堀井On-Line



4053, 閑話小題

2012年04月30日(月)

   * 自分の傷口の血で、他人の傷口の血を洗うな!
 その辺のシラミというより、人間というものは、他人の血の臭いを嗅ぎ付けると本能的に食いついてくる。
自分の傷口の血を相手の傷口に擦りつけたくなるのは本能のなせる業。結局、それは自分の傷を化膿させる。他人の不幸は密の味で、
シタリ顔をして評価が始まる。 その家系や過去の出来事をあたかも知り尽くした気になり、人物鑑定から始まり最後は嘲笑で終わる。 
それが共同幻想化をしていき化け物のように変異していく。 しかし実際の化け物は、それをつくり上げているシロアリ集団そのもの。 
 地方に痴呆が多いのも変化が少ないため。如何に何もしなかった、いや、出来なかった自分がマトモと言いたいのである。
逆に、それに縛られてしまっている自分たちの姿が見えなくなっている。老齢化社会とは、こういうことだ。
  * 4月29日といえば
 例年楽しみにしている天皇賞と日本柔道選手権も、ダークホースが優勝をした。それがGWの連休が始まりである。 梅も桜も散り、
鯉のぼりの時節になる。この数年来、信濃川沿岸近くの公園で鯉のぼりが多く上る。 初夏の到来である。 また季節の変わり目で、
軽い腰痛が出るが、トレーニングの為か何とか軽く収まっている。 積雪のため休んでいた早朝のミニサイクリングも、慣れてきた。
日本と世界経済も、何時、暴発するかどうかの緊迫の中、どうしてもマイナス思考になりがち。しかし、情報化の御陰で面白いことに
近づける。こういう時代、「よく見れば、なずな花咲、垣根かな」で、身近な楽しみを味わうこと。 TVの昔のドラマの再放送も、
ジックリ見るとけっこう面白いのが多い。だんだん、この生活に慣れてくると、味わい深くなっていく。御隠居とは、よく言ったもの。 
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2011年04月30日(土)
3687, 節目どきに ー11
  * 今年の桜
 今年の桜も、悠久山もほぼ散ってしまった。私の主観でいうと、「福島江の桜は例年並み、悠久山は、数年に一度の咲き具合。」 
だったが、丁度みた時間帯などにもよる。しかし去年の写真を見ると同じようなものだから、主観的な要素が強いということか。
大震災で花見という雰囲気ではない。ボンボリも殆どなく、人影も普段の散歩程度しか見かけられなかった。
やはり、何かが変ってしまったようだ。
  * 居間を追われ
 数日前、家内に「居間を昼間、占拠されていると自分のいる場所がないので、仏間の一角の書斎コーナーに行くように」と
強く言われ憮然とした。 が、考えてみれば、その通り。そこで事務所から引き上げてきたパソコンの荷をほどき、机に移動、
ネットに結んだ。パソコンの設定が違っているため、SEをしている知人にお願いをして苦労惨澹の末、結ぶことができた。 
そうなってしまうと、そこが最適の居場所になり、家内からのシェルター?にもなっている。 中古でも良いから以前より、
ここにパソコンを、もう一台置いておけばという、欲目が出てきている。 それにしてもパソコンの存在は大きい。
「酒に、タバコに、そしてiphne」と言われる位に、スマートフォンの影響は大きいというが、納得できる。
  * 生活保護者受給者数が200万
 生活保護受給者が200万人となり、10年前に比べ8割も多くなっているという。さらに、この震災で大幅に増えるのは明らか。 
震災・原発事故の問題で景気は一段と悪化、生活保護受給者が数十万は増加するのは必至。 現在の生活保護費は3兆円を超えており、
今後4兆円になっていくのだろうが、予算の一割が生活保護費とは! この大震災の経済における影響は底しれぬ影響を今後、
もたらすことになる。それにしても、現在おかれている状況からみる日本は、あまりに楽観的である。
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2010年04月30日(金)   
 3322、iPadについて
 iPadについて、「ウェブ進化論」著者の梅田望夫が、どのように見ているのか知りたかったが、
4月26日(月曜の産経新聞・一面)のコラムで以下のような感想を述べていた。
雑誌や、週刊誌の記者が実際に使ってみた感想と同じだが、同じことをいっても専門家の言うことは重みが違ってくる。 
私も使ってはいないが、ネットでデモの画面の内容をみて、「これは現在ある紙を媒体とした情報手段を叩き壊すだけでなく、
携帯電話や、iPodや、パソコンが生活様式を変えたより、大きなインパクトを与える革命的な存在になる」予感がした。
iPodやiPoneのソフトの下地にあるから相乗効果を出すはず。 書籍だけでなく新聞を、これを媒体として、
見るようになる。5年から7年で、本や雑誌の出版が1〜2割まで落ち込む可能性があるという。
 ■ 全てを“本”にするiPad   梅田望夫 (産経新聞)■
4月3日、米アップルがタブレット型コンピューター「iPad」を発売した。事前にネット注文していた私は
3日は外出の予定を入れず、自宅でiPadの配達を待った。そして、アップルストア開店から4時間遅れて中国から
フェデックスでiPadが届いた。 iPadは電子書籍端末としての期待も大きい商品だが、使ってみて私が直感したのは、
これは創業者ジョブズが昔から作りたかった「理想のマルチメディア・コンピューター」の姿そのものだ、ということだった。 
アップルの社名はもともとアップルコンピューターだった。しかし90年代に経営危機に陥り、携帯音楽プレーヤー
「iPod」の大ヒットなどで復活したあと、業態と合わせるために社名からコンピューターがはずれた。
しかしジョブズは執拗にコンピューターを構想し続けていて、いまiPadという製品に結実させたのである。
使い始めてしばらくして私は、ぜんぜん想像していなかった不思議な感覚を味わうことになった。
 「あれっ、本と雑誌と新聞とウェブサイトの区別がつかなくなってきたぞ」と。
昨年アマゾンが電子書籍端末「Kindle」を世に出したとき、人々は「本がまるで本であるかのように読める」ことに驚いた。
しかしiPadは、本や雑誌といった出版商品だけでなく、ウェブコンテンツであれ書類であれ、何でも読めるコンピューター。
しかも形状は電子書籍端末に近く、カラー画面上に指を滑らせるだけで、ウェブコンテンツにつきものの夾雑物をも取り除ける。
その結果、利用者に「本以外のすべてのコンテンツを、あたかも本を読んでいるかのように錯覚させてしまう」効果をもたらす。
「本がまるで本であるかのように読める」というのとは全く違うのである。 本も雑誌も新聞も、紙と印刷技術を前提にした
パッケージ商品である。 電子書籍とはこれまで、その「本という概念」を変えることなく電子化することを意味していた。
雑誌や新聞の電子化も右に同じ。 Kindleはその方向性に忠実な端末だ。
しかしiPadの登場は、逆に「本と本以外のあらゆるコンテンツの境界が揺らぐ感覚」を私たちに味わわせる。
そしてその揺らいだところに新しい技術が注入されれば、越境により新しいジャンルが創出できそうな予感に満ちている。
いまiPadにいちばん興奮しているのは、初期の利用者以上に、世界中の開発者やクリエーターたちだと言っていいだろう。 
iPadとは、ジョブズが仕掛けた「メディア産業全体に創造的破壊をもたらす時限爆弾」なのだ。
 iPadの米国での販売台数は発売から1週間で50万台以上と、事前予測を超える大ヒットとなった。
供給がまったく追い付かず、米国でもなかなか手に入らない。日本を含む米国以外での発売時期は1カ月延期されて5月末。
 〜〜
 【ツイッター、3D/TV、そして、これ。 よくぞ次から次へと21世紀的なソフト、マシーンが出てくる!】
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2009年04月30日(木)
 2947,全日本柔道選手権  ー2009年
 毎年、全日本柔道選手権は(壮絶の試合になるので)必ず見ている。そして毎年4月30日は(一昨年を除いて)
前日の試合の感想を書いてきた。それを読むと、それぞれの時代の有力選手の姿などが見えてくる。
今年は24歳の若手の穴井が優勝をしたが、決勝戦の棟田との試合は極限の中での勝負であった。
最後の最後に若さの力を振り絞った穴井が逆転勝ちをしたが、見ていて感動的だった。
 去年までの数年間は、井上、鈴木、棟田、石井が準々決勝の常連だったが、今年は井上と、石井が引退、
鈴木も準々決勝で敗退してしまった。 時代の変化が、そのまま現れていた。
この試合は体重別でないのが良いし、日本人柔道家にとって思い入れの深い選手権。
次の主役が穴井と準決勝まで勝ち進んだ高井が浮き上がった。 毎年のことだが死力を尽くしきった試合は心を打つ。 
また、今年勝った、穴井が優勝をして男泣きしていた姿が何ともいえない純粋さが現われていた。 
石井が去年のオリンピックの金メダルを取った後の引退騒動。 彼によって柔道そのものが汚されてしまった。
それが柔道界全体に後をひいたように感じたが。 石井の醜態は、柔道そのものを汚した反面、
世界は柔道から「ジュウドウ」への流れを、石井は適応してオリンピックで優勝をした実績は実績である。 
 ところで毎年書き続けてきた文章を一切に目にしないで見たままを書いているが、
自分自身を試合を通して合せ鏡をみているようで面白い。 大相撲もそうだが、一つのことを
書き続けることも、何か自分の心を見つめる良い機会になる。
 ー
この文章を書いた後で、これまでのものを読み返すと、「毎年書き続けた文章を目にしないで書いている」
など、同じ文言が書いてあったが、決まった言葉を疑問を持たずに繰り返す自分の枠を見せつけらる。
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2008年04月30日(水)
2583, 全日本柔道選手権
毎年、この大会を楽しみにしている。特に、オリンピックの年のこの大会は、異常な熱気に包まれる。
日本の柔道家は、オリンピックより、この選手権に勝つことを重要視している。
今年も、準々決勝から放送されたが、どの試合も熱気に満ちた劇的な試合が続いた。
特に、準々決勝の棟田・生田戦と、井上康生と高井戦が劇的な戦いであった。
それまでの全てをかけた男同士の極限の戦いということ。結果として石井と鈴木の三年連続決勝戦になった。
普通の人なら、この試合は凡試合で、後味の悪い幕切れと見るだろうが、私は違う。
 (以上、字数制限のためカット 2010年4月30日)
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2007年04月30日(月)
2218, 団塊格差は、かくもついたり      (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪    
『団塊格差』三浦展著   ー読書日記ー
2005年12月に、この著者の『下流社会』について書いたことがあった。
今度は『団塊格差』という本が書店に並んでいた。丁度、団塊の世代が今年から定年を向かえるのでタイミングがよい。
これもまた買うほどでないので、ネットで概要を調べてみた。 時代背景が良かったので、格差がついたとしても、
それぞれの立場で納得しているところが、見かけられる。総中流時代の中で、結果として格差がついても、
時代の恩恵は受けていた年代である。歴史的にみても、団塊の世代は日本の黄金時代の背景があった。
格差がついたとしても、それが如何した!でしかない。格差は、その子供たちに直接影響を受けるから、問題は子供である。
それが大きい!が、 しかし、どれが如何した!と言えば、それまでのこと。
 ーまずは、ネットで調べた内容からー
月刊誌『文藝春秋』との共同調査で、2000人の男女から得られた様々な数字を基に、
「団塊たち」の人生60年とこれからを考える
*貯蓄:   300万円未満ー29%、 2000万円以上ー19% 
*退職金:    なしー35%   2000万円以上ー28%
人生60年の棚卸しをしてみたら、実は団塊の世代にも大きな階層間格差が!
月刊『文藝春秋』との共同調査をもとに、所得、資産、仕事、結婚、定年、子育ての視点から現状を分析。
・女性にはもてたい43%、 ・不倫したことがある28%なども含まれている。
『下流社会』の著者が、団塊世代の格差をとらえている。
 ー団塊格差ー
1.リッチ・シニア層
  退職金は2000万円以上、充分な年金、ある程度の資産を保有。
  職業を持つ場合、実業家であれ、再雇用で会社従業員になるにしろ、収入のためより、社会貢献の一環として、好きで働く層。
  職業を卒業した場合は、ボランティア活動をしたり、趣味に生きたり、学問や研究をしたり、自分の好きなように、自由に、
  有意義にセカンド・ライフを送ることができる階層。
2.アクティブ・シニア層
  金銭的に不安があるため働かざるを得ないが、法制度の改正にうまく乗って、シニアになっても職業を得ている階層。 
  例えば、労働基準法の改正による、会社の雇用延長制度や再雇用制度を上手に利用して就職できている人々。
  健康で元気なうちは良いが、病気やケガで働けなくなると心配。
3.ワーキングプア・シニア層
  金銭的に不安があるのに、アクティブ・シニア層のように収入を得る職業に就くことも難しい層。
 ▼ 調査が浮き彫りになった団塊世代こととは何か。著者があとがきに記している次の一文が、それを端的に表している。
  (字数制限のためカット 2011年4月30日)
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 2006年04月30日(日)
 1853, 全日本柔道選手権      (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》○
毎年、4月29日は全日本柔道選手権が行われる。この数年来、このテーマで書いているが、前年度を全く読み返さないで書く。
その後以前の内容を読むと面白い。同じ日に同じテーマで書いていると、その時々の選手の力関係だけでなく、それを見て
書いている自分が見えてくる。別に柔道が格別好きということではない。一年に一度の大勝負の真剣試合だから面白いだけだ。
年末の全日本相撲選手権も同じである。この大会は、階級別でないのが面白い!
今年の大会は、前評判の選手が順当に勝ちあがってきたが、19歳の最年少、初出場の石井選手が初優勝をした。
決勝戦は優勝最有力の鈴木桂治選手が勝ちあがり、有力選手の中では伏兵の石井選手と対戦をした。最終まぎわまで
鈴木選手が一方的に攻めていたが最後の4秒前に、石井の捨て身の技で敗れてしまった。勝負とは面白いものである。        
もっと面白いのは、優勝インタビューで「自分は、この優勝より近くに行われる次の団体戦に焦点を合せているので、
気をぬかないようにします」と答えていた。聞きようによっては日本の全柔道人を馬鹿にした答えである。
何を自分が成し遂げたのか解っていなかったのだろう。大相撲の朝翔龍が、日本的儀礼を小馬鹿にして根こそぎ権威とやらを
叩き壊したのに類似している。それと、苗字に「井」という字がついている選手が多い。井上、高井、穴井、石井と。
(以上、字数制限のためカット 2012年4月30日)
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  2005年04月30日(土)
  1488, 全日本柔道選手権ー4
この数年間、4月30日には全日本柔道選手権について書いてある。今年も書かなくては気持ちが悪い。
毎年、同じ日に同じ対象を書き続けるのも面白いものである。昨日は、去年に続いて鈴木桂治選手が優勝をした。
ライバルの井上康生選手が休場した為に、今ひとつ盛り上がらない大会になった。棟田選手も早々と負けてしまったし、
若手の高井選手も元気がなかった。そして予想通り鈴木選手が村元選手を破って優勝をしたが、僅差であった。
気になるのが、若手で生きのよい選手がいないことである。いつの時代にも必ず若手でいるものだが現在は見当たらない。
高井、穴井というのがいるが、井上、鈴木の若い時の輝きはない。仕方がないのだろ。
今年の総評も、書くほどの内容はなかった。相撲も、柔道も、どうしても時代の勢いによって選手のレベルが決まってくる。
そして、優秀な選手には必ずライバルによい選手がいるものだ。この4年間の文章を読んでいても年々、柔道のレベルが
落ちていくのが解る。桜も充分見たし、連休で英気を養って夏を向かえる何時ものパターンである。
そういえば鯉幟の姿を殆ど見かけないが、地震のためだろうか。この三年間の文章を読んでいて、同じような文章を書いている
自分が其処にいる。それと、殆どの記憶は忘却の彼方になっていることに気づく。
読み返してつくづく思う事は、とにかく書き残すべきことは書き残したほうが良いということだ。
TPOSの時の具体的な事と、その時の正直な気持ちを言葉に書き残す事は自分の気持ちの刻印になる。
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 2004年04月30日(金)
 1123, 全日本柔道選手権ー3
今年で3年連続で「全日本柔道選手権」について書く。日記を読み返してみても、この選手権はドラマがある。
なんといっても準決勝で鈴木と棟田のオリンピックをかけた勝負が伯仲をした面白い内容であった。
二人の実力は五分であったが、消極的ととられた棟田が注意・指導ー有効の差で負けた。
これで鈴木が100キロ超級でオリンピック出場が決定をしたが、終わってしまえばやはり順当というところであった。 
負けた後に涙をこらえていた棟田の姿もよい。最後は最優勝候補の井上康生を鈴木が勢いで破って優勝をした。
鈴木も前回、負けた井上に勝ったのだから、自信を持ってオリンピックに出場できるから、このオリンピックも
期待できるようになった。当分この三人が100キロ級と100キロ超級の二つの枠をかけて争いながら
日本の重量級を引っ張るだろう。これと、天皇賞と、連休が終わるとで春は終わり、初夏に入ることになる。
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 2003年04月30日(水)
 756, 全日本柔道選手権 ー2
去年も書いたが4月29日は講道館ルールでおこなわれる「全日本柔道選手権」がある。勝てば天皇杯をもらえる。 
毎年必ず楽しみにしてみている。無差別でおこなわれるのが面白いし、毎年何らかの因縁の試合がある。
今年は、・篠原選手が引退をかけて出場してきた事と ・鈴木と井上選手の勝敗がどうなるかである。
数ヶ月前の世界選手権をかけて争った体重別選手権で鈴木が勝った。しかし過去の実績で代表は井上が選ばれた。
もし今度も鈴木が勝てば、井上の代表はどういうことか疑問を持たれる。結果は井上が一本勝ちで面目を保った。
優勝インタビューで井上は男泣きしていたが、鈴木も表彰式で泣いていた。 篠原は僅差で負け引退をした。
去年準優勝の棟田は怪我をおして出たが早々に負けてしまった。感動的な緊迫した一瞬も見逃せない真剣勝負が多かった。
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 2002年04月30日(火)
 392, 「全日本柔道選手権」ー1
4月29日といえばこれである。この面白さは体重別でない事だ。軽い体重の選手が結構勝ち抜く。
それと真剣さを感じる、永年の歴史の重みであろう。柔道の面白みはもともと「小さいな男が大男を投げ飛ばす」
ところにあった。それが世界的に広まっていく過程で、階級別になっていった。
それぞれの体重別のトップが次々に出てくるところが面白い。その人が2?4ランク上の準実力者と闘うからだ。
100キロの井上が150キロの選手を投げ飛ばしたていた。最後は井上が一ランク上の棟田を破り優勝した。
この試合が近年まれなるよい試合であった。両者とも絶対に勝つというぶつかり合いで、会場も異様な熱気に包まれた。
一?二階級の違いなら、トップクラスの方が勝つ事が多い。勝ち方を知っている為だ。
四月最終日曜日の天皇賞と、これを見て初めて連休を実感する。ああそれと鯉のぼりだ。


4052, 閑話小題 

2012年04月29日(日)

   * ゴールデンウィーク
 ゴールデンウィークといっても、現在の私には関係ないし、敢えて人混みの中に外出をすることもない。
一般社会では、まとまった休暇は、この時期しかないのが世の習い。大多数が行楽地に出かけたりするのを見ると、
似たように動きたくなるのが人情。 ところで、現在通っているスポーツジムが、この期間にオール・オープンのサービスを
打ち出してきた。年中休みの私にとって有難いことである。 例年、ゴールデン・ウィークは昼か夜、隔日ごとに外食するのが慣い。
今年も何の予定も無し、サンデー毎日と同じ感覚である。 5月の連休をゴールデンウィークとは、良い命名である。
  * 見切り千両
 撤収の決断のキーワードは、「見切り千両」である。 以前より節目では「見切り千両」をキーワードにしてきた。
見切りこそ生物的本能が生かされる。攻撃の判断と、撤退の判断、この二つが決断の要。 そのためには経験と知識の蓄積が必要。
攻撃の決断より、撤退の決断は遥かに難しい。 遅かったきらいもあるが、この時しかなかったのも事実。
  * 秘境の写真集とドキュメント
 趣味に、秘境・異郷の写真集とTVドキュメントを楽しむことがある。(最近、秘・異郷ツアーに行ってないので写真で我慢もあるが)
最近は、もっぱらiPadで写真集にアクセスして見ている。 やはり一度、訪れたところが主になる。 一度行ったところは、
それぞれの目線により対象が違って見え新たな発見があり、その延長の旅を続けているような気持ちになる。その点でiPadは便利。
常に身近において置けるのでチョッとした豆時間(隙間時間)に、開き見ることが出来る。質も大事だが、量をこなすことも必要。 
多いほど、より対象により近づいていける。 現地で全身で情報を吸収すれば、その後、情報は磁石のように吸い寄せられてくる。
今ではネットから簡単に入手出来る。 世界は面白いことで満ち溢れている。 やはり行動しなければ、そして知識を満たさなければ!
 ・・・・・・・
3686, 自己を見つめる −10
2011年04月29日(金)
   * 孤独と愛について、       「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 【 ー孤独の深さー 二ーチェによれば、落ち着いた人間の心のうちには「深い泉」があって、そこに石が投げ込まれても、
 その底に達するには時間がかかるという。そうした人は、端から見れば,反応の遅い、退屈な人と見えるのだが、
 そうした人こそは、外からの刺激を深く受け止めて、よく考える人なのである。 そうした人は、孤独のなかで熟慮する。
   西田幾多郎は、かつて、こう歌った。
  ー わが心 深き底あり 喜も憂の波も とどかじと思ふ ー
  と。 心の深い奥底は、そこに、すべての知情意の作用も、憂き世のあらゆる出来事も、みんな呑み込まれて、沈殿してゆき、
 いわば底知れぬ深淵のまま、自己を支える存在の根底としてどよめいている生命の大海、ないしはその尽きることのない
 源泉なのである。その心の奥底を孤独のなかで見つめつつ、自己を照らす根源的なものと面座する自己意識の極限こそは、
 自己の知を越えて、自己の存在そのものと融け合うであろう。】
 【 ひたすら、いのちを慈しみ、優しく幼子をかき抱き、愛情の限りを尽くして、子らのために献身する母性というものの記憶が、
 人間における愛の心の象徴的原点を形成することは否定できないように思われる。なぜなら、そうしたものがあったからこそ、
 人類はこれまで、そのいのちの営為を継続して、存続することができたからである。おそらく、愛の根源は、象徴的には、
 そうした母性を介して人間に植えつけられるところの、無償の贈与、そのひたすらな献身のうちにあるであろう。
 いのちあるものに恵みを与え、それを慈しみ、見守り、育て、その無垢の胎動を大切にし、その侵すことのできない
 尊厳を守護しようとする、いのちへの優しい気遣い、その存在の絶対的肯定、それが愛であると言ってよい。
 そうしたいのちの見守りの働きが、さらに拡大されて生きとし生けるすべてのものに及ぼされて、あらゆるものを
 その存在意義において許し、承認し、助け、生かし、守護し、見守り、育て、養い、その存在の至福を祈念する働きのすべてが、
 愛という語によって含意されることになろう。そこに、万物を生かすところの神の愛といった観念も成り立つ。
 もちろん、そうした愛に、さらに厳しさも加えられてこそ、万物の生成が初めて可能になるという観念も、やがて成立する。
 シェリングの世界観などはその典型である。】
 ▼ 孤独と、そこに潜む愛の問題は人間の本質に根ざしている。 「母の愛を介して人間に植えつけられる無償の贈与は、
  その献身の中にあり、それが心底で象徴的原点を形成する」ことは、誰もが体験的に知っている。その量と質が、人間性を
  決めてしまう。特に幼児期の両親の絶対愛が、人生の原点になる。絶対量の少ない人は多い人の温みの起因を知ることがない。
 ・・・・・・・
3321, 「知の衰退」からいかに脱出するか?  −1
2010年04月29日(木)
 ー「『知の衰退』からいかに脱出するか? 」 ー大前研一 (著)
 大前研一は、図書館や書店で手に何度か手に取るが、何か読む気がしなかった。しかし現在の日本の行き詰まりなどをみるにつけ、
「日本が変、それも異常なほど変である!」と思っていた矢先に、グローバルの世界の中で「茹で蛙の日本」を徹底的に非難している
内容をみて、読んでみることにした。 保守的な人からみたら、眼を剥いて怒るような内容が次から次へと出てくるが、
現実に中国や韓国の若者たちは、眼を輝かせて必死に勉強している割合が日本の若者に比べて圧倒的に多い現実がある。
 高度成長期の時代なら、解るが、低成長の時代に生まれ育ちデジタルの時代の中で、情報だけは豊富にあり、
偏差値でランク付けを子どもの頃からされた若者の立場もわからないでもない。しかし、だからダメと諦めてかかっては、
どうもこうもならない。 これからのビジネスマンに必要な三種の神器は、「IT」「英語」「ファイナンス」というのも、
初めは??と思ったが、21世紀には、当たり前といえば当たり前のこと。 特に、ファイナンスを挙げているのは良い。 
最後は、この辺である。 日本の若者の相手はネットの先の、世界の高IQ化した若者である。
だから、日本の低IQ化した相手を無視して、自分の得意とする分野でユニークなスキルを磨くことを勧めることこそ、
若者の道筋である。 「現在の日本の低IQ社会の一員になってはならない」ということ。 だから、私の知人の子弟が
数人、高校から外国に留学をさせているのをみかける。「寂しくないか?」と聞くと、毎日ネット電話で顔を見て話しているので、
全く感じないという返事。 それと、外国に行っていると金銭感覚が、鋭くなるという。
そうこう考えると、著者のいう三種の神器を身に付けさせるために行かせているようだ。
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2946,タレント知事をどうみるか? ー2
2009年04月29日(水)
  佐高信は、タレント知事を完全に否定している。 
ー反対する理由はー
「タレント、つまり人気商売は常に多数に寄っていく宿命だ。だから知事に一番向かないのではないか。
 多数の人気に自分を預けていて、自分の意見がありそうで、ない。例えば、東国原知事の国政への転出騒ぎがその象徴だ。
『みなさんが許すなら』という言い方だった。 自分に信念があって不人気でもやるということではなく、
 人気に寄りかかっている。 橋下知事も反発を受けることを断行しているように見えるが、常に多数に乗っかっている。
 政治家や行政マンに必要な信念があるようで、実はない」
ー知事に必要な条件とは何かー
「弱者の痛みが分かること。過疎を切り捨てない人。この逆をやった政治家が小泉純一郎氏だ。
 全体的に政治家の『小泉純一郎化』が進んでいる。タレント知事も同じ人気者路線に乗っかっている。
 喝采(かっさい)を浴びた小泉氏のまねをして県民に受けている。 政治や行政の本来の使命である『公共』という概念が
 忘れられるというか“殺される”と思う」 タレント知事は人気を利用した発言力が役立ってはいないか
ーPR係として雇えばいいだけー  
  (以下、字数の関係でカット2010年4月29日)
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2582, 柳田邦夫の2.5人称の視点
 2008年04月29日(火)
 ー「人生の答え」の出し方ー柳田邦夫著 ー1
柳田邦夫著ー「人生の答え」の出し方ーに「2・5人称の視点」という言葉があった。その意味を噛締めてみると、
成程と合点がゆく良い言葉である。学生時代のゼミで、色いろな人間関係の実例を取り上げ、それぞれ原因を探り、
解決策を討論する事例研究を一年にわたり徹底的に鍛えられたことがあった。この本を読みながら気がついたことがある。 
それは事例研究から学んだことは、一人称、二人称、三人称、そして一・五人称、二・五人称の視点の訓練をさせられたこと。
 ーその二・五人称とは何か?を大筋書いてみる
一人称は、自分、 
二人称は、あなた、家族など身近な人、
三人称は、専門家、役人、ジャーナリスト等、客観的に見る人。他人事とみる視点。
三人称は「事態を客観的に見る良さがあるが、悩んでいる、落ち込んでいる一人称、二人称からは冷たく見えてしまう」
そこで、三人称の人も二人称に歩み寄り、同時に二人称に埋没しない「2.5人称の視点」を持つべきだと。
1人称、2人称の視点だけでは感情に走って冷静な判断が下せなくなる。といって他人事としての3人称の視点であれば、
冷たく突き放す見方が優先する。求められるのは、1人称と2人称を考慮に入れつつ3人称的な冷静な判断を下せる、
2.5人称の視点が、柳田邦男さんの「2.5人の視点」である。冷静・客観的な、それでいて人間性豊かな
かかわり合いを持てる人間こそ2・5人称の視点を持った人、ということだ。二人称に限りなく近づくが、
どっぷりと二人称になると、冷静な判断かつ正しい処置ができなくなる。そうすると「1.5人称の視点」「0・5人称の視点」
「4人称、5人・・・称の視点」と考えてみた。1・5人称の視点は、夫婦、親子、兄弟間のこととか・・0・5人称の視点は、
自分の中の神の目の視点とか、良心の視点とかである。 ーそれにしても、0.5、1・5、2・5とは面白い切口である。
思いやる心、温かい心、慈悲、感謝、感激、愛する心などなどということか。
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2007年04月29日(日)
 2217, ネットカフェ難民 
   ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ
今年になってから、インターネット難民という言葉を見かけるようになった。駅前で宿泊業をしているので、
こういう現象に敏感になる。当ホテルにもビジネスホテル難民?が数年前までぺアで1〜2組、入れ替わり立ち代り
宿泊をしていた。12?の部屋に3?10年の長期滞在になるが、身なりはシンプルで、キチットしている。
水商売で色いろの事情があるようだ。もちろん警察にはマークされるが、犯罪にはつながってない。
今年になってから、急にネットカフェ難民という言葉が目立ってきた。
  (以下、字数の関係でカット2,010年4月29日)
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2006年04月29日(土)
 1852, ローマから日本が見えるー8   才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
二つのネットワークのうち、まずローマ連合と、その成り立ちとは?
ーローマ連合とは、その成り立ちー
 *ローマ連合は大きく分けて、 5つの要素で構成されます。
(以下、字数の関係でカット2,008年4月29日)
 ーー 
以上であるが、これは大手企業グループの資本金の比率などの構成に酷似している。学者などはローマ連合を類推して、
その合理性を導き出しているのだろう。現在の政治経済に、そのまま当てはまることが多くある。    ー つづく
                ヾ(^ω^*) バイバイ!
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2005年04月29日(金)
 1487, 郵政民営化と自民旧守
郵政民営化は、至極当然の流れである。しかし、反対派との猿芝居で殆ど骨抜きになったが、国鉄の民営化より
先にしなければならないことであった。この旧守派の連中のトップで反対しているのが、トナミ運輸のオーナーで、
前の橋本派(恥元派)の現在の実質トップの綿貫という男。自社の利益を守るための反対であるのは自明である。
郵政が民営化されると、一番困るのが運輸会社である。もう政治とか何とかいっている以前の話である。
 (以下、字数の関係でカット2011年4月29日)
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2004年04月29日(木)
1122, 「ライフ・レッスン」ー8
 ー怒りのレッスン
・怒りは文字通り腹部でつきあわなくてはならない。そのこつを身につけるには、眼をとじて、片手を胃のあたりに当てるとよい。
脳でなくからだを使うというかんたんな動作が、そのとき感じていることを知るのに役立つ。自分の感情とつきあう習慣は、
現代社会ではほとんど知られていない。現代人はからだで感じるということを忘れている。
わたしたちは理性と感情を分けようとする。理性に支配させることに慣れすぎているで、感情やからだのことは忘れてしまう。
・怒りは、うけた傷に自分がなんの対処もしていないことを知らせるシグナルである。その傷は現在進行形の苦痛だが、
怒りはだらだらと長びく苦痛になる。傷をためこみ、それに注意を向けないでおくと、怒りは成長をする。
わたしたちは怒りを多くためこみ、やがて傷の分類ができなくなって、最後には自分に怒りがあることに
さえ気づつかなくなってしまう。怒りの感情とともに生きる事になれてしまい、それが自己の一部と思いはじめる。
その怒りがアイデンティテーの一部になる。
だから、わたしたちは、自己のアイデンティテーと古い感情とを分ける作業を分けなくてはならない。
 ー感想ー
怒りっぽい性格のためか、このレッスンを過去の人生で多くしてきた。 怒るには怒るだけの理由がある。
また、その怒りによって適切な判断ができたことが多かった。怒りは、その感情の高まりによって自分の世界を他者との間に
一瞬ラインとして見ることができる。怒りの感情を抑圧することで対処しようとする人が多い。その必要はないのだ、
といって怒ってばかりいるのは問題だが。はなしは変わるが、去年の同日の随想日記の内容が偶然の一致で「怒る技術」であった。
面白いものである。怒るということからのレッスンが全く足りないのか? 方向違いを知らしめようとしているのか? 
じっくり考えてみる必要がある、特に私の場合は。怒りの背後にあるものの一つに「恐れがある」という。 なるほどそうかも知れない。
怒ってみて初めて、その正体がわかることもある。 怒りを溜め込むと憎しみになる。憎しみのヘドロを溜め込むなら怒って、そのつど
吐き出すことも必要なこともある。憎しみのヘドロでドロドロの人が、あまりに多い。そのヘドロを他人に投げつけるから始末が悪い。
 (以下、字数の関係でカット2,009年4月29日)
・・・・・・
2003年04月29日(火)
755, 「怒る技術」ー読書日記
タイトルが面白そうなので買ったが期待したほどの内容ではなかった。私が怒りっぽい人間でこの技術を
経験上身につけてきた事もある。 著者と同じ年齢で闘争的であることもあってか合点することが多かった。
私の場合は子供の頃から兄姉やクラス内の喧嘩で怒りの山であった。また学生時代の寮生活で、怒りのテクニックを
身につけざるを得なかった。創業でも色いろな場面に遭遇したことが多かったこともある。怒りの山を一づつ乗り越えてきた
というのが実感だ。その意味では、この本は哲学者の言葉の遊び的な甘さもあった。しかし彼がウイーンで、怒らなくては
生きていけなかったというのはよく理解できる。ヨーロッパ人は実によく怒るそうだ。喜怒哀楽を冷静に使い分けないと、
事業など出来ない。著者も彼らの「怒る力」には及ばないと書いてあった。
彼らはわれわれ大和民族と怒りの表出の仕方が違うという。
彼らの特徴は
・すぐにその場で怒りを表出する
・以前の怒りを根に持つことが少ないこと
・怒りは激しく、しかしただちに収まること
・怒りの表出が言葉中心であること
・個人的に怒ること
・演技的怒りであること
以上であるが、全く私が身につけた怒りかたと同じである。寮生活をしていて、大学を卒業しながら、社会に溶け込めず
寮に入り浸っている先輩の群れがいた。大人しくしていたら部屋のものを持ち去ってしまうこともあった。
直接攻撃もできないし、ただ見ているしかないこともあった。彼らの姿から、脱皮していくには過去の場所には二度と
行ってはならない、ことを学んだ。怒りは貯めておくと、膿になり化膿してくる。自分でコントロールしなくてはならない。
この本の中に「怒れない人達」というのが書いてあった。何か気の毒のような気がする。
最近こんなものかと怒りが少なくなってきたが、それでも山のようにある。この著者は怒りの代用として対象への軽蔑がある。
そのことに気がついてない。自分が生きているだけで精一杯でしかないのか、それとも哲学者のゆえんか。
「怒りの代用としての軽蔑と、生きていくだけで精一杯」は自分のことだからよく解る。私の場合と違うのは、この人の人生は
全く楽しくないということだ。本人もそう書いている。「笑いの技術」でも書けばよいのに!要らぬお世話と怒られるか!
昨夜この下書きを書いて寝た為か今朝面白い夢をみた。ペガサスクラブというチェーン店理論のコンサルタントの一種気違いに
近い怒り方をする渥美俊一先生が、セミナーで招いていた先生ー経済評論家のリチャード・クーを、私語をしていたといって
殴りつけたのだ。なんでリチャー・クーなのだろか解らないが?そして二人は喧嘩をしながら、
会場外に出て行った。恐らく警察をクーが呼んだのではと思いながら・・で夢が覚めた。
こんなものだが、それにしても脳は面白い! 話は変わってしまったが!
・・・・・
「怒る技術」 PHP研究所 中島 義道【著】
ー内容ー
たとえ間違っていようと、あなたは怒るべきである。
20年にわたる壮絶な対人闘争から掴んだ「怒りの哲学」。
・・・・・・・・・
2002年04月29日(月)
 391, 休日の風景
休日の一日の典型の日が昨日であった。
時系列に書くと
・5時に目が覚める、30分位 うとうと
・5時半、 起床ーすぐ仏壇の前でおまいり 「お父さん、お母さん、運一さん、進さん、正子さん(兄・姉)、ご先祖様、
 そしてあの世のすべての人が安らかに過ごされますように!そしてこの世のすべての人が良くありますように。
 特に大変な人がよくありますように。仏様ご苦労様です。今日一日最大限いきます。そして明るく・・」
・5時35分ー6時15分  パソコン・・・・
・6時15分ー8時15分  散歩
・8時15ー11時   食事・新聞TV・読書
・11時      風呂
・12時      食事 パソコン
・13時      愛の貧乏大作戦ーTV
・14時      図書館・選挙
・15時      競馬・天皇賞ーTV
・16時?17時45分 WOWWOW ー映画ーリプレイスメント これが大当たりー面白い!
・17時45分?   笑点
・18時   近くのー100m先のサイゼリヤで食事(500mlの赤ワイン、牛肉の角煮、ムール貝、
      アンチョビのピサ、ドリア) 以上で2人で税込みで2100円。スーパーより安い! ウオーキング
・19時  サンマのからくりTV
・20時  巨人戦
・21時  居眠りーTVの前で  ビデオ少し
・10時半 就眠  
大体これで休みが過ぎる。80パーセントがこんなもの。あとはSC と映画 とあたりが加わる。


4051, シングルイン、31年間の総括 ー10

2012年04月28日(土)

   * つれづれに ー あれから一年
 去年の3月30日17時に会社を閉鎖して一年余りになる。激しく落ち込むと覚悟はしていたが、思いのほか平静の日々を過ごすせた。
会社経営から開放され現在でも宙に浮いたようで、長年、重荷を背負っていたことに改めて気づいた次第。 日が経つにつれて、
前倒しの決断をして本当に良かったと実感している。 しかし世界も日本も国債と株価も何とか持ち堪えている。 早ければ、
去年の11月、遅くとも今年末と思っていた 辛うじて4月末現在、何とか維持し現在に至っている。 世界の銀行と政府、企業の
金庫の中に六千兆円の十倍の6京円の不良債権が塩漬けになっている。 何時、それが表面化するか時間の問題でしかない。
 一番早く表面化しそうなのが欧州だが、日本も、中国も、何が起こっても不思議でない。日本は福島原発事故も解決したわけでなし、
かつ原子炉54基すべてが、止まったままである。 更に政変含みの状態。 年末の米国と韓国の大統領選挙まで持ちこたえるのか。
会社名義のホテルと駐車場抵当物件の処分が終わり、個人住宅も家内が買い取って全て終了した。ホテルも今までのホテル名で再稼働を
始めたという。有難いことである。 普段の生活が、もう少し手持ち無沙汰で暇を持て余すと思いきや、全く、それはない。 
 反面、倒産は倒産、犯罪者に近い目で蔑視される事実に驚いた。一般債権は、ほぼゼロ。社員への退職金の満額支払いは出来なかったが、
国の一部たて替えを含めると平均八割近く支払ったが、残債は残った。 一般債務分で補填すべきだったか? 30年間の担当だった
経理事務所の担当が言うには、「本当にキツイのはこれから」という。 その意味が、まだ分からないが、差別?蔑視からくる世間様の
何なのだろうが・・ 今のところ「シラミ!」の10回の呪文で、気持ちの処理が可能。 自分を含めシラミはシラミ。
 スポーツジムと、iPad、シネマ通いと、図書館の御蔭で何とか精神を保っている。 好きなことだけが出来るからである。
アウトサイダーに徹してきたのも、結果として良かった。小さな襞(地域)の中で、煩わしい因縁社会に組み込まれない生き方が、
ここにくると楽。 一歩、年金生活に入ると景気とか社会に対する温感が鈍くなる。 景気は最悪の筈だが、直接の悲鳴が聞こえない。
・・・・・・
3685、 自己を見つめる −9
2011年04月28日(木)
           「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 孤独については、これまで何度も書いてきた。結局、人間は独りでは生きられないのである。
しかし孤独は、世間とかいうのがある限り必要である。私の出身校の「長岡高校」の校是が「和同」の精神である。
和して同ぜず。 和せ、同じになるな!である。これは、それぞれが孤独を守る中から生じてくる。
ここで孤独について、ニーチェの体験を指摘している。 孤独の素晴らしさを「私の故郷」の良さに譬えているのは言いえて妙。
  ーまずは、その部分をー
【 ー孤独の大切さー ニーチェはかつて、孤独を「私の故郷」と呼んで、その至福にみちた優しさを讃えた。
孤独が終わるところ、そこに「市場」が始まり、世間の大人物や大俳優たちの騒々しさが耳を圧し、毒をもった蝿たちの
うなりが聞こえ、小人物たちの刺が私たちを突き刺す。そうした騒がしい市場を離れ、海辺に出て、高い品位をもって沈黙し、
岩陰にそびえ立つ大きな樹木を見よう、とニーチェは誘う。その樹木のように、静かに耳を澄ましながら、存在の声を聞こう、
とニーチェは促す。そのとき、ニーチェは、「孤独」の素晴らしさを、「私の故郷」と呼んで、その声が、なんと優しく、
また至福にみちて、自分に語りかけてくるか、ということを打ち明ける。ニーチェは、そのとき、あらゆる「存在」が、
「言葉」となって自分に開かれてくると言い、存在の内奥の秘密を宿した言葉の小箱が、一気に開かれ、ありとあらゆる生々流転が、
その秘儀を語り始めようととするかのようだ。 このニーチェの体験は、すべての人間の体験だと言ってよい。
言い換えれば、孤独とは、そこで私たちが本当の自分を取り戻し、改めて純粋に、自分自身と世界の人間のすべてを見直し、
存在の真相に触れ直す瞬間なのである。実際、私たちは、物事のほんとうの姿が何であるのかをよく熟慮しようとするときには、
世間や俗事の雑音を一旦は遮断しなければならないことをよく心得ている。たとえば、他の人々と大勢で、がやがやわいわい騒いで
いるときには、私たちは、ほんとうに自分らしく純粋に物事を見直し、考え直し、正しく事態を把握する余裕や冷静さを
持つことができない。 人間は、それほどまでに非力なのである。 】
▼ 世間や俗事の雑音を一旦、遮断するため孤独になるために、古典などの世界に浸ることが最も手短である。
 それか、一度自分の住んでいるところから外に出て、純粋に物事を考え直し、冷静さを保つことが必要である。
 宇宙の塵でしかない己を自覚すること、しかし、その塵の素晴らしい存在である一度だけの人生を自覚するためにも。 
 ・・・・・・・
2010年04月28日(水)
 『カントはこう考えた ー人はなぜ「なぜ」と問うのか』 石川文康著  −2 
* 理性は絶対を求め、「理念」を生みだす  
学生時代の問い「理念の意味は何か?そして、その理の意味は?」が、40年以上経った現在、その答えを見つけたのである。
何か微妙な感覚である。 理念が理性の「何故?何故?」を徹底した問いの極限というから、眼から鱗である。
  ーまずは、その部分を抜粋して考えてみる   P−24
≪ 理性的とは、「なぜ?ーなぜならば」という仕方で物事に筋道をつける能力である。それも、どこまでも道筋をつける能力である。 
というのは、「何故?ーなぜならば」の関係は原則的に一組でほ終わらないからである。一つの「なぜ?.」にいったん「なぜならば」
と答えても、その答えに対して再び「なぜ?」と問いうるし、そのまた「なぜ?」へとさかのぼりうる。 理由のそのまた理由……、
原因のそのまた原因……、という具合にである。そのようにして、「どこまでも」ということは、「徹底的に」という意味になる。 
そして「徹底的に」ということは、究極に迫るということ、すなわち、最後には「極限」にいたるということである。 
それは、理性が推理の能力であるということと表裏一体である。 ある物事(結果)の理由や原因には、そのまた理由や原因がある。 
すなわち、いったん「なぜ? なぜならば」の推理が開始されるや、その鎖は原理的にどこまでもさかのぼる。ということは、
理性は原因のそのまた原因、そのまた原因のさらにそのまた原因、等々の果てに、必然的に究極原因を求めざるをえなくなる。
要するに、理性は極限に迫らざるをえないのである。 いわゆる「理を通す」とは、そういうことである。・・・・
・・(中略) 冷めた言い方をすれば、理念は理性固有の本性や関心から理性自身によって生みだされ、現実社会に合理的な脈絡を
つけるために、現実社会のかなたに「投影」された像に他ならない。 それは現実社会を合理的に読みとくためには、
はなはだ有効であり、それどころか不可欠でさえある。 ところが、ひとたび投影され現実世界と融合した像は、いつしか
現実世界の一部はおろか、その全体として実在するかのように、うっかりと思われてしまう。 ちょうど、熱心な観客が映画の
スクリーンの中に、あたかも実在の世界があるように思い込んで、感動したり憤慨したりするように。 このように、
理念は「功」と「罪」の両面性を持っている。 この両刀論法、すなわちパラドックスの原因とオーバーラップする。
この理性の両面性事態がまさしくパラドックスである。 このパラドックスこそ、アンチノミー(二律背反)に他ならない。 
その理性が意志をコントロールし、決定をする。 ≫
 ー以上だが、我が社の理念とか、私の理念とかで、使うが、まずは理性から考えていかなければならない。
 そうすると、やはり何故、自分は目指すのか、そして、何を目指すのか、その根拠(理性=理由)を明確にし、
それを突き詰めたのが会社理念となっていく。 それが個人としての私の行動指標なら、その根拠の明示が必要になる。
 ・・・・・・・・・
2945,タレント知事をどうみるか? ー1
 2009年04月28日(火)
最近、一時なりを潜めていたタレント知事がマスコミで注目を浴びている。青島幸男、横山ノックなどで選挙民は、
その正体を見てあきれ果てたはずだったが、再び田中康夫、東国原、大阪の橋元知事、直近では森田健作が千葉県知事になった。
田中にしろ、橋元、東国原知事も、現在見るところ、最大限にタレントの経験を生かしているようだ。産経新聞のオピニオンという
コーナーで、その功罪を浅野志郎と佐高信が論じていた。浅野は、タレント議員を肯定する立場で、佐高は否定する立場である。 
まず浅野は「知名度で圧倒的有利なのは言うまでもない。外に対する発言力に長けている。マスコミに面白がられて目立つことも悪くない。
また政治的未経験について、「ほとんどの知事は政治未経験者だ。これは決してマイナスでなく、むしろメリット。僕は国家公務員を
23年7カ月間務めたので、知事になったとき行政についてはお手のものだったが、大きな改革や新しい発想をする時はマイナスになる。
『センス・オブ・ワンダー』、つまり驚きを感じる心が必要だ。東国原知事や橋下知事は県(府)庁に入って驚きの連続だったと思う。
 (字数制限のためカット2011年4月28日)
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2581, 連鎖する大暴落 -3
2008年04月28日(月)         才ノヽ∋?_φ(゚▽゚*)♪
この本の「まえがき」に「アメリカがいよいよ暴落する。・・・少しだけアメリカから離れましょう。
自分の財産を守りたかったら、ここで『損切り』を敢行すべきである。
 (字数制限のためカット2011年4月28日)
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2007年04月28日(土)
2216, 中村うさぎ               才八∋ウ_〆(∀`●)
  「女殺し借金地獄」 ー読書日記
書き写しながら、何でこんな文章を自分が?時間を潰していて、果たしてよいのだろうか?
と自責の念にかられる内容である。男には、こういう文章はかけない?ものである。
アル中の、買い物依存症の、バカ女が、それを売りに捨身で文章にして、生計をたてているだけの本でしかない。
それもブランド買いの世にも哀れな気の毒な底の浅さを売りに!その哀れな女のサガが共感を得るのだろうが・・。
(字数制限のためカット2012年4月28日)
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2006年04月28日(金)
1851, ローマから日本が見えるー7     才ノヽ∋?_φ(≧ω≦*)♪    ー読書日記
 千年以上にわたって広域の多民族を支配し続けたシステムの根幹とは驚くほどの合理的、かつシンプルで、
それぞれの民族にとってもプラスでなければならない。そこは突き詰めた組織の経験則の宝庫のはず。
その秘密が、『組織のローマ』の中で解明されている。時間をかけて写すだけの価値は充分にあった。
過去より現在の方が果たして進歩しているのだろうか? 宗教は人間にとってプラスだったのだろうか?
それは神のみぞ知る?である。著者はローマ帝国史を読んでいる時には、自分が皇帝になったつもりで
読むと良いといっているが・・・ しばし、皇帝になるのも良いものだ!
 ーーー
 第4章 『組織のローマ』、ここにあり
前章で述べた「リキニウス法」で、100年にわたる貴族と平民の対立は解消へと向かう。
この決断が、驚くべき決断であり、どの社会でも起こりえる階級対立は『取りこみ方式』で解消しようと
したのはローマのみであった。その選択が結果として正しかったのは、その後のローマ史が明らかにしています。
僅か100年前にケルト人によって、あわや滅ぼされそうになった民族がイタリアの覇者になれたのは、
貴族と平民の融和政策であった。平民の中から優れた人材を集めて、その人材を元老院を中心とした
統治体制の中で活用していくやり方を、今日の表現に変えると、「組織力」という一語に集約される。
 ー二つのネットワークー
歴史家リヴィウスをして『アレクサンダーをも退けたに違いない』といわせたローマの組織力は何も、共和制度だけに
負っていたわけではない。リキニウス法以後のローマには、同時代の他の国の持ってない二つの大きな武器がありました。
・一つは、モノや人を動かす上でのネットワークとしての道路網。
・もう一つは、ローマを中心とする、国家間のネットワークとしての「ローマ連合」。
この二つのネットワークの力で、ローマはイタリア半島の覇者になり、その後には地中海の覇者になるのです。
実はこの二つが同じコインの裏と表になるのです。別の言い方をするならば、
・道路網がハードウェアなら、
・「ローマ連合」がソフトウェアであった。
歴史家プルタルコスは、ローマが他を圧して大きくなった理由として次の一言に要約しました。
「敗者さえも自分達に同化させる彼らのやり方ぐらい、ローマを強大化に寄与したことはない」
この美徳はロムルスの時代にすでにサビーニ族との同化において現われていたが、それが王政から共和制に
移行した後も変わることがなかった。
  ー次回は、その「ローマ連合」の内容である」   ーつづく   o(▽^*)ノ~~=バイ?バイ♪  皇帝諸君!
・・・・・・・・ 
2005年04月28日(木)
 1486, 男と女
男と女を語らせるなら、「オカマ」が面白い。その話が面白くて一時オカマバーにかよったもの。
あからさまな女の本音を聞かせてもらえたり、突如、男に変身?する身の変わり方が絶妙である。
最近になって書店で、特に目につのが美輪明宏である。なるほど読んでいて鋭いが、あくまでも男女間の機微だけで、
人間の本質に関しては深くはない。これもオカマの宿命で仕方がないのだろうが。近くの図書館から借りてきた本で、
現在売れっ子の美輪明宏と斉藤隆の対談集の「人生賛歌」ー大和書房ーがよい。特に「第四章のセクシュアルに生きる」
ー弱い女と強い男は見たことがないー美輪明宏の言葉がなかなか男女の本質の差を言い当てている。
 ーその一部を抜粋してみるー
長い間、男女を見てきて思うのは、女はものの考え方がとても大人なんですよ、老獪なんです。
ところが視点が「浅いところ」をみている。男の考え方はとても幼稚で子供っぽい、稚拙なんです。
ところが実は「深いところ」を見ている場合があるんです。そこが女と男の本質的な違いがあります。
女は生まれながらにして、大年増、「オバタリアン」なんです。 小学校の6年生の男女を比べると、
一年と六年生位の差があります。 はるか年上の先生を好きになったり、性的に迫ったり、悪知恵を働かせます。
最近私がよく言うのは「弱い女と強い男は見たことがない」ということです。
中小企業の社長で死ぬのは男だけ、女は絶対に死にません。社会通念では「女がロマンチスト」で「男は現実的」
と考えられているが、これはあべこべなんです。ちょっとした叙情的な要素はあるが、女は現実そのもの。
私は男性がロマンチストで女が現実的というのは、それが必要だから、神様がそのようにつくったのだと思います。
男が雄雄しく、女は繊細でつつましく、やさしくあれというのは、実はそうでなかったからそう言われていたわけなんです。
女が現実的で、男はロマンチストだから、女に天才が少なくて男に天才が多いんです。男は仕事のほうでは驚くくらい老獪でしたたか、
抜け目がなくて油断ならないところをもっている。しかし、私生活になったら、迷子になるぐらい方向音痴だったり、
世の中の常識を知らなかったり、ストンと大きなところが抜けています。そのギャップが天才の資質なんです。
・・子供っぽさと深いところを見ている大人のところの落差が、天才の条件なんです。
▼ 姉が上に4人もいたことと、女性の職場にいたため、この程度の男女の違いの内容は常識で初歩的でしかないのは解るが、
 しかしオカマが言うから面白い。何で時間をかけて書き写したかといえば、ズバリ解りやすく表現しているからだ。
女は男よりシビアで現実的なのは生理があり、一つ間違えば妊娠してしまう立場にあるからだ。
雄犬と雌犬の差である。雄犬は本能に任せておけばよいが・・女性も見ているので、この辺で止めておいたほうがよい。
・・・・・・・・・・
2004年04月28日(水)
 1121, 平均寿命100歳!
新聞を読んでいたら、「今世紀後半に平均寿命が100歳になるとなるかもしれない」とあった。
 ーその概要を書いてみるとー
線虫をモデルに、老化にかかわっている遺伝子「クロック1」を傷をつけると1・5倍に延びるという。
同じような遺伝子は人間にも見つかっており、「人も遺伝子の操作で最大1・5倍の延ばすことも
不可能でないはず」という。人間の寿命が120歳が定説になっているので、単純に当てはめれば180歳まで延ばすことが
可能でないかということになる。「老化は体内の神経系、免疫系のバランスが崩れ、体全体の機能が低下すること」である。
この研究を進めることによって、老化そのものを遅らせることも可能になる。脳が重いほど最大寿命量が長いともいう。
その意味からみても人間はより長生きができる可能性を持っているといえる。
 ー以上だが、新聞の死亡欄を毎日見ているが、90歳を越えた人が多いのに驚かされる。100歳の平均寿命の可能性は、
一昔前までは考えられなかったことだ。長生きは、元気であるかぎりしたいものだが、100歳まで生きたいとは思わない。
 (字数制限のためカット2010年4月28日)
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2003年04月28日(月)
 754, サエゼリアで思うこと
 サエゼリアのことは、よく事例として書くが更に書く。先日の新聞でスパゲッテーを何割か値下げを発表した。
290円ラインのスパゲッテの新商品も新たに加えていた。少し工夫すれば夕食を二人で千円で済むことになる。
ドリアにスパゲッテーにミニサラダにグラスワインで千円である。 さすがである。 
イタ飯は、一つのサラを2~3人で食べるのが中華料理と同じだ。前菜を入れて三品を食べたことになる。
 ー以下の文章は数ヶ月前に書いてそのままペンデングしておいた内容である。
 (字数制限のためカット2010年4月28日)
・・・・・・・
2002年04月28日(日)
 390, 因縁と果報
因は直接原因、縁は間接原因。 果は直接結果、報は間接結果。 嫁を求めている男が、ある知人の家に遊びにいて、
妹を見初め結婚をした。因が嫁を求めていたである。縁がタマタマ遊びに行ったーこれが間接原因である。
果は妹と結婚したである。報は知人と嫁本人が納得して応じたである。よい果報を得る為には、よい因と縁をなくてはならない。
特に因が大事だ。その因に縁がついてくるからだ。その中に感謝する気持ちがある。感謝をすれば、感謝をするような事が
どんどん集まってくる。これは意外と難しい事だ。 感謝は言葉を変えれば、ありがたいことに気づく事だ。
特に商売をしていると、客様のありがたさを見落とす事が多い。顧客第一主義といいながら、そのことを忘れてしまう。
準備は「因」づくりそのものである。準備は誰でもやれる魔法である。解っていながら?それをおろそかにする。
そして「果」のみを追う。事業でも、旅でも、人生でも全てそうだ。教養とは生きていくための基礎知識だ。
永年かけて積み重ねていくものだ。ところで基礎教養が自分にはあるのだろうか? 
過去にその準備をしてきたのだろうか?ただその問いかけは常にしてきたつもりだが。


4050, 一時停止 ー8

2012年04月27日(金)

                 「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
   * 「好き」という言葉が好きだ
 ≪ ・・・ ぼくは生きる上でいちばん大切なのは、好きになる気持ちだと思っているだ。好きになるのに理由はない。
  「好き」はじぶんのからだとこころのもっとも深いところからわいてくる。 むりして好きになるわけじゃない、自然に
  好きになる。好きになる気持ちは人間に、そしてほかの生きものにも、はじめからそなわったすばらしい能力だと思う。
   何かを、誰かを好きになること、じぶんが生きているこの世界を(それがときにどんなに苦しく悲しいものであれ)好きになること、
  そしてこれがけっこうむずかしいんだけど、じぶんじしんを好きになること。じぶんがきらいじゃ、ほかの人を好きになれないし、
  生きているのがつらくなる。はじめきらいだと思っていたものや人が、知っていくにつれてだんだん好きになるってことだってある。
  ぼくは「好き」ということばが好きだ。     (母のひろば482号一 二〇〇四年) ≫
 ▼ 人生の早い段階で好きなことを見つけ、続けることは大事なことだが、それぞれの年代ごとに、蛇の脱皮のように、好きなことを
  変えることも必要である。それは男女の出会いに対していえること。 節目ごとに好きな対象が変化するものと、一貫して好きを
  貫くか、である。「 好きと嫌いじゃ どれほど違う 命ただやる ほど違う 」という都々逸があるが、それほど好みは根源から
  湧き出るもの。 反面、「好きになるまで取り組んだことを突き詰めれば、奥底好きになれる」こともある。好きという言葉は、
  人生の鍵を握っているようだ。現在の自分が好きになれるか? 特に、人生の晩秋に差し掛かった時期の自分が、どうだろうか?
  「日々、面白い!」と思えるかどうかが目安。ここまでくれば、「突き抜けた自分を好きと思うしかないか!」自嘲的自己肯定か、最期は。
   ・・・・・・・
3684, 自己を見つめる −8
2011年04月27日(水)
              「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
  * 仕事について
 第二の人生に入って一ヶ月足らずになる。 今月から仕事・事業人生から無職のリタイアの人生に入った。
人生の大部分を仕事を通して幸福・不幸の波の中で泳いできた。仕事は人生の核であることは間違いない。
社会の中の存在意義が仕事を通して証明される。そこで表現した中に自分が見えてくる。仕事、趣味、そして学びは人生の三本柱。
人生のプロセスで、その重心が変わってくるが、男は家族を作り、養っていかなければならない。だから仕事の比重はのしかかってくる。
とはいえ、三本柱の一つだが・・・
  ーこの本の中の仕事に関する部分を抜粋して考えてみるー
【 したがって、社会に応えてなんらかの役割を果たし、世間に寄与することができるということは、人間の自己意識にとっては、
自己の存在の意味を確認することのできる最も直接的な答えであり、また喜びであることは、疑いようのないことだからである。
もちろん、そうした仕事における労苦のうちには、失敗や挫折、困難や事故、予期せぬ妨害や災害、さらには競争や不運など、
実にさまざまな心労の種が含まれていて、人生の現実が容易ならぬものであることが、誰にでも、ひしひしと実感されてくる。
人生における懐疑や煩悶、疑心暗鬼や気欝は、多くの場合、仕事をめぐるトラブルや、そこに絡んでくる陰湿な人間関係に起因する
ものであることは、否定することができない。けれども、そうした暗欝な影にもめげずに、自分の関与する仕事の有意義性を確信して、
少しでも前進し、実りある人生行路を切り開こうとする人にとっては、やはり、仕事を措いて、人生の実質上の道程は考えられない
ことになるであろう。そして、もしもその人が、強い信念の持ち主として、どんな障害にも屈服せずに、この世界では善が勝ち、
道徳的な世界秩序が実現してゆくはずだと確信することができるならば、たしかにヒルティも述べたように、その人にとっては、
仕事を通じた人生の意味と幸福が、力強く確認され、労働の喜びが増すであろう。】
 ▼ 「人生における懐疑や煩悶、疑心暗鬼は、仕事をめぐるトラブルや、それに絡んでくる陰湿な人間関係に起因する。」
 しかし、それを乗り越えて仕事を成し遂げることこそ、その醍醐味がある。とはいえ、経済震災や、自然震災は、その全てを
 飲み込んでしまう。これほど大激震だと諦めがつくが。これも人生。人生の多くを事業を通して多く学び、楽しんだことも確か。
 まあ、面白かった! 
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3319, 理性の「理」は、理由の「理」
2010年04月27日(火)
   『カントはこう考えた ー人はなぜ「なぜ」と問うのか』 石川文康著
 学生時代に理念、理性の「理」の意味は何だろうと疑問に思い、ゼミの人たちに聞いてみたが、納得する答えがなかった。
そこで字づらから、王の里で、真理の大元と一人合点をした。ところが、先日図書館で借りてきた
『カントはこう考えた ー人はなぜ「なぜ」と問うのか』 石川文康著に、カントの「純粋理性批判」中の「理」が解りやすい。
 《 理性の「理」は、実は理由の「理」にほかならない、と述べている。 欧州の古典語であるラテン語で「理性」を意味する 
「ラテオ」は、同時に「理由」を意味する。理由とは、「なぜならば〜」と表現されるもので、物事の「根拠」、
 物事を「根拠付ける」働きを意味する。さしずめ「なぜならば」と答える能力が理性であると言ってよい。
 20世紀のハイデッガーは、理性と理由、理性と根拠が同一であることを際だたせて、次のように述べている。
「理性とはラチオのことであり、すなわち根拠の能力。理性は物事を基礎づける根拠である。根拠は純粋理性の理性的根拠以外にない」
 ところで、この「なぜならば」といきなり、切り出すものはいない。それを誘導するものがある。それは「なぜ?」という問いである。
「なぜ?」と問われて、はじめて「なぜならば」が発せらるのである。・・・ 》
 ▼ 以上だが、理性的とは「なぜならば」と答える能力である。と同時に「なぜ?」と、問う能力である。
 分かっているようで、分かってなかったようだ。そうすると、常に「なぜならば」と「なぜ?」を、考えている人が
 理性的ということになる。人は「なぜ『なぜ』と問うのか?の答えは、「人は根拠となる物事の基礎を把握したいため」である。
「なぜ?」「なぜならば」と、言っている限りは、理性を使っていることになる。 ということは、根拠=原因を知りたくなる
 根本的な探究心のため何か驚いたり、知らない現象に出会うと、その背後にある原因を探したくなり、「なぜ」と問うのである。
  認識に経験論と合理論があるが、合理の理性から物ごとを認識をするという場合、経験が直接的に認識するのに対して、
 合理の理性で把握するのは間接的に認識する、ということになる。  −つづく
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2944,ブラックアウト
2009年04月27日(月)
 ーブラックアウトについてネットで検索をしたら、以下のようにあったー
blackoutは、飲酒中やその直後に自分の行ったできごとについて、翌日に一部の記憶がなくなるアルコール性記憶喪失をいう。
例えば、飲んでタクシーで帰ったが、友人に乗せられたまでは覚えているが、その後はまったく記憶がないなどである。
社交飲酒家でも認められるが、アルコール依存症者ではしばしば認められる。ブラックアウトの出現はアルコール依存症の入門切符。
▼ 「元スマップの草薙剛が、ブラックアウト?で逮捕された」と報道された。深夜三時ごろに全裸で騒いでいるところを
 逮捕されたもので、何と猥褻罪という。深夜に素っ裸で公園にいたところで誰に見られた訳でなし、やりすぎではないかと
思うのは私だけではないはず。有名人でなければ、これだけ騒ぎになるわけでなし、酔っ払い保護センターもあるし、騒ぐほうも騒ぐほう。
(字数制限のためカット2012年4月27日)
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2580, 閑話小題
2008年04月27日(日)       \(⌒∇⌒)/おはよ?!
 ー哲学と思想の違いー
池田晶子著の「暮らしの哲学」で 「哲学」と「思想」の違いについて次のように書いている。
『「哲学」と「思想」の違いは「哲学」とは考えることであり「行為」である。
それによって導き出された言葉なり文章なりの結果が「思想」である。だから「哲学する」とは言うけれど「思想する」とは
言わない』と。 解りやすい説明である。「哲学は考えること。思想は思いこむこと」 というと、何か違うような気がする。
 人の考え、思い込んだことを言語化したもので、貼り付けることが出来るのが思想で、考える行為が哲学ということ。
一般的には、哲学も思想も同じように論じられているから、話がややこしくなる。
ここの差異をハッキリさせおくと、哲学・思想書関連の本を読んでも整理がつく。
 ー何でも半分ー
 (字数制限のためカット2010年4月27日)
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2007年04月27日(金)
 2215, 買い物依存症の女   ^O^ノ  オアヨーン
海外ツアー、それも秘境に行く人は、心に大きな負担を持った人が多い。ある年代になれば誰もが何らかの問題は抱えている・・
特に刺激を求めてアフリカ、中近東、シルクロード、南米などに行く人は人生の究極を求めている人が多い。
その中で、「買い物依存症」の人が何人もいた。明らかに病的の、「やり手?ブランド嗜好の金ぴか中年女」である。
(以下、字数の関係で中略2009年4月27日)
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2006年04月27日(木)
1850, 2008年、日本は大きなクラッシュに? ー1        おはよ?!(*^ワ^*)i
 昨日、池袋で開催された『資産防衛セミナー』での第一声の講師の言葉が「平成20年に、日本は大きなクラッシュになる!』である。 
そして「その対策を、具体的手順にふむべき時期がきている」という。二年半前に同じ講師で同じテーマのセミナーに参加したが、
再び参加してみた。5回も参加している人もいるという。その衝撃的な内容は絶望度をましていた。景気回復など論外。 
現在の日本の事態は生やさしいものではないという。本屋で数年前まで悲観的な表題の本が平台に積まれていたが、
最近は見かけなくなってきた。 少し温かい微風がふいているからだ。この講師の話を聞いていると、その絶望的な話は不変であった。 
2~3年以内のクラッシュも、あながち有得ない話ではない。
 ー印象的に残った部分を列記するとー
・金(ゴールド)など現物に替えておけ、グラム6000円も有得る(現在2000円)
・ハイパーインフレはもう始まっている
・銀行閉鎖も最悪の場合ありうる(その場合は貸し金庫も閉鎖される)
・金利が5~10?を覚悟をしておいたほうがよい
・日本はアメリカの植民地国家
・三井住友銀行の貸し手に対しての、脅しもどきの取立て現場の生々しい話
これからの日本の混乱の生々しい予測と現状の内容である。 現在は明治維新時、第二次大戦の敗戦時、と同じ有事の時。
それを明確に意識をして、ことに当たるべきだという。思い切った決断しか、これからの時代は生き残れない!ということか。
私が感じているより、遥かに事態は深刻のようだ。日本は、これから何処に漂っていくのだろうか?
「日本という国は、潰れない。ただ、国民の財産を根こそぎアメリカ資本に持っていかれるだけだ!
 その防衛は、それぞれの自己責任で防衛するしかない!」が印象的であった。   ー つづく    ε(´',_c')зβyё        
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2005年04月27日(水)  
 1485, 24歳の日記ー3
 3月31日 1970年
昨日、最終的に実家の会社の一員になることが決定した。恐らく三年後あたりが目途であろう。
それまでに、自分の力をつけなくてはならないのだ。もう許されないのだ、いい加減な姿勢は。
息苦しい感じがしたが、それでもハッキリとしたものが見えてきた。これからは、衣料店だけでなく他の事業も
考えなくてはなるまい。もう、サイは投げられたのだ。これから大事なことは、「自分を自分の相談相手にすることだ」
この時期は二度とない大事な時期である。足元を見つめなおして一つずつこなしていかなくてはなるまい。
ー私の現在思っている言葉の定義を、そのまま書いてみようー
・「贅沢」とは、他人の目を意識をして、そのために意識や金や物を使うことなのか。
・「生きがい」とは、自分の価値を明確にして、その追求をするプロセスの一瞬に感じる満足感
・「言葉」は大事な要素である。しかし、それは行為にあとに出てくるもの。
 その行為は、生きた言葉、生きた人間そのものである。
・「神」とは、真善美の理想形として人間が創りあげたXである。
・「真」とは、ものごとの本筋・本質をいう。
・「決断」とは何だろうか?その裏づけになる理論と、その後の行為が肉付けされて達成に至るものだ。
・「善」とは、道徳のいや、価値の側面である。道徳は社会の中の規範であるが、その社会の規範は過去のものでしかない。
・「誠」とは、裏切りを知りながらそれを乗りこえて生きることである。
・「美」とは、美を感じる心が無くては。美を感じる心とは、対象のバランスを
  自分の中のバランスとして受け入れる感受性である。それは、真善においても同じだろう。
・「克己」とは、自分の壁を乗り越えること。人に勝つ前に、自分に勝たなくては!
・「価値」について、それぞれの社会の固定化された欲求?
 それとも目標? 外部に価値を見出すべきではない。そうなった時は自分に迷いのあるときである。
・「力」とは何か、人間がただ頼れる一つのエネルギー?
 今の自分は自分自身を信じて自分の足で立つことだ! 見えない未来に向かって。    おやすみ!
 ー2005年4月27日5時半ー 記
 よくぞまあ、35年前にこんな難しい?ことを書いたものだ。 難しいことというより自分の頭の中の言葉を引っ張り出して
 曝しているのが有効である。深くは考えないで、その時に気ままに日記に書いたものだが言葉の重要性に気づいたのだろう。
 この一年で情報と言葉の「切断」の重要性にも気づいた。カレーライスをつくるのにそれぞれ素材を目的に合わせて切断する。
 情報や言葉も同じであることに。この一年ほど、自分の一生にとって有意義な年はなかった。
 一見、無駄に見えたが基礎の再構築だったようだ。常に社会と一線を引くスタンスが、この一年で身に付いた。
 姉夫婦が、小さな城下町の価値観の世界を全世界と信じて疑ってない姿を身近で観察できたこともある。
 内海にいる魚は海そのものがどういうものか知ることがない。陸に上がって海そのものを見ることができない。
 まして、自分が内海にいることも知らない。 人間全てにいえることだが。
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 2004年04月27日(火)
 1120, 「ライフ・レッスン」ー7
  ー時間のレッスンー
・時間のなかで、すべてのものは変化する。内面も変わり、外面も変わる。 外観も、内的自己も変化している。
人生はたえず変化をつづけているが、ふつう、変化を好まない。それに抵抗しようとする。そうこうしているうちに、
周囲の世界のほうが変わってしまう。変化の速度は、かならずしもわたしたちの内的速度と一致しているわけではない。
たいがいは早すぎるか遅すぎるか、である。変化とは慣れ親しんだ状況に別れをつげて、不慣れな状況に直面すること。
あたらしい状況そのものでなく、そこにいたる間の時間に不安を感じることもある。
「一つのドアが閉まっても、別のドアが必ず開いている。・・でも、それぞれドアにつうじる廊下にいるときが、いちばんつらい」
変化はたいがい、ドアがバタンと閉まってしまった場合始まる。先が見えなくなり、人は不安な時間を過ごす。
  (字数の関係で中略2009年4月27日)
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2003年04月27日(日)
 753, 孤独について考えてみた
 自分の強みは何だろうと考えてみた。「孤独に強い事」である。あまり人といなくとも平気である。
若い時の都会の生活や勤めの時代に鍛えられたことと、8人兄姉の末っ子だったこともある。一人でいつも遊んでいたという。
創業を独りで何回か経験をしてきたのが、さらに孤独の訓練になった。孤独をポジティヴに前向きにしなくては、無から有は創れない。
青年期はそれほど強くはなかった。実際は空元気であった。「孤独を恐れるのは、ひとりそのものではなくて、孤独であることを責める
自分の中の内在化された他者の声である。それが多くの人の心を責めさいなまし、安らかな心を破壊してしまう・・」とある本に
書いてあったが、私の場合そのような内在化された他者の声は全くない。独り事業を何回か立ち上げてきた為に内在化する余地が
なかったのだろう。それと行蔵が整理?されていたこともある。幼児期に両親や姉兄に愛情をそそがれた事が大きい。
 日本というのは孤独を白眼視する、同調的で画一的、群れや集団に属さないことを忌避する、個人が自立できない
幼稚な社会である。これは仏教と島国が長年の間に影響してきたのだろう。現代のように人から嫌われることを極度に恐れ、
他人に従順になりすぎる大多数の人には、逆に「人から嫌われる強さ」が必要である。群れていれば安心している輩があまりにも多い、
まあ如何でもよいことだが! 孤独をきっちり確立した上で、寂しさを紛らわしたくなったら、そういう場に行けばよい。
独身時期はきっちりとその組み立てをしていた。居酒屋に行けばいくらでも、癒してくれる店主やママや飲み仲間がいた。 
本当に孤独に対して訓練されてない人が多い。そういう人が仲間になって群れてしまうから更に悪い。
今回の青年会議所仲間同士の殺人事件など、そこがバカや低脳児の集まりの場でしかないことの証明でもある。
本人たちは全く気がついてないのが哀れである。仕事の手段として群れているつもりだろうが、手段が目的にすりかわってしまうのだ。
手段の遊びが、目的になってしまうのだ。 過去を考えると他人事ではないが!??
  ー孤独を失った時の損失を考えてみると
 ・独創性や創造性であり ・夢や目標や目的の喪失であり ・自我の確立であり、また自己の心の成長であり
 ・自分らしさや個性、独自性、心の自由、行動の自由、趣味の自由などである
群れや際限なき仲良しゴッコはそれを補ってあまりあるものなのか疑問である。たえず友達や仲間といっしょにいる人は、
群れの奴隷となり、自分を失っている。私の嫌う子狐があちこちで群れているが、「和して同ぜず」ではなく、「同じて和す」
ということ。その「同じる」が恐ろしいのだ。「個性個性、孤独孤独といって石のカタチの違いこそ大事だといっても、
所詮は砂利は砂利でしかないのに、解ったことをぬかすな!」という心の奥の声がする。
・・・・・・
2002年04月27日(土)
 389, どういう時代に?
  今年来年はどういう年になるだろうか?
・今年はブロードバンド時代の新しい形が、製品や社会現象で新しい形で出てくる年である。ー孫正義
 携帯TV電話、液晶TV、BSハイビジョンTVなどの普及
・何を発信できるか、するかの時代になってきている。ー堺屋太一
 ホームページは発信の窓か
・嵐の年、そして来年もビッグバンを間接原因にした倒産の嵐、失業の増大 
 身近に失業者や倒産廃業が増えてくるデフレの進行 
  (字数の関係でカット2011年4月27日)


4049, 一時停止 ー7

2012年04月26日(木)

                   「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
  * 公共広告「あなたが大切だ」について  (ふくろう通信一二〇○八年春)
≪    命は、たいせつだ。  命を、たいせつに。
     そんなこと、何千何万回言われるより、 「あなたが、大切だ」
     誰かがそう言ってくれたら、  それだけで生きて行ける。
 不思議ですね。このコピーは不特定多数に向けられた言葉なのに、まるで誰かが私に向かって言っているかのように感じられる。
この短い文章の中で「命は大切とい一般論が、「あなた」という、ただ一人の人間に向けられた言葉に変換されたからでしょうか。
コピーに添えられた写真の少女は、もう何かを訴えかける元気もなく、孤独で病的な表情でこっちを見つめています。この少女にとっては、
一対一で自分と向き合ってくれて、自分のことを本気で気に向けてくれる誰かが言う「あなたが大切だ」という言葉が、「魔法の言葉」
なのではないでしょうか。「元気になる魔法の言葉」は、もしかすると本や雑誌やテレビ番組の中にも見つかるかもしれませんが、
何よりも身近な人の言ってくれたこと、書いてくれたことにひそんでいるのではないかと私は思います。 たとえば大切な人と
別れなければならないとき、別れの悲しみと苦しみが深ければ深いほど、どんな言葉も自分を元気づけてはくれないし、慰めても
くれないと思いがちです。でも、もう言葉が何の役にも立たないと感じられたときにも、私たちのこころとからだの奥底で言葉は
もがきながら生きています。だから言葉にならない自分の悲しみ、苦しみが言葉になったとき、私たちは元気になるきっかけを
つかむことができる。 同じように、誰かが苦しみ、悲しんでいるとき、私たちはその人のこころとからだにひそんでいる言葉と
共振する言葉を探します。それはとても微妙で繊細な作業ですから、場合によっては言葉を探さずにただ黙ってその人のそばにいて、
その人を抱きしめるだけのほうがいいこともあるでしょう。辞書には載っていない「魔法の言葉」は、変幻自在ですから。   ≫
 ▼ 本を読むということは、書き手の意図を、自らに対する言葉に切り替える作業でもある。 一人も「あなたが大切だ」と、
  言ってくれなくても、著書を通して書き手から、私にとって自分自身が最も大切だと受け止められれば良いのではないか。
  とはいえ、それが出来る人は僅かとすると、やはり直接、誰かに言われたいもの。幼児期に両親から愛情を多くそそがれた人は、
 「あなたが、大切だ」という気持ちがシッカリと根付いて、その人の人生の土壌になる。 両親の愛情は大切である。
 ・・・・・・・
3683, 自己を見つめる −7
2011年04月26日(火)
                 「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
  昔ほど、生甲斐という言葉を言わなくなったが、そのかわり、「好きなことを見出し楽しめ」というようになった。
 生き甲斐は、それなりの覚悟と追求のエネルギーを要するが、「好きなことはを楽しむ」には、それほどの重さはない。
 生き甲斐について、著者は以下のように納得できる説明をしている。
  * 生き甲斐の探究
【 私たちは、この世の中を生きるとき、なんらかの形で、生き甲斐を求めている。生き甲斐のない人生を好んで求める人は、
 考えることができない。 生きるということは、みずからが、そこに意味を見出し、なんらかの有意義性の成り立つことを
 信じることのできる道程を発見して、そこに自分の人生の基盤を据えて、自己の時間的な生成過程と、振幅を含んだ多様な遍歴の道を、
 辛苦や労苦を越えて、歩み進もうとする覚悟にもとづいて初めて成立する。 それを可能ならしめるものが、生き甲斐にほかならない。
 むろん、その生き甲斐という問題は、さまざまな局面を含んでいて、けっして単純ではない。 けれども、生きる意味を信じ、
 自分の人生を肯定できる道程を発見し、そこで自分の人生の充実を図って生きる、という構造を含まないような人生設計や
 人間活動というものは、人間の生き方として、考えることができない。意味や有意義性は、ディルタイがすでに指摘したように、
 私たちの生を構成する最も基本的なカテゴリーなのである。 そうした生き甲斐とは、それを最も強い形で言い表せば、
 自分の死に場所を発見することと同じだと言えるであろう。 その道を突き進んで、その果てに自分はもう死んでもよいと
 言えるような生き方とその内実を発見したときに、その人は自分で自分の人生の充実を図って生きる、こういう構造を含まないような
 人生設計や的活動というものは、泰然自若、自己であることに安らうはずである。 たしかに、「人生、いたるところに青山あり」である。
 しかし、ほんとうに死んでもよいと思える場所と生き方を、最終的に見出すことは、けっして容易ではない。何人も迷いを免れがたいもの。
 けれども、人間は、最後には、自分を捨て、 そこに自分を埋めてもよいと覚悟できる人生の住処を求めている。】
 ▼ 「生き甲斐とは、自分の死に場所を発見することと同じ。その道を突き進んで、自分はもう死んでもよいといえる生き方と、
   その内実を発見したときに、泰然自若、自己であることに安らう」は、納得する。 本当に自分の好きなことを見つけ、
  全霊を傾けて自分のエネルギーを叩きつける時に、生甲斐が生じる。 それがない人生は、空虚な喪失感が付きまとう。
  しかし生甲斐は、そう簡単に得ることはできない。極限の中にこそ、生じてくる。生甲斐を感じているときが、自分の心の芯に
  いる時であり、自分である時である。家族の為に我を忘れて必死に働いている時、振り返ってみた時に、生き甲斐を見出すのである。
  そこには、意味も意義も充分にある。 全身全霊をかけて対象に取り組んでいる中に生き甲斐が生まれてくる。
・・・・・・・・
3318, 悲しみ、苦しみは人生の花
 2010年04月26日(月)
 「悲しみ、苦しみは人生の花だ。悲しみ苦しみを逆に花咲かせ、楽しむことの発見、
  これはあるいは近代の発見と称してもよろしいかも知れぬ。」これ坂口安吾の言葉である。
 それなら喜び、楽しみは果実というところか? 60数年の人生を振り返り肯定的に眺めれば、そうかもしれない。 
 私の実感は、悲しみ、苦しみ人生のレッスン=学びである。 近代の発見とは、目標の発見と解釈できる。 
 また花咲かせるとは、目的、目標の達成である。 目的達成のプロセスこそ人生の花というのも肯ける。「花も嵐も踏み越えて」
 という歌の文句があるが、人生とは挫折を乗り越えてこそ、その先の喜びも大きくなるもの。「悲しみ、苦しみは人生の花!」は、
 なかなかいえない言葉だからこそ、心に響くのである。 自分の子供に先だたれた親に、この言葉が当てはまるのだろうか。
 それも運命と割り切って受けとめることも人生なのだろうか。 「災い転じて福と成す」これが人生の真髄というが。
  大きな時代のウネリの中でこそ、味わいたい言葉である。 過去を振り返ると、一番のどん底の時ほど、周囲の人の苦しみや
 悲しみに対して鋭敏になり、優しい言葉をかけていた。 その時ほど多くの人と心が通いあっていた。 言い換えると
「どん底の時期は人生の花の時期」。「一番苦しかったけれど、一番楽しい時だった」と、気づくかどうかである。 
 私の場合は「人生、面白かった〜!」が実感だが。「喉ぼと過ぎれば熱さを忘れる」で、それなりに人生、色いろある。
 「人生、当たり!」と自己暗示するしかないか〜 
「悲しみ、苦しみは人生の花」と、心の底から思えたら、それは一種の悟りだろう。   あれが花?
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2943電動式ステッパー
2009年04月26日(日)
 スーパーやホームセンターで、「自力式のステッパー」を見ていたが、知人が毎日使っているが、非常に良いとは聞いていた。 
ところが電動式ステッパーを家電店でみつけたので売り場で使ってみたが、なかなか良い。 足の部分が勝手に動くものだが、
しかし13万円もする。数ヶ月前に電気ウエーブ・マッサージを見つけたが、12万円もする。そこでネットで廉く小さいのを探したら
1万4千円のものがあった。さっそく買って使っているが、これが大当たり。 朝晩使っているが腰と胃腸と血流に非常に良い。 
 それなら電動ステッパーも廉い簡易式のがあるはずと「電動ステッパー」と検索を入れたら、アマゾンやビックカメラのネットで、
29800円のものがあった。さらに価格ドット・コムで調べたら最低価格が7665円(送料別)があったので、さっそく注文した。
   (字数制限のためカット 2011年4月26日)
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2579, 連鎖する大暴落 -2
2008年04月26日(土)              (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
 サブプライム問題は、予測できることであった。だから、逆張りも出来たはずだが、それも振り返ってみればの話。
オバマが大統領になると断じているところが面白い。民主党は(クリントンは新鮮味がないので)オバマとしても、
共和党のマケインとは互角だろう。しかし民主、共和党が10年ごとに交代することに話がついている、というのも肯けること。
この本の通り、日本がアメリカの属国と割り切ってみると、日米関係が改めてシビアに見えてくる。
世界中の物資を、ドル、アメリカ国債などの紙切れの偽札モドキで交換しているに過ぎない。
特に日本などは、それで高い兵器を言値ねで買わされているのだから哀れなもの。この本を読むと、ドルが60円台、
株が3000ドルも、なんら不思議ではない。ー前著同様に、この目次だけでも内容が充分に要約されている。
[目次]
第1章 私の予言はなぜピタリと的中したか
 ・サブプライムローンの破綻はすでに2007年の5月にははっきりしていた
 ・アラン・グリーンスパンFRB議長は2005年に警告を発していた 
 ・ニューヨークもこれから三ヶ月ごとに大暴落していく
 ・返せそうもない人々に無理矢理お金を貸し付けたのがサブプライム  
第2章 大暴落がこれから3カ月ごとに襲い来る
 ・専門家と称する詐欺師たちが金融の八百長をやってきた
  (字数制限のためカット 2011年4月26日)
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2007年04月26日(木)
2214, 中国人移民の話       <(_ _)>  オハヨウゴザイマス            
 去年、新宿周辺を知人の車で案内してもらった時、青梅街道などに韓国人商店街や、中国人商店街が出来ていたのには驚いた。
アメリカをはじめ、何処の国の首都には中国人街がある。 朝鮮人街も時には見かけるが、日本人街は殆ど見かけない。
中国人街を見るたびに、中国人の海外居住者は何人いるのだろうか?という、素朴な疑問を感じていた。
 ー先日の毎日新聞に中国人の移民の記事があった。
 それによると、海外在住移民の数が3500万人!  こんなもの?と思ってしまった。
 シンガポールや、インドネシアが果して入っているかどうかは、この記事には無かったが。 
総国民の3%が多いか、少ないかだが。「イタリアのミラノ市で、移民と警官隊が衝突」という見出しであった。
これによると、ミラノでは1平方?の地区に500軒以上の店がひしめき、20年前の500人のミラノ在住中国人が13000人と、
26倍も膨れ上がったという。イタリア人は欧州でも働かない国民性で、中国人の「勤勉・活気」に妬みと軽蔑の気持ちが強く、
互いの軋轢が出てきている、という。 その横の関連記事として、中国人の移民の実態のレポートがあった。
その内容を要約すると、
・大陸出身中国人は、151ヶ国に3500万人              ・2000年から2005年間だけで、アメリカへの移住者が35万人。
・カナダ在住中国人は1988年の3万人から、2002年に30万人に激増。  ・日本では、韓国、フィリッピンについで28000人
・観光などの旅行により中国本土からの出国者は昨年で3450万人で、2001年の3倍近く拡大したという。
 旅行先では、「世界中には、何処にいってもネズミと中国人はいる」と言われていて、飲食街では殆んどの都市で
中華料理店を見かける。それが、また美味しい店が多いの。(日本料理は外れが多いが、中華料理店は外れは少ない)
いずれにしても、世界の人口の2割を占めていて、バラバラの国民性が携帯などでネット化すれば、侮れない存在に
なっていくだろう。人口が多いほど、個人の存在が小さく思われがちだが、逆に個性的でなければ、生きていけない。
没個性的な日本人とは、相性が悪いのは致しかたがないことである。     Σ( ̄∇ ̄|||  バイ!           
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2006年04月26日(水)
1849, ローマから日本が見える?6      ≡≡≡⊂[ォ][ハ][ョ][ゥ]っゝд・)っ
第三章 共和制は一日にしてならず
 ー王から執政官へー
紀元前509年、尊大なタルクィニウスを追放し、王政を廃止するに至った中心人物はルキウス・ユニウス・ブルータス。
これより460年後にカエサルを暗殺したマルクス・ブルータスとは血縁は全く無い。王を追放したブルータスは、ローマ市民を集めて
「今後一切、ローマ人はいかなる人物であろうとも王に就くことを許さず、いかなる人物もローマ市民の自由を侵させない」
と誓わせた。ーここからが面白い!ブルータスが考えたのが、「執行官」という最高指導者である。
王と同じく、市民集会で選ばれて、ローマ内政の最高権力を握ると同時に、有事では指導者として軍隊を率いる。
とはいえ、アメリカの大統領とは違い、当時は実際に最前線で指揮をとるのが常であった。このような大きな権力を与える一方、
執行官が将来の王にならないように歯止めをかけた。その制度とは「執行官はかならず市民集会によって二人選ばれ、
その任期を一年とする」ということであった。これでは王のように振舞えないと考えた。 しかも、執行官を二人にすることで、
更に保険をかけた。二人の執行官には上下がなく、それぞれに拒否権が与えられていた。 しかし、これには弱点もある。 
任期が一年なので、長期の政策ができなくなる。そこでブルータスが考えたのが、元老院の機能の強化であった。
100人の元老院を三百人に増やした。 当時、三百人まで増やすということは、殆どの有力者を網羅することになった。
                   まあ、茶でも!~~旦_(-ω-`。)
 ー「ノブレス・オブリージュ」ー
 著者の塩野は、ローマ帝国1000年を支えた根本は「ノブレス・オブリージュ」だったと強調している。
 ローマの貴族は社会的責任を負わなければならないという考えが強かった。戦争が起これば貴族は率先垂範して
 最前方に出て戦い、公共の利益をためには貴重な財産を社会に快く提供したという。ローマの元老院は真の意味で
「貴族精神」の持ち主であった。「知性ではギリシャ人より劣り、体力ではケルト人やゲルマン人より劣り、経済力では
 カルタゴ人より劣っていたローマ人が、永らく巨大帝国を維持できた原動力は社会指導層の役割だった」と主張した。
    辞書にはノブレス・オブリージュの意味を
  ・身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観。
  ・高い地位や身分に伴う義務。ヨーロッパ社会で、貴族など高い身分の者には
   それに相応した重い責任・義務があるとする考え方。
    (字数制限のためカット 2012年4月26日)
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2005年04月26日(火)
1484, 24歳の日記ー2         
  ー1970年3月22日
朝11時に、実家の店に手伝いに行き、17時まで手伝う。よく売れるのに驚かされる。
今日、大鵬を見ていておどろいてしまった。再起不能といわれながら、努力で再起をして優勝をしたのだ。
ただ驚きである。人間の一番美しい姿を見せてもらった。今日、一年の設計図の大枠を考えるつもりが何も考えられない。
どうしたことか、例の手紙のせいか気持ちが揺らいでいる。明日は病院に行って、精密検査をしなくては。
ー3月23日
午前中は、病院で検査である。 午後は設計図を書いたが、いい加減である。
早々簡単に書けるわけがないが。 焦りだけあって、何もできないのだ。 こういう時間をもらっていながら、
何もできないのが情けないが。といって時間だけは過ぎていく。一日一日、一歩一歩、歩むしかない。
走ろうとしても無理、歩くしかないのだ。自分と直面して解るのは自分の甘さと、いい加減さである。
ー 3月30日
今朝、急に父が8時半に居間に集まるように言われた。両親に、家の裏に住んでいる姉夫婦、兄の三郎、そして私である。
遺言の内容の言い渡しという。 急なことで全員が、吃驚する。
ー内容の概略は以下の通りであるー
 (字数制限のためカット 2010年4月26日)
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2004年04月26日(月)
1119, 北朝鮮の怪?
 今回の北朝鮮の大爆発の事件,何か不可解な事件である。数百メートルが瞬時吹っ飛んでいたのに、
どうして電線から引火をしたのが解るのだろうか?組織的な大掛かりのテロ?TVで「近くの中国側の街での噂で、
今回の事件は暗殺未遂といわれている」とか、「金総書記が通過する近くに、危険物を乗せた貨車があること自体不自然だ」とか、
報じていたが、異常な事件であることは間違いはない。北朝鮮は単純なミスと報じていたが、そんなわけがない事件である。
(字数制限のためカット 2012年4月26日)
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2003年04月26日(土)
752, SARSの不安
 もしアルカイダーか北朝鮮のテロなら!と考えると、背筋がゾッとする。
発生源が特定しているからまだよいが、そうでなかったらテロと疑われパニックになるところであった。
単純な自爆テロなら、その範囲で済むが、火薬を細菌に置き換えたテロを彼らが始めたら大変なことだ。
(字数制限のためカット 2011年4月26日)
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2002年04月26日(金)
388, 温度差
3~4年前の将棋の米長棋士の講演会で聞いた話だが、丁度北海道拓殖銀行がつぶれた直後で彼の講演がそこの主催で入っていた。
当然のことながら急遽中止なった。急なことで時間もとっていたし、飛行機の切符も送られてきたし,他の人との予定も入れていたので、
そのまま行ってきたという。それと札幌の雰囲気がどうなっているかみたかったという。飛行場からのタクシーの運転手に話を聞いて
思わぬ内容に耳を疑った。北海道中、特に札幌の道民は内心皆、喜んでいるとか。彼らは北海道では超エリートで、威張り尽くしていた。
永年のその鬱憤が一般の中に蓄積されていた。確かに北海道経済にとってマイナスで、喜んでいられないが、道民感情は拍手喝采だという。
そして数日札幌滞在中、会う人全員がそういっていたという。これは実際現地に来てみなくては解らない情報である。
彼が言いたかったことは、実際マスコミに流れる情報と、そこの情報の差である。「何事も現場の声を実際聞いてみなくてはわからない」
ものだという事だ。反面ITの時代は、こういう情報が瞬間流れてしまう。「それにしても、あれは何だったんだ?」ということだった。
そこまで嫌われる理由は?マスコミはこういう情報は間違っても流すことは出来ない。こういう情報は現地で直接しか聞けない。
どこかの県市でも、同じことが生じている。 気がつかないのは当事者だけ、破綻したときそれが表面化する。何処かの城下街の
それは時間の問題という。 リストラにあった元管理職や街の中から?? という話が生々しく聞こえてくる。


4048, 一時停止 ー6

2012年04月25日(水)

                  「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
  * 人間は大文字で書かれた矛盾
≪ 唐突なようだが・シモーヌ・ヴェイユのことばを孫引きさせてもらう。
(精神がつきあたるもろもろの矛盾、それらのみが実在するものであり、実在性の基準である。想像上のものには矛盾はない。
矛盾とは必然性の如何を試すものである)(存在の奥深くまで体験された矛盾、それは我々の身も心も引き裂く。それが十字架である) 
自己弁護のためにひくにしては、これらのことばがあまりに痛切であることは感じてもらえるだろう。私は十字架にまで到達できる
人間ではないけれども、せめて矛盾をかいま見る地点にまでは行きたいと思う。矛盾の一方に身を置けば、たしかにそこにも悲劇は
待っていよう。作家の自殺のいくつかはそうした場所で行われたのではないかと私は想像する。だが矛盾そのものを生きることは
――それは私には想像もつかない。 ヴエイユの言う矛盾は、いわば大文字で書かれた矛盾であり、人間そのものと言っていいと思うが、
そのことが、つまり究極には矛盾しかないのだということが、私に勇気を与える。私の出会うもろもろの小さな矛盾も、最終的な矛盾と
構造的に結ばれているに違いない。ひとつの矛盾を解決し得たと思うとき、それがすでにもうひとつの矛盾のはじまりになっている。
その無限地獄にこそあるいは書くことに第一原因がひそんでいるのかもしれない。――その辺でやめておけ。おまえにはそんなことまで
論ずる資格はありはしない。どうしてそんなに大仰でこわばった口しかきけないのだ。 おまえの内なる自然の荒廃はその口のききかた
からもあきらかだよ。見栄をはって、もっともらしい愚痴を人に聞かせる暇はもうないそ。 (一九七二年) ≫
▼【 ヴェイユの(精神がつきあたるもろもろの矛盾、それらのみが実在であり、実在性の基準である。想像上のものには矛盾はない。
  矛盾とは必然性の如何を試すものである)】が良い。人生を総括すると、矛盾の塊である。しかし、その矛盾こそ実在であると知れば、
  人生を、そのまま受け取ることが出来る。「矛盾は人間そのもの」とすれば、自分だけでなく他人を受け入れることも出来よう。
  激しく生きるほど矛盾は大きくり、その重圧に潰されながら生きていくことこそ人生の味わいを深くする。 人間は矛盾だらけか〜
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3682, 節目どきに ー10
2011年04月25日(月)
  * スポーツジムなど行ってみるまでは別世界だったが!
 スポーツジムに通いだして三週間になる。行くまでは別世界と思っていたが、今では生活に組まれた日常になってしまった。
ジムのシステムで、色々なプログラムがあって自分にあったものに参加出来る。 その一つに「イージーライン」がある。 
6つの機器を円座になって12人のメンバーが参加、輪の真ん中にインストラクターが音楽に合わせて全員を誘導していく。 
一つ置きにステップ台があって、大手を振って上がったり降りたりして息抜きをする。25分間が一コースだが、
これをベースにして、ランニングマシーンや、他の機器を使う。 最後は小さな暗い部屋に6台ある電動マッサージの一つで
30分ぐらい疲れをとる。 他にもプールや風呂もある。 私の場合は滞在時間は90分である。 そこに行ってきただけで、
気晴らしになる。私が選択したのは「金曜日が休日、日祭日は参加できないコースで、時間帯は10〜17時。その時間帯なら、
何時間もいてもよい。30坪位のサロンもある。 金曜と日祭日は、車で5分ほどの近くの市営スポーツ施設に行っている。
ここは三ヶ月で1800円。昼時には数人しかいないのがよい。とにかく健全な日常を維持しないと! 
  * ウォーカーの数が激減
 晴れている日には早朝、毎日、信濃川の土手にサイクリングに行っているが、ウォーカーの数が激減している。
初めは気のせいかと思っていたが、そうでもない。 原発事故による放射能に対する警戒のためだろうか。
ウォーキングでこれだから、行楽が大打撃になるのは仕方がない。ホテルは、どの業態も惨憺たるで、私も早々見切って倒産した。
特に温泉街が酷いとTVで騒いでいる。 あの草津温泉では95パーセントがキャンセルで、死活問題になっているとか・・
「新潟の月岡温泉の一番大きいホテルは二棟のうち一棟が休館。オープンしている棟も、一番上の階しか電気がついてない」とか、
「長岡の奥座敷の蓬平温泉街は、客がほぼゼロ」、という噂が漏れ聞こえてくる。日本国家始って以来の危機の一現象である。
  まだピンときてないのが日本の平和ボケした大部分の人だけ。まだ、他人事としてしか受け取ってない?
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3317, つれづれに ー閑話小題
 2010年04月25日(日)
  * 無理をするな、素直であれ! か〜
「無理をするな、素直であれ。すべてがこの語句に尽きる。この心がまへさえ失わなければ、人は人として十分に生きていける」
は、種田山頭火の言葉である。 この年になってこそ、その意味の深さが理解できること。それが許されない事態が
次から次へと起こるのが人生である。で、最後に落ちついた時に、この言葉が出てきて、そして一人納得する。
これを真正直にして生きればホームレスか、引きこもりになる可能性が高い。現に山頭火は放浪の乞食。
私なら「自然体で、力まず、目を逸らさず、真正面に向き合うこと、それも正直に」と言うところか。
 * 人生は放浪
 山下洋輔がいみじくも言った「旅とは帰ってくるものだ。だから、人生は旅だ、などという言葉がぼくには分からない。
どこに帰っていくというのだろう。むしろ、人生は放浪だ、といってくれたほうがよい。 帰るあてがなく、行きっぱなしだ。」
 還暦を過ぎると、この言葉が身に沁みる。 自分に植え付けられている死のイメージが虚空に帰すからだ。 
死んでしまえば、それまでよ」と口癖だった父の言葉を思い出す。 引越し先で、全てを忘れる当てのない渡り。
 * 人間原理とは ーウィキペディアによると
《 人間原理とは、物理学、特に宇宙論において、宇宙の構造の理由を人間の存在に求める考え方。"宇宙が人間に適しているのは、
そうでなければ人間は宇宙を観測し得ないから"という論理を用いる。 これをどの範囲まで適用するかによって、幾つかの種類を
見つけることができる。人間原理を用いると、宇宙の構造が現在のようである理由の一部を解釈できるが、これを自然科学的な
説明に用いることについては混乱と論争があり、未だ多数には認められていない。》
 何か無理があるように思える考えである。人間原理の人間を自分に置き換えてみると分かりやすい。もっとも、優秀な奴は、
これに近い自分原理を持っている。それが自分のステートメントだが、人類が、自分に当てはめると一神教みたいになってしまう。
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2942,閑話小題
2009年04月25日(土)
  * 県内景気 最悪の雨
 財務省の新潟財務事務所が今年の1〜3月期の県内経済情勢について「一段と悪化しており、厳しい状況」と
総括判断した、報じていた。7段階で景況感を示す天気マークも2003年来マーク導入後に初めて最悪の雨に引き下げた。
(字数制限のためカット 2012年4月25日)
 * 柏崎刈羽原発が、5月連休明けに再開だと?
  (字数制限のためカット 2011年4月25日)
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2578, 連鎖する大暴落 −1
2008年04月25日(金)
『 連鎖する大暴落 』 副島隆彦著  読書日記
 この本は「ドル覇権崩壊」の続編といっていいが、決して劣ってない内容である。恐らく、この二冊で著者の論が
見直されるだろう。ジュンク堂に行ったら彼の本が十数冊あった。どれも悲観・際物的な内容だが、「ドル覇権の崩壊」が
具体的になった現在になれば、どれも納得するしかない。欧州はイギリスのロスチャイルドが19世紀を支配し、
20世紀になってアメリカのロックフェラーが石油を背景に世界を支配。
  (字数の関係でカット09年4月25日)              つづく
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2007年04月25日(水)
2213, 白い雲に乗って ー3    (・_・) ノ オハヨウ!
お風呂に入った直後の22時過ぎにクラッシック音楽を聴きながら就寝する。就寝30分後に爆睡を4〜5時間した後、
午前の3〜4時に一度目が覚める。そして冬時間の起床時間が5時半、夏時間は5時に起床する。起床前の2時間が
半睡状態の時間になる。その時間が、ある意味でゴールデン・タイムになる。夢をみたり、夢と現実の塀の上を遊ぶ?のである。
以前、書いた「白い雲にのって」は、半覚醒で子供時代に立ち返った内容を書いた。夢のような、魂の故郷を漂った白昼夢の
世界の描写である(いや白朝夢か)。白い雲に乗ったイメージで当時の思い出の世界に入ると、記憶がドンドン出てくる。
脳の奥行きの深さに驚いてしまう。ある意味で夢と同じぐらい深い脳の領域に思える。50〜60年前の赤ちゃんから
幼児の記億の世界は、魂の世界。殆んど忘れてしまった、古い古い記億の痕跡への旅である。
立ち返って気がついたのは、それからの人生の激しい時代の記億より、ず〜と刺激の強い世界の思い出である。
白銀色の毎日が新鮮な経験のシャワーを浴びているようで、愛情に包まれた夢のような日々であった。
ドラマをみているような、自分そのものが舞台劇の小さな子供の役者を担っていた。初めての大きなショックが、
柏崎の親戚の近くの海を初めてみた時である。それまでは近くの公園の池しか見たことがなかった。
海のコバルト・ブルーを見たときの驚きは現在でもはっきり憶えている。それと、舟と漁師の姿と磯のカオリも記億に鮮明に
残っている。よほどショックだったのだろう。ところで、私が生まれたのは第二次大戦の終戦の5ヶ月後の1946年1月15日である。
越後長岡の東神田で産湯をつかり、長岡駅から100?先の繁華街の四つ角の大手通の四つ角に三月後に戻ってきた。百日風邪になり、
「もしかしたら駄目かもしれないと医者に言われた」と父は口ぐせのように言っていた。
私の名前は八人兄弟の末で「八郎」というが、実際は九人目で、もう一人2歳で亡くなった兄がいた。 
父が42歳、母が38歳の時の子供である。そのためか、特に父親にはペットのように特別愛されて育った。 
16歳、14歳、年上の兄と、その下に姉が4人、その下にすぐ上の兄がいて、最後に私という構成であった。
(2~3歳違いで、双子、年子は一人もいない)終戦直後で両親は大家族の生活維持のため人に、一倍働かなくては
ならない条件があった。産まれてから10年間の長岡の繁華街の真ん中の生活は刺激の強い環境にあった。
東神田から大手通に連れてこられた生後三ヶ月後の記憶が残っている。リンタクに乗せられて、大手通の家に行った記憶である。
そこでは、「福ちゃん」という喫茶店をしていたが、一年もしないうちに止め、衣料品店に転業をした。
そして2歳になった頃に、その店兼住宅を丸太を下にいれ、転がしながら、近くの公会堂の前に引きずっていき、
仮店舗を開きながら4F建のビルを建築した。 個人名義のビルは国内で始めてと市役所で言われたとか?その記憶が一つ一つ
記憶として残っている。人生を振り返って一番楽しい日々といえば、10歳までの大手通のビルの立ち上げから、店の開店、
そしてそこで起こった悲喜交々も日々だった。 本当に刺激的な日々だった。        ヾ(@⌒▽⌒@)
ーーーー
2007/02/18  
 2147, 白い雲に乗って ー2    b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪
先日のつづきの夢をみた。半分は覚醒をしていたのかもしれない。前回の夢が契機になって当時のイメージが
ドンドン出てくる。如何いうことなのだろうか?それは57年前の世界そのものである。
その世界から此方をみている感覚と、此方の感覚の間にある塀の上での微妙な世界に立っているようだ。    
ーー
白い雲に乗って再び、その世界(4歳)へ行ってきた。そこは前回よりリアルな当時の世界があった。
中央保育園の面接があるというので、目新しい服を着せられて、母の手に引かれて「同じぐらいの小さい子が多くいるところ」
に行った。そこは家から10分ほど歩いた小さな小路にあった。面接のオジサンがニコニコしながら、色々なことを聞いてきた。
母に前もって聞いていたので、驚くほど上手く答えた。 恐らく入れるだろうと思った。家(店)に帰った後、三輪車に乗って
前の安栄館というビルの同じくらいの友達のところに行った。最近できた大きなビルのところの子だ。何か遊んでいると楽しい!
その数日後に場面が変わり、幼稚園の合格のしらせがきた。手紙を待っていたが、何時までたってもこないので、
お母さんが「落第したのかもしれないけれど、そんなことがないはずだが・・」と言う。
ガッカリしていたところ、合格の葉書がやっと届いたが、凄く嬉しい。クリスマスの飾り付けのため、二番目の姉の恭子と
近くにツリーの飾りを買いに二人で行った。大きな雪がフワフワと降っている。ツリーに吊るす色いろなものを二人で選んだ。
小さな家とか、星とか、動物とか、人形などがあった。それを袋一杯に買って家に帰って3Fの食堂で飾り付けをした。
ラジオのクリスマスの音楽を聴きながら、それを他の姉たちと飾りつけた。ツリーの電飾がいやに奇麗だ!
こんな楽しい気持ちは初めてと喜んでいる自分を誰かがみている。あれは誰だろう? 翌日の朝、枕元に箱に入った
サンタの贈り物があった。雪が、ドンドン降っていて窓の下は雪で埋まりそうだ。突如、周りを見渡すと誰もいない
空間になってしまった。何処に行ったのだろう、皆は! 白い靄がかかり、その中で恐ろしさが襲ってきた。
目をつぶって白い布団を被った。目が覚めると、そこは寝室の布団の中であった。   (o ・д・)ツ  バイ!
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2007/02/10  
 2139, 白い雲に乗って ー両親の思い出
夜半に幻想的な夢をみた。小さな白い雲があった。それに乗ると、ふかふか浮いて異次元の世界に引き込まれた。
そこは4歳の頃の世界におりたようだ。すべてが鮮明な蘇った当時の世界が浮かび上がってきた。
両親がいて、兄達と姉達、そして多くの従業員がいた。そこは越後長岡の十字路のど真ん中にある
  当時の私にとって大きなビルの中。一階が店、二階に事務所と倉庫があり、三階に家族の住まいと台所、
四階には従業員と姉達の部屋があった。白銀に輝くファンタジーの中に包まれていた。
三階の住まいに猿のタロー、そしてタマという茶色の猫がいて、そこでラジオから童謡とか歌謡曲が聞こえていた。 
店には若い女店員が多くいて、ぼくを「ハッちゃん」と頭を撫ぜてくれている、正に当時の真っ只中にいた。
コロという生まれたばかりの白黒の小犬を運一・兄が拾ってきた。そして三毛猫のタマとコロがジャレている。 
その空間には何時も緊張感がただよっていた。燕が飛んできて窓に当たって死んでしまった。初めて死をみた瞬間だ。
いやに首の下の赤い色が印象的だ。そこを出たところには大きな通りがあり、多くの人が歩いている。
小さな三輪車で駅の方に行くと右手に小さな公園があり、その脇に池があり小さなスイッカスが水上を泳いでいた。
そうだ、ここは公会堂の裏にある小さな山の上に神社が祭ってある公園である。周りを見渡すと植木の展示会が開かれていた、
多くの植木鉢がところ狭しと並んでいる。その先に大きい広場があった。それは阪之上学校の運動場。
何時も遊んでいる近所の子がいたので声をかけると、スーと消えた。夢をみているのだろうか?いや、夢のはずがない。
ぼくは間違いなく、ここにいる!ズットここにいるのだ。何で、ぼくはズ~ットここにいるのだろうか?
 忘れたが何か遠い遠い旅をしてきたようだ。何の旅だったのだろうか、僕はどこにいってきたのだろうか? 
そこで、無性に悲しくなり大声で泣いてしまった。泣いても泣いても、あの遠くのズット向こうの世界は戻れない!
ぼくはもう、あの遠い世界には返れないのだろうか?ふと脇をみると小さなコロが悲しそうな顔をして、ぼくをみていた。
でも、コロがいたので安心をして三輪車を引っ張りながら家路についた。両親が忙しそうに働いている。
その横で姉達は今度法事で着る洋服を試着して笑っている。その後に夕飯の時間がきて、丁度みんなで食べようとしていた。
父チャンがいて、ぼくもふくめて子供達が8人が勢揃いをしてご飯を食べた。外がいやに賑わしいのでみると、長岡祭りの山車が
次々と通っている。三階の窓から手を振ると、屋台の上から男の人が笑いながら手を振り返した。何かそれをみていたら、
嬉しくてケラケラ笑ってしまった。しばらくすると父親が今日の売り上げを持って、下にある店から上がってきた。
ー字数の関係で内容をカットしました。
 HPからクリックしてくださいー
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2006年04月25日(火)
1848, ローマから日本が見えるー5        は(* ̄(エ) ̄)ノろぉ(* ̄(エ) ̄)ノ
                ー 読書日記
少し息抜きで、ークレオパトラは美人だったのか?ー
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2005年04月25日(月)
1483, 桜咲くーつれづれに −2
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2004年04月25日(日)
1118, 寝るほど楽はなかりけり
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2003年04月25日(金)
751, 不思議ーシンクロニシテー
 以前にもシンクロニシティーについて書いたが、また書く。親戚の葬式で不思議なことがおこることが多い。
不思議な現象で特に多いのが虹だ。5~6回はある。先日も葬式から帰ってきて散歩にでると、過去15年以上を
散歩をしているコースで初めて大きな虹を見た。 ああまた出たという感覚である。その中で一番凄かったのは、
7~8年前に義父が亡くなった時である。葬式が終わり柏崎から車で帰ってくる曾地峠で虹が7回も次々に出て、
その下を通ってきたのだ。曾地峠は過去に数百回は車で通っているが虹が出たのは勿論はじめてである。
 以前にも書いたが、ゾクッとしたのは8年前に近くの分家にあたる従兄が自死した時のある現象。
納棺の時に、突風が自宅に吹き込み桜の花吹雪が舞い込んだのだ。写真を撮っていたが、汗びっしょりになった。
そして納棺が終わると同時に、その突風が止んでしまった。 天気予報で午後の三時過ぎに突風が吹くといっていたが、
納棺の時間が偶然に一致したのだが。 死ぬ前日に桜の花をいっぱい撮っていた。こういうのをユングが「意味ある偶然の一致」
といっている。涙雨というのは昔からある。晴天でも葬式の時だけ雨が降る現象だ。それなら大都会では毎日
降っていなくてはならない。地方におきやすいのだろう。人知のはかれない何かがあることは間違いない!
  ▼ 以前書いたものをコピーしておきます。
H0407霊的体験
二十年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで何度か不思議な体験をしてみた。死後一週間後位か妙な夢をみた。
私自身父の気持になり“死にたくない。もっと生きたい、生きたい”という“念”になってしまった夢である。
《字数制限のためカット 2010年4月25日》
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H0511妙な夢―(?)  
ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。泥棒ではないかと起きようとするが半睡眠状態で身体が動かない!
《字数制限のためカット 2010年4月25日》
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2002年04月25日(木)
 387, 習慣ー極限
人間が極限の時にする行為が、健康法にいいと聞いた事がある。それを習慣化してしまえば良いという。頭を掻き毟る。
  (字数制限のためカット 2011年4月25日)


4047, 一時停止 ー5

2012年04月24日(火)

         「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
  * 魂という言葉
≪ フランスのアランという哲学者は、「一つの身体の運命に結びつけられた精神が魂(AME)というものである」と定義した。
 同じフランスの現代の前衛的文学者たちの中には、魂などという語はもう使えないと言っている人たちもいるらしい。
彼とって人間は魂という言葉ではとらえることが不可能なほど、細分化され抽象化された存在なのだろうか、だがぼくにとっては、
魂という言葉はまだ或る現実的な手ごたえをもってる。 肉体なしでも成立するかのように使われる精神という言葉とちがって、
魂には人間の肌のぬくみが感じられるんだ。精神はたしかに個人の肉体を離れて、その死後もかずかずの書物や芸術によって伝えられてゆく。
だが魂は、個人の肉体の死後むしろゆきどころを失って宙にただようもののように思える。「詩人の魂」という歌があったっけ。
たしか歌の歌詞は忘れられても、そのメロディは人々に口ずさまれて残ってゆくというような歌だった。 
 自分はいったいどこから来て、どこへゆくのか、自分がたかだか百年に満たぬ人生を、この無限の宇宙の中の地球と呼ばれる星の上で
過すことに、どんな意味があるのか、そんな疑問にとらえられたことのない人間はいないだろうか、そして決して本当の答を得ることが
できないそんな疑問に、精神は或る仮の答えを出すことが出来る。たとえば、いまのぼくは、自分にこだわるより、むしろ我を忘れて
自分を超えた他人の世界にかかわってゆくことことに、あるべき生きがいを見出そうとしていると言えるかもしれない。・・ ≫
 ▼ アランの魂について、「一つの身体の運命に結びつけられた精神が魂」という定義が分かりやすい。 キリスト教徒は、
 「魂は人間の不滅の本質であり、魂は死後に 報酬か懲罰を受ける」と信じている。 私の魂の解釈は、「心は毎日変わるが、
 魂は、その心を支えている生まれてから死ぬまで一貫した幹である。感激は心の響きだが、感動は魂の振動」である。
 秘境の大自然の中で何度も魂の振動を経験した。それが感動である。全身全霊で何かに没頭したときに魂が現れ出てくる。
  ・・・・・・・
3681, 逆説を考える
2011年04月24日(日)
 考えるときの一つに、正反対の説を立てる方法がある。「逆も真である」を試してみると、考え方の幅が広がってくる。 
とはいえ、逆説を正面から考えたことはなかったので、その意味を取り上げてみる。 学生時代のゼミの教授が、中根千恵の
「日本社会は縦社会=蛸壺社会」という説に対し、「横社会=資格社会」という説を立てられた。
「日本社会には武家社会の影響が残っており、殿様、家老、家臣、家では家長、嫁、婿、長男、末っ子、という資格社会ではないか。
蛸壺というが、どの世界でも、その資格で評価されるではないか?」という逆説に驚いてしまった。 
それを切欠に、逆照射の見方を常に持つようになった。
   ーYahoo辞書によると、 ー逆説とはー  
1 一見、真理にそむいているようにみえて、実は一面の真理を言い表している表現。「急がば回れ」など。
2 ある命題から正しい推論によって導き出されているようにみえながら、結論で矛盾をはらむ命題。 逆理。 パラドックス。
3 事実に反する結論であるにもかかわらず、それを導く論理的過程のうちに、その結論に反対する論拠を容易に示しがたい論法。 
  ゼノンの逆説が有名。逆理。パラドックス。
   ー広辞苑」によると
「衆人の予想に反した、一般に真理と認められる説。また、真理に反しているように見えるがよく吟味すれば真理である説」。
  逆説といえばマックスウェーバー著の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』。
 資本主義といえば「自分の利益の為に利益を追求する」ことだが、マックスウェーバーは資本主義は「プロテスタント」は
「禁欲」「勤勉」の基本理念から出発したと主張。「禁欲」を目的とした「プロテスタンティズム」は「勤勉さ」を旨とする
「合理的」生活態度を形成した結果、「計画的・合理的」に企業経営を行おうとする精神が形成されたという、逆説は
 資本主義社会の大きな精神的支柱になった。
▼ 「逆も真なり」という諺が昔から日本にあったが、両者とも成立する確信で考える入口になればよい。
考えるための一番の近道だが、正論を把握した後でないと単なる歪みになってしまう。 
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3316, 人みな骨になるならば ー11
2010年04月24日(土)
 * 神とは ?
 虚無主義の著者の宗教観がシビア。 この辺が、明るい乾いた虚無主義者の真骨頂である。
大方の人は、以下の論に近いのだろう。 アブラハムがつくりあげた超越的存在の神、そしてユダヤ教、
キリスト教、イスラム教の内輪もめ。 これが、現在の世界の宗教戦争を引き起こしている。
  ーまずは、その部分を抜粋してみるー
 神という言葉を使うと近代以後の知識人は懐疑的になったり警戒したりするものだが、それは「神」という概念の内包(意味)
に関して伝統的なイメージをひきずっているためである。もともと「神」などという超越的観念は、それを思っている人によって
勝手にイメージされてきた。 中世の農夫にとっては雲の上にいる白髭の老人であり、現代的な信者にとっては、「宇宙に偏在する、
形のあいまいな意志そのもの」である。 どこかの原住民にとっては自分と同じような腰蓑をつけているオッサンかもしれない。 
このように、信者たちが各自勝手に想像しているのが絶対者なのだ。ある意味で、このような多義的になんとでも解釈できる
教義を備えていない宗教は、レベルもニーズも様々な多数の信者を引き寄せることができないらしい。だから近代以降のインテリたちは、
神を否定したがる。確かに、そんなシロモノは実在しそうもない。 ただ、そうした多様なイメージのむこうに共通項として
「それ以上の審級が存在しないような超越的かつ絶対の存在にして運命の決定者」を想定することはできるだろう。
それが人間臭い愛や怒りや嫉妬や気まぐれをもつかどうかは、各信者の想像力の限界を示すだけである。
むしろ、その人間の程度を知りたければ、その人物が信じている神の特徴を教えてもらえばよい。
神のイメージは、たいていその信者の願望と恐れを投影したものだからである。 
そこで、ここにいう「神」とは「宇宙を統べるなにか」以上のものではない。そんなものが実在するかどうかはひとまず措く。
もしそうしたものが存在するならば、それとの相談なしに将来を誓うことは人間の分際を越えていることになる。
そして、そうしたものが存在しないなら、ますますわれわれの生や将来にはなんの保証もない。
 〜〜
「その人の程度を知りたければ、その信じている神の特徴を知ればよい。神のイメージは、その信者の願望と恐れを
 投影したものである」は、言いえて妙である。 人間が言葉を持ったが故の不安と不幸をカバーするため、
 未知の存在の畏敬としての神は、必要である。しかし、それでしかない。
「その人物の程度といえば、連れ添いを知ればよい!」というが、これは当たっているか?これとは関係ない。
  神については黙するしかない、ということか。最後は、神様助けて、というしかないのが人間である。
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2941,ナチが愛した二重スパイ
2009年04月24日(金)
 「ナチが愛した二重スパイ」  ベン マッキンタイアー著
 新幹線通勤の往き帰りの車中で一ヶ月かけて読んだが、これが何とも面白い。第二次大戦末期、ロンドン暗黒街の
 チャップマンは、ナチのスパイとなる。しかし「二重スパイ」として、ベルリンに偽情報を送っていた実録もの。
 ロンドンの当時の札付きの泥棒、ジゴロの生々しい犯罪と、監獄暮らしなどが詳細に書かれている。
 現在の犯罪者も似たようなものだろうから、我われ小市民とは全く異質の存在である。
 肯定的にみれば「何もしないで一生終わるより、よほど思いのまま生きることも必要では?とさえ思わせるほどである。 
 札付きの犯罪者がその経験を生かして二重スパイになって国家のために大きな働きをすることになるから、皮肉といえば皮肉。
 pー234に 著者は、二重スパイのチャップマンを次のように分析している。
 【 二重スパイのチャップマンの話は、地味なスパイの話とは違う。スパイ小説なら、あり得ないこととして拒否される
 内容である。主人公は悪党であるが、悪党としては決して敗残者ではない。彼の犯罪歴は、軍隊脱走から猥褻行為へ、
 女から脅迫へ、強盗から金庫爆破へと段階的に進んだ。あとになると彼の報酬は多くなり、最初はつまらぬことに手を染めたのを
 恥じているのは疑いない。この男の本質は己惚れで、自ら評価するところでは大物で、暗黒街のプリンスのような存在である。
  (字数の関係でカット09年4月24日) 
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2577, フロー体験 ー2
 2008年04月24日(木)
 ー まずは、要点を書き写してみる。ー
我々が幸福であるかどうかは、世界の大きな力に加えることのできる統制によるのではなく内側の調和による。
肉体的生存が外部環境に依存している以上、外部環境を支配する方法を学び続けることは確かに必要である。外部環境を支配するとは、
すでに経験して解るように、我々が個人としていかに喜びを感じるか、または世界めカオスをどのように減少させるかに関しては、
それほど役に立たない。カオスを減少させるためには、意識そのものを支配すること学ばなければならない。
 ーフロー体験の構成要素が存在すると、
 次の8つを挙げている。
1. 明確な目的(予想と法則が認識できる)
2. 専念と集中、注意力の限定された分野への高度な集中。(活動に従事する人が、それに深く集中し探求する機会を持つ)
3. 自己に対する意識の感覚の低下、活動と意識の融合。
4. 時間感覚のゆがみ - 時間への我々の主体的な経験の変更
5. 直接的で即座な反応(活動の過程における成功と失敗が明確で、行動が必要に応じて調節される)
6. 能力の水準と難易度とのバランス(活動が易しすぎず、難しすぎない)
7. 状況や活動を自分で制御している感覚。
8. 活動に本質的な価値がある、だから活動が苦にならない。
フロー体験は外面的報酬とは隔離され、ひとつの活動に深く没入し、その経験それ自体が楽しいので、
純粋にそれをするために多くの時間や労力を費やすことができる状態をいう。
したがってフロー体験は、悲しい、辛い、煩わしい、妬ましい、腹が立つ、焦るといったネガティブな
感情とは隔絶した、うれしい、楽しい、歓喜に満ちた十全感、充足感、楽観、自己効力感をもたらしてくれる。
   (字数の関係でカット09年4月24日) 
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2007年04月24日(火)
2212, 宇宙的自己?が語りかけてきた ?        (。・8・。)ノ おはよう!
 *一昨日の朝方の夢*
10年近く前に亡くなった母の夢を時々みるが、一昨日の夢が不思議な夢だった。晩年の母は5年半ほど痴呆症だったが、
夢の中の母は平常の状態。 不思議に思い、「如何したら呆けないでいられるのか?」と聞いたら、
「何を経験しても、その都度ごとに文脈としてまとめることよ、また、一つ一つの要素をキッチリと言葉にしておくことよ。」
と諭すように答えた。そして、家の宝として、小さな仏像を5~6個持ってきた。さらに家にある大きな封書を持ってきた。
神聖な昔から家にある「書置き」のようだ。そこで目が覚めた。普段の自分の世界から一歩抜け出た不思議な感覚であった。
‘遥か遠い向うの世界からの魂の呼びかけ’のような、‘宇宙的自己としての母の自己が、地上の私に直に語りかけてきている’
ようであった。 現に毎晩、私が寝ているところが、母が30年以上寝ていた処である。「魂とは何なのだろうか?」不思議で
不思議で仕方がない。 誰もが持っている、不死の何かなのだろうか? あの夢に出てきた母とは誰なのだろうか?
自己の創り出した(記憶の底から出てきた)母のイメージだろう。夢も考えてみたら不思議である。犬も夢をみるというが、
自分の無意識がつくり上げた物語である。以前は不思議な夢を多くみたが、最近はめっきり少なくなった。
モーニング・ページに起きざまにみたばかりの夢の内容を書いている。そのまま、大学ノートに書きなぐるが、
生々しい夢を書くのも面白いものである。モーニング・ページの大きなコーナーになっている。
内容は他愛もないが、それでも時どきハッとするような深い内容がある。夢と魂とは何か結びついているんじゃないのか?
と時どき思う。それも身近な母や父などの夢は、特に!ところで母が持ってきた、あの封書の中味は何だったのだろう?
母の残した、「詩」だろうか?それとも家を守りなさいというサイン?
あのイメージは、家筋としての記録である。家系としての筋道? 胡散臭いが!    ホンジャ  (~▽~*)/
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2006年04月24日(月)
1847, 安楽死についてー2        (’0’)d おっ w(゚Д゚)w ハァ?
昨日の随想日記の過去分(2002年4月23日)に、安楽死について書いてあった。(あとでコピー)
数日前の毎日新聞のー記者の目 ーで安楽死について取り上げていたが、鋭い論評であった。
私は積極的安楽死論であるが、この記者も安楽論のようだ。両親や親戚の叔母などの死際を身近に見ていて実感したことは、
激痛を伴う終末の延命は無意味であり、カタチを変えた拷問の容認である。
  (字数の関係でカット09年4月24日)           ヾ(^ω^*) バイ
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2005年04月24日(日)
1482, ラジウム岩盤浴ー2
スモールビジネスとして岩盤浴経営も増加しつつある。新潟市内にも、先日郊外に開店をした。
数年前に流行したアカスリブームや、足マッサージに似ており、一時的ブームも可能性も充分考えられる。 
三〜四年が目安であろう?料金は一回600円?1500円。 天然ミネラル風呂と併設されているところもある。
女性の利用が9割ということもあり、女性専用のところが多い。最近は男性も利用者が増えつつあるという。
取引先の社長が、この岩盤浴に興味を持って岩盤温泉サウナを準備をしていたが、開店直前に失火で全焼してしまった。
(字数制限のためカット 2010年4月24日)
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2004年04月24日(土)
1117, 「ライフ・レッスン」ー6
 ー罪悪感のレッスン
・罪悪感は自己の判断に根ざしている。自分が何か悪い事をしてしまったという意識である。
それは自己の信念体系に抵触をしたときに生じる、内側に向かう怒りである。多くの場合、その不幸な判断基準は、幼児期に
受けた教育によって形成されるものだ。それもしばしば「売春婦」になるべく育てられたということが原因になっている。
不穏当な表現だが、これは事実である。象徴的に売春婦とおなじく、われわれは他者の親愛の情を得るために自己を売るべく
育てられてきた。自己のためのアイデンティティを強化するよりも、他者の願望実現の為に専念するのがいい子であると
教えられてきた。真の独立や相互依存よりは、共依存すべく訓練されてきた。われわれは自己の幸福実現のために
自己の欲求を満たす方法を知らないままに育ったのだ。 適切な時に「ノー」といえることを学ぶべきなのに。
罪悪感は時間とも密接に結びついている。罪悪感はつねに過去から生じ、人は過去に生きつづけさせるものである。
罪悪感とは、現在というリアリティを見ないようにするための方法なのだ。それは過去にまでひきずっていく。
過去の罪が未来の罪をつくりだす。罪をてばなした時、人ははじめて過去を手放すことができ、あたらしい未来創造ができる。
人は罪に値するものではなく、許しに値するものである。そのレッスンを学んだとき、われわれはまったき自由になるのだ。
 ▼ 笑い話に「こどもの嘘」を思い出した。ーあぶらげを隣から貰ってきた子供が、思わずかじってしまった。
 それをとがめらると「トンビが下りてきてかじっていった!」この類だが。
 良心という問題が出てくるが、両親ー良心ーの姿が一番影響する。 自分も両親ー良心ーの片割れだ。
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2003年04月24日(木)
750, ある人生
 先日親戚の葬式で、故人の息子の一人に30年ぶりにあった。2歳年下で、中学を卒業したと同時に日本橋の蕎麦屋に
勤めにいった。といっても出前持ちである。一度その店に行ったこともあったが、将来自分の店を持ちたいといっていた。
大人しい無口な、あまり機転が利かないタイプで、店を出せるタイプでない典型の人と思っていた。
 その彼が何と店を持ったという。そして数年前に7年やった店を閉鎖をしたと聞いて驚いた。
涙がドッと出てとまらなかった。大小にかかわらず創業がいかに大変かを身にしみてわかっているから、
彼がまがりなりにも新潟で単身で店を出した苦労が解るのだ。 20数年働いた1千万で、誰の力も借りないで新潟市で、
あの大人しい彼が開店から閉鎖まで自分一人でやったという。彼の性格からいって、人の数倍の苦労があったのが想像できる。
若い時の甘い顔は一仕事をやり遂げた野武士のような面構えに変わっていた。そして自分のやってきたことに自信を持っていた。 
この自信こそ人生で一番大事なことだ。 一心は岩をも通すというが、正に彼はその人生を貫いたのだ。
20数年かけて一心に働き、店の営業を含め合計30年以上のワンクルーを一心にやりとげたのだ。
隣で、その兄が「凄いことだ!」といっていたが、それを聞いてただ涙が出て止まらなかった。
「それが如何したことか?何処でもある話ではないか」というストーリーかもしれないが、
彼の純粋な大人しい性格を知ればこそ感動したのだ。それも独身で! 彼の30年以上のスパンで、やり遂げた一心さは,
どんな成功者より凄い。少しオーバーかもしれないが、「山田太一の世界」といってよい。
人生の何たるものかをこの人に教えてもらったようだ。私の尊敬する人が一人親戚にできた。
 今は柏崎の実家で母親と住んで、掃除会社に勤めているといっていた。この経済の暴風の中やる気をもらった。
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2002年04月24日(水)
 386, 宗教的タカリ
オウム教はとんでもない犯罪行為をしたが、一つだけよい事を、いや結果的に良いことをした。
宗教の怪しげな一面を浮き彫りにしたことである。その一つが現在の仏教界の集り体質である。
葬式仏教の陥っている偽善体質である。数百年かけ巧妙に、そのシステムを作っていったのだ。
彼らも商売?のだから仕方ないと、誰もが疑わないのもおかしい。仏を盾に集っているのだ。 
彼等の法事等の話など聞けたものでない。こちらの知識の数段下レベルである。プロの素人化の典型といってよい。
戒名料とかなんとか、勝手に値段を決め金をせびる。彼らも生活をしなくてはならないのは判るが、豪奢な生活が問題である。
幸福の科学にしろ、創価学会にしろ、その怪しげな一面を見ると、もっとその共通点を洗い出し、
白日にさらけ出さなくてはならない。信じさせて金を騙し取るという点で、詐欺師のテクニックとほぼ同じである。
特に結婚詐欺に似ている。  夢を売って金を騙す、お布施と称して。 


4046, 閑話小題 ー癲癇について

2012年04月23日(月)

  * 癲癇とは
 先日、京都で癲癇持病の交通事故で多くの死傷者が出た。発作時には気を失うというから恐ろしい。 以前も似た事故があった。
持病を持った人にとって働く範囲が決まってくるため本人にとって大変な病。 国内に120に一人、100万人が患者というから、
身近にもいたはずだが何故か具体的に知らない。 10年ほど前のこと。突然、バスの後部座席で後ろの人に両手で全力で肩を掴まれた。
その時に何が起きたか理解できず、前屈みに立ち上がり、その手を払いのけた。そして振り返り怒ろうとしたが、硬直している。
何かの発作が起きたと判断して騒ぎにはしなかった。 次のバスステーションで、その中年女性が何事もなかったように降りていった。
それが癲癇ではないか?と、思うに数日ほどかかった。 今回調べてみて、100万人も存在していることに驚いた。
100人万といえば、リウマチ患者と同じ。 患者本人は人前に出ず可能の限り隠すので表面化していないという。 
  * 悲しきかな、人生は!
 先日、連帯保証をしている関係で自宅は家内の物件になり、私は宿六にあいなった。
弁護士曰く、「爪を切らた貰われてきた飼い猫のように大人しく従順に生き延びるしかない!」と辛辣。 無理? とすると!
  * フランス大統領が交代?
 フランス大統領選挙でサルコジが落選の様相である。5月6日で決選投票で交代にでもなったら、ユーロ危機が大きく再燃する。 
世界経済は毎日がスリルとサスペンスの日々である。 時の権力者がギリシャ、イタリア、スペインなどPIIGSを救いざるを得ないのは解る! 
日米欧の、どこもかしこも際どい状況。 中国も首脳交代で怪しげな権力闘争が表面化してきた。年末の韓国とアメリカの大統領選挙もある。
・・・・・・
3680, 節目どきに ー9
2011年04月23日(土)
  * ふと、思うこと
 まだ何が自分に起きていることが、分かってないのかもしれない。 廃業、倒産と慌しく現象だけは移り変わっていくが、
何か他人様から「奇妙なもの」に見られているような、これまでの視線とは全く違うような・・ それはそれで仕方がない。
経済震災・自然震災としても、倒産は倒産。 それでも、新潟・長岡と職・住が別だったので半分は助かってはいるが。
これから起こる経済動乱を考えると、一年だろう。 銀行債権以外の一般債権などは、ほぼ迷惑をかけないで済んだが、
一般の人は、そのことを知らない。 家内も含め、二人とも厚生年金に40年以上入っていたので、今日明日の生活の心配はない。 
弁護士がいうに、「現時点で3割が終了、債権の9割9分以上が銀行債権で、一般債権を、ほぼ完済しているので、これまでは順調。
手続きからして二年が目安。」 それにしても私自身に、自分の立場に何の疚しさと、暗さがないのが問題。「これだけは、
経済震災と自然震災で、私の力の及ぶことでない」という思いがあるし、実際に、そうだ。 あんまりケロッとしているので、
30年来の税理事務所の担当に「貴方は、自分の置かれた立場が全く分かってない!」と注意された。 それも分かるが、
「じゃあ、どうすれば良かったのですか?」という内語が、何処かで沸いてくる。 それらしく、していろ! ということか。
しかし時間の経過と同時に、気持ちがジワジワと追い詰められていくのが分かる。 自然災害も含め、それぞれ全国民の問題だが。
・・・・・・・
3315, アポリアと空とぼけ
2010年04月23日(金)
「プラトンー哲学者とは何か」 納富信留著
 *アポリアと空とぼけ  P−36
対話によって突き落とされるこの困惑の状態は<アポリア>と呼ばれる。それは、どこにも進むことができない行き詰まり、
途(アポロ)のないあり様を意味する。ソクラテスの吟味にさらされ、アポリアに落いった者は、対話相手メノンが告白するよるように、
あたかも「痺れエイ」に刺されたように感ずる。 対話相手は心も口もしびれて何も言えなくなってしまう。
 このような対話においてソクラテスは、問いかけ、議論を導く主導者の役割をはたす。 しかしソクラテスは、対話をかわしながら、
自らはその事柄について「知らない」、つまり、自らもアポリアにあると主張する。その一方で、対話によってアポリアへと追いやられ、
無知を突きつけられた人は、言葉によって鋭く矛盾をついて論駁するソクラテスが、その問いの答えを実ははじめから
知っているのではないかと推測する。 さもなかったら、どうしてこれほど鮮やかに、相手の無知をあばき出すことができるのであろう?
しかし、そうしたなかであくまで「自分もあなたと同じように、知らない」と言いはるソクラテスに、やりこめられた相手は、
しばしば怒りをぶつける。 ソクラテスは本当は知って質問しているのに、しらばくれてわざと知らないふりをし、
意地悪にも人々の無知をあばき立てよろこんでいるのであると。 人々はこうして、ソクラテスを「空とぼけ」の人と呼んだ。
「空とぼけ」が、対話するソクラテスの謎をあらわす言葉となったのである。 だが、ソクラテスの対話を空とぼけ、
つまり、本当は知っているのに知らないふりをしているとみなすのは、対話する相手や対話を見ている人であり、
ソクラテス自身はけっして空とぼけているわけではない。
▼ 学生時代の卒業の年に人事関連のゼミと出会い、そこでの学びの中で、自分は何にも知らないという事実を突きつけられ、
呆然自失状態。「学生時代にモット知識を得ておくべきだった!」と、頭がグチャグチャ状態。 その結果、悩み苦しんだ結論として、
死ぬまで学び続けること。 何があっても、一日ニ時間の読書を自分に課せることだった。しかし、最近気づいたことだが、
「グチャグチャと、学び続ける決心」そのことが学生時代の一番の学習効果だったこと。ゼミの教授の策略に乗ってしまったことになる。
「自分は何も知らない」という思い込みが「アポリア」としてプラトン、いやソクラテスが2500年も前に看破していたのである。
15人のゼミの人たちの議論から、「何も知らない自分を一年かけて知ったことになった。」  本当に有難いことである。 
で、このザマ? 人は人、我は我。 「全て人生は無知の馬鹿踊り」と思えば、楽なもの。 自分は違う? 貴方だけはね!
・・・・・・・
2940,レーシック専門眼科医院 ー2
 2009年04月23日(木)
視力の矯正方法には、メガネ、コンタクトレンズ、の他に、レザー手術、有水晶体眼内レンズ、オルソケラトロジーがある。
・レザー手術は、レザーで角膜の形を変えてしまうもの
・有水晶体眼内レンズは、角膜と水晶体の間に、コンタクト・レンズを入れて矯正する方法。
・オルソケラトロジーは、寝ている間にハードコンタクトを入れ角膜にクセをつけてしまう方法である。
 レザーや、有水晶眼内レンズを入れたりすると、ドライアイになりやすい欠点もあるという。
今回の短い先生との会話を再現してみよう。
・私の質問、  レザーや、有水晶体眼内レンズの失敗確率は?
  先生の答え、 数千分の一
・質問、 失敗したり、上手くいかなかった時は、どうなるんですか?
  答え  出血をしたり、レンズがずれたり、黴菌が入って炎症が起きたりするケースがあります。
・質問  もしも初期の白内障を取ってもらって、レザーで矯正をしたときの中期的なマイナスは何ですか。
  答え  早ければ早いほど、次の段階、緑内障に移行する時期が早まることになります。
・質問  私の今の段階での手術は、先生は勧めますか?
  答え  私は元々、手術は最後の手段で、本来はすべきでないというのが持論です。
     今回の場合は、手術は勧めません! 何を選ぶかは本人次第です。
・質問  もし、手術をしたときに、眼の度数が進んだり、白内障が再度出るのですか。
  答え  もちろん、度数は同じく進み、白内障も出てきます。更に緑内障になる可能性も早くなります。
・質問  近視の進行を止める薬が開発されたと聞きましたが、実際に、どうなんですか?
  答え  あれは、過大評価で、殆ど効きません。出しても良いですが、効かないものを出すこともないでしょう。
 ▼ 以上であったが、それにしても良心的な先生であった。身近な二人の経験者が同じような忠告をしてくれていたが、
  「緑内障への移行が早くなる」と、「貴方の体質は極力、手術をしない方がよい」が、今回の断念の決め手である。
 ・・・・・・・・・
2576, ドル覇権の崩壊 ー6
2008年04月23日(水)           \(⌒∇⌒)/おはよ?!!!
 *アメリカの住宅バブルとは?  P-55
アメリカの住宅バブルを分かりやすく話すと、例えば「10年前に50万ドル(約6千万円)で買った家が、
今は100万ドル(約1億2千万)になっている。これがアメリカのミドルクラスー中産階級の家である。
中産階級というのはそれほど貧乏ではない。日本語の中流という意味ではなくて、もう少し豊かな、専門職業をもっている
小金持ち層のことである。このミドルクラスが自分の家を最初、一軒目を住宅ローンで買っていたのだが、家の時価(市場価格)が
100万ドルになってしまっているので、残っているローンの残高の3千万円を除いた残り9千万円分を更に目一杯までお金を借りられる。
また銀行も担保力があるかぎりは、家の価値、価格がある限りは、いくらでもお金を貸すのがアメリヵの流儀である。
すなわち一般庶民層までぎりぎりまでお金を借りて、二軒目の投資用の家、あるいはアパート(コンドミニアムと言う)
を買って利殖する。 あるいはその余剰資金を株式市場や債券市場での運用に回す。もともと返済能力があまりない人たちまでが、
この含み資産であるところの不動産資産を担保にして、ぎりぎりまでお金を借りている。 
そして、これが逆回転(リワインド)するのがいちばん怖いのである。このことをグリーンスパンFRB前議長が警告を鳴らしていた。
▼ これを読んでいると、まさしく日本のバブル期に土地投資に走った会社と、目端のきいたサラリーマン達がしてきたことと
同じではないか。
(字数の関係でカット12年04月23日)
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2007年04月23日(月)
2211, 帰ってきたソクラテス ー2   (^o^) (^0^)オハヨウ!       ー読書日記ー
 韓国人学生による米銃乱射事件、精神的に問題があったとしても、その原因は長年の人種差別の鬱積が本人を
追い詰めたことにある。 金持ちに対する恨み辛みというメッセージがあったというが、人種差別と朝鮮人の直情的な
国民性も重なり暴発したのだろう。 差別は人間の、いや動物の本能であり、これだけは、どうしようもないこと!
 と割り切るしかないのか。 目くそは、鼻くそを差別するものである。
 ーP・221
ソクラテス:救済と差別とは、どういう関係にあるのかな。僕はそこを君たちに聞いてみたい。
 だって、信者になるということは、自分は神に選ばれた、皆とは違う人間だってコトなんだろう。
 その選ばれた信者が、神の前に皆平等と説くなんて、やっぱり変じゃないか。
釈迦: 私は衆生を捨てておけなかったのです。ソクラテス:たとえ騙してでも?
釈迦:よしてくださいよ。ソクラテス:だけど、あなたも知っているとおり衆生はワカラナズヤだぜ。
 これは差別ではなく、事実を言っているだけだが、 自分ってものはなかなか捨てられないものだぜ。
ソクラテス: 宗教的なものとは、そも、一人っきりの心と、神なり仏なりとの間か、すごく孤独な何かだなんてこと、
 君たちには言うまでもないよね。なのに、なぜそのとき、他人の救済やら互いの平等やらが問題になることができるのかと、
 僕は思うんだ。 それぞれの人間が、それぞれの仕方で、神や仏と付き合ってはなぜいけないんだろうね。
イエス: だって、それじゃ宗教にならないんじゃないですか。
 (字数の関係でカット11年04月23日)
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2006年04月23日(日)
1846, いくらかかるの? 結婚のお値段         (。・ω・)ノ☆゚+.オハヨゥゥゥ゚+.☆
 昨日の朝日新聞の『マネー外来』というコーナーで、
「いくらかかるの?結婚のお値段」を特集していた。二人の息子も、27と30歳になる。
いつ結婚しても不思議でない歳になってきたので知りたい内容であった。
 ーまずは、その記事からー =満足感を重視して382万円=
 ごく身内だけですませる地味婚から、セレブを気取った盛大なゴージャス婚まで結婚式の形態はさまざまですが、
気になるのが結婚費用です。 どのくらいかかるのか、最近の相場を調べてみました。
    Q 最近の結婚式の形態はさまざまだけれど、
      平均的な費用はどのくらいなの?
 A 結婚情報誌「ゼクシィ」が昨年、読者4547人に実施した調査では、
   結納・婚約から新婚旅行までの総費用の平均は382万円。
   このうち挙式、披露宴・披露パーティーが293万円。
   首都圏では02年の254万円を底に3年連続のアップで05年は291万円。
   前年より11万3000円も上昇している=グラフ左。
    Q 結構、お金をかけているんだね。
 A 結婚は普通、人生で1度きり。節約して後悔するより満足感を重視する人が多い。
   オリジナルな演出や料理にこだわるカップルが増えているのも価格上昇の一因だ。
    Q 400万円近い費用を工面するのは大変だね。
 A 2人の貯金総額の平均は470万円(首都圏)だから、
  結婚準備はしっかりしているようだ。でも、夫の3割、妻の2割は貯金ゼロ。親からの援助=グラフ右上=が役立っている。
    Q どんな式が人気なの?
 A 上位三つは
 (1)アットホームなムード(65%)(2)自分らしさを表現できること(57%) 
 (3)列席者を退屈させないこと(54%)。「お金をかけないこと」は16.7%で8位だ。
(字数制限のため中略 2010年4月23日)
  以上だが、知人の数人から聞いたら、
・結婚の総額は400万が相場  ・援助は新郎側が100万、嫁側が50万  ・祝儀収入は半額の200万        
・結納は、それぞれの考え方があるという。 ・披露宴は50~人。
  ーホテルには結納セットがあるというー 
 地元で事業をしていて、人間関係が絡まっている場合は規模は大きくなるという。 その分、祝儀も入るからバランスはとれるとか。
 私が出席した中で、気持ちの入った結婚式が幾つかある。本人達の結婚式への思い入れが、そのままでる。小さな披露宴ほど良いのは、
 どういうことか。 盛大のものは、当たり外れが大きい!出席するほうは、人の幸せの席に参加できるだけでも嬉しいもの。
 ただ私は結婚式に出席するのは大好きだ!
私ケースは、本人達が計画をしたのに従うつもり。50人以内で、カジュアルな、二人の気持ちの入った地味婚が
息子二人には似合ってる。まあ、結婚をしてくれるだけ有難いと思わなくては!                 (v^ー°)バイ! 
・・・・・・・
2005年04月23日(土)
1481, ラジウム岩盤浴
最近、話題になっているのが岩盤浴である。岩盤浴とは、温められた天然石の上に寝ることで多量の汗を促進して、
新陳代謝を高め老廃物を排出する”お湯を使わない温石療法”である。天然石はブラックシリカ・ラジウム石・セラミックなど
と種類があるが、どれも遠赤外線とマイナスイオンを発する石だ。岩盤浴で有名なものとしては秋田の玉川温泉の地熱を
利用した天然岩盤浴がある。最近は北海道でサウナ感覚のものが急増して、それが全国に飛び火をしているようだ。
北海道のものは、ブラックシリカであり、国内では 北海道の檜山郡上の国町でしかとれないためか
道内からブームがおきた。サウナ式岩盤浴では、
・受付でパジャマのような服をもらい着替える。   ・岩盤浴の部屋は大体が10名程度が一度に寝転べる程度の広さ。
・室温は38度、湿度80%位。            ・うつ伏せで10分、仰向けで10分、その後いったん退室して、
 マイナスイオンの入った水を飲んで10分間水分補給。 これを1〜3回繰り返しする。
岩盤浴はマイナスイオンをたっぷり吸ってクラッシック音楽などをバックグランドにして、深い眠りにつくのがよいようだ。
ベタベタしない、匂わないサラサラの汗がタップリでる。特に顔と首周りが汗が出るという。 この汗がダイエットにも
効果的をもたらす。ダイエットや、美肌効果や、体質改善など、週1回のペースで 一ヶ月くらい続けると効果が出てくるという。
                     ーつづく
・・・・・・・・
2004年04月23日(金)
1116, 「内面なんて、見せかけだけのもの」
 何気なく図書館で立ち読みをしていたら、この言葉が飛び込んできた。
早速借りてきて読んだが、一理あるようなないような。しかし面白い内容である。
 ー抜粋をしてみるが、際どい内容だが、まあいいだろうー
老詐欺師が私のおだてに乗って、自分の若いときの女性遍歴を話し始めた。よくぞまあ、こんなことまでという内容であった。 
その話も終盤にさしかかったとき、私は彼に、「・・女性の、どんなところがあなたはいいと思いますか?」と訊いてみた。
しばしうつむいて考えていたが、やがて「・・・やっぱり、美しさだね」と言った。「それは・・・顔の?それとも、内面の?」
と私。「顔だよ。顔。それしかないよ」「内面とかはどうでもよいこと?」「・・・きみはね、まだ若いね。いいかい、内面の
美しさなんてものは、見せかけにしか過ぎないんだよ」「内面なんて見せかけだもの」という言葉は、ズット私の言葉に残った。
それから十数年の間に、わたしもかなり、さまざまの女性とつきあった。もちろん仕事上だが。例外なく心の美しい人たちであった。
彼女たちは心が純粋で、内面が美しくて、それのみを自分の価値観として生きてきてビジネス的な話は何ひとつ理解できなくって、
それどころか、私の方にも内面の美しさを要求し、つまり金などという汚いことを云々するなと,強要してほどほど困った。
           (以下、字数の関係でカット2,008年4月23日)  
・・・・・・・
2003年04月23日(水)
749, リオのカーニバル
 この時期になると例年、NHKハイビジョンでその内容が放映される。毎年三月の初旬に開かれ,約一月後に放映されている。
何とも派手で陽気で豪華で楽しい!8年前にいって、その雰囲気を知っているから、観ていても楽しいのだろう。
違うのは音量の大きさと会場の熱気が直接伝わっていることだ。TVを観ていると、会場に行っているような錯覚をしてしまう。
以前にも書いたものを後でコピーするが、なかなか奥行きが深い。ブラジルではTVなどで生中継される全国的な行事なっている。
今回、あるチームの準備などの内幕をドキュメント風に紹介していた。
80分の持ち時間の演技のために一年間の準備をする。審査項目が10項目あり、それを細かく説明していた。
・テーマ曲の良し悪し            ・打楽器ーバテリアの内容
・テーマの紹介のパフォーマンス       ・同じ衣装のダンス隊のダンス
・山車の美しさ、テーマの解りやすさ、迫力  ・チームの旗手の踊り
・そのチームの女王の観客へのアピールと反応である。
 プロの演出者を雇い、その年のテーマにそってカーニバルとサンバと山車や音楽や衣装が組み合わされる。
    (字数の関係でカット09年04月23日)
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2002年04月23日(火)
385, 安楽死
   (字数制限のため中略 2010年4月23日)


4045, 末っ子はつらい ー3

2012年04月22日(日)

  私は10人家族の末っ子。 家が商家だったので誰も自分のことで手一杯、互いのプライベートを見せないのが暗黙のルール。
4〜10歳までは1Fが店舗、2Fが倉庫と事務所、3Fが住居で、4Fには住み込みの女子従業員7〜8人が住んでいた。 
食事は、何時も従業員と一緒。 小学校5年になって、7〜8分離れたところに住居部分が移動した。雑然とした商家では独りで
遊ぶしかなかった。 末っ子は親の目が行き届かない分、姉や兄の虐めから自らを守らなければならなく、常に周囲の顔色を
窺がう性格になっていた。 特に父親が店と家族と親戚を束ねていた絶対的存在で、父に媚びるのが効果的であるのを知っていた。
そのため?末っ子の私に甘かった。数年前、新幹線の乗客同士の会話で、「私は多人数兄弟の末っ子で、常に親や兄弟から許されてきた。
それが今でも直らず、失敗をしても許されるだろうという思い込みの性格が身について、大きな壁になっている」というのを聞いて、
「まさに自分そのもの!」と、驚いたことがあった。 家族間では絶対に互いの陰口はタブーで、兄や姉が他人の噂話をしたのを
殆んど聞いたことがない。 児童心理学では、家族は5人以上が必要という。 一人っ子は同年代の心の内を知る機会が少なく、
孤独になりがちになる。 さらに親のかまい過ぎと、兄弟がいないため自己中心になってしまう。 家族の立ち位置で、
性格が形成されるのは自然の摂理。数年先が、それぞれの姉、兄の姿から見え、学ぶことが多い。7歳年上の姉が勉強の仕方とか、
自分の夢をイメージ化する重要性などを、節目ごとに教えてくれた。ある意味で、一番、世話になった人である。 
末っ子は、末っ子の欠点と利点がある。冷静にみて、やはり大家族は利点が多い。  両親の要素もあるが。
  * 末っ子はつらいー2 2002/05/08
 末っ子は辛いと、姉が聞いたら、「なにをいっているか!」と怒鳴られそうだ。「両親に、兄姉にみんなに可愛がられて!」と。
確かにそうだ。 特に両親にとって、ペットみたいな存在で、亡くなる時もしかり、傍にいた。 そして遺言も財産に関しても、
不利にならないようにして亡くなった。 家は両親が死ぬまで常にお手伝いがいて何時もチヤホヤされてきた。 末っ子の特権を
充分享受したといってよい。 それと大家族は逆に孤独に強くなる。一人でいつも遊んでいた。 後年になって長姉がいうには、
いつも一人で三輪車で遊んでいたとか。今も一人遊びが好きだ。ノイローゼになる人は一人遊びの出来ない人。 幼児期・少年期は
事業の立ち上げ時で非常に刺激的な環境。 そういう意味で「三つ子の魂百までも」である。それぞれの性格はその時代の背景と、
血液型と家族関係と両親の年齢などによって、微妙に変わってくる。 長男には長男の立場、末娘ならその立場で決まってくる。 
すぐ上の兄は、私の影的存在で?大人しい性格。「積み木崩し」というタレント手記があった。長女、次女の次に男が生まれると、
その次女がひねて非行に走るケースが多いという。  兄妹の立ち位置で、性格が決められる。
  * 末っ子はつらい ー1 2002/05/07
 8人兄弟の末っ子である立場の自分を書いてみる。少年期まで、末っ子は上からの虐めがきつい。特にすぐ上の兄のそれがきつい。
常に気を張っていなくてはならないのがその宿命。 食事も早く食べないと食べ分がなくなる為、早食いが癖になっていた。
多くの兄弟で育った末っ子は社長に向いているそうだ。 他人の気持ちを読む習性が、それに向くのだろう。 それと結婚の相手は
長女がいいとも最近聞いた。たまたま家内がそうだった。 そういえば過去に惹かれた女性は長女で、A 型で、おっとりタイプが多かった。 
 また末っ子は口が堅くなくてはならない。立場上、それぞれの兄姉の秘密を知る機会が多い。 しかし万一告げ口をしたら、
袋たたきにあってしまう。家族はまず出会う初めての社会だった。
・・・・・
3679, 自己を見つめる −6
2011年04月22日(金)
           「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
自己を見つめる、その自己とは? そもそも何だろうか? その自己は、「少なくとも、この世で、自己として
 瞬時の光芒を放って輝いた」のである。 この世に表れでたのは、その存在理由があったのである。
 ー 第五章 自己 ー
【 およそ、あらゆる芸術家、学者、政治家、実業家などの、人類社会に貢献した人々はみな、その生涯において、
 自己決定の稀な瞬間を生きとおして、それぞれ個性ある一生を築いて、この世を去った。 もちろん、そうした際立った、
 選り抜きの人々以外でも、考え直してみれば、あらゆる人間がみな、それぞれなりに、自己の人生と運命を生き抜き、
 そのかけがえのない人生の軌跡を描いて、自己の人生を全うしようとして、一生を走りとおしたと見なければならない。
 むろん、この世の人生においては、不運や事故、挫折や失敗が付き物であり、多くの人々は、志半ばで、不幸のうちで倒れ、
 意に満たない、悲運のなかで一生を終えた。けれども、人間はすべて、最後には、自分らしい生き方を、運命として肯定しながら、
 この世に別れを告げる覚悟で人生を生きるものである。そこに、ほかならぬ、掛け替えない当の自己自身の人生が、一回限りの
 形で生起し、代りの不可能な、それなりの個性と必然性をもったものとして刻まれ、こうして、永遠の闇から闇へかき消え、
 あるいは不減の魂のなかに久遠の記憶として残され、少なくとも、この世で、自己として瞬時の光芒を放って輝いたのである。】
【 大切なのは、人間の存在の必要条件と十分条件とを峻別することにある、と。 
 人間が生物としての機能を果たして生きるということは、人間の存在の必要条件を満たして生きるということにほかならない。 
 また、人間が社会的存在として、なんらかの環境や境遇のなかに置かれて生存を営むということも、人間の存在の必要条件を
 満たして生きるということのうちに入る。けれども、それだけでは、真に人間的な自己自身として生きるということの十分条件が
 満たされたということにはならない。衣食住の欲求を満たし、胃腸や呼吸が正常に機能し、なんらかの社会的環境のなかに置かれて
 生きるということならば、誰もがやっていることである。むろん、そこに、胃腸の丈夫な人とそうでない人、あるいは比較的恵まれた
 環境に生きる人とそうでない人との差異はあるであろう。けれども、そうした所与の心身の資質や社会的環境のなかに
 ただ置き入れられて、それにまったく受動的となり、なんら奮起することがないのならば、その人は、ほんとうには、
 まだ自己自身に目覚めてはいないと言わなければならない。 】
 ― 自己の存在の十分条件を満たしたかどうか、それも充分かどうか、それぞれあろう。それは個性を発揮できたか、どうか。
・・・・・・・
3314, 聞きしに勝る3D/TV
 2010年04月22日(木)
  最近、昼飯は外食を週一にして、サンドイッチを通勤途中に買ってきて食べているが、昨日は、新潟駅の中華店でランチ。 
  その後、ジュンク堂書店に向かう途中、ビックカメラの前を歩いていると、話題の3D/TVが店頭にあった。 
  昨日の新聞で一部の店舗でデモ展示を始めた記事を読んだ直後だった。ところで、現在のTVは7年半になるパイオニアの
  50インチのプラズマ。当たり外れの、当たり。しかし、地デジには特殊のマシーンを入れなければならないので、
  替えときにきている。 先週の土・日に家電を見て周り、一度頭を冷やした今週末に、シャープの60インチの
  LED・TVを発注と決めていたが、「3D/TVが700万台の新規需要の創造」とかいう週刊誌の広告が気になっていた。 
  そこで早速、見たところ、その決心を覆すほどの画面。映画のアバターを3Dでみて驚いたが、TVは大したことはないと、
  思っていた。 ところが実際は映画より良い。映画もそうだが、画面と自分の間に空間ができ、更に画面の奥行きができた
  イメージで立体感を出している。デモ用の3D/TVはメガネが固定してあるので、メガネをした時と、しないで見たときの
  差が比べることが容易。そこで、比べた結果は格段の違いである。 これで大相撲や野球を見たら、迫力は数倍は違ってくる。 
  デモ用のソフトは石川遼のゴルフだった。 なるほど週刊誌の見出しの「新規700万台の市場の創造」の意味が分かった。 
   十数年前に初めてハイビジョンが店頭に出たとき、ソニーの画像を見たときの驚きと同じである。 その時は、
  暗い舞台にバレリーナーが白鳥の湖を踊っていたが、立体的な画面に感動したことを憶えている。
  それまでのTVとハイビジョンTVの格差と、3Dの映像の差は同じ位はある。数年後には多くの3D番組が出るだろう。
  急遽、買い替えは数ヶ月待ってから、3D/TVにすることにした。 ますます、お宅か! 
  21世紀とは、ツイッター、3D/TVにしろ、iPadにしろ、こういう時代だったのか! 驚きの連続である。
  「明治は遠く、なりにけり」から「昭和は遠く、なりにけり」か〜。
  ・・・・・・・・・
2939,マネー資本主義“暴走
2009年04月22日(水)
 4月19日(日)の 午後9時00分から 総合テレビで
「マネー資本主義 第1回“暴走”はなぜ止められなかったのかーアメリカ投資銀行の興亡ー」が面白い。
  *まずはーNHKのHPの番組紹介からー
【 金融危機はなぜ起きたのか。巨大マネーはどのように膨張していったのか。
 マネー資本主義の主役として批判の的となっているのが、リーマンショックを起こした当事者でもある「投資銀行」。
     (中間カット 字数の関係で 2011年4月22日)
 ・・・・・・・
2575, フロー体験 ー1
2008年04月22日(火)
 先日「好き」という言葉を取り上げた。好きな状態、好きなことをしていると時間を忘れ、あっという間に時間が過ぎ去ってしまう。
 最適経験をしている状態をチクセントミハイは「フロー」と呼んだ。 好きなことをしていれば創造的になる。だから一流の人は
 「好き」になるまで、対象に集中する。その為には、成功体験の味を知らなければならない。当たり前のことといえば
 当たり前のことだが。一流の人の持っている雰囲気は、フローが滲み出ている空気をいう。
 ーー
 面白そうなところを、まずは抜粋してみる。
   (字数制限のためカット 2010年4月22日)
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2007年04月22日(日)
 2210, 帰ってきたソクラテス ー1         (*^_^*)I おはよう!
あのソクラテスを甦し、政治家、学者、評論家、老人福祉係、元左翼、人権擁護団体、イエスに釈迦まで登場。
プラトンの『ソクラテスの弁明』の問答形式で、彼らと対話をしながら、尊厳死から性教育まで身近な難問に大哲人が挑み、
知の広場へと誘っている。哲学とは自分の頭で考えることだが、それを具体的に示してくれた内容である。
池田晶子の本は、もう10数冊以上は読んでいるが、読めば読むほど面白い。初めは面白くない本を買ってしまったと
後悔をしたが、じっくり読むほどに間違いだと気がついた。面白い順にランダムに取り上げてみる。
まずは、イエスと釈迦とソクラテスの対話が面白い。三人の対話の架空の対話の中から、
一神教と仏教と哲学の考えの違いを面白く浮き立たせているところが良い。
     ーーー
=死後にも差別があるなら救いだ=
 ー登場人物ーソクラテス、イエス、釈迦ー
 ーP・215ー
ソクラテス:「彼と我々」って気持ちの持ち方が、この世の差別の始まりであって、けしからんことなのだそうだから。
イエス: 全然違う話だぜ。
ソクラテス:付き合いのよさこそが、君らの身上ってもんだろう。ここは一つ、有難い御法話と御説教といこうじゃないか。
釈迦:付き合いということなら、あなたは我々の比じゃないでしょう。 あなたは実によく付き合う。ものぐさなんて、
 何をおっしゃる。教祖というものは決して付き合わないものなのです。付き合わないからこそ教祖は教祖になるのです。
 差別はすなわちシャベツとは、本来仏教の言葉なのです。たまたま厳しい身分社会の制度が人人を苦しめていた
 世の中に、万物平等、一切衆生悉有仏性を私が説いた。たまたま王子であった私が、その位を捨ててそうした。
 それで、私は画期的に偉いということになっているのでございますよ。
イエス:メクラを治し、いざりを癒し、売春婦を赦したから私はえらいことになっている。馬鹿やろうだな!
釈迦:私が申しましたのは、そういうたまたまの現われでしかないこの世の肉体や身分やらの差別相に拘泥する
 心のあり方こそが、ない差別をあることにしてしまっているのだ ということでしたのに。こんな当たり前のことに
 気づかない無知蒙昧なる衆生たちは、差別相を実相と信じ込んでは、性懲りもなくすったもんだを繰り返し、初めから
 ないものを、ますますすることにしてしまっている。ああ色即是空、かくも簡単な真理が何故わからないのでしょう。
イエス:いや君ね、いちばん困るものがそれだってこと。
釈迦: あるものをない、ないものをあると言うから易しいが、ないものをないという、それをわからせる、これが実に難しい。
ソクラテス: うふふ。
イエス: 何がうふふですか。ほんとうにズルイんだから。確かに、執拗な問答という君の戦略こそ、先手必勝だった
 のかもしれない。十字架か毒人参かは対した違いじゃない。いずれにしても世間というものは、
 わからないものが怖いものだよ。 しかし、君、言い出したものの仕方がない。もはや断言あるのみだ。
 然り、然り、否、否、であるべきだ。私が言った「神の御心を行う者は、誰も私の兄弟である。」
釈迦:それ言ったのが悪かったようですな。
    (カット 字数の関係で 2011年4月22日)
 ーーーーーーー
2006年04月22日(土)
1845, あちら側の世界 ー10       おっ w(゚Д゚)w ハァョ?
ー狭い世界,6次の隔たり「ウェブ進化論」の中に「6次の隔たり」について書いてあった。
 「地球上の任意の二人を選んだとき、その二人は、6人以内の人間関係に結ばれている」というもの。 
 早速、グーグルの検索で調べてみた。
ー以下は、その中の一つのコピーであるー
6人の知人の連鎖を介せば世界中のどんな人にもたどり着けるという理論。もとは心理学者 Stanley Milgram 博士が唱えた、
"米国民全員は、6人程度の知人の連鎖を介してつながっているという"説。 これから,ネットワーク効果という
科学分野が生まれた。イェール大学の故 Stanley Milgram 博士(社会学者)が1967年に行なった実験から生まれた。
博士は全米から無作為に選んだ300人に対し,彼らが直接知らない受取人に重要な手紙を送るよう指示。
送り主に人々には,受取人のおおまかな居場所や職業といった手がかりが与えられ,彼らはそをもとに,目当ての受取人に
「より近い」かもしれないと思われる誰かに手紙を転送するよう指示され,最終的な受取人に手紙が届くまで,
これが繰り返された。この結果を Milgram 博士はサイコロジー・トゥデイ誌に発表,
  (以下字数の関係でカット2008・40・22)
・・・・・・
2005年04月22日(金)
480, 桜咲くーつれづれに
 昨日か今日あたりが長岡の平地では満開であり、もう散りかけてもきている所もある。近くの山は大よそ一週間おくれになる。
何でも咲きがけか蕾のころがよいものだ。満開で散りかけも良いが、何か心さびしいものがある。近くに福島江という桜の名所があり、
この時期の楽しみになっている。車で10分ほどの悠久山の桜も良い。特に豪雪の年は良い桜が咲く。
家内は如何いうわけか桜が好きでない。「どうして?」と聞いても解らないと言う。「すぐ散るからじゃないか」と言ったら
「恐らくそうじゃない」と答えた。私は、すぐ散るから気にいっているのだが。10年に一度位は大当たりになる。
悠久山などで早朝に見ると、思わず息を呑むような神秘的な光景を目にすることが何度かあった。一瞬の艶めかしい雰囲気が漂っている。
全国的にみたら、無数に名所があるのだろう。サロンに、時々訪ねてくれる井上さんの桜の写真も楽しみだ。
現場で見る桜は、写真では表現できない濃艶な妖精が無数に漂っているのだろう。
先日の日経新聞の最後のページの「文化欄」に作家の山本一力氏が、吹かずともと言う文章を書いていた。
桜の花と、人の引退時を重ねて書いていた。 ー引き時に迷ったら、桜に教わればよいー
今週の長岡は、桜の週である。 庭の梅の花も散り始めてきた。
近くの川に鴨の姿がチラホラ見えてきた。本格的な散歩が、この時期から始まる。
・・・・・・・・
2004年04月22日(木)
1115, 中年期の「八つの危機」
思春期妄想症、青年期神経症をやっと乗り越えて、中年期から老年期になると一番恐ろしい中年期の危機が大きく
口を開いて待っている。中年から老年に向かっている身にとって一つ間違えれば、とんでもない危機に陥ってしまう
年齢になってきた。アルフォンス・デーケンは、この中年期の危機を「八つの危機」にまとめている。バランスを崩せば、
何時でもこの鬱の世界に転げ落ちてしまう。この「危機」に対して、上手に対応することが必要になってくる。
以下は、アルフォンス・デーケンの本に書いてあった内容である。いくつかは誰もが心の奥で感じたことであろう。
どういうわけか私の場合、ほとんどない?? 常にコントロールしてきた為だろうが。今まではそうであったが、
今後は解らないのが人生というものだ。このすべてを背負って、万年鬱になり自殺未遂を繰り返している人がいるが、
ある日突然、こころの芯棒が折れてしまって、この幾つかの穴にはまり込まないとは限らないことばかりである。
   ーその一部をまとめて抜粋をしてみるー
「気がついたら人生の折り返し地点を過ぎてしまった・・・」「仕事がサッパリ面白くない」
「同僚と付き合うのが億劫だし、妻や子供との時間が楽しくない」「何の為に生きているかわからない」
(以下字数の関係でカット2012・40・22)
・・・・・・
2003年04月22日(火)
748, 思い込み
 中学の頃、血液検査でB型といわれて30年経った10数年前に、自分が実はA型ということが解った。
その時の驚きは天地が引っくり返る位であった。「自分はB型で、その性格は努力型で、独創型のマイウエータイプ!
部下や友人にはO型が適正、女性はA型が(^_-)-☆?大好き!男の相性の悪いタイプはAとAB型と信じて生きてきたのに!」
そのA型が自分自身だと!!「今まで信じてきたことは何じゃい、これは!」が、その時の実感である。
逆に考えてみると、条件を設定をして、その中でパーツをたてればいろいろな自分を創れるということだ!
暗示をかければ、その通りになってしまう実例でもある。それにしても、こんなバカみたいな事が実際にあるのだ。
(以下字数の関係でカット2012・40・22)
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2002年04月22日(月)
384, 我が内なる無能性ー2
以前も「我が内なる無能性?後まわし」という題で書いたが、その続編。そういう人が反面教師として多くいる。
といってそれを云うだけの資格があるのかといわれれば、ない。それでも書き出してみる。
・自己責任がない ーーー人のせいにする。全て人が悪い、よく言うよという位人のせいにする。その点で狡猾そのものだ、
 その芸術家だ。誰もがその要素を持っているから書いては駄目なことだが。 人間それほど強いものでない。
(以下字数の関係でカット2012・4・22)


4044, 一時停止 ー4

2012年04月21日(土)

         「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010

  * 他人との出会い
≪ 肉体的な成長だけで子どもがおとなになれるわけではない。肉体的な成長に精神的成長が伴わなければ、人間はおとなになれない。
その精神的成長とはどういうものか、知識が増えること、感情が豊かになること、経験を積むこと、考える力が増すことーいろいろな面から
考えることが可能だろうが、そのどれもが結局は<個>の自分の確立ということにむすびついていることに気づく。
 群棲動物である人間は、ひとりで生きてゆくことができない。そこから私たちは複雑な社会的構造を生み出し、〈個〉は常に自分と
同等な〈個〉、すなわち〈他〉との関係において生きてゆく。〈個〉の確立とは自我の拡張と同時にその制限をも意味している。
言葉をかえると、他人と出会うことによって、子どもはおとなへと成長してゆくと言うこともできるのではないだろうか。
もしそんなふうに言えるとしたら、私にとって初めての他人との出会いは、いったいいつのことだつたのだろうと考えることがある。
もちろん人間にとって最初の他人とは母親であると言うこともできるかもしれない。しかし、ほとんどの子どもにおいては、
母親は自分自身の延長のような存在であり、母親を他人として意識しはじめるのは、むしろ彼がおとなになってからだろうと思う。
似たようなことは他の身内・家族などについても程度の差はあるが、おおむねあてはまるだろう。 ≫
 ▼ 学校時代は、進学する度に変わる同級生が、他者を考える上に分かりやすい。その時の面々が、その時の自らの分である。
  それは、自分の広がりでもある。それが他人との出会いである。その範囲が広がれば広がるほど、その冷たさと暖かさの
  差が大きくなる。その段差が、人間を成長させるのである。逆に言えば、その段差が少ないと、成長が逆行していくことになる。
  自分を意識する前に見知らぬものとの出会いがある。その境目が増えるにしたがって、己との枠ができ、それが自分になる。
   それぞれの時代の相手の中に、自分の姿が合わせ鏡となり、自分の姿の一部を垣間見ることになる。
 ・・・・・・
3678, 自己を見つめる −5
2011年04月21日(木)
  「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
  ー 境遇 ー
【人生においては、私たちは、それぞれの境遇のなかで、様々な経験をしながら、自己自身の人生の有意義性を目指して、
 日々努力を重ね、永い人生行路の過程を歩み進んでいる。そこに、自己自身の生きた時間的な軌跡が形成され、その人なりの
 自己の歴史が築かれてゆく。人生とは、そうした各自の時間的歴史的な行程であり、多様な諸経験を重ねてゆく遍歴の旅路である。
 人生は、しばしば、旅だと言われ、西洋でも、人間とは「ホモ・ヴィアトール(旅する人)」だと語られる。
 しかし、そのような遍歴の旅とは、いったい何であろうか。とりわけ、多様な諸経験を経巡ってゆくということのなかに
 籠められている大事な眼目は、いったいどこにあるのだろうか。・・・・・・
  遍歴の労苦を通じてのみ、私たちの人格の花は、大きく咲き出るのである。格言に言われるように、可愛い子供には
 旅をさせねばならず、異境に出て、他流試合に揉まれ、異他的なものとの交流もしくは対決を経巡ってのみ初めて、私たちの人格は、
 大きく実るのである。そうした切磋琢磨と、人格的遍歴の過程を、すべての人が、互いに、愛の思いと暖かい心とを込めて
 見守らねばならない。こうして、人間的振幅や試行錯誤のすべてを受け容れ、また赦すところの、裏切ることのない、
 誠実な追憶の魂もしくは心のなかに、それらの歩みのすべてを銘記し、それらを、過ぎ去りゆくことのない、不滅で、
 貴重な人間的経験の全体として、共同でいたわり、保持しようとすることこそが、あらゆる人間にとっての、最も崇高な、
 道徳的かつ人格的な相互的責務であると思う。】
 ▼ 神話は、まさに異境に出て行って、辛苦の中で勝利し帰還する物語が原型である。それは、自分の魂にとっても同じこと。
  異質なものとの出会い、そして邂逅のプロセスを通して自己が深まり、広がっていく。ここでも「異境に出て、他流試合に揉まれ、
 異他的なものとの交流もしくは対決を経巡ってのみ初めて、私たちの人格は、大きく実る」現実の世間的価値観の中では、
 人格は大きく実らないことは周辺を見れば良く分かること。更にいえば、自己とは異質なものとの出会いと邂逅の中にこそ存在する。
  ・・・・・・・・
3313, 対話について
2010年04月21日(水)
  「プラトンー哲学者とは何か」 納富信留著
 * 対話について
 プラトンの「対話篇」を分かりやすく噛み砕いてある内容である。
以下は、そのエッセンスの部分である。 プラトンと、ソクラテスの立場を簡潔に分かりやすく述べている。
 ーまずは、その部分から (p28)
ソクラテスはつねに「対話」において人々と語り、プラトンはそれを「対話篇」として書いた。ソクラテスとプラトンとの出会いは、
また、言葉を語ることと書くことのへだたりと「対」として現れる。ここに、哲学成立の秘密がある。 対話とは、人と人との出会い、
言葉をつうじて何かを追求し明らかにしていく営みである。それは、顔をもつ生きたひとりの人間と人間のあいだにかわされる、
一度かぎりのやりとりである。 対話は、それがかわされる特定の生きた状況、時と場を離れてはありえない。会うのは心と心であり、
ぶつかりあう言葉と言葉が吟味により明るみに出し対話する人の生そのものである。そして、人と状況は、その対話を通じて変化していく。 
対話を交わした人のあり方は、もはや以前のものではありえない。 人が形つくる対話の言葉は、また、その人を形作るものである。
そして、対話は、二度とくりかえさることはない。 これに対してブラトンは、語られる言葉を書かれた言葉にして残した一度しか
起こりえない対話を書き物に結晶させた時、それは時を越えて反復可能なものとなった。書かれた対話は、うつろいゆく言葉を文字に留め、
それを読むことが対話を反復させる。私たちの心のなかには、思りという新たな対話が生み出される。 そうして書かれた対話篇において、
対話は対話者たち、さらに、著者プラトンの手を離れて、私たち読み手のものとなる。 一時の対話を永遠へとつなぎとめる著者と、
それを再び時間においてくり返す対話者。対話篇を読む私とは、そのようなもうひとりの対話者なのである。 しかし、ソクラテズが
従事する生きた対話と、それを書きあらわした対話篇とのあいだに根源的なへだたりがある。このギャップは、「パイドロス」で、
エジプトの神々の対話という形をかりて語られる、「書かれた言葉」への批判に現れる。文字が記憶と知恵のためのすぐれた発明であると
自慢するテウトに対して、王神クムゥスけこう批判しる。書かれたものを信頼することは記像力の訓練をなおざりにする想起の秘けつに
すぎず、それが与えるものは真の知ではなくその見かけにすざないと。 書かれた言葉は、問いかけても何答えない。
 〜〜
 対話について、これだけ分かりやすく書かれているのものも珍しい。 学生時代にプラトンの「ソクラテスの弁明」を
読んでいたが、何を理解していたのだろうか。 字づらだけを見て、知ったつもりでいただけではないか?。
 反面、学生時代に寮にいたことや、ゼミや、クラブの人たちなど色いろな人と一度限りの対話があった。
その蓄積が人生の大きな基盤になっていた。 そして自分の壁を破壊してくれていた。
現在、ツイッターが爆発的に広まっているが、あれは会話?でしかないのか。
それとも、人によっては対話になりえるのか? ブログでは対話が成立していると思うが! 
 議論すること、それを書き留めること! その青さを持ち続けること!  チロリチロリだけでは、だめか?
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2938, イエスマン
2009年04月21日(火) 
 先々週にシネマに行ってきたが、そこで「イエスマン」という面白そうな映画予告をしていた。
そこでネットで調べてみた。 ーネットの紹介文には、
《 人生において常に「ノー」を連発してきた後ろ向きな男が、どんなときでも「イエス」と言うルールを自分に課した
ことから騒動が巻き起こるコメディー。・・・ ある人に「もっとイエスって言わなきゃ」と言われ、半年間、
“イエス”と答え続けた経験を回顧録にまとめベストセラーに。スパムメールの怪しい広告や平和運動への誘い、
週末シンガポール旅行、車のセールス、すべてに“イエス”。「もう1杯?」と聞かれなくなるまで飲み続けた。
ダニーはその日々を「とにかく楽しかった。楽しいパーティでも、つまらないパーティでもいい人に出会える確率は同じ。
パスしていたら始まらない」と振りかえる。誘われたり、勧められたり、頼まれたり、あるいは決断を迫られたり・・。
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2574, 我々は 井伏鱒二の山椒魚?
2008年04月21日(月)
 山椒魚は悲しんだ。彼は彼の棲家である岩屋から外へ出てみようとしたのであるが、頭が出口につかえて外に出ることが
できなかったのである。 ー『山椒魚』本文より?岩屋から出られなくなってしまった山椒魚が、孤独のあまり岩屋に迷い込んだ
蛙を閉じ込めてしまうという、井伏鱒二の「山椒魚」を読んだときの衝撃が、今でも鮮明に残っている。
学生時代に読んだ時の私の解釈は、「岩屋」を自分のつくった固定観念と、因縁に縛られてしまった現実(生活レベルの環境)
ということであった。岩屋に入った後に、自分の体が大きくなり、その入り口から出れなくなった悲哀である。
人生の縮図のようで、何か残酷にさえ思えたものだ。身近な壮年・老人の一生が山椒魚に重なって見えたのである。
家業に縛られた長男、長女の立場も岩屋にたとえることが出来るが、ただ誰もそのことにすら気づいてないのが、
悲しいといえば悲しい!しかし考えてみれば、全ての人が同じではないだろうか?
(12年04月21日 字数制限のためにカット)
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2007年04月21日(土)
2209, 反時代的毒虫 ー4
   U(^(ェ)^)U おはようございます!  ー読書日記ー
「反時代的毒虫」ー河野多恵子、奥本大三郎との対談ー『人の悲しみと言葉の命』から
P-153
奥本:お金を恥ずかしがったり、汚がったりするのは、日本独特のことじゃありませんかね。
河野 やっぱり武家社会の影響だと思います。 武家社会はお米が給料でしょう。
奥野:武家の負け惜しみ。
河野:武家は、一種の俸給生活者。それでお米をお金に替えたりするわけだけど。お金というものに縁遠かった。
奥野:商人階級を特に分離して、それを卑しめる。しかも時代とともに苦しくなって、
   それに頭を下げなければならない悔しさ。 そこから不浄感が余計に出てきた。
P-156
車谷:「お金がないということが生きることの原動力になっている人と、それが無気力を呼び込んでしまっている人と、
   ふた通りありましたね。 前者はなりふりをかまわず、金さえあればっていう考えで生きている。そういう人たちの
   顔色は溌剌としていた。ニヒリズムというか、絶望感というか、そういうものをはっきり意識していた。」
    (09年04月21日 字数制限のためにカット)
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解)お金に関しては、ここで多く書いてきたが、また小説の中での「金に関する扱い」もシビアで面白い。
 金と女(男)は、人間の煩悩の元である。車谷の「人の偉さは限りがあるけれど、人の愚かさは底なしの沼です。
 僕は人間の本質は相当にタチが悪いものだと思うんです。業が深いというか。 
 文学の原質は、世俗の中の下品な、血みどろの欲望の渦巻く、煩脳や迷いが流れ出るようなものだと思うんです。」
(12年04月21日 字数制限のためにカット)
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2006年04月21日(金)
1844, ローマから日本が見えるー4       ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★
 第二章 かくしてローマは誕生した。  
以下は、ウィキペデェア百科辞書から「ローマ誕生」について抜粋したものだ。
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ー建国伝承ー
 狼の乳を吸うロムルスとレムスの像ローマ建国までの伝説は、次のようになっている。
トロイア戦争で敗走したトロイ人の末裔(アエネイアスの息子アスカニウス)が、イタリア半島に住みついた。
この都市をアルバ・ロンガという。時代がくだり、王の息子アムリウスは兄ヌミトルから王位を簒奪する。
ヌミトルの男子は殺され、娘レア・シルウィアは処女が義務付けられたウェスタの巫女とされる。
ある日シルウィアが眠ったすきに、ローマ神マルスが降りてきて彼女と交わった。シルウィアは双子を産み落とすが、
怒った叔父の王は双子を川に流した。双子は狼に、その後羊飼いに育てられ、ロムルスとレムスと名づけられた。
成長し出生の秘密を知った兄弟は協力して大叔父を討ち、追放されていた祖父ヌミトル王の復位に協力する。
兄弟は自らが育った丘に戻り、新たな都市を築こうとする。
しかし兄弟の間でいさかいが起こり、レムスは殺される。この丘に築かれた都市がローマであった。
ー王政ローマの制度ー
 初代ロムルス王以来、多くの一族を抱える有力者は「貴族(パトリキ)」として終身の「元老院」を構成させ、
王の「助言機関」とした。人類の社会史上ローマにのみ見られる特徴として、他国から一族郎党を引き連れて
移民してきた者や、戦争で破った敵国の有力者も一族ごとローマに強制移住させ、代表者を元老院議員にすることで
味方に取り込み勢力基盤とした。これは、エトルリア人都市国家やアルバ・ロンガなどのラテン族都市国家に囲まれた小さな
「寒村」ほどの規模から出発した新生ローマでは、最大・喫緊の課題は「人口増加策」であり、人口が増えないことには、
自衛のための兵力すら維持できないからであった。さらに、奴隷や一時居住者以外のこれら自由市民は「ローマ市民」として
王の選出を含む国家最高議決機関である民会で投票する権利を与えられた。もっとも、この市民による王の選出は共和政期に
共和政の歴史を古くに求めるために作られた伝説とする説もある。ローマ建国の王であったロムルスも治世の途中で、
この民会の選挙で選出(この場合信任)され、改めて選挙で選ばれた王となった。 王の任期は終身。しかし原則として
世襲制はとらない。王の最大の責務はローマの防衛であり、そのため自由市民が「輪番」で兵役を勤める
ローマ軍全軍の指揮を担当した。(全軍とはいっても草創当時は2,000名程度であったと推測される)(。・・)_且~お茶どうぞ
 ーー
以上だが、面白いのはロムスルは王になっても権力を独占しようとしなかったことだ。
彼は国政を、王、元老院、市民集会の三本柱で支えるという制度を定めた。
 (2010年04月21日 字数制限のためにカット)
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 2005年04月21日(木)
1479, 『知りたいことがなんでもわかる 音楽の本』ー1
クラシック、ジャズからワールドミュージック、日本のポップスまで、幅広く網羅した、
音楽の基礎などが書いてある本である。ほぼ全てのジャンルの歴史が詳しく分りやすく書いてある。
入門書に留まらず歴史的な考察も入っている。一冊にこれだけ音楽の体系をまとめてあるのに感心した。
 (2010年04月21日 字数制限のためにカット)
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2004年04月21日(水)
1114, 「ライフ・レッスン」 ー5
 ー力のレッスンー
・ほんとうの力はその人の社会的な地位、銀行の高額の預金残高、華麗な肩書きなどから生まれるのではない。
 それは自己の内なる真正さ、つよさ、誠実さ、いさぎよさから生まれる。どんな人にも内奥には宇宙の力があるのだということに、
 わたしたちは気づいていない。一粒のタネがたくさんの花を咲かせ、毎日、太陽を大空をわたっていくのをみて、そこに力を感じ取る。
・感謝をする人は力のある人である。感謝が力を生み出すからだ。世にある豊かなものはなんであれ、いまあるものに感謝する気持ちに
 根ざしている。真の力、真の幸福、真の幸福は、感謝という高度の技術の中にみいだされるものだ。いま与えられているものに
 対する感謝、ものごとがそのようにあることへの感謝、自己が自己であることへの感謝、生まれてきたときに自分が
 この世界に持ち込んできたものへの感謝。 自己の唯一無二性への感謝。たとえいまから100万年経ったとしても 
 自分とまったく同じ人間は現れない。自分と同じように世界を眺め、同じように反応する人間はいない。
 感謝の種は尽きない。「感謝の筋肉」を鍛えたことがない限り感謝をすることはできないのだ。
 「もっと」というゲームをやめて「もう足りている」というゲームをはじめよう。
・人間は内部に大きな力を持っているが、その使い方には無知同然である。
 真の力は、真の自己を知り、世界のおける自己の立場を知ることより生まれる。
  ー感想
(2012年04月21日 字数制限のためにカット)
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2003年04月21日(月)
 747, 散る桜残る桜も散る桜ー2
ー雨中の花見
 昨日、散歩がてらの悠久山の花見に行ってきた。毎年のこの時期の恒例の一人花見である。もう十年以上続いている。
他の場所はどうか解らないが、長岡は4~5年に1度があたり年である。季節の微妙なバランスが影響しているのだろう。
今年は例年並であったが、満開時期に雨が続いたという点で外れの年と言ってよいだろう。
 午後一番に悠久山に向かって出発したが、小雨がダンダン大粒の雨になり、丁度悠久山の参道に到着したと同時に
大雨になってしまった。いまさら帰るわけにもいかないし、とりあえず瓢箪池に行く。それでも、いろいろな団体が
テントの中で「やけ花見?」をしていた。雨が桜にとっての天敵ということが散歩をしていて解った。
それまでは大風と思っていたが、雨も桜の花を叩き落してしまう。最近の桜では6年位前に2~3年に大当たりが続いた。
その時に早朝、悠久山で写真を撮っていると、中年の男の人が話しかけてきた。「自分はこの近くに住んでいるが、
これだけの桜は初めてだ!」という。それだけすばらしい桜だったのを憶えている。
ここで桜を見ていると、子供の頃家族で夜きたことを思い出す。参道の両側に多くの屋台がならんで華やかな雰囲気であった。
もう50年も前のことだ 花見こそ一期一会である。吉野とか京都の名所のあたり年の桜は、魂を吸い取ってしまうのだろう。
・・・・・・・・・
2002年04月21日(日)
 383,チンパンジー
TV のドキュメントや本などでチンパンジーの生態の研究が面白い。人間そのものである。まずはその社会、ボス争い。
彼らの社会は厳格な序列が決まっていて、常にその力関係の争いと緊迫が漂っている。特にボス争いが熾烈である。
また2番手3番手の力バランスが、人間の政争とそっくりである。鼻が詰まった時など鼻の穴に小枝を入れ、
くしゃみを誘発したりもする。蟻の穴に棒を入れ蟻を抜く行為もする。 ボスのいない隙に浮気をしたりもするし、
子供期の遊びと虐めも人間とほぼ同じ。嫁いびりや集団リンチなどもある。京都大学の霊長研究所の代々の名物教授が、
数十年にわたりその研究を続けている。その内容がいろいろ出版されている。またTVでそのドキュメントを数年に一度づつ
放映している。今アメリカの研究所で、チンパンジーの一番人間に近いボノボというチンパンジーの研究が進んでいる。
数回そのドキュメントを見た。 言葉の研究やゲームの姿を見ていると「人間との差は何処にあるのだろう?」
と考えさせられる事がある。日本でもアイコという雌チンパンジーとその子供の研究がすすんでいる。
今ではヒトを「第三のチンパンジー」と呼ぶべきという動物学者も出てきている。
人間は狂ったチンパンジーパンジー(猿)というが、言葉を持った猿の欲望の無限の拡大のなせる業か。


4043, 一時停止 ー3

2012年04月20日(金)

         「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
  * 出会い ーフェルメール 1967年 
≪ 私がほんとうにフェルメールを見たのは、その本物を見たときである。本物を見たから、フェルメールが見たくなったのだし、
 旅に出ずに複製しか見る機会がなかったら、もしかすると一生私はフェルメールに気づかなかったかもしれない。 現代の進歩した
印刷技術は、複製と本物との差をだんだんに小さなものにしてゆきつつある。複製で見ても本物で見てもそんなに変わりはないという
絵画もあるだろう。複製を見ることが、本物を見ることにつながる絵画もあるだろう。だがフェルメールはちがう。複製と本物との間に、
越えがたい断絶がある。 あたかもヴィニールの花と、野の自然の花とのように。 あるいはこう言いかえてもいいかもしれない。
本物を見ても、複製を見たのと同じ感動しかなければ、私はその絵にほんとうに感動してはいないのだと。そういう形で感動した絵は
実は私にはまことに少ないのだが。  はじめて見たフェルメールに感じた気持ちを、そのときの状態のままにことばにすりとしたら、
それは「ああきれいだなあ、ほんとになんてきれいなんだろう」ということにしかならない。 美は人を沈黙させるという。その通りである。
その沈黙の中に、無数のことばにならぬことばがひしめいているのではないかと言う人もあるが、少なくとも私の場合、そう言えば嘘になる。
沈黙はもっと深く、ことばにならぬことばなどといった不純なものはない。しんとした純正の沈黙なのである。 
ことばはずっとあとになってから、やっと重い腰をあげる。その時でもことばは謙虚だ、ただいちばんふさわしいオマージュを捧げ、
絵の美しさにほんの少しでもあやかりたいと思うだけなのだ。≫
 ▼ 本物の絵画や美術品を数多く見てきた。TPOもあるが、その前で立ちすくし、身動きが出来なくなるがある。
  ダビンチのモナリザ、サンピエトロのミケランジェロ作ピエタの像、ゴッホのヒマワリなどを目の当たりにした時の感動。
  対象が浮き出てくるようなエネルギーが満ち溢れていた。 特にゴッホのヒマワリは、周囲に誰もいなかったこともあり、
  10分間ほど、釘つけになってしまった。出会いである。  そういえば、近じかフェルメール展が日本で開催される。
・・・・・・・
3677, 自己を見つめる −4
2011年04月20日(水)
   「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 節目どきは、境遇の節目でもある。特に乗り越えることが不可能と思える壁に直面した状況を「限界状況」と、ヤスパーが
指摘している。 その限界状況に「人生の不条理」に突き当たる。その時に、それまで隠されていた真実が現れ出てくる。
節目を打つとは、人生の不条理を受け入れ目を背けないことである。正中心一点無になり、変化を受け入れること。
  ー 第三章 境遇 ーから、抜粋
【 現在、変えることのできない定めを帯びた宿命的な境遇のなかへと投げ出され、置き入れられて、人生の途上にある。 
 その私たちの無に貫通された現世における存在のうちには、宿命的な境遇のもつ変えることのできない定めが刻印されている。
 ヤスパースが指摘するように、私たちの生存のうちには、どうしようもない「限界状況」が巣くっていると言える。 
 限界状況とは、それに突き当たっては、私たちは挫折し、崩れ去る崩れ去るような、乗り越ることの不可能な壁に直面した状況を言う。
 そうした限界状況に面座して、私たちは途方に暮れた困惑のなかで、解決しようのない自己の人生の不条理の根源的事実に突き当たる。 
 しかし、そのときにこそ、私たち自身の、ほんとうの「実存」が目覚めてくる。
 実存とは、私たち各自の生存の、赤裸々な真実、その拒否できない現実のあり方のことである。
 自己の実存を自覚し、それにもとついて生きるよりほかに、この世を生きる生の根拠を、私たちはもたない。】
【 ハイデッガーが述べた通り、私たちは、それぞれ何らかの世の中に投げ出されと「被投的」存在である。
 その「現事実性」を引き受けて生きていかなければならない存在である。その存在としての自己を生きていかなければならない
 辛い気分を取り払い、重みや憂いを取り払い、それらを忘却させようという気晴らしや、慰めを求めて、無邪気な明るい朗かさ愉悦を、
 好んで受け入れようとする傾向にある。しかし、そうした気晴らしが、瞬時の儚いものということを骨身で知っている。
 その人生の底を見つめ、底知れぬ深遠を予感し戦慄をする。その深遠が、「限界状況」の時に直面する実在である。】
 ▼ 自己を見つめるとは、節目の境遇の人生の底を見つめ直すことと、言われると、挫折体験を振り返ることになる。 その意味で、
   挫折体験の中には多くの教えがある。 が、時間がたつにつれ、それを忘れてしまうのが人間の性である。そう人間、皆、馬鹿!
 ・・・・・・・
3312, ゴールドマンを訴追
 2010年04月20日(火)
 1929年から始った世界恐慌では、その直接の仕掛け人達が多くが逮捕された。
しかし、これまで逮捕までされたという話は聞いてない。 何か不思議な感がしていたが、
やっとSEC(証券取引委員会)が訴追に動き出した。 アメリカは金融マフィアが仕切る国でも、歴史に残る
犯罪を、このまま見逃すことは歴史が許さない。以下は、毎日新聞の数日前の社説だが、毒入り債権を欠陥車に例えるとは、
トヨタの喚問もあったこともあり比較するに分かりやすい。例え話は本質をより分かりやすく整理してくれる。
  〜まずは、その部分から〜
  = 毎日新聞社説: 「ゴールドマン訴追 金融危機解明の弾みに」 =
(字数制限のためカット 2011年4月20日)
・・・・・・
2937,レーシック専門眼科医院
 2009年04月20日(月)
姉三人が私と同じく強度の近視。 その姉三人とも「矯正手術をうけて良かった」という。知人の何人かが経験者、聞いてみると
「白内障の手術時にレンズを入れたが、出来たらやらない方がよい」と真剣にいう。 迷いに迷っていたが、去年の半ばに、
春先になったら決断しようかと決めていた。そして春は過ぎようとしているので、 検索に「新潟 レーシック」といれたところ、
何と自宅から数分のところの所在地に「長岡眼科医院」が、あった。三年前ぐらいに出来た(眼科らしくない)ミニ結婚式場みたいな
医院があったが、まさか、そこが気にしていたレーシック専門眼科とは思ってもみなかった。本気にならないと見えてこないものである。
(字数制限のためカット 2012年4月20日)
・・・・・・・・・
2573, 「好き」という言葉の重み
 2008年04月20日(日)
「好きと嫌いじゃどれほど違う、命ただやるほど違う」という川柳があるが、これほど人間の本質をあらわしている言葉はない。
私も好みの激しい人間だが、この感情は、何に由来するのだろうか。「あの男は好かん」とか、「あの女性は私のタイプだ」とか、
思うにつけて、その意味を考えたことがない? 育ってきた環境が似ているとか、教養レベルが同程度とか、趣味が一緒だとか。
反対に「俺は堀井が嫌いだ」と何人から言われたことか。でも、相手が相手だけに心の底では?私の経験上からみて「嫌い」いう言葉は
禁句である。 いわれた方が、それで一生恨まれるからである。犬でも猫でも、相性があるから、これだけは如何にもならないことと
割り切るしかないのか。私の好き、嫌いの基準は娑婆経験の中からハッキリ自覚している。女性は長女、血液型A型、教養と品性があり、
顔はノッペリ。 優しい雰囲気があり、明るい人である。大体、好きなタイプは概ね、これを満たしていた人。興味のないタイプは、
冷たいタイプで、神経質な近寄りがたい正統派美人と個性的な自意識の強いタイプ。 殆どいないが!コンプレックスの強い人。 
犬でいうと、宅上犬タイプが好きで、シェパード、コリーのような人は苦手。同性は、品性と教養のない人と、社会的な肩書きだけで
人を判断する人とか、チャラチャラした人は苦手。商工会議所、ロータリー、ライオンズとかの人間関係に没頭している人種。
それと女性関係に派手な人。軽薄な二代目。 もう一度いうと、品性のない人!。 それをいったら、地方では誰も相手に出来ない?
とはいうが、それはそれでよい。そういう御前さん、どうなの?といわれるが、他人に厳しく自分には甘い? 
 ところで好き嫌いということは、如何いうことか?相性ということ? それとも持って産まれた先天的な本質。
これだけは、どうにもならないこと?好きなことを選んで、それを一生を通して追求することが、幸せと不幸の分かれ目になる。
好き嫌いが、先天的なものとすれば、この道理は正しいことになる。 神=自然が与えた本質的素養だからである。
シカゴ大学の心理学者ミハイリ・チクセントミハイによると、人間には“フローの状態" と呼んでいる精神状態がある。
(字数制限のためカット 2011年4月20日)
・・・・・・・・・
2007年04月20日(金)
2208, 下流志向                  おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ       
 一週間前の毎日新聞・文化欄「本の現場」のコーナーに、「下流思考」著者の内田樹氏へのインタビューをまとめた、
{ 若者はなぜ学ばず、働かないのか<「下流志向」内田樹著 講談社> }という記事があった。
本屋では平積みであったが、数回立ち読みをしていた。面白そうだが、買うほどでもない本と判断していた。
この記事と書評で八割は把握できたようだ。言わんとしているエキスを著者から引き出している。
 ー毎日新聞のHPに記事があったので、コピーして置きますー
  ーーー
◇固まった頭をぐちゃぐちゃに
 フランス現代思想の研究者にして武道家が「学力低下」「ニート」という若者をめぐる二大問題を論じた。
約2カ月で10万部と、この手の本としてはかなりの売れ行きだ。丘の上に南欧の修道院を模した校舎が建ち並ぶ、
神戸女学院大(兵庫県西宮市)で話を聞いた。「ここより美しいキャンパスは見たことがありません」という。
  (字数制限のため中略 2010年4月20日)
 ■人物略歴  ◇うちだ・たつる 神戸女学院大教授(フランス現代思想)。
   「『おじさん』的思考」「先生はえらい」ほか。 毎日新聞 2007年4月13日 
▼ なるほど、と納得する。学生時代は寮生活、ゼミ、クラブ、世界一周旅行と当時としては恵まれた経験を多くした。
その中で一度、「固まった頭がぐちゃぐちゃ」になった経験があるから、その重要性が深く理解できる。馬鹿の壁を一つずつ
叩き壊す経験をしたが、振り返ってみてどこまで壊してきたのか?疑問である。何も壊していなかったのか、いや壊した!の、
自問自答である。その時に生の言葉を発していたかどうか分らないが、傷口から出る血のような言葉であったことは間違いない。
  ー 著者の次の指摘も、ずばり急所をついている ー
    (字数制限のためカット 2012年4月20日)
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2006年04月20日(木)
1843, 桜の話            才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
近くの福島江の桜は昨日・今日が満開である。「花」と言えば桜を意味するくらい桜は日本人にとって特別な花である。
今年の花便りだと桜の当たり年のようだ。私のHPに投稿してくれる井上さんのHPも、桜の花が多い。
長岡にも幾つかの桜の名所がある。自宅から数分のところにある、福島江の桜と悠久山の桜だ。毎年、開花を楽しみにしている。
5年に一度は大当たりの年になるが、今年はその年か如何か?桜をぬきにして日本人の自然観や人生観を語ることは出来ない。
文学・能・歌舞伎・絵画のどれをとっても、桜は大事な役割を果たしている。日本人の考え方や生き方を表しているとも言える。
春になると「桜前線」が天気予報のように(今どこが満開かと)放送される位だ。十数年前の話になるが、私の近くに住んでいた
従兄弟が、桜の散り際を待っていたように「自死」をした。その納棺の儀式の時、桜吹雪が部屋の中に吹き込んできた。
ゾクッとするような不思議な体験であった。5月3日に、その法事に行くことになっている。(*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
  ー幾つかの花に関する和歌・俳句をHPからコピーしてみた。
世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし    在原業平
ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なり      細川ガラシャ
人はいさ 心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂いける         紀 貫之
こえぬ間は 吉野の山のさくら花 人ずてにのみ ききわたるかな      紀 貫之
みよしのの 山辺に咲けるさくら花 雪かとのぞみあやまたれける      紀 友則
色見えでうつろうものは世の中の人の心の花ぞありける           古今和歌集
願はくは 花の下にて春死なん その如月の望月のころ           西行
(以下、字数の関係でカット2009年4月20日)
 ▼ 桜は死の匂いがする。 一瞬にして咲いて散るからである。それが、また良い! 今朝は強風が吹いている。
  こういう日の強風は、何か腹立たしくなるものだ。     ε(´',_c')зβyё☆βyё
・・・・・・・
2005年04月20日(水)
1478, 居酒屋放浪記
土曜日は家内と至近にあるサエゼリアか、歩いて十数分の駅周辺の全国チェーンの居酒屋に行っているが、もうソロソロ飽きた。
そこで、昔からの居酒屋をあらためて見直すことにして三週続けて行った。今更の感もあるが、年齢もあるのだろう。
家内はもう行きたくないというが。最近、BS・6で「吉田類の居酒屋放浪記」を放映している。平日の19時半に放送しているが、
毎日これを見るのを楽しみになっている。全国のレトロな居酒屋を訪ね歩く内容だが、吉田類と現場で酒を飲んでいるような
カメラ目線がよい。先々には、何十年も積み上がられた味と雰囲気が漂っている。
店と料理と親父・女将とお客の醸しだす暖かさがよい。それと、その地域の日本酒の紹介も時々ある。
以前に「居酒屋の親父」のミニ小説?を書いたことがあったが。男の楽しみは酒と女と博打であるというが、
軸は一つという。間違いなく私は酒である。そういえば32年前に初めての創業で貸しビルつくった時に、その中に
「養老の滝」を立ち上げて経営したことがある。二年間だったが、忘れられない経験だった。酔っ払いの恐ろしさ、
嫌らしさ、そして面白さをジックリ味わった。居酒屋は客としてはよいが、自分がやるものではない。
カウンターの外と内側は全く違う世界である。人間、酒が入ると別人になる。歪みと誠実さなどの人間性がそのまま露呈する。
割り切ってみれば、これほど面白いものはない。人生の縮図が、そこにある。 書き出したら止まらない。
▼ これからは私の文に戻るが、東京の中野の居酒屋もよかった。創業以来47年の女将と、それ以来のお客との会話が
 何とも味があった。苦しい時の居酒屋の酒の味の何とも心の気休めはなかった。神戸のガード下の中華料理店の油に
まみれたモツの炒め物とか、おでん屋(関西では、たしか関東煮といった)のスジ肉の美味しさ。誰もが、甘じょっぱい
酒のつまみの思いでは数知れずあるだろう。今度、養老の滝の立ち上げの時の話をジックリ書いてみよう。
あまり思い出したくないが、書きたくなったということは、その時のことを受けいれる余裕が出てきたのだろう。
その時の相棒もこのHPを見ているとメールが入った。
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2004年04月20日(火)
 1113, ヘビー級の醍醐味 ー2
 ー家内性手工業ー
昨夜、世界ヘビー級ボクシングを見ていたら、アナウンサーが面白い言葉をいった。IBFの世界チャンピオンのセコンドが
何とトレーナーが父親で、カットマンが母親であった。解説者も長くボクシングを見ているが初めてと言っていた。
その時のアナウンサが「家内性手工業」と言ったから笑ってしまった。上手いジョークである。大型の選手が小型の選手を、
追い回している試合であった。その内容を称して「コンニャクを押さえつけて包丁で叩き切ろうとしているようだ」
という表現もおもしろい。際どい壮絶な試合だからこそジョーク?が出るのだろう。大型選手の名前がまた良い「ゴロタ」
というポーランドのゴロツキあがりの柄の悪い選手なのだ。いつも負けそうになると相手の下腹部を叩きつけて、反則負けになる。 
数年前もタイソンに負けたばかりだ。この試合ではないが、観客席で見ていた母親が、負けそうな息子を助けようと興奮して
「ハイヒール」で、相手の選手に殴りかかったこともあった。この試合は最後の最後までわからない大接戦でドローであった。 
ヘビー級は面白い。そういえば具志堅というチャンピオンが「あなたの職業はどういう関係?」と聞かれて
「肉体関係」と答えた話しを聞いたことがあるが。 まあ、どうでも良いことだが。
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 2003年04月20日(日)
746, 笑われている自分を笑っている面
 数年前の話である。 
高校の同級生が、ある会ー精神修養団体の支部ー主催で講演会をやるから、聴講して欲しいと頼まれた。
たまたまその話し手の手記を読んだ事があったので二つ返事で参加をした。300人位の講演会で同級生が開会の挨拶をした。
恥ずかしいそうな顔をしての挨拶が何とも可愛らしい味のある顔であった。それから数ヶ月後に、同級会で顔を会わせた。 
何げなく「お前も、やっと面ができてきたな!」と言うと、本人がすかさず「どういう面か?」と聞いた。
正直にそのまま「笑われている自分を笑っている面になっていたぞ!」と言葉がでてきた。どうしようも隠せない心の顕れが
純粋にでた面であった。それも他人に良かれという仏心のが表れた表情は何とも良いものだ。本人も何か嬉しそうな顔をしていた。
 自分の心の傷を最小にするには、他人に笑われる前に先に自分で笑ってしまうのがコツである。その意味で、この随想日記も
赤裸々に心の奥を曝け出して笑われるのを承知の上で書いているのも「笑われている自分を先に笑っている」ことにになる。
ところで人間の顔というのも面白いものだ。気持ちや品性がそのまま出てしまう。酔っ払った時の顔を鏡で見て
ビックリした事がある。漫画のアトムで小さく出てくるブタの顔そのものの顔であった。実際そういう顔をしているのだろう。
そういう顔をして、総てを忘れたい為飲んでいるのだから、それも仕方がないが。 
顔はごまかせない。 バカな女が必至で化粧をするのも解る。
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2002年04月20日(土)
 382,能力とは
人間の能力は無限だ。問題は発揮できる環境をどうやって作り上げていくかだ。それを伸ばす為に、
人生設計ーグランドデザインが必要である。それを前提にして目標の設定を立て、その達成のプロセスと
その結果が能力。したがってグランドデザインが明確でかつ高くなくては伸びない。
 まとめると
・高い志を持ち                 ・ウオームハート&クールヘッドで
・事の本質を見つけ
・自ら常にその時点の最重要の問題を見つけだし  ・失敗を恐れず、その重心と中心点に向かい
・全エネルギーを持って             ・チャレンジとコンペテションとチェンジをする
知性と愛と力のバランスをとり、それぞれの価値を見つけ継続してやり続ける。
その為には好きな事を見つけそれをやり続けるか、それを好きになるかだ。  まあこんなところか。


4042, 世界の旅行記101 ー3

2012年04月19日(木)

   * 旅行記は、旅人により再構築された言説
≪ 旅行という行為や、そこでえられた環境や状況についての情報は、言説として再構成されている。
 おもいもかけない発見や探索、あるいはそれに出会った旅人の心象や思考は、旅行記という形態に定着させられるときに、
一定の文スタイルやデザインを採用する。 文章のかたちをとるという点からみれば、「文体」といいかえてもよい。
見聞され体験された隔遠の地における非日常の事実は、旅人の言語に変換され、日常の世界に発話される。著者と読者とが
共有する表現と読解のルールにもとづいて旅行記は書きおろされる「言説」といったのはそうした意味においてである。
 旅行記は、旅の事件記録性を検証するよりもまえに、言説そのものの解読作業がほどこされねばならない。旅程のすべてを
記載できるわけではない。見聞された事象すべてが、偏りなく叙述説うるわけでもない。 しかも、だれにとってもひとしく
共有される述法のルールにしたがって。 そうではなくて、旅行記は、旅人が旅先について投射した特定の視線が、
対象のうちに読みとった文脈にかんする言説である。 使用される語彙もシンタックスも、そしていますこしふみこんで
いうならば価値感覚も、言説として独自の完結を実現している。 別のいいかたをすれば、中世ヨーロッパ人と
近代アメリカ人、古代中国人と現代日本人は、それぞれに採用する言説の方式はことなっている。いや、著作者の身分、
出自、性別、教養のちがいによって、同一物にいての言説は別個のものになりうる。 ≫
▼ 旅先の情報を言説として再構築したのを旅行記とすると、書き手の特定の視点こそ注目すべきである。それが旅行記の特性であり、
 面白さになる。だから、この101の旅行記は、101人の特異体験を記した事件簿として垣間見ると分かりやすい。 
それぞれのクロス・エンカウンター(因縁)が現れ出るから面白い。人生の記録も、それぞれの特異点の旅行記に酷似している。
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3676, 自己を見つめる −3
2011年04月19日(火)
             「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
  「時間」は簡単のようで、難しい。心の中は、時空をこえた多くの思いで満ちている。特に多くを経験した熟年期に差し掛かると、
 思いは過去に向かってしまう。  そこには現在の知覚と直感で彩られた抽象画としてたち現れてくる。
 豊かな経験なら豊かに、逆なら逆として! 生きてきたとおり、人生は自分に、その姿を突きつけてくる。
  ー 第二章 時間 ーより
【(p45) 私たちの心は、アウグスティヌスが言ったように、たえずなんらかの出来事を記憶し、知覚し、期待するという働きを、
 本質的に具有している。記憶は、過去の出来事に関わり、知覚は、現在の出来事に関係し、期待は、将来の出来事に向けられ、しかも、
 それら三つのものが別々にあるのではなく、むしろ、私たちの心のなかに、それら三つのものがすべて取り集められている。
 したがって、「過去のものの現在が、記憶であり、現在のものの現在が、直観であり、将来のものの現在が、期待である」と、
 アウグスティヌスは言った。 いわば心という大きな現在のなかに、過去の追憶と、現在の印象と、将来の予期とが、
 すべて取り集められているわけである。 たえず現存し続けるその大きな心が、うしろを振り返って追憶に浸るときに、
 過去が浮かび上がり、いま周囲を注意深く見回すときに、現在が印象深く迫ってき、行く末を思って期待や予期に心を震わせるとき、
 将来が思い描かれるのである。 時間とは、このように、振り返ったり、見回したり、行く末を思ったりする心の働き、
 すなわち記憶や追憶、知覚や直観、期待や予期といった心の作用に由来するわけである。逆に言えば、大きく静かで揺らぐことない
「立ち止まる今」という現在の心の場、いわばそうした明鏡止水の心眼という現在の鏡のなかに、さまざまな過去と現在と
 将来の出来事が映し出されてきて、それらが追憶され、知覚され、予期されるとき、そこに、それらの出来事が、過ぎ去り、現れ、
 到来する時間の諸相において意識されてくると言えるであろう。】
 ▼ 現在置かれている、この節目どきに、これまでの記憶と追憶と、現在立たたれている分岐点、そして、これから予期されること、
 その三つが、心の中で濁流のように渦巻いている。 この自分の中に、多くの節目があって、それが現在という幅のある
 時間の中で自分という確かな存在が見えてくる。 これは晩年期に差し掛かった人間に共通しているが、心が、これほど激しいものと。
 人は生きてきた、そのままに老いるとは、その意味である。 現在は、その「立ち止まる今」である。 それでも時間は止まらない。
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3311, 笑われ力  −3
2010年04月19日(月)
「 笑われ力 」 太田 敏正 (著) 石原 壮一郎 (監修)
  ー次に、なるほどと合点した箇所を抜粋し考えてみる!ー
*「笑われ上手」に「背伸び」禁物
 ・まずは「私は凡人」とみとめる。
 ・「みんなをリスペクト(敬う)する。そう思えば、自分の中の良い部分も見えてくる。
 ・笑ってもらえたら「笑ってくれてありがとう」という気持ちを持つこと。
   この一歩下がった気持ちが必要となる。
*「笑われ上手」の下ごしらえ、をつくっておく
 ・「ダメな自分物語」を多くつくっておく。出来るだけ短くまとめておく。失敗したその場でつくる。
 ・もったいぶらないで、いきなりクライマックスの話を話題に出す。
 ・キーワードを決めておく
 ・一度、物語を用意したら、あとは白紙の状態にしておく
▼ 20年前から10年前にかけて、かなり遊び人の不動産屋の社長と古町を、飲み歩いたことがあった。
 小料理屋や、スナックなどで、話術の巧さに驚き、花柳の世界を垣間見た。芸者を相手の粋な遊びは今では夢のようである。
あれから10年も経ってしまった。彼には、ここに書いてあることは、ほぼ身につけていた。決して他人の悪口や話題をしないのは、
当たり前。自分の昔話も成功談が一割、失敗談が九割。 芸者に三味線を弾かせて都都逸など一ひねりなど、粋な遊び方等など。 
話術も自分を嫌味なく下座におき笑わせておいて、実は笑わせている妙は場数のなせる技(業)
 こういう時代になればこそ、「やれる時にやれる事をやっておいて、良かった」と実感する!(逆に遊び過ぎ?もあったか)
「ダメな自分は、嫌な自分ではない」、これが笑われ上手のポイントと著者がいう。 笑われ力は、自分の中の
ダメな部分や矛盾を笑ってもらう力であり、相手のタイミングで「笑われネタを」提供する。それが受けたからと言って、
もっと笑わせてやろうとか背伸びするのは厳禁。 あくまで相手と場のタイミングに合わせるのだ。
 その「笑われ力」のきほんステップとは
1、「ダメな自分」を見つける 2、「笑える部分」を特定する 3、自分で笑い飛ばしてみる
4、笑顔で他人に話す     5、その結果「心地良い笑い」が生まれる 
  落語の「まくら」では、名人の域に達した人ほど、上手い。「駄目な私」のネタなら膨大な蓄積がある! ったく。
カミサンに耳にたこが出来るほど指摘されている。 大きな経営者大会で講演者が「女房は亭主をバカにする動物である」
と言った時、会場が異常な爆笑があった。大きな会社の立場の人ほど家ではバカにされているのだろう!良いように出来ている。
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2936,「NHKの世界同時不況の双方向解説」を見て
2009年04月19日(日)
 昨日の土曜日の午前10時に、NHKの「そこが知りたいー世界同時不況・危機への対応は十分か?」は、9人の解説委員による、
伯仲した議論と、その合間に視聴者の意見や、世界の識者の論説を挟んだ、見ごたえのある内容だった。
 ーまずは、NHKのHPの紹介文から
(以下、字数制限のためカット、2012年4月19日)
▼ 解説委員ということで、同質の意見が多かったという感は免れなかったが・・・。
・100年に一度の経済危機なら、100年に一度の対策をたてるべきだが、それが感じ取れない。
・非常に深刻な事態である。大量に輸血しないと患者が死んでしまうという共通認識はある。
・アメリカと中国のG2が、今後大きな役割を持つ。ロシアと中国をプラスしたG9も必要。
・視聴者からの質問で、「100年に一度の経済危機というが、世界恐慌といわない何故か?」に対して、
「GDPの落ち込みは、1929年の世界恐慌と同じだが、失業率は25パーセントに対し、10パーセントで収まりそう。 
 今回は世界の経済政策の協調があるところが前回とは違う。従がって、まだ世界恐慌に入ったと認識されてない」
 の答えであった。 実際は、10年〜20年後に振り返れば、今回の方が遥かに大きいはず。
・アメリカを中心に世界経済を引っ張ってきたが、今後は、新興国に中心が移動する
 ターニングポイントではないか。 今後はアジア中心の経済モデルを作るべきである。
・ドルに替わる基軸通貨は10年20年単位では出てこない。
ー以上、印象に残った部分のメモをまとめてみたが、それほど大したことを言ってはいない。
 今回の恐慌の概要を知らしめ続けるには、良い内容だが、NHKの立場もあって、過激な現実を報道ができないこともあろう。
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2572, ドル覇権の崩壊 ー5
2008年04月19日(土)
「金や銀、プラチナを買って、手元に保有すれば良い」と、そこまで言わしめるだけ、この危機は異常なのだろうか? 
 実際のところ国家単位で自国民を騙すのだから、それも道理。 税務署を暴力団とは言いえて妙である。
 税務調査を経験してから、そう信じていた。 調査の対象は、のっけから被疑者扱いである。
 そこまで疑うなら、脱税をしない方がおかしいのではと実感した。 
 何でしてないの?するのが当然で、その当然のことを我々は取り締まりに来たんじゃないの?という態度である。
 サブプライム問題もバブルの典型で、これをキッカケで世界恐慌の可能性をはらんでいる。
 実態は火の車で、いつ何が起きても不思議ではない状況。
 ドル安、アメリカ国債安、アメリカ株平均値安になると儲かるファンドもあるという。買ってみたいが。
*アメリカ住宅バブル崩壊が世界恐慌の引き金を引く
  (以下、字数制限のためカット、2010年4月19日)
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2007年04月19日(木)
2207, 犯罪集団の存在を公認している日本       オッ(*^○^*)ハ?ヨウ!
 一昨夜の長崎の山口組による、現職市長へのテロ?には驚いた。たまたまNHKを見ていたので、現場の生々しい事態が、
そのまま茶の間に入ってきた。これは明らかに国家に対する彼らの挑戦である。(結果としても)それにしては、
安部首相のコメントには驚いたというより、怒りを感じた。地方統一選挙の最中に現職の市長が、みよがしに射殺されたのに、
当たりさわりの無い一辺倒の言葉である。これでは、なめるわけである。
  (以下、字数制限のためカット、2011年4月19日)
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2006年04月19日(水)
1842, ローマから日本が見えるー3             おっ \(*^▽^*)/ はぁー
ー第一章 なぜ今、「古代ローマ」なのかー  
 *この章の印象的なところから抜粋してみる・・
  「歴史とは人間である」
私にとって歴史とは、人間がこれまで経験してきた全てが入っている。キリスト教は千年の間、ヨーロッパ人の精神を
支配してきた。だが、それにもかかわらず、ヨーロッパ人の人間性が向上したとも思われない。
これは結局、人間の存在自体がもともと、宗教によって変えようがないほど「悪」に対して抵抗力がないのではないか。
そうした人間世界を変えていこうとするなら、こういう人間性の現実を冷徹に直視する必要がある。
なぜなら古代ギリシャやローマの人々はキリスト教のない時代に生きた人々であった。・・・・
キリスト教は本来は人間をさらに向上させたはずだ。それが、そうならなかったのは神と信者の間に、
聖教者というフィルターが介在したと考えられる。彼らの存在はかえってキリスト教の教えを損ねているだけでなく、
神と信者のつながりを邪魔をしているとルネサンスのルターは考えた。{私見ー現在の日本の葬式屋僧侶にもいえる}
「水平思考と垂直思考」    
  現在の日本を考える時、改革の遅れに破滅への危機を感じる。
  どうすれば良いのか?それには、一つには、日本以外の国はどの様にしているのか?
(水平思考)
  他には、垂直方向のリサーチー歴史を振り返ることです。西欧的な考えが崩壊している現在、
  ローマ人の生き方は宗教やイデオロギーとは無関係だっただけに参考になる!と・・・
「試行錯誤がローマを作った」
当初は小さな都市国家でしかなかったローマがイタリア半島に勢力を伸ばし、
ついにはポエニ戦役に勝って大国のカルタゴを下し、地中海を「我らが海」と呼ぶまでの勢力になる。
あたかも幸運の女神に導かれて、すくすく発展したようだが、実際は正反対であった。
ローマ人の強さは失敗しても、必ず次の成功につなげようとするメンタリティがある。
彼らは敗因が自分たち自身にあったことを直視する。反省するだけでなく、それを、国論分裂という
活力のロスを避けることを目的とした政治改革という形に結びつけるのです。
こうして完成したのが、帝政に移行するまでのローマの政体として有名なローマ独特の「共和制」であった。
「一級品の男たち」
 「役に立つ」ことだけが歴史のとりえではありません。ましてや、ローマの全史ときたら、素晴らしい男たちが
  次々と現れてくる波乱万丈の物語です。ドイツの歴史家モムンゼンをして「ローマが産んだ唯一の創造的天才」
  と言わしめたユリウス・カエサルはもちろん筆頭ですが、カエサルだけがローマ史ではありません。
 ・ポエニ戦役の天才のハンニバルを破ったスキピオ・アフリカヌス。
 ・ポエニ戦役以後の「混迷の時代」の登場したスッラ。
 ・カエサル暗殺後、初代ローマ皇帝になるアウグストゥス。・・・
この他にもユニークな人物、型破りな人間、あるいは仕事はできないが、
愛すべき人間達が無数に登場する。 歴史とは、やはり人間が作るもの。だから面白い。?  つづく (-ェ-)@ノ~~~バイ?
・・・・・・・
2005年04月19日(火)  1
477, 男はつらいよ
 ある保険会社のアンケートによると、
・また生まれてきて再び 同じ亭主と再婚したいと思っている女性が20%に対して、同じ女房と再婚したいと
 思っている男は75%(40%と60%の調査結果もあるが)女は更に、結婚は嫌だから一人で暮らしたいが5パーもいる
・60代夫婦で、夫が妻を看取るのが15%、 妻が夫を看取るのが85%。
 看取ったあとの男の余生は5年、逆に夫を看取った妻の余生は22年。
私の親戚を見ていると、この数字に納得がいく。女は逞しいものであるし、夫に愛想をつかしているのがわかる。
定年をむかえると妻は外に遊びに出て、夫が家にいて妻の管理をする逆転現象がおこってしまうという。
しかし、もう亡くなった姉から聞いた話。 コーラスの先生をしていて、コンセプトごとにグループ化をしていた。
その中に未亡人の会があったが、「やはり夫に死なれた女性は強がりを言っているが、実際は片羽を失った鳥」という。
しかし、妻に先立たれた夫の方が更に惨めであるが。60歳過ぎると、甘いものでないことは事実。
夫婦がいがみ合っても、お互いが生きているうちが花。 女性の場合、横社会に生きている割合が多いので、
すぐに群れることができる。しかし男は、いまさら横社会といっても難しいようだ。
人生は甘いものではないのは老後も同じ。ライフワークをチャンと創っておかなくては!おかあちゃんの奴隷になってしまう。
 最後は、老後も含めて生きてきてよかったといえる人生を終えることか。
・・・・・・・・
2004年04月19日(月)
1112, 「ライフ・レッスン」ー4   ー人間関係のレッスン
 ー感想文ー
人間関係ほど難しく、かつ人生勉強になるものはない。それも対立している相手や、悩ましてくれる相手ほど
自分の姿の合わせ鏡になる。その軋轢の中に真の自己が表れてくる。また私たちが無意識の中に求めている
ロマンチックな関係の相手こそ、ありもしない自己逃避の空想の相手である。そして勝手にイメージとして作りあげ、
対象に求めていくから幻滅が生じる。解りやすい例としては、成田離婚がある。そのイメージこそ自分を不幸にする
「バカの壁」になる。しかし人間はイメージの中でしか生きられない側面もある。「ブランド」は、その一番リアルな
イメージ商品といってよい。お互い自分自身というブランドをつくりあげ、そのイメージに縛られてしまう。
真実の自己に気づくのに一生かかってしまう。人間関係のレッスンこそ、そのイメージを剥ぐ目的になる。
 ー抜粋ー
   (以下、字数制限のためカット、2011年4月19日)
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2003年04月19日(土)
 745, 散る桜、残る桜も散る桜
「散る桜、残る桜は散る桜」は人間の死を一言でいっている。他人の死も、すぐに自分の死になる人生の無常を喩えている。
この季節の桜の花を見ていると、ものの哀れをつくづく感じる。桜は生臭い死の臭いがする。人生の縮図を桜の花に感じるのは
歳のせいか? 今年の桜は[あたり年ではなかった?]が、例年並だった。2~3日前が近所の桜の福島江の桜が満開だった。
「悠久山の桜」は今日あたりが満開だろう。悠久山の桜も絶品だ!5?6年に一回はあたり年になるが、雪などの季節の要素が
微妙に関係してくる。桜は毎年思うことだが、自分の生死を考えさせられる。以前、桜の精の女に迷って死んでいく侍の映画を
みた事を思い出した。ゾクッとする日本的エロチックの内容であった。また7~8年前に近くの従兄が桜とともに自殺をした。
多くの写真を撮り残して。 新潟は桜とともに春が来るという感覚である。
・・・・・・・
2002年04月19日(金)  
 381,システム販売
「IBMが物流コストを一~二割カットできるシステムを提案、初年度のカット部分の半額をシステム料として貰う。
 診断料は無料」という提案の講習会に出てきたと、あるメーカの専務が言っていた。
システム販売そのものである。物流システムの販売をIBMが始めたのに時代の変化を感じた。
IBMの世界から集めたノウハウなら一~二割のコストカットは難しい問題でない。私もフランチャイズを2回経験して
システム力には納得している。息子が去年宅建の試験を受ける為に日建学院に通った。授業は衛星で送られてくる画面と聞いた。
「もし日建に通ってなかったら試験は受かってなかった」と本人が言っていた。全国数百箇所の教室で、いっせいに聞くのだから
合理的だ。もし落ちても来年は、無料で通えるとか。なるほどと納得した。これもそのシステムを売っているのだ。
イトーヨーカ堂もシステム70?商品30?という考え方を柱にしていた。
システムを主体に売っているということだ。もの主体から、こと主体の時代の変化である。


4041, 世界の旅行記101 ー2

2012年04月18日(水)

   * 旅行記は事件簿でもある
  はじめにー旅行記を読むということー の冒頭の文が、旅行記の本質をついている
≪ 古今東西、旅をする人たち、旅を愛する人たちは無数に存在した。そして無数の旅行記、紀行文が書かれた。
 どうも旅という非日常の行動は、文章の起草をはげしくうながすものらしい。 いろいろの旅行記がある。
任務をもって旅したものであれば、復命書を。さだめなき漂泊の旅にでたものであれば、遍歴の跡をしるす随筆を。
どれも当の本人にとっては、記録としての重みは、ひとしいだろう。だが、旅行記を読む側からすれば、自から興趣には軽重の差がある。
「読み甲斐」のある旅行記とはどんなものであろうか。まず考えられるのは、旅そのものが、冒険や危険にみちている場合。 
安穏として、ほとんど日常の域を出ない旅とはちがい、未知の領域や未踏の領野をゆく旅は、つねに発見と遊遁にみちている。
ドキドキ、ワクワクの連続は、旅する本人とともに読者をも、不安と興奮にまきこむ。探検記、踏査記が長らく愛読されてきた由縁である。
 旅は始点と終点とがある事件であるとすれば、旅行記は事件簿でもある。そこにふくまれる小事件のつながりが、どれだけ起伏にみち、
意外性にあふれているかによって読者へのアピールはことなる。実際には、みずからその事件に参画することは困難だが、そのアピールを
うけいれ、旅行記とともに旅という事件を追体験する。 おそらくは、なにがしかの潤色がほどこされるではあろうが、旅は現実に存在した
事件であるだけに、迫真の体験が身にしみる。アームチェアで葉巻をくゆらせながら読むものも、通勤の電車内で文庫本に読みふけるものも、
旅行記から、かの体験をうけとるだろう。ときには、身にうずきを感じ誘われるかのように、みずから旅への計画にむかうこともあろう。
旅行記の効用は、じつに広く深い。≫
▼ この事件簿は大事件の膨大な資料が詰まった代物。 それぞれのダイジェストは50数人が書いたのを編集したもので、
 紀元前から近代まで至っている。2〜3ページに纏められているので、軽く読めるし飛ばし読みもできる。
 2千数百年にわたる時代の世界各地を、それぞれの目線を通したフィールドワークを編集しているから、面白いはず。
とはいえ、ダイジェストはダイジェストだから、これを手引書として各書を読むと良い。旅という非日常から、旅先の日常を垣間見るのも面白い。 
私たちの生きている世界が、いかに極小で、特異ということにも気づかされる。 私たちは最高の特異の時代に生きてきた!のである。
・・・・・・・
3675, 節目どきに ー8
2011年04月18日(月)
  * 体重が減り始めてきた!
 毎朝のウォーキング(サイクリング)を20数年間続けてきたためか体重は標準である。ところが、ここでスポーツジムに通いだしたため? 
半月で学生時代の体重まで落ちてきた。心労もあるかもしれないが、これは明らかに運動効果である。入会時にジムの人に計ってもらった
肉体年齢が私の肉体年齢より11歳も若かったのに驚いた(54歳)。長年の早朝のウォーキングの蓄積が肉体年齢を若くしていたようだ。 
肉体的には健康的な日々だが、精神的には、どうだろう。
  * CTスキャンは大量の放射能を?
 CTスキャンの被爆量が胸部レントゲン写真300倍に匹敵し、数十年後にがん発症リスクは被爆で高くなるという。
私など毎年の検診で20年近くCT検査をしているので、大量の被爆をしていることになる。 
そろそろ被爆の結果が出てくる頃。知らないことは恐ろしいことである。 チャンとした説明を受けていれば、
三年に一度位に減らしていた。 しかし適当な被爆なら、細胞が活性化して、むしろ健康によいとも言うが。
  * 今でも、私にとって3月11日が止まっている
 TVの画面で、被災地の中年女性の言葉が印象的だった。 「私にとって3月11日がそのまま止まっている。
毎日が、そのまま3月11日の繰り返しで続いている」と。 そうだろう、被災者にとっては、あまりにも、その日の出来事は大変事で、
その日をもって生活環境が一変してしまった。 被災者の一人が、「ここにいる殆どの人たちには、生死の境目にいて、九死に一生を得た
ドラマがある」と朴訥とした言葉で話していた。現在進行中の原発事故が、今だに、この災害が終わってないことを告げている。 
我々が自覚しているより、遥かに危険な状態の置かれているが、まだ、序曲。 そういう私も、震災ショックによる何の被害者である。
・・・・・・・
3310, 笑われ力  −2
2010年04月18日(日)
     「 笑われ力 」 太田 敏正 (著) 石原 壮一郎 (監修)
 笑われることができたら、会話も人生もラクになる!
 笑われ力: 飾らず、威張らず、強がらず、素の自分をさらけ出せる力。
「笑われ力」では、まずは「恥ずかしいこと」を全面的に認める。そうしてしまえば、まわりもそれ以上バカにできない。
恥ずかしいという感情そのものを曝け出すのである。 私は、平気でサエゼリアに行くし、その話をする。サエゼリアが値段からみて
価値がある思うからである。 世界中の郷土料理を食べてきて味に対する自信があるから、言えること。気楽に入る安いイタメシ屋を
小ばかにする方が野暮というもの。 SC内の隣にあるスーパーより安いのだから。あれはファーストフードとみた方が分かりやすい。
その辺の出来損ない?のイタメシ屋と比べる方が無知といういうもの。 美味くなくていい、不味くなければ。日本料理も、居酒屋料理も、
フランス料理も、中華料理も食べつくきたので言えるが。 週末などの外食は2千から5千円の店で充分。もちろん二人で! 
「笑われ力」も、実は、それと似ているのではないか。 笑いで周囲に安らぎを与えることが出来れば、それが73パーセントの
「おとな力」の要素として、当人にプラスになる。「笑わせ力」を身につけるより「笑われ力」を伸ばす方が簡単。 
笑われる欠点を自分がよく知っているからだ。人間の本能が「笑い」を求めている。もし「笑い」がなければ場は息苦しい空気に包まれる。
「笑い」が醸し出す「心地良さ」が、その場を良くする。 注意しなければならないのが「笑わせ力」である。
ひとつ間違うと笑いの強要になり、シラケを生む。無理をすると、タチの悪い「笑い」になることが多い。特に第三者の失敗の話題で
笑いを誘う「邪悪な笑い」は特に注意。 著者は、 笑われ力をつけるには、準備が必要という。 まず、
・ダメな自分を集めてみる
  *過去:失敗談    *現在:無知、悩み、コンプレックス、苦手    *未来:妄想
・そのネタを次の公式(ネタ*表現)に当てはめて話をする
 失敗話、 コンプレックス、 悩み、 勘違い、 なら幾らでもある。ただ、ヒタスラ隠してきただけ。
(字数制限のためカット、2012年4月18日)
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2935,わが人生最良の瞬間 ー2
2009年04月18日(土)
 一番、具体的に納得した「人生最良の瞬間」は小野田寛郎の「29年後の終戦記念日」である。 彼にとっての終戦日は、
昭和20年8月15日でなく、その29年後であった。その間に死亡した二人と共に、ジャングルの中で命令に従い戦い続けたのである。
終戦直後から「降伏命令」のビラがまかれていたが、彼等は信用しなかった。そして29年後に彼を捜しに来た冒険家の鈴木と遭遇した時も、
フィリッピンの掃討兵と思い殺害しようと接近したが、思いとどまり話をしているうちに、「命令解除の命令書を持ってくれば投降すると」と、
ボールを投げた。それを持ち帰った元上官がやってきて残留命令と任務解除と投降命令を受けた。その瞬間「なぁんだ」と思ったという。
・・・投降ということは、それは死を覚悟したもの。・・ところが、フィリッピン軍のレーダー基地に着くと、捧げ銃の敬礼で迎えられた。
捕虜にそんな礼を尽すわけがありません。さらに面会したランクード司令官も、投降の意味で差し出した軍刀の受け取りを拒否しました。
そして翌日、マラカニアン宮殿で会見したマルコス大統領がこう話したのです。「我われは、それぞれの目的で戦った。
しかし戦いはもう終わった。私はこの国の大統領として、あなたの過去の行為すべてを赦します」 もう疑う余地はありません。
昭和49年3月11日のその瞬間に私の身柄と生命は保証され、「私の戦争」は終わりました。帰国のためにマニラ空港を出発する私に、
フィリッピン空軍の軍楽隊が日比両国の国歌と「ハッピーバースデー」を吹奏してくれました。死を覚悟した戦闘の日々から
解放されたのだと、心から生きる喜びを噛みしめました。
▼ 以上が概略だが、この人の人生最良の日は、まさに昭和49年3月11日であった。これほどの最良に日は、過酷の日々が兵隊生活の
 三十数年があればこそである。こういう体験記を読むと、迂闊に「わが人生最良の瞬間」など言ったり書いたりは出来ないと思い知る。
 彼の一言一言が、過酷な経験の裏づけをもって光り輝いてくる。そういえば、人生最良の瞬間より、人生最悪の瞬間が
 心に残るのは如何いうことなのだろうか?「良いことが多くあったが、嫌なことも多くあったな?!」と、「嫌なことも多くあったが、
   (字数の関係でカット2,011年04月18日)
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2571, ドル覇権の崩壊 ー4
 2008年04月18日(金)          ー読書日記
 2001年の9月11日のテロは、ことアメリカのドル政策、石油にとって理想的な事件であった。
 そのため、当初はアメリカの国家としての陰謀か、意識的に見逃した事件ではないかと疑われた。
 アラブ民族、イスラム諸国にとって有利の事件だったのだろうか?と考えると、疑問は増す。
 価値のない紙切れは、ドルだけではない、円もしかりである。 私は、少し落ちついた40歳を過ぎた頃から、
 意識的にお金を使うことにしていた。といって、子供二人を大学に入れて毎年、1000万は使うこと!である。
(字数制限のためカット、2010年4月18日)
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2007年04月18日(水)
2206, 反時代的毒虫 ?3
       b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪
「反時代的毒虫」ー中村うさぎとの対談「覚悟の文学、命がけの浪費」ーより
浪費癖で借金してでもブランド品を買いまくりを売りにしている「ショッピングの女王」こと、あの中村うさぎ、との対談である。
 (字数の関係でカット2,008年4月18日)                                バイ! UvU/?
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2006年04月18日(火)
1841, 理解する技術ー情報の本質がわかる?2
     +.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨ  ー 読書日記             
□第3章ー文章から情報を読み取る基本テクニック
  (字数の関係でカット2,008年04月18日)
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2005年04月18日
(月) 1476, 24歳の日記
  ここで22歳・23歳の日記に続いて「24歳に日記」が始まる。 数回だが。あまり書きたくないのが本音であるが、
自分を見つめ返すためには、目をそむけてはいけない足跡である。途中から、日記をカード式に切り替えたが、
そのカード式の日記帳は全て捨てた。今から考えてみたら残しておけばよかった。残っている日記帳には十数日分は書いてあるが、
大まかにしか書いてない。まず、生活信条が書いてあった。 真面目に書いたものである。それが若さであろう。 
35年経っても、ほとんど変わってない自分がそこにいる。それでは24歳の日記ー十数日分だが、開始である。
直視したくないので、数回で終えるが。中原中也の詩の中に、当時の私の気持ちがそのまま書いてあった。
当時、ある姉に勤めたら薄れ汚れてしまった感じといわれたが、当時の悲しみが直に伝わってくるものだ。 
それと中原中也の心も。それと当時の両親の温もりと愛情もそのまま自分の中に残っている。人は愛情の中で生かされて
いることを実感する。全ての人に感謝をしなくては。特に両親に対して。昨夜、独身時代の自分の夢をみた。
 ーーー
 1970年3月  ー私の生活信条
誠実であることー動機においても結果においても常に清潔であること、愛情を基本とすること
   ー常に相手の意思・立場を理解をして、それを持って自己の満足とする毅然たる態度でー何があっても自分を見失わないで、
自分の善に従うこと、善悪を明確にしておくこと
   ー他人(自分以外の人)に対して、自分と等しく愛するように勤める善悪の基準は他人に対して、いかに自分と同様に
    満足せしめるかにおく打算においても、同じ扱いをする動機において不純はさけることとする
    (最後に拠るべきは純粋な動機のみである)
人間関係ー常に相手側と同じ立場におく    ただし、能力レベルが同等に対してであるが
不言実行(無言実行)ー
    有言不実行の矛盾に陥らないこと 経験を振り返ると無言実行が一番実効があった
    言葉が先に立ったときは、自信のないときと自覚すること
自己投資をすること
    人生とは、投資である。 自分に対して、そして創造行為もである
    与えられた時間、物、金、チャンスを投資に向けること
克己ー 自立性と自主性を持って,他人志向的個人主義を目指す    そのために己に打ち勝つこと
 ーー
 1970年3月21日
現在、自分を見直すために会社を辞めた。そして、現在は長岡の自宅にいる。 会社には丁度1年在社したことになるが、
いざ辞めてみて解ったいたことだが、動揺があまりにも大きい。今も夢の中にいるようだ。辞表を出して、2〜3週間大きな
揺れがあった。色いろのことがあったこともあるが、自分も人間だったのだ。これからは決心をしてしまったからには1年ジックリ
勉強のやりなおしである。コンピューター関連は、技能職でしかないので私には向いていない。マーケッテングのほうも面白そうだ。
義兄に西村さんに聞いてみようと思っているが。この一年間どうすれば一番効果のある時間を過ごせるか考えてみなくてはならない。
それより、この一年で一生の自己設計をつくるのがポイントになるだろう。そのために如何するかを考えるべきである。
日記を考えると、即自と対自の会話である。また自分自身である時間。 反省と焦りが交差するところである。
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2004年04月18日(日)
 1111, 「今時の若いものは!」
エジプトの遺跡にも「今時の若いものは・・・」と書いてあったという。数年前から、数人の知人が会社の後輩に対して
「今時の若いものは!」と、批判的にいっている言葉が気になった。年寄り臭い嫌な響きがあった。若い人にも個々それぞれある。
この言葉は自分の価値観が若い人の変化を受け入れられない心理から出ている。「それにしても、今の若いものは!」
という言葉が出てきそうだが。一年前、アメリカがイラクへの侵攻から、若ものの間でイラクが究極の旅行先としてのターゲットに
なっているという。今回のイラクの人質騒ぎも、その類の範疇でしかない。ボラティアの女性だけが救いであったはずが、
??を吸いにいく丁度よい名目?で、NPOを利用してだけ? という疑惑も浮かびでてきた。
18歳の坊やも、共産党一家のパフォーマンスでしかなかったのか。といって、彼らには彼らの正義があったはずである。
インターネットの検索で調べたら、私が書いた文章より、内容の濃いものでてくるから困ったものだ?
しかし、このテーマを考えたらこそ、より深く見えてきたこともあるが。
 −−−
 演題:「近頃の若者」 養老猛
この講演は平成10年6月に鎌倉芸術館小ホールにて行われました。その時の講演の録音テープをおこして原稿を作成し、
養老 孟司先生に御了解を得て、このホームページに掲載しています。「近頃の若者」という題をいただきましたが、
私ももう相当な年になったのでこの題がちょうどいいのではないかと思われたのではないかと思います。
「今時の若い者は…」というのは一番古くは、エジプトのパピルスに書いてあるといいます。ですから紀元前の頃から年寄りは
若者のことを「近頃の若い者は…」という習慣というか癖があったようです。
 (字数の関係でカット2,012年04月18日)
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2003年04月18日(金)
 744, まずは一日一図から ー2 
これを実行して10日が経つ。 三日坊主と思っていたが、今もしっかりと続いている。
始めたら面白いのだ。一番面倒で避けたい思考が面白いのだから、大変な習慣であり収穫である。
この歳で色いろのことが解り始めている、この鈍さも実感する。 ポイントは
・初めに漫画を中央に小さく書き込み、    ・それに、漫画の「声の噴出し」を書いてしまう。
・そして漫画の上にテーマを書きこむ。    ・「噴出し」に思いついたことを気楽に書き込んでいく。
漫画の人形を書いたケースの場合、自分の分身と思ってしまう為か、頭の中から色いろなことが浮かび上がってくる。
「半分遊び気分で問題の追及」を、結果としてしてしまう。「左手を上に挙げ、右手を腰に当てている小さな人間の絵を
中央に描いて、左右に三づつ声の噴出しを書き込む」と、どういう訳か難しい問題でも、気楽に考えられるのだ。
 読書法で10?100倍の速度が可能という本が多く出版されている。 私の場合、その方法を身につけて10倍以上の
読書力になった。それもこの1^2年である。しかし、「一日一図」を始めてわずか10日で、10倍の思考力が増えた?ようだ。
その程度の頭脳でしかないのが、事実だ。以前から天才のノート法とかいう本を読んで、色いろ工夫していたが「毎日一図の習慣と、
漫画を中心に描いてから、埋める方法」がよい 随想日記を書き始めて、文章力と文章量はそれまでの十倍に増加。そうすると、
「読書力と文章力と思考力」がこの数年で10倍になったことになるが、集中力がそれだけ増えた事は間違いない。
これらの方法は過去からいくらでも在ったのだから、今になってやっと気づいたに過ぎない。
この随想日記を続けてきたことが、こういうノウハウを身につかせているのだろう!
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2002年04月18日(木)
380, 姉正子さん
 姉正子が亡くなって2ヶ月すこし経つ。去年の6月に来て,3時間半なにを話したか? 大体がこんな内容であった。
・自分の生い立ちー声楽のコンクールで、中沢桂に高校時に負けたことが一生の分岐点であった
・高校しかいけなかったハンデキャップが一生ついてまわったこと
・倒産時に私に助けてもらったのが、地獄に仏であった
・今回自分はセンガンでないが、主治医がセンガンと書いてくれた為、保険が全額降りた。
・いつもこの家に来ると、肩に重い何かが被さるが今回はないのが不思議だ
・両親の思い出、今までの思い出
・なにがあっても自分は生きぬくーEM菌を飲んでいるので順調
・病気の状態ー入院の後先の話 彼女にとって、「もしかしたらこれが最後の実家帰り」という気持ちがあったのだろう。
 彼女にとってここは(自宅)やはり実家なのだ。 この内容から私なりの彼女の心理分析をすると
・この長岡の街で、この世界を出ることができなかった一生であった。
・やはりやってはいけない事?をしてしまった無念、後悔。
・両親に対する恨みと、反面後悔。
・病気の恐怖に対しての自分の気持ちの説得ー自己詭弁
一昨年の手術の前日の20時過ぎか電話が鳴り、「実は自分は肺がんで明日手術。最後の電話をやはり貴方に電話をしてしまった。
これからお風呂に入って身体を清め、手術に臨む。もしものことがあるかもしれない。いろいろ有難う。」
ー私「もし間違えてあの世に行ったら、両親によろしく。それとうまくやって。」
ー正子「仲良くするし、待ってるからね」 だいたいこんなものだった。   面白い人でもあった。


4040, 汚れつちまつた悲しみに ー3

2012年04月17日(火)

 7年前の同月同日に若い時分の挫折体験について、次のような文章が書いてあった。傍からみた現在の私は、このようだろう。
ところが、今回の挫折体験の心の傷は、これほどでもない。逆にいえば、茫然自失まで至ってないため。それとも若さを失ったためか。
青年期の幾度の挫折体験で、よくぞ狂わなかったものと思うほど心の傷は深かったが、今回は、魂まで切っ先が届いてない。
長年の読書と、経験、そして人間関係の構築のベースがあったためである。特に若い時分の挫折体験と、長年の読書の蓄積が大きい。
それとも、悲しみを遥かに超えた体験のためだろうか。それにしても、真似た文体としても、血だらけの挫折体験が、そのまま出ている。
書くということ、書き残した自分の文章を改めて読み返すことの意味(価値)を、この文章で知らされた。 
【 1475, 汚れつちまつた悲しみに ー2  2005年04月17日(日) 】
 「汚れつちまつた悲しみに」の「汚れ」を「倒れ(挫折)」にして、「倒れてしまった悲しみに」という詩を書いてみた。 
 昔の何度かの挫折を思い出しながら。 ー作成時、2005年4月16日 20時20分
ー倒れてしまった悲しみにー
倒れてしまった悲しみに 今日も涙の雨が降りかかる
倒れてしまった悲しみに 今日も嵐が吹き荒れる
倒れたしまった悲しみは たとえば樹氷のように突き刺さる
倒れてしまった悲しみは たとえば黒い血海のよう
倒れてしまった悲しみは たとえば虚空の空飛ぶ蜻蛉よ
倒れてしまった悲しみは あなたの愛に気づくとき
倒れてしまった悲しみは 夢みた昔を懐かしみ
倒れたしまった悲しみは 倒した人を思いだす
倒れてしまった悲しみは 光りの日々が走馬灯
倒れてしまった悲しみは 独りの自分に出会うとき
倒れてしまった悲しみは 悲しい悲しい悲しみよ 悲しい悲しい悲しみよ
倒れてしまった悲しみは 倒れてしまった悲しみは 倒れてしまった悲しみは
 ▼ 悲しむべき時には、悲しむが良い。 本当の悲しみが出てくるのは、数年先になるのだろう。
  まだ、悲しむだけの余裕がないのかもしれない。
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3674, 自己を見つめる −2
2011年04月17日(日)
           「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 私たちは人生の現実を経験を介して初めて知られてくる、経験をしてみなければ分からないのである。
人生は、経験を通してその深みと広さを増してくる。 自分とは、経験してきた全てである。人生は様々な過去の追憶を返し、
暖めなおすことしか、事実上何処にも存在をしない。 良質な経験の積み重ねこそ、人生を豊かに、実りあるものにする。
   ー 第一章 経験 の中より ー
  哲学者・ダガマーは経験について3つの点をしてきした。
・まず第一に、それが誰も予見できず、見通せない仕方で生じてくる点である。
 したがって、経験は常に新しさを含んでおり、経験がもたらす内実を、まったく予測することができない。
・次に第二に、そうした経験の過程は、いつも否定的過程であって、実際に経験するまでは、当の事柄を知ってなかったことを
 痛感させられるわけである。つまり私たちは、徹底的に、浅見や独断を捨て去らねばならないことを教えられる、とガダマーは断じる。
・さらに第三に、それゆえに経験とは、本質的に、辛い不快なもの、期待の幻滅を伴うものである。
 かつてギリシアの悲劇作家アイスキュロスが語ったように、人間は、「苦しみをとおして学ぶ」のである。
 それが経験ということであり、こうして初めて人間は、真の洞察と自己認識を獲得するのだ、という。 
  要するに、経験をとおして、私たちは、あらゆる予見の限界と、すべての計画の不確かさと、人間の非力さと有限性を、
 徹底的に思い知らされるわけである。 実際、こうした労苦にみちた経験を介して、私たちは、ほかならぬ自己自身の
 人生の実相のただなかに立つことになる。そしてそれ以外に、どこにも人生というものはない。 私たちは、経験において初めて、
 自己自身と宿命的に向き合うことになる。 経験のなかにこそ、自己自身があると言いうるゆえんである。
▼ 人生を振りかってみて、経験の中こそ、自分があると、つくづくと思い知る。 その境界が自分の限界であった。 
 だから迷ったら、とにかく、一歩踏み出して行動することが、自分を広く深くする。 「自分を見つめる」とは、
 自分の経験を見つめることと同じである。 経験して初めて、知るが、それは否定的過程を踏む事であり幻滅を伴なう。
  とはいえ、落語の与太郎では? 
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3309, 笑われ力  −1
2010年04月17日(土)
   「 笑われ力 」 太田 敏正 (著) 石原 壮一郎 (監修)
 図書館で、この本を見つけた時に、「面白い!」と、直ぐに借りることにした。
「自分の失敗や欠点を笑い飛ばしなさい。それで既に自分を客観的に見下ろしていることになる。」とは癒しの真髄であり、
これまで「フン、この程度モノさ!」と自分を笑い飛ばしてきた。 しかし、それを一冊の本として真正面から取組むとは。
お笑いのサンマやタモリが、この名人である。 実に上手に自分の失敗談を取上げて、周囲の共感と笑いをとる。
タモリが「電車で、もようして? 有名人なのでトイレに入りづらく、失禁直前に家にたどりついて、ホッとして、
ところが大爆音のガス一発だけ! あの1時間の苦労はなんだった? 」で、場内、爆笑だったが、「笑われ」の典型的事例。
誰も一度や二度は経験のあること?。私の知人でも、「笑われ力」を駆使して世渡りをしている人が何人かいる。実に自分の欠点、
失敗を披瀝をし、周囲の苦笑と共感を誘っている。 自分より知識や、経験の少ない人の前では可能だだろうが、同じレベル?
の人の前では、躊躇をしてしまう。 素の自分を曝け出し、相手を笑わせようというのだから、基盤がないと出来るものでない。
  まずは、アマゾンの ー内容紹介よりー ≪石原 壮一郎 ≫
≪ 「心地良い人間関係」に「笑い」が不可欠なのは言うまでもないでしょう。しかし、ウケを狙えば狙うほど、
スベりやすくなるものです。 まして、人をバカにして笑っても「心地良い人間関係」は生まれません。
そこで「笑われ力」の登場です。 笑わせようとするのではなく、笑われる意識、人をネタにするのではなく、
自分をネタにするスタンスです。 お笑い芸人のような爆発的な「笑い」が、笑わせることを目的にしているのに対し、
「笑われ力」が生む自然な「笑い」は「心地良い人間関係」を築くためのプロセスに過ぎません。
 大爆笑は不要です。 自然で心地良い「笑い」をプロデュースする方法をゆる?く紹介します。≫
▼ この本の「まえがき」の冒頭に、「いきなりですが、おめでとうございまう!あなたが、こうして『笑われ力』に出会ったことは、
 あなたの人生にとって、必ずや大きな意味を持つでしょう。きっと日ごろの行いがいい方に違いありません」とあり、最後の方には
「大人力の77パーセントは「笑われ力」でできています。 残り23パーは、さほど気にしていただく必要はありません。」とある。
 この随想日記やブログも早くいえば、「笑い」というより自嘲の披瀝である。そうでも思わないと、毎日、アクセクして書いていられない。
ある意味、癒しになっている。 読み続けている人はご存知のとおり、最後の一行に捻りを入れるようにしている。それも共感を得るような
自嘲気味の捻りで締めるように。決して、この本を読んだぞ! でなく、やっと読みおえた!という気持ちでないと続かない。
この本の内容は簡単明瞭。 嫌味なく自分をダシに笑いをとれれば、悩みや、怒り、悲しみの絶対量は激減する、ということ。
 そういえばオカマバーの方々、実にオカマの世界を自嘲気味に話し笑いをとっている。 
笑われてナンボの世界か、珍獣?の世界は。 10年以上は、行ってないが、歳のせいか気持ちが悪いが先にたつ。
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2934,世界恐慌に入って、まる7ヶ月 ー2
 2009年04月17日(金)
新潟駅前でビジネスホテルという業態モデルを経営しているために、世界恐慌の影響がストレートになる。
初めに、広告、営業活動に対して経費をつめてくる。 二時間以内の出張は日帰りである。
インターネットや携帯電話などで情報をやりとりして出張は可能な限り回数を減らすのは常道である。
最近は宿泊ネット販売が25パーセントなっている。しかも新潟では半額以下の2600〜3000円代前半は当たり前。 
当日でも3000円前半なら何時でも取れる状態だから、堪ったものではない。そういう私も、冷蔵庫や洗濯機や大型TV以外は、
電気製品、デジタル家電、書籍、健康食品、ユニクロは、ネット購入。情報は、大型店の店頭で見て、実際に買うのはネット。 
2〜3割はまちがいなく廉いからである。リーマン・ブラザーズから始った経済危機から世の中は一挙にデフレスパイラルに入った。
情報化によるフラット化で一物一価の世界になったことも、さらに輪をかけている。最低価格が実現できないところは、
即、退場をさせられてしまう。(客室は、在庫が限定されているから、まだよいが)ということは、大部分の企業は淘汰される
ことになる。 世界は5〜10年と暴風雨が吹き荒れだしたのである。日本の国力もバブル崩壊後に大きく失われてしまった。 
アメリカのように資源や軍事力や知的蓄積がないのである。この金融恐慌は近代資本主義社会の根幹を揺るがすほどの大事件。
4〜500年かけて近代社会がつくり上げてきたのはが中産階級である。その中産階級が中期・長期的に見て消滅しようと
しているというのだから、ただ事ではないのである。1990年前後にソ連と、東欧諸国の共産社会体制が消滅。
そして10年後の2001年9月11日にイスラム原理主義のアルカイダがアメリカの金融の中心のビルを二つ崩壊させ、
2千数百人の生命を奪いアフガン・イラクの戦争中に入った。そして今度は百年、数百年に一度といわれる金融恐慌である。
これは簡単に解決できるような事態ではなく5〜10年は世界中で想像を絶した多くの経済混乱が発生する。 
まさか、これほどの大事件を目撃できようとは思っていなかった。それも全ての人が直撃する惨事を・・
・・・・・・・
2570, 些細なものほど、光を放つ!と、振り返ると解る
2008年04月17日(木)
 日常のチョッとした瞬間、60年にわたる過去の些細な記憶がフラッシュのように出る。これが還暦を前後して特に多くなってきた。
人生は些細なことほど大きな意味が含まれているようである。コマーシャルではないが、「人生は、その人の選択で出来上がっている」と
実感する。一日、数万のことがフラッシュのように脳に発生するというが。 様々の経験から、自分の心の芯にとって、いやな後味に
なることはしないようにしてきた。それでも、次から次へとフラッシュが発生する。 自分の過去を冷静にみれる年月が経ったためだ。
多くの人を虐殺した政治家の内面は如何なるものだったのか。死者が纏わりついているのだろう。彼のそれは、些細なものではないからだ。
  次の文章が‘些細なものほど、光を放つ’ことを理路整然と表現している。
「哲学の教科書」中島義道著
  *些細なものほど、光を放つ      P-232
哲学者の目とは、人生の「外側」から、すなわちあたかも死者、あるいは他の天体からの飛来者のように、人間たちの営みを見る目です。 
こうした目で見続けますと、そこに面白い変化が生じてきます。 人生の大事と思われているものは取るるに足らぬように見え、
逆に取るに足らぬと思われていることが輝いて見えてくる。「死」を背景にすると、天下国家の大事ではなく些細なものこそ光を放つ。 
フランクルは強制収容所という「向う側」にいる人間の心持ちを次のように語っております。 彼の想像はいつも繰り返し過去の体験に
想いを馳せて、それに耽っているのであった。 しかしそれは過去の重大な体験ではなくて、以前の生活のごく日常的な出来事や
ささやかかな事象のまわりを彼の考えはめぐっているのであった。……市電に乗って家に向う、入口の扉を開ける、
電話が鳴る、受話器を持ち上げる、部屋の電灯のスイッチを入れるー囚人がその思い出の中でいわば撫で回して慈しむものは、
こんな一見笑うべきささやかなことであった。そして、その悩ましい思い出に感動して彼らは涙を流すこともあったのである。
強制収容所に入っていない私たちが、今この状況を腹の底から実感するのは難しいでしょうが、例えば奈良時代の
官吏の一日を文字通り再現してくれれば、どうでもよいことがわれわれには本当におもしろいことでしょう。
もし私が一時間だけ千二百五十年前の奈良の都に戻してくれるなら、東大寺や興福寺には行かずに、人がごった返す市場に
行くでしょう。 内裏の「閣議」は見物せず、一般の家庭の夕餉を見物するでしょう。・・(中略)女房が派手で困るとか、
給料が上がらないとか、子供がぐれて困っているとか、毎日の生活がしみじみと面白みを帯びてきます。
 ▼ 学生時代の日記を、ここで公開したが、私にとって、その面白みは当時の日常の風景が具体的に書いてあったことである。
 実際に読み返してみると、当時のことが昨日のように思い出される。何で、その後、思ったままのことを具体的に書いて
 なかったか後悔する。誰かに見られたら嫌だというのが、それなのだろうが。些細なことの中に光が宿っているのである。
 それは、「今日、今、ここ」しかないから。ここに永遠が存在しているから。
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2007年04月17日(火)
2205, 反時代的毒虫 ー2  才八∋ウ_〆(∀`●)
             ー読書日記ー
「反時代的毒虫」の中の ー白洲正子との対談『人の悲しみと言葉の命』ーから
車谷が『四十八瀧心中未遂』で直木賞をとったあとの「文学界」で白洲正子との対談である。
白洲をして、恐ろしい、こわい、と言わしめるのだから、驚きである!
 ーー
白洲 「私、十何年も前に見っけたんだからね」
車谷 「白洲先生からいただいたその手紙をここに持ってまいりました。
   (字数制限のためカット、2010年4月17日)
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2006年04月17日(月)
1840, ジャンケン              オハ (´・ω・`)(ω・`)!(´・ω・`)! ヨ? 
「ジャンケン」について書いてある資料は殆んどない。HPを調べても勝ち方の極意が書いてあるだけだ。
その中で、それぞれのだす確率があった。580回のうち、グウが190 、チョキが203、パアが 187 回とあった。
確率からみたらグウを出すのがよいことになるが、ほぼ同じである。もっと偏りがあると思っていたが。
図書館で何気なく立ち読みした「大切なことは60字でかける」
 ー高橋昭男著の中にジャンケンについて書いてあった。 それによると、
・ジャンケンは、江戸時代に中国から長崎に伝来 大阪を経由して江戸に伝えられた。
・江戸時代のジャンケンには色いろな方式があり、子供の遊びではなく、お座敷遊びの一種であった。
・中国では、日本と同じ方式で行っている。 世界の40ヶ国で盛んに行われている。
 ーマレーシア、パキスタン、サウジアラビア、イギリス、 フランス、ドイツ、 デンマーク、エジプト、
 アメリカ、チリなど・・ アメリカのジャンケンは日本のかけ声を英訳したもの。
この本を読むまでは、日本特有の遊びと思っていた。お座敷遊びで、野球拳とかがある。
子供の頃は何かあるとジャンケンで決めていた。そういえば、ジャンケンで勝ってハワイに行ったことがあった。
(実家の会社にいたとき、社員旅行で兄とどちらか社員旅行でハワイに責任者として行くかで)まあ、よき時代であった。*・ω・)ノ*. バイ!      
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2005年04月17日(日)
1475, 汚れつちまつた悲しみに ー2
(以下、字数の関係でカット2,012年4月17日)
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2004年04月17日(土)
1110, 「ライフ・レッスン」ー読書日記 ?3
  第二章 愛のレッスン
・ことばで説明するのがきわめてむずかしい愛こそが、人生という経験のなかでただ一つの真実である。
永続をするただひとつのものである。愛は恐れと対極にあるもの、つながりの本質、想像の核心、力の美しい部分、
自己が自己である為のもっとも微妙な部分である。・自分を愛する事は、いつも周囲にある愛を受け入れる事である。
それはあらゆる障害をとりのぞくことである。自分がつくってしまった障害に気がつくのは容易なことではないが、
実はこころの中にいくつもの障害があり、それが人間関係影をなげかけている。神に会うことができたら、神は
「おのれに愛をあたえたか、人に愛をあたえたか?人からの、おのれからの愛をうけたか?」と問うだろう。
自分自身を愛する力は、人の愛を受け入れ、人を愛することによって身に付いていく。神はわれわれに、愛し、
愛される無限の機会をあたえてくれる。
・わたしたちのほとんどは、じつは愛を経験をしたことが無い。経験をしてきたことは愛ではなく報酬である。 
(以下、字数の関係でカット2,012年4月17日)
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2003年04月17日(木)
743,『金持ち父さんの子供はみんな天才』 ー2         
ー抜粋ー6                       ー読書日記
父は話をつづけた。「天才とは、自分の中にいるランプの精を見つた人のことだ。ちょうど『千夜一夜物語』のアラジンが、
ランプの中に押し込められた精霊を見つけたように、私たちもみんな自分の中にランプの精を見つけることが出来る。
天才とは自分の内側にランプの精を見つけた人、与えられた才能を見つけた出した人のことなんだ」「ランプの精が見つかると、
精がおまえらにこう聞く。『一つ目の願いは自分の才能を自分に与えること、二つ目は自分の才能を愛するものや親しい者たちだけに
与えること、三つ目は自分の才能をみんなに与えることー さあどれを選ぶ?』「この世界に天才はあふれるほどいる。
私たちはみな天才さ。問題は、たいていの人がその才能をランプの中に閉じ込めたままにしていることだ。才能を自分のためだけや
愛する人だけに使おうとする人が多すぎる。ランプの精は三つ目の願いを選んだ時だけランプの中から出てくる。
つまりランプの精の魔力は、自分の才能をみんなに与えようとした時にだけ効果を発揮するんだ」
  (以下、字数の関係でカット2,008年4月17日)
・・・・・・・
2002年04月17日(水)
379,外国人犯罪
一昨日、新潟の万代の金券ショップで老夫婦の殺害があった。たまたま昨日の飲み会の1人が隣家であった。
NHKの全国放送でインタビューに出たそうだ。取材攻勢で家にはいられないという。外国人の犯罪らしい。
ヒット&ウエーで恐らく捕まらないのではないかと思われる。発覚前に飛行機に乗って逃げてしまうらしい。
ベトナム旅行に商店を休んできている夫妻がいた。休業の張り紙は出せないらしい。外国人がトラックで全て持ち出すという。
10年前の外国旅行で聞いた犯罪が、日本でも当たり前になりつつある。犯罪もグローバル化になってきた。
平気で殺すから恐ろしい。同席していた1人はセコムに近じか入るという。
自分も真剣に考えなくてはならない時期にきている。8000円が少し高いが 。


4039, 世界の旅行記101  ー1

2012年04月16日(月)

    「世界の旅行記101」 樺山 紘一著
  ー 内容(アマゾンより)ー
 アームチェアで葉巻をくゆらせながら読むものも、通勤の電車内で文庫本に読みふけるものも、旅行記から、迫真の体験をうけとるだろう。
ときには、身にうずきを感じ誘われるかのように、みずから旅への計画にむかうこともあろう。 旅行記の効用は、じつに広く深い。
ヘロドトスの「歴史」からイブンバットゥータの旅行記、ぺルリ提督日本遠征記、はたまた永井荷風の「あめりか物語」・・
異文化への遭遇と驚き、喜びを満載した、古今内外の代表的な旅行記101冊の歴史的な意味と、意義、概略をコンパクトにまとめている。
自宅でトックリと焼酎片手にくつろぎながら、旅行記の魅力に浸れます。この中から興味を持った本を図書館に行って借り、読むのも一興。
  ◎ アマゾン読者感想 
≪ 読書と旅が好きな者にとって、旅行記は興味この上なく深い。しかし、世の中には旅行記なる書物は山のように存在する。
その中からその時の関心の在処に応じて何か良いものを探し出そうとする時、手引きとなる情報があると助かる。 旅に出る時、
ガイドブックとは別にその地をめぐった先輩の書き物に教えを請おうとする時、適切な本を探索する手引きとなる情報があると助かる。
また、仕事を終えた夜のつれづれに、何か旅の本に想いをいたそうとした時に、そんな本の梗概を記した手軽な本があると愉しい。
私は、数年来、この本をそんな風に使ってきた。先日、タヒチを訪ねるにあたっては、モームやゴーギャンの作品などとともに、
ブーガンヴィル、クック、ダーウィンという探検の時代の旅行記の関係部分に目を通した。その時、この本が彼らの旅行記を推薦してくれた。
そして、私のタヒチ旅行はいっそう内容豊かになった。 この本には、紀元前から現代までの代表的旅行記が外国から日本まで101件、
原則2頁で、時に地図や写真を付けて紹介されている。各文末には、入手可能翻訳本を記している。関連年表、索引もやや詳しい。
目次は、書名のみ、著者・解題者付書名、執筆年代順書名という3種が付されている。ハンドブックとして工夫次第で利用勝手は拡がる。
旅が好きな読書子には常備して価値のある本であろう。理想を言えば、併せて、古今東西の旅行記・紀行文を網羅したリストを座右におけば、
精粗あわせて情報が得られて良いのだが・・・ ≫
 ▼ 10年ほど前に買った本だが、数編を読んだまま蔵書になっていたもの。どのページを開いても、生々しい事件に満ちている。
  編者の「旅行記は事件簿でもある」という見方こそ、面白い切り口である。旅行は事件なのである。 そこには、それぞれの人生の
  全てトラブルが現れ出ていて、生々しい記述で満ちている。それと、自分の人生の様々な場面と合わせ鏡にすると万華鏡のようである。 
  次回から、目に止まった面白い旅行記の逸話を抜粋する。
 ・・・・・・
3673, 自己を見つめる −1
2011年04月16日(土)
   「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 ここまで人生を生きてきたら、要は「生きてきた過去をどのように受けとめるか?」になる。それは生きてきた「自己を見つめる」になる。 
その「自己とは、そもそも何か?」色々な場面で、多くの判断をし、決断をしてきた、その時々の主体が節目ときの自己になる。
それらの自己の総合体が自分になる。 先日、何気なく図書館で借りてきた10冊の本を流し読みをしていたら、
思わない拾物をしたのが、この本。 現在は、その「節目どき」。 自分を見つめ直す機会である。
   まずは、  −アマゾンの説明書きよりー
  放送大学の空前の人気授業といわれたテキストを叢書化。ニーチェやハイデッガーのことばをまじえながら、崩れ落ちそうになる
気持ちを支え引き締めてくれる。「この授業、このテキストがあったから、いまの私の人生がある」 と語りつがれる哲学の名著。 
日本を代表する哲学者が「自己」「仕事」「孤独」「世間」「運命」「不幸」など 15章のテーマで語る人生の真髄。  
  ― 次に、アマゾンの感想文の中の抜粋をコピーしてみた ―
* 「生き甲斐は、根本的に重い運命愛の意識に担われた、死場所への覚悟というものと深く関係している。
  しかし、他方では、それは、ときにはそれを忘却した、放念と遊戯と飛翔のうちで、自己の快癒を図る悦楽の解放感とも
  接続していることは確実である。この大きな振幅のなかで、私たちの生の営みは展開している」 (「生き甲斐」)
* 「愛とは……問題となっているものを、深く大切に思い、それを慈しみ、人生の大事と考えて、その尊厳を守ろうとする、
  控え目ながらも持続的で強い根源意欲ないし生命意欲に関係するものであり、また、そのことに伴うあらゆる憂いと
  悲しさの 情念のすべてであり、自己としての生きる人間の根源に関わる根本問題なのである」 (「愛」)
* 「幸福は、たいていの場合、不幸を介して、その姿を浮かび上がらせてくる失われた桃源郷である」 (「不幸」)
* 「老年になって、やっと人は、自分の人生を変えた大きな出来事が、そっと気づかないうちに、自分に忍び寄ってきて、
  自分を支配することに至ったことを理解する。自分の周りの人々が、ほんとうは何者であったかが、ようやく分かるのは、
  老年になってからである」 (「老い」)
* 「人は、多くの場合、無言のまま、誰にも相談することのできない、こうした人生の重大問題を抱えて、悩みながら生きている。
  私が、本書『自己を見つめる』において、語りかけたいと思っている読者は、そうした優しく敏感で、傷つきやすい、
  心豊かな人、慰めもなく、苦しみながら、しかし立派に生きる務めを果たそうとしている人である」  (「まえがき」より)
 [目次]  まえがき  
  第一章  経験  第二章  時間  第三章  境遇  第四章  遍歴  第五章  自己  
  第六章  生き甲斐  第七章  仕事  第八章  孤独  第九章  愛  第十章  他者  
  第十一章 世間  十二章 運命 第十三 不幸  第十四章 老い  第十五章 死
 ▼ これを図書館から借りてきて、直ぐにアマゾンで、姉妹書の「人生の哲学」と共に注文をした。老年に差し掛かってきた現在、
  自分の歩んできた人生を振り返り、己を見つめ、考える時期に来ている。 それが「節目を打つ」ことになる。
  青年期の挫折時には、これをチャンとしていたから、躓きの石を踏み台の石にすることができた? 内省も面白いものだ。
・・・・・・・
3308, 万田酵素
 2010年04月16日(金)
 新聞広告で、「万田酵素、無料キャンペーン」の見出しがあった。 前から新聞広告やドラッグストアで見かけていたが、
一万円前後。 無料キャンペーンはお試し用の6パックで1200円のもの。10日前に届いたので、試し飲みをしてみた。 
で、二日間、一パックを飲んだところ、二日酔いのような赤ら顔になった。 何かニンニクエキスを飲んで、一日中逆上せて
いるような感じ。そこで、小さなパックだが、半分にして飲んだところ、丁度良い。酵素といえば、もう25年来、玄米酵素を
飲みつづけている。これも一日一パックを飲んでいるが、続いているから身体に適応しているのだろう。
 酵素といえば新潟産業博で年一度、小さなコーナーで「酵素源」のデモ販売をしている。そこで三度ほど買ったことがある。
ただ7千円もするので、一瓶を数ヶ月かけて飲んだ。確かに身体全体に活力が出たが、電話で取り寄せるほどではなかった。
 無料の試しパックは一パック2百円と高い感がする。 しかし飲んでみると、全身から活力がみなぎ出る感じである。
通勤途上にある「マツキヨ」の健康食品のコーナーをみたら、全く同じものが一瓶9800円である。これなら少しずつ飲めば
三ヶ月は持ちそうである。 で、ネットに「格安 万田酵素」と入れたところ、何と3600円。
ネットでは、3000円半ばの販売価格に集中していたから、「マツキヨ」のバイヤーもネットでチェックしているはず。
それでも、この価格で販売しているのだから、ネットでチェックしない客を狙っているのか。ネットの世界=情報化は、
ドラックストアさえ中抜きにしてしまう。 バイアグラとしても、使える?代物。 バイアグラ以外では、これが一番? 
   今さら、大して用がないか!
・・・・・・・
2933,世界恐慌に入って、まる7ヶ月 ー1
 2009年04月16日(木)
去年9月15日のリーマン・ブラザーズ破綻から、まる7ヶ月経った。その間に金融恐慌関係の経済雑誌の特集や著書を、
多く読んできた。楽観論から悲観論まで様々あるが、当然のことながら悲観論が主である。
当初は、「50~100年に一度の金融恐慌」といっていたが、何時の間にか50が消えて、「100年に一度の経済危機」という言葉が
定着したきた。1930年代の世界恐慌より、今回は深刻という事実を時間をかけて一般に知らしめてきた。
新潟駅前の宿泊現場のセンサーからみると、全体的にみて30〜40パーセントダウン。輸出産業を中心としたメーカー関連で、
40〜50パーセントダウン、それ以外が20〜40パーセントのダウン。2001年の9・11事件の時は、三年かかって30パーセントに
ダウンしていったが、今回は2〜3ヶ月で、総じて30〜40パーセントのダウンである。 9・11の時は、金融庁の方からは、
駄目な会社は早々処理するようにというお達しが出ていたが、今回は、何とか助かるところは、潰さないようにという、
お達しが出ているという。大きな方針の転換である。実際には、現場は11月末から露骨な売り上げ減が始ってきた。
これは、どの業界も同じである。そして年を越えてから一ケ月ごとに、ジワジワと経営圧迫がきているのが現状である。
国家として3月末の大量倒産を避けることが出来たが、問題は決算が出揃う5月から6月にかけて大きな事変が続くと言われている。 
実際に数字を見ていると凍りつく思いである。当方の先期決算は恥ずかしくない数字だったが問題は、これからの経済社会の情勢。
この恐慌の大波が、まずは日本に押し寄せているが、アメリカ・中国に深刻に現れるのは、これからである。韓国・台湾
・シンガポールなどの日本の輸出比率が2倍もある国では、GDPが20パーセントダウンというから、大打撃になっている。
かなり深刻な事態が、世界各国、いや日本に出てくることを覚悟をしなければならない。この7〜8年、何とか輸出立国という
モデルで何とか、日本を牽引してきたが、そのモデルは崩壊してしまった。 どうなるのだろうか? 
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2569, 閑話小題 
 2008年04月16日(水)
 * ガソリン価格
先週、車のタイヤ交換のため新潟に来たが、見附で124円のガソリンを入れた。
そして新潟のバイパス近くのガソリンの値段を見たら120円とあった。ところが、家内の話だが長岡はセルフ以外は、
127円で統一(談合)しているのでは? 市内の何処を見ても統一は不自然だという。こんなことをしているから
消費者に嫌われるのを知らないのだ。誰も直接口には出さないが、必ず口コミで辛らつに批評されているのである。
 * 呼び込みの、その後(迷惑条例実施の、その後)
(字数制限のためカット 2012年4月16日)
 * ロシアのバレー事情の激変
(字数制限のためカット 2012年4月16日)
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2007年04月16日(月)
2204, ベトナムとインドの「交通戦争」  おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ
 ーインドの追い越しー
外国に行くと、思わない文化の違いを見ることがある。 その一つが交通事情である。。
インドの都市間をバス移動の時、対向車線の車が追い越しのため、進路から正面に向かってギリギリのところまで迫ってくる 
あわや正面衝突!と、思わず目をそむけてしまうほど危ない。彼らにとってそれが日常のため、国道沿いには数キロごとに
衝突の車を見かける。慣れていない日本人は見ていて気分が悪くなり、町から町への移動の国道では誰も前の席に座りたがらない
沢木耕太郎の「深夜特急」という本の中で、インドからパキスタンへの移動の高速バスで、その恐怖を書いていた。
実際に自分が体験をしてみて、これほど恐ろしいとは知らなかった。
それと中国のウィグル地区からパキスタンへのカラコルム・ハイウェーの断崖の砂利道の暴走運転の恐怖を思い出した。
明らかに我われ日本人をカラカッタ運転だった。その手の話題はいくらでも話題は出てくる。
 ーベトナム交通戦争ー 
ベトナムで驚くのは、そのバイクの数である。さらに驚くのは一台に乗っている人数が3人、4人、5人なのである。
警笛も鳴らしっぱなし。交通規則の信号なども殆どない。大きな交差点をバイクの群が縦横にぶつかり合っている。
よく見ていると、ギリギリのところで避けているが、よほど慣れてないと、衝突する際どさの中を運転技術で
コントロールしている。慣れない外国人は恐ろしくて運転などできない。ベトナムのオートバイは2000年で650万台、
2003年で1100万台、2006年で1700万台で、世界のオートバイ流通量の実に10パーセントをベトナムが占める。
(字数制限のためカット 2011年4月16日) 
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2006年04月16日(日)
1839, 理解する技術ー情報の本質がわかる ー1
     おはよ?!(*^ワ^*)i             ー読書日記            
ーまずは、この本の概要をアマゾンの紹介記事のコピーから?
「理解する技術」藤沢晃治、PHP新書                
 ー著者からの内容紹介ー 
携帯電話の分厚いマニュアルから必要な情報を効率よく得るには?「分かりやすい技術」の著者が、
効果的な情報収集・整理術を伝授!携帯電話などの分厚い取扱説明書は、どうやって読めばいいか?
大量の資料から要点だけをすばやくつかみ、まとめるには? 一夜漬けで試験に臨んで高得点を取るには?
インターネットの情報から、確かなものだけを収集するには? 本や雑誌から自分が必要とする情報をいかにして得るか?
◎ 情報の洪水の中で生き抜くには、効率よく本質を理解する技術が不可欠だ。
 「誰かに教えることを前提に情報収集」「仮説を立てて検証」
 「ニュースソースを確認し、曖昧な表現にだまされない」「ルールを発見し、記憶量を減らす」
 「頭の中で図表化して保存」などをマスターすれば、必要な情報だけを吸収でき、人前でも分かりやすく説明できる。
◎ 日常生活・ビジネスで役立つ文章読解術・対話術から、資格・試験で成功するためのノウハウまで、今すぐ使える
 テクニックを伝授!「分かりやすい表現」などで好評を博した著者が贈る「要領のいい人」になるための知的情報術。
▼ 以上がカバー裏の説明書きである。これに、目次に印象的なところを書き込めば80パーセントは把握できるはずであるが?
(字数制限のためカット 2010年4月16日) 
・・・・・・・
2005年04月16日(土)
 1474, 汚れつちまつた悲しみに     中原中也
汚れつちまつた悲しみに  今日も小雪の降りかかる    汚れつちまつた悲しみに  今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは  たとへば狐の皮裘       汚れつちまつた悲しみは  小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまつた悲しみは  なにのぞむなくねがふなく   汚れつちまつた悲しみは  倦怠のうちに死を夢む
汚れつちまつた悲しみに  いたいたしくも怖気づき    汚れつちまつた悲しみに  なすところなく日は暮れる
                     河上徹太郎編 「中原中也詩集」より -汚れてしまった悲しみに-より
この詩を読んでいて、何か深い悲しみを感じ取ることができる。特に失恋をした若い女性にとって、深い癒しになるだろう。
年をとるにつれて、人間は誰もが多く挫折をし、傷を負う。深い挫折の中で、汚れたという言葉が自分を苛む。
その中で自分の汚れを拭き取りながら「所詮こんなもの、人生は!」と自嘲する。24歳の日記をまもなく書き写すつもりだが、
当時の自分の気持ちも、この詩の心に似ている。昨夜、極近に挫折をし自殺直前で思いとどまった人と、膝付き合わせて話した。
一言一言の言葉の中に、深傷の痛みを感じ取ることができた。「汚れてしまった」という言葉の替わりに「倒れ(挫折)てしまった」
が、彼の気持ちであった。その悲しみは、本人しか知ることはできない。その傷は本人しか治せない。
「それでも生きているのは何故か」を自問自答をして、「何かに生かされている」
ということに真に気がついた時、初めて一人で立ち上がることができる。それにしても深い詩である。
・・・・・・・
2004年04月16日(金)
1109, 「ライフ・レッスン」  ー読書日記  ー2
 ー第一章 「ほんものの自己」のレッスンー
この本の意味は読めば読むほど、その深さに驚かされる。キュープラ・ロスが死にゆく人々から学んだ教えの数々。
すべてを終えた時、「生」と「死」の本当の姿があらわれる。その深さに少しでも自分の意識を降ろす為に、
一章づつ印象深い文章を書き出してみる。私たちは、自分に与えられたレッスンを学ぶ為に、地上に生まれてきたのだ。
25歳の金沢時代の、どん底にいた時のある瞬間に「ハッ!」としたことがあった。
今でも忘れられない瞬間であった。自分は何故ここまで惨めな気持ちにならなくてならないのだ。
自分が何故ここに、こういう状態いるのだろう?その瞬間に思ったことは「自分は修行をしにきたのだ、修行で苦しみの
極限を味わう為である。その極限を嫌っていては何の意味もない。極限の境遇を学ぶ為に今ここにいるのだ。
  (字数の関係でカット2008年04月15日) 
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2003年04月16日(水)
 742,『金持ち父さんの子供はみんな天才』ー1      ー 読書日記
『金持ち父さん』シリーズの三冊目『親だからできるお金の教育ー金持ち父さんの子供はみんな天才』を買って読んだ。
この本のシリーズの本は、どの本もそれぞれが理にあっている。何回も読んで金銭感覚を磨かなくては、この時代には挫折を
してしまう! 何割かは実行してきたことだが、しかしあいまいな部分が多い。この激動の時代だ、一つ間違えると致命傷に
なってしまう。お金は、ある意味で生きていく交通手形である。お金に対する考え方は生観の大きい基礎といってよい。
 ーまずは印象に残っているところを抜粋してみる。
  ー抜粋ー1
昔、先生からこんな話しを聞いたことがある。「神様は私たちに右の足と左の足を与えてくださった。
正しい足と間違った足を与えてくださったのではない。人間はまず右に向かい間違いを犯し、次に左に向かって間違いを
犯すことで進歩をする。いつも正しくあらねばならないと思っている人は、右足だけで歩こうとしているようなものだ。
そういう人は、自分では前に歩いていると思っているが、たいていは一ところを回っているだけだ」
  ー抜粋ー2
(字数制限のためカット 2012年4月16日)
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2002年04月16日(火)
 378,不況
 (字数制限のためカット 2011年4月16日) 


4038, 閑話小題 

2012年04月15日(日)

     * つれづれに
◎ 昨日、一昨日と二日続けてシネマを見てきた。全米の観客動員数が一位と、二位というから間違いないと判断。
 私の評価は、全米一位の、「バトルシップ」、85点。 二位の、「ジョン・カーター」、90点。一応、合格。
 昨日は土曜日のためかロビーは客で溢れていた。 シルバー割引千円で現実からトリップできるから価値は充分ある。
 ストレスを解消してくれそうなものを、話題になった中から選んでいる。 大不況の鬱憤を映画で晴らそうというのか、
 破壊と再生の物語が多い。 バーチャルの世界で鬱屈した?気持ちをスカッとさせ、ストレス発散をするようにできている。
◎ 現在、世界的にも、国内的にも大きな節目。 現実に私のケースのように過去10年間の売り上げの激減と、
 その結果の事態は、数年先の現実の前倒現象になる。 それで、悲観過ぎるのか? 決して悲観過ぎるということはない。
 毎日毎日、同じようなことを飽きもせず書いているが、書くことで、気が付くことが多い。ところで、このところ、
 この随想日記のスランプ期間に入った。テーマが出てこないのである。数ヶ月に一度くるが、これも慣れている。
◎ 「年齢に気持ちがついていけない!」 これが、人生を生きてきて常に感じてきたこと。歳をとればとるほど、
 その傾向が強くなる。未来より、過去を見つめる時間が長くなるためだろう。そこで、過去を否定しないこと。
◎ 米国の天然ガス価格が2ドル代の大台を割っており、日本の輸入価格は18ドル。 日米格差は9倍である。
 米国は世界最大の資源国であり、世界一安い天然ガスを使える。これに対して日本企業は電力不足と、世界一高い法人税、
 そして社会保障費と人件費も高い。米国産原油価格優遇策となれば米国優位はゆるぎない。これが宗主国と属国の力の差。
 ジワジワと、その影響が日本経済と社会に出てくる。日本は海洋国家と、水資源が豊富にある。それと島国の特性の中に、
 これからのヒントがあるはず。それにしても、東北大震災と、原発事故と、54の原発が使えないのが大きい。
・・・・・・・
3672, 節目どきに ー7
2011年04月15日(金)
  * つれづれに
△ 事務所にあった身の回りのものと書棚が二回に分けて届いた。 倉庫の中に三坪ほどのスペースをとり、それらを収めたが、
 丁度良く収まった。事務所の移転ごとに多くを捨ててきたので比較的最小限度のものしかないが、それでも捨てがたいものが多くある。 
 会社に置いてた本の半分ほどは処分してきたが、振り返ってみると、もっと早く、哲学書を読み込んでおけばと反省しきりである。
 逆に言えば、この10数年で読む本が変わってしまった。
△ 昨日、小学校5〜6年担任の恩師の西沢先生から、丁寧な破綻の?お見舞いの葉書が届いた。
 現在、80歳前半になられたが、葉書に筆で書かれた書体の美しさに驚いてしまった。私の5歳上の姉も担任をされたが、
姉は、あまり先生のことを語ってくれなかった。 先生が定年退職をされた時に、確か小学校の同期会に先生が出席され、
その時に先生にお願いをして、新潟の私のホテルに宿泊をしてもらい、一晩、酒席を共にさせて貰ったことがあった。
もう20数年も前になる。 先生は多くの小中の校長を歴任し、長岡の教育長までされた人で、定年時には、そのお祝いに
300人が集まってくれたと嬉しそうに語ってくれた。 その時に先生がつくられた御猪口を貰いたが、先日まで、
会社の事務所の飾りだなに大事に飾っておいた。 卒業まじかに、半年間、虐め?で級長にされたことがあった。
これはきつかったが、その時に不貞腐れていて運動場で掃除をしていた私の頭を引っぱたかれた心の傷は、今でも鮮明の残っている。
しかし人を導く不思議な力を持っていた。先生の両親とも先生で、息子も先生をしている教員一家。色々の人生を垣間見たのだろう。
そういえば小学校の同級生、地方としては男15人の中で、慶応、早稲田、立教三人、新大二人と、出来は悪くない。 喧嘩も、勉強も
ライバルが多くいた。 変なのもいたが、変ななりに、まっとうに?家業などを引き継いでいる。 駅前エリアもあり、玉石混合ということか。
 ・・・・・・・
3307, 日本破綻 −2
2010年04月15日(木)
ー 「日本破綻ー株・債券・円のトリプル安が襲うー」 藤巻 健史 (著)
 著者は新自由主義論者で、円安論者。 グローバル化社会を推進すべきだとしている。
そして「大きい政府・規制社会・結果平等税制」の是正を主張している。 経済を拡大をしないと、
グローバルの世界を生き抜くことは不可能で、そのため円を実力どおりの円安に誘導すべきという。 
日本は輸出立国でしか成り立たないと論じている。格差が開いたとしても日本の貧困層は世界の中間層でしかない。
 ここで、アメリカの強さを何気なく書いている。
・アメリカの双子の赤字は大げさ= アメリカの税収2008年で約2.5兆ドル=220兆円。日本の44兆円の5倍ある。
 アメリカのGDPは日本の3倍に対して5倍である。一方、財政支出は、2008年で4500億ドルの赤字。ほぼ日本と同じ。
 2008年末の連邦債務残高は10兆ドル。これも日本と同じでしかない。日本は不景気が良くなって金利が5パー増えたら
 43兆円の支払い増で、今の税収が吹っ飛んでしまう。もうひとつのアメリカの赤字、経常赤字も大げさに騒ぎすぎ。
 ネット金額で見ると、資本を海外から取り入れているにかかわらず、配当金や金利は「支払う額」より「入ってくる額」
 の方が大きい。 借金をしていれば金利は「支払うはず」なのに、「受け取っている」のです。それは、アメリカ人に
 リスクをとる精神があるからである。海外投資で高い配当金や利息が国内に入ってくる一方、支払い金利の方が少ないからだ。
・日本のバブル時の1989年末と現在2010年1月と比べると、日経平均3万8915円から1万765円と4分の1近く。
 一方のNYダウは2753ドルから1万765ドル。4倍になっている。 その差は15倍になってしまった。
 NYダウが最高値の1万4千ドルをつけた時、日経は1万8千円として、そこから1万765円。
 アメリカが20パーセントダウンに対して、日本は40パーセントのダウンになっている。
 〜この背景には世界の主軸通貨がドル本位制がある。 ネズミ溝の親ハ、外貨準備金は必要でない。
  ただ紙切れを刷っていれば済む。紙代だけなら荒利は99パーセント以上の利益を得ることが出来るからだ。
  数年以内に、アメロなどの新ドルに切り替え、実質的なデフォルトをしてくるだろうが、日本破綻は大きな岐路にたつ。
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2009年04月15日(水)
 2932,筑紫哲也の残日録
文藝春秋の二月号の、筑紫哲也の「がん残日録」ー告知から死まで5百日の闘いー が壮絶な死と生の記録であった。
2人に1人が癌になり、3人に1人が癌で死ぬ時代である。50歳を過ぎれば何時何が起きるかもしれない。
癌は体内に発生して、最初に発見されるまで、14〜5年かかると言われる。発見されるまでの潜在的なものを含めると、
全員が癌を持っており、全ての人が癌への道を歩いていることになる。
一グラムの癌細胞は鼠算的に2倍ずつ増えていくと、1キロに増加するに10回の2倍を重ねるだけでよい。
  =この残日録の中の印象に残った部分を抜粋してみる=
・《07年10月20日》 福田康夫様
  歴代の総理を拝見していますと、この人がと思う人でも、鬱積が溜まっていくものです。それをあまり我慢するのもよくありません。
  秘訣は、本当に怒らないことです。口さがない批判、非難の大部分は、それを口にする者の身の丈、思考の水準に見合ったものでしかない。
  そんなものに自分がとらわれてたまるかと思えば腹は立たないでしょう。総理の仕事は、それより遥かに次元が違うでしょう。
・《07年12月8日》 執行猶予
  この病を得ることは、いわば《執行猶予ー死ぬまでの》の時間を与えられたことになる。 
  それは自分の正体を見つめなおす機会を与えられたということだ。私は何ほどのものか。何をしてきたか、何をしてこなかったのか。
  己を正視するのは、そんなにたやすいことではない。それに加えて、もう一つの困難がある。こうやって、何事かを言語を用いて
  表現することは、通常は他者に向かっての意思伝達の手段なのだ。そのための工夫や表現力は、訓練次第、
  あるいは個人的能力によって多少とも向上させることができるだろう。だが、本質的に社会的、公共的ツールである言語が、
  自分に向かって自分を説明するのに、どこまで有効なのか。どんな言語表現もすり抜けていく部分、そこに自分の正体はぼんやりと、
   または黒々と潜んでいるのではないか。「よい人生だった」「悔いの多い、くだらぬ人生だった」どちらにしても、言語を用いる以上、
  他者への説明を意識しているのだろうし、そうでなくとも、「自分の中の他者」に言い聞かせているのかもしれない。
・《08年1月 日付なし》 
   泣いても一日 笑っても一日 どちらでも良い 良くないのは どちらでもない一日 せめて怒ってみるか
・《08年2月15日》 次女ゆうな の言葉
  この宣告以前に、父が違う病院のお医者さんに余命について質問をしたことがあるんです。その時に言われたことは
 『自分が駄目だと思ったときが余命の始まりです』という言葉。はっきりとした余命を伝えることは『ダメか』と
  思わせることになるから、と家族で結論を出して、伝えることをしませんでした。
・《08年11月5日》 こん睡状態、次女に『メモ、メモ』と紙とエンピツを用意させ、
 《THANKY YOU》
     ーひとりの人の死は、生きてきたプロセスを圧縮して立ち現れてくる。
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2568, ドル覇権の崩壊 ー3
2008年04月15日(火)
 著者はアメリカが実質的価値のないドルと、偽札のドルとどこが違うと疑問を呈する。私も以前から北朝鮮が国家として
 作っているといわれる偽ドルと、アメリカのドルと、どこが違うか疑問を持っていたが、
 その極めつけがプライムローンである。 まずは、その部分を書き写してみる。
 ーー
第二章 世界はこうしてドルに騙された
  非兌換紙幣であるドルの刷り散らかしはアメリカによるマネーの偽造
ーP100
「紙幣を印刷するものがが法律を制定する」少なくともまだ暫くの間はこの格言が真実として通用するだろう。
今日では、ゴールド(金貨〉は通貨としてもはや使われていない。表面上は、ゴールドによる貿易決済もゴールドを準備貨幣とする
経済体制も存在しなくなっている。しかし、それでも今のアメリカの強大(そうに見える)な軍事的優越性と、米ドル紙幣の印刷と
強制通用のみせかけの信用によって、諸外国の国民が、米ドルをゴールドと同じような信用力を有するものと、思いこみ、
深く信用しているからだ。また、そのように信用させることが大事であるから、そのように、上手に「ドル紙幣の生産と
そのドル紙幣で各国への軍需や経済援助を実行し続けるという外見は今も不変である。
(以下字数の関係でカット2011年04月15日)
・・・・・・・・・・
2007年04月15日(日)
2203, 自殺について ー2           (~Q~;)  おはよう??
経済的の問題や時代の大きな変化、そして国民性が自殺の要因になる。日本人のような生真面目な性格も世界で
1~2位の自殺率に要因なっている。それに対して南米やアフリカの陽気な国民性のところでは、自殺は激減する。
フィンランドやデンマークなどの北欧で、冬の黒夜(14時位から夜になってしまう)が
人の心を暗くして自殺が多いという話を聞く。そういえば秋田や山形などの北国も冬は雪で閉ざされるから自殺が多い。
   ー自殺率の世界分布地図を見るとー
 ・ロシアを中心にユーラシア大陸で自殺率が高く、
 ・インドやイギリス、スペイン、イタリア、ノルウェイなどユーラシア大陸周辺部、及び北米大陸で低く、
 ・ラテンアメリカではさらに低いという状況が見てとれる。
 *自殺率が低くはなかったロシアが、1991年のソ連崩壊後の自殺率が急増、現在は断然世界一となっている。また、米国、英国、
 カナダ、オーストラリアといったプロテスタント国、及びイタリアは、以上の国々と比較すると低い自殺率水準で推移している。
ー日本の自殺率の高さと推移についてー
  日本では、自殺が文化の一部になっているようにさえ思える。過労や失業、倒産、いじめなどで、自殺で自身の名誉を守る、
  責任を取る、といった倫理規範として自殺がとらえられていて、これは他のアジア諸国やキューバでもみられる傾向である。
 ・第二次大戦後、社会保障が整備される以前は高齢者の自殺率が高かったことや、
  戦後の価値観の大転換などで若者の自殺率が急増したことが原因で、1958年の自殺率25.7人は過去最高の値になった。
 ・その後、1959年国民健康保険法施行、1961年国民皆年金など社会保障制度の充実や1960年所得倍増計画に代表される
  経済成長目標の国民的普及により自殺率は、15人前後への低下した。国民全体で明るい夢を抱いていた時代だった為だ。
 ・その後、1973年のオイルショック前後から自殺率は上昇に転じた。
  あまり注目されなかったが、1983年の景気後退は自殺率の急増(前年の17.5人から21.0人へ)を招いた。
 ・1997年秋の三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券と立て続けの大型金融破綻事件がきっかけとなり、98年の5月にかけて
  失業者が急増し、自殺率も、97年から98年にかけて18.8人から25.4人へと急増した。このときは自殺者数も前年の2万3千人台から、
  一気に3万1千人台へと急増したこともあり社会的に大きく注目を浴びた。 そして、その傾向は十年経つ現在も続いている。
▼ 時代の変化と、それによる経済的困窮が自殺の要因として大きくなる。激変の中、生きていくことは大変である。
 「死にたくない」と同じように「死にたい」という気持ちも自然である。死など存在してないのだから、気持ちの一現象でしかないが。
 ーーーーー
 2004/07/24
 1208, 自殺 3万4427人
(以下字数の関係でカット2008年04月15日)
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2006年04月15日(土)
1838, あちら側の世界 ー9      才八∋ウ_〆(∀`●)
グーグルについて書いてきたが、先日の産経新聞の一面に興味ある記事が出ていた。
簡潔に現在の流れを浮き上がらせている内容である。先ずは、その記事のコピーである。         
 ーー
産経新聞 2006年4月13日[木]                ~~旦 ゝ(-_- )まあ、茶でも!
 =サービス基盤、OSからウェブに 
 IT覇権争い グーグル台頭、MSネット強化 =
インターネットの進化に伴い、IT業界の勢力地図が替わる可能性が強まっている。パソコンの基本ソフト(OS)の代名詞と
呼べるウィンドウズで台頭したマイクロソフト(MS)だが、同様の機能をインターネット上で利用できるようになったことから、
米グーグルが新たな主役に躍り出ているからだ。パッケージソフトの販売で利益を上げるマイクロソフトと広告収入で無料ソフトを
開発するグーグルのビジネスモデルは、正反対。ブロードバンド(高速大容量)時代の覇者はどちらに軍配が上がるのか。
 (字数制限の関係でカット09年4月15日)
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2005年04月15日(金)
 1473, 指桑罵槐(しそうばかい)
ある知人が中国人の国民性を一言で表している表現としてとして、教えてくれた言葉である。問題になっている中国のデモは明らかに
中国政府の政治的な意図が読み取れる。日本も中国人の何時もの手法として、ただ蔑視を決めつけている状態といってよい。
中国内で起こっている暴動の目を逸らそうという意図と、尖閣列島問題などに対する駆け引きが目的である。
チャイナリスクという言葉まであるが、都合が悪くなると問題を摩り替てしまおうとするのは、いま始まった問題でない。
15年ほど前、中国に行ったとき現地のガイドが何げなく「文化大革命のときは、地方の村に行くと死体の山があちこちにあった。
2千?3千万ほどの人が虐殺をされました」と言い放ったのを聞いて耳を疑った。まだ今ほど国内の開放が進んでない時のことである。
中国とは、そういう国である。いや共産主義か。現在もそうだが日本のマスコミは中国の入国拒否を恐れて真実を報道しない。
都合が悪くなると、60年以上前の中国侵略と虐殺を言い立てる。すでに17回も陳謝させているのに。
  以下は指桑罵槐を検索で調べた内容である。
 (以下、字数制限のためカット2010年4月15日)
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2004年04月15日(木)
 1108, 西武鉄道・堤会長の辞任
「西武の堤義明会長が辞任!」とニュースで報道していた。随想日記で専務が逮捕された時「お笑い西武鉄道」という文章を書いたが、
所詮は悪口でしかないと、掲載を止めた。しかし辞任ということで、ケジメをつけたということで書く。
(以下字数の関係でカット2012年04月15日)
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2003年04月15日(火)
741, デフレと対策 ?2
 ー 前にもこのテーマで書いたが、今一度書く。
 今の日本はデフレである。しかしそれでもアメリカの物価より物価は実感として、2倍3倍高い。それが修正過程に入っている
だけである。戦後の実質社会主義制度による統制物価が、その崩壊とグローバル化で世界的な物価への平準化プロセスに入っている。
家具のニトリにしても、イタ飯屋のサエゼリアやマクドナルド、100円ショップが好調なのは、グローバルな物価の追求を実践を
しているためだ。世界的な物価に下がるまでデフレは続くのが当然である!それで恐慌になっても仕方がないことだ。
ジタバタバタしないで、このデフレの中で自分を変えるしかない。政治頼みや批判をしても、仕方がないのは自明の事。
  (字数の関係でカット2008年04月15日)
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2002年04月15日(月)
 377,「知ったかぶりをするな」
「到知」という雑誌に出ていた文章で、今でも強烈に残ってる言葉だ。誰かに聞かせたい言葉でもある。
ーその人が社命をかけて、ニューヨークにセールスに行った。ある製品を売り込まなくては、会社が潰れる瀬戸際である。
まともに英語も話せず、どのセールスも上手くいかない。英会話さえ出来れば何とかなるが、その時間もない。どうにもならず、
公園で途方に暮れ泣き出してしまった。その姿をみて近くの老人が事情を聞いてくれた。その人は事情を聞いて「よし解った。
明日からここで英語の特訓をしよう。ただし条件がある、けして知ったかぶりをするな。 わからないことは正直にいえ」
それから公園で英会話の特訓が始まった。そして数ヶ月もしないうち、英語がだんだん話せるようになった。
そしてセールスを始めると、見る見るうちに上手くいくようになった。  
 以上である。 この話の中に多くの教訓がある。        
・ぎりぎり追い詰められた状況ーゼロからの出発になった。  ・その老人がかなりのレベルの人であった。
・本当にそれが必要であった。               ・真剣なぶつかり合いになった。
実際事業の立ち上げは、この状態からの出発といってよい。 赤裸々の対話の積み重ねである。 
それもぎりぎりの。いつでも立上げはそうであった。みしらずの人を集め、どうなるか判らない事を
始めるのだから。しかし新しい事業を興す時は、そのほうがいい。 真っ白から始められるからだ。


4037, 閑話小題 

2012年04月14日(土)

  * スマトラ沖でM8・7クラスの大地震
 先日のスマトラ沖地震は、2004年のスマトラ沖大地震の余震とみられる。前回のような断層の縦移動でなく、横に移動したもので、
M8・7の大地震にしては大津波は発生しなかった。 地震学者は、「これは東日本大震災も震源地の隣接地域で10年、20年単位で
誘発地震が起きる可能性を示唆しているもので、注意が必要。」と、忠告している。 東海、東南海、南海地震と、首都圏直下型地震の
可能性を示している。 地球規模の地殻変動期の渦中にいるのである。 日本は、その地震帯が重ねっている地震大国。 そこに
原発が54もあれば、危険極まりない事態。
  * ポタリングを再開
 早朝のミニ・サイクリング(ポタリング)を再開した。冬期間を除いた4月〜11月の間、一時間かけ信濃川の二つの大橋を一周する。
6時過ぎから7時過ぎにかけての時間帯だが、何とも清々しい。電動アシスト自転車の効能で、午後の二時間のスポーツジムを加えると、
三時間も運動している。 平坦な習慣の組み合わせのためかアッという間に一週間が経ってしまう。 電動アシスト自転車の使用目安を
5年と決めているので、半分使え終えたことになる。電動自転車は、お薦めである。手段(自転車)が、目的(朝の運動)を変えてしまう
(ウォーキングからポタリングへ)典型的事例になる。これからはスマートフォンとタブレットPCの普及が、ビジネスや生活パターンを
根こそぎ変え始めているが、手段の進化は、人間生活を間違いなく良くしてくれる。
  * チョッと騒ぎすぎでないのか?
 打ち上げ失敗で、よかったものの、北朝鮮のミサイルの打ち上げ少し騒ぎすぎ。また、おどおどした防衛大臣の巡り合わせも悪い。
北朝鮮の存在で一番、都合が良いのは中国。 極端に時代がかった漫画的国家を存在させておくのは、米国の属国、日本と韓国の国境の
緩衝地帯として地政学的に見ても必要である。 まだ韓国が存在しているから他人事のように勘違いしているが、危険極まりない。
更に、やっかいなのは日本。充てがわれた憲法をたてに、軍隊の存在を認めず、国境を侵犯されても他国への攻撃は相成らぬという、
呪縛にとらわれている。 その結果が、国家の体をなしてない有様。この十年で、残った体力を使い切ることになる。
  ・・・・・・・
3671, 節目どきに ー6
2011年04月14日(木)
  * 都知事選の結果をみて
 一度、不出馬を表明していた石原慎太郎が一転、出馬をして当選をした。東国原とかいうお笑いタレントが石原が不出馬の場合に、
当選する可能性があったからという。お笑いタレントを首都東京に選出するなど論外だが、この国ではありうること。
都民の大部分は以前、タレントの青島で大失敗をしたことを知らない。 この時期に人材が存在しないのは、悲しむこと。 
政治は言葉で方向性を常に発し導くことである。 石原を除いた他の候補は、論外も論外。
  * 本州壊滅は本当だったのだろうか?
 この原発事故が発生した数日後に、あるところから、これは「本州壊滅の惨事」と聞き及んでいた。
ここでも何度か書いてきたが、その直後から外国人が列をなして帰国をしていった。去年の三月にオープンした、東京駅に隣接している
シャンブリアホテルの支配人やシェフが、逃げ出して運営が出来なくなり、事故後10日もしないうちに、休業に入ってしまった。
(昨日に、営業再開のニュースがあったが・・)ところが数日前になって、チェルノブイリ級の最悪レベル7に引き上げられた。 
事故直後は、危険レベルが4だったが、実際は7ということを彼ら外国人は知っていたのである。知らないのは日本人だけだったのが、
ここで裏づけられたことになる。風評に気をつけろでなく、政府の発表と風評、両方とも疑ってかからないと、大きなリスクを負う。
  * ホテル・飲食・サービス業界の悲鳴
 一足先に、事業を清算したが、同業の悲鳴がグッサと刺さってくる。前年比で全国平均で三割減、首都圏で6割減、東北・北陸で八割減。
それも、リーマンショックで売上げが半減し体力を消耗した上で、これである。地元のリゾート地や、佐渡など壊滅的と漏れ聞こえてくる。 
「過度の自粛を控えなさい」というが、この世情の中で、生活防衛に入りざるを得ないのは当然のこと。だから、あまり費用のかからない
スポーツジムが大流行になる。気の毒なのは料理屋、居酒屋である。 酒のツマミには魚料理である。その魚に不信感を持ってしまえば、
足が遠ざかる。最近、居酒屋の刺身が、いやに美味しい。高級魚が売れないため、居酒屋に安く流れてくるためである。  
 ・・・・・・・
3306, 日本破綻 −1
 2010年04月14日(水)
 ー 「日本破綻ー株・債券・円のトリプル安が襲うー」  藤巻 健史 (著)
 またまた恐慌本だが、近未来の津波のひとつの形が株・債券・円のトリプル安と分かりやすい。
現在の世界経済と国内経済も異常事態だが、何か茹で蛙というのか、諦めムードというか、危機感がいまひとつ。
津波がきたところで、今さら如何にもならないこともある。それに加えて政治の混乱である。 最悪の政党がやっと瓦解し、
溶解しかけているが、それに劣らない時代遅れの社会主義政権になってしまい滅茶苦茶な空理空論の政策を始めた。
それが、とんでもない破滅型政策とくれば「株・債権・円」のトリプル安は早まること必定。
  まずはー 内容(amazn)から
バブル崩壊を上回る市場の反乱が日本を襲う財政の極度の悪化が招く「日本売り」が迫る。市場経済を無視し続けた
代償として「トリプル安」による未曾有の大混乱が迫る。惨事を回避する策は果たしてあるのか?
 〜 本文の印象的な部分を抜粋しながら考えると、現状の深刻さに背筋が凍りつく思いである。
*「市場の反乱」が起こると、人はそれを市場の暴力といいます。しかし、それは違います。日本でも株価が4000円を割り、
 円は200円まで暴落をし、失業率30パーセントが日本を襲う可能性がある。しかし、それは『市場』の自動調整機能を
 封印し、「計画経済」「管理経済」政策を長い間とってきたことの‘ツケ’なのです。
*2008年の54兆円の税収が、リーマンショックで44兆円まで落ち込んでしまった。
 この44兆円の内訳は、法人税が10兆円、所得税が15兆円、消費税が10兆円、その他が9兆円。
 その結果、33兆円の赤字を出してしまった。法人税は、これで世界で一番高い税率である。
 ところが、2009年度では10兆円だった法人税が「5〜6兆円」に減ってしまった。それは民主党がいっていた
 マニフェスト「子供手当て」とホボ同額。法人税は日本の三大税収のひとつだが、そのひとつ分を「子ども手当て」として、
 すべてばら撒こうという。その結果、53兆円の赤字国債を発行して、更に金を借りようとしているから驚きである。
*ハイパーインフレは「合法的徳政令」= 以上のことから、過剰なトリプル安が起こった結果としてハイパーインフレに
 なった結果としては、貨幣の価値が大幅に低下する。その結果、政府の872兆円の借入れは、どんどん小さくなる。
 国債も紙くずになるということ。こうなると政府も簡単に借金をへらすことができる。私が、これを「合法的徳政令」政策
 と呼ぶ理由はここにあります。 ・・・しかし、ハイパーインフレは大きな格差を生むことになる。
 株式や不動産を持っている人は良いが、持たざる人や、給料の低い経済弱者が酷いめにあう。
  〜〜
 結局、何時の世も弱者が最大の被害者に成りざるを得ないのである。 問題は、これが何時、始るかである。
 ・・・・・・・・
2931,わが人生最良の瞬間
2009年04月14日(火)
 ある雑誌に、「わが人生最良の瞬間」というテーマで各界30人の有名人が寄稿していた。歓びと、悲しみ、そして出会いと別れが、
 その人をつくりあげたことを、それぞれが心を込めて書いている。なるほど、このテーマで自分の思いを語ることは、
 自分自身を語ることでもある。それぞれの人が、自分の思い入れがあり、その一番印象的な瞬間こそ、「わが人生最良の瞬間」になる。
 その中で、印象に残ったものは、宗教学者ひろさちや「即今・当処・自己」である。
【 華々しい賞を貰ったこともないし、逆に刑務所に入ったこともない。それにかかわらず著作活動で500冊の本を書いた。 
 何処をもって最高だったか?・・・と考えた瞬間にハッと閃きました。そうだ〈いまが最高なんだ〉と。ラテン語に「カルペ・デイム」
 という言葉があります。「いまを楽しめ」という意味。BC1世紀のローマの風刺詩人のホラティウスの言葉です。 
 仏教では ー即今・当処・自己ー と、いっています。「いま、ここ、わたし」です。 もし、いまが苦しみの内にあるなら、
 わたしはその苦しみを味わって生きればよいのです。病気なら、その病人をしっかり生きればよいのです。病気でないわたし、
 苦しみのないわたし、そんなわたしは存在してないのである。あの頃は良かったといっても、それはもう存在してないのです。未来に
 求めても存在してないのです。それゆえ、「人生の最良のとき」と問われれば、「いま」になるのです。何か遺言みたいになったが。】 
▼ 以上だが、最良の瞬間には永遠という時間が縦に流れとすれば、彼のこの言葉は当然のこと。私の「わが人生最良の瞬間」を、
 考えてみたことが何度もある。 私もそれほど、華やかの経験もないし、実績もない。しかし「わが人生最良の瞬間」という経験を
 数多くしてきた。多くの感動の積み重ねが自分の中に沈殿し、それが磁力になって感動を求めて(引き寄せて)いったのだろう。 
 その度に感受性が強くなってしまったのだろう。秘境で大自然の神秘的な光景との思わない出会い、酒を飲んで騒ぎ、読書を通して
 時空を超えて多くの人と出会い、それぞれの節目ごとに多くの人と邂逅し、多くの美術館で有名な絵画などに出会うなどの集積が、
 多くの最良の瞬間を引き寄せてくれたのである。小さな自己満足でしかないが。
「 いま、ここ、自分 」を大事にしろ!ということ。 そして、その場をつくる積極的な準備もである。
 「 ひとがみな われより偉くみゆる日に 花を買いきて独りでしたしむ 」も、人生最良の瞬間になりえる。
・・・・・・・
2567, 閑話小題
2008年04月14日(月)
 *桜咲く
*今日現在、桜が満開である。三分咲き、六分咲き、七分咲き、そして満開と自分の人生を開花の中にみる。
 毎年、同じ桜でも気持ちが新たになる。 短時間に咲いて散るから心を打つのである。一日ごとに、それぞれの姿を見せてくれる。
 そして今日あたりから一日一日と散っていく。通勤途中だから、それがよく見える。散るのもまた良しの気持ちにはどうしてもなれない。 
*最近の身近な景気状況
 (字数の関係でカット ー2012年04月14日) 
*その後のipod
 (字数の関係でカット ー2012年04月14日)
*最後の叔父が亡くなる
 (字数の関係でカット ー2012年04月14日)
・・・・・・・・・
2007年04月14日(土)
2202, 自殺について ー1   ?? <(_ _)> ??        おはようございます!   
自殺について、ここでは何回も書いてきた。書いても書いても尽きないのが自殺である。考えてみれば、自殺ほど考えさせられる
ことはない。「死」が哲学(考えること)の究極であるから、自分で死を実行する自殺は、深い意味があって当然である。
歳を重ねれば重ねれば重ねるほど、生きていることの深さに気づくためか、自殺に対して否定的になってきている。
状況がそう言わせていることもある。若かりし時に何度か挫折をするたびに、この世から消滅をしたいと心底思った。
しかし、今から考えてみても気もちの何処かに「今のこの気持ちは何時か変わり、必ず素晴らしい未来ある」という楽観があった。
それは未来という時間があったからである。この数年でも従兄弟や従妹の亭主やポン友が自殺をしたが、死にたくなるほど
苦しかったのだろう。先進国の中で、日本が一番自殺率が高いと聞いてから10年近く経つ。数年前に韓国が一番になったようだが、
同じ位の数字である。検索で『日本の自殺率』というキーワードで検索したが、1990年代後半から異常に自殺率が跳ね上がり、
7~8年間は先進国の中で一番になってしまった。以下は、幾つかのHPの自殺の現状をマトメタものである。
不景気と体制変換期には自殺が跳ね上がることからみて、環境の変化と、その不適応と、自殺は大きく関連しているようだ。
 ーー
 日本は、人口10万人あたりの比率に換算する自殺率でみると世界第10位で、旧ソ連・東欧圏を除く主要先進国の中では最も多い。
主要先進国の自殺率は、米国10.4人、英国7.5人、フランス17.5人、ドイツ13.5人、に対し日本25.3人(平成16年)。
日本の自殺率を押し上げている最大の要因は「成人男性」の自殺だ。平成14年、15年ともに自殺者の72%は男性が占めている。
このうち、25歳〜44歳までの男性の自殺率は42.3人と著しく高い(平成14年)。100人の死者のうち、なんど24人は自殺!
この年齢層はリストラ対象層。再就職しても、給与は落ちる。家のローン、教育費、親の介護の資金と、金はいくらあっても足りない。
生命保険の保険金目当てに自殺を企てる人間も多い。この年代を含む30代?50代男性の自殺の動機は、1位が経済・生活問題である。
女性や他の世代では自殺の動機1位は健康問題だが、金の切れ目が人生の切れ目とは、何とも哀しい。
  主な自殺のサインは、
   (字数の関係でカット ー2008年04月14日)
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2006年04月14日(金)
1837, ローマから日本が見える ー2       才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)  ー読書日記
 読めば読むほど、ローマ人のリーダーの面々に引き込まれていく。彼らは自分達のありのままの姿を直視し、
それを改善しようとする気概があった。この書はローマ人が如何にして自己改革を行うことに成功したかの実例でもある。
それは、保守派と改革派の熾烈な戦い実例でもある。改革が為されなければ、衰退か破滅の瀬戸際の中で行われるから引き込まれる。
そして、そこにリーダーとしての優劣が出てくる。 
 ーリーダーの本質についてー
イタリアの高校の教科書には次のように書かれているそうだ。「指導者に求められる資質は、次ぎの五つである。
知力、説得力、肉体上の耐久力、自己制御の能力、持続する意志。それをカエサルだけが、このすべてを持っていた」。
著者はリーダーについてもローマ人の指導者からみて重要な示唆をしている。日本で指導者の資質として取り上げられる決断力、
実行力、判断力、ましてや「調整力」などということはまったく述べてない。「経営者の決断力」などが課題になること自体が
問題であると看破。決断力のないリーダーが多すぎるのが問題であり、リーダーであれば当然、決断力や実行力は持っていて
当然のこと。 毎年一冊の割合で発表される「ローマ人の物語」は、その中に著される多くのローマの興亡に携わった人物たちの
生き生きとしたドラマとしての歴史読み物としての面白さにある。古くからローマの歴史を演繹することによって、
有史以来の様々な国々の興亡の要因を学び、又、自分達の生きている社会の問題点の解決方法を学んできた。
現代においてもローマの歴史は現代の政治的、社会的な問題解決の糸口にもなる上に、社会・文明批評の書ともなりうる。
巻末にはアレクサンダーから、ローマの英雄、皇帝たちを含む歴史上の人物たちの通信簿が掲載されている。  
  (以下は、字数制限のためカット2010年4月14日)
・・・・・・・
2005年04月14日(木) 
 1472, カリスマについて
先日、少女暴行で朝鮮人の変態牧師様?が捕まった。キリスト教の普及手段として、音楽を取り入れたりして
現代風にアレンジしたファッションが売りのようだ。 しかし、見るからに怪しげな集団である。
  (字数の関係でカット09年04月14日)
 ーーー
「カリスマへの階段」 コリン ウィルソン (著) 青土社 (1996/03)
・・・・・・・・・
2004年04月14日(水)
 1107, 大逆転ー2
昨夜の巨人戦が久々に面白い内容であった。一昨夜は、世界ヘビー級の劇的逆転KOに驚いたが、昨夜は7対1で負けていた
巨人が8回の裏に9対9の同点に追いついた。たまたま逆転の場面からTVを見たので、一番面白いところを見ることができた。
そのうち、安部が二本のホームランで6点の打点をあげた。まさかと思っていたら、いまの巨人はそれをやってのけるから凄い。
最後は12回裏に阿部の押し出しでファーボールでサヨナラ勝ちをした。その時は寝てしまっていたが。
あれだけのバッターを集めるのだから、こういうことがおこるのだろう。昨夜の対戦相手が中日であるが、
今年から監督になった落合監督が飄々として面白い。長年の構想を練って監督になったのが見ていてよく解る。
長島元監督とは全く違うタイプである。阪神の岡田、中日の落合、巨人の堀内という新しい監督の個性がこれからの試合で、
出てくるだろう。過去に蓄積されたものがどの程度であったか、あからさまになるのだから監督業も大変な仕事である。
・・・・・・・・・・
2003年04月14日(月)
 740, 深夜特急
沢木耕太郎の「深夜特急」という小説がある。彼が若い時にロンドンへ貧乏旅行をしたときの深夜に移動する乗り継ぎバスから
とった小説の題名である。 TVドラマにもなった。昨夜の十時半に京都の桜見に出かけた。一万円パック・バスツアーで、
翌日の21時半に帰ってきた。天気が良かったが先週に桜のピークは過ぎていた。しかし、この桜の時期のパックのシステムが良い。
・朝6時に、京都の清水寺の開門に合わせて到着するコースが組んであった。
・その後7時に嵐山に行って、あとは解散してそれぞれが嵐山・嵯峨野めぐりをして11時に集合して、オプションの食事
・その後、一般公開の最終日の京都御所をみて14時半に帰ってくる内容であった。
 ハイライトは自転車を借りて周った、嵐山周辺のお寺周りであった。
印象順に書いてみると
・愛宕念仏寺の羅漢仏の群れがよい。写真では何回もみたが、実際にみたのは始めてであった。
 人間臭い像が多くあちこちに郡をなして並んでいた。
・壇林寺の多くの仏像と仏画が印象的であった。
・祗王寺の小宇宙を思わせる庭とその中の家もすばらしい。
 最近は殆ど国内旅行はしなくなったが、パックシステムに参加して、効率的に行ってくるのもよいことが解った。
こういうシステムに参加して嵐山だけに絞って周り最終地で待ち合わせて帰りのバスに乗るいう方法もある。 
43人の参加で添乗員がついていた。新発田、新潟、三条、長岡と参加者を拾っていくのも効率的である。
深夜特急?が意外と疲れないのを知ったのも収穫であった。
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2002年04月14日(日)  
 376,新潟駅前界隈
新潟の駅前で事業を始めて21年になる。場所柄、いろいろな商売をみてきた。本当に商売の難しさを思い知らされる。
      (字数制限のためカット2011年4月14日)


4036, 一時停止 ー2

2012年04月13日(金)

          「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
  * 昼と夜  ー ある感受性のプログラム 1955年5月 ー より
≪ 私「それで、あなたは、昼と夜とのどちらをお選びになるのですか。」 詩人は目を地に落としたまま答えた。
「私は両方を選ばねばなりません。私は詩人ですから。しかしあなたは昼を選ばなければいけない。あなたは詩人ではないのだから。
あなたは夜、眠ることが出来るのです。そうです、人間はみんな夜、眠らなければいけないのです。眠りこそ最も知恵深い行いなのです。」
私「あなたは昼も夜も眠らないのですね。」 詩人は答えなかった。 私は詩人の深い孤独を思わずにいられなかった。 その私の気持を
見ぬいたかのように詩人はいった。「しかしそれが運命なら詩人はそれを不幸とは呼ばないでしょう。 どんな不幸であろうと、それが
言葉になった時、詩人は幸せなのです。その時彼は人間になれるのです「だから。詩人の本当に怖れるのは言葉になり得ない不幸なのです。」
その時、すべての夜が詩人の中に集ったかのようであった。 私たちは黙って立ち上り、歩き出した。夕暮が近づいていた。 
詩人「こんな日は、ぼくはかえって気楽なんです。どうも曇りの方が晴れよりも人間的なところがありますね。 ぼくは天を見ずにすみます。
だからぼくは人間の中にいられます。ほんとうに雲ってやつは、大気や水が無ければ出来ないんだから、それだけでもどこかわれわれに
親しいような感じがしますね。」 私「で、あなたは今、昼を選んでいらっしゃるというわけですか。」 私の問は半ば冗談だったのだが、
彼の顔は生真面目であった。 詩人「そうもいえるかもしれません。 しかし詩人は昼を選んでいるように見えている時でも、決して夜を
あきらめてしまっているわけではありません。また逆に夜を選んでいるように見える時でも、決して昼を諦めているわけではないのです。」≫
 ▼「どんな不幸であろうと、それが言葉になった時、詩人は幸せなのです。その時彼は人間になれるのです。だから詩人の本当に
  怖れるのは言葉になり得ない不幸なのです。」 言葉になり得ない不幸が夜という言葉に滲んでいる。谷川のいう言葉は、言霊である。
  「不幸も言霊になった時、それも夜半の闇の中で熟成して生まれ出ると、不幸が不幸でなくなる」のである。 夜半に目がさめ、
  色いろ考えが吹き出てくる。 それはマイナスのことが多い。 詩人は、そこで多くの想いの中で、葛藤し言霊を生み出すのである。
 ・・・・・・
3670, 節目どきに ー5
2011年04月13日(水)
  * 娑婆には知らないことばかり
 先日、最近できたSC内のスポーツジムの施設を見学に行ったところ、10時のオープンに50人位の行列。
「プール関連の新しいサービスが開始されるため」というが、今どきに、あの熱気は凄い。館内設備の案内をしてもらっていたら早速、
小中学校時代の同級生に声をかけられた。「よう、八ちゃん、入れって!」だと! 時が時だけに「まずい!」と思ったが・・ 
何を今さらと気を持ち直して一時間ぐらい見学をしたが、成るほど人が殺到するわけである。ここは契約時間内なら何時間いてもよい。
家内の新潟在住の知人は駅南のスポーツジムに、日中5時間も行っていると聞いていたが、成るほど合点がいった。家内の、
別の新潟の友人は、二つのジムに入っていて、交互に行っているとか。家にいるより快適で、金がかからない上に、主婦にとって癒しの場。
漫画喫茶のパソコンとTVの替わりに、ウォーキングマシーンなどを入れかえたスポーツ用レジャー施設である。平均年齢が女性の方が
5歳以上も多いのが分かる。 風呂・プール関連、ウォーキングマシーン・サイクリングマシーン、エアロビックスのプログラム、
そしてマッサージ機の4本が柱になっている。考えた末に、10〜17時の平日コース(金、日、祭日 休み)に入ることにした。 
月15回行くとして、一回につき400円なら価値は充分にある。 これと市営の福祉センター内の運動ジムと、
図書館が当面の日中の外部空間になる。考える時間が多くなった分、身体を動かさないと! 
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3305, 金の価格は談合で決まる!って本当 ? ー2
2010年04月13日(火)
 ハイパーインフレへの対策は、少しは金でヘッジをすべきと思っていた。しかし前回のレポートからみて、投機、投資の世界は、
私たちの窺い知れない世界。 金融シンジケートの手中にあるようだ。そのうえ、国家が金を吸い上げようと思えば、朝飯前。
利益に8割でも9割でも税金を賦課すればよい。その結果、金売りが殺到し暴落する。その後、政府が買い上げた上、その法律を元に戻す。 
一般の国民は、一時的の収益があっても中長期の利益を上げ続けることなど不可能である。アメリカの金融占領国の日本は、
そのコントロールから抜け出すことは出来ないのが現実。 近々に為替か株式かで、乱高下が起こるはず。金は世界共通通貨である。
ネズミ溝システムの米英通貨体制とすると、ドル体制を守るために金の価格をコントロール下におくのは当然。 金が真実で、
ドルを虚偽と仮説すると、ドルを発行するアメリカは、金の価格を可能な限り下げておく必要があった。 しかし借金棒引きために、
数十年かけて静かに買い集めたゴールドを、今度は暴騰させドルの価値を下げる必要性が出てきたのである。ドルの下げは
アメリカの対外債務が大きく減額される。あと1〜2年か遅くても3〜5年後には金の暴騰を中国などと組んで仕掛けてくる。 
と同時にデノミなどを世界中が一斉に実施するだろう。その前に金融シンジケートは何度かは大きな株や債権の上げ下げをしながら、
売りだされた金などの現物商品を買いに入る。 だから、5〜10年スパンの長期保有の覚悟があるなら、金は買い。
「世界は、ごく一部の人たちによってコントロールされていて、99パーセントの人たちは、彼らに搾取されている」
という、眉唾的な本を度々見かけるが、一連の恐慌謀略説など、あれは本当だったのかと考えざるを得なくなる。
 G7の首脳を動かしている力の存在は、当然、存在しているはずである。今更何をいっているかだが!
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2930,新潟清酒達人検定
 2009年04月13日(月)
一昨日の法事で、隣に座った従兄が三月に「新潟清酒達人検定」に受験、銀と銅のランクの、銀に合格したという。
・銀が500人、銅が800人が受験、合格率が7割。発表はネット上だという。
・3000円位の教科書があって、その中から問題が出て、○×で答えるもの。
・内容は、大吟醸は何の基準で決められるのか?とか、清酒のアルコール度は1〜22度まであるとかいう軽い内容が中心?
(以下、字数の関係上カット2012年04月13日)
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2566, ターニングポイント
 2008年04月13日(日)
・世界のターニングポイントは
 ソ連が崩壊した1991年か、アメリカの9・11テロの起きた2001年か、意見は分かれるだろう。
・日本は、バブルと、その崩壊の(1986年12月から1991年2月までの4年3か月の)1991年か、
 阪神淡路大震災、オウム事件、そしてネット社会の始まりをつげるウィンドウ95の発売で始まった
 ネット社会の起動の1995年か、これもまた分かれるところである。 
 世界にとって、ソ連の崩壊と、アメリカのテロによる威信の失墜と弱体化は、同じ位の意味はある。
 世界も、日本も、その背景にあるのは、情報化社会の到来によるグローバル化がある。
 民族と宗教対立が世界規模で生じてきたのである。そして中国ではオリンピックを契機に大混迷期に入る。
   ー以上のことからー
「日本はバブルの発生した1986年からウィンドウ95 ・阪神淡路大震災 ・オウム教事件の発生した10年間、 
 世界はソ連崩壊の1991年から2001年の9.11事件の10年間が、ターニングポイントの期間になる」ということになる。
これは20世紀から21世紀への時代の千年単位の変化で、その背景にIT革命などの科学の飛躍的進歩がある。 
まさか、ソ連が崩壊するとは思っていなかったし、ニューヨークのアメリカを象徴するビルが二つ瞬時に消滅するなど、
考えられない事件であった。 日本では、バブルと、その崩壊、そしてインターネットの普及は大事件である。
20以上あった都銀が、あれよあれよという間に3つに集約され、西武グループも、西武鉄道も解体された。
デパートも、ここにきて4つに集約されようとしているし、ナショナルチェーンも2つに集約された。
ターニングポイントは、10年にわたったが、その余波は政治経済の事象を大きく変え続けている。
それだけ大きな時代の断層は大きいのである。 身近では、僅か3年半で大地震が二度も起きた。
幸い事業には最小限の影響ですんだが、それでも決して甘い状況ではない。 ハッキリいえることは、これで新潟県の
エネルギーが10〜15%ダウンした。 その中で、一つ状況への対応を間違えれば事業として即死するしかない。
これは、どの事業も同じことだが。もう一つターニングポイントといえば、今年が大きな変わり目になる。
恐ろしい年と覚悟をしたほうがよい。 特に、後半に政治も経済も大波乱がある。
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2007年04月13日(金)
 2201, 新幹線乗り越し、6回目         (~Q~;) おはよう?? ファ?
一昨夜、6回目の新幹線の乗り越しをしてしまった。飲み会の帰りの新幹線、燕三条駅まではしっかりしていたが、
その直後、少し寝込んでしまった。そして、目を開けたら長岡駅。鞄を持って走ったが、目の前でドアが無情にも閉った。
またか、と思ったが、最終便の一本前なので何とかなると慣れたもの。そして、無事Uターンした帰ってきた。
4年弱ぶりということになる。HP内検索で「新幹線乗り越し」と入れたら、出てきたのが以下の文章である。
 ーーー
2003/08/22  
 5回目の乗り過ごし
(以下、字数の関係上カット2010年04月13日)
ーーーーー
2002/02/10
 新幹線の乗り越しー4回!
(以下、字数の関係上カット2010年04月13日)
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2006年04月13日(木)
1836, ローマから日本が見えるー1            b(’0’)d おっ (゚Д゚)w  ハァよー
                 ー 読書日記
この本は塩野七生が1992年より年に一冊の割合で書いてきた『ローマ人への手紙』のローマ建国から帝国成立までを、
自らダイジェスト版にした本であり、その入門書でもある。 その意味で、解りやすい中味の濃い一冊である。
   まずは、この本の概要をまとめてみる。
 ー「なぜローマにこれほどの入れ込みをしたか」ー
著者の塩野七生は「私がローマ人に興味を抱くのは、彼らが人間性に対する幻想を抱かず、ということは、自分自身に対する
幻想を抱くことなく行動していたから」と述べている。イタリアの一地方都市に過ぎなかったローマが、有史以後最大の帝国にまで
成長を遂げ、千年以上(1229年間)に亘って世界を支配した、その原動力は何であったのか。そして、そのローマ帝国が何故衰退の道を
歩んだのか。ローマ史は、歴史の面白さに満ち溢れている。古代ローマ時代のローマ街道の道端にあるお墓に
「これを読む人に告ぐ。健康で人を愛して生きよ。あなたがここに入るまでのすべての日々を。」と、書かれていたという。
「幸運の女神は、すべての人にすべてを約束する。と言っても約束が守られたためしはない。
だから一日一日を生きることだ。一時間一時間を生きることだ。何ごとも永遠ではない。生者の世界では。」
「ローマ人の物語」の中の言葉である。人生の全てが、ローマ人の行蔵や言葉の中につまっている。
また、そこで活躍した男達の魅力は計り知れないものがある。 著者がローマに入れ込んでしまうのは自然のことだ。              
 ーローマ人の改革についてー                  
「真の改革とは再構築である」「改革とは『過去の否定』ではない」         ーε=ε=ε=(。・ω・)_旦~~
ローマに限らず、どんな国家であれ、どんな時代であれ、改革とはけっして会議で決まるものではない。
一人の指導者が現われ、みずからの信じるところに従って改革を断行しない限り、永遠に体制は変わらない。
そして変わらないで過ごすうちに、国力は衰微する一方になる。しかし、改革はむずかしい。
どんな改革であれ、それによって損をする人たちがかならず現われる。しかし彼らの反対に耳を傾けてしまえばどうなるか。
結局、どんな改革も大幅な修正をされて小幅な改良に終わってしまうのが落ち。したがって改革をやろうとすれば、
結局は力で突破するしかないということになる。カエサルは彼に最終勧告(要するに追放もしくは死刑の宣告)を与えた
元老院を潰すことなく、彼の体制の下に置いた。 ただし、改革も行った。それは従来ローマ市民にしか与えられなかった
元老院議員の資格を属州の人たちにも与えた。彼の大きな改革として私たちが今でも恩恵を受けているのはユリウス暦の制定。
カエサルは様々な改革をわずか2年で成し遂げた。           …(´Д`驚)…!!           
(字数制限のためカット 2011年4がウ13日)
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2005年04月13日(水)
 1471, 『冥途のお客』を読む
  佐藤愛子著の「霊の話」光文社ーが面白い。
月刊誌の「新潮45」で、数年前に霊体験を連載していた。読んでいて背筋が寒くなるほどリアルで中味の濃いものであった。
文春文庫から[あの世の話]という題名で出版されている。私は27歳時の父親の死の直後、霊体質になった。
最近は、あまり妙なことは起きなくなったが、以前は信じられないような色いろな現象に出くわした。
そのことは随想日記にも何度か書いてきた。 佐藤愛子は30数年前、50歳で霊体質になったというから、
私の方が若くしてなった。ほぼ同時期になる。霊体質になる以前は、こういう話は興味本位で聞いていただけで、
内心は全く信じてなかった。 しかし、自分がなってみると違うのだ。違う感覚器官が、身についたという感覚である。
そのことを、佐藤愛子も書いている。耳の聞こえない人に、音楽の話や、風の音の話をしても何も解るはずがない。
それと同じことである。私の場合は、身近な人の葬式前後に何かが起こる場合が多い。どこどこで、全く知らない霊と
出会うことは少ない。最近は本当に少なくなっている。おそらく仏壇で毎日、亡くなった因縁のあった人の名前を挙げて、
[あの世で静かにお眠りください]と祈っているためだろう。2年位前の、自社ホテルの因縁部屋(初の自殺者出た部屋)
に泊まった時の話である。夜半トイレに入ったところ、換気扇が人の鳴き声になっていた。
「今更、そこで亡くなった人が泣いているわけもあるまい」と、気を取り直して、何回もスイッチを入れたところ
人の鳴き声に聞こえる。それも何回も聞きなおしてもである。この部屋で亡くなった、あの女性が出てくるはずがない
と思いながら、まんじりとしない一晩を過ごした。翌日事務所に行って暫くすると、私の泊まった前の部屋で「病死のようだが、
人が死んでいた」という報告が入った。あの泣き声は、故人が私に悲しみを伝えたかったのではと?理屈から考えれば
有り得ない話だが、実際信じられない現象が起こるのだ。霊感の強い人は、普通の人が見えないものが見えるのだから大変である。
佐藤愛子の場合、私よりズット霊体質は強い。自分に霊体質が無ければ、こんな内容の本には見向きもしない。
理屈に全く合わないのだから。ー以下は検索で調べた、この本の大筋と感想を書いた内容である。けっこう上手くまとめてある。
 ーーー
著者自らの霊体験を告白
(以下、字数の関係上カット2008年04月13日)
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2004年04月13日(火)
1106, 大逆転-ヘビー級の醍醐味
昨夜、ヘビー級の世界タイトルマッチを見ていて驚いた。圧倒的有利のウラジミール・クリチコフが、サウンドバック
のように相手選手を攻め立てていた。そして4回に相手選手がダウンをきっし、ノックアウト寸前。 5回はいつダウンをするか
一方的の試合になってしまった。そしてラストの40秒前に、相手のパンチが当たって、最後0秒で劇的大逆転でクリチコフが
負けてしまった。数年に一度見れるかどうかの面白い内容であった。映画の「ロッキー」を見ているよう。
ヘビー級はこれがあるから面白い!当り前のことだが、見ていないと、その面白さがわかるわけがないが。
9回2アウトからの大逆転のようなものである。最盛期のタイソンが日本でまさかの敗退や、レノックス・ルイスが数年前に
負けるわけのない選手に一発で負けた試合を思い出す。 しかし今回みたいに、サンドバックのように一方的に攻められていた
選手の、劇的な大逆転も珍しい。子供の頃の楽しみは「巨人・大鵬・玉子焼き」ではないが、ごく限られたものであった。
白井やファイティング原田や海老原などの世界戦が思い出に残っている。
それと青年期にはカシアス・クレイ(アリ)とリストン戦や、フォアマン戦が記憶に残っている。
ボクシングも最近以前のように熱心には見なくなってしまった。しかし昨夜の対戦は記憶に残る面白い内容であった。
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2003年04月13日(日)
 739, 睡眠時無呼吸症候群
一度だけだが、寝ていて息苦しいので目が覚めてた時に,息するのを忘れていたことに気がついた。
「エッ!」というのが、その時の印象だった。「なんで呼吸を忘れるんだ?」という疑問であった。
「こういうことが実際にあるんだ!」と思った記憶がある。5?6年前の事だった。ところが最近になって無呼吸症候群が問題に
なって、初めてなるほどと感じた。それで死んでしまう事ってあるのだろうか?そういえば新幹線の停車ミスの運転手も
無呼吸症候群だった!そこでインターネットで「睡眠時無呼吸症候群」を調べた。
その結果、私のその経験と違う?ので安心をした。
 ー睡眠時無呼吸症候群の定義ー
一晩(7時間)の睡眠中に10秒以上の無呼吸が30回以上おこる。または、睡眠1時間あたりの無呼吸数や低呼吸数が5回以上おこる。
(以下、字数の関係上カット2010年04月13日)
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2002年04月13日(土)
 375, 「テーマ日記」を書き始めて一年
あと一ヶ月でホームページに「テーマ日記」を書き始めて一年になる。旅行を除けば一日も欠かさないで書いた。
何処までやれるか自身との闘いで始めた。あまり苦しい事はなかったが、しかし気をとられたことは事実である。
気がついたら、370以上の文章を書いた事になる。よく書いたものだが、内容はこんなもの。あと1?2年つづけたら殆ど内面を、
いや底を尽くのではないか。その後で底から真水が出てくるのではないか。今現在もう底を突いているのではとは思えないでもないが。
テーマの種が尽き始めた事は事実だ。大した事を考えてない自分が顕わになった。本気になって第三者を意識して書き出して、
プロの文筆家の能力に今更驚かされる。それで食べているのだから当然といえば当然だが。書くということと、内面で考える事と
あまり違いはない。内面を赤裸々に顕してしまう。毎日書き続け公開していることは、とんでもない事かもしれない。
しかし今更そういう生き方をしてきて(^^ゞ?(;一_一)(+_+)ー恥ずかしいことはない。
後どうしても過去の事考えたことに偏ってしまう。人生の7割生きたのだから仕方ない。自分史そのものだ。
自分史の先取りだが、自分史は早いほどいいという。


4035, パチンコに日本人は20年で540兆円使った

2012年04月12日(木)

    「パチンコに日本人は20年で540兆円使った」 (幻冬舎新書) 若宮 健 (著)
 以前にも、同じ著者の本を取り上げ、パチンコが日本に大きなマイナスを与えている実態の驚いた。
先日、図書館で、その続刊の最新書を見つけ読んで、改めて、その被害?の大きさに驚いてしまった。
 ー内容紹介ー
≪ あっという間に1万円が消えるパチンコに日本人は多くのカネと時間を奪われてきた。この既得権益を貪る人間、依存症に苦しむ人々。
 20年で540兆円―日本人が「失われた20年」でパチンコに費やしたカネは、2011年の国家予算(92兆円)の約6倍、GDP(479兆円)を凌駕。
 多くの人々の労働・消費意欲を奪い、また精神疾患であるパチンコ依存症者の数は450万を超える。ものの30分で1万円以上を失うパチンコが、
 カネと人間性を奪ってきた。なぜ韓国にはできた「パチンコ全廃」が日本ではできないのか。依存症の実態とそれを誘発するメーカー、
 蜜に群がる利権政治家、警察、マスコミの現状を徹底糾弾。
◎ パチンコ業界の売り上げは、『レジャー白書2011』によると、2010年は19兆3800億円。これは日本独自の市場。 ギャンブル依存症は
 世界保健機関も認める精神疾患近年は通常の病気と同様、健康保険の適用を受けられるようになった。否認の病気と言われ、嘘・借金
・お金を盗む・うつ・失踪などが症状で、進行性の病気である。厚生労働省が2009年に行った研究調査の結果によると、
 日本の成人男性の9.6%、同じく女性の1.4%がギャンブル依存症であるという。 2009年の成人人口から単純計算すると、男性は483万人、
 女性は76万人で、合わせて559万人という驚くべき数。そのうち8割程度がパチンコ、パチスロによるものと言われる。
◎ テレビ、映画で禁じられるサブリミナル効果がパチンコの特許に特許3029562の発明。大当たりの図柄を暗示銘柄にし、
 遊戯者が認識できない短い時間、挿入している。潜在意識に働きかけ、遊戯を続行させる手段として用いているようだ。≫
  ▼ 私の感覚では20年で540兆円、年平均27兆円も使ったとは信じられない額である。コンビニの総売り上げが8兆円。スーパーの
  売上総額が20兆円。書籍の2011年総売り上げが1兆1千億というから、その20倍の売上高になる。それに対してパチンコの売上総額が
  20〜30兆円。しかも愛好者が1600万人、中毒者が500万人。 数多あるコンビニの二倍以上の売上高? 信じられないので何度見直しても、
  そうある。 事実としてみると、これは亡国の事態。韓国は、その社会的大きさに、国家として廃止してしまった。
  しかし日本には、それを実行するだけの自己修正力は無くなっている。
  ◆ パチンコ店が何故、廃止にならないのか ? −2 2012/02/28
 パチンコの売り上げ、10年前に30兆円、現在では20兆円という。ギャンブル総額が30兆というから、大部分がパチンコ・スロットの
売上げが占めている。子供を含めて一人あたり15万円にもなる。これは明らかに賭博であるが、どういう訳か廃止論が出て来ない。
この国は、政界、警察、広告、メディアがパチンコ業界と癒着?の実態がある。それがあって当然というのも異常。 チョットした
市の郊外には必ずパチンコ屋がある。 ギャンブルと見なされてない遊びの文化のようで何の規制もない。 受験が終わって、友人と
初めて行ったのがスロットマシーンとパチンコ屋。 やっと大人を感じる時である。 人がギャンブルに嵌りこむのは、大損しても、
稀に勝った快感の記憶が残り、その味を求めて繰り返す仕掛けがある。 業者の方は、勝った際の高揚感や恍惚感を高める工夫をする。
パチンコ店の音楽やパチンコの光と音などである。 そして勝つための技術が必要と錯覚させる仕掛けをつくる。 負けたのは、
勝つための技術料金と錯覚させる。 もう一つ巧妙なのは、ニアミスの仕掛け。スロットの場合、AAAが当たりの場合、ABAや、
AABが出ると、「当たり損ねた」と考える。 しかし、外れは外れでしかない。その辺の気持ちを逆用するようゲームは出来ている。
 ギャンブル依存症の人は、脳内に勝った時に出るドパーミンが長年の間に多くなっている。 それは麻薬中毒の似ている。 
iPadを購入して以来、パソコンゲームに嵌っている。 あるゲームの場合、達成すると、音楽と金色の星が三つでる。失敗すると、
グフフ!とバカにしたような笑い声と軽蔑の絵が出てくる。 それも、あと一歩のところで達成できないようになっている。 
金を賭けている訳でもないのに、やり始めたら、止めるタイミングが無くなりトイレさえ行けないほど熱中する。
難しい本を読んだ直後には非常に効果的である。 私の周辺の人でパチンコが趣味というのは一人もいないため、20〜30兆円が
ピンとこないが、この金額は国民の何割の人は中毒に近いと伺わせる。 韓国は、悲惨な悲劇の続出で禁止されてしまった。
 この不景気で、業界は壊滅的打撃を受けているはずだが、何故か倒産の話は聞こえてこない。
  ・・・・・・・
3669, 節目どきに ー4
2011年04月12日(火)
 こういう時にこそ、これまでの付き合いの真の姿が見えてくる。私の人間関係は長年?の友人が多い。その節目どきに、
真かどうかが見えてくる。 具体的の話は、まあ・・止めておこう。立場が変われば、これまでの関係が変わるのは当然。
それを取り上げること自体がおかしい。その中で一番身近な家内が、このところ上機嫌である。立場が逆転するからである。
今後を考えただけで恐ろしい。早々に粗大ゴミにされてしまう恐れがある。彼女も含め、手の裏を返す人の共通点は、
プライド?の高い、底の浅い?修羅場経験の少ない人?等、共通がある。しかし何処か憎めない性格。前向きな人生を生きていなかった?
それぞれの人生が、境目から見えてくる。これは私の歪みの目。それでは御前は何じゃい! と言われると何も返す言葉がない。
年齢からして「節目どき」というより「夕暮れどき」か? 65歳なら、それも仕方がないか。 大体が人間の付き合いは立場における
力のバランスの上で成り立っている。その力が変化をすればバランスが崩れて当然と割り切ればよいのは分かっているが。
 ところで昨夜、学生時代の友人が当時のクラブを代表して東京から見舞い?に来てくれ新潟駅南で一献を傾けた。
(当人の会社の仕事が偶然あったこともあるが)有難いことである。 そうこうして落ち着いた二ヶ月後に落ち込みが来ると、
何の?先輩の実兄が先日、電話で教えてくれた。 この体験の中で、ここでは書けない聞くに値する?話しは幾らである。 
いや、この数年間は、その宝の山だろう。 特に銀行筋の手順の中には・・・ それと、世間様レベルの人々の視線を、
そのまま書くことになるだろうが、面白そうだ。「家内が、先日、前の町内会長婦人とあったので、挨拶をしたら無視された」
レベルの話しである。こういうのを重ねて、ジワジワ追い詰められていくのだろうが、アウトサイダーの長年の実績が、
こういうのを茶化して楽しむ術がある。人は言葉よ、言葉!それも心の奥底の絶対言明!より深く本を読む節目の時節到来か。
 ・・・・・・・
3304, 金の価格は談合で決まる!って本当 ? ー1
2010年04月12日(月)
 あるレポートに「金(ゴールド)の相場は談合で決まっている」という衝撃的な内容があった。
 どうも金の相場を見ていると、不可解な動きに疑問を感じてはいた。しかし、こうしたレポートで、
 「連銀が間接的にコントロールしている」とか、「大手貴金属会社の主要メンバーの談合で動かされている」
 というと、話しは違ってくる。  そのレポートの内容とは
・ひとつは、世界の中心的な金相場のあるロンドンで、JPモルガン・チェースなどの米英機関が相場が上がりそうになる度、
 大量の先物売りを浴びせていたという。 連銀が金融機関に相対取引で「地金を貸し出す仕組み」の中で金利を極端に下げ、
 金の空売りを奨励しているというから、聞き捨てにはならない。これはある業者の告発から表ざたになった情報で、
 レポートの主が「ネット上で見つけた内容」。 真偽は如何だろう?
・いまひとつは、金の価格は表向きの取引で決まるのではなく、ロンドン貴金属市場協会のメンバー60社の中の主要9社が
 午前と、午後の二回、金額を持ち寄って、上の値の2社と下の2社の価格を取り除いた5社の価格平均で決めているいうもの。
 米英が二社ずつ、独・仏・日、カナダ、スイスが一社ずつという。 ここで問題になるのは、その総量が実際に会員が
 保有している総量より多いことである。 これはマグワイヤというトレーダーによって暴露されたという 
 その本人は、その後に、あわや暗殺されそうになったとか。
金の先物で破産したとか大儲けしたとか、という話を聞くと、ラスベガスの八百長賭博並みの世界で
騙された結果でしかなかったことになる。「嘘だろう!」と狐につままれた内容だが相場の世界は、こんなものかもしれない。 
相場の世界は情報の質量の絶対数が多い方が有利で大手ほど有利になるが、
「金相場が談合で決定!」というと、話は違ってくる。 ちなみに、このレポートはネット上のものだが、半年、3千円、
2〜3日に一度、書き込みがあるもの。 決して、怪しげな情報源ではない。 世界経済は、数人の男たちによって
動かされているというが、最近、それが信じられるようになってきた。 ロシアや、アメリカの政府の首脳とは別の!
・・・・・・・・
2929,閑話小題
2009年04月12日(日)
 * 昨日は法事
去年早々、母方の叔父が亡くなり、両親の全ての兄弟・姉妹と連れ合いが亡くなった。その叔父と連れ合い、
そして長男の合同の法事が昨日あり、家を代表して参列してきた。「自分たちの法事としては、最後ではないか」と言っていた。
これから法事は少なくなる傾向のようだ。「家」の意識が、ここで大きく変化している。親戚も最小にして、
ごく内々で済ますようになった。坊様の商売は不景気に大きく左右される上に、これだから上ったりだろう。
 * 国債>税収 
09年度の一般会計が、ついに税収を国債発行が超えてしまったと、あった。目を疑ったが、事実である。もちろん戦後60数年で
初めてで異常事態である。国債大量発行で国債価格が下落し、金利が上がれば、企業の資金調達が困難になる。恐ろしいことである。
世界規模の大恐慌を避けるために、15兆円の大ぶるまいだが、それは国債発行でまかなうしかない。しかし、
その結末は将来の大きな負担と禍根を残すことは間違いない事実。あらゆるところから、綻びが現れてきている。
 * 宮城県が2011年にも財政破綻
これまた、目を疑ったが、宮城県が2011年にも財政破綻という。宮城県だけでなく多くの県が同じような窮状にあるという。
一般には隠しているだけで、数年以内に露呈するという。一日一日と何か恐ろしい事態が迫っている。
マイナスばかりが、目に付くが、それが現実なら仕方がない。
 * 桜が満開に
新潟市は昨日一昨日と花見と年度変わりの歓迎会を兼ねた宴会が集中する。不景気になって今年は、
それが顕著に現れたようだ。近くの地元の大型居酒屋は、予約で満杯という。但し長岡は、どこもガラガラ。
地域によって違うようだ。桜は満開になり、渡り鳥の姿が見られるようになったが、心は・・・
・・・・・・・
2565, ドル覇権の崩壊 ー2
2008年04月12日(土)          (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
この本で面白いと思ったところといえば、
・第二次世界大戦後に、「金・ドル体制」が確立、
・ニクソンが1971年に金ドル体制で崩壊、それに変わって「ドル・石油交換体制」が成立した。
・そして、ここにきて「コモデティ・バスケット通貨体制」と移動しようとしている。
 という点である。 現在の天然資源や穀物などの値上がりは、そういう要素もあったのだ。
 イラクにアメリカが攻撃を仕掛けたのは、フセインが石油の決済をユーロにしようとしたことが、原因というのも解る。
 その『コモデティ・バスケット通貨体制』とは、
  (字数制限のためカット 2012年4月12日)
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2007年04月12日(木)
2200, 反時代的毒虫 ー1         才八∋ウ_〆(∀`●)  ー読書日記   
 何げなく図書館で、この本を手にして、ーまえがきにかえてーの部分の中の一節に目が吸い寄せられた。
*カフカに「皇帝の使者」という短編小説がある。ある男のところに皇帝の使者が出発したというお告げがある。
(字数制限のためカット 2010年4月12日)
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2006年04月12日(水)
 1835, 善意について      \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/
善意については、色いろ考えさせれることが多い。最近になって、そのプラス面でなくマイナス面の指摘を目にする。
善意の善は、善悪の善である。 善悪なぞ、価値観の一側面でしかない。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、
一つとっても互いの善悪は全く違う。善をプラス、悪をマイナスみても、善も悪も何時までも持続はしない。
環境が変化するからだ。環境が変化をすると、善はマイナスー悪になる。現在の自民党の族議員、ゼネコン、
官僚の構造的汚職など典型的なものである。善意は、善意でよいが!善意だから何も許されるという甘えがマイナスになる。
日本の裁判の特徴に、善意による脇の甘さが起因しているトラブルがあまりにも多いという。
「友人の困窮に家を貸したが、相手が権利を主張をしてトラブルになった」とか、「連帯保証に、善意で判を押してしまった」
という話だ。その善意が狙われるのだ。善意を売りにしている人間で真っ当な人は多いが、何らかのペルソナの一部ぐらいに
割り切っていたほうがよい。ただ、善意ではなく、できることならギブ&ギブを心がけていた方がよい。
善意と優しさは、似て異なるものである。善意という動機にクールの視線を持てということだ。
(ウオーム?ハートにはクールヘッドがコインの裏表のように必要である。)   
ー以前書いた、善意の小悪党に関する文章である。これは、善意ー善人面を売りにして事例だから、少しづれるが・・。
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2004/02/06
 1038, 「わたしは悪い不動産屋」ー2
以下の内容は、この本の書評というより、仕事で不動産にかかわってきた私の目から見た不動産業に対する批判と知識。
 (字数制限のためカット 2012年4月12日)
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2005年04月12日(火)
 1470, 書く(一人、語る)ということ ~2
このHPを開設をして一番の効果について何回か書いてきた。今までは、知識を得ても自分の内面に落とし込んで、
それでお終い。殆んどが記憶の底から出ることなく埋没するだけであった。知識・教養とはそれでもよいが、
やはり外部化をしておいたほうが良いに決まっている。いつでもコピーをしたりできるし、分類や再考が可能になる。
反面、このHPに落とし込んだ場合に第三者にも曝すことになり、自分のノートや備忘録に落とし込むのとは
おのずから違ってくる。まず第三者にも理解するように書かなくてはならない。自分の気持を書き込む時には、自分の中の
第三者の目ー理性ーで、一度濾過をしなくてはならない。それが自分をコントロールをしてくれる。1年、3年、10年経った
時の自分や、子孫の目も意識しなくてはならない。しかし、その加工は時間が経った時の自分にとってプラスに働くうえに、
第三者の人とも共用が可能になる。この共有感が、気持ちを安らげてくれることになる。いま一つ良かったことは
何か感じたリ驚いたりした時に、それを無意識に起承転結として文章化をするようになった。いつの間にか、書くように
頭の中でまとめている習慣がついてしまったことだ。また他人と話している時なども、書くように話しているのだ。
これも結果として大きな収穫であった。更に、他人の話を聞くときも、文章を読むように聞いてしまっている。
相手の起承転結を整理しながら聞いてしまっている。インプットも、アウトプットも、無意識に整理しながら
聞いたり話したりする習慣(脈絡を掴むよう)になっていた。            つづく
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2004年04月12日(月)
1105, 「ありがとう」戦略ー2
・「幸せだから感謝をするのではない。感謝をするから幸せなのだ」 感謝はー大勢の人々のお陰、宇宙の森羅万象の
 お陰という気づきは、チャンスのときよりピンチのときに生じることが多い。
 ー「ありがとう」と、心の底から周りに対して言える状態が幸福といえるのだろう。
・「お客様は来てくださらないもの」「取引先は商品を卸してくださらないもの」
 「金融機関はお金を貸してくれないもの」ヨーカ堂の伊藤名誉会長が母親から受けた教えだという。
 この「ないないづくし」を前提に考えれば、『有り難い』という言葉が自然とでてくるものである。
 ーこの気持ちを忘れてしまうのが人間である。他人のことは見えるがいざ自分のこととなると見えなくなる。
・言葉の原則がある。
 第一は「言葉はレストランのオーダーの如し」という原則がある。
  注文どおりの料理が運ばれてくるものだ。 言葉のとおりになっていくのだ。
 「疲れた」「(>_<)困った」「できない」と、消極的な言葉を発するとおり不幸な状態を発注をしているのだ。
 第二は「言葉はエネルギー」という原則である。」言葉の強力な言霊エネルギがピンチをチャンスに変えてくれる。
 第三は「言葉は表情」という原則である。言葉や表情を明るく変えるから人生も明るくなる。
・言葉には「明元素言葉」と「暗病反言葉」がある。
 ー「明元素言葉」は
「ありがとう」「簡単だ」「愉しい」「恵まれている」「面白い」「美しい」「楽しい」「嬉しい」「素敵だ」これらの言葉は、 
 積極的で、肯定的で、状況を陽転していくエネルギーを持っている。「現状打破言葉」とも言える。
 ー「暗病反言葉」は
「忙しい」「疲れた」「嫌だ」「困難だ」「やってられない」「駄目だ」「不幸だ」「もう歳だ」「できない」「どうでもよい」
 これらは「現状維持言葉」という。 この言葉を使っていると本当に「暗病反」になってしまう。      ーつづく
 ・・・・・・
2003年04月12日(土)
 738, NTTの現状から時代の変化をみる
先日、NTTの人が光ファイバーの件できたので、IP 電話の内容を聞いた。NTTが現在、大きい分岐点にあるのは私でも解る。
  (字数制限のためカット 2011年4月12日)
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2002年04月12日(金)
 374, 主観と客観(喜劇と悲劇)
以前も書いた事があるが?「滑って転んだとする、その人は骨を折ったか、悲しいぐらいのいたみである。
たまたま横にいた人にそれが非常に可笑しく見えた。前者にとって悲劇、後者は喜劇である。」
後者は同じ出来事を傍観している。他人事として見ている、これが喜劇。前者はその滑った本人の目で書いている、
これが悲劇だ。後者は客観で、前者は主観である。あれだけ苦しんだ事も、あとで笑い飛ばした時に気持ちが癒される。
何事も笑い飛ばしてみれば、どうっとことはない。「早く忘れたい嫌な事は、笑い飛ばしてしまえ!」というのが肯ける。
「喜劇と悲劇は紙一重」とは、視点を主観から客観に少し変えてしまう事だ。「人を笑う前に自分を笑え」ともいえる。
特に日本人は「恥じの文化」ともいわれるように、他人に笑われる事を嫌う。それだけ自立していないのと多神教のせいもある。
逆に他人を笑っている自分は何だろう? 自嘲か軽蔑か、それとも同化か?あまり他人を笑わないほうがいい!そ
の他人に対する同化になってる状態だ。考えてみたら、この二律背反だからこそ生きられるのだろう。


4034, 幸福になるための五箇条

2012年04月11日(水)

     「幸福になるためのソフト」の五項目 ー中川昌蔵

  「今日一日 親切にしようと想う。」
  「今日一日 明るく朗らかにしようと想う。」
  「今日一日 謙虚にしようと想う。」
  「今日一日 素直になろうと想う。」
  「今日一日 感謝しようと想う。」
「以上のことを、実行してはだめです。意識して実行すると失敗します」。意識するとエゴがでてしまいます。
   そういう想いが、いつも体の中にある人間になるのが一番いい。 潜在意識に刷り込むのが良い。
  
▼ 老齢とは、この逆になっていくことをいう。「しようと想う;なろうと想う」が良い。パソコンかトイレに貼っておくと良い。
   「今日一日、しん(親切)、めい(明るく)、にかけ、謙虚に、素直に、感謝しようと想う」と憶えればよい。
・・・・・・・
3668, 節目どきに ー3
2011年04月11日(月)
  これまでと違う日常に入って、10日になる。もっと、その変化に違和感を感じるかと思いきや、それが全くない。
恐らく10年以上、一日2〜3時間を集中し、蓄積してきたこのHPのためである。事象の変化に対して、脳の外部化した基地が、
ここにあるためだろう。 ある人に「HPに偉そうに書いているが、現状のその様は何だ!」と、酒席で言われたが、その通り。
その時に「少なからず経営に携わっている限り、赤裸々に曝け出すブログを書くのは如何なものか」と、他の人から忠告された
言葉を思い出した。 毎日の記憶をHPの中のブログに記録したり、読書の感想を書き残したり、毎日一文を書き始めた時から
何かが確実に変わっていった。 脳の外部化で、因縁のある人の何人かと繋がっている実感があるのが心を広く明るく自由にする。
心は言葉である。毎日、言葉として表出していれば、現象が変わったとしても、気持ちの芯が乱れることはない。
毎日、書き続けているのは、経営を良くするためでない。経営は失敗すれば、全責任はトップにある。
何を責められても言い訳は出来ない。 立場的に、赤裸々に自分の心を露出すること自体が大問題である。 ギリギリのところで、
表現を注意していても本音が表出してしまう。 しかし、その何倍も、書き出し、公開することの効果を感じ取っている。
だから 偉そうに! と言われても、その通りと認めざるを得ない。初めから覚悟をして書いている。5年、10年後から振り返ったとき、
書いた時々のマイナス、プラスなど、如何にでもよいことを毎日、過去の文章を読み返していて分かっている。以前に都銀の担当に、
「借りた金は、返すな!」という読書感想文を書いたのを読まれ、貸し剥がしをされかけた事があった。その上に、いわれのない?
数百万を強奪?されたことがあった。 それなりに、書き、表現していると周囲に波を立てることになる。しかし、その蓄積が、
このような節目どきに、安定した心を保つことが出来る。その時に、書く内容に力を落としたら、その分だけ心に違和感が出てくる。
先月末を持って、数ヶ月、節目ということで、休もうとした。しかし、あと一月で、まる10年に辿りつくまで書くことにした。 
結果からして、心を乱さないためには、休まないのが正解であった。 で、・・・
   2005年04月11日(月) 1469, 負い方ひとつで、重荷も軽い
 ・・・・・・・
3303, 人みな骨になるならば ー10
 2010年04月11日(日)
* 死の不安の克服は可能か
ー まずは、その部分の抜粋 ー
 老いゆく日々はまた死の不安に対する対処の日々でもある。その圧力があまりに大きいため、われわれはそれと正面切って
対決するよりは、なにかで紛らせてしまおうとする。人生前半は若さや時間をもてあますあまり何かで紛らせようとするが、
人生後半になると若さや残された時間の急速な目減りを直視しないために何かで紛らせる必要が生じる。 不安や恐怖に対して、
そこから目を逸らせて別の関心事で紛らせることは必ずしも悪い料簡ではない。何かで紛らせるのが下手な人物のほとんどは
中高年期以後に精神障害に陥るように思われる。つまり、何かで紛らせそこねたとしても、自らの死や限界を直視したり
対決したりできるものではなく、ただノイローゼになるだけなのだとしたら、死の直前まで俗世間のことで紛らせ続けるほうが
はるかにましな選択かもしれない。ある意味で病気というのが紛らせる工夫として最後の手段なのであろう。少なくとも、
病気はそこからの回復という一時の目的を用意してくれる。 ただ、ノイローゼになろうが、別の何かで紛らせ続けようが、
最後の時が近づいている事実を変ることはない。猛獣にねらわれた駝鳥が逃げあぐねて、砂の中に頭をもぐりこませたとしても、
猛獣そのものが消えてなくなるわけではないのだ。 俗世において最低限の衣食住を確保すること以上の関心や活動の全ては、
死や滅亡しないで済ませる工夫でもあり得る。 仕事も趣味も健康法も孫の世謡も老入クラブもゲートも、いやい老人向けのもの
ばかりで無い。あらゆる交際、作業、訓練、試合、家事、育児、創作、旅行、遊興、その他、ありとあらゆる実務と余技と行楽が
空虚を埋めてくれるレパートリーなのである。 与えられた時間の中身を埋めていく営みを、交流分析の祖、E.バーンは
「時間の構造化」と名づけた。確かに、われわれは無構造な時間、中身のない時間を過ごすのに適した脳を進化させてはいない。
 ・・(中略)恐らく人間は、ただ死を待っている例外的な状態か、それを忘れるために俗事に忙殺されている通常の状態かの
いずれしか許されていない。・・われわれのできる最大限の抵抗は、せいぜい「生まれる前なることが、それほど恐れる
べきことか」と自他に問いかけることぐらいだろう。・・・・(中略)それがしの不安を宥めるために思いつかれたか
どうかはさだけではないが、祖先や供養や崇拝もわれわれにとって捨てがたいことである。・・もちろん、われわれは
多くの祖先に負っている。祖先がどこかで安らんでいると思えば心安んじることができるし、なによりも、わたしたちが、
そこで安んじることができる。しかし、ああ哀しいかな現代のわれわれは、草葉の陰も、煉獄も、もはや信じていないのである。
▼ あまりにも虚無的な内容だが、そんなものかもしれない、特に目を逸らしてきた人は。60代までは、後ろから迫ってくるが、
 70歳代に入ると前方より迫ってくる感覚になるという。 病気でさえ、それから回復という目標としての気を紛らわせる
手段でしかないとは・・・ 死は本人にとっては、無だから、そんな存在しないことに恐れることはない!とはいえ、
そういかないのが、言葉を持ってしまった人間の宿命。 だから、天国のイメージを永年つくっておく必要があるから
宗教が最後のよりどころということか。 最後のレッスン=学習と思っても、身近な人の苦痛と苦悩の極みを見ているから、
一日一日を精一杯生きることしか、紛らわせることができないのだろう。 知ること、新しい経験をすること、愛すること、
楽しむこと、等々、時間の構造化(一週間の予定を立てて入れていく)をすること位しか無いのだろう。気を紛らわせるために。
・・・・・・・・
2928,中沢新一の『三位一体モデル』 −7
2009年04月11日(土)
それでは、実際の演習をしてみる。
 ー「会社役員」ー
子=会社役員
父=変化する社会変化、その変化に関わるニーズの変化、市場の変化そのもの。
  会社の理念、そして「あるべき姿」を把握。精霊=会社の現状、そして父の姿を反映しているか?
 ということになるが、何か書きながら赤面してしまうから、・・・
 ー設計事務所ー
子=設計事務所
親=会社の理念、創業者の積み重ねた信用、長年積み重ねてきたノウハウと実績。
  社会の変化と、新しい技術、そして
精霊(自己増殖するもの)=設計で完成した建物。地域社会との繋がりと貢献。
 ーソフトハウスー
子=ソフトハウス
親=ニーズとされる人材の確保と、
  〜〜
ー保険事務所ー
 子=保険事務所
 親=万一の危険に対する対応のニーズ。 危険を金で分散をしておくノウハウ
 精霊=得意先のニーズの充足。 顧客。 金融商品。
 こんなものだが、自分の名前を「子」に入れてみようか?ドッキとするだろうが。
・・・・・・・・・・
2564, サルも朝日の美しさに感動する! −1
 2008年04月11日(金)
 以前、旅番組で猿が二匹で夕陽が沈むところを眺めている姿を後ろから映していたが、いやに、その画面が目に焼きついている。
猿も日没の美しさに心打たれるのだろうか。それは感動という心の働きではないだろうか?それを猿が持っている?等を考えた。
しかし、同じような姿を、ユングが見ていたのである。夕陽の入りと、朝日の昇るのを見るのは万国共通のようで、その不思議を
感じていたが、猿も、その美しさに見とれていたのである。 ユングの『自伝』の一節に以下のような印象的な言葉である。
まずは、その一節を書き写してみよう。
* ウガンダのナイル河上を、ユングが旅をしていたとき 断崖の上にヒヒたちの群れが東の方にむいて並んで座っている。
 その地帯の夜明けは信じがたいほど劇的った。朝日の光が、渓谷の深い闇の底から一切の物の形を浮かび上がらせる。
 ヒヒたちはその朝日の最初の瞬間を、身じろぎもせず待っているのだ。そしてその光のドラマを見終ると、ぞろぞろと
 台地の向こうに去ってゆく。「光への憧憬、意識に対する憧憬」「原初の暗闇から脱出しようという抑え難い衝動」・・。
* この地方の日の出は、日々新たに私を圧倒する出来事であった。劇的だったのは、地平線上に太陽が急に昇ってきた
 ときの光輝よりも、それに続いてひき起こることの方にあった。私は夜明け直前に、キャンプ用の椅子を持ち出して、
 アカシアの木の下に座る習慣をつけた。私の前には小峡谷の底に、黒い、ほとんど暗緑色のジャングルが細長く横たわり、
 谷の反対側にはジャングルの上に聳える台地の外輪があった。 まず、光と闇との対照がくっきりと鋭くなった。
(字数制限のためカット 2010年4月11日)
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2007年04月11日(水)
2199, 歌舞伎町シノギの人々  オッ(*^○^*) ハ〜ヨウ  ー読書日記ー
新幹線車内・読書用として図書館から借りてきて読み始めたが、これが面白い!
(字数制限のためカット 2010年4月11日)
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2006年04月11日(火)
1834, 壁際の名言−2   才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)   ー読書日記ー
唐沢俊一著の「壁際の名言」が面白い!この本は、「まえがき」と「あとがき」を読むだけでも充分に価値がある。
老詐欺師の「内面なんで 見かけだけだもの」の一言が目に付いて図書館から借りてきた。内容は馬鹿馬鹿しい?が、シビアで
現実感がある。少し(15分)時間がかかったが「あとがき」を書き写してみた。自分の経験と照らして、この文章を味わうとよい。
 ーあとがきーの文章がよい!
老詐欺師は私のおだてに乗って、自分の若いときの女性遍歴を話し始めた。今は詐欺師に身をおとしているが、
京都のしかるべき家の出であることを本当らしく、大正時代の上流家庭の子女を篭絡させていった手管や失敗談は、
一冊の本にしたいほど、スリリングで抱腹絶倒させた。 そして彼は私の周りをウロチョロして、一円の金もとれずに消えてしまった。
・・・ それらの話も終盤にかかった時、私は彼に、「・・・結局女性の、どんなところがいいと思っているのですか?」
と聞いてみた。すると、彼はうつむいて考えていたが、やがて「・・・やっぱし、美しさだね」と言った。
「それは・・・顔の?それとも、内面の?」と私。「顔だよ。顔。それしかないよ」「内面とかはどうでもいいと?」
「・・君はね、まだ若いね。いいかい、内面の美しさなんて、見せかけにすぎないんだよ」
逆説なのか、それとも単なる言葉の言い違いかもしれないが、「内面なんてみせかけだもの」という言葉のインパクトは、
ずっと私の心に残った。それから十数年の間に、私もかなり、様ざまな女性と付き合った。(もちろん、仕事上である)
そして、最も仕事上で酷い目にあったのが、心が純粋で、内面が美しく、それのみを自分の価値観として生きていて、
ビジネス的な話が理解できないところか私に内面の美しさを要求し、つまり金などという汚らしいことを云々するな、
と強要し、こちらはホトホト困窮した。一方、外面〜顔〜の美しい女性は、世間に対する見栄を大事にして、
此方がわ(芸能プロダクション)が要求しているのは顔の綺麗さだけだということを理解して、
プロの論理できちんと応えてくれた。その度に、あの老詐欺師の言葉が、フラッシュバックしたものである。

以上であるが、これは美人論でもある。女の職場を渡り歩いてきて色いろな経験をしてきて、著者の言いたい一部分は
理解できる。美人は部下として使いやすい?という現実がある。子供の時から、それを意識をしているから、
その辺を認めてやればよい。(もちろん例外はあるが。)美人の泣き所があるし、寂しさである。
 逆に、その他(8割)の女性の泣きどころもある。そんなことは、どうでもよいこと。 
顔も心も、それにこだわることに問題がある!ということ。
  ーーー
 ーこの本は古今東西の有無名人の言葉から‘キワドイ’56名言を集めたものだが、その中から幾つかの言葉を選んだ。 
「おまえらせいぜいまずいものでも食って長生きしろ」  (尾崎紅葉)              
「バレなきゃイカサマじゃないんだぜ」         (ジョジョの奇妙な冒険)
「貧乏人は安いものが好きだ。 金持ちは貧乏人よりさらに安いものが好きだ。だから金持ちになったんだ」(マツモトキヨシ)         
  (字数制限のためカット 2012年4月11日)              
・・・・・・・
2005年04月11日(月)
 1469, 負い方ひとつで、重荷も軽い
徳川家康の言葉で「人生は重荷を背負いて坂道を往くがごとし」という言葉がある。人生には確かにそういえる部分がある。
特に年齢を重ねるほど、その意味がよく解るようになる。「負い方ひとつで、重荷も軽い」という言葉が人生の妙を
言いあらわしている。人生の荷物も、「人生のコツー技術」と、「心の持ち方」という面で何分の1にすることができる。
常に荷物を点検して減らすことを務めれば、重荷は軽くなる。過去を如何に忘れるか、そして未来の不安を軽減するかは、
努力と技術で可能になる。いつも書いていることだが、「早く好きなことを見つけ、ライフワークにすること」がポイント。
荷物は決して減りはしないが、一時でも荷物の重さを忘れることが出来る。荷物の背負い方を知っていると知らないとでは、
重圧が全く違ってくる。そういう私も大きな荷物の重圧があるが、しかし無いよりはズット良いと思っている。
海外旅行先で、2日に一度は旅行カバンの中身を全て外に出して整理をする。翌日必要なものを直ぐ取り出せるようにしておく。
慣れれば15分で可能だ。気持ちが、落ち着くのだ。 これは人生の荷物にもいえることである。
(字数制限のためカット 2010年4月11日)
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2004年04月11日(日)
 1104、「ありがとう」戦略ー読書日記−1
以前「幸せの宇宙構造」という本を読んで、人生観が一変してしまった。心の底の一番大事な芯として、「ありがとう」
の言葉が根付いてしまった。単純といえば単純だが。朝方、色いろ考えた後、後は自然の流れに従うしかないと思うと同時に、
「ありがとう」の言葉の繰り返しが、心を明るくしてくれる。 この本もジックリと読むと深い暗示を多く含んでいる。
 (字数の関係でカット2008年04・11日)
・・・・・・・
2003年04月11日(金)
 737, 若い人の価値が下がってしまった
 現在の新卒の就職が問題になってきている。大学を出ても、まともな就職先がないのだ。
周辺の知人の子供が丁度その時期に来ているが、まともに就職している人が殆どいない。
フリーターか、準社員の勤めとのこと。何かの雑誌に、若い人の価値そのものが下がってしまったとあった。
会社が若い人を育て上げるだけの余裕がなくなってきた為だ。ある程度育て上げると、訳のわからないことを
いって辞めてしまう。余裕のあるうちはよいが、会社も人件費を考えると正社員の比率を下げざるを得なくなってきた。
  いくらでも良質な準社員やパートを採用できるなら、敢えて正社員を入れる必要がなくなったのだ。
会社の寿命のサイクルもここにきて、極端に短くなっていることもその原因にある。 それと若い人の間でも、勝ち組と
負け組みの質の差がはっきりしてきた。あえて負け組みの劣化した人は準社員として割り切ってしまった方が得策になる。
「素養のない人にどんなに教育しても金をドブに捨てるようなものだ」ということが、過去会社経営してきて身に沁みて解った。
十数年前になるが、男子社員が「教育するなら金をくれ!」と嘯いていると聞いた。ただ呆然として聞いたが、こうなると
血筋のレベルの問題だ。他人事でないか?今ではアルバイトでさえも、就職が困難といわれる時代になった。時代は変わった!
・・・・・・・
2002年04月11日(木)
373, 何故マイナス思考になるのか
 ーこれは面白い問いかけだ。 経験を積むにしたがい、必ず失敗の経験を重ねていく。その失敗の経験がマイナス思考を生み出す。
あれも駄目、これも駄目、全て駄目、一番悪いのはそういっている俺! ある???会に行くと、マイナス思考の愛好会そのもの!
どうしたらあのような考え方が出来るかと不思議なくらいだ。現実に溺れて(下と横だけを見て)?? 子狐がいるせいもあるが。
この子狐不景気になってきたら急に元気になった。周りが自分並に見えてきたためか。 ーマイナスに対するマイナスは拙いか?
いま一つがマスコミの毎日流される、事件の報道である。事件はほとんどがマイナスの出来事である。
犬が人を噛んでも事件にならないが、人が犬を噛むと事件になる。それは別にマイナスの事でないが、幸福な家庭からは
事件は起きない。それはニュースにならない。めったに起きないマイナスを報道するのがニュースである。
それをまともに脳に流し込んでいるから、いつの間に頭はマイナスに侵されてしまう。それに気づかないから、どんどん
マイナス思考に落ちてしまう。「あまり人を恨むな、恨んでいると知らないうちに主語が消えてしまう。主語が消えた後、
他の人達に主語が転化してしまう。」という話を聞いた事がある。「あまり恵まれてない状態の人や人生の人に近づくな!」
というが、この年になると実感する。といってマイナス思考も必要である。ただ冷静に見据えておかなくてはならない。
人は他人の不幸をどういうわけか好むという。江戸時代の盲人が、それを看破していた。目が見えない分だけ、人の気持ちが
良くわかるという。不幸の話をしている人の声が弾んであるという。幸福の人の話をしている時は沈んでいるという。
他人の不幸を悲しみ、幸福を喜ぶことは意識して訓練しなくては出来ない。いやその前に自分が幸せと芯からえなくてはならない。
まずは考え考え考え抜いて、自分が幸せと気づかなくては。それがプラス思考の第一歩。以前にも書いたが、家内が
「自分の友達の大部分が自分不幸と思っている。」と驚いていた。「どうみても幸せの筈なのに、どうして?」これなど、
典型的なマスコミとか、周囲のマイナス思考に対する浄化装置を身に付けてない典型の例だ。


4033, シングルイン、31年間の総括 ー9

2012年04月10日(火)

    * つれづれに ー9割がた終了
  抵当に入っていた自宅は家内が買い取ることになり、新潟駅前の物件5つを加え、すべて決着。
 弁護士曰く、「あれから一年、世の中はグチャグチャ。 この環境下、見切り千両というより、見切り万両といってよい。
 これだけの物件で金融関係が全く異議をいってこないのは、初めて。」 という訳で、9割方終了という。 一瞬早い決断は、
 問題を数分の一にしてしまう。あとは個人保証債権をサービッサーと交渉して家内が買いとるか、破産するか一年がかりになる。
 これが残りの一割。 「この時世の中、全ての物件が一年で処分できたことに逆に銀行に感謝された!」と弁護士。
 これで現時点で、絵に描いたような撤収。 これも一連の事業の範疇。 経理担当OOさんの管理が完璧だったことが背後にある。  
 世に逃げ、首吊りか、合理的撤収になるかは一瞬の決断の間合い。 それでも心の傷が癒えるに数年はかかる。これは、
時間の経過と、問題の中心点に気持ちを集中し続けるしか、解決はできない。多くの要素が絡んだ原因と結果でもあるからだ。 
  一度、社会から身をひくと、経済と社会の流れに鈍感になる。 表立ってないが、深く景気の悪化が進んでいるようだ。 
 起こってしまった東北大震災と、今後予測される大震災を、連日マスコミで流されれば、住宅関連、車、家電など買う気がなくなる。 
 その中で運良く全ての物件が売れてくれた。 ホテルの装置は稼働していないと、内臓(ボイラー、配管)が時間とともに腐り、
 買い手がいなくなる。 最悪の場合、建物撤去が必要になり、価値が更に暴落することを銀行は知っている。その結果、個人保証に
 厳しい姿勢になる。 破産をすれば、それで終わるが、拗れると個人破産にも異議が出る。しかし生きたままの債権移動は、買い手も、
 銀行も、債務者も良い、「三方両得」になる。 目安が3〜5年先と思っていたので、歴史的異常時の中、有難い結果である。
  ・・・・・・・
3667, 節目どきに ー2
2011年04月10日(日)
  今回の ? を当事者の目線で現状分析すると、
・ 9・11、9・15、の経済震災と、3・11の自然震災の直撃で、事業としての立ち居地が悪かったこと! 五割が、これ。
・ 三割がネットなど情報化の影響が直撃、そこにビジネス客の首都圏より二時間圏内の日帰りの徹底が
  地方都市駅前ホテルを衰退を招いたこと。グローバル化で、特に、この10年地方経済が衰退したことがある。
・ 最後の二割が、鉄とセメントの装置産業で身動きが取れなかったことと、部屋在庫を多く持ちすぎたことである。
・ さらに当方として30年という事業年齢の満期にきたこともある。 
    これらを読めなかった能力不足が全てといえば、その通り。 しかし、(これを読めというのか?)という内なる声。
  結果からすれば、創業後10年辺りの最盛期に事業転換をすべきだったが、これはあと講釈。 
 この3つの経済震災と自然震災の結果について、震災は震災として割り切るしかない。その辺の、したり顔の下司講釈など・・
 宮城の震災地の真っ只中で、「こんなところで事業をしている御前が悪い」とか言う輩はいないが(いや何は何処にもいるか?)、
 経済震災になると、その辺の類推がでない人が大部分だろう・・・。 今回の災害そのものを大地震とすると、恐慌という
 大津波が何波も、もう、そこにきているのに、情報コントロール下のため?か、大部分の国民は、分かってない? 
  今年は2012年の前年である。この三年は10〜20メートル・クラスの経済破壊の大津波と、放射能汚染などのパニックが
 起こってくる。 たとえとして、ソ連解体直後のロシアの大混乱?や、中国の文化大革命(推定3〜7千万人の??)
 に匹敵する混乱を日本に想定すればイメージがわいてくる。 リーマンショックが日本経済を直撃している最中に、
 日本史、いや世界史に残る、大震災に直面するとは! 東日本のリゾートホテル・旅館は、客が5分の1、10分の1という。
 長岡の奥座敷といわれるホテル街は、ほぼ客がゼロとか。 中越地震で立ち直りかけた矢先に豪雪と、これ。 青色吐息でなく、
 黒色吐息。 それにしても、原発事故の行方がサッパリみえない暗い日日が続く。このままでは経済の先行きは真っ暗。
 この原発事故の汚染が、このまま収まるとは思えない。 農業、漁業、土木、建設、第三次、第四次産業も、
 輸出産業など、どれをみても・・・。 どうなるのだろうか?   何をかいても曳かれし者の戯言 か、これは。
  ・・・・・・・
3302, ブログ向けビデオカメラ
 2010年04月10日(土)
新聞で、ブログ用に特化したデジカメを二種類を比較対照した記事があった。発売当初から両方とも興味があったので早速、
近くの家電量販店に行ってみた。たまたま、真剣に見ていたためだろう、女店員が来て詳しく説明をしてくれが、なるほど
実物は思ったよりズット良かった。衝動買いは必ず後悔することを経験上知っているので、パンフレットだけを貰ってきた。 
ネットで調べて迷ったあげく、結局はアマゾンで買ってしまった。 ヨドバシカメラの値段より、25パーセントはやすい。
16GBのSDカードを別口に注文をして3万1千である。ちなみにヨドバシは、カード込みで4万弱だった。
一方のソニーのものと最後まで迷ったが、5千円高い方の、これにした。 シンプルだが、非常に使いかってがよい。 
5年前なら軽く20万はしただろう。デジカメとして800万画素もあるので、デジカメにビデオが付いているという感覚である。
(字数制限のためカット 2012年4月10日)
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2927,中沢新一の『三位一体モデル』 −6
 2009年04月10日(金)
 *「三位一体モデル」を使った演習  ー 
「三位一体モデル」を実際の知人の仕事を当てはめて演習をしてみたが、考えさせられる。
実際に丸を重ね合わせて三つ書いて、その一つの「子」の円に、職業を書き込んで、次ぎに「父」、そして「子」の順に
書き込んでいく。 それが、なかなか面白いのである。 その前に、我われの生存ベースである幻想としての
 「国家」、「国民」、そして「家族」から考えてみる。
* まずはー「国家」ーから
 子=  国家
 親=  国家成り立ちの神話 日本なら「天皇神話」から、これまでの歴史と、これからの方向を示す羅針盤。
 精霊= 文化、文明(国家としての教養)。国民と、その民度。国家としての政治・経済・軍事力・警察力。
* 次に、ー「国民」ー
 子=  国民
 親=  国家憲法、法律、それを維持する暴力装置(対外的には軍隊、対内的に警察)。これに愛国心。
 精霊= 公共施設(道路、河川、鉄道、公園、学校 etc)、都市、街、村、故郷、政治家、芸術家、経済力、など・・
* 国家のベースとしてのー「家庭」ーとは
 子=  家族
 親=  血統、家柄。家訓、家そのもの。
 精霊= 子孫、盆暮れの集まり。家族の団欒。家族旅行。 
国家は、共同幻想の典型と言われるが、長い歴史に裏付けられた蓄積がある。日本では天皇制度である。
人間の「なすべき基準、価値観のベース」は、国家のために何をすべきかに行き着く。
我われの安全を最後に守るのは国家である。それが軍隊であり、警察という暴力装置である。
現在の憲法は、明らかにアメリカ庇護を前提として作られている。庇護は建前で実態は隷属である。
この憲法である限り、日本は衰退するしかない。右翼みたいなことを言うが、グローバル化になればなるほど、
ベースとしての国家の強固の基盤が必要になる。 無理だろうが・・          つづく
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2563, ディープ・スロート
2008年04月10日(木)
『ディープ・スロート 』ー大統領を葬った男  ボブ・ウッドワード著    ゜+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゜
これも図書館で見つけた本である。これが出版されていたことは知っていたが、買うほどではないと、判断していた。
 あまりに奇抜で、生々しいから目をそむけたのだろう。まずは、アマゾンの紹介文からして、面白い。
 ー内容
ニクソン大統領を辞任に追い込んだ「ウォーターゲート事件」から33年。新米記者ボブ・ウッドワードに
地下駐車場で極秘情報をリークしていた人物が名乗りを上げた。当時のFBI副長官マーク・フェルトだった。
フェルトが死ぬまで秘密を守り抜く覚悟でいたウッドワードが、その告白を受けて初めて明かす、
フェルトとの出会い、情報源秘匿のエピソード、その後の二人の関係…。
(字数制限のためカット 2010年4月10日)
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2007年04月10日(火)
2198, リーダーシップの旅  才八∋ウ_〆(∀`●)  ー読書日記ー
  「リーダーシップの旅」ー 見えないものを見る   野田 智義 (著),
 野田氏の考えを主として金井氏が聞き手として対談し、まとめたもので、サブタイトルは「見えないものを見る」である。
 二人の気持ちが、そのまま現れて解りやすい内容になっている。
*リーダーは、それに相応しい人がリーダーの仕事をするのではなくて初めは、あることをやろうと思い立ち、
  自ら一歩踏み出すことがはじまりで、最初からリーダーだったわけではない。あることやり遂げることで初めてリーダーになる。
それは私たち一人一人が、自分の生き方の中に発見するもの、生き様を問うことだ。創業を何度か経験をしてきたので、野田氏の
言わんとするところが、いやというほど解る気がする。ツアーを使った秘境旅行でも、そのつど何処に行くかの選定の筋書きが始まる。 
だいたい家内の大反対から始まり、それでは私一人で行くとなり・・その後、家内が従う物語になる。
この難関が一番大変である。周囲の反対で中止というのは、それだけのことでしかない。
  :面白そうな部分を抜粋してみる:
リーダーシップは「見えないもの」を見る旅だ。 ある人が、「見えないもの」、つまり現在、現実には存在せず、
多くの人がビジョンや理想と呼ぶようなものを見る、もしくは見ようとする。そして、その人は行動を起こす。
世の中ではよく、リーダーはついてくる人(フォロワー)を率いる、リーダーシップはフォロワーを前提とするなどと
言われるが、私はそうは思わない。旅はたった一人で始まる。 フォロワーは旅の途中で現れる。リーダーと出会い、
一緒に旅をする。しかも、この時点で、しばしばリーダーは自分のリーダーシップには気づかない。
見たいものを見、やりたいことをやり、自身が描く目標に向かって歩いているだけで、
自分がリーダーシップを発揮しているとは意識しない。リーダーとフォロワーが、実現したい何かに向かって、
ともに旅という時間と空間を過ごすプロセスで、お互いの共振関係が生じる。
決して、一方的な関係ではなく、相互の影響がそこにはある。その中で、リーダーが見る「見えないもの」が
  フォロワーにも共感され、いつしかフォロワーの目にも「見えないもの」が見え始める。
そんなリーダーの行動がフォロワーに向けて醸し出す「フェロモン」と、フォロワーがリーダーに感じる賞賛によって、
  リーダーシップは結果として成立する。リーダーは、リーダーになろうと思ってなったわけではなく、
「結果として」リーダーに「なる」のだ。  (21〜22ページ)
(字数制限のためカット 2012年4月10日)
 ーー
中年がある時期、立ち止まり、自らの来し方を振り返ることには意味がある。三十代半ばから四十代は「人生の正午」に当たる。
学校を出て働き始めて二十年近くが過ぎ、定年を迎えるまで二十年少しを残している。
十分に経験を積み、現実もそんなに甘くないことは分かっている。 そのぐらいの年齢で、
  自分は本当に何を実現したかったのかを考え直す意味は非常に大きいのではないだろうか。(中略)
今なぜ仕事をしているのか、その会社や組織で働くことにどういう意味があるのか、自分のいる場所にとどまり、会社や組織、
社会に対しても貢献できて、そして何より自分が生きいきできる夢とは何なのかを、考えることもできるのではないか。
とどまって挑戦する。精一杯やって、どうしても駄目だったら、別の場所を考え始めればいいのではないだろうか。(161〜162P) 
  (2008/04/09字数の関係でカット)        ホンジャ~~ヾ(´ω`)バイバイ
・・・・・・・
2006年04月10日(月)
1833, ずっとやりたかったことを、やりなさいー6  (^ω^*)  ー読書日記ー
この本の最後のページに書いてあった言葉である。言葉の効用を最も深くあらわしている。
言葉は人を生かしもすれば、殺しもする!じっくり考えると、般若心経が一番効用がある! 
生まれる前も、死んだ後も、そこにあるのは「無」である。いや「空」である。全てが、そこに帰結するだけである。
最後は一人である、人間は身近な人の慰めをもとめても、深いところの慰めは得られることは少ない。先人の深い言葉は、
数百年数千年の時空を超えて我われを元気付けてくれる。先人の言葉を探し求めれば、必ず我われを勇気づける言葉はある。
 ー癒しの言葉ー
言葉を濡れた冷たい布切れのように折り畳み あなたの額に置いてあげたい。あなたの手首を包んであげたい。
ほら、ほらとその言葉は語りかけるだろう。あるいは、もっとましな言葉を語りかけてくるかも知れない。
私は言葉に、何もかも大丈夫よと囁いてくれるに頼むだろう。私は言葉に、あなたを一晩中抱いてくれるように頼むだろう。
熱で火ぶくれになり、やけどを負った箇所に 熱があなたを傷つけた箇所に言葉を塗り込め、冷やし、なだめてあげたい。
言葉でもって癒してあげたい。
▼ 丁寧にキヅ口に当てればタチマチ、傷口から優しさが沁みこみ、そして深い経験に昇華する。   ε(´',_c')зβyё
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2005年04月10日(日)
 1468, 通販の時代の到来
先日、NHKのニュースで「韓国のホームショッピングが、デパートの売り上げと同額になった」と報じていた。
・韓国では既にインターネットの普及率が70?を超えたこと
・光ファイバーが隅々まで配置されている などが理由にあげられるという。、
結婚式などの無形商品もTVでそのサービスを見て選定をしてから、2〜3の会場に行って決定するという。
日本もここにきて、本格的に光ファイバーが家庭に普及しだしてきた。
数年もしないうちに韓国と同じような状態になるだろう。このことは情報化の象徴的な現象とみることができる。
それにしても、TVショッピングがデパートの売り上げを超えようとは感慨深い。私の場合は、電気製品を買う時は
必ず価格ドットコムを見てから、量販店に、その事実と価格を告げて数?を上乗せをして買う。
万一故障の時、直接メーカーと交渉するのが面倒だからである。健康食品と書籍も、半分は直接ネット上で買っている。
生物は経験の重なりが知識・情報になり、その結果として進化してきた。ところが、その情報がインターネットで瞬時で
世界中に飛び交う時代になったのだ。これは人類にとって大革命である。 そして、このことが社会を根底から変えている。
新潟の駅周辺にも、隠れ居酒屋が彼方此方に出来始めて何処も結構繁盛している。リクルートなどが出している情報誌を見て、
予約をしてくるという。新幹線の中で、最近パソコンを使っている人が目立ち始めてきている。
また、事務所も自分のセクションのないフリーのものが増えてきたという。パソコンに事務所機能が入っているので
セクションがないほうが合理的になる。日本も光ファイバーが、会社と事務所に本格的に入ってきた。さらに
TV機能の付いたパソコンと携帯電話が一般的になってきた。これらが社会にもたらす影響はこれから色いろなカタチで
出てくるだろう。一昔(5~6年前)では考えられない面白い時代になった。経営する立場は大変である、
 一強多弱しかないのだから。
ーーーーー
2004年04月10日(土)
 1103, マスコミは戦争地域には・・
今回イラクでこうそくされた邦人は何なんだろうという疑問がわく。NPOに名を借りた1発屋のフリージャーナリスト。
現地に行って、その体験記や写真を新聞社に提供するのである。リスクを売りにするのだから、殺されてもいたし方が無い
ともいえるのだ。当然殺されるのも覚悟の上のイラク行きであったはずである。以前「ヌーの河渡り」に行った時の添乗員
兼インストラクターが「アフリカ専門何でも屋」であった。TVでアフリカの事件が起きると何回かTVに出たことがあるが、
殆どの人は名前も顔も知らない。アフリカの紛争地に日本のマスコミと契約をして、記者が行くに危険すぎるところに乗り込んで
行くのが仕事。新聞社などの記者では、現地で死んだり、怪我をした時に、自社の社員には余りにもリスクと金がかかりすぎる。
  (字数制限のためカット 2011年4月10日)
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2003年04月10日(木)
736, まずは「一日一図」から
 このホームページを開くきっかけをつくったのは久恒啓一著の「インターネット勉強法」である。 
先日、彼の本を買った、三冊目である。『人生がうまくいく人は図で考える』である。
なるほど買って読んだら単純にみえたが、なかなかよい本である。
・なかでも「一日一図」がよい。  ・それと「借図から創図へ」。
・「文図両道」          ・また「図解は一日にしてならず」もよい。
 サッソクこの本の勧めるとおり、3日前から大学ノートに「一日一図」専用ノートをつくった。 
そこでまずは「借図」がポイントと気づいた。 気に入った図を、そのまま真似るのだ。
次に「図解は一日にしてならず」もなるほどと思った。「借図」を続けることで、自分の「創図」をつくっていくのも肯ずけた。
レオナルド・ダビンチなどの天才のノートは、空間をタップリとって文と図を解りやすく書いてある。まさに「文図両道」。
レオナルド・ダビンチのノートなどを借図にして、身につくまで真似ればよい。しかし、なかなか図解するのは身に付かない
ものである。そこで「1日一図」を実行するのが第一歩だ。どこまで続くかだが、四行日記あたりをこれにしてもよいだろう。
ーまずは「随想日記の下書き」や「読書日記やその目次写し」から始めてみよう。
以下はインターネットのホームページからのコピーである。
 (字数制限のためカット 2010年4月10日
「図解 人生がうまくいく人は図で考える 」 久恒啓一 販売元: 三笠書房
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2002/04/10  
 不安解消法
学生時代読んだ本だが、カーネギーの「道は開ける」に書いてあった方法である。
記憶なので何処まで内容が正確か定かでないが書いてみる。
 ある不安があったとすると、  
1、まずその不安な気持ちの対象を書き出す。     2、その不安のさらなる最悪の出来事を想定して書いてみる。
3、その解決方法を幾つか書き出してみる。      4、それが本当に起きるだろうかと、今一度自問してみる。
5、そのプロセスで不安感は消滅してしまう。
 という内容だったように記憶している。これを実行していく中で、不安症の性格がかなり修正された。
「まあその時はその時さ!」「何とかなるさ」「考えても仕方ない事は、考えても仕方ないさ」が口癖になった。
不安を感じた時、それを直視すればそれは不安でなくなる。それに対する方策を考えれば、それが不安そのものを解消する。
(字数制限のためカット 2010年4月10日)


4032, 「人生の知恵」ノート ー4

2012年04月09日(月)

   ー 人生を成功に導く言葉ノートより ー
* 先延ばしは命どり
 「仕事で失敗する理由で一番多いのが先延ばし。一度やりはじめれば意外と簡単に片付く。とにかく先取りで問題を解決すること。
* 尊敬など、されようと思うな
 孤高の姿が敬意を呼ぶ。無理に尊敬されようとしないこと。
* ツキを見極める
 新しい事を始めるときは、運の風向きに敏感になり、好機を待つ間に準備を進めよう。
* 引き際を見極める
 勇敢な攻撃と同時に退くこともたたえれるべき。引き際のタイミングが大事。幸運の女神は、
 その頂点が高いほど、期間が短くなる。 絶頂期を見定めたら、引き際を考えるべきだ。
* 欠点を直すこと
 人は他人の欠点を見逃さない。あなたの実力を点検した上で、欠点だけに注目し、悪し様に言い立て、他の長所をかすませる。
* 二回目の挑戦を必ずする
 一度失敗しても、必ず二回目の挑戦をすること。一回目の失敗を取り戻せる。成功より失敗の方が多いが、
 二回目に成功する確率は一回目より遥かに高い。多くの挑戦は二回目に成功が多いという真理を知っておくべきだ。
* 現実的に生きるべし
 賢者は思ったふうに生きられないとしても、できる限りのことをする。運命が与えてくれないものを惜しむのをやめ、
 運命が与えてくれたものを大切にすべきだ。現実が理想を支えることを知ろう。現実の土台が弱ければ、理想は単なる重石となる。
 未来の理想の自分を明確にしたうえで、現在すべきことを確実に実行する。賢人は現実で未来をコントロールする術を知っている。
* 忘れるべきは忘れる
 「人が一番良く覚えているのは、忘れた方がいいことである。」嫌な記憶は楽しい思い出で吹き飛ばせばよい。反省をしたら、次へ。
 ▼ 引き際は、最も大事な決断。最高値の引き際は無理だったが、最後の最後は断崖絶壁での引き際。 いや、どうだか? 
  ・・・・・・・
3666,  節目どきに
2011年04月09日(土)
 先月末から一週間、この30年来と違った生活に入った。リタイアになる。 以前も、そうだったが、それまでの生活と
全く変わってしまったが、抵抗感はない。 肩の荷がおりたためか、何か地から浮いているような、ふわふわした気分である、
独りになったためか縛りがなくなり、まずは足が軽くなり、直感的に新しい習慣つくりを始めている自分に驚いている。
30年前、40数年前の自分に戻ってしまったようである。 装置産業の装置に縛られていた、それからの開放ということか。
今は興奮状態だが、2〜3ヶ月たつと「より戻し」がくるようだ。 問題は、これまでのエネルギーを、どの方向に向けるかである。  
 同じ一日なら、充実した時間を過ごさないと! で、イメージとして
・市営の福祉センター1Fにあるスポーツジムと、初心者向けのスポーツジムに入会。 平日、この二つを隔日に使い分ける。 
・これまで通り図書館通いと、信濃川沿岸の早朝のサイクリングとウォーキング。 さらに月に一回のシネマの通いと、
 月1〜2度、居酒屋でクダをまく?。 更に、これから探すが、何かのカルチャー・センター通い。
 その立場にたつと、新しい世界が開けるもの。 とはいえ、当分は謹慎の身であることは事実。 元もとアウトサイダーを
 自認してきたので、こういう切り替えには抵抗感がない。 それと世間様とやらの何は今さらである。 
 マイナーの方々の暗示にさえ乗らなければ落ち込むことはない。 居間に中村天風本を手元に置いておくか。  ー つづく
・・・・・・・
3301, 日本経済は死ぬのか
 2010年04月09日(金)
 先日の週刊現代の新聞広告の見出しを見て、つい買ってしまった。 週刊誌の見出し以上の内容が無いのは知っているが、
それでも何か目新しいことが?と ・・で、あるわけないがジックリ恐慌本を読む機会のない人にはダイジェストとして丁度良い。
 その中で、野口悠紀雄が、「もはや日本経済は死に近づきあることは間違いありません。まず、日本経済の落ち込みの原因を
「米国の金融危機」と考えていますが、それは正しくありません。悪化原因は米国にあるのではなく、極端に外需に依存してきた
日本の産業構造にある。戦後最長といわれた2002年から08年の日本の好景気は、米国のバブルに乗ったものです。米国の住宅価格の
バブルによって、結果として日本の輸出が伸びたという現象が起こっていたのです。当時の米国では3パーの物価が上昇していたが、
日本では0パーセントことが円安に拍車をかけていた。・・そのバブルが弾けてしまったのだから2002年前の水準に戻るのが当然。
数字で言えばピーク時の07年度に対し輸出で20パーセント、GDPで10パーセント減になる。09年の2月の輸出額は3兆5300億、
これは1984年度3月と、殆んど同じ。 この事態に、政府はエコポイントで家電や自動車などの購入を支援している。
これは今の製造業が、政府の支援にしがみついて生きている状態である。これも期間が終了をした時には反動として跳ね返ってくる。
それは時限爆弾になる。 日本の潜在的失業率は14パーセントというが、これが打ち切られれば、失業率が10パーセントを越える
可能性が高くなる」等々、刺激的内容である。彼の著書「世界経済危機ー日本の罪と罰」をダイジェストとし述べているといってよい。
欧米の失業率が10パーセントに対し、これだけ悪化している日本が5パーセントは、明らかに変である。それが一挙に二倍、
三倍になると、どうなるか考えただけで恐ろしくなる。 他人事では決してない。まだ日本の消費税を5パーセントに抑えてあるから、
少しは救いがある。これが、既に欧州並みの20パーセントで、これだけの赤字なら救いがない。 したがって早めに政界再編成をして、
消費税のアップが必要である。ただし国民を納得する上にも国会議員、地方議員も定数を半数か、三分の二にしなくてはならない。
 スマトラ沖地震の津波の映像で、向うから大津波が来ているのに、浜辺で海水浴をしている観光客を思い浮かぶが。
 ・・・・・・・
2926,中沢新一の『三位一体モデル』 −5
2009年04月09日(木)
 『三位一体モデル』中沢新一著  −読書日記
  *「三位一体モデル」を読んだ人たちの座談会
 それぞれの職業の立場で考え出した三位一体モデルの事例が面白い。これからみても思考モデルとして充分に使える。
 私の思考法として利用しているのが、この随想日記である。 テーマ選定から始まり、それを起承転結にまとめあげる、
 そのプロセスで頭の中を整理していく。第三者から見れば、私の脳の中が少しは見ることができるのだから面白いだろう。
 =その事例から=
ー広告代理店の勤務ー
 「精霊(代理店)」と、「子(お得意先の企業)」は、一緒になって、見えにくくなった「父(理念)」を
 探しにいく旅に出るということでしょうか。 父は「企業の社会的価値」と理解できる。 
ー中学校の教師ー
 自分(教師)を「子」とすると、父が「法則」「原理」「先人の知恵」。
 そうすると、まずは<成功や幸福という概念>が「父」だと思われます。
 分かりやすくいうと予備校の教師群こそが「精霊」なのです。
 資本主義社会では予備校こそ一番分かりやすい「三位一体モデル」です。
ー音楽業界にいるものー
 先ず「子」として、音楽家とする。そして私たちは音楽産業を「精霊」の場所とする。
 父の部分を逆算して「歌われるべきもの=神の意思」と。この原型になるのに教会音楽がある。
 神の思し召しを、バッハが音楽を通して地上の民に伝えてくれる。それを伝える場所が教会であった。
ースポーツ業界にいるものー
 ルールが父なんです。見えないけど絶対の「神」です。「子」が選手です。
 「霊」の中には、「競技場」とも「観客席」ともいいし、「テレビ」でもいいと思います。
 いっそ、「スポーツ業界」ともいえる。いまの時代に、もっとも考えられているのが、この部分です。
 一番のポイントは、装置化した「霊」の部分が、「子」の材料を探してくることです。
 スポーツでは、三位一体は考えやすいのです。何しろ「父」が確固として存在しているからです。
ー料理人ー
 レストランでは、前から「三位一体」を「味」「料理」「ムード」といってました。。
 今回の、この「三位一体」を読んだことで、「美味しい幸せ」が父。
 それを作り出すのが「料理人」というのが「子」。そして、「お店とムード」が「霊」に変わりました。
  ――
 スポーツ業界のルールが親には驚いた。コーチとか、父親・母親ならわかるが。
  次は、身近な知人の職業を『三位一体モデル』で演習をしてみる。
・・・・・・・・・
2562, ドル覇権の崩壊 -1
2008年04月09日(水)
 図書館で借りてきた本だが、この本が出版されたのが、去年の7月の末である。
 それから半年もしないうちにアメリカのサブプライムの問題が表面化をして、この本の大筋のとおりになってしまった。
 かなり刺激的な言葉に満ちているが、サブプライム問題で株とドルの暴落を目の当たりにすると、納得するしかない。
 この著者の本は何度か買って読んだが、何時も刺激的・悲観的な内容で一貫している。
 そして、指摘しているほどの事態に世界はならなかった。しかし、この本に関する限りアメリカのサブプライムが 
 表面化したために、決して悲観過ぎではなかった。 この一連の金融危機、考えれば考えるほど、
 恐ろしい近未来が待ち受けているようだ。 年々ジワジワと悪くなっているのが身に沁みる。どうなるのだろうか?
 まずは、この本の表紙裏の 「説明文」と 目次を コピーしてみる。
 これだけで、この本の半分以上の要旨が書いてあると言って過言ではない。
  ーー
「ドル覇権の崩壊」?静かに恐慌化する世界  副島隆彦著
 ー背表紙裏の説明文
ドル暴落を見越した資産逃避(キャピタル・フライト)が始まった
2007年5月からの「三角合併方式」での日本企業への買収の真実は"ドルの逃避"である。 
日本企業をただ単に乗っ取ることよりも、真の動機は、ドル資産の保全、ドル暴落からの避難、外貨建て資産でのリスクヘッジ
という考えに変わりつつある。日本の大企業を買収する利益は、チョップ・ショップ方式による、荒っぽい
自動車泥棒・解体屋の手法ではなくて、これからは、アメリカ本国からの資産逃避(キャピタルフライトである。
  ー 目次 ー
(字数の関係でカット2009年04月09日)
・・・・・・・・・
2007年04月09日(月)
2197, ファンタジー文学の世界へ ー3     ( ^3)?♪ オハヨウゴザイマス!
 「ファンタジー文学の世界へ」  ー読書日記
 P-154 「さいはての島へ」(ゲド戦記?)
■目的と存在  ー「ある人生と、する人生」について
 第三巻は、壮年になったゲドが王子アレンとともに、世界の均衡を取り戻す旅に出る物語です。
 これから本格的に冒険が始まろうとする前夜、ゲドは、以下のようにアレンに語りかけます。
 「よくよく考えるんだぞ、アレン、大きな選択に迫られた時には。 まだ若かった頃、わしは‘ある人生’と
‘する人生’のどちらかを選ばなければならなくなった。わしはマスがハエに飛びつくように、ぱっと後者に飛びついた。
 だが、わしらは何をしても、その行為のいずれからも自由にはなりえないし、その行為の結果からも自由にはなりえないものだ。
 ひとつの行為が次の行為を生み、それが、またつぎを生む。そうなると、わしらは、ごくたまにしか今みたいな 時間が持てなくなる。 
 一つの行動と次の行動の間の隙間のような「する」ということをやめて、ただ、「ある」という、それだけでいられる時間、あるいは、
自分とは結局のところ、何者なのだろうと考える時間をね。」ここでの「ある人生」とは人間の存在を意味し「する人生」とは
人生の目的を意味する。 人間の全体性を哲学的に分析すれば、この存在と目的という観点は重要な切り口である。抜粋にあるとおり、
若きゲドは「する人生」に飛びついたという。目的は若者の特権としても、目的だけの人生には、常に、危ないものがつきまとう。
目的を持つことと、それを目指す行為とは一体のものだから。目的と行為の一体性には、何ら問題が無いように感じるかも知れない。
しかし、往々にして行為のみに追われだすと、行為という活動に実在感を得て、何もしないことや、何もできないことが自分にとって
否定的に感じてしまう。とにかく「動く」ことのみ専心してしまいがちになる。活動のみに追われて、その意味を考えることが
鬱陶しくなってくる場合が多くなる。先の抜粋の中の『一つの行動と次の行動の間の隙間のような「する」ということをやめて、
ただ「ある」という、それだけでいられる時間、あるいは、自分とは結局のところ、何者なのだろうと考える時間』が大きな意味を持つ。
この休止時間こそ最も大事な時間である。この時間の中で、一に戻って考えることこそ、個々人の心や魂と向き合うことになる。
   ・・・・・・・
 ゲドも、世界の危機を救うさまざまな冒険を成し遂げ、魔法学院の長である大賢人となるが、本人はそれを喜ばない。
そして曰く「わしのほうは、うむ、いろんなものになった。いちばん最後が、そして、おそらく、いちばんつまらないものが、
この大賢人というやつだ」と。河合隼雄が著書「生と死の接点」の冒頭「ライフサイクル」の中で、人生の「後半の問題」を解説する。
ユングがフロイトへの批判をして、「フロイトは人生の前半の問題(自我の確立といった言葉で表される)
しか相手にしていない」としている。「人生後半の問題とは、自分なりのコスモロジーを完成させることである。
 ・・・・・・・
2006年04月09日(日)
1832, グーグル完全活用本 ー1      ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★  ー読書日記
 この本は「ウェブ進化論」と同じ位の、お勧め本だ。(ちなみに「ウェブ進化論」はベストセラーになった)
この随想日記を読んでいる人なら、検索を多用していると思うが、グーグルの「検索」を勧める。
(ウェブ進化論の影響があるが)
もしパソコンの検索機能や、Yahooの検索を使っているなら、直にでも切り替えたほうがよい。
別に洗脳されたわけではないが「ウェブ進化論」と、この「グーグル完全活用本」を読めば分るはずである。
30万台のパソコンが24時間、世界中のネット上にアップされた情報を収集しているという。
もう5年も、グーグルの検索を使ってきた。キーワード入れれば、アクセスの頻度の高い順に出してくれる。
これがキーポイントになる。 この本を読んで殆どの検索の便利さを知らなかったことが解った。
   (字数の関係でカット2011年04月09日)
・・・・・・・
2005年04月09日(土)
 1467, おしっこ
雑誌に面白い歌が載っていた。なかなか面白いので、詩を書き写してみた。おしっこをしている時の顔はみんな哲学的である。
「水を飲みながら、おしっこをすると妙な気持ちになる」と何かに書いてあったので、試みたこととがある。
やはり妙な気分であった。馬鹿みたいだが面白い。この詩の、おしっこの代わりにウンコを思い浮かぶと更に面白い。
何か臭いがしそうなので、やはりおしっこの方がよい。でも、その方が人間の露な姿を表現できるだろう。
 シンプルな詩であるが、中味は濃い。

曲・ 小室等、 作詩・谷川俊太郎
ーお し っ こー    谷 川 俊 太 郎

大統領がおしっこしてる
おしっこしながら考えている
戦争なんかしたくないんだ
石油がたっぷりありさえすれば

テロリストもおしっこしてる
おしっこしながら考えている
自爆なんかしたくないんだ
恋人残して死にたくないもの

兵隊さんもおしっこしてる
おしっこしながら考えている
殺すのっていやなもんだぜ
殺されるのはもっといやだが

男の子もおしっこしてる
おしっこしながら考えている
マシンガンを撃ってみたいな
きっと気持ちがすっきりするから

武器商人がおしっこしてる
おしっこしながら考えている
銃がなければ平和は守れぬ
金がなければ自由も買えぬ

道で野良犬おしっこしてる
おしっこしながら考えている
敵もいなけりや味方もいない
ただの命を生きているだけ
・・・・・・
2002/06/05
おしっこをしながら、水を飲む
(字数の関係でカット2008年04月09日)
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2004年04月09日(金)
 1102, つもりちがい十ケ条
 高いつもりで 低いのが教養     低いつもりで 高いのが気位
 深いつもりで 浅いのが知識     浅いつもりで 深いのが欲望
 厚いつもりで 薄いのが人情     薄いつもりで 厚いのが面皮
 強いつもりで 弱いのが根情     弱いつもりで 強いのが自我
 多いつもりで 少ないのが分別    少ないつもりで多いのが無駄
        そのつもりでがんばりましょう      天台宗別格本山 両子寺
  (字数の関係でカット2011年04月09日)
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2003年04月09日(水)
 735, ホームページを開いて二年
このホームページを開いてあと一ヶ月足らずで二年になる。旅行以外は随想日記を一日も欠かさなかった。
脳内の何パーセントを汲みだした感覚である。その時その時の興味が移り変わっていくのもわかる。
お笑いであったり、癒し系であったり、人間観察であったりだ。・何事も三年である、あと一年は今のペースは
続けるつもりである。随想テーマ日記の千項目がもう一つの目安だ。・毎日書き続けるとネタ不足になるが、それが外部の
情報収集の動機になる。公開をして第三者の目を意識をして書くことで、自己コントロールをするようになった。
書き続けること、改善し続けることで自己の外部化をしていることになっている。毎日文章を書き続けることは大変である。
「今日飯食って、会社に行って、テレビを見て寝た」という内容なら如何といことないが、テーマをみつけて筋の通った?
(字数の関係でカット2008年04月09日)
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2002年04月09日(火)
 371,花見
いつもこの時期、福島江と悠久山の花見に行く。といって朝の散歩で行くのだが。今年の桜は当たり年のようだ。
「散る桜、残る桜も散る桜」 毎年このことをおもいしらされる。人間の人生の短さに例えて言っているのだ。
所詮自分の死もいずれ近くやってくる事を言っている。京都の桜も素晴らしい。それぞれの地区で素晴らしい桜の名所がある。
この時期の名物の一つである。7年前私の従兄弟が桜の散際に自死をした。桜が好きで毎年写真を撮っていたという。
なくなった後で、その時の写真を見せてもらった。なくなった通夜の納棺の時、突風が吹いた。納棺の桜吹雪である。
背筋がこうりつく思いであった。 こういう事が実際あるのだ。桜は人間の人生を見せてくれる。その年も桜の当たり年だった。


4031,「人生の知恵」ノート ー3

2012年04月08日(日)

 ー 品格と、自分を高める言葉のノートより ◆ 
  * 人間的側面見せすぎない
 あまりに人間的と見られれば、軽く見られ尊敬を失う。グラシアンは、「中身が少々足りなくても、重々しい雰囲気を
 出せれば尊敬を集めやすい」という。軽々しさは尊敬を失う。人は浅はかな者ほど人をバカにしたがる。バカに隙をみせるな。
  * 余計な関わりは最小に
「人に干渉しないだけではダメで、人からも干渉されないこと」が原則。そのために「余計な関わりは最小に」。
  * 人との距離を一定に保つ
 苦境に陥ったときは同伴者がいることが大きな慰めになる。溺れる人を助けようとして、自分まで溺れることはない。
「星は空高く輝いているからこそ、まばゆい存在。 非凡であるには、節度が必要。なれなれしくしないことだ。
  * 賢者ならどうするか?
「幸運を選び、不運を避けよう。不運はたいてい愚かしさの罰として与えられる。どんな小さな災いにもドアを開いてはいけない。
 もっと大きな災いが忍び込んでくる。」 判断に迷ったら、賢者ならどうするかを考えよ。 現状を冷静に見ることができ、
 的確な選択が可能になる。 これが知識から知恵への転換になる。 これは独りになりきることで可能になる。
  * 品格を備える
 品格は勇気、分別、賢明さ、王者の威厳にさえ勝る。何かを成し遂げるための近道であり、困難からたやすく逃げる道である。
「品格は言葉や行動の要である。品格がなくては美は精彩を欠き、優しさは形ばかりになる。
▼ ここまで生きてきて、品性、品格について考えさせらることが多い。家内に何時も「あなたは品がない」と、暗示をかけられていた。
 ところが数年前に「国家の品格」とかいう本で「品格」の付いた本がブームになった。「女性の品格」に「品格」の定義があった。
 それが思いもよらず、殆どクリアーをしていたが、家内は??。 自主独立、陰口を控える、趣味を持つ、信念の確立の有無などで、
 自己の確立が出来ているかが品性の土台との説。一般人は表面的にしか捉えない・・・ それにしても品性のない人が多い。
・・・・・・・
3665, 関係性が問題
2011年04月08日(金)
 カーラジオで「夫婦間のトラブル」について、その道の専門家が「夫婦間の問題は関係性にあって、一方的に相手が良い悪いとか、
自分が良い悪いという問題でない」と論じていたのが、いやに説得力があった。要は相性と、互いの立場のバランスなどの関係に
問題が存在する。 それでは夫婦間の関係性とは、そもそも何か! 二世帯同居の嫁姑の立場とか、マザコン夫とファザコン妻の
組み合わせだったり、長女の嫁と末っ子の夫の関係だったり(これは私になるが・・)色いろある。 互いが相手のマイナスを
見つめあうのでなく、互いの置かれた立場と条件を理解するしか手立てはない。恋人同士の関係は良かったが、夫婦の関係になったら、
破局をするケースが多い。 そして別れたと同時に、関係が良好になって、結婚と離婚を繰り返す芸能人が多く見かけられる。
リズとバートンとか! 無知からくるのだろうが・・ 関係が重なるとネットになっていく。ネットといえば、網目。そ
れぞれ結び目で出来ている。その結び目が関係性である。 
 ー ネットで、関係の意味を調べてみると ー
【関係】1 二つ以上の物事が互いにかかわり合うこと。また、そのかかわり合い。「前後の―から判断する」「事件に―する」
    2 あるものが他に対して影響力をもっていること。また、その影響。「気圧の―で耳鳴りがする」「国の将来に―する問題」
    3 人と人との間柄。また、縁故。「あの人とはどういう―ですか」「友好―を結ぶ」「父親の―で入社する」
    4 男女間の性的交渉。また、それをもつこと。「妻子のある男性と―する」
    5 (他の名詞の下に付いて)その方面。そういう領域。「音楽―の仕事」「アウトドア―の雑誌」
 ▼ 何ごとも、関係性の中で成立している。 触媒の中でこそ、自己は成立する。
 ・・・・・・・
3300, 平山郁夫の教養世界
 2010年04月08日(木)
 先日、何気なくTVをまわすと平山郁夫の絵と、彼の原爆体験などの逸話などを取上げていた。
原爆後遺症で一時は死も覚悟したなかで玄奘三蔵をテーマとした『仏教伝来』を描きあげ院展に入選した平山郁夫の作品には
仏教をテーマとしたものが多く、それがインドに発生した仏教をアジアの果ての島国にまで伝えた仏教東漸の道と文化の
西と東を結んだシルクロードへとつながっていった。 彼は東京芸大教授、そして学長になるが、何ともいえない風貌に
教養の深さを感じ取ることができる。この番組で、彼の逸話が印象に残った。「ある先生に、人の真似をしないこと、と教わった。
そのためには独自の世界を創り、それを表現すること。独自の世界を創るには、はば広い教養が必要である」と教えられ、痛感。 
それから宗教、哲学、歴史など幅広い分野にわたり猛勉強をした。その裏づけがあるから、あのような絵が描けるのである。
この齢になって幅広い教養のベースが、その人なりであると、つくづくと感じ入っているため、尚のこと納得をした。
先日、TVを通して400年前の画家・長谷川等伯の絵を見たが、その中にある幽玄な世界に、等伯の魂を数百年の時空を超えて
感じとれた。絵の中に彼の独自の精神世界が全て込められている。独自の世界をつくり、その世界を表現することが最も重要なこと。
そのために幅広い知性と教養が必要といわれると納得できる。その結果、真・善・美という価値が自然に現れ出ることになる。 
経験、そして知性を裏づけとした教養を考えると、何か心寂しい己に寒気がする此の頃である。
良い学校に行き、良い師に出会い、良い友人と語らう中で、教養のベースができるということか。
 ・・・・・・・・
2925, 中沢新一の『三位一体モデル』 −4
2009年04月08日(水)
 *「三位一体モデル」と「カ・タ・チ・モデル」の相似と違い三位一体のモデルを肯きながら読んでいて、
  似ている思考モデルを思い出した。創造工学の故中山正和の創造思考法である。
・カ= 神の閃き(神のカ)・タ= 田んぼのタで、カタチ取りをする・チ= 道のチ、血のチ、力のチで、エネルギーを注ぐ
  カタ=カ+タで、型をつくることになる。 カタ+チ=カタにエネルギーを入れて、カタチ(創造)にすること。
 何かそっくりだが、彼がこの三位一体モデルから、このヒントを得たかどうかは分からない。
「三位一体モデル」は、父、子、精霊のうち、まずは子の設定をした後に父たる普遍と、増殖する精霊を考えるのが自然である。
しかし、それに対して「カ・タ・チ・モデル」は、カの閃きから、カタ、カタチ、へ発展していく考え方である。
そうすると三位一体の父たる「閃き」を纏めるに、「カ・タ・チ・モデルを使えば良い。 二つの思考法の合体である。
いや、ややこしくなるので類似した思考法があるというだけで良い。
  カ=頭、タ=身体、チ=血液(循環器)・エネルギーということか?
思考法として、『起承転結』『カ・タ・チ・モデル』『正反合モデル』『曼荼羅思考法』『雑記ノート書き散らし法』などを
メインにしているが、『三位一体モデル』が一つ加わった。次回は、この本の最後にあった、各職業の『三位一体モデル』
の実例を書き出してみる。 その一つだけを、まずは紹介してみる。
  ー書籍の出版社ー
 私たちの場合は、一冊の本ごとに「三位一体」があるといえます。
作家、作者が「子」であることは分かります。その作家に本を書かせた「動機」が、これが「神」なんです。
書いた人がいて、彼が書いたものがある。それを書かせたものがあるとしたら、それは「父」です。
何しろ、初めに「子」ありきで、一冊ずつ、みんなそうだとしたら、出版社は八百万の神々の集会所のようなもの。
・・・・・・・
2561, ウォルト・ディズニーがくれた夢と勇気の言葉  ー2
 2008年04月08日(火)
 創業のノウハウの全てが、ディズニーの全てに入っている。それが遊びという世界で万人が解りやすいから、
尚のこと心を打つのである。感動、そして共感が一つずつのイベントに入っている。その原点が、チャップリンの凝縮された
ミッキーマウスから出発している。ディズニーのの世界は参加型バーチャルであり、夢の世界で幻想を楽しませる。
明るく、光にみちた世界に一時を過ごすのである。
▼ ひとつ踏み出す、つまり、新しいことをやってみるということは勇気がいるけど、自分を信じて、思いきってやってみよう。
 ひとつ踏み出さなくちゃ、何にもはじまらない。 解)その一歩の勇気、それが大きく人生を左右する。
 その一歩も裏づけを十二分に持ってないと、逆の結果になってしまう。
▼「人生の素晴らしい瞬間というのは、自分ひとりのためよりも、愛する者たちのために行ったことに結びついている。」
 解)押し付けにならない程度のことだが。
▼ 実は人々はお互い相違する点よりも共通する点が多いということを、伝えていく。
 解)自分の中に、その共通点を見出していくのが教養?
▼ ただ、絶対に忘れてならない。すべてのはじまりが一匹のネズミだったということを。
 解)ミッキーマウスが、チャップリンの漫画化ということも?
▼ 我々は何か人をひきつけるものが欲しくて、チャップリンのような切なげな様子を持つ小さなネズミを思いついた。
 とにかく精1杯生きているちっちゃなやつ、というような、どこにいても人々がミッキーを見て笑い、共に笑い続けてくれる
 ことだけを求めた。 特に社会的象徴のような重荷を課したりしなかったし、社会の欲求不満を代弁したり、
 痛烈な皮肉をしゃべらせたりしなかった。 ミッキーは人を笑わせる使命を与えられた小さな人格なのだ。
▼ どこにいても人々がミッキーを見て笑い、共に笑い続けてくれることだけを求めた。
 特に社会的象徴のような重荷を課したりしなかったし、社会の欲求不満を代弁したり、
 痛烈な皮肉をしゃべらせたりしなかった。ミッキーは人を笑わせる使命を与えられた小さな人格なのだ。
解)笑わす使命を与えられた人格=チャップリン か? 気の毒じゃないか、そういうのは? 
  いや、人に微笑を浮かばせることこそ、人間としての使命ではないだろうか。
・・・・・・・・
2007年04月08日(日)
2196, ファンタジー文学の世界へ ー2       オッ(*^○^*)ハ?ヨウ! 
「 ファンタジー文学の世界へ」 ー読書日記
 ーP57〜58
「シーズ・リーヴィング・ホーム」はビートルズの画期的アルバム『サージャント・ペーパーズ・ロンリーハーツクラブ・バンド』
の挿入歌である。イギリスの教育界では粋なことに、この詩について二年にわたる論争があったという。一方は「この詩は家出を
推奨しているので青少年に与えるべきではない」もう一方は「この詩こそ、現代家庭内の人間関係の疎外感を象徴している」
という肯定的なものである。教育界でこのような論争が起こるということは大変好ましいことである。ここには誰も悪人はいない。
ただ、人間の持つ自立願望(依存対象からの脱皮)に伴う絆(家族以外への愛情転換)にかけようとする一種の成長願望があり、
そこに向かおうとするパッションが、世代間における微妙な心の差異、そこから生じる疎外感の蓄積となっていく。
以下は、その挿入歌の詩を訳したものである。
 ーー
「彼女は家を出て行く」(シーズ・リーヴィング・ホーム)ービートルズ
水曜日の午前5時  夜が白み始める頃 そっと寝室のドアを閉める書き切れない思いの残る手紙を残して 
階段を下りてキッチンへ向う手にはハンカチを握りしめながら 裏口のドアの鍵を静かに回してみる
外へ出る とうとう自由だ
 彼女は (あの子のために何でもやってきたのに)
 出て行く(夫婦の生活などは犠牲にしてきたのに)
 家を  (欲しがるものは何でも買ってあげたのに)
 彼女は家を出て行く  一人ぼっちで寂しかった
 何年も何年も   (さようなら)
父はいびきをかいている 母はガウンに袖を通す
そこにあった置手紙を見つけて拾い上げる 階段の上で呆然と立ちつくし
泣き崩れて夫のもとへ駆け込む お父さん、あの子が家を出て行ってしまったのよ
なぜ私たちがこんな目に会わなくてはならないの あの子は一体どうしたっていうの
 彼女は       (私たち夫婦のことなんかどうでも良かったのに)
 出て行く      (自分たちのことなんか二の次でやってきたのに)
 家を        (頑張って頑張りぬいて何とかここまできたのに)
 彼女は家を出て行く  一人ぼっちで寂しかった
 何年も何年も    (さようなら)
金曜日の午前9時 遠く離れた場所にいた
きちんと約束の時間に待ち合わせ
自動車の仕事をしている彼氏がやってく
 彼女は       (私たちは間違っていたのだろうか)
 楽しい時を     (間違いだとは思いもよらなかった)
 過ごしている    (楽しみをお金で買うことは出来ない)
 彼女の心の中の何かが否定され続けてきた
 何年も何年も    (さようなら)
彼女は家を出て行く (さようなら)
ーーー
解) これも、親離れへの情操の心理であり、誰もが通過しなくてはならない通過儀礼でもある。
もし何らかのカタチで、このアップ・スケール(自立)をしないと、親という山姥に一生をとって食われてしまうことになる。
(字数の関係で中略2012年4月8日)
・・・・・・・・
2006年04月08日(土)
 1831, ブログの話     は(* ̄(エ) ̄)ノろぉ(* ̄(エ) ̄)ノ
世界に80億のサイトが存在しており、日本のブログは、500万。アメリカでは2000万もあるという。
この中で、いかに面白い自分にあったブログを探し出すのがポイントになる。先日NHK・BSで、「ブログおもしろ大賞」
を特集していた。おもしろいブログを紹介する番組。エントリーされた中から2つのブログが大賞に選ばれた。
それぞれの個性がはっきりしていた。いろんな要素を加え、角度を変えることで特徴が出ていた。
大賞は、「世にも奇妙なグルメリポート」と「夢を追う男」面白そうなので、メモをして幾つか見てみたが、
ナカナカ味がある。「しまふく寮日記」「クリックブログ」「サブ・カルチャーの達人」「ガラクタイチ」
「うちの三姉妹」「月刊男心」「ゆめおう男」「私がみた事実」「ニコニコルソン」「東京テッシュ」「元プロ野球選手の
セカンドキャリア奮闘記」その中で一番面白かったのが、これである。このブログの一部をコピーしてみた。
 〜〜                              (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
「夫の不倫観察日記?阿修羅のごとく?」 夫がまた不倫をしている。
・・・また・・・そう、これが初犯ではない。この際、もうネタにするしかないか。夫の浮気の一度や二度や三度・・・
見て見ぬフリをしてきた。しかしながら、今回はとうとう寛大な妻の『地雷』を踏んだぞ! 夫の不倫、観察します。 
妻の皆さん、一緒に笑ってください。夫の皆さん、妻の恐ろしさに震えてください。 =これだけで、もう引き込まれてしまう=            
・・・・・・・・
2005年04月08日(金)
 1466, 閑話小題
  ーロシア人の大立ち回りのその後ー
(字数の関係で中略2012年4月8日)
  ー音楽の世界ー
(字数の関係で中略2012年4月8日)
・・・・・・・
2004年04月08日(木)  
 1101, 春がきた
新学期が始まった。春は誰にとっても心躍る時期だ。幼稚園生、小学生、中学生、高校生、専門学校生、大学生と街に
初々しい姿が見え始めた。そして春といえば桜、その桜の花も咲き始めた。自然と春の歌が自然と口に出てくる。
「春がきた、春がきた、何処にきた、山にきた・・・」「春のうららの隅田川・・・」何か魂の故郷に里帰りをしている
ような気持ちになってしまう。近くの川には鴨が浮かび、雀がさえずり、小さな花があちこちに見える。
春は皆にとって、心がときめく。全ての始りのような気持ちにさせてくれる。新鮮な希望の時なのだ。長い冬は、春に
とっての母でもある。そこで大きな愛を充分与えられるのだ。春は長い冬の眠りの中で過去を蓄積をして未来を膨らます。
・・・・・・・・・
2003年04月08日(火)
 734, またまたお金の話ー銀座のママの・・
「銀座ママが明かすーお金に好かれる人 嫌われる人のちょっとした違い 」の題名につれてて図書館で借りてきた本だ。
日本のトップの財界人や政治家や役者などのお客の色いろな人生の浮き沈みを見てきているはずである。軽く読むにはなるほど面白い内容。 
私は高級クラブなど、殆ど行かない主義。バカバカしいと思うのだが、数回行った銀座の店の気分の好さは今でもはっきり憶えている。
5万10万出しても、価値を感じさせる何かを常に店に演出しているのだろう。なるほどというのが所々納得できる。このママの店の
HPをみてキーワードは、「明朗会計」と「銀座としての安さ」である。以下はある書評からのコピーである。
▼ 数々のベストセラーを生み出した作家「ますいさくら」の双子の姉、ふたご屋のオーナーママ、「ますい志保」が「銀座」
 から学んだ成功法則を元に、お金をつかむコツを知ったいわゆる出来る男と出来ない男の違いを語ってくれます。
               (字数の関係で中略2008年4月8日)
・・・・・・・・・
2002年04月08日(月)  
 370,なりきる
散歩のときはウオーカーに、旅行の時はツーリストに、会社に行けば会社の立場に、家に帰れば父親になりきる。
そしてなりきった立場で色々な自分を見てみる。散歩の時、会社のことを考えたりして景色が見えなかったりする。
海外旅行でのケース。今まで会社の役員をしていた人が、その役員の状態で来ていた。奥さんがその人を、社会へのリハビリで
この旅行にきたといっていた。かたっぱなしに同行者を皮肉っていた。上から見下ろしている視線を引きずってきていたのである。
考えてみたら、なりきってない方が多いのではないだろか。学生時代に学生になりきっていなかった自分。必至で働いていた
あの時期、その時はなりきっていた。実際なりきれないで、失敗を重ねていくのが人生かもしれない。同級会などで久々に会うと、
時間を超え昔の自分にいつの間になっている。花が「今花やってんねん」と主張していると、考え見ている自分。
その時は見ている人になりきっている?いやなりきってないか?名優は端役をやっても光ると云うが、名優の名優たる
所以はなりきることだ。 ところで自分は今、書き手になりきっているだろうか?


4030, 一時停止  ー谷川俊太郎ー自選散文

2012年04月07日(土)

        「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
 
 図書館で借りてきたが、直ぐにアマゾンで購入した。谷川俊太郎の詩集や特集の雑誌を何冊か、読んできた。
その散文集なら面白くないわけがない。谷川の詩も文章も、ストンと心に落ちて振動する。青年期に、谷川の著書を読んでいたら、
人生は変わってはず。 言葉を仕事にしている詩人の書いた文章は、分かりやすい。読み手の目線を常に意識しているためだ。
  * 「青年という獣」1957年 ーより
≪・・生きているということと、生活しているということとの相違をもっともてっと早やく云えば、前者を非人間的、後者を人間的と云って
 差しつかいないだろうとぼくは思う。生きるとは、コスモスの中に生きることだが、生活するとは、人間の社会の中に生きることだ。
現代ではこの違いを理解する人は少ない。下手をすると、コスモスなどという言葉は野暮な言葉で、悪くすると危険な言葉にされかねない。
青年は意識的、無意識的にかかわらず、これに抗議する。青年は生きようとするものであつて、生活しようとするものではない。
一見如何にソシアルに見える彼の行為も、その意味では本当にソシアルになり得ないものだとぼくは思う。何故なら、人間以外のものに
なることを、いやいやながらでもあきらめてこそ、始めて人は人間になれるものだからだ。人間は生活という唯一の現実によって人間になる。
青年は生活以外のすべての夢によって青年になる。青年は人間である必要はないのだ。彼は自分の夢を喰って生きる位の非人間的な強さを
もつていなければならぬ。倦怠はおそかれはやかれ彼を襲うのだ。その前に彼の肉体がまだ新しいうちに、青年は彼の役割を果さねばならぬ。
ビリイ・ザ・キッドは若かつた。彼は太陽や風や、残酷な青空や、愛らしい女を知つていた。彼はコスモスとその中の生命とに気づいていた。
彼は人間や、その生活などを知りはしなかった。彼が強かつたのはそのためだ。彼は死のもつ非人間的な意味だけに気づいていた。
死のもつ人間的な意味などに気をとられなかつた。彼の手が震えなかつたのはそのためだ。そのためにこそ、彼は人間としても偉かつた。
彼は人間を代表して、コスモスの真只中に立つてひるまなかつた。彼は人聞を殺すことで、コスモスと戦つたのだ。≫
▼ 創業は、全く経験のない思い込みの未知の生命体を創り上げること。それは「生きる」分野にある。それは創業という獣的行為になる。
 生活のためであっても、それを創るには人間性を、普通の生活者の考えを、根こそぎ捨ててかからなければならない。 ここで、
「青年は生活以外のすべての夢によって青年になる。青年は人間である必要はないのだ。彼は自分の夢を喰って生きるくらいの 
非人間的な強さをもつていなければならぬ。倦怠はおそかれはやかれ彼を襲うのだ。その前に彼の肉体がまだ新しいうちに、青年は
彼の役割を果さねばならぬ。」とある。新たな事業を始めよう決心した瞬間から、非人間的になる。獣にならなくては創業など不可能。
何時の間に獣から普通の生活者になっていた。地元の生活者の中の創業は獣の姿を曝すことになる。 本当の生活者になるのは、これから。 
  ・・・・・・
3664, 閑話小題
2011年04月07日(木)
  * 駅やSC内のATMが閉鎖は
 今だに駅やSC内のATMが節電を名目に閉鎖されたままである。これは間接的、現金引き出しの窓口規制そのもの。
支店、営業所内のATMは開かれているが数は僅か、不便そのもの。経済的側面からみたら、大震災と原発事故全体を
大地震とすると、大津波は本格的経済恐慌で襲いくる。電力と節約の呼びかけは、消費を冷やす効果は充分にある。
  * スポーツクラブだけは盛況
 家内がスポーツクラブに10年以上も行っているので、同行してみた。
驚いたのは平日の午前に関わらず、中高年の人たちで満杯だったこと。100人位に人たちがマシーンと共に
無言でひたすら運動していたことである。雰囲気は開放的で明るい。分かっていたら、前から通っていただろう。
「平日の10時から17時までの時間帯コース」の会費が大よそ6千円、10〜22時のフルコースだと8千円。 
週に4日×4=16日が平均とすると、一日400円〜500円。 施設からみてそう高い感じはしない。
それより、歩いて15分のところに、公営施設の中に、大きなジムがある。これは、一回300円、3月で1800円。
以前、入会しそうになったが、止めたことがあった。 早朝のウォーキングか、サイクリングをしていたが・・・ 
 ・・・・・・・
3299,金融世界大戦 という捉え方
 2010年04月07日(水)
 * 軍事戦争から金融戦争へ(兵器から債権へ)
 経済評論家の田中宇が「金融世界大戦」という造語で、現在の金融恐慌の本質を説明している。
さらに「金融兵器」という恐ろしい言葉が加わったのである。これをアメリカ国内だけでなく、世界中に時限爆弾入り兵器
という危ないやつである。 何処かで爆発をすると、それは繋がっていて連鎖爆発をする危険なシロモノ。
「世界的な軍事戦争が出来なくなった代わりに、金融による世界覇権をめざした米英が、破壊兵器=金融債権を武器に世界制覇を
狙ったが、それが敢え無く破綻し、世界を恐慌に導いてしまった。 一時、世界経済を米英を親とした「ねずみ講」をつくり上げ、
世界中のものを紙切れで買い漁っていた実態が崩壊した。 これで世界中の貨幣制度の根底に大きなヒビが入ってしまった、しかし
大元のアメリカは破壊した金融機関やGMなどを国有化し、何とか体裁を保っているドルを注入し、立ち直りを図っている。
詐欺師は元もとの金や資源を温存しているから、ドルや債権の価値を徹底的に下げてしまえば、傷は最小で済む。しかし被害者は
輪転機を持っているわけでない、その負債を負わされ国家破綻、すなわちハイパーインフレで国民の金融財産の大部分が消滅する。
 世界の国々はアメリカの、こうしたネズミ講の危なさを知らずにアメリカ国債や、アメリカの銀行が発行するCDOやCDSを
見境なく買ってしまったのである。 現在、各国が何とか金融破壊兵器を爆発させないように必死に持ちこたえているが、
これも時間の問題。 ユーロ圏か、アメリカか、中国から、その爆発が始るのは防ぐことは不可能である。 破壊兵器(債権)は、
世界中にばら撒かれ、連鎖して世界中を破壊する。 それはデフレスパイラルから、ハイパーインフレへの転換期に始る。
日本はアメリカの金融占領国の悲哀を株価暴落か、(一時的な円高の後?に)円安という形で日本を襲ってくる。 
「気がつきゃホームでゴロ寝」で、IMFの管理国家として裸同然の国に落ちぶれることになる。アメリカは第二次大戦後、朝鮮戦争、
ベトナム戦争、冷戦、そしてソ連の崩壊後は、アフガン、イラク戦争と戦い続けている。 
ところがソ連が弱体化を始めた1980年頃から、米英は軍事から金融戦争に軸を変え始めたのである。その一つがプラザ合意
から始る日本のバブルと、破綻である。 
 (字数制限のためカット 2012年4月7日)
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2924,中沢新一の『三位一体モデル』 −3
2009年04月07日(火)
          『三位一体モデル』中沢新一著   読書日記
 * 煉獄の発明
キリスト教の資本主義にとって、都合の良い「煉獄」を発明した。中世にこれを発明したのは、実に都合の良い大発明にある。
それまでは天国と地獄しかなかった。しかし、この発明で、いったん地獄に落ちた人が煉獄に地獄から這い上がれば、
上から天子がやってきて、天国にむかえてくれますよ、と、こんなことを言い出したのである。こういう経緯を経て、
資本主義が動き出したのである。これは恐らく商人のために考えられたもので、動物の殺生などに従事していた職人たちも、
その恩恵にあやかった。それまでは彼等には、まったく救済がなかった。だから、生前、極悪非道の金貸し商人だった人が、
死後に、煉獄の山を苦労して登り、天国に行ったという話しがでっちあげられるようになった。こうした経緯を経て、
西欧州の資本主義が動き出した。ガシャガシャと動き出したのが13〜14世紀。それから、16,17世紀を経て、
19世紀にフル活動をするようになった。もし煉獄とうの考え方がなかったら、今日の西欧資本主義はなかった、といえる。
ようするに一神教である限り、資本主義の潜在力は抑えられてしまう可能性があった。発達を可能にしたのは、それに加え、
増殖の原理を飲み込んでいたからである。キリスト教は、西と東に分裂したが、東のギリシャ、ロシア、東欧のキリスト教圏では
資本主義は実現できなかったのも「三位一体」の理解法にあったのである。1990年代まで続いた東西対立の、
いちばん深い根っこの部分にも「三位一体」は関係している。さらには、現在のロシアの経済が何故あんなに混乱しているのか、
また、70?80年前に。その地に何故社会主義なるものができたのか。これも、この三位一体の歴史問題と関わってくる。
 ▼ 煉獄という言葉を知ったのはロシアの文豪ソルジェニツゥインの『煉獄の中で』である。
地獄の一歩手前のところと解釈していたが・・・
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2560, ホモ・ルーデンス ー2
2008年04月07日(月)          (*´∀`)」" おはよう☆彡
子供の頃、無我夢中で遊んでいた頃の楽しさ、あの時の無我夢中の気持ちが人生の中で大きな位置を占めていたのである。
人生の要諦、「よく学び、よく遊び、よく働く」のうち、一番満足度が高いのは、「よく遊んだこと」である。 
 ただし「よく」である??。 まずは遊びの本質と定義について書いてある部分を抜粋してみよう。
 ー文化は遊びのなかにはじまるー
遊びは文化よりも古い。動物は人間とまったく同じように遊びをしている。遊びの基本的な要素のすべてが、
すでに動物の戯れのなかにはっきりとあらわれている。子犬が遊び戯れているところを観察してみさえすればよい。
子犬は一種の儀式めいた身振り、動作で、たがいに気を引きあったりする。相手の耳を血が出るほど噛んではいけないという
規則も守っている。まるで恐ろしく怒っているかのようなふりをして見せる。
もっとも重要なことは、子犬はこれらすぺてを明らかに嬉々として楽しんでやっているということである。
このように動物の場合と同様、人を夢中にさせる力、〈面白さ〉のなかに遊びの本質があり、〈面白さ〉こそ、人間にとって
 もっとも根源的なものである。人類が共同生活をはじめるようになったとき、その行動にはすべて最初から
遊びが織り交ぜられていた。 たとえば、人類の最初にして最高の道具である言語である。 
言語によってものごとを表現したり、伝えたりするという行為はいつも遊びながら行われるのである。 
どんな抽象の表現でも、その背後にあるのは比喩であり、いかなる比喩のなかにも言葉の遊びが隠されている。
 *遊びを定義すると
遊びとは、ある限定された時間および空間のなかで行われる、自発的な行為もしくは活動であり、自発的に受け容れられた、
絶対的な拘束力を持つ規則に従っている。遊びの目的は行為そのものにあり、それは、緊張と歓びの感情を伴い、
また〈これは日常生活とは別のものだ〉という意識に裏づけられた、何ものかをめぐる闘争ないし表現である。
このような遊びが地球上のあらゆる地域に同じような形式や観念のもとに存在することが確かめられているが、
このことは、人間に遊びという機能が先天的に与えられているということの何よりの証拠である。
 ▼ 日本文化の典型の、茶道とか、華道は、遊びなのか、それとも修養なのか? 前記の内容からしたら、遊びそのもの
ということが出来る。ひと時の安らぎの茶のひと時を、茶道という文化に高めたのだから粋である。パソコンのインターネットも、
携帯電話も子供や若者の遊び心から飛躍的に普及した。ホモ・ハーベン(働き蜂人間)だけでは人生はつまらないだろうが、
仕事を遊びまで昇華させれば、良いだろう。 死を直前にした人間で、もっと働いておけば良かったと後悔する御仁は少ない。
もっと色いろなことをして楽しみたかった!という人が大部分である。     。・∀・)ノ ホナ!
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2007年04月07日(土)
2195, ファンタジー文学の世界へ ー1    *^○^*)ハ?ヨウサン!
「ファンタジー文学の世界へ 」ー主観の哲学のためにー 工藤左千夫著 (成文社)  ー読書日記
 一般的にファンタジーとは、夢 のような空想を元にした小説のことをいい、現代社会から、かけ離れた人物、
 事実、世界観がテーマとなる。前回にも書いたが、ファンタジーには、二通りのジャンルがある。
ハイ・ファンタジー とロー・ファンタジーである。*ハイ・ファンタジーとは、社会構成・環境・文化など、世界観が
詳細に設定されたファンタジー小説のことです。 過去にも未来にも、世界のどこにも存在しない別世界を題材にしている。
*それに対しロー・ファンタジーは、現代を舞台にしたファンタジーで、ちょっとした不思議な世界を題材にする。
   情報社会の中で合理的世界観から一歩はなれて、非合理的な世界を持つことで合理的社会を鳥瞰することも必要となる。
この本はファンタジー感覚の発祥と変遷について書いている。初期ファンタジーは、強烈な目的性を志向し、その通過儀礼を
特徴としている。 それに対し現代ファンタジーの傾向は、目的よりも存在論的視野を目指す傾向が強い、と論じている。
   この本の面白そうなところを、幾つか抜粋してみよう。
(字数制限のためカット 2010年4月7日)
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2006年04月07日(金)
1830, あちら側の世界 ー8        (’0’)d おっ w(゜Д゜)w ハァ?
「ウェブ進化論」の中で、「グーグルアース」を紹介していた。地球地図・映像検索である。
早速、グーグルのHPよりソフトをダウンロードをして使ってみた。ただただ驚きである。
月の位置から地球に近づいて、見たい場所に降りていって、家や車や木まで見えるところまで接近できる。
もちろん首相官邸や皇居の中もみえる。これで世界中の都市を見ていると、雲の絨毯で下界を飛び回っているような感覚になる。
殆んどの大都市の衛星写真が貼り付けてあり、家の屋上や木や池まで識別ができる。使ってみると、リアルな感覚になる。
「グーグルアース」と、グーグルの検索に入れたところ、皇居や首相官邸、インド沖の大津波の写真、アメリカの本土のステルス
(飛行機)まで紹介されていた。数日前の新聞に、「インド政府がグーグルアースの写真公開に抗議!」という記事が載っていたが、
これでは問題になるだろう。 世界中の政府が衝撃を受け戸惑っているというが、当然である。
北朝鮮など、嫌味か?、かなり詳細の平城の写真があった。原子炉?らしき写真もあった。大都市圏以外は地形認識までしか
できないが、有名観光地には、その情報の入った小さな箱が貼り付けてあり、クリックをすると見ることができる。
検索で「グーグルアース」のキーワードを入れソフトをダウンロードをすれば、誰でも無料で見ることができる。
マウスでズームアップもダウンもできる。手塚治のアトムの目を持って世界中を見ることができるということだ。
この大本の「グーグルマップス」のAPIを公開しているが、リクルートの不動産関連のHPに、マップで日本中の都市圏の場所に
矢印を当てると、地図がアップででてきて、周辺不動産物件の詳細を紹介をするサービスがある。現在は地図だが、
近い将来は写真になるのだろう。アフガンやイラクでは、アメリカ軍がこれを多用して勝利に導いたが実際は顔の認識まで
可能という。スパイモノに出てくる衛星利用のSFもどき内容が、実際に個々人で使えるようになったのである。
「ウェブ進化論」を毎日、繰り返し読んでいるが読むほどに情報化社会の実態がおぼろげながら見えてくる。
ー以下は、あるHPにあった内容だが解りやすく紹介してあったので、貼り付けておきますー
(字数の関係でカット2008年04月07日)             (v^ー°)バイバイ!
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2005年04月07日(木)
1465, なんじゃい、こりゃ!
またかい!このホームページを見ている常連なら、オーバーな表現と思うだろう。
 ただ実感でいう正直な話で、その時書いた文章である。
   (字数制限のためカット 2012年4月7日)
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2004年04月07日(水)
 1100, 撃墜王の秘密
ある本の「撃墜王の戦法」がなかなか面白い。そのまま書き写してみる。ー第二次世界大戦で「独特の戦法をとった」
二人のパイロットは、ハルトマン少佐とその師であるロスマン軍曹。ハルトマンは確認されているだけで敵機352機、
ロスマンも80機以上も撃墜している。その戦法を最初に考案したのはロスマンである。彼はパイロットになりたての頃、
完治不能の傷を負った。普通、接近戦になると体力が勝っている方が有利であった。そこで普通の戦法ではとうてい
生き残れないと悟ったロスマンは、考えつくした末、自分の体力を補うテクニックを編み出した。
彼は体力戦勝負の接近戦をやめて、計算しつくした戦法に切り換えた。一つ一つの攻撃に、それぞれの計画を練り上げた。
敵に実際に銃弾を浴びせることを考えないで、どうチャンスものにするか、さまさまな情況を分析することに多くの時間を
費やしたのである。彼が攻撃に出るのは確実に勝利が取れるポジションを取れたときだけだった。
理想的な標的となった相手にだけ、ありったけのエネルギーを使って集中攻撃をしかけるのだ。
ハルトマンは、ロスマンの「相手をよく見極めてから集中砲火を浴びせる」戦法が優れていることを自らの戦果で証明をした。
 ▼ ー以上のことより学ぶことは、完治不能の腕を持ったことで、考えつくして全く違った戦法を自ら作ったことである。
 (字数制限のためカット 2012年4月7日)
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2003年04月07日(月)
 733, 30年間着ている礼服
現在も着ている礼服は忘れもしない記憶がある。ちょうど30年前になる。父が「あと2週間の命」と医者に宣告された直後に
母にいわれて、「村田仕立て屋」に、父に解らないように出かけて、つくったものだ。今でもしっかり冠婚葬祭に着ているが、
全く古い感じがしない。私が子供の頃に注文服も扱っていた頃から出入りしていた仕立て職人で、腕がよい人だった。
  (字数の関係でカット2011年04月07日)  
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2002年04月07日(日)
 369,植民地経営
西アフリカに行った時聞いた話しである。 文明国を統治する方法として、次の3つがある。
1、直接統治 2、間接統治でそこの王族と手を組み統治 3、隣国に間接統治の王国に攻めさせ統治
大体がこの3つである。まずはフレンドリーに入って行き、徐々に統治していく。その前にキリスト教の宣教者を派遣して、
内側から攻めていくのが常套手段だ。秀吉がそれに気づき、キリスト教禁止令を出したのは賢明だった。
戦後の日本も戦犯の天皇や官僚をそのまま温存させたのも王族の間接統治を狙った為だ。今の日本は王族を飾り物に、
戦後から続く官僚の支配がそのまま続いている。そして悲しい事に、間接統治をされていることに全員満足している。
この不況は「1986年のアメリカのバブル押し付け政策」の結果である。そして、直接支配に今露骨に入ってきたのは
周知の事実だ。今回の9・11テロは、この間接支配の露骨のアメリカ世界戦略に対するテロである。


4029, 「人生の知恵」ノート ー2

2012年04月06日(金)

   ー 品格と、自分を高める言葉のノートより ー
   * 情報や知識が少ない場面では
 「何をするにしても、勝手が分からないこをやる時は安全な方を選ぼう。手堅いことは独創であることよりも大切である。」
 これも人生を振り返ると、骨身に感じること。情報不足の時は、奇をてらえば、必ず失敗をする。
   * あえて敵をほめること
  敵を褒め、親切にすること。特に復讐のチャンスの時ほど、逆に寛容にすべき。その品格が求心力を生む。
 ボクシングの勝者は観客を意識し敗者に対し、「良い選手だ」と必ず褒め称える。ファン対策のためだ。
 人生は、闘争である。まともに生きていれば、罵られ、足を引っ張られる。しかし、決して愚弄してはならない。
 憎い相手ほど、冷静に褒める。それが品格を高めることになり、敵を少なくし、求心力を生む。
   * 放っておく術を知る
  人間関係の諸問題は、さまざまな感情の暴風雨を引き起こす。そんな時は、港に退避し、碇(怒り)を下ろして乗り切ること。
 殆んど時間が解決する。複雑な問題を解決できるのは「時間」か、強い権力だけと知るべき。
 「低俗の人たちが起こす問題の嵐を静めるには、何も手を出さず、自然に収まるのを待つこと。一度、退くことがベスト。
   * 見かけも重視すべし
  信用は金を出しても買えないが、外見は僅かな投資で整えられる。 正義でさえ、正義に見えなければ、それにふさわしい
 敬意を受けられない。きちっと見抜ける人は、見かけで騙される人よりずっと少ない。清潔な服装を着るだけでなく、時計も靴にも
 高級感のあるものを選んで、いつも磨きをかけることが必要。話す言葉も、少し保守的に、謙虚さを装うべきである。
 第一印象は僅かな投資で良くすることができる。それが信用の土台になる。
   * 感情の波を乗り越える
  感情は、常に理性を踏み越える。常に冷静な態度を保てる賢明な仲介者を間に入れれば良い。激情にかられたらその場を離れる。
  * 失うもののない人と争わない
 人物を選ぶこと。 危ない人は、いつの間にか悪い情報のタネにする。 
  * 言葉はやわらかく、態度はやさしく
 「言葉を使えばたいていのものは買うことができ、不可能を可能にできる」言葉の力と恐ろしさを知って、用心深く、
 やさしく使うことが、品格を作り上げる。
 ▼ このブログの公開が恐くなってきた。「本当のことは休み休みに言え」が、社会。この箴言は現在の私への諌めの内容ばかり・・
・・・・・・・
3663, 9・11、9・15、それをしのぐ3・15 −2
2011年04月06日(水)
 この大震災と原発事故の3・11が、9・11と9・15を超える歴史的事件の仮説の上で、この今後の行末を考えてみる。
 それだけ大きな事象なら、これから生じる問題は想像するだけで恐ろしい。
* 9・11の結果、アメリカのアフガンへの攻撃、イラクのフセインへの攻撃で数十万人を殺害し、新しい政権を確立をした。
 このテロは、白(白人系宗教)対、赤(アラブ系イスラム教)の対立が表面化した事件で、文明の衝突である。
* 9・15は米英の金融支配の崩壊であり、世界経済を根底から破壊を始めたばかり、それだけでない500年の欧米的価値観を
 根底から変える歴史的大転換の大事件である。。
* これに対し3・11は、東北の太平洋岸で100年来の最大規模の地震と大津波を発生し、沿岸の原発に直撃。
 その結果、放射能汚染が日本の国そのものを崩壊するかどうかの瀬戸際に陥っている。その上に、世界に汚染を拡大させる
 可能性もある。 さらに世界の原発推進の流れを根底から変えようとしている。
事実の中には、真実と虚偽が混ざっている。TVで「風評に気をつけて下さい!」と、政府筋がコマーシャルを流している。
しかし政府の流してきた情報こそが虚偽?で信用ならないことを国民は熟知している。 ネットで、政府より国民の方が
情報を素早く得ているのである。 政府が「原発は絶対大丈夫!」といい続け、それを信じてきた純朴の住民が最大の被害者。
あの歴代の保守系の政治家と官僚の連中に騙された結果が、この様である。 それを今さら「風評に気をつけてくだい!」
といわれても、誰が信じるかである。 地震発生と原発事故の発生して数日後に「本州全滅!」と、ある筋から聞いたときは、
それでも心の何処かで「まさかだろう」と思っていた。しかし日々刻々、入ってくるニュースを見ていると、「もしかしたら?」でなく、
その仮説?の上で、原発事故の行き着く先を考えなければならない。「首都圏の官僚の子弟は、遠くの親戚に疎開を始めている」とかが、
決して風評で軽々しい、とは思えない事態。「外国人が、早々、列をなして国外に逃亡した行為と、大多数の人たちが、
風評として見逃している情報の方が正しい」という仮説を立てて自分の中で立てておくべきである。 
  私たちの年代は、充分生きたが、若い人、子供は気の毒である!
 ・・・・・・・
3298, 一年の重み
 2010年04月06日(火)
図書館で久々に小林正観の「人生を楽しむための30法則」を見つけ借りてきた。例の「ありがとう」教の本を書いた人。 
それで一番ありがたかったのは、彼だろう。それはいいとして、何げなく目を通していると、以下のような面白い内容があった。 
(字数制限のためカット 2012年4月6日)
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2923, 中沢新一の『三位一体モデル』 −2
2009年04月06日(月)  
『三位一体モデル』中沢新一著   −読書日記
 *「霊」は何か?
ここでいう霊とは、英語でスピリッツ、ドイツ語でいうガイスト、日本語で霊(たま)という。
語り得ない「神」とか「霊」をどう表現するか興味を持って読んだが、神を三位一体モデルとして、「父」「子」「精霊」と
構造的に分解している。一つの見方だが、それを思考法として利用したり、この世界を理解するには有効になる。
その一つの「霊」を、ひとことで「増えていくもの=増殖するもの」としている。「父」たる普遍的なことを、現実の姿として
「子」キリストなどの現象とし、霊(増殖するものとして)を使って世界中に布教していく便利な存在?である。
この霊を組み込んだキリスト教が、<増殖>現象を自分の中に抱えこんで世界に爆発的に布教していくことになる。
それが西欧資本主義の出発点になるのである。ここが、イスラム教と、もっとも深い対立点になる。
 * イスラム教との「増殖」をめぐる対立とは?イスラム教は、キリストが神の「子」という点、そして増殖原理である
「霊」を唯一神の中に組み込むという点については、絶対に認めない。イスラム教にとって、神と人間のあいだに立つ媒介する
存在など、あってはならない。イエスなど、ただの預言者でしかない。 ただひとつの神に霊を組み込むなどということは、
絶対にありえないこと。なぜなら、霊は「増殖現象>を起こすなど、唯一の神アッラーは増え得ないからである。
イスラムにとって、アッラー自体は変化しない。しかしキリスト教徒は、じつに微妙なかたちで、「増える」という原理を
組み込んでしまった。イスラムにとって、「神の本質が増えるとはどういうことなんだ」ということになる。
キリスト教は、増殖という現象を内部に組み込むことによって、その後の奇跡的な勢力拡大の基礎をつくっていったのである。
▼ 結局は、キリスト教は欧米人の世界からの略奪行為の尖兵として、情報機関として建前として使われてきたのは自明だったが、
 ここで、その宗教の歪みの部分を解明している。この世界恐慌も、その崩壊の一つとみてよい。 
 霊を増殖するものという見方は初めてである。
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2559, 印度放浪 ー3
2008年04月06日(日)
 ー語録ー2
人間の身体を見ていて神々しいと思ったのは、一ぺん沈んで浮かんできた水葬体だね。水葬にしていったん沈むんだけど、
沈んだあと底につかないのはそのまま浮かばないで流れ浮かばないで底についたのは必ず浮かんでくるんだ。
そうやって浮かんできた時の顔とか身体というのは、不純なものがいっさい流れたような美しいものなんだね。
半眼微笑の仏像そっくりな場合すらある、それが二、三日経つとだんだん膨らんできて、中の血管の血がバッーと表に出て、
まるで不動明王や五大明王みたいに赤黒くなる。それからまた血が引いて漂白されたようになって行く。
水に投げられたひとつの死体をずーっと見ていると、人間のもっているすべてが見えるよ。
日本でも死ぬ時に、これは単なる比喩的な言いまわしだろうけどさ、死ぬ時に一回苦しんだか二回苦しんだか、
三回苦しんだかで、その人の生前にもっている業みたいなものが出るということを言うじゃない。
それとは違うけど、水葬死体も人間のもっている生前のことを全部見せてくれるような気がするね。
 解)日本人は死体を特別に大事に考えている影響が40年前の著者に残っているようだ。
  こういうのを読むと、さっさと重油をかけて焼いてしまうのも良いと思う。その方が余程ドライである。
ーー
犬が水葬体を食っているのを見て、法華経に出てくるクンパーダカをふっと想像したんだ。クンバーダカ鬼は架空の
生きものだから見たことはないが、そういう感じがしたんだ。広角で撮ろうと死体を食っている中洲の犬に近づいたら、
そこにいた一匹が逃げたんだ。それが遠くから十二、三頭を連れてきた。砂けむりを舞い上げてね。僕がエサを取って
しまうとおもったのか、全部がうなりながらにじり寄ってくるんだよ。人間を喰っている犬ににらまれたんだから、
かなり危機感を持ったね。眼を離して逃げたらワーッと襲われてやられるとおもったから、こっちも動けない。
川の中洲だから人間は誰もいない、助けも呼べない。カメラを持って投げつけるような恰好しながら、
それでもこれを投げたら壊れるからやめとこうとおもったりしながら、投げるものを探したわけね。
そのへんは写真にも写っているように頭蓋骨とか骨がけっこうあるんだ。で、犬の目から目を離さないように
しながらゆっくりとしゃがんで、頭蓋骨を四ツくらい集めてこれをかかえて投げるかっこうをしながら、頭蓋骨もったまま
少しずつあとずきりをして川の中に胸まで入ったんだ。犬は向うでウロチョロしている。
奴に向けて力いっぱい投げつけたんだ。暫くするとあきらめて、また向うの死体を喰いはじめてくれたんだね。
こちらは川づたいに三脚のあるとまでやっと辿り着いてね、これでやっと安心して、この三脚を持てぱこれ殴れるから
何となく大丈夫だと思ったわけ。これは後で考えると、地獄で何かしていたような気がするんだ。
 解)インドでないとこういう経験は出来ない。宗教で、かくも文化が違うかが理解できる。
ベナレスのガンジス川の底には骨が重なっているというが。その骨についている貴金属をあさっている子供もいる。
 ーー
インドはね、撮りすぎるとダメなんだ。インドってのは撮れちゃうから。まわリ三六〇度ぐるりと一回転して三十六枚押したら、
一本フィトストーリーができてしまう。だからインドへ行った人の写真ってのはみんな同じになる。写りすぎるってことは、
全部撮ってもダメということなんだね。インドは「何を撮らないか」というマイナスの作業でしか自分の視点が出てこないのね。 
加算とかブラス信仰の社会から行うた人からは、撮らないということも表現であるという発想がなかなか生まれない。
 解)これって写真だけでなく、全てにいえることじゃないですか。
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2007年04月06日(金)
2194, 大人のファンタジー読本
    おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ   ー読書日記 
 ー未知なる扉をひらく180選ー       出版:マックガーデン
この本の副タイトルが、そのまま当てはまる内容である。1Pか2Pに一つの小説の概要が書いてある。
その概要だけで大きくイメージが広がるから不思議である。わずか数分の間、ユックリと読んでいるうちに日常を超えて
ファンタジーな世界に引きずりこまれるのである。この本は10年前のパソコン通信の時代からあったネット上の仲間が出会い、
ネット上の語らいからつくり上げた本。180選を45人が要約した共同執筆で10年がかりのエネルギーが入っている。
1P~2Pの要約の中に好きな人の魂が詰まっているから、要約というエキスに引きずりこまれるのだろう。 
これこそ現代の本と云えよう。「エネルギーを使わないで、いつ読んでも現実を忘れられる本がないか?」と言われれば、
間違いなくこの本を勧める。何せ一ヶ月間新幹線の列車の中で読み続けていた本である。初めは図書館で借りて読んだが、
アマゾンでさっそく発注をした(中古本だが)。
  (字数制限のためカット 2011年4月6日)
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2006年04月06日(木)
1829, あちら側の世界 ?7
    「ウェブ進化論」読書日記      (ヾ(。・ω・)ノ☆゚+.オハヨゥゥゥ゚+.☆
ー「アマゾン」とはー
 =この本から「アマゾン」という会社とは何かを要約しながら、考察してみる。 (このウエブ進化論ー3・ロングテールに
 ついてーに重なるが敢えて取り上げる。ロングテールが書籍以外の商品群に広がるからだ。それは全ての流通経路の大変革を
 予感させる)IT革命の地殻変動を実感させる、もう一つの会社が「アマゾン」である。
 アマゾン・コムの「ロングテール現象」が、その象徴といえる。 本の流通の関係者といえば、インターネットが登場するまでは、
 出版社と流通業者と書店であった。今までの流通経路は店舗や倉庫や在庫といった固定費を抱え、ある程度以上売れる本
 ーつまり「恐竜の首」で収益を稼ぎ、「ロングテール」(恐竜の尾の部分ー80%以上の売れない部分)の損失を補う、
 事業モデルであった。2004年秋にロングテール論が脚光を浴びたのは、「アマゾン」が、この構造を根本から変えて
 しまったことである。日本での年間出版点数は約7万点であるが、アマゾンは230万点もの書籍を取り扱うことができる。
 売れない本には価格競争がないから利幅も大きい。2005年に入って、アマゾン・コムは全売上の約3分の1をリアル書店が
 在庫を持たない本から上げていると発表した。インターネットの世界に異変が起こっている分りやすい事例である。
                    (字数の関係でカット2008年4月6日)
以上だが、最近、本以外の分野に枠を広げてきたが、アマゾンの本当の恐ろしさが出てくるのは、これからである。
世界中の人が、このネットで本格的に買い物を始めるのは、これからである!
間違いなく、あちら側の世界が、こちら側の世界を大きく変えようとしている。     ー (*"・∀・)ノバイバイ!
・・・・・・・
2005年04月06日(水)
 1464, 発想名人 ?読書日記
最近よく本屋で見かける斉藤孝の本を図書館から数冊借りて読んでいたが、また「発想名人」を借りて読んでみた。
(字数制限のためカット 09年04月06日)
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2004年04月06日(火)
 1099, 「80対20」革命 ー4
「自分の20?のスパイク(強み)を見きわめる問い」が考えさせられて面白い!
 ー以下に書き写してみる。
△あなたが心底興奮するのは、どんなことに対してか?   一番熱心になれることは、どんなことか?
△自分が有名になったと想像してみる。          どんなことなら有名になれるか?
△自分の個性でもっとも特徴的なことは何か。       人と一番変わっているところは何か?
△何をしているときがもっとも幸せで充実していると思うか?
△一番得意なものは何で、他の人より得意なものは何だろうか?
△どんな役割や仕事がもっとも適していると思うか?
△別の分野や活動で、自分が優れていることがないか、あらためて考えてみる。
 できるだけ現在とかけ離れた意外なものがよい。あまり深刻にならない方がよい。
△もし新しいベンチャーを始めて驚くほど成功するとしたら、どんな事業であろう?   想像力をはたらかせて考えてみる
ー以上であるが、現在の自分について考えてみて書いてみた。ここでは書けないが、
如何に深耕があった部分と、無かった部分がよく見極めることができた。今回は内容を書くのは控えるが、この随想日記に殆ど
書いてあることばかりである。まあバカの壁を辛辣に見えてしまっているからだ。もう見せているから今更だが。
全て反省の言葉が多いのが人生と思っているが。
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2003年04月06日(日)
732, 「こうすれば良くなる」
 いまの日本の議論で大部分が「こうすればよくなる!」という発想が基点となっている。 これに対して
「もうこの発想から脱却すべきではないか?」という論が新聞にあった。その内容を私なりにアレンジをして書いてみた
ー誰もがいまの日本は縮小すべき時期にきていることを知っている。それを回復とか現状維持を前提に議論しているから、
ますますおかしくなる。失業率だって今の倍の2?3倍になってどこが悪い。 それで西欧並みでしかない。
日本をとりまく環境が変わってしまったのだから失業が増えて当然である。デフレもグローバルになったのだから仕方がない。
  (字数制限のためカット 2012年4月6日)
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2002年04月06日(土)
368,リオのカーニバル
いまTVをつけたら、NHKのハイビジョンで「リオのカーニバル」をやっていた。
2時間があっという間に過ぎてしまった。7年前に行った内容をコピーしておくが、本当に素晴らしい内容であった。
今見ている内容は当時に比べ、かなり豪華にかつ派手になっているようだ。
カーニバルは元々はヨーロッパで行われていた、キリスト教のお祭りである。
南米の農園に売られていった奴隷が、一年に一度のカーニバルに与えられる休日に輪を作って歌い踊ったという。
普段でも彼らの楽しみは歌と踊りだけで、それが段々サンバに変わっていったという。1888年に奴隷制度が廃止された時、
彼らはリオに仕事を求めていった。彼らはグループを作って踊っていたが、そのそのトップクラスと準トップクラスが正式に
会場で競う。それぞれチームごとにテーマがあり、それによってストーリがある。それにより、衣装や歌や踊りが決まってくる。
上位のチームにそれぞれのチームにスポンサーが付いているという。それぞれ項目があって、厳格の審査のうえで順位が決まる。
去年から見ているが、ハイビジョンのせいもあるが素晴らしい。一年は全て、カーニバルを中心に回っている。
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H0703ブラジル旅行記
“行って吃驚!玉手箱”主観をこめて現地の実感を書いてみる。カーニバルはリオディジャネロだけでなく全国津々浦々の
都市で行われており、四日間全国がお祭りの為休みとなる。その最も有名で世界的に知られているのがリオのそれ。
リオのカーニバルのランクがA・B・CとなっておりAランクが9チーム、Bランクが15?16チーム、
Cランクは数十チームとなっている。 AとBチームが特設スタジオのメーン、ストリー850mを80分の持時間で
踊りながら行進する。そこは六万人の観客席があり、審判席で厳格に審査され、その年の優勝等順位があらそわれる。
 (字数の関係でカット2010年4月6日)


4028, シングルイン、31年間の総括 ー8

2012年04月05日(木)

   * 3・4の法則
 あるコンサルタントの先生から教わった「へ」の字の「3・4の法則」がある。
「上手くいった新店でも、そのままだと3年上りで、下り4年になる。4年目から右上がりを続けるためには、二年から
新たなへの字=革新をつくり続けないと4年目から下りに入り7年で死に体になる。 この法則からすると、ホテルの場合は
長期物件もあり12年上りで、下り18年とみると、確かに、その通り。 事業とは時流の先取りを事業化をしてバブリ、
最盛期から空気の抜けたように萎んでいくのが自然の姿。 新潟駅前シリーズの事業も創業10年目にソ連・東欧の崩壊と、
日本経済のバブルが崩壊した。それからしてバブル崩壊の数年以内にホテル事業を売却すべきだったことになる。 
終戦直後に生まれ、右上がりの時代に少年・青年期を過ごした体質からして無理か。 バブル崩壊が日本にとって、
衰退期へ大断層だったのを読みとくことが出来なかったのである。 偉そうに書いているが、これが私の限界。 
バブル崩壊時に郊外型ビジネスホテルを考えたが、実際は、駅前の280室を500室に増加の戦略ミスの選択をした。 
それが18年の下り坂の節目。 1985年のプラザ合意で米国にバブル政策を強いられ、その結果のバブル崩壊で
日本は致命的打撃を受けた上に、10年後の2001年の9・11テロと、2008年のリーマンショックである。
私の事業も日本経済と全く同じ運命を推移してきた。 人生も7年か8年で一節。 前半上りで、後半下りである。 
その辺りを人生計画に嵌め込めば良いが・・ 女が7年、男8年というが、振り返ると、大方あてはまる。
同じ体質を保つに不断の改革が必要というのが、「3・4の法則」だが、失敗するには、それなりの理由がある。
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3662, 閑話小題
2011年04月05日(火)
  * 大相撲の八百長処分
 大相撲の八百長処分が発表され、23人の力士と親方が事実上、角界から追求。
幕内6人、十両9人というから、影響は大きい。私が知る限り現親方も含めて9割が日常的に八百長が行われていたみるのが順当。 
「今さら何が八百長?、何で自分だけが」と追放された力士は合点がいかないのは当然のこと。まだまだもめるはず。 
日本的談合社会の縮図が、そのまま現れた事件。 結果からいうと、情報化が、それを許されなっていたことを察知して
談合システムを変えるべきだったが、伝統を重んじる古い体質が、それについていけなかったことになる。
今後も大相撲が続く限り、この問題は続くはず。伝統芸能の一環として、目くじらを立てすぎるのも問題あり。
  * 都知事選挙TV討論をみて
 日曜日の朝7時半の「新報道2001」をみて、現知事と他の候補のレベルの差に驚いた。
一同に集め議論をさせると、その差異から、それぞれの質が見えてくる。 石原慎太郎が良いということでなく、
他が東京都知事としての素質がないのが、議論の中身から感じ取ることができた。恐らく、石原がたたなかったら、
あの方々の一人が、選出されると都政は滅茶苦茶になると危機感を持ったフィクサーが、石原の引退をとどめたのだろう。
この大震災の中で、他の誰に都政が任せられるというのか? 一応、日本の首都の首長を考えると・・・
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3297, 不思議現象の正体を見破る ー2
2010年04月05日(月)
 * 手品師 ユリゲラーの超能力
 ユリゲラーも、当時からマスコミに、その正体が暴露されていた。それは後として、私より一歳齢下のイスラエルの
ユリの経歴に興味をそそられた。1946年12月30日、テルアビブに生まれた。少年期に両親が離婚、キブツに入れられ、
色いろあって、15歳でスパイ組織に加わり、2年間の訓練を受ける。そして21歳の1967年にイスラエル兵として
第三次中東戦争に従軍し、戦場で負傷してリハビリのキャンプに送られて療養生活に入るが、そこで、シュトラング
(通称シュト)と知り合い、本格的なマジックの練習を取り組み、初めは友人の誕生パーティーなどで演じていたが、
後には、クラブのショーなどに出るようになる。得意な演目は「ツゥー・パースン・テレパシー」と呼ばれるもので、
目隠しをしたユリ・ゲラーに悟られぬように一人の観客が黒板に数字を書き、全員が確認したところで跡形もなく消してしまう。 
すると、ユリ・ゲラーがおもむろに目隠しを外して、観客に数字のイメージを念じるように要請する。
つまり観客が念波をユリ・ゲラーがとらえて当てようというわけ。 そこで、お客に念じ方が足りないとか、色いろけしかける。
やがて、おもむろに「5でしょう」などと、当てる。 何とことはない、観客席に居るシピが「はなを触ったらといった暗号に
基づいて信号を送っていただけの話。 あまりに単純のため劇場の支配人にまで見破られたが、それでも止めようとしないので、
裁判沙汰までなっている。 有罪の判決で、営業停止になったが、今度はアメリカからプハーリクなる超心理学者がきて、
ユリのショーを見て「超能力」と信じ込んでしまった。 さあ、これが大変な切っ掛けとなった。
 彼はユリをアメリカに連れ帰って、スタンフォード研究所でテストを受けたが、これが、いかに杜撰だったようである。
相棒のシュトが、明らかに巧妙に信号を送ったかが、その結果からして窺える。 その実験は中途半端で中止された。
 しばらくはスプーン曲げなどで世間を、アッといわせたが、アメリカのTV局も考え始めた。
プロのマジシャンと相談してカメラ・ワークを緻密に設定し、ユリ・ゲラーの側にマジシャンを監視役に立てたところ、
彼の売り物の超能力は全く起きなかった。 これは英国と同じ結果となった。 ユリは成功すると、サスガ超能力者、
失敗すると、体調次第で念の集中が上手くいかないこともある、とされるようになった。 アバタもエクボである。
ユリが1974年に日本に上陸、TVに出演した。(私も、その番組を見ていたが・・)まずはスプーン曲げで仰天させた。
当時のマジックにはスプーン曲げなどの演目がなかったので、日本人もすっかり騙された。 その後、日本の少年Sも、
その超能力があると、一世を風靡したが、後に週刊誌のストロボ撮影を通じて、トリックが暴かれた。
何とことはない、投げる瞬間にスプーンを絨毯に押し当てて曲げてから投げていたのである。 ー つづく
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2922,中沢新一の『三位一体モデル』 −1
2009年04月05日(日)
 『三位一体モデル』中沢新一著  −読書日記
図書館で何気なく借りて、目を通したところ面白い本である。特に、キリスト教とイスラム教の違いと、その争いの元を
解りやすく書いている。三位一体とはキリスト教の考え方で、西欧の考え方でもあり『父』『子』『精霊』を指す。
それぞれの円が三つ重なりあっている図を想像すれば良い。
・『父』は 物事の基本になる普遍的なこと。哲学や理念などが含まれる。
・『子』は 『父』のベースを具体化する存在。 
・『精霊』は 子の働きにより、増殖するコントロール不能な物もの。(販促、宣伝など資本主義の増殖を助ける役割を担ってきた)
 この3つがバランスよく配置されることで物事の意味や本質が捉えられ、すべての問題はこのバランスをみると理解出来ると言う。
 会社をみると『父』は理念や社会還元、『子』は会社そのもの、『精霊』は販促や生産活動。
『父』の不在が、会社を迷走させることになる。社会問題の多くは、社会の父たる規範が無くなっていることから始まる。
『精霊』はキリスト教社会の中で不可欠なもの。 イスラム社会では『精霊』にあたるものがない。偶像廃止も、
 この辺からきている。(お金でお金を生んでだめ<株>はいいらしい)
 そのためにイスラムの銀行は利子がつかない建前をとっている。 資本主義の『精霊』に頼る経済はイスラム世界にとっては
『堕落』そのもの、『9.11テロ』でニューヨークのWTC(経済のシンボル)に突っ込んだのも、その攻撃行動という。
 この本は100ページも満たないが、多くの示唆が含まれている。    ーつづく
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2558, 爪もみ療法
2008年04月05日(土)
ある本を読んでいたら、「爪もみ療法」という聞きなれない健康法があった。そこで早速ネットで調べてみたら、
以下のようにあった。
 【爪もみのやり方】
・爪の生えぎわの角を反対側の手の親指と人さし指で両側からつまんで揉みます。
・一カ所を十秒ずつ、症状に対応する指は二十秒ずつ、揉みます。
・以上を一日に二から三度行います。
・少し痛いくらいの強さで刺激する。
・薬指だけを揉むことは避ける。(薬指は交感神経を刺激する指のため。他の四本指の刺激と一緒に行なう)
   (字数制限のためカット 2010年04月5日)
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2007年04月05日(木)
2193, やまあらしのジレンマ                 オッ(*^○^*)ハ?ヨウ!
 ショーペンハウエルの「やまあらしのジレンマ」の話が面白い。
  ーまずは、その内容からー
あるところに二匹のやまあらしがいた。冬の朝、寒いので二匹のやまあらしは互いに暖めあおうとして身を寄せあった。
しかしあまりに近く身を寄せあった二匹のやまあらしは自分の体に生えているハリで互いに傷つけてしまった。
そのため二匹のやまあらしは相手から離れたが、また寒くなった。そこでふたたび二匹のやまあらしは身を寄せあったが、
また互いに相手を傷つけてしまう。このように二匹のやまあらしは離れたり近づいたりを繰り返し、「最適の距離」を見いだした。
 ▼ この寓話は、我々の心は「寒さ」と「痛み」のジレンマの中でしか「最適の距離」を見いだすことができないことを提示している。
 やまあらしのトゲとは、人間の自我(欲望や、社会的立場、感情)をいう。青年期は自我の一番強い時期、だから青春期の恋愛は、
トゲとトゲの刺しあいになり、愛しあうほど傷つけあうことになる。その繰り返しの中から、お互いの最適な距離感を身につける
ことになる。青年期は、傷つきやすい時期でもある。その傷の癒しを他の対象に求め、そこで更に深く傷つくのがあたり相場。
癒しを他に求めること自体が次の傷をつくる準備をしていることになる。そのこと気づかないのが若さからくる無知。
孤独は人間の本質的なことであり、それをしっかりと自覚していないと、傷口がどんどん広がり、化膿していく。夫婦関係にも
言えることである。トゲとトゲの差し合いを今だしているが、互いの皮膚が30数年の結果、痛みを殆ど感じなくなってしまった。
適当の距離感とは、=あまり親密にならないこと!である。 青年期に女性も友人も、ある距離に近づくとトゲが全身から出るのを感じた。 
あれが、自我だったのだ。今もそうだが! トゲは必要である!自己を守るためにも。しかしトゲの先は丸くしておかなければならない!     
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2006年04月05日(水)
1828, ずっとやりたかったことを、やりなさいー5゜
   +.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ       ー読書日記
 ーアーティスト・デートー
「人は皆、内なるアーティストをその心に抱えており、今までの経験や年齢等に関係なくアーティストとしての創造性を
秘めている。そして誰でもカンタンに(もちろん継続と努力は必要だが)その才能にアクセスする方法がある」という。
ここで誤解しないでもらいたいのは、アーティストの才能とは画家・音楽家・歌手・陶芸家・舞踏家
といった俗にいう「アーティスト」だけを表すものではなく、全ての職業に共通して求められる「創造性」の開花をいう。
その意味で、全ての人を対象にした才能開花術である。特にクリエイターの方々(デザイナー、各種コーディネーター、ライター)
には参考になる方法である。机上の空論ではな、才能開花のための実践的なトレーニング法が12週間という
具体的なプランに落としこまれたトレーニングプログラムである。本を読みすすめていきながら書かれている通りに、
一週間約30ページずつ、作業を進めていけばよい。そのプログラムの核ともなるべきものが「モーニング・ページ」と
「アーティスト・デート」。先々回はモーニング・ページを紹介した。今回は「アーティスト・デート」である。
 ーその一部を本文より抜粋してみると…
アーティスト・デートとは具体的に何なのか?それは週に二時間程度のまとまった時間をとって、あなたの創造性の象徴である
「内なるアーティスト」の育成に専念することだ。もっとも基本的な形を言えば「アーティスト・デート」とは旅行であり、
あらかじめ日時を指定しておくデートであり、他人の進入を禁じた時間だ。「アーティスト・デート」には部外者を
同行させてはいけない。行ってもいいのはあなたと、あなたの「内なるアーティスト」、つまりあなたの「想像する子供」だけだ。
恋人も、友人も、配偶者も、子供もだめ ーどんな肩書きの人もお断りだ…
 ▼ 以上だが、要約すると「週に二時間ほど自由な時間をとって、その時間だけは自分が好きなアートを好き勝手にやりなさい」
  ということ。私は読んだとき、私が毎朝しているウォーキングが正に「アーティスト・デート」と気づいた。
   ーそれ以外にこの本で印象的なことを抜粋してみる。
《怒りは耳を傾けてもらいたがってる。怒りは声であり、叫びであり、懇願であり、要求である。
  (字数制限のためカット 2012年04月5日)
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2005年04月05日(火)
1463, 「虚構の王国」ー NHKスペシャル
一月前ほど前、このHPで堤義明のことを書いた。ところが、その内容についてTBSの記者から電話が入った。
「自民党の歴代の派閥の長が首相になると3億の祝儀を彼が云々・・」と書いたが、そのニュースソースを知りたいとの問い合わせ、
「翌日の、報道番組に取り上げたい」。キーワードで検索をして、知ったようだ。「ヤバイことを書いてしまった!」と、
少しパニック状態になってしまった。しかし、10年程前には誰も知っていた話である。年代が変わったのだろうと、
知人に何人か聞いてみたところ、「現在はどうかわからないが、当時は流布していた」と聞いてホッとした。
ところで先日、NHKスペシャルで「虚構の王国」ー西武鉄道・土地神話の五輪計画とサミット・闇の株式取引ー
というテーマのドキュメントを放送していた。 その最後のナレーターの言葉が印象的であった。
「虚構の王国の向こうに見えたのは、戦後日本の実像である」この言葉は、現在の日本のバブルの崩壊の姿そのものである。
インフレ時代の勝ち組が、現在負け組に変わっている。最後のバブル崩壊の象徴として西武が浮かび上がってきた。
(字数制限のためカット 2012年04月5日)
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2004/04/15  1108, 西武鉄道・堤会長の辞任
(以下、字数の関係上カット2008年04月05日)
・・・・・・・
2004年04月05日(月)  
1098, 拾い物
拾い物は殆ど無いが、それでも幾つか記憶が残っている。10年ほど前になるが、池袋のサンシャイン・ビルで何かの研修で
行った時のこと。腹の具合が悪くなりトイレに駆け込んだところ、カードと現金が数万も入った財布が忘れてあった。
現金だけを抜くという手もあるのかなと頭によぎったが、過去に一回もそういう経験をしたこともないし、
良心に対してマイナスになる。早速、案内嬢のところに持っていくと、係わり合いになりたくないというのがアリアリ。
警備の受付のところに直接持っていけという。電話をして呼べばよいのに、本人はタダ面倒でイヤという態度。
(西武系は流通・鉄道系両方ともお客に対して不遜のところがある)言われたところに行っても、その事務所がない。
乗りかかった舟、聞き歩いてやっとのことで警備事務所に届けた。本人からは礼の葉書が一枚届いただけだが、なるほどと思った。
30分以上も歩き回り、その上書類にこと細かく内容を書かされた相手の好意がわかる由はない。
数年前の、通勤の新幹線で高崎と小田原の回数券を10枚近く拾った。これも新潟の駅前の交番に届け出たが、
彼等は直ぐに権利放棄書にサインしろといわれ、何か釈然としない嫌な感じを持った。
そう考えると拾い物は殆どないということだ。そういえば新幹線で皆が降りるのを待っている人がいる。
そしてキョロキョロ見て回っている。週刊誌の面白そうなものを漁っているのだろうが。
もし悪意があるなら、忘れ物を2両でも探したら一年に一度は何かに行き当たるだろう。 考えること自体が卑しいことだ。
・・・・・・・・・
2003年04月05日(土)  
731, 前提を疑ってかかるという事
 「縦社会の人間関係」
「縦社会の人間関係」という中根千枝の本を学生時代のゼミで読まされ、それに対する議論をした事を思い出した。
  ー要旨はー
「日本社会は蛸壺のように縦社会になっている。これは島国特有の社会であると同時に、江戸時代の藩体制がそれぞれの
縦社会をつくった。西欧社会はそれに対して資格社会であり、横社会である」であった。日本社会の人間関係は、
個人主義・契約精神の根づいた欧米とは、大きな相違をみせている。「場」を強調し「ウチ」「ソト」を強く意識する
日本的社会構造にはどのような条件が考えられるか。 「単一社会の理論」によりその本質をとらえている。
日本社会の人間関係は、個人主義・契約精神の根づいた欧米とは、大きな相違をみせているー等々である。 
なるほどそのとおりであると納得したが、そこで問題にしていたのがその縦社会という視点そのものが、
はたして正しいのだろうかという提示であった。「何々それってどういうことなんだ??」私が考えていたのは、
それぞれの部分の成否でしかなかったのだ。根底ー前提から、それがはたして正しいかどうかを疑う姿勢こそ科学の第一歩である。
日本社会こそ「横社会ではないだろうか?」という仮説である。逆に資格社会ー横社会であるという仮説をたてると、
縦社会と同じように説得力があるのだ。「士農工商」という身分社会が大きく社会に残っている日本こそ、縦社会でなく
横社会ともいえるのではないだろうか。その中でも殿様,家老、老中などそれぞれの階級があった。
そしてその資格は日本のどこでも通用するものであった。インドのカースト制度は5百数十種類の身分が細かく決められている。
横社会そのものだが、個々の立場に立てば縦社会といえる。この時に、なるほど前提を盲信してしまう自分の無知の限界を
初めて知った。 常に前提を疑ってみる必要性をこの時より身につけた時だった。
・・・・・・・・・
2002年04月05日(金)
 367,「携帯TV電話」は究極の情報機器。
5年前、マスコミで聞いた内容である。それが今年から始まったのである。「携帯電話」が我々の生活を劇的に変えた。
いや社会を変えてしまった。空間の溝を取り払ってしまった。それ以上に「携帯TV電話」が社会のありようを変えてしまうだろう。
これにそれぞれの場所にカメラが設置して、それにリンクすれば、一瞬にして世界中の何処でも見ることが可能になる。
現在でもそのサイトが多くある。これにデジタルTVをリンクさせれば、想像を超えた使い方が可能になる。
インターネットを使っていて、こんな時代が来るとは思ってもいなかった。それが更に劇的な「携帯TV電話」が普及する時代とは驚き。
昨日もソニーの出井会長がNHKノインタビュウで、情報機器の進歩により、この10年後は世界が劇的に
変わっていると言っていた。これに期待しすぎて、先行投資で電気メーカが苦境に陥っていることも事実だが。


4027, シングルイン、31年間の総括 ー7

2012年04月04日(水)

   * デフレの直撃
 ホテル物件は直ぐに相場の半値八掛で買い手が現れ、ホテル名をそのまま引き継ぎたいというので快諾した。 
せめて名前が残れば有難いこと。 結果としてはオーナーのリストラ。 ある人が、「ホテルの買い手がいるんですか?」と
聞いてきたので、「‘やれる’と、‘やれると思う’は別物」と答えた。 「この30年の数字と経験から無借金でプラマイゼロ」
と思っても、「やれる!」と思う人が現に出てきた。三年間持ちこたえるかが目安だが、道路買収の時期が問題。無借金なら、面白い? 
私なら絶対に手がけない。これも「私の思い」。 経営環境が厳しくなると長所にも想えた4棟分割が合理化の妨げになっていた。 
分かれている長所は、在庫過剰になった時に棟ごとの業態変更が可能。現に長期滞在型への業態変更と、二棟の1F部分のテナント化は
思惑どうりになった。しかし棟が分かれ中途半端の規模は、総人件費の削減と、諸経費削減に不利になっていた。
 デフレも、資産デフレの直撃が大きい。 土地の相場が、30年前の3分の一以下、土地購入値の3〜4分の一は、厳しい。
インフレであれば、半分も返せば8割以上返済したようなもの。今回の資産暴落は、返済総額より遥かに実質借入が増加の結果となった。
この物件を半値八掛で買った新しい事業者が更に絞り込んだコストで、既存のホテルに対抗するために更に価格を下げて、市場に挑んで
くれば、一段のデフレが進む。 資産も半値八掛で資産デフレの材料になる上に、価格の下げ圧力になる。 デフレスパイラルである。
しかし、光熱費は原油高で二倍、人件費も高騰、金利高なら、スタグフレーションになりざるを得ない。 恐ろしい限りである。
 何度も書いているが、本当に恐ろしいのは,その後のハイパーインフレ。これが恐慌の本体である。その境目が、今年になる。
 ・・・・・・・
3661, 9・11、9・15、それをしのぐか3・11
2011年04月04日(月)
 この3・11災害は、2001年のイスラム教徒によるテロの9・11、そして現在も進行中の2008年の9・15をしのぐ歴史的出来事である。
地球温暖化の中で原子力発電が容認され、世界中が原発建設を競争するように計画・建設されている潮流での惨事である。
思いもよらない「震度7、マグネチュード9の大地震と大津波、そして原発事故と放射能汚染」である。リーマンショックで既に
日本経済は崩壊を始めていた上に、これ。今年から来年にかけて経済動乱が予測されたが、3・11の衝撃で、日本の存続の根底を
揺るがすだけでなく、地球規模の危機になってしまった。 10年前の9・11事件は、欧米とアラブの文明の衝突が露出し、それ以降、
世界が変わっていった。そして2008年9月15日のリーマンショックは、米英の金融支配の構図を根本から破壊してしまった。
今年から来年にかけて、世界規模の経済動乱に入りかけていた矢先に、こともあろうか、日本発の歴史的大惨事である。
 これは人類史上に残る歴史的大事件であり、これまで人類が営々と積み重ねてきた文明を否定する象徴的事態である。
それも66年前に日米戦争で原爆を二回も落とされた国で起こった惨事である。20年前に経済バブルがはじけ、右下がりが続いて、
去年になて経済力を中国に抜かれ世界第三位に落ちてしまった。 今世紀に入って僅か10年の間で大事件が三回も起こっている。 
9・11、9・15、そして3・11の惨事である。これは9・11、9・15の歴史的大事件をしのぐ大惨事が日本で起ったのである。
当然ながら国内は情報コントロールをされているが、日本人は無防備に、そのコントロール下にある。入手できる範囲の情報で、
あとは自分の勘を頼るしかない。そして、その勘にしたがって、判断をするしかない。原発事故と放射能汚染は、日々一刻と進んでいる。
その結果は? この国は大震災の日をもって、それ以前、以降といわれるほど、根底が変わってしまったのである。被災民は、全国民!
 ・・・・・・・
3296, 不思議現象の正体を見破る ー1
2010年04月04日(日)
「不思議現象の正体を見破る」        安斎 育郎 (著) 
  ―超能力や心霊現象に、人はなぜ騙されるのかー 
 ー内容ー (アマゾンより・・・)
 現在までに報道されたり紹介されてきた不思議現象(超能力、超常現象、予言など)のトリックと、それを鵜呑みにしてしまう
心理状態を解説した書。同氏の他の著作と重複する事例・内容も多いが、本書では、不思議現象が存在するという根拠にたいし、
そのトリックを説明することで、それらすべてがいかに信憑性がないか(あるという証明になっていないか)を示している。 
世界的に有名な事例を紹介しており、それらがすべて単純なトリックであることに改めて驚く。 圧巻は、漠然とした詩が、
大事件と簡単に符合し、いかにも予言であるかのように曲解して読み取ることが可能かを示した点である。
例として、枕草子の記述を深読みすると、一文一語が普賢岳噴火にぴったりと符合する!このことからも、ノストラダムスの詩が
後世の歴史的事実と多少符合しても、それが偶然以外の何ものでもないことを暗示している。 現に、世紀末には何も起こっていない。
▼ ユリゲラー、イギリスのミステリーサークル、コックリサン、念写など、その嘘を一つずつ解明している。 ユリゲラーも、
 ミステリーサークルも、念写などをTVで取上げなくなった。これはブログなどの情報化のためである。
もし、信じていると言えば誰かが知っているカラクリを教えてくれる。それだけでない、TV局そのものが問題視され、
ディレクターは外される。この本で知ったが、イギリスのミステリーサークルも真実が明らかになっていた。
<二人の老いた絵描きが、「夜中に麦畑のキャンパスに描いた作品」だったと白状していた。二人はL字型の棒を持って、実際に
デモンストレーションもやってみせた。いやにイギリスの麦畑ばかり、という理由が、これである。この現象をプラズマ物理学の
立場から研究したミーデンは真面目に、この現象は世界各国に出現したと主張、彼だけでなく色いろな人が多くの原因を唱えた。>
 彼らは二人の老人に騙されたのである。こんな調子に、過去の不思議現象の正体を暴いているから、読んでいて飽きない。
次回は、あのマジシャンのユリゲラーを、今さらだが、オサライをしてみよう。 彼はマジックを超常現象として
ショーアップしていただけだが、注目されればされるほど、その稚拙な手法がコミック的。
 ・・・・・・・・
2921,不況景色 ー10
2009年04月04日(土)
 * 上野動物園が入園300万人を切る
一昨日のニュースで、上野動物園の入園者が60年ぶりに300万人を割ったと報じていた。前年より妬く60万人減というから
20パーセント減になる。パンダが死んで居なくなったことと、この不況が直撃という。9月半ばから4〜5割減ということになる。 
家計面で節約対象になったようだ。また、オーケストラの公演が個人や一般企業の寄付の激減で大赤字に転じていると報じていた。
恐慌状況の中、なかなかオーケストラを聴こうという気になれないのも分かる。
  * 金融サミットで
金融サミット「20G」が開催され、首脳宣言が採択されたが、何か首を傾げた。公式とは違う決定もなされたのだろうが・・・
 (字数制限の関係でカット2012年04月4日)
  * 4月に入って、更に悪化
去年の11月後半から、金融危機の影響が経済の現場に深刻に現われてきた。今回の経済危機の第二波である。
そして第三波が、この4月に入って襲い始めてきた。 予測はしてが、やはり現象として直面すると凍りつく。
ただし政府が、三月決算を乗り切るため思い切った緊急融資を上から押し込んだために、とにもかく平穏を保っている。
しかし、決算の結果が表面化する5月になると一挙に現象に現れてくることになる。
・・・・・・・・・
2557, 印度放浪 ー2
2008年04月04日(金)
この本に著者・藤原新也の《語録》というコーナーがあるが、深い言葉が次々と出てくる。40年前の25歳の言葉だから恐れ入る。 
印度という国が、彼の精神を育てたのか、元々持っていた素養なのか。読んでいるうちに、いつの間にか自分と比べている。
そして、小さな世界の中で小さな習慣に甘んじている自分が浮かび上がってくる。比べること自体がおかしい。その一部を抜粋してみる。
  ーインドへの準備はとういうものだったんですかーー
二つある。捨てること。それに準備しないこと。僕の場合はね。学校。アパート。家具。本。捨てて支障のないものは全部捨てたり、
売り払ったりしたんだけど、そうしてみると、案外ほとんど自分の身の回りのものに切実に必要なものは、歯ブラシぐらいのも
のってことがわかる。 さっぱりしたよ。 準備しないってのはね。情報を一切入れなかったことだね。旅の目的地に関する。
(字数制限の関係でカット2009年04月4日)
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2007年04月04日(水)
 2192, 人生とナメクジの線              オッ(*^○^*)ハ?ヨウ!
「キャリア」の語源は、ナメクジが這った後に残る線という。思わず噴出してしまったが、人生もナメクジの這った跡の線と思えば、
何も深刻ぶることはない。這っていく前には線は見えないが、後ろにはまるで道のように跡が残り、その跡が進むべき方向を示して
いるようでもある。我われが、明日を考える時に、やはりナメクジの跡の線と同じように歩んできた自分だけの線を振り返る必要がある。
ナメクジの優劣や跡の線など、それが如何したとみれば、悩みの殆どは消える。そういう喩えをみると、さらに展開をしたくなる。
そこで思いつくのが、家付きのナメクジ?、そうカタツムリである。家が無いカタツムリをナメクジとみれば、我われの持ち家など
持つことはない。これでは話が面白くないので、「塩という世間を這いまわり自分の身体を溶かしながら生きるのが人生」
と考えると尤もらしい言葉になる。 ひろ さちや著のー「狂い」のすすめーの中にあった一節を思い出した。
  * そこを抜粋すると *
「カタツムリが旅に出て、ナメクジになって帰ってくる」私たちは常識や既成概念、世間の物差しを持っています。
そういう殻を背負ったカタツムリが旅をするのは、そうした殻を捨てるためです。殻を捨ててナメクジになって帰ってくる。
そうした気持ちの旅こそ、最高の旅である。たとえば、インドの貧困だって、貧困を悪いものだとみるカタツムリでなく、
貧困もよいものじゃないかというナメクジの目でみることができれば、素晴らしい旅になるはずです。
 インドの子供の裸足を見て「かわいそうに・・」と思うかもしれませんが、「裸足のどこが悪いんだ、上等の靴を履かされて、
重い鞄を持って塾通いと、裸足でのびのびと遊んでいるインドの子供と、どちらが幸福なんだ・・・?」とね。
▼ 土手を歩いていると、よくカタツムリが道を横断している。しっかりと、その跡がついているのだが彼らとて大変である。
雀とカラスの丁度良い餌になったり歩行者に踏むつぶされ、線が横断途中で途切れているのを見かける。
お悩みの諸君!悩んでいる自分をナメクジと鳥瞰した喩えで笑えるなら、もう半分は悩みは解決しています。
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2006年04月04日(火)
1827, 日本一短い手紙「私へ」          才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
               ー 読書日記                 
「私へ」の手紙}といえば哲学的にいえば、{即自から対自への手紙}ということになる。だから万人に共通する言葉であり、
一言一言が響いてくる!あの歳の、あの場所で、あのケースで、呟いていた自問自答の言葉がある。
これほど奇麗事の言葉ではなかった。ふて寝をしながら、涙を溢しながら、時間の過ぎるのを待つしかなかった。
こんな言葉が心の奥から聞こえてきたら、あれだけ傷はつかなかっただろう。
この本の中で「私にしかできないことがある。きっとある。今は分からない。」という言葉がある。 
この言葉には、希望と明るさがある。 絶望の海に溺れてしまった息苦しさの上の言葉には聞こえない。
「私へ」という自分が、そこにある! それだけで、明るさがある! 
それでよいが。私の自分への言葉を、いま思いついたまま書いてみる。
 ーー
 まあ、いいじゃないか!         それで、いいじゃないか!
 これしか、なかったじゃないか!     それも、これも、 どうでも、いいじゃないか!
 ほんとうに、これでよかったのか?    ほんとうに、あれでよかったというのか?  
 まあ、いいじゃないか! これで!    他に、しかたなかったじゃないか!
▼ 歳を重ねると、こういう自問自答が多くなるのだろう。 それが老いるということである。 
 気持ちは青年のままでいたいものだ! せめて年寄り臭い奴の傍には近寄らないことである。
 そのためには常に感動、感激を求めることだ。       お茶どうぞ 且_(゚◇゚ )ノ゙
ーー
日本一短い手紙「私へ」
 一筆啓上賞
おいおい そんなに落ち込むなって 人生少しわかりかけてきたじゃないか。 浅原昭子 青森県黒石市 40歳
お前の大きな財産の一つは、いじめの痛みを知ってることだ。     荒平翔太 熊本県菊池郡合志町 17歳
コノセカイニ アタシハヒトリダケ ソレハアタシヲ ツヨクスル   道志寿佳 福井県坂井郡丸岡町 18歳
ずっと“いい子”の私。やめたいのに本当の私を忘れてしまった。私は何がしたいの? 金島道子 広島県庄原市 17歳
私にしかできないことがある。きっとある。今は分からない。でもある。きっとある。黒木かつよ 宮崎県児湯郡都農町19歳
あなたの心の悲鳴。聞きとれるのは私だけ。私とあなたの寂しい関係。     竹田飛鳥 東京都江東区 15歳
(字数制限の関係でカット2012年04月4日)
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2005年04月04日(月)
 1462, 永遠に生きるように学べ
学生時代に、「永遠に生きるように学べ、そして明日死ぬかのように生きろ」という言葉に出あった。
最近、再びある本で出会ったが、年齢を重ねたためか、この言葉の重さ・深さを改めて実感する。 母親が向学心が強い人で、
その後姿を見ていたので死ぬまで勉強の必要性は感じていた。その都度、自分も社会も変化していくのだから、
基盤も変えていかなくてはならないのは至極当然のことである。年齢を重ねるほど、経験の裏づけが多くあるので吸収度が高くなる。
せっかく地球に生まれてきて、80年の時間を貰ったのだから、地球のこと、宇宙のこと、そして人間が長年かけて積み上げてきた
知識・文化を可能な限り見て・知って・経験するのが、人間の生きる最大の目的になる。自分で意識をしてこの言葉を自問しないと、
虚脱感の強い・虚無的な人になってしまう。「もう歳だから何で勉強をする必要があろうか」「まあ世間様と同じように何事なく
生きていれば良い」と何もしない生き方になってしまう。それならまだしも、真っ当に生きている人に対して批判をするのが
趣味になってしまうから、自分に対して更に害を及ぼすのを自覚できない。90?以上?が、私の見る限りそうである。 
いや、もっと多いか。その辺で老人同士が、いい歳をして人の悪口を言っているのをみると、思わず顔をそむけてしまう。
それまで生きてきたようにしか歳をとれないのはわかるが。「永遠に生きるように学べ」は「死ぬまで勉強」と同義語であるが、
響きが明るいのが良い。「明日死ぬかのように生きろ」は人生のコツである。明日死ぬかもしれないのが人生である。
だから「いま、ここ」を大事に生きなくてはならない。一期一会である。 いま、ここの一瞬は永遠である。生きているとつくづく、
このことを実感する。この随想日記も、そう思って気持ちを集中している。何十年後に子供が読んでも、この今の一瞬の集中の閃きは、
そのまま言葉の中に永遠に篭っているはずである。若き老人達よ,この言葉を自分の手帳に書いて、繰り返し読むことを勧める。
最低千回は口ばんでみるべし。 「15歳で自分の人生を投げ出してしまった貴方のこと!」「自分のこと!?」「そう!」
・・・・・・・
2004年04月04日(日)
 1097, 落し物
 散歩をしていたら熱くなってきたので、ベストジャケットを脱いだ。持っていた折りたたみ傘をそのジャケットに
入れたところ、いつの間にか無くなっていた。傘はどういうわけか愛着がある。散歩道で15分前にジャケットを脱いだので
その時落としたのだろうと、その道を取って返した。ほとんど誰も歩いてなかったので、そのまま落ちているだろうと
下を向いて道を探したが見当たらない。
(字数制限の関係でカット2009年04月4日)
・・・・・・・
2003年04月04日(金)
 730, 「ほめ芸王」ー読書日記
ー褒め上手は芸のうち
営業を何年もやっているうちに身につける芸である。口先だけの営業手段として、ただで一番効果のある手段だ。
十年以上営業をしていれば、営業術から営業芸にランクアップしてしまっている。
キーマンに会ったときの枕詞として、「さて今日は何の褒めネタでいくか?」と考える。それが営業の第一歩であり、
まずは切り口となる。今日の芸はどの程度であったかを日記に克明につけたらプロであろうが。
「どっこいしょ」と持ちあげて、次に相手を落とすのだ。「どっこいしょ日記」に、おだて上げと落としの日記を
克明に書けばいかに人間は幼いものと解ってくるだろう。 人間は誰も褒めて欲しいのだ!
ー「ほめ芸王」の内容の一部を抜粋する
・わたしはほめない、ほめちぎるのだ。ほめるのでは足りない、ほめちぎらなと、ほめたうちにならない。
・「ほめ下手の人は、ほめているものの、相手を見下げている。ほめるということは、見上げる事である」
 これは言いえて妙である。「このことに関しては全然あなたの方が上ですね」という言い方にすれば、相手も受け入れる。
・「ほめることは簡単だ。しかしほめ続けることはむずかしい」という。
・「感嘆」に勝るほめ言葉はない。
・ほめるとは相手を語ることではない、自分を語ることである。自分のほめ方は自分にしかできない。
・相手をほめることで、自分自身の存在を確認する事ができるのだ。神様の心にならなくては、ほめることができない。
 ほめることで神様の心になれるのだ。怒った顔で、ほめる人はいない。
 ほめる時、人は誰でも、神様になれるのだ。
 ほめるとは、感動である。 ほめるとは、感謝である。
 ほめるとは、感激である。 ほめることで、二人の人が幸せになる。
 一人は相手。そしてもう一人は、あなた自身なのだ。
感想ーどうもほめる事は難しい。自信がないのだろか。やはり営業でそうせざるを得ない立場の人は身についている。
私がほめると効果てき面だが、軽々しくほめたくはない。まずは顔色からほめるのもよいが。
家内を実験台に少し始めてみるか! 少なくとも貶すのはやめよう!
・・・・・・・
2002年04月04日(木)
 366, 速読法
先回も書いたが、速読法という本を読んでいて吃驚した。一つ一つの語句に目を合わせるのでなくて、一度にページ全体を眺め、
フォトフォカス状態で文書を眺める。意識下でなく、無意識下でその文書を取り入れてしまうものだ。初め読んだ時、本当かと
疑ったが、実際やってみて驚いた。 (字数制限の関係でカット2009年04月4日)


4026, 「人生の知恵」ノート

2012年04月03日(火)

  4年前に、図書館からグラシアンの「賢人の知恵」という本を借りてきて、ここで書き始めたが、一回限りで終わっていた。
少し読んで、いま一つピンとこなかったので途中で止めたようだ。ところが先日、図書館で ー本当に役立つ「人生の智恵」ノートー
というグラシアンの他の訳書を見つけて読んだ。 今回は、言葉の一言一言が納得出来た。 現役を退いたこともあるのだろう。 
グラシアンの経歴は、『雄弁な伝道師として圧倒的な名声を得るが、1657年、サラゴサでの聖書学の教授の地位を追われる。逮捕され、
追放されたタラソナという村で一年後に没した。』とある。これで、この人物の処世術が生くさすぎることが分かるが、内容は、
現在も納得するものが多い。“善人が損をするのは善良だからではなく、世間を見る目が甘いからだ。”など、伝道師にしてはシビア。
人間は、真面目に生きているわりに、次から次へと、問題が生じてくる。 何故だろうか、智恵が足りないのである。グラシアンは、
「高邁な知識だけで人生は乗り越えられない。日常生活に適応するのが重要とまではいわないが、最も必要。使えない知識より、
今日使える術こそ真の知識である。」という。 ここで人生と事業を振り返ると、多くのことが改めて見えてくる。
  ー 以下は、人間関係を良くする言葉のノート ー
 1 愚か者とはつきあわない ー愚か者ほど優秀と思っている。 指導するだけ徒労。ー互いに思っているからすくわれるか?
 2 誠実になりすぎない ー蛇の悪知恵と、鳩の誠実さを使い分けよう。自分が騙したことがないから、直ぐ騙される。
 3 第一印象にとらわれない ー人の心は多面的。一面だけで判断しない。
 4  口に合わない料理をすすめない ー相手の好みを知ること。自分の好みは相手の好みとは限らない。
 5 突飛なふるまいをしない  ー突飛な振る舞いは、欠点として相手はみる。
 6 もろい人間とつきあわない ーもろい人間は自分勝手な心が強い。被害者意識が強く、人は悪意の塊と思う。
 7  不幸な人ともつきあわない ー走り続ける成功者は不幸な人と関わる余分な時間はない。
 8 他人の欠点に慣れる訓練をする ーこれは訓練で慣れる。
 9  多数派とともにある賢者たれ ー周囲に合わせるのは良いが、品位を忘れない。少数派の愚者もいるが。
 10 友人であり続ける努力をする ー長く付き合える友人は見定めること。
 11 賢者を見つけ助言を求める  ー相手を見定め、助言を求めるのは、思慮深さの証である。
 12 認められなくてもがっかりしない ー必要なのは厳しい自己評価。
 13 会話は慎重に、そして楽しく ー会話は雄弁さより慎重さが大事。相手に合わせよ。
 14 親切をおまけにつける  ー親切は費用対効果が高い。相手より先にするのが技。
 15 相手の急所を見つける  ー殆どの人が求めているのは快楽。その急所を見つけよ。
▼ 品位のない人間は最後の裏切りの切り口で、本姓が分かる。 見上げても見下げても、全て自分の範疇。
    ・・・・・・・
3660,音信不通だった友人から連絡が!
2011年04月03日(日)
 * 5分の差で助かった
 学生時代の友人の奥野和夫さんから、昨日の午後に電話が入った。安否を知るために、
宮城県亘理町の住所先に葉書を出していた。それが昨日になって本人の手元に届き、電話をくれたのである。
  彼の話の概要とは! 
≪ 妻が病院に行くのに付き添った後、自宅に帰ってきて、たまたまTVを見ていたら、激しい地震が襲ってきた。
それが長い時間にわたり続いたが、急にTVの画面が変わって6メートルの津波が押し寄せるという緊急の内容。
直ぐに6Mより10Mに変わったのをみて、着のみ着のままで自動車で高台の方面に向かった。しかし、道路は
渋滞で前に進まない。そこで機転をきかせ農道に回ったが、そこも渋滞。その間に余震が激しく前に進めないほど。
それでも何とか高台に辿り着いた後の5分後に大津波が襲ってきたという。 その後、避難所に行ったところ数百人の先客がいて
寝れる状態ではない。そこで車の中で一晩過ごしたが、着の身着のままで逃げてきたため、寒がきつい。 
暖房もガソリンが無くなるので、一晩中、5分ごとにエンジンをつけたり、止めたりして過ごした。朝までの時間が非常に長く感じた。 
水洗トイレは、ボランティアの中高学生が水を近くの川から次々と運んでいた。命は助かったが・・・ 妻が病のため、避難所では
悪化の可能性がある。 ふと30分の所に前の会社の先輩が住んでいるのを思い出し、そこに9日間、避難させてもらった。
そのうちに群馬の実家の兄に連絡がついて、車でガソリンを新潟県経由で持ってきてもらい、何とか兄のいる実家にたどり着いた。
最近になって道路が復旧してきたので、自宅を見てきたが、1Fが海水の泥で滅茶苦茶のため、廃材処理の手続きをしてきた。
命一つでも助かっただけで充分! 火災保険に入っていたが、地震保険には入ってなかった。 ≫
 ー以上が、彼の15分間の電話内容だが、一つ判断を間違えれば助からなかったようだ。
住所の亘町荒浜は仙台飛行場の南下に位置し、阿武隈川の河口にある。 終の住処を、そこに選んだことに羨ましさを感じていた。 
それが、まさか・・・ それでも命が助かっただけでも喜ばなければなるまい。他人ことではない、まさか、まさかの日々である。
・・・・・・・・
3295, 果たして、日本は財政危機が訪れるか?
2010年04月03日(土)
  昨日の朝日新聞の ーキーパーソンーのみずほ証券の高田創氏への
「先進国最悪の借金、財政危機は起きますか?」のインタビュー形式の内容が、時が時だけに注目して読んでみた。
  ー その内容を私の主観でマトメテみた ー
 日本の国債残高が2010年度で637兆円に達する見通しだが、「先進国で最悪の借金体質」といわれる中で、
 国債発行余力を探った。  
 (字数の関係でカット2012年4月03日)
・・・・・
2920,私は嘘しか言いません
2009年04月03日(金)
 ー養老孟司が、対談で次のようなことを述べていていた。
《 数年前に亡くなったユングなどの研究者の河合隼雄が真面目な話をする時に「私は嘘しか言いません」と言っていたそうです。
  これは考えてみたらシミジミと効いてくるセリフです。つまり「私は嘘しか言いません」というのが本当だと既に嘘をついている。
  河合さんは、この言葉に「言葉など当てになりませんよ」という意味を込めていられるのだと思いますよ。》
   なるほど、面白い。 
 哲学に似た問題提起があった。 「クレタ人の嘘」である。
ー『クレタ人は嘘つきだ』が真ならば,クレタ人が発した『クレタ人は嘘つきだ』自体が嘘で,
クレタ人は嘘をつかないことになり,『クレタ人は嘘つきだ』が真という仮定と矛盾する。
もし、『クレタ人は嘘つきだ』が偽ならば、クレタ人は嘘をつかないことになる。
つまり、『クレタ人は嘘つきだ』が真となってしまい,『クレタ人は嘘つきだ』が偽という仮定と矛盾する。
『クレタ人は嘘つきだ』の真偽がいずれであると仮定しても、矛盾が起こる。ー
 言葉の何とも妙なところだが・・ 「私は嘘をいいません、信じてください!」の口癖の人がいた。
これほど好い加減な言葉はないが、言うほうも言うほうだが、騙される方も騙されるほうだ。騙している方も騙されている方も、
ボケ漫才のように気づかないから始末が悪い。それなら「私は嘘しか言いません」の方が良い。それも哲学的ときているから面白い。
しかし、それでは世界が回らない。詐欺師は「嘘しか言わない」からこそ、その奥にある言葉の意味を知っている。言葉は共同幻想、
そして仮想を創りあげる。それに己が気づかないから問題は拗れるのである。「私は嘘を言いません」と真面目に言う人がいるが、
「私は嘘しか言いません」を悪用するとどうなるか? 「私は嘘を言わないように心がけている。嘘を言った分、何倍も自分に
跳ね返ってくるし、自分の中に残る」これは、私の基本だが、一般も同じだろうか? 
嘘も方便だが・・・冗談のつもりの嘘で何度も大失敗をしたが。 ところで本当(真実)って何だろう?
・・・・・・・・・
2556, 印度放浪 ー1
2008年04月03日(木)
  『印度放浪』 藤原新也著  朝日文庫
写真家の文章は何故もこのように対象を、そして対象に映った気持ちを上手く表現出来るのだろうか。
言葉の一言一言が詩のようでもある。以前、買って目を通したが、長男がインドへ行ったのを機会に読んでみた。
文庫本になっているが、半分以上がカラー写真で、40年以上前に書かれたものとは思えない。
 表紙を開くと、すぐ次のページに、この一行だけが書いてあった。
ー 歩むことに、ぼく自身と、ぼく自身の習ってきた世界が虚偽に見えてきた。ー
そして、その二ページ後に、
ーぼくは歩んだ。
 出会う人々は、悲しいまでに愚劣であった。
 出会う人々は、悲惨であった。
 出会う人々は、滑稽であった。
 出会う人々は、軽快であった。
 出会う人々は、はなやかであった。
 出会う人々は、高貴であった。
 出会う人々は、荒々しかった。  世界は良かった。
《旅》は無言のバイブルであった。《自然》は道徳であった。《沈黙》はぼくをとらえた。そして、沈黙から出た言葉はぼくをとらえた。
良くも悪くも、すべては良かった。 ぼくは全てを観察をした。 そして、わが身にそれを《写実》してみた。
▼ 40歳になって15年ぶりにこの旅をふりかえった著者が「なぜインドに行ったのか」の質問に言葉がつまり、
 その若者の後の影に、過去の自分を投影する。 (若いときの自分について)
 青年は何かに負けているようだった。たぶん青年は太陽に負けていた。
 そして、青年は大地に負けていた。青年は人に負け、熱に負けていた。
 青年は牛に負け、羊に負け、犬や虫に負けていた。青年は汚物に負け、花に負けていた。
 青年はパンに負け、水に負けていた。青年は乞食に負け、女に負け、神に負けていた。
 青年は臭いに負け、音に負け、そして時間に負けていた。
 青年は、自分を包みこむありとあらゆるものに負けていた。
 疲れたその青年の目は表情を失っているかに見えたが、太陽にいられて眩く白熱する、
 目の前の地面を、ただぼんやりと見つめ返すだけの意思をわずかに残していた。・・・・
 ・・・なんか知らんけど目茶目茶に何でもかんでも、負けにいったんじゃないかなぁ。最初の頃は。
(字数の関係でカット2012年4月03日)
・・・・・・・・・・
2007年04月03日(火)
「定年以降の生き方」を考える         才八∋ウ_〆(∀`●)
 今年から、大量の団塊の世代が定年を向かえる。
その第一期生が、この4月から正式に大量に会社から(悪くいえば)放りだされる。「組織」から離れて「個」として、
どのように自立(自律)するかが問われる。「孤独」「孤立」した時に、自分と如何に付き合っていくかが真に問われるのが、
これからの人生である。それまでの組織内での相互依存関係の環境が、自分自身への依存になるから厳しい。
宅上犬が「明日から家の外で暮らしなさい!」と翌日から屋外に放り出されるのと同じ。勤めていた会社の価値観は、
他では全く通用しないしないことに、そこで初めて気づく。鑑札のある首輪があるうちは、誰も温かく向かえてくれるが、
首輪が外されてしまえば、誰も相手にしない。その時ただ一人茫然とするしかない。そこで手っ取り早く「定年退職者の溜まり場」に
ソソクサと出かけても、「自己を持たない濡れ落ち葉同士の葉っぱ」の絡み合いになるのは、当然の成り行き。 そこにいるのは
自分と同じ「虚しさ」を埋めにきているゾンビばかり。「人生とは何か」を考えたことのない人は、自我の先の自己が希薄である。
そこでは自我と自我のぶつかり合いになるだけ。ここではゾンビの話ではなく、定年退職後の生き方を問おうとしているのである。 
面白いので、つい話がそれてしまった。 還暦になる前に10~30年かけてライフワークを確立すべし!ということ。今さら言っても
仕方がないが・・ 面白いから話を続けよう。そこでは即席でもよい、「楽しい」と思えることをやること。
その「楽しい」が何かも解らないから始末が悪いときている・・・何時間やっても疲れないものを探せばよい。 それも解らない? 
じゃあ、愛玩動物ーペットが好き?なら、飼えばよい。もういる。もし犬を飼っているなら、さらに小鳥を飼えばよい。
もし持ち家があるなら家を売って、その資金で旅行三昧をすればよい。その覚悟がなければ、家の中でウジウジすればよい。
二度とない人生、最後は楽しみ尽さなければ。定年後は、年金の他に10万円の収入が理想という。年間120万円あれば、
海外の安いものなら夫婦で二回は行ける。せっかく死が貴方の後ろから追いかけてくる歳になったのだから、その死への恐怖と
危機を借りて、他人からの目や、プライド、見栄など、一度無視することである。死の前では、そんなものは霞でしかない。
限られた時間を自分の奥底の声の通り生きなくては何の意味もない。死ー無という絶対的な宇宙からみたら自分の存在なぞ無いに等しい。
だから一度独りになって、ジックリ多くを考えるべきだ。図書館があるでしょう、図書館が!それと身近にいくらでも自然が! 
美術館も、いや百貨店もある。それに気づくには独りになりきることしかできない。誰かに言われそうだ。 
シツコイ!同じことばかり書いている、と。定年の時期なので、ついついアウトサイダー的人生観は、これから必要になるから?
(別の声)そういうけどね、今さら如何すればよいんですか、路頭に迷ってしまっているのだから、致し方ないのです。 ただ、朝起き、
飯喰って、ボーッするのも、良いじゃないですか。それしか出来ないのだから。何で好きなことを探さなければならないのですか? 
こういう生活が好きなのだから、ただ比較しているだけじゃないですか。ウジウジして生きる、ナメクジの人生もあるのですよ。
人生、人生というけど、ナメクジのはった跡を言っているだけじゃないですか。 そんなもの!
・・・・・・・・・
2006年04月03日(月)
1826, ずっとやりたかったことを、やりなさい?4           
          ー 3月22日 12:00記
 朝起きがけのモーニング・ページを始めて8日経つ。(3月14日開始)
 学生時代の卒業間近に半年分書いてあった日記がある。 何の構えの無い、筆が向くままの文章だが、 
 もっと日常の些細なことや気持ちの動きを書いてあればと面白いのにと、読み返してみて実感する。
 それをカバーするのが、モーニング・ページである。何でも良いから気の向くままノート3ページに書いていく。
 書くことがなかったら、書く事が無いと書いた上に、その後に「ありがとう、嬉しい、楽しい、幸せだ、ついている、大丈夫、
 許す、よかった」などを自動的に書く。そうすると、不思議なことに何かが出てくる。
 学生時代はそれに近かったが、最近は構えてしまう。モーニングペイジは脳の排水というが、その排水に何かがある。
 この文章も頭に浮かんだままの内容の文章である。毎朝一時間近くかけて修正・構成している随想日記ーテーマ日記も
 面白いが、ただ何も考えないで起きがけに構えないままのモーニング・ページも面白い。
 これはHPで公開はできないし公開したら、そこに構えが入ってしまう。
             ー 3月30日 pm12:30記
「8週間は読み返さないこと」とあった。それでも数日前のものを読むとナカナカ面白い。
(字数の関係でカット2010年4月03日)
・・・・・・・
2005年04月03日(日)
 1461, 「どう思いますか格差社会」
昨夜の19時半から22時半の特番が深く考えさせられる内容で、好きな?巨人戦も殆ど見ないで、この番組に見入ってしまった。
社会ウォッチャーとしては、現在の凝縮された社会を見たおもいであった。一部の勝ち組と負け組が、情報ネット社会と
グローバル化のために分かれてきた。それに対して、シビアな議論がつづいた。議論内容はレベルの高いもので、
自由闊達で好感が持てた内容であった。「競争激化の結果としての格差も仕方がない」という前提で議論をしている。
 (字数の関係でカット2011年4月03日)
 ・・・・・・・・
2004年04月03日(土)
1096, 人生と時間
 1日=24時間、 1年=8,760時間、 80年=700,800時間
 人生80年間を時間換算すると、確かに700,800時間になる。
人間には睡眠や食事、排泄など、生理的に欠かせない時間がある。
そうした時間を1日10時間とすると、70万?292000(10時間×80年)=約41万時間となる。
<人生は41万時間の配分ゲーム>といえる。
・ 1日=労働時間+生理的必要時間(睡眠、食事、排泄etc.)+自由時間
・ 他律的時間と自律的時間
・ ライフサイクル?=幼少期→少年期→青年期→壮年期→老年期
・ ライフサイクル?=被扶養者→生徒・学生→労働→結婚→家族→引退
1日を、一生を、どのような時間で構成するかは生涯設計(ライフ・プラン)、人生設計そのものになる。
自分をライフ・デザイナーと意識している人と、していない人では、異なった結果になることは確かである。
自分が実はデザイナーであることを知らない人から、優れたデザインが生まれるはずがない。時間認識の有無は優れた
ライフ・デザイナーにするための前提条件です。それは豊かな充実した人生を送れるか否かを決定する最も重要な前提条件である。
話は少しずれるが、「自分の時間が持てない」とかいう人が見かけられる。自分の時間を持つコツを知っている人というのは、
自分の「場所」を幾つか持っている。自分の時間を持つことは、自分の場所を持つことと同じことになる。
行きつけの居酒屋やスナックはその典型である。といって、読書の好きな人で居場所など何処でもよい場合も考えられるが。
それでも自分の好きな場所で読むことが最上である。ある哲学書に何げなく書いてあった「心身の問題は、時間の問題である」
という一文も考えさせられる。内容を読もうとしたが、難しので深くは読んでない。ただ経験から、どんな深い心の傷も三年も
経てば殆ど消えている。連れ添いを亡くした人を、年配のヤモメが慰めていたのを聞いたことがる。『何事も三年よ!』と。
(字数の関係でカット2012年4月03日)
・・・・・・・
2003年04月03日(木)
729, 「イヌが教えるお金持ちになるための知恵」  ー読書日記
(字数の関係でカット2008年4月03日)
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2002年04月03日(水)
365,ミカン集中法
「ミカンを頭の上15センチ上に置くイメージを抱き、本を読んだり、書き物をすると集中力が数倍増す」という。
読書や文章を書くとき「頭の上に意識を集中するといい」とは昔からいわれていた。それを「具体的にイメージとしてやると
効果が上がる」という事だろう。 今朝、ウオーキングでやってみて効果抜群であった。集中が数倍ついたようだ。
この文章はほぼ散歩で頭で書いた。中国で「魔術師がかぶる三角帽」「思考帽」と実際あったという。
落ち着きのない子に罰でかぶせる「ダンスキャップ」もあった。ミカンもいいが、鳥もいい。 他に気がいったら、飛び去る鳥だ。
それを意識していれば、他の思考や情報が遮断されるからだ。授業でも、読書でも、この随想日記を書くときに早速利用できる。
石のアーチの頂点に置くカナメ石に似ているという。カナメ石は他の石が所定の場所に固定させる役割になる。
注意の一つを一点に集中する事により、残りの集中力を読書などの対象に集中させる事が出来る。


4025, シングルイン、31年間の総括 ー6

2012年04月02日(月)

  * リストラは、どうだったか ?
 2001年の9・11テロの翌月から売上が毎年続けて一割以上減少、三年間で3分の2まで減少していった。
それに対し、ボーナスの半額カット(年間給与の一割相当)、私は5割以上、役員は4割カットをして対応したが、
キャッシュフローからの返済は1億3千万から4千万まで激減してしまった。 それまでの正社員と役員20数名のうち、
三分の一まで減らし、パート・アルバイトに切りかえた。 次に、二つのホテルの1階部分の客室を飲食店用のテナント
スペースに切り替え貸店舗にした。 さらに第三シングルインを長期滞在型ホテルに切り替えた。 二つの客室の壁を取り去り、
一つにして自動車学校や、企業の長期滞在として貸し出した。 それも数年で軌道に乗りかけ、目処がたった矢先のリーマンショック。
これも2割以上の売上減が三年目に入っても続いた結果、事業断念に至った。 新潟駅再開発も大幅に遅れ、
二つのホテルが道路拡張計画上にあって説明会が開かれていたが、そのプロセスで規模縮小か移転の想定も当てが外れていた。 
 そのリーマンショック以来、政府の緊急政策の御陰で資金繰りは何とか予備資金を使うことなく、持ちこたえていたが、
売上が三分の一まで落ち込み、事業存続の先行きを考え出した矢先に東北大震災。 これで最後の踏ん切りがついたが、直接原因は、
リーマンショック。 事業構造の転換も身を切るほど厳しいが、事業経営の真髄が発揮される場面。 もちろん返済額の減額交渉に、
リストラ策と、その実施と、経過報告が義務つけられ、その効果が出始め何とか目処がたった矢先のこれ。 十年間、やれることは
やった思いがあるので、後悔は全くない。 シングルインというホテル名と建物は、他の事業主が引き継いだので、ここで経営の
リストラが断行されたことになる。 6年先の道路買収まで維持できるかどうかだが、あまりにリスク要因が大きい。 
長期装置産業の恐ろしさを知らないようだが、世界は楽観と悲観で成り立っている一事例。
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3659, つれづれに
2011年04月02日(土)
  * 原発事故の深刻さ
 原発がもたらす影響は、今後どのようになっていくのだろうか? 経済は大きく落ち込むのは目に見えて明らかである。
業界格差は明らかに出てくるだろうが、飲食、ホテル、レジャー関連、タクシーなど三次産業から深刻度が深くなっている。 
 東北、関東地区の農水産も壊滅状態で、米の生産者も、今年の作付けに入ってよいものか、思案をしているのだろう。 
伝え聞くところによると、長岡の奥座敷といわれているリゾートホテルは、お客がほぼゼロの状態が続いているとか。
この冬は豪雪で惨憺ものだったが、さて春が来たという時に、地震と原発事故である。
 特に原発事故の成り行きを世界中が、固唾をのんで見守っているのは、死の灰が地球規模に広がる可能性があるからである。 
毎日毎日、TVでこのニュースである。消費マインドが冷え込むのは自然の成り行き。 株と国債の暴落をきっかけに、
ハイパーインフレになるのが、一番考えられる道筋である。その時、「新円切り替え」が実行されるはず。
日本の危機といえば、元寇、明治維新、日清戦争、日米戦争である。それ以上の危機になっていくのだろうか?
東京では、一部の子供たちの疎開が、静かに行われているようだが・・・
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3294, エッ何!
2010年04月02日(金)
 * 次年度からの予算財源はこれ?
 ドサクサに紛れ一瞬で郵貯の預け限度金額が2倍の2千万円に決定した。閣内対立を演出して、仕方なく鳩山首相が原案通りに
決定したカタチをとったのは筋書きどおり。23年度以降の予算が、このままでは組めなくなるのを見越し郵貯の限度額を上げて、
郵貯残高を増やそうという目論見。穿った見方をすれば、中小・零細金融機関が更に危なくなるのを見越して、その受け皿を
つくっておくメリットもある。3人だけの政党の亀井を金融大臣に据えて泥亀の捨石として最大限に利用している。もちろん本人も、
それを承知、それが政治。先日のTVのモーニング・ショーで金融機関の破綻時の国家補償を1千万から2千万に引き上げてもよい」
と述べていた。 
(以上、字数制限のためカット 2012年4月2日)
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2919,寝入る瞬間を経験したことがあるか? ー3
 2009年04月02日(木)
 マギーの「哲学人」の中に、次ぎのような文章を見つけた。ー私は寝入る瞬間について大いに頭を悩ませていたが、
 ウィトゲンシュタインは死に関して、それと同じような瞬間を扱っていた。その瞬間を経験しようとしても無理であると
 彼は述べていた。 なぜなら、明らかにその瞬間に意識がなくなるため、それを意識できないからなのだと。ー
 これによると、その瞬間は意識がないのだから、ない意識が、それを経験できないというのだ。「もし哲学者が考えるとしたら?」
 と私が考えた内容と酷似はしている。 しかし私の実体験とは違っている。「あっ!」という数百分の一秒の感覚を、
 寝入る瞬間に直感したのである。 実際にスット意識を失う刹那(瞬間)を感じたのである。
「その瞬間の感覚は、寝入る瞬間の直前であり、寝入る瞬間ではない」 と反論されそうだ。しかし「それが寝入る瞬間だろう」と、
 反論も可能である。それに対して「意識が無意識の世界への移行の瞬間を如何して感じ取るというのか、論理からみて疑問である。
 その直前の刹那が果たして経験できると言うのか?」 と言うだろう。しかし私は、その刹那を感じたのだから、
 何を言おうが事実は事実である。「それでは証明しろ」と言われれば 証明のしようがない。
 この書で寝入る瞬間を経験することは、ほぼ不可能で私は特異経験をしたことが分かった。寝入ったアチラの物語の夢について、
 ここでも多く書いてきたが、気楽に内容を言葉としてノートに書き出すと面白い。 このテーマとは関係ないか! 
  ところで寝入る瞬間の体験って、そんなに大事なこと? って。 ある哲学の本を読んでから、ほぼ皆無というなら、
 私にとって大事なことです! 毎晩、何度も目がさめる者にとって、一度は経験してみたいもの。それを経験したのだから。
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2555, ホモ・ルーデンス ー1
2008年04月02日(水)
『ホモ・ルーデンス』                       ー読書日記
      ヨハン・ホイジンガ(オランダの歴史家) 1938年著。
「文化は遊びとして、もしくは遊びから始まったのではない。言うならば、遊びの中で始まったのだ」
   ーすべては遊なりー
  〜文化は遊びの中にはじまる〜
ホイジンガーの言いたいことは、この二つに尽きる。
まずは ーすべては遊びなりー(遊びの考察と定義とは) について考察してみよう。
ホイジンガの遊びに対する考察は、プラトンの言葉から始まる。
「真面目にすべきことは真面目にやり、真面目でなくてもよいことはそうしないでもよいのです。
 最高の真面目さを以て、事を行うだけの価値があるのは、ただ神に関する事柄だけなのです。
 これに対して、人間は、ただ神の遊戯の玩具になるように、というので創られた。
 これこそが、人間の部分です。だから人はみな、男も女もそういうあり方に従って、最も美しい遊戯を遊戯しながら、
 今ちょうど心に抱いているのとは正反対の考えで生きてゆかなければならない。(プラトン対話集『法律』)」
著者は、この真面目と遊びの対立において、「真面目は遊びを閉め出そうと努めるが、遊びは喜んで真面目さを
自己の中に抱き込むことが出来る」と、遊びの優位性を説いている。 そして、遊びの定義として、
「遊びは自発的な行為もしくは業務であって、それはあるきちんと決まった時間と場所の限界の中で、
自ら進んで受け入れ、かつ絶対的に義務づけられた規則に従って遂行され、そのこと自体に目的をもち、
緊張と歓喜の感情に満たされ、しかも『ありきたりの生活』とは『違うものである』という意識を伴っている」
「遊びは人間がさまざまの事象の中に認めて言いあらわすことのできる性質のうち、 最も高貴な二つの性質によって
充たされている。リズムとハーモニーがそれである」遊びの定義から、世俗に対して離れているという点で、
「聖なるもの」と「遊なるもの」は同一であると。最後の文章に「人間的思考が精神のあらゆる価値を見渡し、
自らの能力の輝かしさをためしてみると、必ずや常に、真面目な判断の底になお問題が残されているのを見出す。
どんなに決定的判断を述べても、自分の意識の底では完全に結論づけられはしないことがわかっている。
この判断の揺らぎ出す限界点において、絶対的真面目さの信念は破れ去る。古くからの『すべては空なり』に代わって、
おそらく少し積極的な響きを持つ『すべては遊なり』がのし上がろうと構えている。これは安っぽい比喩で、
ただ精神の無力を思わせるかのようだ。しかし、これこそプラトンが人間は神の玩具であると名付けた時に達した知恵なのだ」
 ーー
一流は、その芸を遊びの領域まで到達している。遊びは自由への飛躍ということだ。
次回はー文化は遊びのなかにはじまるーを考えてみる。梁塵秘抄 巻第二 四句神歌 に以下のような歌がある。
「 遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ」
子供達が純真に遊ぶ心を忘れずに、健やかに育って欲しいと願う気持ちが、
そして、自らもまた、子供の頃の気持ちを持ち続けていたいと願う心がこもっている歌だが。
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2007年04月02日(月)
2190, 飲料水について           オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン!
 何処かの国の大臣様が、不正申告の事務所代の言い訳に「6000円のミネラル・ウォーター」を経費にしている、
 と言い訳をして失笑をかった。
  (以上、字数制限のためカット 2010年4月2日)
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2006年04月02日(日)
1825, あちら側の世界 ー6        b(⌒o⌒)d おっ \(*^▽^*)/ はぁー
ーGoogleという会社とは?ー
グーグルのミッションは「世界中の情報を組織化し、それを誰からでもアクセスできるようにすること」と定義している。
「世界政府があるとしたら、そこで開発しなければならないはずのシステムを全部グーグルで作ろう」ということだ。
そのために「世界中の情報を整理しつくす」というが、そう簡単にはできることでない。
グーグルに関して
ー第2章 グーグル?知の世界を再編成するー の概要から考えてみよう。
(これは、あるHPからコピーしたものだが、簡潔にまとめてある)
・グーグルのミッションは「世界中の情報を組織化し、それをあまねく誰からでもアクセスできるようにすること」
・ネットの「こちら側」であるフィジカルな世界から、インターネット空間に 浮かぶ巨大な情報発電所とも
 言うべきバーチャルな世界である「あちら側」へのパワーシフトが確実に起きる
・情報をインターネットの「こちら側」と「あちら側」のどちらに置くべきか、情報を処理する機能を「こちら側」と
「あちら側」のどちらに持つべきなのか、というトレードオフが、これからのIT産業の構造を決定する本質となる
・グーグルの情報発電所とも言うべき巨大コンピュータ・システムは、チープ革命を徹底追求した全く新しい
 作り方で自製し、 圧倒的な低コストを実現したという意味において、三大潮流のすべてを体現した存在である
・グーグルのビジネスモデルは新しいバーチャル経済圏を形作ろうとしており、
 「知の世界の秩序の再編成」に新しい富の分配メカニズムをもたらしている
・「情報自身の淘汰」に委ねるという思想のもとに、すべての情報を共有することこそが、組織と情報」
 におけるコペルニクス的転回であり、グーグルの組織マネジメントにおけるスピードとパワーの源泉になる
・サービスにおける「人間の介在」の思想の違いから、ヤフーはメディア、グーグルはテクノロジーという本質的な違いがある
  ー以上だが、
「世界中の情報を組織化し、それを誰からでもアクセスできるようにすること」「世界政府があるとしたら、
 そこで開発しなければならないはずのシステムを 全部グーグルで作ろう」というミッションの恐ろしさの一端を、
 多くの人が 実感できたのが、2005年6月に「グーグル・アース」というサービスを始めた時だ。
 無料でダウンロードできるグーグル提供のソフトウェアとサービスを使うと世界中の衛星写真、起伏に富んだ地形の立体画像、
 さらに大都会の場合、建物の意味を含めた詳細の三次元画像を、私たちはパソコン上ですべてみることができるようになった。
  (以下、字数の関係でカット2008年4月02日)
ーー
先日さっそく「グーグル完全活用本」?創芸者を買ってきたが・・・
次回は「アマゾン」について書く。                ゝ(-_- ) バイ!
・・・・・・・
2005年04月02日(土)
 1460, 頭脳の果て ?読書日記
この本は数年前に買ったが、目を通しただけで本棚に並んでいた。何げなく手に取ってみたところ、面白い。
前に読書日記で書いた「迷ったときは運命を信じなさい」に似ている。ネット書店の「アマゾン」で、
この本の基本情報を取ろうとしたら、この中古本が何と10倍近くの値段で出ていた。
絶版のため、値段が競りあがっているという。書き込みと、ページの折込をしてあるので売り出せないが、
そうでなかったら、売りに出したのだが。(売り手の戦略の可能性もあるが)それにしても、面白い本である。
特に天才のイメージを借りるテクニックが面白い。天才の感覚を借りるテクニック(Genius Code)、イメージワークである。
天才をイメージで呼び出して、その人になりきり、その人の疑似体験をする。
イメージトレーニングを発展させたと言えばわかりやすい。使いようによっては、かなりパワフルにはたらく。
大まかにいえば、1.リラックスする 2.モデルとなる師を具体的にイメージの中で描写する
3.着ぐるみの中に入るようにして師匠の背中から中に入り、師の焦点と、言葉と、体の使い方を体験する。
 終わった後では、その着ぐるみを脱ぐというような感じになる。
実際、随想日記を書いて読み直すとき、物書きのイメージで批判的に自分の文章を読み返すと、
いつの間に全く違った添削をしている。他にもイメージ・ストリーミングが色いろ書いてある。
 その一つを紹介すると、
1・エレベータのようなものに乗る。
2・ボタンを押すと、他の星に移動する。
3・そこには、他の星の自分がいて、自分よりはるかに能力がある。
4・その自分と一体になって、ものごとを考える。そして何かヒントがでてくるはず。
5・そして元の自分に戻って、そのマシーンにのって帰ってくる。
 まあ、大雑把にいえばこうだ。 私が考えた、「三つの部屋の物語」も、これがヒントかも知れないが。 
更に、いま一つを紹介しておこう。夜寝る前に目を閉じて、最も偉大な9人を透明な顧問にして、彼らと一緒にいると想像する。 
彼らは私を楽しい冒険の旅に導いてくれる。おかげで真実の偉大さに再び深く感謝することができ、創造的な試みに向けて
努力する気持ちと正直な考えを表現する勇気を持つことができる。自分の好きな9人を選ぶのもよいだろう。
「迷ったときは運命を信じなさい」の、ギリシャ神話の神様と似通っているが。これらは、私達が持つ大脳の素晴らしい
潜在意識のメッセージに耳をそばだてることである。また違う視点を得ることが可能になる。
  (以上、字数制限のためカット 2012年4月2日)
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2004年04月02日(金)
 1095, わからないという「方法」
この本を本屋で見たとき、てっきりーわからないという「方法」で、自分の枠の世界からでない方法のことを
言っているのかーと思ってしまった。それはできませんと勝手に思い込んで、小さな世界に閉じこもってしまうのも同じ。
立ち読みをして、インターネットで調べてみると、わからないと、一度0に立ち戻って1つずつ理解しようとする
努力方法をいっている。ナルホドと肯いたが、わかるとは何かを一度考えるチャンスにもなった。
わかるとは理解することである。といって何処まで理解するとわかったことになるか、あいまいである。
むしろ「わからないという方法で」対象に入り込んでいくとよい。私はあのひとを、わかっているといって全く
わかっていないのが実態である。あれはこう、これはこういうものという勝手な思い込みを捨て去ることをいっているのだ。
異業種参入が新しい業態を作ってしまうケースが多いのは、むしろわからない「方法」を利用している為である。
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2003年04月02日(水)
 728, 天国と地獄
 人生を長く生きてきて「天国と地獄」は死後にあるのではなく、生きている人間の心ー思いの中にあることが解った。
その意味で一生かかって、天国のイメージをつくるのが宗教のはたす役割といってよい。 事業は経営が順調だと天国、
上手くいかないと地獄である。これほどのハッキリしたものはない。上手くいっている時はこの世の天国である。
 しかし経営悪化で、資金繰りが行き詰まり自転車操業になった時は生き地獄そのものである。
その意味では「日本中は現在は地獄のふたが開いている状態」と経済評論家の高橋乗宣がいっているが、
実感としてよく解る。自民党という鬼が今も利権のため地獄の世界に国民を巻き込んでいる!
何ともいえない日本を覆っている暗い雰囲気は、それを物語っている。 サラリーマンはよい職場か、悪い職場で
それが決まってくる。ある時期に倒産直前状態で大手の資本下にあった会社にいたことがある。
この世の地獄である。お互いの足の引っ張り合い、傷のつっつきあいになる。
また上司の相性も、その分かれ目になる。大の男がトイレで号泣!になってしまう。
 家庭もそうだ、基本の夫婦関係が「あたり」か「はずれ」で、天国か地獄かの分かれ目になる。五分五分でまずは、
試される事になるのだ。いかにいい加減に相手を決めてしまうのが人間の弱点だ。誤解をして結婚してしまい、
理解して離婚というケースになってしまう。 重いうつ病もこの世の地獄である。その人が理想としてつくった家は、
その人にとっての天国のカタチという。なるほど解るような気がする。いま住んでいる自宅は両親が
「自分の人生の最後を飾るため」に造った家だ。 そうすると、私は両親の天国世界にいることになる。なるほど!
私の天国は家内と秘境旅行をしている時だ。 それぞれのカタチがある。
・・・・・・・
2002年04月02日(火)
 364,新入社員歓迎会
毎年この時期におこなわれる。 かなり毎年盛り上がる。当社の宴会はもともとかなり盛り上がるが、歓迎会がさらに盛り上がる。
2?3年に一回はトリック・スターが出るが今年は2人いた。お陰で例年の数倍の盛り上がりようであった。
まだ酒の飲み方の解らない新人に飲ませるのだから、こちらも責任がある。その辺を調整しながら、盛り上げる。 
しかし面白いことこの上ない。若い人のエネルギーを戴く感じである。若いということは、本当にいいことだ。とにかく明るい!
花が咲いたという例えがピッタシである。それと時代に左右されている。
    (以上、字数制限のためカット 2011年4月2日)


4024, 事業生活39年の、独り語り ー7

2012年04月01日(日)

   11年前に、千城台ビル内で創めたベーカリーについて書いていた。  ―まず、そのコピーからー
≪  [103] センチュリーベーカリー    ー昭和50年3月〜8月31日ー (2001/08/09)
 他人に話した事が殆んどないが、焼きたてベーカリを立ち上げた事がある。千葉千城台のビルと養老の滝1122号店を立上げ一年、
 空きビルを埋めるべく何がいいか考えた時、当時団地では全くなっかった‘焼きたてのベーカリー’に目をつけた。 
冷凍生地を主体とした焼き立てパン屋である。 商社の東レの子会社の蝶理という商社が、このフランチャイズをやるという
新聞記事をみて、ホテル・レストランショーで実際にみて、早速やることにした。東十条にある関連のベーカリーに朝4時に起きて通う。
そして二カ月後にオープン! 例のとうりパニックそしてーーー。 素人は初めは良いがある時期がくると、応用が利かない弱点が出る。
その時期に長岡の実家で問題が発生。 このタイミングを狙われたのである。 そこで第三者に経営委託をして急遽長岡へUターン。
恐らくあのままやっていたら数年で行き詰まったと思われるほど、実際は難しい商売。 振り返ってみると、‘開発型委託経営ビル’を
造った事になった。 考えてみれば、ジャスコ、いとはん(北陸ジャスコ)、ビル開発(飲食フランチャイズ+ベーカリー立上げ)、
実家の衣料デスカウント・ハウスと、12年近く、全く未経験の分野への自己配転をしていたことになる 。 ≫
 ▼ このビルは、建設の7年後にテナントが埋まったこともあり総投資の二倍の一億で売却した。 当時、5つのテナント部分は、
 養老の滝のオープン以来一年数ヶ月経っても空いたまま。養老の滝も、軌道に乗り、サブだった人に任せ、空きテナント部分で
 新しい店を考えた。そこでホテル・レストランショーで見つけた、テイクオフのベーカリー。ジャスコでも、金沢の「いとはん」でも、
 数ヶ月単位で担当売り場を変え責任を持たせる。キャリアを積ませるのである。配送サンター、寝具、靴売り場、子供服、日用品、
 など次々に任される。品種変われど、商品管理の本筋は同じ。だから居酒屋も、ベーカリーもシステムを把握して全力で取り組めば、
 何でも可能ということを知っていた。 そのため実家の仕事を引き継いでも、ビジネスホテルを立ち上げるにしても全然、抵抗感がない。 
 何事も、表面が違っても、本質は同じである。
  ・・・・・・・
3658, 価値とは思い込み
2011年04月01日(金)

 価値観の価値は「思い込み」とすると、その意味がストレートに伝わってくる。
価値は意味に非常に近いと解釈をしていたが、「思い込み」とすると、より分かりやすい。

人間は、それぞれの思い込みの中で生きている。その思い込みは子供の頃からの周囲の刷り込みがベースになる。
その刷り込みから脱皮していく経験と知識の蓄積が教養になっていく。 大きな挫折をすると、思い込みが破壊される。 

創造と破壊は裏腹であるが、思い込み(価値観)の破壊も重要である。それが節目の切欠になる。
「互いの価値観が違う」というが、「互いの思い込み違う」ことでしかないのが分かる。

まずは自分が何を思い込んでいるかを知ることが、第一歩。 それも、思い込みになるかもしれない。

 価値、意味、思い込みを、絡めて一文をつくると
「価値、価値観と難しいそうにいうけど、そんなことは思い込みという意味でしかない」
・・・・・・・
2010年04月01日(木)
3293, 人みな骨になるならば ー9
  * なぜ簡単に(エゴ)捨てられないのか
「なぜ簡単に人間はエゴを捨てられないのか」が、理路整然と書かれている。
 ー まずは、その部分を抜粋して考えてみる ー
試みに、街を歩きながらエゴの武装解除をしていき、「すべてはブラフマンの現われである。あの広告塔も、
こなたの酔っ払いも、私と同根のものだと実感する修行を続けてみるがよい。 その結果、わかることは、
目の前にある山川草木、鳥獣虫魚はもちろんのこと広告塔や塵芥とさえ、つながっている感覚をわずかに持つことができる。
一番難しいのは、むしろ他の人間と通底しているという実感である。これは予想外のことだ。 人間は他の人間との差異に対して
最も敏感である。 もちろん修行などしなくても、抽象的な「人類」や「同国民」と連帯しているような感覚を持つことができる。 
われわれはスローガンとしての連帯や仲間意識は大好きなのである。しかし、通底体験というのは、そうした観念上のものではなく、
目の前の太ったオバちゃん、向こうからやってくるダラシない若者との瞑想的な一体感なのである。 これが実は難しい。
 このことは、おそらく自我の意識というものが、主として社会集団において自己と他の具体的な成員と
区別をするために発生したのではないかと疑わせる。人間らしさの殆んどの特質が、他の人間との生存競争を
通じて進化してきたと主張する学者が多い。 人の容姿はもとより言語や知略も、たぶんサーベルタイガーや
マンモス相手に開発されたものではない。 異性や仲間との付き合い上、是非とも必要だったのだろう。
自我もまた水辺やサバンナでの生計とか氷河期の気候とかに適応するためでなく、狡猾な同族であるヒト相手の
社会生活を生き抜くために必要だったからだ。
 ▼ 映画の「2012」でも、世界の滅亡に、世界各国が協力しあう場面が、これを読んで浮かんできた。
 人の差異は、外敵に対してでなく、社会集団における自己と他者との生存競争を通じて進化してきた!というのが、
 鋭い指摘である。 40年前の学生闘争の嵐の中で、田舎出の教条主義の「あれ等」は、同じ方向の分派達との
 争いの方が、残酷な死闘になっていった。 殺人の過半数以上が家庭・親族という事実と同じである。
 人間の遺伝子の性格は利己主義という。 それを抑えるのではなく、他者の迷惑にならないようにすることと、
 社会の有益な何かに向けることが、人から人間になることだろうが、それは建前と割り切るのではなく、
 エゴを野獣、いや野性と看做し、コントロールすることが教養か? 酒を飲むと、それがね〜 鵺?
 ・・・・・・・・
2918,「無趣味のすすめ」という問題提起 ー1
2009年04月01日(水)
  新聞広告のー「無趣味のすすめ」村上龍著ーの説明文である。
 ーわたしは趣味を持っていない。小説はもちろん、映画製作も、キューバ音楽のプロデュースも、メールマガジンの編集発行も、
 金銭のやりとりや契約や批判が発生する「仕事」だ。 趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような
 出会いも発見もない。 心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大な
コストと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。それらは私たちの「仕事」の中にしかない。
  ー 思い切った問題提起である。
「人生は仕事だけではない」ことは今さらだが、中途半端な仕事をしながら、趣味の世界に生きる人間に対する一撃。
 しかし仕事一筋できた男が挫折した時に、趣味の世界を持っていたために救われることがある。
 仕事のできる男ほど、それと同じぐらいの趣味の世界を持っていて それが仕事をプラスへ導く。 
 しかし、仕事を達成するには多大なコストと危険を伴い、常に失意や絶望という底知れない荒海が舟板一枚下にある。
 趣味だ娯楽など、余所見をしている暇などないのも事実。 読書を趣味としてきたものにとって、いや酒が好きで
 居酒屋通いをしてきたものとして、秘境・異郷ツアーが好きで世界中を巡ったものとして、そこには失望も歓喜も
 興奮が満ちていた。 そこは熱帯雨林のように豊穣な世界が存在をしていた。 しかし、言われてみれば過去の事業を振り返れば、
 その数倍の豊穣な世界があったことも事実である。 要は、「力、愛、知」の「力」の部分に力点を置くべし、ということだろう。
 少し、趣味に力を入れすぎたか? そうでもないか?  新聞広告に列挙していた内容を次回に書き出してみる。
 その一つが  ー効率化とゆとりー 
 「農耕と国家が生まれてから、ゆとりを持って生きることができた人は全体の一%もいない。」
 が、面白いが、そうでもないんじゃないかとも思われるが、如何だろうか?
  身近では、一人も存在していないが、いや、ごく身近に一人居る? いや、そう見えているだけ?
 ・・・・・・・・・
2554, 閑話小題
2008年04月01日(火)
 *予習と復習
 人生の終盤に入ってくると、色いろとそれまで気がつかなかったことが、実感としてわかることが
多くなってくる。特に学習に対しての予習と復習の大切さを、あの時、気がつかなかったか悔やまれる。
そういえば、先生が予習復習を口すっぱく言っていたが・・こと、学業に関しては予習30、復習70?と目安だろう。
 (字数制限のためカット 2012年4月01日)
 * 客引き・スカウト行為が今日より禁止
 (字数制限のためカット 2012年4月01日)
 *ガソリン値下げ
(字数制限のためカット 2012年4月01日)
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2007年04月01日(日)
2189, 「考える」とはどういうことか? 
   おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ    ー 読書日記    
「近代哲学再考」 竹田青嗣著
ー「ほんとう」とは何か 自由論ー
池田晶子の本の中で、「考える」を多く取り上げ、考察している。また読書日記でも取り上げた。
「思う」から「考える」へ、どのように変化するかというと、その対象をまず把握することから始まる。
我われが「悩む」というと、悩んでいる対象を把握していないことにある。その把握ー情報収集が考える第一歩が始まる。
把握のプロセスから、すでに考えることになる。「考える」をー検索すると、「問題の解決や,目標の実現や達成のために,
いろいろな経験や知識を組みあわせながら,新たな構想をさぐっていく精神活動。
すなわち,思いをめぐらし(連想,想像,推理),考え(思考,工夫),そして決断する(判断)ということである」と定義している。
ひとことで言えば、「本質の洞察をするための精神活動」ということである。難しいことを解りやすく整理するのが、
私の考える切り口でもある。池田晶子が子供向きに哲学用語を一切使わない文章などは、一瞬で深い真理に導く。
ーこの著の以下の部分は「考えるとは何か?」を考える上で、なかなか解りやすい!
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「プラトン入門」という本で、わたしは哲学の方法原理をつぎのように整理しました。
*「物語」を使わずに抽象概念を使用する。
*「原理」を提示する。
*つねに「一から」(根底)から再始発する。
ーについて、宗教では世界説明をするのに「物語」を使います。そしてこの簡潔な「物語」を通して、世界はなぜ、
どのようにして存在したか、人間はどういう理由で存在するか、なぜ生きて苦しみ、またその生の意味は何か、
といった自己と世界の存在それ自身についての「問い=謎」に対する答えが、明快に与えられる。
 これに対して「哲学」は、「万物」「原理」「水」といった抽象概念を用いて世界説明をおこないます。
ここで抽象概念とは、「一」「他」「同」「静」「変化」「不変」「多」「完全」「不完全」「永遠」・・等々の言葉。
「物語」を排し、「抽象概念」を使うことによって、哲学の世界説明が、特定の文化や民族や共同体の限界を越えて、
 誰もがその思考に参加できるいわば開かれた言語ゲームとなった。
   ??について、哲学は「概念」を論理的に使用しつつ「原理」を提出する、というルールで行われる世界説明
  (人間とは何かを含む)の言語ゲームだ、といえます。そして、ここでの「原理」という言葉は、本来、根本的で究極的な
  「真理」という考え方とは違ったものである。自然科学の、仮説と実験とを繰り返しつつ理論体系を徐々に整備していく、
   という基本方法は、一見、哲学の思弁的方法と異質なものと思える。
   しかし、少し注意すれば、科学もまた、「物語」を禁じ手にし、「抽象概念」を論理的に使用し、「原理」を提出し、
   さらにすでに成立した世界説明を神聖化したり、固守したりせず、常に時代の要請に合わせた、できるだけ深い前提に
   立ち戻ってもういちど理論を組み立て直す、という根本原理によって成立していることがわかる。
   哲学は、ある多様な現象を、どのような「キーワード」(=原理)で呼べば、またそれをどう構成すれば、
   より普遍的な(=広い共通了解を生むような)説明方式になるか、これが哲学どいう思索方法のもっとも革新的な
   方法であり、自然科学はまさしくこの方法を「自然科学」の領域に当てはめ成立したものである。
  ??について、哲学の重要な点がある。
  (字数制限のためカット 2010年4月01日)
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2006年04月01日(土)
1824, あちら側の世界 ー5   
ウェブ進化論ー5  ーオープンソース現象ー(2)
 ー「ウィキペディア」について
この本で知ったのが百科事典の「ウィキペディア」である。まずは、この百科事典から調べてみた。

ウィキペディア (Wikipedia) はインターネット上で作成、公開されているオープンコンテント方式の多言語百科事典。
ウィキペディアはウィキメディア財団の展開する最初の多言語プロジェクトである。 執筆、編集は主に参加者の
共同作業によっておこなわれており、自由参加型である点にも特徴がある。
 (字数の関係でカット2008年4月1日)
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2005年04月01日(金)
 1459, 遠くにありて日本人 ー2
この番組が面白いので見ていたら、先日で最終回になっていた。スペイン在住の日本人画家であったが、その中で
印象的な場面があった。大きなキャンパス全体に、斑模様の微妙な茶色を背景として塗りこんで、あとは数日間、
その画面を睨み続けて、何か閃きが来るのを待つ。そしてヨギッタ一瞬に、それをすくい取るという。
 (字数制限のためカット 2012年4月01日)
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2004/12/13
 1350, 遠くにありて日本人 ー1
この番組み、度々見ているが、昨日のアメリカのロス近郊のバイク・ビルダー(手づくりバイク)の日本人がなかなか面白い。
 (字数制限のためカット 2010年4月01日)
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2004年04月01日(木)
 1094, 『携帯電話不安症』症候群
先日、ニュースで携帯電話不安症について特集をしていた。メールが来ないと、不安になってしまい
精神のバランスを失ってしまい、不安と疎外感で一晩中泣いてしまうという。
手軽に自分の気持を携帯電話で誰にも伝えることができる反面、
孤独になる機会が少ない為に、チョッとしたことで精神のバランスを崩してしまうという。
常に誰かと繋がってないと息もできない感覚になるという。
いま一つの特徴としては、'周囲の人と同じような自分'でなければ不安でしかたがなくなる。
それは、今までにない異常な大ヒット現象を生み出す一方、いじめなどの社会不安の増加をもたらしている。
さらに彼らの、「カリスマを求めてしまう心」は、社会をファシズムに走らせる危険性もはらんでいる。
会社員の場合、会社の携帯電話を待たされていると、
・いつも誰かに追われているような気がしてストレスを感じる。 ・携帯電話の電源をオフにする勇気がない。
・呼び出し音がする度にドキッっとする。(心拍数の上昇)   ・冷や汗が出る。
・呼吸が苦しくなる。(過呼吸症候群)            ・動悸・息切れがする。
・お腹が痛くなる。(過敏性腸症候群)
  (字数制限のためカット 2010年4月01日)
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2003年04月01日(火) 727,  
「結婚スピーチ 」-読書日記
     ー死ぬまで忘れられない話 ー  
 この本がタイトルとは違って、斉藤茂太の人柄の為か面白いのだ。おそらく我々のスピーチの数十倍の機会が多いから、
色いろの逸話を集めたのだろう。考えてみれば、夫婦の何ともいえない機微を取り上げるのは結婚式が一番多い。
夫婦の関係ほど微妙で複雑で赤裸々で面白いものはない。
 ー以下を抜粋してみたー私の感想を入れた。
・ある人がアインシュタイン夫人に、「あなたは相対性理論をおわかりになるの?」と訊いた。
 それに答えて「いいえ。でも,わたしはアインシュタインをよく理解していますよ」といった。
(感想)フォード1世に、ある記者が学歴がないことを知っていて、難しい質問をした。
 フォードいわく「それは解りませんが、それが解る人間はすぐ呼べますよ」の逸話を思い出した。
・結婚をしなかったわたしは、なんてバカだったんでしょう。
 これまで見たものの中でいちばん美しかったのは、腕を組んで歩く老夫婦の姿でした。ーグレタ・ガルボ
(感想)朝のモーニングショーで、離婚をしてよかったといっている中年女タレント数人に小沢昭一が、
「歳をとってね、ばあさんと一緒に飲むお茶の味はいいものだよ」といった。元気のよかったバカタレント何もいえなくなった。
・作家の吉川英治は、亡くなる前に奥さんの手を取って、こういった。
 「7たび生まれかわっても,7たびきみと結婚するよ」(感想)わたしの知人の奥さんが亡くなるとき
 「またわたしを貰ってね!」といったそうだ。家内には「今度生まれてきたらあなたとは結婚はしないわ!といわれてしまった。
結婚生活のコツは「また生まれ変わったら、この人と結婚したいと思うように 互い努力することと聞いたことがある。
・人間にとって昔から大事なことは、夜、家に帰ってこないとき、どこにいるのかと心配してくれる人がいるということだ。
                           ーマーガレット・ミード
(感想)アメリカの地質学者の言葉だ。  やはり港があるから楽々遊べるのだ。
・結婚は鳥篭のようなものだ。外にいる鳥は、入りたがり、なかの鳥はいたずらに出ようともがく。 ーモンテーニュ
 (感想)理想は開けっ放しの餌の充分ある篭がよい。 そうもいかないか?! 
 夫婦生活は最後は 明るく、暖かいことと、最後はお互いの品性である。
         「結婚スピーチ 」ー死ぬまで忘れられない話  斉藤茂太著  
                文化創作出版 1996年出版
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2002年04月01日(月)  
363,人に好かれる方法         
 * 聞き役
学生時代読んだ本に、カーネギーの「人を動かす」という本があった。
その中にあったデールの6原則があった。
1、名前を覚える 2、聞き手にまわる 3、誠実な関心を寄せる
4、相手の関心を把握する 5、笑顔で接する 6、褒める ーと記憶している。学生時代まだ田舎を出たばかりで、
人間関係の都会的感覚が身についてなかった。どうしたら人に好かれるか上手くやれるかに、悩んでいた時にこれを読んだ。
即実行、ものの半年もしないうち世界が一変した? もちろん男だが、友人が私の周りにオオバーに云えば屯したのである。
そうも上手くいくものかと自分で驚いたものだ。特に聞き役は大変だ。そこですぐ覚えたのは、聞いたフリをして他の事を
考える事である。と同時に関心の中心に、相手の話題を掘り下げてやる事である。あの頃は頭でっかちである。
誰かに知ったばかりの知識をヒケラカシタイ歳である。誰か聞いて欲しいのである。また孤独で自分を知って欲しいのだ。
そして2年続けていたら馬鹿馬鹿しくなった。「おれはカウンセラーじゃねえぞ!」「今度は逆をやってみよう!」
ヒステリック的に自分でハッタリをかましてみようと。その時読んだ本が「教祖の話術」?赤塚行雄ーであった。
聞き役の寡黙の男が、急にわめきだしたのだから周りは吃驚した。そしてその話にそのバックあるから、その効果があった。
行動科学のシュミレーションをしていたことになる。

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