堀井On-Line



3192、大晦日、つれづれに!

2009年12月31日(木)

 今年も大晦日になった。覚悟をしてほど経済の混乱は無かったが、それでも確実に悪くなっている。
政治は、アメリカでオバマが正式に大統領に選ばれ、日本では自民党が政権に最後まで、しがみついた結果、
国民に見放され自己崩壊。 民主党の鳩山政権が発足、今のところ、及第点だが、来年からは土壇場の場面に
直面し、政界再編成は必至。 日本経済の崩壊予測を書いてきた浅井隆の本を先日、立ち読みした。
「リーマンショックは、日本にとって東京と名古屋に原爆二個を落とされたようなもの。
 その激震の津波は、まず体力を消耗している地方に直撃しており、凄惨な事態」と、あった。
上越新幹線の最終駅で、ビジネス・ホテルを経営しているので、その論は至極当たり前に
受け止めることが出来る。 一般より3ヶ月早い数値が先行して出るが、すでに二番底にむけて
動き出したようだ。  2〜3月あたりから、経済は深刻な一段落ちになる。 恐ろしい限りである。
 何とか、緊急対策で失業率の上昇や株の暴落を抑えているが、これもカンフル剤でしかない。
来年は何とか、これで持たせることが出来ても、参院選挙の終わった来年の後半からは、思い切った政策が
断行されるだろう。 それが通貨の切り替えなのか、銀行閉鎖なのか、国家非常事態宣言による??なのか。
悲観的に成りざるをえないのは、まだ、数百年に一度の動乱の入り口でしかないことだ。
人間は脆いものだが、国家も脆いものである。
 25年ぶりに、私の人生の大きな位置を占めている「秘境ツアー」に行かなかった。《最近は、欧州が多いが》
気合が入らないのである。 無理をすることもないが、といって、「何が何でも行く」というのが崩れてしまった。
 それにしても、大晦日の総括の、これまでの文章を読み返すと面白い。何ともいえないTPOSが感じられる。

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2827, 晦日は、今年の読書の総括
 2008年12月31日(水)
今年の締めくくりは読書の総括。
まずは年初に読んだ 副島隆彦の「恐慌前夜」「属国・日本論」「連鎖する大暴落」を読んで愕然とした。
他に彼の一連の本を読んで、迫っている世界経済の危機を感じ取った。
また金融を中心にコンサルトをしていただいているH氏に紹介された竹森俊平著「資本主義は嫌いですか」と、
マンデンブロ著「禁断の市場」も印象的であった。 ソロス著「ソロスは警告する」、
金の投資家、松藤民輔著「無法バブルマネー終わりの始まり」、藤原直哉著「世界同時株暴落」、
野口悠紀雄著「世界経済危機ー日本の罪と罰」、そして、松井孝典著「地球システムの崩壊」など、
地球規模で起こっているエネルギーのウネリを感じ取れたことも収穫だった。
そのために、リーマンの破綻が世界恐慌の発火点と直感し翌日ここで取り上げ書いた。 
どの本を読んでも目から鱗であったが、いざ金融恐慌が始るると、
世界的な経済崩壊の規模の大きさとスピードの速さに驚愕している。
ー 本として印象の強い順に書いてみるー
1、松井孝典 「地球システムの崩壊」
2、副島隆彦 「恐慌前夜」
3、竹森俊平 「資本主義は嫌いですか」
4、マンデンブロ 「禁断の市場」
5、松藤民輔 「無法バブルマネー終わりの始まり」
6、ソロス  「ソロスは警告する」
7、近藤道生 「平心庵日記」
8、副島隆彦対佐藤優著 「暴走する国家ー恐慌化する世界」
9、野口悠紀雄 「世界経済の危機」
10、米原万理 「打ちのめされるようなすごい本」
殆どが、金融恐慌・世界恐慌系の本である。それだけ、事態は深刻だったのである。
秋口から一挙に景気悪化は覚悟はしていたが、ここまでとは思いもよらなかった!
 派遣も含めて、地峡規模で人員整理の嵐と、暴動が頻発するだろう。
 全ての人にとって他人事ではないのが、恐慌である。
 長男もUターンをして、地元の会社に勤めた以外は、身辺で大きな変化は無かった。
 最近は、無事であることが最優先になってきた。歳のせいか?

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2007年12月31日(月)
2462, つれづれにー大晦日
               ´▽)ノおは〜
大晦日である。 一年は本当に早く過ぎ去る。御節は今年は止めておこうかと思ったが、
結局は注文してしまった。例年の半値の5千円のセットだが、郊外にあるフランス料理店のものである。
この十年以上は紅白歌合戦はホボ見ていない。格闘技を見るか寝ているかだ。
総括は先日書いたが、面白い本には多く行き会った。新潟駅前に新しい図書館が出来たのも大きいが・・・
今まで自分がそこまで行ってなかったこともある。自分の知能のレベルでしか本の内容は理解できない。
以前ほど、年末年始の感慨がないのも年齢のためか。この歳になり、周辺のことが面白くて仕方がない。
見ていて見えないかったことが、少しずつ見えてきたということか。
それも当たり前のことが。次は祖先様のお出ましである。良い年を!
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四四太郎の霊日記 −15
 (以下は字数の関係でカット2008年12月31日)           
              (■*U∀u)ノ 良い年を!
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2006年12月31日(日)
2098, 今年を振り返って −2
     オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
今日で今年も最後になる。12月の10日に「今年を振り返って」を書いているので、
ここでは、「私的なこと」に、割り切って書いてみようか。今年は私にとって「60歳」になった節目の年である。
{60歳までに、一生分を前倒しをして、やりたかったことを、全てやりとげる}と51歳で決意し、そして生きてきたので、
肩の荷物が降りたような虚脱感と、ホッとした満足感が現在もつづいている。
そして来年の3月までに、60歳代の生き方を決めるつもりである。    
2人の息子も婚約をして来年には結婚予定で、丁度、還暦の頃に子供が家庭をもつという「人生のサイクル」は、
丁度よくできている。私にとって、その意味では節目の年であった。
友人と話すことといえば、なるほど年金の話が中心になる。企業年金が??万+厚生年金21万=3?万とか、
私は家内が厚生年金に入っているので+?万とか年寄り臭い話になる。
12月1日に義母が亡くなり、盆と正月に唯一行くところが消滅した。
仕事場が新潟市にあり、自宅は長岡、そして家内の実家が柏崎と、丁度良いバランスであったが・・・。
前回も書いたが、今年は塩野七生の「ローマから日本が見える」「ウエブ進化論」
「グーグル」「あたりまえのことばかり」が印象に残った。
 印象の強い順にベスト10を思い浮かぶまま書いてみると
 1、「ウエブ進化論」梅田望夫
 2、「あたりまえのことばかり」「14歳からの哲学」「知ることより考えること」「41歳からの哲学」池田晶子
 3、「ずっとやりたかったことをやりなさい」ジュリア・キャメロン
 4、「要約世界文学全集?・?」木原武一
 5、「生き方の研究」森本哲郎
 6、「『私』のための現代思想」高田明典
 7、「ローマから日本が見える」塩野七生
 8、「グーグル」佐々木俊尚
 9、「エピソード読む西洋哲学史」堀川哲
 10、「冒険投資家ジム・ロジャーズ世界バイク紀行」
「生きていることの不思議さに気づいた年」である。考えれば考えるほど不思議なことだ。
  *^ワ^*)i それでは良いお年を!       バイバイ 
 (以下は先日書いた内容です)
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12月10日(日) 2077,
今年を振り返って −1   才八∋ウ_〆(∀`●)
そろそろ、今年の十大ニュースが話題になり始めている。
年末の31日になったら、もう一度書くつもり?だが、ランダムに頭に浮かんだまま書いてみる。
 (以下は字数の関係でカット2007年12月31日)

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2005年12月31日(土)
1733, 今年を振り返るー総括 b(’0’)d おっ w(゜Д゜)w ハァ?ヨ〜
大晦日になり今年の総括と思ったが、『私が選んだ今年の十大事件』の先日の内容が、総括に近い。
そこで今年の十大事件から世相を考えてみる。まずは先日の内容をコピーしてみる。
ー私が選んだ日本版・10大事件ー
1、人口が初めて減少に転じる
2、衆議院で自民党が歴史的大勝
3、JR福知山線で脱線、107名死亡
4、耐震強度偽装で大揺れ
5、郵政民営化関連法が成立
6、愛知万博が開かれる
7、堤義明西武グループ会長逮捕
8、小学生女児が相次いで殺害される
9、アスベスト関連死、次々と明るみ
10、プロ野球のセ・パ交流戦が始まる。そしてロッテ、優勝
    大相撲では、外人力士が大活躍−朝青龍が7連覇、琴欧州大関に  
−−
以上から読み取れることは
・少子高齢化
(字数制限のためカット09年12月31日)
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2004年12月31日(金)
 1368, 今年を振り返るー総括
毎年、同じような言葉で始る。「今年も、あと一日になった」である。それが誰もが抱く感慨だろう。
地球が怒っているのではないかと思われるほど、次々と災害に襲われた。その幾つかを記録として書いてみる。
・インド洋で、とてつもない大きな地震がおこった。震度はM9で、阪神大震災の1400倍のエネルギーというから
 想像を超えている。地球を津波の余波が三回したという。被害は10ヶ国をこえて、現在のところ10万人というが、
 まだまだ増えるだろう。TVで多くの映像が流れて、何人かを飲み込んで流されている映像もあった。
 明治29年の明治三陸地震の2万2千人の被害を軽く超える惨事で、20世紀来、エネルギーとしては4番目の大きさ。
 やっと、中越地震の余震が収まりかけてきたと思っていたら、この大震災である。台風は例年の3倍もあり、
 やっと落ち着いた時に、中越地震、そして、このスマトラ地震である。 全くどうなっているのだろう。
・暗い話だけでは片手落ちになるので、明るい話はオリンピックで日本が久しぶりに多くのメダルをとったことである。
 強いところに、集中的に強化をしたのが功を奏したという。
・地方の景気も相変わらず、良くはない 特に新潟県はその中でも一番悪いところである。
 これに台風による水害と、この中越地震である。復興景気といっても土木が少し良い位で全体的には決して良くはない。
 日本全体から見ると、明るい兆しが見えてきた。その要因として、政府の力、外部要因、内部要因からみると、
 外部要因は、中国向けを中心とした輸出の伸長である。内部要因は、液晶・プラズマの薄型TVやDVD、
 そしてデジタルカメラに象徴されるデジタル家電のブーム。 中国とデジタルの頭文字の「CD景気」は、 
 この1、2年で反転するようなことはないだろう。しかし中国景気は、日本の地方に直接・間接の大きな影響を与えている。
・この十年間2〜3回は海外旅行をしていたが、今年は一回であった。年末にと思っていたが、この中越地震である。
 これがなければインドネシアか、タイと考えていたので、助かったのかも。
・プロ野球問題、西武鉄道の問題、ダイエーの解体の決定、など多くの問題が噴出した年でもあった。
 情報化・グローバル化による時代の変化が、ますます激しさを増して時代を変えた年といってよい。
・身近の人で亡くなったのは、取引先の朝日広告の五十嵐恭一さんである。
 会社の事務所に一番多く訪ねてきた人である。年に数回は、個人的に飲みにいっていた。
 多くの取引先をまわっているので、景気とか時流の情報に敏感であった。
 親戚では、亡くなった人はいなかった。 伯父叔母も、あと数人になったこともあるが。
・仕事の方も、相変わらず下方圧力は大きいが、今年の10月の後半で底うちをしたようだ。
 と同時に中越地震の復興関係の宿泊のためミニ・バブルになり、予算を何とか達成可能になった。
  今年はやはり何といっても中越大地震が一番の出来事であった。 忘れられない年になった。

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2003年12月31日(水)
1001, 今年の総括
今年も大晦日になってしまった。 恒例の今年の総括をしてみよう。
ー個人的の問題では
・今年の身近な物故者は高校の同級生の‘スーパーツチダ'の社長をしていた土田恒夫君が亡くなった。
 一番死にそうでない男であったからショックであった。親戚では母方の従姉の連れが亡くなった。
・海外には二回行った。この数年三回であったので、少し物足りなさが残った。アラスカとアイスランドである。
 これで41回である。当面の目標の50回にはまだだが。60歳までに、というのは無理になった。
 大不況の中、今年は特に行くのを躊躇をしたが、後になれば何ということはない。
 行けない状況に行くからこそ価値があるのだが?
・国内では、京都に一泊のバスツアーと鎌倉に行く。
・産能大で「一時間講義」をする。 いい思い出になった。
・ 新潟の引越しを考えるが、決断が出来ない。
・ウオーキングは一日平均1万4千歩を確保した。 数年前より1万5千歩より1千歩減らしている。 
・新しい習慣として「ありがとう」を1千回平均言うことが加わった。
ー会社は
・去年11月に始まった売り上げの落ち込みが進む。今までは他山の石だったが。世間並みになったとはいっていられない。
・来年の事業構造の転換に向けて、支配人と副支配人をホテルのラインから外して本部付け
(新規プロジェクト開発部)にする。久々に仕事に本気になる。新規事業の準備が進む。
ー国際社会では、
・イラク戦争があった。その後テロが進む。またフセインが捕まる。
・またSARDが流行、世界がパニック状態になる。
ー国内では
・景気がますます悪化、特に地方経済は救いがたい状況になってきた。りそな銀行と足利銀行が国家管理になる。
・衆議院選挙で二大政党化が顕著になった。それぞれが選挙公約をするマニフェストという言葉が流行する。
 自民党は仮面を変えてしぶとく残った。 来年は、会社も国も待ったなしのリストラの年になる。
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 2002年12月31日(火)
 627,パタゴニア旅行記ー9
ー絵を描く人ー
 今回の旅行で素晴らしい絵を描く女性がいた。見るところプロ並みの絵を描いていた。
画家の安野光雅に小学校の絵の担任でもたれたと嬉しそうに言っていた。
いつも面白い話をしてくれて、「先生お話!」皆が囃したてていたとか。
今から考えると情緒教育をしていたのではないかと言っていた。
何十種類のクレヨンを持ってきて30〜40分位で仕上げてしまう。
見ていても気持ちが良いぐらい綺麗に仕上がっていく。あの位巧く書ければ本人も気持ちが良いだろう。
 主人の方はカメラマニアでお互い自分の世界に没頭しているのがバランスが取れていて良い。
ある意味で理想的な夫婦の形に見えた。絵を描くということは対象に対し観察眼が鋭くなるし脳に残る。
私も60歳になったら、クレヨン画の勉強をしようかと考えてしまった。 旅行では一人はデッサンをする人がいるが、
この位本格的の人は珍しい。 個展を開いたり、自宅のリビングに額に入れて折々楽しんでいるとか。
 ところで話は変わるが、ご主人に写真の撮り方を学んだ。
・対象をしっかり見定めて
・両脇をしめて
・片目でファインダーを片目はその外をみて
・足を少し開いて
・撮る瞬間は息を止めること
・時に木や花を通して風景を入れる
・外国の場合意識してその土地に住んでいる人をいれる等々であった。 雲一つでもその地域しか見れない色や形がある。
夕景の太陽の色とそれに映える雲もそうだ。同じ景色でも経験を積んだカメラマンの目は鋭い。
私などいつもマニアの後について回っている。旅行は日常から離れる事ができ、色いろな知識と経験を積める!  
・・・・・・
2001年12月31日(月)
286、良質の人材とは-
「ビージョナル・カンパニー」という本を知人に紹介され、その後その人と酒を飲んだ。
ある目的のために人材を集めるのでなく、まずよい人材を集め、それから何をやるか決める、
という逆の見方である。考えてみればその方が正論である。 ある人材が何人か出会い、
さて何をやるかを考えそれをやり遂げていく。その上で明確な目標をきめていく方が筋が通っている。
酒を飲みながら、それではよい人材とはどういう才能をいうのだろうか? という話の内容になった。
酔っ払いが話しているのだから、いい加減の内容であったが、それでも結構真実をついていた。
「自分で問題を見つけ、それを解決する手順を考え着実に実行やり遂げる能力である」それがその時の結果であった。
そう考えると、私も悪い人材ではないと少し安心した。 そういう目で周辺を見渡すと、なるほどと思う。
両親、兄、姉、義兄も元上司、友人を見渡せた。大学時代のあの男、高校のあの男、なるほどと思った。
その視点で見たとき、よい人材といえる人はごく僅かである。その点で誰もが安心してよいのではないか。
その時、その知人が言うに、「ビジョンとは、夜旅をしている人が星を目安にして、自分の位置を確認する。
その人の一つの星がビジョンでないか。 それを時々確認しながら一山二山乗り越えていくことではないか」
なるほどといやに合点した。 日本的に言えば「志を持つ」ということか。
来年は自分の若いときの志はなんであったかを、早々考え直してみよう。
・・・・・
ある時間の断片
12月31日  1968年
あと10分で1968年も終わる。 学生時代最後の年になる。今年を振り返ると、色いろなことがあった。
・三月下旬から2週間、石川君と一緒に、卒論の「流通革命」を書くために大阪の船場のメリヤス問屋に
 住み込みで流通の現状を見てきた。 生々しい旧来の世界と、そこに蠢く人間がいた。
・帰って直後に、欧州旅行の川崎と深井と松村と九州旅行に出かける。
 先ずは川崎の家に行って一泊をする。ところが川崎は事故がおきる予感がすると言って、急に旅行から降りた。
 三人で今度は名古屋の酒向の家に行く。家に泊めてもらって、その夜は高級中華料理店で最高級のご馳走だ。
 こんな美味しい中華料理は初めてであった。それから九州に行く。
 九州の鹿児島で聖心女子大のグループと落ち合う。1泊2日の薩摩の彼女等との旅行は一生忘れられないだろう。
・そして4月に父に「もしアメリカに行きたかったら、全ての費用を出してやるから留学をしてこい」と急に言われた。
 その気になったが、英会話に通うこと2ヶ月で、急ごしらえの留学は無理と断念をした。そこでの自己葛藤があった。
・またその時期に、石川に勧められて「武沢ゼミ」に入った。これは私にとって前の年の欧州旅行とともに大きな出来事だった。
・そして急遽ジャスコオカダヤと長崎屋を受験。両社とも合格する。ジャスコオカダヤに決める。
・夏休みは、卒論のための本を十数冊買い込み読む。 
 9月に二週間、10月に一週間、新潟県の六日町の禅寺の「雲洞庵」で、集中するために籠る。
・11・12月は、かなり頭を使いすぎたため不安定な時期になる。 
 去年に続き今年は、これからの人生での土台になる事があった。
 ーそう書いているうちに、あと三十秒で今年も終わろうとしている。
 ーーー
 ここより今年である。 1969年になった、学生から社会人の年になるのだ。
 今度は自分独りの力で生きていかなくてはならないのだ。頼れるのは自分だけである。
 人生は三つの戦いがある。自分、他人、そして自然との戦いだ。
 先ずは自分に打ち勝たなくてはなるまい。信念としての決意は「自分に打ち勝つこと」だ。


3191,今年の読書の総括  −2

2009年12月30日(水)


・哲学といえば、再び池田晶子の本に立ち返り、「2001年 哲学の旅」を読んでみた。
 数年前にギリシャに行ってきたことも含めて、彼女の目を通してギリシャの哲人の史跡から、
 問題提起をしてくれて、なかなか読み応えのある本である。
・哲学といえば、ブライアン・マギーの「哲学人」(上・下)である。英国の哲学評論家の本だが、
 10年ほど前に、彼の「ビジュアル版・知の歴史」を読んでいた。これは、今でも居間のパソコン近くに置いてあり、
 月に2〜3度は目を通している。 それもあって何とか読んでいるが、私のレベルでは難しい。
 これは、哲学のセミ・プロでなければ読み解けない内容である。
・今年は「カント」の哲学を少しでも理解を深めようと、これまで読んだ哲学書や、図書館から哲学入門書などを
 片っ端から借りて読んでみた。その中で図書館から借りて目を通して直ぐに買いこんで読んだ「子供のためのカント」
 フリートレンダー著が、良かった。 第一に、「何を行うべきか」。 第二に、「何を望むべきか」。
 第三に、「何を知ることができるか」の問いに、無矛盾の証明によって答えている。」
・その他に、恐慌についての本を10数冊を読んだが、金融恐慌の渦中で読むから、なお分かりやすい。
 10冊以上は読んだが、そこで分かったことは、「世界は既に恐慌に入っており、今後10〜20年は続く厄介な事態であること。
 その波を直撃しているのは、日本、韓国、イギリス、そして欧州の弱い国(東欧とか、ギリシャ、スペイン、など)。
 それに、アメリカの中流、下層階級である。 「100年に一度の恐慌」レベルというより、300年から500年来の
 近代という欧米中心につくり上げてきた文明の崩壊過程に入ったと受けとめられる。 その根は、情報革命である。
・他に、やはり佐藤優の「功利主義者の読書術」である。 この人は立花隆と同じく、頭の構造がどうなっているか、
 窺い知れない知識量に圧倒される。 そのために数百分の一でも知識を身につけようという気持ちにさせてくれる。
  ー読書に関しては、今年は満足をしている。

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2826, 暴走する国家恐慌化する世界 −3
2008年12月30日(火)
*今回の危機の一連で三菱UFJが大損、三井住友は軽微
 
 副島: 今回の三菱UFJは悲惨です。
  実質破綻している2大住宅公社フレディマックとファニーメイの紙切れ債権が3・3兆円もある。
  その上に、モルガン・スタンレー救済の為に九千五百億円も供出させられた。これに比べて三井住友は意外と被害がなかった。
  アメリカ住宅公社では、たったの2000億円である。英国バークレーに一千億円の出資をしたが、もしかしたら一兆円かも?
  今度の金融恐慌が拡大したら、生き残るのは大手ではゴールドマン・サックスとJP・モルガン、ウェルズ・ファーゴ銀行。
  シティバンクは危ない。
 解)「落ちてきたナイフは掴むな」というが、三菱UFJは掴んでしまったのか? 
  勝ち組、資産家、大企業をターゲットにしてきた銀行。今回をもし無難に乗り切ったら、世界にアップスケール出来たはず。
  そうは問屋が卸さないということか。
  ーーー
 *大暴落の時は、「20分の1の原理」が働く。
 副島: モノの値段はどこまで下がるか。清算する時の本当の値段はいくらか。
  私は、10年前に、「20分の一の原理」があることに気づいて本に書きました。
  捨て値で処分する時は、元値の10分の一か、20分の一になるのです。
  一億の不動産とか株が値崩れをしたら、500万円になるのである。博打で張った金は二割を残して損切りをする。
  二割なら再起が出来る。一割は厳しい。だから7〜8割引で何とか回収する。モノの本当の値は20分の一である。
 解)何事も同じで、見切り千両である。特にレバレッジで膨れ上がった金融は、決して大げさな原理ではない。
  毒入り債権を見れば解ること。今は、大暴落、恐慌である。ということは、金か何かに買え替えて、20分の一になった
  優良株を探せばよいことになる。 それは中国の企業の中だろう。
  ーーー
 *ユダヤ教の本質は合理にあり
 副島:ユダヤ教の本質はラチオ(合理)とリーズン(理性)にある。
  この二つを突きつめると、突きつめると同じことだそうで、語源が同じで「合理」に行き着くのです。
  君の意見は合理的だね、というのは、「インプットより、アウトプットが大きい」ということです。
  だから、「報われる結果」が100を入れたときに、200,300でなければならないのです。
  だからラチオとリーズンは「利益の法則」ということです。
  それを人間行動に移し替えると金儲けのための合理的行動になるのです。
 解)ラチオとリーズン、この二つの言葉こそ西欧社会の底流の思想、そうユダヤ教思想である。
  それが露出しているから、ユダヤ人は嫌われてきたのである。しかし、イスラム教の教会の上に立つ
  天に向かって三つの球を突き刺している槍のようなもの。あれをラチオとリーズンと見る解りやすい。
  実際は、ユダヤ、キリスト、イスラム教の神ヤフー=ラージXをあらわしたものだが・・・・

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2007年12月30日(日)
2461, 病的まで心配性の人だけが生き残る!
    「ウェブ時代をゆく」 −2  読書日記
著者は序章で、福澤諭吉の『文明論之概略』緒言の中でその66年の生涯を「最初の半分」
を封建時代の江戸時代に、「あとの半分」を明治時代に、「恰も一身にして二生を経るが如く」と表現。
それと同じ大変革の時代を私たちは生きているというのが著者の論である。
著者はもう既に二年前からネットの住人になった感覚を持った時、
自分も「一身にして二生を経るが如く」生き始めたと感じたという。
著者はネットにオプティミズムを貫くのは、ネットという技術の持つ五つの性格を挙げている。
1.ネットが強者よりも、弱者と親和性の高い技術であること。
2.人々の「善」なるものや、小さな努力を集積する可能性を秘めること。
3.一部の人に可能だった行為を、すべての人々に開放する技術である。
4.「個」の固有性を発見し増幅することにおいて有効な技術である。
5.社会に多様な選択肢を増やす方向の技術である。
著者はこれから高速道路を走る若いネット・アスリートたちに、
シリコンバレーデ学んだ3つの言葉を送りたいと書いている。
1、「 Only the Paranoid Survive」(病的なまでに心配性な人だけが生き残る)
2、「Entrepreneurship」(自分の頭で考え続け、どんなことがあっても絶対にあきらめない)
3、「Vantage point」(見晴らしのいい場所)だ。
・まずは「 Only the Paranoid Survive」
 病的なぐらい心配性の人ーそのぐらいの緊張感で事を処することの出来る人のみが生き残ることが出来る、
 ということ。インテルのアンディ・グローブの言葉。競争の激しい中では、それだけの緊張感が必要ということ。
・次の「Entrepreneurship」
(自分の頭で考え続け、どんなことがあっても絶対にあきらめない)地頭で考え、絶対に諦めないことである。
・モグラ観、虫観、鳥瞰の、鳥の目線である。
 情報化の時代であればこそ、プロ、それも一流のプロが求められる。
 それも華やかなプロより地道な「個」「個」の有効な技術を発揮するプロである。
 それが、オープンソースで開放を始めたのがWeb2.0である。面白い時代である。

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2006年12月30日(土)
2097, 日本経済は本当に復活したのか−  読書日記
                         (。^0^。)ノ オッ(*^○^*)ノ ハ〜 ヨウ
 今後、日本経済はどうなっていくのだろうか、現在の日本は楽観論と悲観論が交差しているのが実情である。
 私が知る限り、どの切り口からとらえても悲観論になってしまう。
 その中で関東を中心として景気が持ち直しているような雰囲気が漂っている。
 この本の概要は、このHPの「サロンのコーナー」で、あるHPの著者のインタビューで、
 この本の言わんとしているところを凝縮して語っているので、
 ここでは部分的に印象に残った箇所をクローズアップして考えてみたい。
 まずはアマゾンの本の紹介文が、ずばり一番急所を書いている。
 =内容の概要=
日本経済は本当に復活したのか好調な企業収益や上昇する株価、不良債権処理が一段落した
状況を見る限り、日本経済は回復したと言える。しかし『「超」整理法』などの
著書・野口悠紀雄・早稲田大学大学院教授は、一連の小泉改革は欺瞞と一時しのぎの策に
満ちており、経済の基本構造においては将来に明るい兆しはないと論じる。
企業収益の回復については、上辺の数字ではなくその実を見よと言う。
(字数の関係でカット08年12月30日)
・・・・・・・・・
2005年12月30日(金)
 1732, 日本一短い父への手紙 ー読書日記            
            オハ☆:*:・ ★(o≧□≦)o☆・*:..。o○☆*゚
父親の役割ほど微妙な立場はない。外では7人の敵、家では稼ぎ頭のわりには居場所がない。
 せめて家の中ではと思っても、誰も認めてはくれない。
 それでも家庭の重さが、そのまま男としての重みになる。
  夫婦の相性としての当たり外れは五割というから、
   なおのこと父親の立場は、微妙のケースが多くなる。
           カンカンカン〜・・¶ゞ(; ̄д ̄)ノ☆=♀ワラ人形  −−
石けんよーし タオル よーし 湯加減よーし
   パパが風呂場のぞく口実 全然 なーし  今村嘉之子(静岡県13歳)
合格発表の日、掲示板に僕の番号を見つけて僕を殴った父さん。  
 うれしかった。 (σ*ゝω・)σゲッツ
             大石悠太(東京都17歳)
父がコップに残したビールは、
 父の残りの人生のようで寂しくなりました。  
             大久保昇(東京都29歳)
事情はあったでしょうが、やっぱり認知はしてほしかったです。
             糀谷弘美(三重県53歳)
どうしてあんなに
 私を殴ったの子供を産んだら 余計 わからなくなりました        
       (`_´;)  幸田亜子(神奈川県29歳)
大好きなお父さん。
 私たち三人と結婚してくれて、ありがとう。
             庄野恵美(大阪府18歳)    お茶 (@゜▽゜)_且~~          
・・・・・・・・
2004年12月30日(木)
 1367, 酒についてー2  ー作家が書いた「酒の名言」ー
ある本を読んでいたら、作家の酒についての名言を集めたコーナーがあった。
この随想日記の中で、酒にまつわるテーマで十数編も書いてきた。
この「分類・引き出し」の中の検索で「酒」を打ち込むと、出てくる出てくる。
数多くの文章が書いてあった。その全てをコピーするわけにいかないから「酒について」を、このテーマにした。 
酒乱一歩手前?も、色いろの経験がある。 だから、酒についての真髄は、心の奥に染みる。
私の人生から、旅行と酒をとったら何が残るだろうか。
さすが作家が随想や小説の中で書いている「酒」についての言葉は含蓄が深い。
あの作家が酒について、こういう感想・実感を持っていたいたと思うと、感慨が深くなる。
特に多くの経験?を重ねたせいもあるからだ。
ーその幾つかを書き写しておきます。
・酒飲み人はただ酒飲む人それのみであることはできない。
 酒を飲む瞬間は、生きつづけたその人の到達したある一点である。        
                     −武田泰淳
・<狂酒>から<酒悲>の段階に移行すると、こんどは自分が無限に小さな存在にかんじられはじめる。
 つまり酒によって己みずからを知ってしまうのだ。・・・・
「いいお酒ですな」と人に感心されるようなのみかたが、あんがい静かな絶望の表現であったりする。
                     −高橋和己
・酒飲みというものは、どういうものか酒のこぼれるのだけは非常に惜しがる。
 あやまってお膳にこぼしてみたまえ。十人が十人「もったいない」と唇をつけて、すするから。
                     −サトウハチロウ
・酒飲みは判官びいきであって、かならずといってよいほど、小さな醸造元の酒を推薦するものである。
                     −金子兜太
・酒を飲んでいて次第に拠ってくるその移り変わりが一番の味はひである。           
                     ー内田百聞
・酒好きにとって酒というものは、どの一口もうまいにはちがいないが、わけてもうまくなるのは、ちとすぎる頃からだ。
                     ー堀口大學
・酒と旅・・・本当に不思議なものだ。どうして旅に出ると、うまい酒に出会うのだろう。
東京でどんなに高級なウイスキーを飲まされても、あの旅情に浸りつつの酒にはかてない。  
                     −赤塚不二夫
                                  ーつづく
・・・・・・・
2004/05/02
1125, 酒について −1
(字数の関係でカット08年12月30日)
・・・・・・・・・・
 2003年12月30日(火)
1000, \(~o~)/千日の随想日記!
 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。
更に旅行をしていて休んだ一回分の日にちを加えると約35〜40が合わない。
調べてみると206〜222とか250,251辺りとか何箇所かがぬけている。
しかし小説風の「宗親日記」が大体その位の数を書いているので、合わせて
一千回の到着日とすることにした。 あくまで自分ひとりの記念でしかない。
 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、
「遺言」のつもりで書いてきた(書き始めて一年位経ってからだが)だから続いたのだろう。
自分の父親や、祖父がこのような文章を残していたら、実際のところ面白いだろう。
いま考えてみると、私にとって随想日記を書き始めた日を境に自分が間違いなく変った。
一日一日が本当に充実したのだ。50人位の人に毎日読まれていると思うと誰かに見守られているような感覚になる。
作家などの物書きが必死になって書くのも解るような気がする。
 死ぬ前に全てを消し去っていくのもよいし、また書き残すもよいのだろう。
いずれにしても50年以上は残らないのだろう。いや死んだと同時に消滅してしまうか。
そうすると生前葬の遺言みたい、いや墓みたいなものだ。
ところで実感としていうと一番勉強になり良いのが、自分であることだ。
・テーマ探しに46時中頭が1杯    ・そして構成に苦労して
・書き上げた後に、何回か書き直し   ・誤字と矛盾をさがす
そのプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。といってこの程度の内容であるが。
 ス〜と書ける日はよいが、全く書けない日がある。それでも何とか書くからよいのだ。
書きつづけていると、自分自身が変っていくのが良く解る。
書くということは、考えるということであり、考えを纏めることになる。
書き続けることは、書き重ねることになる。
書き重ねて、それを読み返すことは内面の深層に入り込むことになる。
深層の自分は、ユングではないが万人にあい通じる部分が出てくる。
その共通面と、違う面を自分で見つめることが可能となる。 少し難しくなってきたが。
 来年からは「閑話休題」や「あはははは」とか、ソフトな内容を挿んだり、土日を休むとかして、
今のエネルギーを半分にしようと思っている?このまま続けると、ある日突然「や〜めた!」ということになりそうだ。
千回千回と思いながら、書き続けてきたのだから、やはり転換期だ。
来年は待ったなしにリストラー事業構造の転換の年、頭を仕事に切り替え集中しなくてはならない。
それとも、「2千回2千回!」と唱えなおそうか?どうなるか?
自分でもわかりません。 ー本当に読んでいただいて有り難うございました!
・・・・・・・・
2002年12月30日(月)
 626, 葬式仏教の由来
 現在の日本の仏教は完全に成り下がっている事を随想日記で何回も書いている。
  葬式仏教の集り体質である。その成り立ちを、ある仏教学者の本に明快に書いてあった。
・その発端は徳川幕府がキリシタンを弾圧した江戸時代にある。キリスト教徒を撲滅する為に、
 お寺に監視機能を持たせた。お寺の檀家にならないと、キリシタンにみなした。
 −具体的にはお寺に宗門人別帳という登録権をもたせた。
 そこで布施や付け届けをもってこないと宗門帳から抹殺すると、
 脅して間接賄賂ー布施や付け届けを強要した。それにより自ら堕落をしていった。
・更に徳川幕府はお寺に葬式を命令した。キリスト教の葬式をやらせない為だ。
 本来坊主は出家をしている為、家族の代わりに坊主仲間がやっていた。一般人は家族が出していた。
 そこで葬式を命令されたので、一般人を死んでから出家した事にして 葬式をあげることにした。
 戒名はその為に作られた風習でしかない。 弟子の葬式をやってやる建前にした。
 在家の葬式を坊主が始めたのは江戸時代の幕府の命令で行われたにすぎない。
本来それは本物の宗教とかけ離れたものだ。
先祖を弟子にしてあるから、先祖供養をネタに葬式業としての職業化を図ったのが実情だ。
それが現在になって壊滅を始めているのが彼等葬式仏教界の深刻な問題だ。
もっとひどいのは現世利益を約束している新興宗教団体だ。戦後、宗教団体に免税したのが最悪の状態にした。
それを利用してドンドン大きくなって政治まで利用して国家を動かしている
何とか学会とかいうカルト教まで出てきている。ここまでくるとエログロである。
毎朝おまいりをしていると、逆にそういう集りが見えてくる!
・・・・・・・
2001年12月30日(日)
 285、フィジィ‐について
地理的にみるとオーストラリアとハワイの中間点、日本より飛行機で7^8時間位か。 
もう9年なる。 この世のパラダイスという言葉が似合う小国である。
ハワイの観光化する以前の、何ともいえないのどかさを残している国である。
人がいい!のだ。フィジアンといって無垢な温かい素朴な人なつこい国民性。
世界にまだこのような世界が存在していたとは!NHKでも‘フィジーの特集’をしていた。
一度行けばその魅力にとりつかれるはずである。今でも映画館が男女別席である。
小さい島国なのにまたその周辺に多くのミニの島よりなりったている。島がホテルになっているところもある。
他の南国はハワイとニュージーランドしか行ってないので、他と比べる事はできないが、華やかな観光がない分、
海と空の素晴らしさを満喫できたのかもしれない。そこで行ったカーマ島がよかった。小さな島で一周一時間ぐらい、
1人で海岸を一周してきた。おとぎの国に迷い込んだようであった。たまたまその日が日曜日。住民はホテルの従業員と
その家族が、小さな教会でお祈りをしていたのが印象的であった。
会社の社員旅行で行ったが、そのうちの1人が新婚旅行で行ったと聞いた。
そしてあらためてその素晴らしさを知ったと風のたよりで聞いた。南洋の楽園とはよく言ったものである。
もし海の綺麗な、静かな天国のような島に行ってみたいならフィジーがいい。
・・・・・・・
ある時間の断片
 12月30日 1968年
12時に起床する。正子さんと母と食事をとる。正子さんが、今の私が陰鬱という。前の私の方がよいという。
何か頭だけが先走っているようだ。社会に出ることに対する不安による動揺が陰に振れているのは解っているが。
14時に大手通りにいく。気持が晴れる。ただ塞いでいただけか。18時に帰ってきて食後にTVを見て
23時に日記を書いて一時に寝る。三日からジャスコに出す論文を書かなくては。


3190, 今年の読書の総括 ー1

2009年12月29日(火)

  * 今年の読書の総括をしてみる。?
・まずは、川口慧恵の「チベット旅行記」である。知人に紹介されてさっそく読んだが、期待通りに面白い。
 明治期に僧・河口慧恵がインドからヒマラヤを大した装備無しに越え、身元が知れれば死刑になるチベットのラサに潜入し、
 帰還するまでの旅行記である。 信じられないような苦難の中、信心が、それをなさしめたのである。
 宗教とは、信心とは何かを、その体験を通して教えてくれる。 明治期に一人の僧の眼を通して当時のチベットの社会を
 目の当たりしているように感じられ、当時の世界に引きこまれてしまった。これまで読んだ本の中でも印象に残る一冊。
・次に、内田和成著「仮説思考」が考えさせられた。 仮説思考力とは、情報収集の途中や分析作業
 以前にもつ「仮の答え」のことである。経験を積まないうちから、早い段階から結論を出して考える
 訓練をしておくと、失敗も多いが学ぶことも多い。 そのプロセスで、仮説思考は進歩する。
 実際には、それしかないが、実際に「仮説思考」と、目の前に突きつけられと、躊躇する。
・そして、共同幻想から、岸田秀の「唯幻論」を知り、また、茂木健一郎の「脳と仮想」を読んでみた。
 茂木は、「サンタクロース」は存在するかという、子供の切実な問いを、真正面に捉えて、
 「生きること、仮想すること」の根本的な意味を論じている。 我われは、過去を振るかえると、
 現象は夢・幻ということが、おぼろげながら分かるが、実際の生活の中では、その実感は持てないもの。
 その論は、ゾロアスター教の経典にあったという。 般若心教の空即是色の論も似ているが。
                                        ーつづく
 ・・・・・・・・・
2825, 年末、つれづれに
2008年12月29日(月)

この数ヶ月前から、長岡の駅裏のバス停車場前のベンチにいるホームレスの男三人。
雪の中でも、しっかりといる。 気の毒だが、酒を飲んで騒いだり、街頭のアルバイト学生を追い掛け回したりするのを
目撃するにつけ、同情する気が起きない。家内は数回も声を掛けられたという。 私も先日の通勤帰りに初めて声を
掛けられたが、身につまされる思いである。事業を何度か立ち上げるたびに、失敗を想定した時に、底知れぬ恐怖に落ちる。
事例は周辺で過去に多く見てきたから、その凄惨さを知り尽くしている。経済変動のたびに、もしかしたら倒産するのではと! 
そして後は、そのときになったら対処するしかないと!と、夜も眠れないことが度々であった。 
しかし、何時の間にか厚生年金を満額貰える年齢に達した。家内も40年近く厚生年金に入っているので、あと一年少しで
貰える年齢になる。これで最悪でも普通の生活は確保される、それでも大恐慌は何が起こるか分からない。
むしろ心配で夜も寝れない方が張りがあって、生きがいになってきた、というのは振り返った時にいえること。
来年は解雇された派遣が全国的にホームレスになって溢れるという。また名古屋では、派遣で働いていたブラジル人の
帰国ラッシュがニュースの話題になっていた。帰国しても不景気で仕事がないが、帰るしかないという。 
来年は失業者問題と、倒産が社会問題になる。危ない領域に入った。 毎日が倒産や失業者で、凄惨な日々が続く。 
そして、過去のケースからみると10年以内に三次世界大戦が始る可能性がある。
少なくとも今年の数倍の混乱の事態とは、どんなものか? 今年も、あと2日になったが、歴史的残るような事件が
次から次へと続いた。中国・深川の大地震、中国の暴動、北京オリンピック、ミャンマーのサイクロン、
アメリカの黒人大統領の当選、そして、金融大恐慌である。前にも書いたが、今年は本に例えるなら「目次」と、
「前書き」部分のなる年である。来年は、「序文」に当たる年である。恐ろしい序文にならなければと、祈るだけである。 
しかし・・・  そういえば、今年は葬式が身近に一度も無かった。 それと結婚式もである。
 
・・・・・・・・
2007年12月29日(土)
2460, 2007年度の総括
             。o○[ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ
 今年も、あと二日になった。 一年の早く過ぎること!それでも、振り返ってみると色いろなことがあった。
・身近では、柏崎沖地震である。親戚や知人が多く住んでいたことと、ホテルに風評被害を直撃したこともあり、
 やはり大きな出来事であった。
・次男の結婚が次である。(お雛様の3月3日・明治会館)そういう時節になったということである。
・そして実家の商売を引き継いだ兄の会社が倒産。 27期連続赤字なら仕方がない。
 実家は私が引き継いだカタチ?だから、まだ救いがあるが?
・新潟駅の立体交差の再開発工事が4月01日に着工、雰囲気が一変した。
 ホテルも大口の団体が入り、目先は順調に推移。同日から政令指定都市にもなった。
・葬式は親戚が三人と、高校の同級生が一人。
・政治向きでは、日本では予測どおり安部が自滅。 参院で民主党が大勝利。 
 アメリカはジュニアの現大統領がレイム・ダックになった。
・石油が急騰、アメリカがサプライム問題とイラク戦争の疲弊が目立ち始めた。日本でも、同じようにサプライム問題や
 景気後退感が出る。比較的、平穏に思えたが、こうして列記してみると、結構色いろなことがあった。
 大変動期であるが、それでも来年以降を考えると、まだまだ平穏の年ということか。 
 人生を生きることは、このようなことを毎年経験してきたことになる。人の一生は、それぞれに、
 その人の経験で詰まっている。それぞれの時に、それぞれの出来事が生じ、そのプロセスが生きるということ。
 生きるということは生易しいものではない反面、生きた分だけ充実感も残る。その中でも良い年であった。 
 日々是好日である。
                        ヽ【・ω・】ノ バイ
・・・・・・・・・
2006年12月29日(金)
2096, 下流喰い −5
      (。^0^。)ノ オッ(*^○^*)ノ ハ〜 ヨウ            
最近、まったく週刊誌や月刊誌を買わなくなったが、以前は文藝春秋(月刊)や週刊文春を数ヶ月に一度は買っていた。
このHPを開いたあたりから、読まなくなった。時々、図書館で立ち読みをしても面白くないのは、年齢もあるのだろう。
というわけで新宿の歌舞伎町の、その後の様子など知りようもない。
石原都知事になってから徹底した取り締まりをしたことと、監視カメラの設置などで風俗の呼び込みなどが激減して、
昔の猥雑さが無くなったというが。ところが、この本で歌舞伎町の風俗事情が説明してあった。成程、色々事情があるものだ。
*歌舞伎町の風俗事情*
 ソープランドをのぞいて、当たり前だが本番が禁止されていたが、以前はそれは表向きの話であった。
実際は、その裏で本番の盛況をきわめていた。警察の集中取締で、さすがに鳴りを潜めざるを得なくなった。
どこの店でも「本番はご法度」を謳っているが、そこはアジアの歓楽街である。
どこの店も現在も「本番要員」をこっそりと確保し、客のニーズに応じている。
「接客をする女の子が10人いるとしたら、そのうち5人の場合、歌舞伎町ではまず手入れをくらう。
しかしゼロだったら、絶対にお客は寄り付かない。だから今は本番要員を2^3人置いて、混ぜてつかう。
それだけの人数でも口コミで評判は広がるから、店は何とかやっていける」 (飲食店店主)
それら本番要員の供給を一手に仕切ってきたのが、暴力団もしくはそれに限りなく近い女衒たちだった。
 そうした暴力団につながるフロント企業が、歌舞伎町一帯で手広く『レディース・ローン』を営んでいる。
新宿の『レディース・ローン』の特徴として、その多くがホストクラブと裏で繋がっている。
ホスト達は、トラブルの保険として暴力団と個人契約をしている者が少なくない。
最近はホストの中に暴力団の準構成員が混じっていて、女性の多重債務者情報は『金のなる木』として重要視されている。
「最初に多重債務の女に目をつけたのが、ホストのケツ持ちをしていたある暴力団員だった。
ホストクラブの支払いを500万以上溜めている女たちは、わりと簡単に身体を売る。
そうした女達を一手に集めれば、商売になると気づいたのですよ」(風俗雑誌のベテラン編集者)
  ーーー
 以上だが、私たちに知らない闇の深さが花柳界、いや下流世界にはあるようだ。
事情は歌舞伎町でも新潟など地方でも同じと見てよいだろう。フィリッピン・パブが
華やかなりしとき、数回行ったことがあるが、あの裏に、そういう世界があったのだろう。
                    *^ワ^*)i バイバイ 
・・・・・・・・
2005年12月29日(木)
1731, 私が選ぶ今年の10大ニュース     
                      ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚・:*☆
新聞に今年の総括として10大ニュースが発表されているが、
 以下は私の選んだ10大ニュースである。 フム(*゚Д゚)φ))ナルホド!!
  ー日本版・10大事件ー
 1、人口が初めて減少に転じる 二年早く2004年に人口ピークとなる。
 2、衆議院で自民党が歴史的大勝
 3、JR福知山線で脱線、107名死亡
 4、耐震強度偽装で大揺れ
 5、郵政民営化関連法が成立
 6、愛知万博が開かれる
 7、堤義明西武グループ会長逮捕
 8、小学生女児が相次いで殺害される
 9、アスベスト関連死、次々と明るみ
10、プロ野球のセ・パ交流戦が始まる。そしてロッテ、優勝
  大相撲では、外人歴史が大活躍−朝青龍が7連覇、琴欧州大関に
       (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが? それとも(。・・)_且~~ お茶どうぞ
ー外国版・10大事件ー
 1、大災害が続く  パキスタン大地震、アメリカ南部超大型ハリケーン
 2、テロがつづく ロンドンの同時爆破テロ、バリ島のイスラム過激派テロ、エジプトの同時爆破テロ
 3、NY原油が高騰、60ドル代に
 4、ブッシュが再選される
 5、ローマ法王ヨハネ?が死亡
 6、フランスで、アラブ系の大暴動
 7、韓国でES細胞論文の捏造が発覚   韓国のイメージの失墜
 8、イスラエル、ガザ地区の撤退
 9、中国で人口13億人突破
10、中国で鶏インフルエンザで死亡、再び危険状態に入る (。・_・)ノ”【   】” メモ貼り付け
私が選んだニュースとはこんなものだ。去年が、身辺の中越大地震があり、スマトラ沖大地震で30万人が死亡した
大事件があったため比較的小粒な事件しかなかったように思えるが、やはり大事件が続いたといえる年であった。 
人口減少が予測より二年早く始った歴史的年といえる。 国内では、自民党の大勝で郵政民営化の流れがついて、
それを象徴とした国家レベルのリストラが決定したといってよい。また東京からバブルの兆しが出てきた年ともいえる。
世相として、毎日のように凄惨な殺人が紙面やTV画面を賑わした。 ますます時代はアメリカナイズしているよう。  
                               。゚+.(・∀・)゚+.゚ バイイ!!
  ーーーーーーー
 2004年12月29日(水)
1366, あなたにできること

 文芸春秋12月号の 巻頭随筆 の小川洋子の「あなたにできること」がよかった。
 中越震災のNHKスペシャルの題名が確か、「あなたにできること」であった。
 時期からみて、この随想がヒント?ではなかっただろうか。
 心に響く内容であったので、その文章を抜粋して考えてみた。
  ーーー
  ー16年前ほど前、文芸誌「海燕」に小説を書くようになったとき、
  最も驚いたのが、編集者が親身になって私の作品と向かい合ってくれたことだった。
  どうして自分の小説でもないのに。というほど圧倒されるような気持ちに陥った。
  その彼はまだ私と同い歳のまだ若いのに、思慮深く、決してうろたえない人であった。
  どういうわけか、ふと小さな灯りがともり、私の中に新しい場面が浮かんだ。
  すぐさま私はゲラに赤ペンで、十数行ほどの書き込みをした。・・・
  その時、編集者の視線が痛いほど鋭く手元に突き刺さってくるのがわかり私は恐ろしかった。
  仕方がないので、恐る恐る一歩ずつ進んでゆくしかなかった。      (´・ω・`)_且~~ イカガ?
  以来私にとって、ズット編集者は恐い存在であり、完成前の未熟な小説の前で
  彼等の内面ではどのような思いが渦巻いているのか、想像もできないでいる。
  そんなある日、偶然「『ニューヨーカー』とわたし 編集者を愛した40年」という本を手にした。
  アメリカの『ニューヨーカー』という雑誌のライターである、リリアン・ロスの自伝であった。
  内容の多くは、名物編集長ウィリアム・ショーンとの出会い、結婚を許されない状況の中、
  関係を深めていくないように割かれているが、私が興味を持ったのは、編集者としてのショーンの姿。
  サリンジャーやレイチェル・カーソンなどの信頼を寄せられていた。
  作家がどこに向かっているにせよ、そこまでの道のりをしめすことができた。
  そして、「あなたにできることはあなたにしかできないんですよ」と言って、作家を励ました。・・・
  耳にたこができるほど、何度でも作家達はショーンのこの言葉を聞きたかったという。
  私も16年間、同じ言葉で励まされてきた。別の言葉で、態度であるけれど、大勢の編集者に導かれてきた。
  私の小説にどれほどの意味があるのですか、素晴らしい小説は世界には一杯あるのに・・・・。
  そんな気分になって座り込もうとする私を、無理やりにでも立ち上がらせてくれた。
  ・・・ウィリアム・ショーンは既に亡くなり、文芸誌『海燕』は休刊になった。
  けれどもショーンの残してくれた言葉は、今までの小説に向かいあってくれたすべての編集者たちの声と
  一体になり、心の中で響き続けている。       ーーー   (*゚Д゚)つミ匚_ _ あ゙!
  以上であるが、読んでいて自分の内面、過去に対して深く考えさせられた。
  NHK・BSの「遠くにありて日本人」のバイク・ビルダーの生き方にしても、
  ひた向きに何かを創造している姿勢と精神の真髄に、改めて教えられた思いである。
  「私にしかできないことは私にしかできない」それが何か一度考え直してみる必要がある。
  随想は自分にしか書けないことを書けばよい。毎日書き続けると、自分に書けないこと
  しか書くしかないが。 それが毎日書き続ける効用である。

・・・・・・・
2003年12月29日(月)
 999, 人間って何の為に生きているの?
昨日、TVで「男はつらいよ」を見ていたら、「人間って何の為に生きているの?」という質問に
「『ああ〜、生きていて良かった!』と思う為に生きている」という寅さんの言葉が良い。 
刹那的な言葉であると同時に,複雑な思いが残る。「ああ〜、生きていないほうが良かったのに!」
と思いざるを得ないような背景があるからこそ、この言葉の重みが出るのだ。
また、柴又の住職が「寅さんの言葉を借りて仏様は話しているんだよ。
仏様は愚か者を、むしろ愛しているようだ」という言葉に監督の思い入れを感じた。
ところで、この質問を自分に投げかけられた何と答えるだろうか?
「飯食って、糞して、死ぬだけ」という名僧・暁烏敏の言葉が思い浮かぶ反面、
「よく遊び、よく学び、よく働くこと」が私の答えになる。死ぬ時に「ア〜よい人生だった!」と思えるかどうかだ。
 哲学とか何とか難しいことを言っているが、突き詰めればこの問題になる。
「自分の人生は何だったのか?」=「人間って何の為に生きているの?」しか究極はない。
「生老病死」という大問題を乗り越えた果てに「あ〜生きていて良かった!」と言えてこそ人生を勝ち取ったことになる。
 そういえば母や叔母から、この言葉を聞いたことがあった。
叔母の場合足を切断するかしないかの瀬戸際に、あわや信濃川に投身自殺をしそうになって思いとどまった。
その後切断しないで済んだが、その直後に法事で聞いた話である。絶望の果てに、この言葉がある。  
暁烏敏といえば「十億の人に十億の母あらむも わが母にまさる母ありなむや」の歌がよい。

・・・・・・・
2002年12月29日(日)
 625, 朝鮮戦争の不安
来年の一月下旬に米国のイラク攻撃は避けられない情勢になってきた。 攻撃に入れば時間の問題で早期に片付くだろうが、
(字数制限のためカット 09年12月29日)
・・・・・・・・・
2001年12月29日(土)
 284、[大倒産時代]
  大倒産時代
今年四月に出版された、帝国バンクの情報部長の「大倒産」を図書館から借りてきて読んでみて、
その深刻さに改めて驚いた。そのサブ表題が、今年から来年にかけて、過去最大の倒産ラッシュに襲われるという。
今年はこの表題ほどでなかった?から来年がそのしわ寄せが大きくなるのではと不安になってきた。
100万社の倒産予備軍控えているという。今年2万社が倒産しているが、その予備軍の二割から三割が、
この数年で倒産するとしたら、一年で5万社あたりになる。考えただけで背筋が寒くなる。
データーから読むとそう考えざるを得ないという。来年4月のペイオフの第一弾、その翌年四月の第二段と控えている。
今もそれに近いが、倒産が日常茶飯事になりつつある。
身近にマイカルが、新潟鉄工が、新潟中央銀行が倒産したが、それが日常になり驚かない時代に入ってきた。
それが飛び火して身近の火事にならないという保障がない時代である。
誰もが未体験ゾーンに入ってしまった感が出てきた。とくに今まで溜まっていた膿が来年一挙に出ようとしている。
この本によると、「放漫経営による倒産」は死語に成ってしまったという。
「不況倒産」がほとんどという。この波は新構造不況業種を洗い、名門・老舗企業を
飲みこんでいく。 発火点は地方都市より始まり、大都会へと荒れ狂うという。
その典型が長岡市であり、新潟市に思えて仕方がない。公共工事が多く占めている新潟県は直撃そのものである。
その中で経営者はケチ、ガンコ、ムクチが必要要素とか。それにしてもそこまできたか!というのが実感である。
........
ある時間の断片
 12月29日 1968年
今朝5時に長岡に到着する。バスで帰るのは初めてである。
6時に就寝、11時に起床する。12時まで裏に住む正子さんと話をする。昼飯を食べた後に本を読む。  
昨夜、この日記を書くために頭を使いすぎたようだ。あまり頭を使うと否定的な気分になってしまう。
楽観的に自分を置いておかなくては。今の私は悲観的になってはならないのだ。
楽観面から悲観を引っ張りあげなくては。夜になって父が帰ってくる。何か話していてもシックリいかない。
寝る前に年賀はがきを書いて午前1時に寝る。 このところ、親しい石川、深井、佐藤、兼古ともギクシャク。
いま上手くいっているのは川崎位のものだ。何か焦って友人達と摩擦を起こしている。
個人主義といいながら、エゴになっているのではないか。


3189, つれづれに ー閑話小題

2009年12月28日(月)

* 来年は、どういう年になるのだろうか?
 思いつくまま、来年のイメージしてみるが、マイナーなことしか思い浮かばない。
・日本国債と株価の暴落と、金の暴騰。
 日本経済の二番底か、二番底の底抜け。 中小企業の破綻がドミノ倒しのように続く。
・アメリカは今更だが、日本と欧州経済が後半にかけて更に大混乱する。
・国内も参院選挙に向けて、政界再編成に動くだろう。鳩山も参院まで持つかどうか。
 持てば、長期政権の可能性も出るが、この難局を乗り越えるかどうかというと疑問である。
 〜〜
* かえり矢
 かえり矢とは、矢を放せば、おのれに矢はかえることをいう。 現在の鳩山首相が、この言葉そのもの。
野党時代に、自民党幹部の秘書の汚職に対して、それは代議士本人の責任で辞めるのが当然と攻撃。 
今度は自分の秘書である。その当時の鳩山の攻撃の映像が、彼の弁明の会見の前後に繰り返し放映されるのだから、
どうもこうもである。 どうみても、あの弁明では納得できない国民感情だろう。
 〜〜
 * クレタ人のウソ
 今更だが哲学に、「嘘つきのパラドックス」 がある。 
(ネット辞書のウィキペデアによると)
≪ 自己言及のパラドックスの古典として知られるのが、次の嘘である。
 “ 「クレタ人は嘘つきである」とクレタ人が言った。 ”
なお、この発言をしたクレタ人はエピメニデスであるとされる。
ここでクレタ人(エピメニデス)自身が「クレタ人は嘘つき」と言及しているため、パラドックスが発生してしまう。
すなわち、「クレタ人は嘘つきである」が本当なら、クレタ人であるエピメニデスも嘘つきであるはずで、従って
「クレタ人は嘘つきである」という発言も嘘でなければならない。しかし「クレタ人は嘘つきである」が嘘なら、
クレタ人であるエピメニデスも正直者である事になる。 従って彼の「クレタ人は嘘つきである」という発言も
本当でなければならない ≫  禅問答のような話になるが。
 人生の中に似たような場面にしばしば出会うことがある。鳩山のウソは、これ以前のレベルである。
 
・・・・・・・・
2824, 暴走する国家恐慌化する世界 −2
2008年12月28日(日)

  AIGが何故救出されたかが、詳しく述べられているが、知るほどに今回の金融危機の根の深さを感じ取る。
  1929年の世界恐慌を遥かに超えた破壊が起きようとしている。
  異常な時には、異常なリーダーが出る。ヒトラー、スターリンである。
  毛沢東も含めると、5千万人以上が直接間接的に殺された。スペイン風邪を含めると一億人が亡くなった。
  これから10年は異常な事態を覚悟をしていた方がよい。 何度も書いてきたことだが・・・
   ーー
 * AIG は 何故救出されたか
   副島: AIGが何故救出されたか?15兆円という巨額の資金をFRBが出したか?
   それはCDSの保険商品を扱う最大の保険会社だったからだ。AIGはリーマン・ブラザー向けに巨額のCDSを発行していた。
   リーマンが倒産したため、AIGの株価は暴落、しかし大銀行各社と結んでいたCDSの契約が巨額だったので、
   もしAIGが倒産すると全てのCDS(最大6200兆円の価値が無価値になる可能性もある、
   そうすると他の銀行が引当金を積まなければならなくなり激しい金融恐慌が起こる可能性があった。
   最近、私が聞いたのが、日本の自衛隊、団体保険、年金運用やその再保険を、全部このAIGに任せていたという。
   金融庁が9月15日にやったことは、日本にある資金を、AIGの在日幹部達が米国本部に送金を阻止することだった。
    −−−
  6200兆円の1割としても、六百兆円の損害金をアメリカ政府がAIGに替わって支払うことなど出来ないはずだ。
  15兆円を当座の資金として支払っても、2%でしかない。その数十倍をアメリカ政府が払えることなど不可能。
  それがAIGだけでない。 そうこう考えると、アメリカは一度デフォルト(支払い不能宣言)をするしかないのか?。
  口先の上手い黒人大統領が綺麗ごとをいっても、払えないの払えない。この人が話す言葉の裏づけは瞬時に融かされる。
  それが情報社会の凄みである。 日本の「あの人?」よりは、ましか。 
  外黒、内白の大統領は、当面は無制限にドルを刷り、国債を発行し、ハイパーインフレもやむを得ないとするだろう。、
  その後デフォルトを宣言する。それとも旧札二ドルを一ドルの新ドル発行するかしかない。
  恐ろしいことだが、これが事実のようだ。地球の隅々まで毒饅頭が回っていたのである。
  金融立国と称して米国同様にイギリス、スペインなどもしていたから
  世界同時金融恐慌になったのである。AIGは目先の救出をしただけで、根本が解決されてはいない。
  来年は、世界恐慌が本格的に吹き荒れる年、最低5〜10年は続くことになった。
  ブッシュは史上最低の指導者として、歴史に残る。 阿部、福田、そして麻生は如何だろう? 日本は小泉か?
  
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 2007年12月28日(金) 」
  2459, ウェブ時代をゆく −1
  【お】|ゝω・)【は】|・ω-)ノ【よ】|((ゝω<)ノ【う】          
                             −読書日記
   なかなかよい本である。「ウェブ進化論」の完結篇で、それに劣らない内容。一言一言が新鮮で説得力がある。
   この情報化のスピードと変化に戸惑っていたおり、分りやすく現在地と方向を示している。
   それも肯定的・楽観的なところがよい。若いSEには必見の書だが、一般の人こそ読んでおいた方が良い内容である。
   ウェブの世界は、いま一つの違う地球の出現であり、リアルの世界に匹敵するほどの世界である。それをアメリカ大陸
   の発見と、アメリカという人工国家と類推している組立てが非常に面白い。世界の1〜2割の人がインターネットで
   結ばれるなど信じがたいことである。それも、ブログという受発信基地を持って、平等に、そして自由に。
   さらにオープンソース(情報公開)の潮流が、情報の莫大な恩恵をもたらしている。
  ーまずは、紹介の内容と目次を書き写してみた。
  「ウェブ時代をゆく 」─いかに働き、いかに学ぶか
                            梅田 望夫 (著)
ー内容紹介文(アマゾン)ー
現代は、江戸から明治に匹敵する「時代の大きな変わり目」だ。
ウェブという「学習の高速道路」によって、どんな職業の可能性がひらかれたのか。
食べていけるだけのお金を稼ぎつつ、「好き」を貫いて知的に生きることは可能なのか。
この混沌として面白い時代に、少しでも「見晴らしのいい場所」に立ち、
より多くの自由を手にするために――。オプティミズムに貫かれ、リアリズムに
裏打ちされた、待望の仕事論・人生論。『ウェブ進化論』完結篇。
 序章 混沌として面白い時代
字数の関係でカット(2007年12月28日)
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 2006年12月28日(木)
2095, 下流喰い −4
            オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!        
バブル崩壊から日本の経済が立ち直りつつあるというが、
金融の再編成の歪みや、ゆとり教育の行きすぎなど多くの問題が日本社会を蝕んでしまった。
強者が弱者からむしり取る社会構成が出来上がったのである。
高利貸しは徹底して弱者からサラ金三悪という手法で全てをむしり取る。
十数年前のことだが、ある話が鮮明に記憶に残っている。「中華料理店を共同経営者と立ち上げた時、資金繰りに窮した。
資金は高利貸を受け取りにして保険をかけて、失敗した時は死んで償いをする約束で借りた。
そして共同経営者は自殺をした。そのお陰で現在この店が存在している。
この店には血と汗と涙が入っています」という内容である。ただ唖然として聞いたことを憶えている。
もっとも幼児の頃に両親から、このような話は子守がわりで聞いていたが・・
事業にしても、商売にしても、一つの生命体を立ち上げることは、命がけである!    
  ーー
*サラ金一人勝ち*
 アイフルの「おまとめローン」が酷いものだ。
・返済不可能な多重債務者に他者からの借り入れをます一本化する。
・さらに増枠させて融資を可能にする。
・それに親族や知人などの不動産を担保にさせる新手の不動産担保ローン。
 いずれ返済が滞るのを見越したうえでさらに300万円から500万円の貸付けをする。
・多重債務者に追い貸し。で、不動産を格安で乗っ取ってしまう手法である。
 これが一時期のアイフル躍進のカラクリであった。
 ?高利貸し、?過剰融資、?苛酷取立てー不動産ののっとり
 の三点セットで「サラ金三悪」と一般にいわれている。笑えない事例として、元アイフル社員へのインタビュー。
仕事に嫌気がさして退社。しかし、自分が退社するときになって、夫が多重債務者になってることが判明。
「そんな出来事もあって、被害者の痛みが実感できました。サラ金は人を簡単に多重債務者にしてしまう。
その恐さだけでもキチットお話しておくべきだと・・・」(p.37)
 −−−−−−−−−−
債務整理には次の4つがあると、この本で初めて知った。字数の関係でカット(2007年12月28日)
                 (。・ω・。)!ホンジャ!
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2005年12月28日(水)
1730, 新潟県活性化案
  ある知人から、新潟県活性化案の知恵を貸してもらえないかと相談を受けた。
  学生時代のゼミの後輩だけに、私の知恵を搾り出せるだけ出した案が、以下の通りである。
  1、新幹線を新潟飛行場まで延長する。
  2、新潟飛行場を3千?に延長してハブ空港(国際空港)化する。
  3、コスト削減のため単線にする。
  4、第三セクターを立ち上げ、新潟飛行場周辺を数十万坪買い上げ、そこを特区にして高層のビルの
    容積率を1千%に上げ、買入価格の二~三倍の値段で売却して、新幹線の工事費の半分以上を捻出する。
  5、飛行場と東・西港周辺に大流通センターの特区とする。
  6、飛行場から新潟駅まで新幹線の線路を使った新交通システムの無人電車を通す。(新幹線の空いている時間をフルに使う)
   ー特区地区の住民には格安の乗車券にする。
  7、新潟駅から朱鷺メッセ〜西港~飛行場~東港の新交通システムを別に通す
   以上、新潟県を「環日本海拠点都市」と位置づけ、宣言をする。
  その象徴として「東京駅から飛行場への直接乗り入れの新幹線」を上越新幹線の特化とする。
 ーー
 これが私の新潟県活性化のための原案である。φ(._. )カキカキ   (。・ω・)ノ□ハィ 3(-ω-。)クシャ (。-ω-)ノ⌒゚□ ポイ
 今さら、観光は金沢・富山・福井の観光資源に対して太刀打ちはできないのは誰の目にも明らかである。
 それなら東京駅から新潟飛行場まで直接乗り入れをすることで、日本初の直接乗り入れのハブ空港にすれば良い。
 これからは、中国・ロシア・朝鮮半島の時代であり、首都圏からは一番近い立地を生かした拠点として、
 物流基地、アジア大陸への拠点基地として首都圏への中継基地として、独自の物流基地化しか新潟県の生きるしかない。
 新潟から2百?のテリトリーとした商圏のハブ空港化を売りに出すべきだ。
 これが軌道にのるには20~30年のスパンがかかるが、これなくして新潟県の活性化はありえない。
 おそらく、この案に近いものが方針に出されるだろう。何故なら、当たり前のことだから! 角栄が失脚してから、
 この視点を持ちえる政治家がいなかっただけだ。新幹線の速度を上げさせ、30分の短縮をさせ、
 事故で数百人を死なせるぐらいの(政治家の)知恵しかないのか?速度を可能な限りだし短縮するのは悪くはないが。
                                       ξ\(・_・)バイ
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2004年12月28日(火)
 1365, シンプルの勧め−3
 以前にも何回か、シンプルの勧めを書いてきた。服装に関して、昔の旦那様の粋な着物の着こなしについて書いた。
 欧州を旅行していると、気づくことが服装のセンスである。よく見ると、シンプルなのである。基調は白と黒である。
 白と黒のどちらかといえば、黒である。他は、せいぜいベージュか、濃紺か、ネズ。
 しかしデザインがよい、それもシンプルである。ネッカチーフとか、くづ下とか、カバンや、帽子などの色を変えてポイント。
 オカマのオスギが、銀座で服装チェックの番組がある。 家内が好きなので見ることがあるが笑ってしまう。
 気取ってブランド物を身につけている人を片っ端から切り捨てている。着こなしているつもりのブランド物のバランスがチグハグ。
 すべての人が、「コスプレ」そのもの、それもチンドンヤ以下である。
 銀座で目立つブランド物を固めている人はコスプレ!と、 思ってウオッチングをして歩けば楽しいだろう。
 「銀座の街を意識した、外見を繕っている世界のコスプレ!」は少し言いすぎか? そう思っていれば、
 ブランド物など欲しくはなくなるはずである。土人が西洋のブランド物を身につけても似合うわけがない。
 まして、黄色人種はさらに似合わないのが解からないのが可笑しいのだ。
 オスギが言いたいことはただ一つ「シンプルに、着こなしているかどうか」である。定番的服装をまず着こなすことという。
 一例をあげれば、パリでよく見かける、何げない白のブラウスに、濃紺のタイトスカート。
 これを何人が着こなすことができるだろうか。定番的服装も着こなしができない人ほど、ブランド物に頼る。
 よくスナックなどで見かける、やり手ブス風ブランドチャラチャラ女。そういう視点で人生を見直すと、面白いことに気がつく。
 捨てて捨てて捨て去った時のシンプルさは、禅僧の生き方に見られる。
 そこまでは極端としても、他人に惑わされているものを最小限度にすべきである。
 一般には、死を宣言されて人生を振り返った時に無駄なことが何であったか、初めて気がつく。人間関係もそうだ!
 捨てて捨てて捨て去った時に残ったシンプルこそ一番重要なことだ。 但し若いうちは、せいぜい派手に、
 その時にしか着れない色彩をして、多くのものを身に着けてみることも必要なことである。
 ー以前書いた1,2と大して内容は変わりがないが。自戒・反省のため、書いた。
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 シンプルの勧めー2
−ワンプライス・ショップ
   字数の関係でカット(2007年12月28日)

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2003年12月28日(日)
 998, アマチャアビデオ特集
 昨夜NHKで「アマチュアビデオ特集」を放送していた。
単身赴任の父親に赤ちゃんの姿を映像に録って、毎日TV電話に送る姿や、小学生のグループがテーマを決めて
ビデオで録って編集をする活動があった。また庭で雀が、足が何かに絡んで動けなくなった仲間を助けようという
微笑ましい内容が映しだされていた。井筒和幸という映画監督が、解説をしていたが、
この中で「他人に見せるということになると、全く違ったビデオの内容になる。
もっと深く言えば、誰に見せるのかを意識をした時に内容は全く変わってくる」という言葉が印象的であった。
 ところで私の随想日記を一番意識をしているのは子孫の眼である。 その意識を持ったと同時に、
書く内容が変ってきた。あまりに露悪であるが、その経験があるから井筒監督の言葉が理解できた。
反対に、現在書き写している22歳時の日記は、ただ何も考えないで自分をコントロールする為に書いたものと思われる。
字数の関係でカット(2009年12月28日)
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2002年12月28日(土)
 624,今年の総括
今年の総括の時期になった。 毎年卓上日記に書いている。
・姉正子が亡くなる ー9人のうち4人死んだ。
・父方のオバがなくなる。父方の叔父の連れ添いだ。
 これで父の兄弟・姉妹とその連れ14人が全てが亡くなった。年齢の一つの風景か。
・海外は三回行った。 西アフリカ、スイス、パタゴニアだ。
 これで39回、60歳までの50回の目標に近づいたが。来年は戦争の可能性があり、どうなることか。
・子供は長男が再就職と更なる転職。次男は会社ごと身売り、転籍。これは時代の風景だろう。
会社は
・この不景気の中一応順調に経過という事か?相変わらず銀行の貸しはがしの予兆があったが。借り入れも一応順調にいった。
・売り上げも微弱ですんだが利益は2割減った、来年はどうなることか。 新入社員が6名入って若返った。
国際社会は去年は歴史的な9・11があったが、比較的に落ち着いた年だった。北朝鮮問題がクローズアップしてきた。
国内も比較的安定した年だったが、景気がますます悪くなって救いがたい状況。
国内も国際的にも20世紀的なものが本格的に壊れ始めてきたのが今年の特徴だった。自民党は仮面を変えてしぶとく残っているが。

・・・・・・・
2001年12月28日(金)
 283、創業の頃ー2
中途採用は‘一ヶ所でオぺレーションを4〜5年以上やってきたキャリア’以外は入れない。 
間違えて入れたら、いらない苦労を背負い込むからだ。 
ある日のこと,ライバルになる会社の事務の責任者と名乗る女性から電話が入った。
会いたい、どうしても面接をして欲しいとのこと。かなり強引の電話内容であった、そうして会った。
「取引先から貴方の事を聞いた、ほれ込んだぜひ自分を使ってほしい」とのこと。
私もドライだが、こういう小説みたいな事は、まずいのは解かっている。
それより立ち上げの時は、なるべく汚れてない(癖のついてない)人間を集めないと、空中分解をする可能性を孕む。
当たり前のことだが、人間は過去の経験に縛られて一歩もそれから出れない性(さが)をもつ、更にそれに対し無自覚だ。
その意味で人選は立ち上げ(創業)の一番の要素になる。当然その話は成立しなかった。次はマネージャーである。
初めは潰れたばかりの建築メーカの元課長。癖がついていてマネジャーに不適任。すぐ話し合い解消、次の人選。
時計やの2代目!これも一週間でヤメ。あとはリクルートしかないと、
東京まで中途採用の関連会社に出向いて、広告と面接! そして応募してきた今の支配人と出会う。
・・・・・・・・
 12月28日 1968年
11時に起床。13時に千葉の姉の優子さん宅に向かう。途中花屋で植木の花を買っていく。
卒論の清書をしてもらった分をもらい、16時半に帰路につく。途中に集団すりを目撃をする。
財布を掏ろうとして騒がれて慌てて逃げていった。17時半に帰寮。20時に帰省バスに乗る為に新宿に行く。
21時のバスに乗る。翌朝の5時に到着。家に着いたあと就寝。
ーこの4ヶ月の日記を見ると字があまりに乱雑である。他人に見せるものでないとしても、これ自体自分の姿である。
最近自分というものに対して目覚めてきたと同時に、自分に懐疑的になってきた。そして少しのことで動揺するのだ。
この二ヶ月間は特にそうだ。また同時に脱皮に向かってモソモソしているようだ。自分の理念とは何だろうか?
・創造、遊び、愛、知性という面から、それぞれをどう位置づけるか。自分の理想的なバランスである。
・それと真善美のいう面からも自分のバランスを考えてみよう。
ー 創造について
 男としては、価値基準の一番の指標になる。 これは生きていく手段としてより、人生の目的として、
 自己の具現化として追求するのが重視されて当然のことである。
 人生の大部分はこれを追求すべきである。 その追求をしていく過程・・・・
ー愛について
ー遊びについて
ー   省略


3188, 3D映画の初体験の感想とは?

2009年12月27日(日)

 昨日の朝9時から、シネマで「アバター」を観てきた。
「3D=立体のシネマとは、どんなものか」の実感の感想を書いてみる。
メガネに上に重ねたこともあり、初めの30分は馴染めなかったが、馴れてくるにしたがい異空間に引き込まれいた。
「映画の画面と、自分の顔の間に映像空間ができた」というのが、未体験の人に説明するに分かりやすいだろう。
映画そのものが、画面から映像が飛び出して見える演出が計算されてつくられていて、自分が映画の空間の中に
入りこんでしまった感覚になり、緊迫感が数倍になってしまう。 ストーリーがなかなか面白く、想像を絶する画面が
次から次へと展開していく。 20世紀では考えも及ばない映画である。「2012」も、同じだったが、自分が、
どっぷりと異空間に取り込まれてしまうのである。 21世紀のバーチャルもここまできたかと感じいった。
所詮は、生きていること自体、夢・幻のバーチャルでしかないが・・・。
私がみたのは字幕版だったが、3Dに関しては字幕が見えずらい。 吹き替え版がお勧めである。 
これをみても何とも感じない人もいるだろう。戦後、何も無いところから時系列で時代の変化をみてきたので、
こういうものに敏感になるのだろう。
今世紀に入ってから次から次へと、これまでとは違う世界がつきだされる。 21世紀に生きているのである。
9・11テロ、9・15の金融危機、ブログの飛躍的普及、携帯電話の進化、アメリカの黒人大統領の誕生、
中国の経済発展。 日本では、自民党の壊滅など、思いもよらない現象が起きている。
この3D映画も、その一つである。 ドラッガーが40年前に「断絶の時代」がやってくる言っていた。
ソ連の崩壊、中国の文化革命、インターネットなどの情報革命、それと100年?数百年に一度の恐慌と、
怒涛のごとく日常にも押し寄せてくる。 この3D映画も、その一つだろう。面白いが、恐ろしい時代である。
 ーところで、家内は3Dが思っていたより大したことがなかった、という。 私とは受けとめ方が違う。
  私は、意識的に立体空間に入ろうと勤めていたのと、初めの30分の違和感に引きずられたからだろう。

 ・・・・・・・・
2823, 年初来、世界の株価は半減!
 2008年12月27日(土)
年初来の世界の株価と貨幣の下落が、朝日新聞に載っていた。(12月23日、経済欄)
解りやすいが、世界の株価6000兆の半分3000兆円が失われたことになる。これに国債や住宅ローンや
サブプライムローンなどの債権の暴落を入れると、その損失は計り知れない。
 まずは、その記事である。 
 −−
 この金融恐慌で、
・世界の株価は、1年間で半減 アイスランドは99%(百分の一)の下落になっている。
 9月半ばからの金融危機と景気後退の深刻化で、世界の株式市場の株価が08年の1年間でほぼ半減する見通し。
 年初から11月までの世界の株価の下落率は46%に達しており、市場からの資金の流出と、世界経済の牽引役だった
 新興国の急落ぶりが激しい。 年間の下落率は02年の19.6%を超え、95年以来で最大で、対象の国すべてがマイナス
 となるのも初めて。  なかでも新興国の急落が目立っている。ロシアが11月までに71.30%、インドが67.98%、
 中国57.80%、ブラジル57.50%の下落。高い経済成長率で投資マネーが流れ込んでいたが、損失を被った投資家が
 資金を一斉に引き揚げ始め、株価の大暴落。 ちなみに、ドイツ・フランス・ドイツは5〜60%の下落。
・通貨をみると、アイスランドで、99.37%の下落。ロシア、アイルランドが69.86%)、
 ベルギー(同68.78%)で、調査した全体の3分の2以上の32カ国・地域が5割以上の下落という。
 日本はマイナス34.50%で下落率はモロッコに次いで2番目に小さい。
 金融危機の震源地の米国は39.60%の落ち込みで、日米は07年から株価が低迷していた分、
 新興国と比べると下落率が小さいようだが、数年スパンでは同じと見ることもできる。
 来年も不安定な相場が続くだろう」とみている。これでは世界恐慌に一直線進んでいるといえる。
 −−−
 これからみると日本の被害は最小に思えるが、元もと日本は十数年かけて下落していたし、米国は一年前から下落していた。
 その上に輸出立国のモデルの日本は一挙の落ち込みで、大打撃を受けることになる。これから5年間は倒産の嵐になるのは必然。
 まずは、失業率が数年後に10〜20%になる。これは数軒に一軒の家庭に失業者が出ることになる。
 目先はカンフル剤的な資金投入で平穏を保つが、一時的なこと。 かなり厳しい管理体制になるだろう。
 ・アメリカから離れ、中国と組んでアジアのブロック圏をつくるか、
 ・これまで通りアメリカの隷属国家として、太平洋経済圏で生きるか、、
 ・アメリカも中国からも等しい距離をとり、真の独立国家を目指すか、である。
  この場合、憲法を変えて、原爆保持を宣言する。 現在の日本は、?の選択しか能力は無いだろうが・・・

・・・・・・・・・・
2007年12月27日(木)
2458, 明治大學応援団
             ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
現在はどうか分らないが、私が学生の頃の明大応援団は名が知られていた。
中越の十日町市の元市長の諸里という人も、明大の応援団長だった。(二番目の姉が中学校で同級生で、その辺の話を聞いていた)
当時は厳しい規律と格式?の高いブランド・イメージがあった。それが、応援団の暴行で学生が自殺。その凄惨な内容が露見した。
「鉄拳制裁」や「かわいがり」「いじり」など一般では考えられない虐めである。
学生時代に国士舘の応援団の虐めを山手線で目撃した友人の話が聞いたことがある。
蝉と先輩らしき男がいうと、下級生が手すりに掴まりミーンミーンと鳴いたとか、荷物置き場に上がり鶯の真似をさせられたとか、
公衆の面前で暴力団まがいだったといいう。先年に亡くなった新潟の『夕陽コンサート』を立ち上げた男も応援団だったが・・・
応援団といえば、いつも校庭で屯していて別世界に閉じこもっているグループという印象が残っている。また、その男はそうだった。
地元の長岡高校に入ったとき、数ヶ月間、新入生は放課後、校歌の練習でしごかれる。
大声と丸めた新聞紙で殴りつけ恫喝をしながら、校歌を幾かつ憶えさせられたが、今でも恐怖と嫌悪感が残っている。 
プライドと伝統を植えつけるのに必要か?と、半分肯定、半分否定ではあるが・・・
大学では体育会系で一番ガラが悪く、暴力団紛いというのが応援団の印象であり、今回の問題は起こるべくして起きた問題。
下半身に熱湯をかけるなどがビデオに残されていたというから、解散は当然である。
それでも大相撲部屋から見れば甘いだろうが・・彼方此方のスポーツなど行事に一番前で見る機会が多いから上級生になれば、
良いだろうが、馬鹿製造集団でもある。馬鹿になることも必要だが、小馬鹿はこまる。
ーマイナーな話なので、可愛い話を一つ加えよう。近くの土手を散歩をしていたところ、小学校の運動会をしていた。
例年になく元気の良い紅白の応援団の声が聞える。よくみたら、先輩と思しき中学生の応援団が数名ずつ、紅白に分かれ、
指揮をとっていた。さすがに低学年は別グループだったが、気合を中学生に入れられた小学生の姿が何とも初々しい。
                          ((´_`○)ノ ノヾィ♪         
・・・・・・・・
2006年12月27日(水)
2094, 下流喰い −3
      (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん!
*タクシー業界運転手の悲鳴*
 (この内容は本の概略でなく生の現場のレポートである)
 −−−−
この本を読んで、改めて現在の日本の病巣に深さに驚かざるを得ない。
ここでは何度も取りあげてきたが、「タクシーの運転手の悲鳴」である。
飲み会の帰りに数ヶ月に一度は使う程度だが、必ずというほど、「運転手さんも大変でしょう!」と聞くが、
ほぼ同じ返事が返ってくる。<月の手取りが14~5万円で、奥さんがパートで8万位稼いで、
子供1~2人で何とか食いつないでいる云々・・。それでも辞めても直に補充が入ってくるからね〜」である。
ホテルの前にタクシーが並んでいるので、その時々の景気状況や彼らの身近の話が入ってくる。
全国的に「固定給のベースが廃止され、完全歩合給制」が全国的に普及始めてきたという。
新潟市も来年四月から完全歩合制になるという。4年前に規制緩和を受けて、タクシー業界に多くの新規参入があった。
そのため業者間競争が激しくなり、各社一斉に増車をして収益確保に入り、各社には成果主義が導入された。
その一環が完全歩合給である。平均年収が300万弱と、全産業のそれより150万円も低い現状にある上に、
今度は最低賃金も保証されないのだという。運転手もお客という獲物を他の車より先に捉えるセンスが要求される。
そのセンスのあるとなしでは、収入が全く違ってくる。
 ーーーーーーーーーーーー
(字数の関係でカット、08年12月27日)
              ーつづく        ホンジャ(*^ワ^*)i
・・・・・・・・
2005年12月27日(火)
1729, 流通再編成
               (*´ノД`)<<< +。:.才八∋ー
「西武・そごう」をセブン&アイグループが傘下に収めると各誌のトップで報じていた。
 これで、7兆数千億の規模になり、世界の流通グループでも5番目の規模になるという。
 これで国内でイオンと二大流通グループを構成することになる。アメリカのセブンイレブン本社も
 買収しているから、世界の流通として質からみても遜色ない流通グループになる。   ~~旦_(-ω-`。)
 イオン・グループはホームセンターやドラッグストアー、 SMのマックスバリューや、デベロッパーの
 イオンモールなど郊外型の小売業業態を多く持っており、セブン&アイにない一般消費者に向けて低価格を目指している。
 反面、駅前型GMS型の店舗のおおいセブン&アイは、その業態変更に大きなエネルギーを裂かなくてはならないハンデがある。
 果して、この統合がプラスかマイナスかは評価は違ってくる。 私の評価は、イオン有利と判断するが、
 西武百貨店の購入金額が2000億は安い買物?ではある。百貨店では、まともな商品戦略を持っているのは
「伊勢丹」だけというから、ヨーカ堂のシステムが入れば勝ち組に入る可能性もある。
 見ている分には面白いが、当事者は血みどろだろう。
                        (。・ω・)ノ ジャ! 
・・・・・・・
2004年12月27日(月)
 1364, M資金
学生時代から、この資金の話を聞いていた。また父が、東京女子医大病院で手術をした時、
隣のベッドの人の話もM資金に似た話を父にしていた。「終戦時に軍の秘密の金塊を隠して持っている」とか。
以前、潰れかかったミニゼネコンの社長から「M資金のルートがあるが、興味があるか?」と、
聞かれたことがあった。 のっけから相手にしてなかったので、相手は直ぐ諦めたが。
「検索」でM資金で検索して調べてみたら、面白い内容が次々と出てきた。
往年の二枚目俳優の田宮二郎も、騙され自殺をしていたことを初めて知った。
「M資金」は第二次大戦後に、日本に占領行政を行ったGHQ(連合国軍総司令部)の経済科学局長だった
マッカートの秘密資金と言われ、その頭文字からM資金といわれている。戦後の巨額詐欺事件で何度も登場している
戦後50年以上に渡って現在も進行中の古典的詐欺である。「ある秘密資金があり、それを将来有望な貴社に
低金利で融資したい。しかしその資金を運用する為には様々な事前工作の必要があるので、
その工作資金を支払っていただけないか?」といった類の詐欺話である。
50年以上にわたって被害が後を絶たないのは何故なのか?それは「ホントにM資金ってのがあるらしい・・・」
(字数の関係でカット、09年12月27日
・・・・・・・
2003年12月27日(土)
 997,「 私の死亡記事」−2
 この本を読んで、それでは私も書いてみようかと思って既に2年経つ。
そこで書きだしたが、そうは書けないものだ。あからさまな自分を、突き放して見つめることは辛いことである。
宇宙から地球を見つめ、地球から日本を見つめ、日本から新潟を見つめ、
そして自分を見つめ、その自分を突き放して、最終の死の視点から冷静に書くのも面白い挑戦でもある。
ー以下、真面目にフザケテ書いてみるー
戦後直後の混乱期の1946年01月15日、新潟県長岡市に8人兄姉の末っ子として生まれる。
父が43歳、母が38歳にの時に生まれた為に、両親に溺愛?されて育った。実家が丁度、転業期の為、
いつも一人放って置かれて育った。一生を通して独り遊びの癖が抜けていないようであった。
しかし無事に人並み?に大学を卒業をした。両親の姿をみていたためか、大学時代より創業の準備を始めていたと
彼の文章に書いてあった。27歳で千葉で独立したが、その二年後に実家で騒動が勃発。実家の「衣料量販店」を
五年近く従事する。実家の経営を軌道に乗せ、その後新潟の駅前で日本で初めて客室主体の「シングル専門ホテル」
を開業する。35歳の年であった。一階に学生服を兼業して奇妙なホテルとして注目を浴びる。
その後、70室の客室を500室まで新潟駅前で増やす。そのプロセスでリースバックを思いつくがバブルの時代に買い取り方式に
拘りすぎたようである。現在デフレのフィッシャー効果の為、事業構造の転換迫られ丁度手がけた矢先であった。
酒を飲んで多くの失敗を繰り返していたが、昨夜ついに暴走族と長岡駅裏で乱闘、袋叩きにあって
翌日死んでいるのを発見される。誰も同情する人が無いのは、この人の生き方をそのまま顕している。
死を予感したのか、随想日記を997日分書き残したが、その最後に皮肉にも「私の死亡記事」が書いてあった。
本人の目標の1000に、あと三日であった。  享年57歳。 葬儀、告別式は本人の希望でなし。
・・・・・・・・・
2001年08月13日(月)
 [107] 「私の死亡記事 」‐文芸春秋
図書館で何気なく借りてきた本だが、これが面白い!各分野の有名人に「物故者の解説を、当の本人執筆という点である」
そのお願いの文章が、前書きになっているところがまた面白い。 よくこれだけの有名人が真面目に、あるいはふざけて
書いているのがいい。まず自分の死亡時期の設定、そして死亡原因、生前の業績を当の本人が書くのだから。
どちらにしても真剣に書いてあることは文面よりわかる。生前の業績に対しては意外と自己正当化しているのが可笑しい。 
 −私も書き始めたが侘しくなってきた。死亡時期‐父と同じ71歳(そうすると後16年の時間)
・死亡原因‐酒の飲みすぎによるショック死。
・生前の業績ー書くに値せず。
・葬式方法は葬式坊主に一円の金も払わないようにとの遺言の為に音楽葬
 ただし身内のみで。近じか真面目に書いてみよう。
(字数の関係でカット、09年12月27日)
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2002年12月27日(金)
 623, 新しいパソコンについて
会社の自分のパソコンを日立のPuriusに入れ替えた。感想はとにかく画面がきれいだ。明るくクッキリしているのが良い。
画面は二年前に買った自宅用のパソコンの3倍は良い感がする。会社のパソコンの入れ替えを利用して2年に一度変えている。
年々パソコンが飛躍的に良くなっているのが良くわかる。今回もかなり迷ったあげく画面の良さを優先した。
それと違うメーカーを取りあえず使ってみるのも要素にいれた。当たりであった。
画面が明るいこととクッキリしているのが本当によい。まだ機能やソフトは把握をしてないが新鮮な感じも良い。
今のパソコンは2年経つとゴミとNTTの人が言っていたが、当たらずとも遠からじという感じがする。
あと二年経ったらもっと凄い内容になっているのは間違いがないだろう。
恐らく動画と電話の画面が主体になるだろう。不況でもこの分野の世界の進歩はとどまる事が無い。
パソコンを使えないということは時代に見放されてしまったといってよい。
話は変わるが、ニュースで携帯電話で音声付動画が配信できるのが売り出されるという。
5〜6分のものを3本まで可能といっていた。 面白い時代だ!
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2001年12月27日(木)
 282、同姓同名
東京でも、地方でもいつも同姓同名を電話帳で探していた。必ずいるはずだと。山田太郎とか、
小林恵子とか言う名前の人は何回もそのことに慣れていたと思うが、一回もあったことがないのも気になる。
そしてインターネットの検索で見つけた。岐阜の駅周辺の呉服屋の主人だった。ー商工会議所の名簿に出ていた。
それを知った時妙な気分であった。周辺にいたらあまりいい気分でないだろう。
初めて見つけたことと、同姓という因縁である。手紙でも書こうと思ったが、それはおかしいと思い止めた。 
その話をある知人に話したら、それでは「自分の名をインターネットの検索に入れてくれ」とのこと。
それではと入れてみた。なんとその5年前の新潟で行われた、マラソンのシニア部門の記録の名簿が出てきた。
本人もびっくりしていた。 堀井は遡ると平家の武将で、源平の合戦で負けた落ち武者だそうだ。
その為か、富山や新潟の上越市周辺にその姓が非常に多い。第二新館の鉄骨工事が富山の業者であった。
その社長の名が堀井だった。鉄骨検査でその工場に行ったとき、私の想像どうりヒタイの広い自分にそっくりな男だった。
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ある時間の断片
12月27日  1968年
12時に起床する。 午後読書をする。夕方に新宿の紀伊国屋に行くが、目的の本がない。
帰寮後、21時に瓜生の部屋で、彼と佐藤と緒方と酒を飲んで騒ぐ。
22時に先輩の永田さんと渡辺文雄さんがくる。飲んでいるうちに、現実社会は厳しいとかの愚痴が始まる。
自分の思っている範囲が手に取るようにわかる。彼らに理想などあるものだろうか。この溝はもう埋められない。
-2004年12月27日ー記
これを読んで気がついたが、二人が後年に「県会議員」になったという。
何じゃ、こりゃ!こんなものだろう。両方とも、国会議員の秘書だった。国会議員なら、もっと程度が??
・・・・・・・
ーある時間の断片
12月26日  1968年
 11時起床。 午後から卒論のまとめ。ジャスコオカダヤから「販売革新」という月刊誌が贈ってくる。
その文面によると、2月21日から出社のようだ。これを見て焦りがでる。気持の整理がまだできてないせいだろう。
あと55日しかないのだ。いかに気持を整理していくかだ。少し自分の気持を整理をしてみよう。
学生時代に自分の能力ー特徴を見つけ出した。行くべき方向も見つけた。自分の長所も欠点も把握した。
そして自信もついた。これからはジャスコという会社に入り、先ずはその中で組織にチャレンジをすることになる。
そこで自分に対する課題を一つずつ処理をしていかなくてはならないのに、ここで躊躇しているのは何故だろう。
 両親を見てみるがよい。戦前戦後を通して生き抜いてきた姿が実例である。私もここで社会に旅たつときが来たのだ。
自分の柵を乗り越えなくてはならない時期に来た、自分の足で一歩一歩。その為には逆に自分の中に生きなくてはならない。
武沢教授にしても、高木にしても、あの奥知れない能力を見るがよい。私の中のそれを探し出していかなくてはならない。
石川にしても、外山にしても、河村にしても、それぞれが外から見ると大きな宝石が見て取れる。
もちろん自分にもそれに負けないものがあるはずである。 最近、「何故何故」という問いかけが、自分の中に生じてきた。
これは哲学的になってきたということだろう。何故はたらくのか、何故生きていくのか、何故お互いに傷つけあうのか。
 纏めるつもりがいつの間にか混乱をしてしまった。  少し考えすぎだ。


3187,海外10大ニュース

2009年12月26日(土)

  海外の10大ニュースである。
 ニュースはマイナーなことが主流になるが・・・ その結果とは
1 新型インフルエンザ大流行、世界で死者相次ぐ
     メキシコで4月、通常の季節性や強毒性の鳥インフルエンザとは違う、新型の豚インフルエンザが流行した。
2 オバマ米大統領が就任
     変革を訴え、2008年米大統領選に勝利した民主党のバラク・オバマ上院議員が1月20日、第44代大統領に就任。
3 マイケル・ジャクソン急死
     「ポップス界の王様」と呼ばれた米歌手マイケル・ジャクソンが6月25日、
     ロサンゼルスの自宅寝室で呼吸停止状態で見つかり、搬送先の病院で死亡が確認された。
4 米GM、クライスラーが相次ぎ経営破綻
     米自動車最大手のゼネラル・モーターズ(GM)は6月1日、米連邦破産法11章の適用を申請した。
5 ノーベル平和賞にオバマ大統領
     米国のオバマ大統領は、4月のプラハでの演説で、米大統領として初めて「核なき世界」を 
6 北朝鮮が弾道ミサイル発射
     北朝鮮は4月5日、長距離弾道ミサイルを発射した。>>詳細
7 韓国で射撃場火災、日本人客10人死亡
     韓国南部・釜山の室内射撃場で11月14日、火災が発生し、日本人観光客10人が死亡した。
8 中国新疆ウイグル自治区で暴動、197人死亡
     中国新疆ウイグル自治区のウルムチで7月5日、少数民族ウイグル族の大規模暴動が発生し、武力鎮圧された。
9 南太平洋、スマトラで大地震相次ぐ
     インドネシア西部スマトラ島沖でマグニチュード7・6の地震が9月30日に発生し、1195人が死亡した。
10 世界陸上、ボルト選手が3冠
    8月にベルリンで行われた陸上競技の世界選手権で、ジャマイカのウサイン・ボルト選手が男子100メートルと
    200メートルを世界新記録で制し、第3走者として出場した男子400メートルリレーでも優勝した。
  ――
 以上の結果をみると、上位5番目までがアメリカ発の事件である。 如何にアメリカの影響が大きいかである。
黒人のオバマ大統領関連以外、全てマイナーな出来事。 オバマ就任も、見方によれば??。
発展しているアメリカでは黒人の大統領が選出されるわけが無い。
シビアな視線で重大ニュースから潮流を読み取ることがグローバル化の時代に最も必要なことになる。

 ・・・・・・・・
2822, 暴走する国家恐慌化する世界 −1
2008年12月26日(金)
「暴走する国家恐慌化する世界 ー迫り来る新統制経済体制の罠ー」 
                      副島 隆彦×佐藤優 日本文芸社
 この二人の対談、成るほど期待を裏切らない内容であった。
「辛らつな裏話なら副島が得意の分野、佐藤優はまだ外務省に在職していることもあり、少し戸惑っているようでもある。
  印象的な副島隆彦の核心部分を私の主観でマトメながら羅列してみる。
 −−−
・アメリカ経済は本格的なリセッション、そして大不況に突入。貧困層の暴動も発生する。
 それを阻止するのに一番効果を発揮するのが、オバマの肌の色。黒人大統領が飢えた人々の平和と団結を呼びかけるに
 丁度良い役者、陰の人物が、それも計算の上で彼を押し上げていった、それが政治である。
・オバマは大統領になったら、直ぐに大規模な公共事業をする。信用不安に対して、どれだけでもお金をぶち込む。
 そうするとドルの価値が落ちて、やがて「ドルの切り下げをする」。そうするしかない。だからやる。
・やがて、健全な人々もプライムローンを払えなくなるが、それを阻止するために、500兆円ぐらいの金を入れる。
 いや、その倍も入れる。そこで財務省は米国債をものすごい勢いで発行、それをドルを発行するFRBが引き受ける。
 そこでFRBがどんどんドルを刷って、アメリカ財務省に与える。この資金を破綻しそうな大銀行、証券、生保の救済に与える。
 さらに、公共事業や福祉政策を行うとドルが膨大に増加、その結果として、一ドル30円位までは落ちる可能性がある。
 株価は数年かけて3000ドル台まで落ちる。バーナンキは、そのために育てられた男である。
 彼は‘ヘリコプター・ベン’と呼ばれている。ヘリコプターから金をばら撒く様にドルを大放出する特殊な人物です。
・今度の金融崩壊は、非常に凶悪であり、デリバティブの契約総額が、実に八京円に及んでいる。
 その一割でも8000兆円、五%でも4000兆円の処理をしなくてはならない。
・アメリカのやったことは、ネズミ講です。日本は600兆円も貢いでいるが一銭も帰ってこない。
・アメリカの言いなりになって時価会計を企業に押し付けて、多くの会社を潰しておいて、その押し付けた当のアメリカが
 時価会計制度の放棄をいい始めた。アメリカのポチの金融庁は慌てふためいているが、すっとぼけて何食わぬ顔をしている。
  −−−
 副島の論を聞いていると、そこしれぬ深い闇が我われの前に漂っている。
 暴風雨や津波のレベルでない、もっともっと大きな崩壊が現に目の前で起きている。
 それは、数年で立ち直れるレベルのものでない。
 昨日のニュースで、就職の決まった女子高生が朝起きると一番初めに経済ニュースを見ると言っていた。
「果たして自分の勤めている会社が人員整理をしてないか、新卒採用を取止めないか心配です」と!

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2007年12月26日(水)
2457, 歌舞伎町事変(1996〜2006) −3
                     !(。・ω´・)っノXXXXXXXXXX>C【才ノヽ∋―】゚+。*゚+。         
 歌舞伎町は日本の吹き溜まり、そして下半身、とはよく言ったもので、現代版吉原が実態だった。
 しかし、政治が本気になって浄化を決意すれば変化するのは当然である。
 最近は、朝キャバ、昼キャバが20軒ほど営業を始めたと新聞にあった。
 ちなみに50分で6千円、客単価が1万円とか。 色いろあるようだ。ところで、そこを追われた怪しげな人たちは
 どうしたかというと、当然、周囲に散らばってしまう。 その実態の一つが以下の通りである。
 −−
p−144
強盗、窃盗、ピッキング、証明書偽造など、中国入犯罪の多くは、結局のところ日本人が関与している。
(字数制限のためカット 09年12月26日)
 ーーーーー
2006年12月26日(火)
2093, 哲学者が皇室の意味を考えると!  b(^o^)dおっW(^O^)Wはー♪
 「知ることよりも考えること 」池田晶子著−?  読書日記
        
現在の日本の皇室はあまりにも金をかけすぎであり仰々しい。
幕末に国家をつくるときの御旗として仰々しくする必要があったのだろうが、時の権力者が如何に「あの家の方々」
を利用して御旗の陰で何をしてきたか?外務省と同じように「無用の用」なのだろうが、あまりに金ピカ過ぎる。
京都御所に皇居を移されて、江戸城跡は公式の外国の来賓が来たときの迎賓館としての機能のみを残すべきである。
本来の城跡としての史跡公園にして、災害が起こった時の避難場所として整理すべきである。   
まず皇室の質素化こそ日本再生モデルとして、国家システムの合理化の範を示すべき。
これをきちっとしておかない限り「神社のお賽銭=神への賄賂レベル」から日本の官僚と国民の意識は変わらない。
著者は言葉は選んであるが、「皇室問題」に対して本質をキッチリと論じているところはさすがである。   
島国は土着の王様という「中空」=ガス抜き、としての天皇制も必要だろうが、金のかけすぎということ!
その不自然さが「皇太子妃の重度のノイローゼとして逆の立場でも爆発している」ことからみても解ることだ。
早々、より象徴的な天皇制をうちだして「質素な親しまれる天皇」として再出発。
直接選挙の「大統領制」に切り替えて明確な権限と責任を与えなくてはならない。   
ーまずは要点を抜粋してみる。
  ー楽しいお祭りー 
「知ることより考えること」より まあ、あの家の方々は大変である。あちらも大変だが、「こちらの側の」
盛り上がりも並大抵ではない。まさにそのことが、大変な理由である。そうでなければ、所詮は他人の家の騒動でしかない。
こちら側は、たまたまこの国に生まれたその理由だけで、興味をもつだけ。我われにとって、あの方がたは何なのか、
このことを考えてみたい。 古来、天皇家の仕事は、生産に関する祭祀をおこなうことであった。
四季折々、神に代わって暦を司り、農事の開始を告げる。したがって、人々はその人の語ることに耳を傾け聞き耳を立てていた。
その振る舞いに注目するのは当然のことである。 天皇家にたいする我われの考え方の原型はそこにある。
ところで、神に代わって神の言葉を告げる人とは、神主である。あの家の方々は、古い古い神主の家である。
神主の仕事を長きに亘り世襲しつつ現代までこられたわけである。そして「世襲」に対して、我われは深い関心をよせる。
ところが、今回このお世継ぎが誰になるかの問題が起こっている。血統もしくは男系ということが問題らしい。
 (字数の関係でカット08年12月26日)
 −−−
 まあ、これ以上、私のコメントは要らないでしょう!
              (*^○^*)ノ バイ!
・・・・・・・・・
2005年12月26日(月)
1728, 中野ブロードウエイ  −2             (ヾ(´・ω・`オハヨウ〜(o´_ _)o)ペコッ        
この中野ブロードウエイの中に、異様な店があった。商品が何も無い店のレジ8台位のところに、人が行列をしている。
知人に、『あれって何をしているのですか?』と聞いたところ、「古本、衣服、カセットなど、何でもかんでも10円で
仕入れている」という。「ほぼ全部、無条件で買い入れること」という。仕入れる方は、その中からお宝を見つけるという。
いま一つ印象に残ったのは、店を借りた人がショーケース・棚ごとに細分化して、又貸しをしているという。
それらのショーケースの商品は、インターネットで全国に発信されていて、売れ何割かの手数料を支払うシステムが
出来ているという。 ~~匸Pヽ(・ω・`) コーヒー デモ ノモウヵ〜…
ここで初めて存在を知ったのが、マンガ、アニメ、TOY、同人誌の専門店『まんだらけ』である。中野ブロードウエイが、
ここまで有名になったキッカケは『マンダラゲ』が此処に出店した後に、自然発生的に「お宅」対象の店が集積していったという。
この「まんだらけ」のHPが「楽天」のヒントの原点とか。あくまで現在は一現象でしかないが、
未来のある姿を含んでいるようだ。サロンに『まんだらけ』のHPをコピーしておきますので見てください。
    http://www.mandarake.co.jp/index2.html
                       (*・x・)ノ~~~ ほんじゃ♪
・・・・・・
 2004年12月26日(日)
1363, 金に泣く人笑う人 −3
 ヒモの男の話は暗くはないが、女性の場合は違ってくる。
 ヒモにしても、イロにしても結局は浅知恵でしかない。そのイロの話である。
 ー抜粋ー
 その「イロ」の方は19歳のホステスのP子が典型である。彼女の素性は悲しい結末から明らかになった。
 20数年前に大阪の東淀橋のマンションの一室で絞殺死体で発見された。
 16歳の時に親との仲がこじれて大阪に流れてきて、年齢を偽ってホステスになった。
 殺された時、7人の異性と毎週関係を持っていた。月、火、水、木、金、土、日と異なった男が、日ごとに訪ねてきた。
 会社役員、自営業、僧侶、公務員、医者等々。     ( ^▽^)σ)~0~)アヘ〜♪
 この複数の男が浮かび上がったのは、P子の死後に残された幼い日記の記述と7枚の差し込み式の表札であった。
 彼女は毎日「表札」を変えていたのだ。その曜日によって男の表札を差し変えていた。
 7人のアホな男達は、自分だけの女と思っていたのだ。殺害直後の捜査段階で、7人の男は警察に呼ばれて事情を聴取された。
 が、全員にアリバイがあり、犯人は流しの犯行とわかったものの、時効となった。
 一人平均5万円を徴収していたというから、夜のホステスの収入も含めて一ヶ月八十万位を稼いでいたようだ。
 現在だと300万といったところだろう           (σ・・)σゲッツ!
 司法解剖の結果、陰部の色素沈着の度合いから、40代の女性とおもわれていたが、結果は二十代ぜんはんであった。
 相当異性との関係があったことになる。 ヒモは心で稼ぐ、それも偽りー詐りの心である。
 が、女性は詐リの心と体で稼ぐようなものである。働かずに暮らしていこうとしたら、それは安楽のことかもしれない。
  ヤドカリにしてもカメレオンにしても相当な自己欺瞞に徹する必要がある。  ▼ー(。-_-。)ゝ 今夜ハカエサナイゼ! 
                        pyu~♪〜(=^ε^= )
 ーーー
ー以上であるが、このヒモとイロを比較してみると、男女の差が出ている。女は自分の住居で、表札を差し変えるところがミソ。
 あくまで自分の巣である。 花と蝶の差である。男を騙す、女を騙す、という点では二人ともプロである。
 いずれにしても、普通の世界とは全く違うものだ。このヒモの、女のチェーン(ストア?)化が凄い。
 それも関西から九州にかけて、それぞれの地域を変えているところがノウハウの真髄である。
 ローカルではバレ易いが、リージョナルではバレル確率は少なくなる。イロの世界は、常人では窺い知れないものがある。
          (ノ´ー`)ノ~~~~《愛》イロ〜  (○´3`)ノ アイラビュ───ン   (" ̄д ̄)けっ!
・・・・・・・・・
2003年12月26日(金)
996, 戦死者と犠牲者と殉職者ー2
 ー自衛隊と警察 ー
   先々週2日間、NHKの夜のゴールデンタイムに「安全保障・徹底検証」を放送をしていた。
   少し観たがバカバカしいので、直ぐにチャネルを変えた。
  警察官の視点から自衛隊をみると、割り切れない部分が多いだろう。
  警察は常に危険な中に身を曝しているのに、一度も危険な立場に立ったこともない自衛隊が少し危険な
  立場になるだけ大騒ぎをしているからだ。「安全」に対する暴力装置という面で、 
 ・警察は内部に対する-国家体制を守る為の-暴力装置
 ・自衛隊は外部から国家体制を守る為の暴力装置という役割を果たすのが、その機能である。
  自衛隊は、戦後60年近く訓練以外の戦闘で死亡はゼロである。警察は戦後、何人殉職しただろうか?数千人以上だろう。
  見方を変えれば、所詮は自衛隊は犠牲者の立場でしかない。いざ本業の遂行の立場に立った時に、
  その半世紀以上の都合の良かった立場から抜け出れないのだろうか?
  自衛隊は誰も死んでないのに、戦死に対してマスコミが面白おかしく危険をいっている事がオカシイ。
  国を守る為に存在しているのが軍隊だろう! 今の自衛隊は「歩行訓練で行ったり来たりして給料を貰っている」だけ。
 「国家危急の時に命を張る」のが軍隊の仕事だ。それがアメリカの国家戦略に組み入れられてもである。
  北朝鮮とイラクのテロは日本もアメリカも共同の敵である。そこに行って参戦するのは至極当然である。
  自衛隊が初めて危険に立たされて、何で国全体が揺れなくてはならないのだ。
  戦闘が嫌なら軍隊に入らなければよい。戦争は起こるまいと思ってはいっているのが、
  大部分だろうが?「大型免許証とクレーン車?の免許をタダで取るために入隊する」という話を聞いたことがある。
  軍隊は外交の手段でもある。彼等もその位の知識を持っていると思うが。この狂った国の世論は、
  狂った視点しか言論できないのだ。 そう見えているのかもしれないが。

 ・・・・・・・・
 2002年12月26日(木)
 622, パタゴニア旅行記ー8
  アルゼンチンとチリの民度の差を感じた。特にアルゼンチンの汚職体質と民度の低さを。
  一度アルゼンチンに入りペルノモリノ氷河などの氷河国立公園を行った後にペルーに入った。
  その出国にあたり国境警備をしている憲兵隊が、要求をしたこがない書類をバスの運転手に要求してきた。
  これは暗にお金を要求していることだという。拒否をした為に書類を取りにワザワザもとの街に戻り、 
  4時間近くのロスをしてした。また再入国のときもにも同じような事があった。
  アルゼンチンはそういう体質らしい。国境を越えると空気が全く変わったのだ。
  ペルーは資源に恵まれていることも含めて民度の差が歴然としているのがはっきり判った。
  さらにアルゼンチンは国家が破綻をしている状態だった。国家経済は破綻しているが、国民はドルの箪笥預金を
  持って自衛をしている。自国の金よりドルが国内で主に流通しているという。日本の数年先の姿に見えてきた。
  昨日たまたま野口悠紀雄のホームページを見ていたら、全く同じ内容のことが書いてあった。
  あとでコピーしておく。チリ・アルゼンチンと日本の物価の差は3倍であった。
  賃金は10分の1である。そうすると豊かさの差は3倍ある。実際そう思えた。
  日本がデフレで騒いでいるが、まだ物価は外国に比べて3倍であることは事実である。当分はデフレは収まらないだろう。
 ・・・・・・・・・・・
 ー野口悠紀雄のホームページからー
   日本とアルゼンチンの違いは何か?  答え:2年。
  (すでにかなり膾炙(かいしゃ)している(特に、金融関係者のあいだで)。
  原典が外国の雑誌なので、外国人に話しても多分ダメだろう。先日ある大使館の昼食会で話したら、かなり受けた。
  なお、私の友人の指摘では、2 年というのは間違いで、正しくは 2 ヶ月だという。そうだとすると、言うならいまのうちだ。 
  ある会合で、ある人(政策当局者)が、「アルゼンチンと比べるなんて、けしからん。失礼だ」と息巻いていた。
  私は、「本当に失礼ですよね。アルゼンチンに。」と言いいかけて、危ないところで思いとどまった。
  ー上記を説明するとー
  2年というのは日本の将来の姿である。アルゼンチンの失業率は30?であった。日本の汚職は絶望的だ。
  自?党と官僚と企業がつるんだ時間をかけた構造汚職だからだ。アルゼンチン以下の日本に成り下がったか!!

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2001年12月26日(水)
281、夢日記ー12
  夢で景色のあまりの美しさに、よーく見ようとした瞬間消えてしまう。誰も経験があると思う。
 変わった夢にこんな夢がある。夢の中で瞑想をしていると、自分の体がスーと浮き、部屋の天井の近くに漂っている。 
 さらに庭の辺りまで浮いている。そして下をみて凄い経験をしている自分が信じられない!
 浮遊しながらこういう自分が不思議と思っている夢である。 昨夜の夢は、かなり危ない夢であった。
「酔って留置場に一晩泊まってきた」と家内に起こされ説教されている夢。夢の中だが誰かと飲んで後の記憶は全くないのだ。
 もちろん留置場など泊まったことがないが、朝起きて記憶のないとき、そういわれてもしかたがない。 
 前日「男はつらいよ」のなかでそれに近い場面があったのが、自分の酔っ払いの失敗と重なって夢になったと思うが。
 夢は一日100分見るという。そうすると、一年で一ヶ月ちかく夢の世界にいるという。
 一生で五年間以上夢を見ていることになる。そうするとそれを如何考えるかは重要だ。
 それを記録して自分の潜在意識を覗き込むと、明せき夢(はっきり覚えている夢)を見る頻度が多くなる。
 夢は自分の潜在意識の入り口でもある。夢日記でよく覚えているのは、その直前に非日常の激しい経験をしたあとの
 リアクションである。そう考えると他愛のないものとも思う。
 むしろ忘れてしまっている内容こそ深い自分の意識ではないか。 潜在意識下の戯曲化が夢であろう。


3186,日本10大ニュース

2009年12月25日(金)

読売新聞が毎年、発表する日本と世界の10大ニュース、他の大新聞も出すが、一番発行部数の多い読売を選んでみる。
読者が選ぶから、酒井法子の逮捕が5位になっているが、他は、こんなものだろう。
  ーまずは、日本国内の結果からー
 1、衆院選で民主308議席の圧勝、歴史的政権交代で鳩山内閣発足
    第45回衆院選は8月30日に投開票され、民主党が過半数(241)を大きく上回る308議席を獲得した。
 2、日本でも新型インフルエンザ流行
    厚生労働省は5月9日、カナダから帰国した大阪府の高校生ら3人が、国内で初めて新型インフルエンザに
    感染していることが確認されたと発表した。
 3、裁判員制度がスタート
    刑事裁判に一般市民が参加する裁判員制度が5月21日に始まった。殺人など重大な刑事事件について、
    くじで選ばれた裁判員6人が、裁判官3人と1審を担当する。
 4、日本がWBCで連覇
     野球の世界一を争う第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は3月23日、 
     米ロサンゼルスで決勝が行われ、日本が韓国を5―3で破り、2連覇を果たした。
 5、酒井法子容疑者、覚せい剤所
    警視庁は8月8日、自宅に覚せい剤を隠し持っていたとして、酒井法子容疑者を覚せい剤取締法違反容疑で逮捕。
 6、天皇即位20年
 7、高速道路「上限1000円」スタート
 8、イチロウが大リーグ初の200本安打、9年連続
 9、巨人が7年ぶり21度目の日本一
 10、「足利事件」の菅家さん釈放、
  ーーー
  不況の浸透というのがない。 実際は、そうとしても取り上げないか。
 それに比べ去年は、本当に大きな事件が多かった。来年も、恐慌は更に深刻化し、
 世界は、ますます内向きになる。 薄型大型TVを買い込んでレンタルDVDをみるか、ミニ・ブログの
 ツイッターで呟くか、晴れれば家庭菜園、雨なら読書に励むことになる。 巣篭もりの時代である。 

 ・・・・・・・・
2821, ドバイは今 −?
2008年12月25日(木)

 「ドバイ」で検索をしてみたら、三年前の5月中旬にNHKスペシャルで、以下のような特集の内容紹介があった。。
   このドキュメントを当時、見ていて鮮明に記憶しているが、栄枯盛衰の象徴である。
《 沸騰都市 ードバイ 砂漠にわき出た巨大マネー  (NHKのHPより)
  煮えたぎる都市の地殻変動を描くシリーズ「沸騰都市」。第1回はドバイを取り上げる。
  世界最大の空港、世界最大の人工島、怒涛のようにオイルマネーが降り注ぎ、あらゆる分野で世界一を目指す中東ドバイ。
  極めつけは、高さ800メートル、160階建て、世界最高の高さを誇る超高層ビル・ブルジュドバイ。
  2009年中の完成を目指して、今建設が24時間体制で進んでいる。ドバイ政府は、ブルジュドバイをピラミッド以来の
  アラブ社会の権威の象徴と位置づけている。 世界の建設現場からクレーンを根こそぎ奪い、バングラデシュや
  パキスタンから母国の数倍の給料で労働者をかき集める。世界が不況に苦しむ中、ドバイに群がる人々の欲望の物語を描く》
  ーー
  この放送以来、僅か三年あまりで、バブルがはじけた。廃墟のビルが立ち並ぶ死の都市になるかどうか見ものである。
 ここに資本が集積したのは、欧米よりのスンニ派に属している湾岸国家が、アメリカの軍事力による安定を求めてきた結果。
 しかし、アメリカの力が急落すると、これまでの軍事力が期待できるか分からない。
 原油の値下がりと、不安定が重なり根底から存在価値が無くなるのは当然である。
 都市の景観そのものがバブルの塊。 世界の三割のクレーンが集合していたというから、すざましいエネルギーだったろう。
 我われが、そこに何の感慨も沸かないのは、虚構の匂いがするからだ。馬鹿な酋長一族の泡でしかないことが・・・
 ところで、この街には失業者が居ないという。失業すると、一ヶ月以内に国外退去になるからだ。
 他と比べて高給を出す代わりに、こういうのも良いのかも知れない。住民の8割が海外労働者というから、
 彼らは一斉に居なくなリ、薄気味悪い都市になる。これまでは、二割の裕福層と八割の貧困層の不平等で成り立っていた。 
  不平等、差別を認めたうえでないと、世界を直視することが出来ない。
   それにしても、あの未来都市? どうなるのだろう? 歴史に残る愚行の塊都市ドバイは! 

 ・・・・・・・・・
 2007年12月25日(火)
2456, 四四太郎の霊日記 −13・14
                         (*бωб*)/ォハョー  
  四四太郎の日記 −13
一週間という間隔も、ワシからみたら数十秒でしか感じないが、その数十秒が長く感じられるからおかしなものじゃ。
今年もあと8日で終わるが、まあ長期的にみたらまだまだ安定した年だったろう。ただ気ままに話せること自体が、
ワシにとってよいのだ。言葉には、何とも不思議な力を含んでいるが、言霊とは良く言ったもの。
まさか四百数十年後に娑婆で話せるなど想像すらしてなかった。それも現代でもチャンと喋れるとはおもわんだ。
御主の脳を通っているからじゃろう。同じ日本でも、ここまで変わるとは驚きである。人間は環境の動物とは、つくづく思う。 
それにしても刺激の強い娑婆になったものじゃ。だた、それ故に日常の微妙な細部の楽しみがわからなくなっている。
しかし、その何倍も面白いことがあるのも確かのようじゃが。確かにワシは御主の脳を通って、こうして娑婆に出てきて
話せる反面、御主が四百数十年の過去からの透き通った目で現在を見つめることが出来るプラスもあるのじゃ。
いつか御主が上越の近郊の鮫ヶ尾城に来たことがあったじゃろう!あの時、何ともいえない不思議な気持ちになっただろう。
何か御主の周りに霊が取り付いたような気分になったのは、あれは実はワシだったのだ。 
あの時からワシは御主に取り付いたのじゃ。ワシの念もあの城に強烈に残っていたからのう。
 話は変わるが御主に付けておいたジーダと殆ど話さなかったようだが、もったいないじゃないか。 
普通は、こんな知恵を持った相談相手は持てないのだ。それもこれも、お前しだいであるが・・ ところで、
違うブログに移動することを考えているようだが、それはそれでよいことだが、よ〜く考えてから判断することじゃ。
ーーーーー
 四四太郎の霊日記 −14
ところでワシは御主に言っておきたいことがある。御主の祖先を辿ると鮫ヶ城の城主の堀井宗親というが、
あれは間違いじゃ。あれは堀江宗親であって、堀井ではない。四四太郎のワシは堀江の家臣の一人でしかないのじゃ。
あとでよ〜く資料を調べてみるがよい。「御館の乱」か「鮫ヶ城」で調べると、その辺のことが詳しくかいてある。
そんなものは、どうでもよいことだが、あの裏切り者の汚名の城主が祖先でなくて良かったということじゃ。 
確かに、裏切って影虎を自殺に追いやったまでは良いが、その後武田の没落で影勝の立場も微妙になり、
ワシ等も何時危なくなるか判らなくなり、片貝式部殿を頼って小千谷の郊外の池津の村にお世話になったのじゃ。 
田畑は14反をあてがわれた。 まあ、ほんの前の出来事のようじゃ。 そこで、百姓をしながら生き延びることが全てであった。 
とはいえ、それはそれで激しい人生であった。元々、侍とはいえ百姓侍だったから、百姓をすることには何の抵抗はなかったのじゃ。
残った親戚も、お互いにいがみ合い苦労をしたと風の便りに聞いていたから、新井の土地を離れたのは正解であった。 
生きるのは、4百数十年前も御主の生きている時代も同じことじゃ。 いや、一つ間違えば殺される当時からみれば、
今など刺激は少ないくらいである。当時は、それこそ小さな世界で小さくなっていなければならないのも辛いことじゃった。
                       (゚Д゚*)ノ⌒【さようなら】
・・・・・・・・
2006年12月25日(月)
2092, 下流喰い −2
           おっW(^O^)Wはようございます
                  ー 読書日記
 前回では概要を中心とした内容だったが、ここでは、消費者金融の世界の生々しい現場のレポートを中心に
 抜粋しながら考えてみる。駅のダンボールの住人(ホームレス)の殆んどが多重債務者という。
 一歩踏み外すと、誰もが陥ってしまう世界である。350万人といえば30人に1人が多重債務者。ということは、
 10世帯のうち1世帯が多重債務者が存在していることになる。4世帯に一軒が高利貸しの金を借りていること自体が異常である。
 時代が変わってしまったということである。消費者金融の顧客が、どういう経過をたどって多重債務者になっていくかが
 詳しく書いてあり、大手消費者金融会社が彼らを罠に落としていく様が生々しい。
ーまずは、生々しい実態の部分を抜粋して考えてみようー
*多重債務者の平均像とは*
  ー字数の制限でカット(2009年12月25日)−       (o ・д・)ツ  バイ!
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 2005年12月25日(日)
1727, 中野ブロードウエイ  −1
                (゚∇^*)オハヨ♪〜
「中野ブロードウェイ」は、JR中野駅の前にあるショッピングモールの一番奥にある。
 中古漫画など、コレクターズアイテムを扱うお店が集まることで知られる。
 その近くに住む知人に案内されるまで、その存在を知らなかったが、一歩足を踏み入れて驚いた。
 猥雑な?店がところ狭し並んでいて、根暗な感じの男や東南アジア・韓国・中国人などでどの店も満ち溢れていた。
 上海の場末のモールという雰囲気である。 不気味?な雰囲気で、最近はオタクだけでなく一般の客が
 異様な面白さに引かれて集まってくるという。地下1〜4階までは、フロアごとに商店会が組織されていて、
 それぞれが「ビルの中にある商店街」になっている。〔ワンフロアー1000坪位か〕また5〜10階は住居フロアになっている。 
 ここは1960年代最先端スポットであったが、今ではマニアックな買い物が楽しめる場所として秋葉原と同じぐらい全国レベル、
 いや世界レベルに知られる観光ゾーンにもなっている。        
 骨とう屋、宝飾品店だけでなく、ペットショップ、漫画、アニメはもとより、フィギュア、食玩、オーディオ機器など、
 いわゆる“オタク”な人々がお宝を探しにやってくる。そういう店が2、3階に集中していて、異様な雰囲気を醸しだしている。
         ((≡ ̄♀ ̄≡))/T タケコプター ドラえもん└|∵|┐ はにわ (=゚ω゚=) たまちゃん
 地下にはアメ横のような食料品店や、安くておしゃれな衣料品の店がそろっている。
 バッグ、化粧品、寝具など、くらしに身近で気軽に入れるお店も多くある。その一角には西友があったが、何か場違いであった。
  一言でいうと、お宅?を中心にした客層を狙ったレアモノのショッピングモールである。
 前のアメ横のイカガワシサがプンプンとしている。ブラックの商品が多く流れている雰囲気がよい。
 サロンに、ここのHPを貼り付けておきます。 
                          -つづく
  ・・・・・・・・・・ 
  2004年12月25日(土)
1362, 金に泣く人笑う人 −2    読書日記             
第五章の「男と女の金の相関」
ー「ヒモのAとイロのB」の内容が面白く、かつ悲しい。

 まずはヒモの話である。
ーヒモのAはなんの変哲もない二十代後半である。ホストクラブで働くような男ではない。
 むしろ風采の上がらないセールスマンといったタイプである。
 この男に18人の女性がどうして貢ぐのか。いくら考えてもわからなかったが、何回か会っているうちに、
 この男には特殊の偽善性があるのがわかった。虚言癖がごく自然に具わっているのが徐々にわかった。
 その理由は、Aと会う場所がその都度変わっていて、彼はどの雰囲気にも自然に溶け合っているのだ。
 場所は喫茶店という外の店でなく、常に違った女性の部屋であった。
 OL,ホステス、居酒屋の女将、学生、看護婦とさまざまであった。彼はどの部屋にも溶け込む男であった。
 どの部屋にもピッタリと合っていたものだ。 ヤドカリ男は見事なカメレオン野郎でもあった。 
 転々と、2〜3日で次の女の部屋に移っていくのだ。 だから、平均して二ヶ月に一回の割合になる。
 彼は一貫して同じ職業を名乗っていた。外資系の薬品会社のセールスマンであり、二ヶ月に一度は日本の土を踏む、
 という生活をしていると偽っていた。18人の女性はまんまとこの口車の乗せられたことになる。
 大阪、京都、神戸、姫路といった具合に女性たちを分散していて、一日の仕事は、女性の部屋から他の女性に電話を
 短く入れることである。 偽の国際電話であることはいうまでもない。女達はこの電話を頭から信じていたのだ。
 小道具としては、洋書が二冊と外国のマガジン一冊で十分だといっていた。
 海外に出たこともないのに、海外の情報に精通していて、彼女たちに外国の街の模様をさりげなく寝物語にしてやるだけで、
 久しぶりに帰ってきた彼を暖かく迎え入れていた。パリ、ロンドン、ニューヨーク、ベルリン、フレンツェ、サンフランシスコ、
   サンパウロ・・・といった地名が女性たちを操るのはかれは十分に熟知していた。
 女性から見れば、自分の部屋にいる以外は外国暮らしをしていると思えば安心することを知り尽くしていたのだ。
 (字数制限のためカット 09年12月25日)
 ・・・・・・・・
2003年12月25日(木)
995, クリスマス−2
  昨日は学生時代のクリスマスイブの日を書き写したが、その[一年後のクリスマスの日]を記憶の中から引き出してみる。
  ジャスコオカダヤに入社して四日市本店に勤務、そこから合併先のジャスコフタギの「神戸垂水店」に転勤になり、
  半年経っていた。会社は幹部候補生を即戦力にする為に、店と売り場の高速配転をしていた。
  2ヶ月もして慣れると、即配転である。四日市、神戸、桑名等。
  5番目の売り場では、関西では初めての靴部門の立ち上げの責任者に取立てられていた。
  それにしても、あまりにも過酷であった。当時のスーパーは、まだ得体の知れない新参の危うい小売屋でしかなかった。
  濁流に放り込まれて、毎日が濁り水の中を溺れながら押し流されている日々だった。
  現在考えても、よくぞあの濁流に飛び込んだものだと思う。それだけ当時の流通は暗黒の世界であった。いや今もそうだが。
  話はそれたが、クリスマスは食堂でささやかなクリスマスパーテーをやったような記憶があるが、確かかどうかはハッキリしてない。
  その後に会社仲間と寿司屋で酒を飲んでいたような記憶があるが、これも如何であろうか。女性とは一緒ではなかったようだ。
  そうなら何処かで記憶が残っているだろう。クリスマスなどと浮世のことなど考えられない状態であった。
  それにしても、あまりに異常の世界であった。 合併というのは、信じられないほど現場の摩擦がある。
  その先兵は如何立場かという知識は全く無かった。 先ほど書いたように、流通業は当時は濁流そのものであった。
  信じられないような光景が色いろあった。ところで、その年の年越しを思い出した。 宿直で、年越しを床屋で髪を刈っていた。
  当時の関西は、年越しは床屋が深夜まで営業をしていた。それまでの年越しは全て実家で両親と供に年を越していた。
  刺激が強すぎた日々でも、芯には染まらないのが私の特性である。これは武澤ゼミのお陰であるし、また欠点かもしれない。
  また創業という目的があったためである。
  「クリスマス」や「年越し」という視点で、過去を切り取ってみると色いろのことが記憶の底から湧き出てくる。
                                  メリークリスマス!
・・・・・
2002年12月25日(水)
621, 電子辞書を初めて買った実感
字数の関係でカット(2007年12月24日)
・・・・・・
2001年12月25日(火)
 280、喩え話
かなりキワドイ難しい内容だ。これほど危ない内容はテーマに出来ない。何で?あまりに本質的な内容になるからだ。
それは能力の限界の表現になる。浅い知識の底を見せてしまうからである。といって、今更という気持ちで書いてみよう。
キリストも仏陀も喩え話の名人だったという。難しい話も喩え話で一瞬に理解でき、かつ理解させる事が可能になる。
本質を心象風景で、いや心象画でー心的視覚化する事だ。喩えー易しく噛み砕き、かつ事例に置き換えることか。
喩えのほうが本質より,より中心をついている場合が多いのは何故か?
イソップ話の内容はあまり知らないが、「かなり深い喩え話が含まれている」のではないかと想像できる。 
神話もその国の潜在意識という。おとぎ話も昔話もそうだという。ジョークもユーモアも、庶民の笑いに転化した喩え話が多い。
「暗い子狐」など、自身の心象風景そのものだ。ハワイなどでは出てこない喩え話である。雪国の特化された生き物だからだ。
喩えはその本質の中心をつかまえてないと、転化できない。逆にそれさえしっかり把握していれば、可能である。
自分の心象風景に置き換える作業である。そして心象風景の中から、その中心をより把握させる置き換え作業である。
いずれにしても、自分の理解のためにも喩えを使うことも大事である。
鯰とかーとらえどころのないやつ。ムジナー??とか、動物に喩えるのも面白い。
キリストの「右頬を殴られたら、左頬を出せ」など、キリスト教の教えを喩えで一言で表現している。

・・・・・
ある時間の断片
ー12月25日 1968年
11時に起床。午後本を読んだり、食事をして過ごす。夕方、米林が帰省をしていく。
夕食後、会社の論文の構想を色いろ書いてみる。21時に、市川さんの友人等5人を引き連れて赤坂に行く。
いざ中に入ろうとすると、誰も物怖じをして入ろうとしない。ここまできて何だろうと強引に入れようとするが3人が逃走。
やっとのこと市川さんと、あと一人を入れる。入って、踊りだせば後は狂ったように踊りだした。24時に帰寮。
変な学生時代最後のクリスマスであった。来年はどんなクリスマスを過ごしているだろうか。
ー2003年12月24日記
その一年後のクリスマスは、ジャスコに勤めて四日市から神戸に転勤になっていた。
神戸の垂水という街であった。凄い世界であった。転勤直後に瀬戸物の叩き売りをやらされたり、店舗の大改築の真っ只中にいた。
クリスマスの日は、おぼろげな記憶だが寿司屋で仲間内で飲んでいた思い出がある。神戸の場末のストリップ小屋に、
現地の店の先輩に連れて行かれたりしていた。興味より気持ちが悪いというのが実感であった。その時は、
もう靴屋ー靴部門の責任者であった。僅か八ッヶ月である。まだ憶えているのが、年越しに宿直で年越し時間に床屋に居たことだ。
何か侘しい寂しい時間の中にいた。何が流通革命だ!というのが、実感であった。
いま考えてみると、半分正しく半分は純粋になれなかったのだろう。


3185, 坂の上の雲

2009年12月24日(木)

 NHKで「坂の上の雲」が何回かのシリーズで放送されている。
私たちの年代が、この本に大きく影響されを受け、日本経済成長期の精神的支柱になった歴史小説である。
秋山兄弟と日清、日露戦争の中に生きる青雲の志を持った群像に引きこまれていった思い出がある。
日露戦争での兄・秋山好古の戦闘場面。そして、弟・真之が海軍の参謀としてバルチック艦隊を殲滅する場面は、
当時の私にとって驚きの連続であった。 読みながら己の卑小さに改めて自己嫌悪を抱いたり、彼らの志の純粋性に
感化したことが懐かしい。 当時、日本は西欧列強に対抗するための新国家つくりに、青年達が坂の上の雲を目指して
必死に生きていた。司馬遼太郎は、日露戦争は奇蹟の勝利と看破、その奇蹟の演出者の代表に秋山兄弟を選んだ。
伊予松山の人、秋山好古、秋山真之である。 家柄といえば伊予松山藩の下級武士族であった秋山家の下級武士で、
秋山家の父久敬は、「貧乏がいやなら、勉強をおし」と立身の道を説いていた。
好古は陸軍で、世界最強といわれたロシアのコサック騎兵集団を破った。
弟の真之は海軍で、ロシアの主力艦隊であるバルチック艦隊を破った。 
真之は日本海海戦の開始前に「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」の電文の起草をした。 
その真之と一つ年上の正岡子規とは中学から大学予備門まで同学であった。しかし二人の性格は対称的で、
真之はガキ大将であり、子規は子供の頃、「青びょうたん」というあだ名であった。。
子規も真之も勝山小学校を卒業して松山中学校に入った。 兄の好古はこの時期、士官学校付きの勤務となっている。
日本人離れした顔かたちをしていて、たびたび西洋人と間違われた。 彼にとって男子に必要なのは
「若い頃には何をしようかということであり、老いては何をしたか」と考えていた。
彼らを中心にした明治期の激動の中の「大きな物語」である。 この激動期に、原点に立ち返り青雲の志を
日本人に喚起する意図で放映されたのだろう。 ドラマ自体もなかなか良くできている。

・・・・・・・・・
2820, ドバイは今 −?
2008年12月24日(水)

ドバイが、この金融恐慌でバブルが崩壊、解雇の波と一昨日の読売新聞の一面トップで特集をしていた。
ドバイブル破裂というところだ。 このまま廃墟化すれば、歴史に残る光景になる。「悪銭、身につかず」ということか。
 ーまずは、その新聞記事ー
《ドバイにも金融危機の影 … 止まったクレーン・解雇の波》
 世界一高いビル、世界一豪華なホテルなど「世界一」を冠する建築物を次々に登場させ、21世紀に入って猛烈な勢いで
 発展を続けてきたドバイ。中東の物流・金融センターとして、200に及ぶ国籍の労働者や投資家を引きつけてきた
 このペルシャ湾岸の小さな首長国にも、金融危機の影は忍び寄っていた。その現場を歩いた。
 −−
 ドバイ北東部にあるアラブ首長国連邦(UAE)労働省。「カスタマーサービス局」待合室に、
 沈んだ表情の外国人労働者が目立つようになった。解雇通知を受け、苦情を申し立てに来た人々だ。
 ドバイの中堅建設会社で工事現場監督を務めてきたインド人のV・ヒレマタさんは今月12日、1枚の紙を手渡された。
「あなたが提供するサービスは必要なくなりました。滞在許可も1か月後に失効します」
 クレーンを操縦していた同郷のスンニル・Bさん(40)も解雇された。ドバイには世界のクレーンの3割が集まっている
 と言われてきたが、「今は多くが止まっている。再び職を得るチャンスはまずない」と、帰国の覚悟を決めたようだった。
 ドバイ居住者の8割を占める外国人労働者の滞在許可証は、仕事や労働許可証と不可分に結びついている。
 職を失えば、雇用主が労働局への解雇届け出を遅らせるなど特別な措置を講じない限り、1か月以内に出国しなければならない。
「ドバイには失業者がいない」と言われるゆえんだ。ドバイの海岸には、上空から3本のヤシの木に見える群島が沖合に延びる。
 埋め立てでつくったリゾート・居住用地だ。100万人の住空間ができあがると言われる最大の木「パーム・デイラ」では、
 クレーンの多くが動きを止めていた。ドバイを代表する政府系デベロッパーで、「3本のヤシ」のプロジェクトを推進する
「ナヒール」社は11月30日、総従業員の15%にあたる500人を削減する方針を明らかにした。
 同社で工期やコストを管理する仕事を担当してきたスリランカ人のSはこの日、上司に1月31日付での解雇を言い渡された。
 資金繰り悪化によるプロジェクト停止が理由と説明された。「オフプラン(設計図段階)の事業の大半が停止された」とSさん。
「年明けには、さらに人員削減されるのは間違いない」民間最大のデベロッパー「DAMAC」も11月、200人の解雇を発表、
 解雇の波は確実に広がっている。  (ドバイで 宮明敬、加藤賢治)(2008年12月21日23時52分 読売新聞)
  −−
  一年ほど前にみたドバイの石油成金の奥さんが高級SCのブランドショップで、「もう高級品の買い物は飽きた!」と、
 つまらなそうな顔をしていた映像が象徴的だった。 この場面は御宝として残るのだろう。
 1500、2000Mの高さのビルを競ってつくるのは、イタリアの都市で中世の金持ちが家の高さを競ったのと同じ。
 近い将来、スンニ派を中心とした欧米よりの湾岸諸国は、革命に曝されるだろう。                                                                            ーつづく
 ・・・・・・・・・・
2007年12月24日(月)
2455, 歌舞伎町事変(1996〜2006) −2
                (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
 この数年、週刊誌に歌舞伎町の泥酔客の喧嘩や、 露わな若い女性客の狂態の写真を見かけるが、
 この写真家?が撮ったものだろう。私も新潟駅前のヤクザの徘徊する足元でよく酒を飲んでいたものだ。
 数回ニアミスをして凄まれそうになったことはあったが。それよりも危ない世界と、
 危なくない世界の人間の臭いを彼らが一番知っているはず。それと、隙があるかどうかもあるが。
 数年前から、ホテヘルとかデリヘルとかいう噂を聞く。私の性格上、絶対にそういう客は当方に泊めないのが方針。
 今更というが性格なら仕方がない。新潟も来年の4月から本格的に浄化の流れになるが。
 歌舞伎町の彼ら(風俗)はどうなったのか? 以下は、その変身の実態である。
 先日、新潟の事務所の近くの図書館に行く道すがらラブホテルの前を通ったら、
 明らかに一仕事を終えた女性が出てきてきたが、そこには、曇りガラスの車が待機していた。
 P−62
以前から、「歌舞伎町に許可店のヘルスは 3、4店舗しかないといわれていた。
(以下字数の関係で、中間カット2008年12月24日)
 −−−−
長岡で何度か兄と行ったスナックの前がラブホテル。出入りが窓から見えるが、その数に驚くと言う。
それも、合法というから・・・・
                ゜・。*バイバイヾ(´∀`o)+。
 ーーーーー
2006年12月24日(日)
2091, 下流喰い −1
      b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー♪
                              ー 読書日記                 
銀行に勤めている親戚の人から、「サラ金から金を借りている人の多いのに驚くばかり!」
と、聞いてから10年近く経つ。 本屋で、この本を何度か立ち読みしていたが、<直ぐに図書館に並ぶだろう>
と思いとどまり買わなかった。 ところが会社の‘Oさん’から、「面白いから読んだら」と、
この本を手渡され読んでみたら、この中味が凄い!やはり立ち読みとは違う。
さっそくインターネットの検索に「多重債務」と入れたら、「2000万人、200万人、20万人、1万人」
の数字が解りやすい!と、金融筋の人から聞いた話として、あるHPの中に紹介していた。
サラ金からの借金をしている人が2000万人、そのうち多重債務に陥っている人が200万人、(この本では350万)
自己破産者が20万人、 借金苦による自殺者が1万人、だという。 8000万人の勤労者の中2000万人がサラ金を
利用しているというと勤労者の1/4になる。( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪
 ーまずは「下流喰い」の概要をまとめてみるー
・小泉構造改革が最終盤にかかった05年後半あたりから、「地域格差」に加えて、「格差社会」という
 キーワードも話題にのぼるようになった。その分岐点が1980年代にあった、バブルの発生である。
 それが借金=悪という日本人の常識が、借金を如何にして土地などに投機した方が得という風潮に変わってしまった。
 消費行動も買ってからローンで支払うという感覚に変わってしまった。クレジットが推奨されはじめた時期である。
 この背景をもってバブルが弾けてしまった。
・日本の全産業の平均年収が500万円を下回ったとされ、
・貯蓄ゼロが24?と4分の1になり、
・生活保護が100万世帯を超え、
・全体の4分の1の世帯の高額所得が、その他の4分の3に匹敵する事態、
・その他の4分の3の平均の半分に満たない人の数が、この数年で15.3?に跳ね上がった
・いまや多重債務者は、数年で二倍の350万人以上になり、
・大都市の大阪や東京の公立小中学校の就学援助者を受ける人数は、04年までの4年間で40?も増え、
 4人に1人。足立区では2人に1人が受給する事態である。
・2003年の「消費者信用産業」の市場規模は「73兆円」というから、この年のGDP中に占める民間最終消費支出 
「282兆7000億円」の4分の1になる。この数値が意味するものは、すでに日本が、階級社会の色濃く残っている
 欧州を凌いで、アメリカに次ぐ第二位の格差を実現させていることになる。                           
  消費者金融の想定する理想的な優良顧客像とは、
  ・年齢は40代後半、       ・年収は300万円程度で
  ・子供が二人おり、       ・家計的には住宅ローンの返済の他に養育費、教育費のやりくりが最優先され、
                   一家の主人は完全に後回し。
   (字数制限のためカット 09年12月24日)
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2005年12月24日(土)
1726, つれづれに          (。・o・。)ノ こんにちゎぁ♪
ー東京は明らかにバブルの様相ー
  久々に東京に行って、知人と終日都内の要所を回ってみて驚いた!高層ビルが彼方此方に建っていることだ。
 〔知ってはいたが、実際みた感覚は違うということ〕建築中のものが多く、明らかにバブルの様相が見てとれる。
  この反動で2010年あたりが危ないというのも、解るような気がする。それと、新宿近くの大通りに韓国通りとか
  中国街ができていた。何か日本もここにきて、大きな回り角にきているのか!
  世界の首都でスラム街が無いのは、日本だけと聞いていたが。  ○=(≧Σ≦)  へっくし
ー新潟の大停電ー
  近年、新潟は次々と大きなニュースが起きるものだ。(真紀子のパフォーマンス、拉致、小学生の長期監禁、水害、地震)
  たまたま、停電のおこる一時間前に東京に出かけ一泊していたが。昨日、帰ってきて家内から話を聞いて驚いて会社に電話
  をしたら、大ごとだったという。家内も諸用で新潟に来ていて、大風と停電に遭遇してやっとのことで長岡に帰ってきた。
  新幹線が不通になり、ホテルの方も50人のキャンセルが出たが、
  150人の東北電力の宿泊があり差引100室プラスになり、不幸中の幸いであったという。
                  チャノメ!(・∀)つ且~~ ⊂(´∀` )アリガト         
ー中野ブロードウエイー
 明日のネタになるが、知人に案内された中野ブロードウエイには驚いた。
 お宅?を中心にした客層を狙ったレアモノのショッピングモールだが、秋葉原と同じぐらい全国レベル、
 いや世界レベルに知れていて観光ゾーンにもなっているという。  Σ(゚Д゚ノ)ノ おおぉぉぉぉ〜
   以前のアメ横のイカガワシサがプンプンとしていた。                 
                 (^_^)/~~ バイ〜
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2004年12月24日(金)
1361, ルーブルの一日
  ー夢の美術館
  昨日は、NHK・BSHIの「夢の美術館」で「ルーブル美術館」の6時間生番組を見た。
  10時から17時(昼一時間休憩)までのロングランであった。私にとって、「ルーブルの一日」であった。
  NHKの存在に対して疑問を持っている一人であるが、こういう番組みを見ると、その存在も必要かと思ってしまう。
  学生時代の旅行でのルーブル美術館とベルサイユ宮殿はカルチャーショックの最たるものであった。
  ミロのビーナス、モナリザ、ニケの像、ボナバルドの戴冠式などの絵を見た時の感動は今も鮮明に憶えている。
  数日をかけてじっくり見てみたいと思っていたので、丁度よいタイミングであった。 昼の一時間は息抜きで、
  ウォーキングをして効率的に時間を使った。実際に見始めたら非常に内容が濃い。800年の時間の中で、
  それぞれの時代に翻弄されながら、皇帝や市民に愛されたプロセス(歴史)を克明に追っていた。この番組みでは、
  それぞれの絵などの背景や歴史を克明に追っていた。その時代時代の皇帝や、その愛人、そして市民の、
  ルーブルに対する思い入れを、作品の背景を通して追っていた。フランソワ1世、ルイ13世、ルイ14世、ナポレオンの
  役割をあげることができる。それぞれが思い入れて収集をしてきた作品群が残っている。これだけ美術に対して
  思い入れてあるのも、フランスという国柄である。国民が会員になって基金を毎年積み立てて、作品の収集を続けている。
  まだ、「自然・文明から文化に戻ってくる」には5年は早いと思っているが。
  それでも、チャンスがあれば何でも見て知っておかなくてはならない。それにしても、ハイビジョンは作品を
  鮮明にリアルに映し出すものだ。 人生は、前倒しにしておかないと。 いや、してきたか?!

 ・・・・・・・
 2003年12月24日(水)
 994, 戦死者と犠牲者と殉職者ー1
  「戦死者と犠牲者」は図書館で立ち読みをした「文芸春秋」の塩野七生の寄稿文の「題名」である。
   イタリアでは、イラクのテロで亡くなった兵士を「戦死者」で統一したという。「戦死者」は言葉の通り、
   戦争で死んだ兵士をいう。現在の日本は、もし死者が出たところで「戦闘」に参加したことにならない。
   首相官邸でさえ「犠牲者」扱いにせぜるをえないのだ。イタリアでは、戦死者として国葬並みの扱いをした。
   アメリカ大統領が終戦宣言をした後で、参加したにかかわらずである。ところが日本ではあくまでも「犠牲者」
   になってしまうのだ。憲法を変えずに軍隊をつくり、このイラクにも「戦闘でない後方支援」と言葉を濁して、
   問題を先送りをしようしている。矛盾が出ることは必定だ。「隣にスターリン主義国家があり、その脅威に
   曝されている現実を直視しようとしないで、平和主義を唱えていれば済む問題ではない。堂々と主権国家の国民を
   100人以上も拉致をしている現実がある。旧社会党と自民党の一部は、それに間接的に加担しているのである。
   それにも拘らず、まだ寝ぼけている平和国家日本。その虚構が脆くも崩壊しようとしている。
   すでに国家の体を生さなくなっていると言わざるをえない。ここまできても、自民党の利権屋に
   牛耳られているのだから、小泉のパフォーマンスに目先を誤魔化されているだけである。

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2002年12月24日(火)
620, パタゴニア旅行記ー7 
 −話しまくる人ー
今回の旅行で面白い人がいた。常に一人話しまくっている人である。常に自分が話をしていないと気がすまない人だ。
アメリカ経営学者のドラッガーの本にもこういう人のことが書いてあった。500人に一人の割合でこれで
上手くいく人がいるといっていた。タレントのタモリやサンマや古館一郎あたりの人のことだ。
相手の反応を見ながら瞬時に内容を変え続けられる人で、一方的に話をしていても不快さを与えない人だ。
誰かの話している間に割り込んで強引に自分の話題に引き込んでいく。聞いているほうはたまらない。
一種の自閉症に似ている。閉じてしまっている自分の世界に相手を引っ張り込もうとする。
三人のグループであったが、その一人がコッソリト「あの人は悪い人でないが直らない病気!」と教えてくれた。
誰もが持っているが、自分でコントロールしているものである。私など人のことをいえた義理でない、
他人より数倍その要素が大きい。それにしても老年に差し掛かった女性のそれはすざましい。 
人の話を聞けない人は案外と多い。すぐに自分に置き換えてしまう心の癖がついてしまっている。
「出羽の守」という人だ。東京では、長岡では、仲間内では、家族ではという自分の世界に置き換えてしまう。
そうあの人のことだー幾らでもいるからこう表現した。この随想日記も一人話しまくっているようなもの??
人間その要素を誰もが持っている。

・・・・・・
2001年12月24日(月)
 279、飲み助考ー隙間風
男の楽しみの一つに「ちょっと一杯」がある。酒を飲みながら‘隙間風’という歌を聴いていて、 
「飲み助の気持ちの本質は隙間風、だから飲みに行くのだ」と感じた。
それだけでないが。こういう時代だからこそ、隙間客という言葉がでてきたと思う。
隙間ーこれはどういうことか?ハンドルの遊びか?竹の節か? 「漠然とした心に満たされない何か」というところか。
それを埋めについつい行ってしまう。特に単身赴任の中年にさしかかった人は、それがないとやっていけないだろ。
学生時代に金がないので寮で月に一回ぐらい酒を買ってきて飲むのが楽しみでだった。
サッポロジャイアンツやトリスの大瓶、それにスルメ。酒の美味さを知った最初といっていい。
何ともいえない楽しみであった。知恵で深夜から飲むのだ。そのほうが酔えるからだ。
夏4時ぐらいに陽が昇ってくるくるあたりは陶酔の絶頂になる。若いから出来たのだろう。
人は酒を飲んで大笑いしている時が、一番の幸福の状態だという。それに知的会話があると、非常にお互いプラスになる。
他人の悪口になると、暗い狐になってしまう。 サラリーマン同士のそれは仕方ないか?組織内の軋轢は厳しいからだ。
私の金沢時代(25-6才)ある意味で一番つらい時期であったが、片町や香林坊や武蔵ヶ辻の一杯飲み屋の酒は最高であった。
酒の美味しさとストレスは反比例するのだろう。数百年の歴史のある街、一杯飲み屋にも何ともいえない深みがあった。

・・・・・・・ 
ある時間の断片
 12月24日 火曜日 1968年
9時ごろ、長岡の姉の正子さんから電話。千葉の姉の西村、小林さんの所にクリスマスプレゼントを届けるように頼まれる。
16時に部屋を出て、伊勢丹に行って、犬の玩具と電車を買って東京駅に行く。
西村さんと待ち合わせるが、勘違いで30分待たされる。 その足で独りで銀座に行ってみる。
銀座4丁目から、みゆき通りを歩いてみる。人の数は思ったより少ないようであった。
市川さんの部屋ですき焼きパーテーをしていた。相楽がきていた。私と対立して寮から出て行った男。
少し休んで、面白くないので新宿に出る。23時過ぎまで飲みまわる。
0時に帰寮するが、市川さんが部屋に来て、再び寿司屋に飲みに出る。
明日自分を赤坂の「ムゲン」に案内をしろという。自分のお客に案内するのに丁度よいという。
明日の飲み代は全て自分が持つという。何か毎日、他人に振り回されている。


3184, 久々のジョーク ー7

2009年12月23日(水)

たまには、全く下らないと一笑される駄洒落も良いだろう。
 * 駄洒落問答
問 使うとき使わないで、使わないとき使うものは?         答  風呂のふた。
問 かけるときにひくものは?                   答  電話帳。
問 同じものだけど、見る人によって違うものは?          答  鏡。
問 東京の上野公園にある西郷さんの銅像。 東向きでしょうか西向きでしょうか?
                                 答 夏向き 浴衣を着ていたから
問 トンボとハチが東西に分かれて戦争しました。どちらが東軍だったか?
                                 答、トンボ。 2×4が8 (西がハチ)。
問 シユーベルトの好きな飲み物は、どんな果実から作られている?  答 ミカンセイ
問 年を取ればとるほど若くみえるものは?              答 アルバムの写真。
問 寒くなればなるほどあつくなるものは              答 氷。
問 世界中でいちばん赤ん坊の多い国はどこ?            答 ニュージーランド(乳児ランド)。
問 トイレに咲く花は                       答 スイセン。
問 モ一ゼの好きなお酒?                      答 水割り。
問 ビールにもあつくしたものがある。何というビール?        答 缶ビール(燗ピール)。
問 飲むと感動する酒は?                      答 ジン。
問 笑いがとまらなくなる酒は?                   答 エピスピール。
 ー面白くない?  それでは!
 夜行列車の乗客が切符を失くして大騒ぎをしている。その前の席の男、私の切符を10ドルで買いませんかと持ちかける。
何分の一なので、喜んで目の前の男の切符を買うことにした。 買った男、前の席の男に「あんたは、どうするんかね?」
と聞くと、「まあ、何とかします。そのかわり、切符に私の名前を書かせてくれ」と言い、切符の一部に名前を書き込んだ。
で、その切符を買った男が改札口を出てから、その男、切符を出さずに、改札口を出た。駅員が驚いて追いかけて切符を
出すように言うと、その男は、さっき出したと言い張る。駅長室で言い争っている時に、その男「そういうことも、
あろうと、切符に自分の名前を書いてある。調べてみたまえ!」  
 * 名前を書いておいた札を、他の席の素知らぬふりをした仲間に先に支払いをさせ、
  その後、支払った支払わないというトラブルをおこして、逆に強請る古典的方法があるが。

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2819, 閑話小題
2008年12月23日(火)

 *ジャストインタイム
トヨタのジャスト・イン・タイムこそ、派遣社員の存在理由だった。
それが証明されているのが、現在の不況からみえてきたことである。
ある評論家が言っていたことだが、「必要な時に、必要なだけ、それ以外の在庫を持たない」が、
ジャスト・イン・タイムのシステム。それを自動車の部品だけでなく、労働の部分に当てはめたのが派遣社員のシステム。
それが決して悪いことではない。 そのニーズを満たす機能が「派遣会社」なのである。これは、そのニーズが
十分あるのは良いが、恐慌に入ろうとしている現在、彼らは一挙に職を失い、街に溢れかえることになったのである。
近くに彼らのアパートがありバス停で見かけるが、何ともいえない雰囲気が漂っている。
 ーーー
 *巣籠りが、この正月のキーワードだと
新潟などの雪国では、冬季では当たり前のことだが、この金融恐慌で日本中が巣籠りという。
知人が「この正月、配達の寿司屋の予約が異常に多いらしい。巣籠りを決め込むみたい」といっていた。
そういえば、国内でクリスマス・ソングをTVや街角で一度も聞いてない。
もちろん、デコレーションケーキも、みていない。 巣篭もりとは、鳥が巣に篭ることをいう。
住まいは、巣舞いが語源。人間は巣から出たきたことだから、10年は巣篭もりでジッとするのもよい。
問題は、そこで何をするかだ。 本を読みましょう、本を! 「総 閉じこもりかい〜!」
 ーーー
 *ネットで買うと
二月ほど前に髭剃りをネットで買った。ネットで一番人気で18000円だった。
事前に通勤帰りに新潟駅のヨドバシカメラで何種類かを見た上でネットを買った。
そして一昨日、長岡・川西にあるSCに行ったおり、ジョウシンなど三軒の全国チェーン店で調べたら、
32000円から割り引いて28000円とあった。こうして楽しむのも面白い。平均してネットで買うと、2〜3割は安い。

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2007年12月23日(日)
2454, 「ブログ」について

一年前にブログを2つ開設したが中途半端の状態にしていた。しかし「ブログ」への移行への焦りがあったが、
何かタイミングを待っていた。ブログへの移行のキッカケは、第三者の悪戯だろうと思っていた。
(作り上げた特製のHPに対する愛着もあったが)そして「バード・ウォッチング」へ?
H系のサイトの書き込みがあった。丁度良いと腹をくくって、まずは、それから移行することにした。
問題は、どのサイトのブログを選ぶかである。 検索で「ブログの選び方」「ブログ」と入れたら、
人気のサイトが多く出てきた。そこで数分で開設できるものならと片っ端から開設してみた。7〜8以上である。
まずは去年開設した、「ヤフー」と「goo」の機能を見直し「ココログ」「FC2」「楽天・インフォシーク」
「はてな」「グーグルのblogger」「exsiteblog」等々、開設してみた。
まず私の適正からみて「ヤフー」がベストと判断、「バードウォッチング」を切り替えた。
次に旅行の写真のサイトは「exsite」に、そして次の切り替えは「はてな」を予定している。
どれが良いかではなく、どれが自分に適しているかが選定基準ということである。
この一〜二ヶ月間のブログの選定と使用で、この機能の凄さを感じ取った。
(字数制限のためカット09年12月23日)
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2006年12月23日(土)
2090, 人生は生きるに値するか?
                 b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪よう♭さん♯
『人生が生きるに値するかどうか』は、哲学上最大の問題になる。値しないとして自殺した作家も多々いる。
思想家ではショーペンアウアーは『生きるに値しない!』と言い切った。
しかし彼は長寿であったが・・・!  
ショーペンハウアーのように値しないというなら、生きているだけ無駄として捨ててかかるしかない。
「生きるに値しないからこそ、価値あるものへ転換することが人生である!」という情熱が湧いてくるか? 
それぞれの考え方があるだろう。私の場合は、もちろん『生きるに値する』であるが、どうも世の中、
そうでもない人が多くいるようだ。生きるに値するかどうかは、その人の生きかたであり「生きる意味を求めていけば、
人生は生きるに値するのは当然」。意味=価値であるから、「人生に意味をもとめること=人生に価値をもとめること」
になり、「求めよ、さらば与えられん」のとおり価値が出てくる。
「よく働き、よく学び、よく遊ぶこと、そして常に‘一歩日常から外に出る時間を持つこと’。
 この4つのそれぞれに価値を見出し、冷静に掘り下げていくこと」このことが「私の生きるの値する」
まあ、そんな難しいことを言わないでも、「人生なんぞ『飯食て、糞して、死ぬだけ』じゃないか、
こんなもの!生きるに値してもしなくとも、それが何ほどのもの。
生前があり、生まれ、そして生き、生前に戻るだけ、他に美味い酒を飲んで、上さんの顔を見て幸せと思い、寝て、
楽しい夢でもみて、仕事を楽しんで、人生の価値など考えなければ、それで最高ではないか!」でよいものを。
そこでだ、「お前さんの人生は生きるに値した?」というと難しいから、
「人生で元とった?」と近くの遊び人だった不動産屋の親父(10年近く前に亡くなったが)に聞いたことがあった。
 よくぞ聴いてくれたという顔をして(´ー`)y-~~ 「とったとった十二分にとった!」という返事。
同じ質問を呆けて亡くなる前の母親に同じ頃したところ、やはり「充分すぎるほどとりました!」との返事。
「生きるに値するか」と、「生きた元をとったか」は確かに違う!
しかし、「生きるに値するか」の質問よりも人生の価値を考える時に深い問いになりまいか。
人生の元をとったか?はー充分人生を生きたか?と同じ。
ショウペンハウアーは、人生は生きるに値しないという嫌世家だが、その慰めは芸術で一時期でも
紛らわせることができるとした。 このような難しい問題を気楽に扱うこと自体に問題がある。
答えなどある訳がないのも解っている。しかし、これは生涯自問自答していかなければならない問題である。
しかし、あと三ヶ月の命と宣言され逃れようもない事態に追い込まれて「貴方の人生、生きるに値したのですか?」と、
あと一週間で間違いなく死ぬ人に問われたら、真実どう思うだろうか?「  」しかないないだろ( ^3)〜♪
生きる価値があるかって?「真剣に生きてきた事実の前にそんな愚問は質問に値しない!
クソして寝ろ!この馬鹿野朗!!」というのが、私の現在の答えである。《本当か?本当にそんなことが、いえるのか?》
《たいして真剣に生きてこない御前に相応しくない》と、心の奥の声が聞こえてくるが Ψ(`∀´)Ψケッ!
                             ほんじゃ、ばいばい! o(^-'o)♪☆(o^-^)o〜♪
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2005年12月23日(金)
1725.一年経てば全て過去     
                      オハヨウゴザイマス o┐
「一年経てば、すべて過去」どこかで聞いた言葉だが、全くそのとおりである。
 感情面を入れると、実際のところは三年であるが。(一世一代?の失恋とか、連れ添いの死は治癒期間は三年)
 去年から、10年日記に心情を書いているが、前年の分が上段に書いてあるので、嫌でも目に入る。
 それをみると、一年経てば殆どが過去のことである。  嫌なことを忘れるのが上手い方だが、
 それでもつまらないことに気を使っている自分が解る。〔一年経ったからこそいえることだろうが〕
 反面、30年も前のことが昨日のように感じることもある。年齢を重ねるとは、そういうことかとツクヅク思う。
 殆どのことは、「一年経っても問題だろうか?」と、自問自答すれば良い。
 自分の存在は過去の総合である。数10年経っても心に残っているのは自分にやましい何かがあるためだ。
 しかし人間は過去の総合態〔体〕である。記憶を全て喪失した人間をみればわかるはずだ。
 過去も未来も、言葉でしかないのだろうか?  ( ゜Д゜)⊃旦 < 茶飲めやフォルァ  
                    ~旦_(-ω-`。) ドモドモ
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2004年12月23日(木)
1360, 金に泣く人笑う人 −1

藤本義一のこの本は「面白い」という点では抜群である。この人は、金銭と欲と詐欺にからむ小説を多く書いている。
雑学を多く知っていることに感心をする。一冊の本を書くために、多くの人とインタビューをするから尚更である。
 この本の中にも、ナルホドと唸る面白い話であふれている。
ーその幾つかを抜粋してみるー
12章の「騙しのカラクリ」が面白い。
ーペテンの技法・香具師の商法ー
 香具師の語源は 武士→野武士→野士→野師→香具師と考えるとよいだろう。
 武士になれない野武士が武器を取り上げられて、野士になり、武器を持たないので既に
‘士’でないので野師になったと考えればよい。野師は口先三寸で啖呵売をして騙す方法を考えた。
  つまり、言葉巧みに香具(仏具)を売る方法を考えた。この巧言を説明するとこういうようになる。
香具師は最低二人組む。
 一人の場合は単なる啖呵売りであり、これは詐欺行為でなく、大道芸人の一種と考えてもよい。
 例の「男はつらいよ」の寅次郎を考えればよい。二人以上で組織されるのが香具師の原則である。
 原則的な香具師は一人が山伏姿になり、いま一人は仏具を商う仏具士に化ける。
 先ず山伏に化けた男が京の方から里に下りてくる。錫杖を手にして高下駄を鳴らして歩く白装束は誰も目立つ異様さ。
 そして、山にこもって修行したという人という印象から村人達は尊敬の目を向ける。
 昔も今も詐欺師たちは魅力的な特色を持っていなくてはならない。 この山伏は悠然と村を通り過ぎようとする。
が、一軒の家の前で、急に立ち止まる。家は村の庄屋の場合が多い。庄屋でなくとも、村長と思われる豪勢な屋敷前である。
 山伏はその場で急変する。全身を痙攣させ、口から泡を吹かんばかりの苦しみ方をする。
 村人たちは仰天をして、庄屋を呼びに行く。庄屋は水を与えたり、苦しみを鎮めようとする。
 ようやく一息入れた山伏は苦しい息の下からいう。「この家の前に通りかかった時に、急に悪霊に取りつかれて
 身動きが出来なくなってしまった。出きれば、この家の仏壇を拝ませてほしい」
 庄屋は、これを拒むことはできない。自分の屋敷内に悪霊がいるといわれれば、恐怖心で招き入れる。
 仏壇の前で山伏は狂ったように祈りつづけて、やがて上半身を前にして気を失う。
 (以下字数の関係でカット2008年12月23日)
                      ーつづく
・・・・・・・
2003年12月23日(火)
993, 「魔女は夜ささやく」ー読書日記

 長編小説を読むのは久々である。一昨日家内が親戚の葬式で不在であったので、一気に読み終えてしまった。
 「あ〜面白かった!」というのが実感の言葉である。新聞の書評で激賞をしていたのを読んで、
 早速インターネットで取り寄せた。新幹線の中で読むことにして、約2ヶ月かかった。上下800頁で、読みがいがある。
 初めから一気に緊迫場面の連続で、ロバート・マキャモンの世界に引き込まれてしまった。主人公の青年マシューの真実を
追究する姿勢は好感が持てた。一人の青年の成長過程をみるようで、読み終えて爽やかさが残った。
 内容は 18世紀直前の植民地時代のアメリカ。
以下は字数の関係で中略(2008年12月23日)
  ーー
こういう分野の小説をじっくり読んだのは初めてであった。また新しい世界を見つけたようだ。
 
 ・・・・・・
 2002年12月23日(月) 
619,パタゴニア旅行記ー6

今回の添乗員が過去の添乗員の中でベストの人であった。大手銀行のリストラ組で、その後事業を起こして失敗。
バックの力と自分の力の差を読み違えたと言っていた。「バックとは何か?」の問いに、資金力と答えた。
それにしても、彼の知識量と見識の高さに驚いてしまった。
これで添乗をどん底で経験すれば、人生という意味で大きいものを掴むことができるのではないか?そう甘くはないが。
前回は南アフリカ、今回の南米のパタゴニア、次回はウイーンの新年の恒例のウイーンフィルの観賞の添乗だそうだ。
仕事はテキパキとかたずけるし、質問には何でも完璧に答えるし。凄い人がいるものだとつくづく感じ入った。
特に英語がぺらぺらでイギリスに長年駐在していたようだ。
リストラでこういう人が多く職を失ったと思うと経営者の責任も甚大とつくづく思う。
話しが違うが、秘境の旅で一人参加の人が多い。そのエネルギーに驚かされるし、
何か余白を埋めに来ている人が多い。ある人が何気なく言っていた。
[[帰ったら死ぬ心配をしなくては!いろいろの問題を引き出しの中に
ギュウギュウに押し込んで出かけてきた。帰ったらそれが待ち構えている」人生の圧縮された言葉だ。

・・・・・・・・
2001年12月23日(日)
278 心の開放のために!
心の開放のために!-何からの開放????かんがえてみよう!「心を自由にする為に!
本当に自分がしたいことを見つけよう。これが一種の瞑想だ。これを探し出して、明確にしてそれを推し進める事が
本来の人間の姿だ。それが本来の価値であり、価値観といえる。」下記にコピーした要旨である。瞑想の意味が
今ひとつ解かってなかったが、逆に自分探しという意味で説得力があった。「仕事人間」を馬鹿にする風潮があるが、
本人が本心に楽しければ第三者の批判外である。自己実現こそ心の開放ということか。何事も考えているだけで解からない、
やはり積積的にやってみて初めて解かる。私が好きなのが早稲田教授のエジプト等の遺跡発掘の吉村作治氏である。
3年浪人して早稲田に入り、エジプトの発掘に自分の全財産と全人生を投げ込でいる。
家族の生活費は大学からの収入で。タレント活動の収入は全て発掘活動に使う。
8000万だそうだ。それを種にして寄付等を願うと、その事実の前で4〜5億の金が集まるという。
「タレント教授」といわれても、本人は手段と割り切っているから「そのとうり!」と開き直っているのがいい。 
大橋巨泉の生き方とレベルが違うと思う、それは私の価値観か!
  H6/09ーコピー
ー自己実現のために-日下公人
心を自由にするために、こうするといい。自分は何が欲しいのか、どうすれば幸せに感じるのか、
人の寝静まった深夜に起きて、紙を広げて7つ書いてみなさい。そしてそれに優先順位をつける。終わったら忘れて寝る。
翌日生活していると、おりにふれて思い出す。友人、知人、有名人の言動をみて「あの人は自分の欲望の3番目をやっている」
とか。・・・そうしたら「実現の手段を考えよう。そして実現しそうなことより実行しろ」と。実行の優先順位をつけたら、
ほかの事はやらなくていい。そうすると他の人の話が生き生き自由に聴けるようになる。
こういうような作業は一種の「瞑想」です。

・・・・・・・
12月23日 日曜日 1968年
11時過ぎに起床。 午後はTVを見たり、本を読んだりして過ごす。
21時過ぎに、永田さん等が寮のOB会の忘年会の帰路に寮による。
高橋の部屋で飲み会にでてこいとのこと。 そこで飲んだ後、近くの「ヤマ」という居酒屋で飲む。
一年先輩の衛さんが隣でチョッとしたことで私に怒り出す。 初めは何とも感じていなかったが、
怒りが途中からわいてくる。「あまり他人のことに関心をもつな!」と、我慢をしていたら涙が出てきた。
OB会で私の批難をしていたのだろう。この連中をみていると、まだ学生という臍の緒が抜けてないのだ。
情けない!恥を知れ!卒業をしたら当分は一切の友人と付き合うなということが解かってないのだ。
それも元いた学生寮に入り浸っている姿は最低だ。すっと抜けだして帰ってくる。自分までが情けなくなってくる。
結局何なんだ、自己逃避でまだ学生時代の寮から抜けきれないのだろう。こんなものだ。
ー2003・12月23日 後記ー
 5〜6人来ていたOBのうち二人が政治家の秘書をしていた。一人は未亡人の愛人でお金を貰っていた。
後で聞いたが二人とも県会議員をしているという。何か聞いていてゾッとした。恐らく、変身したのだろう?!
この程度の人が実際のとろの政治家(屋)になっている。ただ、政治家志望の渇望はすざましかった。
この寮の出来事を小説にしたら面白いだろう。馬鹿馬鹿しくて書けない事を脚色したら、その馬鹿馬鹿しい事が
味付けになる。地方出身の鬱々とした男達と、そこの出入りする近くの女子寮の女子大生や、ホモや、
政治ゴロが織りなす赤裸々な私生活だ。書き残すということは、やはり必要である。魂?心の軌跡を残す事になる。


3183, つれづれに ー閑話小題 

2009年12月22日(火)

* 古町の老舗書店「北光社」の閉店
古町の大和の斜向かいにある「北光社」が来月で閉鎖をするという。
大和百貨店も春先に閉鎖するというから、古町にとって大打撃になる。
残るは三越だけになってしまった。 ダウンタウン化が、さらに進むことになる。
大和が撤退したあとは、その客を取り込めるか、それとも、更なる地盤沈下でダウンするかで、
三越の存在も決まってくる。 新潟駅の街中商店街の存在も大きい。
それにしても、小さな書店の閉鎖に新潟日報の反応が、あまりに大きい。
日曜日の朝刊の一面と社会面のトップ扱いである。それだけ象徴的な存在だったのである。
情報化社会で本を読む人が少なくなったことに加え、アマゾンなどのネットからの注文が増加していることもある。
  〜〜
* 質素で退屈で憂鬱な時代
リーマンショック直後に、慶応の池尾和人教授が、2010年代は「質素で退屈で憂鬱な時代」になる、といっていたという。
なるほど、最近の時代風潮であり、自分の気持ちでもある。 「空虚で回顧的で溜息の時代」ともいえる。
それが、一昨日のNHKのゴールデンタイムの「坂之上の雲」の明治時代の回顧と、続いて放送された
「マネー資本主義ウォール街の怪物復活である。 再びアメリカのウォール街で、マネーゲームが復活はじめたレポート。
結局、その最大の被害者は、弱者で、強者は、直ぐに復活をしてくるのである。
で、質素は別に悪くないこと。退屈と憂鬱は気持ちの問題である。なら、それは、それで、割り切ることも必要ではないか。
「空虚で、回顧的で、溜息」よりは、よい。 人口減少も、世界の先進国に先駆け、見本を示すことになる。

・・・・・・・・・
2818, いやいや、驚いた
2008年12月22日(月)
 *娑婆は 色いろあるものだ。
 10日前に面白い?手紙が来た。 自宅前のアパートのオーナー?と名乗る突然の手紙。
十八年分のアパートの駐車場の電気代の割り当ての請求という。
18年×5300円=113万円分の向う三軒両隣の「融雪用電気料金」五軒分の分割、24万円の徴収の願いという内容。
(字数制限の関係でカット 09年12月22日)
・・・・・・・・・・
2007年12月22日(土)
2453, 歌舞伎町事変(1996〜2006)
                           ー読書日記
 「歌舞伎町事変」文ー李小牧  写真ー権 徹  {{"(;-┏Д┓-)o"オハヨウ
歌舞伎町案内人と呼ばれるこの街を知り尽くした中国人、李小牧。
不夜城の暴力と欲望の全てを写し撮るため徘徊し続ける韓国人写真家、権徹。
歌舞伎町の生の姿を撮りつづけた10年分の記録である。
殆どが白黒と、カラーの写真で彩られている。いつの間にか新宿歌舞伎町の
魔界のヤクザと警官と不法滞在外人などの緊迫した世界に引き込まれてしまう。
恐いもの見たさでついつい見ているうちに、カメラマンの目なってしまっている。
歌舞伎町裏社会の話が当事者から生の写真でレポートされているから迫真に迫っている。
新潟とはいえ飲食繁華街で商売をしているので、知っていた方がよい情報で満ちている。
韓国人、中国人の目で見ているのも切口を鋭くしていた。
これを読んでいると、あまり一見の店には行けなくなる。

ーーーーー
 P−44
2001年年9月11日が歴史の美転換期であったように、03年4月年は、
2003年4月22日は、歌舞伎町にとって大きなターニングポイントだった。
この日を境に、この街の歴史は一変し、私を含めて、数多くの「住人」たちが
様々な影警を受けた。生きるか、死ぬかの影馨だ。あれから3年以上が経過した。
現在の歌舞伎町がどのように変化したかは、一度足を運んだ者なら身をもって
感じていていることだろう。300軒以上あったヘルスや本番エステなどの性風俗店は、
風営法以前からの許可店3-4軒を残して全滅。街中にいた1000人以上のキャッチたちも激減。
街を歩いても、これまでのように韓国語や中国語、タイ語の嬌声は聞こえてこない。
住入たちを惹きつけてやまなかった地下カジノは一掃され、全国からわざわざ
買いに来る人もいた歌舞伎町名物「裏DVD」を売る店も跡形もなくなってしまった。
他にも、過激さが売りだった個室つきのセクキャバ、中国美女の持ち帰りができる
デートクラブ、風俗嬢やキャパ嬢のパネルが焼々と光る無料案内所…等々、
なくなってしまったものを挙げればキリがない。
摘発期間中、もちろん私は毎日歌舞伎町に立ち続け、数々の摘発の瞬間に居合わせ、
立ち会ってきた。私が一番詳しいといっても過言ではない。
そして、一斉摘発の2年後。05年-月27日に、歌舞伎町から犯罪をなくし、
健全な街としての活性化を目指す任意団体「歌舞伎町ルネッサンス推進協議会」
(会長・中山弘子新宿区長)が発足した。
警察や消防、入管、自治体、有識者、地元商店街、興行会社が参画し、犯罪取り締まりと
街の活性化、街づくりを一体的に進める試みである。
協議会は元内閣安全保障室長の佐々淳行氏、建築家で東大特別栄誉教授の安藤忠雄氏、
・・・・(略)
p−109
監視カメラとNシステムの設置も原因の一つだろう。2002年に運用が開始された「街頭防犯システム」
という名の監視カメラ網は、最初に設置された50台を皮切りに、その後も着々と増設されている。
当初の50台の内訳は、固定カメラ18台(デジタルズーム30倍超)
固定カメラ(左右360度・上下、180度回転。光学ズーム20倍、デジタルズームをかけあわせると220倍にもなる)、
そして高感度カメラ1台(光学ズームー5倍。 3CCDで超精密撮影が可能)である。これらのカメラは、
最高で人間が持つ新聞上の文字さえも判別できるという。 この監視カメラの映像が、新宿署と警視庁に
送られるという仕組みだ。さらに同時期、歌舞伎町を囲いこむ形で、
Nシステム(通過する全車両のナンバープレートを無差別に撮影し、データを記録。・・・・(略)
ーーーーーーー
後記) リンチや、警察に追われて逃げ回るヤクの売人、そして警察から身を隠す女たちの後姿など、
見たことの無かった写真の羅列である。これも情報化なのだろうが、その場に身を投じていなければ
写せない写真である。             つづく
                  アァン!(▼□▼#)モンクアンノヵ?
 ・・・・・・・
2006年12月22日
2089, 道教と儒教
          <(_ _)><(_ _)> おはようございます!
  少し硬い一席を!
          
  昔から中国では二つの役割を儒教と道教が果してきた。中国人は長い歴史の中で、
  功なれば儒教の徒になり、失意の時や隠居の身になった時は、道教を奉じるようになる。

   ・儒教は、人間社会を構成していく基盤として男性原理的であり、を説き、
    それぞれの分を戒め、それに忠実に従うことを求める。
   ・それに対し道教は、老荘の哲学が元になっている。
    無為自然を基本におき、人間の色いろな規則からなる社会の掟をことごとく否定。 
    また儒教などを超越した世界に住むことが最上としており、女性原理に支えられる。
    道教の自然主義は傷ついた心を癒す力になるが、現実からの逃避主義ともいえる。

   孔子は時の権力者に都合のよい思想をつくり上げ売り込んだという見方がある。
   それは自分の思想で世の中を良くしたいという一心から出たものである。
   どちらかというと窮屈な悲観的イメージがついてまわる。
  「自省・反省」を常に自分に課す思想といえるが、その「自省・反省」という裏には、
   常に「世間的に認められる人」になりたいという意味が隠されている。
   その「認められる人」は社会的に偉い人ではなく「人間としてでき上った人」の意味が強い。

    これに対して、老子は孔子の世俗的なものを根本から否定する。
    山の中の一軒屋に住んで仙人的な生活を良しとするイメージがついてまわる。
    どうでもよいことに汲々とするな、無為自然に日々を生きよと説く。
    老子の思想の中で「三宝」が説かれている。「慈」と「倹」と「先に立たず」である。
   ・「慈」は、万物を包容する広さ、
   ・「倹」は、自分の状況に応じて慎ましやかにしていられる心のゆとり、
   ・「先にたたず」は、名声を求めない心の落ちつきである。
    これを持つためには、私利・私欲を捨てさえすれば自然の中にいるような、無心の気持ちになれると説く。 
    常に大宇宙のような森のように大自然であれ。人為的な差別や争いから一歩退いて水のように柔軟であれ。
    名利にとらわれないで、自らを誇るな。 足るを知れ。 大自然の道に従え。 等々である。
ーー
以上であるが、学生時代に貝塚茂樹著「諸子百家」の中の『師徒行伝』と、『老子の哲学』『荘子の立場』を読んだ。
その本が現在、手元にあるが、学生時代の感想は、孔子に対しては「権力者に尾を振る人」、
老子には「山中の田畑を耕して隠れ住む人」、荘子は「農家で晴耕雨読をする人」であった。
今でも論語に対しては、「何で自分から首輪をつけなければならないのか?」という気持ちは変わらない。 
 0∧ ∧
 [^ェ^]
  ===  わん
000( ω ω ) 彡
あくまで教養の一端として把握しておけばよい、というレベルしか理解していないということ?
この思想を手っ取り早く言えば、厳しい父親と、優しい母親ということ!
得意の時は心の中で父親と酒を交わし、失意の時は母親とお茶でも飲んで社会を鳥瞰しているイメージか。
            ごきげんよう さようならm(__)m
・・・・・・・・
2005年12月22日(木)
1724, なにを遺せるのだろうか
                    ~~旦⊂(・∀・ )マァ チャ!
中野孝次著
「何を遺せますか」という本がある。実際のところ我われは後世に一体何が遺せるのだろうか?
この本に、人が死後に遺せそうなものについてあれこれ検討してみたが、結局最もたしかな後世に
遺せるものは人間性である、というくだりがある。財産を残すことができるが、通常こだわっている目に見えるもの
 ー金、家、土地、遺言、宝物、宝石等は、いずれは消滅する。著者は後世に残せるものは唯一人間性であるという。
                       【゜Д゜】y─┛~~~
遺すべき考えられるモノ・コトを目次にあげてそれぞれを説明しているが、その幾つかをみると成る程と考えさせられる。
 以下は目次からひろってみた項目である。
ー?ー
勲章

お金                カネ・マネ+.゜(●´I`)b゜+.゜
暮らしのなかの器と道具
コレクション
原稿・手紙
日記
寄付
臓器移植

木を遺す
会社
人類の文化           ビンボウ ノコソッ!(=^ε^= )”’
                   (;`・ω・)ノ ---===≡【えぇ?!マジ?】
普段何げなく考えていることを、            ウソ! (^┰^;)ゞ
整然と書かれているのを見ると考えさせられる。
人は死んで何を遺すかというー生の結末から、いかに生きるべきかが逆に見えてくる。
我われを成り立たせている物や事を取りあげ、死後に遺すに足るか否かを検討、
「最もたしかな後世に遺せるものは人間性である」と結論づけている。子供達の残るものは親の性格の一部である。
多くの姉と兄を見ていてつくづく感じることである。この時代の大激変の渦中、自分の残せるものを見つめ、
逆算することこそ必要だろう。 
                 バイ!(。・o・。)ノ
 ・・・・・・・ 
2004年12月22日(水)
1359, 「23歳の日記」ー8
ー9月01日 1969年
新潟の六日町の雲屯庵にきている。学生時代に司法試験のため一人勉強している三条の高橋さんがいた
新井石龍禅師と、早速話しをさせてもらう。私「世の中こんなに厳しいとは思ってもいませんでした!
理屈と実社会との隔離に、ただただ驚いています」
禅師「世の中は、変わりはしない。世の中が厳しいのではなく、あなたの理屈が甘かっただけの話です。」
私「・・・・・」その夜、日本にきていた慶応卒で、ハーバード大ビジネス・スクールの在学中の同じ歳の人と、
高橋さんと、そこの雲水と話をする。ところが、その雲水が博学で、高橋さんと私はダンマリ。
ハーバードと雲水の議論に全くついていけないのだ。どうしたのだろう?
禅師に昼間真っ二つに甘さを指摘され、夜は夜で二人の議論についていけない自分が、ここにいる。
何だろう、何だろう、何だろう! 実践としてスーパーに入ったが、何にもできない中途半端な自分が存在し、
現実として濁流の中で、もう溺れかけてアップアップしているだけの自分が、神戸の垂水の地で一人呆然としているだけ。
どうしたのだ、どうしたのだ。適当に真面目に考えることもないが、早くいま一度、ゼロから知識の再構築をしないと。
逃げ込んだところで、逆に叩きのめされてしまった。

・・・・・・・・
2003年12月22日(月)
992, クリスマス
 クリスマスといえば色いろ思い出がある。
子供の頃ツリーを買ってきて,電飾を姉たちと作った時のトキメキをクリスマスソングを聞くと思い出す。
 パリのシャンゼリデ通りの電飾の美しさも忘れられない。またフィンランドのヘルシンキの
クリスマスイブの氷を張りつめたような神聖な思い出がある。
街全体が張り詰めた独特の雰囲気に包まれていた。丁度、日本の年越しに似ている。
 会社でスペインに行ったときの帰りに立ち寄ったのだ。
その時、何かの時間待ちに会社の和田さんと二人で30分ばかり街を歩いたのが、
いやに記憶に残っている。昔の正月の街を歩いたような既視感が印象的であった。
最近は不景気のせいか、あまりデコレーションスケーキの派手な販売は殆ど見られなくなってしまった。
 昨日ダイエーで光ファイバーで出来たツリーを買ってきた。ふとレジの横を見ると半額セールで1500円。
糸状の先に小さな光が点滅する幻想的なものであった。家で飾ったところ思ったよりずっと良かった。
ミニサンタなどと供にクリスマスの雰囲気がでてきた。インターネットでクリスマスと検索したら、
以下の内容が印象的であった。
・・・・・
 ークリスマスを楽しむ24の方法ー
クリスマス・グランデからちいさな提案です。
01:指折り数えて待つ。 待つことで見えてくるものがあるはず。
02:書を捨てよ、街へ出よ。 参考書はなし。肌で感じることからはじめましょう。
03:毎年、を持つ。 プレートでもカードでも。積み重ねる月日の上にあなたがいます。
04:手紙を書いてみる。 言うは易し書くは難し…僕は手紙というものが苦手です(^^;
05:今年あったいいことを書き出す。 たぶん、今年会ったいい人のリストに?
06:三年後に残したいものは何か? 三日後でも百年後でもなく、三年後を考えてみてください。
  −あとは略
 -------------------
 以上だが、 何かブルークリスマス用の楽しみ方みたいだ。
 それでも、楽しむことは良い! 最近は何でも意識的に楽しむことにしている。
 
 ーーーーーー
2002年12月22日(日)
618, パタゴニア旅行記ー5
 ー広尾のお犬様 ー
旅行をしていると、普段では会えない人といろいろ出会える。
今回は一人参加の東京の高級住宅地の広尾の奥様がいた。 犬の話から、愛犬の散歩の話題になった。
広尾の公園で朝のお散歩の話で大爆笑であった。愛犬に衣装を着せて連れてくるが、そのファッションが面白いとか。
天使の翼をつけたお衣装だったり夏は浴衣であったりする。 冬は何と毛皮を着せた犬もいるという。
まあそういう人は水商売の人だとか。犬にも公園デビューがあり、数日は全ての犬が匂いをかきにやってくるという。
そして認知をされるという。まあ人間の世界と同じである。 犬好きの人は自分の犬の自慢がしたいらしい。
このあたりも人間と類似している。まずは相手の犬を褒める。 そうすると互いの褒めあいの場になるという。
横で聞いていると馬鹿みたいだが、それがまた面白いとか。 聞いていても目に浮かぶようだ。
住人でもないのに遠くから車に乗せてその世界に来る人もいるとか。
人間の一番の悲しい?いや愛くるしい性が丸出しのところがよい。
愛犬は飼ってないが、散歩でその世界を毎朝近くの土手で見ているから真実味がある。

・・・・・・・
2001年12月22日(土)
277、笑いについてー
私の最大の素質に気づいた! 腹から笑える事だ! 昔からいろいろあったが、これは子供の時からの特技だ!
それだけ激しい真ん中(商家)に生きていたからだろう。
笑っていなくては、やってられない!TVの漫才をみて笑っていたら、親戚の叔母が見ていて不思議そうな顔をして
「どうしたらそうして笑えるの?」と、学生の時代に聞いたことがあった。
笑うとは何だろう?もちろん理屈はある程度解かっている。でも実感としての(笑)とは何?と考えた事があるか?
人生から笑いをとったら、残るのは何だろう?笑う為に生きてきたみたいなものだ。
それだけで人生元を取ったように思える。いや感動・感激もいえるが。
笑いと感動は、魂の顕現化といっていい!それでは落語家か、漫才家になればよい。しかしそれは商品でしかない。
実際の(笑)は違う。心、いや、魂の緩みだ!どういうわけか、過去を振り返ってみて、笑いだけは常にあった。
笑えない時期でも、(笑い)は別腹であった。その理由は今でも解かってないが、背後に豊かさがあった為だろう。
家内に言わせると、どんな時期でもTVの「落語や漫才」を見て、大笑いをしていたらしい。
でも本当にそうかと自問してみると、そうでもないか!?「凍りつくような時期」ではどうであっただろうか?
笑いはなっかった!やはり結婚をして,家庭を持ってからは、どんな時期にも笑いだけはあったようだ。
それが家庭の効用?か。 いや訓練と、習慣である!

ーーーーーーー
12月22日 土曜日
1968年
9時起床に後、食事。土砂降りである。 千葉に住む、すぐ上の姉・礼子さん宅へ向かう。
しかし早速、二人でいがみあう。あいも変わらず仲が良いのか悪いのか解らない。
彼女の悲観的な面から抜け切れてないのが気に入らない。如何してマイナスマイナスに考えるのだろう。 
夫婦仲が原因?。15時に寮に向けて出発。 17時前に寮に到着。瓜生君の部屋で、お茶を飲む。
その後部屋にいると、米林君が来て5日間の寮内の出来事を何気なく切り出す。
佐藤と駒村孝道がチョッとしたハプニングがあったという。
また一年先輩の留年組みで残っている佐々木さんが女性を連れ込んだとか。今さら何もいうことがない。
あと二ヶ月で居なくなるのだから。もういいだろう。20時過ぎに飲みにでる。 まあ、面白い一日であった。


3182, Twitter の意味すること! ー2

2009年12月21日(月)

 私の、この随想日記の一行が大よそ50文字である。ということは、140文字といえば三行になる。
そうすると、「要するに」「つまり」の要点か、本音のツブヤキしかない。だから、面白いのである。
新聞は、500〜1000文字が、雑誌は、1000〜2000文字が記事としての目安。
相手に大よその情報を伝える場合は、200文字という。それを三分の一の140文字にするのは大変である。
だから「思考の断片」か「自然にでた本音」を書くしかない。「つぶやきしろう」とかいうのもいた。
小泉元首相が一言コメントで、国民の心を捉えたこともあったが、今からすれば、国民にたいするツブヤキでしかなかった。
 ところで、著者はTwitterのマーケティング活用の可能性について言及。
その目的を「情報発信・PR」「ユーザーサポート」「ブランディング」の3点と整理。 
その上で、ユーザーから得られるものとして、「ダイレクトでリアルタイムな反応」「ユーザーがどこでつまづいてるのか」
といったサポート的な情報、「Twitter上でブームが起きる過程」が調べられるという3点を挙げている。
 またTwitterを「マーケティングには間違いなく使える」と断言。
取り組むべき最大のポイントとして、
・コストが安いことを挙げた。無料でアカウントを開設でき、担当者が1人いれば情報発信できる。
・さらにTwitterには「ゆるい雰囲気」があるので、企業もできる範囲で取り組む“ベストエフォート”
が許される環境にあるという。 Twitterには面白い発言がフォローを集め、クチコミで広がるためサービス。
「社内で面白く、トラブルに対応できる人間にTwitterをやらせる」ことで色いろなノウハウが得られる、という。
グーグル社が「ユーチューブ」を1500億円で買収されたが、現在の米ツイッター社は900憶円の価値というから、
如何に数秒で発信できる、この手軽なミニブログの凄みの大きさに驚かされる。
「今の六本木の映像が見たい」と入れれば、六本木のあらゆる場所から、携帯電話の生映像が見ることが
出来るのも一年以内に可能ということになる。 まあ、面白い時代である。

・・・・・・・・
2817, ケインズの「相場は『美人投票』論」」
2008年12月21日(日)

 ケインズは以下のように、相場と『美人投票』の類似性と、相違から、相場の本質を述べている。
 「玄人筋の投資は新聞紙上の美人コンテスト、参加者は100枚の写真の中から最も美しい顔かたちの六人を
 選び出すことを要求され、参加者全員の平均的な選好に最も近い選択をした人に賞品が与えられるという
 趣向のコンテストになぞらえてみることもできよう。 このようなコンテストでは、それぞれの参加者は自分が
 いちばん美しいと思う顔を選ぶのではなく、他の参加者の心を最も捉えそうだと思われる顔を選ばなければならない。 
 全員が問題を同じ観点から見ているのである。」と 述べている。 結果としてどうなるかというと、他の者は誰を選ぶか、
 という観点から予想される者が選ばれることになる。 この点に関し、岩井克人東大教授は、「その結果選ばれる
『美人』とは、皆が美人として扱うから皆が美人として扱うという『自己循環論法』の産物にすぎない」という。
 解りやすい例えである。ソローの論は、この辺もヒントになったのか?。新自由経済資本主義のフリードマン的な考え方には、
 再び戻ることはないとしても、時間と共に再び規制が緩和され、同じような大規模な金融危機が発生する可能性もある。
 それはさておいて、投資と、投機は違うもの、投機は美人投票論に近いだろう。
『儲かると信じて買い、結果として損をして売る』パターンが一般人の結果としてなる。上がり切ったところで、
 逆張りをして反対の流れをつくって暴落させる、これもあるから、素人が儲かるわけがない。
 「賭場の八百長ツボふり」と、同じである。 それもNTTの株売却時のように、国家単位で仕掛けてくる。
 このケインズの美人投票理論を応用したものが、GoogleのPageRankだと言う。よく考えるものだ。
 検索エンジンが、勝手に独自の評価項目を作り上げて選んだページではなく、Webページ同士のリンクという投票行動を、
 ページのランキングスコアとして採用したのである。 これによって、検索が原始時代から抜け出すことができるように
 なった上に、広告効果が飛躍的に伸びたのである。持っているお金さえ、国家間では相場で決まることから考えても、
 金を持つこと自体が投機行為である。その貨幣が現在、一番不安定ときているから・・・・

  ・・・・・・・・・
 2007年12月21日(金)
2452, 居場所を見つけたときに人間は変わる −1
                  (。´_`)ノおはぁ。
人生の中で、しっかりした家庭で育った人は結局紆余曲折があっても元に戻るものだ。
人間には何があっても、あなたを受け入れてくれる家庭を必要とする。そこが本人にとっての居場所なのであろう。
以下の短い文章の中に、家庭、夫婦、人間に必要なことは何かを考えさせられた。 強い父、優しい母、
そして喧嘩する兄弟が必要である。親、教育者、上司として、考えさせられる示唆が多く含まれている。
そういえば、ヘレンケラーの恩師のサリバン先生の指導に似ている。
そうこう考えると、人間には最低の教養と、暖かい家庭が必要ということだ。
ーーーーーーー  「存在の大地」高史明・芹沢俊介・上田紀行著
 芹沢:
いまの話にも関わってくるような象徴的な話を聞いたことがあります。それは、一人の青年の話なのですが、
物を盗んで仕方がない二十歳ぐらいの青年がいて、月に何回となく物を盗むのです。それで、何回となく捕まる。
ところが警察はちょっとした盗みぐらいでは刑務所へ送らない。裁判にまで持っていくことはないのです。 
彼も「もう二度とやりません」と言っては、また盗みをやる。それでまた捕まるということを繰り返していた
青年がいました。この青年に対して、ある施設で、二つの対応策が出てきたのです。
・一つは、警察や裁判所をうまく使って、彼を一度きつい場面へ追い込もうと。
強い規律と訓練と指導とがあるような場所を通過させて、その後に自分たちが引き受けようという
方策を提案した人がいました。ところがもう一人、その案に対して「ノー」と言った人がいるのです。
そして結局、その施設では後の人の案を採用して、青年に対応することになりました。
・彼と対応したのは一人の女性だったのですが、その人が彼にどういう接し方をしていったかと言うと、
とにかく特別扱いをするということをしたのです。その青年は、いまの言葉で言えば非常にキレやすい人なので、
キレたときには、すぐ一対一になってとことん彼の言い分を聞くということがひとつ。
もうひとつ、その青年は人に殴りかかったりすることはないけれども、大声を出したり、
物を投げたり蹴飛ばしたりして人を威嚇することがあるのです。その場合は、とことんやりあう。
つまり、彼が大声を出せば、それに負けないぐらいの大声でどなり返す。
相手が物を蹴飛ばせば、自分も蹴っ飛ばす。要するに、喧嘩の相手をきちっとやる。その二つを徹底するのです。
・そして最後にもうひとつ、これがとてもすごいことなのですけれども、
「あなたのことが好きだ」ということを彼に伝えるのですね。「あなたのことが好きなので、
あなたがどんなことをしても、私はあなたのそばを離れない」というのです。
そういう対応をしながら、その女性は彼の過去を探っていくのです。
そうすると青年が母さんに捨てられたことがわかってくる。生まれてすぐに捨てられ、乳児院に預けられる。
乳児院から養護施設を経て成長していくのですが、記録を見て驚いた。
乳児院と養護施設で代わるがわる彼に関わった10人の職員の中で、誰として彼の長所を挙げた人がいない。
欠点ばかり書かれたデータが残っているだけなのです。あらためて彼女は、彼を特別扱いして一対一で対応することと、
喧嘩をきちっと一緒にやるということ。 そして「あなたのことが大好きで、どんなことがあったって離れない」
ということを伝えるという三つの対応を続けることを心に決めた。さてその結果どうなったかと言うと、
警察に逮捕される回数が激減していくのです。毎月のように何度も捕まっていたのが、
去年は年間を通して四回、今年は10月までに1回といったように、次第に減ってきた。
ーーー
以上だが、夫婦関係にも似ている。どんなに喧嘩をしても、何があっても別れない。
相手を必要としている、というメッセージを出し続けることである。 相性の悪いのは、仕方がないが、
しかし少なくとも対話の訓練、いや、相手の話を聞く訓練はしておくべきである。でも、相性もあるか?
後記)たまたま、このテーマを取上げたら、去年の同日、家族について取上げていた。 不思議なことだ!           
            つづく  (。・∀・)ノ゛
・・・・・・・・・
2006年12月21日(木)
2088, 14歳からの哲学−1      才八∋ウ_〆(∀`●)   
   「14歳からの哲学」 池田晶子著 
                   − 読書日記   
「知ることより考えること」と、「人生のほんとう」と、「41歳からの哲学」と、
この「14歳からの哲学」の中から、その都度目についたテーマを考えてみる。
人間として、社会人として、家庭人として、色いろな問題を地頭で考えているから、
そして子供向きに書いてあるから、解りやすく、深いところが考えやすい。
 今回は、
    ー「家族」ーである。 
「家族」については、家庭崩壊が大問題になっている現在、その本質をつかまえておかなければおかなければなるまい。
 家庭内離婚の含めたら半分は家庭崩壊というが、その中で一人一人が夫婦とは、親子とは何かをしっかりと
 把握しておかないと両親の犠牲になったり、子供の犠牲になってしまうことになる。
カナダでは親の責任は高校卒業するまでという。卒業したら学費を夏休みと冬休みにアルバイトで稼ぎ出すのが常識になっている。 
観光地の若い従業員は殆どが大学生の学費稼ぎである。首相の子供でも、大金持ちの子供でも、もし親が出している
ということが知れると、一人立ちできない人間として軽蔑されるという。
どこかの国の、いい歳をしたフリーターとは「独立心・自立」という面で雲泥の差がある。
動物の母親の責任は子が外敵に襲われても個体で対処できる時点という。
その時点を過ぎると、親は子供を冷たく突き放す。これは殆どの動物に共通の親子関係であり、
例外は人間位のもの。 本来、人間も当てはめることが自然である。
    
ー著者の「家族」についての章の中の要点を抜粋してみる。なかなか面白い!
 ーーー
世の中にはたくさんの他人がいるが、その一番近い他人が、家族である。
その痛みや心が解らないという意味で、たしかに他人である。
君が君のもともとの君は、誰から生まれたものではない。もともと君自身なのだ。
両親は、あなたの両親ではないというなら、いったい誰なのだろう。
彼らのほうから考えてみよう。彼らにしたって、あなたが生まれたから君の親になったのであって、はじめから君の親として
いたわけではない。あなたが生まれなかったら、彼らはただの彼らであって初めから親という彼らではない。
この事実を、多くの場合忘れている。誰が生まれるかわからなかったのに君が生まれたという、
他人と他人のこの不思議な出会いの感動を忘れて、君のことを自分の子供だと思い込んでしまう。
親の役割は動物では、子供が独り立ちできるようになるまで、危険から守って育てることだ。
子供が独り立ちできるようになれば、それ以上手を出そうともしないどころか、逆に突き放そうとする。
それでは動物の親でない人間の親の役割があるとすれば、それこそが、他でもない、
人生の真実を教えることのはずだ。子供より先に生きている者として、何が危険で、何が大事か、
人はどのように生きるべきかを教える役割がある。真実とは何かを考え、教えることができるのは人間だけなんだ。
両親が全知全能と思っていたかもしれないが、君が生まれることによって、初めて親になったんだ。
完全な親なんて、人間の中には存在しないのだ。完全な親であることができるのは、動物の親だけなんだ。
≪以下、字数制限のためカット、09年12月21日≫
・・・・・・・・
2005年12月21日(水)
1723, ベルグマンの法則
             オハョョヨヨ∃"ヽ( ゚∀゚)ノ"ョョヨヨ∃ゥ!!
 生物学上の法則に「ベルクマンの法則」がある。
 哺乳動物の分布と体の大きさの関係を表した法則で「近縁のものが南北に渡って分布するときは、
 寒い地域に生活するもののほうが、体が大きくなる。」というもの。
 例えばクマでは (。'(ェ)'。)ノ♪北海道のヒグマと本州のツキノワグマではヒグマの方が体が大きい。
 ホッキョクグマ 体長3.5m 体重400〜500kg
 ヒグマ 体長 2m 体重300kg     
 ツキノワグマ 1.5m 体重60〜150kgと、極端に北にいくほど大きくなる。☆━━━…‥‥ソウカ〜('(ェ)'ヽ)
 その理由は、体重の大きなものは小さいものに比べて体表面積の割合が小さく、それだけ保温効果が大きいから。 
 もっっとわかりやすく言うと、大きな鍋と小さな鍋ではどっちがさめにくいか、考えてみるとよくわかる。
 他にも「アレンの法則 」というのもある。 キツネやアメリカのウサギ類の耳のように  m9(`ω゚)  
「より寒冷地に行くに従って体の突出部が小さくなる傾向がある」というもの。
 突出部が小さいと熱の放散量が多く、突出部が小さいと放散量が少ないためだ。     
 さらに「グログラーの法則」というものもある。哺乳動物の分布と体の色との関わりを表した法則。
「近縁のものが南北に渡って分布するときは、北に生活するものがほど体色が薄く白っぽくなる傾向にある」というもの。   
 人間もほ乳類だから、この原理は当てはまる。確かに北国の人は色が白い。中間のアジアは黄色で、南にいくほど黒くなる。
 旅行してきて気がついたことは、カナダや北欧で黒人やインド人をほとんど見かけない。 体質的に合わないのだろう。
    
 ・・・・・・・・・
 2004年12月21日(火)
1358, あなた、ここにお座りください
「あなた、ここにお座りください」夫に出て行けといわれた妻が、
「私の大切な物を一つ持って行きます」と風呂敷を広げた後にこう言ったそうです。 
 昨日の朝日新聞の一面広告の中の、思わず手帳にメモをしたくなる
「身近な人の名言・格言」と「手帳・日記・家計簿の商品企画」の大賞受賞作である。他にも幾つかあった。
ー字数の関係でカット(2008・12月21日) 
         
・・・・・・・
2003年12月21日(日)
991, 離婚事情ー2
2日前に長岡の大手通りの市役所サービスセンターに印鑑証明をとりにいった時、
 隣りの市役所相談室という小さなコーナーに電話がかかってきた。老齢の相談員の話し声が聞こえてきた。
 「ハイハイ、・・・・・、ところで貴女の年齢は幾つなんですか? エッ74歳!その歳で離婚ですか。
 何をいっているのですか、いいを歳をして」その声を背にして帰ってきたが、何か切ない思いが残った。
 数軒先の近所の人が最近60歳を過ぎて二組離婚をしたとかいう。以前も離婚について書いたことがあった。
 家庭内離婚を含めて、5分5分とは恐ろしいことである。ということは、この文章を書かない方がよいのだが。
 一番に身近にいる他人が連れ添いである。それが一つ屋根に住んで、舅姑などの圧縮された人間関係の中で
 二人の権力闘争が絡んでくるから一層難しい問題になる。その人の全て圧縮されたのが夫婦問題といってよい。
 一つ間違えばお互いの人生の破滅も待っている。以前、取引をしていたメーカーの社長は玄人向きの女好きだが、
 その結果として奥さんに「?病」をうつしてしまった。離婚はしなかったが、酷いものだ。 
 この人の過去をみていると、一番世話になった人の裏切りの積み重ねであった。勤めていた会社の取引先や同僚を奪っていた。
 「自分とは何かを考えるということは、他人とは何かを考えることである」その一番身近な他人が連れ添いになる。
 浮気や、可処分所得の分配、互いの身内との人間関係などで、自分と他人の関係の接点でトラブルが生じてくる。
 ある仲睦ましい老夫婦にその秘訣を聞いたところ「我慢、我慢、我慢・・ただ我慢!」と答えたという
 ジョークのような話しがある。子供の頃両親の喧嘩も何回か見てきた。親の喧嘩は一番子供の心を傷をつけるものである。
 子供の神経症は、殆ど両親の不仲からきている。以前、遠い親戚の老齢になってからの離婚のことを書いたことがある。
 やはり、その子どもは神経症で病院通いをしていた。スナックのママさんを見ていると、結婚は大事にしなくては
 ならないものだと実感する。しかし「合わないのは合わない!」のはよーく解るが!
 当たり外れは5分というのも神様は酷な課題を与えたものだ! 本当!
 以前書いた文章です。
 ーーーーー
533, 離婚事情
2002年09月28日(土)
ー字数の関係でカット(2007・12月21日)
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2002年12月21日(土)
617,パタゴニア旅行記(タンゴ)ー4
アルゼンチンタンゴがすばらしい!昔はブエノスアイリスは女性が少なく、その憂さを晴らすため船員同士が
女のふりをしてエロッチクな踊りをふざけて踊ったのが由来という。
それが波止場近くの娼婦の売り込みの踊りと変化していった。
そして、その踊りが西欧の人達に認められていった。従って内容はエロチックで情念丸出しのものであった。
ブエノスアイリスで一番の1400人収容の店で、ショーが2時間以上にわたって繰り広げられた。
全く期待をしていかなかったのが良かったのか、初めから終わりまで拍手喝さいのすばらしいショーであった。
お客の全員が感動に包まれ、アンコールの連続であった。今まで見たショーで一番の感動と言ってよい。
辛口のツアーの同行者もこれだけは絶賛をしていた。この旅を締めくくるに最高のイベントでもあった。
写真を見てもらえれば解るはずだ。よいのはダンサーが一番楽しんでいる事だ。 心に多くのものを残してくれた。

・・・・・・・
2001年12月21日(金)
276、べきことを、べき時に、べくすべき
  ーべきことを、べき時に、べくすべき
 昔からこの言葉が好きだった。「時節到来」ということか。その時その時の何かの時節がある。
 それを見つけ、積極的に挑むということだ。 昨日書いた「後回し」の諌めでもある。
 学生時代は勉強を、働く時期には働き、引退すべき時は引退をという事だ。
 これがこのまま出来ないのが人生だ。あるいは社会だ、それだから面白いのだ。
 その時のすべきことが見えなくなってしまうからだ。その意味で家族、親の果たすべき役割は大きい。
 結局それを刷り込むのが親の教育だからだ。親として耳が痛いが。 その世界に埋没してしまうと、
 べきことが見えなくなってしまうケースが多い。常に変化に対し、チャレンジと闘いをしつづけていく姿勢が必要だ。
 その時々、基本としてウオームハートとクールヘッドが必要だ。いつもウオームヘッドとクールハートになっているからだ。

・・・・・・・
ある時間の断片
12月21日  ー1968年
 昨日に続き、今日も空白になっていました。 明日からは続いています。
(おそらく卒論の最後のまとめで、書いている余裕が無かったと思います)


3181、インコの話

2009年12月20日(日)

 私はペット好きだが、家内は大嫌い人間。 子供の頃から家には犬か猫、はたまた猿が家に同居していた。
猿は二代にわたり4年位はいた。 結婚してから10年後に、互いに妥協?をして小桜インコを5代にわたり飼っていた。
しかし子供二人が大学に行ってしまい、誰も居なくなってからは飼わなくなってしまった。 それと最後のインコを
寒さで死なせた罪悪感から飼うのを止めたのこともある。 ところが三ヶ月ほど前に、スーパーセンターの「ムサシ」の
ペット売り場で中型インコの「メキシコ・コガネインコ」を衝動買いをして飼っている。 生後半年で、人に懐いている。
近くに引っ越していった長男が、このインコを飼ってから必ず家に立ち寄り、世話をするようになった。 
本人に特に懐いていて、家内が言うには長男の車の音を聞き分けるという。 ここまで人に懐くと情がうつるもの。 
 買った時、そのインコを送り出す女店員二人が、車まで籠にいれたインコをキャリアカーで持ってきてくれたが、
何か寂しそうな顔をしていたのが印象的であった。「凄く人に懐いていて、寂しがりや。外にでたがるので、籠の蓋を開けても
外にでない臆病なところもある。三ヶ月も皆で可愛がっていたので、愛情がタップリあるので、可愛がって下さい」という。
それを直感したので、私も買ったのだが。 二ヶ月前に、犬の半値セールのチラシが入っていて、面白そうなので
立ち寄った時に見かけたインコ。 その後、そのインコがまだいるか気になって再び行ったが、売れずに居たのである。 
インコにしては値段が高いからである。 小桜インコの数倍は人に懐く性格で、頭を撫ぜると親から毛繕いを
してもらっているような顔をする。 一度、冬越えをすれば、寒さにも慣れるという。
それにしても四六時中、独り遊びをしているのには感心する。
 「動物は露出した魂そのもの」というが、成るほどである。 家内も以前ほどケギライをしなくなった。
 
・・・・・
2816, 不況景色 −5
2008年12月20日(土)
*貸し剥がしが、全国で吹き荒れ、そして大量倒産が

一昨夜のNHKの「クローズアップ現代」は30分の枠を1時間15分に延期した厳しいものだった。
その中での中小企業への銀行の貸し剥がしを具体的にレポートしていた。
一般的には、銀行借り入れは短期と長期の組み合わせになっている。短期は、半年とか1年で借り換えをするが、
まずは、急激に悪化した企業には、借り換え時期の貸し出しを断る。銀行の立場からすれば当たり前だが、
物件持込など銀行が持ち込んだ投資案件など、銀行に梯子を外されるケースも多い。
長期も計画通り返済できない時に、返せなかった部分を銀行が追い貸しをしながら企業の回復を待つケースが多い。
ところが、今回の金融恐慌で、銀行も企業も体力が消耗して上に、日本中は貸し剥がしが露骨に行われているという。
レポートは、黒字を長年続けている企業に突然、借り換え時に返済を要求してきたケースであった。
 その経営者は、何で突然返済を迫られたか呆然としていた。
当社のコンサルティングをしてもらっている、H氏が先日の酒席で、「銀行の貸し剥がしについて、どう定義づけますか?」
と問われた。深く意味を考えたことがないので、その時に思いのまま答えたことは、「資金の切迫している弱みに付け込んで
強引に資金回収すること」あるいは「自社の都合で、借り換え時に資金を回収すること」と答えた。
H氏曰く、「償却後に利益を出している会社から一方的に資金回収すること」 成るほど思ったが、
「それがホテルや製造業などの設備装置産業にいえることでは」と問い返した。
飲食業など、三年〜五年が目安のところもあるからだ。 それに対して、「いや同じだと思う」という。
そういえば、今回の金融恐慌に対して、当社の数年先の最悪の売り上げダウンの場合の一つの目安が、
設備の償却後の利益確保を基にしている。 審査の厳しい銀行も、初めにそこをみる。
9・11のテロ以来、4年間ジワジワと売り上げがダウンした時に、それをネタに大手銀行に揺さぶられたことがある。
H氏は『償却後に、これだけ利益を出しているだけで、何を言っているのか。その支店長のパフォーマンス。
動じることは全くない』と終始一貫していた。ゆすぶられた時の売り上げが底で、その直後に回復基調になったので、
それ以上の揺さぶりはなかったが・・。 それにしても、今考えてみても明らかにオカシイ動きだった。
同時期、全国で同じような異様な動きをして大問題になり、その後、大人しくなった。 
それからみて今度の落ち込みがどれ位になるか、考えただけでも末恐ろしい。貸し剥がしは、これから数年間は続くだろう。 
銀行そのものも一つ間違えば、不良債権の山になり倒産になりかねない。ところで、いま一度実感としての貸しはがしとは?
「貸出先の危険を他の金融機関に一歩先に取り立てる銀行の立場を守る行為」 ?
まずは第一波が、来年の1月05日である。年末に資金繰りの出来なかった企業の倒産が続出。
次が2月初旬。そして3波が4月初旬で、次からは毎月の初旬で、来年は恐慌パニックの年になる。 恐ろしいことだ。 
 5年後に駅前再開発の道路拡張で、1つホテルが収容され、それが返済財源にプラスされるから大丈夫だが、
それでも何が起きるか分からない。
  5年以内に、半数近くの事業所が消滅するだろう。
 過去5年で三割以上が消滅したというから、何も極論でない。
  (新しいのが出来ているので目立たないが)
*追記(12月21日)Hさんから、早速メールが入り、「償却前の利益」
  の勘違いという。前と後の一言で、大違いである。
 もし、これがマスコミで知れわたったっら、多くの中小企業は助かるはずだ。
 
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2007年12月20日(木)
2451, 今日を楽しむための100の言葉
 『今日を楽しむための100の言葉』伊藤守著 ディスカバー21
「自分自身の素晴らしさに気づく」ことをテーマとするiBDセミナーを
15年間主催してきた著者が、今まで語ってきた中から100の短い言葉を選び出してある。
若い人はそのまま受け止めればよいが、この歳のためか、その正反対の言葉が出てしまう。
それでは、せっかくの言葉が台無しになるので、書くことは控える。 特に若い人に良い言葉だろう! 
 ーーーー
 『辛いだなんて、格好つけるな。』
 ー
『嘘がいけないのではない。 問題は、自分がどんな嘘をついているか、知らないこと。』
*嬉しくもないのに嬉しいと言ってしまったり、だいじょうぶじゃないのにだいじょうぶな振りをしたり。
 わたしたちは、たくさん嘘をついている。そして、そのことに気がついていない。まるで、失神したまま生きているようだ。
  ー
『やりたいことはやっている。やらなかったことは、やりたくなかったこと。」
*やっていないことを反省するより、いろんなことをたくさんやった方がいい。
 周りの人がどう思うか、そんなことはどうでもいいから。
 ー
『可能性は、いつもあなたの外にある。したことないこと、やってごらん。』
 ー
『気球が上がっていくときは、最初に砂袋を捨てるんです。
 いくらヘリウムガスを入れようと、それより重い砂袋をもっていては上がらない。
 いまもっているものを何ひとつ捨てることなく、気持ちだけ軽くなろうだなんて、ちょっとむずかしい。
 ー 
『あぶなくなったら、トカゲは尻尾を切る。タヌキは死んだ振りをする。 ヒトは、感じない振りをする。』
 −
『誰かがあなたを好きなのはあなたが優しいからじゃない。あなたがあなただから。』
 ー
『うまくいってる人は うまくいくパターンを使ってる。
 上手いってない人は 上手いかないパターンを使ってる。それだけのこと。」
 ー
『楽しくない人生は、基本的に意味が無い。」
*毎日ご機嫌で暮らしている人の前では、業績とか財産とか、
 これまで自分がすがってきたものが、本当に色あせて感じられるものです。
 ー
『私たちは誰かのために生まれてきたんじゃない』
*それなのにどうして他人の評価で自分の価値を計ろうとする習慣から 抜け出さないのだろう
 ー
『目標をひとつに決める勇気を持ちなさい』
*私たちが目標を持てないのは、目標を決めてしまったら、
 それ以外のものが手に入らなくなってしまうのではないかと恐れているから。
 何かひとつでも、本当に達成できたらすべてが手に入るというのに。
 完全になったから人に認められるわけではない完全になったから人に愛されるわけではない
 ー
『いちばん問題なのは、問題なんかないという状態に逃げ込んだ人。』
 ー
『人間はそう簡単に変われるものじゃないって?そう思っている人は,確かに変わらないと思うよ。』
 ー
『天に星が輝いていても、あなたが見上げなければ、ないに等しい
あなたが自分自身に目を向けなければ、あなたの価値もないに等しい』
 ー
『ほかの誰かになろうとしない ほかの誰かにならないようにしない』
ーーーーー
以上だが、やはり素直に受け止めた方が良い言葉である。
考えること、考え続けること、それが最も大事なことである。
そのためには独りになる時間を持つこと、問題から逃げないことである。      
今日を楽しむといったら、任せておけ!と言いたいところだが・・・
殆ど、私にとって当たり前のこと?でしかない?? いや、違うか??微妙なところだ!
                  (*^−^)ノ バアイ
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2006年12月20日(水)
2087, 経験についての一考察 −2
        b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー♪
10日ほど前に、「経験」について書いたが、さらに考えをすすめてみよう。    
歳を重ねるとは経験を重ねることであり、それが成熟することであり、良い人生経験を重ねることが
熟年として豊かな心で最後の光となる、云々と前回書いた。経験がマイナスの部分から自分の心を苛むことも多くなった。
福田和也の「成熟への名作案内」(PHP)に以下のような一節があったが、自分の心の影の部分をそのまま言い当てている。
ードイツの哲学者ヘーゲルは、経験を「自分の真実を失うこと」だと書いている。
自分の真実を失う、つまりこれが自分なのだ、自分はこういう人間であり、そのように認識され規定を試みた人間として、
この世の中を見ているんだという、自信というよりも、自認と足場が崩壊し、自己が自己として、自分に対して
持っていた信頼感なり当てにする気持ちが胡散霧消してしまうこと、それが経験なのだ。
それは自分というのは、良くも悪くも、この程度の人間、がんばっても、しくじっても、この範囲の人間であり、
どんな窮地におかれても、最低の品位を崩すことはない、というような自信が、具体的な行動の中で失われる、
あるいは変わるということ。 それが、経験だと、ヘーゲルは言っている。
だとすれば、成熟とは、何よりも自分が自分であるということを失い、自分から任じていたような、
立派な人間ではなければ、尊ぶべき個性も独自性も、勇気も持っていないということを知り、
その崩壊のあとになお、自分の姿を見つめて生きていこうと努力することが、成熟をするということに他ならない。
  ーーー
  以上であるが、私の現在の心情はとりもなおさずほぼ同じである。
  これが「熟年という心象風景」かと、毎日のように内省する日々である。
  経験を重ねるということは深い悩みが色濃く蓄積していくことでもある。
  ひとり、心の奥の高みにいて、すべてを見下していた自分が、「薄汚れた軽薄な馬鹿な男」と気がついたときの衝撃。
  そのとき、中原中也の詩「汚れてしまった悲しみに 今日も・・」の悲しみが深く心に響いてくる。
  挫折という「心の背骨」の骨折で逃げおおせなくなったとき、見下していた周囲を見上げたときに初めて気づく真実の光景。
  そのとき、自分の価値観が根底から変化する。  この繰り返しの中で、人間の成熟が初めてもたらされる。    
  熟年は、深く心の憂いが霧になって取り囲んでくる。  その中で独り飲むコーヒーの味も良いが!
                (⌒▽⌒)/"”さいなら!
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2005年12月20日(火)
1722, 時代を読み解く「三つの言葉」
             才八∋_φ(・ω・`)゜+.
文藝春秋の今月号の<新年特別企画> の特集が面白い。
 この数年は、殆んど月刊誌と週刊誌を買わなくなった。
  図書館で立ち読みをする程度だが、文芸春秋の新年号の新聞広告をみて
   思わず買って読んだが、それぞれなかなか含蓄がある。
各界リーダー32人が選ぶ時代を読み解く三つのキーワーであるが、それぞれの人の文章が短いが鋭い。
 その一部を抜粋する
 (字数の関係でカット 09年12月20日)
  ・・・・・・・・
 2004年12月20日(月)
1357, 23歳の日記ー7
 1969年 7月17日 神戸・垂水にて
この会社で、もう何人から誘われたが、女の職場は厳しい。
一人に振り向けば、その人以外は全てに無視されるのが女性の職場である。
地方のせいか、心の綺麗な純粋な人が多い。また、声をかけてくる人は自分に自信がある人だ。
目的がなければ何人かが合格で?、毎日が楽しい日々だろう。
それでは何故ここまで来たのか、意味がなくなる。それと、学生時代の女友達と比較してしまう。
妥協できない。武澤先生のいう、学生時代に相手を見つけておくのが一番良い相手に出会う確率が高い、
というのがわかる。 ただ、決めてしまっていれば、今のような気持ちでなれない。
ーーーー
7月18日
今日、堀田君と女性に関してお互いに誓う
『女性に関して、お互いに流されないようにチェックしてコントロールする。』
早く妥協してしまいそうだからだ。彼も、動揺するような誘いが多いようだ。
全くもう、こんな異様な状況で神戸の元町のような場所に誘われて・・、
自分が自制できなくなる。荷物は持たないことだ。持ってしまってからではお終いである。
それにしても、神戸も綺麗なあかぬけた明るい女性の多い。若い女性の中は、地方の特徴がそのまま出ている。
ーーーーー
8月9日
意のむくまま、文章を書いてみよう。9月になったら、1〜5日まで休暇をもらうことにしよう。
最も効率的にすごす為には、学生時代に卒論を書く為に籠った
新潟の六日町の雲屯庵に行くことにした。そこで自分を見直してみるのもよいだろう。
自分を冷静な状態にしておかないと、大きな落とし穴にはまり込んでしまう。
自分の目的が何だか解らなくなってしまう。こう文章を書いていても、この境遇から何も見えなくなりつつある。
同室に堀田君という同期がいるから、気持の中で支えがあるが。
あまりにも4ヶ月は変化が激しいし、刺激が強すぎる。自分を支える為にも、違う視点を持つ為に。

・・・・・・・
2004年12月20日
ー感想記
文章に残すということは、良いのか悪いのか。
読めば読むほど記憶としての糸口になるが、反省・悔悟の思いがでてくる。
35年前の反省をしても仕方がないだろうに。恐らく死期を悟った時、昔のことが走馬灯の思い出され、
反省と悔悟と、反面喜びなどの、多くの思いが重く軽く、嵐のように吹き荒れるのだろう。
真面目な、世間知らずの?男が、高度成長期の時代背景の中で、あせっている姿がそのまま文章に出ている。
当時の心の傷が、そのまま今も残っている。 心のままに書き残すことも大事なことだ。
それにしても、やはり異常な状況での体験であった。 20〜40歳代は、誰もがこんなものか?
それとも、やはり? 人生は面白い!

・・・・・・・
2003年12月20日(土)
 990, 軽井沢の思い出ー2
軽井沢駅から少し歩いたところに「離山」という小さな山がある。麓から頂上まで一時間もしないうちに登れる山で、
独りで何回か登った。その頂上から見る風情は何ともいえない趣があった。 また別荘地の散策も面白い。
歩いているだけで豊かな気持ちになれるのだ。 別荘と、そこの表札を見ているだけでも面白い。
有名人や大手の会社の名前で占められているのだ。それと一歩、別荘地に入ると殆ど人気が無いのもよい。
一時期、都内の若い女性の間で「5千円族」というのが流行ったことがあった。 その金額で休日、軽井沢の日帰りコース
として丁度手軽だからだ。別荘地を散策して、軽井沢銀座のウインドウショッピングをして、軽く食事をして5千円で済ます。
早朝、街を歩いていると小奇麗な喫茶店が開いていて何げなく飲んだコーヒーが絶品だったことを思い出した。
いま考えいてみると、何処の湧き水と最高級のコーヒー豆を使用していたのだろう。
また「万平ホテル」もレトロ調で軽井沢にピッタリの雰囲気。 そこのレストランが美味しい。
ところで私の新婚旅行は軽井沢であった。挙式後、三浦さん夫妻と一緒に帰ったことを思い出した。
丁度30年前のことである。

・・・・・・・・・
2002年12月20日(金)
 616,パタゴニア旅行記−3
パタゴニアの印象といえば、氷河の他に遠くに広がる原野とアンデス山脈である。
アルゼンチンからペルーへの移動で見た左右の視界が270?もあるアンデス山脈のパノラマが素晴らしい。
数千メートルの山頂なら幾らでもあろうが、少し小高い平地で三百キロに近い景色が見えるのは想像を絶していた。
アフリカで数十キロの視界の景色を見たときの驚きを今もはっきり憶えているが、それがなんと数百キロの
視界の景色を目の当たりに見たのだ。 世界は驚異に満ちていると実感した瞬間であった。
秘境系の旅行はこういうチャンスに満ちているのがよい。世界の果てのマゼラン海峡や世界の果ての町ウシュアイア。
そこから船に乗り、ビーグル水道に埋めつくすアザラシやペンギンの群れをまじかに見たのも鮮烈な記憶に残っている。
人口十万のこの町で見た夕日の美しさも忘れられない思い出だ。 大型の野良犬があちこちに屯していたのが印象的だ。
厳しく貧しく派手さはないが、ある豊かさを感じ取った。ほとんど時代の変化に翻弄されることなく地道に生きてきた
逞しさからくるものであろう。ペルーでは殆ど見ることなかったコンドルが多く見ることができたのも今回の印象であった。
小さいテーブルマウンテンに似ている山の岩壁に巣が多く作られていた。ペルーで見たリャマの一種の野生のグアナコが
身近に多く見れた。それとダチョウにそっくりの野生のニャンドウも印象的であった。
両者とも捕獲が禁止されている為に多く繁殖した。
その土地の景色にピッタリの動物が棲んでいるのも自然のなせる業だろう。

・・・・・・・・
2001年12月20日(木)
 275、後回しー我が内なる無能性
後回しにして忘れ失敗した事を、誰もが数知れず経験しているはずだ。後回しは半分以上やらないことだ。
言葉の遊びになると思うが、「さき回し」もあるはずだ。準備はそれに似ている。
夢を持つことは、一種のさき回しになる。準備はものごとを上手くやる最大の秘訣である。
成功の功はネルという意味だ。練り上げ成すことが、成功という。準備・計画の練り上げが最も大切だ。
計画の練り上げ内容でほぼ決まってしまう。実行プロセスはあくまで、その手順レベルでしかない。
後回しはそのレベルと全く違う。ABC分析のCの後回しならわかる。 それ全て含めて後に回す。
無知無能の習慣パターンだ。わかっている、それが致命傷のなることを。
そして今までそれで致命傷に近い失敗をした。それでも後回しにしようとする。
今の日本の姿そのものがこれだ。ここにきても更に改革を後回しにしよう
のたうち回っている。戦後社会主義ー官僚体制主義から抜けきれずに。
決断の後回し、いや決定の後回しといっていい。後で後で後で人生終わってしまう!
「全て定年後といって内の亭主何にもしないの!」と家内の知人が言っていると
いう話を聞いたことがある。それの究極だ。ブラックジョークにもならない。


3180,今年の総括

2009年12月19日(土)

 今年も総括の時期になってしまった。 
去年のリーマンショックや、中国・深川大地震のような大事件は無かった。
オバマが一月末に正式にアメリカ大統領に選出、日本では自民党が惨敗し民主党の鳩山政権が発足。
それと新インフルエンザが本格的な流行を始めたことと、WBCで日本が優勝、マイケル・ジャクソンが
亡くなったことぐらい。 身辺でも金融恐慌の暗い雰囲気が漂ってはいたが、亡くなった人は従妹一人。 
 来年は、その分だけ大きな経済的事件や、国際紛争も起きそうである。 今年は、中休止の年というところか。 
しかし日本経済は厳しさを増している。 当方も新潟国体で何とか息をつけたが来年は大きなイベントは見当たらない。 
来年は来年だが、気持ちは暗くなる。
 今年を歴史的に振り返ると、「ハイパー・デフレが始まり」「新インフルエンザが本格的に蔓延」、
「自民党が崩壊、民主党が政権を取り」「国債発行が予算を超えた」が、キーワードになる。
決して安泰の年というのではなく、急な坂を転げ落ちていく境目の年である。
 私自身、25年ぶりに海外旅行に行かなかったことである。 9月に行こうとしたが、新インフルエンザの
世界的な拡大に迷いが出て、キャンセル。 今からすると、行っておくべきだったと後悔をしている。
この恐慌の中、行かない判断も正解だったのかもしれない。 2001年9月11日のテロと、去年の9月15日の
リーマンショックの激震で、世界は大動乱に入ってしまった。 その二つの津波のウネリが大きく覆い被さってきているのが、
昨今の大不景気の原因。 今年も無事?終わりそうだが、来年はどうなっているか? 神のみぞ知るである。

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2815, 不況景色 −4
2008年12月19日(金)

 今回の金融危機で、まずは日本の自動車、住宅、電気メーカーが大打撃で、深刻な事態になっている。
その一つが為替差損である。一円のドル安でトヨタで400億というから、120円から87円となれば、
33円×400億=一兆三千億円以上になる。数年でトヨタでさえ倒産というのも肯ける。
ニュースでホンダのトップが涙目で、異常事態と言っていたが、果たして如何だろうか?
 野口悠紀雄の『円安バブル崩壊』の中では、
ー「「金融緩和政策と為替介入によって生み出された異常な円安バルブが崩壊して、本来の状態に戻りつつあるだけ」
 と指摘。金融崩壊までの景気拡大は、企業の“選択と集中”による企業体質の強化や、改革による効果というよりも、
 異常な円安バブルがもたらしたものだという。( この本は2008年5月29日に発行だが・・・)
 昨年8月以降に急激な円高が進んだが、日米の金利差や消費者物価上昇率を比較すると為替レートは1ドル=60〜70円程度。
 世界でほぼ同一品質のものが販売されているマクドナルドのビッグマックが課税前価格で日米で同じ価格の為替レートを
 算出すると1ドル=79円に相当するという。 これから考えても、きっかけは金融危機としても、円高は円安バブルの崩壊の
 70円代というのも肯ける。この自動車業界の惨状からみて、これまでの彼らの繁栄が、大多数の国民の犠牲の上で
 成り立っていたと思うと、腹が立つことも事実である。
 ーこの本のP−8にある次の箇所を読んでいて、腹が立ってきた。ー
 ・・・・「ビッグマック指数を使って次のように考えるとよくわかる。
 東京で276円で買ったビックマックをニューヨークに持っていって売るとする。販売収入3、49ドルを100円のレートで
 日本円にすれば349円になる。276円の元手で349円が得られるから、こういう行動が利益をもたらすのである。
 移動で品質が低下するので現実的ではないが、製造業では品質は低下しないから、取引は現実的になる。
 たとえば、「日本でもアメリカでも自動車がビッグマック一万個分」とすると、日本円で276万円の車が、
 3万4900ドルになる。したがって、日本で製造した車が外国に輸出して売れば、右のメカニズムで利益が発生する。」
 この数年間に現実の経済で生じたことの基本は、このようなことだった。・・・・
 現在起こっていることは、その正常値になっただけと、野口悠紀雄は述べているのである。
 それも一挙だから、パニック状態になるのである。 円高は原油高、穀物高、資源などを5割以上も高く買わされていた
 国民からみたら、マイナスである。 その上で、彼らは繁栄を謳歌していたのである。それが東海ベルト地帯だけが、
 その他の地域と違う国ではないかとさえ思えるほどの差になっていたのである。

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2007年12月19日(水)
2450, 手帳は予定、日記は過去を書くもの!
                          (σ・з・)σオハYO!!
そろそろ来年度の日記と手帳の準備に入る時期である。 最近では手帳と日記が兼用になっているものも目立つ。
書いたこと自体忘れていた学生時代の日記を倉庫で見つけ読み返し、その当時の記憶が鮮明に思い出されて、
気持ちを書き残す重要性を実感した。当時、何故書き残していたのか?当時の日記からすると、
自己コントロールとして書いていたようだ。それが結果として行動記録になったのである。
現在はブログと随想日記に日々行動と心情を書いているが、見られることが前提である。
学生時代の日記に39年ぶりに出会って懐かしく感じるのは、本心を書いていたからだ。
公開していたら、赤裸々な気持ちをそのまま書けなかっただろう。昨日、毎日新聞の読書欄に東大教授が
日記と手帳について解りやすく書いていた。 ズバリである。下手に心情など書こうとするから書けなくなる。 
身近なことを簡潔にメモを刷ればよい、それも自分の言葉で!
ーまずは、その内容からー
日記をつけない人はいう。いったい何を書いたらいいのかと。何も書く必要はないのだ。
何かを書こうと思う時点で拘束され、負担に。やがて挫折。日記は提出の必要なし。
文章表現に凝ることはない。自由きままに、その人の「いちばん楽なごとば」でつければいい。
感情表現を加えると重くなる。寝る前に一日を振り返り、「晴。午後から講義。夜、必殺仕事人、見る」。
ぼくはこんな感じ。田山花袋は、いう。事実を書くだけでいいと。
<こう思ったとか、ああ思ったとかいうことよりも、こういうことをした、
ああいうことをしたという行為を書いておく方が「日記」という本来の性質にかなっている>。
  (字数の関係でカット2008年12月19日)
 荒川洋治、東大教授(日本政治思想史)日記の「新年」 (._.〃)ゝ…バイバイ
 ーーー
私のように読書の要約を残すため公開するコーナーや、日々の社会の感想を何気なく
書き続けることで、より周囲や社会を深く広くみることを動機にしている輩にとって、
誰にも見せない日記も必要になる。それでも、いつか誰かに見られる前提で書くしかない。
そうだとしても独り自分に対峙する日記は、必ず習慣として持つべきである。

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2006年12月19日(火)
2086, 哲学者が霊能者を一刀両断すると!−2
           オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!   
「知ることよりも考えること 」−?  読書日記
             
「生きていること自体が、神秘体験である。生前、死後の世界と何を取り繕っているのか、馬鹿も休み休み言いなさい。
 それなら、現に生きている神秘を説明してみたら!」と問われたら江原某はどう答えるのだろうか?
「見えるものは見える」と言うしかないか。それとも「それじゃ心が見えますか?」と言うか?
 ばっさり切り捨てている部分が更に面白い。             
   ー生きていること自体が神秘体験だろう!−
  ーー
 前世を語る者たちの、オーラとカルマの「物語」なのだ。物語とは、文字通り物語なのだから、本当でも嘘でもない。
 知り得ないことについて、本当とも嘘とも言えないのは決まっている。
 あれらの物語を求める人はおそらく、あれらの物語を「本当のことだ」と思っている。
 それを信じることによって、人生の意味と理由が与えられたように思うのである。
 しかし、そのような仕方で与えられるような人生の意味と理由は、それ自体が物語である。
 本当か嘘かさだけではない。 そんなもので本当に救われるのだろうか。
 人が何らかの神秘的なもの、「神秘体験」に惹かれるのも、恐らく同じ理由である。
 オーラやカルマや臨死体験を神秘というなら、自分が存在しているということは、どうして神秘ではないのか。
 ほとんどの人は、自分が存在していることを神秘だとは感じていない。そんなことは当たり前だと思っている。
(以下、字数制限のためカット 09年12月19日)
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2005年12月19日(月)
1721, 日本一短い手紙 「喜怒哀楽」 −1
『 日本一短い手紙』のシリーズを読むのが二冊目になるが この「喜怒哀楽」がよい!
  人間の赤裸々な姿だからだ。 読んだ瞬間、涙が出そうになった。 何も書けません! w(;o◎)w
ー 第10回一筆啓上賞の中の10篇である。

口元のわずかな動きで分かります。かあさん、きょうは、うれしいんだね。
                    金子数栄 長崎県 59歳 農業
喜怒哀楽って季節みたいだ。1度に全部来ないし、何かを残してすぎてゆく。
                   寺沢紗裕里 岩手県大船渡市 15歳 中学3年
潮が引いた浜辺に貝が二つ。お父さん、私達みたいだね。次の波も 被り抜いていこう。
                   田中久美子 熊本県水俣市 46歳 地方公務員
家族全員がいたときの玄関いっぱいの あの喜怒哀楽の靴たちはどこですか
                   中江三青 鳥取県鳥取市 54歳 会社員
畜生!あげたてのてんぷらが食いてえ! ― ガ島で戦死した兄からの最後のハガキ ―
                   井邑勝 福岡県北九州市 69歳 無職
きみは小さな足でかわいい地団駄を踏む。 いったい誰から教わったんだい?
                   塩見直紀 京都府綾部市 37歳 自営業
雨音で目を覚ましたので窓を見たら アジサイがのぞいて笑っていました。
                   岸波由佳 福島県福島市 18歳 高校3年生
目を閉じるとき瞬間私は貴方との人生に「喜怒哀楽」のどの顔をするかしら
                   高橋直美 青森県青森市 31歳 主婦
母が怒り出したから、「だっ」と逃げたら、「だだっ」と母が追って来た。
                   石榑美樹 新潟県長岡市 18歳 高校3年生
いつの間にか付けていた心の仮面が、 今では勝手に感情を作る。本当の感情はどれ?
                   加藤裕美子 福井県福井市 15歳 高校1年生
ー他にも、すばらしい作品が多くある。 人の心は、弱く儚いものだが
 ーー
ねぇあなた、哀しみの次には楽しさが来るんだよ。 もう一度頑張ってみようよ。           
先日、満員電車で、席を譲られてね、感謝したけど、何故か心に、空席が出来たよ。           
あなたがいないから、泣いていたんじゃないの、私もいないから、泣いていたの。            
虹が出た時、土筆の顔が見えた時、今年初めて燕を発見した時。何だか幸せ。      
「喜び」はきっと一人じゃ作れないよ。だって一人じゃうれしくないじゃん。
      
・・・・・・・
2004年12月19日(日)
1356, 梅の花ー2
部屋は六畳ぐらいの大きさで、机の下が掘りごたつ風になっている。
メニューは、湯葉煮、茶碗蒸し、豆腐のけんちん揚げ、黒豚と季節野菜の豆乳しゃぶしゃぶ、
豆乳リゾッテ風、シャーベットである。食事が終了するのに、一時間半はかかった。
挨拶に来た、マネジャー風の人の話によると「昼客の殆どが女性のグループで、11時過ぎに来て2時近くまでいる。
その為お客はあまり回転をしない」とか。最短で1時間半かかるのだから、女性客はそれだけ居座るだろう。
いま流行の、スローフードの典型である。「郊外型、高級料亭ふう京料理のスーパーストア廉価店」といえる。
新潟下越と中越地区の女性客が一巡する数年は、物珍しさも手伝って好成績をあげるだろう。
その後は何とかやっていけるかどうかの業態。経営者も、3〜4年で投資回収をしてしまえば、後は何とかなると
踏んでいるのではないだろうか。 たまたま知人の姪が、東京の「梅の花」で店長をしているという。
新潟のこの店は成功で、客単価は5000円弱。 会社全体として、この三年で勢いは落ち始めたという。
店で作る豆腐以外は九州の本部から送ってくるレトルトの加工するだけ。「チェーンシステムを京懐石料理に取り入れた」
ということだ。「梅の花」のHPを調べると、決算書の内容から見て、それほど好業績の会社ではない。
売り上げが200億、自己資本比率が30%弱。多店化を始めた頃の店が成績が急落したため、新店でカバーせざるを
得ないというのが決算書から読み取れる。 三年前の9・11事件からの落ち込みは何処も同じである。
客としての判断は、あくまでも女性客に的をしぼった店であり、もう二度と行かなくてもよい店である。
 しかし、長い時間ゆっくりと食事をしたい女性客にとっては良いと思われる。

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 2003年12月19日(金)
989, 軽井沢の思い出
 現在書いている随想日記に「軽井沢」のことが頻繁に出てくる。 記憶の彼方のことが、今更のように思い出される。
 大学二年の秋に、隣の部屋の先輩から「OBの先輩がペアレントをしている軽井沢の山荘」のアルバイトに誘われた。
丁度、学生時代の生活に慣れて、寮とクラブだけの生活に辟易としていた時期で、丁度よいタイミングであった。
 仕事といえば、食事つくりと、掃除と、宿泊客の夜の遊び相手である。
若い女性が殆どで、フォークソングを一緒に歌い、ゲームをしたり、話相手になる。
初めての経験で夢のような毎日であった。卒業するまで連休や夏・冬休みなどに二年間ほど行っていた。
 早朝の朝もやの中、宿泊客とか同じヘルパーの女学生と散歩をするのが一番の楽しみであった。
並木道の木が重なり合っている「愛のトンネル」いや「「愛の小道」という絵に出てくるような場所もあった。
周囲は別荘や池やホテルなどがあり鳥のさえずりや雉の鳴き声が聞こえてきて、幻想的な小説の主人公になったような世界。
 そこで仲が良くなって東京で会ってもTPOSが違うのか、一度で夢破れたことが何回かあった。
夢は夢にしておくべきということを何度か再確認をした。 また久々に会う女学生が嬉しそうな顔をして走りよってくる姿が、
何ともいえない記憶として残っている。  何で誰とも結婚しなかったのだろうか、不思議で仕方がない。
両親の縛りから抜け出せなかったのだろう。いや??!まだ受け止められるだけのものが無かった。
 ところで話が変るが、そこの名前は「友愛山荘」であった。旧軽から歩いて7〜8分のところにあった。
政治家一族の鳩山家の政治団体「友愛」が、ボランティアで運営しているユースホステルであった。
今はもう「鳩山家」の別荘に変っている。 そのペアレントー山荘の責任者が、学生寮の先輩で「三浦満さん」あった。
結婚したてで、奥さんが明るい人で「波子さん」と言われて皆に慕われていた。 一歳の赤ちゃんがいた。
夜の「お遊びタイム」の後、三浦さんと酒を飲みながら政治や哲学など話すのも楽しみだった。
{ユースホステルでは、宿泊客をホステラーといい、アルバイトをヘルパー、マネジャー役の夫婦をペアレントという。}
 大学を卒業をしてから10年位の間2年に一度は遊びにいっていた。また私の結婚式には三浦夫妻に出席してもらった。
「海外旅行」「葉山」「留学」「軽井沢」「外車」ゼミ」などの言葉は学生時代の私の世界では、特別の響きがあった。
友人の何人かは外車のアルファロメオやフォルクスワーゲンなどを乗り回していた。
貧乏(寮生活)と金持ち(欧州旅行で知り合った友人)の狭間で、目が回るような日々であった。
 今から考えてみると、あらゆる人と社会的なものを一切脱ぎ捨てて、裸で付き合えたのが学生時代の一番の特典であった。

・・・・・・・
2002年12月19日(木)
615, パタゴニアの旅行記ー2
 この旅行は12月4日〜17日までの14日間の旅行であった。
・まずの見どころは世界自然遺産の一つ氷河国立公園の拠点のアルゼンチンのカラファテに三連泊。
 大迫力の氷河の崩落を見るペリノモレノ氷河、及び氷山の浮かぶアルティーノ湖のクルーズを楽しみ、
 この氷河国立公園最大のウプサラ氷河を見る内容であった。 モレノ氷河については前回書いたが、
 ウプサラ湖の一面小さい氷山で埋め尽くした景観はその氷河をバックに何ともいえない美しさを現していた。
 またウプサラ氷河は幅10?高さ80?の壮大な景観を、晴天の空の青に氷河の白と青をミックスさせて
 我々の眼の前に展開していた。 何ともいえないパタゴニアの美しさに時間の静止を感じた。
・次のハイライトはパイネ国立公園であった。1万年前に絶滅した巨大なナマケモノーミロドンの骨が発見された
 ミロドンの洞窟の岩ドームに呆然とした。その中でやはり圧巻はパイネグランデの雄姿である。
 雲を頂く岩峰が4つ天を突き刺す姿はパタゴニアを象徴するものである。帰りの車の中でみたその姿は
 一生概忘れられない夕景であった。山頂近くまで以前氷河があったのが山頂の岩の色の違いで分かるのがよい。
 その先にあったグレー湖とその水源のグレー氷河に50?近くまで船を近づて見上げたのも印象的。
 氷河の美しさでは近くで見たこともあってベストであった。

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2001年12月19日(水)
274,一卵性双生児
今は行かなくなったが、10年前ぐらい週一回、10年近く通っていた店がある。
そこの板前兼亭主が一卵性双生児である。店の名前が「味生」である。
面白いのが、共同経営のうえに一軒の住宅に二家族が住んでいる。
子供が2〜3人ずついて、食事も一緒に食べるという。二人の奥さんが一日交代に店にきて手伝う。
残ったほうの1人が家事をするという。小説になるような話だ。「現実は小説より奇なり」とはよく云ったものだ。
ふぐの専門店で客種はいい、なんともいえない雰囲気があった。副業と趣味を兼ね、チャウチャウのブリーダーでもある。
双子の世界は、一般の常識では解らないものが「テレパシーとか感覚の世界」であるという。
二人がカモシダシテイル雰囲気がなんともいえなくいい。TV小説の世界に入ったような気になる。色いろな世界があるものだ!

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ある時間の断片
12月19日 1968年 
 目が覚めたのが12時少し過ぎである。少し寝すぎたようだ。食後13時から17時まで集中して卒論を書き上げる。
休んで、21時から0時まで再び集中する。そこから頭を休めるつもりで、「愛について」を読む。
今の自分の姿勢を否定している部分が多い。「受容」と、「犠牲的精神」「信頼」という部分が見失われているようだ。
クールヘッド・ウオームハートといっているが、今の私が完全に逆のようだ。もっと広い範囲で本を読むべきであった。


3179, Twitter の意味すること!

2009年12月18日(金)

 4ヶ月前に、一度ツイッターに興味を持ち登録をして試したが、その後は全く見もしなかった。
ところが10日前になるが、衛星TVのニュース専門番組で、「ツイッター」の特別番組を放送していた。 
そこで驚いたのが、そこに自分のブログを貼り付けたり、写真を貼り付けるサービスのPicture.Twitterなどがあることだった。 
・ツイッターとは、それらを含め分りやすくいうとミニブログである。
 基本は、「140文字で、つぶやく」原始的、現場の生生しさが、見る方にとっても面白いことである。 
・モバイルや携帯電話で、気楽に、自由に、思いのままの言葉を発信できるのが取り柄である。
・そのつぶやきに、見ている人が、語りかけることが出来るのが良い。 
それでは、自分がというと、少し抵抗がある。 しかし加藤登紀子などのつぶやきに割って入ってつぶやくことが、
 現実に可能なのである。
 私の場合、ヤフーのブログ《バードウォッチ》で、「つぶやき」専門として毎日書きこんでいるが、
 イタズラの書き込みがあってから、発信専門にかえた。 
 ところで先日さっそく書店で「Twitter社会論」津田大介著 を買ってきて読んでいる。 
ネットにTwitterの6つの特徴が書いてあった。 「リアルタイム性」「伝播力が強い」「オープン性」
                      「独特のゆるい空気感」「使い方の自由度が高い」「属人性が強い」。
・リアルタイム性については、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の「mixi」と対比して、
 その違いの一例として、「 mixiとTwitterは数分か数秒の違い 」という。
 書き込みへの反応は、mixiでは早ければ5分程度である一方、Twitterでは早ければ数秒後。
 津田氏本人は「SNS(の広がり)以降、ネットのポスト(投稿)の反応は快楽が得られると意識され始めた。
 Twitterではそれが短いスパンでどんどんもたらされるので「一日中離れられない中毒性を生んでいる」という。
・伝播力の強さについては、「放送メディアに匹敵するブロードキャスト力」と、Twitterの強さを強調。
 インターネットで数百万人に同時に情報を送ることはサーバーへの負荷の問題で難しかったが、Twitterがそれを実現した。
・加えて、特定のテーマのつぶやきに共通で付ける「ハッシュタグ」、ほかの人のつぶやきを自分のつぶやきとして再発信する
「ReTweet」などの仕組みにより、伝播力がより強化されているという。
・一方、デマ情報も一気に広がる可能性があることを課題として挙げた。 
 
 「つぶやき」は、リアルで、臨場感がある。 
 自然な本音が伝わるから、良くも悪しくも決め細やかな情報が瞬時に駆け巡ることになる。

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2814, 不況景色 −3 
2008年12月18日(木)

 *景況感下げ幅 過去二番目
先日の日銀の短観によると、企業の景況感が石油危機以来下げ幅が21ポイントと過去二番目になった。
今回は、その角度が大きく、速度が速いのが特徴で、一日一日と奈落に落ちるように悪化している。
ニュースや、ワイドショーなど、失業、倒産、節約などの話題一色、僅か三ヶ月で、世界が凍りついてしまった。
当然のことながら来年から大量倒産時代が到来し、それにともない大量失業者が溢れることになる。
世界恐慌は、20%の失業率というから、前年比7割になるというから、想像を遥かに超えた暗い社会になる。
長岡駅裏に、数ヶ月前から、ホームレスが三人、毎日のように座って酒を飲んだり、通行人に金をせびっている。
全国的に今後大量解雇が行なわれるというから、こういう姿が日常的になる。
年金年齢に達したから、仲間に入らなくて済む・・・ こういうのが冗談では、無くなるのである。
 ーーー
 *アメリカの金利が実質ゼロ!だと
ついに、アメリカが金利ゼロを打ち出した。ヘリコプター・ベンの面目躍如である。
見方によっては、これで金利下げの最後のカードを出してしまい、次の手がうてないことでもある。
それだけ事態が切迫していることだが、私は、これが正解と同調する。総額7000億ドルの公的資金活用を盛り込んだ
金融安定化法で、急速に手元資金が流出しているGM、クライスラー、フォードの救済に出すというが、
半分の3500億ドルは、この法案では議会の承認が必要。AIGなどで、これで3500億ドルを使い果たすことになり、
万一、シティーあたりが、緊急資金が必要な場合、承認を得られないで、倒産やむをえないというケースも出ることになる。
来年、アメリカがデフォルト(返済不能)になるか、新ドルに切り替え(旧ドル二ドルに対して、一ドルにする)て、
対外の借金を半分にする可能性もある。 アメリカのこれまでを見ていると、その可能性は十分ある。
 −−−
 *百貨店の商売モデルは終わったのか
 (以下は字数制限のためカット 09年12月18日)
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2007年12月18日(火)
2449, 今年の創作熟語
                 p≪゚+。ぉレ£∋ぅ。+゚≫q(´I`●)
先週、今年の創作熟語が発表された。 まず創作四字熟語とは「住友生命保険が日本全国から
世相を反映した四字熟語を創作してもらい、毎年12月中旬に発表するイベントである。」 
1989年から発表されており、10000語を超える作品が寄せられている。 第一生命のサラ川(柳)の
向こうを張ったものである。創作と名が付いているが、基本的に既存の四字熟語の文字や読みを世相を
映す単語に変更したものが多く、優秀作品はシャレの効いたものが目立つ。
そこで、読売新聞や住友生命のHPの記事を少し変えた語呂合わせをしてみた。
 ーー
{7月の参議院選挙で自民党が歴史的惨敗を喫し、「二党両壇(にとうりょうだん)」になり、
 その結果、突然返位(突然変異)で安倍前首相が辞任。 秋より食の偽装が「連詐反応(連鎖反応)」を起こした。
 また医師不足問題を象徴した「医師薄寂(意志薄弱)」や 様々なダイエット法の中でハードな
「軍似痩練(ぐんじそうれん)」が大ヒット。「人離相撲(ひとりずもう)」の角界も、「廃反治拳(はいはんちけん)」
 のボクシング界も、来年に向かって「出発進幸(しゅっぱつしんこう)」しましょう。} てなところである。
 −−
これまで、この存在は全く知らなかったが「創作四文字熟語」は第一生命のサラ川から見ると、少しインパクトは弱いようだ。
                 ヾ(^ω^*)  
・・・・・・・・
2006年12月18日(月)
2085, 哲学者が霊能者を一刀両断すると! −1
                才八∋ウ_〆(∀`●)
知ることよりも考えること −? 池田晶子著  ー読書日記
ー前世を知りたいー             
哲学者が霊能者を批判すると、これだけ説得力があるものか? 霊能者の立場の視点で読んでみると、
反論しようがみあたらない。哲学者は霊能者のいい加減さを一刀両断で以下の通り切り捨てる。
 ー人間は自分が存在しているという以上の神秘がありえない。(自分が)存在していることということは、
科学的には説明できず、理性によっても理解できない。なんで存在するのかわからないものが存在し、
毎日生きている驚くべき神秘の毎日こそ神秘体験のはずが。その当たり前のことこそを知ることが先ではないか。
 ー以下は、その中の抜粋であるー    
 (以下は字数制限のためカット 09年12月18日)
 −−
 次回も続くが、霊能者も言うだろう、「空即是色」と! 現世のことが解ってないのに、何が来世!
変な物語を勝手につくりおって!という論は、非常に説得力がある!
秋刀魚の頭も信心からとなると、インチキ宗教になってしまう。似たようなものである。
信じたい人いるのだから、面白いじゃないかプロレスの観戦と思えば! ショーと知りつつ、楽しむのも!
現世も、来世も、生まれかわりも、ショータイムでしかないのだから!            
             ーつづく     まあ冗談はさておいて
 \(^▽^*)バイ!          ~~■P o(´・∀・` )coffee 飲めて
     
・・・・・・・・・
2005年12月18日(日)
1720, 生きるのがつらい     ー読書日記
 「一億総うつ時代」の心理学 平凡社新書   諸富祥彦/著
 ー本の内容
この国の年間自殺者はもう何年も三万人を超えている。誰もが自分は「軽うつ」ではないかと疑いはじめている。
この時代には確かに、私たちの生きる意欲を奪う何かがある。生きるのがつらい。もう、前向きになんか生きられない。
そんな閉塞感が漂う世の中で自分の苦しみにうまく対処し、身近な人と支えあいながら生きていくには、どうすればいいのか。
反ポジティブシンキングの思想で語る、「一億総うつ時代」の心の処方箋。  (*`θ´*) i
ー目次
 第1章 みんなつらさを抱えて生きている     
 第2章 つらさをつらさとして受けとめる
 第3章 弱音を吐くのも生きる技術
 第4章 ありのままの“今の自分”を受け入れる オレ クルクル σ@( ゚∀ ゚) パー!?
 第5章 身近な人がつらいとき
 第6章 「助けあい、弱音を吐きあう関係づくり」の大切さ
  ーーーーーー
こういう本のほうが私にとっては、面白い!
 ポジティブの本より、ネガティブシンキングの方が、気休めになる類の人にはプラスになるのだろう。
     (~_~;) (~Q~;) (--;) (;-_-;) (-。-;) (-o-;) ( ̄ω ̄;)!! o    
 一部勝ち組以外は、負け組みの時代、一億総うつになるのも、必然かも知れない。
 といって、そうそう万年うつ病も肯定はできまい。その為には、ネガティブなものに居場所を与え、
 それとうまくつきあう工夫の方が、強引なポジティブシンキングよりも、はるかに効果があるのだろう。
 何処かに仏様?の持つポジティブ、暖かさがなくてはならない。だから、人間は必ず信心が必要なのだ。
 その意味で、この本は何かが欠けていると誤解してはなるまい。隠しポジティブがこの論の背景にあるのだ。
 「あとがき」の中で生きづらさを、どのようにして凌いでいくかの工夫のエッセンスを
・決して前向きになりすぎないこと。
 (以下は字数制限のためカット 09年12月18日)
・・・・・・・・・
2004年12月18日(土)
 1355, 梅の花
新潟の郊外に最近「梅の花」という‘ユバと豆腐'の京懐石料理のチェーン店が開店した。本部は九州で店は61店舗。
面白そうなので、昨日の昼飯を食べに行ってみた。実をいうと、一昨日の12時にいったが、駐車場が満杯なのだ。
まさかと思い玄関口に行くと、前の若い二人連れが予約を確認して入っていった。フリー席は、もう満席で一時間待ちという。
100人のお客が既に入っていて、待合に10人いるという。それでは、翌日の予約というと、お一人様3700円という。
予約は個室になるので、昼のサービス・コースは予約はできないという。バカバカしいので、
「予約なしでは何時に来たらよいか」と聞くと「11時のオープン直後なら大丈夫」と言う。
「ランチが1600〜2900円で、11時過ぎでなくては入店できない店」と知ったら、
意地でも入りたくなるのが人情である。 家内も新潟の友人から、店に行ってきた話を聞いたという。
昨日の11時に店に行くと、3分の1の駐車場の埋まりである。 しかし、車が次々と入ってくる。
門構えから京都の懐石料理亭の雰囲気が出ている。 入ると、老舗の高級料亭の感覚だ。
下足人兼案内人が、マネジャーと思しき人に取り次いで、数分待合に待たせて仲居さんに取り次ぐ。
そしてその仲居さんが丁寧に個室に案内する。予約が入ってない部屋があるので、優先的に個室に入れるという。
私が2900円の「野菜と豆乳のしゃっぶランチ」つれが「京の梅ランチ」を注文。
部屋からは中庭が見え、料亭の雰囲気をかもし出している。さあ、これからが新しい物好きの観察が始る!                       ー つづく 
・・・・・・・・・
2003年12月18日(木)
988, 建物をつくることは神の代行
 40年前に、父親が現在住んでいる自宅をつくった時、「将来必ず事業で上手くいかなくなる時がくる」
と想定して設計をした。売却やアパートに建替えるとか、潰しがきくようにしてある。
鉄骨の建物で、一切柱が入っていない構造になっており、中を掻き出せば、どうとでもつくりかえる事ができる。
 その教訓もあって、私が手がけてきたビルも殆ど柱を入れてない。
千葉で初めて建てたビルから現在のホテルまで増築も含めて八棟全て、やむをえない部分を除いて
柱の極力ない構造にしてある。27年前に私がたずさわった実家のビルが、最近に私の予想値よりも
はるかに高く売れたのも、建物の構造が他の業種に転用可能であった為だ。
 30数年前に千葉の建物の設計計画にはいった時に、設計事務所の担当に言われた言葉が
「建物をつくることは神の代行」である。 これは設計事務所の当時の社長の信念であった。
特にビルは当事者の思惑とは違って、数十年も独りで生きていくものである。
それを建築主の好みで創ったとしたら、時代の変化の中で他人にわたった時に潰しが効かなくなる。
 自分だけの思惑で建物は創るべきでないというのも理に適っている。たまたま実家の家が、その10年前に
「その思想のとおりのもの」を見ていたのでその意味を直ぐに理解した。26歳の時であった。
それから事業で多くのことを学んだ。
・・・・・・・・
2002年12月18日(水)
 614,パタゴニア旅行記ー1
今回の旅行のハイライトはやはり氷河であった。氷河の融け水でできた湖から、氷壁と崩落を船で見るものであった。
ソニーのコマーシャルで見たものは、てっきり南極の氷が崩落するものと思っていた。
しかしアルゼンチン国内の山脈の麓の湖に崩落するものと初めて知った。ソニーのそれはペレノモレノ氷河の景観であった。
まず驚いたのは氷河の美しさである。太陽に映える白とコバルトブルーの織り成す美しさだ。
どんな美しさもこの単純な輝きには敵わない。白をバックにしたコバルトブルーの輝きの美しさ。
太陽の光のブルー以外を吸収して妖しく反射する美の極致だ。8000?のアンデス山脈はパタゴニアの地でその積雪を
氷床に姿を変えて最後は海に流れ込むか、山脈の麓に湖をつくりそこに自らを崩落させていく。
それを湖から眺めるのが今回の目的であった。アンデスに降り積もった万年雪が、溶解と氷結を繰り返しながら数百キロの
氷河をつくりだし、最後はその最先端で長い旅路を迎えるドラマである。それが夏の時期に目の前で見れるのである。
数日に一回の崩落と思っていたが、モレノ氷河で1時間のうちに4回の崩落が見ることができた。
静けさを打ち破る腹の底までとどろくような轟音ともに氷壁が崩れ落ちる。その瞬間誰もが息を呑み見とれるのだ。
時間が止まるとはこの事だろう。そして同時に湖面に高波が立つ。氷河が氷山に変わったのだ。その数十メートルか
数百メートル先から、氷が裂ける轟音が時々、落雷のように聞こえるのが何ともいえないバックグランドの音になる。
小さい氷山が湖面に多く漂っているのが美しい形を創っている。 自然の芸術の展示会のようである。
白鳥のようであったり、船のようであったり、ラクダであったりする。
自然は本当に大芸術家であるというのは、別に文学的言葉ではないことを思い知った!!
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2001年12月18日(火)
 218,喜怒哀楽  ー情念の世界
学生時代に読んだ、赤塚行雄の‘ナチの研究’の「教祖の話術」が印象的な内容で今もはっきり憶えている。
ある意味で、運命的な出会いの本といってよい。 その本を読んでから、生きかたが全く変わってしまった。
その本の内容は、「ナチがいかにして短期間に大衆を惹きつけ、扇動したか」の要素の分析であった。
ヒトラーの感情むきだしの演説の手法である。大衆の感情にうったえる手法である。 感情を抑えるのでなく、むしろ前面に
おしだし自己を主張せよ。「感情を抑えるのが理性でなく、むしろ燃え上がらせ、その舵取りが理性であると。
大衆を感情的に徹底して扇動、熱狂させろ!大衆はそれを待っている」「大衆は馬鹿な存在だ、それを待っている」
というのだ。 かなり刺激的の本であった。 昔の記憶なので、かなり主観的な内容に変わっているが。
30歳少し前、長岡に帰ってきた時「おい堀井が変わってしまったぞ!」と地元の友人に言われたのも、
実はそれが大きい要因である。考えてみれば単純なものだ。しかし創造は発狂だということを実際体験した。
たいして狂ってなかったが。 これをやると決めたら全ての情念を叩き込む!
「もっともっと喜べ、怒れ、悲しめ、楽しめ!」というのだから。 周りは大変であったと思う。
それも気づかれない様にやってるのだから。本人はもっと大変だったが。ペルソナ(仮面)であったからだ。
長岡で全員が、その反対を真面目な顔で演技していたから驚いた。感情豊かであるほど人間性豊かである。
感情豊かという事は、車のエンジンの排気量が大きいことに繋がる。ガソリンは、感動・感激である。
その為には超一流の芸術に接しることだ。素晴らし音楽を聴くこと、絶景の場所に行くことだ。
そのシャワーを浴びる事だ。その時の感動が人間を豊かにするのだ!というような教えであった。
殆どこの辺が創作になる。いやこの文そのものが偽悪の表現だが。まっとうに生きようと思ったら狂うしかないのも事実だ。
まっとうに生きるとは何かだが? 自分の真に好きな事をみつけ忠実に生きる事だ!
それをやれば、世間様の目から見たら、狂っているとしか見えないからだ。
 チロリチロリ、チンチロリ 一期は夢 ただ狂え  今は「ホームページつくり」に狂ってます。

・・・・・・・  
ある時間の断片
 12月18日 1968年
9時に甥のムーちゃんに起こされる。食後。浅草近くで電気商をしている従兄弟の治田さんが遊びに来る。
12歳も年上だが、子供の頃から殆ど変わってない万年青年だ。彼を見ていると青春は年齢でなく、理想と創造性をいかに
持ち続けるかということが解る。写真マニアで子供の頃の写真は殆ど彼が撮ってくれたもの。
昼飯を一緒にとって13時頃に帰る。14時から17時まで卒論のマトメをする。卒論の清書を一枚50円で姉に
書いてもらうことにした。50枚で2500円である。それに食事代を5000円を払うつもりであったので、
この金額を捻り出すのが大変である。それと今月は遊びすぎて支出が大きい。 
23日にジャスコオカダヤにレポートの構想と下書きを書いて、27日までに完成させる予定である。


3178, アメリカは現在、どうなっているのか ー2

2009年12月17日(木)

  * アメリカの産業の現状は?
 ー 以下は、中央公論の中岡望のレポート[アメリカ、失われたバラ色の未来」の抜粋である ー
アメリカでは金融業界を「ウォール・ストリー」というのに対して、製造業などの産業のことを「メイン・ストリート」という。
現在、ウォール・ストリートは急速に回復しているが、メイン・ストリーや地方経済の低迷の色はさらに濃くなっている。
アメリカ経済の衰退はもはや避けがたい状況となっている。 デトロイトでは、自動車産業の衰退で都市そのものも機能
しなくなっている。工場労働者だけでなく、高学歴のホワイトカラーの雇用調整もかつてないスピードで行われている。
自動車会社のビッグ・スりーは工場労働者だけでなく、2006年末から今年の六月までに3万人のホワイトカラーを解雇。
かっては最強の労組と言われたUAW(全米自動車労組)も、雇用維待するための戦闘力を失ってしまっている。
その結果、ミシガン州の6月の失業率は15・6%と.全国平均の失業率を大きく上回っている。デトロイトの失業率は17・7%と
さらに高い水準になっている。同州の労働者の20%がフルタイムの仕事を探しながらも、パートタイムでしか働けない半失業の
状況に置かれている。 デトロイトの住宅市場に回役の兆しはなく、七月時点で住宅価格はピークを付けた2006年初と比べて
45%下落し地域杜会の荒廃が続いている。 同州では、高賃金が期待できる防衛関係や代替エネルギー関係や医療関係の
企業の誘致を進めているが、目立った成果は見られない。 職を失った人は悲惨である。
あるクライスラーのエンジニアは年収11万ドルを稼いでいたが、早期退職をした現在はパートタイムで働いており、
週給はわずか500ドルである。クライスラーの製造開発の責任者であった男性は、年収10万ドル以上あったが、
早期退職をして得た現在の仕事の年収は3万1千ドルである。職を失う影響は収人の滅少に留まらない。
アメリカの健康保険制度は企業が提供しており、仕事を失うことは健康保険も失うことになる。
 ー
 アメリカ社会の深刻な問題は、貧困と格差である。最も豊かな国でありながら、貧富の格差は深刻。
その貧者に金融危機が直撃をし、その格差をますます大きくしたのである。貧困率は一年で12・5パーから13・2パーセントへ
拡大した。「1人暮らしで100万円、4人暮らしで200万円」以下で生活する人は4000万人と一年で、250万人も増えたという。
医療も、教育現場もガタガタで日本とは事情が全く違う。あと1〜2年後の地方が、これに近い状態だろう。
 これらをみると、アメリカ一極の時代の終焉を示している。 それだけ、この金融恐慌の影響は大きい。

・・・・・・・・・・
2813, ビッグスリの救済は正しいことか?
2008年12月17日(水)

 アメリカのビッグスリーを政府が公的資金投入の検討を始めたというが、中長期的に見たときに正しい判断かどうか?
・アメリカ国内のGMの一人当たりの人件費が、トヨタの1・3倍。 そこまで賃金を下げるべきという議会の案に、
 組合が反対という。従業員の数も、全米で GM25万人に対して、トヨタが7万人。
 その結果、利益はGMの一台あたりマイナス11万に対して、トヨタは6万円の黒字。
 売り上げ台数が両者、同数。役員の年俸が、トヨタ1億に対して、GMが何と13億という。
・車種もビッグスリー合計で、15ブランド130種類に対して、日本の三社合計で7ブランド59種類で、二倍以上。
 販売店がビッグの14000店に対して、日本三社で4000店で三倍以上。これをみただけでも、子供でも
 何が問題か一目瞭然である。その上に、アメリカ車の工場は、大型車の生産向けに造られていて、簡単に時流と
 なっている小型車、エコ車への反転攻撃は難しいから、如何にもならない事態である。
 しかし、明らかなことは、一度倒産させて再生のプロセスを踏まない限り赤字を垂れ流すしかない。 
 誰が、こんな会社の車を買うものか!である。 といって、倒産させれば数百万の失業者で溢れかえることも事実。
 日本や欧州の自動車メーカーにとっても、下請けが倒産すれば、部品の一部が入荷しなくなることもあり、痛し痒しである。
 ところで、これは先進国といわれる国家の縮小版でしかないのでは?
 そうすると、この世界恐慌?は、100年、いや500年単位の世界システムの自然崩壊でもある。
 中国、ロシア、インドが近代化に本腰を入れたと同時に、地球が持たなくなったのである。
 そうこう考えると、この一連の金融危機は世界を一度、根こそぎ破壊するエネルギーを持つことになる!
 (字数制限のためカット09年12月17日)
・・・・・・・・・
2007年12月17日(月)
2448, コマツの「コムトラックス」には驚いた!
                  ('-'*)オハヨ♪
一昨日の朝、何気なくBS・TVに回すと、コマツの社長が出ていた。見たのは最後の10分位だったが、
「コムトラックス」というシステムを紹介していた。思わず、その内容に引き込まれてしまった。
ブルドーザに機稼動管理システム「コムトラックス」を標準装備し、遠隔での効率的な車両管理や
きめ細かなサポートサービスを提供する。
建設機械の内部に組み込んだセンサーで車両のあらゆるデータを収集して自動的に送信するシステム。
365日24時間、本社へコムトラックスから絶え間なく送られてくる情報は、コマツ自身、販売会社、顧客の誰にとっても
「宝の山」であるという。それを顧客・販売会社に公開してお互いに有益に使うのがミソである。
一種のWeb2.0型企業ともいえるが、そのシステムなどで、現在では利益率で米キャタピラーを追い越し、
今後とも業績の向上が期待できる見込みが高いという。TVの画像には、宇宙衛星により大きな地図上に世界中の
稼動しているブルドーザの現在地が表示されていた。 更に、それぞれのマシーンの情報 ーガソリンの在庫や、稼動状況、
機械の自己診断の記録、運転状況などのデーターが自動的に情報センターに送られてくる。それらの記録を販売会社、
顧客が交互に使用できるという。運転手のサボりは勿論、ガソリンの不正使用や、盗難も即座に把握できるという。
「何で小松のブルドーザが売れるのか?」と思っていた矢先、納得をさせられてしまった。
顧客にとってブルドーザの状況は一切、機械自身が発信して本部が管理してくれる。機械自身がブログを持ち、
自動的に発信するマシーンといえる。これも情報化社会の先取りの事例ということである。こういうシステムは
今日明日出来ることではない。長年の企業全体のシステムの構築の結果できることである。ただただ、驚いてしまった。
せめて人間もブログは持たないと!IT革命は人類の20万以来の潮流の変化であり、身近に感じ取れるのは
個人的立場からみればブログと携帯電話だろう。
                       バイバイヽ(*´∀`)ノ
・・・・・・・
2006年12月17日(日)
 2084, 森の生活  
 (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ
        『森の生活(ウォールデン)』岩波文庫
        
現在、世界において「シンプルライフの生きかた」が見直され始めているが、その元祖といえるソローが
再び注目され始められている。1817年生まれのソローは、1845年の独立記念日を機に、故郷のボストン郊外の
ウォールデン湖のほとりに移り住む。そこに20代後半の2年あまりの間ひとりで過ごした生活を記したのが、
『森の生活』である。シンプルライフの元祖といえよう。ソローは、この森の生活の中で、
人間が生きるために必要なものは、「最小限の持ち物と最小限の労働だ」という結論に至っている。
ソローの‘自然のなかで質素に生きる’を至上とする考え方は東洋的である。
自然との共存を図ろうというソローのメッセージは、効率良く、便利な生活になった反面、
混沌として複雑化する世の中にあって、単純化した生活のあり方を提示している。
森林生活や農業の専業の人からみたら、何を今さら!と思うだろう。
あちら側(都会)の人が、二年余り遊びに来た戯言でしかないと。
しかしソローが読んで欲しいと思う対象は、そういう連中ではない!まあ、そういう穿った理屈はやめておこう。
都会生活につかれ田舎の生活に憧れている自然派にっとは、桃源郷のような生活と思えるのだろう。
     ーー
 ーまずは、印象的なところを抜粋してみるー
「私が森へ来たのは、思慮深く生き、人生の本質的な事実のみに直面し、
人生が教えてくれるものを自分が学び取れるかどうか確かめてみたかったからであり、
死ぬときになって、自分が生きていなかったことを発見するようになりたくなかった。
人生とはいえないような人生は生きたくなかった。 生きるということはそんなにもたいせつなのだから。
深く生きて生の精髄を吸出し、もしそれがつまらなかったら、それをつきとめて、そのつまらなさを世の人々に伝えよう。
それがつまらないものであったら、それを身をもって味わい、その真相を報告できるようにしたい」(上巻162-164頁)
「われわれは存在するように見えるものを、存在するものと思いこんでいる。
 ・・永遠の時間には、確かに真実で崇高なものがある。けれども、そうした時間や場所や機会はすべて、いま、ここにあるのだ。
 ・・・『自然』そのものと同じように、一日を思慮深くすごそうではないか。
 ・・・一日を精一杯、楽しく生きようと心にきめて。
 ・・・生であろうと死であろうと、我われが求めるものは実在だけである」(上巻172-176頁)
  「春の到来は、『混沌(カオス)』からの『宇宙』の創造であり、『黄金時代』の到来であるかのように感じられる。」
   (上巻256頁)
私は私の実験によって少なくともこういうことを学んだ。
「もし人が、みずからの夢の方向に自信をもって進み、頭に思い描いたとおりの人生を生きようとつとめるならば、
ふだんは予想もしなかったほどの成功を収めることができる、ということだ。
そのひとは、あるものは捨ててかえりみなくなり、目に見えない境界線を乗り越えるようになるだろう。
新しい、普遍的でより自由な法則が、自分のまわりと内部とにしっかりとうち立てられるだろう。・・・
生活を単純にするにしたがって、宇宙の法則も複雑でなくなり、孤独は孤独でなく、貧しさは貧しさでなくなる。
・・・・君の生活がいかに見劣りのするものであろうとも、それにまともにぶつかり、それを行きよ。
それを避けたり、けなしたりするな。それは君自身ほど悪くは無い。
それは君が最も富んでいるとき、最も貧弱に見える。あら捜し屋は天国でもあら捜しをするだろう。貧しくとも、
君の生活を愛したまえ。賢人らしく、菜園の野菜のように君の貧しさを耕せ。
衣服でも友人でも新しきものを手に入れようと焦るな。
古いものに目をむけ、古いものに戻るがいい。事物は変わらない。我われが変わるのである。
君の服を売り払い、君の思想をとっておきたまえ。」  (下巻276頁)
ーーー
ソローにとって、「自然」と向き合うということは、「自己」を見つめることでもあり、人生の探究は、
遠い幻想的なものでもなく、「いま、ここ(現在)」の世界で「自己」を実現させることにある。

ーーーー
2005年12月17日(土)
1719, 熟年離婚
          おはよう!v(=∩_∩=)v
 TVで松坂恵子と渡哲也が夫婦役の『熟年離婚』の連続ドラマを放映していた。
 そのうちの二〜三回しか観ていないが、考えさせられる問題であった。
 作家が悪いのか脚本が悪いのか、離婚理由が希薄で現実離れしていた感があった。
 男の立場からみると、渡哲也役の亭主が気の毒すぎるように思えた。
 停年の日に家族の前で突然離婚を申し立てるのはドラマとはいえ不自然である。
 しかし、最終回(12月8日放送)の視聴率が21・%と、同ドラマ9回中で最高を記録、平均視聴率も19・%と、
 この木曜ドラマ枠では過去最高だったという。             ~~匸Pヽ(・ω・`)コーヒーデモ…   
 テレ朝が調査会社に依頼したアンケートでも、2年後に定年を迎える団塊世代(1都3県、男女各100人)で
 「離婚を考えたことがある」と回答した女性は38%(男性23%)だったとか。 周囲でも熟年離婚の話をよく聞く。 
                           """(_ _,)/ mou iya
 あと二年すると団塊の世代が定年をむかえ、それまでの離婚待機組(退職金と年金待ち)が多く控えている。
 知人で離婚をした人をみると、女性の自立は困難を極めている。 一人、老後を生き抜くのは並大抵ではない。                
  インターネットで調べてみたら、 同居期間25年以上の熟年夫婦の離婚は、ここ10年で2倍以上に増え、
 同居期間30年以上に限ってみると3倍近くになる。この増え方は、離婚全体の増加率の2倍にもなり、しかも、
 そのほとんどが妻からの申し立てによるものという。
  何か解るような気がする。相手の話をよく聴こうとしない人種があまりにも多い。
 以下はスポニチのネット記事のコピーである。
 ーーー
「熟年離婚」共感呼んで20%超
 テレビ朝日のドラマ「熟年離婚」(木曜後9・00)の平均視聴率が、10日放送の第5話で20・3%
(関東地区、ビデオリサーチ調べ)を記録し、番組開始以来初めて20%の大台を超えた。
 
  ・・・・・・・
 2004年12月17日(金)
 1354, 私の宝物
「私にとっての宝物」とは何だろうと考えてみた。
これだけはというものはないが、秘境旅行のアルバムと、その先々で買ってきた小さな置物人形と、
その都度社内報と随想日記に書いてきた旅行記である。 底は浅いが。旅行だけは私として、
金とエネルギーを使ってきた。いま全額のお金と、旅行のどちらを取るかといえば旅行経験である。
そうすると旅行経験と、それにともなう写真と人形と旅行記が「私にとっての宝物」ということになる。
37〜8年のスパンの、わずかなライフワークである。
現在、23歳の頃の日記を書きうつしているが、その時、初めてで最期の手紙を両親に書いていた。
転勤で通帳からお金が引き出せないで、手元のお金がゼロになって住所の移動の知らせと、お金の無心をしていた。
母親が死んだ時に寝室を整理していて、その時の手紙が出てきた。「子供の思う心と親心の差」を、
その時おもい知った。両親にとっての宝物?だったのだ。
現在の私の宝物といえば、「この随想日記」である。何せ一日3時間近くのエネルギーが、
この文章に時間を入っている。1350×3時間=4千時間の圧縮である。
それと秘境の旅行先で買ってきた小さな土産人形だ。500円から5000円位の土産物屋から買ってきた置物だ。
会社のサイドボードと、自宅の棚に置いてある。地震で全て壊れても、おそらく惜しくは思わない代物である。
しかし、それがある限りモノとして残っている思い出の塊の宝物である。

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2003年12月17日(水)
987,新潟駅周辺整備計画
先日の新聞に「駅前周辺整備計画」が少し延びそうになってきた。といって、半年から一年だろう。
自社のホテルの4棟のうち2棟が、この整備計画の道路拡張に引っかかる。10年か20年後には道路に変っている。
2〜3年前に「駅前周辺整備計画」説明会があった時に、むしろ当社にとってプラスであると感じた。
丁度設備の老朽化の建て替え時期になっていることと、分散をしている棟を一ヶ所に集めることができる。
恐らく新潟駅の現在の線路の何処かの代換地になるだろう。
その時は私は引退しているが、10年20年先の事業のデザインを考えて判断をしなくてはならない。
大手ゼネコンの営業部長の話によると「駅周辺の再開発の買収」は、焼け太りになるのが過去の通例だという。
具体的な内容が出てくるのは着工後の数年後の話だが、少なくとも地価の下げ止まりになる。
そのためか駅周辺の買いの話が多くなってきている。最近知ったことだが、買収は手付金がミソという。
これが確実な買収の裏付けの内容になるからだ。実際に工事が始まれば、雰囲気が一変をすることは間違いはない。
そして具体的な話が飛び交うだろう。その意味で一日でも早く着工をしてもらいたい。新潟も他県同様に景気は最悪である。
今ふうに言えば‘寒ぶー’である。いま新潟で残されているプロジェクトは、この再開発だけであるといってよい。
その駅周辺で事業をしているだけで恵まれているのだが? いずれにしても面白くなってきている。

・・・・・・・・・
2002年12月17日(火)
613,爆笑再開発
 -新潟駅前ビル再開発
(以下字数の関係でカット2008年12月17日)
以前再開発の愚をこの随想日記に書いたが、その馬鹿世界が新潟駅前ビル再開発の完成で顕になってきた。
・・・・・・・ 
2001年12月17日(月)
272,人生は問題解決のプロセス
 ー小説・脚本の創り方と人生ー
 ジェームス三木の「脚本の創り方」という講演を10年前に経営セミナーで聴いた。
「藍より青く」を創ったエピソードである。朝の8時15分の連続TV 小説の時間の身近にあるもの考えた。
「醤油と魚」である。醤油やと網元の対立に恋愛をかませる。それから「藍より青」ができた。 その子女、
子息の恋愛に対して、困難という山を次々と置き、それを主役が解決していくプロセスをドラマとして筋を付けていく。
「へー、どうということないんだ!自分でも創れる!」ということを思い出した。 主役とは「問題解決人」だ。 
水戸黄門もそうだ、勧善懲悪だから解かり易い。人生も考えてみれば、問題解決のプロセスだ。
そして一山二山越えていく事だ。 自分がその主役である。その意味で[みんなが大将!」である。
自作自演の舞台劇である。しかしそれをまた間接的に操っている存在に気づく事がある。
どうにもならない運命という奴である。それを神という存在で解決しようというのが宗教。
いづれにしても問題は派生する。そういうものだと割り切ってしまえばいい!
「その問題はその時のその人に、ピッタリの内容」と思えば諦めがつく!
その時私のおまじないは以前も書いたように「正中心一点無」だ。
問題から逃げないで、中心から目をそらさない事だ。それが出来ないのが人間だが。

・・・・・・・
ある時間の断片
12月17日 1968年
 朝11時起床。
12時に一年先輩の佐々木さんに、クリスマスで20時以後の女性の寮立ち入りについて相談される。
私に対して軽んじている風がありありであった。その時に蒲生にもう20時以降の禁止はもう時効と面と言われた。
生意気な奴だが、2年も下なので相手にもできない。
 一度池袋に行き、学校に立ち寄って、駅で28日の帰省バスの切符を買う。
その後、千葉の検見川の姉の優子さん宅に向かう。 17時に着く。
押しかけで悪かったが、家庭内が落ち着いた感じがした。22時からよく2時まで卒論に集中できた。


3177,デフレス・パイラルの脅威

2009年12月16日(水)

* ハイパー・デフレの始まり
 どうも本格的なデフ・レスパイラルに入ったようだ。それもハイパー・デフレ。ということは、二番底に向かって
転がりだしたということになる。先日、自宅から歩いて10分もしないところにある中古プレハブ住宅の販売広告が入っていた。
土地が25万、建物が20万?の相場の家屋が何と土地15万、建物10万の値段である。(その逆でも同じぐらい)
その販売業者は、競売物件を買って、少し手を入れて二割位の利益を乗せて売るのを専門にしている。
(なぜ分かるかというと、知人の自宅が、そのプロセスで売却されたからで、競売落札の値段も、お化粧代も大よそ分かる。)
どうみても半値に近い相場だが、結果として資産デフレに火をつけている。 近所の相場が、それによって暴落する。
会社の人の自宅近くが半値×八掛けで売りに出され、数日で売れたという話も入ってきた。資産デフレである。
 あらゆるところで価格が暴落しているのは、誰も彼もが実感していること。 背広の客単価が一年前の4割も落ちているし、
薄型テレビも3割ダウンした。冬物衣料などもオール半額!というチラシが入ってくる。 ホテルもネットで2980円、3180円、
3280円が出ている。安い順に売れていくが、それさえも最近は売れ残っている。 安くしないと、消費者は買わないから、
競って安くするが、全ての業界が始まり体力の消耗戦になってきた。 一番強い者だけしか生き残れないのである。 
そして、会社の多くは淘汰され、そのうちに、今度は金(かね)の価値が暴落を始まる。 ハイパー・インフレが始ると、
これは国家破綻を意味する。いつも同じことを書いているが・・ 世界は間違いなく経済も、政治も含めて大動乱に入った。
 アメリカも、去年のリーマン・ショック以来、経済はガタガタ。失業率が、あれよあれよと、10パーセントを超えてしまった。 
日本も、数年以内に、それを超えるだろう。リーマンショックの津波が姿を現してきた。デフレス・パイラルは4年間?続く。
来年からは、その中で食品の一部が値上がりが始る。 ハイパー・インフレの波も現れる。 

 ・・・・・・・・
2812, 今年を振り返る
2008年12月16日(火)

今年もあと半月、振り返って、思いのまま書いてみる。
大荒れの一年で、歴史に残る年といってよい。
世界をみると
・アメリカ発の金融恐慌である。予測はされていたことだが、実際に起こると、その衝撃度は甚大であった。
 100年に一度の経済的危機というが、私の人生で起こった最大の世界的大事件である。
 一次世界大戦、第二次世界大戦、世界恐慌の三つの一連のウネリより大き事象が十年以上は続くレベルの大事件である。
・アメリカ大統領選挙で、民主党のオバマが史上初の黒人大統領に選出された。
 これも歴史的出来事である。それだけアメリカの懐が深いということか。
・中国の大地震、ミャンマーのサイクロンの自然災害は、地球システムが人間システムに対して発した警告である。
・中国オリンピックの開催と、中国国内の暴動の頻発。 これは中国の将来を暗示してもいる。
・北朝鮮の金総書記に異変? 朝鮮半島が流動化になるかどうか。
国内では
・金融危機で一挙に景気の悪化。不気味な雰囲気が漂い始めた。
・福田が辞任して麻生が首相になったが、凡将の器が露見、一挙に政治混乱が始る。
・若者等の無差別殺人が続出をした。
今後、10年以上続くだろう社会的な大混乱の‘目次’と‘前書き’が今年の事件の集約とみるべきである。
暗い日々が待っていると思うと憂鬱になるが、これだけの変動の中で、自己責任をより自覚しないと。
「1970年代に始った新自由主義経済の崩壊が始った」と、新聞の論説にあったが、
この数年間で統制が強くなるだろう。 
それぞれの企業が、根底から存在意義を問われ、価値のないものから否応無く淘汰される。
特に来年一年が今後を占う年になる。 どうなることか?

・・・・・・・・・・・・
2007年12月16日(日)
2447, 四四太郎の霊日記 ー12

           (*´_●`)ノオハオハオハ♪
さてと、お出ましである。 何時も同じようなことをブツブツ言っているが、
違う視点を持つことに意味があるということじゃ。
<私>+<私の体>=「私」ということは 「私」−<私の体>=<私> と誰か哲学者が論じていただろう。
 その<私>の芯にあるのが、≪私≫とすると、更にその奥にあるのが≪≪私≫≫ということになる。
いや、この括弧を内側に幾つかつけたのがワシということ。これが≪私≫を通して<私>に語りかけているということ。
だから、御主も何か変な気分になるのは解るし、御主とは見方が違ってくる。 だから先祖を大事にせい!というのは、
決して間違ってはいないのだ。ただ、葬式坊主のタカリに乗ってもよいというのとは違う。
ところで、御主が娑婆で過ごす心得を教えてやる。大きな地球儀を何処か身近に置くことじゃ。
パソコン内ではない、とにかく手に触れる場所に置くこと。
そして月の上か、衛星から地球をみる気持ちで常に見ることじゃ。
娑婆の連中は意外とこの効用が解ってないのだ。自分の魂の視点をそこに置くことが重要になる。
あれは子供用だけではなく、大人にこそ必要である。その習慣こそ、周囲の騒音から己を外に置く
一番手っ取り早い方法になるのだ。それと詩を学ぶことだ。詩は、何かに書き残しておけば何年経っても
伝わりやすい痕跡になる。それでさえ宇宙の彼方から見れば、如何でもよいことになるが、
しかし人の心の奥の凝縮された言葉こそ、己の心の奥に突き刺さるのじゃ。

ワシの世界で知り合った面白いのを御主に就けておく。知恵は数倍出ることは間違いないだろう。
名前はダジーダ・ジーダという。通称ジーダでよい。何か考え事をする時に、彼を呼び出し聴くか話せばよい。またな!
                   ヾ(´∀`o)+バイバイ
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2006年12月16日(土)
2083, 哲学者がローマ法王の奇跡を切り捨てると!    才八∋ウ_〆(∀`●)
   知ることよりも考えること−? ー読書日記
              
週刊新潮の連載コラムを集めたため、身辺の話題が解いやすい内容である。
先年亡くなったローマ法王のヨハネ・パウロ?を『聖人』として認定するかどうかの
審査会議などの低?次元の話題や、最近TVなどに出てくる胡散臭い江原啓之とかいう
男の超常現象?について、哲学者の視点から言及している。
どれをみても理路整然と、その矛盾をストレートに切り捨てているところが痛快である。。
「あたりまえのことばかり」「人生のほんとう」に続いてこの本を読んであまりに面白いので、
さらにアマゾンで中古本だが「14歳からの哲学」と41歳からの哲学」を買って、読んだ。第四章ー54項目の構成だが、
ランダムに面白そうなところから選んで要点の場所を抜粋しながら考えてみよう。
まずは次元の低い「教皇の聖人の認定か否か」の問題である。アホくさいが、まあ著者・池田の真骨頂が現れていて面白い!
 秋刀魚の骨も信心から」と思って読めば、これもよい。
ー奇跡大好きー
新ローマ法王の選出選挙、コンクラーベの政治性も凄かったが、これも凄い話である。
何でも、この[聖人]とは、カトリック教会の最高位で、死後これに認定されるためには、厳しい審査がある。
[聖人]よりワンランク下の「福者」として、先般マザーテレサが承認されたが、法王といえ、これらの位には
なかなか昇格できないという。神の前に平等のはずの宗教界でも、階級化が[死んだ跡]にもついて回るのである。
生きているうちに政治的な動きをしていたのだろうか?が、凄いと思ったことは、その資格認定とされるものだ。
必須とされているのが、「聖人」の場合でも二回以上、「福者」でも一回の奇跡をおこしていなければならない。
[奇跡]の定義が、[科学的に説明不能」であること、それを審査するためにバチカンにも専門の科学者がいる。
そこで、説明不可能といわれたものが、[本物]の奇跡であるか否か、高僧達が判断を下すそうだ。
私はある種感嘆をおぼえた。科学的に不可能であるということが「すなわち」価値である世界があるとは、
盲点を突かれる思いであった。彼らが[奇跡]を価値とするのは、イエス・キリストが病人を癒したとか、
死人を生き返らせたとか、聖書に記載されているからだろう。それで、そういう[奇跡的]力を有する人が宗教的に
優れた人ということになるのだろう。しかし、当のキリストは、この世の命を命と思うな、現世の価値に執着するなと、
繰り返して説いている。永遠なるものは、その価値は、あなたたち自身の内にあると。
宗教の本質とは、現世的価値に対して永遠的価値を提示することにあるのではなかろうか。
癒しや復活など現世的としての奇跡的出来事は、宗教の本来無関係のはずである。
ゆえに、宗教が奇跡それ自体を価値とするなら、すでに話は転倒している。 宗教など、早い話が、永遠のふりをした
しょせんは現世利益じゃないかと言われても、仕方がないのである。第一、科学により説明不可能ということが、
何で奇跡ということなのか。逆に科学により説明可能なら、奇跡は奇跡でなくなるというのか。ここに根本的な勘違いがある。
科学というのは、そのとおり、説明のための一方法である。何を説明するかといえば、言うまでもなく、自然である。
自然の奇跡である。花が咲くこと、陽が昇ること、この宇宙がこのように存在することの奇跡である。
ゆえに、科学がいかに説明しても、このこと自体の奇跡が、軌跡でなくなるわけではないのである。
逆に、このこと自体の奇跡はいかにしても説明不可能だからこそ、人は[神]という発想をもったはずなのである。
したがって、科学により説明不可能なことのみを奇跡とするような宗教は、科学の優位に立っているいるつもりで、
じつは科学に従属しているのである。神の奇跡なんぞ、本当に感じているわけではないのである。
そういう人々が、現世利益、現世的ヒエラルキーの追求にかまけることになる。
本当に宗教的な人、本当に神の奇跡を感じている人は何もかも奇跡的なことのはずだが。
だから、とりたてて何かだけ奇跡的だ、価値なのだと、騒ぎ立てるはずがない。
  ーーー
以上であるが、[ゴッドファーザー]に教皇を暗殺する場面が出てくるが、教皇といえ、あの程度の男でしかない?
という裏面を辛辣に表現していた。「奇跡」の云々を信者が求めているのなら、それを演じて見せるのも必要である。
                         *** Ψ( `▽´ )Ψケケケケ♪
               (~Q~;) ネム〜〜
・・・・・・・・・
2005年12月16日(金)
1718, お金の現実          
 オハ ☆:*:・★(o≧□≦)o☆・*:..。o○☆*゜オォォォーーーハヨ!!       
          −読書日記  岡本 吏郎著            
             ma!~~匸Pヽ(・ω・`)コーヒーデモ
これまで著者の本は二冊読んでいるが、
 ・中小企業を経営しているなら、一億の現金を個人名義で持ちなさい。
 ・ヤップ島のフェイという石で出来たお金の話以外、さしたる記憶が残っていない。
  今年の4月に新らしく刊行されて本屋で見たが買う気にならなかった。
  ところが先日図書館で見つけて読んだところ、なかなか面白い。
 ほとんどのポイントが最後の章の第五章・この本の結論に集約されていた。
ーそれを更に私流に要約すると、
お金の語源から、その意味するところは「測定」「警告」「狂気」「生け贄」「循環」というキーワードである。
「測定」は、対象の価値を測定するもの「警告」は、お金からの警告である。
儲からなくなってきたのは、お金から事業に対する警告である。
「狂気」は、成功している人は必ず狂気を含んでいる。パラノイア(偏執狂)とか、変人である。
それが無くなったとき、平凡な経営者に落ち込んでいる。「生け贄」は、何かことを成すときは、犠牲が必要である。
それは私生活であったり、普通の人の生活の犠牲であったり。「循環」は、お金は循環してこそ本領が発揮できる。
お金の概念として一番重要な意味といってよい。箪笥預金は、お金として一番意味も無いし、本領を発揮しない。
我われが情報を買っているのは、金で時間を買っていると同じことである。
 ーさらにポイントをあげるとー
  字数の関係でカット(2009年12月16日)
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2004年12月16日(木)
1353, おれおれ詐欺ー2
お笑い学芸会ー可愛い演技 「おれおれ詐欺ー振り込め詐欺」

4〜5日前に自宅に「面白い電話=俺俺詐欺」と思われる電話があった。
「土地を買いたいという人がいるが、業者ではないが売る気があるのか」とか。
これ、土地の売買のプロからいうと、とんでもないことである。素人の騙しか、玄人の人をバカにした内容である。
それも、旦那がいない時間に自宅に電話をするのは、詐欺以前の軽蔑の電話である。
建業法違反ということも解かってない程度の低い俺俺詐欺レベル。 第三者の仲介は業者以外してはならないのだ。
家内は、「そういう話は文章でいってほしい」といったという。 その文章が昨日封筒できた。
ワクワクしながら開けてみると、チャンとした会社のふりをした??株式会社とかいう会社名であった。
インターネットで調べると、一生懸命に詐欺のためつくりあげたHPであったが、よく内容を見ると実体のない会社が、
見え見えである。 実在している会社のグループのように見せているが、よく調べると違っている。
早速、電話をかけると?と思われる若い男が出てきた。無言できったが、それにしてもここまでやるかである。
そこで、イエローページで調べるとそんな電話番号がない。電話番号(携帯でない)も、おそらく新潟で詐欺をするために
直近につくったのか?名刺はつくったばかりのペラペラの即席もの、封筒も作ったばかりの見るからに詐欺用。
手の込んだ振り込め?か、近所?の事情をよく知ったものと組んだ?程度の低い??。
何処かのインターネットカフェで一生懸命につくったのだろ?
不動産の売りのオーナーを片っ端から電話をしているのだろう。まあ、こういう時代なのだろう。
その辺のチンピラ暴力団員か、流しの詐欺が必死に考えた新手の詐欺レベルである。
面白いことに、去年の今日「おれおれ詐欺」を書いていた。不思議といえば不思議である。毎日、面白いことは続く。
ーもしかしたら、私の思いすぎかもしれないが、その方がもっと面白い。

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2003年12月16日(火)
986, おれおれ詐欺
字数の関係でカット(2007年12月16日)
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2002年12月16日(月)
612,ある時間の断片-26
10月27日1968年  土曜日
夕方6時に、欧州旅行の????会が集合。池袋の「嵯峨」に集合。川崎と隣で話す。彼は私のことをよく解かってくれる。 
欧州旅行中に私のことを一番理解してくれた。でもいい加減な自分を感じてもいるようだ。
今後とも彼のような男と巡り会えないだろう。20時に高木が来る。これで我々の仲間の6人中5人が集合した。「パブ・エリート」
へ飲みに行く。最後の一人の酒匂も来る。全員集まった。個人主義の塊のような男が5人目の前にいる。
それだけ見ているだけで楽しい。その後、目黒の高木の行きつけのバーに0時半まで飲む。本当にこの会をやってよかった。
その後食事をして2時頃に寮に深井と酒向がくる。 30分で酒向は帰る。私は隣の留守の佐々木さんの部屋で寝る。 
このところ毎日刺激が強い酒だ。
 10月28日1968年(日曜日)
10時起床。深井とオリンピックの閉会式を見る。 13時に新橋の深井の家に行く。15時まで彼の家で過ごす。
その後に深井の車で久々に江ノ島に行く。第三京浜も久々だ。夕日の富士が絶景だ。こんな夕景の富士は初めてだ。
合気道の合宿で富士吉田のそれよりもよいように見えた。右に真っ赤な夕日、左に江ノ島。秋の夕べの海岸はよい。
一生の思い出か。 帰って、夜半の3時まで卒論の勉強をする。

・・・・・・・・
2001年12月16日(日)
271,今年の驚愕?
毎年驚愕することが多い! 
 ー驚きーでは言葉が足りないので「驚愕」にした
   ー今年は以下五つー
1、アメリカのテロ  あえて書いても仕方がない!
2、ホームページ作りからみたパソコンとインターネットの世界!
3、イチローのアメリカでの活躍!
4、不況感!
5、ソニーの36インチのハイビジョンTV  1年見続けての実感として凄い!
ー実感としてこの五つは、今までの常識を超えていた。
 やはり21世紀の景色である。旅行には例年感じる驚愕は少なかった。
・それでは去年は如何であったか?「シルクロード」「シリア・ヨルダン・
 レバノンの旅」!「オーロラ!」どちらが凄い?と聞かれてばもちろん、迷わず去年?
・ 一昨年はもちろん驚愕!「ヌ〜の河渡り!」そして「イスラエル」と「ネパール!」・・!
・3年前は「スペインのパンプローナ牛追い祭り」と「インド」と「イスラエル」 ショック!
・4年前、「ギアナ高地」と「タンザニア」・・・・! と比べることが、おかしいといえばおかしいが。
 何だ旅行の自慢か!いや、違う!「うん〜」「そう〜か!ちゃんとバランスがとれているのか?」
それにしても21世紀とはこういうことだったのか!  
 ・・・・・・
 ある時間の断片 
 12月16日ー月曜日1968年
10時起床。
卒論のテーマの変更のため登校する。武沢教授に会うことができた。10分位で用件が終わる。 
食事をして帰寮するが、急に眠くなる。今日は、姉の優子さんのところ行く予定であったが17時過ぎまで寝込んでしまう。
駒村君の部屋に行き、彼と食事に出る。食堂のTVでゴーゴーをやっている。見ていたら、二人で顔を合わせて
行こうという話になる。着替えて、そのまま新宿へ行く。23時近くまで2時間も踊る。その後、スタンドバーに入り飲む。
もう寮では私のあとの見えない勢力争いがおき始めているいう。 初めて解ったことだ。
彼とブーちゃんと尾形君だという。40分近くも歩いて帰ってくる。南波嬢の件を言いだす。
私がイビッテイルという。別にそうしている訳ではないが、そうなら気をつけないと。
最近は石川や深井や米林につぎ彼女のことを、イビッテしまったのか。この前の軽井沢で生意気そうだったので、
少し意識をして無視をしただけだ。まだ以前に軽井沢の「愛の散歩道」を二時間おデート散歩した気持ちの
余韻が残っていることか。 可愛いが、あまり身近すぎて面倒だ。


3176, アメリカは現在、どうなっているのか ー1

2009年12月15日(火)


 日本とアメリカ社会は少し早いか遅いかはあるが似たような動きを示す。
日本の現状も酷いがアメリカは実際のところどうなっているのか?と思っていた。
マスコミはアメリカまでの実情を辛らつには暴かない。それ以前に、日本の現状が悪いということか。
 2001年の9・15テロと、去年のリーマンブラザーズの破綻から金融恐慌は社会的・経済的にアメリカ国民に
大きな打撃を与えた。ダブルパンチであり、この二つの事件は、連動している。 まず9.11テロの後、傷ついた経済を
立て直すためサブプライム・ローンを下層階級の人たちに勧め、それを証券化して世界中にばら撒いた。
そして、それが破裂をしてしまい100年に一度という金融恐慌を招いてしまった。失業者は瞬く間に10パーセントを超え、
2008年の末から2009年の初めにかけて三ヶ月で家計部門の純資産が100兆円以上も失われてしまった。
 アメリカのメトロポリタン生命保険会社が、毎年[アメリカンドリームの研究」という調査を行っている。
   以下は、そのレポートである。             『 中央公論11月号 参照 』
《 ・回答者の59パーセントが個人破綻に追い込まれることを心配し
  ・64パーセントが住宅を手放さなければならなくなるのでは、と答えている。
  ・失業すれば二週間で蓄えが無くなると回答した人は28パーに達している。
  ・さらに56パーが、来年、失業するかもしれないと答えている。そこには楽観的なアメリカ入のイメージはまったくない。
  ・経済的な苦境を乗り切るために多くの人はライフスタイルも変えつつある。
   44パーの人が、不況によって生活の優先順位を変えざるをえなくなったと答えている。
   大多数の入は外食を減らして自宅での食事の回数を増やし、旅行は贅沢だと考えるようになっている。
  ・40パーの人が、買い物は大型安売り店でするようになったと答えている。66パーの人は株価や住宅価格の動向に
   以前ほど注意を払わず、現在は家族や友人、子供、結婚といった‘個人的な事柄’を重視するようになっていると答えている。
  さらに同報告は「雇用不安が高まる中で職場がアメリカン.ドリームの礎石となっており、従業員福利が重要な意味を持ち始めている」
  「アメリカン・ドリームがこの一年で大きく変わったのは明らかだ。人々は人生の成功とは何か考え直し始めている」
  という興味深い指摘をしている。 どこの国でも不況期には、人々は生活防衛的になるものである。しかし同調査では、
  こうしたライフスタイルや人生観の変化は一時的なものではないと結論付けている。 ≫ 
  〜〜
 この調査から分かることは、この金融危機がアメリカ人に与えた影響は我われ日本人が見ているより遥かに大きな
 インパクトを示している。しかし、どうだろうか、日本の地方の現状も、こんなものかもしれない。

 ・・・・・・・・・
2811, 閑話小題
2008年12月15日(月)

 *韓国経済が変なわけ
日本より一歩先に金融恐慌の影響が韓国経済を直撃、深刻な窮地に立っているようだ。 
韓国の経済の貿易による割合が何と76%もあるという。ちなみに日本は、27%というから、この金融危機の影響は
国家存亡の事態。先日、日本が韓国に3兆円の緊急融資をしたことからみても、極めて重大な事態ということになる。
円に対してウォンが一年前の半値になっている。 輸入は倍、輸出は半値は厳しいだろう。
自己通貨の暴落は、恐ろしいことである。
 −−−−
 * 医者は社会的常識に欠けるのか?
麻生の『医者は社会的常識が欠けている』は、誰も知っていること?
一部を除けば、「医者は社会的常識が欠ける」の成否は、いまさら議論の余地はない。
ただ普通の人と同じレベルでしかない?ということである。当たり前のことでしかない。
医者とか先生という尊称?と、実態レベルの差が、「社会的常識は無い」といわれる所以。
医者になるための猛勉強で、社会との接点が最小になりざるを得なかったプロセスで、一番大事な時期に培われる常識が
欠落するのは当然のこと。そのことを医者自身が仲間を見ていて熟知しているから、怒り心頭になるのである。
家内の友人の旦那が医者で、「実際、その通りだが、ズバリ言われると腹が立つ」と言っていたという。どの世界も、
二割はまとも、六割は普通、あとの二割は??。医者とて同じである。麻生首相、更に幼稚園の先生と生徒の母親の集まりで、
「子供より親が問題で、その教育のやり直しこそ必要」と、お述べになったが、これも誰もが認めることである。
団塊ジュニアの親が、教育現場で深刻な問題になっている。映像に映っていた彼女達の戸惑った顔が何ともいえない。
これまた隣の父兄を見れば解ること。話しは元に戻るが、医者の多くは激務に追われ、
一般教養を追加する余裕が無いのではと思われる。生死に関わることだから、これが一番恐ろしいことだ。

・・・・・・・・・・
2007年12月15日(土)
2446、狂気について
 (*^o^*)オ (*^O^*)ハ (*^。^*)ヨー!!
   「狂気について」渡辺一夫著(フランス文学者)       −読書日記

「狂気について」は、1948年のエッセイ集「寛容について」の中の一章である。
 ーまずは概要を、まとめてみたー
人間は「天使になろうとして豚になる」存在であり、おそらく狂気とはこの自覚を持たない人、あるいはこの自覚を忘れた
人間の精神状態ではないのか?と、我々には皆キチガイじみたところがあり、うっかりしてると本物になってしまう。
しかし人間というものは狂気なしには居られないものらしい。我々は、「天使になろうとして豚になりかねない」
存在である事を悟り「狂気」なくしては生活できぬ存在であることを悟るべきである。酒飲みの醜態を考えてみればよく解ること。
酔って醜態をさらし、しばらく飲まないで生活する、そして再び醜態を曝す。この循環こそ、人の状態でないのか? と。
狂気も正気も人の心に棲んでいて、これを忘れてはならない。
「戦争が狂気、平和は正気であるとするなら、戦争より平和の持続の方が実は苦しい」
平和は苦しく、戦乱は楽であることを心得て、苦しい平和を選ぶべきで、冷静と反省が、
行動の準則にならなければならない。常に「病患」を己の自然な姿と考えて、進むべき。
 ーーーー
これを読むと、何かホッとする。特に酒飲みの醜態の循環の箇所など!何かを目指したら、他からみれば
(目指している先は見えないから)狂気に見えるのは当然のこと。まずはそれを乗り越えることが求められる。
元々、人間は理想を求めれば求めるほど、「天使になろうとして、豚になりかねない」存在になってしまう。 
それを、独り自問自答しながら、キチガイの自分を冷笑し自覚するのである。 
狂気と正気の循環こそ、人間の姿というのは自分の過去を振り返れば自明のこと。
ここで著者は {天才とは「狂気」が持続しない狂人かもしれないし、狂人とは「狂気」が持続している天才かもしれない}
と言っているが、元々、両者を循環をしているのが人間の自然な姿と思えば、気持ちが楽になる。
狂うほど物事に熱中しなければ、天才的な仕事は出来ない!のは事実だが、鈍才で気の小さい吾身とすれば、
ホッとするのは自己欺瞞というより誤解でしかない。大恋愛も、観ている方からすれば「色狂い」?しかし、そ
れもまた人生の花?でもある。そういえば、4年ほど前にここで「閑吟集」のチロリチロリチンチロリを取上げた。

 よのなかはちろりに過ぐる ちろりちろり (49)
 何ともなやのう 何ともなやのう うき世は風波の一葉よ (50)
 何ともなやのう 何ともなやのう 人生七十古来稀なり(51)
 ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に あじきなき世や(52)
 夢幻や 南無三宝 (53)
 くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して (54)
 何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ (55)
                         バイ (*бωб*)/
・・・・・・・・・
2006年12月15日(金)
2082, ワーキングプア?
            (~Q~;) おはよう〜〜 ファ〜
    
12月10日(日)にNHKで総合テレビで放映された「ワーキングプア?」ー努力すれば抜け出せますか ー
がシビアで、深く考えさせられる内容であった。今年の7月に放送したのを見て、肌で感じていた厳しさを
全国の事例として目の当たりにみせられ衝撃的であったが、その続編である。

まずは、ーNHKのHPより抜粋したものであるー
『働いても働いても豊かになれない…』。
今年7月に放送したNHKスペシャル「ワーキングプア」は、生活保護水準以下の暮らししかできない
“働く貧困層”の厳しい現実を見つめ大きな反響を呼んだ。NHKに届いたメールやファックスをもとに、今回、
ワーキングプアのさらなる実態を取材。「第2弾」である。この10年の雇用環境激変の影響を、最も大きく受けた女性たち。
その窮状を訴える声が数多く寄せられた。雇用が回復した今も「正社員」は依然として狭き門で、
複数の派遣やパートの仕事を掛け持ちしても、生活ギリギリの給料しか得られない女性が急増している。
『字数制限のためカット 09年12月15日』
 ・・・・・・・・・
2005年12月15日(木)
1717, 戦略ノート ー2
          オッハー☆_φ(´∀`    
以下が具体的な
「戦略ノート」である。夢実現のための具体的な技術編である。
何ごとも、実際に文章化をして一つずつ実行すればよいが、
                       誰も実行しようとしない。
−−        ma nomete  ~~旦⊂(・∀・ ) ~~旦_(-ω-`。) ドモドモ
1、自分の夢を書く  しかも締め切り入りで
 2、今の自分の資源を洗い出す
   a)夢を実現するためにどれだけのことをしなければならないのか、
    そしてそのために全身全霊で打ち込む決意があることを確認する
    声明文を具体的に書きなさい
   b)夢の実現に役立つ自分の強みを三つ書きなさい
   c)夢の実現を拒むもので自分の力でなんとかできるものを三つ書きなさい
   d)夢の実現のために払うべき代償はなにか?
    ◇金銭 ◇時間 ◇人間関係
    ◇現在の仕事・キャリア ◇安楽な生活 ◇その他
  3、夢、実現への理念を書く
    自分の夢が明確になったら、実現へ向けての理念を書く
    自分の価値観と信念に根ざしたもの
 4、成功への旅の進行度をたずさえてチェックする
   成功の目安となる具体的な目標を設定する
  −−−−       φ(・ω・〃) ♪
  ー他に、この本のポイントを書き出すと
    *人生の質を高めるなら自分自身を高めるしかない
    *いつか、そのうちなんて日はない
     ・今日この日に手をつける習慣をつける
     ・今日の成長は明日のための投資
     ・自己成長は自分の責任で行う   
     ・今日の成功は明日の敵   ねむ!(ρ_-)
     ・時間不足などいくらでも埋め合わせができる
     ・人生の核となる軸に時間とエネルギーを集中させよう
     ・一日一時間、週5日法でその道のエキスパートに。
     ・捨てるものを厳選しろ
     ・せっかくの知識を持ち腐れするな
     ・どこで使えるか  いつ使えるか  誰の役に立つかを考えると情報の使い方がうまくなる
     ・成長が加速する環境に身を置く  よっしゃ♪o(>w<)〇゛
   「付き合う相手で自分の価値が決まる 」
   「自力でできることだけに集中する 」
   「成功は失敗と反省の繰り返しによってのみ成される 」
   「得るか失うか交換する ー
    この三つの選択肢で成り立っている 」
  ーこういう人に人が集まるー     σ (=^ε^= ?)’♪ (´-ω-` )ゝ
   よほど、純朴でないと、これらは空論にしか思えないものだ。
   しかし、自分のミッション・ステーツメントになる。
   何ごとも判断基準を明確にしておけばよい。  
              d(-。^)good!!
・・・・・・・・ 
2004年12月15日(水)
1352, 23歳の日記ー6
6月17日 (2)
今日は休日である。 何かしらない安堵感と、寮で一人いる不安感が複雑な気持である。
何か日ごとに、会社に染まりつつある。それ自体悪いことでないが。流されている自分が不安である。 
自分が目指してきたものが、少女の淡い結婚を夢見ている姿とどこが違うというのだろう。
その甘さが、今の気持を不安にしているのだ。 それが行動にチグハグが出ているのだ。流されているという感じも、
そのためだ。自分の信念に対して、決してたじろいではならないのだ。歩むことしか、今は許されないのだ。 
休むことも必要だ。といって、休みすぎて、歩くことに躊躇を感じるようになってはだめだ。登っていることはそれでよいが、
しかし断念はしてはならない。頂上の着くことより、そこへ着こうとしている努力こそ求められなくてはならないのだ。
しかし、登山には登山の準備が必要である。一つずつ山を登り続けなくてはならないのだ。
現在目指す山は『商道で力をつけることだ』流通業で、自分の創造力をつけることだ。
しかし、僅か3ヶ月もしないうちに、不安と疑問を持ち始めているのだ。このこと自体ナンセンスなのではないか?
という疑問である。5月病でしかないのか。自らが燃えないで、どうして光をつくることができようか。
そのエネルギーがこの程度ということか? どうしたのだろうか?
 −−−
7月16日 1969年
 22時30分
10日位前に四日市から、神戸の垂水店に来ている。四日市の検収をしている商品管理部から、室内装飾の売り場に移動後、
やっと慣れたら、2日後に急遽転勤の辞令。実際のところ頭が真っ白である。前知識なしに何人かが合併の先頭の交流の為に
神戸や大阪や姫路などに転勤である。まだ日にち4ヶ月も経ってないが、刺激的な日々である。昨夜は当直、その為か
今日の午前中は肉体的極限状態。聞きしに勝る酷い環境で、何か数百年前の江戸時代のような世界である。
日用雑貨の一部を受け持つが、30歳近い「主のような女性」が難物である。店の女性を仕切っている大ボスである。
まず彼女を自分の監督下におかないと。乗りこえなくてはならない女の壁だ。四日市本店は丁度よい時期に転勤かもしれない。
ボロが出る直前だったからだ。そのため、良い思い出だけが残った。特に寝具売り場の大西さん、黒田さん、伊藤さん、エッチャン、
伊藤さん、それに梅村さんだ。四日市のよい思い出になった。特に最後の夜の思い出は忘れることができない。ところで今日、
アポロ11号の打ち上げがTVで放送されていた。歴史に残る、素晴らしい光栄に満ちた出来事である。
あと半月後に社員登用試験が控えている。それには絶対受からなくてはならない。それにしても、凄いところにきたものだ。
寮が、四日市で同室であった堀田君が一緒というのが救いである。丁度良い相手が同室になって良かったが、
寮生と店の人たちは、まだまだ、心を開いてはくれないが、彼らも様子見というところだろう。

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2003年12月15日(月)
985, アパについて
 先日の夜のワイドショーにアパホテルの女社長がTVで出ていた。
アパ・マンションの社長婦人で、ホテルを任されている人だ。
ホテルにしても、奥さんがTVのワイドショーに出てきた時は大体が末期の時である。
落ちとして最後には「わが社のマンションを買ってくれ」とのコマーシャルで終わった。
(字数の関係でカット 2008年12月15日)
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2002年12月15日(日)
 611,ある時間の断片-25
 1968年 10月25日 金曜日
8時前に起床。学校へ向かう。 人事管理で討論をやる。我々のグループでは予習をいいかげんの割には論議に筋が通っていた。
授業後、兼子と奥村と食事。その後、ゼミの同期の連中と食堂で話をする。その後、欧州旅行仲間の川崎と酒向の下宿に行く。
大学の近くにある。寮住まいも大変だが、アパートの一人住まいも寂しそうだ。それぞれあるのだろう。欧州旅行の仲間の会を
日曜日に開くことにする。そこで連絡の打ち合わせをする。喫茶店のジョーイに行く。そこで川村の鈍行というグループが
集まっている。石川と田島もいる。田島と例の件で議論をする。田島は個性豊かな人間だ。私の顔がユニークだという。 
貶しているのか、褒めているのか。 お前に言われたくないとも言えなし。
13時から武澤ゼミに参加。指定の本をあまり読まなかったせいか、軽井沢ボケのせいか
まるでついていけない状態だった。 つくづくいやになる。ゼミ終了後、高木と石川とゼミの3年の二人と飲みに行く。
2軒回った後に、所属している合気道会の主催の「素晴らしき飛行機野郎」をタッカーホールに見に行く。 
21時半に寮に帰ってくる。新聞を読んでいると、後輩の米林君がくる。寮の佐藤嬢とのノロケを聞かされる。
別れようが別れまいがどうでもよいだろう。23時に就寝。ー反省ーゼミでの論理の曖昧さを実感した。
もっと本を集中して読まないと。 プラスマイナスを明確に把握、その為には、本を4~5回は読まないと。

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2001年12月15日(土)
270,本屋と図書館
“私は書物を人にはすすめない。その人にとって本は買うまでが勝負である。
本屋でこの本を自分が買うと決めるその一瞬こそ最も大事なのだ。”
(第一生命・桜井社長・“NHKトップインタヴュー”より)
本屋に行くと何ともいえない緊張感がある。そのせいかもしれない。
自分でリサーチをして、そして決断か、情報万引きー立ち読みか、本当の万引きか、その雰囲気を楽しむか、
いろいろあるからだ。週に二回か、三回行く。その時の時勢が反映しているのが面白い。
最近はネットの「紀伊国屋」や「アマゾン・コム」で、半分以上買うようになった。
桜井氏の考えにも一理あるが、私など是非そのような人物が近くにいたら、
教えてもらいた。といってやはり自分で苦労して捜してこそ意味があるのも当然の事だ。
本屋とか図書館に神か妖怪がいて、自分が真に求めている所に導いてくれるという。
誰もがその不思議な出会いを経験しているはずだ。
立花隆の「僕はこんな本を読んできた?・?」が今の私のガイドブックになっている。
トイレに置いてある。一度座るたび、ダイジェストで一冊の要約を知る事ができる。

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ある時間の断片
12月15日 ー日曜日  1968年
 朝10時に起床。午後も何となく過ごす。 夕方食事に行き、その後独りで本を読む。
 その後卒論をまとめたりして過ごす。今朝ゼミの植本君から一昨日の礼状がきていた。
 その番のうちに礼状を書いて翌朝速達でよこすとは凄い。 それだけ感激したようだ。
 しかしこの気持ちが一番大事なことである。先日のゼミの私が創作をした内容は実家の商家をモデルにした。
 そこでの人間関係を現在の寮の自分の立場に置き換えて話した。しかし、あまり練ってなかったので、
 その場でパフォーマンス的につくり変えたので矛盾点が出たのだ。どうしても表面的な受け答えに なってしまった。
 必死に突っ張っている自分がそのまま露呈したようだ。


3175,学習性無力感

2009年12月14日(月)


[私はいつも仕事でミスばかりしている」[自分が就職する企業は、何処も良くない」
「どうせ自分は何をしてもダメだ」「旅行に出ると、嫌のことばかりつづく」
「女性には持てたことがない」「あ〜あ、面白くない」とマイナーなことばかり目に捉われる人がいる。
そういう心理傾向を[抑うつ的自己意識スタイル」という。悲観主義者である。誰も失敗したり、何をしても駄目な時期がある。
そして自己嫌悪に陥り、欝症になり、それが重くなると、鬱病になる。そして、マイナーな言葉により、何もヤル気がなくなる。
それを[学習性無力感」の法則という。その底から、這い上がる過程で自分を作り、そこで力がつく。
 アメリカの心理学者の実験がある。
≪ 第一のグループには騒音を止めることが可能で、第二のグループにはコントロール不可能な状況に置き、その後、
全員を騒音を止めることが可能な状況に置いたところ、第一のグループは簡単に騒音を止めることができたが、第二のグループは、
「学習性無力感」が働いたのか、誰も騒音を止めようとせず、その状況に耐え続けることしか出来なかったというのである。≫
 一番の問題は≪どうせ自分なんか≫という考えが習慣になると、ろくなことがないということ。
これに対して、成功体験が人間をプラスを重複して導き出すのである。これが世の中に出回っている「成功本」の共通点。
この「学習性無力感」をもじれば、「学習性達成感」ということになる。大相撲やプロ野球で、優勝回数の多い力士や選手は、
ますますヤル気が出て練習に熱が入る。 優勝というゴールセッテングが体験でハッキリイメージできるからである。
逆に、失敗時のイメージを持つと、負け犬になってしまう。 「学習性無力感」が付いているのである。
 恐ろしいのは、この20年近く日本は、バブルの崩壊以来、どうも学習性無力感が国に、ついてしまったことだ。
現在の若者の間で、「一度で良いから景気の良い社会を経験してみたい」という願望があるという。
景気がよく、努力をすれば報われる実例が周りにあれば、自分も!と啓発されるのだろうが・・・

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2810, 禁断の市場
2008年12月14日(日)
「禁断の市場 ーフラクタルでみるリスクとリターン」 
               ベノワ・B・マンデルブロ (著)
この本の「内容紹介」と『禁断の金融10ヵ条」が、簡潔に纏めてある概要である。
それぞれのページは、あまりに難しいので、この部分をジックリと理解することで良しとした。
 これもフラクタル理論の応用?
ー内容紹介ー
「フラクタル」という言葉、あるいは本書の著者である「マンデルブロ」については、どこかで聞き覚えがあると思います。
フラクタルとは、全体を一定の割合で縮小すると部分が再現できることを指します(部分と全体の自己相似)。
1970年代にマンデルブロにより命名され体系化された概念です(本書167頁)。自然現象との幅広い関わりが研究され、
統計物理学、宇宙論、気象学、水文学、地形学、解剖学、分類学、神経学、言語学、情報技術、コンピュータグラフィックス
などの分野にさまざまな影響を及ぼしています。 インターネットで「フラクタル」あるいは「マンデルブロ集合」を
検索していただければ、どこかで見たような図を多数見ることができます。雲や山脈などの風景を描いた、「写真」のような
図もありますが、コンピュータが計算して描いたグラフィックスです(本書196、324頁)。
マンデルブロ以前には、自然の世界において「雲は丸くないし、山は円錐ではないし、海岸線は滑らかではない」ことを
数学的に説明することは不可能でした。それを明らかにしたのが、1982年に刊行された『フラクタル幾何学』(翻訳は1985年)です。
その功績は「私たちが自然を見る目を変えてくれた」と称えられ、1993年には物理学の世界で権威あるウォルフ賞を受賞している。
また2003年には日本国際賞を受賞しています。 本書は、その考え方を金融市場に応用したものです。
マンデルブロにとっては、1960年代から続けてきた研究ですが、一般書の形で発表されるのは本書が初めてです。
マンデルブロの研究は、所得の分布と綿花価格の変位の分布、乱流状態にある流体エネルギー散逸量の変動と金融市場における
ボラティリティの変動の類似性など、グラフを見比べて「似ている」と感じた直感に基づいて研究が発展したそうです。
本書では、「自然現象のフラクタルと経済現象のフラクタル」は同一のものであり、このフラクタル幾何学を金融市場に
適用することによって「ランダムウォーク理論からは予想できないバブルの発生と崩壊」が理解できるようになるという
マンデルブロの考え方が示されています。金融工学の基礎となっているのは、コインを投げて、表が出たら相場が上がり、
裏が出たら下がるという最も単純な「マイルド型」のランダムさの変動をモデル化した概念です。実際の市場は理不尽な動きをする
「ワイルド型」のランダムさに基づいて動いている。市場の動きを説明しモデル化できるのは「洪水」や
「大気の乱流(タービュランス)」などを説明できる「マルチフラクタル・モデル」であるとマンデルブロは主張します。 
2008年1月のダボス会議でライス国務長官は、サブプライムに揺れる世界経済について
「われわれは今、タービュランス(乱気流)のなかにいる」と発言し、話題になりました。
 ーーー
  それにしては、内容が難しい。そこで、一番の要点の12章の「禁断の金融10ヶ条」から、
 「サブプラム・ローン入りの債権」で大損をした無数の人を対象に、これを当てはめると、
 この意味が解るから面白い。 私も証券会社の人を近づけていたら、毒入り債権を買っていた可能性があるからだ。
「だろう」と、結果としての「〜になった」は、違うのである。
 *禁断の金融10ヶ条     
? 市場価格とは乱高下するものである。 
?市場とは、きわめてリスクの高いものである
 ー既存の金融理論ではけっして起こるはずのないリスクが現実に起こる
?市場のタイミングはきわめて重要である。 巨額の利益と損失は短期間に集中して起こる
?価格はしばし不連続にジャンプする。そして、それがリスクを高くする。
?市場での時間は、人によって進み方が違う
?いつでもどこでも市場は同じように振る舞う
?市場は本来不確実であり、バブルは避けることがでぎない
?市場は人をだます
?脳の予想は無理と思え。しかし、ボラティリティなら予測可能だ (*価格変動率)
?市場における価値は限定された価値である
 −−−
何か大損をしたと想定して、これを読むと、一言一言が実感として解る。
間違っても、証券会社の言いなりになってはならないということである。

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2007年12月14日(金)
2445, ルサンチマン
            (Оゝ∀・О)。+゜+。ォハョォ☆
初め、ルサンチンマンという言葉をニーチェを読んで知った時に、その鋭い指摘に驚かされてしまった。
弱者の怨念を宗教の巧妙な手口で利用したのがキリスト教の基本か?と。
昨年の9月の読書日記に一部書いたが、更に掘り下げて考えてみる。
 *まずルサンチンマンを ーGoo辞書ーで調べてみた。{ もともと恨みや憎しみが心の中にこもって鬱屈した状態を
いう言葉だが、ニーチェはこれを弱い者への思いやりや自己犠牲を説く平等主義的な道徳の起源を説明するために用いた。 
彼によればキリスト教道徳や,そこから生まれた近代市民社会のヒューマニズムや人権の思想は,
弱者の強者に対する恨みや復讐心を道徳として表した奴隷の道徳なのである。 
この延長上にある社会主義の思想も,このような奴隷道徳の一部に他ならないと考えられる。
ニーチェはこれに対して強者の道徳,貴族的な誇りや勇気を讃える戦士の道徳,
君主の道徳を対置した(ニーチェ『道徳の系譜』)。これは結局ファシズムによって利用される結果にもなった。}
 ーー 
あるブログの中では、
{ニーチェは、人が「善悪」という言い方をする真の原因は現実世界の力関係にあると言う。
強大な民族が平和に暮らしていた弱小民族を襲い、征服したとしよう。勝者は敗者の財宝や婦女を奪い去っていく。
残された人々は、相手に害も及ぼしていない自分たちを襲い、悲惨な目に会わせた相手を悪の権化として呪うだろう。 
それに比べ、罪なき自分たちは善である。「善悪」はこうして、カでは相手にかなわない弱者がせめて「道徳的」には
優位に立って、相手を見下そうとする心理、「妬み(ルサンチマン)」から発生する。
同じことは「正義」「節制」「勤勉」「清貧」などあらゆる道徳的価値に言える。
肉食獣に襲われた草食獣が円陣を組んで抵抗するように、弱者が強者から身を守ろうとする
「蓄群本能(ちくぐんほんのう)」から生まれたのが、ローマ帝国の奴隷にまず普及した
「奴隷道徳」としてのキリスト教である。}とあった。
  ーーーーーーー
 以上を、更に噛み砕くと・・・
 たとえば、善を高貴で富んだ者とすると、 悪は、その反対の、野卑で貧困で弱い人になる。 
 しかし一方で、この価値判断に対立する考えがある。「貧困で弱い者は善である」という考え方である。
 これをルサンチンマン=怨念と考えた。 カントは、キリスト教の教義「神は貧しき者の味方なり」
「貧しき者は幸いなり」など、キリストの名を借りて、貧しいものが善で、富める者は悪であるという
 概念をつくり上げた功罪を厳しく批判した。弱者を正義に祭り上げようとした宗教は、もう必要はないと、
「神は死んだ」と主張。 まだまだキリスト教の教義にガンジガラメの当時の社会を変革しようとした。
 キリスト教も、ユダヤ教が対象としなかった女や病人などの弱者の立場を擁護する教え。
 そこにニーチェは、弱者善人、強者悪人という怨念の縛りを感じとったのである。
 大部分の弱者である一般の人にとって、宗教は必要になる。 しかし、他の国や民族から、自国や民族を守るには
 強者の支配も必要なこと。 その結果として、左手に聖書(正義)、右手に剣が必要になる。
                   ヽ(゚∀゚)ノ バイバイ!
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2006年12月14日(木)
2081, あたりまえのことばかり −20
                     才八∋ウ_〆(∀`●)       
  ここでは哲学という視点で、心の問題を取り上げているが、感情について、なかなか切れ味は鋭い。
  「激しい感情が、向こうからの訪れる」とは、なるほど!である。 向こう側とは何処なのか?
  学生時代に[情念の話術]という本を読んで、実際に自分で試したことがあった。
  喜怒哀楽を前面に出して、自分を押し出して、話しをする。車でいうと、感情というエンジンを前輪駆動にする。
  これをやりだすと、それまでと全く違った自分を見出せる。
  抑えている感情を逆に、エンジン代わりに言葉にのせて自分を奮い立たせる。
  これは性格改造にもなるが半面、非常に危険である。一つ間違うと、周囲を深く傷つけてしまう。
  これはヒットラーが大衆を煽動する手段として演説などに使った。よほど計算を緻密にしておかないと、
  自分が見えなくなる。しかし自分の感情を常に支配下に置くに、よい訓練になった。
  感情を道具にするのだから。傷つくということは、感情に支配さえていることだから! 
   ー傷を癒すには傷とは何か、傷つく感情とは何かを、考えてみなければなるまい。
   虚構の自我に捕らわれている自分に気づいていない無知が、勝手に傷ついているだけ。
  要点を抜粋してみる。
 ーーーーーーーーーーー
 どうすれば癒されるのか −?
 ーーーーーーーーーーー
 私が私であり、私の心が私の身体の中に存在するという錯誤の世界像を思い込んでいる人だけが、
 各種のグッズやセラピーによって「癒される」。癒されたと思い込むことができる。
「本当」の傷を負った人々は、そのような単純な主客二元の処方箋では治療できず、
「本当か」の問いに直面するのではなかろうか。すなわち、傷ついている人は誰なのか。
「私の」意志を越えて立ち上がるこの感情の激しさとは何か。
「私の」運命はなぜこのようでなければならないか。私は私である、
 すなわち私は自我であるとは明らかに虚構であり、しかも近代特有の虚構である。
 それなら、病理として現れるその崩壊現象こそ、ある意味では、
 近代以前の本来的のありようを示しているといえるかもしれない。
 古代の人々にとって、感情の自律性とは、それ自体で神々の訪れだったようである。
 怒りの神が、嫉妬の神が、憎しみの神が、到来する、私の心に、このとき私の心が
 私の所有であるとは意味を成さないだろう。感情それ自身が神々である。
 あるいは魂が複数の人格から成るという世界観は、現代のわれわれの心的生活を、少なからず解放する。
 ある強い感情に圧倒される時、これは「私の」感情ではない。向こうからの訪れなのだと捉えることは、
 自己観察の距離を生む。逆に、見慣れない感情、厄介な感情をもむかい入れ、親しむ余裕すら生じるかもしれない。
 否定的な感情というのは厄介なものである。主客が分かれた世界においては、
 黒々とそこにあるそれは、目を逸らすにも抑圧するにも明瞭にすぎ、
 人は主観のうちに担い切れず、客観の側に犯人探しをして、その責めを負わせることになる。
現代社会の構造が、人の感情を否定的にしていると思われがちだが、話は逆で、否定的感情の処理の仕方を
知らない現代人が、それを社会のせいにしている場合がおおいだろう。 主観と客観の狭間で、
処理することができずに膨張する一方の否定的感情に追い詰められて、自爆寸前の現代人にとって「魂」という
第三の存在の視点として所有することは、それ自体で対立に風穴を開けることになる。 それはあくまでも視点でしかない。
  主観と客観の対立が虚構であるように、魂もまたひとつの虚構である。
  しかし、それ自体が謎であるところの世界と存在の謎を見抜こうとする
  眼差しにとって、一切が虚構として見抜かれるとして何の不都合があるのだろうか。
  虚構は虚構として自覚されることによって、視点として有効になる。
 ーーー
この本も、この辺で終わりにする。池田晶子の本を、さらに4冊も読んでしまった。
1、「14歳からの哲学」 2、「知ることより考えること」 3、「人生のほんとう」  
4、「41歳からの哲学」で、良かった順である。
それだけ、わかりやすく鋭い切り口で、気楽に哲学の世界に引き込んでくれる。
年内は、池田晶子ワールドにドップリ浸かるのもよいだろう!
            おわり  (*⌒ヮ⌒*)ゞ  バイ!
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2005年12月14日(水)
1716, 絵文字が面白い!ー2
  ー喜怒哀楽の絵文字
 (以下、字数制限のためカット 09年12月14日)
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2004年12月14日(火)
1351, 全日本相撲選手権
この時期の日曜日、全日本選手権が行なわれている。
全日本学生選手権か、この選手権で優勝すると、多くが卒業をすると大相撲にいく。毎年、そのためか多くのドラマがある。
今年の見どころは既に学生選手権で優勝して大相撲の幕下から角界に入る事になっている学生横綱と、スケールでは
一回り大きい高校横綱の優勝争いであった。 トーナメント戦と準準決勝で争い、高校横綱が連勝した。
これで高校横綱も角界に入ると思われる。今年は、思わない伏兵が優勝をした。
過去ほとんど予選で敗退してきた29歳の小手投げでしか勝てない選手が、すべて小手投げで勝って優勝をした。
小手投げを相手も用心をするのだが、それで勝つのだから面白い。小手投げは、捨て身の起死回生の技である。
それが得意技というのも、珍しい。今まで見てきた、この選手権では一番面白い内容であった。
この選手権の面白みは、一発勝負である。去年も書いた内容をコピーしておきます。
   毎日、面白いことがつづく。
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2003年12月14日(日)
984, 電波時計
 電波時計を買って2年近く経つが、昨日のチラシに電波時計のフェアが載っていた。安いもので1980円のものもあった。 
昨年買って使ってみた感想を書いてみる。今までは1〜2分位の誤差があったが、電波時計は自動的に時間の修正をする為に、
時間合わせが無くなってしまった。時間に対する信頼感というものは意外と気持ちが落ち着く。 
JRの時計は結構間違えていることがある。もし信頼感がなければ、自分の時計が間違っているのではと思うが、
今では自分の時計の方が正確と確信がもてるようになった。この絶対信頼感が意外な盲点であったようだ。
これにソーラー機能の付いたものや、薄型デジタルなどがチラシ広告に載っていた。15歳の時、父親に時計を買ってもらった。 
当時クラスで誰も持っていなかった。隠すように腕にはめていた。気持ちの中では凄く豊かな気持ちになったことを思い出した。
今や時計も、100円ショップで買える時代である。
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2002年12月14日(土)
610,ある時間の断片-24
  10月24日 木曜日
6時半起床。 7時半に三浦さんが上京の為に、車で駅までおくる。ホステラーが帰った後、一人で過ごす。
16時半に寮の高橋君と佐々木弟を迎えに行く。寮の難波嬢もくる。そういえば彼女と一年前に2時間位
散歩をしたのを思い出す。 ただそれだけだが。あいも変わらずキャキャやっている。
去年ここでホステラーをしていた時に、夜の話の中で4人のうち私だけが外国に行く予定がないのに疑問をもった。
そして、その夜のうちに旅行を決定した。 両親を口説いた。まず母を篭絡して、母と父の篭絡の相談をした。
母が「私が反対すると、あの人は賛成に回るから」と言ってくれた。
そしてその通りになり、その後その計画に父は気づいたが、うれしそうな顔をしていた。
19時の列車で寮に向かう。22時前に部屋に着く。ボクシングで原田弟がノックアウトで勝ったところだ。
その後駒村と米と語り、零時まで明日のゼミの予習をして就寝。
追文ー軽井沢はスランプのためによかったが、気を取り戻して卒論をやらなくては。
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2001年12月14日(金)
269,再開発の愚
過去に書いた再開発の愚の文をコピーしておくが、懲りずまたもや新潟駅前で始まった。
それと万代橋の近くの再開発もである。 理屈はわかるが、民間がやるべき事だ。
どうしても権力を持つと自己証明をつくりたくなる。そしてやり逃げをやる。
逃げるところがあの世だから、更に始末が悪い。再開発だけには関係するな!これが鉄則である。
 (字数の関係でカット08年12月14日)
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12月14日 土曜日  1968年
 12時に、同級生の雨宮のフォークソングのライブを聞きに行く。以前、長岡の自宅の遊びがてら泊まりにきたことが
ある友人だ。ーその見返りに茅ヶ崎の旅館に泊まりに行った。知り合いでは彼と角田などがいる。
想像をしていたより、ズット上手いのと生き生きしていたのに驚いた。
それと堂々といていたのも新しい発見である。しかし途中で飽きてしまった。
わざわざ池袋まで行ったのにと思ったが中座をして帰ってきた。悪いことをした。
 18時から寮の忘年会である。
全員が楽しそうであったが気持ちの奥で、何か白けている自分がいた。
何げなくその会場から出る。 先輩の文夫さんの言っていることは何だ!
先輩だろう、情けない!自分で考えることのできない人間だ。 何も考えないできたのだろう、
気の毒の一言である。 同僚のいや同寮の水野君と新宿のクレージキャッツに行き、踊り狂う。
汗ビッショリである。しかし気分がすっきりとした。0時半に帰寮。毎日何をしているのだろうか。


3174,言葉はこころの杖

2009年12月13日(日)

 「片耳の話」ー秋山駿著 で、
「言葉は、人生を歩くための杖である。というより、こころの杖である、といった方がよかろう。
 若いときは、高く跳ぶための杖だが、老いれば、転ばぬための杖である」
「―汚い言葉は、汚い痰のようなものだー 私は教室で若者達に、このようなことを言っている。
 もっと言葉にお洒落になってもらいたい、として、よくプルタルコス[饒舌について]の次の言葉を紹介する。
《 すなわち、酒は本来楽しんで愉快になるために発見されたのに、むりやり何杯も、それも生のまま飲ませる
 連中がいて、こうなると酒は不愉快な泥酔のためのものになる。 まさにそれと同じように、言葉は本来楽しく、
 かつ最もよく人間味を伝えるものなのに、それを悪用し、また無造作に使う者がいて、そうなると言葉は人情に反し、
 かつ人を孤立させるものになってしまう。》」と、言葉の人生に対する影響を述べている。 
それは、杖だけでなく刃物にもなってしまうこともある。 
人生の終盤を迎え、そろそろ転ばぬように、自分を支える杖としなければならない。
「ありがとうございます」や「般若心教」は、こころの杖として、最上級のものだろう。
仏教では、「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華教」という御経を杖として与えている。
晩年は如何に良い言葉を多く知っているかで決まってくる。 
そういえば学生時代、紙に書いて部屋の壁に貼っていた言葉がある。
ロマンローランの「ベートーベンの生涯」の中の言葉
「良くかつ高貴に行動する人間は、それだけでも不幸に耐えることが出来る」
「苦難の通りぬけて歓喜へ」である。 現在は何だろう? 「如何にでもなる!」あたりか?

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2809, 閑話小題
2008年12月13日(土)
 閑話小題

 *米自動車救済法案、協議決裂 政府支援白紙だと!
間違いなく通過するだろうと見ていた米自動車救済法案が決裂、政府支援が白紙になった。
これから、どうなるかが問題だが、これを書いている12日の16時現在では、アメリカの株が大暴落の可能性がある。
株の世界は、これを逆に好感するかもしれないが、この時期では弱気が大勢を占めているので暴落になるのだろうか。
その方が、下手に延命して無駄な資金を垂れ流すより良いことは誰の目にも明らかである。
ドルはアッサリと90円を割ってしまった。長い目で見れば、日本車のメーカーはプラスに働くだろう。
しかし当面は七転八倒の苦しみを味わうことになる。 何とか輸出企業の頑張りで持っていた日本経済の信号は黄色点滅から、
一挙に赤信号?になってしまった。もし、GMが倒産でもすれば、アメリカ経済は氷河期に入り、その影響は世界も
大恐慌への足が速くなる。考えただけでも恐ろしい。恐らく、これに合わせて日本の政局も大きく動き出すことになる。
 しかし、取りあえず救済策を出すしかない。
 −−
 * オバマ政権の顔ぶれをみると
オバマの次期政権の顔ぶれが出揃ったが、8年前のクリントン政権関係者と、現政権下の国防大臣と
ニューヨーク連銀議長の二人をを加えると15人中11人が過去三期の大統領下の閣僚などの関係者である。
これでは、『変革』より、『継続』への変更ではないかと危惧する面もあるが、しかし実力者を集めたことには違いない。
これをみる限り、やはりたぐい稀なる人物のようだ。変化すべき部分と、変化してはならない部分を使い分けるものが
指導者である。これからは、彼がこれだけの多様な人物を使い分けることが出来るかどうかにかかっている。
 ーー
 * アメリカが新ドルの発行で、対外債務を半分に?
オバマが、大統領に就任した後の、近い将来にアメリカが『新ドル』に変更。
旧ドル二ドルに対して、新ドル一ドルにするのでは?という説がある。 
早く言えば、「どっちにしてもドルは半分の価値になるのだから、新ドルに切り替え、交換比率を半分にして借金の半分を
踏む倒す」というもの。「国内的には給料は維持するから預金を持っている人は、半分になる反面、借り入れをしている人も
半分になる。給料は、そのままにする」というのだから、大問題になるだろう。それしかないだろうと、
日本の学者が、その可能性を述べているに過ぎないが。しかし、日本もして欲しいものだが、無理だろう。
 ーー
*トヨタが100万台以上の生産削減
トヨタが、グループを含めて100万台以上の車の生産を決めたと、昨日の朝に報じていた。
さて、大手新聞が今朝の一面のトップに載せるニュースのはずが、殆どの新聞に掲載されてなかった。
恐らく、政府からの御達しがあったのだろう。常識的にみれば、世界に40万人のうち、5万人以上の
人員整理が想定されるからだ。 日本は8万人の従業員というから1万人、部品メーカーなど下請けを入れたら、
数万人の人員整理のなる。 そうすると、他の自動車メーカーは、更に多いはずだからというと・・・・
新聞各社は刺激があまりに大きいことになる。 これに住宅・マンション・オフィスビルの新規着工が
見合わせられることになるから、来年は倒産と、人員整理の嵐になる。 考えただけで恐ろしい年になる。

・・・・・・・・・・
2007年12月13日(木)
2444, 挫折は財産
            (^ω ^)おはようw            
  故・音羽信子の夫であり、映画監督・新藤兼人の次の言葉がよい。
「挫折をして、挫折のままだったら、今いないわけでしよ。生き延びてきたということは、
 挫折を乗り越えてきたからなんです。 そうすると、私の財産は挫折なんです。
 乗り越えるためには、試行錯誤があって、まだ挫折が来る。若い人は挫折をしてませんね。これからするわけなんだから。
 だから、若い人と対抗して仕事ができる気持ちになれるのは、私が挫折という財産を持っているからなんです。」
ー図書館で何気なく手に取った本の中の新藤兼人の言葉である。挫折を財産と言えるには、結果として乗り越えたからである。
 人生はいずれにしても、最後は何らかのカタチの挫折が待っている。
 挫折は誰のせいではない。自分自身の問題だから自分で解決するしかない。 挫折から人は多くのことを学ぶ。
 乗り越えられなくても、諦めるしかない、そのことの方が何倍も大事である。 諦念の底から知恵が出てくる。
 知恵など出なくても、挫折した人の気持ちを知ることが出来る。 多くのことを考えさせてくれる言葉である。
渡辺貞夫の次の言葉もよい。
「練習は出来るかぎり毎日欠かさない。楽器はシビアなんですよ。適当にやっていては、言うことを聞いてくれない。
 また楽器も手応えのあるものでないと、 サックスは一言でいうと、ぼくの批判者。
 サキソフォンを通して、僕の状態が何時もみえる。 僕がよければ、いい音を出してくれるし。
 だから楽器を通して、僕は今の自分が全部見えるんです。」
ーこれは、一つのことに徹してる人だったら言える言葉だろうが、自分の選んだ楽器と心が一体化しているという響きが良い。
 二人とも一流のプロである。多くの難問を乗り越えてきた経験から出た言葉である。
               *・д・*)ノ″
ーー
2006年12月13日(水)
2080, 談合列島!−3
       _ _)oパタ (o- -)oムクッ (o°▽°)oニパッ (o_△_)oゴロン(o_ _)o.。o○グー オハヨ〜
昨日・一昨日、この随想日記に「談合列島」というテーマで書いたところ、昨日の19時半のNHK
「クローズアップ現代」で、ー談合列島ーが二日間にわたり放送していた。
一昨日は忘年会でみることが出来なかったが、昨日の「崩れ始めた“談合列島”」は、
脱談合が進みつつある業界の実態に迫るもの。 公共事業の大幅な削減や談合を規制する制度改正が進む中、地方では、
従来型の談合では共倒れになると業者が対立。"談合破り"とそれに対する報復が繰り広げられるなどの異変が起きている
現状をレポートしていた。一連の県知事逮捕が続いている中で、タイミング的に丁度よい内容である。
大手ゼネコンや機械メーカーは、独占禁止法改正による罰則強化をきっかけに"脱談合"を宣言。その結果、入札の現場では
自由競争が促進されたが、予定価格の50〜60%の「叩き合い」が起きているという。
談合で守られていた価格破壊が、一挙にこの業界襲っている。建設関係の従事者が国民の一割に当たるというから、
この数年は、すざましい淘汰が吹き荒れることは必定である。公共工事が平成七年の35兆円から、現在は半分に減少している。 
全国土木協会会長の大成建設の社長が、これまでの談合の存在の事実を認め、「今後は談合は行わない」
「その結果として、業者数が五分の一、十分の一に減ることも仕方がない」と答えていたのには驚いてしまった。
当社のホテルのある「前町内会長」が経営していた土木会社も、落札率が6割では経営が成り立たないと、
今年になって廃業をしてしまった。数年前まで、スナックなどで飲んでいる建設関係の人が目立っていたが、
今年に入ってから彼らの姿が少なくなってしまった。激変の時代の一つの現象である。 
                                \\★ (^_^)/~~ バイバイ
・・・・・・・・
2005年12月13日(火)
1715, 下流社会    茶 どうぞ ( ^-^)_且~~~

最近、下流階級とか、下流社会という言葉が目につく。 その丁度良いタイミングに『下流社会』という本が出た。
先取りの典型的な本である。初めて東京暮らしをして実感をしたのが「世の中は歴然とした階級社会」ということであった。    
(*o☆)\ 初対面で、自己紹介で何気なく自分の身分のキーワードを入れる。
それでそれぞれの立場(階級)を確認するのだ。 情報化、グローバル化は結果として競争激化をもたらす。
それが激しければ激しいほど、階級格差がハッキリする。特に近年の競争の激化が中流社会を希薄にし、
一部勝ち組の上流?社会と、  他の負け組みの下流社会の二分化を鮮明にしだした。
そういえば「○金」「○ビ」という二分法が、80年代末の日本では一世を風靡したことがあった。
                      オレ〇ビ? σ(*`θ´*)
ーーー
ーこの本のインターネットで調べた概要を編集してコピーしてみたー 〔読まなくても充分である。〕           
 「下流社会  新たな階層集団の出現」光文社新書(著:三浦展)
「下流」とは、単に所得が低いということではない。
 コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低いのである。
 その結果として所得が上がらず、未婚のままである確率も高い。 そして彼らの中には、だらだら歩き、
 だらだら生きている者も少なくない。その方が楽だからだ。 (「はじめに」より)
 団塊ジュニア(1970年〜1975年頃誕生)世代の女性で「上流」意識を持っている人が気に入っている
 時計のブランドがオメガ等を押さえてセイコーやシチズンであるという。
 オメガからシチズンに変えた理由はオメガの鎖が切れたので修理しようとしたところ、大変な時間と費用が
 かかることが分かったからだ。また自動巻きのオメガは少し外していると止まってしまうし、
 月末には日付の調整をしなければならない。それに較べて電波時計は、全くのメンテナンスフリーだからだ。   
 時計とは「正確」で「手間がかからず」「そこそこの堅牢性」があることが最大のポイントだ。
 それをデザインだの、手巻きに味がある等と講釈を付けるのは時計メーカーのセールストークに過ぎないだろう。
 時刻合わせに気を使うより、世の中には沢山しなければならないことがある。   (/_ _ )/♪へ(-。-へ)♪(/_ _ )/
 先程の時計の調査で下流階級ほどロレックスやオメガを好む傾向が出ている。
 外見以外に自分を際立たせるもののない下流階級の悲しい性(さが)という。
 著者は「『下』は自民党とフジテレビが好き」であることを指摘している。
  これを数字で以下のように示している。
 対象世代は「団塊ジュニア世代」(1973−80年生まれ)。
    「上」の自民党支持率は8.3%、 民主党支持が16.7%、 支持政党なしが75%。
    「下」の自民党支持率は18.8%、 民主党も同率、支持政党なしが60%。
  ー字数の関係で中略(2007年12月12日)ー
 ーーー
ー感想
この「下流度チェック」半分以上である。(2~7と11が、!チェック)
そうすると、私は下流? (T0T)\(^−^;)mama!  まあ、いいや!
読みようによっては、かなりシビアな本である。しかし、これが現実であり、競争社会の姿なら、
そう受け止めざるをえないだろう。それが勝ち組から負け組みに落ちた時に、社会の現実がリアルに見えてくるのだろう。
今後はニートやフリーターなどの「労働意欲のない、多く働かない層」がそれによって下流に転じ、
逆に「上昇志向の強い上流」という流れと相反して二極化が進む。
またその層の子弟らは自然にこの階級の社会環境によりそこに留まり、階層の固定化が強まるということか。
 第5章「自分らしさを求めるのは『下流』である?」は刺激的なタイトルである。
 この章の「生活の中で大事にしていること」で「個性・自分らしさ」を挙げる人は階層意識が「下」の人に多い、という。
「自立・自己実現」もそうだ。 一見世間的に悪い響きでもなさそうなのだが、実際データを取ると下流だと
 自分を考える人ほどこの項目を挙げる率が高い、というが、どうだろうか?
 それでは「上流」では?、男女ともに共通しているのは「ゆとり」だ。
 男性はこのほか「仲間・人間関係」「創造性」「活動的・アクティブ」で、女性は「美・おしゃれ」
「公正さ・品の良さ」という。 これまた極端な内容すぎる。       (*◎ω◎*)~ 〜♪
 団塊ジュニア男性が「これからお金をかけたい事」は『上』では「財テク・投資」「家具・インテリア」「健康」
「スポーツ・フィットネス」「住宅・リフォーム」であるのに対し『下』では「教養・資格取得」「娯楽・イベント」が顕著。
 男性の趣味でも『上』は「旅行・レジャー」「スキー」「サイクリング」「ゴルフ」と
アウトドア志向なのに対して、
『下』は「AV機器」「音楽コンサート鑑賞」「テレビゲーム」「スポーツ観戦」「パソコン・インターネット」・・・
「私はどうか?」と不安になる。 著者が自分を規準に考えているに過ぎないだろうから!?
        ○=(≧Σ≦) へっくし!            バイ〜〈*・。・*)/
・・・・・・・
2004年12月13日(月)
1350, 遠くにありて日本人

この番組み、度々見ているが、昨日のアメリカのロス近郊のバイク・ビルダー(手づくりバイク)の日本人が面白い。
ライダーからの特注のバイクをつくるミニメーカーの日本人の紹介なのだが、
ライダーの世界と、そのバイクの製造過程が垣間見れた。いずれにしても、プロフェッショナルの共通点がある。
すべてを投げ打っているという点で学ぶ点があまりに多い。この「遠くにありて日本人」は世界のそれぞれで
自分の生き方を貫いている日本人を紹介しながら、その地域や、人間の生き方を覗き見る内容である。
自分の好きなことを見つけ、それを貫いていることが、人間としての理想的な生き方である。
グローバルの時代に、本場に行って理想的な生き方をしている人を紹介している。
アルゼンチンに行って、「アルゼンチンタンゴ」の踊り手になっている中年に差し掛かった女性も印象であった。
この番組みを見ているとき、時たま街で出会う高校の同級生から電話が入った。
「佐藤というあの無口の同級生が、中越地震で被害にあった山古志村の診療所の医師をしている。
いま仮設の住宅地でやはり仮設の診療所を開いて苦労しているからクラスの同士で来年早々、慰安会を開いてやらないか」
とのこと。時々TVや新聞に出ているという。 それを聞いた家内がいうには、「近くにありて日本人。ね」
なるほど上手いことを言うものだ。 色いろな人生があるものだ。
 
・・・・・・・
ある時間の断片
12月13日 1968年

 昨日に続き、朝起きることが出来ない。結局起きたのが11時過ぎ。やっとタクシーに乗り、学校へ向かう。
昼飯後、ゼミに出席する。 この日は、ゼミの「ケーススタデー」は、私の番である。
私が創作した「ある会社内のトラブル」を具体的に述べて、それを全員が問いただし問題のありかや処理を考える。
質問に対して臨機応変に答えなくてはならないのだ。アガリはしなかったが一人一人の質問に辻褄を合わせなくてはならない。
特に武沢教授の執拗な質問には、ドンドン追い詰められていった。私のいい加減なところを徹底的に問い詰められてしまった。
この時、このゼミの奥行きの深さに内心驚いてしまった。ストリーを創ることで精一杯で、そのストーリーの組み立ての
いい加減さを自分で気がついてない。全員に囲まれて、竹刀であちこちから打ち込まれるのだ。 それも道場主から
鋭い竹刀が彼方此方から来るのだからたまったものではない。石川の「イヤミ」もその中で出た。 
その後、総評の中で石川、植本、東レの照井さんの私に対する性格分析があった。非常に鋭い内容で丸裸の自分を
曝け出しているようであった。一生忘れられないだろう。 ゼミ終了後、一年後輩の植本君を誘って飲みにいく。
池袋の「嵯峨」「パブエリート」そして、先日姉達といった赤坂の「ムゲン」のコースであった。 
その日の鬱憤晴らしで、2時間も踊り狂う。植本君も純粋で面白い男である。自意識過剰のところが他人に性格を
変えられてしまう可能性がある。その後、帰寮。駒村孝道が部屋に来る。学校で何かあったようで、大荒れであった。
部屋のウイスキーを飲んで、話を聞いてやる。 2時就寝。
 ー今日のゼミ、一人で全員を相手に受けて立つのもよい経験であった。よい学生時代の思い出になるだろう。
  真剣勝負の感じがしたが、舞台のステージに立っているようで面白いところもあった。


3173, 閑話小題

2009年12月12日(土)

 * 腰痛
 腰痛が、この季節の変わり目にかかわらず、今のところ落ちついている。
いずれ出てくるのだろうが・・・。 今のところ考えられるのは、・ベッドに低反発マットを敷いたことと、
・海老反りマシーンを毎朝晩使っていることである。・それと外で酒を飲む機会が少なくなったこともある?
もちろん、20数年来の毎朝のウォーキングは欠かさず行っている。
 
* 変な話
 家内が言うには、「駅裏の越後交通ビル(元ダイエー跡)の駐輪場に自転車を置いて、用を済ませて帰ろうとしたところ、
自転車の籠の中に、年代ものの女物の財布があった。 気持ちが悪かったが、駅前の警察まで行くのも面倒なので、
1Fの酒売場に事情を話して置いてきた。 千円札が数枚と小銭が見えたが、それ以上は見ないようにした。
しかし住所を聞こうとしなかった」という。 それに対して「住所を聞かないのは、こういう御時勢。下手に聞くと
苦情を言われるからじゃないか」と答えたが・・。 で、何で、置いたのだろうか? 
年代もの、ということで、痴呆の入った老婆の行動が考えられる。 次に考えられるのは、盗んだ人が、
万札だけを抜いて置いた? これは、千円札だけ残すのは変である。 次は、落としてしまった財布を、拾った人が
警察に届けるのが面倒なので、近くの自転車の籠に入れた。 この可能性が一番高いか?
 
* 世知辛い、ボーナス
 一昨日の朝のワイドショーで、新橋駅前でサラリーマンにボーナスの結果のインタビューをしていた。
 大部分が「減りました」で、「貰えるだけ有難いです」という返事が多かった。
アンケートでは、66パーセントが減額、14パーセントが増額、20パーセントが変わらず、の返事だったという。
日経新聞の集計では、平均70万円で、前年マイナス15パーセント。20年前の水準。 世知辛い結果である。
これではデフレスパイラルに入るのは当然である。

 ・・・・・・・・
2808, 心を込めずに女を褒めよ !
 2008年12月12日(金)
作家の渡辺淳一が、ある雑誌の対談での、「心を込めずに女を褒めよ」という言葉?が面白い。
 【イギリス帰りの若い女性に「レディファーストは、マダムだろうが小娘だろうが、差別をつけてはいけないの。
 『女と見たらしなさい』って、向こうは子供の頃から叩き込まれるの」って、全くそのとおりだと思った。
 要は、心を入れないでやりなさい、ということなんだけど、こういう思想は日本には無かった。
 武士道は何でも心を込めろっていう思想。 でも、その御蔭で女を見たら直ぐに褒めるようになったよ。
 顔が綺麗なら顔を、顔を褒めるのが辛いと思ったら、髪の毛を。服、ネックレス、バッグはどうか・・・
 と見ていけば必ず褒めるところがある。女性はまず褒めるべきだよ。 妻とまともに話そうと構えるから、話せなくなる。
 日ごろから『ありがとう』『綺麗だね』って言う癖をつければよい。 そのレトリックは非常に大事だと思う。
 ・・・僕は京都のお茶屋でよく遊んでいたけど、帰るときには必ず、おかみと芸姑が門まで出てきて、大声で
 『おおきに、ありがとうございました」という。僕が2〜30メートル先に行っても言っている。
 どうしてあんなに丁寧に言えるか、その理由はたった一つ、客を何とも思っていないからだ。銀座は逆で、
 これは金払いが良いかどうかで・・・】 
  成るほど、道理である。当たり前になるまで習慣化しなさい、ということだ。 私の知人は営業畑の人が多いため、
 飲みにいくと、当然のように女性を褒め上げる。それが枕詞であるかのように、まず褒める、そして褒める。
 『今日は、いやに綺麗だね』『へ〜、今時に、こんな綺麗な人いるんだ』『新潟美人は、東京のオナゴと肌が違うね』
 まあ、よく言うよという位、平気でいう。 でも、そういう店のママやホステスも、言われ慣れていて、軽く流す・・・
 それでもいいのである。 言えないのは心を込めようとするから、である。
 何度も書いてきたが、学生時代にカーネギーの『人を動かす』という本に「人に好かれる6原則」とかがあった。
 そこで黙って友人知人に、それを実行したと同時に私の周りに人が集まりだした。 心を入れる余裕など無く、
 ただ、相手の関心のありかを探し、にこやかに、聞き手にまわり、相手が話し終わるまで我慢し、最後に褒める!
 それを全ての人に試みたのである。 また女性の多い職場環境に若い頃に居たころの一時期に、多くの美人?
 と友人になったことがある。(男女?ではない) 私は美人が好き、そう知らせれば良いのである。次に人畜無害のサイン。
 それだけで、心を開いてくれる。 姉が4人も居たから、その辺は幼児のころから鍛えられていたが・・。
 (いやいや、冷静に考えてみたら、嫌われる方が限りなく多かったが・・嫌なことは都合よく忘れてしまうから生きられる)
 逆に、心を入れて女を褒めたら、誤解されることが多くなる。 さりげなく、口先で褒めること。
 これが最高の贈りものになる。 面倒とか、馬鹿馬鹿しい、という気持ちを乗り越えて素直に言うことが基本だが、
 それが最近になって言えなくなってきた。 原点に戻って、心を込めずに、あたりかまわず言うしかないか!
   まずは、カミさんから・・・   辛いけど!      

・・・・・・・・・
2007年12月12日(水)
 2443, 死刑直前の手紙
                        【GOOD MORNING】q・ω・´)
『哲学の教科書』・中島義道ー の中で見つけた、処刑前夜から処刑二時間前までに断続的に母親に送った死刑囚の手紙である。
 人生の不条理が、そのまま出ている。今回は私の感想などは、何も書けない!  何度も何度も読まなければ、
 その心の底には辿りはつけない。ガン末期の別れの似たような場面に何度か立ち会ってきた。違いは、刑死かどうかの差である。
 罪悪感を持って虚空へ立ち向かう心情は如何なるものか?。
 ーーー
一九六九年三月八日
 
ーおかあさん
あたたかい晩ですね。 きょうはひょっとしたら東京に泊まるとか言っていたけれど、とにかく、
あまり悲しまずにからだに悪いことは気をつけて、よくやすむようにしてください。
ほんとに思いがけないことになってしまい、(むろん、そして一方ではじゅうぶんソノタ
の用意はしてきてはいたけれど)おかあさんに最後の、そして最大の親不孝をしてしまい、ほんとうにすみません。
おかあさんは、よくしてくださいましたね。ありがとう。
M先生のおっしゃるように、ぼくはおかあさんによって〈神の愛〉を知った、と思います。
まだまだ努力が足りなくて、それに書きたいことや、考えて深めたいことも多くあって、
そのうえなによりおかあさんはじめ皆さんと別れるのはつらいけれど、しかしこの与えられた
〈時〉は絶対的な意味をもっており、ただ、耐えつつ受け入れる以外にはありません。

でも、ソレは、ぼくひとりのことで、おかあさんに与えつつある悲しみの責めを
まぬがれることは、むろんできません。 ゆるしてくださいね。
おわびのしるしに、天国へ行ったら、きっとおかあさんのために山ほど祈り、
守ってあげますね。 だから、おかあさん、もう泣くのはやめなさい……
 −−
ー今は八時過ぎ。
夕がた、おかあさんのハガキが、美絵君と「あけぼの」のシスターの御文とともに到着しました。
もうおかあさんのハガキを見られないのか。 会えないんだな……ということのすべて、
きょう突然あったことと、あすのことすべてが、ユメのようです。
ユメならさめればいいのに……と思うのだけれどもやはりユメではない。だからこの一瞬一瞬をだいじにしましょう。
ほんとうに長いようで短い一生でした。 四十歳と七か月とすこし。 おかあさんの半分です。
いろんなことがありましたねえ。 ほんとにいろんなことがあった。
そして今、おかあさんにとって すべてのことが喜びに満たされていたというのに、
ぼくのためにいっさいが灰色になってしまいましたね。  ごめんなさい。
きょうは、久しぶりにおかあさんの肩をたたき、髪をくしけずり、手をさすることができました。
すっかり白髪になって、シワだらけになって、小さくなって、 やっぱり幼いころに知った 
あのおかあさんと同じでした。 でもおかあさんはやはり幼い頃に知ったあのお母さんと同じでした。・・・・・・
 ーー
ー夜中、といっても十一時過ぎ。十二時近くかな。何だか寝つかれないので、としおいつ、こしかたをふり返ってみたり、
あすに備えて手ぬかりがないかと考えてみたり、おかあさんがきょう「わたしが代わってやりたい」
と言ってくださったことばを思ったり、ほっぺたのあたたかみを思い出したりしています。
別に、あすの死を恐れてではなく、昼間の疲れのせいでしょう。・・・・・・・・
 ーー
ー夜明け。
まだ外はまっくらですが、おかあさんにもっとたくさん書いてあげたくて、起きました。
よく寝たような、うつらうつらのなかに過ぎてしまったような、へんな気分です。
おかあさんは? たぶん、ぼくのためにたくさん祈ってくださったことでしょう。ありがとう。
もうすぐ、きょうの午前中にはいなくなってしまう。そう思って、今ごろまた泣いているの〜
ほんとうにごめんなさい。 おかあさんの写真は笑っているのに。
きょうも、さして寒くない。髪とツメのこと、よく頼んでみます。きっとだいじょうぶですよ。
まだ眠い。 オヤオヤでしょう。 でもこんなときにだって、人は眠くなるし、
静かでいられるという発見は、なかなかもってたいしたことでしょう。
 −−
ーさあ、おかあさん、七時です。 あと一時間で出立する由なので、そろそろペンをおかねばなりません。
ぼくの大好きなおかあさん、優しいおかあさん、いいおかあさん、愛に満ちた、
ほんとにほんとにすばらしいおかあさん、世界一のおかあさん、さようなら! でもまたすぐ会いましょうね。  
だからあまり泣かぬように。さようなら、百万べんも、さようなら!(髪の毛とツメを同封します。コレだけでよかった〜)
今こそ・ぼくはおかあさんのすぐそば、いや、ふところの中ですよ、おかあさん!!
 −−
後記)これを読んだ母親の気持ちは? やはり宗教は必要である。
  やはり、言葉を持ってしまった人間は、それゆえ苦しみが倍増する。
  その言葉で、神をつくり、そして苦しみを和らげるしかない。 あまりに辛い手紙である。
                  (○´∀`)ノ
 ーーー
2006年12月12日(火)
2079, 談合列島!ー2
             才ノヽ∋―_φ(^O^*)♪
この土日の大手新聞の「知事の犯罪」の特集記事や社説の中で、日本経済新聞がずば抜けて要点をついていた。
その要旨は
・2000年に施行された「地方分権一括法案」で、知事の許認可権限が一気に強まった。
 元々絶大な権力が更に絶大になっていった。業者の方から見れば「知事をおさえさえすれば」ということになる。
・国会議員のゼネコン汚職で加速した政治改革の結果、地域の利権にからむ存在感が一気に低下。
 それを知った国会議員は利権を求め知事への鞍替えが加速した。
・常に選挙のことしか頭にない知事は、巧妙に手口を変え、知事の代理人を汚れ役にして集金システムを維持してきた。
・それまで東京高険だけにあった起訴権限を、全国の地検まで扱えるように変更した。その結果検察の姿勢が
 「一罰百戒」から「一斉摘発」に方針をかえることが出切るようになった。
 このため、談合はどこでも摘発される「普通の事件」になった。
・罰則の強化、談合を自首した企業への課徴金減免制度の新設、公共取引委員会への強制調査権の付与、
 等の談合摘発システムが着々と進んでいった。 警告は出されていて、その猶予期間は終了、そして
「ある日、突然、一斉の摘発が始まった」のが、この一連の逮捕劇になった。
 検察は日本社会にはびこる悪弊を根絶する機会として、その根絶を目指す姿勢を明確にした。
 (以下、字数の関係でカット 08年12月12日)
・・・・・・・・
2005年12月12日(月)
 1714, 脳梗塞について
      (*´ノД`)<<<才八∋ー゜                    
  先週の日曜日夜のNHKスペシャルで、   ( ^-^)_且~~
  脳梗塞の患者となった多田富雄氏の日常を半年にわたってリアルにレポートしていた。
  患者になってしまった彼がふり絞るようにいう言葉が深く心に突き刺さる。
  番組を見ながらパソコン内の「メモ帳」に下書きをして数日以内に『随想日記』に取りあげようとした矢先に、
  産経新聞の「産経抄』に、名文を書かれてしまった。<(_ _)>
  プロの文章を読んでしまったら書く気がしなくなるが、それでも書くのが文章上達の早道。
  学生時代の友人や、仕事の関係などで脳梗塞や脳溢血で倒れる人が多くなってきている。 Σ(´Д`;)
  数ヶ月前にも、会社のナイトフロントの人が定時になっても出勤して来ないので、
  副支配人が一人暮らしのアパートに行ったところ玄関で倒れていた。
  救急車をすぐ呼んで緊急入院をしたが、もう少し遅れれば? 脳出血で左半身が麻痺が残り、
  退社をせざるを得なくなった。 私など、深酒の機会が多いので気をつけなければならない。
  脳梗塞は身体は動かなくなっても、思考だけはしっかりして「身体の監獄に閉じ込められる』というのが実感という。
  多田富雄氏も放送で『生き地獄』と言っていた。『地獄がこの世にあるものと実感した』という言葉が重い。
                       s(・・;)(/_;)
人間、生きているうち、元気なうちに、出来ることを出来るだけしておくべきと思う。
               ja~ (*゜∀)ノ.。・:*:
ーーーーー
=産経抄= 
        ~~ ~~┗─y('〜`;)
  米国のコラムニスト、ボブ・グリーンに「勇気あるアルファベット」という佳品がある。
 (以下、字数の関係でカット 08年12月12日)
                 ○o。―y(・ε・) フウー
・・・・・・・・・
2004年12月12日(日)
1349, 教養が試される341語

本屋で立ち読みをしていた本だが、図書館にあったので早速借りてきて目を通した。
 思ったより内容は気楽に読める本で、何気なく使っていたり、知っていたが意味まで考えたことがない内容で
 面白い本である。検索で調べたら、その中の71語の意味を書き出していたのがあったので、
 コピーして貼り付けておきます。毎日、文章を書いているためか、言葉に対しする興味が全く違ってきている。
 言葉は、そして文章化は人間を人間たらしめているものだ。それと数千年、いや数万年かかってつくりあげてきた人類、
 そしてそれぞれの民族の蓄積された叡智である。
 ーーー
・冥加に余る(みょうがにあまる):ありがたすぎて罰が当たりそうだ。
・弥栄を祈る(いやさかをいのる):ますます栄える。
・惻隠の情(そくいんのじょう):人の不幸を黙視できず、その人の身を哀れみ傷む心。
・やんぬるかな:予想した通りに事態が進行して、今となってはどうしようもない。
 (以下、字数の関係でカット 09年12月12日)
ーーー
以上ですが、なるほどすごい人がいるものだ。 よくぞ抜粋して書き写したものである。

・・・・・・・・・
2003年12月12日(金)
982, 目先だけを切りぬける人
 このノウハウを持って一生を切りぬける人がいる。 しかし程度の差はあっても、それは誰も持っている要素である。
その「程度」が、人生で大問題になるのだろうが。 「口先だけで生きてきた」飲み屋のママさんがその典型だ。
人生の一番の欠点になるが、その人にとっては最大のノウハウである。「我がうちなる小狡さの人」である。
 目先をどう切抜けるかにポイントを置いている人は、「志ー長期視点」が無いといえる。「7つの習慣・最重要事項」の
「緊急事態病」に似ている。緊急事態に追われて、一番大事な事が全く見えなくなっている人である。
それも相対的なことでしかないが。また「愚か者」と「馬鹿者」の関係に似ている。
反対に「目先だけを切抜ける人」を肯定的にとらえて見ると面白い。これも黒光りの方法・手段までなることもある。
これで首相になった悪しき?事例がある。 この人?、この小手先だけで首相に上り詰めた?のだから。
最も角栄を引き摺り下ろしたことは、歴史的には業績になった?小手先だけで果たして首相になれるのだろうか?
という疑問も残るが。ところで「目先だけを切抜ける人」を検索をしてみたら「見当たりませんでした」と出てきた。
「目先だけで生きる人」も「見当たりませんでした」と出た。こんなテーマで文章を書く奴は、いないか。
 「目先を切り抜ける」内容でした。

・・・・・・・
2002年12月12日(木)
608,ある時間の断片-22
ー1968年 10月18日
一時間目の人事管理に出る。その後朝食も含めた食事をしていると、ゼミの田島と川村がくる。
ゼミのOB会の連絡簿の案内書の住所書きをコモンルームで12時半まで手伝う。
その後田島とウイーンにいく。そこに「鈍行」という勉強会を開いている井上と森本など5人がいる。
あまり付き合いは深くないが、30分も話さないうちに旧知の友人みたいになる。 金沢に行きたいというので、
寮の市川さんから情報を聞いてやると約束をする。森本をほめると嬉しそうな顔をしていた。
こちらのほうが気分がよかった。ほめる事に関しては石川が先生だ。
帰寮後野球を見てすごす。 その後、食事へ行く。そこで先輩の永田さんと尾形君、丸谷君と会う。
一時間勉強の後、佐藤のところに行き、夜半の0時から3時まで酒を飲む。今日も田島に言い過ぎた、困ったものだ。
 ー 10月19日
10時過ぎにおきる。
夕方まで二日酔い?で夕方まで勉強をするが身が入らない。
夜9時から寮のミニコンパ。一時間本を読んで夜半の一時に寝る。 空虚な一日であった。

・・・・・・・
2001年12月12日(水)
267,一点豪華主義
 1品豪華主義(一点豪華主義)趣味でも、仕事でもー

人生でも総てにいえる事だが、これだけは特別というものに金をかける、人生の総てをかけることが重要だ。
反面それがアンバランスでもいいかという問題が残るが。それでもいいかどうかは、やはり本人の問題でもある。
金も、暇も、能力もない人間でもこれは可能だ。 好きな何かを見つけ、一点集中的にエネルギーを注ぐ。
それを続けていれば、それについてプロの領域にたっする。
私のそれは、ご存知のとうり秘境ツアーだ。 他人の評価など全く関係ない、それが好きでたまらないからだ。
パソコンもあと2〜3年経つと、それに近い存在になるかもしれない。
旅行のネタをインターネットに載せるのも、一応理にかなってる。
「絵の好きな人が旅行先で景色を書いている」のを見ると、人生の一番の奥義を見ているようだ。
一番好きな旅行で好きな絵を描ける幸せは何も変えられないだろう。ピアノも一曲だけを練習すれば、
弾けるようになるという。今度ピアノの先生について一曲おぼえてみようかと思うが、無理か?
wMWMWw, / ̄7 (好きな事をやろう!)
W"ヽ /  (感激しよう! )
(6 ^J^ / /  ────
|  ̄ノ/ /
 ・・・・・・・・・
 ーある時間の断片
12月12日  1968年
 朝9時に目が覚める。しかし起きることが出来ない。どうしたことか、学校に行かなくてはならないのに。
結局は行かないで、本を読んだり、風呂に行ったりして一日を過ごす。
千葉いる姉の優子さんに電話をして、来週から一週間一室を借せてもらうように頼む。
夕方、寮の近くでパチンコをする。 こういう時は、遊んでいても面白くない。
 その後、ボクシングの藤猛の世界タイトル戦を見る。無残に負けてしまった。勝負の世界の厳しさをみた。
その後、夜半の1時まで、今後の予定を立て1時半に寝る。


3172,ノートを下からとる!

2009年12月11日(金)

  面白いノートの取りかたである。 これは、目から鱗。
ノートは普通は開いた左上から下に書き下ろし、右ページ上段に戻って再び書き下ろすのが一般の書き方。 
せいぜい、左ページを白紙にして右ページに書いたフォローとして重要なポイントや、絵とかを気ままに書いたり、
空間をタップリとって島状に文章を書いて、後で見直すやすく工夫する。
 ところが、これは逆転の発想である。
*開いたノートの左下から①・・・・・・ 、②・・・・・・、そして行を上げて
 ③・・・・・・・ ④・・・・・・・・ 、そして行を上げていく。
 だいたい三分の二あたりに、それまで書いたマトメのポイントAを小項目とする。
*次にまた右ページの一番下の行から、Aから導き出されたBを想定して、①・・・・・ ②・・・・・、そして行を変え、
 上の行に①・・・・②・・・・、そして行を変えて、上に向かって書き足していく。そして三分の二を目安に段落として、
 そのマトメとしてのキーワードの項目を書き出す。
*そして、今度は左ページと、右ページのキーワードを入れた両ページにわたる長細い楕円を書いて、 
 その中に、③・・・・ ④・・・・というふうに、書き出していく。
 実際に書いてみると、上から下へ書くより、下から上に書いていくほうが考えがスラスラと出てくる。
そして後で読み返すとき、先に結論が書いてある上に、図示で分かりやすい。

 私の読書法には、最後の章から前に向かってポイントだけを追う方法があるが、それに似ている。
要するに、言葉=思考を上に、どんどん積み上げていくのが良い。考えてみれば、何もない下に書くということは、
何か不安がある。 しかし、いま書いた言葉の上に積み上げていくという実感が、考えを誘発する。
「どんどん考えが浮かびあがる」といった風が良い。
 私の、これまでは、ノートの真ん中に小さなハートを書き、その周りを脳のような図を描く。
そして、右上から、5〜6行の文章を 下に向かって三段書いて、下の段の左側に文章を書き足していく。
そして、一番左の行を島として、上に書き上げていく。 これはこれで、なかなか良い。
しかし左側の一番下から上に書き上げるのは目から鱗である。 これ本屋で立ち読みだけで会得した?が、
やはり、買って読まないと著者に悪いことになる?。 これは良い。下の副題が決してオーバーではない!
【 苫米地思考ノート術
  ― 脳を活性化し人生を劇的に変える最強思考ノート  ー苫米地 英人 (著)  】

 ・・・・・・・・・
2807, 不況景色 −2
2008年12月11日(木)

 * アメリカ最大のメディアの「トリビューン」が破綻
あまり目立たなかったが「ロサンゼルス・タイムズ」や大リーグのカブスなどを傘下におく【トリビューン社】が、
破産法11条を米連邦破産裁判所に申請し事実上経営破綻した。
負債総額は何と1兆2000億円、<救済される>会社と<つぶされる>会社の線引きに批判が集まっている。
日刊紙8紙を傘下に置き、23のTV局を持ち従業員2万人の全米最大規模の総合メディア。
何故、【シティ】や【AIG】は (目先だろうが)救済され、新聞社の【トリビューン】社は破たんなのかと・・・。
さらに【NYタイムズ紙】の業績も急悪化、このままいけば経営破たんではないかとの噂も出ている。
今後、マスコミが巨大企業救済プランに一斉に反対キャンペーンを打ち出す可能性がある。
アメリカの新聞社は日本や英国に比べて競争力が弱く、その分だけ不況とネットの波が大きく影響。
アメリカ最大保険会社のAIGが実質破綻、自動車ビックスリーも倒産直前、シティバンクも風前の灯、
証券会社は壊滅というから、アメリカは恐慌に一歩足を踏み入れたといってよい。
 ーー
*地元・新潟も不況が深刻化
地銀の担当の話によると、一段と景況が悪化、特に不動産・建設、小売など急激に売り上げが激減しているという。
地元の金融機関は、地方経済の長年の悪化のために体力を落としており、含み損を多く抱えているため、
資金が出せない状態。マイナスの循環の速度が速まりそうだ。
当方は、日本経済の景気に直接左右される商売で、街角景況がリアルに分かる。
これまでは他の商売より三ヶ月は先行した数字が出るが、この金融危機の影響は、他山も同じのようだ。
世界恐慌は、製造から、流通、サービスまでが、25%減の売り上げになり、失業率は20%、
株価はピーク時の10%になる。それからみると、日本の株価は4千円。アメリカは2000ドル以下になる。
今年の忘年会、中止にしようか迷ったが、小じんまりとした会にした。 帰りの新幹線の乗客も、めっきり少なくなった。
来年から3〜5年間は世界は大きな経済的破壊が現実化するだろう。
  年を越した1月5日から一斉に倒産の実態が顕れるだろうという。
   新しい社会の創造前の破壊なら良いが。

 ・・・・・・・・・
2007年12月11日(火)
2442, 人生後半に、哲学は一般教養として不要か?
             (´Д`;) オァ/ヽ〜 二日酔い!
人生、後半ほど哲学は必要と思っていたら、学者の谷沢永一著『人生後半に読むべき本』の中で、
「熟年には哲学など必要ではない!」と断じていた。 この数年、少し哲学にのめりこんでいるので、
丁度良い中和剤の論と思いつつ読んだ。しかし何で彼ほどの博識の人が、こういう論を立てるか理解できない。
「人生後半ほど、それまでと違う目で世界を見る必要性がある」と確信をしているので、
「近代哲学に対してのアレルギーが彼にあるのではないか?」と、思いつつ何度か読み返してみた。
道理は道理で必要である。それは間違いない。独り自分と、世界の不思議を見つめなおすことも大事なことである。
それも中心点に向かって! 彼が言いたいことは、「今さら哲学でもないだろう、貴方レベルには!」
ということ? それとも哲学(中心点に向かって考えること)など、彼の基礎教養の土台の上では必要が無い!
ということか?と、面白い問題提起になった。
     「人生の後半に読むべき本」矢沢永一・渡部昇一著  −PHP出版
 *谷沢永一
人生を深めるという観点で、たとえば哲学書。若い日に哲学書を読んで、もう一度読んでみようと思われる方が
いらつしゃるかもしれませんが、これはどうでしょうか。哲学は、ある時代の考え方の枠組みを創る。
そういう役割を果たしたものを読んでおくことはためにはなります。
ただ、たとえば咀噌されつくされたカントの哲学は今の時代を生きるために必要かといえば、ほとんど必要ない。
 また、へーゲルといえば団塊の世代の人々にはとりわけなじみの深い哲学者の一人かもしれませんが、
彼のいわんとすることは、「この世には絶対精神があり、それがだんだんと世界を高尚に持っていく」という上昇史観です。
キングが君臨し、ビショップが威張り、官僚が圧制する。それらもすべては絶対精神が自己を実現していくための
大きな流れの過渡期の現象であって、現在はプロセスの途上にある。 このプロセス論には、憎むべき狡猜さがあります。
これからはどんどんよくなるのであり、その途中に生まれ合わせたのだから、「高きを望むな」と、現体制を弁護する
最高の理屈にもなるからです。そしてヘーゲルがトマス・アクィナスの「神学大全一に近代的な衣装を着せたに過ぎぬ事情は
一目瞭然でしょう。 一方、マルクスは徹底的に模倣です。独創性は何にもない。共産党宣言の根本はエンゲルスが書いた。
共産主義というドグマは、幸田露伴の「五重塔」の表現を借りれば、「エンゲルスこれを創り、マルクスこれを為す」
というようなものです。そのエンゲルスも本当は歴史を知らない。モルガンの「古代社会」を読んで、それを勝手に解釈し、
夢の古代社会を創った。ルソーがやったのと同じ手です。 こう見てくると、どうも哲学というものは、物書きを目指す人は
別だけれども、一般教餐としては全部いらないと思えてきます。あれは要するに、人に固定観念を植えつけるためのものです。
人を楽しませ、喜ばせるものではない。しかし、人間の中には時代を問わず常に必ず不平不満は絶対ありますから、
それに訴える哲学は永遠生きるということも真実です。その点では、不平不満を書いてある本を読んでおいても意味がないではない。
ーー
以上だが、近代哲学を要約してあって面白いことは面白。大衆向けには、この論は丁度良いのだろう? いや、如何だろうか?
                      ゚∀゚)ノ バイ!
・・・・・・・・
2006年12月11日(月) 2078, 談合列島!
 (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜
    「垂直に立つ!」
 これが「情報化社会」と、「非情報化社会」とを、分けるキーワードになる。
 「死が人生の終点」と信じる人の延長上と、「いまここに生きている今日明日の現実」と、
‘水平と垂直’との境目が[いまここ]である。人生に垂直も水平も、ハッキリした境があるわけがないが・・
垂直とは何だろうか?  水平とは何だろうか? 水平とは、現実である。
垂直とは、いまここの切り口から直感できる永遠である。そして、この瞬間の中にある澄んだ純粋性である。    
以下の、異常な事態を考えるために、「垂直に立った」澄んだ視点で現在の三県・県知事逮捕を鳥瞰しながら考えてみる。    
  −−
先日のNHKニュースで、宮崎県知事の逮捕を受け、「日本は談合列島の様相を示してきた」と、アナウンサーがいっていた。
(字数制限のためカット09年12月11日)

・・・・・・・・・
2005年12月11日(日)
1713, 絵文字が面白い! −1
                 (。・o・。)ノ こんにちゎぁ♪
随想日記を読みやすく、かつ面白くするため、絵文字と空間を入れて一月経つ。
実際に、書いた後に絵文字を入れる方が面白い。感情が、いや心情がそのまま絵文字に入るからだ。
それと内容を和らげるのにもよい。♪〜(=^ε^= ) そこで絵文字の素材をHPで調べてみたら、これが面白い。
その中で見つけたのが、このエッチ系の奴だ。少し下品だが、とにかくご覧あれ!!
人間の本質が、そこにあるのだから仕方がない。漫画的に下ネタのイヤラシサを笑いに変えるところが良い。
赤裸々な人間の姿とみれば可笑しさも増すだろう! 
携帯電話世代が、心の深いヒダを記号で表現しだしている。言葉とは違った情報手段が出来つつある。
その組み合わせで、言葉以上?か、同じレベルまで心のやり取りの可能性が出てきたのだろうか。   
  ,,,,,(((( ;:゚皿゚:)_◇~~ アァァァ!! ナンテコトヲ!  ーエッチ ー
         スケベ! ¬_¬) (´m`) ムフッ♪  イヤラシイ(*・ω・*)
イヤ━━━(゚,_ゝ゚)━━━ン!!! (´Д`;)/ヽァ/ヽァ
  ベット‖・Д・)ノ ハヤク コイョ マチキレナィ ゼィ   ストリップ♪ ▼⌒ ヽ州'∇^)ノ ⌒-●●-
 (´ρ`)φ シコ・・シコ・・ ( ´▽`).・: ゚ ・。.  イチャタ  (((.人.)))ユッサユッサ (((.人.)))ボヨヨーン!!
 ━━━━━ヽ(*゚浮゚)人(゚気゚*)ノ━━━━━ぃ   (・´з)(ε`・) ←--|柱|゚ω゚;)。oO(ゥ・・浮気モノォオ)
 女王様とお呼び、オホホホ  川^。^)/~~~~~~~~~ν
 ーーーーー
いい歳をして何じゃい!という声が聞こえてきそうだが。  
  面白いものは面白い! クルクル  σ@( ゚∀゚)y パー!? 
− 次は感情(喜怒哀楽)を取り上げてみる。
                 (^_^)/~~ja~ 
 ・・・・・・・
 2004年12月11日(土)
  1348, もう一冊のアルバム

  中越地震の少し前に、事務所の移動をしていた時、2百数十枚の写真が入ったファイルが出てきた。
  2〜3年前に200枚入りのポケット式のアルバムに、今まで行った旅行のベスト8〜10枚を選んで、
  ダイジェスト式に纏めようとしていたようだ。おそらくアルバムに張る前に忘れてしまったのだろう。
  もしかしたら以前書いた20枚入りのアルバムもその時、更にダイジェスト版にするために買っておいたのかもしれない。
  中越地震の時に自宅で、丁度良い時間つぶしに200枚をアルバムに整理をした。
  結果として「ベスト20のアルバム」に劣らない位よい。厚めの本ぐらいの大きさであるが、コンパクトなのがよい。
  ほぼ、この十数年の旅行を網羅してあり、いつでも気楽に見ることができ、
  事務所か居間のTVの横に置いておくに丁度よい。お宅そのものであるが。
  開くと同時に、頭の中では、異次元の世界になる。家内の分を入れると、新築の家一軒分の費用は使った。
  モノは残るが、コトは残らない。しかしコトは、生きた証として!あの世に持っていくことができる。

・・・・・・・
 2003年12月11日(木)
  981, 足銀の経営破綻 について

 足利銀行の経営が破綻した。新潟県に例えると、第四銀行と大光銀行の総額の預金量がある。
 群馬と新潟の経済規模から考えると地銀が全てが破綻したようなものである。
 総貸出しの50?近く占めている。破綻処理は、予想されていた「りそな型」ではなく、 国が既存の足銀株全てを
 ゼロ円で取得して経営を建て直した上で受け皿銀行に 引き渡すという、いわば「長銀型」の方式だ。
 投資家は株主責任をキッチリ取らされるのだ。 危機が叫ばれた時、「増資を貸出先に上積みをして引き受けさせた」
 と聞いている。取引先は二重のパンチである。 栃木県の深刻な経済危機である。これから年末にかけて本当に深刻になるだろう。
 政府系金融機関などは「土日なしの緊急事態」と何かに書いてあった。隠されていた負債が今後多く出てくるだろうから、
 県外の地銀に対してその連想が出て株価の暴落を呼びおこす可能が出てきた。もし新潟で、このような倒産が起きた事を考えたら
 背筋が寒くなる。 想像を超えた現象があちこちで始めるだろう。失業率が十数?とかいう数字である。  
 繁華街の店の灯は半分は、いや大部分が消えてしまうだろう。これが栃木県だけでなく、これから地方で次から次へと連鎖する
 可能性が大だ。今でも地方の落ち込みは、想像を絶するものがある。 この事業は、デフレスパイラルが手に取るように分かる。
 政府は目先政権を維持するだけで精一杯である。その中で地方経済の疲弊はマスマス激しさを増しているのだ。
 長野県が長野オリンピックの反動と、田中県知事による徹底的な公共事業の削減で大打撃を受けている。
 してこれで栃木県が続いたことになる。そして公共事業を潤ってきた新潟県や富山・石川県 なども疲弊の極みにある。
 会社の大矢支配人の実家が栃木県にあるが、早速生々しい情報が入ってきた。破綻となると、やはり空気が全く変ったという。
 再来年の4月からペイオフが待ったなしで行われる。ペイオフに向けて預金の引き出しが続くだろう。
 そうすると貸し剥がしがおき・・・ 来年からは考えただけで恐ろしい年になることは必定だ。
 高橋乗宣の本でも、いま一度じっくり読んでみよう。「引き出し」のコーナーに彼の文章をコピーしておきます。
 ・・・・・・・・

2002年12月11日(水)
607,ある時間の断片-21
        10月15日  1968年
9時起床。午前中卒論のまとめをするが集中しない。 夕方まで机に向かう。
夕方米林君が部屋に遊びにくる。 夜は夜で集中できない。
        10月16日
10時起床。オリンピックのせいか集中できない。4時間は集中しなくては間に合わない。
夜の8時過ぎに集中できた。明日は早く起きて学校の図書館に行こう。もっと集中しなくては。
        10月17日
9時過ぎの産関論を受講する。 50人も出席してない。午後は休講。
図書館で卒論のまとめをしていると石川がくる。20分ぐらい話をする。 いつもの彼でないみたいだ。
この前のことを根に持っているのか。かなり混乱をしているようだ。彼の弱点をまた言ってしまった。
もっとクールに状況をみなくては。自分に気を許しているから人に対しても気が緩むのだ。
外部と内部の一線を引くべきだ。 外部の内部化と、それを消化した内部の外部化が今の卒論だ。
割り切りをきっちりしてないと混乱がますます大きくなる。

・・・・・・・・
2001年12月11日(火)
266,基軸の日、基軸の時間

 一週間単位の基軸の日、基軸の時間。
それを決めておくといい。あくまで一つの見方としてだが。ふと私の場合、土曜日の9時に考えてみた。
そうすると何かぴったしだ。そうすると一日単位でも9時だ、いや9時20分だ。会社について「さてと!」
と言う時間だ。そう考えるとうなずける。そうすると、月単位では何時だろうか?年単位では、何時だろうか?
難しい話はまたとして、ホテル計画をして、ある重要な決断の場面の数ヶ月は、実際のところ午前二時三十五分が
基軸の時間になる。それだけ集中せざるをえないし考える。「何かその時間に意味がある」と、ものの本に書いてあった。
深夜の底というところか。木の水を吸い始める時刻が3時35分と聞いた事がある。「5時から男」は何時に基軸を
おいているのだろうか。仕事にんービジネスマンは一般論で言うと月曜日の9時というところ! そうすると、プライベートで
みるとやはり土曜日の9時、ビジネスでいうと月曜の9時というところか。

そこを芯にして、生活とビジネスを組み立てるといい。

・・・・・・・・・
 ある時間の断片
  12月11日   1968年
11時に起床。
学校の図書館に行って卒論の勉強のために行く。2時間位集中する。 欧州旅行で一緒だった江夏君にバッタリ会う。
宮崎の大きな酒メーカーの御曹司だ。少し話す。朴訥としたいい男だ。 4時過ぎに帰路につく。
途中に池袋駅の地下の床屋で、レザーで髪の毛をすいてもらう。 私の髪の毛が硬いので、頭にきているのがよく解る。
帰寮すると、ゼミの同期の高木から電話で、人事管理の問題を教えてくれとのこと。
今の私には、人事管理に関して教えるだけの蓄えがないといい、石川譲治に頼んだらといった。
何か悪いことをしたようで後味が悪かった。 明日、謝らなくてはならない。


3171,「にこまる」で超図解

2009年12月10日(木)

 ー 3秒間! で脳内整理術 「にこまる」で超図解すれば問題解決ー 
                              茂野太陽 (著)
二つの○を重ねて書き、重なっている部分を「同定」し、そこから新しいキーワードを探し、三つ目の○に書き出すもの。
・「正・反・合」を○で図示しながら、正・反から合を気楽に導き出すものと、考えてもよい。
・また「守・破・離」も守・破から離を導き出すことができる。
・「三位一体説」の「神(父)、イエス(子)、霊)のモデルの図示にも似ている。
・その他にも、起承転結や、帰納法、演繹法などに気楽に使える。
書店で、立ち読みで充分と判断していたが、手に取るたびに著者のエネルギーが本から溢れ出ているようで、思わず買ったが、
これは使える。「脳内整理を遊びながらする」手法であり、新しい手法というより、一つのテンプレートの提示である。
実際に図をノートに手書きでうつしていると、著者が考えつくしているのが分かる。
 テンプレートとして、*にこまる基本図、 *にこまる時間図、 *にこまるラセン図、の三図がベース。
何か問題を抱えたら、この三つの図をジッとみて、そこに問題のキーワードが収まるのを待つという方法もある。
その意味では、面白い提示をしているともいえる。 まず○印が二個重ねるというところが、ミソである。
 ー以下は、キーポイントの言葉である。
*頭がもやもやするのは入り口が自動ドアだから
 =入り口で、開けるかどうかの判断を手動でするべきというのは、情報社会だからこと必要
*情報は外だしすることで整理が加速する
 =書き出し、まとめてこそ、情報の価値がでる。 脳内整理は「答え」ではなく「問い」に重点を置くこと
*情報は、問いを含めた形で整理する
 =問うという能動的な形で整理するから価値が出る。
*情報を整理するには入れる箱が必要
 =自分の手作りの箱が必要。 この随想日記は私の箱である。 一般にブログは最適。
*思考のステップ化で脳内整理をさらに加速
 =この「にこまる」は、思考のステップ化に最適である。
思考法としては、シンプルで分かりやすい。 図示し、展開するには良い手法である。

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2806, イングランド・ツアー  
2008年12月10日(水)
  
*英国という国
 英国の概要については‘?’で書いたが、更に書いてみる。
・英国の国民性として『働かないけど、金よこせ』が、サッチャーの改革で『働くから、もっとよこせ』に変わったという。
・長年の歴史から階級がハッキリしていて、労働者階級が出世するのは大変だが、事業での成否での入れ替わりの
 システムはあり、社会的弾力性は維持されている。
・バスからは山は殆ど見ることがない。延々と牧草地が続いており、道路の両側にオークの木や、
 林はブナの木、そしてポプラの木が所どころに見ることが出来る。教会にはイチジクの木が多く見られる。
 北イングランドの湖水地区や、コッツウォルズのカッスルクームの絵のような村の美しさが印象的。
・牧草地が目立ち、牛、羊、馬が多い。 また豚の牧草地に放し飼いが目だったのは英国的である。
 中世にローマ軍がやってきて、羊を持ち込んだため、多くの畑が牧草地に代わり、多くの農民が失職し、
 アメリカ大陸に押し出される原因になった。 そのアメリカで綿が大量に生産されて、英国に大量に輸入されて、
 羊毛の値段を暴落させたのは、皮肉な自然の摂理だった。
・食料自給率は80%あり、カナダの150、フランスの140、アメリカの130、ドイツの100%、 
 には及ばないものの、日本の40%からみれば、安定している。
・英国は、庭つくりの好きな国民性であり、自然を利用した庭つくりが基本という。
 ちなみに、フランスは幾何学的、イタリアは地形を利用した庭つくりが基本。
・英国は産業革命が始めて起こった国。 当初の自然破壊も大きな問題になり、環境保護の先進国でもある。
・ロンドンなどの都市に入ると同時に目立つのが、一棟が真ん中から左右対照同じ家が多い。それぞれが別の家族が入っている。 
 建売で、互いに気にしないで生活している。(値段が、安くなるからだろう)
・今回の旅行で、家族が仕事の関係で住んでいる人が三組いたが、その人たちの話では、英国は住めば都と、いう。
・世界的な金融危機を直撃したため、国全体がピリピリしているように感じたが、国民性に深い歴史を感じた。
 イギリスは、ファンタジー小説が多く書かれている国だが、その背景には、世界から略奪した富の蓄積がある。

・・・・・・・・・・・
2007年12月10日(月)
2441, 四四太郎の霊日記 ー11
                ~~~ヾ(^∇^)おはよー♪
(字数制限のためカット 09年12月10日)
・・・・・・・・・
2006年12月10日(日)
2077, 今年を振り返って −1
                     才八∋ウ_〆(∀`●)
 そろそろ、今年の十大ニュースが話題になり始めている。年末の31日になったら、
 もう一度書くつもり?だが、ランダムに頭に浮かんだまま書いてみる。
・北朝鮮の核実験とミサイル実験が日本にとってトップになるだろう。
・イラクでは日ごとテロが激しくなり、イスラム教の宗派間の内戦の様相を示してきた。
・国内では小泉から安部首相に代わったということか。
・それに児童虐待(親と仲間内)が頻繁におきだしてきた。家庭内が荒んでいるのが原因だろう。
・大型薄型TVが売れ出したことも大きい。
・県知事が三人逮捕となれば、やはり大問題だろう。市長の逮捕など、それがどうした?と思えるほどである。
・会社は、なんとか減収同益に持ちこめそうだ。来年から駅再開発が着工、今期を含めて三期がどん底だったが
 光が見えてきた?か・・ それとも、今そう考えていたほうが都合がよいから?楽観的に・・
・それと一番私らしくないこと、「県活性化のための会」を主導して開いた。
 学生時代のゼミの後輩に依頼されてのことだが・・・まあ面白かったが、無事終了。
・身辺では義母と、仲人の高橋与三八さんが亡くなった。
・二人の息子が婚約?、自宅に連れてきた。 来年が結婚式か?
・新しい習慣として、モーニングページ(思ったことを起きざまに30分間にわたりノートに曼荼羅の枠の中に書き込んでいく)
 の習慣を、3月から始めたことだ。これが今年の一番の収穫である。
・旅行はケニアであったが、サファリ・カーの外より、車内の動物に・・・
・今年は、「面白い本」の大当たりの年であった。次から次へと目が醒めるような内容に出あった。
 あまりの無知に一人赤面をしていたのが本音である。ここはと思ったところを一字一字タイプで打ち込むのが、
 良いのだろう。 自分の潜在能力に対して、「頭の悪い子供」として対応するのが 早道。
 池田晶子の [ゼロ基点の孤独]と、[人生経験とは、失敗経験でしかない。それほど人生を深く考えることはない。
‘たかが人生’でしかない]という言葉が印象に残った。その‘たかが人生’が、問題である。‘されど人生’であるからだ。
 これをブツブツいいながら、あるとき、垂直にプッツンになるのが人生!?
 来年は何が待ち受けているか? 花も嵐も・・・ でもないか?

・・・・・・・・・
2005年12月10日(土)
1712, 私の生活流儀 −本多静六
                ー読書日記
著者の本多静六は色いろな本で紹介されていたが、書を読むのは初めてである。
平易な言葉の中に深い洞察が感じ取れる。給与生活者である立場にも関わらず、40才で預金の利子や株からの利益が
給与を上回り、60才(昭和元年前後)で、当時の数百万円の貯金と、株式、家屋、田畑、山林が一万余町、
 別荘六カ所という財産を築き上げた。                          ( ̄〜 ̄)ξ
ーその方法は簡単なもの。
1.本業に励む。
  一日一枚、出版レベルの原稿を書く。   _〆(。。)
2.給与の1/4と臨時収入のすべてを銀行に預ける
    3.ある程度のお金が貯まると、株式などに投資する。
・まずは、本業に励むことを説く。
 「人生最大幸福は職業の道楽化にある」という言葉に集約される。本業がキチンと確立すると、
  副業として、官庁や公共団体の嘱託、早稲田大学の講師、民間企業からの事業の相談を受けることができる。
  また、一日一枚の原稿で、370余冊の本を出版することになった。そして、二番目の「給与の1/4と臨時収入の
  すべてを銀行に預ける」で、人並み以上に働き、人並み以下の支出に押さえられれば、自然に、お金が貯まる。
  これは、給与生活の最初からの習慣にする方がスムーズに実行できる。
・三番目には、お金が貯まると株式などに投資を行う。本多静六は、山林の投資で多くの財産を築いた。
  氏の専門が造林学というのが有利に働きいたようだ。二万円の投資が、最終的には、当時の金額で五千万円になっていた。
  株式投資も行っている。投資方法は、先物で株式を買い、購入時に二割の利益を得られる状態になった場合は、
  躊躇せずに、現金化する。ある程度、保有して、二倍になった時に半分を売り出す。
  その後の株の値段はすべて利益になるのです。下がった場合は、ずっと、保有する。
 「好景気、楽観時代は思い切った倹約貯蓄、不景気、悲観時代には思い切った投資を」という。
  好景気時代にはお金を重視し、不景気時代には物を重視する。
 ーー
 以上だが、凡人が億万長者になる方法が理解でる。本業に専念して、給与の一定割合を貯蓄に回し、堅実な投資を
 行うことにより、 思っても見ないほどの資産を残せるのも理にかなっている。 
 若いときから、その情報や習慣をつけているかどうかだ。 金持ちと結婚するということは、その家系からくる
 生活習慣が家庭に入ってくるということだ。両親をみて結婚相手を決めなくてはならない!ハズレもあるが? 
                           ,,,,,(((( ;:゚皿゚:)_◇~~ アァァァ!!
・・・・・・・
2004年12月10日(金)
1347, 「自分を活かす極意」−3 
              読書日記
ー情報摂取法
この本は、ダイジェストなので多くの要点がつまっている。本の一番の情報収集は
「三色ペンを使い20対80の法則の20と10を色分けをすることと、それを続けることが読書術そのものになる」である。
情報収集に関しては、本にしても、人からの情報にしても、収集した情報を的確に要約することが最重要課題である。
いわば「ミソ」の部分をマトメルコトだ。 それを、私は随想日記で毎日している。
これは、第三者に対してギブ・アンド・ギブであるが、何よりも自分の基地に情報をコツコツ収集していることになる。
数時間の(情報)エネルギーを文章にして真空パック的に押し込む作業でもある。
本屋の立ち読みでも、何気なく読んでいながらパックしていることになる。 頭の中で文章化をしてしまうのだ。
何気ないTVの解説を聞いていてもアンテナが動いている。毎日、一文章のテーマに対して敏感になりざるをえない。
自分の発信・備蓄基地を持つことの重要性をつくづく実感している。まあ、斉藤孝の本の内容からずれてしまったが、
言おうとしている主旨は同じである。著者のコミュニケ−ション術と会話の技術が面白い。
 ーまずはコミュニケーション術である。
  −抜粋ー
 私は、コミュニケーション術を上手にするコツは「質問にある」と考えている。
 いい質問さえできれば、会話はクリエイティブなり盛り上がる。「質問力」というのは私の造語だが、
 内容は誰にもわかることだ。 それらの多様な質問は、同等の価値があるわけではない。
 いい質問と、そうでない質問といったようにレベルの差がある。いい質問というのは、「具体的かつ本質的」ということだ。
 具体的だが本質的でない質問と、本質を突いているが、あまりに抽象的で意味がないという質問がある。
 質問を向上させるには、TVのインタビュアーの質問に採点をつけることだ。とりあえず「質問」というコンセプトで、
 いろいろなコミュニケーションを みてみることから始めてみることのが手っ取り早い。
ー以上であるが、
私の学生時代の友人が、商社の新潟支店に転勤になってきて16年間、暇ができると飲んでいた。
6年前に東京に帰ってしまったが。彼は商社マンになりきっていて、会話や、人の気持を飽きさせないプロになっていた。
会話をしていても、この「そいずらし」が上手い。翌日気がつくが、いつの間にか勘定負けが続いていた。
私も「質問力」と、「沿いずらし」は上手いつもりであるが、相手は商社で鍛えられたプロ、やはり敵わない相手であった。
聞き手にまわるというのは学生時代に鍛えていた。 聞き手に回って、相手の気持を引っ張り込むには
「目を見て、大きくうなずくことだ。更に相手のキーワードを幾つか頭に残しつつ、あまり真剣に聞かないことだ。」
疲れることと、途中でつまらなくなるが、真剣に聞いたふりをしないと長い具体的な話でも辛抱強く聞けない。
世の中で、何が面白いといっても人間が一番面白い。それも自分が!

・・・・・・・
2003年12月10日(水)
980, スーパーセンター
 この随想日記で最近話題にしている「スーパーセンター」とは、どういうものか調べてみた。
 スーパーセンターとは 
ー以下、次数の関係でカット(2007年12月10日)ー
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2002年12月10日(火)
606,ある時間の断片-20
 10月13日
ー以下、次数の関係でカット(2007年12月10日)ー
・・・・・・・・
2001年12月10日(月)
 265,運について

運がいい、悪いというが運とは何か考えてみよう。「ある事をやった結果がたまたま上手くいった、失敗した」
というのが一般的にいう運の意味である。運は結果論でもある。そうするとその「決定」が関ってくる。
ある決定の段階で、情報の受けかたと判断が重要になってくる。そう考えると運のいい人とは、「無意識の判断」
が適切・正しいということだ。運のいい人とは適切な判断家ということになる。 適切な判断の連続線が運と言ってよい。
曇りのない心で情報、情勢を見る目が大事だということだ。以前、情報工学の中山正和氏の講演を聴いた。
科学者に似合わない内容だった。その内容は後でコピーしておく。この文章もそれが土台になっている。
ついている人がいる。そういう人は本当に、どこまでもついているという。もって生まれた運勢があるという。
その共通点をみると。明るく、楽天的で、勘が鋭いという。(これは私の追加の感想ー>)それと努力家で夢がある人。
ーこういう問題を自分で提起しておいて、逆に疑問を投げかけてみるー
運なんてあるのだろうか?「能力」の別名でしかないのではないか?何も努力をしないで、なにも学ばないで
「俺は運がない」と呟いている人を何人も見たからだ。そして他人の努力の結果を運にしか見えない人間の浅さを。
運は字のとうり「はこぶ」である。努力と判断力で結果を呼び寄せるものだ。
多くの人と接していると、その人の将来まで解かる。少しオーバーか? 
運の悪い人に多いのは「甘さと狡猾さ」を持った人である。それなら私だけなく、
別に誰でもその人間の将来を見通せる、何故なら誰もそれをもっているからだ。その逆を重ねていくということか。
ーー
−H・0605「般若心経のすすめ 」
十年前に創造工学の中山正和氏の“運のつくり方”という講演で般若心経のすばらしさを聞いて
一ケ月がかりで丸暗記をした。今まで何万回唱えただろうか。当社では入社教育で丸暗記が必須となっている。
二人の子供ま毎朝の仏壇での私のお経の為か丸暗記をしてしまった。
十年間の経験より(私の実体験より)直観した事を列記する。 
・自分サイズの時空を超えた一つの視点をえた
・心臓音に波長があっている(リズム)
・α波がくみこまれている
・“念”がこの中に入っている
・お寺・神社等で唱えるとTPOとして、その場のイメージが鮮明に残る
・情報雑念等を切断、整理をする働きがあり結果として“運=無意識の判断”を左右する。
・これをくり返しているとベースとして“空”がつみ重ねられてゆき自己の中にその中空がつくられる
・夢の中で“空”を直感するイメージを得られた、等々限りない。

・・・・・・・
ある時間の断片
 12月10日 1968年
昼の13時に起床。 姉の突然の來京で、また予定が狂ってしまった。あと二週間で卒論を書き上げなくてはならない。 
どういうことだ、これでは間に合わないではないか。 あと二週間では無理である。 どうしようか。
おまけに就職予定のジャスコオカダヤに提出しなくてはならない論文がある。これは来年に一月十五日が期日である。 
姉の千葉にいる優子さんのところで数日篭るしかない。図々しいが仕方がないか。 明日優子さんに電話で打診である。
それと姉の正子さんに満足できたか電話をしてみよう。深井のところに電話をする。
彼いわく「今度の会(聖心女大のグループと、松村と深井と私との会)、来たかったら来い、来たくなかったら来なくてもよい」
とのことだ。先日の件で強く言いすぎたためか、他に何か思惑でもあるのか。ところが、すぐに電話で「やっぱり来い」
との命令口調だ。何を考えているのだ。行かないことにした。それに時間的・物理的に無理である。 まあこういうときは、
アマリ頭にこないことだ。私の道は彼達とは違う。自分に対して誠実であれば、こういう無礼なことに対して気にしないで済む。
このように怒っているのは自分に誠実になりきれないことか。何か毎日毎日がギリギリである。
・・・・
ー2003年12月10 日記
「深井義明」のことを書く。
10年位前に脳梗塞で亡くなってしまった。 あとで聞いた為、葬式に出席できなかった。
「新橋しの田寿司」の四十数店舗の寿司屋チェーンの息子で、「ある時間の断片」の中に度々出てくる。
私の結婚式に出席してくれた学生時代の友人だ。 日記を読み返して、ある時期によく寮に来ていた。
彼とは、欧州旅行で親しくなり、亡くなる直前まで接点があった男である。最後に会ったのが、チェーン理論の
ペガサスクラブのセミナーで箱根の小涌園であった。その時に学生時代のある秘密を私の打ち明けてくれた。
共通の知り合いの女性に結婚を申し込み振られてしまったことだ。まあ、美女に野?で不釣合いで、当然のことだ。
ところが、その女性に共通の友人も結婚を申し込んでいたという。私にすれば20数年後に知った「え〜まさか!」
という驚きであった。 わたしら三人と、合コンで一泊二日のドライブをした。相手方は「雲の雲の上の人」に見えた。
将来のことで頭がいっぱいで、余裕は全くなかった。無傷は私だけだったのか、そして私は二人のダシに使われていたのか?
後先出会った女性ではナンバーワンとは思っていたが、自分の恋愛対象など考えられなかった。
母親にどういうタイプが良いのかと言われたとき、その人の写真を見せた。それを見た人が今の家内の話を持ってきた。 
あの時代のことが、改めて思い出された。 それと、父親に対して「社内クーデター」を起こして強引に社長になったことも
打ち明けた。「その時父親が泣いていた」と話してていた。自分が考えていたことを実行したが全て失敗してしまった。
頭の中の理想でしかなかったのだ。その時になって初めて自分のした事の重大性に気がついたという。
最後とも思っていなかったのだろうが、心の秘密を10分ぐらいの立ち話で全て話した。
何か虫の知らせがあったのだろう。 人には色いろ心の傷があるものだ。


3170,つれづれに ー閑話小題 

2009年12月09日(水)

* 長岡の死体遺棄事件の背景は不況!
 長岡の死体遺棄事件で、大手製造機器メーカーの営業課長が殺人容疑で逮捕された。
取引先からの発注の取消しのイザコザで殺害したものだが、業界不況が背景にある。
このリーマンショックで、「売り上げが半分以下」で、ツガミも一月に人員整理に入り、
埋め立てた場所も閉鎖になった工場という。 ここで1000万円の穴は、即刻首である。
本人は納品したといっていたが、集金はまだということになっていたという。
何処もかしこも、こういう話である。 長岡の北部には工場地区があるが、
それが去年のリーマンショックで直撃を受けた煽りの事件である。 日本炎上?
 〜〜
* 翠点(すいてん)
 南方熊楠は 「世の中の事象は、曼荼羅の、因果の世界である。しかし、これら因果は無秩序に支配されているのではなく、
ある一点に集まってくることもある。核の周りを動く電子の軌跡のような線と、そこにクロスする直線いくつかの自然原理が
必然性と偶然性の両面からクロスしあって、多くの物事を一度に知ることのできる点、それが「翠点」である!と、
マンダラの中に翠点を発見した。 分かったような分からないような論だが、「モノゴトを色いろな角度から俯瞰し、
一点に交わるところ(翠点)を探ると、その翠点付近は、物事があいまいな状態で存在している」という発見である。
「要点」の意味に似ているが、マンダラの中で見つけたところがミソ。 
 〜〜
* 国家予算の六割が借金!
 この予算が組めるのは、来年で終わり。 それ以上は、国債の暴落と株の暴落を引き起こす。
もちろん、それを株式や、為替の相場は織り込んでいる。 その最後の予算が、これ。
株は半年先を読んで動くというから、来年春から夏にかけて株式と国債の大暴落があることになる。
デフレスパイラルの行着く先は、ハイパーインフレである。その時にデノミが行われる可能性がある。
来年も大波が襲ってくる。 二番底である。 本格的な世界恐慌のウネリが貨幣価値の下落という
カタチで現れてきた時が、恐慌と表現される。 事態は深刻である。

・・・・・・・・・
2805, オバマという人物
2008年12月09日(火)

オバマという人物を、いま一つ解らない部分がある。
父親がケニア人で、母親がアメリカの白人。 しかし経歴といえばアメリカ社会のエリートコースを登りつめ、
史上初の大統領にまでなった人物である。しかし何か得体の知れない危なげな匂いを感じもする。そのことを
産経新聞の「世界を斬るーオバマのアメリカ」の岡本行夫と佐藤優の対談で、佐藤が次のような見方をしている。
 ーまずは、その部分である。ー
【オバマさんはキメラ(多様な要素を併せ持つギリシャ神話上の生物)だと思います。何者でもあるし、何者でもない。
よい目つきで見ると、エリートの要素も、低い要素も、すべてを備えているように見える。国民の能動性を引き出すのもうまい。
勝利演説でネットで5ドル、10ドル、20ドルを入れてくれた人に感謝していますね。政治参加する人は少額でも、100万ドル、
1000万ドル払う人と権利が全く同じだと。アメリカ人とは何かという根本的なところで、アメリカを思い、
アメリカのために行動する人がアメリカ人だと。新たな統合原理をつくることに今のところ成功していると思う。
 実は1930年代当時の日本の国際情勢の本にはニューディール政策の解説があり、ルーズベルト政治を
「ファシズムの一類型」と説明している。要するに、自由主義的な資本主義から離れて社会格差を是正していこうという運動で、
イタリアのファシズムに近いというわけです。人種神話はなくて、ナチズムとは全く別の思想ですよ。
1920年代の初期ファシズムは「イタリア人とは何か」の問いに始まるんです。イタリアを思い、イタリアのために行動する人が
イタリア人で、老いも若きも男も女もない。一握りの資本家が太って、庶民が街頭で職にあぶれているのはおかしいと。
オバマさんも「ウォール街だけが潤っているのはいけない」と、ムソリーと同じ表象を使っている。
このファシズムがナチズムと融合さえしなければ、福祉国家的思想になったかもしれない。そういう構造が今
《アメリカで起きてることと似ている。ロシアの現象とも似ているんですね。歴史は反復し、資本主義が
格差拡大で行き詰まると修正が出てくる。そういう観点でアメリカを見ていくことも重要だと思いますね。】
 −−
ムッソリーニを応用して戦略を立てたのだろうか、それともあくまで偶然であり、時代の要請だったのだろうか。
アメリカ大統領は世界に大きな影響を与える立場にある。 彼に不気味なマイナスを感じるのは私だけだろうか。
それとオバマ政権が元クリントン大統領の内閣のメンバーが多いのも気になる。日本にとって、厳しい対応になるだろう。

・・・・・・・・・
2007年12月09日(日)
2440, 哲学の効用とは?
                 ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっ W( ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄)W は〜♪
最近、コペルニクス的に世界の見方が変わってきたのは、情報化による情報の質量のレベルアップと、
還暦を過ぎた為と思っていた。 しかし哲学書をこの数年間読んできたことも大きく影響していた!
と中島義道の「哲学の教科書」を読んで気づかされた。
世の中の価値観や、常識を自分の頭で根底から疑ってみる習慣が少しずつ付いた結果である。
考えるということは、驚き、感動し、根こそぎ新鮮な感覚で周囲を見直すこと。
元々、その傾向は強いつもりだったが、それがマスマス強くなった結果である。
 まずは、その部分を抜粋してみる。
 −−−
(P・228)     −中島義道「哲学の教科書」
メルロ"ポンティは「哲学とは世界を見なおすことである」と言っております。
この言葉は、先に挙げた(第2章第3節)プルーストの言葉
「芸術家がわれわれに与える喜びは、われわれがもっている宇宙の上にもう一つの宇宙を教えてくれるところに
あるのではないだろうか」に比べると、やはり哲学の特性を表している。ここに「見なおすこと」と言って、
「思索しなおす」とか「解釈しなおす」とか言っているのでないことがミソです。
次章でゆっくり話しますが、私が法学をやめて哲学をしようと思いたち、大森荘蔵先生のお宅に伺ったとき
「哲学にとって一番重要なことは何ですか」と新聞記者のようなことを聞いたことがあります。
その答えは、やはり「よく見ることです」というものでした。前章で考察したような哲学の問い「時間」「因果律」
「私」「他人」「意志」「存在」などは、われわれがちょっと注意して「よく見れば」足元にころがっているものです。
私は「哲学の小道」という類のものを信じません。それは、じっと腕を組んで「善とは?」とか「自由とは〜」とか
瞑想に耽リながら散歩するのによい静かな小道なのでしょう。哲学とは何よりもまず「よーく見る」ことですから、
必ずしも、こうした浮世離れした環境は必要としない。とくに、「今」とか「よい」とか「ある」とか「私」とか
「意志」といった卑近な言葉のうちに謎のすべてが詰まっておりますので、ホームドラマやスポーツ解説や、天気予報からも
いろいろヒントを受けることができます。さきほど申しましたように、哲学は何の役にもたたないのですが、
こうした言葉を使うとき前提されている底を打ち破ってみせることは、間接的にでも何らかの役にだつのかもしれません。
つまり、哲学はすべてのことを徹底的に疑うところから出発します。 普通の人々が前提している善悪の骨格を揺さぶります。
したがって、例えば、戦争が悪であるのは第一に戦争は人を殺すからですが、哲学者は「聖戦はあるのか」とか
「原爆投下は正しかったか」といったレベルの議論にではなく「なぜ人を殺すことが悪なのか」といった
レベルの議論に照準を合わせます。もちろん哲学者とて、その社会に適応した人間ですから「人を殺してよい」と思っている
わけではなく、殺人犯をえらいとは思いませんが、ありとあらゆる論調が殺人を当然のごとく
非難する現状を見ますと、そこに思考の停止を認めて揺さぶりをかけたくなるのです。
 ーー
世界の見方が変わってくると、過去の自分が恥ずかしくなる。 「おい、お前、何を考えていたんだ!」
「あの時の、あの人は、こういう考えではなかった」とか、違う視点で己を振り返ることになり、
ある意味では辛いことになる。 それだけ自分が拡がったと言い換えることもできる。
情報の溢れかえる時代に、逆に独りジックリと考える時間こそ求められる。
                                    w(′┏▽┓`●)w バイバイ!
・・・・・・・・・
2006年12月09日(土)
2076, 経験についての一考察
       オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
経験について考えてみよう。
「経験」は、「経験を積む」や「経験者」のように、『くり返しおこなってきたことから得られた知識や技術』をさす。
それに対して「体験」は、「面白い体験」「戦争体験」など直接感じた行為経験をいう。
「人生経験」を例にとると、体験などを通して腑に落ちること、了解したことをいう。
その蓄積が人生経験豊富ということになる。経験は、過去の積み重なねとしての現在の自分を構成している。
したがって、年を重ねただけ了解した蓄積が多く、何をしても、何を読んでも、そのプールが面白くなっていく。
経験そのものも貴重だが、それ以上に、そこから何を、どのように学ぶかが重要である。
バーナードショーは、「人間が賢くなるのは、経験によるのではなく、経験に対処する能力に応じてである」と、
いっている。 経験から学ぶことこそ「経験を生かすノウハウ」である。
人は経験から学ぶと同時に、忘れる動物である。 忘れるから生きていける部分もあるが、喉もと過ぎれば何とかで、
経験を消化する前に忘却してしまうのが人間の性である。 汝自身を知れ!、そう消化しないで忘却する自分を知れ!
こそ経験を無駄にしないことになる。 汝自身を知れとは!とは、この意味で考えると腑におち、納得できる。
消化できない自分の無知さえ自覚できない愚かな動物である、ということを経験といえば他人の経験からも学ぶことができる。
それが文化・文明をつくり上げてきたのである。 他人の不幸・失敗は、その経験則を把握さえすれば、自分の経験則に
織り込むことが可能になる。これが「合理的・合理性」である。この歳になり、過去が未来より圧倒的に多いと実感してくると、
他人の経験則の吸収と、自らの経験を消化する知力の至らなさを痛切に後悔するようになる。
生きるとは、失敗こそが意味を教えてくれる切り口になる。 失敗こそが人生である。全てが失敗といってよい。
最近は後悔すべき過去がフラッシュのように、頭を過る。 しかし、人生は失敗・後悔の塊と割り切ってしまえば、
深く人生を見直すこともできようし、分別もできよう。 砂に喩えれば、砂金も少しはみつかるだろう。
石ころも混ざっているが!大したことがあるわけない人生、意味など今さら考えても仕方ないが。
意味は、価値だろう、価値の後つけほど馬鹿馬鹿しいものはないのに、自信がないから、裏づけが無いから、
記億の修正のため、そして疾しさを正当化するため、経験を歪めてしまうのである、
人間というものは!                (人・・)それで(・・人)
                            い〜〜いんじゃ〜んない!
経験は、先生である! 先生の話は、よーく聞くべきだった!  
                         (。^0^。)ノサイナラ!
・・・・・・・・・
2005年12月09日(金)
1711, 道路の経済学     ー読書日記   

 学生時代の武澤ゼミの一年後輩から一月ほど前に電話が入った。 (。・ω・。)】ゝモシモーシ (*´o)8 ohisasi
  あるプロジェクトの相談である。 その詳細は書けないが、かなり難しい問題である。
 ・戦略の失敗を戦術でカバーできないか?ということか、
 ・再構築のための情報収集ということか、その両方だろう。その時の電話で、現代新書から
 「道路の経済学 」を出版したところ、半年たらずで3万部も売れたので是非読んでほしいという。       
 そこで、先日ネットで発注して読んだが、道路に対して全くの素人の私も理解できる内容であった。
 彼が不動産鑑定士をしているという話は10数年前のゼミOB会で会ったときに聞いていた。
 現在、不動産鑑定士だけでなく、明冶大學や母校の大学院で講師をしているという。
                                   【dou ro】\_( ゚ロ゚)
 私がまとめた概略を記してみる。その前に、この本をネットで調べた内容をコピーしておきます。
                                マ ~~匸Pヽ(・ω・`) coffe ーデモ…
 ー
著者: 松下文洋  現代新書
ー私の概略と感想を書いてみるー
字数の関係でカット(2007年12月9日)
(^_^)/~~ja~

・・・・・・・・
2004年12月09日(木)
1346, 23歳の日記−5

実際のところ、書きうつしていて気持ちの良いものではない。三十五年前の自分と直面するのも恐ろしい。
正常と異常の塀の上を一日一日歩いているようなものだった。それが若さということなのだろう。
何か焦りと焦燥感がつきまとっていた。黒い影に常に追われている気持ちであった。20代は毎日が変化の激しい
息詰まるような日々であったようだ。もっとも誰もがそうだろうが。 それと当時から理屈っぽいのがよく見てとれる。
デズニーのミッキーマウスなどのキャラクターはみな頭がデカイが、若い時はそれでもよいのだろう。
パンドラの箱を開けて、覗き込んでいるような気持ちである。

4月20日 ー1969年
現在は仕事面でも、私的な面でも日々に流されているに過ぎない。それを乗りこえなくてはなるまい。
それにしても、週に一回同期と飲む酒の上手さも格別だ。二軒の店を開拓した。我われに丁度良い居酒屋があるものだ。
自分の考えが、あまりに理屈っぽいということは解る。 一日一日を毅然としているしかないが。
「転ぶのはそれでよい、立ち上がる事が、立ち上がるその姿勢が、良いのだ。」 転ぶのを恐れてはいないのか。
 −−−
4月26日(土曜日)
現在、会社の一端を知ってきて、不安と不満と安堵感が入り混じった状態である。
8割が女性社会ということは、はっきりいって知らなかった。
働いている女性の生き生きした姿を身近で見るのも初めて。
それにしても、いろいろな人がいるものだ。 自分はハッタリだけでないかと自己嫌悪に陥る。
  ーーー
字数の関係でカット(2008年12月9日)

・・・・・・・・・
2003年12月09日(火)
979, 結婚30年

 一昨日で、結婚30周年になる。昨日気がついた。今までは結婚祝いなどしたことはない。
結婚という視点からいうと、「30年は短かった」というのが実感である。
女性問題でもめたことは一切ないし、夫婦の危機は一度もなかった。
(字数制限のためカット 09年12月09日)
・・・・・・・・
2002年12月09日(月)
 ある時間の断片-19
10月12日 1968年
8時起床。 11時半に長岡に出発する。15時過ぎに帰宅。家はやはりよい。 両親が帰ってくる。
学校町と柏崎のおばも来る。兄の三郎さんが婚約したという。どんな人か早く会ってみたいものだ。
長岡の街を歩いてみる。街が禅寺に行っていたせいか何かよい。西村さん夫婦は旦那の実家に行っていたため会えず。
夜半の3時までオリンピックをみる。世の中も変わったものだ。小学生の頃のメルボルン大会をラジオで
やっと聞こえたのに。12年でカラーTVで見れるのは夢のようだ。

・・・・・・・・・
2001年12月09日(日)
 264,税務調査ー2
野村沙知代が脱税で逮捕された。
悪質の為だが、それにしても実の息子に告発されるとは異常だ。国税局の査察の場合大部分が内部告発だ。
全国の会社の15?で経理の不正が行われているという。そしてあまり表ざたにならないのは、多かれ少なかれ、
脱税が行われているからだ。「ことを大きくすると全てばらすぞ!」それがあるから、足元を見て不正をする。
国の政治家があれだけ悪い事をし、官僚もたかり放題。やりたくなるのも解るが、それをいちゃーおしまいである。
それにしても今まで、税務調査に入らないのもおかしい?野村監督も知らないではすまないはずだが、ここが日本の
甘い体質がそのまま出ている。うちの会社の税務調査の一年後の去年に、至近のホテルに税務調査が入った。
そして一億数千万を追徴されたという。税務署も当社の数字を参考に、調べあげたと予想される。敵もさるものである。
旧約聖書に税のちょう収人が、かなり身分の低い人としてイヤシメられて書いてあるが、嫌われる仕事だ。
中国に旅行した時、定年退職したばかりの税務署所員が4人できていた。中国の金で一万円相当を貸してやったが、
帰国した新潟空港で円が下がってると9500円を返した返した。こうなると卑しいと卑下したくなる。
いや、その職業でなく人間性か!

・・・・・
12月9日 1968年
 9時半起床。
 11時45分に上野へ、正子さんを迎えに行く。上野の寿楽で食事をしていると、軽井沢で知り合った、
  小林君と大井君でバッタリ会う。 彼等と一時間話をする。やはり方向に迷っているみたいであった。
  その後、正子さんの希望で京成電鉄で「成田」へ行って、お札を納めてくる。17時にニューオータニに着く。
  姉がチェックインをした後、18時に川崎達と会うため赤坂見附へいく。18時20分に彼等と落ち合う。
  車が四人乗りで、横浜は無理である。以前石川と行ったレストランで食事をする。その後、ゴーゴーバーへ行く。
  赤坂見附の近くの「ムゲン」という店である。このような店で踊ったのは初めてである。 姉とその友人とも踊る。
  サイケ調でその世界に引きずり込まれてしまった。 その後、「アシベ」というクラブで飲む。
  遠藤周作がいた。 22時半に姉達を送っていく。


3169, 夫と妻 か〜

2009年12月08日(火)

 熟年離婚が流行っているが、夫婦が長年連れ添うのも大変である。
私の姉・兄夫婦をみていると、相性の当たり外れは5分5分、どれが当たりで外れなど口が裂けてもいえないが・・・。 
 そういう自分のことは分かりません!  だから生きていけるのでは?
悪妻といえば、ソクラテスの妻・クサンチッペと、徳川家康の妻・築山御前が頭に浮かぶ。
しかし、明治の首相までなった黒田清隆とか、野口英世、モーツアルト、リンカーンの悪妻は、あまり知られてない。
< 野口英世は、ニューヨークの酒場で知りあった`はすっぱ女’のメリー・ダージェスと結婚して、大失敗した。
野口はロックフェラー医学研究所の首席助手で、年俸3000ドルもかせぎ、メリーはそこに目をつけた。
メリーはめちゃくちゃな浪費家で、野口の金を使いつくしたあげく、ヒステリーをおこしてつかみかかり、
家のなかで野口をぶん投げた >という逸話がある。また、黒田清隆が上司の娘の高邁な妻を蹴りごろした史実がある。
これは大久保の助力で表ざにならなかった。
 歴史上の悪妻とは ウィキペディアによると 
・権力欲が強い・嫉妬深い・自己主張が強い・夫に従順でない、などが基準になっていると考えられる。
 知人に何人か、離婚経験者がいるが、男の場合は何年たってからも未練があるようで、思わず耳を疑うことがある。
「自分には過ぎた女房だった」というのである。 女性も、次のパートナーが見つかるまでの苦労は、並大抵ではない。 
スナックのママさんには離婚経験者が多いが、わかれた亭主の悪口になると我を忘れてしまう。
嫉妬、暴力、女癖と甲斐性無さ・・。 連れ合いは、元は赤の他人、中年も過ぎれば互いに顔を見るのも嫌になって当然。
付かず離れずで、互いに割り切るしかない。 それにしても、一番身近の赤の他人は、ある意味で自分の分身でもある。
だから、その取り扱いには互いに充分に注意しなければならない。 子供にとっての親の当たり外れは重大事。
それが両親の相性の当たり外れになる。 両者とも、それによって、人生が大きく左右される。
特に女性にとって連れ添いの当たり外れは大きい。 目に見えない紐を首に巻きつけ互いに溜息をついて締め付けている。
 昨日、結婚記念日で36年たった。 

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2804, イングランド・ツアー ?
2008年12月08日(月)

『ロゼッタ・ストーン』と、黄金の彫刻の次に印象に残った大英博物館の展示品の順に書いてみる。
  まずはギリシャのコーナー
 ーパルテノン神殿の破風彫刻ー
古代ギリシアの代表的なポリス、アテネの繁栄を象徴するパルテノン神殿の東側の破風を飾っていた
彫刻群で、長さ8m以上に及ぶ。 著名な彫刻家フェイディアスの指揮で造られた。現在は失われてしまった
中央の女神アテナをはじめ、ギリシアの神々が配置されている。中央の裸の男性の像は、酒と豊穣の神である
ディオニソス(ローマ神話ではバッカス)で、三角形の破風の形状に沿って横たわっている。(BC438〜432年ごろ)
これもまた、大英博物館の誇る代表的な像である。その横にある馬の顔がまたリアルである。
次は古代エジプトのコーナー
 ージンジャー(ミイラ)ー
人だかりができていたのが、このミイラの展示ケース。エジプトでミイラ造りが開始される前の、BC3400年ごろの
成人男性と考えられている。極度に乾燥した熱砂に埋葬されたために、特別な処置を施されていないにもかかわらず、
完壁に保存された。一部残っている頭髪が赤いことから、ジンジャーの愛称で親しまれているという。
今にも立ち上がりそうな姿が5400年の時空を超えて、何かを訴えかけているようだ。
 ーアメンボテプ3世の頭像ー
古代エジプト新王国時代 第18王朝の王であるフメンホテプ3世の頭像。高さ2.9mもある巨大像だ。
欠損している額の中央部には、王位を表すコブラの紋章の一部が残されており、
顎の部分には付け髭があったと考えられる。40年ほどの在位期間は最も文化的に
誇ったといわれ、多くの記念建造物や王像が残っている。BC1350年ごろ
 ーラムセス2世の胸像ー
新王国時代第19王朝の王、ラムセス2世の胸像。高さ2.67m。
19世紀、テーベのナイル川西岸にあったラムセウムという葬祭殿から出土した。
右胸の穴は、ナポレオン軍が像を取り去ろうとして失敗した跡だといわれている。
ラムセス2世は約67年間という長期にわたってエジプトを治め、その間に多くの記念建築を造営したたため
「建築王」と呼ばれる一方で、ヒッタイトと戦い、現存する最古の国際条約を結んだ。  BC1250年ごろ
 ーー
これだけの貴重なものが、剥き出しに展示されているのには驚いた。 イギリス人は、「国家の宝は国民のもの」
という考え方。だから無料でみる権利がある、という。 どこかの国とは違うようだ。 

 ・・・・・・・・・
2007年12月08日(土)
2439, サブプライム問題 −3
 *サブプライムローンの実態は消費者金融!

「サブプライムローン」について、週刊誌の特集を前に二回取り上げた。
ところが、それについてまだ認識してない部分があった。毎日新聞の「記者の目」にずばり「消費者金融のようなもの」と。
「消費者ローンを、住宅担保で貸していた上に、その債権を巧妙にミックスし、金融機関に売り払っていた。
銀行は新興国家からお金を集まっていて、その投資金を、その債権に変えていた」というから、大問題になるだろう。
 ーこの要旨をまとめるとー 
 サブプライム問題を日本の住宅ローンと同じように想像すると本質を見誤る。担保は確かに住宅だが、
ただの住宅ローンではない。借りた金の使いみちは広く自動車や洋服の購入にも充てられる。
それが米国の“住宅ローン”だ。ずばり「消費者金融のようなもの」と。 価格の上昇する不動産を担保にすれば、
借金可能な枠がどんどん広がる。「担保は住宅だが、むしろ消費者金融の融資に似ている」と私が理解した。
記者が9月に米国に赴任後、現地で米国人の消費行動を見て、彼の推論が正しかったと確信したという。
 クレジットカードでも銀行口座でも、返済を後回しにして消費を優先できる仕組みが見事に整っている。
「まず使って後で払う」というシステムが、米国経済の成長の源泉、過剰消費体質の個人消費を支えてきた。
ところが今、住宅価格の下落とローンの焦げ付きでその仕組みが傷み始めている。
 今回のバブルが「新興国」への資金集中から始まったことも、時代の変わり目を示す。
中国や中東の産油国は、経済成長や原油高騰で獲得した巨額の資金を一番安全な運用先に
預けた。それが米国の銀行だった。 銀行は集まり過ぎた金の運用先に困り、上昇を続けていた不動産につぎ込んだ。 
米国では、大手銀行の関連会社が、次々にサブプライムローンを組み込んだ商品を買いあさった。
 この典型的な不動産バブルが「証券化」で、さらに複雑になった。
証券化は、90年代からリスク分散の切り札として欧米で盛んに利用されてきた手法で、それ自体には問題はない。
例えば、高層ビルを建てる時、事業者は資金を銀行からの融資に頼るより、100人の投資家から集めたほうが
多額の借金を抱えずに済む。出資者も事業が成功すれば配当を受け取れるし、失敗しても出資金を
あきらめるだけで傷は小さい。80年代の日本では、銀行が不動産融資にのめり込み多額の不良債権を抱え込んだ。
その反省に立てば、証券化商品は「夢のリスク分散商品」だったはずだ。
 ところが、である。欧米金融機関の作る証券化商品は年々複雑になり、一度作った商品を別のものと束ねて、さらにそれを
別の商品に組み入れて−−などと形を変えていくうちに、もともとの貸し借りがどんな姿だったか分からなくなってしまった。
 通常、金を貸す時には、借り手の信用情報を吟味してから貸すものだが、証券化したことで借り手の顔が見えなくなった。
焦げ付いた債権がどの商品に組み込まれているのか把握できなくなり、一部が焦げ付いただけでも商品全体の価値が下落。
 中には優良債権もあったが、投資家は、危ないと思った証券化商品を早めに売ろうとしたため価格は急落、
市場全体が疑心暗鬼に陥った。 夏の金融危機はこうした構図で発生した。
 経済協力開発機構(OECD)は、サブプライムローン問題の損失が最大3000億ドル(約33兆円)
に達すると見通しを発表、「まだ我々は最悪期に至っていない」と警告した。
米連邦準備制度理事会(FRB)のバーナンキ議長も「最も悲観的な見通しを上回る損失になりそう」と話す。
 日本はバブル崩壊後「失われた15年」を経験した。米国が同じ轍(てつ)を踏むとは限らないが、世界経済が
米国への依存度合いを低下させ、中国やインド、ロシアなど新興国の影響力が相対的に増すことは容易に想像できる。
 そんな折、米金融大手シティグループがアラブ首長国連邦(UAE)のアブダビ投資庁からの出資を受け入れた。
その額は75億ドル。日本円で8000億円以上の巨額出資だ。 米国最大の金融機関がオイルマネーに救われる構図は、
米国の黄昏(たそがれ)と新興国の台頭を象徴している。
「20世紀初頭に経済の中心が英国から米国にシフトしたような、大きな経済の地殻変動が近づいている」。
米国赴任から2カ月、日に日にそんな思いを強めている。
ーー
このサブプライム問題、底なしの様相である。決して、記者の表現はオーバーではないだろう。
ここまでアメリカは、大きな問題を抱えていたのである。アメリカが風邪をひくと、日本は肺炎になるというが、
肺炎で済めばまだよい。アメリカが重症の肺炎なら、日本はどうなるのだろう。

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2006年12月08日(金)
2075, 世界の「富」、人口の2%が半分以上所有
                 (。^0^。)ノ オッ(*^○^*)ノ ハ〜 ヨウ
先日の日経新聞によると、国連の研究機関が12月5日に発表した調査で
ー世界の「富」、人口の2%が半分以上所有ーという記事があった。
 ーこれを解りやすくまとめるとー
・世界の成人人口の2%が、家計全体の「富」の半分以上を所有。
・逆に貧しい方からみると、人口の50?が所有する富は1パーセント。
・最も豊かな層に属し、成人人口の1%に相当する人々が所有する富は、世界の4割に相当。
「上位1%」を居住している国別に分類すると、米国が最多の37%、日本は2番目に多い27%となった。
 日米だけで上位1%の3分の2近くを占めた。
・一人当たりの世界の富の平均が2600ドル。日本は18万1000ドル、アメリカは14万4000ドル、中国は2600ドル、インドは1100ドル。
・富の分配の格差を示す「ジニ係数」も国別に算出。値が一に近づくほど格差が大きくなるが、世界の平均値が0・89に対し、
 アメリカは0・8に対して、日本は5・5で格差は比較的小さい。 まだまだ、日本は健全にみえるが、
 この数年で大きく変わってきた。 2000年の統計値を使ってまとめたもので、預貯金や不動産などの資産から
 負債を引いたものを「富」と定義したという。
 ーー
以上が大方の数字だが、「世界の富の80%は、世界の20%の富裕層が所有している」というがそれを裏づける数字になっている。
中国や旧ソ連や、イスラム圏などから学ぶことは、アッラーや、イデオロギーは富という面からみたら問題ありになる。
無知が貧しさの原因になる。それと幸せ感とは違うというが、やはり・・日本の長期低落傾向は、その豊かさと、
ジニ係数がふつうの国レベルまで修正されるプロセスにあるということだ。
やはり金に換えておくか、外国に資産を移動しておくべきだろう。 あればの話だが。
                     *^ワ^*)i バイバイ
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 2005年12月08日(木)
1710, 結婚32年の風景

 昨日で結婚32年になった。       ゜(゜ノ∀`゜)゜。アヒャヒャ
 ほとんど危機らしいことは無かった?が、そうそう甘いものではなかった。 ~~旦⊂(・∀・ )
                      マァ チャデモ!  且~
相性が良いかどうかは、直には判断できない。相性という面では当たったのだろう。
 以前にも書いたが、昔から好きなタイプは
  ・長女  ・丸顔のノッペラ                  A(´∀`人)
  ・A型  ・控えめ  ・慎重  ・身長160?  ・気が強い    ( ;:゜皿゜:)_◇~~ アァァァ!!
であったが、ほぼ範疇に入っていたのが良かったのだろう。ただ、「代々続いた婿取りの家系の娘の特性」には
本当のところ驚いてしまった。男子受験高校の中でのチヤホヤされた環境も加え、60年に一回の年回りの『剛の虎』
生まれと、A型という血液型が加味されると、だいたい想像がつくだろう。 ((=゜Д゜=))剛のドラ      
全くの無知であったが、それは相手にも言えるだろう。「相互理解」という言葉の重みが身に沁みた32年間であった。
 その為には、やはり会話(いや、対話か?)が必要だ。 会話が無くなるのが大きな亀裂になるようだ。   
「我われ夫婦には『溝』などない、しかし、『浅くて広い河』がある」と、いつも知人に笑い話をしている。[河]`∀´)Ψ  
だから上手くいっているのだろう!!? それと、結婚して以来、国内外に旅行に供に出ていたのも良かったのだろう!
 我われにとっては『旅がカスガイ』だった。   ジャ! (^_^)/~~
   
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2004年12月08日(水)
1345, ビデオ・DVDで観たい 名画200選
                       ー読書日記
この本、最近本屋の平台に積まれていて気にはなっていた。しかし定点観測で見ていると、いつの間にか売れている。
過去の名画は、よほど名画といわれる以外あまり見ていないと思っていたが、この200選の40?も観ていたのには驚いた。
最近は事務所の近くにDVDレンタルショップが出来たことと、PDP・TVを二年前に購入したこともあって、
平均週二本は借りてきて見ている。名画のコーナーがあるが、どうしても最近封切られたものを借りることが多い。
しかし、立ち読みをしているだけでも内容をダイジェストにまとめ上げている内容の濃い本である。
見たことのあるものも読むことによって思い出すことができる。これからは、この本を参考書として、
過去の見ることができなかった映画の世界に入っていこうと考えている。恐らく過去に見た人でも、このあらすじを
思い出すためにも非常に良い本であることは、私も認める。あまり過去の名作映画に興味ない人でも、
あらすじを知っておくのにも素晴らしい理想的な本である。
 ー私の場合、
 2.サスペンス&アクション
 3.SF&スペクタクル
 4.ウエスタン のコーナーは殆んど見ているが、他はあまり見ていない。 かなり極端である。
 この本は
・あらすじ ・みどころ ・主役の詳細 ・淀川長治のワンポイントのコーナーが分かれていて、読みやすくなっている。
 読みやすく、手引書として絶賛してよい本だ。
 ーーーーー
「ビデオ・DVDで観たい名画200選 」 知恵の森文庫
 淀川 長治 (著), 佐藤 有一 (著)

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2003年12月08日(月)
978, 全日本相撲選手権
 (字数制限のため、カット09年12月08日)
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2002年12月08日(日)
604,ある時間の断片-18
 ー10月9日ー
7時半起床。どうしても6時半には起きれない。 まず初日からこれではどうしようもない。
もっと気合を入れなくてはならない。一人で自分を律するのは厳しい。土曜日まで頑張らなくては。
 ー10月10日ー
今日も計画通りに起きることができない。午前中まで野田一夫の「ゆれる経営風土」を読む。15時から卒論の下書き始める。 
波に乗ったようだ、ここで可能な限りやってしまおう。19時に実家から電話がある。母と長姉の正子さんと話をする。
一番下の姉夫婦の西村さんが帰っているという。明日正子さんが東京に行くので、深井に夜の東京を案内を頼むという。
深井に電話をするが彼がいない。明日もう一度電話をする事にする。
 ー10月11日ー
8時に起床。卒論の方は予定通り進んだ。 明日夕方帰ることになった。
姉たちが来ているから帰ってこいとのこと。 今日は時間のたつのが早い。

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2001年12月08日(土)
263,玉突き事故

半年位前に、市役所分室に印鑑証明をもらいに行った帰りのこと。長岡の大手通り四つ角で、車に追突してしまった。
その車がまたその前の車にぶつかる、玉突き事故になってしまった。 その玉突きされた車の中から、
恐持てのやくざ風の男が、怒鳴りながら飛び出してきた。雪駄を履き、金の首輪、角刈りの何とかスタイル。
「何さらすねん、この野郎!」と、やべえーなと思っても仕方ない。
「これは全て私が悪いこと、とりあえず100メートル先のところで!」という事になった。
直接ぶつかった車の人が真っ青の顔をしていた。どういう訳か、いつもこういう時は腹が据わってしまう。
そしてそこに行くと、直接ぶつかってしまった人がいない。 少し待ってみようということで、
待っても待っても直接ぶつかった人がこない。恐れて逃げてしまったのだ。恐れる必要は全く無いのに。
こちらも拍子抜け、相手も拍子抜けになってしまった。バンパーがかなり傷が入っていた。
「バンパーを変えなくては駄目だ!」ときた。しかし直接ぶつかった相手がいない。私も「保険が降りない。
手を打ちましょう!」というと「幾らだ?」と言うから「一万円!」と言った。4〜5万?取られるなら、
ハッタリで思い切って安く言ったのだ。相手の額に青筋が立った。すかさず「こちらも本来保険で下りるところ
相手がいないので一銭も出ない。警察を呼ぶと面倒です、手を打ちましょう!」と言うと急に「よし!」と言った。
警察がよほど嫌だったみたいだった。 拍子抜けであった。
その時財布に7〜8万の金がたまたま入っていた。いざ支払う時にそれを見た相手の顔が忘れられない。
「しまった、全部取れたのに!」と言う顔であった。 後は逃げるが勝ち、さっさとその場を離れた。

・・・・
12時8日(日曜日)1968年
12時に起床する。 昼飯後、何か落ち着かない。夕方独りで池袋に出てみる。
独り目的もなく池袋の街をブラブラするのもよい。皆がそれぞれ楽しんでいるのを見ると、自分まで楽しくなる。
田島がアルバイトをしているスナックに行ってみたが、日曜日でもやっていた。しかし彼はいない。今度は銀座にしてみよう。
本屋などは独りで立ち寄るが、何の当てもなく出かけるのは初めてだ。違った遊び方を一つおぼえた。 今度は銀座にしよう。
ところで朝寝ていると長岡の一番上の姉の正子さんから電話が来る。明日東京に遊びに来るから、よろしくとの内容であった。
ニューオータニだそうだ。高木・川崎・松村が案内の候補にあがった。高木は遊びすぎで謹慎の身だそうだ。
次に川崎に電話をするとOKであった。友人の車があるから、車つきである。明日は明日になってみなくては判らない。
それにしても、いろいろ毎日有り過ぎだ。一日一日がギリギリである。何せ、卒論と卒業を絶対に成し遂げないと。  


3168,人生に関する閑話小題 ー2

2009年12月07日(月)

 * 孤独な老人
 毎朝、散歩をしていると色いろな人とすれ違う。犬と組み合わせでみると、なお人生を垣間見ることができる。
80歳半ばの老人が小型コリー犬を連れて土手を散歩している。 その犬が10m位の距離にくると
緊張で固まってしまう。 通りすがるまで、その犬を老人が宥めている。 何度すれ違っても、それが変わらない。
観察するうちに、その人が固まるから、犬も固まるのである。 2〜3度挨拶をしたが、その都度、犬が吼えかけてきた。
それを宥めているが、「いいこ、いいこ、ほえないの」と毎回言っている。 何か二つの生命体に孤高の空気が漂っている。 

 * ある人生 
 三年前に奥さんを亡くした70歳代半ばの御父さん。 列車で30分ほどの市に在住だが、定期券を買って、
長岡に毎日、通っているという。 たまたま知人の同級生だった人の御父さん。 時々同じ時間の列車で見かけたので、
知人に聞いたところ、寂しさを紛らわせる?ためだという。 土・日曜日も休みなしで三年も通っているため、
車掌とも顔なじみという。 長岡駅の喫茶店でコーヒーを飲んで、街を一回りをして、駅内のスーパーで買い物をして
帰るのが日課という。 小さな街の小さな世界から一歩でも毎日、外に出たいのだろう。
そういえば、この数年、家内が1〜2ヶ月に一度、JRの格安の乗り放題のチケットを売出時に一人で、
東京の街の散策が趣味。 ポイントは、一人であることと、ネットで充分にスポットを下調べをすることという。
八時半過ぎに乗車、十八時過ぎの新幹線で帰ってくる。 往復4時間かかっても、六時間を東京や銀座や六本木など、
色いろ回れるという。 価値は充分あるという。 その御父さんも、長岡のスポットを回っているのだろうか。 
来春に駅裏から15分のところに大型SCが出来るので行動範囲が広まるだろう。それも人生である。
定期を買うことで、習慣つけるのも良いこと。 夜のスナックより良い。

 * 鬱病、欝症について
 何々病と何々症の、違いは、周辺に迷惑をかけるかどうかが基準でしかない。
境界は、いい加減だが、慢性化しているかどうか、重症かどうかもある。 精神も肉体と同じで、
傷ついたり、疲労もする。 この不況でリストラされたり、疎外され、ストレスが蓄積し、ガスが充満もする。 
自殺者の多くが鬱病という。 その反対に躁がある。 多かれ少なかれ、人間は躁と鬱の波の上で生きている。
ニュースといえば、だいたいマイナーを報じる。 また聞くほうもマイナーの話題を好むから、まともに受け取って
いたらマイナーな情報に多く影響を受けることになる。 時代は、100年に一度のマイナーである。

 ・・・・・・・・・
2803, イングランド・ツアー ?
2008年12月07日(日)
 *集団スリに狙われて −2

 前回に集団スリの話を書いて、これまでのスリや偽札交換詐欺について思い出した。
ブラジルのリオのカーニバルとイグアスの滝に行った時のこと。
「ショッピング・センターには少年の集団万引きに注意してください。
特にウィンドウ・ショッピングの時に囲まれて、後ろポケットの財布を抜かれるケースが多い」という。
面白そうなので、後ろポケットにサングラスのケースを入れて、通路を歩きながらウィンドウ・ショッピングをした。
腕時計のウィンドウを見ていたら15歳位の少年が三人、両側と後ろに囲まれた。子供が腕時計を見るわけがない。
これが集団万引きと直感し、スーッと離れて後ろを見ると、私を見ていた中年の男と目があった。
その男、ニヤリと笑ったので、わざとメガネケースを出してカラカッタことを知らせてやった。
ただ、それだけのことだが・・・・・
 万引きといえば、スイスに行った時のこと。電車の乗り継ぎで、駅の土産店に入ったところ、人で身動きが
出来ないほどだった。他のグループの日本人が「この店中に女の万引きが居る」という話し声が聞こえてきた。
そこで自分の財布に注意しながら万引き女を探すことにした。初めての経験である。
その場合、見るのは‘目’と気づいた。 30人位の人混みなら直ぐに分かる。
三十歳ぐらいの女で、中年女性のバックをジッと見ている。これだなと、その瞬間を待った。
しかし連れに店外から呼ばれて、せっかくの場面を見ることが出来なかった。
 −−−
 *旅行の全てを楽しまなければ
「せっかくの旅行、高い値段を出して行くのだから、勿体ないじゃないか」 これは人生と同じである。
特に、移動時間をいかに過ごすかである。三十回目辺りから、機内の席の12時間の移動の苦痛が最小になった。
特に初日の成田から目的地の機内がキツイ。キツイが反面、自由な時間が幾らでもあるということだ。
それを楽しむには、音楽かTVである。最近は、座席の前面に液晶TVと音楽、そしてゲームが出来る。
家内も行き帰りの、この時間が一番楽しい!という。帰りの機内で、最新の映画を4本も観たという。
私は、持っていったiPodの音楽を休み休み聴いて過ごした。その御陰かどうか、殆ど疲れが残らなかった。
今回の機内のTVが最先端のものだった。映画や音楽などがネットで結ばれていて、無数の中から選択可能なのだ。
現実にも可能なのだろうが、実際に使って初めて情報の進化を実感できた。凄い時代なのである。
世界の広さと、深さを、家でも無限に手軽に入手できるのである。 これまでは本とマスコミが中心だったが・・・。
それなら、情報機器を可能な限り利用して使ったほうがよい。 
ipodで、旅行先に自分の選択した2千曲を持っていけるのだから。

・・・・・・・・・
2007年12月07日(金)
2438, 犬は鏡で自己を認識できるか?
                     (`・ω・。)っノXXXXXXX>C【才ノヽ∋―】
随想日記で何度か「動物の中で一部霊長類とイルカだけが、鏡の中の自分を認識できる」
ということを書いた事があった。ところが池田晶子の本で、飼い犬が鏡の中の自分を認識していると述べていた。
少し頭の良い犬なら自分を認識するのも肯けるが、さすがに哲学を専門家、見るところは鋭く観察している。
でも、犬が自己を認識して、しげしげと自分の顔を見ている姿は何か不思議な気持ちになるだろう。
  {考える日々?  池田晶子著  ー鏡の中に「私」はあるか?}より抜粋
 ーー
ある動物園では、チンパンジーが退屈するので、大きな姿見を与えてみたという。
最初は驚いたり恐がったりしていた彼らは、やがてそれが「自分である」ということを認識をし、
表情を作ったりして遊び始めた。おかげで大いにストレス解消の効果あり、ということらしい。
鏡の中の自分を「自分である」と認識するのは、動物の中では、あとオランウータンとゴリラだけだと
番組では言っていたが、しかし、これは違う。
たとえば、私の(賢い)愛犬だが、彼は仔犬の頃、初めて鏡に「自分」を見出した時、慌ててその裏に囲って調べた。
同じ頃、ステンレスの専用の水飲みで盛んに水を飲んでいる最中、いきなり跳び退いてびっくりしている。
そうして、こわごわ器の中を覗き込んでいる。器の底に、自分の顔が映っているということを、発見したのである。
今では、鏡というものの「意味」をすっかり認識し、時折、何が面自いのか、しげしげと自分の顔を眺めていることがあるし、
私がその後ろで手を振ってみせると、振り返ってニカッと笑う。鏡像認識は、霊長類に限らないようである。
で、ここからが今回の本題すなわち問題なのだが、鏡の中の自分を自分であると認識するというのは、どういうことなのか。
右の話の伝でなら、鏡の中の自分を自分であると認識できるほど知能が高いということになりそうだが、じつを言うと、私は、
鏡の中の自分を自分であると認識できない時がある。いや正確には確かに自分であるはずなのだが、どうもうまく実感できない。
とくに、真剣に思索モードに入っている時など、通りがかりに洗面所などの鏡に顔を見つけ、「コイツは誰だ」
「なんでコイツがこれなのだ」そういう感じになる。考えてみてほしい。人はなぜ自分を自分の顔や身体と同一と思っているのか。
なるほど、人は「私は」と言って、自分の鼻の頭を指すけれども、この場合、指しているのが「私」なのだろうか、
指されているのが「私」なのだろうか。それを知ろうとしているのは、では誰なのだろうか。
「私」は、どこに居るのだろうか。鏡の自分を自分と同一と思うのは、じつは未だ進化の途上なのであって、
意識すなわち自己意識というのは、さらに進むと、もう一回ひっくり返って、「自分」以外を自分だとは思わなくなるのである。
確かに、顔や身体は、「自分の」顔や身体ではあるけれども、それを自分の顔や身体だと思うためには、その先に「自分」が
知られているはずだ。で、ここでこそ正等に「自分とは何か」。これこそが、猿でも犬でもない「人間」の問いなのである。 
では「われわれ」とは?
ーー学生時代、何時も部屋の机の前に鏡を置いていた。 あまり見るので、鏡の像の自分が解らなくなることがあった。
この人は誰とさえ思うことがあった。40年近く前の話である。 女性は、恐らく多く経験しているはずである。
現在経験するのは、鏡の先に見るのは死んだ父そのものである。それも、日ごとおう度、自分から父の顔が前面に出てくる。
気持ち悪くさえ、なることがある。先日も、スナックで父を知る人に全く同じことを言われた。
                    ((´_`○)ノ ノヾィ♪
・・・・・・・・・
2006年12月07日(木)
2074, 寝ずの番
            才八∋ウ_〆(∀`●) 
先週の金曜日の昼休みに、近くのレンタルDVDショップで何気なく「寝ずの番」を借りた。
落語家の大御所の葬式にまつわるコメディーで面白そうであった。そして事務所に帰ってきて30分もしないうちに
義母の死亡の連絡が入った。その夜は生通夜、翌日が通夜、そしてその翌日が葬式とつづいた。
何かの因縁だろうと、土曜日の納棺・通夜の出発まで時間があったのでDVDを見ることにした。 
くしくもそれが通夜の内容で、下ネタのヒットパレードである。不謹慎と解っていても、2時間近く爆笑であった。
「寝ずの番」とは、生通夜に線香を絶やさず故人の思い出を語って、一夜を過ごす風習である。
この映画は、それを題材に色いろな故人のエピソードを面白おかしく笑い飛ばすストーリーである。
伊丹十三の「お葬式」や「男はつらいよ」などで、通夜のドラマが演じられている。
泣きながら頭にあるのは相続の算段をしているのが、シビアで笑いを誘う。
ーその概要といえばー
俳優・津川雅彦が、祖父(牧野省三)、叔父(マキノ 雅弘)と同じ「マキノ」性で映画監督デビューした作品でもあり、
原作は故中島らもである。笑満亭橋鶴という落語家一門の「寝ずの番」の可笑しくも悲しい物語。
師匠橋鶴、一番弟子橋次、おかみさん(師匠の奥さん)志津子と次々に亡くなり、それぞれのお通夜でのエピソードが味がある。
始りの場面が、死に際の師匠の「そそ が見たい」という言葉から始まる。
(実はそそは‘空’の聞き違いだが)そこで弟子の上さんの??を死に際の師匠に、見せる場面から・・・
 映画全体が下ネタのオンパレードである。 
 o_ _)ノ彡☆ ぎゃはは            _(_ _)ノ彡☆ばんばん!
 −−−
 京都で饅頭のことを「おまん」というらしが、京都でこの言葉を聞いて赤面したことがあるが・・。
ここまで次々と艶歌や下用語が出ていると、逆にイヤらしくなくなるから不思議である。
浅丘ルリ子、米倉涼子、中村勘三郎、桂三枝、笑福亭鶴瓶などが本人役でチョイ役で出てきたが、
津川雅彦の友情出演だろう。 笑満亭橋鶴のモデルは、鶴瓶の師匠・笑福亭松鶴?。
生通夜の席上、亡き骸と踊る“らくだのカンカン踊り”や、下ネタの‘座敷歌合戦’は「粋」でさえある。
死ぬ前に遺した最期の言葉で残っているのは、ゲーテは「光を、もっと光を・・・」
ベートーベンは、「友よ拍手を!喜劇は終わった!」 トルストイは、「私は真実を愛する」である。
そして、この映画の笑満亭橋鶴は「そら(そそ)が見たい」である。
邦画が再び息を吹き返してきたようだ。 この映画は明らかに中年年代以上を狙ったもの。
しかし、悲しみを笑いに変えて偲ぶ内容は、下手な泣きよりも深い愛情が出て良いものだ。
葬式ほど、虚実の虚構そのものに目がいくから、尚のこと下ネタの奥にある人間味が表出するのだろう。
それにしても、えげつない!下ネタ‘座敷歌合戦’の中の「ちんぽ、ちんぽと、いばるな、ちんぽ ちんぽ 
まんこのつまようじ まんこ まんこと、 いばるなまんこ  まんこ ちんぽの??? 」
    ここまで明け透けだと、嫌らしいと思う前に、ふきだしてしまった!   
                                  !(^o^)  バイバイ♪
・・・・・・・・・
2005年12月07日(水)
1709, 耐震偽造問題について 

  マンションとホテルの耐震強度偽装問題は、あまりに悪質である。
  これまで「建設業界そのものが、政治、官公庁がらみの構造汚職体質」と、このHPで辛らつの批判してきた。
  その末端の一現象が、そのまま露出したにすぎない。 さらに大きな広がりが、日ごとに出てくるだろう。 
                                       ~~匸Pヽ(・ω・`)
   今回の偽造が発端になった物件は、総研というビジネスホテルの開業指導のコンサルタント会社が
   偽造の設計主導をしていたというから、問題が深い。
 ー先日の地元の新潟日報によると、以下は字数の関係でカット(2007年12月07日)
・・・・・・・
2004年12月07日(火)
1344, 面白くない日は一日たりともつくらない
 (2008年12月07日 字数の関係でカット) 
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2003年12月07日(日)
977, 「開運!なんでも鑑定団」
 この番組み、いつも楽しみにしてみている。
代々、実家が古美術商であった為に両親の収集した古美術品に 囲まれて育った。(両親は戦後になって衣料量販店に転業)
しかし衣料量販店で成功したお金で、趣味で骨董を買い集めていた。
  古美術の世界では「目利き」という言葉がある。この世界では「騙しは悪いことでない」一般から観れば異様の世界である。
・「傾むきかけた旦那様から骨董を詐欺同然で買取る」のが仕入れになる。まずは仕入れで大儲けをして、
・反対に「旦那様」に可能な限り高く売りつけて、儲けるのだ。
 その為には、ほぼ太鼓持ちに近い状態になる。如何に良い旦那様に贔屓にされるかが腕になってくる。
父のお客は当時軍事産業で勢いを持っていた「津上製作所」の津上退助、
山本五十六、互尊文庫の創設者の野本互尊翁などなど、そうそうのメンバーだった。
一年に一個売れば、一家が充分に生活ができる稼ぎであったという。
 両親を見ていて、その買い方の凄さにタダタダ驚いた。「蔵出し」という言葉がある。
事業が傾いた家が、道具屋と組んで蔵の古美術品を売りに出すのだ。 事業が上手くいっている人が、
事業を失敗した家に乗り込んで買い取る場面に両親に連れて行かれて何回か見た。
修羅場もいいところである。子供ながら、そのことは解っていた。
私が異常に「痴呆名士や、その??息子」を嫌うのは、こういう場面を両親に意図的に見せられていた為だ。
「蔵出し」とは、商売の勝ち組が負け組みからただ同然で財産を買い叩くことだ。
勝てば官軍、負ければ賊軍の凝縮された場面である。絶対に負け組みになってはならない。
昨日、「開運!なんでも鑑定団」を十年近く見てきた中で、一番すごい場面をみた。
「光悦」の茶碗が出てきたのだ。 嘘だろうと思ってみていたら、何と本物であった。
この春、ある収集家が自信を持って出したものが全部、贋物であった。
その本人がリベンジで出てきた。10年前400万で買った「光悦」の茶碗の鑑定だ。
もし本物なら、国宝ものである。 結果からいうと本物であった。 
光悦の作品が17点あることは知られていて、今まで8〜9点の存在は確認されているという。
新たに不明の一点が出てきたのだ。 鑑定の値段は「5千万円」であったが実際は値がつかないだろう。
  ー最近、話題はTVか、レンタルDVDの映画が多い。どうしてもカウチポテト族になってしまう。

・・・・・・・
2002年12月07日(土)
603,ある時間の断片-17
 10月8日 1968年

10時起床。12時40分に上野に向け出発。 六日町の雲頓庵へ。 久々だ雲頓庵だ。 計画はこうだ。
6時半起床、一時間掃除、食事、30分間座禅、9~12時勉強、昼飯後、13時から15時勉強、
30分休憩後、17時30分まで勉強。食後30分座禅の後、19時半から23時半まで勉強。24時就寝。
卒論の大筋をつくり、目次を第三章までまとめる。 小項目をそれぞれ書き込むこととする。
ー追記ー  2002年12月06日記
 この時に書いていた卒論の内容について書いてみる。
ー卒論 「流通革命について」
 私の卒業論文は「流通革命」であった。 内容は今のスーパーの出だしのころで、そのころ主流を占めていた
  百貨店や一般小売店やデスカウントハウスに変わり、チェーン店の時代がくるという論証であった。
 その為にアメリカのチェーン店を引き合いに出して、その組織や業態を事例に出して、これからは
今までの流通経路と全く違ったバイパスとしてのチェーン店の時代の到来を、渥美俊一や
林周一の流通革命という書物を種本にして纏め上げようとしていた。
今なら一月もしないうちに、いや二週間で軽く書き上げることができるが、
基礎となる文章の書き方も知らないで、もがき苦しんでいるのが手に取るようにわかる。
 ・今なら結論は何だ!と決める。その30~40語をまず決める!
 ・その結論を導き出す3〜4の項目をたてる。それに集中する。
 ・あとはそれぞれのキーワードを3〜4つさがす。
 ・あるべきスタイルをアメリカのチェーン店にモデルをさがす。
  それと日本の現状の差を見つけて埋めるプロセスたてる。
 以上を繰り返し書き直しを重ねるだろう。 34年経った今、その当時の雄であったダイエーが国家管理で、
長崎屋やニチイが倒産。西武流通グループは解体。ヨーカ堂やジャスコも今はよいが、10年後は存続は5分5分の状態。 
面白いものである。

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2001年12月07日(金)
262,強請りーその手口

ーヤクザ対処法ー
この仕事をやって20年、前面(現場)には一切立たない。現場は危ない部分があったが、危ない人に一円たりとも
支払った事は一度もない。暴対法ができてからチンピラやヤクザも大人しくなった。しかしその以前から殆どない。
現場に「すぐ警察に電話をするよう」と指示してあるからだ。2ヶ月位前、本屋で「ヤクザの実践心理術」
という本を買った。どうということのない本だが、面白い内容であった。
 (字数制限のためカット 09年12月7日)
 ・・・・・・・ 
 ある時間の断片
12月7日(土曜日)1968年  
 12時過ぎに目が覚める。 何となく時間が過ぎる。 18時に、山岡さんがくる。
先日のバザーのお金を受け取ってないという。 私はただ言われたまま無料奉仕をしただけだ。 
20個の歯ブラシ代を永田さんがポケットに入れたままだと言う。何で私が責められなくてはならないのだ。
11時過ぎに深井を呼ぶ。この前、ドタキャンに対して強く彼を責める。言い過ぎたようだが、これでよい。
夜半の0時に駒村と米林と3人でのみにいく。駒村が、かなり酔ってしまった。私のことを寮の先輩として
尊敬すると褒め立ててきた。お世辞でも嬉しい。この時、思わずオーストリアに行った河路先輩を非難してしまった。
また満田先輩もだ。寮から抜け出れない姿勢が問題であると。学生気分から抜け出れないのだ。逃避で寮に来ているだけだ


3167, シュリーマンの話  ー4

2009年12月06日(日)

  ー抜粋のつづき
 彼は貴族ではない。清国と日本の支配階級を対比しているのではなく、市井の人々のこまごまとした暮らしぶりの中から、
 日本の庶民や下級武士、坊さん、はては花魁に至るまで、きれい好きで潔く、親切な人々を事細かく書き残しているのである。
 彼は、玩具、織物、刀剣、象嵌細工、木彫り等々を見て、日本の工芸品は蒸気機関を使わずに達することのできる最高の
 完成度に達していると評する。 教育についても、「ヨーロッパの文明国以上に行き渡っている。
 アジアの他の国では女たちが完全な無知の中に放置されているのに対し、日本では、男も女も皆仮名と漢字で読み書きができる」
 と称賛した。 彼のために、彼の目が日本びいきであるために曇っていたのではないかという疑いを晴らしておきたい。
 幕末当時、日本には1万5千の寺子屋があり、武士は100%、庶民男子50%、女子20%、江戸市中で70%の識字率で、
 当時のロンドンの識字率30%などを断然凌駕し、何百年も世界一を続けていた事を申し上げておきたい。
 彼のたどり着いた疑問は二つ。
《 一つは深奥なる体系的な宗教が存在しないこと。
 もう一つは、「ここでは君主が全てであり、労働階級は無である。にもかかわらず、この国には平和、行き渡った満足感、
 豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕された土地がある 》という到達点であった。
  シュリーマンの旅行記が今密かなブームを呼んでいるという。 失いつつある懐かしい日本の原風景に触れることができる
 からであろうか。 最後に本書の訳は素晴らしい。気品と気骨に満ちた石井和子さんという老婦人の訳である。
 たまたま旧知の関係だったご子息にお聞きしたところ、数年前ご逝去されたとのこと。
 お会いできなかったのは誠に残念である。 以上   【文芸春秋 誌7月号 但木敬一著】
 〜〜
 戦国時代、そして幕末・明治初期に日本を訪問した外国人の旅行者の報告書は、この旅行記とほぼ同じである。
日本人が清潔で、礼儀正しく、親切で、勇気と正義感を持ちっており、教育熱心で識字率が高く、日常の生活用具や
工芸品などの技術水準が高い。 また武士の倫理観の高さである。 日本人は中世の頃から誇り高く、質実剛健で、
教養が高く、公平な社会を築いていた。 しかし、戦後60数年のアメリカ占領教育で、それらが多く失われてしまった。
NHKが「天地人」や、「坂之上の雲」などを放送するのも、あるべき日本人像に立ち返るべき時と、言いたいからである。

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2802, イングランド・ツアー 
2008年12月06日(土)
 *集団スリに狙われて

観光地には、必ずといってよいほどスリがいる。何度か危ない場面はあったが、隙さえ見せなければ大丈夫と思っていた。
南イングランド・コッツウォルズのブロードウェーの自由散策時間も終えて、バスの待っている駐車場に行ったところ、
添乗員が少し時間があるのでトイレに行ってきてくださいとのこと。200メートル先のトイレに一人で向かったところ、
誰も居ないトイレの前に30歳過ぎの男達が三人、私を見ている。大きな駐車場に我われのバスが一台。
少し危ない雰囲気だったが三人の横を通り過ぎて、トイレで用を足して帰ろうとすると、男が一人、何時の間にか手洗いにいる。
危ないと思いながら外に出て、残りの二人の横をすり抜けようとした瞬間に、トイレの中にいたはずの男が後ろから
大きなヒャーと奇声をあげた。ハッと後ろを振り向くと、右手にマジックを持って反対の手の甲に英語で何か書け?と、
早口で捲くし立てている。 瞬間にチンピラの因縁づけと判断、無言で目を睨め付けたまま後ずさりをして、
クルリと振り返って帰ってきた。 私がマジックを持ったら何かするつもりのようだった。ただ突然に不意打ちである。
次の瞬間に他の二人が、その男を制しているようだった。 その場では、「あれは何だったのか?」理解が出来なかった。
家内に言うと、「薬を飲んでラリッテ、絡もうとしたのでは!」と、添乗員は「酒でも酔って声でもかけたのでは?」という。
でも何か、あの雰囲気は犯罪一歩手前の何かだった。 翌日のロンドンの現地日本人ガイドが、
「最終日の自由時間でピカデリー広場に行った時、集団スリに十分に気をつけてください。
彼らは、あらゆる手段で仕掛けてきます」と何度も念をおした。 その時に前日の出来事が何だったか気づいた。
一人がトイレに入ってきて私の背後にまわり、二人の近くに来たとき、奇声をあげて後ろを向けさせたのである。
次にマジックペンを握らせ、手の甲に勢いで書かせた瞬間に手を移動させシャツにマジックをつけさせて、
脅しをかけているうちに、背後から財布を抜き取る算段だったのだ。それなら、辻褄があう。
あの場合は、相手のペースに乗らないのは、経験上よく知っている。ミラノで家内がショッピングの時に、
広場をブラブラして鳩の群れを見ていた。 何時の間にか若い男が横にいて、トウモロコシの豆をスッと突き出してきた。
アワヤ手に取りそうになったが、手を引いて、その場を移動した。そして、他の場所から男を何気なく見ていると、
他の観光客に同じようなことをしていた。初めは手に取ったときに一ユーロ位を要求するタカリだろうと思ったが、
後ろに仲間がいた。トラブルを起こしている間に財布を抜き取ろうというのだ。 しかし、瞬間に、その人も手を引いたので、
スリの現場を見れなかったが。家内はスイスのユングフラッホで、財布を全く気づかずに摺られたことがあったが・・・

・・・・・・・・・
2007年12月06日(木)
2437, ファッションを哲学する
                       ヾ(≧∇≦*)ゝおはよんよん♪
 哲学者の鷲田精一の「ファッション」論が面白い。人は、とりわけ女性はファッションに多くの金をつぎ込むが、
 その割りには「ファッションとは何か?」を哲学者も社会学者も取りあげない。鷲田は哲学仲間から呆れられながら考察する。 
 言葉と衣服は似ているのである。ファション衣服は何ぞや?を、考える前に衣料とは何ぞや?を取上げる。
 「なぜ服を着るのか」「なぜその服でなければならないのか」を考え、ファッションを通じて、「私」や
 「私の身体」について考察する。「ファッションはいつも愉しいが、ときどき、それが涙に見えることがある。」
 という彼の言葉は痛烈である。  更に、そもそも人は何のために服で体を隠すのか?
 隠すべきものの実体は?等々、身体論を含めてわかりやすく説いている。
   −−−
ー彼の論を簡潔にまとめるとー
・まず人は「らしい服をまとって人は『だれか』になる」という。警官は警官の制服、そして兵隊は軍服、
 そして消防士は消防服をきて、制服の中味になっていく。 社会的なコードとして一番わかりやすい。
・ファッションは社会の生きた皮膚として端的な表現をする。
 流行の服を着るということは、過去を捨て、未来のことも考慮に入れず、まさに現在だけを考えるということ。
 流行の服を追う事というのは、今を生きるということでもあるし、刹那的でもある。
・身近で加速するハイブリッド現象と捉えることができる。
 Tシャツであれ、ジーンズであり、衣服は国境や、民族文化の境界をやすやすと越えて浸透していく。 
 哲学者や社会学者が異文化理解の可能性を説いている間にも、ファッションは確実に文化のハイブリッド化を加速する。
 カルチャーとサブカルチャーが世界を激しく横断する。
ー印象に残った部分を抜粋してみるー
 そういう虚ろな<像>を補強するために、われわれは他者とともに安定した<像>の様式をスタンダードとして作りあげ、
 それにしたがって自己のイメージを構成したり、ときには取り繕ったり、偽装したりもする。
 それをさしてロラン・バルトは、「モードは人間の意識にとってもっとも重大な主題(《わたしはだれか?》)
 と遊んでいる」と言ったのである。男性らしい服、子どもらしい服、会社員らしい服、喪の服……をまといながら、
 ひとは社会のなかで「だれか」になっていくのである。ひとが自分の身体的存在をイメージするときのその回路を、
 衣服の社会的コードが拉致する。ちょうど、現代社会では病める自分の身体への関係が医学と医療制度に
 よって全面的に謀介されているのと同じように。 こうしてファションは、社会の生きた皮膚として、
 ある時代における社会の成員の自己同一化の構造を解読するための恰好のテクストとなるものである。
  −−−−
衣料品店に生まれ、ホテルの一角でファッション学生服も含めたら20年も携わっていた。
とにかく、市場とメーカーの架け橋のシステムを如何に日々作りあげ、
作り変えていくかに全てのエネルギーをかけないと、一瞬に不良在庫の山になる。
ファッションとは何かなど考えている暇は無かった。知っていたところで、システムつくりには関係なかった。
しかし、衣服とは、そういうものである。社会的コードであり、社会成員の自己同一化の道具でもある。
劇をしようとしたら、まずは服装から始めることを考えれば解ることだ。 昔から「馬子にも衣装」と言った。
今だったら「馬子にもブランド」?  ( ̄∠  ̄ )ノ サラバジャ! 
 後記)偶然の一致とは!面白いものだ。後の方に貼り付けてあるが、
6年前の今日に「ブランド」というテーマで書いたあった。度々あることだが・・・
   
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2006年12月06日(水)
2073, 金は人を幸せにするか?
           才八∋ウ_〆(∀`●)
 お金に関しては、何度か書いてきたが・・先日の書評「金は人を幸せにするか?」は題材として面白い。
毎日新聞の『「豊かさ」の誕生…』=W・バーンスタイン著の書評で、その内容が紹介されていたが、なかなかよい。 
建前でいえば、「お金で幸せが買えるかって?冗談じゃない。幸せは心の問題だろう。
それが金で買えれば、世の中の金持ち全部幸せのはず。質問そのものがナンセンス」が正論である。しかし本音のところ、
「金は何でも買うこともできる自由の塊、何でそんな建前をいうのか?
そんなことを言えるのは充分ある人のこと。」と、陰の声がささやく。
「貧乏の極みで家庭は崩壊、借金で高利貸しに追われ、最後は不幸のどん底、投身自殺を図ったが死に切れず・・・」
これなど不幸のカタチで何処にもあるパターンである。 倒産や失業では金欠が当面の切実の問題になる。
人間の品性は「金欠と女性問題」で露わになる事例を山ほどみてきたので、間違いなく「金のないのは、人を不幸にする」
ということだけは断言できる。幸せになるのもいるが、それは珍しいから小説の種になる。 私の持論は、
「金で80?の幸せは買えるが、あとの20?は金で買えない。その20?こそ一番大切なことである。しかし80?は買える。
幸せとは、したいことがあり、それをやり遂げた心のさまである。それは金では確かに買えない部分もあるが、
しかし金=自由であるから、やり遂げる手段としては、最有効になる。」である。
(字数の関係でカット2009年12月06日)・・
・・・・・・・
2005年12月06日(火)
1708, 戦略ノート −1
          −読書日記
また斉藤孝である。        ~~匸Pヽ(・ω・`)
 ただし、この本は訳者としてだが。 俗にいう「夢・枝もの」である。
 『夢』-目標・戦略ーを持ち、それに対して『枝』ー戦術ーと 根ー教養ーを長年かけて養えば、
 いつの間にかほとんどのことは叶う、という手のものである。実際のところ、その通りだが80?の人が初めから
 興味を示さず、残りの20?うちの5?の人しか、長年にわたって努力をしない。 これが人間の固定観念のなせる業だ。
この本では、成功とはなんだろうか? 富は成功の付属物にすぎない、から始まり、
  ー 成功を以下のように定義する。  φ(・ェ・o)~カキカキ
  1、自分の人生の目的を知り
  2、潜在能力を最大限に発揮するために成長し
  3、人のためになるような種をまくこと  (n´∀`)η゚・.。. .。.:*・
   ・自分の心の奥底から望むことは何か? ということを熟考して
   ・自分の後ろ盾、強みは何か? を把握
   ・何でも屋ではなく専門家になれそうすれば優先順位が明確になる
 更に 次の5つのステップで夢を見つける
  1、自分は成功できる! という強い信念を持つ
  2、プライドを捨てる。プライドが高いと能力よりも外見にとらわれ、安全圏を出れない
  3、不平、不満を建設的なアイデアに変える
  4、マンネリ習慣から脱却する
  5、いつもやる気満々で仕事に向かえ      ょしゃ∩(´∀`)∩
   そのためにバックアップしてもらえる人や、     yaruzo!
   情熱の火を消さない知人を持つことも重要。勝者の思考回路を徹底的にまねる 事も重要だ。   
  ー自分の可能性を最高度に発揮する7つの習慣 ー  
 ー字数の関係でカット(2007年12月6日)ー
       
・・・・・・・・
2004年12月06日(月)
1343, 雪下ろしの雷

今朝方の夜半の2時から、大きな雷が30分ほど鳴り響く。特徴は、落雷の時間の長さである。
落ち始めてから十数秒?も鳴り響いて、それが何度も続いていた。これだけ長い時間の落雷の音を聞くのは
初めてである。さらに明け方になって、再び駄目押しの雷が鳴り響いた。おかげで、寝不足である。
今の時期の落雷は「雪下ろしの雷」といって、雪がまじかに降るというお知らせである。
雪も降るときには降ってもらわないとスキー場や冬物商売に差支えが出てる。新潟県は雪で一年の3分の1か4分の1は
閉ざされてしまう。反面、その雪が天然のダムの役割を果たして豊かな水をもたらす。
そのため中越地震の被害を受けたところは、内福のところである。魚沼米とか、錦鯉とか、闘牛の山古志牛とか、
地味だが内福を絵に描いたようなところといわれている。見たと聞いたとこれだけ違う所も少ないだろう。
贅沢をしない県民性もあるが。雪下ろしといえば、最近は温暖化のためか雪の量が年々少なくなっている。
子供の頃は、3〜4メートルの雪など珍しくなかった。柏崎の原発が出来てから、さらに顕著になったようだ。
住んでいるほうは、少ない方が生活をしやすいが、自然のバランスからいえば降るべき時には多く降ったほうが良い。
雷といえば、学生時代に自衛隊に合宿した高崎の雷を思い出す。数十メートル先に何回も落雷があった。
二段ベッドの鉄の手摺りが、落雷の電気が走ったのをアリアリと憶えている。

・・・・・・・・・
2003年12月06日(土)
976, 新婚さんいらっしゃい ! −2

この5月に、このテーマで書いたが、再び書く。人間関係の、いや人生の凝縮が結婚と親子関係である。
特に結婚は全く違った人生を生きてきたもの同士が、一つの家庭の中で生活をするのだから大問題が生じて当然。
まずは二人だけの権力闘争がはじめるのだ。そして、底知れないドブ沼が二人の間にできてくる。
その入り口に立った二人が、熱にうなされ発情している状態が面白い。‘我まま’丸出しの女が出てきて、男を奴隷の
ように扱っている姿を見ていると、その男の中に自分の姿を見ているようで、我を忘れて感情移入をしてしまう。
 先日みた番組では、週の小遣いが500円という。500万円の収入があるのに、月に2000円の小遣いである。
「何で、そんなに少ないの?」と桂三枝の質問に「貯金が私の趣味なの!」と答える??女の答えが可笑しい。
亭主の昼飯が月曜日から金曜日まで「かけうどん、かけうどん、かけうどん、かけそば、かけうどん」という。
凄いものだ。本人はやせ細っていた。旦那が小遣いの値上げを懇願していた。せめて5000円というなら解るが、
900円で喜んでいた。また数年前になるが、パキスタン男と結婚した女は亭主を奴隷のように扱っていた。
まあ「愛の奴隷」のうちはよいが、「人種差別」による奴隷のようだった。
この時も月に2000円か3000円であった。会場からは怒声が聞こえてきた。
番組みの関係上、下ネタを明け透けに話すが聞きなれてくると「いやらしい」感じないのがよい。
それにしても新妻?が恥じらいもなく話すのには驚いてしまう。書いていて気がついたが、この番組みの主役は新妻だ。
「高校三年生」の流行歌を聞いて育った年代としては、女性の変容に時代の流れを感じる。
・・・・
783, 新婚さんいらっしゃい ! −1
2003年05月27日(火)
 (字数の関係でカット2008年12月06日)
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2002年12月06日(金)
602,ある時間の断片-16
 1968年 
 10月6日  日曜日
(字数の関係でカット2009年12月06日)
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2001年12月06日(木)
261,ブランド品

ブランド品の定義ー
1、アフリカの土人の酋長と一族が身に着けたがるもの。それも不釣合いのノーコーデネート。一品豪華主義の典型
2、それなりの金持ちが、社会的体裁の為に飾り立てる小道具。
3、キャリアのブスの中年女がこれ見よがしに身に付けたがる。
  −野村監督の奥様。スナックなどでも時時いる金ぴか女? ブランド痴呆女というところか!
4、自分のセンスに自信がない人の印籠代わりの小道具。
5、家具から、身に着けているも全てコーデネートして初めて意味のあるもの。したがって大金持ちの贅沢遊び!
  収入が年間何億のレベルの人種のステータスシンボル。
  したがって一般の人が買うことは、金持ちコンプレックスの低脳を披瀝していることと同じ。
 一時凝っていた家内が突然買うのを止めた。その意味が解ったのだろう。
 アジアの黄色人種が身に付ければ、エテコウのお笑い! それが旅行を重ねているうちに気づいたようだ。
 飛行場とか、ツアーで連れて行くショップのブランド物は2〜3年か それ以前の「投げ捨て商品」。 
 その筋のシンジケートから「売価の一〜二割の原価」のしろもの。ハワイの飛行場で確か売上の6割か7割の家賃を
 取っていることで、それが公になった。 その事は20年以上前から、知っていた。 大手の旅行代理店がそれを熟知、
 それで一時は荒稼ぎをしていた。 黄色のエテが群がっている姿は、西欧人の軽蔑の対象だった。

・・・・・・
12月6日 1968年
 朝7時半目覚まし時計がなる。しかし起きることが出来なかった。やっと10時過ぎに起きた。
タクシーで学校へ。11時20分にやっとのことで、食事をしてゼミの「工場見学」に、時間ギリギリで間にあう。
新宿から京王線で府中へいく。NECの工場だ。事業所長の説明後、工場の見学だ。アカデミックな感じがした。
雰囲気が知的で、コンピュータが部屋せましと並んでいた。 16時から、工場所長と人事部長補佐など数名と労務管理に
ついて話し合う。積極的に話したのは、石川・田島・植本君の三人であった。 それに質問者の横井さん以外誰も無口であった。
 18時から腹がすいて苦しかったが、19時に天丼がでる。 19時半に終了。その後マイクロバスで府中へ。
解散後、田島と河村と三人で井の頭公園へ行く。 それから荻窪へ行って、喫茶店で話をする。
 田島がよく話す。彼は先まで一緒だったゼミの石川に腹を立てていた。彼が10月頃から大きく変わったと言った。
彼は「寂しい、ずるい、ゆわい人間だ」と指摘していた。私が感じていることを、そのまま言葉にして田島が言った。
 ゼミの個性派同士の対立というべきだ。大人しい河村も石川を否定したということは、彼はやはり異常と言ってよいのだろう。 
人間性が崩れているというのが共通項であった。自分で墓穴を掘ったのか、それとも自己の創造性を見出したのかは判断できない。
何か話していて、その姿が自分の姿でもあることに気がつく。


3166,シュリーマンの話  ー3

2009年12月05日(土)

 5年前に、シュリーマンの話を二日続けて書いた。映画の「トロイ」を放映がキッカケである。
 その時の内容は彼の人生と勉強法だったが、たまたま図書館で借りた「09年ベストエッセイ集」の中で、
「リーマンの見た日本」のテーマで(文藝春秋に記載)載っていた。
 作者が但木敬一前検事総長というから、なお注目した。
  ーその面白そうなところを抜粋したー
・ 私の家の菩提寺は、品川にある東禅寺である。幕末の頃、この寺はその一部をイギリス公使館として使わせていた。
 1861年とその翌年の二回にわたり、攘夷派浪士の襲撃を受け、多数の死傷者を出した。広い庭と複雑な屋敷の造りが
 幸いしてオールコック公使は難を逃れたが、当時の刀痕は、今なお柱などに残っている。
 シュリーマンがこの寺を訪れたのは1865年、つまり明治維新の3年ほど前の6月である。
「シュリーマン旅行記 清国・日本」には、「ほうぼうの障子紙に、この襲撃のときにできた大きな血痕がまだ残っている」
 と当時の生々しい情景を伝えている。 トロイやミュケナイの遺跡を発掘した天才児シュリーマンを知らぬ人はなかろう。
 元々ドイツ人であるが、強運と天才的な商才にめぐまれ、ロシアで巨万の富を築いた。
 少年の頃からの夢を果たすべく、41歳で全ての経済活動かを止め、世界漫遊の後、古代遺跡の発掘に取り組んだ。
・ このシュリーマンが巡り会った清国と日本、それは全く違う国であった。 彼は横浜に入った時、
 子供を背負った女などの乗った無数の小船に取り囲まれていないことに気づき、日本に到着したと実感した。
 中国では、物売りの小船に囲まれる。 しかし陸まで運んでくれた艀の船頭の請求金額の余りにも控え目な額に
「これではぎりぎりではないか」と大いに驚き、褌と入れ墨で働く日本の労働者の律儀さを体感する。
 更に、税関の役人である武士の清廉さに出会って、彼の日本人好きは決定的になる。 役人は彼の荷物の開披を求めた。
 彼はこれを免れようと役人に金を渡そうとする。 役人は、「自分は日本男児であるから、心づけに吊られて義務を
 ないがしろするのは尊厳にもとる」とその受け取りを拒否した。 にもかかわらず、役人は最後まで礼儀正しく好意的で親切。
 清国の税関での見聞に対比して、その違いにビックリしているのがよく分かる。以後、彼の日本びいきは最後まで一貫している。
・日本の民家のたたずまいから、家具の簡潔さ、畳と正座と布団の関係、公衆浴場、髪結いから懐紙に至るまで子細に観察した上、
 「日本人が世界で一番清潔な国民であることは異論の余地がない」と断じる。 何日も持ち歩くハンケチよりも鼻紙の方が
 清潔であるヨーロッパ文化に対する異論まで持ち出し、「家々の奥の方には必ず花が咲いていて、低く刈り込まれた木で
 縁取られた庭が見える。日本人はみんな園芸愛好家である。日本の住宅はおしなべて清潔さのお手本である」と絶賛する。
   =それにつけても、現在の日本は!と著者はいいたいのだろう。           つづく

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2801, イングランド・ツアー 
2008年12月05日(金)

 時系列でなく、まずはロンドンから書いてみる。ロンドンには学生時代に来たことがあるが、あまり良い印象は残ってない。
ロンドンブリッジと、バッキンガム宮殿と、ウエストミンスター大聖堂と、地下鉄に乗った記憶と、大英博物館に入って、
そこで日本人留学生二人が私と友人を丁寧に案内してくれたことがあったが、そのこと位しか憶えてなかった。
 今度は、大英博物館とナショナル・ギャラリーとピカデリー・サーカスの繁華街を中心に絞って見てまわると決め、
走るように見てきた。初日に、大英博物館の主だったコレクションを現地添乗員がダイジェスト的に(一時間)説明してくれた。
翌日、午前中はオプションのウィンザー城の見学、 午後はナショナル・ギャラリーと(再び)大英博物館に行ってきた。 
  *まずはナショナル・ギャラリー。 
ダビンチ、セザンヌ、ゴーギャンなどの絵画が展示されていた。
特にゴッホの『ヒマワリ』の絵に身が竦んでしまった。 周りに誰もいないところで、独り数分間対峙できたのは
至福の時間であった。絵からは作者の波動が出ているというが成るほど、こういうことなのかと思い知らされた。 
絵から一対一で直接、このような作家のエネルギーを感じ取ったのは初めの経験である。
 入館料は、大英博物館も、ナショナル・ギャラリーも無料。
世界のお宝が無造作に置いてあるのだから如何に底力があるかである。
  *次に大英博物館。
エジプトやギリシャの遺跡を見てまわってみて、国宝級の多くが英国に奪略されて大英博物館にあるのを聞かされていた。
それが何気なく展示されているのは、世界三大博物館の貫禄である。ここは250年の輝ける歴史があり、多くの
資産家や外交官などの寄贈で、世界中のコレクションが集められている。その中でも、一番のコレクションといえば、
『ロゼッタ・ストーン』である。 ウキィペディアによると、
【ロゼッタ・ストーンは1799年7月15日、ナポレオン・ボナパルトがエジプト遠征を行った際、フランス軍のブシャール大尉によって
エジプトの港湾都市ロゼッタで発見された。 縦114.4cm、横72.3cm、厚さ27.9cm、重量760kg。 暗色の花崗閃緑岩からできていて、
岩には文字が刻まれており、エジプト語とギリシャ語(コイネー)の2種類の言語で書かれており、3種類の文字で記されていた。
その内容とは、ヘレニズム期のエジプトプトレマイオス王朝プトレマイオス5世エピファネス施政下の紀元前196年に開かれた
メンフィスの宗教会議の布告を書き写したものである。 同一の内容が、エジプト語は神聖文字(ヒエログリフ)と衆文字
(デモティック)、ギリシア語はギリシア文字で刻まれている。】以上だが、ガイドによると、これは大英博物館での一番の
コレクションという。また黄金のヨガのスタイルの彫刻が圧巻であった。ネットで調べた内容から・・・
【世界に金融危機の暗雲が漂う中、英国のスーパーモデル、ケイト・モス(34)の黄金像が2日、ロンドンの大英博物館にお目見え。
 4日から始まる現代彫刻展で一般公開される。来年1月25日まで。英芸術家、マーク・クインさんの作品で、50キロの金塊を
 使用して作製した。時価にして150万ポンド(約2億7900万円)。古代エジプト以来、最大という黄金像は
 ギリシャ神話に出てくる半人半鳥の海の精「セイレン」と名付けられた。 クインさんは英BBC放送に
「ケイトさんは現代の美だが、それでも私の描く理想には及ばなかった」と話している。】
 (今日のYahooの私のブログに、この記事を載せておきます。              つづく

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2007年12月05日(水)
2436, 2008年平成大恐慌が日本を襲う!
                   オハヨウ (∀`* ゴザイマス!
 昨日の週刊現代の新聞見出しが、 2008年「不動産バブル崩壊」で、平成大恐慌が日本を襲う!
が刺激的だったので買ってみたが、一月ほど前の特集の方が理路整然としていた。
それでも、なるほど納得できる内容であった。日本版のサブプライム問題が表面化して、日本も大恐慌に突入!
 というのが、骨組みであった。前回の特集はアメリカのサブプライム問題のレポートだったが、
今度は日本のサブプライムが表面化してきた!という論旨である。
(前回、今度は日本のサブプライム問題が表面化するだろうと、感想で書いたが、そのとおり特集を組んできた)
私の商売は景気の先駆けが現れるが、11月に入ってからおかしな風が吹き出した。
長期の団体を除くと、明らかに一割近くの客数が減りだした。元々、7月中旬の柏崎沖地震から一割落ち込んでいたが、
それでも10月になり持ち直したのが、ここにきて再び落ち込み始めたのである。
(今年はイベントが10月に特に多かっただけ、ともいえるが)もし、団体が入ってなかったら、顔面蒼白。
ということは、ほぼ全ての事業所が同じはず。野村證券の元社長の田淵節也のいうとおり、
「海の色は変わった」ということか?そして来年から本格的に??
ー見出しを週刊現代のHPからコピーしてみるー
 疲弊する経済に新たな火種! 
“日本版サブプライム・ショック”はすでに始まっている!住宅着工件数半減、不動産ファンド続落、
 新築マンション大量売れ残り…… あらゆる経済指標が示す不気味な「魔のシナリオ」
 2008年「不動産バブル崩壊」で平成大恐慌が日本を襲う!
■倒産の連鎖が始まった!
■ノンリコースローンの問題点
■「新築マンションの完売はウソ」
■2割安く手に入れるマンション購入のウラ技
 不動産価格高騰で荒稼ぎする投資ファンドに大量の資金を貸し込んできた銀行が、
地価暴落による焦げ付きで金融パニックに陥る。それはまさに住専問題を発端としたバブル崩壊と同じ構図。
あのときの“悪夢”が再び繰り返されるのか。すでにその予兆として、外資が不動産市場からの撤退を始めた――。
倒産の連鎖が始まった!
「都心部の優良不動産の価格上昇が急激すぎて、転売するのも容易ではなくなってきました。
 自分がいつ高値で“ババ”を掴まされるか戦々恐々・・」
 −−−−
以上だが、原油は100ドル、それにともない日用品の値上がり、事実上の増税に、株価急落、地方経済の疲弊、政治の混乱など、
多くの不安要素が重なっている。 9月に入って、都銀と地元の担当が「マンションと住宅の割引が始まった」
と言っていたが、地元だけでなく全国的な傾向だったようだ。以前から言われている「2007年から始まる動乱」は起きているのか?
 年を経るほど、大きく姿を現す。 まあ、それもまた娑婆か。
                         ヾ(^ω^*)
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2006年12月05日(火)
2072, 義母・故桑山正子さんへの弔辞
     (。^0^。)オッ(*^○^*)ハヨー!

先週の金曜日(12月1日)の昼に柏崎の義母の死亡の連絡が入った。
その一週間前に見舞いに行った帰り道に、「年内は持たないだろう、覚悟しておくように!」と、
家内に言ったが、そのまま帰らぬ人になってしまった。病室では風前の灯火という感が漂っていた。
2年以上の長期入院の末で、自然死に近い死に方であった。 享年82歳である。 ご冥福を!
 ー追悼で義母のことを書くー
私が知る限り、これだけ幸せを絵に書いたような人に出会ったことがない。
これは家内も誰も認めていることで、こういう人生があるのか?と、思うほど静穏な恵まれた人生であった。
「穏やかな品位のある穢れのない人」というのが、義母の正確な人柄の描写になる。数代つづいた婿取り娘の家系で、
幼児の時から無菌培養のように大切に育てられた。母親が4歳の時に亡くなり、祖母に育てられた。そのため?義母は
両親の愛情を知らないで育った。婿養子の義父は10年前に78歳で癌で亡くなったが、模範的は品行方正の温厚な人物で
亡くなるまで義母に尽くしきった人である。柏崎のロータリー・クラブ会長などをしていて、誰にも好かれる人であった。
(字数制限のためカット 09年12月05日)
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2005年12月05日(月)
1707, 家訓づくりのすすめ −2

 第三章では
「わが家の家訓」の作り方、活用法が、詳しく説明されている。
 それぞれの事例のなかに、それぞれの事情が生々しく本音で書いてある。
 ー子育てに関する家訓の例として
・子は親を見て育つもの、親は子を育てて育つもの、子育ては親子の一大事業
・家族は幸せになるためのチーム、みんなで協力し合おう
・小さい時のしつけは一生の宝物、子のしつけは親の努め
ー他には
・お金や名声よりも大切なものを持て
・毎日心がけよう笑顔の挨拶、元気のいい挨拶
・家族の問題からは決して逃げるな、心を合わせてみんなで解決しよう などがある。
 家訓を通して家族関係を見直すきっかけにもなる。     
 離婚直前の夫婦が、家訓をつくることで危機を乗り切った真に迫った内容もあった。                          )`ε´()`ε´(
ーその家訓とはー
1、人生は思い通りにはいかないもの、満足と感謝が大切
2、誠実と謙虚と感謝の気持ちで人に接すれば世をおくれる
3、得意げに正義をふるまわすな、むやみに正論をいいたてない
4、あせるな、怒るな、くさるな、自分に負けるな
5、罵声はわが身を振り返る鏡、ありがたい激励と思い 怒らず、恨まず、悪口を言わず  (o・_・)=○)*_*)
6、最後まで聞くのが聞き上手、自慢しないのが話し上手、聞き上手、話し上手になれ""(・・、) ヾ(^^ )""
 (字数の関係でカット2008年12月5日)
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2004年12月05日(日)
1342, カルフールが撤退
字数の関係でカット(2007年12月5日)
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2003年12月05日(金)
975, 「それぞれの輝ける日々」

 スペインの「パンプローナの牛追い祭り」の再放送を見ていたら、「それぞれの輝ける日々」という言葉が、
ナレーションで流れていた。 この言葉には「それぞれの人の、輝ける日々」とか、「それぞれの、人の輝ける日々」
と分けることができる。 その反面「それぞれのどん底の日々」もある。この話になってくると、いろいろあるので内容は
「・・輝ける日々」に絞る。人生には「それぞれの人にとっての輝ける日々」がある。
現在書いている「学生時代の日記」は、私にとっての「輝ける日々」の、ある時期の、記録である。
「輝き」という言葉の背後には暗黒がある。暗黒があるから、輝くのだ。偶然の賜物として倉庫の奥から出てきた
「22歳の日記」を読んでみると、私にとっての「輝ける日々」である。誰もが記憶の彼方に持っている青春の日々である。 
そして現在進行中の人もいる。青春とは、決して素晴らしいとはいえない。むしろ見っともなくボロボロの状態である。
しかし、それが輝きになっている。「輝き」は、光っていることである。
人間が光っていることは、燃え狂っている状態である。 そして背後には暗黒が大きく口開いている。
そこで思い出したのが、「 一期は夢 ただ狂え 」である。
 世の中はチロルにすぐる チロリチロリ
 何ともなやなう 何ともなやなう  浮世は風波の一葉よ
 何ともなやなう 何ともなやなう  人生70古代稀なリ
 ただ何事もかごとも  夢幻や水の泡
 笹の葉に置く露の間に あじきなの世や
  夢幻や南無三宝
 燻む人は見られぬ 夢の夢の夢の世を 現がおして
 何しょうぞ くずんで 一期は夢よ ただ狂へ     (閑吟抄)
 470〜480年位前、富士山の近くに庵を開いていた名も知らぬ男が古今集をまねてつくった歌の一つである。
‘人生など一瞬でしかない。 なら狂ったようにしたいことをして生きたいものだ’という内容である。
「一度しかない人生だからこそ、ひかり輝いて生きるべきである」という人生観。
人生を顧みたときに「光輝いていた時」は、何かに狂っていた時である。 人は、それをパラノイヤー偏執狂という。

・・・・・
2002年12月05日(木)
601,ある時間の断片-15
 1968年  10月5日  土曜日

昨夜飲み過ぎせいか頭が痛い。10時に深井に電話をするが、アユに用とかでお流れ。 集団デートお流れ。
小作の方にしておけばよかった。 その後、酒井君が部屋にきて疎外論から人間関係論について話し合う。
かなり哲学づいているようだ。 深井が寮の部屋にくる。車を持っていると行動範囲が広い。新橋の深井の自宅に行く。
親父に紹介される。 40店舗を持っている新橋しのだ寿司の社長だ。私に興味があるみたいであった。
そこで食事をした後、東名高速で横浜・板付へドライブ。あまり面白くなかった。
帰寮後、ボクシングの世界戦をみる。小林が一方的に勝つ、つまらない試合であった。 その後食事に行く。
TVを見ていると市川さんが飲みに誘いにくる。寮の近くの「三浦」という行きつけのスナックへ行く。
帰寮の後夜半の2時に寝る。明日からは本格的に卒論に集中しなくては。
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「青雲寮」の過去に書いた内容をコピーしておきます。 2001/12/20
 −青雲寮(わが青春)
(字数制限のためカット 09年12月05日)
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2001年12月05日(水)
260倒産ー2

新潟鉄工所の倒産の影響は私の想像以上になりそうだ。 その重みを解かってなかったのが本当のところだ。
地元に生まれ育った人は、実際かなりショックのようだ。息子が新潟鉄工に勤めているだけで、自慢になるほどの
重みがあったという。下請け、孫請けの地元の影響は、これから益々大きくなるのは避けられない。
考えてみれば当然で、これからその波及が出てきそうである。地元では第四銀行が潰れた位ほどのショックらしい。
具体的にあそこがいくらとか、金額が出始めてきている。一昨夜のTVのニュースで,債権者に対する説明会が出ていた。 
直接の影響がないと思っていたが、そうはいってられない状況だ。 国内のテロを用心していたが、
とんでもない処から火の手が上がった。「日本の経済の終わり」の始まりの景色とはこんなものか。 
長岡でも‘七?商店’が一億?千万とか、‘何とか工?’がいくらとか。‘何とか銀行’が致命傷とか。
今まで貸し先がおかしくなると必ず噂の発生元としてて??銀行が流していたが、今度は自分の番になった。
それもペイオフに丁度いい塩梅で! 家内も「年内で全ての預金を引き上げる」という、当然の事だ!
もし株で信用売りができるなら、全ての財産を賭けて売りにするだろう!
これだけ確かな事はない。仕手株の価値もないか!巡る巡るものだ。全ての会社に言えることだが、「他人事でない!」
       
・・・・・・・
ある時間の断片
1968年 12月5日
(字数の関係でカット2008年12月5日)                                  ーつづく


3165,金本位制が復活? −2

2009年12月04日(金)

* ーそれでは、「アメリカ金本位制復活論」の高橋靖夫が文藝春秋に記載した一部を抜粋するー
 1971年8月15日、ニクソン大統領は突然、金とドルの交換を停止した。世界を仰天させたこの「ニクソン・ショック」によって、
金は「通貨としての役割」を否定され、たんなる「商品としての地位」に追いやられた。 当時の通説は、「モノづくり」で
競争力を失った米国が、ドルを守り切れなくなったために「ブレストンウッズ体制を自ら放棄した。
 ところがその後の米国といえば、崩壊どころかドル覇権を拡大し、冷戦終結後にはユニテラリズムを振りかざす
唯一超大国として「独り勝ち」を達成した。では、「崩壊」したかに見えたニクソン・ショックの狙いはなんだったのか。
 ブレストンウッズ体制下では、アメリカは1オンス35ドルで各国政府の保有する金の交換を保証していたため、
赤字の増加は金の流出につながる。そこで米国は”負けたふり”をして「失った金の再備蓄」を密かに狙ったのだ。
 米国は金とドルの交換という「責任」を放棄しながら、基軸通貨特権を享受しつつ、固定相場制から変動相場制への制度変更を
仕掛けたのだ。と同時に、金の通貨としての魅力を否定することで金相場を下落させ、失った金を安く買い戻せるように仕掛けた。
つまり金本位制を停止した時からすでに、再び金本位制に戻す機会を狙っていたのである。
 むろん、そんなことは、経済白書で発表されることも、ウォールストリート・ジャーナルに書かれることもない。
しかし、米国が金を「捨てた」かのように見せつつ、決して金の価値を忘れていなかったことを記す状況証拠なら、幾らでもある。
 たとえばニクソン・ショックからわずか3年後の74年12月、米国は奇妙なふたつの政策を実行した。
 ▲40年ぶりの「国民の金所有の自由化」
 金先物市場の狙いは「ロンドンから金の価格決定権を奪う」こと、そして金所有の自由化は「民間による金の備蓄を進める」こと。
 共に戦略的な「米国による金の囲い込み」である。 米国の金相場の操作は極めて巧妙だった。ヨーロッパの投機家たちを
 抑え込むために、74年12月31日、国家備蓄のなかから200万オンス(約62t)の金を放出すると発表し、相場の「冷やし玉」にした。
 同時に有力金融機関には「不買キャンペーン」を行わせた。その結果、金価格は74年12月31日の「国民への自由化」の197.5ドルを
 ピークに、75年6月の130ドル近くまで下落を続けた。こうして米国国民は安い価格帯で金を買うことができるようになったのである。
 ▲76年1月の「IMF(国際通貨基金)キングストン合意」では「金廃貨」を正式決定させるとともに、最貧途上国を支援するために
 IMFが保有する公的保有金の6分の1を売却すると決めさせた。これによって金価格は同8月には103ドルにまで急落している。
 こうして「通貨としての金」が否定され、金相場が下げ続ける中、米国は相場をにらみながら、常に金本位制を視野に入れてきたのだ。
 ――
 以上を読むと、金本位制に戻ると思うのは私だけではないだろう。 アメリカの背後にあるユダヤ資本が考えそうなことだ。
日本政府が金保有を異常なほど阻止してきたのは「隷属国家に金などもってのほか、稼いだ金は、自国のドルに替えておけばよい。
ポチに「金」など持つなど必要がない」という理屈である。 露骨な差別である。 そして、ドルを刷るだけ刷った後に
金本位制の新ドルに替えてしまうというのだから。今のところ可能性レベルだが、やるしかないのか?今は何でもありである。

 ・・・・・・・・・
2800,イングランド・ツアー ?
2008年12月04日(木)

 昨日、イングランドのツアーから帰ってきた。
この世界恐慌前夜に行くべきかどうか迷ったが、少なくとも年一の海外に出る習慣は守るということで、決断した。
29名のツアーで、イングランドの北の湖水地区と、古い町並みのコッツウォルズ地区、ロンドンをバスで回るツアー。
英国は秘境ツアー御宅にとって、毛色の変わった場所だが、たまたま現在の中では一番、価値があると判断をした。
私の評価基準からして、80点以上は無いだろうと思っていたが、その通りであった。
しかし、今回の旅行は75点の評価だから、まあ良かったということになる。
湖水地区の自然を散策するイメージに引き付けられたが、奥深く行く探索する内容ではなかった。 二日じゃ無理だが。
それより、コッツウォルズ地区のの古い村の景色の美しさには感動をした。 一箇所が二泊ずつ、三箇所に泊まるため、
非常に楽な日程だった。 格式の高いところや、公共に対する意識が高いところは日本に似ていた。
いや日本が、イギリスに感化されたということだ。
印象を思いまま書いてみると
・島国で、立憲君主制?で、緑に覆われているところが、日本に似ているので、違和感が少ないのが印象的である。
・面積は日本の本州とホボ同じ大きさで、
・人口が6000万人、
・平地面積が80%で、日本の16%とは違う。そのため、日本人は非常に大きく感じるという。 
・小さい国土のわりに食料自給率は80%もあるという。
・大英帝国を築き上げた歴史があるため、豊かさが国土に深く沁みこんでいるのがバスの中からでも分かる。
・村には、中央広場とメーン通り、教会、パブの三点セットが必ずあるというが、最近の不況でパブが多くの村で
 消滅をしているという。「階級制度がハッキリしていて、特に労働者階級は反発を感じないのか」と、現地の日本人ガイドに
 質問をしたら、「日本人からみたら個人主義が強くて、『人は人』という意識が、その反発を消している」との答えだった。
弱肉強食のシステムは、国の活性化のために必要で、没落と成り上がりのシステムはあるという。
なるほど、外は広く、内は広い、世界は! それを忘れないためにも海外に出る価値がある。                          
                               つづく
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2007年12月04日(火)
2435, 絞首刑 −2
               ((´_`○)ノ ノヾィ♪☆ぉきた?♪
 死刑は荘厳にさえみえる。 処刑に引き出されたものと、他のものとの段差。
それは我われの二人称の人の死と、変わらないではないか。ただ露出された人間の心情は、表現は違っても普遍的である。
もう、20年前の夢を鮮明に憶えている。 中東の何処かで、自分が絞首刑になる夢である。
もしかしたら、彷徨ってた霊が夢に出てきたのか?さえ思えた内容である。何か、この死刑囚の場面に似ていた。
 ーまずは昨日の続きである。
(字数制限のためカット 09年12月4日)
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2006年12月04日(月)
2071, ゆっくり急げ! −2
               b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪    
以前も「ゆっくり急げ!」のテーマで書いたことがあったが、最近、この意味の深さを痛感する。 
ラテン語で「フェスタ・レンテ」という。 この言葉を暗記して繰り返していれば、少しは短気が直るだろう。
還暦をむかえると、人生に焦りが出る。私の場合、60歳までにそれ以降の全てを50代にやり遂げようと、
10年間に詰め込んで生きよう心がけて過ごした。 そのため焦りすぎて多くのミスも多かったが、
ほっとしたような心の余裕ができている。 あとは、おまけ!という気楽さというか・・・
団塊の世代の人達が定年を向かえようとして急に、「明日から会社には来なくても結構です。ご苦労様!」と言われても、
産業粗大ゴミが空地に捨てられたように呆然とする。そして、‘60歳後の生き方’のような本にある
「ゆっくり生きましょう。群れてないで、一人で自分の世界を確立しなさい。
してなかった?それは貴方の責任です。これから一つずつ趣味をつくって生きましょう」
と・・・ しかし焦っても、焦っても、どうすることはできない。
   焦らず、ゆっくりと死に?急ぎをするにはどうすべきか?いや死は実際には本人に存在しないのだから、
   寿命の尽きるまで輝いて生きるには「ゆっくり急げ!」を座右の銘にすべきであろう。
    「ゆっくり急げ!」という言葉に似た格言としては、  
   ・ゆっくり行くことを恐れるな(中国)       ・ゆっくり行くものは遠くまで行く(アメリカ)
   ・急ぐなら、もっとゆっくりせよ(イギリス)    ・急いで行こうと思ったら古い道を行け(タイ)  
   ・ゆっくり行くものは確実に行く(フランス)    ・おそくても、ぜんぜんしないよりよい(ドイツ) 
   ・急げば急ぐほど、まずくゆく(フランス)     ・急げばまわれ(日本)             
   ・急ぎの文はゆっくり書きなさい(日本)  どの国の言葉も、こと、これに関してはほぼ同じである。
「目的、目標を明確にしたら、それに向かって手段をハッキリ決めて一つずつ確実にすすみなさい」ということだ。
 二度とない人生だもの、 せっかく地球に遊びに来たんだもの、可能な限り学び、遊び、創造することだ。 
やはり急がなくては、しかし、ゆっくり!      とくに、お前は!
                                    (+>∀<+)ノ バイバイ!
・・・・・
2003/05/15
ゆっくり急げ!
 字数の関係でカット(2008年12月4日)
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2005年12月04日(日)
1706, [我が家の家訓] をつくってみた

ところで、この本『家訓の作り方』を参考にして、「わが家の家訓」をつくってみた。(作成時間3〜4時間)
 【【 堀井家の家訓 】】
 =人生について
               ヽ('A`)ノェェェ マンドクセ
・群れるな!
  一人どっしりした生き方をすること
 そのために、教養の蓄積と余裕ある蓄財をしておく
・一度だけの人生、思い残すことなく生きよ
・何ごとも楽しめ!嫌なこと苦しいことほど楽しみのネタはある!
・自分の強みを見つけ、それを生かした人生を歩め
・自然体で生きよ 無理しない、あわてない、気にしない
・何ごとに対しても誠意を持ってあたれ        
・笑いと、喜びを持って日々励め       (´m`) ムフッ♪  
・はやい時期に自分の楽しみを見つけ、一生をかけて追求すること
・継続すべきプラスの習慣を一つずつ身に付けていくこと
・何ごとも一期一会、「いま現在」を大事にして生きよ 明日は常にないものと心がけよ!
・頭が固いとは、『脳硬化』と心得よ つねに変化に備えて、変身の用意を怠らないこと
           (; ゚ ロ゚)ナン!( ; ロ゚)゚ ナンデス!!( ; ロ)゚ ゚トー!! orega teinou dato~
・言葉に気をつけること  特に(心の中の自己対話)内語に気をつけること
       (;^_^A " kuso! baka! teinou! kogitune! ore dameda!
・行動、行動、また行動。常に積極的に行動すること、その周辺に情報と、さらなる行動がついてくる
・勉強、勉強、また勉強  知れば知るほど、知った周辺の知らないことが増えてくる
                         *:;;;:*゚。+☆+。゚+*:;;;:*  
  =お金に対して=
・保証人になるな ー請け判は人生を滅ぼす
・借金は能力範囲ですること
・商品取引、先物取引は厳禁のこと 大きな博打はしないこと
・個人的な金の貸し借りは親兄弟でも絶対にしないこと −友人の出資とかいう手合いの話に絶対乗らないこと
・お金は楽しんで使え
・支出は収入の8割までにすること

=家庭について=
・生活は質素倹約に徹すること (=_=;)
・親しき仲にも礼儀あり、特に挨拶は必ずすること
  *おはようございます ∩(´∀`)∩ オハヨ〜♪
  *おやすみなさい |寝室Юヾ(●´∀)ノ" おやすみ〜♪
  *いただきます    (^人^)
  *ごちそうさま ( ̄ω ̄;)!!
  *いってきます  (^-^)ゞ
  *ただいま   (* ̄0 ̄*)
  *ありがとうございます   Σd(ゝ∀・)アリガトォ♪   ♪〜♪〜 ♯♭
・自分のテリトリーは整理整頓に心がけること
  *自分の部屋の掃除
  *靴の並び
  *割り当てられた掃除          ~ヽ( ̄Д ̄*)ちっ
・親子、夫婦といえども自分のトラブルは家庭内に持ち込まないこと mou sima senn! (^┰^;)ゞ
・笑いと感謝を持ってお互い敬うこと      uyamaimasum(_ _)m  
    ヾ(o;▽;)ノ"ギャハハ   kannsya kannsya(^人^;)ヾ(。ゝ∀・)ノ┌┛☆ドンドン!!  ・゚・(ノ∀`)σ・゚・        
・常に話し合う習慣を日常よりつけておくこと
    ヽ(ヽ゚ロ゚) ギャギア!! ヽ(゚Д゚○)ノ  アアデモナイ、コウデモナイ
 
=社会に対して=
・常に笑顔を持って他人に接すること  ー近所の人とは、表面的な親しさに止めること
・ライオンズクラブ、ロータリークラブなどの社会的ステータスを求めている場所には近寄らないこと
 −但し、商売上止むを得ない場合は例外とするが、それを必然とする仕事は可能な限りさけること
・マイナス語を日常に使う人種とは一線をおくこと    butubutu(; ゚ ロ゚*)!
・社会は本来『不平等』と知ること、間違っても、平等が基本などと誤解をしないこと
 平等と信じている人を信用しないこと konoyoha byoudouja  ナンテコトヲ!(;^_^a   ;゚;Д;゚;; )ギャァァァ!!
・他人に対して、心にやましいと思うことはしないこと (=_=;)
・人は人、我は我、されど仲良くを基本とする
                        マタ~~■P o(´・∀・` ) coffee time☆     
*:;;;:*゚。+☆+。゚+*:;;;:*
 =家訓としての戦略=
つねに長期的視点に立ち、求めることを一つに絞りこみ、全精力を集中して、競争相手を定めて、先手を打つこと 夢を持ち、 
明るく、質素に、ものごとの本質をみつめ、他人に良かれと思い、 日々を一歩一歩踏みしめて 生きること!
「変化・挑戦・戦い」の絶え間ない繰り返しこそ、活きることである。つねに新鮮な気持ちを持って 日々生きること。
   一流の人物を見つけ、その習慣を学ぶこと  
  ーーー
 こんなものだが、自戒の言葉でもある。 (^┰^;)ゞ
 
 ・・・・・・・ 
 2004年12月04日(土)
1341, 岩にスジをみつけよ

20代に、読んだ本の中に、「どんな岩でも、必ずスジがある。そのスジさえ見つけノミを入れれば簡単に割れる。
岩は中味が均等には詰まってはない。地球の力によって貼りあわされた合成物にすぎない。その接着の後が残って
スジになっている。それさえ見つけ、そこにミノさえ入れれば簡単に割れる。」たしか、松永安左衛門の言葉だった。
最近は、この人のことは話題にはならなくなったが。それを読んでから、常にこの言葉が座右の言葉になった。
それでは、それを実行してきたかというと何もいえない。どういう訳かハンマーで岩を割ろうとして、スジさがしはしない。
ハンマーで割ることが素晴らしいと思い込んでいるのだ。その為か、割れやすい部分さえ探そうとしない。
他人事ではない、自分のことである。プロは、そのスジを経験から直ぐ見つけ出す人である。
これも長年の経験が必要である。ふとこの文章を書いていて、「自分の中にスジを見つけよ」という言葉が浮かんだ。
自分の中のスジとは何だろう?習慣化、マイ・ゴッド、それとも口癖の言葉?
そういえば、習い事で「貴方はスジがよい」というが。才能ということか。 スジの意味が違うか。
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2003年12月04日(木)
974, 「黒い十人の女 」ー映画日記
 ー字数の関係でカット(2007年12月04日)

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2002年12月04日(水)
600, カットスロープ

ある経営セミナーで聞いた戦法・商法である。 立地やプライスラインで おこなわれる。立地で解りやすいのが、
先日新潟駅前にオープンした東横インだ。税込み6500円ラインを駅直通の再開発ビルのテナントでぶつけてきた。
咽喉仏を掻っ切られるのが、そのプライスラインのワシントン、アルファーワン、東急イン、第一ホテルである。
10〜20?の売り上げダウンになる事は必定だ。そうでもないのに20〜30?ダウンしているのに。
当方のプライスラインは70?以下の為、軽微である。値引き期間の今月は1割はダウンするだろうが。
当分は東横インの一人がちだろう。新潟の宿泊は東横インのミドルプライスと当社のロープライスと分け合うカタチで
集約されていくだろう。新潟駅前の十数の小型のビジネスホテルとビジネス旅館は当社とターミナルホテルのカットスロープで
消滅した。市内の旅館も7〜8割も消滅した。丁度開業の時に考えたのが以下のコンセプトである。
 相手の心臓を  ?するどい  ?ナイフで 下より  ?つきあげる ?捨身で!
( =相手の主力商品、?=プライスのしぼりこみ、?=当方の主力商品、=低プライスで、?=重点集中主義 ?=業態の明確化)
これを元に今の事業を立上げ続けてきた。カットスロープに似ている。
弱肉強食の世界がますます露現してきている。事業は全てをかけたビジネスゲームである。

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忘れられない言葉   「2001/12/04 08:21 」
ー青年期の言葉
1、ベートーベンの
「良くかつ高貴に行動する人間は、その事実によってだけでも不幸に耐ええることを証明したいと思う」ーロマン・ローラン
 これが学生時代の私の一番好きだった言葉である。これにこだわりすぎた部分もあった為、行動を制限されたが。
「苦境を突き抜けて歓喜に」ーこれもおなじべトーベンの言葉だ。
2、ソルジェニーツィン
「人生小説でないと思います。弱者は悪、強者が善です、強くあってください。
 いや強くあらねばなりません。良くあるためにも強くなくてはならないのです!」
 -これは25歳の頃やはり社会で強さが求められたためか。
3、「そうだ。人生に期待するには間違っているのだ。人生の方が、私たちに期待しているのだ!」
 人生の問いのコペルニクス的転換。 未来には貴方に生み出される何かが待っている。
 人生が貴方に見出される事を期待しているのだ。 フランクルは、人生に何も見出せなくので自殺するつもりだった
 二人の囚人を説得し、生きる意志を起こさせている。事実一人の男性には、深い愛情をよせている一人の息子がおり、
 外国で彼の帰還を待っていた。もう一人は、科学者として本のシリーズを書いていたが、まだ途中で完結が待たれていた。
 ーこれは15年前に「夜と霧」に出てきた内容。自分が死んで葬式の額の写真の目から視点を全く変えてみたのと類似している。
・・・・・・
12月4日  ー1968年
・11時に起床。
 中間試験の勉強だ。 ところで昨日の件で、今になって怒りが押し寄せる。「何なんだ!」という感情がくる。 
といって考えてみたら何でもない事だ。パーテーの日が変った事で、一つのチャンスが消えただけでしかない。
それだけで自分が情けなくなってきたのがオカシイ。 大体あれもこれもというのが悪い。凄い美人でなくては何とも
無いことだが、その辺が問題だったのだ。この辺さえ受け止められないのが、今の自分でしかない。
この先に、自分で事業を立ち上げるのが今の自分の目指すことだ。22時から23時半まで市川さんと飲む。
昨日のことを愚痴っていたら、自分なりに冷静になれた。一日半の揺れで終わりだから、傷は浅かったが。かすり傷が最近多い。
今の自分は卒業に向けて最後の締めを決めなくてはならない。
その後、明方の4時まで勉強に集中できた。 毎日が嵐の中だ。小さなコップでしかないが。


3164,「物語」と「小説」

2009年12月03日(木)

  「物語」と「小説」の違いは?をネットで調べたら、
・「小説」は“文字によって記述された「物語」”と定義。
 「物語」は――古老が話す口伝や、御伽噺などのなさまざまな形式などの“おはなし”。
  その違いは“その<おはなし>を伝達する手法が、文字表現に限定されているか、されてないかにある。
・ 基本的には、物語は「出来事の連鎖」によって成り立つものを指す。 
  聞き手の「それからどうした、それからどうした」という欲求をみたしていく性質を持っている。
  一方、小説の概念は近代以降のもので、単に出来事の連鎖に止まらず、出来事と出来事の間に
  相関的な意味のつながり(因果関係)が存在するように書かれたもの、といわれる。
  ーー
 以上だが、脚本家の山田太一は、その違いを
≪「誰かから聞いた課は忘れたが、『小説には人生があり、物語にはない』という定義が頭に残っている」とある。
「シンデレラ」や「白雪姫」が人生を語ってない、とはいえない。しかし、物語は人生の細部の現実を語ってはいない。
その代わり、ありそうもない話の楽しさがあるし、だからこそ込められている寓意も、端的な人生の要約もある。
一方、小説は「ありそうもない話」も、人生の細かな本当を積み上げて「ありそうな話」にしてしまう装置である≫と述べている。
我われは何らかのカタチで自分の物語を持っている。それを文章にすると私小説になるが、とすると、山田太一の
言うことは微妙に違ってくる。 誰にもそれぞれの人生があるからだ。そして、そのストーリーは、聞く人を惹きつける。
10年前のことだが、80半ばの叔母が亡くなる少し前の法事の席で、《 私が一番悲しかったことは、戦時中に一歳の赤ちゃんを
死なせたこと。医院から死んだばかりの背負ったいる赤ちゃんの身体の温みが無くなっていくのが分かるの。辛かったわ! 》
彼女の一番辛かったことを最後に物語りかったのだ。 その悲しみが、そのまま伝わってくるようだった。
小説家は、そういう事実を重ねて小説を構成していくから、虚構の世界に引き込まれるのである。 
 
・・・・・・・・・
2799.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・8
  2008年12月03日(水)
 何もしないことこそ、最大のリスクなのだ。

【第7の法則】 何もしないことこそ、最大のリスクなのだ。
「みんな自分より賢いんだ。みんな自分より才能がある。みんな自分より背が高い。みんな私より髪の毛の色が綺麗だわ。
みんな私より可愛いわ。 みんな自分より運がいい。 みんなコネをもっているけど自分にはない…
一番大切なことだが、自分の中でそんなささやきが聞こえてきても、聞いてはいけない。恐怖から生まれる
弱よわしいささやきにすぎないのだから。'それよりも、愛情、他人に対する思いやり、そして他人と助けあう気持ち。 
そういうことを忘れずに、本当に自分が興味ある道を進んでいくのだ。自助努力という強い信念をいだいて。
ただし、成功と失敗を人生の尺度にはしないこと。そうすれば、本当の意味で誇りをもつつことができるようになるはずだ。
                                            ニール・サイモン                   
「ものごとや状況が、悪くなる、悪くなる、いつも言っていると、よく当たる予言者になれるだろう。 アイザック・シンガー
「快適な空間にしがみつく自分をそこから押し出すのだ。そして、頭の中でくすぶっていたアイディアを
 実践にうつしてみよう」  ジョン・コッター
「男らしさというのは、最初から与えられている資質ではない。 自ら獲得するものである。 
正々堂々と小さな戦いを重ねて、勝利を味わってみて、はじめて手にすることができるものなのだ」ノーマン・メイラー
「知性というものは、年齢と共に自動的に身につけられるものではない。何もせずに、年齢と共に手に入れられるものなど、
何ひとつない。 もっとも、例外として雛が挙げられるが」      
                                アビゲイル・ヴァン・ビューレン
・・・・・・・・
2007年12月03日(月)
2434, 絞首刑 −1
 〔命の書〕「ビルマの日々」の中の一遍
            『絞首刑』(G.オーウェル著)より
         (*´з`*)<ォハョウサω♪        
死刑執行をリアルに書いてある本である。 そして執行する側の神経の麻痺、残酷さが恐ろしい。
行間から執行する側の微妙な心理が生々しい。何らかのカタチで「事実は永遠に残る」というのは肯かされる。
こういう瞬間こそ、「いま、ここ」の永遠性というのか。 オーウェルの、こういう切口は鋭く哲学的である。
どんな哲学者の「死についての考察」より余程、考えさせられる。 次々回は中島義道著「哲学の教科書」
の中の死刑直前の手紙を書き写してみる。 死の直前は、生の凝縮された時間になる。
ーまずは、その部分を抜粋ー                 
  ーー
われわれは五ヤードはなれて待機していた。衛兵たちは円を作るようにして絞首台のまわりに立っている。
やがて縄を首に巻かれた囚人は、自分の神に向かって大声で叫びはじめた。 「ラーム、ラーム、ラーム、ラーム!」
甲高くくりかえされるその声には、祈りとか助けを求める叫びのような切迫したおびえはなく、むしろ葬式の鐘の音
のように落ちついてリズミカルだった。この声を聞くと犬はクーンと鼻を鳴らした。
まだ絞首台の上に立っていた首吊り役が粉袋のような綿の小さな袋を取り出すと、囚人の顔に上からグイとかぶせた。
だがあの声は布袋をかぶされても、まだくりかえしくりかえししつこくつづいていた。「ラーム、ラーム、
ラーム、ラーム!」 首吊り役が下に降りて来てレパーを握り、待機した。何分もたったような気がした。
「ラーム、ラーム、ラーム!」という囚人のこもったような声は、一瞬もやむことなくしつこくつづいている。
所長はうつむいたまま、杖の先でゆっくり地面を突ついていた。囚人がきまった回数だけ数えるまで、
待ってやるつもりかも知れないー五十回か、百回か。全員が顔色を変えていた。インド人たちはひどいコーヒーのような
灰色の顔をしているし、銃剣にも一、二本震えているのがあった。われわれは絞首台の上の、縛りつけられ袋をかぶせられた
男を見ながら、じっとその叫びを聞いていた。一声でまた一秒、命が延びるのだ。誰もが同じことを考えていたー 
えい、早く殺しちまえ、すませろ、あの忌まわしい声を止めるんだ! とうぜん、所長は意を決した。 
彼はぐいと顔を上げて杖を一振りした。「チャーロー!」その叫びには獰猛な響きさえあった。 
ガタンと音がして、しんとなった。囚人の姿は消え、ローブが勝手に捩れ続けていた。わたしが手を放すと、犬はまっすぐ
絞首台の裏側へ駆けて行ったが、それきりそこに立ち止まって吠え、こんどは庭の隙までさがって雑草の中にひそんだまま、
おそるおそる首をのばしてわれわれの方を眺めた。われわれは囚人の死体を確認するために絞首台のうしろにまわった。
彼は爪先をまっすぐ下に向けて石のように息絶えたまま、ひどくゆっくりと回転していた。・・・・・
犬はさっきの行為を恥じるようにこそこそと行列のあとを追った。われわれは絞首台のある庭を離れると、
刑の執行を待っている死刑囚の独房の前をとおり、刑務所の中央にある広い庭へ出た。受刑者たちは、鉄のたががはまって
竹の簾を手にした衛兵たちに監視されながら、すでに朝食にありついていた。一人一人がブリキの小皿を手にして
うずくまぞいる列の前を、パケツを持った二人の衛兵が米をすくってやりながらまわって行く。絞首刑のあとでは、
これはじつに家庭的な楽しい光景だった。仕事を終えたわれわれは、すっかりほっとしていた。
歌いたいような、駆け出したいような気分で、思わず笑いがこみあげてきた。
「   ーーーー         」                    つづく
                (*бωб*)/
・・・・・・・・・
2006年12月03日(日)
2070, 書画骨董の話 −2
                   才八∋ウ_〆(∀`●) 
「画の六法」は絵画だけでなく、仏像や、壺、茶碗などにも当てはめることができる。
気韻生動の一番わかりやすいのが、人物画や鳥獣画である。特に 「目」 である。
爛々と輝いている眼に出会うことがある。獲物を狙っている鷹の眼光を発するような眼や、虎の眼である。
仏像の優しい慈愛に満ちた眼もよい。幽霊の眼も背筋が凍り付く深い眼差しもある。
眼に焦点を合わせてから全体をみるのも良いし、全体をみてから、眼をみるのもよいだろう。
活きた眼はなかなか画けるものではない。眼は唯一露出された内臓である。
「眼は口ほどにモノを言い」という諺がある。「人の心はみえる」とは、眼のことをいうのだろう。  
他に、中国画独特の遠近解釈「三遠」があり、中国画の画風の基盤になっている。
高遠(カユゥエン)  ‐ 空高く見上げろ (上空空間)
深遠(サンデュエン) ‐ 空間を奥深く見通せ(物体空間) 
平遠(ピンデュエン) ‐ 地の下面から、地平線まで見通せ(床面) である。
書画を見るとき、このような見方をすればよい。 茶碗の世界も奥深い!茶道に興味がないと、あまり縁がないだろうが、
一流品の茶器全体が醸しだす雰囲気は、人を虜にする。 素人でも自分で焼くところまでいってしまう人もいる。 
書画骨董品には、その背景の深さ広さー宇宙を直感させる魅力がある。そして現実社会を忘れさせてくれる。
一つの物体のなかに、過去の因縁が、エネルギーが凝縮されているからだ。その中味を解る人は解る。 解らない人には、
ただゴミでしかない。その人に、その作品を理解できるだけの素養がなければならない。
ゴミにしか見えないのは、あなたが(自分が)ゴミ程度の知識しかない! ということである。    
対象はみる人に話しかけているのである。わからない人は、その波動がわからないのである。(:゜д゜:)ハア? 
ところで両親の残した書画骨董は、兄が全て兄が引き継いだが、ぜんぜん興味が無いのは如何いうことだろう?
美術館で世界の超一流品を見て感動していれば良いだけなのに、何で持たなければならないの?というのが実感である。
そういえば、1週間ほど前に、新潟駅前の敦井美術館の「良寛展」で、「良寛」の書画をみてきたが、すばらしい。
あの教養どうして身につけたのだろうか? あの書の力強さ!そして品格!しばし見ながら立ちすくんでしまった。
来春なったら、五合庵にでも行ってこようか!
 ・良寛の歌・
◆「焚くほどは 風がもて来る落ち葉かな」
◆「騰々として天真に任す」
◆「霞立つ長き春日を子供らと 手毬つきつつ今日もくらしつ」
◆「裏を見せ 表も見せて散る紅葉」
◆「淡雪の中にたちたる 三千大千世界(みちあふち)またその中に 沫雪(あわゆき)ぞ降る」
              \(^▽^*)バイ! 
  ・・・・・・・・・
 2005年12月03日(土)
1705, 国際結婚が東京で 10?!

 一昨日の読売新聞一面の『家族』−国際化時代のきずな・1ー
  の見出しに ー国際結婚が20組に1組ー と出ていた。 (o ・д・)ツ⌒□  号外!!号外!!
    
  東京では何と10組に1組、大阪で12組に1組という。【゜Д゜】ハァ?!
  25年前では全国平均100組に1組というから、わずか20年あまりで5倍に増えてしまったことになる。マ(。Д゜; 三 ;゜Д゜)           
  外人男性を紹介する結婚情報会社もあるというから時代が変わったものだ。 その反面、外国人女性が生活の安定を求めて
  日本人男性を探しているケースが多いという。それにしても大都会で10組に1組とは、信じられない。
 (100組に1組なら、まだわかるが) へ(~Д~*へ)))) ...(((( 都会の傾向は、地方に波及するから全国平均も
  それに近づいていくだろう。 古い家族観を持った日本人男性より外国人に傾くのは解らないでもないが。
  イギリスの貴族と結婚したマークス寿子著の本を先日、図書館から借りて読んだが、しっかりした自立を主張していて
  殆どの主張は納得はしたが。それでも国際結婚は特殊としか思えなかった。 ~~■P o(´・∀・`)coffee time☆
  このまま国際結婚がすすむと、国という概念が希薄になる可能性があると考えるのは、私の頭がまだ固いのだろう。
  地方にいるためか、その辺の事情はサッパリわからない。息子が、東南アジア系とか、白人、黒人を連れてきたら
  拒否反応が出るだろう。 -∀-)ニヒ!♪ まじヵょ >(゜∈゜*)!     ゜(゜ノ∀`゜)゜。アヒャヒャ
  嫁がスペイン人で、年に一度ぐらい嫁の実家に行くのも悪くはないか? (o^v^o)v
       kamisannには嫌だけれどね?              ヾ(^-^)ゞbai
 ................ 
 2004年12月03日(金)
1340, 「酒乱になる人、ならない人」
                    −読書日記−2
酒乱の一現象としてのブラックアウトのエピソードの記述の部分を抜粋してしてみる。
まさに「事実は小説より奇なり」を地にいくものである。
ー抜粋
「狐憑き」になったアルコール性幻覚症の話があります。伊豆の旅館の番頭をしていた人ですが、もともと大酒飲みで仕事を
しながらチョコチョコ酒を飲んでいたそうです。年も押し迫った大晦日の前日のことです。突然部屋の中にキツネが
見えたそうです。それも一匹でなく数匹もいて自分のまわりを飛ぶ跳ねていて、部屋の外に出て行った。
その番頭さんは何故かこのキツネに自分を呼んでいるように感じ、雪の中に出て行った。その後について追かけていくと、
天城山の中腹の神社にいたそうだ。その灯篭の後ろから隠れて、おいでおいでをしているように見えたそうだ。
二つある灯篭の一つに行くと、今度はもう一方の灯篭からおいでおいでをしている。ふと気がつくと、キツネは道路の向こうから
おいでおいでをしている。番頭さんはどこまでもついていき、電車に乗ったらしいのですが、その一週間後に川崎で見つかり、
不審人物として警察に連れて行かれたそうだ。本人によればそのときもキツネを追かけていたそうだ。このように
アルコール性幻覚症もひどいものになると一週間を超え期間、幻覚が続くことがある。酒乱はやはり一種の病気と考えてよい。
酒や麻薬は人工的に快感を人間に与える。何の苦労なしで快感を得るということは、必ずその代償がくる。
この快感が「依存症」という恐ろしい病気と裏腹になる。私たちは苦労した時間が長いほど、目的を果たした時の快感が
大きいものです。こういう快感は、連続した快感を得るのは難しい一面がある。

ー以上であるが、考えてみたら、酒は一種の軽い麻薬である。それが体や脳に良くないわけがない。
(字数制限の関係でカット09年12月3日)
・・・・・・・・・
2003年12月03日(水)
973, 「永平寺」
ー以下、字数の関係でカット(2007年12月03日)
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2002年12月03日(火)
599, 忘年会
開業の年から毎年行われている会社の名物が忘年会である。昨夜がその忘年会であった。
社内中心の新年会もあったが6^7年前からは行われてない。 とにかく盛り上がる。
大体50人前後が出席する。若い女子社員を先頭に一次会では座敷ゲームが行われる。
そのゲームでとにかく酒を飲ませるのがミソの様だ。 そこで最高潮になる。
今年のように大不況でも盛り上がりは最高潮だ。 お客さんがだいたい7割を占める、ほとんど人が営業か営業経験者の為、
遊び上手でうまく盛り上げてくれる。昨夜も最高潮に盛り上がった。毎年その日にボーナスを出すので、社員も気持ち
が盛り上がっている。とにかく若い人のエネルギーがよい。時代時代により色々な忘年会の思い出がある。
急性アルコールで入院した人もいる。 この忘年会で初めて年末の到来を実感する。
過去に書いた文章をコピーしておきます。
ーー
0905  宴会好き!
  (字数制限の関係でカット09年12月3日)
ーーーーーーーー
[255] 税務捜査
 2001/12/03 07:51
二年まえの9月の初め頃突然税務署に踏み込まれた。基本として脱税はしない方針できた。
たまたまその年、広告塔の150万を看板として、20万以下にして分散し経費にして落としたのが指摘された。
200万近くもっていかれたが。皮肉なもので、たまたまその年、その一件だけ小手先を使ってしまった。
ある朝自宅に二人、事務所に二人、そして各ホテルに一人づつ合計8人が10時に踏み込んできた。
その瞬間私は刑事事件の‘被疑者’と同じ扱いである。 机の引き出しを全て開けられ、手帳もすべて押えられ
その内容を聞かれる。三日間会社に監禁状態!(夜はもちろん開放されるが)昼飯に食べに出ても何気なくつけられる。
その位しないと脱税は指摘できないだろうが、それなら「脱税をしなくては損だ」と思うくらい、疑ってかかる。
自宅も刑事と同じように、調べあげる。もし脱税をしていたら、絶対にごまかしは無理。
それより腹が立った。 そこまでやる!というまで非人間扱いである。別に悪い事をしているわけでないのに、
何故そこまでと思う。感情が許さない。その日は酒を飲んで荒れ放題であった。それがなければ広告塔の件は、
指摘されないで済んだ。たった一件のそれをフォローしていたと思うからだ。銀行の貸金庫はもちろん、取り引き銀行
全て行って調べ上げる。最後は間接的に褒められた。一つ指摘されたにかかわらず、他は全く潔癖だったからだ。
初めてついた会計士の言葉が納得のいく言葉であった。「節税はいい!但し脱税はやらないように。
結果として同じ事だ。脱税の方がむしろエネルギー使う。それならやらない方がいい」
それを信じてそのとうりの方針できたが、ここまでやるなら基本から考えてしまう。ところがその数ヶ月後に、
学生時代の九州の友人が遊びに来た。飲食店を数店経営をしていて、税金を払った事がないという。こと税務署の話になると
目の色が変わるのだ。、逃亡者のような生活をしているという。恐れかつ怯えているのだ。それなら払うものを払えばと思った。
それにしても8人の税務署員に踏み込まれるくらいに見られたのか。信じられない。何事も経験だ!私の家内の叔父さんが
国税の査察をしており、以前面白おかしくその話を聞いていたが、自分がね!というところだ。
ーーー
ある時間の断片ー1968年 12月3日
11時起床。
食事後、13時から2時間勉強をする。夕方風呂に行く。その後、同級の井上のところに電話をする。
パーティーが8日から15日に延期。清田さんに電話を約束どおりにする。「行く予定だった、15日は行けない」とか。
気持が揺れているようだ。まあいいだろう。石川と綾部嬢とのケースに似ている。色いろあるようだ。
この時期は全員が大揺れの時だ。少なくとも人の揺れに惑わされないようしないと。 自分で立候補をしてきて、
気を向けたあとに途中で気が変わるパターンになるだろう、可愛いものだ。女の世界は違う思惑があるのだろうが、
深く考えないことだ。最近はチグハグしたことが多い。色いろ過熱気味だ!あれもこれもは無理だ。
これが今の寮の流れなのだろう、人の気持ちは流れゆくものだ。


3163, 金本位制度が復活?

2009年12月02日(水)

 
 昨日、日経新聞を何気なくみていたら、以下のような記事があった。
  * 中国政府高官「金保有、10年以内に1万トン」ドル安で買い増し論
 30日付の中国紙、中国青年報によると、国務院(政府)国有重点大型企業監事会の季暁南主席は2兆ドルを超す
外貨準備の運用について「金の保有量を3〜5年以内に6000トン、8〜10年以内に1万トンまで増やすべきだ」と指摘した。
現在の保有量は約1000トンで、1万トンへの買い増しは実現可能か微妙だが、ドル安が続くなかで政府内で金の買い増し論が
勢いを増しつつあるもようだ。 中国の外貨準備高は9月末時点で2兆2726億ドル。うち約7割をドル資産で運用し、
金の比率は2%弱にとどまる。最近のドル安を受け、政府内では外貨準備の運用をドル以外に振り向けるべきだとの議論が
再燃しており、なかでも金は「安全資産」として評価が高まっているとみられる。
 ワールド・ゴールド・カウンシルによると、金の保有量(今年9月時点)は米国が8134トンで世界一。
ドイツの3408トン、イタリアの2452トンが続く。季主席は外貨準備運用の直接の担当ではないが、
今回の発言は政府内の多数意見を反映しているとの見方が多い。(北京=高橋哲史) (11月30日 19:45)
 ――
 以上だが、最近になって、米国の金本位論が再燃し始めているようだ。
元もとあった論だが、こういう情勢で改めて見直されているとも受け取れる。
「ニクソンが金本位を止めたが、それは一時凌ぎで、こういうドルの乱発後には、
金本位制度に逆に戻し、新ドルと兌換にすれば、下げきった金は暴騰する。 紙切れのドルを無制限に刷って、
ドルの価値が下がったと同時に、金本位制度に逆戻りにすればよい」というアメリカにとっての秘策。
「逆ニクソンショック」で、再び世界の金融の主導権を握ろうというもの。 戦後一貫して、日本の金保有に
直接・間接的に介入してきた。そして、とどのつまりは、アフガン・イラク戦争の戦費捻出でドルを無制限に発行、
そのツケが回ろうとしたときに、金本位制度にして新ドルに替えてしまうという魂胆である。
そこで急遽、中国は、金を3〜5年で5倍、10年で10倍にしようと意図で、上記のような方針になったと受けとめられる。
 その意味で、今年と来年は日本経済の混乱をアメリカは画策してくるはず。ドル安も、その一つなのか。
日本は今もそうだが、金融恐慌の戦災の跡地に、さらに止めの爆弾を落とされている。それも理解できないのが日本国民。
この暮れから、不況の波は更に大きく日本を襲う。 悲観的になって当然である。

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2798.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・7
2008年12月02日(火)

 ー失敗を恐れるな!
「自分のカでは どうにも ならないことは、心配するな」 という言葉、今度の恐慌で、
心配の極みで読んでみて、ホッとした道理である。 まあ、仕方ないことは仕方がない。
【第6の法則】
  失敗を恐れるな。 しようともせずに 逃してしまうチャンスことこそ恐れるに値するのだ。
  〜〜〜
「人間ができる 唯一の独創的な行為こそ、間違えることなのである」   ビリー・ジ。エル」
「人には正しいことだけでなく、間違ったことをする権利もあることに気づいたとき.、子供は大人になる」ートマス・ザス
「意味のある努力は、 やってみる前には 簡単には見えない。だが、実際にやってみて 
 結果が良ければ、その時点から振り返ってみると、簡単であったように 思い返せるものである」ーエドワード・テラー
「自分のカでは どうにも ならないことは、心配するな」        ユダヤ人の友人のコトバ
「金をなくしても、何も失わない。 誇りをなくせば、多くを失う。勇気をなくせば、すべてを失う」ーユダヤ人の友人の言葉
「自分を破壊する 一歩手前の負荷が、自分を強くしてくれる」 ニーチェ
「過去というものには、 常に馬鹿馬鹿しさが つきまとう」 マックス・ビアボーム
「人生では、時には愚か者を 演じなければならない 時がある」     東欧ユダヤ社会の諺
「夢も悪夢もみたけれどへ 夢があったからこそ、 悪夢を乗り越えられたのた」  ジョナス・ソーク
「そもそも人間という存在は、ものごとを完壁には理解することが できない生き物である。
 このことに気づくと、間違えることは恥ずかしくなくなる。 恥じるべきは、 過ちの修正を 怠ったときである」      
                                       ジョージ・ソロス
「悲観主義は、 ユダヤ人が決して 手にすることができない 高級品なのです」  ゴルダ・メイヤー
 たくさんの失敗を 重ねてみて、 はじめて真実の全体像に 出会えるのだ」  ジークムント・フロイト
「経験は、素晴らしい学校だ。 ただ、授業料が高いのが タマに傷だが」   ヘンリッヒ・ハイネ

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2007年12月02日(日) 2433, お茶ひき

           (●っー3。○)・・・ハッ!(●`・v・´)オハヨサン♪
最近、長岡・殿町の小さな居酒屋とかスナックに行くと、不景気な話ばかりである。
先週は二度も「お茶をひいた」という話など決して珍しくない。歳のせいもあるが、最近はスナックで飲んでも
前ほど面白くなくなってきた。酒のツマミでも買って、家でTVを見ていた方がよほど刺激的である。
夜の飲食街の人たちは今さら他に仕事の当てもなく耐えるしかない。
そのせいか平均年齢がドンドン高くなっている。もともと若い人は仲間内で遊ぶ!
タクシーと、飲食の世界の人たちは、ますます寒風に曝されるしかない。水商売とは、よく言ったものである。
そこで、検索で「お茶をひく」で調べたら、次のような内容が出てきた。
  −−
 (字数制限のためカット 09年12月2日)
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2006年12月02日(土)
2069, 書画骨董の話 −1
                才八∋ウ_〆(∀`●) 
 戦後になって転業するまで、実家が何代か続いた骨董屋であった。そのため転業後も父は書画骨董を趣味にしていて、
常に居間には書画骨董があった。私が父の40歳を過ぎてからの子供のため、暇をみつけては散歩代わりに、
骨董店に何度も連れられていった記憶がある。門前の小僧の何とかで、真贋を見分ける眼がついたようだ。
さらに、海外旅行で有名な美術館に行く度に世界の名画を数知れず見てきた。そのためだろう、書画骨董の真贋の鑑識眼が
ついてしまったようだ。贋物に騙され、それを糧に眼を肥したプロには足元に及ばないが・・
TVの「お宝鑑定にでてくる真贋は、ある程度はわかる。(誰も解るか?)
書画骨董を自分で買ってまで欲しいと思わないのは、どういう理由か? 逆に人は何で自分の手元においておかなくては
ならないのか不思議でさえある。そんなもの、自分の倉庫や居間に置いておく必要はない、美術館に置いて公開すべきである。
死にかけて初めて、そのことに気づく耄碌が大部分だが。それが趣味なら、他者の言うことではないが。
名の残っている人の書画は、波動というか何ともいえない雰囲気が漂っている。それと品格というか気品である。
絶妙のバランスである。これは自然の中に多くみられるから自然の中にこそバランスが存在している。
そのバランスを表現するには、それなりの技法があるはず。それを知りたいと思っていたら、ある本で偶然見つけた。
中国の山水画の六技法である。波動を出している本体の構造をつくりあげる技法とは・・・
 ーーー
以下はインターネットで調べた「画の六法」である。
1、気韻生動 ‐ 初期においては気と韻律、動勢と生命感ある絵画か。物質が保有する詳細から来る気韻を正確に掴み取って、
  その特色を描けるに到るか。実在物との正誤を欠かずに。かつ、自身の気韻もそこに同調するかどうかも重要になる。
  自身の気韻と、描画対象の気韻。
2、骨法用筆 ‐ 物の正確な形(骨法)は正確に取れている、技巧ある筆運びか。己が骨子が如くして大事に扱い、
  己が骨知る生活が如く、筆を良く知る。己が筆が如く用いる事で、筆や自身を大切に生活出来る。
3、応物象形 ‐ 媒質の形状個性を、いかんなく象徴化し、応用できるか。媒質に応じた象徴を塑写す。
  物質の詳細にまでいかんなく応え描にて象を描き成す。媒材詳細に正確に適応し、
  かつ緻密で正確な状態に更に実在性を加えた状態での象徴たらしめる。
4、髄類賦彩‐ 精髄究めるべくした具体性とかね合わせる。
5、経営位置 ‐ 構図は正確で、意味のある位置取りか。描くにおいては描画対象に対して意義を成し、
  自らの位置掴み取るにおいては描画に最も適した媒材や自身の位置取りであるか。
6、伝模移写 ‐ 模写力はある。 以上は南斎の「謝赫」が、その著作『古画品録』の序において説いたもの。
 その第1、の「気韻生動 きいんせいどう」を「謝赫」が絵画の最高理想とした。
   −−
 ーまあ、そのままでは難しいから解りやすくいうと、
 1、「気韻生動」とは、直感的に感じとらせる、名伏しがたい迫ってくる躍動である。
   自分の気合いと韻律を、エネルギーを込めて対象物への投入すること。
 2、その絵には、しっかりした基礎となるデザインがある、それが「骨法用筆」。
 3、その対象を的確に描写しなくてはならない、それが「応用象形」。
 4、それに色づけをするのが、「髄類賦彩」である。
 5、さらに構図をきちんとまとめる「経営位置」。
 6、こうした技術を身につけるため、古人の名画に数多く接して、
   その作品に忠実に模写する修行をするのが「伝摸移写」である。
 骨法用筆以下の5法は,努力して会得することができるが,「気韻生動」は天与の才能と
 人格をそなえた人物のみが実現できるとして、その後の文人画の根本的思想となったという。
 −−−
こういうのが、解るようになってきたのは、やはり熟年になったからか〜
                                    つづく
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2005年12月02日(金)
1704, 家訓づくりのすすめ −1  

「今さら家訓でもないだろう」と思いつつ、図書館から借りてきて読んでみたら、これが面白い。
個人の心得としても、そのまま通じる。近年、世間を騒がせているモラルの低下や犯罪の増加、
ニートやフリーターの大量出現も、家族のあり方と無縁でない。目の前で説教をしても、
今どきの子供は聞かないが、家訓として書いて貼っておけば必ずみるものだ?
                (;`・ω・)ノ ---===≡≡≡【えぇ?!マジ?】
著者は、この時代の家庭の危機を救う方策として「家訓づくり」を提唱している。
350の家訓サンプル付で、家訓を作る時の注意事項も具体的でよい。
 家訓とは、その家の中心人物が、一族や家臣のために自分の体験に基づいた教訓である。
 しかし、その言葉の多くは、現在の個人に対しての戒めにもなる。 へ(~Д~*へ))))... ...((((
第二章「家訓の歴史」と「名家の家訓」がよい。
有名なものとして、徳川家康・伊達政宗・岩崎家の家訓・遺訓は何度か目にした事があるが、
記録として今後目を通したいので写してみた。              φ(。。*)
 −徳川家康の家訓ー
一、人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し、必ず急ぐべからず。
一、不自由を常と思えば不足なし
一、心望み起こらば、困窮したる時を思ひ出すべし
一、堪忍は無事長久の基
一、怒りは敵と思え
一、物好きは末に歎くことありと知れ
一、勝つことばかり知りて負くることを知らねば、害その身に至る
一、唯だ己を責めて人を責むるな
一、何事も及ばざるは過ぎたるに勝れり           〆(´m`) ムフッ
ーーー
何度かわが家の家訓を書いたことがある。家訓というより、常々両親が言っていたことをまとめたものだ。
・保証人になるな
・金の貸し借りは絶対にするな
・お金を決して粗末に扱わないこと お金を前にすると、人間は変身をす ¬_¬)ちらっ   
・借金は極力しないこと (`´ゞ
・親しき仲にも礼儀あり、誰とも同じ距離を保つべし
・私生活は、奇麗にしておくべし  特に男女間に関しては、家庭内に持ち込まないこと
・生活は質素倹約を基本とすべし
・政治には最小限の接点にすること
まあ、明治時代の人は大体こんな考え方が8~9割であっただろう。
これを土台に『わが家の家訓』を制作中だ。これをやりだしたら、面白くて面白くて!     
  φ(._. )カキカキ 3(-ω-。)クシャクシャ (。-ω-)ノ⌒゜□ ポイ 〆(。。)
夫婦で共同作業をしておけば離婚の確率は低くなるだろうに?
                     (^_^)/~~
・・・・・・・・・
2004年12月02日(木)
1339, 「酒乱になる人、ならない人」
              −読書日記 −1

男なら一生のうちに何度か酒で失敗したことがあるはずだ。私も酒大好き人間として、何度失敗したことか。
大失敗をしても、数年もしないうちにまた酒の失敗を繰り返す。
一番の敵を、平気で口から脳に送りこむのであるから人間は馬鹿の生きものだ。
酒で家庭を壊し、職場を追われ、最愛の人にも愛想をつかれる。
過去に多くの酒乱の人や、アルコール依存症の人を見てきた。そして、私も一過性の酒乱になったこともある。
それでも、間違って朝起きたら女性と?ということは一度も無かったし、暴力沙汰で留置場ということも無かった。
しかし、危ないことは数知れずである。アルコール依存症の手記を月刊誌で何度か読んだことがある。
TVに本人が出てきて、生々しいアルコール依存症の話を淡々としていた。三連休、4連休の休みに、大量の酒を買い込んで
三日間続けて、意識を失っている以外のみ続けるという。信じられないような精神状態になるようだ。
身も心もボロボロになる。 私も色いろ試した結果、酒の自制のルールをつくった。
・一人酒を飲まない(一人で外にのみに行かない) ・外での2日続けての酒はさける ・週2日以上はさける 
・23時以降には帰る ・一軒目では、酢の物、野菜サラダか漬物を初めのつまみにする
・飲んだ後の、食事ーラーメンなどーはさける ・不愉快な酒は絶対に飲まないー気の合わない人の屯する店には行かない
・飲み会の場合は必ず酔い止めのドリンクを飲む ・家では 日本酒は飲まない(在庫をおかない)
 ノンアルコールビール(350ml)を一本と、紹興酒(300ml)を一日の基準にする
・女性とは一々にならない
ーブラックアウトー
 飲んでいて、あるところから記憶が全く無くなることを「ブラックアウト」という。
 この言葉は、お医者さんの専門用語であるが、ブラックアウトの経験をするようになったら、 
 チョッと気をつけなくてはならないとか。私も十数年ほど前から、ブラックアウトの経験が何度かあるようになった。
 重症になると、数日間のブラックアウトが生じて本人はまるで、その期間のことは憶えていないという。 どこかの街で
 フット我にかえるが、飲んで正体を失ってしまってからの記憶が全くないという。 留置場のお世話になってはいないが、
 これが、酒乱かどうかの大きな目安である。二十数年前に、花見で飲みすぎて池の端で転がっていて、朝になって救急車で
 病院に運ばれたことがあったが。それでも、その夜の泥酔のことは、ほぼ憶えていた。 アルコール依存症と酒乱は本来違う。 
 私の場合は、酒乱のケがあるというレベルだが。  致命的な失敗はないが、それでも大きな失敗を多く繰り返してきた。
 この本のアルコール依存度テストでは、全く問題はなかった。歳も考えてか、気をつけていることもあるが。
 同級会で、酒の失敗の話を聞くと飲んで暴れて留置場に泊まってきたなど話はきりがない。
 特に日本では、「酔っ払い」といって甘く見る傾向があるが。               
                             −つづく
 ・・・・・・・・
 2003年12月02日(火)
972, ナレッジマネジメントー3
 ー「ベンチマーキング」と「ベストプラクティス」
 
ナレッジマネジメントといえば、その手法として「ベンチマーキング」と「ベストプラクティス」が頭に浮かぶ。
 ・ベストプラクティスとはー自社に比べて、優れた業務方法のことをいう。 
  他業種のよりすぐれた業務手法に多くのヒントがある。
 ・ベンチマーキングとは,ーベストプラクティスに学ぶ経営変革手法のことをいう。
 ‘解りやすく’いえば、「他業種のベストのモデルを見つけて、徹底的に真似ることである。」
 ‘難しく’いえば「系統的且つ継続的な測定プロセス。ある組織が業績を改善する為に役立つ情報を得るために、
  組織のビジネスプロセスを継続的に測定し、世界のビジネスリーダーと比較するプロセス」
  業界の内外を問わずベストなものとの比較を行うことによってギャップを埋め、現状を改善する有効な方法である。
  前向きなプラス志向の経営手法といってよい。
    ー以下は字数の関係でカット(2007年12月02日)
 ・・・・・・・・・
 598,八ちゃんの時代ー2
 2002年12月02日(月)

少年期までは今考えても、かなり刺激的な環境で育った。生後3ヵ月後に、長岡の東神田から大手通に帰ってきた記憶がある。
もしかしたら父親の話の刷り込みかもしれないが。子宮の中の記憶のある人もいるとか。お手伝いの背中におぶさっていたのも
這い這いも憶えている。歩かされた時に面倒くさいと思った事も。商売の真っ只中で育ったせいか、今も人ごみが好きである。
スーパーや飲食店に行くのが異常に好きなのは三つ子の魂百までだ。競合店がオープンすると偵察に行った、5歳の頃である。
家族全員が毎日の売り上げに一喜一憂をしていた。もう50年以上も昔のこと。今考えると当時は金色に輝いていた。
生きるのに必至の両親の姿がそのまま伝わってきていた。素晴らしい時を両親と共有できたのだ。
兄二人の死とその5〜10年後の母の心筋梗塞の死線があった。これで母は死ぬんだと思った、しかし生き延びた!
2歳の頃に実家で更に新しい事業を始めた。その記憶が生々しい。ビル建設の完成まで住んでいた木造の家の下に丸太を入れ、
近くの公会堂の前の広場まで移動した。 完成するまでそこで店を開いていた。
建物の完成した引越しの日々が生々しい。コンクリトーと生壁の匂いと混乱の凄みを。
あの時代は皆が必死であった。
  1階は店,           2階が倉庫兼事務所、
  3階が自宅兼店の食堂と風呂、 4階が従業員の宿舎兼後方であった。
 毎日が戦争のような日々であった。 


3162,人生に関する小題

2009年12月01日(火)

* 人生は玩具箱
「人生とは畢竟運命の玩具箱だ。人間とはその玩具箱に投げ込まれた人形だ。」(有島武郎)
言いえて妙である。 そこには、これまで乗った車、住んだ家、他の人形もある。
「玩具の喩えを他人に喩えるのは問題である」と、いうのは別の機会にする。 
そこで「人生は宝箱」という言葉が思い立つ。 (恐らく誰かが比喩をしているはず)行蔵の一つ一つが
宝とすると、幾らでも宝はある。 それでは「人生はゴミ箱」というと、それほど無いのは、無意識で
自分の心をコントロールしているためか? そうでもないか?お宝は、心の底から感動したこと、
全身全霊で何かに打ち込んでいた時と事をいう。反対に、ゴミ箱は中途半端な時間を過ごしていた時?
 無駄も必要だから、それは違うか。
  〜〜
* わたしは地上でたった一人になってしまった
 「孤独な散歩者の夢想」は、64歳のときに書き始め2年後の死ぬ直前に終わった文章、ルソーの絶筆である。
「第一の散歩」から「第七の散歩」まであり、その後は「八、九、十」がメモのような文章が続く。
 冒頭で、「こうしてわたしは地上でたった一人になってしまった。 人なつっこい人間でありながら、万人一致の申合せで
人間仲間から追い出されてしまったのだ・・ わたしは、かれらから離れ、すべてのものから離れたこのわたしは、いったい何者か」
と問う。「自分に残されたことは、すべての世間から放逐された自分はいったい何者なのかを探求することだけなのだ」と自覚する。
 私の周辺で倒産時の男たちの気持ちは、まさに、このようだろう。多くの取引先、そして部下を路頭に迷わせ、自分の存在の
卑小さと、嫌らしさに自己嫌悪を一人する。 自分は何者なのか?ただ、歩くこともままならぬ、折れてしまった、これ!である。
 〜〜
* 「人生は軍務のようなもの」と考えれば楽
 エピクテートスの「人生談義」の中に、以下のような言葉がある。
《 人生は軍務のようなものであるのを諸君は知らないか。 或る者は歩哨をやらねばならないし、
また或るものは戦うために出て行かなければならない。 皆が同一の処にいることもできなければ、
また善いことでもない。だが、君に何かもっと辛いことが課せられるとき、君が将軍から課せられた
任務を果たすことを怠って不平をいい・・・ それは軍隊がそういうものということを理解していない。
というのはもし皆が君のまねをするならば、人は豪を掘りもしないだろうし、また保塁をめぐらすことも、
危険を冒すこともしないだろう。 むしろ戦争に役に立たぬように思われるだろうからだ。(中略》・・・・
各人の生活は戦役、しかも長い複雑な戦役のようなものである。君は軍人の本分を守らねばならない。》
 = 最近、つくづく実感することである。「人生は不条理!と割り切るしかない」ということか?
 
・・・・・・・・・
2797.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・6
2008年12月01日(月)
 ー「学ぶ」ことは「知る」こと。「知る」ことは「変わる」こと。

 ダーウィンの次の言葉が好きだ。「もっとも強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き残るわけでもなく、
 唯一生き残れるのは、変化できるものである。」だから「学び」、「知り」その結果、「変わる」ことしか
 生き延びることが出来ないのだ。それにしては、あまり代りばえしないのは、如何いうことか・
  ーーー
「第5の法則】
  「学ぶ」ことは「知る」こと。 「知る」ことは「変わる」こと。「その瞬間に、わたしは自分が本当に
やりたいことを確信した。誰かのためではなく、打算的でもなく、自分の中のにある純粋な興味から、ただただ、
それを学びたいという 気持ちが芽生えたのだった」 エドワード・テーラー
「学ぶということは、これまで理解していると ずっと思い込んでいたことに対して、
 突如として まったく違った見方をすることです」          ドレス・レシング
「教育とは、学校で習ったすべてのことを 忘れてしまった後に、自分の中に残るものをいう。
 そして、そのカを社会・が直面する諸問題の解決に役立たせるべく、
 みずから考え行動できる人間をつくること。 それが教育の目的といえよう」 アルバート・アインシュタイン
「学べば学ぶほど、 自分がどれだけ無知であるかを思い知らされる。
 自分の無知に 気づけば気づくほど、よりいっそう学びたくなる」     アルバートアインシュタイン
「どんな教育もつきつめていけば、独学につながる。
 その意味で、独学が唯一の教育であると、私は確信している」       アイザック・アシモフ
「知恵を獲得する過程で、 忍耐があれば、すでにその半分は 手に入れたようなものである」  ユダヤの諺

・・・・・・・
2007年12月01日(土) 2432, 田淵節也 −「私の履歴書」最終日
                 オッ ヽ(゜∀゜)ノ ハー
11月の「私の履歴書」は野村證券の元会長の田淵節也であった。週に2日位は読んでいたが、昨日が最終日であった。
アメリカの衰退と、その隷属国家の日本の動乱?を予測。バブルが弾ける直前に、彼が「株は長期に低落する。
「時代は変わった」と言ったのを憶えている。その時、「株屋のオヤジがこんなことを言ってよいのか?」と驚いたが、
再び、ここで同じことを予言している。「また、海の色が変わる!」という。
 ーーー
ー日経新聞「私の履歴書」2007年11月30日ー
 =アメッポンの行く末は 世の中変わる、不変の真理=
  *再度・海の色*
バブルが弾ける直前に、僕は株式相場の潮の変り目を直感して「海の色が変わった」と発言したことを書いた。
今、その時感じたのと同じような胸騒ぎを覚える。 「アメッポン」(アメリッポンと言う人が多いが、
僕はアメッポンを使う) と言われる日本は米国に振り回されてきた国だ。
その米国が今また大きく変わる節目にあるような気がしてならない。
 来年の大統領選挙で優勢が伝えられている民主党候補が勝てば、イラク戦争への厭世気分が一段と高まり、
中東情勢は混沌とするのではないか。中東情勢が混沌とすれば、ペーパーマネーのドルの信認が低下し、
米国は金や原油、穀物などの実物資産を裏付けとする新しい通貨制度を考え出すのではないかと思う。
そうなれば、金本位制が「ドル本位制」に変わって以来の大変化だ。世界中が混乱、
アメッポンの日本は一番大きな影響を受ける。 既に、世界はざわついてきた。
僕は安倍晋三前首相のお父さん(安倍晋太郎元外相)と親しかったが、安倍さんが総理になった時、
「蒸留水しか飲んだことがない人は持たないのではないか」と思った。 小沢一郎さんが天下を取るのか
小泉さんが再登場するかは分らないが、いずれにしても、日本は大揺れするのではないか。
高度成長期以来、ぬるま湯につかってきた日本は、久しぶりに大激動の時代を迎える
ことになるように思う。 僕は日本の将来を悲観も楽観もしていない。 日本は世界屈指の豊かな国だ。
「職人国家」としてそれなりのステレータスを保っていけると思うから心配していない。
最近、円高を歓迎するようになったのは進歩だと思う。もっとも、軍事力も持たずに「金融立国」
の幻想を抱いている人は幻滅するかもしれないが……。「履歴書」を書く機会を与えられ人生を振り返っても、
僕の人生なんて波欄万丈には程遠く大したことはない。改めて人生観を自問すれば、「人間は太古の昔から
同じことを繰り返している動物」ということだ。 人生は思った通りにならない。それは残念なことだが、
だから人生は面白いのであり、結果的にハッピーなのではないか。
「人間三代でチャラ」とはよく言ったもので、いい事ばかりは続かないし、悪い事ばかりも続かない。
人間、何が幸せで何が不幸か、本当のところは分からない。それもまた人生の面白いところだ。人間は変わらないが、
世の中は変わる。これが実感であり、不変の真理なのだと思う。・・・・
 −−−−
解)今年から5〜10年にかけて、歴史的にみて動乱期に入った!ということだ。
それと日本を「職人国家」という見方も面白い。今後のアメリカの没落は誰の目にも明らかなこと。
とすれば、アメリカの国債を半強制的に持たされた日本は、アルゼンチン並みへのプロセスに入るのは当然である。
                  (σ’д゜)バイ!
  ・・・・・・
  2006年12月01日(金)
 2068, あたりまえなことばかり −19
     (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん!

  哲学的にみると、トラウマ「心的外傷」に対して、心は物理的に存在していないのだから、外傷と言えないという。
 しかし深い悩みを持った人は、心を肉体に喩えると大きな傷を負っている。大きな傷として仮定して、その傷口を消毒し、
 外科的な手当てが必要である。それが精神科であり、セラピーの役割となる。それぞれの立場・見方も必要である。
 以前は、癒しなどの言葉は無かった。精神科があってもセラピーなどあったのだろか。手相などの占いが、昔流の
 セラピーの役割をしていたのだろう。私の場合の心の危機の場合、読書、音楽、ウォーキング、酒を飲んだり、
 このHPなど、癒しそのものである。最近は、これに早朝の曼荼羅モーニング・ページである。 
 それに毎朝の仏壇の前の祈りもある。ストレスなど溜まるわけがないが、それでも少しは溜まる。  
 自分の連れ添いが自殺したり、子供が自分のミスで死んだりした時に、癒しなどという言葉は、
 あまりにも甘く聞こえてくる。自分で自分を救う以外ないだろうが、自分で自分を癒すなどできはしない。
 そう考えると、癒しとは「目先の心の傷を応急処理すること」ということになる。
 それも大事なことである。それをしなかった為、精神病になる糸口になるからである。
 まあ、この本の抜粋もなかなか面白いが・・・ 
ーーーーーーーーーーー
どうすれば癒されるのか  
ーーーーーーーーーーー
癒しは「ストレス発散」「コンプレックス解消」に比べると、具体性に欠ける。ストレス解消のためカラオケに行く。
コンプレックス解消のために化粧をするという具体性は無い。 何となくふわふわと浮わついた「雰囲気気」、
それが当の癒しであるとするならば何となく納得する。 だとしたら、癒されるべき傷などどこにも無かったか、
その程度のものである。具体的なものが見えないから、漠然とした物欲しげなそこへ、各種のグッズやセラピーが
商品として流通するという構図である。しかし、受動態「癒される」の主語あくまでも「自分」なのだから、
主語を支点にこれを能動態に変換すれば、「自分が自分を癒す」になる。「癒し」とは、各種グッズやセラピーによって、
自分で自分を癒す能動的行為であると言うこともできる。自分で自分を癒すとは、どういうことであろうか。
癒すためには癒されるべき傷がなくてはならない。傷とは何であろうか。傷ついているのは自分である。 
そう思っているのは誰だろうか。「自己治癒」という、いっけん明瞭なようなこの概念は、日常レベルの予測を
はるかに超えた、広がりと奥行きと複雑さを持っている。それは、一般的な問いのある種の逆転によって垣間見られる。
「私とは何か」   −>「何が私であるのか」 「心とは何であるか」−>「何が心であるか」
「心はどこにあるか」ではない。「何が心であるか」である。「どこに」は、既に三次元空間内にそれがある存在している
ことを前提としている。脳も心もこの三次元空間内の物体である。しかし、心の痛みは、その痛みはそのものは、物理的な
存在ではない。本来、物理的な存在でないものを、物理的な存在であるように表象する、もしくは表象させるそのような
命名が、多くの誤解を生じさせている。トラウマ「心的外傷」、その視覚的イメージが、何がしかの塊り状のものが、
傷口を空けているという光景である。 心的外傷、すなわち心が外から受ける傷である。
物理的でないものの、「外」、その「内」とは、どのような区分であろうか。「心の外」とは、どこを指すのであろうか。
「心」に外と内があるというのは、これも長い我われの錯誤は、「私」が身体であるという一方の強力な錯誤と手を組んで、
「私の心は体の内側に存在する」、その主観である。そしてそれは客観としての世界もしくは他者とは関係しないか対立する、
という錯誤の世界像として定着する。したがって、「私の心に傷を与えるのは、世界もしくは他者である」。
トラウマ理論とは、あるいは主客二元の世界観に典型的な、短絡的解釈ではないだろうか。
幼少期に虐めを受けたから性格はこうなった、という遠い原因から、あなたにそういわれたから私は傷ついた、
という近い原因まで、そこに共通しているのは、「心の外」に、「傷の原因」を求められるという、
それ自体が一種病的な捉え方である。 なぜなら、「心」は身体のうちに存在していないからである。
「私」もまたこの身体ではないからだ。すると傷ついているのは誰なのか。それは「誰」の傷なのか。
したがって、私は私であり、私の心は私の身体の中にあるという錯誤の世界像を思い込んでいる人だけが、
各種のセラピーグッズやセラピーによって「癒される」。癒されたと思いこむことができる。
心の傷は外から与えられるものであり、その傷は外からの癒しによって癒されるものと思い込んでいるからだ。
おそらく、「本当の傷」を負った人々は、そのような単純な主客二元の処方せんでは治癒できず、
「本当」のかの問いに直面することになる。 すなわち傷ついているのは誰なのか。
−−−
心に外傷というのもオカシナモノだが、心が痛むというのはあって当然ではないか。
                 \(^▽^*)バイ!
・・・・・・・
2005年12月01日(木)
1703, 政府系金融機関の統合
                             (~O~)ふぁ
政府系金融機関が三年後に統合されることになった。郵政民営化にともなう郵貯の出口の縮小処置である。
悪く言えば、中小金融機関への貢ぎもの(中小企業の債権)である。      ヽ(ヽ゜)ヒイィィィ!!!
思いきった人員整理も断行されるから、政府系金融機関の職員は仕事にはならない。統合は地方の切捨てでもある。(@_@;)
戦後60年、地方への過剰投資が目にあまったことも事実。 四国への三本の大橋の建設は、この象徴である。 (=_=;)
糖尿体質の現在の地方には過激な手術になるが、グローバルの時代に中途半端な体質変換では日本そのものが衰弱死をしてしまう。 
(字数制限のためカット、09年12月01日)
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 2004年12月01日(水)
 1338, 「自分を活かす極意」ー 読書日記−2 
  ー自分のクセを技に変えるー

   三色ペンの技法に次いで、この言葉が印象的である。 その文章を抜粋して考えてみる。
  ーでは、ふつうに日常生活を営み、ある程度の年齢に達成した私たちには何を技にすればよいのだろうか。
   私は究極的には「クセの技化」だと考えている。 武道や芸道ではクセを直して技を身につける。
   しかし、年齢を重ねると、クセはほとんど直らないものである。
   それを直そうとするよりも、それを芸にする、技化することを考えた方が現実的だと思うのだ。
   それがクセなのか、技なのか、その分かれ目は全体に対してクリエーティブな働きをしているかどうかである。
   その人のある種のクセが周りをクリエイティブにしていれば、それはもはや技化しているといえる。
   たとえば「卑屈さ」さえも技化できる。卑屈さというのはそのままでは軽蔑の対象になるものだが、
   タイミングよく下出に出ることがうまい人がいると、場全体が円滑に回ることがよくあるものである。
   そう考えると、新たな技を身につけるより、一見ネガティブにみえるものを技化し、自分なりの
   スタイルを確立するほうが、社会全体をトータルに見たときにクリエイティブといえよう。
   画家にしても、二流の人にはスタイルがない。プロ野球の選手でも、スタイルは一流選手しか持っていない。
   その典型がイチロウ選手である。彼のバッティングは完全にクセが技になっている。
   このクセは、バッテングセンターで早い球を打つために、あの体全体をスライドさせる打ち方になったという。
   野茂投手の投げ方も同じである。世の中、クセを技化して自分のスタイルを作った者の勝ち、というところもある。
   ふつうはあまり推奨されない発想だが、人間、残り少ない人生になってきたら。
   自分なりの味を出して、「あの人のやることだから・・・」と周りに認めさせるようになればよいではないか。
   ーー
   以上である。 この文章を読んでいて、100?認めてよいか疑問であるが、クセを逆に技化してしまう考え方は面白い。
   特に、ある程度の年齢を過ぎてしまえば、焼き直さなくてはクセを変えろというほうが難しい。
   それなら、それを技としてしまうのがよい。 母親が、部屋の飾りに近くの川から流木を拾ってきて、そのクセの
   ある枝を逆に飾りとして置物にしていた。何とも風情であった。落語家が年配になってくると、何ともいえない
   性格そのものが笑いになってしまう。晩年の林家三平とか、今では林家円鏡がそうである。
   間違ってはいけないのは、年配の癖は「守・破・離」の「離」でしかないということ。
   クセー我流をスタイルに変えればよいだけだ。 一番難しいことだが。
  ー斉藤スタイルという、スタイルもクセと大して違わないのでは? いや技化しているから違うのか!

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2003年12月01日(月)
971, ナレッジマネジメントー2
 「マルコムボルドリッヂ国家品質賞」について
字数の関係でカット(2007年12月01日)
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 2002年12月01日(日)
597, スーパー床屋 −2

そこで働く人たちはほぼ全員椅子貸しの契約社員。 TVで見た範囲の知識だが、頭の洗いは省略をして掃除機の
ようなもので吸い取ってしまう。髭そりもオプションになっているようだ。一人当たり10〜15分で仕上げてしまう。
   特に土曜と休日に集中するという。それなら美容院もあってもよいのではと思ったら新潟にも全国チェーンで
「クイーン&キング」という名で青山にあるという。 これなら家族でいける。知人が最近スーパー床屋に
切り替えたと言っていた。月に一回行っていたのを2回行くようになったとか。それでも安いという。
「将来殆どがスーパー床屋にきりかわるだろう」と言っていた。自宅の近くのSCゾーンの一角にスーパー銭湯が開店するが、
その中にスーパー床屋が併設されると家内が言っていた。 500円の銭湯に1500円の床屋で2000円である。
それでも床屋の半額なら大部分がそちらを選ぶだろう。 今の回転寿司と寿司屋の使い分けの状態ににてくる。
寿司屋も数年前に80?は回転寿司に取って代わると食堂専門誌に書いてあった。現在その流れが加速している。
年に1〜2度寿司屋に行って、月に1〜2度回転寿司に行くパターンになってきている。
学生時代の事を思いだした。池袋駅の地下に半額に近い床屋があった。多くの若い女性の従業員がいて広い店であった。
いつも満杯であった。ただ一回で二度と行かなかった。若い女性にミニスカートに胸の開いたブラースを着せて色気を
売っていた店がある時期流行ったという。 クラシックを流している床屋もあった。 何か床屋談義になってき

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