堀井On-Line



3932, 今年の総括 ー2

2011年12月31日(土)

  * そうであっても良い年?であった! 
 去年の暮れに、まさか3ヶ月後に会社が消滅するとは思ってもいなかった。それが一月末に手持ち資金残高が予定より思いの他、
少ない結果になった。そこで「売上減が止まる前提の計画」を、そのまま下がり続ける数値のシュミレーションをしてみると、
虎の子の予備資金を運転資金に出しても、秋口には資金ショートになる。 しかし年を超えてからも、同じペースの売上ダウンは
続いていた。毎日、何度もシュミレーションをし、議論をしても、プラスに転じる材料はゼロ。その上に7月の地デジ化による、
テレビの入れ替えと、ボイラー交換の問題が発生していた。二つともリース会社の了解を得ていたが、年末の資金ショートは、
火を見るより明らか。 それを承知の上での投資は? 私の「良心」の問題になってくる。 2〜3ヶ月後の閉鎖ならば、
法定の退職金・給与も、取引業者の月末の支払いを済ますことができる。そのボイラーの発注はギリギリに迫ってきた。
さあ、どうするかの決断の間際に、東北大震災が発生。その直前に弁護士事務所に行って、問題の相談に入っていた。
震災発生直後に再び行くと、弁護士いわく、「弁護士の仕事柄、その決断に対しては口出しをする立場にはない。が、
今回は状況からいって、迷う状況ではない。現在なら関係者に迷惑は最小だが、延ばすほど傷が深くなる。止め時です。」と。 
 そして3月18日に会計事務所の担当を含めて「3月末の支払い直後に廃業」と決定。 決まれば、あとは手順に落とせばよい。 
そうこうあって引き際は手順に沿い機械的に進んでいった。 「これも事業サイクルの一つ」と、違う誰かが空の彼方から
指示しているかのようでもあった。そして淡々と事が進んでいった。 経理事務所の30年来の担当が、「あなたは、手順を
楽しんでいるようですが、何が起こっているのか分かっているのですか?」と、怒ったように言う。しかし、最後の手順も30年の
事業の一環。 それも自他共認める?3つの未曾有の大災害なら、割り切るしかない。 ならば、現象を興味深く見つめ、
記憶にとどめるのがベスト。この総括、「今年の総括」というより、「30年の事業総括」の前書き部分に近い内容だが、
泣いて喚いても、どうにもならないなら、虚勢を張ってでも明るく一日一日を過ごすしかない。 日本経済の来年の縮図が、
そのまま当方に現象として現れ出たことになる。実際に渦中に立つと、一場面一場面がドラマそのもの。社会のヒダが良く見える。
 あのまま続けていたら、今頃は県外の何処かに雲隠れ・・。 思い切って、次の人生に転身するに、それもあるが・・・ 
やはり、立つ鳥あとを濁さず、である。 「私の人生は何だったのか?」などの、世迷い事の泣き言は不思議なぐらい全くない。
あるとすれば、「現時点からみて、15年前に会社を売却すればよかったか?」ぐらい。それが出来るぐらいなら、もともと、
この事業は手がけたなかった。来年の3月末が一周年になるので、この30年の事業と、準備期間の15年を含めた総括をするが、
どう総括しようが、大津波に全てを渫われてしまった事実は変えようがない。最後はソフトランディングをしたかったが、
この震災では諦めがつく。 来年は、高みの見物になるのか、防波堤とも流されるか? 娑婆はのんびりしているが。大丈夫かい!
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2010年12月31日(金)
 ー今年の経済を振り返ってー
 今日で無事、今年は終わる。不況の波は一日一日大きくなってきている。 耐久消費財(車、家電、住宅)のエコポイント制度で
(前どり需要で)何とか消費を喚起してきたが、来年そうそう、その反動が来るのは必定。またグローバル的にみれば
リーマンショックの表出が来年から更に激しくなる。 東海から関東のベルト地帯は、まだ経済的温もりが残っているが、
そこから離れた地方ほどマイナスの度合いが高くなっている。 不思議なことにマスコミは取り上げないが、惨状は酷いもの。
鳥取、福井、石川、富山、新潟、山形、秋田など日本海側に接する県は特に酷い。長岡、新潟市をみると、悲鳴すら上がらないのが実情。
私の知る限りでは、デフレスパイラルの渦がリーマンショック以来、三周目になっても一日一日大きくなっており、
押さえが効かなくなっている。欧州ではデフォルトする国家が出る可能性がある。それをきっかけに世界同時株安となれば、
体力を消耗しつくした日本が大きく傷つくことになる。現在の心情をいえば、「来年怖い」。時代の流れとは恐ろしいもの。
右上がりのよい時代を生きてきただけ、時流の段差が見えてくる。チロリチロリ、チンチロリか〜
 ー独学が唯一の教育であるー
10年位前に、「どんな教育も突きつめれば独学が唯一の教育である」という言葉に出会った。
その後、そのことについて考え続けている。大学卒業時に自分の絶対的読書量の少なさに呆然として、
社会に出てから一日2時間以上の読書時間を持つことを誓った。その独学こそが学生時代の一番の収穫ということは、
当時知りようもない。特にネットで情報を取れる時代に、そのベースは大きな財産になっている。
とはいえ基本は独学より学校システムに乗り、そこで多くの指導者に出会い学ぶ方が良い。修破離の修である。
教育とは、独学が可能な能力を持たせること。そのベースは、これまでは高等教育だった。
しかし、今度はネットという新しいツールが出きてきた。独学に、これは最適である。
「それぞれの人の素質が、それぞれに伸ばすことが可能になる」ということ。
 〜年末の、過去の同月同日の文章が自分書いただけに時代がみえて、懐かしく面白い! 
 何で、ここまでして書くの?の自問自答の答えがある。思いと行蔵の痕跡を残すため、そして・・・である。
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2009年12月31日(木)
 3192、大晦日、つれづれに!
 今年も大晦日になった。覚悟をしてほど経済の混乱は無かったが、それでも確実に悪くなっている。
政治は、アメリカでオバマが正式に大統領に選ばれ、日本では自民党が政権に最後まで、しがみついた結果、
国民に見放され自己崩壊。 民主党の鳩山政権が発足、今のところ、及第点だが、来年からは土壇場の場面に
直面し、政界再編成は必至。 日本経済の崩壊予測を書いてきた浅井隆の本を先日、立ち読みした。
「リーマンショックは、日本にとって東京と名古屋に原爆二個を落とされたようなもの。
 その激震の津波は、まず体力を消耗している地方に直撃しており、凄惨な事態」と、あった。
上越新幹線の最終駅で、ビジネス・ホテルを経営しているので、その論は至極当たり前に受け止めることが出来る。 
一般より3ヶ月早い数値が先行して出るが、すでに二番底にむけて動き出したようだ。  2〜3月あたりから、
経済は深刻な一段落ちになる。 恐ろしい限りである。何とか、緊急対策で失業率の上昇や株の暴落を抑えているが、
これもカンフル剤でしかない。来年は何とか、これで持たせることが出来ても、参院選挙の終わった来年の後半からは、
思い切った政策が断行されるだろう。それが通貨の切り替えなのか、銀行閉鎖なのか、国家非常事態宣言による??なのか。
悲観的に成りざるをえないのは、まだ、数百年に一度の動乱の入り口でしかないことだ。人間は脆いものだが、国家も脆いもの。
 25年ぶりに、私の人生の大きな位置を占めている「秘境ツアー」に行かなかった。《最近は、欧州が多いが》
気合が入らないのである。 無理をすることもないが、といって、「何が何でも行く」というのが崩れてしまった。
 それにしても、大晦日の総括の、これまでの文章を読み返すと面白い。何ともいえないTPOSが感じられる。
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2827, 晦日は、今年の読書の総括
 2008年12月31日(水)
今年の締めくくりは読書の総括。
まずは年初に読んだ 副島隆彦の「恐慌前夜」「属国・日本論」「連鎖する大暴落」を読んで愕然とした。
他に彼の一連の本を読んで、迫っている世界経済の危機を感じ取った。
また金融を中心にコンサルトをしていただいているH氏に紹介された竹森俊平著「資本主義は嫌いですか」と、
マンデンブロ著「禁断の市場」も印象的であった。 ソロス著「ソロスは警告する」、
金の投資家、松藤民輔著「無法バブルマネー終わりの始まり」、藤原直哉著「世界同時株暴落」、
野口悠紀雄著「世界経済危機ー日本の罪と罰」、そして、松井孝典著「地球システムの崩壊」など、
地球規模で起こっているエネルギーのウネリを感じ取れたことも収穫だった。
そのために、リーマンの破綻が世界恐慌の発火点と直感し翌日ここで取り上げ書いた。 
どの本を読んでも目から鱗であったが、いざ金融恐慌が始るると、
世界的な経済崩壊の規模の大きさとスピードの速さに驚愕している。
ー 本として印象の強い順に書いてみるー
1、松井孝典 「地球システムの崩壊」         2、副島隆彦 「恐慌前夜」
3、竹森俊平 「資本主義は嫌いですか」        4、マンデンブロ 「禁断の市場」
5、松藤民輔 「無法バブルマネー終わりの始まり」   6、ソロス  「ソロスは警告する」
7、近藤道生 「平心庵日記」             8、副島隆彦対佐藤優著 「暴走する国家ー恐慌化する世界」
9、野口悠紀雄 「世界経済の危機」         10、米原万理 「打ちのめされるようなすごい本」
(字数制限のためカット09年12月31日)
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2007年12月31日(月)
2462, つれづれにー大晦日          ´▽)ノおは〜
大晦日である。 一年は本当に早く過ぎ去る。御節は今年は止めておこうかと思ったが、結局は注文してしまった。
例年の半値の5千円のセットだが、郊外にあるフランス料理店のものである。この十年以上は紅白歌合戦はホボ見ていない。
格闘技を見るか寝ているかだ。総括は先日書いたが、面白い本には多く行き会った。新潟駅前に新しい図書館が出来たのも大きいが・・・
今まで自分がそこまで行ってなかったこともある。自分の知能のレベルでしか本の内容は理解できない。
 (以下は字数の関係でカット2011年12月31日)      (■*U∀u)ノ 良い年を!
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2006年12月31日(日)
2098, 今年を振り返って −2     オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
今日で今年も最後になる。12月の10日に「今年を振り返って」を書いているので、
ここでは、「私的なこと」に、割り切って書いてみようか。今年は私にとって「60歳」になった節目の年である。
{60歳までに、一生分を前倒しをして、やりたかったことを、全てやりとげる}と51歳で決意し、そして生きてきたので、
肩の荷物が降りたような虚脱感と、ホッとした満足感が現在もつづいている。そして来年の3月までに、60歳代の生き方を
決めるつもりである。2人の息子も婚約をして来年には結婚予定で、丁度、還暦の頃に子供が家庭をもつという「人生のサイクル」は、
丁度よくできている。私にとって、その意味では節目の年であった。友人と話すことといえば、なるほど年金の話が中心になる。
企業年金が??万+厚生年金21万=3?万とか、私は家内が厚生年金に入っているので+?万とか年寄り臭い話になる。
12月1日に義母が亡くなり、盆と正月に唯一行くところが消滅した。仕事場が新潟市にあり、自宅は長岡、そして家内の実家が柏崎と、
丁度良いバランスであったが・・・。前回も書いたが、今年は塩野七生の「ローマから日本が見える」「ウエブ進化論」
「グーグル」「あたりまえのことばかり」が印象に残った。
 印象の強い順にベスト10を思い浮かぶまま書いてみると
 1、「ウエブ進化論」梅田望夫  
 2、「あたりまえのことばかり」「14歳からの哲学」「知ることより考えること」「41歳からの哲学」池田晶子
 3、「ずっとやりたかったことをやりなさい」ジュリア・キャメロン
 4、「要約世界文学全集?・?」木原武一          5、「生き方の研究」森本哲郎
 6、「『私』のための現代思想」高田明典         7、「ローマから日本が見える」塩野七生
 8、「グーグル」佐々木俊尚               9、「エピソード読む西洋哲学史」堀川哲
 10、「冒険投資家ジム・ロジャーズ世界バイク紀行」
「生きていることの不思議さに気づいた年」である。考えれば考えるほど不思議なことだ。
  *^ワ^*)i それでは良いお年を!       バイバイ 
 (以下は先日書いた内容です)
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12月10日(日) 2077,
今年を振り返って −1   才八∋ウ_〆(∀`●)
そろそろ、今年の十大ニュースが話題になり始めている。
年末の31日になったら、もう一度書くつもり?だが、ランダムに頭に浮かんだまま書いてみる。
 (以下は字数の関係でカット2007年12月31日)
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2005年12月31日(土)
1733, 今年を振り返るー総括 b(’0’)d おっ w(゜Д゜)w ハァ?ヨ〜
大晦日になり今年の総括と思ったが、『私が選んだ今年の十大事件』の先日の内容が、総括に近い。
そこで今年の十大事件から世相を考えてみる。まずは先日の内容をコピーしてみる。
ー私が選んだ日本版・10大事件ー
1、人口が初めて減少に転じる    2、衆議院で自民党が歴史的大勝   3、JR福知山線で脱線、107名死亡   
4、耐震強度偽装で大揺れ     5、郵政民営化関連法が成立      6、愛知万博が開かれる
7、堤義明西武グループ会長逮捕  8、小学生女児が相次いで殺害される  9、アスベスト関連死、次々と明るみ  
10、プロ野球のセ・パ交流戦が始まる。そしてロッテ、優勝 大相撲では、外人力士が大活躍−朝青龍が7連覇、琴欧州大関に  
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以上から読み取れることは
・少子高齢化
(字数制限のためカット09年12月31日)
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2004年12月31日(金)
 1368, 今年を振り返るー総括
毎年、同じような言葉で始る。「今年も、あと一日になった」である。それが誰もが抱く感慨だろう。
地球が怒っているのではないかと思われるほど、次々と災害に襲われた。その幾つかを記録として書いてみる。
・インド洋で、とてつもない大きな地震がおこった。震度はM9で、阪神大震災の1400倍のエネルギーというから
 想像を超えている。地球を津波の余波が三回したという。被害は10ヶ国をこえて、現在のところ10万人というが、
 まだまだ増えるだろう。TVで多くの映像が流れて、何人かを飲み込んで流されている映像もあった。
 明治29年の明治三陸地震の2万2千人の被害を軽く超える惨事で、20世紀来、エネルギーとしては4番目の大きさ。
 やっと、中越地震の余震が収まりかけてきたと思っていたら、この大震災である。台風は例年の3倍もあり、
 やっと落ち着いた時に、中越地震、そして、このスマトラ地震である。 全くどうなっているのだろう。
・暗い話だけでは片手落ちになるので、明るい話はオリンピックで日本が久しぶりに多くのメダルをとったことである。
 強いところに、集中的に強化をしたのが功を奏したという。
・地方の景気も相変わらず、良くはない 特に新潟県はその中でも一番悪いところである。これに台風による水害と、
 この中越地震である。復興景気といっても土木が少し良い位で全体的には決して良くはない。日本全体から見ると、
 明るい兆しが見えてきた。
(字数制限のためカット11年12月31日)
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2003年12月31日(水)
1001, 今年の総括
今年も大晦日になってしまった。 恒例の今年の総括をしてみよう。
ー個人的の問題では
・今年の身近な物故者は高校の同級生の‘スーパーツチダ'の社長をしていた土田恒夫君が亡くなった。
 一番死にそうでない男であったからショックであった。親戚では母方の従姉の連れが亡くなった。
・海外には二回行った。この数年三回であったので、少し物足りなさが残った。アラスカとアイスランドである。
 これで41回である。当面の目標の50回にはまだだが。60歳までに、というのは無理になった。 大不況の中、今年は
 特に行くのを躊躇をしたが、後になれば何ということはない。 行けない状況に行くからこそ価値があるのだが?
・国内では、京都に一泊のバスツアーと鎌倉に行く。
・産能大で「一時間講義」をする。 いい思い出になった。
・ 新潟の引越しを考えるが、決断が出来ない。
・ウオーキングは一日平均1万4千歩を確保した。 数年前より1万5千歩より1千歩減らしている。 
・新しい習慣として「ありがとう」を1千回平均言うことが加わった。
ー会社は
・去年11月に始まった売り上げの落ち込みが進む。今までは他山の石だったが。世間並みになったとはいっていられない。
(字数制限のためカット09年12月31日)
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 2002年12月31日(火)
 627,パタゴニア旅行記ー9
ー絵を描く人ー
 今回の旅行で素晴らしい絵を描く女性がいた。見るところプロ並みの絵を描いていた。画家の安野光雅に小学校の絵の担任で
もたれたと嬉しそうに言っていた。いつも面白い話をしてくれて、「先生お話!」皆が囃したてていたとか。
今から考えると情緒教育をしていたのではないかと言っていた。何十種類のクレヨンを持ってきて30〜40分位で仕上げてしまう。
 (字数制限のためカット10年12月31日)
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2001年12月31日(月)
286、良質の人材とは-
(字数制限のためカット10年12月31日)
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ある時間の断片
12月31日  1968年
あと10分で1968年も終わる。 学生時代最後の年になる。今年を振り返ると、色いろなことがあった。
・三月下旬から2週間、石川君と一緒に、卒論の「流通革命」を書くために大阪の船場のメリヤス問屋に
 住み込みで流通の現状を見てきた。 生々しい旧来の世界と、そこに蠢く人間がいた。
・帰って直後に、欧州旅行の川崎と深井と松村と九州旅行に出かける。 先ずは川崎の家に行って一泊をする。
 ところが川崎は事故がおきる予感がすると言って、急に旅行から降りた。
 三人で今度は名古屋の酒向の家に行く。家に泊めてもらって、その夜は高級中華料理店で最高級のご馳走だ。
 こんな美味しい中華料理は初めてであった。それから九州に行く。九州の鹿児島で聖心女子大のグループと落ち合う。
 1泊2日の薩摩の彼女等との旅行は一生忘れられないだろう。
・そして4月に父に「もしアメリカに行きたかったら、全ての費用を出してやるから留学をしてこい」と急に言われた。
 その気になったが、英会話に通うこと2ヶ月で、急ごしらえの留学は無理と断念をした。そこでの自己葛藤があった。
・またその時期に、石川に勧められて「武沢ゼミ」に入った。これは私にとって前の年の欧州旅行とともに大きな出来事だった。
・そして急遽ジャスコオカダヤと長崎屋を受験。両社とも合格する。ジャスコオカダヤに決める。
・夏休みは、卒論のための本を十数冊買い込み読む。
 9月に二週間、10月に一週間、新潟県の六日町の禅寺の「雲洞庵」で、集中するために籠る。
・11・12月は、かなり頭を使いすぎたため不安定な時期になる。 
 去年に続き今年は、これからの人生での土台になる事があった。
 ーそう書いているうちに、あと三十秒で今年も終わろうとしている。
 ーーー
 ここより今年である。 1969年になった、学生から社会人の年になるのだ。今度は自分独りの力で生きて
 いかなくてはならないのだ。頼れるのは自分だけである。人生は三つの戦いがある。自分、他人、そして自然との戦いだ。
 先ずは自分に打ち勝たなくてはなるまい。信念としての決意は「自分に打ち勝つこと」だ。 


3931, 閑話小題 

2011年12月30日(金)

  * 消費税アップについて
 消費税の10%へのアップが問題になっている。大恐慌に入った日本で間接税の税収が激減すれば、直接税で徴収するしかない。
とはいえ現在の日本で、内税の消費税は企業のコストが、そのまま加算されることになり、デフレの現在、体質の弱い中小企業は
致命的大打撃を受ける。 ギリシャ問題を遠くから見ていると、ギリシャ国民が長年かけて作りあげた国民性がシビアに見て取れるが、
それに劣らないのが現在の日本。結論をいえば、問題はあっても消費税を外税にして、10%に上げるしかない。それで倒産するのは、
仕方がない。それが出来ないなら国債と株式の暴落と円安の大恐慌を経て、韓国と同じようにIMFの管理下に入ることになる。
そのターニングポイントが来年後半である。どこまで、この国は腐っていくのだろうか? それらの問題が来年、一挙に日、米、欧で
吹き出ることになる。来年の年明けは「ハッピー・ニューイヤー」でなく、「アンハッピー・ニューイヤー」である。
   * アンハッピー・ニューイヤー
 上で取り上げたこともあり、来年は、ハッピー・ニューイヤーとはいえない年になってきた。新年の挨拶は、冗談でなく、
「アンハッピー・ニューイヤー」である。以前から2012年は「スーパー・イヤー」といわれていたが、その言葉が当然と思えるのが不気味。
私にとって今年は正に「アンハッピー・イヤー」そのものだったから、言えること。世界の時流より、一年早かっただけ。 去年の今頃は、
あと一年は何とかなるだろうと思っていた。ところが、年をこして現実が目の前に立ち現れてきた。その僅か三ヶ月後に、あの事態。
それと同じことが世界情勢と日本にも現前に・・ 来年の晦日の世界の状況は、去年の晦日と今年の晦日の段差より遥かに大きいはず! 
  * 指導者が戦争に活路を見出さないか心配である
 ここまで経済も政治も追い詰められてくると、指導者も、影の何?も、戦争を意図的に起こすことを考えるのでは?と。
一番、危険なところは、イランのホルムス海峡の閉鎖をキッカケにした米軍の攻撃と、イスラエルのイランの核施設への攻撃。
二番目は北朝鮮。これも狙い目である。次が中国と支那海の何処かの国との軍事衝突。そして、アラブの民主化革命の延焼もある。
どこもかしこも、金融恐慌によるインフレの中で、緊張が高まってくる。1930年代に酷似してきたが・・・

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3566, チョットした小話 ー1 
2010年12月30日(木)
*  レストランに強盗団が客と店員を壁向け立たせて財布や腕時計や貴金属を奪い始めた。
   二人連れの客の一人がポケットの50ドルを連れの男のポケットに捩じ込んだ。
   そして小さな声で 「この前に借りた金、いま返しておくからな!」 ー以前にも、似たようなのがあったー
* ・兄が弟に向かって言いました。「おまえのかぁーちゃん、くそったれ!」
  ・猫の親子がネズミを見つけて、「お母ちゃん、あのネズミ大きいね」「いや小さいよ」
  「大きいよ」「小さいよ」  ネズミが一言、「チュー」
  ・ある日、ペコちゃんがシャワーを浴びていると・・・ そこにポコちゃんがやってきた。
   好奇心おおせいなポコちゃんは、覗いて見ようと近づいたんだ。
   すると、その気配に気づいたペコちゃん。戸を開き、こう言ったんだ。 みるき〜   
* ・道を歩いていたら、葬式に人が沢山並んでいた。「どうしたんですか?」と聞くと、
  「この家の奥さんが、飼い犬に噛まれて亡くなったんです」という返事。
   思わず「その犬を貸していただけませんか?」と言うと、「じゃあ、この列に並んで下さい」・・・
  ・観光名所の古い井戸に中年の夫婦がやって来る。ガイドに「井戸に願い事を言うと、それが叶うのです」
   と言われて夫が中を覗き込む。すると、妻が「どいて。あたしが願い事を言うんだから」と言って旦那を
   押しのけて中を覗き込む。その途端、バランスを崩して井戸の中へ真っ逆さま。それを見た夫が「本当だ」・・・
  ・教会での結婚式に参列していた小さな男の子が小さな声で母親に訪ねた。
  「ママ。あの女の人のドレスはどうして白いの?」「白いウェディングドレスは,幸福の色なのよ。
   人生で一番幸せな日に着るのよ」「フーン」男の子はしばらく考えて,また聞いた。
  「じゃ、ママ。なんで隣の男の人は黒い服を着てるの?」  
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3191,今年の読書の総括  −2
 2009年12月30日(水)
・哲学といえば、再び池田晶子の本に立ち返り、「2001年 哲学の旅」を読んでみた。
 数年前にギリシャに行ってきたことも含めて、彼女の目を通してギリシャの哲人の史跡から、
 問題提起をしてくれて、なかなか読み応えのある本である。
・哲学といえば、ブライアン・マギーの「哲学人」(上・下)である。英国の哲学評論家の本だが、
 10年ほど前に、彼の「ビジュアル版・知の歴史」を読んでいた。これは、今でも居間のパソコン近くに置いてあり、
 月に2〜3度は目を通している。 それもあって「哲学人」を何とか読んでいるが、私のレベルでは難しい。
 これは、哲学のセミ・プロでなければ読み解けない内容である。
・今年は「カント」の哲学を少しでも理解を深めようと、これまで読んだ哲学書や、図書館から哲学入門書などを
 片っ端から借りて読んでみた。その中で図書館から借りて目を通して直ぐに買いこんで読んだ「子供のためのカント」
 フリートレンダー著が、良かった。 第一に、「何を行うべきか」。 第二に、「何を望むべきか」。
 第三に、「何を知ることができるか」の問いに、無矛盾の証明によって答えている。」
・その他に、恐慌についての本を10数冊を読んだが、金融恐慌の渦中で読むから、なお分かりやすい。
 10冊以上は読んだが、そこで分かったことは、「世界は既に恐慌に入っており、今後10〜20年は続く厄介な事態であること。
 その波を直撃しているのは、日本、韓国、イギリス、そして欧州の弱い国(東欧とか、ギリシャ、スペイン、など)。
 それに、アメリカの中流、下層階級である。 「100年に一度の恐慌」レベルというより、300年から500年来の
 近代という欧米中心につくり上げてきた文明の崩壊過程に入ったと受けとめられる。 その根は、情報革命である。
・他に、やはり佐藤優の「功利主義者の読書術」である。 この人は立花隆と同じく、頭の構造がどうなっているか、
 窺い知れない知識量に圧倒される。 そのために数百分の一でも知識を身につけようという気持ちにさせてくれる。
  ー読書に関しては、今年は満足をしている。
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2826, 暴走する国家恐慌化する世界 −3
 2008年12月30日(火)
*今回の危機の一連で三菱UFJが大損、三井住友は軽微
 副島: 今回の三菱UFJは悲惨です。
  実質破綻している2大住宅公社フレディマックとファニーメイの紙切れ債権が3・3兆円もある。
  その上に、モルガン・スタンレー救済の為に九千五百億円も供出させられた。これに比べて三井住友は意外と被害がなかった。
  アメリカ住宅公社では、たったの2000億円である。英国バークレーに一千億円の出資をしたが、もしかしたら一兆円かも?
  今度の金融恐慌が拡大したら、生き残るのは大手ではゴールドマン・サックスとJP・モルガン、ウェルズ・ファーゴ銀行。
  シティバンクは危ない。
 解)「落ちてきたナイフは掴むな」というが、三菱UFJは掴んでしまったのか? 
  勝ち組、資産家、大企業をターゲットにしてきた銀行。今回をもし無難に乗り切ったら、世界にアップスケール出来たはず。
  そうは問屋が卸さないということか。
*大暴落の時は、「20分の1の原理」が働く。
 副島: モノの値段はどこまで下がるか。清算する時の本当の値段はいくらか。
  私は、10年前に、「20分の一の原理」があることに気づいて本に書きました。
  捨て値で処分する時は、元値の10分の一か、20分の一になるのです。
  一億の不動産とか株が値崩れをしたら、500万円になるのである。博打で張った金は二割を残して損切りをする。
  二割なら再起が出来る。一割は厳しい。だから7〜8割引で何とか回収する。モノの本当の値は20分の一である。
 解)何事も同じで、見切り千両である。特にレバレッジで膨れ上がった金融は、決して大げさな原理ではない。
 (字数の関係でカット11年12月30日) 
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2007年12月30日(日)
2461, 病的まで心配性の人だけが生き残る!
    「ウェブ時代をゆく」 −2  読書日記
著者は序章で、福澤諭吉の『文明論之概略』緒言の中でその66年の生涯を「最初の半分」
を封建時代の江戸時代に、「あとの半分」を明治時代に、「恰も一身にして二生を経るが如く」と表現。
それと同じ大変革の時代を私たちは生きているというのが著者の論である。
著者はもう既に二年前からネットの住人になった感覚を持った時、
自分も「一身にして二生を経るが如く」生き始めたと感じたという。
著者はネットにオプティミズムを貫くのは、ネットという技術の持つ五つの性格を挙げている。
 1.ネットが強者よりも、弱者と親和性の高い技術であること。
 2.人々の「善」なるものや、小さな努力を集積する可能性を秘めること。
 3.一部の人に可能だった行為を、すべての人々に開放する技術である。
 4.「個」の固有性を発見し増幅することにおいて有効な技術である。
 5.社会に多様な選択肢を増やす方向の技術である。
(字数の関係でカット11年12月30日)
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2006年12月30日(土)
2097, 日本経済は本当に復活したのか−  読書日記  (。^0^。)ノ オッ(*^○^*)ノ ハ〜 ヨウ
 今後、日本経済はどうなっていくのだろうか、現在の日本は楽観論と悲観論が交差しているのが実情である。
 私が知る限り、どの切り口からとらえても悲観論になってしまう。その中で関東を中心として景気が持ち直しているような
 雰囲気が漂っている。 この本の概要は、このHPの「サロンのコーナー」で、あるHPの著者のインタビューで、この本の
言わんとしているところを凝縮して語っているので、ここでは部分的に印象に残った箇所をクローズアップして考えてみたい。
 まずはアマゾンの本の紹介文が、ずばり一番急所を書いている。
 =内容の概要=
(字数の関係でカット08年12月30日)
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2005年12月30日(金)
 1732, 日本一短い父への手紙 ー読書日記    オハ☆:*:・ ★(o≧□≦)o☆・*:..。o○☆*゚
父親の役割ほど微妙な立場はない。外では7人の敵、家では稼ぎ頭のわりには居場所がない。
せめて家の中ではと思っても、誰も認めてはくれない。それでも家庭の重さが、そのまま男としての重みになる。
夫婦の相性としての当たり外れは五割というから、なおのこと父親の立場は、微妙のケースが多くなる。
           カンカンカン〜・・¶ゞ(; ̄д ̄)ノ☆=♀ワラ人形  −−
石けんよーし タオル よーし 湯加減よーし パパが風呂場のぞく口実 全然 なーし   今村嘉之子(静岡県13歳)
合格発表の日、掲示板に僕の番号を見つけて僕を殴った父さん。 うれしかった。 (σ*ゝω・)σゲッツ大石悠太(東京都17歳)
父がコップに残したビールは、 父の残りの人生のようで寂しくなりました。 大保昇(東京都29歳)
事情はあったでしょうが、やっぱり認知はしてほしかったです。       糀谷弘美(三重県53歳)
どうしてあんなに 私を殴ったの子供を産んだら 余計 わからなくなりました `_´;)  幸田亜子(神奈川県29歳)
大好きなお父さん。 私たち三人と結婚してくれて、ありがとう。      庄野恵美(大阪府18歳) お茶 (@゜▽゜)_且~~
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2004年12月30日(木)
 1367, 酒についてー2  ー作家が書いた「酒の名言」ー
ある本を読んでいたら、作家の酒についての名言を集めたコーナーがあった。
この随想日記の中で、酒にまつわるテーマで十数編も書いてきた。この「分類・引き出し」の中の検索で「酒」を打ち込むと、
出てくる出てくる。数多くの文章が書いてあった。その全てをコピーするわけにいかないから「酒について」を、このテーマにした。 
酒乱一歩手前?も、色いろの経験がある。 だから、酒についての真髄は、心の奥に染みる。
私の人生から、旅行と酒をとったら何が残るだろうか。さすが作家が随想や小説の中で書いている「酒」についての言葉は含蓄が深い。
あの作家が酒について、こういう感想・実感を持っていたいたと思うと、感慨が深くなる。特に多くの経験?を重ねたせいもあるからだ。
  ーその幾つかを書き写しておきます。
・酒飲み人はただ酒飲む人それのみであることはできない。
 酒を飲む瞬間は、生きつづけたその人の到達したある一点である。                −武田泰淳
・<狂酒>から<酒悲>の段階に移行すると、こんどは自分が無限に小さな存在にかんじられはじめる。
 つまり酒によって己みずからを知ってしまうのだ。・・・・
「いいお酒ですな」と人に感心されるようなのみかたが、あんがい静かな絶望の表現であったりする。 −高橋和己
・酒飲みというものは、どういうものか酒のこぼれるのだけは非常に惜しがる。
 あやまってお膳にこぼしてみたまえ。十人が十人「もったいない」と唇をつけて、すするから。    −サトウハチロウ
・酒飲みは判官びいきであって、かならずといってよいほど、小さな醸造元の酒を推薦するものである。 −金子兜太
・酒を飲んでいて次第に拠ってくるその移り変わりが一番の味はひである。              ー内田百聞
・酒好きにとって酒というものは、どの一口もうまいにはちがいないが、わけてもうまくなるのは、ちとすぎる頃からだ。ー堀口大學
・酒と旅・・・本当に不思議なものだ。どうして旅に出ると、うまい酒に出会うのだろう。
 東京でどんなに高級なウイスキーを飲まされても、あの旅情に浸りつつの酒にはかてない。  ー赤塚不二夫      ーつづく
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2004/05/02
1125, 酒について −1
(字数の関係でカット08年12月30日)
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2003年12月30日(火)
 1000, \(~o~)/千日の随想日記!
 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。更に旅行をしていて休んだ一回分の日にちを加えると
約35〜40が合わない。調べてみると206〜222とか250,251辺りとか何箇所かがぬけている。しかし小説風の「宗親日記」
が大体その位の数を書いているので、合わせて一千回の到着日とすることにした。 あくまで自分ひとりの記念でしかない。
 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、「遺言」のつもりで書いてきた(書き始めて一年位経ってからだが)
だから続いたのだろう。自分の父親や、祖父がこのような文章を残していたら、実際のところ面白いだろう。
いま考えてみると、私にとって随想日記を書き始めた日を境に自分が間違いなく変った。
一日一日が本当に充実したのだ。50人位の人に毎日読まれていると思うと誰かに見守られているような感覚になる。
作家などの物書きが必死になって書くのも解るような気がする。 死ぬ前に全てを消し去っていくのもよいし、
また書き残すもよいのだろう。いずれにしても50年以上は残らないのだろう。いや死んだと同時に消滅してしまうか。
そうすると生前葬の遺言みたい、いや墓みたいなものだ。ところで実感としていうと一番勉強になり良いのが、自分であることだ。
・テーマ探しに46時中頭が1杯 ・そして構成に苦労して ・書き上げた後に、何回か書き直し ・誤字と矛盾をさがす
そのプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。といってこの程度の内容であるが。
 ス〜と書ける日はよいが、全く書けない日がある。それでも何とか書くからよいのだ。
書きつづけていると、自分自身が変っていくのが良く解る。書くということは、考えるということであり、考えを纏めることになる。
書き続けることは、書き重ねることになる。書き重ねて、それを読み返すことは内面の深層に入り込むことになる。
深層の自分は、ユングではないが万人にあい通じる部分が出てくる。その共通面と、違う面を自分で見つめることが可能となる。 
少し難しくなってきたが。 来年からは「閑話休題」や「あはははは」とか、ソフトな内容を挿んだり、土日を休むとかして、
今のエネルギーを半分にしようと思っている?このまま続けると、ある日突然「や〜めた!」ということになりそうだ。
千回千回と思いながら、書き続けてきたのだから、やはり転換期だ。来年は待ったなしにリストラー事業構造の転換の年、
頭を仕事に切り替え集中しなくてはならない。それとも、「2千回2千回!」と唱えなおそうか?どうなるか?
自分でもわかりません。 ー本当に読んでいただいて有り難うございました!
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2002年12月30日(月)
 626, 葬式仏教の由来
 現在の日本の仏教は完全に成り下がっている事を随想日記で何回も書いている。
  葬式仏教の集り体質である。その成り立ちを、ある仏教学者の本に明快に書いてあった。
・その発端は徳川幕府がキリシタンを弾圧した江戸時代にある。キリスト教徒を撲滅する為に、
 お寺に監視機能を持たせた。お寺の檀家にならないと、キリシタンにみなした。
  (字数の関係でカット10年12月30日)
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2001年12月30日(日)
 285、フィジィ‐について
地理的にみるとオーストラリアとハワイの中間点、日本より飛行機で7^8時間位か。もう9年なる。 
この世のパラダイスという言葉が似合う小国である。ハワイの観光化する以前の、何ともいえないのどかさを
残している国である。人がいい!のだ。フィジアンといって無垢な温かい素朴な人なつこい国民性。
世界にまだこのような世界が存在していたとは!NHKでも‘フィジーの特集’をしていた。
一度行けばその魅力にとりつかれるはずである。今でも映画館が男女別席である。
小さい島国なのにまたその周辺に多くのミニの島よりなりったている。島がホテルになっているところもある。
他の南国はハワイとニュージーランドしか行ってないので、他と比べる事はできないが、華やかな観光がない分、
海と空の素晴らしさを満喫できたのかもしれない。そこで行ったカーマ島がよかった。小さな島で一周一時間ぐらい、
1人で海岸を一周してきた。おとぎの国に迷い込んだようであった。たまたまその日が日曜日。住民はホテルの従業員と
その家族が、小さな教会でお祈りをしていたのが印象的であった。会社の社員旅行で行ったが、そのうち1人が新婚旅行で行ったと聞いた。
そしてあらためてその素晴らしさを知ったと風のたよりで聞いた。南洋の楽園とはよく言ったものである。
もし海の綺麗な、静かな天国のような島に行ってみたいならフィジーがいい。
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ある時間の断片
 12月30日 1968年
12時に起床する。正子さんと母と食事をとる。正子さんが、今の私が陰鬱という。前の私の方がよいという。
何か頭だけが先走っているようだ。社会に出ることに対する不安による動揺が陰に振れているのは解っているが。
14時に大手通りにいく。気持が晴れる。ただ塞いでいただけか。18時に帰ってきて食後にTVを見て
23時に日記を書いて一時に寝る。三日からジャスコに出す論文を書かなくては。
 


3930, 真の危機とは何か

2011年12月29日(木)

              「世界をうごかした21の演説」クリス・アボット著 より
  * ソルジェニーツィンの意表を突いた欧米批判
 現在の欧米が33年前のソルジェニーツィンの欧米批判のまま、ここまできて行き詰まりを見せている。
彼は、当時のソ連の体制批判だけでなく、亡命先のアメリカで、欧米の体制の欠陥を批判した。
  ーまずは、その部分からー
【 敵の敵は必ずしも友人ではない。現実は、古い格言から想像される以上に複雑である。それを見ごとに示したのが、
 一九七八年六月にロシア人の小説家、アレクサンドル・ソルジェニツィンのハーバード大学の卒業式で行った演説だ。
ソルジェニーツィンはそれまでの年月に、ソ連によって投獄され、非難され、ついには国外追放の身となっていたのだが、
ハーバード大では母国の共産主義の迫害者を批判するのではなく、西側世界の欠陥を厳しく戒めた。・・・・
西側は自分たちのシステムがほかのどれよりも優れているから、ほかの社会もいずれそのシステムを採用するはずだとまちがって
思いこんでいると論じた。 中国やインド・アジア・イスラム・アフリカに深く根差した複数の文化があるにもかかわらず、
この思い込みが続いてきた。「西洋社会がほかの世界の神髄を理解できない」ために生まれたまちがった考えだと
ソルジェニーツインは考えた。そして西側の社会そのものに多くの欠点と弱みがあると指摘して、「戦争による破壊を免れても、
私たちの生活を自己破壊から守るためには生活を変えざるを得ないと説いた。とりわけ強く批判したのは、西側世界が
近視眼的であること、政治的な勇気に欠けることムとくにベトナム戦争中)、物質的な幸福を追求するための無制限の競争を
奨励していること、自由な思考を制限し、そのとき流行している画一的な考え方(「人々の精神を覆う石のような鎧」)しか
認めないこと、メディアが一般の人々に「まちがった偏見を教える」のを許していること、もっぱら法制度と法律の条文に
もとづく限られた組織方法に依存していることである。そして、これらは「この世界に新しく来た人を驚かせ、ショックを与える
いくつかの傾向」だと述べた。環境意識が高まった今日では、西側の人々が多数世界の人々より多く消費し、より多く環境を
汚染していることを批判点のリストに付け加えてもよいかもしれない。かれは、これらの欠陥は精神生活に原因があると見た。
社会改革に多くを望みすぎました。その結果、もっとも価値のある財産を失ったのです。 それは精神生活です。
東側ではそれは支配政党の所業と策謀で破壊されました。西側では商業的利益で窒息させられています。
彼は、これを「精神性を奪われ宗教心を失った人間中心主義的な思想がもたらす災厄」と呼んだ。・・・ 】
 ▼ ソルジェニーツィンは、資本主義の欠陥を社会主義に助けを求めないように警告をしたと同時に、ロシアが西側のシステムを
  採用すべきという考えも受け入れないと述べたのである。現在の、ロシアと中国は、それをそのまま受け継いでしまったようだ。
  20歳半ばに必死に彼の本を数冊を読んだが、ソ連体制の中での息詰まる空気が直に伝わってきて凍りつく思いがした。
  一部特権階級が利権を独占し、大衆は踊らされる体制は同じということ。日本も天皇制が最も有効に働き手助けをしている。
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3565, 閑話小題
2010年12月29日(水)
   * 米銀行の一つや二つ消える!
 例のウィキリースクが来年早々、BOA(バンク・オブ・アメリカ銀行)の不正暴露で最悪の場合、消滅?すると新聞にあった。
165兆円の預金量をほこるアメリカ最大級の銀行が内部秘密を暴露で倒産?とは、ただならぬこと。リーマンショックで、
危機にあったメルリリンチの救済買収時に、アメリカ政府との間の秘密事項の暴露?。そのためBOAの株価が下がりぎみ。
既に、その資料はマスコミに渡っていて来年早々から大騒動??。 私の学生時代の友人が、ここに勤めたと聞いていたが、
年齢からみて退職をしているはず。暴露ネタは役員のハードディスクから得た情報で、アサジンは、これが公表されれば
「米銀行の一つや二つは消える」という。 僅かな人たちが、国家や銀行を暴露記事で翻弄する構図は、テロに酷似している。
アメリカの銀行は、そのために戦々恐々。 面白い時代に入ったものである。
 そういえば朝日川柳に 「尖角のビデオかわいくなる暴露」 があったが、その言葉通りになるか?
それとも国家権力が動いて闇に葬られるか? その辺の動きの方が注目した方がよい。
  * ハワイとフィジーとニューカレドニア
 この夏にニューカレドニアに行ってきたが、そこはフランス領である。 20年近く前に近くのフィジーに行って、
その海と島の美しさに魅了されたことが今回、南太平洋に行ってみる動機になっている。
太平洋といえば、他にハワイとニュージーランドに行っている。 
・ハワイには三度行っているが、ここはアメリカ領の世界のリゾート地、観光施設と、遊びのソフトが充実していて、
 何度行っても飽きることはない。
・フィジーは、どこにも統治されてない独立国。国全体がポレネシア系フィジアンの暖かい空気が満ちていて
 日本人は直ぐに、その雰囲気が気にいってしまう。 ノンビリしていて、現地人のまなざしが暖かい。
・ニュージーランドは英国系で、アメリカ系に近い雰囲気がある。
・これに対しニューカレドニアは、フランス領が色濃く、あたかも地中海にいるような錯覚を覚える。
 若い人から見たら、それが良いのかもしれない。円高の現在、チャンスがあれば海外ツアーもよいが・・
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3190, 今年の読書の総括 ー1
2009年12月29日(火)
* 今年の読書の総括をしてみる。?
・まずは、川口慧恵の「チベット旅行記」である。知人に紹介されてさっそく読んだが、期待通りに面白い。
 明治期に僧・河口慧恵がインドからヒマラヤを大した装備無しに越え、身元が知れれば死刑になるチベットのラサに潜入し、
 帰還するまでの旅行記である。 信じられないような苦難の中、信心が、それをなさしめたのである。
 宗教とは、信心とは何かを、その体験を通して教えてくれる。 明治期に一人の僧の眼を通して当時のチベットの社会を
 目の当たりしているように感じられ、当時の世界に引きこまれてしまった。これまで読んだ本の中でも印象に残る一冊。
・次に、内田和成著「仮説思考」が考えさせられた。 仮説思考力とは、情報収集の途中や分析作業
 以前にもつ「仮の答え」のことである。経験を積まないうちから、早い段階から結論を出して考える
 訓練をしておくと、失敗も多いが学ぶことも多い。 そのプロセスで、仮説思考は進歩する。
 実際には、それしかないが、実際に「仮説思考」と、目の前に突きつけられと、躊躇する。
・そして、共同幻想から、岸田秀の「唯幻論」を知り、また、茂木健一郎の「脳と仮想」を読んでみた。
 茂木は、「サンタクロース」は存在するかという、子供の切実な問いを、真正面に捉えて、
 「生きること、仮想すること」の根本的な意味を論じている。 我われは、過去を振るかえると、
 現象は夢・幻ということが、おぼろげながら分かるが、実際の生活の中では、その実感は持てないもの。
 その論は、ゾロアスター教の経典にあったという。 般若心教の空即是色の論も似ているが。 ーつづく
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2825, 年末、つれづれに
 2008年12月29日(月)
この数ヶ月前から、長岡の駅裏のバス停車場前のベンチにいるホームレスの男三人。雪の中でも、しっかりといる。 
気の毒だが、酒を飲んで騒いだり、街頭のアルバイト学生を追い掛け回したりするのを目撃するにつけ、同情する気が起きない。
家内は数回も声を掛けられたという。 私も先日の通勤帰りに初めて声を掛けられたが、身につまされる思いである。
(字数制限のためカット 2011年12月29日)
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2007年12月29日(土)
2460, 2007年度の総括        。o○[ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ
 今年も、あと二日になった。 一年の早く過ぎること!それでも、振り返ってみると色いろなことがあった。
・身近では、柏崎沖地震である。親戚や知人が多く住んでいたことと、ホテルに風評被害を直撃したこともあり、
 やはり大きな出来事であった。
・次男の結婚が次である。(お雛様の3月3日・明治会館)そういう時節になったということである。
・そして実家の商売を引き継いだ兄の会社が倒産。 27期連続赤字なら仕方がない。
 実家は私が引き継いだカタチ?だから、まだ救いがあるが?
・新潟駅の立体交差の再開発工事が4月01日に着工、雰囲気が一変した。
 ホテルも大口の団体が入り、目先は順調に推移。同日から政令指定都市にもなった。
・葬式は親戚が三人と、高校の同級生が一人。
・政治向きでは、日本では予測どおり安部が自滅。 参院で民主党が大勝利。 
 アメリカはジュニアの現大統領がレイム・ダックになった。
・石油が急騰、アメリカがサプライム問題とイラク戦争の疲弊が目立ち始めた。日本でも、同じようにサプライム問題や
 景気後退感が出る。比較的、平穏に思えたが、こうして列記してみると、結構色いろなことがあった。大変動期であるが、
 それでも来年以降を考えると、まだまだ平穏の年ということか。人生を生きることは、このようなことを毎年経験してきた
 ことになる。人の一生は、それぞれに、その人の経験で詰まっている。それぞれの時に、それぞれの出来事が生じ、
 そのプロセスが生きるということ。生きるということは生易しいものではない反面、生きた分だけ充実感も残る。
 その中でも良い年であった。 日々是好日である。          ヽ【・ω・】ノ バイ
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2006年12月29日(金)
2096, 下流喰い −5      (。^0^。)ノ オッ(*^○^*)ノ ハ〜 ヨウ            
 最近、まったく週刊誌や月刊誌を買わなくなったが、以前は文藝春秋(月刊)や週刊文春を数ヶ月に一度は買っていた。
このHPを開いたあたりから、読まなくなった。時々、図書館で立ち読みをしても面白くないのは、年齢もあるのだろう。
というわけで新宿の歌舞伎町の、その後の様子など知りようもない。
石原都知事になってから徹底した取り締まりをしたことと、監視カメラの設置などで風俗の呼び込みなどが激減して、
昔の猥雑さが無くなったというが。ところが、この本で歌舞伎町の風俗事情が説明してあった。成程、色々事情があるものだ。
  *歌舞伎町の風俗事情*
 ソープランドをのぞいて、当たり前だが本番が禁止されていたが、以前はそれは表向きの話であった。
実際は、その裏で本番の盛況をきわめていた。警察の集中取締で、さすがに鳴りを潜めざるを得なくなった。
どこの店でも「本番はご法度」を謳っているが、そこはアジアの歓楽街である。
  (字数制限のためカット 2010年12月29日)
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2005年12月29日(木)
1731, 私が選ぶ今年の10大ニュース       ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚・:*☆
新聞に今年の総括として10大ニュースが発表されているが、
 以下は私の選んだ10大ニュースである。 フム(*゚Д゚)φ))ナルホド!!
  ー日本版・10大事件ー
 1、人口が初めて減少に転じる 二年早く2004年に人口ピークとなる。
 2、衆議院で自民党が歴史的大勝   3、JR福知山線で脱線、107名死亡
 4、耐震強度偽装で大揺れ      5、郵政民営化関連法が成立
 6、愛知万博が開かれる       7、堤義明西武グループ会長逮捕
 8、小学生女児が相次いで殺害される 9、アスベスト関連死、次々と明るみ
10、プロ野球のセ・パ交流戦が始まる。そしてロッテ、優勝
  大相撲では、外人歴史が大活躍−朝青龍が7連覇、琴欧州大関に
ー外国版・10大事件ー  
 1、大災害が続く  パキスタン大地震、アメリカ南部超大型ハリケーン
 2、テロがつづく ロンドンの同時爆破テロ、バリ島のイスラム過激派テロ、エジプトの同時爆破テロ
 3、NY原油が高騰、60ドル代に              4、ブッシュが再選される
 5、ローマ法王ヨハネ?が死亡                6、フランスで、アラブ系の大暴動
 7、韓国でES細胞論文の捏造が発覚 韓国のイメージの失墜  8、イスラエル、ガザ地区の撤退
 9、中国で人口13億人突破
10、中国で鶏インフルエンザで死亡、再び危険状態に入る (。・_・)ノ”【   】” メモ貼り付け
(字数制限のためカット 2011年12月29日)
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 2004年12月29日(水)
  1366, あなたにできること
 文芸春秋12月号の 巻頭随筆 の小川洋子の「あなたにできること」がよかった。
 中越震災のNHKスペシャルの題名が確か、「あなたにできること」であった。 時期からみて、この随想がヒント?
 ではなかっただろうか。 心に響く内容であったので、その文章を抜粋して考えてみた。
  ーーー
  ー16年前ほど前、文芸誌「海燕」に小説を書くようになったとき、最も驚いたのが、編集者が親身になって
  私の作品と向かい合ってくれたことだった。どうして自分の小説でもないのに。というほど圧倒されるような気持ちに陥った。
  その彼はまだ私と同い歳のまだ若いのに、思慮深く、決してうろたえない人であった。どういうわけか、
  ふと小さな灯りがともり、私の中に新しい場面が浮かんだ。 すぐさま私はゲラに赤ペンで、十数行ほどの書き込みをした。
   ・・・ その時、編集者の視線が痛いほど鋭く手元に突き刺さってくるのがわかり私は恐ろしかった。
  仕方がないので、恐る恐る一歩ずつ進んでゆくしかなかった。以来私にとって、ズット編集者は恐い存在であり、
  完成前の未熟な小説の前で彼等の内面ではどのような思いが渦巻いているのか、想像もできないでいる。そんなある日、
  偶然「『ニューヨーカー』とわたし 編集者を愛した40年」という本を手にした。アメリカの『ニューヨーカー』という
  雑誌のライターである、リリアン・ロスの自伝であった。内容の多くは、名物編集長ウィリアム・ショーンとの出会い、
  結婚を許されない状況の中、関係を深めていくないように割かれているが、私が興味を持ったのは、編集者としてのショーンの姿。
  サリンジャーやレイチェル・カーソンなどの信頼を寄せられていた。作家がどこに向かっているにせよ、そこまでの道のりを
  しめすことができた。そして、「あなたにできることはあなたにしかできないんですよ」と言って、作家を励ました。・・・
  耳にたこができるほど、何度でも作家達はショーンのこの言葉を聞きたかったという。
  私も16年間、同じ言葉で励まされてきた。別の言葉で、態度であるけれど、大勢の編集者に導かれてきた。
  私の小説にどれほどの意味があるのですか、素晴らしい小説は世界には一杯あるのに・・・・。
  そんな気分になって座り込もうとする私を、無理やりにでも立ち上がらせてくれた。
  ・・・ウィリアム・ショーンは既に亡くなり、文芸誌『海燕』は休刊になった。けれどもショーンの残してくれた言葉は、
  今までの小説に向かいあってくれたすべての編集者たちの声と一体になり、心の中で響き続けている。       
    ーーー      (*゚Д゚)つミ匚_ _ あ゙!
  以上であるが、読んでいて自分の内面、過去に対して深く考えさせられた。NHK・BSの「遠くにありて日本人」
  のバイク・ビルダーの生き方にしても、ひた向きに何かを創造している姿勢と精神の真髄に、改めて教えられた思いである。
 「私にしかできないことは私にしかできない」それが何か一度考え直してみる必要がある。随想は自分にしか書けないことを
  書けばよい。毎日書き続けると、自分に書けないことしか書くしかないが。 それが毎日書き続ける効用である。
・・・・・・・
2003年12月29日(月)
 999, 人間って何の為に生きているの?
昨日、TVで「男はつらいよ」を見ていたら、「人間って何の為に生きているの?」という質問に
「『ああ〜、生きていて良かった!』と思う為に生きている」という寅さんの言葉が良い。 
刹那的な言葉であると同時に,複雑な思いが残る。「ああ〜、生きていないほうが良かったのに!」
と思いざるを得ないような背景があるからこそ、この言葉の重みが出るのだ。また、柴又の住職が
「寅さんの言葉を借りて仏様は話しているんだよ。仏様は愚か者を、むしろ愛しているようだ」という言葉に
監督の思い入れを感じた。ところで、この質問を自分に投げかけられた何と答えるだろうか?
「飯食って、糞して、死ぬだけ」という名僧・暁烏敏の言葉が思い浮かぶ反面、「よく遊び、よく学び、よく働くこと」
が私の答えになる。死ぬ時に「ア〜よい人生だった!」と思えるかどうかだ。 哲学とか何とか難しいことを言っているが、
突き詰めればこの問題になる。「自分の人生は何だったのか?」=「人間って何の為に生きているの?」しか究極はない。
「生老病死」という大問題を乗り越えた果てに「あ〜生きていて良かった!」と言えてこそ人生を勝ち取ったことになる。
 そういえば母や叔母から、この言葉を聞いたことがあった。 叔母の場合足を切断するかしないかの瀬戸際に、
あわや信濃川に投身自殺をしそうになって思いとどまった。その後切断しないで済んだが、その直後に法事で聞いた話である。
絶望の果てに、この言葉がある。暁烏敏といえば「十億の人に十億の母あらむも わが母にまさる母ありなむや」の歌がよい。
・・・・・・・
2002年12月29日(日)
 625, 朝鮮戦争の不安
来年の一月下旬に米国のイラク攻撃は避けられない情勢になってきた。 攻撃に入れば時間の問題で早期に片付くだろうが、
(字数制限のためカット 09年12月29日)
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2001年12月29日(土)
 284、[大倒産時代]
  大倒産時代
今年四月に出版された、帝国バンクの情報部長の「大倒産」を図書館から借りてきて読んでみて、その深刻さに改めて驚いた。
そのサブ表題が、今年から来年にかけて、過去最大の倒産ラッシュに襲われるという。今年はこの表題ほどでなかった?
から来年がそのしわ寄せが大きくなるのではと不安になってきた。100万社の倒産予備軍控えているという。
今年2万社が倒産しているが、その予備軍の二割から三割が、この数年で倒産するとしたら、一年で5万社あたりになる。
(字数制限のためカット 2011年12月29日)
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ある時間の断片
 12月29日 1968年
今朝5時に長岡に到着する。バスで帰るのは初めてである。6時に就寝、11時に起床する。12時まで裏に住む正子さんと話をする。
昼飯を食べた後に本を読む。昨夜、この日記を書くために頭を使いすぎたようだ。あまり頭を使うと否定的な気分になってしまう。
楽観的に自分を置いておかなくては。今の私は悲観的になってはならないのだ。楽観面から悲観を引っ張りあげなくては。
夜になって父が帰ってくる。何か話していてもシックリいかない。寝る前に年賀はがきを書いて午前1時に寝る。 
このところ、親しい石川、深井、佐藤、兼古ともギクシャク。いま上手くいっているのは川崎位のものだ。
何か焦って友人達と摩擦を起こしている。個人主義といいながら、エゴになっているのではないか。


3929, 聯合艦隊司令長官 山本五十六

2011年12月28日(水)

思い立って、「聯合艦隊司令長官山本五十六」を見てきた。 出身が長岡で、私の実家が戦前、元帥の自宅近くに
 あり、父親が度々伺って書画などを書いて貰ったなどの話を聞いていた。 実際に我が家には、二ぷくの書画があり、
 私が受け継いでいる。 最後は記念館に寄贈するか、子供に引き継ぐことになる。 既に亡くなったが、
 私が建てたビルの建設会社社長が元部下で、熱狂的なファンだった。人を惹きつける人間的魅力があったようだ。
 ハワイ奇襲も、実際はアメリカに筒抜けで失敗だったことや、ミッドウェー惨敗の内幕などを淡々と映し出していた。
 そのため、それほど暗い気持ちにはならない。 家にある書を何度か眺めているが、豪胆な人物の書は心打つものがある。 
 先日、東京で大学時代の同級会があったが、たまたま隣に座った男が元帥の大ファン。 会社の転勤で三条市にいたおり、
 山本五十六の家を訪ねたことがあり、東京での試写会に二度も見たという。それを聞けば、見にいかないわけにはいかない。 
 この重い?人物と海戦を、あっさりと映画にするとは驚きである。 地元の人なら是非、見ておいて方がよい。 
「大勝利の報道で神様に祭り上げられましたね」の冷かしに、「神だったら、この戦はやりませんよ」という言葉が印象的。
 軍神というより、人間・山本五十六そのものを、浮かび上がらせていた。 本人にとって敗戦の屈辱を味わう前に
 亡くなったのが良かったのか、悪かったのか。 日本がアメリカによって、第二次大戦に誘導された節があるが、
 65年以上経った現在も、軍事も、経済も、実質的占領下にある。その責任者の一人であることは歴然とした事実。
 それにしても、演じていた別所に山本五十六が乗移ったように感じたのは私だけでないはず。
  珍しく観客が多かった。それも80歳以上が・・・
 * HPサイトの解説=【 戦争反対でありながら、連合艦隊司令長官として開戦の火ぶたを切ることになった
  不世出の軍人・山本五十六。 歴史に翻弄された彼の苦悩に満ちた半生を描く。『八日目の蝉』の成島出監督のもと、
  主演の役所広司をはじめ、日本映画界を代表する豪華スターが結集。太平洋戦争開戦の謎に迫った骨太のドラマを展開する。】
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3564, 豊かなのに、幸せになれない、何故?
2010年12月28日(火)
 日曜日のモーニングショーで、「豊かなのに、幸せになれない、何故」というテーマで、レギュラーのメンバーが議論をしていた。
直ぐに、「豊か=幸せ、と決め付ける前提の方が変である」と、呟くと、家内が「また屁理屈を言っている」と、のたまった。 
「豊かさは必要条件だが、絶対条件ではない」と言っても分かる相手ではないと頭の中で呟いていたが・・。しかし人生を振り返ると、
やはり豊かであるにこしたことはないのも事実。あるメンバーが「豊かさは、求めるものでなく、深めること」という言葉に一人納得。 
幸福度の一番高いのがデンマークで、二位がスイス、八位がブータン、日本は90番目という。何の根拠かしらないが欧州に続いて、
日本は幸福度はAクラスに入っていいはず。 日本人が世間知らずというか、あまりに世界を知らない。
ここで、「人間は繋がりの中で生きているのに、変な個人主義に陥ってしまい、集団社会の中の役割を果たす場面が少なすぎる」
といっていたがが、そのとおりである。 哲学の先生がインタビューで、「戦後からこのかた、成長を追い求めてきた結果、
便利の追求が、身体を使わないことと思い込んでしまい、自分の立ち位置が見えなくなっている」と、述べていた。
 戦後、日本は自由主義=個人主義、民主主義=平等主義、成長経済=豊かさを追求してきた。それもこれも共同幻想でしかなかったが、
それでも世界に稀な国家をつくりあげた。それも、占領統治国家のアメリカの手の内で、その手を返され直ぐに崩壊してしまった。
それが国家として、現在も大きな暗い影を覆ってしまっている。「物質的な幸福と、精神的な幸福を混同してしまい、幸せを幸せと
感じることが出来なくなっているのが現在の日本」。また人間は世界の王様と勝手に思い込んでしまった結果、多くの矛盾が生じている。
考えてみれば、幸せという言葉自体が共同幻想そのものである。それからすると、不幸もである。「貧しいのに、幸せな私、何故?」
という言葉、やはり、そぐわないか。「豊かで、幸せの私」「貧しくて、不幸な私」どれもこれも、似て非なるもの? いや違う? 
でも、「豊かなのに、幸せになれない、何故?」は、ブラックジョークの最たる言葉。
家内が言うに、「友達の殆どが、自分は不幸と思っているみたい」だと! 傍から見れば、豊かで美人で教養がありそうなのに?。
ということは、やはり、このテーマは殆どの人が実感していることか。 ところで豊かとは何?それは比較?共同幻想? ま、いいか!
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3189, つれづれに ー閑話小題
2009年12月28日(月)
* 来年は、どういう年になるのだろうか?
 思いつくまま、来年のイメージしてみるが、マイナーなことしか思い浮かばない。
・日本国債と株価の暴落と、金の暴騰。
 日本経済の二番底か、二番底の底抜け。 中小企業の破綻がドミノ倒しのように続く。
・アメリカは今更だが、日本と欧州経済が後半にかけて更に大混乱する。
・国内も参院選挙に向けて、政界再編成に動くだろう。鳩山も参院まで持つかどうか。
 持てば、長期政権の可能性も出るが、この難局を乗り越えるかどうかというと疑問である。
* かえり矢
 かえり矢とは、矢を放せば、おのれに矢はかえることをいう。 現在の鳩山首相が、この言葉そのもの。
野党時代に、自民党幹部の秘書の汚職に対して、それは代議士本人の責任で辞めるのが当然と攻撃。 
今度は自分の秘書である。その当時の鳩山の攻撃の映像が、彼の弁明の会見の前後に繰り返し放映されるのだから、
どうもこうもである。 どうみても、あの弁明では納得できない国民感情だろう。
 * クレタ人のウソ
 今更だが哲学に、「嘘つきのパラドックス」 がある。 
(ネット辞書のウィキペデアによると)
≪ 自己言及のパラドックスの古典として知られるのが、次の嘘である。
 “ 「クレタ人は嘘つきである」とクレタ人が言った。 ”
なお、この発言をしたクレタ人はエピメニデスであるとされる。
ここでクレタ人(エピメニデス)自身が「クレタ人は嘘つき」と言及しているため、パラドックスが発生してしまう。
すなわち、「クレタ人は嘘つきである」が本当なら、クレタ人であるエピメニデスも嘘つきであるはずで、従って
「クレタ人は嘘つきである」という発言も嘘でなければならない。しかし「クレタ人は嘘つきである」が嘘なら、
クレタ人であるエピメニデスも正直者である事になる。 従って彼の「クレタ人は嘘つきである」という発言も
本当でなければならない ≫  禅問答のような話になるが。
 人生の中に似たような場面にしばしば出会うことがある。鳩山のウソは、これ以前のレベルである。
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2824, 暴走する国家恐慌化する世界 −2
 2008年12月28日(日)
  AIGが何故救出されたかが、詳しく述べられているが、知るほどに今回の金融危機の根の深さを感じ取る。
  1929年の世界恐慌を遥かに超えた破壊が起きようとしている。異常な時には、異常なリーダーが出る。ヒトラー、
  スターリンである。毛沢東も含めると、5千万人以上が直接間接的に殺された。スペイン風邪を含めると一億人が亡くなった。
  これから10年は異常な事態を覚悟をしていた方がよい。 何度も書いてきたことだが・・・
 * AIG は 何故救出されたか
  副島: AIGが何故救出されたか?15兆円という巨額の資金をFRBが出したか?
  それはCDSの保険商品を扱う最大の保険会社だったからだ。AIGはリーマン・ブラザー向けに巨額のCDSを発行していた。
  リーマンが倒産したため、AIGの株価は暴落、しかし大銀行各社と結んでいたCDSの契約が巨額だったので、
  もしAIGが倒産すると全てのCDS(最大6200兆円の価値が無価値になる可能性もある、
  そうすると他の銀行が引当金を積まなければならなくなり激しい金融恐慌が起こる可能性があった。
  最近、私が聞いたのが、日本の自衛隊、団体保険、年金運用やその再保険を、全部このAIGに任せていたという。
  金融庁が9月15日にやったことは、日本にある資金を、AIGの在日幹部達が米国本部に送金を阻止することだった。
  −6200兆円の1割としても、六百兆円の損害金をアメリカ政府がAIGに替わって支払うことなど出来ないはずだ。
  15兆円を当座の資金として支払っても、2%でしかない。その数十倍をアメリカ政府が払えることなど不可能。
  それがAIGだけでない。 そうこう考えると、アメリカは一度デフォルト(支払い不能宣言)をするしかないのか?。
  口先の上手い黒人大統領が綺麗ごとをいっても、払えないの払えない。この人が話す言葉の裏づけは瞬時に融かされる。
  それが情報社会の凄みである。 日本の「あの人?」よりは、ましか。 
  外黒、内白の大統領は、当面は無制限にドルを刷り、国債を発行し、ハイパーインフレもやむを得ないとするだろう。、
  その後デフォルトを宣言する。それとも旧札二ドルを一ドルの新ドル発行するかしかない。
  恐ろしいことだが、これが事実のようだ。地球の隅々まで毒饅頭が回っていたのである。
  金融立国と称して米国同様にイギリス、スペインなどもしていたから
  世界同時金融恐慌になったのである。AIGは目先の救出をしただけで、根本が解決されてはいない。
  来年は、世界恐慌が本格的に吹き荒れる年、最低5〜10年は続くことになった。
  ブッシュは史上最低の指導者として、歴史に残る。 阿部、福田、そして麻生は如何だろう? 日本は小泉か?
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 2007年12月28日(金) 」
  2459, ウェブ時代をゆく −1  【お】|ゝω・)【は】|・ω-)ノ【よ】|((ゝω<)ノ【う】  −読書日記
   なかなかよい本である。「ウェブ進化論」の完結篇で、それに劣らない内容。一言一言が新鮮で説得力がある。
   この情報化のスピードと変化に戸惑っていたおり、分りやすく現在地と方向を示している。
   それも肯定的・楽観的なところがよい。若いSEには必見の書だが、一般の人こそ読んでおいた方が良い内容である。
   ウェブの世界は、いま一つの違う地球の出現であり、リアルの世界に匹敵するほどの世界である。それをアメリカ大陸
   の発見と、アメリカという人工国家と類推している組立てが非常に面白い。世界の1〜2割の人がインターネットで
   結ばれるなど信じがたいことである。それも、ブログという受発信基地を持って、平等に、そして自由に。
   さらにオープンソース(情報公開)の潮流が、情報の莫大な恩恵をもたらしている。
 ーまずは、紹介の内容と目次を書き写してみた。
  「ウェブ時代をゆく 」─いかに働き、いかに学ぶか         梅田 望夫 (著)
ー内容紹介文(アマゾン)ー
ー 字数の関係でカット(2007年12月28日)
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 2006年12月28日(木)
2095, 下流喰い −4    オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!        
バブル崩壊から日本の経済が立ち直りつつあるというが、金融の再編成の歪みや、ゆとり教育の行きすぎなど
多くの問題が日本社会を蝕んでしまった。強者が弱者からむしり取る社会構成が出来上がったのである。
高利貸しは徹底して弱者からサラ金三悪という手法で全てをむしり取る。十数年前のことだが、ある話が鮮明に記憶に残っている。
  字数の関係でカット(2010年12月28日)
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2005年12月28日(水)
1730, 新潟県活性化案
  ある知人から、新潟県活性化案の知恵を貸してもらえないかと相談を受けた。
  学生時代のゼミの後輩だけに、私の知恵を搾り出せるだけ出した案が、以下の通りである。
  1、新幹線を新潟飛行場まで延長する。
  2、新潟飛行場を3千?に延長してハブ空港(国際空港)化する。
  3、コスト削減のため単線にする。
  4、第三セクターを立ち上げ、新潟飛行場周辺を数十万坪買い上げ、そこを特区にして高層のビルの
    容積率を1千%に上げ、買入価格の二~三倍の値段で売却して、新幹線の工事費の半分以上を捻出する。
  5、飛行場と東・西港周辺に大流通センターの特区とする。
  6、飛行場から新潟駅まで新幹線の線路を使った新交通システムの無人電車を通す。(新幹線の空いている時間をフルに使う)
   ー特区地区の住民には格安の乗車券にする。
  7、新潟駅から朱鷺メッセ〜西港~飛行場~東港の新交通システムを別に通す
   以上、新潟県を「環日本海拠点都市」と位置づけ、宣言をする。
  その象徴として「東京駅から飛行場への直接乗り入れの新幹線」を上越新幹線の特化とする。
    字数の関係でカット(2010年12月28日)
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2004年12月28日(火)
 1365, シンプルの勧め−3
 以前にも何回か、シンプルの勧めを書いてきた。服装に関して、昔の旦那様の粋な着物の着こなしについて書いた。
 欧州を旅行していると、気づくことが服装のセンスである。よく見ると、シンプルなのである。基調は白と黒である。
 白と黒のどちらかといえば、黒である。他は、せいぜいベージュか、濃紺か、ネズ。 しかしデザインがよい、それもシンプル。
 ネッカチーフとか、くづ下とか、カバンや、帽子などの色を変えてポイント。オカマのオスギが、銀座で服装チェックの番組がある。 
 家内が好きなので見ることがあるが笑ってしまう。気取ってブランド物を身につけている人を片っ端から切り捨てている。
 着こなしているつもりのブランド物のバランスがチグハグ。 すべての人が、「コスプレ」そのもの、それもチンドンヤ以下である。
 銀座で目立つブランド物を固めている人はコスプレ!と、 思ってウオッチングをして歩けば楽しいだろう。
 「銀座の街を意識した、外見を繕っている世界のコスプレ!」は少し言いすぎか? そう思っていれば、ブランド物など欲しくは
 なくなるはずである。土人が西洋のブランド物を身につけても似合うわけがない。
 まして、黄色人種はさらに似合わないのが解からないのが可笑しいのだ。 オスギが言いたいことはただ一つ
「シンプルに、着こなしているかどうか」である。定番的服装をまず着こなすことという。
 一例をあげれば、パリでよく見かける、何げない白のブラウスに、濃紺のタイトスカート。
 これを何人が着こなすことができるだろうか。定番的服装も着こなしができない人ほど、ブランド物に頼る。
 よくスナックなどで見かける、やり手ブス風ブランドチャラチャラ女。そういう視点で人生を見直すと、面白いことに気がつく。
   字数の関係でカット(2007年12月28日)
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2003年12月28日(日)
 998, アマチャアビデオ特集
 昨夜NHKで「アマチュアビデオ特集」を放送していた。
単身赴任の父親に赤ちゃんの姿を映像に録って、毎日TV電話に送る姿や、小学生のグループがテーマを決めて
ビデオで録って編集をする活動があった。また庭で雀が、足が何かに絡んで動けなくなった仲間を助けようという
微笑ましい内容が映しだされていた。井筒和幸という映画監督が、解説をしていたが、この中で「他人に見せるということになると、
全く違ったビデオの内容になる。もっと深く言えば、誰に見せるのかを意識をした時に内容は全く変わってくる」という言葉が印象的。
字数の関係でカット(2009年12月28日)
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2002年12月28日(土)
 624,今年の総括
今年の総括の時期になった。 毎年卓上日記に書いている。
・姉正子が亡くなる ー9人のうち4人死んだ。
・父方のオバがなくなる。父方の叔父の連れ添いだ。
 これで父の兄弟・姉妹とその連れ14人が全てが亡くなった。年齢の一つの風景か。
・海外は三回行った。 西アフリカ、スイス、パタゴニアだ。
 これで39回、60歳までの50回の目標に近づいたが。来年は戦争の可能性があり、どうなることか。
・子供は長男が再就職と更なる転職。次男は会社ごと身売り、転籍。これは時代の風景だろう。
会社は
・この不景気の中一応順調に経過という事か?相変わらず銀行の貸しはがしの予兆があったが。借り入れも一応順調にいった。
・売り上げも微弱ですんだが利益は2割減った、来年はどうなることか。 新入社員が6名入って若返った。
国際社会は去年は歴史的な9・11があったが、比較的に落ち着いた年だった。北朝鮮問題がクローズアップしてきた。
国内も比較的安定した年だったが、景気がますます悪くなって救いがたい状況。国内も国際的にも
20世紀的なものが本格的に壊れ始めてきたのが今年の特徴だった。自民党は仮面を変えてしぶとく残っているが。
・・・・・・・
2001年12月28日(金)
 283、創業の頃ー2
中途採用は‘一ヶ所でオぺレーションを4〜5年以上やってきたキャリア’以外は入れない。 
間違えて入れたら、いらない苦労を背負い込むからだ。ある日のこと,ライバルになる会社の事務の責任者と名乗る女性から
電話が入った。会いたい、どうしても面接をして欲しいとのこと。かなり強引の電話内容であった、そうして会った。
字数の関係でカット(2011年12月28日)
・・・・・・・・
 12月28日 1968年
11時に起床。13時に千葉の姉の優子さん宅に向かう。途中花屋で植木の花を買っていく。
卒論の清書をしてもらった分をもらい、16時半に帰路につく。途中に集団すりを目撃をする。
財布を掏ろうとして騒がれて慌てて逃げていった。17時半に帰寮。20時に帰省バスに乗る為に新宿に行く。
21時のバスに乗る。翌朝の5時に到着。家に着いたあと就寝。ーこの4ヶ月の日記を見ると字があまりに乱雑である。
他人に見せるものでないとしても、これ自体自分の姿である。最近自分というものに対して目覚めてきたと同時に、
自分に懐疑的になってきた。そして少しのことで動揺するのだ。
この二ヶ月間は特にそうだ。また同時に脱皮に向かってモソモソしているようだ。自分の理念とは何だろうか?
・創造、遊び、愛、知性という面から、それぞれをどう位置づけるか。自分の理想的なバランスである。
・それと真善美のいう面からも自分のバランスを考えてみよう。
ー 創造について
 男としては、価値基準の一番の指標になる。 これは生きていく手段としてより、人生の目的として、
 自己の具現化として追求するのが重視されて当然のことである。
 人生の大部分はこれを追求すべきである。 その追求をしていく過程・・・・
ー愛について
ー遊びについて
ー   省略


3928, 精神力ーその偉大な力 ー15

2011年12月27日(火)

  「 精神力ーその偉大な力  ー 」 ダン・カスター著
  * 私は在る、私はできる、私はする
 意識する存在として、私たち各自は精神の意識するポイントであって、何を持とうとするか、何でありたいかを選ぶ力をもっています。
エマソンは自己信頼についての論文で、「広い宇宙は善いことに満ちているが、滋養あるトウモロコシは、耕すべく与えられた一定の
地面に人が労力をつぎ込んでのみ、手に入れるのだ。彼の中に住む力は、自然界における新しいもので、彼以外誰ひとり、彼が成し得る
ことを知らない。また彼みずからも行なってみるまでは知らない」と言いました。 私たちは常にみずからについて何かを信じています。
だから思考のタネを潜在の耕土に植え付けているのです。雑草のタネは雑草に、野菜のタネは野菜にになります。病気、貧困、不幸の
タネは、偉大な主観的で創造的な媒体に根を下ろすにまかせると、それが生育して体験になります。正しいタネを選びたいものです。
 ・・・私たちは自身も否定的な思考と同一化するかわりに、肯定的な積極的な思考と同一化することを学びましょう。
私たちの知りかつ理解しうるかぎりの最高の理想と同一化することを学ぶべきです。事実私たちの人生は完全な人生です。
 こういえます。「私は体内に無限の神、すなわちエネルギーの化身である。肉体の真の偉力、身のまわりのすべての威力は、
太陽、月、星をそれぞれの位置に保つと同じ力と同じである。それはバラの花を咲かせる力である。あの無限な力が私に個人化した
のである。私の意識する心を通して、からだにおいて、身辺の諸事において、それを正しい動作に指向することができるのだ。
なにものも私の選ぶ力を拒否することはできない」「私のなかの知性は無限の精神の知性である。その知性に限界はない。
それは終わりもなく底もなく、私が実在するそのポイントで無限である。普遍の精神は私の使う精神である。」
「私は永久の大生命、エネルギーの化身であるから、私にとり、持ち、在り、なすことが正常で、かつその権利あるすべてのものを
持つことができる。私の真の自己は永遠の存在である。私は在る。だから私はできる」・・・
 ▼ 書き写していても気持ちが奮い立ってくる言葉である。 この歳で今さらであるが、しかし一日一生とすると、
  決して軽く見ることもできない。せっかくの一日、「私は在る、できる、そして私はする」は、積極的生き方の基本。
  人間の最大の欠点のひとつは、ひ弱で何か欠けていると感じて、目の前の挑戦に尻込みすることである。動物ものドキュメントで、
  「動物の生き死にの戦いの中では、後ろをむいて逃げたら餌になる」という印象的なコメントがあった。 大津波で、
  逃げなかったら犠牲者になるが、逃げるべきと判断をしたら迷わず逃げるべきだが、闘うときは、最後まで闘い諦めないこと。
  「後ろを向いたら餌になる」というのが真実である。 一般社会では問題の中心点を意識し、そこから目を離さないこと。  
  中心点に自らを置き、闘いエネルギーを集中すれば、負けても次の道が開けてくる。 これが精神論の要の論である。
・・・・・・・                                                ーおわり 
3563,  閑話小題ー激流の中で
2010年12月27日(月)
  * 高校・大学生の就職難について
 25日のクリスマスの土曜日のゴールデンタイムに何と「高校・大学生の就職難」についての討論会があった。
 時代が変わったものである。 大学生は、一番価値があるモラトリアム(社会人前の猶予期間の自由)が、
 これでは満喫できない。 それより過半数以上が大学に進学すること自体が変。25%あたりが適正である。
 私の時代は16%だった。それが、まず問題である。高校卒では就職が不利、だから大学に行くというのが進学理由、
 だから学生時代に自由を有意義に謳歌できないのである。 高校、大学とも42〜3%が就職先が決まってないというが、
 違う学部に再編入したり、大学院に残ったりした学生は数字に入ってないので、実際は過半数が就職出来ないのが現実。
 すざましい厳しさである。 韓国、中国人の質を比べるとレベルが非常に低下しているというが・・・ 
  * どうなっている?朝鮮半島
 23日の韓国の大規模な実弾射撃訓練、危ないと思っていたが北は急にトーンが低下してしまった。
 全面戦争になった時、韓国は失うものが北に比べて格段に大きいためイザとなると腰が引けてしまう。
 片一方は、全面戦争を常にちらつかせ、始ったら終いのことを熟知している。脅しは、脅しでしかない。
 目を凝らして状況を見ると、結局は北朝鮮は中国の隠し砦、日米韓はいいようにあしらわれている。
「アメリカへの間接的脅し道具」ということ。 中国が「世襲は反対、早晩、金一族は政権を国民に返すべし」
 という声明と、国境閉鎖で数ヶ月で体制がひっくり返る程度のこと。
  * 瞬間像
 「突然涙が溢れたり、ふと笑いがこみあげたりすることがある。それは過去に堆積された経験、思い出が〈今〉と結びついて、
 瞬間像がフラッシュのように表出した結果、それはまさに生そのものと触れた時である。 その意味では、瞬間像とは、
「純粋持続」を感覚的に把握するする瞬間である。この特性を、ベルクソンは〈直感〉ないし〈哲学的直感〉と呼んでいる。
 これは「意図的にぼんやりすること」で、感じ取ることが出来る。だから老齢期には、その時間が多くなる。
 これを日本語で〈イメージ〉とか思い出像と言ってしまうと、明確な輪郭をもったものと想起されるが、
 フラッシュは、あたかも「いま、ここ」に鮮明なイメージを映し出す。年寄りはボンヤリしているようだが、これまでの人生の
 思い出が、次々と表出しているのである。それが、コントロール出来なくなると、痴呆症に陥るのである。
  ・・・・・・・・
3188, 3D映画の初体験の感想とは?
 2009年12月27日(日)
 昨日の朝9時からシネマで「アバター」を観てきた。「3D=立体のシネマとは、どんなものか」の実感の感想を書いてみる。
メガネに上に重ねたこともあり、初めの30分は馴染めなかったが、馴れてくるにしたがい異空間に引き込まれいた。
「映画の画面と、自分の顔の間に映像空間ができた」というのが、未体験の人に説明するに分かりやすいだろう。
映画そのものが、画面から映像が飛び出して見える演出が計算されてつくられていて、自分が映画の空間の中に
入りこんでしまった感覚になり、緊迫感が数倍になってしまう。 ストーリーがなかなか面白く、想像を絶する画面が
次から次へと展開していく。 20世紀では考えも及ばない映画である。「2012」も、同じだったが、自分が、
どっぷりと異空間に取り込まれてしまうのである。 21世紀のバーチャルもここまできたかと感じいった。
所詮は、生きていること自体、夢・幻のバーチャルでしかないが・・・。私がみたのは字幕版だったが、
3Dに関しては字幕が見えずらい。 吹き替え版がお勧めである。これをみても何とも感じない人もいるだろう。
戦後、何も無いところから時系列で時代の変化をみてきたので、こういうものに敏感になるのだろう。
今世紀に入ってから次から次へと、これまでとは違う世界がつきだされる。 21世紀に生きているのである。
9・11テロ、9・15の金融危機、ブログの飛躍的普及、携帯電話の進化、アメリカの黒人大統領の誕生、
中国の経済発展。 日本では、自民党の壊滅など、思いもよらない現象が起きている。
この3D映画も、その一つである。 ドラッガーが40年前に「断絶の時代」がやってくる言っていた。
ソ連の崩壊、中国の文化革命、インターネットなどの情報革命、それと100年?数百年に一度の恐慌と、
怒涛のごとく日常にも押し寄せてくる。 この3D映画も、その一つだろう。面白いが、恐ろしい時代である。
 ーところで、家内は3Dが思っていたより大したことがなかった、という。 私とは受けとめ方が違う。
 私は、意識的に立体空間に入ろうと勤めていたのと、初めの30分の違和感に引きずられたからだろう。
 ・・・・・・・・
2823, 年初来、世界の株価は半減!
 2008年12月27日(土)
年初来の世界の株価と貨幣の下落が、朝日新聞に載っていた。(12月23日、経済欄)
解りやすいが、世界の株価6000兆の半分3000兆円が失われたことになる。これに国債や住宅ローンや
サブプライムローンなどの債権の暴落を入れると、その損失は計り知れない。
 ーまずは、その記事からー 
 この金融恐慌で、
・世界の株価は、1年間で半減 アイスランドは99%(百分の一)の下落になっている。
 9月半ばからの金融危機と景気後退の深刻化で、世界の株式市場の株価が08年の1年間でほぼ半減する見通し。
 年初から11月までの世界の株価の下落率は46%に達しており、市場からの資金の流出と、世界経済の牽引役だった
 新興国の急落ぶりが激しい。 年間の下落率は02年の19.6%を超え、95年以来で最大で、対象の国すべてがマイナス
 となるのも初めて。  なかでも新興国の急落が目立っている。ロシアが11月までに71.30%、インドが67.98%、
 中国57.80%、ブラジル57.50%の下落。高い経済成長率で投資マネーが流れ込んでいたが、損失を被った投資家が
 資金を一斉に引き揚げ始め、株価の大暴落。 ちなみに、ドイツ・フランス・ドイツは5〜60%の下落。
・通貨をみると、アイスランドで、99.37%の下落。ロシア、アイルランドが69.86%)、
 ベルギー(同68.78%)で、調査した全体の3分の2以上の32カ国・地域が5割以上の下落という。
 日本はマイナス34.50%で下落率はモロッコに次いで2番目に小さい。
 金融危機の震源地の米国は39.60%の落ち込みで、日米は07年から株価が低迷していた分、
 新興国と比べると下落率が小さいようだが、数年スパンでは同じと見ることもできる。
 来年も不安定な相場が続くだろう」とみている。これでは世界恐慌に一直線進んでいるといえる。
▼ これからみると日本の被害は最小に思えるが、元もと日本は十数年かけて下落していたし、米国は一年前から下落していた。
 その上に輸出立国のモデルの日本は一挙の落ち込みで、大打撃を受けることになる。これから5年間は倒産の嵐になるのは必然。
(字数の関係でカット、11年12月27日) 
・・・・・・・・・・
2007年12月27日(木)
2458, 明治大學応援団       ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
現在はどうか分らないが、私が学生の頃の明大応援団は名が知られていた。
中越の十日町市の元市長の諸里という人も、明大の応援団長だった。(二番目の姉が中学校で同級生で、その辺の話を聞いていた)
当時は厳しい規律と格式?の高いブランド・イメージがあった。それが、応援団の暴行で学生が自殺。その凄惨な内容が露見した。
「鉄拳制裁」や「かわいがり」「いじり」など一般では考えられない虐めである。
(字数の関係でカット、11年12月27日)         
・・・・・・・・  
2006年12月27日(水)
2094, 下流喰い −3      (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん!
*タクシー業界運転手の悲鳴*
 (この内容は本の概略でなく生の現場のレポートである)
この本を読んで、改めて現在の日本の病巣に深さに驚かざるを得ない。ここでは何度も取りあげてきたが、
「タクシーの運転手の悲鳴」である。飲み会の帰りに数ヶ月に一度は使う程度だが、必ずというほど、
「運転手さんも大変でしょう!」と聞くが、ほぼ同じ返事が返ってくる。<月の手取りが14~5万円で、奥さんがパートで
8万位稼いで、子供1~2人で何とか食いつないでいる云々・・。それでも辞めても直に補充が入ってくるからね〜」である。
(字数の関係でカット、08年12月27日)   
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2005年12月27日(火)
 1729, 流通再編成             (*´ノД`)<<< +。:.才八∋ー
「西武・そごう」をセブン&アイグループが傘下に収めると各誌のトップで報じていた。
 これで、7兆数千億の規模になり、世界の流通グループでも5番目の規模になるという。
      (字数の関係でカット、10年12月27日)     
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2004年12月27日(月)
 1364, M資金
学生時代から、この資金の話を聞いていた。また父が、東京女子医大病院で手術をした時、隣のベッドの人の話も
M資金に似た話を父にしていた。「終戦時に軍の秘密の金塊を隠して持っている」とか。
  (字数の関係でカット、09年12月27日
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2003年12月27日(土)
 997,「 私の死亡記事」−2
 この本を読んで、それでは私も書いてみようかと思って既に2年経つ。そこで書きだしたが、そうは書けないものだ。
あからさまな自分を、突き放して見つめることは辛いことである。宇宙から地球を見つめ、地球から日本を見つめ、
日本から新潟を見つめ、そして自分を見つめ、その自分を突き放して最終の死の視点から冷静に書くのも面白い挑戦でもある。
 ー以下、真面目にフザケテ書いてみるー
戦後直後の混乱期の1946年01月15日、新潟県長岡市に8人兄姉の末っ子として生まれる。父が43歳、母が38歳にの時に生まれた為に、
両親に溺愛?されて育った。実家が丁度、転業期の為、いつも一人放って置かれて育った。一生を通して独り遊びの癖が抜けていない。
しかし無事に人並み?に大学を卒業をした。両親の姿をみていたためか、大学時代より創業の準備を始めていたと
彼の文章に書いてあった。27歳で千葉で独立したが、その二年後に実家で騒動が勃発。実家の「衣料量販店」を五年近く従事する。
実家の経営を軌道に乗せ、その後新潟の駅前で日本で初めて客室主体の「シングル専門ホテル」を開業する。35歳の年であった。
一階に学生服を兼業して奇妙なホテルとして注目を浴びる。その後、70室の客室を500室まで新潟駅前で増やす。
そのプロセスでリースバックを思いつくがバブルの時代に買い取り方式に拘りすぎたようである。
現在デフレのフィッシャー効果の為、事業構造の転換迫られ丁度手がけた矢先であった。
酒を飲んで多くの失敗を繰り返していたが、昨夜ついに暴走族と長岡駅裏で乱闘、袋叩きにあって
翌日死んでいるのを発見される。誰も同情する人が無いのは、この人の生き方をそのまま顕している。
死を予感したのか、随想日記を997日分書き残したが、その最後に皮肉にも「私の死亡記事」が書いてあった。
本人の目標の1000に、あと三日であった。 享年57歳。 葬儀、告別式は本人の希望でなし。
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2001年08月13日(月)
 [107] 「私の死亡記事 」‐文芸春秋
図書館で何気なく借りてきた本だが、これが面白い!各分野の有名人に「物故者の解説を、当の本人執筆という点である」
(字数の関係でカット、09年12月27日)
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2002年12月27日(金)
 623, 新しいパソコンについて
会社の自分のパソコンを日立のPuriusに入れ替えた。感想はとにかく画面がきれいだ。明るくクッキリしているのが良い。
画面は二年前に買った自宅用のパソコンの3倍は良い感がする。会社のパソコンの入れ替えを利用して2年に一度変えている。
年々パソコンが飛躍的に良くなっているのが良くわかる。今回もかなり迷ったあげく画面の良さを優先した。
それと違うメーカーを取りあえず使ってみるのも要素にいれた。当たりであった。画面が明るいことと
クッキリしているのが本当によい。まだ機能やソフトは把握をしてないが新鮮な感じも良い。
今のパソコンは2年経つとゴミとNTTの人が言っていたが、当たらずとも遠からじという感じがする。
あと二年経ったらもっと凄い内容になっているのは間違いがないだろう。恐らく動画と電話の画面が主体になるだろう。
不況でもこの分野の世界の進歩はとどまる事が無い。パソコンを使えないということは時代に見放されてしまったといってよい。
話は変わるが、ニュースで携帯電話で音声付動画が配信できるのが売り出されるという。
5〜6分のものを3本まで可能といっていた。 面白い時代だ!
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2001年12月27日(木)
 282、同姓同名
東京でも、地方でもいつも同姓同名を電話帳で探していた。必ずいるはずだと。山田太郎とか、
小林恵子とか言う名前の人は何回もそのことに慣れていたと思うが、一回もあったことがないのも気になる。
そしてインターネットの検索で見つけた。岐阜の駅周辺の呉服屋の主人だった。ー商工会議所の名簿に出ていた。
それを知った時妙な気分であった。周辺にいたらあまりいい気分でないだろう。
初めて見つけたことと、同姓という因縁である。手紙でも書こうと思ったが、それはおかしいと思い止めた。 
その話をある知人に話したら、それでは「自分の名をインターネットの検索に入れてくれ」とのこと。
それではと入れてみた。なんとその5年前の新潟で行われた、マラソンのシニア部門の記録の名簿が出てきた。
本人もびっくりしていた。 堀井は遡ると平家の武将で、源平の合戦で負けた落ち武者だそうだ。
その為か、富山や新潟の上越市周辺にその姓が非常に多い。第二新館の鉄骨工事が富山の業者であった。
その社長の名が堀井だった。鉄骨検査でその工場に行ったとき、私の想像どうりヒタイの広い自分にそっくりな男だった。
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ある時間の断片
 12月27日  1968年
12時に起床する。 午後読書をする。夕方に新宿の紀伊国屋に行くが、目的の本がない。
帰寮後、21時に瓜生の部屋で、彼と佐藤と緒方と酒を飲んで騒ぐ。22時に先輩の永田さんと渡辺文雄さんがくる。
飲んでいるうちに、現実社会は厳しいとかの愚痴が始まる。自分の思っている範囲が手に取るようにわかる。
彼らに理想などあるものだろうか。この溝はもう埋められない。
 -2004年12月27日ー記
これを読んで気がついたが、二人が後年に「県会議員」になったという。
何じゃ、こりゃ!こんなものだろう。両方とも、国会議員の秘書だった。国会議員なら、もっと程度が??
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ーある時間の断片
12月26日  1968年
 11時起床。 午後から卒論のまとめ。ジャスコオカダヤから「販売革新」という月刊誌が贈ってくる。
その文面によると、2月21日から出社のようだ。これを見て焦りがでる。気持の整理がまだできてないせいだろう。
あと55日しかないのだ。いかに気持を整理していくかだ。少し自分の気持を整理をしてみよう。
学生時代に自分の能力ー特徴を見つけ出した。行くべき方向も見つけた。自分の長所も欠点も把握した。
そして自信もついた。これからはジャスコという会社に入り、先ずはその中で組織にチャレンジをすることになる。
そこで自分に対する課題を一つずつ処理をしていかなくてはならないのに、ここで躊躇しているのは何故だろう。
 両親を見てみるがよい。戦前戦後を通して生き抜いてきた姿が実例である。私もここで社会に旅たつときが来たのだ。
自分の柵を乗り越えなくてはならない時期に来た、自分の足で一歩一歩。その為には逆に自分の中に生きなくてはならない。
武沢教授にしても、高木にしても、あの奥知れない能力を見るがよい。私の中のそれを探し出していかなくてはならない。
石川にしても、外山にしても、河村にしても、それぞれが外から見ると大きな宝石が見て取れる。
もちろん自分にもそれに負けないものがあるはずである。 最近、「何故何故」という問いかけが、自分の中に生じてきた。
これは哲学的になってきたということだろう。何故はたらくのか、何故生きていくのか、何故お互いに傷つけあうのか。
 纏めるつもりがいつの間にか混乱をしてしまった。  少し考えすぎだ。


3927, ただの言葉ー されど言葉の偉力

2011年12月26日(月)

           「世界をうごかした21の演説」クリス・アボット著 より
 下に紹介するのは、オバマが大統領選挙で真似たと言われるマサチューセッツ州知事に選出されたデュバル・パトリックが
聴衆に向かって言った言葉である。 演説は単なる言葉以上のはるかに大きな意味を持つことができる。どんな場合でも、
ただの言葉では終わらない。言葉は、行動を後に続くことを期待するのである。 
≪ 先週、候補者討論会で、司会者が私たち一人ひとりに他の候補者について何かよい点を挙げるように言いました。
ケリー・ヒーリーは私についてしぶしぶこう言いました。「まあ、演説は上手ですね」彼女がそう知っていたのは、
私の演説を聞きに来たことがあるからではなく、私の演説をだれかに撮影させていたからです。しかし彼女のスタッフからも
聞きましたが、彼女が言いたかったのは、私が与えることができるのは言葉だけだ、ということのようです。ただの言葉だけ。
「すべての人間は生まれながらにして平等である」これはただの言葉です。
「恐れなければならないのは、恐怖心そのものだけだ」これもただの言葉です。
「国が自分のために何をしてくれるかではなく、自分は国のために何ができるのかを問おうではないか」これもただの言葉です。
「私には夢がある」これもただの言葉です。どなたかに指摘される前に言わせてください。私はキング牧師でも、ケネディでも、
フランクリン.ルーズベルトでも、トーマス・ジェファーソンでもありません。しかし私は知っています。よりよい世界への展望と
見えざるものへの信頼を持って、心の底から発せられた、確信に満ちた適切な言葉は、行動を呼び起こすことができるのです。
私の言葉を聞くとき、あるいはみなさん自身が隣人に語りかけるとき、行動への呼びかけとして言葉を聞き、語ってください。≫
 ▼ いざ大学を卒業する直前になって、学生時代に、もっと本を読んでおくべきだったと深く反省し、留年してでも
  学び直そうと思ったことを思い出すが、社会に出てから2^3時間の読書の継続をしてきた割には知らないことが
  多過ぎるのに呆然としている。それでもネットやパソコン、そしてテレビの御陰で大いに助かっている。
  ここで《 私は知っています。よりよい世界への展望と見えざるものへの信頼を持って、心の底から発せられた、確信に満ちた
  適切な言葉は、行動を呼び起こすことができるのです。 私の言葉を聞くとき、あるいはみなさん自身が隣人に語りかけるとき、
  行動への呼びかけとして言葉を聞き、語ってください。》こそ、言葉の力を言い表している。
  行動の「行」は判断するという意味がある。言葉こそ、方向への判断の材料を示してくれる。そのためには意志が必要になる。
・・・・・・・
3562, 2010年の総括
2010年12月26日(日)
 ー海外からみると、
・大地震がハイチとチリで発生、ハイチは23万が死亡した。この数年、毎年のように大地震が発生している。
・朝鮮半島ではミサイルの発射実験、韓国との漁船撃沈、北方限界線近くの島への砲撃があった。
 ドン様も健康が日々悪化、三男の正恩が後継者に選定された。
・政治経済では、アメリカの民主党が中間選挙で大敗。欧州ではギリシャ、アイルランド危機が表面化。
 世界的に景気はジワジワと悪化を続けている。
・メキシコ湾で原油が流出、アメリカ史上最大の汚染事件になってしまった。
・中国では、次期最高権力者として習近平が選ばれた。また、万博も開催された。
 ー国内では、
・政治向きでは、民主党の鳩山首相が辞任、管首相へ引き継がれたが、参院選挙で大敗。捩れ国会で政治混迷。
・景気は更に悪化、日本航空が倒産。エコポイントで何とか最悪の事態は避けられた。
・大相撲は朝青龍が首。その反面、白鵬が63連勝を達成した。また、賭博野球で琴光喜が引退に追い込まれた。
 野球はロッテが大逆転で優勝。ワールドサッカーで、日本は決勝リーグまで進出した。
・郵便不正事件の押収証拠改ざんで大阪地検特捜検事が逮捕され、村木元局長は無罪。
 また、尖閣列島で中国船とのトラブル発生。その上、撮影された録画の漏洩事件が発生した。
・芸能関係では、・・・取り上げることもないか。
  〜以上だが、地方経済は一段と悪化、悲鳴も上がらないほど。
  個人的には二年ぶりにニュー・カレドニアにいったことと、市内に住む従姉と高校の同級生が亡くなったことと、
  テレビを入れかえたことか。不況が事業に直撃、溜息の多かった一年だった。 今年より「来年怖い」である。
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3187,海外10大ニュース
2009年12月26日(土)
  海外の10大ニュースである。
 ニュースはマイナーなことが主流になるが・・・ その結果とは
1 新型インフルエンザ大流行、世界で死者相次ぐ
     メキシコで4月、通常の季節性や強毒性の鳥インフルエンザとは違う、新型の豚インフルエンザが流行した。
2 オバマ米大統領が就任
     変革を訴え、2008年米大統領選に勝利した民主党のバラク・オバマ上院議員が1月20日、第44代大統領に就任。
3 マイケル・ジャクソン急死
     「ポップス界の王様」と呼ばれた米歌手マイケル・ジャクソンが6月25日、
     ロサンゼルスの自宅寝室で呼吸停止状態で見つかり、搬送先の病院で死亡が確認された。
4 米GM、クライスラーが相次ぎ経営破綻
     米自動車最大手のゼネラル・モーターズ(GM)は6月1日、米連邦破産法11章の適用を申請した。
5 ノーベル平和賞にオバマ大統領
     米国のオバマ大統領は、4月のプラハでの演説で、米大統領として初めて「核なき世界」を 
6 北朝鮮が弾道ミサイル発射
     北朝鮮は4月5日、長距離弾道ミサイルを発射した。>>詳細
7 韓国で射撃場火災、日本人客10人死亡
     韓国南部・釜山の室内射撃場で11月14日、火災が発生し、日本人観光客10人が死亡した。
8 中国新疆ウイグル自治区で暴動、197人死亡
     中国新疆ウイグル自治区のウルムチで7月5日、少数民族ウイグル族の大規模暴動が発生し、武力鎮圧された。
9 南太平洋、スマトラで大地震相次ぐ
     インドネシア西部スマトラ島沖でマグニチュード7・6の地震が9月30日に発生し、1195人が死亡した。
10 世界陸上、ボルト選手が3冠
 (字数の関係でカット11年12月26日)
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2822, 暴走する国家恐慌化する世界 −1
2008年12月26日(金)
「暴走する国家恐慌化する世界 ー迫り来る新統制経済体制の罠ー」 
                      副島 隆彦×佐藤優 日本文芸社
 この二人の対談、成るほど期待を裏切らない内容であった。「辛らつな裏話なら副島が得意の分野、
 佐藤優はまだ外務省に在職していることもあり、少し戸惑っているようでもある。
  ー印象的な副島隆彦の核心部分を私の主観でマトメながら羅列してみる。
・アメリカ経済は本格的なリセッション、そして大不況に突入。貧困層の暴動も発生する。
 それを阻止するのに一番効果を発揮するのが、オバマの肌の色。黒人大統領が飢えた人々の平和と団結を呼びかけるに
 丁度良い役者、陰の人物が、それも計算の上で彼を押し上げていった、それが政治である。
・オバマは大統領になったら、直ぐに大規模な公共事業をする。信用不安に対して、どれだけでもお金をぶち込む。
 そうするとドルの価値が落ちて、やがて「ドルの切り下げをする」。そうするしかない。だからやる。
・やがて、健全な人々もプライムローンを払えなくなるが、それを阻止するために、500兆円ぐらいの金を入れる。
 いや、その倍も入れる。そこで財務省は米国債をものすごい勢いで発行、それをドルを発行するFRBが引き受ける。
 そこでFRBがどんどんドルを刷って、アメリカ財務省に与える。この資金を破綻しそうな大銀行、証券、生保の救済に与える。
 さらに、公共事業や福祉政策を行うとドルが膨大に増加、その結果として、一ドル30円位までは落ちる可能性がある。
 株価は数年かけて3000ドル台まで落ちる。バーナンキは、そのために育てられた男である。
 彼は‘ヘリコプター・ベン’と呼ばれている。ヘリコプターから金をばら撒く様にドルを大放出する特殊な人物です。
・今度の金融崩壊は、非常に凶悪であり、デリバティブの契約総額が、実に八京円に及んでいる。
 その一割でも8000兆円、五%でも4000兆円の処理をしなくてはならない。
・アメリカのやったことは、ネズミ講です。日本は600兆円も貢いでいるが一銭も帰ってこない。
・アメリカの言いなりになって時価会計を企業に押し付けて、多くの会社を潰しておいて、その押し付けた当のアメリカが
 時価会計制度の放棄をいい始めた。アメリカのポチの金融庁は慌てふためいているが、すっとぼけて何食わぬ顔をしている。
  −−−
 副島の論を聞いていると、そこしれぬ深い闇が我われの前に漂っている。 暴風雨や津波のレベルでない、
もっともっと大きな崩壊が現に目の前で起きている。それは、数年で立ち直れるレベルのものでない。
 昨日のニュースで、就職の決まった女子高生が朝起きると一番初めに経済ニュースを見ると言っていた。
「果たして自分の勤めている会社が人員整理をしてないか、新卒採用を取止めないか心配です」と!
・・・・・・・・・・
2007年12月26日(水)
2457, 歌舞伎町事変(1996〜2006) −3   !(。・ω´・)っノXXXXXXXXXX>C【才ノヽ∋―】゚+。*゚+。         
 歌舞伎町は日本の吹き溜まり、そして下半身、とはよく言ったもので、現代版吉原が実態だった。
しかし、政治が本気になって浄化を決意すれば変化するのは当然である。最近は、朝キャバ、昼キャバが20軒ほど
営業を始めたと新聞にあった。ちなみに50分で6千円、客単価が1万円とか。
(字数制限のためカット 09年12月26日)
 ーーーーー
2006年12月26日(火)
2093, 哲学者が皇室の意味を考えると!  b(^o^)dおっW(^O^)Wはー♪
 「知ることよりも考えること 」池田晶子著−?  読書日記
現在の日本の皇室はあまりにも金をかけすぎであり仰々しい。幕末に国家をつくるときの御旗として仰々しくする
必要があったのだろうが、時の権力者が如何に「あの家の方々」を利用して御旗の陰で何をしてきたか?外務省と同じように
「無用の用」なのだろうが、あまりに金ピカ過ぎる。京都御所に皇居を移されて、江戸城跡は公式の外国の来賓が来たときの
迎賓館としての機能のみを残すべきである。本来の城跡としての史跡公園にして、災害が起こった時の避難場所として整理すべき。   
まず皇室の質素化こそ日本再生モデルとして、国家システムの合理化の範を示すべき。これをきちっとしておかない限り
「神社のお賽銭=神への賄賂レベル」から日本の官僚と国民の意識は変わらない。著者は言葉は選んであるが、「皇室問題」に対して
本質をキッチリと論じているところはさすがである。島国は土着の王様という「中空」=ガス抜き、としての天皇制も必要だろうが、
金のかけすぎということ!その不自然さが「皇太子妃の重度のノイローゼとして逆の立場でも爆発している」
ことからみても解ることだ。早々、より象徴的な天皇制をうちだして「質素な親しまれる天皇」として再出発。
直接選挙の「大統領制」に切り替えて明確な権限と責任を与えなくてはならない。   
ーまずは要点を抜粋してみる。
  ー楽しいお祭りー 
「知ることより考えること」より まあ、あの家の方々は大変である。あちらも大変だが、「こちらの側の」
盛り上がりも並大抵ではない。まさにそのことが、大変な理由である。そうでなければ、所詮は他人の家の騒動でしかない。
こちら側は、たまたまこの国に生まれたその理由だけで、興味をもつだけ。我われにとって、あの方がたは何なのか、
このことを考えてみたい。古来、天皇家の仕事は、生産に関する祭祀をおこなうことであった。四季折々、
神に代わって暦を司り、農事の開始を告げる。したがって、人々はその人の語ることに耳を傾け聞き耳を立てていた。
その振る舞いに注目するのは当然のことである。 天皇家にたいする我われの考え方の原型はそこにある。
ところで、神に代わって神の言葉を告げる人とは、神主である。あの家の方々は、古い古い神主の家である。
神主の仕事を長きに亘り世襲しつつ現代までこられたわけである。そして「世襲」に対して、我われは深い関心をよせる。
ところが、今回このお世継ぎが誰になるかの問題が起こっている。血統もしくは男系ということが問題らしい。
 (字数の関係でカット08年12月26日)
 −−−
 まあ、これ以上、私のコメントは要らないでしょう! (*^○^*)ノ バイ!
・・・・・・・・・
2005年12月26日(月)
1728, 中野ブロードウエイ  −2             (ヾ(´・ω・`オハヨウ〜(o´_ _)o)ペコッ        
この中野ブロードウエイの中に、異様な店があった。商品が何も無い店のレジ8台位のところに、人が行列をしている。
知人に、『あれって何をしているのですか?』と聞いたところ、「古本、衣服、カセットなど、何でもかんでも10円で
仕入れている」という。「ほぼ全部、無条件で買い入れること」という。仕入れる方は、その中からお宝を見つけるという。
(字数制限のためカット 10年12月26日)
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 2004年12月26日(日)
1363, 金に泣く人笑う人 −3
 ヒモの男の話は暗くはないが、女性の場合は違ってくる。ヒモにしても、イロにしても結局は浅知恵でしかない。そのイロの話。
  ー抜粋ー
 その「イロ」の方は19歳のホステスのP子が典型である。彼女の素性は悲しい結末から明らかになった。
 20数年前に大阪の東淀橋のマンションの一室で絞殺死体で発見された。16歳の時に親との仲がこじれて大阪に流れてきて、
 年齢を偽ってホステスになった。殺された時、7人の異性と毎週関係を持っていた。月、火、水、木、金、土、日と異なった男が、
 日ごとに訪ねてきた。 会社役員、自営業、僧侶、公務員、医者等々。            ( ^▽^)σ)~0~)アヘ〜♪
 この複数の男が浮かび上がったのは、P子の死後に残された幼い日記の記述と7枚の差し込み式の表札であった。
 彼女は毎日「表札」を変えていたのだ。その曜日によって男の表札を差し変えていた。
 7人のアホな男達は、自分だけの女と思っていたのだ。殺害直後の捜査段階で、7人の男は警察に呼ばれて事情を聴取された。
 が、全員にアリバイがあり、犯人は流しの犯行とわかったものの、時効となった。
 一人平均5万円を徴収していたというから、夜のホステスの収入も含めて一ヶ月八十万位を稼いでいたようだ。
   (字数制限のためカット 09年12月26日)
  ・・・・・・・・・
2003年12月26日(金)
 996, 戦死者と犠牲者と殉職者ー2
   ー自衛隊と警察 ー
   先々週2日間、NHKの夜のゴールデンタイムに「安全保障・徹底検証」を放送をしていた。
  少し観たがバカバカしいので、直ぐにチャネルを変えた。警察官の視点から自衛隊をみると、割り切れない部分が多いだろう。
  警察は常に危険な中に身を曝しているのに、一度も危険な立場に立ったこともない自衛隊が少し危険な立場になるだけ大騒ぎを
  しているからだ。「安全」に対する暴力装置という面で、 
 ・警察は内部に対する-国家体制を守る為の-暴力装置
 ・自衛隊は外部から国家体制を守る為の暴力装置という役割を果たすのが、その機能である。
  自衛隊は、戦後60年近く訓練以外の戦闘で死亡はゼロである。警察は戦後、何人殉職しただろうか?数千人以上だろう。
  見方を変えれば、所詮は自衛隊は犠牲者の立場でしかない。いざ本業の遂行の立場に立った時に、
  その半世紀以上の都合の良かった立場から抜け出れないのだろうか? 自衛隊は誰も死んでないのに、戦死に対して
  マスコミが面白おかしく危険をいっている事がオカシイ。国を守る為に存在しているのが軍隊だろう! 
  今の自衛隊は「歩行訓練で行ったり来たりして給料を貰っている」だけ。「国家危急の時に命を張る」のが軍隊の仕事だ。
  それがアメリカの国家戦略に組み入れられてもである。北朝鮮とイラクのテロは日本もアメリカも共同の敵である。
(字数の関係でカット11年12月26日)
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 2002年12月26日(木)
 622, パタゴニア旅行記ー8
  アルゼンチンとチリの民度の差を感じた。特にアルゼンチンの汚職体質と民度の低さを。
  一度アルゼンチンに入りペルノモリノ氷河などの氷河国立公園を行った後にペルーに入った。
  その出国にあたり国境警備をしている憲兵隊が、要求をしたこがない書類をバスの運転手に要求してきた。
  これは暗にお金を要求していることだという。拒否をした為に書類を取りにワザワザもとの街に戻り、 
  4時間近くのロスをしてした。また再入国のときもにも同じような事があった。アルゼンチンはそういう体質らしい。
  国境を越えると空気が全く変わったのだ。ペルーは資源に恵まれていることも含め民度の差が歴然としている。
  さらにアルゼンチンは国家が破綻をしている状態だった。国家経済は破綻しているが、国民はドルの箪笥預金を
  持って自衛をしている。自国の金よりドルが国内で主に流通しているという。日本の数年先の姿に見えてきた。
  昨日たまたま野口悠紀雄のホームページを見ていたら、全く同じ内容のことが書いてあった。
  あとでコピーしておく。チリ・アルゼンチンと日本の物価の差は3倍であった。賃金は10分の1である。
  そうすると豊かさの差は3倍ある。実際そう思えた。日本がデフレで騒いでいるが、まだ物価は外国に比べて
  3倍であることは事実である。当分はデフレは収まらないだろう。
(字数の関係でカット11年12月26日)
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 2001年12月26日(水)
 281、夢日記ー12
  夢で景色のあまりの美しさに、よーく見ようとした瞬間消えてしまう。誰も経験があると思う。
 変わった夢にこんな夢がある。夢の中で瞑想をしていると、自分の体がスーと浮き、部屋の天井の近くに漂っている。 
 さらに庭の辺りまで浮いている。そして下をみて凄い経験をしている自分が信じられない!
 浮遊しながらこういう自分が不思議と思っている夢である。 昨夜の夢は、かなり危ない夢であった。
「酔って留置場に一晩泊まってきた」と家内に起こされ説教されている夢。夢の中だが誰かと飲んで後の記憶は全くないのだ。
 もちろん留置場など泊まったことがないが、朝起きて記憶のないとき、そういわれてもしかたがない。 
 前日「男はつらいよ」のなかでそれに近い場面があったのが、自分の酔っ払いの失敗と重なって夢になったと思うが。
 夢は一日100分見るという。そうすると、一年で一ヶ月ちかく夢の世界にいるという。
 一生で五年間以上夢を見ていることになる。そうするとそれを如何考えるかは重要だ。
 それを記録して自分の潜在意識を覗き込むと、明せき夢(はっきり覚えている夢)を見る頻度が多くなる。
 夢は自分の潜在意識の入り口でもある。夢日記でよく覚えているのは、その直前に非日常の激しい経験をしたあとの
 リアクションである。そう考えると他愛のないものとも思う。
 むしろ忘れてしまっている内容こそ深い自分の意識ではないか。 潜在意識下の戯曲化が夢であろう。


3926, 精神力ーその偉大な力 ー14

2011年12月25日(日)

  「 精神力ーその偉大な力  ー 」 ダン・カスター著
   * 夕べの黙想
《 この日は、今や終わりました。過去の記憶になりました。その善かったことも悪かったことも、もういちど生き返すことは出来ません。
今日私は、そのときいちばん良いと思ったことをしました。 私のいちばん善かったことが私の中から出ていったのですから、
最良のことのみが私に返ってくることが出来るのです。 明日は今日の体験の上に築きあげるのですから。明日は今日よりも、
ずっと善いことができるのです。 私は最善を持って大生命に仕えたのですから、大生命も私に仕えることを期待します。
・・・ 今日、世間の人々を幸福にする機会を与えてくれた好機に対して感謝します。この日のからだの健康に感謝します。
内心の潜在意識から出てきたよい考えに感謝します。私が正しいことを正しい方法で出来るように導いてくれた直感に感謝します。
混乱して苦悩にあった人の助けになったことに感謝します。悲しみを持つ人の顔に微笑みをつくることが出来たことに感謝します。
隣人に善い転向を与えることが出来たことに感謝します。 今日の私の行動が永遠に動いてゆくものであること、また、それが永久の
意義を持つものであることを嬉しく思います。私の微笑みは、ある人に今日励みを与えました。私の一つ一つの行いは永久のものです。
私の生命は響きを持つのです。いまや眠気がさしてきましたから、私の万事や、私が愛する人々全部を偉大な、愛に満ちた大生命の懐に、
ゆだねます。 私を投げ出して、完全に全部を、あの無限の知性ある偉力に任せます。この威力は太陽と星とをそのある処にあらしめ、
鳥に飛ぶ方向を与え、迷った犬に、その家に帰らせます。大生命は、私をその愛で囲み、その永遠の腕を揺りかごにし、私を眠らせます。
いまや、あらゆる問題の無限の知性に委ねられました。なぜなら「汝を保つ人は眠らない」といわれるからです。
 いまや私は完全な自信感と信頼のなかで眠ります。》
 ▼ 言葉のもつ力は、非常に大きい。それも‘まごころ’を込めた言葉は永遠に残る。一日の初めと、終わりの黙想は、
  人生を変える力を持つ。 一日一生のつもりで、一日を積極的に生ききるしかない。特に始まりと、終わりが大事になる。
  宗教が必要なのは、こういうエネルギーを神として、そこに己を投げ出さしめることである。信念も、突き詰めると永遠の神を
  認め、それに従うことにつながることになる。 宇宙にはとてつもないエネルギーが満ちている。それに同化するのが黙想。
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3561,  「プレイボーイの人生相談 1966-2006」 ー3
2010年12月25日(土)
 ーまだまだ今東光である。昭和の名僧・朝比奈宗源に喧嘩を売った逸話が面白い。
   * 自信がないからこそ謙虚に生きられる
 ●ボクの性格は、自分勝手で、内向的で、人づきあいが悪く、人にも好かれず、何事にも自信がもてない、まことに自分でも
  いやになってしまうんだ。人に好かれなくてもいいからせめて自信をもって歩きたい。そして積極的な人間になりたい。
  どうしたらいいか、ぜひご教示ねがいたい。
●オレが選挙に出た時、神奈川県の仏教界の連中がみんなで、「鎌倉の円覚寺の管長の、朝比奈宗源に挨拶に行け」と言うんだ。
オレは「行く必要はねえ。オレはいま、誰にも頭をさげずに運動してるんだからな」って言ったんだがね。
でも神奈川県の仏教界の人が十人ほど車三台連ねて、そのうちの一人がお気の毒にカステラなんか買ってさ、行ったのよ。
「ボクは今東光だ」と言ったら「どこか、いろんなところであなたの写真見ていますよ。あなたはえらいこと始めましたね」
「妙なことでね、とうとう立候補することに」と言ったら、オレの顔ジッと見てね、「自信ありますか?」とぬかしやがった。
いいか。一刻といえども、人間も生きていることに自信なんか持てやしないよ。今日いま地震が起きるか、誰に斬られるか
わからねえじゃねえか。自信なんかないからこそ謙虚に生きていけるんだ。それをあの野郎、生意気に自信があるのかねって。 
何をぬかしやがる!だからオレは「自信がなくて立つバカがあるか、このバカ野郎って!」いきなり言ってやった。
「おい、帰ろう!これで何が禅坊主だ。こいつはバカだよ。帰ろう!」と言って先に出ちまった。他の奴がびっくりしちゃってね。
なんだかそこらヘカステラなんかぶち投げちゃってサ。「先生あれじゃひどすぎる」って言うから、「オレは洋服着てたから
あれでもおとなしくしてたんだ。 オレが衣を着てたら、オレはあそこに跳ね上ってヤツの首をぎゅうと絞めたぜ。そして聞くよ、
『てめえ、生きてることに自信があるか』って。『ある』なんて答えやがったら、そのまま絞め落してやったよ。
『自信ございません』と言ったら手離してやるつもりだ。 これが禅だと言ってやるつもりだった。オレに言わせれば
禅坊主の雲水よりも劣る野郎だ。それでもって人を教化するなんてできるわけねえじゃねえか。オレのところでもう一遍
弟子になり直せと言いてえよ。まったく。ま、オレは選挙には当選する自信はあったけど、人生に自信なんかとてももてないよ。
 ▼ 驚いた。円覚寺の朝比奈宗源といえば昭和を代表する名僧である。この男に渇をいれるのだから、本人も周囲も驚いたろう。
悟りすましている宗源より、生くさの今東光の方が、遥かに好きである。 宗源様、何を思われたのだろうか。「このクソ坊主」
と言われるとは、腰を抜かさんばかりだったろうに! 「何を言いやがる、このクソ色坊主め!」と言い返したほうが、
まともな坊様と思ってしまう私は、まだまだ修行が足りないか。 でも、やっぱり東光は生臭坊主である。
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3186,日本10大ニュース
 2009年12月25日(金)
  読売新聞が毎年、発表する日本と世界の10大ニュース、他の大新聞も出すが、一番発行部数の多い読売を選んでみる。
 読者が選ぶから、酒井法子の逮捕が5位になっているが、他は、こんなものだろう。
  ーまずは、日本国内の結果からー
 1、衆院選で民主308議席の圧勝、歴史的政権交代で鳩山内閣発足
    第45回衆院選は8月30日に投開票され、民主党が過半数(241)を大きく上回る308議席を獲得した。
 2、日本でも新型インフルエンザ流行
    厚生労働省は5月9日、カナダから帰国した大阪府の高校生ら3人が、国内で初めて新型インフルエンザに
    感染していることが確認されたと発表した。
 3、裁判員制度がスタート
    刑事裁判に一般市民が参加する裁判員制度が5月21日に始まった。殺人など重大な刑事事件について、
    くじで選ばれた裁判員6人が、裁判官3人と1審を担当する。
 4、日本がWBCで連覇
     野球の世界一を争う第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は3月23日、 
     米ロサンゼルスで決勝が行われ、日本が韓国を5―3で破り、2連覇を果たした。
 5、酒井法子容疑者、覚せい剤所
    警視庁は8月8日、自宅に覚せい剤を隠し持っていたとして、酒井法子容疑者を覚せい剤取締法違反容疑で逮捕。
 6、天皇即位20年
 7、高速道路「上限1000円」スタート
 8、イチロウが大リーグ初の200本安打、9年連続
 9、巨人が7年ぶり21度目の日本一
 10、「足利事件」の菅家さん釈放、
  ーーー
  不況の浸透というのがない。 実際は、そうとしても取り上げないか。
 それに比べ去年は、本当に大きな事件が多かった。来年も、恐慌は更に深刻化し、
 世界は、ますます内向きになる。 薄型大型TVを買い込んでレンタルDVDをみるか、ミニ・ブログの
 ツイッターで呟くか、晴れれば家庭菜園、雨なら読書に励むことになる。 巣篭もりの時代である。 
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2821, ドバイは今 −?
 2008年12月25日(木)
 「ドバイ」で検索をしてみたら、三年前の5月中旬にNHKスペシャルで、以下のような特集の内容紹介があった。。
   このドキュメントを当時、見ていて鮮明に記憶しているが、栄枯盛衰の象徴である。
《 沸騰都市 ードバイ 砂漠にわき出た巨大マネー  (NHKのHPより)
  煮えたぎる都市の地殻変動を描くシリーズ「沸騰都市」。第1回はドバイを取り上げる。
  世界最大の空港、世界最大の人工島、怒涛のようにオイルマネーが降り注ぎ、あらゆる分野で世界一を目指す中東ドバイ。
  極めつけは、高さ800メートル、160階建て、世界最高の高さを誇る超高層ビル・ブルジュドバイ。
  2009年中の完成を目指して、今建設が24時間体制で進んでいる。ドバイ政府は、ブルジュドバイをピラミッド以来の
  アラブ社会の権威の象徴と位置づけている。 世界の建設現場からクレーンを根こそぎ奪い、バングラデシュや
  パキスタンから母国の数倍の給料で労働者をかき集める。世界が不況に苦しむ中、ドバイに群がる人々の欲望の物語を描く》
▼ この放送以来、僅か三年あまりで、バブルがはじけた。廃墟のビルが立ち並ぶ死の都市になるかどうか見ものである。
   ー字数の制限でカット(2009年12月25日)− 
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 2007年12月25日(火)
2456, 四四太郎の霊日記 −13・14         (*бωб*)/ォハョー  
  四四太郎の日記 −13
一週間という間隔も、ワシからみたら数十秒でしか感じないが、その数十秒が長く感じられるからおかしなものじゃ。
今年もあと8日で終わるが、まあ長期的にみたらまだまだ安定した年だったろう。ただ気ままに話せること自体が、
ワシにとってよいのだ。言葉には、何とも不思議な力を含んでいるが、言霊とは良く言ったもの。
まさか四百数十年後に娑婆で話せるなど想像すらしてなかった。それも現代でもチャンと喋れるとはおもわんだ。
御主の脳を通っているからじゃろう。同じ日本でも、ここまで変わるとは驚きである。人間は環境の動物とは、つくづく思う。 
それにしても刺激の強い娑婆になったものじゃ。だた、それ故に日常の微妙な細部の楽しみがわからなくなっている。
 ー字数の制限でカット(2011年12月25日)− 
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 四四太郎の霊日記 −14
ところでワシは御主に言っておきたいことがある。御主の祖先を辿ると鮫ヶ城の城主の堀井宗親というが、
あれは間違いじゃ。あれは堀江宗親であって、堀井ではない。四四太郎のワシは堀江の家臣の一人でしかないのじゃ。
ー字数の制限でカット(2011年12月25日)− 
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2006年12月25日(月)
2092, 下流喰い −2
   おっW(^O^)Wはようございます          ー 読書日記
 前回では概要を中心とした内容だったが、ここでは、消費者金融の世界の生々しい現場のレポートを中心に
 抜粋しながら考えてみる。駅のダンボールの住人(ホームレス)の殆んどが多重債務者という。
 一歩踏み外すと、誰もが陥ってしまう世界である。350万人といえば30人に1人が多重債務者。ということは、
 10世帯のうち1世帯が多重債務者が存在していることになる。4世帯に一軒が高利貸しの金を借りていること自体が異常である。
 時代が変わってしまったということである。消費者金融の顧客が、どういう経過をたどって多重債務者になっていくかが
 詳しく書いてあり、大手消費者金融会社が彼らを罠に落としていく様が生々しい。
ーまずは、生々しい実態の部分を抜粋して考えてみようー
*多重債務者の平均像とは*
  ー字数の制限でカット(2009年12月25日)−   (o ・д・)ツ  バイ!
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 2005年12月25日(日)
1727, 中野ブロードウエイ  −1       (゚∇^*)オハヨ♪〜
 「中野ブロードウェイ」は、JR中野駅の前にあるショッピングモールの一番奥にある。
 中古漫画など、コレクターズアイテムを扱うお店が集まることで知られる。 その近くに住む知人に案内されるまで、
 その存在を知らなかったが、一歩足を踏み入れて驚いた。猥雑な?店がところ狭し並んでいて、根暗な感じの男や
 東南アジア・韓国・中国人などでどの店も満ち溢れていた。上海の場末のモールという雰囲気である。 
 不気味?な雰囲気で、最近はオタクだけでなく一般の客が異様な面白さに引かれて集まってくるという。
 地下1〜4階までは、フロアごとに商店会が組織されていて、それぞれが「ビルの中にある商店街」になっている。
〔ワンフロアー1000坪位か〕また5〜10階は住居フロアになっている。ここは1960年代最先端スポットであったが、今では
 マニアックな買い物が楽しめる場所として秋葉原と同じぐらい全国レベル、いや世界レベルに知られる観光ゾーンになっている。      
 骨とう屋、宝飾品店だけでなく、ペットショップ、漫画、アニメはもとより、フィギュア、食玩、オーディオ機器など、
 いわゆる“オタク”な人々がお宝を探しにやってくる。そういう店が2、3階に集中していて、異様な雰囲気を醸しだしている。
ー字数の制限でカット(2011年12月25日)−          
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  2004年12月25日(土)
1362, 金に泣く人笑う人 −2    読書日記             
第五章の「男と女の金の相関」
ー「ヒモのAとイロのB」の内容が面白く、かつ悲しい。
  <まずはヒモの話>
ーヒモのAはなんの変哲もない二十代後半である。ホストクラブで働くような男ではない。
 むしろ風采の上がらないセールスマンといったタイプである。
 この男に18人の女性がどうして貢ぐのか。いくら考えてもわからなかったが、何回か会っているうちに、
 この男には特殊の偽善性があるのがわかった。虚言癖がごく自然に具わっているのが徐々にわかった。
 その理由は、Aと会う場所がその都度変わっていて、彼はどの雰囲気にも自然に溶け合っているのだ。
 場所は喫茶店という外の店でなく、常に違った女性の部屋であった。
 OL,ホステス、居酒屋の女将、学生、看護婦とさまざまであった。彼はどの部屋にも溶け込む男であった。
   (字数制限のためカット 09年12月25日)
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2003年12月25日(木)
995, クリスマス−2
  昨日は学生時代のクリスマスイブの日を書き写したが、その[一年後のクリスマスの日]を記憶の中から引き出してみる。
  ジャスコオカダヤに入社して四日市本店に勤務、そこから合併先のジャスコフタギの「神戸垂水店」に転勤になり、
  半年経っていた。会社は幹部候補生を即戦力にする為に、店と売り場の高速配転をしていた。
  2ヶ月もして慣れると、即配転である。四日市、神戸、桑名等。  5番目の売り場では、関西では初めての靴部門の
  立ち上げの責任者に取立てられていた。それにしても、あまりにも過酷であった。当時のスーパーは、まだ得体の知れない
  新参の危うい小売屋でしかなかった。濁流に放り込まれて、毎日が濁り水の中を溺れながら押し流されている日々だった。
  現在考えても、よくぞあの濁流に飛び込んだものだと思う。それだけ当時の流通は暗黒の世界であった。いや今もそうだが。
  話はそれたが、クリスマスは食堂でささやかなクリスマスパーテーをやったような記憶があるが、確かかどうかはハッキリしてない。
  その後に会社仲間と寿司屋で酒を飲んでいたような記憶があるが、これも如何であろうか。女性とは一緒ではなかったようだ。
  そうなら何処かで記憶が残っているだろう。クリスマスなどと浮世のことなど考えられない状態であった。
  それにしても、あまりに異常の世界であった。 合併というのは、信じられないほど現場の摩擦がある。
  その先兵は如何立場かという知識は全く無かった。 先ほど書いたように、流通業は当時は濁流そのものであった。
  信じられないような光景が色いろあった。ところで、その年の年越しを思い出した。宿直で、年越しを床屋で髪を刈っていた。
  当時の関西は、年越しは床屋が深夜まで営業をしていた。それまでの年越しは全て実家で両親と供に年を越していた。
  刺激が強すぎた日々でも、芯には染まらないのが私の特性である。これは武澤ゼミのお陰であるし、また欠点かもしれない。
  また創業という目的があったためである。「クリスマス」や「年越し」という視点で、過去を切り取ってみると色いろのことが
  記憶の底から湧き出てくる。     メリークリスマス!
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2002年12月25日(水)
621, 電子辞書を初めて買った実感
字数の関係でカット(2007年12月24日)
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2001年12月25日(火)
 280、喩え話
かなりキワドイ難しい内容だ。これほど危ない内容はテーマに出来ない。何で?あまりに本質的な内容になるからだ。
それは能力の限界の表現になる。浅い知識の底を見せてしまうからである。といって、今更という気持ちで書いてみよう。
キリストも仏陀も喩え話の名人だったという。難しい話も喩え話で一瞬に理解でき、かつ理解させる事が可能になる。
本質を心象風景で、いや心象画でー心的視覚化する事だ。喩えー易しく噛み砕き、かつ事例に置き換えることか。
喩えのほうが本質より,より中心をついている場合が多いのは何故か? イソップ話の内容はあまり知らないが、
「かなり深い喩え話が含まれている」のではないかと想像できる。 神話もその国の潜在意識という。おとぎ話も昔話もそうだという。
ジョークもユーモアも、庶民の笑いに転化した喩え話が多い。「暗い子狐」など、自身の心象風景そのものだ。ハワイなどでは
出てこない喩え話である。雪国の特化された生き物だからだ。喩えはその本質の中心をつかまえてないと、転化できない。
逆にそれさえしっかり把握していれば、可能である。自分の心象風景に置き換える作業である。そして心象風景の中から、
その中心をより把握させる置き換え作業である。いずれにしても、自分の理解のためにも喩えを使うことも大事である。
鯰とかーとらえどころのないやつ。ムジナー??とか、動物に喩えるのも面白い。
キリストの「右頬を殴られたら、左頬を出せ」など、キリスト教の教えを喩えで一言で表現している。
・・・・・
ある時間の断片
ー12月25日 1968年
11時に起床。午後本を読んだり、食事をして過ごす。夕方、米林が帰省をしていく。
夕食後、会社の論文の構想を色いろ書いてみる。21時に、市川さんの友人等5人を引き連れて赤坂に行く。
いざ中に入ろうとすると、誰も物怖じをして入ろうとしない。ここまできて何だろうと強引に入れようとするが3人が逃走。
やっとのこと市川さんと、あと一人を入れる。入って、踊りだせば後は狂ったように踊りだした。24時に帰寮。
変な学生時代最後のクリスマスであった。来年はどんなクリスマスを過ごしているだろうか。
ー2003年12月24日記
その一年後のクリスマスは、ジャスコに勤めて四日市から神戸に転勤になっていた。
神戸の垂水という街であった。凄い世界であった。転勤直後に瀬戸物の叩き売りをやらされたり、店舗の大改築の真っ只中にいた。
クリスマスの日は、おぼろげな記憶だが寿司屋で仲間内で飲んでいた思い出がある。神戸の場末のストリップ小屋に、
現地の店の先輩に連れて行かれたりしていた。興味より気持ちが悪いというのが実感であった。その時は、
もう靴屋ー靴部門の責任者であった。僅か八ッヶ月である。まだ憶えているのが、年越しに宿直で年越し時間に床屋に居たことだ。
何か侘しい寂しい時間の中にいた。何が流通革命だ!というのが、実感であった。
いま考えてみると、半分正しく半分は純粋になれなかったのだろう。


3925, 精神力ーその偉大な力 ー13

2011年12月24日(土)

「 精神力ーその偉大な力  ー 」 ダン・カスター著
   * 朝の黙想
《 毎朝は一つの新鮮なはじまりです。毎日は新しく造られた世界です。今日は一つの新しい日です。
私はこの瞬間に至るまで、この日に至るまで、私の全生涯を生きてきたのです。この瞬間、この日、は永劫のなかの
どの瞬間と等しく善い瞬間です。この日を地上における天国に造りましょう。今日は私にとって好機の日です。
今日に対処できるように神が私に与えてくれた要具のすべてを有難く思い、可能な限り上手に使いましょう。
・・ 今朝、私の生涯に過ってあったより以上の経験に頼ることができます。私の目の前には旅すべき最も興味ある道があります。
なすべきことが多いのです。なすべく私の前に横たわっているあらゆることを効率と、力と、勇気と、熱とを持っておこないます。
私自身に「今日は、これよりよい世界にするには何をなすことができるか? どう、誰を助けることができるか?
いかに奉仕できるか?」と聞きます。・・・ 深奥の潜在意識は、私を正しいところに私を導きます。
・・ 「神は私の牧者だ。私に足りないものはないだろう。神は私を静かな水に沿って導く。彼は私の魂をよびもどす。
彼は私を正義の道に私を導く。私はなにも恐れない。神の杖や竿は私を安楽にする」と聖書に書かれています。深奥の潜在意識は
私を正しいところに導きます。それは私をとおして思います。それは私を指揮し誘導します。私は正しい考えを持ち、力を持ちます。
恐れません。大自然は―無限の精神が、私の中に働いているからです。 》
 ▼ こうなると、宗教である。 早朝、新鮮な気持ちで、この言葉を唱えていれば間違いなく心は洗われ、すばらし一日が
待つことになる。特に老化の時節になると、肉体とともに歪んだ精神を正す役割になる。周囲を見回すと、大部分の人の心が
歪んで見える。 そうこう考えると、朝の黙想は必要になる・・・ それにしても、書き写していて新鮮に心に響いてくる。
  ・・・・・・・
3560,  「プレイボーイの人生相談 1966-2006」ー2
2010年12月24日(金)
  ー 今東光、今でも一言一言が光っているが、さすが福田和也の評である。怖いものは何もない今東光の毒が、
 薬の役割?を果たすことを自分がファンとしての読者だったから熟知している。鎌倉の円覚寺の管長の朝比奈宗源と大喧嘩した
 逸話は次回に取り上げるが、何をしても、言っても、それが通用するからよい。「プレーボーイ」の読者層の悩みの大半は
 過剰な性欲である。この本の過半数は、その類の悩みに対し、毒に対し毒を持って制する回答をしている。
 回答者は、ある意味でユングやフロイトが仮面を被って悩みに答えている? そんな上等でないとしても、男なら
 誰もが抱えている大問題。ある意味で、有名人が異常?性欲者という告白をして、同レベルで答えるから共感するのである。
 ▲ 今東光についてー福田和也 
≪ 今東光は、スゲェ。 中学生の時に、週プレで、その核爆発的連載を読めたことは、今ままでの生涯のなかでも、
飛び切りの幸運だと思っている。 谷崎潤一郎、ただ一人の弟子。谷崎はバカが嫌いで、無教養な奴を許さなかった。
今東光にそれだけのアタマがあった。とはいえ、中学を三つクビになって、そのままというのも立派な学歴。
って、そのままという立派な学歴。
 そのうえ乱暴者でね、いつも仕込み杖をもってあるいて、喧嘩は殺す気でやらなきゃいけない、が信条。
自宅の一階に右翼のテロリストたち、二階に共産党の運動家をかくまっていたという。左翼が二階なのは、逮捕された時の扱いが
厳しいから、少しでも逃げやすいほうへ、という配慮。戦前の話だ。親友が川端康成。で、当時の文壇の大ボス菊池寛とケンカをして、
バカらしいっていって比叡山にいって、大僧正になった。 菊池が死んだら、また筆をとって、ベストセラーを連発。 
 しかし、この相談にはシビれたねえ。もう載せられないだろう、こんなの。十七のバーテンが、十六のホステスとデキて、
子供が出来たからどうしようという相談に、そんなもん、タネも畑も悪いから、堕しちまえ、だもの。坊さんの云うことじゃないよ。
面白い。老人ホームに努めている男には、横着なジジイどもなんざけっ飛ばせ、だし。青春の悩みをうちあける女学生には、
一発ヤラセロだからね。「よく女に手をだして、女にゆすられたり、親からねじこまれたりとか、若気のあやまちで、とか
いろいろいうけど、そんなもの、あやまちでもなんでもありゃあしねえ。しかし、やらなかったことこそ、若気のあやまちだね」だと。
良いこというよなあ。≫ ー やらなかったことこそ、過ちか〜。下半身が衰えてくると尚のこと思う? 息子に悪いことをしたと!
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3185, 坂の上の雲
 2009年12月24日(木)
 NHKで「坂の上の雲」が何回かのシリーズで放送されている。私たちの年代が、この本に大きく影響されを受け、
日本経済成長期の精神的支柱になった歴史小説である。秋山兄弟と日清、日露戦争の中に生きる青雲の志を持った群像に
引きこまれていった思い出がある。日露戦争での兄・秋山好古の戦闘場面。そして、弟・真之が海軍の参謀として
バルチック艦隊を殲滅する場面は、当時の私にとって驚きの連続であった。 読みながら己の卑小さに改めて自己嫌悪を抱いたり、
彼らの志の純粋性に感化したことが懐かしい。当時、日本は西欧列強に対抗するための新国家つくりに青年達が坂の上の雲を目指して
必死に生きていた。司馬遼太郎は、日露戦争は奇蹟の勝利と看破、その奇蹟の演出者の代表に秋山兄弟を選んだ。
伊予松山の人、秋山好古、秋山真之である。 家柄といえば伊予松山藩の下級武士族であった秋山家の下級武士で、
秋山家の父久敬は、「貧乏がいやなら、勉強をおし」と立身の道を説いていた。好古は陸軍で、世界最強といわれた
ロシアのコサック騎兵集団を破った。弟の真之は海軍で、ロシアの主力艦隊であるバルチック艦隊を破った。 
真之は日本海海戦の開始前に「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」の電文の起草をした。 
その真之と一つ年上の正岡子規とは中学から大学予備門まで同学であった。しかし二人の性格は対称的で、
真之はガキ大将であり、子規は子供の頃、「青びょうたん」というあだ名であった。。
子規も真之も勝山小学校を卒業して松山中学校に入った。 兄の好古はこの時期、士官学校付きの勤務となっている。
日本人離れした顔かたちをしていて、たびたび西洋人と間違われた。 彼にとって男子に必要なのは
「若い頃には何をしようかということであり、老いては何をしたか」と考えていた。
彼らを中心にした明治期の激動の中の「大きな物語」である。 この激動期に、原点に立ち返り青雲の志を
日本人に喚起する意図で放映されたのだろう。 ドラマ自体もなかなか良くできている。
・・・・・・・・・
2820, ドバイは今 −?
2008年12月24日(水)
ドバイが、この金融恐慌でバブルが崩壊、解雇の波と一昨日の読売新聞の一面トップで特集をしていた。
ドバイブル破裂というところだ。 このまま廃墟化すれば、歴史に残る光景になる。「悪銭、身につかず」ということか。
 ーまずは、その新聞記事ー
《ドバイにも金融危機の影 … 止まったクレーン・解雇の波》
 世界一高いビル、世界一豪華なホテルなど「世界一」を冠する建築物を次々に登場させ、21世紀に入って猛烈な勢いで
 発展を続けてきたドバイ。中東の物流・金融センターとして、200に及ぶ国籍の労働者や投資家を引きつけてきた
 このペルシャ湾岸の小さな首長国にも、金融危機の影は忍び寄っていた。その現場を歩いた。
 −−
 ドバイ北東部にあるアラブ首長国連邦(UAE)労働省。「カスタマーサービス局」待合室に、
  (以下、字数制限のためカット 2010年12月24日)
 ・・・・・・・・・・
2007年12月24日(月)
2455, 歌舞伎町事変(1996〜2006) −2     (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
 この数年、週刊誌に歌舞伎町の泥酔客の喧嘩や、 露わな若い女性客の狂態の写真を見かけるが、
 この写真家?が撮ったものだろう。私も新潟駅前のヤクザの徘徊する足元でよく酒を飲んでいたものだ。
 数回ニアミスをして凄まれそうになったことはあったが。それよりも危ない世界と、
 危なくない世界の人間の臭いを彼らが一番知っているはず。それと、隙があるかどうかもあるが。
 数年前から、ホテヘルとかデリヘルとかいう噂を聞く。私の性格上、絶対にそういう客は当方に泊めないのが方針。
 今更というが性格なら仕方がない。新潟も来年の4月から本格的に浄化の流れになるが。
 歌舞伎町の彼ら(風俗)はどうなったのか? 以下は、その変身の実態である。
 先日、新潟の事務所の近くの図書館に行く道すがらラブホテルの前を通ったら、
 明らかに一仕事を終えた女性が出てきてきたが、そこには、曇りガラスの車が待機していた。
P−62 以前から、「歌舞伎町に許可店のヘルスは 3、4店舗しかないといわれていた。
(以下字数の関係で、中間カット2008年12月24日)
 −−−−
長岡で何度か兄と行ったスナックの前がラブホテル。出入りが窓から見えるが、その数に驚くと言う。
それも、合法というから・・・・       ゜・。*バイバイヾ(´∀`o)+。
 ーーーーー
2006年12月24日(日)
2091, 下流喰い −1
      b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー♪       ー 読書日記                 
銀行に勤めている親戚の人から、「サラ金から金を借りている人の多いのに驚くばかり!」
と、聞いてから10年近く経つ。 本屋で、この本を何度か立ち読みしていたが、<直ぐに図書館に並ぶだろう>
と思いとどまり買わなかった。 ところが会社の‘Oさん’から、「面白いから読んだら」と、この本を手渡され読んでみたら、
この中味が凄い!やはり立ち読みとは違う。さっそくインターネットの検索に「多重債務」と入れたら、「2000万人、200万人、
20万人、1万人」の数字が解りやすい!と、金融筋の人から聞いた話として、あるHPの中に紹介していた。
サラ金からの借金をしている人が2000万人、そのうち多重債務に陥っている人が200万人、(この本では350万)
自己破産者が20万人、 借金苦による自殺者が1万人、だという。 8000万人の勤労者の中2000万人がサラ金を
利用しているというと勤労者の1/4になる。( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪
 ーまずは「下流喰い」の概要をまとめてみるー
・小泉構造改革が最終盤にかかった05年後半あたりから、「地域格差」に加えて、「格差社会」という
 キーワードも話題にのぼるようになった。その分岐点が1980年代にあった、バブルの発生である。
 それが借金=悪という日本人の常識が、借金を如何にして土地などに投機した方が得という風潮に変わってしまった。
 消費行動も買ってからローンで支払うという感覚に変わってしまった。クレジットが推奨されはじめた時期である。
 この背景をもってバブルが弾けてしまった。
・日本の全産業の平均年収が500万円を下回ったとされ、
・貯蓄ゼロが24?と4分の1になり、
・生活保護が100万世帯を超え、
・全体の4分の1の世帯の高額所得が、その他の4分の3に匹敵する事態、
・その他の4分の3の平均の半分に満たない人の数が、この数年で15.3?に跳ね上がった
・いまや多重債務者は、数年で二倍の350万人以上になり、
・大都市の大阪や東京の公立小中学校の就学援助者を受ける人数は、04年までの4年間で40?も増え、
 4人に1人。足立区では2人に1人が受給する事態である。
   (字数制限のためカット 09年12月24日)
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2005年12月24日(土)
 1726, つれづれに          (。・o・。)ノ こんにちゎぁ♪
ー東京は明らかにバブルの様相ー
  久々に東京に行って、知人と終日都内の要所を回ってみて驚いた!高層ビルが彼方此方に建っていることだ。
 〔知ってはいたが、実際みた感覚は違うということ〕建築中のものが多く、明らかにバブルの様相が見てとれる。
  この反動で2010年あたりが危ないというのも、解るような気がする。それと、新宿近くの大通りに韓国通りとか
  中国街ができていた。何か日本もここにきて、大きな回り角にきているのか!
  世界の首都でスラム街が無いのは、日本だけと聞いていたが。  ○=(≧Σ≦)  へっくし
(以下、字数制限のためカット 2011年12月24日)
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 2004年12月24日(金)
  1361, ルーブルの一日
  ー夢の美術館
  昨日は、NHK・BSHIの「夢の美術館」で「ルーブル美術館」の6時間生番組を見た。
  10時から17時(昼一時間休憩)までのロングランであった。私にとって、「ルーブルの一日」であった。
  NHKの存在に対して疑問を持っている一人であるが、こういう番組みを見ると、その存在も必要かと思ってしまう。
  学生時代の旅行でのルーブル美術館とベルサイユ宮殿はカルチャーショックの最たるものであった。
  ミロのビーナス、モナリザ、ニケの像、ボナバルドの戴冠式などの絵を見た時の感動は今も鮮明に憶えている。
  数日をかけてじっくり見てみたいと思っていたので、丁度よいタイミングであった。 昼の一時間は息抜きで、
  ウォーキングをして効率的に時間を使った。実際に見始めたら非常に内容が濃い。800年の時間の中で、
  それぞれの時代に翻弄されながら、皇帝や市民に愛されたプロセス(歴史)を克明に追っていた。この番組みでは、
  それぞれの絵などの背景や歴史を克明に追っていた。その時代時代の皇帝や、その愛人、そして市民の、
  ルーブルに対する思い入れを、作品の背景を通して追っていた。フランソワ1世、ルイ13世、ルイ14世、ナポレオンの
  役割をあげることができる。それぞれが思い入れて収集をしてきた作品群が残っている。これだけ美術に対して
  思い入れてあるのも、フランスという国柄である。国民が会員になって基金を毎年積み立てて、作品の収集を続けている。
  まだ、「自然・文明から文化に戻ってくる」には5年は早いと思っているが。
  それでも、チャンスがあれば何でも見て知っておかなくてはならない。それにしても、ハイビジョンは作品を
  鮮明にリアルに映し出すものだ。 人生は、前倒しにしておかないと。 いや、してきたか?!
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 2003年12月24日(水)
 994, 戦死者と犠牲者と殉職者ー1
  「戦死者と犠牲者」は図書館で立ち読みをした「文芸春秋」の塩野七生の寄稿文の「題名」である。
   イタリアでは、イラクのテロで亡くなった兵士を「戦死者」で統一したという。「戦死者」は言葉の通り、
   戦争で死んだ兵士をいう。現在の日本は、もし死者が出たところで「戦闘」に参加したことにならない。
   首相官邸でさえ「犠牲者」扱いにせぜるをえないのだ。イタリアでは、戦死者として国葬並みの扱いをした。
   アメリカ大統領が終戦宣言をした後で、参加したにかかわらずである。ところが日本ではあくまでも「犠牲者」
   になってしまうのだ。憲法を変えずに軍隊をつくり、このイラクにも「戦闘でない後方支援」と言葉を濁して、
   問題を先送りをしようしている。矛盾が出ることは必定だ。「隣にスターリン主義国家があり、その脅威に
   曝されている現実を直視しようとしないで、平和主義を唱えていれば済む問題ではない。堂々と主権国家の国民を
   100人以上も拉致をしている現実がある。旧社会党と自民党の一部は、それに間接的に加担しているのである。
   それにも拘らず、まだ寝ぼけている平和国家日本。その虚構が脆くも崩壊しようとしている。
   すでに国家の体を生さなくなっていると言わざるをえない。ここまできても、自民党の利権屋に
   牛耳られているのだから、小泉のパフォーマンスに目先を誤魔化されているだけである。
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2002年12月24日(火)
620, パタゴニア旅行記ー7 
 −話しまくる人ー
今回の旅行で面白い人がいた。常に一人話しまくっている人である。常に自分が話をしていないと気がすまない人だ。
アメリカ経営学者のドラッガーの本にもこういう人のことが書いてあった。500人に一人の割合でこれで
上手くいく人がいるといっていた。タレントのタモリやサンマや古館一郎あたりの人のことだ。
相手の反応を見ながら瞬時に内容を変え続けられる人で、一方的に話をしていても不快さを与えない人だ。
誰かの話している間に割り込んで強引に自分の話題に引き込んでいく。聞いているほうはたまらない。
一種の自閉症に似ている。閉じてしまっている自分の世界に相手を引っ張り込もうとする。
三人のグループであったが、その一人がコッソリト「あの人は悪い人でないが直らない病気!」と教えてくれた。
誰もが持っているが、自分でコントロールしているものである。私など人のことをいえた義理でない、
他人より数倍その要素が大きい。それにしても老年に差し掛かった女性のそれはすざましい。 
人の話を聞けない人は案外と多い。すぐに自分に置き換えてしまう心の癖がついてしまっている。
「出羽の守」という人だ。東京では、長岡では、仲間内では、家族ではという自分の世界に置き換えてしまう。
そうあの人のことだー幾らでもいるからこう表現した。この随想日記も一人話しまくっているようなもの??
人間その要素を誰もが持っている。
・・・・・・
2001年12月24日(月)
 279、飲み助考ー隙間風
男の楽しみの一つに「ちょっと一杯」がある。酒を飲みながら‘隙間風’という歌を聴いていて、「飲み助の気持ちの本質は
隙間風、だから飲みに行くのだ」と感じた。それだけでないが。こういう時代だからこそ、隙間客という言葉がでてきたと思う。
隙間ーこれはどういうことか?ハンドルの遊びか?竹の節か? 「漠然とした心に満たされない何か」というところか。
それを埋めについつい行ってしまう。特に単身赴任の中年にさしかかった人は、それがないとやっていけないだろ。
学生時代に金がないので寮で月に一回ぐらい酒を買ってきて飲むのが楽しみでだった。サッポロジャイアンツやトリスの大瓶、
それにスルメ。酒の美味さを知った最初といっていい。何ともいえない楽しみであった。知恵で深夜から飲むのだ。
  (以下、字数制限のためカット 2011年12月24日)
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ある時間の断片
 12月24日 火曜日 1968年
9時ごろ、長岡の姉の正子さんから電話。千葉の姉の西村、小林さんの所にクリスマスプレゼントを届けるように頼まれる。
16時に部屋を出て、伊勢丹に行って、犬の玩具と電車を買って東京駅に行く。西村さんと待ち合わせるが、勘違いで30分待たされる。 
その足で独りで銀座に行ってみる。銀座4丁目から、みゆき通りを歩いてみる。人の数は思ったより少ないようであった。
市川さんの部屋ですき焼きパーテーをしていた。相楽がきていた。私と対立して寮から出て行った男。
少し休んで、面白くないので新宿に出る。23時過ぎまで飲みまわる。
0時に帰寮するが、市川さんが部屋に来て、再び寿司屋に飲みに出る。明日自分を赤坂の「ムゲン」に案内をしろという。
自分のお客に案内するのに丁度よいという。明日の飲み代は全て自分が持つという。何か毎日、他人に振り回されている。


3924, 今年の総括  ー断層

2011年12月23日(金)

  今年の総括といえば、会社の倒産と東北大震災である。 これが突出したので他は考えられないほどである。 
 実際は「延命した恐慌」だが。 そうこうあって自宅が生活の中心となり、会社通いがスポーツジム通いにとって変わった。
 日常という点ではiPadを購入したことも衝撃的であった。有線の机上のiMacに、タブレットのiPadが加わって、
 パソコン上でゲームや読書をする生活スタイルが加わった。その上、ネット・サーフィンの機会も格段に多くなった。
  10年後に振り返った時、今年は大きな節目だったことは間違いない。何ごとも、渦中に入ると無我夢中で腹が据わるもの。
 問題は、決断する間際と直後である。気持ちを、その中心点に集中し続けることで、問題の多くは解決できる。
 同級会などの付き合いも、そのまま出席をし気持ちを前向きにしていた。 露骨の白眼視を何度か感じたが、その都度
「このシラミ!」と唱えると、対象が本当にシラミに思えてくる。 兄や姉の倒産時に、親密に相談に乗っていたので、
 取引業者や従業員など関係者への迷惑を最小にし、引き際を綺麗にすることが最優先と手順に入った。 が、それでも
 恨みを買ったようだ。当然である。節目、引き際の決断は、一瞬の間。あの瞬間の見極めは間違ってなかったと思うしかない。
  それと東北大震災。この震災は、まだ迷いのあった決断を後押しをした。 しかし直接原因は、リーマンショックである。
 その直後から止むことのない売上げ減。10年前の9・11テロで3割減、リーマンショックで、更に半減し、
 10年前の三分の一まで落ち込んでしまった。 更に東北大震災で三割減が予測されれば、事業として成立しなくなったと
 判断をせざるを得ない。この事態で来年に控えている世界恐慌の大断層を乗り越えらると考えるほど楽観論者ではない。 
  今年は、世界的にも、欧州の経済危機、アラブの春という北アフリカの独裁国家の崩壊ドミノ、東北大震災、最後は、
 北朝鮮のドン様の突然死である。どれもこれも、大事件である。しかしビック・イヤーは来年である。 ロシア、アメリカ、
 中国、韓国の首相と大統領の交代の年である。 更に今年、何とか延命をした欧州発世界恐慌の発生の可能性が高い。
 地震後、三年が過ぎ、津波が押し寄せ、海岸線の立ち位置の私の事業が押し流れた。その一瞬の間際に高台に逃げた。 
 そこで見えているのが津波の本体。 今年中にくるはずだった津波が、来年、海岸線の防波堤を遥かに超え、やってくる。
避難先の山の手の住人は自分に大丈夫と安心しているが、仕事や親戚が海辺にあることを忘れている。三年前に起こった、近未来。
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3559,  閑話小題 ー死について
2010年12月23日(木)
  * 「生が終われば、死も終わる」
 ある「死」の特集の雑誌にあった言葉「生が終われば、死も終わる」が、心に残った。
「一人称の死」を砕いた言葉である。身ちかな二人称の死はあっても、一人称=私、の死はない。
したがって「私の生が終われば死も終わる」ということ。それを一言で言い表した言葉。
このことから「生が始り、死も始る」という理が見えてくる。 生があるからこそ、死がある。
「死んでしまえば、それまでよ」という言葉もある。父が親戚の葬式で何時も言っていた。
これは生者の目線の代表的な言葉である。その言葉の背後には、「他人の死から、生きているうちが華。
人生を可能な限り生きなければ」という、思いがある。 
  * 人間の死因
 日本では、毎年大よそ百万人が亡くなっている。死因は、病気、自殺、他殺、そして災害による。
そのうち、95パーセントが病死、自殺は3パー、交通事故などの災害と他殺が残りになる。
もっとも、それは死のキッカケであって、真の死因は産まれてきたこと。いずれにしても死ぬ。
百万人が産まれ、百万人が死んで人口は減りも増えもしなかったが、数年前から人口減が始った。
  * 同じ年代の死
 私の同学年の男性では、平均して2割ほど亡くなっている。中学は25パーセント、30年来の高校三年の同級会の
出席者の20パーセント、大学のゼミの同期6人は0である。 進学につれて死亡率が低くなっている。
従姉妹で父方をみると、兄姉を含め30人の従兄弟(従姉妹)がいるが、平均年齢が72歳で12人が亡くなっている。
4割である。私の兄姉も私含め9人のうち4人が亡くなっている。生存している平均年齢は70歳。
父方は癌系で、糖尿は少ない。40過ぎてからの死亡が殆どそれ。
 死を恐れるのは「やり残したことがある」が、「虚無」への不安と並んで心の底にある。
やり残したことを、やり尽くしたところで同じでしかない。虚無になりようもないのに、そのイメージを恐れる。
 プッツン、いや、プチ! か?それは。 これもイメージ。
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3184, 久々のジョーク ー7
 2009年12月23日(水)
たまには、全く下らないと一笑される駄洒落も良いだろう。
 * 駄洒落問答
問 使うとき使わないで、使わないとき使うものは?         答  風呂のふた。
問 かけるときにひくものは?                   答  電話帳。
問 同じものだけど、見る人によって違うものは?          答  鏡。
問 東京の上野公園にある西郷さんの銅像。 東向きでしょうか西向きでしょうか? 答 夏向き 浴衣を着ていたから
問 トンボとハチが東西に分かれて戦争しました。どちらが東軍だったか?     答、トンボ。 2×4が8 (西がハチ)。
問 シユーベルトの好きな飲み物は、どんな果実から作られている?  答 ミカンセイ
問 年を取ればとるほど若くみえるものは?              答 アルバムの写真。
問 寒くなればなるほどあつくなるものは              答 氷。
問 世界中でいちばん赤ん坊の多い国はどこ?            答 ニュージーランド(乳児ランド)。
問 トイレに咲く花は                       答 スイセン。
問 モ一ゼの好きなお酒?                      答 水割り。
問 ビールにもあつくしたものがある。何というビール?        答 缶ビール(燗ピール)。
問 飲むと感動する酒は?                      答 ジン。
問 笑いがとまらなくなる酒は?                   答 エピスピール。
 ー面白くない?  それでは!
  (以下字数の関係でカット2011年12月23日) 
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2819, 閑話小題
 2008年12月23日(火)
 *ジャストインタイム
トヨタのジャスト・イン・タイムこそ、派遣社員の存在理由だった。それが現在の不況からみえてきた。ある評論家が言っていたことだが、
「必要な時に、必要なだけ、それ以外の在庫を持たない」がジャスト・イン・タイムのシステム。 
  (以下字数の関係でカット2011年12月23日) 
 *巣籠りが、この正月のキーワードだと
新潟などの雪国では、冬季では当たり前のことだが、この金融恐慌で日本中が巣籠りという。
知人が「この正月、配達の寿司屋の予約が異常に多いらしい。巣籠りを決め込むみたい」といっていた。
(以下字数の関係でカット2011年12月23日) 
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2007年12月23日(日)
 2454, 「ブログ」について
一年前にブログを2つ開設したが中途半端の状態にしていた。しかし「ブログ」への移行への焦りがあったが、
何かタイミングを待っていた。ブログへの移行のキッカケは、第三者の悪戯だろうと思っていた。
(作り上げた特製のHPに対する愛着もあったが)そして「バード・ウォッチング」へ?H系のサイトの書き込みがあった。
丁度良いと腹をくくって、まずは、それから移行することにした。問題は、どのサイトのブログを選ぶかである。 
(字数制限のためカット09年12月23日)
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2006年12月23日(土)
 2090, 人生は生きるに値するか?      b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪よう♭さん♯
『人生が生きるに値するかどうか』は、哲学上最大の問題になる。 値しないとして自殺した作家も多々いる。
思想家ではショーペンアウアーは『生きるに値しない!』と言い切った。しかし彼は長寿であったが・・・!
ショーペンハウアーのように値しないというなら、生きているだけ無駄として捨ててかかるしかない。
「生きるに値しないからこそ、価値あるものへ転換することが人生である!」という情熱が湧いてくるか? 
それぞれの考え方があるだろう。私の場合は、もちろん『生きるに値する』であるが、どうも世の中、
そうでもない人が多くいる。 生きるに値するかどうかは、その人の生きかたであり「生きる意味を求めていけば、
人生は生きるに値するのは当然」。意味=価値であるから、「人生に意味をもとめること=人生に価値をもとめること」
になり、「求めよ、さらば与えられん」のとおりの価値が出てくる。
「よく働き、よく学び、よく遊ぶこと、そして常に‘一歩日常から外に出る時間を持つこと’。
 この4つのそれぞれに価値を見出し、冷静に掘り下げていくこと」 このことが「私の生きるの値する」。
まあ、そんな難しいことを言わないでも、「人生なんぞ『飯食て、糞して、死ぬだけ』じゃないか、 こんなもの!
生きるに値してもしなくとも、それが何ほどのもの。生前があり、生まれ、そして生き、生前に戻るだけ、他に美味い酒を飲んで、
上さんの顔を見て幸せと思い、寝て、楽しい夢でもみて、仕事を楽しんで、人生の価値など考えなければ、それで最高ではないか!」
でよいものを。 そこでだ、「お前さんの人生は生きるに値した?」というと難しいから、「人生で元とった?」と近くの遊び人だった
不動産屋の親父(10年近く前に亡くなったが)に聞いたことがあった。よくぞ聴いてくれたという顔をして(´ー`)y-~~ 
「とったとった十二分にとった!」という返事。同じ質問を呆けて亡くなる前の母親に同じ頃に聞いたところ、
やはり「充分すぎるほどとりました!」との返事。「生きるに値するか」と、「生きた元をとったか」は確かに違う! 
しかし、「生きるに値するか」の質問よりも人生の価値を考える時に深い問いになる。 人生の元をとったか?は
ー充分人生を生きたか?と同じ。ショウペンハウアーは、人生は生きるに値しないという嫌世家だが、その慰めは芸術で
一時期でも紛らわせることができるとした。このような難しい問題を気楽に扱うこと自体に問題がある。答えなどある訳がないのも
解っている。しかし、これは生涯自問自答していかなければならない問題である。しかし、あと三ヶ月の命と宣言され逃れようもない
事態に追い込まれて「貴方の人生、生きるに値したのですか?」と、あと一週間で間違いなく死ぬ人に問われたら、
真実どう思うだろうか?「      」しかないないだろ  ( ^3)〜♪
《 生きる価値があるかって?「真剣に生きてきた事実の前にそんな愚問は質問に値しない!クソして寝ろ!この馬鹿野朗!!」
というのが、私の現在の答えである。《本当か?本当にそんなことが、いえるのか? 》
《たいして真剣に生きてこない御前に相応しくない》と、心の奥の声が聞こえてくるが    Ψ(`∀´)Ψケッ!
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2005年12月23日(金)
 1725.一年経てば全て過去       オハヨウゴザイマス o┐
「一年経てば、すべて過去」どこかで聞いた言葉だが、全くそのとおりである。 感情面を入れると、実際のところは三年であるが。
(一世一代?の失恋とか、連れ添いの死は治癒期間は三年) 去年から、10年日記に心情を書いているが、前年の分が上段に
書いてあるので、嫌でも目に入る。それをみると、一年経てば殆どが過去のことである。  嫌なことを忘れるのが上手い方だが、
それでもつまらないことに気を使っている自分が解る。〔一年経ったからこそいえることだろうが〕
反面、30年も前のことが昨日のように感じることもある。年齢を重ねるとは、そういうことかとツクヅク思う。
殆どのことは、「一年経っても問題だろうか?」と、自問自答すれば良い。
自分の存在は過去の総合である。数10年経っても心に残っているのは自分にやましい何かがあるためだ。
しかし人間は過去の総合態〔体〕である。記憶を全て喪失した人間をみればわかるはずだ。
過去も未来も、言葉でしかないのだろうか?     ( ゜Д゜)⊃旦 < 茶飲めや   ~旦_(-ω-`。) ドモドモ
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2004年12月23日(木)
 1360, 金に泣く人笑う人 −1
藤本義一のこの本は「面白い」という点では抜群である。この人は、金銭と欲と詐欺にからむ小説を多く書いている。
雑学を多く知っていることに感心をする。一冊の本を書くために、多くの人とインタビューをするから尚更である。
 この本の中にも、ナルホドと唸る面白い話であふれている。
ーその幾つかを抜粋してみるー
12章の「騙しのカラクリ」が面白い。
ーペテンの技法・香具師の商法ー
 香具師の語源は 武士→野武士→野士→野師→香具師と考えるとよいだろう。
 武士になれない野武士が武器を取り上げられて、野士になり、武器を持たないので既に
‘士’でないので野師になったと考えればよい。野師は口先三寸で啖呵売をして騙す方法を考えた。
  つまり、言葉巧みに香具(仏具)を売る方法を考えた。この巧言を説明するとこういうようになる。
香具師は最低二人組む。
 一人の場合は単なる啖呵売りであり、これは詐欺行為でなく、大道芸人の一種と考えてもよい。
 例の「男はつらいよ」の寅次郎を考えればよい。二人以上で組織されるのが香具師の原則である。
 原則的な香具師は一人が山伏姿になり、いま一人は仏具を商う仏具士に化ける。
 先ず山伏に化けた男が京の方から里に下りてくる。錫杖を手にして高下駄を鳴らして歩く白装束は誰も目立つ異様さ。
 そして、山にこもって修行したという人という印象から村人達は尊敬の目を向ける。
 昔も今も詐欺師たちは魅力的な特色を持っていなくてはならない。 この山伏は悠然と村を通り過ぎようとする。
 が、一軒の家の前で、急に立ち止まる。家は村の庄屋の場合が多い。庄屋でなくとも、村長と思われる豪勢な屋敷前である。
 山伏はその場で急変する。全身を痙攣させ、口から泡を吹かんばかりの苦しみ方をする。 村人たちは仰天をして、庄屋を呼びに行く。
 庄屋は水を与えたり、苦しみを鎮めようとする。ようやく一息入れた山伏は苦しい息の下からいう。
「この家の前に通りかかった時に、急に悪霊に取りつかれて身動きが出来なくなってしまった。出きれば、この家の仏壇を拝ませてほしい」
 庄屋は、これを拒むことはできない。自分の屋敷内に悪霊がいるといわれれば、恐怖心で招き入れる。
 仏壇の前で山伏は狂ったように祈りつづけて、やがて上半身を前にして気を失う。
   (以下字数の関係でカット2008年12月23日)       ーつづく
・・・・・・・
2003年12月23日(火)
 993, 「魔女は夜ささやく」ー読書日記
 長編小説を読むのは久々である。一昨日家内が親戚の葬式で不在であったので、一気に読み終えてしまった。
「あ〜面白かった!」というのが実感の言葉である。新聞の書評で激賞をしていたのを読んで、早速インターネットで取り寄せた。
新幹線の中で読むことにして、約2ヶ月かかった。上下800頁で、読みがいがある。 初めから一気に緊迫場面の連続で、
ロバート・マキャモンの世界に引き込まれてしまった。主人公の青年マシューの真実を追究する姿勢は好感が持てた。
一人の青年の成長過程をみるようで、読み終えて爽やかさが残った。 内容は 18世紀直前の植民地時代のアメリカ。
   ー以下は字数の関係で中略(2008年12月23日)
・・・・・・
2002年12月23日(月) 
 619,パタゴニア旅行記ー6
今回の添乗員が過去の添乗員の中でベストの人であった。大手銀行のリストラ組で、その後事業を起こして失敗。
バックの力と自分の力の差を読み違えたと言っていた。「バックとは何か?」の問いに、資金力と答えた。
それにしても、彼の知識量と見識の高さに驚いてしまった。これで添乗をどん底で経験すれば、人生という意味で大きいものを
掴むことができるのではないか?そう甘くはないが。前回は南アフリカ、今回の南米のパタゴニア、次回はウイーンの新年の恒例の
ウイーンフィルの観賞の添乗だそうだ。仕事はテキパキとかたずけるし、質問には何でも完璧に答えるし。
凄い人がいるものだとつくづく感じ入った。特に英語がぺらぺらでイギリスに長年駐在していたようだ。リストラでこういう人が
多く職を失ったと思うと経営者の責任も甚大とつくづく思う。話しが違うが、秘境の旅で一人参加の人が多い。
そのエネルギーに驚かされるし、何か余白を埋めに来ている人が多い。ある人が何気なく言っていた。
[[帰ったら死ぬ心配をしなくては!いろいろの問題を引き出しの中にギュウギュウに押し込んで出かけてきた。
帰ったらそれが待ち構えている」人生の圧縮された言葉だ。
・・・・・・・・
2001年12月23日(日)
278 心の開放のために!
心の開放のために!-何からの開放????かんがえてみよう!「心を自由にする為に!本当に自分がしたいことを見つけよう。
これが一種の瞑想だ。これを探し出して、明確にしてそれを推し進める事が本来の人間の姿だ。それが本来の価値であり、
価値観といえる。」下記にコピーした要旨である。瞑想の意味が今ひとつ解かってなかったが、逆に自分探しという意味で
説得力があった。「仕事人間」を馬鹿にする風潮があるが、本人が本心に楽しければ第三者の批判外である。自己実現こそ
心の開放ということか。何事も考えているだけで解からない、やはり積積的にやってみて初めて解かる。私が好きなのが
早稲田教授のエジプト等の遺跡発掘の吉村作治氏である。3年浪人して早稲田に入り、エジプトの発掘に自分の全財産と
全人生を投げ込でいる。家族の生活費は大学からの収入で。タレント活動の収入は全て発掘活動に使う。8000万だそうだ。
それを種にして寄付等を願うと、その事実の前で4〜5億の金が集まるという。「タレント教授」といわれても、本人は手段と
割り切っているから「そのとうり!」と開き直っているのがいい。大橋巨泉の生き方とレベルが違うと思う、それは私の価値観か!
  H6/09ーコピー
ー自己実現のために-日下公人
心を自由にするために、こうするといい。自分は何が欲しいのか、どうすれば幸せに感じるのか、人の寝静まった深夜に起きて、
紙を広げて7つ書いてみなさい。そしてそれに優先順位をつける。終わったら忘れて寝る。翌日生活していると、おりにふれて
思い出す。友人、知人、有名人の言動をみて「あの人は自分の欲望の3番目をやっている」とか。・・・そうしたら
「実現の手段を考えよう。そして実現しそうなことより実行しろ」と。実行の優先順位をつけたら、ほかの事はやらなくていい。
そうすると他の人の話が生き生き自由に聴けるようになる。こういうような作業は一種の「瞑想」です。
・・・・・・・
12月23日 日曜日 1968年
 11時過ぎに起床。 午後はTVを見たり、本を読んだりして過ごす。21時過ぎに、永田さん等が寮のOB会の
忘年会の帰路に寮による。高橋の部屋で飲み会にでてこいとのこと。 そこで飲んだ後、近くの「ヤマ」という居酒屋で飲む。
一年先輩の衛さんが隣でチョッとしたことで私に怒り出す。 初めは何とも感じていなかったが、怒りが途中からわいてくる。
(字数制限のためカット 2010年12月23日)
 


3923, 閑話小題

2011年12月22日(木)

   * 北朝鮮のドン様が亡くなった
 北朝鮮の金主席が、お隠れになった。三男が後継者になって、当分は内部把握に集中せざるを得ないか、早々のクーデターが起こるか。 
体制が体制だけに、誰も今後の予測は不可能。 国家としての理想といえば、若手軍部の蜂起が起きて、中国に類似した開放政策をとる
集団指導体制をつくりあげることだが、無理だろう。 このまま三代目への権力の移動が順調にいって、今までの延長も考えにくい。 
中国にとって都合の良いのは何か?と考えると、リスクを負ったとしても若手軍部のクーデター。 とすると数年後、閉鎖的な老いた軍部が
実権を持った後に、若手が金一家の追放というのが筋書きとして見えてくる。その意味で、安物の時代がかった物語が進行していく。
ドン様の御陰で、国民はたまったものではないが、軍部など、これまでの体制の役人の利権は大きく、これを根底から潰すことは至難の技。
   * 歪んだ年寄りに近づくな! 歪むな!
 まさか自分が65歳になるとは!と、妙な感慨にふけることがある。 そして、ふと自分を振り返ってみて、
「自分が歪んだ年寄りになりかけている?」と、疑念を持つことがある。 同年代の歪みが見えるからである。
老化は心まで歪んでくるというが成る程と思うことしきり。他者を見れば一目瞭然だが自分には見えてない。
法事などで年寄の愚痴を聞くと無上に悲しく思っていたが、自分が、その年齢になってしまった。それは合わせ鏡で、自分で気づくしかない。 
教養とは、そのために必要な知識だが、年齢には叶わない。肉体と精神が相まって人間性が作られるが、肉体が老い、病気がちになると、
精神も歪んでくるのが自然の摂理。 その結果が老醜というやつ。 過去の仕事柄、色いろな人間の内側が見える立ち位置に長年いた。 
そして40年近くの事業で因縁のあった知人も私と同じように老いていく。 「世界も、私も、同時に腐っていく」という言葉があるが、
まさに、それが人生でもある。老い、嫌われ、孤立し、最後は独居老人になっていく。スポーツジムで、歪んだ人は直ぐに分かる。
健康を正す場だから始末が悪い。老化=歪みの進行となると気が滅入る。人生には色いろな時節に絶え間なく難問が押し寄せる。 
その対処がマトモなうちはよいが、それに押しつぶされていく。 自分の好きなことに熱中するのが対処になる。
・・・・・・
3558,  「プレイボーイの人生相談 1966-2006」 −1
2010年12月22日(水)
         「プレイボーイの人生相談 1966-2008)
   まずアマゾンの内容紹介から :真の教養人による人生相談の最高傑作!
  古くは柴田錬三郎、今東光、開高健、最近では松本人志、リリー・フランキーなど錚々たるメンバーによる、
  時代は変わっても決して色あせない珠玉の人生訓や哲学を集めた記念碑的1冊!
   ーー
  いや、面白い本を図書館で見つけた。どのページをランダムに開いて読んでも、ニヤリとさせられる。
 やはり、まず見るのは今東光である。べランメイ調で甘っちょろい若者の悩みを切って捨てている。
  * つまるものを探せばいい
● 質問≪厭世主義つていうのか、オレは人生っててちっとも面白いと感じたことがないんだ。 よく「自殺は敗北だ」なんていうけど、
 つまらない映画だったらさっさと途中で出ていっても敗北でもなんでもないと同じで、人生だってつまらなかったらさっさと自殺して
 いいんだと思うけど、これでもやっぱり「人生に負けた」ことになるんですかね。≫ー死ぬのは平気なんだけど負けるのは大嫌いな男より。≫
● 解答≪自殺より最初に人生についていうと、全部の人間に聞いてみな、「おまえの人生、つまってるか?」って。
 みんな「つまらねえよ」って言うよ。そのつまらない中で、どうしたらつまるか、つまり、つまるものを見出していく発見だ、
 この能力を養わなかったらどうにもならねえんだよ、人生は。どこへ行ってもつまるものを発見するという能力をまず養う。
 能力というより、そういう努力をするということだ。織田信長がある日、手をたたいて人を呼んだ。
 おそばの小姓が「ハイッ」と入ってきて、おじぎして「ご用は?」「なんにもない。帰れ」。またポンポン……。
「ご用はっ?」、何人来てもみんな「帰れ」そして「帰れ」。そうしたら最後、森蘭丸が入ってきた。
 信長がじっと見てたら、すっと来て、おじぎをする前に、小さな糸くずが落ちているのに気づいた。
 それを指でつまんでから「何のご用でございますか?」。「呼んだのは、その糸くずを拾わせるためじゃ」
 これで信長は、「蘭丸というやつは注意深い、偉いやつじゃ」というんで登用した。他のやつはみんな落第よ。
 信長ばかりじゃない。会社だって、学校だって上役、先輩も全部、やはりそういう人間を要求してるんだ。
 それ考えりゃあ、つまらない人生もつまるようにできる。オレも「坊主の世界はつまらん、つまらん」とも言ってるけど、
 つまるようにいつでもやってるから、忙しくて面白くてな、愉快でたまらんのだ。それでもつまらなかったら、
 さっさと死んでしまえばいい。オレは別にとめやせん。生きてる意味を自分で放棄したんだから、勝手に死にゃあいいさ。 ≫
  解)独り遊びが出来れば、人生は面白いはず。その代表的なのが読書。 最近はTV、パソコン、屋外スポーツがある。
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3183, つれづれに ー閑話小題 
 2009年12月22日(火)
 * 古町の老舗書店「北光社」の閉店
古町の大和の斜向かいにある「北光社」が来月で閉鎖をするという。大和百貨店も春先に閉鎖するというから古町にとって大打撃。
残るは三越だけになってしまった。 ダウンタウン化が、さらに進むことになる。大和が撤退したあとは、その客を取り込めるか、
それとも、更なる地盤沈下でダウンするかで、三越の存在も決まってくる。 新潟駅の街中商店街の存在も大きい。
それにしても、小さな書店の閉鎖に新潟日報の反応が、あまりに大きい。日曜日の朝刊の一面と社会面のトップ扱いである。
それだけ象徴的な存在だったのである。情報化社会で本を読む人が少なくなったことに加え、
アマゾンなどのネットからの注文が増加していることもある。
 * 質素で退屈で憂鬱な時代
リーマンショック直後に、慶応の池尾和人教授が、2010年代は「質素で退屈で憂鬱な時代」になる、といっていたという。
なるほど、最近の時代風潮であり、自分の気持ちでもある。 「空虚で回顧的で溜息の時代」ともいえる。
それが、一昨日のNHKのゴールデンタイムの「坂之上の雲」の明治時代の回顧と、続いて放送された
「マネー資本主義ウォール街の怪物復活である。 再びアメリカのウォール街で、マネーゲームが復活はじめたレポート。
結局、その最大の被害者は、弱者で、強者は、直ぐに復活をしてくるのである。
で、質素は別に悪くないこと。退屈と憂鬱は気持ちの問題である。なら、それは、それで、割り切ることも必要ではないか。
「空虚で、回顧的で、溜息」よりは、よい。 人口減少も、世界の先進国に先駆け、見本を示すことになる。
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2818, いやいや、驚いた
2008年12月22日(月)
 *娑婆は 色いろあるものだ。
 10日前に面白い?手紙が来た。 自宅前のアパートのオーナー?と名乗る突然の手紙。
十八年分のアパートの駐車場の電気代の割り当ての請求という。
18年×5300円=113万円分の向う三軒両隣の「融雪用電気料金」五軒分の分割、24万円の徴収の願いという内容。
(字数制限の関係でカット 09年12月22日)
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2007年12月22日(土)
2453, 歌舞伎町事変(1996〜2006)      ー読書日記
 「歌舞伎町事変」文ー李小牧  写真ー権 徹  {{"(;-┏Д┓-)o"オハヨウ
歌舞伎町案内人と呼ばれるこの街を知り尽くした中国人、李小牧。不夜城の暴力と欲望の全てを写し撮るため徘徊し
続ける韓国人写真家、権徹。歌舞伎町の生の姿を撮りつづけた10年分の記録である。殆どが白黒と、カラーの写真で彩られている。
いつの間にか新宿歌舞伎町の魔界のヤクザと警官と不法滞在外人などの緊迫した世界に引き込まれてしまう。
恐いもの見たさでついつい見ているうちに、カメラマンの目なってしまっている。歌舞伎町裏社会の話が当事者から生の写真で
レポートされているから迫真に迫っている。新潟とはいえ飲食繁華街で商売をしているので、知っていた方がよい情報で満ちている。
韓国人、中国人の目で見ているのも切口を鋭くしていた。これを読んでいると、あまり一見の店には行けなくなる。
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 P−44
2001年年9月11日が歴史の転換期であったように、03年4月年は、2003年4月22日は、歌舞伎町にとって大きなターニングポイント。
(字数制限の関係でカット 10年12月22日)
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2006年12月22日
 2089, 道教と儒教  <(_ _)><(_ _)> おはようございます!
  少し硬い一席を!        
  昔から中国では二つの役割を儒教と道教が果してきた。中国人は長い歴史の中で、
  功なれば儒教の徒になり、失意の時や隠居の身になった時は、道教を奉じるようになる。
・儒教は、人間社会を構成していく基盤として男性原理的でありを説き、それぞれの分を戒め、それに忠実に従うことを求める。
・それに対し道教は、老荘の哲学が元になっている。無為自然を基本におき、人間の色いろな規則からなる社会の掟をことごとく否定。 
 また儒教などを超越した世界に住むことが最上としており、女性原理に支えられる。
 道教の自然主義は傷ついた心を癒す力になるが、現実からの逃避主義ともいえる。
 孔子は時の権力者に都合のよい思想をつくり上げ売り込んだという見方がある。
 それは自分の思想で世の中を良くしたいという一心から出たものである。
 どちらかというと窮屈な悲観的イメージがついてまわる。
 「自省・反省」を常に自分に課す思想といえるが、その「自省・反省」という裏には、
 常に「世間的に認められる人」になりたいという意味が隠されている。
 その「認められる人」は社会的に偉い人ではなく「人間としてでき上った人」の意味が強い。
 これに対して、老子は孔子の世俗的なものを根本から否定する。
 山の中の一軒屋に住んで仙人的な生活を良しとするイメージがついてまわる。
 どうでもよいことに汲々とするな、無為自然に日々を生きよと説く。
    老子の思想の中で「三宝」が説かれている。「慈」と「倹」と「先に立たず」である。
   ・「慈」は、万物を包容する広さ、
   ・「倹」は、自分の状況に応じて慎ましやかにしていられる心のゆとり、
   ・「先にたたず」は、名声を求めない心の落ちつきである。
    これを持つためには、私利・私欲を捨てさえすれば自然の中にいるような、無心の気持ちになれると説く。 
    常に大宇宙のような森のように大自然であれ。人為的な差別や争いから一歩退いて水のように柔軟であれ。
    名利にとらわれないで、自らを誇るな。 足るを知れ。 大自然の道に従え。 等々である。
ーー
以上であるが、学生時代に貝塚茂樹著「諸子百家」の中の『師徒行伝』と、『老子の哲学』『荘子の立場』を読んだ。
その本が現在、手元にあるが、学生時代の感想は、孔子に対しては「権力者に尾を振る人」、
老子には「山中の田畑を耕して隠れ住む人」、荘子は「農家で晴耕雨読をする人」であった。
今でも論語に対しては、「何で自分から首輪をつけなければならないのか?」という気持ちは変わらない。 
あくまで教養の一端として把握しておけばよい、というレベルしか理解していないということ?
この思想を手っ取り早く言えば、厳しい父親と、優しい母親ということ!
得意の時は心の中で父親と酒を交わし、失意の時は母親とお茶でも飲んで社会を鳥瞰しているイメージか。
            ごきげんよう さようならm(__)m
・・・・・・・・
2005年12月22日(木)
1724, なにを遺せるのだろうか     ~~旦⊂(・∀・ )マァ チャ!
中野孝次著
「何を遺せますか」という本がある。実際のところ我われは後世に一体何が遺せるのだろうか?
この本に、人が死後に遺せそうなものについてあれこれ検討してみたが、結局最もたしかな後世に
遺せるものは人間性である、というくだりがある。財産を残すことができるが、通常こだわっている目に見えるもの
 ー金、家、土地、遺言、宝物、宝石等は、いずれは消滅する。著者は後世に残せるものは唯一人間性であるという。
                       【゜Д゜】y─┛~~~
遺すべき考えられるモノ・コトを目次にあげてそれぞれを説明しているが、その幾つかをみると成る程と考えさせられる。
 以下は目次からひろってみた項目である。
ー?ー
勲章

(字数制限の関係でカット 11年12月22日)
 ・・・・・・・ 
2004年12月22日(水)
1359, 「23歳の日記」ー8
ー9月01日 1969年
新潟の六日町の雲屯庵にきている。学生時代に司法試験のため一人勉強している三条の高橋さんがいた
新井石龍禅師と、早速話しをさせてもらう。私「世の中こんなに厳しいとは思ってもいませんでした!
理屈と実社会との隔離に、ただただ驚いています」
禅師「世の中は、変わりはしない。世の中が厳しいのではなく、あなたの理屈が甘かっただけの話です。」
私「・・・・・」その夜、日本にきていた慶応卒で、ハーバード大ビジネス・スクールの在学中の同じ歳の人と、
高橋さんと、そこの雲水と話をする。ところが、その雲水が博学で、高橋さんと私はダンマリ。
ハーバードと雲水の議論に全くついていけないのだ。どうしたのだろう?
禅師に昼間真っ二つに甘さを指摘され、夜は夜で二人の議論についていけない自分が、ここにいる。
何だろう、何だろう、何だろう! 実践としてスーパーに入ったが、何にもできない中途半端な自分が存在し、
現実として濁流の中で、もう溺れかけてアップアップしているだけの自分が、神戸の垂水の地で一人呆然としているだけ。
どうしたのだ、どうしたのだ。適当に真面目に考えることもないが、早くいま一度、ゼロから知識の再構築をしないと。
逃げ込んだところで、逆に叩きのめされてしまった。
・・・・・・・・
2003年12月22日(月)
 992, クリスマス
 クリスマスといえば色いろ思い出がある。子供の頃ツリーを買ってきて,電飾を姉たちと作った時のトキメキを
クリスマスソングを聞くと思い出す。パリのシャンゼリデ通りの電飾の美しさも忘れられない。
またフィンランドのヘルシンキのクリスマスイブの氷を張りつめたような神聖な思い出がある。
街全体が張り詰めた独特の雰囲気に包まれていた。丁度、日本の年越しに似ている。
 会社でスペインに行ったときの帰りに立ち寄ったのだ。その時、何かの時間待ちに会社の和田さんと
二人で30分ばかり街を歩いたのが、いやに記憶に残っている。昔の正月の街を歩いたような既視感が印象的であった。
最近は不景気のせいか、あまりデコレーションスケーキの派手な販売は殆ど見られなくなってしまった。
 昨日ダイエーで光ファイバーで出来たツリーを買ってきた。ふとレジの横を見ると半額セールで1500円。
糸状の先に小さな光が点滅する幻想的なものであった。家で飾ったところ思ったよりずっと良かった。
ミニサンタなどと供にクリスマスの雰囲気がでてきた。インターネットでクリスマスと検索したら、
以下の内容が印象的であった。
・・・・・
 ークリスマスを楽しむ24の方法ー
クリスマス・グランデからちいさな提案です。
01:指折り数えて待つ。 待つことで見えてくるものがあるはず。
02:書を捨てよ、街へ出よ。 参考書はなし。肌で感じることからはじめましょう。
03:毎年、を持つ。 プレートでもカードでも。積み重ねる月日の上にあなたがいます。
04:手紙を書いてみる。 言うは易し書くは難し…僕は手紙というものが苦手です(^^;
  −あとは略
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 以上だが、 何かブルークリスマス用の楽しみ方みたいだ。
 それでも、楽しむことは良い! 最近は何でも意識的に楽しむことにしている。
 ーーーーー
2002年12月22日(日)
618, パタゴニア旅行記ー5
 ー広尾のお犬様 ー
旅行をしていると、普段では会えない人といろいろ出会える。
今回は一人参加の東京の高級住宅地の広尾の奥様がいた。 犬の話から、愛犬の散歩の話題になった。
広尾の公園で朝のお散歩の話で大爆笑であった。愛犬に衣装を着せて連れてくるが、そのファッションが面白いとか。
天使の翼をつけたお衣装だったり夏は浴衣であったりする。 冬は何と毛皮を着せた犬もいるという。
まあそういう人は水商売の人だとか。犬にも公園デビューがあり、数日は全ての犬が匂いをかきにやってくるという。
そして認知をされるという。まあ人間の世界と同じである。 犬好きの人は自分の犬の自慢がしたいらしい。
このあたりも人間と類似している。まずは相手の犬を褒める。 そうすると互いの褒めあいの場になるという。
横で聞いていると馬鹿みたいだが、それがまた面白いとか。 聞いていても目に浮かぶようだ。 住人でもないのに遠くから車に乗せて
その世界に来る人もいるとか。人間の一番の悲しい?いや愛くるしい性が丸出しのところがよい。
愛犬は飼ってないが、散歩でその世界を毎朝近くの土手で見ているから真実味がある。
・・・・・・・
2001年12月22日(土)
 277、笑いについてー
私の最大の素質に気づいた! 腹から笑える事だ! 昔からいろいろあったが、これは子供の時からの特技だ!
それだけ激しい真ん中(商家)に生きていたからだろう。笑っていなくては、やってられない!TVの漫才をみて笑っていたら、
親戚の叔母が見ていて不思議そうな顔をして「どうしたらそうして笑えるの?」と、学生の時代に聞いたことがあった。
笑うとは何だろう?もちろん理屈はある程度解かっている。でも実感としての(笑)とは何?と考えた事があるか?
人生から笑いをとったら、残るのは何だろう?笑う為に生きてきたみたいなものだ。それだけで人生元を取ったように思える。
いや感動・感激もいえるが。笑いと感動は、魂の顕現化といっていい!それでは落語家か、漫才家になればよい。しかしそれは
商品でしかない。実際の(笑)は違う。心、いや、魂の緩みだ!どういうわけか、過去を振り返ってみて、笑いだけは常にあった。
笑えない時期でも、(笑い)は別腹であった。その理由は今でも解かってないが、背後に豊かさがあった為だろう。
家内に言わせると、どんな時期でもTVの「落語や漫才」を見て、大笑いをしていたらしい。
でも本当にそうかと自問してみると、そうでもないか!?「凍りつくような時期」ではどうであっただろうか?
笑いはなっかった!やはり結婚をして,家庭を持ってからは、どんな時期にも笑いだけはあったようだ。
それが家庭の効用?か。 いや訓練と、習慣である!
ーーーーーーー
12月22日 土曜日
 1968年
9時起床に後、食事。土砂降りである。 千葉に住む、すぐ上の姉・礼子さん宅へ向かう。しかし早速、二人でいがみあう。
あいも変わらず仲が良いのか悪いのか解らない。彼女の悲観的な面から抜け切れてないのが気に入らない。
如何してマイナスマイナスに考えるのだろう。 夫婦仲が原因?。15時に寮に向けて出発。 17時前に寮に到着。
瓜生君の部屋で、お茶を飲む。その後部屋にいると、米林君が来て5日間の寮内の出来事を何気なく切り出す。
佐藤と駒村孝道がチョッとしたハプニングがあったという。また一年先輩の留年組みで残っている佐々木さんが女性を連れ込んだとか。
今さら何もいうことがない。あと二ヶ月で居なくなるのだから。もういいだろう。20時過ぎに飲みにでる。 まあ、面白い一日であった。


3922, 精神力ーその偉大な力 ー12

2011年12月21日(水)

  「 精神力ーその偉大な力  ー 」 ダン・カスター著
  * 取り越し苦労をやめるには
 20歳代半ばまでは取り越し苦労をする方だったが、人生経験を重ねるに従い、「その時になれば、その時!」という
言葉が自然と出るようになった。事前に考え尽くし、最悪も想定して、その対処を列挙して対策を練った後は、その場に
実際に立って知恵をだすしかない。あんずるより産むがやすし、が現実である。 この本にも、そのことが書いてある。
人生は最善を尽くした後は、なるようにしかならないのである。未来を恐れない、後悔しないこと、最後は自分独りであること
を充分自覚することである。  取り越し苦労で、多くは自滅をしてしまう。 ー まずは、その部分ー
【 仏教徒は、「感情の王国の二つの悪魔は、怒りと恐れである。怒りは燃える激情、恐れは凍る激情である。」と言う。
 怒り、いきどおり、抵抗は、過去に起こったことへの非健康的な反応です。取り越し苦労は、将来起こうるだろうと思うものへの
 恐れは陰惨な非健康的な反応です。起こってないが、起こるだろうと恐れることです。それは苦難を求めて手を差し出すことです。
 その習性は繰り返すことで現実になることが多いのです。取り越し苦労が頭によぎったら「悪魔よ、我が後ろに下がれ」と言うがよい。
 ・・・人間は推理しうる唯一の動物です。推理することは連想することです。取り越し苦労は、その推理をマイナスに使うことです。 】
 ▼ 取り越し苦労も、必要な場合もある。しかし、やる前に、自滅して人生そのものを無為に過ごすほどの失敗はない。
  どんな問題でも、その中心点を想定し、エネルギーを集中し続けていれば、いつの間にか、その問題は解決することが多い。
   ーここで著者は次のように自己暗示の言葉を述べているー
《 私は健康で幸福で自由だ。私の知る最善の方法で、なすように計画されたことをしている。家族、友人、隣人、仕事仲間を愛している。
 けんぜんで、そして完全な創造的な方法で大生命力を表現している。最善が私から出ていくので、最善が私に帰ってくる。
 愛と善意が不断に私を通して流れ、接触するもの誰しもが私が身を置くあらゆるものを祝福する 》
  何か、教会で牧師の説教を聞いているようだ。それでよい。取り越し苦労に身を焼いているよりは。 20歳代半ばに、不安の中、
 誰知れず必死に読んだ本を40年過ぎた現在に読み返し、納得し、事前、事後を見つめるのも面白い。 信念、志は心の基礎である。
・・・・・・・
3557, 今までいきてきた中で一番幸せ
2010年12月21日(火)
 1992年に岩崎恭子がバルセロナの平泳ぎ200Mで、よもやの金メダルをとった時の言葉「今までいきてきた中で一番幸せ」
を今も鮮明に憶えている。当時、14歳の中二の女の子が、その直後発した言葉で注目されたが、時間が経つにつれて、
その言葉に対する反発が声無き声?として世に広がっていった。そのためか本人はマスコミに出なくなってなってしまった。 
世の大部分の人は、多くの苦労を背負い、日向に当たらず消え去っていく。ところが多くの幸運が重なって、あの若さで金メダル。
その一言で一生、その重さを背負うことになった。 この言葉は、苦労に苦労を重ねた末に発する言葉。 
しかし人生を振り返ってみると、心の中で何度も呟いてきたことか。他人がどう思おうが、この言葉が芯から発することが出来れば、
それで良いのではないだろうか。14歳の女の子が、その時に、そう思ったのだから、世間様がとやかくいうことではない。
 ところで、スポーツ選手が色いろの言葉を残している。長島茂雄は「失敗は成功のマザー」とか、
清原の「どん底に入る時は、底をもっと掘れ、そうすれば、そこはどん底でなくなる」とか。ことをなしたから、人も注目をするだけ。 
ところで「今まで生きてきた中で一番幸せのことは、何?」とは、至高体験から発する言葉。感動、感激の極みである。
その経験なら数限りある。その一つを限定など出来はしない。これも受けとめ方の問題があるが。
 逆に何気なく誰かが言っていた言葉、「これまでの人生で、あまり良いことが殆ど無かったな〜」を聞いたとき、エッと思った。
同じ体験をしても、感受性がないのである。言葉として、それをパック出来ないのではないか。「幸せを感じる力」が無いのである。
「感動、感激を求めて多く経験すれば、その積み重ねが、更に感動、感激を引き寄せる。それが、「今までで一番幸せ」を感じる経験を
多くもたらせてくれる。 手っ取り早く 「私は幸せ」を口癖にして、心の芯から言える訓練をすればよい。近くの山にでも早朝に登り、
日の出をみて、幸せ!と思えれば、数限りなく幸せと思えるのである。 傍から見たら御目出度いと見えても、
それで良いのではないか。要は、幸せ感は自分が作りあげていく心情でしかない。それにしても、最近、溜息が多い!
 良いこと三つに、悪いこと一つは仕方ない!   半々? それは受けとめ方、次第。
 ・・・・・・・
3182, Twitter の意味すること! ー2
2009年12月21日(月)
 私の、この随想日記の一行が大よそ50文字である。ということは、140文字といえば三行になる。
そうすると、「要するに」「つまり」の要点か、本音のツブヤキしかない。だから、面白いのである。
新聞は、500〜1000文字が、雑誌は、1000〜2000文字が記事としての目安。
相手に大よその情報を伝える場合は、200文字という。それを三分の一の140文字にするのは大変である。
だから「思考の断片」か「自然にでた本音」を書くしかない。「つぶやきしろう」とかいうのもいた。
小泉元首相が一言コメントで、国民の心を捉えたこともあったが、今からすれば、国民にたいするツブヤキでしかなかった。
 ところで、著者はTwitterのマーケティング活用の可能性について言及。その目的を「情報発信・PR」「ユーザーサポート」
「ブランディング」の3点と整理。その上で、ユーザーから得られるものとして、「ダイレクトでリアルタイムな反応」
「ユーザーがどこでつまづいてるのか」といったサポート的な情報、「Twitter上でブームが起きる過程」が調べられるという
3点を挙げている。 またTwitterを「マーケティングには間違いなく使える」と断言。
取り組むべき最大のポイントとして、
・コストが安いことを挙げた。無料でアカウントを開設でき、担当者が1人いれば情報発信できる。
・さらにTwitterには「ゆるい雰囲気」があるので、企業もできる範囲で取り組む“ベストエフォート”
が許される環境にあるという。 Twitterには面白い発言がフォローを集め、クチコミで広がるためサービス。
「社内で面白く、トラブルに対応できる人間にTwitterをやらせる」ことで色いろなノウハウが得られる、という。
グーグル社が「ユーチューブ」を1500億円で買収されたが、現在の米ツイッター社は900憶円の価値というから、
如何に数秒で発信できる、この手軽なミニブログの凄みの大きさに驚かされる。
「今の六本木の映像が見たい」と入れれば、六本木のあらゆる場所から、携帯電話の生映像が見ることが
出来るのも一年以内に可能ということになる。 まあ、面白い時代である。
・・・・・・・・
2817, ケインズの「相場は『美人投票』論」」
 2008年12月21日(日)
 ケインズは以下のように、相場と『美人投票』の類似性と、相違から、相場の本質を述べている。
 「玄人筋の投資は新聞紙上の美人コンテスト、参加者は100枚の写真の中から最も美しい顔かたちの六人を
 選び出すことを要求され、参加者全員の平均的な選好に最も近い選択をした人に賞品が与えられるという
 趣向のコンテストになぞらえてみることもできよう。 このようなコンテストでは、それぞれの参加者は自分が
 いちばん美しいと思う顔を選ぶのではなく、他の参加者の心を最も捉えそうだと思われる顔を選ばなければならない。 
 全員が問題を同じ観点から見ているのである。」と 述べている。 結果としてどうなるかというと、他の者は誰を選ぶか、
 という観点から予想される者が選ばれることになる。 この点に関し、岩井克人東大教授は、「その結果選ばれる
『美人』とは、皆が美人として扱うから皆が美人として扱うという『自己循環論法』の産物にすぎない」という。
 解りやすい例えである。ソローの論は、この辺もヒントになったのか?。新自由経済資本主義のフリードマン的な考え方には、
 再び戻ることはないとしても、時間と共に再び規制が緩和され、同じような大規模な金融危機が発生する可能性もある。
 それはさておいて、投資と、投機は違うもの、投機は美人投票論に近いだろう。
『儲かると信じて買い、結果として損をして売る』パターンが一般人の結果としてなる。上がり切ったところで、
 逆張りをして反対の流れをつくって暴落させる、これもあるから、素人が儲かるわけがない。
 「賭場の八百長ツボふり」と、同じである。 それもNTTの株売却時のように、国家単位で仕掛けてくる。
 このケインズの美人投票理論を応用したものが、GoogleのPageRankだと言う。よく考えるものだ。
 検索エンジンが、勝手に独自の評価項目を作り上げて選んだページではなく、Webページ同士のリンクという投票行動を、
 ページのランキングスコアとして採用したのである。 これによって、検索が原始時代から抜け出すことができるように
 なった上に、広告効果が飛躍的に伸びたのである。持っているお金さえ、国家間では相場で決まることから考えても、
 金を持つこと自体が投機行為である。その貨幣が現在、一番不安定ときているから・・・・
  ・・・・・・・・・
 2007年12月21日(金)
2452, 居場所を見つけたときに人間は変わる −1       (。´_`)ノおはぁ。
人生の中で、しっかりした家庭で育った人は結局紆余曲折があっても元に戻るものだ。人間には何があっても、あなたを
受け入れてくれる家庭を必要とする。そこが本人にとっての居場所なのであろう。以下の短い文章の中に、家庭、夫婦、
人間に必要なことは何かを考えさせられた。 強い父、優しい母、そして喧嘩する兄弟が必要である。親、教育者、上司として、
考えさせられる示唆が多く含まれている。そういえば、ヘレンケラーの恩師のサリバン先生の指導に似ている。
そうこう考えると、人間には最低の教養と、暖かい家庭が必要ということだ。
ーーーーーーー  「存在の大地」高史明・芹沢俊介・上田紀行著
 芹沢:
いまの話にも関わってくるような象徴的な話を聞いたことがあります。それは、一人の青年の話なのですが、
物を盗んで仕方がない二十歳ぐらいの青年がいて、月に何回となく物を盗むのです。それで、何回となく捕まる。
ところが警察はちょっとした盗みぐらいでは刑務所へ送らない。裁判にまで持っていくことはないのです。 
彼も「もう二度とやりません」と言っては、また盗みをやる。それでまた捕まるということを繰り返していた青年がいました。
この青年に対して、ある施設で、二つの対応策が出てきたのです。・一つは、警察や裁判所をうまく使って、彼を一度
きつい場面へ追い込もうと。強い規律と訓練と指導とがあるような場所を通過させて、その後に自分たちが引き受けようという
方策を提案した人がいました。ところがもう一人、その案に対して「ノー」と言った人がいるのです。
そして結局、その施設では後の人の案を採用して、青年に対応することになりました。
・彼と対応したのは一人の女性だったのですが、その人が彼にどういう接し方をしていったかと言うと、
とにかく特別扱いをするということをしたのです。その青年は、いまの言葉で言えば非常にキレやすい人なので、
キレたときには、すぐ一対一になってとことん彼の言い分を聞くということがひとつ。
もうひとつ、その青年は人に殴りかかったりすることはないけれども、大声を出したり、
物を投げたり蹴飛ばしたりして人を威嚇することがあるのです。その場合は、とことんやりあう。
つまり、彼が大声を出せば、それに負けないぐらいの大声でどなり返す。
相手が物を蹴飛ばせば、自分も蹴っ飛ばす。要するに、喧嘩の相手をきちっとやる。その二つを徹底するのです。
( 字数制限のためカット 2,010年12月21日)
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2006年12月21日(木)
2088, 14歳からの哲学−1      才八∋ウ_〆(∀`●)   
              「14歳からの哲学」 池田晶子著   − 読書日記   
「知ることより考えること」と、「人生のほんとう」と、「41歳からの哲学」と、
この「14歳からの哲学」の中から、その都度目についたテーマを考えてみる。
人間として、社会人として、家庭人として、色いろな問題を地頭で考えているから、
そして子供向きに書いてあるから、解りやすく、深いところが考えやすい。
 今回は、  ー「家族」ーである。 
「家族」については、家庭崩壊が大問題になっている現在、その本質をつかまえておかなければおかなければなるまい。
 家庭内離婚の含めたら半分は家庭崩壊というが、その中で一人一人が夫婦とは、親子とは何かをしっかりと把握しておかないと
両親の犠牲になったり、子供の犠牲になってしまうことになる。カナダでは親の責任は高校卒業するまでという。
卒業したら学費を夏休みと冬休みにアルバイトで稼ぎ出すのが常識になっている。観光地の若い従業員は殆どが大学生の学費稼ぎである。
首相の子供でも、大金持ちの子供でも、もし親が出しているということが知れると、一人立ちできない人間として軽蔑されるという。
≪以下、字数制限のためカット、09年12月21日≫
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2005年12月21日(水)
1723, ベルグマンの法則
             オハョョヨヨ∃"ヽ( ゚∀゚)ノ"ョョヨヨ∃ゥ!!
 生物学上の法則に「ベルクマンの法則」がある。
 哺乳動物の分布と体の大きさの関係を表した法則で「近縁のものが南北に渡って分布するときは、
 寒い地域に生活するもののほうが、体が大きくなる。」というもの。
 例えばクマでは (。'(ェ)'。)ノ♪北海道のヒグマと本州のツキノワグマではヒグマの方が体が大きい。
 ホッキョクグマ 体長3.5m 体重400〜500kg
 ヒグマ 体長 2m 体重300kg     
 ツキノワグマ 1.5m 体重60〜150kgと、極端に北にいくほど大きくなる。☆━━━…‥‥ソウカ〜('(ェ)'ヽ)
 その理由は、体重の大きなものは小さいものに比べて体表面積の割合が小さく、それだけ保温効果が大きいから。 
 もっっとわかりやすく言うと、大きな鍋と小さな鍋ではどっちがさめにくいか、考えてみるとよくわかる。
 他にも「アレンの法則 」というのもある。 キツネやアメリカのウサギ類の耳のように  m9(`ω゚)  
「より寒冷地に行くに従って体の突出部が小さくなる傾向がある」というもの。
 突出部が小さいと熱の放散量が多く、突出部が小さいと放散量が少ないためだ。     
 さらに「グログラーの法則」というものもある。哺乳動物の分布と体の色との関わりを表した法則。
「近縁のものが南北に渡って分布するときは、北に生活するものがほど体色が薄く白っぽくなる傾向にある」というもの。   
 人間もほ乳類だから、この原理は当てはまる。確かに北国の人は色が白い。中間のアジアは黄色で、南にいくほど黒くなる。
 旅行してきて気がついたことは、カナダや北欧で黒人やインド人をほとんど見かけない。 体質的に合わないのだろう。
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 2004年12月21日(火)
1358, あなた、ここにお座りください
「あなた、ここにお座りください」夫に出て行けといわれた妻が、
「私の大切な物を一つ持って行きます」と風呂敷を広げた後にこう言ったそうです。 
 昨日の朝日新聞の一面広告の中の、思わず手帳にメモをしたくなる
「身近な人の名言・格言」と「手帳・日記・家計簿の商品企画」の大賞受賞作である。他にも幾つかあった。
ー字数の関係でカット(2008・12月21日)         
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2003年12月21日(日)
991, 離婚事情ー2
 2日前に長岡の大手通りの市役所サービスセンターに印鑑証明をとりにいった時、
 隣りの市役所相談室という小さなコーナーに電話がかかってきた。老齢の相談員の話し声が聞こえてきた。
 「ハイハイ、・・・・・、ところで貴女の年齢は幾つなんですか? エッ74歳!その歳で離婚ですか。
 何をいっているのですか、いいを歳をして」その声を背にして帰ってきたが、何か切ない思いが残った。
 数軒先の近所の人が最近60歳を過ぎて二組離婚をしたとかいう。以前も離婚について書いたことがあった。
 家庭内離婚を含めて、5分5分とは恐ろしいことである。ということは、この文章を書かない方がよいのだが。
 一番に身近にいる他人が連れ添いである。それが一つ屋根に住んで、舅姑などの圧縮された人間関係の中で
 二人の権力闘争が絡んでくるから一層難しい問題になる。その人の全て圧縮されたのが夫婦問題といってよい。
 一つ間違えばお互いの人生の破滅も待っている。以前、取引をしていたメーカーの社長は玄人向きの女好きだが、
 その結果として奥さんに「?病」をうつしてしまった。離婚はしなかったが、酷いものだ。 
 この人の過去をみていると、一番世話になった人の裏切りの積み重ねであった。勤めていた会社の取引先や同僚を奪っていた。
 「自分とは何かを考えるということは、他人とは何かを考えることである」その一番身近な他人が連れ添いになる。
ー字数の関係でカット(2011・12月21日) 
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2002年12月21日(土)
617,パタゴニア旅行記(タンゴ)ー4
アルゼンチンタンゴがすばらしい!昔はブエノスアイリスは女性が少なく、その憂さを晴らすため船員同士が
女のふりをしてエロッチクな踊りをふざけて踊ったのが由来という。
それが波止場近くの娼婦の売り込みの踊りと変化していった。
そして、その踊りが西欧の人達に認められていった。従って内容はエロチックで情念丸出しのものであった。
ブエノスアイリスで一番の1400人収容の店で、ショーが2時間以上にわたって繰り広げられた。
全く期待をしていかなかったのが良かったのか、初めから終わりまで拍手喝さいのすばらしいショーであった。
お客の全員が感動に包まれ、アンコールの連続であった。今まで見たショーで一番の感動と言ってよい。
辛口のツアーの同行者もこれだけは絶賛をしていた。この旅を締めくくるに最高のイベントでもあった。
写真を見てもらえれば解るはずだ。よいのはダンサーが一番楽しんでいる事だ。 心に多くのものを残してくれた。
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2001年12月21日(金)
276、べきことを、べき時に、べくすべき
 昔からこの言葉が好きだった。「時節到来」ということか。その時その時の何かの時節がある。
 それを見つけ、積極的に挑むということだ。 昨日書いた「後回し」の諌めでもある。
 学生時代は勉強を、働く時期には働き、引退すべき時は引退をという事だ。
 これがこのまま出来ないのが人生だ。あるいは社会だ、それだから面白いのだ。
 その時のすべきことが見えなくなってしまうからだ。その意味で家族、親の果たすべき役割は大きい。
 結局それを刷り込むのが親の教育だからだ。親として耳が痛いが。 その世界に埋没してしまうと、
 べきことが見えなくなってしまうケースが多い。常に変化に対し、チャレンジと闘いをしつづけていく姿勢が必要だ。
 その時々、基本としてウオームハートとクールヘッドが必要だ。いつもウオームヘッドとクールハートになっているからだ。                 
 


3921, 精神力ーその偉大な力 ー11

2011年12月20日(火)

  「 精神力ーその偉大な力  ー 」 ダン・カスター著
  * まず、自分を愛すること
【 うまく他人に処するということは、他人を使うのではなく、まず私ども自身を使うのです。
その後、相互の健全な協力を望むことです。他人と協調するには、まず自分自身を愛し、自分を尊く思わなくてはならない。
自分自身を尊ばない人、自分を非難し、自分を蔑む人は、その蔑みや非難を他人に投入するものです。そのために、他人から
抵抗や非難をうけます。誰も、自分自身としっくりいかない限り、自分を尊び、自分を健全に愛さない限り、他人を愛することは
できません。まず、自分を愛し、その上で隣人を我々と同じように愛しなさいと、キリストは言ったのです。 利己的な人は、
自分だけを愛します。彼が他の人を自分と同じく愛することを学べば、彼はもはや利己的ではありません。 健全の自己愛は
他の人と協調します。強い、健康な、活力ある、自尊心に富む人格が、他人と最もよくやっていけます。 強い人格の人が、
最もよく人を助けるのです。・・・  詩人R・ブラウニングは言いました。
「真理はわれわれの内にある。あなたがなにを信じようとも、外のものから、それが高揚されることはない。われわれすべてには
深奥の中心点があり、そこで真理が完全に住み場を得ている。そしてまわりは壁また壁で粗雑な筋肉がそれを押し込んでいる」と。
・・・あなたの真の内部自己は、知恵と威力を持っている。一度あなた自身を神性の実在として認めると、自分の生活に方向を
つけられると知られるでしょう。 思考や態度や信念を通して自動的に、体験のなかに善いものを持ってくるでしょう。
・・・私たちは習癖なしには生きていけないが、その奴隷になることもありません。習癖こそ召使いであるべきです。
私たちの中に建設的習慣を作りあげたとき、宇宙のエネルギーを得ることが出来るのです。良い召使を多く持ちなさい 】
 ▼ まず自分を愛することが、人生の基本である。そのためには両親から愛情を充分に受けること。良い両親、家庭環境が
  必要条件になるが、充分条件ではない。その人に両親のことを語らせれば、大方が分かるはずである。
  聞くに耐えられないことを言う人を度々見うけるが、自虐でしかないのが分からない。 この「まず自分を愛しなさい。
  そして同じように他人を愛しなさい」の箇所が、いやに印象に残って、私の生き方を変えた。 聖人を除けば、自愛なくして
  他愛は不自然になる。 ところが多くの人は、自愛なくして、他愛に気持ちが向かうため、相手に拒否をされる。
  真の自愛がないのは自立してないということである。 殆どの愛は突詰めれば、自愛の変容。強すぎるのも問題だが。 
 ・・・・・・・                                                      自愛のほど!   
3556, 閑話小題  ―つれづれに                                     
2010年12月20日(月)
 * 朝の瞑想
 同月同日の10年間の随想日記の一部を、数日前から私のブログ「バードウォッチ」に貼り付けている。
字数制限があるので、毎日、カットをしないと字数オーバーになる。これは、現在書いている文章が、つまらないと
将来の自分がカットするぞ!という警告になる。しかし、カットは身を削られる気分になる。
早朝5時過ぎに、前日に書きあげたテーマ日記の添削と仕上げ、そして以前書いた9年分の文章を読み返し、カットする作業は、
ある意味の瞑想になる。独りで10年間の同月同日の自分の文章(エネルギー)に向きあうのは、自分との出会いでもある。
 * 「自分の人生が嫌になった、終わりにしたかった!」 ー 昨日のニュースより ー
 高校卒業して依頼、10年フリーターで職を変えていた男が、無差別傷害をした動機が自暴自虐の、この言葉である。
10年前位まで、ウォーキングをしていると、明らかに精神を病んでいる20歳代半ばの男が自転車に乗ってブツブツ言っていた。
ところが数度に一度、自転車で向かってきて直前で避けたリ、寸止めをする。その間合いが、絶妙で怒るに怒れないで、一切無視。
10年以上、それが続いたが、ある日から突然、姿が消えた。全国的に子供が襲われる事件が相次いだ時期からである。
その男が、誰かに聞いて欲しいのだろう「俺はジイサン、バアサンに潰された!」と、呻きながら自転車で通り過ぎていった。
いやに、その言葉が心の底に残っている。数年前の秋葉原の無差別殺人事件が、両親の弄りすぎだった。 知人の多くは、
長男の話をしたがらない。 嫁姑と同じく、人生の永遠の課題である。 旧約聖書にもある。 
 * 勘違い
 自宅の敷地内にある貸家の屋根裏にハクビシンが騒いでいたという話題を、ここで取り上げた。
そこで朱鷺を襲ったのがハクビシンと勘違いをしてしまった。ある人に、あれは「テン」と注意をされ気づいたしだい。
それにしても、何でハクビシンが敷地内に? 雉や山鳩が時々見かけられるのだから、ハクビシンもいても不思議でないが。
そういえば数年前に熊も出た。鷺もいれば、鴨もいる。 そうそう、変な布を羽織った類人猿もいる。
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3181、インコの話
 2009年12月20日(日)
 私はペット好きだが、家内は大嫌い人間。 子供の頃から家には犬か猫、はたまた猿が家に同居していた。
猿は二代にわたり4年位はいた。 結婚してから10年後に、互いに妥協?をして小桜インコを5代にわたり飼っていた。
しかし子供二人が大学に行ってしまい、誰も居なくなってからは飼わなくなってしまった。 それと最後のインコを
寒さで死なせた罪悪感から飼うのを止めたのこともある。 ところが三ヶ月ほど前に、スーパーセンターの「ムサシ」の
ペット売り場で中型インコの「メキシコ・コガネインコ」を衝動買いをして飼っている。 生後半年で、人に懐いている。
近くに引っ越していった長男が、このインコを飼ってから必ず家に立ち寄り、世話をするようになった。 
本人に特に懐いていて、家内が言うには長男の車の音を聞き分けるという。 ここまで人に懐くと情がうつるもの。 
 買った時、そのインコを送り出す女店員二人が、車まで籠にいれたインコをキャリアカーで持ってきてくれたが、
何か寂しそうな顔をしていたのが印象的であった。「凄く人に懐いていて、寂しがりや。外にでたがるので、籠の蓋を開けても
外にでない臆病なところもある。三ヶ月も皆で可愛がっていたので、愛情がタップリあるので、可愛がって下さい」という。
   (字数の関係でカット 10年12月20日)
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2816, 不況景色 −5
 2008年12月20日(土)
*貸し剥がしが、全国で吹き荒れ、そして大量倒産が
一昨夜のNHKの「クローズアップ現代」は30分の枠を1時間15分に延期した厳しいものだった。
その中での中小企業への銀行の貸し剥がしを具体的にレポートしていた。
一般的には、銀行借り入れは短期と長期の組み合わせになっている。短期は、半年とか1年で借り換えをするが、
まずは、急激に悪化した企業には、借り換え時期の貸し出しを断る。銀行の立場からすれば当たり前だが、
物件持込など銀行が持ち込んだ投資案件など、銀行に梯子を外されるケースも多い。長期も計画通り返済できない時に、
返せなかった部分を銀行が追い貸しをしながら企業の回復を待つケースが多い。ところが今回の金融恐慌で、銀行も企業も
体力が消耗して上に、日本中は貸し剥がしが露骨に行われているという。レポートは、黒字を長年続けている企業に突然、
借り換え時に返済を要求してきたケースであった。 その経営者は、何で突然返済を迫られたか呆然としていた。
当社のコンサルティングをしてもらっているH氏が先日の酒席で、「銀行の貸し剥がしについて、どう定義づけますか?」と問われた。
深く意味を考えたことがないので、その時に思いのまま答えたことは「資金の切迫している弱みに付け込んで強引に資金回収すること」
あるいは「自社の都合で、借り換え時に資金を回収すること」と答えた。H氏曰く、「償却後に利益を出している会社から一方的に
資金回収すること」 成るほど思ったが、「それがホテルや製造業などの設備装置産業にいえることでは」と問い返した。
 (字数の関係でカット 11年12月20日)
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2007年12月20日(木)
 2451, 今日を楽しむための100の言葉
 『今日を楽しむための100の言葉』伊藤守著 ディスカバー21
「自分自身の素晴らしさに気づく」ことをテーマとするiBDセミナーを
15年間主催してきた著者が、今まで語ってきた中から100の短い言葉を選び出してある。
若い人はそのまま受け止めればよいが、この歳のためか、その正反対の言葉が出てしまう。
それでは、せっかくの言葉が台無しになるので、書くことは控える。 特に若い人に良い言葉だろう! 
・『 辛いだなんて、格好つけるな。』
・『 嘘がいけないのではない。 問題は、自分がどんな嘘をついているか、知らないこと。』
  *嬉しくもないのに嬉しいと言ってしまったり、だいじょうぶじゃないのにだいじょうぶな振りをしたり。
 わたしたちは、たくさん嘘をついている。そして、そのことに気がついていない。まるで、失神したまま生きているようだ。
・『 やりたいことはやっている。やらなかったことは、やりたくなかったこと。」
  *やっていないことを反省するより、いろんなことをたくさんやった方がいい。
 周りの人がどう思うか、そんなことはどうでもいいから。
・『 可能性は、いつもあなたの外にある。したことないこと、やってごらん。』
・『 気球が上がっていくときは、最初に砂袋を捨てるんです。
 いくらヘリウムガスを入れようと、それより重い砂袋をもっていては上がらない。
 いまもっているものを何ひとつ捨てることなく、気持ちだけ軽くなろうだなんて、ちょっとむずかしい。
・『 あぶなくなったら、トカゲは尻尾を切る。タヌキは死んだ振りをする。 ヒトは、感じない振りをする。』
・『 誰かがあなたを好きなのはあなたが優しいからじゃない。あなたがあなただから。』
・『 うまくいってる人は うまくいくパターンを使ってる。
 上手いってない人は 上手いかないパターンを使ってる。それだけのこと。』
・『 楽しくない人生は、基本的に意味が無い。」
  *毎日ご機嫌で暮らしている人の前では、業績とか財産とか、
 これまで自分がすがってきたものが、本当に色あせて感じられるものです。
・『 私たちは誰かのために生まれてきたんじゃない』
  *それなのにどうして他人の評価で自分の価値を計ろうとする習慣から 抜け出さないのだろう
・『 目標をひとつに決める勇気を持ちなさい 』
  *私たちが目標を持てないのは、目標を決めてしまったら、
 それ以外のものが手に入らなくなってしまうのではないかと恐れているから。
 何かひとつでも、本当に達成できたらすべてが手に入るというのに。
 完全になったから人に認められるわけではない完全になったから人に愛されるわけではない
・『 いちばん問題なのは、問題なんかないという状態に逃げ込んだ人。』
・『 人間はそう簡単に変われるものじゃないって?そう思っている人は,確かに変わらないと思うよ。』
・『 天に星が輝いていても、あなたが見上げなければ、ないに等しい
 あなたが自分自身に目を向けなければ、あなたの価値もないに等しい 』
・『 ほかの誰かになろうとしない ほかの誰かにならないようにしない 』
ーー
以上だが、やはり素直に受け止めた方が良い言葉である。考えること、考え続けること、それが最も大事なことである。
そのためには独りになる時間を持つこと、問題から逃げないことである。今日を楽しむといったら、任せておけ!
と言いたいところだが・・・殆ど、私にとって当たり前のこと?でしかない?? いや、違うか??微妙なところだ!
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2006年12月20日(水)
 2087, 経験についての一考察 −2 b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー♪
10日ほど前に、「経験」について書いたが、さらに考えをすすめてみよう。    
歳を重ねるとは経験を重ねることであり、それが成熟することであり、良い人生経験を重ねることが
熟年として豊かな心で最後の光となる、云々と前回書いた。経験がマイナスの部分から自分の心を苛むことも多くなった。
福田和也の「成熟への名作案内」(PHP)に以下のような一節があったが、自分の心の影の部分をそのまま言い当てている。
ードイツの哲学者ヘーゲルは、経験を「自分の真実を失うこと」だと書いている。
自分の真実を失う、つまりこれが自分なのだ、自分はこういう人間であり、そのように認識され規定を試みた人間として、
この世の中を見ているんだという、自信というよりも、自認と足場が崩壊し、自己が自己として、自分に対して
持っていた信頼感なり当てにする気持ちが胡散霧消してしまうこと、それが経験なのだ。
それは自分というのは、良くも悪くも、この程度の人間、がんばっても、しくじっても、この範囲の人間であり、
どんな窮地におかれても、最低の品位を崩すことはない、というような自信が、具体的な行動の中で失われる、
あるいは変わるということ。 それが、経験だと、ヘーゲルは言っている。
だとすれば、成熟とは、何よりも自分が自分であるということを失い、自分から任じていたような、
立派な人間ではなければ、尊ぶべき個性も独自性も、勇気も持っていないということを知り、
その崩壊のあとになお、自分の姿を見つめて生きていこうと努力することが、成熟をするということに他ならない。
  ーーー
 以上であるが、私の現在の心情はとりもなおさずほぼ同じである。これが「熟年という心象風景」かと、
毎日のように内省する日々である。経験を重ねるということは深い悩みが色濃く蓄積していくことでもある。
ひとり、心の奥の高みにいて、すべてを見下していた自分が、「薄汚れた軽薄な馬鹿な男」と気がついたときの衝撃。
そのとき、中原中也の詩「汚れてしまった悲しみに 今日も・・」の悲しみが深く心に響いてくる。
挫折という「心の背骨」の骨折で逃げおおせなくなったとき、見下していた周囲を見上げたときに初めて気づく真実の光景。
そのとき、自分の価値観が根底から変化する。  この繰り返しの中で、人間の成熟が初めてもたらされる。    
熟年は、深く心の憂いが霧になって取り囲んでくる。その中で独り飲むコーヒーの味も良いが! 
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2005年12月20日(火)
1722, 時代を読み解く「三つの言葉」    才八∋_φ(・ω・`)゜+.
文藝春秋の今月号の<新年特別企画> の特集が面白い。
 (字数の関係でカット 09年12月20日)
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 2004年12月20日(月)
1357, 23歳の日記ー7
 1969年 7月17日 神戸・垂水にて
この会社で、もう何人から誘われたが、女の職場は厳しい。一人に振り向けば、その人以外は全てに無視されるのが女性の職場。
地方のせいか、心の綺麗な純粋な人が多い。
 (字数の関係で中間カット 10年12月20日)
 8月9日
意のむくまま、文章を書いてみよう。9月になったら、1〜5日まで休暇をもらうことにしよう。
最も効率的にすごす為には、学生時代に卒論を書く為に籠った
新潟の六日町の雲屯庵に行くことにした。そこで自分を見直してみるのもよいだろう。
自分を冷静な状態にしておかないと、大きな落とし穴にはまり込んでしまう。
自分の目的が何だか解らなくなってしまう。こう文章を書いていても、この境遇から何も見えなくなりつつある。
同室に堀田君という同期がいるから、気持の中で支えがあるが。
あまりにも4ヶ月は変化が激しいし、刺激が強すぎる。自分を支える為にも、違う視点を持つ為に。
・・・・・・・
2004年12月20日
ー感想記
文章に残すということは、良いのか悪いのか。読めば読むほど記憶としての糸口になるが、反省・悔悟の思いがでてくる。
35年前の反省をしても仕方がないだろうに。恐らく死期を悟った時、昔のことが走馬灯の思い出され、反省と悔悟と、
反面喜びなどの、多くの思いが重く軽く、嵐のように吹き荒れるのだろう。真面目な、世間知らずの?男が、
高度成長期の時代背景の中で、あせっている姿がそのまま文章に出ている。当時の心の傷が、そのまま今も残っている。 
心のままに書き残すことも大事なことだ。それにしても、やはり異常な状況での体験であった。 
20〜40歳代は、誰もがこんなものか? それとも、やはり? 人生は面白い!
・・・・・・・
2003年12月20日(土)
 990, 軽井沢の思い出ー2
軽井沢駅から少し歩いたところに「離山」という小さな山がある。麓から頂上まで一時間もしないうちに登れる山で、
独りで何回か登った。その頂上から見る風情は何ともいえない趣があった。 また別荘地の散策も面白い。
歩いているだけで豊かな気持ちになれるのだ。 別荘と、そこの表札を見ているだけでも面白い。
有名人や大手の会社の名前で占められているのだ。それと一歩、別荘地に入ると殆ど人気が無いのもよい。
一時期、都内の若い女性の間で「5千円族」というのが流行ったことがあった。 その金額で休日、軽井沢の日帰りコース
として丁度手軽だからだ。別荘地を散策して、軽井沢銀座のウインドウショッピングをして、軽く食事をして5千円で済ます。
早朝、街を歩いていると小奇麗な喫茶店が開いていて何げなく飲んだコーヒーが絶品だったことを思い出した。
いま考えいてみると、何処の湧き水と最高級のコーヒー豆を使用していたのだろう。また「万平ホテル」もレトロ調で
軽井沢にピッタリの雰囲気。 そこのレストランが美味しい。ところで私の新婚旅行は軽井沢であった。
挙式後、三浦さん夫妻と一緒に帰ったことを思い出した。丁度30年前のことである。
・・・・・・・・・
2002年12月20日(金)
 616,パタゴニア旅行記−3
パタゴニアの印象といえば、氷河の他に遠くに広がる原野とアンデス山脈である。
アルゼンチンからペルーへの移動で見た左右の視界が270?もあるアンデス山脈のパノラマが素晴らしい。
数千メートルの山頂なら幾らでもあろうが、少し小高い平地で三百キロに近い景色が見えるのは想像を絶していた。
アフリカで数十キロの視界の景色を見たときの驚きを今もはっきり憶えているが、それがなんと数百キロの
視界の景色を目の当たりに見たのだ。 世界は驚異に満ちていると実感した瞬間であった。
秘境系の旅行はこういうチャンスに満ちているのがよい。世界の果てのマゼラン海峡や世界の果ての町ウシュアイア。
そこから船に乗り、ビーグル水道に埋めつくすアザラシやペンギンの群れをまじかに見たのも鮮烈な記憶に残っている。
人口十万のこの町で見た夕日の美しさも忘れられない思い出だ。 大型の野良犬があちこちに屯していたのが印象的だ。
厳しく貧しく派手さはないが、ある豊かさを感じ取った。ほとんど時代の変化に翻弄されることなく地道に生きてきた
逞しさからくるものであろう。ペルーでは殆ど見ることなかったコンドルが多く見ることができたのも今回の印象であった。
小さいテーブルマウンテンに似ている山の岩壁に巣が多く作られていた。ペルーで見たリャマの一種の野生のグアナコが
身近に多く見れた。それとダチョウにそっくりの野生のニャンドウも印象的であった。
両者とも捕獲が禁止されている為に多く繁殖した。その土地の景色にピッタリの動物が棲んでいるのも自然のなせる業だろう。
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2001年12月20日(木)
 275、後回しー我が内なる無能性
後回しにして忘れ失敗した事を、誰もが数知れず経験しているはずだ。後回しは半分以上やらないことだ。
 (字数の関係でカット 09年12月20日)


3920,精神力ーその偉大な力 ー10

2011年12月19日(月)

  「 精神力ーその偉大な力  ー 」 ダン・カスター著
 * 人間の4つのベース
【 大生命力(宇宙にある無限のエネルギー)は、人間を通して4つの方法で自らを表現したいと望んでいます。
 ・一つは創造を通して、 ・第二はリクレーション―娯楽で、 ・第三は、あなたを通しての愛の表現で、
 ・第四には精神的に、知的に成長することを望んでいます。
 この4つの枝が等しい長さを持つギリシャの十字架を思いなさい。この十字架にあなたの人格を代表させましょう。
創造、遊び、愛、知恵の4つが基本の十字架こそ、大事なカタチになります。
仕事=創造と、遊びの重要性の重要性と、愛を持って何事にも取り組むこと。
そこて知的成長こそ、あなたの魂に再充電をしてくれる。それは、あなたの深い本質を表現を与えることになる。
だから学び続けなければならないのです。あなたは大生命力=宇宙のエネルギーへの畏敬と、その親しい交わりこそ
求めるべきことです。知性と推理が成長することこそ、大生命力があなたを通して現れ出てくることになります。
仕事も、遊びも、愛も、学びも、健全でなくてはなりません。心の絵図に従って宇宙のエネルギーは流れ込むので、
自我理想はバランスがとれ、かつ健全であることが求められます。そして、古い自我イメージを、この新しい
自我理想に置き換えなさい。これが人格造成の技巧です。理想の見地からあなた自身を考えなさい。 】
 ▼ ここでは、「力、遊、知」に「愛」が加わったバランスを人格形成の自我理想にしている。
  その年代で、重心が変わってくる。還暦もすぎると何になるのだろう? これも、それぞれの人生を
  如何に過ごし方で変わってくる。バランスも、一つは極端に突出したり、へこんだり、している。
  私の場合、「愛」が欠けていた? 八人姉兄の末っ子で、愛情を充分に受けたが、与えるのは不充分だった?
・・・・・・・
3555, 哲学的ジョーク
2010年12月19日(日)
 「プラトンとかものはし、バーに寄り道」ー ジョークで理解する哲学 ー トーマス カスカート, ダニエル クライン (著)
 少し難しいジョークと解説集。しかし考えさせられる内容で満ちていて、味わい深い。
   哲学をジョークに絡めるというより、ジョークそのものが本来、哲学を含んでいる。
 * 合理的に疑う=哲学的ジョーク 
ある被告が殺人の容疑で裁判を受けていた。有罪を示す強い証拠があったが、死体がなかったのだ。
被告人の弁護士は最終陳述で奇策に出た。「陪審員のみなさん、これからあなた方をびっくりさせようと思います。
殺されたはずの人間が、一分以内に、この法廷にはいってくるでしょう」 かれは法廷のドアのほうを見た。
動転した陪審員たちは、いっせいにドアを注視した。一分間がすぎたが、なにごともおこらなかった。弁護人はいった。
「死んだ人が廷内に歩いてはいってくるというのはわたしのでっちあげでした。ところが、あなた方の全員が期待感をもって
ドアのほうを見ました。つまり、だれかが殺されたかどうかについて、わたしはこの事件では合理的な疑問があることを、
あなた方に示したわけです。あなた方に『無罪』の評決を下されるよう、求めなければなりません」
  (字数制限のためカット 2011年12がつ19日)
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3180,今年の総括
2009年12月19日(土)
 今年も総括の時期になってしまった。 
去年のリーマンショックや、中国・深川大地震のような大事件は無かった。
オバマが一月末に正式にアメリカ大統領に選出、日本では自民党が惨敗し民主党の鳩山政権が発足。
それと新インフルエンザが本格的な流行を始めたことと、WBCで日本が優勝、マイケル・ジャクソンが
亡くなったことぐらい。 身辺でも金融恐慌の暗い雰囲気が漂ってはいたが、亡くなった人は従妹一人。 
 来年は、その分だけ大きな経済的事件や、国際紛争も起きそうである。 今年は、中休止の年というところか。 
しかし日本経済は厳しさを増している。 当方も新潟国体で何とか息をつけたが来年は大きなイベントは見当たらない。 
来年は来年だが、気持ちは暗くなる。 今年を歴史的に振り返ると、「ハイパー・デフレが始まり」
「新インフルエンザが本格的に蔓延」、「自民党が崩壊、民主党が政権を取り」「国債発行が予算を超えた」が、キーワード。
決して安泰の年というのではなく急な坂を転げ落ちていく境目の年である。私自身、25年ぶりに海外旅行に行かなかったことである。 
9月に行こうとしたが、新インフルエンザの世界的な拡大に迷いが出て、キャンセル。 今からすると、行っておくべきだったと
後悔をしている。この恐慌の中、行かない判断も正解だったのかもしれない。2001年9月11日のテロと、去年の9月15日の
リーマンショックの激震で、世界は大動乱に入ってしまった。 その二つの津波のウネリが大きく覆い被さってきているのが、
昨今の大不景気の原因。 今年も無事?終わりそうだが、来年はどうなっているか? 神のみぞ知るである。
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2815, 不況景色 −4
 2008年12月19日(金)
 今回の金融危機で、まずは日本の自動車、住宅、電気メーカーが大打撃で、深刻な事態になっている。その一つが為替差損である。
 一円のドル安でトヨタで400億というから、120円から87円となれば、33円×400億=一兆三千億円以上になる。
 数年でトヨタでさえ倒産というのも肯ける。ニュースでホンダのトップが涙目で、異常事態と言っていたが、果たして如何だろう?
  野口悠紀雄の『円安バブル崩壊』の中では、
 ー「金融緩和政策と為替介入によって生み出された異常な円安バルブが崩壊して、本来の状態に戻りつつあるだけ」と指摘。
 金融崩壊までの景気拡大は、企業の“選択と集中”による企業体質の強化や、改革による効果というよりも、
 異常な円安バブルがもたらしたものだという。( この本は2008年5月29日に発行だが・・・)
 昨年8月以降に急激な円高が進んだが、日米の金利差や消費者物価上昇率を比較すると為替レートは1ドル=60〜70円程度。
 世界でほぼ同一品質のものが販売されているマクドナルドのビッグマックが課税前価格で日米で同じ価格の為替レートを算出すると
 1ドル=79円に相当するという。 これから考えても、きっかけは金融危機としても、円高は円安バブルの崩壊の70円代
 というのも肯ける。この自動車業界の惨状からみて、これまでの彼らの繁栄が、大多数の国民の犠牲の上で成り立っていたと思うと、
 腹が立つことも事実である。
  ーこの本のP−8にある次の箇所を読んでいて、腹が立ってきた。ー
 ・・・・「ビッグマック指数を使って次のように考えるとよくわかる。東京で276円で買ったビックマックをニューヨークに
 持っていって売るとする。販売収入3、49ドルを100円のレートで日本円にすれば349円になる。
 276円の元手で349円が得られるから、こういう行動が利益をもたらすのである。移動で品質が低下するので現実的ではないが、
 製造業では品質は低下しないから、取引は現実的になる。たとえば、「日本でもアメリカでも自動車がビッグマック一万個分」
 とすると、日本円で276万円の車が、3万4900ドルになる。したがって、日本で製造した車が外国に輸出して売れば、
 右のメカニズムで利益が発生する。」 この数年間に現実の経済で生じたことの基本は、このようなことだった。・・・
 現在起こっていることは、その正常値になっただけと、野口悠紀雄は述べているのである。
 それも一挙だから、パニック状態になるのである。 円高は原油高、穀物高、資源などを5割以上も高く買わされていた
 国民からみたら、マイナスである。 その上で、彼らは繁栄を謳歌していたのである。それが東海ベルト地帯だけが、
 その他の地域と違う国ではないかとさえ思えるほどの差になっていたのである。
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2007年12月19日(水)
 2450, 手帳は予定、日記は過去を書くもの!       (σ・з・)σオハYO!!
そろそろ来年度の日記と手帳の準備に入る時期である。 最近では手帳と日記が兼用になっているものも目立つ。
書いたこと自体忘れていた学生時代の日記を倉庫で見つけ読み返し、その当時の記憶が鮮明に思い出されて、
気持ちを書き残す重要性を実感した。当時、何故書き残していたのか?当時の日記からすると、
自己コントロールとして書いていたようだ。それが結果として行動記録になったのである。
現在はブログと随想日記に日々行動と心情を書いているが、見られることが前提である。
学生時代の日記に39年ぶりに出会って懐かしく感じるのは、本心を書いていたからだ。
公開していたら、赤裸々な気持ちをそのまま書けなかっただろう。昨日、毎日新聞の読書欄に東大教授が
日記と手帳について解りやすく書いていた。 ズバリである。下手に心情など書こうとするから書けなくなる。 
身近なことを簡潔にメモを刷ればよい、それも自分の言葉で!
ーまずは、その内容からー
日記をつけない人はいう。いったい何を書いたらいいのかと。何も書く必要はないのだ。
何かを書こうと思う時点で拘束され、負担に。やがて挫折。日記は提出の必要なし。
文章表現に凝ることはない。自由きままに、その人の「いちばん楽なごとば」でつければいい。
感情表現を加えると重くなる。寝る前に一日を振り返り、「晴。午後から講義。夜、必殺仕事人、見る」。
ぼくはこんな感じ。 田山花袋は、いう。事実を書くだけでいいと。
<こう思ったとか、ああ思ったとかいうことよりも、こういうことをした、
ああいうことをしたという行為を書いておく方が「日記」という本来の性質にかなっている>。
  (字数の関係でカット2008年12月19日)
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2006年12月19日(火)
 2086, 哲学者が霊能者を一刀両断すると!−2   オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!   
 「知ることよりも考えること 」−?  読書日記            
「生きていること自体が、神秘体験である。生前、死後の世界と何を取り繕っているのか、馬鹿も休み休み言いなさい。
 それなら、現に生きている神秘を説明してみたら!」と問われたら江原某はどう答えるのだろうか?
「見えるものは見える」と言うしかないか。それとも「それじゃ心が見えますか?」と言うか?
 ばっさり切り捨てている部分が更に面白い。  ー生きていること自体が神秘体験だろう!−
▼ 前世を語る者たちの、オーラとカルマの「物語」なのだ。物語とは、文字通り物語なのだから、本当でも嘘でもない。
 知り得ないことについて、本当とも嘘とも言えないのは決まっている。 あれらの物語を求める人はおそらく、あれらの物語を
「本当のことだ」と思っている。 それを信じることによって、人生の意味と理由が与えられたように思うのである。
 しかし、そのような仕方で与えられるような人生の意味と理由は、それ自体が物語である。 本当か嘘かだけではない。 
 そんなもので本当に救われるのだろうか。人が何らかの神秘的なもの、「神秘体験」に惹かれるのも、恐らく同じ理由である。
 オーラやカルマや臨死体験を神秘というなら、自分が存在しているということは、どうして神秘ではないのか。
 ほとんどの人は、自分が存在していることを神秘だとは感じていない。そんなことは当たり前だと思っている。
  (以下、字数制限のためカット 09年12月19日)
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2005年12月19日(月)
1721, 日本一短い手紙 「喜怒哀楽」 −1
『 日本一短い手紙』のシリーズを読むのが二冊目になるが この「喜怒哀楽」がよい!
  人間の赤裸々な姿だからだ。 読んだ瞬間、涙が出そうになった。 何も書けません! w(;o◎)w
 ー 第10回一筆啓上賞の中の10篇である。
口元のわずかな動きで分かります。かあさん、きょうは、うれしいんだね。  金子数栄 長崎県 59歳 農業
喜怒哀楽って季節みたいだ。1度に全部来ないし、何かを残してすぎてゆく。 寺沢紗裕里 岩手県大船渡市 15歳 中学3年
潮が引いた浜辺に貝が二つ。お父さん、私達みたいだね。次の波も 被り抜いていこう。田中久美子 熊本県水俣 46歳 地方公務員
家族全員がいたときの玄関いっぱいの あの喜怒哀楽の靴たちはどこですか  中江三青 鳥取県鳥取市 54歳 会社員
畜生!あげたてのてんぷらが食いてえ! ― ガ島で戦死した兄からの最後のハガキ ― 井邑勝 福岡県北九州市 69歳 無職
きみは小さな足でかわいい地団駄を踏む。 いったい誰から教わったんだい?  塩見直紀 京都府綾部市 37歳 自営業
雨音で目を覚ましたので窓を見たら アジサイがのぞいて笑っていました。   岸波由佳 福島県福島市 18歳 高校3年生
目を閉じるとき瞬間私は貴方との人生に「喜怒哀楽」のどの顔をするかしら   高橋直美 青森県青森市 31歳 主婦
母が怒り出したから、「だっ」と逃げたら、「だだっ」と母が追って来た。   石榑美樹 新潟県長岡市 18歳 高校3年生
いつの間にか付けていた心の仮面が、 今では勝手に感情を作る。本当の感情はどれ? 加藤裕美子 福井県福井市 15歳 高校1年生
ー他にも、すばらしい作品が多くある。 人の心は、弱く儚いものだが
 ーー
ねぇあなた、哀しみの次には楽しさが来るんだよ。もう一度頑張ってみようよ。先日、満員電車で、席を譲られてね、感謝したけど、
何故か心に、空席が出来たよ。あなたがいないから、泣いていたんじゃないの、私もいないから、泣いていたの。            
虹が出た時、土筆の顔が見えた時、今年初めて燕を発見した時。何だか幸せ。      
「喜び」はきっと一人じゃ作れないよ。だって一人じゃうれしくないじゃん。     
・・・・・・・
2004年12月19日(日)
1356, 梅の花ー2
部屋は六畳ぐらいの大きさで、机の下が掘りごたつ風になっている。
メニューは、湯葉煮、茶碗蒸し、豆腐のけんちん揚げ、黒豚と季節野菜の豆乳しゃぶしゃぶ、
豆乳リゾッテ風、シャーベットである。食事が終了するのに、一時間半はかかった。
挨拶に来た、マネジャー風の人の話によると「昼客の殆どが女性のグループで、11時過ぎに来て2時近くまでいる。
その為お客はあまり回転をしない」とか。最短で1時間半かかるのだから、女性客はそれだけ居座るだろう。
いま流行の、スローフードの典型である。「郊外型、高級料亭ふう京料理のスーパーストア廉価店」といえる。
    (字数制限のためカット 2010年12がつ19日)
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 2003年12月19日(金)
989, 軽井沢の思い出
 現在書いている随想日記に「軽井沢」のことが頻繁に出てくる。 記憶の彼方のことが、今更のように思い出される。
大学二年の秋に、隣の部屋の先輩から「OBの先輩がペアレントをしている軽井沢の山荘」のアルバイトに誘われた。
丁度、学生時代の生活に慣れて、寮とクラブだけの生活に辟易としていた時期で、丁度よいタイミングであった。
仕事といえば、食事つくりと、掃除と、宿泊客の夜の遊び相手である。 若い女性が殆どで、フォークソングを一緒に歌い、
ゲームをしたり、話相手になる。初めての経験で夢のような毎日であった。卒業するまで連休や夏・冬休みに二年間ほど行っていた。
 早朝の朝もやの中、宿泊客とか同じヘルパーの女学生と散歩をするのが一番の楽しみであった。並木道の木が重なり合っている
「愛のトンネル」いや「「愛の小道」という絵に出てくるような場所もあった。周囲は別荘や池やホテルなどがあり鳥のさえずりや
雉の鳴き声が聞こえてきて、幻想的な小説の主人公になったような世界。 そこで仲が良くなって東京で会ってもTPOSが違うのか、
一度で夢破れたことが何回かあった。夢は夢にしておくべきということを何度か再確認をした。 
また久々に会う女学生が嬉しそうな顔をして走りよってくる姿が、何ともいえない記憶として残っている。  
何で誰とも結婚しなかったのだろうか、不思議で仕方がない。両親の縛りから抜け出せなかったのだろう。いや??!
まだ受け止められるだけのものが無かった。 ところで話が変るが、そこの名前は「友愛山荘」であった。
旧軽から歩いて7〜8分のところにあった。政治家一族の鳩山家の政治団体「友愛」が、ボランティアで運営している
(字数制限のためカット 2011年12がつ19日)
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2002年12月19日(木)
615, パタゴニアの旅行記ー2
 この旅行は12月4日〜17日までの14日間の旅行であった。
・まずの見どころは世界自然遺産の一つ氷河国立公園の拠点のアルゼンチンのカラファテに三連泊。
 大迫力の氷河の崩落を見るペリノモレノ氷河、及び氷山の浮かぶアルティーノ湖のクルーズを楽しみ、
 この氷河国立公園最大のウプサラ氷河を見る内容であった。 モレノ氷河については前回書いたが、
 ウプサラ湖の一面小さい氷山で埋め尽くした景観はその氷河をバックに何ともいえない美しさを現していた。
 またウプサラ氷河は幅10?高さ80?の壮大な景観を、晴天の空の青に氷河の白と青をミックスさせて
 我々の眼の前に展開していた。 何ともいえないパタゴニアの美しさに時間の静止を感じた。
・次のハイライトはパイネ国立公園であった。1万年前に絶滅した巨大なナマケモノーミロドンの骨が発見された
 ミロドンの洞窟の岩ドームに呆然とした。その中でやはり圧巻はパイネグランデの雄姿である。
 雲を頂く岩峰が4つ天を突き刺す姿はパタゴニアを象徴するものである。帰りの車の中でみたその姿は
 一生概忘れられない夕景であった。山頂近くまで以前氷河があったのが山頂の岩の色の違いで分かるのがよい。
 その先にあったグレー湖とその水源のグレー氷河に50?近くまで船を近づて見上げたのも印象的。
 氷河の美しさでは近くで見たこともあってベストであった。
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2001年12月19日(水)
 274,一卵性双生児
今は行かなくなったが、10年前ぐらい週一回、10年近く通っていた店がある。そこの板前兼亭主が一卵性双生児である。
店の名前が「味生」である。面白いのが、共同経営のうえに一軒の住宅に二家族が住んでいる。
子供が2〜3人ずついて、食事も一緒に食べるという。二人の奥さんが一日交代に店にきて手伝う。
残ったほうの1人が家事をするという。小説になるような話だ。「現実は小説より奇なり」とはよく云ったものだ。
ふぐの専門店で客種はいい、なんともいえない雰囲気があった。副業と趣味を兼ね、チャウチャウのブリーダーでもある。
双子の世界は、一般の常識では解らないものが「テレパシーとか感覚の世界」であるという。
二人がカモシダシテイル雰囲気がなんともいえなくいい。TV小説の世界に入ったような気になる。色いろな世界があるものだ!
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ある時間の断片
 12月19日 1968年 
 目が覚めたのが12時少し過ぎである。少し寝すぎたようだ。食後13時から17時まで集中して卒論を書き上げる。
休んで、21時から0時まで再び集中する。そこから頭を休めるつもりで、「愛について」を読む。
今の自分の姿勢を否定している部分が多い。「受容」と、「犠牲的精神」「信頼」という部分が見失われているようだ。
クールヘッド・ウオームハートといっているが、今の私が完全に逆のようだ。もっと広い範囲で本を読むべきであった。


3919, 精神力ーその偉大な力 ー9

2011年12月18日(日)

  「 精神力ーその偉大な力  ー 」 ダン・カスター著
   * 黙想の重要さ
【 黙想は心をある状態に置くことです。黙想は、感情を完全に清浄にし、じゃまものを取り除き無垢にするので、善い世界と、
 その中にいる人びとが根本的に善いと知るのです。 ・・・静かな黙想に入って、動機や、あなた自身を分析することで、
 自分が真の何であるか――人間の形をした宇宙の生命力の存在であると知るのです。許すことの理解や、また私どもの過去の経験は、
 ほんとうは悪でも凶事でもないことを理解するのです。心を掃除をし、正常な精神にした後にのみ、精神治療に効果がでるのです。
 心配や恐怖が自動的に、そういう欲しない心の絵をつくりだすのです。黙想は、くつろぐこと、理解すること、許すことの
 三つをもって成り立っています。黙想そのものは創造的ではありません。それは、創造が行われる前の雰囲気、前提を作り出す。
 黙想を持って、憎しみ、心配、煩悶、怒りを取り除き、それを愛で置き換えるのです。恐怖は積極的信念で取り除けます。
 この選び決定するという力は、神が与えた、おそらく最大の威力でしょう。 】
▼ 毎朝、5時に起床し、仏前の祈りと、この文章の最後の添削と、ネットへのアップと、過去10年分の随想日記の読み直しが、
 私にとって黙想に近い状態である。 その前の起床一時間前の半覚醒状態も黙想に近い。実際は黙想でないが・・ 
 「くつろぎ、理解、許し」の三つとは逆の妄念と、格闘しているといってよい。しかし、この格闘のため、第三者の思惑などに
 惑わされない心の状態を作っていることになる。 30年間の新幹線通勤の車中も黙想に良い。 飛行機も同じだが、高速の
 乗りもの内で、目を瞑って考え事を集中するに良い。 黙想も、何も考えないで半覚醒の状態も範疇に入る。
私が最近になって始めたことは、地球の中心点=芯に気持ちを集中し、その向こう側の宇宙に出ているイメージを持つこと。
 そこは自分の魂が宇宙空間に解放されたイメージに浸れる場所である。 その刹那が黙想でもある。感動、感激、心のこもった
 感謝も、その域への解放をしてくれる魂の世界である。 まだまだ感動の絶対量が少ない! と、思う。黙想して探さなくては。
・・・・・・・
3554, ドラマの基本形は三角形           
2010年12月18日(土)                                * 脚本家ジャームス三木の目からみた「人生」とは
 十数年前に、ジェームス三木の「ドラマの作り方」をテーマにした講演を聞いたことがある。
朝の連続ドラマを書こうとしたら朝食の場面を思い浮かべる。そして味噌汁と醤油から、そのライバルメーカー同士の
男女の恋愛を想定。二人が親同士の反対を乗り越えていく物語を作れば、大衆に受けいれられる。
成る程と感心して聞いた憶えがある。 ある雑誌に「ドラマの基本形」のテーマで書いていた。 
  ーまずは、その部分からー
【「あなたは死にますよ」この予言だけは絶対にはずれない。死ななかった人間はひとりもいないからだ。
 ただし生きているという前提がなければ、死ぬことはできない。死は生存のあかしでもある。ならば生きるとはどういうことか。
 脚本塚として四十数年、人間のありようをこつこつ書いてきたが、ドラマの基本形は突きつめると二種類しかない。
  ・ひとつは敵と闘って勝つか負けるか。 ・もうひとつは困難を乗り越えて愛が実るかどつかだ。 
  闘争系ドラマは戦争もの、犯罪もの、出世物語、スポーツ根性ものといったたぐいで、勝ち負けは生存本能につながる。
 愛情系ドラマは恋愛・子育てを中心に、メロドラで、ホームドラマ、文化教育ものなど、種族保存不能と深ぐ関わる。
 つまりドラマは、動物の二大本能である食欲と性欲を、あの手この手で表現してきた。私たちが生きる意味のヒントはここにある。
 人類が他の動物より少し偉いのは、集団社会を維持する手段として、食欲と性欲の暴走を制御するシステムを編み出したからだ。
 それが神である。神が人類をつくったのではない。人類が神をつくったのである。史上最大の発明である神は、集団のコントロールに
 絶天な威力を発揮した。人々は神の下に行いを正し、倫理道徳を守り、欲望にブレーキをかけた。
 ドラマ作者から見れば、人類の行動論理は神と食欲と性欲の三極に支配されている。 人間の実体は三角形といってもいい。
 人によっては平べったい三角や、とんがった三角もある。ぐにゃぐにやした三角も、硬直した三角もあるだろう。
 いずれにしても三角形の内角の和は、すべて百八十度である。ところが厄介なことに、人類は複数の神様を創った。
 集団ごとに神が違えば、信仰は対立し排他的になり衝突する。人類を救うはずの宗教が戦争を起こす。文明が発達し、
 生活様式が変わると、集団杜会のシステムも修正せざる得なくなり、三極のうち食欲ど性欲は変えようがないので、
 神のかたちを合理化するしかなかった。それが憲法や法律、イデオロギー、正義、秩序、ルールといった〔神〕になった。
 新しい神は仕分けに不慣れで、いまだに掌握しかねている。
「死は生の終末である」人はこんなシンプルなことさえ、きちんと認織していない。】
 〜〜
 神と性欲と食欲の三角形が人間の実体か〜 歳を重ねると、食欲と性欲が減退し、神様がノサバッテきて、
変に尖がった三角形になってなってくる? それがイスラムの禁欲主義? 性欲と食欲をコントロールするため神を創った?か〜
 ・・・・・・・
3179, Twitter の意味すること!
2009年12月18日(金)
 4ヶ月前に、一度ツイッターに興味を持ち登録をして試したが、その後は全く見もしなかった。
ところが10日前になるが、衛星TVのニュース専門番組で、「ツイッター」の特別番組を放送していた。 
そこで驚いたのが、そこに自分のブログを貼り付けたり、写真を貼り付けるサービスのPicture.Twitterなどがあることだった。 
・ツイッターとは、それらを含め分りやすくいうとミニブログである。
 基本は、「140文字で、つぶやく」原始的、現場の生生しさが、見る方にとっても面白いことである。 
・モバイルや携帯電話で、気楽に、自由に、思いのままの言葉を発信できるのが取り柄である。
・そのつぶやきに、見ている人が、語りかけることが出来るのが良い。 
 それでは、自分がというと、少し抵抗がある。 しかし加藤登紀子などのつぶやきに割って入ってつぶやくことが、
 現実に可能なのである。私の場合、ヤフーのブログ《バードウォッチ》で、「つぶやき」専門として毎日書きこんでいるが、
 イタズラの書き込みがあってから、発信専門にかえた。ところで先日さっそく書店で「Twitter社会論」津田大介著
 を買ってきて読んでいる。ネットにTwitterの6つの特徴が書いてあった。 「リアルタイム性」「伝播力が強い」
 「オープン性」「独特のゆるい空気感」「使い方の自由度が高い」「属人性が強い」。
・リアルタイム性については、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の「mixi」と対比して、
 その違いの一例として、「 mixiとTwitterは数分か数秒の違い 」という。 書き込みへの反応は、mixiでは早ければ
 5分程度である一方、Twitterでは早ければ数秒後。 
(以下は字数制限のためカット 11年12月18日)
・・・・・・・
2814, 不況景色 −3 
 2008年12月18日(木)
 *景況感下げ幅 過去二番目
先日の日銀の短観によると、企業の景況感が石油危機以来下げ幅が21ポイントと過去二番目になった。
今回は、その角度が大きく、速度が速いのが特徴で、一日一日と奈落に落ちるように悪化している。
ニュースや、ワイドショーなど、失業、倒産、節約などの話題一色、僅か三ヶ月で、世界が凍りついてしまった。
当然のことながら来年から大量倒産時代が到来し、それにともない大量失業者が溢れることになる。
世界恐慌は、20%の失業率というから、前年比7割になるというから、想像を遥かに超えた暗い社会になる。
長岡駅裏に、数ヶ月前から、ホームレスが三人、毎日のように座って酒を飲んだり、通行人に金をせびっている。
全国的に今後大量解雇が行なわれるというから、こういう姿が日常的になる。
年金年齢に達したから、仲間に入らなくて済む・・・ こういうのが冗談では、無くなるのである。
 *アメリカの金利が実質ゼロ!
(以下は字数制限のためカット 11年12月18日)
 −−−
 *百貨店の商売モデルは終わったのか
 (以下は字数制限のためカット 09年12月18日)
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2007年12月18日(火)
 2449, 今年の創作熟語     p≪゚+。ぉレ£∋ぅ。+゚≫q(´I`●)
先週、今年の創作熟語が発表された。 まず創作四字熟語とは「住友生命保険が日本全国から
世相を反映した四字熟語を創作してもらい、毎年12月中旬に発表するイベントである。」 
1989年から発表されており、10000語を超える作品が寄せられている。 第一生命のサラ川(柳)の
向こうを張ったものである。創作と名が付いているが、基本的に既存の四字熟語の文字や読みを世相を
映す単語に変更したものが多く、優秀作品はシャレの効いたものが目立つ。
そこで、読売新聞や住友生命のHPの記事を少し変えた語呂合わせをしてみた。
 ーー
{7月の参議院選挙で自民党が歴史的惨敗を喫し、「二党両壇(にとうりょうだん)」になり、その結果、突然変異で安倍前首相が辞任。
 秋より食の偽装が「連詐反応(連鎖反応)」を起こした。また医師不足問題を象徴した「医師薄寂(意志薄弱)」や様々な
ダイエット法の中でハードな「軍似痩練(ぐんじそうれん)」が大ヒット。「人離相撲(ひとりずもう)」の角界も、「廃反治拳
(はいはんちけん)」のボクシング界も、来年に向かって「出発進幸(しゅっぱつしんこう)」しましょう。} てなところである。
 −−
これまで、この存在は全く知らなかったが「創作四文字熟語」は第一生命のサラ川から見ると少しインパクトは弱いようだ。                                              ヾ(^ω^*)  
・・・・・・・・
2006年12月18日(月)
2085, 哲学者が霊能者を一刀両断すると! −1        才八∋ウ_〆(∀`●)
知ることよりも考えること −? 池田晶子著  ー読書日記
ー前世を知りたいー             
哲学者が霊能者を批判すると、これだけ説得力があるものか? 霊能者の立場の視点で読んでみると、
反論しようがみあたらない。哲学者は霊能者のいい加減さを一刀両断で以下の通り切り捨てる。
 ー人間は自分が存在しているという以上の神秘がありえない。(自分が)存在していることということは、
科学的には説明できず、理性によっても理解できない。なんで存在するのかわからないものが存在し、
毎日生きている驚くべき神秘の毎日こそ神秘体験のはずが。その当たり前のことこそを知ることが先ではないか。
ー以下は、その中の抜粋であるー    
 (以下は字数制限のためカット 09年12月18日)
・・・・・・・・・
2005年12月18日(日)
1720, 生きるのがつらい     ー読書日記
 「一億総うつ時代」の心理学 平凡社新書   諸富祥彦/著
 ー本の内容
この国の年間自殺者はもう何年も三万人を超えている。誰もが自分は「軽うつ」ではないかと疑いはじめている。
この時代には確かに、私たちの生きる意欲を奪う何かがある。生きるのがつらい。もう、前向きになんか生きられない。
そんな閉塞感が漂う世の中で自分の苦しみにうまく対処し、身近な人と支えあいながら生きていくには、どうすればいいのか。
反ポジティブシンキングの思想で語る、「一億総うつ時代」の心の処方箋。  (*`θ´*) i
ー目次
 第1章 みんなつらさを抱えて生きている   第2章 つらさをつらさとして受けとめる
 第3章 弱音を吐くのも生きる技術      第4章 ありのままの“今の自分”を受け入れる 
 第5章 身近な人がつらいとき        第6章 「助けあい、弱音を吐きあう関係づくり」の大切さ
  ーーーーーー                    オレ クルクル σ@( ゚∀ ゚) パー!?
こういう本のほうが私にとっては、面白い!
 ポジティブの本より、ネガティブシンキングの方が、気休めになる類の人にはプラスになるのだろう。
     (~_~;) (~Q~;) (--;) (;-_-;) (-。-;) (-o-;) ( ̄ω ̄;)!! o    
 一部勝ち組以外は、負け組みの時代、一億総うつになるのも、必然かも知れない。
  (以下は字数制限のためカット 09年12月18日)
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2004年12月18日(土)
 1355, 梅の花
新潟の郊外に最近「梅の花」という‘ユバと豆腐'の京懐石料理のチェーン店が開店した。本部は九州で店は61店舗。
面白そうなので、昨日の昼飯を食べに行ってみた。実をいうと、一昨日の12時にいったが、駐車場が満杯なのだ。
まさかと思い玄関口に行くと、前の若い二人連れが予約を確認して入っていった。フリー席は、もう満席で一時間待ちという。
(以下は字数制限のためカット 10年12月18日)
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2003年12月18日(木)
988, 建物をつくることは神の代行
 40年前に、父親が現在住んでいる自宅をつくった時、「将来必ず事業で上手くいかなくなる時がくる」
と想定して設計をした。売却やアパートに建替えるとか、潰しがきくようにしてある。
鉄骨の建物で、一切柱が入っていない構造になっており、中を掻き出せば、どうとでもつくりかえる事ができる。
 その教訓もあって、私が手がけてきたビルも殆ど柱を入れてない。千葉で初めて建てたビルから現在のホテルまで
増築も含めて八棟全て、やむをえない部分を除いて柱の極力ない構造にしてある。27年前に私がたずさわった実家のビルが、
最近に私の予想値よりもはるかに高く売れたのも、建物の構造が他の業種に転用可能であった為だ。30数年前に千葉の建物の
設計計画にはいった時に、設計事務所の担当に言われた言葉が「建物をつくることは神の代行」である。 
これは設計事務所の当時の社長の信念であった。特にビルは当事者の思惑とは違って、数十年も独りで生きていくものである。
それを建築主の好みで創ったとしたら、時代の変化の中で他人にわたった時に潰しが効かなくなる。
自分だけの思惑で建物は創るべきでないというのも理に適っている。たまたま実家の家が、その10年前に
「その思想のとおりのもの」を見ていたのでその意味を直ぐに理解した。26歳の時であった。それから事業で多くのことを学んだ。
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2002年12月18日(水)
 614,パタゴニア旅行記ー1
今回の旅行のハイライトはやはり氷河であった。氷河の融け水でできた湖から、氷壁と崩落を船で見るものであった。
ソニーのコマーシャルで見たものは、てっきり南極の氷が崩落するものと思っていた。しかしアルゼンチン国内の山脈の麓の湖に
崩落するものと初めて知った。ソニーのそれはペレノモレノ氷河の景観であった。まず驚いたのは氷河の美しさである。
太陽に映える白とコバルトブルーの織り成す美しさだ。どんな美しさもこの単純な輝きには敵わない。白をバックにした
コバルトブルーの輝きの美しさ。太陽の光のブルー以外を吸収して妖しく反射する美の極致だ。8000?のアンデス山脈は
パタゴニアの地でその積雪を氷床に姿を変えて最後は海に流れ込むか、山脈の麓に湖をつくりそこに自らを崩落させていく。
それを湖から眺めるのが今回の目的であった。アンデスに降り積もった万年雪が、溶解と氷結を繰り返しながら数百キロの
氷河をつくりだし、最後はその最先端で長い旅路を迎えるドラマである。それが夏の時期に目の前で見れるのである。
数日に一回の崩落と思っていたが、モレノ氷河で1時間のうちに4回の崩落が見ることができた。
静けさを打ち破る腹の底までとどろくような轟音ともに氷壁が崩れ落ちる。その瞬間誰もが息を呑み見とれるのだ。
時間が止まるとはこの事だろう。そして同時に湖面に高波が立つ。氷河が氷山に変わったのだ。その数十メートルか
数百メートル先から、氷が裂ける轟音が時々、落雷のように聞こえるのが何ともいえないバックグランドの音になる。
小さい氷山が湖面に多く漂っているのが美しい形を創っている。 自然の芸術の展示会のようである。
白鳥のようであったり、船のようであったり、ラクダであったりする。
自然は本当に大芸術家であるというのは、別に文学的言葉ではないことを思い知った!!
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2001年12月18日(火)
 218,喜怒哀楽  ー情念の世界
学生時代に読んだ、赤塚行雄の‘ナチの研究’の「教祖の話術」が印象的な内容で今もはっきり憶えている。
ある意味で、運命的な出会いの本といってよい。 その本を読んでから、生きかたが全く変わってしまった。
その本の内容は、「ナチがいかにして短期間に大衆を惹きつけ、扇動したか」の要素の分析であった。
ヒトラーの感情むきだしの演説の手法である。大衆の感情にうったえる手法である。 感情を抑えるのでなく、むしろ前面に
おしだし自己を主張せよ。「感情を抑えるのが理性でなく、むしろ燃え上がらせ、その舵取りが理性であると。
大衆を感情的に徹底して扇動、熱狂させろ!大衆はそれを待っている」「大衆は馬鹿な存在だ、それを待っている」
というのだ。 かなり刺激的の本であった。 昔の記憶なので、かなり主観的な内容に変わっているが。
30歳少し前、長岡に帰ってきた時「おい堀井が変わってしまったぞ!」と地元の友人に言われたのも、
実はそれが大きい要因である。考えてみれば単純なものだ。しかし創造は発狂だということを実際体験した。
たいして狂ってなかったが。 これをやると決めたら全ての情念を叩き込む!「もっともっと喜べ、怒れ、悲しめ、楽しめ!」
というのだから。 周りは大変であったと思う。それも気づかれない様にやってるのだから。本人はもっと大変だったが。
ペルソナ(仮面)であったからだ。長岡で全員が、その反対を真面目な顔で演技していたから驚いた。感情豊かであるほど
人間性豊かである。感情豊かという事は、車のエンジンの排気量が大きいことに繋がる。ガソリンは、感動・感激である。
その為には超一流の芸術に接しることだ。素晴らし音楽を聴くこと、絶景の場所に行くことだ。そのシャワーを浴びる事だ。
その時の感動が人間を豊かにするのだ!というような教えであった。殆どこの辺が創作になる。いやこの文そのものが
偽悪の表現だが。まっとうに生きようと思ったら狂うしかないのも事実だ。まっとうに生きるとは何かだが? 
自分の真に好きな事をみつけ忠実に生きる事だ! それをやれば、世間様の目から見たら、狂っているとしか見えないからだ。
 チロリチロリ、チンチロリ 一期は夢 ただ狂え  今は「ホームページつくり」に狂ってます。
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ある時間の断片
 12月18日 1968年
9時に甥のムーちゃんに起こされる。食後。浅草近くで電気商をしている従兄弟の治田さんが遊びに来る。
12歳も年上だが、子供の頃から殆ど変わってない万年青年だ。彼を見ていると青春は年齢でなく、理想と創造性をいかに
持ち続けるかということが解る。写真マニアで子供の頃の写真は殆ど彼が撮ってくれたもの。
昼飯を一緒にとって13時頃に帰る。14時から17時まで卒論のマトメをする。卒論の清書を一枚50円で姉に
書いてもらうことにした。50枚で2500円である。それに食事代を5000円を払うつもりであったので、
この金額を捻り出すのが大変である。それと今月は遊びすぎて支出が大きい。 
23日にジャスコオカダヤにレポートの構想と下書きを書いて、27日までに完成させる予定である。


3918, 精神力ーその偉大な力 ー8

2011年12月17日(土)

  「 精神力ーその偉大な力  ー 」 ダン・カスター著
【 難題にぶつかり、それを理解し、それを乗り越え、超越するとき、そこから多くの力と知恵を与えられます。
 それにより将来においての他の更に大きな問題に取り組めるのです。世の中には善いもの悪いものもありません。
 ただ私たちが善い悪いと思うだけです。もし問題、難題を一つの機会か励ましの挑戦と見るならば、人生に処する私たちを
弱くしたり無能にしたりすることは、ありえません。‘あらゆる事態はつまずく石か、ぬかるみの中の踏み石’です。
 すべての進歩は、なにかの問題を征服し、なにかの挑戦に戦い抜いた結果です。大生命力は、絶えず励ましの挑戦をしてきます。
 前進を促す体内の威力を見出すと、私たちは成長するのです。もし挑まれなければ成長が出来ません。
  教育さえあればとか、子供の頃の愛情の欠如で、やる気が起きないとかいう人を知っています。しかし、その逆に、
 それをバネとして、その中に善を見つけ強くなった人がいます。「あらゆる逆境は、好機のタネをもつ」といいます。
 あなたの過去の傷は打撃や損失を癒す最も良い方法の一つは、その体験の結果として生涯に起こった善いものの表を作ることです。
ものごとが良くしていくには、体験をいかに反応するかにあります。鹿が足がはやいのは、敵から逃げるために自分の体内の力に
 頼ったからです。 人間は自然界の挑戦を克服するため推理と知性を発揮してきました。 問題を受け入れ、善さを見、ゆるし、
 解放して自由にし、そして前進するか――あるいは怒り、おのれを哀れみ、自分のことだけを思い、みじめに暮らすかです。・・・ 】
  ▼ 先日の新聞記事に「壁を乗り越えようとするな、壁のまわりを動き回れ、そうすれば壁の隙間が見つかる。登ろうとするから、
 登れないと諦めてしまう」というような内容があった。上記の内容に似ている。 20歳で創業を決意し、準備を始め、結果は、
2つの経済震災と東北大震災で、この結果に終わった。が、創業も倒産も廃業も事業のうちである。その創業も、まずは精神である。
計画し、手順に入ると、まず思いもよらない難題が山のように次々と行手を阻んでくる。 初めは、それを嫌々取り組んでいたが、、
慣れてくると、 これこそが踏み台で、難題の中にこそ鍵があることが分かってきて、逆にゲームとして楽しむようになる。
 この難題がゲームの醍醐味と自分に言い聞かせ暗示をかける。 下り坂より上り始めは夢はあるが、厳しい! それも数十倍も。
何だかんだあっても、事業人生は面白い。自分の限界が常に目先に立ち塞がって、自分自身に直面する緊迫感が、である。今もか?
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3553, 「閑話小題」 が一番面白い?
2010年12月17日(金)
 「閑話小題」は書くネタが出尽くして、仕方なくメモがわりに書いた中途半端な文章を小題として、幾つか重ねたもの。 
読者からみたらバレバレと思っていた。 だから、しゃ〜ない「B級品」と割り切っていた。 その半分手抜きの文章が先日、
久々に参加した木鶏クラブの人から何気なく「閑話小題」が一番面白いと言われ、何かの間違いと、再び聞き直したほど。
それでも「その人が、たまたま、そうか?」と半信半疑だった。ところが昨日、ある知人が訪ねて来て「閑話小題」が面白いと、
全く同じことを言った。この10年間、一度も言われたことがない「‘しょうがない’閑話小題」が面白いが偶然にも一週間内に、
たて続きである。 実際、長い文章ほど時間もエネルギーも要する。書くほうからしたら、その分、自己満足する。 
昨日の友人曰く、「それは、あなたの言葉で、身近かなことを実感で書いているのが伝わってくるからよい」という。 
 日々の身近な内容はブログ「バード・ウォッチング」に書きとめていた。要は実感として書いた文章こそ、相手に伝わるのである。
記事とか書物の感想文は、自分の記憶として留めておくためのマトメとして書いている。 さらにいえば一年先、数年先の
自分が読み返し、消化するためのマトメ。 読む方からしたら、それは、それでしかない。しかし小題は書き散らした短文を
マトメタもので要点だけ書いてある。 それなら閑話小題を多くすればよい。書いている方は無我夢中であるが、読んでいる方は、
その無意識の本音を楽しんでいるのである。だから、今さら冷笑も、侮蔑も、「何じゃい、笑うなら笑え、笑われて何ぼじゃ」と、
割り切らないと。 ブログは結局は自慢話?の披瀝になる。読んでいる方は冷静に、その辺が見えている。
息抜きの文章が面白いとうと、もう少し内容に強弱をつけた方が良いということか! 書くテーマが見当たらず、
苦し紛れの「閑話小題」が、逆に、井戸の底から湧き出てくる水の味なのか。 書き、曝すことの恐ろしさと、面白さか。 
ネット・セルフも色いろ考えさせられる。 そこで、閑話小題を遡って調べたら、月に1〜2度しか書いてない。
内容も短くまとめてあり、解りやすく、言われるとおり。 これからは週一ぐらいは「閑話小題」を書くことにする。
 ところで、「ツイッター」も時々書いているんだけど! 少し軽すぎる?
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3178, アメリカは現在、どうなっているのか ー2
2009年12月17日(木)
 * アメリカの産業の現状は?
 ー 以下は、中央公論の中岡望のレポート[アメリカ、失われたバラ色の未来」の抜粋である ー
アメリカでは金融業界を「ウォール・ストリー」というのに対して、製造業などの産業のことを「メイン・ストリート」という。
現在、ウォール・ストリートは急速に回復しているが、メイン・ストリーや地方経済の低迷の色はさらに濃くなっている。
アメリカ経済の衰退はもはや避けがたい状況となっている。 デトロイトでは、自動車産業の衰退で都市そのものも機能
しなくなっている。工場労働者だけでなく、高学歴のホワイトカラーの雇用調整もかつてないスピードで行われている。
自動車会社のビッグ・スりーは工場労働者だけでなく、2006年末から今年の六月までに3万人のホワイトカラーを解雇。
かっては最強の労組と言われたUAW(全米自動車労組)も、雇用維待するための戦闘力を失ってしまっている。
その結果、ミシガン州の6月の失業率は15・6%と.全国平均の失業率を大きく上回っている。デトロイトの失業率は17・7%と
さらに高い水準になっている。同州の労働者の20%がフルタイムの仕事を探しながらも、パートタイムでしか働けない半失業の
状況に置かれている。 デトロイトの住宅市場に回役の兆しはなく、七月時点で住宅価格はピークを付けた2006年初と比べて
45%下落し地域杜会の荒廃が続いている。 同州では、高賃金が期待できる防衛関係や代替エネルギー関係や医療関係の
企業の誘致を進めているが、目立った成果は見られない。 職を失った人は悲惨である。
あるクライスラーのエンジニアは年収11万ドルを稼いでいたが、早期退職をした現在はパートタイムで働いており、
週給はわずか500ドルである。クライスラーの製造開発の責任者であった男性は、年収10万ドル以上あったが、
早期退職をして得た現在の仕事の年収は3万1千ドルである。職を失う影響は収人の滅少に留まらない。
アメリカの健康保険制度は企業が提供しており、仕事を失うことは健康保険も失うことになる。
 ▼ アメリカ社会の深刻な問題は貧困と格差である。最も豊かな国でありながら、貧富の格差は深刻。その貧者に金融危機が直撃をし、
その格差をますます大きくしたのである。貧困率は一年で12・5パーから13・2パーセントへ拡大した。「1人暮らしで100万円、
4人暮らしで200万円」以下で生活する人は4000万人と一年で、250万人も増えたという。医療も、教育現場もガタガタで日本とは
事情が全く違う。あと1〜2年後の地方が、これに近い状態だろう。 これらをみると、アメリカ一極の時代の終焉を示している。 
それだけ、この金融恐慌の影響は大きい。
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2813, ビッグスリーの救済は正しいことか?
 2008年12月17日(水)
 アメリカのビッグスリーを政府が公的資金投入の検討を始めたというが、中長期的に見たときに正しい判断かどうか?
・アメリカ国内のGMの一人当たりの人件費が、トヨタの1・3倍。そこまで賃金を下げるべきという議会の案に組合が反対という。
   (字数制限のためカット09年12月17日)
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2007年12月17日(月)
2448, コマツの「コムトラックス」には驚いた!     ('-'*)オハヨ♪
一昨日の朝、何気なくBS・TVに回すと、コマツの社長が出ていた。見たのは最後の10分位だったが、
「コムトラックス」というシステムを紹介していた。思わず、その内容に引き込まれてしまった。
ブルドーザに機稼動管理システム「コムトラックス」を標準装備し、遠隔での効率的な車両管理や
きめ細かなサポートサービスを提供する。建設機械の内部に組み込んだセンサーで車両のあらゆるデータを収集して自動的に
送信するシステム。365日24時間、本社へコムトラックスから絶え間なく送られてくる情報は、コマツ自身、販売会社、
顧客の誰にとっても「宝の山」であるという。それを顧客・販売会社に公開してお互いに有益に使うのがミソである。
一種のWeb2.0型企業ともいえるが、そのシステムなどで、現在では利益率で米キャタピラーを追い越し、
今後とも業績の向上が期待できる見込みが高いという。TVの画像には、宇宙衛星により大きな地図上に世界中の
稼動しているブルドーザの現在地が表示されていた。 更に、それぞれのマシーンの情報 ーガソリンの在庫や、稼動状況、
機械の自己診断の記録、運転状況などのデーターが自動的に情報センターに送られてくる。それらの記録を販売会社、
顧客が交互に使用できるという。運転手のサボりは勿論、ガソリンの不正使用や、盗難も即座に把握できるという。
「何で小松のブルドーザが売れるのか?」と思っていた矢先、納得をさせられてしまった。
顧客にとってブルドーザの状況は一切、機械自身が発信して本部が管理してくれる。機械自身がブログを持ち、
自動的に発信するマシーンといえる。これも情報化社会の先取りの事例ということである。こういうシステムは
今日明日出来ることではない。長年の企業全体のシステムの構築の結果できることである。ただただ、驚いてしまった。
せめて人間もブログは持たないと!IT革命は人類の20万以来の潮流の変化であり、身近に感じ取れるのは
個人的立場からみればブログと携帯電話だろう。         バイバイヽ(*´∀`)ノ
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2006年12月17日(日)
 2084, 森の生活            (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ
 『森の生活(ウォールデン)』岩波文庫     
現在、世界において「シンプルライフの生きかた」が見直され始めているが、その元祖といえるソローが
再び注目され始められている。1817年生まれのソローは、1845年の独立記念日を機に、故郷のボストン郊外の
ウォールデン湖のほとりに移り住む。そこに20代後半の2年あまりの間ひとりで過ごした生活を記したのが、
『森の生活』である。シンプルライフの元祖といえよう。ソローは、この森の生活の中で、人間が生きるために必要なものは、
「最小限の持ち物と最小限の労働だ」という結論に至っている。ソローの‘自然のなかで質素に生きる’を至上とする考え方は
東洋的である。自然との共存を図ろうというソローのメッセージは、効率良く、便利な生活になった反面、混沌として複雑化する
世の中にあって、単純化した生活のあり方を提示している。森林生活や農業の専業の人からみたら、何を今さら!と思うだろう。
あちら側(都会)の人が、二年余り遊びに来た戯言でしかないと。 しかしソローが読んで欲しいと思う対象は、
そういう連中ではない!まあ、そういう穿った理屈はやめておこう。
都会生活につかれ田舎の生活に憧れている自然派にっとは、桃源郷のような生活と思えるのだろう。
 ーー
 ーまずは、印象的なところを抜粋してみるー
「私が森へ来たのは、思慮深く生き、人生の本質的な事実のみに直面し、人生が教えてくれるものを自分が学び取れるかどうか
確かめてみたかったからであり、死ぬときになって、自分が生きていなかったことを発見するようになりたくなかった。
人生とはいえないような人生は生きたくなかった。 生きるということはそんなにもたいせつなのだから。
深く生きて生の精髄を吸出し、もしそれがつまらなかったら、それをつきとめて、そのつまらなさを世の人々に伝えよう。
それがつまらないものであったら、それを身をもって味わい、その真相を報告できるようにしたい」(上巻162-164頁)
「われわれは存在するように見えるものを、存在するものと思いこんでいる。
 ・・ 永遠の時間には、確かに真実で崇高なものがある。けれども、そうした時間や場所や機会はすべて、いま、ここにあるのだ。
 ・・『自然』そのものと同じように、一日を思慮深くすごそうではないか。
 ・・一日を精一杯、楽しく生きようと心にきめて。
 ・・生であろうと死であろうと、我われが求めるものは実在だけである」(上巻172-176頁)
「春の到来は、『混沌(カオス)』からの『宇宙』の創造であり、『黄金時代』の到来であるかのように感じられる。」(上巻256頁)
私は私の実験によって少なくともこういうことを学んだ。「もし人が、みずからの夢の方向に自信をもって進み、頭に思い描いた
とおりの人生を生きようとつとめるならば、ふだんは予想もしなかったほどの成功を収めることができる、ということだ。
そのひとは、あるものは捨ててかえりみなくなり、目に見えない境界線を乗り越えるようになるだろう。
新しい、普遍的でより自由な法則が、自分のまわりと内部とにしっかりとうち立てられるだろう。・・・
生活を単純にするにしたがって、宇宙の法則も複雑でなくなり、孤独は孤独でなく、貧しさは貧しさでなくなる。
・・・・君の生活がいかに見劣りのするものであろうとも、それにまともにぶつかり、それを行きよ。
それを避けたり、けなしたりするな。それは君自身ほど悪くは無い。それは君が最も富んでいるとき、最も貧弱に見える。
あら捜し屋は天国でもあら捜しをするだろう。貧しくとも君の生活を愛したまえ。賢人らしく菜園の野菜のように君の貧しさを耕せ。
衣服でも友人でも新しきものを手に入れようと焦るな。古いものに目をむけ、古いものに戻るがいい。事物は変わらない。
我われが変わるのである。君の服を売り払い、君の思想をとっておきたまえ。」  (下巻276頁)
ーーー
ソローにとって、「自然」と向き合うということは、「自己」を見つめることでもあり、人生の探究は、
遠い幻想的なものでもなく、「いま、ここ(現在)」の世界で「自己」を実現させることにある。
ーーーー
2005年12月17日(土)
 1719, 熟年離婚           おはよう!v(=∩_∩=)v
 TVで松坂恵子と渡哲也が夫婦役の『熟年離婚』の連続ドラマを放映していた。そのうちの二〜三回しか観ていないが、
 考えさせられる問題であった。 作家が悪いのか脚本が悪いのか、離婚理由が希薄で現実離れしていた感があった。
   (字数制限のためカット 2010年12月17日)
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2004年12月17日(金)
 1354, 私の宝物
「私にとっての宝物」とは何だろうと考えてみた。これだけはというものはないが、秘境旅行のアルバムと、
その先々で買ってきた小さな置物人形と、その都度社内報と随想日記に書いてきた旅行記である。 底は浅いが。
旅行だけは私としては、金とエネルギーを使ってきた。いま全額のお金と、旅行のどちらを取るかといえば旅行経験である。
そうすると旅行経験と、それにともなう写真と人形と旅行記が「私にとっての宝物」ということになる。
37〜8年のスパンの、わずかなライフワークである。現在、23歳の頃の日記を書きうつしているが、その時、
初めてで最期の手紙を両親に書いていた。転勤で通帳からお金が引き出せないで、手元のお金がゼロになって住所の移動の知らせと、
お金の無心をしていた。母親が死んだ時に寝室を整理していて、その時の手紙が出てきた。「子供の思う心と親心の差」を、
その時おもい知った。両親にとっての宝物?だったのだ。現在の私の宝物といえば、「この随想日記」である。
何せ一日3時間近くのエネルギーが、この文章に時間を入っている。1350×3時間=4千時間の圧縮である。
それと秘境の旅行先で買ってきた小さな土産人形だ。500円から5000円位の土産物屋から買ってきた置物だ。
会社のサイドボードと、自宅の棚に置いてある。地震で全て壊れても、おそらく惜しくは思わない代物である。
しかし、それがある限りモノとして残っている思い出の塊の宝物である。
・・・・・・・・・・
2003年12月17日(水)
987,新潟駅周辺整備計画
先日の新聞に「駅前周辺整備計画」が少し延びそうになってきた。といって、半年から一年だろう。
自社のホテルの4棟のうち2棟が、この整備計画の道路拡張に引っかかる。10年か20年後には道路に変っている。
(字数制限のためカット11年12月17日)
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2002年12月17日(火)
613,爆笑再開発
 -新潟駅前ビル再開発
(以下字数の関係でカット2008年12月17日)
以前再開発の愚をこの随想日記に書いたが、その馬鹿世界が新潟駅前ビル再開発の完成で顕になってきた。
・・・・・・・ 
2001年12月17日(月)
272,人生は問題解決のプロセス
 ー小説・脚本の創り方と人生ー
 ジェームス三木の「脚本の創り方」という講演を10年前に経営セミナーで聴いた。「藍より青く」を創ったエピソードである。
朝の8時15分の連続TV 小説の時間の身近にあるもの考えた。「醤油と魚」である。醤油やと網元の対立に恋愛をかませる。
それから「藍より青」ができた。 その子女、子息の恋愛に対して、困難という山を次々と置き、それを主役が解決していく
プロセスをドラマとして筋を付けていく。「へー、どうということないんだ!自分でも創れる!」ということを思い出した。 
主役とは「問題解決人」だ。 水戸黄門もそうだ、勧善懲悪だから解かり易い。人生も考えてみれば、問題解決のプロセスだ。
そして一山二山越えていく事だ。 自分がその主役である。その意味で[みんなが大将!」である。
自作自演の舞台劇である。しかしそれをまた間接的に操っている存在に気づく事がある。どうにもならない運命という奴である。
それを神という存在で解決しようというのが宗教。いづれにしても問題は派生する。そういうものだと割り切ってしまえばいい!
「その問題はその時のその人に、ピッタリの内容」と思えば諦めがつく! その時私のおまじないは以前も書いたように
「正中心一点無」だ。問題から逃げないで、中心から目をそらさない事だ。それが出来ないのが人間だが。
・・・・・・・
ある時間の断片
12月17日 1968年
 朝11時起床。
12時に一年先輩の佐々木さんに、クリスマスで20時以後の女性の寮立ち入りについて相談される。
私に対して軽んじている風がありありであった。その時に蒲生にもう20時以降の禁止はもう時効と面と言われた。
生意気な奴だが、2年も下なので相手にもできない。 一度池袋に行き、学校に立ち寄って、駅で28日の帰省バスの切符を買う。
その後、千葉の検見川の姉の優子さん宅に向かう。17時に着く。押しかけで悪かったが、家庭内が落ち着いた感じがした。
22時からよく2時まで卒論に集中できた.


3917, 精神力ーその偉大な力 ー7

2011年12月16日(金)

  「 精神力ーその偉大な力  ー 」 ダン・カスター著
* まず相手を許すこと、そして自分自身を許すこと
◎ ヤコブは聖書に書いている、「汝が乞うても受けないのは、誤り乞うからだ」それを別の訳にすれば、
  「あなたが求めるが受け入れられないのは、間違った求め方をするからだ」ということ。
  「その人を許しなさい。そうすれば天にいます貴方の父、すなわち大生命力は、あなたを許して下さる」
◎ 傷ついた否定的な過去の記憶では、大生命力のエネルギーの自由な流れを妨げる。それを愛と信念をもって
  書き換えねばなりません。「なんびとかに、また、なにものかに反抗して抱く全てのものをゆるせ」といった
  キリストの言葉は、非常に実用的である。
◎ もし彼を許さなかったら、私自身を不愉快な体験に、そしてまた、その人に結びつけておくのです。彼を思うたびに、
  不愉快な体験を繰り返すことになる。もし、私が誰かを傷つけたとして、彼が私を許せば、彼は解放されたことになる。
  その許すということは、彼の側の精神活動です。怒りは憎しみは、恨まれた人より、恨んだ人を傷つけるものです。
  賢い、常識的な考え方は、愛し、理解し、そして許すことです。「神よ、彼に祝福を」とだけ、心の底から言いなさい。
◎ 私たち各自は、毎日、静かに座って自分向かって次のことを言い、それをまじめに務めるがいい。
 「 ・・・ 私たち各自は大きな無限の大生命力の一部であって、大生命力は実在の一部である。その大生命力の中で、
  すべてを生き、動き、そして実在している。これは真理だから、私が行なったあらゆる過ちはについて私自身を許す。
  そして多少とも私を害したあらゆる人を私は許す。許すなら、あらゆる体験から善いことのみが私に来ると知るから。
  私が行なった一つ一つのあやまちは、より大きな理解と、より大きな機会への踏み石だから、過去のあらゆる体験を
  私は祝福する。どんな過去の体験も、今日あるいは未来において私を害さない。私が許されたいよう、私はことごとく許す。」
▼ 自己啓発の、このようなセミナーに出席して感化を受け、日常の考え方と、祈りに取り入れたら、心の傷は和らぐだろう。
20歳代半ば、何度も何度も、この本を読んで救われていた。こういう経験があったから、何人かの鬱病の相談にのれたのだろう。
現状でも平然?としていられるのは、自分で見つけ、何度も読んで一人で手当をした経験があるためと、再確認をしている。
数ヶ月前に、地球の芯からの声が聞こえてきたのは、こういう経験があったからである。芯の声は大生命の声、魂の声である。
・・・・・・・
3552, 何に出会うかを、成長と呼ぶ
2010年12月16日(木)
  「何に出会うかを、成長と呼ぶ」 ある雑誌の新聞広告にあった言葉である。
 実際に出会った人、著書を通して出会った人、宗教的啓示で触れた何もの。大自然の荘厳な景色から受けた感動、
絵画や音楽を通して感じた作者・作曲家の魂など、出会いそのものが成長になる。マイナーの何ものかの出会いは、マイナー
成長ということか。 その中で、書物を通して崇高な教えや啓示などの出会いは、一番身近で誰もが出会う機会になる。
最近は、ネットやテレビや映画などからも多くの出会いが可能になってきた。長年の風雪の中で、これまで読み継がれてきた
古典には、何かがある。その辺から多くのことを学ぶことも出会いになる。65年間に多くの出会いと別れがあった。
自分が経験してきた蓄積が新たな出会いを呼び込むのである。 最後は自分の「死」の直感という厄介な何に出会うのだろうが。
それも刷り込まれたイメージでしかない。出会いといえば、感動が伴なった経験である。人はどれだけ、感動、感激に
出会えるかで人生の豊かさが決まってくる。 ところで、この出会いに関しては、本当に豊富であった。
その蓄積が、さらなる上質な感動の場面を作り上げてくれる。感動した対象に対し我われは何だろうか?と知りたくなる。
それが、考えるキッカケになる。 もう一つ、出会いの中で、宗教がある。知識を持ってしまった人間は、いずれは
死ぬ運命にあることを身近の人の死を通して知ってしまう。それは二人称の死で自分の死とは違うと分かっていても、
長年かけて、知人の遺体と焼却を目の当たりにすると、二人称の死を一人称の死に重ね合わせてしまう。
 出会いこそ人生であり、生き方が変ってくる。未知との遭遇、無知との遭遇、人生には色いろある。
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3177,デフレス・パイラルの脅威
 2009年12月16日(水)
* ハイパー・デフレの始まり
 どうも本格的なデフ・レスパイラルに入ったようだ。それもハイパー・デフレ。ということは、二番底に向かって
転がりだしたということになる。先日、自宅から歩いて10分もしないところにある中古プレハブ住宅の販売広告が入っていた。
土地が25万、建物が20万?の相場の家屋が何と土地15万、建物10万の値段である。(その逆でも同じぐらい)
その販売業者は、競売物件を買って、少し手を入れて二割位の利益を乗せて売るのを専門にしている。
(なぜ分かるかというと、知人の自宅が、そのプロセスで売却されたからで、競売落札の値段も、お化粧代も大よそ分かる。)
どうみても半値に近い相場だが、結果として資産デフレに火をつけている。 近所の相場が、それによって暴落する。
会社の人の自宅近くが半値×八掛けで売りに出され、数日で売れたという話も入ってきた。資産デフレである。
 あらゆるところで価格が暴落しているのは、誰も彼もが実感していること。 背広の客単価が一年前の4割も落ちているし、
薄型テレビも3割ダウンした。冬物衣料などもオール半額!というチラシが入ってくる。 ホテルもネットで2980円、3180円、
3280円が出ている。安い順に売れていくが、それさえも最近は売れ残っている。 安くしないと、消費者は買わないから、
競って安くするが、全ての業界が始まり体力の消耗戦になってきた。 一番強い者だけしか生き残れないのである。 
そして、会社の多くは淘汰され、そのうちに、今度は金(かね)の価値が暴落を始まる。 ハイパー・インフレが始ると、
これは国家破綻を意味する。いつも同じことを書いているが・・ 世界は間違いなく経済も、政治も含めて大動乱に入った。
 アメリカも、去年のリーマン・ショック以来、経済はガタガタ。失業率が、あれよあれよと、10パーセントを超えてしまった。 
日本も、数年以内に、それを超えるだろう。リーマンショックの津波が姿を現してきた。デフレス・パイラルは4年間?続く。
来年からは、その中で食品の一部が値上がりが始る。 ハイパー・インフレの波も現れる。 
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2812, 今年を振り返る
 2008年12月16日(火)
今年もあと半月、振り返って、思いのまま書いてみる。
大荒れの一年で、歴史に残る年といってよい。
 ■ 世界をみると
・アメリカ発の金融恐慌である。予測はされていたことだが、実際に起こると、その衝撃度は甚大。
 100年に一度の経済的危機というが、私の人生で起こった最大の世界的大事件である。
 一次世界大戦、第二次世界大戦、世界恐慌の三つの一連のウネリより大き事象が十年以上は続くレベルの大事件である。
・アメリカ大統領選挙で、民主党のオバマが史上初の黒人大統領に選出された。
 これも歴史的出来事である。それだけアメリカの懐が深いということか。
・中国の大地震、ミャンマーのサイクロンの自然災害は、地球システムが人間システムに対して発した警告である。
・中国オリンピックの開催と、中国国内の暴動の頻発。 これは中国の将来を暗示してもいる。
・北朝鮮の金総書記に異変? 朝鮮半島が流動化になるかどうか。
 ■ 国内では
・金融危機で一挙に景気の悪化。不気味な雰囲気が漂い始めた。
・福田が辞任して麻生が首相になったが、凡将の器が露見、一挙に政治混乱が始る。
・若者等の無差別殺人が続出をした。
今後、10年以上続くだろう社会的な大混乱の‘目次’と‘前書き’が今年の事件の集約とみるべきである。
暗い日々が待っていると思うと憂鬱になるが、これだけの変動の中で、自己責任をより自覚しないと。
「1970年代に始った新自由主義経済の崩壊が始った」と、新聞の論説にあったが、
この数年間で統制が強くなるだろう。それぞれの企業が、根底から存在意義を問われ、
価値のないものから否応無く淘汰される。特に来年一年が今後を占う年になる。 どうなることか?
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2007年12月16日(日)
 2447, 四四太郎の霊日記 ー12       (*´_●`)ノオハオハオハ♪
さてと、お出ましである。何時も同じようなことをブツブツ言っているが、違う視点を持つことに意味があるということじゃ。
<私>+<私の体>=「私」ということは 「私」−<私の体>=<私> と誰か哲学者が論じていただろう。
 その<私>の芯にあるのが、≪私≫とすると、更にその奥にあるのが≪≪私≫≫ということになる。
いや、この括弧を内側に幾つかつけたのがワシということ。これが≪私≫を通して<私>に語りかけているということ。
だから、御主も何か変な気分になるのは解るし、御主とは見方が違ってくる。 だから先祖を大事にせい!というのは、
決して間違ってはいないのだ。ただ、葬式坊主のタカリに乗ってもよいというのとは違う。
ところで、御主が娑婆で過ごす心得を教えてやる。大きな地球儀を何処か身近に置くことじゃ。
パソコン内ではない、とにかく手に触れる場所に置くこと。そして月の上か、衛星から地球をみる気持ちで常に見ることじゃ。
字数の関係でカット(2011年12月16日)
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2006年12月16日(土)
2083, 哲学者がローマ法王の奇跡を切り捨てると!    才八∋ウ_〆(∀`●)
   知ることよりも考えること−? ー読書日記          
週刊新潮の連載コラムを集めたため、身辺の話題が解いやすい内容である。
先年亡くなったローマ法王のヨハネ・パウロ?を『聖人』として認定するかどうかの審査会議などの低?次元の話題や、
最近TVなどに出てくる胡散臭い江原啓之とかいう男の超常現象?について、哲学者の視点から言及している。
どれをみても理路整然と、その矛盾をストレートに切り捨てているところが痛快である。。
「あたりまえのことばかり」「人生のほんとう」に続いてこの本を読んであまりに面白いので、
さらにアマゾンで中古本だが「14歳からの哲学」と41歳からの哲学」を買って、読んだ。第四章ー54項目の構成だが、
ランダムに面白そうなところから選んで要点の場所を抜粋しながら考えてみよう。
まずは次元の低い「教皇の聖人の認定か否か」の問題である。アホくさいが、まあ著者・池田の真骨頂が現れていて面白い!
 秋刀魚の骨も信心から」と思って読めば、これもよい。
ー奇跡大好きー
新ローマ法王の選出選挙、コンクラーベの政治性も凄かったが、これも凄い話である。
何でも、この[聖人]とは、カトリック教会の最高位で、死後これに認定されるためには、厳しい審査がある。
[聖人]よりワンランク下の「福者」として、先般マザーテレサが承認されたが、法王といえ、これらの位には
なかなか昇格できないという。神の前に平等のはずの宗教界でも、階級化が[死んだ跡]にもついて回るのである。
生きているうちに政治的な動きをしていたのだろうか?が、凄いと思ったことは、その資格認定とされるものだ。
必須とされているのが、「聖人」の場合でも二回以上、「福者」でも一回の奇跡をおこしていなければならない。
[奇跡]の定義が、[科学的に説明不能」であること、それを審査するためにバチカンにも専門の科学者がいる。
そこで、説明不可能といわれたものが、[本物]の奇跡であるか否か、高僧達が判断を下すそうだ。
私はある種感嘆をおぼえた。科学的に不可能であるということが「すなわち」価値である世界があるとは、
盲点を突かれる思いであった。彼らが[奇跡]を価値とするのは、イエス・キリストが病人を癒したとか、
死人を生き返らせたとか、聖書に記載されているからだろう。それで、そういう[奇跡的]力を有する人が宗教的に
優れた人ということになるのだろう。しかし、当のキリストは、この世の命を命と思うな、現世の価値に執着するなと、
繰り返して説いている。永遠なるものは、その価値は、あなたたち自身の内にあると。
宗教の本質とは、現世的価値に対して永遠的価値を提示することにあるのではなかろうか。
癒しや復活など現世的としての奇跡的出来事は、宗教の本来無関係のはずである。
ゆえに、宗教が奇跡それ自体を価値とするなら、すでに話は転倒している。 宗教など、早い話が、永遠のふりをした
しょせんは現世利益じゃないかと言われても、仕方がないのである。第一、科学により説明不可能ということが、
何で奇跡ということなのか。逆に科学により説明可能なら、奇跡は奇跡でなくなるというのか。ここに根本的な勘違いがある。
科学というのは、そのとおり、説明のための一方法である。何を説明するかといえば、言うまでもなく、自然である。
字数の関係でカット(2011年12月16日)
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2005年12月16日(金)
1718, お金の現実          
          −読書日記  岡本 吏郎著   ma!~~匸Pヽ(・ω・`)コーヒーデモ
これまで著者の本は二冊読んでいるが、
 ・中小企業を経営しているなら、一億の現金を個人名義で持ちなさい。
 ・ヤップ島のフェイという石で出来たお金の話以外、さしたる記憶が残っていない。
  今年の4月に新らしく刊行されて本屋で見たが買う気にならなかった。ところが先日図書館で見つけて読んだところ、
  なかなか面白い。ほとんどのポイントが最後の章の第五章・この本の結論に集約されていた。
ーそれを更に私流に要約すると、
お金の語源から、その意味するところは「測定」「警告」「狂気」「生け贄」「循環」というキーワードである。
「測定」は、対象の価値を測定するもの「警告」は、お金からの警告である。
儲からなくなってきたのは、お金から事業に対する警告である。
「狂気」は、成功している人は必ず狂気を含んでいる。パラノイア(偏執狂)とか、変人である。
それが無くなったとき、平凡な経営者に落ち込んでいる。「生け贄」は、何かことを成すときは、犠牲が必要である。
それは私生活であったり、普通の人の生活の犠牲であったり。「循環」は、お金は循環してこそ本領が発揮できる。
お金の概念として一番重要な意味といってよい。箪笥預金は、お金として一番意味も無いし、本領を発揮しない。
我われが情報を買っているのは、金で時間を買っていると同じことである。
 ーさらにポイントをあげるとー
  字数の関係でカット(2009年12月16日)
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2004年12月16日(木)
1353, おれおれ詐欺ー2
  お笑い学芸会ー可愛い演技 「おれおれ詐欺ー振り込め詐欺」
4〜5日前に自宅に「面白い電話=俺俺詐欺」と思われる電話があった。「土地を買いたいという人がいるが、業者ではないが
売る気があるのか」とか。これ、土地の売買のプロからいうと、とんでもないことである。素人の騙しか、玄人の人をバカにした内容。
それも、旦那がいない時間に自宅に電話をするのは、詐欺以前の軽蔑の電話である。
字数の関係でカット(2010年12月16日)
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2003年12月16日(火)
986, おれおれ詐欺
字数の関係でカット(2007年12月16日)
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2002年12月16日(月)
612,ある時間の断片-26
10月27日1968年  土曜日
 夕方6時に、欧州旅行の????会が集合。池袋の「嵯峨」に集合。川崎と隣で話す。彼は私のことをよく解かってくれる。 
欧州旅行中に私のことを一番理解してくれた。でもいい加減な自分を感じてもいるようだ。今後とも彼のような男と
巡り会えないだろう。20時に高木が来る。これで我々の仲間の6人中5人が集合した。「パブ・エリート」へ飲みに行く。
最後の一人の酒匂も来る。全員集まった。個人主義の塊のような男が5人目の前にいる。それだけ見ているだけで楽しい。
その後、目黒の高木の行きつけのバーに0時半まで飲む。本当にこの会をやってよかった。
その後食事をして2時頃に寮に深井と酒向がくる。 30分で酒向は帰る。私は隣の留守の佐々木さんの部屋で寝る。 
このところ毎日刺激が強い酒だ。
 10月28日1968年(日曜日)
 10時起床。深井とオリンピックの閉会式を見る。 13時に新橋の深井の家に行く。15時まで彼の家で過ごす。
その後に深井の車で久々に江ノ島に行く。第三京浜も久々だ。夕日の富士が絶景だ。こんな夕景の富士は初めてだ。
合気道の合宿で富士吉田のそれよりもよいように見えた。右に真っ赤な夕日、左に江ノ島。秋の夕べの海岸はよい。
一生の思い出か。 帰って、夜半の3時まで卒論の勉強をする。
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2001年12月16日(日)
271,今年の驚愕?
毎年驚愕することが多い! 
 ー驚きーでは言葉が足りないので「驚愕」にした
   ー今年は以下五つー
1、アメリカのテロ  あえて書いても仕方がない!
2、ホームページ作りからみたパソコンとインターネットの世界!
3、イチローのアメリカでの活躍!
4、不況感!
5、ソニーの36インチのハイビジョンTV  1年見続けての実感として凄い!
ー実感としてこの五つは、今までの常識を超えていた。
 やはり21世紀の景色である。旅行には例年感じる驚愕は少なかった。
・それでは去年は如何であったか?「シルクロード」「シリア・ヨルダン・
 レバノンの旅」!「オーロラ!」どちらが凄い?と聞かれてばもちろん、迷わず去年?
・ 一昨年はもちろん驚愕!「ヌ〜の河渡り!」そして「イスラエル」と「ネパール!」・・!
・3年前は「スペインのパンプローナ牛追い祭り」と「インド」と「イスラエル」 ショック!
・4年前、「ギアナ高地」と「タンザニア」・・・・! と比べることが、おかしいといえばおかしいが。
 何だ旅行の自慢か!いや、違う!「うん〜」「そう〜か!ちゃんとバランスがとれているのか?」
それにしても21世紀とはこういうことだったのか!  
 ・・・・・・
 ある時間の断片 
 12月16日ー月曜日1968年
10時起床。
卒論のテーマの変更のため登校する。武沢教授に会うことができた。10分位で用件が終わる。食事をして帰寮するが、
急に眠くなる。今日は、姉の優子さんのところ行く予定であったが17時過ぎまで寝込んでしまう。駒村君の部屋に行き、
彼と食事に出る。食堂のTVでゴーゴーをやっている。見ていたら、二人で顔を合わせて行こうという話になる。
着替えて、そのまま新宿へ行く。23時近くまで2時間も踊る。その後、スタンドバーに入り飲む。
もう寮では私のあとの見えない勢力争いがおき始めているいう。 初めて解ったことだ。彼とブーちゃんと尾形君だという。
40分近くも歩いて帰ってくる。南波嬢の件を言いだす。私がイビッテイルという。別にそうしている訳ではないが、
そうなら気をつけないと。最近は石川や深井や米林につぎ彼女のことを、イビッテしまったのか。この前の軽井沢で
生意気そうだったので、少し意識をして無視をしただけだ。まだ以前に軽井沢の「愛の散歩道」を二時間おデート散歩した
気持ちの余韻が残っていることか。 可愛いが、あまり身近すぎて面倒だ。必死に突っ張っている自分がそのまま露呈したようだ。


3916, 50冊の本をデジタル化してみて ー2

2011年12月15日(木)

 iPadで書籍や雑誌などを読んでみて、間違いなく紙の書籍より馴染めたのに自分で驚いている。
ネットでブログなどの文章を読んではいたが、書籍などはiPadを買うまでは読んだことがなかった。
しかし一度読んだ本50冊をデジタル化してパソコンに入れて実際に読んだところ非常に読みやすい。
アプリが読書に便利なように作られていることもある。その上に音声読み上げ機能がついたソフトもある。
文庫本の小さな文字や写真をパソコンの大画面で大きくして読むと、今までの読書スタイルか不思議にさえ思ええる。
現在使っているAdobeの読書用のソフトが非常に良い。 実際、二日前までは、そのことに気がつかなかったということ。
デジタル化の良さは一度変更してしまうと、コピーが出来る。それをiBookや、iMacに入力して、読書が可能になる。
紙の本の方がシックリしていて良いのでは?と思うのは、デジタル化してパソコン上で読んだことがないためである。
そうでなくては電子書籍化が、ここまで急激に進むわけがない。 家電チェーン店のホット商品コーナーには、ワンタッチで
本を裁断する商品と、自動スキャナーが置いてある。 10年前と今回の事務所の閉鎖を機会に半分近くの本を処分したので、
現在は5〜600冊しか本はないが、半分は数ヶ月がかりでデジタル化することになる? コストは10万円が目安になる。
自分でやれば5万円で済むが、その気力はない。 自分で書籍のデジタル化をするのを自炊というが、自炊をやり終えた中古品が
間もなく市場に出回りだすだろう・・・ 定年後のチョッとした小遣い稼ぎとして成立するのでは? しかしネット上には、
業者が多く存在している。また、法律で制限される可能性があるというが、それは無理がある。中古品数万の投資でチョットした
ビジネスが成立するのだら、数人の顧客を確保して始めればリスクは最小で済むはず。私のデジタル本のコピーの希望者には
迷わず無料配布をするが、自分が気に入ったからといって、相手がフィットするか?である。 でも無料なら価値が充分ある。
 音楽の無料化と同じ道をたどることになる。
 ・・・・・・・
3551,閑話小題 ーつれづれに
2010年12月15日(水)
 * 7回目?の乗り過ごし
 先の土曜日の木鶏クラブの忘年会に参加して、21時半の新幹線に乗ったのはよいが、長岡駅を乗り過ごしてしまった。
浦佐駅手前のトンネルのゴーッという音で「しまった!」と気づいたが、後の祭り。浦佐に降りないで、湯沢まで行って
新潟方面の新幹線に乗れば最終前の一列車早い列車で到着するが、酔いで、そんな判断が出来ようもない。
浦佐駅ホームの小さな待合室で一時間以上も待たされた。乗り過ごしも数年ぶりになるのか。
あの寒さの中、風邪をひかなかったことを喜ばないと。最近、落し物とか、物忘れが多い。どうも変、歳のせいは分かっているが。
  * 東芝の高性能TVーセル・レガシのその後
(何度も書くが)この夏に買った東芝の未来型のテレビ、これが日ごと経つにつれて、その良さに驚きが増している。 
地デジ放送の見過ごしている番組を何時でも見ることのできる効用は、慣れるほど深くなる。地デジ全番組をビデオに録画して、
その百数十本から一つ選択してみれるのがよい。 一週間分のゴールデンタイム4時間×6チャンネルが自動録画してあり、
そこから選択して見るのは、その時点の選択出来る番組が百数十倍になったことになる。 底挽き網で全て捕ってしまうのと同じ。
これに内臓ビデオと外付けブルーレイに百位の録画があるから、選択肢が増えたぶんテレビが面白くなった。 
テレビ否定派の人がいるが、ハーバードの哲学科教授の授業や、過去に行った旅先の放送もある。歌謡ショーなど、
現場で生で見ているような錯覚になる。これも情報化の恩恵の一つか。 お宅か〜
  * 人間、それぞれの宇宙世界
 最近になって、「それぞれが、それぞれの世界を持っているというより、それぞれの『宇宙』を持っている」という
方が正しいのではと考えるようになった。「個々人の、それぞれの宇宙」とは、前から言われていたのだろう。
なぜ、「個々の世界を持っている」では、言い足りないかというと、魂を人間が持っているからである。
魂は、生きている現世の背景に広がっているだけでなく、生前、死後の内的宇宙につながっているからである。 
自分も他人も魂を持っており、それは心の背景に大きく広がり網目のように繋がっている。この感覚、以前は神秘的に思えたが、
ごく普通のこととして受けとめている。 インターネットで、キーワードで世界中の人たちと結ばれていることを考えると、
個々の魂が小宇宙として互いに継っている実感は、当然といえば当然である。   「外は広く、内は深い!」
 ・・・・・・・
3176, アメリカは現在、どうなっているのか ー1
 2009年12月15日(火)
日本とアメリカ社会は少し早いか遅いかはあるが似たような動きを示す。
日本の現状も酷いがアメリカは実際のところどうなっているのか?と思っていた。
マスコミはアメリカまでの実情を辛らつには暴かない。それ以前に、日本の現状が悪いということか。
 2001年の9・15テロと、去年のリーマンブラザーズの破綻から金融恐慌は社会的・経済的にアメリカ国民に
大きな打撃を与えた。ダブルパンチであり、この二つの事件は、連動している。 まず9.11テロの後、傷ついた経済を
立て直すためサブプライム・ローンを下層階級の人たちに勧め、それを証券化して世界中にばら撒いた。
そして、それが破裂をしてしまい100年に一度という金融恐慌を招いてしまった。失業者は瞬く間に10パーセントを超え、
2008年の末から2009年の初めにかけて三ヶ月で家計部門の純資産が100兆円以上も失われてしまった。
  アメリカのメトロポリタン生命保険会社が、毎年[アメリカンドリームの研究」という調査を行っている。
    以下は、そのレポートである。『 中央公論11月号 参照 』
《 ・回答者の59パーセントが個人破綻に追い込まれることを心配し
  ・64パーセントが住宅を手放さなければならなくなるのでは、と答えている。
  ・失業すれば二週間で蓄えが無くなると回答した人は28パーに達している。
  ・さらに56パーが、来年、失業するかもしれないと答えている。そこには楽観的なアメリカ入のイメージはない。
  ・経済的な苦境を乗り切るために多くの人はライフスタイルも変えつつある。
   44パーの人が、不況によって生活の優先順位を変えざるをえなくなったと答えている。
   大多数の入は外食を減らして自宅での食事の回数を増やし、旅行は贅沢だと考えるようになっている。
  ・40パーの人が、買い物は大型安売り店でするようになったと答えている。66パーの人は株価や住宅価格の動向に
   以前ほど注意を払わず、現在は家族や友人、子供、結婚といった‘個人的な事柄’を重視するようになっていると答えている。
  さらに同報告は「雇用不安が高まる中で職場がアメリカン.ドリームの礎石となっており、従業員福利が重要な意味を持ち始めている」
  「アメリカン・ドリームがこの一年で大きく変わったのは明らかだ。人々は人生の成功とは何か考え直し始めている」
  という興味深い指摘をしている。 どこの国でも不況期には、人々は生活防衛的になるものである。しかし同調査では、
  こうしたライフスタイルや人生観の変化は一時的なものではないと結論付けている。 ≫ 
  〜〜
 この調査から分かることは、この金融危機がアメリカ人に与えた影響は我われ日本人が見ているより遥かに大きな
 インパクトを示している。しかし、どうだろうか、日本の地方の現状も、こんなものかもしれない。
 ・・・・・・・・・
2811, 閑話小題
 2008年12月15日(月)
 *韓国経済が変なわけ
日本より一歩先に金融恐慌の影響が韓国経済を直撃、深刻な窮地に立っているようだ。韓国の経済の貿易による割合が
何と76%もあるという。ちなみに日本は、27%というから、この金融危機の影響は国家存亡の事態。
先日、日本が韓国に3兆円の緊急融資をしたことからみても、極めて重大な事態ということになる。円に対してウォンが
一年前の半値になっている。 輸入は倍、輸出は半値は厳しいだろう。自己通貨の暴落は、恐ろしいことである。
 * 医者は社会的常識に欠けるのか?
麻生の『医者は社会的常識が欠けている』は、誰も知っていること?
(字数の関係でカット 2011年12月15日)
・・・・・・・
2007年12月15日(土)
2446、狂気について
 (*^o^*)オ (*^O^*)ハ (*^。^*)ヨー!!
   「狂気について」渡辺一夫著(フランス文学者)       −読書日記
「狂気について」は、1948年のエッセイ集「寛容について」の中の一章である。
 ーまずは概要を、まとめてみたー
人間は「天使になろうとして豚になる」存在であり、おそらく狂気とはこの自覚を持たない人、あるいはこの自覚を忘れた
人間の精神状態ではないのか?と、我々には皆キチガイじみたところがあり、うっかりしてると本物になってしまう。
しかし人間というものは狂気なしには居られないものらしい。我々は、「天使になろうとして豚になりかねない」
存在である事を悟り「狂気」なくしては生活できぬ存在であることを悟るべきである。酒飲みの醜態を考えてみればよく解ること。
酔って醜態をさらし、しばらく飲まないで生活する、そして再び醜態を曝す。この循環こそ、人の状態でないのか? と。
狂気も正気も人の心に棲んでいて、これを忘れてはならない。
「戦争が狂気、平和は正気であるとするなら、戦争より平和の持続の方が実は苦しい」
平和は苦しく、戦乱は楽であることを心得て、苦しい平和を選ぶべきで、冷静と反省が、
行動の準則にならなければならない。常に「病患」を己の自然な姿と考えて、進むべき。
 ーーーー
これを読むと、何かホッとする。特に酒飲みの醜態の循環の箇所など!何かを目指したら、他からみれば
(目指している先は見えないから)狂気に見えるのは当然のこと。まずはそれを乗り越えることが求められる。
元々、人間は理想を求めれば求めるほど、「天使になろうとして、豚になりかねない」存在になってしまう。 
  (字数制限のためカット 2010年12月15日)
・・・・・・・・・
2006年12月15日(金)
 2082, ワーキングプア?   (~Q~;) おはよう〜〜 ファ〜
12月10日(日)にNHKで総合テレビで放映された「ワーキングプア?」ー努力すれば抜け出せますか ー
がシビアで、深く考えさせられる内容であった。今年の7月に放送したのを見て、肌で感じていた厳しさを
全国の事例として目の当たりにみせられ衝撃的であったが、その続編である。
  まずは、ーNHKのHPより抜粋したものであるー
『働いても働いても豊かになれない…』。
今年7月に放送したNHKスペシャル「ワーキングプア」は、生活保護水準以下の暮らししかできない
  『字数制限のためカット 09年12月15日』
 ・・・・・・・・・
2005年12月15日(木)
1717, 戦略ノート ー2       オッハー☆_φ(´∀`    
 以下が具体的な「戦略ノート」である。夢実現のための具体的な技術編である。
何ごとも、実際に文章化をして一つずつ実行すればよいが、誰も実行しようとしない。
−−        ma nomete  ~~旦⊂(・∀・ ) ~~旦_(-ω-`。) ドモドモ
1、自分の夢を書く  しかも締め切り入りで
2、今の自分の資源を洗い出す
   a)夢を実現するためにどれだけのことをしなければならないのか、
    そしてそのために全身全霊で打ち込む決意があることを確認する
    声明文を具体的に書きなさい
   b)夢の実現に役立つ自分の強みを三つ書きなさい
   c)夢の実現を拒むもので自分の力でなんとかできるものを三つ書きなさい
   d)夢の実現のために払うべき代償はなにか?
    ◇金銭 ◇時間 ◇人間関係◇現在の仕事・キャリア ◇安楽な生活 ◇その他
3、夢、実現への理念を書く
   自分の夢が明確になったら、実現へ向けての理念を書く
   自分の価値観と信念に根ざしたもの
4、成功への旅の進行度をたずさえてチェックする
   成功の目安となる具体的な目標を設定する
  −−−−       φ(・ω・〃) ♪
  ー他に、この本のポイントを書き出すと
    *人生の質を高めるなら自分自身を高めるしかない
    *いつか、そのうちなんて日はない
     ・今日この日に手をつける習慣をつける
     ・今日の成長は明日のための投資
     ・自己成長は自分の責任で行う   
     ・今日の成功は明日の敵   ねむ!(ρ_-)
     ・時間不足などいくらでも埋め合わせができる
     ・人生の核となる軸に時間とエネルギーを集中させよう
     ・一日一時間、週5日法でその道のエキスパートに。
     ・捨てるものを厳選しろ
     ・せっかくの知識を持ち腐れするな
(字数の関係でカット 2011年12月15日)
・・・・・・・・ 
2004年12月15日(水)
1352, 23歳の日記ー6
 6月17日 (1969年)
今日は休日である。何かしらない安堵感と、寮で一人いる不安感が複雑な気持である。何か日ごとに会社に染まりつつある。
それ自体悪いことでないが。流されている自分が不安である。自分が目指してきたものが、少女の淡い結婚を夢見ている姿と
どこが違うというのだろう。その甘さが、今の気持を不安にしているのだ。 それが行動にチグハグが出ているのだ。
流されているという感じも、そのためだ。自分の信念に対して、決してたじろいではならないのだ。歩むことしか、今は許されない。 
休むことも必要だ。といって、休みすぎて、歩くことに躊躇を感じるようになってはだめだ。登っていることはそれでよいが、
しかし断念はしてはならない。頂上の着くことより、そこへ着こうとしている努力こそ求められなくてはならないのだ。
しかし、登山には登山の準備が必要である。一つずつ山を登り続けなくてはならないのだ。
現在目指す山は『商道で力をつけることだ』流通業で、自分の創造力をつけることだ。しかし、僅か3ヶ月もしないうちに、
不安と疑問を持ち始めているのだ。このこと自体ナンセンスなのではないか?という疑問である。5月病でしかないのか。
自らが燃えないで、どうして光をつくることができようか。そのエネルギーがこの程度ということか? どうしたのだろうか?
 7月16日 1969年 22時30分
10日位前に四日市から、神戸の垂水店に来ている。四日市の検収をしている商品管理部から、室内装飾の売り場に移動後、
やっと慣れたら、2日後に急遽転勤の辞令。実際のところ頭が真っ白である。前知識なしに何人かが合併の先頭の交流の為に
神戸や大阪や姫路などに転勤である。まだ日にち4ヶ月も経ってないが、刺激的な日々である。昨夜は当直、その為か
今日の午前中は肉体的極限状態。聞きしに勝る酷い環境で、何か数百年前の江戸時代のような世界である。
日用雑貨の一部を受け持つが、30歳近い「主のような女性」が難物である。店の女性を仕切っている大ボスである。
まず彼女を自分の監督下におかないと。乗りこえなくてはならない女の壁だ。四日市本店は丁度よい時期に転勤かもしれない。
ボロが出る直前だったからだ。そのため、良い思い出だけが残った。特に寝具売り場の大西さん、黒田さん、伊藤さん、エッチャン、
伊藤さん、それに梅村さんだ。四日市のよい思い出になった。特に最後の夜の思い出は忘れることができない。ところで今日、
アポロ11号の打ち上げがTVで放送されていた。歴史に残る、素晴らしい光栄に満ちた出来事である。
あと半月後に社員登用試験が控えている。それには絶対受からなくてはならない。それにしても、凄いところにきたものだ。
寮が、四日市で同室であった堀田君が一緒というのが救いである。丁度良い相手が同室になって良かったが、
寮生と店の人たちは、まだまだ、心を開いてはくれないが、彼らも様子見というところだろう。
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2003年12月15日(月)
985, アパについて
 先日の夜のワイドショーにアパホテルの女社長がTVで出ていた。
(字数の関係でカット 2008年12月15日)
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2002年12月15日(日)
 611,ある時間の断片-25
 1968年 10月25日 金曜日
8時前に起床。学校へ向かう。 人事管理で討論をやる。我々のグループでは予習をいいかげんの割には論議に筋が通っていた。
授業後、兼子と奥村と食事。その後、ゼミの同期の連中と食堂で話をする。その後、欧州旅行仲間の川崎と酒向の下宿に行く。
大学の近くにある。寮住まいも大変だが、アパートの一人住まいも寂しそうだ。それぞれあるのだろう。欧州旅行の仲間の会を
日曜日に開くことにする。そこで連絡の打ち合わせをする。喫茶店のジョーイに行く。そこで川村の鈍行というグループが
集まっている。石川と田島もいる。田島と例の件で議論をする。田島は個性豊かな人間だ。私の顔がユニークだという。 
貶しているのか、褒めているのか。 お前に言われたくないとも言えなし。13時から武澤ゼミに参加。
指定の本をあまり読まなかったせいか、軽井沢ボケのせいかまるでついていけない状態だった。つくづくいやになる。ゼミ終了後、
高木と石川とゼミの3年の二人と飲みに行く。2軒回った後に、所属している合気道会の主催の「素晴らしき飛行機野郎」を
タッカーホールに見に行く。21時半に寮に帰ってくる。新聞を読んでいると、後輩の米林君がくる。
寮の佐藤嬢とのノロケを聞かされる。別れようが別れまいがどうでもよいだろう。23時に就寝。
ー反省ーゼミでの論理の曖昧さを実感した。もっと本を集中して読まないと。 
プラスマイナスを明確に把握、その為には、本を4~5回は読まないと。
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2001年12月15日(土)
270,本屋と図書館
“私は書物を人にはすすめない。その人にとって本は買うまでが勝負である。本屋でこの本を自分が買うと決める
その一瞬こそ最も大事なのだ。”(第一生命・桜井社長・“NHKトップインタヴュー”より)
本屋に行くと何ともいえない緊張感がある。そのせいかもしれない。自分でリサーチをして、そして決断か、
情報万引きー立ち読みか、本当の万引きか、その雰囲気を楽しむか、いろいろあるからだ。週に二回か、三回行く。
その時の時勢が反映しているのが面白い。最近はネットの「紀伊国屋」や「アマゾン・コム」で、半分以上買うようになった。
桜井氏の考えにも一理あるが、私など是非そのような人物が近くにいたら、教えてもらいた。といってやはり自分で苦労して
捜してこそ意味があるのも当然の事だ。本屋とか図書館に神か妖怪がいて、自分が真に求めている所に導いてくれるという。
誰もがその不思議な出会いを経験しているはずだ。立花隆の「僕はこんな本を読んできた?」が今の私のガイドブックになっている。
トイレに置いてある。一度座るたび、ダイジェストで一冊の要約を知る事ができる。
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ある時間の断片
12月15日 ー日曜日  1968年
 朝10時に起床。午後も何となく過ごす。 夕方食事に行き、その後独りで本を読む。その後卒論をまとめたりして過ごす。
 今朝ゼミの植本君から一昨日の礼状がきていた。その番のうちに礼状を書いて翌朝速達でよこすとは凄い。それだけ感激したようだ。
 しかしこの気持ちが一番大事なことである。先日のゼミの私が創作をした内容は実家の商家をモデルにした。
 そこでの人間関係を現在の寮の自分の立場に置き換えて話した。しかし、あまり練ってなかったので、その場で
 パフォーマンス的につくり変えたので矛盾点が出たのだ。どうしても表面的な受け答えに なってしまった。


3915, 閑話小題

2011年12月14日(水)

    * 夢の中で夢に気づく
  数日前、夢の中で、「これが現実のはずはない、これは夢だ」と確信したと同時に、その場面がス〜ッと消えて白くなった。
 これまで、これに近いことがあったが、夢の中で、リアルに夢と確信したことは殆どなかった! その翌日に、似たような夢を見た。
 夢から醒めた直後に再び、その夢に戻って、その場面を見つめている夢である。夢から醒めた後に同じ場面に戻れるか試したのである。
 そういえば最近、幾重にも重なった夢をみる。ほんらい人の心は複雑怪奇なもの。潜在意識は生物の進化過程の、それぞれの記憶が
 織り込まれている。夢は、その潜在意識が現れ出て、それを見せてくれる。それも物語の形式で。
   
   * 脳卒中
  冬は老人にとって、脳卒中になりやすい時節。昨日のモーニングショーが脳卒中の話題を取り上げていた。
 脳卒中と脳梗塞と脳溢血とクモ膜下出血の違いについて述べていた。
◎ 脳卒中は、脳梗塞と脳溢血とくもマッカ出血などの総称 
◎ 脳梗塞 = 脳の血管が何らかの原因(塞栓、血栓、出血など)で血管が閉塞したり、狭窄することによって、
       その血管から栄養される領域の脳室・脳幹が虚血を起こし、壊死または壊死しかけている状態のこと。
◎ 脳出血 = 脳内出血と、くも膜下出血に大きく分けられます。
 ・脳内出血ー 脳の内部で細かく枝分かれしている動脈が破れて出血し、脳の中に血のかたまり(血腫)ができること。
 ・くも膜下出血ー 脳の表面を覆っている軟膜とその外側のくも膜の間に出血した状態。
 対策として、風呂とか、トイレに入った時などの温度差に気をつけること、前兆の身体の不調を見逃さないこと、
 そして万一、それらしき事態になったときは三時間が目安、速やかに救急車を呼ぶこと、などである。
 数ヶ月前に幼な馴染みも急死したが、私の年齢になったら充分、気をつけなければならない病である。
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3550, 木鶏クラブ ー レジメ
2010年12月14日(火)
 先週の土曜日に頼まれたミニ講演(レクチャー)のレジメである。
地元では教養人?で通っている人たちの前で話すからには、通り一遍等の内容では何も残らない。
意外と渦中で殆どの人が気づかない、ネット社会到来の意味=価値を中心にすれば酒の肴にとレジメを作った。
 ■ 結論からー現在の世界恐慌?は
  ・20万前に人類が道具を使用を始めて以来の革命的道具=ネット、デジタルと、
  ・200万年に人類が言葉を使い出して以来の情報手段の革命的ツールがもたらした、現象の一つでしかない。
   このネット社会の当来は、人類にとって大変革をもたらす。ところが、識者の多くは、そのことを、あまり語らない。
   裸の王様ではないが、誰が声高に言うかどうかである。
1、時代は、どのようになっているか
  ・現在はネットデジタルがもたらしている、200万年、20万年、1万年に一度の人類にとっての革命期
  ・この恐慌は経済的に見て、500年、250年、100年に一度の大変動の序曲
   これも情報化社会の到来の一現象。  ネット化、デジタル機器の飛躍的進歩などによる電脳化は、
   人類が言語を持って脳の進化を始めて以来の革命的出来事。
  ・宇宙からの視点で、地球外から逆照射した理論が注目されてきた。 環境破壊の問題も含め
2、HPとブログに没頭した10年
   毎日、一テーマの文章作成の義務づけ
   そこで得たことは 起承転結脳、物語化の習慣づけ 論理脳
3、哲学が面白い
  この10年間、初心者向けの哲学書に徹して読んできた。特にカントに焦点を合わせて・・
  哲学はギリシャ哲学から始まりカントに納まり、そのカントから流れ出て現在に至っている。
4、秘境・異郷旅行について
  47回の旅行からえたもの アフリカ、南米、etc
   〜〜
 何か気楽に引き受けたが、軽すぎるのも、重いのも何である。地元では一応、識者?で通っている人前で何を?と。
 そこで、「このネット社会の到来は、実は20万、200万年に一度の大発明で、人類にとって大断層を起こすほどになる」
 という内容にすることにした。聞いている方は、何かキョトンとしていたようだ。梅田望夫ではないが、この10年間で、
 現実社会の他にネット社会が、いま一つ出来てしまった。そして、それが現実社会の上に覆うようになった。
 これが尖閣列島のビデオ漏洩問題とか、アメリカ政府の秘密漏洩事件につながる。抑えようがないのが現実である。 
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3175,学習性無力感
 2009年12月14日(月)
[私はいつも仕事でミスばかりしている」[自分が就職する企業は、何処も良くない」「どうせ自分は何をしてもダメだ」
「旅行に出ると、嫌のことばかりつづく」「女性には持てたことがない」「あ〜あ、面白くない」とマイナーなことばかり
目に捉われる人がいる。そういう心理傾向を[抑うつ的自己意識スタイル」という。悲観主義者である。誰も失敗したり、
何をしても駄目な時期がある。そして自己嫌悪に陥り、欝症になり、それが重くなると、鬱病になる。
そして、マイナーな言葉により、何もヤル気がなくなる。それを[学習性無力感」の法則という。
その底から、這い上がる過程で自分を作り、そこで力がつく。
 アメリカの心理学者の実験がある。
≪ 第一のグループには騒音を止めることが可能で、第二のグループにはコントロール不可能な状況に置き、その後、
全員を騒音を止めることが可能な状況に置いたところ、第一のグループは簡単に騒音を止めることができたが、第二のグループは、
「学習性無力感」が働いたのか、誰も騒音を止めようとせず、その状況に耐え続けることしか出来なかったというのである。≫
 一番の問題は≪どうせ自分なんか≫という考えが習慣になると、ろくなことがないということ。
これに対して、成功体験が人間をプラスを重複して導き出すのである。これが世の中に出回っている「成功本」の共通点。
この「学習性無力感」をもじれば、「学習性達成感」ということになる。大相撲やプロ野球で、優勝回数の多い力士や選手は、
ますますヤル気が出て練習に熱が入る。 優勝というゴールセッテングが体験でハッキリイメージできるからである。
逆に、失敗時のイメージを持つと、負け犬になってしまう。 「学習性無力感」が付いているのである。
 恐ろしいのは、この20年近く日本は、バブルの崩壊以来、どうも学習性無力感が国に、ついてしまったことだ。
現在の若者の間で、「一度で良いから景気の良い社会を経験してみたい」という願望があるという。
景気がよく、努力をすれば報われる実例が周りにあれば、自分も!と啓発されるのだろうが・・・
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2810, 禁断の市場
2008年12月14日(日)
「禁断の市場 ーフラクタルでみるリスクとリターン」   ベノワ・B・マンデルブロ (著)
この本の「内容紹介」と『禁断の金融10ヵ条」が、簡潔に纏めてある概要である。
それぞれのページは、あまりに難しいので、この部分をジックリと理解することで良しとした。
 これもフラクタル理論の応用?
ー内容紹介ー
「フラクタル」という言葉、あるいは本書の著者である「マンデルブロ」については、どこかで聞き覚えがあると思います。
フラクタルとは、全体を一定の割合で縮小すると部分が再現できることを指します(部分と全体の自己相似)。
1970年代にマンデルブロにより命名され体系化された概念です(本書167頁)。自然現象との幅広い関わりが研究され、
統計物理学、宇宙論、気象学、水文学、地形学、解剖学、分類学、神経学、言語学、情報技術、コンピュータグラフィックス
などの分野にさまざまな影響を及ぼしています。 インターネットで「フラクタル」あるいは「マンデルブロ集合」を
検索していただければ、どこかで見たような図を多数見ることができます。雲や山脈などの風景を描いた、「写真」のような
図もありますが、コンピュータが計算して描いたグラフィックスです(本書196、324頁)。
マンデルブロ以前には、自然の世界において「雲は丸くないし、山は円錐ではないし、海岸線は滑らかではない」ことを
数学的に説明することは不可能でした。それを明らかにしたのが、1982年に刊行された『フラクタル幾何学』(翻訳は1985年)です。
その功績は「私たちが自然を見る目を変えてくれた」と称えられ、1993年には物理学の世界で権威あるウォルフ賞を受賞している。
また2003年には日本国際賞を受賞しています。 本書は、その考え方を金融市場に応用したものです。
マンデルブロにとっては、1960年代から続けてきた研究ですが、一般書の形で発表されるのは本書が初めてです。
マンデルブロの研究は、所得の分布と綿花価格の変位の分布、乱流状態にある流体エネルギー散逸量の変動と金融市場における
ボラティリティの変動の類似性など、グラフを見比べて「似ている」と感じた直感に基づいて研究が発展したそうです。
本書では、「自然現象のフラクタルと経済現象のフラクタル」は同一のものであり、このフラクタル幾何学を金融市場に
適用することによって「ランダムウォーク理論からは予想できないバブルの発生と崩壊」が理解できるようになるという
マンデルブロの考え方が示されています。金融工学の基礎となっているのは、コインを投げて、表が出たら相場が上がり、
裏が出たら下がるという最も単純な「マイルド型」のランダムさの変動をモデル化した概念です。実際の市場は理不尽な動きをする
「ワイルド型」のランダムさに基づいて動いている。市場の動きを説明しモデル化できるのは「洪水」や「大気の乱流」などを
説明できる「マルチフラクタル・モデル」であるとマンデルブロは主張します。 2008年1月のダボス会議でライス国務長官は、
サブプライムに揺れる世界経済について「われわれは今、タービュランス(乱気流)のなかにいる」と発言し、話題になりました。
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 それにしては、内容が難しい。そこで、一番の要点の12章の「禁断の金融10ヶ条」から、「サブプラム・ローン入りの債権」
で大損をした無数の人を対象に、これを当てはめると、この意味が解るから面白い。 私も証券会社の人を近づけていたら、
毒入り債権を買っていた可能性があるからだ。「だろう」と、結果としての「〜になった」は、違うのである。
 *禁断の金融10ヶ条     
*市場価格とは乱高下するものである。 
*市場とは、きわめてリスクの高いものである
 ー既存の金融理論ではけっして起こるはずのないリスクが現実に起こる
*市場のタイミングはきわめて重要である。 巨額の利益と損失は短期間に集中して起こる
*価格はしばし不連続にジャンプする。そして、それがリスクを高くする。
*市場での時間は、人によって進み方が違う
*いつでもどこでも市場は同じように振る舞う
*市場は本来不確実であり、バブルは避けることがでぎない
*市場は人をだます
*脳の予想は無理と思え。しかし、ボラティリティなら予測可能だ (*価格変動率)
*市場における価値は限定された価値である
 −−−
何か大損をしたと想定して、これを読むと、一言一言が実感として解る。
間違っても、証券会社の言いなりになってはならないということである。
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2007年12月14日(金)
2445, ルサンチマン           (Оゝ∀・О)。+゜+。ォハョォ☆
 初め、ルサンチンマンという言葉をニーチェを読んで知った時に、その鋭い指摘に驚かされてしまった。
弱者の怨念を宗教の巧妙な手口で利用したのがキリスト教の基本か?と。
昨年の9月の読書日記に一部書いたが、更に掘り下げて考えてみる。
 *まずルサンチンマンを ーGoo辞書ーで調べてみた。{ もともと恨みや憎しみが心の中にこもって鬱屈した状態を
いう言葉だが、ニーチェはこれを弱い者への思いやりや自己犠牲を説く平等主義的な道徳の起源を説明するために用いた。 
彼によればキリスト教道徳や,そこから生まれた近代市民社会のヒューマニズムや人権の思想は,
弱者の強者に対する恨みや復讐心を道徳として表した奴隷の道徳なのである。 
この延長上にある社会主義の思想も,このような奴隷道徳の一部に他ならないと考えられる。
ニーチェはこれに対して強者の道徳,貴族的な誇りや勇気を讃える戦士の道徳,
君主の道徳を対置した(ニーチェ『道徳の系譜』)。これは結局ファシズムによって利用される結果にもなった。}
 ーー 
あるブログの中では、
{ニーチェは、人が「善悪」という言い方をする真の原因は現実世界の力関係にあると言う。
強大な民族が平和に暮らしていた弱小民族を襲い、征服したとしよう。勝者は敗者の財宝や婦女を奪い去っていく。
残された人々は、相手に害も及ぼしていない自分たちを襲い、悲惨な目に会わせた相手を悪の権化として呪うだろう。 
それに比べ、罪なき自分たちは善である。「善悪」はこうして、カでは相手にかなわない弱者がせめて「道徳的」には
優位に立って、相手を見下そうとする心理、「妬み(ルサンチマン)」から発生する。
同じことは「正義」「節制」「勤勉」「清貧」などあらゆる道徳的価値に言える。
(字数制限のためカット 2011年12月14日)
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2006年12月14日(木)
 2081, あたりまえのことばかり −20         才八∋ウ_〆(∀`●)       
  ここでは哲学という視点で、心の問題を取り上げているが、感情について、なかなか切れ味は鋭い。
  「激しい感情が、向こうからの訪れる」とは、なるほど!である。 向こう側とは何処なのか?
  学生時代に[情念の話術]という本を読んで、実際に自分で試したことがあった。
  喜怒哀楽を前面に出して、自分を押し出して、話しをする。車でいうと、感情というエンジンを前輪駆動にする。
  これをやりだすと、それまでと全く違った自分を見出せる。
  抑えている感情を逆に、エンジン代わりに言葉にのせて自分を奮い立たせる。
  これは性格改造にもなるが半面、非常に危険である。一つ間違うと、周囲を深く傷つけてしまう。
  これはヒットラーが大衆を煽動する手段として演説などに使った。よほど計算を緻密にしておかないと、
  自分が見えなくなる。しかし自分の感情を常に支配下に置くに、よい訓練になった。
  感情を道具にするのだから。傷つくということは、感情に支配さえていることだから! 
   ー傷を癒すには傷とは何か、傷つく感情とは何かを、考えてみなければなるまい。
   虚構の自我に捕らわれている自分に気づいていない無知が、勝手に傷ついているだけ。
  要点を抜粋してみる。
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 どうすれば癒されるのか −?
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 私が私であり、私の心が私の身体の中に存在するという錯誤の世界像を思い込んでいる人だけが、各種のグッズや
 セラピーによって「癒される」。癒されたと思い込むことができる。「本当」の傷を負った人々は、
 そのような単純な主客二元の処方箋では治療できず、「本当か」の問いに直面するのではなかろうか。
 すなわち、傷ついている人は誰なのか。「私の」意志を越えて立ち上がるこの感情の激しさとは何か。
「私の」運命はなぜこのようでなければならないか。私は私である、すなわち私は自我であるとは明らかに虚構であり、
 しかも近代特有の虚構である。それなら、病理として現れるその崩壊現象こそ、ある意味では、近代以前の本来的の
 ありようを示しているといえるかもしれない。古代の人々にとって感情の自律性とは、それ自体で神々の訪れだったようである。
 怒りの神が、嫉妬の神が、憎しみの神が、到来する、私の心に、このとき私の心が私の所有であるとは意味を成さないだろう。
 感情それ自身が神々である。あるいは魂が複数の人格から成るという世界観は、現代のわれわれの心的生活を、少なからず
 解放する。ある強い感情に圧倒される時、これは「私の」感情ではない。向こうからの訪れなのだと捉えることは、
 自己観察の距離を生む。逆に、見慣れない感情、厄介な感情をもむかい入れ、親しむ余裕すら生じるかもしれない。
  (字数制限のためカット 2010年12月14日)
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2005年12月14日(水)
1716, 絵文字が面白い!ー2
  ー喜怒哀楽の絵文字
 (以下、字数制限のためカット 09年12月14日)
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2004年12月14日(火)
1351, 全日本相撲選手権
この時期の日曜日、全日本選手権が行なわれている。全日本学生選手権か、この選手権で優勝すると、多くが卒業をすると
大相撲にいく。
  (字数制限のためカット 2010年12月14日)
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2003年12月14日(日)
984, 電波時計 
 (字数制限のためカット 2010年12月14日)
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2002年12月14日(土)
610,ある時間の断片-24
  10月24日 木曜日
6時半起床。 7時半に三浦さんが上京の為に、車で駅までおくる。ホステラーが帰った後、一人で過ごす。
16時半に寮の高橋君と佐々木弟を迎えに行く。寮の難波嬢もくる。そういえば彼女と一年前に2時間位散歩をしたのを思い出す。 
ただそれだけだが。あいも変わらずキャキャやっている。去年ここでホステラーをしていた時に、夜の話の中で4人のうち
私だけが外国に行く予定がないのに疑問をもった。そして、その夜のうちに旅行を決定した。 両親を口説いた。
まず母を篭絡して、母と父の篭絡の相談をした。母が「私が反対すると、あの人は賛成に回るから」と言ってくれた。
そしてその通りになり、その後その計画に父は気づいたが、うれしそうな顔をしていた。19時の列車で寮に向かう。
22時前に部屋に着く。ボクシングで原田弟がノックアウトで勝ったところだ。その後駒村と米と語り、零時まで明日の
ゼミの予習をして就寝。追文ー軽井沢はスランプのためによかったが、気を取り戻して卒論をやらなくては。
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2001年12月14日(金)
269,再開発の愚
過去に書いた再開発の愚の文をコピーしておくが、懲りずまたもや新潟駅前で始まった。
それと万代橋の近くの再開発もである。 理屈はわかるが、民間がやるべき事だ。
どうしても権力を持つと自己証明をつくりたくなる。そしてやり逃げをやる。
逃げるところがあの世だから、更に始末が悪い。再開発だけには関係するな!これが鉄則である。
 (字数の関係でカット08年12月14日)
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12月14日 土曜日  1968年
 12時に、同級生の雨宮のフォークソングのライブを聞きに行く。以前、長岡の自宅の遊びがてら泊まりにきたことがある友人だ。
ーその見返りに茅ヶ崎の旅館に泊まりに行った。知り合いでは彼と角田などがいる。想像をしていたより、ズット上手いのと生き生き
していたのに驚いた。それと堂々といていたのも新しい発見である。しかし途中で飽きてしまった。わざわざ池袋まで行ったのにと
思ったが中座をして帰ってきた。悪いことをした。 18時から寮の忘年会である。
全員が楽しそうであったが気持ちの奥で、何か白けている自分がいた。 何げなくその会場から出る。 先輩の文夫さんの
言っていることは何だ! 先輩だろう、情けない!自分で考えることのできない人間だ。 何も考えないできたのだろう、
気の毒の一言である。 同僚のいや同寮の水野君と新宿のクレージキャッツに行き、踊り狂う。
汗ビッショリである。しかし気分がすっきりとした。0時半に帰寮。毎日何をしているのだろうか。


3914, 50冊の本をデジタル化してみて

2011年12月13日(火)

 iPad2を購入して4ヶ月になるが、これは良い。 パソコンゲームは面白し、ネットサーフィンが直ぐに出来、電子書籍を気楽に読め、
アプリが豊富で面白いのが手軽に入手出来るなど、充分に満足している。そうこうあって二ヶ月前に50冊の本をスキャン代行業者に送り
デジタル化した。 本を送った一週間後に封筒に一本のUSBが送ってきた。そこに全てが入力されていた。 
ところが、これをiPadに如何したら移行したらよいか分からず二ヶ月以上経った。 サポートセンターへ電話をすれば済む問題だが、
まだ本気になっていないだけのこと。 特に気に入っていた本を送ったため、デジタル化の判断を間違えてしまったか、後悔しかけたが、
数日前から気を取り直して居間と書斎にあるiMacパソコン取り込み読んでみたが、これが案外に良い。 特に字を大きく出来るのがよい。
実際のところ目の前に本があっても、いざ開いて読むかというと、必要にせまられないとなかなか開かない。ところが、パソコン画面の
ファイルに50冊を入れておき、気が向くとクリック一つで気楽に本を開けるのが良い。 それも大文字にワンタッチで変換できる。
先日、東京に行ったときに駅の売店で何気なく週刊誌を買ったが、家内に「何で、電子の週刊誌にしないの?」と言われ、ハッとした。 
朝にネットでiPadに入れていけば良かったのだ。しかし売店で選び車内でバラバラと見ること自体が良いのだが。
実際に、紙の週刊誌と、iPadの中の週刊誌のどちらを取るかというと、もちろん電子本。 紙の週刊誌は、一度読むと二度と開く
ことはないが、電子書棚に放り込んでおけば開く機会が格段に多くなる。 ところで、送料を入れると電子書籍化には200円かかるが、
200冊で4万円が高いかどうかである。実際にiPadとデスクトップでダウンロードした書籍などを読んでみて実感したことは、数年で、
間違いなく日本の出版業界と書店は滅的打撃を受けるということ。 50冊のデジタル化は早まったか?の、迷いはきれいに無くなった。
私にとって、これは読書のスタイルという面で大きな出来事になる。 年内に、あと50冊を電子化するかどうか思案中である。
それにしても、パソコンとiPadとiBookで書籍を読もうとは思ってもいなかった。
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3549, 生きてるだけでなぜ悪い ? ー1
2010年12月13日(月)
  「生きてるだけでなぜ悪い?」―哲学者と精神科医がすすめる幸せの処方箋ー 中島 義道 , 香山 リカ (著)
 中島義道が、女心理学者に最後まで、遠慮をしているようで、歯切れは悪いが、それでも面白い。
二人とも大学を出て社会的にも金銭的にも恵まれている余裕からこそ、好きなように出来るが、それがないと?
島国の世間的体質にドップリ漬かり、そこから一歩も出ることができない日本人に冷笑をしているのである。
 地方に住んでいると全く開き直りの出来ない人達に呆れるやら、腹がたつやら。
  ーまずは内容紹介よりー
 若い読者を対象に「生き難い」男女に語りかけてみました。しかし両著者とも、他に類を見ないような「突き放した態度」や、
「見もふたもない態度」で一貫しています。 甘えを蹴飛ばし自己幻想を突き破り、しっかり自分を見よ!と、「喝」を入れる。
 といって、「まじめに生きればいつか報われる」なんぞクソ食らえ。 人生何事もやってみなければ分からない。
「成功したければ動け! 失敗しても学ぶ事はある」といったメッセージ
 〜まずは< 第1章 結婚なんかしなくていい! >から〜
 家族至上主義を告発し、家族がないっていいね、といっても排斥されない健全な世の中がくればよい。
 ー中島義道の結論ー 現代日本は多様化していると言われながら、「勝ち組」と「負け組」という言葉が横行しているように、
ずいぶんはっきりした価値基準があります。結婚や家庭もその一つ。結婚したくてもできない人は「負け組」に分類され、
結婚できるのにしたくない人は「変人」に分類される。 そして「家庭」とか「家族」という言葉こそ、錦の御旗になっている。
「あなたにとって一番大切なものは何?」と聞かれて「家族」と答える人は、まともな人。「金」や「会社」、まして「自分」
と答える人は、「かわいそうな人」なのです。しかも、結婚して家庭をつくることは、現代日本では「つつましい幸福」
とみなされているからこそ、「善良な市民」という名の、何の才能もないけれど身の丈に合った幸福を求めている国民大衆に
大受けする。こういう風潮を「家族至上主義」と呼んで私はずっと告発してきましたが、今や「家族ファシズム」と呼んだほうが
いいかもしれない。「家族っていいね」とごく自然に語る人と並んで、「家族がないっていいね」とごく自然に語る人が
排斥されない「健全な」世の中が早く来ないかなあ、と思います。
 ー香山リカの結論ー 結婚で得られる自信や安心は、本当の意味では自分を支えてくれない。
 〜〜
 時代の流れだろうが、結婚すること自体が難しい時代になってきた。「結婚をして家庭を一度は作らないと、
それを肯定も否定も出来ない。」というのは、「家族至上主義」の侵されているためか。しかし、ベースであることは確か。
逆に「家族で群れてなぜ悪い?」という問いを立てると、そのプラス・マイナスが見えてくる。「群れている分には良いが、
独りになれないだろう」とか、逆に「‘人’と‘人間’の初めの境い目が家族だろう」とか。
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3174,言葉はこころの杖
2009年12月13日(日)
 「片耳の話」ー秋山駿著 で、
「言葉は、人生を歩くための杖である。というより、こころの杖である、といった方がよい。
 若いときは、高く跳ぶための杖だが、老いれば、転ばぬための杖である」
「―汚い言葉は、汚い痰のようなものだー 私は教室で若者達に、このようなことを言っている。
 もっと言葉にお洒落になってもらいたい、として、よくプルタルコス[饒舌について]の次の言葉を紹介する。
《 すなわち、酒は本来楽しんで愉快になるために発見されたのに、むりやり何杯も、それも生のまま飲ませる
 連中がいて、こうなると酒は不愉快な泥酔のためのものになる。 まさにそれと同じように、言葉は本来楽しく、
 かつ最もよく人間味を伝えるものなのに、それを悪用し、また無造作に使う者がいて、そうなると言葉は人情に反し、
 かつ人を孤立させるものになってしまう。》」と、言葉の人生に対する影響を述べている。 
それは、杖だけでなく刃物にもなってしまうこともある。人生の終盤を迎え、そろそろ転ばぬように、自分を支える杖と
しなければならない。「ありがとうございます」や「般若心教」は、こころの杖として、最上級のものだろう。
仏教では「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華教」という御経を杖として与えている。晩年は如何に良い言葉を多く知っているかで
決まってくる。そういえば学生時代、紙に書いて部屋の壁に貼っていた言葉がある。
  ロマンローランの「ベートーベンの生涯」の中の言葉
「良くかつ高貴に行動する人間は、それだけでも不幸に耐えることが出来る」
「苦難の通りぬけて歓喜へ」である。 現在は何だろう? 「如何にでもなる!」あたりか?
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2809, 閑話小題
2008年12月13日(土)
 閑話小題
 *米自動車救済法案、協議決裂 政府支援白紙だと!
間違いなく通過するだろうと見ていた米自動車救済法案が決裂、政府支援が白紙になった。
これから、どうなるかが問題だが、これを書いている12日の16時現在では、アメリカの株が大暴落の可能性がある。
株の世界は、これを逆に好感するかもしれないが、この時期では弱気が大勢を占めているので暴落になるのだろうか。
その方が、下手に延命して無駄な資金を垂れ流すより良いことは誰の目にも明らかである。
ドルはアッサリと90円を割ってしまった。長い目で見れば、日本車のメーカーはプラスに働くだろう。
しかし当面は七転八倒の苦しみを味わうことになる。 何とか輸出企業の頑張りで持っていた日本経済の信号は黄色点滅から、
一挙に赤信号?になってしまった。もし、GMが倒産でもすれば、アメリカ経済は氷河期に入り、その影響は世界も
大恐慌への足が速くなる。考えただけでも恐ろしい。恐らく、これに合わせて日本の政局も大きく動き出すことになる。
しかし、取りあえず救済策を出すしかない。
 * オバマ政権の顔ぶれをみると
(字数の関係で中略(2011年12月12日))
 * アメリカが新ドルの発行で、対外債務を半分に?
オバマが、大統領に就任した後の、近い将来にアメリカが『新ドル』に変更。旧ドル二ドルに対して、新ドル一ドルにするのでは?
という説がある。早く言えば、「どっちにしてもドルは半分の価値になるのだから、新ドルに切り替え、交換比率を半分にして
借金の半分を踏む倒す」というもの。「国内的には給料は維持するから預金を持っている人は、半分になる反面、
借り入れをしている人も半分になる。給料は、そのままにする」というのだから、大問題になるだろう。それしかないだろうと、
日本の学者が、その可能性を述べているに過ぎないが。しかし、日本もして欲しいものだが、無理だろう。
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*トヨタが100万台以上の生産削減
トヨタが、グループを含めて100万台以上の車の生産を決めたと、昨日の朝に報じていた。
(字数の関係で中略(2011年12月12日))
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2007年12月13日(木)
2444, 挫折は財産           (^ω ^)おはようw            
  故・音羽信子の夫であり、映画監督・新藤兼人の次の言葉がよい。
「挫折をして、挫折のままだったら、今いないわけでしよ。生き延びてきたということは、挫折を乗り越えてきたからなんです。 
 そうすると、私の財産は挫折なんです。乗り越えるためには、試行錯誤があって、まだ挫折が来る。若い人は挫折をしてませんね。
 これからするわけなんだから。だから、若い人と対抗して仕事ができる気持ちになれるのは、
 私が挫折という財産を持っているからなんです。」
ー図書館で何気なく手に取った本の中の新藤兼人の言葉である。挫折を財産と言えるには、結果として乗り越えたからである。
 人生はいずれにしても、最後は何らかのカタチの挫折が待っている。挫折は誰のせいではない。自分自身の問題だから自分で
 解決するしかない。 挫折から人は多くのことを学ぶ。乗り越えられなくても、諦めるしかない、そのことの方が何倍も大事である。 
 諦念の底から知恵が出てくる。知恵など出なくても、挫折した人の気持ちを知ることが出来る。 
 多くのことを考えさせてくれる言葉である。
渡辺貞夫の次の言葉もよい。
「練習は出来るかぎり毎日欠かさない。楽器はシビアなんですよ。適当にやっていては、言うことを聞いてくれない。
 また楽器も手応えのあるものでないと、 サックスは一言でいうと、ぼくの批判者。
 サキソフォンを通して、僕の状態が何時もみえる。 僕がよければ、いい音を出してくれるし。
 だから楽器を通して、僕は今の自分が全部見えるんです。」
ーこれは、一つのことに徹してる人だったら言える言葉だろうが、自分の選んだ楽器と心が一体化しているという響きが良い。
 二人とも一流のプロである。多くの難問を乗り越えてきた経験から出た言葉である。         *・д・*)ノ″
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2006年12月13日(水)
2080, 談合列島!−3
       _ _)oパタ (o- -)oムクッ (o°▽°)oニパッ (o_△_)oゴロン(o_ _)o.。o○グー オハヨ〜
昨日・一昨日、この随想日記に「談合列島」というテーマで書いたところ、昨日の19時半のNHK
「クローズアップ現代」で、ー談合列島ーが二日間にわたり放送していた。
一昨日は忘年会でみることが出来なかったが、昨日の「崩れ始めた“談合列島”」は、
脱談合が進みつつある業界の実態に迫るもの。 公共事業の大幅な削減や談合を規制する制度改正が進む中、地方では、
従来型の談合では共倒れになると業者が対立。"談合破り"とそれに対する報復が繰り広げられるなどの異変が起きている
現状をレポートしていた。一連の県知事逮捕が続いている中で、タイミング的に丁度よい内容である。
大手ゼネコンや機械メーカーは、独占禁止法改正による罰則強化をきっかけに"脱談合"を宣言。その結果、入札の現場では
自由競争が促進されたが、予定価格の50〜60%の「叩き合い」が起きているという。
談合で守られていた価格破壊が、一挙にこの業界襲っている。建設関係の従事者が国民の一割に当たるというから、
この数年は、すざましい淘汰が吹き荒れることは必定である。公共工事が平成七年の35兆円から、現在は半分に減少している。 
(字数の関係で中略(2011年12月12日))
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2005年12月13日(火)
1715, 下流社会    茶 どうぞ ( ^-^)_且~~~
最近、下流階級とか、下流社会という言葉が目につく。 その丁度良いタイミングに『下流社会』という本が出た。
先取りの典型的な本である。初めて東京暮らしをして実感をしたのが「世の中は歴然とした階級社会」ということであった。    
(*o☆)\ 初対面で、自己紹介で何気なく自分の身分のキーワードを入れる。それでそれぞれの立場(階級)を確認するのだ。 
情報化、グローバル化は結果として競争激化をもたらす。それが激しければ激しいほど、階級格差がハッキリする。
特に近年の競争の激化が中流社会を希薄にし、一部勝ち組の上流?社会と、他の負け組みの下流社会の二分化を鮮明にしだした。
そういえば「○金」「○ビ」という二分法が、80年代末の日本では一世を風靡したことがあった。
                      オレ〇ビ? σ(*`θ´*)
ーーー
ーこの本のインターネットで調べた概要を編集してコピーしてみたー 〔読まなくても充分である。〕           
 「下流社会  新たな階層集団の出現」光文社新書(著:三浦展)
「下流」とは、単に所得が低いということではない。
 コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低いのである。
 その結果として所得が上がらず、未婚のままである確率も高い。 そして彼らの中には、だらだら歩き、
 だらだら生きている者も少なくない。その方が楽だからだ。(「はじめに」より)
 団塊ジュニア(1970年〜1975年頃誕生)世代の女性で「上流」意識を持っている人が気に入っている
 時計のブランドがオメガ等を押さえてセイコーやシチズンであるという。
 オメガからシチズンに変えた理由はオメガの鎖が切れたので修理しようとしたところ、大変な時間と費用が
 かかることが分かったからだ。また自動巻きのオメガは少し外していると止まってしまうし、月末には日付の調整を
 しなければならない。それに較べて電波時計は、全くのメンテナンスフリーだからだ。   
 時計とは「正確」で「手間がかからず」「そこそこの堅牢性」があることが最大のポイントだ。
 それをデザインだの、手巻きに味がある等と講釈を付けるのは時計メーカーのセールストークに過ぎないだろう。
 時刻合わせに気を使うより、世の中には沢山しなければならないことがある。 (/_ _ )/♪へ(-。-へ)♪(/_ _ )/
 先程の時計の調査で下流階級ほどロレックスやオメガを好む傾向が出ている。外見以外に自分を際立たせるもののない
 下流階級の悲しい性(さが)という。 著者は「『下』は自民党とフジテレビが好き」であることを指摘している。
(字数の関係で中略(2007年12月12日))
・・・・・・・
2004年12月13日(月)
1350, 遠くにありて日本人
この番組み、度々見ているが、昨日のアメリカのロス近郊のバイク・ビルダー(手づくりバイク)の日本人が面白い。
ライダーからの特注のバイクをつくるミニメーカーの日本人の紹介なのだが、
ライダーの世界と、そのバイクの製造過程が垣間見れた。いずれにしても、プロフェッショナルの共通点がある。
すべてを投げ打っているという点で学ぶ点があまりに多い。この「遠くにありて日本人」は世界のそれぞれで
自分の生き方を貫いている日本人を紹介しながら、その地域や、人間の生き方を覗き見る内容である。
自分の好きなことを見つけ、それを貫いていることが、人間としての理想的な生き方である。
グローバルの時代に、本場に行って理想的な生き方をしている人を紹介している。アルゼンチンに行って、「アルゼンチンタンゴ」
の踊り手になっている中年に差し掛かった女性も印象であった。この番組みを見ているとき、時たま街で出会う高校の同級生から
電話が入った。「佐藤というあの無口の同級生が、中越地震で被害にあった山古志村の診療所の医師をしている。
いま仮設の住宅地でやはり仮設の診療所を開いて苦労しているからクラスの同士で来年早々、慰安会を開いてやらないか」
とのこと。時々TVや新聞に出ているという。 それを聞いた家内がいうには、「近くにありて日本人。ね」
なるほど上手いことを言うものだ。 色いろな人生があるものだ。
・・・・・・・
ある時間の断片
12月13日 1968年
 昨日に続き、朝起きることが出来ない。結局起きたのが11時過ぎ。やっとタクシーに乗り、学校へ向かう。
昼飯後、ゼミに出席する。 この日は、ゼミの「ケーススタデー」は、私の番である。
私が創作した「ある会社内のトラブル」を具体的に述べて、それを全員が問いただし問題のありかや処理を考える。
質問に対して臨機応変に答えなくてはならないのだ。アガリはしなかったが一人一人の質問に辻褄を合わせなくてはならない。
特に武沢教授の執拗な質問には、ドンドン追い詰められていった。私のいい加減なところを徹底的に問い詰められてしまった。
この時、このゼミの奥行きの深さに内心驚いてしまった。ストリーを創ることで精一杯で、そのストーリーの組み立ての
いい加減さを自分で気がついてない。全員に囲まれて、竹刀であちこちから打ち込まれるのだ。 それも道場主から、鋭い竹刀が
彼方此方から来るのだからたまったものではない。石川の「イヤミ」もその中で出た。その後、総評の中で石川、植本、東レの照井さんの
私に対する性格分析があった。非常に鋭い内容で丸裸の自分を曝け出しているようであった。一生忘れられないだろう。 ゼミ終了後、
一年後輩の植本君を誘って飲みにいく。池袋の「嵯峨」「パブエリート」そして、先日姉達といった赤坂の「ムゲン」のコースであった。 
その日の鬱憤晴らしで、2時間も踊り狂う。植本君も純粋で面白い男である。自意識過剰のところが他人に性格を
変えられてしまう可能性がある。その後、帰寮。駒村孝道が部屋に来る。学校で何かあったようで、大荒れであった。
部屋のウイスキーを飲んで、話を聞いてやる。 2時就寝。
 ー今日のゼミ、一人で全員を相手に受けて立つのもよい経験であった。よい学生時代の思い出になるだろう。
  真剣勝負の感じがしたが、舞台のステージに立っているようで面白いところもあった。


3913, 閑話小題

2011年12月12日(月)

   * ひとり焼肉専門店 「焼肉ひとり」
 最近、独り者が増えているためか「ひとり用の専門店」がニュースになっている。 一人カラオケ、ひとり焼肉専門店などである。
店サイドは、一人で一部屋・一テーブルは効率が悪いので良い顔をしない。が、この不景気で、そんなことは言っていられない。
しかし最近の国勢調査で単身世帯が全世帯の三割を突破、「夫婦と子供」世帯を上回っている。アメリカでは、一人客は寂しい人と、
白い目で見られるという。 映画やTVのドラマでも店の中の一人客は少ない。そこで、店の構造から一人用の席をつくる発想である。
30年間続けてきた事業も「お一人様専用ビジネスホテル」だった。 ひとりカラオケを「ヒトカラ」に対して、二人のカラオケを
「フタカラ」、多人数のカラオケを「タカラ」と呼ぶらしい。 ヒトカラは、歌の練習やストレスの発散に使われるが、何か侘しいか。
  * そろそろ今年の総括
 今年は、東北大震災と、30年続けてきた事業の惨事?が重なった。20%半ばの売上ダウンが三年目に入っても止まらず落ち続ければ、
この事態は当然。 恐慌の前ぶれの波に直撃されたことになる。 過去の40年近い事業人生で資金繰りの心配をしたことが無かった。
しかし、数値は数ヶ月後に資金枯渇状態になることを示していた。 何度も何度もシュミレーションしても、半年後にはアウト。 
その上に東北大震災が起こってしまえば何の躊躇することなく決断をせざるを得ない。 そうこうあって、心の痛手は深いが、未練とか、
後悔はない。 それより現在起きつつある大恐慌の近将来の到来と、東北震災の経済に及ぼすマイナス現象である。
 今さら最悪の状態の私が何を言わんであるが・・・  今年の総括は、もう少し年末が押し迫ってからにする。

・・・・・・・
3548, 遊ぶように生きる
2010年12月12日(日)
 =横尾忠則の、ある雑誌にあった「死を想う〜人生の一考察」が面白い!
    その一部を抜粋してみる=
【 一体人生とは何なんだ。お釈迦様は生老病死と言われた。確かに上手いことを言う人だ。 大抵の人間はこの四文字を経験する。
 お釈迦様みたいなエライ人でも、このことだけはぼくと平等である。 エライから死なないということはない。エライ人でも
 アカン人でも全員がこのフルコースを味わうことになっている。だったらぼくひとりが死を恐れるのはおかしいけれど死だけは
 自分にとって特別のもののように思っていて、他人の死は死でないのである。では一体何をそれほどまで恐れなければならないのか。
 死の到来が苦痛であることをわれわれは知っているが、死以上の苦痛がないのかといわれればそんなことはない。じゃ何がそんなに怖いか。
 死によって愛する人や物と別れなければならないからか。それとも死によって自分が消滅してしまうからか。消滅すれば全ての煩悩も
 瞬時に失くなり、身心的な苦痛から解放され、これこそ真の平和なんじゃないのか、なのにどうして真の乎和をそんなに恐れるのか。
 それとも死後生を信じているあまり、もしかしたら地獄に堕とされるのじゃないかと不安に襲われているためなのか。
 それはそうと、では人生の目的は何なのかということになる。 生きるため? 死ぬため? 感動するため? 美味い物を食べるため?
 金持ちになるため? 美人の奥様を持つため? etc  そこでぼくは考えた。ぼくの職業のアートと同じ生き方をすれば? と。
 ぼくにとってアートは仕事というより遊びだ。 目的のない遊びである。ところで遊びって最初から目的がないものでしょう。
 もし目的があるとすれば遊んでいること自体が目的である。 目的がないから自由があり、快楽があり、解放があるのではないだろうか。
 人間は本能的に自由を希求する。そしたら人生全部を遊びにすればいいのではないか。つまり人生から目的をはずしてしまえばいいのでは
 ないだろうか。 生きることも死ぬことも目的を持つからシンドイのである。どうせ生老病死なんだ。生老病死は別に目的ではない。
 単なる現象だ。 そしてお釈迦様に言わせれば現象は夢、幻だということになる。そんな実体のないものにいかにも実体があるかのように
 思って振り廻されているのなら、それを遊びだと思えばいいのではないか。 】
  ー人生に意味などないと、五木寛之も書いているが、意味=価値とすると、そんなわけがない!と言いたくもなる。
  身近の人の死をみると、様々の人生があるが、意味など、あまり深く考えても仕方がないような気がする。
  横尾のように、目的ない人生なら遊ぶとして、割り切るのも良いだろう。「遊びをせんと生まれけり」で、それはそれで。
・・・・・・・
3173, 閑話小題
2009年12月12日(土)
 * 腰痛
 腰痛が、この季節の変わり目にかかわらず、今のところ落ちついている。
いずれ出てくるのだろうが・・・。 今のところ考えられるのは、・ベッドに低反発マットを敷いたことと、
・海老反りマシーンを毎朝晩使っていることである。・それと外で酒を飲む機会が少なくなったこともある?
もちろん、20数年来の毎朝のウォーキングは欠かさず行っている。
 * 変な話
 家内が言うには、「駅裏の越後交通ビル(元ダイエー跡)の駐輪場に自転車を置いて、用を済ませて帰ろうとしたところ、
自転車の籠の中に、年代ものの女物の財布があった。 気持ちが悪かったが、駅前の警察まで行くのも面倒なので、
1Fの酒売場に事情を話して置いてきた。 千円札が数枚と小銭が見えたが、それ以上は見ないようにした。
(字数制限のためカット 2010年12月12日)
・・・・・・・・
2808, 心を込めずに女を褒めよ !
 2008年12月12日(金)
  作家の渡辺淳一が、ある雑誌の対談での、「心を込めずに女を褒めよ」という言葉?が面白い。
 【イギリス帰りの若い女性に「レディファーストは、マダムだろうが小娘だろうが、差別をつけてはいけないの。
 『女と見たらしなさい』って、向こうは子供の頃から叩き込まれるの」って、全くそのとおりだと思った。
 要は、心を入れないでやりなさい、ということなんだけど、こういう思想は日本には無かった。
 武士道は何でも心を込めろっていう思想。 でも、その御蔭で女を見たら直ぐに褒めるようになったよ。
 顔が綺麗なら顔を、顔を褒めるのが辛いと思ったら、髪の毛を。服、ネックレス、バッグはどうか・・・
 と見ていけば必ず褒めるところがある。女性はまず褒めるべきだよ。 妻とまともに話そうと構えるから、話せなくなる。
 日ごろから『ありがとう』『綺麗だね』って言う癖をつければよい。 そのレトリックは非常に大事だと思う。
 ・・・僕は京都のお茶屋でよく遊んでいたけど、帰るときには必ず、おかみと芸姑が門まで出てきて、大声で『おおきに、
 ありがとうございました」という。僕が2〜30メートル先に行っても言っている。どうしてあんなに丁寧に言えるか、
 その理由はたった一つ、客を何とも思っていないからだ。銀座は逆で、これは金払いが良いかどうかで・・・】 
  成るほど、道理である。当たり前になるまで習慣化しなさい、ということだ。 私の知人は営業畑の人が多いため、
 飲みにいくと、当然のように女性を褒め上げる。それが枕詞であるかのように、まず褒める、そして褒める。
 『今日は、いやに綺麗だね』『へ〜、今時に、こんな綺麗な人いるんだ』『新潟美人は、東京のオナゴと肌が違うね』
 まあ、よく言うよという位、平気でいう。 でも、そういう店のママやホステスも、言われ慣れていて、軽く流す・・・
 それでもいいのである。 言えないのは心を込めようとするから、である。
 何度も書いてきたが、学生時代にカーネギーの『人を動かす』という本に「人に好かれる6原則」とかがあった。
 そこで黙って友人知人に、それを実行したと同時に私の周りに人が集まりだした。 心を入れる余裕など無く、
 ただ、相手の関心のありかを探し、にこやかに、聞き手にまわり、相手が話し終わるまで我慢し、最後に褒める!
 それを全ての人に試みたのである。 また女性の多い職場環境に若い頃に居たころの一時期に、多くの美人?
 と友人になったことがある。(男女?ではない) 私は美人が好き、そう知らせれば良いのである。次に人畜無害のサイン。
 それだけで、心を開いてくれる。 姉が4人も居たから、その辺は幼児のころから鍛えられていたが・・。
 (いやいや、冷静に考えてみたら、嫌われる方が限りなく多かったが・・嫌なことは都合よく忘れてしまうから生きられる)
 逆に、心を入れて女を褒めたら、誤解されることが多くなる。 さりげなく、口先で褒めること。
 これが最高の贈りものになる。 面倒とか、馬鹿馬鹿しい、という気持ちを乗り越えて素直に言うことが基本だが、
 それが最近になって言えなくなってきた。 原点に戻って、心を込めずに、あたりかまわず言うしかないか!
  まずは、カミさんから・・・   辛いけど!      
・・・・・・・・・
2007年12月12日(水)
 2443, 死刑直前の手紙      【GOOD MORNING】q・ω・´)
『哲学の教科書』・中島義道ー の中で見つけた、処刑前夜から処刑二時間前までに断続的に母親に送った死刑囚の手紙である。
 人生の不条理が、そのまま出ている。今回は私の感想などは、何も書けない!  何度も何度も読まなければ、
 その心の底には辿りはつけない。ガン末期の別れの似たような場面に何度か立ち会ってきた。
 違いは、刑死かどうかの差である。 罪悪感を持って虚空へ立ち向かう心情は如何なるものか?。
 ーーー
一九六九年三月八日
ーおかあさん
あたたかい晩ですね。 きょうはひょっとしたら東京に泊まるとか言っていたけれど、とにかく、あまり悲しまずにからだに
悪いことは気をつけて、よくやすむようにしてください。ほんとに思いがけないことになってしまい、(むろん、そして一方では
じゅうぶんソノタの用意はしてきてはいたけれど)おかあさんに最後の、そして最大の親不孝をしてしまい、ほんとうにすみません。
おかあさんは、よくしてくださいましたね。ありがとう。
M先生のおっしゃるように、ぼくはおかあさんによって〈神の愛〉を知った、と思います。
まだまだ努力が足りなくて、それに書きたいことや、考えて深めたいことも多くあって、
そのうえなによりおかあさんはじめ皆さんと別れるのはつらいけれど、しかしこの与えられた
〈時〉は絶対的な意味をもっており、ただ、耐えつつ受け入れる以外にはありません。
でも、ソレは、ぼくひとりのことで、おかあさんに与えつつある悲しみの責めをまぬがれることは、むろんできません。
ゆるしてくださいね。おわびのしるしに、天国へ行ったら、きっとおかあさんのために山ほど祈り、
守ってあげますね。 だから、おかあさん、もう泣くのはやめなさい……
 −−
ー今は八時過ぎ。
夕がた、おかあさんのハガキが、美絵君と「あけぼの」のシスターの御文とともに到着しました。
もうおかあさんのハガキを見られないのか。 会えないんだな……ということのすべて、
きょう突然あったことと、あすのことすべてが、ユメのようです。
ユメならさめればいいのに……と思うのだけれどもやはりユメではない。だからこの一瞬一瞬をだいじにしましょう。
ほんとうに長いようで短い一生でした。 四十歳と七か月とすこし。 おかあさんの半分です。
いろんなことがありましたねえ。 ほんとにいろんなことがあった。
そして今、おかあさんにとって すべてのことが喜びに満たされていたというのに、
ぼくのためにいっさいが灰色になってしまいましたね。  ごめんなさい。
きょうは、久しぶりにおかあさんの肩をたたき、髪をくしけずり、手をさすることができました。
すっかり白髪になって、シワだらけになって、小さくなって、 やっぱり幼いころに知った 
あのおかあさんと同じでした。 でもおかあさんはやはり幼い頃に知ったあのお母さんと同じでした。・・・・・・ 
(以下、字数の関係で中間カット 11年12月12日)
 −−
後記)これを読んだ母親の気持ちは? やはり宗教は必要である。
  やはり、言葉を持ってしまった人間は、それゆえ苦しみが倍増する。
  その言葉で、神をつくり、そして苦しみを和らげるしかない。 あまりに辛い手紙である。 (○´∀`)ノ
 ーーー
2006年12月12日(火)
2079, 談合列島!ー2             才ノヽ∋―_φ(^O^*)♪
この土日の大手新聞の「知事の犯罪」の特集記事や社説の中で、日本経済新聞がずば抜けて要点をついていた。
 その要旨は
  (以下、字数の関係でカット 08年12月12日)
・・・・・・・・
2005年12月12日(月)
 1714, 脳梗塞について
      (*´ノД`)<<<才八∋ー゜                    
   先週の日曜日夜のNHKスペシャルで、   ( ^-^)_且~~
  脳梗塞の患者となった多田富雄氏の日常を半年にわたってリアルにレポートしていた。患者になってしまった彼がふり絞るようにいう
  言葉が深く心に突き刺さる。番組を見ながらパソコン内の「メモ帳」に下書きをして数日以内に『随想日記』に取りあげようとした矢先、
  産経新聞の「産経抄』に名文を書かれてしまった。プロの文章を読んでしまったら書く気がしなくなるが、それでも書くのが
  文章上達の早道。 学生時代の友人や、仕事の関係などで脳梗塞や脳溢血で倒れる人が多くなってきている。 Σ(´Д`;)
  数ヶ月前にも、会社のナイトフロントの人が定時になっても出勤して来ないので、副支配人が一人暮らしのアパートに行ったところ
  玄関で倒れていた。救急車をすぐ呼んで緊急入院をしたが、もう少し遅れれば?脳出血で左半身が麻痺が残り、退社をせざるを得なくなった。
  私など、深酒の機会が多いので気をつけなければならない。脳梗塞は身体は動かなくなっても、思考だけはしっかりして
 「身体の監獄に閉じ込められる』というのが実感という。 多田富雄氏も放送で『生き地獄』と言っていた。
  『地獄がこの世にあるものと実感した』という言葉が重い。   s(・・;)(/_;)
  人間、生きているうち、元気なうちに、出来ることを出来るだけしておくべきと思う。  ja~ (*゜∀)ノ.。・:*:
ーーーーー
=産経抄=    ~~ ~~┗─y('〜`;)
  米国のコラムニスト、ボブ・グリーンに「勇気あるアルファベット」という佳品がある。
 (以下、字数の関係でカット 08年12月12日)      ○o。―y(・ε・) フウー
・・・・・・・・・
2004年12月12日(日)
1349, 教養が試される341語
本屋で立ち読みをしていた本だが、図書館にあったので早速借りてきて目を通した。
 思ったより内容は気楽に読める本で、何気なく使っていたり、知っていたが意味まで考えたことがない内容で
 面白い本である。検索で調べたら、その中の71語の意味を書き出していたのがあったので、
 コピーして貼り付けておきます。毎日、文章を書いているためか、言葉に対しする興味が全く違ってきている。
 言葉は、そして文章化は人間を人間たらしめているものだ。それと数千年、いや数万年かかってつくりあげてきた人類、
 そしてそれぞれの民族の蓄積された叡智である。
・冥加に余る(みょうがにあまる) :ありがたすぎて罰が当たりそうだ。
・弥栄を祈る(いやさかをいのる) :ますます栄える。
・惻隠の情(そくいんのじょう)  :人の不幸を黙視できず、その人の身を哀れみ傷む心。
・やんぬるかな:予想した通りに事態が進行して、今となってはどうしようもない。
 (以下、字数の関係でカット 09年12月12日)
ーーー
以上ですが、なるほどすごい人がいるものだ。よくぞ抜粋して書き写したものである。
・・・・・・・・・
2003年12月12日(金)
982, 目先だけを切りぬける人
 このノウハウを持って一生を切りぬける人がいる。 しかし程度の差はあっても、それは誰も持っている要素である。
その「程度」が、人生で大問題になるのだろうが。 「口先だけで生きてきた」飲み屋のママさんがその典型だ。
人生の一番の欠点になるが、その人にとっては最大のノウハウである。「我がうちなる小狡さの人」である。
 目先をどう切抜けるかにポイントを置いている人は、「志ー長期視点」が無いといえる。「7つの習慣・最重要事項」の
「緊急事態病」に似ている。緊急事態に追われて、一番大事な事が全く見えなくなっている人である。
それも相対的なことでしかないが。また「愚か者」と「馬鹿者」の関係に似ている。
反対に「目先だけを切抜ける人」を肯定的にとらえて見ると面白い。これも黒光りの方法・手段までなることもある。
これで首相になった悪しき?事例がある。 この人?、この小手先だけで首相に上り詰めた?のだから。
最も角栄を引き摺り下ろしたことは、歴史的には業績になった?小手先だけで果たして首相になれるのだろうか?
という疑問も残るが。ところで「目先だけを切抜ける人」を検索をしてみたら「見当たりませんでした」と出てきた。
「目先だけで生きる人」も「見当たりませんでした」と出た。こんなテーマで文章を書く奴は、いないか。
 「目先を切り抜ける」内容でした。
・・・・・・・
2002年12月12日(木)
608,ある時間の断片-22
ー1968年 10月18日
一時間目の人事管理に出る。その後朝食も含めた食事をしていると、ゼミの田島と川村がくる。
ゼミのOB会の連絡簿の案内書の住所書きをコモンルームで12時半まで手伝う。
その後田島とウイーンにいく。そこに「鈍行」という勉強会を開いている井上と森本など5人がいる。
あまり付き合いは深くないが、30分も話さないうちに旧知の友人みたいになる。 金沢に行きたいというので、
寮の市川さんから情報を聞いてやると約束をする。森本をほめると嬉しそうな顔をしていた。
こちらのほうが気分がよかった。ほめる事に関しては石川が先生だ。
帰寮後野球を見てすごす。 その後、食事へ行く。そこで先輩の永田さんと尾形君、丸谷君と会う。
一時間勉強の後、佐藤のところに行き、夜半の0時から3時まで酒を飲む。今日も田島に言い過ぎた、困ったものだ。
 ー 10月19日
10時過ぎにおきる。
夕方まで二日酔い?で夕方まで勉強をするが身が入らない。
夜9時から寮のミニコンパ。一時間本を読んで夜半の一時に寝る。 空虚な一日であった。
・・・・・・・
2001年12月12日(水)
267,一点豪華主義
 1品豪華主義(一点豪華主義)趣味でも、仕事でもー
人生でも総てにいえる事だが、これだけは特別というものに金をかける、人生の総てをかけることが重要だ。
反面それがアンバランスでもいいかという問題が残るが。それでもいいかどうかは、やはり本人の問題でもある。
金も、暇も、能力もない人間でもこれは可能だ。 好きな何かを見つけ、一点集中的にエネルギーを注ぐ。
それを続けていれば、それについてプロの領域にたっする。私のそれは、ご存知のとうり秘境ツアーだ。他人の評価
など全く関係ない、それが好きでたまらないからだ。パソコンもあと2〜3年経つと、それに近い存在になるかもしれない。
旅行のネタをインターネットに載せるのも、一応理にかなってる。
「絵の好きな人が旅行先で景色を書いている」のを見ると、人生の一番の奥義を見ているようだ。
一番好きな旅行で好きな絵を描ける幸せは何も変えられないだろう。ピアノも一曲だけを練習すれば、
弾けるようになるという。今度ピアノの先生について一曲おぼえてみようかと思うが、無理か?


3912, 精神力ーその偉大な力 ー6

2011年12月11日(日)

        「 精神力ーその偉大な力  ー 」 ダン・カスター著
   ◎ 想像力の魔力
 * あなたの心のなかに、絵または型やプランなどを作る能力がある。応答する性質のある大生命力は、そういう絵や型に応じて、
 あなたの体験内に流れいるのです。心に以上のようなイメージを作る能力を想像力といいます。誰もが想像力を持ち、それを使って、
自分の望むこと、または望まないことへのプランを立てます。考え尽くした末に、これをしようと思い定めた心の絵は、あなたが
大生命力に送り込む計画案です。こういうプランには、信念が方向を与え、かつ統御します。信念は、心の中の確信です。
あなたにとって真でありと確信するものです。これがこころの中につくる絵やプランの型を決定します。 大生命力は、
それに始動されて行動に入ります。想像力は、心の中の技術する部分です。・・・ フランスの精神治療医クーエは
 「毎日あらゆる点で、私はよりよく、よりよく、なっていきます」と、自分に言い聞かせるよう教えました。また、
 「幅30センチ位の長い平板を地上に置くと、たいていの人なら、どんな長い距離でも、平気でその上を歩いていけます。
 しかし、二つのビルの10階の高さのところに渡すと、話は全然違ってきます。歩こうという人は殆どいません。想像力が、
 落ちる絵を作るためバランスを崩し落ちてしまうと想像をしてしまいバランスを崩す。 が、30センチの高さでは、逆に
 大丈夫という想像力が、バランスを保ってくれる。」という。 タバコを止めることも、酒を飲むことも、止めたときに
 得られる利益が将来、いかに多いかのイメージを書き出し想像すればよいのです。10年で、20年で、30年で・・と。
 昔の人は、意思力を養おうとしました。 近代医学では、それを強いるということで効果なしとし(強要することは、感情的な
 欲求に反するからと)、イメージを利用するように変わったのです。 逆に想像力はマイナスに働く力が非常に強い。
  被害妄想とか、心配性の人とか・・それも生きていく上で必要だが。
  ▼ 最近、歳を重ねて実感することは、「貧すれば鈍する」ということ。逆に「馬子にも衣装」ということのある。
   豊かな環境と知識は、その人を豊かにする。また逆も、ある。格差社会というが、中産階級が減ってきた日本が、最近、
   いやにギスギスしてきた。高度成長期の時代は、歌謡曲も、何もかもが夢があった。将来に対して豊かなイメージを
   持つことが出来た。しかし、現在は、どうだろう。夢がもてない背景がある。信念を持てといったところで、持てないのである。
   長期楽観、短期悲観は人生に生きていくために必要なスタンス。楽観は意志でもあるが、意志の具体的イメージ化にヒントがある。 
・・・・・・・
3547, 「モテキ」の話
2010年12月11日(土)
 毎日新聞に《 ザ・特集:なぜ今、「モテキ」かー 今年の新語・流行語大賞にもノミネート 》があった。
  ◇人生にはモテる時期が3回来る? ーブームの背景に「草食系」への慰めと励まし?ー という副題もよい。
  面白い特集だが、この大不況の中で、結婚をするだけでも大変。その人なりに?こういう時期はあるという。
 振り返ると21〜26歳辺り男の一番の盛り、女は18歳から24歳辺りになる。私の場合は団塊世代の女性が対象のため、  
 恵まれていた。で?・・・ その日々が過ぎ、ある日、突然、潮を引くように誰も相手にしてくれなくなる。
 その時になって慌てても、既にカタオチ?になっている。 それが青年と成年の境目になる。
  ー以下、その特集をまとめてみたー 
【 今年の新語・流行語大賞にノミネートされた言葉の中に、「おやっ」と思わせる一語があった。「モテキ」。
  文字通り「異性にモテる時期」の意味だが、ずっと前から口にしていたという方も多いのではないか。
  それが、なぜ今? 甘酸っぱい香り漂う恋愛用語を読み解いた。【平野幸治】
「現代用語の基礎知識2011年版」の「モテキ」の項目には<モテ期。人生には3回の異性にモテる時期がくる、などという>
とある。 飲み会の席や友人同士で「それってモテ期じゃない?」「来たー、モテ期!」というように使う。この言葉が恒例の
「ユーキャン新語・流行語大賞」の候補に選ばれたのは、女性漫画家、久保ミツロウさんの作品「モテキ」が評判になり、
さらにテレビ東京でドラマ化されたことが大きい。 ・・・主人公は派遣社員の藤本幸世、29歳。 ある日突然、
知り合いの女性たちから電話やメールが殺到し、話したこともなかった職場の同僚女性からもコンサートに誘われる。
「これがモテ期か」と舞い上がるが、恋愛経験が乏しいだけに屈折していて不器用で、美女たちに振り回される(実は振り回している?)
という物語だ。 モテ期が「ある日突然」訪れるという設定には、作者のある「メッセージ」が込められているのだが、
そもそも私たちはどんなときにモテるのか。「どうやって」の研究は雑誌などで盛んだが、「いつ」というのは意外に難問だ。 
 (字数制限のためカット11年12月11日)
 ・・・・・・・
3172,ノートを下からとる!
2009年12月11日(金)
  面白いノートの取りかたである。 これは、目から鱗。
ノートは普通は開いた左上から下に書き下ろし、右ページ上段に戻って再び書き下ろすのが一般の書き方。 
せいぜい、左ページを白紙にして右ページに書いたフォローとして重要なポイントや、絵とかを気ままに書いたり、
空間をタップリとって島状に文章を書いて、後で見直すやすく工夫する。
 ところが、これは逆転の発想である。
*開いたノートの左下から ΑΑΑΑΑΑ ↓◆ΑΑΑΑΑΑ△修靴胴圓鮠紊欧
 ・・・・・・・ ぁΑΑΑΑΑΑΑΑ △修靴胴圓鮠紊欧討い。
 だいたい三分の二あたりに、それまで書いたマトメのポイントAを小項目とする。
*次にまた右ページの一番下の行から、Aから導き出されたBを想定して、 ΑΑΑΑΑ´◆ΑΑΑΑΑ△修靴胴圓鯤僂─
 上の行に ΑΑΑΝ◆ΑΑΑΑ△修靴胴圓鯤僂┐董⊂紊妨かって書き足していく。そして三分の二を目安に段落として、
 そのマトメとしてのキーワードの項目を書き出す。
*そして、今度は左ページと、右ページのキーワードを入れた両ページにわたる長細い楕円を書いて、 
 その中に、・・・・ ぁΑΑΑΔ箸いΔ佞Δ法⊇颪出していく。
 実際に書いてみると、上から下へ書くより、下から上に書いていくほうが考えがスラスラと出てくる。
そして後で読み返すとき、先に結論が書いてある上に、図示で分かりやすい。
 私の読書法には、最後の章から前に向かってポイントだけを追う方法があるが、それに似ている。
要するに、言葉=思考を上に、どんどん積み上げていくのが良い。考えてみれば、何もない下に書くということは、
何か不安がある。 しかし、いま書いた言葉の上に積み上げていくという実感が、考えを誘発する。
「どんどん考えが浮かびあがる」といった風が良い。
 私の、これまでは、ノートの真ん中に小さなハートを書き、その周りを脳のような図を描く。
そして、右上から、5〜6行の文章を 下に向かって三段書いて、下の段の左側に文章を書き足していく。
そして、一番左の行を島として、上に書き上げていく。 これはこれで、なかなか良い。
しかし左側の一番下から上に書き上げるのは目から鱗である。 これ本屋で立ち読みだけで会得した?が、
やはり、買って読まないと著者に悪いことになる?。 これは良い。下の副題が決してオーバーではない!
【 苫米地思考ノート術
  ― 脳を活性化し人生を劇的に変える最強思考ノート  ー苫米地 英人 (著)  】
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2807, 不況景色 −2
2008年12月11日(木)
 * アメリカ最大のメディアの「トリビューン」が破綻
あまり目立たなかったが「ロサンゼルス・タイムズ」や大リーグのカブスなどを傘下におく【トリビューン社】が、
破産法11条を米連邦破産裁判所に申請し事実上経営破綻した。
負債総額は何と1兆2000億円、<救済される>会社と<つぶされる>会社の線引きに批判が集まっている。
日刊紙8紙を傘下に置き、23のTV局を持ち従業員2万人の全米最大規模の総合メディア。
何故、【シティ】や【AIG】は (目先だろうが)救済され、新聞社の【トリビューン】社は破たんなのかと・・・。
さらに【NYタイムズ紙】の業績も急悪化、このままいけば経営破たんではないかとの噂も出ている。
今後、マスコミが巨大企業救済プランに一斉に反対キャンペーンを打ち出す可能性がある。
アメリカの新聞社は日本や英国に比べて競争力が弱く、その分だけ不況とネットの波が大きく影響。
アメリカ最大保険会社のAIGが実質破綻、自動車ビックスリーも倒産直前、シティバンクも風前の灯、
証券会社は壊滅というから、アメリカは恐慌に一歩足を踏み入れたといってよい。
*地元・新潟も不況が深刻化
地銀の担当の話によると、一段と景況が悪化、特に不動産・建設、小売など急激に売り上げが激減しているという。
地元の金融機関は、地方経済の長年の悪化のために体力を落としており、含み損を多く抱えているため、
資金が出せない状態。マイナスの循環の速度が速まりそうだ。
当方は、日本経済の景気に直接左右される商売で、街角景況がリアルに分かる。
これまでは他の商売より三ヶ月は先行した数字が出るが、この金融危機の影響は、他山も同じのようだ。
世界恐慌は、製造から、流通、サービスまでが、25%減の売り上げになり、失業率は20%、
株価はピーク時の10%になる。それからみると、日本の株価は4千円。アメリカは2000ドル以下になる。
今年の忘年会、中止にしようか迷ったが、小じんまりとした会にした。 帰りの新幹線の乗客も、めっきり少なくなった。
来年から3〜5年間は世界は大きな経済的破壊が現実化するだろう。
  年を越した1月5日から一斉に倒産の実態が顕れるだろうという。 新しい社会の創造前の破壊なら良いが。
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2007年12月11日(火)
2442, 人生後半に、哲学は一般教養として不要か?
             (´Д`;) オァ/ヽ〜 二日酔い!
人生、後半ほど哲学は必要と思っていたら、学者の谷沢永一著『人生後半に読むべき本』の中で、
「熟年には哲学など必要ではない!」と断じていた。 この数年、少し哲学にのめりこんでいるので、
丁度良い中和剤の論と思いつつ読んだ。しかし何で彼ほどの博識の人が、こういう論を立てるか理解できない。
「人生後半ほど、それまでと違う目で世界を見る必要性がある」と確信をしているので、
「近代哲学に対してのアレルギーが彼にあるのではないか?」と、思いつつ何度か読み返してみた。
道理は道理で必要である。それは間違いない。独り自分と、世界の不思議を見つめなおすことも大事なことである。
それも中心点に向かって! 彼が言いたいことは、「今さら哲学でもないだろう、貴方レベルには!」
ということ? それとも哲学(中心点に向かって考えること)など、彼の基礎教養の土台の上では必要が無い!
ということか?と、面白い問題提起になった。
     「人生の後半に読むべき本」矢沢永一・渡部昇一著  −PHP出版
 *谷沢永一
人生を深めるという観点で、たとえば哲学書。若い日に哲学書を読んで、もう一度読んでみようと思われる方が
いらつしゃるかもしれませんが、これはどうでしょうか。哲学は、ある時代の考え方の枠組みを創る。
そういう役割を果たしたものを読んでおくことはためにはなります。
ただ、たとえば咀噌されつくされたカントの哲学は今の時代を生きるために必要かといえば、ほとんど必要ない。
 また、へーゲルといえば団塊の世代の人々にはとりわけなじみの深い哲学者の一人かもしれませんが、
彼のいわんとすることは、「この世には絶対精神があり、それがだんだんと世界を高尚に持っていく」という上昇史観です。
キングが君臨し、ビショップが威張り、官僚が圧制する。それらもすべては絶対精神が自己を実現していくための
大きな流れの過渡期の現象であって、現在はプロセスの途上にある。 このプロセス論には、憎むべき狡猜さがあります。
これからはどんどんよくなるのであり、その途中に生まれ合わせたのだから、「高きを望むな」と、現体制を弁護する
最高の理屈にもなるからです。そしてヘーゲルがトマス・アクィナスの「神学大全一に近代的な衣装を着せたに過ぎぬ事情は
一目瞭然でしょう。 一方、マルクスは徹底的に模倣です。独創性は何にもない。共産党宣言の根本はエンゲルスが書いた。
共産主義というドグマは、幸田露伴の「五重塔」の表現を借りれば、「エンゲルスこれを創り、マルクスこれを為す」
というようなものです。そのエンゲルスも本当は歴史を知らない。モルガンの「古代社会」を読んで、それを勝手に解釈し、
夢の古代社会を創った。ルソーがやったのと同じ手です。 こう見てくると、どうも哲学というものは、物書きを目指す人は
別だけれども、一般教餐としては全部いらないと思えてきます。あれは要するに、人に固定観念を植えつけるためのものです。
 (字数制限のためカット11年12月11日) 
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2006年12月11日(月) 2078, 談合列島!
 (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜
    「垂直に立つ!」
 これが「情報化社会」と、「非情報化社会」とを、分けるキーワードになる。
 「死が人生の終点」と信じる人の延長上と、「いまここに生きている今日明日の現実」と、
‘水平と垂直’との境目が[いまここ]である。人生に垂直も水平も、ハッキリした境があるわけがないが・・
垂直とは何だろうか?  水平とは何だろうか? 水平とは、現実である。
垂直とは、いまここの切り口から直感できる永遠である。そして、この瞬間の中にある澄んだ純粋性である。    
以下の、異常な事態を考えるために、「垂直に立った」澄んだ視点で現在の三県・県知事逮捕を鳥瞰しながら考えてみる。    
(字数制限のためカット09年12月11日)
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2005年12月11日(日)
1713, 絵文字が面白い! −1  (。・o・。)ノ こんにちゎぁ♪
随想日記を読みやすく、かつ面白くするため、絵文字と空間を入れて一月経つ。
実際に、書いた後に絵文字を入れる方が面白い。感情が、いや心情がそのまま絵文字に入るからだ。
それと内容を和らげるのにもよい。♪〜(=^ε^= ) そこで絵文字の素材をHPで調べてみたら、これが面白い。
その中で見つけたのが、このエッチ系の奴だ。少し下品だが、とにかくご覧あれ!!
人間の本質が、そこにあるのだから仕方がない。漫画的に下ネタのイヤラシサを笑いに変えるところが良い。
赤裸々な人間の姿とみれば可笑しさも増すだろう! 
携帯電話世代が、心の深いヒダを記号で表現しだしている。言葉とは違った情報手段が出来つつある。
その組み合わせで、言葉以上?か、同じレベルまで心のやり取りの可能性が出てきたのだろうか。   
  ,,,,,(((( ;:゚皿゚:)_◇~~ アァァァ!! ナンテコトヲ!  ーエッチ ー
         スケベ! ¬_¬) (´m`) ムフッ♪  イヤラシイ(*・ω・*)
  (字数制限のためカット 2011年12月日)
・・・・・・・
 2004年12月11日(土)
  1348, もう一冊のアルバム
  中越地震の少し前に、事務所の移動をしていた時、2百数十枚の写真が入ったファイルが出てきた。
  2〜3年前に200枚入りのポケット式のアルバムに、今まで行った旅行のベスト8〜10枚を選んで、
  ダイジェスト式に纏めようとしていたようだ。おそらくアルバムに張る前に忘れてしまったのだろう。
  もしかしたら以前書いた20枚入りのアルバムもその時、更にダイジェスト版にするために買っておいたのかもしれない。
  中越地震の時に自宅で、丁度良い時間つぶしに200枚をアルバムに整理をした。
  結果として「ベスト20のアルバム」に劣らない位よい。厚めの本ぐらいの大きさであるが、コンパクトなのがよい。
  ほぼ、この十数年の旅行を網羅してあり、いつでも気楽に見ることができ、
  事務所か居間のTVの横に置いておくに丁度よい。お宅そのものであるが。
  開くと同時に、頭の中では、異次元の世界になる。家内の分を入れると、新築の家一軒分の費用は使った。
  モノは残るが、コトは残らない。しかしコトは、生きた証として!あの世に持っていくことができる。
・・・・・・・
 2003年12月11日(木)
  981, 足銀の経営破綻 について
 足利銀行の経営が破綻した。新潟県に例えると、第四銀行と大光銀行の総額の預金量がある。
   (字数制限のためカット 2010年12月11日)
 ・・・・・・・・
2002年12月11日(水)
607,ある時間の断片-21
        10月15日  1968年
9時起床。午前中卒論のまとめをするが集中しない。 夕方まで机に向かう。
夕方米林君が部屋に遊びにくる。 夜は夜で集中できない。
        10月16日
10時起床。オリンピックのせいか集中できない。4時間は集中しなくては間に合わない。
夜の8時過ぎに集中できた。明日は早く起きて学校の図書館に行こう。もっと集中しなくては。
        10月17日
9時過ぎの産関論を受講する。 50人も出席してない。午後は休講。図書館で卒論のまとめをしていると石川がくる。
20分ぐらい話をする。 いつもの彼でないみたいだ。この前のことを根に持っているのか。かなり混乱をしているようだ。
彼の弱点をまた言ってしまった。もっとクールに状況をみなくては。自分に気を許しているから人に対しても気が緩むのだ。
外部と内部の一線を引くべきだ。 外部の内部化と、それを消化した内部の外部化が今の卒論だ。
割り切りをきっちりしてないと混乱がますます大きくなる。
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2001年12月11日(火)
266,基軸の日、基軸の時間
 一週間単位の基軸の日、基軸の時間。
それを決めておくといい。あくまで一つの見方としてだが。ふと私の場合、土曜日の9時に考えてみた。
そうすると何かぴったしだ。そうすると一日単位でも9時だ、いや9時20分だ。会社について「さてと!」
と言う時間だ。そう考えるとうなずける。そうすると、月単位では何時だろうか?年単位では、何時だろうか?
難しい話はまたとして、ホテル計画をして、ある重要な決断の場面の数ヶ月は、実際のところ午前二時三十五分が
基軸の時間になる。それだけ集中せざるをえないし考える。「何かその時間に意味がある」と、ものの本に書いてあった。
深夜の底というところか。木の水を吸い始める時刻が3時35分と聞いた事がある。「5時から男」は何時に基軸を
おいているのだろうか。仕事にんービジネスマンは一般論で言うと月曜日の9時というところ! そうすると、プライベートで
みるとやはり土曜日の9時、ビジネスでいうと月曜の9時というところか。
そこを芯にして、生活とビジネスを組み立てるといい。
・・・・・・・・・
 ある時間の断片
  12月11日   1968年
11時に起床。
学校の図書館に行って卒論の勉強のために行く。2時間位集中する。 欧州旅行で一緒だった江夏君にバッタリ会う。
宮崎の大きな酒メーカーの御曹司だ。少し話す。朴訥としたいい男だ。 4時過ぎに帰路につく。
途中に池袋駅の地下の床屋で、レザーで髪の毛をすいてもらう。 私の髪の毛が硬いので、頭にきているのがよく解る。
帰寮すると、ゼミの同期の高木から電話で、人事管理の問題を教えてくれとのこと。
今の私には、人事管理に関して教えるだけの蓄えがないといい、石川譲治に頼んだらといった。
何か悪いことをしたようで後味が悪かった。 明日、謝らなくてはならない。


3911, ファイナル・クラッシュ ー3

2011年12月10日(土)

   第2部 ハングオーバー−金融の死の灰
       「もし私に一国の通貨を発行する権限を与えてくれたなら、その国の法律を超越した存在になるだろう」
                                        ーメイヤー・ロスチャイルド
 * アメリカの通貨であるドルについてはっきり言えることは、「ドル紙幣は刷られすぎてしまった」ということである。
  世界は今やドルの下落に直面している。それも人類史上経験したことのないスケールでの暴落だ。たくさんあるものは値を下げる。
  たくさんありすぎるものはクラッシュする)・・1971年から今日に至るまでの40年足らずの期間に、ドル紙幣の価値は20分の1に
  低下してしまったのだ。 なぜそんなことになったのか。原因ははっきりしている。ドルの大量増刷が行われたためである。
  1971年8月15日に金本位制を廃止した。それによってドルのキャピタル・フライト(資本逃避)が発生する。
  アメリカからマネーが逃げ出し、為替市場でドルが売られ、米ドルの価値は下落した。米ドルはもはやゴールドに
  裏打ちされた通貨ではなくなり、アメリカ国債という負債に裏打ちされた通貨になり下がったのである。・・・
   ・・・石油と工業製品をアメリカへ輸出して利益を得ていたまさにその国々が、溢れ出るドルを吸い上げる役割を担っていた。
  彼らは輸出で得た代金でアメリカ国債を購入しており、それがドル紙幣の価値を人工的に維持する結果となっている。
  アメリカに石油と工業製品が着く。その帰りにアメリカ国債を満載にしていく。アメリカ人が買う商品を中国が輸出し、中国に
  ドルがたまる。中国がそのドルでアメリカ国債を買う。それによりアメリカに還流したドルでまたアメリカ人が輸出品を買う。
  この還流を「チャイニーズ・ランドリー(中国製洗濯機)」と呼ぶ。
 * 国別で現在、金を一番多く保有しているのがアメリカである。外貨準備の7割がゴールドであるのに対し、日本は僅か3%である。
  だからファイナルクラッシュで、一番、打撃を食うことになる。 その僅かなゴールドも殆どがFRBに置いてあり、日本銀行は、
その預り証しかない。それは日本だけでなく、世界中の国も同じである。それは、実質的にドルを持っているのと同じことになる。
 ▼ 当然、中国も分かっている。このサイクルが利すると考える間は大丈夫だが、そうでなくなったと判断したときには、これを捨てる。
中国が買い続けているからよいが、逆に売られたときには、長期金利は上がり、ドルは値下がり、アメリカにインフレが襲う。
永遠に中国がアメリカ国債を買い続けることなど不可能である。といって、中国もドルとアメリカ国債の暴落は自分で稼ぎ、貯めた
  価値の暴落につながる。もはや中国には一兆ドルの外貨準備高がある。 中国は寝ている間は良かったが、今や寝ている獅子は
  眠りから覚め立ち上がってきた。アメリカは衰退し、中国が勃興する流れは曲折しながら激しくなり、日本は埋没する?
   ・・・・・・・
3546, 意外と寂しい独身の人たち
2010年12月10日(金)
  ある特集の記事の中に、エッと目をひいた若者の統計値があった。
 思いのほか、独身者で付き合っている彼氏・彼女がいないのである。まずは、その箇所である。
【 電通総研が今年、23〜49歳の独身男女1996人を対象に実施した意識調査からは、まさに「受け身」
 そのものの現代の人間像が浮かび上がってきた。
・まず、男性の75・9%、女性の69・3%が「付き合っている彼氏/彼女がいない」と言い、
「3年以上いない」と「これまで異性と付き合ったことがない」の合計も同60・1%、49・9%に達するなど縁遠い実態。
 ちなみに「彼氏/彼女がいない」群の7割以上は「好きな異性がいない」。つまり、片思いすらしていないのだ。
・さらに「恋愛では積極的にアプローチする方か、相手からのアプローチを待つ方か」との問いに、
 女性の73・3%、男性の64・2%が「待つタイプ」と回答。 男女のほぼ7割前後が「草食系」を自認していた。
 漫画「モテキ」では、ある女性が主人公に「あいつどこまで受け身なんだよ」「全部女に言わせてんじゃねーよ」
 とキレる場面があるが、現実には男女ともに「待ち受け状態」にあるのだから、恋愛が始まらないのも当然だ。
「今の日本男性は経済格差の拡大もあり、傷つくのを恐れるガラスのハートの持ち主が多い。
 一方の女性側も、そんな男性たちと関係を構築するのに疲れて『恋愛低体温』になってしまっているのです」。】
  〜〜
 高校や、大学卒業前後や、女性の職場に勤めていた時など、波が押し寄せてくるように誘いが来る時期があった。
 これは誰にでも?あるもの。 逆に、全てが途切れて全くヒキアイが何もない時期もある。 現代では携帯電話があり、
 気楽に付き合っていると思っていたので案外である。 私の学生時代に携帯電話があれば?・・ まあ、いい。
 女性の四分の三は分かるが、男の三分の二が待つタイプとは?  で、若いときは? というと、草食系?か。
  心の奥で「波が、きたきた!」とか、「何で私が、こんなに?」とか、それも僅か数年の儚い期間だけ?
  まずは、とにかく声かけの量から? 肉食系の男女は、とにかく声をかけている! それも上手い。
 ・・・・・・
3171,「にこまる」で超図解
2009年12月10日(木)
 ー 3秒間! で脳内整理術 「にこまる」で超図解すれば問題解決ー 茂野太陽 (著)
二つの○を重ねて書き、重なっている部分を「同定」し、そこから新しいキーワードを探し、三つ目の○に書き出すもの。
・「正・反・合」を○で図示しながら、正・反から合を気楽に導き出すものと、考えてもよい。
・また「守・破・離」も守・破から離を導き出すことができる。
・「三位一体説」の「神(父)、イエス(子)、霊)のモデルの図示にも似ている。
・その他にも、起承転結や、帰納法、演繹法などに気楽に使える。
書店で、立ち読みで充分と判断していたが、手に取るたびに著者のエネルギーが本から溢れ出ているようで、思わず買ったが、
これは使える。「脳内整理を遊びながらする」手法であり、新しい手法というより、一つのテンプレートの提示である。
実際に図をノートに手書きでうつしていると、著者が考えつくしているのが分かる。
 テンプレートとして、*にこまる基本図、 *にこまる時間図、 *にこまるラセン図、の三図がベース。
何か問題を抱えたら、この三つの図をジッとみて、そこに問題のキーワードが収まるのを待つという方法もある。
その意味では、面白い提示をしているともいえる。 まず○印が二個重ねるというところが、ミソである。
 ー以下は、キーポイントの言葉である。
*頭がもやもやするのは入り口が自動ドアだから
 =入り口で、開けるかどうかの判断を手動でするべきというのは、情報社会だからこと必要
*情報は外だしすることで整理が加速する
 =書き出し、まとめてこそ、情報の価値がでる。 脳内整理は「答え」ではなく「問い」に重点を置くこと
*情報は、問いを含めた形で整理する
 =問うという能動的な形で整理するから価値が出る。
*情報を整理するには入れる箱が必要
 =自分の手作りの箱が必要。 この随想日記は私の箱である。 一般にブログは最適。
*思考のステップ化で脳内整理をさらに加速
 =この「にこまる」は、思考のステップ化に最適である。
思考法としては、シンプルで分かりやすい。 図示し、展開するには良い手法である。
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2806, イングランド・ツアー  
 2008年12月10日(水)
*英国という国
 英国の概要については‘?’で書いたが、更に書いてみる。
・英国の国民性として『働かないけど、金よこせ』が、サッチャーの改革で『働くから、もっとよこせ』に変わったという。
・長年の歴史から階級がハッキリしていて、労働者階級が出世するのは大変だが、事業での成否での入れ替わりの
 システムはあり、社会的弾力性は維持されている。
・バスからは山は殆ど見ることがない。延々と牧草地が続いており、道路の両側にオークの木や、
 林はブナの木、そしてポプラの木が所どころに見ることが出来る。教会にはイチジクの木が多く見られる。
 北イングランドの湖水地区や、コッツウォルズのカッスルクームの絵のような村の美しさが印象的。
・牧草地が目立ち、牛、羊、馬が多い。 また豚の牧草地に放し飼いが目だったのは英国的である。
 中世にローマ軍がやってきて、羊を持ち込んだため、多くの畑が牧草地に代わり、多くの農民が失職し、
 アメリカ大陸に押し出される原因になった。 そのアメリカで綿が大量に生産されて、英国に大量に輸入されて、
 羊毛の値段を暴落させたのは、皮肉な自然の摂理だった。
・食料自給率は80%あり、カナダの150、フランスの140、アメリカの130、ドイツの100%、 
 には及ばないものの、日本の40%からみれば、安定している。
・英国は、庭つくりの好きな国民性であり、自然を利用した庭つくりが基本という。
 ちなみに、フランスは幾何学的、イタリアは地形を利用した庭つくりが基本。
・英国は産業革命が始めて起こった国。 当初の自然破壊も大きな問題になり、環境保護の先進国でもある。
・ロンドンなどの都市に入ると同時に目立つのが、一棟が真ん中から左右対照同じ家が多い。それぞれが別の家族が入っている。 
 建売で、互いに気にしないで生活している。(値段が、安くなるからだろう)
・今回の旅行で、家族が仕事の関係で住んでいる人が三組いたが、その人たちの話では、英国は住めば都と、いう。
・世界的な金融危機を直撃したため、国全体がピリピリしているように感じたが、国民性に深い歴史を感じた。
 イギリスは、ファンタジー小説が多く書かれている国だが、その背景には、世界から略奪した富の蓄積がある。
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2007年12月10日(月)
2441, 四四太郎の霊日記 ー11     ~~~ヾ(^∇^)おはよー♪
(字数制限のためカット 09年12月10日)
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2006年12月10日(日)
2077, 今年を振り返って −1   才八∋ウ_〆(∀`●)
 そろそろ、今年の十大ニュースが話題になり始めている。年末の31日になったら、
 もう一度書くつもり?だが、ランダムに頭に浮かんだまま書いてみる。
・北朝鮮の核実験とミサイル実験が日本にとってトップになるだろう。
・イラクでは日ごとテロが激しくなり、イスラム教の宗派間の内戦の様相を示してきた。
・国内では小泉から安部首相に代わったということか。
・それに児童虐待(親と仲間内)が頻繁におきだしてきた。家庭内が荒んでいるのが原因だろう。
・大型薄型TVが売れ出したことも大きい。
・県知事が三人逮捕となれば、やはり大問題だろう。市長の逮捕など、それがどうした?と思えるほどである。
・会社は、なんとか減収同益に持ちこめそうだ。来年から駅再開発が着工、今期を含めて三期がどん底だったが
 光が見えてきた?か・・ それとも、今そう考えていたほうが都合がよいから?楽観的に・・
・それと一番私らしくないこと、「県活性化のための会」を主導して開いた。
 学生時代のゼミの後輩に依頼されてのことだが・・・まあ面白かったが、無事終了。
・身辺では義母と、仲人の高橋与三八さんが亡くなった。
・二人の息子が婚約?、自宅に連れてきた。 来年が結婚式か?
・新しい習慣として、モーニングページ(思ったことを起きざまに30分間にわたりノートに
 曼荼羅の枠の中に書き込んでいく)の習慣を、3月から始めたことだ。これが今年の一番の収穫である。
・旅行はケニアであったが、サファリ・カーの外より、車内の動物に・・・
(字数制限のためカット 11年12月10日)
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2005年12月10日(土)
1712, 私の生活流儀 −本多静六    ー読書日記
著者の本多静六は色いろな本で紹介されていたが、書を読むのは初めてである。
平易な言葉の中に深い洞察が感じ取れる。給与生活者である立場にも関わらず、40才で預金の利子や株からの利益が
給与を上回り、60才(昭和元年前後)で、当時の数百万円の貯金と、株式、家屋、田畑、山林が一万余町、
 別荘六カ所という財産を築き上げた。                          ( ̄〜 ̄)ξ
ーその方法は簡単なもの。
1.本業に励む。
  一日一枚、出版レベルの原稿を書く。   _〆(。。)
2.給与の1/4と臨時収入のすべてを銀行に預ける
3.ある程度のお金が貯まると、株式などに投資する。
・まずは、本業に励むことを説く。
 「人生最大幸福は職業の道楽化にある」という言葉に集約される。本業がキチンと確立すると、
  副業として、官庁や公共団体の嘱託、早稲田大学の講師、民間企業からの事業の相談を受けることができる。
  また、一日一枚の原稿で、370余冊の本を出版することになった。そして、二番目の「給与の1/4と臨時収入の
  すべてを銀行に預ける」で、人並み以上に働き、人並み以下の支出に押さえられれば、自然に、お金が貯まる。
  これは、給与生活の最初からの習慣にする方がスムーズに実行できる。
・三番目には、お金が貯まると株式などに投資を行う。本多静六は、山林の投資で多くの財産を築いた。
  氏の専門が造林学というのが有利に働きいたようだ。二万円の投資が、最終的には、当時の金額で五千万円になっていた。
  株式投資も行っている。投資方法は、先物で株式を買い、購入時に二割の利益を得られる状態になった場合は、
  躊躇せずに、現金化する。ある程度、保有して、二倍になった時に半分を売り出す。
  その後の株の値段はすべて利益になるのです。下がった場合は、ずっと、保有する。
 「好景気、楽観時代は思い切った倹約貯蓄、不景気、悲観時代には思い切った投資を」という。
(字数制限のためカット 11年12月10日)
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2004年12月10日(金)
1347, 「自分を活かす極意」−3         読書日記
ー情報摂取法
この本は、ダイジェストなので多くの要点がつまっている。本の一番の情報収集は
「三色ペンを使い20対80の法則の20と10を色分けをすることと、それを続けることが読書術そのものになる」である。
情報収集に関しては、本にしても、人からの情報にしても、収集した情報を的確に要約することが最重要課題である。
いわば「ミソ」の部分をマトメルコトだ。 それを、私は随想日記で毎日している。
これは、第三者に対してギブ・アンド・ギブであるが、何よりも自分の基地に情報をコツコツ収集していることになる。
数時間の(情報)エネルギーを文章にして真空パック的に押し込む作業でもある。
本屋の立ち読みでも、何気なく読んでいながらパックしていることになる。 頭の中で文章化をしてしまうのだ。
何気ないTVの解説を聞いていてもアンテナが動いている。毎日、一文章のテーマに対して敏感になりざるをえない。
自分の発信・備蓄基地を持つことの重要性をつくづく実感している。まあ、斉藤孝の本の内容からずれてしまったが、
言おうとしている主旨は同じである。著者のコミュニケ−ション術と会話の技術が面白い。
 ーまずはコミュニケーション術である。
  −抜粋ー
 私は、コミュニケーション術を上手にするコツは「質問にある」と考えている。
 いい質問さえできれば、会話はクリエイティブなり盛り上がる。「質問力」というのは私の造語だが、
 内容は誰にもわかることだ。 それらの多様な質問は、同等の価値があるわけではない。
 いい質問と、そうでない質問といったようにレベルの差がある。いい質問というのは、「具体的かつ本質的」ということだ。
 具体的だが本質的でない質問と、本質を突いているが、あまりに抽象的で意味がないという質問がある。
 質問を向上させるには、TVのインタビュアーの質問に採点をつけることだ。とりあえず「質問」というコンセプトで、
 いろいろなコミュニケーションを みてみることから始めてみることのが手っ取り早い。
ー以上であるが、
 (字数制限のためカット 2010年12月10日)
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2003年12月10日(水)
980, スーパーセンター
 この随想日記で最近話題にしている「スーパーセンター」とは、どういうものか調べてみた。
 スーパーセンターとは 
ー以下、次数の関係でカット(2007年12月10日)ー
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2002年12月10日(火)
606,ある時間の断片-20
 10月13日
ー以下、次数の関係でカット(2007年12月10日)ー
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2001年12月10日(月)
 265,運について
運がいい、悪いというが運とは何か考えてみよう。「ある事をやった結果がたまたま上手くいった、失敗した」
というのが一般的にいう運の意味である。運は結果論でもある。そうするとその「決定」が関ってくる。
ある決定の段階で、情報の受けかたと判断が重要になってくる。そう考えると運のいい人とは、「無意識の判断」
が適切・正しいということだ。運のいい人とは適切な判断家ということになる。 適切な判断の連続線が運と言ってよい。
曇りのない心で情報、情勢を見る目が大事だということだ。以前、情報工学の中山正和氏の講演を聴いた。
科学者に似合わない内容だった。その内容は後でコピーしておく。この文章もそれが土台になっている。
ついている人がいる。そういう人は本当に、どこまでもついているという。もって生まれた運勢があるという。
その共通点をみると。明るく、楽天的で、勘が鋭いという。(これは私の追加の感想ー>)それと努力家で夢がある人。
 ーこういう問題を自分で提起しておいて、逆に疑問を投げかけてみるー
運なんてあるのだろうか?「能力」の別名でしかないのではないか?何も努力をしないで、なにも学ばないで
「俺は運がない」と呟いている人を何人も見たからだ。そして他人の努力の結果を運にしか見えない人間の浅さを。
運は字のとうり「はこぶ」である。努力と判断力で結果を呼び寄せるものだ。多くの人と接していると、その人の将来まで解かる。
少しオーバーか? 運の悪い人に多いのは「甘さと狡猾さ」を持った人である。それなら私だけなく、
別に誰でもその人間の将来を見通せる、何故なら誰もそれをもっているからだ。その逆を重ねていくということか。
 −H・0605「般若心経のすすめ 」
十年前に創造工学の中山正和氏の“運のつくり方”という講演で般若心経のすばらしさを聞いて一ケ月がかりで丸暗記をした。
(字数制限のためカット 11年12月10日)
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ある時間の断片
 12月10日 1968年
昼の13時に起床。 姉の突然の來京で、また予定が狂ってしまった。あと二週間で卒論を書き上げなくてはならない。 
どういうことだ、これでは間に合わないではないか。 あと二週間では無理である。 どうしようか。
おまけに就職予定のジャスコオカダヤに提出しなくてはならない論文がある。これは来年に一月十五日が期日である。 
姉の千葉にいる優子さんのところで数日篭るしかない。図々しいが仕方がないか。 明日優子さんに電話で打診である。
(字数制限のためカット 11年12月10日)

 ー2003年12月10 日記
「深井義明」のことを書く。
10年位前に脳梗塞で亡くなってしまった。 あとで聞いた為、葬式に出席できなかった。
「新橋しの田寿司」の四十数店舗の寿司屋チェーンの息子で、「ある時間の断片」の中に度々出てくる。
   (字数制限のためカット 2010年12月10日)


3910, ファイナル・クラッシュ ー2

2011年12月09日(金)

   「ファイナル・クラッシュ 世界経済は大破局に向かっている!」石角完爾著
常日頃いっている、リーマンショックを史上稀なる大地震とすると、ファイナル・クラッシュは「大津波の本体」の言葉の
違いでしかないと言えば、それまでのこと。 何とか今年におそってくる筈だった大津波を先送りをして、体力の弱い中国・インドに
世界中の資源会社を買収させたり、ゴールドの蓄積をさせて、来る恐慌に対して準備期間を与えている。それを声高々に述べている。 
具体的にシンガポールとかオーストラリアに、泥舟日本からの脱出を勧めているという面では、読むべき価値は十分にある。
恐慌の恐ろしさを99%以上の人は実際に分かってないし、オボロゲに分かっても手の打ちようがないのが現実。 
夫婦で一億以上の資産があったら、手順を踏んだ方がよいという。 これから10年で日本は豊かな国から貧しい国になる。
 ー この本には原書のネタ本がある。それを知った経緯の部分を書き出してみる ー
  * 原書のファイナル・クラッシュとの出会い
 ファンド、とくにヘッジファンドが行っているデリバティブ(金融派生商品)やCDS(信用リスクを移転する取引)の売買は、
基本的に相対取引であり、なおかつ口頭か、紙ベースで行われている。コンピューター時代の今も、一般人がアクセスで計る
パソコンのスクリーンには一切出てこないのだ。誰がどういう動きをしているかは、そういう閉ざされた情報交換の中に入らない限り、
わからないしくみになっている。日本の金融関係者でそうした場に参加できる者はほとんどいない。この秘密の会合の一つを組織している
クラブの本部がロンドンにある。私はその会員となった後、クラブの主催者から「カンジ、これはすごい本だから、ぜひ読んだほうがいい」
と勧められ、一冊の本をプレゼントされた。 それが「TheFinalCrash」だった。 主催者自身、それ一冊しか持っていないという貴重な本。 
主催者は女性であった! その本を入手できたのは、著者もまたこのクラブの会員で、自著をクラブ主催者に直接プレゼントしたからだった。
主催者の勧めに従って一読し、私はその内容に驚愕した。「これは本物だ。大変なものだ」そう感じた私は著者に直接話を聞きたくなり、
本をくれた主催者に「会わせてもらえないか」と頼んだ。そして彼女は、イギリスとフランスの間にあるタックスヘイブン、ガーンジー島に
住み、そこからほとんど出てこないという著者に連絡をとってくれた。ガーンジー島は、ロンドンから空路で一時間ほどの距離にある。
対岸のスウェーデンに住む私とお互いの予定を合わせ、クラブの本部があるロンドンで三人で会うことになった。 二〇〇九年のことである。
本で紹介されている簡単な経歴によれば、著者はイギリスの全寮制の名門パブリックスクールの一つ、ラグビー・スクールを出ている。
ここは、数学者で『不思議の国のアリス』の著者・ルイス・キャロルや、五九代イギリス首相のネヴイル・チェンバレンなどが
輩出した有名校である。
ー 目次 ー  第1章 借金が市場を炎上させる    第4章 日本経済の行方
        第2章 世界経済ブラックアウト    第5章 自分の資産をどう守るのか 
        第3章 迫り来るメルトダウン     第6章 クラッシュ後の世界
 ・・・・・・
3545, 「そう思う」と「本当に、そうである」とは違う
2010年12月09日(木)
 これまでの人生で、「そう思う」を、「本当に、そうである」と勝手に思い込んで失敗したことは数知れず。
これは、人間の判断を大きく間違えさせてしまう。行動するの「行」には判断という意味が含まれる。判断し、動くのが行動。
その判断の基がいい加減になっていることに人は気つかないで、大体が「そう思った」で、「そう動いてしまった」ことになる。
 ー池田晶子は、そのことを以下のように述べている。
【 「本当に、そうである」とは、如何いうことか? というと、間違っていたとしても、それが正しいと思えば、
「本当に正しい」と思うようになる。だからといって、それが正しいということにはならない。正しいことは正しいし、誤りは誤りである。 
では、正しいとは何か?というと、考えつくし誰もが認めることが正しいということになる。「そう思う」から「本当に、そうである」に
いきつくには、「考える」ことによって、はじめて可能になる。誰にとっても正しい定規、たった一つの正しい定規である。・・・ 】
 振り返ってみて、考えて生きてきたつもりだったが、まだ考えが足りなかったと、この歳になってシミジミと思う。
10年前から真剣に哲学書を読むようになってから、その思いは深まる一方。 考えて考えてきたつもりだったが、振り返って
みれば、まだまだ考えが足りなかったことに気づく。良書との出あいが少なすぎたということか。 「そう思う」を一度、
「そう思っている、このことは本当に正しいのか」と一度、考えて、「そう考える」まで、練ってから判断をしないと、大きく間違う
ことになる。事業計画がそうである。「本当に、そうである」と信じて実施したことが、時代の激変で、「そんな激変するとは」に
様変わりしてしまう。それより日常の情報も同じである。「そう思わせる情報操作」で、簡単に「本当に、そうである」に一般大衆は
洗脳されている。情報化社会で、情報が溢れている現在、それぞれが考える能力を養っておかないと、気の毒な大衆に陥ってしまう。
 ・・・・・・・・
3170,つれづれに ー閑話小題 
2009年12月09日(水)
* 長岡の死体遺棄事件の背景は不況!
 長岡の死体遺棄事件で、大手製造機器メーカーの営業課長が殺人容疑で逮捕された。取引先からの発注の取消しのイザコザで
殺害したものだが、業界不況が背景にある。このリーマンショックで、「売り上げが半分以下」で、ツガミも一月に人員整理に入り、
埋め立てた場所も閉鎖になった工場という。 ここで1000万円の穴は、即刻首である。本人は納品したといっていたが、集金はまだ
ということになっていたという。何処もかしこも、こういう話である。 長岡の北部には工場地区があるが、
それが去年のリーマンショックで直撃を受けた煽りの事件である。 日本炎上?
* 翠点(すいてん)
 南方熊楠は 「世の中の事象は、曼荼羅の、因果の世界である。しかし、これら因果は無秩序に支配されているのではなく、
ある一点に集まってくることもある。核の周りを動く電子の軌跡のような線と、そこにクロスする直線いくつかの自然原理が
必然性と偶然性の両面からクロスしあって、多くの物事を一度に知ることのできる点、それが「翠点」である!と、
マンダラの中に翠点を発見した。 分かったような分からないような論だが、「モノゴトを色いろな角度から俯瞰し、
一点に交わるところ(翠点)を探ると、その翠点付近は、物事があいまいな状態で存在している」という発見である。
「要点」の意味に似ているが、マンダラの中で見つけたところがミソ。 
* 国家予算の六割が借金!
 この予算が組めるのは、来年で終わり。 それ以上は、国債の暴落と株の暴落を引き起こす。
(字数制限のためカット 2010年12月9日)
.......
2805, オバマという人物
 2008年12月09日(火)
オバマという人物を、いま一つ解らない部分がある。父親がケニア人で、母親がアメリカの白人。 
しかし経歴といえばアメリカ社会のエリートコースを登りつめ、史上初の大統領にまでなった人物である。
しかし何か得体の知れない危なげな匂いを感じもする。そのことを産経新聞の「世界を斬るーオバマのアメリカ」
の岡本行夫と佐藤優の対談で、佐藤が次のような見方をしている。
 ーまずは、その部分である。ー
【オバマさんはキメラ(多様な要素を併せ持つギリシャ神話上の生物)だと思います。何者でもあるし、何者でもない。
よい目つきで見ると、エリートの要素も、低い要素も、すべてを備えているように見える。国民の能動性を引き出すのもうまい。
勝利演説でネットで5ドル、10ドル、20ドルを入れてくれた人に感謝していますね。政治参加する人は少額でも、100万ドル、
1000万ドル払う人と権利が全く同じだと。アメリカ人とは何かという根本的なところで、アメリカを思い、
アメリカのために行動する人がアメリカ人だと。新たな統合原理をつくることに今のところ成功していると思う。
   (字数制限のためカット 2010年12月9日)
・・・・・・・・・
2007年12月09日(日)
2440, 哲学の効用とは?      ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっ W( ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄)W は〜♪
最近、コペルニクス的に世界の見方が変わってきたのは、情報化による情報の質量のレベルアップと、還暦を過ぎた為と思っていた。
しかし哲学書をこの数年間読んできたことも大きく影響していた!と中島義道の「哲学の教科書」を読んで気づかされた。
世の中の価値観や、常識を自分の頭で根底から疑ってみる習慣が少しずつ付いた結果である。考えるということは、驚き、感動し、
根こそぎ新鮮な感覚で周囲を見直すこと。元々、その傾向は強いつもりだったが、それがマスマス強くなった結果である。
 まずは、その部分を抜粋してみる。
(P・228)     −中島義道「哲学の教科書」
メルロ"ポンティは「哲学とは世界を見なおすことである」と言っております。これは、先に挙げた(第2章)プルーストの言葉
「芸術家がわれわれに与える喜びは、われわれがもっている宇宙の上にもう一つの宇宙を教えてくれるところにあるのではないだろうか」
に比べると、やはり哲学の特性を表している。ここに「見なおすこと」と言って、「思索しなおす」とか「解釈しなおす」とか
言っているのでないことがミソです。次章でゆっくり話しますが、私が法学をやめて哲学をしようと思いたち、大森荘蔵先生のお宅に
伺ったとき「哲学にとって一番重要なことは何ですか」と新聞記者のようなことを聞いたことがあります。
その答えは、やはり「よく見ることです」というものでした。前章で考察したような哲学の問い「時間」「因果律」
「私」「他人」「意志」「存在」などは、われわれがちょっと注意して「よく見れば」足元にころがっているものです。
私は「哲学の小道」という類のものを信じません。それは、じっと腕を組んで「善とは?」とか「自由とは〜」とか
瞑想に耽リながら散歩するのによい静かな小道なのでしょう。哲学とは何よりもまず「よーく見る」ことですから、
必ずしも、こうした浮世離れした環境は必要としない。とくに、「今」とか「よい」とか「ある」とか「私」とか
「意志」といった卑近な言葉のうちに謎のすべてが詰まっておりますので、ホームドラマやスポーツ解説や、天気予報からも
いろいろヒントを受けることができます。さきほど申しましたように、哲学は何の役にもたたないのですが、
こうした言葉を使うとき前提されている底を打ち破ってみせることは、間接的にでも何らかの役にだつのかもしれません。
つまり、哲学はすべてのことを徹底的に疑うところから出発します。 普通の人々が前提している善悪の骨格を揺さぶります。
したがって、例えば、戦争が悪であるのは第一に戦争は人を殺すからですが、哲学者は「聖戦はあるのか」とか
「原爆投下は正しかったか」といったレベルの議論にではなく「なぜ人を殺すことが悪なのか」といったレベルの議論に
照準を合わせます。もちろん哲学者とて、その社会に適応した人間ですから「人を殺してよい」と思っているわけではなく、
(字数制限のためカット 2011年12月9日)
・・・・・・・・・
2006年12月09日(土)
2076, 経験についての一考察       オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
経験について考えてみよう。
「経験」は、「経験を積む」や「経験者」のように、『くり返しおこなってきたことから得られた知識や技術』をさす。
それに対して「体験」は、「面白い体験」「戦争体験」など直接感じた行為経験をいう。「人生経験」を例にとると、
体験などを通して腑に落ちること、了解したことをいう。その蓄積が人生経験豊富ということになる。 経験は、過去の積み重なね
としての現在の自分を構成している。したがって、年を重ねただけ了解した蓄積が多く、何をしても、何を読んでも、そのプールが
面白くなっていく。経験そのものも貴重だが、それ以上に、そこから何を、どのように学ぶかが重要である。
バーナードショーは、「人間が賢くなるのは、経験によるのではなく、経験に対処する能力に応じてである」といっている。 
経験から学ぶことこそ「経験を生かすノウハウ」である。人は経験から学ぶと同時に、忘れる動物である。 
忘れるから生きていける部分もあるが、喉もと過ぎれば何とかで、経験を消化する前に忘却してしまうのが人間の性である。 
汝自身を知れ!、そう消化しないで忘却する自分を知れ!こそ経験を無駄にしないことになる。 汝自身を知れとは!とは、
この意味で考えると腑におち、納得できる。消化できない自分の無知さえ自覚できない愚かな動物である、
ということを経験といえば他人の経験からも学ぶことができる。それが文化・文明をつくり上げてきたのである。 
他人の不幸・失敗は、その経験則を把握さえすれば、自分の経験則に織り込むことが可能になる。
これが「合理的・合理性」である。この歳になり、過去が未来より圧倒的に多いと実感してくると、他人の経験則の吸収と、
自らの経験を消化する知力の至らなさを痛切に後悔するようになる。生きるとは、失敗こそが意味を教えてくれる切り口になる。 
失敗こそが人生である。全てが失敗といってよい。最近は後悔すべき過去がフラッシュのように、頭を過る。 
しかし、人生は失敗・後悔の塊と割り切ってしまえば、深く人生を見直すこともできようし、分別もできよう。 
砂に喩えれば、砂金も少しはみつかるだろう。石ころも混ざっているが!大したことがあるわけない人生、意味など今さら
考えても仕方ないが。意味は価値だろう、価値の後つけほど馬鹿馬鹿しいものはないのに、自信がないから、裏づけが無いから、
記億の修正のため、そして疾しさを正当化するため、経験を歪めてしまうのである、
経験は、先生である! 先生の話は、よーく聞くべきだった!            (。^0^。)ノサイナラ!
・・・・・・・・・
2005年12月09日(金)
1711, 道路の経済学     ー読書日記   
 学生時代の武澤ゼミの一年後輩から一月ほど前に電話が入った。 (。・ω・。)】ゝモシモーシ (*´o)8 ohisasi
  あるプロジェクトの相談である。 その詳細は書けないが、かなり難しい問題である。
 ・戦略の失敗を戦術でカバーできないか?ということか、
 ・再構築のための情報収集ということか、その両方だろう。その時の電話で、現代新書から
 「道路の経済学 」を出版したところ、半年たらずで3万部も売れたので是非読んでほしいという。       
 そこで、先日ネットで発注して読んだが、道路に対して全くの素人の私も理解できる内容であった。
 彼が不動産鑑定士をしているという話は10数年前のゼミOB会で会ったときに聞いていた。
 現在、不動産鑑定士だけでなく、明冶大學や母校の大学院で講師をしているという。 【dou ro】\_( ゚ロ゚)
 私がまとめた概略を記してみる。その前に、この本をネットで調べた内容をコピーしておきます。 著者: 松下文洋  現代新書
ー私の概略と感想を書いてみるー
字数の関係でカット(2007年12月9日)
(^_^)/~~ja~
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2004年12月09日(木)
1346, 23歳の日記−5
実際のところ、書きうつしていて気持ちの良いものではない。三十五年前の自分と直面するのも恐ろしい。
正常と異常の塀の上を一日一日歩いているようなものだった。それが若さということなのだろう。
何か焦りと焦燥感がつきまとっていた。黒い影に常に追われている気持ちであった。20代は毎日が変化の激しい
息詰まるような日々であったようだ。もっとも誰もがそうだろうが。 それと当時から理屈っぽいのがよく見てとれる。
デズニーのミッキーマウスなどのキャラクターはみな頭がデカイが、若い時はそれでもよいのだろう。
パンドラの箱を開けて、覗き込んでいるような気持ちである。
  4月20日 ー1969年
現在は仕事面でも、私的な面でも日々に流されているに過ぎない。それを乗りこえなくてはなるまい。
  ーーー
字数の関係でカット(2008年12月9日)
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2003年12月09日(火)
979, 結婚30年
 一昨日で、結婚30周年になる。昨日気がついた。今までは結婚祝いなどしたことはない。
結婚という視点からいうと、「30年は短かった」というのが実感である。
女性問題でもめたことは一切ないし、夫婦の危機は一度もなかった。
(字数制限のためカット 09年12月09日)
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2002年12月09日(月)
 ある時間の断片-19
10月12日 1968年
8時起床。 11時半に長岡に出発する。15時過ぎに帰宅。家はやはりよい。 両親が帰ってくる。
学校町と柏崎のおばも来る。兄の三郎さんが婚約したという。どんな人か早く会ってみたいものだ。
長岡の街を歩いてみる。街が禅寺に行っていたせいか何かよい。西村さん夫婦は旦那の実家に行っていたため会えず。
夜半の3時までオリンピックをみる。世の中も変わったものだ。小学生の頃のメルボルン大会をラジオで
やっと聞こえたのに。12年でカラーTVで見れるのは夢のようだ。
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2001年12月09日(日)
 264,税務調査ー2
野村沙知代が脱税で逮捕された。
悪質の為だが、それにしても実の息子に告発されるとは異常だ。国税局の査察の場合大部分が内部告発だ。
全国の会社の15?で経理の不正が行われているという。そしてあまり表ざたにならないのは、多かれ少なかれ、
脱税が行われているからだ。「ことを大きくすると全てばらすぞ!」それがあるから、足元を見て不正をする。
国の政治家があれだけ悪い事をし、官僚もたかり放題。やりたくなるのも解るが、それをいちゃーおしまいである。
それにしても今まで、税務調査に入らないのもおかしい?野村監督も知らないではすまないはずだが、ここが日本の
甘い体質がそのまま出ている。うちの会社の税務調査の一年後の去年に、至近のホテルに税務調査が入った。
そして一億数千万を追徴されたという。税務署も当社の数字を参考に、調べあげたと予想される。敵もさるものである。
旧約聖書に税のちょう収人が、かなり身分の低い人としてイヤシメられて書いてあるが、嫌われる仕事だ。中国に旅行した時、
定年退職したばかりの税務署所員が4人できていた。中国の金で一万円相当を貸してやったが、帰国した新潟空港で
円が下がってると9500円を返した返した。こうなると卑しいと卑下したくなる。いや、その職業でなく人間性か!
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12月9日 1968年
  9時半起床。11時45分に上野へ、正子さんを迎えに行く。上野の寿楽で食事をしていると、軽井沢で知り合った、
  小林君と大井君でバッタリ会う。 彼等と一時間話をする。やはり方向に迷っているみたいであった。
  その後、正子さんの希望で京成電鉄で「成田」へ行って、お札を納めてくる。17時にニューオータニに着く。
  姉がチェックインをした後、18時に川崎達と会うため赤坂見附へいく。18時20分に彼等と落ち合う。
  車が四人乗りで、横浜は無理である。以前石川と行ったレストランで食事をする。その後、ゴーゴーバーへ行く。
  赤坂見附の近くの「ムゲン」という店である。このような店で踊ったのは初めてである。 姉とその友人とも踊る。
  サイケ調でその世界に引きずり込まれてしまった。 その後、「アシベ」というクラブで飲む。
  遠藤周作がいた。 22時半に姉達を送っていく。


3909, 閑話小題

2011年12月08日(木)

   * いやに最近、自宅周辺が寂れてきた
 家内が言うには、「最近、町内が急に寂れてきたみたい。町内のウチの班が13世帯のうち、現役のご主人がいるところは三世帯のみ。
一ヶ月前に敷地内にある貸家の一家も新たに住宅を買って出ていった。隣の美容院専門卸の社長も、居なくなった。その数軒隣の中年夫婦も
数ヶ月前に急に居なくなった。 自宅前の20世帯のアパート二軒には、アジア系の住人が数世帯入っているだけ。 残っている家も、
お年寄りと空家ばかり」ここにきて不景気が身の回りの現象に現れ出てきたようだ。 その典型が我家でもあるが・・
 自宅の敷地内にある貸家は、この20年間、空くと直ぐ次の借り手が現れ、ほとんど空いていたことはなかった。来年の転勤時期の
三月までは、諦めているが、不動産屋が言うには、「最近、家を借りたいという人が少なくなった。企業の海外移転が加速していて
働き手が激減している。尋常ではない」とか。 自宅周辺は、実際に住みやすい環境である。歩いて2〜10分以内に、三つのSCがあるし、
駅まで10分の好立地。 周囲は閑静。 ところで親戚が長岡駅の周辺で三つの貸ビル経営をしているが、テナント10数店舗のうち
入居しているのが二つのみ。 無借金経営で、堅実なので、この数年先の暴風雨には問題がないが、現在の長岡の現状の縮小版でもある。
他人事ではないが・・  角栄の遺産(公共事業)で生き抜いてきた地元経済も、ここにきて大きな変化をしてきたようだ。
消費税率のアップと、TPP問題、農業への放射能汚染、数年後に控えた北陸新幹線の影響。 問題が山積している。
   * 甘口の濁り酒と、辛口の酒のミックスが美味い! 
 一年ほど前から、晩酌に「濁り酒」を飲んでいる。 それだけでは酒の効きが強いので、二級酒?の辛口の日本酒を半分混ぜると、
甘口と辛口が丁度良いバランスになり、自前の丁度良いミックス酒をつくりあげたと自画自賛。それとノンアルコール・ビールを飲む。
濁り酒は年中売られているわけでなく、夏の期間は店頭から消える。ちょうどビールの時節になるので、それはそれで良い。
紹興酒も、濁り酒が飽きた頃に切り替える。二週間の間隔である。両方とも量の割に酔いが深くなるが、1合少々なら悪酔いはしない。 
本当は、ノンアルコールビールのみがベストだが、緩慢な自殺行為と分かっていても・・・ 
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3544, まさかハクビシンが?
2010年12月08日(水)
 敷地内にある貸家(通称=裏の家)の住人から、天井裏から水が漏っている苦情があった。まずメンテの業者にみてもらったところ、
「獣の足跡があり水漏れは小便で、自分達の範疇でない」と引きあげていった。で、駆逐業者を呼んだところ、「ハクビシンだろうが、
夜になると外からくるので穴を塞ぐしかない」というので、再びメンテの業者に頼み穴を塞いで貰い一件落着? 身近でハクビシンなど
聞いたことがないので鳩が豆鉄砲を喰らったよう! ネットで調べてみたら隣町の川崎町で、去年だけで40数回のハクビシン騒ぎが
あったことが分かった。ハクビシンというと佐渡の朱鷺を襲った奴で、猫ぐらいの大きさがある。あれが天井裏で騒いでいたら、
住人は夜半、気味が悪かっただろうに。「ネズミが騒いでいるにしては音が大きい。しかしハクビシンとは思いもよらなかった」とか。
それにしても山中なら分かるが、こんな住宅街に現れるのだろう? もしかして、まだ、天井裏に隠れている可能性もある。
  *「ハクビシン」をウィキペディアで調べてみると
ーハクビシンは台湾名であり、本来は暖地系の獣であるが、日本では四国と本州の東半分に生息し、日本に生息する唯一の
ジャコウネコ科の動物となっている。北海道の奥尻島に生息しているとの報告もある。日本の在来種なのか外来種なのかは
はっきりしない。明治時代に毛皮用として中国などから持ち込まれた一部が野生化したとの説が有力であり、
それ以前の古文書における生息の記載や、化石記録が存在しないことから、外来種とされてきた。
各地で研究飼育された獣の一種で、個体が逃げ出したり放棄されたりして繁殖したともいわれている。
同様な目的で持ち込まれた獣としてはヌートリアがある。人家近くに生息して屋根裏でも繁殖する。
子どものうちはよく人に馴れて愛くるしい。リスやネズミに比べて、かなり大型の獣である。ー
 二年ほど前に近くに熊が出たので、ハクビシンもありか! 
* 後記ー朱鷺が襲ったのは、「テン」で、「ハクビシン」ではありませんでした。 
   知人に教えてもらって、気づいたしだい。 −2010年12月16日
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 3169, 夫と妻 か〜
 2009年12月08日(火)
 熟年離婚が流行っているが、夫婦が長年連れ添うのも大変である。私の姉・兄夫婦をみていると、相性の当たり外れは5分5分、
どれが当たりで外れなど口が裂けてもいえないが・・・。そういう自分のことは分かりません! だから生きていけるのでは?
悪妻といえば、ソクラテスの妻・クサンチッペと、徳川家康の妻・築山御前が頭に浮かぶ。 しかし、明治の首相までなった黒田清隆とか、
野口英世、モーツアルト、リンカーンの悪妻は、あまり知られてない。< 野口英世は、ニューヨークの酒場で知りあった`はすっぱ女’の
メリー・ダージェスと結婚して、大失敗した。 野口はロックフェラー医学研究所の首席助手で、年俸3000ドルもかせぎ、メリーは
そこに目をつけた。メリーはめちゃくちゃな浪費家で、野口の金を使いつくしたあげく、ヒステリーをおこしてつかみかかり、
家のなかで野口をぶん投げた >という逸話がある。また、黒田清隆が上司の娘の高邁な妻を蹴りごろした史実がある。
これは大久保の助力で表ざにならなかった。 歴史上の悪妻とは ウィキペディアによると 
・権力欲が強い・嫉妬深い・自己主張が強い・夫に従順でない、などが基準になっていると考えられる。
 知人に何人か、離婚経験者がいるが、男の場合は何年たってからも未練があるようで、思わず耳を疑うことがある。
「自分には過ぎた女房だった」というのである。 女性も、次のパートナーが見つかるまでの苦労は、並大抵ではない。 
スナックのママさんには離婚経験者が多いが、わかれた亭主の悪口になると我を忘れてしまう。
嫉妬、暴力、女癖と甲斐性無さ・・。 連れ合いは、元は赤の他人、中年も過ぎれば互いに顔を見るのも嫌になって当然。
付かず離れずで、互いに割り切るしかない。 それにしても、一番身近の赤の他人は、ある意味で自分の分身でもある。
だから、その取り扱いには互いに充分に注意しなければならない。 子供にとっての親の当たり外れは重大事。
それが両親の相性の当たり外れになる。 両者とも、それによって、人生が大きく左右される。
特に女性にとって連れ添いの当たり外れは大きい。 目に見えない紐を首に巻きつけ互いに溜息をついて締め付けている。
 昨日、結婚記念日で36年たった。 
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2804, イングランド・ツアー ?
 2008年12月08日(月)
『ロゼッタ・ストーン』と、黄金の彫刻の次に印象に残った大英博物館の展示品の順に書いてみる。
  まずはギリシャのコーナー
 ーパルテノン神殿の破風彫刻ー
古代ギリシアの代表的なポリス、アテネの繁栄を象徴するパルテノン神殿の東側の破風を飾っていた
彫刻群で、長さ8m以上に及ぶ。 著名な彫刻家フェイディアスの指揮で造られた。現在は失われてしまった
中央の女神アテナをはじめ、ギリシアの神々が配置されている。中央の裸の男性の像は、酒と豊穣の神である
ディオニソス(ローマ神話ではバッカス)で、三角形の破風の形状に沿って横たわっている。(BC438〜432年ごろ)
これもまた、大英博物館の誇る代表的な像である。その横にある馬の顔がまたリアルである。
次は古代エジプトのコーナー
 ージンジャー(ミイラ)ー
人だかりができていたのが、このミイラの展示ケース。エジプトでミイラ造りが開始される前の、BC3400年ごろの
成人男性と考えられている。極度に乾燥した熱砂に埋葬されたために、特別な処置を施されていないにもかかわらず、
完壁に保存された。一部残っている頭髪が赤いことから、ジンジャーの愛称で親しまれているという。
今にも立ち上がりそうな姿が5400年の時空を超えて、何かを訴えかけているようだ。
 ーアメンボテプ3世の頭像ー
古代エジプト新王国時代 第18王朝の王であるフメンホテプ3世の頭像。高さ2.9mもある巨大像だ。
欠損している額の中央部には、王位を表すコブラの紋章の一部が残されており、
顎の部分には付け髭があったと考えられる。40年ほどの在位期間は最も文化的に
誇ったといわれ、多くの記念建造物や王像が残っている。BC1350年ごろ
 ーラムセス2世の胸像ー
新王国時代第19王朝の王、ラムセス2世の胸像。高さ2.67m。
19世紀、テーベのナイル川西岸にあったラムセウムという葬祭殿から出土した。
右胸の穴は、ナポレオン軍が像を取り去ろうとして失敗した跡だといわれている。
ラムセス2世は約67年間という長期にわたってエジプトを治め、その間に多くの記念建築を造営したたため
「建築王」と呼ばれる一方で、ヒッタイトと戦い、現存する最古の国際条約を結んだ。  BC1250年ごろ
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これだけの貴重なものが、剥き出しに展示されているのには驚いた。 イギリス人は、「国家の宝は国民のもの」
という考え方。だから無料でみる権利がある、という。 どこかの国とは違うようだ。 
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2007年12月08日(土)
 2439, サブプライム問題 −3
 *サブプライムローンの実態は消費者金融!
「サブプライムローン」について、週刊誌の特集を前に二回取り上げた。
ところが、それについてまだ認識してない部分があった。毎日新聞の「記者の目」にずばり「消費者金融のようなもの」と。
「消費者ローンを、住宅担保で貸していた上に、その債権を巧妙にミックスし、金融機関に売り払っていた。
銀行は新興国家からお金を集まっていて、その投資金を、その債権に変えていた」というから、大問題になるだろう。
 ーこの要旨をまとめるとー 
 サブプライム問題を日本の住宅ローンと同じように想像すると本質を見誤る。担保は確かに住宅だが、
ただの住宅ローンではない。借りた金の使いみちは広く自動車や洋服の購入にも充てられる。
それが米国の“住宅ローン”だ。ずばり「消費者金融のようなもの」と。 価格の上昇する不動産を担保にすれば、
借金可能な枠がどんどん広がる。「担保は住宅だが、むしろ消費者金融の融資に似ている」と私が理解した。
記者が9月に米国に赴任後、現地で米国人の消費行動を見て、彼の推論が正しかったと確信したという。
 クレジットカードでも銀行口座でも、返済を後回しにして消費を優先できる仕組みが見事に整っている。
「まず使って後で払う」というシステムが、米国経済の成長の源泉、過剰消費体質の個人消費を支えてきた。
ところが今、住宅価格の下落とローンの焦げ付きでその仕組みが傷み始めている。
 今回のバブルが「新興国」への資金集中から始まったことも、時代の変わり目を示す。
中国や中東の産油国は、経済成長や原油高騰で獲得した巨額の資金を一番安全な運用先に
預けた。それが米国の銀行だった。 銀行は集まり過ぎた金の運用先に困り、上昇を続けていた不動産につぎ込んだ。 
米国では、大手銀行の関連会社が、次々にサブプライムローンを組み込んだ商品を買いあさった。
 この典型的な不動産バブルが「証券化」で、さらに複雑になった。
証券化は、90年代からリスク分散の切り札として欧米で盛んに利用されてきた手法で、それ自体には問題はない。
例えば、高層ビルを建てる時、事業者は資金を銀行からの融資に頼るより、100人の投資家から集めたほうが
多額の借金を抱えずに済む。出資者も事業が成功すれば配当を受け取れるし、失敗しても出資金を
あきらめるだけで傷は小さい。80年代の日本では、銀行が不動産融資にのめり込み多額の不良債権を抱え込んだ。
その反省に立てば、証券化商品は「夢のリスク分散商品」だったはずだ。
 ところが、である。欧米金融機関の作る証券化商品は年々複雑になり、一度作った商品を別のものと束ねて、さらにそれを
別の商品に組み入れて−−などと形を変えていくうちに、もともとの貸し借りがどんな姿だったか分からなくなってしまった。
 (字数制限のため、カット11年12月08日
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2006年12月08日(金)
 2075, 世界の「富」、人口の2%が半分以上所有        (。^0^。)ノ オッ(*^○^*)ノ ハ〜 ヨウ
先日の日経新聞によると、国連の研究機関が12月5日に発表した調査で
ー世界の「富」、人口の2%が半分以上所有ーという記事があった。
 ーこれを解りやすくまとめるとー
・世界の成人人口の2%が、家計全体の「富」の半分以上を所有。
・逆に貧しい方からみると、人口の50?が所有する富は1パーセント。
・最も豊かな層に属し、成人人口の1%に相当する人々が所有する富は、世界の4割に相当。
「上位1%」を居住している国別に分類すると、米国が最多の37%、日本は2番目に多い27%となった。
 日米だけで上位1%の3分の2近くを占めた。
・一人当たりの世界の富の平均が2600ドル。日本は18万1000ドル、アメリカは14万4000ドル、中国は2600ドル、インドは1100ドル。
・富の分配の格差を示す「ジニ係数」も国別に算出。値が一に近づくほど格差が大きくなるが、世界の平均値が0・89に対し、
 アメリカは0・8に対して、日本は5・5で格差は比較的小さい。 まだまだ、日本は健全にみえるが、
 この数年で大きく変わってきた。 2000年の統計値を使ってまとめたもので、預貯金や不動産などの資産から
 負債を引いたものを「富」と定義したという。
 ーー
以上が大方の数字だが、「世界の富の80%は、世界の20%の富裕層が所有している」というがそれを裏づける数字になっている。
中国や旧ソ連や、イスラム圏などから学ぶことは、アッラーや、イデオロギーは富という面からみたら問題ありになる。
無知が貧しさの原因になる。それと幸せ感とは違うというが、やはり・・日本の長期低落傾向は、その豊かさと、
ジニ係数がふつうの国レベルまで修正されるプロセスにあるということだ。
やはり金に換えておくか、外国に資産を移動しておくべきだろう。 あればの話だが。    *^ワ^*)i バイバイ
 ・・・・・・・・・・
2005年12月08日(木)
 1710, 結婚32年の風景
 昨日で結婚32年になった。       ゜(゜ノ∀`゜)゜。アヒャヒャ
 ほとんど危機らしいことは無かった?が、そうそう甘いものではなかった。 ~~旦⊂(・∀・ )
                      マァ チャデモ!  且~
相性が良いかどうかは、直には判断できない。相性という面では当たったのだろう。
 以前にも書いたが、昔から好きなタイプは
  ・長女  ・丸顔のノッペラ                   A(´∀`人)
  ・A型  ・控えめ  ・慎重  ・身長160?  ・気が強い    ( ;:゜皿゜:)_◇~~ アァァァ!!
 (字数制限のため、カット11年12月08日)
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2004年12月08日(水)
 1345, ビデオ・DVDで観たい 名画200選  ー読書日記
この本、最近本屋の平台に積まれていて気にはなっていた。しかし定点観測で見ていると、いつの間にか売れている。
  (字数制限のため、カット10年12月08日)
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2003年12月08日(月)
978, 全日本相撲選手権
 (字数制限のため、カット09年12月08日)
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2002年12月08日(日)
604,ある時間の断片-18
 ー10月9日ー 雲屯庵にて
7時半起床。どうしても6時半には起きれない。 まず初日からこれではどうしようもない。
もっと気合を入れなくてはならない。一人で自分を律するのは厳しい。土曜日まで頑張らなくては。
 ー10月10日ー
今日も計画通りに起きることができない。午前中まで野田一夫の「ゆれる経営風土」を読む。15時から卒論の下書き始める。 
波に乗ったようだ、ここで可能な限りやってしまおう。19時に実家から電話がある。母と長姉の正子さんと話をする。
一番下の姉夫婦の西村さんが帰っているという。明日正子さんが東京に行くので、深井に夜の東京を案内を頼むという。
深井に電話をするが彼がいない。明日もう一度電話をする事にする。
 ー10月11日ー
8時に起床。卒論の方は予定通り進んだ。 明日夕方帰ることになった。
姉たちが来ているから帰ってこいとのこと。 今日は時間のたつのが早い。
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2001年12月08日(土)
 263,玉突き事故
半年位前に、市役所分室に印鑑証明をもらいに行った帰りのこと。長岡の大手通り四つ角で、車に追突してしまった。
その車がまたその前の車にぶつかる、玉突き事故になってしまった。 その玉突きされた車の中から、恐持てのやくざ風の男が、
怒鳴りながら飛び出してきた。雪駄を履き、金の首輪、角刈りの何とかスタイル。「何さらすねん、この野郎!」と、やべえーな
と思っても仕方ない。「これは全て私が悪いこと、とりあえず100メートル先のところで!」という事になった。
直接ぶつかった車の人が真っ青の顔をしていた。どういう訳か、いつもこういう時は腹が据わってしまう。そしてそこに行くと、
直接ぶつかってしまった人がいない。 少し待ってみようということで、待っても待っても直接ぶつかった人がこない。
恐れて逃げてしまったのだ。恐れる必要は全く無いのに。こちらも拍子抜け、相手も拍子抜けになってしまった。バンパーが
かなり傷が入っていた。「バンパーを変えなくては駄目だ!」ときた。しかし直接ぶつかった相手がいない。私も「保険が降りない。
手を打ちましょう!」というと「幾らだ?」と言うから「一万円!」と言った。4〜5万?取られるなら、ハッタリで思い切って
安く言ったのだ。相手の額に青筋が立った。すかさず「こちらも本来保険で下りるところ相手がいないので一銭も出ない。
警察を呼ぶと面倒です、手を打ちましょう!」と言うと急に「よし!」と言った。警察がよほど嫌だったみたいだった。
拍子抜けであった。その時財布に7〜8万の金がたまたま入っていた。いざ支払う時にそれを見た相手の顔が忘れられない。
「しまった、全部取れたのに!」と言う顔であった。 後は逃げるが勝ち、さっさとその場を離れた。
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12時8日(日曜日)1968年
 12時に起床する。 昼飯後、何か落ち着かない。夕方独りで池袋に出てみる。
独り目的もなく池袋の街をブラブラするのもよい。皆がそれぞれ楽しんでいるのを見ると、自分まで楽しくなる。
田島がアルバイトをしているスナックに行ってみたが、日曜日でもやっていた。しかし彼はいない。今度は銀座にしてみよう。
本屋などは独りで立ち寄るが、何の当てもなく出かけるのは初めてだ。違った遊び方を一つおぼえた。 今度は銀座にしよう。
ところで朝寝ていると長岡の一番上の姉の正子さんから電話が来る。明日東京に遊びに来るから、よろしくとの内容であった。
ニューオータニだそうだ。高木・川崎・松村が案内の候補にあがった。高木は遊びすぎで謹慎の身だそうだ。
次に川崎に電話をするとOKであった。友人の車があるから、車つきである。明日は明日になってみなくては判らない。
それにしても、いろいろ毎日有り過ぎだ。一日一日がギリギリである。何せ、卒論と卒業を絶対に成し遂げないと。


3908、ファイナル・クラッシュ ー1

2011年12月07日(水)

        「ファイナル・クラッシュ 世界経済は大破局に向かっている!」 石角完爾著
 
 知人に紹介され読んだが、解りやすい内容。 大まかに要約をすると、
≪ アメリカが国内消費を促すために下層階級の住宅資金を野放図に貸出し、そのローンを債権として組み合わせて全世界に売り出した。
プライム・ローンをベースにしたCDSである。それらが7京という途方もない不良債権として世界の国家や金融機関に眠っている。
アメリカは世界の主軸通貨の立場を利用して、ドルを刷りまくっていて、そのドルをアメリカ国債と交換し、帳尻を合わせてきた。
 加えて新興国の発展も含めて人口の急増がとめどなく進み、それが食料不足をおこしている。ドルとユーロとアメリカ国債のバブルで、
その破裂は目の前に迫っている。 ここに及んでソフトランディングは無理、ハードランディングを避けられない。
日本はGDPの二倍以上の1千兆円の国債を発行、この暴落も何時起こるかもしれない事態。家族も資産も海外に早いうちに避難すべき。
その先はオーストラリアかシンガポールが最適。 最終章は目前である・・・ ≫
 ▼ 新聞報道で連日、欧州危機の報道が続いている。 目先、問題を先送りをして凌いでいるが何時、火の手が上がるかの瀬戸際。
  ある朝、起きてみると・・ それは想像を絶した本格的世界恐慌のノロシである。印象に残った部分を何回かに分け書き出してみる。
  ◎ 第一部 パーティー・タイム− 負債の泉
「もしアメリカの人々が銀行に通貨の発行量の調節を許すなら、第一にインフレにより、次にはデフレにより、銀行と企業は成長し、
そこら中にはびこって人々の財産を奪うだろう。そして子供たちは、彼らの父親が征服した大陸で自分たちがホームレスになっていることに
気づくことになるだろう」                       −トマス・ジェファーソン(第三代アメリカ合衆浄大統領)
   ○アメリカの住宅バブル
 アメリカ人の多くは、ジュニア・ブッシュが大統領であった時代、ただで酒をふるまわれて酔いしれていた。酒の正体は、低金利で
 いくらでも使えるクレジットである。 二〇〇一年の911による消費の減退を避けるため、緩和的な金融政策と減税が実施され、
 それによって金利が下がり、借金をして消費することが容易になったのだ。金利が下がったことでローンを組んで不動産を購入する人が増え、
 その結果、住宅価格は急上昇した。それ以前からアメリカにおける住宅価格は二五年にわたり上昇していたのだが、二〇〇〇年以後
 ほんの数年で価格が二倍にもなった地域もある。 2004年から2005年にかけアメリカの平均的な住宅価格は一三%も上昇している。
 しかしこの時期、この程度の上昇はスペインやポルトガルでも珍しくなかった。つまり不動産価格の上昇は世界の多くの地域で同時に
 起きた現象だったのである。 これは、アメリカの金融緩和が生み出したものだった。 アメリカが世界の他の国に比べて重要なのは、
 アメリカが世界最大の消費国家であり、過剰生産される品々を全て引き受けているからである。 アメリカ人は自分たち自身の
 お金だけでなく、とくに中国、日本そして途上国がためているお金まで自分のもののように使っているのだ。
  そのためにアメリカの金融緩和は世界の景気を上向かせ、資産価格を上昇させてしまう。この金融緩和はしかし、無理のある政策だった。
・・・・・・・
3543, つれづれに ―物忘れ
2010年12月07日(火)
 * 物忘れ
 最近に物忘れが多くなった。ボケなのだろうかと、不安にもなる。
先日、大学の同級会があったが、まず乗車時間を勘違いをして一列車遅れ。乗って直ぐに携帯電話を忘れてきたことに気づきく。
その上に、同級会が終わって東京駅に着いて店にコートを忘れてきたことに気づくしまつ。折りたたみ傘は、ニケ月に一度の割りで
失くすので、1千円以下の傘しか買えない。人間は忘れるから生きていけるが、もの忘れは困ったものだ。会社も自宅でも、
パソコンに予定などはポストイットに書きつけ貼っている。また自分の掌の親指の下にメモる習慣は二十年前より実施をしている。
 * 大学の同級会
 大学の同期会が学校の事務局主催で10年に一回ずつ行われている。20,30,40周年の会には出席した。
(10周年の会は、会そのものが行われていなかった) その都度、二次会、三次会と盛り上がり、色いろな人生を垣間見る。
4百人、3百人と、参加者は少しずつ減っていくが、出席者のメンバーは、ホボ同じである。教養課程の1・2年の同級会は
首都圏在住の人たちで開かれていたが、去年から誘われるようになった。 迷ったが、往復の汽車賃は二次会、三次会の飲み代と
割り切れば、色いろな世界を見れるのもよいと出席した。他の用件と重ねれば、隔年ぐらいの参加は良いだろう。
あまり会合には参加をしないが、学校関係だけは第一優先にし出席してきた。学校は進学する都度出会う人の地域が広くなる。
小、中学、高校、大学と、出会う人の出身地が広がっていくのが面白い。幼稚園は駅前の商店主の子供の世界。小学校は
駅前から、その範囲が10倍のテリトリーになり、中学校は商店主の子が主だったのが、先生やサラリーマンの子供、
そして越境入学がいた。 高校は中越地区に広がり、大学は全国区になる。その都度、自分の過去の世界が小さくなっていく。
そして、就職・・・  だから、同級会は、その年齢の自分に出会うようで、何とも感慨がある。それにしても数奇の人生がある。
 ・・・・・・・
3168,人生に関する閑話小題 ー2
2009年12月07日(月)
 * 孤独な老人
 毎朝、散歩をしていると色いろな人とすれ違う。犬と組み合わせでみると、より人生を垣間見ることができる。
80歳半ばの老人が小型コリー犬を連れて土手を散歩している。 その犬が10m位の距離にくると緊張で固まってしまう。 
通りすがるまで、その犬を老人が宥めている。 何度すれ違っても、それが変わらない。
観察するうちに気づいたが、その人が固まるから、犬も固まるのである。2〜3度挨拶をしたが、その都度犬が吼えかけてきた。
それを宥めているが、「いいこ、いいこ、ほえないの」と毎回言っている。 何か二つの生命体に孤高の空気が漂っている。 
 * ある人生  
 (字数制限のためカット 2011年12月7日)
 * 鬱病、欝症について
 何々病と何々症の、違いは、周辺に迷惑をかけるかどうかが基準でしかない。
境界は、いい加減だが、慢性化しているかどうか、重症かどうかもある。 精神も肉体と同じで、傷ついたり、疲労もする。 
この不況でリストラされたり、疎外され、ストレスが蓄積し、ガスが充満もする。自殺者の多くが鬱病という。その反対に躁がある。 
多かれ少なかれ、人間は躁と鬱の波の上で生きている。ニュースといえば、だいたいマイナーを報じる。また聞くほうもマイナーの
話題を好むから、まともに受け取っていたらマイナーな情報に多く影響を受けることになる。時代は、100年に一度のマイナーである。
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2803, イングランド・ツアー ?
 2008年12月07日(日)
  * 集団スリに狙われて −2
 前回に集団スリの話を書いて、これまでのスリや偽札交換詐欺について思い出した。
ブラジルのリオのカーニバルとイグアスの滝に行った時のこと。「ショッピング・センターには少年の集団万引きに
注意してください。特にウィンドウ・ショッピングの時に囲まれて、後ろポケットの財布を抜かれるケースが多い」という。
面白そうなので、後ろポケットにサングラスのケースを入れて、通路を歩きながらウィンドウ・ショッピングをした。
腕時計のウィンドウを見ていたら15歳位の少年が三人、両側と後ろに囲まれた。子供が腕時計を見るわけがない。
これが集団万引きと直感し、スーッと離れて後ろを見ると、私を見ていた中年の男と目があった。 その男、ニヤリと笑ったので、
わざとメガネケースを出してカラカッタことを知らせてやった。ただ、それだけのことだが・・・・・
 万引きといえば、スイスに行った時のこと。電車の乗り継ぎで、駅の土産店に入ったところ、人で身動きが
出来ないほどだった。他のグループの日本人が「この店中に女の万引きが居る」という話し声が聞こえてきた。
そこで自分の財布に注意しながら万引き女を探すことにした。初めての経験である。その場合、見るのは‘目’と気づいた。
30人位の人混みなら直ぐに分かる。 三十歳ぐらいの女で、中年女性のバックをジッと見ている。これだなと、
その瞬間を待った。 しかし連れに店外から呼ばれて、せっかくの場面を見ることが出来なかった。
  * 旅行の全てを楽しまなければ
「せっかくの旅行、高いコストを出して行くのだから、勿体ないじゃないか」 これは人生と同じである。
特に移動時間をいかに過ごすかである。 三十回目辺りから、機内の席の12時間の移動の苦痛が最小になった。
特に初日の成田から目的地の機内がキツイ。キツイが反面、自由な時間が幾らでもある。それを楽しむには、音楽かTV。
最近は、座席の前面に液晶TVと音楽、そしてゲームが出来る。家内も行き帰りの、この時間が一番楽しい!という。
帰りの機内で、最新の映画を4本も観たという。私は、持っていったiPodの音楽を休み休み聴いて過ごした。
その御陰かどうか、殆ど疲れが残らなかった。今回の機内のTVが最先端のものだった。映画や音楽などがネットで結ばれていて、
無数の中から選択可能なのだ。現実にも可能なのだろうが、実際に使って初めて情報の進化を実感できた。凄い時代なのである。
世界の広さと、深さを、家でも無限に手軽に入手できるのである。 これまでは本とマスコミが中心だったが・・・。
それなら情報機器を可能な限り利用して使ったほうがよい。ipodで旅行先に選択した2千曲を持っていけるのだから。
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2007年12月07日(金)
2438, 犬は鏡で自己を認識できるか?    (`・ω・。)っノXXXXXXX>C【才ノヽ∋―】
 随想日記で何度か「動物の中で一部霊長類とイルカだけが、鏡の中の自分を認識できる」
ということを書いた事があった。ところが池田晶子の本で、飼い犬が鏡の中の自分を認識していると述べていた。
少し頭の良い犬なら自分を認識するのも肯けるが、さすがに哲学を専門家、見るところは鋭く観察している。
でも、犬が自己を認識して、しげしげと自分の顔を見ている姿は何か不思議な気持ちになるだろう。
  {考える日々?  池田晶子著  ー鏡の中に「私」はあるか?}より抜粋
 ーー
 ある動物園では、チンパンジーが退屈するので、大きな姿見を与えてみたという。最初は驚いたり恐がったりしていた彼らは、
やがてそれが「自分である」ということを認識をし、表情を作ったりして遊び始めた。おかげで大いにストレス解消の効果あり、
ということらしい。鏡の中の自分を「自分である」と認識するのは、動物の中では、オランウータンとゴリラだけだと番組で言っていたが、
しかし、これは違う。たとえば、私の(賢い)愛犬だが、彼は仔犬の頃、初めて鏡に「自分」を見出した時、慌ててその裏に囲って調べた。
同じ頃、ステンレスの専用の水飲みで盛んに水を飲んでいる最中、いきなり跳び退いてびっくりしている。そうして、こわごわ器の中を
覗き込んでいる。器の底に、自分の顔が映っているということを、発見したのである。今では、鏡というものの「意味」をすっかり認識し、
時折、何が面自いのか、しげしげと自分の顔を眺めていることがあるし、私がその後ろで手を振ってみせると、振り返ってニカッと笑う。
鏡像認識は、霊長類に限らないようである。で、ここからが今回の本題すなわち問題なのだが、鏡の中の自分を自分であると
認識するというのは、どういうことなのか。右の話の伝でなら、鏡の中の自分を自分であると認識できるほど知能が高いということに
なりそうだが、じつを言うと、私は、鏡の中の自分を自分であると認識できない時がある。いや正確には確かに自分であるはずなのだが、
どうもうまく実感できない。とくに、真剣に思索モードに入っている時など、通りがかりに洗面所などの鏡に顔を見つけ、「コイツは誰だ」
「なんでコイツがこれなのだ」そういう感じになる。考えてみてほしい。人はなぜ自分を自分の顔や身体と同一と思っているのか。
なるほど、人は「私は」と言って、自分の鼻の頭を指すけれども、この場合、指しているのが「私」なのだろうか、指されているのが
「私」なのだろうか。それを知ろうとしているのは、では誰なのだろうか。「私」は、どこに居るのだろうか。鏡の自分を自分と同一と
思うのは、じつは未だ進化の途上なのであって、意識すなわち自己意識というのは、さらに進むと、もう一回ひっくり返って、
「自分」以外を自分だとは思わなくなるのである。確かに、顔や身体は、「自分の」顔や身体ではあるけれども、それを自分の顔や身体だと
思うためには、その先に「自分」が知られているはずだ。で、ここでこそ正等に「自分とは何か」。
 (字数制限のためカット 2011年12月7日)
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2006年12月07日(木)
 2074, 寝ずの番           才八∋ウ_〆(∀`●) 
先週の金曜日の昼休みに、近くのレンタルDVDショップで何気なく「寝ずの番」を借りた。
落語家の大御所の葬式にまつわるコメディーで面白そうであった。そして事務所に帰ってきて30分もしないうちに
義母の死亡の連絡が入った。その夜は生通夜、翌日が通夜、そしてその翌日が葬式とつづいた。
何かの因縁だろうと、土曜日の納棺・通夜の出発まで時間があったのでDVDを見ることにした。 
くしくもそれが通夜の内容で、下ネタのヒットパレードである。不謹慎と解っていても、2時間近く爆笑であった。
(字数制限のためカット 2010年12月7日)
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2005年12月07日(水)
1709, 耐震偽造問題について 
 マンションとホテルの耐震強度偽装問題は、あまりに悪質である。これまで「建設業界そのものが、
政治、官公庁がらみの構造汚職体質」と、このHPで辛らつの批判してきた。その末端の一現象が、そのまま露出したにすぎない。 
さらに大きな広がりが、日ごとに出てくるだろう。~匸Pヽ(・ω・`)今回の偽造が発端になった物件は、総研という
ビジネスホテルの開業指導のコンサルタント会社が偽造の設計主導をしていたというから、問題が深い。
 ー先日の地元の新潟日報によると、以下は字数の関係でカット(2007年12月07日)
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2004年12月07日(火)
1344, 面白くない日は一日たりともつくらない
 (2008年12月07日 字数の関係でカット) 
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2003年12月07日(日)
 977, 「開運!なんでも鑑定団」
 この番組み、いつも楽しみにしてみている。代々、実家が古美術商であった為に両親の収集した古美術品に 囲まれて育った。
(両親は戦後になって衣料量販店に転業)しかし衣料量販店で成功したお金で、趣味で骨董を買い集めていた。
 古美術の世界では「目利き」という言葉がある。この世界では「騙しは悪いことでない」一般から観れば異様の世界である。
・「傾むきかけた旦那様から骨董を詐欺同然で買取る」のが仕入れになる。まずは仕入れで大儲けをして、
・反対に「旦那様」に可能な限り高く売りつけて、儲けるのだ。
その為には、ほぼ太鼓持ちに近い状態になる。如何に良い旦那様に贔屓にされるかが腕になってくる。
父のお客は当時軍事産業で勢いを持っていた「津上製作所」の津上退助、山本五十六、互尊文庫の創設者の野本互尊翁などなど、
そうそうのメンバーだった。 一年に一個売れば、一家が充分に生活ができる稼ぎであったという。
 両親を見ていて、その買い方の凄さにタダタダ驚いた。「蔵出し」という言葉がある。事業が傾いた家が、道具屋と組んで
蔵の古美術品を売りに出すのだ。 事業が上手くいっている人が、事業を失敗した家に乗り込んで買い取る場面に両親に連れて行かれて
何回か見た。修羅場もいいところである。子供ながら、そのことは解っていた。私が異常に「痴呆名士や、その??息子」を嫌うのは、
こういう場面を両親に意図的に見せられていた為だ。「蔵出し」とは、商売の勝ち組が負け組みからただ同然で財産を買い叩くことだ。
勝てば官軍、負ければ賊軍の凝縮された場面である。絶対に負け組みになってはならない。昨日、「開運!なんでも鑑定団」を
十年近く見てきた中で、一番すごい場面をみた。「光悦」の茶碗が出てきたのだ。 嘘だろうと思ってみていたら、何と本物であった。
この春、ある収集家が自信を持って出したものが全部、贋物であった。その本人がリベンジで出てきた。
10年前400万で買った「光悦」の茶碗の鑑定だ。もし本物なら、国宝ものである。 結果からいうと本物であった。 
光悦の作品が17点あることは知られていて、今まで8〜9点の存在は確認されているという。
新たに不明の一点が出てきたのだ。 鑑定の値段は「5千万円」であったが実際は値がつかないだろう。
ー最近、話題はTVか、レンタルDVDの映画が多い。どうしてもカウチポテト族になってしまう。
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2002年12月07日(土)
603,ある時間の断片-17
 10月8日 1968年
10時起床。12時40分に上野に向け出発。 六日町の雲頓庵へ。 久々だ雲頓庵だ。 計画はこうだ。
6時半起床、一時間掃除、食事、30分間座禅、9~12時勉強、昼飯後、13時から15時勉強、
30分休憩後、17時30分まで勉強。食後30分座禅の後、19時半から23時半まで勉強。24時就寝。
卒論の大筋をつくり、目次を第三章までまとめる。 小項目をそれぞれ書き込むこととする。
  ー追記ー  2002年12月06日記
この時に書いていた卒論の内容について書いてみる。
ー卒論 「流通革命について」
 私の卒業論文は「流通革命」であった。 内容は今のスーパーの出だしのころで、そのころ主流を占めていた
百貨店や一般小売店やデスカウントハウスに変わり、チェーン店の時代がくるという論証であった。
 (字数制限のためカット 2011年12月7日)
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2001年12月07日(金)
262,強請りーその手口
ーヤクザ対処法ー
この仕事をやって20年、前面(現場)には一切立たない。現場は危ない部分があったが、危ない人に一円たりとも
支払った事は一度もない。暴対法ができてからチンピラやヤクザも大人しくなった。しかしその以前から殆どない。
現場に「すぐ警察に電話をするよう」と指示してあるからだ。2ヶ月位前、本屋で「ヤクザの実践心理術」
という本を買った。どうということのない本だが、面白い内容であった。
 (字数制限のためカット 09年12月7日)
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 ある時間の断片
12月7日(土曜日)1968年  
 12時過ぎに目が覚める。 何となく時間が過ぎる。 18時に、山岡さんがくる。
先日のバザーのお金を受け取ってないという。 私はただ言われたまま無料奉仕をしただけだ。 
20個の歯ブラシ代を永田さんがポケットに入れたままだと言う。何で私が責められなくてはならないのだ。
11時過ぎに深井を呼ぶ。この前、ドタキャンに対して強く彼を責める。言い過ぎたようだが、これでよい。
夜半の0時に駒村と米林と3人でのみにいく。駒村が、かなり酔ってしまった。私のことを寮の先輩として
尊敬すると褒め立ててきた。お世辞でも嬉しい。この時、思わずオーストリアに行った河路先輩を非難してしまった。
また満田先輩もだ。寮から抜け出れない姿勢が問題であると。学生気分から抜け出れないのだ。逃避で寮に来ているだけだ


3907, ルソーの孤独

2011年12月06日(火)

  二年前の2009年12月1日の随想日記「人生に関する小題」の中で、現在の私を予感させる文章があった。
≪【 わたしは地上でたった一人になってしまった「孤独な散歩者の夢想」は、64歳のときに書き始め2年後の死ぬ直前に終わった文章、
 ルソーの絶筆である。「第一の散歩」から「第七の散歩」まであり、その後は「八、九、十」がメモのような文章が続く。
 冒頭で、「こうしてわたしは地上でたった一人になってしまった。 人なつっこい人間でありながら、万人一致の申合せで
 人間仲間から追い出されてしまったのだ・・ わたしは、かれらから離れ、すべてのものから離れたこのわたしは、いったい何者か」
 と問う。「自分に残されたことは、すべての世間から放逐された自分はいったい何者なのかを探求することだけなのだ」と自覚する。】
私の周辺で倒産時の男たちの気持ちは、まさに、このようだ。 多くの取引先、部下を路頭に迷わせ、自分の存在の卑小さと、
嫌らしさに自己嫌悪を独りする。 自分は何者なのか? ただ、歩くこともままならぬ、折れてしまった、これ(私)!である。≫
 ▼ まさか、この文章を書いた二年前に、売上げ下降が直線下降を続けるとは夢にも思わなかった。そしてトドメが東北大震災。
  税理事務所の30年来の担当Jさんが、「初めは気が張っているが半年も過ぎれば、ジワジワとボディーブローとして効いてきますよ」と
 忠告してくれたが、成るほど、である。 地方の大方の会社に、この大不況が直撃していることも事実。 大津波の前兆の波が、
 特に敏感な立ち位置の当方に先に直撃したが、本体の波が来るのは今年から来年にかけて。(但しG20が時間稼ぎをして来年に先送り)
 どのようにシュミレーションをしても、本体の津波がやってくれば海岸線に近い三次産業、輸出関連産業は、致命的大打撃を被る。
  ところが津波に一番危ない会社ほど、大津波に気づかず高台に逃げていく人を嘲笑う? ルソーの孤独感は、独り死に直面した時に
 誰もが経験することになる。 ネット上にブログを10年間書き続け、墓としての思いを入れ続けてきたので、ルソーの孤独感は無かった。
 しかし、この10年間に多くの友人知人が亡くなっている。亡くなる直前に、ルソーのような絶望的な孤独感にさい悩されたはず。
  このルソーの孤独は、虚無という真っただ中に漂う私が、壊れていく恐怖が伴う。談志も死を前に強がりを言っていたが・・・
  ・・・・・・・
3542, 価値観の中心の書き換え −4
 2010年12月06日(月)
  * そもそも「成功」とは何ぞや?
 ーここで、成功とは、そもそも何かという著者の論理が、言いえて妙である。まずは、その辺を・・・
【 大金持ちになりたいかと訊かれれば、ほとんどの人間が手を挙げるだろうが、だからといって、なにがなんでも
絶対になりたいとか、人生の目標の一番に「成功」(大金持ちになること)を掲げて生きていきたいわけではないのである。
成功本を書く著者たちは、人生の最大価値を「成功」に置いているようである。つまり金を儲ける「仕組み」を作ったら、
あとは「こっちの水は甘いそ」とかいいながら、左うちわで遊んで暮らすというのが理想の生活だと考えている。
人間を金持ちとそれ以外に二分し、金持ちだけが「自由人」で、それ以外は「不自由人」だ、などと幼稚なことをいって
恥じるそぶりすらない。もしめでたく「成功」したとしても、それは全のなかの一つの要素に過ぎない。
ところがかれらはそれが人生のすべてで、それがなければ人生ではない、みたいに考えているらしい。
「成功」が人生の最上位に立っているのだ。かれらにとってすべての価値判断が金を持っているかいないか、だけのように見える。
頭のなかにはつねに、いかにして金を儲けるかというだけのようだ。「自由」であるほずなのに、「不自由」なのかもしれない。、
有り余るほど金があるのなら、本なんか書かないで隠遁していればいいのに、やほり「名」が欲しいのだろう。
けれどかれらには金はあるかもしれないが、どう転んでも「名誉」だけは手に入らない。「プライド」もない。・・・・・・
 人生で大事なことは「過程」そのもの。それが目標を「実現していく過程」であろうとなかろうと、目標が「実現」しようと
しまいと「過程」がそれ自体が大事である。それらの「成功」という言葉が馴染みにくいと思っていたら、
全部アメリカ人の好きな、大げさかつ幼稚な言葉であるサクセスやグレートやドリームの受け入れだったからではないか。】
 ーまずは、彼の批判している成功は、衰退し右肩下がりの時代背景からみた成功に対する目線でもある。
高度成長期では大方の人からは受け入れられない見方である。現在は、多くは成功は無理。
ならば、それぞれが自分の価値を見出し、追求していくプロセスを大事にするしかない。
情報化で価値の多様化が進んでいる現在、何をするにも、それぞれのスキルが必要である。
人生に今さら成功も失敗もない?いや、ある? 人生を旅に喩えると、やはり良った旅と、良くない旅がある。
旅の準備を充分してきたか、災難を無難に乗り越えられるか、その知識は必要。 
成功とは良かったと思える旅のことになる。 良かった思えば、良い旅になる。でも、良くない? 修行が足りないのでは。
 ・・・・・・・・
3167, シュリーマンの話  ー4
2009年12月06日(日)
  ー抜粋のつづき
 彼は貴族ではない。清国と日本の支配階級を対比しているのではなく、市井の人々のこまごまとした暮らしぶりの中から、
 日本の庶民や下級武士、坊さん、はては花魁に至るまで、きれい好きで潔く、親切な人々を事細かく書き残しているのである。
 彼は、玩具、織物、刀剣、象嵌細工、木彫り等々を見て、日本の工芸品は蒸気機関を使わずに達することのできる最高の
 完成度に達していると評する。 教育についても、「ヨーロッパの文明国以上に行き渡っている。
 アジアの他の国では女たちが完全な無知の中に放置されているのに対し、日本では、男も女も皆仮名と漢字で読み書きができる」
 と称賛した。 彼のために、彼の目が日本びいきであるために曇っていたのではないかという疑いを晴らしておきたい。
 幕末当時、日本には1万5千の寺子屋があり、武士は100%、庶民男子50%、女子20%、江戸市中で70%の識字率で、当時の
 ロンドンの識字率30%などを断然凌駕し、何百年も世界一を続けていた事を申し上げておきたい。彼のたどり着いた疑問は二つ。
《 一つは深奥なる体系的な宗教が存在しないこと。
 もう一つは、「ここでは君主が全てであり、労働階級は無である。にもかかわらず、この国には平和、行き渡った満足感、
 豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕された土地がある 》という到達点であった。
  シュリーマンの旅行記が今密かなブームを呼んでいるという。 失いつつある懐かしい日本の原風景に触れることができる
 からであろうか。 最後に本書の訳は素晴らしい。気品と気骨に満ちた石井和子さんという老婦人の訳である。
 たまたま旧知の関係だったご子息にお聞きしたところ、数年前ご逝去されたとのこと。
 お会いできなかったのは誠に残念である。 以上   【文芸春秋 誌7月号 但木敬一著】
 〜〜
 戦国時代、そして幕末・明治初期に日本を訪問した外国人の旅行者の報告書は、この旅行記とほぼ同じである。
日本人が清潔で、礼儀正しく、親切で、勇気と正義感を持ちっており、教育熱心で識字率が高く、日常の生活用具や
工芸品などの技術水準が高い。 また武士の倫理観の高さである。 日本人は中世の頃から誇り高く、質実剛健で、
教養が高く、公平な社会を築いていた。 しかし、戦後60数年のアメリカ占領教育で、それらが多く失われてしまった。
NHKが「天地人」や、「坂之上の雲」などを放送するのも、あるべき日本人像に立ち返るべき時と、言いたいからである。
 ・・・・・・・・
2802, イングランド・ツアー 
2008年12月06日(土)
 *集団スリに狙われて
観光地には、必ずといってよいほどスリがいる。何度か危ない場面はあったが、隙さえ見せなければ大丈夫と思っていた。
南イングランド・コッツウォルズのブロードウェーの自由散策時間も終えて、バスの待っている駐車場に行ったところ、
添乗員が少し時間があるのでトイレに行ってきてくださいとのこと。200メートル先のトイレに一人で向かったところ、
誰も居ないトイレの前に30歳過ぎの男達が三人、私を見ている。大きな駐車場に我われのバスが一台。
 (字数制限のためカット 2010年12月6日)
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2007年12月06日(木)
2437, ファッションを哲学する          ヾ(≧∇≦*)ゝおはよんよん♪
 哲学者の鷲田精一の「ファッション」論が面白い。人は、とりわけ女性はファッションに多くの金をつぎ込むが、
 その割りには「ファッションとは何か?」を哲学者も社会学者も取りあげない。鷲田は哲学仲間から呆れられながら考察する。 
 言葉と衣服は似ているのである。ファション衣服は何ぞや?を、考える前に衣料とは何ぞや?を取上げる。
 「なぜ服を着るのか」「なぜその服でなければならないのか」を考え、ファッションを通じて、「私」や
 「私の身体」について考察する。「ファッションはいつも愉しいが、ときどき、それが涙に見えることがある。」
 という彼の言葉は痛烈である。  更に、そもそも人は何のために服で体を隠すのか?
 隠すべきものの実体は?等々、身体論を含めてわかりやすく説いている。
   −−−
ー彼の論を簡潔にまとめるとー
・まず人は「らしい服をまとって人は『だれか』になる」という。警官は警官の制服、そして兵隊は軍服、
 そして消防士は消防服をきて、制服の中味になっていく。 社会的なコードとして一番わかりやすい。
・ファッションは社会の生きた皮膚として端的な表現をする。 流行の服を着るということは、過去を捨て、未来のことも考慮に入れず、
 まさに現在だけを考えるということ。 流行の服を追う事というのは、今を生きるということでもあるし、刹那的でもある。
・身近で加速するハイブリッド現象と捉えることができる。
 Tシャツであれ、ジーンズであり、衣服は国境や、民族文化の境界をやすやすと越えて浸透していく。 
 哲学者や社会学者が異文化理解の可能性を説いている間にも、ファッションは確実に文化のハイブリッド化を加速する。
 カルチャーとサブカルチャーが世界を激しく横断する。
ー印象に残った部分を抜粋してみるー
 そういう虚ろな<像>を補強するために、われわれは他者とともに安定した<像>の様式をスタンダードとして作りあげ、
 それにしたがって自己のイメージを構成したり、ときには取り繕ったり、偽装したりもする。
 それをさしてロラン・バルトは、「モードは人間の意識にとってもっとも重大な主題(《わたしはだれか?》)
 と遊んでいる」と言ったのである。男性らしい服、子どもらしい服、会社員らしい服、喪の服……をまといながら、
 ひとは社会のなかで「だれか」になっていくのである。ひとが自分の身体的存在をイメージするときのその回路を、
 衣服の社会的コードが拉致する。ちょうど、現代社会では病める自分の身体への関係が医学と医療制度に
 よって全面的に謀介されているのと同じように。 こうしてファションは、社会の生きた皮膚として、
 ある時代における社会の成員の自己同一化の構造を解読するための恰好のテクストとなるものである。
  −−−−
衣料品店に生まれ、ホテルの一角でファッション学生服も含めたら20年も携わっていた。
とにかく、市場とメーカーの架け橋のシステムを如何に日々作りあげ、作り変えていくかに全てのエネルギーをかけないと、
一瞬に不良在庫の山になる。ファッションとは何かなど考えている暇は無かった。知っていたところで、システムつくりには
関係なかった。しかし、衣服とは、そういうものである。社会的コードであり、社会成員の自己同一化の道具でもある。
劇をしようとしたら、まずは服装から始めることを考えれば解ることだ。 昔から「馬子にも衣装」と言った。
今だったら「馬子にもブランド」?                    ( ̄∠  ̄ )ノ サラバジャ! 
 後記)偶然の一致とは!面白いものだ。後の方に貼り付けてあるが、
6年前の今日に「ブランド」というテーマで書いたあった。度々あることだが・・・  
・・・・・・・・
2006年12月06日(水)
2073, 金は人を幸せにするか?           才八∋ウ_〆(∀`●)
 お金に関しては、何度か書いてきたが・・先日の書評「金は人を幸せにするか?」は題材として面白い。
毎日新聞の『「豊かさ」の誕生…』=W・バーンスタイン著の書評で、その内容が紹介されていたが、なかなかよい。 
建前でいえば、「お金で幸せが買えるかって?冗談じゃない。幸せは心の問題だろう。
  (字数の関係でカット2009年12月06日)・・
・・・・・・・
2005年12月06日(火)
1708, 戦略ノート −1          −読書日記
  また斉藤孝である。~~匸Pヽ(・ω・`) ただし、この本は訳者としてだが。 俗にいう「夢・枝もの」である。
 『夢』-目標・戦略ーを持ち、それに対して『枝』ー戦術ーと 根ー教養ーを長年かけて養えば、
 いつの間にかほとんどのことは叶う、という手のものである。実際のところ、その通りだが80?の人が初めから
 興味を示さず、残りの20?うちの5?の人しか、長年にわたって努力をしない。 これが人間の固定観念のなせる業だ。
この本では、成功とはなんだろうか? 富は成功の付属物にすぎない、から始まり、
  ー 成功を以下のように定義する。  φ(・ェ・o)~カキカキ
  1、自分の人生の目的を知り
  2、潜在能力を最大限に発揮するために成長し
  3、人のためになるような種をまくこと  (n´∀`)η゚・.。. .。.:*・
   ・自分の心の奥底から望むことは何か? ということを熟考して
   ・自分の後ろ盾、強みは何か? を把握
   ・何でも屋ではなく専門家になれそうすれば優先順位が明確になる
 更に 次の5つのステップで夢を見つける
   ー字数の関係でカット(2007年12月6日)ー      
・・・・・・・・
2004年12月06日(月)
1343, 雪下ろしの雷
今朝方の夜半の2時から、大きな雷が30分ほど鳴り響く。特徴は、落雷の時間の長さである。
落ち始めてから十数秒?も鳴り響いて、それが何度も続いていた。これだけ長い時間の落雷の音を聞くのは
初めてである。さらに明け方になって、再び駄目押しの雷が鳴り響いた。おかげで、寝不足である。
今の時期の落雷は「雪下ろしの雷」といって、雪がまじかに降るというお知らせである。
雪も降るときには降ってもらわないとスキー場や冬物商売に差支えが出てる。新潟県は雪で一年の3分の1か4分の1は
閉ざされてしまう。反面、その雪が天然のダムの役割を果たして豊かな水をもたらす。
そのため中越地震の被害を受けたところは、内福のところである。魚沼米とか、錦鯉とか、闘牛の山古志牛とか、
地味だが内福を絵に描いたようなところといわれている。見たと聞いたとこれだけ違う所も少ないだろう。
贅沢をしない県民性もあるが。雪下ろしといえば、最近は温暖化のためか雪の量が年々少なくなっている。
(字数の関係でカット2011年12月06日)
・・・・・・・・・
2003年12月06日(土)
976, 新婚さんいらっしゃい ! −2
この5月に、このテーマで書いたが、再び書く。人間関係の、いや人生の凝縮が結婚と親子関係である。
特に結婚は全く違った人生を生きてきたもの同士が、一つの家庭の中で生活をするのだから大問題が生じて当然。
まずは二人だけの権力闘争がはじめるのだ。そして、底知れないドブ沼が二人の間にできてくる。
その入り口に立った二人が、熱にうなされ発情している状態が面白い。‘我まま’丸出しの女が出てきて、男を奴隷の
ように扱っている姿を見ていると、その男の中に自分の姿を見ているようで、我を忘れて感情移入をしてしまう。
(字数の関係でカット2011年12月06日)
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783, 新婚さんいらっしゃい ! −1
2003年05月27日(火)
 (字数の関係でカット2008年12月06日)
・・・・・・・・・
2002年12月06日(金)
602,ある時間の断片-16
 1968年 
 10月6日  日曜日
(字数の関係でカット2009年12月06日)
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2001年12月06日(木)
261,ブランド品
ブランド品の定義ー
1、アフリカの土人の酋長と一族が身に着けたがるもの。それも不釣合いのノーコーデネート。一品豪華主義の典型
2、それなりの金持ちが、社会的体裁の為に飾り立てる小道具。
3、キャリアのブスの中年女がこれ見よがしに身に付けたがる。
  −野村監督の奥様。スナックなどでも時時いる金ぴか女? ブランド痴呆女というところか!
4、自分のセンスに自信がない人の印籠代わりの小道具。
5、家具から、身に着けているも全てコーデネートして初めて意味のあるもの。したがって大金持ちの贅沢遊び!
  収入が年間何億のレベルの人種のステータスシンボル。
  したがって一般の人が買うことは、金持ちコンプレックスの低脳を披瀝していることと同じ。
 一時凝っていた家内が突然買うのを止めた。その意味が解ったのだろう。
 アジアの黄色人種が身に付ければ、エテコウのお笑い! それが旅行を重ねているうちに気づいたようだ。
 飛行場とか、ツアーで連れて行くショップのブランド物は2〜3年か それ以前の「投げ捨て商品」。 
 その筋のシンジケートから「売価の一〜二割の原価」のしろもの。ハワイの飛行場で確か売上の6割か7割の家賃を
 取っていることで、それが公になった。 その事は20年以上前から、知っていた。 大手の旅行代理店がそれを熟知、
 それで一時は荒稼ぎをしていた。 黄色のエテが群がっている姿は、西欧人の軽蔑の対象だった。
・・・・・・
12月6日 1968年
 朝7時半目覚まし時計がなる。しかし起きることが出来なかった。やっと10時過ぎに起きた。
タクシーで学校へ。11時20分にやっとのことで、食事をしてゼミの「工場見学」に、時間ギリギリで間にあう。
新宿から京王線で府中へいく。NECの工場だ。事業所長の説明後、工場の見学だ。アカデミックな感じがした。
雰囲気が知的で、コンピュータが部屋せましと並んでいた。 16時から、工場所長と人事部長補佐など数名と労務管理に
ついて話し合う。積極的に話したのは、石川・田島・植本君の三人であった。 それに質問者の横井さん以外誰も無口であった。
 18時から腹がすいて苦しかったが、19時に天丼がでる。 19時半に終了。その後マイクロバスで府中へ。
解散後、田島と河村と三人で井の頭公園へ行く。 それから荻窪へ行って、喫茶店で話をする。
 田島がよく話す。彼は先まで一緒だったゼミの石川に腹を立てていた。彼が10月頃から大きく変わったと言った。
彼は「寂しい、ずるい、ゆわい人間だ」と指摘していた。私が感じていることを、そのまま言葉にして田島が言った。
 ゼミの個性派同士の対立というべきだ。大人しい河村も石川を否定したということは、彼はやはり異常と言ってよいのだろう。 
人間性が崩れているというのが共通項であった。自分で墓穴を掘ったのか、それとも自己の創造性を見出したのかは判断できない。
何か話していて、その姿が自分の姿でもあることに気がつく。


3906, 閑話小題

2011年12月05日(月)

   * 一昨日は大学の同級会。
 大学1・2年時の同級会が服部栄養料理学校の服部幸應さんを中心で開かれている。首都圏に住むグループの会で、
遠距離の地方出身には声がかからない。 その会の幹事が武澤ゼミ仲間だった縁で去年初めて参加してみた。
しかし春先に色いろあったので今年は不参加と決め込んでいた。ところが、そのクラスで親しかった男が42年ぶりに参加すると聞いて、
急遽、出席することにした。彼は全国を転勤した後に、終の住まいを仙台空港近くにし、釣りとゴルフ三昧を決め込んでいた。
ところが東北大震災の津波で九死に一生を得て、現在は実家のある前橋に戻り、新たに住居を購入したという。
私の大学で初めての友人で、私が入っていたクラブに引き入れた経過がある。卒業後は全国の転勤もあり、大学関係の会には一切、
顔を出したことはなかった。 会った瞬間、私は「おい変わったな!」で、相手は、「全然、変わってないな!」である。
 今回の会の出席者は17人で、去年とほぼ同数。 私も一応東北大震災の経済被災者だが、彼と私の生生しい話に他の出席者は、
目をパチクリ。 その友人は明るく振舞っていたが、やはり痛手は隠せない。そういう私も、そう見えていたのだろうか。
 ところで、ゼミで一緒だった人と、久しぶりの再会の友人が異口同音に、「堀井のこと、絶対にリスク管理をしていたはず。
学生時代から用心深かったので、会社と個人は分けていたと思っていた」と言う。 地元の友人が、全く同じことを言っていたので、
逆に驚いてしまった。性格は昔も今も変わっていないということ。 それをもって計画倒産と揶揄されるが、20年、30年の長期投資、
リスク管理をしておくのは当然である。家族を一切、会社に入れないとか、連帯保証をさせないとか。破綻の恐ろしさの両親の教えもあるが。
  * 有楽町・東京駅の再開発
 最近、有楽町周辺に行って驚いたのがJR駅銀座口出口の変わりよう。この10年で次々と大型ビルなどの再開発がオープン。
ニュースで知っていたが、実際に現場に立った実感は違うもの。 特に秋葉原や有楽町駅銀座口の雑然としていた飲食街が一掃されて、
近代ビル街が出来ると、その変わりように驚いてしまう。 家内がJRの2〜3ヶ月に一度出す格安料金で、東京のスポットを回るのを
楽しみにしているが、何か分かるような気がする。 都会は、脳が外部化したものというが、成るほど、そのとおりである。
また東京駅の丸の内の再開発ビル群にも驚いてしまう。 丸ビル、新丸ビル、そしてオアゾも地下で通路が行き来できる。
たまに行くには良いが、都会暮らしは、私にはそぐわない。とはいえ、田舎の閉鎖性も、どんよりして好きにはなれない。
 ・・・・・・・
3541, 価値観の中心の書き換え ー3
2010年12月05日(日)
 誰もが、人生の節目は価値観の中心の変わり目になる。
それが小中高校の進学時だったり、社会人になる時だったり、家庭を持ったり、大病を患った時だったり。
若いときは成功物語を夢見、そして挫折を繰り返しながら、中心の価値観が変貌していく。
節目を打つとは中心の思い切った書き換えということになる。社会に出て10年スパンか、20年スパンで、
節目を自分で作っている人を時々見かける。人生設計をし、それに従って生きるのも道理。
起承転結という文章作法(あるいは四コマ漫画)のとおり、起=0〜19、承=20〜39、転=40〜59、
結=60歳〜 を、区切りとする視点も、分かりやすい。文章作法では、一番大事なのが「転」というから、
40〜59歳が胸突き八丁で大変だが、心して生きなければならない時期になる。しかし振り返ると、
それぞれが同じ位、重要であるのも事実。19歳までは、基礎づくり、39歳までの20年全力投球、59歳までは苦しみ、
楽しみを味わい、60歳以降は、それまでの経験を振り返り、鳥瞰した目で人生の仕上げに入る時期になる。
「価値」に一番近い言葉として「意味」がある。人生の意味を突き詰めると、自分の物語をつくっていくことになる。 
そうすると自ずから人生観の中心に自分の理想、挫折などの経験が、物語の要素になる。どれがベストという訳にはいかない。
それぞれの人生があるからである。「上を見れば限がない。横を見れば情けない、下を見れば底がない」のが比較の世界。
所詮は、死んで三日も経てば、過去の人として忘却の彼方に消えていく。
「価値観の中心の書き換え」も生きていればこそ。 それが出来るのは「いま、ここ」だけ。
「人生の意味など何も無い!で、いいじゃないか!」も、事実。 「日々是、己に口実!」もある。
 ・・・・・・・・
3166,シュリーマンの話  ー3
 2009年12月05日(土)
 5年前に、シュリーマンの話を二日続けて書いた。映画の「トロイ」を放映がキッカケである。
 その時の内容は彼の人生と勉強法だったが、たまたま図書館で借りた「09年ベストエッセイ集」の中で、
「リーマンの見た日本」のテーマで(文藝春秋に記載)載っていた。作者が但木敬一前検事総長というから、なお注目した。
  ーその面白そうなところを抜粋したー
・ 私の家の菩提寺は、品川にある東禅寺である。幕末の頃、この寺はその一部をイギリス公使館として使わせていた。
 1861年とその翌年の二回にわたり、攘夷派浪士の襲撃を受け、多数の死傷者を出した。広い庭と複雑な屋敷の造りが
 幸いしてオールコック公使は難を逃れたが、当時の刀痕は、今なお柱などに残っている。
 シュリーマンがこの寺を訪れたのは1865年、つまり明治維新の3年ほど前の6月である。
「シュリーマン旅行記 清国・日本」には、「ほうぼうの障子紙に、この襲撃のときにできた大きな血痕がまだ残っている」
 と当時の生々しい情景を伝えている。 トロイやミュケナイの遺跡を発掘した天才児シュリーマンを知らぬ人はなかろう。
 元々ドイツ人であるが、強運と天才的な商才にめぐまれ、ロシアで巨万の富を築いた。
 少年の頃からの夢を果たすべく、41歳で全ての経済活動かを止め、世界漫遊の後、古代遺跡の発掘に取り組んだ。
・ このシュリーマンが巡り会った清国と日本、それは全く違う国であった。 彼は横浜に入った時、
 子供を背負った女などの乗った無数の小船に取り囲まれていないことに気づき、日本に到着したと実感した。
 中国では、物売りの小船に囲まれる。 しかし陸まで運んでくれた艀の船頭の請求金額の余りにも控え目な額に
「これではぎりぎりではないか」と大いに驚き、褌と入れ墨で働く日本の労働者の律儀さを体感する。
 更に、税関の役人である武士の清廉さに出会って、彼の日本人好きは決定的になる。 役人は彼の荷物の開披を求めた。
 彼はこれを免れようと役人に金を渡そうとする。 役人は、「自分は日本男児であるから、心づけに吊られて義務を
 ないがしろするのは尊厳にもとる」とその受け取りを拒否した。 にもかかわらず、役人は最後まで礼儀正しく好意的で親切。
 清国の税関での見聞に対比して、その違いにビックリしているのがよく分かる。以後、彼の日本びいきは最後まで一貫している。
・日本の民家のたたずまいから、家具の簡潔さ、畳と正座と布団の関係、公衆浴場、髪結いから懐紙に至るまで子細に観察した上、
 「日本人が世界で一番清潔な国民であることは異論の余地がない」と断じる。 何日も持ち歩くハンケチよりも鼻紙の方が
 清潔であるヨーロッパ文化に対する異論まで持ち出し、「家々の奥の方には必ず花が咲いていて、低く刈り込まれた木で
 縁取られた庭が見える。日本人はみんな園芸愛好家である。日本の住宅はおしなべて清潔さのお手本である」と絶賛する。
   =それにつけても、現在の日本は!と著者はいいたいのだろう。           つづく
 ・・・・・・・・・
2801, イングランド・ツアー 
 2008年12月05日(金)
 時系列でなく、まずはロンドンから書いてみる。ロンドンには学生時代に来たことがあるが、あまり良い印象は残ってない。
ロンドンブリッジと、バッキンガム宮殿と、ウエストミンスター大聖堂と、地下鉄に乗った記憶と、大英博物館に入って、
そこで日本人留学生二人が私と友人を丁寧に案内してくれたことがあったが、そのこと位しか憶えてなかった。
 今度は、大英博物館とナショナル・ギャラリーとピカデリー・サーカスの繁華街を中心に絞って見てまわると決め、
走るように見てきた。初日に、大英博物館の主だったコレクションを現地添乗員がダイジェスト的に(一時間)説明してくれた。
翌日、午前中はオプションのウィンザー城の見学、 午後はナショナル・ギャラリーと(再び)大英博物館に行ってきた。 
  *まずはナショナル・ギャラリー。 
ダビンチ、セザンヌ、ゴーギャンなどの絵画が展示されていた。
特にゴッホの『ヒマワリ』の絵に身が竦んでしまった。 周りに誰もいないところで、独り数分間対峙できたのは
至福の時間であった。絵からは作者の波動が出ているというが成るほど、こういうことなのかと思い知らされた。 
絵から一対一で直接、このような作家のエネルギーを感じ取ったのは初めの経験である。
 入館料は、大英博物館も、ナショナル・ギャラリーも無料。
世界のお宝が無造作に置いてあるのだから如何に底力があるかである。
  *次に大英博物館。
エジプトやギリシャの遺跡を見てまわってみて、国宝級の多くが英国に奪略されて大英博物館にあるのを聞かされていた。
それが何気なく展示されているのは、世界三大博物館の貫禄である。ここは250年の輝ける歴史があり、多くの
資産家や外交官などの寄贈で、世界中のコレクションが集められている。その中でも、一番のコレクションといえば、
『ロゼッタ・ストーン』である。 ウキィペディアによると、
【ロゼッタ・ストーンは1799年7月15日、ナポレオン・ボナパルトがエジプト遠征を行った際、フランス軍のブシャール大尉によって
エジプトの港湾都市ロゼッタで発見された。 縦114.4cm、横72.3cm、厚さ27.9cm、重量760kg。 暗色の花崗閃緑岩からできていて、
岩には文字が刻まれており、エジプト語とギリシャ語(コイネー)の2種類の言語で書かれており、3種類の文字で記されていた。
その内容とは、ヘレニズム期のエジプトプトレマイオス王朝プトレマイオス5世エピファネス施政下の紀元前196年に開かれた
メンフィスの宗教会議の布告を書き写したものである。 同一の内容が、エジプト語は神聖文字(ヒエログリフ)と衆文字
(デモティック)、ギリシア語はギリシア文字で刻まれている。】以上だが、ガイドによると、これは大英博物館での一番の
コレクションという。また黄金のヨガのスタイルの彫刻が圧巻であった。ネットで調べた内容から・・・
 (字数制限のためカット 11年12月05日)
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2007年12月05日(水)
2436, 2008年平成大恐慌が日本を襲う!      オハヨウ (∀`* ゴザイマス!
 昨日の週刊現代の新聞見出しが、 2008年「不動産バブル崩壊」で、平成大恐慌が日本を襲う!
が刺激的だったので買ってみたが、一月ほど前の特集の方が理路整然としていた。
それでも、なるほど納得できる内容であった。日本版のサブプライム問題が表面化して、日本も大恐慌に突入!
 というのが、骨組みであった。前回の特集はアメリカのサブプライム問題のレポートだったが、
今度は日本のサブプライムが表面化してきた!という論旨である。
(前回、今度は日本のサブプライム問題が表面化するだろうと、感想で書いたが、そのとおり特集を組んできた)
私の商売は景気の先駆けが現れるが、11月に入ってからおかしな風が吹き出した。
長期の団体を除くと、明らかに一割近くの客数が減りだした。元々、7月中旬の柏崎沖地震から一割落ち込んでいたが、
それでも10月になり持ち直したのが、ここにきて再び落ち込み始めたのである。
(今年はイベントが10月に特に多かっただけ、ともいえるが)もし、団体が入ってなかったら、顔面蒼白。
ということは、ほぼ全ての事業所が同じはず。野村證券の元社長の田淵節也のいうとおり、
「海の色は変わった」ということか?そして来年から本格的に??
ー見出しを週刊現代のHPからコピーしてみるー
 疲弊する経済に新たな火種! 
“日本版サブプライム・ショック”はすでに始まっている!住宅着工件数半減、不動産ファンド続落、
 新築マンション大量売れ残り…… あらゆる経済指標が示す不気味な「魔のシナリオ」
 2008年「不動産バブル崩壊」で平成大恐慌が日本を襲う!
■倒産の連鎖が始まった!         ■ノンリコースローンの問題点
■「新築マンションの完売はウソ」     ■2割安く手に入れるマンション購入のウラ技
 不動産価格高騰で荒稼ぎする投資ファンドに大量の資金を貸し込んできた銀行が、
地価暴落による焦げ付きで金融パニックに陥る。それはまさに住専問題を発端としたバブル崩壊と同じ構図。
あのときの“悪夢”が再び繰り返されるのか。すでにその予兆として、外資が不動産市場からの撤退を始めた――。
倒産の連鎖が始まった!「都心部の優良不動産の価格上昇が急激すぎて、転売するのも容易ではなくなってきました。
 自分がいつ高値で“ババ”を掴まされるか戦々恐々・・」
 −−−−
以上だが、原油は100ドル、それにともない日用品の値上がり、事実上の増税に、株価急落、地方経済の疲弊、政治の混乱など、
多くの不安要素が重なっている。  
  (字数制限のためカット 11年12月05日)
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2006年12月05日(火)
2072, 義母・故桑山正子さんへの弔辞
     (。^0^。)オッ(*^○^*)ハヨー!
先週の金曜日(12月1日)の昼に柏崎の義母の死亡の連絡が入った。
その一週間前に見舞いに行った帰り道に、「年内は持たないだろう、覚悟しておくように!」と、
家内に言ったが、そのまま帰らぬ人になってしまった。病室では風前の灯火という感が漂っていた。
2年以上の長期入院の末で、自然死に近い死に方であった。 享年82歳である。ご冥福を!
 ー追悼で義母のことを書くー
私が知る限り、これだけ幸せを絵に書いたような人に出会ったことがない。 
(字数制限のためカット 09年12月05日)
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2005年12月05日(月)
1707, 家訓づくりのすすめ −2
 第三章では
「わが家の家訓」の作り方、活用法が、詳しく説明されている。
 それぞれの事例のなかに、それぞれの事情が生々しく本音で書いてある。
 ー子育てに関する家訓の例として
・子は親を見て育つもの、親は子を育てて育つもの、子育ては親子の一大事業
・家族は幸せになるためのチーム、みんなで協力し合おう
・小さい時のしつけは一生の宝物、子のしつけは親の努め
ー他には
・お金や名声よりも大切なものを持て
・毎日心がけよう笑顔の挨拶、元気のいい挨拶
・家族の問題からは決して逃げるな、心を合わせてみんなで解決しよう などがある。
 家訓を通して家族関係を見直すきっかけにもなる。     
 離婚直前の夫婦が、家訓をつくることで危機を乗り切った真に迫った内容もあった。 )`ε´()`ε´(
ーその家訓とはー
1、人生は思い通りにはいかないもの、満足と感謝が大切
2、誠実と謙虚と感謝の気持ちで人に接すれば世をおくれる
3、得意げに正義をふるまわすな、むやみに正論をいいたてない
4、あせるな、怒るな、くさるな、自分に負けるな
5、罵声はわが身を振り返る鏡、ありがたい激励と思い 怒らず、恨まず、悪口を言わず  (o・_・)=○)*_*)
6、最後まで聞くのが聞き上手、自慢しないのが話し上手、聞き上手、話し上手になれ""(・・、) ヾ(^^ )""
 (字数の関係でカット2008年12月5日)
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2004年12月05日(日)
1342, カルフールが撤退
字数の関係でカット(2007年12月5日)
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2003年12月05日(金)
975, 「それぞれの輝ける日々」
 スペインの「パンプローナの牛追い祭り」の再放送を見ていたら、「それぞれの輝ける日々」という言葉が、ナレーションで流れていた。 
この言葉には「それぞれの人の、輝ける日々」とか、「それぞれの、人の輝ける日々」と分けることができる。
その反面「それぞれのどん底の日々」もある。この話になってくると、いろいろあるので内容は「・・輝ける日々」に絞る。人生には
「それぞれの人にとっての輝ける日々」がある。現在書いている「学生時代の日記」は、私にとっての「輝ける日々」の、ある時期の記録。
「輝き」という言葉の背後には暗黒がある。暗黒があるから、輝くのだ。偶然の賜物として倉庫の奥から出てきた
「22歳の日記」を読んでみると、私にとっての「輝ける日々」である。誰もが記憶の彼方に持っている青春の日々である。 
そして現在進行中の人もいる。青春とは、決して素晴らしいとはいえない。むしろ見っともなくボロボロの状態である。
しかし、それが輝きになっている。「輝き」は、光っていることである。
人間が光っていることは、燃え狂っている状態である。 そして背後には暗黒が大きく口開いている。
そこで思い出したのが、「 一期は夢 ただ狂え 」である。
 世の中はチロルにすぐる チロリチロリ
 何ともなやなう 何ともなやなう  浮世は風波の一葉よ
 何ともなやなう 何ともなやなう  人生70古代稀なリ
 ただ何事もかごとも  夢幻や水の泡
 笹の葉に置く露の間に あじきなの世や
  夢幻や南無三宝
 燻む人は見られぬ 夢の夢の夢の世を 現がおして
 何しょうぞ くずんで 一期は夢よ ただ狂へ     (閑吟抄)
 470〜480年位前、富士山の近くに庵を開いていた名も知らぬ男が古今集をまねてつくった歌の一つである。
‘人生など一瞬でしかない。 なら狂ったようにしたいことをして生きたいものだ’という内容である。
「一度しかない人生だからこそ、ひかり輝いて生きるべきである」という人生観。
人生を顧みたときに「光輝いていた時」は、何かに狂っていた時である。 人は、それをパラノイヤー偏執狂という。
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2002年12月05日(木)
601,ある時間の断片-15
 1968年  10月5日  土曜日
昨夜飲み過ぎせいか頭が痛い。10時に深井に電話をするが、アユに用とかでお流れ。 集団デートお流れ。
小作の方にしておけばよかった。 その後、酒井君が部屋にきて疎外論から人間関係論について話し合う。
かなり哲学づいているようだ。 深井が寮の部屋にくる。車を持っていると行動範囲が広い。新橋の深井の自宅に行く。
親父に紹介される。 40店舗を持っている新橋しのだ寿司の社長だ。私に興味があるみたいであった。
(字数制限のためカット 09年12月05日)
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2001年12月05日(水)
260倒産ー2
新潟鉄工所の倒産の影響は私の想像以上になりそうだ。その重みを解かってなかったのが本当のところだ。
地元に生まれ育った人は、実際かなりショックのようだ。息子が新潟鉄工に勤めているだけで、自慢になるほどの
重みがあったという。下請け、孫請けの地元の影響は、これから益々大きくなるのは避けられない。
考えてみれば当然で、これからその波及が出てきそうである。地元では第四銀行が潰れた位ほどのショックらしい。
具体的にあそこがいくらとか、金額が出始めてきている。一昨夜のTVのニュースで,債権者に対する説明会が出ていた。 
 (字数制限のためカット 11年12月05日)  
・・・・・・・
ある時間の断片
1968年 12月5日
(字数の関係でカット2008年12月5日)  ーつづく


3905、さらし首の独り言

2011年12月04日(日)

 あの日から八ヶ月、現在置かれている立場は打首獄門の刑場のさらし台の首のようなもの。 しかし、それが面白い。
その首が目をパチクリして見物人の評価している目線と心境が、である。 それも、「その辺の世間様レベル」の目線が、
かって憶えのある自分の目線として蘇ってくる。 カント哲学の具体例とすると分かりやすい。 見物人は、それぞれ知っている
範囲の情報と知識で烙印を押し付けてくる。 それは自分のことを言っているに過ぎないことを全く自覚していない?愛らしさ。
人生の満足度が低い人ほど、自分の影としての対象として鬱憤をぶつけている。それが世間様の犠牲者、「その辺の輩」という所以。 
自己卑下を他の対象に投影するに一番手っ取り早い世間話のため、その視線が、そのまま、その人となり。 他者を批難することは、
自分を更に卑下しているだけの理屈が分からない。 それが身近ほど辛辣になるから、人間観察にはもってこいになる。 
元もと卑しい臭いのする人は近づけないつもりだったが、実は違っていた??。 しかし、それが人間の赤裸々の姿。 
 これは「自己確立の出来ているかどうか」の基準で見ると、直ぐに分かる。 この10数年、独学で哲学を学んできた?が、
自分の頭で考えること、現象の中にある事実と、その中の真実。その真実も、本当に真実なのか、それともカントの言う、
自分の経験と知識の範囲の思い込みなのか?という自問自答。 その意味では「その辺の何=自己卑下の人」も、
実は私自身が貼り付けた言葉でしかない。世の中、何も考えてないと思える人が多い。 特に老いてくると、それが露出する。
それが、この文章を書いている自分に当てはまるから、これも自己卑下。 自己卑下は、実はお互い様ということ。
人生は悲劇と喜劇は紙一重。 悲しくもあり、可笑しくもありが人生、と実感する日々この頃である。 

・・・・・・・
3540, 価値観の中心の書き換え ー2
2010年12月04日(土)
  * 石井一男という画家
「ビジネス書 大バカ事典」勢古浩爾・著の中で、数多のいい加減なビジネス書をなで斬りをしている反面、
こういう画家には優しい眼差しを向ける。さっそく、ネットで絵をみたが息を飲むほど素晴らしい。
一種の自閉症?なのだろうが、画家の魂が対象の画中の女性や花から迸り出ている。何か自分の世界の中で作り上げた
女性像が彼の魂から溢れ出て迫ってくる。何が成功か、そんなものと、勢古がいうのも理解できる。
  ーまず、勢古の文章からー
【 石井一男という画家である。TBSの「情熱大陸」という番組で知った。人付き合いが苦手で、四九歳までアルバイトだけで
 生計を立ててきた。それも、人とあまり関わらなくてもいい仕事ばかりを選んだ。神戸在住で長屋の二階にひとりで住んでいる。
母親が購入したものだから部屋代は必要ないが、生活費は月七、八万円。酒も煙草もパチンコも一切やらない。喫茶店にも
滅多にいかない。 夕食は近所の惣菜屋で100円に値下がりした惣菜二種類と100円のパック入りごはんを買って済ます。
しかしそれらをきちんと器に移して盛る。可愛いことにみかん一個のデギトもつける。それをひとりで正座して食べる。
絵を描いてきた。だれにも師事せず、どの団体にも属さず、途中休止した年月もあるが、たったひとりで描いてきた。
ときおり行く画廊の主人が書いた文章を読んだことがきっかけだっ。この人なら自分の絵を見てもらえるかもしれないと思い、
手紙を書いた。この気持ちはじつによくわかる。ちょっとだけ大きい世界に開くこと。そして、ひとりの承認者がいてくれたら、
と願うこと。主人は石井の絵を見て「こんな人がいたのか」と驚き、個展を開いた。石井一男の絵は49歳ではじめて陽の目を見た。
人々の目を惹きつけたのは、ルオーの画風に似た純粋な「女神」シリーズである。目を瞑った慈母か天使のような顔が描かれている。
その絵を見た人のなかには、涙を流す人がいた。わたしが好きなのは、後藤正治『奇蹟の画家』の冒頭に載せられた黒一色の「女神」
(二〇〇八年)である。表情がいい。石井その人もまた、絵に似て、いい。長身で痩身。照れ屋で寡黙である。無愛想ではない。
温厚である。恥ずかしそうな笑顔である。1943年、神戸生まれ。父親はフィリピンのルソン島で戦死。祖母と母の三人で
暮らしてきた。その祖母も亡くなり、現在、母は九〇代になり老人保健施設で暮らしている。この個展で100万円の収入があった。
しかし石井はそれを貰うことを拒み、ある団体に寄附しようとしたのである。 画廊の主人はそれを思いとどまらせた。
絵を見てもらえるだけで満足だったのかもしれない。それ以上の反応は、おそらく過分なものだったのだろう。
その後、個展は大阪や東京でも開催されるようになり、作品もほとんど完売するという。 固定ファンもついた。
小さくて静かなブームになっているといっていい。だが、石井一男の生活は以前とまったく変わらない。マンションなどに
移るつもりはまったくないという。長屋の二畳と六畳一間の部屋。母親を見舞う。生活費は相変わらず月7.8万。・・・】
 ー
 勢古の本を読むのは数年ぶりだが、なかなか味わいが出てきた。 ところで朝のNHKのドラマ、今年になってから、
「ゲゲゲの女房」以来である。時間帯を7時半からBSで放送したこともある。現在は、「てっぱん」である。
下宿屋の人間模様を藤純子を主役?としている内容だが、そこに自閉症の初老の画家がいる。石井一男をモデルにしたのだろうかと
思ったが・・・・  ネットでみた石井一男の絵に、一瞬で虜になってしまった。パソコンにファイルしたが・・・ 
 ・・・・・・・・
3165,金本位制が復活? −2
 2009年12月04日(金)
* ーそれでは、「アメリカ金本位制復活論」の高橋靖夫が文藝春秋に記載した一部を抜粋するー
 1971年8月15日、ニクソン大統領は突然、金とドルの交換を停止した。世界を仰天させたこの「ニクソン・ショック」によって、
金は「通貨としての役割」を否定され、たんなる「商品としての地位」に追いやられた。 当時の通説は、「モノづくり」で
競争力を失った米国が、ドルを守り切れなくなったために「ブレストンウッズ体制を自ら放棄した。
 ところがその後の米国といえば、崩壊どころかドル覇権を拡大し、冷戦終結後にはユニテラリズムを振りかざす
唯一超大国として「独り勝ち」を達成した。では、「崩壊」したかに見えたニクソン・ショックの狙いはなんだったのか。
 ブレストンウッズ体制下では、アメリカは1オンス35ドルで各国政府の保有する金の交換を保証していたため、
赤字の増加は金の流出につながる。そこで米国は”負けたふり”をして「失った金の再備蓄」を密かに狙ったのだ。
 米国は金とドルの交換という「責任」を放棄しながら、基軸通貨特権を享受しつつ、固定相場制から変動相場制への制度変更を
仕掛けたのだ。と同時に、金の通貨としての魅力を否定することで金相場を下落させ、失った金を安く買い戻せるように仕掛けた。
つまり金本位制を停止した時からすでに、再び金本位制に戻す機会を狙っていたのである。
 むろん、そんなことは、経済白書で発表されることも、ウォールストリート・ジャーナルに書かれることもない。
しかし、米国が金を「捨てた」かのように見せつつ、決して金の価値を忘れていなかったことを記す状況証拠なら、幾らでもある。
 たとえばニクソン・ショックからわずか3年後の74年12月、米国は奇妙なふたつの政策を実行した。
 ▲40年ぶりの「国民の金所有の自由化」
 金先物市場の狙いは「ロンドンから金の価格決定権を奪う」こと、そして金所有の自由化は「民間による金の備蓄を進める」こと。
 共に戦略的な「米国による金の囲い込み」である。 米国の金相場の操作は極めて巧妙だった。ヨーロッパの投機家たちを
 抑え込むために、74年12月31日、国家備蓄のなかから200万オンス(約62t)の金を放出すると発表し、相場の「冷やし玉」にした。
 同時に有力金融機関には「不買キャンペーン」を行わせた。その結果、金価格は74年12月31日の「国民への自由化」の197.5ドルを
 ピークに、75年6月の130ドル近くまで下落を続けた。こうして米国国民は安い価格帯で金を買うことができるようになったのである。
  (字数制限のためカット 2010年12月4日)
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2800,イングランド・ツアー 
 2008年12月04日(木)
 昨日、イングランドのツアーから帰ってきた。この世界恐慌前夜に行くべきかどうか迷ったが、少なくとも年一の海外に出る
習慣は守るということで、決断した。29名のツアーで、イングランドの北の湖水地区と、古い町並みのコッツウォルズ地区、
ロンドンをバスで回るツアー。英国は秘境ツアー御宅にとって、毛色の変わった場所だが、たまたま現在の中では一番、
価値があると判断をした。私の評価基準からして、80点以上は無いだろうと思っていたが、その通りであった。
しかし、今回の旅行は75点の評価だから、まあ良かったということになる。湖水地区の自然を散策するイメージに引き付けられたが、
奥深く行く探索する内容ではなかった。二日じゃ無理だが。 それよりコッツウォルズ地区のの古い村の景色の美しさには感動をした。
一箇所が二泊ずつ三箇所に泊まるため、非常に楽な日程だった。格式の高いところや公共に対する意識が高いところは日本に似ていた。
いや日本が、イギリスに感化されたということだ。 
 ー印象を思いまま書いてみると
・島国で、立憲君主制?で、緑に覆われているところが、日本に似ているので、違和感が少ないのが印象的である。
・面積は日本の本州とホボ同じ大きさで、
・人口が6000万人、
・平地面積が80%で、日本の16%とは違う。そのため、日本人は非常に大きく感じるという。 
・小さい国土のわりに食料自給率は80%もあるという。
 (字数制限のためカット 2011年12月4日) 
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2007年12月04日(火)
2435, 絞首刑 −2    ((´_`○)ノ ノヾィ♪☆ぉきた?♪
 死刑は荘厳にさえみえる。 処刑に引き出されたものと、他のものとの段差。
それは我われの二人称の人の死と、変わらないではないか。ただ露出された人間の心情は、表現は違っても普遍的である。
もう、20年前の夢を鮮明に憶えている。 中東の何処かで、自分が絞首刑になる夢である。
もしかしたら、彷徨ってた霊が夢に出てきたのか?さえ思えた内容である。何か、この死刑囚の場面に似ていた。
 ーまずは昨日の続きである。
(字数制限のためカット 09年12月4日)
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2006年12月04日(月)
2071, ゆっくり急げ! −2      b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪    
以前も「ゆっくり急げ!」のテーマで書いたことがあったが、最近、この意味の深さを痛感する。 
ラテン語で「フェスタ・レンテ」という。 この言葉を暗記して繰り返していれば、少しは短気が直るだろう。
還暦をむかえると、人生に焦りが出る。私の場合、60歳までにそれ以降の全てを50代にやり遂げようと、
10年間に詰め込んで生きよう心がけて過ごした。 そのため焦りすぎて多くのミスも多かったが、ほっとしたような
心の余裕ができている。 あとは、おまけ!という気楽さというか・・・団塊の世代の人達が定年を向かえようとして急に、
「明日から会社には来なくても結構です。ご苦労様!」と言われても、産業粗大ゴミが空地に捨てられたように呆然とする。
そして、‘60歳後の生き方’のような本にある「ゆっくり生きましょう。群れてないで、一人で自分の世界を確立しなさい。
してなかった?それは貴方の責任です。これから一つずつ趣味をつくって生きましょう」と・・・ しかし焦っても、焦っても、
どうすることはできない。
 焦らず、ゆっくりと死に?急ぎをするにはどうすべきか?いや死は実際には本人に存在しないのだから、
 寿命の尽きるまで輝いて生きるには「ゆっくり急げ!」を座右の銘にすべきであろう。
   「ゆっくり急げ!」という言葉に似た格言としては、  
 ー字数の関係でカット(2010年12月04日)
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2003/05/15
ゆっくり急げ!
 字数の関係でカット(2008年12月4日)
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2005年12月04日(日)
 1706, [我が家の家訓] をつくってみた
ところで、この本『家訓の作り方』を参考にして、「わが家の家訓」をつくってみた。(作成時間3〜4時間)
 【【 堀井家の家訓 】】
 =人生について      ヽ('A`)ノェェェ マンドクセ
・群れるな!  一人どっしりした生き方をすること そのために、教養の蓄積と余裕ある蓄財をしておく
・一度だけの人生、思い残すことなく生きよ
・何ごとも楽しめ!嫌なこと苦しいことほど楽しみのネタはある!
・自分の強みを見つけ、それを生かした人生を歩め
・自然体で生きよ 無理しない、あわてない、気にしない
・何ごとに対しても誠意を持ってあたれ        
・笑いと、喜びを持って日々励め       (´m`) ムフッ♪  
・はやい時期に自分の楽しみを見つけ、一生をかけて追求すること
・継続すべきプラスの習慣を一つずつ身に付けていくこと
・何ごとも一期一会、「いま現在」を大事にして生きよ 明日は常にないものと心がけよ!
・頭が固いとは、『脳硬化』と心得よ つねに変化に備えて、変身の用意を怠らないこと
・言葉に気をつけること  特に(心の中の自己対話)内語に気をつけること
       (;^_^A " kuso! baka! teinou! kogitune! ore dameda!
・行動、行動、また行動。常に積極的に行動すること、その周辺に情報と、さらなる行動がついてくる
・勉強、勉強、また勉強  知れば知るほど、知った周辺の知らないことが増えてくる
                         *:;;;:*゚。+☆+。゚+*:;;;:*  
 =お金に対して=
・保証人になるな ー請け判は人生を滅ぼす         ・借金は能力範囲ですること
・商品取引、先物取引は厳禁のこと 大きな博打はしないこと
・個人的な金の貸し借りは親兄弟でも絶対にしないこと −友人の出資とかいう手合いの話に絶対乗らないこと
・お金は楽しんで使え                   ・支出は収入の8割までにすること
=家庭について=
・生活は質素倹約に徹すること (=_=;)
・親しき仲にも礼儀あり、特に挨拶は必ずすること
  *おはようございます ∩(´∀`)∩ オハヨ〜♪
  *おやすみなさい |寝室Юヾ(●´∀)ノ" おやすみ〜♪
  *いただきます    (^人^)
  *ごちそうさま ( ̄ω ̄;)!!
  *いってきます  (^-^)ゞ
  *ただいま   (* ̄0 ̄*)
  *ありがとうございます   Σd(ゝ∀・)アリガトォ♪   ♪〜♪〜 ♯♭
・自分のテリトリーは整理整頓に心がけること
  *自分の部屋の掃除
  *靴の並び
  *割り当てられた掃除          ~ヽ( ̄Д ̄*)ちっ
・親子、夫婦といえども自分のトラブルは家庭内に持ち込まないこと    mou sima senn! (^┰^;)ゞ
・笑いと感謝を持ってお互い敬うこと                  uyamaimasum(_ _)m  
    ヾ(o;▽;)ノ"ギャハハ   kannsya kannsya(^人^;)ヾ(。ゝ∀・)ノ┌┛☆ドンドン!!  ・゚・(ノ∀`)σ・゚・        
・常に話し合う習慣を日常よりつけておくこと
    ヽ(ヽ゚ロ゚) ギャギア!! ヽ(゚Д゚○)ノ  アアデモナイ、コウデモナイ
=社会に対して=
・常に笑顔を持って他人に接すること  ー近所の人とは、表面的な親しさに止めること
・ライオンズクラブ、ロータリークラブなどの社会的ステータスを求めている場所には近寄らないこと
 −但し、商売上止むを得ない場合は例外とするが、それを必然とする仕事は可能な限りさけること
・マイナス語を日常に使う人種とは一線をおくこと    butubutu(; ゚ ロ゚*)!
 
 ー字数の関係でカット(2011年12月04日)
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2004年12月04日(土)
 1341, 岩にスジをみつけよ
20代に、読んだ本の中に、「どんな岩でも、必ずスジがある。そのスジさえ見つけノミを入れれば簡単に割れる。
岩は中味が均等には詰まってはない。地球の力によって貼りあわされた合成物にすぎない。その接着の後が残って
スジになっている。それさえ見つけ、そこにミノさえ入れれば簡単に割れる。」たしか、松永安左衛門の言葉だった。
最近は、この人のことは話題にはならなくなったが。それを読んでから、常にこの言葉が座右の言葉になった。
それでは、それを実行してきたかというと何もいえない。どういう訳かハンマーで岩を割ろうとして、スジさがしはしない。
ハンマーで割ることが素晴らしいと思い込んでいるのだ。その為か、割れやすい部分さえ探そうとしない。
他人事ではない、自分のことである。プロは、そのスジを経験から直ぐ見つけ出す人である。
これも長年の経験が必要である。ふとこの文章を書いていて、「自分の中にスジを見つけよ」という言葉が浮かんだ。
自分の中のスジとは何だろう?習慣化、マイ・ゴッド、それとも口癖の言葉?
そういえば、習い事で「貴方はスジがよい」というが。才能ということか。 スジの意味が違うか。
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2003年12月04日(木)
974, 「黒い十人の女 」ー映画日記
 ー字数の関係でカット(2007年12月04日)
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2002年12月04日(水)
 600, カットスロープ
ある経営セミナーで聞いた戦法・商法である。 立地やプライスラインで おこなわれる。立地で解りやすいのが、
先日新潟駅前にオープンした東横インだ。 
 ー字数の関係でカット(2010年12月04日)
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忘れられない言葉   「2001/12/04 08:21 」
ー青年期の言葉
1、ベートーベンの
「良くかつ高貴に行動する人間は、その事実によってだけでも不幸に耐ええることを証明したいと思う」ーロマン・ローラン
 これが学生時代の私の一番好きだった言葉である。これにこだわりすぎた部分もあった為、行動を制限されたが。
「苦境を突き抜けて歓喜に」ーこれもおなじべトーベンの言葉だ。
2、ソルジェニーツィン
「人生小説でないと思います。弱者は悪、強者が善です、強くあってください。
 いや強くあらねばなりません。良くあるためにも強くなくてはならないのです!」
  ーこれは25歳の頃やはり社会で強さが求められたためか。
3、「そうだ。人生に期待するには間違っているのだ。人生の方が、私たちに期待しているのだ!」
 人生の問いのコペルニクス的転換。 未来には貴方に生み出される何かが待っている。
 人生が貴方に見出される事を期待しているのだ。 フランクルは、人生に何も見出せなくので自殺するつもりだった
 二人の囚人を説得し、生きる意志を起こさせている。事実一人の男性には、深い愛情をよせている一人の息子がおり、
 外国で彼の帰還を待っていた。もう一人は、科学者として本のシリーズを書いていたが、まだ途中で完結が待たれていた。
 ーこれは15年前に「夜と霧」に出てきた内容。自分が死んで葬式の額の写真の目から視点を全く変えてみたのと類似している。
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12月4日ー1968年
・11時に起床。
 中間試験の勉強だ。 ところで昨日の件で、今になって怒りが押し寄せる。「何なんだ!」という感情がくる。 
ー字数の関係でカット(2010年12月04日)


3904, 精神力ーその偉大な力  ー5

2011年12月03日(土)

  * 決意の力は魔力のよう
 何かをなすに、まず決意が最重要になる。決意が出来ないため、乱れた心や、乱れた事態が身の回りに起こるのです。
そのためには、熟慮を早々して合理的前提から決意をすること。エマソンの言うとおり「人間は生命を受けた宇宙の一片」である。
人間は己にめざめ、己を自覚する宇宙の一片である。その一片が、大生命力を表現したいのである。・・・<人は、どんな事態にも
正しい抜け道がある><どんな事態にも解決がある> そう信念として持ち、行動すればよい。そのためには、何が正しく、
何が正しくないかを見極め、一度見極めたら、決意をすることである。ソクラテスは「善き人に起きることは、常に善きことです」
「善き人には悪は来ない」と言い、ダビデ王は「正しき人は見捨てられない」と言った。・・・ もし私たちの知るよりも、
いっそう高い水準の正直さと高潔さを持って行動し、自分の側だけでなく、相手の側も考えるなら――そして正しい決意や、
積極的信念や、同情や、愛を経て、大生命力が善のみを渡してくれると知るならば――その時は必ず正しい結果のみが続いて
起こってくるものです。
  * 成功も失敗も、精神がつくる
 精神ー信念の、あの無限の素質を使うことができる唯一の場所は、私たちが思考するところである。その思考の力は、
マイナスに働く傾向が強い。そこで、自分を深くみて、その奥の無限の素質や能力の泉を見い出せば、マイナスを乗り越えることが
可能になる。そのためには、正しさを見極め決意すること。マイナスの雑草を抜き取り、新しいタネを蒔かなければなりません。
 ▼ 迷いに迷っていたことが、最後の最後に決意した時に、それまでの迷いがス〜ッと消え去っていく経験は誰も持っている。
  決意をしてしまえば、後は、それまで障害と思っていた事態の解決のための手段を探す手順になっていく。
  それでも、その見極めが甘く間違った方向に踏み出すことがある。その時、結果が悪魔のように襲ってくる。
  それでも考え尽くした後で、自分の勘の命じる決意の通り歩むしかない。決意の成否の重要さを知るほど、事前の調査など
  準備の必要性が分かってくる。決意のためには考え尽くさねばならない。そのことが重要になる。それでも失敗がある。
・・・・・・・
3539, 価値観の中心の書き換え
2010年12月03日(金)
  * 人生の転機
 なかなか面白い人生に出会った。「価値観の中心の書き換え」の話である。こういうことに人生の早い段階で気づいて、
転進する人もいるのである。凡人には出来ないこと。父親の存在もあるのだろう。多くの矛盾した気持ちもあったろうに・・・
【 ジョン・ウッドは大学院を出て九一年から七年間、マイクロソフト社で猛烈に働いた。人が羨むような多額の報酬を得ていた。
広くて快適な部屋、運転手つきの車、制限なしの出張旅費。そんな男が初めての長い休暇をとりネパールにトレッキングにやってきた。
偶然、ある村の小学校を訪ね、図書館はあるものの本がまったくない現実を知った。ネパールの非識字率は七〇%である。
子どもたちは勉強したくても教材がない。ウッドは自由に本を読めた少年時代の自分を振り返って身につまされ、先生と子どもたちに
今度来るときは本を持ってきますね、と約束した。それが始まりだった。
 仕事に見合う報酬はもらっていたが、つねにプレッシャーとストレスがあふれていた。「墓に入ったら好ぎなだけ眠れるから」と、
自分に言い聞かせていた気もする。でも七年間ずっと、ある疑問を感じてもいた。これが人生のすべてなのだろうかー働けぽ働くほど
稼げるということだけが。 僕は企業戦士の特殊部隊として生ぎる道を選んだ。休暇はとりたいやつがとればいい。
本物の戦士は週末も働き、航空会社のマイレージを何万マイルも貯めて、拡大しつづけるマイクロソフト大国で自分のミニ王国を築く。
忙しいと文句を言うのは、会社の将来を考えていない証拠。『マイクロソフトでは出会えなかった天職』ジョン・ウッド・ランダム八ウス
 ウッドは友人たちに本集めに協力してもらい山のようなメールを送った。徐々に本気になっていった。やりがいを覚えるようにもなった。
一年後、四四〇キロの重量の本を持って、ウッドは父とともにネパールに帰ってきた。学校では歓迎式典が準備され、感謝の言葉と
笑顔に迎えられた。 カトマンズの僧院で自問する。鐘が鳴り、数秒間の沈黙が流れた。そして三〇人の修道僧が、のどを低く鳴らして
お経を唱えはじめた。 暗がりのなかで数百本のろうそくが揺れている。僕の心のなかは、平穏どころか大混乱していた。
二つの強い力が正反対の方向に引っぱり合っていた。マイクロソフトは僕を昇進させ、二日後にはいつもの生活に戻らなけれぽならない。
でも反対側では、僕にとっての優先順位が急激に変わりつつあった。数百万人の子供が本を読めずにいるというのに、台湾で来月
ウィンドウズが何本売れるかということが、本当に重要なのだろうか。ネパールの子供一10人中7人は生涯読み書きができないというのに、
香港の電子商取引ビジネスで先手をとろうとか、中国の海賊版対策に力を入れようとか、そこでウヅドはマイクロソフトを辞めて、
この仕事に従事する決意をする。 ふつうではちょえられない決断である。・・・これは価値観の中心に置かれたものの書き換えである。
人によって価値観の中心に置かれたものはさまざまである。その周縁にもいろいろな欲望が分散している。しかしウッドの価値観の中心が
「成功」から「奉仕」へ入れ替わったのだ。かつて不動の神として中心に鎮座していたものは周縁に吹き飛ぽされたのである。
(字数制限のためカット 2011年12月3日)
 ・・・・・・・
3164,「物語」と「小説」
2009年12月03日(木)
  「物語」と「小説」の違いは?をネットで調べたら、
・「小説」は“文字によって記述された「物語」”と定義。「物語」は―古老が話す口伝や、御伽噺などのなさまざまな形式などの
“おはなし”。その違いは“その<おはなし>を伝達する手法が、文字表現に限定されているか、されてないかにある。
・ 基本的には、物語は「出来事の連鎖」によって成り立つものを指す。 
  聞き手の「それからどうした、それからどうした」という欲求をみたしていく性質を持っている。
  一方、小説の概念は近代以降のもので、単に出来事の連鎖に止まらず、出来事と出来事の間に
  相関的な意味のつながり(因果関係)が存在するように書かれたもの、といわれる。
  ーー
 以上だが、脚本家の山田太一は、その違いを
≪「誰かから聞いたかは忘れたが、『小説には人生があり、物語にはない』という定義が頭に残っている」とある。
「シンデレラ」や「白雪姫」が人生を語ってない、とはいえない。しかし、物語は人生の細部の現実を語ってはいない。
その代わり、ありそうもない話の楽しさがあるし、だからこそ込められている寓意も、端的な人生の要約もある。
一方、小説は「ありそうもない話」も、人生の細かな本当を積み上げて「ありそうな話」にしてしまう装置である≫と述べている。
我われは何らかのカタチで自分の物語を持っている。それを文章にすると私小説になるが、とすると、山田太一の言うことは微妙に
違ってくる。 誰にもそれぞれの人生があるからだ。そして、そのストーリーは、聞く人を惹きつける。 10年前のことだが、
80半ばの叔母が亡くなる少し前の法事の席で、《 私が一番悲しかったことは、戦時中に一歳の赤ちゃんを死なせたこと。
医院から死んだばかりの背負ったいる赤ちゃんの身体の温みが無くなっていくのが分かるの。辛かったわ! 》
彼女の一番辛かったことを最後に物語りかったのだ。 その悲しみが、そのまま伝わってくるようだった。
小説家は、そういう事実を重ねて小説を構成していくから、虚構の世界に引き込まれるのである。
・・・・・・・・・
2799.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・8
 2008年12月03日(水)
【第7の法則】 何もしないことこそ、最大のリスクなのだ。
「みんな自分より賢いんだ。みんな自分より才能がある。みんな自分より背が高い。みんな私より髪の毛の色が綺麗だわ。
みんな私より可愛いわ。 みんな自分より運がいい。 みんなコネをもっているけど自分にはない…
一番大切なことだが、自分の中でそんなささやきが聞こえてきても、聞いてはいけない。恐怖から生まれる
弱よわしいささやきにすぎないのだから。'それよりも、愛情、他人に対する思いやり、そして他人と助けあう気持ち。 
そういうことを忘れずに、本当に自分が興味ある道を進んでいくのだ。自助努力という強い信念をいだいて。
ただし、成功と失敗を人生の尺度にはしないこと。そうすれば、本当の意味で誇りをもつつことができるようになるはずだ。
                                               ニール・サイモン          
 (字数制限のためカット 2010年12月3日)
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2007年12月03日(月)
2434, 絞首刑 −1
 〔命の書〕「ビルマの日々」の中の一遍 『絞首刑』(G.オーウェル著)より  (*´з`*)<ォハョウサω♪        
死刑執行をリアルに書いてある本である。 そして執行する側の神経の麻痺、残酷さが恐ろしい。
行間から執行する側の微妙な心理が生々しい。何らかのカタチで「事実は永遠に残る」というのは肯かされる。
こういう瞬間こそ、「いま、ここ」の永遠性というのか。 オーウェルの、こういう切口は鋭く哲学的である。
どんな哲学者の「死についての考察」より余程、考えさせられる。 次々回は中島義道著「哲学の教科書」
の中の死刑直前の手紙を書き写してみる。 死の直前は、生の凝縮された時間になる。
ーまずは、その部分を抜粋ー                 
 われわれは五ヤードはなれて待機していた。衛兵たちは円を作るようにして絞首台のまわりに立っている。
やがて縄を首に巻かれた囚人は、自分の神に向かって大声で叫びはじめた。 「ラーム、ラーム、ラーム、ラーム!」
甲高くくりかえされるその声には、祈りとか助けを求める叫びのような切迫したおびえはなく、むしろ葬式の鐘の音
のように落ちついてリズミカルだった。この声を聞くと犬はクーンと鼻を鳴らした。
まだ絞首台の上に立っていた首吊り役が粉袋のような綿の小さな袋を取り出すと、囚人の顔に上からグイとかぶせた。
だがあの声は布袋をかぶされても、まだくりかえしくりかえししつこくつづいていた。「ラーム、ラーム、
ラーム、ラーム!」 首吊り役が下に降りて来てレパーを握り、待機した。何分もたったような気がした。
「ラーム、ラーム、ラーム!」という囚人のこもったような声は、一瞬もやむことなくしつこくつづいている。
所長はうつむいたまま、杖の先でゆっくり地面を突ついていた。囚人がきまった回数だけ数えるまで、
待ってやるつもりかも知れないー五十回か、百回か。全員が顔色を変えていた。インド人たちはひどいコーヒーのような
灰色の顔をしているし、銃剣にも一、二本震えているのがあった。
  (字数制限のためカット 2010年12月3日)
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2006年12月03日(日)
2070, 書画骨董の話 −2          才八∋ウ_〆(∀`●) 
「画の六法」は絵画だけでなく、仏像や、壺、茶碗などにも当てはめることができる。
気韻生動の一番わかりやすいのが、人物画や鳥獣画である。特に 「目」 である。
爛々と輝いている眼に出会うことがある。獲物を狙っている鷹の眼光を発するような眼や、虎の眼である。
仏像の優しい慈愛に満ちた眼もよい。幽霊の眼も背筋が凍り付く深い眼差しもある。
眼に焦点を合わせてから全体をみるのも良いし、全体をみてから、眼をみるのもよいだろう。
活きた眼はなかなか画けるものではない。眼は唯一露出された内臓である。
「眼は口ほどにモノを言い」という諺がある。「人の心はみえる」とは、眼のことをいうのだろう。  
他に、中国画独特の遠近解釈「三遠」があり、中国画の画風の基盤になっている。
高遠(カユゥエン)  ‐ 空高く見上げろ (上空空間)
深遠(サンデュエン) ‐ 空間を奥深く見通せ(物体空間) 
平遠(ピンデュエン) ‐ 地の下面から、地平線まで見通せ(床面) である。
書画を見るとき、このような見方をすればよい。 茶碗の世界も奥深い!茶道に興味がないと、あまり縁がないだろうが、
一流品の茶器全体が醸しだす雰囲気は、人を虜にする。 素人でも自分で焼くところまでいってしまう人もいる。 
書画骨董品には、その背景の深さ広さー宇宙を直感させる魅力がある。そして現実社会を忘れさせてくれる。
一つの物体のなかに、過去の因縁が、エネルギーが凝縮されているからだ。その中味を解る人は解る。 解らない人には、
ただゴミでしかない。その人に、その作品を理解できるだけの素養がなければならない。
ゴミにしか見えないのは、あなたが(自分が)ゴミ程度の知識しかない! ということである。    
対象はみる人に話しかけているのである。わからない人は、その波動がわからないのである。(:゜д゜:)ハア? 
ところで両親の残した書画骨董は、兄が全て兄が引き継いだが、ぜんぜん興味が無いのは如何いうことだろう?
美術館で世界の超一流品を見て感動していれば良いだけなのに、何で持たなければならないの?というのが実感である。
そういえば、1週間ほど前に、新潟駅前の敦井美術館の「良寛展」で、「良寛」の書画をみてきたが、すばらしい。
あの教養どうして身につけたのだろうか? あの書の力強さ!そして品格!しばし見ながら立ちすくんでしまった。
来春なったら、五合庵にでも行ってこようか!
 ・良寛の歌・
◆「焚くほどは 風がもて来る落ち葉かな」 ◆「騰々として天真に任す」
◆「霞立つ長き春日を子供らと 手毬つきつつ今日もくらしつ」 ◆「裏を見せ 表も見せて散る紅葉」
◆「淡雪の中にたちたる 三千大千世界(みちあふち)またその中に 沫雪(あわゆき)ぞ降る」
              \(^▽^*)バイ! 
  ・・・・・・・・・
 2005年12月03日(土)
1705, 国際結婚が東京で 10パーセント!
 一昨日の読売新聞一面の『家族』−国際化時代のきずな・1ーの見出しに ー国際結婚が20組に1組ー と出ていた。
  (字数制限のためカット 2010年12月3日)
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 2004年12月03日(金)
1340, 「酒乱になる人、ならない人」   −読書日記−2
 酒乱の一現象としてのブラックアウトのエピソードの記述の部分を抜粋してしてみる。
  まさに「事実は小説より奇なり」を地にいくものである。
ー抜粋ー
「狐憑き」になったアルコール性幻覚症の話があります。伊豆の旅館の番頭をしていた人ですが、もともと大酒飲みで仕事を
しながらチョコチョコ酒を飲んでいたそうです。年も押し迫った大晦日の前日のことです。突然部屋の中にキツネが見えたそうです。
それも一匹でなく数匹もいて自分のまわりを飛ぶ跳ねていて、部屋の外に出て行った。その番頭さんは何故かこのキツネに
自分を呼んでいるように感じ、雪の中に出て行った。その後について追かけていくと、天城山の中腹の神社にいたそうだ。
その灯篭の後ろから隠れて、おいでおいでをしているように見えたそうだ。二つある灯篭の一つに行くと、今度はもう一方の
灯篭からおいでおいでをしている。ふと気がつくと、キツネは道路の向こうからおいでおいでをしている。
 (字数制限の関係でカット09年12月3日)
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2003年12月03日(水)
 973, 「永平寺」
ー以下、字数の関係でカット(2007年12月03日)
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2002年12月03日(火)
 599, 忘年会
開業の年から毎年行われている会社の名物が忘年会である。昨夜がその忘年会であった。
社内中心の新年会もあったが6^7年前からは行われてない。 とにかく盛り上がる。
大体50人前後が出席する。若い女子社員を先頭に一次会では座敷ゲームが行われる。
そのゲームでとにかく酒を飲ませるのがミソの様だ。そこで最高潮になる。今年のように大不況でも盛り上がりは最高潮だ。 
お客さんがだいたい7割を占める、ほとんど人が営業か営業経験者の為、遊び上手でうまく盛り上げてくれる。
昨夜も最高潮に盛り上がった。毎年その日にボーナスを出すので、社員も気持ちが盛り上がっている。
とにかく若い人のエネルギーがよい。時代時代により色々な忘年会の思い出がある。急性アルコールで入院した人もいる。 
この忘年会で初めて年末の到来を実感する。過去に書いた文章をコピーしておきます。
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0905  宴会好き!
  (字数制限の関係でカット09年12月3日)
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[255] 税務捜査
 2001/12/03 07:51
二年まえの9月の初め頃突然税務署に踏み込まれた。基本として脱税はしない方針できた。
たまたまその年、広告塔の150万を看板として、20万以下にして分散し経費にして落としたのが指摘された。
200万近くもっていかれたが。皮肉なもので、たまたまその年、その一件だけ小手先を使ってしまった。
ある朝自宅に二人、事務所に二人、そして各ホテルに一人づつ合計8人が10時に踏み込んできた。
その瞬間私は刑事事件の‘被疑者’と同じ扱いである。 机の引き出しを全て開けられ、手帳もすべて押えられ
その内容を聞かれる。三日間会社に監禁状態!(夜はもちろん開放されるが)昼飯に食べに出ても何気なくつけられる。
その位しないと脱税は指摘できないだろうが、それなら「脱税をしなくては損だ」と思うくらい、疑ってかかる。
自宅も刑事と同じように、調べあげる。もし脱税をしていたら、絶対にごまかしは無理。
それより腹が立った。 そこまでやる!というまで非人間扱いである。別に悪い事をしているわけでないのに、
何故そこまでと思う。感情が許さない。その日は酒を飲んで荒れ放題であった。それがなければ広告塔の件は、
指摘されないで済んだ。たった一件のそれをフォローしていたと思うからだ。銀行の貸金庫はもちろん、取り引き銀行
全て行って調べ上げる。最後は間接的に褒められた。一つ指摘されたにかかわらず、他は全く潔癖だったからだ。
初めてついた会計士の言葉が納得のいく言葉であった。「節税はいい!但し脱税はやらないように。
結果として同じ事だ。脱税の方がむしろエネルギー使う。それならやらない方がいい」
それを信じてそのとうりの方針できたが、ここまでやるなら基本から考えてしまう。ところがその数ヶ月後に、
学生時代の九州の友人が遊びに来た。飲食店を数店経営をしていて、税金を払った事がないという。こと税務署の話になると
目の色が変わるのだ。、逃亡者のような生活をしているという。恐れかつ怯えているのだ。それなら払うものを払えばと思った。
それにしても8人の税務署員に踏み込まれるくらいに見られたのか。信じられない。何事も経験だ!私の家内の叔父さんが
国税の査察をしており、以前面白おかしくその話を聞いていたが、自分がね!というところだ。
ーーー
ある時間の断片ー1968年 12月3日
11時起床。
食事後、13時から2時間勉強をする。夕方風呂に行く。その後、同級の井上のところに電話をする。
パーティーが8日から15日に延期。清田さんに電話を約束どおりにする。「行く予定だった、15日は行けない」とか。
 (字数制限のためカット 2010年12月3日)


3903, 精神力ーその偉大な力  ー4

2011年12月02日(金)

 この年齢で昔読んだ本を読み返し、書評を書いていること自体が奇妙である。精神論というと、現代では怪しげに思ってしまうが、
それを信念と置き換えて考えると、違ってくる。人は、それぞれの信念に従って生きている。問題は、それを前向きの思考にするか、
どうかである。世の大部分が、後ろ向き人である中で、よほど強固なベースがないと大勢に流されてしまう。そこで、一歩二歩
離れるか、孤独の時間を確保して自分の信念を守らなければならない。 信念という言葉には語り尽くせないほど奥行がある。
  * 信じることの魔術
 信念を変えることで体験の世界が変わります。信念は本人の精神の一つのあり方です。
大生命の力を信じなさい。大生命を見ることが出来ないし、信念も見えないが、それを通して行うことは見えます。
確証を見ることは出来るのです。信じることを前向きなことに使うことこそ鍵がある。
  * 人生の四つの基本
・ 第一は、大生命力すなわち【神】の善さ、完全さ、信頼性、敏感さなどに積極的信念を置くことです。
 知性的で善良な愛の生命力が、あなたをこの世に送ったのです。大生命力は悪いのではなく善いということに気づくべきです。
・ 最二に、自分が偉大な【人間】であることに気づくべきである。神性を持つ持つ大生命力が人間として個性化して、人格化して
 人間というものが出来たと認めるべきである。自分を下等と思えば下等に行動し、他人もあなたを下等と思うでしょう。
 しかし、自分が大生命の化身と気づけば、その能力が、あなたの自由になるのです。
・ 第三に、運不運という、あらゆる信仰を捨てて、大生命力の【法則】に従って行動すべきです。大生命力の流れの中に、
 みずから新たな原因を注入し、自分のために新しい思想を受け入れ、新しい体験を持つことを信じるべきです。
・ 第四に、人格の【不死】を信じなければならない。他界しても自分は生きていると信じなさい。これは実用的です。
 そう信じて行動すると、目の前の難問が何時か解決すべきことでなく、今すぐに解決すべきことになる。
 この四つの基本的なこと―神、人、法則、不死―に、積極的な信念を置けば、何に対しても否定的な信念を持つことがなくなります。
▼ 基本の一つの【法則】と中村天風の説と、ほぼ同じ。 積極一貫こそ、人間を宇宙の進化に従って生き、発展する術。
 積極的な前向きな信念に一つまとまり塊になって一つの方向に歩くことこそ、人間の健全な姿。精神力=信念を自分の帆にして
 人生に吹く風を利用し堅実に前に進めばよい。 当時これらの精神論が極限の中での道標となり心を支えていた。 現在は哲学?
 ・・・・・・・
3538, メビウスと、自・他
2010年12月02日(木)
  * 他人とは何か
 池田晶子の「自分の内側と、その対比としての他人」についての考察がよい。
 「14歳からの哲学」の『他人とは何か』で、以下のように述べている。
【「自分が存在しない」ということは「ない」ということも、先に気がついたことだったね。だから、やっぱりすべては存在するんだ。
 存在しないということはなくて、世界も他人も存在するんだ。 すべてが自分として存在するんだ。なぜなら、自分でないものが
 存在するということはないからだ。「他人」なんてものは存在しないと最初に言ったのは、この意味だ。 他人の存在を認めないとか、
 世界には自分しか 存在しないとか、そんな子供じみたこと話をしているんじゃない。これは本当に深くて、本当に難しい話なんだ。
 これも、ここだけの話だけど、このレベルの議論についてこれるのは、本当に少数だから、君は、そういう大人を目指せばよい。 
 ・・・・  大きい自分に小さい他人同士がつながっているからだ。 大きい自分のう〜んと深いとろまで到達しているような人、
 たとえばお釈迦様とかキリストとか、そういう人なら、他入の痛みも他人の心も、自分の痛み自分の心として、きっと一瞬で
 わかってしまうに違いない。「メビウスの輪」を知ってるね。内側を辿って行ったら、そこは外側だったというあれだ。
 君は、「自分の内側」と言った時、体や心の内側のことを思うね。でも、その内側が、外側の自然法則によって動いているのなら、
 その内側って、じつは外側のことじゃないだろうか。内って、外なんじゃないだろうか。「自分の内」「自分の外」なんて、
 よく考えれば、決して言うことはできないことなんだ。なぜなら、すべてである自分には、内も外もないからだ。
 じゃあ「自分の外に存在する他人」という言い方で、人は何を言っていることになるのだろうか。】
  〜〜
「心の内側を辿ると、そこは外だった」は言いえて妙である。すべてが自分として存在すということを、メビウスの輪から
考えると、分かりやすい。世界の秘境や異郷に行った先は、自分の内になり、そして外にもなる。行けばこそである。
そして、それぞれの延長が、それぞれ続いている。記憶がメビウスの輪になり、それが大きくなリ続けている。
帰ってきてからでも、そこの旅番組やネットを見たりしながら、その旅行の延長線上に加わるからだ。家内が度々言うが、
「行かなければ、他の番組を見ている」のである。自分が存在してなければ、地球など知りえない。 死んでしまえば、
地球が消滅したと同じことになる。その己の存在にとって、他者も自分もないのである。
・・・・・・・
3163, 金本位制度が復活?
2009年12月02日(水)
 昨日、日経新聞を何気なくみていたら、以下のような記事があった。
  * 中国政府高官「金保有、10年以内に1万トン」ドル安で買い増し論
 30日付の中国紙、中国青年報によると、国務院(政府)国有重点大型企業監事会の季暁南主席は2兆ドルを超す
外貨準備の運用について「金の保有量を3〜5年以内に6000トン、8〜10年以内に1万トンまで増やすべきだ」と指摘した。
現在の保有量は約1000トンで、1万トンへの買い増しは実現可能か微妙だが、ドル安が続くなかで政府内で金の買い増し論が
勢いを増しつつあるもようだ。 中国の外貨準備高は9月末時点で2兆2726億ドル。うち約7割をドル資産で運用し、
金の比率は2%弱にとどまる。最近のドル安を受け、政府内では外貨準備の運用をドル以外に振り向けるべきだとの議論が
再燃しており、なかでも金は「安全資産」として評価が高まっているとみられる。
 ワールド・ゴールド・カウンシルによると、金の保有量(今年9月時点)は米国が8134トンで世界一。
ドイツの3408トン、イタリアの2452トンが続く。季主席は外貨準備運用の直接の担当ではないが、
今回の発言は政府内の多数意見を反映しているとの見方が多い。(北京=高橋哲史) (11月30日 19:45)
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 以上だが、最近になって、米国の金本位論が再燃し始めているようだ。  
   (字数制限のためカット 2011年12月日)
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2798.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・7
2008年12月02日(火)
 ー失敗を恐れるな!
「自分のカでは どうにも ならないことは、心配するな」 という言葉、今度の恐慌で、
 心配の極みで読んでみて、ホッとした道理である。 まあ、仕方ないことは仕方がない。
【第6の法則】
  失敗を恐れるな。 しようともせずに 逃してしまうチャンスことこそ恐れるに値するのだ。
  〜〜〜
「人間ができる 唯一の独創的な行為こそ、間違えることなのである」     ービリー・ジ。エル
「人には正しいことだけでなく、間違ったことをする権利もあることに気づいたとき.、子供は大人になる」ートマス・ザス
「意味のある努力は、やってみる前には 簡単には見えない。だが、実際にやってみて結果が良ければ、
 その時点から振り返ってみると、簡単であったように 思い返せるものである」ーエドワード・テラー
「自分のカでは どうにも ならないことは、心配するな」        ユダヤ人の友人のコトバ
「金をなくしても、何も失わない。 誇りをなくせば、多くを失う。勇気をなくせば、すべてを失う」ーユダヤ人の友人の言葉
「自分を破壊する 一歩手前の負荷が、自分を強くしてくれる」     ーニーチェ
「過去というものには、 常に馬鹿馬鹿しさが つきまとう」      ーマックス・ビアボーム
「人生では、時には愚か者を 演じなければならない 時がある」     東欧ユダヤ社会の諺
「夢も悪夢もみたけれどへ 夢があったからこそ、 悪夢を乗り越えられたのた」  ージョナス・ソーク
「そもそも人間という存在は、ものごとを完壁には理解することができない生き物である。
 このことに気づくと、間違えることは恥ずかしくなくなる。 恥じるべきは、過ちの修正を怠ったときである」      
                                       ージョージ・ソロス
「悲観主義は、ユダヤ人が決して 手にすることができない 高級品なのです」  ーゴルダ・メイヤー
「たくさんの失敗を 重ねてみて、 はじめて真実の全体像に 出会えるのだ」   ージークムント・フロイト
「経験は、素晴らしい学校だ。 ただ、授業料が高いのが タマに傷だが」     ーヘンリッヒ・ハイネ
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2007年12月02日(日)
 2433, お茶ひき        (●っー3。○)・・・ハッ!(●`・v・´)オハヨサン♪
最近、長岡・殿町の小さな居酒屋とかスナックに行くと、不景気な話ばかりである。
先週は二度も「お茶をひいた」という話など決して珍しくない。歳のせいもあるが、最近はスナックで飲んでも
前ほど面白くなくなってきた。酒のツマミでも買って、家でTVを見ていた方がよほど刺激的である。
  (字数制限のためカット 09年12月2日)
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2006年12月02日(土)
2069, 書画骨董の話 −1               才八∋ウ_〆(∀`●) 
 戦後になって転業するまで、実家が何代か続いた骨董屋であった。そのため転業後も父は書画骨董を趣味にしていて、
常に居間には書画骨董があった。私が父の40歳を過ぎてからの子供のため、暇をみつけては散歩代わりに、
骨董店に何度も連れられていった記憶がある。門前の小僧の何とかで、真贋を見分ける眼がついたようだ。
さらに、海外旅行で有名な美術館に行く度に世界の名画を数知れず見てきた。そのためだろう、書画骨董の真贋の鑑識眼が
ついてしまったようだ。贋物に騙され、それを糧に眼を肥したプロには足元に及ばないが・・
TVの「お宝鑑定にでてくる真贋は、ある程度はわかる。(誰も解るか?)
書画骨董を自分で買ってまで欲しいと思わないのは、どういう理由か? 逆に人は何で自分の手元においておかなくては
ならないのか不思議でさえある。そんなもの、自分の倉庫や居間に置いておく必要はない、美術館に置いて公開すべきである。
死にかけて初めて、そのことに気づく耄碌が大部分だが。それが趣味なら、他者の言うことではないが。
名の残っている人の書画は、波動というか何ともいえない雰囲気が漂っている。それと品格というか気品である。
絶妙のバランスである。これは自然の中に多くみられるから自然の中にこそバランスが存在している。
そのバランスを表現するには、それなりの技法があるはず。それを知りたいと思っていたら、ある本で偶然見つけた。
中国の山水画の六技法である。波動を出している本体の構造をつくりあげる技法とは・・・
 ーーー
以下はインターネットで調べた「画の六法」である。
1、気韻生動 ‐ 初期においては気と韻律、動勢と生命感ある絵画か。物質が保有する詳細から来る気韻を正確に掴み取って、
  その特色を描けるに到るか。実在物との正誤を欠かずに。かつ、自身の気韻もそこに同調するかどうかも重要になる。
  自身の気韻と、描画対象の気韻。
2、骨法用筆 ‐ 物の正確な形(骨法)は正確に取れている、技巧ある筆運びか。己が骨子が如くして大事に扱い、
  己が骨知る生活が如く、筆を良く知る。己が筆が如く用いる事で、筆や自身を大切に生活出来る。
3、応物象形 ‐ 媒質の形状個性を、いかんなく象徴化し、応用できるか。媒質に応じた象徴を塑写す。
  物質の詳細にまでいかんなく応え描にて象を描き成す。媒材詳細に正確に適応し、
  かつ緻密で正確な状態に更に実在性を加えた状態での象徴たらしめる。
4、髄類賦彩‐ 精髄究めるべくした具体性とかね合わせる。
5、経営位置 ‐ 構図は正確で、意味のある位置取りか。描くにおいては描画対象に対して意義を成し、
  自らの位置掴み取るにおいては描画に最も適した媒材や自身の位置取りであるか。
6、伝模移写 ‐ 模写力はある。 以上は南斎の「謝赫」が、その著作『古画品録』の序において説いたもの。
 その第1、の「気韻生動 きいんせいどう」を「謝赫」が絵画の最高理想とした。
 ーまあ、そのままでは難しいから解りやすくいうと、
 1、「気韻生動」とは、直感的に感じとらせる、名伏しがたい迫ってくる躍動である。
   自分の気合いと韻律を、エネルギーを込めて対象物への投入すること。
 2、その絵には、しっかりした基礎となるデザインがある、それが「骨法用筆」。
 3、その対象を的確に描写しなくてはならない、それが「応用象形」。
 4、それに色づけをするのが、「髄類賦彩」である。
 5、さらに構図をきちんとまとめる「経営位置」。
 6、こうした技術を身につけるため、古人の名画に数多く接して、
   その作品に忠実に模写する修行をするのが「伝摸移写」である。
 (字数制限のためカット 2011年12月日)
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2005年12月02日(金)
 1704, 家訓づくりのすすめ −1  
「今さら家訓でもないだろう」と思いつつ、図書館から借りてきて読んでみたら、これが面白い。
個人の心得としても、そのまま通じる。近年、世間を騒がせているモラルの低下や犯罪の増加、
ニートやフリーターの大量出現も、家族のあり方と無縁でない。目の前で説教をしても、
今どきの子供は聞かないが、家訓として書いて貼っておけば必ずみるものだ?
                (;`・ω・)ノ ---===≡≡≡【えぇ?!マジ?】
著者は、この時代の家庭の危機を救う方策として「家訓づくり」を提唱している。
350の家訓サンプル付で、家訓を作る時の注意事項も具体的でよい。
 家訓とは、その家の中心人物が、一族や家臣のために自分の体験に基づいた教訓である。
 しかし、その言葉の多くは、現在の個人に対しての戒めにもなる。 へ(~Д~*へ))))... ...((((
第二章「家訓の歴史」と「名家の家訓」がよい。
有名なものとして、徳川家康・伊達政宗・岩崎家の家訓・遺訓は何度か目にした事があるが、
記録として今後目を通したいので写してみた。              φ(。。*)
 −徳川家康の家訓ー
一、人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し、必ず急ぐべからず。
一、不自由を常と思えば不足なし
一、心望み起こらば、困窮したる時を思ひ出すべし
一、堪忍は無事長久の基
一、怒りは敵と思え
一、物好きは末に歎くことありと知れ
一、勝つことばかり知りて負くることを知らねば、害その身に至る
一、唯だ己を責めて人を責むるな
一、何事も及ばざるは過ぎたるに勝れり           〆(´m`) ムフッ
ーーー
何度かわが家の家訓を書いたことがある。家訓というより、常々両親が言っていたことをまとめたものだ。
・保証人になるな
・金の貸し借りは絶対にするな
・お金を決して粗末に扱わないこと お金を前にすると、人間は変身をす  ¬_¬)ちらっ   
・借金は極力しないこと   (`´ゞ
・親しき仲にも礼儀あり、誰とも同じ距離を保つべし
・私生活は、奇麗にしておくべし  特に男女間に関しては、家庭内に持ち込まないこと
・生活は質素倹約を基本とすべし
・政治には最小限の接点にすること
まあ、明治時代の人は大体こんな考え方が8~9割であっただろう。
これを土台に『わが家の家訓』を制作中だ。これをやりだしたら、面白くて面白くて!     
  φ(._. )カキカキ 3(-ω-。)クシャクシャ (。-ω-)ノ⌒゜□ ポイ 〆(。。)
夫婦で共同作業をしておけば離婚の確率は低くなるだろうに?        (^_^)/~~
・・・・・・・・・
2004年12月02日(木)
 1339, 「酒乱になる人、ならない人」  ー 読書日記 −1
男なら一生のうちに何度か酒で失敗したことがあるはずだ。私も酒大好き人間として、何度失敗したことか。
大失敗をしても、数年もしないうちにまた酒の失敗を繰り返す。一番の敵を、平気で口から脳に送りこむのであるから
人間は馬鹿の生きものだ。酒で家庭を壊し、職場を追われ、最愛の人にも愛想をつかれる。
 (字数制限のためカット 09年12月2日)
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 2003年12月02日(火)
972, ナレッジマネジメントー3
 ー「ベンチマーキング」と「ベストプラクティス」
 ナレッジマネジメントといえば、その手法として「ベンチマーキング」と「ベストプラクティス」が頭に浮かぶ。
 ・ベストプラクティスとはー自社に比べて、優れた業務方法のことをいう。 
  他業種のよりすぐれた業務手法に多くのヒントがある。
 ・ベンチマーキングとは,ーベストプラクティスに学ぶ経営変革手法のことをいう。
 ‘解りやすく’いえば、「他業種のベストのモデルを見つけて、徹底的に真似ることである。」
 ‘難しく’いえば「系統的且つ継続的な測定プロセス。ある組織が業績を改善する為に役立つ情報を得るために、
  組織のビジネスプロセスを継続的に測定し、世界のビジネスリーダーと比較するプロセス」
  業界の内外を問わずベストなものとの比較を行うことによってギャップを埋め、現状を改善する有効な方法である。
  前向きなプラス志向の経営手法といってよい。
    ー以下は字数の関係でカット (2007年12月02日)
 ・・・・・・・・・
598,八ちゃんの時代ー2
 2002年12月02日(月)
少年期までは今考えても、かなり刺激的な環境で育った。生後3ヵ月後に、長岡の東神田から大手通に帰ってきた記憶がある。
もしかしたら父親の話の刷り込みかもしれないが。子宮の中の記憶のある人もいるとか。お手伝いの背中におぶさっていたのも
這い這いも憶えている。歩かされた時に面倒くさいと思った事も。商売の真っ只中で育ったせいか、今も人ごみが好きである。
スーパーや飲食店に行くのが異常に好きなのは三つ子の魂百までだ。競合店がオープンすると偵察に行った、5歳の頃である。
家族全員が毎日の売り上げに一喜一憂をしていた。もう50年以上も昔のこと。今考えると当時は金色に輝いていた。
生きるのに必至の両親の姿がそのまま伝わってきていた。素晴らしい時を両親と共有できたのだ。
兄二人の死とその5〜10年後の母の心筋梗塞の死線があった。これで母は死ぬんだと思った、しかし生き延びた!
2歳の頃に実家で更に新しい事業を始めた。その記憶が生々しい。ビル建設の完成まで住んでいた木造の家の下に丸太を入れ、
近くの公会堂の前の広場まで移動した。 完成するまでそこで店を開いていた。
建物の完成した引越しの日々が生々しい。コンクリトーと生壁の匂いと混乱の凄みを。
あの時代は皆が必死であった。
  1階は店,           2階が倉庫兼事務所、
  3階が自宅兼店の食堂と風呂、 4階が従業員の宿舎兼後方であった。
 毎日が戦争のような日々であった。


3902, 精神力ーその偉大な力  ー3

2011年12月01日(木)

 この本を読み返すと、20歳代の気持ちに帰ったような心持ちになる。カスターがいう精神とは信念である。
信念は順調時より障害が立ちはだかった時に現れ出てくる。その時に知恵と叡智が心底の信念の蓋から湧き出てくる。
信念から湧き出た知恵と叡智を力にして、それを乗り越えた時に、自然(神)は真の喜びと生きがいを与えてくれる。
  ー 印象に残った箇所を抜粋してみる ー                 ー精神論は、夢がある。
  * あなたは何か?
 魂の定義は「それ自身にめざめたあの力」というしかありません。自分自身について、より深い、より根本的真理を知りうる人は、
おのれにめざめたポイントであって、大生命力に属し、己の意のままに採択を行うポイントだと知っています。・・・
ごく少数の人のみが意識的に心の操作ができるのです。人間はおのれみずからに真に目覚めた知覚するポイントであって、
自由意思の完全体としり、おのれの精神に指令し、感情を統御し、身体を使いこなせるまでは、結局、眠れるに等しいのです。・・・
 自分の体験や、自分の世界のうえに支配を及ぼすのは、彼みずからについての真理に目覚めることが前提です。・・・
私たちは、大生命力が人と化したものです。いずれも大生命力の人格化です。誰しも、自らの中に大生命力の知恵、才知、偉大、
表現の要具など全てを包み持っています。・・・ 各自の採択する力が各人を分けるので、その人は、まさしく一人の神であり、
その採択が、私たちに何が起こるか、未来が幸か不幸か、成功か失敗かを定めるのです。
  * あなたの内の魔力的力
 必要なのは正しい考え方だけ。 それを信頼することで正しい答えが来ることになる。・・・多くの人は、真理に直面したがらない。
そして否定的な考え方が、不幸の体験を引き寄せるのである。だから思考=信念に気をつけなければならない。何をなすべきかについては、
内心の直感にたより、最深の潜在意識に従って行動すれば、物事は良い方向に動いていくのです。 そこに魔力的力が生じてくる。
  * 内心に案内者を持つ
 自分の中を見ると、内心の案内者と呼ばれる能力があるのが分かる。虫の知らせや、霊感などによって、理性を超えた予知を感じ、
その方向に行くと、そのとおりであったことが、なんべんもあったでしょう。あなたの内部には何かがあります。それは心の水準に従い、
あなたを導いて、正しいときに正しいところに、正しい言葉を使わせ、正しい方法で、正しいことをさせます。あなたたち自身の中には、
理知と知恵があります。この特性が、思わしいほど多いと感じる人は、誰もいませんが、その知恵と叡智を使って体験することに限界を
感じる人はいないはずです。その叡智と知恵は、無限に、その人の内にあるのです。私たちの中には、喜びや楽しさの特質があります。
それが少ないとしたら、それは、その人に少ないからでなく、その道筋を知らないだけ。その能力こそ、内心の案内者といえるのです。
その人を探し出すのは、その人だけです。大生命力が、その仮身となって、呼びかけられるのを待っているのです。
「良きこと、悪きことはないのです。ただ思いが、それをつくるのです。」
 ・・・・・・・
3537, 上質な人生
2010年12月01日(水)
図書館で【上質な人生へようこそ】ー『セオリー』2007年vol.12 ーという特集の雑誌をみつけた。
まず人生に上質などあるのか?という平凡な反発があったが、テーマからして面白そうで読んでみた。
期待に反して? なかなか奥行きの深い言葉が次々と出てきた。 
下質な人生なら、周辺にいくらでも転がっている。誰もが、自分を少しは上質と思っているから生きられるのである。
私に、「貴方にとって上質な人生とは、どのような人生か?」と問われれば、「自分のやりたいことを早く見つけ、
生涯を通して楽しむことが出来て、最後に面白くて、良かったいえる人生」と、迷わずにいう。
それぞれの人生があるから、他人が比較するものでない。そのためには努力と忍耐と勇気が必要である。
  □ この特集の中で印象に残った言葉を抜粋してみる
*「お金の使い方で分かります」イタリア人は貯蓄をゼロにして、この世をさる。 
 「家と車について考え方を変えるー家と車に日本人は金をかけすぎ。小さな家でもいいじゃないか!
  家と車のローンで一生を終えてしまう人生に疑問。 お金の準備、遊びの準備が必要」大前研一
*「他人の基準にふりまわされ、ゆたかな人生を追い求めるほど、『上質』とはかけ離れていく。
  物が溢れる今の時代だからこそ、自分の基準で(ほどほど)を知ることが必要」
 「仕事も人生も、型を極めながらも肩の力が抜けた、ある種の軽やかさを持つところに、真の上質が宿るのです」
                                      「女性の品格」著者・坂東真理子
*「『将来なんてものは、どこにも存在してない。現在幸福である以外に、幸福であることはあり得ない。」池田晶子
*「『また会いたい』そう思わせる人が、上質なんだと思う」 
▼ 中学校にしろ、高校にしろ、やはり上質というか、品の良いのはいた。残念?なことに、それがそのまま成績にも、
 その後の人生にも大きく影響をしていた。品性が良いだけでなく、バランス感覚が違っていた。この年齢になってから、
 若いときに出会ってきた人などを改めて照射してみると、全く違った基準でみることになる。品性だけは、隠しようがないもの。
 やはり、家柄や、生まれ持った本人の性質があるようだ。 なるほどカントがいう、『良心』が親から受け継がれてきた人と、
 その逆の人とでは、長い人生で大きな差が出るもの。 それが端的に出るのが、酒癖、女癖である。 私など、・・・・・
・・・・・・・・
3162,人生に関する小題
 2009年12月01日(火)
  * 人生は玩具箱
「人生とは畢竟、運命の玩具箱だ。人間とはその玩具箱に投げ込まれた人形だ。」(有島武郎)
言いえて妙である。 そこには、これまで乗った車、住んだ家、他の人形もある。
「玩具の喩えを他人に喩えるのは問題である」と、いうのは別の機会にする。そこで「人生は宝箱」という言葉が思い立つ。 
(恐らく誰かが比喩をしているはず)行蔵の一つ一つが宝とすると、幾らでも宝はある。 それでは「人生はゴミ箱」というと、
それほど無いのは、無意識で自分の心をコントロールしているためか? そうでもないか?お宝は、心の底から感動したこと、
全身全霊で何かに打ち込んでいた時と事をいう。反対に、ゴミ箱は中途半端な時間を過ごしていた時?
 無駄も必要だから、それは違うか。
  * わたしは地上でたった一人になってしまった
 「孤独な散歩者の夢想」は、64歳のときに書き始め2年後の死ぬ直前に終わった文章、ルソーの絶筆である。
「第一の散歩」から「第七の散歩」まであり、その後は「八、九、十」がメモのような文章が続く。
 冒頭で、「こうしてわたしは地上でたった一人になってしまった。 人なつっこい人間でありながら、万人一致の申合せで
人間仲間から追い出されてしまったのだ・・ わたしは、かれらから離れ、すべてのものから離れたこのわたしは、いったい何者か」
と問う。「自分に残されたことは、すべての世間から放逐された自分はいったい何者なのかを探求することだけなのだ」と自覚する。
 私の周辺で倒産時の男たちの気持ちは、まさに、このようだろう。多くの取引先、そして部下を路頭に迷わせ、自分の存在の
卑小さと、嫌らしさに自己嫌悪を一人する。 自分は何者なのか?ただ、歩くこともままならぬ、折れてしまった、これ!である。
  *「人生は軍務のようなもの」と考えれば楽
 エピクテートスの「人生談義」の中に、以下のような言葉がある。
《 人生は軍務のようなものであるのを諸君は知らないか。 或る者は歩哨をやらねばならないし、
また或るものは戦うために出て行かなければならない。 
(字数制限のためカット、11年12月01日
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2797.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・6
2008年12月01日(月)
 ー「学ぶ」ことは「知る」こと。「知る」ことは「変わる」こと。
 ダーウィンの次の言葉が好きだ。「もっとも強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き残るわけでもなく、
 唯一生き残れるのは、変化できるものである。」だから「学び」、「知り」その結果、「変わる」ことしか
 生き延びることが出来ないのだ。それにしては、あまり代りばえしないのは、如何いうことか・
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「第5の法則】
  「学ぶ」ことは「知る」こと。 「知る」ことは「変わる」こと。「その瞬間に、わたしは自分が本当に
やりたいことを確信した。誰かのためではなく、打算的でもなく、自分の中のにある純粋な興味から、ただただ、
それを学びたいという 気持ちが芽生えたのだった」 エドワード・テーラー
「学ぶということは、これまで理解していると ずっと思い込んでいたことに対して、
 突如として まったく違った見方をすることです」          ドレス・レシング
「教育とは、学校で習ったすべてのことを 忘れてしまった後に、自分の中に残るものをいう。
 そして、そのカを社会・が直面する諸問題の解決に役立たせるべく、
 みずから考え行動できる人間をつくること。 それが教育の目的といえよう」 アルバート・アインシュタイン
「学べば学ぶほど、 自分がどれだけ無知であるかを思い知らされる。
 自分の無知に 気づけば気づくほど、よりいっそう学びたくなる」     アルバートアインシュタイン
「どんな教育もつきつめていけば、独学につながる。
 その意味で、独学が唯一の教育であると、私は確信している」       アイザック・アシモフ
「知恵を獲得する過程で、 忍耐があれば、すでにその半分は 手に入れたようなものである」  ユダヤの諺
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2007年12月01日(土)
2432, 田淵節也 −「私の履歴書」最終日        オッ ヽ(゜∀゜)ノ ハー
11月の「私の履歴書」は野村證券の元会長の田淵節也であった。週に2日位は読んでいたが、昨日が最終日であった。
アメリカの衰退と、その隷属国家の日本の動乱?を予測。バブルが弾ける直前に、彼が「株は長期に低落する。
「時代は変わった」と言ったのを憶えている。その時、「株屋のオヤジがこんなことを言ってよいのか?」と驚いたが、
再び、ここで同じことを予言している。「また、海の色が変わる!」という。
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ー日経新聞「私の履歴書」2007年11月30日ー
 =アメッポンの行く末は 世の中変わる、不変の真理=
  *再度・海の色*
バブルが弾ける直前に、僕は株式相場の潮の変り目を直感して「海の色が変わった」と発言したことを書いた。
今、その時感じたのと同じような胸騒ぎを覚える。 「アメッポン」(アメリッポンと言う人が多いが、僕はアメッポンを使う)
と言われる日本は米国に振り回されてきた国だ。その米国が今また大きく変わる節目にあるような気がしてならない。
 来年の大統領選挙で優勢が伝えられている民主党候補が勝てば、イラク戦争への厭世気分が一段と高まり、中東情勢は
混沌とするのではないか。中東情勢が混沌とすれば、ペーパーマネーのドルの信認が低下し、米国は金や原油、穀物などの実物資産を
裏付けとする新しい通貨制度を考え出すのではないかと思う。そうなれば、金本位制が「ドル本位制」に変わって以来の大変化だ。
世界中が混乱、アメッポンの日本は一番大きな影響を受ける。 既に、世界はざわついてきた。僕は安倍晋三前首相のお父さん
(安倍晋太郎元外相)と親しかったが、安倍さんが総理になった時、「蒸留水しか飲んだことがない人は持たないのではないか」と思った。 
小沢一郎さんが天下を取るのか小泉さんが再登場するかは分らないが、いずれにしても、日本は大揺れするのではないか。
高度成長期以来、ぬるま湯につかってきた日本は、久しぶりに大激動の時代を迎えることになるように思う。 
僕は日本の将来を悲観も楽観もしていない。 日本は世界屈指の豊かな国だ。「職人国家」としてそれなりのステレータスを
保っていけると思うから心配していない。最近、円高を歓迎するようになったのは進歩だと思う。もっとも、軍事力も持たずに
「金融立国」の幻想を抱いている人は幻滅するかもしれないが……。「履歴書」を書く機会を与えられ人生を振り返っても、
僕の人生なんて波欄万丈には程遠く大したことはない。改めて人生観を自問すれば、「人間は太古の昔から同じことを繰り返している動物」
ということだ。 人生は思った通りにならない。それは残念なことだが、だから人生は面白いのであり、結果的にハッピーなのではないか。
「人間三代でチャラ」とはよく言ったもので、いい事ばかりは続かないし、悪い事ばかりも続かない。人間、何が幸せで何が不幸か、
本当のところは分からない。それもまた人生の面白いところだ。人間は変わらないが、世の中は変わる。
これが実感であり、不変の真理なのだと思う。・・・・
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解)今年から5〜10年にかけて、歴史的にみて動乱期に入った!ということだ。それと日本を「職人国家」という見方も面白い。
今後のアメリカの没落は誰の目にも明らかなこと。とすれば、アメリカの国債を半強制的に持たされた日本は、アルゼンチン並みへの
プロセスに入るのは当然である。                  (σ’д゜)バイ!
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  2006年12月01日(金)
 2068, あたりまえなことばかり −19
     (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん!
  哲学的にみると、トラウマ「心的外傷」に対して、心は物理的に存在していないのだから、外傷と言えないという。
 しかし深い悩みを持った人は、心を肉体に喩えると大きな傷を負っている。大きな傷として仮定して、その傷口を消毒し、
 外科的な手当てが必要である。それが精神科であり、セラピーの役割となる。それぞれの立場・見方も必要である。
 以前は、癒しなどの言葉は無かった。精神科があってもセラピーなどあったのだろか。手相などの占いが、昔流の
 セラピーの役割をしていたのだろう。私の場合の心の危機の場合、読書、音楽、ウォーキング、酒を飲んだり、
 このHPなど、癒しそのものである。最近は、これに早朝の曼荼羅モーニング・ページである。 
 それに毎朝の仏壇の前の祈りもある。ストレスなど溜まるわけがないが、それでも少しは溜まる。  
 自分の連れ添いが自殺したり、子供が自分のミスで死んだりした時に、癒しなどという言葉は、
 あまりにも甘く聞こえてくる。自分で自分を救う以外ないだろうが、自分で自分を癒すなどできはしない。
 そう考えると、癒しとは「目先の心の傷を応急処理すること」ということになる。
 それも大事なことである。それをしなかった為、精神病になる糸口になるからである。
 まあ、この本の抜粋もなかなか面白いが・・・ 
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どうすれば癒されるのか  
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癒しは「ストレス発散」「コンプレックス解消」に比べると、具体性に欠ける。ストレス解消のためカラオケに行く。
コンプレックス解消のために化粧をするという具体性は無い。 何となくふわふわと浮わついた「雰囲気」、
それが当の癒しであるとするならば何となく納得する。 だとしたら、癒されるべき傷などどこにも無かったか、
その程度のものである。具体的なものが見えないから、漠然とした物欲しげなそこへ、各種のグッズやセラピーが
商品として流通するという構図である。しかし、受動態「癒される」の主語あくまでも「自分」なのだから、
主語を支点にこれを能動態に変換すれば、「自分が自分を癒す」になる。「癒し」とは、各種グッズやセラピーによって、
自分で自分を癒す能動的行為であると言うこともできる。自分で自分を癒すとは、どういうことであろうか。
癒すためには癒されるべき傷がなくてはならない。傷とは何であろうか。傷ついているのは自分である。 
そう思っているのは誰だろうか。「自己治癒」という、いっけん明瞭なようなこの概念は、日常レベルの予測を
はるかに超えた、広がりと奥行きと複雑さを持っている。それは、一般的な問いのある種の逆転によって垣間見られる。
「私とは何か」   −>「何が私であるのか」 「心とは何であるか」−>「何が心であるか」
「心はどこにあるか」ではない。「何が心であるか」である。「どこに」は、既に三次元空間内にそれがある存在している
ことを前提としている。脳も心もこの三次元空間内の物体である。しかし、心の痛みは、その痛みはそのものは、物理的な
存在ではない。本来、物理的な存在でないものを、物理的な存在であるように表象する、もしくは表象させるそのような
命名が、多くの誤解を生じさせている。トラウマ「心的外傷」、その視覚的イメージが、何がしかの塊り状のものが、
傷口を空けているという光景である。 心的外傷、すなわち心が外から受ける傷である。
(字数制限のためカット、10年12月01日)
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2005年12月01日(木)
 1703, 政府系金融機関の統合                (~O~)ふぁ
政府系金融機関が三年後に統合されることになった。郵政民営化にともなう郵貯の出口の縮小処置である。
悪く言えば、中小金融機関への貢ぎもの(中小企業の債権)である。    
(字数制限のためカット、09年12月01日)
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 2004年12月01日(水)
 1338, 「自分を活かす極意」ー 読書日記−2 
    ー自分のクセを技に変えるー
   三色ペンの技法に次いで、この言葉が印象的である。 その文章を抜粋して考えてみる。
  ーでは、ふつうに日常生活を営み、ある程度の年齢に達成した私たちには何を技にすればよいのだろうか。
 (字数制限のためカット、10年12月01日)
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2003年12月01日(月)
971, ナレッジマネジメントー2
 「マルコムボルドリッヂ国家品質賞」について
字数の関係でカット(2007年12月01日)
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 2002年12月01日(日)
597, スーパー床屋 −2
そこで働く人たちはほぼ全員椅子貸しの契約社員。 TVで見た範囲の知識だが、頭の洗いは省略をして掃除機のようなもので
吸い取ってしまう。髭そりもオプションになっているようだ。一人当たり10〜15分で仕上げてしまう。
   特に土曜と休日に集中するという。それなら美容院もあってもよいのではと思ったら新潟にも全国チェーンで
「クイーン&キング」という名で青山にあるという。 これなら家族でいける。知人が最近スーパー床屋に切り替えたと言っていた。
月に一回行っていたのを2回行くようになったとか。それでも安い。「将来殆どがスーパー床屋にきりかわるだろう」と言っていた。
自宅の近くのSCゾーンの一角にスーパー銭湯が開店するが、その中にスーパー床屋が併設されると家内が言っていた。
500円の銭湯に1500円の床屋で2000円である。それでも床屋の半額なら大部分がそちらを選ぶだろう。 
今の回転寿司と寿司屋の使い分けの状態ににてくる。寿司屋も数年前に80?は回転寿司に取って代わると食堂専門誌に書いてあった。
現在その流れが加速している。年に1〜2度寿司屋に行って、月に1〜2度回転寿司に行くパターンになってきている。
学生時代の事を思いだした。池袋駅の地下に半額に近い床屋があった。多くの若い女性の従業員がいて広い店であった。
いつも満杯であった。ただ一回で二度と行かなかった。若い女性にミニスカートに胸の開いたブラースを着せて色気を
売っていた店がある時期流行ったという。 クラシックを流している床屋もあった。 何か床屋談義になってきた

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