堀井On-Line



2917,日本人の8人に1人が鬱病!

2009年03月31日(火)

現在日本人の8人に1人が鬱病という。
女性と男性の割合は、女性2に対し男性1、の割合で女性の方が倍になる。
イタリヤ人は4人に1人の割合というから、陽気なイタリア人のイメージとは、かけ離れている。
私自身は20歳代半ばまで少しは欝的だったが、本質的には陽気。 欝は青年期は誰でも通る道。
精神的な落ち込みは独りで乗り越えてきたが、落ち込む余裕さえ無かったのが実情。

20年ほど前になるが、取引先の営業の人が重い躁鬱になってしまった。
病院の塀の上から内側に落ちるかどうかの際どい場面が何度かあったが、何時の間にか、
その病気の聞き役になっているうち、コントロール役になってしまっていた。
その人も数年前に亡くなったが、「原因」は、プライバシーに関わるから書けないが・・。
本人の口から欝の状態をこと細かく聞いたが、壮絶の一言である。
家中の家財をバットで叩き壊すなど・・・。 自分では、コントロール不能とか云々。
亡くなる数年前から、自分で危なくなると、医者に行って入院を10日ほど願い出て、
落ちつくと退院をしてきた。 そうなると、精神病ではなく、精神症というらしい。
病と症の境は、周囲に迷惑をかけるかどうか。
精神も肉体も同じで、病である。医者と相談をして、発症したときは薬を飲んだり
入院をして俗世界から一歩引けばよい。そのことを本人が相談にくるといい続けていた。
欝になる前には必ず異常な躁状態になる。 そうすると周辺から電話がかかってきて、
「欝の発生の予告」が来る。 そして、何時ものパターンが始るのである。

今回の調査の結果の「8人に1人が鬱病」には驚いたが、周りをみると、そういえば・・。
 2〜3家族に一人になるから、深刻である。 
生真面目で、常に誰かに頼っていて、周りに気づかいをしすぎ、自然の笑いの無い人。
私は自分の弱さを知っているので、予防の知識を充分に積んだが、それでも最近の不況は心を暗くする。 
毎朝ウォーキングをし、仏壇前で5〜6分瞑想的な祈りをし、美味い酒でも飲んで憂さを晴らせば欝に
なりようがないと思いきや、そうでもない。歳をとると何らかのカタチで欝的状態がついてまわる。
そりゃそうだろう。一つずつ病が加算され、身体は老いていき、友達・親兄弟は亡くなっていけば、
欝状態になるのが自然である。 この世界恐慌は「グローバル欝」を誘発する。
それを利用して戦争を起こし、チャラにしたのが、これまでの方法。 
これからは、無いとは言えないのが世界である。 突き詰めると、やはり戦争??

・・・・・・・・・
 2008年03月31日(月)
2553, ヒルティの幸福論
                     ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
アランの幸福論といえば、次にヒルティの幸福論を取り上げなければなるまい。
幸福論といえば、この数年来、哲学に熱くなっているので、浅いというイメージがわいてしまう。
格言や、哲学書の中で、軽く考えるレベルと信じていた。しかし、突き詰めれば幸福感を求めているのかもしれない。
幸せな人より、不幸せな生き方の人の姿?から、その不幸論がシビアに見えるからである。
まあ、それはそれで・・・・ いや、無知が全ての原因ということが、あまりに哀れで!
自分の姿を合せ鏡で見えたのだろう。 所詮、人間は結末は不幸なのだから。
カール・ヒルティは1833年生まれの法律家。アランの「幸福論」はストア哲学的であるのに対して
ヒルティの「幸福論」はキリスト教的で、お堅い。
アランの幸福論ともに、幸福を、自分の内部だけで完結するものでなく、自分を離れた、
外的な環境や社会に対しての関心や、献身的行動にこそ幸福があるとしている。
ヒルティの幸福術のポイントといえば、仕事こそ最高の幸福  ?良い習慣を身につけることだ第一  
自分の意志で幸せになれる 人間を知ることになる。 それぞれの印象的な部分を抜粋してみた。   
ーーー
「我を忘れて自分の仕事に完全に没頭することのできる働きびとは最も幸福である。」
「本当に大切なのは、なによりも習慣の問題である。 
 第一の主要な規則は、すなわち、われわれは消極的に悪い習慣を捨てようと努力するよりも、
 むしろ常に良い習慣を養うように心掛けねばならぬということである。」
「喜びはある程度まで努力してつくり出すことができる、しかもごく簡単な方法によって。
 まず第一に、自分の持っている良きものに目を向け、その価値を認めて感謝することである。
 感謝は喜びにきわめて近い感情である。次ぎには、他人に喜びを与えることである。これは誰でも、
 病人でさえも、できることであり、ひとに親切にする機会は、つねに、どこにでも十分にある。」
「世にはわれわれの力の及ぶものと、及ばないものとがある。
 われわれの力の及ぶものは、判断、努力、欲望、嫌悪など、ひと言でいえば、われわれの所産の一切である。
 われわれの力の及ばないものは、肉体、財産、名誉、官職など、われわれの所為でない一切のものである。
 われわれの力の及ぶものは、その性質上、自由であり、禁止されることもなく、妨害されることもない。が、
 われわれの力の及ばないものは、無力で、隷属的で、妨害されやすく、他人の力の中にあるものである。」
「それゆえ、きみが本来隷属的なものを自由なものと思い、他人のものを自分のものと見るならば、
 きみは障害に会い、悲哀と不安におちいり、神を恨み、人をかこつことになるであろうことを忘れるな。
 これに反して、きみが真に自分の所有するものを自分のものと思い、他人のものを他人のものと認めるならば、
 だれもきみを強制したり、妨害したりはしないであろう。 きみはだれをも恨まず、非難せず、
 またどんな些細なことも自分の意志に反してなす必要はないであろう。 だれもきみを害せず、
 きみは一人の敵をも持たないだろう。そして、きみの不利となることは一切、起きないだろう。」
「苦しみは人間を強くするか、それともうち砕くかである。その人が自分のうちに持っている素質に応じてどちらかになる。
 苦しみに出会ったら、まず感謝するがよい。それから、その苦しみが何のために役立つかをたずね給え。
 あなたがそれをただ避けようとせず、その苦しみの意味を理解しようと真剣に願うならば、必ずそれを発見するだろう」
「幸福に生活しようとする人は、何よりもまず自分の「気分」から完全に解放されることが必要である。」
「人間を知り、人間を正しく判断することが われわれの実生活にとって極めて大切だということを、
 仮りにも本気で疑ってみた者など、まだ一人もいないであろう。人間知を得る第一歩は、自分を知ることと、
 自分を善くすることである。第二は、人間をば、自分のためでなく、彼らのために知ろうという決心である。
 そして第三に、人間についての完全無欠な知識を期待してはならないことである。
「人間を知ることは、人を観察する者がまず確かな自主性を持ち、またなんらの欲望もいだかぬとき、
 つまり観察する者の側で一切の利己心をできるだけ完全に捨て去るときのみに可能である。」
 ーーー
 アランに比べると、少しお堅いが、じっくりと人生論として読むとよい。 少しキリスト教倫理っぽいが。
                                ゚+.(ノ*・ω・)ノ* ホンジャ
・・・・・・・
2007年03月31日(土)
2188, 宮城まり子 ?3

         (~Q~;)  おはよう??
今日で日経新聞の「私の履歴書・宮城まり子」が終わった。深い世界を垣間見た思いである。
純粋な動機こそ、一番強いのだろうか?彼女にとって、この生き方しかできなかったのだろう。
障害者の一生を受けとめることは、生易しいものでない。
人生の全てをかけて受けとめているのだから、これこそ人生の格闘である。
数日前の、この場面が彼女の性格と強さが出ている。
「私がやらなければならない!」という自負が、捨て身でコトに当たれるのだろう。
 ーーー
ねむの木学園が始まったばかりで高校に進学する子はまだいませんでした。
「なぜ」「制度がないんだよ」私は躊躇いもなく東京に帰って、首相官邸に行きました。
1972年の9月16日。どんどん入っていって、「首相にお会いしたいんです」と言うと、
2~3分もしないうちに、大きなしわがれ声がして田中角栄さんが出てきました。
「今日は、総理大臣にお知らせしたいことがあって参りました。
両親のない子、貧しい子、よくできるのにお金がない子が日本中の擁護施設にいます。
大學にいくらなら自分で働いたらよいでしょう。けれども働いても定時高校にいけない子もいます。
その子が優秀なら高校にいけるようにしてください。面倒を見る職員のことも少し考えてください。」
「高校へ?」「はい」。総理はしばらく黙って私を見ておられましたが「やあ、ありがとう。勉強になりました。
すぐ返事ができなくて残念だが、待っていて下さい」と言われました。翌年1月17日に二階堂進官房長官から
連絡施設が入り、養護入所児童等で高校に進学できる能力を認めたものには国からの費用を交付する。
直接処遇職員については基本給に12~16?を加算するという制度に変わったことを教えていただきました。
吉行淳之介さん、亡くなって13年たちますが、ねむの木学園で格闘しているうちに、
愛する淳之介さんの病気が、慢性の肝硬炎から肝硬変に進み、その原因がC型肝炎であることをこっそり
知らされました。入退院を繰り返す中の彼の一挙手一投足を素知らぬふりをしながら眺めて
「まり子、淳之介とねむの木学園の子供達とどっちが大切なの」と思うときがあります。
「淳ちゃんを一番愛している。そしてもう一つの、一番愛しているのはねむの木の子ども」
私は、愛ってマシュマロみたいに柔らくて、二つに分けたらふわって大きくなると
思っています。すこし色彩が違うだけ。愛って、二つも三つにも増えても大丈夫、
愛して、愛して、愛しちゃって、もういっぱい愛しちゃったの。
こんな歌を歌ったことがありました。ミュージカル「イルマ・ラ・ドゥース」の中で。
そして私の淳のことをドクターの野郎は「ガンが見つかりました」と教えてくれました。
豊かな心の持ち主とは、こういう人をいうのだろう! このように人知れず
人生を恵まれない人に捧げている人 が数知れず存在している。豊かさとは何か考えさせられた一月であった。
       ホンジャ~~ヾ(´ω`)バイバイ
・・・・・・・
2006年03月31日(金)
1823, 日暮里界隈 ー3
              才八∋ウ_〆(∀`●) 
飲み屋の話になると話は、止まらない!
日暮里の・谷中銀座の商店街が、何ともレトロの味がある。数十軒の商店が両側に並ぶが、
空き店舗が一軒も見当たらない。 昼間は観光客で溢れかえっているのだろう。
魚屋、衣料品店、肉屋などパパ・ママストアには商品が満ちていた。
夕方の閉店まぎわの店の雰囲気が何ともいえない情緒がある。こういう風景に惹かれるのは地方の商店街では、
もう失われてしまったからだ。その通りから一歩はいった処に、情緒ある居酒屋が目に入った。
前までいくと料金が書いてあったが、普通の居酒屋の倍近い。
次男も一緒なので、たまには良いだろうと入った。25坪ほどの店だが居酒屋にしては高級つくりである。
変わっているのは、店の中央に奥の料理場から人ひとりが商品を出せる空間のある10席位のカウンターがある。
(吉野家のカウンターのような・・)
サラリーマン風の中年男性が4人飲んでいた。その入れ替わりに60歳代後半の品の良い旦那様風の人が入ってきた。
何かのキッカケで話を始めたが、上野周辺で『三河屋』という老舗の葬儀関係の商品を扱う旦那という。
 ( ・・)つ?{}@{}@{}-  やきとりどーぞー♪ 「新潟から来て、東京在住の息子と飲んでいる」というと、
自分の生活圏の文化ー趣味(常磐津・・)とか、町内の話などを面白おかしく話してくれた。
下町文化の話は聞いていても飽きない。二軒目に入った店なので、あまり注文しなかったためか高くは
なかった上に谷中ならではの雰囲気を充分味わえた。  旦_(。-_-。)いい仕事してますな?
ところでJRの日暮里駅駅周辺の居酒屋は、店構えは良いが殆んど外れである。
下町の為か、朝鮮系の店が多い。宿泊しているホテルに紹介された駅近くの居酒屋に行ったら、
かん酒(前の客が残してアルコールの抜けた酒)を出されたり、どう計算しても何割か高く
後味の悪い思いをしたこともあった。日暮里界隈というイメージとおりの危ないところもある。
その危なそうなところが面白いのだが!
               バイ ._〆('Д'*⊂⌒`つ
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2005年03月31日(木)
1458, はだしの学者ー西江雅之

以前、図書館から借りた西江雅之の旅行記「花のある遠景」を読んで、常識をはるかに超えた生き方に驚いてしまった。
世界を乞食のように放浪して、その土地・土地の言語と文化の研究に従事、50ヵ国の言語を話す。
ハダシの学者といわれるように、目線が現地人になっている。
そのためか、どこの地に行っても誰とでも友人になってしまう。深い教養があってこそである。
「砂漠で出会った人と、二人で手を取って歩きながら、どちらかが失敗したら死ぬであろうというギリギリの状況で
二月、三月と一緒に過ごしたというような経験がたくさんある。別れたらもうその人と生涯会えない。
住所を聞こうにも、手紙を書こうにもその人は字が読めないし、書けない。
居所もわからない。 そういう経験を何十回も重ねて・・・ そのときの思いは言葉では表現できない。
いやしたくない」と、時には言葉を重ねないことの大切さを述べている。
無理に言葉に置き換えるという作業が、驚きを別のものにしてしまいがちになる。
「外国の何とか村を紹介した本があって、読むと面白かったりするでしょう。
だけど本当は、その村が面白いんじゃなくて、書いた人が面白いんです。
その人は何とか村を面白がれる力があるんです。面白がる力があれば、世界中どこでもおもしろい。
実力のない人は、変わったものでないとよく見えないんです。」以上の言葉から見ても、
その言葉の奥行きの深さを充分に知ることができる。以前読んだ本の概要を紹介してみよう。
 ーーーー
「花のある遠景」 西江雅之著 (旺文社文庫)
 副題は「東アフリカの裏町から」である。

アフリカであっても、普段多くの人間は街に住んでいる。
働いてもいるし、食事もするし、酒も飲むが、しかしほぼ働いてない。
この旅行記で出てくる女たちは娼婦である。彼女らは著者にとっては、性の相手対象ではなく、
キクユ語の先生であり友達である(著者は、言語学者で文化人類学の研究をしている)。
彼女らは娼婦だからといって、娼婦的な陰鬱さが全く無い。さわやかさまで感ぜられるほど、さばさばいている。
この本の内容は日本では考えられないことがほとんどだ。彼らにとって、それがなんでもない日常でしかないのだ。
旅行をしているというと、じゃあ俺も一緒にいこうという。荷物持ちでも何でもいいから雇ってくれ、と。
西江は中古車を買って、運転手を雇って旅行しようと思い立つ。雇った運転手に車を修理してもらい、
出発する段になって雇った運転手の男が、じゃあ荷物をとってくるから待てという。
もってきたのは帽子とズボンだけ。しかもそのズボンを、この部屋で帰るまで預かってくれという。
バッグも金もなんにも無い。面白そうだからただその話に乗ろうというのだ。
そういう動機の方が自然で面白い。本当に着の身着のまま。他に何が必要か。
恐らく真剣には考えていない。考えたところで仕方が無いのだ。
お前が行こうとしているところに俺の婚約者がいる。久しぶりに会えるというので大変にはしゃいでいる。
ところが着いたとたん、そこで偶然知り合った女と仲良くなってどこか消えてしまう。
彼女と会うのはまた今度でいいや。出発する時には何にも悪びれる様子もない。
ーーー
まあ、こんな感じでアフリカの原住民の生活が、そのまま正直にリアルに書いてある。
そのため読んでいて、引き込まれてしまうのだ。
読んでいると、現地にタイムスリップしたような気分になってしまうから不思議である。
その運転手と、突きつめた自分と何処が違うというのだろう。 何も違わないのだ。
 ーーーー
ー以前書いた著者の本の感想文である。
2003/11/14 954、「意味」の意味を考える
(以下字数の関係でカット2008年3月31日)

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2003年03月31日(月) 726, 結婚式で思う

私は結婚式と葬式に参列するのが好きだ。 その中に色いろな人生の圧縮がみえるからだ。
一般には「人生で集まって褒めてくれる」のは、「生まれた時と結婚式と葬式の三回」だけだ。
そのうち結婚式だけが、祝福されるているのが自覚できる。「人生は結婚式で道半ば」ともいう。
それで人生の大半が決定してしまうからだ。当たりか外れは神のみぞ知るである。
今はジミ婚になってきて「社会の体面や家どうしの対面」というより
「本人同士のお祝い、かつメルクマール」という面が強くなってきている。
以前よりは結婚式に対しては、気楽な式になったようだ。
若い二人が夢を持っての門出を祝うのは気持ちのよいものだ。
次は葬式である。本来葬式はお祝いであるべきだ。その人が人生を終えて、無に帰っていくのを送る儀式である。
人生の卒業式である。悲しみであると同時に、その人にとって大きい意味を持つ。
参列して思うのは、その人の生き様がそのまま現れていることだ。その厳粛な雰囲気がなんともよい。
その人の「魂と社会と世間がそのまま圧縮されている」といってよい。
人が一人亡くなるのは、その人の積み重ねた人生が無に帰ることである。
ごくわずかな身内の人達の心のこもった葬式が好きである。
それぞれの社会的なものもあろうが、今は生き残った人の体面の場になっている。
葬式もそれぞれの残されたものの価値観があるから、とやかくいう問題ではないが。
最近は葬式に出席すると、いつも遺影を常に自分の顔に当てはめて考えてしまう。
その目で会場の人達を見ると、何ともいえない気持ちになる。「死んでしまえばお終いよ!」と。

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2002年03月31日(日)
362,ある思い出-慈善

中学の頃の話である。 隣にMという一家がいた。そこに一歳年上のカッチャンという遊び友達がいた。
その家の裏に倉庫があった。そこに乞食のような生活をしている親娘が住んでいた。
母親が肺病で、私のある姉にあの家の近くに近寄らないように言われていた。
カチャンの母親が気の毒がって面倒を見ているという。カッチャンの父親は数年前亡くなり、
母親とカッチャンとその姉と3人の家族。今考えるとカッチャン一家は、その生活を維持するのに精一杯の筈だ。
その苦しい中、その親子を面倒見ていたのだから大変だったろう。
ところが彼女(母親)が癌で、なくなってしまった。神も仏もあるものかである。
残されたカッチャンと姉さんは、おじさんと同居する事になった。
その肺病の母親もまた二年後亡くなった。そして娘は施設に引き取られていった。
その事を今から20年前に、何かの拍子に思い出した。そのMという人の心に気がついた。
どういう気持ちでその苦しい生活の中、その人を面倒を見ていたのか。
そしてその中で死を迎えた時の本人の気持ちは、いかなるものだったのか?
人間の一番大事なことは何であるのか? それとは関係なく、現実は非情に動く。
「愛は世界の中心である」という言葉がわかるが、反面本当かとも疑問が湧く。
人生で最後残るのは、そういう愛の行為か。 少なくともカッチャンと姉さんには、
深く残っているのではなかろうか? それとその娘の心に!


2916,とんでもないことなんだよ!

2009年03月30日(月)

 先週の金曜日の昼、新潟駅至近にあるレストランでのこと。
隔月ぐらい入るが、パンとコーヒーが美味しい店である。
食事が終わった後でコーヒーが美味しかったので、追加料金が100円こともあり注文をした。
ところが一口飲んで噴出しそうになった。 (ぬるま湯ではなく)ホボ水に近いコーヒー。
出してくれた女性に思わず「水に近いけど、これって、とんでもないことなんだよ!」
と言ってしまった。 それより何で、水に近いコーヒーを出してしまったのか、その方が興味を持った。
コーヒーに濃い目と薄めとメニューにあったので薄めを頼んだが、湯を継ぎ足すのを水と間違ったようだ。
フロアーの女性が近くのカウンターで入れていたが。  コーヒーは本当に難しい。
一杯ずつ丁寧に出せば時間とコストがかかるし、つくり置きは直ぐに劣化する。 
当方もUCCから自動マシーンを入れてから、客の苦情の心配が無くなった。

 私の知人がコーヒーの専門店を開いた時のこと。 広告代理店の営業担当で20年以上の付き合いがあった人である。 
会社の副支配人が同行したが、彼は元コックなど料理関係のプロ。 帰りの車で彼いわく、
「あの人は素人の域を出てない。コーヒー専門店にかかわらず、他の客が来た時に
駐車場の案内のために場を外した。それも一番、微妙なタイミングに。 
あの時は、コーヒーを出した後に自分が車を持っていくべきだ」という。
なるほど、奥行きが深い世界である。 事務所の前のコーヒー専門店にランチを週一ぐらい行くが、
2〜3回、ぬるめのコーヒーを出したことがあった。客は、普段の美味しいコーヒーより、それを憶えているもの。
私が新潟で、この事業をしようと思い立った時に、オークラホテルに人材派遣をしている会社の二代目専務を紹介された。
オークラに訪ねて会って話していると、のっけからド素人がと小ばかにした態度。
それはそれで、仕方がないが、一つだけ驚いたことがあった。 
2Fのレストランでコーヒーを飲んだが、少しヌルイコーヒーだった。 
ところが、コーヒーを出した担当を呼び出して大声で叱咤したのには驚いた。
「こんなコーヒーを出しているのか」と。
今から考えると、素人がホテルを立ち上げることなど無謀と間接的に教えてくれたのである。
当初は、宿泊より飲食部門に全エネルギーが入ってしまった。
当時は、飲食部門をホテルの「村の鎮守様」に位置づけていた。 守り本尊である。
 
レストランでは、コーヒーが命である。だから思わず「とんでもないことだよ」と言ってしまったのである。

・・・・・・・・・
2552, アランの幸福論
2008年03月30日(日)

「幸福論」は、古典的に読み継がれているのが、ヒルティ、ラッセル、そしてアランがある。
   この3つは世界の三大幸福論と言われている。

 アランは、19世紀から20世紀にかけて活躍したフランスの哲学者。
 1906年のはじめ、アランは地方紙に、毎日原稿用紙2枚程度の短い文章を書きつづけ、
 このコラムは「あるノルマンディー人のプロポ」という見出しで、第一次大戦が勃発する
 1914年までにこうしたプロポを3078編、さらに大戦後に約2000編を新聞や雑誌に書けた。
 健全な身体によって心の平静を得ることを強調。全の不運やつまらぬ物事に対して上機嫌にふるまうこと。
 また社会的礼節の重要性を説く。
 ーーーーー
「幸福であることは他人に対する義務である」
「私たちが自分を愛してくれる人のためになしうる最善のことは、自分が幸福になることである」
「望んでいることはすべて、人を待っている山と同じ。自らよじ登っていかなければならないのだ」
「上機嫌療法を行うと、物事を気持ちの良いシャワーのように受け流し、
 筋肉をのばししなやかにし、食欲がすすみ、気分がさばさばして、生命が元気づく。」
「もし道徳論を書かねばならなくなったら、私は、上機嫌を第一位におくだろう」
「新年の贈りもので私がお勧めしたいのが、上機嫌である。これこそ、贈ったり、
 貰ったりすべきものだろう。何よりもまず贈り主を豊かにする真の礼儀である。 これこそ、
 交換によって増大する宝物である。あなたがどこへ投げ捨てても、それは芽を出し、花を開くだろう」
「運命は不変ではない。指をパチンと鳴らした瞬間にも、新しい世界が生まれているのだ」
「嘆きも悲しみも、鳥と同じ。ひょいと留まっては、飛びさっていく」
「まず自分がほほえまなくて、誰がほほえむのか」
「私は投獄されれば、毎日たった一人で笑うことを健康法とするだろう」
「幸せとは、すべてが満たされている状態ではなく、多少の満たされない部分があり、それを追求するところに幸せがある」
「体操と音楽とがプラトンの二大療法であった 」
「深い悲しみは肉体の病的状態の結果である」「うつ病者は、グルメのように自分の悲しみの味をかみしめてばかりいる」
「悲しみは病気なのだから、あれこれ理由など考えず、病気として我慢すればいい」(5.ふさぎの虫)
「子供たちには幸福になる方法をしっかり教えるべきである。その第一の規則は、現在のものにせよ、
 過去のものにせよ、自分の不幸について、決して第三者に話さないことである」
 ーーーー
 この本は学生時代に読んだが、本はもう手元にない。
 そこで図書館から借りて読んでみたが、時間を隔てた後に読むと受け止め方が違ってくる。
 幸福な人と、そうではない人(不幸)の経験をしたり、周囲に実例を多く見たためである。
 何をしても駄目な人、結果として周囲を利用してマイナスを振りまいている人と、
 その正反対の人がハッキリ分かれている。その分岐は「求めよ、さらば与えられる」と、
「上機嫌であること」と「基礎教養」と「節度」である。 アレンは、そのことを一貫して述べているし、
 周囲を見ると、その実行の継続がポイントと教えてくれる。知ること、経験すること、今ここを上機嫌にすること。 
 同じ人生、面白おかしく、節度を守って、求めていかないと! 二度とないのだから!

・・・・・・・・・
2007年03月30日(金) 2187, 土地デフレが終焉?
   オッ ¥(*^○^*)ノ ハ?ヨウ!
 
土地デフレが終焉に向かっているようだ。先日の国土庁の発表で全国の平均地価が十六年ぶりに前年を上回った。
日経新聞の「終焉・土地デフレ」の三回のシリーズの概要を、以下の通りまとめてみた
 ーー
・銀行・企業が負の遺産処理にメドをつけた一方、
・東京などは都市再開発で土地の収益性が向上。
 グローバル化の加速に伴う海外マネーの流入と相まって土地デフレは終焉。
・東京の山手線南部地域は10年後にはマンハッタンの様相になる。
・賃料収入など利用価値に着目した収益性が地価の基準としてほぼ定着。
 利回りを狙う新しい投資環境が出来上がった。
・さらに規制緩和も見逃せない。敷地面積に対する延べ床面積を示す容積率の上限を3割あげ、土地の収益性を高めた。
 この規制緩和を生かせる認定申請の期限を今年三月末からさらに五年延ばす。
・さらに企業が復活してきたことも大きい。過剰債務を脱した企業は社屋建て替えや拠点拡充に動きはじめ、
 都心のオフィス需要が高まり、空室率が低下、平均賃料は昨年から上がり始めた。
 これは実需に基づく収益性向上を意味するので、地価を押し上げる要素になる。
・一部には過熱感もある。 福岡の博多駅前で商業地が四〇%上がり、地価上昇が収益性を上回っているという。
 しかし、現在の日本の土地資産総額は千二百兆円程度で、ピークの半分以下。
 全国の商業地の地価は七〇年代後半とほぼ同水準で、デフレを脱した段階。
・日本の名目国内総生産(GDP)はこの二十年で5割増えたが、東京都の商業地の地価は
 まだ20年前の6割の水準。地価反転を確かな経済成長につなげるには、不動産を選別・開拓する
 ミクロ的調整と、慎重なマクロ政策がポイントとなる。

新潟市も政令都市の目玉としての新潟駅再開発工事で、1400億円の投資が予定されており、
関連の投資を含めて2000?3000億円の投資で、新潟駅周辺への一極化は日ごと進んでいく。    
土地も一強多弱の様相をみせてきた。自社にとっては明るい陽がやっと差し込んできた。
                         ホンジャ \(^▽^*)バイ!
・・・・・・・・
2006年03月30日(木)
1822, あちら側の世界 ?4    
              (@°▽°@)ノオッハヨー
ウェブ進化論ー4  ーオープンソース現象ー
 
「オープンソース現象」が最近の潮流になっているというが、
これが大きな変革をもたらす要素になる。私の、このHPも小さなオープンソースである。
これを多くの大組織がすることで、いや個人も含めてすることで
核爆発的に情報が満ち溢れる事態になってきている。
  ー以下は、この著書 Pー176からの抜粋である。(非常に哲学的にも深い示唆がある)
     (字数の関係でカット2008年3月30日)
                     ホンジャ o(▽^*)ノ~~
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2005年03月30日(水)
1457, 乱気流の恐怖

先日「台湾行きの飛行機が乱気流で42人の重軽傷者!」と報道されていた。
私も台湾周辺で乱気流に遭遇したことがあるが、あの恐怖感は言語で言いあらわせない。
(どうなるかは神のみぞ知る異常事態である)スーッと50?位?飛行機が垂直に落ちる感じで、
体が上につきあがりそうになる。それも何度もつづくから恐怖も頂点になる。
もちろん、シートベルトをしてなければ体が放り出されている。死なないと確証があれば逆に面白い?のだろうが。
飛行機は順調の場合は恐怖感はゼロであるが、乱気流に出あったり、飛行機に不調があるのではないかと疑いが
出たときは恐怖のどん底に落とされる。もしかしたら、このまま消滅してしまうのではないかという恐怖感である。
二十数年前のことだが、ハワイで「飛行機の上部が吹き飛んで座席が丸見えの状態で着陸をした映像」
をニュースで見て、そのリアルな状況にゾッとした記憶が鮮明に残っている。
確か何人かが吹き飛ばされたと記憶しているが。また映画でも墜落ギリギリの状態のものを何本か見たことがある。
実際に経験したものでなければ、あの恐怖感はわからない。

飛行機は時速1000キロで一万メートル上空を飛んでいる。そのことに何もない時は気がつかないが、
意識をした時にそのことに気がつく。9・11の時も、実際にテロリストが飛行機を乗っ取ってビルに
突入したのだから乗客は恐怖のどん底であったはずだ。以前にも書いたことがあったが飛行機で夢を見たことがあった。
自分が空に浮き上がっていく。電信柱が下に見えてきて、まずいと思っているうちに夢から醒めた。
そしてやっと地上にいる自分に戻ったと思った瞬間、自分が飛行機の中にいる。
その瞬間、直感的に空を1000キロの時速で飛んでいる体感がした。
大声を上げて助けを呼びたいが、回りの人は寝ている。その時の恐怖の極みを今も鮮明に記憶している。
普通の日常では経験できない異常密室空間が飛行機の中である。

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2004年03月30日(火) 1092, 大相撲・千秋楽

一昨日が大相撲の千秋楽であった。 4人が11日目まで全勝。最後の一番で優勝が決まった面白い場所であった。
一時のつまらない時期を過ぎたようだ。外国出身の力士ということを気にしないようにしたら面白くなった。
幕下、十両、幕内前半に有望の歴史が目白押しに出てきた。大関・横綱になる素質は大体わかるが、
それでも多くは外れてしまう。怪我や病気で伸びが止まってしまう場合が多い。
幕下に「萩原」という17歳の超有望な日本人力士も出てきた。
若手で大関横綱級としては、他には朝赤龍・白鵬・黒海・琴欧州あたりだろう。
萩原以外が外人というところが面白いが。モンゴル人だけで37人もいるのだから、
何処の国で開催しているのか錯覚してしまうほどだ。
モンゴルの大草原で羊の肉で育った飢えた彼らに、日本人が敵わないのは仕方がない。
元々はモンゴル相撲がルーツである。数日前も、総合格闘技のK?1が放映、興奮をしてみていたが、
別に日本人かどうかは全く関係はない。格闘技に関して、世界には底知れない強い選手が多くいる。
異種格闘技という垣根を取り払ったことが、試合を面白くしている。
さらにグローバル化で、広範囲になったこともある。
野球に、スケートに、K?1に、サッカーなど時間が足りないほど見ていて面白いスポーツが増えた。
その時間は自分自身という面では何もプラスになるものはない? いや、ストレスの解消になる?

・・・・・・・
2003年03月30日(日)
725, 今日の結婚スピーチ

 今日は会社の女子社員の後藤早苗さんの結婚式だ。
何か祝辞をいわなくてはならないが、これはというのが出てこない。
気持ちの入らない祝辞ほど聞いていて、いやなことがないのを知っているから流す事もできない。
こういう時は自分の話しをすればよい。結婚観をそのまま話をするしかないと思ったが、そうはいかない。
初めて図書館で「祝辞・結婚スピーチ」のコナーを覗いてみた。
「結婚スピーチー死ぬまで忘れられない話」斉藤茂太著があった。
さすがだ、といってそれを読んでいる時間が少ないので、やはり自分の話しをする事にした。
今日の11時10分あたりに話している内容を先に書いて出かける。
ーーーーー
・まずはうちの会社の女性ーすなわち花嫁の褒め殺しとして、彼女が陽気であることを紹介します。
 陽気は最大の美徳であり、素質であります。 陰気は罪悪です。
・結婚は決してよいことことばかりではありません。「二つ良いことさてないものよ」という言葉が
 ありますが、この言葉を一番実感するのが結婚です。離婚がいまや三割を超えているといいますが、
 家庭内離婚を入れたら過半数は破綻です。 家電と同じで、当たり外れは長い時間を経って見ないと解りません。
 あとは神のみぞ知るのみです。当たりであることを心より願っています。 
・また結婚は二人の権力闘争です。それも死ぬまで続く泥沼の死闘です。
 これも仕方がありません。それでは如何したらよいか?
 「過去の事は持ち越さない、ぶり返さない」ことです。それしかありません。
・私の家内と本当に結婚してよかったと思います。 
 いやそう自己暗示を与えています。陽気であり大らかさからです。
 最後は泣くか笑うかです、なら笑う人が良いのではないかと思います。
 まあこの程度にしておきます。ライオンに食べられそうになったら、耳元にこっそり次の事を呟けば
 ライオンは逃げ出すそうです「私を食べる前に、少し長い演説をさせてくれ!」と。
良い家庭を築いてください。それと収入の10%以上の天引き預金を習慣にしてください。
以上です。お幸せになってください。 斉藤茂太の「結婚スピーチ」の抜粋は明日か明後日書きます。

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2002年03月30日(土)
361,イスラエル

主観であるが、旅行をしたところに事件がおきる。
ペルー、エジプト、イスラエル、そしてフィジー、ケニアと次々と、
ああそれとパキスタンとネパール。それから考えると、今度はヨルダンかシリアあたりか。
考えてみたらペルーを除けばイスラム教に関係している。
イスラエルに行った時に危ない感じがした。まずは入国審査の審査は異常なくらい厳しいものだった。
また国内はあちこちで兵士が機関銃を持って歩いていた。 私用の時も身から離さないようだ。
あちこちの広場に兵隊が駐屯していた。市場で兵隊が3人血相を変えて走って行く。
その後を商店主のアラブ人が何事かと走って行く。これが日常のようであった。
アラブ人地区に入るとやはり民度が落ちるのが解る。4000年の対立は致し方ないのだろう。
 3年前の文章をコピーしておきます。
 ーーーー
 ーH1105  ーイスラエル聖なる旅ー
この旅行は、四千年の旧約・新約聖書に出てくる歴史と出会う旅であった。
四国の面積とほぼ同じ中に、数えきれないほどのドラマがあった。
現地の日本人ガイドのシャワ?のような説明が新鮮かつ面白く驚きと感激の連続であった。
その為か帰ってきて、新約・旧約聖書をじっくり読む事ができた事が最大の成果となった。
関連を含めると十冊を前後二ヶ月たらずで読んでしまった。
考えてみたら私の人生の転機の度に必ず聖書か聖書関連の本があった。
人生のもっと早い段階で、じっくり読むべきであった!。旧約は先入観で固く難しそうであったが、
読んでみれば何もむずかしくない、ただただ面白い!内容であった。
旧約はユダヤとユダヤ民族の歴史の書であった。また新約は出会い=イエスの心との出会いの書と言ってよかった。
 ー印象の強い順に列記してみるとー
まずは何といってもエレサレムである。イスラエルがそのまま凝縮されているといってよい。
四千年の昔から神の名と民族の誇りをかけ、数え切れない戦いの舞台となった。
そして現在も続いている。この街を歩く事は世界の歴史の生き証人と出会い同行することかもしれない。
イエスが十字架を背負って歩いた悲しみの道=ヴィア・ドロロ?サ。
磔刑に処せられたゴルゴダの丘。 最後の晩餐の部屋。イスラム教の重要な寺院=岩のド?ムとアクサ寺院。
ユダヤ教徒にとって最も貴い嘆きの壁と広場。そしてダビデの塔。
旧市街を囲んでいる城壁は四千年の歴史の深さをそのまま物語っている。
次はモ?ゼの十戒で有名なシナイ半島のシナイ山である。
深夜の二時に三時間かけて登って山頂からのご来光とシナイ山の山並み。
そして、その麓にあるカタリ?ナ修道院と、神の声をきいたという“燃える柴”。
そして帰路にたちよったベトウィンの部落。そして、そこで飲んだ紅茶。
“マサダの要塞”=この旅行までは全く知らなかったが、キリストが死んだ四十年余り後に、
ロ?マ軍に追いつめられた熱心党員のユダヤ人九六七名がたてこもった自然要塞。
陥落の前日、そこの指揮者ベン・ヤイルの演説の後、七名を除く九六〇人の集団自決のあった場所であった。
         (以下、字数の関係で中間カット09年3月29日)
【別記】
この旅行と旧約聖書を読んで今の日本に絶望的気分になった。
四千年間の他民族・他宗教と血と血で争う闘いが現在まで続いている。
六十年前には六〇〇万人ものユダヤ人がナチに殺されている。
現在も一歩間違うと今の国土より追放されかねない緊張感・危機感が全土にあった。
男子は三年、女子は二年の兵役があった。国中どこにいっても機関銃を持った兵隊がいた。
一歩家の中に入ると機関銃が無造作においてあるという。といってその手の事件は一切ないという。
その銃の目的は敵に使うもの、国を守る為のものというのがはっきりしているからである。
今の日本の防衛に対する考え方甘さが対比すると浮き彫りにされた旅行でもあった。
                            1999.4.14?4.24


2915,昔、地方と東京に6種類の金持ちが居たそうな

2009年03月29日(日)

日本には戦後、地方に6種類の金持ちがいたという。
      そして、現在彼等の多くが消え去ろうとしている。
・山林家     ー>輸入材、人件費の高騰で資産価値の激減
・酒造業者     ー>清酒離れで、戦後4000から1700に
・商店街の老舗旦那  ー>郊外化で、ほぼ消滅
・地場の建設業者   ー>公共事業が激減、談合の締め付け
・医師         ー> ??
・地場産業のオーナー経営者 ー>中国、東南アジアからの格安な輸入品の流入

高校の同級生の親の何割かが、この中に入る。 そして現在も似たようことを続けている。
この数年で、その多くが死ぬか没落を始めた。 私は商店街の老舗?商店主の??息子。
(自覚しているので御勘弁を!) 誰も彼も、彼らの息子なら、同じ?? 
いや、御立派なのもいる?(ほぼ自分だけはマトモと思っているようだ)
これに大農家で再開発などで買収された家も入るが、これだけは安泰?。
この30年、地方は没落の流れであったが、首都圏と東海産業ベルトラインは
世界に向けての輸出を基盤として、日本を引っ張ってきた。 

 ところがである、そこが壊始めたというから絶望的と言わざるを得ない。
「昔、東京には6種類の金持ちが居たそうな」と言われる日が来つつある。
・政治ゴロ、・官僚ゴロ、・土地成金ゴロ、・情報屋ゴロ・?・?

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2008年03月29日(土)

ー読書日記ー

一言一言が胸に響く言葉ばかりである。原点を大事にしている創業者の理念が、ディズニーランドに、
そのままあふれている。一匹のネズミ(ミッキーマウス)がチャップリンが原型と始めて知った。
あの大きな靴、そして上着はチャップリンの姿である。なるほど、それならわかる! 
本当に自分の好きなことを人生を通して追求してきたディズニーの言葉だから、言葉の中に魂が入っている。 
    ーーー
なかでも一番大切なのが“自信”、自分を信じるということだ。
ひとたび、こうと思ったら、盲目的に一片の疑いもなく、それにのめり込んでいくことだ。
 --
幸福とは心の状態を言う。 物事をどう見るかだ。
幸福とは満足することだと思っているが、これは金持ちであることを意味してはいない。
 --
男は仕事のために家族を犠牲にしてはならない。
 --
本を適切なタイミングで読む、ということはとても大切である。
 ??
好奇心はいつだって新しい道を教えてくれる。
 --
ディズニーの成功を支えている最も重要な要素は 遊び心と 好奇心だ。
遊び心とは、笑うことを愛する、というアピールをする気持ち。
好奇心とは、常に人間の心にあって想像力によって刺激されて生まれたものだ。
 --
夢を実現させる秘訣を知っている人にでも、越せない壁があるなどとは、どうにもしんじられない。
私が思うに、その秘中の秘は 4つの“C”で要約される。
好奇心(Curiosity)、自信(Confidence)、勇気(Courage)、不変性(Constancy)だ。
 --
すべての芸術家は何よりも先にまず喜びを与える人である。
他人を楽しませることが好きな人は、やはり同じように自分自身の喜びと満足を得ているのである。

・・・・・・・・・
2007年03月29日(木) 2186, 「勝負脳」の鍛え方
               才八∋ウ_〆(∀`●)サン

図書館から月刊現代の新年号を借りてきたら、第四の知能「勝負脳」の鍛え方ーというレポートがあった。
数日前にフィギア・スケートで安藤美姫が逆転で優勝をしたばかりであった。
トリノのオリンピックで惨敗、他の試合でも、ここ一番の大勝負に勝てなかった。
勝負を決めるのは鍛錬だけでなく、色いろな運や脳力が必要ではないかと、実感していた。

ーまず、このレポートの概要をまとめてみるー
「頭が良い」とは、どんな脳を指して言うのかというと、
・記憶する能力 
・イメージをつくる能力
・覚えたことをパフォーマンスする能力(多重能力)という。
 要約すると、「ものを覚え、それでも脳が忘れてしまうために、覚えた情報を一度脳内で再編集し、
 その内容を表現するという流れを鍛えることで、頭をよくすることが大事である」ということになる。
この3つの能力を活用できる人が、勝負事で勝てるかというと、必ずしもそうはいかない。
スポーツの試合や受験、ビジネスといった実戦で勝つには「頭が良い」だけではダメ。
レポーターの提唱する脳の第四番目の知能は独創性や創造力を生み出す能力が勝負の鍵を握っている。
この能力を勝負脳となずけている。端的に言えば、勝負に勝つための独創性のある戦略を練る知能である。
アメリカのマックスウェル・マルツがサイバネティックスという成功の理論を提唱した。
それは、目的を明確にし、それを目的が達成するまで忘れない、というものです。
そんなことは、当たり前と思うかもしれないが、それがナカナカできない。

勝負脳を鍛える第一のポイントは、「目的と目標を区別すること」が挙げられる。
・目的は勝つことであり、目標はどのように勝利するかです。
・そして勝負脳を使って勝つには、目的よりも目標に集中することが大切なのです。
目標も目的も同じようなものだと思うが、それが違うのである。

両者の違いを説明するのに、フィギアスケートの荒川静香選手の例で考えてみると・・
06年のトリノでオリンピックの金を取ったあと、こんなコメントを挙げていた。
「順位はまったく考えていませんでした。新しい採点方法に対応するために、
演技ごとに自分の欠点を明らかにして、一つ一つをいかに完璧にこなすかに
集中していました。一位になれたことにビックリしました。」
彼女はトリノから採点方法が変わったことを理解していた。
その意義を理解し、一つ一つの技をいかに素晴らしく見せるかに集中したのです。

スポーツだけでなく、ビジネスでも簡単に成功する人と努力をしても成功しない人がいます。
それは目的と目標を分けているかどうかで決まります。目的と目標を分けて、自分の劣っている部分を明らかにし、
相手の長所に打ち勝つ、どんな状況でも手を抜かないという勝負脳を使うか使わないかである。
出世したい、勝負に勝ちたいという結果を目的にして、それを追い求めるだけでは、科学的とはいえません。
大リーグのイチロウは、初球を打ってのヒット、つまり初球の打率が非常に高く、誰よりも早く球場に入って
モチベーションを高めると言います。相手のピッチャーが十分に力を出し切らない第一球も見逃さない
勝負脳を働かせていると言えます。
ーーー
以上が、このレポートの概要だが、
目的と目標を明確に分けて、使いわける必要性を述べている。そこで「目的と目標の違い」を調べたら、
目的: 達成すべき事項
   (上記を参考にすれば「到達しようとして目指す事柄」の意味に近い)
目標: 目的達成を可視化するために数字で表現できる到達地点、とあった。
大學生活の目的と目標を例にとると、目的は、広く知識を学び、多くの人を知り、自分の適性とは何かを知ることで、
目標は、優を幾つ取るか数値を決め、部活動やアルバイトなどを通し多くの人を知り、
  広い範囲の本を数を読み、無事卒業することである。
この二つをはっきり分離しておかないと、やはり学生時代を最有効に活用できない。
目標を明確にしておけば、それが結果として目的達成になるのである。
しかし、目的意識も重要である。多くの挫折の中で、耐え抜くのは目的意識である。
この二つを明確にして、割り切って楽しむことが勝負脳を育てるのである。
             (o ・д・)ツ  バイ! 
・・・・・・・・
2006年03月29日(水)
1821, あちら側の世界 ?3  ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨ              
 ウェブ進化論ー3
      ?ロングテールとはー
 
この本で印象的だったのが、ロングテールというキーワードである。
ロングテールが最大限生かせるようになったのは、情報化のなせる業である。
最近買う本の半分近くが、アマゾンからの中古本である。
一度消費者が買って読み終わったというより、出版社か中間流通業者が個人名を
使って販売しているのではとしか思えない。
ただ同然で買い入れて、それをアマゾンに貼り付けておいて、直接送ってきているのでは?
また、一度買った本ー中古本はロングテールの部類ともいえる。
しかし、それもロングテールの大きさと長さを知らないのだろうか?
 世の中、音をたてて変化している!
    ーー
ーネット世界で利益を稼ぐ「ロングテール現象」とは何かロングテール(Long Tail:長い尾)とは?
この言葉は最近少しずつ米国で使われるようになった。ロングテールとは何なのか、本という商品を例にとって考えてみる。
一年間にどんな本がどれだけ売れたのかを示す棒グラフを作ってみる。
縦軸に売れた部数を取り、横軸には左から第一位『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』、第二位『世界の中心で、愛をさけぶ』、
第三位『バカの壁』……と売れた順に一冊ごとに棒グラフを連ねていく。
横軸には「一冊あたり五ミリ」、縦軸には「千部あたり五ミリ」でグラフを書くと、本の売れ方の全体像はどんな形状になるか?
(字数の関係でカット2008年03月29日)

・・・・・・・
 2005年03月29日(火) 
1456, 生命保険に入る馬鹿、入らない馬鹿

私は生命保険には入らない主義である。「馬鹿馬鹿しい!何で自分が死んで保険金が?それ位なら、
その保険金を相手に直接やるか貯金すれば良い。保険屋は確率の問題で、
奇麗事をいってピンハネしているはずだ。」というのが私の理屈である。
もう一つは、
「先のことはわからない、だから心配したって仕方がない。
最悪の事態になったとして、それがどうした?!」という考え方が基本にある。
保険に入る人は「先のことはわからない、だから心配だ」という考え方なのだろう。
「だから心配だ」と「だからどうした」の分岐点で考え方が変わってくる。
それぞれの人は色いろな立場と事情があるので、私の場合の話と断っておくが。

平均寿命80歳が、生死の五分五分のラインである。
それ以上生きた場合、生命保険金は支払われないものが多い。
この辺に保険屋のマジックがある。その事実を知らない人が意外と多い。
(母もそうだったが、この事実を知らないで80歳まで保険に加入していた)
80歳以前に死んだ場合に、残された家族の生活には有効であるから保険に入るのだ。
しかし保険屋というものは、不安事業でしかない。
その不安をくすぐって加入させる保険のオバちゃんがいるのだろう。
したがって、詐欺的要素が出てくるのだ。

壮年で亡くなった場合に、家のローンや子供の教育費が負担に対するヘッジとして必要だろうが。
といって博打であることも確かである。保険屋の立場からみれば、あくまで博打の胴元でしかない。
無知な大衆から利益を得るのが目的である。
相互補助団体といえば、何処かの宗教団体と同じだが、不安解消ビジネスであることも同じである。
箪笥預金も同じだろう、将来が不安と、生活を切り詰めて貯金をして死んでいく。
お笑いであるが、本人にとって不安なのだろうが。不安感に対して、「それがどうした!」「で、どうした!」
「何とかなるわい!」「大丈夫大丈夫!」と自省してみれば、その金を楽しみに向けたほうが
良いのがわかるはずなのだが。 無知の一番気の毒なカタチである。
最後は生活保護を受けられるから何とかなるし、死んでしまえば一円もかからない。
自分は死なないと思っているから貯め込みたくなるのだろうが。
「大金を残して死んだ孤独な老人」というのが一番滑稽である。
金の本質を考えれば、哀れな生き方ということは自明である。
使い切れないほど使って、大金が残っている人もいるから一概に言えないが。

・・・・・・・
2004年03月29日(月)
1091, 公示価格は時代反映の象徴

少し日が経ったが先日、全国の公示地価が発表された。
都心の一部が下げ止まり感とあったが、地方は下落率が拡大していた。
1991年に比べて平均して、商業地で67.6?、住宅地で43.2?下がった。
土地と株価は連動するというから、あと10?20?は下がってよいことになる。
この一年で地方の6大都市などの中核都市以外は、商業地は10パーセント以上の
落ち込みである。新潟もその落ち込みになっている。地方経済が悪いというが、そのまま地価に比例している。
家内が長岡の自宅の町内の役員会に出て聞いてきた話だが、近くにある長岡にある唯一の高層貸しビルのテナントが
ドンドン撤退。町内費が減って困っているという。東京まで新幹線で一時間半の長岡なら、それが当然であろう。
事務所を撤退して、そこの出身者の自宅を営業所代わりにして、月数回出社して報告する会社が、
激増しているという話を聞いている。自然と駅周辺の地価は下がって当然であろう。
デフレの一番象徴的な部分である。下げ止まり感が無いのが不気味であり、デフレスパイラルもよいところだ。
合理化のため拠点や社宅の売却が一巡しない限り、下げ止まりは無いだろう。
東京一極化、それも東京・品川周辺を中心にした集中化は益々進む。その反面、地方の衰退は激しくなっている。
80対20の法則ではないが、20の首都圏対80の地方にたいして、80のエネルギーが首都圏に集中しだしたのだ。
中国などの海外に対する拠点などの情報基地としてである。これが公示価格の大きく反映している。

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2003年03月29日(土)
724, プロ野球開幕

 昨夜からプロ野球が開幕した。
他に面白いプロスポーツやアメリカの大リーグ中継をNHKが衛星TVで開始した
ために,以前ほどの興味がなくなったが、それでも始まれば別である。
ON時代に育った為に、どうしても巨人中心になるが、それでもよい。
NHKも衛星TVで民放の巨人戦にぶつけて、録画をゴールデンタイムにぶつけてきている。
見るほうも同時に2画面で見るから、その差がシビアに見えてくる。
 今の巨人のトレードはやりすぎという感がする。
その豊富な戦力の巨人を長嶋の支離滅裂の采配で壊していくのが何とも面白かった。
しかし去年それが無くなった原監督巨人は、当然優勝をした。
今年も原監督に気の緩みがない限り優勝するだろう。昨夜は上原の開幕投手の巨人と、松坂の西武が敗れてしまった。
これだからおもしろい。私の好きのタイプは目立たない自力ではい上がってきた選手である。
巨人の清水、斉藤あたりである。嫌いなタイプは清原のような常に日に当たってないと枯れてしまう優等生である。
毎日新聞がこの時期に「スポーツ記者による優勝予測」を毎年おこなっている。
セリーグでは中日、パリーグではダイエーが一番多かった。私の予測は巨人と、ダイエーだが。
 大リーグでは、今年が松井が話題の中心になるだろうが、イチローと比較されるのは酷である。 
イチロウとはレベルが違う。イチロウは自分で自分をつくってきた男。松井は巨人につくられた男でしかない。
大リーグに対する日本の興味はますます大きくなることは間違いない。ますますカウチポテト族になっていく。

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2002年03月29日(金)
360,末っ子相続

世界の何処の社会でも長男相続である。それが当然と思っていたら、末っ子相続の社会があった。
世界は広いそしていろいろあるものだ。北欧のバイキング社会がそうだった。
成人をすると、男は船に乗り外の社会に出て行く。最後に残った男か娘が両親の面倒を見るという。
その代わり、家督を相続するシキタリという。彼等にとっての海は夢を実現する世界。
長男から成人になると、さっさと出て行くのが慣わしという。それが永年の試行錯誤の中で、
ベストのシステムになったのだろう。広い自然資源があるから、そういうシステムになったのだろう。
力が付いたら広い世界へ旅立つ、大きい自然環境があった為。バイキングといえば、海賊だ。
40?50人乗りの海賊船を数十隻を連ねて、村や街を襲ったという。
日本などの農業社会では、すぐにでも男手が必要であり、外にはそれほどの資源が無かった。
昔から長男以外は都会などに丁稚奉公や女中に出された。
継ぐべき田畑があったが、一家が生活出来るぎりぎりだった。
北欧の場合、せいぜい家と舟ぐらいだったから、長男などは魅力も引き継ぐ仕事も無かったのだろう。
しかし海や海の向こうに、無限の自然のめぐみと夢があった。
バイキング社会は10世紀から200年ほどしか続かなかった。


 


2914,新潟駅再開発事業が4年目に入る

2009年03月28日(土)

来週になると新年度だが、「新潟駅再開発事業」が4年目に入る。
H18年度~H27年度の10年計画が駅と線路の高架と、駅裏広場と、前期の道路整備、
H28年度~H37年度の10年間は駅前広場と、の後期の道路整備になる。
前期に、殆ど全体の姿が現れることになるので、やっと視覚的に再開発工事の鎧が見えることになった。
二ヶ月前に新幹線の構内にビッグカメラと専門店街がオープン、更に駅南(裏)広場が整備されてきた。
その上に、30Fビルの骨組みが出来始めて、今までの景観とは全く違ったものになってきた。
JRも系列の「ホテル・メッツ」の建設計画や、新幹線の高架下に2000平米の専門店のオープンを何気なく発表している。 

何度も書いているが、当社の4つのホテルのうち2つが道路計画で買収されるので、この計画は
大きなインパクトになる。更に200坪の駐車場の前の東跨線橋が無くなり、27メートル道路になる。
三等地から一等地に格上げになるから、ただごとではないのである。
前期の18~27年度の10年計画に前期・後期の5年括りになっているが、
計画サイドは、ステップ1・2・3の段取りになっている。
ステップ1が、H18年度から21年度の 4年
    2が、H22年度から25年度の 4年
    3が、h26年度から27年度の 2年
 これからみると、h21年度で、ステップ1が終了する。
 第一シングルインは、ステップ2に入る来年度から再来年度に、具体的な買収計画に入る。
ところでビッグカメラがオープンしてから、JRの新幹線の出口の専門店街の雰囲気がまるで変わってしまった。
7年後の駅が完成時は巨大な大ショッピングセンターに変身することになるが、周辺の顧客を一挙に奪うことになる。

・・・・・・・・
2550, 閑話小題  2008年03月28日(金)

 *盃の中に蛇がいる!*
何気なく図書館の本を捲っていたら、この言葉が合った。
「英国の詩人のホープという人の言葉」だが、私など何度か、その蛇に噛み付かれたものである。
酒を飲んでいると思っていたら、その盃の中の蛇に飲みこまれていた経験が、あまりに多い。
大蛇だけではなく、内臓まで食い散らしている。「本当の敵は沈黙している」と、フランスの詩人の
バレリーの言葉にあるが、黙っている敵こそ、恐ろしい。汝の名は酒!ということか?
 ーー
 *偏見のかたまり*
「故郷より一歩も出たことの無い人は偏見のかたまりである」(ゴルドニー・18世紀の喜劇作家)
これは地域の問題だけでなく、自分の職業、固定観念、学問から一歩も出てない人に対していえる問題である。 
地方にいると、それをつくづく感じることがある。人間は誰しも偏見の塊と己を割り切った方がよい。
だから、常に外の世界に触れる必要があるということだ。それと、あらゆる分野の本を読み続けていないと、
偏見の穴の中に入り込んでしまう。
 ーー
*世逃げのすすめ(ひろさちや著)*
 この本の紹介を検索したら以下の説明があった。 普段は算数のテストで30点ぐらいしか取れない子が、
 あるとき70点を取りました。 お母さんは喜んで、「じゃあ、あなたの好きなカレーライスを作ってあげるね」と、
 台所に入ります。 ですが、途中でわが子に質問します。「それはそうと、きょうのテスト、平均点は何点だった?」
「お母さん、きょうはみんな点数が良かったのよ。平均点は84点だった」それを聞いたとたんに、
 お母さんはカレーライスを作りたくなくなります。おかしいですよね。 子どもの取った70点という点数は宝物です。
 それを、お母さんの〈平均点以上を取ってほしい〉と思う欲望が化け物に変えてしまうのです。
 ですから、かりに100点を取ってもだめなんです。「100点で良かったわね。それで、きょうは100点が何人いたの?」
 とお母さんは質問します。 そして100点が六人だったと聞けば、「あら、あなたのほかに100点が五人もいたの……。
 それじゃあ、この100点は値打ちはないわね」となってしまうのです。100点が宝物でなくなり、化け物になってしまう。
 じつは、これが世間の価値判断の基準です。世間はおかしな物差しで価値を測ります。
 あるいは歪んだ物差し、狂った物差しと言うべきでしょうか。 でも、それを非難したって、意味はありません。
 世間はその物差しで運営されているのですから。 世間に、そんな歪んだ物差し、狂った物差しを捨てよ! 
 と命じても、世間はそれを捨てられない。 捨ててしまえば、世間はいっさいの価値判断ができなくなります。 
 たとえば、新入社員と古参社員の給料を同じにする。 あるいは、社長の給料よりも新入社員の給料を高くします。 
 それをやれば、会社は潰れてしまいます。 だから、世間は世間のその物差しを捨てられません。 
 だとすれば、わたしたちが世間から逃げ出すよりほかありません。 逃げてどこへ行くのか?それは、あとから考えましょう。
 まずは、なにはともあれ、われわれがすたこらさっさと世間から逃げ出しましょう。 つまり、「世逃げ」のすすめです。

・・・・・
2007年03月28日(水)
2185, 政令指定都市とは?
       おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ

新潟市が4月1日より浜松市と政令指定都市に指定される。
といって、それについて殆ど知られてないのが実情。そこで、政令指定都市について調べてみた。
ーー
政令指定都市とは、“○○区” などの行政区が置かれたり、県に代わって道路の管理をしたり、
県を通さずに国に対して予算の陳情が出来るなど「都道府県と同格」の扱いを受ける都市である。
名前は市でも実態は県に近いものである。地方自治体には大きく「都道府県」と「市町村」
と二種類があり、市町村は水道やゴミ、住民票の手続きなど主に日々の生活に密着した行政を担い、
都道府県は、都市計画づくりや警察など、より広い行政を担当している。
法律上は人口は「50万」が指定の要件だが、運用上は「100万(または現在80万以上で、将来100万になる見込み)」
を基準として指定が行われてきた。現在は政府の市町村合併支援の一環として、合併を経ることを条件に
この人口基準が「70万」に引き下げられている。静岡市や堺市はこの優遇措置による指定である。
政令指定都市は1956年に5市(大阪、名古屋、京都、横浜、神戸)で始まり、歴史があるだけに、
一種のブランドになっている。そもそもこの制度は、通常の市に大都市の特例を重ねたものにすぎず、
大都市制度としてキチンと設計されたものではない。市町村の合併促進の材料に使われたことも否めない。
県の仕事の都市計画つくりを、市としての視点で計画が作れる利点が出てくるので、市としての独自性や
一体感のある都市づくりもできる。仕事と共に財政も移行するので、お互いの駆け引きなどいらない
責任の押し付け合いはなくなる。その象徴として、新潟駅高架再開発事業は 県から市へ移行された。
 ーー    
政令指定都市というブランドにしては、新潟のブランド・イメージはあまりに低い。
角栄と真紀子、それと拉致事件の現場が浮かぶ位である。この一年あまり、新潟を活性化するには如何したらよいのか?
脳を絞って考えてみた。 そして出た結論は、「日本海拠点都市を目指すべき!」が結論であった。
それも20年前から地道に、それをすべきであった。 東京駅周辺が日本の芯である。
そこから日本海に突き抜けることが、ポイント。新潟駅から飛行場までの間にエネルギーを集中投資すべきであった。
新幹線の何たるかが解っていないのである。角栄におんぶに抱っこだったからだ。
もう遅い!拠点都市は金沢に間違いなくなっていく。これから新潟駅立体交差の駅をつくる?何をやっているのか、今さら!
何処かの誰かが「飛行場まで新幹線をひくと、新潟駅が通過駅になってしまう」
と、のたまっていたというが、こんな程度である。政治家と役人は、票と金にならないのでやらないだろうし!
                            ヽ(゜∀Å) バイバイ!
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 2006年03月28日(火)
1820, 今場所の大相撲
  おっ w(゚Д゚)w ハァョ?
 (字数の関係でカット2008年03月28日)

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2004年03月28日(日)
1090、ニコイチ

私が事業としている「ビジネスホテル」も曲がり角にある。こういう装置産業は20年~40年スパンの投資になる。
時代の変化に対して、あらゆる仮説をたてて潰しのきく建物にしておかなくてはならない。以前にも書いたが、
私が手がけた建物は殆ど柱が入ってない。中を掻き出せば、他の転用が利くようになっている。
少し先走ったが、24年前に光ファイバー用の配管が各客室に入っている。
新潟駅前で現在1DKマンションが、この数年ドンドン建っている。
調べるまでは、在庫オーバーと思っていたが、何とほぼ満室という。驚きであった。
なら在庫オーバーのビジネス客室をそれに転用すればよい。
二部屋の一つの客室を掻き出してミニキッチンと居間空間に変えればよい。
サービスアパートメントへの転用である。建設業界には元々「ニコイチ」という言葉があったのだ。
マンションの住人が隣が売りに出た時に買い取って改築をしたりする時や、手狭になった市営アパートを
一つにしてしまう場合の用語だという。「なるほど、そうか!」と唸ってしまった。
現在、多くの建設業者は、不況の煽りで苦境に立っている。その打開策として「改築・改装」に力を入れ始めた。
古ビルを創り変える仕事もこれからの事業として面白い分野になるだろう。大変だろうが。それにしても
転用を前提にして創っていて助かった!のが実感である。
この数年は、この改築?が仕事になりそうだ! 事業から、色いろ人生を学ぶことが実に多い。
長期的視点、鳥瞰的視点、忍耐、人間観察、何よりも自分自身を知ることなどだ。

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2003年03月28日(金)
723, 仰げば尊しー卒業式

 三月といえば卒業式の時期である。誰もが昔の卒業式を思い出す時期でもある。
幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と卒業式の記憶は鮮明である。かすかな記憶だが書いてみる。

幼稚園ーその日に多くの玩具を貰ったのが印象深い。何か絵本や、その付録のようなものがあった。
    その日のことはいやにリアルに憶えている。あまり悲しいとかというの記憶はない。
    その時の同級生数人と今でも会うことがある。
小学校ー何かふてくされていたような気がする。壇上に卒業生が全員上がり、
    呼ばれたら大声で答えたのを憶えている。拍手で送られてたのが少し記憶に残っている。
中学校ーこれも校門を拍手で送られたことが記憶に残っている。 
    とまりのあるクラスで、全員がいやに親しみ感じていた。
    「よいクラスの仲間たち」という感じだ。数年前まで20年以上クラス会を開いていた。
高校ー校内問題があって、変わった荒んだ卒業式だったようだ。
   この最後の3年のクラスもイヤに変なまとまりがあった。このクラス会も20年近く毎年開かれていた。
大学ー卒業式としては、一番感激した卒業式であった。チャペルでお祈りの後の卒業式が印象的だった。
   一人一人が壇上で総長?から卒業証書を貰った。その後、学食で卒業パーテーが開かれ、全員がビールで乾杯の後、
   全員でコップを一斉に床に叩きつけ割ったのがよかった。学生時代との決別という意味だったのだろう。
   その後、父やゼミの武澤先生と同期の連中と写真を撮った。
   その時に何かこの学校がますます好きになったのを憶えている。
   「もう二度と会わないのでは!」という互いの感慨があったために最後の別れという気持ちが強かった。
   その一月前の2月末から四日市のジャスコに既に就業していた。
   卒業後10年単位で、学校が主催で同期生があつまる会がある。
   4分の1の5?600人が集まる。これも本音でお互い話し合えるよい会である。
   卒業式をキーワードに、過去の節ふしを振り返ると、実に恵まれていた時代だった。
   時代も全てが光り輝いていた!ように思える。教授に先輩に友人に両親に、心から感謝ができることが最大の収穫だ。
    卒業式からみても一番よい時期というとやはり大学時代だ。とくに私の場合恵まれていたようだった。

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2002年03月28日(木)
359, ST訓練

毎年この時期、新入社員に私が直接する訓練である。もう2?3回の入社ゼロの年を除いて、前にいた会社も含めて
26年間行っている年中行事である。初めの頃は二泊三日で行っていたのがいたが、一泊二日になり今は一日だけだ。
研修所や旅館を使って密室状態であったのも、現在は事務所で行っている。
センセビリテー・トレーニングを、途中から独自に変えた内容である。当初の頃は、感性訓練を目的としていたが。
密室に新入社員を閉じ込め、それぞれ二人に問いかけと、答える立場を決める。そして彼らにテーマを出させ、
そのテーマについてどことん聞き出させる。脇道にそれたり、いいかげんな事を言った時大声で叱咤する。
あるところまで来たら、立場を逆にする。それを密室の中で、繰り返しそれぞれの相手を変えてやっていく。
その中で自分のいい加減さ曖昧さを互い気づかせ、表面的会話から、本音の会話へ、更に対話に深めていく。
その中で感性を磨く。あるいはお互いの気心を理解させ、仲間意識や帰属意識をつくる。
組織は人間どうしの意思や情報伝達が基本にある。聞いたことを、はっきりと他の人に正確に伝える事が前提になる。
時間をかけて、叩かれていく過程で身に付けるものだが。それを初めに、きっちり訓練を入れることを目的とする。
それとリクルートの能力適正試験の内容と、実際の本人の内容の誤差を見る。
ほとんどないが、それでもそれだけで見えない部分がある。
ある意味で一生もう決まっている、その人のソフトのベースもある。こういう訓練を通して、自分で把握した事がある。
日記を書くこと、本を読む事、人の話を聞くこと、自分で考える事、理想も持つ事、良い習慣を多く身に付けること、
変化する事、初心を持ち、それを大事にする事、その訓練を通して一番教えられるのは自分だ。


2913,ホテル&旅館 大淘汰

2009年03月27日(金)


新聞広告に、週刊ダイヤモンドの特集記事が載っていた。
 「ホテル&旅館 大淘汰」である。
さっそく書店で買って読んだが、大体予測したとおり直撃の惨状。 
内容は東京圏内の外資系高級ホテルと、日本の御三家、リゾートホテル・旅館の不振を取り上げたもの。
ホテルマン45年歴の日本ホテル協会会長が「初体験」というほどの急激な売り上げダウンに見舞われて
激しい値引き競争で収益が激減しているというもの。
ー概要を大きくマトメルと
・外資系ホテルが壊滅状態で、安売りのジレンマに陥っていて、
 開発ラッシュが一転して 全国で開発の中止、延期が続出
・日本の「御三家」ーオオクラ、帝国、ニューオータニーが沈没
 特にオオクラは内部崩壊に瀕している
・能登のホテル百万石も破綻、身売りが多発していて、変化に対応できない事態
 沖縄も観光ブームに沸いていたが一転、閑古鳥が鳴いている
  以上が、この特集の骨子になる。
 ー
全てにわたり、11月以降は二桁のマイナスが続いている。
ホテルは在庫の蓄積は効かないので、とにかく日ごと売って何ぼの商売、この世界恐慌?は、
新規に出店した外資系のホテルにとって、根底から揺らぐのも肯ける。
ハッキリいえば、何処も「稼働率激減、市場は壊滅状態」というのが、ビジネス、都市型ホテル、
リゾートホテル、大型旅館など全ての業態でいえる緊急事態。

最近開業したホテルの多くは、実需ベースというより、「再開発の最大化」のための誘致の傾向が強かった。
それに行き場のない外資の資金が後押しをしたことも重なってバブル現象である。
大阪、名古屋のホテルも総崩れで20パーセントのダウン、大阪や中国、韓国などのアジア圏の売り上げ激減。
名古屋は自動車業界の惨状が直撃、悲惨な事態である。

地元の新潟でも、外資系のビジネスホテルが数軒オープンしたが、バブルの様相の感がしていた。
その上に11月下旬より、極端な稼働率の下落が顕著になっており、深刻という面では同じ。
特に4月からの年度変わりからの予約の状況が非常に悪いのが気がかり。
「1〜2年なら何とか凌げるが、後は誰も分からない」というのが大部分の実感だろう。
3年先に、まず一棟が新潟駅再開発の道路拡張の買収予定に入っているので、何とか目安があるのが救い。
 しかし大津波が覆いかぶさってきている事実は厳然としてある。
  <一日、一生>の思いで生きるに丁度よいか?

・・・・・・・・・
2549, 一神教vs多神教 ー3
2008年03月27日(木)
                    ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはよ?♪
*近代天皇制は一神教か?
   まずは、この本にある、「近代天皇制は一神教か」という部分を抜粋してみる。
ーーー
近代天皇制は一種の一神教、擬似一神教ではなかったかと、ぼくは考えています。
近代日本は一神教の欧米の脅威にさらされて、わが国も一神教で対抗するしかないと思い、
京都にすっこんでいた天皇を引っ張りだしてきて神聖不可侵の神のような存在にし、
国民、特に兵士に天皇への絶対服従を強いたのですが、日本人も追いつめられると
同じようなことをしたわけです。
ウェーバーがユダヤ教の神、ヤハウェは戦争神だと言ったということはさっきも話題になりましたが、
近代日本も、その前の徳川時代には二百数十年、国内的にも対外的にも戦争をしなかったのに、
明治になってから戦争ばかりやっていました。これも、天皇を一神教の神のコピーのようなものに
したことと関係があると思います。多神教徒だって、追いつめられると、一神教的になり、
原理主義に走るんですよ。ガンジーを暗殺したのは、彼がヒンドゥ教とイスラム教との融和を
唱えたことに反対したヒンドゥ原理主義者でしたね。暴力が暴力を誘発するように、
一神教は一神教を誘発するのです。とにかく、一神教、原理主義は危険です。・・・・
 ーーー
モーセがユダヤ人に伝えたイクオトンの太陽崇拝は、太陽が唯一神であるというにしても、
まだ一神教の前段階じゃないでしょうか。近代天皇制も、天皇という具体的な人間存在が
崇拝の対象である以上は純粋な一神教ではありません。
ましてや国民は天皇陛下の赤子だなんて言っているんですから、
イスラム教のように偶像崇拝を完全に排除した一神教の場合は人間と隔絶しています。
隔絶しているというのは血のつながりがないということです、神と信者とのあいだには
まだ血のつながりがあるわけです。そのように厳密に一神教を考えると、
天照大神がいくら神々の中心であるからといっても、神道は一神教ではないですね。
   ーー
   以上だが、封建的、閉鎖的で、国家といえない国を国家へと変えようとするとき、
   擬似一神教として「神」の存在を創りあげる必要があったのである。
   それが、明治天皇、そして昭和天皇だったのである。
   その意味で、あの時期に近代天皇制を創りあげた政治家達は、やはり卓越していたといえる。
   現在の日本は米国に属国化しているが、米国はキリスト教という一神教を背景に持った国。
   日本は多神教の国であるから、それが一神教に支配されているということになる。
   
・・・・・・・・・・・
2007年03月27日(火)
2184, 聖地と台所
      オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン!
                       ー 読書日記
 「ファンタジーの魔法空間」 ー2
           著者・井辻朱美  岩波書店

 前回、「いい場所」とは、台所と屋根裏部屋]という部分を抜粋して考えてみた。
今回は台所と聖地を同定しながら、聖地とは何かを台所とは何か考えてみよう。
    まずは、その部分を抜粋してみる。
ー P-41
ある場所に置かれる神像はその[場所]の指標なのである。
どこに置いてあって良いというのではない。
日本なら吉の方向が定められており、マルタの台所では「一日じゅうそれが見える」
場所がそれである。神像が置かれる場所が[いい場所]ではなく、[いい場所]に
神像を置くことが正しい。

神像的[いい場所]をさらにグローバル的にいったのが聖地であろう。
植島啓司氏は『聖地の想像力』の中で、その9つの条件をあげている。
01:聖地は一?たりとも移動しない。。
02:聖地は極めてシンプルな石組みをメルクマールとする。
03:聖地は「この世に存在しない場所」である。
04:聖地は光の記憶をたどる場所である。
05:聖地は「もう一つのネットワーク」を形成する。
06:聖地は世界軸で貫通しており、一種のメモリーバンク(記憶装置)である。
07:聖地は母胎回帰願望と結びつく。
08:聖地とは夢見の場所である。
09:聖地では感覚の再編成が行われる。

 例えば、エルサレムは01・02の条件によって、3つの聖地になっている。
 トルコのイスタンブールにあるアヤソフィア回教徒寺院はかってのキリスト教会を転用したものである。
 逆にスペインのゴルドバは回教徒寺院をキリスト教会に転用したものである。
 それをパワースポットと呼ぶにせよ何にせよ、古代人はそこが聖地であることがわかっていた。
 この聖地の条件は、台所という空間の中での、マルタでいう「いい場所」にあてはまる。

台所は大地の炎の力に結びつき(04)、
ウクライナでは、そこでは大家族が一同に会し、「座ったり、料理をしたり、
食べたり、洗濯をしたり、寝たり、何でもする」(06,07)
ウクライナの台所とはそれ自体が聖地であるという以上に、家そのものであり、家族にとっての全世界であった。
ウクライナにとって、そこはさらに、「いい場所」という中心点が必要になる。
マルタの「いい場所」もまた、それはこの世ならぬ世界の道しるべであり、
みあかしに照らされた光の記憶は夢見の衝動を誘い(08)、
聖母子像は母胎回帰の夢想と他の信者とのネットワークを示し(05)、
そこに家族の思い出を結びつけるメモリーバンク(06)でもある。それがなければ台所は「からっぽ」なのである。
  ーーーー
  私の聖地は、何処だったのだろうか?自分が生まれ育った町が聖地(生地)ということか。  
  それにしても、エレサレムは素晴らしい聖地であった。 生生しいが!
                (o ・д・)ツ  バイ!
・・・・・・・・
2006年03月27日(月)
1819, あちら側の世界 ?2  
    才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
「ウェブ進化論 」?2  ウェブ社会の現状は?
  
ー「あちら側」のウェブ社会と「こちら側」のリアル社会は、あまり融合しないのではないかー
 若い人が当たり前だと思っていることでも、リアル社会の大人たちは何にも知らない。
 ネットの「あちら側」の興奮はリアルの「こちら側」には全然伝わらない。
 ウェブ社会とリアル社会の本質的融合はイメージできない。
 ウェブ社会では特殊で不思議なことが起き、影響力が大きくなっても、
 普通に暮らしているリアル社会の人には全然見えない。
 家庭で言えば、お父さんとお母さんはリアルの社会で暮らしている一方、
 15歳と13歳の子どもはアフィリエイトとグーグルのアドセンスで
 小遣い稼ぎしている。昼間、学校に行ってる間に、子どもたちの分身のウェブサイトがパートの母親より稼ぎだす。
 でも、親にはよくわからない。子どもは相変わらず「勉強していい大学行きなさい」と言われ続けている。若い人たちは
「説明してもしょうがないからいいや」となってしまう。「ウェブ」と「リアル」の隔絶は時間がかかる。
 生まれた時にはウェブがあった子供たちが、リアル社会の主役になると変わってくる。
 だから長い時間がかかる。世代交代によってしかリアル社会への変化は起きないように思う。

 シリコンバレーから、日本のIT産業をどう見えているか?現在の日本のベンチャー企業のあり様は、
 20年から25年ぐらい前のシリコンバレーに近い。
 90年代後半にシリコンバレー型の起業家経済の種が日本にも輸出された。
 日本社会でも芽が出てきている。普通の経済ルールとは違うから、鬼っ子みたいな企業も生まれるだろう。
 でも、種は植えつけられた。だから20年ぐらいかかると、そういう起業家経済圏が広がってくる。

 例えば、ビル・ゲイツは50歳、スティーブ・ジョブズも50歳。
 PC産業が誕生した70年代半ばに20歳ぐらいだった人が、成功したのが80年代前半。
 ゲイツら有名人だけではなく、そういう企業の成長期に会計士や弁護士で入った人がいる。
 ベンチャーキャピタル(VC)でも、グーグル、アマゾンなどへの投資で知られる
 大手クライナー・パーキンスのジョン・ドーアとかも同じ世代だ。

 まず親しい仲間と会社を立ち上げた。その後、違う会社で失敗したり成功したりして、
 ある人に引っ張られてこっちにきた、というようなことを繰り返している。
 彼らは30年間、同じような経験を積み重ねてきた。
 一緒に仕事した経験の蓄積が、あの土地で見えないネットワークになっている。
 シリコンバレー活性化の理由は、このコミュニティの存在だ。
 日本の30歳前後の起業家にも、5年ぐらい前から同じようなことが起きている。
 現在の若手のソフトハウスの社長も20年もすれば、50歳ぐらいになる。
 このコミュニティに広がりがでてくる。何かやろう、となっても電話一本で、さっとチームができる。
     
 シリコンバレー型のベンチャー企業には誤解もある。起業家経済圏というのは「無」から「有」を生み出す世界だ。
 起業家は新しい技術やビジネスモデルで社会に大きな貢献を果たす。
 それに対して、例えばライブドアの事件は、報道によれば「生み出していない」
 のに「生み出した」とウソをついた、ということになる。
「売り上げは全然ありません、でもその会社には高い時価総額がつきました」
 という話と、ライブドア事件を混同してはいけない。
 つまり「すごい技術を開発しました。でも売り上げはありません」と正直に言える会社には種がある

その種をどう評価するかはマーケットの問題。 マーケットが、評価するか、
しないか、ということは、起業家経済につきものの「ゆらぎ」なんですよ。

大企業になると客観的な評価基準がある。「無」から「有」を生み出す最初の過程には、ものさしがない。
売り上げがなくても、「この会社の価値はすごく高い」とか
「才能のある人が10人、20人いるから何かを生み出してくれそうだ」
といった期待値をお金の額で評価しなければならない。この見極めが難しい。
だが、その過程がないと、起業家経済圏は育たない。
そこで重要なのは、ベンチャー企業が正直に自らの情報を開示しているかどうかだ。                              
             ー  つづく   βyёε('c_,'`)з゛ 
・・・・・・・・
2005年03月27日(日)
1454, BOSEのステレオー5

BOSEのコンポが居間に入って二週間経った。
年に数回しか聴かなかったCDを、一日朝晩平均2時間は聴くようになった。
(BSラジオで週一は、音楽を聴いていたが)恐らく、このパターンは変わらないだろう?
パソコンを打ったり、本を読んでいるバックグランドにもよい。目と頭が休まるし、何よりも音楽そのものがよい。
セットなどで買った100枚以上のCDの在庫がある。一枚に平均10曲以上入っているので、1000曲はある。
そのカセットボックスを近くに置いて気の向くまま曲を選ぶ。
音楽は好きだが、TVのほうに気持ちがいっていた。家では殆ど居間にいるが、パソコンをいじっているか、
TVを見ているか、新聞か本を読んでいるかである。要するに一点を見つめているだけだった。
それが目を瞑り、耳に集中する時間が多くなった。目がホッとしているのではないか。
その上に音楽は気持ちを深く安らかにしてくれる。
ところで、知人の音楽マニアがコンポについてのレクチャーをしてくれた。マニアにとっても興味がある代物という。
・コンポは買って直には良い音はでてこない。野球のグローブの皮と同じで、音に馴染んでくるのに最低半年、
 最適に聴けるようになるまでは1年半から2年はようする。とにかく多く聴いてやること。
・偏った音楽ばかりかけると、その音楽にあったマシーンになってしまう。
 生き物と同じで、色いろな音楽で慣らした方がよい。愛情をかければ、良いものになっていく。
・今の高度なコンポは音楽のマニアが、色いろの調整をするのを、コンピューターで自動でしてくれるのが凄い。
 小さなマシーンの中に多くのノウハウが詰め込まれていて自動処理をしてくれる。
 以上が知人の教えてくれた要約だが、世界のオーディメーカーの流れを聞いたが、やはり日本のメーカーが強いとのこと。
 
・・・・・・・・・・
2004年03月27日(土)
1089, その一言が運命を!

私の最大の欠点は一言多いことである。それも親譲りの胸を深く切り裂く言葉を言ってしまう。
子供の頃、父親の言葉の鋭さが一番恐ろしかった。そして、その部分を引き継いでしまったようだ。
昨夜もスナックのママから以前、「グサリと、その一言で刺してしまった」状況をリアルに聞かされてしまった。
ついついジョークで言ったつもりが心の一番深いところをついていたからだ。  本当に困ったものだ。
さらに、学生時代のゼミで現象分析の訓練をしたためか、一瞬で言葉が脳に出て
しまう。当時の日記を読んでいると、その当時言ってしまった「その一言」の多くが思い出される。
家内も私に負けず言葉が鋭い。言い違いや甘さに対して、即座に強烈な皮肉で帰ってくる。
言葉に対しては家庭内でも真剣勝負である。
結婚当初になるが、泥酔している私の顔を見て「白ナス!」と言われたことがあった。
鏡を見たら、本当に白ナスのような顔であった。「言葉の持つ恐ろしさ」をいっている格言が幾つかある。
自戒を込めて列記してみる。
・「神は言葉が持つ破壊的な力から私たちを守っていてくださる!
  鋭い刃物よりも胸を深く切り裂く言葉がある。一生胸に突き刺さったまま忘れられない言葉がある」
・「賢者の口は心にあり、愚者の心は口にある」
・「ガチョウのわめき声は、ライオンの爪よりも痛みを感じさせることがある」というスペインの諺がある。
・「黙れ、さもなくば沈黙にまさる言葉を口にせよ」 ーピタゴラス
・「ふさわしいことを話すのだ。それができなくては黙ることだ」
  ジョージ・ハーバード
・「気難しい口調で真実を述べるくらいなら、沈黙を守っていないほうがましだ。
  それは美味しい料理にまずいソースをかけるようなものだ」
  ーー
 言葉は人を生かしも殺しもする。一度発した言葉は元に戻すことはできない。
 これで人生の幅をいかに狭くしてきたことか。 特に酒の入った時の言葉の鋭さは「気違いに刃物」である。
 酒を飲むときは「一期一会」という気持ちで飲んでいるのが逆に悪いのだ。酒は脳に敵を入れ込むようなものだ!
 悪口や陰口は言わないようにしているが、逆に目の前では抑えることができない。
 今更、陰口に切り替えるわけにもいかない。陰口をいくら言われても、目の前でグサリとやられるより傷は少ない。
 あまり懇意な集会以外は行かないことにしている。 特に殿様蛙のあつまるところには。

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 2003年03月27日(木)
 722, 「日本酒について」

新潟といえば「酒と魚と米」と美人?である。新潟の酒に対して書いてみる。
朝日山の「久保田」とか「越の寒梅」などの全国的に知られている酒がある。
全国的でないが、ほぼ匹敵する酒として「麒麟山」や「雪中梅」や「〆張鶴」
「八海山」「マスカガミ」など数え切れないほど美味しい酒が多い。
私レベルの評価なので、かなりの先入観が入るが「ごく普通の新潟の酒飲み」の実感を書く。
・「越の寒梅」は確かに美味しい、といって「麒麟山」や「〆張鶴」などの酒と比べて
 ほとんど味のランクは変わらない。ブランドという自己満足という事だろう。
・「麒麟山」と「〆張鶴」と「越の寒梅」を並べて飲んでも、銘柄を当てる事が難しい。
・私の好きな酒は朝日山の「吟醸古酒」である。 ただ一時期飲んだが、今は飲んでない。
ワインを飲んでいる感覚になる。あとは「〆張鶴」と「辛口菊水」である。」
・地味だが、長岡の老舗の酒の「吉乃川」も美味しい。
あるレベルを超えると酒は同じ味に感じるのも事実だ。
ところで次元の低い話だが、日本酒の場合、二種類の酒を混ぜると
美味しいほうの酒に味が移行する。自分のブレンドをつくるのもよい。
以上のことは新潟の酒好きの人は大体同じことをいうはずだ。
新潟はこと酒と米と魚は間違いなく美味しい! あとは美人か?
 http://www.sakesake.com/kurabetu/12.html

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2002年03月27日(水) 358,縞模様

縞模様は、中世では囚人やらい病や魔女とレッテルを貼られた人に着せられていた。
悪魔の象徴の模様が由来という。それがパジャマの模様で着ているのは、どういう理由なのであろうか。
囚人服や病院服と似ているのは?悪魔の模様であったのが、いつの間にか日常に使われているのが面白い。
よこしま(邪ま)な野郎だ、という語源がここから来ているとは思えないが。
明治や慶応のラグビー部が確かこの模様であったが、知っているいるのだろうか。
いや相手がこの模様のために、少し臆してしまうのを狙う効果もあるか。
シマウマは悪魔の馬と聞いた事がない。そういえば葬式の時、バックに張る布も縞である。いやあれは縦縞か


2912,金を使うなら頭を使え!

2009年03月26日(木)

 榊原英資vs岩井克人の対談「金を使うなら頭を使え! 」
               ー新潮45ー09年2月号
 ここで学者と元大蔵官僚の二人は、この金融危機の深刻さをアッサリと論じている。
既にアメリカの金融全体に8兆ドルを投入していたのである。それだけ深刻ということになる。
一つAIGだけをとっても潰すことができない。潰せば残っているゴールドマンサックスなども
倒産してしまうからである。といって対処主義では、ここだけで数百兆円も投入せざるを得なくなる。
ということは、結果は知れたこと。 新ドルの切り替えか、国家デフォルトしかないことになる。
 ーまずは要点を抜粋してみるー
榊原は、
・まず「アメリカ政府とFRBが金融セクターに入れてある資金が8兆ドル(800兆)で、
 アメリカの金融システム全体が公的な管理に入っていると述べている。
・アメリカの消費が落ちなかったのは消費者金融のおかげだったが、それが壊滅した現在、
 国民は消費行動を変えざるを得なくなったという。
・金融危機ー>金融収縮ー>資金繰り難、倒産ー>マイナス成長ー>不良債権の増加ー>金融危機の拡大
 というスパイラルに入ってしまう可能性が大としている。
・そろそろ日本は「買うシステム」を整理する時期に来ている。
 円高を志向して強い円は悲観すべきでないという考えにならなければならない。
岩井は、
・1930年代の大恐慌と違うのは、ー各国の政府と中央政銀行が巨額な支援を行っていることと
 ー各国中央銀行同士が国際協調を行っていることである。
 半面に、グローバル化のために、そのスピードが速くて各国が対応の遅れが出る可能性があることである。
 最無担保商品に対する保険の債権=CDSを持っているのが97パーセントが金融機関で、互いにリスクを持ち合っていた。
 それは落語の「花見酒」の世界で、宴たけなわで、いきなり去年の9月にリーマンが倒産。それにより、リスクが
 補償されていたはずの債権が突如にリスクが跳ね上がり、その価値が無くなってしまった。
 それが60兆ドル=6000兆円というから、世界のGDPのほぼ同じになってしまった。
・80年前の大恐慌と違うのは、もう一つ、社会主義の崩壊である。その時は社会主義に夢を託した。
 その結果、国家社会主義とかいう妙な思想が台頭してしまった。ナチ、ファシズム、軍国主義となって
 第二次世界大戦へとつながっていった。今回の危機では社会主義は選択肢にはならないというコンセンサスがある。
 ベルリンの壁と、ソ連邦の解体で、自由の抑圧が我われに何をもたらしたかを、多くの人は共通認識にしてしまった。
 人は自由を知ってしまったわけだから、もう資本主義しかない。いかにボロでも、継をあてて守っていかなければいかない。
 資本主義は、自由の必然的な代償として、本質的な不安定を抱え込んでしまう。
 理想状態などありえずに、常にセカンドべストを目指すしかない。
  ーー
 以上だが、 アメリカは「公共財ー橋や道路」が多く痛んでおり、内部投資をする余地がある。
 しかし日本はもう充分すぎる位に 公共投資に投入、財政破綻の状態で無理。 
 その点では、中国もアメリカも早期の回復の可能性がある。
 これからは地方であり、それは第一次産業に入れると同義ということである。
 特に農業に対して衰退産業というレッテルを外すべきというのは、納得できる。

・・・・・・・・・
2548, 一神教vs多神教 ー2
2008年03月26日(水)
                (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
この本を読むと、現在起こっているアラブ対欧米の血みどろの争いの原因が透き通って見えるような気がするから不思議。
この本は、一神教の批判本であり、多神教については、あまり語られてはいない。
そもそも、一神教は奴隷の宗教、迫害された人々の宗教である。
だから、その根本は怨念があり、戦闘的であるのは見ていればわかることである。
「なぜ多神教は一神教に負けるのか?」という問いと、その答えが面白い。
 ーまずは、その部分からー
多神教は突きつめると、共同体の血縁幻想に支えられ、母親的、女性的に支えられているから、
それが一神教を打破することはない。戦わないということはないが、自分の範囲以上には自分の神々を
広めようとしないから、限度がある。逆に一神教同士だと、両方が普遍性を主張するから、血みどろの戦争になる。
共産主義も一神教です。 ユダヤ教かキリスト教の改訂版です。
一神教が普遍的現象なら、中近東以外の地域に別の一神教が出来てよいはずですが、発生しませんでした。
ということは、一神教は、自らの普遍性を主張しますが、本当はきわめて地方的な現象で、言ってみれば、
中近東の風土病ですね。一神教は、中近東の風土病で、強迫観念が強い。そして狂信的の重度の病気であるから、
絶対にこうでなくてはならないと信じているやつと、多神教のように、こうでも、ああでも、いいと思っている奴と
喧嘩をすれば、勝負ははじめからわかっている。 その結果、一神教が世界を植民地化していったのである。
 ーー
一神教は都市の宗教であり、多神教は農村の信仰であるということです。
世界宗教に発展するには、まず都市の宗教である必要があったのです。
 ーー
一神教は人類の癌だという意味は、一神教の唯一絶対神を後ろ盾にして強い自我が
形成され、その強い自我が人類に最大の災厄をもたらしているということです。
自我というのは、病気で、自我の強さは病気の進行度のようなものだけど、
その場合の最大の難関は、その両者が対決すると、自我の強い方が勝ってしまうということです。
つまり、人類は、病気の重い連中の方が勝つという絶対矛盾状況におかれているということなんです。
人類史でいえば、ネアンデルタール人が絶滅して、クロマニョン人の世の中になってしまったという時点で、
もう間違ってしまったじゃないか。クロマニョン人つまり現生人類は言語も宗教も芸術ももっている。
それ以前に、地球に人類が発生したことが間違いのもとだったということになる。
人類がいなかったら、人類以外の動植物はどれほど幸福だったことか。
 ーー
好戦的な狂信主義者といえば、それまでだが、あくまで中近東の風土病という表現は言いえて妙。
一神教は人類の癌というのも、思い切った言葉である。人類は癌というのは聞いてはいたが。
また明治政府以降の天皇制について、擬似一神教と看破しているところは頷けた。その辺は、次回に考えてみる。

・・・・・・・・
2007年03月26日(月)
2183, --つれづれなるままに--
                   (~Q~;)  おはよう??ファ?
 閑話小題

 ー大相撲についてー
大相撲は、初日と千秋楽が特に面白い!と随想日記で何度も書いてきた。
十両以下の優勝決定戦が千秋楽にあるのも楽しみの一つである。
今場所は白鵬が優勝をしたが、朝青龍との決勝決定戦で立ちあいで、飛んで叩いて勝ったためか、
後味の良くない終わり方をした。この数年は朝青龍時代である。白鵬が横綱になって「両横綱」という存在が
あってこそ面白くなる。相撲の日本での成り立ちは、神社への奉納のための力自慢の演芸?である。
朝鮮系ーモンゴル相撲が原点の可能性があるから、神社は朝鮮系であるから、原点回帰になってきた。
 ー春がきたー
この時期は多くのスポーツが重なる時期で、何ともいえない熱気がある。
プロ野球のオープン戦と開幕、春の高校野球甲子園、大相撲の春場所、
世界フィギア・スケート大会、サッカーの公式戦など連日おこなわれている。
これに卒業式、入社式と、進級、進学、そして桜の開花と初々しい光の日々となる。
昨日は庭の梅が一輪咲きだした。鴬は半月前から土手で幼い声で鳴いて梅の咲くのを待っていた。
いつ、庭で声を聴けるのだろうか。 春はやはり一年で一番良い時である。
 ー夢ー
数日前の夜半、うなされて呻き声を上げていたと、その翌日聞いた。
大した悩みは無いが、憶えている夢の内容は朝のモーニング・ページに克明に書いている。
そんな深刻な夢はみていないが!月に一度は魘されているという。ところで、昨夜半の夢は、
学生時代にいた寮の部屋にいて、そこに二人の知人が訪ねてきた。当時の知りあいではない。
他の人を訪ねてきたが、いないので私の部屋に上がる・・・という物語の夢がつづく・・・
 ー携帯電話ー
日本と外国との携帯電話では、利用目的が決定的に違うという。
外国の携帯電話の目的は、電話というコミ二ケーション手段であり、メールなどはあまり使わないという。
現在、携帯電話では外国製で圧倒されているが、数年もしないうちに日本の携帯電話が世界中を圧倒する
可能性があるという。日本の各社のメーカーの狙いは、「携帯電話の小型パソコン化で、
それとユビキタス(電化製品に組み込まれたコンピュータ化)と、ネットで結ぶこと」という。
携帯電話関連で十八兆円に市場規模があり、そのシステム構築のプロジェクトが多く進んでいるという。
携帯電話を超小型パソコン化するのは日本の得意とするところである。
デジタル化は止まることはないから、日進月歩の進化は続くだろう。
人類20万年らいの大革命の時代!というが、決してオーバーな表現ではないようだ。
                   ☆~~ヾ・ェ・)oバイバイ!  
・・・・・・・
2006年03月26日(日)
1818, あちら側の世界-1
                   (’0’)d おっ w(゚Д゚)w ハァ?                    
ウェブ進化論 ?1 ー読書日記
 
 ー概略編ー 
新聞広告をみて面白そうだと思っていたが、買って読んでみてショックであった。
(ウェブの世界の深遠をみてしまった!ということで)私のような門外漢でも理解できる内容がよい。
読んで現在進行しているウェブ世界の奥行きの深さを思い知らされた。
というよりGoogleの世界の奥行きを知らされた思いだ。
私の場合、毎日平均数?回はGoogkeの検索を使っているから、なおのこと理解できたのだろう。
そして、5年間このHPを維持してから。そしてamazonのHPの進化を実感してきたからである。
キーワードが現代のお金で、検索の向こうが現金引き出し機か、何でもでてくる自販機、
という譬えの世界である。ウェブのとてつもない世界が、向こう側で自己飛躍している。
ー資料をGooglの検索で集め、まとめてみた。ほぼ、この本の概要の7?8割は把握できるだろう。
(このプロセスで、この本を2?3回読んだ効果はあったが。本そのものの読み方もキーワードを
検索をしながら読むと、理解が早く深くなる。それより、やはり買って読んだほうがよいが。)
ー私の感想文というカタチにしたー
   ーー                  (。・・)_且~~ お茶                        
ウェブの世界の人達からみれば、何ということが無いかもしれないがその利用者として、驚きの毎日を過ごしている
此方側の自分が、著者としての当事者のアチラを含めたウェブの世界を鳥瞰している内容である。
ネットの「あちら側」と「こちら側」というユニークな視点で、Webの進化がもたらす影響を論じている。
(字数の関係でカット2008年03月25日)
                    ー つづく
    ーーーー
  「ウェブ進化論 」?本当の大変化はこれから始まる
   ちくま新書 ?梅田 望夫 (著)
             サラバジャ?  ゝ(-_- )
・・・・・・
2005年03月26日(土)
1453, おどろき、そして感動

「考えるにはどうしたらよいですか?」という純朴な問いかけがある。
この問いかけに対して、いずれの哲学書にも「おどろき」が「考える」突破口になると書いてある。
何でもないことの中にも、新しい発見を見つけ驚くことがその出発点になる。
驚きは、そのまま感動につながる。その感動が人生を動かす。仏教の教えの中に「驚きをたてよ」という言葉がある。
この言葉は、考える、生きるという面で深い意味がある。歳を重ねると、多くのことを経験しすぎて驚きが少なくなる。
しかし、歳をとって解ったことは「驚きが桁違いに多くなった」ことである。
知れば知るほど、その周辺に知らない発見が増えるからだ。
驚くということは、未知・無知の分野に果敢に挑戦して新しい何かに衝撃を覚えるということだ。
それと未知なるが故の不意打ちが驚きになる。 そして、それが考えにつながっていく。
無能の人は、何を見ても聞いても驚かない。驚く素養がないのだ。いや思い込みというバカの壁が取り囲んでいる。
破れている太鼓が音が共鳴しないのと同じである。隣の太鼓の音にもよい太鼓は響くが破れ太鼓は実際に叩いても音が響かない。
驚きには、その皮の張りが必要である。世界を旅をすると、驚きに満ちている。そして、その深い世界に感動をする。
こんな世界があったのかと、内面が爆発しそうなほどの感動を数知れず経験する。
そして対象にのめりこんでいく。人間は感情の動物といわれる。たしかに理性的な部分が人間たる所以だが。
人間を突き動かすエンジンのはたらきをするのが感情である。

感情は
・おどろき ・愛 ・憎しみ ・喜び ・悲しみ ・欲求の6つから成り立っている。
他の感情は、この6つの感情の組み合わせでしかない。希望はー>喜び+欲求  ねたみー>愛+悲しみ
この感情の中で「おどろき」は一番の根本にある。未知なものに不意に直面した時に、こころは変容する。
その変容の状態そのものが「おどろき」である。
おどろいて呆然と立ちすくむ状態である。おどろきは、最も原始的な感動である。
おどろきは未知なものが現われた時、それを説明できない不思議を自分に知らす。
正も反(喜びに対して悲しみ)の感情も越えた「おどろきの対象」に対して、
説明できる必要性が出てくる。おどろきは未知に対する無知に気づき、知的探求を刺激する。
あるイベントの会場で、BOSEのコンポを聴いた時に思わず立ちすくんでしまった。
聴いたことのないような音響におどろき、何回か足を運んで聴きなおした。
こんな小さなコンポから、こんな音が聞こえてくるのか不思議でたまらなかった。
そこで係り員から説明を聞いた。パンフレットを見て、その原理を知って、知人から情報を得て、
インターネットで検索をして、購入に至った。会場で聴いた音に対する、おどろきと感動が出発点であった。
そして、なぜ、どうして?と、その理由を探していった。昨日も早速、音楽に対する本を二冊買ってきた。
三枝成彰の「音楽の本」と、「CDクラッシクの名盤」である。
一流なものに接して感動と驚きをシャワーのように浴びなくてはならないのだ。
以前にも書いたが、親は子供に感動とおどろきをシャワーのように与えなくてはならない。
躾と、最高のものを知らしめることが家庭教育の基本である。おどろきを得るためには、3C-チェンジ、
チャレンジ、コンペティションがキーワードになる。挑戦しろ、変化しろ、そして戦えである。

・・・・・・・・
2004年03月26日(金)
1088, 商売人

「商才は西進する」とシルクロードの旅行で聞いたことがあった。ところが、曽野綾子の文章に同じ内容があった。
・東京商人は大阪商人に比べたら子供
・大阪商人は中国商人に比べたら赤子
・中国商人はインパキ(インド・パキスタン)に掛かったら、それ以下
・そのインパキもレバシリ(レバノン・シリア)に掛かったら、問題外という。
もしそうなら、世界一金持ちのはずだが、ここで言う商売人は小商人を言うのだろう。
そのレバシリもユダヤ人に掛かったら、馬鹿なアラブ人でしかないのだ。
ツアーで一番多く現地人と接しる場面といえば、市場などの商売人である。
そして、そこで安物の高値つかみをさせられる。まあ、それが面白いのだが。
商売人といえば、日本でも士農工商というほど一番下に位置づけられていた。
安く買ってきて高く売るのだから、胡散臭さや怪しさがつきまとう。
「男はつらいよ」の寅さんもテキヤという路上商売人である。瞬間芸でお客を騙してお金を稼ぐ仕事である。
第三次産業といえば流通・サービス業である。人の集まるところに、その機能が必要とされる。
初めは、自然発生のハエみたいなものである。しかし、その時代にそったニーズを一番敏感に感じ取るのが彼ら。
現在、日本が変になっているのは、商売人の強かさを失っているいるためだ。これも他人事ではない自戒のことである。


2911,人生は作品である

2009年03月25日(水)


 「 人間にとって、その人生は作品である 」 
    これは司馬遼太郎の言葉である。 
 「 人間には志がある。その志の味が、人間の味である 」という言葉もある。

 身近で亡くなった両親の生き様を見てきてつくづくと、人生は作品ということが理解できる。
そして生きている限りは未完であるところが、ミソである。
死んだ時に完成するが、その時は自分にとって関係ないことになるから絶妙。
哲学では人生を「劇場」に喩え、その役割配置から、その真理を突き詰めていく。
それぞれが人生劇場では主役。 それは第三者が口挟むことでない。 本人の意志に従う物語。
従って還暦を迎える頃になると、その物語の辻褄合わせが始る。
シナリオ、主演が自分であり、観客の一人も自分。 だから面白いのであり、悲しくもある。
自分で悲劇の場面と思っても、第三者の目からみれば喜劇に思える。(逆も言える)
 
 年齢を重ねて分別がついてきて、人生を振り返ると、顔から火が出ることが度々。
主役は次から次へと襲ってくる難問を乗り越えるのが役割。 難問そのものの内容が物語を決めることになる。
だから、問題に対して嘆いてはならない。(自分の火種もあるが)問題と本人の意志が自分の人生の作品を決定する。 
 
 キュープラー・ロスは<人生劇場は「レッスン=学び」であると看破> 「死の看取り」から、人生をみた時に
彼女は人生の奥義に気がついたのである。 産まれて、死ぬまでの、それぞれの時節に、それぞれの難問があり、
その難問を解いていく過程で学ぶことが人生であり、最後のレッスンが死であると職業を通して学んだのである。
これは学びというより、修養ともいえる。 解決不可能に近い難しい問題が押し寄せてくるのが人生。
それを解決するためには、問題に対して真正面から真摯に向き合うしかない。
目をそむけると数倍エネルギーが被さってくる。 それも作品だろうが。
 昨夜、女房と、「人生など二度とない、思い切って全てを処分して三年ぐらい二人で彷徨ってこないか?」
と話している夢をみた。 現状逃避がありあり!だが。 
そういえば、TVの旅行番組で、ある工場を定年退職した人が、全てを処分して買ったヨットで夫婦して
欧州の運河で旅行しながら生きていく姿を映し出していた。 何ともいえない人生の姿(作品)である。 

 ・・・・・・・・・
2547, パリ高級娼婦館女主人の告白 ?5
2008年03月25日(火)

゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚
ギリシャ神話の「ピグマリオンの神話」に登場するピグマリオンという王様。
自分の彫った女性像に恋をする。恋こがれた彼の想いがビーナス神に届き女性像は本物の人間になり、
ピグマリオンの恋が成就するというストーリー。
この娼婦の館の女主人は、ひとりあたり二年かけて、そのような理想に近い女性を作り上げる。
 その幾つかが、なかなか面白い。女性の魅力の作り方であり、真をついている。
(手練手管の熟練が自然と身につけるイロハである。)
・われ関せずの態度をとること。
・彼らが期待するイメージのみを与えること。
・自分の問題は自分で解決すること。
・巧みなセックス技術を身に着けること。
・ユーモアと優しさと悦楽を与えること。

彼らの実の妻や娘のできるはずのこと、できなくてはならないことを与えること、
つまり、自分の立場と役割を理解できる女性に仕立て上げることである。 
彼女たちには、大金を受け取るということは、その分だけお客に喜びを与えて、
仕事を正当化しなくてはならないことを知らしめることである。
こうして作り上げた高級売春の館と、他の店とはサンローランと、横丁の洋裁店の差があると、自負している。。
彼女は、子供時代に育てられた修道院での淑女の教えがあったのである。
銀座のママが新人のホステス教育の現場のドキュメントを見ていたとき、
「お客様には、世界で一番大切な人、と心から思い込みなさい」と言っていた。
なるほど、そう思われたら男というものは、何万、何十万もかけても通いたくなるだろう。
 そういえば、ジョークに「娼婦の館」という、とっておきの小話がある。
パリ高級娼婦館女主人の告白 ?
  ??
ー「娼婦の館のとっておきの話」ー ?
ある男、暇をもてあまし、知り合いの娼婦の館の女主人の所に遊びに行った。
「何かオモシロイコトないかね」と言うと、2Fのある部屋で裸になって
待っているように言われた。その部屋で待っていると鶏が1羽投げ込まれた。
鶏姦をという事かと面白くなり鶏を追いかけまわし、やっとのことで事を成し遂げた。
1週間後また退屈になり、再びその女主人のところにやって来てまた何か面白いことが
ないかと聞いた。それでは3Fのある部屋に行くように言われた。
その部屋に行くと、数人の男が隣の黒人3人と白人女3人のスワッピングを隠れみていた。
一緒になって見ていたが、あまりに面白いので隣の男に声をかける。
 その男曰く
「いや1週間前はもっと面白かった!馬鹿な素っ裸の男が鶏を追いかけて鶏姦をしていた。」
  ??
ー「インデアンの娼館にで」ー ?
白人のある男がインデアンの娼館で若いインデアンの女を買った。
いざベッドインでおんなが「クエックエッ」と身をよじる、それなりに満足をして
下のバーで飲んでいると、玉突きで遊んでいるインデアンの男達が時たま
「クエックエッ」と言っている。
マスターにあの「クエツクエッ」ってどういう意味だと聞いてみた。
 マスター曰く  ‘穴が違う!’  

・・・・・・・・
2007年03月25日(日)
2182, 「ライオン 空前の王交代劇」?2
            ( ^3)?♪ オハヨウゴザイマス!

「ライオンの空前の交代劇」を観ていた時に、一年ぐらい前の
「三頭の兄弟(放浪)ライオンの物語」を思い出した。
「検索」で調べてみたら「地球・ふしぎ大自然」で、昨年4月に放送されたものだった。
    インターネットは本当に便利である。
ーその内容をまずは紹介してみるー
 
 ライオンは猫科の中で唯一群をなして生活する動物である。しかし一つの群の中のオスは最大でも三頭ぐらい。
それ以外のオスは群に属しない放浪生活をする。だが放浪ライオンの生態についてはあまり知られていない。
今回この番組はその放浪ライオンの生活の記録を伝えている。
群の中のオスは、遅くとも三歳までに群を出される。これは近親交配を防ぐためであるとのことであるが、
元来狩が苦手な雄ライオンにとっては、これは試練の始まりでもある。
この番組では、ある三頭の兄弟を追いかけて、その生態について紹介している。
ライオンは同時に群を出た兄弟が一緒に生活する例が多いとのことである。
 群を出た放浪ライオンは、自らだけの力で生きていくか、どこかの群を乗っ取るか、
しか手はない。まだ力不足の三兄弟は、まずは自分たちの力で生き残る試練にさらされる
ことになる。食料の少なくなる乾期などの試練を乗り越えて、三頭はなんとか生き延びる。
 翌年、やや逞しくなった彼らは、群の乗っ取りを試みる。しかしながら他の群のメスに全く相手にされない。
結局彼らは二回の失敗後、幸運にも雄ライオンを病気でなくしたメス三頭の群と出会い、自分達の群を手に入れる。
もっともこれからの彼らは、その群を守る任務に追われることになるのだが・・・
ちなみにライオンが群を維持できるのは長くても三年が限度だとのことである。
ライオンが群で暮らすことは以前から知っていたのだが、あぶれた雄がどうして生活しているのかは
当番組で初めて知った。 やはり雄が自分の城を築くのは大変なようである。
ところでこれまた私が初めて知ったのは、雄ライオンが兄弟で行動することが多く、
群も兄弟で維持している場合が多いということ。ライオンの兄弟の結びつきが
これほど強いというのは、なかなか興味深いものであった。
 ーーー
 解) 前回は、メスのライオン・クループの視点の「王交代劇」 のドキュメントだったが、
 これは雄の放浪ライオンの立場の苦労物語である。(TV局も、制作会社も違うものだが・・・)
 百獣の王ライオンに、このような弱肉強食の世界があるのである。
 メスのグループにも、オスにとっても試練はどこにもある。
 人間社会と、似ているところが可笑しさと、悲しみを感じとれる。
 デ・カン・ショ、デ・カン・ショというが、人間の本質は動物とドコガ違うのか。
  まあ、ライオンの世界と人間の世界の違いを論じてもしかたないか?
 追い出されたオスが社会の中で、自分の居場所を確保するのは至難のワザではないのである!
 まったくである!
                  (℃゛)/ また、明日ね!
ーーーーー
2006年03月25日(土)
1817, 日暮里界隈 ?2
        ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚・:*☆

最近の定宿は日暮里のホテルである。 日本旅行社の元支店長の知人に、
「都心(東京?秋葉原)に近くて、安くて・便利で・気楽で、インターネットもあり、
 かつ面白そうな居酒屋が近くにあるホテルはないか?」と聞いたら、
「自分が定宿にしているホテルが全ての条件を揃っている」という。値段は7千円である。
そこが日暮里駅至近のホテルである。早速泊まったら正しく、ピッタリである。
おまけに7?8分歩いたところに谷中銀座という昔ながらの商店街がある。
ところが、たまたま同行した人が谷中銀座近くに10年近くに住んでいて、谷中の飲み屋街を熟知していた。
そのある一角に、タイムスリップしたような昭和半ばの雰囲気を残た路地がある。
殆どの店が、50代後半の少しクタビレタ?ママがやっている。7?10席位の店が両側に十数軒並んだ飲み屋横丁。
そこで4回も通って馴染みになったのが、沖縄料理の店である。少し高い?が、料理と泡盛が美味しい。
先日、長男と沖縄の店の後に入った店がトルコ専門店。谷中銀座を歩いていると、ある飲食ビルの一角から
騒々しい音楽とドヨメキが聞こえてきた。面白そうなので、玄関口までいってみるとトルコ人がいた。
『この騒ぎは何?』と尋ねると、『今、ベリーダンス・ショーが始まるところ。
トルコ料理一式とダンス鑑賞で一人三千円。面白いよ!』という。面白そうなので入ってみることにした。  
30坪位の絨毯のスペースに三十人位のお客が真ん中に空間を囲んで、車座に座っていて異様に盛り上がっていた。
お客の半分は在日トルコ人。あとは何と殆んどが若い女性である。そしてショーの開始。(=^‥^=)┘♪└(=^‥^=)┐
以前トルコに行ったときベリーダンスを見たが、それはあくまで観光用。ところが、ここは違う。蛇のように、身体を
くねらせながら色気を表現する。全員がが手を叩いて、音楽に合せて囃し立てるほど踊りが過激になっていく。
        ━ヾ(   )ノ゛ヾ( ゜д)ノ゛ヾ(゜д゜)ノ゛        
ところが日本人の女性のプロダンサー?が一緒に途中から踊りだした。
常連のようだが、身体の動きからみてダンサーのようだ。
そのあたりから雰囲気は佳境に入り、不思議なトルコの夜の世界になった。
まあ、大当たりの店である。その次に入ったのが『何と申しましょうか?』と、いう店であった。
飲み屋横丁の一番奥にあるスナック風居酒屋?の店である。
50代のサラリーマン風が4人座っていた。何とママが86歳で、手伝いが71歳という。
大年増というのが話題になりTVによく出るといっていた。お客とダンスを踊ったのには驚いた。
店の中は凄いアルファー波に満ちていたが、お客は癒しを求めてきているのだろう。      
                                 ーつづく
・・・・・・
2003/06/26
日暮里界隈 ー1
(字数の関係でカット09年3月25日)

・・・・・・・
2005年03月25日(金)
1452, 「仏教の根底からの否定」の文章ー2
    ー山根二郎かく語りきー2

ー前回に続いて印象的な部分を書き出してみるー

あのオウムが、教団の対立者を「ポア」という名で殺したが、これは特殊な教義を信奉していたからと信じられている。
が、しかし「救済」の名の下でなされる殺人の容認は仏教にも多く認められる。
私が書いた「仏教解体」は、仏教を根底から解体しつくした日本では稀有の書である。
そこに述べられている仏教否定思想は、これまでの日本にはなかったものだ。
内容の一部を紹介すると「仏教思想、禅思想」が、どれほど恐るべき非人間思想であるかということが分ってくる。
日本人は、この思想に取りつかれたままになっている。要するに日本および日本人は、戦前・戦中・戦後を通して、
今日まで巨大なオウムをやってきたことになる。「日本人は恐い」「日本人は特殊である」と世界の人々が
思ってきた根底は、これである。「世界の人々よ、気をつけろ。そして日本人よ、仏教から目を覚ませ」
般若心経で、 色即是空ってのがある。存在とは空だって意味だ。
無限耳鼻舌身意 耳も鼻も舌も体も心もすべて無だと言い切る。
浅原じゃあないが、まさに涅槃の境地に達しないと言えないことだ。
しかし、この凄いことを、我々日本人は日常で坊さんに言われ続けている。
葬式で般若心経を坊さんが唱える。月命日でも坊さんは仏壇の前で唱えてる。
「もともと、無いものが無くなったんだから、死んだからといって、そんなに嘆くな悲しむな。
殺されたからといって、そんなに怒るな」って言われていることになる。 葬式でこんなこと言われていたのだ。
いま、犯罪被害者の人権などと騒いでいるが、まっさきに糾弾されるのは坊主である。
 (字数の関係でカット2008年03月25日)
ーーー
以上のように初めから終わりまでこのような文章が続く。
この人の文章を読んでいると、全くそのとおりと思えてくるから不思議である。
極東の島国では仏教は丁度良い思想と思っていた。
禅坊主が「考案」とか訳のわからない議論をして悟り顔をしているも、山岳の多い風土には丁度良いのだろうが。
あのアブラハムが創りだした「アラーの神」も、東洋の片隅から見てみれば、砂漠の無知の民をマトメル為の嘘
ー方便にしか見えない。その反対に彼等から見れば山根二郎のいう論も、的を得ている。
この位の論を持っていないと、葬式坊主どもに集られてしまう。

・・・・・・・・・
2004年03月25日(木)
1087, ある日突然

ある日突然、今まで順調であった仕事や商売が成り立たなくなる時代になった。
以前は、時計屋が典型的な事例であった。
・25年前に、デジタル時計の出現でアナログ時計の売り上げが激減をしてしまった。
・10年前には駅前旅館も消滅をしてしまった。
・その後、業種店はスーパーなどの業態店の出現で殆ど壊滅した。
・そして、酒屋や米屋やガソリンスタンドなどの規制で守られてきた業界も一瞬で壊滅をしてしまった。
・最近では、駅前のあちこちにあったDPEの店もデジタルカメラとプリンターの普及で、
 いつの間にか無くなってしまった。
次は、何であろうか? 全ての経営者が自分のところではないだろかという恐怖の時代になった。
DVDとビデオレンタルの「ツタヤ」が光ファイバーとデジタルTVのドッキングで、
ある日突然消滅するのではという可能性を秘めているとか。
鳥インフルエンザで、京都の養鶏場のオーナー夫婦が「ある日突然」国家的犯罪者に
仕立てられ、自殺に追い込まれた。経営者なら誰も身につまされる出来事であった。
私の事業もごたぶんに漏れず、「日帰りの徹底」で、打撃を受けている。これに新幹線がテロに狙われたり、
SARD騒ぎが起きたら、ホテルの顧客はゼロに近くなる。本当に恐ろしい時代である。
あの絶対大丈夫と思われていたNTTや電力会社や郵便局でさえ、一歩間違えれば明日は解らない時代である。
時代の変わり目は、こういうものだろう。日々の科学技術の進歩が背景にあるのだ。事業も考えてみれば、
情報と技術の能力の差である。それが情報化で瞬時で格差がなくなってしまったのだ。

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2003年03月25日(火)
720,「お金の哲学」ー3

デフレになって、お金の価値が物の価値より上がってきて、日本ではタブーのお金に対して関心が増してきている。
過去何千年も祖国を追われていたユダヤ人は特にお金にシビアであるのも、
最後頼るべきはお金や金ダイヤなどの貴金属ということが骨の髄まで解っているからである。
日本人がお金に対して「お金は汚いもの」とか、「お金のために生きているのではない」
とか言っていられるのは、島国の環境の為である。世界中にお金を汚いとか、甘く見ているのは日本人だけである。
江戸時代の幕藩体制下の宮仕えの貧乏藩士の建前意識が、美徳としてごまかされ飼いならされた結果でしかない。
それを儒学で覆い被せて、それしか世界をしらない田舎侍たちを無垢に信じさせていただけの事。
上手く金は汚いものと洗脳してしまったのだ。惨めな話だが、それがそれだけの世界ならそれでよかったのだろう。
その意味でまだ日本はその影響下にあるのだ。「もう人生を終わってしまった敗残者か、成功した人が外装としての理屈」
の為に集まって、鼻声で儒学を楽しんでいる分にはよいが。これから一生を妻子を養っていかなければならない
真っ当な人間に、その教えをまともに教えている無知な人種がいるのが問題なのだ。
 現在日本がこのような状況にある根本原因は、この「虚勢犬意識」が国民的潜在意識にあるからだ。
もし一億のお金を貯めようとしたら、5百万の預金をしたとしても20年はかかる。
その為には2000万の収入を20年続けなければならない。その能力のある人は千人に一人?いるかどうかだろう。
それだけお金を蓄積するのは時間を要するものである。実際のところ 二代三代をかけなくてはならない。
 商人であった両親から学んだ事は、お金の大事さと、その使い方である。晩年になってよく父が言っていたのは
「お金の使いかた」である。 見栄でなく、本当に自分の好きな事に納得して合理的に、使うことだ。
そこには一点の隙があってはならない。稼ぐと同じくらい前向きに合理的に楽しむことだった。
 それを聞いていた割に全く身についてない自分は何故??装置産業の為に、大借金をしているためであるー言い訳か!
大儲けをして現金の山を見たことは一度もない。「健康法説いて あの世に先に逝き」ではないが、
「金のこと説いてた あのバカ夜逃げをし」ということになる可能性もあるからあまり偉そうな事を書かないほうがよい。

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2002年03月25日(月)
356,西アフリカー3
 ー能力探しー

今回の旅行で面白い人とであった。 予備校の講師でミュージシャン、今度小説を出すという。
年令が31歳、数学の本を何冊か出し、予備校の講師。 今回の旅行で3つの歌を作ったという。
音楽のゴーストライターもやっているという。ゴーストライターで本は聞いたことがあるが、
音楽では珍しい。 ミュージシャンと数学の先生の二刀流ということだ。
CDを数枚出し、有線でトップテンに入ったことがあるという。
「防波堤」は長岡のスナックで聞いた事あった。夜バーで聞いた弾き語りがなかなかよかった。
昼からビールを二本飲んでいた。夜もしかり。話しているだけで、自分の中の創造性が喚起される。
私の目では一応本物に見えた。エルミナの夕景を見にホテルの海岸に出たら、一人海辺に隣接している
誰もいないスナックでビールを飲んでいた。声をかけると、夕日で変わる海の色の変化を見ているという。 
これはいえない言葉である。何か変わった人だと気に留めていたが、家内からあの人はミュージシャンで
予備校の講師と聞いて納得した。その後何回か話す機会があったが、講師とミュージシャンの仕事の特性の
為か、相手を自分の世界に引き込む話術には驚いた。いや話術ではなく、その人の中味なのであろう。

http://yoshiki-o.hoops.ne.jp/  大上芳樹


2910, 閑話小題 

2009年03月24日(火)


 * ジュンク堂が大日本印刷に買収だと
 数年前に新潟駅南〈裏)に大型書店チェーンのジュンク堂が出店した。
御蔭で、隔週は必ず行くようになったが、それでは買うかというと買わない。
面白そうな本をメモを取りアマゾンで買う。持ち帰るより、年間送料契約2千円を払えば
後は幾ら注文しても送料はかからない。それと一度冷静になれるので、衝動買いを避けることもできる。
新聞などに扱われて破竹の勢いだったが、先週末の記事に大日本印刷に買収とあった。
好調なら、会社を売却することもないのだろうから、何処かで躓いたということになる。
ージュンク堂が大日本印刷の傘下にー asahi.com net
大日本印刷は18日、ジュンク堂書店(神戸市、工藤恭孝社長)の株式の51%を買い取り、連結子会社にしたと発表した。
同社はこれまでに丸善や図書館流通センターを買収しており、書店事業を強化する狙い。
大日本は、ジュンク堂が保有する自社株を取得した。ジュンク堂にとっては資本増強とともに、
大日本の持つウェブサービスを生かしてネット通販などが強化できるメリットがある。
 ジュンク堂は、専門書に強みがある大型書店33店舗を全国展開している。
08年1月期の売上高は405億円。大日本傘下に入っても、店舗名はそのまま変えない。
ーーー

 * パーク24が「マツダレンタカー」を買収
 これまたジュンク堂に続いて、驚いたニュースである。
事務所の至近距離に「マツダレンタカー」があるので、尚のこと驚いてしまった。
 ーカーシェア、普及加速 パーク24、マツダレンタカーを買収 ー nikkei.net
 大手企業が相次ぎ、車を複数の会員が共同利用する「カーシェアリング事業」に乗り出す。
駐車場最大手のパーク24はレンタカー大手のマツダレンタカー(広島市)を今月中にも買収、
全国約8600カ所に持つ駐車場を活用して同事業に参入する。三井物産やオリックスなども同事業を大幅に拡充、
5年後には国内で稼働するカーシェア用の車両が1万台規模に膨らむ見通し。
新しい都市型の交通システムとして定着することで、「所有」から「利用」へと車の使い方の転換が進みそうだ。
レンタカーが法人や観光客を主な対象にしているのに対し、カーシェアはより安く利用でき、貸し出し拠点が
住宅地にも分散するなど利便性が高い。
将来は電車やバスなどに次ぐ日常的な交通システムに育つとの見方もあり、今後も新規参入が相次ぎそうだ。

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2546, パリ高級娼婦館女主人の告白 −4
2008年03月24日(月)

やくざや娼婦の世界にも階級がある。差別だけは人間の性なのである。
弱肉強食の世界では、ついて回ることと割り切るしかないのか。
ーー
*やくざと娼婦の階級
やくざ社会の人間たちは、自分たちの行動をさして自覚もせず、大きな子どものようにふるまっていました。
 彼らはグループに属し、その中で権利と義務を持ち、名誉の掟`というルールと階級を重んじていました。
 ・階級の一番上には詐欺師、
 ・次に力自慢の暴力分子(カツアゲ・・・)
 ・そして一番下に売春婦のヒモがいました。
  ヒモたちは、さらに自分たちの女が勤める場所別で、それぞれの階級に分かれていました。
  ドレーヌ寺院の界隈、オペラ座界隈、ブロデル通り界隈といった具合に。
 ・犯罪者の最下級は強姦犯でした。
春宿が許されていたこの時代にはまれでしたが、この罪を犯すと刑務所のシャワーの下で首を絞められて殺されるのが常でした。
組織の若者たちのほとんどは仕事が見つからないのでこの仲間に入り、裏社会での活動をゲームのごとく行っていたのです。

 当時よく下された有罪判決のひとつは、やくざ隠語で「トリック」、つまり「滞在禁止」と
いうものでした。ならず者は、大部会に住む権利を剥奪されたのです。
パリの郊外、とりわけフェルテ・ジュアールでは、都会を追放されたならず者たちが、
パブを経営していました。 そこで皆はおいしいものを食べ、ボートをこいで、
ア〒ディオンの演奏に耳を傾け、踊り、享楽の時を過ごしていたのです。
歩道で客引きをする若い娼婦たちは、彼女らのヒモに順番に連れてこられるのです。
彼女たち一人ひとりは、他の女が自分たちの前に連れてこられたことも、後に他の女が連れられてくることも
  知りませんでした。彼女たちは、自分ひとりがヒモの女と信じていました。
 ーー
一番、卑劣な詐欺師が上のランクとは?どういう理由なのだろうか?
頭を使うということか? どの世界にも知的?ということが必要ということか?
逆に、頭の悪いのが、娼婦と強姦男。共通しているのが、下半身に振り回されていること。
一番大事な中高校時代に、コントロールできないで人生を棒にふる色々な人たちも、
共通しているか? それも良いが、下半身のため、人生の背骨が歪んでしまっている人が多い。

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2007年03月24日(土)
2181, 「ライオン 空前の王交代劇」
           オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
 NHKハイビジョン特集「ライオン 空前の王交代劇」(2007年 3月21日 午後8:00〜午後9:32)
これが非常に面白い内容で、アッという間に90分が経ってしまった。
ケニア・タンザニア・南アフリカのサファリに5回行き、ライオンの群を多く見ていたた。
(翌日は同じ時間帯で、像の群れの物語を放映していた。     
場所はタンザニアのセレンゲッティー国立公園の「マコマ・ヒル」という名の、小高い丘の一帯である。 
総勢40頭を誇ったライオンの群れの「王」ショーンとパトリックが、突然に行方不明になった。 
在位7年というから長期政権だった。群れは新しい王が必要となる。
そこでオスを呼び寄せ誘惑、新たな王として相応しい雄の値踏みをする。
この番組は、その王交代劇を克明に伝える内容である。メスは子供をつくり最後まで育て上げるために、
  強いボスを必要とする。
ライオンの群れは血縁関係を持つメスと子供から成りたっていて、普通は2頭の兄弟雄が「王」として君臨している。
群を組んだ放浪ライオンの対抗上、二匹のボスでなくてはならない。 これが他の動物と違うところである。 
  グループの大きさによっては一匹もあるが。
2006年、二匹の「王」の行方不明で群れは大混乱に陥り、群は3つのグループに分かれていた。

・まず幼い子供たちを持つ母親たちは、侵入して来るオスを避けて群れを離れた。
 新しいボス候補が、前の王の子供を殺すからだ。
 最終的に、このグループの子供は殺されたり餓死で一匹もいなくなっていた。
・次は子供を持たない若いメスのグループで、においと声で積極的に新しいオスを呼ぶ。
 そして思わせぶりな態度で誘惑し、オス同士を闘わせて値踏みを始める。
・最後は、年増の子供がいないグループで、最後まで様子をみている。

グループの周辺にも、幾つかの群の放浪雄がボスの座を狙い徘徊している。
メスは新しい王を選ぶ時は、非常に冷静な判断をする。
強くなければ産んだ子供が新しいボスの子殺しにあうからだ。

この番組の圧巻は、最後に決めるギリギリのところで、隣のグループの王を誘って、
  決めかねている雄と決闘させる場面である。二頭は数時間もかけて闘うが、最後はその雄が勝利する。
メスは、新しい候補の雄の年齢や、健康、たて髪の大きさなどを冷静に見極める。
候補が何匹も現れるが、適任でないとグループに拒否されスゴスゴと引き上げる。
このあたりは人間と同じである。女性の場合は相手に大きく左右されるからだ。。
男より数段も冷静に相手を見定めるのは女性の本能として仕方がない。
  これは男とて同じだが、家庭は男の稼ぎが大きな要素をしめるから
 やはり女の方が相手次第による要素は大きい。 但し何ごとも例外があるが・・・

そういえば10年以上前になるが、やはりNHKの特番でライオンとリカオンの
群れと、群れとの争いを克明に放映していた。 あの内容も、迫力のある殺気立った内容だった。
              (○´・д・)ノ  バイバイ!
・・・・・・・・・
2006年03月24日(金)
1816, 靴修理の面白さ
         (○´・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●)

最近自宅にある、捨てるに捨てられない靴を5足を修理してしまった。
殆どの靴の踵部分が消耗して擦り切れてしまう。
靴ヘラを使っているが、先ずそこがボロボロになってしまう。特に廉い靴は直に傷む。
ウォーキングと通勤で、普通の人の倍は歩くため消耗度が大きい。
  最近まで履いていた靴の右足の小指の部分が割けてしまった。靴屋に持っていけば最低5千円以上はとられる。
  そのウォーキング・シューズは私にすれば高めの1万2千円である。 直すに直せないし、他は頑丈に作ってあり、
  3年以上も通勤、ウォーキングに、海外旅行にと、履き続けてきたので馴染んでいる。

ジッと見つめて知恵が出てくるのをまった。 内側から踵の修理用の部品を貼り付け、
外側から傍にあった金物修理用ボンドを埋め込めば何とかなる!と。こうなると、遊びの領域になる。
  そして無事完成してウォーキングで履いてみたが完璧に直っている。
その上を黒の靴墨で塗りこんであるので外見からも分らない。
そうすると俄然面白くなって、踵の磨耗部分などは簡単に直してしまった。
新しい靴の踵部分に初めから修理用の部品をボンドで貼り付けておけば、
靴ヅレの心配も無くなり、靴の事前メンテにもなる。何ごとも楽しむことだ! 
                 (。・・)_且~~ お茶
そういう訳で、我が家の玄関にはウォーキング・シューズが9足も並んでいる。
玄関のドアがガラス張りなので泥棒よけにもなっている。判ったことは、高めの靴は履きやすいことと、
長持ちをする。それと履けば履くほど使いやすくなる。
けち臭い話だが、殆んどはウォーキング以外は履かない靴だから修理の部分も気にならない。
自分で治すという発想が今まで無かった。しかし自分で治せると判れば良いものを買って、
  メンテをして長く使ったほうがよい。
                   ヾ(●・з)ノ" バイバイ
・・・・・・・
2005年03月24日(木)
1451、「仏教の根底からの否定」の文章−1
  ー山根二郎かく語りきー

ある雑誌で山根二郎という人の文章を読んで、ただただ驚いた。仏教を根こそぎ否定・批判しているのである。
  ここまで仏教を根底から批判している文章も初めてお目にかかる。

宗教業界の坊主の質が悪いと思っていたが、仏教を根底から否定している日本人に初めて出会った。
それが正しいとか、間違っているかが問題ではない。日本のような仏教国?で、あからさまに否定できる知識に驚いている。
また、その豪胆さにも。反面、マイナスから照らした仏教の教えの真髄も見えてくる。
江戸時代に、幕府がキリスト教を封じ込めるため寺請制度に問題があった。
市役所の戸籍の役をお寺に丸投げをしたのだ。 もし人別帳から外されたら大変な事態になるからだ。
そこを利用した坊主の利益享受システムが、長年にわたってつくられた。
その流れをそのまま受けついでいるのが現在の仏教業界である。
不幸につけこんだ搾取を、立場と信心を利用して行なっているのだ。
それに対して、誰も声高く批難できないのが島国の環境のためでもあった。
それと似たことが、中世キリスト教会も行なわれていたが。
まあ創価学会にしても、その類でしかない。自分達だけは無税と手前勝手な屁理屈で大手を振っている。
一年ほど前、寺から京都の本堂の改築のため、一万の寄付の要求をしてきた。
「この不景気に何をいっている」と言いたいが黙っていた。全く坊主丸儲けである。
山根は、その根底から否定しているから痛快である。ー以下は彼の文章のポイントを抜粋したものである。
 −−
仏教が入ってきて日本を悪くした。日本人は、なぜこんな空・無の思想に取りつかれたままなのか。
それは、もともと「私」という観念が希薄な列島の部族的存在としての日本人の意識の上に
  「自分というものはどこにもない」という仏教思想が張り付いてしまったからなのだ。
  だから永遠に「私」という「個」の意識など生まれようがなく、日本人はいつまでたっても
  「色即是空」の中に封じ込められたままである。ハンチントンが「日本人は孤立している」と言ったのはこのことなのだ。
日本人は孤立していくのではないかと感じだしているが、その一番の原因がどこにあるかは誰も分らないまま、
  日本人はますます仏教にのめりだしている。その仏教そのものが、日本人が世界で孤立していく最大の原因なのだ。

今日本で起こっていることは、「仏教」をやりながら「近代」もやってきた。
本居宣長の言葉を借りるなら、虫のよい「きたなき心」の日本人の崩壊が
始まったということである。結局日本人には近代化は無理であった。
たとえば、地方都市のある禅寺では、坊主が、本堂とてめえの住まいを
建て替えるといって寄付を募ったところ、瞬く間に檀家から13億円が集まった。
本堂と総檜造りの住まいで7億円の普請で、6億あまった勘定になる。
これこそ坊主丸儲け、笑いが止まらない。その坊主の住まいが本堂管理棟と言うそうだ。
こいつらには一銭も税金を払わなくてもよいようになっていて、
税制改革といっていても、こいつら宗教法人には非課税を撤廃せよという声は聞こえてこない。
 (書き写していて全く痛快である。よくここまで書けるものだ)
                      
                         まだまだーつづく
以前書いた仏教批判の文章をコピーしておきます。
 ーーー
2002/12/30  葬式仏教の由来
(字数制限の関係でカット2,009年3月)

  ・・・・・・・・
2004年03月24日(水)
1086, 疑惑

台湾で陳総統が0・2佑虜垢悩徳されたニュースを報じていたが、胡散臭い銃撃事件と思いざるをえない事件。
この事件が無ければ対立候補が絶対有利であったからだ。自作自演事件?と考えるのが、穿ったみかただろうか。
政治家なら、平気でその位のことをするものだ。腹を丁度よく横にかすめたものである。
おまけに、隣にいた副総統の足にも当たり負傷をしたという。弾丸まで車の中で発見されたとか。
対立候補は早速疑わしい状況があったとして『この選挙は無効』と宣言している。
台湾では抗議行動が進んでいるが、後進国の一つの現象と割り切ってみると漫画的でもある。
何処かの国の密室政治も外部から見たら、このレベルの世界だとも言えるだろう。

ある月刊誌に『逮捕されたイラクのフセインは替え玉で、本物はアメリカの手で実際は匿われている』と書いてあった。
まさかと思いつつ読んでいると、なるほど有得ると思ってしまう内容であった。
情報化社会は、実際に表面化している情報が本当かどうか一度疑ってみる必要がある。
情報操作が簡単になったからである。哲学者が、こういう情報化社会の現象をイチハヤク解剖ー分析ーをしている。
真実と現象の構造を、精密に説明してみせている。
事実と思い込んできたことが、実は虚構でしかなかったというのは人生を振り返ってみるとよく解ることである。
ソ連邦や東ドイツが崩壊した時に、その共産主義を信じて疑わなかった多くのエリート官僚が、その虚の崩壊に
  呆然として精神の異常をきたしたという。テーマと少し話しは外れたが、今度の台湾の総統の茶番は
  アマリにお粗末である。  他山の石として見ている分には面白いが。

・・・・・・・・・・
2003年03月24日(月)
719, 「私の無名人名語録」

永六輔の「無名人名語録」があるなら、「私の無名人名語録」もあってよいだろうと考えてみた。

・「会社を良くしようと思ったら、よい人間をどんどん入れることだな!ゴミがすぐ浮いてきて、出て行くんだ」
    ーあるセミナーの隣席の社長が言っていた。
・「事業で大失敗をするほど、どういうわけかその都度大きくなるんだよな〜」これも事業を立ちあげた社長から聞いた。
・「地方って3流の人物が親の財産をバックにしてさ、一流と思い込んでいる奴が多いだろう。
    おれは田舎のプレスリーって奴」。
・本当にあった話だそうだが、もう亡くなった往年の二枚目俳優の田宮二郎がある地方の温泉街を歩いていると、
   「田宮二郎一座」という劇場があった。面白がって入ったが途中で腹が立ってきて座長の所に終わってから行った。
 文句を言うと、戸籍を出して、田宮二郎が実名ということが解った。
 ところがその座長曰く「いいですよ、私の名前をそのままつかっても!」
 と逆に言われたそうだ。これこそ無名人?語録である。 変な逸話をおもいだした。
(字数制限の関係でカット2,009年3月)

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2002年03月24日(日)
355、西アフリカ旅行記−2

今回の旅行は西アフリカのコートジボアールとガーナとトーゴとベナンの4カ国を突き抜けるバスツアーであった。
人間の頭に例えると、インド洋が顔、大西洋を後頭部とする。その後頭部にあたります。
1000舛隼廚辰討い燭実際2000舛任△辰拭バスツアーそのものを楽しむものだった。
ほとんど景色は変わらず、淡々とした旅行でもあった。やはり異質性はあった。
東洋人を全く見たことがないようで、彼らの好奇の目に驚かされた。

何処でもそうだが、こういうところは市場が面白い。各地の市場にいったが現地の特性があり生活の匂いがしていい。
彼らは写真を撮られることに、異常に拒否反応を示した。
4カ国を短時間で見て、それぞれの政治情勢が手に取るように解った。
当然のことだが、政治の重要性を感じとることが出来た。
奴隷についても、日本でもありえたのでないか。隣国が海で囲まれていない場合、
戦争捕虜を皆殺しをしないで、隣国に売り払った可能性があった。
戦国時代は負けたほうは、条件をつけない場合は皆殺しであった。

何処がどうという事でなく、トータルで異国情緒を愉しむという旅行であった。
同行者もアフリカのみならず、世界中を行きつくしたツワモノぞろいであった。
私にとって行きたい処の情報の宝庫であった。もう一つの楽しみの同行者がよかった。
何かを背負い、また降ろしてきた人生のツワモノ達でもあった。
こういうところに来る人は、変わった人というより旅行をしているうちに
ここに行き着いたという人が多い。その中で感性が磨かれたものと思われる。
それと初めから何かのきっかけで来ているか、どちらかである。
これから数人具体的に見てきた人を紹介してみる。


2909, 寝入る瞬間を経験したことがあるか? −2

2009年03月23日(月)

 学者・マギー著「哲学人」が、自宅近くの長岡中央図書館にあった。
この本の冒頭に、5歳の頃に「寝入る瞬間がわかるかでどうか」を3歳上の姉に聞いたところ、
「そんなことを憶えている人がいるわけがないでしょ」と軽く言われ、そこで自分の眠る瞬間を見張っていたが、
出来なかったという。 それをキッカケに7〜8歳の時に指を見つめて一本ずつ曲がるかどうか試したら、
一本ずつ曲がったのを驚きの目で見つめたという。 そして10歳では・・・と、身近な疑問が次々と起こってきたという。 
400ページの分厚い本で上下巻あったが、30分ほど図書館で「寝入る瞬間の経験を何故できないか」の部分を調べたが、
調べた限りではなかった。 これは簡単に論証するには至難ということである。 カント哲学の分野ということだろうか?
 前回、軽くその答えを書こうとしたが、訳の分からない内容になったのは当然のこと。
マギーが、その後の人生で寝入る瞬間の経験をしたことはなかったようだ。
もし経験していれば、正直にそこで書いているはずである。 それを経験したことのない人や、
哲学的に「寝入る瞬間を経験することが不可能と論証された」を信じる人がいるとしたら、私の経験はウソと判断するはず。 
しかし、私は間違いなく、その瞬間を経験したのである。数十分の一か、数百分の一の刹那であったし、それは夢ではなかった。 
「あ、見た!」という感覚を今でもはハッキリ記憶している。

 マギーが「寝入る瞬間を何故、経験できないか」の論証があるとしたら、如何なる論か推測したが、
あまりの好い加減と恥じて、それならと懲りずに考えたみた。こと、この件に関して私は実際の経験をしているのであるが、
そうであれば、この大哲学者より私の経験が優っている。それなら、もし彼が好い加減な論の推測を気楽にできることになる。 
 ーその後の推論は次のようになる
「寝入る!と思って寝れない。ということは意志では無理である。意志の奥にある無意識が引き込む世界で、
意識の世界でコントロールは出来ない。その瞬間は膨大な無意識の世界が意識を無に引き込む刹那な瞬間であり、
それは意識は捉えるには、その瞬間はあまりに短い。その瞬時を見るなどありえないほど、膨大の瞬時の集まりが大きい。
更にいうなら、無意識(寝入った世界)が引き込む精神作用は意識世界の作用でコントロール出来るほど浅くはないのは
経験済みである。その瞬間を見るのは、神の姿を見るのに等しいといってよい。無意識とはそれ位、生物の膨大な記憶が
刻印されている。 ・・・・ ー
 こんなところだろうが、好い加減なことは大して違いがない。「神の姿を垣間見た」と類推するのは、言い得て妙だが。

・・・・・・・・
2545, パリ高級娼婦館女主人の告白 ?3
2008年03月23日(日)
                 ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
女主人の一番の栄誉が、J・F・ケネディが館に来訪したことだろうか?
当時、こういうことを言ったら消されただろうが、時間の経過で身に危険がないと
判断したためだろう。 真偽のほどは解らないが嘘までデッチあげないだろう。
所詮ズボンから下のことは、こんなものだろう。 政治家は言葉である。
国民に方向をしっかり告げて、底からエネルギーを沸かせればよい。
ともかく、この本、どの部分を読んでも、具体的でおもしろい!
 ーー
ある朝、私はアメリカ大使館から電話をもらいました。
「VIP(大変重要な人物)が今、パリにおしのびでいらしていますが、
 最高に品格のある女性をと望まれています」その話し相手はつけ加えて言いました。
「彼に、その女性があなたの館から来たということを、知られてはいけません。
 私たちは彼女のことを、大使の友だちのマヌカン(モデル)として紹介します」
「まったく問題ございません。私のところにそういった場にふさわしいパーフェクトな
 イギリス女性がおりますので、彼女を送ります」
翌日、娘はとてもエキサイトしてオフィスにやってきました。、
「クロード、大統領だったのよ」「えっ、どこの?」と、地球の支配者達に、何の感動を覚えなくなっていた私は、
ぼんやりと尋ねました。「ジョン・F・ケネディよ」「あら、ラッキーね」と一瞬、すらりとした彼の姿を想像し
あがら答えました。「彼、私と今夜も会いたいんですって」と動揺しながら、娘はつけ加えました。
「それで、私は彼に、多分ね」と言ったのよ。彼は私が家族と一緒に住んでいて、
いつでも自由なわけではないと思っているのよ」私は指示(つまり彼らが支払うという)が出ているかどうかを調べるために、
アメリカ大使館…に電話を入れました。 大使館員は少し考えた後、「OK」と返答しました。
大統領が滞在した一週間というもの、同じシナリオが繰り返されました。
ただ大統領の情熱と娘の情熱が、日に日に強くなる一方で、支払い義務のある大使館の熱意は
薄らいでゆくばかりという誤差はありましたが……。

フランス訪問を終え、彼はワシントンに向けて出発しました。娘は少しメランコリックになり、
アメリカに行くための航空券を送ることを彼が約束してくれた、と告白しました。
それには、私たちは笑ってしまいました。 誰でもが途方もないことを、約束するのです。
まばゆい時間が過ぎてしまうと、彼らは約束を忘れてしまうのが関の山でした。
ところが数週間たって、娘は航空券を受け取りました。私が大使館に電話すると、
「こうした行為のために、さらにお支払いをすることはいたしかねます」と、言われました。
娘も私もすぐ忘れ、そして数ヵ月がたちました。 ある朝、電話で、謎めいたアメリカ人が、
私に面会を求めてきました。彼は、私の電話番号を大使館から聞き出すのに、苦労したと話していました。
ケネディ大統領と話していることに私が気づくまで、数秒間かかりました。
まず彼に、私は誰ともお目にかからないということをお話ししました。
でも、彼はしつこく頼んできました。最後には、彼の押しと魅力に負けて、OKをしてしまいました。

一時間後、どきどきしながらドアを開けると、まるで双子のようによく似た二人の大男が立っていました。
名刺を手にして、彼らは大統領をガードするための特殊警護班に属していると告げました。
そして家の中を少し見せてもらえると嬉しいと言いました。 
少しためらいはありましたが、彼らを案内しました。数分たってから二度目のドアのベルが鳴りました。
ドアの前に、最初の二人によく似た三番目の男が立っていました。
「私をFBI全員に引き合わせるつもりかしら」と、私は驚き半分で考えました。
若い男が身を引くと、後ろに大統領が立っていました。彼は楽しそうに、でもはっきりと言いました。
「私を、一人のに娘に夢中にさせ、そして、彼女が大使のガールフレンドだということを信じさせてくれた
 有名なマダムにお会いしたいと思っていました」
「ええ、彼女ほ大使の姪で、美しくていい娘です。どこの国の大使かは申しませんが」
と、私も言い返しました。私たちはどっと笑いました。 今でもあれほど素敵でチャーミングな、
そしてあれほどまでに悲しい運命にあった男性と、ともに分かち合った笑いを思い出すのです。
 ーー
 これを読んでいると、本当と思われるが、マリリン・モンローとも浮名も本当だったのだろうか?

・・・・・・・・・・
2007年03月23日(金)
2180, 14歳の君へ ?2 
              オッ(*^○^*) ハ?ヨウサン!
             ー 読書日記
ー勉学ー についてが、考えさせられる内容である。
私自身、この歳になって学ぶことが、飛躍的に?伸びている。
何ゆえかというと、知った分だけ自分が広がっていく実感と、充実感がよいから意欲がわくためである。
それと、このHPを持ったことも含め、情報環境が飛躍的に良くなったことである。   
この20年近く秘境・異境に行きつづけて、大自然や異境の文化・文明との出会い、
感動を重ねている感覚に似ている。ツアーと旅とは似て非なるものである。
それぐらい解っている。旅は目的地そのものへの到達と、そのプロセスを味わうもの。
その困難性やハプニングの中にこそ、味わいがある。ツアーはプロセスを楽しむが、それは企画された範囲である。
企画側のストーリーの中での、危険を最小限度に抑えて楽しむ遊びである。
しかし一つの事例として、北スペイン「パンプローナ牛追い祭り」の二週間のバスツアー。
旅なれない個人の企画の旅より、20人位の人が大型バスを一台借り切った方が、効率が良い上に、
最大限の観光が可能となる。またケニア、タンザニアなど個人では危険があまりにも多すぎる。
そこで仲間を集って経費を合理的に使う、これが現在のツアーの価値となっている。
勉学と少し話が違うようだが、自分の中の知識・見識の蓄積ということでは、同じである。 勉学の目的「賢くなるため学ぶ」
ことである。  目的(地)は賢くなることで、良い学校を出て、良い会社に入ることではない。
良い学校・会社に行けば、賢いやつが多くいるから、賢さの意味や、手法・手順が身に付くが、しかし目的(地)ではない。
そのプロセスこそ重要ということでは、旅の道程を楽しむことに似ている。

ー考えさせられた箇所を抜粋してみるー
ー「14歳の君へ」から
P-60
「勉強ができる」ということと、「賢い」ということは、違うことだとわかるだろうか。
君たちが普通、「あの人は勉強ができる」と言うとき、たいていそれは「成績がいい」
ということだね。だけど、「賢い」というのは、そういうこじゃない。
たとえば、なぜ言葉というのは、そんなふうに活用するものなのか、なぜ活用することで言葉の意味は変わるのか、
そういう問いをもっていることだ。問いをもって、自分で考えていることだ。あるいはローマ帝国の本を読んだとして、
なぜ帝国は滅んでしまったのだろうか、滅ぶということは人々にとってどういうことだったのか、そういう問いをもって、
それを自分で考えることだ。教わったことについて自分で考えることことだ。
君は授業で教わったことを自分で考えたことがありますか。・・(中略)自分で考えたことは、決して忘れることがない。
その人の血肉になり、本当の知識になって、その人のものになるのだ。人が賢くなるということは、こういうことだ。
言葉はなぜ活用するのかを考えるということは、自分がふだん使っているこの言葉について考えることだし、
ローマ帝国の崩壊と人々について考えるということは、同じ人間としての自分の心や行為について考えることだ。
考えるということは、必ず、自分のこととして考えるということだ。
すべて自分に関係のあることとして考えるということなんだ。

P-65
(字数の関係でカット2009年03月23日)
ーーー
解) 14歳の子供に説教するのだから、わかりやすく、かつ面白くなければならない。
それも勉学の必要性を砕いて説かないのだから、哲学者の真骨頂になる部分である。
このような情報化の時代であるからこそ、「知性」が問題になるのである。
問を持ち、答えを求める姿勢こそ、学問から得る最大の習性である。それが知性となり、教養となっていく。
「知るということは、賢い人生を生きるため」と、言われてみて、果たして私の人生は賢い人生だったのだろうか?と、
問い直してみると、反省すること大である。 もちろん、私は賢い人生を過ごしてきましたと思ったとしたら、
間違いなくバカの人生を過ごしてきた!という逆になってしまう。
「まあ、いいか!こんなものか!」と、独りブツブツ言うしかないか!
賢いとは、いま思いつく解釈は、「ものごとの本質を、一瞬で読み取る感覚、能力」
「感動、感激をする能力のある人」である。それと、「主体性のある人」である。
                                    ¥(*^_^*)\ バイバイ 
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2006年03月23日(木)
1815, 近聞遠見
         ォ'`ォ'`( ゚,_・・゚)ノ"ォ'`ォ'`ョゥ
先日の毎日新聞のコラム「近聞遠見」の岩見隆夫の「岩国哲人の『偽の国』論」が含蓄が深い。
  ーまずは、その内容を紹介してみるー
 (字数の関係でカット2008年03月23日)

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 2005年03月23日(水)
1450, 書く(一人、語る)ということ ?2

このHPを開設をして、あと1ヶ月あまりで丸4年になる。
よく書き続けてきたと思うが、私自身にとって開設前と後という位のインパクトがあった。
書き出して公開するということは知性の乏しさや品性が出てしまう。
20代前半の日記を読んでみると、書き残すという意味と必要性が解る。
問題はその後書き続けてなかったことである。書き続けていれば、人生は全く違ったものになっていた。
日記など、自分の考えを書き続けている人は1?しかいないという。それだけ自分の気持を
書き連ねることは大変なことである。記憶として思い出したくないことが人生には多いからだ。

随想日記は、考える生活、語る人生への転換であった。
(それまでも少しはあったが、毎日書き出すことはしてなかった。)
・考えることが少ない生活から、 考える生活へ
・必要なことを求める生活から、  知を求める生活へ
・役立つものを価値としいた生活から、目先は役立たない価値を求める生活へ
・常識に従う生活から、        常識を疑う生活へ
・実生活の利害から物事をみる見方から、 真実を見ようとする生活へ
・日常の会話重視から、          哲学的論理を重視する生活へ
 と変わっていった。  

これは一般社会の見方を根底から否定することになる。
それ以上に自分の知識欲求が、日にちを重ねれば重ねるほど大きくなっていくほうが素晴らしい。
しかし、興味本位でみている人は少しは納得はするが?、何か可笑しな戯言に思えるだろう。
過去の天才を調べると、共通点は日記や、詩、手紙などに自分の気持や考えを雄弁に書いていたという。
天才などなりたくもないし、なれるわけがないが、脳の基礎構造を拡大している実感がする。
4年間書き続けてみて、内面のコペルニクス的な大転換を経験している。おそらく、このペースで
あと6年間ー合計10年続けたら、何かが爆発する予測はできるが、それが具体的に何かはわからない。

一昨日、NHKの「クローズアップ現代」で、‘最近の若者が気楽に小説を書くようになった’という特集をしていた。
全く、他の本を読んだことがない若者が芥川賞をとってしまうのだ。
携帯やパソコンでメールをしているので、いつの間にか文章力、表現力がついてしまっている。
おまけにインターネットやゲームで感覚が研ぎ澄まされている。彼らの文化もチャンとできているのだ。
言葉とイメージは人間に対し、神が与えた最大の能力(脳力)である。

0・・・・・・・・
2004年03月23日(火)
1085, 「80対20」革命 ?3 (読書日記)

現在、全ての企業は新しいコンセプトの創造と、その業態つくりが求められている。
その一点に、全てのエネルギーをむかなくてはならない境目の時代である。
ところで、その途方もない「創造活動」はどのようにして起こるのだろうか?
この書で解りやすく書いている。
               (字数の関係でカット2008年03月23日)
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2003年3月23日 718, 「無名人名語録」
     ー永六輔ー  読書日記
   
 無名人、普通人、一般人……の片言隻句の集成である。
誰かが言いそうで、オレが言ってもおかしくない、と思わせる言葉だ。
こう言っている人はどんな人かと想像を刺激する言葉に満ちている。
普段バカ話を話している時、こんな事をいつもいっていし、高尚な哲学の話より
ずっと親近感を感じる内容だ。  こうなると言葉の収集家といってよい。

ーまえがきー の一部
考えてみると老人たちが何げなくつぶやく「道家」も、江戸時代の「無名人命語録」だ。
 少し並べてみる
:堪忍袋の袋を常に首にかけ 破れたら縫え破れたら縫え
:今日ほめて明日悪く言う人の口 泣くも笑うも嘘の世の中
:ぶらぶらと暮らすようでも瓢箪は 胸のあたりにしめくくりあり
:手や足の汚れは常に洗えども 心の垢を洗う人はなし
・「若い奴には教養がないっていいますが、その教養を身につける素養というものがありませんねェ」
・「美人の浮気を不倫というの、ブスの浮気は不貞というの。・・・これも美輪明宏語録」
・「美輪明宏が言っていたけど、美人は三日で飽きる。ブスは三日で慣れる」
・「夫婦喧嘩しててね、ダンナ言葉の言葉に、お国訛りが出てきたらそろそろ注意するの。
  訛ったら、その次は暴力なの。だから、相手の言葉遣いをよく聞くようになちゃった」
・「良く風呂が熱いと文句をいただくんですけど、私どものように団体の多い温泉宿は
  風呂を熱くしておきませんと、とても汚れがひどくてねェ。ほどよい湯加減ですと、
  どうしても浴槽の中で身体をこすります。この汚れがバカになりませんので」
・「生きにくい世の中ってのはわかるけれど、死ににくい世の中でもあるんですよね」は、病床の爺さん??。
・「旅行をリョコウって読まないでさ、リョギョウって読めば、少しは厳しい感じが
  するけれどね……」は、ツアーコンダクターが言いそうな気がする。
・「死刑囚には/最後にタバコをすすめるのですが、/肺癌になるからと断って/刑場に向かった男がいましたよ」
・「日本人妻という言葉があるのに日本人夫と言わないのは何故ですかね。」
・「暴力団がいなくなるようだったら、もうその町は活気が無いってことです。」
・「住宅ローンのこと、子どもの受験のこと、親の介護のこと、そして女房のことを考えている
  うちに自殺しちゃったんだって・・・・。/駄目だよ、バラバラに考えなきゃ。」
・「生きるということは、/生き残るということです。」
 「面白い話はいくらでもある。/でも、面白い話し方は滅多にない」
・「しなやか、したたか、つややか、この三つ、これが長持ちするコツだすな」
 『無名人名語録』  永六輔 
  2003年03月10日  長岡中央図書館
 
・・・・・・・
2002年3月23日(土)
354,偶然の一致 -時差ぼけ

心理学でいうシンクロニシティーである。今起きてきて、台所の時計が9時16分で止まっていた。
居間の時計も9時16分で止まっていたのだ。寝室の時計で6時過ぎである事は確かである。
現在は6時21分のはずである。腕時計を見たら、9時21分になっていた。
ウソじゃないか!ウソじゃない!そうすると3っの時間が9時16分に一緒になっていた事になる。
台所の時計は止まり、居間の時計は現在9時35分でどういう訳か今動いている。
腕時計を今見ると9時35分である。(16分から19分たって35分になっていた為、時間が違う)
シンクロニシテーが起こったのだ! TVをつけたら9時35分であった。4っつ目の偶然の一致?
いや寝室の目覚ましが壊れていたのだ。お粗末!これが時差ぼけだ。家内は今も寝ている。
それにしても朝4時に目覚ましを見たとき、いやに明るかった!それに何の疑問を持たないのが時差ぼけである。
 たった今起きた小さい迷事件である。


2908, 「ドレス」という名のクラブ?

2009年03月22日(日)

 二年ほど前に、クラブの新規開店の案内と一緒に1千円の割引券入りの同封された封筒が手元にきた。
「ドレス」という名が印象的で、「同じドレスなら『赤いドレス』の名のほうがインパクトが強いのに」と
思いつつ、記憶から着えてしまった。 その一年後に、開店一周年記念の案内が再びきたのでチャンスがあったら
一度行ってみようかと思いつつ、これもまた記憶から消えてしまった。
ところが、先日連れの人と居酒屋で飲んだ後、何時ものスナックに向かって歩いていたら、「ドレス」が入っている
ビルの前で、そのことを思い出し、入ってみることにした。 そこは高級そうなクラブといった佇まい。
まだ開店直後のため、ドレスアップした若い女性が三人、丁寧に迎えてくれた。
ドレスの似合う女性は少ないから、お客にとって満足である。
30坪ぐらいの店だが、初めて入る店はカウンターに座るのが飲み助の常道。
前に立った女性に、「案内書と割引券を貰って来ようと思っていたが持ってこなかった」というと、
少し顔色が変わったのが分かった。 「あの案内は、数軒のホテルしか配ってない。
何処のホテルから貰ったのか教えて欲しい」という。 その辺をはぐらしながら飲んでいると、
次々と背広族の連れ同士の客が入ってくる。上手くいっているかどうかは、月曜日の時間帯からみて分かる。
ドリンクを注文する際に、ここはウイスキーコースと焼酎コースがあり、ウイスキーコースは4000円、
焼酎コースは3500円という。 なるほどサラリーマンが平日に関わらず次々とくるはずである。 
高級クラブ風にして、ドレスアップした女性を置いて、二時間で3500〜4000円ならお客は満足する。
ボックスで隣に座ればビールかドリンクを女性に頼むことになるから、自然に5000円以上になるが、
雰囲気からみて廉い。 お客に支持される店は、それなりの知恵でお客のニーズを満たしている。
 3〜4年前から事務所の至近距離の店が一軒、繁盛していると聞いたので、ある会の帰りに一人で寄ってみた。
見ていると若いアルバイト?女性を、一組あたりに短時間にして回転させている。
更に店の売りが、ナポレオンとジョニクロが飲み放題で4千円である。この辺が決め手のようだ。
これなら、御客は行くだろうと納得。 私の向きではないが・・・ 
 しかし、この不景気、勝ち組?の店でも四苦八苦のはず。

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2544, パリ高級娼婦館女主人の告白 ?2
2008年03月22日(土)

ともかく内容が異世界である。だから面白いのだが。
こういう人間のベース?の世界を、真っ只中の人物が書いているのだから、
一言一言が生々しく小説のようである。 特に性欲からくる人間的な本性がリアルである。
人間研究という面で、顕わで可愛いが、人間の一番、弱い側面でもある。 
娼婦の後ろにヒモの存在が、あまりに悲しい。髪結いの亭主とか、似たような男は周辺に幾らでも居る。
「娼婦に殆どヒモが居る」というのは始めて知ったが。 
こういう連中が都会には蠢いていて、鵜匠のように見えない糸を操っている。
 次の内容を少し脚色を変えた物語が、今でも現在進行中なのである。。
   ーー
  *娼婦はヒモがつくる

彼女たちの大部分は、田舎からパリにお手伝いの口を探しにやってくるのです。
当時 ジュロと呼ばれていたヒモは、金持ちのようにしゃれた身なりで、彼女たちの到着を駅で待ち伏せしていました。
娘たちは小さなスーツケースを持って、ちょっと途方に暮れた様子で、プラットホームに降り立ちます。
手に雇い主の女主人の住所の書かれたメモを握りしめ、とまどっています。
男は何らかの口実を見つけて、娘たちに近づくのでした。こうして、娼婦獲得のため、お定まりの小粋な
ラブストーリーが始まるのです。「地下鉄はあそこですよ。でも、その前にコーヒーでも飲みませんか」
田舎の雌牛たちになれ親しんできた娘にとって、都会のざわめきはいらつきを覚えます。
カフェの中で初めて出会った男に自分の行く先を説明するのでした。
彼は驚いて 「へえ。君の行く先って、あの夫人のとこ,.」「あなたはその方のこと、ご存じなの?」
と、娘はさほど驚きもせずに尋ねます。「もちろん、彼女を知らない人なんかいないよ。
パリにはああいった女性主人というのは多いよ.こう言っては何だけど、とても意地悪な女だよ」と、
ジュロは大声で笑いながら、そして、しばらくこの娘に考える時間を与えてから、保護者気取りで言うのです。
「お嬢さん、気をつけてな。マダムは頑固だけじゃなくって、金払いも悪いからな…」
「ええ、じゃあ……」と、娘は呆然とつぶやきます。実際、娘にとっての第一日は不運に始まりました。
この見えない罠に満ちた大都会に、彼女はおじけついてしまったのでした。
ジェロは、そんな娘の動揺を見すかすように、やさしく言うのです。
「でも考えがあるんだ。僕の母親がお手伝いを探してるんだ。彼女ってとても素晴らしい女性なんだ。
彼女の家でなら、うまくやっていけよ」そしてランチタイムになりました。ヒモは、この不幸な娘を安心させるため、
大衆的なレストランに誘い、定食を上品そうに選び、ごく少量のワインを飲むことをすすめ、ちょっと人を小ばかに
するような物腰と、田舎娘にとって魅力的なパリなまりを使って、調子のいいことばかり言ってだますのでした。
それから充分「出来上がった」と感じ取ると、彼は母親役を演ずる手先の女の家に連れて行きました。
娘を女の家に住まわせ、ジュロは、母親役の女と二人三脚で、娘が自分自身に身も心もゆだねるように、
仕向けるのです。甘い香りの花束と恋のささやき。ドレスと靴のプレゼント。ヴァカンスはコート・ダジュール。
ホテルは娘が好みそうな清潔でおしゃれなところを選びます。
そして、ちょっとぜいたくなシャンデリアの下でのディナーで感激させるのです。
翌日は船でレラン島へ。そこで、を「君を愛してるよ」と、胸に手を当てながら告白するのです。
田舎出の娘は、こうした言葉にもうひとたまりもありません。
こんなやさしくて粋な男性にかつて一度も会ったことがないのですからー。
パリに戻れば娘は恋するあまり、ますます‘母親’に気に入られように家事の手伝いに励むのです。
さて、そうした後に、いよいよジェロの本領発揮です。涙まみれで、ヤクザにだまされた、事業に失敗した。・・・・・
 ーー
 駅には、カラスという手合いが、屯している。ホステスの斡旋業で、一人引く抜くと何万円かになる。
クラブも、ある意味で、こういう女性の隙を捉えて間接的?売春をさせなければ
お客は何万も出して通わない?? その意味で、夜の世界は深く、危ない世界でもある。 

・・・・・・・・・・
2007年03月22日(木)
2179, 親の仕送り
            才八∋ウ  _〆(∀`●) 
 先日の新聞に
「首都圏の私大に昨春入学した子供を持つ家庭の家計負担」の実態の記事があった。
私の息子二人が一年間だけだが、自宅外通学で関東の大学に在学した時期がある。
みるみるうちに貯金が目減りをしたのを記憶している。
あれから10年になるが、当時は「一年間は仕方ないか!」ぐらいしか考えてなかったが・・
学費とアパート代と生活費など、年間400?500万はかかっていた。
少子化問題というが、現在の日本では多産なぞ出来るわけがない。 
 ーその内容を、まとめてみるとー
:平均借り入れ金額が170万円台に達し、自宅外通学者は207万円、過去最高になった。
:毎月の仕送りは初めて月額10万円を割り込んだ。6年続けて下がり続けており、
 家賃をひいた生活費は平均は3万9千円。
:自宅外通学者の初年度の負担が307万円。
:入学費用の銀行からの借入者が30・7?。207万円。自宅通学者で25?の世帯が借り入れをしていて、
138万円という。自宅外と自宅の通学者平均174万円。
  ーーーーーー  
これからみても、厳しい実態が窺える。両親にしてみれば、胸突き八丁というところだろう。
苦労して育てても、結婚すれば嫁か娘婿に疎んじらる。これも順番であるから仕方ないが。
40年前になるが、昭和40年前半の頃、私の寮費は水道・ガス・電気代込みで4千円。
学費は家から学校に直接振り込み。家賃も大家に直接振り込まれ、生活費が郵便為替で1万5千円の送金。
生活費と交通費と小遣いで、手元には何も残らない程度であった。使いすぎて生活費に困ったことは一度もない。
家からは、父親が3ヶ月に一度位に、米と柿の種と、インスタントラーメンを送ってくれていた。
手元には常に子供の頃から貯めていた10万円の現金が部屋に隠し置いてあった。
(当時としては現在の70万円位か)今から考えてみると、一種のお守りみたいなものだった。
都会では誰も助けたり、優しくはしてくれない。最後はお金であると、かたく信じていた。
しかし、手をつけたことは一度もなかったが・・・
卒業の一年前になって、急に父が寮に寄って、寮の貧乏暮らしの実態に驚き、仕送りを二倍にしてくれた。
これで大學生活は急に華やな舞台に様変わりをした。このとき、お金の有り難さをいやというほど知った。
気持ちの上で、これだけリッチな気持ちになったのは人生で初めてである。
少なくとも一年間は一挙に二倍の収入アップで、小さな段差の幸せを味わった。
まあ、恵まれていた!ということか。 人生を振り返り、恵まれていた!
と言い切れることこそ、豊かな人生ではないかと、学生時代の断片を振り返って実感できる。
この程度でだが! 解釈、解釈、考え方、受けとめ方!         
                    ヽ(´π`)ノばあ?い
ーーーーーーーー
2006年03月22日(水)
1814, WBC?まさかの、日本が優勝!
                  才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)

WBCで、日本が優勝するとは誰も思っていなかっただろう。
韓国戦で二連敗をした時には、こんなものだろうと白々とした諦めの気分になった。
この冬期オリンピックで、日本の最低の負け様を見せつけられたからだ。
今回の勝利は日本のスポーツ界にとって、今だかってない偉業といってよいだろう。
まさか大リーグの選手が多くいるアメリカと中米のチームの中で、日本が勝てないのは誰の目にもあきらかであった。
4勝33敗のキューバに寄せ集めの日本が勝てないと思うのは、当然である。
中盤まで勝っていたとしても土俵際で軽くウッチャリと過去の経験が示していた。
それが・・・・   何と勝ってしまった!          \(^ ^)/ バンザーイ (v^ー°) ヤッタ!
日本の野球にとって、歴史的な勝利で、球界の神風になるだろう。
この勝利はアメリカにとってプライドが地に落ちてしまった。
審判に怪しげな人物を配置したり、ルールをアメリカに有利にしても、敗北したのだから!
メジャー・リーガーがゼロのキューバと、二人しか出てなかった日本が決勝戦に勝ち進んだのも皮肉である。
松井も事情があったとしても、イチロウと選手としての商品価値が大きく開いてしまった。
韓国戦の準決勝と、この決勝の緊張感はそうそう観ることはできない。
 ー今回のWBCで印象的な場面とキーポイントは
・デービットソン審判の意図的?誤審
・韓国に連敗後の、準決勝の勝利と、韓国の日本への敵対心と、その民度のレベル?の露出
・メキシコのアメリカ戦での、マサカの勝利
・イチロウのプロの執念
・短期決戦でのスモール・ベースボールの勝利
「僕の野球人生で最大の屈辱を味わった」と、韓国に二連敗をしたときの言葉が、日本の選手に火をつけた。
優勝後のイチロウのコメント
「最大の屈辱を味わい、最高の気分を味あった」と、
「選手としてつぶれても、このWBCで勝つことに全てを注いだ!」が印象的であった。
 イチロウ日本の勝利といっても過言ではない。イチロウの力と、王監督が重なってチームとしてマトマリ、
 まさかの優勝になった。飛び石連休に丁度良く、準決勝と決勝が重なってくれた。  
                   βyёε('c_,'`)з゛
・・・・・・・
2005年03月22日(火)
1449, BOSEのステレオ?4

「利益は全て研究開発に投資する、投資家の配当はなし」
が会社の方針というから、アメリカ的でない。現在も株主は殆んど配当金を貰ってないのだ。
音響研究開発集団をめざすことが、この会社の行き方である。
株主にとっては、目先の配当より売却時に株価で利益を得れば良いのだ。

ー以下はボーズ社のパンフレットの要点をまとめたものー
会社の創業が、MIT(マサチュウーセッツ工科大学)の一研究室という。
若き日のDr.ボーズが、BGM用に購入したオーディオシステムに不満を持ったことがその出発点。
その研究結果から、理想的な生演奏の再現には音の来る方向の多角性とその量の均一性
及び時間性がきわめて重要であることを理論づけ、ついに22個のスピーカーを持つ
8分の1の球体という空前絶後の試作機が誕生した。
そんな1959年のある日、偶然、彼の研究室にある‘不思議な物体’の正体を知った
電子工学部長のウジズナー博士は、この研究成果に感銘を受け、直ちに、
ボースの「音響に関する研究」をMITの公式プロジェクトにすることを決定した。
‘タイムレコーダーはなく、予算があるだけ'といわれるボーズ社の自由闊達な
雰囲気は、今もMITの研究室時代そのものといってよいと言われている。
アクースティマス・スピーカー・テクノロジーは、スピーカーの大きさと音の関係における
従来の考え方を一変させた。手のひらに収まるサイズのスピーカーから、
これまで考えられなかった素晴らしいサウンドが再生可能になった。
世界のGMやベンツやニッサンやホンダ、マツダの高級車に搭載されている。
また1992年のスペースシャトル「エンデバー」にも搭載された。
ーーー
以上だが、ソニーとホンダ神話しか知らなかったので、この会社の研究集団の若々しさに驚いてしまった。
音響マニアからみたら、あまりにも有名な話だろうが。音の再生は、聴く立場からみれば直接肌に
伝わってくるもの、技術が生に感じて当然である。視野を広く、何にも興味を持たなくては時代について
いけないことを、この音響機器の世界で知った。知らない壁を勝手につくっていたのか、ただ馬鹿なのか。
この時代、軽く軽くも大事なことだ。情報時代なのだ。
深沈厚重第一の資源とか言っていたのがいたが、何だったのか!
殿様蛙には良い言葉だ。第二が磊落剛勇だと!よく言ったものだ。
モンゴル相撲の横綱にはピッタシだが。面白い時代である。

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2004年03月22日(月)
1083, 「80対20」革命 ?2(読書日記)

この本は、簡単に言えば、いま「創造的な個人を中心とした新しい経済」
が出現しつつあり、つまり、個性を発揮して新しく有益なものを作りだす
『80対20人間』こそが次の時代の担い手であり、その一人になりたい人には、
どんなビジネスが可能か、そのための方法があるかを説いている。・・・・・
 特徴的なのは、
「何かを創造したいなら、まず自分の20?のスパイク(強み)を見つけ、
伸ばさなければならない。新しいビジネスをつくりたいなら、ビジネスについて
考えることからはじめてはならない。自分自身について考えることから始めるべきである」
個人の中にある20?のスパイク(強み)に対して忠実であるべきである。
この並外れたスパイクを自分で見つけ、強力に育て上げなくてはならない。
そして「取るに足りない多数」を外に外注に出し、エネルギーを「きわめて重要な少数」の20ー
に注ぐことだと主張している。
20?の人々の生産性は80?の人々の4倍ではない、何とその二乗の16倍なのである。

・農業革命(10000?7000BC)ー>
 産業革命(1750?1850)ー>
 経営者革命(1900?1950)ー>
 80対20革命(1980?2020)
 へと ニューエコノミーの時代は移行している。
・時代背景という面でみると、農業経済ー>市場資本主義ー>経営資本主義ー>個人主義 へと変化している。
 ほとんどの企業が主要な個人を中心に回る時代がやってくるだろう。
 個人のスパイクこそが重要な資源に取って代わるのだ。個人主義が資本主義に取って代わるのだ。
  −−−−
 以上は私が主観を込めて、まとめてみたものだが、優秀な個人が世の中を支配する時代になってくるのか?
 下手をすると、違ったカタチの独裁の時代になるのか?結局は動物社会と同じところに行き着くということか?
 (一番優秀な個しか生き残れないのでは?)
 等、考えさせられることが多い本であった。それもグローバルという単位であるから、
 企業も個人も激しい競争に 直に巻き込まれる時代になったのだ。

・・・・・・・・・・
2003年03月22日(土)
717, 温帯魚

 事務所で温帯魚を飼っていた時、よく熱帯・温帯魚の専門店に餌を買いに行った。
その時に店の片隅に小さな鯉が、タライにいっぱい入っていた。
場違いの存在に「何でこんなものを売っているの?」と聞いた。
店主が「餌だ」とばつの悪そうに答えた。思わずゾッとした。
料理屋の生簀の魚を見ても何とも思わないのだから、不思議なものだ。
鯉は20~50万が孵化して、選り分けられて数匹以外は肥やしか、餌として売られる。
 事務所で温帯魚を飼っていたとき、2^3日に一匹の割合で魚が消えていった。
不思議だと思ってみていたら、ハリセンボンが目の前で小さな魚を追いかけていた。
まさか、ハリセンボンが食べていたとは想像すらできなかった。一匹の魚は頭を岩の間に隠したまま、
尻尾のほうが三分の一食べられて死んでいた。もちろんすぐに隔離をした。
 ある種類の温帯魚だけを数匹飼っていたときに不思議な現象をみた。
ある一匹が他の一匹を執拗に追いかけていた。ところが一番大きい一匹がいつも中に割ってはいるのだ。
たまたまそう見えたのではと思ってみていたが、そうでなかった。どういうことなのか今でも理解できない。
あまりにも巨大になり鑑賞用としては耐えられなくなり全て店に返してしまった。そして現在は金魚だけである。
ランチュウだけに絞り10匹を飼っている。温帯魚を飼っていたときは、どんなに見ていても飽きないのだ。
傍から見ていたら不思議な姿だろう。

・・・・・・
2002年03月22日(金)
353、流通再編ーウォルマートの進出

旅行の留守の間の新聞をみていたら、3月15日付けの日経にウオルマートの西友の買収の記事に驚いた。 
当然といえば当然だが。これでジャスコとヨーカ堂とウォルマートとの3極の再編成が、この4?5年で始まるだろう。
ユニーなどの地方の準大手や中堅企業のSMも、吸収か倒産のどちらかの選択に迫られる。
この3極の一角も10年以内に倒産に追いやられるのは、アメリカのKマートの倒産を見れば当然。
自動車業界や電気業界と同じ世界に、流通もおいやられるということだ。まずはダイエーの淘汰はこの数年で必至だ。
そして今最盛期を誇っているホームセンターも3?4年先から倒産の嵐も必至である。
もちろん地元の原信やウオロクなどは、そのどこかに参加するか消滅しかない、
面白い時代になってきた。といって全ての企業がこの数年で存続か消滅の岐路に立たされている。
最終的にダイエーを買収すると思っていたが、西友とは思ってなかった。
SMのスパーセンター(1500?2000坪)あたりを狙ってくるのは当然だ。
仕事人生の前半に流通業に身をおいていたから、その競争世界の激しさに震撼とする。
地方(痴呆)豪族化していたー(ペガサス主幹の渥美俊一)痴呆スパーの淘汰に入った。

ー地方豪族化を敢えて説明すると、自動車販売会社やケーブルTVとか、
印刷会社や貸しビルなど持つ??などの地方スーパーをいう。
 ーあくまで渥美談ー


2907,イオンの誤算 ー2

2009年03月21日(土)

 
  ー 「イオンの反省」広告には驚いた ー

 先日、「イオンの危機」について書いた。
株価が、この数年で六分の一というから尋常ではないからだ。
ところが昨日の新聞に「イオンの反省」と一面ぬきの広告が出てきた。
顧客の目からみたら非常に好感のもてるような内容だが実感だろう。
  反省内容として、
・値段は他店と比べて安くありませんでした。
・欲しいものが売り場に並んでいませんでした。
・お客へのサービス改善を怠っていました。
 等々である。 顧客アンケートから、この事実を知ったのだろう。
そういえば、最近、総合スーパーには、一切行かなくなった。上記のいうとおりである。
私の場合は、専門チェーンか、大型ディスカウントか、ネットで買っている。
数年前に化粧品店を何軒か経営している知人から「化粧品からみて、ジャスコとヨーカ堂は、
仁義なき戦いと思えるほど激しい値段合戦をしている。」というような話題を聞いたことがあった。 
最近、プライベートブランドなど5100品目の値下げを発表したが、ヨーカ堂、西友とのサシの勝負の様相。 
この世界恐慌で、何れの商売も、最後の生き残りをかけた戦いに入った。
5年後に存続できるかどうか、それも今年が最も厳しい戦いの年になる。
一年一年を如何に生存するかにエネルギーを集中するしかない。
久々に会った知人がリゾートホテル街のガソリンスタンドで、高そうなホテルの「一泊2食付6800円」に
つられて泊まったところ充分満足した、と語っていた。 駅前ホテルも他人事ではないから困ったものだ。
「イオン」は、それでも生活必需品、安くし、欲しいものを並べれば客が来るが・・・
2001年で三分の二、今回で更に三分の二に縮小してしまったのが、地方経済の現状。
地方に大型SCを出店してきたイオンが直面している危機は、地方の三次産業の象徴と捉えることができる。 

・・・・・・・・・・
2543, 今年のプロ野球の予測
2008年03月21日(金)

+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆
毎年、この時期に毎日新聞の「記者の目」というコーナーで10人に記者による「今年のプロ野球の順位予測」がある。
あまり当たらないところが面白いが、秋口には、その結果の総括の記事も出る。何回か、この記事について取り上げている。

今年の予測をみると、
セ・パ、それぞれ5人の記者の平均値の順位をみると、
セリーグは、巨人、中日、阪神、横浜、ヤクルト、広島
パリーグは、ソフトバンク、ロッテ、日本ハム、西武、オリックス、楽天の順位になる。 
この記事で大筋として戦力を大富豪の巨人と喩えて
「ぶっちぎりVなら興ざめセリーグ。頑張れ! 貧民の広島、大貧民のヤクルト」
と記事の初めから最後まで巨人の話題だった。これまで32回の順位予測で、延べ338人の記者が
参加をして、全順位を当てたのは6人しかいないというから、難問であろう。
ところで十人の記者で、その平均値の順位が同じ人が一人というのも面白い。あとは全て順位が違っていた。

毎年のように巨人の過剰な選手層に対して批判が出るが、結果として優勝できないから面白い。
それにしても、大相撲同様にプロ野球もつまらなくなってしまった。
あまり娯楽の無かった時代の、「巨人・大鵬・卵焼き」が終わったのだ。
前期・後期に分け、後期は一リーグ制にする位でないと・・・・  以前書いた内容をコピーしてみる
ーーー
2006/11/04 
2041, プロ野球の「記者の順位予測」
           才八∋ウ_〆(∀`●) 
ープロ野球の「記者の順位予測」と結果ー

毎日新聞の「記者の目」のコーナーで毎年、プロ野球の開幕前にセ・パ両ーリーグの順位を
12人のスポーツ記者が予測する。そしてシーズンが終わると、それぞれが「反省の弁」を、
実際の「予測順位」と「実績」の下に書く。
《私はセリーグは巨人、パリーグはソフトバンクと予測したが、みごと外れてしまった。》
 ー記者の結果を見ると、
・セ/パ両リーグとも、1?6位の順位を当てた記者は一人もいなかった。
・セリーグに関して、1?4位まで当てた記者が一人だけいた。
 1位に中日を予測した人が6人中3人いたことと、巨人を4位予測が3人いたのは、さすが。
 それと、一位を6点、2位を5点というふうに点数をつけた
 順位がセリーグは1?6位まで、記者の予測通りになったのには驚いた。
・パリーグにいたっては6人中5人の記者が、日本一位の日本ハムを5位と予測、全くの予測外れであった。
 総括として、日本ハムが「新庄選手効果」の大きな緊迫感をエネルギーに変えて、
「楽しむ力」にしたのが勝利の要因と結論付けていた。ところで、これを「12球団の順位当てトトカルチョ」
 として、面白おかし売り出せば面白いだろうに・・・

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007年03月21日(水)
2178, 宮城まり子(私の履歴書)?2
                 才八∋ウ  _〆(∀`●) 
  
二週間前にも「宮城まり子」について書いたが、その後の「私の履歴者」が、
ますます面白い。恩師の舞台演出家の菊田一夫と、作家の吉行淳之介と、
母親との出会いと邂逅が、「宮城まり子」の背骨をつくり出したのだろう。 
いや、何も自分の辛さを語れない脳性マヒの子供もいるが・・・
彼女の言葉から人生の辛さと、優しさと、叫びと、悲鳴が・・聞こえてくる。
心の純真さが「自分が演じ損ねた演劇の役の脳性麻痺の子」に人生の全てを尽くす!
という生き方を選択させたのだろう。その生き方そのものが、そのまま胸に突き刺さってくる。
合歓の木学園を開くキッカケが、脳性マヒの少女を演じたミュージカルの「何もしないで出世する法」という。
その役で七転八倒する苦しみが文章から直に伝わってくる。脳性マヒのため思い通りに手足が動かない場面で、
人の悲しい形で笑いをとることに抵抗を感じ、からだが全く動かなくなる。
それも精神的に動かなくなり、そのことで悩む姿が痛々しい。
その場面が芝居のハイライトなるが、笑いが取れないで、菊田一夫とやりあう。
それがキッカケで役者をやめ、その病の子供たちのため一生を捧げることになる。
「やさしく やさしく やさしくね やさしいことはつらいのよ!」と「ねむの木学園」のHPのトップページにある。
やさしさは、辛いことである。愛を行動に転換すると、「やさしさ」になる。
愛とは何だろうとか考える暇があったら、人に優しくすることである。しかし、強くなけば優しくはなれない。
吉行淳之介の元の奥さんが、その後の彼女を生き方を見ていたら、欺瞞、それとも深い愛情を感じるのだろうか。
あらゆる情念が吹き荒れた後に、最後は忘却しかないか!
     
 生きることは、つらいこと そのつらさが、やさしさをつくる土壌になる

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2006年03月21日(火)
1813, スモール・ベースボール      
         おは(* ̄(エ) ̄)ノよぉ(* ̄(エ) ̄)ノ
最近、WBCでスモール・ベースボールという言葉を耳にするようになった。
去年の王監督のソフトバンクと、優勝チームのロッテのチーム方針が、このスモール・ベースボールだった。
今年の巨人が、清原・江藤とローズを含め外人全ての首を切ったトレード・オフからみて、
明らかにスモール・ベースボールへの切り替えである。===くやし?(っ≧ω≦)清原
ところで、WBCの日本代表のチーム方針は「スモール・ベースボール」と言われているが、
実際は「スモール&ストロング・ベースボール」という。あれだけの選手は、長打を打てて当然。
スモールベースボールの真の意味の「守り勝つ」布陣を目指す合言葉。
マリナーズのイチロウをはじめ、出塁率4割を越えた中日ドランゴンズの福留、ホークスの松中、
4割を目の前にした西武ライオンズの和田、東京ヤクルトスワローズの岩村・青木を打者を起用している。
投手では、巨人の上原、西武の松坂、ロッテの藪などそれぞれの役者が揃っている。
 決してチマチマした野球を目指すというのではない。
ーそこで検索でスモール・ベースボールとは何か?を調べてみた。
スモール・ベースボールとは「ホームランなど大技に依存せず、打線の繋がりと堅実な守備により
少ない得点差で勝つ」である。 マイケル・ルイス著、 講談社「マネー・ボール」で、
スモールベースボールを駆使してチームの強化に成功したオークランド・アスレチックスの
ビリー・ビーンGMの手法を紹介している。    ~~旦 ゝ(-_- )
ー彼のスモール・ベースボールは走塁、バント、エンドランといった小技の駆使ではない。
彼はそれらの小技は禁止しており、その代わりに徹底的に出塁率を重視している。
打者には初球を振らせることや、走者には走塁を禁じている。
またドラフトやトレードでは出塁率を指標に補強を進めている。出塁率が高いとは、
相手にアウトカウントを提供せずに得点のチャンスを得られることを意味する。
例えば無死1類の場合、エンドランが成功すれば無死1、3塁でチャンスは広がるうえ、犠打でも
1アウトを許す代わりに走者を得点圏に進められる。しかしそのリスクは高く、失敗すればチャンスは
一瞬にして費える。チャンスがその試合唯一の得点機会になるかもしれない。
これに対し出塁を重視したスモールベースではどうか。
同じく無死1塁の場合、安打は出なくても四球で出塁すれば無死1、2塁にチャンスは拡大する。
そうなれば、攻撃の選択肢もいっきに拡大する。
 ーー
以上だが、今回アメリカが苦戦したのもスモール・ベースボールに敗れたといってよい。
キューバは如何なんだろうか? 今日の試合が楽しみである。

・・・・・・・・・
2005年03月21日(月)
1448, BOSEのステレオ ?3

数日前、BOSEのオーディオ・コンポが送られてきた。早速聴いてみると、なるほど素晴らしい。
現在のステレオ・オーディオの環境は、PDP/TVの音響機能にソニーのホームシアターとセットしたものである。
これでBS/TVのコンサートなどを聴いていたが、CDの音楽は聴いてなかった。
BS/TVでコンサートなどを聴いていると、会場にいるような錯覚に陥ってしまう。
また映画も映画館にいるような感覚になる。

このシステムとBOSEのコンポの違いを比較して、この良さは何か探ってみた。
初めは、その違いがわからず「失敗をしてしまったのか」と、不安になってしまった。
しかし聴き込んでいるうちに、だんだんこのコンポの良さが理解できるようになった。
とにかく臨場感がある、それと楽器がそれぞれ独立してクリアーに聴こえてくる。
過去に、このようなステレオ・オーディオを聴くチャンスが多くあれば、
もっと音楽を身近なものになっていただろう。
十日ほど前に「BOSEのステレオ」について書いたところ、知人からメールが入った。
2000万のステレオの紹介のHPが貼り付けてあった。 こういう世界があるのだ。
これを予約をしてから、本屋や図書館でオーディオ雑誌に目を通すようになった。
それぞれの世界にはマニアがいて、いろいろな機器を組み合わせて自分のオーディオ環境を
作っている。オーディオの世界も、研究成果で、私のような全く素人のリスナーが、
マニアしか聴けなかった音質の音楽を楽しめるようになったのだ。

ハイビジョンTV、PDP/TVで茶の間生活が一変したと同じことが、
このコンポでも起きるのだろう。 値段は高いが、とにかく手軽なのがよい。
コンポの購入で、ボーズ社という得意な会社とオーディオ機器に対して興味を持った。
ボーズ社の類まれなる研究集団と、株主にはいっさい配当をしないで利益を全て
研究開発に向けるという理想的な音響研究集団がアメリカにあった。
その最新の研究の集約のマシーンということだ。この会社を知れば知るほど、
その理想的な組織と、その結果としてのマシーンに興味を持たざるを得ない。

今まで買いおいたCDが100枚はある。まずそれをジックリ聴いてみるつもりだ。
  ますます、お宅になる。

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2004年03月21日(日)
1082、「80対20」革命 ?1(読書日記)

 前著に続いて、早速この本を買ったがなかなか面白い。
この本は、ベストセラーになった「人生を変える80対20の法則」(TBSブリタニカ)の続編である。
前著は、ABC分析やパレートの『80対20』の法則を解りやすくまとめてあり、
非常にインパクトの強い内容で、特に80に対する見直しをするキッカケになった。
この新著は更に深耕された内容といってよい。ビジネスに特化し、「より少ない労力で富と幸せ」を
獲得する方法が書いてある。特に大きな組織から自立し、個人として成功するための方法を、
具体例を多数紹介しているのが特徴である。もともと『80対20の法則』はパレートが発見をした法則である。
前回も書いたが、ここでおさらいをしてみる。
ーイタリアの経済学者ヴィルフレード・パレートが1897年に発見した法則で
今では社会の様々な分野で実証されている経験則である。
(字数の関係でカット 2008年03月21日)
 ・・・・・・
ー私の解説ー 
 数年前になるが、この本を読んだ時はショックであった。
約100年前のイタリアの経済学者パレートは、19世紀のイギリスにおける所得と資産の分布を調査した結果、
所得と資産が一部の人達に集中していることを発見し、2つの奇妙な事実に気が付いた。
「わずか20%の人達に資産総額の80%が集中していた」という数理的事実を発見した。
以前からABC 分析や戦略論などがあったが、この本は非常にわかり易い内容であった。
この法則を知っているかどうかで、数倍も人生を濃く生きる事が可能になる。
7つの法則ー最優先事項ーに、要約すると似ているところがある。
人は無意識的に「如何でもよい方の80」を選択しているように思えて仕方がない。 
どの要因の20%が結果の80%を決定するのかを、つねに自分に問いかけてみる習慣をつけるかだが。 

ー 以下は幾つかのホームページから抜粋したものである。 
■この本の内容
・80対20の法則とは、たとえば、あなたが成し遂げる仕事の80%は、費やした時間 の20%から生まれる。
・あるいは、本の価値の80%は、ページ数にして20%以下の中 にみつけることができることなどをいう。
 但し、80対20というのは目安にすぎず、不均衡がもっと大きくなる場合もあれば、小さくなる場合もある。
★80対20の法則を理解すれば、自分の周りで起こっていることがよくわかっ てくる。
 80対20の法則をうまく活かせば、何もかも驚くほど改善する。
★80対20の思考とは、数量分析をせずに、80対20の法則を日常生活に適用することである。
★目に見えない20%、水面下に隠れている20%をみつけ、求めよ。
★80対20の思考の目的は、行動はひとまず忘れ、しずかに考え、
 心の闇の中に光を 見いだし、それから行動を起こすことにある。
 そして、行動を起こすときは、目標をふ るいにかけ、いちばん大切なものに的を絞り、
 必要最小限のエネルギーと資源で最大限 の結果を出すために全力をあげる。

★時間の利用法ワースト10。
 ・他人から頼まれたことをやる。
 ・いつも向き合っていることをやる。
 ・あまり得意でないことをやる。
 ・楽しくないことをやる。
 ・たえず邪魔が入ることをやる。
 ・他人がほとんど関心を持っていないことをやる。
 ・考えていたよりすでに時間が二倍かかっていることを続ける。
 ・信頼できない人と仕事をする。
 ・山あり谷ありのサイクルが予想できることをやる。
 ・宇宙電話が気に入っている

★時間の利用法をベスト10
 ・人生の目的に沿った事をやる。
 ・いつもやりたいと思っていることをやる。
 ・八十%の成果を生み出す二十%のことをやる。
 ・最小限の時間で最大限の成果を上げる方法も考える。
 ・君にはできこないといわれていることをやる。
 ・別の分野で誰かが大成功を収めたことをやる。
 ・自分の想像力を生かせることをやる。
 ・人に任せられ、自分はほとんど遊んでいればいいことをやる。
 ・常識外れの時間の使い方をしていて成功している人と手を組む。
 ・やらなければ生涯出来ない
 
・・・・・・・・・・・・                        
2003年03月21日(金)
716, 「新潟日報」をやめて50日

地元紙の「新潟日報」をやめて50日になるが、それによる不便は何にもない。
べつに日報に恨みがあるわけでないが、止めてよかったというのが感想である。
自宅で毎朝見ないと何か不安だけだったのだ。恐らく次は朝日新聞を止める可能性も出てきた。
家内が朝日新聞を気に入っているから、当分は止めないだろうが。
しかし私の場合、会社に来れば全紙見れるし、各紙のWeb上の新聞でも充分にこと足りる。
 はっきりいって、サイト上の新聞が便利で面白いのに驚く。さらにブロードバンドのためか
映像の内容が面白いものが目立つようになってきた。本当に時代が変わったと思う。
 先日知人が事務所に来て言っていたが、これからはTVからのインターネットが主流の時代になるとか。
光ファイバーにパソコン経由か何かで、TVにそのままインターネットが繋がる時代がもう目の前にきている。
 地元紙がこれだけ早く家庭内から消えるとは思ってなかった。
週刊誌も月刊誌もインターネットをやりだしてから読まなくなった。またTVも地方局はほとんど見なくなった。
衛星局かDVDの取りだめかレンタルDVDが中心になってきた。決してオーバーに言っているのでない。
光ファイバーが家庭に本格的に入りだしたら、それに対応してTVやパソコンの端末もできてくるだろう。 
面白い時代になってきた。

・・・・・・・・・・
2002年03月21日(木)
352,西アフリカ旅行記

・海岸をただバスでひたすら高速ではしるリゾートの旅であった。
・見えるのはココナツの木とやしの木の林、それと10人位の人が
 引いている地引網。一?間隔ぐらいにそれが見える。その道路の反対側にその魚村が見える。
・海には丸太をくり抜いた帆かけ舟の魚船。
・ガーナのエルミナのケープコーストの城塞。
 奴隷を一時収監していた牢獄をもつが、奴隷倉庫の為か陰惨さは想像していたより少ない。
 これが世界遺産かと驚く。しかしそれを取り巻く漁村のトータルとしてみれば納得する。
・感動感激の連続の旅とは程遠い事も事実である。
・ここで始めて知ったのは、白人が奴隷を捕まえて売り払ったのでない事だ。ガーナのアシャンテ王国を
 中心とした国々が、他民族を征服していく過程で捕まえた捕虜が奴隷として売られていったのだ。
 ーほとんどがアメリカ大陸に、2500万人が売られていった。今でもその民族同士の恨みがあるという。
 男が25人女が31人に一台の大砲が、相場だったというー大きさにより前後するが。
 男は屈強、女は絶世の美女が条件だった。アメリカ大陸の白人が決して悪いわけでない。
 ただそれが売られていただけだ。 当時の自殺よけの口銜えが悲しい!
ーーーーー
同行の人達をみると、過半数以上が一人参加。ほぼ全員が50回以上の海外旅行参加の人達。
アフリカはほぼ行きつくした「アフリカ大好き人間」の集団であった。
私の行ってないナミビヤ、エチオピア、リビア、マダカスカルは、大体の人が旅行経験者だ。
これは数年のうち行くつもりだ。
行った場所が温暖の気候の為、アフリカ大陸としては物質的には比較的恵まれていた?
しかし資源が少ない為、世界から取り残されていた。
同行の顔ぶれで変わったところでは、ミュージシャンや商店主などや
茶髪の女性の新婚さん(10歳年上をカバーする為と後でわかった) ・・年齢は30歳前後から70代まで
ーーーーー
総括として
まだ早いという感じ。 ナミビヤ、エチオピア、リビアなどの後でも良かった。


2906, ユングの世界のような夢

2009年03月20日(金)


最近不思議なユング的?な夢をみる機会が多い。夢自体が不思議であるが。
 ーその一つを披瀝してみよう
あるビルのような場所にいて、右の数メートル先にエレベーターがある。
そのエレベーターは、違う次元へ上がるようで、危険なイメージが漂っている。
ところが、上からエレベーターが下りてきて、数人の人間がドアから出てくる。
ところが全身何も着てない上に、全身が全て皮膚だけのノッペラの人間のカタチをした一団。
階上から逃げてきたようで、私が反対にある違うエレベーターに彼等を誘導し下界に連れて行く。
その後そこに戻るが、禁断の上階へのエレベーターに乗ってみたくなる。
思い切って乗ると、いつの間にか異次元の天空に自分がいる。 時は40年前の20代前半である。
そこには当時の懐かしい人がいる。何もかも解放された天空の中で、全てが許されて洗い流されている。
しかし自分は、ここいることに疑問を持つ。 もしかしたら、あの皮膚だけの人たちと同じように、
自分のそれからの過去が消されるのではと不安になる。 そのあたりで夢から醒める。
 ―ー
出来すぎたユングの世界ともいえる内容である。死と生の二つが重なりあった内容とも解釈できる。
上階へのエレベーターで上がっていった先は時空を超えた純粋意識
下界へのエレベーターは現実社会の世界で、横に流れている日常である。
面白いのは上階〈上界)から降りてきた人がノッペラの皮膚だけの(個性を削ぎ取られた)人間集団である。
その彼等を違う下り専用のエレベーターというところも面白い。心の構図ということか。
この随想日記で、人生をビルに喩え、10年単位でフロアーを分けて何をすべきか云々を書いたのが影響したのか。 
その時に屋上から見える外界のイメージが天国へと一歩踏み込んだ場所だろうか。

 ・・・・・・・・
2542, ロシアの小話、8つ( おまけ ) ー2
2008年03月20日(木)

・交通事情
*東京発モスクワ向けアエロフロート機内で突然モーターが動かなくなった。
 乗客はパニックに陥った。すると操縦席のドアが開いて、パラシュート姿の機長が出てきた。
「皆様ご安心下さい。地上に救援を求めに行ってまいります」
*新潟発ナホトカ行きの大型旅客船が沈みかけている。
 船内放送「乗船の皆様方の中で、切符を分割払いでお求めになったお客様。
 どうぞ1番初めに救命ボートにお乗り下さい」
・「もしもしニコライ先生ですか?女房が盲腸の発作で大変なんです。すぐに来て下さい!」
「落ち着きなさい。あなたの奥さんは私が3年前に盲腸の手術をしましたよ。
 いいですか?人間には2つ目の盲腸はありえないんですから」
「はい、その通りです。でも先生、人間に2人目の妻がいても不思議ないですよね」
・「酔っぱらうってどういうこと」
 「ここにグラスが二つあるだろう 四つに見え出したら 酔っぱらったってことだ」
 「お父ちゃん そこにグラスは一つしかないよ」
・ 「あなた、指を入れるときは、指輪はずすっていう約束だったじゃないの」 「これ、腕時計だよ」
・旦那が予定外の帰宅。妻は愛人を無理やり窓から飛び下ろさせた。
 落ちながら男は思う、「神様、私はなんて愚かなのでしょう! 
 彼女のところに首を突っ込んだが最後、今地面に叩きつけられて私は死ぬ。
 家には妻、子供、団欒。あそこに座っていれば、テレビでも見ていれば、茶でも飲んでいれば....。」
   ボサッ。 柔らかい土の上に落ちました。
 体を起こし、汚れを叩き落として、「畜生、頭の中にやたらとくだらんことが浮かんで来るもんだぜ。」
・一人の男がバーに入り、バーテンダーに賭けを申し出た。 彼は言った。
「あそこの床にグラスを置いて、20フィート離れたとこから小便を一滴もこぼさずに命中させてやる。
 これに50ドル 賭けよう。 ただし、こぼれた小便はお前さんが掃除しなけりゃならんがね 」
 バーテンダーがこの賭けに乗ったので、男はグラスを床に置いた。
 そして、そこから20フィート(約6m)離れると、小便をバーの中全体に撒き散らした。
 小便は通路、床、バーの中にいた者のグラス、そしてバーテンダーにまでひっかかった。
 バーテンダーは、勝ち取った50ドルに笑みを浮かべながら、バー内を清掃した。
 すると、賭けに負けたはずの男が笑い出した。バーテンダーは訊いた。
「おい、あんたは50ドル負けたんだぜ。なんで笑ってられるんだ 」
  男は答えた。
「外の歩道に突っ立ってるヤツがいるだろ。オレは、あいつに200ドルを賭けたのさ。
 このバーに入って、小便を撒き散らして、バーテンダーに、笑みを浮かべながら掃除させてやるってね 」
・授業中、先生と、生徒の会話。
 先生: 「A君、隣のB君を起しなさい。」
 A君: 「どうして?  A君を寝かしたのは、先生なのに。」
・ウォッカばかり飲んでる亭主と奥さんの会話
 奥さん「もう我慢できないわ!私をとるのか、ウォッカをとるのか、どちらかに決めて頂戴!」
 亭主 「その場合のウォッカとは、何本のことだね?」 ...
--
「ロシアの小話、8つ ー1 」に比べると、少し落ちるが、それでも!

・・・・・・・・・
2007年03月20日(火)
2177, ゆとり・個性化教育って何だったの?
          オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン!
 
 以前にも個性について書いたことがあるが、 現在の小・中学校の教育現場の荒廃をもたらした
「ゆとり・個性化教育」の誤りを確認するために、いま一度個性について考えてみよう。
 大失敗に終わった「ゆとり教育」の目的は、「個性的な人間」を育てることであった。
 そのため、現在の子どもは幼児の頃から「意図的に個性的でなくては!」と、刷り込みがされてきた。
 そのためには、それぞれの特性にあった教育をすべし!ということだった。
 しかし、個性化とは何だろうか?と少し考えてみると、明らかに間違った理解をされてきたことが解る。
「珍気な子を作るのが個性である」という先入観が、教育現場の興廃を招いてしまった。
 先生も、その珍奇な子供のなすがままに、自信を失い学級崩壊を招いているのが現状である。

人生経験の少ない子供に個性化など求めること自体が無理がある。
お笑いバラエティーに「将棋少年」とか、「エレキ少年」とかいう珍気な子が出てきて、天才少年と煽て上げて
笑いの対象にしている。あれは個性的でも、天才的でも何でもない珍奇な子供でしかない。習い事に「守・破・離」
という原則がある。まずは、基本を身につけて、乗り越え、そして新しい技・個性を身につける。
個性的性格というのは、30年、50年かけて作りあげるもの。
職業とか、趣味とか、色いろな経験が織りなす輝きを個性という。
長年の生き方が、その人らしさを作り、「らしさ」が味として滲み出るのが個性である。
「珍奇な早熟の生き方」を幼い子供に押し付けること自体、中味のない珍奇な生き方を
強要していることになる。最近になって教育現場の惨状に政治家も腰をあげ、教育制度に根底から変えようとしているが・・
「仲の良い両親が温かく子どもを見守る明るい家庭こそ、子どもの人生の基盤になる」と言われている。
それは長年かけた家庭の結果でしかない姿である。大きな波風の中で、結果として明るい温かい家族ができたのであって、
そのプロセスこそが子ども教育になるし、個性の芯になる。その時その場の「いま・ここ」で与えられた課題を、
一つずつこなしていけば、その永年の積み重ねが個性になるのである。

別に個性的でなくても、いいじゃないか。そう、砂利同士がカタチは丸いとか四角とか言っているのと同じ。
そんなこと気にすることはない。でも変わったのに眼がいくか?    
社会ルールを壊さない程度で好きなことをやっていればよい。個性なんぞ考えることは、人との比較をしていることになる
ゆとり教育とは、ゆとりのある親が公立でなく、私立の小・中学校に子供を入れることに結果としてなってしまった。
ブラック・ユーモアなんてものじゃないのが、現状である。
              ホンジャ、バアアイ 
                          ♪♪((((*`・´))ノ ♪♪
ーーーーーーーー
2006年03月20日(月)
1812, WBC?日韓戦が面白い!
           才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)

昨日のWBCの日韓戦が面白い試合であった! 勝ったから尚のことだったのだろうが。
WBC戦で6勝全勝の韓国と、三勝三敗の日本の戦い。おまけに日本は韓国に二戦二敗である。
15日に韓国に敗れ99?諦めていた日本が、米国がマサカの敗戦で生き返った。
日本は負けて元々。全勝をしてきた韓国は負けられない戦いであった。
中盤までの緊迫した投手戦が、7回に日本の大量得点で勝ってしまった。
それまでは、日本が押し気味に進んでいたが、チャンスにあと一押しがなく
嫌な雰囲気であった。それが、福留の一発のホームランで流れが一挙に日本に傾いてしまった。
            ヾ(●´▽`●)ノ彡☆ ゚・。・(●ノ∀`●)σ・。・゚
試合というものは、こういうものである。韓国にとっては二勝一敗の日本が決勝に進んでしまったことに、
割り切れない無念さが残ってしまっただろう。韓国に三連敗は許されない日本と、二連勝している日本に
決勝に出すわけにいかない韓国の立場があり、お互いに負けられないという緊張感がヒシヒシと迫ってきた。
日本は決勝まで進めるとは思っていなかっただろう。万一、日本がキューバに勝つようなことがあれば、
日本の野球界にとって、神風?がふくだろう。冷静?にみると、イチロウの存在が大きい。
『自分の野球人生で一番の屈辱の日』という言葉が、転がり込んできた準決勝で、チーム全体に火をつけた。
全員の目が据わっていた。韓国野球界はサッカーなどの影響で、ジリ貧の韓国野球の起死回生という、
コンセプトがあって万全な準備を続けてきたという。準決勝進出をすると兵役免疫という条件の選手が
何人もいたため、日本戦の勝利で必死だった緊張感が切れたのだろう。日本とすれば大リーガーの二人の松井と、
井口をメンバーに揃えたようなもの。これでイチロウ株が上がり、松井秀樹選手は大きな傷を背負ってしまった。
日本という立場からみれば、悪役のアメリカの審判あり、韓国戦の惜敗が二度あり、結果として
劇的なWBC戦になってきた。これで白けていた日本のファンは、一挙に盛り上がってきた。
明日の試合が楽しみであるが、流れからいって、五分五分だろう! いや、やはりキューバが・・・
優勝すれば、冬季オリンピックで惨敗のスポーツ界にとっても朗報になる。
いや日本全体にとっても。  ☆ミ(ヾ(≧∇≦)〃)  )≧∇)ノ彡☆
                     *・☆グドバイ!
・・・・・・・
2005年03月20日(日)
1447, ロシア人立てこもり

3日前の夜半に、シングルイン第二新館で大立ち回りがあった。
ー現場の人の証言から、内容は以下の通りであるー

深夜の0時近く、警察官が第二新館のホテルに宿泊しているロシア人をなだめながら連れてきた。
近くで騒ぎを起こして、通報されて連れ帰されてきた。警官が帰った後、何かが面白くなかったのか、
フロントの対応が悪かったのか、いきなりロビーに置いてある新聞に火をつけて火災報知器にかざし、
ロビーの椅子でバリケードをつくり外部から入れないように閉鎖。更に消火器で三人のフロントマンに噴射した。
火災報知器の音で降りてきたお客さんが消防に電話、消防士と警察官も含めて30人近くが駆けつけて一時は
騒然となったとか。隣の大きな飲食ビルの酔い客の野次馬も集まり、映画に出てくるような大騒動。
ホテル内には180人の宿泊客がいたが、大部分は気がつかず寝ていた。
もし気づいていたら、騒ぎはその数倍になっていた。収まったのは、夜半の3時半。現場の掃除も翌日のチェックイン
の時間ギリギリまでかかってしまった。こういう仕事も、お客商売ー水商売とつくづく感じざるを得ない。
たまたま、新館にはロシア人の団体十数人が泊まっていたが、その騒いだロシア人とは全く関係のない人達だった。
翌日は朝から警察の事情聴取で、支配人は半日以上も対応で終止。
消防からは、その時のお客の対応を明確に報告をするように電話があった。
ここまで派手な立ち回りはホテル開業以来初めてである。火事騒ぎ、自殺、自殺未遂、指名手配逮捕劇、
薬中2人のナイフによる喝上げ、この事件の一週間前におきた女性による手首??自殺未遂とある。
こういう事件が起こるのもグローバル化ということか。
ホテルは、自分の住所を書き込むためか、宿泊客は大人しいものだが。(もし偽住所を書くと、違反になる)
アルコールも薬の反応も無かったというから、異国の地でストレスがたまっていたのか、それとも?  
近くの飲食ビルの丁度よいネタだろう。新聞などのマスコミには、報道されなかったようだが。もちろん、告訴をした。

・・・・・・・
2004年03月20日(土)
1081, ST訓練 ?2

去年の今頃に「ST訓練」について書いた。ー(後でコピーしておきます)
先日、二年ぶりに新入社員に対する「ST訓練」のインストラクターをした。30回近くしたことになる。
人の話をきっちり聞く事が出来ない人が意外と多いのに驚く。特に地方の馬鹿二代目に多い。
優秀な場合や、独りで超越した世界を確立してある場合は、人の話をむしろ聞かない方がよい場合もある、
しかし、それはまれである。今ベストセラーになっている「馬鹿の壁」というのは、人の話をきっちり聞けない事を言う。
まずは、相手の話を把握する事と、そして自分の話を相手に手短に話せる訓練をしなくてはならない。
日記を書く習慣のある人は、すでに身につけている。
今の若い人の言葉に対する感覚は10年?20年前に比べると格段の差がある。
不況の為、質が良くなっていることもあるが、言葉に対する感覚が鋭くなっている。
終了後、総括としてのレポートを書かせたが、全員がほぼ訓練内容を把握していた。
その一つを書きうつしてみる。 これで大体どういう内容か解ってもらえるだろう。
ーーーー
「ST訓練を受けて」   佐藤春美 
?、言葉について

(1)言葉
今日の訓練で、いかに‘言葉’が大事であるかを改めて考えさせられた。人間が人間たるゆえんは言葉を使うことである。
しかし「人間」と「動物」を決定的に分ける「言葉」は非常に難しい。主語をつけたかどうか、副詞・助詞を何にするかで
全く違う意味になってしまうからです。また、起承転結で論理を構成したり、短文にして話すことを普段何気なくしているが、
意識をしていざ話を纏めようとすると非常に難しくなります。
私は学生時代、手話を学ぶ機会がありました。そして実際に聴覚障害の人とも交流しました。
そのなかで、私たちが当たり前に使っている言葉での意志交換の難しさや、手話ゆえの素晴らしさを知りました。
(2)人の話を聴くこと
人との対話の中で大事なことは、人の話をまずよく聴くこと、そして自分の言いたいことを正確に相手に伝えることです。
まず相手のいうことを把握しなくては、自分の言うことに曖昧さが出るからです。
そして、そのやり取りの触発で自分の考えが飛躍することがあるのです。
(3)自分の考えを纏める
今まで普段の友人や家族との会話で、別に何も考えず話していた。しかし会話から対話になると、
そうはいかない事が解りました。自分の考えを纏めながら相手に伝えなければならないのです。
ー、自分について
(1)自分とは何か
「自分」を考えると非常に曖昧で、定義することは難しい。「自」は「他」があってはじめて存在する相対的なもの。
他人と関わりを持ってはじめて自分というカタチが形成される。他人との関わりで生まれてくる考え方、
姿勢、積み重なっている経験、性格などの要素で形成されている。
(2)他人とは何か
広い意味で言えば、自分以外の人。つきつめれば、自分と関わりのある価値観の違う人だと思います。
違う経験と立場の人です。関わりのない人は他人とはいいません。
『他人』を考えるということは『自分』を考えることになります。
(3)社会とは
社会は「場」であるともいえる。人間集合の場の総称といってもよいでしょう。
テーマがあって、時間と空間で構成されるのが「場」です。
人間を喩えにとると、それぞれの人は多くの立場を持っています。
それゆえに人が人間になるのです。家でいえば子供の立場であったり、姉妹の姉の立場であったり、
学校では生徒・学生であったりします。このようなそれぞれの多くの立場をもって社会は形成している。

ー、これから社会人に
(1)学生時代は終わりました。これからは、学生というお客様より、企業人としての(プロとしての)
労働を売る立場に変わったのです。これは責任を伴うということです。
新入社員という甘いは、一歩現場に立たされれば許されません。
お客様にとって、それは関係ないことです。早く仕事を覚えることが現在私に課された大きい勤めです。
(2)読書
今まで私は趣味として小説を読んできました。教養とかは意識をしてなく、
ただのんびりと読んでいただけのようでした。今までは、時間は充分にあったようです。
しかしこれからは無い時間の中で(心に残る読書)を心がけようと思います。
『学び』を。私のキーワードにしたいと思います。
(3)日記
二年前より日記を書くようにしていたのですが、どうしても毎日は無理でした。
「こころ」は「言葉」と同じです。「言葉で残す」ということは「こころ」を記録することです。
内容も大事ですが、継続こそ大事。それは自分にそのまま跳ね返ってくることになります。
日記の重要性を改めて思いました。
                   2004年3月17日
・・・・・・・・
2003年03月20日(木)
715、「退場宣告」-読書日記

 借りている手前、銀行の現状を書くことができないのが現在の中小企業経営者。
「よく書いてくれた!」というのがこの書である。実際現場で起きていることは大手の不良資産の処理の肩代わりを
中小企業に押し付けている。大手がつぶれると、その資産圧縮に中小企業の貸しはがしを露骨にしている。
担保が足りないとか、金融庁に指摘されたとかいい辛辣に貸し剥がしている。
旅行先などで出あう中小の経営者は、貸し剥しの辛辣さに口を揃えて非難の嵐である。
一番の利益の元を虐待をしていれば、必ずその逆襲にあう。担当には若い役のついてないのを遣し、
トップ直談判で貸しはがしと追加担保要求をする。暴力団と手口は同じである。直接間接の脅しである。
ここまで落ちたかというのが現状である。この不信感は銀行にとって数年後には致命傷になるのは目に見えている。
 ある人の話だが[地元の「大蔵省の天下り先専用の銀行」に行ったら、「その件は前例がないから全く考えられません」
と50代後半の次長がのたまったのに驚いてしまった。50代後半の次長にも驚いたが、その旧体質の空気がすべての
今の日本の現状をそのまま現していた。70歳位の頭取が今でも時たま新聞に出てきて、自画自賛をしている姿は
??としかいいようがない。]といっていた。彼らの言い分も解らないでもないが、金融庁から尺度を急に変えてきて
その基準で自己保全をやれ!ということだから。といって現場にとって、それは暴力団になれということだが。

ー大筋は以下の通りである(これは私の主観で書きうつしたものだ)
(以下、字数の関係でカット2008年3月20日)
 「退場宣告」 著者/訳者名
    木村剛/著 田原総一朗/著


2905, 寝入る瞬間を意識したことがあるか

2009年03月19日(木)

寝入る瞬間を経験したことがあるか?


 ある随想に、「寝入る瞬間を経験しようと狙っているが、まだ経験をしてない。
それは死ぬ瞬間に類似しているのではないだろうか?云々・・・」とあった。 
以前ここで書いたことがあるが、10年ほど前に、その経験をしたことがある。
その時に「過去の二万回で初めての経験だから貴重の経験だろう。無へ狭間の瞬間の実感してみた」
と記憶として刻印した。 
 具体的に、どうだったか?というと、
「TVを消した時の画面の感覚で、一瞬のスッと小さな点に意識が縮小し消えていく感覚。
 もしかしたら、死ぬ時は、あの感覚ではないだろうか。」である。
一般的に多くの人が経験していることなのか、してないかは、私は知らない。

 先日、図書館で借りた「現代哲学がわかる」というAERAMOOKという雑誌の特集号の中で、
マギーという哲学者が「哲学人」という著書で、「何故、人は眠る瞬間を意識できないか?」という
テーマで論じているとあった。 (詳細は書いてなかった)とすると、その瞬間は意識できないことになる。
しかし私は、その一瞬を捉えたのは間違いない事実。 私が特殊経験をしたのか、それともマギーが正しいのか? 
 ネットで「寝る瞬間をけいけんしたか」と検索したが解答はなかった。

 ーマギーの「何故、寝入る瞬間を把握できないか」の論旨を知りたいが、私の推論をしてみる。
<寝入ったとは意識が無くなるということだ。 意識が無意識への瞬間など捉える由はないのは、
 その瞬間の無の際を経験しようがないのは自明のことだ。
 見たという一瞬の知覚は、まだ寝入っていない意識であり、実は寝入ってなかったのである。
 意識から無意識への移行の瞬時など膨大な無意識が小さな意識の一瞬の補足できようがないのである。 
 向こう側(寝入ったサイド)から見ると、その瞬間=扉は、すでに無の世界である故に、
 その瞬間など捉えられないのである・・・>
  ーマギーは、こんなわけの解らない論旨ではないはずだが。
 しかし、私は間違いなく、その瞬間を捉えた事実は事実としてあるし、夢ではなかった。
 マドロミの中で、漂うことは何時ものことだが。 今度、この本を読んでみるつもりである。

・・・・・・・・・
2541, ウェブ時代 5つの定理 ?3
2008年03月19日(水)

まず梅田望夫の第四の定理について述べている部分を抜粋してみる。
 ーー    
第4定理は「グーグリネス」である。グーグリネスとは、ウェブ時代をリードするグーグルという会社の
気質やグーグルらしさを表す言葉だ。 グーグルの経営・組織・文化における独自の論理は、ここまで取り上げた
「アントレプレナーシップ」「チーム力」「技術者の眼(め)」が、高いレベルで統合された最新で最良の実例と言える。
 私はシリコンバレーで数多くの会社を見てきたが、その中でグーグルは、
これまでの会社とは「種」が違うのではないかと思うほどの、突然変異とも言うべき「変な会社」である。
こんな奇妙で不思議な会社は、かつて存在したことがない。そう断言できる。しかし、
こういう会社がビジネス社会の中心に躍り出てきたことが、情報化社会たる現代の特質なのであろう。
 ≪いま、世界は(以前と)本当に違う。それは、君たち一人一人が世界中のどんなことについても
「情報を得る力」を持ったからだ。私が学校に通っていたころと、本当にまったく違う世界だ≫
これは数年前にグーグル創業者の一人、サーゲイ・ブリン(1973年生まれ)が
高校生向けに行った講演での言葉である。80年代と比べて今が「本当にまったく違う」のは、
行き着く先は「時間」。 「時間」だけが私たち一人一人に平等に与えられた貴重な資源だ。
グーグルは「頭脳の拡張」の世紀のリーダーであるとともに、私たちが自発的に過ごす
「時間」からしか創造的イノベーションは生まれない、という思想の信奉者なのである。
 グーグルはこのやり方を貫き、創業からわずか9年でトヨタ自動車の時価総額と肩を並べた。
しかも、社員数はトヨタの約20分の1にすぎない。
ーー
解)
インターネットの、その中の検索こそが世界の要になると確信した信念が世界を変えたのである。
下手の考えより、己をグーグル化した方が手っ取りはやいのかもしれない。
時間という資源を最大限活用できるという面から見たら正しいのだろう。
インターネット下のオープンソースの潮流の中で頭脳のネットに己をリンクすることこそ、
一番合理的かもしれない。ただし己というベースが確立してある前提が必要だが。
それと、五つの定理をマスターした上での自発的に過ごす時間の重要性である。

・・・・・・・・
2007年03月19日(月)
2176, 流通業界・大編成の時代へ
                 オッ(*^○^*) ハ?ヨウ
    
 大丸と松坂屋の経営統合で、百貨店業界も大編成の時代に入った。
先日の「日経流通新聞」によると、百貨店業界も4強時代に収れんという。
 その内訳として、
 *大丸・松坂屋連合 1兆2000億円
 *高島屋      1兆500億円
 *ミレニアムーイトーヨーカ堂系(西武・ソウゴ) 9500億円
 *伊勢丹      7700億円 の4つがアナリストや業界関係者の総合的な見方という。
アメリカの事例や国内の市場規模からみて日本はこの辺りだろう。
三越、阪急・阪神、松屋、丸井、東武などは、そ4グループに最終的には収れんというから、
都市銀行の大編成と同じ道をたどり始めた。外資などの禿タカファンドが株の買占めなどで
強請ってくるのは避けられない。今までの独立性は維持はできなくなるのは、どの世界も同じ。
流通グループとして最終的に、スーパー・家電も含めて三?四グループに収斂するプロセスに入ってしまった。
五年が目安か?
この10年間でナショナル・チェーンのスーパーも、ダイエーやマイカルの破綻で、セブン&アイHDと、
イオンの二つのグループに収れんしてしまった。情報化などの設備投資の重装備化の闘いの中で
トップグループに入らないと、生き残れない時代である。

自動車業界をみても、日本とかアメリカという国単位ではなく世界の中で、数社しか生き残れない時代に突入した。
情報化、グローバル化とは、こういう時代ということか。情報化は大きな波乱を含んでおり、
変化は想像を遥かに超えたものになる。
隠されている不平等・格差が情報化で露出した時、一強の支配が圧倒的多数の弱者に一瞬で破壊される
不安定社会の到来でもある。日々刻々漫画的に下克上のカタチの中で、色々な現象になって出てくる。
その一つがテロでもある。より快適になる反面、より不安な時代である。
流通業界は暗黒の大陸とドラッガーが看破して半世紀経つが、どこまで変化するのか、見ものである。
高島屋は駄目だと思っていたが・・、やはり駄目だろう!   憶測だが・・
                      ヾ(*'-'*)バイバイ!!
ーーーーーーー

2006年03月19日(日)
1811, ずっとやりたかったことを、やりなさい?3
           Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning

空想上の子供をイメージで作り、その子供のために特別な時間をとって、
二人だけのデートをする。その子供のために特別指導をする。

私のライフワークにしてきた、秘境旅行がそれに似ている。世界の端を点で埋めていくストーリーをたて旅行していく。
上野のスカイライナーを乗ったと同時に、別世界の子供になる。
そして、帰ってきてスカイライナーに乗ると同時に元の自分に戻る。
これは年二回・平均10日間の私にとっての違ったカタチのアーチィスト・デートである。少し違うか?
20年間続けてきたウォーキングもアーチィスト・デートか? まずはアーティスト・デートとは何かを要約してみる。
                        ~~旦 ゝ(-_- ) まあ、お茶でも!
 ーアーティスト・デートー
「人は皆、内なるアーティストをその心に抱えており今までの経験や年齢等に関係なくアーティストとしての創造性を
秘めている。そして誰でもカンタンに(もちろん継続と努力は必要だが)その才能にアクセスする方法がある」
ここで誤解しないでもらいたいのは、アーティストの才能とは画家・音楽家・歌手・陶芸家・舞踏家といった俗にいう
「アーティスト」だけを表すものではなく、全ての職業に共通して求められる「創造性」の開花をいっている。
その意味で、全ての人を対象にした才能開花術である。特にクリエイターの方々
(デザイナー、各種コーディネーター、ライター)には参考になる方法である。
机上の空論ではなく、才能開花のための実践的なトレーニング法が12週間という具体的なプランに落としこまれた、
レーニングプログラム。本を読みすすめていきながら書かれている通りに、一週間約30ページずつ作業を進めていけばよい。

そのプログラムの核ともなるべきものが「モーニング・ページ」と「アーティスト・デート」。
先回はモーニング・ページを紹介した。今回は「アーティスト・デート」である。
                    _〆( ̄Д ̄||)
  ー本文から要旨を抜粋してみる…
《アーティスト・デートとは具体的に何なのか?それは週に二時間程度のまとまった時間をとって、
あなたの創造性の象徴である「内なるアーティスト」の育成に専念することだ。
もっとも基本的な形を言えば「アーティスト・デート」とは旅行であり、あらかじめ日時を指定しておくデートであり、
他人の進入を禁じた時間だ。「アーティスト・デート」には部外者を同行させてはいけない。
行ってもいいのはあなたと、あなたの「内なるアーティスト」、つまりあなたの「想像する子供」だけだ。
恋人も、友人も、配偶者も、子供もだめ?どんな肩書きの人もお断りだ…》
要約すると「週に二時間ほど自由な時間をとって、その時間だけは自分が好きなアートを好き勝手にやりなさい」ということ。
    
* 私は読んだとき、私が毎朝しているウォーキングが正に「アーティスト・デート」である。
《 怒りは耳を傾けてもらいたがってる。 怒りは声であり、叫びであり、懇願であり、要求である。
 怒りは敬意を払ってもらいたいのだ。というのも、それは心の地図だからである。
 怒りは私たちの限界がどこにあり、私たちがどこに向かいたがっているかを教えてくれる。
 また、自分が現状に満足できなくなっていることを知らせてくれる。・・怠惰、無関心、絶望は敵だが、怒りはそうではない。 
 怒りは友達である。 素敵な友達でも、やさしい友達でもないが、きわめて誠実な友達だ。
 それは私たちが裏切られたときや自分自身を裏切った時、かならず知らせてくれる。
 そして、自分の興味に従って行動するときであることを告げてくれる。怒り自体は行動ではない。行動への招待である。》
《アートとは、みずからを社会にさらす行為である。アートは物事に光を当て、私たちを照らし出す。
 そして、私たちの中に残っている暗闇に一条の光を当て、「みえるでしょう?」と語りかける。
 あるものを見たくないと思っている人たちは、それを見せる者に怒りを覚え、徹底的に糾弾する。》
《真摯な表現はクロゼットを開け、地下室や屋根裏に新しい風を送り込み、癒しをもたらす。》
「違った別人格の子供を内に持ち、その子供のために課題を与え二人だけの時間を持って、育て続ける」ということ。
    それはライフ・ワークには待っている自分とどう違うのか?と問われれば、
「それをもっと合理的に内なる指導者の目をクリアにしなさい」ということか。
                   ε(´',_c')зβyё ?
 ・・・・・・・・
 2005年03月19日(土)
1446, 小学校中退、大学卒業 ?2

花柳幻舟の文章の中に、実際に血みどろになりながら、極限を乗りこえようとする魂の叫びを感じ取ることができる。
言葉の中にウソも虚飾も全く感じない深い心の叫びがある。
学問に対しても、その本質を求める気概が正直に述べられている。
自分を日本のインテリと、お述べになっている何処かの教授より学問の意味・真髄を実感しているのが解る。
 以下は、昨日のつづきである。
  ーー
 一日20時間の猛勉強をつづけ、塾入学6ヶ月には司法試験の模擬試験で優秀者の中に堂々と並んだ。
一橋、中央、東大等法学部現役学生を抜いていった。アルファベッドもろくに読めない小学校中退の、
しかも人生の折り返し地点を過ぎた私がある。
人間、やったらできる、それまでできなかったのは、私がやらへんだけかっただけや。
集中力は全てを可能にすると実感した。学校という、地域という排他的の中で、私ははじき出され、
私の読み書きは奪われてきたのである。私にとっては恐怖の学校と先生に必死の思いで対峙した。
ついに私は、学問と学校は違う、教養と学歴は違う、無知と無学も違うということを心底知った。
私は学校と学問を一緒くたんしていたのだ。学校は、教育の現場は、今も排他的で差別的だが、学問は素晴らしい。
学問は、人間に勇気と希望、物事の本質を見せてくれる誰にも開かれた世界だ。
私の大学卒業論文は、誤報と伝聞を繰り返すメディアによってつくりあげられた虚像化された「花柳幻舟」という
一人の創作舞踊家の、デビュー当時のいびつな加熱な報道を検証し、いまや巨大権力といわれているメディアの
‘光と影'の深層に踏み込んだものである。卒業論文の評価を、副学長が次のように言ってくれた。
「こんな面白い卒業論文があってもよいんじゃないか」 と。

・・・・・・・・
2004年03月19日(金)
1080, フランチャイズ・ショー ?5

・一番印象的であったのが「MBE]という会社である。
「メールボックス・エトセトラ」の頭文字の略である。
 MBEのサービスは、
 Document,
 Information,
 Logistic
 の大きく3つのカテゴリーからなるサービスを中心に、それぞれのサービスをリンクさせながら、
 ビジネスや暮らしに欠くことのできない ”必要”に対するサービスを開発・提供している。
 各事務所や、SOFOなどのサービス機能の代行といってよい。
 面白そうな反面、9?のFC料金が高すぎる。 といって、この不景気にあればこそ便利な機能である。
 1DKマンションの一角にコンビニを入れるのと同じように、SOHO専門ビルの一階にセットとするのによいだろう。
・いま一つ託児所のフランチャイズも面白い。立ち上げさえしてしまえば、後はノウハウは無いと堂々と言ってのけていた。
 絞っているのが1^3歳児で、一年未満と夜間はカットがポイントだという。
 成功確率は9割以上だという。平均30人が定員で、損益分岐点の数字が十数人だという。
 大きなショッピングセンターなどの商業集積の近くが面白そうである。
・今回のFCショーには出てなかったが、衛星予備校も面白そうだ。
 場所と大学院でも出た人をセットをすれば誰でも可能である。
 こういうネットの時代だからこそフランチャイズは受け入れられるのだろう。

・・・・・・・・
2003年03月19日(水)
714, 難関ー困難性

 学生時代読んだ本に「困難に出会ったら、チャンスと思いなさい。
それを躓きの石にするか、土台の石にするかは貴方の意思できまります」という言葉があった。
その時これから生きていく人生のキーワードでないかと思った。
事業を立ち上げる目標を掲げていたので、この言葉がストンと頭に入ったのだろう。
そして早速に「修行と事業の立ち上げ」で常に壁が立ちふさがっていた。 今日止めてしまおうか、
放棄しようかという時に「土台の石、土台の石、土台の石」と念仏のように繰り返していた。
他にも「困難性は宝の箱である、そこには必ず鍵穴がある。キーを捜せば必ずある。
キーさえ見つかれば宝が手に入る」という言葉もあった。
また「どんな大きい岩でも筋がある、その筋を叩けば必ず割れる」ともあった。
若い時から事業を立ち上げてきて、段々この意味が実感できるようになってきた。
「次々くる困難のウエーブを乗りこなすことが事業そのもの」と解ってきた。
そうなると、困難に当たることがむしろ面白くなってくるのだ。
一づつこなしていくうちに、どの辺が最大の困難性かも解ってくる。
こうなると、ゲームになってしまうのだ。こなしていることが脳の奥のほうで面白くなってくる。
若い人が、何かに挫折して断念をしているのをみると気の毒に思うことがある。
精神論そのものになってしまうが、あと一ミリ一センチのところに秘密があるのにとつくづく顔を見てしまう。
自分で知識を捉え、それを経験してみなくては解らないことだ。成功体験とはそういうものである。
小さい成功体験を、徐々に大きくしていくしかない。最後は成功体験である。それは困難の乗り越え経験である。
それを方法まで、手順になるまで経験で身につけるしかない。


2904,清水洋の経済危機

2009年03月18日(水)

 この人のセミナーを東京まで行って何年前から聞いてきた。
今年の彼のセミナーの案内がきたが、去年に二度出席したので、今年は行かないと判断した。
ところが案内のパンフレットに、そのDVDを販売するとあった。
セミナーは3万8千円、二万円なら安いが関連の本が十冊買うことが出来る。
といって、時が時だけに現場の生々しい視点からの現状の情報も興味深い。 
去年、三回の彼のセミナーを知人とシェアをした(二度私が参加し、一度は取引先の社長が参加)。
今回も再びシェアをと声をかけた。それが昨日の午前中に届いたので、午後から4時間部屋でパソコンを通して聞いてみた。 
今回は一切メモを取らないで一度、脳にいれた後に、印象として残った言葉を待つ実験をしてみることにした。
「脳に残らないのは、必要としないこと」という言葉を思い出したからである。
  
 −印象を、そのまま書いてみると・・・
・ハイパーインフレが数年後に起こる。そのタネを現在、世界中で公然と蒔き始めた。
 その芽が出てくるのが、数年後である。間違いなく、ある日に爆発的に発生する。
・不動産の暴落は、さらに大きく起きてくる。 買いにきた初めの客に迷わずに売るべし。
 不動産の供給過剰は、これからの時代の趨勢である。東京のマンションや売りアパートは半値以下。
 それでも買い手がいなくなった。銀行が金を出さないからである。 不動産の市場は想像を絶した惨状。
・三百年続いた近代工業主義社会が、この恐慌で間違いなく終焉した。
 日本のバブル崩壊後に何とか主導してきた輸出立国モデルが、崩壊してしまった。
 これに替わるモデルが全く見当たらない現在、日本の将来には非常に悲観的である。
・さらに少子化問題は、今後の日本にとって非常に大きなマイナス条件。
・金(きん)は、今後数年後には6〜7000円まで上がる。金が上がるというより、貨幣の価値が下がる。
 今度の金融恐慌に対して、世界中のトップが取れる政策は、ペーパーマネーを増発してハイパーインフレを
 起こすしか手立てはない。世界の資産家は、金の買い集めを始めている。
・実感として、そうじて40パーセント減である。政府は中小企業を潰さないことを金融庁に指導している。 
 その手立ての一つは、リ・スケジュール(返済計画の見直し)であり、それを利用すべきである。
・政府も銀行も信用すべきでない。自分の身は自分で守るべし。
 ー
 以上だが、聞くたびに話しは辛らつになっている。
 私の事業は不動産の要素が7〜8割を占めるから、深刻である。
 再開発地区の物件だから、救いがあるから、何とかやれているが・・・

 ・・・・・・・・
2540, ロシアの小話、8つ
2008年03月18日(火)

小話といえば、ユダヤと、ロシア、そして中国などがある。
その中で、一番スリルとサスペンスがあったのは、ソ連の体制時の小話だろう。
ひつと間違えば、秘密警察に連行されシベリアに流される。そのギリギリの中で、ひねりを入れた小話を
「アネクドート」といいうが、ロシア人は食事時などに普段人には言えない鬱憤をぶちまけるために作られた
ブラックジョークだからこそ、毒があり捻りが味がある?
その幾つかインターネットで探してみたが、ブラックージョーク収集を
趣味としている私でも、なるほどと含み笑いをしてしまう。まずは、強烈なやつから順に・・・

・息子が服をボロボロにして帰宅しました。「どうしたんだ、お前」 ?父親が厳しく問い詰めました。
「隣りの子と喧嘩した」「なんてことをやらかしたんだ。これじゃ新しい服を買わなければならないじゃないか。」
「だからどうなの。」 ?息子が自慢気に答える。
「あの子を見てみればいいんだよ。あの子のお父さんは新しい子供を買うことになるだろうさ。」
・母「ぼうや、大きくなったら、何になりたい?」、 子「お母さん、僕、外国人になりたい」
・地獄に落ちたブレジネフは数ある罰の内の一つを選べといわれる。
 レーニンは針の山でもがき・・スターリンは煮えたぎる熱湯の中で苦しんでいた。
 ところがフルシチョフは何とマリリン・モンローと抱き合っているではないか。
 フルシチョフと同じ罰を所望するブレジネフに地獄の番人は答えた。
 「どんでもない。あれはマリリン・モンローが受けてる罰です」
・ソ連共産党が70年かかって出来なかったことを、エリツィンが僅か三年でやり遂げた。
 それは何だろう? 答え:「国民に社会主義お良さをわからせた」
・16歳の娘を母親が教えています。
「私を見習いなさい。私は今45歳で、結婚して20年になるけど、ずっと一人の男性だけを愛しつづけてきたのよ。」
「ってことは、パパが知ったらスキャンダルになるわね。」
・「私の将来の夢はパパと同じように月10,000ドル稼ぐようになることなの。」
「ええ、あんたのお父さん月に10,000ドルも稼いでいるの?」「ううん、パパも夢見ているの。」
・「ちょっと、ウェイター!先週の日曜日はあんたんところには出来立てのビールがあったじゃないか!」
「信じてください、これはそれと同じものです。」
・素っ裸の女性がバーに入ってきてバーテンに言います。
「ウイスキーちょうだい。え、何よ、そんな変な目で見て。裸の女を見たことがないの?」
バーテンが答えます、「いやあ、どこからお金が出てくるのかと思って...。」   

・・・・・・・・・・
2007年03月18日(日)
2175, 14歳の君へ ー読書日記
        (~Q~;)  おはよう??ファ?
  =「宇宙」について=

「14歳からの哲学」に引き続き、今度は「14歳の君へ」という本を買った。
池田晶子の本は、これで8冊目である。こういうジュニア向きの本は、解りやすく噛み砕いてあるので、
読めば読むほど多くの示唆を受ける。去年の暮れの発刊なので、亡くなる直近の本である。
この二冊で取りあげてあるテーマは、多くが重なっている。同じようなテーマのところを開きながら、
見比べると切り口が微妙に違っている。何じことでも新鮮に思えてくるから不思議である。
宇宙」について、哲学的に幾ら問いを立てても、その答えは出つくすわけがない。
しかし、宇宙の存在の不思議は、切り口を変えて考えた分だけ面白い。
ーその面白そうなところをー
「14歳の君へ」ー?・君は誰だろう?ー の中の『宇宙』についての項目から抜粋してみる。
     
ーP/128
ー「宇宙はいったいどうなっているのか」の問いは、これだけでも充分にとんでもない。
だけど、「どうなっているかわからない宇宙は、どうして存在しているのか」という問いは、それ以上にとんでもない。
こういう問いはとんでもない、人間にはどうしようもないと気がついた人間は、苦し紛れに「神」という答えを思いついた。
宇宙は神が創ったものだから、それが存在しているのも神の意志だとする考えだ。
一般的に、これが宗教というものの始まりだ。そう答える方が、人間は安心する。
 しかし、科学が発達し、科学的知識を身につけた現代人は、こんな答えを到底
信じることはできない。宇宙の何処かにいて、宇宙を創った神様なんて、想像をしたって無理がある。
それなら、ビッグ・バンによって、ある時に突然始まったとする時の方がまだ納得する。
だけどやっぱり納得できないが、この「ある時突然」というやつだ。
たとえば、こんなふうに考えてみよう。天体望遠鏡で、百億光年向こうの星の姿を君はみる。
光の到達時間差から計算して、百億年前の星の姿を、今見ていると、科学は説明する。
しかし、考えてみたら百億年前には、君は存在してなかったはずだ。
それなら、自分が存在してない世界を、なぜ現在みることができるのだろう。これはおかしいことだろう
両親が存在していない前の世界を、生まれていないはずの君が今みているということなんだから。
こういうおかしなことについて、科学は説明をすることができない。
これは当然だ。科学は、宇宙と自分というものを、あくまでも別物とすることで成立しているのだからだ。
そうでなくては、それを対象として観察、実験できないからだ。しかし、なお良く考えてみれば、
自分と宇宙を別物にすることなんか、できるわけがない。宇宙を客観的に観察しているつもりの自分が、
まさにその宇宙の中にいるのだから。

宇宙を知りたい、宇宙とは何かを考えたいと願う君は、本当は、それを考えている自分とは何かをこそ、
考えなければならないんだ。「自分とは何か」、これはその意味で、宇宙の不思議に匹敵する問いなんだ。
百億年前の宇宙を今見ている自分は、百億年前にも存在していなければおかしいよ。
そう考えれば、「ある時突然」ビッグバンから宇宙の時間は始まったとする、科学的の観念も、
実はおかしなものだと気がつくだろう。だいいち、「ある日突然」なんて瞬間を、いったい誰が見ていたと言うんだい。
そう、見ていたのは、ひょっとしたら、君だ。君というのは、ひょっとしたら、宗教が信じている以上に神みたいな
ものかもしれないよ。それなら、そういう君は、なんだって存在しているのだろう。

ーー
哲学的な問い、というと難しそうな話だが、子供心に帰って、「宇宙の果てはあるのだろうか?」
「宇宙を思っている、『これ』とは何だろうか?」「死ぬのはいやだ。死んだらどうなるのだろうか?」
「神様は存在しているか?」「自分の一生はどうなるのだろうか?どうしていきるべきなのだろうか?」
という純朴の思いの問でしかない。その答えを求めて生きるのが、その人の人生である。
もちろん、自己満足の場面もあるだろうし、根こそぎ後悔する場面もあるだろう。
その時、自分の人生を題材として考えるとき哲学の一端に触れていることになる。
「まあ、こんなものだったのか!」と独り「これ」が呟いて、
   ある時にプッツン! 
             (⌒▽⌒)/"”さいなら! 
・・・・・・・・・
2006年03月18日(土)
1810, 女子社員の結婚式祝辞
    \(^▽^*)おめでとう! (*^▽^)/

昨日は会社の女子チーフの結婚式があった。
新潟市の護国神社であったが、格式と趣きがあり神聖でよい結婚式であった。
神前の結婚式での巫女の舞いが、何とも日本的でよい。
             ゛♪(o´・ω・)人(・ω・`o)♪゛
最近は、祝辞を言うのが楽しみになってきたのも、歳のせい?!それと結婚式の若い二人の門出に立ち会うのも、
幸せを(o^v^o)を共有できて心から祝えるからよい。昨日の祝辞の原稿をコピーしてみた。 
実際、話した内容は少し違ったが。         ♪♪(*´∀`*人*´∀`*)♪
  ー祝辞(原稿)ー
ご両家の結婚式、誠におめでとうございます。謹んでお祝い申し上げます。
何かスピーチということで・・
数回前まで結婚式の前日あたりに何人かが部屋にコッソリきて「お願いがあります、明日の結婚式、
あまり刺激的なことを言わないでください。私は貞淑な妻になるのですから、それに相応しい内容にしてください・・・」
といいに来るのです。そう言われると尚のこと、際どいことを言いたがる私の癖を知らないのです。
今回の新婦はそういうことはありませんでしたが。
といって、私は決して際どいことを言っているわけではないのです。
話を面白くするために、際どくみせて最後に落ちを入れているだけなのですが。

まあ、結婚は
一年目は、支配権をめぐっての権力闘争になり、二年目辺りが、せめて同権要求の闘争、三年目は、最後の生存権を
求めての争いになります。そして、その後は哀れみと軽蔑の中、家の片隅においてもらっているのが私の現状になります。 
更に言えば、たんなるカネヅルと、つかい走りです。といえ、気持ちの中では20組に一組位、
上手くいっていると思っています。そう自己暗示をかけているのが、本当のところです。
その33年間の闘争の結果、得たノウハウを今日は特別教えます。
それは、
・夫婦間の日常の会話で可能な限り他人の悪口を言わないことです。
 これは、重要のことです。絶対に言わないのではなく、言わないように心がければよいのです。
・次に、相手と自分の間に距離を置くことです。私たち夫婦には、溝がありません。
 そのかわり、広くて浅い川があります。いやなら、反対側の岸辺にいればよいのです。
 もちろんこれは、気持ちの問題をいっているのです。決して心をお互いに許してはなりません。
ゲシュタルトの祈り という言葉あります。 それを紹介して、私のお祝いの言葉として終わります。
                (o´・_・o人o・_・`o)ギュッ
ーゲシュタルトの祈り

Ich lebe mein Leben und du lebst dein Leben.
私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。

Ich bin nicht auf dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen -
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。

und du bist nicht auf dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen.
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。

ICH BIN ich und DU BIST du -
私は私。あなたはあなた。

und wenn wir uns zufallig treffen und finden, dann ist das schon,
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なこと。

wenn nicht, dann ist auch das gut so.
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいこと。
             (フレデリック・ハールドン)
                ♪(p´・∀・)乂(・∀・`q)コ♪
 ?
以上、ながく幸せな結婚生活を過ごしていくための秘訣です。
お互いの自立を尊重しあってこそ、円満にいくのです。

私が招かれた‘会社の円満退社の女性の結婚式’が十組いました。
全て上手くいっています。 それを裏切らないように!!
                。.@(-ェ-)@ノ~~~バイ?
・・・・・・・
2005年03月18日(金)
1445, 小学校中退、大学卒業

ある雑誌の中に花柳幻舟の文章が載っていた。「家元制度に疑問を感じて傷害事件などを
何回かおこした問題の多い舞踏家」という印象がある。が、そのテーマが面白そうなので読んでみた。
その特異の生立ちと、その世界に引き込まれていった。
  その文章の一部を抜粋する。

ー1994年、父は逝ってしまった。旅芸人として私とともに闘い、極貧の中を生き抜いてきた私の同期であり、
芸の師父は、私を残して、あっさり逝ってしまった。父が私を残して逝ってしまったあと、私の周りの人たちは、
まるで櫛の歯が抜けるように、一人、また二人と去っていく。私のどん底の精神状態を百も承知でのトンズラには、
私は激怒した。ガソリンを一杯にしたポリタンクを持ち、深夜の道をたった独り、それらの人の家の前に立ったこともある。
・・・父の死によって、大海の中で羅針盤を失い、自死を本気で考えた。
しかし、なぜ今死ぬのか、自死の理由を自分の中で検証し、悲壮感や絶望感を、
主観的でなく、客観的に、確たる自死の理由をつかみ、父の元に元気に行きたかった。
大きな模造紙を買ってきて、自死の理由を思うまま書いてみた。
父を失った喪失感、裏切られた絶望感、あれこれ考えていくうちに、劣等感、疎外感という文字が表れた。
私自身思ってもみなかったことだ。幼いころ、旅回りの先々で学校に行ってもろくろく勉強をしていないため、
テストに遭遇しても全く理解できず0点。旅役者ということも重なって、疎外され、虐めにあう。
それが「トラウマ」であることがハッキリした。

この「傷」と向き合って、この傷を癒して、元気になって父の元に行こうと私は決心し、小学校中退でも入れる
「放送大学」に入学をした。入学したといっても、並大抵のことでなかった。教室から逃げ出したり、深夜飛び起きて、
おお泣きしたり、まさに心の「傷」の後遺症が噴出して、心のバランスを保つのに必死であった。
大學の勉強に少し自信がもてるようになってきたころ、負けん気の強い私は、どうせやるならと、
司法試験にチャレンジするため、法曹界へ90?の人を送り出しているという有名専門校に入った。
                        つづく
 ーーー
花柳 幻舟(はなやぎ げんしゅう、1941年5月15日 - )は、
 舞踊家、作家、社会運動家、フェミニスト。 本名は、川井 洋子。

2歳で舞台に立ち、旅役者の子であることを理由に転校先の学校でいじめに遭う。
18歳で結婚して家父長制の矛盾に直面し、夫から自立するために花柳流(踊り)に入門。
花柳流名取となったが家元制度に疑問を感じ、その根源に天皇制があるとの認識を持つに至って、
家元制度打倒の運動を開始。花柳流家元(三世)花柳寿輔を襲撃して包丁(*1)で刺し、傷害罪で服役。
天皇即位礼の祝賀パレードで爆竹を投げて道交法違反(路上危険行為)で罰金の支払いを拒絶し服役。
2004年、放送大学を卒業し、その報告をまとめた『小学校中退、大学卒業』を上梓する。
講演活動などを続けながら舞台への復帰を目指している。
(以下、字数の関係でカット2009年03月18日)
 
・・・・・・
2004年03月18日(木)
1079, 晴れ間の出来事
 ーつれづれなるままに ー

車に乗っていて、信号待ちをしていると、家の軒先のガレージで犬が自分の毛布を引っ張っていた。
日陰から陽があたっている場所に移動していたのだ。犬のその微笑ましい姿に笑ってしまった。
以前、犬に手を上げて挨拶をしたら、何と手(足)を上げて挨拶をかえしてきた。
私は犬が大好きなのだが家内が大嫌いで、家で飼うことが出来ないのが残念だ。
十姉妹と一緒に入れていたインコを、違うカゴに移したら、インコが焦って入り口を其処にあった
小さな棒でこじ開けようとしたこともあった。動物を見ていると時々信じられない行為をすることがある。
先日、久々の日曜日の晴れ間に土手を歩いた。この時期、居残り鴨が、アチコチに56羽づつ群れをなしていた。
彼等は人家近くは逆に安全であることを知っているのだ。この時期の散歩は冬を越えた何ともいえない春の芽ばいがよい。
近くの河の桜の花の芽がチラホラ目だってきた。ニュースで、福岡のソメイ桜が咲き始めたといっていた。
東京の桜も今週中にも開花するとか。給料前の開花は、花見の客目当ての業者には大きなマイナスという。
そういえば去年、京都に深夜バスで見にいってきた。盛りを過ぎていたが、それでも良かった。

・・・・・・・・・
2003年03月18日(火) 713,
「メシのタネはどこに」 ー読書日記

 邱 永漢 著の「メシのタネはどこに行った」が面白い。現在の日本の現状をわかりやすく書いてある。
東南アジアや中国にその工業生産地の地位を奪われ、まさに地方は空洞化で劣化の道を歩んでいる。
首都圏が世界に向けての工業地帯ー企画と高品質化を提供する発信基地となり、地方からシフトの変更をしている。
 地方の時代といわれたが、一瞬で終わってしまい、いまや寒風が吹き荒れている。
もう二度と春は来ないであろう。次ぎの日本鉱脈を探っているが、海外に資本とノウハウをもっていくしかない。
「国がどうなるかと考える前に、自分が如何したらよいか考えるべきだ」と日本人一人一人につきつけられている。
みんなで大損をして再出発の時である。フローが細ってしまえば、ストックは減るのは当たり前のことである。

ー以下はあるホームページの要約のコピーである。
  以下の要約を何回か読めば大筋がわかる。
 ・・・・・・・・
「メシのタネはどこに行った」
 邱 永漢 著  
   ☆☆☆
1.工業的豊作貧乏のトップ・バッター日本

 (以下、字数の関係でカット2008年03月18日)


2903, 日本は輸出立国か?

2009年03月17日(火)


 野口悠紀雄は、その著書「世界経済危機」で、
「アメリカの金融立国に対応して円安にして資金を供給し、かつ円安メリットを最大限利用して
 輸出立国をつくりあげた日本はアメリカと同罪である」と断じている。
ところが果たして日本が輸出立国かという素朴な疑問が生じるのも事実である。
そこで他国のGDPの輸出比率はどうなっているか調べてみたところ、意外な数字であった。
・中国 37パーセント
・韓国 37パーセント
・ロシア 30パーセント
・欧州平均 50パーセントの数字であった。
・原油輸出国のクエート 56パーセント。他の産油国では90%以上だろう。
  これからみると日本は輸出立国と果たしていえるのだろうか。
しかし輸入が13〜4パーセントになるので、輸出をしなければ国が成り立たない。
特に資源輸入国なので、それを稼ぎ出さないければならない。
石油などのエネルギーを20兆円、食料6兆円の輸入をしているから、
少なくともそれだけの輸出を確保しなければならない。
食料自給率が40パーセントを割ったことも、日本にとって不利である。
とはいえ、日本は中国など世界中に工場を移転してるので、一概に輸出立国を否定はできないが・・。
世界はグローバル化している中で、企業も国際化しないと生存できない時代である。
アメリカのサブプライム問題で、日本の産業をリードしてきた輸出産業の崩壊は、国の存亡の危機。
特に今年が最重要の年である。 現在の日本の政治は、それに対応しているのだろうか?と考えると
暗澹とした気持ちになってしまう。 非常事態には、非常体勢が必要なのに、何をしているのだろうか?

・・・・・・・・・
2539, 閑話小題
2008年03月17日(月)

 *三月の風景
三月は何ともいえない雰囲気で好きである。 節目の時だからだろう。 
「誰々が、どこそこの大学に合格した、入社した」とか、駅には卒業式の羽織袴の姿と、
小・中・高校を卒業した少年少女のエネルギーが街に溢れかえる。
近くの散歩コースの土手の雪が融け、小さな犬の散歩の姿が見られるようになる。
春の到来ということだ。 企業は退社する人と、入社する人の交差の不安定の。時期になる。
野球のオープン戦と開幕戦が始まり、サッカーの開幕、大相撲春場所が始まり、春の高校野球、
そして卒業式の学生の姿が初々しく微笑ましい。 
一年の節のの時節ということだ。
  ーー
 
 *サブプライムローンと毒入り餃子
タイミング的に丁度良く、サブプライムローンと毒入り餃子問題が重なった。
悪質な不良債権をミックスした債権を餃子とみると、あまりに似た問題である。
それもサブプライムはアメリカの格付け機関の保障入りときている。
世界の金融機関にばら撒かれていて、気づいていないところが多いから始末が悪い。 
中国の冷凍餃子も、中国当局がまだまだ、ことの重大さを認識してないので、問題は更に拡大する。
これを切っ掛けにアメリカのドル本位制に近い通貨への不信が拡大し、ドル暴落はさけてとおれない。
それからくる大混乱が生じはじめ、ドル本位制度から資源本位制度がいわれてきている
  ーー
 
 *骨美人と水美人
山田風太郎は、
「美人にも骨美人と水美人がいて、自分は水美人が好きだ」という。
水美人は20歳前後のどうしてこんなにかわいいのだろう思われるみずみずしい人。
こういうのは歳をとると皺くちゃばあさんになる。
骨美人は正統派?の美人で、山田五十鈴とか、高峰美枝子とか、歳をとっても崩れない美人。
それがどうしたといえば、それまでだが、骨格のバランスの問題でしかないのは
自明のことだが・・・・。それなれ韓国のように整形をすればよい。美はバランスだから、
バランスを直せばよい。 ところで私は水美人派である。 傍に居るだけでもよい。 
私の姉たちは若い頃は美人系だったが?崩れてしまったのと、そうでないのと二分?
性格もあるが、諦めないのがポイントのようだ。諦めないとは?如何いうこと?
バランスの崩れを直し続けること!それと、心ということか?トキメキを持ち続けること!
 そういうこと・・・如何でもよいが!

・・・・・・・・
2007年03月17日(土)
2174, 14歳からの哲学ー 2
          オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!

今回は池田晶子の真骨頂の部分といってよい「死について」考えてみよう。
以前に「あたりまえことばかり」という著書の中でも、死について述べている。
(いや、彼女のあらゆる著書の中で述べているが・・)最近、「死」について考えると心地良いのは
  どういうことだろう。死を考えることは、生を考えること、人生そのものを考えることだからである。
いや、歳をとったということか。

「あたりまえのことばかり」の中の、珪蓮\犬ているとはどういうことかーの一節から・・
 
 ー死を知らないくせに、そのくせ知ったつもりでいる。
普通、死は恐い、恐怖、不安であり、いずれは死ぬという前提で人生を送っている。
他人の死ぬのをみて自分に当てはめて類推しているに過ぎない。
自分が死ぬという経験は絶対にありえない。もう一つの勘違いは、死体を見て、
それで死を見たと思う。ここが大事なことですが、死体は死ではないことに気づくと色いろなことが
わかってくる。死体は物質ですが、死そのものは物質ではない。
それでは「死とは何か」の一般的な答えは、「無になる」ことです。
無というものは無いから無なわけです。無は存在しない。存在しか存在しない。
したがって、「死ぬことは無になること」という言い方によって、言われている
無というものは無い。すなわち死はない、ということになります。
にもかかわらず、なぜ無い死を在ると思って人は生きていくのか。
その視点を手に入れると、死があると思って生きているこの世の光景が、可笑しく見えてくる。
  無いものを在ると思っているのですから。思い込みですね。世の中のすべてが、錯覚の上で動いている、
  これは面白い。ですから、死が存在しないと気がつきますと「人生」という言葉の意味するところが
まるっきし変わってくる。やがて死ぬ、どうせ死ぬとは言えなくなる。
なぜなら死は無いのだから、人生の意味はまるっきし変わってくる。
                「あたりまえのことばかり」よりー
しかし、この[14歳からの哲学」の中の死についての説明も、なかなか含蓄が深い。
  まずは、その部分を抜粋してみよう。

ー7、死をどう考えるかー P51

生死の不思議とは、実は「ある」と「ない」の不思議なんだ。
人は、「死」という言い方で、「無」ということを言いたいんだ。
でも、これは本当におかしなことなんだ。「無」ということは、「ない」ということなんだね。
無は、ないから、無なんだね。それなら、死は、「ある」のだろうか。
「ない」が、「ある」のだろうか。死は、どこに、あるのだろうか。死とはいったい何なのだろうか。
  君はたぶん、死ぬことを恐ろしいと思っているだろう。死んだら何もなくなるんじゃないかって。
  でも、何もなくなることは「ない」はずだ。なぜって、「ない」ということは、「ない」からだ。
じゃあ、なぜ、「ない」ものが怖いのだろう。ないものを怖がって生きるなんて、何か変じゃないかと思わないか。

逆に、死んでしまいたいという気持ちになることもあるだろう。 死んだら何もなくなって、すっきりするだろうなって。
でも、やっぱり、それも「ない」よね。死んだって、「ない」ということは「ない」のだから、それなら、
  死ななくたって同じじゃないか。 あるいは、他人を死なせたい、殺したいという気持ちがよぎることがある。
でも、もしも、殺しても実は人は死なないとしたら、どうする?

生きている人が死のことを知らないのは当たり前なんだ。
なのに、世の中の人はほとんど、この知らないことを知っていると思って
生きているんだ。じゃあ、誰もが知っていると思っているこの「生きている」
 ということは、死を知らないとしたら、何を言っていることになるのだろう。
ーー
評)「存在と無」の論証ということになるが、これは難しいといえば難しい。
 死は生前に戻ること!という、道理が好きだが、生は生前と死後を取り巻いている無に浮かぶ一点という、
  小さな球状のイメージである。それは誰にも取って変えることができない自分だけの宇宙の一点である。
そう思うと、自分の人生をもっと大切にしなくてはと、おもうのだが。

  −−−−−
2006年03月17日(金)
1809, ずっとやりたかたことを、やりなさい−2    
           才八∋ウ_〆(∀`●)  ー 読書日記
 ーモーニング・ページー

この三日間、起き掛けに大學ノートに筆の向くまま書いて驚ろいた。
思ったままそのまま、大学ノート3ページに何の起承転結など制約せずに書く。
だいたい30分位である。著者は、十年間これを続けているという。
  この随想日記に似ているが。
ーまずは「モーニング・ページとは何か」を、私の主観で集約して書いてみるー
モーニング・ページとは朝起きて書くノート3P分の日記のことをいう。
創造性を開発するためのツールである。寝起きの潜在意識がむき出しの脳で、ノートを3P埋める。
テーマなどなしに思いついたことを「排水」のように、とにかく書き続ける。作文とさえいえない代物でよい。

ただ手を動かして、心に浮かんでくる、愚かなこと、奇妙なこと、何でも、どんなことでもかまわないから、
  そのまま書き続ける。 書き始めの八週間は、それを読み返さないほうが良い。
続けていると、だいたい2P目、3P目には思いもつかなかった新しいアイデアや、
自分の中に隠れていた気持ちやアイデアが次々と現われる。
こんなことを考えていたのか。こんなことが好きだったのか。
毎朝、発掘されるのは自分という潜在に隠されていたアイデアと気持である。
続けているとダンダン面白くなる。誰にも邪魔されない静かな時間の中で一人書き続ける。
マイナスの言葉ばかりが飛びかう日常的世界から離れのがよい。早朝座禅を組んでいるのに似ている。                                                        (。・・)_且~~ お茶どうぞ
座禅は始めた当初、表面と違って心の中は雑念で騒々しい。
このモーニングページは、その雑念を言葉にして一人書きだす作業であろうか。
そのうちに雑念の向こうにある創造的活動が出てくる。

この本では毎週課題が出ていて
「あなたが他人がばかげてると言わなければ是非やってみたいことを10個取りあげなさい」とか
「あなたが取りあげた10個の中から一つ始めなさい」等、わかりやすい。
 自由に日記を書いていたつもりでいたが、自分の左脳の検察官がチェックをしていた事実を、
  たった数日のモーニング・ページで気がついた。
この本の基本的ツールは
・毎日3P書くノート「モーニング・ページ」と、
・週に最低2時間は「自分一人で自分のココロや魂の喜ぶ行動をとりなさい」という
「アーチスト・デート」の二つである。まだ始めたばかりなので、経験を重ねた後に再び書く。
  始めて数日だが続けたら、何かが根本的に変わってくるだろう。                       
                                 ーつづく
                   バイ ._〆('Д'*⊂⌒`つ
 ・・・・・・・
 2005年03月17日(木)
1444, 孤独について−5

孤独は心の問題をそのものをズバリ語っている。絶望の果てに突詰められる心の状態は、人生で何度もある。
孤独は絶望感の果てに到達するケースが多い。
 「孤独であるためのレッスン」ー諸富 祥彦 (著)の本の内容で考えさせられる部分を書き出し、更に考えてみる。

・「ひとり」と「孤独」についてムスターカスによると、彼の孤独について考えを語るうちに、様々な反論を受けました。
   孤独というものは、人間関係の失敗であり、挫折の印に他ならない、と言われ続けてきたのです。
  彼によると、孤独の真の意味を理解できない人の多くは、
・ひとりでいる体験と、
・深い孤独との区別ができない ゆえに誤解を生じているのです。

 両者の区別について、いずれも大切なものだと断りながら、次のように言っている。
「孤独とは対照的に、ひとりの時には、私達は意識的なコントロールを働かせて、
 意図し、考え、決断している。ひとりでいると、私達は必要な休息を得られる。
 一方、孤独でいると、私達はギリギリの状態に追い込まれる。
 ひとりの時は、私達の体験に、展開と継続性がもたされる。
 一方、孤独の時は、全体的、革新的な変化を私達にもたらしてくれる。
 ひとりの時は人の中に帰っていく。孤独な時は自分に帰っていく道を開いてくれる。」

 また、別の箇所では、
「ひとりとは、たいてい過去や未来にまたがった中間的な状態であるが、孤独とは、常に生命に直接、
   今、ここでかかわっている状態である。ひとりとは、自分に没入していることである。
 孤独とは、自分とともにありながら、さらにそれを越えて、
 新しい自己を創造しようと激しく一瞬に生きることである。」と説明を加えている。
 
ムスガーカスのいう孤独な時とは、
「人生の一大転機点の時であり、孤独に浸っている時、人は、もっとこの激しさが続けばよいと願ったり、
  永久に離れたくないと思ったり、あるいは、底なしの絶望感に捕らえられたり、信頼が裏切られたり、さんざんに
  打ち砕かれてしまうことがある。このような強烈な驚きに震え、深いショックに身を砕かれた時に『私はひとりだ』
  と言っても、その体験を伝えるには不十分である。それでは孤独の肯定的部分も否定的部分も伝えられない。
一方、『私は孤独だ』と言うと、独特のニュアンスが付け加えられ、引き裂かれた状態が示される。」

過去と未来を断ち切り、新たな自分に生まれ変わりを余儀なくする、有無を言わせぬ一瞬の体験を意味するのです。
次に、ムスターカスは「孤独に対する不安」と「実存的な不安」を区別します。
「孤独に対する不安」は
ー生と死の重要な問題に直面するのを避けるために、絶えず他人とかかわりを
求めて、忙しく立ち働いて、本質的な孤独を打ち消そうと防衛から生まれる。
一方、「実存的な孤独」とは、ー人間の本質に目ざめていることの証であり、生の動乱や悲劇、変転に直面していく際に
  育まれるものである。この世に生まれて、激しく生き、ひとり死んでいくことの本質にある孤独が実存的な孤独である」
さみしさは、しばしば、人と人とのつながりが拒否されたり、離れ離れになることによって体験されているものである。
一方、孤独とは、自然の静けさの中で無言で木や雲や波に語りかけたり、
静かに詩をひとり読んでみたり、音楽に聴き入ったり、芸術作品をひもといていたときに去来する。
孤独になる勇気を持つこと。 孤独を楽しむ能力を持つこと。
この二つを備えた人間にしか、これからの時代、ほんとうのしあわせを獲得はできないはず、である。
ーーー
孤独は誰も何時も直面している問題である。だから教養とての知識の必要性が出てくる。
社会通念としての「孤独はさびしいもの、避けるもの」を、まず疑ってみることだ。
特に、携帯を持った猿にとって! 「自覚のないゴミ」になり下がる前に。
去年の同日の、永六輔がいう「虚しさ」を知った孤独こそ永遠への扉の「いま、ここ」を覗いていることになる。

・・・・・・・・
2004年03月17日(水)
1078, 「最後の言い分」ー読書日記

図書館で借りてきた「最後の言い分」が面白い。
50人の有名人が語る人生のラストメッセージを、それぞれ短編にまとめてある。
   東京新聞編集局 (編集)
ーレビュー
死ぬ前に言っておきたいことがある! 各界著名人が語った死生観。
どのような臨終を思い描き、どのような野辺の送りを望むのか。
介護、遺言、葬儀、墓、形見…。五十人五十色の生・老・病・死。 『東京新聞』連載を単行本化。
ー以上がインターネットで調べた内容であるが、簡易な文章の中に、深い内容がアチコチ見られた。
その幾つかを書きうつしてみる。

・永六輔が、生々しい深い悲しみが直に伝わってくる。
  ー
 (字数の関係で中略ー2008年3月17日)
 ーー
この随想日記に「私の遺言」「死について」を書いてきた。
ラストメッセージにはチト早い気がしたが、死は直視し続けると逆に生がみえてくる。
私の場合、父が亡くなった時は喪失感、母が亡くなった時は自立感であった。
ただ、寂しさは無かった。二人とも自分の中でしっかり生きていたからだ。
母は今でも月に数回夢にリアルに出てくる。
二人から学んだことは、死ぬのは生きることと同様、そう簡単なことでないことだ。
「最後の言い分」も生きている内の戯言でしかない。
でも、戯言が死んだ後のシミにもなる。  残すか残さないかはその人しだいである。

・・・・・・・・
2003年03月17日(月)
712, 光ファイバー導入半年の実感

 以前も光ファイバーのことを書いたが、導入後半年の感想を書く。
強引に営業に入れられてしまったが、それでもよかったと思えるようになった。
月に一万円もするが、この4月から6千円に値下げの予定とか?
電話代が一切かからないから、5〜6千円あたりが適正プライスだろう。
ADSLでもよかったのではないかと疑問が今でも残っている。
今までの100倍、ADSLの10倍に近い速度だ。時間が経つほど、その能力の凄みを実感している。
特にホームページが映像に移行しているしているのがよく解る。
古館伊知郎のホームページ「トーキングブルース」8本が3ヶ月間で5千円とか。
この普及はホームページだけでなく、IT電話など根こそぎ時代を変えるだろう。
実際どうなっていくか誰も解らない。先日も書いたが、本の読み方が変わってしまった。
1度目を通し後に、その本の題名をキーワードにいれて書評を読むのだ。その後読んだ方が効率的になる。
たまたまネットウエーブで知った人の読書日記を読むと、今のベストセラーの概略と書評を読むことができる。
  8割がたは?内容を把握できる。 それができるのも瞬時にホームページが出てくるからだ。
まだブロードバンドの入り口しか立ってないが、想像すらできない時代に入ってしまったようだ。

  ・・・・・・・
ー以前に書いた文章をコピーしておきます。
2002年09月20日(金)  525,−光ファイバー
(字数制限ためカット09年03月17日)


2902, 脳と仮想  ー2

2009年03月16日(月)



   「脳と仮想」茂木健一郎著    ー読書日記
ー印象に残った部分を抜粋してみるー

・広大なグランドキャニオンの前に立とうが、北極のオーロラを見上げようが、体験する広大の光景は全て脳内現象である。
世界に脳だけあるといっているのではない。そんなことは当然のことだが、外部から入った刺激に基づいて脳のニューロンが
活動しなければ、我われは広大の宇宙を表象することはできない。逆に、もし広大な宇宙が無くても、脳の中で
ニューロンがある時空的な様式で活動すれば、私たちは広大な宇宙を表象することになる。もしそうなら、逆理が浮かび上がる。
もし私たちが体験することが全て脳内現象なら、私たちは何故、広大な宇宙を思い浮かべることが出来るのか?
いかに、私たちの思い描く世界は、脳内現象として一リットルの空間に閉じ込められていながら、無限定の空間を志向する
ことができるのか? ・・・「熊本より東京の方が広い。東京より日本のほうが広い。日本より・・・」で切ったが、
三四郎に男はいった「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と。
・「真理がどこにあるかといえば、それは仮想の世界にあるというしか言いようがない。どこかの博物館に、
これが真理でございますと飾ってあるわけがないのである。
私たちの精神の中枢に仮想がある。そのように考えると、「見る」ということの本質も違って見えてくる。
・現実のどこにもない仮想は、現代人の心の中でも中枢の位置を占めている。
私たちの精神は、頭蓋骨の中の「今、ここ」の局所的因果性の世界と、「今、ここ」に限定されない仮想の世界に
またがって存在する。 私たちの精神は、本来的に二重国籍者なのである。
・脳内に閉じ込められているだけでなく、心の本質的な属性をとらえた概念が「志向性」である。
志向性とは、心が何かに向けられた状態をいう。そこに心が
・私が恥じたのは、人間がそもそも生きものであり、それであるがゆえに、厳しい生存条件に置かれてきたことを
理屈で判っていても、感覚的に忘れていたことである。つまり文明に飼いならされていたのである。
真実は恐ろしい姿をしている。 人間は、なぜ、「平和」という仮想を生みださなければならなかったのか。
「愛」という仮想を生み出さなければならなかったのか。
平安仏教を特徴付ける「極楽浄土」というヴィジョンは、どのような生の必然性から生み出されたのか。・・・
私たちの意識の中で生み出される様々な仮想は、このうえなく厳しい人間の生存の中で、私たちの心が傷つき、
その傷が治癒される際に放射される光のようなものはなかったか。
 ーーー
考えてみたら、自分に対しても、頭に浮かんで考えている相手にしても、社会も、全て「仮想」でしかない。
「精神の中枢に仮想がある」と自覚すると、良きにつけ悪くにつけ仮想している自分を見ている自分も
仮想ということに気づく。自分の頭蓋骨の中の一リットルの脳は自分でさえ得体の知れない世界である。

・・・・・・・・・
2538, 一神教vs多神教
2008年03月16日(日)

   最近、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教に対して疑問を持ち始めた矢先に
   図書館で、この本を見つけた。 この3つの宗教の元はユダヤ教で、共通の唯一の神を信仰している。
   それがお互いに憎しみあい殺しあっているから、複雑なのである。 早く言えば民族戦争なのである。
 ー概要を解りやすく箇条書きにすると、
 ??
・元祖であるユダヤ 教は、迫害されて逃亡した奴隷たちの宗教、迫害され差別された人々の宗教のために
 恨みと復讐心がこもっている。被害者は、その被害をより弱い 者に移譲しようとすることで被害者の劣等感、
 屈辱感を補 償しようする。 他人を同じように不幸にして自分を 慰める。  
・差別された奴隷たちがモーゼに 率いられてエジプトから逃亡する過程で形成された「民族」として
 ユダヤ人となり、ユダヤ教自体も、その逃亡過程でエジプトのアトン信仰の影響を受けながら、
 純粋な一神教へと形成されていった。
・ユダヤ人の中でさらに差別されていた人たちを救う宗教としてイエスがキリスト教をつくった。
 そのキリスト教が、ローマ帝国の奴隷、下層民に受け入れられ、ローマ帝国の国教となり、
・多神教を信じていたヨーロッパ人もまた、ローマ帝国の圧力でキリスト教を押し 付けられて、
 心の奥底で「不幸」を感じた。そのため一神教を押し付けられた被害者のヨーロッパ人が、
 自分たちが味わっている不幸と同じ不幸に世界の諸民族を巻き込みたいというのが、
 近代ヨーロッパ人の基本的な行動だったのではないか。
・欧州で差別された人々が新大陸に逃げ込んで、その先住民へ攻撃と迫害などをしていった。
 そこで造られたのがアメリカという国。つまりアメリカは被差別の最終駅になる。
 だから潜在意識の中で人類を恨み、攻撃的になり、非常に強くなった、という。
・ヨーロッパ人が、人種差別に基づく残虐性を発揮して世界制覇を果たしたのは、
 強烈な被害者意識があったからだという。 それをもたらしたのは、白人の始まりが白子で、
 そのために黒人からアフリカから差別されて追われたことと、
 ローマ帝国に無理矢理キリスト教を押しつけられたことだという。
・多神教の日本も欧米の圧迫に耐え切られなくなり、唯一絶対神という天皇制を発明した。
 近代天皇制は一種の一神教、擬似一神教として、外に戦争を仕掛けるようになった。
人類の不幸を被抑圧民族の連鎖という神経症として論じている。これがル・サンチマンである。
--
知識を持ってしまった人間は、己の生の限界も知ってしまった。
そして未来の不安と恐怖というマイナスの気持ちを解消するため、そして民族を統一するためにアブラハムは
ヤフーという唯一絶対神を創ったのである。これがマイナスにもプラスにも人類に影響してきた。そして現在もである。

・・・・・・
2007年03月16日(金)
 2173, 「いい場所」とは何か 
         才八∋ウ_〆(∀`●)          
     「ファンタジーの魔法空間」ー 読書日記
        著者・井辻朱美 岩波書店
    
著者が恐竜や古代文明を求めて博物館めぐりをしていた時に気づいたのは、
博物館という場所が、外界とは切り離された凝縮された場所ということである。
最も古い時代の物は必ず最下階に展示され、そこから上の階に昇るにつれて現代に近づいていく。
そして出口には必ず土産物屋やカフェが置かれて「現実へのなだらかな再接続が準備されている」
という。 博物館は時空のトラベルの装置であり、空間化された時間である。
またテーマパークのアトラクションも、閉ざされた建物に入ることによって短い死と再生を体験するように仕組んである。
そういう空間を創り出し、体験することこそがファンタジーの核であり、ファンタジー作品を支えているのは
そういった空間なのではないか、という切り口である。それに気づいた時、著者はファンタジーを「場所」や
「空間」という隠れたコードから読み直すと、より面白いという。
この書ではファンタジーを、
・「家」という空間のファンタジーと、
・「旅」という、別世界への道程のファンタジーと、
・「魔法」のファンタジーの 3つの織りなす物語と説明している。

ところで、「いい場所」とは何か?意識したことがあるだろうか。それは突きつめれば家族の団欒という場所である。
そこで、われわれの精神をつなぎとめ、温め、力を与えるのである。そこには厳しい父親がいて、優しい母親がいて、
温かい食事を皆でとること、そこが「いい場所」なのである。
いい場所に神棚を置くのではなく、いい場所だからこそ、神棚を置くのである。
民族にとっては、その聖地が「いい場所」になる。これも然り、そこが、いい場所だから聖地にするのである。
村にとって、鎮守様の祭ってある広場でおこなわれる盆踊りが「いい場所」になる。
家の「いい場所」の台所は、一家団欒のための煮炊きの釜戸のあるところ。
そこは家という母性的な庇護空間の中でもとりわけ母と結びつく。

もう一つの、「いい場所」とは、屋根裏部屋(今では子供部屋)である。
とりわけ自分の部屋の押入れの中とか、押入れの天井の空間があれば、
そこが子供の隠れ場になる。 そこで最も静かな孤独への上昇をこころみる。
母親から見れば、そこに引きこもって誰もそこにはいれようとしない変な空間だが、本人にとってそここそが聖地なのである。
そこで独り高みから、世の中を見下すことができる唯一の場所である。しかし、独り閉じ篭っていたその場所も、
ある事件を契機に出ざるを得なくなる。ある事情で、ある日あっさりと何でもない空間になってしまう。

これは、誰でも経験する通過儀礼である。「いい場所」は誰でも持たなければならないのだ。
しかし、それは年代ごとに変わっていくものでもある。変われなくなったのが、引きこもりになる。
この冒頭に博物館に触れたが、そこは人類の屋根裏部屋でもある。
我われの中に刻まれた古い記憶の痕跡として懐かしい場所にある。そこは屋根裏部屋にある、先祖の写真だったり、
家の宝と同じようなものである。
   
最近、図書館から4冊のファンタジー関連の本を借りてきたが、ただ単に異空間や、魔法の話ではない。
自分の心の屋根裏部屋の中の秘密の箱を開け、違う世界へ誘う魂への扉である。
色いろの人生経験をしてきたからこそ味わえるファンタジーも、また良い。
数年前からWOWOWでファンタジーの映画やレンタルDVDを多く観ていた。
「ハリー・ポッター」や「指輪物語」「ナルニア物語」など・・・
秘境ツアーでケニアやパタゴニアで遊びに行くことも、ファンタジーの世界を旅するようなものである。
そこが私にとって、もう一つの「いい場所」である。             
               ヽ(*´∀`*)ノ.+゚ホンジャ?バイ♪.+゚
・・・・・・・
2006年03月16日(木)
1808, ずっとやりたかたことを、やりなさい ?1
       (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》○            
                   ー読書日記
図書館で何気なく借りてきて読んでみたが、すばらしい本である。早速、中古だがアマゾンで発注をした。
特に、「モーニング・ページ」の技法がよい。自分の心のブロックなどを徹底的に見つめて、
気がつかなかった心の奥から知恵を引き出す合理的な手法である。  
人生は自分の馬鹿の壁を一生かかって乗り越えていく道筋であることを、この本が教えてくれる。
『夢日記』と同じくらい深い示唆がある。
               (*^ー^)/C□~~ コーヒー
ーまずは、訳者のこの本の紹介文であるー
  ジュリア・キャメロン著 菅 靖彦訳 サンマーク出版 

人は誰でも、自分の中にアーティストの子どもを住まわせている。
その子どもを大切に養い育てれば、創造的な生き生きとした人生を送ることができる。
どうすれば自分の中のアーティスト・チャイルドを育てることができるのだろう。
その疑問にきわめて具体的なプランをもって答えてくれるのが本書
『ずっとやりたかったことを、やりなさい』(原題『the artist’s way』)である。
著者のジュリア・キヤメロンは十五年以上も前から創造性のワークショップを
手がけており、本書はそのワークショップの豊富な体験を元に書き起こされている。
彼女自身、映画の脚本や監督を手がけ、『ワシントン・ポスト』『ニューヨーク・タイムズ』
『ローリング・ストーン』などに、いろいろな論説を載せているアーティストだ。
(字数の関係でカット2009年3月16日)
                              ー  つづく
ーーーーー
2005年03月16日(水)  
1443, 孤独についてー4

「孤独であるためのレッスン」NHKブックスー諸富 祥彦 (著)を図書館で借りてきた読んだ。
過去に4回、随想日記に「孤独について」書いてきた。
この本はより掘り下げた`孤独であるためのレッスン'が主テーマである。
今流の言葉でいうと、「孤独力のつけ方」が大筋である。
「孤独力」には、
・消極的な意味では、自分が他人の目に左右されずに生きる能力。
・積極的な意味の「孤独力」は、自分自身と深く対話することの出来る能力。
 深さの次元が、ここでは問題になる。 この「孤独力」が、楽しく生きるための大きな要素になる。
孤独はすばらしい。孤独こそが人が人として生きる王道だと、孤独を賞賛し、そして孤独を全うするには、
「自分を超えた地点から自分をながめるもうひとつの目を意識してその目を通じて自分をながめることができること」という。
{年二回の海外旅行は、その目を養うために行っている}といってもよい。
また、「人は孤独なときだけ、精神の深みへ降りていける。そして、本来の自己を探し当てることができる」と。
さらに、「本来の自己を探し当てた人だけが、真に他者との出会いができる」と。
(逆に言うと、真の自己を見つけ出していない人は真の出会いができない、
ということ)子狐を嫌うのは真の自己の何かも知らない輩だからだ。
だから、「寂しいからといって、ただ単に人と群れていたら、真の自分は見つけられない。
無理に人に合わせていたら、自分を見失ってしまう。群れない自由な孤独人たれ」と。
「ひとりだと感じているあなた。 人の中にはいりこめないと思っているあなた。
わずらわしい人間関係から、逃れたいけど、できないと思っているあなた。孤独になることを恐れないで。 
ひとりになって、本当に自分のやりたいことは何か、見つけ出して。..」と。この本が語りかけてくる。
 この中の<孤独であるための8つの条件>がよい。
1:「分かり合えない人とは、分かり合えないままでいい」と認める勇気を持て。
2:人間関係についての「歪んだ思い込み」やこだわりに気づけ。
3:自分の人生で「本当に大切な何か」を見つけよ。
4:「自分はまもなく死ぬ」という厳然たる事実を見つめよ。
5:「たった一つの人生という作品」をどう作るか、絶えず空想しながら生きよ。
6:ソーシャルスキルを身につけよ。 他人の話を聴き、他人を認めよ。
7:「この人だけは私を見捨てない。どこかで見守っていてくれている。」そう思える人を見つめよ。
8:自分だけは自分の味方であれ。「自分を見守る眼差し」を自分の中に育め。

人との距離感を適度に保つため、むやみやたらと人に近づかないように相手との距離を保つためと考えた方が良いが。

P-172の文章が孤独について、わかりやすい要約になっている。

ー私はこれまで、こう述べてきました。孤独を恐れるな。孤独は、人生の普遍的な本質であり、

(字数の関係でカット2009年3月16日)
 ーーー
この詩は孤独を恐れている心を励ましてくれる。
【詩】ゲシュタルトの祈り
わたしはわたしのことをやり、あなたはあなたのことをやる。
私はあなたの期待に応えるために、この世にいるわけではない。
あなたは私の期待に応えるために、この世にいるわけではない。あなたはあなた。わたしはわたし。
もし偶然にお互いが出会えれば、それは素晴らしいこと。もし出会わなければ、それはそれで仕方がないこと。
フレデリック・パールズ作 (ゲシュタルト療法の創始者)

 ・・・・・・・・・
2003年03月16日(日)
711, キャッシュポイント

 このシビアの言葉が気に入った!ヤクザが恐喝のネタを掴んで「これ脅せる、銭になる!」
という瞬間がキャッシュポイントといってよい。 人生の中で、自分では気がつかないポイントがあったはずだ。
私のごく身近の人に、集ることを人生のポイントにおいている人が数人いるが「これをいっちゃお終いよ」の世界だが。
子供が資産を受け継いだその瞬間も、その人にとってキャッシュポイントである。
 「キャッシュポイント」は、その人にとって経済的に豊かになってしまう、豊かさの源泉のポイントである。
これは誰にでも必ずある。成功する人は人生のある時点でこのキャッシュポイントを見つけている。
この、「自分の内奥に眠る資産」を現金化する方法を見つけてしまえば恐れるものはない。このキャッシュポイントを
いかに探って掘り当てるかが重要なテーマである。これを見つけ、実際にお金に変えることができると、
この上ない幸福感を感じる。本人にとっては「これでお金をもらっていいの?」と考えてしまう感覚である。
そういうものをどんどん掘り進めることがポイントになる。 しかしこのポイントは結果としてしか解らないことが多い。
この反語としての言葉、失禁ーいや失金ポイントがある。私も何回かある、致命傷にならなかったから事業が生き延びているが。
キャッシュポイントより失金ー失敗ポイントのほうが厳しいのが現実である。
事業は14勝一敗では駄目で8勝7休の方が優先されなくてはならない世界である。
それまでの蓄積を一瞬に奪い去ってしまう。 上手くいった時も失敗した時も、そのポイントにいきつくまでの準備に
全ての原因が含まれている。 この言葉はチャンスポイントとも言い換える事ができる。
チャンスはそうあるものでない。やはり準備をしっかりしておかなくては
その一瞬を捉えることができない。このキーワードをレンズとして過去を振り返ってみると面白い。
やはり自分の意志がチャンスポイントをつくっていることが解る。
逆に危機ポイントをみてみると、その裏腹である。チャンスは危機であり、危機はチャンスでもある。

・・・・・・・・・・・
2004年03月16日(火)
1077, 三分間

スピーチ三分、カラオケ三分、電話三分、メッセージのやり取り三分、
スポーツでは、ボクシングが一ラウンド三分、相撲も土俵に上がって立合いまで三分である。
数年前まで、公衆電話の料金が三分十円だった。本の立ち読みも大体一冊三分である(私の場合だが)。
インスタントラーメンは、お湯を入れて三分である。これは意味が違うか?我慢できる時間が三分ということか。
この随想日記の閲覧もユックリ読んで三分である。これ以上だと、気持ちが他に移り変わってしまう。
集中の一ユニットが三分ということだろう。効率面から考えると、三分の積み重ねをするのが合理的といえる。
会社の朝礼で「三分間スピーチ」を毎朝各人に持ち回りでするところがあるが、これは思考訓練と自己表現の場になる。
 岡惚れ三年 本惚れ三月 思い遂げたが三分間
これは全く関係ないか。


2901,のど自慢全国大会

2009年03月15日(日)



昨夜、NHKで「のど自慢大会」があった。参加1万組の中から選ばれた15組というだけあって、
誰がチャンピオンになっても不思議ではないほど素晴らしい内容。
初めから最後まで涙が溢れた状態で聞いていた。 彼らの歌が一期一会のステージだからである。
ジェロ、北島三郎、和田アキ子が、15人の歌が終わった後に歌ったが、彼らの歌に敵うわけがない。
土曜日のゴールデンタイムに歌えるチャンスは一生に一度、全てを、一曲にかけた魂の雄叫びに自然になっていた。 
盲目の少女がチャンピオンになったが、優勝をして貰った大きいトロフィーを北島三郎が代わりに持とうとするのを拒み、
最期まで重そうに抱えながら歌った場面が感動的であった。 あの重さは一生忘れることができないだろう。
恐らく専門家が15人それぞれにプロが歌と振り付けの指導をしたのだろうが、素人の初々しさに加味されて
何ともいえない雰囲気をかもし出していた。 

現在は、カラオケやスナックで素人がプロ並みになっているが、それにしても上手い。 
哲学的にいうと垂直に魂が入っている(一期一会・・永遠)のである。またNHKの演出も良かったのも見逃せない。 
それぞれの歌の背景にある人生劇場を浮出していた。歌は人生劇場を情念化した時空の世界で、歌っている間は、
その世界に我を忘れて没入しているのである。
現実だけでは人生は、あまりにも厳しく過酷である。別世界を持たないと人は生きることだ出来ない。
それが読書の世界であったり、酒の世界だったり、趣味の世界だったり、それぞれある。
「のど自慢」を哲学的に考えることもないが、情念の世界を無視することもない。

そういえば、月に1〜2度はスナックで、カラオケを歌うのが習慣になっている。
何で人は歌いたくなるのだろうか? それは物語を求めているからだろう。
物語を歌で辿っているのである。ミニ自己実現、そして、ささやかな宴ということだ。
また一年に一度の楽しみが増えた。 歳を重ね人生の深みが少しは見えてきたか!

・・・・・・・・・・
2537, パリ高級娼婦館女主人の告白 1
2008年03月15日(土)
                ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚・:*☆
  ニューヨーク州のスピッツァー知事による買春疑惑が表面化したと昨日のTVで放送していた。
  疑惑は、連邦捜査当局による高級売春組織摘発の中で浮かび上がったもので、
  先月中旬、訪問先のワシントンのホテルにニューヨークから高級売春婦を呼んだ際に、
  売春組織への電話が当局に盗聴され、同知事と特定された、という。 疑惑を受け「家族を裏切った。
  家族と州民に謝罪する」と事実上、疑惑を認め辞任の意向。
  2期8年間の州司法長官を経て、2006年、民主党から知事選に出馬し当選。
  07年1月、州知事に就任した。州司法長官時代には、売春組織の摘発にも積極的に取り組み、高い評価を得ていた。

  そこで思い浮かぶのが、マダム・クロード著 「愛の法則?パリ高級娼婦館女主人の告白 」である。
 ーこの本の紹介文と著者の履歴からして面白い。

1960年代から’70年代、パリで最高級売春宿を経営していたマダム・クロード。
フランス通の訳者が、その数奇な人生、知られざるフランスの裏面を紹介。
彼女の洗練の秘密は?女性の本当の幸せとは?「パリの粋」が見えてくる一冊。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」)
 グリュデ,クロード
1923年、フランスに生まれる。
’62年、友人ナディーヌから売春宿を受け継ぎ、「マダム・クロード」となる。
以後、70年代初めまで、各国の王や大統領、政治家を顧客とし、営業を続ける。
’74年、ある政治家との関係を巡り、クロードの館は閉館へ。
’77年、税金問題から逃れるため、アメリカに渡るが、’85年フランスに帰国したところを逮捕され、
以後4カ月刑務所に収監される。
出所後、2番目のネットワーク作りを開始するが、このことにより、再度刑務所に収監される。
’86年より、PR業、結婚相談所、美容アドバイザーなど様々な仕事に就く。
’94年、自叙伝『madam』(ミシェル・ラフォン社)を出版
ーー
ここの館の顧客名簿にはアラブの王族や欧州の貴族、ケネディー大統領はじめ各国の政治家、大金持ちが名をつらねていた。
ここを足場にフランスを代表する映画女優、皇太子妃や伯爵夫人にのし上がった娼婦が数多いという。
マダム・クロードは、自身が少女時代に修道院で尼さんから受けた躾を、街の売春婦に変身プログラムをつくり、
整形手術、肌の手入れ、性の技巧、ダイエット、ファッション、ハンドバックの中味に至るまで微にいり、
細にいり指導していったという。まあ、下手な子女よりもズット品良く仕上げたのだろう。
これを切っ掛けに、この本は見直されるだろう、恐らく!
                          つづく
・・・・・・・・・・
2007年03月15日(木)
2172, 獄中記
 (~Q~;)  おはよう  ファー   ?読書日記
                         佐藤優著  岩波書店

新幹線の通勤の車中に毎日50ページを、延べ10日間かけて読破した。
読んでいるうちに自分が牢獄に入っているような錯覚をする本である。著者の逞しいのは、
直ぐに頭を切り替えて読書・勉強の場と、割り切ってしまうところである。そして、人間としての尊厳を
保って哲学的問いに取り組んで、62冊の獄中ノートを書いたエネルギーには、驚ろかされた。

この本で国策捜査の恐ろしさの一端を見せつけられた思いである。
冷静に振り返ってみると、鈴木宗男と佐藤優は何をしたというのだろか。
「外務省を二人で牛耳って北方領土の二島返還を独断交渉を進めたことが、国家利益を損ねた」というが、
それが犯罪といえるのだろうか? 国家権力の闇の深さ思い知らされた内容である。
戦前の特高と、現在の検察と何が違うというのだろうか。もっとも、鈴木宗男も出すぎていたことも確かだが。
  印象に残っている部分を幾つか抜粋してみる。
 ーー
 拘置所内での生活は、中世の修道院のようです。中世の修道院や大学では、書籍は一冊しか所持することが認められず、
それを完全に習得するか、書き写した後に次の本が与えられるシステムだったそうです。 
拘置所もそれにかなり近いところがあります。 私本については三冊しか房内所持が認められていません。・・・・
案外、現在の環境で少数の本を深く読む生活も気に入っています。・・・・
禁固刑ならば、書籍の差し入れと筆記具の使用が認められるとの条件の下で、何年でも耐えられるような気がします。(p40)

拘置所生活も自分でリズムを作ってしまうと、それなりに楽しいです。
過去数年間、否、十年以上にわたって、腰を据えてしたかったけれども、時間に追われ、できなかった勉強をするよい機会です。
・・・・外に出て、将来家を建てることになったら、東京拘置所の独房にそっくりの小部屋を作り、思索と集中学習用の
特別室にしたいと考えています。それくらい現在の生活が気に入っているということです。   (p63-64)
おそらく、「拘置所は学習と鍛錬の場」と自分で決めてしまったからでしょう。
食事もおいしく、集中して勉強できる現在の生活を私は心底楽しんでいます。
保釈の必要ありませんし、接見禁止が続いていたほうが会いたくもない
面会希望者との会見を断り、気まずい関係になるよりもずっとよいです。(p69)
この制約をどのようにして利点に転換するかをよく考える。
恐らく、記憶力、構想力の強化ということになると思うが・・・。
しかし中世、近世と較べれば、文明の恩恵に浴している。紙もほぼ無制限に使えるし、図書も十分に入手できる。
ボールペンという文明の利器もあり、夜は電灯の下で勉強できる。
概ね、戦前の学者よりも恵まれた環境にあると見てよい(特にボールペンの点で)(p82)
ある意味で、拘置所内での生活は、夏目漱石の「それから」における代助、
「こころ」における先生のような「高等遊民」の世界に似ていると思います。(p112)

私が学術書を精読するときは、同じ本を3回、それも少し時間をおいて読むことにしています。
第1回目、ノートやメモをとらず、ときどき鉛筆で軽くチェックだけして読む。
第2回目、抜粋を作る。そして、そのとき、内容を再構成した読書ノートを作る。
第3回目、理解が不十分な箇所、あいまいな箇所についてチェックする。
このような読み方をすると、10年経っても内容を忘れることはまずありません。(p.165)

私も外にいるときには速読で1日1500?2000頁は書物を読むようにしていました。
私の場合、速読とはペラペラと頁をめくりながらキーワードを焼き付けていく手法。
目次と結論部分だけを少しゆっくり読みます。対象となるテーマが馴染みのものならば、
500頁程度の学術書ならば30分、一般書ならば15分あれば読めます。
そして、ワープロで、読書メモ(これは20分くらいかかる)を作ります。
こうすると1日で1500‐2000頁くらいの書物を読むのもそう難しくありません。
ただし、対象についての知識のない本については不可能です。
どんな本でも斜めに読むことができるという意味での速読法がないと思います。
まずは背景となる知識(「教養」)がどの程度あるかが問題になります。
この「教養」をつけるという作業が本当にたいへんです。  (p.171)
 ーーー
これだけの能力を見せつけられると、自分能力が惨めに思える.内容は、やはりリアルである。    
変な惨めさが無いのは、やはり知識の裏付けがあるためだろう。彼の著書は特異の経験という意味で、
十年、二十年後まで残るだろう。そして、あの女代議士と、小泉も。
後記)後で気がついたことだが、三年前の今日、「獄」というテーマで、この随想日記を書いていた。 
                             面白い偶然の一致である。
                  (^o^)ノ バイ! 
・・・・・・・・・
2006年03月15日(水)
1807, 新書と文庫について
                おっ w(゜Д゜)w ハァョ?
「いまどきの新書」永江朗著ーを読んでいたら、新書と文庫について書いてあった。
新書が大きく変容しているのを実感していたので、その内容に注目をした。
そこで、それをベースに「新書と文庫について」纏めてみた。
 ーー
書店には新書と文庫のコーナーがあるが、新書と文庫は少し前までは、地味な存在であった。
デザインは、書店ごとに統一されていて似たようなもの。テーマも[学術・教養もの]と呼ばれていた。
新書・文庫という形態は、岩波書店の岩波新書・文庫が始めたもの。
岩波新書は現代的教養を、岩波文庫は古典的教養を集めた。相手は主に学生で学校の先生を次のターゲットにした。 
ところが、最近になり新書が大変身をしてしまった。多くの出版社が新書を作るようになり、岩波新書、中公新書、
現代新書の御三家に割ってはいってきた。      (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?                       
値段が安いことがうけ、古典的教養書という意味あいは薄れ、軽いエッセイや対談や、
趣味的な旅行本、写真集や、はてはマンガ本的なものまで新書として出版されだした。
不景気や印刷技術の向上や物流の合理化を背景として、何処でも読みやすい小型本としての手軽さが受けてきた。
またデジ・カメや印刷の高度化で安価に写真などが新書に、掲載できるようになったこともある。
本屋も、文庫本のコーナーを拡充して、文庫本を平置きして買いやすくしている。
学生時代買った新書本が今でも自宅の書棚に多く残っている。小型で場所をとらないので残しておけたこともある。
中公新書の加藤秀俊『整理学』、川喜多二郎の『発想法』 講談社の現代新書の立花隆『知のソフトウエア』
岩波新書の梅棹忠夫『知的生産の技術』など、懐かしい本が2百冊位が捨てられることなく並んでいる。
かっては古典の代名詞だった文庫が、単行本の普及版、小型版、かつ価格破壊版になってしまった、ということだ。
                              ホンジャ o(▽^*)ノ~~マタ?
・・・・・・・
2005年03月15日(火)
1442, ホテル・レストランショー

店舗ショーに続いて、毎年のこの時期に有明のビッグサイトで4日間にわたって開かれる。 
先週、日帰りで見学してきた。
店舗ショーと同じく、癒し系のラジウム石を使ったサウナや、化粧水を使ったエステなどが目立った。
日本人は疲れているのだろうか?それとも女性の立場が強くなり、そういう出費には目がないのだろうか?
これも一過性であろうが、時代が変わったのもあろう。合理的な考えが進む一方、体や心の癒しには平気で大金をつかう。
私自身も大型薄型TVやDVD,そしてソフト関係にはお金を使う。
その反面、外食や飲み代や日用品や衣料には非常にシビアになった。
出店していた音響メーカーの「ボーズ」の、30万近いオーデオを買ってしまった。
こういう世界も、技術革新がドンドン進んでいるようだ。ベーカリーの世界も日進月歩のようで、冷凍パンを、
そのままレンジで焼き上げてしまう技術が開発され、パートでもクロワッサンやデニッシュを焼き上げることが可能になった。
街のレストランなどが、焼きたてのパンを70?100万円の器械で、気楽に出せるようになった。
ホテルが一般的に不況で、新たなサービスを付加して客を取り込もうとしている。
ベッドもシングルベッドの下に、もう一つのベッドが収納してあって、家族ずれのお客にも即応で
きるものなどが、目についた。また、防犯カメラなども多く展示されていた。

・・・・・・・
2004年03月15日(月)  
1076, 《獄》

昨日、何げなく朝日新聞の社会欄を開いたら、<獄>が大きく載っていた。内容は山本譲二元代議士の獄中の体験談であった。
刑務所の服役の体験談を読んだことがあったが、直視できない異常な世界である。
体験談の文章によると、収監された晩は一晩中誰もが泣き過ごすという。
政治とは清濁併せ呑む世界であり、奇麗事の世界とは違う。。犯罪になるかどうかは、
「洗浄を幾つか通して政治資金を集める体制があるか、無いかの差でしかない」のも事実である。
全ての政治家は、一歩間違えると監獄が待っているといえる。この文章を読むと、刑務所だけは入りたくないと思う。
別世界のことではない。ある日思わず、交通事故をおこして動転して轢き逃げをしないとも限らない。
それとも酒を飲んでいて、隣の客と喧嘩をしてとか・・・・
asahi.comを検索したら、この文があったので貼り付けておきます。

ー以下は朝日新聞に載っていた内容である。
■《獄》「詫び状」が扉を開けた
 看守に促され、栃木県の黒羽刑務所の分厚い鉄扉を抜けると、妻真由美さん(39)の姿が目に飛び込んできた。
 02年8月13日午前5時。 刑務所近くの空き地でまんじりともせず4時間をすごした妻は、
 いまにも泣き崩れそうだった。目が合うと駆け寄ってきた。
「お帰りなさい。長い間、ご苦労さまでした」抱きとめることができなかった。
 1年2カ月。隔てられた面会室のアクリル板が目の前にあるかのような錯覚に山本譲司さん(41)はまだ、
 とらわれていた。「苦労はそっちだと思うよ」 看守を横目にそう答えるのが精いっぱいだった。
 東京郊外の妻の実家に着くと、軒先に、1人砂遊びしている息子がいた。
 到着を知った義母(62)は1歳半になった孫を抱き上げると、山本さんの胸に押し込んだ。
「パーパ。パーパ」  罪の重さと、待ちわびてくれていた人のいる幸せとを、体全体で受け止めた。
 衆院議員による秘書給与の詐取という「申し開きのできない」狡猾(こうかつ)な犯罪で受けた判決は、
 懲役1年6カ月の実刑だった。早稲田大を卒業後、現在の民主党代表の菅直人氏の秘書を経て、
 26歳で都議に当選した。衆院に転じて2期目。独自の都市政策を掲げ、「民主党のホープ」と
 持ち上げられ始めたさなかの蹉跌(さてつ)だった。01年6月、罪を認め服役した。
 配役(はいえき)先は、刑務所内でもほかの受刑者や見学者の視線にさらされることのない
 隔離舎房?知的障害や重い身体障害のある受刑者たち50人のための施設だった。
 「大変なんてもんじゃないよ、あそこは。汚物まみれでね……」
 看守は、そこに世話係の一人として赴く山本さんを哀れんだ。
 その通りだった。ろうそくの色分けやひも結びなど繰り返される軽作業に付き添いながら食事や風呂の介助もする。
 漂う悪臭に吐き気を催しながら、房の床や壁にこびりついた汚物をつめではぐ。
 週に2度、たった10分の楽しみだった入浴は、湯に汚物が浮かんでいることも 珍しくなかった。
 出所後は、保護司のもとへ月に2回、顔を見せて近況を知らせ、息子と向かい合うほかは何をするでもなく
 数カ月が過ぎた。手元には毎日のように妻から届いた手紙300通と、その返信、それに独房で書き連ねた日記があった。
 自らへの戒めと、かつて1票を投じてくれた人々への詫(わ)び状として、経験のすべてを記そう??そう意を決し、
 2階の一室にこもった。400字詰めで6千枚。推敲(すいこう)を重ねて800枚にまとめた原稿は昨年末、
 『獄窓記』(ポプラ社)として結実した。 著書は思いもかけず、閉ざされがちな世間への扉を押し広げた。
「だれも語らず、伝えられることのなかった刑務所での障害者の処遇のありようをあなたは初めて記した。
 話を聞かせてもらえないか」
                        (字数の関係でカット(2008年03月15日)
・・・・・・
2003年03月15日(土)
710,「逆さ仏」の時代

 親が子供の葬式を出す意味である。戦前生まれの人は、成人までに自然食で育った。
しかし戦後インスタントラーメンが丁度出始めた頃から防腐剤の入った食品が出始めた。
また農薬の散布で毒入りの農産物を口にするようになった。
農家は出荷する農作物と自分たちが食べるー農薬なしの農作物を分けているとも聞く。
最近の人間の骨は腐らないという、防腐剤がたっぷり骨に入っているためだという。
上記の理由で、20年位前に西丸震哉が40歳寿命説を言い出した。先日も親戚の人が98歳で亡くなったが、
7人の子供のうち3人が亡くなっていた。逆さ仏も今は珍しくない時代になってしまった。
 ある薬局を経営をしている人から、絶対に缶物は口にしないことと教えてもらった。
それと内臓物ー焼き鳥やタラコーや白砂糖やカップヌードルなども毒を口にしているのと同じとか。
緩慢なる毒殺をされているのだろう。その意味ではスーパーの食品売り場は毒物売り場そのものだ。
少しでも注意をしていれば、その量を減らす事はできる。
 あるホテルの人から聞いた話だが「離婚調停でホテル住まいの母子が半年間
三食インスタント物を部屋で食べていた」と聞いたことがあった。聞いていて背筋が寒くなってしまった。


2900, 脳と仮想

2009年03月14日(土)

  「脳と仮想」茂木健一郎著  
                 −読書日記

松井孝典の「レンタルの思想」の中のキーワードの一つが「共同幻想」で、以前、読書日記で取り上げたことがある。
 ーウィキペディアによると
共同幻想(きょうどうげんそう)とは、複数の人間で共有される幻想である。 日本の思想家である吉本隆明が用い、
有名になった言葉である。吉本は、自分の共同幻想とは、マルクスの用語である上部構造と同じ意味であり、
ただ手垢がついているから使いたくなかったと述べている。
 吉本隆明は、著書「共同幻想論」で人間関係は、3種類に分類されると提唱した。
▼ 自己幻想 = 個人と個人の関係。 ー芸術がこれに当たる。他者には影響を及ぼさないため、無制約に自由である。
▼ 対幻想  = 個人と他者とのプライベートな関係。 ?家族・友人・恋人がこれに当たる。
▼ 共同幻想 = 個人と他者との公的な関係。 ?国家・法律・企業・組合がこれに当たる。
 ー以上だが、
 これを読んで、いささかショックであった。日本社会を構成している「世間」=地域社会をみていると、
地域の共同幻想を抱いている集団社会が露出して見える。 
また宗教団体も教祖様の教えの刷り込みをした共同幻想集団のことも明白である。
自己幻想も、対幻想も、多くの幻滅を経験した結果として、所詮は自分も、自分を取り巻く社会も幻想で成り立ち、
そのバブルと破裂の繰り返しているだけということが分かった。 死に直面したり、リタイヤをする時に初めて、
勤めた会社を含めた全てが共同幻想の中で、自己幻想と、対幻想を持って生きてきた自分に直面することになる。
 
 図書館で茂木健一郎著「脳と仮想」を借りてきた。 幻想と仮想と、何処が違うのか? 似たものなら、
脳との関係はどうなっているのか?と、考えながら読んでみた。 
この本のテーマの「仮想」は、飛行場で5歳の姉が妹に問いかける「ねえ、サンタさんていると思う?」という
何気ない一言から始まる。サンタクロースという仮想の現われ方、その我われの現実の生活への作用の仕方の中にこそ、
人間が限りある人生を生きる中で忘れてはならない何ものかがある。 それを徹底的に追求した本である。
ヒントは吉本隆明の「共同幻想」から得たのだろうが、それは書いてない。しかし、切り口は鋭く説得力がある。
次回には、印象に残った部分を書き出してみるが、「共同幻想論」に劣らない。
般若心教の「色即是空 空即是色」にも通じる道理でもある。

・・・・・・・・・
2536, 意志するということ!
   2008年03月14日(金)

ーある作家の大病経験からー
               っ´Ι`)っ { おはよう
  作家の石川好の大病経験の手記が、「生老病死」の「 老病死」を迎えるに当たって、
  示唆を与えられた内容であった。彼は以下の文章を書く4年前にリュウマチに罹り、
  インドの病院に入院した経験から、病気経験だけでなく、人生の在り方まで学んだようだ。

ーまずは、その部分を書き出してみた。 とくとご覧あれ! 
 −−
病床に伏して思い知ったのであるが(今更気がついたとて遅きに失するのであるが)、
体力のある人間はおのれの体力を過信するものである。
もし仮にわたしの体の一部にでも弱い部分があったのなら、
日常生活においても仕事においても、病気いうことをわきまえ、自重していたはずなのだが、
体力に自信のあるわたしはそれまでひたすら走り続けたのであった。
無病息災という言葉があるが、重い病気を患い、むしろ一病息災が望ましいのだと思ったのである。
入院中インドの医者の、その技術的なレベルが優れていることに驚くとともに、医者と患者との関係が
いかにあるべきかを巡回してくる毎に話しかける、その見識に、わたしは深く心を打たれたのであった。
例えば、わたしが入院した日、医者達は次のように述ぺた「私たちはあなたの病気を治し、元の体に戻す自信がある。
しかし何より重要なのは、あなた自身が我々と同じ医者のメンバーになる自覚を持つことです。
それは、具体的な治療は我々がするのですが、あなたには病人であるあなたを、
精神的に励ます医者の役割をやってほしいのです。あなたに自分の病気を直す意志や気持ち、
あるいは闘争心がなければ我々がどんなに努力をしてもあなたを完治させることは難しいのです」
病人になってみれば、頼るのは医者だけだと思っていたが(勿論それは間違いのない事実であるが)、
その先生は、病人になったが故に、なおさら人間は自ら生きる意欲を持たなければならない、
と暗に言っていたのである。 自分達医者は病人の自己回復力を手伝う人間にすぎないからだ。
そういう考え方をその医者は説明しようとしていたのだ。こういう医者達との会話の中で、わたしは思い知ったのであるが、
人の生き死にとどう立ち会うかを職業とする医者が、結局人間はすべてその人の意志の強さ(あるいは弱い意志の持ち主で
あるのならばその弱い意志をどのようにして強くするのか)を鍛えるために生きているのだ、ということを、
これまた暗に伝えているように聞こえるのであった。わたしは前に述べたようにそれまでの人生で入院したこともなく、
また十人家族の中で育っても、母親が長いこと腰を痛め入院した.ことを除けば全員がすこぶる元気だったので、
病気とか、それが進行しての死というものを深く考えることはなかったのだが、
 −−

以上だが、「宇宙の意志が、地球を奇跡の星として創り出した。
そしてそこに自然と、生命をつくり出し、人間を創り、この宇宙の意志が(己の目で)
自分自身を見るようにした。」(幕末の僧)のである。意志こそ、大自然の力である。
かつ知識を積むことのできるようになったのは、目に見えない意志があればこそである。
インドの医者の言いたかった、
「結局人間はすべてその人の意志の強さ(あるいは弱い意志の持ち主であるのならば
 その弱い意志をどのようにして強くするのか)を鍛えるために生きているのだ」、
その意志こそ、我々人間の一番大事な何かが隠されているのである。
「死ぬまでは生きている」のである。そして生きている間は、意志を大事にすべき。」
ということだ。

・・・・・・
2007年03月14日(水)
2171, 考える日々                    −読書日記
           池田晶子著 毎日新聞社出版

この本は、9年前の『サンデー毎日』の連載コラムをまとめたものである。
一昔前のためか、少し感覚がずれてはいるが、それでも彼女独特の現世、そして現象への白けた眼が面白い。
私も、知人にはアウトサイダーとか、大変な人と、思われている?が、それをむしろ目指しているのだから始末が悪い?。
しかし、彼女の視線は私のような中途半端ではない。そういえば、哲学者の中嶋義道も「哲学者というならず者がいる 」
という単行本を出しているほど、奇人を自称している。彼女の本を読んでいると、何か親しい友人と語らっているような
気持にならから不思議である。 世間の現象を醒めた眼で見据えているところが同調できる。
 この本の中の面白いところを書き出して、考えてみよう。
 
−酔うほどに冴える、はずだったがーより 
 ー P164ー
ーかっては、すごかった。普通の成人男子は、ほぼ間違いなく、先に潰れた。
それも私の場合、相手が潰れるまで見極めて、しかし、それをしっかり覚えているから、
相手はたまったものではない。言ったこと、口走ったこと、その状況の仔細まで、
全部覚えているのである。それだけ圧倒されて、彼らは早々酔っ払ったのではないか。
仕方ない。私は、酔うほどに冴えわたる体質なのである。
酔うほどに、理性と知性が燦然と冴えわたり,全宇宙の全現象が見える。わかる、わかった、という感じになる。
妄想ではない。じじつ、そうやって手に入れた認識はたくさんある。
飲みながら考えるのが面白くて、かっては、そうしながら、認識メモをつけていた。
またの名を『酔っ払いの覚書』というそれは、さながらウィゲンシュタインばりの、とまでは言わないが、
その一瞬に閃く洞察を?まえてとじこめた断片群、これが、けっこう今の仕事の核の部分になっている。
 酒のことを「スピリット]]と名づけた感性は人類に共通しているようだ。
あの液体は、私にとって、明らかに「精神」であり、思考の円滑油もしくは起爆剤として作用する。
いや、作用したのだった、かっては。ところが最近は、飲むと考えるのが面倒になってくる。

 ー P−166ー
政治家や偉いさんなど、高級料亭で高級な酒を飲みながら、仕事の話をするという、
その感覚が信じられない。酒がもったいない、酒に申し訳ない、私ならそう信じる。
貧乏性ではない、仁義に欠くと感じるのである。・・・・
 男性が、女性のいる店にのみに行く、そのことだけで私はその人を信じなくなる。
ああ、この人は、酒を飲みたいんじゃないんだ。・・・・
この仕事を始めた頃は、編集者に連れられて、いわゆる『文壇バー』なるところにも何度か行ったが正直なところ、
ああいうところは好きではない。そうは言っても狭い業界らしく、互いにどこの誰かと言うのは知っているのだろう。
見てみぬふりをしながら強烈に牽制しあっているのが、よくわかる。
有名作家が太鼓持ちの編集者を引き連れて入ってくると、店の雰囲気ががらりと変わる。
あっちでヒソヒソ、こっちでヒソヒソ、なかで如才ないヤツはオベンチャラを言いに出向くし、
作家は作家で、俺のことを知らぬかという顔で見回しているから、アンタなんか知らないよという顔で、意地でも続けたりする。 
うまいわけが無い。やっぱり酒は、大事に飲みたい。少なくとも私にとっては、人生における大事な時間。
意に染まぬ人と飲むよりも、断然ひとりの方がいい。まだ覚めやらぬまま、日も暮れてきた。
今日の仕事は、これでお終い、これ一本。さて、酒ビンを抱えて、今宵も私はスピリットの旅に出る。
   ーー
   解)この本のあるページに、この時期に小さなガン細胞が発見された、とあった。
    死因は腎臓ガンというから、やはり酒の飲みすぎ?ということか。
    酒は般若湯というとおり、頭を中を活性化させる。凡人はそれを活用できないが、哲学者にとって思考活性水として
    思考の飛躍にはモッテコイであるが、それが命取りになってしまった。 それにしても生半可な酒飲みでない。
    酔ったときの一瞬の知恵を掬い取ってしまうというのも、彼女ならではである。
    また、文壇バーの文士様の姿を面白おかしく描写しているが、だいたい酔っ払いなど、こんなものだ。
    何処かの街の御名士様溜まり場バーなど、ほぼ同じである。私自身、そういう御名士様溜まり場バーには一切行かない。
    スナックでも4千円までの店しか行かないからニアミスはない。
    寂れた、うら悲しそうな小料理屋かスナックで、オダをあげるのが好きである。
      酒に沈没したオナゴ哲学者・池田晶子に献杯!
                              o(▽^*)ノ~~=バイ
・・・・・・・・
2006年03月14日(火) 1806, 秋葉原再開発
     |。っω-)..。oо○(゜+。ぉレ£∋ぅ゜+。)

先日、東京・秋葉原にたち寄って、その変容に驚いてしまった
三十年以上前から秋葉原のワシントンホテルが定宿で、年数回は電気街を歩いていた。
しかし5年ほど前から日暮里のホテルに変えてしまった。
久しぶりに秋葉原の電気街など駅周辺を散策したが、駅周辺の再開発で街が一変。
最近になり、電気・電子機器などの世界の秋葉原と注目されているが、猥雑な感じが残っていて、街そのものが面白い。
昨年、筑波都市と列車が直結したこともあり街が萌えているようだ。IT宅族にとって、この街は魅力のある街だ。
立ち寄った当日(3月9日)に、秋葉原UDXが開業したが、その事実を知らなかったため見学できなかったのが残念。
再開発地区「秋葉原クロスフィールド」に オフィスや飲食店街などの複合ビルが立ち並んでいる。
秋葉原文化の発信地としての役割が期待されているようだ。
東京に行く度に、エネルギーを東京にとられ地方がマスマス弱体化していっているのが手に取るように分る。
東京駅や新橋周辺だけでなく、神田界隈、秋葉原、上野・アメ横、日暮里と下町の個性の集積が出来ているようだ。
特に東京駅再開発が2011年に完成予定というが、日暮里、上野、秋葉原、東京、新橋と駅周辺の再開発が進んでいる。
これに地下鉄と結びついて、足の便が非常に良くなっている。
 これがバブルなのか、本物なのか十年先には判るだろう。

                          o(▽^*)ノ~~=バイ〜バイ♪
・・・・・・・
2005年03月14日(月)
1441, 星野富弘ー詩画展 −2

先週、近くの長岡中央図書館に行ったところ星野富弘ー詩画展が2Fで開催されていた。
3年前に新潟市に隣接している豊栄町で見ていたこともあって、今回は見るのをパスをしたが、
いま一度見ておけばよかったと後悔している。
画家から見たら、星野さんの絵に対して違う見方をするだろが、絵からは花に対する思いと、
美しさへの感動が直に伝わってくる。花という儚い一瞬の生命の光りが、そのまま絵にこめられている。
花が自分で星野さんを通して、その姿を刻印しているようだ。
首から下が麻痺で動けない状態で、口だけで描くのだから、「念写のような」という表現の方が正しいのかもしれない。
誰もが感動するのも納得する。反面、あまりに波動が強いこともあって、少し不自然?の感もするが、
絵は、それで良いのではないだろうか! いかなる状況でも、人を感動させる道があるものだ。

以前、書いた文章をコピーしておきます。
ー文章に書き残していると、その時の感動、感想が残るからよい。 絵に残すのは、もっと残るだろう。
ーーーーー
2002/06/28
星野富弘ー詩画展 −1

先日、新潟近郊の豊栄の公会堂で彼の詩画展に行ってきた。
数百人が来ていて,何ともいえない熱気に包まれていた。

ー彼の概略は
・私と同じ年の1946年生まれ。24歳のとき教師をしていたクラブ活動で、首の骨を骨折して手足の自由を失う。
・入院の2年目より口に筆をくわえて文や絵を書き始める。
・9年後の退院の年に前橋で絵画展を開く。
・その後国内やアメリカ各地で花の詩画展を開く。
・1991年に生地の群馬県勢多郡東村で村立富弘美術館を開く。 毎年40万人が訪れるという。
彼のことを知ったのは十数年前の「到知」という雑誌である。
対談だったと思うが、その中で「傷口よりあなたの優しさが沁みこむ」という文が忘れられない。
早速詩画集を買って絵を繰り返し見た。口で、これだけの絵を書くエネルギーに別世界を感じ取った。
今回の豊栄の「花の詩画展」で彼の絵を同じ目線で直接見て、自分が彼(星野)そのものになって、
自分の絵を見ているような気持ちになってしまった。何か悲しい、しかし底から突き上げてくるような暖かさを感じとった。
更に動けない自分と花が一体化したような。花も星野という一つの生き物が自分と一体になっていることを喜んでいる感覚。
見方によっては、反対に不自然な絵でもある。 これまで一人の人間に見つめられた花が過去にあっただろうか?
愛情と言葉とエネルギーに包まれ一体化して、絵として表現されたことが。絵の世界ではあったのか知れないが。
決して幸せでない、動けない自分に対する苛立ち、諦め,怒り、そして愛がそのまま絵と文を通して迫ってきた。
地方の女性が一生、因縁に縛られ他の世界を知ることなく終えようとしている。
そういう人にとって、その絵と文は、いま流行の癒しとなるのだろう。

・・・・・・・・・
2004年03月14日(日)
1075, スペインのテロ

・スペインのテロがあったが、次は日本と連想をしてしまう。
「大国?で、60年近く戦争が無いこと自体が異常」と考えたほうがよい。
何かが起こるのは必然と考えておいたほうがよいだろう。北朝鮮が仕掛けてくる可能性もある。
イスラエルやシリアでは、生の虐殺のすざましい話を聞く。シリアの前首相のサダトは、テロリストの
潜伏している町の住民全て殺して、町ごと埋めてしまったという。それ以来、シリアではテロは無くなったという。
旧約聖書を読んでいると、預言者が「この町をの虫一匹残らず殺せという神の
お告げがあった」いえば、そのとおりにしてしまう世界である。一神教は仏教とは違う世界なのだ。
それに対抗する為に「マホメット」がアラブ人ようにイスラム教を創作した。
その争いから、グローバル化になってしまった現在、逃れる事は不可能である。
中国のウイグル地区でイスラムに滅ぼされた仏教国の遺跡を見てきたが、仏教とイスラム教では
(戦いという点で)次元が違う。だんだんアルカイダの術中に引き込まれているのかもしれない。
これはテロというより戦争のゲリラ戦と考えたほうがよい。
日本は新幹線か山の手線をバズーカ砲一発で大混乱だろう。

・・・・・・・・・
2003年03月14日(金)
709, シンプルー2  
 −ワンプライス・ショップ

私の経営するホテルはワンプライスホテルである。ホテルは値段を数種類にしておいて、
繁盛時期ー夏期や連休や、週間単位では火水木曜日に高い値段の比率をあげて売るのが常識であった。
それを一切無視してお客本位にしたのが当ホテルだ。 100円ショップもそうだ。
スナックでも、時間性で3千円とか5千円という店がある。九州の境内の土産物屋で、中学生が多く入っている店があった。
千円均一の店であった。修学旅行の中学生に一番手ごろの千円に絞って品揃えをしてあった。
土産物屋でも業態が可能であったのだ。
居酒屋で300円か400円の均一の店を出せばと思うのだが。
料理や酒すべてワンプライスにすればよい。おそらく多くある筈だ。おでん屋もよいのではないだろうか。
今なら不況なので200円均一にして、ビールなら生ビールだけにして、千円のセットー5品から出せばよい。
格安なセルフの讃岐うどん屋が流行っているが、これも100円ショップにすればよい。
素うどん100円、トッピング100円とか。すべての事にいえるのは「絶対に例外を認めない!」ことだ。
一つでも認めれば意味がなくなる。100円ショップで「200円コーナー」をという誘惑にかられそうになるが。
例外なく均一100円だからよいのだ。値札をつける必要もないし、値下げの必要もない。
ヘドロ商品は2個100円にすればよい。メーカーも問屋も分かりやすいし、お客の方もそうだ。
ワンプライスでなくても、ファミリーレストランや居酒屋チェーンでは値段を3〜5種類に絞っている。
「シンプルイズベスト」の典型である。駄目な店ほど多いアイテムの商品と値段の店が多い。無知の涙を地にいっている。
こういう眼で見ていると、飲食店ウォッチングになる。


2899, イオンの誤算

2009年03月13日(金)


イオンには大学を卒業直後、ジャスコの創業期に一年在社したことがある。
まだジャスコ・オカダヤという名前で、三社合併の一期生。僅か一年でも全エネルギーをようした記憶がある。
その後のジャスコの躍進は目を見張るものがあったが、地方の郊外型SCに全エネルギーを傾けたことと合併が
最大の戦略ポイントであった。辞めた直後に三菱商事と組んでダイヤモンド・シティを設立したのを憶えている。
その7〜8年後に長岡に立ち寄った元同僚の話によると、「SCが大当たりで、テナント料だけで元が充分とれ
本体の出店はイニシャルコストも、ランニングコストも零になる」という。
なるほど、その後も快進撃を続けるのも肯ける。この10年は常に時代の変動の中で株価は2〜3千円をつけていた。

ところが、去年からイオンに対して「悪質なデマが流されている」というニュースを時どき見るようになった。
株価を意図的に下げるためだという。
先週、たまたま日経ビジネスの去年12月8日号「イオンの誤算」の特集を図書館で見つけた。
それによると、やはり重大な岐路に差しかかっているようだ。 
この時期〈12月)の株価総額が二年前のピーク時の四分の一、10年前の現在の社長が就任時期の二分の一。
さらに現在550円まで下がっているから、さらに25パーセントも下がっているので六分の一になる。
僅か二年余りに六分の一は、重大な事態である。 このままでは第二のダイエーになってしまう。
時代の激流は、あのイオンさえも飲み込んでしまう。
この10数年も拡大路線を続けてきたかというと、アメリカの「ウォルマート」の影に追われたため。
しかし西友を買い取って乗り込んできたウォルマートは、その後、日本の風土に合わずに大苦戦。
意識のしすぎのようである。 その上に三つのマイナス要素が重なった。
・まずは出店拡大にストップをかけた「まちづくり三法」である。
・次にこの金融危機のため、公募募集に対して出資者が激減してしまった。
・さらに稼ぎ頭だったイオンクレジットの金利が18パーセントに引き下げられ金利収入が激減。
  要するに郊外型SCバブルが弾けてしまったのである。
これ以上下がると、恐れていたウォルマートが株を買い集める可能性も充分に出てくる。
 百貨店の大同合併も含めて、流通も氷河期に入ってしまった。

・・・・・・・・・
2535, 今年のフランチャイズ・ショーの感想
2008年03月13日(木)
                 ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはよ?♪
二年ぶりにホテル・レストランショーと、フランチャイズショーを見てきた。
晴海に出来たビッグサイトで毎年開かれているが、30年来毎年行っていたが、この数年は隔年にしている。
おおよそ大会場を二回周る。 一度目は大雑把に見て周り、二周り目は気になったところに行く。
もともと店舗ショーと、一緒に行われていたが数年前から分離、開催されるようになった。
ただ不景気のためか、年々勢いがなくなっている。 
 ー今回、面白いと思ったのを挙げてみると、

*木製のカプセルホテルのベッドである。
 家具屋が忠実に防音をテーマにして作ったもの。ホテルのテナントが撤退したあとに狙いを付け提案型にしたのが
 ポイントという。 当方にぴったりだが、少し値段が高いのが玉に瑕だが、木製のカプセル内は寝ていても
 抵抗感が無いのがよい。 何か押入れの中で寝ているような感覚になる。
 しかし木工団地の家具屋に行って特別仕様でつくれるレベルである。
 だから提案型にしなければ、誰もが自分で家具屋と組んで作るだろう。

*次に面白いのが電子レンジ・炊飯器。
 特別仕様のレンジにビニール製の器に米と混ぜ物をいれて米を炊くもの。
 20種類ほどのチャーハンや、炊き込みご飯や、雑炊が手軽に作れる。
 ホテルやレストラン向きのもので、ご飯が電気釜のものよりはるかに美味しい。

*ホルモン焼き肉屋のフランチャイズも面白い。
 客単価が普通の焼き肉屋の7割の3500円が売りだという。
 広島の業者のようだが、出店の全てが成功していると豪語していた。
 それと「10円饅頭」「新しい形の質屋」のフランチャイズも面白い。

*ある厨房メーカーが「つぼ八」の部長にインタビュー方式でオール電化の厨房を紹介していた。
 スペースを取らないですむのと、厨房の温度の不快さを防げるという。
 光熱費の20?オフになると言っていたが、一切火を使わない厨房には驚いた。
 
  行きつづけていると、バブルの崩壊以降の日本の衰退がハッキリ見えてくる。
  それと問題意識を持ってみてないと、何も見えてこない。
  今回の私の問題意識は「今まで無かった、変わった店と商品」である。いずれにしても、夢があってよい!

・・・・・・・・・
2007年03月13日(火)
2170, 「日の名残り」ー 2   読書日記
       (~Q~;) おはよう?? ファ?

最後にある丸谷才一の解説の中の、ある一節がよい。
彼をしてこれだけの解説をさせるのだから、カズオ・イシグロの作家のレベルを窺い知ることができる。
 ーまずは、その解説の一節を抜粋してみるー

ーヘーゲルの名文句に「従僕の眼に英雄なし」あるが、ヘーゲルは、「それは英雄が英雄でなく従僕が従僕だからだ」
と言い添える。服を着せたら長靴をぬがせたり、身のまわりを世話してくれる卑小な男にかかると、
どんな歴史的人物も偉大なところが見えなくなる。欠点しか目につかない、というわけだ。
そういう理屈で押し切ることで、ヘーゲルは彼の歴史哲学を構築した。そうしてたいていの歴史小説は、
英雄を従僕の眼で見る手法と、英雄崇拝的な民衆の眼で見る態度とをまざあわせる手法で成り立っている。ー 
 ーー
 この文章を読むまでは「英雄の私生活はその偉業を除けば普通の人と何ら変わらない」
という解釈で、従僕の卑小な眼の限界というヘーゲルの隠された意味を初めて知った。
最近、「そうだったのか!」と、知らなかったことがあまりに多い。
良く解釈すれば、知識が増えた分だけ周辺の知らないことに気づいたということになるが。
そんなレベルには、まったくないことは自分がいちばん知っている。
またいかにもイギリス的なところが書いてある一節を紹介してみよう。断片からみる文化も興味をひかれる。
  
ー私どもの世代にとりましては、執事としての職業的威信が雇主の人間的価値の大きさに比例して決まってくると
言って過言ではありません。 ・・・  父の世代の執事は、世界を「はしご」に見立てていたと存じます。
いちばん上には、王室や公爵家をはじめとする、古い家系を誇る家々があります。
やや下がったところに、「新興階級」が位置し、サラにずーと下がってある位置を越えると、あとは単純に
財産の多寡で上下関係が決まります。多少とも野心のある執事は、このはしごをできるだけ高くまで上ろうとしましたし、
一般的には、高く上るほど、その職業的威信も増したと言えましょう。
もちろん、ヘイズ協会の言う「名家」の背後には、こうした価値観が隠されていたのです。
・・・ 私どもの世代では、この世界を「はしご」ではなく「車輪」に見立てていました。
それは、偉大なお屋敷を中心に回転する車輪なのです。中心で下された決定が順次外側に放射され、
いずれ、周辺で回転しているすべてにー 貧にも富にもーいきわたります。職業的野心を少しでも持つ執事なら、
誰でも車輪の中心を望み、そこへできるだけ近づきたいと願ったでしょう。   ・・・・(中略)

ー執事になりたての頃は、私も雇主から雇主へ頻繁に移動いたしました。
それは、最終的にダーリントン卿に巡りあう幸運に恵まれるまで、そのときどきの地位から永続的な
満足を得られなかったからにほかなりません。召使部屋の火を囲んで「偉大さ」の何たることかを語り合った当時、
ミスター・グレーアム、私も、この問題にこのような側面があろうとは思いもつきませんでした。ーー
ーーーー
この本を読んでいて、イングランドに行きたくなった。学生時代に行ったイングランドの印象は良くなかった。
プライドだけ高く、昔の威光がもの悲しそうに光っている国。もう二度と来たくない、というイメージがあった。
しかしその時、イギリスは数年いると深い魅力に圧倒されるとも聞いた。
面白いもので、一昨年に北イタリアに同行した人からイングランドの旅の誘いの手紙が来た、さてどうするか。
友人の息子がアイルランドに留学に行っているので、二人で夏に訪ねていこうかと、先日酒を飲んで盛り上がったが、
どういうものか?北イタリアの人に今日明日に手紙を出さないと!この本を読んで感じ取ったことは、
国の品格ということだろう。
この礎は世界中の植民地から奪略をしてきた富から成り立っていることも事実である。 
突き詰めれば、どう考えるか?である。
                 ヾ(●´∀`●)  バイ!        
・・・・・・・・
2006年03月13日(月)
1805, おひとりさまー3
          (○´∪`●)φ...【ォハョゥゴザィマス】

「おひとりさま」について、二回書いてきたが、この言葉を流行らせた原本の、岩下久美子の「おひとりさま」
は読んでなかった。ところが先日図書館で、この本を見つけて読んでみた。自立した女性というより、
自立した人間について書いてある。私のような「ひとりさま」のプロ?は、今さらの内容だが。
組織に組み込まれている人に自立した行動に苦手な人が多い。
共通の目的を持って分業をしているので、お互いの連携が前提になる。
群れる傾向の強い女性に、この本は良い教訓になる。一人で行動するのは若い女性にとってまだまだ制限がある。
一人では出来ないことが二人だったら出来ることを女性は知っている。
「おひとりさま」という言葉が広く受けられるようになったのは、時代の要請があるからだ。
この本で面白いのは、「パラサイト・ラブ」という言葉である。
携帯電話がパラサイトを助長させたのだろうが、愛情寄生虫とは良くいったものだ。
ひとりー孤独ーを愛せない人間が、お互いを愛せるわけがない。
ひとりの時間をキチっと持てない人間が、二人の時間を維持できるわけがない。
自立してない人は、相手の自立が理解出来ないので適度の距離を保てない。
だから、人間関係が短期的になってしまう。相手に気持がいってしまうので、気持ちが不安定になってしまう。
情報化の時代である。「自分は、こうである!」という『個』を確立しておけば、そしてブログなどに主張しておけば、
会うべき人との出会いのチャンスは幾らでもある。
           ((o(´・з・`)グッ。・:*:・゚☆w(´・з・`)バァイ
・・・・・・・
2005年03月13日(日)
1440, 閑話小題ーつれづれに

ーライブドア問題ー
ライブドアとフジTVの日本放送株の新株予約権発行を巡っての地裁の発行差し止めの仮処分申請は、
ライブドアの言い分が認められた。フジと日本放送の経営者の保身のための「奥の手」でしかないのは、
自明のこと。フジのトップがあの程度ということがハッキリしたのが第一の収穫。
いろいろな問題があるのだろうが、それだけでも堀江の今回の問題提示はよかった。
それにしても、なんじゃいあのフジの連中!判決が不利になると、急に低姿勢に変身しだした。 
時代の変化と金融のことが解ってない。多くの解説者が「あのフジの??」と論をはるだろう。
あくまでも結果を待って言っているに過ぎない。

ードロドロした話ー
数年前のことだが、「慶応の在学中に、会計士の試験に合格をした男がいる」という
知人の話を聞いて、「是非面白そうなので会わせて欲しい」と頼んで、会った人がいた。
大学と、(会計士になるための)専門学校に同時に通ったという。
話していて、目から鼻に抜けるような頭の切れる人で、地方では珍しい人というのが印象的だった。
しかし、人生の一番大事な時期に全く社会から隔離されたいた左脳人間にも思えた。
でも、こういう人のほうが、痴呆名士様よりズットまともであるが。
痴呆迷死的な要素は一年もあれば、いや一週間もあれば飾り立てることができる。
税理事務所の二代目で、会った時は親父の会社に入社したての頃であった。
「親父も、事務所の人たちも大変でしょう?」と聞くと、「そのとおりで困っている」との返事であった。
たまたま、アニメの「「千と千尋の神隠し」」が話題になっていた時で、
「あの大きな赤ちゃんに類推できるのでは?」というと、本人も「全くそのとおり」と納得していた。
ところが2?3日前のこと、新潟日報の三面を見て驚いてしまった。
親子して逮捕されたとの報道。病院乗っ取り事件で、複雑なドロドロした事件のようだ。
補助金詐欺というが、「せっかく貰えるものなら」という気持ちも解らないでもない。
それだけ補助金とはいい加減なものでしかない。
政権を保持している政党が圧力業界と組んだ??の要素が強い。その方が問題である。

ー「NHKのど自慢チャンピオン大会」ー
昨夜、「NHKのど自慢チャンピオン大会」を見た。16組がグランドチャンピオンを目指して熱唱したが、
ある女性をうたう前に家内に、「歌う前だが、この娘が間違いなく優勝するだろう!」と、いったら、
その予言どおり優勝をした。もしかしたら、彼女の歌を偶然聞いていた可能性があるが、
ホボのど自慢は見ていないので、見ていない。見た瞬間、光る何かを感じただけなのだが。

ー今日の「閑話小題」は、「閑話休題」をもじったものであるー

・・・・・・・
2004年03月13日(土)
1074, ホテル・レストラン・ショー (2)

ユビキタス(隠れたコンピュータ)を利用した調理器具や健康器具などが目立っていた。
その一つが電子調理機器である。IH式の焼肉機器も、その一つであった。
焼肉屋といえば多大な設備投資が掛かる、個々のテーブルに換気機能が必要だからだ。
それがHI方式で、換気設備が必要なくなり手軽に、焼肉コーナーや焼肉店が出せるようになるという。
また製麺機や小型餃子製造機やパン焼き機とか、職人(経験)の分野へのハイテクによる代替えが進んでいるようだ。
中国に生産基地を置いて、内装工事や家具を現地で生産して、短期間でコンテナで送り届ける会社があった。
紳士服の一部が数年前から行っていたようだが、建設の分野まで中国現地生産が出てはじめた一例である。
大よそ国内の3割?半分の価格をうたい文句にしていた。他に目立っていたものに、インターネットカフェがあった。
漫画喫茶がいち早くインターネットやゲームを取り入れて新しい業態をつくりあげていた。
若者を中心に社会的認知を得てきてるようだ。インターネットカフェが出来ると、近くのビジネスホテル客が激減するとか。
個別に仕切られたボックスのリクライニングの椅子で、千円?2千円で一晩過ごせる。
これにシャワールームでもあれば、別にホテルで寝る必要もないのだ。
カプセル・Hから、更により小さなスペースで済ます流れになってきているのか。

・・・・・・
2003年03月13日(木)
708, シンプルー単純の勧め

「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを愉快に」というが、
「難しいことをシンプルに」とも言い換えることができる。何事もまずはシンプルにである。
チェーン理論の基本は「シンプルに、それをスタンダードにしつづければ、スペシャルになっていく」である。
「スペシャルをスタンダードにしていけば、シンプルになる」ともいえるが。
 デジタルは10進法を0・1の二進法に置き換えたところから出発している。
アメリカの大統領だったレーガンは全ての問題をー「テーマとそれに対して3分類、それを3分類、さらに3分類と
27分類にした報告書を出させて、それに従い判断していた」という。この分類こそスタッフの最重要な仕事である。
 自分の生き方をはっきり決めておけば、自然とシンプルになっていく。
それに遵って生きていけば、判断と決断は簡単になる。複雑になっていくのは、自分のルールや生き方が確立されないからだ。
自分で判断をする主体性があれば、全てがシンプルになっていく。
私の場合は早いうちに創業をしたのが最大のメリットであった。
正しいかどうかは別として、とりあえず主体的に判断せざるをえなかったからだ。
「最期は独り」ということを常に自覚していれば、シンプルに生きられる。
複雑に考える必要もないし、悩みも最小になる。何事も単純に単純に単純に
考えれていけばよい。画家の山下清などは、それがプラスに働いたのだろう。
シンプルということは、ABC分析でいうAに絞る事でもある。エネルギーの集中ということだ。


2898,現在、歴史的転換期の真っ只中

2009年03月12日(木)

現在、我われは途轍も大きな歴史的転換期に立っている。
・東欧・共産圏と、ソ連の解体を20年前に見せつけられた。
 誰も自分の生きているうちにソ連が解体するなど想像すら出来ないことであった。
・その直後から、パソコンによるインターネットや携帯電話などによる情報革命を目の当たりにした。
・21世紀の初頭の2001年9月11日にはニューヨークの二つのビルに旅客機による自爆テロが起きた。
・そして今度は、アメリカ資本主義帝国の破綻と世界恐慌である。
 それと、そのアメリカで歴史上初の黒人の大統領が誕生した。
この一連の出来事は、何か得体の知れない歴史的な転換期に我われが立たされていることを知らせている。
  近代という名のロシアを含めた欧米主導の進歩と共同幻想が破壊したことである。
そして、欧米の暗示から醒めた世界中の民族と、これまでの欧米の文明の衝突が数十年にわたり本格化する
岐路に立っているのが、現在地ではなかろうか。 そうすると、今年にかけてイスラエル国内?の
アラブ地区での虐殺が象徴的に際立って見えてくる。世界の中東・イスラエル化が今度の行き着くところだろうか。
アメリカはイラクを捨てて、戦線をアフガニスタンまで下げようとしているが、
イラクからの名誉ある撤退のための方便とも考えられる。 最終的には日本まで下げてくる可能性もある。
アメリカの国力が、この恐慌で大きく疲弊してしまったからである。
 そこで日本は大きな選択を迫られることになる。
・中国と距離を置いて、アメリカ、カナダ、ロシア・シベリア地区、日本のラインの同盟を組むか、
・中国、韓国、台湾、アジアと組んだブロック化の仲間入りをするか、
・何処とも距離を置いた欧州のスイス的な方向か、になるだろう。
どれをとるにしても、日本の国力があまりに疲弊しているので、大きな問題が次から次へと起きるだろう。
今までのアメリカのポチの存在であることは不可能である。
 私の人生だけでも、世界の激変を多く目撃することができた。時代の激変という面で何世紀も生きたような気がする。
  濃厚な時代を生きることが出来た!ということか。

・・・・・・・・・・
2008年03月12日(水)
「金と口の出し方」?2

ー「金と口の出し方」の問題に対して、更に書き写してみよう。
 ーー
「金は出すが、ロは出さない」とか、「金は出すが口も出す」とかいう言葉がある。
それで、この金と口の出し方について、いろいろ考えて見た。
・まず、金を出す方の立場から。 金は出すが、口は出さない、という結構な人。寄附などこれに当たるだろうが、
ほかにそんな奇特な人はまずいないだろうと思われるが、それが、意外にある。銀行の預金者。それから、日本の納税者。
ただし、政治献金を出す大企業も、口先ではそんなことをいうが、むろん大嘘で、
ほんとうは次項に属する。金は出すが、口も出すというのは、社員に対する社長。
テレビのスポンサー。それから、たいていのパトロン。
金は出さないが、口は出すという勇ましいのは、ろくに税金も払わないで、
何とか国家に文句をつける方々。もっとも一方で、政治家とは公然脱税業であると心得て、
これもほとんど税金を払わないくせに、国防だの教育だのに、大きな顔をして口を出す政治家が
ワンサとあるのだから、アイコである。金は出さないが、口も出さない、というのは、アカの他人である。
・次に金をもらう方の立場から。金は出せ、その代り口を出してもいい、というのは大抵の場合、女房がそうだろう。
正確にいえば、口を出してもがまんするしかないということだろうが。
金は出せ、口を出すな、というのは、セガレや娘が親に対していいたいせりふだろう。
金を出さなくてもいい、その代り口も出すな、というのは、アカの他人に対しては、こういうよりほかはない。
金は出さなくてもいい、しかし口を出してくれ、という人。 こんな人はいない。    『半身棺桶』
 ―ー
以上だが、これはゲゼルシャフトとゲマインシャフトの混同の話になる。
(この難しそうな話は後日、読書日記で書いてみるつもり)己と他者の関係の話にもつながってくる。
一般的に、他人の知恵を借りるのはタダというのが一般の通り相場である。
それを如何に他者(本)から引き出し、それを己の知恵に摺りかえるのが読書の効用である。
話は変わってしまったので元に戻す。「金は出さないが知恵を出してくれ」ってのが、何人かいる。
無料コンサルトを当然のように求めてくる人。それも、交互の利益になるならいいだろうが、そうじゃない人の場合・・

・・・・・・・・
2007年03月12日(月)
2169, 書店のカテゴリー・キラーの業態
               オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン!

土曜日の朝、新潟駅裏に開店した『ジュンク堂』について書いていた。
コーヒータイムに、その日の朝日新聞・土曜版の一面トップをみたら、なんとジュンク堂社長の
インタビュー記事の特集をしていた。偶然にしては出来すぎである。「意味ある偶然の一致」である。  
それより「私の感覚も悪いものではない!」とほくそえんだが・・・。

  ーこの朝日新聞の内容をまとめてみると、
・最新の池袋本店は地上9階、地下1階で日本最大の2000坪(6600M)の売り場に約150万冊が並ぶ。
少しでも多く本を置こうと、レジは1階だけにしてある。各階の窓際には特注したナラの机とイスが並び、
客が座って本を読める。テラス付きの喫茶店もある。「図書館のような書店」である。また新宿店も最近、大幅増築。   
・「立ち読み厳禁、座り読み大歓迎」をうたい文句に店内に机とイスを入れ、社員の制服をエプロンにし、バーコードを
読み取るレジを導入してある。今では多くの書店で見られるが、先駆けたのは、書店界では後発のジュンク堂だ。
・95年の阪神大震災で中核の2店が壊滅状態になったが、その年から全国展開を開始した。98年に累損3億円を抱え、
経営危機に陥ったが、ボーナスカットや家賃下げで切り抜けた。「後発のため他の書店がやらないことをしらないと
歯が立たない。震災で退路を断たれた。チャレンジ精神はマイナス要因のおかげ。リスクを持たないと大きくなれない。
・年商約400億円、経常利益は5億8600万円である。店舗数27店、正社員とアルバイトで1800人の企業。
・最初の店から340坪(1100平方メートル)で開店。小さな書店に将来がないことは、
社長が親戚の書店・問屋の外回りでわかったこと。神戸では大型店はダメだと言われていたが大型店しか物件がなかった。
大型店なら専門書をそろえないと数字が取れないことも、やってみてわかった。
担当者ごとに勝手にやれる制度にしたところ担当者が懸命に勉強して、専門書をどんどん増やし、自然に超大型専門店になった。
・全国展開のきっかけは? 大都市でなく中堅都市でも大型店は可能。モデルを作れば向こうから出店の話が来ると考え
94年に明石市に大型店を開店。バブル崩壊でビルががら空き、家賃が安くなったのも大きな要因である。
明石開店の直後に大分市から話が、その成功例を見て鹿児島から話が来る。
・店内で客が座り読みする机とイスを入れた理由は?というと。
「専門書を探すのに時間がかかって足が疲れる。本を選ぶための机とイスがほしいし、
コーヒーがあればなおいい」と顧客から言われたのが元である
。神戸の2号店に初めて喫茶と座り読みコーナーを設け、96年の大阪・難波店で机とイスを本格的に導入する。
・座って読んでしまえば、本を買わなくなるか?というと、そうではなく、ただ読みできる本は買う値打ちがないと割り切った。
専門書は数ページのためだけに買ってくれる。専門書だから座り読みが成り立つ。
・図書館のような書店と呼ばれ、売るよりも品ぞろえが目的というくらいの、
愚直な品ぞろえが信条で、「日本国中どこにも置いてない本を見つけた。さすがや」といわれるのが、店の基本。
・駅から歩いて1.5等地を探します。2等地は不便で、1等地は高い。 利益率がよくない書店はやっていけない。
・今はネットで本を販売する社会になったが、ネットで調べたメモを手に来店する客がかなりいる。
ネットは競合だけでなく、客を店に誘導してくれる。こちらにとっても有益なツールだと思っています。
  ーーーーーーー
 久々に面白い店をみたが、ウェブ2・0の流れと似ている。お客の立場に立ってサービスを徹底させないと、
 生き残れないということか。今後、週1?2度の昼の散歩コースになる。
                       ホンジャ、バアアイ ♪♪((((*`・´))ノ ♪♪
・・・・・・・ 
2006年03月12日(日)
1804, 店舗ショー
     才ノヽ∋?_φ(≧ω≦*)♪ ございます!
     
毎年、この時期に店舗ショー(FC、警備防犯、資材、店舗機器)が、大規模に開催される。 
今回も2日間にかけて見学をしてきた。時代の流れを見るなど悠長なことでなく、
何か一つか二つでも具体的に何かを把握することを課しているが、それでも漠然としたものになる。
顔みしりが何人もいて情報を交換する。幾つかの館内を歩いて歩いて歩き回る。その中から時代の変化が見えてくる。
今回の圧巻は警備防犯の館内であった。直接の仕事とは関係がないが、防犯という視点でみると面白い。
特に、防犯カメラと録画を大手メーカーが本格的に力を入れていた。
マンション、オフィス、学校関係が本気になって対策を始めたためだ。
メガネに超小型カメラを設置するのもあった。まだ電波では飛ばせないと言っていたが、可能になるのも時間の問題だろう。
人の視線の映像を気楽に携帯電話でみたら面白い。BS・TVで外国の街を人の目線で歩き回る番組を土日に放映している。
ちなみに、昨日はスペインのトレドだった。 あと面白いのはビッグサイトの館内の公衆電話のように館内のコーナーに
パソコンが並んでいて、コインタイマーがついていて10分100円で使える。席は何時みても満席であった。
フランチャイズの館では、昨年と一昨年、勢いのあったインターネット・カフェと、癒し系の店と、セルフウドン店、
の出店が激減。それに引きかえラーメン店が根強く、多く出店していた。  (●´∀`)σ)д`○)プニッ♪
全体のイメージとして、「ユビキタスが浸透、IT化と結びついて時代が大きく変化をしてきた」ということだろう。
店舗の機材の館ではスーパーで商品を買い物カゴに入れると、それがそのままカウントされてカートの液晶画面に表示される
のが印象的であった。数年先のスーパーのスタイルだろう。
自分の口座から自動的に引き落とされれば、スーパーのレジの携帯も様かわりする私の買い物の半分以上がネットである。
この傾向はもっと進んで、根こそぎライフ・スタイルを変えるだろう。どのへんに落ち着くのか?
                †_(・ω・*)β.。.:*・゚βyё
・・・・・・
2005年03月12日(土)
1439, BOSEのステレオ?2

会場で見たものより一回り小型のコンポ・ステレオの広告が、数年前から雑誌などに出ていた。
たまたま先月あるBS・TV局で、このステレオのミニ特集を見て、「一度は聞いてみたい」と思っていた。
店舗ショーのコンポは、広告で見ていたコンポの3倍近くの値段。もちろん買う気はなかったが、
その音が耳に焼き付いてしまった。そして、いつの間に自分でも買えないものかと考えるようになった。
分割をすれば何とか買えるが、衝動買いにしては高い買いものになる。
「次週のホテル・レストランショーに出店するかどうか」聞いたら、出店するという。
そこで時間を置いて冷静になって判断をすることにした。翌日、長岡で友人と酒を飲みながら前日の話をした。
ところが9万弱の、広告に出ていた方のミニ・コンポを買って、聞いているという。 
曰く「その上機種が売り出されると聞いている。それだけの価値は十分にあるはず。
現在持っている機種も素晴らしい!」3日前のホテル・レストランショーの会場でも、それでも迷っていた。
ところが担当が、「まだ迷っているのですか、それなら3ヶ月前に買ってくれた本人に直接聞いてみたらよいですよ」と、
50?先のブースの人を指した。そこで、言われたとおり聞くことにした。「全く素晴らしい!ぜひ勧めます。
損をした感じは全くないし、私の部下に音響マニアがいて、聞いてもらったところ驚いていた。間違いはありません」
とのこと。互いに打ち合せている様子でもなく納得をした。 気持ちの問題で、ローンで買うことにした。
私が28万円のコンポを買うとは、自分でも不思議である。納品は、来週末というが、その感想も後日書く。

・・・・・・・・
2004年03月12日(金)
1073, ホテル・レストラン・ショー (1)

先週のフランチャイズ・ショーと同様、五年ぶりに一泊2日でホテル・レストラン・ショーに行ってきた。
FCショーの方がエキサイティングだったが、ここも見るべき内容が多くあった。
2会場で3月9日から12日まで晴海のビック・サイトで開催されている。
ホテルと飲食関係の調理器具と、家具・設備と、各種ソフトの展示・相談会である。
笑ってしまうほど面白いものや、唸ってしまうものが多くあった。

ーフランチャイズ・ショーと同じく、数回に分けて面白い順に書いていく。
・まずは「厨房機器・用品」のディスカウント・リサイクルチェーン。新潟にもあるが、それは単独店である。
 そこに出店していた店は全国チェーンで、ほしい機器は全国から取り寄せが可能なのだ。
 チェーン・ネットの一番良いところが機能しているようだった。飲食店一軒を、全国から取り寄せたリサイクル品で、
 半額前後で開店可能という。店舗の名前もズバリ「テンポスバスターズ」である。
・鰹節屋のコーヒーのドリップ式を真似た、出汁を取る方式にも驚いてしまった。
 挽いたコーヒーのように、カツオ節を粒状にして、大型ドリップにいれ、熱湯をかける。
 カツオ屋でしか出せないアイデアである。「カツオ節を削って煮込んだ出汁と同じ味が出る」と若い社長が言っていた。
 数ヶ月前に死んだ父親の考えたものだという。紅茶パックのような、小さい出汁パックの商品化はあるのだろうが?
 もし無かったら、面白い商品化が可能なはずである。
・TVで見たことがあるが、「自動式天麩羅揚げマシーン」も面白い。
 天麩羅は揚がってくると浮いてくるのを利用して、揚がってくると、金網のコンベアに乗るようなっている。
 入れると、自動的に揚げあがった頃に反対側に出てくるのだ。よく考えたものである。
 チェーンのコロッケ屋がこれで大当てをしているとか。自動飯盛機を使えば天丼屋が手軽に出来る。
 これにカツオパックの抽出した出汁をかければよい。ある天丼チェーン店がこれを利用しているという。
・笑ってしまったのが、ラーメンの水切り器である。湯であがったラーメンの水切りは、ラーメンつくりのポイントである。
 これをいい加減にすると、麺と出汁の微妙な混ざり具合が崩れてしまう。しかし全身で振らなくてはならないのだ。
 何と、すくい上げた麺を金網ごとに機器に入れると、バキュウムのように水分だけを数秒で吸い上げてしまうのだ。
 これには唸ってしまった。千円床屋の、頭を洗う代わりに掃除機を応用した「吸い上げ機器」と同じ方法である。
 人間のすることは殆ど機械に代行可能なのだ。その横で人間の腕のようなものが中華鍋を振り上げていた。
 これなら美味しいチャン飯が苦労しないで作れそうだった。
                                   つづく
・・・・・・・・
2003年03月12日(水)
707, モンゴル大相撲

 先場所の各段の優勝は序二段を除いて全て外人が取ってしまった。今場所からは、両横綱とも外人である。
外人力士が50数名いるうち8割がモンゴル出身である。下位の有望力士の大部分が外国力士という。
数年後は幕内上位は大部分がモンゴル人に占められる可能性が出てきた。
今の横綱の朝青龍より強くなりそうな素材を持ったようなのが私の目で見ても数人はいる。
更に彼らはモンゴルの大地で羊の肉を食べ、馬に乗り自由に生きているため骨格からして違う。
更に所得が日本の100分の一しかないために、関取になれば数ヶ月でモンゴルの一生の生活費が稼ぐことができる。
目の色が変わるのは当然の事である。今の日本人が敵うわけがない。
日本の相撲のルーツはモンゴル相撲という説が有望である。グローバルの時代、それでもよいと割り切ったほうが良いだろう。
一時代前には考えられなかったことだ。ロシアに朝鮮にアメリカにモンゴルと面白くなってきたが、
日本人だけと割り切っていた方がよかったのかもしれない!巨人・大鵬・玉子焼きの時代は終わったのか。


2897,自民党はすでに死んでいる

2009年03月11日(水)


  ー自民党はすでに死んでいるー 上杉隆 (月刊SITGHT)

「STGHT」という雑誌に、政治ジャーナリストがインタビュー形式の「自民党はすでに死んでいる」が、
正しく現在の自民党の姿を浮き彫りにしている。。
すでに死んでいるのなら、「あの連中」は、ゾンビの集団ということになり
彼等の信じがたい政策と右往左往の理由が理解できる。
 戦後の大部分の間、色いろあったにせよ、一応国民の支持を受けて日本の舵取りをしてきた。
小泉も含めて20年間、日本を彷徨える船のように衰退へ導いてきた。
最後の締めは、安部、福田、麻生という二代目、三代目が政権を放り出しを含めて
未曾有の無策を露呈してしまった。 それを一番身近にみてきた政治ジャーナリストが、
彼らの崩壊過程の姿を辛らつに切り捨てているため往生際の悪い醜態が漫画のように思えてくる。

結論の「自民党はすでに死んでいる」の理由を、本の末尾で以下のように述べている。
《2001年4月に、小泉首相が誕生した時に、山本一太さんと会う機会があった、その時彼は
 「自民党は、小泉という奇人が登場して、たまたま助かった。だけど、小泉がいるから助かったので、
 この人がいなくなったら自民党は終わる」と。 その時に喩えたのが自民党は恐竜だったと。
 その恐竜は、森政権が最後で、倒れてしまったけど、小泉が一人出てきて、それが支えてきただけ。
 それがいなくなれば倒れるだけと。7年前の山本さんの話は、そのとおりであった。》
 ーここで上杉隆は自民党の現状を冷たく以下のように切り捨てているー
・麻生内閣の支持率が下がるのは、今さら驚くことではない。問題は、自民党がまだ古い自民党の
 手法、政治体質を維持している麻生に「ノー」といっていることに、気がついてないことである。
・麻生は、小泉が体現した総理の権限、官邸主導の強さを一番真近で見てきたので、それを在任期間で
 使わないと死ぬに死ねない。もう全ての人は彼を見捨てていている。彼は死んだまま存在しているに過ぎない。
 しかし、その権限の絶大なことだけは知っている。その効果も・・・
・自民党はだれでもいいんでしょう。 政権与党でいることが自民党の目標であるから。
・2009年、大きく変わることは3つある。政治と、行政と、メディア、この3つである。
 なぜ国民が国民が必死になって自助努力をして、家族を抱えながら、やっているのに。
 金融だって、農業だってとっくにオープンになって、それでも頑張っているのに、なぜマスコミと、
 役人と、政治家だけが護送船団方式で安全なところにいて、一切変わろうとしないんだ。
・「自民党政権は、政権担当能力がないことを自ら認めているのだから、もう下野でしょう?と」
 国民は深く実感しているのに、字もマトモに読めないアフォウ首相が政権に汲々としている。
 国民からしたら、民主だろうが、自民だろうが、もともに政治をしてくれればよい。
 自民党は耐久年数が、すでに終わっている。
 ー
 以上だが、さすが政治ジャーナリストである。現在の自民党への国民のさめた目を、チャンと押さえている。
 政治家、官僚が悪いと思っていたが、マスコミの腐りを指摘している。
 国民はマスコミのコントロールを冷静に見ているし、またインターネットという別チャネルを獲得している。
 そして、先ほどの「三者」のいい加減さをネット上で指摘、批判をしている。
 そりゃそうだろう、何にも分かってない若い記者が、知った風に書いても、人生経験の深い人が
 ネットをフルにつかって情報を得ている。 むしろ一般の方が遥かにプロ化している。
 それは政治に対してもいえること。ゾンビの醜態劇場も、とにかく大衆の民度が低いと騙される可能性がある。
  ここまで酷いと大丈夫だろうが・・・ 
 
・・・・・・・・・
2533, 人間魔界図鑑 
2008年03月11日(火)

この事業を始めて28年になるが親戚縁者は、一人も入れてない。
実家の会社で子供の頃から父と兄との葛藤や、親戚の従業員のイザコザを見てきたからだ。
親戚の場合、首を切りにくい。彼らは親戚の立場を利用しようとするから歪みが出るし、これほど使うほうからして、
タチの悪い相手はいない。その逆も言えるのである。立場違えば、これほど微妙な相手はいない。 
姉の舅も20年近く勤務していたこともあるが、・・・・ まあ、やめておこう。
次の文章が、人間の本性を辛らつに書き表わしている。
 ーー
 「金と口の出し方」
Pー25
「君はまだ若いから、わしの意見をきいておけば、何かの参考にはなるだろう。
わしはね、これでもずいぶんひとの面倒をみた。ぽんぽん金もやった。たくさんんの人間を一人前にしてやった。
ー君、君もすこしは人に知られるような人間になってみなさい。蟻やら蝿みたいな奴が、ウヨウヨとたかってくるよ。
そんな奴にかぎって、みんな面倒をみられ、金をもらい、一人前にしてくれるのを当然と思ってるな。
そうした意味でいちばん不愉快なのは、あかの他人より、知人親戚という奴だな。
わしがこうなるまでには、血の小便を出すほど奮闘した。しかし、むろんわしひとりの力とは思わん。
恩になったひとはずいぶんある。しかし、そういう知人親戚と称する奴とは何の関係もないな。
なかには、生まれてから、いちども顔をみず、名も知らなかったような親戚が続々と現れてくる。
叔母の従兄の細君の妹が嫁にいった先の義弟なんて連中だ。 あの安藤も、わしを叔父さんと呼んどるが、
その口だ。むろん、わしには一切合切みなたかるがままにしておいた」
「・・・・・・」
「ところがだ、それが、ちっともありがたがらんのだ。いや、ありがたがってもらいたくないが、
恩を仇でかえす連中が多いのだな。これをわしの不徳のいたすところなんて、
ていさいのいいことをわしはいわん。かんがえてみると、はじめからただで人にたかろうなど
という気を起こす人間は、所詮それだけの人間なんだ、むろん、それはそれでよろしい。
そういう連中にかぎって、あまりものにならん。そいつらはたかっただけの勘定を、
どこかでじぶんで支払うことになっとるようだが、それはわしの知ったことじゃない。
ただ、よくよく見ていると、はじめわしが金をやり、面倒をみてやったことが、
かえうて害をなしておるのだね。世の中はこれで通ると甘くみる根性をうえつけたらしいのだな。
そうと知ってからは、わしは一切無意味な金は出さんことにした。
人間は、自分のカだけで生きてゆくべきものだ」 「・・・・・・」
損得をいえば、はした金をやって悪口をいわれん方がトクだよ。しかし、わしもこの年になれば、
死んだあとで馬鹿者の悪口がのこることより、この世にじぶんの養成した馬鹿者をのこすことの方がいやだ。
ーしたがって、わしは、わしにちかづく人間はだれでも、その人間の値打ちだけの待遇しかせんのだ」、
                                 『極悪人』
・・・・・・・・、
2007年03月11日(日)
2168, 池田晶子が亡くなった!ー 2
            おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ
    
先日、8年前に出版された『考える日々』の中古本をネットで買ったが、最近の本を読んでいるためか、
一つピンとこない部分があった! 哲学者も8年で大きく成長するようだ。
彼女を偲んで、印象的な彼女の文章を幾つか書き出し考えてみる。
 ーー
『人生のほんとう』 ー人の死は悲しいのかー 

・・・親しい人が死ぬと、当然「悲しい」という感情が起こります。
ただ、なぜ悲しいのかなと少し距離を置いて考えてみると、第一に「もう会えない」という思いがあります。
その次がたぶん、「かわいそう、気の毒だ」「死んだひとは悲しいんじゃないか」そういう思いもありますね。
でも、これはよく考えてみると、わからないんですよ。ひょっとしたらそれも思い込みではないかと考えることもできます。
死んだ人が悲しいと思っているかどうかはわからない。死ぬのが本人にとって悲しいことなのかどうか、
われわれにはあくまでもわからないんですよ。だって、われわれは死んだことがないわけですから。 
(略)けれど、たいていは、「もう会えない」という感情のほうが、悲しみの内容としては強いのでしょう。
でも、その「もう会えない」とはどういうことかと考えてみると、裏から言えば、会えたこと自体が、
そもそも奇跡的なことだったと気がつくことになる。つまり、なぜ存在するのかわからない宇宙に、
なぜかわれわれは存在していて、なぜだかわからないけれども、その人と出会ってしまったわけです。
これはすごく不思議で、これ自体が奇跡的なことだったと気がつくと、悲しんでばかりでもなくなる。
驚きとともに、感謝にも似た感情も起こってきますね。また、会えたこと自体が奇跡ならば、なぜまた会えないことがあるのか、
という考え方もできますね。さきほど「無というものはない」といいましたが、いなくなるということは、実は無がないかぎり
「ない」のですから、いなくなるということ、無くなるということはないともいえる。
おそらくそれが、われわれがなぜだか出会ってしまったという奇跡の意味でしょう。 「一期一会は存在の構造です」
 ーー
解)昨年末に義母が亡くなった時に悲しんでいる家内に、{亡くなったとしても、自分の生きてきた過去が消えるわけでなく、
 母親が生きているより身近な存在になっただけ。「いま・現在のここ」で母親を思い出せば、会っていると同じではないか。
 もう会えないということ自体、将来のことで今のことではないか。いま、キッチリと母親と心の中で会話ができれば、
 それでいいじゃないか。}と諭したところ、「それでも会えないという事実は事実。」と言い張る。
「それでは、貴女が明日、来月生きている確証がどこにある?灰になってしまった母に会いたいというのはセンチメンタルな感情。
 それはそれで良いが、悲しいという気持ちは、死という在りもしない言葉に縛られた感情でしかない。
 そこを早くしないと、『母の死というイメージ』に降りまわされているだけ!死のイメージを早く払拭すればよい!」
 ーー
『あたりまえのことばかり』
ー言葉はそれ自体が価値であるー

生きるために必要なものは、言葉であって、金ではない。なぜなら、金のために生きる人もまた、
なぜ金のために生きるのかを問うためには、言葉によらなければならないからである。
生きている全ての人は、問わなければならないからである。「なぜ人は生きるのか」。
したがって、言葉はそれ自体が価値である。人がそのために生きるまさにその価値である。
価値とは思わないもののために人は生きることをしない。それなら、「真善美」という言葉は、
われわれの全生活をその根底において衝き動かしている価値そのものではなかろうか。
価値ではないものを間違えて価値だと思うためにも、これらの価値による以外にないのだから、われわれの人生とは
言葉そのものなのである。「売れなければしょうがない」、そう言う彼らが間違えているのは、
損得という価値と善悪という価値だ。しかし、値段は価値ではない。
逆に、言葉に値段がつくと思うそれがその人の生の価値だ。だから、安い言葉を大量に売り飛ばして平気なのである。
「読まれなければしょうがない」、言葉を仕事に選びながら、なぜそう言うことができないだろうか。
ーー
解)言葉自体が価値とは、自分が絶対と信じていることそれ自体が、言葉の羅列としてこびり付いている
 絶対確実言明でしかない。その絶対確実言明(信じきっている価値)自体も小さな自分の体験か、
 親か世間様の価値をそのまま信じた結果でしかない。
 頭の良し悪しは、言葉がストンと脳に入るかどうかで決まってくる。
 他人事ではないが、「本を読まない人は、ストンと言葉が脳に落ちない」のだ。
 体験を経験に落とし込むには、そこに言葉を介して脳に刻み込む作業が必要になる。
 その為にも言葉への変換能力と、逆に言葉から脳への変換作用が必要となる。
                 ~~ヾ(´ω`●)バイ(●´
ーーーーーーーー
2006年03月11日(土) 1803, 閑話小題
 (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》○

ー日曜日の殿町
先週の話になるが、家内が所用で留守なので日曜の殿町にウオーキングを兼ねて行ってみた。
日曜日に飲み屋街に行くのは十年に一度あるかないかである。 17時半の殿町の実態は! 
スナック・バーは殆んど休み。駅前のチェーン店の居酒屋は全て営業。個人の居酒屋の三分の一が営業。 
ピンク系はホボ休み。そこでマンションの1Fにある古びた居酒屋に入ってみた。
40年営業を続けていて、マンションなどの立ち退きなどで、この店で三店目という。
居酒屋にしては、ネタがそろっていたが、客単価は居酒屋として上の下?ー4000円位。
「開いていて客が来てくれれば、それでよし」で、用が無いかぎり店は開いているという。
何軒か店を覗いてみたが、その時間帯でも数人の客が入っていた。
  (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが? C□^(゚◇゚;)ノ゙ アチチ!
ー道州制についてー
道州制について以前にも書いたが、最近になって新聞に大きく扱われだした。
市町村大合併の次に、道州制も流れだろう。47の都道府県を五分の一にして、思い切った権限委譲は、
日本国をスリムにするベスト?の方法である。情報化が進んだ現在、県そのものの機能は遅かれ早かれ必要はない。
時代の変化に対応していく為にも必要なことである。反面、州都の所在地以外は間違いなく寂れるだろう。
ある新聞の全国知事調査で、道州制賛成の知事が47人中27人。反対が二人。 どちらでもないが18人という。
知事のかわりに首相制度にして、現在の日本の首相制度を大統領制度にすれば、役割がハッキリする。
その位のことをしなければ、この日本の行革は追いつかない。
ー自民!どうしたー
自民党のライブドアの送金指示メール問題で、前原民主党代表への風当たりがあまりにも弱い。
推測するに、前原代表が改憲論者で憲法改革が待ったなしの現在、自民党にとって前原の方が組みやすいからだ。
小沢一郎が表舞台に出てきたら、自民党にとってマイナスになる。
国会対策委員長が渡部恒三になったのだから、鳩山が代表、幹事長が小沢も考えられる。
それにしても、渡辺恒三が国会対策委員長になったと同時に、風が変わるのだから、政治は面白いものである。
                   ε(´',_c')зβyё
・・・・・・・
2005年03月11日(金)
1438, BOSEのステレオ

先週の店舗ショーのあるブースで立ちすくんでしまった。
今まで聞いたことのない生演奏のような音楽がコンポから聞こえてきたのだ。
立体的な音響効果がきいた上に、それぞれの楽器が分かれて聞こえてくるようであった。
(好きな人なら、格別取り立てる音ではないだろうが、音の世界には全く無粋な人間の話である)
看板を見ると「BOSE」という名前が目に入ってきた。立ち止まって聞いていると、セールスの人が話しかけてきた。
 その内容をリアルに再現してみる
ー凄い音でしょう!
これこそ音響マニアが百万円以上をかけて部屋に音響機器をセットした音です。
誰もここで‘信じられない’と立ちすくんでしまいます。新商品で、まだ一般には売られていません。
コンサートの音を解析したボーズ博士がある発見をした。その研究から解ったことは、
楽器からリスナーに届く直接音は10?。残りはまわりの壁、天井に反射して到達する間接音であること。
間接音が音の暖かさ、臨場感、豊かさを認識させる大事な役割があるとわかった。
この発見からスピカーで20世紀最大といわれるモデルが誕生した。その理論を発展したのが、この小さなステレオです。
全面左右に二個。 側面の両側に二個。後ろの両側に二個。
合計六個の中高音スピーカーを配置してあり、間接音と直接音を理論の通り配置してあります。
その音は後ろは後ろと、その方向にそのまま直線的に流れ、壁に向かって反響してきます。
また、それぞれのスピーカーを専用アンプで別々にドライブさせてある贅沢な方式がこの音を出しているのです。
これなら、マニアが凝りに凝った音響機器と部屋で聞くと同じ音楽が素人でも聞けるのです。
だから、貴方だけでなく誰もが立ちすくんでしまうのです。
ーー
以上が、その中年の担当のトーク?の内容である。それをリアルに憶えているのは、
「信じられない」音であったからだ。以下は、BOSE社のHPの会社概要のコピーです。                                                                 ーつづく
かなえるために歩みつづける会社です。人間は「音楽を聴いてくつろぐ」といった
いつまでも変わらない欲求を持っています。BOSEではその欲求を満たすために
「自然に聴こえる音楽の再生」を最大の使命と考えています。

・・・・・・・・・
2004年03月11日(木)
1072.つれづれにー今日はお笑いの日ー3
 ーお笑い   ジョーク・ユーモア辞典より
(字数の関係でカット2009年03月11日) 

 ・・・・・・・・・ 
 2003年03月11日(火)
706, スーパーTV-コンビニ戦争

 昨日の21時のスーパーTVの番組が面白い。私の初めの事業の立ち上げが、郊外型貸しビルであった。
ところがドルショックがカウンターパンチになってしまった。 誰もテナントが入らないのだ。  
これが良かったのか悪かったのか?! いかなる場合でも最悪を想定しなくてはならないことが、
骨の髄まで知ることになった。その一角で養老の滝のフランチャイズに参加して、
日本で初めての郊外型居酒屋を始めた。日経流通の記事に大々的?出た。まあそれはそれでよい!
 二年前に長男が失業した時に、息子の仕事にコンビニと考えた。
そしてまずは情報を取った結果は、すざましい内容で、開いた口が閉まらない世界であった。
土地持ちの酒屋や、自然消滅寸前の小売店を狙った搾取商売そのもの。
無知の敗者を狙った残酷物語。しかし自殺より良いのかもしれない。
出店では当たりと外れの部分がある。当たりると本部は、その店を基点として周辺に店を出すのだ。
卑劣そのものの世界である。しかし彼らからすれば他の競合店が出る前に自社の店を出すのは当然のことである。
 当たり外れは実際のところ店を出してみなくてはわからない。
セブンイレブンの場合、当たりは一日あたり100万円、外れは50万円だ。
平均が62?63万万である。外れは、そのマニュアルがあってハイサヨナラの世界。
当たりの場合が、それをダシにして他のオーナーに売りこむ。無知ー無力のオーナーは、如何にもならないのだ。
「よくやるよ!」という世界である。今の北朝鮮のドン様と人民の世界である。
しかし契約の世界なら仕方がないのが現実である。
 当然家庭内は崩壊のケースが多くなる。子供の非行や離婚や自殺が多いのは当然の事だ。
何よりも、商売がなによりすきかどうかが問題になる。そうでない人が安易にやるから、こじれるケースが多い。
好きな人がヒットしたらこれほど面白い仕事もないだろう。したがって決してなるべきでないといってはいない。
やる前に熟考して、覚悟をしてやるべきだといっているのだ。
 フランチャイジーの立場から見れば、家賃分は入るし一日60万の売り上げがある。
しかし、オーナーは大体夫婦一人当たり時給7百円位の人件費の収入にしかならない。
それで満足するかどうかである。人の褌で相撲をとるとロクなことはないが、能力がないことには仕方がない世界である。


2896, オーラをみたことがあるか? −2

2009年03月10日(火)

オーラをみたことがあるか? −2
 
 *それをブロッケン現象というらしい!

 前回の「オーラをみたことがあるか?」を書いた翌日、これを読んだ知人A氏が来て「自分も見たことがある」という。
「亡くなった父が登山が好きで、早朝の登山で自分の姿のオーラを見たという。それをブロッケン現象といい、
登山仲間の間では、これを見ると遭難しても助かるというジンクスがある。父も何度も登山で遭難しかけたが、
助かった経験を持つ。そういう自分も、早朝のゴルフで自動散水しているところにゴルフの球を取りに行った時に、
自分の影のオーラを見た経験がある」という。 それをブロッケン現象と言うと教えてくれた。
ドイツのブロッケンという山でよく見ることが出来るので、そういう。
 ーそこでネットのウィキペディア辞書で調べてみたー
ブロッケン現象は太陽などの光が背後からさしこみ、影の側にある雲粒や霧粒によって光が回折され、
見る人の影の周りに、虹と似た光の輪となって現われる大気光学現象。 光輪 ともいう。
山岳の気象現象として有名で、尾根の日陰側かつ風上側の急勾配の谷で山肌に沿って雲(霧)がゆっくり這い上がり、
稜線で日光にあたって消える場合によく観察される。 航空機から見下ろす雲や、平地でも川霧等に現われることがある。
・虹に比べて、見かけの大きさは10分の1程度と小さく、光の輪は何重にもなる場合がある。
 また、見る人の影が十分小さければ、中心点にも輝点が見られる。内側は青色で、外側は赤色。
・ブロッケンの妖怪(または怪物)とも呼ばれるが、日本では御来光、山の後(御)光、仏の後(御)光、
 あるいは単に御光とも呼ばれる。これは、古くは阿弥陀如来が姿を現したと考えられていたためである。
 槍ヶ岳開山を果たした僧・播隆の前に出現した話が有名。
 ーー
 私が母のオーラを見たときは、早朝の靄〈モヤ〉がカカッテいたため。
ただ、あれが私が経験した稀な現象でないことを初めて知った。昔の人が自分のオーラを見たら神の仕業と思うだろう。 
私は、人体の周りにはボデーフィールドが在ることを知っていたので、たまたま見えたと思ったが。 
 自分のブロッケン現象を見てみたいが、無理か。

・・・・・・・・・
2532, ウェブ時代 5つの定理 ?2
2008年03月10日(月)

ーまずは第3の定理の概要から

  第3定理は「技術者の眼(め)」である。21世紀のビジネスは、科学と技術を抜きにして考えることはできない。
アントレプレナーシップとチーム力を、その根底で突き動かしているのが「技術者の眼」だ。
 シリコンバレーの中核には、科学や技術を愛する人たち独特の価値観が深く根付いている。
起業家やエンジニアばかりでなく、経営者、投資家や金融機関にまで、
文系的な管理者的な論理とは全く異なる精神が貫徹されている。
 特に2つのことが重要である。
・1つが西海岸特有のカウンターカルチャー(伝統的・支配的な文化に対抗する文化)から強い影響を受けた思想である。
・もう1つが「大きな技術の流れに逆らっては絶対にダメだ」という考え方である。
 ≪カウンターカルチャーは中央集権化された権力に軽蔑(けいべつ)心を示し、まさにそれが、
 リーダー不在のインターネットの世界だけでなく、PC(パソコン)革命に対しても哲学的基盤を与えた≫
 
 これは、1960年代から70年代のカウンターカルチャー思想を牽引し70年代にシリコンバレー発で始まったPC革命から、
 現在進行中のウェブ進化に至る思想的基盤には、技術こそが反中央、反権威、アンチ・エスタブリッシュメントの
 個をエンパワー(力を付与)するものだという考え方が根強くあった。
 その力を起爆剤に現状を破壊し、フロンティアを切り開こうというのである。
 事実、PCは誕生当初から、個が技術を使って権威と対抗できる革命的な道具として産声を上げたものだ。
 個人一人一人の自由を最大限尊重すべきだとし、国家や体制に縛られるのを嫌うリバタリアニズム(自由至上主義)に、
 個の力を強めるパーソナルテクノロジー、管理されないネットの自由を信奉する考え方が結びついたのだ。
 ーー
解)
 著者は「中央集権的な、経営者的な、社会的な視線より、全く違ったPC革命を見通せる
 技術者の目が必要」と看破している。それは一人一人の自由を尊重する考えである。
 これはオープンソース化に繋がるものである。
 それとオープンソース化などで、技術が日々革新されていく中で、革命的な技術者の目が
 更に必要になる。世界の頭脳が繋がってしまったから、そこには止まることのない進化が
 核爆発を起こしているのである。 その爆発の先を透視できる技術者の目こそニーズとなる。 
 全く統制経済の社会主義とは何だったのだろうか? 逆だったのである。
 世界はネットで根底から変化を始めた。 「全く違う地球が、もう一つ出来た」
 と著者が述べているが、その象徴がグーグル・アースである。
 そして、少し違った切口になるが、アップルの「iMac phon」である。
                          ー つづく
・・・・・・
2007年03月10日(土)
2167, 「日の名残り」 ー1    読書日記
            才八∋ウ  _〆(∀`●) 

福田一男著「成熟への名作案内」で紹介してあった本である。
さっそく、インターネットで取り寄せた読んだが、英国在住の日本人作家カズオ・イシグロ(石黒一雄)が
執事スティーブンスにー偉大さの条件は、品格にあるーと言わせているところが良い。

ー2007/01/20 に「2118, 品格について?2 」ーで書いたが、その本の中で、他に幾つかのプロとしてのあり方、
そして品格について、英国的文化にも興味を引かれる。英国の上流階級のマナーと考え方と教養とは何かを、
執事の眼を通して論じている。ホテルのマネジャーの職業に似ているところがある。
何か反省させられるところが多い本であった。
パタゴニアに行ったとき、ツアーの品の良い中年の添乗員が、若い時に何年間か英国暮らしをしていたといっていた。
(大手銀行系から脱サラしたが、事業に失敗して・・・・)「執事のつもりで、何なりと仰せ付け下さい」
という言葉の通り、執事のように自分を押し殺し手際よく役割をこなしていた。
この本を読んでいると、英国の歴史の深さと豊かさが感じられる。
イギリスといっても、その背後にはオーストラリア、南アフリカ、カナダなどの国が連邦をなしていて、
英国人が多く住んでいる。日本とは、その隠れた豊かさのレベルが違うようだ。
 ーー
旅先の最後の日、桟橋で見知らずの老人と話す場面がある。
その老人の言葉がよい!「なあ、あんた、わしはあんたの言うことが全部理解できているかどうかわからん。
だが、わしに言わせれば、あんたの態度は間違っているよ。いいかい、いつも後ろを振り返っていちゃいかんのだ。
後ろばかり向いているから、気が滅入るんだよ。何だって?昔ほど仕事ができない?
みんな同じさ。いつかは休むときくるんだよ。わしを見てごらん。引退してから、楽しくて仕方がない。
そりゃ、あんたもわしも、必ずしも若いといえんが、それでも前をみなくちゃいかん」
その時だったと存じます。男がこう言ったのはー「人性、楽しまなくちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。
足を伸ばして、のんびりするさ。夕方がいちばんいい。わしはそう思う。
みんなにも尋ねてごらんよ。夕方がいちばん一日でいい時間だって言うよ」

男が立ち去ってから20分ほどになります。私はここに残り、いまの瞬間をー桟橋のあかりが点燈するのを待っておりました。
さきほど申し上げましたが、楽しみを求めてこの桟橋に集まってきた人たちが、点燈の瞬間に大きな歓声をあげました。
その様子をみていると、先ほどの男の言葉の正しさが実感されます。たしかに、多くの人々にとりまして、夕方は一日で
いちばん楽しめる時間なのかもしれません。では、後ろを振り返ってばかりいるのをやめ、もっと前向きになって、
残された時間を最大限楽しめという男の忠告にも、同様の真実が含まれているのでしょうか。

 ーーー
執事の自分語りの言葉を通して、イギリスの田舎の光景と文化を浮かびあがらせている。
今年の旅行は、イギリスかアイルランドへ?と誘惑にかられる本である。
品性か?!その視点で自分の人生を振り返ると、それは教養の深さに結びつく。
といって、品性とか教養を信じちゃいけません。ローマ帝国以来、それを自認して来た連中の残虐非道をみれば解ること。
結局は、アブラハムの発明した神に問題がある!といえるのか。(生意気そうに?
これ先日亡くなった池田晶子の言葉!の租借) 
              つづく    (⌒▽⌒)/"”さいなら!

・・・・・・・・・
2006年03月10日(金)
1802, 世界三大   (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》○

「世界三大○○」と検索してみて、その種類の多さに驚いた。世界中で代表するような存在として、
滝、山脈、料理、絵画、美術館など思いつくが、それ以外は考えたことがなかった。
それに興味を持つ者たちにとっても、三大という意味は大きい。
その3つを制することは、世界を制することにも等しい。本当に「世界三大」がどうかは?より、
「そう呼ばれる」ということが基本であり、かなり微妙なものが多く含まれている。
ナイアガラの滝など、世界の滝を見てきて、非常に疑問である。

ーその幾つかをインターネットでコピーしてみたー
 世界三大というと一時でも細事から離れ、大きな気持になれるからよい。(゚ω゚)(。_。)ウミュ(゚ω゚)(。_。)ウミュ           

ー*自然、地形 ?
世界三大河川
  アマゾン川、ナイル川、ミシシッピ川
世界三大運河
  キール運河、スエズ運河、パナマ運河
世界三大瀑布
  イグアスの滝、ナイアガラ滝、ヴィクトリア滝
世界三大夕日
  釧路市、バリ島、マニラ
ー*構造物・建設物ー
世界三大天然橋
  雄橋、プレヒシュ、ロックブリッジ
世界三大図書館
  大英図書館、アメリカ議会図書館、フランス国立図書館

ー*遺跡 ?
世界三大陵墓
  始皇帝陵、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)、クフ王のピラミッド
世界三大秘宝
  ツタンカーメン黄金のマスク、ミロのヴィーナス、モナ・リザ
世界三大宗教空間
  法隆寺(日本仏教)、サン・ピエトロ大聖堂(カトリック教)、
 《パルテノン神殿(ギリシャ神話)、タージ・マハール(ヒンドゥー教)》

ー*文化・芸術ー
世界三大劇場
  オペラ座 (パリ)、コロン劇場(ブエノスアイレス)、スカラ座 (ミラノ)
世界三大歌劇場
  ウィーン国立歌劇場、オペラ座 (パリ)、スカラ座 (ミラノ)
世界三大バレエ団
  ロイヤルバレエ団(イギリス)、オペラ座 (パリ)(フランス)、
  ボリショイバレエ団(ロシア)

ー*世界三大美術館 ー
  エルミタージュ美術館、ルーヴル美術館、メトロポリタン美術館 、ミレー美術館
世界三大国際映画祭
  カンヌ国際映画祭、ヴェネチア国際映画祭、ベルリン国際映画祭
世界三大交響曲
  運命(ベートーヴェン)、未完成(シューベルト)、
  新世界より(ドヴォルザーク)
世界三大ピアノ協奏曲
  ベートーヴェン(第5番「皇帝」)、チャイコフスキー(第1番)、
 《リスト(第1番)、ラフマニノフ(第2番)》
世界三大ヴァイオリン協奏曲
  ホ短調(メンデルスゾーン)、ニ長調(ベートーヴェン)、
《ニ長調(チャイコフスキー)、ニ長調(ブラームス)》
世界三大行進曲
  旧友、軍艦行進曲、星条旗よ永遠なれ
世界三大叙事詩
  イリアス、カレワラ、ラーマーヤナ
世界三大近代建築家
  ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライト、
  ミース・ファン・デル・ローエ
世界三大肖像画家
  東洲斎写楽、レンブラント、ベラスケス
世界三大文豪
  シェイクスピア、ゲーテ、ダンテ
世界三大ファンタジー
  指輪物語、ナルニア国物語、ゲド戦記

ー*食ー
世界三大料理
  フランス料理、トルコ料理、中華料理
世界三大珍味
  キャビア、トリュフ、フォアグラ
世界三大スープ
  ブイヤベース、ふかひれスープ、《トムヤムクン、ボルシチ》
世界三大ハム
  プロシュット・ディ・パルマ、ハモン・セラーノ、金華ハム
世界三大ブルーチーズ
  ゴルゴンゾーラ、スティルトン、ロックフォール
世界三大果実
  マンゴスチン、マンゴー、チェリモヤ

ー*経済・産業ー
世界三大経済(金融)都市
  ニューヨーク、東京、ロンドン
世界三大発明
  活版印刷、火薬、羅針盤
世界三大モーターショー
  デトロイト・モーターショー、東京モーターショー、
  フランクフルト・モーターショー

ー*スポーツ・競技ー
世界三大スポーツイベント
  オリンピック、FIFAワールドカップ、
 《フォーミュラ1、世界陸上選手権、ツール・ド・フランス》
世界三大レース(モータースポーツ)
  インディ500、モナコ・グランプリ、ル・マン24時間レース

ー*宗教 ?
世界三大宗教
  イスラム教、キリスト教、仏教
世界三大聖人
  釈迦、イエス・キリスト、
 《マホメット、孔子、老子》
世界三大聖地
  エルサレム、バチカン、マッカ(メッカ)
世界三大聖堂
  ウェストミンスター寺院、サン・ピエトロ大聖堂、
  カテドラル (セビリア)
世界三大悪妻
  クサンティッペ(ソクラテスの妻)、
  コンスタンツェ・モーツァルト
 (ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの妻,
 《ソフィア・トルストイ(トルストイの妻)、ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ
  (ナポレオン・ボナパルト第一夫人)、北条政子(源頼朝の妻)》
世界三大美女
  ヘレネ、クレオパトラ、楊貴妃
世界三大予言者
  ノストラダムス、ジーン・ディクソン、エドガー・ケイシー
世界三大植物園
  キューガーデン、ベルリン植物園、モントリオール植物園
                マタ!  ’ω‘●)ノ
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2005年03月10日(木)
1437, 感動について

人間の一番重要な能力は感動である。
感動力という言葉もあるが、その能力は‘感動の回数と質の賭け合わせ’により醸造される。
「質の高い感動をいかに多く体験をするか」が人生のポイントになる。
親は子供に、感動体験をシャワーのようにチャンスを与えることが、躾と同様に一番の家庭内教育になる。
展覧会、音楽会、名作映画、本、旅行、自然などに直に接する機会を増やしてやることだ。
それは個人ー自分自身ーにも言えるが。感動は自分を変えてしまう力がある。 
その都度、感受性が鋭く豊かになっていく。 感動は、対象の振動に共鳴することである。
共鳴は対象と同一化することになる。共鳴するほど、振動の対象が内面に焼き付けられるのは、同一化のためである。
そして奥に沈殿し、心の豊かさになる。感動の最高のものが歓喜になる。いや歓喜は、その一歩手前の経験でしかない。
歓喜さえ通り越してしまっている状態が至高体験である。
感動体験は自分の小さな殻を叩き割る役割を果たす。その殻からの脱皮が重なりが多くの対象の波動に敏感にしてくれる。
「一流のものを見て聞いて、体験しなさい!」とは、そこから出ている波動に共鳴しなさいという意味である。
人間も本も、然りである。良い学校に行きなさい!というのは、良い先生、良い仲間に出会えるからだ。
もっと青少年の頃、本を読んでおけばよかったと悔やまれる。今更だが。

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2004年03月10日(水)
1071, フランチャイズ・ショー ?4

三日間もいると見る必要のないと思われるものまで見てしまう。
コンタクトレンズ・ショップ、中古ゴルフ用品、中古釣具、結婚紹介所、近視矯正器具販売、などなど。
以前より関心のあった介護ビジネスも、経営という面で面白い。数年で投資回収が可能なのだ。
この厳しい経営環境の中で、異質の世界であった。その中で、デーサービスに絞ったFCがあった。
新潟では乱立ぎみで来年度で飽和状態になるというが、一年で投資回収可能のケースもあった。
ところで会場に足マッサージ器具の展示品があった。毎回、必ず会場で販促をしているのだが、
行く度にドンドン良くなっていく。プロが足を揉んでいるようであった。足を両側から包み込んで強く圧縮する。
但し上代15万、割引で8万円もしたが、それだけの価値があったようだ。健康機器もドンドン良いものが出てきている。
フランチャイズ・ショーの会場は今の第4次産業の見本市でもあった。
今の時代、経験をパックにして売ることも買うことも可能なのだ。

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2002年03・10
旅行中で書きみなし


2895, 不況景色 −9

2009年03月09日(月)

去年の9月15日以来、毎日が恐慌の進行のメルクマールを書く日々になっている。
この一年で中国で二千万人、アメリカで四百万人の失業者が増加。
直近の12・1・2月の三ヶ月でアメリカは200万人が失業をし、
それは年率にすると800万人。中国は今年は更に二千万人が失業するという。
日本も水面下で失業が増え続けている。
来月辺りから爆発的な倒産とリストラにより失業者の激増が予測される。
 昨日の朝日新聞の一面トップで 
「失業者 雪崩打ち生活保護へ」ー1月は最多の116万世帯ーと報じていた。
5年前の2004年の100世帯、14年前の1995年の60万世帯、
25年前の79万からみると、異常な増加。
この事態の中では当然だが、それが更に大幅に失業者が増加し続けるのである。

・日本では、夫65歳、妻60歳以上平均で、収入平均が17万、支出が25万。
 残りは預金の取崩しや子供からの援助など。
・国民年金も40年払い続けて、満額で一人当たり6万6千円、二人で13万あまりだから、
 ギリギリまで働かないと個人営業者は生活できない構造になっている。
・支出25万円の内訳は、食費6万、住居2万、水道光熱1万6千、
 保健医療1万6千、交通通信2万7千、その他が11万1千円。
地方では、最低生活は月に15万円と税務所の担当から聞いたことがある。
中小会社や、個人営業者は船板一枚下は地獄。 だから日々が刺激があって面白いが、
反面、常に最悪の事態を常に想定して生活している。
この百年か数百年に一度の恐慌は弱者を土壇場に追い詰めることになる。

 イギリスでは、あのロイドが国家管理になり、4大金融機関のうち2つが国家管理になってしまった。
まずは世界の銀行が破綻しているが、これからは実体経済がやられ企業倒産が続くことになる。
その影響をモロに受けざるを得ない事業のため、毎日が生きた心地がしないが、
成るがままに身を任せるしかない。 今さらジタバタしても、しなくても同じことである。
現金商売というのが、目先は何とかしてくれる。 1〜2年は何とか大丈夫? 
二年後には駅前再開発による道路拡張で「一つのホテルの買収計画」が具体化するので、
まずは二年さえ凌げばよいことになっている。 まあ何とか成るようになってはいるが・・・。
それすら、大津波は根こそぎ破壊するかもしれない、それが世界恐慌である。

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2008年03月09日(日)

産経新聞のトップページに5回にわたって連載さっれた梅田望夫の【ウェブ時代 5つの定理】
が面白い。 梅田の本を読むのは4冊目になるが、今のところ外れはない。
  その5つの定理とは、
 その1 アントレプレナーシップ
 その2 チーム力
 その3 技術者の眼
 その4 グーグリネス 自発性に導かれた「時間」
 その5 大人の流儀  になっているが、 
  まずは1と2の概要をまとめてみよう。
第1定理は「アントレプレナーシップ」(起業家精神)。
 新しい物事に対する積極的意欲、リスクを引き受けて果敢に挑む姿勢、不確実な未来を楽しむ精神の持ちよう、
 飽くなき探究心や冒険心や没頭、変化を求める心、自分の頭で考え続ける力、始めたら徹底して勝つまで
 やりぬく気持ち、といった要素がこの言葉には含まれる。
 ≪シリコンバレーの存在理由は「世界を変える」こと。「世界を良い方向へ変える」ことだ。
 そしてそれをやり遂げれば、経済的にも信じられないほどの成功が手にできる≫
 これはアップル創業者兼CEO(最高経営責任者)のスティーブ・ジョブズの言葉である。
 「アントレプレナーシップ」を支える「常軌を逸した熱」は、「やりたいことをやる」という気持ちと、
 「社会をより良くしたい」という思いの組み合わせによって持続する。
 お金が最優先事項では長期にわたってそういう熱が持続しない。倫理性と経済性が融合したシリコンバレーの
 そんな独特の論理が、仕事の面白さを倍化させ、強い「働く意欲」の源になっている。
第二の定理はチーム力
 ≪Aクラスの人はAクラスの人と一緒に仕事をしたがる。Bクラスの人はCクラスの人を採用したがる≫
 この言葉をシリコンバレーでは格言としてよく耳にする。Aクラスの人は、
 自分を向上させたいと常に思っているから、自分より優れた人と一緒に働きたいと考えるが、
 Bクラスの人は実力に不安があるから自分よりも劣った人を採用してしまう、という意味である。
 チーム編成においてはAクラスの連鎖を作るべし。
 イノベーションを生むには、選りすぐりのチームを組成するところから始めなければならない
 という経験則が、この言葉の背後にある。
 ≪世界を変えるものも、常に小さく始まる。 理想のプロジェクトチームは、会議もせず、
 ランチを取るだけで進んでいく。チームの人数は、ランチテーブルを囲めるだけに限るべきだ≫
 これは、サン・マイクロシステムズ共同創業者のビル・ジョイの言葉である。
 マイクロソフトもアップルもグーグルも、すべては数人のチームによる熱狂的な没頭から始まった。
 「世界を変える」イノベーションを生む一番大切なことは、資金でも設備でもなく、
 情熱を持ったわずか数人の力を結集して爆発させる「チーム力」にある。
 ーー
この二つはソニーの創業時の井深や盛田などと同じである。日本にも筑波という素晴らしい都市があるが、
そこの個性的な創業者の姿は見えてこない。研究都市だから、少し違うとしてもである。

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2007年03月09日(金)
2166, 日本の人口動態の推移   オッ(*^○^*) ハ?ヨウサン!
 「超リタイア法」ー野口悠紀雄 ー読書日記

解りやすく、面白い本である。その中で人口動態が書いてあったが、解りやすく要点がまとめてある。
日本の人口が一昨年から減少に転じた。それなら、歴史的にみて日本の人口はどのように
推移していったのか知りくなるのが人情である。  
 人口推移を大雑把にまとめれば、
・1600年(1200万人)から1700年(2769万)までの間に倍増し、その後江戸時代の終り(3228万)までの
 約150年間はほぼ一定だった。
・明治維新(3481万人)から昭和の初め(6000万)までに倍増し、
・さらに昭和初めから現在までに倍増した。400年で10倍、140年間で4倍、
 80年間で2倍に増え、今後約100年の間に半分に減ることになる。

ーまずは、そこを書き出してみるー
・江戸時代の総人口は、前半で成長し、後半は停滞した。1600年に約1200万人であった総人口は、
 1700年に2769万人となったが、1720年の3128万人から1850年の3228万人まで、ほぼ一定に留まった。
 日本の近代的な人口統計は、1872年(明治5年)から存在する。この年の総人口は3481万人である。
 すでにこの頃から、人口増加率は年率0.5%というかなり高い値になった。
 そして、1880年代の終り頃からはさらに高まって、年率1%程度になった。江戸時代の停滞社会から脱却し、
 富国強兵と近代産業国家をめざして成長過程に入ったことが人口面にも明瞭に現われている。
 総人口は1891年(明治24年)に4千万人を突破し、1912年(大正元年)には5千万人を超えた。
 人口増加率はこの頃からさらに高まって、1.4%程度となった。
・1926年(昭和元年)に、総人口は6千万人を突破した。明治維新以降約半世紀で、日本の総人口は
 約2倍に増加したわけである。 日本が江戸時代とはまったく異質の社会になったことがわかる。
 この頃の人口増加率は年率1.5%程度と、きわめて高い。
 総人口はさらに増え続け、・1936年に7千万人、・1948年に8千万人を突破した。
 終戦直後には、それまでの勢いをさらに越える猛烈な人口増加が続いた。
 1940年代後半の人口増加率は2%を超えている。年間の出生児数は、1920年から52年まで、毎年200万人を超えている 
(39、45、46年を除く)。 最近の出生児数は年間115万人程度であるから、違いに驚かされる。
 総人口は1967年に1億人を超えた。1%を超える人口増加は、その後も76年まで続いた。
 しかし、これから後、人口増加率は傾向的に落ち始めた。 86年には0.5%になり、94年からは0.2%台に落ちた。
 現時点(2003年6月)の日本の総人口は、1億2761万人と推計されている。昭和の初めから、約2倍に増加したことになる。
 しかし、これがピークであり今後日本の人口は、継続的に減少してゆくものと見られている。
 国立社会保障・人口問題研究所の「日本の将来推計人口」
 (平成14年1月推計)によれば、2006年にピークになり、2010年に1億2747万人、20年には1億2410万人になる。
 その後、30年に1億1758万人、40年に1億938万人になる。そして、50年に約1億人となり、2100年には、約6413万人に
 なるものと予測されている。我われは、日本列島に生息する日本人の数が最大になったさまを見ているのである。 

「平均寿命」は、0歳児が何歳まで生きられるかを示すものだ。日本人の現在の平均寿命は、女性が85.23歳、
男性が78.32歳で、どちらも世界一になっている。 明治から大正期までは、女性が40歳代の中頃、男性が
40歳代の前半だったから、その後非常に大きな変化があったことがわかる。
これは、成人した人がどのくらい生きるかを見るには適当でない。
とくに過去の時点では、乳幼児死亡率の高さが平均寿命を大幅に下げていた。
この時期を生き延びたものは、平均寿命より長く生きると期待できるのである。
この点を補正するには、「平均余命」という概念を使う。これは、ある年齢に達したものがその後生存すると
期待される年数である   (したがって、「平均寿命」は、0歳の平均余命である)。
リタイアという問題を考えるには、平均寿命ではなく、60歳程度の人の平均余命を見るのが適切だ。
1891年?98年(明治24?31年)において、60歳の平均余命は、男12.8歳、女14.2歳であった。
60歳になった人は、男なら72.8歳、女なら74.2歳まで生きると期待できた。
現在、この数字は、21.44歳と26.85歳になっている。
現在60歳である人は、男なら81.44歳まで、女なら86.85歳まで生きると期待できる。
60歳の日本人の平均余命は、この1世紀の間に、10歳程度延びたことになる。
ーー
以上だが、成人になった平均寿命は、思ったほどは延びてはいない。
80年間で二倍になった人口が100年かけて元の6000万人に戻ると思えばよい。
「江戸初期から10倍、明治初期から4倍、昭和初期から2倍に増えた人口が、昭和初期の人口に100年かけて戻る」
ということだ。 これだけでも人口動態に関してチョッとした物知りになる。
人口減少に対し社会資本は比例しては減らないから豊かさは増える。
その現象に対し、自らを変えていくシステムを構築すればよいだけである。
その意味でも州制度をとり、それぞれの地区に州知事か首相を置いて、思い切った権限の移譲が必要だろう。
                    (o ・д・)ツ  バイ!
ーここで気がついたが、去年の同日に、やはり野口悠紀雄の読書日記だった。

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2006年03月09日(木)
1801, 日本経済改造論   ー読書日記
                     才ノヽ∋?_φ(≧ω≦*)♪             
またまた野口悠紀雄である。このところたて続き読んでいるが、どの本を読んでも
飽きさせないから不思議である。この本では、現在の日本経済の不況の原因が
・1940年体制を起点とした戦時体制を引き継いだ1945年体制以降から
 現在まで続いている間接金融による銀行支配にあるとしている。
・また日本企業のリスク回避的な行動にも原因がある、と指摘している。
従ってそれらを克服するには45年体制から続いている間接金融 から直接金融に移行し、
リスク回避的な企業が市場から直接資本を集め、新しい事業を立ち上げない限り今後の日本経済は
立ち行かなくなることを指摘している。企業がリスク回避的であることを利益率の低さから考察している。
食料自給率の低さこそが日本の食糧の確保を確かなものにしていると看破。
人口問題は、人口減少が問題なのでなく、年齢構造の高齢化が問題であると指摘。
日本企業の資本収益率は国際比較で見てもきわめて低いし、長期トレンドとしてこれを高めることは容易なことでない。
郵政民営化は不要であり、他にもっとやるべき大事な仕事がある、それは年金改革と税制改革などである。
 第一章では、日本経済の現在を概観
 (以下、字数の関係でカット2009年03月09日)

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2005年03月09日(水)
1436, つれづれなるままに

ー面白い日記のコーナー
10年後の私が現在に立ち戻って来たイメージで日記を書いている。
それが書いていて面白い。  実際の日記より書きやすいのである。 それと、現実が良く見える。
なかなか10年スパンで物事は考えにくい。が、日記で遊びとして書くと、気楽に現在の自分を見つめることができる。
新しい発見である。我が内なる天使様?か、守護神様か?か、冷静に見つめている良心か?
その目で見ると、いかにつまらない事に日々追われていることに気づく。
ーーー
ーはなまる・うどんーについて
 一年ほど前に、「はなまる・ウドン」にFC加入をして、セルフうどん屋を新潟市内に数店開店をしようとした。
ところが契約直前にフランチャイズ・ショーに行って、数社の競合相手の話を聞いて急遽中止をした。
セルフうどん屋の状況が、彼等の言っていることと違うのだ。
6千万の投資をする直前で、あと2?3店舗も出店するはずであった。
その後、社長が例の詐欺で問題になった豊田商事の元社員ということが週刊誌に暴かれた。
その直後に牛丼の吉野家に株式の33・4?を売却、その系列化に入った。
そして現在、ほぼ出店ストップの状態である。焦りもあって、調査もしない甘さもあった。
軽い損失で済んだのは、不幸中の幸いであった。佐渡で一店だけ「はなまる」が開店したが、
悲惨な状況という風評が入ってきた。経営は、ひとつ間違えば舟下は地獄である。

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2004年03月09日(火)
1070, 美容整形医師の「美人の定義」

ある月刊誌に書いてあった美容整形医師の「現代美人の定義」が面白い。
ーその文章を書き写してみるー
普通、美人と問われれば「目がパッチリ」「肌がきれい」「鼻が高い」「小顔」
・・・と思いがちだが全部間違い。現代美人とは「顔立ちが整っていること」が絶対条件。
浜崎あゆみの目であろうが、ベッカムの鼻にしても、バランスが悪ければ立派なブス(ブ男)である。
つまりプロポーションの良いのが美人であり、いくら部品がよくても組み立てが悪くては
ブスなのです。一点豪華主義の美人は存在しません。むしろ全部地味なほうが美人なのです。
日本の伝統的美人は雛人形に見られるように、目も鼻も口も全て小さく平べったい顔をしています。
ヨーロッパの美人はミロのビーナスに見られるように、口も鼻も口も全て大きく、立体的な顔をしています。
美人に見せるには、全部大きいか全部小さいかどちらでも良いから均一化して、バランスをとることが重要なのである。
日本人は突出することを嫌います。「出る杭は打たれる」などいって、平均的な小さくまとまった美しさを好みます。
これが美人の基準にもなる。いま一つは、権力によってその基準は左右される。
北朝鮮では「金正日がいい男の面」になっている。欧州の貴族は、それだけで顔立ちに係わらず美人美男になる。
 ー以上である。

美人バランス論ということか。中年になってきて、特に45歳を過ぎると急激に体形や顔立ちが崩れるのは
バランスが悪くなる為であったと考えると納得できる。本来、化粧はそのバランスを直すためするものである。
わざわざ崩している人がいるが。太りすぎも体形のバランスの崩れを直すため痩せようとするのだ。
固太りの人は、それほど見たほどデブに見えないのはバランスが崩れないからであろう。
西欧的美人より日本的美人の方が歳を重ねた時に美的段差が小さいのは、チマチマしているから
バランスの崩れが小さく済むためだ。顔は、その人の家系や過去の集約として現れるが、
化粧一つで誤魔化しがきくから恐ろしい。といって品位などは三日も経てば直ぐ見えるが。

・・・・・・・ 
2003年03月09日(日)
704, [つかず離れず]ー群れない為に

「つかず離れず」は人間関係の基本である。「和して同ぜず」ー和同の精神である。
(仲良くはしても、お互い同じでない事を理解することだ)「隣の芝生は緑に見えます」
「隣の花は赤い」は 同じ意味だ。「味噌汁の冷えない位の距離」は嫁姑の距離である。
以上は相手が良く見える距離を保つことの必要性をいっている。
人間関係には「親しき仲にも礼儀あり」という基本ルールがある。
離婚した女性を見ていると、この距離感の果たす役割の解ってない人が多い。
スナックや居酒屋のママは離婚経験者がほとんどだ。
フレンドリーで、お互いに距離を置かないのがプラスに働くのが皮肉である。
お客は群れに来るのだから丁度フィットするのか。 群れといえばこういう話しがある。
私のある姉が東京圏で、サラリーマンに嫁いで団地に住んでいる。
そこで色々な家庭を見ていて、子供の数の理想は3人以上と言っていた。
「3人以上だと群れという感がする」「家庭は群れの場、その為にはその数が必要と見える」
といっていたのが印象に残っている。人間は孤独を求めると同時に、何らかの形で群れてないと生きていけない。

 カナダやアラスカで一人で荒野に住んでいる人が街に出てきて人に会うと、ハイになって話しまくるという。
スナックなどでは多く見かけるという。何か解るような気がする。都会のスナックの片隅で一人飲んでいる人は、
人間の持つ両面を裏表にした姿である。 群れの中で自分を見失わないためには、自分の世界をしっかり持ち
距離を保つことが必要だ。 朝鮮人は儒教の影響が非常に強く、家庭の結びつきが日本に比べ格段に強い。
それに比べ日本は幕藩体制を300年続けてきた為か、組織に対する所属意識が強い。侍は藩に?百姓は5人組に
組み込まれていた。韓国人ー朝鮮人と結婚した人はその文化の違いに驚くという。基本的には日本人と全くかみ合わない。
とくに男女間の距離感が違うという。韓国では結婚した男は妻以外の女性とはどんな形でも
付き合ってはならないという不文律があるらしい。夫婦間の愛情は濃密で老夫婦でも小さな布団に一緒に寝る。
 韓国人は情が厚く、寂しさに耐えられないために、家族間の人間関係は深い。
他人同士でも一つの共同体になったときには「親しき仲にも礼儀あり」という日本的習慣は通用しないという。
親しくなったら甘えてもいいという発想があるという。今でも地方では日本でも強く残っている。
韓国人は親しくなればなるほど相手を騙す。馴染みの店から不景気だから来てくれと電話がかかったら、
それはサービスをするという意味でなく、馴染みだから高い金を払ってくれということになる。
あの北朝鮮の金王朝の異様さは、この濃密さを政治体制にくみ込んだためである。
 韓国的濃密さは日本では一番嫌われる。日本人と韓国人の結婚の話が少ないのは文化の違いがあまりに大きいからだ。
朝鮮人が日本で「つかず離れず」のスタンスで住むには最適。在日朝鮮人にむしろいえることか。
いつの間にか朝鮮人論になってしまったが、「つかず離れず」とは正反対の文化である。
逆にいえば、「つかず離れず」こそ日本人の文化といってよい。色いろな社会に属すことを好む日本人は、
「つかず離れず」が一番良いスタンスになるからだ。属している共同体が、それでいて最優先にする。


2894,厭世的時勢に、楽天であること

2009年03月08日(日)

 「厭世」とは、まず自己を厭うがゆえに世界を厭う心の習性をいう。
「楽天」とは、幼児の頃から両親を初め周囲から愛され、それ故に自分を愛する心の習性をいう。
人生を振り返ると、悲しいこと、苦しいこと、不安、恐怖心など、多くの精神的苦痛があったが、
なぜノイローゼや自殺に追い込まれなかったかというと、それ以上に楽しいこと、面白いこと、
明るい展望があったからである。 いや、それを見守ってくれる家族・友人があったからである。
そのもとは幼児体験、そう両親の絶対的な愛情が基本。楽天性は、まずは親子関係の中でジックリと育てられる。
基本的に親は子どもに絶対的な愛情を降り注がなければならない。しかし家庭内にも色いろの事情がある。
幼児期に親父が事業に失敗してしまったり、両親の不仲もある。 最近では離婚確率が家庭内離婚を含めると過半数。
その中で自分を楽天的性格にするためには、教養を自ら積むしかない。

 最近になって「楽天は意思」とつくづく思う。人間は誰でも心の底は楽天でないと生きていけない。
「自分だけは大丈夫!」と思っているからこそ、エネルギーが、生命力が、発露してくるのである。
いずれにしても、誰もが直ぐに死んでしまうのだから、生きている間は、面白可笑しく生きること。
ただし、将来の見通しだけはシッカリと立てた上だが。 だから楽天には長期的な生存確保が前提になる。
毎日、安心して日々を過ごせる生活力があり、時代の変化に堪えられる力を持ち、それ故に互いの信頼を
維持できることが基本になくてはならない。その前提がないと心が不安定になり、厭世家になるのである。
楽天家過ぎてホームレスになった人はいても、楽天的なホームレスは、ごく一部を除けばいない。

 このブログをみていると悲観論者と思われるかも知れないが、振り返ると楽観主義者である。
その場その場を何とか切り抜けてきたが、「最後は命までは失わないだろう」という開きなおりがあった。
問題に対して「正中心一点無」と、中心点に気持ちを集中するように勤めてはきたが・・・
それを心がけていると一時的にマイナスになっても、何時の間にかプラスに転換している。
「ベストを尽くして駄目なら仕方がないじゃないかい、皆の衆」の心である。 
再び書くが、幼児期の親の絶対的なシャワーのような愛情こそ、人間のエネルギーの溜池である。
その溜池が無い人は分からないだろうが、有る方は無い人を直ぐに見抜いてしまう。
 親を見ろ、特に母親を。 家庭を持ったら連れ合いを見ろ。 次は、子供を見ろ。 ほぼ見える!
愛情が満ちているかどうか、品性が備わっているかどうか、その部分だけを見れば良い。
 言えた(品)柄でもないが・・
最悪を想定して、その時の備えを常に整えていること。 それを受け入れる心の想定をしておくこと。
これが、「厭世的時勢に、楽天であること」の結論。「悲観の線路の上を楽観という電車で走ること」  
地道に生きていれば、何があっても、何とことはない? そうもいかないのが人生だから辛いところだが。

・・・・・・・・・・・
2530, 千年働いてきました ー2
2008年03月08日(土)
                    ー読書日記
第四章の 日本版バイオテクノロジーの発明
 の「売り手、よし買い手、よし羊よし」が面白い。
  その要約とは・・・
 ーー
ベルトコンベアーに送られる前、羊たちは一匹ずつ仰向けにされ、脚の付け根あたりに注射をされる。
オムツ代わりに付けられるのが、テニスのネットみたいな白い網で包まれて、その後に放牧される。
それからひと月ほどして、ネット羊たちはまた作業場に舞い戻ってくる。
そのネットをオーストラリア人の作業員が二人がかりで外してみたら、すっぽんぽんの羊が姿を現す。
羊の形をしたウールのコートが、つるりと出てきたようなものである。SFチックである。
「羊の毛刈り」という重労働を劇的に軽減することに成功した企業の名は「ヒゲタ醤油」。
創業390年という醤油製造業の老舗中の老舗が、伝統的な「醗酵技術」を応用したものだった。
 羊の毛刈りは牧畜関係者にとって、頭の痛い問題だった。中腰で行う重労働で賃金は安いが、腰をやられてしまう。
そこでオーストラリア連邦研究機関が目を付けたのが、ヒゲタ醤油が開発し、大量生産化に成功した薬剤。
そのキッカケが抗がん剤で頭髪が抜ける現象であった。それを逆用した薬剤を作ったのである。
それで、毛が散らばらないようにネットを付けたのである。
その薬剤は毛が直ぐに生えてくるようになっている。薬代は一匹あたり50円位で毛刈り代の10?ほど。
 ーー
面白いものである。 ヒゲタの社長がいうに「醤油は微生物をうまく利用して商品を作るわけだから、
オールド・テクノロジー。同じバイオだから出来るんじゃないかと、バイオに進出したわけです」
このヒゲタ醤油も創業が1616年、あと数年で400年になる。

携帯電話一つを取ってみても、
「折り曲げ部分」福田金属箔粉工業(創業307年)
「振動装置」田中貴金属工業(創業121年)
「液晶画面用鏡」村上開明堂(創業125年)
「人口水晶発信器」エプソントヨコム(創業116年)
と、まさに「老舗製造業」の伝統技術の集大成といった趣なのである。
そんな「老舗企業」21社の5つの共通点を著者は以下のように指摘している。
 1 同族企業だが外部の優秀な人材の登用を躊躇しない
 2 時代の変化に対応して事業内容は変化させてきた
 3 創業以来のコア家業は譲らない
 4 分をわきまえ好景気でも投機をしない
 5 「町人の正義」を実践してきた
「自分の本分を守るり、変化には弾力的に、投機などせず、婿養子などの血を躊躇しないでいれる」ということだ。
そういえば神社仏閣、いや天皇も仕事に一種とみれば・・・・ 宇宙のゴミの中の微生物の話は止めておこうか!

・・・・・・・・・
2007年03月08日(木)
2165, 駅周辺専門店ビルの開店、三店!
              (~Q~;)  おはよう??  サム?!

 三月に入って、新潟駅周辺の大型集合専門店ビルなど三店がオープンした。
 さっそく見学をしてきたが、なかなかよい!新規オープンは夢があって新鮮で良いものである。
   
・まずは駅から徒歩10分のSCの中にあるダイエーの撤退後の専門店街ビルの「ラブラ万代」。
 SCの万代シティーは、「伊勢丹」と「若者向けファッション店街ビル」と、
 「ラブラ万代」の集積化で、さらに集客力を増すだろう。
 今回開店したラブラ万代は3万平米の規模の地下1F、地上6Fのビル。
 最上階に紀伊国屋があり、他にユニクロ、ロフト、ギャップなどがあり、
 地下にはイオンの食品スーパーが入っているが、そのテナント・ミックスが非常によい。
                         (評価 90~95点)
・次に上越新幹線の改札口にある、JRの専門店街の「CoCoLo」の本館が改装オープンしたが、
 今までの少し堅い雰囲気がカジュアル的になり、開放的で入りやすくなった。 
 毎週一度は通っていた地元の本屋の「文進堂書店」は、至近距離に開店した大型店の
「ジュンク堂書店」に壊滅的な打撃を受けるだろう。     
                                 (評価 75~80点)
・駅裏にある大型ビルの一階と地階の2フロアーの「ジュンク堂書店」は、シンプルだが、主通路とサブ通路の幅広く
 とったなかなか良い店である。書店として5千平方は広いスペースで、『本以外一切扱ってない』のがよい。
 店内6箇所に、検索のパソコンを置いていて自分の欲しい本が探せる。
 100万冊の在庫の取り揃えが売り(特徴)である。 ロビーのような広いスペースに椅子と超大型のTVがあり、
 セルフのコーヒー・スタンドがある。ちょっとした時間を潰すのにもってこいである。
 書店は、20~60分の滞店時間が相場だが、これなら60~90分の時間がつぶせる。
 「ターミナルの超大型店の新しい業態とは、こういうもの」と、見せつけられたようだ!
 街中のスーパーストアの新しい業態である。    (評価 90?95点)
 これら開店は新潟駅周辺への一極化の動きの一現象である。「何処も同じ都市の風!」ということだ。 
                 (*^○^*)ノ バイ!
 ・・・・・・・・
 2006年03月08日(水)
1800, 「一夫多妻」男
          (ρ_・).。o○ おはよぉ・・

少し話は古くなったが、「一夫多妻」の事件は日本中の多くの男達の丁度良い、酒のツマミ?。
私など家内一人でも辟易しているので、羨ましいとは全く思わなかったが?
本人は酒池肉林で幸せだっただろう?その後、12人の多妻は現在でも共同生活をしているという。
行くところが無いのだろうが、何か現代の病巣を象徴している。

この事件から直に思い浮ぶのは、九州のキリスト研究集団千石イエス(千石剛賢)である。
本人は数年前に78歳で本人は亡くなったが、残った彼女らはクラブを今でも経営しながら集団生活をおくっている。
(TVで、この事件に関連してクラブ内の様子を放送していた。)マスコミが騒ぐほど千石イエスの会は問題の無い会。
            ♪(〃⌒▽⌒)八(〃⌒▽⌒〃)八(⌒▽⌒〃)♪
今回の事件が産経新聞の社会面のトップ記事で詳細に掲載されていた。
    
 そのポイントをまとめると
・擬似家族に温かさを求めていた。現在でも12人の女性は、主のいなくなった東大和市の民家で暮らしている。
 親との関係が希薄な中、一夫多妻の生活の中で集団生活の楽しみを見出した。
 彼女たちは、「外の世界が間違っており、自分たちだけが正しい」と凝り固まった状態にあるのではと推測される。
・「夢の中に出てきた宇宙生物に指示された」という話は嘘。恐怖心をあおり一緒に暮らすのが目的だった。
 女性を増やしていったのは、収入も増え生活も安定するためで、女性が増えるほど、孤独や寂しさを解消できると思った。
・洗脳とマインドコントロールは違うもので、洗脳は強い力でねじ伏せるもの、
 マインドコントロールは日常の生活の中で情報を与える方法で、このばあいはマインドコントロールであった。
・占いに関しては、あくまで肩書きだけで、女性を集めるための口実でしかなかった。
・手口としては、被害者を多妻の一人にするため、候補を見つけると自宅に妻の一人に誘わせて、
 隣の部屋で事情を盗み聞いて、あたかも占いが当たって信じ込ませる手法だった。
 ー
 以上だが、人間の性(サガ)の深い問題である。オットセイのハーレムの雌も気楽で良いのかもしれない。 
              ヾ(。´・ェ・`。)Bye
・・・・・・・
2005年03月08日(火)
1435, 人生の第四コーナー

私の年齢ともなれば競馬でいえば第四コーナーを回って最後の直線コーナーになる。
名馬は、この第四コーナーから最後の追い込みに本当の力を出す。
逆にいえば胸突き八丁でもあり、一番大事な時期でもある。
両親の生き様を直接目にすることができた。それは、長年かけた楽しみを追及することである。
その準備を如何にしてきたかが問題であるが、その一つにお金もある。
先日書いた中年クライシスは、社会的世界だけで生きてきた人間に生じる。
ライフワークのベースをつくっておかなくては、人生の第四コーナーの直線で息が尽きてしまう。
今年の4月1日から、私の同期の定年が始る。私の知る限り生き生きしている人は僅かである。
自分の趣味と独自の世界をつくっていなかった人が多い。
人間には、社会的側面の欲求を満たす部分と文化的側面の欲求を満たす部分がある。
直線コーナーまでは、社会的側面の充実が主になり、その後は文化的側面の欲求の充実が主となる。
社会的側面を一つずつ剃り落としていく為には、本当にしたいことを見つけておくことである。そのためには、
まずは孤独、孤立を恐れてはならない。それを恐れていては社会的仮面ーチンドン屋ーを演じ続ける日々しか過ごせなくなる。

51歳の年に、ジックリと考える節目の時期があった。そこで「60歳までに、それ以降の人生を全て詰め込んで生きる。
人生の余白を残さない!やりたいことは、この十年で全てやりつくす」と決めた。
これは人生設計というより、ある程度の悟りに近かった。その60歳まであと1年、この8年でやり残したことが多い。
このHPも一種の自分史でもあり、遺言でもある。他人から見たら、この程度のことかも知れないが。

・・・・・・・
2004年03月08日(月)
1069, フランチャイズ・ショー ?3

変わったものでは、「ブランド物の中古品仲介店」があった。
そのシステムが理にかなっていて面白い。TVで以前、このシステムの商売を見たことがあるが
FCは初めてである。「その辺街中情報」としては、とっておきの内容である。

ーその内容とはー
・対象商品はブランド品だけに絞り込む。持ち込まれたブランド品の売価をお客と店が交渉をして決める。
 目安は定価の10分の1だ。また千円以下は扱わない。
・展示した時点で、客は10%を店の展示代金(場所代)として払う。40日で売れない場合は、お客が商品を引き取る。
・売れた場合は、店・30?:顧客・60?の取り分になる。それでも中古専門店から買い叩かれるよりは有利だという。
・お客はまず50代、40代、そして30代の順で、中年女性が中心とか。買い手は掘り出し物を求めて定期的にくる。
・店サイドはリスクはゼロである。ブランドの鑑定のノウハウは、フランチャイザーが数日間かけて
 本部で教え込む。高価なもので鑑定が難しい場合は本部に送り届けて鑑定をしてもらうという。
・本部からは、全国からオークションで仕入れをしたブランド物が送られてくる。 
 フランチャイザーの狙いは、その販売経路だという。
 
なるほどFC本部も、店サイドも、売り手も、買い手も、誰もが有利になることになる。
面白いことを考えるものである。面白いシステムだが、店長の個人的能力が最も必要とされる仕事でもある。

話は全く変わるが、会場をまわっていて、FCの競合店のことを聞くと、間違いなくお互いにマイナス情報を流す。
特にナンバーワンに対する批判はすざましい。よく聞いていると、その「立場の範囲の視点」でもある。
より多くの角度の情報がほしい場合は、多くの競合店に聞くにかぎる。 お互いの限界がより見えてくる。  
人間関係にも似ているが。
                       ー続く
・・・・・
2003年03月08日(土) 703, 
「金持ち父さん貧乏父さん」ー読書日記

 この本を読んで、読めば読むほど納得する事が多い。もうこの歳でいまさらというひとがいたら何回か読んで、
自分の子供にぜひ説明すべきだ。貧乏父さんなら失敗談として尚更である。読んでいて気がついたことは、
大阪商人に似ていることだ。徹底的に節約型で、合理的である。違うのは投資に対しての積極性だろう。
金持ち父さんと貧乏父さんの考え方の違いを書き写してみる
ー金持ち父さん   ・・上段
 貧乏父さん語録  ・・下段ー
・「どうやったらそれを買うためのお金を作り出せるだろうか?」
 「それを買う為の金がない」
・「一生懸命勉強をしろ、そうすればいい会社を買う事ができる」
 「一生懸命勉強をしろ、そうすればいい会社に入れる」
・「この家は負債だ。持ち家が自分にとって最大の投資であり、最大の投資
  という人は大いに問題がある」
 「この家は私たちにとって最大の投資であり、最大の資産だ」
・「私が金持ちなのは子供がいるからだ」
 「金がないのは子供がいるかだ」
・「金は力だ」
 「お金には興味がない」 
・「私はお金のために働いているのではない、お金が私のために働いているのだ」
 「お金のために働いているのだ」
・ 「人は損をするのが怖くって、その為に損をする」

金持ちは自分のためにお金を働かせる中流以下の人間はお金のために働く
「無知」が「欲望と恐怖」を大きくする。「恐怖と欲望を大きくするのは無知だ。
ある程度のお金を持った人の多くが、金持ちになるほど、それを失ったときの恐怖を強く感じるのは無知のせいだ。
お金はニンジンなんだ。けして手に入らない幻みたいなものだ。もし馬が自分の姿を遠くから眺めることができれば、
自分の立場がわかり、ニンジンを追いかけることが自分にとってためになるかどうか、考え直すかもしれないだろう?」
人間の一生が「無知」と「啓蒙」のあいだの絶え間ない戦いである。
人間が自分を知るための情報や知識を求めなくなると、すぐに無知が忍び寄ってくる。

金持ちになりたかったら、お金について勉強しなくてはならない。
「お金の流れの読み方」は高層ビルの基礎に喩える事ができる。
・まずは資産と負債の違いを知ることである。
ー資産は私のポケットにお金を入れてくれる
ー負債は私のポケットからお金をとっていく

「どうやってお金を稼ぐか」でなく、「お金をどう使うか」である。つまり「稼いだあとどうするか」だ。
一番悪いのは「稼いだ金は全部使う」ことだ、収入が増えた分、支出の増えるだけの事。
だから「馬鹿が金を持つとろくなことが無い」という格言がある。

 普通の人は、まずは夢の確立の為に、家を持ち、車を買い、家庭用品を買い揃える。
ある程度の自己資金を貯めてからすべきなのに。せめて車は返済をかなりの額を返してから買うべきである。
これらの負債のために一生返済のおわれるのだ。

著者の感心する言葉は次の言葉である。
ー私だって人並みに贅沢は好きだ。
「人並み」と違うところは、ふつうの人が贅沢品を借金で買おうとするが、私はそうしないことだ。
借金で贅沢品を手に入れることを覚えた人は、周囲の人が持っているものを何でも手に入れるという
「罠」にはまっていくのだ。何かほしいものがあると、人はお金を作り出すことでなく借りることばかり考える。

ーお金に関する私の哲学の基本は、資産欄に種をまくことだ。これは、お金を作るための「公式」といってよい。

ー実践にあたって、いつも覚えておいてほしいことが一つある。それは「楽しむこと」だ。これは単なるゲームにすぎない。
勝つこともある、負けてそこから学ぶこともある。でも、どんな時でも楽しむ事だ。勝ったことが一度もない人は、
勝つ気持ちより負けるのを恐れる気持ちが大きいから勝てないのだ。

私の経験からして、要約をすると
・お金の知識について、もっともっと学ばなくてはならない。
・若いうちから、長期戦略を持って自分の財テクを磨き上げなさい。
・自分の収入の中で、種銭を作りー積み立てをして、それで財テクをしなさい。
・お金をつかうことと生活を楽しむ事はイコールではない。
・資産と負債の違いをハッキリさせること。
・考え方が人生を左右すること。
・本当の教育の基本はお金に対する知識であること。
お金に対する知識に対して、これだけ解りやすくストレートに書いてある本に初めて出くわしたのが実感だ。
そして両親が夕食時にいつもお金と投資と商売の成功談を話していた。
それが最大の教育だったことが確認できたのが最大の収穫であった。


2893, 年寄りの持病自慢は、老人の猥談だと!

2009年03月07日(土)

50歳半ば頃から同級会では、年金か成人病の自慢のしあいか、誰かの死の話が中心になる。
青春時代に自分の体つきや身なりを気にしたり、性体験を陰で話したり、猥談を話したくなる時期があるが、
それと同じく、自分の「体調」や「病気体験」について語りはじめる老人の「健康談議」を「老人の猥談」というらしい。 
五十歳代半ばの下半身の衰えは男の共通の話題。 その次は癌体験か糖尿病か心臓病などの成人病の披露のしあい。
こういう場しか、深刻な悩みを聞いてくれるところがないこともある。 それを老人の猥談とは上手くいったものだ。
要するに下半身のことや持病の露出は、人様の前では極力避けるべきである。
猥談に関しては家では御法度であった。マナーとして当然のことだが、それが平気でいう人がいて驚くことがある。
母からは、「匂いのするような話をしないこと」が刷り込まれていた。
それと同じことが、「自分の持病を公然と話すことが、老人の猥談談義」というと、なるほど肯ける。
言うなら、抽象的に、なるべくは人前では言わないことである。
歳を重ねるほど二重三重に注意しなくてはなるまい。

60歳までは死は後ろから迫ってくるが、70歳になると前からくる感じになるという。
だから互いに傷口を披露したくなるのだろう。

・・・・・・・・・
2529, 山田風太郎 のアフォリズム
2008年03月07日(金)

彼の本が好きで、何冊か図書館で借りて読んできた。
暗い中に何ともいえない温みがあり、2年に一度は彼の本を読んでいる。
また亡くなる前に朝日新聞に『あと千回の晩飯』が連載したことがあった。
なかなか文に鬼気迫る内容だったことを憶えている。 先日も、『人間魔界図鑑』を借りて読んだが、
  著作群の中からの警句やアフォリズムなどの 採集を、一冊にまとめたもので読みやすい。
手元に置いておきたい本と判断し、アマゾンの中古本を注文することにした。
以下の文章は 「人生(時間)のセイムスケール」というHPの中の
 山田風太郎のアフォリズムなどを抜粋コピーしたものである。
 −−−−
★「神は人間を、賢愚において不平等に生み、善悪において不公平に殺す」
★「我が命は地球より重い。他人の命は犬より軽い」

★「人は生まれ、苦しんで死ぬ。人生の要点はそれでつきている」
★「みんないう。いつか死ぬことはわかっている。しかし、「今」死にたくないのだ」

★「---いろいろあったが、死んでみりゃ、なんてこった、
 はじめから居なかったのとおんなじじゃないか、みなの衆」

★「死が生にいう。〈おれはお前がわかっている。しかし、お前にはおれがわかっていない〉」
★「死の瞬間に何人も悟るだろう。--人生の目的なるものが、いかにばかばかしいことであったかを」

★「生きながらそれは、多少ともすでに神曲地獄篇の相を帯びている」
★「いかなる人間も臨終前に臨終の心象を知ることができない。
 いかなる人間も臨終後に臨終の心象を語ることができない。何という絶対的聖域」

★「生は有限の道づれ旅 死は無限のひとり旅」
★「幸福の姿は一つだが、不幸のかたちはさまざまだ、とトルストイはいった。
 同じように、人は、生まれてくる姿は一つだが、死んでゆくかたちは さまざまである」

★「女ほど世にも尊きものはなし、釈迦も孔子もひょこひょこと生む」
(「お血脈」という落語のなかの狂歌)

★「死をはじめて想う。それを青春という。
★「人間は正視することの出来ないものが二つある。太陽と死だ」(ラ・ロシェフーコー)

★「同じ夜に何千人死のうと、人はひとりで死んでゆく」
★「人は死んで三日たてば、三百年前に死んだのと同然になる」

★「人生の大事は大半必然に来る。しかるに人生の最大事たる死は大半偶然に来る」
★「君の骨も乾かぬうちに、君の名も行為も忘れられた」

★「もし自分の死ぬ年齢を知っていたら、大半の人間の生きようは一変するだろう。
 したがって社会の様相も一変するだろう。そして歴史そのものが一変するだろう」
★「臨終の人間〈ああ、神も仏も無いものか?〉。神仏〈無い〉」

(字数の関係でカット 09年03月7日)
 ーー
 次回は、『人間魔界図鑑』の中の面白そうなところを抜粋してみる。
後記)また二年前の今日、山田風太郎のアフォリズムについて、書いてあった。
 偶然というより、必然か、ネタ切れか、同じことしか考えられないのか?
 その程度ということか? 死について心せよ!ということか!

・・・・・・・・・
007年03月07日(水) 2164, 宮城まり子
    (~Q~;)  おはよう〜〜 サム!

3月の日経新聞の「私の履歴書」は、
「ねむの木学園」園長の宮城まり子である。 まだ6回目だが、なかなか面白い。

 宮城まり子といえば私の小学校の頃から映画などに出ていたが、甘っ2007たるい声が印象的であった。
その後、芸能界をやめて「ねむの木学園」を開いた。もう二十年前のことになるが、TVでその
  「ねむの木学園」を放映した。 その時の子供の絵を見たときの衝撃は今でもハッキリと憶えている。
ピカソのような絵だが、絵から純粋な子供の心が直に伝わってきたからである。
役者をやめた後からも、人生の舞台の「役割り」を正直に生きている人である。
「人生を思いのまま生きている人がいる!」というのが当時の感想であった。
「私の履歴書」の一日目に書いてあった、 学園を開設するにあたっての、
愛人?の作家・吉行淳之介との3つの約束がよい。
1.愚痴はこぼさないこと。
2.お金がないと言わないこと。
3.君を信じてくる子のため、やめてはいけません。
その時、宮城まり子は「ハイ」と答えたという。

三回目の、彼女の母の教えの「感じたまま」の言葉が印象的である。
ーそこを抜粋してみるー
私は母と並んで絵を描くのが好きでした。小学校に入って間もない頃でした。
並んで描きながら私は母に聞きました。「お母さまはどうしてそんなに絵がうまいの?」すると母は
「まりちゃん、人の絵をうまいなどと思っていけません。人は人、自分は自分。自分の絵をお描きなさい。」
  と少し厳しい口調で言いました。
「お母さんは大人になってしまったから、あなたのような素直な絵は描けなく
なってしまったの。あなたにはあなたの絵があります。好きなように描きなさい」
大きくなったら絵描きさんになりたい。私の初めての夢でした。
しかし母の言いつけを守ると学校で叱られました。絵の時間にラジオ体操をする人を描いたときのことでした。
その人がとても気持ちよさそうに見えたので、感じたままに描いたら 腕が背よりも長くなりました。
  先生は「真面目に描きなさい」といいました。
「ねむの木学園」では私は絵も担当していますが、一度も「上手ね」と言ったことは ありません。
  「うれしいわ」と言っています。だって「上手ね」と言ったら子供はそれで安心をして満足してしまいます。
 ーー
書き写しているうちに20年前のTVの内容を再び思い出してきた。「ねむの木学園」の知恵足らすの子供が
  ピアノ演奏をしたが、鍵盤に魂を込めたピアノの音に気持が引き込まれた。
感動のあまり、その番組のビデオを何人かに見せた思い出がある。
    今月は、毎朝彼女の魂と出会うことができる!

 ・・・・・・・・・
2006年03月07日(火)
1799, 風太郎の死ぬ話   (○´・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ
              −読書日記
山田風太郎の「死」に関する本を読むと、色いろの人の死に様が面白可笑しく書いてある。
そして読み終わって「死」が軽く思えてくるから不思議である。
また「死」を考えることは、「生」を考えることになるのに気がつく。
死に様が、そのまま生の完成といえるということだろう。
  これまでも山田風太郎の『死』について取り上げてきた。
暗いと言われるが、お経を読んでいるようで逆に安らぎを感じる。
 私が風太郎の死に対し一番好きな言葉がある。
「・・・いろいろあったが、死んでみれりゃ〜、なんてことった。
はじめから居なかったのと同じじゃないか皆の衆」である。

この本の中にも強烈な言葉が次々と出てくる。
・信長は本能寺で死んだからこそ信長であり、西郷隆盛は城山で死んだからこそ隆盛なのである。
 あるゆる欲望を満喫し、大往生した死に方は、その人の人生が誰の同情も関心も共鳴を買わないという点で、
   芸術的に失敗作である。

・フィリップ・アリエスの「昔の死は、人が死にいく人物を演技する喜劇的な悲劇であった。
 今日の死は、人が自分の死ぬのを知らない人物を演技する悲劇的な喜劇である」を取り上げ、
   これによって、著者の風太郎が「人は管につながれて生まれてきて、管につながれて死ぬ」
   というアフォリズムを作ったという。
 
・「 臨終の人間『ああ神も仏も無いものか?』  神仏『無い』」
 「また臨終の人間『いま神仏が無いといったのは誰だ?』   答え無し。
  ー暗い虚空に、ただぼうぼうと風の音」
  −−−    
    ここからはこの本(風太郎の死ぬ話)から少し離れる!
    死といえば宗教学者であり東京大学教授だった
    岸本英夫の「わが生死観 」の言葉が深く響いてくる。
    十年間の死と闘いの中で冷静に死の恐怖の心理を克明に書いている。
     
     父の死に際をみていたので、その恐怖感が理解できた。
     
ーその一部を紹介してみるー

もう一度くりかえしていえば、死後の生命の存続を信じない私が、 癌というような思いもかけない病気のために、
  生命飢餓状態におかれ、死の暗闇の前にたたされたのである。天国や浄土などの理想世界を信ずるものにとっては、
死後の世界は、暗闇ではない。 一つの実体である。しかも、輝かしい世界である。
しかし、私にとっては、それは、真黒の暗闇であった。私は、その絶望的な暗闇を、必死な気持で凝視しつずけた。
そうしているうちに、私は、一つのことに気がつきはじめた。
それは死というものは、実体ではないということである。死を実体と考えるのは人間の錯覚である。

死というものは、そのものが実体ではなくて、 実体である生命がない場所であるというだけのことである。
そういうことが、理解されてきた。生と死とは、ちょうど、光と闇との関係にある。
物理的な自然現象としての暗闇というのは、それ自体が存在するのではない。
光がないというだけのことである。 光のない場所を暗闇という。
人間にとって光にもひとしいものは、生命である。 その生命のないところを、人間は暗闇として感じるのである。
死の暗闇が実体でないということは、理解は、何でもないようであるが、実は私には大発見。
これを裏返していえば、人間に実際与えられているものは、現実の生命だけだということである。
  人間は、日々の生活をくり返して生きている。 これは、疑いのないことである。 人間にとって生命は実体である。
  しかし、人間にとってあることは、今生きているということだけである。
人間には、生命がある。 五十年か六十年か生きているが、その寿命の中の一日一日は、どの一日も、
すべて人間にとっては同じように実体としての生命である。
どの一日も同じように尊い。寿命がつきて、死が近ずいたとしても、
その死に近い一日も、健康の時の一日と同じように尊い。
そのいのちのなくなる日まで、人間は生命を大切によく生きなければならない。
死というのは別の実体であって、これが生命におきかわるのではない。
ただ単に、実体である生命がなくなるというだけのことである。
このような考え方がひらけてきた後の私は、人間にとって何よりも大切なことは、
この与えられた人生を、どうよく生きるかということにあると考えるようになった。
いかに病に冒されて、その生命の終りが近ずいても、人間にとっては、
その生命の一日一日の重要性はかわるものではない。
つらくても、苦しくても、与えられた生命を最後までよく生きてゆくよりほか人間にとって生きるべき生き方はない。
このようにして、死の暗闇の前に素手でたっていた私は、このギリギリの限界状況まできて、
逆に、大きな転回をして、生命の絶対的な肯定論者になった。
死を前にして大いに生きるということが、私の新しい出発になった。
それ以来、私は、一個の人間として、もっぱらどうすればよく生きることができるかということを考えている。
しかし、そう生きていても、そこに、やはり生命飢餓状態は残る。
人間は、一日一日をよく生きながら、しかも同時に、つねに死に処する心構えの用意をつずけなければならない。
 ーー
岸本は死の告知を受け、   ガ━━Σ(゜Д゜|||)━━ン!!
「身の毛がよだつほどおそろしい」と実感を述べている。
その恐怖を乗り越えて、「いま」を生きることの尊さに目覚め、
「今が最後」とつねに思いつつ生きるところに、
自分の安住をおいた。
             ☆~~ヾ・ェ・)o尸~死んじまえばそれまでよ!
                            マタネ~♪
ーーーーー
2005年03月07日(月)
1434, 滝の話

1月前になるが、「白川義員の世界百名瀑布に挑む」をNHK・ハイビジョンを見た。
再放送で見るのが二回目だが、一回目見たときと同じ位の感動をおぼえた。
よいものは何ごとも、見れば見るほど、知れば知るほど、その奥行きの深さが見えてくる。
滝、氷河、山脈、草原、断崖、海岸などの大自然に対する感動は何にも変えがたい。水には、生物が発生した
  「海水」の原点がある。「生き物」のように、色いろな表情をみせるため、本能的な何かが騒ぐ。
世界3大瀑布といえば、
・ブラジルの「イグアスの滝」
・南アフリカのジンバブエの「ビクトリアの滝」
・カナダの「ナイアガラの滝」である。
・そして、4番目が南米のベネゼイラにある
「エンゼルフォールの滝」である。その中でイグアスの滝は、ずば抜けている。とにかく規模が他の滝に比べて桁違い。
昔、アメリカの大統領夫人が、この滝を見て「ああ、可哀想なナイアガラ!」と思わず言ったという。
しかし、何で三番目がナイアガラなのか解からない。ただ、美しさは抜群である。
遊覧船で滝の近くまで行って、180度の滝に囲まれてみる豪快な光景はさすがに凄い!
   ー以下字数の関係でカットー

・・・・・・・
2004年03月07日(日)
1068, フランチャイズ・ショー −2

主観を込めて「面白い順」に書いてみる。
・まずは「1980円のフグチリ」を売りにしているフグ専門店。
 フグ専門店の3分の1値段で、ふぐ料理の価格破壊を目指している。 味は高級専門店にまけないという。
 以前TVで見たことがあったが、実際担当者から生で聞く話は格別面白い。
「フグ料理や開店指導やフグの供給」をするという。 客単価は6700円とか。
   開店資金まで希望なら融通するとか。 現在は東京から30キロ圏がチェーンテリトリーという。
 別にフグ屋をする気はないが、何事も好奇心で聞いてみたが、本当に面白い!
  ・次は介護ビジネスで、デーサービスだけに特化した業態のFCが面白い。
 一日あたり、顧客?一人単価一万円、人件費一人当たり一万、ハード(施設)の
 ランニングコストが一日1万。ビジネスとして割り切ると面白そうだ。
 30人収容で、職員9人のチームでまわす。開店指導から軌道に乗せるまでのノウハウの販売である。
・保育園の開店指導主体のFCもあった。
 開店が一番大変で、一度オープンをしてしまえば、その後のノウハウは
  ほぼないとか。開店ノウハウ販売型FCと堂々と言ってのけるのもよい。
・目立ったのが、インターネット・カフェである。 漫画本とゲームとインターネットの併設のもので、
   時間制の料金システムのものが 印象的であった。(例:15分ー100円)
・自分史のCD作成の商売もあった。50万円で写真から履歴や文章などをCDに収め、
10年間大手銀行の貸金庫に預けて置くシステム。死んだ後に配る饅頭本の現代版といえる。
 面白いことを考えるものである。
                     ー 続く
・・・・・・・・
2003年03月07日(金)
702, 心と魂

以前に社内報の事業百訓で、 「心」と「こころ」と「魂」の違いを書いたことがあった。
ーホームページH09/05-見聞皆師
先日、ある本を読んでいたら、パソコンのハードデスクを「魂」、ソフトを「心」に喩えていた。
ーその概要は以下に書き写す
 魂と心は厳密に言うと違います
・魂はパソコンでいうとハードディスクやCPUを中心としたハードウエアにあたり、
・心は基本OSを含むソフトと例えることが出来る。
 
  心の基本形成は、親の心のエネルギーを吸収しながら6才頃に、そのアウトラインがほぼ完成するという。
    パソコンでいえばウインドウズのインストールを終えた状態。
・「こころ」の核となっているのが魂で、これは生まれながらのもの。
・魂は天命・宿命に関わり
・心は運命を左右します。
・そして双方の共同作業の結果が、あなたの「個性・能力」となって現れる。
魂の進化は心とともに ある。 パソコンは平成8年春の製品でクロックは120しかありません
150以上を指定してあるウインドウズMeはインストールできない.

メモリーとハードディスクは最大限増設してあるが、クロック増設の手間と費用に見合うだけの魅力がMeに有りや否や?
深層心理学者のユングは「魂はしだいに進化し、聖なる方向に向かっていく」といっている。
  この進化の方向に関わってくるのが心なのです。 Me(心の向上)を諦めたので、
  ハードウエアのクロック(魂)は120のままで進化していません。

こころの葛藤とは魂と心の綱引きをしている。 魂は多くの業(ごう、因縁ともいいます)を持っていて、
その業は縁あらば表へ出ようとしています。 それが自己本位の好ましくない事だったら、心がセーブをかける仕組みに
なっているが、本質的には「魂の方が強力」です。 魂が要求している事柄を実行して良いかどうか…を
・「判断するのが心なのです」が、
・「決断するのは魂」です。
心が「ノー」という結論を出すと、そこで魂と心の綱引きが始まるのですが、
魂が心の判断を無視して行動を起こすと、人間社会の中では往々にして問題行動となる。
40にして惑わず、という言葉があるように、どうやら人間は、その年代以上にならない
ことには、「魂を制御できるだけの心は完成しない」ようだ。

ー以上であるが、喩えが解りやすい。
 また他の本で「自己」と「魂」は似ているとか。 自己の背後にある大本が「魂」といってよい。
「自己実現」を「魂をつくること」と言い換えたほうが むしろ解りやすいことからも納得できる。
 ー魂の喩えとして
・心の親。
・心の故郷
・心の実家
・宗教心
・他己
・御祖先様
・心の積み重ね
・神ーラージX

「心を込める」と「魂をいれる」と言葉の重みが違う。
「魂を入れる」は全身全霊を入れるという意味合いにがある。
そうすると全身全霊ということか。対象の物事に対して「魂がこもる」ともいう。
一生は「魂をつくること」ということか。自己実現を図る事だ。


2892, オーラをみたことがあるか?

2009年03月06日(金)

 オーラを見たことがあるか?というと、殆どの人は見たことがないのでは?
一般的にオーラがかかっているというと、「貴乃花を見たときに、オーラが見えた」という人は、弟子に前後5〜6人に
囲まれて熱狂的なファンの間を歩いている姿の全体のエネルギーの威圧感を言っている。
「光の手」という本に、「人間の体にはエネルギーフィールドがあり、7つのチャクラがある云々」とあった。
それを一般的にオーラというのだろうが、実は私は一度だけオーラを見たことがある。
15年ほど前、母が痴呆症になった時に三年ほど毎朝、車で20分の長岡ニュータウンの丘陵公園に母親を連れて、
車椅子で誰も居ない広場の散歩道を歩いている時のこと。大きな広場を坂道をやっと上がりきった瞬間に前方から
朝の陽光が雲間から私たち二人を照らした。その時に車椅子の後ろから見た白髪の母に虹のようなものが
包みこんでいるのが見えたのである。 逆光が私の位置から母の白髪を通して見たため光の加減もあったのだろう。
早朝の誰も居ない坂道の幻想的背景もあってか、今も心に焼き付いている。

その半年後に二番目の姉夫妻が千葉から母を訪ねてきた。その時のオーラの話をしたところ、そこに行きたいという。
そこで母と姉夫婦と私の4人で車でドライブがてら行ってみたところ、そこで義兄が面白いことを言った。
「私が学生時代に登山で似た体験をしたことがある。早朝の山頂で日の出をみていた時のこと。
 自分の影が朝日に映し出された時に、その光景がオーラのように感じ取られ何とも不思議な感覚になった。
 その感覚とソックリのような気がする」とのこと。 
自分のオーラを影の中で見たのだろう。 これは経験した者でなければ分からないこと。
自分の感覚にはバクテリアの発生から進化を20億年以上かけてしてきた蓄積がある。
それを何かの折に、底知れない何かを感じるのは何ら不思議のことではない。
 この年齢で人生を振り返ると、色いろの経験をしてきたのである。 
過去に数百、数千億人が人生を過ごしてきたのだから、信じられないほどの蓄積が存在している。
それを可能な限り知ること、これも生きるということである。 
まったく、人間には自分というバカの壁が強固に張り付いている。 しゃ〜ないが・・・

・・・・・・・・・
2008年03月06日(木)
「ニッポン、ほんとに格差社会? 」池上 彰 (著)

  ーHPでの内容紹介ー
 「日本は本当に格差社会?」 ー常識のウソを大検証
 ーまずは内容概略からー
 日本は本当に格差社会なのか? 本当に少子化国家なのか? 
元NHK「週刊こどもニュース」の池上彰が、新聞、テレビから伝えられる「ニッポンの常識」を最新データをもとに診断。
世界の国々と比較することで、「日本はこんな国」と漠然と信じてきた「常識」が、劇的に覆ります。
項目は、「日本人は貯蓄好き?」「女性の社会進出は進んでいない?」「郵政民営化は先進国では常識?」など「30題」。
池上彰が○×形式で平易、そして明快に解説します。目から鱗になること請け合い。これがほんとの「ニッポンのかたち」!
 ー 
発行されてから一年半が経つが、指摘していること自体が怪しくなっている。
それだけ日本が急速に悪化している!ということが解る内容でもある。
その一つが生徒の学力である。現在はさらに著しく低下をしている。
経済が縮小しているのに対処できない姿が、この本の統計から窺い知ることが出来る。
この本では格差社会の問題は、あくまで一部。
色々の30の分野で外国との差異を示し日本の特異な部分を浮かび上がらせている。 
なるほどと、現在おかれている日本の危機を考えさせられてしまう。
  30の命題に、○×△の判定を下してあるが、その中で印象的なものを選んでみた。
「日本の政府は巨大である」     ○
「郵政民営化は先進国では当たり前」 △
「米軍との地位協定は不平等」    ○
「日本でも格差が広がっている」    ○
「日本社会もかなり危険になってきた」 △
「日本の生徒の学力は低下している」  ×
「国会議員の数は多すぎる」     ×
ーその他に、幾つか印象に残った部分を書き出してみた。
*財政状態を家計に例えると借金総額は5380万円。
*「日本の生徒の学力は低下している」の項では「データを正しく読み取ることができない大人の方が学力低下の心配がある」
*厚生年金などは消費税率の高いヨーロッパよりも、給付額が多い。
  次回は、「日本は本当に格差社会だろうか?」を取り上げてみる。

・・・・・・・・・・
2007年03月06日(火)
2163, 池田晶子が亡くなった!
                     才八∋ウ_〆(∀`●)サン        
「哲学者の池田晶子さんが亡くなった」と昨日のモーニング・ショーで、読売新聞元政治部長の解説者がコメントしていた。
二年間に彼女の本を6冊を「何度も」読んだ。「生きることは考えること、考えることは生きること」と、
自分の頭で考える必要性を説いていた。哲学を普通の言葉で説明するのが売りで、彼女の本を読みこんだ分だけ、
地頭で考える力がついていったような気がする。   σ('、`)? 私は誰
地頭思考訓練・練習帳というふうであった。「ソクラテスやデカルトを学ぶことは、哲学とは何かとか、何を言ったとかを、
学ぶことではない。彼らの学問を通して考えることを学ぶことである」が印象に残っている。なぜ生きているのだろう(?_?)
常に考えるため、トイレの中にも、会社の机の上にも置いてある。
                             OH ?そうか!(・0☆)
最近の出版さた本は殆んど読んでいた。しかし亡くなったのを契機に、以前の本を読んでみることにする。
二ヶ月前、中・高校の同期生がリンパ癌で入院した見舞いに、「14歳からの哲学」を持っていった。
「自分の死(一人称の死)は存在しない!」が、その中に書いてあるからである。
「昨年秋に肝臓ガンを手術、先月の2月23日に亡くなった」と報じていたが、自分の死に直面して、
どういう気持ちであったのだろうか?今度、彼女のことを書いてみようか!
成る程「生と死の塀の上」でなければ、これだけの哲学は書けないのだろう。
何が彼女をして、ここまで深く考えさせたのだろうか?と考えていた矢先に、この訃報である。その辺だったのか?
死というブラック・ホールの際にいたから、真理が鮮明にみえたのだろうか?

*最近の彼女の著書で○印は読んだものである。どれも同じようなことが書いてあるが、それでも面白いものは面白い!
 「一度哲学の意味を充分に噛み砕いて普段の言葉に変換する」のが彼女の役割だからだ。
 難しいことを難しくいうことは誰でもできるが、素人にはなかなか簡単に説明できない。
      ×印をさっそく注文した。
    〇14歳からの哲学?考えるための教科書 (トランスビュー、2003年)
    〇あたりまえなことばかり (トランスビュー、2003年)
    ×新・考えるヒント (講談社、2004年)
    〇41歳からの哲学 (新潮社、2004年)
    ×さよならソクラテス (新潮社、2004年)
    〇勝っても負けても 41歳からの哲学 (新潮社、2005年)
    ×メタフィジカル・パンチ! (文藝春秋、2005年2月)
    〇勝っても負けても(新潮者2005年6月)
    〇人生のほんとう (トランスビュー、2006年)
    〇知ることより考えること (新潮社、2006年)
    ×君自身に還れ?知と信を巡る対話 (共著/本願寺出版社)
  
人が人生をかけた言葉は、魂の言葉になって鳴り響く!言葉が垂直に立っているということか! ご冥福を!     
               ¥(*^_^*)\ バイバイ 
・・・・・・・
2006年03月06日(月)
1798, 自分を変える魔法の「口ぐせ」
             (*´・ω・)ノはよー

「あー疲れた…」とため息をついたり、「駄目だ駄目だ…」と、遥か昔のことを思い出しながら一人つぶやてしまう。
日常、私たちが何気なく口にする言葉には、ネガティブなイメージを持つ言葉が多い。
内語の70?80?はネガティブな言葉だという。“言葉は言霊(ことだま)”と言われているほどパワーを持っている。
NYヤンキースの松井秀喜は、中学生時代のある苦い経験をきっかけに、「2度と他人のことを悪く言わない」と誓ったという。
だから同僚から信頼されるのだろう。

口ぐせは“一種の習慣になっている言葉であり、無意識のうち行動を支配するもの”である。
そういえばスナックのママで「私頭が悪いから…」が口ぐせになっている人がいた。
その言葉が大脳に私はバカなのだとインプットしていることに気がつかないのだ。          
                 ~~旦 ゝ(-_- )                 
「口ぐせリストを作成しよう」という項目の中には、次のような口ぐせ項目がある。
『鏡のなかの自分に向かってのひとことは?』『明日もまた頑張ろうという気持ちを表す言葉は?』
『気分のいい時は?』『気分の悪い時は?』『一日に何回“ありがとう”と言っている?』
 ・・・それぞれ、プラス用語を決めておくとよいだろう。

項目ごとに自分は如何か考えてみたら、殆んどプラス用語が自動的に出てきた。
理想像と現実のギャップに悩むあまり、自分を卑下してしまうが、
それをプラスの口ぐせに代えれば自然にポジティブな人生を築くことになる。
自分が選択した行動の結果について、「これでよかったんだ!」と思うことで、すべてが上手くいくという。
「もし、あそこでああしていたら・・・」は誰でも思うことだが「これでよかった!」と自分の意志や心情を認めることで、
頭を切り替えることができるようになる。 中村天風は言葉の持つエネルギーの重要性を説いている。
二十数年前に天風の本を精読して、現在もトイレに置いて毎日のように目を通している。
それでも何時の間にかマイナス内語を呟いてしまっている。
天風の本を毎日目を通すことで、人生が非常に豊かになっている。
ーーー
自分を変える魔法の「口ぐせ」 夢がかなう言葉の法則  
        佐藤富雄・著 かんき出版・刊  
                ヾ(。´・●_・`。)バィバィ
・・・・・・・
2005年03月06日(日)
1433, フランチャイズ・ショー ?2

この時期に、有明の東京ビッグサイトで店舗総合見本市が開かれている。
もう34年になるが、そのうち半分近くは見学に訪れている。
去年に続いて3月2?3日に行ってきた。FCショー、建築資材、店舗、街づくりなどの棟に分かれている。
一棟5000?10000坪の会場に、多くの会社が出店している。会場を歩いているだけで、夢があって楽しい。
通っていると、時代時代の変遷が見えてくる。居酒屋が目につく年、コンビニ、インターネットカフェ、中華そば、
と主流が変わる。今年はマッサージや、化粧品を使ったエステなどの癒し系が目についた。(去年はインターネットカフェ)
面白いところでは、犬の洗滌機を組み込んだ車。SCの駐車場を借りて、犬の洗濯をする。B級の犬が狙い目というのが面白い。
血統書つきは、犬屋で専門家が洗うが、これは食器の洗浄器のような発想でつくられている。
去年も見かけた目の矯正の器械の販売会社も面白い。音波で、目の疲れをとってしまうのだ。
去年は「怪しげな!」という先入観があったので、声をかけられたが無視をした。
しかし、今年はカラカイ半分でつかってみた。ところが何と使った後に目の検査をしてみたら、
使用前と使用後では検査表が二ランクも良く見えるようになった。音波で目の疲れをとるだけなのだが。
なるほど、これを使えば少しは目が良くなるのかもしれない。
インターネットや大型TVの普及で、目をマスマス酷使する時代に目の矯正センターも見直されて良いはずだ。
養殖フグの料理店のFCもあった。とにかく安くフグを食べさせるのだ。
これも、大商圏のポイントを押さえれば上手くいく可能性がある。
コンビにもそうだが、フランチャイズは本部だけが儲かるように出来ている。
しかし、旧来のやり方から抜け出さないなら、FCも致し方ない。

・・・・・・・・
2004年03月06日(土)
1067, 高級1DKマンション ー2

店舗ショーに3日間見学に行ってきたが、その午前中は高級1DKマンションを見てまわった。
時代の最先端の多くのヒントやノウハウが隠されているからだ。
最新のものは、最近オープンした品川の300室規模のものである。
10日ほど前に資料を取り寄せて前知識を持って行ったが、やはり本物をみると見ないでは違う。
なるほどTVに出てくるようなスタジオタイプのマンションである。
1Fの無機質なロビー、そして最上階24Fの住民だけのプライベート・バー
ラウンジとトレーニング・ルームそして大浴場。部屋は最新のユニット設備や家具と、電化製品。
朝食は家賃の中に含まれているという。こんなところでパソコンを打ちながら夜景を眺めていたら、新しいアイデアが
いくらでも出てくるのだろう。そして最上階で夜景を見ながら風呂でも入ったら、もう生活を落せなくなる。
他にも、共同サービスのない小型の高級(高価格)マンションを幾つか見てきた。
住み慣れた後にくるのは、東京砂漠の殺伐とした心象風景の世界である。
しかし一歩外にでれば、都合の良いことに赤提灯街が点在しているのが都会の良いところでもある。
私はもう東京のような大都会は住みたくないが。サービスマンションはアメリカや香港にあったもの。
最近アパマンとかいって、サービスを付加したアパートを売りにしている
雑誌情報誌があるが、そのベスト・プラクテスをしたものだろう。話は変わるが、品川や新橋や汐留のビル群には驚きである。
ユリカゴメの車内から見る景色は、新しい東京の象徴といってよいだろう。箱物好きとしては、こたえられない景色である。

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2003年03月06日(木)
701, 「最強の勉強法」

本屋のコーナーで何度か目に入っていたが、衝動買いをしてしまった。ハウツーものとしては面白い。
今になって昔何故ハウツーものをもう少し読まなかった悔やまれる。まあ仕方がないが。
事業と同じで「プロセスを楽しめ、成果をあげる工夫を徹底しろ」の二つに尽きる。
大体の本は、2時間で殆ど把握できるようになった。
1、まずは前書きと目次と終わりにを中心にポイント読みをする。
2、次に、本に折込を入れる。それぞれの章と目次と太字のところを中心に入れる。
3、インターネットでホームページをさがし、書評と概要を読む。
4、最後の章からポイント読みを逆に遡って読む。
5、できたら随想日記の読書日記に書くためにまとめる。 以上が2時間だ。
6、一番大事な事は、読書日記に自筆で「目次とレジメを書くこと」である。
 これを過去40年何もしてこなかったのが、人生の最大の後悔といってよい。
 一ヶ月前から始めたが、これがよい。あとで読み直した時は赤のペンで書き足すのだ。
 この歳になって悔やまれる事があまりにも多い。 いまさら仕方がないが。
・・・・・・・
インターネットで調べた概要をコピーしておきます。
『 不可能を可能にする、最強の学習法!』吉田たかよし・著
PHP出版より2002年8月9日刊行 定価1350円(税別)

1.『吉田たかよし』とは日本で初めて、NHKアナウンサー出身の医師です。
また、衆議院議員の公設第一秘書として政策立案にも携わりました。
この他、エコノミストや報道記者としての顔も持っています。
 ー以下、字数の関係でカット(2008年03月06日)

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2002年03月06日(水)
351,自己配転

キャリアとは、「多くの経験をしてきた」といういみである。
役人の出世コースは若いうちにどんどん配転させ、経験を積ませる。いわゆるキャリア組である。
会社も「将来の幹部候補」は別に配転コースを組み、それに従いどんどん配転させる。
そのプロセスの中で実績を重ね、適正を見つけ、それぞれのコースにえり分けていく。
仕事も何事も経験がまず第一である。OーJ?Tが基本である。私も務めで、寝具、日用雑貨、子供服、靴下、
配送センター等々経験した。経営では、飲食で養老の滝ー1122号店、焼きたてのパンのセンチュリー・ベーカリー、
衣料量販店、今のビジネスホテルー学生ショップを経験した。
「よくいろいろの経営ができるね」と聞かれるが、皆一緒である。
商品変われど、システムとして捉えれば全部同じである。そういう意味で自己配転をしてきた事になる。
ホテルをやるとき、「単品のズボンを一日70本売るのと客室を70室売るのと何が違う?」と考えたからだ。
何も違わない!ただそれだけ。4千円の値段まで一緒だ。そしてそのとうりだった。
一つだけ違うところは、それを20^30年、売り続けなければならない事だ。
職を変えていく事とフリーターと何処が違うか、といえば「目的を持ってそれを経験として蓄積できるか」どうかである。
フリターも結果としてよい場合もある。それが結果としてプラスになればだが、ほぼ絶望が99?だ。
ある社長がきて「息子が勤めた会社を1年で辞め、フリターになってしまった。
本人が言うに、若いうちにどんどん色々な経験を積みたいという。どういうものか?」
と聞くから「いいじゃないか、ただのフリーターじゃないよ。
自己配転をしようとしているじゃないですか。考え抜いたそれだから素晴らしいよ。
応援してあげなさい」と言うと、本人もそれに気づいたようだった。
目的を持つという事は、人生に意味を多く持たせる。更に目的に向かって、舵とりを覚えるようになる。


2891, 末期自民党政権

2009年03月05日(木)

 自民党が最後の醜態を露出している。 その最後に相応しいのが麻生首相と思えば腹が立たない。
どうして、こうなったのであろう。 以前のようなドスのきいた首相がいなくなった。
・三角大福中は、叩きあげで派閥を率いていた。早くいえば「汚職」ギリギリの塀上で集金し手下の面倒をみていた。
・その後、安部晋太郎、宮沢喜一、竹下登という半二代目の親分が派閥を率ていた。
・更に小粒の村山、橋本竜太郎、小渕、森などが続いて
・小泉が一言パフォーマンスを駆使して改革という幻想を国民に抱かせて何とか自民を持たせた
・極めつけが直近の安部、福田、麻生首相である。
 ひ弱な二代目、三代目が とても一国を率いる器ではない。 
 劣化の最たる者たちが政権にきゅうきゅうしている姿は、亡国の醜態そのもの。

 首相は学歴とか、血筋で務まるものではない。それぞれの世界で、叩き上げでのし上がったものしか、
国のトップになれない。下から這い上がってきたからこそ、庶民の気持ちをくみ上げることができる。
麻生に関しては全く大衆の生活が分かってないのを大衆が直感で解ってしまった。
第二次大戦を潜り抜けてきた連中が消滅してしまった。
では、なぜ彼等が首相になれたのか?といえば、彼等でもやれる環境が、そうさせたのである。
そしていざ地球規模の危機に際して、これほど程度の低い首相に国民は茫然自失状態。
あのレベルの失言で済んでいるだけ!まだ良いとしなければならない。実際は致命的ミスが出ないかハラハラ。
それだけではない、自民党そのものも劣化の最たるもの。

 ところで今度の小沢の第一秘書の逮捕は、タイミングから見て明らかに国策逮捕である。
検察の頭からして腐りきっているから始末が悪い。 これで更に国民に自民は嫌われること必定。
これは歴史に残る腐りきった自民と検察(官僚)の仕組んだ猿芝居として残る。
日本は世界恐慌に先駆けて突入したというのに。4〜5月には株価が6千円はおろか5千円を割るのでは?

・・・・・・・・・
2008年03月05日(水)
                        読書日記
      「千年、働いてきました」
     老舗企業大国ニッポン  (角川書店)が面白い。

三ヶ月に一度、金融を中心にコンサルトをしてもらっている林さんから、是非面白いから読んでみたら
というメールが入った。さっそくアマゾンから(中古だが)この本を取り寄せたが、成るほど面白い。
まずは最も面白い部分を書き出してみると

*「世界最古の会社はどこの国にあるだろうか?」。
 企業の寿命が30年といわれる中で、我が国日本に578年から創業している会社がある。
 聖徳太子に招かれ百済(中国)から来た職人の技術を持った会社である。
・他にも、創業して千三百年にもなろうかという北陸の旅館、
・千二百年以上の京都の和菓子屋
・同じく千百年を超える京都の仏具屋
・千年を超える薬局といった具合に、開業当時に思いをはせると、気が遠くなる店や会社ばかりである。
*日本には創業100年以上の老舗企業が10万社以上あると推定されている。
 これほど老舗が多い国は世界でも例がない。こんなにあるのは、アジアだけでなくヨーロッパにもない。
*伝統は革新の連続である。
*製薬トップの武田薬品(1781年)、大手ゼネコンの鹿島建設(1840年)や竹中工務店(1610年)、
 化粧品トップの資生堂(1872年)、ゲーム機の任天堂(1889年)、楽器最大手のヤマハ(1887年)など・・
 大手デパートのほとんどが江戸時代に創業した呉服店から発展しているし、
 三井、住友の様なロスチャイルドより古い歴史を持つ財閥も存在する。
*初代目から11代目に当たる福田さんは、こう言った。
「身の程をわきまえる、というのが、ずうっと貫かれてきたのではないかな。
 バブルの時など、それはもう土地を買えとか言われたんですが、・・・・
 『コア・ミッション』=使命の核心=から離れてはいけない、というのはわかっていました」
*日本の老舗企業にも、一族経営は多いのだが、血族にこだわらない融通性をあわせ持っている。
 たとえ長男でも、娘婿が経営者として優秀であれば跡継に選んだり、養子や赤の他人に家業を
 任せる場合も珍しくない。
 ーー
 一般的に会社は30年が寿命。 しかし時代の激変の中で、現在は20年になっているという。
激しい変化の中で、対応が出来なくなってきたのである。
100年続いている店にしろ会社が本当に10万社もあるのだろうか?
まだ疑問だが、旅館や老舗の菓子屋などを入れると、あるのかもしれない。
しかし、この10年で多くが淘汰されたとも、書いてあったが。
千四百年以上など、まさか?ね? 奇跡的である。一度倒産しかかったのを、
整理をして存続会社にしたというが、会社として機能しているから存続していることになるが・・・
                            つづく
・・・・・・・・
2007年03月05日(月)
2162, 秋田市のホテル事情
      オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン!
       
秋田のシングル・ルームの値段がバス無しといえども、何と3000円。
三度目の値下げでここまで落ちたという。考えられないほど、安いが・・
秋田は秋田新幹線が開通したとはいえ袋小路の県である。
その地価の値下がりは大きく、全国的にみても最悪の景気停滞地区である。
その秋田市でホテルの建設ラッシュがつづき、三年間で客室数28?、
収容人数が35?も収容人数が増えたと新聞で報じていた、需要は減り続けているのにホテルが増えつづけている
というところは、新潟も似た現象である。 しかし新潟は4年間で18?増えたが、
この三月のワシントンホテルの撤退で、それを差し引くと、10?の増加でしかない。
客数が一割、客単価が一割が減ったので、差引三割の減である。
地価の三分の一に値下がりをした土地に、金利が最低の2?、さらに建設費は三分の二となれば、
バブル期に投資したホテルと戦っても十分に採算が取れるという計算が成り立つ。 
それが参入者の理屈である。しかし長期的にみて在庫過剰への過当競争の参入は、矛盾が出てくる。
時の社長が置き土産レベルで長期物件の投資の決定をするから、後々に大きな問題として残るのが、
ホテル事業の問題である。三年目がピークで、七年目に投資の成果ー失敗が判明するのが一般的。
判明時には、決定を下した当の本人はリタイヤをしているから、やり逃げの役人や政治家とおなじレベルになる。
今の日本では責任追及が出来ないから始末が悪い。それが現在の日本の新興のホテル経営者の実態の姿である。
ホテルや貸しビル、立体駐車場は「資金を、鉄とセメント」に変換することと同じこと。
一度つくったものは、償却が終わるか、資金回収をするまで変更は不可能である。
だから長期にわたった時代の波を潜らなくてはならないから難しいのだ。
神の代行業というコンセプトを持っていないと、悪魔の誘惑に負けてしまう。
他人ごとではない! 致命的な失敗をしてないだけで、同じようなものか? 
この事業で、長期的視点を学んだのが最大の収穫である。それと己の無知と限界を
嫌というほど見せつけられた。反面、「時間持ち」という金にかえ難い豊かさが持てたが!
    
                (o ・д・)ツ  バイ!
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2006年03月05日(日)
1797, 心に効くクラシック?3
         才ノヽ∋?_φ(≧ω≦*)♪
ー作曲家の性格の三分類

偉大な作曲家はそれぞれの性格的な傾向を持っているという。
強い個性があるからこそ、個性的な曲を生み出すことができるといえる。
性格分類といえば、クレッチマーの気質の三類型がある。
   S型ー分裂気質 Z型ー躁鬱気質 V型ー粘着気質で、誰にも当てはまる。
S型ー分裂気質は、体型的には痩せ型。
   一般的には内向的で自分独自の世界を作るのが特徴。天才肌が多く、自らを孤独に追い込み、
   シャープな頭脳で思考を重ね、独特の研ぎ澄まされた世界をつくり、
   芸術上に現れたものは恐ろしいような美しさがあります。服装も調度の好みもうるさく、
   いわゆる貴族趣味に走る傾向がある。感受性が豊かなゆえに矛盾した要素を抱え込み、
   冷淡で利己的で鈍感だと思うと、別の面では非常に敏感で情熱的で興奮しやすかったりします。
   ーベートーヴェン、ドビッシーなど
Z型ー躁鬱気質は、体型的に肥満型多く、循環気質ともいわれる。
   S型の怜悧な美しさとは対照的に、親しみやすさに溢れ人間的な美しさがある。
   一般的には、人間大好きで、他者への共感性や同情心に溢れ、
   社交的、快活、温厚、善良、陽気、といった性格に富んでいます。
   目新しいことにひかれ、アイデアが閃くと直に実行します。循環気質といわれるように、
   気分の段差が激しく、明るく陽気と思えば、落ち込むと自室に籠るような極端さがある。
   ーバッハ、モーツアルト、ヴェルディーなど  =ε=(。・ω・)_旦~~ オマタセー                       
V型ー何ごとにもこつこつと丁寧に打ち込み、まじめで粘り強いという特徴がある。
   少々スロースターターだが、礼儀正しく、社会の常識や伝統を大切にします。冗談やユーモアにも縁遠い。
   気質は、蓄積と爆発と評される。ネガティブな感情や不愉快な体験などの心的エネルギーを溜め込み、
   世間に従おうとするが、時に大爆発をする。体型は筋肉質、闘士型でがっしりして、スポーツマンタイプが多い。
   ベートーヴェンはS気質にV気質が加味されている。 作家だがドフトエスキーなどが典型である。
   ヘーゲル、ジュリアス・シーザーのこのタイプである。
この三分類に当てはめることはできないが、実際には、複数の類型の中間型であったり、
特定の分類の属していてもそれほどの明確な特徴を現していなかったりする。
この本では三つを使って作曲家の心理を分析している。
                ε(´',_c')зβyё☆
・・・・・・・  
2005年03月05日(土)
1432, 危ない格言?6 ー読書日記ー

教育に関しては、危ない格言が真実に近いから恐ろしい。
教育は大事なことを認めるが、その前に躾としての訓練が大事ではないか。
それも教育の一環であるか!
・児童教育は、子供達が躓かないように歩きやすい道を示し、そこを行く歩き方まで教えると称している。
 子供たちというと、まずはこの教育に躓く。
 ーmy感想ーこういう躓きも、道さえ解らないのよりましだ。弄りすぎという奴、いや弄られ過ぎか。
  ーー
・教育の自由ってあり? 教育からの自由は?
 ーmy感想ー時に、狂育も必要では?
  ーー
・親が子供に対して行うべきことは、何よりも生活の術の伝承と
 できるだけ多種の人物見本の呈示であって、決して教育などでない。
 ーmy感想ーまず親が第一の人物見本になる。よい親に当たればよいが、悪い親に当たった場合如何したらよいのか?
  ーー
・個人は教育できない。個人は、教育の外で、教育に反して、そして、その欠如において育つ。
 ーmy感想ー基本はまず教育からつけなくてはならない。
 基本がないと、狂育になる可能性が強い。プチブルになる教育なら、狂育の方よいが。
  ーー
・家族生活は、ますます、各人がやもめ暮らしを一箇所で送るための妥協の成果となっている。
 ーmy感想ー何らかのカタチで身辺に余りに多いから、この感想書けない!パラサイトシングルとか・・
  ーー
・いつまでも子供心を失わないー直接か変わりない人からすれば、それはそのように褒め言葉で語られる。
 日常、付きわざるを得ない人から見れば、それは、いい歳をして子供じみている、ということだ。
 ーmy感想ー子供が大きくなったのが大人だろう。
  何処かに、子供心が残っていて当然のことだ。大人じみている子供こそ気味悪い。
  いや大人じみている大人こそ気味悪いか!特に中年のしたり顔した人

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2004年03月05日(金)
1066, フランチャイズ・ショー ?1

この三日間、東京晴海のビッグサイトで行われてた
フランチャイズ・ショーに行ってきた。10年ぶりに行ってみたが、驚いてしまった。
以前は、店舗ショーの一角で行われていたが、現在は独立した大きな会場で市民権を得ていた。
フランチャイズもネットビジネスという時代の流れにそってきたのだ。
三日間きめ細かく見てまわった感想は、「面白い!」である。全然飽きがこない、ただただ面白い時間であった。
今回の感想は「インターネット・カフェ、介護、学習塾、うどん屋」が目立っていたこと。
その他に、面白いところでは「幼稚園、中古ゴルフ、中古釣具、ブランド品交換ビジネス、激安ふぐ屋」であった。
「成功したビジネスモデルのソフトを販売しよう」というのだから、面白いのは当たり前である。
といって怪しげな世界の化け物屋敷でもあるのだ。生きた化け物世界をリアルで見れるのだからコタエラレナイ!

・・・・・・
2003年03月05日(水)
700, お金の哲学ー2

私の父親と家内の父親は「地方の金持ち父さん」の典型だった。
秘境旅行仲間の人も私を除いて?金持ち父さん母さんである。
 その共通点がある。
・長年をかけて、ひとつ事を成し遂げてきた。
・誠実で真面目な性格である。
・合理的な生活態度が徹している。 ー質素で堅実の塊りといってよいー
・生活の楽しみ方をしっている。
・女性関係は潔癖である。
・常に精神は安定している。
・群れる事を嫌う。
家庭にとっても、これがベースである。家庭がしっかりしてないと、子供に何かが出てくる。
精神が不安定になったり、社会生活が苦手になる。クラスの虐めのボスなどは100?近くが家庭が不和である。
全てが家庭生活、夫婦間の安定が基礎である。離婚と家庭内離婚が半数以上というから今の子供は大変だ。
いや昔もそうか、下手に離婚できなかったからより大変だった?
話は変わるが、「普通預金に100万円以上」というのが意味深長である。
これは「お金のたまる人たまらない人」(著者・マネーライター丸田潔)に書いてあった内容だ。 
細かい出し入れに気をつかわないで済むし、気持ちが豊かになる。
有利な運用にチャレンジするのは、普通預金に十分な資金をためた後にすべきといって
いる。サラ金も使わないで済むし、ローンもする必要もない。
今のような低金利の時は、むしろ一箇所の銀行の普通預金に潤沢なお金を入れておいたほうがよい。
そして買物はデビットカードかゴールデンカードをつかう。現金を持っているほうが有利の時代であるからこそ、
「潤沢な現金を普通預金に」という理屈になるのだろう。私も定期にしないで全て普通預金である。
会社に全てを投じているので定期をするほどもないが。でも何といっても気持ち豊かになる。
以前書いたが、私の場合は常に財布に多めのお金ー7~8万と、家内にわからないお金(一般にはヘソクリという)
がある。といって10万だが。少し使いすぎたかなという時は、それを使う。
そうしていると反対にいつでもつかえると思うから、使わないで済む。
装置産業は、その装置がある日全くの不良資産になる可能性がある。特に借入商売のためにデフレには非常に弱い。
これは価値が無いあるのかという自問自答の世界でもある。話がそれた。
父は収入を土地と堅実な株(当時ー1960年頃ー電力株やガス株)に変えていた。
もっと徹底していたら、より資産形成ができたろうにと母が愚痴っていたが。
男の従業員には給料から天引預金をして、ある金額になるとガス株を買わせて、その後自宅を造らせていた。
ベストセラーの「金持ち父さん貧乏父さん」の要約を、そのまま実行をしていた。

・・・・・・・
2002年03月05日(火)
350,プラスの言葉とマイナスの言葉 

 ープラスの言葉  (^o^)丿(^^♪!(^^)!(#^.^#)(*^^)vヽ(^o^)丿(^^♪!(^^)!(#^.^#)(*^^)v
楽しいヽ嬉しい、おいしい、きれいだ。可愛い。美しい。元気だ。丈夫だ。
のびのびしている。満ち足りている。どんどんよくなる。笑う-可笑しい。
全てうまくいっている。すべておだやかだ。ポカポカ暖かい。成功する。
順調にいく。自信がある。かならずうまくいく。実に楽しい。とても愉快だ。とても幸せだ。
 ーマイナスの言葉    ー(+_+)(/_;)(ーー゛)(;一_一)、
悩む。苦しい。悲しい。腹が立つ。痛い。憎い。辛い。不平。不満だ。泣く。
どうしていいかわからない。暗い。失敗。ぞっとする。
意地が悪い。寒い。冷たい。どんどん悪くなる。汚い。
汚らわしい。自信がない。どうしても嫌だ。私ほど不幸なものはない。
-----------
以上がある本からの抜粋だが、周辺で上手くいってない人が多い。これは事実だ。
上手くいっている人も多い。周辺でも「信じられないような幸せな一生」を過ごしている人がいる。
私の義母ーである。こんな人生もあるのかと思えるような、幸せな環境である。
上手くいっている人生と、全く上手くいってない人生とに、それぞれの共通点がある。
・上手くいっている人は「育ち」という言葉で集約できる家系がある。
幸せ系の家系というか、それは親の性格と夫婦間の相性だ。子供にとって、これは集約された環境といっていい。
・上手くいってない人の両親は夫婦仲が悪い。あるいは嫁姑の関係が悪い。
その間がマイナスであるから、自然に言葉もマイナスになってしまう。
その環境に育てば、マイナスの言葉や空気が子供の時から脳にしみこむ。プラスの人はその反対である。
性格改造は言葉使いの改造である。言葉は言魂といって、それ自体魂が入っている。
プラスを使っていれば、人生そのものがプラスになる。 自戒の文章である。


2890、失われし人々の祈り ー膨張するロシア正教

2009年03月04日(水)

 「揺れる大国 プーチンのロシア
   失われし人々の祈り ー膨張するロシア正教」  NHKスペシャル3月1日放送
 ーまずは内容から ・NHKのHPよりー
強い国家を目指すプーチン時代に、新たな役割を担い、完全復活を遂げているのがロシア正教だ。
格差が広がるロシアでは庶民の荒廃が猛スピードで進み、各地の教会には連日悩みを抱えた人たちが殺到している。
極寒の12月、モスクワ市の繁華街の教会では、ホームレスや年金生活者が給食サービスに列をなしていた。
また教会の救済講座には、家族を捨て犯罪に走った中小企業の元経営者や、生きる望みを失ったソ連時代の
著名科学者らが神に助けを求めてもがいていた…。さらなる求心力の強化を狙う政権側は、このロシア正教に接近。
教会側も、小学校での愛国道徳教育や独自メディアを使った大量布教を目指してまい進している。
番組は、ロシア正教に救いを求める庶民たちに完全密着し、人々がロシアの伝統に回帰し、
強い国家を求め始めている現実をルポルタージュする。
 ーー
「プーチンのリスト」の続編である。
今回は、共産主義というイデオロギーを失った庶民の心の支えを支援するため、
プーチンはロシア正教に接近し大量布教を推し進めている。
イスラエルにユダヤ教、アメリカにキリスト教、インドにヒンドゥ教、アラブ諸国にイスラム教、
タイに仏教という国教的な宗教が必要である。ロシアにはロシア正教があったのである。

ここで新しい時代に適応できなかった何人かの男と、その家族の苦悩を追っていた。 
冷戦終了後のロシアや東欧諸国で、旧体制のエリートが適応できなくなり、精神疾患やアル中に
なるケースが多いとは聞いていた。 ロシアではアル中で男の平均寿命が59歳。
そのアル中の何人かが教会の支援で立ち直った姿と、その後の葛藤を克明に映し出していた。
適応できない老人が、「ソ連時代は良かった」と何度も呟いていたのが印象的。
自由は、自由の刑といわれるほど、「選択と、責任という重い結果」が待っている。
自由主義に適応できない大衆にとって、社会主義を懐かしむのも理解できないこともないが。
国家は強くなくてはならない、というプーチンの信念は国家のトップとして正しい。
パスポート無しで国外に放り出されれば誰もが分かることであるが、突き詰めると、国家なのである。
次に家族、そして、自分である。 ジプシーなどの国家のない民族の悲哀をみれば理解できること。
新しい国家への生れ変ろうと模索しているロシアと、その混乱の中で翻弄される国民の姿を
冷静な目で捉えていたが、日本の将来の暗示も多くあった。 単一?民族に、多宗教の国の日本。
 道州制度も真剣に考えなければならない時期である。

・・・・・・・・・
2526, 閑話小題
2008年03月04日(火)

 *サブプライムローンと毒入り餃子*
タイミング的に丁度良く、サブプライムローンと毒入り餃子問題が重なった。
悪質な不良債権(毒)をミックスした債権を餃子とみると、あまりに似た問題である。
それもサブプライムはアメリカの格付け機関の保障入りで、世界の金融機関にばら撒かれており、
気づいていないところが多いから始末が悪い。サブプライムローンの問題をキッカケに、
アメリカにとっての生命線のドル本位制への不信が拡大、ドルの暴落はさけてとおれない。
これに変わって資源本位制度というキーワードが出てきているが、その資源の乏しい日本は大きな岐路に立たされる。
中国の冷凍餃子も中国当局が事の重大さを認識してないことが問題を更に拡大することになる。まあ、どうなることか?
 ーー
 *そういえば、去年の昨日は、次男の結婚式だった!*
取り立てて話題にするほどでもないが、去年の昨日、次男の結婚式であった。
結婚式は、ある意味でレジャー。晴れの出来事として全員で盛り上げるイベントである。
家というカタチが崩壊している現在に、この儀式は本人たちの人生の服装の一部としてしか
意味がなくなってしまった。それは当人にとって大きな区切りであり意味になる。
過去を振り返ってると、結婚式と、二人称、とりわけ両親などの身内の葬式と、
卒業式は人生の一大儀式になる。
親の立場からみると、最終学校を卒業させることと、結婚式を挙げることが節目になる。
 ーー
 *人生の節の作り方*
人生には節がある。その人によって各々違うが、大よそ7年か、10年サイクルになる。
その時、節をしっかり意識をして作ることが重要になる。その一番解りやすいのが、竹の節である。
そこでは圧縮された横ラインがある。竹がしなやかなのは、節があるからである。人生でも同じと言える。
それが人生を支えてくれるのである。時節到来の「節」で、アップスケール(脱皮)=変化の時である。
だから、ジックリと見据えて延長上ではない時間を作るべき時である。
その辺が、一般的には解ってないのである。それまでが横の時間(延長上の時間)なら、縦の時間とも言える。
 ーー
 *ある友人の死から学んだこと*
去年、高校の同級生がリンパ系の末期癌になり、あと半年から一年という内々の話が入った。
過去のいきさつから、親友というほどでもなかったが、私の出来る見送りをしようと決心。
少しでも彼の心が休まる本を何気なく読んでもらうことと、クラシックのCDを毎月病室に持っていくことを決めた。
彼は入院から8ヶ月後に亡くなったが、彼の姿を見ていて多くのことを学んだ。
希望を持つこと、そして、それに対して疑念を持たないで日々を明るく過ごすことである。
それ以外に、何があろうか? ということである。家族や周囲は疑念を持たせなかった分、気を使ったのだろう。
 それなら人生の普段の生活でも可能か、死など死んだ後に考えれば良いと、毎日楽しみの計画を立てて鼻歌を
歌っていれば良い。どっちみち誰もが死ぬのだから。ただ、自分だけは生きている限り死なないのだから。
死んでしまえば、それまでよ、でも少なくとも自分は死なないことは間違いないのだから、気楽にしていれば良い。
てなわけで、毎日楽しく過ごしております。はい!

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2007年03月04日(日)
2161, 昨日は息子の結婚式! 
      (~Q~;) おはよう?? ファ?、おはよう!♪? 
      
明治記念館で結婚式というので、そのHPを調べてみて格式の高さに驚いた。
嫁さんが学生時代アルバイトをしていた因縁で、二人でそこに決めた。明治神宮のエリアの中にあり、
由緒ある広大な屋敷を結婚式場にしている。何と昨日一日だけで30組の結婚式が入っていた。
何処を見ても花嫁姿であるが、それを決して違和感を感じさせない雰囲気がある。
出席者が50数名だが、二人の気持ちが全員に伝わった盛り上がった式であった。「格式ばらない楽しい会」が、
二人の希望というベテラン司会者の紹介もあり、笑い声が初めから終わりまで溢れていた。
出席者全員に家内と日本酒を注いで回ったが、全員が笑顔で挨拶をしてくれた。

明治憲法の草案を議論した歴史的な「金鶏の間」で、披露宴が行われた。
会場には「明治天皇が憲法の草案を議論している大きな絵」が掲げてあったが、
私の隣の席が明治天皇の座った場所で、そこで飲んだ酒は美味く気分がよい。
会場の壁に多くの「金鶏」の絵が描いたあったが、司会の説明によると、
「多く金鶏が、一つとして同じ方向をみていない、違う方向をみている。
これは、それぞれが違う意見を持つという、『自由の精神』を意味している」という。
明治初期に、そのコンセプトの壁紙の絵にするセンスに驚かされた。

最後の「花婿の父の挨拶」は、ハプニングのない内容のメモを読み上げるつもりだったが、着替えをしているうちに、
何処かに入れ忘れ行方不明。そこで内容を思い出してメモをしなおしたが、瞬時それも行方不明ということにして、
ハプニングを演出。 上手く締めた!(つもり?)家内はハプニングの演出がわからなかったようでで大汗をかいていた。
お世辞もあるが、「こんな素晴らしい結婚式は初めて! 楽しかった!」
と、何人かの人に声をかけられたから、本当に良かったのだろう。私の数十回の結婚式の出席歴の中で、
ベストである。(手前味噌か)多くのプラスの要素が重なったからだろう。
花婿系の親戚で、19時に会場から東京駅に移動。最近出来たばかりの駅構内の居酒屋で二次会。 20時52分の新幹線に乗る。
さらに長岡で23時から兄夫婦と行きつけのスナックで二時間カラオケで盛り上がる。結局就寝が、午前二時過ぎ。 
ハイの一日であった。明治神宮の結婚式で、もの珍しいということもあり、楽しみにしていたのも、盛り上がりの一因だった。
ところで、カタチの上では主催者は私だから、自画自賛の内容になるのか?、目出度いことなのでご勘弁を!
  
ーーーーーー
2006年03月04日(土)
1796, 超アメリカ整理日記 ?2                             
                Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning  
                      ー 読書日記
日本人のスタンフォードの留学者数はどんどん減っており、現在韓国の1/3、中国の1/5、
韓国との人口比を考えると十倍近くの差になる。これは日本にとって大問題である。
著書の中で、教育は経済の先行指標であると述べているが、日本の将来の大きな悲観材料になる。
カリフォルニアは、アメリカの中でも特殊な地域である。本書でも統計が出ているが、
白人の占める割合が46.7%(全米では69.1%)、黒人の占める割合が6.7%(全米では12.3%)である一方、
ヒスパニックの占める割合は32.4%(全米では12.5%)で、ヒスパニックとアジア系
(中国系やベトナムや韓国系)が圧倒的に目立つ国である。 ~~~~~ヾ(* ̄▽)_旦~~オチャドーゾォー♪
ー日米の比較を生活者の視点で書いてある箇所を抜粋してみると
・まず第一は、日本は店員が親切なことだ。 特に、女性店員が。
 アメリカの店員はそもそもサービスするという意識がないので、「客が頼んでお願いする」ようになる場合が多い。
・そしてレストランの食事のうまさ! 高級レストランのことではない。
 普段着でいける町中のレストランだ。値段はアメリカと比べて高い感じがするが、感激するような味が、それを充分に補う。
 私の評価では、イタリア料理では、イタリア以外ではニューヨークと並んで東京は世界最高水準だろう。
 また、中国料理では、中国以外でロンドンと同じ水準である。
・もう一つすばらしいのが、日本の都市では、電車とバスで何処にもいけることだ。
 つまり誰にも移動の自由がある。アメリカでは日本と同じ自由度があるのは、ニューヨークだけ。
・それでは日本がすべて良いかというと、そうではない。 気候という面では、カルフォルニアである。
 澄んだ空気の中のすばらしい夕暮れ。私は、夏の夕暮れがこんなにすばらしいとは、これまで知らなかった。
・もう一つは、農産物だ。特に果物。イチゴやリンゴが、これほどまでうまいものとは知らなかった。
 この違いは、日米の違いより、大都会と田舎の違いなのかもしれない。
 日本はサラリーマンと正直者が負担を負う社会である。とにかく、戦後社会はそうなってしまった。
              ε(´',_c')зβyё☆βyёε('c_,'`)з゛
 ・・・・・・・・
2005年03月04日(金)
1431, 「堤義明の逮捕」のショック

西武鉄道の会長の堤義明が逮捕された。角栄の逮捕ほどでないが、大きな時代の変わり目の事件である。
JOCの元会長で、西武ライオンズのオーナーで、西武鉄道グループの総帥で、日本では名実ともに経済界の
ナンバーワンの実力者の逮捕である。私が客室主体の客室のホテルを考え出したのは、堤義明の言葉のヒントからである。
「ホテルの利益の元は、あくまでシングルルームがベースである。また全てのホテルの建設の基本設計は、
潰しが効く(転用可能)ようになっている。客室の壁を取り払えば事務所ビルになる。」
それならオールシングルの客室のホテルにして、更に柱の少ない建物(鉄骨つくり)にすれば良いと考えた。
このテーマとは少し違うが。彼の経営手法では成り立たなくなったのか、大きな判断ミスをしてしまったのか。
一時代を築いた、義明の兄・堤清二、ダイエーの中内功、ミサワハウスの三沢千代治、と次々と消えていく。
西武鉄道グループは、日本では最も安定している会社と思っていた。いや安定していたのだろう。崩壊する時はこんなものだ。
ーーー
ー先日書いた、関連の内容であるー
「西武鉄道前社長の自殺と、カリスマ失墜」
以下は字数の関係でカット(2008年3月4日)

・・・・・・・・・
2004年03月04日(木)
1065. つれづれに-今日はお笑いの日ー2

ージョーク・ユーモア事典ー
<予言的中>
寝言で未来を予言する少年がいた。しかも少年の予言は百発百中。
ある晩のこと、父親が突然口走るのを聞いた。ーパパは明日の正午に死ぬ。
それからというもの一晩中まんじりとしなかった。仕事を休んで、かかりつけの医者にすっ飛んでいった。
しかしどこも悪いところはなかった。それでも心配で、精密検査をしてもらったが同じであった。
下手に動くと交通事故などに会うとまずいと自宅でジッとしていた。
刻一刻と正午が近づいてきた。ついに、時計が12時を打ち始めた。
と、その時コツコツと靴音がして、郵便配達人がやってきた。
その12時を打ち終わった時、郵便配達人はドアの前でバタリと倒れて、こときれた。

・・・・・・・
2003年03月04日(火)
699,「ホームレス作家」?2 読書日記

「ホームレス失格」しか読んでないので「ホームレス作家」は書評できないので、あるホームページの書評をコピーする。
周囲に実質ホームレス以下の人が多くいるー最下位5?だ。 周辺と家族にも見放され、誰にも認めてもらえず、
数度の自殺未遂の狂言がばれ、今もその辺を彷徨っている人間だ。
 もうじきホームページを持たない人を「ホームレス」という時代が来るだろう。
「ホームレス作家」 書評 
 ・・・・
石井 英和  評価:A
  ホームレス生活を心ならずも実体験しつつ著者は、彼等の日々が「はっきりと記すことは出来ないが、
もっと切実で狂おしい何か」への渇望に満たされていることを発見する。人類が太古の闇に捨ててきた筈の、
恐怖の叫びに満たされた心の地獄。その底へ落ちてゆきたいという倒錯した欲望が、実は万人の心の底にある。
だから人間は、無理矢理発明した「社会のシステム」を機能させ、それにすがって、やっとのことで命脈を保ってきた。
システムのほころびにはまりこんだ著者は、「自分は作家失格?夫失格?なおかつ浮浪者失格?」と
律儀に自問を繰り返しつつ彷徨い、この手記をものにする。
その視線の先、欠陥だらけの生を送る人間たちとその社会は、いつかもの悲しいコメディの様相を呈し始める。
世界は実は、一個の壊れたオモチャなのだと知らしめてくれる書。
 ----------- 
今井 義男  評価:B
  本書をホームレスの一般論として読むのは適当ではない。著者は現役の作家であり、
原稿を書く環境が整い、それを買い取る出版社があれば収入が見込めるのだ。
現にこうして本が出ている。住居を失ったとはいえ家族は施設で保護され、
なにかと気にかけてくれる人もいる。他のホームレスに比べればずいぶんと状況はマシである。
したがって、大変な事態には違いないのだろうが、著者の苦闘ぶりはどこか仮の姿のようで
あまり深刻な印象はない。本文中ボランティアや宗教関係者に対する強固な偏見が見受けられる。
他人が口をはさむ性質のものではないが、彼らがいなければ明日にでも生死にかかわる人たちが
いることにも目を向けてほしい。もの書きならなおさらである。本筋とは離れるが、
著者が三日でクビになったバイト先の<共同出版>の話は実に興味深い。 色んな商売があるものだ。
ーーーーー
「ホームレス失格」書評と概要
ーー
字数の関係でカット(2008年3月4日)

・・・・・・
2002年03月04日(月)
349、われ思う、ゆえに我あり

「われ思う、ゆえに我あり」この言葉をもじって、過去の哲学者がいろいろ書いている。
「われ意志す、ゆえに我あり」「われ笑う、ゆえに我あり」
「われ行動す、ゆえに我あり」「われ感激する、ゆえに我あり」 等々。
その中で「われ意志する、ゆえ我あり」がいい。意志するとは、人間の思考の基本といっていいからだ。
意志薄弱はその正反対の言葉だが、意志が固いはモノゴトをやり遂げるベースである。
「われ??する、ゆえに我あり」の??探しが一種の課題なのかもしれない。
今考えられるのは ーセックス、夢みる、感動、感謝、耐える、食べる、話す、恋愛、愛、働く、
死ぬ、いきる(生きる、活きる、・・)読書、創る、働く、遊ぶ、・・ いくらでもあるものだ。


2889,プーチンのリスト

2009年03月03日(火)

 一昨日の三月一日のNKKスペシャルの
「 揺れる大国 プーチンのロシア
 《プーチンのリスト ?強まる国家資本主義?》 」が、今後の世界の方向を暗示する内容であった。
アメリカもまたAIG、シティ、そしてGM?などを政府の管理下において建て直しを図ろうとしている。
  ーまずは、NHKのHPより、その番組説明をコピーしてみるー
オイルマネーの流入で、いちやく経済大国となったロシア。 去年秋の金融危機以降、
プーチン首相のもとで進む経済対策、支配の強化によって、財界はかつてない大混乱に陥っている。 
ロシア経済の繁栄を支えてきた外国資本が一気に去り、頼りは国家が貯めこんだ資金だけとなった。
ソ連邦崩壊後、市場経済化の中で急成長してきた新興財閥は巨額の負債を抱え、国の支援を受ける代わりに
国から送り込まれた監視役を受け入れざるを得ない状況に陥った。
プーチン首相は、国家が蓄えた巨額の資金を振り分ける企業を選別する「プーチンのリスト」の作成を指示。
財閥たちはリスト入りをかけて熾烈な争いを繰り広げ、そのことがプーチンによる財界支配を強化していく。
取材班は、リーマン・ショックの前から財閥に密着。
激動の瞬間をカメラに収めながら、ロシアの内部で起きている知られざる闘争と変貌を見せていく。
この20年、社会主義から資本主義へと転換し、国の財産を我がものとした財閥が跋扈した時代から
再び国家の統制する時代へと舵を切ったロシア。そして今、「プーチン流の国家資本主義」ともいわれる
異質な大国へ姿を変えようとする様を、経済の最前線の取材から明らかにしていく。
 ーーー
ロシアの富豪の昨年9月の金融恐慌の「前と後の段差」を時間の流れとともに追いながら、
ロシア経済のバブルの膨らみきった画面と、その後の生き残りの姿が生々しい。
1000億の個人の資産を持つ大男が個人の所有するジェット機内で、世界を駆け巡っている姿と、
金融危機を境にプーチンの国家管理の会社に自らを売り込まなければならない凋落の姿が、
現在のロシアを象徴している。 プーチンは財界支配を強化して国家資本主義をとって、
この難局を乗り切ろうとしている。
オバマが現在、チェンジと叫んでいる行き先も「国家資本主義」ではないか?と思われる。
異常の事態には国家管理を強化して戦時体制的で乗り切らないと、他国に隙に乗じられるしかない。
現在のアメリカが日本の預金・年金を狙っていることから見ても理解できること。
窮したロシアが北方四島を売るふりをして、何か引き出そうと画策を始めてもいる。
「日本は世界に先駆けて恐慌に入った」が、世界は踏みとどまれるかどうかの土壇場である。

・・・・・・・・・
2525, 国家を斬る
2008年03月03日(月)

「 佐藤優 国家を斬る 」 佐藤 優 (著), 宮崎 学,
                         ー読書日記ー
佐藤優のみならず、、イーホームズ・藤田東吾社長、そしてヤメ検の田中森一の本を読んで国家の腐敗、
特に官僚の腐敗の実態に、ただただ驚く。それが司法の検察まで及んでいるのだから救いがない。
元々、腐っているのが、露見しただけということも言えるが。
この本は著者自身の裁判経験を交えた公演とJR労組の活動や松崎氏への評価をJR労組主催の講演で語った内容をまとめたもの。 
宮崎学との対談を中心に著者の思想、言論展開もあり、国策捜査や外務省官僚の生態などを織り交ぜながら国家論を綴っている。
 思いもよらなかったことは、有償講演をしないとことだ。こういう捨て身だから、何でもいえるのである。
3桁の額の講演の誘いもあるが受け入れないのは、原稿を書かなくなってしまう恐れがあるから、という。
 この本の構成の内容といえば
・反権力自由主義者としての佐藤優/宮崎学
・「国策捜査」と時代の「けじめ」/佐藤優
・現代日本の官僚階級/佐藤優
・対談:官僚階級の相貌/佐藤優・宮崎学からなっている。

ー宮崎学の次の言葉が印象的である。
「佐藤は、国家権力による「国策捜査」の犠牲になり、それに抵抗することで反権力の立場に立つようになった。
といっても、かつての左翼にありがちだった<権力=悪>という先験的な反権力ではない。佐藤は国家主義者で、
国家が社会を正しく秩序づけることを考えているのであって、<権力=悪>とはとらえない。
しかし、<正しい権力>と<悪い権力>とがあって、国家は<正しい権力>にならなければならない、という国家主義者でもない。 
権力はつねに必要悪であって、悪い作用もするのだが、それも含めて必要なものだ、という立場なのだ」

ー著者の次の言葉も事実だろう。
「私が逮捕されたのは、私が鈴木宗男氏と親しかったからである。
警察は私の逮捕を突破口に外務省と鈴木宗男氏を結びつける事件を作りたかった」。
そして、それならば、鈴木宗男はどういう政治家であったかについて、
「小泉政権成立後、日本は本格的な構造転換を遂げようとしています。
内政的には、ケインズ型公平配分政策からハイエク型能力配分新自由主義の展開です。外交的には、ナショナリズムの強化。
鈴木宗男氏は内政では地方の声を自らの政治力をもって中央に反映させ、再分配をちゃんとする公平配分論者で、
外交的にはアメリカ、ロシア、中国との関係をバランスよく発展させるためには、日本人が排外主義的ナショナリズムに
陥ることはかえって国益を穀損すると考える国際協調主義的な日本の愛国者ともいえる。」
 ーー
この本に影響されて、図書館から「国家の罠」「国家の自縛」を借りてきたが、
あらすじ読みをしてみて、とにかく辛らつで面白い。
それにしても、佐藤優のすごい能力には驚かされる。

・・・・・・・・・
2007年03月03日(土)
2160, 今日は息子の結婚式! 
              、おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ
  
今日は花婿の父である。結婚式のその役割りの一つを演じるのも滅多にないこと。
その辺が面白そうだが! とにかく目出度いことである。 *⌒ヮ⌒*)ゞ        
 まずは、最後の来賓への挨拶のメモより
   ー新郎の父親の挨拶ー           m(_ _)m

新郎の父、堀井でございます。堀井家・高橋家、両家を代表し、お礼の挨拶をさせていただきます。
本日はお忙しい中、遠路はるばる 崇史、みな子両名の結婚披露宴に来ていただき誠にありがとうございます。
お忙しい中、ご出席いただきました皆様のおかげで、無事に結婚式を挙げることができましたことを、
心より感謝申し上げます。先ほどより、新郎新婦には、温かいお祝いの言葉、お褒めの言葉をいただき、
親としてましては大変ありがたく思っております。去年、崇史から結婚したいと話を聞いたとき、
子供だと思っていた息子が、やはり大人になっていたのだと感じた瞬間でございました。
嫁となるミナコさんを見て、私は人目で品性の良さと堅実な人柄を感じ、二人の結婚をすぐに快諾した所存でございます。
私自身は娘が欲しかったのですが、これでやっと「娘を持つ願い」が叶いました。「自分の家庭で平和を見出すものが、
もっとも幸福な人間である」といいますが、次男の崇史も、その点だけは大丈夫に育てたつもりです。
理想的な家庭人に必ずなることと思います。これから新しいスタートとなります二人に、どうか皆様のご指導、
ご鞭撻をお願い申し上げたいと思います。 本日は誠にありがとうございました。
 −−−
自分の息子が家庭を持つというのも不思議で複雑な気持ちである。
孫ができるち、何か自分が老けこんでしまう感じがするが・・(>ε<)
花婿の父の役割をただ目立たないように果たすことだ。 こういう役割、実をいうと好きである。
それも明治記念館なら、なお面白そうだ!
会社の社員の結婚式の挨拶で、一度もトチッタことがない。しかし自分の息子の場合は、どうなることか?
少しトチッタほうが場がもりあがるのだろうが・・やってみるか?
13時半過ぎに家族紹介、そして14時半に挙式。 (*'∇')/゚・:*【祝】*:・゚\('∇'*)
披露宴15時半、17時半?18時に終了。新幹線に19時半に乗車、21時半から長岡で二次会、23時半に帰宅!予定。
幸せな楽しい一日になりそうだ!  さてと、明治神宮に向け出発の用意だ! 
                  ヽ(゜∀Å)ゞ イケー!
・・・・・・・・・
2006年03月03日(金)
1795, 心に効くクラシック?2
   っω-)..。oо○(゚+。ぉレ£∋ぅ゚+。)  
                 ー 読書日記
ー音楽がもたらす効用ー

音楽がもたらす効用は多大なものがある。まずは感情伝達の効果をあげることができる。
私も音楽で何度か人生の危機を救われたことがあった。最後は目をつぶり静かにしているしかない時、
何げなくかけた音楽が心の底で魂を包み込んでくれた経験を何度かしてきた。
気分が滅入ったとき、励ましてくれる凛々とした曲を聴いているといつの間にか気持ちが立ち直っていることがある。
朝起きたときに庭の小鳥の声を聞きながら、軽やかなフルートなどの音楽を聴いて目覚めれば一日が爽快になる。
疲れを癒すような音楽を聴きながら就寝すれば、快適な就眠ができる。
その意味で心理状態のコントロールが音楽の選択ひとつで可能になる。
現在はCDなどがITで安価で手に入る時代、感情コントロールがしやすい。
我われは自我の成長にしたがい、親からも、世界からも、切り離された存在が思い知らされる。
生まれる時も、死ぬ時も自分一人であるという孤独感を抱え込む。
それは人間という動物が持つ不安である。分離不安といわれるものである。
それが母親の懐へ回帰しようという願いを抱える。それを音楽が深いところで慰めてくれる働きをする。
                               且_(゚◇゚;)ノ゙まあ、コフィーを!
クラシックは長い時代のフィルターを経て残ったものである。
ポピュラーは時代の限定を受けているが、クラシックは時代を乗り切ってきた普遍性がある。
音楽のプロの選択眼を乗り越えてきたものは信頼に足るものであるのは当然である。  
クラシックは一般的に欧州の音楽をさすが、なぜ欧州なのだろうか。
これは5線符は、他の文化圏の音楽をある程度書き取ることができる。
その反対に、日本の音符は楽譜に書き取ることは難しい。だから、多くの音楽の音を表現できる構造になっている。
人間は普遍的なものに近づく努力を常に何処かでしているが、音楽においてはその努力が、クラシックを
残していくことになる。その淘汰の中で残ってきたものを、われわれは今、「クラシック」として聴くことができる。
              ゚+.βуё゚+.(つ●_`*)ノ"
・・・・・・
2005年03月03日(木)
1430.危ない格言 5

・死後の世界は、もっぱら、まだ生きている人間専用にある。
 ーmy感想ー
死んだ人間のためにも、必要なのにね?
死後の世界を信じて死ぬのと、信じられないで死ぬのと、ドチラガよいかが,
その人の信仰の突き詰めた原点では? 信じたほうが気楽なのに。
 ーー
・釈迦は、水の上を歩いて見せるような奇術を弄さなかった。
インドにはその手の奇術を見せる輩が沢山いたので。
ーmy感想ー
存在していたかどうかさえ定かでないのに・・・まあ、やめておこう! 宗教は必要です。
 ーー
・信仰が確固として成り立っているなら、信仰の対象は実在する必要がない。
信仰が人間の精神、関係、社会統制にもたらす効果は、その対象の実在がもたらす効果は、
その対象の実在がもたらし得るかもしれないそれを遥かに凌駕する。たとえ、その対象が全能の神であろうと。
ーmy感想ー
「信じるものは救われる」ということか。
 ーー
・霊魂は不滅であってもかまわない。
さて、不滅を信じ、主張するものたちにとって不幸なことは、
それが何であるかを、彼等は全く説明できないということだ。
何だかわからないものは、勿論不滅であっても、なくてもかまわない。
ーmy感想ー
霊魂は言葉の中にもあるから、どう解釈してよいのか?
 ーー
・神というのは、信じる者たちの敬虔さと信仰を欠く者への強烈な敵意と
憎悪による脅しが除かれてしまえば、むしろ滑稽な観念のつぎはぎ細工にしか見えない
ーmy感想ー
イスラム教徒を、遠くから見ると全くその通りである。
キリストも、ユダヤも同じか?アブラハムとかいう人の発明品のXに対して、
 白・赤・土色が都合よく創りあげた宗教でしかないのに。

・・・・・・・
2004年3月3日 1064,つれづれに

つれづれにー今日はお笑いの日 
  ージョーク・ユーモア事典ー

<合い鍵>
小さい女の子が生まれて初めて母親とお風呂に入った。
そして母親の下半身を見てきいた。
ーあら、それってなに? ーこれはね、天国の入り口よ。
一週間後、娘は初めて父親とお風呂に入った。
そして父親の下半身を指をさしてきいた。
ーパパ、これなに? ーこれは天国の鍵だよ。
ー天国のドアを開けられるのパパだけ? ーそうだよ、もちろん。
そうすると娘は不思議そうな顔をして、父親の耳元に口を寄せてささやいた。
ーパパ・・・上の階のおじさんは合い鍵を持っているようよ。
・・・・・
<7歳の坊や>
 司祭館から出たとき司祭は小さな男の子がタバコをスパスパ吸っているのを目撃した。
ーおや坊や、タバコを吸うのはまだ早いよ。いくつだね? 7歳だよ。吸いはじめてもうだいぶんになる。
ーエッ、なんだって?いつから吸いはじめたの?
ー童貞を失った日さ。
ーいつのこと?
ーもう覚えてない。あの時はへべれけだったからな。
・・・・・・
2003年03月03日(月)
698, 「都都逸」の世界

・信州信濃のしん蕎麦よりも わたしゃあなたのそばがよい
・女房にいえない仏ができて 秋の彼岸のまわり道
・嫌なお方の親切よりも、好いたお方の無理が良い
・好きと嫌いとどれほど違う 命ただやるほど違う
若い頃に、このような都都逸を知りよく口ずさんでいた。今でも「その味わいに感激した」のが印象に残っている。
7~8年前まで、いまは亡くなったが、近くの不動産の社長と古町の料理屋で、芸者を上げて彼が都都逸を歌っていた。
なんともいえない雰囲気と味があった。 十数年通ったか?
インターネットで調べてみたらもっともっと味がある都都逸がでてきた。
何ともいえない味がする。そろそろ小唄か都都逸を年増のお師匠さんのところに習いにいく歳になってきたのか? 
芸者でも上げて座敷で歌ったらおつなものだろう。

・都々逸は「七七七五」の二十六字詩。どどいつの起源は、寛政十二年(1800)
名古屋の宿場遊里・東海道宮の宿のお仲という熟女が唄い始め、三十余年
経て東漸したというのが定説である。名古屋市熱田区伝馬町裁断橋のそばに「都々逸発祥之地の石碑がある。
その囃し詞 から、どどいつ節といわれる様になったという。

・お酒飲む人しんから可愛い 飲んでくだまきゃなお可愛い
・淋しがりや一本提げて 淋しがりやに逢いにくる
・私にはしらふで言わせてそのくせずるい あなたはお酒に言わせてる
・可愛い女の寝顔にただの 水がしみじみうまい夜
・弱虫がたった一言ちいちゃな声で 捨てちゃいやよいった晩
・9分と9分と互いに許した心と口に はっきりいえないあと一分
・朝から嬉しく立つ茶柱に 逢える布団を陽にあてる
・酒の相手に遊びの相手 苦労しとげて茶の相手
・赤い顔してお酒を飲んで 今朝の勘定で青くなる
・諦めましたよ どう諦めた 諦めきれぬと諦めた(伝:都々逸坊扇歌作)
・あついあついと言われた仲も 三月せぬ間にあきがくる
・色はよけれど深山の紅葉 あきという字が気にかかる
・色が黒うて惚れ手がなけりゃ 山のカラスは後家ばかり
 
 (以下字数の関係でカット09年03月03日)
http://www.ne.jp/asahi/rokusekitei/kamigata/doditu.html

・・・・・
2002年03月03日(日)  
348,否定の否定の落とし穴

「マイナス言葉+ない」という言葉のトリック。「苦しくない」「悲しくない」・・・
これは意外な落とし穴がある。否定語を否定するとプラスにみえるが、それが常態になると、否定語が勝ってしまう。
私の嫌いな「子狐」を例にとる。否定を否定しているが、そのうち子狐が勝ってしまうのである。
悪貨は良貨を駆逐するのは真実だ。悪貨から離れるしかない。
従ってどうしたらいいか。父が教えた「近所の人と親しくなるな!」である。
これ以上書くと差し障りがあるから、書いてはいけないが。
近所は否定語の最たるものだ?ー意味深長! 空間は早々変えることができない、真空にしておくべきだ。
一年に一度ぐらいが最高レベルの付き合い限度と、ある本に書いてあった。
言葉は難しい、そのトリックに知らないうちに落ちてしまうからだ。人間関係も然りだ。
「いやよいやよも好きのうち」の最たるものだ。嫌いなら離れるべきだ。人間にもプラスとマイナス要素をがある。
プラス要素の多い人となるべく付き合うべきだ。
マイナス要素(多い)の人は長期的に付き合っていると、必ずマイナスの毒を飲まされる。今更いうことがないが。
よどんでいる所、人にはガスが溜まる。
マイナスの要素の否定は、その否定よりマイナスが勝ってしまう。
更に否定そのものが、マイナスの加勢する。


2888, 天地人と先祖

2009年03月02日(月)

 現在、「天地人」を日曜日の20時の連続ドラマで放送している。
NHKの、このゴールデンタイムのドラマは20年来見なかったが去年から観始めた。
今年は地元越後の上杉家・家老の直江兼継が主人公で、先祖の縁があるので面白い。 
 堀井の家系は小父谷市近郊の片貝に、30代近く続いた総本家がある。
4代前の祖先が江戸末期に長岡に出てきたと子供の頃から聞いていた。 
その堀井家の総本家に父が亡くなる数年前に訪ねていったという。 
ご先祖様は上杉謙信が亡くなった後の起きた御家騒動【御館の乱】で負けた影虎の家来で、
その火中に小父谷郊外の片貝の池津の村に落ちてきたという。その屋号が実家の池津屋の屋号になった由来である。 
その争いの勃発の場面が、昨夜の「天地人」にあった。 何か先祖の霊の目で見ているようで、微妙な感覚であった。 
直江兼継は御館の乱の勝者の上杉影勝の家来。私の祖先は負けて小父谷の郊外に落ちた方。
 堀井を更にたどっていくと平家の落武者という。 堀井の姓を20数年前に図書館の電話帳を調べたら、
上越市と富山と岐阜県に堀井の姓が多かった。 それからみて、その元は平家の落人ということになる。
私が新潟で商売をしていることから、京都、岐阜の高山、富山、上越、小父谷、長岡、そして新潟と
流れが続くことになる。ちなみに合併前の旧長岡市の堀井の姓は7〜8軒しかなかった。新潟市内も数人しかいない。
ドラマとしても影虎と影勝の対立の場面は他人ごとではなかった。 大筋以外は創作でしかないが、
どちらサイドの感覚で観たらよいのかおかしな気持ちも事実。  次回が戦いの場面になる。
ー下書き後に分かったことだが、この随想日記で6年前の(3月01日)の、偶然に、先祖のルーツを取り上げていた。 
    面白いものだ。

・・・・・・・・・
2524, 酒は涙か溜息か 
2008年03月02日(日)

「酒は憂さ晴らしに逆効果 」ー東大がラットで実験ー
という記事が先日の地元紙に載っていた。
ーまずは、その内容をー
憂さ晴らしに酒を飲んでもむしろ逆効果?嫌なことを思い出した直後にアルコールを摂取すると、
かえってその記憶が強められることを松木則夫東京大教授(薬理学)らがラットの実験で見つけ、
28日までに米専門誌の電子版に発表した。人の場合なら、嫌なことを忘れようと酒を飲んで一時的に
楽しくなっても、翌日には楽しいことを忘れ、嫌な記憶が強く残ることを示しているという。
松木教授は「酒を飲まずに、嫌な記憶に楽しい記憶を上書きしてしまうのが良いのでは」と
“しらふの気分転換”を勧めている。 実験で、かごに入れたラットに電気ショックを与え、
恐怖を学習させると、かごに入れただけで、身をすくめて固まるようになる。
チームはいったん固まった直後のラットに飲酒相当のアルコールを注射した。
 その結果、注射しないラットと比べると、かごの中で固まり続ける時間が長くなった。
その効果は2週間続き、記憶が強くなったと判断されたという。(共同通信社)
 ーー
以上だが、20年以上前になるが、ある取引先の営業の人に
「私は、不味い酒は飲まないことにしている。自棄酒とか、気分を紛らわせる酒は、ますます気分も体調も悪くする。
楽しい酒を選んで飲めば気分は更に良くなるが、その逆を金を出してすると逆効果になる。」と言われた。
そして、その日以来、忠実に守ってきた。
10年ほど前に、高校の同級生に「おい堀井、御前な?自室でな酒を飲んで、二日酔いをした経験をしたことがあるか?」
と言われ、そういう経験の記憶は殆どない。色々の挫折の末に独りで部屋に篭って飲みざるをえない酒の味を
言いたかったのだろう。そいうば私の好きな歌に古賀政男の「悲しい酒」がある。
1 酒は涙か 溜息か  心のうさの 捨てどころ
2 遠いえにしの かの人に  夜毎の夢の 切なさに
3 酒は涙か 溜息か  かなしい恋の 捨てどころ
4 忘れた筈の かの人に  のこる心を なんとしょう
 「かの人」を、「かの憂さ」、「恋」を「傷」と置き換えると、中小企業のオヤジや、
 サラリーマンの赤提の憂さ晴らしと同じになるか! これを歌っていると何とも面白く楽しくなるのは如何いうこと?
 飲まなきゃ、やってられないことはよーく解るが!
 「しらふの気分転換」じゃ晴れないから飲むんじゃないか!ったく!! ってのが、おちか!

・・・・・・・・・
2007年03月02日(金)
 2159, 閑話小題  (o_△_)oゴロン
             (o_ _)o.。o○グー オハヨ?
*都知事選が面白くなった!*
 ・都知事選に前宮城県知事の浅野氏が立候補の意向を表明した。
  これで見ている分には面白くなってきた。石原知事は批判があるにしても、名知事である。
  少し変節したが許容範囲である。しかし浅野に代わるのもタイミング的に良いのかもしれない。
  二期で充分と言えなくもない。これで三月・四月の面白いイベントが更に一つ加わった!
  石原都知事も浅野氏が出てくるとは思ってなかっただろう。 一番手ごわい相手である。
  浅野の方が勝ちそうな気がするが、実績からみて五分五分だろう。
  首都圏の為にどちらが有効なのだろう?まあ、楽しみが一つ増えた! 
   浅野氏勝ったらゼネコンは一大事だろう。談合が更に厳しくなるからだ。
     ーー
*中国発、世界同時株安*
  この言葉は何処かで聞いたことがある。同じような題名の本の題名が数年前から本屋の平台に積んであった。
  今回の下げは地震に例えるならば、前振れの余震だろう。それが数度つづいた後に、本格的な大地震がくる。
  現在の世界経済は、一度清算をしなければならないところにきている。
  以前は、世界大戦というカタチで清算してきたが、それができなくなってきた。
  今は株や債権の暴落から大恐慌が発生、それがキッカケで破壊がおこなわれる。
     ーー
*新潟駅周辺が変わり始めてきた*
 日本海側初の政令都市へ移行にともない、新潟駅周辺も変化を始めてきた。
 今日明日中に新幹線改札口近くの専門店街大改装と、その至近距離にあるやはり大型ビルの地下と
 1Fに大型書店など合計1万平米が開店。駅から6分ほどにある万代シティーのSCのダイエー跡も今日、開店。
 合計一万数千坪の商業施設が新たにオープンするのだから、雰囲気は一変するだろう。
 今までが、郊外のSCに押されて、駅周辺が寂れる一方だったが、これで駅再開発工事も始まりやっと明るさが見えてきた!
                 (o ・д・)ツ  バイ!        
・・・・・・・・・
2006年03月02日(木)
1794, 超アメリカ整理日記 ?1
       (o´・ェ・`o)♪ぉはょぅ  ー読書日記

ースタンフォードから日米をみると・・・ー

野口悠紀雄氏がスタンフォード大学客員教授時代に週刊ダイヤモンド誌の
2004年5月1・8日合併号?2005年4月16日に連載したものをまとめたもの。
米国生活からみる日本の政治経済システムの貧困を説いている。
政治経済学者の視点で、米国と日本のシステムの差異の分析が解りやすい。   
現在の日本の国際競争力の低下、高コスト構造、年金制度、など、社会システムの非合理性を指摘している。
イケア、マイクロソフト、トヨタ、米国デトロイトの盛衰なども登場。経営、経済、経済システムや、
荒涼とした大地に、都市と生活とクルマ社会のアメリカのシステム。
それに対する、日本という国土の狭い国の諸処にシステムとの比較、それによって、浮かび上がってくる
システムの矛盾の指摘がわかりやすい。         ~~旦_(^O^ ) コフィーどうぞ!
 ー印象に残ったところを幾つかあげてみるー
p.43 「能力に応じた役割分担」こそ、アメリカ社会の能率を支える基本的なメカニズムなのだ。
p.190 日本で所得を得て海外で生活すればよい
   →日本の高い物価を回避する手段。年金生活者にとっては、不可能ではない。
     ただし、現地のコミュニティに溶け込むことが、重要。
p.204 伸びる中国、追うのは日本ではなく韓国
→スタンフォード大学に留学生数では、中国人がトップ。
現在、2番手は日本ではなく、韓国。ここ10年で逆転されている。
日本の資源は人材であると考えると、将来が不安と指摘。
米国のトップスクールで学んだ経験とそのときの人的ネットワークは、
ビジネスをする上で非常に有利に働くと考えられる。
これらを考えると、10年後の日本はどうなっているのだろうか心配になる?
p.237 まともに生きる人間が正当に報われるアメリカ社会
p.245「人間の時間間隔は、<新しい経験をどれだけしたか>によって決まる」
 
最近の野口悠紀雄氏の本は、ほとんど目を通しているが、
この本は実際のアメリカ滞在者の実感が正直に書かれていて説得力があってよい。
自己制御がきかなくなっている日本の現状は、一歩外からみると鮮明にみえるのだろう。
                [○´・ω・]ノ ヂャァネッ
・・・・・・・・
2005年03月02日(水)
1429, 中年クライシス(中年の危機)の悲劇

岐阜で57歳の父親が子供と孫と犬を道ずれに心中を図った事件があった。
以前から、随想日記で書いてきた「中年クライシス」の暴発である。母親の痴呆と、長男の問題、
病気、職場の関係、犬の世話等々で、自分の神経をやられてしまった典型的な事例である。
そういえば、十数年前の私の環境に似た環境である。海外旅行と、精神療法系の本を読んでいたので何とかのりこえた。
40代後半から60代前半は、こういう問題が誰にも押し寄せる。見せているか見せていないかだけである。
その中で一人でする、スキップと鼻歌は、背中に大きな荷物がある為か演歌調になるが。
真面目な人ほど、ある日突然爆発する。その処理法の知識がない上に気弱だと、尚のことである。
この人の趣味は警察犬の調教とTVでいっていた。それでも苦しみを乗り越えることができなかったのだろう。
外的適応に疲れ果てた末路といえばそれまでだが、人生の転換期に、内側に対して目を向ける術を知らなかったのだろう。
深い洞察に裏づけされた内的適応が必要だったのだ。痴呆症の親族と同居は、苦しみの底に落とされてしまう。
直接原因はこれだろう。 以前、読書日記に ー『心』の出家ーの感想文を書いた。
後でコピーしておきますが、 その一節の言葉が印象的である。自分の周囲に張りめぐらした垣根(ペルソナー仮面)
を取りさることである。神吉拓郎の「金色の泡」の中での主人公欣吾と従兄弟の会話で以下を語らせている。
 ー文雄がいった。
「俺、発見したんだ」「なにをさ」「40にして惑わず、という言葉があるだろう。騙されてはいけない。
 あれは偉大なる皮肉なんだ。本当はそうなんだ」「どうして」「とにかく、そうなんだ。40前には、
 迷うことなんかないよ。 夢中だよ。世の中に出たばかり、目がくらんでいるか解らない。
 あり合せの目標に突っ走る。一段らくしたときが一番恐い。40をすぎた頃に初めて迷いが出るんだ。
 今まで何をしてきたのだろうか気づくんだ。え、そうじゃないか。迷いが出てきただろう」「そういえば、そうかな」
「迷うのは、40からなんだ。それが本当だよ。恐らく、死ぬまで迷い続けるんだろうと思う」
「迷わない奴だっているだろう」「そんな奴は、一生馬鹿なままさ。しあわせという言い方もあるだろうがね」
ペルソナ(社会的仮面)は必要なものである。それは一定の効果を持つし、社会を渡って行くために不可欠かもしれない。
しかし、その仮面を剥いで生きたいと、こころの奥に思っているものだ。
そのことに気づき、生き方の大転換を図るのが、こころの「出家」なのだ。
ペルソナについて、ユングは、外部に対する適応とか、やむをえない便宜とか理由から生まれてきた一種の
「機能コンプレックス」であるという。それは個性というものとは違うものである。
安定したペルソナの下に。常にそれに影響を与え、それを脅かす内的世界が存在している。
ーー
誰も、この一家心中の中年男の心を知ることが無かった。タマタマ犬の調教で、TVのニュースの映像が流されていた。
真面目な、気弱そうな、何処にでもいる善人面をしていた。
私の解釈では、・真面目な、・気弱そうな、・善人面ということが、問題全てを一人抱え込んでしまった。
誰に聞いても、優しい良い人だというところに問題があった。それ故に、母親と長男の問題と、職場の配転とか、
犬の調教の疲れなどの全てが、長年にかけて山積になった。良い人というペルソナを、脱ぎ捨てるとかができなかったのだ。

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2004年03月02日(火)
1063, 高級1DKマンション?1

 高級というよりアッパープライスのマンションという表現が適当だが。
最近インターネットで、最新型の1DKマンションをネットサーフィンをしながら調査をしている。
そして面白そうなものは、資料を取り寄せている。特徴としては、多くのホテル並みのサービス機能がついているものが多い。
もちろん、高速インターネット付である。イメージとしては「スタジオ・マンション」という感じである。
ホームページを見ていると、何か別世界に入り込んでしまったような錯覚をしてしまう。
情報化社会の時代の新しい空間とは、こういうカタチと見せつけられたようだ。 
またソフトハウスとしても利用可能のようである。特に新橋や品川や山の手周辺に多く、
一室で月20万?70万もする。ホテルの1泊3万の部屋を月契約で2万円にしても、月60万になってしまう。
ならば少し高くとも、長期滞在専門の本格的な1DKが求められて当然である。
大規模のものが近々、品川にオープンするが、都心だから入居者があるのだろう。
買って、そこに縛られるより、こういうところを渡り住んで楽しんだ方が良い。面白い時代になったものだ。
古ビルを買って、情報・サービス機能付き空間に大改築をするのも面白い。
時代の変化に合わせて、既存のものを変える事業も出てきているようだ。
組み合わせを変えることによって、新しい価値の創造をするデザインが現在求められている。
ホテルプロジェクトを1DKに集中? 「高度化」がキーワードになる。

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2003年03月02日(日)
697, ルーツー2(縦人脈)

ーその資料によると
 先祖を遡ると「平家の侍」であったが「源平の戦」で負けて、落人となって富山から上越と逃れてきた。
そして「上杉家の家来」になった。上杉謙信の時代に、上越の高田の先にある新井市の郊外にある「鮫ヶ尾城」
という出城の城主であった。謙信の死後、跡目相続の争いの「お館の乱」に巻き込まれて、小千谷の郊外の
片貝の近くの「池津」の村に知人を頼って逃れてきたという。その時の先祖の名前が「堀井宗親」と
「堀井四四太郎」という。一緒に逃げてきた名前が馬場、小黒、大矢とか。
その後、そこで百姓をしていたようだ。ルーツというほどのものではないが、平家・上杉という流れと、
関西ー富山ー新井ー小千谷ー長岡の流れがある。また、武士ー百姓ー商人という流れも時代によって変わってきている。
金沢にいた時(25歳)によくいった店が落人焼きの「平家」であった事を思い出した。
また第二新館の鉄骨が富山の「堀井鉄工所」であった。その検査に富山に行った時に会った社長は正しく「堀井ヅラ」。
その時入った食堂の電話帳で堀井の名を調べてみたら、三桁に近い堀井の姓があった。
上越市も新井も小千谷も本当に多いのだ。長岡は10あるかないかで、新潟市では数人だけ。
20年近く前に家内と子供と、ドライブがてら鮫ヶ城に行ってきた事を思い出した。
車を止めて独りで歩いて城跡に行ったが、そこに立った時に何ともいえない気持ちになった。
何か昔の記憶が沸き立ってくるようなフワ?という感覚で、何かオーラに包まれたような
気分である。この気分は柏崎の「極楽寺」に行った時に同じ気分になった事があった。
そこで亡くなったある僧の墓を訪ねた時だった。人間の脳には全く知られてない領域を感じた瞬間であった。
家のルーツ探しから500年ー1000年スパンの鳥瞰ができたのが最大の収穫だ。
それと「自分とは何か?」を考える一つのヒントになったことだ。

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2002年03月02日(土)
347,心の陰

人を指さしたとき、他の指は全て自分のほうを向いている。 人を非難するのは、
結局自分の影を非難しているに過ぎないことを、いっているのだ。「他者認識は不可知」という論がある。
ー他人のそれを認識はできない、認識したらもう他者のそれでなく 自分のそれを認識しているに過ぎないー
これが理解できるかどうかで、「人生に背負っている人間関係の重荷」が半分か三分の一に軽減する。
特に「嫌いな人間」に対しては「自己の嫌いな部分」をみているにすぎないからである。
自己脱皮のできない「子狐」どもを嫌っているのは、今でも脱皮できなかった自分の部分を見ている。
自分もその「子狐」で、少し程度がいいだけだからだ。
私の嫌いな「教養のないオバサン」結局教養のない現実志向も、自分のある一面であるからだ


2887,日本は輸出立国か?

2009年03月01日(日)

野口悠紀雄は、その著書で、
「アメリカの金融立国に対応して、日本も円安に誘導して資金をアメリカに供給し、
かつ円安メリットを最大限利用して輸出立国をつくりあげた。 金融恐慌は日本も同罪である」と断じている。
しかし統計の数値からみて、果たして日本が輸出立国かという素朴な疑問が生じるのも事実である。
他国のGDPの輸出比率をみてみると、意外なデーターがある。
・中国 37パーセント
・韓国 37パーセント
・ロシア 30パーセント
・欧州平均 50パーセントの数字。(中は大きなばらつきがあるが)
・原油輸出国のクエート 56パーセント。 他の産油国では90以上だろう。
  対して日本は 15パーセント なのである。間違いだろと思ってしまう数字である。

 これからみると、日本は輸出立国と果たしていえるのだろうか。
しかし輸入も13〜4パーセントがあるので、輸出は必要である。
特に資源輸入国なので、それを稼ぎ出さないければならない。
他の先進国は、天然資源や食料があるが日本にはないので車や電子製品などを輸出して、
それを輸入でまかなうしかない。石油などのエネルギーを20兆円、食料6兆円の輸入は必要。
したがって、少なくともそれだけの輸出を確保しなければならない。
食料自給率が40パーセントを割ったことも、日本にとって不利である。
食料輸入国と割り切って、それを他でまかなえばというが、戦略的輸入制限をされる可能性がある。
日本はバブル崩壊後に、自動車と電機製品を牽引車として日本経済を支えてきたことも事実。
島国の日本は、やはり輸出産業を中心にしなければならない。  それからすると輸出立国である。
 今まで通りのアメリカの属国として与えられてきた恩恵がなくなりつつある日本の舵とり、
 日本の政治の質があまりに貧弱なのは現在の混乱をみれば分かるが・・・

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2008年03月01日(土)
 2523, 賢人の知恵 ?2

 面白そうなところを幾つか選んで、考えてみる!
 人間や、それを構成している社会などは数百年経っても、簡単に変わるものではない!
 人間は全て、飯くって、?!して、寝て、死ぬのだからだ。    
    ーー
“知恵を備えていることが最大の幸運であり、それがないことが最大の不運だ”
 ー解ー 知恵は知識が醸成され出てくるもの、そうでないのは浅知恵でしかない。
“言葉は飼いならされてない野獣と同じ、一度解き放つと戻ってこない。”
 ー解ー 全く、これでどれだけ無駄をしてしまったか!
“第三者の悪口を言うのは、下手な駆け引きでしかない。”
“運のいい人を見分け、ついていない人からは逃げるに限る。”
“大事なのは知識より知人である。”
“落ちぶれた人とはかかわりを持たないほうがいい。”
“友人に貸しがあるなら、つまらないことで返してもらわないこと”
“うそをついてはいけないが、すべてを明らかにする必要もない。 ”うそも方便だが、その方便がつけないから・・・?
“敬愛される立派な人と行動を共にしていれば、その威光のおかげで、こちらまで輝いて見えるのだ” 
 と言う反面次の次のページで、“「自分より光っている人は、・・相手の方が常に注目や栄光を集め、
 こちらはそのおこぼれにありつくだけだ。・・自分より優れた人とではなく、平凡な人と肩を並べて歩くこと”
 “平凡な人と付き合おう。自分より優れた人と一緒にいると自分が目立たないから。”など、矛盾もしている。
 “みんなが王になれなくても、一人ひとりが王にふさわしい行動を目指すことが可能だ”
 ー解ーこれが少し分かりかけたのが、ごく最近になってからだ。神と言い換えてもよい。
“自分という作品を完成させようではないか”
 ー解ー この人は、牢につながれたのが完成か?でも、この方が素晴らしい!
”賢人は、何ごとも偶然はないことを知っている。ただし運命に身を任せるより、
 自ら運命を切り開いていく人になろう。
 よく考えればチャンスに敏感でいること以外に成功の道がないことがわかるはずである。”
 ー解ー 何がチャンスか、それを常に問いかけていないと敏感になれない。
“持てる資源を一度に使い切らないこと。今の境遇を保ちたいなら、後方に備え・蓄えを用意しておこう。
 失敗の恐れがあっても、利用できる援軍があれば力は倍になる。後方部隊は、前線より重要といえるだろう。
 彼らは信頼と不屈の精神で成り立っているからだ。常に大事をとることを考えよう。
 ー解)当時の彼に孫子を知るはずもないが、孫子の兵法と同じことを所々で述べている。
“人には七年ごとに転機があるという。これを精神向上のためのしよう。
 最初の七年は知性の誕生で、その後七年ごとに新しい美徳が輝いてあらわれるのだ。
 この間に起こる変化を意識して、うまく手助けしよう。 変化は新しい地位や仕事などの形で
 ごく普通にあらわれるかもしれないが、かなり大きくなるまで気がつかないときもある。
 人は、二十で孔雀のように気どって歩き、三十で獅子のように吠える。
 四十で酪駝のように節制家となり、五十で蛇のような陰険さを身につける。
 六十はくだらない犬、七十はする賢い猿、そして八十は……、何も言うまい。”
 ー解)ーくだらない犬のとしになったか? それにしても辛辣である!

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2007年03月01日(木)
2158, 幸福に驚く力 ?4
          (~Q~;)  おはよう?? キョウハ スゴク サム? 
 
ーまずは、要点の抜粋から

 *日常の幸福に驚く力*
何かを買ってもらった喜びと、何処かに連れて行ってもらった喜びを除いた、子供時代の一番幸福な思い出は
何だろうかと考えると、チョッとしたことの中に喜んだことを多く発見することができる。
つまり日常にあるそういう幸せをしっかり受け取る力が子どもにはあるのです。しかし、それを放っておくと、
イベントや買い物の方にいってしまう。そういうものに邪魔をされて見えなくなってしまう。
そして「凡庸で退屈なことは悪だ」という情報社会の空気の中で自分たちの日常なんてつまらないものと
思い込まされていく。そういう力が今、私たちに色いろなカタチでのしかかってきている。
そんな中で子どもの文学は、日常の中にある幸福に驚く力を培ってくれるのです。
問題は、そういう物語を手繰りよせる力が弱まっていることですね。
とにかく、いつの時代でも、読み書きはちゃんとしておいて欲しいですね。
読む力が衰えてきますと、先人の残した素敵な日常の物語、幸福物語が、手元に手繰り寄せることができなくなります。
数々のそういう物語がすぐ傍らで手が伸ばされるのを待っているのに。そうなると、一人一人がただ孤立していきます。
 解)昔の日記を読んだり思い出など過去を振り返る時「そこにある日常に、むしろ面白い深い人生の意味が含まれている。」
という視点で見直すと、過去が違って見えてくるから不思議である。
その時の淡々とした日々のちょっとしたことの積み重ねが人生なのである。
そのことに気がつけば、現在の日常のチョッとしたことや、何でもないことの中にある幸せに気づくことになる。 
何故そのことに気づかないのだろう?それは「自分が物語の中で生きていることに気づいていない」からである。
もし本人が不幸と思っているある日のことでも、冷静に振り返れば幸福が背後にあったことに気づくはずである。
 
 *凡庸や退屈が悪と思わせられる社会*
「これから入っていく情報化社会は、価値観が相対化され、思い軽いがない、みんなのッぺらして凸凹のない社会になる」
「この社会は、物珍しく刺激的なことが善とされ、凡庸な退屈なことは悪とされる」と西垣通がいっていた。
 解)『「凡庸や退屈が悪と思わされる社会」が悪い!』というのも、『いや二度とない人生、凡庸は「悪い!」』というのも、
 所詮はそれぞれの人の判断で、相対的なことでしかない。でも、内省してみると、凡庸を悪と思ってきた傾向があったようだ。
「二度とない無い人生!悔いの無いように生きるべし」が人生と信じるなら、凡庸と退屈な日々を否定する人生になる。
 それも相対の世界観でしかないが。

 ー字数の関係でカット(2009年0301)
 
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2006年03月01日(水)
1793, 心に効くクラシック
   ォ'`ォ'` 。+゚ヽ(。・c_,・。)ノ゙。+゚ォ'`ォ'`  ー読書日記
 ー深夜のクラシックー
              ー字数の関係でカット(2008年0301)
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2005年03月01日(火)
1428, ワインの話?1
 思索紀行ーぼくはこんな旅をしてきた  ー読書日記

飛行機の中や、ホテルで国ごとのワインを飲んできたが、ー美味い、不味い。辛口、甘口。酸味の濃厚さ。
口当たりが良い、悪い。香りの良し、悪し。白・赤・ローゼー位の語彙しかなかった。
勿論、一万円を一本飲むより、1千円を10本飲んだほうが良い。
サエゼリアのグラスの一杯80円のハウスワインで良しと思っている
ようでは、何おか言わんやだ。ハウスワインとして割り切っていれば、それで充分だが。
この本を読んで、一本数万、いや数百万のワインを飲む意味が少しは解ったような気がした。
ワインに対する知識は、昨年ウィーンに行って少し聞きかじった位だ。
「良いワインを飲む回数が重ねた分だけ、少しは味がわかってきた」と思っていた。
しかし立花隆のこの章を読んで「何も解ってないということが解った」。
映画で、金持ちが地下にワイン貯蔵庫を持っていて、それを一人密かに飲むのを楽しみにしている
場面を見たことが何回かある。欧米の大金持ちの道楽の一つになっている。
欧州の紹介番組みで、ワインの酒蔵の醸造オーナーが、数十年前の取って置きのワインをレポーターの飲ませる場面を見た。
レポーターは涙を溜めてその美味しさを話していたが。この本で知ったことだが世界のワインの有名産地に殆ど行っていたのだ。
南アフリカ、スペイン、ドイツ、チリ、イタリア、フランス、オーストリアなどなど。
この知識があったら、その楽しみも増えたのにと残念至極である。「人生は知らないということを知るプロセス」だが。
知らないということは多くの経験の機会を損失をしていることになる。それも一生を終える時に、つくづく実感をするのだろう。
これから書く内容は、この本の第三章「『ガルガンチュア風』暴飲暴食の旅」のワインについての記載をまとめたものである。
20年前に書かれていた文章に解りやすくワインの話が書かれていた。その内容を、知識として貯蔵するために簡略してまとめた。
ーーーー
ワインには、AOCワイン(原産地表示ワイン)と、ハウスワインに分けられる。
欧州の一般の人は、殆んど普段は安いハウスワインを飲む。フランス国内では、前者は一本千円単位、後者は百円単位である。
といって、日本で売られている不味いワインとは全く違う。毎日千円単位で飲めるほどフランスは豊かではない。
欧州では、ワインはがぶ飲みをしてはいけない。特に高級ワインほど、深く味わねばならないとか。
・単に味覚で味あうだけでなく、
・目で見て色を味わい、
・香りを味わえという。
・更に、プロや通になると言葉で味わいを表現しなくてはならない。
その表現法も様式化していて、そのための用語集もあるという。まずワイングラスに注いで、
それを光にかざしてみる。色を見る。色の表現だけで、数十種類もの表現がある。                 
                 ーつづく
・・・・・・・
2004年03月01日(月)
1062, 「まず街灯の下を探せ」

野口悠紀雄の「超」整理日記「デフレとラブストーリーの原則」の「まず街灯の下を探せ」が面白!
?暗い夜道を歩いていて、鍵を落としたことに気づいたとする。
どこを探せばよいか ?物理学者のアドバイスは、「まず街灯の下を探せ」ということだ。
数学の試験問題を解くには、この「街灯の下原則」に頼るしか方法はない。
「当面している問題は、過去に解いたどの問題と同じタイプか」と考え、それに当てはめて解くのである。
最初の発見者は十分な時間をかけたはずだ。それと同じことを、限られた試験時間内にやるというのは、無理なのである。
つまり、「学校の数学は暗記」ということだ。必要なのは、問題のパターンを覚えることだけである。
「自分で考えて解かなければならない。しかし、私にはできない。
だから、私には数学的な能力がない」と思い込んで数学から離れていく人が何と多いことだ。
暗記した問題のパターンに当てはめれば解けると確信すれば試験の成績はよくなる。
事例問題を暗記しておくのがよい。 「街灯が事例問題」の例である。
ー以上であるが、
まずは知らない街に行ったとする。そうすると、何かの本かのTVか雑誌で聞いたことがある店に行く。
知らない店に行くより外れの確立は少ないだろからだ。経営でも考えられる。
何かを新規にしようとしたらベストの事例(灯り)を見つけ、その灯を頼りに鍵を探すことだ。
街灯を知識・情報以外に、考えられないだろうか。意志だろうか、それとも愛だろうか、知恵だろうか、それとも?
情報化社会ほど、情報と知識と、それを活用する知恵が必要とされる時代である。
まずは光り(情報・知識・意志・愛・?)が一番重要になる。この街灯が情報社会の到来で、世界中に灯ったのだ。
その為には、まずは目指す街灯を探さなくてはくては!

・・・・・・
2003年03月01日(土)
696, ルーツ ? 1

ー我家の家系
自分のルーツを探って行けば、ビッグバンにいきあたる。そして宇宙の創造、地球の起源、生物の起源、動物の起源、
人間の起源、日本人の起源、そして家系、自分になる。  家系といえば最近「家」の崩壊が始まっている。
数年前に佐藤愛子の「家系」が数年前にベストセラーになった。10数年前にアメリカでも、ある黒人のルーツ探しの
TV映画が放映されて、ルーツ探しがブームになった。
私の家の家系の話をしてみる。30数年前に父のところに遠い親戚の変わった?おじいさんが訪ねてきた。
「自分ー堀井のルーツを調べたいのだが、小千谷に郷土研究家から詳しい事を調べたい。
そのためにはまとまったお金が必要だ。資金援助をしてくれ」とのことだった。
その場で断ったが、父は「自分が調べて解ったら教える」と約束した。
そしてその小千谷の郷土研究家のところに行って調べてもらった。
そのコピーを子供たちや親戚に配った。勿論私も貰って手元に今もある。
実家の店の屋号が「池津屋」で、道具屋を戦前までしていた。
父は「山本五十六」や「ツガミ社長の津上退助」や「野本互尊」との付き合いがあった。
戦前戦後と長岡ではこの「屋号」は老舗として一目置かれていた。
母が実家に嫁いだ時の資産が八萬円だったというから、地方ではミニ資産家だったようだ。
小千谷の近郊に「池津」の村があり今でも30代続いている「大本の本家」がある。
その時に両親が訪ねて行ったと聞いた。幕末にある先祖が長岡に出てきて古道具屋を開いた。
その孫娘が婿をとって、分家の道具屋を開いたのが2代前の祖父祖母である。
本家筋はもう商売を7?80年前にやめた。両親は戦争中に道具屋から仏壇屋に転進、戦死が多く大繁盛したという。
                          ー続く
・・・・・・・
2002年03月01日(金)
346, 20歳の頃ーある教授との出会いー3
  武澤信一教授  人事管理ゼミ

私の人生で最大の師は大学の恩師武澤先生である。もう亡くなられて7年になる。
イメージはキザな気取り屋で、底知れぬ教養人です。話しているだけでコンプレックスの塊になる。
特に人事管理の世界的権威のレベルと聞いていた。先生との出会いがなければ、30数年間一日平均
2〜3時間の読書を続けられなかったと思う。 知的コンプレックスを脳の中心に叩き込まれたためだ。
非常に印象は冷たく、傍にいるだけで居たたまれなくなる人だったと思います。
親分肌の正反対のタイプだ。あだ名は「絹布団」自分でも気にっていたとか。
初めは冷たく感じるが、長く付き合ってもらえれば温みが感じられる。
目上の人で筆不精の私が何回も、手紙や葉書をやり取りしたのは先生が初めてであった。
                ? 遺稿文を載せてみるー
ーさようなら武澤先生ー  
       ー武澤先生ご遺稿・追悼文集ー「はげみ」より
       
武澤信一先生、そして懐かしい武澤ゼミ、八王子ゼミナール、はげみの会、最終のゼミナールとその晩のコンパ。
そして先生の退職時のはげみの会(最後のゼミナールと称して参加者の全員の自己紹介と経緯の説明)等々、
様々なことが思い出されます。私の学生時代、いや50年の人生で恩師武澤先生をのぞいて考えられない位、大きい存在でした。
‘ご遺稿・追悼文集’発行の手紙をいただいた時「よかった」と思わず言葉が出てしまいました。
先生に対する追悼の思いを表現する場が、もやもやした中途半端な気持ちにあったからです。
立大3年の終わり頃、親友だった石川譲冶さんより「今入っている武澤ゼミが素晴らしいから、面接に来ないか」と誘われまま、
気楽に試験に行ったのが武澤ゼミとの出会いでした。 そして入ってまもなく大学3年間の、いや人生の22年間の不勉強に、
呆然としてしまいました。そして2学期から卒論を書くにあたって、知的コンプレックスは極限に達してノイローゼの一歩手前の
状態になってしまいました。進路もこのまま果たしてこのまま進んでいいものか?直接その迷いを先生にぶつけてしまいました。
その時の武澤先生の一言が「迷いを数字で表現してみなさい!」でした。その時の自分の答えが忘れることができません。
「51対49」でした。すかさず先生は「それなら、51の方を選ぶべきです!」しかしその後、最終的に選んだのは
49の就職の方でした。「それなら初めから相談に行く必要がなかったのではないか」という矛盾でした。
その後就職をしたのですが、その後そこを辞め大学に編入しなおし、再び就職後事業を起こしました。
そして現在に至っています。そのプロセスの中でいつも先生の影が、自分を追い立てていたようです。
また「51対49」が私の人生観の一つになりました。何事も「51対49」と考えると、迷いも冷静に対処できるのです。
好き嫌い「51対49」差し引き2。正しい、間違い「51対49」差し引き2・・・・。
1989年の夏、先生が新潟大学で第19回の労務学会全国大会で議長をされました。
その時、私のホテル(シングルイン新潟)に泊まっていただきました。そして「卒業後の30年のつもる話」を、
させていただいた事を忘れる事ができません。そして新潟の夜をハシゴをして飲み歩いた事も。
ところで武澤先生と最後にお会いしたのは、1993年の「はげみの会」でした。
二次会で先生が異様に元気がないのが、気になっていました。そして、その会の帰りがけにエレベーターの前で、
私の手を握って「堀井君、遠くから有難う!身体にくれぐれも気をつけて、元気で!」と上下に激しくふった時、
「もしかしたらこれが最後のお別れになるかも?」と思ってしまいました。しかしまさか、こんなに早く現実になろうとは・・。
天国の武澤先生、本当に本当に有難うございました。ご冥福をいのります。
                                      1996年7月13日発行

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