブ辞書で調べてみるとー
【 俳優や歌手以外で、その才能・個性をセールスポイントにTVやラジオに出演して活躍する人を一般に「タレント」といいます。
 バラエティーやクイズ番組に出演している司会者、リポーター、コメディアンなどをさすことが多い。プロダクションに所属して
 チャンスをつかむほか、街を歩いていてスカウトされることなどもある。 いずれにしても、きっかけをつかむ運と、
 魅力あるキャラクターを持っているという、生まれついての素養が重要となります。 】とあった。
このような職業は外国では存在しておらず、日本固有のものという。また、日本のようなバラエティーも特殊であり、
そのテーマに教養を取り上げることなど外国では考えられないという。その意味では、日本は遥かに外国を凌いでいるとか。
もし、それぞれの専門家が、それ以外の番組に多く出演しただけで、仲間内で馬鹿にされる土壌がある。
教養番組に出演する時は、背広を着て、厳しい雰囲気が常識。 ゴールデンタイムに、
教養的知識を面白おかしく番組が構成されるなど有得ないといか。お笑いなら徹底的にお笑いに徹するのが習い。 
タレントという存在、そう言われてみれば不思議である。タレント教授、お笑いタレント、元プロ野球タレント、
タレント代議士、マスコミ出身タレント、など不思議といえば不思議な存在である。
専門職で名をなした人が、そのキャラでバラエティーに出て、その場を盛り上げる一員である。そういえば、公道で通行人が
インタビューをされた時に、多くの人が、堂々と受け応えする。一億総タレント化の様相でもある。 しかも今度は携帯電話が
パソコン化されてきた昨今、ミニブログなどのツイッターで、誰もが情報を発信できるようになってきた。
その中で、色々な方面の多種のタレントも出現始めてきた。面白いといえば面白い時代、総白痴化と否定だけはしてはいられない。
 それにしても、TVの露出度が高い低いで、その人気度がはかられる時代、変といえば変である。    バカタレ!
 ▼ NHK[クールジャパン」HPより
 (字数制限のためカット 2012年7月24日)
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3407, 人みな骨になるならば ー15
2010年07月24日(土)
 * 心理学が自虐 
(−P199) もしフロイトの「発見」のうち、後世によって葬られず引き継がれるべきものがあるとすれば、
それは人間が認識において都合の悪い現実よりも快い虚偽を愛し、しかもそのことに自分自身で気がついていないという、
つまりわれわれは自らの「無意識」を信用できないのである。われわれの無意識はわれわれに信じたいように信じさせる
傾向があり、しかも、その操作をわれわれに気づかせない。ということは、われわれが信じていることが、信じざるを得ないことか、
単に信じたいことか、わわわれには判別できないのである。 いったんこの思想に感染してしまうと、以後、人間は自分の判断を
無邪気に信じ込むことが出来なくなる。 それまで気づかれなかった自分の暗黒面を知り、受け入れ、引き受けることで
初めて精神的な健全さが回復されるとするフロイト以後の治療論仮説は十分実証されているわけではない。
なぜなら、そうした「無意識」の洞察なしでも治療効果が得られる心理療法や薬物療法がいくつも知られてしまったからである。
とはいえ、われわれの「無意識」が、まるで別の生き物のように、意識的な感情や記憶や判断を本人の知らないうちに歪ませるのを
勘定にいれておくことは、いくばくか愚行を防止するのに有用なはずである。目常生活において、おいしい儲け話に飛びつくことが
危険であるのと同様に、世界や人生に関する認識においても、自分たちに好都合すぎる筋書きには眉に唾しなければならない。
願望充足をたくらむわれわれの無意識が、そのように誘導しているのかもしれないからだ。
 フロイト以後、いやしくも十分知的な教養人は、何らかのムシのよさを備えた世界観や欺瞞の人生観を受け入れがたくなった。
・話がうますぎるような信念は自己欺隔であり、
・自民族や人類だけを特別視する思想は単なる願望思考の産物でしかない。
・輪廻転生は「死んでも命のあるように」という見苦しい未練の現れで、
・極楽往生は現世の不如意を慰める童話である。
・文明をもった宇宙人の存在を信じたがるのは人類の孤独をごまかしたいためであろうし、
・超能力への期待も味気ない現実から目をそらし繍時の夢を見たいがためなのだ。
▼ 上記の中にも、多くの示唆がある。フロイトの「人間が認識において都合の悪い現実よりも快い虚偽を愛し、しかもそのことに
 自分自身で気がついていないという、つまりわれわれは自らの「無意識」を信用できないのである。
 (字数制限のためカット 2012年7月24日)
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3032,青年と成年の境目
 2009年07月24日(金)
 青年と成年の境目とは何だろうか、何度か考えたことがあった。
「就職をし、結婚をして家庭を持って落ち着き先を見出した時」とは思っていた。
 開高健は以下の文章は、そのあたりを明快に書いている。
  ーまずは、その部分より
【「青春」という言葉があります。私なりに定義をすると、「自分の気に入った、自分の適した職業を見つけるまで、どんどん職業を
 変えていける条件と心のある時期」を「青春」というんじゃないか。 職業を選んでしまうと、それはもう青春ではなくて「青」が
「成」という字になる。職業を選んだときからアダルトになるじゃないですか。  (佐治敬三氏との対談より)】
 成るほど、その通りである。そうすると、私は34歳までは青年だったということだ。考えてみると、そうかもしれない。 
 青春は、理想を求め彷徨い漂っている時期をいうのである。それでは、中学校を卒業して就職し、一途に仕事をしてきた人には
 青年期は無かったというのか? その辺の判断は非常に難しいが、如何だろうか? そのファジーな部分からみると、人生に希望を
 持って具体的に行動をしている人が青年期というのだろう。 一生、足元を踏み固めずに、夢見るオノコがいるが、彼を万年青年とは
 いわない。万年青年という言葉には、深い教養の上で理想を追い求める人をいう。人にとって、その職業の占める位置は大きい。 
 連れ添いと同じぐらいといって良い。力=仕事、愛=家庭、知=教養とすると、青年期は、それぞれのカタチを模索し
 吸収している時期をいう。 見っともなく、ボロボロで、大きく変化をしている時、だから光輝いているのである。 
 成年期は、その光を失った時というと、そうでもない。仕事や、家庭つくりに全身をぶつけている違う輝きが出る時である。 
 そうこう考えると、就職と、結婚が大きな境目といってよい。 自立した時が成年にアップスケールした時である。
 心は何時も青年だが、身体は老年になっていく。諦念するしかないか! ところで、青年期も、成年期もない人がいる。ドッキ!
・・・・・・・・・
2667, 結論で読む人生論 ー3
 2008年07月24日(木)
 今東光の毒舌が、この本に次から次へと出てくる。今度、図書館に行って今の本を借りてくるつもりだが、これを読んでおけば充分?か。 
 とにかく、面白い。何で面白いか? 悩みなど言っていられるのは可愛いいだけ。自分を、くそ坊主と割り切れば、
「所詮は悩みなど欲と嘘の織り成す妄想」と割り切って、好き放題いえる。自分を、くそ坊主と自覚できるかどうかが分かれ目になるが。
  −ー
「眠れないんだったら、眠らなけりゃあいいじゃねえか」「別のブスを探しな、おめえの顔に合ったよ」
「手のつけられねえほど愚鈍であるよ、てめえという男は!」「てめえがみじめそのものなんだよ」
「生意気なこと言いやがって。親のスネ齧りのくせして、チンポだけ発達してやがる」
「バーカ。そんなこと、医者に聞けばいいじゃねえか。オレがわかるわけねえだろうが」「ぶっ殺してやりたいよ」
「何とぼけてんだよ、こん畜生は!? 何のために兄貴に生まれたんだ!?」「けったくそ悪いガキだぜ、てめえも」
「バカか、てめえは」「張り倒すぞ、この野郎!」「人生で一番大事なものは、あくまでも正直であり、誠実であり愛情であるんだ」
「愛のないような人間は人間のクズでな」「ひとりの女を不幸にするよりは、てめえが不幸になる方がいい」。
極めつけは、これ。
・「おめえは一人のいい女を見つけたら、それにひれ伏すような謙虚な気持ちになれ!そこから出発するんだ。恋だの愛だの言う前に、
 まず己を空しゅうして、謙虚になってひれ伏す。愛する人の前にひれ伏すという気持ちにならなければ、女を愛することもできないし、
 女にも愛されない」。 「自分(人間)はどうして生きなければならないのだろうか?」という二十一歳の学生の質問。利いた風な
 ことをいう者には東光は容赦ない。「バカとちがうか、こん畜生は? 生きているのに“生きる義務”もねえもんだ。 いやならとっとと
 死にゃあいいだろう。 そんなこっていっぱし物を考えていると思ってるのはバカだよ。生きるのは何も義務でもないし、運命でもない。
 オレたちは命のあるだけ生きるだけのことだ。努力によって生きてるわけでもありゃあしねえ。それでどうせ死ぬんだとか、あとには
 何も残らねえとか、そんなくだらねえことを若い身空で考えてよう。たしかに残らねえよ、おめえみたいなバカ者は! 
 その生きる義務とやらをさっさと放棄して死んじまえ! ──『極道辻説法』
おなじように、「人生ってちっとも面白いと感じたことがない」「つまらなかったらさっさと自殺していいんだと思う」十九歳の学生に。
「自殺より、最初に人生についていうと、全部の人間に聞いてみな、『おまえの人生、つまってるか?』って。
 みんな「つまらねえよ」って言うよ。そのつまらない中で、どうしたらつまるか、つまり、つまるものを見出していく発見だ、
 この能力を養わなかったらどうにもならねえんだよ、人生は。どこへ行っててもつまるものを発見するという能力をまず養う。
 能力というより、そういう努力をするということだ。(略) それでもつまらなかったら、さっさと死んじまえばいい。
 オレは別にとめやせん。生きてる意味を放棄したんだから、勝手に死にゃあいいさ。」 ──同書
最後に、「死んだらどこへ行くのか?」という十八歳の学生へ。 「そんなことわかるかい!」。
 ーーー
これを読んでいると、悩むのが馬鹿馬鹿しくなる。 そして、言葉は何時までも残るというのが解る。
本当に言葉は大切だ。 その中に感情と理性が入るからである。 最後は人間性ということだ。
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2007年07月24日(火)
 2303, また地震!どうなっている?まったく! ー 7
 ー風評で観光地が壊滅状態ー
まだまだ、地震の話はつづく。2?3回のつもりだったが、いくらでもあるものである。
この地震の原発の風評が、観光を直撃している。これから一ヶ月近くの稼ぎ時期の海水浴場と、温泉などの観光旅館である。
   (字数制限のためカット 2011年7月24日)
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2006年07月24日(月)
1938, 急増“働く貧困層      Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
 昨夜のNHKスペシャルがシビアな内容であった。(急増“働く貧困層"07/23(日) 後09:00 >> 後10:15 )
 ▽400万世帯が生活保護水準以下
 ▽リストラで年収200万・父親の涙
 ▽仕事に就けない若者都会を漂流 等が、骨組みとして構成されていた
 NHKも日曜日のゴールデンタイムの21時に思い切った番組を組むものだが、これが現実であるからだ。
  ーまずはNHKのHPから紹介文をコピーしてみるー
  (字数制限のためカット 2010年7月24日)
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2005年07月24日(日)
1573, 日本人の苗字      ー読書日記        
 ー30万苗字の調査から見えたことー
図書館で借りてきた本だが、身近なことのためか面白い内容であった。知っていることといえば、佐藤などの藤は、
藤原氏の藤から頂いたこと位である。日本人の約30万姓をデータに日本人の苗字を探って、その苗字の驚くべき由来などを紹介。
  (字数制限のためカット 2010年7月24日)
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2004年07月24日(土)
 1208, 自殺 3万4427人
昨日の新聞の一面トップに、昨年の自殺者が前年より7?も増加して3万4427人と報じていた。
 ー内容をまとめてみるとー
・原因として、病苦が45?、経済苦が25? 特に経済苦の増加が目立って増えている
・40歳以上が、4分の3を占め                 
・男女の比率は、男子が70?、女子が30?
・鬱病が30?70?。 他の精神疾患を入れると、殆んどが精神疾患があった
・1997年まで、年間2万?2万5千人と推移していたが、1998年から3万人台になり、ついに3万4千人になった
   (字数制限のためカット 2011年7月24日)
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2003年07月24日(木)
 841, 初めての経験ーユースブック
 ある本を店頭で買おうとしたが、一度「アマゾンの中古本」を買ってみたかったことを思い出した。
そこで買うのを止めて、webのアマゾンで調べてみたら30?オフで出ていた。早速注文をしたら、一週間で直接「持ち主」から
本が送られてきた。大阪の女性の人からで、本は全く新品同様であった。家内にそれを見せると「きれいに読んで、また売ったら」
と考えも及ばない事をいう。恐らくアマゾンは2回目のそれは受け付けないと思うが? そのシステムは革命的だ。
  (字数制限のためカット 2010年7月24日)
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2002年07月24日(水)
 466,内山由蔵さんからの葉書
W杯のお陰でアフリカの地図を引っ張り出すチャンスが多く、だいぶ勉強しました。ホテル業も大変のようで、長岡のグランドホテルも
市議の中では云々されています。日本精機の永井さんが赤字のグランドホテル手本にして新潟の万代島の再開発のホテルをやるとか
云っていますが、永井さんでは経営はできませんね、どうするんでしょう。貴方がメルクマールで誉めておられ、私もフアンになった
ユニクロ、一揃え買ったが着こなせず若い者にやりました。ユニクロも元の元気はありませんね。大手通も今月一杯で丸越と覚張も廃業、
キッドも閉まったまま。どうするか考えはありませんか?市民センターは一日600人の入場があるとか。
お会いして貴方の話を聞きたいと思っています。私は元気でいます。
ー葉書の日付は7月20日ー2002年
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2001年07月24日(火)
先日も書いたがフィヨルド見物あとの登山列車のトンネルとトンネルの合間の空間で列車が停まった。
そこで全列車の乗客がおりて5分間の滝見物という。 100メートルいくと突然空間が開けていた。
そこに大きなショール滝が現れた。その滝に見とれ写真を撮り乗客の半分近く帰った時、突然音楽が鳴り出した。
ふと滝の中間に赤いものが見えた。赤いドレスの女が踊っている。
写真を撮ろうか、それとも見ることに集中しようか迷ったが両方にすることにした。
まさしく水の精が踊っているようであった。 一生に残る感動的場面であった。明日写真アルバムの載せます


4137, 大方は40歳で右下がり

2012年07月23日(月)

    * 男は40歳でポンコツ化の曲り角 !
  少し前の週刊SPA! になるが ≪40代会社員のポンコツ化が尋常ではない【証言集】≫があった。
 ー それは、「40代会社員の劣化メカニズムを徹底解明」特集で、劣化事例を紹介していた ー  
・「バブルの頃は良かった。友達の付き添いで行った面接で受かったりしたもん」と自慢話を連発
・「係長(男・45歳)という役職なのに、部下のミスは部下のミス、絶対に尻拭いをしてくれません。
 ランチに誘われても必ず割り勘。なぜこいつが係長になれたのか、我社の七不思議」(代理店・28歳)
・「IT関係の職業なのにも関わらず、僕の上司(男・46歳)はファイルの圧縮さえできない。
 Excelの関数はおろか操作もままならない」(SE・25歳)
 ポンコツ40代を見ていると、「自分はこうにはなりたくない」と誰もが強く思うはず。
しかし心理学者の和田秀樹氏は「人は40代になると必ず劣化します」と断言する。
▼ 現場の一線に立っている人も、管理職としての能力も、30歳代までで成長は終わると、いわれている。
 私の事業人生を振り返っても、右上がりが40歳まで、後は下降?で、その後の判断した結果は、右下がりの起因をしたものばかり。
 40歳の頃、富士銀行に勤めていた高校の同級生が支店長への出世コースから外れ出向になったっと聞いて驚いたことがある。
 激しい競争社会では、その辺がピークということ。結局、先が見えエネルギーも出し切ったところで、外に出さないと、
 組織そのものが弱体化する。その頃が厄年として男も女も大病や人生を揺るがす事故や失敗が起きてくる。 逆に、その辺に
 予定挫折として前向きに自分から転職・転業などの節目をつくる方法もある。その意味でも、男の一生は大変である。
 への字の右上がりから、下がりのテッペンが40歳。下がりきったところで少し右に流れたところが65歳以降。 少し長い?
 とすると、最近は80歳以降か。40歳右下がり説からすると、ピークを維持するため何かを学び続けなけばならないことになる。
 戦後日本を一人の人間と喩えてみると、1985年のプラザ合意が明らかに右下がりの決定事項。そして、現在66歳とすると、
 自分そのもの。4年前のリーマンショックが、次の大きは節目で、その大津波が今年末、日本と世界を覆い尽くす可能性が高い。
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3771, ユング ー10
2011年07月23日(土)
   * ユングのいう、能動的想像とは? 
  ーあるブログに、能動的想像法の要約があったー
 { 能動的想像法は、睡眠と覚醒の中間の状態で、一種の夢想状態に近い。 眠りと覚醒の中間、眠りに落ちるすんでで留まり、
  意識を持ちながら夢の中を観察するような、そういった状態。ただし、そこでは、あくまで観察するだけで、干渉はしない。
  願望を叶えるために夢を操作するような、そんなことはしません。魂ともいえるものが自由にしている状態を、ただ眺め、観察する。
  この時重要になるのが、記録。これは、単に書き留めるだけに留まらず、それは一種の表現になる。書き留めたり、絵に描いたり、
  粘土で作ったり、踊ったり、歌ったり、演じたり、また信頼できる人に話したり、そうすることで、無意識の闇にあったものが
  命を持ったまま、現世に顕現するのです。そうすることで、こちら側に生きる我々が、こちら側に生きながらあちら側に参加する、
  そんな感じになってきます。それが魂の体現の一部となる。 人間を豊かにし、特に現実問題と十分に向き合ってきた中年期・
  老年期の人たちに対しては、今までになかったものを与えてくれたり、今まで見逃していたものに、気づかせてくれたりします。}
 ▼ なるほど、面白い。 この実例が〈ユングー地下の大王 ーコリン・ウィルソンー 〉にあった。その幾つかを、次回に
  コピーし考えてみるが、あちら側は、あくまで能動的想像をしている本人の潜在意識の世界である。いや、更に深い共同意識の世界か。
  意識を持ちながら夢の中を観察する状態で、魂を眺めているのが能動的想像ということ。子供時代の頃の夢を見ている時の
  マドロミ状態が、こんなものかもしれない。ユングは自分に、この能動的想像力があることに気づく。フロイトとの仲たがいなどで、
  自分の精神が崩壊の寸前に至り、精神病者が苦しんでいる妄想を垣間見ることができた。その一つに「血のなかに溺れかけた
  欧州の幻覚が、翌年の1914年に現実になり、その幻想は間違ってなかった認識をえたのは幸運だった。
  作家の創作も似ているが、あくまで、これは潜在意識の観察であり、本人の魂の開放である。重なっている部分は、主人公の
  魂の開放を通して、読み手を満足させようとするところ。 (全ての小説が、そうとは限らない。)
   ところで、過って行ったことのある世界の旅先を、毎日のようにTVで放送している。実際に見てきた以外の所も映し出す。
  そうすると、当時に立ち返り、そこに自分が行っているような奇妙な感覚になる。これも、能動的想像法の一つになるのか?
  老人が過去の思い出に浸っている時、心は能動的想像の世界に入っている? だから、勝手に孤独な老人と決め付けるのは間違い。
   この年齢になって分かったことは、行蔵にあまりに多くの経験があることだ。
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3406, この国の終わり ー3
2010年07月23日(金)
 * 「転ばぬ先の杖」こそが知性の原点
 恐怖と不安は鋭敏な自衛感覚を育て、それによって人間である限り永遠に尽きることのない敵に対処することこそ、人間の知の原点。
その典型的な形が、外交をはじめとし、最後の原爆投下にいたるまでのすべての闘争における攻撃と防御のストラットジーである。 
恐怖は考えの母であり、不安は考えの教師である。考えた結果を個人的な知性に転じるという能力もまた、疑うという能力をも
持っていなければ達成できない。疑いの度合いが深ければ深いほど、そしてその疑いの解答が明晰であればあるほど、人は賢くなる。
「何故」があり、「何故なら」がある。 西洋哲学は恐怖と不安への疑いが原点であり、西洋宗教も同じである。
それが日本人以外の人間たちが持つ知性である。 一神教的知性なのだ。 賢い人、とは、知性があるということを
古風に言った言葉である。ただの「物知り」とは違う。知恵者とも言った。知恵は智慧とも書く。・・・・
▼ー感想  知性とは、モノゴトを知っているということでなく、恐怖と不安を感じ取り敵に対処する人間の原点を
 わきまえ知ることである。 持っている知識を、それに対処する智慧を知性という。言われてみれば、当たり前のこと。
(字数の関係でカット2012年7月23日)
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3031,卒業40年周年か〜 −3
 2009年07月23日(木)
* 奥野君への手紙          (今日、本人の手元に届く)
 学卒40周年記念に参加をしてクラスの名簿に貴君の名前をみて懐かしく、手紙を書いています。 
卒業前の半年間(S43・9〜44・2)日記をつけており、それを20数年前に倉庫の隅から見つけ出しました。 
書いたことすら忘れていたので、タイムマシーンで当時に戻ったような気持ちで読み返しました。 
8年前に始めた私のHPの中央の下にある分類のブログに書き写してあります。ブログに同月同日に毎日載せたものです。 
従って、毎年半年は、当時の日記を毎日読み返しています。その時に、貴君が、あの馬小屋のような寮に卒業間近かに
訪ねてきて、これから社会に出るにあたって多くを語ったことや、佐渡に広瀬君などとご一緒したことを思い出しています。 
 先日の会では石川譲治君や、服部学園の園長の染谷(服部)、川村、福田君などの顔が見受けられました。 
その前日に銀座に合気道の面々が集まり、一杯やりました。 三崎、木矢、伴、鈴木(加藤)、高杉です。 
三崎さんは10年前まで、新潟に16年近く転勤できていて、2〜3ヶ月に一度のわりで古町などで酒を飲んでいました。 
 ところで私は、その後    
・ジャスコに一年在社後に、 ・産業能率大学に途中編入をし、・その後金沢の「いとはん」(ジャスコに吸収)に一年半在社、
・千葉の郊外に貸しビルをつくり、その中に居酒屋の養老の滝のFC店と、やはりFC店の焼きたてのベーカーリーを
 二年間従事(その当時に結婚) ・家の事情で実家の事業(衣料量販店と衣料専門店)を5年間従事をし、
・34歳から新潟駅前でビジネスホテルを30年近く経営をしています。
 2001年の9・11のテロと、去年の9・15の金融恐慌以来、苦戦をしていますが、何とかやっています。どちらかというと、
創業屋的な人生だったと思います。30歳前半までに問題を吐き出し、後半は、それまでの勢いで何とか辿り着いたというところ。
 ところで、貴君の住所をグーグルアースに入れてみたら、仙台空港の南10キロほどの漁港のようなところで驚いています。
資生堂に入社して、都会にドップリと浸かっているかと思いきや、その正反対の場所で。 
実際のところ、東京のアスファルトジャングルなどより、遥かに良いことは、新潟飛行場の周辺をみれば分かります。 
それだけでも良い人生を過ごしてきた貴君の姿が目に浮かびます。(それぞれに価値観があるでしょうが) 
何かチャンスがあったら、会うのも面白いでしょうね。 それでは、お元気で。 
あの日語り合った、延長の気持ちで思いのまま書いてみました。   2009年07月22日     堀井八郎  
 追文)8年前より、ブログを開いています。 暇のおり覗いてください。検索に堀井八郎を入れると出てきます。
   当時の写真や、先日のクラブや、同級の二次会の写真があります。 
   分類には当時の私の日記があります。  〜 22・23・24歳の日記のコーナー〜
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2666, 結論で読む人生論 ー2
 2008年07月23日(水)
 ー三十年ぶりの、今東光の毒舌ー
順不順でなるが {第6章 人生の価値、人生の意味ー なにはなくともこの糞坊主ー今東光}
が面白い。 久しぶりに今東光の毒舌にお目にかかった。亡くなって30年近くも経つだろう。
  ーまずは、その部分ー
 人生なんて、そんなにむずかしいものか。じつにさまざまな考えがあって少々、食傷気味である。もしかしたら、
人生論が人生をむずかしくしているのではないか。たしかに人生には山があり谷がある。悲喜こもごもである。
だが結局、生まれて、生きて、ただ死ぬだけのことではないか。どう生きるかは、それぞれの計らいでいいではないか。
ここまで見てきたさまざまな人生論はあまりにも近寄りがたいし、荒唐無稽すぎるし、立派すぎる。もっとスカッとしたものは
ないのか、とお嘆きのあなた、これがあるのだ。 その男が生存中は、なんだこの濁声の坊主は、と多少の反感を持っていた。
が、わたしはいまでは今東光を尊敬している。 そう、今東光和尚である。 聞いていただこう。
 *「正しい人生」とか「何とかの人生」なんてものはないよ。本人にとっての人生しかないんでね。
自分にとっての人生しかないんだ。おめえが十八なら、「十八の人生」というものしかないよ。
それしか、オレは言いようがないね。(略)だから、自分にとっての人生で、自分が、これが正しいと思って闘って、
勝つか負けるか、これだけだよ、人生なんて。         ──『毒舌身の上相談』集英社文庫
 *「バカ正直だと損をする。もっとずるく悪賢く立ち回れ」なんてよく人が言うけど、その言っている野郎が、ずるく悪賢く立ち回って
成功しているかっていうと、絶対にそうじゃねえんだな。 そんなのはダメなんで、真実火の玉になって人生を渡っていって、
社会にぶつかっていくんじゃなけりゃあダメだよ。人がよすぎて結構じゃねえか。そんなタワ言ぬかすような野郎なんぞ相手にするな!─同書
 *「人生始めたばかりでスランプに落ちたら、死ぬまでスランプだぜ、この馬鹿野郎!」
「おめえみてえな野郎は一生、女を本当に愛することができねえよ。女を捨てて自慢してるような野郎は、人間の屑もいいところだ」
「そんな夢みたいなこと考えてねえで、てめえのキンタマのフクロのシワでものばしてた方がよっぽどましだぜ、この野郎!」。
  ー                                     ──『極道辻説法』集英社
 *二十三歳の学生が近所の中三の女学生の家に半年間、毎日毎日いたずら電話をかけた。
 どうしても彼女に自分が好きだということを知ってもらいたい。おれはどうしたらいい?
 自首すべきだろうか、という質問に対する傑作回答
「 自首するより死んだ方がいい。悪いことは言わん。死にな。二十三歳にもなってそんな電話かけたりするバカなら、
 自首するより死んだ方がいい。自首すりゃあ、恥をかくからね。恥かくより死んだ方がいいよ。 切に自殺をお勧めいたします。
(字数の関係でカット2012年7月23日)
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2007年07月23日(月)
 2302, また地震!どうなっている?まったく! ー6
昨日の、サンデー・モーニングなどを見ていて感じたことは、ことの重大さが実際のところ解ってはいない!
 (字数の関係でカット2011年7月23日) 
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2006年07月23日(日)
1937, ローマから日本が見えるー15   \(^▽^*)おはよう \(^▽^*)おはよう!
 待ちに待ったカエサルの章である。ローマ帝国といえばカエサルと言ってよいほどカエサルの業績は大きい。
 現在のヨーロッパはカエサルが作ったといってほどの改革をしてしまった。 その意味では現在の世界システムの
ベースを作り上げたといっても決してオーバーではない。実際に、この本を読むまでは知らなかった。
第七章「創造的天才カエサル」ー1
   ーカエサルの登場ー
元老院側BC44年に立つポンペイウス派との内戦を終えたカエサルが終身独裁官に就任した。
    (字数の関係でカット2009年7月23日)         (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
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2005年07月23日(土)
 1572, 詐欺師
身近な詐欺師としては、毎日のように電話が来る「??取引屋の営業」である。しつこく同じ会社から数百回も十年近くもある。
もうここまでシツコクかかってくると、声は懐かしい知り合いになる。こちらにしては、丁度良い怒鳴りのストレスの解消相手である。
相手も、解っていて社内向けにかけているのだろうが、最近怒鳴り声に閉口したのかかかってこない?詐欺師は、遇えば半分は
落としたようなものだという。学生時代の同級生の野村證券や大和證券の営業の男から、昔何回も聞いた事があった。
「俺らのやっていることは、1?0パーセントは詐欺である!」真面目な奴も、稀にはいるだろう?現在は、そうではないだろうが。
その露骨なのが、??取引の営業の手口である。最近は脅しまがいの手口の電話もかかってくる。
その手口を冷静に見ていると、重罪の犯罪者から学んでいるとしか思えない。
● 昨日、通勤の帰り道に車が私の目の前に急ブレーキで停まった。親しそうな顔をした中年の男が何か早口で話し始めた。
  (字数の関係でカット2008年7月23日)
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2004年07月23日(金)
 1207, 排除勧告
昨日の朝日新聞の一面トップが新潟市公共工事の談合の排除勧告の記事であった。このホームページでも何回か書いてきたが、
この国を取り仕切ってきたゼネコン・マフィアの一端が全国的に明らかにされる。公然と、このマフィア・システムを書いてきたが、
字数の関係でカット(2010年7月23日) 
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2003年07月23日(水)
840, プロジェクトー
 NHKTVのプロジェクト?がなかなか面白い内容だった。このシリーズは三回に一回は見ているが、昨夜はソニーのロボット犬
『アイボー』の開発プロジェクトのチームリダーとメンバーの苦労話であった。一つの商品の中に、多くのメンバーの思い人生と
エネルギーがぎっちりとつまっている。社長の井深大の『人の真似をするな!』が、ソニーの商品開発のコンセプトの
一つということは知っていたが、しかし現場の技術者にそれが貫かれていたのをみせつけられた。 
   ー字数の関係でカット(2008年7月23日) 
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2002年07月23日(火)
 465,流離(さすらい)のランチャー
ある長年サラリーマンを勤めている人から、彼らの昼飯をとることの大変さを聞いたことがある。昼飯時は何処も混んでいる、
それを同僚か誰かと探し歩いて食べる大変さ。その気遣いだけでかなりのエネルギーを使うという。私の場合は、殆ど一人で
11時45分に出る。サラリーマンで混雑する直前に入ってしまうのだ。週5日のうち2日は回転寿司である。
今のランチは500円から300円以下になってきているという。マクドナルドのハンバーガーに缶コーヒーで200円でも結構悪くない。
昨夜家に帰ると家内が不思議そうな顔で、長岡の駅前のアルファー・ワンというホテルで、680円のバイキングに入ったという。
12時少し前に入り13時まで自分達一組だけだったという。値段も安いし、内容も良いし、店は大きいのに誰もいないのが不思議という。
それとあの大量のバイキングの料理をどうするのだろうかと。新潟駅前で自分が行く店で少し遅れて入って、ピーク時間に誰もいない事は
月に1?2度出くわす。週一度の居酒屋の楽しみを欠かさない為に、節約の一番のターゲットになる。ランチは一番に景気に左右する。
流離のランチャーという言葉ももの悲しく聞こえてくる。 不景気だ!
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2001年07月23日(月)
 [84] 北欧の印象
いま欧州各国の首都はインターネット化による合理化と、EC統一で本社機能がドイツのベルリンに移転、
本社の支店化や支店の撤退が進んで、合理化と人員削減による不況が進んでいるという。いずこの国も一緒と感じた。
ロシアの国境以外は完全オープンといった感だ。ただノルウエーだけは北海油田が発見された為、海陸資源が豊富な上に
石油の心配が無くなったためECに参加せず一国強気という。北欧とロシアは欧州の片田舎とい位置づけられている。 
北欧4国の各国の位置付けはスエーデン・デンマーク・ノルウエーの順で彼らはゲルマン民族で言葉もほぼ一緒。
フィンランドだけはハンガリー系のフン属で彼らは露骨な?差別意識があるようだ。何処も一緒か。常にロシアと
ドイツなどの外敵にさらされてきたという。どこも立憲君主の政治体制をとっている。また社会民主主義が進んでいる。
ノルウエーの学校制で考えさせられたのは小中9年間クラス換えがなく、先生も一緒。一クラス20人のため先生は80人の生徒を
見ることになり、責任を持って生徒を指導できるという。虐めや差別は少なく、20人は一生の付き合いになる。
競争社会の日本でこれがそのまま良いかどうかわからないが、ヒントになることは確かだ!  


4136, 閑話小題 ー日記は翌日の午前中に

2012年07月22日(日)

  * 日記は翌日の午前中につける
 ある本に、「日記文学は、平安期に栄え今も古典として残る名作が多くある。当時の貴族たちの多くは、日記は翌日の午前中に書いた。
つまり前の日の出来事を思い出して書いた」とあった。これを知ったのは極最近のこと。前日とはいえ、時間をおいて思い出すのは
脳にとって良い上に、起きたことを冷静に見つめることができる。私は日記的メモとして陰山手帳、10年三行メモ帳、フリー落書き帳を、
三冊持っており、数日以内に2〜3日分をまとめて書いている。しかし翌日午前中に書く習慣化しておくのがベスト。
改めて考えると手帳お宅、そのものである。内省的性格からして、これほど自分を落ち着かせる習慣は他には見当たらない。
朝、4時過ぎに起きて、この随想日記の校正をしてブログにアップし、ポタリングに出て、食事をしながらモーニングショーをみた後、
風呂に入り、自室のパソコンの前に座って、翌日分の随想日記内容の下書きを書いたり、読書をして午前中を過ごすのが日課。
その中の空き時間にiPadで週刊誌や、世界遺産などの写真集などを見たりしている。今までは、ポタリングの出発前の10分間
ほどだったが、9時過ぎに時間を移行することにする。それほどして書いたものを読み返すのは、ネットに上げた、これぐらいだが。
  * 父親のこと ー2
 父は太平洋戦争前までは、実家の老舗の古道具屋の二代目で、母親が嫁に来たときに父に聞いたそうな。
「家って金持ちなの?」、それに対して父は「資産が7万円位で、金持ちの目安が10万だから、金持ちではない」と。
そして10数年後に戦争が始まり、それから数倍にした財産の殆んどを無くしたという。しかし、その財産の一つが、
空襲で焼けた後の繁華街の四角のあり、そこで始めた商売が当たり一時的だが、全国にも知られた繁盛店になっていた。
父は戦前、道具屋をしていた頃に、その商売柄、津上退助、野本恭八郎( 野本互尊翁)など戦前・戦中の財界人にフリーパスで
会うことが出来て、年に数点の骨董品を買ってもらうだけで商売が成り立っていたという。そのため世の動きに対する知識や教養が
必要ということを肌身で感じていた。コンプレックスだけでなく、子供には学問を身につける必要性は分かっていた。
早寝、早起きがベースにあり、20時半には就寝、5時前に起床し、新聞を読んでいた。綺麗ずきで、チリ一つ落ちていない家であった。
晩年の趣味は骨董品の収集、旅行、株式、旅行であった。 怒鳴ることは無かったが、その代わりに強烈な皮肉が飛んできた。
自分だけでなく家族にも従業員にも非常に厳しい人だった。要する地味にして目立たないこと、自己主張をしないことが大家族の掟。
兄姉達は、常に父親の顔色を窺って、側には近寄らないようにしていた。その父親が亡くなったのは満70歳。 私も3年半後に、
その歳になる。ファザーコン、マザーコンは、人間の心の底に誰も抱えているが、その人の原点である。幼児体験は強烈な経験だった。
・・・・・・
3770, 閑話小題
2011年07月22日(金)
  * 時間でみる施設の使用料金
 スポーツセンターや、シネマを一時間あたりの使用料でみると面白い。
スポーツセンターは、月5980円。20日は通っているので、一日300円である。私の実感は三十分500円で、二時間平均は
滞在しているので2千円の価値は感じる。2千×20日=4万円なら行かないが、1万2千円なら行くだろう。それにしても安い。
知人が、「スポーツジムは一人当たり一回2千円の計算がベース。これに会員数と稼働率をかける」と言っていた。
私の選んだコースの場合、日・祭日を除いたコースで、特別参加の日払いだと一日2400円になっている。
風呂、サウナ、プール、マッサージ・ルーム(マシーン)、ロビー、もちろんトレーニング・ルームありで、
10時から17時まで使い放題で300円は価値がある。 月に一度は行っているシネマは二時間で千円、一時間あたり五百円なら
充分に価値がある。最近のシネマはデジタル化のため圧倒的に画面も音響も迫力があり、別次元の世界に我々を引き込んでくれる。
年齢もあるのだろうが、スナックや居酒屋は、酒・肴などの飲み食いも入れてとしても一時間あたり千五百、二千円からみると、
圧倒的に映画の方が価値がある。 現在の不景気、ネット化、デジタル化で情報量が日ごと飛躍的に増えていることにある。
大相撲や、プロ野球、行楽地は現地まで行かなくても、家でパソコンやTVで、情報や、現場感覚が実感できる。それも無料に近い値段で、
である。スポーツ・センターも、よく見ると、殆どマシーンである。映画も、現在では殆どデジタルでつくられている。 
考える時は考え、休む時は休む。その時に道具としてマシーンを使えばよい。 
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3405, この国の終わり ー2
2010年07月22日(木)
   * 考える遺伝子の不在 
 日本の現状に対して、殆んど誰も考えてない国家に絶望をしながらも、何とかしたいという著者の気持ちが伝わってくる。
これでも考えて生きてきたつもりだったが、この数年来、何を考えて生きてきたのか反省しきりである。
10年来の哲学等の学習効果が少し考えに厚みが出てきたが、そうすると人生全体に疑問を持つようになる。
こと日本人全体をみれば、ほぼ99パーセントは考えてないように見かけられる。「考えて何になるの?」という質問が帰って
くるのが落ちになる。 欧米、特に欧州では中学校の段階で哲学の授業があるという。考えるとは、陸続きの他民族の侵略の恐怖や
不安がああるからだ。 それを真剣に考える時に、それが立ち現われる。海に囲まれて当面の攻撃が考えられない日本民族にとって、
考える必要がそれほどないから、考えられないのである。
  ー 以下の、箇所は辛辣だが、的を得た内容である。ー  −P34 
 要するに「脳が足りん」のだ。 考えるー、という脳の機能が、少なくとも他の民族と比べ極端に欠乏している。
猫でももう少しましに考えて行動しているのではあるまいか。 それは一方において、日本人があまりにも鋭敏で潤沢な「感じる」
という機能を持っているために、考える機能のほうが圧倒され、脳の土俵から押し出されてしまったせいなのかもしれない。
つまり右脳と左脳、ロゴスとパトスの千秋楽の結果である。この事実への感慨は、母国の中の異郷、身寄りが一人もいない九州の
山中に住み着いたこの六ヶ月、日々ショックを新たにし、今日も変わらず、修正できず、ますます強まる一方である。 
 国家は芯の芯まで腐り果て、民族は脳死状態で、植物人間化している、ということを、ほとんど誰も考えていないのである。
いや、考えることができないでいるのだ。うすうすは感じてはいるらしい。そもそも思考力よりも直観力の鋭かった民族である。
なにやら日本の全体がおかしく、どこかが狂っていて、怖ろしい結果が近づいている、といった漠然とした恐怖は、なんとなく
感じてはいるらしい。何しろかつてこの国には起きようもなかった異常な犯罪は、それこそ日常茶飯といった感じで起こり続けている。
帰国してからのこの半年間でも、すでに数え切れない。 あまりの立て続けさに、私も忘れるし、人々も覚えきれず、次々に忘れて
いくようだ。確かに世界中で犯罪は起きている。ニューヨークだって、パリだって、私が十八年暮らしたオーストラリアだって、
犯罪は起きる。しかし、これほどの異常な内容の犯罪は聞いたこともない。どこであろうと、起きているのは「並みの犯罪」だ。
並みの犯罪とは、犯人は、それがどんな種類の犯罪であろうと、何かは考えている。
どんなにバカな考えでも、異常な考えでも、愚かな考えでも、邪悪な考えでも、要するに、ナニカは考えている。
≪ 恐慌以来の日本国家の存亡の危機に対し、国民の危機感の希少さに驚き唖然としている。それが考える遺伝子の不在としたら ≫
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3030、卒業40年周年か〜 −2
2009年07月22日(水) 
  * 卒業40周年記念に参加してみた人間模様。
 1〜2年次の教養課程の同級生では、TVでよく見かける服部学園の服部幸應と、大阪学院大学の白井総長が面白い存在。
・服部幸應は実名が染谷で、当時は存在感が殆どなかったが、常に財布に10万円を入れているという話はあった。 
 一年留年をしてアメリカに行っていたのか、留年をしたためアメリカに行っていたのかはファジーである。 
 二次会のクラス会が彼のために開かれているかどうかは定かではない。 
・私が学生時代で一番親しくして、卒業まじかで大喧嘩をした○○譲○。ハッタリ屋だったが20年前のバブルの崩壊で倒産。
 借入金が280億で、ビルが17棟だったという。 前回は身を隠している状態で不参加だった。三次会の最後は彼と飲んだが、
 二棟だけビルを隠して持っていて現在は、それが生活のベースになっているとか。更に、この恐慌で、経験を買われて
 コンサルタントもしているという。 バブル時の倒産劇は、人生の大きく覆いかぶさっているというが、そうだろう。
・クラブ関係では、神田周辺の菓子問屋に養子に行った男が土産として、仰々しい包みのお菓子をくれたが、家内が言うに、
「これって、前週に買おうと東京駅の地下の店のカリントウ。すごく有名だけど、わざわざ並んで買ってくれたのかしら」
 と言っていた。「まさか、そこの社長じゃないと思うけど、少しは有りえるかも」と答えていた。お返しで、新潟の酒を送った
 ところ、自宅に電話があり家内が出て「そこの社長なんですか」と聞いたら、そうだという。「先週、買おうと店まで行ったら
 行列で買えなかった。奇遇です・・・」家内は、本当か嘘か?その辺は調子が良いが、相手も悪い気がしないだろう。
・卒業してから数年後に、先ほどの石○譲○と、私の自宅に遊びに来た伊香保温泉の「村松屋」に婿養子に入った友人の根岸君。
 十数年前に脳溢血になって、九死に一生を得たとかで、半身不随になっていた。それでも朝一の高速バスで來京し、
 最終のバスで帰ると言う。以前に一族の「いとこの会」を、その旅館で開いたことがあった。
・亡くなっている人はクラスの約一割である。還暦を越えると、社会的に如何こうは、三番目か四番目。10年後には出席できる?
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2665, 人生は儚いのか?
 2008年07月22日(火)
 知人の墓に、亡くなってから隔月にお参りをしている。たまたま散歩をする土手の折り返しの近くに墓がある因縁のためだが。
習慣とは面白いものである。両親の墓には年に三度ほどしか参らないのに。その都度思うことだが、「人生は儚い」ということだ。
必ず、心の中で話しをするが、故人が語りかけてくる言葉は「生きているうち、こっち(あの世)は、ただ空」そしてダメ押しに
「もっと墓参りに来てくれ!」勝手に沸いてくる言葉でしかないが、それでも何かがあるのだろう。故人と話しをしながら、
思うことが、娑婆のことなど全て儚い夢でしかないということ。そこで「儚いとは、如何いうことか?」を考えてみよう。
それは生まれる前の無限の時間と、死んだ後にも続く無限の時間を、死ぬと覚悟をした時に「あまりに小さな時間」を思い浮かんだ
実感である。だから、「幸福の4Fは克服できない苦難と悲しみ」というのも、言い得ている。故人から学ぶことは、そのことである。 
達成した幸福の喜びなど、酒を飲んで盛り上がれば、出来ること。そこには、生きているうちに感じる儚さしかない。
しかし、それを言えるのは達成をした経験のある人間しかない。それも、これも、如何でもいいことだが!儚さと感じるのは、
4Fの克服できない苦難と悲しみの意味を知らないからだ。儚いというのは「わたしの儚さ」である。「わたし」という有限の自分の、
小ささをシミジミ知ることである。その小ささの一番の意味は時間の小ささである。それも、他人と比べるのではなく、生前、
生後にある何処までも広がる時間に対してである。自分を取り巻く永遠の広がりの時間である。そう感じる「わたし」は、
実は過ぎ去った時間を振り返った時に「これ」から「わたし」になった言葉。そうすると、「わたしの人生は儚い」は、
その言葉に縛られた感情でしかないということになる。人生を振りかえって長かったような、一瞬だったような気がするが、
それは現在、そう思っている「わたし」の言葉ということだ。  
 (字数制限のためカット 2011年7月22日)
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2007年07月22日(日)
2301, また地震!どうなっている?まったく! ー5
 まず今回は原発に絞って、これまでの問題をまとめてみる。
・世界最大規模の刈羽原発の真下に、実は活断層が直下に走っていて震度6強、
 マグネチュード6・8の地震が発生した。それは、日本の国家として最も恐れていた非常事態である。
・海岸線のため、それは普通の地震とは違い、一般住宅が1000世帯、半壊はその倍の2000?
 被害家屋が10000世帯にのぼった。それは直下型地震の上、地盤が弱いことが原因である。
 それからみて、原発の施設は想像を遥かに超える損傷を負ったと考えるのは妥当である。
・原発は最大マグネチュード6・5を想定して設計されており、6・8とすると2,5倍の衝撃が
 かかっている。もし、中越地震並みに震度7だったら、マグネチュード7,2だったら、と想定すると、日本はチェルノブイユの
 ような事故になっていた、と考えられる。 日本壊滅?は、決して小説・映画の世界ではない!ということになる。
・マスコミで「この事件の結果、過去に原発反対運動の住民が言っていたことが、ほぼ正しかったことが改めて検証できた」と報じた。 
 ということは、利権で推進した連中は、国家をあわや滅ぼそうとした輩として断罪に値する、ということになる。 
 想定外でしたとは、言いのがれはできない! そのトップだったのは誰かは周知の事実である。その利権に屯したマフィアは誰か!
  (字数制限のためカット 2011年7月22日)
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 2006年07月22日(土)
1936, ローマから日本が見えるー14   (≧∇≦)オハヨウ~ゴザイマス!
 第6章 勝者ゆえの混迷ー3
  ー同盟者戦役ー
マリウスの改革は、特に志願兵の導入は『誰の既得権をも損なわない』という意味で利点があったが、
思わない副作用をローマにもたらすことになった。志願兵の導入は元老院の力を最終的に削ぐ作用を働かせていく。
ローマ連合に属している同盟国や地方自治体の市民にとって、兵役はいまだに義務のままだった。
彼ら非ローマ市民たちは、直接税を納めた上に『血の税』としての兵役に就く義務が課せられていた。
これに対してローマ市民は兵役が免除され、しかも直接税はもともと存在しない。これではあまりの不平等である。
こうして起こったのが「同盟者戦役」である。イタリア半島の比較的貧しい8つの部族が一斉蜂起したこの戦争は、さすがに苦戦を
強いられてしまった。結局この戦いは、戦闘に勝ったローマが大幅な譲歩をしたことで完全に収拾する。戦役の二年目にあたる
BC90年の冬、ローマは「ユリウス市民権法」を制定、同盟国に暮らす市民がローマ市民権を自由に取得できるようにした。
    (字数制限のためカット 2010年7月22日)
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2005年07月22日(金)
 1571, 五稜郭
幕末の混乱期、軍艦・開陽丸を駆って官軍と戦い蝦夷地に共和国を樹立しようとした男たちがいた。
この時期、オランダに派遣されていた榎本は帰国、同じ幕臣として勝海舟の幕引きに反発。
新政府に不満を持つ幕臣と新撰組の土方と合流して未開の地・函館の五稜郭に共和国を樹立する。
そこで、官軍の参謀に就任した薩摩の黒田了介(後の内閣総理大臣・黒田清隆)率いる軍と熾烈な戦いを繰り広げる。
その戦いの中で、榎本の人柄を知った黒田は全面降伏を勧め彼の命を救う。しかし土方など幕府方の残党は殆んど
ここで最期を遂げる。やがて刑期を終えた榎本は新政府のロシア交渉特使として活躍する。
阿部公房が「五稜郭」という小説で、榎本武楊が政治的に江戸幕府の残党を纏めて整理する役割になってしまった矛盾を書いている。 
学生時代に読んで、その複雑多層の立場を初めて知った。攘夷か開国か、尊王か佐幕か倒幕か、公武合体か。それらの混沌とした
中で維新の歴史は作られていったが、その中で榎本武楊の果たした役割は、結果として皮肉な結果をもたらした。
阿倍公房の小説は、函館の五稜郭で負けた幕府軍の囚人300人が脱走して、厚岸(あっけし)の海岸から上陸、
山の奥深くへ消えていった、という地元の伝承をもとにそれを追う男の話から始っていた。
 (字数の関係でカット09年07月22日)
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2004年07月22日(木)
 1206, 「半落ち」ー 映画感想 
30万部を越すベストセラー記録を樹立した横山秀夫ワールドの最高峰『半落ち』が映画化され、今年の1月に公開された。
そのDVDが、もうレンタルショップにあった。さっそく借りてきた見たが、素晴らしい内容であった。 見おわった時、
涙が知らずと溢れ出ていた。あとで家内から聞いたが、みた人のほとんどが泣くという。 私の感想文は、最後に書いてある。
 ー解説と内容(ホームページよりコピーしたもの)を貼り付けておきます。
       (字数の関係で中略カット弐千八年七月二十二日)
< 感想>
母をアルツハイマーで5年半、看護した経験があったので、主人公の深い思いに感情移入をしてしまった。
 (字数制限のためカット 2011年7月22日)
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2003年07月22日(火)
 839, あいうえおー生き甲斐測定法
 今やっていることが、生き甲斐があることか、天職か、ベストかどうかの判定基準として、あいうえお生き甲斐測定法がある。
「あ」は、アイデア      「い」は、インタレスト
「う」が、ウォーク      「え」が、エキサイティング  「お」が、オーナーズシップ
  この内の一つは抜けていてもよいが、二つ以上の場合情熱が感じられなくなる。
「あ」は、要は自分のアイデア、企画かどうか。   
「い」は、興味、関心のこと。
「う」は、歩くことで、行動につながる。待っていたり行動なしでは何も始まらない。
「え」は、エキサイティング。燃えるような情熱の涌くこと。
「お」は、オナーズシィップ。自分でやり遂げたという喜びや自負心ー行蔵です。
 これは藤本儀一の『人間ほど面白い動物はない』サンマーク出版ーの最後に書いてあった内容である。
  (字数の関係でカット2008年7月22日)
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2002年07月22日(月)
 464,煮た豆
母から聞いた言葉で印象的な言葉で「煮た豆」がある。もう出来上がってしまって芽が生えて来ない豆をいう。
 (字数制限のためカット 2012年7月22日)
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2001年07月22日(日)
 [83] バイキングについて
ー北欧旅行記ー 
バイキングは今より1200年前突然始まり200年で終わったそうだ。キリスト教の影響ではないかと言われている。
面白いのは相続は末子相続で、長男次男はある年令に成ると家から出て行くそうだ。
海は日本の場合お堀の役割だが、夢に向けての希望という。1000年前のバイキングの船がそのまま発掘されて展示されていた。
一艘40人ぐらいの定員で50艘位で攻めていくそうだ。アメリカまでも行っていたそうで、コロンブスの発見より5^600年
さかのぼる事になる。それにしても金髪で背が高く足が長い、それに美男美女である。料理も上手い!


4135, 閑話小題 ー父親のこと、など

2012年07月21日(土)

   * おもいのままに 
 緑の原野からサバンナへの移行をした、とか分かったようなことを言っている割に、話題の中心は現在の世界情勢、特に、
世界恐慌という大津波襲来の内容が多い。百年、5百年、千年スパンの大変動の大波が襲来するのを、外海?の地平線に
目を凝らして見つめるのは人情として当然だが、どうも期待半分のようでもある。 現に到来した時の惨状は、10年〜20年以上に
わたる長期的になり想像を絶したものだろう。 現に私が、その前波で一年前に事業継続を断念したこともある。
しかし裏山に避難して海原をみると地平線の本体の大波は近づいているのがよく分かる。眼下をみると、これまで通り人々は
何も変わることない生活を送る人と、海辺で浸水が始まり慌てている人もいる。 鈍い人は、現実に大波が来ないと分からないのだ。
ただ、それぞれの立ち位置で、問題の大きさが違うから難しい。5階以上のビルの人にとって、それほど慌てることもないが、
目先の生命は助かっても生活圏が根こそぎ破壊されてしまう。 時どき週刊誌に、大津波の襲来と対応策が見出しに掲載されるが、
売らんがための大げさな見出しとして、狼少年の騒ぎとして見ている。しかし、NHKが特番で危機の深刻さを報じているので、
分かっているはずだが。また私の知人の子弟が外国に留学やビジネスで滞在している人が多い。彼等も二分していて、対策をとる人、
とらない人がいる。どっちにしても、この年齢になれば、何があっても先が知れている。初めは、戦争勃発による株式の暴落から
始まり、ハイパーインフレ、そして銀行閉鎖か? それもなく、延々と現状が続くのか?そうあって欲しいが、有り得ないこと。
   * 父親のこと
 父については何度か書いてきたが、年齢を重ねるごとに父親のことを思い出すことが多くなっている。
年齢が父の晩年に近づいているためだが、どうしも自分と対比してしまう。 私が父親の42歳時の子供だったこともあり、
私を特別視をしてくれていた。その影響はプラスマイナスにも、現在も強くある。父親の死は最大の子供へのプレゼント
という話を聞いたことがある。自立をするためだ。 その意味で私が26歳の時に亡くなったことは丁度良いタイミングであった。 
その頃から創業を始め、結婚も重なり決断は自分独りでするしかない。経験不足の身にとって一つ間違えると地獄のそれは、 
結果が直接、跳ね返ってくるため厳しい。それも、自信が無くとも、分った振りをして決めるしかない。 事業人生の40年間は、
特に、その場で瞬時に判断しなければならない世界。去年の節目から16ヶ月になるが、今だ解放感で空中を浮いているように
気持ちが軽くなっている。 現役の方が良かったなど懐かしむ気持ちは今だになれないが、後悔とか、未練は全くない。
 父は42歳で終戦を向かえ、10数軒あったという貸家は長岡の空襲で全て燃えてしまい一財産の殆んどを失い、そこから
裸一貫から第二の人生が始まった。その頃に私が生まれたが、当時の記憶は生まれた数ヶ月後からハッキリと憶えている。
変化変化の刺激的な日々だったからだろう。その中で必死に働いていた両親の姿が子供心に輝いて見えていた。
 ・・・・・・
3769, 下流の宴 ー2
2011年07月21日(木)
 昨日、7回シリーズの「下流の宴」−最終回のビデオをみた。これでシリーズの録画、3、4、6、7をみたことになる。
内容は団塊世代の現状の起承転結の転結そのもの。 遅かれ早かれ人生は、こんなものであると・・。下流と見下された少女と、
上流?家族の母親との対比の中で、下流、上流とかいう世間体の虚実を浮かび上がらせている。 この隠れテーマは、
「総中流だった団塊世代の崩壊と現代の若者」で、上流とかいう虚妄の実態を面白可笑しく表現している。下流と蔑まされた
痛いげない少女の必死な姿を通して、人間の品格とは何かを問おうとしている。あの夫婦の姿は多かれ少なかれ、定年をむかえている
団塊世代の家庭内に見られる実情。 そこで、問われるのは、「考える」ということ、定年までの準備の有無、そして、これまでの
人生を如何に生きてきたかである。 あの家族の父親が自分、医者の娘というだけが誇りの母親が家内、そして二人の息子を、
あの二人の子供に重ねると、他人事でない? で、どうした!である。 家族には、それぞれの結末が待っている。 
最後は永遠の果てに散っていくのである。それが早いか遅いかの差でしかない。 医者を偉そうに取り扱っているが、
現在の医師の8割は技術者でしかない。そのことを当人たちは熟知している(はずである?)。何かに向かい一心不乱で努力する姿勢、
それに対し全く無頓着の生様、それぞれの人間の姿を作家の林真理子は表現したかったのだろう。蔑まされていた娘が独りで、
医科大学に入って、医者の道を歩くところで、終わっている。 それをバカバカしいと断念する方が面白いのでは?と、思った。
が、これはこれで良い。「世の中の人が総下流なら、それは中流ではないのでは?」と、常々思っていた。
娑婆では下流は平均値の半分以下の収入を言うらしい。国民年金で生活する人たちが下流?というのだろうか? 鳩山一族が上流? 
こうなってくると、漫談になってくる。ところで、私が学生時代に入っていた馬小屋のような寮の住人。 その人たちの実家は
玉石混合だったが、学生時代の寮生活は、こんなものと、誰もが着るもの、食べるものに無頓着であった。 親が自営業だった?から、
仕送りは実家が裕福かどうかに関わらず、ギリギリだった。 むしろ、それを全員が楽しんでいるようだった。誰も実家の裕福さなど
問題にしてなかった。 日本は、アメリカの属国だったこともあり、経済大国といわれ、アメリカに次ぐ豊かさを一時的に謳歌した。
それが、この20年間で・・・ 最後は東北大震災がトドメ。下流とは言わないが、中の下。団塊世代と同じである。
米国が国債のデフォルトを臭わせてきた・・ 500兆以上は買わされているというが・・・ 待っているのは、下流の宴か、やはり。
 ・・・・・・・                               ーたまたま去年のテーマが、それであった。
3404, この国の終わり
2010年07月21日(水)
         「この国の終わり ー日本民族怪死の謎を解く」 林 秀彦 (著)
 18年間の海外生活から帰国した著者の目に映った日本は、いまにも滅亡しようとしている無惨な姿だった。
この本で三冊目になるが、時系列でいうと遡って読んでいることになる。帰国後の早い段階で書かれたためか、日本の惨状の驚きと
、怒りが新鮮である。 アメリカが60年間かけて作りあげた被植民地国家の悲惨な姿に唖然とし、そして怒りの言葉が続く。
私自身に著者が罵倒していると思いながら読むと、一言一言が胸に刺さる。日本人には、そもそも「考える」という総合的な頭脳的現象が
存在していなかった、という著者の見方が一貫している。世界は常に修羅場であり、「決闘の場」なのである。相手が選ぶ武器は、
こちらの武器でなければならない。剣には剣、銃には銃である。何より必要なのは悪だくみには悪だくみ、最低でも同等同質の武器を
持たないで生存が不可能というが・・。グローバル化、ネット社会に入ってしまった現在、これまでの島国の国民性の改造が必要になる。
  ーまず、印象に残った箇所から
 * 恐怖不感症もしくは不安鈍感症 −P63
日本人は、世界一信じやすい民族なのだ。「疑っちゃ相手に悪い」という心情が働く。何でもかんでも「信ずるものよ、幸いなり」
で貫く。疑うことは不道徳、といった観念まである。恐るぺきノータリン、ノータリンここに極まれりである。
疑うという心情作用は一種の恐怖であり、不安によって触発される。簡単に言えば、人は恐怖と不安という触媒によって進歩する。
ところが日本人は恐怖不感症である。不安鈍感症である。あるいは逆に、あまりにも臆病で卑怯だから恐怖や不安を先回りして回避する。
目をつむり、恐怖の実体を無視する。そしてその場限りの「逃げ」だけで片付ける。だかち戦争をはじめとするすぺての防災対策は
後手後手になる。治にあって乱を忘るるなかれ、などという段階ではない。乱の真っ最中でも、その乱を感じ取れずボケている。
呆けているほうが楽なのだ。そしていままでそれで何とかやってこられた。幸いなことにこの列島は資源がほとんどない、だから助かった。
 〜〜
 この国家的危機の中でも、国民の危機感が感じられない。そして頭を(首相を)取り替えることで、目先の不安解消にしている。
もう絶望の事態だろう、これでは。65年かけたアメリカによる日本国民への植民地化計画の完成が、現在の日本人である。
自分を見れば分かることだが、家内や親戚など身近な人を見ても、その完成体?に近いのでは、と新鮮に驚いている。
・・・・・・・
3029,本屋に行くと何故トイレに行きたくなるのか?
 2009年07月21日(火)
 学生時代に新宿の紀伊国屋に行くと高い確率でトイレに行きたくなり不思議に思ったことがあった。そして、新潟に帰ってきた後も、
新潟の万代シティの紀伊国屋に行くとトイレに行きたくなった。ところが歳を重ねるにつれて、全くなくなったのは何だろうか。 
若いときは、このことが独自のことではなく、一般的傾向など知らなかったし、そういうことを話題にすることもなかった。
最近になって、私だけの傾向ではないと知った。本屋だけでなく、図書館も同じような傾向があるが、本屋の方が傾向が強い。 
私の知人は便秘気味になると図書館に行くという。あのかび臭いが効果があるという。インク、のり、紙などの複合した臭いが、
脳のどこかを刺激するものと言われている。私自身も、その臭いが条件反射的に生理反応が起きるのか、一冊一冊を手に取るときの
何か異様な緊張感が、そうさせるか半々だろうと思っていた。 いま一つは著者の凝縮したエネルギーが、その本を手に取り、
中を覗きみることで、脳に強い刺激を与えることも考えられる。大腸は脳の刺激を一番刺激を受けるというから、その要素が
重なるのだろう。また作家の霊(思い)が本屋や図書館に漂っていて、更に大腸を刺激するのである。 
 作家の山田風太郎は霊感が強く、全国の神社・仏閣に行くと、必ずトイレに行きたくなるという。私は外国のお城の牢獄に行くと、
必ずといってよいほど変になる。何か寒気を感じた後の15分ほどでアッきた、という感覚である。それも急性とくるから、大変。 
石牢の冷たさと自己暗示もあるのだろうが。イスラエルの城で、スイスのレマン湖の岸辺の城で、オーストリアの城で、
書けばきりがない。 ツアーといえども、外国は非日常である。 トラブルの全てが出る。秘境ほど。だから行くのである。
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2664, インドの女盗賊プーラン
2008年07月21日(月)
 図書館で見つけた、「インド盗賊の女王・プラン・デヴィの真実」に、一人の女性の壮絶な人生があった。
彼女の語った世界には尋常ならざる悲惨な現実が次から次へと出てくる。NHKスペシャルで昨夜もインドをシリーズで取り上げていた。
グローバル化とは、こういう異質な国とも垣根が無くなるということだ。
  ーあるブログに、この本の簡約した内容があったので、まずはそれをコピーしてみるー
プーランは、1994年、仮釈放となりこの自伝の口述を行った時には、読み書きができない状態、彼女の手記は口述であった。
  (字数の関係でカット2011年07月21日)
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2007年07月21日(土)
2300, また地震!どうなっている?まったく! ー4
 ー中越地震と中越沖地震の意味することー
 この二つの地震が地元新潟にとって大事件ということは、今更だが、二回たて続きに重なったことと、
 原発が活断層の真上にあり、直下型だったことは、重大な事態である!
 まず中越地震と中越沖地震の違いは何か? 私の主観で考えてみる。
・規模からいえば三年前の中越地震の方が圧倒的に大きいが、地域的にみても長岡を中心とした中越地区全体にわたっていた。 
 山間部の道路や田畑、そして道路・線路がズタズタになった。一時期、中越地区で10万人が学校の体育館などに避難していた。
・それに対し今回は避難民は一万人足らずであり、柏崎市中心の商店街や住宅と至近にある刈羽の原発などに被害が限定していた。
 しかし柏崎市を中心を主にした1000世帯が全壊、半壊などを含めて6000世帯が破壊。小さな市としては甚大である。
 その数は前の中越地震の3倍近い。
・今回の特徴は、世界で最大規模の刈羽原発の直下型ということである。もう少し震度が強ければ、チェルノブイユの事故の
 二の舞になりかねない事態だった。現実的に日本崩壊?の一歩手前だったのだ。チュルノブイユの8倍の規模からみて決して
 オーバーな表現ではない!(このことを何でマスコミは騒ぎ立てないのか不思議で仕方がない。また住民の怒りが、
 あまりにも少ない)まさか、角栄も活断層が下にあるとは、思わなかったのだろう。政治は結果である。この男の罪は重大である!
 この中越沖地震の深刻なのは、三年もしないうちに二度たて続きに発生したこと。その意味では今回の地震は、前回に比べようも
 ないほど衝撃的といってよい。 新潟県にとって、アメリカの9・11事件に匹敵するといってもよい。
 9・11以前、以後というほど、この地震は新潟県にとって深手である。まだ誰も気づいてないようだが。
 このまま原発が再開されれば、大手の企業の進出を躊躇うだろうし、撤退を真剣に検討するだろう。
 それだけではない、農水産品をはじめ酒や、加工品までもが影響を及ぼす。 今後、観光地は致命的イメージダウンになり、
 回復には時間がかかるだろう! 「チェルノブイユ一歩手前だった!」と、何故言わないのだろうか?
 日本沈没が現実になるところだったことを! 何で気づかないのだろうか? 
  脳がおかしいんじゃないか、この国は! 1?2週間以内に、震度6弱の余震がある可能性があるという。
  (字数の関係で以下をカット2008年07月21日)
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2006年07月21日(金)
1935, 霊界からの訪問者 ー3    (\ Y /)(\ Y /)オハヨウ! ♪
  ー四四太郎の霊界日記ー5
霊がブログを持つのも面白いものじゃ。ふざけて書くわけにもいかないし、教訓を垂れれば面白くもないだろうし。 
ところで、これを読んでカルトのそれと、用心している人もいるだろうが、全く関係ないから         
   (字数の関係で以下をカット2008年07月21日)
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2005年07月21日(木)
 1570, 日本壊死       ー読書日記
この恐ろしい題名の本を書店で見て、買おうかどうか迷った。船井幸雄氏の本は数多あるが、ほとんど読んだ事はない。
その場かぎりのいい加減なことを言っているのは私でも解る。しかし、多くの顧客を持ち、本も出し続けているのだから何かが
あるのだろう。以前いた会社で二年間、船井総研に加入したことがある。(30年も前のことだが)いい加減というのを体験上知った。
     (字数の関係でカット2010年07月21日)
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2004年07月21日(水)
1205, 実存哲学(3)ー哲学についてー19
 ーマルクス ー2
マルクスの考えでは、当時の資本主義社会は歴史的に見て、対立なき社会が実現する二つ手前の発展段階とみなした。
近代技術はますます発達を続け、失業者はますます増加すると考えた。
その結果、いわゆる一般大衆が増加、彼らはいっそう生産手段から疎外され、ますます限られた者に生産手段が
握られてしまう。その結果、数の上で圧倒的な労働階級が資本家を打倒し、生産手段を自らの手に収めることになる。
そしてこの革命が、歴史の繰り返しを終わりに導く。この到達点に必然的に進んでいって、いったん理想郷が実現されると、
もはや弁証的でなくなる。生産手段は万人の所有者となり、万人の利益のためにつかわれる。マルクスは哲学そのものを否定し、
「哲学者は世界をさまざまに解釈してきただけだ。大切なのは、世界を変革することである」と断じた。
しかしその予言は実現しなかった。それはマルクスが、一人よがりに自分の理論を科学的と思い込んだからである。
自分が生み出した社会主義を、「科学的社会主義」とよび、これが説得力があったためマルクス主義者がただのマルクスの
個人的意見を「絶対的な事実」と考えてしまった。彼らは未来の社会の姿を科学的に予測できると主張、自分たちが未来の側に
立っていると盲信してしまった。その結果「歴史がわれわれの側にある」がマルクス主義者の口ぐせになってしまい、敵はみな、
「歴史のごみ」として捨て去られるものと信じてしまった。この考えが20世紀に共産圏を中心として大虐殺を引き起こしてしまった。
ソ連や中国では、数千万の大虐殺が生じた。また現在の北朝鮮の不可解な体制は、このような考えの背景があるからだ。
当時、彼の思想は短期間に世界に大きな影響を及ぼした。これほど一時期に大きな影響を世界に与えた思想は歴史上ない。
1883年に、亡くなってからわずか70年で、世界の3分の1がマルクス主義の国家体制になってしまた。
それは驚くべきことであり、それが歴史に残る大失敗であった。芸術にたいしても、その真の役割は社会を批判をすることであると
主張した。芸術は革命の一つの道具とみなしたのだ。その結果、多くの芸術家がその影響を受けてしまった。
サルトル、ピカソなどは、その最たる人である。現在でも多くの国で、その体制が残っているが、独裁の一種の建前として
使われているにすぎない。一度手にした権力を人間は、決して国家人民の為には使わない動物であることを
見落としていた。これほど理想と現実の差がある思想も過去になかった。
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2003年07月21日(月)
838, アメリカの世界戦略を知らない日本人      ー読書日記ー
「イラク戦」後、時代はこう動く  日高 義樹 (著) 出版社: PHP研究所 ;
  ー感想文ー
 新たなる世界大戦の序幕が切って落とされた。 中東、北朝鮮、中国、そして日本は…。
ブッシュ政権要人の肉声から読み解く驚愕のシナリオをシビアに書いてある本だ。この本を読んでいると、今の世界の流れの一部が
見える錯覚?に陥ってしまう。日高義樹はNHK記者時代を通じ、アメリカの専門家として有名で、その著書も数多く出版されてる。
この本は、イラクへの武力攻撃が懸念される2月始めに出版されたものだが、先日、図書館で借りてきて一気に読んでしまった。
  (字数制限のためカット 2010年7月21日)
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2002年07月21日(日)
463,再び業態について
何回か業態について書いているが、地元の今井家具が昨日店の前を通ったら、いつの間にか倒産していた。
   (字数の関係でカット2011年07月21日)
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2001年07月21日(土)
 [82] 人生がモチーフの公園
なんとその公園のモチーフが人生!であった。広大な公園の中央に建つ塔に、時計の刻印のように12のそれぞれの複数の像。
「赤ちゃん、幼児、少年期、青年期、・・老人期そして死」と像が、その時期を象徴して表現してあった。
その中央に死体の山。人生をリアルにそのままずばり表現してある。その周辺にそれぞれの人生の哀歓の像が立ち並ぶ! 
何故誰もが考えつかなかったのか、今まで見た公園で一番印象的と言ってよい。さすが北欧と感心させられた。
このような思いもよらない現物に突然出会うのが、旅行の醍醐味である。


4134, 「夏目漱石の自己本位」 ー3

2012年07月20日(金)

            『定年後 ー豊かに生きるための知恵』 加藤仁著
   * 他人志向型人間
 「自己本位」の対照に「他人志向型」人間がある。学生時代のゼミで読むよう指定された本にリースマン著 『孤独な群集』があった。
以前にも少し取り上げたことがある。  ー 大まかにいうと
《 都会の群衆は、それぞれが孤独であり、他人に対して無視を装っているが、実は非常に敏感で、その視線を気にしている
「他人志向型人間」が多い。これは都市という空間が、人工で創られているためで、各々は個々に分断されているため内情を
知りたいのである。要は内幕情報屋的傾向の強いのがが都会人。》が、私の記憶として残っている。
 そこでアマゾンで調べてみると、【 この本が書かれた1950年代アメリカというのは非常に興味深い10年間であります。
戦後の繁栄を謳歌し、今や万人の上にアメリカの夢が輝いている、そういう光がある反面、冷戦が社会にもたらす緊張、そして
勃興する消費主義、台頭する大企業、人々は次々と「長いものに巻かれ」て自己の表現よりも大樹への忠誠とへつらいという
軍門に降っておりました。そんな時代の空気を吸い込んで書かれたこの書の主人公は、やはり、他者の視線を例えば会社で
四六時中気にするような、「他人志向型」人間であり、仕事によって自己表現をするというかってのアーティストたちとは異なり、
仕事を家計の質を得るための手段にすぎぬと割り切って、自己表現の場を瑣末な消費主義に求める、そんな連中であります。】とある。
 都会の中にあって、誰もが、それは素振りも見せず、それぞれが自己本位で生きていかざるをえない。しかし、心は空虚の
孤独な群集と化してしまう。特に勤め人は、都会暮らしで日々の仕事に忙殺され、自己本位というより、組織という集団の中に
自己を見失いがちになる。そうであればこそ、その中に自己本位のライフワークを確立しておかなければ漱石のような鬱病に
陥ってしまう。そのような世界から、自己本位人間に定年後こそ移行すべしと著者は勧める。その変化が出来ないで、定年後も
仕事仲間と付き合うのが一般だが、「昔の首輪を付けたまま群れをつくり、街中をさ迷う犬」に喩えられる。一度、孤立をして、
孤独の世界をつくり、そこで新たな自分と対峙しないと、そう簡単に自分は変えることは出来ない。他人志向も達観すれば、
それはそれで良いのだろうが・・・いい歳をした老人が群れて、我を忘れて他人の噂をしている姿もいただけない。 特に男は!
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3768, 福島原発事故は実際、何処まで深刻なのか?
2011年07月20日(水)
  大震災と、それに伴なう福島原発事故が起こって4ヶ月以上になるのに、一番深刻と思われる原発事故の深刻度がハッキリしない。
先日、図書館から借りてきた「新潮45 〜6月号」にー特集・震災後をどう生きるかーがあった。実に、現在知りたいと思っていた、
哲学者や、学者、その道の評論家が、それぞれの視点で論評を書いていた。 現在、一般的に知られている事実を科学作家の竹内薫が
 次のように、書いていた。
【 マスコミも含めて、日本人の多くが原子力発電の基礎知識をほとんど持っていなかったことで、いまだに多くの誤解がまかり通っている。
  スリーマイル島とチェルノブイリの事故の違いも知られていないようだ。 
・スリーマイル島ではメルトダウンが起きたが、格納容器が破壊されず、環境への影響はほとんどなかった。
・チェルノブイリは、まともな格納容器すらない、旧東側の原発であり、原子炉が爆発して(核爆発ではない)、放射性物質が成層圏にまで
 吹き飛ばされた、未曾有の大事故だった。 旧ソ連は事故を当初から隠蔽し、海外で放射性物質が検出されて初めて大騒ぎになった。
・今回の福島事故は、深刻であることは間違いないが、スリーマイル島の事故を超え、チェルノブイリより被害が小さい事故、
 というのが世界中の科学者・原発エンジニアの共通する見解だ。
・最悪の事態を迎えたとしても、格納容器が内部の蒸気圧に耐えられずに爆発し、高度500メートル付近まで放射能物質が飛散し、
 周囲に拡散するにとどまるという。4月12日に事故の深刻さが「レペル7」と認定され、「ほれみろ、チェルノブイリと同じではないか」
 という論調のマスコミもあらわれたが、政府が「チェルノブイリではない」と主張しているのは、ある意味、正しい。・・・・ 】
▼ 世界の科学雑誌は、一般的に事態を冷静に見ており、原発事故を「1.未曾有の自然災害」×「2.40年前の技術水準の原子炉」
  とし、数十年かけて再生可能エネルギー技術をスケールアップするまでは、原子力発電を使い続けるべきとしている。
  日本のTVを見ていると、まるで世界中が原発反対で一致団結をしているように思われるが、それは正確でないという。
   また、「想定できたはずの人災」にすり替えようとした動きは、後だしジャンケンであり、原子炉の破壊が人災というなら、
  2万人以上の死者を出した大津波に対しての、10メートルの防波堤に対して、更に大きな人災論をマスコミは騒いで良いはず。
   これまでの過剰反応は収まってきたが、それでも大気にばら撒かれた放射性物質の影響は、次第に身近に来ている。
  問題は、若い人である。その中で、幼児が、10〜20年後に、ガンなどになる可能性が出てくること。
  私たちの年代には、どっちにしても、先は限られているので、騒ぐこともないので、国全体としては落ち着いているのである。
  とはいえ、この事態は健康面だけでなく、政治経済などの先行きに予断を許さないことは間違いない事実。
   それに気づいた人たちが、観光地、温泉などに徐々に戻りつつあるようだ。まずは、この夏の電気エネルギーの供給。
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3403, マイナス思考講座
 2010年07月20日(火)
 「マイナス思考法講座 ープラス思考をやめれば人生はうまくいく」 ココロ社 (著)
  ーアマゾンの内容紹介より
 前向きなポジティブ思考で「その気」になっても実際には何も変われていない、ってことありませんか?
そんなあなたにこそオススメしたい最終兵器がマイナス思考! 落とし穴だらけのポジティブ思考を捨て、
仕事・人間関係・恋愛で本当に役に立つ“戦略的マイナス思考”を身につけよう。
本当の成長は、徹底的な絶望から始まるのです! 人気ブロガーによる究極の自己啓発書!
 ▼ この本はまだアマゾンの内容紹介と、読者の感想しか読んでない。なるほどと思う部分と、何も知らない何の経験のない人が
読んだら誤解を受けそうでもある。 プラス思考・肯定思考は意志そのものである。それに対しマイナス思考は感情面が強い。
したがって、二つをミックスしながら考えを進めてこそ、思考が高まる。 単純なマイナスも、プラス思考もない。
一般にいうプラス思考は、マイナス思考を乗りこえた上の積極的な働きをいうのであって、頭の軽い明るい人の軽薄思考とは違う。
ここで「絶望ワーク」という、14の講座が展開されているが、もちろん、それらを乗り越えた上の思考であることは当然である。
 先日の全国紙上で、アメリカの「肯定思考法」の行きすぎに疑問を呈している論があった。ただ、それだけで良いはずはないのは、
誰の目にも明らかだが。 格差という視点からみて、肯定思考は「一段上にアップスケールなど考えるより、現状を肯定し、
それを受け入れるべし」と捉えがちになる。 マイナス思考なら、「現状を絶対否定をして社会全体を破壊するか、現状に満足している
自分を否定する」ことになる。 そうすると、ヘーゲルの正・反・合の適応が考えられる。正=プラス思考、反=マイナス思考、それら
から導き出されたランクアップした思考こそ、練りこまれた結果となる。 マイナス思考で準備をして、プラス思考で実践を
することがより有効になる。 思いもよらない失敗をした時、我を取り戻すために必死になって、マイナスを取り繕うために、
プラス面を探し出し気持ちの動揺を最小にする作用として、プラス思考を使うケースが多い。 しかし徹底的に、そのマイナスの
中心点をみるためには、マイナス思考は重要である。 とはいえ、人生は「にっこり笑ってハンカチーフ!」でなければ、
生きられない局面が多い。 だいたい、「マイナス思考講座」という題名の本が出ること自体、世界が金融恐慌だからだ。
今後、10~20年は、いや50年スパンで歴史的大混乱は避けられない中で、「マイナス思考」を持つのが自然であり、
「プラス思考・肯定思考」そのものが、不自然になるのは当然である。明日にでも、この本が送付されてくる。
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3028, 『死ぬときに後悔すること25』+2
 2009年07月20日(月)
 『死ぬときに後悔すること25』 緩和医療医・大津秀一著
《人生の目標は、『死ぬ時に後悔しないこと』》と言ったのは、日蓮だが、この本は新聞の書評で知り、ネットで概要を
調べたもので、実際には読んではいない。しかし、それだけでも、その骨子をしることは出来たようだ。 その骨子とは
 〜〜
末期医療の現場で1000人の死を見届けた医師が書いた本で、「人は亡くなる時にどんなことを後悔しているのか」をまとめたもの。
人は生きている時に、「仕事で出世したい」「人生に成功したい」「お金持ちになりたい」とか思うのが常かもしれないが、
最期を迎える時に思うことは、どうも違うようだ。 ーその25のこととは?ー
健康を大切にしなかったこと          △       たばこをやめなかったこと        ○
生前の意思を示さなかったこと         ○       治療の意味を見失ってしまったこと    ?
自分のやりたいことをやらなかったこと     ◎       夢をかなえられなかったこと       ○
悪事に手を染めたこと             ○       感情に振り回された一生を過ごしたこと  ○
他人に優しくなれなかったこと         ○       自分が一番と信じて疑わなかったこと   ○
遺産をどうするかを決めなかったこと      △       自分の葬儀を考えなかったこと      ○
故郷に帰らなかったこと            ○       美味しいものを食べておかなかったこと  ◎
仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと   ◎       行きたい場所に旅行しなかったこと    ◎
会いたい人に会っておかなかったこと      ◎       記憶に残る恋愛をしなかったこと    ???
結婚をしなかったこと             ○       子供を育てなかったこと         ○
子供を結婚させなかったこと          ○       自分の生きた証を残さなかったこと    ◎
生と死の問題を乗り越えられなかったこと    ○       神仏の教えをしらなかったこと      ○
愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと  ○
  (字数制限のためカット 2011年7月20日)
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2663, 「哲学づくと、どうなるか」
2008年07月20日(日)
 この随想日記を7年以上毎日書き続けたためか、以下のように左から右へと変わってしまった。 但し重心だが。 
 ということは、過去の自己否定の辛い日々になっている? 
根本を突き詰めない日々  ー>   考える日々(考えざるを得ない日々))
日常に流される日々    ー>   新しい知識を求め続ける日々
役立つことを追求する日々 ー>   役に立つとか立たない外を求める日々
常識を加える日々     ー>   常識を根本的に疑う日々
実生活のプラスを加える日々ー>   真実とは何かを求める日々
マスコミに左右された日々 ー>   自分の道理を最優先にする日々  
群れを求める傾向     ー>   孤独の時間に重心を移動
 要するに自分の話す言葉、書く言葉を大事にするようになった。その反面、これまでの表層的な自分を思い出しながら赤面している。
そういえば、二十・三十歳代半までは右側の傾向が強かったようだが・・・ インターネットと、印刷の発明とドチラが人類にとって
大発明になるのかといえば(私自身の判断だが)数段、インターネットだと思う。その人類の大きな転機の大事件に立ちあっている。 
それぞれがブログを通して「語ること」を始めたのである。ブログで語り始めて、語りを継続をして、私の場合、哲学づいたのである。
自分の知識と経験の限界を知ることは、何か空しい気もする。 知っていることより、知らないことが膨大に広がっているのを知ると、
先ほど書いた右側の傾向になっていくのである。それにしても、面白い岐路を生きたものだ。
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2007年07月20日(金)
 2299, また地震!どうなっている?まったく! ー3
  「柏崎原発直下に断層」 ー耐震設計の前提崩れるー
  これが昨日の地元紙の新潟日報一面のトップ記事である。
 更に一面の下にある「日報抄」というコラムに以下のようにあったが、これしか書けないのがマスコミの限界だろう。
 しかし地元紙としては思い切ったことが書いてある。この地震は、日本だけでなく世界に匕首を突きつけた大問題。
 角栄神話の根こそぎ否定の問題であり、娘の真紀子にもつながってくる。代議士として存在していること自体が、
 この地区の後進性を現している。 世界一位の規模を誇る柏崎原発は、マグネチュード6・5までの耐震で造られていた。
 ところが、今回の地震は6・8である。0・2で二倍の衝撃度が増すというから、今回は二倍以上の衝撃が原発にかかったことになる。
 ということは、ただ事でない事態が起きて当然ではないか? 情報はパニックを起こさないために隠蔽せざるを得ないだろう。
・放射能が大規模に漏れたなら隠すということは殺人そのものになるから、ないだろう??と考えるのか、
・それとも隠しざるを得ないと考えるか。どうだろうか? 後者なら、とりあえず新潟まで租界しなければならないか?
   (字数制限のためカット 2010年7月20日)
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2006年07月20日(木)
1934, 二つ目のブログ?2            
  (♯ゝωσ♯)人(+>∀<+)ノぁはは? よう!        
ブログを始めようとすると、まずはどのサイトのブログを選ぶか迷よう。私も、とにかく5つのブログに入っては止めてみた。
  (字数制限のためカット 2010年7月20日)
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2005年07月20日(水)
1569, わたしの酒中日記 ー15
 ー倉敷の夜ー 1977年8月某日
仕入れで、岡山と広島の福山に行った帰りに倉敷アイビースクエアガーデン・ホテルに来ている。
赤煉瓦に蔦のからまる紡績工場を、文化施設のある複合ホテルに改築してある。広い赤レンガの敷き詰めた中庭が売りのホテル。
欧州のホテルに来ているようだ。2Fの建物に、部屋が中庭を囲むようにある。女性の好みそうな風情のあるホテルである。
近くには倉敷の昔ながらの街並みがある。同行の二人と街の居酒屋に入ってみる。観光客用につくってあり、江戸時代を
モチーフにした店である。100年以上経った商家を改造してあるので、映画のロケの店のような錯覚をしてしまうのがよい。
少し値段は高めだが、それだけの価値を十分に感じることが出来た。それと土産物店が何ともいえない風情がある。
福山と倉敷に来たのは二回目である。ここはジーンズと作業服の生産地である。メーカーから直接発注するのだ。
昔風の繊維メーカーと、アパレルの工場が並んでいる。 行く先々に父の話を聞かされた。仕入れは亡くなった父に
出会うたびでもある。 明日は、大原美術館を2時間ほど見た後、学生服メーカーのベンクーガーによる予定である。
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2004年07月20日(火)
 1204, つれづれなるままに
ー自宅の6軒先の家の主人が、仕事先で行方不明になり五日目に発見された。 東北電力に勤めていて、その保守点検のため決壊の
 現場にいたためだ。 行方不明になる前日に、初めて顔を見たのが印象的に残っている。 そこの柴犬が落ち着いた犬で、
 早朝の散歩時にいつも声をかけていた。たまたま、その主人と顔をあわせたのが初めてで最後であった。
 近所だけでも、最近色いろなことがある。
ー橋本元首相がまた疑惑だ。
 (字数の関係でカット2008年07月20日)
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2003年07月20日(日)
 837, 民間校長 ー腑におちる教育を!
 昨日、何げなくNHK・BS1をまわすと、東京の杉並区和田中学校の民間から採用された校長を取り上げた番組を放送していた。
広島の民間出の校長が日教租?によって自殺に追い込まれたり、教育委員会の担当も、自殺をしたニュースが生々しいが、
その成功例もちゃんとあった。
ー内容を大筋は
・「よのなか科」をつくって一線で働いているゲストを、年間25人のペースで招いて 実際の生の教育をしていた。 
 産能大学でゲスト・ティーチャーを経験してきただけに、 その内容に引きつけられた。
   (字数の関係でカット2009年07月20日)
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2002年07月20日(土)
 462,臭いのするような話し
子供頃から母親に「臭いのするような話しはするな!」といわれてきた。そういえば家族の会話で、そういう会話は殆んど無かった。
具体的な下ネタや、下痢や生理的などのデモノ・ハレモノの話しをするなということだ。言葉は大事だ。
(字数の関係でカット2012年07月20日)
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2001年07月20日(金)
[80] 北欧ロシア旅行記
 ー印象順に書いてみよ  
1 ・レニングラードが良かった。
  ・特にやはりエルミタージュがよい。冬の宮殿と言われる建築物が予想以上だ。300万点もあると言う美術品がよい。
  ・ エルミタージュの小劇場でみたバレーが今回の旅行のハイライトの一つだっだ。 
  ・ 川からみたレニングラードの街並みの光景が今まで見た街の美しさでナンバーワンといってよい。街そのものが芸術。
  ・夏の宮殿と呼ばれるカタリ‐ナ宮殿もすばらしい内容であった。
2 ・次はフィヨルド 2時間の川下りふうな船よりの景色がすばらしい!
   最も長いそれは200キロ、深いところは1000メートルもあると言う。
3 ・登山列車からの景色もいい。最も印象的なのはトンネルの合間の空間に列車を止め、下車して見た見た滝がすばらしい。
  突如‘ジョニ‐は戦場に行った’に似た音楽が鳴り響き、滝の途中に突き出た岩の上に赤いドレスを着た女性が踊りだした。
 ‘水の精の踊り’をモチーフにしたのだろうが、幻想的で感動的であった。
4・ノルウエーのベルゲンの世界遺産のブリッゲン地区の街並みと魚仲買人の家も当時の生活が垣間見えた。
  北欧の国民性として家の部屋の中を飾り揃えて、お互い見せ合うのが楽しみだそうだ。
  家具が何処を見てもセンスがいい。バイキングは末っ子相続の変わった風習の国だ。
  海は日本は堀で外敵より守るものだが、バイキングは夢の実現のの所だそうだ。
5・ノルウエーのオスロのフログネル公園が印象的であった。モチーフが人生! 赤ちゃんから成人?老人そして死が像で
  立ち並ぶ公園である。何かヒンヤリした、超越した視点が空間に漂っていた。今回の旅行は5ヶ国をまわるダイジェスト的な内容。
   飛行機、遊覧船、登山列車、高速列車、一泊の豪華船、バスと毎日が移動の旅行であった。
   何でもあり、変化の激しいしかも楽しい旅行であった。


4133, 「夏目漱石の自己本位」 ー2

2012年07月19日(木)

            『定年後 ー豊かに生きるための知恵』 加藤仁著
「自己本位」が無作法に行われたら人間社会は成り立たない。そこには当然、心得がある。それを厳格に守るのが個人主義である。
我々は社会の中に生きている。社会にはルールや心得がある。それを知った上で自己本位で生きていかなければならない。
   * 当然、「自己本位」に心得がある!
≪「他人本位」から「自己本位」に生き方を転換するには、三ヵ条を心得ておかねばならないと漱石は言う。
第一に、自分の個性の発展を遂げようとするならば、他人の個性を尊重しなければならない。
第二に、自身が有する権力を行使しようとするならば、それに付随する義務を忘れないこと。
第三に、自己の金力を示したいのであれば、それに伴う責任を重んじなければならないことである。
 講演の最後に、漱石はこう言いきっている。《 ただもう一「つ御注意までに申し上げて置きたいのは、国家的道徳というものは
個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見える事です。元来国と国とは辞令はいくらやかましくっても、徳義心は
そんなにありゃしません。詐欺をやる、誤魔化しをやる。ペテンに掛ける、滅茶苦茶なものであります。だから国家を標準とする以上、
国家を一団と見る以上、よほど低級な道徳に甘んじて平気でいなければならないのに、個人主義の基礎から考えると、
それが大変高くなって来るのですから考えなければなりません。》≫
▼ 漱石は「自己本位」という金鉱を見つけたことで、その後の進むべき道を見い出した。聴衆に対して
「もしどこかにコダワリがあるなら、何かを掘り当てるまで突き進むと、各人各様にもって生まれた個性がそこにぶつかり、
初めて腰がすわる。そこに腰を落ち着けて前進していくと、個性に磨きがかかり、発展し、幸福感と安心がもたらされる」と、説く。
このことは定年退職者にも、同じく当てはめることが出来る。若さを失う要素の一つは周囲に流されやすくなり、他人本位に
なることがある。まだ江戸時代の滅私奉公の気持ちが抜けきらない時代に、「自己本位」を言ってのけたのだから、驚いてしまう。
単一民族で、島国では、互いを大事にするあまり他人を意識過ぎて、自分を確立する機会が減ってしまう。特に勤め人は孤立に弱い。
・・・・・・・
3767,閑話小題 
2011年07月19日(火)
   * 女子ワールドカップ・サッカーで日本が優勝
 テレビで話題を盛り上げるため、日本が優勝すると笑いながら言っていた解説者はいたが、殆どの人は、
「日本が優勝するなど有得ない」と思っていた。ところが昨日、一般の予測に反し日本女子が優勝をしてしまった。
ドイツに買ったのだから、日本がアメリカに勝っても不思議ではないが、24戦して22敗、二引き分けの相手である。
もし勝つなら「何とか引き分けに持ち込んで、PK戦で勝ちを拾うしかない」と、思っていたのが、正夢になってしまった。
結果的には大震災と原発事故で瀕死の状態の日本に米国が勝ちをプレゼントしたことになる。 米国の一方的な攻撃の中で、
耐え抜いてPK戦に持ち込んで勝利したのだから、恐れ入る。 その中で、神憑り的な幸運が試合の随所でみられた。
明らかに弱者である日本は、一方的な攻撃に耐え抜く弱者の戦法が、最後に幸運を引きよせた結果を生んだ。
 最悪の事態の時に、最悪の出来事を呼び寄せることを「布置」と、先日、ここで書いたが、逆に、この時期に有得ない幸運?を
引き寄せることも「布置」というのだろうか? 
  * メタボの雀、再会
 昨日の朝、女子サッカーを見た後、何時もの信濃川の川辺のサイクリング・コースのベンチで、ストレッチをしていると、
前に書いたことがあったメタボの雀が、何時もの通り、50センチ位のところまでやってきた。このところ見かけなかったので、
餌が無かったが、ポケットに手を入れ撒いたふりをすると、そのあたりを必死に餌を探している。 信濃川の雀、その後、
何気なく自転車に乗りながら観察しているが、餌が豊富なのだろう、全体にメタボ気味のようだ。
  * そろそろ、軽い鬱になりそうな
 三月末を区切りに、自宅に中心の生活に変わり100日余りになる。だんだん慣れてはきたが、そろそろ軽い鬱がきそうか。
早朝、この随想日記の仕上げと、電動アシストのチャリで信濃川土手のサイクリング、そしてスポーツセンターと、午前中は過し、
午後は流しに入る。 映画館、SC、図書館に行ったり、読書をしたりで、時間がたっていく。しかし、今度は余裕が出来てくると、
周囲の人の視線が見えてくる。 事が事だけに獄門打ち首のサラシの身の上か、1〜2年は蟄居閉門である。
本人には、そんな意識は少ないが、あの視線は、やはり、そういうことか?という感がする。 元もとアウトサイダーを基本と
してきたので、「その辺の輩」への逆視線はある。 私も人間、環境の動物。今さらか・・ それ以前の初老性欝か、大震災の背景も?
 ・・・・・・・
3402, 「壊れ窓理論」の経営学
2010年07月19日(月)
「壊れ窓理論」の経営学  ー犯罪学が解き明かすビジネスの黄金律 ー M・レヴィン (著),
 ーアマゾンの内容説明からー
小さなことが大きな成功と失敗を生む! 「壊れ窓理論」とは、小さな犯罪(壊れ窓)を放置すると大きな犯罪を招く、
だから小さな犯罪を取り締まれ、というものだ。この犯罪学の理論をビジネスに当てはめたのが、本書である。
有名企業の豊富な事例をもとに、あなたの会社の「壊れ窓」を防ぐ方策を伝授。
  =まず、その要点をまとめてみると・・=
≪ 「ニューヨークの凶悪犯罪が減ったのは地下鉄の落書きを消したから」 「あなたの会社にも壊れ窓はないか?」という再三の
問いかけと、ささいなことを大事にするか疎かにするかで大きな差がつくという指摘にドキッとさせられる。
序文の一行目に「汚いトイレとは、壊れた窓である。・・・」とある。「一枚の割れた窓のようなチョットした綻びが、
毎日そこを通りかかる人々に向かって強いシグナルを発する。 壊れたまま修理されてなければ、建物の所有者はそれに
気づいてないか、目をつぶっているという意味だ。 ということは、近辺では窃盗や破壊行為や暴行など、もっと深刻な犯罪が
見逃されていたかもしえない。 少なくとも、誰も目を配っていないのは明らかだ。これが壊れ窓理論の核心である。」と・・・
 ここで、さらに鋭く「もし、あなたが経営者で、小さなことはどうでもよいと本気で思っていたら、本書を是非とも読んで欲しい。
あなたの会社を救えるかもしれない。ともかく、些細なことがビジネスの成否を大きく分けるというのは、どれだけ強調しても
足りない。・・・壊れ窓とは汚れたカウンターかもしれないし、見つけにくい場所に置かれたセール商品、適当に羅列された
メニュー、態度の悪い従業員かもしれない。≫
▼ 耳が痛い。あまり細部に口を出すのは管理・監督まで指示するから、と目を瞑ること自体が出発点から間違っているのである。
 忘れていたことである。 内部的にも、その辺を見られる。そういう目で色いろな店とかを見て合せ鏡にするのも良い。
 自分自身の壊れ窓、身近の人の壊れ窓、知人の壊れ窓、という視点で、その性格を見ると面白い。 私は?癖、 はたまた??か。
 ズット壊れたままか。何度も修理をしてきたが、何時の間にか・・ 誰か笑っているけど、壊れているのを自覚してない方が恐ろしい。
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3027,アキバ・オタク文化
 2009年07月19日(日)
 現在、秋葉原が注目を浴びているが、秋葉原は昔から時代の10年先を行っていたという。
現在は秋葉と、中野ブロードウェイは「お宅」だけでなく、外国観光客のスポットになっている。
引きこもりのオタク文化は、新自由主義の変化が引き起こした歪みの側面がある。
しかし電器商品や、萌えとか、コスプレなどのファッションは面白い独自の世界を形成している。
 ーウィキペディアによると
・まず戦後、闇市から出発。 ・1960年代に入り、家電の街になって、・70年代になってオーディオの街に、
・80年代がマイクロコンピューターの街になり、・90年代でマルチメディアの街に、・2000年代になってオタクの街になった。
  ≪字数制限のためカット 2011年7月19日≫
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2662, 閑話小題
 2008年07月19日(土)
 *図書館の、ある光景
もう三月になるだろうか、昼休みに図書館の、あるコーナーに行くと、その二メートル先の立ち席の机に三十冊ほどの本を積み上げ、
腕まくりをしてノートに書き写している40歳位の男の人がいる。週に一度は、そのコーナーに行くので互いに意識?をする。 
座り机が幾らでもあるのに、立って調べている。その方が気持ちを集中出来るからである。 
研究者なのだろうが、ただ者ではない雰囲気を漂わせている。 何事かと、思うのは当然だろう。
 *地球儀
≪字数制限のためカット 2010年7月19日≫
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2007年07月19日(木)
2298, とどまりたまへ旅人よ
   わきめをふらで急ぎ行く  君の行衛(ゆくえ)はいづこぞや
   琴花酒(ことはなさけ)のあるものを  とどまりたまへ旅人よ
  ーー
 藤村の、この言葉を若いときの自分を振り返って、投げかけてやりたい言葉である。
「わきめをふらで」何を目指していたというのか?‘お前、何を焦っているのか、もっと今・そこをみたら!’と。
時は戻らない、しかし、しかし!・・である。 それが青春なのだろう。ただ、精一杯生きればよい!ということではない。
といって、精一杯生きなければならない時節もある。誠実に生きることだ、自分自身に。そして、その時、そのことに。
しかし、とどまっていては駄目な時もある。 わきめをふらないで歩む時も! まっすぐに、歩かなければならない時もある。 
とどまることも、必要ならとどまることだ、琴花酒とともに。 楽しんだら、酔いがさめたら、立ち去ることだ、それが人生だから。
  ーー
 島崎藤村 「若菜集」ー『酔歌』より
 
旅と旅との君や我     君と我とのなかなれば    
酔ふて袂の歌草を     醒めての君に見せばやな
  ≪字数制限のためカット 2012年7月19日≫             
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2006年07月19日(水)
1933, 霊界からの訪問者-2   (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ? ヨウ  ユーレイイホー ♯♭
ー四四太郎の霊日記ー3
宗親よ、御前の命も10年か20年、早ければあと5年だろう。 そんなものだ。それじゃ~、本当に解っているというと解ってないだろう。
こちら側の殆んどの連中は「まさか自分が死ぬなんて思ってもいなかった」と言っているよ。死ぬ意味がわからなかったようだ。
それは生きる意味がわかってないことと同じことなんだよ。死ぬとね完全に無になって数十年か数百年の休みを貰って娑婆世界に
戻される、と思ってりゃ良いんだよ。実際は??・・ ただ、誰もが死際に後悔をするんだ。あれもこれも何故しなかったのだろう?と。
「人生は二度とない」は、お前の口ぐせだったろう。ワシがこうして出てきたからには、これから死ぬまでの間、生き方を指導してやるよ。
それとも、お前の脳に光を当ててやるよ。前にも言ったとおり、人生の60年や80年など一瞬でしかない。
そして、ある日、一瞬に終わりになるんじゃ。      \(+×+)/バタンキュー
それでいいんだが、その日まで 光り輝いて生きるべきだといっているのじゃ。
といって、それほど深刻になることも無い!ただ、せっかく短い人生、何時までもあると思うな!ということさ。
御前の好きな言葉に「正中心一点無」という言葉があるだろう。 常に物事の中心を見つめ求めること、
そうすると中心点の無からエネルギーがでてくるのじゃ。その正中心一点無がワシであるのだ。
だからワシの声は真実なのじゃ。                   つづく     
ーーーーー
四四太郎の霊日記ー4
霊のことを、結局はお主の頭で考えた範囲のことでしかないと思うだろうが、ワシの口を通すと全く違う視点になるのじゃ。
  ≪字数制限のためカット 2010年7月19日≫
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2005年07月19日(火)
 1568, 退屈について
退屈な時間を誰もが当然経験をしている。しかし一部の哲学者を除いて退屈に対して真正面から考えようとしなかった。
退屈といえばトマス・マンの「魔の山」を思い出す。隔離された療養所の中で延々と議論がつづくのだ。
過去の人生を振り返ってみると、暇で退屈な時ほど一番効果的な何かをしていた。何かをやろうとする時は、意図的に空白時間を置く。
ABC分析のAのことだけに直面できるが、多くの手持ち時間を持て余す。それが、良いのだ。 般若心境の[[空即是色]である。
その退屈な時間に多くのことを考えることができる。忙しくて仕方がないときは、ロボット的仕事ばかりをしていた。暇な時間、いや
退屈な時間という現象をもっと深く考えてもよいだろう。携帯電話は考えてみたら、暇や退屈な時間を無くしてしまったのかもしれない。
「小人閑居して不善をなす」という言葉もあるように、退屈な時間に何をするかである。退屈とは意味の欠如からくることが多い。
何もすることに意味を見出せない状態が退屈の状態であろうか。フランクルの「意味への意志」の欠如ということである。
反面、そんなことに全く関係ない、退屈の気晴らしの人生もよいのかもしれない。いや実際、それが人生だろう。
所詮人生は何の意味の無いことの上で成り立っているのか?もし、そうだとしても、それで良いのではないか?
子育てに、家事に忙殺されている主婦に退屈はないだろう。また女性にとって子育ては最も意味あることである。
子育ても終わり、家事もマンネリになった時に退屈がでてくる。そこで、次に意味を探すことになる。
それを見出せないと、退屈が覆いかぶさってくる。そして欝になる。欝はだいたい10?の人がかかるという。
欝体質の人はもっと多いだろう。まあ退屈紛れに、退屈について書いたが意味は深い。「退屈の小さな哲学」という本を、
図書館で借りてきた。まだ読んでないが、この本の中に多くのヒントがありそうだ。
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2004年07月19日(月)
1203,実存哲学(2) 
 ー哲学についてー18
ーマルクスー1
 実存哲学が「主体」(自己)をテーマにしたのに対して、マルクスが「存在の哲学」を主張した。
包括的な主体の哲学である。マルクスの哲学上の最大の発見は、資本主義生産システム分析を通して、
・この社会は合理的に統御不能な存在である、
・人間の「主観」から独自な「主体」(意志)を持つことを見出したことである。
「資本主義社会を根本的に動かしている力は、生命力を無制限発動している無意識である」ということを明らかにした。
マルクス主義がみごとな思想体系をそなえている理由は、ドイツ哲学、フランス政治理念、イギリスの経済学という
三つの知的伝統を融合させたものであったからだ。したがって、マスクス主義は哲学には分類できない。
マルクス主義は、そのほとんどがヘーゲルから受け継いだものでしかない。 ある本に、ヘーゲル哲学と
マルクス主義の共通する考え方を10に要約していた。非常に解りやすくまとめてあったので書き出してみた。
1、現実はものごとの状態ではなく、つねに進行中の歴史的プロセスである
2、現実を理解するには、歴史的変化とは何かを理解する必要がある
3、歴史的変化は、無作為におきるのでなく、発見可能な法則にのっとっている
4、この発見可能な変化の法則は弁証法的であり、テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼの運動を繰り返している。
5、この法則を繰りかえす原動力は疎外といわれ、その疎外によって、どのような
  状態になっても内部に矛盾を生じ、それは終わりを迎える
≪字数制限のためカット 2012年7月19日≫
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2003年07月19日(土)
 836, 私のクレートジャーニー
ー<グレート・ジャーニーとは>
「人類は、400 万年前、東アフリカに誕生し、アジア、極北の地を経て、ついに 1万年前には、南米大陸最南端の
パタゴニアへ到った。 この 5万キロの大遠征をアメリカの考古学者フェイガンは'GREAT JOURNEY 'と呼んでいる。
関野吉晴氏が大遠征の道筋を、自らの脚力を頼りに、逆ルートで踏査をした旅をTVで、
数年間ドキュメントで放送した。私はツアーだが、今回のアラスカ旅行で(シベリアの地をを除いて)
点線で、グレート・ジャーニーをしたことになる。ー少し強引な理屈付けになるが。
・ケニア・タンザニアから下は南アフリカ、西アフリカからモロッコ、スペインを経て西ヨーロッパから北欧、ロシアのルート。
・シルクロードのコースはエジプトからトルコ、イスラエル、ヨルダン、シリア、 レバノンを経て、インド、ネパール、
 パキスタン、ウイグル地区、桂林、北京を得てシベリアへ。
・香港より南下するコースはベトナム、タイ、フィリッピン、そしてフィジーからニュージーランドへ。
 ーまだ行ってないが、オーストラリアとイースター島に行けば南米へ行くコースも完成することになる。
・シベリアからのコースはアラスカ、カナダを通ってアメリカ、メキシコ。
 テーブルマウンテンのあるベネゼイラ、そしてインカのペルーへ。
 ブラジルのイグアスの滝を見ながら、サンパウロを通って、リオへ。
 アルゼンチンのブエノスアイレスを通り、ペルーへ南下をして最南の地パタゴニアに到着。
 一応コースは出来上がることになる。そうすると、残された地は東欧、カザフ、モンゴル、シベリア、
 オーストラリア、イースター島ということになる。しかし今回のアラスカで一応完成した感がする。
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2002年07月19日(金)
461,海外旅行のもう一つの難関
 今は殆ど気にならなくなったが、下痢である。 何とかなるものだが、初めの慣れてない一回目の一ヶ月の欧州旅行では
あわやということが数回あった。やはり経験不足で、食事制限とかポイントが解らないことからくる。大事なのはワンフライト
(10~12時間)の機内食である。飲み物はアルコールを含め飲み放題。時差も含め次々と食事はこちらの体調に関係なく出てくる。
それが美味しいときているから自制がきかなくなる。さらに気圧の関係で着陸後の2時間目あたりにくる。
お腹もパンパンに張っていたのが、元に戻って腸を刺激する。それに疲れと時差の関係で、2~3日はおかしくなって当然。
それを前提にして、機内食を制限したりして体調を整える。一般的には、現地で出発の最低2~3時間前に起きてトイレにいき、
朝食後の出発前に更に行く。9割がたの人はそのようだ。そして到着後2~3日は、昼食後もいく。
これは時差の為身体が慣れてない対策だ。それとワンフライト目の食事、いや機内食は3ぶん1しか腹に入れない。
更に梅干を一日3個を食べる。これで大体大丈夫だ。迷ったら人の目を気にせずドンドントイレに行くことだ。
私の場合、お城の牢獄に入るとどういうわけかオカシクなる。インドは9割以上の人が、かなりひどい下痢になる。
日本の薬では全く効かない。それと今回のスイスのように高度のところも危ない。高山病は下痢と頭痛と倦怠が同時に襲ってくる。
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2001年07月19日(木)
 先ほど無事帰る。変化の激しい旅行だったが、満足の行く旅行であった。新潟の会社へ直接よる。
修理に出したパソコンを自宅に持ち帰るためだ。あまり国内は変わったことはないようだ。
おりおり旅行内容な書いていくつもりだ。


4132, 脳の中の小さな存在

2012年07月18日(水)

 体操の内村航平のインタビューの中の言葉に驚いた。「どうして一秒の間に、あれだけの回転が出来るのですか?」の問い
に対する答えが凄い。「私の脳の中に小さな自分がいて、彼が冷静に自分を見ていて次の指示を出している。終わってからでも
内容を憶えていて、間違いを正してくれる」等であった。 これは訓練の繰り返しで、色いろのことを自問自答する中から自然に
出来上がった「セルフ」である。その精度が高いため、世界のトップになれたのだ。その小さな存在には科学的訓練のベースの
裏づけがある。擬人化した「セルフ」には、無意識のレベルに達した自己客観視する自分が、幾重に重なっていて、直感的連続動作を
冷静に見つめていて、瞬間の動作を修正している。柔道でも、同じような話を聞いたことがある。世界のトップクラス相手の攻撃に
対した防御は、考えて対処するのでは無理で、練習の重なりで直感的反射防御まで訓練していないと、防げないという。
世界一流まで持ち上がたレベルの高い「小さな存在」に、自分を委ねているのと同じである。
 親とか、小さな地域的価値観から一歩も踏み出すことが出来ない「小さな自分」に縛られているそれもあるが、その辺の
下世話な内容は、ここでは止めておく。ここは世界的アスリートの話。 天才的芸術家や小説家などは、その小さな自分が、
冷静に現象の中の本質を直感して、それを脚色、新たな創造をする。野球のイチロウにしても、こういう右脳と、左脳の論理が
組み合わせが出来た上で、脳の奥で瞬時に動作を指示する司令塔があるようだ。 将棋や囲碁の名人にも同じである。
 少し話は変わるが、毎朝、過去の、この随想日記を読みかえしているが、毎日繰り返していると、読み返している自分が
別人格として存在しているような妙な気持ちになる。3、5、10年前の同月同日の自分と対話している毎朝の自分の存在である。
私=自分は、それぞれの瞬間瞬間いて、これを書いていた。しかし、時間の経過と同時にTPOSは変化していく。その上に自身も
変わっていくため、それぞれを含めた自身の範囲として、「自分」が立ち上がってくる。哲学的になるが、脳の奥の小さな存在は、
言葉だけでなく、直感も持っている。そのセルフの直感こそ、天の閃きになる。それでも上手くいかないケースもある。
世界を知れば知るほど、自分の卑小さを直感するが、小さな存在は確実に真の言葉と直感は研ぎ澄まされていく。
  真なる自己、真実の時は、感謝、感激、感動、極限の時、静粛の中に存在する。 この瞬間は永遠である。
 ・・・・・・・
3766, ユング ー9
2011年07月18日(月)
   〈 ユングー地下の大王  コリン・ウィルソンー③ 〉
   * 幽体離脱とは          
 事故などで仮死状態の時の幽体離脱の色いろな体験談を聞くが、共通点がある。
 私も何度か幽体離脱と思われる経験をしたことがある。突き詰めれば夢だろうが・・夢にしては、あまりにリアルである。
 ユングが六八歳のとき、散歩中凍った道路で滑って、くるぶしを折って、その二、三日、はげしい心臓発作に襲われた時に、
 幽体離脱をし地球の大気圏の境目辺をさ迷った時の体験の手記がある。 幽体離脱は、人間の限りないエネルギーが、
 あるキッカケで、その外に出てしまい、外から自分の肉体を眺めているイメージをいう。
【 ユングはこの神秘に対して一つの鍵を与えるように思われる一つのケースを挙げている。彼は一人の女性の患者が難産の末に
 死にそうになり、彼女自身が自分の肉体の上方の空中にあって、自分の肉体を見下ろしているような感じになったと述べている。
 彼女は医者がヒステリックになったのを見ることができた。それから、彼女の家族が入って来た。彼女は彼らの反応を見た。
 彼女は自分の後ろに春の花が咲いている公園のような不思議な光景があることを知った。それは「別の世界」への入口である
 ことを彼女は知っていた。彼女は、もし自分がそれを見たら、自分の体を再度入れたくなるかもしれないことを知っていた。
 それで彼は目をそむけ続けていた。彼女が目を覚ましたとき、看護婦に自分が見たことを話すことができた。
 看護婦は、この患者が医者やその他のことについて言ったことを正しいと認めざるを得なかった。】
【 ユングはあからさまに言うことはあきらかに気が進まないが、彼が一般的な意向は明白である。
 一九四四年に彼自身が死に近づいた経験をしたために、彼は心は肉体から独立していると確信するようになった。
 これは、死後の生活が実在しているという意味であるように思われる。事実、一九三四年に書いた「魂と死」という論文で、
 彼はもうすんでのところでこのことを肯定しそうになり、生命とは「死という究極の目標」の一つの準備だという考えを、
 世界の宗教は受け入れているように思われると注釈している(ここでも彼はことばを慎重に選んで話しているので、だれも、
 死後の生命を信じていると、彼を非難することはできない)。このような「体外遊離経験」はー「意味のある偶然の一致」と
 一まとめにして考えると、宇宙が混沌とした集合でないことを確実に示している。 ーP183 】
 ▼ 体の外に出た自分を眺めている夢は、あまりに現実的過ぎる内容である。人間の脳は、あまりに奥行きが深い。
  夢は犬でもみるが、人間は幻覚をみる。その幻覚が思わぬ人知をこえた幽体離脱を生み出すだすのだろうか。
・・・・・・・
3401, おテレビ様と日本人 ー5
 2010年07月18日(日)
 何か、この本を読んでいて他人事のようでありながら、実は自分自身のことではないか?
自分が、そのまま嘲笑されているのではないか?と感じとり自分の過去を振り返ってみた。
 テレビが家に入ってきた50年前の中学校二年の頃に、熱中して成績が落ちる一方であった。そして、
ある時にハッと気づき急遽、高校受験に熱中したが、タッチの差でギリギリセーフあった。
高校時代はテレビなど見ている余裕は全くなく、ただ授業についていくのに精一杯。 ある意味で健全?だった。
ところが、東京の学生時代の二年目にテレビを買ってしまったのが大失敗と、これを読んで気づいていた次第。
私も御多分にもれずテレビ大好き人間。 相撲に、プロ野球、ドラマ、映画、etc、と、これまで、バカ製造機の餌食になっていた。
それでも毎日、数時間の読書をしてきたから半分はブタ化を逃れたと、心の中で言い訳をしている始末。
 私と比較ならないほど更に家内がTV好きなので、そのブタ化が合せ鏡のように見て取れる。
反面、学ぶところもある。ほぼ一切のジャンルを問わないで、世界、日本のナンバー・ワンのものを見ている。
スポーツといえば、ゴルフ、テニス、サッカーなどの騒がれ中継されているもの。
教養?番組では絵画、クラシック、各種演奏会。 映画も名作と騒がれていたものの殆ど。これほどのものなら、
TVの弊害というより、有用だろう。 世界一流の絵画を解説つきで見ると、成るほど理解度と、対象の輝きが更に増す。 
ということは、有害になってブタ化していたのは、むしろ私のほうではないか? まあ、いいか! 
そこで私が録画をしたTV番組のタイトルを改めて見てみたが、著者のいう毒番組が過半数以上?。
 現在では、代議士まで、いかにTVに出て、自分をさらすかに苦心をしている。実際のところ、それが次の選挙対策なる。
彼らにとって、選挙民の投票で現在の地位が保たれているからだ。政治家としての能力より、タレントしてのパフォーマンスが 
要求される。 だから、あの宮崎県知事なっている何某が、臆面なく御笑いパフォーマンスで役割を果たしている。世も末だ
 その意味、愚衆から選ばれた政治家が政治をした結果が愚衆政治になっているのである。
TVの出だしの頃、西部劇などで、白人の主役がインディアンに襲撃にあい、反撃して殺しているのを喜んでみていたが、
あのインディアンは、我われの姿でもあったのである。白人=善人、インディアン=悪人という洗脳でしかなかったのである。
ハリウッド映画が全盛を極めているが、その内容には隠された洗脳ものも多く含まれているのである。
・・・・・・・
2009年07月18日(土)
「生の科学、死の科学」 −養老孟司 対談集ー 3
   【生きる哲学との出会い】 ー橋口譲二(写真家)ー
 *清水次郎長や殿山泰司の顔がなくなった
養老 いまの日本に「清水次郎長の顔がなくなった」と、TVに写真が出たときに‘あっ’と思った。
  ちょうどブータンに行ってかえってきて、向こうにはよくある顔だったんですね。
  人生やることは大体やってきて、修羅場も踏み、この辺で落ちついたという『まあ、こんなものだ』という顔。 
  そういう顔が日本人からなくなった。 ブータンの顔は日本人によく似ている。モンゴロイドがゴチャゴチャの混ざった顔。
  ・・・そこで思い出したのが、黒澤明「七人の侍」です。 あの役者の顔が、幾らでもいるのです。
橋口 侍のような顔がなくなったのはのは、何でだと思います?
養老 「都会になったから」です。 都会人の顔になった、役人の顔になった。一種つくられた顔です。
橋口 何時ごろだと思います。
養老 気がついたのは15〜20年前からです。「面構え」「面魂」という言葉が死語になった。
橋口 僕が新宿の街角で少年達の顔を撮りはじめたのが1981年で、その頃からと今とでは変わりました。
  それはバブルの影響が大きい。バブルは人をとにかく豊かにして、しかし努力をして得たものでないので、落ちていったと思います。 
  文化の享受の仕方が一面的になったというか、何か平たくなった印象です。以前に新宿にいたのは、いわゆる不良で、彼らは、
  自分を取り繕っていないし、自分を隠していない。不器用で、去勢されてない。
  ブータンの役人の顔が日本人に似ているのは、ある種、器用で要領のいい日本人の顔が浮かび上がってくる。
   ーー
 情報化の影響もあるのだろうが、世界が情報で溢れかえって、地区地区の土着の味が無くなりつつある。
 日本の地方の辻浦々まで、情報が行き渡って、その地区の特有の人間性とか祖先から受け継いできた 風習が損なわれて
 きているからである。 意識の全国総都会化で、地方のブロックが希薄になってしまった。
 また時代のエネルギーが消沈している時は、脂ぎった者同士が塀の上で争う場面が少ないということか。
 ・・・・・・・・・
2661, 読書の価値について
2008年07月18日(金)
 読書について、ある哲学書に、その意味=価値が丁寧に説明してあった。学生時代に、読書の必要性を感じ取った。
そして、卒業まじかになって、その絶対量の少なさに唖然とした。そこで社会に出てから毎日、最低二時間は読書をすると、
自分に誓ったことを憶えている。高等教育で一般教養を教える目的は、「学校教育が終わった後でも学び続ける人間をつくること」
というから、一応、その成果は少しはあった???ようだ。 考え、問いかけ、答えを自分で得る方向に努力する素養である。
 以下は、哲学講義書「考える快楽ーグレイリング先生の哲学講義」の《読書》についての中の一節である。
 ーP251
《読書》*一冊の本を読むことから、いったい何度、人は新たな人生を歩みはじめたことだろう・・・読者は多少経験をつめば、
読書を通じて、歴史、喜劇、悲劇といった多様な人間の経験を、あたかも飛翔するワシのように俯瞰することができる、偉大な国へと
進むようになる。 そして、読書に意識を集中できるようになれば、差しだされた豊潤な世界から多くを得ることができるのだ。
読書の鍵は、集中という言葉にある。 どんな教育であれ、後世に遺すことができる最善のものは、熟考と疑問をもつ習慣だ。 
読書は受け身の行為になりうるし、一時の気晴らしに過ぎない娯楽になる場合もある。たしかに多くの本は、読者がそれ以上の
ものを必要としないくらいにたっぷりと技巧をこらして書かれているし、べつにそのことが悪いわけではない。 
しかし、それ以上のものを求めようとすれば、読書は受け身ではなく、能動的な行動にならねばならない。 
(字数制限のためカット 2012年7月18日)
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2007年07月18日(水)
 2297, また地震!どうなってる?まったく! ー2            ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…ヨウ!
今月中は、何処に行っても地震の話で持ちきりだろう。前回の災害時から推測すれば大たいこうだ。
「その時、私は〇〇(TVを見ていた)という状態で、ビックリして〇〇をした。まさかね~、もう絶対無いと思っていたのに、
何で、この地域だけ起こるんだろうか。それでTVを見たところ柏崎沖が震源で、原発の火災に驚いてしまった。
  (字数制限のためカット 2011年7月18日)
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2005年07月18日(月)
 1567, つれづれに
 ー 二ヶ月に一度ぐらい、全く随想日記のネタが無くなる時がある。今がそうだ。面倒になるのと、馬鹿馬鹿しくなる。
随想日記は毎日「独り言」をいっているようなものだ。独り言に起承転結をつけていることになる。思考には非常に有効なことが
解っているし、止めたら張り合いが無くなるのも解っている。このお陰で目の前の人たちへの、言葉の攻撃が少なくなった。
しかし、そうそうネタが思いつかない。ネタが無くなった後に、以前より多くのテーマが出てくるから不思議である。
   (字数制限のためカット 2011年7月18日)
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2004年07月18日(日)
1202, 実存哲学(1) 
   ー哲学について-17
実存の哲学とは[真理」ではなく[実存」を出発点とした哲学である。最初に実存の哲学を語ったのはキエルケゴールである。
実存とは[この私がここにいる]であり、キエルケゴールは「真理」を語る伝統的な哲学者を批判し、ニーチェなどに
大きな影響を与えた。哲学上の近代から現代への大テーマの転換は、認識論から存在論への転換です。
「本質」から、「存在」への転換といってもよい。実存という言葉は、中世スコラ哲学が本質存在と対比させた事実存在という
概念に由来する。「?である」に対応する概念が「本質存在」であり、「いる・ある」に対応するのが「事実存在」である。
すなわち実存とは、事実をして存在していることが重要だという考えを含んだ概念であり、サルトルはそれを
「実存は本質にせんこうする」と表現した。キエルケゴールは以前にも書いたが、不安や孤独や絶望を真正面からとらえた。
それは、人間が精神を持ち、自由であることの証であると。 主体の哲学である。人間が人間であることの特性や意味を
哲学の対象としたことで、それまでの哲学とは違った実存哲学が注目されるようになった。 それまでの古典哲学の代表者である
ヘーゲルと基本的なキーワードで比較すると
  ヘーゲル    ー普遍性ー客観性ー抽象的
  キエルケゴール ー単独社ー主体性ー実存的 となる。
このキエルケゴールに対して、サルトルが彼の絶対者ー神を前提とすることを根底から否定し「実存が本質に先立つ」と主張を始めた。
 サルトルはー
ーわれわれを取り巻く根本状況は、本質を持った「何ものかである前に、すでに事実存在としてある、実存している。
この根本状況はわたしたちが自ら選択したものではない。それでは流されていてよいのかというと、そうではない。
受動的に決定されているだけの「何ものでない」わたしが、「何ものか」になるべく自己を投企して、状況に主体的に関わっていく
ことこそ、真の実存のあり方である。と主張した。自分の「本質」を自ら生み出すような「決断」を想定し、
それを実現するために自由に決断する「自己投企」をする能力をもっているといっている。
・・・・・・
2003年07月18日(金)
 835, 丁度よい
  お前はお前で 丁度よい
 顔も 身体も 名前も 姓も   お前にそれは 丁度よい  
 貧も 富みも 親も 子も 息子の嫁も その孫も それは お前に丁度よい  
 幸も 不幸も 喜びも  悲しみさえも 丁度よい  
 歩いたお前の人生は  悪くなければ 良くもない  お前にとって丁度よい  
 地獄へ行こうと  極楽へ行こうと 行ったところが丁度よい      
 うぬぼれる要(よう)もなく 卑下する要もない 上もなければ 下もない  死ぬ月日さえも丁度よい  
 仏さまと二人連れの人生 丁度よくない はずがない    
  南無阿弥陀仏          
                浄土真宗の篤信家ー藤場美津路  
 ある会社の専務に「ありがとうの言葉」について話していたら、
そういえば、似た言葉で印象的な言葉があるとのこと。「丁度よい」という言葉だそうだ。
ある会社の応接間に飾ってあった額縁の中の言葉で、それから彼は何かにつけて「丁度いよい」をつけて自己納得していたとか。
・うちの母ちゃん丁度よい  ・今の仕事丁度よい
・今の悩み丁度よい     ・今日の夕飯丁度よい  ・リストラされて丁度よい?
等々、なるほどと感心をしてしまった。考えてみたら、その人に神様は丁度よい環境と条件を与えている。
まあ若いうちから、現状肯定ばかりしていたら成長がないが。
 早速、インターネットで検索をしたら、上記の内容が出てきた。この詩は、はじめ良寛の作と思われていたそうだ。
「丁度よい」と思うことができれば、悲しみや喜びの感情の起伏が少なくなる。諦観ということだろう。
『ありがとう』にしても、『丁度良い』にしても、何か納得してしまうのは、年齢のせいだろうか。
・・・・・・・・・
2002年07月18日(木)
 460,スリにあう
海外旅行のトラブルでは「盗難と下痢」が一番問題となる。今回の旅行で初めてスリにあった。といっても家内の話である。 
ユングフラウヨッホに登山列車でのぼった時にスラレタ。頂上の売店で日本へ出す葉書の切手を買った。その時らしいが、
帰りの列車に乗ったとき気づいた。その時はまだ落としたと思っていた。雨と霧の為ハキングは中止で、降りた駅で2時間ほど
時間ができてしまった。そこで国際電話でカードの中止の手続きをした後、売店に入った。目の鋭い30歳ぐらいの白人女が、
日本人のバッグを見ているのが目に付いた。その時は、店の人が万引きの監視でもしているのだろうと思った。
そして店の外に出ると、グループの女性が2人騒いでいた。店内でバッグの蓋が開けられていたという。何かバッグのあたりが
モゾモゾするので手で触ると空いていたので慌てて出てきたという。違うもう一人の女性も、全く同じ状況で飛び出してきたという。
家内がその時やっと自分もすられた事にはじめて気づいた。そういえばユウグフラウの売店で買ったあとトイレに行った時、
バッグが空いているのに気づき不思議に思ったという。その時はまだすられた事に気づかなかった。万引きに気をつけてと
添乗員に言われていたが、まさか自分たちとは思ってもいなかった。雑踏をしていて、気圧の関係で少し頭がボーッとしている
その場は万引きの絶好の稼ぎ場である。そして二度と顔を合わせない観光客ならさらに都合がよい。
カードの実損はなかったが3000円ぐらいの金が被害だった。


4131, 夏目漱石の「自己本位」という生き方

2012年07月17日(火)

            『定年後 ー豊かに生きるための知恵』 加藤仁著
   ♠ 夏目漱石の「自己本位という宝の発見!」
 著者は、25年にわたり定年退職者の退職者の取材を続けてきて、ゆうに三千人を超えているという。
「はじめに」で、まず夏目漱石の47歳時の講演『私の個人主義』で、当時としては思い切った「自己本位の勧め」を取上げている。
私の場合、20歳の時点で創業を決意した時から、「自己本位」になっていた。しかし勤め人にとって、定年後が第二の人生の創業になる。
「定年後の人生こそ、自己本位であるべし」が痛いほどよく分かる。他人の思惑から遠く離れた自己本位の生き方に大きなヒントがある、
という言葉が痛いほど分かる。定年後は自己本位への第一歩から始まる。ー以下は、漱石の『私の個人主義』の中の一部を抜粋したものー
≪ *「 私はこの世に生まれた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。 私はちょうど霧の中に
   閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦んでしまったのです。・・」
  そのころ、明治33年、33歳の時に、文部省から突然、英語研究のためとして、英国留学を命ぜられる。そして1年が過ぎ、苦悩が
 極まった時に、あることに気づきます。自分はこれまで「他人本位」だったのではないか、そして、それこそが「空虚さ」や
 不安の根本原因だったのではないかということです。 (私の個人主義)
*「今まではまったく他人本位で、根のない『うきぐさ』のように、そこいらをでたらめにただよっていたから、駄目であったということに
ようやく気がついたのです。私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、
 それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似をさすのです。(〜中略)ましてやそのころは西洋人のいうことだといえば
 何でもかでも盲従して威張ったものです。だからむやみに片仮名を並べて人に吹聴して得意がった男がどれもこれも皆是なりと
 いいたいくらいごろごろしていました。(〜中略) つまり鵜呑みといってもよし、また機械的の知識といってもよし、とうてい
 わが所有とも血とも肉ともいわれない、よそよそしいものをわがもの顔にしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、
 またみんながそれを賞めるのです。」(同前)
 ー苦しみの中から、漱石はあることに気づきます。それが「自己本位」。「自分を主体にし、個性を大切にする」ことに気づいたことで
「他人本位」が自身の根源的な問題であると気づいた漱石は、「自己本位」こそが「空虚さ」から脱出する鍵を握っていると考える。
 つまり、外から無批判に「鵜呑み」で受け入れた「よそよそしい」知識や価値観を用いて生きるのではなく、丁寧に吟味し咀嚼して
「わが血や肉」と呼べるものを自分の中に養成し、それにもとづいて生きる生きかたに目覚めたわけです。
*「私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってからたいへん強くなりました。彼ら何者ぞやと気概が出ました。(〜中略)
 その時、私の不安はまったく消えました。私は軽快な心をもって陰鬱なロンドンを眺めたのです。」(同前)
ー 1914年に学習院での講演で、47歳の漱石は、それまでの人生における煩悩を告白し、いかにして袋小路から抜け出したかを語っている。
「他人本位」から「自己本位」に脱し、自身の神経衰弱を克服した漱石は、次代を生きる若き聴衆に向けて、次のように熱く語りかけている。
『 ああここにおれの進むべき道があった!ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたははじめて
 心を安んずることができるのでしょう。(〜中略)もし途中で霧か靄(もや)のために懊悩していられるかたがあるならば、どんな
 犠牲を払っても、ああここだという掘り当てる所まで行ったらよかろうと思うのです。(〜中略)だからもし私のような病気に罹った人が、
 もしこの中にあるならば、どうぞ勇猛にお進みにならんことを希望してやまないのです。もしそこまで行ければ、ここに俺の尻を落ちつける
 場所があったのだという事実をご発見になって、生涯の安心と自信を握ることが出来るようになると思うから申し上げるのです。』(同前)≫
 ▼ この漱石の言葉は、現在でも、私たちに強く響いくる。当時の学習院での講演で、「自己本位」を説いたのだから、さすが漱石である。
  キリストも、「自分を愛するように他人を愛しなさい」と言ったのであって、他人を優先して愛しなさいとは決して言ってない。
・・・・・・
3765, ユング ー8
2011年07月17日(日)
 フロイト邸でおきた、ユングのオカルト現象は有名だが、フロイトは半信半疑だったようだ。
ユングには、特殊の超能力があったのは事実である。以下のフロイト邸での出来事は、知る人ぞ知る事実である。
【 一九〇九年三月、ユングとエンマはウィーンのフロイドを訪問した。 そしてフロイト邸で、「本棚のボルターガイスト」
という有名な事件が起ぎた。「オカルト現象」に関しては、フロイトは完全に懐疑論者だった。 一九〇九年までに、
心霊現象のまじめな研究者によって、ボルターガイストー物を投げる霊ーは、通例は精神的な悩みのある思春期の人と
関連があることがあきらかになった。そしてこれから、ボルターガイスト活動は、思春期の人の無意識的な心、
いわば、はげしい内部葛藤の「外在化」ーによってともかく引き起こされるという説が生まれた。ユングはこの説を信じ、
ボルターガイスト活動を「外在化現象」とよんだ。フロイトとユングが超常の実在について論じていたとき、突然本棚から
大きな爆発音が起こり、二人とも跳び上がった。「そら、これが外在化現象の一つの実例ですよ」とユソグは言った。
「ばかな!」とフロイトは言った。「いや違います。私が正しいことを証明するために、しばらくすると、もう一度
音がすることを今予言します」。ユソグがこう言ったとき、本棚で第二の爆発が起こった。フロイトがその後ユングに出した
一通の手紙から判断すると、フロイトは半分以上納得したらしい。しかしその後フロイトは数回こういう音を聞いた。
そこで彼は、なんらかの自然の原因があるという結論に達した。ユングはフロイトと議論すると横隔膜が熱くなるのを
感じたから、自分がそれを引き起こしたのだとかたく信じていた。フロイト派の注釈者たちは、音は、乾ききった本棚の
木材から起こっただけのことだといつも主張していた。しかし実際になにが起こったのかを知ることは、今日では不可能である。】
 ▼ 父親が亡くなった直後から10年間あまり、私に特殊な感覚が身についていた時期があった。
 (偶然の一致が、あまりに多いのは)現在も残っている。この10年は哲学にはまり、論理的になったこともあり、その感覚が
  薄れてしまったようだ。人間の存在、いや、自分の現にある存在の方が遥かに不思議というのが哲学。実際に、そのとおりである。
 ・・・・・・・
3400, おテレビ様と日本人 ー4
2010年07月17日(土)
   * 泥を食う豚、&、バカにつける薬としてのテレビ
 ここまでアメリカによって非植民地化人間に仕立てられてしまった日本。 これまで何を考えてきたのか、
何をしてきたのか、を考えさせられる言葉が続く。冷戦下では、敗戦国として、これしかなかったのだろうか。
一人の日本人として考えなければならない。あてがわれた憲法を今も大切に、誇りを持って維持している健気さ!
 ーP196ー【 私は現在の地球上の国々に別称をつけている。印象的な、いくつかの例を挙げれば次のようなもの。
 虎視耽々の虎(中国)、手負いの猪(アメリカ)、砂漠の狐(イスラエル)、遠吠えの狼(ロシア)、
追い詰められた野犬の群れ(中近東)、老衰のハイエナ(イギリス)、踊るチンパージン(韓国)、叫ぶ山猿(北朝鮮)、
昼寝のイタチ(フランス)、うずくまるピュ―マ(ドイツ)などである。
 それでは日本は何かというと、無論、「泥食う豚」というところだ。これ以上ぴったりのイメージは今のところない。
・・・食うている泥とは、無論テレピだ。一昔は日本人は「蓼食う虫も好き好き」だった。どちらかというと雑食系の日本人は
個性があった。変人奇人、変わり種、自説を曲けない一徹者、頑固おやじ、へそ曲がり、そういう人たちと議論するのは楽しかった。
 ところが今の日本人は、一億全員、同じ声しか出さない。 「ブー」である。・・・・】
 ーP211【 アメリカがサダム・フセインを殺さねほならなかった理由は、自分たちの知性を殺人という悪にすりかえての国際法に
頼ったからだ。 フセインに知性がない暴虐だと裁断し、自分たちには知性があることを立証するために911で立証し、完全に
他の絶対多数としてのバカたちを騙し、石油、経済安定という偽善を打ち立てたのだ。でなければ、バカはもっと、
とめどなくバカをし、知性の善を弱さとしてしまい、とめどない混乱が起きる。 知性の善用は、即、悪であり不幸の原因となる。
なぜこんな大矛盾の不幸が人間に起きているか。 テレビと人間の関係がそれ明かす。 機械が知性を先回りしすぎたのだ。
もし兵器が、この時代でもまだ弓矢の段階だったら、現在の国際紛争も丁度均衡が取れているだろう。現在の人間の知性は、
弓矢並みであり、それがフィットしているのだ。 アメリカがイラク・アフガンに攻め込むのも、鉦や太鼓で鎧兜程度であれば、
これほど「悪」がはびこり、「悲惨」が現実になることはない。人間はいまだにこの「悪」と「悲惨」を征服し、
解消できないにもかかわらず、核兵器を持ってしまった。 テレビを持ってしまった。 それを知性化し、知性利用することは
不可能だ。 どうしてもテレビを悪用するしかない。 唯一の「バカにつける薬」こそ、テレビなのだ。
残るのは、ほんの僅かな、知性ある人間が悲憤慷慨し、嘆き哀しみ、絶望し、諦める現実だけだ。】
 ▼あの911事件は明らかに、私たちがテレビで植え付けられたものであり、真実とは大きな隔たりがあると信じて疑わない。
単純にアメリカ公共事業の戦争屋の仕掛けた罠だけと言い切れないが、逆にアルカイダの単純テロではないことは間違いない。
それらが入り乱れた複合的な結果だったとみるべきか。いずれにしても日本人との差は歴然としている。そして、2012年には?
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3025, 閑話小題
 2009年07月17日(金)
* マッチ・ポンプ
 ーウィキペディアによるとー
【 マッチポンプとは「マッチで火をつけておきながら、それをポンプで消す」というように、自分でわざわざ問題を作り出して
 おきながら、そ知らぬ顔で、自分がそれを解決することで賞賛や利益を得るような、偽善的な自作自演の手法を意味する
 和製英語である。1966年、黒い霧事件第一弾の田中彰治代議士事件で初めて使われ、元々は金品を巻き上げる意味で使われた。】
 色いろのケースがあるが、同じことを繰り返すうちにアシアトを残す。 金銭・物品が絡めば犯罪である。
  そして、一番大事な信用と信頼を無くす。 人間関係は、信用の上に成り立つ。
* 自民党の末期現象
  (字数制限のためカット 2010年7月17日)
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2660, 幸福の4階建て ー2
 2008年07月17日(木)
「克服できない苦難の中こそ、幸福がある」とは? それも最上階の幸福というのは何故か?
頭の中が混乱して、今も考え続けているが、実感として解らない。エイズになった人が、果たして幸福なのだろうか?
ガン末期の人が、ライ病の人が、最上階の幸福なのだろか?明日の朝、特攻で旅たつ若者が幸せだったのだろうか?
(実際にあったかどうか別として)キリストが十字架で意識がモウロウとした中で「神よ私を見捨て給うのか?」という
ギリギリの苦悩が、幸福だったのだろうか?深い絶望のうちに自らの命をた断たなければならない者が幸福なのだろうか?
自分の不注意で子どもを死なせてしまった母親の絶望が幸福なのだろうか? 問題提起としては重く、深いが何か反発の方が強い。
もし「克服できない苦難の中にこそ、幸福がある」と思えたら、それだけで苦難を幸福に切り替えていることになる。
その切口からすると、軽く否定するこもできない。崇高な幸福は、そんなに甘いものではない?ということからみても
「克服できない苦難の中こそ、幸福がある」というのも筋が通っている。不幸の真っ只中の、その中心に実は幸福がある!
ということなのであろうか? 「どん底になったら、その底を掘れ」というが、そういうことなのか?
人生を振り返ると、実感として、どん底?から水が湧き出てきたのは解る。その水が自分を支えてくれていたのも解る。 
苦難の中にこそ、大きな喜びがあった。事業では、問題にブツカッタとき、その問題の中心に解決の鍵があった。
(その理屈は知っていた)それからみると、最上の幸福は、克服できない苦難の中に、幸福があるというのも筋である。
ところで、屋上は何だろうか? それより、4Fの意味である。「克服できない苦難の中こそ、幸福の『鍵』がある」なら解るが。
もし、この言葉が理解できたら、過去の出来事に対する視点が全く変わる。いや、現在の世界観も根本的に変わる。 
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2007年07月17日(火)
 2296, また地震!どうなってる?まったく!      才ノヽ∋? (゚▽゚*)♪
 昨朝の10時過ぎ、居間で家内とお茶を飲みながらTVをみていたら突然、地響きと同時に揺れが始まった。
アレヨアレヨと思っているうちに、揺れが大きくなって、横揺れから縦て揺りになり茶箪笥の食器が飛び出してきた。
あわてて裸足で食器やガラスコップの破片の中、開きドアを閉めにいった。慌てるとは、このことだろう。
破片で怪我をしなかったものだ。前回の揺れより大きいような気がしたが、気のせいではないかと思った。
すぐに玄関外の獅子の置物を見たが横に傾いていただけ。庭の石灯籠も小さいのが3つ飛び散っているだけで、
他の5つは大丈夫だった。前回の地震で壊れものは破壊されてしまったので、被害は三分の一以下であった。
これでは長岡市内で大きな被害が出ているはずだ!近くに住む実兄に電話をしたら、以前ほどではないという。
TVでは、六強というから前回より激しいことになる。午後三時過ぎに至近にあるスーパーとドラッグストアが開いているかどうか、
ウォーキングの途中に立ち寄ってみたが、二軒ともしっかりオープンしていた。スーパーの酒売り場は何ともなかったかのように
整然と並んでいた。かなりの量の酒ビンが割れていただろうに・・・。惣菜と弁当は買出しのためか商品量は少なかったが、
他はチャンと元通りに並んでいた。地震の危機管理の訓練がしてあったのだろう! まあ、合格というより、流石である!
  (字数制限のためカット 2012年7月17日)
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2006年07月17日(月)
1931, 10年後の日本を考えてみると        才八∋ウ_〆(∀`●)
 十年後の日本で間違いなく起こっている問題点を考えられる限りあげてみた。
・消費税の20?以上の負担                   ・少子高齢化社会の到来
・外国人労働者の比率の増加による犯罪の増加と、治安の悪化  ・フリーターの増加と、下層階級の増大
・年金財政の悪化と破綻、団塊の世代の大量定年後の負担の問題 ・中国とインドの台頭と影響力の増加、それに付随する大混乱
・北朝鮮の崩壊と、朝鮮半島の混乱(これは数年先と思われる) ・2005年からの人口減と経済縮小
・介護保険増大による財政の悪化               ・地球温暖化による大問題の噴出
・関東大震災の可能性の増大             ・「ゆとり教育」で育った年代が人口の中心になってくる社会的大問題。
・行き過ぎた自由競争の弊害の噴出
 (字数制限のためカット 2010年7月17日)
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2005年07月17日(日)
 1566, つれづれに
ーユニクロ社長交代ー
 ユニクロの社長に、創業者の柳井氏が返り咲くことになった。 全く流通に関係ない人が社長になったことに疑問を持っていたが、
 やはり当然の結果となった。 参謀とトップは別ものということが、理解できなかったのだろう。
 それが現在のダイエーのトップ人事にもいえる。数年後に、その失敗のカタチが表面化をしてくるだろう。
ー橋梁談合事件ー
 (字数制限のためカット 2010年7月17日)
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2004年07月17日(土)
 1201, 仮説について
ー仮説を辞書で調べてみると、
ある現象を理論的に統一して説明するために立てられた経験科学上の仮定。
その真偽の検証は、仮説から必然的に演繹(えんえき)された諸命題を実験や観察によるテストで
確かめることによってなされる。検証された仮説は法則や理論として公認される。 ーとある。
事業では、生じてきた問題に対して常に仮説を幾つか立てて、知るかぎりの情報を検証して判断決断をしてきた。
わたしの思考法として、
・自分の立てたテーマと結論に対して正反対の仮説を立ててみるという「仮説思考法」
・本や人の論を全く疑ってみる「一刀両断思考法」
・喩えをつかって、その現象を一度パッケージ化をして、それを鳥瞰してみる方法ー「喩え話鳥瞰法」
・KJ法をつかう方法(帰納法の一種だろう)ー「紙切れ書き出し思考法」
・テーマを考えて、それを構成する材料を集め、そのプロセスで考える方法「テーマ思考法」(演繹法)などがある。
  (字数制限のためカット 2012年7月17日)
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2003年07月17日(木)
 834, 沖縄の中学生のリンチ殺人事件
3年前の春の土曜日に、自宅近くの土手を散歩していた時のこと。川崎小学校裏の土手を歩いていたら、一人の高校生?が相手を
殴っているのが見えた。瞬間に「この馬鹿野郎、、何をやっているんだ!」と走りよっていた。ところが、その場に踏み込んだ瞬間
とんでもない修羅場であった。グループ同士の喧嘩の場で、2~3人が倒れて気絶している。15歳位の犬コロのような餓鬼3~4人が
逆に粋がって『何だと、やるのか!』と迫ってきた。 しまったと思ったが、もう遅い!私も学生時代に合気道をやっていた経験がある、
しかし実践には全く役に立たない位はしっている。こういう時は物を持つのだ。目の前の木を拾い、逆手に持った。
  (字数制限のためカット 2011年7月17日)
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2002年07月17日(水)
 459,危機一髪
今年2月、ある取引銀行が「ドルが必ず上がるはず買わないか」という提案。当時130円、その時期は三月決算に向けて
140円は誰の目にも明らかであった。そこを銀行の担当もついてきたのだ。「上げるべき金利は上げないからドルを買ってくれ!」
一瞬どうしようと迷った、そうするうちに週末になり翌週になってしまった。円が135円まで上がってしまっていた。
そうすると大して旨みがない。手数料を入れると139円になるからだ。迷ったが、それでも132円辺りになったら買おうかと
数字をみていた。そのうち少し下がり133円辺りになり、さてと買いかなという時、大矢氏が反対した。
「もうリスクを負った金融をやらないと決めたはず。それと売買で4円の手数料を取られ、銀行のテラセンの餌食でしかない。
それも銀行に今になって薦められやるのはおかしい?!」それも戦略的に円を買っていれば話は違うが、全くそのとおりである。
買っていたら今は1000万近く損をしていた? 途中で売っていたとしても500万は損をしていた?
(字数制限のためカット 2011年7月17日)
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2001年07月17日
 旅行中


4130, マネー大動乱  −3

2012年07月16日(月)

    * ユーロの崩壊の可能性?     「日本と世界を直撃するー マネー大動乱」 増田悦佐著
  リーマンショックをキッカケに欧米が没落過程に入ったといってよい。世界は人種間、民族間、国家間、すべからく
 フラットになっていくプロセスに入った。それが良いか悪いかは解らないが、これまでとは全く違った激流が押し寄せてきている。
 本格的情報化社会のもたらした新時代の到来である。その中でユーロ圏という人工的な経済共同体が出来たが、壁にぶつかり
 右往左往している。南欧系を抱え込んだため、大きな価値観の差が大きく立ちふさがっている。もしユーロの崩壊ともなれば、
 数千年続いてきた白人主導社会の崩壊に繋がる可能性が強くなる。 ー 以下はそれを指摘している部分である。
≪ ユーロというあまりにも人工的にでっち上げられた共通通貨が採用されたことで、これらの加盟国の勤労倫理が改善するとか、
借りたカネは返さなければならないといった市民社会の倫理が浸透するとかの変化があったのだろうか。人間の働き方や生き方は、
制度が変更されたからといって5〜10年でガラッと変るものではない。むしろ、突然変わってしまったら、南欧ののんびりした
雰囲気を満喫きた観光客を失望させてしまうだろう。 ギリシャ、ポルトガル、アイルランドあたりでの危機対応策が公式に
債務不履行と認められるかどうかは別として、何らかの債務不履行なしでユーロ圏金融市場が再建できると考えるのは白昼夢に近い。
ここにきて格付けが大きく引き下げられたイタリアも、かなり危ない。このへんの金融市場の混乱は既定の事実で、あとは実際に
起きるのがいつになるかというタイミングが興味の焦点ということになる。 すぐにもやってくるヨーロッパ発の金融危機が打ち上げ
花火のように派手なものになろうと、比較的地味に抑えることができようと、これからのヨーロッパ経済が回復のない没落過程に
入っていくことだけはまちがいない。これは、決して世界にとって悪いことではない。大した働きもないくせに、夏は一〜二ヵ月の
バカンスをとり、「ヨーロッパはアジア、アフリカ、中南米の人間より生まれつきできがいいのだから、いい生活をして当然だ」と
思いこんでいる連中は没落して当然なのだ。 第二次世界大戦が終わるまで(フランスやベルギーの場合は、一九六〇年代まで)、
この手前勝手な思いこみが通用していた最大の理由は、アジア、アフリカ、中南米の植民地を収奪していたからだ。イギリスが
その典型だが、戦後のヨーロッパは、慢性的な経常赤字を垂れ流しながら、慢性インフレによる合法的な借金踏み倒しをすることで、
稼ぎよりいい生活をし、欧州諸民族の人種的優越性という虫のよい思い込みを維持してきた。 そういう連中が、やっと身の丈に
合った生活水準に引きずり下ろされるのだ。まじめに働ぎ、自分たちの稼ぎの範囲内で生活してきた人たちにとっては、
なに一つ悪いことはない。むしろ、そのタカリ屋たちが、没落すれば、自分たちの取り分が増える。アジア、アフリカ、
中南米の人たちには、間違いなく歓迎すべきことである。≫
 ▼ 白人主導のシステムとして、マネーを支配下に置くことがある。これまではドルだったが、それに対抗すべしと欧州が
 ユーロという共同通貨を作り上げた。しかし、それが崩壊の一歩手前に陥っている。恐らく、これから数十年かけて、新しい
 通貨システムが構築されるだろうが、その間は恐慌と戦争などの大混乱が生じる厳しい時代に入った。問題は何時、発火するか。
 ・・・・・・・
3764, ユング ー7
2011年07月16日(土) 
  * 集合的無意識と、元型
潜在意識には、個人が長い年月を経て蓄積してきたさまざまな人生経験にとどまらず、個人を超えた「普遍的なもの」と
アクセスする場合がある。この「普遍的なもの」から送られてくるメッセージによって、人類の長い歴史や文化という
大きな文脈の中における、自分の本質的な位置をとらえることができる。
▼ 時間と空間を超えて、すべてにつながっているもの <集合的無意識と、元型>
 〔1〕人類に普遍的に存在する「集合的無意識」
 潜在意識には、個人の過去の経験とは無関係な誰もが普遍的に所有している無意識層があり、ここに、時代、国家、
 地域、 民族、文化、さらにはすべての人類における「共通の意識」があると考え、これによって、人類が考え方を
 自然に共有できるとも考えた。 このような人類に存在する深層意識の共通点を「集合的無意識」とした。
 〔2〕集合的無意識に触れるから、自他との会話が可能になる
 古今、時空を超えた地域の神話や昔話が心をとらえたり、そこに自分と似たような人物を見出したりする。
 また時代や地域の異なる宗教に真理を見出すことが出来ある。
 時代や地域を超えた「普遍的なもの」に「自分」の本質的な位置を理解することができます。
 〔3〕元型
 集合的無意識を構成しているものを「元型」と呼び、世界各地の神話や伝説、遺跡や壁画、宗教、芸術、小説、映画、夢で
「普遍的なイメージパターン」を生み出している。元型は、子を生んで育む母性イメージとしての「母親元型」、 厳格に教え導く
 父性イメージとしての父親元型」、男性の心の中の女性的な部分(女性像)である「アニマ」、女性の心の中の男性的な部分
 である「アニムス」、 社会に適応するために身につけた外向きの顔である「ペルソナ」、自我を形成する過程で
 発達させることができずに抑圧さえた人格である「シャドー(影)」などがある。
 〔4〕自己
 特に重要な元型は「自己(セルフ)」と呼ばれるもの。 これは「完全なるもの」「最高なるもの」を意味し、この元型から
 生み出されるイメージパターンは、悟りや解脱などの宗教的境地や、イエス像・天使像・仏像などの頭上や背後にある光の輪、
 あるいは、金やダイヤモンドなどのような物質に与えられた特別な(尊い、神聖な)意味などが挙げられる。
 「自己(セルフ)」の元型は、自分らしくない人生を生きている場合や、自分の人生が意味のないものに感じられる時に、
 生きる意味を与えたり、自分らしい人生を選択していくための力となったりする。
◎ 我々が自然に安らぎを感じたり、太陽を崇拝することは人類に共通すること。その共通するものがあるからこそ、
我々は自分とも他人とも対話したり、つながることができる。民族に伝わる神話や昔話が、それぞれの民に共感するのは、
それぞれの集合的無意識が働くからである。ところでペットにも集合的無意識があるんじゃない?共通項があるから可愛いのでは?
  ・・・・・・・
3399, おテレビ様と日本人 ー3
2010年07月16日(金)
 * 限定的な陰謀、対極的な陰謀
 ここまで書いて良いものかと思うほど辛らつだが、これが真実である。さらに「ゆとり教育」で植民地人間=ブタ化の完成である。
その典型が、その世代の10代後半から30歳半ばの青年たちは、中国、韓国の若者達に大きく差がつけられてしまった。
その上に携帯電話という思考停止マシーンで育っているから目が当てられない。哀れというしかない! 他人事でない?
 ーまずは、その辺の部分を記してある部分からー  (P/177)
   (字数の関係でカット 12年07月16日)
≪ヤフーのブログ「バードウォッチ」に転載します!≫
   ・・・・・・・・・
3024,明治・大正と昭和・平成の符号説
 2009年07月16日(木)
 「生の科学、死の科学」 −養老孟司 対談集ー  〜2
  【憂国の時代】 ー関川夏央ー
*明治・大正と昭和・平成の符号説
 この中で、関川が語っていた明治・大正と昭和・平成の符号説が面白い。
  ーその概要をまとめるとー
 現在の激変の時代を幕末から明治維新期に例えると分かりやすいが、明治・大正と昭和・平成の符号説というのがある。 
「時代の状況」がそっくりに見えるのである。その平成も大正時代を越えて21年になる。 大正という時代は、
明治の近代国家づくりが日清・日露戦争を経験し完成。「大正デモクラシー」という教養を尊ぶ自由な時代。
第一次大戦の好景気があり、関東大震災があり、その5年後と言えば昭和の大不況の真っ只中。昭和・平成といえば、バブルと、
その崩壊、平成不況と阪神大震災とピッタリ符合する。そうすると、次にくるのは第二次世界大戦ということになる。
これから10年間は大恐慌の嵐が吹き荒れ、そして戦争? それとも、既に戦争があり、全ての国が敗戦したのだろうか? 
(字数の関係でカット 11年07月16日)
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2659, コールド・リーディング
 2008年07月16日(水)
 本の新聞広告に「コールド・リーディング」という言葉が目についた。
そこで、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で調べてみたら面白い。
 ーー
・コールド・リーディング(Cold reading)とは話術の一つ。
 外観を観察したり何気ない会話を交わしたりするだけで相手のことを言い当て、相手に「わたしはあなたよりもあなたのことを
 よく知っている」と信じさせる話術である。「コールド」とは「事前の準備なしで」、「リーディング」とは「相手の心を読む」
 という意味である。詐欺師、占い師、霊能者などが相手に自分の言うことを信じさせる時に用いる話術であるが、その技術自体は
 セールスマンによる営業、警察官などの尋問、催眠療法家によるセラピー、筆跡鑑定、恋愛などに幅広く応用できるものであり、
 必ずしも悪の技術とは言えない。
・よく似たものでショットガンニング(Shotgunning)も、超能力者や霊能者を自称する者が用いる技術である。
 彼らは実演する相手に大量の情報を話すが、そのうちのいくつかは当たるため、相手の反応を見計らいながら
 その反応に合わせて最初の主張を修正し、全てが当たったように見せかける。
 エドガー・ケイシー、ジョン・エドワードらはショットガンニングの疑いがもたれている。
・コールド・リーディングの技法として、実際のリーディングを始める前に、読み取る者は相手の協力を引き出そうとする。
「私には色々なイメージが見えるのですが、どれも明確ではないので、私よりあなたの方が意味が分かるかもしれません。
 あなたが助けてくだされば、二人で協力してあって導き出しましょう」という。これは情報を引き出そうという意図である。
 そして分からないように相手をよく観察しながら、誰にでも当てはまりそうなごく一般的な内容から入る。
*「あなたは、自信がなくなる感じのすることがあるようですね。特に知らない人と一緒にいるときなどです。
そのように感じますがどうですか?」(バーナム効果を参照) または、観察に基づき、より具体的にみえる内容
(実は具体性はあまりない)に踏み込んで推測を行う。
*「私には年老いた婦人があなたのそばによりそっているイメージが見えます。
 少し悲しそうで、アルバムを持っています。このご婦人はどなたかお分かりになりますか。」
*「私はあなたの痛みを感じます。多分頭か、もしくは背中です。」相手はこれら具体性のない推測に対して、びっくりしたり
 思い当たることを話したりするなどの反応をすることで、リーディングを行う者になんらかの情報を明かしてしまうことになる。
 これを基礎に、リーディングを行う者はさらに質問を続けることができる。推測が次々当たれば、相手はリーディングを行う者への
 信頼をどんどん深めてしまう。もし相手に推測を否定されたとしても、態度を崩したりうろたえたりせず、威厳をもって
 「あなたは知らないかもしれないが実は私にはそのように見えるのです」と言い張るなど、信頼を損なわずうまく切り返す方法がある。
 コールド・リーディングには確立した技術がある。多くの演者がこの技術を習っており、能力者を装って一対一の占いを行ったり、
 ジョン・エドワードのように「死者と対話する」などと題した公開の場で、観客に死んだ近親者からのメッセージを披露したりする。
 演者の中には、観客について言い当てて大喝采を受けてからはじめて、実は超能力は使っておらず、心理学と
 コールド・リーディングの知識だけあればできるとばらすものもいる。
 ▼ 以上だが、少し前は宜保愛子、最近では細木数子などが、この手法を使っていた。
 スタッフに相手の下調べをさせたり、待合所に隠しマイクを設置して、情報をとる「ホット・リーデング」がある。
(字数の関係でカット 11年07月16日)
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2007年07月16日(月)
2295, 中島義道の「池田晶子」追悼文 -1           ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕
 自ら書いているように奇人変人の哲学者の中島義道が、池田晶子と知り合いであり、彼女への追悼文を、
ある月刊誌の中で見つけて驚いてしまった。この随想日記も中島は何回か取りあげてきたが、その奇人ぶりには読んでいて、
あきれていた。唯我独尊で、ただへ理屈?を並べ立てている姿、誰かに似ている。かた方の変人の雄の池田と知り合いで、
その追悼文を書いていたとは! 中島にしては、前半はシンミリとした感じであった。何か自分に劣らない奇人の死に
戸惑っているようだった。中島は池田を哲学者と認めてないようで、哲学者でも哲学研究者でもなく、著述業として切り捨てている
ところが、彼らしい。昨年から池田晶子にはまってしまっているが、亡くなったことで更に、もう一歩踏み込んでいる。
とにかく根源的で、純粋であるのがよい。その彼女の姿を中島がどの様に見ていたかを知るのは面白くないわけがない。
哲学者の間では彼女は無視された存在であり、著述家としてしか、見られてなかったようだ。
哲学者にとっては哲学用語を一切使わないのは、それだけで、相手にされなかったのだろう。
初心者向けに絞って、哲学みたいな文を書いている女とみられていたようだ。
 前半は、中島が見た池田の哲学学者仲間としての心象。 後半は、中島独特の批判で構成されている。
  まずは、前半の中島の彼女の心象から・・・
 ー 月刊・新潮45?2007年・5月号ーより  P-152
 池田晶子さんが亡くなった。四十六歳の若さである。新聞報道は三月二日の読売新聞が最初だが、私は翌三日の朝日新聞で知った。
昨年末、新潮社の編集者と忘年会と称して呑んだとき、彼女が癌を患っていることは聞かされていた。その口ぶりから、
末期ということはわかったが、こんなに阜く逝くとは思わなかった。ショックはないと自分に言いきかせていたが、
その日大学にいても彼女のことばかりを考えて過ごした。いままで意図的に避けてきたが、ある種の独特の形で哲学に
携わった彼女に対する自分の気持ち(評価)をごまかすことなく語ってみようと思う。
 池田さんとは四、五回会っている。はじめは十五年以上も前のことであるが、(いま慶応大学の教授である)斎藤慶典さんが
「おもしろいことを書く人が後輩にいるから」と「大森先生を囲む会(略して「大森会」)」に連れてきたのだ。
池田さんは例会の日に、教室の入り口でそっとお辞儀をして入ってきた。そのころ彼女は三十歳位であり、とびきり美人であることは
誰の眼にも明らかだったが、そこにいた参加者たちはまったく無視していた。水玉の(?)袖が長めの白っぽいワンピースを着ていたように
記憶している。池田さんは、当時まったく哲学仲間のあいだでは知られておらず、まだ本を二冊書いた程度であったから、世間的には、
ほぼ無名であった。そこには、永井均、野矢羨樹、飯田隆、丹治個治・・など、いまや日本哲学界を担う人々が決集していたが、
当時彼らは哲学界という狭い世界の中では評価されていたが、誰も世間的には有名ではなかった。  (字数の関係でカット 10年07月16日)
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2006年07月16日(日)
1930, 二つ目のブログ
               ( ̄▽ ̄;)!! オハヨウ!               
新しいブログを二つ開設した。一つは、このHP上に貼り付けてある海外旅行の写真ブログ。
  (字数の関係でカット 09年07月16日)
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2005年07月16日(土)
 1565, 新潟駅周辺再開発が動き出す
ここにきて、新潟駅再開発が本格的に動き出した。昨日(7月15日)、近くの市民会館で住民説明会が開かれた。
一時間あまりであったが、400人位が来ていた。同じ内容で、この数日で6回も開かれるという。
当社のホテル4棟のうち2棟が駅東線道路の拡張に引っかかり、更に200坪の駐車場が明石紫竹線道路に面していることもあり、
このプロジェクトは非常に大きな要素を持っており、ホテル事業に大きな影響を与える。丁度、ホテル建設から10~24年経っており
建て替え時期になっているので、プラスになるだろう。また工事が始まると工事関係者の宿泊に多大な影響をもたらす。
  (字数の関係でカット 10年07月16日)
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2004年07月16日(金)
 1200, ロマン・ロラン
 ー哲学についてー16
(以下、字数の関係でカット2008年7月16日)
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2003年07月16日(水)
833, 孤独について ?2
 以前も書いたが(あとでコピーしておきます)、再び孤独について書く。経営者は孤独でなくてはならないとか、
孤独であるという。特に創業は孤独に徹しないと、甘さが生まれてくる。山の中の孤独というより、街の中の孤独である。
街の中の孤独とは自分と他者の間にラインを引くことである。お互いの距離をおくことである。
 ある本に孤独を「六独」6つに分解して、説明をしていた。
1 独想  2 独学  3 独行  4 独遊  5 独創  6 独楽
 これが出来るようになるには強い意志が必要だ。創業を何回か経験をすると深い孤独の経験をする。
独り着想と構想をねり、その為の情報を集め、分析をして決断、たった独りで嘲笑のなか行動開始、
途中からゲーム化をして遊びまで高め、創りあげる。そしてその起承転結を楽しむ。しかし実際はつらい孤独業である。
つらさと楽しみは裏表であること知る。二代目が失敗をするのは、この孤独に耐えられないためである。孤独に耐えるためには、
宗教が必要である。日本人が平気で自分は無宗教と答えるが、グローバルで見たときとんでもないことだ。欧米では自分が
気違いだと言っているに近いことになる。スモールS (多神教)の集まりを宗教観を前提で答えていることを、自覚していない為である。              ーつづく
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2002年07月16日(火)
 458,一期一会
 以前にも書いたが、旅行の楽しみの一つが色々の人と会えることである。 それも字のとおり「一期一会」である。
 殆んどの人が初めて会い、2度と会うことがないことが解っているから、全てを曝け出し、そして別れていく。
「天国?に行く途中の舟で一時隣り合わせた人たち」に喩えることができる。平気で自分を曝け出せる場でもあり、
 人生の学問の場でもありうる。お互いの人生の通知表を見せ合える場であり人生の決算書を携えて来ているともいえる。
 色々な人生があるものとつくづく思う。遠藤周作の「深い河」というインドのツアー参加者のそれぞれの人生を描いた小説が
あったが、正しくそれである。直にそれを見れるのも、一種独特の圧縮された社会がその期間に形成されるからだろう。 
特に秘境系のツアーには濃い人生を生きてきた人が多い。 私のように人間ウオチャーにとって、最高の観察ができる場でもある。
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2001年07月16日
 旅行中


4129, マネー大動乱  ー2

2012年07月15日(日)

        「日本と世界を直撃するー マネー大動乱」 増田悦佐著
 アメリカの金融業界と他の産業の格差は二倍。そして製造業が商業より三割り高い。日本もアメリカほどでないとして同じ傾向にある。
最近では公務員が民官に比べて2〜3割以上も高いことが問題になっている。強い立場を利用して御手盛りをしているのである。
情報化もあり、一強多弱の傾向が全ての産業で強くなってきた。日本の自動車業界も日本資本はトヨタとホンダぐらいしか残っていない。
家電にいたっては総崩れの様相になってきている。グローバル化は世界各国の垣根を超えた戦いになり、一強しか生き残れない事態になる。
ー 第二章 アメリカの金権社会は、荒治療でしか直せない ー
   * 産業間格差と、一業界一社の時代
≪ 日本の金融業界の給与水準は、その他産業の20〜30パーセント増しくらいである。これがアメリカだと、その他全産業の倍。
20〜30パーセント増しではなく二倍なのだから驚いてしまう。製造業と商業の給料ベースを比べると、日本では製造業が商業の
15〜16パーセント多いだけだ。これがアメリカになると、製造業は商業よりも30パーセントは高くなっている。あらゆる職種について
給与水準の差が大きいのがアメリカの特徴なのだ。当然、給与がいい産業には誰れもが殺到するから、どうしてもその産業は慢性的に
人員過剰になる。いくらでもスペアは利くからリストラもしやすい。逆に、低賃金のところは慢性的な人手不足になりがちだ。
人手不足だから時給を上げて人を手当をしようとすると採算割れしてしまうので、他ではどこにでも採用されそうもない低賃金労働者で
久場を凌ぐしかない。移民には絶好の勤め口だが何時までも経っても生産性が低いままだ。結局、会社ごと、産業ごと衰退してしまう。
 アメリカに比べると、日本はどの産業を見渡しても収入に大きな格差がない。人手不足も人員過剰も極端ではない。それでいながら、
採用する会社側は「人員過剰の人手不足時代だ」と愚痴をこぽし、雇われる側は「天職に転職したい」と夢ばかり追いつづけている。
どちらの陣営も自分たちがいかに恵まれた環境にあるかご存じないが、一般庶民が夢を追い、高い要求水準を主張しつづけられるのは
文句なくよいことだ。参考までに、お隣の韓国は教育水準がますます高くなっている。だが、1997〜1998年の大不況でIMFが乗りこんできて、
大企業は一産業一社のみというアメリカンスタイルにつくり変えてしまった。おかげで、それまでの7〜8つくらいの財閥が競争して
採用活動を展開していた時代は遠い昔、企業の求人活動はすっかり衰退している。 電機.電子ならサムスン、自動車なら現代に採用して
もらえるかどうかで、その後の人生が天と地ほどもちがってしまう。 同業で生き延びているのはクズ同然のその他大勢企業だけだから、
敗者復活戦もありえない。 同じ電機業界でも、パナソニックもあればソニーも日立も東芝もあるという構造はいま、世界中でも
日本だけになりつつある。ドイツもかつては大きな産業ごとに代表的な企業が3〜4社ずつあってしのぎを削っていた。
これがドイツという国家の活力になっていた。いまはそんな状況ではないぜいぜいフォルクスマゲンとダイムラーペンツ、BMWを
抱える自動車くらいしか、複数の企業が切磋琢磨して高い技術水準を維持できる産業は残っていない。 こうして改めて見渡すと、
いまや基幹産業ならどれを取っても少なくとも三〜四社の大企業同士の激しい競争が続いている国というのは、日本だけなのだ。
あとはどこでも、基幹産業それぞれで国際競争に打って出て通用する企業は一社だけという「競争」環境になっている。
そして、この事実上の独占体制を世界で最初に確立したアメリカでは、事実上の独占企業が牛耳る業界団体子飼いのロビイスト集団が、
大統領も議会もしっかり手なずけ、自由自在に自分たちの要求どおりに経済も社会も動かしている。これはもう、右からの
「茶会党」革命か、左からの「ウォール街占拠」革命で一度完全にぶち壊さなければ、まっとうな世の中にはならないだろう。≫
 ▼ 情報化によるグローバル化が産業間格差と、一業界一社の時代を作り上げたといってよい。但し、その周辺で、それにとって
  変わる群れがいることが前提になる。問題は個人レベルの格差に直接影響すること。日本の産業も大きな亀裂が出来たようだ。
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3763, ユング ー6
2011年07月15日(金)
 * この東北大震災を、ユングの「布置」とし日本国家に置き換えてみると!
 10年前の9・11テロと、3年前の9・15のリーマンショックで大打撃を受け瀕死の事態に、今度の3・11の東北大震災と
福島原発事故が重なり襲った。 これを「二つの歴史的経済震災」に対する、この東北大震災は「めぐり合せ」(布置)と考えると、
この大地震の意味が見えてくる。 世界的経済震災が二つ日本に直撃した。それで経済基盤が弱い東北・北海・北陸など地方経済は、
これ以上ないほど疲弊をしていた上に、このめぐり合わせである。 ただ偶然が重なっただけでなく、そこに意味を見出すべきである。 
 また世界全体からみれば、地球温暖化の中で原子力の是認が流れになっていた矢先のこれ。「西洋的合理主義に対しする根底からの
見直しのサイン」と、この「布置」=めぐり合わせを見るべきではないか。
 日本もグローバル化の時代の中、西洋的合理主義の考え方を、根底から変える機会と見るべきである。 また同時に開放も図る
サイン?ではなかろうか。 外国人を入れるだけでなく、外国に日本人も出ていくべき時期にある。現在の政治体制では日本は
成り立たなくなっているが、現在の日本は自己修正能力が失われている。 この「布置」は、この震災が最後のダメ出しとして、
否応なく壊滅的状態まで個人から国家までの既存のシステムの破壊が進むことになる。 世界は日本を先駆けとして、その崩壊と
先行きを冷静に学習することになる。 これは取ってつけた民主主義と、隷属国家の末路として捉える。波乱の中で現状を変えるのは、
信長か、秀吉のような下克上で、成り上がってきた者である。 日本も世界も、思い切ったダウンサイズの時期に来ている。
 この10年間の、幾つかの自然災害の頻発は、地球規模の大転換へのサインである。まさに、その時に、9・11、9・15の
経済大震災である。やはり、来年後半にかけて、世界は政治的、経済的に大津波が荒れ狂うことになる。 その中で、全体が、
より合理的な、身丈にあった生活になっていくのでは? 現に、日本は、その一歩を踏み出している。 
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398, ゴリラは人間の隣人 ー1
2010年07月15日(木)
ビートたけしと、ゴリラ学者の京大大学院教授・山際寿一の「ゴリラは人間の隣人」をテーマにした対談が面白い。
山際寿一の「アフリカでのゴリラ研究の現地ドキュメント」を数年前にTVで見たことがあった。
  ーまずは、印象に残った部分からー
≪ゴリラと人間は97パーセント以上同じ遺伝子を共有しているとか。ならばゴリラが分かれば人間も分かる?・・・
遺伝子かみると、オラウータン、チンパージー、ゴリラは「ヒト科」に属しており、人間に非常に近い存在。
サルとの差の方が遥かに大きい。 では、「人間と類人猿と大きく違うところは何か」というと、人間は劇を作ること。
類人猿のゴリラやチンパンジーは、劇を見ていても意味が分からない。その中に入っていけない。
劇中で、AとBという人間がいたとして、それぞれの行動を見ながら、どういう思惑で、何をしようかと、劇中の人物に
共感しながらみるが、しかしチンパンジーやゴリラは、それが分からない。彼らは現実に起こって事実からあまり離れられない。
しかし我われは現実から離れて、空想の中でドラマを作ることができるわけ。≫
 ▼ ー以上だが、これは人間にもいえること。 本を読み込んでない人は現実の世界から離れることができない。
現実を形而下とすると、形而上の言葉の訓練がないので想像力や空想力が弱い。小説を読むとは、文字から作者の創りあげた
イメージの世界に入り込むことである。 本を多く読み込んでいる人と、ほぼ読まない人とはゴリラと人間の差ほどがある、
というと言い過ぎになるか? その位、本を読み、考えることは人間の人間たる所以である。 人生設計を前もって作っておいて、
それに従い生きることは自分の人生劇を作ることになる。 必死に生きてきた人は、形而上も形而下の質量が豊富になるので、
言葉とイメージは、それに比例して出来てくる。ゴリラと人間の差は考え、イメージする質量が圧倒的に違うということになる。
情報手段としての言葉がキーワードということ。 街に徘徊するヤクザは、ほぼゴリラの原型の世界とみれば分かるだろう。
時どき弱者を見つけてデモンストレーションをしたりするが、他者への迷惑は、あれほどかけない。   ーつづく
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3023,衝撃的な「ひらめきの話」
2009年07月15日(水)
  「生の科学、死の科学」 −養老孟司 対談集ー 
 養老孟司の対談集に、慶応大学教授で映像作家の佐藤雅彦の話が衝撃的であった。
  ー彼の語っている一部分を書き出してみるー
【 その日、家の窓から外を見ていたら、まだ見たことのない映像がガーんと出て、今までの中で一番大きかった。
 それが、三年後に、100万本ソフトになった『IQ〜インテリジェントキューブ』というゲームです。この世界観が突然出て、
 動けなくなってしまった。 暗い画面に、あるステージが浮いている。向こうから巨大な四角いキューブがガンガン来て、
 その前を七人とイヌ一匹が逃げ惑い、僕はその人たちに『右に行け』とか『危ない』とか、叫んでいるのです。しばらくして、
 これが僕がやったことがないコンピューターゲームなのかと思って、一週間後に、ソニー・コンピュータエンタティメントに
 のこのこ出かけていった。僕は一線級のディレクターの誰かに話を聞いてもらいたかったのですが、話を聞いてくれたのは
 ポロシャツ姿のおじさんでした。拍子抜けをしたのですが、気を取り直して「この人に望みを託そう」と決めて、
 頭の中の世界観を話したら、僕のことをジッと見て「その話は面白いよ、僕と契約しないか」「えっ」。
 そのポロシャツのおじさんは、何と幸運にも副社長だったのです。 】
【 甥にと東京駅でお土産に買ったルービック・キューブをいじっていたらバーンと構造が見えた。当時27歳の時です。それからです、
 わけもなく頭に映像がクルクル流れるとか、カタカタというか、とにかく勢いよく動くのが始った。 それまでは‘AならばB、
 BならばC,ゆえにAならばC」と理屈でやっていたのが、そんなことでは現実の問題は追いつけないのです。 20歳代前半は酒でも
 飲まないとやっていけなかったのが、あのルービック・キューブ以来、一滴も飲まなくなった。 飲みたくないのですよ。
 これ以来、わけがわからないけれど面白いというような映像がいっぱい見えるようになって、それでCMプランナーになったのです。
 そうしたらスポンサーから話がくると、♪《スコーンスコーン コイケヤスコーン》とか♪《バザールでござーる》
 みたいなのがどんどん頭に中に来て・・・・・・・。》】
▼ モーツワルトが似た状態で「作曲モードに入ると、完成した音楽が宇宙の彼方から聞こえてくるようだった」というが。 
 現実にこういう話を聞くと人間の脳の不思議さを感じる。特に天才脳の・・(天才は梅毒による脳のロックの開放説もある)  
 また、数学の天才にも数式を見ただけにで、自分でも知らないうちに答えが出るとかいうのもある。もちろん十二分の基礎が
 あっての上だが。 飛行機事故で一人助かった少女が、「何か神がかりの顔をしていて、何かが憑いていたのでは」という、
 まことしやかな話もある。 これは、ひらめきとは関係ないか。
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2658, 幸福の4階建て
 2008年07月15日(火)      ヾ(●´∀`●)GOOD MORNING!!
京都大学の工学部の新宮教授が、古今東西の幸福論を読み漁った成果としての「幸福の4階建て論」説が面白い。
《「幸福ということ?エネルギー社会工学の視点から」 新宮秀夫著 》 
「新ストレス学説」の創始者・ハンス・セリエ(1907-82)は、そこで、《人間はあまり[[無事」だけでは、死ぬ時にガッカリする。
「ストレスは欠くことのできない人生のスパイス」こそが重要》と主張しているが、
 その部分から触発されて、幸福論を4つのステージに分類した。これが面白い。
  4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
  3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。
  2階:獲得した「快」を永続させる。
  1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。
・幸福の1階は人間の本能的な「快」、つまり富、恋、名誉を得て、それを増やすことである。
・2階は獲得した富や名誉を永続させることである。 そこに時間的要素を入れ、いかに長続きさせること。
・3階は苦難や苦しみを経験し、これを克服することである。自己実現の要素が入ってくる。
・4階は克服できない苦しみや悲しみの中に究極の幸福があるのだという。これは解かりにくい。
 さすがに、教え子達に猛反発を受けたそうだ。
 1、2階の心の感動よりは、3階の苦悩や、難問を乗り越えた方が、より感動を得られることを経験的に知っている。
「感動することが幸福」なのだと看破している。確かに1、2階による心の感動よりは3階の自己実現のほうがはるかに
大きな感動を得られる。苦難を乗り越えた成功体験を知った人たちは自発的かつ前向きになる。
成功の対価としてのお金はもはや副次的なものとなってくる。 達成感が生きがいになるのである。
しかし新宮教授は、その上のランクとして、克服できない苦痛や悲しみの中に、幸福があるという。
この辺は、解るような解らないような。 三階までは、この世の幸せ。
4階は克服できない苦しみの中でこそ強まる天国の世界の願望と、その混濁した中の幸せ。
その苦しみの中で、己が融けてしまう状態が幸せということのようだ。
 何か、凄い話になってきたが、両親の創業期の苦しみを身近に見たのが、その感じである。
 ロマン・ローランの「ベートヴェンの生涯」の中に、『苦悩を通り抜けて歓喜へ』という言葉にも近いか。
 苦悩を得てこそ歓喜があるが、歓喜を予感しながら苦しみに耐えることが、最上の幸福ということだ。
 それにしても、頭を大きな棍棒で思い切り殴られたようである。教え子は大反発をするのも当然のこと。
 死ということを前提にして、この4つのステージはなりたっており、死という最大のストレスを迎える
 人生の終わりに、最上の感動を見出すこと!という意味なのか。この問いは今後の持続的自問自答になるほど、
 大きな問いである。「克服できない苦難の中こそ、幸福がある」とは? それも最上階にあるとは?
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2007年07月15日(日)
 2294, ハニカミ王子に、ハンカチ王子って何?
  (字数の関係でカット2009年7月15日)
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2006年07月15日(土)
 1929, ローマから日本が見えるー13                     
 第6章 勝者ゆえの混迷ー2     
  ーグラックス兄弟の改革ー        ー 読書日記 ?
 ローマの名門貴族出身の若者でティベリウス・グラックスとガイウス・グラックスという兄弟がいた。
彼らはスキピオの一族でもある名門の出。このグラックス兄弟が、ローマ農民の没落をくいとめる改革を断行する。
最初に改革を試みたのは兄のグラックスである。彼の政策は非常に筋が通っていた。都市に流入している者達に土地を与えて
再び自作農民に戻し、ローマ軍を再建しようと考えた。土地は貴族のラティフンディアである。125ヘクタール以上の
土地を占有している貴族からそれ以上の土地を国家に返させ、それを市民に再分配しようとした。この政策に平民たちは喜ぶが
貴族たちはマイナスである。農民の没落でローマ軍の弱体化は解るが、土地を取り上げられるとなると反発して当然だ。
彼は元老院との相談もなしに、改革を推し進めようとした。反対派貴族と改革を歓迎する平民の対立でローマは騒然とした。
兄グラックスは護民官。護民官は神聖な立場のため反対派も手が出せない。そこで反対派が多くの人を雇ってグラックスを襲わせて、
その死体は川に投げ込まれた。この事件が起きたのは前133年であった。 弟ガイウス・グラックスは兄の死の10年後、
同じく護民官になって兄の政策を実現しようとした。このときも暴動が起こり、混乱の中で弟グラックスは自殺してしまった。
(前123)               \(∀\)ココハドコ?  (/∀)/アタシハダアレ?
ーマリウスの軍制改革 ー
 (字数の関係でカット2012年7月15日)
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2005年07月15日(金)
1564, 「これから5年・地価は半値になる」ー3
 ーマンション編
都心の高層マンションの計画が進んで売れ行きがよい。しかし、今後これも供給過剰になり、クラッシュで不動産不況を
引き起こす可能性が大きい。マンションは売り残って翌年になれば、2割引とかで売らなくてはならない。
もし売れ残りの動きが出はじめたら、これらの土地の値上がりはストップして、値下がりに転じかねない。
2005年までに、品川、港区、中央区、江東区などの湾岸エリアを中心に40棟以上の大規模マンションが建設される。
    (字数の関係でカット2011年7月15日)
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2004年07月15日(木)
 1199, つれづれなるままに
ー夢ー
この数日、最近たて続きに面白い夢をみている。他人の夢ほどつまらないものはないというが、潜在意識を覗くという面でみると
面白いのではないか?ー何かの乗り物で地球外の何処かにいってきた夢である。 そこは小さな惑星で、別宇宙という感覚であった。
恐らく、鈴木秀子とユングの臨死体験を読んだ影響と思われる。二人の臨死体験を夢で疑似体験をするところが不思議。
ー子供の時に亡くなった兄が帰ってきた夢をみた。何か、寂しそうで生気が無い顔をしていた。思わず泣いてしまった。翌日、家内に
寝言で泣いていたと言われた。その後に、仏間に誰かがいる気配がした。起きていってみるが、そこには誰もいない。それも夢であった。
( 字数の関係でカット2011年7月15日 )
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2003年07月15日(火)
832,「阿弥陀堂だより」?映画日記
 先週末にDVDレンタルショップで『阿弥陀堂だより』を借りてきて見た。
何げなく借りてきたのだが、何とも味わいのある内容であった。あとで作家の南木けい士の『自書を語る』をコピーして
貼り付けておくが、日本の味わいと、スローなテンポと日本人が忘れていた故郷の世界を感慨深く表現していた。
主役の夫婦が春に信州の田舎に転居して来て、田舎の四季の美しさを見せながらストーリーを展開していくスローなリズムが良かった。
美智子役の樋口加奈子がいう言葉『悲しくないのに、涙が出てくる』という言葉がこのストーリを全て言いあらわしているように思えた。
また北林谷栄役の、おうめ婆さんが長野の自然の中に溶けこんでいたのも印象的である。
(字数の関係でカット2008年7月15日)
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2002年07月15日(月)
 457,スイス旅行記ー2
ーマッタホルンの凧揚げー
(字数の関係でカット2012年7月15日)
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2001年07月15日
 ー旅行中


4128, ヨガとは何?という素朴な疑問

2012年07月14日(土)

   スポーツジムのヨガに参加して4ヶ月になる。‘スロー’ヨガというから初心者向けだが、腰痛持ちもあって少し厳しい。
定員50人に、平均40人位が参加している。男性参加者が5〜6名で、最高齢は私で、片隅で目立たないようにしている。その中、
時どき先生がヨガの説明をする。先日の内容は、「ヨガは瞑想法の一つ。無念無想になるために呼吸法と、色いろなポーズを取ることで、
そこに気持ちを集中して、頭を空ッポにするためのもの。従って、ヨガが上達したとか、しないとかは気にすることはない」という。
なる程!いいことを言われる。週二回、4ヶ月経った印象は、「腰痛解消のために病院で集団治療をしている感覚。」腰には良いが、
少し痛みが残る。それでも合計33回、ヨガを続けてきた成果が出始めてきた体感はある。 数十年かけて固まった足腰が、
徐々に解けているのがポーズの積み重ねで実感する。  ー そこでヨガの意味をネットで調べてみた ー
 ≪  ◇ ヨーガの意味と起源 
 ヨーガの起源をたどると、紀元前二千五百年程のインダス河流域のハラッパやモヘンジョダロなどの遺跡から、ヨーガの坐像の
印形が出土していることから、その頃を起源としているようだが、実際に「ヨーガ」という言葉が宗教用語として確認されているのは
紀元前五百年前後のベーダンタ時代で「ヨーガ」とは「馬を車体につなぎ、その馬車をコントロールして、道をはずさず、人生の目的地へ
行くこと」を意味していた。 カタ・ウパニシャッドでは 「真我(アートマン)を車主、肉体を車体、理性を御者、意志を手綱と心得よ。
賢者たちはもろもろの感覚器官を馬と 呼び、感覚の対象を道と呼ん でいる」と述べています。このことから「ヨーガ」とは、馬を車に
「つなぐ」が語源であり、意味するところは「結ぶ」「コントロールを する」「バランスをとる」との意味をもってきました。
 又、少し遅れた同時代には釈迦族のゴータマ・シッタルダが悟りを開き、仏教がスタートしています。このお釈迦様も二十九歳の時、
王宮から出家して山野で六年間修行された後、ブッダガヤで瞑想し、悟りを開かれたのですが、その間、瞑想をしたり、断食をしたり、
野山で遊行した修行が、まさに当時のヨーガそのもの。その生きたお釈迦様の実際に語った言葉を、後に弟子が書き残したと云われる
「ダンマパダ(法句経)」の中にも、「ヨーガ」という言葉が語られています。「まさに智はヨーガより生じ、ヨーガなくして智は滅ぶ。
その道理を知りて、ヨーガを行じ、智を増大せしめよ。」「智」というのは、物事を分析するだけの知識(分別知)ではなく、知に日が
ついて光あふれた、命の智恵「英知」と云われています。それを人々に伝える人を、かつて、日知り「聖人」と云ったのです。
このように「ヨーガ」とは、「結びつける」「コントロールをする」「バランスをとる」という意味と、その「修行法」「技法」として
発達してきたのです。  それでは何と何とを「結びつけ」「バランスをとる」のでしょうか?
 それは、①身体と心をバランスよく結びつける。②内なる私(真我)と大いなる我(宇宙)とを結びつける。
③人と人をバランスよく結びつけることなのです。仏教では、それを三宝と云って、①身体と心をバランスよく結びつけ解放した
人間存在を「仏(ブッダ)」といい②宇宙や自然の法則と自己とを調和させる生き方を「法(ダルマ)」といい、③人と人とが調和し
助け合う平和な社会を「僧(サンガ)」といって尊んだのです。そしてヨーガでは、その方法を、具体的な生活法(ヤマ・ニヤマ)、
運動法(アーサナ)、呼吸法(プラーナヤーマ)、瞑想法の階梯(プラティヤハーラ、ダーラナー、ディヤーナ、サマーディ)
そして祈りの言葉・神の名(マントラ、ジャバ)等として、 私達に伝えてきているのです。 ≫
 ▼ ≪「真我(アートマン)を車主、肉体を車体、理性を御者、意志を手綱と心得よ。賢者たちはもろもろの感覚器官を馬と 呼び、
  感覚の対象を道と呼ん でいる」と述べています。このことから「ヨーガ」とは、馬を車に「つなぐ」が語源であり、意味は「結ぶ」
 「コントロールを する」「バランスをとる」との意味をもっていた。≫が、ヨガの本質。内なる真我と大宇宙を結ぶ修行ということ。
 10数年ほど前に、散歩で出会った地球の核の一点を擬人化して現在も話をしているXが、宇宙。向き合っているのが真我ということ。
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3762, ユング ー5
2011年07月14日(木)
ー「共時性」の幾つかの事例を、<「タオ心理学―ユングの共時性と自己性」ジーン・シノダ・ボーレン著>から抜粋ー
例1 ある女性が、妹の家が燃えているハッキリした夢をみて、妹が安全かどうか電話でたたき起したところ。
  まさに、その通り火事になっていて、電話で目をさましたために命拾い。
例2 ある研究者が高度に技術的で分かりにくい問題にぶつかっていて、情報がえられず困っているとき、
  ある基金募集のパーティーに出席したところ、たまたま隣の席に座った人が必要な情報を提供してくれた。
例3 ある女性がある町にやってきて、昔の同級生に連絡をとろうとしたけれども住所がわからず、
  混雑したエレベーターに乗り込んだところ、たまたまそこに彼女がたっていた。
例4 ある人のことを考えているとき、電話が鳴る。 出てみると、私がちょうど考えていた相手だった。
例5 私はキッチンで夕食の支度をしながら、夫のジムに向かって、「テーブルに花が欲しいわ」と言いました。
  子供達はそのとき外で遊んでいて、私の声の届かない遠くにいました。しばらくすると、娘のメロディが家の中にまっすぐに
  入ってくると、手にピンク色の花束をかかえていて、「ママ、ここにあるわよ」、と言ったのです。
例6 人の死を知る能力のある人がいます。 ある人の場合、夢や白昼夢として、死ぬ人がスーツケースを持ってその人の前に
  現れるのを見ます。そしてしばらくすると、そのスーツケースを持って現れた人が、亡くなったという知らせが届く。
▼ 単なる偶然とは思えない、これらを、ユングは、共時性(シンクロ二シティ)と呼んだが、その人によって、
  その要素の強弱があるようだ。私は、Aーabc、bーabc、Cーabcの9段階の二番目のAのb辺りか。
  その人の持っている一つの感覚であり、それが物理的にあったり科学的に証明されるものではない。
  前回も書いたが、事業の立ち上げや、ホテル計画を実行段階に入ると、必ずといってよいほど、身辺に普段は
  起こらない事故とか、ごく身近な倒産、不幸が起こる。今回、それが共時性の前段階の「布置」ということを知ったが、
  今度の当方の倒産でも周辺でも、事故、大病があった。私の場合、負債債権処理など、あと二年は要するから、
  二年間は大病、大事故には心しなければならない。 ところで、今回の東北大震災。 国家を人間と喩えると、
  明らかに「布置」の思えてしまう。 次回に取り上げるが、そう考えると、今回の震災のユング的見方が見て取れる。
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3397, おテレビ様と日本人 ー2
2010年07月14日(水)
   *「第五の壁」とは何か.
 テレビを第五の壁とみなすのは面白い。そうすると、今度は第六の壁というと、パソコンになる。
パソコンには第五の壁も取り込まれ、一方的な情報だけでなく自分サイドも発信できるところが、今までとは違う。
だから、著者の心配がより大きくなるのか、それとも多くが解消されるのかは判断は出来ない。
第四の壁は、それでも生身の観客がいて、役者が直接触れ合える。しかし第五は、まさに流し手の思いのままになる。
 ー以下の部分がTVの本質を言い当てている。決して、機械がプラスに働いてはいないことを自覚しないとー
≪ われわれの知る「第四の壁」とは、演劇舞台の部屋の装置が三方の壁に囲まれ、残る一方の壁が観客席に向けて
取り払われているそれをいうのである。「第五の壁」とは、もとより著者が火星人の口に託して名づけたテレピの異称である。
地球を襲撃して戻っていった火星人は、次のように帰国報告したという。
【人間と称する地球上の生物は、光線と空気と出入りのための大小若干の穴のある四つの壁に外界から遮断されて
暮らしているが、ほかにもう一つ、〈第五の壁〉とも称すべきものを所有している。それは四つの壁よりは小さく、
移動は自由で、どつしりしている不透明なガラスの壁だが、四つの壁の穴からはとうてい期待できないさまざまな風物や
生物がそこに現われ、かの人間なるものと同じように語り、むせび泣き、歌う。 それは四つの壁を征服する。
四つの壁を取り払ってしまうのではないが、四つの壁を止揚する不気味なカの持ち主である】
 ……われわれは、テレビにたいして〈検察官〉になろうと、〈弁護人〉になろうと、忘れてはならないことは、
その間にもわれわれは〈第五の壁〉の照射にさらされているという事実である。〈テレビ時代〉に産声をあげる赤子は、
〈第五の壁〉の人工の光の中で歩きはじめるのである。 ― この本が書かれてから四十年以上が経過した。
半世紀ぶりに地球を訪れた火醒人が今度はどんな報告をするだろうか。 それは壁ではなく、実は底なしの地獄に落ちる
ブラックホールの穴だったと綴告するだろう。テレビの発する光線は、結局突き詰めれば金銭の発する光だった。
それも巨大な額の金が絡む光である。人はそこでただ語り、むせび泣き、歌うだけではない。隣間的な音声でも映像でも、
そこには人間の醜い欲得が潜在する。ただ単に事実を伝達するだけに思えるニュースのコメントですら、一言、
「オバマ氏の当選は確実」と声を発したとたん、あらゆる場面での金が乱れ飛ぶ。テレビの扱う範囲にフィクション、
ノン・フィクションの区別はない。両者は調合され、統合され、まったく別種類の認識対象となる。
認識された潜在意図、である。 この別称こそ「陰謀」と呼ぷものだ。意図はあくまでも隠されている。
誰も意識していない。だが、番組制作には「洗脳」という潜在的な意図が常に基調を作っているのである。
こうした曖昧な感覚混合体が、結局は陰謀と呼ばれるものの正体、テレビの実態になるのだ。≫
 〜 今度は、TVにネットが組み込まれてくる。違った洗脳が始ろうとしていることになる。〜
 〜〜
3022,閑話小題
2009年07月14日(火)
 * 池袋の早朝でみた荒んだ世界 
 * 自民党の末期
 * 腰痛はつらい
 (字数の関係上カット12年07月14日)
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2657, いちゃつき ー2
 2008年07月14日(月)
前回に鷲田が宗教学者・植島啓司から聞いた話を書いた。
「‘解脱’は自分を遠ざけて、世界の中に自分を溶け込ませる技術で、‘救済’は逆に自分を開いて、他人を迎え入れて他人で
 いっぱいにするというかたちで自分を溶かしてしまう。 だから方法が違うんですよ。  
   (字数の関係上カット12年07月14日)
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2007年07月14日(土)
 2293, 女ってバカなんじゃないか?          才ノヽ∋?_φ(≧ω≦*)♪
昨日、「男ってバカなんじゃないか?」というテーマで書いた。しかし逆に「女ってバカなんじゃないか?」という論も成り立つ。
 (字数の関係上カット11年07月14日)
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2006年07月14日(金)
1928, ブログについて               おっ w(゜Д゜)w ハァョ?
  二月ほど前に、ブログについて書いてみた。
 「 2006/05/14?/15 1868, ブログは社会革命ー(1)1869,ブログは社会革命ー(2)」
(2011年07月14日)
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2005年07月14日(木)
1563, 死について再び考えるー2
死について何回か取りあげてきたが、一番印象に残っているのが、中村天風とドフトエフスキーの死刑執行直前体験。
中村天風は、銃殺の直前に仲間に助けられたが。ドフトエフスキーは死刑直前の恐怖体験をリアルに書いている。
 ー以下の話は、あまりにも有名である。 ある本より抜粋してみる彼は若いときに、革命秘密結社に入ったことがある。
それは社会の不正を糾弾する議論のレベルであったが、秘密警察に目をつけられて、時の皇帝ニコライ一世はメンバーの
逮捕を命ずる。しかし彼らの犯罪の事実は出てこない。そこで政府の面子で有罪となり、軍法会議で刑が確定する。
最終的には、皇帝の恩赦が書き込まれ、シベリアで4年の刑と強制労働と、その後の兵役に服することになる。
ところが、その恩赦を言い渡す前に一度死刑が確定し、処刑の真似ごとをする。政府が仕組んだ罠である。1849年12月21日、
処刑劇が行われる。彼は処刑場に連れて行かれ、三人ずつ銃殺されることになる。ドフトエフスキーは処刑の二番目である。
その時の死の恐怖を「白痴」の主人公の口を通して、以下のように語っている。「生きていられるのはあと5分ばかり。
この5分は本人にとって果てしなく長い時間で、膨大な財産のような気がしたそうだ。この5分間に最後の充実した生活が送れそうな
気がしたので、色んな処置を講じたというのです。つまり時間を割りふりをして友達との別れに二分間、いま二分間に
いま一度自分自身のことを考える時間にあて、残りの時間はこの世の名ごこりに、周りの風景を眺めるためにあてた。・・・
しかし、その瞬間最も苦しかったのは、絶え間なく頭に浮かんでくる想念で、もし死なないとしたら、もし命を取りとめたら、
それは何という無限だろう。 その無限の時間がすっかり自分のものになったら、俺は一分一分をまるで百年のように大事にし、
もう何一つ失わないようにする。いや、どんな物だってむだに費やさないだろうに」『(世界文学全集・ドフトエフスキー)より抜粋』
減刑が言い渡されると、ドフトエフスキーは狂喜する。その仲間のうちに発狂したものもいた。
死の宣告は人間を極限の状態のおかれる。 人間は弱い存在でしかないのだ。
ーー
以上であるが、この体験があったからこそ大小説家になったのだろう。バンジージャンプの飛下りの板の先に立ったときの
恐怖経験がある。その時思ったことは、「これは死である。この凍りつくような恐怖は考えていたことと全く違う。
飛び降りるしかないが、今更止めるわけにいかない。何をやろうとするのか?どうしても飛び降りなければならないのか! 
ただ前に体を投げ出すしかない! 何か時間が止まるという言葉があるが・・・考えていたことと、実際がこれだけ違うのは初めて。
(字数の関係上カット09年07月14日)
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2004年07月14日(水)
 1198, 口ぐせー2
 ーどうしようもない!?
(字数の関係上カット09年07月14日)
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2003年07月14日(月)
 831,アラスカ旅行記ー6
  旅行のもう一つの楽しみは、全国レベルで変わった人との接点である。
・まずは、60代後半の女性。6年間、毎月旅行に出て62回目の参加という。6年前に旦那と大喧嘩が勃発して、今や修復不可能。 
 別れるより良いと、毎月出ているという。もう疲れたが、後は野となれ山になれと出続けているという。 旅先で部屋に戻っても、
旦那のことを思い出して腹を立てているとか。 聞いていても悲しくなる。「ありがとう」を毎日千回、いや一万回言え!
 といいたくなった。夫婦しかわからない何かがあったのだろう。 先日も身辺の60過ぎの知人が離婚したと先日聞いた。
 旦那に若い女ができたのが原因だという。また学生時代の同級の女性が離婚をして、新たに結婚をしたという。
 これで3回目の結婚である。人生の深遠さを思い知らされる。
・若い女性が二人参加をしていた。自意識過剰の若い女性が、終始大きな声でアラスカの地で自らの恋愛話をしていた。
 黙っていろともいえず、場違いの二人に他の全員が辟易!もっとアラスカの地をじっくり堪能すべき!と思うのも年齢と経験の
 違いのためか。その世界しかないのだから仕方がないが、「無知ということは罪」と思い知らされた。
  その聞き役の方の女性が面白い。
 「自分は蚊に刺されない。一年に一度位刺されることがあるが、朝起きると腕の上で死んでいる」という。
 「血液型によってそういうことがあると聞いたことがあるが、血液型は何型?」と、グループの一人がを聞くと
 「両親がAとO型。自分自身は一回も調べたことがないので解らない」という。いろいろな体質の人がいるものだ。
・ホテルのロビーで同じチャーター機のグループの人達がいた。その一人が新潟県の燕の人であった。
 家内工場をやっており、この1~2年で両親がたて続きで亡くなったとか。2年前に初めての海外旅行でアラスカに来て
 キングサーモンのオプションに参加。今度は4日間車を借りて、独り釣り三昧をしてきたという。魚は釣った後で逃がすとか、
 また2年後に来たいといっていた。これも巧いツアーの利用の仕方と感心をした。
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2002年07月14日(日)
 456,スイス旅行記 
感想をそのままかいてみると
・天気に恵まれた素晴らしい旅行で、数年に一回の大当たり。・自然の美しさでは、カンデアンロッキーに匹敵するかそれ以上。
・自然の雄大さに圧倒された               ・牧歌的な村や、絵のような牧草地や高原が印象的
・珠玉のような湖や村が何ともいえない          ・毎日が感動感動の連続であった
・下を見れば高山植物とその花、上を見れば白銀に輝く峰峰 ・美しき小さな村々と牧場
 38回の過去の旅行でベスト5に入る内容といってよい。一日一日が夢のような連続線で結ばれているようであった。
 私の過去の「旅行の思い出の宝箱」の宝が一つ増えた。
 こんなにスイスアルプスが素晴らしいと思ってもいなかった。時系列で印象順に書いてみると
・まずは二日目の「アルプスの少女のハイジ」の舞台になった マイエンフェルトが素晴らしい!
 今でもあのアニメのハイジが跳ね回っているようだ。 作家の家がハイジーの魂で満ちているようだ。
 そしてミニハイキング?季節も含めて何ともいえない明るさがよい。
・三日目のアルプグリュムのハイキングがよい。峠から見る眼下の谷と白銀の山々がよい。デアアレッツタ駅からの「パリュー氷河」
 が素晴らしい絶景であった あまり知れれてないが、そのパノラマに思わず息を呑んだ。 永遠の時が一瞬凍り付いたようであった?
 いろいろな氷河はは見ているがこれだけ身近のパノラマで幻想的の景観ははじめて見るもの。
・四日目のツエルマットのマッターホルンが今回のハイライト!
 ホテルの窓からのマッターホルンがまたよいマッターホルンの麓の高原ハイキングが素晴らしいー
 ーここでハイキングしている自分が夢の中にいるようであった
・六日目のシャモニーよりロープウエーで3800mのエギーユ・デュ・ミディの展望台へ、そこから見た景観が絶景
・7日目の「パノラマ特急」の車窓からみる珠玉のような高原の景観が夢のようだ。
 絵の世界が、いや絵よりもズート素晴らしい世界が延々と続く・・・・
 カンデシュテークからのったチェアリフトでいったエッシネン湖のトレッキングも忘れられない景色であった。
・8日目のグリンデルワルトからのユングフラウヨッホは途中で霧に包まれて楽しみにしていたトレッキングが中止になったが、 
 ユングフラッホには過去2回いっているから諦めがついた。 しかしやはりその景観は何回見てもよい。
・最終日のルッツェルンのアバルトシュテッテ湖とそこから登ったピラツス山から見たパノラマの景観が素晴らしい
   今回の旅行はただただ良かった!!! ある女性が何回も「うれしい!」と言っていた。


4127, 閑話小題 ーシネマ

2012年07月13日(金)

   * 相変わらずのシネマ通い
 今年になってから平均して月3回はシネマ通いをしている。少し通い過ぎ?だが値段の割に価値を感じるからだ。
エネルギーを持て余している現在、手軽なストレス解消になっている割りに毒は少ない。物語に意識してドップリ浸かるのがコツ。
最近のシネマはデジタル特撮効果で画面も映像も圧倒的迫力がある。家でもWOWOWなどで映画やシリーズのドラマを見ている。
頭には決して良くはないのだろうが、面白いこと、この上ない。今年に入って特に面白かったのは、韓国映画の「マイウェイ・
12000キロの真実」、邦画で「外事警察」、ハリウッド映画では「バトルシップ」というところ。千円のため、居酒屋一軒分で
月三回は価値がある。 最近では外れは殆んどないが、もし千五百円なら半分も行かないだろう。映画の開始前に予告が流されるが、
それに洗脳されてしまう。時代背景の家具や服飾を見るのが楽しみ、というのも年齢のため。 一つ酒を飲み交わす場面で、徳利は
江戸末期になって出まわるようになったもので、それまでは鉄瓶のようなもので温め、杯についでいた。19Cのロンドンを
背景にした映画は、時代考証を見るだけで面白い。  話は変わるが、先日、家電店で80インチのTVを見てきた。80万位だが、
ここまで大きいと迫力がある。月3回のシネマ通いは、たまたま面白いのが来ていたためで、1〜2回で充分である。
   * オスプレーの反対運動
 飛行機とヘリ兼用のオスプレーの反対運動、何故、あそこまで反対するのか不思議。沖縄に配備されると一番困るのは中国で、
都合が良いのは日本。飛行コースを決めておけば、別段、危険ということはない。ヘリコプターの役割もあるので、飛行機と違って、
滑走路を必要としないため何処からでも離発着が可能である。 反対理由は中国からの裏指示と疑うのは当然である。
沖縄の飛行場周辺の街は、基地のために後から出来たものが殆んどで、わざわざ基地を街の近くにつくった訳でない。何故か誰も、
このことを言わない。嫌な臭いがする反対運動である。 
 話は変わるが、原発に対するアンケートで、「全エネルギーの25パーセントを原発が担っているが、15パーセント位が良い」、
が一番多い調査結果が出た。現在の日本は、「原発は危険だが、存続が必要」なことぐらいは、分かっている。このままいけば、
周辺各国から、寄って集って領土など資産を毟りとられてしまう。原爆被爆国だからこそ、原爆を持つ権利が十分ある理屈もある。
もう敗戦国の負い目から脱皮すべきである。67年も経って何が保証である。表立った再軍備をすべきで、原爆を持つべきである。
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3761, ユング ー 4
2011年07月13日(水)
  共時性とはシンクロ二シティの訳語で、ユングは、「意味ある偶然の一致」と言っている。
 ユングのいう共時性(シンクロ二シティ)の定義を 「臨床ユング心理学入門」 山中 康裕著で、
  第一の定義  非因果的連関の原理
  第二の定義 「別々の出来事が、互いに因果関連はないが、時間的に一致してそのつながりに意味が感じられる事態を示すこと」
  第三の定義 「別々の出来事が、時空間的に互いに一致して、しかもそこに意味深い心理的関連が感じられる事態を示すこと」
  第四の定義 「心の世界と物質の世界をつなぐものとして考える場合」 等、定義している。
 ここで山中 康裕は、「そのような心の現象は実際に多く存在し、従来の確率論で予測される期待値よりはるかに高い確率で生じている」
*また、河合隼雄は、「希望する人にとっては、共時的現象がよく見えるようになる。共時的現象は、実のところよく生じるが、
  われわれがそれを把握していない、と考えられる。 「希望する」人は、心が広く開放されているので、共時的現象によく気づく」
*ジーン・シノダ・ボーレンは、「自然発生的な共時的出来事は、心の中の状況が活発に働き、強い情動を帯びるのに共鳴し、
  それにともなって起こるものです」「心が霊的に中心化されてくると、タオに触れることによって、積極的に共時的出来事が
  おこるようになってくる」「まず、霊的な価値を求めよ。何事であれ、必要な形あるものはやがてやってくる」
 「イエスは、人々をみちびくにあたって、神の国について教え、この最高の価値は人々の手元にあって到達できるものである
  ということを語りながら、それを求めるように説きました。私には、もしも人がまず神の国を求めさえすれば、
  現実の必要をみたすために共時性が与えられるであろう、と語っているように思われる」と述べている。
▼ 私も、この6番目の感覚を得るまでは、半信半疑より、ほぼ否定的であった。しかし、この感覚が内側から出てからは!一変。
 作家の佐藤愛子も、この感覚を身についてから、その経験の本を出している。しかしネットを始めた頃か、哲学書を読み始めた頃から
 その感覚は急激に薄れていった。共時性は、人間の持っている、ある情報器官がはたらいた結果だが、現在の情報端末は、それを
 はるかに超えている。特にモバイル携帯は、人間の6感を超えて我々の存在のあり方を根底から変えようとしている。 で、過去分の
同月同月をコピーして驚いたが、7年前の7月13日に偶然、ユングの共時性について書いていた。これも意味深い偶然の一致していた。
   ・・・・・・
3396,  蛸が、サッカーの結果を予測
2010年07月13日(火)
 蛸がサッカーの結果を8試合全部を当て話題になっている。面白そうなので少し考えたみた。
蛸からすればサッカーの勝負など関係がない。ただ、どっちに入るかでしかなく人間が騒いでるに過ぎない。
とはいえ偶然の一致?が、8回も続くことは有りえないから、何かがあるのか。 考えられることを挙げてみると
・蛸の予測に自信を持ったチームが勝ち進んだか、     ・誰かが予測をして蛸を人知れずに誘導しているのか、
・蛸が水槽の外の誰かの顔を見て左右を判断しているのか、 ・上記など全てを直感で判断する超能力がある、
・人間には知りえない何かの能力がある、等が考えられる。
 マスコミが注目をしてたには、それなりの実績があったはず。 諸説が出てくるのだろうが、夢があり面白い。 
何かトリック?を見つけるより、そのままにしておいた方がよい。理屈からみれば、何で蛸が人間どものゲームの勝敗を
当てなければならないのか? その理由など一つもない。当った当たらないは、人間が勝手につくり上げた虚構でしかない。
でも事実、試合前に勝っている方に入っているではないか?といえるが、その勝ち負けを設定しているのは人間様。
8回も当たったという人間様の論理そのものを疑う必要がある。ドイツの勝ち負けの視点からみている、そこに何かあるとみるべき。
とすると、水槽の中で、誰かのサインにしたがっている説が、有力に思える。 でも、そんなことは、どうでも良い。
スペインの優勝より大きな話題になったから、それで充分である。蛸は三年しか生きないというから次回は無理とか。
 ・・・・・・・・
3021,卒業40年周年か〜
 2009年07月13日(月)
 「大学卒業40周年記念の集い」に参加してきた。
20周年、30周年記念の集いにも参加をしたが、非常に良いメルクマールになっている。(10周年は、20数年前から企画されたので、
『集い』そのものが無かった)ところが数日前から腰痛が出て上京など無理の事態だったが、「這ってでも行く」と決めた瞬間から、
痛みが少なくなったには驚いた。 「前日の金曜日に銀座でクラブの仲間が集まろうよ」という誘いを断り、当日の土曜日だけを
出席すれば何とかなるのではと考えた。 しかし出席するとしたら、むしろ前日に東京に行って、クラブ仲間の会の出席は
一度ホテルで休んだ後で、腰と相談すればよい。 また当日に上京するよりも、前日に行って翌日のギリギリまでホテルで
待機して集いに参加すれば何とかなるはず。 ということで何とか二日間を乗り切ることができた。 最後は覚悟である。 
しかし本当に重症だったら無理だったが。 10年ぶりの会は、前回と同じ位の盛況の賑わいで、400人位が集まった。
2500人のうち1700人に連絡がついて400人が出席。 総長の挨拶で、「この厳しい大学経営の中で非常に人気があり、経営も非常に良好、
長期的に改革を地道に続けてきた成果」と語っていた。この10年ぶりの再会で、各人とも人相も体系も老化がハッキリ見てとれた。
仕方がないのだろう。あと10年後は、もっと激しくなるのだろう。 気持ちとしては、これが最後の参加の集いと割り切っていた。
そのため一人ひとりの語らいが熱くなった。 我われは良い時代に青春時代を過ごしていたのである。この集いに参加する人たちは
現状がある程度、余裕のあるのだろう。何か気持ちがリッチに気持ちになれる。そこで受付でチェックをして胸札と名簿を貰い。
参加費は8千円、そこで何人かの知人と再会。 10人位が集まると、若い女性が、構内ツアーで新しい施設などの案内。
そして、学部ごとの写真撮影。その後、チャペルで集合ミサ。 総長の挨拶など・・・。 その後、学食で大立食パーティー。 
その後、学校サイドが用意した二次会がある。しかし前回同様の1~2年の同級会が東武百貨店の14Fに用意してあり、参加する。
参加28名(途中で帰った人3名)その後はクラスで親しかった男と、居酒屋に移動し語らい、22時過ぎにホテルに戻った。
姿、形は変わっても気持ちだけは変わらないのが同期の会での良いところ。 総括として、今回も満点。
 ・・・・・・・・
2656, コミュニケーション力とは?
 2008年07月13日(日)
   中島義道の「コミュニケーション力」についての一考察が、面白い。これによると、あくまで家内と私の関係だが、
  私がコミュニケーション強者で、家内はコミュニケーション弱者になる。しかし、如何みても家内の方が強者で、私の方が
  弱者に思えてしかたがない。外国に行って、観光地や飛行場で隣の人に平気で話しかけ英語の勉強をしたり、宮城県の
  医師会会長婦人と仲良くなり、ブランド店で見えの張り合いをしたり、ディナーで周囲の人と瞬間芸のようにハイソサエティー
  婦人に変身をしてしまう。私など何時も微笑をたたえて無言である。 たまに酔って、その場を目茶目茶にすることもある。
  中島のいう「コミュニケーション力」とは、私がいう「対話力」のことのようだ。対話をするには自分の主張を相手に理解させ、
  相手の言っていることを理解し、できれば互いに一人では思いもよらない一段上の内容まで内容を止揚することである。
  それは対「本」の著者ともである。   ーそれよりまずは、中島の、面白い部分を抜粋してみよう。
    (字数の関係でカット09年07月13日)
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2007年07月13日(金)
2292, 男ってバカなんじゃないか?                (★>з<)。o○[ォハヨ]○o。
 ある本の中に、「男ってバカなんじゃないか?」というのがあった。
【女は、小学校、中学校、高校、大学と、男の色いろな側面、人間の才能の様々な魅力を見出していく成長過程は、
動物から人間への進化の過程に違いない。子供の頃は、強い子。そして、スポーツの強い子。成績の良い子。そして高校から
大學になると、成績だけでなく、アートのセンスのある人。そして、それらを加味した個性的な人を求めるようになる。
男性の好みの変転という契機から、人間における精神的側面に目覚めていく。 しかし男にとって女が体育ができるからとか、
成績が飛びぬけているとか、突出したアートの才能があるのは、決定的の要因にはならない。それに対し、男は生まれてから
死ぬまでどうであれ、まず第一は可愛くて奇麗の人。ほぼ、これだけは死ぬまで一貫している。バカというか、芸がないというか。】
 ーそう言われてみれば、その通りである。逆にいえば女性に対して、それほど求めてない。
反対に女性は、その時々の男の価値観を見極めているということになる。男は節目の度に価値観を変え、自ら変身していかないと
社会に適応できない。だから男は同性に対して相手を一瞬に見抜く。しかし女性に対しては「美しさと教養と優しさ」を
第一の要素にする。それ以外、もともと求めてはいないのである。男なら明石屋さんまなどのお笑いタレントは持てるが?、
女となると、泉ピン子などお笑い系はもてはしない。この歳になってやっと、可愛いや奇麗など第二・第三の要素になってきたが、
数年前では、そのとおりである。いや、姉が多かったので、知性と人柄を同列においていた!性格が良く、知性的で、
その上に可愛い人で、相性の合う人。ほぼどれか欠けているが、もし満たしていたとしても、そう思っただけ? 
ところで考えてみたら私は、全て欠けている!(拍手!・・)女じゃないから、いいか!笑っている、あなたも、そうだろう! 
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2006年07月13日(木)
1927, 閑話小題        Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
ー北朝鮮・ミサイル問題と、日本の軍事力ー
ー社会主義についてー
 (字数の関係でカット2011年7月13日)
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 2005年07月13日(水)
1562, わたしの酒中日記ー14 
  ー岐阜の夜ー2  1976年 7月某日
夜行で岐阜に来て、今日は丸一日市内を駈けずりまわる。肉体的には、緊張しているせいか疲れはない。
日曜日の店の売れ具合をみて、一度帰宅のあと3時間ばかり休んで、夜行列車の「佐渡」に飛び乗った。夜行列車にやっと慣れてきた。
枕木の音を眠るためのリズムとして聴くように努めてから寝れるようになった。2歳年下の大森さんと一緒である。彼も私にしごかれて
8ヶ月、やっと戦力になってきた。朝の7時に岐阜駅に着く。駅ビルの地下の喫茶店で、モーニングサービスを食べて時間を過ごす。
そして9時過ぎから問屋街を駆け回る。仕入れのコツも9ヶ月も経てば解ってくる。とにかく多くの問屋を回って情報を仕入れることだ。 
それと大手の問屋とメーカーも大きな情報源である。小野、岡庭嬢が今朝長岡を出発、東京から名古屋の問屋をまわって夕方に
ホテルのロビーでいきあった。チェックインを一度して、何時もの「千成寿司」に行く。 彼女達も意欲的に仕事をする。
千成寿司は高校の時に、父の仕入れ見学の鞄持ちで来て、食事をした店である。12~3坪の店に職人だけで5人もいて、いつも行列待ちを
している超繁盛店だ。とにかくネタが大きくて新鮮で安い。普通の店の三倍のネタの大きさである。こういう出張は、夜の食事と
チョイ一杯をしながら仕入れの戦果の話が楽しみである。店の仕事の終了後、夜行列車に揺られたあと、朝からの駆け足の仕入先まわりは
激務といえば激務。しかし、仕入れは買い手の立場であるため面白いといえば面白い。仕入商品が売れるか売れないかは博打的要素がある。
当たるか外れるかは半々といってよい。それが面白いのだ。今夏は、ジョーゼットの素材の花柄の婦人服が爆発的に売れている。
しかし、どこを探しても売り切れて商品がない。ところが、諦めかけた直後にやっと一軒見つけだした。その小さな店の商品一軒分
全て買い上げた。これで、今回の仕入れの大きな収穫が完了。こういう日の酒は特に美味い。
明日は、岐阜を終日仕入れをした後に、大阪と名古屋の問屋の予定である。
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2004年07月13日(火)
 1197, ユングの臨死体験
臨死体験といえば、立花隆が「文芸春秋」で特集で連載をしたことがあった。死にかけたときに生じる脳内の異常状態から
見る夢か幻想と思うのだが。ユングの書の中の「臨死体験」を読んでいるうちに、何か今までの世界観が変わってしまった。
ユングが書いた時は、まだ宇宙衛星が地球外に出てない。しかし、ユングが臨死体験で見てしまった
宇宙からの景色と、宇宙船から飛行士が見た景色が全く一緒だったという。何とも不思議な気持になってしまった。
 ーその部分を抜粋してみる
1944年のはじめに、私は心筋梗塞につづいて、足を骨折するという災難にあった。意識喪失のなかで譫妄状態になり、
私はさまざまの幻像をみたが、それはちょうど危篤に陥って、酸素吸入やカンフル注射をされているときにはじまったに違いない。 
(字数の関係でカット2012年7月13日)
   ーブログに転載されています。
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2003年07月13日(日)
 830, アラスカ旅行記ー5
  ーアラスカつれづれにー
アラスカで感じたのは、豊かさである。そして、その対比としての日本の豊かさの底の浅さだ。・高校の前を通ったら、
大きな駐車場があった。16歳で免許が取れるという。 多くの高校生が車で通学をしているという。16歳以下でも親と
一緒であれば運転できる免許もあるという。・また地域性もあるが、50人に一人当たり割合で飛行機を持っているという。
 飛行機の車輪部分を季節ごとに変えることができるという。冬はスキーを履き、夏は車輪、湖や河では浮き輪を付け替えるという。 
安いので500〜600万で買えるという。夏は釣りや泳ぎに、冬はスキーとかに、色いろの場所に下りて遊ぶという。
 それでも、夏の期間が短く、秋はほとんどなく冬が長いために、鬱病になってしまう人が多いとか。
・アンカレッジの街を歩いていても豊かさが直に伝わってくる。ワンフロアーの大きい住宅、そしてこじんまりとした芝生と花のある庭。
・しかし乞食があちこちで見ることができた。 アルコールでやられるらしく、彼等を収容するシェルターがあるという。
 特に地元インディアンに、生活に適応できない人が多いとか。『地球の歩き方』に面白そうな日本料理店があったので行ってみた。
「やまや」という店で正しく国内の居酒屋そのもの。小さなカウンターが5~6席に、テーブルが16席。
 50歳位のマスターと20歳位の男のアルバイトが二人で働いていた。 「何が美味しいか?」と聞いたら、「ユーコン川で獲れた
 キングサーン の刺身がお勧め」、 とのことで注文したが、もちろん絶品。  鰊の塩焼きと子持ち昆布もなかなかであった。
 少しほろ酔いの頃、40歳ぐらいの白人が一人入ってきた。 マスターが「よー!食い逃げのジョー」と日本語で声をかけると、
 赤い顔をして 食い逃げのジョーじゃなくて、朝逃げにジョーだよ」と嬉しそうに答えていた。常連らしいので話しかけると、
 何と今回の現地日本人ガイドの上司。三重県の津に2年いたこともあるとかで、飛行機の整備士からガイドにトラバーユした
 といっていた。その時60歳がらみの人品のよい日本人が入ってきた。そして我々の間に座った。 知り合いらしく急にジョンは
 大人しくなった。そして英語で二人話し始めた。 後で家内がいうには今回のジャンボの機長ではないかという観測 私もその時に
 一瞬そう思ったが、商社関係者ということもありうると、それ以上考えなかった。でもTPOSから考えても、ジョンの態度からみて 
 機長の可能性が強い?一度店を出たがジョンの写真記念をと、とって返して思わず「ただ乗りのジョン、写真を一枚撮らせて下さい」
 といった。 本人曰く「ただ乗りのジョンでなく、朝逃げのジョンです!」


4126, 第一感は叡智である

2012年07月12日(木)

 倫理研究所の「日捲り」にあった言葉。 「第一感を働かせよ、これは叡智。 気がついたら間髪いれず実行。」と。
出来る人は、これを純粋に実行している。ひと呼吸を入れると必ず迷いが出る。その前に実行すればよいことを出来る人は知っている。
もし迷いが出ても、そこで「迷った時は、可能な限り実行する」という駄目押しの信念を持てばよい。即実行をしないと人生、後悔をする。
そこで、「倫理研究所」のHPを覗いたら次の内容があった。 これを心底理解できるのに人生の大部分の時間が必要になる。
 面白いので、逆も真なりで、全く逆の言葉に言い換えてみた(カッコ内)  ー 表裏一体ということー!
  ー 万人幸福の栞17ヶ条ー         ー逆も真なりー
1 今日は最良の一日、今は無二の好機      (今日は最悪の一日、今は無二の危機、と考え一日に挑戦する)
2 苦難は幸福の門                (順境は不幸の門)
3 運命は自らまねき、境遇は自ら造る     (運命を考えるときは、境遇が悪いときだけ)
4 人は鏡、万象はわが師            (鏡を見すぎると、何が何だか分からなくなる)
5 夫婦は一対の反射鏡             ( 乱反射があるだけ )
6 子は親の心を実演する名優である      (子供は、親の歪み?)
7 肉体は精神の象徴、病気は生活の赤信号   (精神は肉体の象徴? 違うだろう。健康は生活の青信号?これも違う!未病もある)
8 明朗は健康の父、愛和は幸福の母      (陰鬱は不健康の父?、トラブルは不幸の母か? 裏表じゃないか、健康も不幸も?)
9 約束を違えば、己の幸を捨て他人の福を奪う (約束を守るだけでは不足? もう一歩踏み込んだ実行! 無理?)
10 働きは最上の喜び             (方向が正しいなら良いが、間違っていれば、働くほど最悪の悲しみの道)
11 ものはこれを生かす人に集まる      (使い切った後、いかに捨てるか?)
12 得るは捨つるにあり            (得るは拾う人にあり)
13 本を忘れず、末を乱さず         (本も、末も叩き壊せ、創造は、そこより始まる)
14 希望は心の太陽である          (絶望から、全てが始まる。空即是色である。希望を目標まで具体化すべき)
15 信ずれば成り、憂えれば崩れる       (疑いは、考える第一歩。憂いを乗り越えてこそ厚みのある実現がある
16 己を尊び人に及ぼす           (人の美点を尊び、その結果、美点を吸収する。それが己を尊ぶことになる)
17 人生は神の演劇、その主役は己自身である (人生は悪魔‘=欲望’のなすがまま、欲望と後悔の織り成す絨毯である)
 ▲ これが裏表を成しているのが人生。だからこそ味わいが出てくる。だからこそ、明るい視点で人生を日捲りで確認する必要がある。
  ー逆も真なりーは、居間で晩酌をしながら下書きしたもの。酔いで歪みが出てきたためか、すらすらと書けたが・・ 正・反・合の 反。
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3760, ユング ー 3
2011年07月12日(火)
 ユングといえば、「布置」と「共時性」である。 
〈次数の関係でカット2012年7月12日ー ブログに貼り付けてあります!)
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3395, 何故、名古屋の資産家の息子が麻布で?
2010年07月12日(月)
 学生時代に30日間、一緒に欧州旅行した男が、何ゆえに麻布で撮影会社の社長になったのか?非常に興味があった。
その話を一昨日に会って聞いたが、チョットしたドラマ仕立て。 撮影会社といえばカメラマンとモデルやタレント、
そしてスタジオが舞台になる。撮影の世界は世間一般とは異質である。 人間関係が広く、うるさい上に腕の差が作品で明らかになる。
その世界で麻布周辺で三箇所のスタジオに80数人の会社を経営をしているのだから、そのプロセスの話しが面白くないわけがない。
その会社を独立させるまでの経歴がドラマ仕立てで面白い。三時間が瞬く間に過ぎてしまった。 プライバシーもあるので具体的に
書けないが、静岡の友人と、その話しを三時間に渡って聞き入ってしまった。 大学を卒業後、普通の会社に4年間勤務した後、
実家の貸しビル業に戻ったが、親父と衝突など色いろあった後、東京の撮影会社に勤務(弟子入り)。そこは百貨店の商品のチラシや
パンフレットの写真を扱っていた。 そのうち一つの百貨店をイトーヨーカ堂が買収した時に、社長がスーパーの写真など
撮りたくないと拒否反応。そのため、わざわざ分社。その会社の責任者になったが、撮影写真一点あたりの価格が百貨店の半額以下に
プライスを抑えられた。そこで知恵を発揮して採算にあうようにした。 その結果、ある時点から分社の方が組織的に大きくなり、
稼ぎかしらなった。それを良しとしない社長との対立。会社を辞めた、ところ過半数が辞めたので、やむなく会社を設立、
現在に至ったという。そこから一人の男の人生が見えてくる。寡黙な純粋な男だったがユニークな人生を生きることになるとは驚き。
そこの人間関係は非常な華やかな世界で、有名タレント、歌手、プロ野球の選手など、撮影で接するのが日常という。
それにしても、学生時代の色いろな友人から見えてくる人生は面白い。面白か、恵まれているから、会う機会ができるということもある。
 このリーマンショック以降、経費削減の影響を直撃しているという。 最後は、人間性、品格で人生がつくられる、ということ。
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3020.旅する力ー深夜特急ノートー4
2009年07月12日(日)
旅する力 ー深夜特急ノート ー4
 「旅する力ー深夜特急ノート」 沢木耕太郎著    読書日記
    第三章 旅を生きる
 * そのたびの最大の幸運は、第一歩を踏み出した所が香港だということだった。のちになって理解することになるのだが、
 香港から東南アジアを経てインドに入って行くのには、そこから徐々に異国というものに慣れていくのに理想的なルート
 だったかもしれない。気候とか水や食べ物といったものに徐々に慣れていく。湿気、暑さ、食べ物の辛さ・・・・。
 だから、インドに入って下痢をすることもなかったし、どこでもすぐにその土地の食べ物を美味しく食べることができた。
    解)そう言われると、成るほどと納得する。登山のように徐々に空気の希薄に慣れていくのは同じことか。
 *私は、何時のころからか、新しい国に入ると、暇そうな人を見つけては言葉を教えてもらうようになった。
 しかし、語学の乏しい私には、多くの単語を一度に覚えるのが難しい。そこで、次第に、
 必要最小限の単語だけを教えてもらうようになった。
 いくら 何 どこ いつ  こんにちは ありがとう さようなら
   この二つのグループの7つの言葉さえ覚えていれば、まったく情報のない国に入って放置されても、なんと切り抜けることが
  わかってきたからである。もう一つ、宿も、かりに安宿も、中国人が経営している限りは 最低の清潔が保たれてしたし、
  食堂も、どんなみすぼらしい店構えでも、中国人が調理をしては火が通った安全な食べ物を提供してくれる。
  私は、やがて、どんなところに行っても、まずはチャイナタウンを探すようになる。
   解)世界中どこに行ってもあるのが中華料理店で、味の外れは少ない。(一番外れが大きいのが和食の店)
    何処に行っても、中国人がいるから、いい加減な料理も出せないのだろう。
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2655, いちゃつき
2008年07月12日(土)
阪大総長の鷲田清一対談集「気持ちのいい話」に、なかなか含蓄のある話があった。
多田道太郎との対談の中で「気持ちがいい」とはなんだろうと考えたとき、それは「いちゃつく」という言葉に
行き着くという。最近の若い人は、スローセックスというか、最後まで行かないプロセスをダラダラ楽しむ感じが、
また良いと。鷲田は、女子高校生同士が、ベッドで何となくいちゃついている光景が、一番イメージしやすいという。
だいたい飲みにいって、ママとかホステスに何となく酒を飲んでいるのは、横から見れば子供に帰って
いちゃついている姿に似ている。そういえば、私が以前に女性の職場に居たときのタブーは特定の人との親しい関係だが、
不特定多数と何気なく仕事の中でいちゃつくのは、誰も見てみぬフリをする。 それが女の職場の中の男の特権である。 
誰とも目的無しに共同作業の中で引っ付いて、適当に仲良くするのは、幸福の最たるものである(この本で気づいたことだが)。
この対談集の中に、 鷲田が宗教学者・植島啓司から聞いた話として紹介している話が興味深い。
「‘解脱’は自分を遠ざけて、世界の中に自分を溶け込ませる技術で、‘救済’は逆に自分を開いて、
 他人を迎え入れて他人でいっぱいにするというかたちで自分を溶かしてしまう。 だから方法が違うんですよ。
 自分が相手の中に吸収されるか、逆に他が自分の中に浸透するか。どっちにしても、自分と世界の距離をなくして、
 自分を触っているか。相手を触っているかわからないような『いちゃいちゃ状態』を宗教だ」という。
 これから考えると少女が他人の体でいちゃいちゃしている状態や、部屋の中にぬいぐるみをいっぱいにしている状態と、
 宗教の解脱、救済と、きれいにオーバーラップするという。
鷲田は、自分はこれまでの人生で最も欠けていたのが、いちゃつき、といい、寝転んで誰かと飽きるまで、とことんゲップを
しそうになるまで、いちゃつき続けるのが、今の彼にとっての一番の幸せのイメージと正直に告白している。 セックスになると、
相手を満足させなければとか、社会的なこととか心理的な束縛がかかるから、いちゃつきの方がイメージとしてよいとか。 
(以下、中間、略 11年07月12日)
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2007年07月12日(木)
2291, 10歳の放浪記 ー3
 この番組の中で、作家がドラマの中の10歳の頃の子役を抱きしめた場面を紹介したが、これは深い意味が含まれている。
この行為そのものが「究極の癒し」になるのである。精神症や精神病の原因として最近「トラウマ」が取りあげられている。
辞書でトラウマを調べると、「耐えられないような体験・その痕跡。内的原因(欲動興奮的)と外的原因(侵襲破壊的)がある。」
とある。特に幼少時のトラウマが大きな原因となっている場合が多い。癒し系の本には、その時の自分を思い出して、
イメージとして抱きしめることが、本人のトラウマの一番の治療になる、とある。ところで、NHK/BSで「わたしが子供だった頃」
のシリーズで、童謡作家の上条さなえさんの「10歳の放浪記」をドラマ仕立て観て、感動し、随想日記に二回にわたり書いてきた。
本を買おうかどうか迷ったが「図書館にあるかもしれない」と思って、買うのを控えていた。先日の日曜日に近くの図書館の
ファンタジーなどのコーナーで探したが、無い。諦めかけたが、それでもと思い直し更に探したところ、あったのである。
 ー以下は、この本の一番のクライマックスの場面であるー。
 (以下、中間、略 09年07月12日)
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2006年07月12日(水)
1926, 教養について            おっ w(゜Д゜)w ハァョ?
先日のTV「田舎に泊まろう」という番組の中のできごと、お笑い芸人の一人が、田舎の家に泊めてもらうことになった。
(この番組については、今度チャンスがあったら書いてみる。たまたま泊まった家に14歳の少年がいた。番組が進むうちに、
その子が不登校ということが解った。ところが、少年と打ち解けてくるうちに、そのお笑い芸人(現役の広島大学生)が、
その子に説教を始めた。 その内容が良い。表現は違うかも知れないが、趣旨はこうだ。
「学校は行かなくてはいけないよ。学校に行かないと、それだけで自分の選択の余地を自分で小さくしていることになる。
さっき自分は何になりたいか希望がないといったね。これから自分で何かになりたいとか思うようになるだろう。
その時学校に行ってないと、何かになりたいという幅が小さくなる。チャンと学校に行ってな、勉強をして幅はつくって
おかなければ!」その子は、何かハッとするところがあったようだ。両親は「何をいっても聞かない!」と嘆いていたのが
嘘のように素直に聞いていた。人生を振り返ってみると、特に中学生時代に何をしていたかで、ほぼ決まってくる。!
大人になっても同じことがいえる。教養は一生ついてまわるだけでなく、子供にもそのまま影響してくる。
歳を重ねると、そのことが身に沁みて解ってくる。そこで教養について、考えてみる。こういう場合インターネットはよい。
幾つかのHPを読むうちに教養の大枠が見えてくる。
・「教養」概念は、英語では「文化」を意味するculture、ドイツ語では「形成」を意味するBildungに対応している。
・ 豊かな人間性の形成のための素養としての知識・経験。
・「いかに生きるか」という問いが教養の始まりであった。
  古代ギリシア人にとって教育の目的とは、一人一人が教養を身につけることであった。
  それは専門知識の集積ではなく、市民としてよりよく生きるための知恵の獲得を意味した。
・「世間」とは、建前の無教養に重なる。世間には、当然と思われる価値観が厳然としてある。
  しかし、概して知識のない人種のコントローラーとして機能している場合が多い。それを知るのが教養である。
 なぜ人生の後半になってから、そのことに気づくのだろう。何が大切で、何が大切でないかが、経験を通して見えてくるのだろう。
 見えてない人が殆んどだから始末に悪い。それが世間とかいうヤツだが。 だから娑婆は面白いのだが・・・  面白すぎる、
 人間というのは!もっとも、一番おもろいのは自分だが!! 私にとっての教養とは、「感動すること、感激すること、
 感謝すること、その響きを可能な限り大きくするための知識・経験を蓄積すること」 「知ること、愛すること、創造すること、
 そしてそれらを楽しむこと、このために必要な知識・経験」である。「お前を見ていると、教養があるように思えないが・・」
 という声が、何処かから聞こえてきそうだが・・ まったく、もう。 自分でも、そう思っているから間違いないことです。   
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2005年07月12日(火)
1561, わたしの酒中日記 ?13
 ー岐阜 -1  1975年 9月末日
 初めての仕入れで岐阜に来ている。高校の二年の時に父の仕入れの鞄持ちで来たことがある。
あのときの感覚を頼りに生まれての初めての仕入れである。まずは東京の現金問屋街で仕入れ、その後に名古屋廻りで
岐阜に入った。今回は婦人服である。生地の素材さえ知らない、まして流行など知る由もない。しかし、全く経験のない
「養老の滝」「ベーカリー」を立ち上げたことからみれば、遊びでしかない。学生時代の合気道の経験が役に立つ。
ただ虚心に対象と立ち向かえば、プロより強いということを信じればよい。とにかく情報を仕入れること、それしかないのだ。
そのためには歩き回るしかない。それと自分の人間性を前面に出せば相手も反応する。一回目にしては上手くいったようだ。
そして父と昔、泊まった宿に入る。懐かしい、本当に懐かしい。そこで夕飯を軽く食べた後に、街に出てみる。
知らない街で赤提灯を探すのは、何とも愉しいものだ。疲れのせいで、直ぐ近くの「なまずや」という鰻屋に入る。
鰻をここでは、むかしは「なまず」といったのが由来とか?一人カウンターでまずは鰻を肴に酒を飲んでいると、小座敷で
飲んでいた二人づれの一人が話しかけてきた。今日、行ったメーカーの人だ。一緒に飲まないかということで、彼らの席にいく。
昔、父にお世話になったという。父のことを、一時間ほど彼らから聞かされる。その後、彼らと柳ヶ瀬のスナックに行く。
私の学生時代に大ヒットした「柳ヶ瀬ブルース」発祥の地である。彼ら二人はかなりの遊び人のようだ。とにかく疲れたので、
早々帰ってきた。緊張した一日であった。反面、面白いのだ。買う立場は売り手からみたらお客様なのだ。何か仕入れとは
こういうものかと、少しは解りかけてきた。 明日は大阪に行って、その日のうちに広島だ。未知な世界は、全てが冒険である。
我ながら、よくやるよ! ーつづく
・・・・・・
2004年07月12日(月)
 1196, 口ぐせ
先日この随想日記で書いた「私は幸せ」ではないが、普段のつかっている言葉がいかに大切かつくづく実感する。
中村天風も繰り返し述べているが、世の中マスコミなどでマイナス言葉を蓄積されていて、その毒が我々に大きく影響を与えている。 
(以下、中間、略 10年07月12日)
・・・・・・・・・
2003年07月12日(土)
829,アラスカ旅行記ー4
ー26氷河クルーズー
アンカレッジからバスで一時間半のところにある港街ウィッティシア。ここよりクルーズ船に乗り、プリンス・ウイリアム湾に
流れ込む大小26もの氷河が密集するフィヨルドを巡るクルーズがよかった。氷河といえば昨年の12月にいったパタゴニアの
モレノ氷河などと比べたくなる。この対比でアラスカ氷河をみると、この26氷河に限っていうと、・一つ一つをとってみれば、
氷河そのものはモレノ氷河の方が奇麗で大い。また流氷の大きさや数、氷柱が倒れる迫力などもモレノ氷河の方が格段良かった。
・モレノ氷河は氷河自らの水で湖をつくっている。その為、湖には冷たすぎるためか生物は一切いない。
 これに対し26氷河は直接海に氷河が流れ出ている。温度も海水と調和をして、多くの海の生物が棲息している。
・空と海を背景とした氷河の美しさがアラスカにはあった。それと5時間のクルーズの間、どこかしこに愛らしいラッコが海に
浮いていた。またアザラシや鯨やオウムに似た鳥のパラフィンも見ることができた。 アラスカ・クルーズは、地中海クルーズや
カリブ海クルーズと並ぶ世界三大クルーズの一つ。特にカナダのバンクーバーからのクルーズは有名だ。
丁度我々の目の前をその大きな客船が横切っていった。客船サービスで、氷を引き上げてお客に配っていたが、さっそく
ウイスキーのオンザロックで飲んでみたが、何ともいえない数億年の味がしたようだった。 当たり前のことだが、
アラスカにはアラスカの氷河があり、パタゴニアにはパタゴニアの氷河がある。対比するのはよいが、どちらが良いとはいえない。
 旅行をしているうちに、いつの間にか世界各地で多くの氷河を見ることができた。スイス、パキスタン、ニュージーランド、
パタゴニア、そしてアラスカなどなどだ。氷河だけ追いかけても、その自然の美しさと壮大な営みの一部を見ることができる。
氷壁が崩れ、数億年の旅を終える姿を目の当たりみると、人間の小ささを改めて思い知る。
 ホテルから港まで往復3時間、車の運転をしてくれた佐久間さんという人の話もなかなか面白い。
20年前サラリーマンが嫌になりアメリカ本土に渡り各地を転々、その後ハワイに3年いて、2年前にアラスカに流れてきたという。
50歳ぐらいだが、なかなか話の内容が深く面白い。そのままサラリーマンの一生も人生、自由気ままな生き方もまた人生である。
但し人生の真髄をどちらが深く考えているかというと前者であろう?アラスカの広大な自然の中で、色いろ考えさせられる事が多かった。


4125, マネー大動乱

2012年07月11日(水)

         「日本と世界を直撃するー マネー大動乱」 増田悦佐著
 世界の激動する国際金融危機を解りやすくダイジェストに俯瞰した内容である。著者の視点で日本国内のついての悲観論と、
 欧米や新興国についての楽観論に対して、まだ日本はマシと論じている。 それぞれの章ごとに、ポイントになる部分を
 書き出して、それについて論じてみる。 世界のマネーは動乱に入ってしまった。
   ー 第一章 アメリカは財務省・ウォール街複合体に潰される?! 〜上位一パーセントの総取り!
【 2007年で、最も裕福な1パーセントが合衆国の全ての資産の34.6パーセントを所有しており、次の19パーセントの人口が
 50.5パーセントを所有している。要は、二割の人口が85パーセントの資産を占めている。逆に連邦政府が定める貧困ライン
(4人家族で2万2千ドル=180万)以下の生活をおくっている人が4620万人。人口比にすると15パーセントも存在する。
 信じられないことだが、生活保護やフードスタンプ(低所得者向け食料配給カード)など、国や州の援助がなければ
 生活が出来ない人が47〜8パーセントもいる。失業率は2008年初頭で5パーセントだったのが、リーマンショックで
 10パーセントを一時期超えたが、去年の秋には8パーセントまで下がってきた。ではオバマの失業対策が上手くいったかというと、
 そうでなく、職探しを諦めてしまった失業者が、労働人口から外れた「無業者」になって、失業調査から外れてしまっただけ。
 ・・・アメリカの実質世帯所得は5万ドルで日本円すると400万円。これも下落傾向にある。】
▼ ネットでその辺を調べたところ、「全人口の上位1%の税引後世帯収入の割合は1979年の約8%から2007年の17%に上昇、2倍になった。
 全人口の上位5分の1の富裕層が受けとる税引後世帯収入は、1979年の43%からさらに上昇し、2007年には53%だった。言い換えれば、
 上位5分の1の富裕層の総額は、他の5分の4所得を超えている。」とあった。 現在の日本も、同じ傾向にあるようだ。
 特に地方の衰退は激しい。世界的みて富裕層といわれる人は100万ドル、日本では1億前後の流動資産を持っている人をいう。
 だいたい1・8パーセントの世帯が入るとか。50数世帯に一世帯というと、なる程、そうか?である。身辺を見渡してみて、
 豊かそうな人は、その位は持っていそうである。そういう人たちは、何があっても、しぶとく豊かさを守る知恵がある。
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3759, ユング ー 2
2011年07月11日(月)
       < ユングー地下の大王  コリン・ウィルソンー② >
 あまりに有名な幻覚?だが、序文の冒頭から以下のような刺激的な内容から始まっている。 ーまずは、その部分からー
【 ユソグは六八歳のとき、日課の散歩中凍った道路で滑って、くるぶしを折った。その二、三日、はげしい心臓発作に襲われた。
彼は病院で酸素とカンフル注射で生き続けた。ユソグに付き添っていた護婦は後に、「私は、死にかけている人が一種の白熱光で
取り囲まれているのを見たことがありますが、あなたもそういう光で取り囲まれていましたよ」と彼に語った。
この状態でユングは、生と死の間をさまよった人々によってしばしば述べられてきた幻影のようなものを経験したらしい。
その第一は、約千マイルの上空から見られ、青い光に浸された海と陸地のある地球の幻影だった。彼は、赤味を帯びた黄色のアラビアの
砂漠や雪でおおわれたヒマラヤ山脈を見分けることができた。つぎにそのそばに、彼は阻石のような巨大な石の塊を見た。
 しかしそれは、彼がインドで見たことがある、ある寺院のようにくり抜かれていた。その入口の近くに、一人のヒソズー教徒が
結珈趺坐め姿勢で坐っていた。ユソグはこう言っている。近づくにつれて、「私は、あらゆるものがはがされて行くかのような感じがした。
私が目指したか、欲したか、あるいは考えたあらゆるものや、走馬灯の様な地上の全ての光景が、消え去るか、私からはぎとられて行った。
それは、この上ない苦痛の過程だった」。そして彼が、そのヒンズ教徒によって、灯心が一杯ともっている寺院内部に案内されたとき、
「私の真の仲間であるすぺての人々」にまさに会おうとしている様だという確信と、自分の生命の意義と自分が、この世に送られて来た
理由が突然わかったのだという確信をもった。そのとき、ヨーロッパの方角からなにかが彼のほうへ浮き上がって来た。彼は、それが
自分の治療をしていた医者だということがわかった。しかしこの医者は古代のコスー医療の神、エスクラピウスの寺院のあるところーの
支配者に変わってしまっていた。その医者はユングに、「あなたは死ぬことが許されないでしょう。少なくとも三〇人の女性があなたが
この地球を去るという計画に抗議をしています」と説明した。ユングは、その幻影があせるにつれて、深い絶望感を感じた。自分は
しぼらくの間死んでいて、それから生によびもどされると確信していた多くの人々のように、ユングはもどらざるをえないことに憤慨した。
その医者が古代の王の形をしてユングのまえにあらわれたので、彼は、この医者は死のうとしている ー実際その医者の死が、彼自身の
死の代わりになるのだろうーと信じた。一九四四年四月四日、ユングがベッドの上に坐ることを許された最初の日、その医者は熱のために
病床につき、その直後敗血症で死んだ。ユングが、彼の最後の患者だった。 それは幻影の時期であった。
「毎晩私は、もっとも純粋な至福な状態のなかに浮いて驚いた」。朝が近づくと、彼は「今灰色の朝が再びやって来ると、今灰色の世界が
その贈り物の箱をもってやって来る」と感じたものである。そして彼が肉体的により丈夫になるにつれて、幻影は止んだ。ユングは幻影を、
ある形の夢か幻覚とみなさず、根本的な現実に対する洞察とみなした。「それは想像の産物ではなかった。幻影と体験はまったく
現実的なものであった。それらについて主観的なものはなにもなかった。それらはすべて、絶対的な客観視をもっていた」。 】
 ▼ これは、まさかと思えるほど衝撃的だった。ということは、私には父親が亡くなって10年ぐらい、妙な霊感が身に備わった。
 しかし、その直後に結婚し、様々な事業体験で極限の経験をしてきた中で、その新たな感覚が増強されていった。この感覚は他人に
 言っても信じてくれないことは(自分が経験してない時を考えれば)分かりすぎるほど分かっていた。その中で、この文章である!
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3394, おテレビ様と日本人 ー1
2010年07月11日(日)
 この本はテレビの与える弊害を書きつらねている。それも「7人の家族」「鳩子の家」テレビ・映画の脚本家として
活躍した人だから説得力がある。 テレビ局からの一方的な押し付けで思考力を奪ってしまう弊害は大きい。
 4万年前の洞窟の絵文字から、人間は考え、それを他人に伝えてきた。その中から、他者の持つ複雑な考えの意味を理解しようと勤め、
自分の考えを進化してきたのである。そして人間は、「考える動物」として、他の動物と違って、飛躍的に文化・文明を蓄積してきた。 
それが、テレビ様の御かげで、根本から破壊された。人間が創りあげたテレビという機械に、人間は勝ち目のない戦いをし、
それに隷属されている。 人生は短いのに、日本人の総白痴化が、ここで顕著になっている。 経済、政治について語る日本人の
内容の浅いのも「おテレビ」のお蔭という。 「911・考えない・日本人」と合わせ、納得させられう点が多い。
 ーまずは、要約部分からー
≪ テレビのない時代、人間が余暇を過ごした方法の一つは読書だったから、テレビと本を比較すれば言いたいことがわかるだろう。
知的な刺激を求め、人間が本と親しんだその時間の大部分は、今テレビに奪われている。 本には良書と悪書の区別があった。
だが今、テレビに「良番組」「悪番組」などの識別をすることはない。あまりにも一過性で、人に判断の余裕を与えないからだ。
この番組はコマーシャルをはさんで、すぐ次の番組に移る。 焼け野原の都市に、本屋の数は少なかった。 古本屋はアリババの
洞窟のような魅力があった。実際本の起源は洞窟から始まっているのだ。 約四万年も前に、柔らかい岩や粘土に刻み込まれた
絵文字によって。人間は自分の考えを他者に伝えたい本能を持つようだ。また同時に人間は、他者の持つ複雑な考えの意味を
理解しようと努力を始め、自分の考えと同化させる努力を始めた。同意・同感するたびに、あるいは異論を抱くたびに、
人間は人間らしくなっていった。その結果、何万年もかけて地球上でたった一種類の珍種哺乳「考える動物」が誕生したのだ。 
この珍種が、絶滅一歩手前にきている。本を失い、その代替としてテレビを与えられ、考えるカを失ったために。 
もうすぐ人間の最大の敵は、再び歴史以前、石器時代と同じように、他の動物、野獣たちに戻る日が来るだろう。 
考えるカがついてからの長い期間、人間の最大の敵は、無論、人間だった。それはお互いに自分の損得を優先して
考えるようになったからだ。それは単に金銭、物質の損得への考えだけではなかった。 何よりも人間は、人間らしい人生を
送ることへの損得を考えた。 短く貴重な一生を、どうすればより実りの多い時間で満たすことができるかの損得を考えた。
   ( 字数制限のためカット 2011年7月11日)
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3019.旅する力ー深夜特急ノートー3
2009年07月11日(土)
旅する力 ー深夜特急ノート ー3
 「旅する力ー深夜特急ノート」 沢木耕太郎著    読書日記
 ー第二章 旅の始まりー
* 果たして陸路でロンドンまで行けるのだろうか? 不安を抱えたまま躊躇していた私の背中を押してくれたのは、
  1973年暮れに出た雑誌に載ったある文章の一節だった…。それは井上靖が書いた「アレキサンダーの道」という
  紀行文の連載第一回の文章であった。掲載誌は「文藝春秋」の1974年の一月号である。その冒頭で井上靖は、こう書いていた。
 《昭和48年の5月〜6月にかけて、アフガン、イラン、トルコの主として古代遺跡だけを漁って、自動車で巡った。
  約一万キロくるまに揺られた荒い旅であったが、私にとってはすべてが初めての経験だったので、面白かった。
  一行は、考古学の江上波夫、画家の平山郁夫両氏の他に、長島弘三、・・・などが同行された。これを読んだ時に
 「アフガン、イラン、トルコ」というのは、まさに私が行こうとしているルートそのもの。・・・》
    解)書物を通して、経験者が声が多くの人を動かす。経験の持つ力は、後進の人の力を喚起させる。
     だから一生を通して読書はしなければならないのである。
* 出発に際して、持ち物の「一覧表」を作った。しかし、参考になる例を知らなかったので一人で考えるしかない。
  旅先で新たに買うことも出来るものもあったが、旅先では買うのは極力抑えたい・・・・
  私はリストを作り変えることにしたが、それは無限の引き算をするようなものだった。
  これらをバックにつめ、それを背中に背負い、ショルダーバックを肩にかける。その中味は以下の通りであった。
  ・パスポート ・証明写真 ・トラベラーズ チェック ・現金 ・航空券 ・カメラ
  持っていく本は、最後に三冊に絞った。『星座図鑑』『西南アジアの歴史』、中国詩人選集の『李賀』である。
    解)旅行先では、意外と本を読む余裕はない。 その先々で、じっくりとする余裕があれば、その読書は
     特別な意味を持つはずだ。 経験主義と合理主義の二つの効果が十二分に発揮する。
     金沢の地で大本教の出口王二三郎の本を貪り読んだが、あれは私にとって鳥瞰の視点の一つを
     得た機会になった。 人生は、何がなくとも、その時々の本である。
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2654, 結論で読む人生論
2008年07月11日(金)
 「結論で読む人生論 ートルストイから江原啓之まで」勢古 浩爾 (著)     ー読書日記
 古今の人生論を批評しながら著者の人生論を展開する本。
 著者の「わたしを認めよ」「まれに見るバカ」「この俗物が」を読んだが、非常に軽妙で、自虐的な文章が私の性に合って面白かった。
 この人生論も、勢古の人生論批判で、「結局何なんだよ?」という彼の主観が面白い。まずは、アマゾンの内容紹介文と、まえがき、
 の一部を紹介して、次からは、それぞれの章の面白そうなところを抜粋しながら、考えてみる。
  人生論は、哲学と同じく読まなくてはならない。そこで培われたものが自分の人生の司令塔になるからである。
 ーまずは、この本の概要からー
  ー内容紹介ー
 (字数の関係でカット09年07月11日)
 後記) 勢古の本を数年、読んでなかった。その間に多くの本を出していた。
何処にもいる普通の才能の人が、自虐的に書いているから、親しみを覚えるのである。
特に古今東西の人生論を、彼の目線で書いているから,同調するのである。
( 字数制限のためカット 2011年7月11日)
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2007年07月11日(水)
2290, 「豊かさ」とは何か?、そして図れるのか       (。ゝω・)ノ☆;:*おはよう*:;☆
豊かさとは、決して経済的な豊かさだけではないが、しかし「経済的豊かさがあってこそ」というのも決して否定できない。
 (字数制限のためカット 2012年7月11日) ー面白いので、バードウォッチに貼り付けてあります
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2006年07月11日(火)
1925, シャイン     \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/  ー映画観想日記
 何げなくDVDレンタルショップで借りてきて観た『シャイン』という映画が素晴らしい。今も活躍している天才ピアニスト、
 デビッド・ヘルフゴットの半生を描いた映画である。そんなことも全く知らないで観ているうちに『シャイン』の世界に
 引き込まれてしまった。
  (字数制限のためカット 2010年7月11日)
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2005年07月11日(月)
1560, トヨタ流 仕事の哲学              ー読書日記
                  若松 義人 (著)
著者は、この書で一番いいたかったことは「当たり前のことをトヨタほど徹底的にやり続けるは、何と難しいか」である。
「日々改善、日々実践」を50年以上も積み重ねこそ現在のトヨタがあるという。トヨタ流の基本は「人間はすごい」であり、
「人間の智慧に限界はない」である。トヨタの強さの源泉は、創業以来脈々と受け継がれてきた暗黙知にある。
(以下、字数の関係でカットしました。 2008年7月11日)
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2004年07月11日(日)
 1195, 授かった不思議な力
ー鈴木秀子の本を何冊か読んだことがある。先日図書館で借りてきた対談集を読んで、その中の臨死体験の話に興味を引かれた。
何かこの世には私の窺い知れない何かがあるような気がする。何回か書いたことがあるが、私の場合何回か幽体離脱?の経験がある。
歳を重ねれば重ねるほど「不思議」という言葉の奥行きの深さを感じるようになってきている。私自身「自分の接した人の運勢が良くなる」
話しは、かって聞いたことがない。神憑りである、いや今風にいうと「上げまん」だろうが、これは結婚した場合である。
有能な右上がりの人は、周囲に似た現象が生じるだろうが、全ての人の運勢を良くはしない。やはり、何かの特殊能力が臨死体験以降
身についたのだ。人間には、本来持っているが退化して隠れてしまった能力が多くなるような気がしてならない。あるキッカケで
それが飛び出してくるのだ。 以下は、ある対談集を書き写しました。 まずは、ごらんあれ!
≪臨死体験後、不思議なことがありました。 結婚式に招かれて待機をしていたら、背広を着た人が男性がいらして、
「あなたのような人にようやくお会いできました」っておっしゃるんです。自分は高野山の系統の住職で、生まれたときから
ひとを見ぬく特別の能力がある。そして、あなたの授かったような能力を自分も欲しかったけれどもらえなかった。
どういう能力ですかと聞くと、大きな大宇宙の力が私を通って出会う人に伝わって、
どんどんその人の運勢が良くなる能力だというんです。私も最初はその能力をまじめには信じませんでしたが、・・・≫
           (字数の関係でカット 2008年7月11日)
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2003年07月11日(金)
828, アラスカ旅行記ー3
 デナリ国立公園ーb  ーマッキンリー遊覧飛行ー
一度ホテルに帰ってきて、3時間ほど休んだ後にオプションのマッキンリーへの遊覧飛行に参加をしてきた。
230?と少し高いオプションで他のメンバーは誰も行かないが、ここまできて行かないてはない。「食事抜きのコース」を選択、
朝夕食は部屋で近くのスーパーで買ってきた果物や持っていった食料で食いつなぎ昼はスナックで済ました為に、その分の振り替えと思い、
迷わずに参加した。そして大正解であった。 ホテルまで迎えに来た車で小さな飛行場まで行って、他の白人3人と供にオモチャのような
セスナに乗った。20分ほどマッキンリー山脈の峰の間をフライトしてマッキンリー山まで行き、北米大陸最高峰の6194?ある山頂を、
下から螺旋状に30分もかけ5~6回も旋回をしたのだ。その雄姿だけでなく、山頂付近の広大な氷河の世界や、どこまでも広がる
アラスカの大地が、この世のものとは思えない景観で、今回の旅行のハイライトであった。「植村直己もこの風景を見た後亡くなったのだ!」
という思いがフト頭をよぎった。ギアナ高地のテーブルマウンテンの遊覧飛行に匹敵する感動感動の連続。 マッキンリーの山頂に
200??近くまで接近をして、数十の山々を従えて神々しく聳え立つ姿を至近でみている時間は「至福の時間」であった。
思わず『ありがとう』という言葉を口ずさんでいた。この遊覧で、この旅行の価値が数倍になったといっても過言ではない。
いつも旅行で経験するのが「あと一歩を踏み出すかどうか」。本当に人生と同じである。ヨルダンのぺトラ( 字数制限のためカット 2011年7月11日)


4124, 老後の備え

2012年07月10日(火)

             「老後に後悔しない10の備え」三浦朱門著  ー
  * 老後の備え ーあってもなくても、虚無
 学生時代に社会学を専攻した。社会といえば人間の集団をいう。個々にみれば人間学ということになる。人生とは、その人間の
始まりから終わりまでをいい、老後は最後の2割ぐらいの時期。その備えを人生の半ばの中年期から如何に準備するかを
問うているのが、この本。 その時々に、やるべきことを明確にして全力で生きれば老後の備えなど考えることもないが、とはいえ、
長年かけた準備は必要である。 私の場合、何度も書いているが、「50歳代の10年間に30年分の人生を生きること」が人生の
最終の備えの仕上げであった。この御陰で60歳になってから、精神的に非常に楽になった。し残したことが少ないという実感は
他人に対しても自分に対しても余裕を持てる。40年近い事業人生は常に最悪の事業破綻の心配が纏わりついてきた。その恐怖感が
逆にリスク管理をさせることになった。 倒産すれば全て失うし、失業保険もないし、退職金もない。まる裸になってしまう。
その危険の海の中でこそ智恵が出てくる。しかし、想定外の事態が起こるのが事業。その事業破綻の備えは人生の備えと大きく重なる。
破綻の備えを事業計画の組立の中に入れておくのは基本である。 私は、第一に「家族は事業に直接関わりを持たせない」であった。
家業と事業の違いは、会社規模に関係なく家族・親戚を事業に関わらせているかどうかである。家業は家業で、それはそれで良い。
ただ危険度は高いが、長年かけた備えの知恵がある。家内の実家を見ていると、つくづく感じる。何があっても生き延びる体質がある。
 長年かけた老後の備えに、日記帳的記録を書き続けることがある。私の場合、このブログ。大きな挫折で虚無に陥りそうな気持ちを
何とか支えてくれている。 この著書は、「老後に後悔しない10の備え」を勧めているが、老後に至った現在、「今から」より、
「今更」の内容。 行蔵の中身の質量を高めておけば、それが老後に生きてくる。 それぞれの人の視界にみえる地平線内の景色は、
その人だけのもの。 目先の生活の心配をしないで済む余裕があれば良いが、時代が時代で一寸先は闇である。 その中にあって、
孤独に耐えらる教養と趣味。この二つをベースとした構えを中年から本気になって構築すべきである。 ところで、老後という言葉。 
死ぬまで、その人に纏わりつく不安の化け物にも思える。それは還暦から20年以上も生きなければならない分、大きくなっていく。
人生は何とかなるもの。何ともならない時は、自分は無になっている。だから「いま・ここ」で、精一杯生きるしかない。ただそれだけ。
・・・・・・
3758, ユング ー 1
2011年07月10日(日)
 < ユングー地下の大王  コリン・ウィルソンー >
15〜6年前に、この本を買って読んだ時の衝撃は現在も残っている。それ以前にスェーデン・ボルグの
霊に関する本を読んだことがあったが、この序文からして、一挙に著者によって、「ユング」の異様な世界に引き込まれてしまった。
6年ほど前に、文芸春秋の誌面で立花隆が、「ユング」について、書いた時、ここで取り上げた。 ユングといえば、
超常現象と霊について、心理学者として真正面から向き合った人である。それでフロイトと袂を分かった。
 日本では河合隼雄と秋山さと子が、ユング研究で知られている。また江戸時代に明恵という坊様が、夢世界の著書を書いている。
著者のコリン・ウィルソンは、これまた面白い人物で、「アウトサイダー」以来一貫して、「現代人の精神の貧困を問題視し、
その原因と克服の道は何か」を問い続けてきた人物。この著書は、序文から終わりまで、息をつかせないぐらい濃い。 オカルト、
共時性(意味ある偶然の一致)、能動的想像など、ユングの神秘的側面を明快に説いている。この本を読み返したと同時に、連日、
不思議な夢を見ている。私の人生の節目時に、ユング心理学を通して自分を振り返るに丁度良い機会と、怖いが、オカルト世界を再度、
覗いてみたい。一笑にふすなら簡単だが、この世界は踏み込んだものしか知ることが出来ない。この10年哲学を独学してきたので、
オカルト世界を探索し戻ってくる命綱(哲学が)と気休めもある。ユングは、内面の対話を重視した心理学者。ソクラテスの対話法にも
影響され、患者との対話と、バランスを重視した。「汝自信を知れ」を潜在意識に求め、それまで科学者がタブーにしてきたオカルト世界の
神秘世界に、正門から入っていった。ユング関係の本を数冊、目を通しため、毎日、明らかに潜在意識の地下の世界の夢を見ている。
この手の世界は自分の内面の意識下の何かを刺激する。 以前から、ここでも書いているが、人より強い?霊感が私にある。
ネット世界になってから、この手の話題は静まった。 直感、霊感より、ネットによる認知が強くなったのでは?と思われる。
 何が今さらユングだが、それでもユングはユングである。それで何を知ることが出来る? 宇宙の外のXとやらを何でもよいから、
ネットで公開したら良いではないか。神秘主義など、情報不足のなせる技。で、終わってしまう。 
・・・・・・
3393, 閑話小題
2010年07月10日(土)
  * お金の恐ろしさ
 金の持つ威力、魔力は今さら言うに及ばない。では、その恐ろしさを本当に知っているかというと疑問?
その魔力の金を金融工学で創りあげ、破壊したのがアメリカである。 金があれば世界の9割が自由になるし、
無ければ今日明日の飯の心配をしなかればならない。 1万円を持って千円の買い物をするのと、1千円を持って
1千円の買い物をするとでは気持ちの余裕が違う。 身近で金にまつわる人間模様を見ていると、その恐ろしさを実感する。
親戚が親からの相続で大金が入ったところが、人相と着ているものが様変わをした。環境=条件が人をつくる典型的事例である。
逆の話しは幾らでもある。 だから、その恐ろしさを充分に知り尽くさないと・・・・
  * 再びユーチュウブについて考えてみる!
(字数の関係で中間カット2012年7月10日)
  * 不機嫌とイライラ
 歳をとるとともに人間は円熟していくと青年期までは思っていた。ところが社会に出て、仕事を通してみる年寄りは
機嫌の悪い偏屈の人の方が多いことに気づいた。 30年前から駅前で事業を始めて出あった老人の何割かは、明らかに不機嫌と
イライラの塊のような人が多いという事実がある。 しかし今度は自分が60歳を過ぎた辺りから、イライラが多くなってきた。 
それは肉体の老化の上に、精神の老化もある。あの出会ったイライラした老人の不快を自分が、その歳になって始めて気づいたのである。 
なるほど人生は60歳までと曽野綾子が述べていたが、その一端が分かってきた。それと社会は年寄り向きには出来ていない。 
円熟なんぞは、年寄り仲間でしか通用しないのも、道理である。むしろ不機嫌、イライラは避けることの出来ない事態と割り切って、
人に見せないようにカモフラージュすべきである。 自分もそうであるように、同年代の知人も老化現象が起こっている。 
他人から聞いた片耳で喧嘩を仕掛けてくる、それを、待ってましたとばかり受けて立つ、というような老化現象を自分にみる。 
 先のことを考えられなくなると、過去の経験がフラッシュのように思い浮かぶ。 40年前のことを思い出して独り怒ってみたり、
ニヤニヤしたり、年老いた幼児である。これが高じると痴呆症ということか。 晩年は、冬景色ということか。
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018, 旅する力 ー深夜特急ノート ー2
2009年07月10日(金)
 「旅する力ー深夜特急ノート」 沢木耕太郎著    読書日記
第一章 旅という病
 * スタインべックの『チャーリーとの旅』には、
   子供のころ、たまらなく何処かに行きたくなると、大人は私に「大きくなれば、そんなにむずむずしなくなるよ」といったものだ。
   年齢から見て大人の歳になると、中年になれば収まる、と言われたものだ。いざ中年になると、今度は「もっと歳になれば、
   その病は治るよ」といわれた。 いま58歳だが、これだけ歳をとれば大丈夫のはずだが、いっこうになおらない。
    解)年齢ごとに行きたくなる場所が変わっていく。だから、その歳ごとに行けるところに行くのが理想的。
     時間の隙間を見つけ強引に行くしかない。定年後に行こうとしても、限界がある。準備を充分してもだ。
 * もし旅が病だとすれば、私がそれに冒されたのはいつのことだったのだろう。ひとり電車に乗って行った
   あの旅においてだったのだろうか……。その小さな旅がすべての始まりだったかもしれない。
  「最初のひとり旅はたった一日で逃げ帰ることになった」 中学生の時、伊豆・大島の三原山を登る途中、
   テントを張っている若い男性から「泊まるところが決まっていなかったら泊まってもいいよ」と声をかけられ、
   泊めてもらうつもりだったが、犯罪者ではないのかとの疑問が恐怖に変わり、山を下りるとそのまま東京に戻ってしまった。
  「たくさんの経験を積んだ今なら、その男性を冷静に判断しただろうが、その時は、誰かが親切にしてくれた場合、
   それがどういうことなのかを判断する力量がなかった」
 解)私の旅の病は《学生時代の30日間の欧州旅行であった。》 自分を取り囲んでいた殻が、大きくヒビが入り、
   半年間は放心状態であった。 日が経つほど、ヒビの割れ目が大きくなっていくのが分かった。その翌年に、北海道の一人旅や、
   そして九州、紀州、能登と一人旅をした。一人旅は、一歩踏み出せば気楽で良いことを、その体験上知ったが、世界に出て行く
   器量はなかった。   もし可能性があるとしたら、20代までだろう。 私の場合は。 あの21歳の時の旅行は、
   私の人生を大きく変えた。 今から考えてみると、
    ・世界は広いこと 
    ・人間も社会も普遍的な部分と異質の部分の両面を持っていること
    ・自分の目線は、多くの世界の目線の一つでしかないこと、この三つを二十代の経験から知ったのである
・・・・・・・・
653, サッカーやオリンピックで、何故ひとは熱狂するのか
2008年07月10日(木)
  あまりサッカーの歴史のない日本人が、欧州や南米のサッカーの盛り上がりに、「何故あそこまで熱狂するのか?」
 戸惑うことが度々ある。人種間や、国家間の代理戦争?とは気づいてはいたが、ある本にその辺の事情が詳しく書いてあった。
 巨人阪神戦が盛り上がるのは、関東人対関西人の、特に関西人のコンプレックスのハケグチということか。
ー(字数の関係で中間カット2010年7月10日)
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007年07月10日(火)
2289, 霊長類オンナ科図鑑 ー2      才ノヽ∋?_φ(゚▽゚*)♪
ーヨゴレ自慢女ー
  この本の中でも特に「ヨゴレ自慢女」が、面白い。私も「偽悪主義」と、ある姉に言われるほどである。
 奇麗事をいう人の前に出ると、意識的に「非奇麗事」を言わないと気が済まない性質である。 
 しかしこの「ヨゴレ自慢女」には敵わない。中村うさぎといえばやはり「うんちネタ」が浮かぶほど、露悪主義女。
 「ヨゴレ自慢女」は、自分のことを書いているので、言葉が躍っていて迫力のある内容である。
    ー(字数の関係で中間カット2008年7月10日)
・・・・・・・・
2006年07月10日(月)
1924, ワールドカップー2
                      おはよ?!(*^ワ^*)i (~O~)ふぁ・・
 2006年7月10日6時記
今ワールドカップが終わった。有利といわれていたイタリアの優勝で終わった。試合はフランス優位であったが、1対1で終了。
PK戦の結果,イタリアが優勝した。PKを外したフランスの選手は一生ハンデを持つだろう。 フランスのジダンが
後半の終了間際に、イタリアの選手の挑発に乗って頭突きをして退場になったのも印象的であった。   
開催前はブラジルが優勝候補で、イタリア、フランス、スペイン、イングランド、アルゼンチンが、
次の候補に挙げられていた。
(字数の関係で中間カット2012年7月10日)
 ーーー                    
2002年07月01日(月)
454,サッカーが面白かった!!
   =字数の関係上カットしてます。   
・・・・・・・
2005年07月10日(日)
 1559、つれづれに
 ー新潟駅連続立体交差ー
 ー梅雨、真っ只中ー
 (2011年7月10日字数制限のためカット)
・・・・・・・・・
2004年07月10日(土)
 1194, ニーチェ(2)
ー哲学についてー15
ニーチェの最も受け入れられている考えかたとして、「人は自分自身にとってどんなに受け入れられない不快な現実であっても、
ひるまずに立ち向かい、それを直視すること、そしてその知識に基づいて、人生そのものを目的として、それ以外の見返りを
求めずに生きるべきだ」が支柱にあった。当時、信仰心が薄れていた人たちにとって、まさに生きるべき指標となった。
これは儒教とほとんど同じ考えといってよい。人生を徹底して生ききろうとしたとき、人はその分だけ争いに巻き込まれる。
それだけ振動が大きくなるのだから当然のことだ。 しかし、ニーチェによれば、「争いの緊張感が、指導者としての力を
最大限に引き出しその能力をさらに高めてくれる」と説いた。反面、彼の思想はファシズムにも大きな影響を与えた。
ファシズムの創始者のムッソリーニが彼の本を幅広く読んで、ヒトラーと1938年に歴史的会談をおこなった時にニーチェの
作品を贈呈している。そのため彼の思想は大きく誤解されることになってしまった。彼はむしろ、ドイツの民族主義を嘲笑し、
反ユダヤ主義を軽蔑していた。19世紀末から20世紀にかけて、ニーチェは芸術家にも大きな影響を与えた。
その一人バーナードショーはニーチェの思想をシェークスピアがリチャード三世に語らせている次の言葉に
要約されていると指摘した。良心など臆病者の使う言葉しかすぎない。そもそのも勇者を脅かすための計略なのだ。
我々の力だけが良心、剣をもって法律とするのだ。ニーチェは特に文学的才能を持ち合わせていたのが特徴といってよい。
多くの人によって散文作家とみなされている彼の文章は哲学者に見られがちな、主張と反論がつづく長い文章ではない。
格言や聖書のように短く区切られていた。新しい視点でものごとを見てもらうために、心に残るイメージを利用した。
彼の主張は暗示的であり、喩えから類推しなくてはならない。[稲妻の閃光のあとで轟きわたる雷鳴]のように工夫してあった。
当時の人に直接大きな影響を半世紀にわたって与え続けた哲学者として、やはり特記すべき人である。
  ー以下の抜粋の言葉の中にニーチェの思想がことごとく入っている。
 彼の言葉は、難しく体系化されてないところが、逆に解りやすくなっている。
・私は君たちに、君たちの官能を殺せと勧めるのではない。 私が勧めるのは官能の無邪気さだ。
・独創的?何かの新しいものをはじめて観察することではなく、古いもの、古くから知られていたもの、あるいは誰の目にもふれていたが
 見逃されていたものを新しいもののように観察することが真に独創的な頭脳の証拠である。  ー「人間的な、あまりに人間的な」ー
・善とは何か??人間において権力の感情と権力を欲する意志を高揚するすべてのもの。
 悪とは何か??弱さから生ずるすべてのもの。 ?「反キリスト」?
・生きるとは何のことか??生きるとは、死にかけているようなものを絶えず自分から突き放していくことであるー「華やかな知識」ー
・真実の山では、登って無駄に終わることは決してない。
        (字数の関係で中間カット2009年7月10日)
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2003年07月10日(木)
827, アラスカ旅行記ー2
  ーデナリ国立公園ー
 今回のハイライトは、なんといってもデナリ国立公園のワイルドライフツアーであった。
デナリ国立公園は四国を少し大きくした位の大きさで、アンカレッジから3百数十?、車で6時間の距離にある。
このデナリに二泊をした。ワイルド・ライフツアーは朝5時過に出発して午後の1時過ぎに帰ってくる、
野生動植物や自然を堪能する内容だった。グリズリーベアーやヘラジカ、ムースカリブー、大型鷲、山岳羊、
雷鳥などが多く見られた。アラスカの大地を背景にした動物が自然に溶け込んでいたのが印象的であった。
なんといってもビューポイントからみた、マッキンリーの美しさに息を呑んだ。スイスのマッターホルンと、パタゴニアの
パイネ山の夕景に匹敵する神々しさであった。ツアー客の全景をみれる確率は20?とパンフレットに書いてあったが、
その20?に当ったのが幸運であった。更に幸運が続いた。 偶然、有名な日本人ガイドの伊藤さんがガイドについたのだ。
彼の年齢は63歳、顔中髭だらけの現地のエスキモーそのものといってよかった。
ーこのバスは40人乗りで、幾つかの日本人のグループが乗り合わせていたが、その一つのガイドが彼であった。
その彼がバスのガイドをかってでたのだ。彼のことはミッキーハウスの坂本さんの本でしてっいた。
またその本に「三億円事件の犯人」疑われた人と書いてあったが、本人も嬉しそうに、その逸話を話していた。
3億円事件当時、ハーレーダビットソンを乗り回していたのが疑われた理由という。日本からアラスカに渡って30年経って、
アラスカのエスキモーとの外見の差は全くない。「アラスカン・ハイ」という言葉を聞いたことがある。人里離れた人がたまに
街に出てくるとスナックなどで話しまくる姿が見られるという。発語(専門用語でさかりのついた動物の発情と同じで、
溜まった言葉を吐き出す)が伊藤さんの特徴のようで、マイクを持って話しまくっている姿が何とも自然でよい。
ーイスラエルの老添乗員もそうであった。めったに来ない日本人に自分の生き様を全て話すのだ。自己承認を求めているのだろう。
色いろな人生があるものだとつくづく思う。彼は星野道夫の友人で、彼とのエピソードを色いろ話してくれた。
NHKで彼のドキメントタリーを数年間にわたってシリーズでやっていた。また地球シンフォニーという映画にも出ていた。
『旅をする木』『森と氷河と鯨』など何冊かを読んでいた。数年前にグレズリーベアに食べられてしまった。そのためか伊藤さんの
一言一言が胸に突き刺さるようであった。 マッキンリーで亡くなった冒険家の植村直己とも親交があったという。
彼が死んだのは日本では、クレパスに落ちて死んだと信じられているが、アラスカでは風速100?の突風で飛ばされたといわれている。 
アラスカに遊びに来る変わった人のエピソードも中々だ。沖縄の裏世界の実業家の話も面白い内容だーその人が舌癌になったが、
足の肉を切り取って舌の再生手術で、また味が感じ取れるようになった人間の身体の不思議な話とか、名古屋の実業家の自由奔放の
生き方とか、彼でなくては聞けない話を次々と話してくれた。 伊藤さんのような生き方に何か男のロマンを感じた。
ガイドと猟師が本人の職業で、好きな生き方をしながら現在、二人の息子を大学にいかせているという。      ー続く
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2002年07月10日 スイス旅行中
2001年07月10 北欧旅行中 


4123, 予言の書「日本の自殺」 ー11

2012年07月09日(月)

   * 戦後民主主義の弊害
  アメリカに与えられた擬似民主主義を、現在でも大事に守っている府ぬけた日本も、ここまでくると呆れ果ててしまう。
 まずは憲法改正と、原爆所持は最低条件である。そして海洋国家として空母を7〜8艘の配備をすべきである。決して極右的発想でない。
 中国と北朝鮮が隣接して隙を伺っている現実が、その必要性を求めている。この国民では無理だろうが・・・
  ー 次の箇所が正しく疑似民主主義の徴候を書き出している。所詮は、アメリカに充てがわれた民主主義国家。
【 平等主義のイデオロギーに限らず、「戦後民主主義」という名の疑似民主主義のイデオロギーは、すべて現代1975年時の日本の
 「自殺のイデオロギー」として機能している。それをわれわれが疑似民主主義と呼ぶ理由は、それが民主主義本来のあり方とは似て非なる
 ものだからである。それは混沌とした意識にとっては確かに民主主義と大変類似したものに見えるかも知れないが、決定的に重要な
 いくつかの本質点において、本来の民主主義とは明確に異質のものだからである。
 〜疑似民主主義は次のような幾つかの特徴を持っている。病理診断の言葉を使うならば、これを疑似民主主義の徴候群と呼んでもよい。
* 疑似民主主義の第一徴候群は、その非科学的性格である。疑似民主主義は、イデオロギー上の独断的命題の無批判的受容から出発する。 
  そのドグマに従って行動するなら、必ずや全人類の解放が実現され、一切の社会問題が完全な解決をみるであろうと、そのイデオロギー
  は主張する。その命題は唯一、絶対的なものであり、完全で、誤りなきものである。問題の鍵は、どれだけ多くの大衆が、どれだけ強く、
  また熱烈にこの福音を信ずるかにかかっている。 「信ぜよ。さらば救われん」なのである。
* 疑似民主主義の第二徴候群は、その画一的、一元的、全体主義的性向である。多数決原理の誤った認識の仕方に端的に示されている。 
  疑似民主主義は本来、多元主義のための一時的、かつ極めて限定された調整のための手段、便法として工夫された多数決を、一元主義、
  画一主義、全体主義のための武器に巧妙に転用するのである。 多様なものの見方の存在を否認する方向で作用することになる。
* 疑似民主主義の第三徴候群とは、権利の一面的強調の仕方にある。 疑似民主主義にとっては、義務も責任もどうでもよいことである。
  できるだけ権利、権利と主張し、取れるだけのものは取り、しかも義務と責任はできる限り拒絶する。
* 疑似民主主義の第四徴候群とは、批判と反対のみで、建設的な提案能力に著しく欠けるということである。
  個人や社会のアラ捜しをすることは、易しいが、問題解決の提案は骨の折れることであり、責任も生じる。
* 疑似民主主義の第五徴候群とは、エリート否定、大衆迎合的な性格である。真の民主主義はエリートやリーダーシップを否定する
  ものでないばかりか、それに重い責任を課するものである。専門家を否定し、リーダーシップを否定するなら、その結果として、
  どうしようもない衆愚政治の泥沼に落ち込んでいくほかない。
* 疑似民主主義の第六徴候群とは、コスト的観点の欠如である。 疑似民主主義は、その権利主張の一面的性格、提案能力の欠如、
  大衆迎合主義などから、大衆の気に入りそうなことを並べたてるだけで、その制約条件を覆いかくそうとする。
  こうした偽善的なポーズで、大衆の人気取りをしている限り、国家は破産し、社会は滅亡するしかないのである。 】
▼ 以上の懸念のとおり、これらの症候に冒された隠れ社会主義政党が与党になった結果、収入の二倍の国家予算を組み、
 動きが取れない事態をつくっても平然としている。それも国民が擬似民主主義の徴候群におかされた結果だが、それにしても酷い。
・・・・・・・       
3757, 下流の宴
2011年07月09日(土)
 NHKで「下流の宴」という面白そうな連続ドラマをあったが、見るほどでないと見過ごしていた。
しかし、先日の夕方に二回分の再放送を見て、そのシビアの内容に苦笑してしまった。エリート・サラリーマンの母親(医者の娘)の
息子が中卒でフリーター。 何とか受験校に心を入れ替えてチャレンジさせたいのに、その彼女が、母親の目には下流家庭の娘。
 その娘に、「私は医者の娘、旦那も一流会社勤め。貴女のような家庭とは身分が違うのです」と言い放つ。しかし、その旦那は、
リストラ対象で自分たちも下流に?なろうとしている、で・・・侮辱を受けた娘は、「私が医大に入学すれば、結婚を許してくれますか?」
というところで、終わった。しかし、これはあくまでドラマでしかない。小中学校の基礎が出来てない人が、猛勉強で今さら!が現実。
 私の一番上の姉が、その母親に考え方がそっくり。婿取り娘で、長岡社交界が彼女の庭。彼女が意識している庭の住人は、上流だとは
当時も、現在も私には思えないから喜劇にしかみえない。もちろん、その人たちは上・中流など全く意識にはない。
自分のことを一番知っている? しかし学歴と学力のない姉は付き合いを、その庭の人たちに絞り、見栄に全てを入れていた。
(字数の関係上カット、2012年07月09日)
 ・・・・・・・
3392, 911・考えない・日本人  ー8
2010年07月09日(金)
             「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
 著者の哲学についての解釈が書いてある。自身の言葉だからこそ、納得する。
特に「哲学することの要点は、驚異と認識、懐疑と確実性、自己喪失と自己発見。」は、分かりやすい。
  = 哲学とは =    (P−217)
* 科学のように進歩発展があるものではなく、その確実性を求めるものでもなく、人間が共に語り合って確認しあう過程のこと。
* 哲学とは、人間が「目覚める」ための試みである。
* どんな人間でも、自分が人間であることを意識し、自分の運命や経験を意識すれば、誰でも参加できるものが哲学。
* 哲学は、誰でも、人間である限り手にすることができるものである。
 ただし、他人に教えてもらって覚えるものではなく、自分自身でトライするものである。
* 哲学は真理を自分のものにすることが目的ではなく、それを求める過程のことである。
* 哲学は人間同士の交わりである。
* 哲学は自分が人間となるために現実と関係を持ち、その現実に集中することである。
* 哲学の根源は、人間が森羅万象に持つ驚きと疑いから発するものである。徹底的な疑いが心の中に起きていない限り、
 哲学することは不可能である。
* 哲学の起源はそれぞれの人間が、自分自身の弱さと無力さを認めることであった。その自分のカの及ばないことを
 無関係だと思い、無関心になるならば、人間は哲学を失い、非人間化する。
* 世界の存在は頼りないものであり、信じられないことに満ちている。それらに疑問を持ち、考えない限り人間は人間の価値を失う。
* 人間が人間同士助け合う動物だという考え方は欺瞞であり、常に人間は孤独であり、平和には常に限界がある。
 故にどんな場合でも人間は自分独りで自分にとって確実なことを見出さなければならない。それが哲学することである。
* 人間が自分の挫折をどのように経験するかということが、その人間を決定する要点
* その個人的な困難と困惑の中から、目標を探り出すことが哲学である。
* 哲学することの要点は、次のようものである。すなわち、驚異と認識、懐疑と確実性、自己喪失と自己発見。
  〜〜
独りで血の滲むように考えてきたことが、上記のことから読み取れることが出来る。多彩な経験と挫折が豊富?にあるからだ。
人間は考えるからこそ、人間の人間たる所以である。より多く世界を見て、より多く考え、感動すること!それが哲学につながる。
 ・・・・・・・・
3017, 閑話小題
2009年07月09日(木)
 * 中国のウィグル地区の暴動について
    (字数の関係上カット、2008年07月09日)
 ・・・・・・・・・
2652, 人間、互いに理解不可能なのは、如何して?
 2008年07月09日(水)
ある哲学書(*ー参照)の中に、何故人は互いに理解不可能なのかを分解していた。。
長男がUターンで帰ってきて、再就職のことなど、節目ということもあり、話を始めるが全く互いに通じない。
それでいて、居酒屋などに誘うと親子三人が仲の良い家族になる。 そのことを、知人に話したところ、
 ・一人は、「親子で対話など有り得ないこと、会話さえないのが実情だろう。親子であるのは、ただ説得だけ」。 
 ・そしていま一人は、「私の息子は三十半ばになるが、今まで会話さえ殆どしたことがない、
  最近になって上京した時に ご馳走をしてくれと、電話がきだした。会話さえ、していること自体で充分」。
 そういうものか?と、思いつつ、それでも何とか成らないものかと思っていた矢先、わかりやすい道理に出くわした。 
                  <*?(哲学ワンダーランド・貫成人著)第一章の?「話せばわかる」1?3)>
ーまずは、その部分を書き出してみる。
  ーひとは誰でも、自分の「地平」に束縛されているー
二十世紀ドイッの哲学者ハンス・ゲオルク・ガダマー(1900?2002年)は、‘理解しえないものをいかに理解可能にするか’ 
をきわめる「解釈学」を構想した。かれによれば、人々がお互い理解不可能なのは各自が持っている「地平」が異なるからである。
たとえば、物置から古い掛け軸がでてきたとしよう。その値打ちを判断するには相当の経験と知識を必要とする。
それに、そもそもそのようなものに価値があると考えていなければ、その価値を判定しようとも思わない。
実際、古いものには価値がないと思われていた明治初年には、貴重な文物が安値で買いたたかれて海外に流出した。
およそ何かを判断するときには、一定の知識や価値に頼らざるをえない。そのような判断や価値付けの拠り所となるものを
ガダマーは「地平」とよぶ。大海原や砂漠に立ったときに三六〇度ぐるりを水平線、地平線が取り囲む。「地平」とは、
地平線の内側、自分が立っている足下とは逆に、地平があればこそ、その中にある何かを認識することができる。
もちろん、今わたしが位置する地平の外側にある対象も、わたしが移動すれば見えるようになる。
しかし、そのとき地平もわたしと一緒に移動しており、したがってその対象が地平の内部にあることには代わりはない。
物置から出てきた掛け軸の場合、この地平にあたるのは、骨董品を貴重とする価値観、その値打ちを判定するための経験、知識だ。
一定の価値観や知識があればこそ、古びた品物をそのまま捨ててしまうのではなく、目をとめ、値打ちを判定することができる。
あらたな経験を積み、地平が移動し、拡大すれば、これまでわからなかったものの値打ちもわかるようになるだろう。肝心なことは、
自分の足下にある地平を通常、ひとは意識しないということである。自分にどれだけの経験があるのか、どのような価値基準をもって
いるのかのリストをもっている人は誰もいない。いつの間にか身につけた価値観や経験に応じて、ひとは、その場の諸問題に対処する。
その結果、各人は、自分でも気づかないまま自分の地平に束縛されている。 なにしろ、自分がどのような価値観や経験を
持っているかを客観視する方途はないのである。 しかも、このように地平に幽閉された状態であるかぎり、
それぞれは自分がそれまでに身につけた価値観や経験から、身の回りのすべてのもの、したがって他人をも判断するしかない。
もし、相手が自分とは異なる地平に立っていれば、その相手の言うことや、やることはまるで理解の範囲外ということになる。
古物に意味を認めない人物には、物置の掛け軸を二束三文で売ってはいけないという人物の言うことは理解できないのである。
では、この状況が変わることはありえないのだろうか。自分とは異なる他者を理解しうるためには、各人が「心を開いて」
いなければならないとガダマーは言う。他人の言葉や行為をすべて自分の地平の枠内で処理しているかぎり、そもそも
【自分とは異なるものがいる】ということ自体に気づくことはない。けれども、何かのきっかけで、自分が何らかの地平に
とらわれていることに気づくときがある。そのときはじめて、ひとは自分の地平を対象化し、相対化するだろう。そして、
それまで自分がとらわれていたのとは別の地平もありうるということに気づくことになる。 官僚出身者特有の話し方をしていた
政治家も、落選が続けば、土地の人たちの言葉でしゃぺり、かつ、自分の意見を伝えることができるようになるだろう。  
▼ 他人から理解してもらえないという嘆きほど、バカバカしいことは以上からみても解るだろう。
 一人の人間を理解するなど、到底不可能でである。自分でさえ理解できないのに。ただ馬鹿なオッサンだけは解るが! 
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2007年07月09日(月)
2288, ちょっとした勉強のコツ ?2
        (p≧w≦q) オッ☆ o(≧▽≦)o  ハァァァァァァ♪ ヨウ    ー読書日記
 この本の中の「三つのことば」についても、面白い!
  ーまずは、その要約をしてみたー
ことばには三種類ある。 ひとつは、生まれてまず覚えるもので、たいていは、ものの名前。
それと、ごく少数の動詞をふくむにすぎない。日常の最小限のコミュニケーションはこれでできる。
この特質は、ものごとを直接的に指し示すところ。‘いま’‘ここ’にある事がらについての表現である。
  これをアルファーとする。
ーもうひとつは、ベーターのことばとする。
(字数の関係上カット、2008年07月09日)           ヾ(。´・ェ・`。)By?
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2006年07月09日(日)
1923, 孤独であるためのレッスン
 おっ w(゚Д゚)w ハァョ?   著・諸富祥彦
        ー読書日記          
孤独について何度か書いてきた。自由と、孤独と、死は、哲学的にみても大きな人間の課題である。
図書館で、ずばり孤独について具体的かつ解りやすい本をみつけた。我われは、ひとり孤独に生まれてきて、さいごはひとり孤独に
死んでいく。その土壇場で人は死を恐れるのではなく「自分はやりたいことをやった!」といえない自分に直面することを
恐れるのだという。真の疎外感は、その恐れに支配された時に出てくる。だから、やりたいことを早く見つけ、世間とかいう奴を
無視するか、処理をして、やりたいようにしないと仮面の人になってしまう。仮面の人は孤独を恐れ、群れることこそ人間の性(さが)
と信じている。この本は、そういう連中は無視をして孤独の重要性を説いている。
 そのための条件を以下のとおり書いている。
  ー孤独であるための八つの条件ー
一 「わかり合えない人とは、わかり合えないままでいい」と認める勇気を持て。
二  人間関係についての「歪んだ思い込みやこだわり」に気づけ。
三  自分の人生で「ほんとうに大切な何か」を見つけよ。
四 「自分は間もなく死ぬ」という厳然たる事実を見つめよ。
五 「たった一つの人生という作品」をどうつくるか、絶えず構想しながら生きよ。
六  ソーシャルスキルを身につけよ。他人の話を聴き、他人を認めよ。
七 「この人だけは私を見捨てない。どこかで見守ってくれている」。 そう思える人を見つけよ。
八  自分だけは自分の味方であれ。「自分を見守るまなざし」を自分の中に育め    まあ、巧くまとめたものだ。
  (字数の関係上カット、2009年07月09日)         
・・・・・・・
2005年07月09日(土)
1558, BOSEのステレオー6
 (字数の関係上カット、2011年07月09日)
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2004年07月09日(金)
1193, ニーチェ(1)
 ー哲学についてー14
  ー概略はー
ドイツの哲学者。(一八四四?一九〇〇) 実存哲学の先駆者。キリスト教的・民主主義的倫理を弱者の奴隷道徳とみなし、
強者の自律的道徳すなわち君主道徳を説き、その具現者を「超人」とする思想に達した。機械時代・大衆支配時代に対する批判は、
一面ファシズムの支柱ともなった。 著「ツァラトゥストラはかく語りき」「善悪の彼岸」「道徳の系譜学」「権力への意志」など。
  ーーーー
 人生を振り返って、一番影響を受けたのがニーチェである。高度経済成長の時代という背景もあったのだろうが、自分の能力を
 最大限発揮するのが男の務めと考えていた。儒教的頑張りズムに相通じるところもあるが。 自分が考えることは、しょせんは
 全てが借り物。ただ借り物と意識をしないで踊っているにすぎない。それを気がつくかつかないかでしかない。
  ー印象的なことを書き連ねてみると、 
 (字数の関係上カット、2011年07月09日)
・・・・・・・
2003年07月09日
 826, アラスカ旅行記 ー1
一週間の予定でアラスカツアーに参加してきたー2003年7月2日ー8日 
行く前は、もしかしたら「外れ」になるのではと不安であった。山脈や海を中心とした旅行は『天気』に大きく左右されるからだ。
それと「アラスカが良い」という人の話は過去の旅行仲間から一回も聞いたことがなかった。良ければ必ず情報が入ってくる。
このツアーは大手の旅行代理店が数社共同で、日航のジャンボを借り切って、アラスカとしては廉価で打ち出した企画のパックである。
ーだいたい一般の30パーOFFあたり。ーSARS対策に、アラスカ州と日航と大手代理店が組んで打ち出した破格の商品ということを
現地ガイドに聞いて初めて知った。今夏は一ヶ月間だけの企画で、来年は未定だそうだ。直行便以外は、成田からシアトル経由で入るか、
ソウルに飛んでそこからの直行便で行くかどちらかである。その為シアトル経由は14時間、ソウルでも10時間以上は軽くかかる。
ーソウルからの直行便は出ているが、日本はないということ。その為、一週間にしては内容の非常に充実したものであった。
パタゴニアやアフリカには34時間以上かかったのに比べ、6時間というのは信じられない感覚である。全くの素人が
キングサーモンの釣りのオプションに参加をすれば、ガイドの指導のもと一m以上の鮭を釣れるのだから、
さすがアメリカはサービスの国と感心する。
ー印象順に書いてみると
1、何といってもマッキンレー山である。 あまり期待をしていなかったが、実際に見るマッキンレーは
 想像を絶する素晴らしさであった。特に軽飛行機から見たマッキンレーは言語に絶する内容であった。
 ー詳しい内容は明日書く予定。
2、氷河もパタゴニアを見ているので、全く期待していなかったが、実際は決して見劣りしない素晴らしい内容。
3、期待していたアラスカ鉄道の景観が思ったより良くはなかった。 どこまでも単調な景色でハイビジョンで
 見たものとは違っていたー値段の高い展望車でなかったこともあるが?それと天気がよくなかった。
4、ハイライトのデナリ国立公園のワイルドライフツアーのガイドが偶然に
 日本人ガイドの有名な伊藤さんであった。星野道夫やミッキーハウスの坂本某の本の出てくる人だ。
 まる一日、彼のガイドで現地の色いろなことや、星野道夫などの現地でのエピソードを詳しく 話してくれた。
 彼はガイド兼猟師で狼やムースやヘラジカの狩猟の話しが別世界を垣間見た おもいであった。  
            ーこの内容も後日書く。               ーつづく
・・・・・・・
2002年07月09日 スイス旅行中
2001年07月09日 北欧旅行中


4122, 閑話小題ーつれづれに世相

2012年07月08日(日)

   * つれづれに  
 激変する世界と日本の渦中で、一戦を退いた立場で鳥瞰している毎日が刺激的である。情報化社会の本格的到来で
情報はネットから簡単に手に入る。世界は既に恐慌突入か、その一歩手前で一年先の経済見通しは全く見当がつかない事態。
10年前に現在の事態を誰が想像しただろうか。 80年前の世界恐慌より遥かに大きい恐慌前夜というが、実際のところ
起こってみないと分からない。しかし、ただ事でないことは確か。こういうカオスの中では、軍事力しか頼ることが出来ない。
それも原爆の保持が前提である。この国は被爆国という建前で、保持をしないという国是?がある。 しかい世界の常識は、
この国では通じない。 目先の世界恐慌は避けて通ることは出来ないことは誰の目にも明らか。 20G会議も、目先の
対処療法しか対策がたてられない。 不安を煽るようなことばかり書いているが、リーマンショックは起こってしまった。 
その原因となった不良債権が世界中の銀行、政府、企業の金庫に塩漬けで置かれている。それが債権市場か、株式市場で暴落が
起こった時に、表立ってくる。その火薬庫に火の手が近づいている。ロンドンオリンピックも、この状況の中では盛り上がらない。
数ヶ月ぶりにいった居酒屋の主人の話では、長岡の飲み屋街は、惨憺たるもの。これも20年近く言われ続けてきたことだが、
他に働き場が無い上に、一日一日を生き抜いているだけ、という何時もの悲鳴に似た愚痴。歳が歳だけに、行き先は死だけと真顔。
 前の事業の整理も終わって身軽になり、身体が浮いたみたいに気軽だが、日ごと何か気が抜けていく。リーマンショック以来の
経営危機の立場から解放された分、逆に身辺が見えてくる。世間的価値観を割り切ってしまえば、けっこう面白いことに満ちている。
しかし実際のところ明日、死ぬかもしれない舟板一枚下は地獄もある。それが人生。天国も地獄も、娑婆にありということか。
何はあれ後悔はないし、ほどほど満足している。自主独立を貫けたのが最大の収穫?最後は自問自答で自分を説得するしかないか。
 ・・・・・・
3756, ジャズについて(鵺) ー「ジャズ完全入門!」⑤ −20
2011年07月08日(金)
     ー 「ジャズ完全入門!」 後藤雅洋著 ー ⑤
  * 楽器編成の基本は、ビッグバンドにあり!  ーP・60
【 ビッグ・パンドにはそれこそ膨大な組合せがあるが、思い切って要約してしまえば、ジャズの入門者には次の三つを覚えれば十分だろう。
それは「ビッグ・バンド」「スモール・コンポ」「ビアノ・トリオ」の三バターン。そしてこの三形態も、基本はビッグ・バンドにあるので、
まずこれを見ていこう。ビッグ・バンドの土台を支えているのはリズム・セクション。 リズム・セクションというのは、ピアノ、べース、
ドラムスそしてギターから成っている。なぜこれらの楽器をリズム・セッションと呼ぶかと言えば、ジャズの要のリズムを提供するからだ。
だがベースとドラムスは先ほどの説明から分かるとしでも、初めての人は、ピアノとギターがリズム楽器というところがわかりにくいかも。
 クラシックでは、ピアノは、オーケストラをバックに従えたピアノ協奏曲を例に出すまでもなく華麗な主役であり、ロック・ファンにとって、
もちろんギター・ソロが目玉になっている。しかしロックでもサイド・ギターが渋くリズムをカットしているようにジャズのビッグ・バンドも、
ギターはコードを掻き鳴らしつつリズムを提供している。そしてピアノもまったく同じことをやっているのだ。そしてそのコード・サウンドを
押さえたリズム・セクションに乗って、ビッグ・バンドの花形楽器ホーン・セクションがバンド・サウンドを吹き鳴らす。
ホーン・セクションというのは、おのおの数名からなるトランペット、サックス類、トロンボーンのことを指し、これにサックスを受け持つ
ミュージシャンが適宜楽器を持ち替えて、たとえばフルートなどを吹いたりする。またスイング時代のバンドでは、ベニー・グッドマン・バンド
のようにクラリネットが加わることが多かった。】
 ▼ ビッグ・バンドの楽器編成を基として、ピアノ、ベース、ドラムス、ギターがリズム・セッションの基本。
  ジャズファンの、まず初め憶える第一歩である。 そこからピッグ・アップしたのが、スモール・コンポとなる。
  トランペットはジャズの花形だが、リズム・セッションにならない。
  * ジャズの花形楽器、トランペット
【 ジャズの歴史のところで、サッチモの吹いたトランペットの親戚のような楽器としてコルネットが、1920年代は主役だった。
しかしモダン期以降は逆転して、ほとんどがトランペットに変わっていった。トランペットはジャズを代表する楽器といって過言でない。
よく通る高音域と華やかな音色の輝きが、ジャズのダイナミックな特質と一致しているからだろう。実際ルイ・アームストロングを
はじめ、一時代を築くようなミュージシャンにはトランペッターが多い。代表例はマイルス・デーヴィス、クリフォード・ブラウン、
そしてリー・モーガンだろう。】
 ▼ トランペットが主流なら、トランペットが聞こえたら、モダン・ジャズとみてよい?
  ・・・・・・・
3391, 911・考えない・日本人  ー7
2010年07月08日(木)
   「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
 * 陽気なロボットが、日本人の原型    (P−192)
≪ 三歳児以下の日本人。自分を客観視するアイの代名詞を持たず、他者を客観視するユーを持たず、故に内言語が生まれず、
故に反省意識が生まれない。故に知性が育たない。故にその近代史は「突き当たり」の連続だった。故に人類で唯一無二の
原子爆弾被爆経験民族の栄に輝いた。「過ちは繰り返しません」と、善のアメリカに原爆を頂いた悪の日本人は、
見当違いの悔恨の思考を働かせて死者に誓い、賑罪をし、より一層の悪化を改善と信じた。こうした日本人の三歳児性は、
無論原爆の出現やその被爆とは関係ない。 われわれ日本人は動物心理をの水準を超えたことは一度もないのだ。
知能ではなく、心理として狸や狐と大差ないということだ。彼らも内語を持たず反省意識を持たないからだ。
原爆を落とした悪よりも、落とされた状態をつくった自分のほうに悪を見る脳みそは、内言語と反省では作りえない
言語以前の反応である。ニャーという猫言語が、ワンという犬言語に尻尾を巻いた心理・外言語構造である。
動物には外言語しかない。いや、言語ではなく、吠え声、鳴き声だ。日本人はその「音」を使ってきた。
「訓」ではない。もはや音と訓の区別もつかない。どっちがどっちだっけ?ハヤシ?リン? ・・・
人間が人間の条件とされたものを次第に失っていく西欧社会や、アメリカでは「陽気なロボット」(自己満足した
卑小な人間の形容)。人間としての尊厳さも、崇高さも字のとおりの意)とか、色いろある。どれも絶望的に
人間性を失った人間を嘆く言葉であり、その論証には反論の余地がない。≫
 ▼ この辺の論も外から見た日本人の姿をシビアに表現している。あまりにアメリカに飼いならされ良いように収奪されても、
 それさえ気づかない三歳児以下の日本人の滑稽さを嘆いている。「アイ」と「ユー」さえ持ちえず「ウィ(我われ)」しか言えない
 幼児性から抜け出れない日本人。そして、あと二年後にアメリカは??を宣言、日本が持っているアメリカ国債と、
 ドルの価値を半減にしてしまう。それが分かっていても、どうもこうもならない陽気なロボットの日本。それが現状の様相である。
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16,旅する力 ー深夜特急ノート ー1
2009年07月08日(水)
 「旅する力ー深夜特急ノート」 沢木耕太郎著    ー読書日記
 深夜特急を初めて読んだ時の興奮を今でも憶えている。その後、TVでもドラマ化されたが、これも良い脚本であった。
その後、彼の本を何冊か読んだが、それに勝るものはなかった。 この本も、沢木の旅好きの子供の時からの由来と、
旅の指導書のようであり、なかなか説得力がある。 深夜特急の読者を狙っているようだが、そうだとしても納得できる。
全体の総評を書こうかと思ったが、一章か、二章単位で印象的な部分を記録として書き残しておいた方が良いと判断して、
何回シリーズで書くことにした。
   まずは ー序章  旅を作るー から
  一行目の出だしからして惹きつけられる。
*「旅とは何か。その答えは無数にあるだろう。私には大槻文彦が『大言海』で記した次の定義が最も的を射たもののように思われる。 
 《家ヲ出デテ、遠キニ行キ、途中ニアルコト》ー・・・しかし、旅は同時に、終わりがあるものである。始まりがあり、終わりがある。
 そこには旅を作る、という要素が入り込む余地が生まれるのだ。人は旅をする。だが、その旅はどこかに在るものではなく、
 旅をする人が作るのだ。・・・
(解説)旅と旅行の違いは、「旅は、その途中を味わうことを目的とし、旅行は目的地に行くことを主にすることをいう」
 ということは知っていた。私にとっての秘境・異郷の旅はとりあえず遠くに行くこと、そして文化・文明というより、大自然に
 触れることであった。それは目的地だけでなく、その移動の中に垣間見る景色にあることが多い。
*「余儀ない旅」ではなく、「夢見た旅」を始めようとするとき……既に旅の姿が整えられていく。
  夢が生まれ、それを具体化し、実現する。そのようにして、旅を作っていく。しかし、人によって
  その作り方は違ってくるだろう。だから似た夢でも、まったく違った旅になってくるのだ。
(解説)一回の旅行は、終わって帰ってきても終わりがない。その旅行記を書いて総括し、写真を整理し、そして、
  その後にガイドブックや、ネットで情報を取って記憶を再編集する。そして、何時かTv番組で放送をしているのを見る。
  その都度に一度行った旅行が再編されるのである。だから、どんどん自分が膨らんでいく。
  とにかく一度その地に足を入れることである。 そうすると、作った旅が自ずから動き出していく。
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2651, ロジャーズ 中国の時代 −1
 2008年07月08日(火)
最近の中国事情の本を読むのは、邱 永漢 の中国関連の本以来である。この本は、目から鱗である。20年近く前に中国を訪れて以来、
5年前に北京を訪れてその変貌ぶりに唖然としたが、この本によると、更に変わっているようだ。ただ、その劇的な成長に対する反動が、
どういうカタチでくるのか問題だが。そのクラッシュ後の中国は、これを読む限りより大きく成長するのではと思われる。
ジム・ロジャーズは、中国の成長をいち早く見抜き国際商品の高騰を予言した冒険投資家。これは中国株投資の手の内を明かした
全米ベストセラーになった本。どのページを開いても、唖然とする内容である。この十年間で、耐久消費財の生産能力は、驚くなかれ
100倍になったのである。ロジャーズは、「現在の中国は、1800年代終わりのアメリカは、こんなものだったと思われる」という。
ソ連のように分裂というカタチを通るのか? これだけの大国を束ねるのに、一党独裁という強権も必要なのか? 
独裁国家がオリンピックを開催すると破綻する事例からみると、やはり同じ道を通るのだろう。 
この本の、次の一節が現在の中国の偽ざらない本音であろう。
≪ 中国人の友だちが言うには、「中国は貧乏のどん底から這い上がってきた。 経済改革の夜明け前の一九八○年、購買力平価で換算した
 中国の一人当たりのGDPはたったの四一〇ドルだった。 当時の米国は一万二三三〇ドルだ。第二次世界大戦以降、世界経済が何十年にも
わたって成長している傍らで、私たち中国人は完全に孤立してしまっていた。扉を閉ざして社会主義の桃源郷を作ろうとしていたのだ。 
私有財産は許されない。何から何まですべて国の持ち物だ。民間企業もない。全部中央政府が管理しているからだ。競争もない。
食べ物も着る物も、それこそ調理油まで配給制だ。いつも、何とか生きていけるぐらいしかもらえなかった。 
サービス業なんてものはない。人民に仕えるのが当たり前で、仕えてもらうなど論外だったからだ。 仕事や職種、勤め先を変えたり、
新しいことを始めたりするのも不可能だった。生まれたそのときから何になるかは決められていた。 資本市場もない。
資本は諸悪の根源のレッテルを貼られていた。そんなふうだったから、私たちが生きている間に世の中が、
こんなに変わったのは、一九八0年代の初め以来、成長率は平均九%であり、中国経済の価値は一〇年毎に倍になった。」≫
 といって、先月の上海の証券取引所の株は半値近くまで下がってしまった。
下がりきった有望株を、地頭で考えて長期的に投資すべきということである。
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2007年07月08日(日)
2287, ちょっとした勉強のコツ −1
    (´∀`σ)σ オハYO!            ー読書日記ー
 外山滋比古氏の著書(エッセイ)である。7年前に発行された本だが、内容は新鮮である。
この本を図書館から借りるのは三度目であるが、何度読んでも新鮮に感じるのは、内容が濃いからだろう。 冒頭からして、
深く考えさせられる。特に、現在の日本は「オーストラリアの蜜蜂」以下?になりかけてはいまいか?
何度読んでも考えさせられる内容である。2003/01/11 に「ハングリー? 」というテーマでも、少し取上げたことがある。 
敢えて、いま一度考えなおすのも良いだろう。それだけ、オーストラリアの蜜蜂化した若者の「下流社会化」の問題の根が深い。
 ーオーストラリアの蜜蜂ー
かつてある人が、ヨーロッパからオーストラリァへ移住した。ヨーロッパには長くきびしい冬があるけれども、
オーストラリアでは常夏のように年中、なにか花が咲いている。それを見てこの移住者は養蜂業を始めようと思いついた。
こんなに花があるのなら、さぞ蜜がたくさんとれるだろうと考えたのである。さっそくヨーロッパから優秀な蜜蜂を輸入して、
仕事は始まった。最初の年は大成功だったが、二年目には収穫が激減、それから年々大きく減りつづけ、やがてほとんど蜜を
集めなくなってしまった。おかしいと思って調べてもらったら、いつも花があるからだという意外なことがわかった。
ヨーロッパで働き蜂といわれるほどに勤勉であったのは、花のなくなる冬があるからだった。年中花のある恵まれたところに移って、
蜂はハングリーでなくなってしまったらしい。それは、蜂のはなし、人間は別だ、とは言い切れないようである。人間も概して、
きびしい環境におかれた方がよく働く。欧米の人たちは、雪の降る国でないと、文化、文明は栄えないと信じているようだ。
寒いところの人間は、温暖なところで生活する人に比べると、おしなべて勤勉で努力する。それがやがて社会の繁栄に結びつく、
そう考えるのである。悪条件のもとではハングリーにならずにはいられない。ハングリーならよく働くというわけだ。 
  ( 字数制限のためカット 2011年7月8日 )
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2006年07月08日(土)
1922, 第二次・関東大震災      \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/          
 今後30年以内に首都圏で、関東大震災クラス(マグニチュード7)の地震が起こる確率は70パーという。
その時には阪神淡路大震災の二倍の被害になるという。死者は最大で13000人というから、1000人に一人になる。イメージでは
5~6万以上の死者と思えそうだが。700万人の避難者が出て、建物の全壊や焼失は85万棟。損失の総額は110兆円と予測される。
国家予算の150?になる。もっと、恐ろしい事実がある。マグニチュード8程度の地震発生が予測される原発が、世界に一つある。
( 字数制限のためカット 2012年7月8日 )
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2005年07月08日(金)
1557, 宇野千代ー3
 ー 宇野千代語録 −2
 忘れるということは得なことである。 私は幾度も失恋したが、そしてその瞬間には泣いたりした記憶があるが、すぐに忘れた。
人と別れても、決してその人を恨んだりはしないから、或る時が経つと忽ちその人とまた仲良しになったりする。(「願望」より)
 ー内語ー  そうだよな〜、そうだよな〜! でもなかなか、それができないのが人間の弱さ。 この人、強い人なんだ!
 あ、いやだなあ、つらいなあ、とため息をつく代わりに、ちょっと心のチャンネルを切り替えてその答えでも見つけるつもりで、
幸福の種を探してみてください。最初はなかなか大変でも、くり返しているうちに、すばやく見つけられるようになり、そのうち
どんなときにも幸福を探すのが癖になります。そこまでくれば、あなたは達人、私と同じ幸福探しの達人になれます。
(「幸福に生きる知恵」より)
 −内語ー  そうか?そうか!
「粋」とは「とりつくろわないもの」のことである。化粧はしていても、決して、してはいないように、素顔であるように
見えなければならない。身なりもとりつくろわず、自然で、小ぎれいで、しゃんとしていなければならない。(「願望」より)
 ー内語ー  純粋の粋か?
「お洒落をしない人間は泥棒より醜いと思う」女は幾つになっても、お洒落をすることを忘れないようにしてほしいものだ、
と私は思うのである。世間には、お洒落をしないことを自慢のように言っている人もあるが、しかし、私は、
そのときそのときに会う相手に対して、それでは失礼ではないかと思う。(「しあわせ人生」より)
 ー内語ー 泥棒の方がまだまし?・・・、まあいいか! その位、自分に対して気を使わなくてはならないということ?
 恋人同士、または夫婦同士で、別れたくない、いつまでも愛し合っていたい、と思う間柄の人たちは、
ちょっとの間でも、決して遠く離れて暮らしてはならない。      (「願望」より)
 ( 字数制限のためカット 2012年7月8日 )
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2004年07月08日(木)
 1192, 国家破綻?ー読書日記  藤原直哉           長岡中央図書館 2004年7月3日
この4月に出版された国家破綻?を読んで、暗澹たる気持になった。
前刊を読んだときは、まさか!と思いつつよんだが、今回は現実的として読むことができた。不況をセンセーショナルに
書いてあるが、ジックリと読んでみるとけっして誇張には思えない。現在の景気は中国のバブルとIT・デジタル関連の好況で、
少し景気が持ち直しているように見える。しかし私の事業を通して見える世界は、それとはほど遠い世界である。
      ( 字数制限のためカット 2011年7月8日 )
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003年07月08日ー アラスカ旅行中
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2002年07月08日ー スイス旅行中
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2001年07月08日(日)
[76] 行ってきます!
まずコペンハーゲンへ
今日8時57分長岡発 15時成田発ロンドン経由    2日目はベルゲン
3日目はバルダンゲル・フィヨルド         4日目はグッドバンゲン。フロム。オスロ。
5日目はストックホルムへ             6日目はストックホルムから船旅〜1泊
7日目はヘルシンキ                8日目はレニングラード
9日目もレニングラード              10日目モスクワ
11日目帰路         


4121, 空腹感のすすめ

2012年07月07日(土)

                              「老後に後悔しない10の備え」三浦朱門著  
 最近、「空腹の勧め」をTVなどで紹介しているのを見かける。以前も、ここで飽食の猿と空腹の猿の生存年齢の違いを
取り上げたことがあった。 生物は長年、飢餓の境目に生きてきたため飽食に対しての身体が出来ていないようだ。 著者は、
空腹感状態の方が身体に良いという。 私は終戦直後に生まれ、それも大人数の兄姉の末っ子だったたこともあり、今でも腹八分目は
食べないと気が済まない。    ー以下は、そのくだりー
  * 空腹のすすめ
≪ 人間にかぎらず、動物というのは空腹であるのが健全な状態である、と言う。空腹である、ということは、摂取した食料が体に
 採り入れられ、それが身体各部の必要なエネルギーになり、新しい細胞を作っている、ということであって、動物の体を作ってゆく、
という面では生産的であり、体内に蓄積されたエネルギーを消費するという面では消費的な活動をしているのである。空腹というのは、
今、体内に採り入れた養分をしかるべき所に配分しております、という合図なのだ。それで、もう体の中の余分なエネルギーは残って
いません、というのが疲労であり、休息と食事の時間、ということになる。それなのに、生物の中でも最も恵まれた動物である人間は、
空腹を感ずると、すぐに食べはじめる。体を生産的なことに動かしながらも、食べ物、飲み物を口に入れる。 考えてみてほしい、
空腹感というのは、あれで結構、好ましい状態なのではないか。少なくとも食いすぎの状態よりも、気持ちがいい。
「腹が減ってきた。何を食おうかな」と私たち祖先は考えて、獲物になるものを探したのであろう。空腹はそういう根本的な動物の
行動を促す動機になる。それなのに現代の日本のような先進国では空腹を感ずると、食料が手に入る。戦前の家庭婦人の場合は違った。
朝から掃除、洗濯、昼食は残り物でいい加減にすまして、午後は洗濯物をとり入れて、アイロンをかけて収納する。さて一休みという
段階で、ちょっと空腹感を覚える。空腹になって、それでは夕食のメニューを何にしようか、その材料を買いに着物を着替えて、
駅前のマーケットに買物に行こう、夕食は何ということはまだはっきりしないが、マーケットに行けば、その日の安いもので、亭主の
好さなものが見つかるだろう。つまり空腹が夕食の準備、そのための買い出しといった新しい行動をうながしたのである。こうやって、
夕食の準備をして、子供には先に食べさせて、寝かしつける。 自分は空腹をガマンして、午後八時ごろに帰宅する亭主を待つ。≫
 ▼ そういえば独身時代、三食を自分で準備をして食べていた頃は、時間が来たから食事をするというより、腹が減ったため
  食事をしていた。そのためか、何を食べても美味しかったことを憶えている。この年齢だと、腹5分位が丁度よいというが、
  まだ腹8〜9分目まで満たさないと物足りない。人間は精神的空腹感も同じように必要か! 青年期の精神的渇望感が懐かしい。
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3755, 夢はリアル
2011年07月07日(木)
 昨日の朝の夢は、生々しい内容である。 ーその内容とはー
【 経営破綻しそうな会社を引き受けないかと言われるが断る。そこに社長の奥さんがいたので、
「助言はするので、あなたが引き受けるべきです」というと、「二つの経済震災と、自然震災で失敗したというが、
そんなのは言い訳、この事態でも乗り切れてこそ、真っ当な経営者。貴方の言うことは当てにならない」と、言われた夢。】
 生々しい、辛らつの指摘であり、その指摘は至極当たり前の道理である。 意識、無意識を含めて、今回の破綻の8割は、
3つの震災が原因と思っているが、反面、それは黙っていればこそ。それを堂々と、ここで書き、また周辺に公言している
脇の甘さが、現在の私。 心底(沼)でドロドロしていたのが変容して、具体的に夢になって自分を責める。
 2割の見方こそ8割の道理がある。 それを前提と考えてみると、「9・11からの長期低迷で売上が三分の二になり、
更に7年後の9・15=リーマン・ショックから二年半で三分の一になったことは果たして想定出来なかったのか?
それも、三年目に入っても売上が2割以上も続けて落ち続けていたが、二年目で収まると楽観視していた、
リーマン・ショックの経済大震災に対する認識の甘さ。 いや、ギリギリのリストラは実施してきたが・・・
 夢は、誰も思っていても直接いわない事実を、潜在意識が生々しい幻影で教えている。 あの眼差しを見れば感じるか?
30年で一応、事業のフルコースを味わったことになる。10年登り、10年緩やかな降り、そして10年で、絵に描いたような
急激な降り。 それに対し、手をこまねいているしかなかった長期装置産業の宿命。そんなことは、分かっていたことでしかないのでは?
と、言わんばかりの、夢の中での指摘。 それを赤裸々に書いている現在の私がいる。「喜劇と悲劇は紙一重でしかない、というのは、
このことか」という心の声。 それでも、仕方がないと、独り嘯くしかない。自嘲か、これは。 
と同時に、それをも事業のコースと楽しんでいる変な自分こそ、私そのものか。 意味など、あと講釈。
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3390, 閑話小題
2010年07月07日(水)
  * Yotube の世界
 ビデオ・カメラを購入しアップロードをした機会からYoutubeを見るようになった。
それから面白い画像の紹介を私のブログ「バード・ウォッチング」で、毎日のように紹介している。
世界中でYoutubeの面白映像の話が会話の中で取上げられているのを真似たのである。 
そうすると意識して探すようになる。ブログには一日一枚の写真を載せているが、適当の写真を探し出すのが大変だが、
それよりもズット楽である。 「面白い、衝撃的、軽いもの」を中心にアンテナを立てているが、次から次へと
底知れず出てくる。一日20憶のアクセスも分かるような気がする。
  * 角界賭博の処分は妥当?
   (字数制限のためカット 2011年7月7日)
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3015,エジプト・ピラミッドの謎
2009年07月07日(火)
 一昨日の日曜夜のーNHKスペシャル・エジプト発掘 第1集 「ピラミッド 隠された回廊の謎」が面白い。
一昨年、二度目のクス王のピラミッドを見学してきたが、あの巨大なピラミッドを5000年前にどのようにして造ったのか、
これまでも多くの番組で取り上げていた。 その中で一番尤もらしいのが、「砂漠の砂をピラミッドの周囲に建設の高さに
積み上げて、巨石を運び上げる方法」であった。しかし、今回の説は違っていた。 岩を上に搬送するトンネルを螺旋状に
造りながら上に運ぶという説だった。 近くの崩壊した小さなピラミッドにも、そのような痕跡が見て取れた。
  ーNHKのHPの番組紹介からコピーからー
【 今から約5000年前、エジプトの砂漠地帯に忽然と現れたピラミッド。その後500年あまりに渡ってピラミッドは建造され、
その数は現在確認されているだけでも100個を越える。その中でも最大規模を誇るのが、世界遺産にも登録されている
「クフ王の大ピラミッド」。高さ147メートル、底辺の長さ230メートル。世界最大の石造建造物である。平均2.5トンの石を
300万個積み上げて造られている大ピラミッド。地上60メートルの場所には、重さ60トンもの巨石も使われてる。クレーンも
ない時代に、この巨大ピラミッドをいったいどうやって造ったのか? 古来、様々な研究者が謎解きに挑んだが、そこ答えは出ず、
古代エジプト史上、最大の謎とされてきた。ところが今回、ついにこの謎を解き明かしたという人物が現れた。
フランス人建築家ジャン・ピエール・ウーダン氏である。彼は、最新技術を駆使し、建築家の視点から、「内部トンネルを
使って建設した」という独特の説を世界に発表した。番組では、ピラミッドの登頂調査をはじめ、ウーダン氏の
ピラミッド調査に同行取材、神秘に満ちた、大ピラミッド建造の謎を興味深く解き明かしていく。】
 ▼ ー以上だが、近年になって、ピラミッドの近くに、その建設に従事した労働者の村が発掘された。
その調査から分かったことは、4000人の労働者が20年の歳月をかけて造られたという。
    (字数制限のためカット 2012年7月7日)
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2650, 資源世界大戦が始まった
2008年07月07日(月)
 図書館で「アメリカ狂乱」とともに借りた元NHKの日高芳樹の本である。サブプライム問題から始った問題は、
アメリカの覇権の終了なのであろうか。その中にあって、資源のない日本はどの方向にいくべきか?などを問うている。
やはり、この本を読む限りに日本の行く末は悲観的になる。アメリカの属国でしかなかった日本が自立する道はあるのだろうか。
              「資源世界大戦が始まった   2015年日本の国家戦略 ー 」日高 義樹 (著)
 ー内容紹介
独裁国家・北朝鮮が大国アメリカを揺さぶる現況は、ヒトラーが台頭した1920年代に酷似している!? 米国の要人と直接
対話して得た独自情報から、日本と米国の数年後の未来を高確度で読み解いた、衝撃の最新作。政局の混迷が深まる危うい
日本の行く末を、大統領選を控え、変わりゆくアメリカの世論と政策、政界の要人たちの発言をもとに近未来を予測。
 ーカバーの折り返しー
アメリカの力の後退と中国の台頭は世界に、1930年代の再現ともいえる混乱をもたらそうとしている。
この本では、国際社会で現在起きている情勢を世界的な視点から整理すると同時に、
日本は自らを守るための国家戦略をいかに立てるべきかを考えてみたいと思う。 <序章より>
  ー大ざっぱに、概要をまとめるとー 
  (字数制限のためカット 2010年7月7日)
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2007年07月07日(土)
2286, LSDを一服した状態とは、どんな状態? ー1    おはよー (((。・-・)从(・-・。)・゜
 植草甚一の「カトマンズでLSDを一服」という本が面白い。 ただし、30年前の本で、著者もこの本を出した直後に亡くなった。  
しかし内容は、朽ちてはいない!「植草甚一スクラップブック」の一冊でNO/11になるが古今東西、植草甚一の読んだ
麻薬に関する記事・文献などが話題になっている。図書館で借りてきた本だが面白そうなので、ひととおり目を通して、
中古本だが、直にアマゾンで注文をいれた。 麻薬のトリップに対して興味がある。しかし麻薬をまさか使うことは出来ないし、
中毒になったら取り返しがつかない。といってバッド・トリップやグッド・トリップの状態を経験してみたい誘惑もある。
まあ、死ぬ直前の楽しみにしておいた方がよい。ならせめて、どういう状態なのか、知識として知りたくもなる。 
手元に何冊か、その状況を紹介した本がある。私の枕元にはトリップの状態に近づける音楽のCDのセットがある。
買って10年近く、寝る前などに聴いてきたが、そのためか寝つきが非常によい。酒を飲んだホロヨイの気分と同じである。
私の場合、秘境旅行や、酒席などの盛り上がりなど、至高体験を数多く経験してきたので、少しアルコールを飲んだり、
寝る前の音楽で、直にトリップしやすい蓄積がある。 体質的に脳内には回路が出来ている、ということ!
その体験の倉庫に入るようにすればよい。以下は、この本の冒頭に出てくる心理学者ジュラール・ボルの「麻薬への旅」の中の
一節である。麻薬のトリップの状態を書いた本を何冊か持っているが、どれも似ている。ともかく、面白く解りやすいので紹介しておこう。
 ーー1967年10月から著者ボルの2年間の経験談であるーー
ーーー        p・12~13「カトマンズでLSDを一服」
   (字数の関係上カット2008年7月7日)
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2006年07月07日(金)
1921, ドラッカーの遺言        才八∋ウ_〆(∀`●)
 去年の暮れ、20世紀の経営思想をリードしたドラッガーは世を去った。
 *「自らの強みに重点を置け」
 *「知識こそ、最大の経営資源である。‘学習こそ、一生涯にわたる冒険’として心から受けとめること」
 *「自らをイノベートせよ!」、
 *「『問題重視型』の思考に囚われるな。『機会重視型』の発想を持て。」が、彼の思想の中核を占めている。
  全く「新しい時代」を生きる私たちへの最後の遺言としてみるとよい。
 ドラッガーは我われに大きな経営思想をのこし、昨年の暮れに亡くなった。                   
 ー以下、(少し時間がかかったが)この本から要点を抜粋した。
  ーー                    (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
●国境が消えた
 インターネットの普及によって国境が取り払われ、国と国の距離はゼロになった。スペイン語を使えこなせる私の孫娘は、
 いつでも好きな時にラテンアメリカから発信される情報にアクセスできます。
 言葉の壁を乗り越えさえすれば、世界中のあるゆる情報を瞬時に手に入れることができる。
●グローバリゼーションについて語っている時、人は情報について語っている。グローバルの時代の武器は英語力である。
●絶えざるイノベーションによって、常に新しい価値を創造せよ。
●西洋の価値観に支配されない「まったく新しい世界」が登場する。
●「時代の変わり目」にいま自分がいるという自覚を持て。 この転換期は30年続くであろう。 誰も知らない世界が来る。 
 異なる価値観が共存する新しい世界では、ソ連崩壊後の15年間、唯一超大国として君臨してきたアメリカも、その支配力を失う。
 超大国が持つ「権力」でなく、グローバル化した「情報」によって世界が強固に結びつく時代が来る。
  ー それは誰も理解しない世界であり、まだ見ぬ世界に不安を覚えるのは当然のことといえる。
●新しい秩序へと向かう混迷した世界の中で、新しい重責を担う二つの国がある。
 一つはイギリス(西欧への窓口)、いま一つは日本(アジアへの窓口)である。
●日本が直面しているのは危機でない、時代の変わり目である。 時代が変わったことを認め、
 その変化に対応していくための意識改革に取り組むべきである。 ーその変化を拒絶してはならない。
●国際競争において意味を持つのは、唯一「知識労働における生産性」のみである。
●情報化が進展する新時代の世界経済のもとで、最も苦労する国は日本である。
 つねにイノベートを追求し、新しい価値を生み出すことでしか、日本は生き残れる道はないー。
●情報経済というまったく新しい世界経済の中で、日本は最大の難関に直面することになった。立ちはだかる相手は
 インドと中国です。この両国が急速に経済大国の仲間入りすることで最も脅威にさらされるのは、日本なのです。
●人はリーダーに生まれない。リーダーとして振る舞える習慣を持つ人が、リーダーになるのだ。
●現実における変化h、決して以前のものとは同じにならない。そして、机上で考えるより変化は先に現れるー。
●過去50年間で最も大きな変化は、教育において現れた。
 変化し続けるスキルを身につけるため、絶えず教育に立ち返ることが個人のイノベーションを促進する。
    (字数制限のためカット 2011年7月7日)
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2005年07月07日(木)
1556, 将来の不安?
 ー島田裕己「不安を生きる」より、さらに抜粋してみる。
「不安というものからは、そう簡単に逃れられない。逃げられるような気がしても、実は隠していただけに終わっているのかもしれない。 
不安なのは覚悟が決まっていないからで、どこかで一度しっかり覚悟を決めないと、不安から逃れる道を見つけ出すことは出来ない。」
「信仰を持ったって、必ず不安になるのです。そんな呑気な人は世の中にはいない。何も疑問を持たずに一生そのままいける人って
あまりいるものではない。不安そのものを根本的になくすと発想しないほうがよい。山岸会の場合も、ユートピアをめざす運動として
幸福一色の世界実現を考えた。それがユートピアの恐ろしいところであって、人はユートピアのなかで幸福でなければならないという
考え方に陥ってしまいがちなのです。 そうすると、幸福でない人、不安を抱えている人が出ると、その人が間違っているとして批判を
受けたりする。そうすると、その反対の逆ユートピアに転じていく」「だから社会は、若い女性達に結婚しろというメッセージよりも、
結婚なんてしても幸せにはなれない、子育ては大変だというメッセージを流すことに熱心です。なんとか不安に安住させて、
癒しを求めて消費させようとする。それはもしかして、巨大な詐欺ではないか。社会のメッセージでは、結婚は自由が奪われるという
面ばかりが強調されすぎている。」「欧米社会は、カップル社会で独りでレストランに出かけていってもよい顔をされない。
カップル社会はデート社会だから、金曜日や土曜日にデートする相手がいないとかなり苦労するという。魅力のない女という
レッテルを貼られる。日本では、それがないから、色いろな産業が彼女らを狙う。不安産業でいうと「エステ関連ー癒し産業」などである。
それに女性は踊らされている。「あなたは不安でしょう」とは言わない。「癒される、ホッします」という表現で客を巧妙に誘う。
(字数制限のためカット 2010年7月7日)
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2004年07月07日(水)
 1191, 異境・秘境ツアーレッスンー8
 ートラベルはトラブルー
アフリカや、南米、シルクロード、北極圏などの最終目的地に着くまでは何回かの飛行機を乗りつぐ。
飛行機は気圧の関係も含め、快適の乗り物ではない。一番価格の安いツアーを選ぶ関係上、エコノミークラス。
特に成田からの最初のフライトの12?13時間が厳しい。酒を買い込んで、ドンドン飲んでトイレに通うのがコツである。
といって飲みすぎると、腹の具合が着陸時点でおかしくなる。 これも楽しみのうちと暗示をかけて、音楽を聴いたり映画を見る。
その合間に行き先のパンフレットや資料に目を通す。少しでも嫌だとか、早く着かないかとは考えないことだ。
人生と同じでプロセスに気持の隙を見せないことである。音楽が気持を和らげてくれるのも人生と同じである。
南アフリカに行ったとき、名も知れない国の、名も知れない飛行場で猛暑の中、10数時間も足止めを食らったことがあった。
さすがにツアー慣れをした人たち、誰も不平をいう人はいなかった。言ったところで、どうしようもないことを皆知っているからだ。
その場面をむしろ余裕で楽しんでいるようにも思えた。人生の圧縮されたレッスンそのものである。苦難こそ余裕を持って楽しむ姿勢が、
その苦難を苦難でなくしてしまう。トラベルとは、トラブルの語源という。旅行では苦難、問題が次々と立ちはだかってくる。
中国のタクマラン砂漠から、新羅ウイグル地区を抜けて、パキスタンのカラコルムハイウエーを通っての2週間の旅行は、
まさしくトラブルの連続であった。 それを割り切っていたためか、そのトラブルがむしろ面白いのだ。人生も同じであるトラブルは
つきものと割り切ってしまえばよい。振り返ってみると丁度よいトラブルが、そのつど与えられていた。
中心点から目をそむけず、ひたすら立ち向かっていれば、いつの間にか問題は解決されるものだ。
感動を経験するために、トラブルを通り抜けていくから良いのである。 人生も旅行も、ゲームである。
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2003年07月07日  アラスカ旅行中
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2002年07月07日  スイス旅行中


4120, オニババと、粗大ゴミ

2012年07月06日(金)

    * 女の変容                  「老後に後悔しない10の備え」三浦朱門著
 流石に20歳年上の書いた老いについての話は参考になる。 奥さんが曽野綾子なら旦那に対しても厳しいはず。特に、
「男から見る女性の、対男性の態度に四つの時期」が面白い。女性は更年期を過ぎる頃から第四期のオニババ化が始まる。 
  ーその辺りを抜粋するー
≪ 男から見ると、女の対男性の態度に四つの時期がある。
・ 最初は男を敵視し、警戒し、ことさらに無関心を装う思春期。
・それから特定の男あるいは男たちには打ち解けて、彼のことに心遣いを示し、男としては、うん、この女は優しくて、
 オレの世話を何くれとなく見てくれる、と思わせる。これを青春期とする。これは結婚しても数年は続く。
・第三期はオバサン期である。オバサンは家庭の主として独裁権を振るう。それに従わない者は、子供であろうと亭主であろうと
 容赦しない。彼女の独裁権が及ばないのは、舅と姑だから、彼らへの鬱憤は専ら、亭主にむけられる。舅、姑は亭主の親だからである。
・第四期がオニババだが、こうなると、彼女は世を呪い、人を恨み、身のまわりのあらゆる物が、自分の意図と違う状況にあると、
 すざまじい勢いで叱りつける、そのくせ、自分は何もしない。人に指図してやらせるだけである。この場合の指図される相手は、
 多くの場合い、亭主しかいないから、オニババの夫としては、少なくとも肉体的には健康であることが望ましい。≫
▼ 数ヶ月前に、色いろあって自宅の名義が家内に変わった。予測はしていたが、急に態度がオーナー然として、私は宿六扱い。
 ペットに餌をやっていたのを見て、「居候が居候に餌をやっている」だと。オニババ化の一場面である。この数年で、団塊世代が
 大量に定年を向かえ家の滞在時間が多くなった。現在、日本中がオニババと団塊粗大ゴミがイガミアッテいる。私など平均4時間は外出。
 ちらほら愚痴が聞こえてきているが、当人にとっては切実の問題。 以前読んだ、あるエッセーにあったが、 定年になった時に、
「食事以外は外出するか、自室以外に出ないよう」妻に言い渡されたという。まあ、現在の私も似たようなもの。
 家が大きいので、まだ助かっている・・ 更年期を過ぎ、身体が老化を始めると過去の思い出が大きな比重を占めてくる。
 人間の記憶の大部分がマイナーで占められている。記憶は主語が消えてしまうので、そのマイナーを身近の人に見ることになる。
 その槍玉が連れ合いになり、オニババ化が進んでいき最悪、熟年離婚になる。せっかく、会社の嫌な上司から解放された挙句に、である。
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3754, ワシも族か〜  ー②
2011年07月06日(水)
  あるブログにあった「ワシも族」、によると、
【 ・定年で毎日が日曜日状態になった父さんが、・家でやることもなくゴロゴロ 
  ・妻がどこかへ行こうとすると「ワシも一緒に」と着いて来る男性を指す。
 一般的のサラリーマンは、「定年になったら、あれも、これもやりたい」と考えるが、何をしても中途半端で飽きてくる。
 定年で急にはじめても、アマチュアになるには遅すぎる。最低で10年の準備が必要。 そこで、妻に縋るしかない。
  TVのワイドショーで「ワシも族・度」が紹介されていた。
1)近所で人当たりが良いが、家では無口    2)夫が家事をするのは「手伝い」と思う
3)妻の予定や行動をよくチェックしている   4)妻にはつい、つらく当たってしまう
5)妻の家事に手は出さないけど、口は出す   6)妻のお出かけにはよくついていく
7)妻子を養ってきたとの自負がある
【判断基準】・3個以下:とりあえずは大丈夫? ・4〜5個:ワシも族の素質、十分です ・6個以上:要注意!見捨てられるかも
  会社人間の習性で、「自分では手を出さずに、命令すること」「部下が作成したものを批評し、自ら積極的に行動しない」が
  習慣化しているからだ。 】
▼ 「ワシも族」といえば、私の夫婦間では、家内の方が前より「私もやりたい」と、言う方。女なら、それは愛嬌だが。
  私がネットに夢中になれば、見よう見まねでネットで情報をとったり、ネット・ショッピングに夢中になったり。
 海外旅行といえば、初めは反対するが、私が申し込む直前に「私も行く」と、のたまう。大反対をしたもの(ハンモック・チェアーや、
 健康機器)を良さそうかどうかを見極めてから、都合の良い理屈をつけて始める。 それが、今度は逆転である。
 私も暇時間のつぶし方は得意だが家内には敵わない。相手は38年、年中である。 一般的には仕事にネルギーを奪われ、
 ライフワークの趣味を作り上げてこなかったツケが、定年後にくる。でも、それでも妻の後についていくだけ、まだましか。
 いくら東京が好きとはいえ、5日連続とは!驚くより呆れる。「ツアーに出ているよう」だと! 内容からして価値あるツアーだが!
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3389, 911・考えない・日本人  ー6
2010年07月06日(火)
            「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
■ 自問自答が知性を磨く (Pー189)
  他者との対話とは別に自分自身との対話=自問自答がある。
    著者の考える=「哲学する」についてが、なかなか面白い。
≪ 哲学について、ポール・ソシャールの『言語と思考』には次のように書かれている。
*「子供は三歳半ごろ自分を指す代名詞〈私=I〉を使いはじめ、そのときに動物心埋の水準をはっきり乗り越える。
 …つまり反省意識という人間の段階は、言葉に結びついている。思考が内言語(註:個人の頭の中だけに聞こえている言葉)
 であるからこそ伝達できるのであり、意識状態の科学である心理学もできあがるのだ」
*「(I)の言語化と(you)のそれとは切り離せない。それは対話の言語化である。自己の想像した対者との対話も含んでいる」
*「人間では、言語は外言語であると同時に内言語でもあるので、外言語としてはコミュ二ケーションの役を果たし、
  内言語としては思考と反省意識を確保する」
*「人間を理解し、その水準を見定めようとするものは、言語問題に取り組まなくてはならない」
*「言語は人間の発明したもののうちで最高のものである。人間は話すからこそ知恵があるのだ。人間の身体は原初から
  何も変わっていない。変わったのは精神の働きだけだ。人間は言語のおかげで自己を完成し、知性を発展させてきた」
*「言語の無限の能力は単なる感情や状況を示す信号だけでは満足しなくなる。…… 言語は対象を離れ、独立する。
  本質的にコミュニケーションの手段ではなくなり、思考の道具となるのだ。人間だけがこの〈内言語〉を持っている。
  内言語はもはや言語ではない。発音されないからだ。音情報は脳に移動され、自己の意識化を助ける」
*「人間は言語化されていない思考を心に浮かべることはほとんど不可能である」
 まだいくらでも引用したい文章はあるが、読んでいてもつらくなる。なぜなら言語段階から見ると日本人が人間として
いかに未成熟かが歴然としてくるからだ。特にこの「反省」「内言語」の段階は幼児並みに思えてくる。
 どうやらわれわれの大脳皮質は、前述した角田説の逆作用で、成長を停止しているとしか考えられない。
饒舌な内言語の会話が知性を磨く。連続的な自問自答である。われわれは内言語の失語症を起こしている。
だから「失理症」に陥る。主語のない「味言語」は、結局主観と客観の区別がつかない。
それが「無反省」、つまり精神の言語化、あるいはまた逆に言語の精神化を妨げる。 ≫
▼ 子供が、(自分)という言葉を持った瞬間から人間になるというが、そこから、自分に対するyouが出現する。
 いや、youが(自分=I)を創出する。それが、動物と人間の境目になる。人間の記憶が、その辺から始るのは、
自分という言葉を語るからで、その時から人間は飛躍的成長が始る。また日記が人間の成長に大きな役割を果たすのは、
それを一度、ノートに外に出すことで内語を外語とする作業の中で考えることになるからである。サルトルの対自、即自である。
  偶然だが、去年の今日、同じようなことを書いていた。 面白いものである。
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3014, 魂とは何か
 2009年07月06日(月)
  「魂とは何か」ー池田晶子著 −2
 何度か魂については、ここで何度か取り上げてきた。 
先日、「戒名は自分で付けよう」という本を読んで自分と、家内と、二人の息子の戒名を作ってみた。
そのためか? 近くの図書館で池田晶子の「魂とは何か」という本を見つけ借りてきた。池田は二年前に亡くなっているが、
この本は10年前のリメーク版である。ここで頭脳明晰な池田晶子が、魂となると歯切れが悪い。それもあってか、
この一週間は、「魂」漬け。 魂というと、「霊」と「私」「精神」「心」が浮かぶ。「心」は、TPOSで変化するが、
「魂」は「それを見守っている、産まれ、死ぬまで変わらない自分そのもの」。池田は、ヘーゲルなどの論を借りて、
〈魂〉は「考える」より「感じる」ものだと、「思考感覚」という。魂の表現を、無理を承知で言葉にしている。
  《その一部を抜粋してみる。》
ーひょっとしたら「〈私〉が魂」なのでなく、「〈私〉の魂」という言い方もなく、「魂の〈私〉」に近い。ー
  *この部分も鋭く、というより頭の底からひねり出している。
ー以前、誰だったか神秘主義者の本を読んでいて、ひとりの人間を構成するものは、「肉体と精神と魂」という
 言い回しがあって、深く腑に落ちたのだったが、それは正確だろう。 肉体とは個別だが物体であり、
 精神とは物体ではないが非人称であるなら、その人を他の人ではなくその人たらしめている当のものとは、
 他でもない、〈魂〉ということになる。 なぜそれを〈私〉と、私は言わないのか。
〈私〉とは、おそらく、たんなる形式であろう。 あえて「たんなる」と言うのは、形而上的な形式と形而下的な内容とを、
 思考によって峻別した時、そこに残る内容は、形式からみれば、なお不可解なままだからである。 内容のない形式とは、
 論理としては可能であっても、思考が驚きによって始まったその振り出しへ戻れば、謎は依然として同じである。
 すなわち、なぜ〈私〉は、この人間なのか。 なぜ〈私〉は、この人間なのか。 なぜそれを〈私〉と、私は言わないのか。
〈私〉とは、おそらく、たんなる形式であろう。あえて「たんなる」と言うのは、形而上的な形式と形而下的な内容とを、
 思考によって峻別した時、そこに残る内容は、形式からみれば、なお不可解なままだからである。内容のない形式とは、
 論理としては可能であっても、思考が驚きによって始まったその振り出しへ戻れば、謎は依然として同じである。
 すなわち、なぜ〈私〉は、この人間なのか。なぜ〈私〉は、この人間なのか・・・ー
▼ 魂を明快に表現出来るなどありえない。それでも何度か読み返しているうちに、少しずつ、その中心に近づいていく。 
我われは、大自然に触れたり、世界的な芸術作品をみた時に〈魂が振動した〉という。実際に私も何度も、いや何十回も経験している。 
あの時の「魂の振動」という時の魂とは何だろうか? べネゼイラのテーブル・マウンテンのキャンプで見た夕景。
あの荘厳な景色で感じた魂の響き。 人間を遥かに越えた大自然の時間の蓄積と、美と、荘厳な一瞬に、自分が、その中に融けて
永遠と共鳴し、「私が、いや私の先祖が産まれる遥か前から存在している命と魂が共鳴している」瞬間の「魂」とは何だろう。
登山好きの人は、早朝などに独りで、それを直感しているのだろう。  宇宙の響きというのだろうか?
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2649, 閑話小題
2008年07月06日(日)
 *凄惨な事件のあとのマンションは?
昼飯に喫茶店に行って週間ポストを読んでいたら、以前から知りたいと思っていた記事に出くわした。
最近、週間ポストが面白い。 定年を迎えたシニア(団塊の世代)にも客層を広げたようだ。
セレブのバラバラ殺人や、江東区の凄惨なバラバラ殺人事件の部屋が、既に他の住人が入居をしているという。
まずは、セレブの殺人現場になった部屋は、女性が入っているという。家賃は20万円だったが、5万円ダウンの15万円。
江東区の方は2万引きの7万円で、これもまた入居済み。こういうイワクつきのマンションの販売価格は大よそ2割のダウンが相場。
こういう事件があると、わざわざ値下がりを期待して部屋探しに来るという。 何とも感じないらしい。家主の方からしたら、
事件のほとぼりが冷めるまで待つより、何割か下げて貸した方が得と判断するようだ。地方なら、嫌がられるかもしれないが、
都会は冷めているということだ。いや借りる方に変わった人がいるということだ。絶対数が多いということか。
 *深刻なスタグフレーションへ突入?
  (字数制限のためカット 2012年7月6日)
 *ツタヤのネットレンタルに入会してみた
 (字数制限のためカット 2012年7月6日)
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007年07月06日(金)
2285, バーナム効果
 詐欺師や占い師や、健康食品のネズミ講などで、相手を信じこませる言葉のつかい方に、「バーナム効果」という手法がある。  
  ーネット百科辞書の「ウィキペディア」によるとー
「誰にでも該当するような曖昧で一般的な性格をあらわす記述を、自分だけに当てはまる正確なものだと捉えてしまう心理学の現象」
という。アメリカ合衆国の興行師・バーナム にちなんで(心理学者のポール・ミールによって1956年に)命名された。
アメリカの心理学者バートラム・フォアの名をとってフォアラー効果ともいう。
 ▼ 被験者に何らかの心理テストを実施し、そのテスト結果を無視して以前に被験者とは無関係に用意した
「あなたはロマンチストな面を持っています」「あなたは快活に振舞っていても心の中で不安を抱えている事があります」といった
診断を被験者に与えた場合、被験者の多くが自分の診断は適切なものと感じてしまうが、これはバーナム効果によるものである。 
  (字数制限のためカット 2010年7月6日)
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2006年07月06日(木)
 1920, 浮かれる景気   \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/
 「浮かれる景気」ー 読書日記
ー株式会社第二海援隊 浅井 隆 
 (字数の関係でカット2008年7)                ☆゜+.バイ!
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2005年07月06日(水)
 1555, 将来の不安ー3
不安について考えてきたが、図書館で島田裕己の「不安を生きる」という本があった。2005年・4月10日発刊というから最近の本である。
オウム教事件の時にオウム教擁護的発言でバッシングにあって、東京女子大学の教授を辞めざるをえなくなった人である。
宗教学が専門のためか「不安」心理に対しては専門であり、深い。宗教には「不安」に対する明確な解答が用意されている。
不安と宗教心は裏腹の関係にある。不安こそ誰もが何時も直面している心の闇である。その闇に神の世界を提示して見せるのが宗教である。
不安の正体を知ってしまえば自然と解決方法は出てくる。更に不安を解消する一つの手段として具体的にネットワークの存在を提案している。
 ー面白そうなところを抜粋してみるー
P-76 ところが不安がないということは、下手をすると今の状態に安住することにつながってしまう。そうなると緊張感もなければ、
進歩もない。進歩もないということは達成感もないということです。イニシエーションという言葉を使えば、一つの役に挑戦することが
イニシエーションになってくれない。逆にそれをイニシエーションにするには不安が必要になってくる。心の安定ということでは、
不安を悩みに変えていく必要があるけど、安定は停滞につながっていくから、いっぽうで不安も必要になる。海老蔵は、弁慶をやる前日に
寝過ごしてしまったと思った時、これで役者をやめなくてはならないと思ったそうです。それだけ不安を経験しているからこそ、
不安が欲しいという発言が出てくる。 彼は不安を次の発展へのバネにしようとしている。
▼ 不安について以前にも書いてきたが、その対応として思い当たるものをドンドン書き出してみることだ。    (字数制限のためカット 2010年7月6日)
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2004年07月06日(火)
1190, 大丈夫!ー2 
 * 哲学についてー13
  ー不安の哲学ー キエルケゴール
「大丈夫!」を繰り返していうことで、漠然とした不安感が半減したと前に書いた。
これを読んでいて、もし鼻先で笑っている人がいたら、その人は表面的人生しか生きてない人である!
不安感は大きい人ほど、それは自分に目覚め、自由と可能性を考えているか、生きているからだ。大丈夫!を繰り返すことは、
毒消しに単純だが絶大の効果がある。単純であるが、どうしてそこまで心理的の効果があるかを考えてみる。
人間の不安の90数パーは、考えすぎの影でしかない。 ルーズベルト大統領が就任演説で言ったという、「われわれが恐れるべきは
『恐れ』そのものだけである」人間は全て、恐れから派生する大きな影に脅えている。その意味で「大丈夫」を繰り返すこととは、
90パーの影を消す効果がある。不安といえば、哲学者のキエルケゴールが主題にしたテーマである。
彼が考えた「不安」は「ああもなれる、こうもなれるという、いろいろな可能性を持っているからこそ、不安が生まれる」と考えた。
そして「不安はたとえてみれば目眩のようなものである。・・自由がいまや自身の可能性をのぞきこんだとき、
めまいがおこるのである」といっている。若いときは、その意味で多くの自由と可能性があった。その分だけ、大きい不安が自分を
支配していた。そして絶望感に陥っていた。さまざまの可能性を持つからこそ、不安と絶望感があるのだ。
不安感が絶望へのプロセスを生むことになる。 不安から「絶対的な何か」が欠けているという絶望感に陥ってしまうのだ。
「どうしようもならないもんな?」という言葉が出てきて、そしてお決まりの繰り返しの暗い気持を引き込んで絶望の世界に入っていく。
これが、神の前に1人たたずむありかたであり、人間としての基本的な姿としてとらえて「単独者」と呼んだのだ。
   (字数制限のためカット 2011年7月6日)
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2003年07月06日(日)
 823,ある時間の断片ー30
ー11月2日 1968年
10時起床、食事後12時半まで床屋。13時頃から「早稲田祭」に行く。 14時半頃に帰ってくると深井が部屋に来ている。
1時間位話して彼は帰る。その直後急に頭が痛くなる。 「香港風邪」というやつにかかったらしい。佐藤君のところに行って
お茶を飲んでいると、佐々木さんから電話で東京駅に迎えにこいとのこと。でかい荷物だ、やっとのことで寮に運ぶ。その佐々木さんが
「明日のバスハイキング」のバスの値段が高いと苦情をいいにくる。 道理からいって、因縁をつけているだけとうことが露骨だ。
今更キャンセルや値下げができるわけがないだろう。幹事ということで言い返せないし、一応先輩だ。折れることにした。 
差額の半額を私が持つことにした。頭の回転がきかないのか、自分の面子を立てたいのか解らないが。よく自分で我慢したと驚く。
クールに割り切った方が良い。その反動で。孝道を怒鳴りつけてしまった。佐々木さんに対する怒りと香港風邪で
頭がいたいことも含めて、彼にぶつけてしまった。人間的な含みがまだまだないということか。
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2002年0706
旅行中
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2001年0706
旅行中


4119, 閑話小題 ー平均寿命と医療費

2012年07月05日(木)

   * 平均寿命と医療費
 あるレポートに「世界一高い医療費を払っているアメリカで78・3歳、最低の北朝鮮でも67歳の平均寿命」とあった。
アメリカとキューバの平均年齢は全く同じだが、キューバの医療費はアメリカの一割でしかない。北朝鮮では年間、たった一ドル。
社会主義という背景もあるが両国とも最貧国。 皮肉ではないが栄養失調ギリギリの粗食は健康に良いらしい。
ちなみにロシアが65歳、インドは64歳である。 日本の医療費は、先進国の平均値より低いが、女性が86・4歳、
男性が79・6歳,男女平均83歳と世界最長である。こと医療体制をみると、日本は色いろの問題があるにしては
最良のシステムになっている。現実的にみて、財政破綻状態だが決して住みにくい国ではないようだ。
   * アメリカの学費ローンの実情
 アメリカでは所得水準が下半分以下の家庭に生まれたら、返済義務のない奨学金を獲得して大学に入ることは不可能という。
入学金とか学費などの学費ローン(総額9兆円)は、全米の学生の三分の二が借りているほど一般的とか。
しかし、このローンの仕組みも多くの問題を残していて、卒業直後に計画的自己破産による棒引きケースが続出した時期があった。
その当時のクリントン大統領が、罰則として大学を中退しようが自己破産しようが、学費ローンだけは永遠に返済しなければならない
法制化をした。それは当人の許諾を得ずに給与天引きでローン返済をする厳しいもの。アメリカは学費ローンに限り厳格のようだ。
日本では本人の学費ローンは、あまり聞かない。大体が親がローンを組むケースが多い。それにしても日本の大学進学率が五割を
超えているのは問題である。まだ三割なら分かるが。もっともアメリカも5割を超えている。ドイツは三割強、先進国は4割前後と
いうから、日本が取り立てて高い訳ではない。 私の年代では18%だったが。
 ・・・・・・・
3753,ワシも族か〜  ー
2011年07月05日(火)
 私もついに「ワシも族」になってしまった。 家内は、この数年来、JR東が2〜3ヶ月に一度の3〜4日間乗り放題のサービス期間、
毎日、日帰りで東京名所見物を楽しみにしている。 8時過ぎの新幹線に乗って、18時過ぎに長岡に着く列車で帰ってくる。それも、
何年も続けていると、予めネットで調べていた行き先をこなすのも手馴れたもの。 妹や義理の姉を度々、従えて行く。
ついに暇を持て余している私も「ワシも族」として、家内に従っていくことになった。 行き先は、国立新美術館で行われている
「ワシントンナショナルギャラリー展」である。 乃木坂の美術館としか知らなかったので、まさか近年新しく出来た(黒川紀章設計)
国立美術館とは露知らず、ついていって吃驚! それもワシントンのナショナルギャラリーの印象派とポスト印象派の、多くの作品を
目の当たりするとは・・。見学者の行列にそって作品を観るごとに驚いている次第。初めのうちは、何だ、この程度かと思っていたが、
次々と有名画家の写真集や、TVなどで観た有名な絵画が出てきたのに驚いた。絵画から出ているエネルギーの直感こそ魂。
  ーこのHPの紹介文よりー
「 ワシントン・ナショナル・ギャラリーが所蔵する12万点の作品の中でも、特に質の高さと絶大な人気を誇るのが、その数
およそ400点の印象派とポスト印象派の作品群です。本展では、その中から日本初公開作品約50点を含む、全83点を紹介します。
クールベやコローらバルビゾン派や写実主義を導入部とし、印象派の先駆者といわれるブーダンやマネを経て、モネ、ルノワール、
ピサロ、ドガ、カサットら印象派に至り、セザンヌ、ファン・ゴッホ、ゴーギャン、スーラなど、それぞれの表現によって
印象派を乗り越えていったポスト印象派に続きます。 17年ぶりに来日するエドゥアール・マネの《鉄道》、日本初公開の
フィンセント・ファン・ゴッホの《自画像》、ポール・セザンヌの《赤いチョッキの少年》、そして同じくセザンヌが父を描いた
初期の名作《『レヴェヌマン』紙を読む父》など、いずれもワシントン・ナショナル・ギャラリーの「顔」、美術史において印象派、
ポスト印象派を語る上で欠かせない名作の数々。 まさに、「これを見ずに、印象派は語れない」 
  http://www.museum-cafe.com/report/5333.html  http://totemokimagure.cocolog-nifty.com/zakkan/2011/06/post-d2d9.html
     次回は「ワシも族」とは、どんな人種か? について・・
 ・・・・・・・
3388, 911・考えない・日本人  ー5
2010年07月05日(月)
  「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
 * 日本史は最低のドラマか?
= さすがに、古事記と日本書紀がつまらない物語とは書いてない。日本史である。辛辣だが、この視点も必要 =
 ー以下は、内向きになっている日本に対する忠告である。ー
≪ 日本史は最悪の作家の書いた最低のテレビドラマで、これではいくら視聴者のIQが低くても視聴率は取れない。
善悪という山場のない、ドラマのない国に、私はくたびれている。神と悪魔の戦いがない国ほど、グウタラな国はない。
そして・山場がないという意味は、意味がないということなのだ。善もなく、悪もなく暮らす。何事にも意味を求めずに生きる。
一体、何がその生活に残るか ? 考えてくれ、頼む! 善が悪に勝つこともなく、悪が善に勝つこともない。戦いはなく、葛藤は
その一日に、一生に、歴史に、ない。そんな生活と歴史に残るものは何か?ほら、答えはあなたの今にあるじゃないか。
自分の今日の生活にあるじゃないか。 ・・・・ 
 たとえば、歴史上、最も男性的な日本男性は誰か。日本武尊だとしよう。ヘラクレスと比較すればいい。日本史最大の賢者は誰か。
聖徳太子だとしよう。アリストテレスと比較すればいい。日本最大の武将は誰か。織田信長だとしよう。アレキサンダーと
比較すればいい。日本最大のバカタレ(バカタレント)は誰だ。ビートたけしだとしよう。マイケル・ムーアと比較すればいい。
一方はただの世渡り上手な傲慢なバカだが、一方は真摯なインテレクチュアルであり、かつ前者には皆無な勇気の美徳を持ってい。≫
▼ 辛辣である。 島国で海が要塞になっていて、小さな世界で安穏できる自然環境が日本を考えないで済ませている。
 しかしネットで世界が結ばれ、その中で生きるしかない現代では、それでは済まされない。アメリカ史を考えてみれば、
 日本史より低いドラマだろうか? その質は、歴史の長さと地政学に関係してくる。高度成長期の真っ只中に日本のTV業界の
 脚本家として名を成し活躍したぶん、現在の日本の現状とのギャップが鮮明に見えるのである。隷属国家の考えない日本の姿が、
 あまりに酷く悲しいから書くのである。茹で蛙の日本人、ここで民主党に政権を与えたが、あの政策をみていると、彼のみたまま。 
 二大政党という劣悪な政争ドラマが、それを証明している。「その姿は、自分の今の姿にあるじゃないか」が考えさせられる!
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3013,戒名は自分で付けよう ー3
 2009年07月05日(日)
 有名人は、どのような戒名を付けているか興味がわくが、この本には、それがあった。
 それぞれの坊様が知恵を絞ってつくったのだろうが、なかなか味がある。
 時代の影響にされるのは当然である。 まずは、それを見てみよう。
美空ひばり 慈唱院美空日和清大姉      石原裕次郎 陽光院天真寛裕大居士
三島由紀夫 彰武院文鏡公威居士        力道山 大光院力道日源居士
古賀政男 大響院釈生楽          嵐寛寿郎 寛寿院照誉威兄演達居士
   ≪字数制限のためカット2012年7月5日≫
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2648, 座敷童子と出会える宿 ー2
 2008年07月05日(土)
座敷童子を売りにしている旅館が、他に「緑風壮」がある。 実際、どうなのだろうか? 
一度、面白そうなので行ってみたいが。 ーまずは昨日の続きから
 *優しい妖怪*
夜9時頃、旅館に帰ると、ビデオで座敷童子についての研修がある。
その後、ワイドショーの録画で「私は確かに菅原別館で座敷童子を見た」という証言を見る。
そこで、座敷童子がいるという刷り込みがなされるのだ。
9時半頃に研修が終わり、その後、旅館の若旦那が各部屋を回り、座敷童子の居場所を教えてくれる。
筆者の部屋にやってきた若旦那は、「今日はテレビの裏あたりに居る。男の座敷童子だ」と言う。
私は疲れていたので、すぐに眠ってしまった。深夜1時頃、お手洗いに行くために起きて、部屋にもどってきた。
それから、少し経ったところで、私は確かに座敷童子を見た。女の子の姿をした座敷童子で、身長はーメートル弱である。
 (字数制限のためカット2011年7月5日)
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2007年07月05日(木)
2284, 10歳の放浪記 ー2            *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ
 この番組の中で、教職員を前に上条さなえさんの講演の一部を放送していた。その内容がユニークである。
「あなた方仲間に年配の口うるさいオバサンがいるでしょう。 彼女らを嫌わないでください。彼女たちは誰からも
愛されなくなってしまったのです。誰からも愛されなくなると、人を愛せなくなるのです。先生の仕事は子供を愛することです。
人を愛することです。その為には人に愛されなければなりません。さらにそのために、まず自分を愛せなくてはなりません」 
という言葉が何とも説得力があった。一年間のホームレスの後、養護学校に初めて行ったとき、アンパンを食べようとしていた
自分に、男の先生が「自分の弁当と交換してほしい、東京のアンパンが食べたい」と、家庭の味のする弁当を交換してくれた。
その時、「必ず良い人間になる」と自分に誓い、先生になりたいと決心をする。
 教育に無条件の愛情以上に何の能力が必要なのだろうか。 ヤクザが気の毒に思い、10歳の子供にいう。
「俺のような人間になっては駄目だ。人間真っ直ぐに生きなくてはいけない」これも、自己否定からくる
良心からの説得力のある言葉である。「うらやましがられることもあるけど、やっぱり平凡な人生がよかった。
まず親が『幸せ』と感じなければ、子供も幸せになれない。それぞれの自分の人生に価値を見いだしてほしい」
「私の書く小説すべてがハッピーエンドに終わるのです。色いろな経験から、そうしなくてはならなくなったのです」の言葉が重い。
最近、14歳というのがキーワードになっている。中学二年生、誰もが覚えがあるだろう、あの揺れ動いていた時期の日々を。
誰も周囲から居なくなって、自分ひとりが取り残されてしまったような不安の日々。ひとつの節目だが、その前の十歳も
大きな節目となる。そこで決まってしまう時期でもある。初めて自分の自我に目覚め、人間としての最初の?壮烈な戦場がある。
そこには虐めと、虐められるギリギリ中で、人間としてのベースがつくられる。彼女のような経験は特殊だが、
しかし大きく揺れる時期でもある。一番問題なのは、親が全て取り仕切り、自主性を刈り取ることである。
10歳の子供が、ケネディーの「国家が何を自分にしてくれるかより、国家のために自分が何ができるかを問え」を
「親」に切り替えるとは、驚きである。             (* ̄∀ ̄)**SeeYou
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2006年07月05日(水)
 1919, 睡眠負債                才八∋ウ_〆(∀`●)
図書館で月刊雑誌を立ち読みをしていたら、睡眠についてのレポートがあった。キーワードが「睡眠負債」である。睡眠不足のことだが、
不足より負債という方が分かりやすい。睡眠の場合、負債の免除期間が二週間。どんな溜まった不足でも二週間でチャラになるという。
深い眠りをとろうとしたら、寝不足状態の状態が一番良い。脳の機能と食欲などの欲望も同じである。
それなら、そうすればよいが。睡眠時間は世界共通で8時間だが、気にならない睡眠時間が、その人のベストの睡眠時間という。
仕事などの関係で、いつも睡眠時間が取れない人が、小刻みに昼間の睡眠を取るのが理想的な睡眠の取り方。私の場合、
睡眠に関しては殆んど問題はない。寝れない時の対処がしてあるからだ。布団滞在時間7時間が私のベストである。
 インターネットの検索で調べたら、ー快眠10ヶ条ー  があった。
1 起きたら太陽の光を浴びる  2 同じ時間に起きる  3 朝、軽い体操をする 4 朝食を食べる    
5 日中も太陽の光を浴びる  6 メリハリのある生活を送る 7 適度な運動をする 8 夜は強い光を避ける  
9 眠る前はリラックスする  10 ぬるめのお風呂にゆったり入る
 私の場合、ほぼ実行しているが、寝際にクラシックを聴きながら寝ている。更に初期睡眠(三時間)を深くしている。
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 2002/09/14 眠れない夜に
眠れない夜にどういうわけか、こうすると不思議によく眠れる。
・仰向けになり全身の力を抜く。
・頭から額にかけて力を抜くー次に目とその奥、鼻と口、 首と肩、両手、両足と気持ちを
 その都度そこに集中して力を抜いていく。そうすると、自然に寝ていても何処かに力みが入っているのが分かる。
・完全に力が抜けた状態で、一番楽しかったことを考える。私の場合海外旅行の大体3番目のあたりで睡眠に入る。 
 それでも眠れないで、過去に行った全ての「思い出し旅行」に3時間かけたことがあるが。それはそれで楽しい時間であった。
・眠れないときは寝ようと考えず、眠れない状態で自然に任せることだ。それでも眠れないのが不眠症だろうが。月に一度位は、
 夜半に目が覚め寝つけなかったりする。 でも苦にはならない。ポイントはマイナス思考の差し込む魔の時間にしないことだ。
 これは注意していれば防げるのが不思議だ、訓練の結果だが。
・羊の数を数えるとよいという説があるが、私の場合逆に疲れてしまう。何かの本に面白い内容があった。
 ≪字数制限のためカット2012年7月5日≫
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2005年07月05日(火)
 1554, つれづれに
ー売り手責任
先日、ニトリにホテルの共同キッチンのダイングテーブルを買いにいった。ところが、「家庭用商品を営業用には
売ることが出来ません。売り手責任に問題が出る可能性があるので、お売りできません」という。
上の上というから、本部判断をあおいでいた。当方だって買い手責任があるし、設置責任がある。
何かおかしいいのではないだろうか?それとも、そこまで問題にしなくてはならないのか。
ー知人の息子がTV出演?
去年亡くなった五十嵐恭一さんの息子がTVに出ているというので昨夜見た。月曜日の23時の「あいのり」という番組。
「嵐」というニックネームで出ていた。かなりの応募の中で選ばれたのだろうから、光るものがあったのだろう。
「1年浪人後、「法政の二部」に入学金を払ったが、駒沢大に受かった。本人は法政の二部に行くつもりというが、
  ≪字数制限のためカット2010年7月5日≫
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2004年07月05日(月)
1189, 異境・秘境ツアーレッスン ー7
    ー大自然
 大自然の秘境の見どころには山脈系、氷河系、滝系、大草原系、平原系、海・海岸系、
 などに分けることができる。 多くはその幾つかが重ねあっている。
・山脈系としては、北米のロッキー、欧州のスイスアルプス、南米のアンデス山脈、ヒマラヤ山脈、など。
・滝としては、ナイアガラの滝、イグアスの滝,ビクトリアの滝、エンゼルフォールの滝などがあげることができる。 
 あまり知られてない滝で、その迫力に思わず息をのむことが多い。迫力景観からいったら、やはりイグアスが一番である。
 ー主観をこめて印象に強い順にかいてみるー
1、一番は何といってもケニアの草原の夕景である。
 幻想的で、この世のものと思えないオレンジ色と白光色が入り混じった360度の視界の草原の美しさは、言葉には表現できない。
2、次にはカナダのロッキー山脈である。湖も含めてその壮大な景観は、これがほんとうに地球だろうかと思ってしまった。
 その時思ったことは[人生をこれをみた 以前と以後と分けることができる]
3、南米のベネズエラのテーブルマウンテンの絶景。
 夕景の中、キャンプの近くから見上げたテーブルマウンテンの世界は、数億年の時間が目の前で直感できるイメージ。
4、スイスアルプスと、チロルの大草原、そして氷河・・・
5、南米チリのパイネ国立公園のパイネ山の夕景
6、ブラジルのイグアスの滝
7、アラスカの遊覧飛行で見たマッキンレー山脈
8、パキスタンのカラコルムハイウエーからみたヒマラヤ山脈
9、アイスランドでみた、オーロラ
10、フィジーでみた海と海岸と、小さな島々
11、イスラエルの荒野
12、アラスカとスイスとチリで見た氷河
 などなどである。 それぞれが、比較してランク付けできないほど素晴らしい。
ある高僧の言葉がよい [大自然は、自分で自分の美しさを見るために、小自然の人間をつくった]
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2002年0705
旅行中につき休止
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2003年07月05日(土)
822,ある時間の断片ー29
  10月31日ー 1968年
・朝の9時過ぎ、松村君から電話で11月3日8時20分に地下鉄の早稲田駅で待ちあわせの約束をする。
午後から2時間、勉強をする。21時から佐藤君の部屋で酒を飲む。 24時の就寝。まだ卒論に集中できてない。
焦りばかりが先立つ。自分に対してまだ突き放していないようだ。最後の学生時代の時間は残されてないのに如何したことか。
  11月01日
・夜半の0時半ごろ佐藤の部屋で間中とお茶を飲んでいると、OBのMさんが炊事場で高橋を説教をしている。
何か自分にあてつけのように聞こえてきた。 彼は4年間それで通してきたのだから、それでよいのだろうが。
寮を出たのだから、そうそう寮に来るべきではない。 会社では上手くいってないと聞いている。
学生気分が脱皮してないためだ。気の毒といえば気の毒だが、結局何処にも帰属できない苛立ちがああいう
かたちになっている。先日、セミナーで集団主義的烏合を私に指摘した。
二重帰属、三重帰属を割り切ってできてない甘さをつかれた。 他人事でないが。
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2001年07月05日(木)
 [74] 死について
誰もが直面するまで見て見ぬふりをする、一番厄介な避けてとうれない一大問題である。
40歳過ぎれば何時直面してもおかしくない問題である。子供の頃から両親に‘死の不安’の話を聞いていた為、死にたいして
耳年増になってしまった。そして親戚が多かったせいか、死を身近に見てきた。 そして坊さんの死の話も聞いた。
その中で一番印象に残っているのが「人(他人)は先、我は後!」である。自分が生きてる限り全くそのとうりである。 
たしかギリシャの哲人の言葉に「自分にとって死は存在しない、なぜなら死んだ瞬間は自身無になるのだから、
死は残された者たちの自身の言葉でしかない。」という言葉をその坊さんは噛み砕いたのだろう。 
ー以下は以前書いた文章である。
 ー‘死’について
・ 自宅の両隣の御主人や息子さんも含めて近所で、このところ五軒も葬式があった 。
 六年程前に“いとこ”がやはり四人、たて続きに亡くなった。 私の年令の風景の一つなのか?
・ 人間の死亡率は百%!
・ 人間の恐ろしいのは、“死”より“死に際”じゃないか?
・ 親の死は、子供に対する最大のプレゼント
・“我々が生きている間は死はこない。死が来た時にはわれわれはもはや生きていない”(エビクロス)
・ 死んでしまえば塵である。(伊藤栄樹)
・ 死んで三日もたてば三百年前に死んだと同じ事。
   ≪字数制限のためカット2010年7月5日≫


4118, 財政恐慌 ー5

2012年07月04日(水)

           「 財政恐慌 ーついに金融と財政の死に至る無限ループに突入した 」浜矩子 (著)
 財政恐慌の原因について、明快にプラザ合意によるバブルと崩壊と指摘している。悪いことに、国家リストラを建前でいいながら、
政治家も国民も、目先の安易を選択し続けてきた。そして、この財政の惨状に至っても、「成長なくして生存なし」と曰っている。
その合意もアメリカの強要で、後で考えてみれば陰謀としか思えないもの。 しかし、そのアメリカも金融バブルの崩壊である。
  * あの時が、つまずきの始まり
≪『 日本が間違えたのは、1985年のプラザ合意時だと思う。あの時、日本は新世界への大飛躍の入り口に立っていた。
 ドルの過大評価が修正されることの裏返しとして、円の価値が上がる。それに伴って、日本経済の体質と構造が変わる 』ハズだった。
 日本の取った政策はあくまで「円高不況回避」「輸出立国の看板は下ろさない」であった。悪魔に魂を売ったファウストのような
 日本経済のファウスト症候群の原点だった。その結果が、言わずと知れたバブル経済の出現だ。その時に先送りにされた課題が現在の
 我々に重くのしかかっている。≫
▼ あの時から27年間、バブルと崩壊を経た後、ただひたすら財政投入を繰り返し、一千兆という膨大な借金を積み上げてしまった。
考えてみたら私の新潟駅前事業シリーズ、あの時からホテル拡大が本格的に始まった。投資の資金計画さえ立てれば銀行が応じてきた。
そして目先は計画通りに順調に売上が上がったが、目標数字は三年もしないうちに計画より下回っていた。要は、プラザ合意の
背景があって資金需要先が必要だったのである。新幹線開通の勢いと、価格破壊の戦略もあったが、プラザ合意のアダ花でしかなかった。
時代の流れに乗り、その後、激流に流されただけ。それを乗り越えるのが経営。この大津波の飲み込まれたのは、それまででしかない。
何とか近くの山に逃げることが出来たが、山上から見えるのは内海の向こうの大津波。しかし、防波堤の内側の人たちは、のんびり
内海を眺めているため、叫び声が聞こえていない。逃げた人たちが山の上で手を振っているのを見て笑うだけ。江戸の長き眠りを
アメリカの強引な開国要求で醒まされ、無血革命で近代国家造りを余儀なくされ、その膨張の結果、日米大戦に引きずりこまれ敗戦。
その後はアメリカの属国として世界第二位の経済大国になった。しかし、プラザ合意を強引にアメリカにのまされて、バブルと崩壊の中、
ドルとアメリカ国債という紙切れで溜め込んだ資産を収奪されている。それもこれも娑婆娑婆! 所詮はイエロー・モ(ヤ)ンキーか。
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3752, 創業と 野良の話
2011年07月04日(月)
 ゼネコンは慢性供給過剰状態が30年以上続いている。 某ゼネコンの担当で、4棟を一緒に手がけたMさんから聞いた話だが、
その本社の営業会議で上司が営業の不甲斐なさを責め立てるに、「野良猫でさえ自分の餌は探してくる。それさえ出来ないのは、
野良猫以下だ!と、罵倒されてきた」と、愚痴を聞かされたことがあった。その時、「この人は何も分かってない、野良猫は都会の中、
野生の本能を使って食扶持を探している。生き馬の目を抜くゼネコンの営業は、とことん飢えた野獣の感覚を研ぎ澄まさないと、
その中で勝ち抜けない」という比喩を言ったのである。 大手ゼネコンの中で、中堅ゼネコンの営業が、修羅場の闘いの中で、
獲物を獲得するに野良猫の感覚を持たなければならない。この厳しい環境の中で、営業は大変である。ここで同じ話をしても、
その言葉を解釈出来る人と、侮辱されたという受け止め方しか出来ない人が分かれる。
 私の知人が大手の??を早期退職をして、「独立をしたいので助言をして欲しい」と頼まれたことがあった。その時に、長年、
大組織を背景にした人が果たして一匹狼になれるものか、本人も、相談された私も疑問であった。 振り返ってみて、よくぞ、
こんな失礼なことを言ってしまったと冷や汗ものだが、「高級住宅に住む宅上犬が、飼い主の家から出て野良犬になるようなもの、
外に出れば、餌を自分で探さなければならない。外でゴミ箱もあさらなけれならない事態もある。その覚悟があれば、上手くいく」と。 
 それでも本人は嫌な顔をしないで?聞いていた。 そのまま、その道に突き進み、経験を生かして第二の職業で自己を確立している。
そういえば、以前にも同じような相談を受けた人が、もう一人いた! その人も二転三転の後、第二の人生をハッピー・リタイアーをした。
ギリギリの野生に立ち返り、見栄も外見もかきすて、ただ成功させるに、どうしたら良いか、考え、準備し、身体が宙に浮いた状態で、
計画をこなしていくかどうかで何とか自立出来る人が1〜2割、いや、もっと確率は低い。それほど自立は難しい。
だから、野良犬、野良猫という例え話で、創業のシビア(動物的野生)の必要性を、経験から説くが、その覚悟を反応でみる。
 本人は、「頭を垂れて自分の方から聞きにくる第一歩からして、計画のチェックをしにきているに過ぎない。」
で、初めは上手くいっても、私のように震災三つで、はい、さようなら!である。 何かをやろうとしたら、準備、準備、準備。
準備さえしてあれば、野良猫でも野良犬でも、なれる。 野良犬、野良猫を宅上で軽蔑し、頭で考えていただけで準備なしに、
やれば結果は火を見るより明らか。 否定の視点でしか対象を見ることが出来ないから、その中心点と、その奥にある、血と汗を
感じ取ることが出来ない。場数を踏むか、多くの事例を見て消化してきたかが、大きく左右する。 それとて死んでしまえば皆、同じ。
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3387, 金融のミニ講演
2010年07月04日(日)
 一昨夜、新潟の駅近くのイタメシ屋で金融のミニ講演会に出席した。
日系カナダ人の保険業の社長で、香港とシンガポールに支店を持っている人の生の金融情勢も面白そう、と。。
 ーその要旨といえばー
・日本国家の金融もギリギリのところに来ているので、海外に口座を作って何割かの金融資産を出した方がよい。
 その手伝いが自分の仕事の一つという。世界中の10位の通貨にして置いておくのでリスクヘッジが簡単にできる、とか。
(字数制限のためカット 2011年7月4日)
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3012,死ぬまでに知っておきたい5つの秘密
2009年07月04日(土)
 アメリカのケーブルテレビ局の番組で(死ぬまでに知っておくべき五つのこと)の制作を著者が依頼されたことに端を発して、
周囲の人たちから「幸福な賢人」と見なされている1万5千人の高齢者を探し、その中から235人の60歳以上の高齢者に
「幸福な人生を生きるための秘訣」についてインタビュー。 彼らの言葉から浮かびあがってきた
  その「幸福に生きる秘訣」を、「5つの秘密」としてまとめると
1 自分の心に忠実であること    2 思い残すことのないように生きる
3 愛になれ   4 いまを生きよ  5 得るよりも与えよ
 今さらの内容だが、それでも1万5千人の統計の結果と言われると、いやに納得するが目新しいものはない。
〈 自分の好きなことをライフワークにして生きてきた者にとって、何を今さら 〉である。
そうじゃないのが大部分だから、こういう番組が出来、こういう綺麗ごとになるのだろう。
 といって、否定するものではない。
 ーそれよりも、その中で紹介している賢人たちの発言が印象に残る。ー
  「自己実現と好奇心と探求に情熱的に取り組むことだ」     ウィリアム 64歳
  「人の顔色をうかがうな」                  ドン 78歳
  「あわてて幕を引くな。アンコールか第四幕がつきものだから」 ジョシ 79歳
  「自分の心に従い、こうありたいと願う人間になりなさい」   ボブ 59歳
  「お金を目標にしてはだめ。節約し、楽しめる仕事を選びなさい」 メイ 72歳
  「つねに、することを五つ以上、見つけなさい」        ルーシー 101歳
  「自分や人を深く尊敬しなさい。人を傷つけてはならない」   ジュリアン 76歳
 ー何事にも興味を持ち続け、周囲には積極的に働きかけ、明るく生きなさい、とうことだ。
周りをみると、歳を重ねるに従い胡散臭くなっていくのが大部分。 人のことを言えるか、と言われそうだが。
特に、中途半端に生きてきた自主性の無い人ほど群れたがるから「薄汚れたジメジメした悪臭」が漂っている。 
その逆の「不幸に生きる、5つの秘密」という人間になっていく。
1、仲間を大事に、助け合い、自分を高め、奉仕に努める
2、世界は色いろなことに満ちている、独りでは出来ないので、そういう仲間を求めて寄り添い、
  悩みを分かちあうことこそ、老後にまず必要である。
3、愛されるために、自分は生きる。 愛される人間になりましょう。
4、過去の人生を振り返り、その思い出を大事にする。
5、死んでしまえば、それまでよ。 生きているうち、元気なうち。貪欲に人生を求めましょう。
 やはり老人は孤独が似合っている。孤独に耐える老人であるべきである。持って産まれた性格もあるが。
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2647, 座敷童子と出会える宿 ?1
2008年07月04日(金)
  借りてきた「新潮45」の5月号を読んでいると、外務省休職中の佐藤優の手記が載っていた。
 それが《私の出会った「日本の妖怪」》という、彼らしくない内容であった。 そこには「座敷童子」と出会った体験記が
 書いてあった。彼には圧倒的多数の人にとって予想外のことを勘で当てることがしばしばあるので、それが霊視能力と
 勘違いされることがある。 その彼と座敷童子との出会いの体験記が面白くない訳がない。東北には、座敷童子が出るのを
 売りにしている旅館が何軒かあるという。宿泊業をしているものにとって、妖怪を売りにしている逞しさに驚くばかりである。
 それも、二年先まで予約で満席というから、驚きである。何かファンタジーがあって、面白いキャラで何とも微笑ましいのがよい。
 妖怪に会うと幸福になるというのが、またミソである。たまたま、新幹線の座席の前に置いてある小雑誌の特集が
 [東北の妖怪・特集」であった。
  ー まずは、そのサワリを抜粋してみる ー
 *「座敷童子が出た!」
大学生、社会人になって、妖怪のことは、ほとんど忘れていた。私が妖怪を再びリアルに感じるようになったのは、
2年前に岩手県盛岡市で座敷童子に会ってからのことだ。先程、内地の妖怪は「人間に災厄をもたらす奴らがほとんどだ」
と言ったが、もちろん、例外もある。座敷童子は例外的に幸福を呼ぶ妖怪なのだ。座敷童子東北地方で、家の中に出現ナる、
子供の姿をした妖怪。これが居ている間はその家は栄えるが、いなくなると没落するといわれている。
子供には姿が見えても、大人には姿が見えない。岩手では、いくつかの小学校に「座敷童子」が現われた。
生徒と遊びたわむれたり、夜九時ごろ、無人の教室で机やいすの間をくぐっては楽しそうに遊んだりした。
やはり、その姿は子供だけにしか見えなかったという。〉(水木しげる『図説日本妖怪大全一講談社+α文庫)
 (字数制限のためカット 2011年7月4日)
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2007年07月04日(水)
 2283, 10歳の放浪記     才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
この日曜日の朝、偶然にBS・NHKハイビジョンで「私が子供だったころ」を観て、思わず涙が溢れてしまった。
昭和25年、東京生まれの児童文学作家・上條さなえさんの実話。
10歳の時、父親が事業に失敗し家族離散、父親と池袋でホームレスの生活を1年過ごし、
その後児童福祉施設を経て、後に小学校教員になった経歴を持つ。
その過酷な子供の頃の生活を「10歳の放浪記」と題して本にした。あまりにも悲しい過去のため出版は躊躇していたが、
出版社から「いじめ問題や親子問題が多い現実にひとつの警鐘を」とくどかれ思い悩んだ末、出版したという。
この本を忠実にドラマ化したのが、TVの内容であった。
 ーその大筋を書いてみるー
不動産業をしていた父が事業に失敗して一家は離散。父と東京・池袋の簡易宿泊街で暮らした。
酒浸りの父に代わってパチンコでかせいで夕食にありつく毎日。高度経済成長期の昭和35年の頃の、学校に行けなかった
1年間の生活を淡々と描写してある。父とふたり、池袋のドヤ街でその日暮らしをしていた彼女を支えてくれたのは、
街で出会ったパチンコ屋の兄さん、やくざのお兄さん…など普通の人々である。 弱者に対して優しかった時代であった。 
そこは池袋駅西口を背にして左に数分歩くと、東京芸術劇場がみえてくる。目的地はその斜め向かいにあるホテルメトロポリタンだ。
かつてそこには1泊100円の簡易宿泊所があった。昭和35年、小学5年生上條は、当時43歳だったその日暮らしの父親と2人、
やむなくのホームレス生活だった。10歳という年で、道にお金が落ちていないか、道をさまよい、パチンコ屋の前で玉を拾い、
パチンコをする。1個、2個、3個と球が無くなり、4個目にチュウリップに入り玉が出る。5個目の球が、途中でひっかかると、
隣のおばさんが「このスイッチを押すと店員さんが来てくれるよ」と、教えられ、ブザーを押す。そこの店員が機械が壊れたと思い
「どうしたの」聞いた。さなえは自分がどうしたのかと聞かれたと思い「お父さんが病気なの」とかぼそい声で答えた。
それを聞いた店員は気の毒に思い、多くの球が出してやる。さらに金に換える方法を教えてくれた。
教えられて行った景品屋のヤクザが同情して、高い値段で買い取ってやる。それから毎日、パチンコに通い、生活を支えた。
しかし、ついに父が言う、「なぁ、なこちゃん、父ちゃんお前を育てるのに疲れちゃったよ」「なこちゃん、死のうか」しかし、
「子どもって、かなしいよね。大人に決められたら逆らえないし、どんないやなことだって、がまんしなきゃならないもんね」
「でも、なこちゃんは幸せだよ。お父さんも、お母さんも、お姉ちゃんも、いるから」。 いつも友のこの言葉を反芻し、
壊れていく父を励まし、生き抜く。こうした放浪の状態では、学校に通えなかったが、簡易宿泊所でドリルを使って勉強したり、
ヤクザから算数を習ったり、映画館に通い洋画の字幕などを見て勉強をする。お金がないのに映画館に通えたのは、
「中に父親がいるの。探してもいい?」と受付の人に言って、映画館に「フリーパス」で入っていく智慧を使う。
    (字数制限のためカット 2011年7月4日)
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2006年07月04日(火)
 1918, ワールドカップ           (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ヨ?
前回のサッカーのワールドカップの感想が 2002年07月01日(月) 「454,面白かった!! 」というテーマであった。
前回は日韓共同開催で、当地の新潟でも試合があった。そのわりには、あまり興に乗っていない。
しかし今年は、4年前の何倍も興味を持って観ている。
私も変わったものだ。この4年で多くの劇的な試合を多く観たためである。
                    ヽ`д´)┌┛┌┛★( )  ?(ノ★´з`)┌┛☆(:*・*゜)
日本は早々に敗退し、優勝候補筆頭のブラジルも、準準決勝で敗れてしまった。
 ブラジルの二つのジンクス、
・ペレがいた、958年の大会で優勝して以外は、欧州大会開催でのW杯の南米の優勝はない。
・ブラジルは優勝候補に挙げられた時の優勝はない。を破ることはできなかった。         
          (字数の関係でカット、2008年7月4日)
・・・・・・・
2005年07月04日(月)
 1553, 宇野千代ー2
あるHPに彼女の語録が出ていた。突き抜けた明るさが全ての語録の中に出ている。
もし鬱になりそうになったら、彼女の言葉を何度も読んでみるとよい。
私の場合は、十年以上もトイレに中村天風の本が置いてあるが。あるHPにあった彼女の語録をコピーしておきます。    
  ー「宇野千代語録」ー 
*信じるということは面白い事である。人の力ではなく、自分の力を信じる、自分にはこれっぽっちの力しかない、
と思っていたときと、そのこれっぽっちの力を大切にし、その上にもまた積み重ねて行く力があるかも知れない、
いや、あると思うようになったときとは、違う。 (「願望」より)
  ー感想ー
言葉の力こそ、人間のイメージを作りあげる源泉である。
また自分の中の小さな力を見つけ出して、そこに集中することこそ自分の人生のゲーム化の一歩である。
  (以下、字数の関係でカット09年07月04日)
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2004年07月04日(日)
 1188, 大丈夫!
斉藤一人氏の本に「大丈夫」という言葉を多用すると良い、とあった。最近その言葉を、おりあるごとに1人つぶやいている。
ところが、それを千回ほど言い終わった辺りから、何か気持が信じられないくらい気持が楽になった。
(字数制限のためカット2010年7月4日)
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2003年07月04日(金)
 821,ある時間の断片ー28
・10月30日 1968年 
10時起床、食後、読書と音楽を聴き過ごす。20時に河路さんを羽田に送りへ出発、途中浜松町の焼き鳥屋で時間調整の為に飲む。
21時に羽田到着する。河路さんの家族、大妻女子大、寮生のOB,友愛関係者など30人が来ている。帰りは友愛関係者の
萩原君の車で南波嬢と供に飯田橋まで送ってもらう。一緒に帰ってくるが、話している分には面白い女性である。
といって一時、気があったが醒めてみれば・・・・。夜半の2時ごろまで勉強して就寝。 河路さんもオーストリアに行った。
先輩としての河路さんだが、他人の中傷の無意味さを嫌というほど教えられた。それと言葉で他人をいかに傷をつけてしまうかを。
相手の弱点を探し、中傷することがあたっていればいるほど、他人が傷ついてしまうことを。
それが結果として自分をより傷つけてしまうのだ。自分が他人にしていた事を彼にやられたということだ。
少なくとも自分は変えようとしているだけ良かったのか。
・・・・・・・
2002年07月04日
スイス旅行中
・・・・・・・
2001年07月04日(水)
 [73] 夢についてー4
海外旅行の帰りの機内でみた夢も恐ろしい極限であった。飛行機に乗っているせいか、自分の体が空に浮いていく。もうじき下に
降りるだろうと思うが、どんどん浮いていき電信柱を超えていく。ああもうこれ以上いくと危ないと思った瞬間目が覚めた。
そしてほっとして「自分は地上にいる」と思った瞬間、空中に飛んでいる自分に気づく。
自分が空中を1000キロで飛んでいるのが解るのだ。その恐しさは言葉で表現できない恐ろしさであった。
バンジージャンプ落下している感覚であった。 6?7年前の恐ろしい夢が書いてあるのでまたコピーしておきます。
ーーーーーー
ーH0905魂が万代橋の上を彷った話ー
 第2新館の役所の検査の直前の話である。担当の設計士が顔をひきつらせ青い顔をして言うには、“今回の検査はパスしない!”
一瞬耳を疑ったが、次の瞬間頭の中は真っ白、地獄の底へつきおとされた思い。“それが本当であれば、あの建物は単なるゴミの山、
そして私は?、会社は?..”パニック状態である。それも夕方の飲み会の直前である。 まあ明日の話として、頭も冷やす
という事も含めて、焼け酒という事で浴びるほど飲んだ。その夜は満室という事で事務所の長椅子に仮眠した。
恐らくそこが不安定という事と、頭がパニック状態という事と酔いを含めて妙な夢になってしまった。
魂が身体より抜け出し、さっきまで飲んでいた古町より万代橋まで目線が5m位の高さでプカプカ浮遊しているのである。
“ああ自分は浮いている。それも魂が”という感覚であった。そして目が覚めて!魂が浮いていたのはたしか夢か!
でもあの話は本当である!それも夢であってほしい!と念じた事を今でもはっきり覚えている。


4117, 財政恐慌 ー4

2012年07月03日(火)

                 「 財政恐慌 ーついに金融と財政の死に至る無限ループに突入した 」浜矩子 (著)
   ー ユーロ危機に対する質問群 ー 
 ● 1、我々は今どこにいるのか 2、いかにしてここにきたのか 3、なぜ、ここにきたのか 4、我々はどこに行きたいのか
 ≪ 1、今どこにいるのか? =今、我々は閉塞感のさなかにいる。
   2、いかにしてここにきたのか =高度成長期が終わり、ニクソン.ショックがあり、プラザ合意があり、バブル経済を経て、
    失われた一年に見舞われ、小泉劇場に踊らされ、リーマン・ショックの衝撃を味わい、格差の深化におののき、
    衰退国家化することを恐れつつ、ここにきた。
   3、なぜ、ここにきたのか? =ここに至る変転の節目節目で、タイミングを逸し、流れに身を任せ過ぎ、時流に飛びつき過ぎ、
    変身を恐れたから、ここにきた。
   4、どこに行きたいか?=我々は、ほっと安心できるところに行きたがっている。デフレや失業や年金問題や、
    通貨戦争や国々の財政破綻などを心配しなくていい。そのような安らぎの天地を求めている。
 ● 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか
  ≪今、必要なのは、成長戦略ではなくて成熟戦略だ。大きく積み上がった富をいかに上手に分かち合うか。そのための
  新しいメカニズムを考案していくことが必要だ。そのために、これまでの集権的管理のメカニズムを改変する必要がある。
  中央から全方位にばら撒く時代は終わった。地域社会の自己決定力と自己展開力をどう強めるかである。≫  
 ● 行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、我々はどうすればわかるのか
  ≪自分にとって最適の場所に着いているのに、それに気づかない、これは怖いことである。成長よ再び。円高よ去れ。
  そう願うあまり、対応によっては、着いたはずなのに、その場所を忌避していのではないか。 昨日の答えで、
  明日の質問に答えようとする。≫
 ● 我々は地図を持っているのか =持っているのは古い地図ではないか?むかし居たところに戻る地図ではないか。
 ● 我々はなぜ元いたところから立ち去ったのか =元いた場所が不相応になったため、成長期から成熟期になったため。
 ● 我々はここで立ち止まりたいのか =この場所の良さを引き出していくしかない。             
 ● それとも、我々は元に戻って最初からやり直したいのか =それは無理。それなら、ここを新しい出発点にすればよい。】
   ▼ 以上だが、アメリカの支配下で、一時的にしろ世界第二位の経済大国になれた。しかし、既に、その時は終わってしまった。
    そのことを、まずは悟らなければならない。数年以内に、貧乏国に陥ってしまう。日本こそが財政恐慌の最たる国である。
・・・・・・
3751, 閑話小題
2011年07月03日(日)
   ▼ 西鶴人情橋
 図書館で古本の無料配布で貰った10冊の一冊、「西鶴人情橋」を、何気なく手にとって読んだところ、これが面白い。
300頁を毎日1時間半平均で四日で読み上げた。作家は吉村正一郎。初めて聞く名だが、物語に引き寄せられ、
ドップリと吉村の世界に引きずりこまれた。 西鶴と主役の侍を通した江戸時代の大阪の物語だが、正統派の侍に対比させ、
アクの強い西鶴の人間性を浮かび上がらせている。脇役の西鶴が実は主役のところがミソ。 ーアマゾンで概要をみると・・
【俳諧師から草本作家への転身をはかる井原西鶴。亡父ゆずりの豪剣をふるう磯部信十郎。二人の奇妙な友情を軸に
織り成される人間模様の数々。米相場を左右する大坂商人たちの葛藤と幕閣中枢の暗闘には、謎の美剣士がからむ。
―剣あり、恋あり、友情ありの、浪花元禄時代絵巻。第3回時代小説大賞受賞作。】とあった。
 なるほど小説大賞なら面白いはず。 こういう何気なく読み始めた本を一気に読むことは以前なら、無理である。
最近になって気づいたことだが、会社経営は膨大のエネルギーが取られていたようだ。 しかし一度、肩から外れると、
こんなに楽かと驚いている。 余世に入ったということか! 10年続けてきた、この随日、もうそろそろ他に切り替えたら?
  ▼ 扇風機が売り場からホボ消えていた
 物持ちの良い我が家の20数年年近く使った二台の扇風機と二台の冷房も寿命がきたようだ。
 (字数の関係でカット 12年7月3日)
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3386, 911・考えない・日本人  ー4
2010年07月03日(土)
 「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
  * たまたまその日は・・・を取りさってみると ーP/80
 出来事の真相を見極めるのに最も有効な手段は、その起きたことに対する情報の中に、どれほどの偶然が含まれているかを
見極めることだ。偶然が多ければ多いほど、その情報は捏造性が高い。偶然を取り去れば、残るのは必然要素なのだ。
必然には矛盾がなく、偶然には矛盾がある。
 911 に関するアメリカ政府の発表した情報には、偶然がギュー詰めになっている。
たまたまその日は……、といった矛盾だ。 どんな小さな偶然でも、それを丹念に取り除いていくと、必然要素が残る。
たまたまその日、二十四時間迎撃体制を取っている戦闘機の発進がニューヨークのすぐ近くにある米軍基地から遅れた。
たまたまその日ブッシュはフロリダの小学校にいた。
たまたまラムズフェルドを含め、ペンタゴンの幹部たちは、直撃されたビルの正反対側にいた。
たまたまその日は貿易センタービルのオフィスには、政府関係者は出勤していなかった。
 しかもたまたまそのビルの中には、CIAやFBIはじめとする政府の秘密情報機関が多く入居していて、
たまたまそこに保管されていた重要な秘密書類は灰儘に帰しった。たまたまその存在が完全に抹殺された。、、、、
たまたまアルカイダの幹部は、その日ワシントンにいたし、同じようにたまたまテキサスの別荘(ブッシュ家のたまたまご近所)
にいたビン・ラディンの一家は、他のすべての民間航空機がアメリカ上空の飛行を禁じられているにもかかわらず、
たまたま何機の飛行機を乗り継ぎ、事件直後に国外に脱出した。
 構造学的にも物理学的にも、あの種の外的傷害ではパンケーキ現象でビルが崩壊するすることはありえないのに、
たまたまああの二棟(及びもう一棟)とも、同様の崩壊現象を起こした。これらはブロッカーズやポール・トンプソンの著書には、
これらの「たまたま」が羅列されている。 ・・・問題は、たまたま彼等を訴えている人々が、無力ということ。
▼ これらの偶然が、あまりに多い今回の事件。 どうみても変だが、マスコミは、それを取上げようとしない。
 そういえば真珠湾の攻撃の時も、明らかに情報が漏れていたのに、アメリカは見て見ぬふりをしていた。
 あの攻撃で、一番メリットがあったのは、アメリカの公共事業の軍需産業であり、その情報でメリットを上げた投資銀行である。
 株も為替も、その情報を知った上での買いが入っていたのは、周知の事実である。
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3011,アンカリング効果
2009年07月03日(金)
「世界は感情で動く」 ー6         読書日記
 ー 行動経済学からみる脳のトラップー   
   *アンカリング効果
 船が錨(アンカー)を降ろすと船と錨を結ぶ鎖の範囲し動ごけなくなることからくる比喩で、最初に印象にの残った数字や
言葉に影響されることを言う。店頭で、1万円に赤線を引いて7千円を見ると、お買い得と思ってしまうことをいう。
「本日限り」「女性半額」「先着10人限り」等の、色いろなアンカーが待っている。
我われは、知らないうちに自分でアンカーを降ろしている。 いま一度、それを点検してみる必要がある。
 アンカリング効果は、偏りや歪みを意味し、転じて偏見や先入観という意味の一種である。
・物事の交渉、売買の判断をする際に、初期判断条件として始めに印象に残った数字(値段)や物(品質・量)が、
 その後の判断全体にまで影響を及ぼす心理の傾向を指す。
・アンカーとは、不確実な事象を予測する時に特定の特徴や情報の断片をあまりに重視することを指し、
 最終的な決断、結論までアンカーを過度に注目、意識してしまい決定される事象のことをいう
  ーアンカリング効果として、面白い事例があげられる。
「紙を半分に折り、また半分に折り、この動作を100回くりかえす。そうしたら紙の厚さはどれほどになりますか?」
大多数の人は1メートルくらいと答え、一番大きな数字をあげる人でも、厚さ数十メートルである。
しかし正解は、地球から太陽までの距離(約1億5千万キロメートル)の800兆倍なのだ。そんなに!と驚くかもしれないけど、
計算したらその通りなのだ。「紙は薄っぺらいもの」という固定概念という脳のトラップに見事に嵌っているのである。
 初めてついた仕事しか出来ないと思い込んでしまう人が多い。これもアンカリングになるのだろうが、
人は、その仕事に錨を下ろして鎖の範囲を決めて、他のことは絶対に出来ないと決めてしまう。私の見る限り9割?の人が、
そうである。 考えてみれば、自分で勝手に思い込んでいるだけのこと。転職や転業は、例えると、ある箇所に穴を掘っていて
、一度そこから出て他に似た穴を掘るのと同じである。それは経験を重ねると解ること。一見違うようだが扱う対象が違うだけ。
それが理解できないのである。 そして多くの人は、その穴から一生出ることが出来ない。 
 人生は誰も同じだが。 カミサンもアンカリングか。 これは梃子でも動かない。 ったく!
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2647, アメリカ狂乱 ー2
 2008年07月03日(木)
この本の次期大統領の行方以外のテーマ、アメリカの「偽札事件」の背景を解りやすく説明している。
成るほど、この問題は簡単に片付くわけがない。
 ーその要点をまとめてみたー
実際のところ、アメリカ経済はそれほどおかしくはなっていない。すでに述べたようにこれまでの不況にくらべると、
いまのアメリカには資金があふれている。アメリカの経済専門家はこう言っている。「アメリカには資金がいまや
有り余るほどある。企業もふんだんにお金を持っている。うまくいっていないのは金融システムだ」 この説明は
きわめて意味深長である。これまでアメリカは常に資金が不足してきた。アメリカの人々はお金が入ればすべて使ってしまう。
消費がアメリカ経済の六十パーセントを占めているのだ。だがアメリカ自体が強くて豊かな国であるため、世界の人々が
アメリカに資金を持ち込み、アメリカは資金がないにもかかわらず景気を拡大してきた。 歴史的にみてもこの事実は明らか。
*1970年代に金本位制度をやめ、円を切り上げさせることによってドル安を実施した。
 実質的なドルのインフレーションによってアメリカ経済は不況を脱し、経済が拡大をした。
*1980年代はレーガンがアメリカの国有地をせっせと売ってサウジアラビアなど中東のオイルマネーをアメリカに取り込み、
 アメリカ経済を拡大した。
*1990年代には、世界に先んじてクリントンがIT革命をおし進め、世界中の資金を集めてアメリカ経済を豊かにした。
*2000年代、ブッシュは強いドルと土地、住宅バブル政策によってグローバル化した世界の金融界から資金を集め、
 アメリカ経済の好況を維持した。 この強いドルと住宅バブルを続けるためにアメリカ政府が必要としたのが、
 サブプライム債券である。サブプライム債券という言葉が経済用語として確立しているかどうか分からないし、
 この問題について経済専門家が明確に説明をしているわけでもない。
 (字数の関係でカット 12年7月3日)
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2007年07月03日(火)
 2282, ハンモックを設置! (p≧w≦q)オッ☆ ハァァァァァァ♪
新幹線の座席前においてある通販のパンフレットに結構面白いものがある。(ただし値段は、ネット上の価格の2?3倍する!)
その中にフレーム付きのハンモックがあったが、2万円近くする。 そこでネットで調べたら、多くの種類が売られていた。
 (字数の関係でカット 11年7月3日)
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2006年07月03日(月)
 1917, スペイン画家・堀越千秋ー8  Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning  
 「スペイン七千夜一夜」?読書日記 ービバ、ジョ!(俺様万歳!)
「ビバ・ジョー!」という言葉が、スペイン人を表す言葉なら、「世間様(に対して、恥かしい)!」
という言葉が日本人を表わすといってよいだろう。 東洋の島国の湿気の多い農耕民族として割り切ってみると、
その特質も理解できる。狩猟民族や、ジプシーなど放浪の民族では、世間様など気にしては生きていけない。
(仲間内があるか?)最近、国内でも「オイラが大将!」という言葉が流行ったことがあったが。
  まずは、「スペイン七千夜一夜」の一節を、ご覧あれ!
  ーー   o(●´ω`●)o♪ Y(´∇`*o)(o*´∇`)oIビバ・ジョ ?
誰でも、スペイン人をつかまえて問うがよい。 「あなたは、ふだん誰も口にしないこのひとこと『ビバ・ジョー』
をどう思いますか?」「もちろん」と彼は答えるだろう。「それこそ最も私のいいたいことです」と。
それは「私は神を信じますか?」にハイと答えるスペイン人より、多いに決まっている。
スペイン人は、初めからまっすぐなつもりで線を引く。それは道理や物理にかなった直線である。
  (字数の関係でカット 10年7月3日)
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2005年07月03日(日)
 1552, アウトサイダー
高校の同級会で「お前はアウトサイダーだ!」と言われた事がきっかけで、コリン・ウイルソンの「カリスマへの道」
の中の『アウトサイダー』の章を読みかえしてみた。これから見ると、私は「アウトサイダー」に確かに重なる部分がある。
しかし全くのアウトサイダーとは違うようだ。自分の人生を大切にしようとするなら、アウトサイダーの要素を持っていないと
自己放棄の人生になりかねない。彼は「アウトサイダー」の特徴を、サルトル、カミュ、ヘミングウェイ、ヘッセ、ニーチェ、
ドストエフスキー、ブレイク、キルケゴール、ラーマクリシュナ、グルジェフ、T・E・ヒューム、
バーナード・ショー、等々の中から引用して共通項を上げて、以下のように描写している。
ー「あまりに深く、あまりに多くを見とおす」人間であるアウトサイダーにとっては、現実の社会における人々の尊厳も、
哲学も、宗教も、すべてが、野蛮で、無統制で、不合理なものに艶だしを塗って、何とか文明的、合理的なものに
見せかけようとする欺瞞の試みにしか見えない。 そしてこう述べる。
「(自分には)才能もなく、達成すべき使命もなく、 これと言って伝えるべき感情もない。 
 わたしは何も所有せず、何者にも値しない。が、それでもなお、なんらかの償いをわたしは欲する。」
  アウトサイダーとは、
・世人や文明規範の価値を受け入れることができず、
・それらを蔑視し、世界も自己も無意味なのだとみなすと同時に、
・それでもなお何か代わりとなる究極の真理、あるいは体験、あるいは目的を欲している者なのである。 等々である。
誰でもこの要素を持っている。早くいえば孤高に似ている態度でもある。
 (字数の関係でカット 12年7月3日)
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2004年07月03日(土)
 1187, 異境・秘境ツアーレッスンー6
  ー遺跡編ー
37年前の欧州旅行時に立ち寄った、ローマの遺跡のコロッセウムを見たのが初めてである。2000年前の動物の臭い?
がいまだに残っていたのは驚いた。それと西洋文明の奥深い歴史に圧倒されたのが今でも記憶に生々しい。
十数年前に行ったイタリアのポンペイの遺跡も素晴らしい。近くのベスビオス山の大爆発で一瞬に埋まったために、
2000年前の当時の生活がそのまま完全保存されていた。ローマ帝国華やかなりし頃の市民の生活がそのまま埋もれており、
当時の様子が分かる。鉛の水道管が施されて水道があったのは驚異だ。 猛犬注意の表示もあり、今と変わらない生活ぶりが
忍ばれる。歩道もあり、横断歩道もある風呂に入ったままの姿の人とか、石化した遺体が多くあった。
パン屋や娼婦の館や民家が、ほぼ完全に奇跡的に残っていた。街の中心の水飲み場で、街の人がそこに手をついて飲んだところが、
回数を重ねたためか、すべすべしていて当時の人間の感覚がそのまま伝わってきた。遺跡の虜になったきっかけは、
8年前にいったエジプトの遺跡である。(あとで、その時の文章をコピーしておきます)とにかく、そのスケールの大きさに
圧倒された。シリアとヨルダンの遺跡もただ驚いてしまった。今後2000年?5000年先は気の遠くなるほどの彼方と思うが、
過ぎ去ってしまえば昨日のように感じるのも妙である。シリア砂漠のオアシスに忽然と現れる大遺跡パルミラ。
かつて隊商都市として栄華を極め、ローマを向こうにまわすほどの権勢を誇った文明の残照は、圧倒的な存在感を漂わせている。 
記念門・列柱通りは自分がタイムスリップをして、2000年前にいたような気持ちになった。神秘的という面では、インカの遺跡。
その中で、やはりマチュピチの遺跡は圧巻であった。霊界の世界というのが、正にいいあてている。日本と違い石文化は、
数千年経ってもそのまま残るから、当時の痕跡を多く残してくれる。時空をこえていつの時代も変わらぬ人間の暮らしと文化はある。
 ーーーーー
 ーH0805 エジプト、トルコ感激の旅 ー  ーエジプト編ー 
 まさにタイム・スリップして数千年前の古代を旅している日々であった。 まず最初に訪ねたのがカルナック神殿であった。
“まさしく驚愕!”直径が二mの石の大列柱が百数十本並ぶ神殿。これが三千数百年に本当に! 
 (字数の関係でカット 09年7月3日)
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2003年07月03日(木)
 820,ある時間の断片ー27
・10月28日 1968年
 午前10時に起床。 深井と『オリンピックの開会式』の実況を見る。13時に深井の家に出発、15時まで彼の家にいる。 
 その後、江ノ島に行く。 第三京浜を彼のスカイラインGTでとばす。江ノ島の夕日を浴びた富士山が絶景であった。
 自然のこれだけの夕景は初めての経験である。右手に真っ赤な夕陽と左手に江ノ島。
 秋の海岸が何ともいえない。一生の思い出といってよいだろう。 夜3時間、勉強をする。
・10月29日 1968年
 10時起床、洗濯をした後食事だ。12時から13時半まで勉強、その後高橋君の部屋に行きコーヒーを飲む。
 部屋に帰ると近藤君がレコードを聴きに来る。 聴いているうちにうたた寝をしてしまう、一時間半も経っていた。
 その後、瓜生君の部屋に行き話をする。その後夕食をして、21時から本を読む。深井がまた新橋から20分位遊びに来る。
・・・・・・
2002年07月03日 スイス旅行中
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2001年07月03日(火)
 [72] 3D-ホームページ延期
三D?ホームページソフト7月2日の予定が富士総業の都合で7月23日に延期。
打ち合わせの中でかなりの手直しの部分が見えてきた為、延期になりました。
ホームページを三Dを取り入れる画期的なもので、大化けの可能性もある為、徹底的な練り上げが必要のようです。


4116, 財政恐慌 −3

2012年07月02日(月)

                 「 財政恐慌 ーついに金融と財政の死に至る無限ループに突入した 」浜矩子 (著)
  英国の怪物的俳優で異様な喜劇俳優アトキンソンことミスター・ビーンの過っての持ち役の一つがサー・ベンジャミンだった。 
 サー・ベンジャミンは、ロンドン市長主催の晩餐会の栄えある舞台で、「人生の不確実性」について語った内容が新鮮である。
 この著書で、欧州危機について、この質問を、そのままに答えている形式になっている。
   * ミスター・ビーンに聞こう
【・・・ これを考えていくにあたって、皆さんにご紹介申し上げたい人物がいる。 その人の名は、サー・ベンジャミン・フレッチャー。
 イギリスの大物政治家で自ら交通大臣や社会保障大臣を歴任・下院議長も務めた。彼は架空の人物である彼を演じて大反響を得たのが、
 ローワン・アトキンソンである。イギリスの怪物的俳優で異様な喜劇俳優だ。 物言わぬドタバタ男キャラクター、「ミスター・ビーン」
 としての彼をご存知の皆さんは多いだろう。ミスター・ビーンは何も言わない。だが、アトキンソンは実は極めて多芸な俳優さん。
 七変化的な役柄の演じ分けが得意だ。そんな彼のかっての持ち役の一つが、サー・ベンジャミンだった。 サー・ベンジャミンは、
 ロンドン市長主催の晩餐会でスピーチに立つ。 市長の晩餐会はイギリス恒例のビッグ・イベントである。その栄えある舞台で、
 サー・ベンジャミンは「人生の不確実性」について語る。 その中身は、あたかも今日の日本を語っているがごとくだ。
 「今日、イギリスは一三八○年以来最大の経済危機に直面している」と、サー.ベンジャミンは口火を切る。なぜ一三八○年なのかは
 よくわからない。・・ここから、その「我々がみずからに投げかけるべき質問群」が並べ立てられてた。この紙面上に再現してみよう。
 ー 我々がみずからに投げかけるべき質問群 ー 
  ● 我々は今どこにいるのか           
  ● いかにしてここにきたのか  なぜ、ここにきたのか      ● 我々はどこに行きたいのか
  ● 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか
  ● 行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、我々はどうすればわかるのか
  ● 我々は地図を持っているのか                 ● 我々はなぜ元いたところから立ち去ったのか
  ● 我々はここで立ち止まりたいのか               ● それとも、我々は元に戻って最初からやり直したいのか 】
▼ これを現在の自分と書き換えて自問自答して考えると、面白い。ここで著者は、対象をユーロ危機に置き換え質問に答えている。
それぞれが個々のテーマとして成り立つ質問群。私たちは9・15ショックという大地震直後の大津波来襲を目前にした茹で蛙。 遊びなされ!
 ・・・・・・・
3750, 自分の居場所のみつけかた ー⑤
2011年07月02日(土)
                 「自分の居場所のみつけかた」 ー 斉藤学著
 人生はままならぬもの。特に少年・青年期は傷つきやすい時期。ところが中年期、そして晩年期に入ると、過去の出来事のガスが
心の底の沼に溜まり、いつの間にか泥沼になって猛毒が湧き出てくる。 それに老化が重ねると、その毒で脳がやられ下手をすると、
重症の鬱病か分裂病になる。 それを防ぐには孤独に徹し、先人の知恵などを借りて洗浄をしないと老醜を曝すことになる。
憎しみが重度になると、主語(相手)を選ばなくなり、憎しみの連鎖が始まる。以下は怒りと憎しみの意味が分かりやすく書かれている。
【 ● 怒りに羨望が絡むと「憎しみ」に変わる  ーP・118
「怒り」と「憎しみ」の間には少し差があります。怒りは、相手に欲しいものをおねだりしてももらえないというときの感情です。
まだ相手の愛を求めています。赤ちゃんが「オギャー」と泣いて、お母さんのおっぱいの必要を示す。これを「怒り(アンガー」と言います。
そこに「羨望(エンヴィー)」が入ってきます。これは相手が持っているものを、本来自身が持つべき、とその人から取り上げたくなる感情。
「エンヴィー」という言葉の由来は、「横目で睨む」です。つまり、人の持ち物を睨む。それを取り上げたいという感情。
怒りに羨望が絡んでくると「憎しみ」になります。「嫉妬」というのは男女の関係で、自分の持っている人をとられるのでないかという焦燥、
怒り、不安の複合した感情です。 取られることを恐る感情、取ろうとするのも憎む感情です。ここにも「憎しみ」があるわけですが、
男女関係が絡まないエンヴィーとは区別されます。 嫉妬は人聞関係を破壊しません。むしろ人間関係を破壊されることを恐れる感情ですが、
憎しみ、憎悪は人間関係の破壊に結びつきます。もう一度、赤ちゃんとお母さんの関係で考えてみると「おっばいが欲しいのにもらえない」
というときに発生する感情はアンガー。お母さんはいいもの(おっぱい)を持っていて、弟だの妹だのがどんどん出てくるお母さんが
持っているものをみんな自分のものにしたいと思ったら、これはエンヴィーになります。
 ですから、愛情というのは考えてみるとかなり厄介なもので、一つ間違えると怒りに、もっと間違えると憎悪に転換します。
そういう「関係」に身を置くのが厄介だと思うと、逃亡心が生まれてくる。こんな面倒な関係からは離れたくなることもあるでしょう。
昔の東洋人の思想の中には、そういう面倒な関係が嫌だというものがありますね。 いろいろな欲望や感情が渦まいた俗世から離れて、
仙人のように淡々と生きる生き方に憧れるというものです。それをやるとなると、どこかで線を引いて、人間関係からリタイアすることを
考えなければなりません。あれこれ面倒なことがあるうちは、山の中で仙人のように暮らすことに憧れるかもしれませんが、いざ本当に離れた
ところで一人暮らすとなったら、今度は記憶の中の人間関係にわずらわされることになる。 人間は人の中でしか生きるしかないのです。】
 ▼ 大人数の兄姉の中で、私が両親の住んでいた実家に住みついて家屋敷などを引き継いだため多くの葛藤があったのが世の倣い。
 「怒り」×「羨望」=「憎しみ」は肌で嫌というほど感じ取ってきた。私も家内も愛情を限りなく受けてきたが、逆の与え方は上手くない。
 「自分」というものは、自分一人の閉鎖系で成り立っているより、人との「関係」として成り立っていると著者は強調している。
 「愛」というのは、そういう関係性を言っている。 だから、年齢を重ねるほど人間関係は丁寧に扱わなければ。
 「ピーク、エンドの法則」がある。 記憶は、ピーク時と、終わりが引き立ってくる。その数パーセントで、8割以上の記憶を決まる。
 ドロドロの経験が少ない人は、その辺の構えが甘くなる。 心の奥の沼に大切な人生経験をマイナーにして落とし込んでしまう。
・・・・・・・・
3385, 911・考えない・日本人  ー3
2010年07月02日(金)
            「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
 ー以下の箇所は、欧米の一神教と無宗教の日本の差でもあるー
 * 生存に必要な要素、それは悪 (P・62)
≪ 男のいない日本に、「男らしさ、勇気」があるわけがない。 白人の根本的な善悪の問題は道徳科目ではない。哲学科目だ。
当然、日本にあるわけがない。 日本の悪は改心と謝罪の対象である。 白人の悪は復讐の対象である。 根本的に異質だ。
人間の生存に不可欠な、最も重要な要素は何か。 悪である。 悪を身につけない限り、生きられない。 
人間を悪から解放するものは、より強力な悪しかない。 悪がないことは善か? ノー。 
それは無知であり、バカだ。 生きる条件、つまり《人間の条件》を持たないということだ。
 そしてここに911の問題が拡大される。あの出来事の真の意味を理解できない限り、今後の人間の条件はない。
「神は死んだ」というニーチェの言葉を、もっと深く理解しなくてはならない。
だが、悪がわからなければ、神もわからない。 悪のない日本には、死ぬ前から神は存在していなかった。
存在しない神は死ぬこともできない。つまり「意味」がない。 意味――、神と悪は鶏と卵だ。ねえ、ちょっと、ほんとに・・
冗談じゃなく、日本史をよく勉強してごらん。 そして、その後で世界史を勉強してごらん。
そうすれば、いまなぜ日本が。これほどに惨憺たる状況にあるのか、実にハッキリ、完全に分かるんだ。
▼ 「人間の生存に不可欠な、最も重要な要素は何か。悪である。悪を身につけない限り、生きられない。 
 人間を悪から解放するものは、より強力な悪しかない。悪がないことは善か? ノー。」
 これは、ユダヤ教などの一神教の考えかただが、島国の日本人には考えられない思考法。アラブ・欧州には
 悪が身近に常にあるから、考えるしかない。 現在の惨憺たる状況は、過去の歴史をみれば分かること。
 僅か30年前に隣国中国では、呆けた老人・毛沢東の方針で、2千万とか3千万人が虐殺されたのである。
 あれが悪か善かは歴史が証明するが、あの世界では、善人は悪党の片棒を担がされるか、殺される。
 現在、日本はアメリカに60年以上かけて隷属的人間に変えられた。思考が出来ない哀れな人間にである。
   =偶然、以下の「垂直の言葉」に思考について書いてあった。 面白い偶然である。=
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3010,垂直な言葉
2009年07月02日(木)
「魂とは何か」池田晶子著    ー読書日記
 池田晶子の「魂とは何か」という本に、「垂直な言葉」というがあった。
横に流れる時間に対して、垂直の時間=永遠の時間、という言葉がある。
「今という瞬間の中にこそ、永遠がある」を宗教的、哲学的に考えていくと、感動、感激の瞬間に
感じた垂直の時間の意味の一端を理解することができた。 ところが、今度は「垂直の言葉」である。
 池田晶子は判りやすい。 いや、判ったような気にさせる、と言うほうが本当である。
 ーまずは、その部分である。  P-217 
* 考える不思議、「常識」の不思議 【対談】石川好×池田晶子
池田  当たり前のことを言われても、何を言いたいのか読み手がわからない、と受け止められているのではと。
石川  それは、あなたの言葉が垂直だからですよ。
池田  以前に、おまえは右か左かと訊かれたので、私は垂直だ、と答えたことがあったけど。
石川  そうそう、その意味。日本人の中で、言葉を横でなく縦に、垂直に降りていくものと自覚的に使っている人は、
    めずらしいと思うんです。 なぜかというと、日本の風土の中に、垂直に考える習慣がないからね。横の社会なんですよ。
   (字数制限のためカット2,012年7月2日)
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2006年07月02日(日)
1916, スペイン画家・堀越千秋ー7      才八∋ウ_〆(∀`●)
                  スペイン七千夜一夜 集英社文庫  ー読書日記
 スペインといえば、やはり闘牛である。何回か闘牛について書いてきたが、堀越氏の闘牛の見方が独特の視点である。
「俺と一緒にするな!」という著者の声が聞こえそうだが!一回目は衝撃的だったが二回目に見たときは、観衆と一緒に興奮して、
面白いと思えるようになった。早くいえば、寄ってたかって一頭の牛を殺すのを楽しむショーである。が、慣れてくると、
それが恐ろしいことに、面白くなるのだ。現在は、闘牛士と戦う前に、槍で刺して弱らせる。そうしないと殺される確率が高くなるからだ。
初め観たときに誰もが思う「卑怯ではないか!」と。しかし、ここはスペイン!それが現地の文化?の一つなら一緒に楽しむこと、
と決め込み、何度か自分の良心に言い聞かせて・・   ーまずは、その一部を抜粋してみた。
≪ スペイン名物、闘牛とは、そもそもそんな主客転倒の様式化といってよい。牛は、平和な原野の牧場からある日突然連れさられる。
暗闇に閉じ込められて、いきなりドアが開くとまぶしい闘牛場だ。怒ってやみ雲にも角を振り回しているうちに、あちこち槍だの
銛だのに突き刺されて、最後に長剣を刺されて死ぬ。何が何だかわからない。 一方、客の方は、やれあの牛は闘しがない、
いや勇敢だ、角を左に回す癖があってよくない。いや口を結んだままで強い、右足がゆわい、いやダメな牛だ、いや素晴らしい牛だ、
これこそ牛の中の牛だ、等々、勝手なことを言う。そして血の泡吹いて息絶えた牛が、4頭のラバに引かれて退場をするところを、
拍手をしたり、口笛をふいて避難したりする。人間どもの勝手もいいところだ。牛の都合など一切、考えない。
人間の都合と審美観のみを一方的に牛に押し付ける。元々人間対動物の関係は、そういった一方的なものだが。
牛の都合は、実は、無視されているのではない。スペインの人間によって、主客転倒や主客合一の甘露をかけられて、つまり
人間にとって良い牛は、恐ろしい野生の黒牛でもないし、敵でもない。美しい、雄雄しい、勇気ある、気高い「自分」なのである。
強い牛は自分の美点の反映なのである。勿論こっちの自分は、牛がいくら刺されても痛くもかゆくもない。牛の中に一瞬、自分の美しい
反映を認めただけなのだから、牛がばたりと死んでしまえば、あーあと葉巻をくわえて背伸びするだけだ。こういう便利で自分勝手で、
自由にあっちへ行ったりこっちへ来たり、一瞬のうちに都合の良いほうへ乗り移る「自分」というものを、日常的に心の中に
飼っておかないと、闘牛という、不思議な審美観によって支えられる「芸術」を理解したり、まして愛したりなど、到底できない。≫
 ▼ スペイン人と日本人は違うのです!!  
  ー以前の闘牛について書いた文章ですー 2002/09/07 パンプローナの牛追い祭り
    (字数の関係でカット弐千八年七月弐日)  
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2005年07月02日(土)
1551, わたしの酒中日記 ー 番外
わたしの酒中日記を書き出して驚くほど昔の記憶が戻ってきている。居酒屋やスナックのことから記憶と背景をたどっていくと、
芋づる式に記憶が次から次へと出てくる。その記憶をたどると、その時々に精一杯生きていた姿に驚かされる。
真面目?に不器用に生きていた当時の自分の姿が、輝いて思えてくる。今まで後ろを振り返らないことをモットーに
してきたせいか、最近になって振り返ると、その瞬間瞬間の記憶が生々しく新鮮に感じる。その時々の心のひだが
ドンドン思い出されてくる。しかし書けないことは幾らでもある。 その辺がプロと素人の書き手の違いである。
本当のことは作家以外、そうは書けるものではない。読み返してみると、若さ特有の自意識過剰がそのまま見てとれる。
それが若さなのであろうが。昔のことを書くのは気持ちが重いが、好きな酒を飲んだ思い出なら気楽に書ける。
その切り口からのTPOSの背景を書き出すのも面白い。誰もがフラッシュ的な記憶の断片が脳裏に浮かぶ。
(字数制限のためカット2,011年7月2日)
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2004年07月02日(金)
1186, 異境・秘境ツアーレッスンー5
 ー感動は蓄積される
何故、異境・秘境に行くのかというと、想像を絶する素晴らしい世界がそこにあるからである。
そして大自然や遺跡の異質の世界に、直接触れて感動するからだ。実際体験して解ったことは、歓喜と激しい感動は、
ほぼ同じではないかということだ。旅行のたびに期待していた数倍の感動と歓喜?がそこに待っていた。
とくに大自然の中の壮大な美しさや神秘性から受ける感動は何にも変えがたい。その感動を得る為に、いそいそと
飽きずに家内と一緒に出かけていく。感動の蓄積が磁力になり、更により大きな感動を引き寄せる。
そして感動は確実に自分の中にドンドン蓄積されて醸造される。れて、その時の蓄積された感動の波動が開放される。
毎日晩酌で、ほぼそのブロックが開放されハイに瞬間なってしまう。幼児期から青年期にかけて可能な限り、
親は子供に芸術(音楽会や一流の絵)や自然を見せて感動のシャワーを浴びせてあげなさいという。
その量×質が、その人の人生を決めるという。感謝・感激・感動は、その人の潜在能力のベースになるからだ。
今からでも遅くはないから、可能な限り一流なものを見て、触れて感激・感動を
意識的にしていかなくては!いまさら遅いか?豊かな人生とは、感謝・感激・感動の豊かな人生をいう。
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2003年07月02日(水)
 819, 恵まれていた時代に生きて
 50歳時に、「自分の人生を振り返って実感をいってみろ!」と自問自答した。直感的の出た言葉が「恵まれていた!」
「面白かった」「悔いはない」である。特に思ったのは「恵まれていた」である。
・第二次世界大戦直後の1946年の一月に日本に生まれたことが全てといってよい。
 ー冷戦下における日本という環境において、アメリカが中国・ソ連・北朝鮮など共産圏に
 対する前線基地と位置づけて、 日本に最優遇待遇を与えてくれていた。
・新潟県という全国でも最も豊かな自然を背景にした環境も良かった。
・両親も含めて家庭にも恵まれていた。 多くの兄姉にも恵まれていた。
・ちょうど青春時代が高度成長期にあたり、時代の波に乗ることができた。国に若さと希望があった。
(字数制限のためカット2,011年7月2日)
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2002年07月02日(火)
 455,地球をサッカーボールに喩え
今回のワールドサッカーを新聞はどう捉えているか、毎日新聞の社説がダントツよかった
「・19世紀のナショナリズム、 ・20世紀の資本主義、 ・21世紀のグローバリズム化。この3つが今の世界を動かす
理念だとすれば、地球がサッカーボールに凝縮して私たちの前に現れた。私達は本物のサッカーの興奮を始めて知った。
欧州と南米で4年ごとに繰りかえされる祭りに加わった。スポーツが野球などアメリカの影響下にあった日本、
アメリカの影響から逃れたい無意識の願望に後押しされて、アメリカが作らなかった国際標準を初めて選んだ」
この鋭い分析に納得した。「サッカーボールを地球に喩える」とは、書くプロはさすがに違うと感心した。
・延べ500億の人が見たと予測されているという。大きいビジネスでもある。
・「90分ナショナリズム」という言葉も新鮮だった。
・朝日新聞に出ていた川柳もよい「球ひとつ生命あるようなゴール決め」
・選手の過半数が何処かの国のプロサッカー  多国籍の選手ーグローバルの時代
  印象的キーワードを並べてみる
・地球最大の運動会 ・国家の威信をかけた模試ー代理戦争 ・壮大な民族展示会
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2001年07月02日(月)
[71] 夢についてー3
 夢は犬や猿など他の動物も見るという。子供の時母や姉が実際幽霊を見たとかの体験談をきいて、いい年をしていいかげんな事と、
気持ちの中で全く受け付けなかた。ところが経験を積むにしたがって何か常識で考えられない何かが存在している事を確信してきた。
特に‘夢’とか‘遇然の一致’そして‘死’‘自然現象’に何か人知を超えた存在を感ずるようになった。 
  ー以前の文のコピーをまたしておきますー  H05 11 記   妙な夢
 秋葉原のワシントンホテルに泊まった時の事、夜半何かのケハイに横を見ると女の人の顔が浮いている。
(字数制限のためカット2,012年7月2日)


4115, 財政恐慌 ー2

2012年07月01日(日)

                 「 財政恐慌 ーついに金融と財政の死に至る無限ループに突入した 」浜矩子 (著)
 * 共同債の発行など気違沙汰!      
 連日のトップニュースがユーロ危機である。一つ間違えると世界恐慌になるからだ。ギリシャ、イタリア、スペイン、
キプロスと、その危機はモグラ叩きのように次々と出てくる。その都度、ドイツ、フランスを中心にしたEUが財政対策を打ち出し、
何とか乗り越えている。数日前も何とか緊急対策を打ち出した。しかし、ここまで来たかというのが、「ユーロ共通債」構想。
字のとおり、ユーロ圏として一本化した債権を発行することで、ユーロ圏で統一的に財政資金を調達しようとする代物。これまでの、
加盟各国が個別に国債を発行するのではなく、調達窓口を一本にしようとするもの。ブタちゃん=PIIGSにとって、これほど有難い
国債はない。ユーロと同じく、ごねて、どんどん共同債を発行してもらえるからである。 ギリシャ、スペイン、イタリアにとって、
7%近い金利が遥かに低くなる。金利の低いドイツが逆に高くなるため認める訳がない。しかし、そうでもしなければ、PIIGS各国は、
財政破綻の限界に来ている。ユーロは暴落し、嫌われた通貨に成り下がった上に、
共同債など、無理ときている。何をしてもユーロ構想が、メルトダウンに入るのは時間の問題。 著者は、ここで、
「ある地域内で単一通貨を導入して、うまくいく二つの条件がある。一つは、その地域内では、どこも物価水準、失業率、金利、
賃金が同じ、要は、経済格差が全くない状態であること。二つ目に、地域内に存在する経済格差を埋める中央調整装置の存在が
前提としている。この二つが存在しているかというと、否という。著者は、ドイツが前者の経済格差を無くする方向を求め、
フランスは、財政難諸国を救済する仕組みの強化を目指そうとするが、この二つは、根本的に相容れないもの。現在のユーロは、
股裂きの刑にさらされているという。ドイツもフランスも、今さら、ユーロ圏脱退も出来ない。それをPIIGSが、その足元をみて、
今までの安楽の延長の生活を求めている。それも、時間の問題が現時点である。何処かの国では、国債発行がGDPの二倍、
国家予算は税収の二倍になっても、その都度、首相を取り替えて、国家リストラを避ける。ユーロ圏は同じ道を歩きだしただけ。
 PIIGSを、最終的に準加盟国という名目にして排除するしか存続の道は無いが、私の見立てになる。恐ろしい日々は続く。
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3749, ジャズについて(�) ー「ジャズ完全入門!」� −19
2011年07月01日(金)
              ー 「ジャズ完全入門!」 後藤雅洋著 ー �
 ジャズの聴き方のポイントは、�、�で書き写し解説した。歴史については「音楽の本」のジャズの章に詳しくあったので、
ここでは飛ばし、「ジャズに使われる楽器とその編成」についての、ポイントを取り上げてみる。
【 ジャズで使われる楽器は、基本的にクラシック音楽と同じ。違うところは、クラシック音楽の音色のメインとなる弦楽器類
(ヴァイオリン、ビオラの類)はメッタニ使われず、ベースは、ジャズでは独自の演奏法を行う。クラシックで使われないもので
ジャズ特有のものはドラム・セットで、この存在がジャズらしいリズミカルな躍動感を作り出すキーポイントとなっている。
クラシックの楽器類マイナス弦楽器(ベースを除く)プラスドラムセットがジャズ特有のタイトでキレの良いサウンドを作っている。
 以上のように、楽器そのものより演奏法によってジャズらしさが出ている。
* まずは、リズムの強調。ジャズのベースは、音楽の最低音部を受け持つだけでなく、2ビート、4ビートといった
 基本ビートがハッキリと聴き取れるよう、クラシックのように弓で持続音を弾かず、指で弦を弾いてリズムを明確にしている。
* 次に、楽器奏法の特徴は、ピアノ、トランペット、サックスといったクラシックでも使われる楽器が、どうしてジャズ特有の
 ダイナミックで個性的な聴こえ方をするのかという、楽器を「ミュージシャンの身体に引き寄せて」演奏しているからだ。
(以下、字数の関係上カット、2012年7月01日)
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3384, 911・考えない・日本人 −2
2010年07月01日(木)
「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
  ーアマゾン、内容紹介、よりー
≪ まだ信じているのですか? あの事件が真実だなんて。911の以前と以後では、人間の歴史は完全に代わり、
人間の条件も全く変わった。 これだけは確かなことである。
911は、人間が最後にたどり着いた最大の愚かさと、最大の悪の結晶だった。 これだけは確かなことである。
911は、ある一部の人間たち、私風に命名すれば「ファイナル・パワー・エリート」たちが仕組んだものである。
 私は「911同時多発テロ」と呼ばれている事件は、すべて《彼ら》の自作自演であり、ヤラセであり、捏造であり、その他
どんな言葉を使ってもいいが、ブッシュ政府が公式に発表している内容とはまったく違うものであるということを、確信している。
なぜか? まず疑ったからである。疑わしい要因、要素が多すぎると感じたからである。次に考えたから、知る努力をしたからである。
そのときに私の持った精神状態は、「情熱」と呼べるものとほとんど同じものだった ≫
 ー 以下の箇所は、家畜化された日本人への強烈な批判だが、言いえて妙である。ー(P/86)
【 給費留学生など、日本の若い頭脳がアメリカに召集された。江藤淳などもその中の一人だったが、あのようなろくでもない
日本人のクズが、モルモット代わりに研究されたのかもしれない。 確かにあのような男を典型的日本人モデルとして研究すれば、
その洗脳のたやすさ、誘導のやさしさ、また、一般的な人聞家畜化の手引き材料としては理想的だったに違いない。
その性温厚にして、地球上の人類の例外中の例外、闘争本能ほぼゼロ、嫉妬心ゼロ、執念深さ同じくゼロ、喉もと過ぎれば
熱さを忘れ、知性、理性、論理力はほぼ狐並み、言語、特に国語に対する認識・意識ともに幼児並み、借り物言語に痛痒を感じず、
哲学志向ゼロ。おだてにはすぐ乗り、《彼ら》の差し金で少し高い地位に就かせれば、黙っていても《彼ら》の意を先取りし、
率先して日本人を家畜化させるお先棒を担ぐ。あの当時のフルブライト奨学金で渡米した日本人の全リストでも作ってみれば、
そうした証拠が出るはず。その後彼らが、どのようなジャンルにおける、どのようなポジションで、どのような手先活動をしたか。
多分アカデミー関係が多いはずだ。教授や教師ほど、この使用人に適した職業もない。日教組と地下では連動している可能性も高い。】
 ▼ この十数年、特に感じてきたことがズバリ書かれている。アメリカ占領国で日本人が家畜化されていることすら気づいていない
 哀れさ、その手先が歴代の自民党であり、社会党(現社民党)である。特に著者が移住していたオーストラリアの視点からみると、
 それがリアルに見えるようだ。 特に失われた20年で日本の劣化の激しさが鮮明になってしまった。  ― つづく
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3009,誰が電気自動車を殺したか ?  ー2
2009年07月01日(水)
 GMがそのまま本気で電気自動車に取り組んでいたら、現在も世界NO・1の優良メーカーだったはず。
将来の先取りが本来あるべき戦略であったのに、それを自ら葬ったことで自分自身を殺すことになった。
この数年は多目的のSUV(スポーツ多目的車)という大型車に社運をかけてしまった。
そのうえ自社でローン会社をつくり、車だけでなく住宅ローンまで扱っていたという。
歴代のホワイトハウスのスタッフが石油会社の出身者で占められ、電気自動車の抹殺に組していた。
「誰がアメリカ合衆国を殺したか?」に題名を変えてもよいようなアメリカの縮図でもある。
腐りきったネオコンがアメリカを支配し、それに憎悪を抱いたイスラム原理主義者が9・11のテロを行い、
彼等の戦略に引きこまれ、アフガン、イラクに戦争を仕掛けてしまった。
  (以下、字数の関係上カット、2011年7月01日)
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2645, アメリカ狂乱 ー1
2008年07月01日(火)
 「アメリカ狂乱 ー次の大統領統は誰か」 日高 義樹 (著)
本屋で平積みしてあった本だが、何時か図書館に並んだら読もうと思っていた。それが数日前に、長岡の図書館で読んだら、
数十年近くに渡り、アメリカの国内事情と大統領選挙を見てきた著者の視点のためか多角的に分析していて説得力がある。  
  (以下、字数の関係上カット、2009年7月01日)
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2007年07月01日(日)
2280, ビジネススーツ                   ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!           
ー 超高層ビル=ビジネススーツ・ビル論 ー
*半月ほど前の読売新聞に掲載されていた建設史学者の鈴木博之氏の「ビジネススーツ・ビル論」が面白い。
超高層ビルの外装を、ビジネス・スーツと類推するところがユニークである。
ー超高層ビルが林立すると、そこに立ち並ぶ超高層群は無個性化を始め、ビジネススーツのように縦ストライブの、
抑えた色調の外装パターンになり、外観からはビルの存在感を消そうとする傾向に入った。
それを「国際化」と見る人もいる。ー  概略は、このようである。
 (以下、字数の関係上カット、2008年7月01日)
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2006年07月01日(土)
1915, スペイン画家・堀越千秋 ー6       \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/
 文化とかという難しい?ことでなく、スペインの日常料理から現地の生活実感を垣間見ることができる。。
私など、三度行ったスペインのバールの美味い酒のツマミの印象だけで、「もし永住するならスペインが良いな?」
と思っていたら、一撃を喰らう内容があった。
≪スペインの町でキョロキョロしている日本人旅行者たちは、「イヤァ、スペインは美人が多くて結構ですな」
など言いがちである。おまけに「スペイン料理は日本人の口にあっているし」とも言う。
「オリーブ油が如何だこうの言いますが、私は大丈夫です、美味しいですよ」という人がいる。
じゃあ、今夜みそ汁も白米も一切やめて、固いバンにオリーブオイルとラード(マンテカ)塗ってくてみなよ。
あんたの好きな烏賊のリンク揚げと、二週間続けて揚げて使ったオリーブ油で好きなスペイン・オムレツをこしらえて喰いなよ。≫
 (以下、字数の関係上カット、2011年7月01日)
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2005年07月01日(金)
1550, 将来の不安?2
  ー不安を哲学するとー
 我われは、過去に対しては悔恨があり、未来に対しては不安が付きまとう。といって、まだ来ぬ未来を不安がっていても仕方がないし、
反対にノンビリ過ぎるのも問題。最悪を想定しておくことも必要であり、「大丈夫!」という言葉を口ぐせにしておくことも、一つの
解消方法である。不安の対象に対して考えつくしたあとで、「その時は、その時だ」と放念することも時に必要である。
青年期の日記を読み返してみても、その時点時点で不安感が大きく口を開けていた。不安は一生我々を悩ますものだ。我われを脅かす
「特定の対象」に向けられたものが「恐れ」であり、「不安」は漠然とした恐れの感情をいう。その恐れに対して打ち勝つ克己心が勇敢、
勇気ということになる。前にも、「将来の不安」という題目で書いた。不安は目先の変化に対する不適応から生じる心理の揺れと書いたが、
目的意識の希薄さも不安心理の一つである。その不安感に対して哲学者がどのように考えてきたのだろか?
 ーある本からの抜粋をしてみるー
・先ずは、キリスト教の初期に神に対する畏敬や罪に対する恐れを不安とみた。
 その不安を克服することが永遠の生を得るための前提であるとした。
・次には、19世紀になって、キルケゴールが不安の心理分析をおこなった。
 その後、ハイデッガーやサルトルなどの実存主義者やフロイトなどの精神分析で中心概念になった。
 キルケゴールは不安感を罪の問題に結びつけて考察する。アダムとイブの原罪から、 人間は皆罪を持って生まれてきたとして、 
 罪の状態に陥る可能性の中で罪あるものとなると。不安とは悪魔的なものが持つ妖しい魅力に堕落できるという「自由のめまい」であり、
 それは堕落の深遠を覗き込む時の感覚にたとえられる。サルトルは、これを「めまいが不安であるのは、私が断崖に落ちはしないか
 という恐れだけでなく、私みずからが断崖に身を投げはしないかと恐れるかぎりにおいてである」と考えた。ひとは天使や動物と違って、
 可能性に対してたえず不安を覚える。それは人間がこころと身体との総合としての精神という特殊のあり方をしているからだ。
 つまり人間はその本性上、不安になりざるをえないのだ。 不安の中でおのれの罪を自覚して、はじめて目覚めた精神となる。
 その絶望的な不安にかかわらず、なおも自分自身に真剣であり続け、 ひとりの単独者として信仰へと飛躍することによって、
 不安から解消され、真に自由になることができる。キルケゴールは不安の心理を分析することを通して、人間のあるべき姿を探求した。
・ハイデッガーは、不安とは現存在として最も根本的な気分であるとした。
 彼によると、現存在は世界内存在として理由もなくこの世界に投げ出され、そのつど、何らかの気分に規定されている。 
  (以下、字数の関係上カット、2011年7月01日)
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2004年07月01日(木)
1185, 異境・秘境ツアーレッスンー4
 秘境ツアー先の現地の日本人ガイドを見てみると、多様な人生が垣間みえる。
 それぞれの色いろな事情を聞いているとドラマそのもの。
・日本でたまたま、その国の人と知り合って結婚、移り住んでいるケース。
・その国の留学滞在や、連れ添いが仕事で駐在しているケース。
・旅行をしていて気に入り、一度帰ったが忘れられないで、何とか手続きをとって住み着いたケース。
・世界中を数年単位で渡り住むことを、自分の生き方にしている人。 等々さまざまである。
 日本人がほとんど行かない現地の人ほど、日本人に会うと、そして日本語が話せることが嬉しいようである。
・最近の変わった人といえば、去年行ったアラスカのマッキンレーの伊藤さんという人だ。
 60過ぎの、見た目はエスキモー人そのものであった。若いときにアラスカに渡って、そのまま現地人に同化してしまった。
 観光シーズンはガイド、それ以外が猟師をしているという。「アラスカのエスキモーが、たまたま間違えて日本人に生まれたきた」
 といっていた。この人の存在は私も本で何回か出てきていたので知っていたが、まさか会えるとは思ってもいなかった。
 狼などの猟の話が、リアルで原始的で非常に面白い。30数年前の「3億円強奪事件」の犯人ではないかと先年、
 週刊誌に騒がれた人物でもある。 嬉しそうに、その逸話を話していた。
・やはり去年の、アイスランドの若い女性ガイドは、「旅行先のパリで知り合った白人男とたまたま
 アイスランドに来て数年滞在している」といっていた。結婚をするかどうかは解らないとか。
 今風の若い人は、こうなんだと驚いたが、日本人と思わなければ如何ということはない。
・イスラエルのガイドは、以前にも書いたことがあるが、ヘブライ大学出で神学者くずれの60歳位の人。
 癌で何時死ぬかわからないといっていた。 日本にいまさら帰っても、友人もいないし、
 現地で死ぬかもしれない寂しさを10日間、切々と話していた。自己証明をしておきたかったのだろう。
 日本人はイスラエルに来ることは殆どないという。そのためか、マイクを離さず「自分の過去」をこと細かく
 話しまくっていた。「イスラエルの地で、自分が消滅する不安がたまらない」という叫びが心の底から響いていた。
 旧約・新約聖書の地を巡りながら、ガイドの心の十字架を背負って生きている姿が印象的であった。
・人間的と思ったのは、ニュージーランドの70歳ぐらいの女性である。若い時にニュージーランドの豊かさに憧れ、移住した。
 ところが、その直後から日本が高度成長になり、この国より豊かになってしまった。そのまま日本に住んでいた方がよほど
 豊かな生活ができた、無念であるという言葉が何か微笑ましく、 しかし悲痛な叫びに聞こえてきた。
・南アフリカの50歳位の女性はもっと切実であった。 日本の商社でイギリスの男性と知り合い結婚、イギリスに行ったが、
 仕事の関係でケープタウンまできて生活をしている。 日本人の墓は一つしかなく、彫られていた年号は明治末期という。
   (以下、字数の関係上カット、2012年7月01日)
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2003年07月01日(火)
818, 12の宮
 ーある本に面白いことが書いてあったので抜粋する。ー
昔読んだ本の中に、こんなことを書いたものがありました。うろ覚えなのですが、こんな内容でした。
私たちには「12の宮」があり、その宮には必ず一つの黒丸がある、というものです。
「12の宮」というものを私なりに作ってみました。
・家族・家系的な6つの宮に対して
・自分にかかわる6つの宮があるような気がします。
 ー家族・家系にかかわる宮として
1番目として家系運  2番目として親運  3番目として子供運  4番目として兄弟運
5番目として親戚運  6番目として配偶者運ー結婚運ー結婚できるかどうかも含む
 ー自分運として
7番目として金銭運ー出入れする金ー短期スパンの金
8番目として財産運ー蓄積された長期スパンの金     9番目として仕事運 
10番目として健康運 11番目として友人・先輩運  12番目として異性運
以上は私が考えたものです。その本の著者が考えたものと違うと思います。
この「12の宮」に必ず1つの黒丸がある。つまり瑕疵(キズ)があるという考え方です。
(以下、字数の関係上カット、2008年7月01日)
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2002年07月01日(月)
454,面白かった!!
ワールドサッカーが終わった。 やはり世界のトップが集まる試合は面白い。サポーターと一体になった選手が段段燃えていくのがよい。
  (以下、字数の関係上カット、2011年7月01日)
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2001年07月01日(日)
[70] 夢についてー2
 何か欲しい!とか、どこかに行きたいという夢と夜見る夢と共通点が非常に多いという。
トイレにいきたいと探している夢は目を覚ますと殆どトイレにいきたい状況である。次の夢は不思議な不思議な夢だ。
‘母とか父が死んだ後自分のなかに生きている!’とかいうが、少なくとも私の中で事実の世界だ!夢で事実生きている。
痴呆症になり幼児に退行した幼児に変身した母が出てくる。それは正しく母が私の中で事実生きているのだ。
次にまた以前書いた文章をコピーしておきます。
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H0511妙な夢?
 ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。泥棒ではないかと起きようとするが半睡眠状態で身体が動かない!
起きよう起きようとしているうちにスーッと身体が起きて廊下に出て、居間に行き、台所を通り、寝ていた部屋へ一周して
もどってきて布団に入る。ところが、ところがである。自分の肉体は反対側の向きでねている。まずいと思い反対側に
ねがいって自身の肉体と一緒になるという夢(?)である。 これが単なる夢か幽体離脱七日まだわからない。
 また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が1.8m位浮いて(そのまま水平にいて)
   (以下、字数の関係上カット、2011年7月01日)

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