堀井On-Line



2674, iPhoneは、超小型パソコンだった! −2

2008年07月31日(木)


 いずれにしても、これは凄い。
少しオーバーに言えば1〜2ヶ月で、私の中の何かが変化するだろう。

 情報機器を幾つか持っている。そのお陰で
・パソコンでインターネットを楽しみ、「お勉強」もしている。
・デジタルカメラを常時、鞄に入れて歩いているし、散歩にも持っていく。
・2千曲入力してあるiPodも持ち歩いている。
・携帯電話を身につけている。
・会社の机の前と、自宅の居間の机にもiMac(机上型のパソコン)が置いてある。
 
 それが全て、携帯電話を少し大きくした、このマシーンに入っているである。
「それなら、携帯電話があるじゃないか」というが、これはパソコンを基点としている。
 超小型パソコンに、多くのデジタル機器の機能が入っているのが凄いのである。
  更に、GPSナビゲーションまで入っている。
 
 新聞や、マックのHPで、このデモンストレーションの映像を見たり、
 モーニングショーでキャスターが操作をしているのを見たが、自分の手にとって腹を据えてみると、
 その凄さと深さが見えてくる。 半年前にiPodを実際に使ってみて驚いた。
 手持ちの200枚のCD(2000曲)が、マッチ箱位の薄いマシーンに、全て入ってしまった。
 パソコンに一度入力をしてしまえば、何時でもマッチ箱に出し入れ自由である。
 ところが、それさえも、このマシーンは機能の一部として入っている。

 いま一つ、タッチパネル+ワイヤレス+超小型の総合効果が、パソコンのストレスを大幅に減らしている。
 このストレス・フリーが最大のネックである。 
 携帯電話が、固定電話から我々を解き放ってくれた。それと同じことが、今度はパソコンでも起きている。
 大型コンピューターがパソコンになり、ノートパソコンになり、モバイルパソコンになり、今度はこれである。
 これには母機のパソコンに対する子機という位置づけは殆どない。(iPodなどの機能を使う時はあるが)
   これも三年もしないうちに、古くさい原始的なマシーンになっているのだろうか。
   まずは、これを使いこなすことから始めないと。
 何か、SFの世界を垣間見ているようである。 若者が、モバイルパソコンに、如何反応するか楽しみである。

 ・・・・・・・・・・
2007年07月31日(火)
2310, また地震!どうなっている?まったく!− 9
            才ノヽ∋― (゚▽゚*)♪

田中真紀子様が、この参院選挙に中越の長岡駅で堂々と車の上から選挙応援ができるか、
見ものであった。TVでは映像を出なかったので、さすがに度胸が無かったのか、
警察からでも忠告を受けたのか、どちらだろう。
昨日の朝のTVのニュースでコッソリと個人演説会に来ていた映像があった。
「下手に話すとマスコミに何を言われるかもしれないから、街頭演説はしない」だと。

この角栄の嬢様は、柏崎・刈羽原発を強引に誰が持ってきたか、ご存知なのだろう。
いくら越後人が人が良いとしても、そろそろ誰が危ない原発を誘致したか、
気が付かないはずはない。 しかし誰も口にしないから呆れてしまう。
原発で??されかけたのに、何で怒らないのか? 不思議でならない!
娘だから関係ない?そうだろう関係ない!のか? しかし姿を現すな、姿を!

仕事場が新潟の駅前だから、たかをくくっていたが甚大の風評被害が出始めてきた。
毎日のようにTVと新聞のトップで原発事故関係が出ていれば、観光客を含めて一般客も来るはずがない。
当ホテルは関東方面から春夏、自動車学校が二週間の宿泊客を送り込んでくる。延べで2000人以上である。
まずは、そこから激減である。8月上旬の長岡祭りと、新潟祭りも、これでは期待が出来ない。
一割減で済めばよいが・・(地震前の予定は一割増だったが)

北朝鮮の、あの方?も、ミサイルを原発の周辺に一発ぶち込めば間違いなく
日本は政治的に折れるだろうと熟知しただろう。ミサイルに原爆を積んでなくともである。
相手はキ印のドン様なのである。 キ印が脅しの武器なのだから・・・
原発には敢えて原爆などミサイルにつけなくても充分だということだ。
まあ専守防衛とか、戦争放棄とか何処かの党が言っているが。
平気で信じているこの国こそキ印ではないか!?

  何で、20万以上が即死なのか、数年以内に数百万人が死ぬのか、
   いま一度おさらいをしてみよう。
核爆発をするの、核爆発を。そして人体の最悪の放射能が一瞬に飛び散るの!
それも八個も!日本全体が放射能に浸され数百万人が数年内に死ぬの!その規模は、広島の数百倍などではない! 
人類史上最大の事故が、あわや地元で、それも私も即死をしていたのである。
中越地震なみだったら、新潟地震(マグネチュード7・5)なみだったら、現実だったのである。
その危険を全く知らないのが、この日本国民。 この事故、いや事件でも!
恐らく、私が書いてきた内容を読んで笑っている人がいたら、あなたが無知蒙昧!
あの時(原発内火災で映像を見たとき)、何で即、車で脱出しなかったのかを真剣に反省して当然である。
それだけ、危ないことだったのは外国人は知っていて、知らないのは日本人だけ。
真紀子が何で街頭演説をしなかったのか、放射能を心配したのでは?とも、うがった見方もできる。

阿部首相を信じているの? 自民党幹部や官僚を信じているの?
本当のことを言ったら日本中はパニックになるから、まず隠し、
その後に小出しにする。 誰も助けてくれない、自分で考えるしかない。
自分の直感を信じるしかない。 これからの日本はますます楽観できない。
  こんなことを書いていると、そろそろ公安辺りから何か言ってくるか。
  しかし、こちらは現実である、現実。 生活も、命がかかっている。
                 
                 byebyeヽ(o・ω・o)ノ゛ジャアニャー
・・・・・・・・
2006年07月31日(月)
1945, 満水の阿賀野川河口でカヌーに乗る
           (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜 ヨウ

豪雨で満水の阿賀野川河口でヨットカヌーに乗った。
大学時代のゼミの後輩Mさんが、最近ヨットカヌーに凝っていて、
「今度、是非カヌーを乗ってみませんか」と誘われていた。
先日行われた「新潟県活性化の会」を仕掛けている人だ。

    来県の前日の27日に電話があり、「車の上にカヌーを乗せて東京の自宅から来たい」という。
    天気予報では豪雨注意報が出ていたので「カヌーなど絶対に無理」と言ったが、それでも車の上にカヌーを
    乗せてやってきた。「出来ないとしても、帰りの道すがら何処かの河で浮かばせるから!」という。
    好きな人はそういうものだ。

天気予報では豪雨、絶対にこんな時にカヌーなど不可能と、服装などの準備は全くしていなかった。
一昨日の29日の朝、どういうわけか打って変わった穏やかな天候になった。(前夜半はかなり降ったようだが)

    前回にMさんが来て一緒に飛行場周辺を見て回った時に、阿賀野川の河口がカヌーの最適の場所と
    目を付けていた。 当日そこに行ってみると、数日の豪雨のため河は溢れていた。
    しかし、Mさん「平気で大丈夫です、乗りましょう」という。    
    この玩具みたいなカヌーでこの数百m、いや1キロ以上?もある河口を乗りまわるなど、
    とんでもないと思ったが、本人は「平気、平気、何でもないですよ」という。
    そして、ドンドンカヌーを組み立て始めた。    (o_o ;)

岸沿いを漕ぐのかと思いきや、どんどん河の真ん中の主流に出て、そして対岸まで行ったしまった。             
                          \(゜ロ\)
当然この満水の中、他のボートは1隻も見当たらない。
沿岸にはモーター・ボートが20艘ほどあったが、この洪水一歩手前の中、誰も乗るはずがない。       
                ヽ(///>_<;////)ノ
   始めは少し恐怖があったが乗っているうちに、恐ろしさが全くなくなってきた。
    地元の人からみたらとんでもことであろうが、それにしても、面白い!
    豪雨のため大きな流木が彼方此方流れてくるが、
   それを避けながらボートを操るのだ。ふと気づくと2時間近くたっていた。

そして、午後は寺泊の海岸に移動、再びカヌーを浮かべた。
また河とは違ったスリルがある。
風が不意に舞うのと、海流の動きをみながら操る。河とは全く違う面白さがある。
Mさん、「このカヌーあげましょうか」というが、私が乗りこなせるものではない。
丁重にお断りをした。Mさん、ヨット歴をいれると30年は舟に乗っているという。
そりゃそうだろう。あの川幅のある阿賀野川の満水の中、流木を避けながら
ヨットカヌーを乗りこなすには長年の経験が必要だ。
    
    Mさん、その日は遅くなったので急遽、長岡に宿泊。
    殿町を深夜まで飲み歩いた。     ( ^^)/▽☆▽\(^^ )
    そして、翌日の15時過ぎまで、再び寺泊で、午前・午後にわたりカヌーをして、
    16時に東京にある自宅に帰っていった。
    やってくる前日、知人の通夜があり、数時間しか寝ないで新潟にきたというから、
    凄いエネルギーである。 こういうのも、能力というのだろう。
    28日の活性化の会を含めて、この三日間は、刺激的であった。
      ー阿賀野川の満水の河渡りは、一生ものの思い出になった!ー
                      (@´∀`p★)゚*。
・・・・・・・・
2005年07月31日(日)
1580, パンセについて

昨日の随想日記の昨年の同日分に、パスカルについて書いてあった。
その中の格言を読み返してみて、現時点の考えを書きたくなった。
学生時代に感じたこととは自ずから違ってくる。

・人間は一つの極端にあるからといって、その偉大さを示しはしない。
 むしろ同時に二つの極端に達し、その中間を全て満たすことによって、それを示すものである。
 ーー
 二つの極端とは、善と悪・神と野獣・観念と実践、等々あるが、中庸こそ偉大さがあるということか。
 偉大さも所詮は人間の価値観の判断でしかない。
・人間は偽装と虚偽と偽善にほかならない。 自分自身においても、また他人に対しても
 ーー
 偽装・虚偽・偽善と気づくかどうかだ。
・もしクレオパトラの鼻がもっと低かったなら、世界の歴史は変わっていただろう。
 人間のむなしさを知ろうとするなら、恋愛の原因と結果とをよく眺めるがよい。
 −ー
 恋愛の原因と結果とを眺めてみて、男とは他愛のないものである。 それだけ若き性欲は昇華して恋愛を促進する。
 その障壁が高ければ高いほど燃え上がり、お互いが見えなくなるから困ったものだ。
・人間はつねに、自分に理解できない事柄はなんでも否定したがるものである。
 −−
 それが、親から・環境からの植えつけられた強固な先入観であれば、養老猛のいうバカの壁になってしまう。
・人間相互の尊敬を結ぶ綱は、一般的に必要から生じたものである。
 というのは、全ての人間が支配者になりたがるが、みながそれになるわけにはいかないし、
 種種の階級が存在せねばならないのだから。
 ーー
 お互いの尊敬か〜 
・悲しみは知識である。多く知る者は恐ろしき真実を深く嘆かざるをえない。
 知識の木は生命の木ではない。
 ーー
 軽く、いや生命の木でもある!といえないところが、この格言の深いところである。
 不条理が何事にもついてまわるし、無知の涙と同じくらい知識は涙をともなう。 
・好奇心というものは、実は虚栄心にすぎない。
 たいていの場合、何かを知ろうとする人は、ただそれについて他人に語りたいからだ。
 −−
 実をいうと、これがあるから、この「随想日記」が続いている。
 これが無かったら、これだけ毎日本や雑誌などこれほど読まない。
 といって、その時点時点の好奇心を書き残すのは、自分のためのメルクマールである。
 パスカルもそうだったのだろう。
・人からよく言われたいと思ったら、自分のよいところをあまり並べ立てないことである。
 −−
 このHPを閉鎖して方がよいと、忠告されてはいるが。
 人に良く思われたいと全く思わないから自分のことを並べ立てることができるのだが。。
・この無限の空間の永遠の沈黙は私に恐怖を起こさせる。
・人間は考えるために生まれている。
 ゆえに人間は、ひとときも考えないではいられない。
  −−
 一日、6〜7万位のことを考えるというが。人は本当に考えるために生まれてきたのかどうか?
・ひとつの事柄についてすべてを知るより、すべての事柄について何らかのことを知るほうが、ずっとよい。
・我々は現在についてほとんど考えない。たまに考えることがあっても、
 それはただ未来を処理するために、そこから光をえようとするに過ぎない。
 現在は決して我々の目的ではない。過去と現在は我々の手段であって、未来のみが目的である。
 −−
 若いうちは、そうだとしても未来がだんだん少なくなってくると、
 現在と過去に光を与えようと必死になる。 それも必要ではないのか?
・習慣は第二の自然だといわれているが、人は、自然が第一の習慣だということを知らない。
 ーー
 自然体を基礎においた習慣を意識してないと、習慣そのものが続かない。
・誤った法律を改正する法律くらい誤ったものはない。
 法律は正義であるがゆえに従うといって服従している者は、
 自分の想像する正義に服従しているのであって、法律の本質に服従しているのではない
・偉人が我々より偉いのは頭が少しばかり高くでているだけのことで、足のほうが我々と同じくらい低いところにある
 ーー
 足の位置が同じとみて、同じ気になってしまうから困ったものだ。
 しかし、少し頭の位置が高く出るということは大変なことである。
・実物には一向に感心しないくせに、それが絵になると、似ていると言って感心する。
 絵とはなんとむなしいものだろう。
 ーー
  実物も移り変わるものだから。関心をもつチャンスになることも確かだ。
 画家の意図を見てくれる人が必ずいるものだが。
 
 ・・・・・・・・・・・
2004年07月31日(土)
1215, 「世界の名著をあらすじで読む」         
        ー読書日記

最近、本屋の平積みのコーナーで、古典などのダイジェスト版が目立つ。
文庫本も出始めているからブームになっているのだろう。 先日、図書館で「世界の名著をあらすじで読む」と、
「子供に読ませたい世界の名著」を借りてきてさっそく読んでみた。

振り返ってみて、世界の名著はあまり読んでない。 古典的なものとして、「罪と罰」「大地」「赤と黒」「魔の山」
「旧約聖書」「新約聖書」・・・それと、ロマンローランの数冊と、最近ではソルジェニーツェンの数冊と、
あと数人の作家の本ぐらいである。ノンフェクションが好きなためだ。
「子供に読ませたい世界の名著ーベスト26冊」の中に挙げてある本は殆んど読んでいたので安心はしたが。

読んでみて、名著といわれるものはダイジェストでも非常に面白いことが解った。
それと過去に読んだ本でも99佑亘困譴討い襪里砲篭辰い拭
それを思い出すだけでも充分に価値があった。トルストイの「戦争と平和」やモーパッサンの「女の一生」や、
ショーロフの「静かなるドン」などダイジェストでも面白い。
サドの「悪徳の栄え」など、当時の社会によく受けいれらたものだ。

買ったまま、まだ読んでないが、「世界の旅行記・101」「世界の哲学書」などの
テーマ別のダイジェストがある。今度は「日本の名著をあらすじで読む」をよんでみよう。

 ーーー
「子どもに読ませたい世界の名著」ーあらすじで読むベスト26ー
著者: 三浦朱門  出版社:あ・うん
【目次】
宝島(ロバート・スティーブンソン)/ロビンソン漂流記(ダニエル・デフォー)
/小公子(フランシス・ホッジソン・バーネット)
/不思議の国のアリス(ルイス・キャロル)
/ピーターパン(ジェイムス・マシュー・バリ)/フランダースの犬(ウィーダ)
/十五少年漂流記(ジュール・ベルヌ)/星の王子さま(サン・テグジュペリー)
/にんじん(ジュール・ルナール)/三銃士(アレクサンドル・デュマ)
/グリム童話(グリム兄弟)/アンネの日記(アンネ・フランク)
/青い鳥(モーリス・メーテルリンク)/ピノッキオ(カルロ・コッローディ)
/アンデルセン童話集(ハンス・クリスチャン・アンデルセン)
/赤毛のアン(ルーシー・モンゴメリ)/荒野の呼び声(ジャック・ロンドン)
/トム・ソーヤの冒険(マーク・トウェイン)
/アンクル・トムの小屋(ハリエット・ビーチャー・ストー)

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2003年07月31日(木)
848、10の小法

ホームページのネットサーフィンをしていたら「10の小法」が出てきた。
  なかなか含蓄のある内容である。
    小食多噛
    小肉多菜
    小塩多酢
    小糖多果
    小煩多眠
    小衣多浴
    小車多歩
    小言多行
    小念多笑
    小欲多施
それでは「10の多法」と大と小を入れ替えてみた。
『成人病への近道−10の多法』というとピッタりだ。
 逆も真なりである。下記が私の自己評価であるが、一番悪いのが多食少噛である。
これさえなおせばよいが、終戦直後の生まれのせいか腹が膨れないと
食事をした気にならない、それも早食いのため小噛になる。
20歳なら80諭■苅虻个覆蕋僑悪諭■僑虻个覆蕋苅悪佑蛤个鳳じて
胃に収める量を減らしていかなくてはならないという。
 半分以上バツなら成人病間違いなしである。
  ○ー無し、△ー普通、×ー傾向あり 
  『10の大法』  
    多食小噛  ×
    多肉小菜  ○
    多塩小酢  △
    多糖小果  ○
    多煩小眠  ○
    多衣小浴  ○
    多車小歩  ○
    多言小行  △
    多念小笑  ○
    多欲小施  △

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2002年07月31日(水)
473,一言タレント

小泉首相が大衆に人気がある大きい要素に毎日だす一言コメントがある。
すべてをこめていると言ってよいほど簡素で鋭いし、いいえて妙だ。−ワンバイト(一言)化というらしい。
それで気が付いたが、随想日記も「一言コメント」に似ている。
テーマが一言コメントで、文がその解説と言えよう。そういう面では時代に適しているのかもしれない。
テーマの決定にエネルギーをつかうが、それなりに出てくる。

小泉首相の場合、そのプロのコピーライターが側近にいるだろう。
時代が一言タレントを求めているのだろう。これも情報化社会の一現象である。
TVの色々の分野の専門的な番組を初心者向けに放送すると、よい番組が出来上がるという。
簡単に、特化して、編成すると内容が芯をつくという。
田中真紀子女史もその事をしって、批判をしているから人気の大きい要素になっている。
つまらない時代になったのか、面白い時代になったのかどちらであろうか?

・・・・・・・・
2001年07月31日(火)
[93] 旅行で出会ったー普段会えない人

・日本生産性本部の元トップとおぼしき人
・NHK幹部
・いつもお付きと来るが今回は一人できている山の手の奥様、
・天下ったばかりの元官僚、
・日本興業銀行本部のキャリアウーマン
・遠い親戚が亡くなりおもわず数億の現金を相続した人
・ツアーを2重がさねで続けて、現地でおち合った80台半ばの見た事がないくらい品の良い老夫婦、
・TVの経済解説でよく見る人
・えげつない関西のおばちゃん
  まあ彼等から見たら、反対にどうみられているのだろうか?


2673, iPhoneは、超小型パソコンだった!

2008年07月30日(水)

          (っ´Ι`)っ { おはよう
一昨日、iPhoeを購入した。新潟市郊外の赤道の山田デンキで買ったが、説明やら、
手続きに二時間もかかってしまった。 購入の手助けをしてくれた知人と、
購入直後に居酒屋で操作をしながら、「これは何だ?」と丁度よい酒の肴になった。

携帯電話や、情報だけの端末ではないし、パソコンの括りにも入らないし、何だろうかと?
私が玩具ではないか?というと、そんな軽いものじゃないと反論された。 そりゃそうだ。
私の現時点の判断は、「ポケットサイズのタッチ式超小型パソコン」である。
超小型のため、身体に密着できて、タッチで情報を瞬時に呼び寄せることが出来るところがミソ。
それに音楽が数千曲も入力でき、電話が出来て、インターネットもできる。
カメラや、携帯電話機能は、多くの機能の一つでしかない。

現行の日本の携帯電話は、各メーカーが競って色々の機能を付加していったもの。
そのため、その多くは使われない。平均5佑竜’修靴使ってないという。
ボタン・キーは他に無いので、慣らされ使っているだけのこと。

この中の機能で驚いたのが、みたい部分を二回、指で叩くと拡大する。
これで小さい画面のデメリットをカバーしてくれる。 よく考えたものだ。
ただ、文字入力が慣れないせいか、躊躇している。 

キーワードは、 ワイヤレス通信 ・マルチタッチインターフェイス ・超小型(ポケットサイズ)。
常にポケットに入れておけるところが良い。脳のサイボーグ化?ともいえる。
次ぎのポイントは、低価格化が可能かどうかだろう。

私自身、7年前にこのHPを開設してから、全く感覚が変わってしまった。
開設してから数年後に、ブログという個人のHPが爆発的普及した。
更に携帯電話が爆発的に普及をし、機能も良くなった。 
そして、これからは「ワイヤレス超小型携帯パソコン」である。 
これは世界を、更に根こそぎ変えるだろう。
携帯電話はタッチ式に大きく舵を切るだろうし、あと十年後から振り返ったら、
これは大きな折り返しの歴史的マシーンの位置づけになるだろう。

 パソコン?に、携帯電話と、カメラと、iPodを付けてポケットに入れたという意味で!
そんなものが果たして必要か? 皆が持ち始めれば必要になるのでは?
お宅という言葉も、これで死語になるのでは?。 部屋に居る必要もないからだ。
   いや、閉じこもりは別か!             ヾ(^ω^*)
 あと、数日経ったら、その後の感想を書きます。
 まだ、焦って買うこともないようだ。

・・・・・・・・・・
2007年07月30日(月)
2309, 自民党が惨敗!
              ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
参院が予測どおり自民党の惨敗に終わった。 当然だろう。
自民党のパフォーマンスには、国民はうんざりである。これで本来あるべき二大政党の枠が出来上がった。
小泉が党内の保守派=悪との対立軸を作り、旧来の自民党をそのまま存続させたのが、安部政権である。
岸信介の孫、安部晋三の息子というだけで、憲法改正の騎士として期待されてなった首相である。
だから、あれだけ甘い組閣をしたのである。

最後は赤城農林大臣だが、その前の防衛大臣がタレント上がりの女性はいただけいない。
外向きの暴力装置の長が、北朝鮮という隣国のスターリン型国家の核爆発実験の
微妙な時期に、この人事は安部の質そのものを現したといえる。
女性だから悪いというのではない、暴力装置の男の組織である、防衛省は!
そのくらいの常識ぐらいも持ってないということ。仲良しクラブ内閣とは、よく言ったものである。
辞めないといっても、無理だろう。早々、この人間の質としての次のミスが出るだろう。
叩かれて強くなる要素は充分にあるが、本当の力があるなら、これからだろう。

元々、小泉の次の首相は短期で終わるといわれていた。あまりに、小泉の改革に問題が多かったからである。
しかし首相になれるチャンスなど二度とあるかないかである。
火中の栗を掴んでしまったのだから、これも運命である。
あと2〜3ヶ月踏ん張って、衆議院の解散に向かっていくか、政界の再編成に向かうかであろうが、
憲法は早急に変えなくてはならないギリギリの時期。 それが安部がやるには相応しくないというか??

これが落ち着くと、今度は原発の問題が噴出する。
国家戦略としての原発は、国家が生き延びるために必要であった。
資源の全く無い日本が、アラブやユダヤの石油戦略に翻弄されないために、
必要欠くべからざる必要悪である。世界最大の地震列島の上としてもである。
地震を想定して内部構造を造ったが、それでも想定値が甘いということが判明した。
根本的な見直しが、全ての原子炉に必要欠くべかざることである。
政争などしている時期ではない。あまりにも多くの問題が山積である。

国内外を、そうこう考えると、政界再編が本格的に始まるということだ。
その意味では、この選挙結果は次の国家としての大改革のきっかけとして、丁度良い結果である。
安部と小沢が連立を組んで、憲法改正を掲げて政界再編を仕掛ければよい。
そこまで、いまの日本は思い切った決断が必要である! 少し捻ったシナリオが必要だろうが!
        ホンジャ (*・ω)ノβψε

・・・・・・・・・・
2006年07月30日(日)
1943, ローマから日本が見えるー17          
                才八∋ウ_〆(∀`●)
第七章「創造的天才カエサル」−4
 ーカエサルがヨーロッパを作ったー

ところで、カエサルによるローマ帝国の安全保障構想は、後世のヨーロッパ史にも大きな影響を与えることになる。
「カエサルがヨーロッパを作った」とする人も多い。 現在の西ヨーロッパの都市の多くは、
カエサル以降のローマ帝国時代に作られた軍団基地や、植民都市を起源としています。

フランスのリヨン、ストラスブール、フレジュス
ドイツのケルン、ボン、マインツ
イギリスのヨーク、チェスター、バース
オーストリアのウィーン
ハンガリーのブタペスト、セルビィア
ユーゴスラビアのベオグラード などなど・・・
ハッキリいってヨーロッパは古代ローマ人によって作られた。

ーなぜカエサルは寛容を掲げたのかー

カエサルは「新しいローマ」のグランド・デザインを描き、それを次々と具体化していったが、
その構想をよく理解できた人は同時代に一人もいなかったといってよい。
当時の一番の知識人であった歴史家のキケロさえ、カエサルは協和制の再建に力を貸せてくれるものと
信じていた位である。領土が拡大してしまった現在、そのローマに適した統治システムは何か、
それを君主制にみたのだ。そうした彼の思考を読みとれた人は少なかった。

カエサルは生前に書き記したとおり、「人間ならば誰にでもすべてが見えるわけではない。
多くの人は自分が見たいと欲することしか見ていない」ということである。
ここまで冷徹にローマ世界を見ていたカエサルなのに、反対派を決して弾圧をしなかった。
彼は政権に就くなり「寛容」をモットーに掲げ、かって剣を交えた
ポンペイウス派の人々の安全な帰国を保障したほどであった。

それゆえに彼は自分の護衛隊を解散してしまい、丸腰同然でローマ市内を歩いた。これは彼の気性と見るしかない。
彼は自分の身を守る鎧は信義だけでよいと考えたようだ。そして、彼はBC44年に暗殺をされてしまう。
「カエサルは王位を狙っている」という確信から彼を暗殺をしたブルータス以下14名の元老院の議員によって・・

・・・・・・・・・・
2005年07月30日(土)
1579, 閑話小題
 一昨夜の夢の話ー

面白い夢を見るものだ。
医者から薬による至高体験のため、無害の麻薬を注射してもらった夢である。
薬によるハイ状態とはどんなものか、病院のベッドに横になって
冷静に薬によるハイを待っている。
ところが、横になっていなければならないのに、歩き出してしまった。
危ないと思って元のベッドに戻った。
しばらくすると、フア〜とした酔った感覚になった。
潜在意識が、薬の至高状態の経験を夢のカタチでさせようとしたのだろう。
安全であれば一度は経験してみたいが、安全のわけがない。

インドに行った時、ツアーの同行の女性から??を飲んだ体験談を聞いたことがあった。
とにかく、可笑しくなり腹の底から笑って嬉しさが極限になるという。
経験者がいうことは解りやすい。

ー広い世界に馬鹿ひとりー

何気なく浮かんだ言葉で、何も深い意味は無い。
自分に対する心の奥底の言葉といったらよいだろう。
「小さい井戸の殿様蛙」という言葉と対比すると面白か。
世界を一人漂流旅をつづけていると、こんな言葉が出てくるのだろう。

孤独感と、広い世界に拠りどころを見出せない虚無感が覆いかぶさった自嘲の叫びか。
しかし、この言葉に何ともいえない親しみを覚えるのは何故だろう。
一人大声で『あ〜あ!』と大きな溜息をつく癖がある。
この溜息の背後にあるのは「広い世界に馬鹿一人」と「小さな井戸の殿様蛙」
という自嘲の気持のクロスか。

・・・・・・・・・
2004年07月30日(金)
1214,パスカル(3)−哲学についてー24
  ー「賭けの断章」ー

「賭けの断章」は『パンセ』の中でも最も有名な断章の一つである。
神の存在と信じる方に賭けることの有利さを確率的議論から説得しようとするものである。

「神は存在するか、しないか。どちらに賭ける? 」
すでにこの世に生きている以上、この勝負を降りることはできない。
賭けないということ自体が、結果的に一つの選択になる。
賭ける対象は、「自分の人生そのもの」であるから大きな命題だ。
 
・神が存在するという方に賭けて、勝てば永遠の生命と無限に続く喜びを得て、人生は意味あるものとなるが、
 賭けに負けても、失うのものは何もない。
・反対に、神は存在しないという方に賭た場合、たとえ賭けに勝っても、
 儲けは現世の幸福だけである。死後は虚無とみなすことになるから、得るものは何もない。
 
 逆に負けたとき、損失はあまりに大きい。来世の幸福をすべて失うことになるからである。
 如何みても神の存在を認めるほうが有利であると言いたかったのだ。

 37年前、『パンセ』のこの断章を読んだとき、ナルホドと納得をした。
といって、今さらキリスト教関係のクラブに入るには遅かった?
せっかくミッション系の大学だったのに惜しいことをしたと悔いが残った。
理性で納得し、心情が同意するためには時間がかかる。
そのためには人との出会いと時間が必要であった。

しかし、今から考えてみて、自分は仏教の方が向いているが。
 
ー以下はパンセの中の断片集の抜粋である。

・人間は一つの極端にあるからといって、その偉大さを示しはしない。
 むしろ同時に二つの極端に達し、その中間を全て満たすことによって、
 それを示すものである。 
・人間は偽装と虚偽と偽善にほかならない。 
  自分自身においても、また他人に対しても
・もしクレオパトラの鼻がもっと低かったなら、世界の歴史は変わっていただろう。
 人間のむなしさを知ろうとするなら、恋愛の原因と結果とをよく眺めるがよい。
・人間はつねに、自分に理解できない事柄はなんでも否定したがるものである。
・人間相互の尊敬を結ぶ綱は、一般的に必要から生じたものである。
 というのは、全ての人間が支配者になりたがるが、
 みながそれになるわけにはいかないし、種種の階級が存在せねばならないのだから。
・悲しみは知識である。多く知る者は恐ろしき真実を深く嘆かざるをえない。
 知識の木は生命の木ではない。 

・好奇心というものは、実は虚栄心にすぎない。
 たいていの場合、何かを知ろうとする人は、ただそれについて他人に語りたいからだ。
・人からよく言われたいと思ったら、自分のよいところをあまり並べ立てないことである。
・この無限の空間の永遠の沈黙は私に恐怖を起こさせる。
・人間は考えるために生まれている。ゆえに人間は、ひとときも考えないではいられない。
・ひとつの事柄についてすべてを知るより、すべての事柄について何らかのことを知るほうが、ずっとよい。
・我々は現在についてほとんど考えない。たまに考えることがあっても、
 それはただ未来を処理するために、そこから光をえようとするに過ぎない。
 現在は決して我々の目的ではない。過去と現在は我々の手段であって、未来のみが目的である。
・習慣は第二の自然だといわれているが、人は、自然が第一の習慣だということを知らない。
・誤った法律を改正する法律くらい誤ったものはない。法律は正義であるがゆえに従うといって服従している者は、
 自分の想像する正義に服従しているのであって、法律の本質に服従しているのではない
・偉人が我々より偉いのは頭が少しばかり高くでているだけのことで、足のほうが我々と同じくらい低いところにある
・実物には一向に感心しないくせに、それが絵になると、似ていると言って感心する。絵とはなんとむなしいものだろう。
 
 ・・・・・・・
 2003年07月30日(水)
 847, 海は見ていたー映画日記

 wowowで放映した映画『海は見ていた』がすばらしい内容であった。
レンタルのDVDで見た『たそがれ清兵衛』と『阿弥陀堂』に匹敵する。
山本周五郎の作品を黒澤明が脚本をしたものを、熊井啓が監督して面白くないわけがない。
江戸の深川岡場所でくりひろげられる人間模様と心根の美しさが何とも清々しい。
熊井啓も二人の作品を映画化できたのだから監督稼業として最高だろう。
主役の若い女郎の心根の美しさがよく出ていた。日本には日本の素晴らしい人情がある。
この三本の映画を見てから邦画に対するイメージが全く変わってしまった。

ー『海が見ていた』の荒筋は
江戸・深川。
 将軍のお膝元である八百八町の町の中でここは、大川(隅田川)の向こう“川向こう”
と称され、ちょっと吉原、辰巳の遊びに飽きた粋人や訳ありの衆が集う岡場所(私娼地)
がある、葦繁る外れの町とされていた。
深川のお女郎宿“葦の屋”で働く、まだ若く器量よしのお新(遠野凪子)は、
女将さんやら姐さん方から「客に惚れてはいけないよ」と哀しい掟を教えられていた。
ある夜、お新は町で喧嘩して刃傷沙汰を起こし逃げてきた若侍・房之助(吉岡秀隆)をかくまってやる。
 房之助の「こんな商売をしていても、きっぱりやめれば汚れた身体もきれいになる」という言葉に心動かされる。
 
 その言葉を立ち聞きして感動した姐さんたちは、彼女のために一肌脱いでやろうと提案する。
姐さん衆のまとめ役、菊乃(清水美砂)は、気のいい隠居善兵衛(石橋蓮司)の身請け話と
ヒモの銀次(奥田瑛二)との腐れ縁が断てず悩みを抱え揺れている分、お新の純な恋を暖かく
見守る。そんな恋路にも終わりが来る。房之助が勘当を許された報告にやって来た際、
お新と姐さんたちに自分の婚礼の話を晴れやかに告げたのだった。
憤りを隠せない姐さん衆、突然の告白に動揺するお新。そんな彼らに房之助は当惑する。
彼はただ、お新を姉妹のように慕っていただけだったのだ。
 
 一時は寝込むほど傷ついたお新も、徐々に立ち直りかけていた。
そんな彼女の前に一人の謎めいた青年が現れる。名を良介(永瀬正敏)と言い、寡黙な彼が
少しずつ自分の厳しい生い立ちを語るにつれ、同じ境遇の宿命を背負った人間だと、お新は理解する。
不幸に打ちのめされ、自暴自棄になった良介を優しく励ますお新に対して、
菊乃は「そんな男はヒモになるのがオチだ」と諦めるようにさとす。

 お新をめぐる人生模様の糸が絡まり合った、ある夏の日。雷鳴の轟音と共に激しい雨が
降りしきる。やがて嵐に変わり、川は氾濫、高潮の兆しも見せ始める。
逃げまどう人々をよそに“葦の屋”を守ろうと居残る菊乃とお新。
水位は増し、菊乃もお新も逃げ場を失い“葦の屋”の屋根まで追いつめられる。
「みんな水に浸かってだめになるのなら、一番いい着物を着よう」と、
とっておきの着物を身にまとい二人は屋根へ登る。
海に呑み込まれた“葦の屋”の屋根の上、その時だった、小舟に乗った良介が助けに現れた。
しかし二人しか乗れない舟に菊乃は自分ひとり死を覚悟して残る。

・・・・・・・
何とも山本周五郎作品を黒澤明が脚本した世界がよかった。
また黒井啓とキャストが一体となり素晴らしい作品に出来上がっていた。
昨日書店に立ち寄ったら、黒澤監督が書いたこの脚本が絵入りで新刊で出ていた。
買うかどうか迷って、一週間後に判断することにした。

・・・・・・・・・・
2002年07月30日(火)
472,近くの川の鴨

15年前に自宅から150m先の川に鴨のツガイが来た。
そして半年がたった頃13羽の雛を連れていた。そしてある時期が来ると旅立っていった。
そしてある時期が来ると再びやってきた。
その都度その数がどんどん増えて、一時200〜300羽まで増えていった。

ところがその一番多い時期から河川工事で川の泥が整備され、
鴨が住む場所が少なくなり、今では50〜100羽は近くまで減ってきている。
今では鳩やカラスと並んで、鴨の姿は一般的の光景になっている。
人家の近くは猟がない事を経験的に知っているのだろう。鴨にも大型と小型の鴨がいる。
それと渡っていく鴨とのこり鴨がいる事が、散歩で解るようになった。
少し話が反れるが、結構多くの種類の鳥がいる事も知った。見たこともない鳥もけっこういる。
こんな近くで鶯、カッコウ、鷺、雲雀、もず、などだ。

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2001年07月30日(月)
[92] 変わった人ーとの出会い

 旅行それも秘境系に面白い人が多い。
・人生の余白を埋めにきましたとか、
・毎月ー年12回来ている人とか、女の人で退職金使い切るまで続けるそうだ、
・100回目の人とか(はじめ50回で目を回してしていたが)、
・12日間の旅行に布のショルダーバッグ一つ。グレーのスーツにポロ、その上によれよれレーンコート。
  行き先はヨルダン・シリア・レバノン。着いてみると現地人は正にそのスタイル。彼のほうがピッタシ。
・57歳のグランドオールドミスが一人いらいら。
 キャリアウーマンの明らかに会社から見たらヘドロの典型! 今会社の中は天国、こちらは地獄!
・大手の社長か会長あがりの人物。この前まで偉かろうが旅行の最中はただの旅行仲間!の意味が全く解ってない!人。
 奥さんこっそり社会復帰のリハビリのこれが初めての旅行と教えてくれた。
・生死の手術の後、奥さんと来てヒマラヤを見て泣いている人、
・10年ボケの父親を見送り世界中を旅行しまくっている人、


2672, 雁行的進歩とは

2008年07月29日(火)


「雁行的発展法則」というのがある。
 大空を渡る雁の群れは、先頭の鳥からしんがりの鳥まで、くさび型の隊形をなして飛んでいく。
これは長距離の飛行に一羽一羽の空気圧が最小になる。 鶴翼と同じ形である。

校型の群れと同じパターンで、アメリカ合衆国を少し遅れながら日本や欧州が追いかける。
アジアでは、先頭をきって工業化に成功したのが日本であり、次に台湾や韓国の経済発展がこれに続き、
さらに中国の沿海部などが急速な経済成長を開始して、それを追うといった形である。
このような「選手交代」の形で経済発展が受け継がれていくのが、「雁行的発展法則」の考え方である。

現在もそれにしたがい、動いているかといえば、現実は違ってきたのである。
グローバル化の進展に伴い、今までとは違った「世界システム」が出来、拡大している。
欧米中心の雁行発展法則は崩れはじめ、今後は中国、インドにその重心は移動していくプロセスに入った。
中国に隠れているが、インドも大きな変化のポイントになる。
中国は製造、インドはサービス、の部分を担うであろう。

その背後には、ITなどの「情報化」がある。もう、時代は引き返せない。
モダン主義社会から、ポスト・モダン主義社会へ変化したということ。
欧米が優れていて、未開発国が遅れているという考え方が、そもそもオカシイ?という
構造主義が出てきたこともあるが・・・・

先日、インドの発展について、NHKスペシャルで3回シリーズで放送していた。
20年後には、アメリカを追い越し、世界のトップを目指すとアメリカ在住の印僑が話していた。
見ていて、それもありうると思われた。 先日、図書館で『東西逆転』という本を借りてきた。
数日後に、その感想を書いてみよう。 
   IT革命は確実に世界を変えている。
 
・・・・・・・・・

2007年07月29日(日)
2308, 1歳の息子に届いた成功者100人からの手紙 −2
          |。っω-)..。oо○(゚+。ぉレ£∋ぅ゚+。)

 私の4つの質問の答えはどうだろか、
(成功もしてないのに、何を答える資格がないじゃないか!
             という内面の声を無視して書いてみる。)
*どうすれば人生で成功できますか?
   −好きなことを早くみつけて、楽しみまで引き上げ、続けること。
*世界で一番大切なことはなんですか?
   −いま、ここ! そして今日一日
*愛とはなんですか?
   −温み、おもいやり
*幸せとはなんですか?
   ー好きなことができること、好きな人と一緒に居ること。
    そして自分を好きになれること。感謝できること。

ーさらに、この本の面白そうなところを抜粋してみたー
  −−
*自分ができることに集中しろ

すばらしいアドバイスというのは、すでに亡くなった人から受けついだものだ。
1948年、ぼくがルーキーだったとき、ドジャースのベテラン投手、ビュー・ケーシーにこう言われた。
「なあ、野球にはおまえが変えられないことがいくつかある
一天気、自分が登板する日、登板する球場、本塁の後ろにいる審判だ。
自分の力で変えられないことについてくよくよするのはよせ。
自分がコントロールできることーストライクを投げること、カープを低めにすることに全力をそそげ。
自分ができることをコントロールしつづければ、かならず勝てる」
さて、ニック、きみはまだ大リーグのピッチャーになれるほど大きくないが、人生でなにをやるにじても、
きっとケーシーのアドバイスが役立つはずだ。
              カール・アースキン(元大リーグ選手.1950年に
                     ナショナルリーグ優勝を挙げ、通算122勝。)
 −−
*あえて人と違うことをしよう

あえてみんなと違う人間になろう。
前例がないとか、だれもそんな風にはしないなどという言葉であきらめたり、アイデアを捨てたりしないこと。
そう言われたら、ますます試す価値がある。だれかがあえて違うことをやろうとしなかったら、
自動車も飛行機も存在しなかったはずだ。 自分の心に従うこと。教育や知識もとても大切だが、
心が頭に同意しないときは、心のほうが正しいことが多い。それから、幸せでいること! 幸せは富や物ではない。
世の中には不幸で惨めな金持ちがたくさんいる。幸せはお金がかからない。
なにも持っていなくても幸せにはなれる。たくさん笑って、家族や友人たちなど、喜びを与えてくれる人を大切にして、
だれかを傷つけたり、胸をはって言えないようなことをしたり、家族を怒らせたりしないこと。
そうすれば自分がなりたいと思うどんなものにでもなれる。
つねに覚えておいてほしいのは、一生懸命努力して全力を注げば、望むことはなんでも成し遂げられるということだ。
目標を定め、やめうという説得に屈しなければ、きみは奇跡を起こすことだってできるんだ。
    ノーム・クロスビー(米国沿岸警備隊の任務中に脚力の一部を失い、その後、
     コメディアンとなった。マラプロピズム(言葉の誤用)の名手として知られる。
 −−
きみの中にきみだけの言葉があるということを忘れないで。それは・まわりの人々や外の世界と同じくらい重要だ。
この真実の声に従いなさい。
             グロリア・スタイネム
 −−

お元気ですか。きみのお父上はすばらしいことを思いつきましたね。
大変な作業でしょうが、まさにお父上の愛情を示すすばらしい計画だと思います。
どうぞ家族や友人と過ごす時間を大切にして下さい。
なぜなら、愛する人々と一緒にいること以上に幸せなことはないからです。
わたしがきみに贈る最上のアドバイスは、学校で怠けず、できる限り努力しなさい
ということです。人生のなかで、学校はとても大切な部分を占めています。
学校で一生懸命努力すれば、きみはたくさんのすばらしいことを達成できるはず。
できるだけたくさん本を読むことを続けて下さい。
宿題をして・立派なことをやろうという夢を持って下さい。
元連邦最高裁判事のオリバー・ウェンデル・ホームズがこう言っています。
「われわれは、人生の流れ全体を率いているサーカスのパレードの先頭を行進する
少年たちと同じだ。だが、たとえ少年たちが飽きて脇道に駆けだしていってしまっても、
行列はそのまま進む」ぜひとも、誠実と奉仕と思いやりの道をまっすぐ行進していって
下さい。そうすれば、行列はきみのうしろについてくるでしょう。
きみの将来の努力に幸あれ。ご成功を心から祈っています。    敬具
    ミット・ロムニー(ベンチャーキャピタルで成功した後、
     ソルトレーク五輪組織委員会会長。2002年マサチューセッツ州知事選出。
 −−
 学校教育の重要なことを、この歳になって益々感じる。
 手抜きしただけ、それが自分の長い人生に数倍になって跳ね返ってくる。
 現在の学校はインターネットにもある。
 この学校を使わない手はない。どう子供を導くかが重要だろう。 それと自分もだ!
                  (*≧∇)ノ~サラハ゛シ゛ャ!
・・・・・・・
2006年07月29日
10年後の日本は?−1

「10年後の日本」という本を買った。
 下記のの箇条書きの幾つかは、この本の目次を参考にした。まだ飛ばし読みだが、近々読書日記を書く。
   
   『日本の論点』編集部編というから、鋭く切り込んでいる。
    島国の閉鎖社会の日本が、この世界の潮流の激変の中での大問題が明快に書かれている本である。

十年後の日本で間違いなく起こっている問題点である。
日本が、これらをどの様に乗り越え体質を変えていくかを考えると、悲観的になって当然である。
  ・消費税の20涌幣紊良蘆粥
  ・少子高齢化社会の到来
  ・外国人労働者の比率の増加による犯罪の増加と、治安の悪化。 
  ・フリーターの増加と、下層階級の増大 
  ・年金財政の悪化と破綻、団塊の世代の大量定年後の負担の問題
  ・中国とインドの台頭と影響力の増加、それに付随する大混乱
  ・北朝鮮の崩壊と、朝鮮半島の混乱(これは数年先と思われる)
  ・2005年からの人口減と経済縮小
  ・介護保険増大による財政の悪化
  ・地球温暖化による大問題の噴出
  ・関東大震災の可能性の増大
  ・「ゆとり教育」で育った年代が人口の中心になってくる社会的大問題。
  ・行き過ぎた自由競争の弊害の噴出
これらを考えると、絶望的な気持ちになるが、間違いのない近い未来の日本の姿である。
逃げ切り世代で「運が良かった」と、ホッとしてはいられない。
    現在、連載で塩野七生著「ローマから日本が見える」の
    読書日記を書いているが、当時のローマと現在の日本が酷似している。
    少子高齢化で衰退の危機に陥いり、さらに高齢化と経済の停滞である。

中流階級は没落し街に失業者があふれ、上流階級の人々は既得権を決して手放さない。
    そのときに現れたのがカエサルである。 支配地の国民にもローマ市民権を与え、
    既得権を取り上げ競争を奨励した。カエサルが、これほどの人物とは、この本を読むまで知らなかった。

現在の日本は、自民党の既得権を取り上げ、日本的社会主義の破壊が当面の問題だが・・・・・。
                           つづく
           \(^▽^*)ホンジャまた!! (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
・・・・・・・・
2005年07月29日(金)
1578,大阪から何が見えるかー2
 ー生活保護ー

この内容は月刊誌「新潮45」の2005年2月号の
 ー生活保護天国、大阪市はここまでヒドイー を参照に書いている。
 とにかく読んでいて、生々しくて迫力がある。
 
 ー書いてある内容の一部を抜粋してみるー
人は、金が無くなったらどうするか。
・一つは、借金をする。
・できなければ人のものを盗む。
・それもできなければホームレスになる。
・イヤなら自殺をする。
・その他に「生活保護」を受ける という、5つの選択肢がある。
 
『公園にテントを建てて定住すると比較的安全なうえに家賃も水道代もいらなくなります。
病気になれば福祉事務所ですぐに医療扶助が受けられます。生活保護の誘いも舞い込んできます。
仮設一時避難所に入所をすれば安全が保障され、ガスもシャワーも洗濯機も無料で自由に使えます。
閉鎖が近づくと職員が生活保護を受けるように懇願します。自立支援センターに入所すれば三食無料になります。
いずれにしても野宿者は65歳になれば生活保護を受けられます。 年金など積まなくても野宿さえすれば
老後は年金生活者より安楽です。』

多重債務者でヤクザに追われない限り、日本では最低保障はされている。
ホームレスの半数以上が、多重債務者である。
それと前科者も就職できないからホームレスに多い。
資産のある人、持ち家のある人は原則として生活保護は受けられない。
借家かアパートに住んでないと保護の対象にならない。

生活保護者を分類すると、
・高齢者 (男65歳、女60歳)、
・母子家庭、(18歳未満の子供と母親)
・傷病・障害
・その他、に分けられる。
・高齢者の場合、67歳の例で男性単身者の生活扶助は80820円、住宅手当42000円、合計122820円受け取れる。
この外に、医療費とNHKの受信料は無料、水道代は基本料、市営の交通費が半額減免がついてくる。
・母子家庭では、母親30歳、子供9歳と4歳の場合、生活扶助をあわせて235000円を受け取る。
  更に高齢者の同じ減免措置がある。
これではヤクザ者でなくても、稼ぎの無いものにとって偽装離婚をしたくなるだろう。
ーー

以上であるが、もともと大阪は人権にうるさいところというのも生活保護日本一の原因になっている。
老齢になって食い詰めたら、大阪に行けばよいのか? それにしてもホームレスが目立つ。

・・・・・・・・
2004年07月29日(木)
1213,パスカル(2)
 −哲学についてー23

キリスト教の秘義とは、キリストが十字架にかけられ、苦痛の悲鳴の中で
悶え死んでいった不条理を解くことである。パスカルの信仰は、その苦痛で、底深く沈んでいったのだ。
「私を救ってください、助けてください、お願いします、お願いします、お願いします」
  この祈りが、キリストの苦痛と一緒になった時、秘義となるのだ。

先ほど書いたパンセの第一節「人間は一本の葦にすぎない。自然の中で一番弱いものだ。
だが、それは考える葦である」があるが、その先の文章がよい。
「これを押しつぶすには、全宇宙は何も武装する必要はない。
ひと吹きの蒸気、一滴の水でも、これを殺すに十分である。
しかし、宇宙が人間を押しつぶしても、人間はなお、殺すものより
尊いであろう。人間は、自分で死ぬこと、宇宙が自分が勝っていることを
知っているからである。宇宙はそんなことを何も知らない。
だから、わたしたちの尊厳のすべては、考えることのうちにある。

まさにここから、私たちは立ち上がらなくてはならないのであって、空間や時間からではない。
わたしたちには、それを満たすことができないのだから。だから、正しく考えるように勤めようでないか。
如何に生きるかの根底はそこになるのだから」
 パンセは学生時代、一言一言断片だが、心の奥に突き刺さるように響いた。

 ーパスカルの概略を書いてみると
フランスの思想家、数学者、物理学者。数学的確実性を信じ、懐疑論に反対。
のち宗教的回心を経てヤンセニズムに共鳴し、イエズス会による異端審問を批判。
思想的には現代実存主義の先駆とみなされる。
数学では、円錐曲線論・確率論を発表、物理学では、流体(液体・気体)
の圧力に関する法則「パスカルの原理」を発見。(一六二三〜六二)                
                        つづく
・・・・・・・
2003年07月29日(火)
846, 人生の目覚まし時計
「7つの習慣 ー最優先事項」−2

 ベストセラーになった後の二冊めは大体が同じ内容をベースに書いてあって
つまらないものが多い。しかしこれはこの本のほうが
「より最重要事項に絞り込んであって面白い」めずらしい本だ。

 私の事業が装置産業であった為に、目先の時間だけはたっぷりあった。
自然にABC 分析をして、Aをやるようにしてきたつもりであった。
この本を読んで果たしてそうであっただろうかと考えてしまった?
Aで満足してしまい、さらにAのAの追求を忘れてしまったのではなかろうか。

 この本は何をどうするかの方向性を問題にしている。
人生で本当にしたいことが何かを明示することを第一としている。
目先の緊急事態病が最重要事項をつぶしてしまうのだ。
最重要事項かつ緊急事態が重なっている事項が一番の難敵である。
「むしろ緊急ではない最重要事項の中にキーが隠されている」と看破している。
冷静に考えれば、全くその通りである。 緊急事態は短期的視点でのこと、緊急でないことは、
長期的なことであり、かつ方向性を見定める事項だからだ。

ー人生の目覚まし時計の一部を書き写してみるー

 ある日突然、「本当に重要なこと」と「時間の使い方」のギャップを思い知らされることがある。
それは人生の目覚まし時計というべきアクシデントによって知らされる。
例えば
・「恋人の死」。突然、恋人がいなくなり、「できたはずだが、しなかったこと」がはっきり見えてくる。
 成功のはしごに登ることに忙しく、恋人との「豊かな人間関係」をしてこなかった。
・「子供の麻薬禍」。自分の息子が麻薬に手を染めていたことにある日突然 気づかされるかもしれない。
 息子との豊かな人間関係をつくれたチャンスが、次々に頭に浮かんでくる。しかしそのときまでは、
 金儲けやコネクション作りなどに忙しくて実行してこなかったのだ。
・あるいは「癌の宣告」。医者から残り数ヶ月の命だと宣告されるかもしれない。
・あるいは「妻(夫)からの離婚請求」。離婚の危機に立たされるかもしれない。

 このような突然の危機に立たされて、初めて自分の「時間の使い方」と 自分にとって 
「本当に重要なこと」との間のギャップがあることに気がつかされるのである。
このような危機的状況を知らせる「人生の目覚まし時計」におこされない限り、
多くの人は人生の根源的な問題を考えるという機会に接する事はまずないだろう。
慢性的な深い原因を探らずに、深い痛みどめ応急処置としてバンドエイドや鎮静剤を
探すのだ。・・・・・・・・・・

ー以上だが、テリー伊藤の『あと一週間で死ぬとしたら何をしますか』 という本にいろいろな人が
多くのことを書いていた。しかし誰もがいつでも直ぐにできることばかりであった。
ある人が私のその質問に、「身辺のものを全て捨てる」と答えたのが一番気に入ったが、
これなど人生の一番深い意味が含まれている。 当人は気がついていないようだったが。

・・・・・・・・・
2002年07月29日(月)
471,下着泥棒

昨日ー15時位か刑事が来た。下着泥棒が一軒先の家の下着を盗んで、たった今この辺に逃げ込んだという。
その家は大型の白い老犬がいて15年以上も通行人に吠え付き、近所に迷惑をかけてる家。
実際は前の犬を入れると40年近くなるが。近所の顔見知りでなくては泥棒を出来ない事は刑事でなくても解る。

たて続きに違う刑事が2回も来たということはかなり緊迫をした状態だったようだ。
高校生か20歳位の茶髪の風体とか。そういえば1カ月前少し前に近所に泥棒が近所に入って、その聞き込みにきた。
その時、泥棒に入られた事がないかとか聞きながら結果的に調べられていたのか?もしかしたら下着泥棒だったのか?

いつも休みの日に黒いウオーキングスタイルに黒帽子で、3時間以上も土手をうろついている、それもデジタルカメラを手に。
刑事も大変だ、日曜日の真昼間から下着泥棒の追いかけをしているのだから。
誰もがそういう変質者に疑われても、人の内面までは解らない。
SCが出来たりして便利になった反面、アパートが増え得体の知れない人が増えてきた。仕方がないのか。

・・・・・・・・・
2001年07月29日(日)
[91] 人生のこつ −2

「生きることを考える事はまず死を考えること」というが、昨日書いた人の内容は正しく具体例として解りやすい。
何故勉強しなければならないか?という問いに、日下公人は何かの本のこう答えている。
「死んで葬式の額縁の写真に入った時、ああ自分は働くだけ働いた!遊ぶだけ遊んだ!
知るだけの事は知った!この世に生まれてきて可能な限りの事はしたつもりだ。これでよい!
このようにいえるようになる為、人は勉強をしなくてはならない。」これが解ってない人が多い。

定年退職した後でと総て後回しにしてしまう。後回しの大部分はやらないことの自己欺瞞という事を自身わかっていない。
働いて時間がないときに無理に時間を作ってやるから其れが活きてくることを解ってない。
楽しい過去の倉庫、楽しみな未来の計画の束作り、そして楽しかった倉庫の整理と
計画を楽しんで実施している今。




2671, 幸福の4階建て −3

2008年07月28日(月)


*不幸の4階建て」を考えてみる

「幸福の4階は、克服できない苦難や悲しみの中にある」というが、
 逆の「不幸の4階建て」とすると、どうなるか考えてみた。
 前回の「おばさん、の話」を書いていて、おばさんの特徴に弛緩というキーワードが出た。
その反対の言葉が幸福の4階の「克服できない苦難や悲しみ」になるのではと・・・。

不幸の建物の4Fは弛緩とすると、これから1〜3Fが導き出される。
 3Fは、やる気も目標も無く、同じことの繰り返し。
 2は、不満で悶々とする日々
 1は、当面の問題から逃げて、上手くいかないと他者に責任転嫁
 
  不幸の4階建というテーマが、不幸なおばさんの姿から成立するとして、
 弛緩しているおばさんは果たして不幸なのか?との疑問も出る。
しかし、幸福の4Fの逆の意味で、不幸とは弛緩そのものが大きな要素と考えてよい。

 誰もが、幸福と不幸の4Fの建物の要素がある。
自分の趣味を持たないで、日々に流されると、「こてこてのおばさん」になる。
それも不幸な・・・ というとこだ。 ただ自分で気づかないだけだが。
  それは「おじさん」にも、言えることだが。
 
 現在の日本が、この不幸の4Fに近いのでは、いや自分自身が、そうではないか?
と感じたのではないか。 いや、自分は違うと自己説得しているのではないか。
「日々、戦場」を己に課すことが、果たして幸福? 
「日々、私は何て幸せ!」と何となく思っているのが不幸?なんだろうか。
 あまり考えてこなかった中年女性が、不幸なんだろか?
 そう勝手に、他者を思い込んでいるだけじゃあないか?
        
 幸福など考えるから、訳が解らなくなるのである。
  まあ、弛緩もいいものだが! 
 幸・不幸の裏表ががあるからいいのでは、人生は。 てなところか!

・・・・・・・・・
2007年07月28日(土)
2307, 最近ホテルでは・・・
            [ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ

ホテルのオープン以来20年近く、自殺は数件あったが、病死者は無かった。
ところがこの6~7年前から、病死者が4人も出ている。どういうことだろうか。
心不全、ガンの末期の人?、脳梗塞などなど。

この月曜日、出社すると、「前日の午前中に病死者が出た」という報告。
土曜日の夜半、いや日曜日になった未明の0時を過ぎの「2980円パック」の客が病死をしたという。 
時間になってもチェックアウトをしないので、電話連絡を入れてもノックをしても反応なし。
もしかしたら自殺か?とドアを開けたところ、中年男子が裸で倒れていたという。
身体を触ったところ、既に冷たくなっていたので慌てて救急車を呼んだ。
何かの手違いで、救急車に三台の消防車もきて、20人近くの消防士で現場は一時は騒然したという。

消防士が死を確認した後に、警察を呼んで遺体は病院に・・消防士が、「脳梗塞ではないか」と言っていた。
チャックイン時に、手が震えていてカードに身元が書けないので、フロントが代わりに書いたという。
急性アルコール中毒か、それに伴う脳梗塞だったと推測される。
50歳前後の中年男性だというが、家族から昨日になって詫びの電話が入った。
病死の場合は、閉鎖の一週間分の部屋代の半額と、神主の「お払い代」が料金になる。

ここで不思議なことが一つ。別の棟になるが、前回の病死の客室のナンバーと、
今回の別棟のナンバーが5??号室と同じだったことである。
たまたまの偶然の一致か? それとも、何かがあるのか?

不思議といえば、前々回の病死の時の不思議なことがあった。ここで一度書いたことがあるが。
「ホテル業を開業して初めて自殺者があった部屋」に泊まるのが趣味だったことがある。
その為かどうか、フロントが危なそうな客を時々その部屋に泊めるという。
泊まった翌日、青い顔をして「この部屋は何かあったんじゃないかい?」と聞くとか??

ある日、その部屋に泊まった時のこと。深夜にトイレに入ったところ、人の鳴き声が聴こえてくる。
よく聴くと扇風機の音である。しかし、どう聴いても人の鳴き声に聴こえる。
何度も何度も点けたり消したりしたが、その声は泣き声である。
部屋が部屋だけにマンジリとしないで一晩を過ごした。
で、翌日に事務所に副支配人が、その部屋の真ん前に病死者が出たと報告に来た。
「嘘だろう?」と聞きなおしたが、事実は事実である。
こういうのを、ユングの「意味ある偶然の一致」ということだろう。
  それ以来、その部屋には泊まっていないが。 まあ、またそろそろ泊まるか!面白そうだから。 
  『あんた、何のため、哲学書を読んでいるんだ?こういう馬鹿なことを考えないためだろう!全く。』
                  ヽ(★>з<)アフォ〜
・・・・・・・・
2006年07月28日(金)
1942, 今日は「新潟活性化の会」
            \(^▽^*)おはよう
          
これで4回目になる。 あと一回で私の役割は終了。
地域活性のデザインつくりに加わってみて、なるほどプロセスに筋が通っているのが理解できる。
本来は代議士と市議会がすべきことだが、当事者は目が曇るのだろう。
転がっている球は自分では方向転換できないのと同じだろう。

アウトサイダーの生き方・視線が少しは役に立っているようだ。
ただ、アウトサイダーとしては、のめり込まないことだが・・
このプロセスの中で気づいたことは新潟県は危ない!本当に危ない!日本が危ない!ということと同じだが。

金沢は富山と福井を従え、その後背に関西を控えていて、これに関東が直結する。
金沢が環日本海の玄関として拠点都市になって至極当然である。 森元首相も、まだ当分隠然たる政治力もあるし、
それに引き換え真紀ちゃん、あまりにも・・・? ここでは、まあいいや。

手をこまねいているのか新潟よ!という感があるが・・でも材料が無い!いや、本当に無いのだろうか?
よく目を凝らしてみたら、過去のインフラが膨大にあるじゃないか。 高速道路、新幹線、飛行場、港・・・
 無いのは戦略構想が無いというから・・・頭の足りない巨人と同じである。

・絵図・絵図!!環日本海都市としてのデザイン描いて、知事と市長が馬鹿みたいに
 言い続けなくてはならないの! そして東港とか西港の空き地に何を持ってくるか考えるの!
・そして特区とかを造るの。東京都新潟区という隠れコンセプトを作るの!
・飛行場に乗り入れるの、それも新潟駅再開発の完成に合せて! これをゼロからやれ!といっているじゃないの!
 ホボあるんじゃないか。 無いのはグランドデザインでしょう!
・それと、あと数パーセントの投資で拠点都市のイメージと明確な位置づけが出来るの!
・20数年前に飛行場まで開通させておけば、新潟は変わったでしょ!
・飛行場周辺に、中国・韓国・ロシアの物流と情報基地が出来ていたでしょ!
・サッカー場も、イベント場も、佐渡観光も行きやすくなったでしょ!
・北関東圏の人は北海道、九州、沖縄、韓国、中国の飛行ルートも新潟になっていたでしょ!
・新潟競馬場も至近距離にあるので、もっとお客を呼べたでしょう!
・中国特区とか、ロシア特区もできていたかもしれない?でしょ!

新潟は東京の天領だったの! それを生かさなくては! 北海道に向けて、飛行場の近くから船が出ているでしょ!
これだって飛行場至近に貨客船乗り場を造ってやれば?

お客、お客、お客の立場で見てみたら・・ いくらでもネタはあるじゃない?
小手先のイベントを持ってくるとか、野球場とか、サッカー場だってどうだか?
要は新幹線なの!もう一度言う!「かなめ」は、新幹線なの!
もう一回言おうか、「要ーかなめ」は、新幹線なの!
「国際飛行場」と「港」への直結の新幹線が何処の国にあると思うの!新潟だけなの、新潟だけなの!

これと物流特区などの一大特区地区造りを加味すればよい。
おまけに新潟駅再開発があるじゃないですか。 これを利用しない手は無い! 数千億かかる話ではない・・・
コンセプトを先ず作らなくては! ーこれは日々のことを書いている「バード・ウォッチ」の内容だったが、
           熱が入っているので随想日記に格上げ?をしたー

・・・・・・・・
2005年07月28日(木)
1577, 大阪から何がみえるか−1
ー大阪の衰退は日本の近未来の姿か?

大阪と札幌から、いち早く時代の流れが見えると言われている。
特に商人の町の大阪は、いち早く時代の流れをつかんで動いた。
しかし、最近の大阪は全く変わってしまったようだ。
まずは終戦後に総合商社が、メーカーが、そして金融機関と東京に本社を移し始めた。
現在残っているのは、電力・ガス・私鉄という地域産業のみになってしまった。
更に、大阪の企業は生産拠点までもが海外に移転してしまった。

東京などの大都会には、高所得者の住む高級住宅地がある。しかし、大阪市にはそれが殆どないという。
富裕層は、神戸の芦屋や西宮の高級住宅地に邸宅を構えている。
ある意味で、金持ちの極端に少ない社会主義国の様相を示している。

その結果、何と生活保護が26人に1人になってしまった。もちろん日本一である。
西成区においては、区民7人に1人の割合が生活保護という。
(ちなみに、日本では100人に1人の割合。新潟県もその割合である。)
大阪市は全国平均の4倍の生活保護者がいることになる。
先ほど書いた、大阪と札幌はいち早く時代を先取りをすると書いたが、
生活保護は、その日本の先行きの悪さを暗示しているようだ。

下手に国民年金を払うより不払いで、生活保護を受けた方が得という。
これでは「何で国民年金の金を払う必然性があるか?」という疑問が湧いて当然である。
若いヤクザの夫婦で、偽装離婚をして母子の生活保護を受けているケースが多々あるという。
               ー つづく
・・・・・・・・
2004年07月28日(水)
1212,パスカル(1) 
 −哲学についてー22

学生時代には、パンセが常に傍らにおいてあった。
当時の不安な気持をいつも和らげてくれた愛読書であった。
現在、読み返してみて当時の哲学書の幾つかが、心の底の根幹をなしていたことに気がついた。
特に人間観は、大きくパンセに影響を受けていた。生き方はニーチェとロマン・ローランである。
当時のささやかな読書が、人生を大きく左右しているとは。

「人間は一本の葦にすぎない。自然の中で一番弱いものだ。
だが、それは考える葦である」パンセの第一節である。
彼は物理学、数学などで成果をあげたが、哲学者としても名を成した。
あまり知られてないが、慢性的な病による苦痛の中で人間とは何か、
生きるとは何かを問い詰めた。 彼の20年の慢性病が哲学を深めていった。

「考える」という一事において、「自分が苦しんでいる」という一事において、
パスカルの「尊厳」のすべてがある。パンセの中の所々に「病の善用を、神に願い祈る」部分が見られる。

ーパスカルが31歳の時、神秘的な体験した。
1654年11月23日22時30分〜24時30分の間に、パスカルの生涯を一変させる出来事であった。
「火」の夜の出来事である。(恐らく)ヨハネの福音書17,18章を読んでいた時に、白光色の「光」が見えた。
彼の死後に、上着の裏に縫い込んだ『覚書き』が発見された。 その一節が次の文章である。
ーーー
アブラハムの神、イサクの神、ヤコプの神よ。
あなたは哲学者や学者の神にあらず。 感動、歓喜、平安!
ああ、イエス・キリストの父なる神よ。 あなたが私の神となってくださったとは!
キリストの神がわたしの神。 わたしは、あなたを除くこの世と、その一切のものを忘却します。
福音書に示された神こそ実在の神です。 わたしの心は大きく広がります。
裁しき父よ、世はあなたを知りませんでした。 しかし、私はあなたを知ります。
歓喜、歓喜、歓喜、歓喜の涙!
私はあなたから離れ、命の水の源を捨てていましたが、わが神よ、あなたは私を捨てたりなさいませんでした。
どうか私が、これより後、永久にあなたから離れませんように。
永遠の命とは 、まことに、唯一の真の神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることにあります。
イエス・キリスト。イエス・キリスト。わたしは彼から離れ、彼を避け、捨てて、彼を十字架につけました。
しかしこれよりのち、私が彼から離れることが永久にありませんように。
福音書に記されたあなたこそ、実在の神です。 ああ、全き心。快い自己放棄。 イエス・キリストよ。
私はあなたとあなたのしもべたちに全く従います。 わたしの地上の試練の一日は永遠の歓喜となりました。
わたしはあなたの御言葉を、とわに忘れません。アーメン。
 ーーー
以上が、その時の文章である。心の奥で深い痛苦を抱え、社会のひずみ、欺瞞に満ちた人間関係の幻滅等が、
この一夜で一挙に溶け去った。そして歓喜にいたった。キリスト教徒でない私が読んでも感動する言葉である。                     
                      ーつづく
・・・・・・・・
2003年07月28日(月)
845, 親父の小言  わが愛息へ
 −親の小言と 冷や酒は後で効く

火は粗末にするな     朝は早起き機嫌良くしろ
人には腹を立てるな    風ふきに遠出するな
恩は遠くから返せ     年寄りをいたわれ
人には馬鹿にさせていろ   子の言うことは八九聞くな
年忌法事は怠るな     初心忘れるな
家業には精を出せ     借りては使うな
働いて儲けて使え     不吉はいうべからず
人には貸してやれ     難渋な人には施せ
女房は早くもて      義理はかかすな
博打は打つな       大酒は飲むな
大飯は食うな      判事はきつく断れ
世話焼きにはこるな    貧乏は苦にするな
火事は覚悟しておけ   水は絶やさぬようしろ
戸締まりは気をつけろ  怪我と災いは恥と思え
何事も身分相応にしろ   小商ものは値切るな
神仙はよく拝ませ    産前産後大切にしろ
人の苦労は助けてやれ   病気は仰山にしろ
浮気は程々にしろ    家内は笑うて暮らせ
 ーさればとて墓に着物は着せられず

・・・・・・・・・ 
実をいうとオヤジに小言を一回も言われたことがない。おそらく8人兄姉の末っ子というのがあるのだろうが。
その代わりに、隙を一部でも見せると鋭い皮肉が飛んでくる。
社員を多く使っていたためだろうが、父の皮肉ほど恐ろしいことはなかった。
父が亡くなったとき、反面ホッとしたところもあった。ゴッドファーザーの影が消滅をして解き放たれた為。
「親の死は子供に対する最大のプレゼントである」というが、ある部分当たっている。
そうすると私も早く死ななくてはならないが。
 
両親は最大の教師である。「子を持って知る親の恩」というが、歳を重ねるほど実感をする。
無条件に限りない愛情を与えてくれるのは親しかいない。
若い時この文面を見て感じたことと、今とでは全く感じ方が違っている。
経験が、この言葉の奥深い意味を裏付けるためだ。
冷酒と親父の小言はあとで効くというが全くそのとおりだ。身につまされる文章が多くある。

 ところで一昨日、この下書きを書いた直後、家内と新規開店したばかりの全国チェーンの
居酒屋に行ってきた。帰りに大きな湯呑み茶碗を貰って帰ってきたが、そこに「親父の小言」
の同じ文面が書いてあった。シンクロニシティー(意味ある偶然の一致)だろが面白いものである。

・・・・・・・・・
2002年07月28日(日)
470, いい人とは

この意味を考えたことがあるだろうか。子狐レベルの対話の「いい人悪い人」の話である。
突き詰めると「自分にとって都合のよい人」でしかない。
「いい人の振りをしよう」というのが子狐の名前の語源といってよい。
「その時の自分の都合のよい権力者に擦り寄っていく」のも、もう一つの語源だが。

あの人は本当にいい人だーそう自分にとってとっても都合のいい人だ。
ただそれだけだ。 それが解ってないからお互い傷つけあうことになる。
都合などその都度変わるからである。
ゲゼルシャフトー契約社会とゲマインシャフトー血縁社会の差も一生理解できないレベルである。
少し知り合うともう何か相手を利用することだけを考える人がいる。
教養のない女ー特に小汚い中年の女に多い。男も子狐というレベルの男もそうである。

こういう人間にとっての人脈とは利用できる集団か、人との繋がりでしかない。
人脈とは「自分が過去奉仕し続けてきた貸しのある繋がりである」ことが解らない。
少なくともいい人の振りをしないことだ。ベタベタした人間関係がこういう誤解をつくりあげる。
地方などの非移動社会ー固定社会では、いい人を演じなくてはならないのか?
どうであろうか?!真っ当に生きようとしたら、悪い人を演じなくてはならないのか?
いい人とは善悪という道徳的価値観が、それも小さな社会の縛りが入ってくる。それも気違い部落の?

・・・・・・・
2001年07月28日(土)
[90] 人生のコツ

ツアーで今ひとつの楽しみは、全国より集まってくるツアー仲間である。本当に色々な人がいるものだ。
推測だがどこかの高校の校長だったのではないかと思われる67歳初老の人の事が印象的であった。
「60歳までに50回の秘境を中心にした海外旅行と、人生の余白を可能な限り 埋め尽くす生き方」を
その人の感化でその旅行で決心した。

その人の言うに「自分の父の家系は40歳前半までに全員死ぬ家系!
若いときよりその死期までに人生総て生ききる生き方をしてきた!
家族で日本中を車で総て回る計画を立て実行、そしてその時期がやがてやってきた。
しかしどういうわけか死ななかった。それなら一年一年が勝負と世界中を回る計画をたて実行、
いまだ死なず世界中をほとんど回ってしまった。」

この時, これだな!と思った。そして先ほどのの決心をしたのである。
「人生は後回しでなく、前回し」人生だけでなく何事もそうであるが。
その時「貴方だけが何故生き残れたか、こころあたりは?」の私の質問に
「毎日朝食にキャベツを千切りにして、紫蘇のドレッシングをかけて食べている」
との答え。 後は好きな事だけをやる事だそうだ。
 
 なるほどと考えさせられた。


2670, おばさん、の話

2008年07月27日(日)

「おばさん」という言葉が、既に「何とかハラスメント」という圧力があるという。
 ーおばさんとは、
「女という演技を止めた女性」
「男と同じ部分をみつけて、同化を始めた女性」
「老化のバランスの崩れに対して抵抗しなくなった女性」
「世間という世界にドップリ漬かった中年女」等々、書けば幾らでも要素が出てくる。

女という演技を止めた女というのが、言いえて妙。
女性が一番美しいのは、40歳前後という。 おばさんへの、折り返し地点であるからだ。
演技を止めようか、それとも最後の濃艶な女を演じようか、その際(キワ)が光輝くからである。
一子(長男、長女)の子どもから手が離れ、少し余裕が出てくるが、多くの問題が一挙に押し寄せる時期。
人生の境目でフト我に返ったときに、女の最後の美も失われようとしている。 
「私の人生は何だったのだろうか。男(亭主・恋人)には仕事という生甲斐がある。
自分には、空しい小さな世間しかない。 これでは、自分の人生は浮かばれない。」等々の妄想がよぎる。
肉体的には本格的な老化が始まり、精神のバランスも崩れる。
まさに人生の断崖絶壁に立っているといって過言ではない。 何か解るような気がする。
ここを、そのまま過ぎると「こてこてのおばさん」の弛緩した日々が待っている。 
自分の趣味を持たないで、日々に流されると、「こてこてのおばさん」になる。

そこで、「おばさん」という言葉から、女性の魅力とは何かを導き出してみよう。
・女という魔物の演技を自作自演でする
 男のニーズに合った女づくり
・男とは違う部分を強調し、そこをアピールする
・「美とはバランス」という事実を意識して、バランスの崩れを諦めないでフォローする。
・世間とは、その辺の5〜6人と割り切り、彼らとは違った個性を追求する
  等々になる。
その位のことは、誰でもしている? いや、それを止めないことです!
私の知人の女性が、最近、ある会社の営業に勤めだしたという。
間接的な話しだが「そこはジェラッシック・パークというより、動物園の世界だった」という。
その言葉の中に、何かしら中年にさしかかった女性たちの姿が目に浮かぶようだった。


・・・・・・・・・・
2007年07月27日(金)
2306, 1歳の息子に届いた成功者100人からの手紙 −1
             |* ̄o ̄|お|* ̄O ̄|は|* ̄。 ̄|よ 
            祥伝社 チャールズ・J・アクイスト
                    ー読書日記
   このようなプレゼントを、かって見たことも聞いたこともなかった。
   そのユニークな依頼に誠実に答えてくれるアメリカ人が素晴らしい。
   成功者は、何かの共通した言葉を持っている。
   過って一歳だった自分の子供へのプレゼント!という、思いもあるのだろう。
   彼らのシンプルだが真髄をついた言葉には感動するものが多い。

米国の弁護士の著者が、息子の1歳の誕生日のプレゼントとして
「世の中で成功している偉人から、人生で成功するための助言をもらう」
というアイデアを思いつき、1年近くかけて実行。
依頼をした「成功者」のジャンルは、政治、経済、芸能界、スポーツなど。
大統領、大リーガーなどの著名人からの素晴らしいアドバイスが届けられた。

   本書はそもそも、極めてプライベートなものとして依頼されたもので、
  「本にする」というアイデアは、依頼者の一人のリチャード・ブランソンが、
   出版のための依頼だと勘違いして手紙に書いてきたところから思いついたもの。
   その為に出版にあたっては、返信してきた全員に再度依頼して承諾書をもらった。
   その結果、95%の人は快諾し出版に至ったという。
   この本の利益は、全て寄付をするという言葉も書き添えたところが良い。

著者が送った質問は次の通りである。
*どうすれば人生で成功できますか?
*世界で一番大切なことはなんですか?
*愛とはなんですか?
*幸せとはなんですか?
(次回、私のこの答えを書いてみようか?)

   これに対する答えが、回答者の価値観を浮かび上がらせている。
   上記質問に対して、空欄に答えを書いて返信してきた人、
   書ききれず別途に長文を書く人もいた。
   著名人だけあって、自分専用のレターパッドを使っている人もいた。
   レターパッドにタイプ打ちして、自筆のサインを見ると
   この人はこんなレターパッドなのか!とか、サインはこんななのか!とか、
   普段あまり目にすることのできない、側面を見ることができる。

読んでみると、なかなか心のこもった座右の銘が多い。
次のことは、その中で多く見られた言葉である。
  一番のベースとして、大事なことばかりだ。
「ベストをつくせ」「家族と友人を大事にしなさい」
「愛とは、見返りをもとめないこと」「決してあきらめない」
「誠実であれ」「好きなことを極める」「親のいうことをきけ」 等々ある。
   以下、印象的な人の言葉を抜粋してみる。
   ーーー
●良い判断を下すには情報が必要だ。
●すべての善人に過去があり、すべての罪人に未来がある。
●自分の性格判断の簡単な方法は、何もしてくれない人にどう接しているかを知ることだ。
●言いわけはするな。友人には必要ないし、敵は信じないから。
●信仰心に栄養を与えて育てれば、疑念は飢えて死ぬだろう。
●勝とうという意欲より、勝つために努力しようとする意欲の方が大切である。
           モーガン・ウーテン(高校バスケットの名コーチ)
 −−−
●ぼくのアドバイスは、
‘毎日を最後の日と思って生きよう、そして自分を信じよう’
            リチャード・ブランソン(実業者ー冒険家)
 −−−
●自分の身に起こることを常にコントロールすることはできないが、
起こったことに対する反応をコントロールすることはできる。
失ったものはあきらめ、負けないすべを学ぼう。
           フィル・ニークロ(元大リーガー)
 
 まだまだ、面白いもの多くある・・・     −つづく
                 (○´ω`○)ノ**SeeYou**again!
 ・・・・・・・・
 2006年07月27日(木)
1941, ローマから日本が見えるー16
                \(^▽^*)おはよう
第七章「創造的天才カエサル」−2
    ー植民都市の建設ー

  徴収上の問題を解決をすると同時に、カエサルが行ったのは、属州にも
  ローマ市民権を積極的に増やしていく方策であった。
  ローマと属州が共同運命体になるには、属州にもローマ市民を
  積極的に増やしていく方策である。

彼は大きく分けて二つの方法で、属州在住のローマ市民を増やしていった。
・一つは、族州民にローマ市民権を与える方法。
  「古くからローマ人は敗者も同化する」という独特な哲学を実践していたが、
 それを属州民にも適用していった。ガリアや北イタリヤにとどまらず、
 スペインの原住民の有力者にも、ローマ市民権を与えたのです。
 後世の歴史家が、ヨーロッパはカエサルが創造したとする、ゆえんである。
・第二は、カエサルはローマ市民を属州に送り込んで、
 そこに「植民都市ーコローニア」を造らせるという方法であった。
 すでにローマはイタリア半島に防衛拠点に植民都市を建設していたが、
 それを属州までも広げるというやり方である。
 
 このアイデアはカエサルの独創ではない。
 かってグラックス兄弟の弟ガイウスが試みて元老院に潰されたカルタゴもそうだし、
 ポエニ戦役当時スキピオ・アフリカヌスがスペインに建設させたイタリカも、
 ローマ人が建設をした本国外の「コローニア」の例である。
 カエサルは、この植民都市をより多く建設していくことだけだった。
 カエサルのこの政策によって、属州に移住したローマ市民は8万人にも達した。
 これは、あたかも棄民のように思われるが、そうではない。
 植民者となったのは、ローマにいても仕事の無い失業者であり、カエサルの軍団の兵士だったからだ。
 カエサルのこの「植民都市」の建設は一石三鳥の効果をもたらした。
 これらの政策によって、ローマと属州は「運命共同体」への道を歩み始めた。

カエサルはローマ本国と属州との一体化を進めるための方策として、これ以外にも様々な政策を具体化していった。
 ・首都ローマと属州を結ぶ街道ネットワーク整備がそうだ。
 ・また通貨の改革
 ・ユリウス暦の制定もそうだ。

カエサルは元老院が造幣権を一手に握っていたのを、これを取りあげて、
国立の造幣所を開設し、そこで金貨・銀貨を作らせてることにした。

  ユリウス暦の制定にも、カエサルの考えが反映されている。 同盟関係にあったエジプトから天文学者、
  そしてギリシャからは数学者を招いて、正確な暦作りに着手する。こうして出来上がったのが、一年が365日、
  4年に一回、うるう年が入る太陽暦であった。 これがユリウス暦である。
  これで貨幣として「基軸通貨」をつくり、暦としてユリウス暦という「基軸暦」をつくった。
  歴史は一朝では作られない、数千年の時間の中で、多くの血と汗で作られている。
                    i (ω・`) bai
・・・・・・・
2005年07月27日(水)
1576, 次にくる波 
ー2007年から、いよいよ経済大変動がやってくる
 著者:浅井 隆           −読書日記

HPに「次にくる波」の概略が解りやすく書いてあった。これを数回読めば、買って読むことも無いだろう。
少しオーバーと割り引いて読んでみても、現在の日本は異常事態である。
何らかのクラッシュをきっかけに、このような最悪な事態になる可能性は大きい。
ゼネコンと政治家と官僚のタカリシステムをみても、絶望的になる。

初めはマサカと思いながら読んでいても、決して有りえないことでない。
「これから5年 土地の価格が半値になる」「日本壊死」「日本崩壊」と、悲観的な本を読んで、
先行きを考えると末恐ろしくなる。しかし、これが現在の日本の現実である。

小さいからこそ感じるのだろうが、経営の舵取りをしていて経営環境の激変を実感する。
情報化という波が、根こそぎ世の中を変えている。
  以下は、そのHPの要約である。
  ーーーーー
ー過去を変えることはできないが、未来を創ることはできるー

多くの人は、戦後から現在までの60年間の日本の歴史を一つの時代として
認識していることだろう。しかし、本当の意味で過去を振り返った場合、
日本が太平洋戦争に負けた以降の60年間を時代的に3分割してみるべきだと私は思っている。

・第1ステージは
1945年8月15日、
日本が負けた日から朝鮮戦争が始まる前日の1950年の6月24日まで
(翌25日、北朝鮮軍は38度線を突破して韓国領内に侵攻した)の5年間である。
戦闘はアメリカを始めとする西側諸国や中国を巻き込んで、38度線を境に行ったり来たりの攻防戦を繰り返し、
3年後の1953年7月27日の終戦まで約3年間続いた。この戦いは、日本にとっては復興へ向けての
最大のチャンスとなった。朝鮮戦争がなければ、戦後の日本の繁栄はあり得なかったかもしれないという
ほどの出来事だった。これを契機に、アメリカを中心とする自由主義諸国、
ソ連を中心とする共産主義諸国との間で決定的な対立を生む冷戦が始まった。
この時にアメリカはそれまでの日本弱体化政策を改め、日本を極東最大の同盟国として育て、
アジアにおける自由主義諸国連合の防波堤にするという大きな政策転換を図ったのである。

・第2ステージは、
1950年6月25日から1989年12月29日までの40年間であり、日本にとって本当に素晴らしい時代だった。
しかし、おそらくこんな時代は二度とは来まい。89年、戦後の夢のような時代が終わりを告げるのを見計らったように、
社会主義諸国に異変が起こっていた。89年にベルリンの壁が崩壊し、 ついに91年12月21日、
社会主義国家の牙城ソ連が崩壊したのだ。 この時、アメリカは気が付いた。
冷戦が終わり、自由主義圏の勝利が明白になり敵がいなくなると。
ところが、その敵がいなくなってふと自分の周りを見渡してみたら、
身内と思って育てていた日本という飼い犬に噛まれていたことを。
こうして、1989年12月29日に1つの時代が終わり、
正月を挟んだ翌90年初頭から日本の株が崩れ、新しい時代が始まった。

・第3ステージは、
今まさに私達が生きているこの時代である。
そしておそらく、この第3ステージが終わるのは2005年。
第3ステージはいろいろなことが起こった。
株価は2003年4月に7600円で大底を打ち、最盛期の約5分の1になった。
土地は東京都心の一等地でも、ひどいところは一時の8分の1〜10分の1まで下がった。
40年間で膨らみきった日本の経済は、この15年ほどで一気にぺしゃんこになった。
本来ならばそこで、政治家や官僚、そして国民も一丸となって、来るべき時代に
相応しい新しい産業構造や国家の形を模索しなければならなかったはずだ。
ところが政治家や官僚は問題を直視しようとせず、延々とツケを先送りし続けた。
そのしっぺ返し、しかも取り返しがつかない規模の大激震がいよいよ2006年から
始まろうとしている。

・つまり、そうした時代こそが、2006年から2030年にわたる第4ステージだ。
既にその前兆は至る所に現れている。
例えば増税論。そして近い将来、金利が急騰するかもしれないという話も語られ始めた。
今の日本の長期金利の1.55%(2005年1月)という水準は、
国家が極度の不健康状態であることを示す値なのである。
ではもし、長期金利が平常の5%、6%になったらどうなるだろう。
日本は今、国・地方・財投(財政投融資)を合わせて1100兆円の借金を抱えている。
その金利がある日突然1%台から5%台に上がれば、毎年利息分が最低でも
30兆円程度増えることになる。
国の信用力を背景としている国債が大暴落し、それが引き金となって
金利が上がるという負の連鎖によって、国の経済はあっという間に瓦解する。
 ーーー
これがHPで調べた内容であるが、割り引いて考えても
最悪の事態を常に想定しておかなくてはならない事態である!

・・・・・・・
2004年07月27日(火)
1211, 哲学についてー21
 ー哲学つれずれに

「哲学について」は、読んでいる方は面白くないだろうが、書いていると意外と面白い。
自分の内面を見つめていることになるからだ。
そして、自分の考えと思っていたことが、以前読んだ哲学者の言葉でしかないことに気づいたり、
それまで考えていたことが浅知恵でしかなかったことに一人赤面をする。 私たちが経験して考えたり、
脳の中で考えたりしていることなど、先人は数百年前、数千年前に既に考えていたのだ。

書き連ねるほど、自分の知識と未知のラインが見えてくる。
哲学のバカバカしさと反面、深さと効用も解ってくる。
哲学をきちっと勉強をしておけば、新興宗教に引っかかったり、社会の表層に
流されたりはしない。教養の背骨になっていることも事実である。

学生時代の寮に、「哲学さん」というアダナの先輩がいた。何時も一人でニヤニヤしてブツブツ言っていた。
「あまり哲学を勉強をすると、ああなるのか!」と、哲学は程々にしていたが。
しかし、人間最後は一人で考え決断をしなくてならない局面で、哲学の基礎教養は最も重要に働く。

周辺に、常に人生の重要な局面から逃げ回っている人が多い。
哲学や宗教などの基礎知識がない人だが、必ず大きな壁にぶつかっている。
自分からは逃げることができないからだ。-他人事ではないが!自分と直面をした時に、哲学が始まる。

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2003年07月27日(日)
844, パイロゲン

 十数年位前に知人に紹介されて、パイロゲンという健康ドリンクを飲んでみた。
たまたま初めて飲んだ日に「飲み会」があった。
酒がそのままストレートで・・・一晩で10回以上トイレに行くことになった。
しかし次の日は二日酔いは全くなし、早速常用するようになった。3年以上は飲み続けた。
 その前後に胚芽米酵素の『ハイ・ゲンキ』という健康薬品を飲み始めた。
ところが、この二つを同時に飲むと、効きすぎの感がした。
ききすぎるのか脱水が激しくなり、数ヶ月で体重が数糎困辰討靴泙辰拭
二つを同時に飲むのは合わないらしい。どちらか一方と考えて『ハイ・ゲンキ』を選択した。

いま考えると、パイウオーターを薄めて夕方飲み、朝には玄米酵素元気を飲み続けるべきであった。
3年前にある知人の事務所に遊びに行くとパイロゲンをお茶代わりに出してくれた。
二年前に軽い脳梗塞にかかったが、知人に紹介されたパイロゲンを飲んだところ、
ほぼ全快したという。今はお茶代わりに飲んでいるという。そこで再びパイロゲンを飲むことにした。
現在、健康食品は『ハイ・ゲンキ』と『アガリスク』と『ヤクルト』を飲んでいるが、
3年前より『パイロゲン』が加わることになった。 特に酒を飲む直前に飲むと即効性がある。

 それぞれの人が、その人に合った健康食品を飲んでいるようだ。
生姜を乾燥させ粒状にしたものとか、梅干などだ。自分にあったものを早く見つけて継続することだ。
ある人にいわれた、「真っ当に生活していれば健康食品など必要ないのではないか」
そこで「真っ当な生活ができないからこそ飲んでいるんだ』と答えた。
  以前も書いたが川柳に
 ー 健康法 人に説いて 先に逝き ー
 が正しく矛盾をついている。

・・・・・・・
2002年07月27日(土)
469,チンパンジーの話

チンパンジーの集団行動について2~3年に一度くらいTVでドキュメントを放映する。
大体が京大の研究グループのものだが、違うものもある。 面白いので必ず見ている。
彼らの集団は猿の集団と一緒で一匹のボスで率いられている。 常に二番ボス、三番手がいて、
その序列は実力により明確に決まっている。 ボスは常に二番手の脅威にされさてている。

時に二番手と三番手が組んでボスを追い落とすこともある。
ボスも時にデスプレーとして、ヒステリックに木や石を投げつけたりして自分の存在の示威行為をする。
時にボス争いで死闘が行われたりする。 その争いは政治家の派閥や権力争いに酷似している。
チンパンジーの研究は人間の原点の研究でもある。

ボスのいない時に浮気や小競り合いなどある。 若い恐れを知らないチンパンジーに対するリンチ事件や
序列争いも人間に酷似している。今でもハッキリ憶えているのが、あるボスがメスに恋するが
全く相手にされず遠くからメスを見ている目付きが人間のそれとそっくり。
おまけに下半身が!!しているのが、あまりに人間的だった。

彼らは下痢をしたとき枯葉で尻を拭ったりする。またウンチを踏んだときも葉っぱに何度も足を拭ったりする。
風邪で鼻が詰まったときなど、鼻に小枝を入れてクシャミを誘発したりする。笑いに似た表情をしたりもする。
集団でアカゲザルの狩もする。遺伝子の研究がすすむにつれて、彼らは人間の範疇でないかという説もある。
ボノボという種類の猿は更に人間に近い。 TVゲームもできて、その姿は空想映画のようでもある。

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2001年07月27日(金)
[89] 城と教会そして宮殿

ヨーロッパはお城と教会そして宮殿が素晴らしい!何処の街に行ってもこの三点セットはある。
それぞれの個性という点で素晴らしい!

また周辺のくにを侵略して富を根こそぎ奪うのだから規模が違う!
美的センスもよい。外観を眺めているだけで充分満足できる。
文化という点である時期、王侯貴族のシステムも必要であろうか?


2669, 日本経済の崩壊と資産防衛 −2

2008年07月26日(土)


ドルが暴落をしたところで、アメリカは何の損失も受けることはない。 
金本位制度に戻せばよいからだ。 無制限に刷ったドルで金を買い占めておいて、権威の失墜したところで
金本位制度に戻せばドルの価値は戻る。 その時点でアメリカはドル本位制度に戻す選択肢を持っている。。
ところが落ち込んだ日本円は、元に戻ることは無い。 金そのものがアメリカの40分の1しかないのである。
もちろん、アメリカは、金本位制度のドルと、それまでのドルは交換できない仕組みにする。
そう考えると、国家戦略としての奪略である。  日本を属国にしておく為に金の備蓄に異常なくらい
圧力をかけたという。 日本など、使い捨てで最後は全てを剥奪する手はずになっている。残酷なものだ。

アメリカ本土には穀物だけは充分に生産能力がある。更にアラスカには資源が充分に埋まっている。
日本がアメリカの国債を500兆円近く持たされている事実をマスコミは騒がないが、既成の事実である。
これらも価値として半分、いや三分の一になる可能性も出てくる。

地方は実感として、既に恐慌一歩手前になっている。 
これにガソリンの異常高とくれば、一人一台という所有が当たり前の地方では、深刻な家計の問題が生じる。
農業・漁業、公共事業で景気維持をしていた地方は、この一連の経済崩壊の中で、更に悲惨な事態になる。
その上に年寄りの多い地方は、年金破綻が大問題にもなる。
実際には第二次大戦と、明治維新の時代より、大きな時代の変化に晒されているのである。

日本のバブルが弾けたときに株価が6分の一になったが、それからするとアメリカは3千ドル代になる。
ドルも60円を割ることになるだろう。 これから10年スパンで考えると、こと日本は最悪の道を辿るしかない。
アメリカのドルは64間年で、30分の一価値に落ちてしまった。 
それは金一オンス、一ドルの値段が、35ドルになってしまったことからも知ることが出来る。

35年間つづいた米英の通貨支配が終わり、多極化の時代に入りつつあるということだ。
この時代にアメリカの属国だった日本が、このプロセスの中で一番の劣化をするしかない冷徹な事実がある。
中国は製造工場として、インドはサービス業を特化して、それぞれ特性を生かし紆余曲折を繰り返しながら
成長をするだろう。 その中で日本は、企画製造型のメーカーという生き方が主流になる。
知恵を生かした会社経営が求められる。個人としては知恵を生かした生き方である。
ドラッガーは「知識社会」の到来を予測していた。そのモデルが日本と言って無いが、充分に条件は揃っている。

とりあえず、今年も含め目先数年は、緊急事態である。 緊急処置をとらなければ手遅れになる。

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2007年07月26日(木)
2305, ぼくの血となり肉となった500冊・・・
                 ー立花隆著
                      ー読書日記ー
   6年の間、毎日一文章を書き上げてきてプロの物書きの凄みが見えてきた。
   特に一流といわれる人の圧倒的読書量と、書き上げてきた多岐にわたる文章の多さに
   唖然とする。問題の在りかを見つける感覚と、それを正確に文章に書きあげる能力は、
   シッカリした下積みの基礎があるのだ。 どの世界でもプロは甘くはない。
   底知れぬ能力ある人たちの中で頭角を現すのは、そう簡単でない。
   しかし、ここまで見せつけられると納得をする・・もの書きの下積みのインプットは尋常ではない!

ーその一部を抜粋するー

私はいちばん真剣にいちばん多くの本を読み、本格的な人格形成を行ったのは、
二十四歳で大学を卒業して文春に入り、三十四歳で「田中角栄研究」を書くにいたるまでの十年間である。
その十年の間に、私はせっかく入った文春を辞めて大学に戻ったり、はたまた大学をやめてもの書きになったり、
もの書き稼業を捨てて、新宿でバーを経営したり、かと思うと、何もかも捨てて、中近東とヨーロッパを放浪する
旅に出たりと、あまり尋常ではない人生の軌跡をたどっていた。その十年の間に、私ははじめての著書
『素手でのし上った男たち』を上梓し、つづいて第二の著書『思考の技術』を出版した。

またこの時期にゴーストライターとして、香月泰男名で『私のシベリヤ』を刊行したし、立花隆とは別の
もう一つのペンネームである菊入龍介名義を用いて『日本経済・自壊の構造』という本を出した。
同じ十年聞に、立花隆名で「文藝春秋」「諸君!」「潮」「週刊文春」「週刊現代」に、多数の雑誌記事を書いたが、
実は、全くの匿名で、その何倍もの原稿をさまざまの週刊誌、月刊誌に書いていた。
そのような文筆活動を通して徐々に活字の世界で立花隆の名が知られるように
なっていったが、必ずしも世に広く知られるようになったわけではない。

しかし、三十四歳のときに書いた「田中角栄研究」によって人生が一変した。
ということは、二十四歳から三十四歳にかけての十年間を一言で表現すれば、「田中角栄研究」以前の十年間になる。
その十年聞は若干のアウトプットもしていたが、圧倒的時間をインプ・トにさいていた。
生活環境は次々に変わっていったが、とにかく読書にさく時間がいちばん多かった。
つまり、私の血肉になる読書の大半は、この時期になされたのである。
それがこの時期に焦点をあてようと思った最大の理由だ。
  (字数の関係で中略カット2008年07月26日)

 −−
    これを読んだだけでも、この人の圧倒的な知識を思いやられる。
    他人は他人とはいうが、それにしても知識という面で自分を対比すると、
    その貧弱さに呆然とする。外務省の佐藤優も、そうだが・・・

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2006年07月26日(水)
1940, 新潟活性化案ー3
         おっ w(゚Д゚)w  ハァョ〜
7月の22日、三回目の新潟活性化のための会が、会社の事務所で開かれた。
県の??と、長岡、三条、新潟の地区の経営者など7人の会であった。
7月の28日に開かれる会の下準備の意味もあった。
当日の朝、それまで二回の会の主だった流れを以下の通り纏めてみた。
 ーー

・環日本海拠点基地としての位置づけを明確に打ち出す
 −首都圏の日本海への窓口として物流や工場の基地としての機能を充実させる   
・環日本海基地としての拠点として 新幹線の東京駅から直接乗り入れの国際空港を打ち出す。
・新潟駅再開発が、今年施工命令を出されたが、 その工事に重ねて新潟空港と機能を一体化をしていく。
 新幹線の延長線路に新潟駅と国際空港のリニアを共同運用をする。
 飛行場周辺に10~20万単位で土地を先行取得し、高層ビル特区として
 容積率を1000パーセントにアップして取得額の倍を目標にして売却。それを工事費用の一部に当てる。
 350億の試算になっているが、単線など考えられるあらゆる知恵を使い半額以内にコストを抑える。
  そこの住民はリニアカーを格安で利用できるようにする。
     キーポイントは、
     *東京駅からの新幹線の飛行場乗り入れ
     *新潟駅再開発との共同事業
     *新潟駅と飛行場と飛行場周辺地域との一体化
     *飛行場周辺の高層ビル特区による事業費の捻出
     *飛行場周辺の特区構想ー  養老特区、外国人特区、物流特区、中国人特区、レジャー特区・・・
     *北陸新幹線への待ったなしの対策として完成を2015年(新潟再開発新駅の完成)を厳守する
      ーー
   
地元の経営者は、現在の新潟県の環境に非常に厳しい危機感がある。だから、こういう会が開かれているのだろう。
北陸三県対新潟県の地域間競争が切って落とされようとしている。
そして、どちらが勝利を収めるか誰の目にも明らかである、それに対して枝葉末節の対案も出せないのが現状。

    2014年の北陸新幹線の開通までに新幹線の新潟空港の開通、そして特区構想の推進。
    そのプロセスを通して環日本海拠点基地化を確固たるものにする。
    その最終の計画を早急に決め、その手順に入らないと手遅れになること必定。
    凡庸な?政治家ー前県知事などや地元国会議員・・
    ーのお陰さまで手遅れなのかもしれない。このままでは新潟県の衰退が激しくなる。

このさい東京都新潟地区と割り切った方が良い(元々新潟は幕府の天領だったのだから)。
昨日の地元紙の新潟日報の中越・上越版で 「発車ベル9年前」−上越地域と北陸新幹線ー
という特集のシリーズが始まった。 かなりシビアな内容である。 タイミングもよい!

    全くどうなっているのだろうか、この県は? 野球場じゃないじゃないか!
    同じ200億をかけるなら、東京駅からの直接乗り入れの飛行場だろう!
    そして飛行場周辺の極東地区に向けての本格的な物流・情報拠点づくりじゃないか!
    東京都新潟地区づくりでよいのだ。「日本海を内海とみたてた長期的ビジョンの地域つくり」
    こそ、早急にたてる骨組みである。

何処かの新幹線駅建設が住民の反対意見で取り止めになりそうだ、というレベルと、この延長工事は違うはずだ。
それさえ解らないのだ! 私はこの辺で、この論については打ち切りだが!
これは政治家がやるべきことである! 何で私がここでいわなくてはならないのか?まあ、面白い経験であった!
  
2007年7月26日ー後記 
 それもこれも、猿回しの猿でしかない! ということだ。                           
                             (*^▽^)/ ホンジャ!
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2005年07月26日(火)
1575, 道路公団副総裁が逮捕!

現職の道路公団の内田副総裁が逮捕された。
道路公団に対する公聴会の席での猪瀬氏の質問に、慇懃な返答をして中座した男である。

道路公団発注の鋼鉄製橋梁(きょうりょう)工事をめぐる談合事件が、現職の副総裁の逮捕になってきた。
道路公団そのものが??の巣窟というのは公然の秘密である。いや、猪瀬氏が暴露をしていたが。
歴代の総裁、副総裁を含めて、組織そのものが??集団ということだった?
こういう日本の談合体質が暴露されていくのは非常に良いことである。
現在の日本の役所とゼネコンの関係の象徴的なカタチと見てよい。

石原都知事の息子石原伸晃氏が、前の総裁に、「もし、真実を言えば死人が出る」
と凄まれたことが記憶に新しい。これでも今後も、この巣窟はそのままの体質でつづくだろう。
改革のため、新たに総裁になった近藤総裁も知らないわけが無い。
改革などしようという意志など全く感じられなかった。この男も早かれ更迭をしなくてはならなくなるだろう。

いままで、これで通ったことが今後はそうはいかなくなったのだ。
今後とも、内側から多くの暴露がドンドン出てくるだろう。道路族議員の数匹が逮捕されるかどうかだが。
改革の真っ只中の道路公団の副総裁が逮捕とは、全くの異常事態である。それにしてもよく逮捕したものである。
郵政の民営化の法案が参院を通るかどうかの瀬戸際に丁度良いタイミングである。
政治的な思惑はあったのかどうか?だが。

ーーーーーーー
ー産経新聞の記事から
2005年7月25日

道路公団副総裁を逮捕 
独禁法違反ほう助と背任 橋梁談合事件

 日本道路公団発注の鋼鉄製橋梁(きょうりょう)工事をめぐる談合事件で、
 東京地検特捜部は25日、受注調整を助け、道路公団に不要な支出をさせたとして、
 独禁法違反(不当な取引制限)ほう助と背任の疑いで、
 道路公団副総裁の内田道雄(うちだ・みちお)容疑者(60)=川崎市多摩区=を逮捕、
 東京都千代田区の公団本社を家宅捜索した。

 国発注工事に端を発した事件は、道路公団本社の捜索、公団OBらの逮捕などを経て、
 現役の公団首脳が関与した「官製談合」に発展した。

 調べによると、内田容疑者は元公団理事の神田創造(かんだ・そうぞう)容疑者(70)
 =前横河ブリッジ顧問、独禁法違反容疑で逮捕=が受注企業を決める形で各メーカーが
 談合していると知りながら、昨年5月、神田容疑者の依頼を受け、一括発注が決まっていた
 「富士高架橋工事」を分割発注に変更するよう公団静岡建設局職員らに指示。
 分割工事で受注企業が増え、神田容疑者の調整を容易にさせて談合を助けた疑い。

 また分割工事にしたことで一括工事よりコストがかさみ、道路公団に少なくとも
 約5000万円の不必要な支出をさせて損害を与えた疑い。
 公団ルートでは、メーカーの担当者が談合組織「K会」「A会」の総会で
 神田容疑者の受注調整に従うことで合意、神田容疑者が落札予定企業を割り付けたとして、
 東京高検が6月末に公団本社などを家宅捜索し、今月12日には神田容疑者ら5人を逮捕。
 東京地検特捜部が中心になって公団の関与を調べていた。

 内田容疑者はこれまで政府の道路関係4公団民営化推進委員会で
「落札率(予定価格に対する落札価格の割合)が高いから即談合と決め付けるのはいかがなものか」
「あくまでも競争の結果」などと発言してきた。 また、6日の記者会見では
「談合に関連しているのではないかといわれているK会、A会、かずら会という組織、
 その存在そのものを承知していない」と強調していた。 (共同)
 
・・・・・・・・・・
2004年07月26日(月)
1210, つれづれなるままに

 ーアメリカの最終断末魔ー
アメリカの双子の赤字は何を意味するのかを考えると、底知れない恐ろしさをおぼえる。
石油の決済は、全てがドルでおこなわれている。 アメリカがイラクに侵攻したのも、フランスや
ロシアがフセインとユーロダラーで決済をしようとしたからといわれている。
現在の世界の石油の決済は全てドルでおこなわれているが、ユーロでおこなわれれば、ドルへの信頼感が薄れる。
輪転機でドル札を刷って世界中から物資を集めていたシステムが壊れてしまうからだ。
アメリカにとって双子の赤字など、全く問題はない。輪転機の紙切れの数字がマイナスをあらわしているだけである。
それとアメリカ国債も同じく紙切れでしかない。 かろうじて、その二つの暴落を防いでいるが、
ある日突然で恐慌を引き起こして、その価値を落としてしまえばよいだけだ。
全く酷いものである。手形乱発とどこが違うというのだろうか。
そのアメリカの属国が日本である。日本がその一番被害を被ることになる。
 アメリカの断末魔の後は世界大恐慌となり、日本崩壊は?

 ー「有限会社」が廃止ー
再来年から、有限会社制度が廃止されて株式会社に一本化されるという。
現在の実体からして、中小の株式会社と有限会社を区別をする必要性が乏しいと判断された為だ。
これまでの中小の株式会社に規制を有限会社並に緩和をして、取締会や監査役の設置義務を撤廃する。
もともと有限会社は、資本と経営が分離してない中小企業を想定していた制度だ。
中小企業でも、会社の格にこだわって株式会社を選択するところが多かった。
中小の株式会社に義務つけていた取締役三人以上で構成する取締役会や、監査役に
関して、約款で自由に決めることができるという。最低一人の取締役でも設立可能となる。
ただ、中小株式会社のうち、株式譲渡制限のない会社については、株主保護の
観点から取締役会と監査役の設置義務を残す方針という。

・・・・・・・
2003年07月26日(土)
843, SF小説作家・小松左京の21世紀検証

 今月号の「文芸春秋」で小松左京が「SF作家として21世紀が予測していたようになったかどうかを自分で検証する」
 レポートが面白い内容であった。本人が正直に「自分はその頃は生きていないから、責任をとらなくていいや」
 と思っていた。それが「まさか21世紀に自分が生きているとは!」と。
  
ー要旨を私の主観でまとめてみるとー
・一番の衝撃は平成7年の阪神大震災だという。
 本人が書いた「日本沈没」が現実になろうとは。 ほぼTPOS が酷似していた。
・三十年前は米ソの冷戦真っ只中、まさかソ連と共産圏がこれほどあっさりと崩壊するとは正直思ってもいなかった。
・今のエレクトロニクノロジーの発達で電卓、パソコンに、携帯電話、ロボット・・等 電子機器がこんなに
「小型」「安価」になってしまったことは、本人の予測をはるかに 超えたことであった。
 当時百億したコンピューターがいまやもっと性能が良くなって10万そこそこ買える時代は今でも信じられない。。
 本人は現在この時代の速さについていけないので、携帯電話を持ってない
・宇宙開発はもっと進むと思っていたが、意外と進まなかった。
 今の人類にとっての、予測したほどの必要性が無かったためだ。しかし宇宙への進出は人類に必要である。
・イラク戦争も衝撃的であったという。多くのビデオカメラが入って戦場の映像がリアルタイムで入ってくる。
・高齢化社会と今の子供の問題は予測をしていた。
ー以上だが、
 ソ連と共産圏の崩壊、今の科学技術の発展、情報化社会の予想を超える進歩など、私が感じたこととほぼ同じであった。
 この情報化の進歩はSF作家の想像をはるかに超えていたようだ。 ソ連さえも、まずは軽く崩壊させたのだから。
 彼等のような戦中派が今の時代の変化を見ていたら、これほど面白いものはない。
 特に戦争体験をしてきた人が、アフガンやイラク戦争のアメリカのハイテク技術を駆使した
 武器はSF小説をはるかに越えている。 アフガンのゲリラさえ消滅させてしまう。

・・・・・・・・
2001年07月26日(木)
[87] エルミタージュ宮殿

今回の旅行のハイライトはやはりエルミタージュだ。
カテリーナ兇療澆竜榲造箸い錣譟△舛腓Δ疋僖蠅離襦璽屮詒術館と匹敵する内容であった。
300万点ある所蔵の一部しか見れなかったが、ただ案内された壁画や展示物は見た事のある物ばかりであった。

制限された時間内で駆け足であったが、その印象は強いものだった。 エルミタージュはただ美術館と
思っていったが、広大な宮殿でベルサエユ宮殿に似ていた。 その豪華さにまずは驚かされた。
夏の宮殿と言われるカテリーナ宮殿も行ってきたが、これもまた目をみはる豪華さで感激してしまった。
当時のカテリーナ女王の権勢は絶大であることは、この2つの宮殿を見てうかがい知ることが出来た。


2668, 日本経済の崩壊と資産防衛

2008年07月25日(金)


二年と三年前に二回受けたセミナーのシリーズが、再び開講するというので一昨日、受講してきた。
講師の清水洋氏は《平成20年からマーケットの大転換》があると言い続けてきたが、
いよいよ、それが現実化をしてきた。
 《日本経済はかってない構造変化を体験するので、早めに手をうって事業と財産を守れ》
   というのが、彼が一貫して言い続けていることである。
今年になって、サブ・プライム問題がアメリカで表面化をして、一挙に世界の景気の陰りが出てきた。
数年前に出席したときに、言っていたことが、まさにそのとおりになってきた。
今年になって、読んだ本にも同じようなことが書いてあったが・・・・

 講師は予告どおりになっているので上機嫌だったが、聞いている方は、その激しさに震撼とした空気であった。 
  その内容を印象に強かった順に大筋書いてみる。

・金利の高騰は、既に始っており6〜7佑砲覆辰討い襦 出来たら固定金利に換えておくこと。
・とにかく破産者が多い。生活保護世帯も二年間で130万から150万世帯に増えた。
 零細・中小企業の倒産、廃業が信じられないぐらい多い。
・ガソリンスタンドが現在4万あるが、60佑淘汰される。
 (一例をとると、ガソリンは赤ランプがついてから入れにくる車が増え、その上に千円しか入れない)
・地方は老人と子供が増えて、商売が成り立たない職種が増えてきている。
・問題は国債だが、それより年金の未払いの数字が膨大にあるのを、国民は知らされてない。
 800兆円あるという。
・生産者優先の社会から、消費者優先の社会への大転換が雪崩をうって進みはじめた。
・金は現在、Kgあたり350万だが600万はいくだろう。
・アメリカのドルは近々には暴落をするが、その後に金か農作物本位制度で復活する。
 しかし日本は、暴落はするが、金を持つことをアメリカから間接的圧力で持たされなかった。
 アメリカの金の在庫量が7500万トンだが、 日本は170万トン、ドイツは350万トンしかない。
・郵政民営化は、郵貯の資金が外国に逃げることを意味している。
・国家破綻の結果として、ハイパーインフレが生じ、国債が暴落。 
 国民の資金の価値が暴落。 それで国の借金をチャラにする?
 国家破綻は政府の破綻である。 それを外国メディアが正確に報じる。(外国メディアに敏感であれ)
 国民は、消費意欲が極端に落ち、さらなるデフレへ。
・スイスフラン、ユーロダラーや、金の現物にリスクヘッジをしておくこと。
・2〜3年後には、ドルと円の破綻は間違いない。
・人口減少社会は、300年に一度の社会的大変化の時代に突入。
 それは、明治維新、第二次大戦の終戦に匹敵する

  以上だが、次回は私なりの意見を書く。
- 2008年07月23日 13時〜17時 会場 御茶ノ水 山の上ホテル −

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2007年07月25日(水)
2304, また地震!どうなっている?まったく! −8

今回の地震で不思議なのは、家の倒潰の数に対し火災が無かったことである。
全壊1000棟、半壊2000棟、被害住宅1万数千棟からみて、
何で火災が発生しなかったのか? 祭日の午前中としても奇跡的である。
それもダウンタウンと隣接している住宅密集地で、かつ年寄りが大部分の中で??
それと同じことだが、死者が11名も合点がいかない。余震が何回かあってから本震があったのではない。
突然の本震の中、三桁に近い犠牲者が出て当然、不幸中の幸いである!

柏崎市は‘家内の実家’があると同時に、母系の親戚があり、知り合いも何人かいる。
いま住んでいる長岡と、事業をしている新潟と、家内の実家のある柏崎と、
丁度バランスが取れていた。 それだけ柏崎は因縁があるところ。
越後の英雄?田中角栄の出身地の西山が長岡と柏崎の丁度中間にある。
角栄の地元の中で、柏崎は最も利益を受けていたところである。
直接的には、今回の刈羽原発と道路網である。
原発だけで3兆数千億、関連を入れればサラに増えるだろう。

家内の実家が建材屋をしているので、その内々の豊かさには驚かれる。
柏崎は地味で堅実が特性、しかし小粒だが時代の変化には敏感である。
深海の底にシッカリ根を張っている生きもの、そうヒラメかカレイのような人が多い。
家内がそうだからである。長岡は城下町で、派手でプライドだけが高いところで、
柏崎とは全く性格が正反対のところがある。両者とも昔ながらの越後気質が残っているが・・・

あの真紀子とは違う! あれは長岡人ではない、女コメディアンである。
じゃあ、お前は何じゃい?と言われれば、「コメディアンの親の恩恵(新幹線・高速道路網)を間接的に受けて、
ヌクヌクと蠢いている住民でしかない!」。しかし、これが現実である、実際。
その代償が、世界最大規模の原子炉の直下型地震で生死の際だった!、と言うこと。

前回の地震の時も聞いたが、前日カラスが異常に騒いでいたという。
当日、カラスが何処かに疎開していて一羽も居なくなっていたとか、金魚が異様に動き回っていたとかいう。
地震の前の人間が感知できない余震があったのだろう。


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2006年07月25日(火)
1939, 降りかけコーヒーの味!
      おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・
                     
昨日の朝、朝食の御飯に何とコーヒーをかけてしまった。
「山葵ふりかけ」のビンと「コーヒー」のビンを勘違いをしたのだ。
「気候のせいで、おかしいのかな〜」と独り言をいっていると、「たんなるボケじゃない!」 だと。
 「耐えている! こういう妻に耐えている!」という川柳を思い出した!
 
    そのコーヒー振りかけの御飯の不味いこと、この上なしである!
    もしかしたら美味いのかもと!期待したが。マ・ズ・イ!! 食べる方も食べる方だが!

ところで毎朝,もう二十年近くになるが、「山葵ふりかけ」をかけて御飯を食べている。
あまり一般的でないので、スーパーでも数軒しか売ってない。
    山葵といえば、面白い思い出がある。既に亡くなったが、大學のゼミの武澤先生が新潟の学会の出席のため、
    来県した夜の出来事。もう十年以上経つが・・・ 近くのフグ屋で刺身を注文した。
    ところが、先生が山葵を少し箸の先に摘み刺身の上に乗っけてそれから醤油に軽く付けて食べているのだ。
    通の食べ方のようだが、私が見たのは初めてである。

「先生、醤油皿に何故山葵を入れて食べないのですか?」と、聞いてしまった。
「僕の周りでは、こういう食べ方をしている人が多いよ」
 また言わなければよいのに「酒を数十年飲んでいますが、こういう食べ方をする人は初めてです。」と・・
(*‘_‘*): 何か庶民と民度が違う人種なのだろうか?あとで酒通の人に聞いたら、「そういう食べ方する人多いよ!」  
 ところで、この十年来、長岡での飲み会の一軒目の店の名前が「山葵」である。もちろん売りは刺身である。
              バイヾ( ̄ー ̄ヾ))))
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2005年07月25日(月)
1574, 日本人の苗字ー2

日本の苗字の多い順ランキングは、
この本によると以下の通りである。
1位 佐藤 1914300人
2位 鈴木 1692300人
3位 高橋 1406000人
4位 田中 1324200人
5位 渡辺 1090400人
6位 伊藤 1072400人
7位 山本 1068200人
8位 中村 1041200人
9位 小林 1011900人
10位 加藤  853300人

田、藤、山、野、川、木、井、村、本、中などが名前によく使われる漢字ベスト10である。
これからみて、自然と土地の名前と関係の深い文字が多いことが分かる。

元々、苗字を持つことは特権階級のものだった。江戸末期の苗字を持っていた人口は20〜30万人、約1万姓だった。
明治初期の苗字の義務化により、29万の姓が増えてイッキに30万になった。それ以前より非公式に使っていた例も
多かったようだが、一般的には、苗字は100年しか経ってない新しいものなのである。
明治8年の平民苗字必称義務令が出たときに、慌てて作られた苗字が多くあった。
そのため、苗字を決めるときの悲喜こもごもが、そのまま現在でも残っている。笑うに笑えない実話が無数にある。

ーこの本の中の幾つかの実例を抜粋してみるとー
・喧嘩の耐えない夫婦に、庄屋の旦那が「円満」といわれて、 そのままそれが、苗字になった。
・若い身空で後家になった女に、ご隠居に「口説かれたら『射矢』といいなさい」と言われて、名前をそのままつけた。
・大学の前に住んでいたので『大学』
・大工だったので『大工』
・仙人のような顔をしていたので『仙人』
・女道楽が過ぎるので『女楽』
・愛媛県南宇和郡網代村の村民の名前が、株菜、大根、浜地、鱒、稗田など、魚と野菜の名前ばかりの村がある
・庄屋が、その男の顔が蛸に似ているので、面白がって 『太古』とつけられ、 
 教師になった後で「タコ、タコ」と馬鹿にされて辞職した。
 
 ーー
そういえば親戚の葬式に出たときの話、隣の席に「家老」という珍しい名前の人がいた。「珍しい名前ですね!」というと、
「実は『けら』という名前だったが、虫の名前で馬鹿にされるので、今の名前に改名したのです」とのこと。

あるHPには、数学的計算から「日本人が27人以上いれば同姓者がいる可能性の方が高い」という。
5000種で、日本人の苗字の約80%をカバーしている。
世界で一番苗字の種類の多い国は、アメリカで、世界中からの移民で成り立った国の由来であろう。

自分の名前は、先祖からのメッセージという。更に自分の名前は、親からのストレートのメッセージということになる。
父親から「八郎の八は末広がりで、中国ではお金という意味がある」
と言われたことがある。実際のところは、兄姉八番目に生まれたからだが。

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以下は幾つかの参考サイトである。 みればみるほど、面白い!

・日本の苗字7000傑 http://www.myj7000.jp-biz.net/
この苗字はどの都道府県に多いか? http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/bunpu.htm

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2004年07月25日(日)
1209, ヘーゲル ー哲学について−20
 ーヘーゲルー

マルクスの後になってしまったが、近代哲学でヘーゲルが基点になる。
ヘーゲルは、「現実世界とその歴史は精神的な発展していく姿ー現象と考え、
それは自己認識に到達するための歴史的プロセスである」と考えた。

心や精神は無機質の自然から生まれたのではなく、それ自身が存在の中心的な構成要素であり、現実を構成する
歴史的プロセスの主体と捉えた。この全プロセスを現におこっていると認識しているもの(存在の究極的な本質)を、
ドイツ語で「ガイスト」と呼んだ。 この意味は「精神」と「心」の中間のようなものであった。
ヘーゲルにとって、ガイストは、存在の核心、存在の究極の本質であった。
ガイストが自己認識を目指して発展する姿であった。それが達成されると、全ての存在は調和をしてひとつのものになる。
それをヘーゲルは「絶対者」とよんだ。 それが「絶対的観念論」である。

ヘーゲルには3つの理論がある。
1、さっき述べた現実とは歴史的なプロセスであるという考え方
2、二番目には、歴史は合理的な構造を持っており、その構造を理解するために
  必要なのは変化の法則、すなわち弁証法(正・反・合)であるという考え方 
3、三番目には、疎外についての理論である。
  人間は、文明を築くプロセスの中で色いろな組織や規則や思想や宗教を生み出してきた。
  それが逆に人間を抑圧するようになって、自分で作ったものなのに自分のものでなくなってしまった。
  宗教が、その端的なものと考えた。神を自分の投影として作っておきながら
  それとは異なる存在、正反対の存在として考えてしまうようになった。

ヘーゲルの思想のいま一つの特徴は、「国家への崇拝」がある。
{人は全存在を国家に背負っている}と考えた。それがヒットラーなどに利用され
右翼的な民族主義者とみなされた。また共産主義者からもその国家観を利用された。

現在の哲学思想の四大潮流、ヘーゲル哲学・マルクス哲学・実存哲学・分析哲学
は、ヘーゲル以後の哲学史そのものといってよい。

[ヘーゲルの弁証法]とは、
ー出発点の第一段階は、「テーゼ(正)」とよばれ、これに刺激をされて生まれる
対立的な反応が第二段階で「アンチテーゼ(反)」で、この二者の対立がやがて解消されて
そのどちらものりこえた新しい状態が生まれる。それが第三段階の「ジンテーゼ(合)」
になる。しかし、この第三段階は新しい状態なので
新しい対立を内包して、テーゼになる。
そして、ふたたびテーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼという三段階が始まる。
この変化は途切れることなく変化し続ける。
これは宗教、科学、経済、社会などの内側からの変化として現れることになる。

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2003年07月25日(金)
842, エンドレスの巡礼

 先日、殺人未遂で逃げ回っていたお爺ちゃんが、エンドレスのお遍路さんでTVに出演をして、
たまたまTVを見ていた刑事に正体がばれて逮捕されてしまった。 当地では「エンドレスお遍路」
で有名の人だった。TV出演を拒否すればと思ってしまうのだが、そこが人間の持つ浅ましさだ。

 実を言うとこのエンドレスの老人の存在を知っていた。
『到知』という月刊誌で、俳優のショーケンー萩原健一の文章に登場していたのだ。
ショーケンは、お遍路を年中恒例にしており、その詳細を書いていたのだ。
その文章でエンドレスのお爺ちゃんの存在を知って
「70歳を過ぎたら、こういう生き方も良いのかもしれない」と感心をした。
すべてを失い駅などでホームレスをしなくてはならない時が万一きたら、
思い切ってエンドレスのお遍路も良いじゃないかと考えた。絶望をして、死にたくなった時でもよい。
実際に、お遍路の道中に行き倒れて死ぬのも、病院で管に繋がれてのた打ち回って死ぬよりはずっと良い。
その最後のよりどころを、この老人は儚くも潰してしまった。
「歳とっての逃亡」でしかエンドレスの巡礼はできないのかもしれないが。

 「巡礼は自分の過去に向かって歩いていくこと」と聞いたことがある。その行き先のまた先が神仏なのだろう。
まだ巡礼をしたいとは思わないが、いつか駆り立てられる日がくるかもしれない。
母が80歳を過ぎ痴呆症の現象が出始めの頃に面白い夢をみた。母が5~6歳の巡礼姿で玄関口にいる。
その姿をすでに亡くなっていた母の妹がじっと見つめているのだ。恐ろしい悲しい神秘的な夢であった。
人生はエンドレスの旅路なのかもしれない。

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2002年07月25日(木)
467,内山由蔵さんへの手紙

葉書ありがとうございます。この春奥様がご逝去されたと、兄より五月の連休頃に散歩の途中に会った時に聞きました。
謹んでご愁傷申し上げます。 丁度私が西アフリカに行っていて留守、参列できなった非礼お詫びします。
今年の2月ごろ堀内トシさんより手紙で「見聞皆師そのご追加分を送ってもらいたい」との依頼されました。
去年の五月より個人のホームページを開設して、毎日「随想日記」を書いたのをコピーして送りました。
その時に2部コピーして、内山さんにもと思ったのですが、少し差出がましいかと、そのまま手元にあるのを今回送ります。

その後の分もあるのですが、この秋頃に再び送りたいと思っています。
毎日文章を一文書くのは大変ですが、頭の活性化にはベストのようです。
自分でも色々のことを考えているのに驚きます。「書き出す」ことの重要さを改めて実感しています。

土曜日が一番都合が良いので、いつでも連絡をください。
大手通りは何をしても無駄だと思います。同じ努力をしても半分以下の効果しかないからです。
同じ努力なら二倍の効果のある場所でやるのが道理だと思います。

  ー内山さんの手紙の下書きーより

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2001年07月25日(水)
[86] ホームページ用3dソフトが完成

ホームページ用3dソフトが完成したようです。 http://www.fsn.co.jp/bonoboのサイトでダウンロードして
このホームページの3dの絵をクリックすると動き始めます。
私のホームページに似たものが私の立上げの10ぶんの1のエネルギーで出来そうです。ただし有料です。
詳しくはそのサイトで見てください。富士総業のソフト部門で作成したものです。 ホームページ開設勧めます。
世界が2〜3月経つと変わると本に書いてあったが正しくそんな感がします。


2667, 結論で読む人生論 ー3

2008年07月24日(木)

 
    今東光の毒舌が、この本に次から次へと出てくる。
   今度、図書館に行って今の本を借りてくるつもりだが、これを読んでおけば充分?か。
   とにかく、面白い。何で面白いか? 悩みなど言っていられるのは可愛いいだけ。
   自分を、くそ坊主と割り切れば、「所詮は悩みなど欲と嘘の織り成す妄想」と割り切って、好き放題いえる。
   自分を、くそ坊主と自覚できるかどうかが分かれ目になるが。
   
 〜〜

「眠れないんだったら、眠らなけりゃあいいじゃねえか」「別のブスを探しな、おめえの顔に合ったよ」
「手のつけられねえほど愚鈍であるよ、てめえという男は!」「てめえがみじめそのものなんだよ」
「生意気なこと言いやがって。親のスネ齧りのくせして、チンポだけ発達してやがる」
「バーカ。そんなこと、医者に聞けばいいじゃねえか。オレがわかるわけねえだろうが」「ぶっ殺してやりたいよ」
「何とぼけてんだよ、こん畜生は!? 何のために兄貴に生まれたんだ!?」「けったくそ悪いガキだぜ、てめえも」
「バカか、てめえは」「張り倒すぞ、この野郎!」
「人生で一番大事なものは、あくまでも正直であり、誠実であり、愛情であるんだ」
「愛のないような人間は人間のクズでな」「ひとりの女を不幸にするよりは、てめえが不幸になる方がいい」。

極めつけは、これ。
「おめえは一人のいい女を見つけたら、それにひれ伏すような謙虚な気持ちになれ! 
 そこから出発するんだ。恋だの愛だの言う前に、まず己を空しゅうして、謙虚になってひれ伏す。
 愛する人の前にひれ伏すという気持ちにならなければ、女を愛することもできないし、女にも愛されない」。
 
「自分(人間)はどうして生きなければならないのだろうか?」という二十一歳の学生の質問。
 利いた風なことをいう者には東光は容赦がない。
「バカとちがうか、こん畜生は? 生きているのに“生きる義務”もねえもんだ。
 いやならとっとと死にゃあいいだろう。そんなこっていっぱし物を考えていると思ってるのはバカだよ。
 生きるのは何も義務でもないし、運命でもない。オレたちは命のあるだけ生きるだけのことだ。
 努力によって生きてるわけでもありゃあしねえ。それでどうせ死ぬんだとか、あとには何も残らねえとか、
 そんなくだらねえことを若い身空で考えてよう。たしかに残らねえよ、おめえみたいなバカ者は! 
 その生きる義務とやらをさっさと放棄して死んじまえ! ──『極道辻説法』

 おなじように、「人生ってちっとも面白いと感じたことがない」
「つまらなかったらさっさと自殺していいんだと思う」十九歳の学生に。
「自殺より、最初に人生についていうと、全部の人間に聞いてみな、『おまえの人生、つまってるか?』って。
 みんな「つまらねえよ」って言うよ。そのつまらない中で、どうしたらつまるか、つまり、つまるものを見出していく発見だ、
 この能力を養わなかったらどうにもならねえんだよ、人生は。どこへ行っててもつまるものを発見するという能力をまず養う。
 能力というより、そういう努力をするということだ。(略) それでもつまらなかったら、さっさと死んじまえばいい。
 オレは別にとめやせん。生きてる意味を放棄したんだから、勝手に死にゃあいいさ。」 ──同書
 
最後に、「死んだらどこへ行くのか?」という十八歳の学生へ。
「そんなことわかるかい!」。
 〜〜〜
 
 これを読んでいると、悩むのが馬鹿馬鹿しくなる。 そして、言葉は何時までも残るというのが解る。
本当に言葉は大切だ。 その中に感情と理性が入るからである。 最後は人間性ということだ。

・・・・・・・・・・・
2007年07月24日(火)
2303, また地震!どうなっている?まったく!− 7
 −風評で観光地が壊滅状態ー

まだまだ、地震の話はつづく。2〜3回のつもりだったが、いくらでもあるものである。
この地震の原発の風評が、観光を直撃している。
これから一ヶ月近くの稼ぎ時期の海水浴場と、温泉などの観光旅館である。
死活問題であろうが、他人事ではない。8月~10月は当方にとっても一年間の利益の殆どを稼ぐ時期である。
今年は政令都市になった勢いで、一割近くの売り上げアップを期待していたが、
これでは大幅でないとしても、マイナスも覚悟をしなくてはなるまい。この商売の宿命である。

さっそく地元紙に取上げられていたのが、寺泊港の名物の海と魚の「アメ横」通り。
10軒以上の大きな魚市場風の店が立ち並び、1千台?以上の駐車場は、
平日でも車で溢れる。休日は観光バスが大挙して押し寄せてくる。
近くには小洒落たレストランや、海洋深海水をつかった風呂が売りの入浴施設
「きんぱち」などが立ち並んで、若いカップルなどで賑っている。

去年も知人の元部下が経営をしているレストランに行って食事をしてきたが、
なかなか主人には強気な雰囲気が漂っていた。ところが、その日を境に寺泊はゴーストタウン化。
駐車場には殆ど車が見当たらず、目も当てられない惨状という。
毎年7月20日前後に始まる臨海学校も軒並み中止。
群馬から受け入れ予定だった小学生約5千人はキャンセルになったと報じていた。

まだ被災地の柏崎周辺は災害関係者の宿泊があって、差し引きゼロだろうが、
寺泊や村上の瀬波温泉など風評だけで壊滅状態という。 全く関係ない湯沢や、
佐渡までさえもキャンセルが相次いでいるから、この観光シーズンを前に深刻な問題になっている。

さらに米など農水産まで影響する可能性もあるから深刻である。
下手をすると、コシヒカリというだけで、新潟の酒というだけで、敬遠される可能性がある。 
恐ろしいことである! 

・・・・・・・
2006年07月24日(月)
1938, 急増“働く貧困層
                    Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
 昨夜のNHKスペシャルがシビアな内容であった。(急増“働く貧困層"07/23(日) 後09:00 >> 後10:15 )
    ▽400万世帯が生活保護水準以下
    ▽リストラで年収200万・父親の涙
    ▽仕事に就けない若者都会を漂流 等が、骨組みとして構成されていた。

NHKも日曜日のゴールデンタイムの21時に思い切った番組を組むものだが、これが現実であるからだ。
  ーまずはNHKのHPから紹介文をコピーしてみるー
 
いくら働いても豊かになれない「ワーキングプア」と呼ばれる低所得者層の実態をリポートする。
働いているのに生活保護水準以下の暮らししかできないワーキングプア世帯は
全世帯の約10分の1に当たる400万世帯とも、それ以上ともいわれる。
景気が回復に転じたとされる都会でも正社員は狭き門で3人に1人が非正規雇用で働いている。

子どもを抱える低所得世帯では食べるのに精いっぱいで、子どもの将来にも暗い影を落としている。
一方、地方では低収入が原因で税金を払えない人が急増している。
基幹産業の農業は厳しい価格競争にさらされ、離農する人が後を絶たず、集落の存続すら危ぶまれている。
高齢者世帯には医療費や介護保険料の負担増が追い打ちをかけている。
憲法が保障する「人間らしく生きる最低限の権利」さえ脅かされかねない
ワーキングプアの深刻な実態に迫り、これから目指すべき社会の在り方を模索する。

    ーー
    現実の地方経済は信じられないような落ち込みなので、
    この番組は身近の現状の断面を鋭く切り取った内容として受け止めることができた。

 この番組の中での印象的なケースといえば
・30歳過ぎのホームレスが職を求めて彷徨う姿が生々しく深刻である。
 このままいって最後に食えなくなったとき、犯罪しか生きる道はなくなる?
・地方都市の寂れた商店街の洋服屋のお爺ちゃんの姿も現代の姿だ。
 妻は痴呆症で入院、国民年金の大部分はその支払いで消えていく。
 生活保護を受けるには、持ち家と預金が有ってはならない規定がある。
 それが人間としての尊厳の問題となって決断できないでいる。
・50歳のお父さん、中学生の少年二人を抱えて月に21~22万円で生活をしている。奥さんには先立たれ、
 数年前にはリストラされ、現在は3つのアルバイト先で働いている姿が映し出されていた。
 
    身近で、これに近い姿を多く見ているので、他の世界の出来事ではない。
    商家で生まれ育って、幼児の頃から生々しい浮き沈みの世界を見てきたので
    現実の問題として深く沈んだ時の恐ろしさには、さほど驚かないが・・・

今までは勝ち組?にスポットライトに当てられていたが、反対に、ワーキングプアの姿を通して現代を考えてみる必要がある!
倒産、離婚、生活苦、そして自殺のケース。もっと辛辣に時代を見つめた番組を作ってよい!
  普通の生活がしたいだけ!という、言葉が重い

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2005年07月24日(日)
1573, 日本人の苗字      −読書日記        
 −30万苗字の調査から見えたことー

図書館で借りてきた本だが、身近なことのためか面白い内容であった。
知っていることといえば、佐藤などの藤は、藤原氏の藤から頂いたこと位である。
日本人の約30万姓をデータに日本人の苗字を探って、その苗字の驚くべき由来などを紹介している。
  中国人の姓、約3500、韓国人の姓、約250。
    欧州では、全てあわせても30000というから、いかに日本が多いかわかる。

まず「鈴木」がもともとは熊野方言で、稲束の中心の一本棒であると述べている。
江戸時代末期の人口が3000万人、そのうち苗字があったのが4佑100万人。
苗字の数は10000と推測されるから、明治以降から三十倍に増えたことになる。

この本によると、苗字の由来には様々なタイプがあるが、
大体次の三つになる。
1、地名型
2、職業・屋号型
3、官職型

1、苗字の8割が地名に由来するという。
 たとえば、全国に無数ある田中、内田、中村・・といった地名。その地と何らかの関わりがあると考えられる。
 それが領主の血筋か、領民か、単に地名から名を貰ったかである。
 田中などの地名は全国に数千とあるから、それだけの源がある。
 何代かを遡れば自分が何処の田中か解るだろう。 逆に、黛は埼玉県児玉郡上里町にしかない地名。
 そこしかないから解りやすい。どこかに転じると、自分の出身の名前を残しておきたくなるのが人情。

2、職業・屋号型
 戦国時代が終わって、豊臣、徳川の時代になると、百姓町人は刀を取り上げられ、苗字を名乗ることが禁じられた。
 武士を特権化するため、差別的階級制度を構築したのである。
 そこで何々の在の〇〇兵衛、で用が足りたかというと、それだけでは 無理であった。
 特に江戸などの都市圏の町人は、名前も自分の商売と考えた。
 取引上、必要になった。たとえば、糸屋の九兵衛とか。 俵屋、枡屋、針屋、飴屋などなど。
 元は蕎麦屋でも、職業を布屋になれば布を売っていても 「蕎麦屋」という屋号にしていた。
 明治時代になって、目出度く苗字を名乗ることを許された時に、屋をとって苗字にすることが多かった。
 綿屋を綿矢とか、綿谷とかにした。

3、官職型
 官職型としては、
大蔵ー勘定方  監物ー出納係  工藤ー今でいう国土交通方
左近ー宮中を警護する左右に分かれていた役所の官史
太宰ー九州統監の役人 などなどある。
 
その他にも、
信仰由来のもの(神、釈、三輪)
芸名型(幸若、善阿弥陀、世阿弥)
名前型(太郎、源内、為貞、源五郎)
外来型(高麗、百済、秦) などがある。        
               ー つづく
ーーー 
光文新書 丹羽基二著

・・・・・・・・
2004年07月24日(土)
1208, 自殺 3万4427人

昨日の新聞の一面トップに、昨年の自殺者が前年より7佑眩加して3万4427人と報じていた。

 ー内容をまとめてみるとー
・原因として、病苦が45諭経済苦が25諭‘辰坊从儷譴料加が目立って増えている
・40歳以上が、4分の3を占め
・男女の比率は、男子が70諭⊇子が30
・鬱病が30〜70諭 他の精神疾患を入れると、殆んどが精神疾患があった
・1997年まで、年間2万〜2万5千人と推移していたが、
 1998年から3万人台になり、ついに3万4千人になってしまった
・職業別に見ると、無職が半分近くだ
20万都市で一週間に一人が、日本全体では、毎日94人が自殺で亡くなっていることになる。

大都会の真ん中で失業をして、駅などの人ごみの中にいると、ふっと虚無が
自分を覆いこみ電車に飛び込みたくなる衝動に駆られるという。何か解るような気しないでもないが。
「自殺は最後に残された意思の遂行」というが、その心中は当人でなくては解るはずがない。 
しかし自殺をしようとする人の大部分が「ほんとうは死にたくない、誰かに声をかけてもらいたい」という。

歳をとり、連れ添いに先立たれ、重い病に侵され、一人孤独に毎日を過ごしていたら、自分でも死にたくなる。
簡単に「自殺はすべきでない」というが、絶望と孤独の岸辺に立っている人の立場からみれば、
その苦しみから解放される唯一の方法かもしれない。ゲーテの「若きウェルテルの悩み」の中で、
主人公ウェルテルと愛するロッテの恋人(後の亭主)のアルベルトとの自殺の議論があった。

ーウェルテルは人間の本性には限界があり、喜び、悩み、苦しみもある程度まで耐えられるが、
限界を超えると破壊してしまう。自殺は、けっしてバカな人間や卑怯者するのではなく、生きることに悩み、
迷ってどうしても出口が見つからない時に仕方なくとるものと主張した。

一方、アルベルトは、自殺に対して徹底的に反感を持つ。
彼は「苦しい人生を対し忍ぶ事ができない弱さから引き起こされる」と考えていた。
この世で最も尊いものは、愛である。しかし、人間に喜びを与えるはずの愛が
悲劇のもとになることもある、それがまさに、ウェルテルの悩みを引き起こした。
最後には、そのウェルテルが自殺をしてしまった。

死ぬには死ぬなりの悩みと苦痛の蓄積がある。しかし、生きることも、生きるだけの理由もある。
自殺について語る資格は私にはない。ただ、死にたいと思ったことは一度もない!いや、若い時にあったか?
地獄も天国も、この世にあるものだ。 地獄の業火(精神の激痛)に焼かれてこそ、自殺の意味が解る!

・・・・・・・・・
2003年07月24日(木)
841, 初めての経験ーユースブック

 ある本を店頭で買おうとしたが、一度「アマゾンの中古本」を買ってみたかったことを思い出した。
そこで買うのを止めて、webのアマゾンで調べてみたら30優フで出ていた。
早速注文をしたら、一週間で直接「持ち主」から本が送られてきた。
大阪の女性の人からで、本は全く新品同様であった。
家内にそれを見せると「きれいに読んで、また売ったら」と考えも及ばない事をいう。
恐らくアマゾンは2回目のそれは受け付けないと思うが? そのシステムは革命的だ。

 アマゾンのweb書店に入ると「買った本を売りに出しませんかと?」、
過去に買った本の一覧が出てきて、その売値まで書いてある。
汚さないように読み、手数料を払って売ればよいのだ。合理的そのものだ。
これでは益々本が売れなくなるだろう。本以外では楽天市場があるが、そこで買ったことはまだない。
消費者の立場で有利なシステムなら、早くやった方がよい。
今度アマゾンは、本だけでなく他の商品の販売を本格的に始めてきた。

 本の半分近くは、週2回以上書店に行くにかかわらず、web書店で買っている。
恐らく今度はユースブックを買う頻度が多くなるだろう。 面白い時代である。
数年後にはTVにインターネットが組み込まれて、気楽にweb上で買い物をする時代になる。

・・・・・・・・・
2002年07月24日(水)
466,内山由蔵さんからの葉書

W杯のお陰でアフリカの地図を引っ張り出すチャンスが多く、だいぶ勉強しました。
ホテル業も大変のようで、長岡のグランドホテルも市議の中では云々されています。
日本精機の永井さんが赤字のグランドホテル手本にして新潟の万代島の再開発の大ホテルを
やるとか云っていますが、永井さんでは経営はできませんね、どうするんでしょう。
貴方がメルクマールで誉めておられ、私もフアンになったユニクロ、
一揃え買ったが着こなせず若い者にやりました。ユニクロも元の元気はありませんね。
大手通も今月一杯で丸越と覚張も廃業、キッドも閉まったまま。
どうするか考えはありませんか?市民センターは一日600人の入場があるとか。
お会いして貴方の話を聞きたいと思っています。私は元気でいます。

ー葉書の日付は7月20日ー2002年

・・・・・・・・・・
2001年07月24日(火)

先日も書いたがフィヨルド見物あとの登山列車のトンネルとトンネルの合間の空間で列車が停まった。
そこで全列車の乗客がおりて5分間の滝見物という。 100メートルいくと突然空間が開けていた。
そこに大きなショール滝が現れた。

その滝に見とれ写真を撮り乗客の半分近く帰った時、突然音楽が鳴り出した。
ふと滝の中間に赤いものが見えた。赤いドレスの女が踊っている。
写真を撮ろうか、それとも見ることに集中しようか迷ったが両方にすることにした。

まさしく水の精が踊っているようであった。 一生に残る感動的場面であった。明日写真アルバムの載せます


2666, 結論で読む人生論 ー2

2008年07月23日(水)



 ー三十年ぶりの、今東光の毒舌ー

順不順でなるが {第6章 人生の価値、人生の意味ー なにはなくともこの糞坊主ー今東光}
が面白い。 久しぶりに今東光の毒舌にお目にかかった。亡くなって30年近くも経つだろう。

まずは、その部分ー
 −−−
 人生なんて、そんなにむずかしいものか。じつにさまざまな考えがあって少々、食傷気味である。もしかしたら、
人生論が人生をむずかしくしているのではないか。たしかに人生には山があり谷がある。悲喜こもごもである。
だが結局、生まれて、生きて、ただ死ぬだけのことではないか。どう生きるかは、それぞれの計らいでいいではないか。
ここまで見てきたさまざまな人生論はあまりにも近寄りがたいし、荒唐無稽すぎるし、立派すぎる。
もっとスカッとしたものはないのか、とお嘆きのあなた、これがあるのだ。
 その男が生存中は、なんだこの濁声の坊主は、と多少の反感を持っていた。
が、わたしはいまでは今東光を尊敬している。 そう、今東光和尚である。 聞いていただこう。
 〜〜〜
*「正しい人生」とか「何とかの人生」なんてものはないよ。本人にとっての人生しかないんでね。
自分にとっての人生しかないんだ。おめえが十八なら、「十八の人生」というものしかないよ。
それしか、オレは言いようがないね。(略)だから、自分にとっての人生で、自分が、これが正しいと思って闘って、
勝つか負けるか、これだけだよ、人生なんて。              ──『毒舌身の上相談』集英社文庫
 ー
*「バカ正直だと損をする。もっとずるく悪賢く立ち回れ」なんてよく人が言うけど、その言っている野郎が、
ずるく悪賢く立ち回って成功しているかっていうと、絶対にそうじゃねえんだな。 そんなのはダメなんで、
真実火の玉になって人生を渡っていって、社会にぶつかっていくんじゃなけりゃあダメだよ。
人がよすぎて結構じゃねえか。そんなタワ言ぬかすような野郎なんぞ相手にするな! ──同書
 ー
*「人生始めたばかりでスランプに落ちたら、死ぬまでスランプだぜ、この馬鹿野郎!」
「おめえみてえな野郎は一生、女を本当に愛することができねえよ。女を捨てて自慢してるような野郎は、人間の屑もいいところだ」
「そんな夢みたいなこと考えてねえで、てめえのキンタマのフクロのシワでものばしてた方がよっぽどましだぜ、この野郎!」。
  ー                                     ──『極道辻説法』集英社
*二十三歳の学生が近所の中三の女学生の家に半年間、毎日毎日いたずら電話をかけた。
どうしても彼女に自分が好きだということを知ってもらいたい。おれはどうしたらいい?
 自首すべきだろうか、という質問に対する傑作回答
「 自首するより死んだ方がいい。悪いことは言わん。死にな。二十三歳にもなってそんな電話かけたりするバカなら、
自首するより死んだ方がいい。自首すりゃあ、恥をかくからね。恥かくより死んだ方がいいよ。 切に自殺をお勧めいたします。
                                        ──『毒舌身の上相談』
  〜〜〜
後記)「死にな」がいい。「悪いことは言わん」。「お勧めいたします」がいい。
   現在、これだけのことを言ったら「馬鹿ども」に袋叩きにあうだろう。
   だから誰も、こういうことはいえない。だから懐かしいのである。
   今東光が現在の若者、特に負け組みといっている連中。
   私が今東光に変わって言ったとしたら、こうなるだろう。
   「この馬鹿野郎が!何が負け組みだ。そうしたのは御前自身だろう。何が格差社会じゃい笑わすな。
    手前に能がないのさえ自覚しないから、能がないままにしてきたのだろう。 知恵を使え知恵を。
    その程度のことは幼児でも使っているじゃねえか、馬鹿野郎。 知恵が無いとぬかすなら、足と手を倍以上使え。
    御前に覚悟も知恵も無いことを自覚もしてねえで、何が格差だよ。いいじゃねか、格差も。
    もし、格差をつけられたと思っている連中、あんなものゴミみたいなものじゃ。御前よりはマシぐらいだよ。
    そんなことより、知恵を使え知恵を、この馬鹿が・・・」てな具合になるか。
                                 −つづく
・・・・・・・・・・
2007年07月23日(月)
2302, また地震!どうなっている?まったく! −6

昨日の、サンデー・モーニングなどを見ていて感じたことは、
ことの重大さが実際のところ解ってはいない!ということである。
当事者も、まだ本当のところ解っていないのだから、仕方ないのか?
それだけ、この二回目の地震は大きな意味を持っている。
43年前の新潟地震はマグネチュード7・5だったのである。
あの規模だったら、柏崎周辺の10〜20万人が即死、日本は壊滅。
地元の長岡の大部分が被爆、数年以内にガンで数十万人が死亡の可能性もあった。

地震学者が、柏崎市内を歩きながら道路の液状化現象を説明していた。
道路や、そこにある陥没を見て、大げさに海岸の至近にあるための液状化を
説明していたが、そんなもの前の中越地震の長岡市内で何十箇所で目撃している。
道路の浪打ちも段差も驚くべきことではなく、あちこちで見ることができた。
別段に柏崎だけの現象でないことを知らないのである。
専門家でさえ、前回の地震の実際の現場を見てなかったことが、それだけで解る。

もっと凄いコメントをしていた地震学者がいた。
「この規模の直下型の地震にしては、被害は少ない。2・5倍の想定以上に対して、このレベルの被害で終わったのは、
それだけ刈羽原発の施設の構造がシッカリ造ってあったからだ。」これ、まともな答えに聞こえるが、とんでもない。
何で、この程度と解るのだろうか。この男は実際の中を見たのだろうか?
彼らの言うことが事実だろうか? 言っていることが本当だとという前提で、
彼はコメントをしている。全く、こちらは生死にかかわっているのである。

あくまで日曜日の茶のみのショーでしかないのである。コメンテーターの談笑の話題の一つでしかないのである。

その中で、驚くべきことを地震学者が言っていた。
「もし、原発の事故などで原子炉が破壊されれば周囲の20万が即死、近くに大都市があれば200万人が癌などで死亡する」
という。ただ、それが本当かどうかは解らないが、話半分としても大惨事である。
専門家が言うのだから有り得ない話でもないだろう。

もう一つ、大きな問題が出るはずだ。原発に対して反対派が地震の断層を指摘したにかかわらず、
強引にこの地に造った事実を見逃してはならない! 大量殺人未遂ととられても仕方がない。
誰だ、その時の権力者は?真紀子の父親だろう!それを徹底的に追求しない限り、同じような間違いが続く。
ユダヤ資本による石油戦略上、原子炉は必要であったことは解るが・・・
 原子炉の危険性を知る専門家が、「活断層が近くにあることが解っていて造られたとは、有り得ないことだ」
という言葉! 意味が解っていないんじゃないか? 善良なる被災者は。
(追文)
今朝の週刊誌の新聞広告の見出しに、刺激的なタイトルが出ていた。 こういうところに、大新聞が書けない
真実が書いてあることが多い。「20万人が急死寸前だった」は事実だろう。
柏崎は全滅、長岡、小千谷の半分が犠牲だと!いう。 全くそのとおりである!

・・・・・・・
2006年07月23日(日)
1937, ローマから日本が見えるー15
      \(^▽^*)おはよう \(^▽^*)おはよう!
    待ちに待ったカエサルの章である。ローマ帝国といえばカエサルと言ってよいほどカエサルの業績は大きい。
    現在のヨーロッパはカエサルが作ったといってほどの改革をしてしまった。
    その意味では現在の世界システムのベースを作り上げたといっても
    決してオーバーではない。実際に、この本を読むまでは知らなかった。
 −−
第七章「創造的天才カエサル」−1
   ーカエサルの登場−

元老院側BC44年に立つポンペイウス派との内戦を終えたカエサルが終身独裁官に就任した。
前回のスッラに似ているようだが、その意味するところは全く違う。
スッラの独裁官就任は、一種の緊急避難的措置である。スッラは自分の改革を独裁官権限で全て実現をすると、
ただちに職を辞しただけでなく、政界からも引退してしまう。

    本来、独裁官とはローマ共和政の危機管理システムであった。
    カエサルが、「独裁官に終身という名を付ける」ことによって彼が生きている間はローマの共和制度が停止することを意味する。
    これがローマの政治体制を事実上変えてしまった。

スッラは「共和政の浄化のため必要」と政治改革と粛清をした。
それに対してカエサルは「ローマの領土の拡大によって、共和制度の寿命は尽きていた」ことを知っていた。
イタリア半島内に留まっているうちは機能していたが、地中海が我らが海になった時点で、元老院は機能不全におちいっていた。

    スッラが元老院の定員を600人に増員してからは、その機能は更に酷い状態に陥ってしまった。
    カエサルは「スッラは何も分ってなかった」と、辛らつに評言を下したのは、このような理由があった。

 =カエサルの改革とは
まずは首都ローマに張りめぐらされている城壁を取り壊すことで、デモンストレーションをしてみせた。
城壁は内と外の区別を産み出す。元老院の特権意識も、壁が産み出したものといえなくはない。
「都市国家ローマの時代は終わった」ということを明らかにした。
この後、ローマは城壁なしの首都として存在続けます。「ローマによる平和」の時代の始まりである。

    彼は「属州もまたローマなり」という考えを実際の政策にどんどん取りいれていった。
    属州を『ローマ本国によって直轄支配されるされる土地』から『ローマの一地方』という位置づけに
    変えていった。 徴収に対しても公平に基準を明示をしたことなどが、その象徴と言ってよい。

    カエサルは元老院の定員を更に300人増やして、900人にした。
    スッラは元老院の力を増やすためだが、カエサルは力を減らすために増員をした。
 その300人の新参者の中にはアルプスの向こう側のかっての宿敵のガリアの部族長たちがいた。

これは、元老院のものたちにとって、非常に不愉快なものであった。
カエサルはガリアを征服したが、ガリアを支配し搾取する地とは考えなかった。
たとえ民族や文化が違っていても、ひとたびローマの覇権下に入れば、
そこはもう国家ローマ帝国なのである。それこそがローマにとって最良なやり方であった。
こういう思い切った改革は、既存の利益受益者に恨みをかうことになる。 そして・・
                −つづく
                     (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
 ・・・・・・・・
2005年07月23日(土)
1572, 詐欺師

身近な詐欺師としては、毎日のように電話が来る「??取引屋の営業」である。
しつこく同じ会社から数百回も十年近くもある。もうここまでシツコクかかってくると、
声は懐かしい知り合いになる。こちらにしては、丁度良い怒鳴りのストレスの解消相手である。
相手も、解っていて社内向けにかけているのだろうが、最近怒鳴り声に閉口したのかかかってこない?

詐欺師は、遇えば半分は落としたようなものだという。
学生時代の同級生の野村證券や大和證券の営業の男から、昔何回も聞いた事があった。
「俺らのやっていることは、1?0パーセントは詐欺である!」
真面目な奴も、稀にはいるだろうが?現在は、そうではないだろうが。
その露骨なのが、??取引の営業の手口である。最近は脅しまがいの手口の電話もかかってくる。
その手口を冷静に見ていると、重罪の犯罪者から学んでいるとしか思えない。

ーーー
昨日、通勤の帰り道に車が私の目の前に急ブレーキで停まった。
親しそうな顔をした中年の男が、何か早口で話し始めた。
高校の同級生とテッキリ思ってしまい、立ちとまって相手の話を聞くことにした。
財布とライターとネクタイピンの入った木の箱を開けて、貰ってくれという。
てっきり同級生が、それをくれると思って貰おうと手を差し出すと違う男なのだ。

その男が言うには、「いま、会社の創業祭が終わって、記念品を貰った。
これから東京に帰るが、こんなものを貰っても仕方が無いから地元の人にあげようと思う。
丁度あげるにピタッリ人がいたので、ビール代を貰えれば彼方にあげたい。」
「タダなら貰うが、金は払う気は全く無い!」と言うと、顔色を一瞬変えて、そのまま行ってしまった。
こういう場面を何回か経験しているので、路上詐欺の手口の一つだろうと直感したが、
未経験なら軽く引っかかるだろう。それにしても、あの瞬間芸は迫力があった。

交番に届けても仕方が無いが、あれでは引っかかっても仕方がない。
交番のお巡りさんは、こういう話も小ばかにしてしか聞かない。
応対の言葉は聞かなくてもわかっている、「実際被害にあったのですか?・・・」である。

ー検索で「詐欺師の手口」のHPに似たようなものがあったー
[1]ヌケサク1号 02/05/20 14:35v.NrWsoO038
仕事で道を歩いていたら、車に乗った兄ちゃんに声をかけられました。
(字数の関係でカット2008年7月23日)

・・・・・・・・
2004年07月23日(金)
1207, 排除勧告

昨日の朝日新聞の一面トップが新潟市公共工事の談合の排除勧告の記事であった。
このホームページでも何回か書いてきたが、この国を取り仕切ってきた
ゼネコン・マフィアの一端が全国的に明らかにされる。
公然と、このマフィア・システムを書いてきたが、全国紙トップで露わにされた
のだから、けっしてオーバーでないことが証明されたことになる。

新潟県は大成建設が仕切り役を割り当てられていて、その下に地元の福田組、本間組、
加賀田組の三社が組んで、重大犯罪を数十年ほぼ100融点擇辰討た。
民間工事でも何らかのカタチで談合がなされる。このマフィアに立ち向かうのが、
施主としてのメインの仕事になるが、その影が常に付きまとっていた。

それに市や県の役人もつるんでくるから、このマフィア連中のシステムは深く張り巡らされている。
市や県の元幹部を、定年後こぞって営業に向い入れ、そのツテで犯罪を仕掛ける。それに自民党や民主党などの政治家が、
利権と票を狙って入り込んでいる。そのシンジケートの基盤は確固たるものである。
彼らの利権の一端が、少し見えただけでしかない。 彼らの不気味なシンジケートが橋本派を
扇の要として張り巡らされている。何故ここまで検察が放置していたのか、不思議でたまらない。
公正取引委員会も12年ぶりの勧告というから酷いものだ。

「歴代の下水道建設課長らが関与していた」と書いてあるが、検察が把握をしていなかった訳がない。
この国はマフィア支配という面でみると、イタリア以下に成り下がっている。
それでも、今日も談合が何時ものように行われているのが現状だ。

・・・・・・・・
2003年07月23日(水)
840, プロジェクトー

 NHKTVのプロジェクト召なかなか面白い内容だった。
このシリーズは三回に一回は見ているが、昨夜はソニーのロボット犬『アイボー』の
開発プロジェクトのチームリダーとメンバーの苦労話であった。
一つの商品の中に、多くのメンバーの思い人生とエネルギーがぎっちりとつまっている。
社長の井深大の『人の真似をするな!』が、ソニーの商品開発のコンセプトの一つ
ということは知っていたが、しかし現場の技術者にそれが貫かれていたのをみせつけられた。
 
 新規開発では、重役や周辺の無理解が大きな壁になるのが何処も同じである。
特に若い技術者が『オモチャを創るためにソニーに入ったのではない!』という言葉がその象徴であった。
何度も何度も大きな壁ー障害が立ちふさがってくるのを、切り抜けていく姿が感動的だった。
プロジェクトとは、その壁を乗り越えていくのが任務である。一度、会社を辞めてゲーム会社の部長になっている男を、
このチームに呼び戻そうとした時、その男がゲームメーカーのナムコの社長と供に断りに来る。
その時、チームリーダーは本来は絶対に見せてはならない創りかけのロボット犬を見せる。
それを見た本人は興味を示し、ナムコの社長は直ぐに翻意してソニーの復帰を認める。
ナムコの社長の一言がよい「日本の為になることだ!」
 −字数の関係でカット(2008年7月23日)
 
・・・・・・・・・
2002年07月23日(火)
465,流離(さすらい)のランチャー

ある長年サラリーマンを勤めている人から、彼らの昼飯をとることの大変さを聞いたことがある。
昼飯時は何処も混んでいる、それを同僚か誰かと探し歩いて食べる大変さ。
その気遣いだけでかなりのエネルギーを使うという。
私の場合は、殆ど一人で11時45分に出る。サラリーマンで混雑する直前に入ってしまうのだ。
週5日のうち2日は回転寿司である。今のランチは500円から300円以下になってきているという。
マクドナルドのハンバーガーに缶コーヒーで200円でも結構悪くない。

昨夜家に帰ると家内が不思議そうな顔で、長岡の駅前のアルファー・ワンというホテルで、
680円のバイキングに入ったという。12時少し前に入り13時まで自分達一組だけだったという。
値段も安いし、内容も良いし、店は大きいのに誰もいないのが不思議だという。
それとあの大量のバイキングの料理をどうするのだろうかと。
新潟駅前で自分が行く店で少し遅れて入って、ピーク時間に誰もいない事は月に1〜2度出くわす。
週一度の居酒屋の楽しみを欠かさない為に、節約の一番のターゲットになる。
ランチは一番に景気に左右する。流離のランチャーという言葉ももの悲しく聞こえてくる。
 不景気だ!

・・・・・・・・
2001年07月23日(月)
[84] 北欧の印象

いま欧州各国の首都はインターネット化による合理化と、EC統一で本社機能がドイツのベルリンに移転、
本社の支店化や支店の撤退が進んで、合理化と人員削減による不況が進んでいるという。
いずこの国も一緒と感じた。ロシアの国境以外は完全オープンといった感だ。
ただノルウエーだけは北海油田が発見された為、海陸資源が豊富な上に石油の心配が
無くなったためECに参加せず一国強気という。

北欧とロシアは欧州の片田舎とい位置づけられている。 北欧4国の各国の位置付けは
スエーデン・デンマーク・ノルウエーの順で彼らはゲルマン民族で言葉もほぼ一緒。
フィンランドだけはハンガリー系のフン属で彼らは露骨な?差別意識があるようだ。 何処も一緒か。

常にロシアとドイツなどの外敵にさらされてきたという。
どこも立憲君主の政治体制をとっている。また社会民主主義が進んでいる。
ノルウエーの学校制で考えさせられたのは小中9年間クラス換えがなく、先生も一緒。
一クラス20人のため先生は80人の生徒を見ることになり、責任を持って生徒を指導できるという。
虐めや差別は少なく、20人は一生の付き合いになる。

競争社会の日本でこれがそのまま良いかどうかわからないが、ヒントになることは確かだ!


2665, 人生は儚いのか?

2008年07月22日(火)


知人の墓に、亡くなってから隔月にお参りをしている。
たまたま、散歩をする土手の折り返しの近くに墓がある因縁のためだが。
習慣とは面白いものである。両親の墓には年に三度ほどしか参らないのに。

その都度思うことだが、「人生は儚い」ということだ。
必ず、心の中で話しをするが、故人が語りかけてくる言葉は
「生きているうち、こっち(あの世)は、ただ空」そしてダメ押しに「もっと墓参りに来てくれ!」
勝手に沸いてくる言葉でしかないが、それでも何かがあるのだろう。

故人と話しをしながら、思うことが、娑婆のことなど全て儚い夢でしかないということ。
そこで「儚いとは、如何いうことか?」を考えてみよう。
それは生まれる前の無限の時間と、死んだ後にも続く無限の時間を、死ぬと覚悟をした時に
「あまりに小さな時間」を思い浮かんだ実感である。
だから、「幸福の4Fは克服できない苦難と悲しみ」というのも、言い得ている。
故人から学ぶことは、そのことである。 達成した幸福の喜びなど、酒を飲んで盛り上がれば、出来ること。
そこには、生きているうちに感じる儚さしかない。しかし、それを言えるのは達成をした経験のある人間しかない。
それも、これも、如何でもいいことだが! 
儚さと感じるのは、4Fの克服できない苦難と悲しみの意味を知らないからだ。

儚いというのは、「わたしの儚さ」である。「わたし」という有限の自分の、小ささをシミジミ知ることである。
その小ささの一番の意味は時間の小ささである。それも、他人と比べるのではなく、生前、生後にある
何処までも広がる時間に対してである。自分を取り巻く永遠の広がりの時間である。
そう感じる「わたし」は、実は過ぎ去った時間を振り返った時に「これ」から「わたし」になった言葉。
そうすると、「わたしの人生は儚い」は、その言葉に縛られた感情でしかないということになる。
人生を振りかえって長かったような、一瞬だったような気がするが、それは現在、そう思っている「わたし」の
言葉ということだ。 一年前の日記に「わたしの人生は儚い」と書いてあったのを読み返したとして、
あの日に、そう思っていた「わたし」がいた、というだけのこと。
知人の墓参りに感じる「儚い」は、故人からの教訓で、実は直面するだろう自分の死に対する、
予行演習を勝手にしているということでしかない。
儚いと思ったら、現在直面している苦難と悲しみをジックリ味わえ!ということ。

故人の墓参りをして「儚い」などとは、自分の心が、都合のよいことしか考えていない、解りやすい事例でしかない。
 まあ、そういうこと! みも蓋もない話になったが。

・・・・・・・・・
2007年07月22日(日)
2301, また地震!どうなっている?まったく! −5

    まず今回は原発に絞って、これまでの問題をまとめてみる。

・世界最大規模の刈羽原発の真下に、実は活断層が直下に走っていて震度6強、
 マグネチュード6・8の地震が発生した。それは、日本の国家として最も恐れていた非常事態である。
・海岸線のため、それは普通の地震とは違い、一般住宅が1000世帯、半壊はその倍の2000?
 被害家屋が10000世帯にのぼった。それは直下型地震の上、地盤が弱いことが原因である。
 それからみて、原発の施設は想像を遥かに超える損傷を負ったと考えるのは妥当である。
・原発は最大マグネチュード6・5を想定して設計されており、6・8とすると2,5倍の衝撃が
 かかっている。もし、中越地震並みに震度7だったら、マグネチュード7,2だったら、
 と想定すると、日本はチェルノブイユのような事故になっていた、と考えられる。
 日本壊滅?は、決して小説・映画の世界ではない!ということになる。
・マスコミで「この事件の結果、過去に原発反対運動の住民が言っていたことが、
 ほぼ正しかったことが改めて検証できた」と報じていた。
 ということは、利権で推進した連中は、国家をあわや滅ぼそうとした輩として
 断罪に値する、ということになる。 想定外でしたとは、言いのがれはできない!
 そのトップだったのは誰かは周知の事実である。 その利権に屯したマフィアは誰か!
・3日前に私の知人が海水浴に行ったら、殆ど泳いでいる人が居なかったという。
・最も不運だったのが、外部の火災である。それがトップニュースとして
 世界中のマスコミに流れてしまった。このイメージダウンは最悪といってよい。
 彼らは、ことの真実を見抜く力がある。報道規制は彼らには効かないのである。
 それだけではない、インターネットで原発で働いている人から内部の生々しい状況が
 瞬時流されてしまった。さらに、消火が二時間も放置されていた事実も映像であるから、
 リアルである。消火が遅れたのは、被爆と火力を恐れて誰も近づけなかったというが・・
・おまけに、さらに震度6弱の余震がある可能性があるのに、
 それが原発施設に及ぼす影響、危険に対して住民避難を検討した形跡が、どうもない。
 そういう私も、もう起きないだろうと実はタカをくくっている。これは自己責任のレベルの問題であるが。
・新潟市に近い‘巻’という村で原発計画があった。 一度決まりかけた計画が、住民運動のため中止になった。
 かなり激しい住民同士の対立があった。しかし、この結果からみると反対住民が正しかったことになる。
 柏崎と長岡の関係と、巻と新潟は同じような立場にある。
 柏崎は経済波及を選択したのだ。決して政治家や建設マフィアだけが悪いのではない。
 
    これで、全国の原発周辺の住民は大きな不安を倍加したことになる。
    特に、福井周辺には幾つかの原発がある。新潟北から神戸にかけての地震危険地帯の上にある。
    これら全ての廃棄を、真剣に検討すべきである! もちろん、柏崎・刈羽原発の再開は、検討する以前の話である。
     『廃棄!』である。 再開など世界が許すわけがない。
 
 
 ・・・・・・・・・
 2006年07月22日(土)
1936, ローマから日本が見えるー14
        (≧∇≦)オハヨウ~ゴザイマス!
第6章 勝者ゆえの混迷−3
  ー同盟者戦役ー

マリウスの改革は、特に志願兵の導入は『誰の既得権をも損なわない』
という意味で利点があったが、思わない副作用をローマにもたらすことになった。
志願兵の導入は元老院の力を最終的に削ぐ作用を働かせていく。

ローマ連合に属している同盟国や地方自治体の市民にとって、
兵役はいまだに義務のままだった。彼ら非ローマ市民たちは、
直接税を納めた上に『血の税』としての兵役に就く義務が課せられていた。

    これに対してローマ市民は兵役が免除され、しかも直接税はもともと存在しない。
    これではあまりの不平等である。こうして起こったのが「同盟者戦役」である。
    イタリア半島の比較的貧しい8つの部族が一斉蜂起したこの戦争は、
    さすがに苦戦を強いられてしまった。

結局この戦いは、戦闘に勝ったローマが大幅な譲歩をしたことで完全に収拾する。
戦役の二年目にあたるBC90年の冬、ローマは「ユリウス市民権法」を制定、
同盟国に暮らす市民がローマ市民権を自由に取得できるようにした。

かってガイウス・グラックスが市民権改革を提案したのは、30年前のこと。
人間とは、厳しい現実を目の前に突きつけられてしか改革はできない。
しかし、この市民権を開放をしたのは大英断であったと言うべきである。

ースッラの登場と改革ー

マリウスはもともとローマ市民権さえ持たない出自で、軍団畑をたたき上げでのし上がってきた。
そして40歳でユリウス一門のカエサル家の娘と結婚する。
カエサル家はローマでは2流の家柄だったが、これで名門につながることになる。
マリウスが48歳のとき、北アフリカで問題が起こし、ハンニバル戦役時代に
ハンニバルを破ったスキピオ・アフリカヌスと同盟して戦った騎馬民族のヌミディア王国がローマに敵対する。
この戦闘に副官として参加し、功を上げたマリウスは執政官に当選する。

    マリウスが職業軍人を生んだことによって、ローマ軍団の私兵化が問題になる。
    その後のポンペイウスやカエサルが軍団を自由に動かせ土壌を作ったことになる。
    その後暫くは平穏な時代を過ごしたローマだが、市民権問題にことを発した
    同盟者戦役がおこる。これは、内乱というにふさわしい戦役であった。

しかしこの間に小アジアの勢力であるポントスがローマに反旗を翻し、ローマ領に侵攻。
同盟者戦役を和解で切り抜けたローマは、この戦役で功のあったスッラに
オリエント戦線を担当させようとしたが、マリウスがこれに抵抗した。
スッラはイタリアを抜け出し編成中であった軍団を擁してローマに進軍。
これを制圧。武装クーデターによってローマを制したスッラだが、
彼は私利におぼれることなくオリエント戦線の重要さからギリシャに入る。

    しかしローマの後をたくしたキンナがまたもや反旗を翻しマリウスは復権し、
    ローマに戻った彼はスッラ派の人々を片っ端から処刑をする。
    その直後にマリウスは病死。あとをついだキンナは小アジアにローマ正規軍を送る。
    一方スッラはギリシャで侵攻してくるポントス軍を数度に渡って破り、
    陸路小アジアに進撃し、ローマ正規軍を打ち破る。

このようにしてスッラは小アジアの安定とギリシャの制圧を完成。
キンナはスッラとの決戦をギリシャで臨み、2年の戦いの後にスッラの勝利に終わる。

そして今度はスッラがマリウス派勢力を処刑していく。
当然マリウスの甥でありキンナの娘の夫であったカエサルも目標にされます。
当時カエサル18歳。しかし若年で何ひとつ政治活動をしていなかったことを理由に
度重なる助命嘆願にスッラも仕方なく承知する。この時、スッラは ”君達にはわからないのかね。 
あの若者の中には100人ものマリウスがいることを”といったという。

    スッラの条件はキンナの娘との離婚だったが、カエサルはこれを拒否。
    カエサルはイタリア中を逃げまわり、ついには小アジアにまで落ち延びる。
    スッラは様々な改革をしたが、元老院の強化こそがローマを栄えさせると考えて、
    それに沿った政策をとる。

後年2流の家系であったカエサルが、妻の血筋の庶民派として地位を確保していったのは当然のこと。

    名門貴族の出身ならば元老院への道は開かれていたが、
    平民貴族や平民出身者にとっては護民官から元老院に出馬が道であった。
    ローマの重職は元元老院議員であることが暗黙の了解であった。
    しかし次第に大きくなる護民官の力がローマの弱体化を招いたと考えるスッラは、これを押さえ込んだ。

スッラは私利私欲の少ない人で、
58歳で引退後は別荘で暮らしながら死んでいく。
           i (ω・`) bai  
・・・・・・・
2005年07月22日(金)
1571, 五稜郭

幕末の混乱期、軍艦・開陽丸を駆って官軍と戦い蝦夷地に共和国を樹立しようとした男たちがいた。
この時期、オランダに派遣されていた榎本は帰国、同じ幕臣として勝海舟の幕引きに反発。
新政府に不満を持つ幕臣と新撰組の土方と合流して未開の地・函館の五稜郭に共和国を樹立する。

そこで、官軍の参謀に就任した薩摩の黒田了介(後の内閣総理大臣・黒田清隆)率いる軍と熾烈な戦いを繰り広げる。
その戦いの中で、榎本の人柄を知った黒田は全面降伏を勧め彼の命を救う。しかし土方など幕府方の残党は殆んど
ここで最期を遂げる。やがて刑期を終えた榎本は新政府のロシア交渉特使として活躍する。

阿部公房が「五稜郭」という小説で、榎本武楊が政治的に江戸幕府の残党を纏めて整理する
役割になってしまった矛盾を書いている。 学生時代に読んで、その複雑多層の立場を初めて知った。

攘夷か開国か、尊王か佐幕か倒幕か、公武合体か。それらの混沌とした中で維新の歴史は作られていったが、
その中で榎本武楊の果たした役割は、結果として皮肉な結果をもたらした。

阿倍公房の小説は、函館の五稜郭で負けた幕府軍の囚人300人が脱走して、厚岸(あっけし)の海岸から上陸、
山の奥深くへ消えていった、という地元の伝承をもとにそれを追う男の話から始っていた。
「蝦夷共和国」という、とんでもない構想に魅力を感じて読んだが、
実は?その背後の複雑な背景を抱えた夢の世界であったという阿倍公房の世界観があった。
もう三十数年前に読んだ本だが印象に深く残っている本である。

 −−
ー榎本武楊ー
 1836-1908

江戸御徒町生まれる幕臣、幕府留学生としてオランダへ3年造船、
機械が学ぶため留学し滞在地で国際法を習得、開陽丸回航と共に帰国、
帰国後幕府海軍教官として基礎を築き海軍副総裁となる。

戊辰戦争では、江戸陥落後に徳川残存艦隊を率い蝦夷箱舘へ脱出、
蝦夷地を占領『蝦夷共和国』を樹立し総裁になるも、明治2年函館戦争で降伏。
新政府に拘束された後、敵将であった黒田清隆の強い要望により新政府に仕官し
北海道開拓使に任官、その後日露関係の外交交渉の為、海軍中将に任官するとともに
ロシア派遣特命全権公使となり力を尽くした。

ちなみに彼は明治22年子爵の爵位を受け明治23年文部大臣に就任した。
生前最も愛した向島にちなんで、その地の木母寺境内に銅像が建てられ
その後現在の梅若公園内に整備された

・・・・・・・
2004年07月22日(木)
1206, 「半落ち」ー 映画感想

30万部を越すベストセラー記録を樹立した横山秀夫ワールドの最高峰
『半落ち』が映画化され、今年の1月に公開された。そのDVDが、もうレンタルショップにあった。
さっそく借りてきた見たが、素晴らしい内容であった。 見おわった時、涙が知らずと溢れ出ていた。
あとで家内から聞いたが、みた人のほとんどが泣くという。 私の感想文は、最後に書いてある。

ー解説と内容(ホームページよりコピーしたもの)を貼り付けておきます。
 ー解説ー
(字数の関係で中略カット弐千八年七月二十二日)
 −−−−−
< 感想>
母をアルツハイマーで5年半、看護した経験があったので、主人公の深い思いに感情移入をしてしまった。
そして、それに関わる色いろな立場の思惑や利害も、身に憶えのあることばかりで、
主人公の心の壁を探っていく物語は、そのまま自分自身の心の壁を抉りだしている
ようであった。そして、当時の自分の心の姿が浮かび上がってきた。

辛く悲しい母の姿と家族の、それぞれの立場で必死に生きていた当時の日々
がリアルに浮かんできた。しかし、そこには底知れぬ暖かさがあった。
アルツハイマーの身内を抱えた崩壊一歩手前の家族が、どういう気持ちで毎日を過ごしているか、
この映画は深く入り込んではいなかった。 それも、しかたがないが。

高齢化社会の、大きな問題がアルツハイマーである。どこの家庭でも、ぶつかる大きな問題でもある。
いまの寝室の寝ているところが、母の寝ていたところである。
アルツハイマーになった母が夢で月に二回は出てくる。 母は今でも私の中では生き続けている。

・・・・・・・
2003年07月22日(火)
839, あいうえおー生き甲斐測定法

今やっていることが、生き甲斐があることか、天職か、ベストかどうかの
判定基準として、あいうえお生き甲斐測定法がある。
「あ」は、アイデア 
「い」は、インタレスト
「う」が、ウォーク
「え」が、エキサイティング
「お」が、オーナーズシップ
この内の一つは抜けていてもよいが、二つ以上の場合情熱が感じられなくなる。

「あ」は、要は自分のアイデア、企画かどうか。
「い」は、興味、関心のこと。
「う」は、歩くことで、行動につながる。待っていたり行動なしでは何も始まらない。
「え」は、エキサイティング。燃えるような情熱の涌くこと。
「お」は、オナーズシィップ。自分でやり遂げたという喜びや自負心ー行蔵です。

 これは藤本儀一の『人間ほど面白い動物はない』サンマーク出版ーの最後に
 書いてあった内容である。
創業では、これが一つでも欠けていたら上手くはいかない。
これを満たした上で総てを注ぎ込んで初めて動き出すものだ。
この5つを満たす為には、いつも随想日記で書いているように、
「自分の好きなことを見つけて、それに集中する」しかない。

 私自身、好きなことをして生きてこられたことが一番の誇れることだ。
この随想日記で一貫して私も主張してきたことである。
最後に『楽しかった!』と言い切れる生き方である。
『好きなことだけをして生きていく』には、それなりのノウハウと能力と環境が必要である。

 その方法論を具体的に解りやすく書いてある本があった。
 初心者向きで、どちらかというと先人の知恵を租借している内容だ。
といって好きなことをしてきたと自分で言い切れることがよい。
以下、インターネットで調べてコピーしておきます。

・・・・・・
「『好きなことだけをして生きていける人』はここが違う」
                 中川 昌彦 (著) 
ー内容ー
(字数の関係でカット2008年7月22日)
 ・・・・・・・

2002年07月22日(月)
464,煮た豆

母から聞いた言葉で印象的な言葉で「煮た豆」がある。もう出来上がってしまって芽が生えて来ない豆をいう。
人間に喩えると「もう出来上がってしまって、潰しのきかない人間」をいう。
この言葉は自分の自戒の言葉であり、常に前向きでチャレンジと変化と闘いを自分に課し続ける姿勢だ。
ある同?会の大部分が煮た豆だけでなく、納豆のようだ。
腐ってしまって、お互い粘粘している。仕方がないが、もうオカラのような人もいる。

豆の質も10歳で殆ど決まってしまうらしい。「3歳では遅すぎる」というソニーの創立者の井深大の本があるが。
私の見るところ、95佑呂い筍坑広佑呂修糧疇だ。もっともその時の優等生も大部分がただの人だが。
私のよくいう子狐は「煮た豆」が必死になって「生豆」を演じている姿だ。
いや「生豆」を粘々で絡もうとする姿だ。そういう自分ももう煮た豆か?
こういう文章を書いているといろいろ気づきがでてくる。

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2001年07月22日(日)
[83] バイキングについて

ー北欧旅行記ー 
バイキングは今より1200年前突然始まり200年で終わったそうだ。
キリスト教の影響ではないかと言われている。
面白いのは相続は末子相続で、長男次男はある年令に成ると家から出て行くそうだ。
海は日本の場合お堀の役割だが、夢に向けての希望という。
1000年前のバイキングの船がそのまま発掘されて展示されていた。
一艘40人ぐらいの定員で50艘位で攻めていくそうだ。

アメリカまでも行っていたそうで、コロンブスの発見より5^600年さかのぼる事になる。
それにしても金髪で背が高く足が長い、それに美男美女である。料理も上手い!
厳しい自然だが資源に恵まれている。


2664, インドの女盗賊プーラン

2008年07月21日(月)


   図書館で見つけた、「インド盗賊の女王・プラン・デヴィの真実」に、一人の女性の壮絶な人生があった。
   彼女の語った世界には、尋常ならざる悲惨な現実が次から次へと出てくる。
   NHKスペシャルで昨夜もインドをシリーズで取り上げていた。
   グローバル化とは、こういう異質な国とも垣根が無くなるということだ。

   ーあるブログに、この本の簡約した内容があったので、まずはそれをコピーしてみるー

プーランは、1994年、仮釈放となりこの自伝の口述を行った時には、読み書きができない状態、彼女の手記は口述であった。
 カーストは、絶対的神の前に、下層部が上層部にへりくだる事や、自分より更なる下層に倣岸に振舞うことによって
維持されているだけではなく、上層に対する打破不可能な絶望感の前で、同一カースト内部のより弱者をいけにえと
することによって、欺瞞的に延命を画策する、集団的かつ日常的なテロリズムを蔓延化させている。 
アチュート(不可触民)のマッラ階級に生まれたプーランとその家族が、同じ階級のそれも叔父の家族に徹底的に
いたぶられることから悲劇の幕が開けられる。

貧困さゆえに、11歳で既婚暦のある20歳年上の農民との婚姻、日々の重労働と性的暴力。
それからの逃避、結婚して戻ってきた娘プーランとその家族に対する帰省後の郷里の冷笑と村八分。
半ば公然と(家族の前でさえ)行われる性的暴力。 かくて、救いのヒンヅーの女神は現れることなく、
いとこから、盗賊団(ダコイット)の汚名を着せられ、最初の収監。収容所での地方官憲の更なる集団暴行。
その後、曲折を経ての帰省後、今度は、そのいとこから依頼された盗賊団に誘拐される。

ダコイット内部でさえ、構成される盗賊の階級によって分化が促される。 誘拐したダコイットの一方の、
同一階級のリーダーに愛されることによってプーランはそこで初めて心の安らぎを瞬時的に与えられる。
だがそれも束の間、愛する人は、ダコイットの他方の、より上位階級に属するリーダーの裏切りによって殺される。
これまでに蓄積された怯えと悲しみが、ここで一挙に憎しみとなって暴発していく様が描かれていく。
彼女はもはや自ら「盗賊の女王」と名乗り、復讐と、貧民への施しのための誘拐、襲撃、簒奪をいとわない。

この著作は、その後、プーランが司法取引をし、刑務所に収監され、何年かの歳月を過ごすところで終わる。
プーランが収監された1983年は、奇しくもリチャード・アッテンボローが『ガンジー』でアカデミー賞を受賞
(オスカーは、E.T)した年でもあった。 プーラン・デヴィがその後、1996年元女盗賊として、インド総選挙に出馬、
当選、その後落選、サマジャワディ党に所属し、社会活動にいそしんでいたが、2001年12月、暗殺された模様である。
 ーーー
書籍紹介
ジャングルの中を音もなく移動する盗賊たちと行動をともにするうち、
プーランは初めて人間として扱われる喜びを感じていた。だがそれも長くは続かない。
愛する首領ヴィクラムが、彼女の目の前で凶弾に倒れてしまったのだ―。
深い悲しみと激しい憎悪を胸に、彼女はみずから盗賊団を率い、彼女を辱めた男たちへの復讐に立ち上がった。
警察官を含む二十数人の権力者を射殺し、彼女は反逆の象徴として民衆の英雄となってゆくが…。
貧困層から圧倒的な支持を得て、国会議員に当選した元女盗賊プーランが、彼女自身の秘められた生い立ちを語る。
 ---
   以上だが、読んでいるだけで身もよだつ内容が次から次へと出てくる。
  確かに、日本にも格差社会があるが、3000年以上かけての格差社会とは、レベルが違う。
  平等?そんなのは建前! 何を綺麗ごとを言っているのか! が人間社会の実態という事実を
  見せつけられた本である。

・・・・・・・・・
2007年07月21日(土)
 2300, また地震!どうなっている?まったく! −4
 ー中越地震と中越沖地震の意味することー

 この二つの地震が地元新潟にとって大事件ということは、今更だが、二回たて続きに重なったことと、
 原発が活断層の真上にあり、直下型だったことは、重大な事態である!
 まず中越地震と中越沖地震の違いは何か? 私の主観で考えてみる。
 
・規模からいえば三年前の中越地震の方が圧倒的に大きいが、地域的にみても長岡を中心とした
 中越地区全体にわたっていた。 山間部の道路や田畑、そして道路・線路がズタズタになった。
 一時期、中越地区で10万人が学校の体育館などに避難していた。
・それに対し今回は避難民は一万人足らずであり、柏崎市中心の商店街や住宅と、至近にある刈羽の原発などに
 被害が限定していた。しかし柏崎市を中心を主にした1000世帯が全壊、半壊などを含めて6000世帯が破壊。
 小さな市としては甚大である。その数は前の中越地震の3倍近い。
・今回の特徴は、世界で最大規模の刈羽原発の直下型ということである。
 もう少し震度が強ければ、チェルノブイユの事故の二の舞になりかねない事態だった。 
 現実的に日本崩壊?の一歩手前だったのだ。チュルノブイユの8倍の規模からみて決してオーバーな表現ではない!
 (このことを何でマスコミは騒ぎ立てないのか不思議で仕方がない。また住民の怒りが、あまりにも少ない)
 まさか、角栄も活断層が下にあるとは、思わなかったのだろう。政治は結果である。 この男の罪は重大である!

 この中越沖地震の深刻なのは、三年もしないうちに二度たて続きに発生したこと。
 その意味では今回の地震は、前回に比べようもないほど衝撃的といってよい。
 新潟県にとって、アメリカの9・11事件に匹敵するといってもよい。
 9・11以前、以後というほど、この地震は新潟県にとって深手である。まだ誰も気づいてないようだが。
 このまま原発が再開されれば、大手の企業の進出を躊躇うだろうし、撤退を真剣に検討するだろう。
 それだけではない、農水産品をはじめ酒や、加工品までもが影響を及ぼす。
 今後、観光地は致命的イメージダウンになり、回復には時間がかかるだろう!
 
 「チェルノブイユ一歩手前だった!」と、何故言わないのだろうか?
 日本沈没が現実になるところだったことを! 何で気づかないのだろうか? 
  脳がおかしいんじゃないか、この国は! 1〜2週間以内に、震度6弱の余震がある可能性があるという。
 何故、そのことに無頓着なのだろうか?原発の施設にとってダブルパンチになり、危険性は計り知れない。
  本当は、そ知らぬ顔をして新潟に行っているほうが良いことになる。
 
 解っていながら行動に移してないのだから、おかしいのは、私も同じである! 
 もし現実に行動していたら、現実の意識レベルからみて、お笑いだろう。
   何故なら、普通の日常が、そのまま続いているからである。
 まさか、こんな大事件が起ころうとは!そして、いま現に現在進行しているとは。

・・・・・・・・・
2006年07月21日(金)
1935, 霊界からの訪問者 −3
           (\ Y /)(\ Y /)オハヨウ! ♪
  ー四四太郎の霊界日記ー5

霊がブログを持つのも面白いものじゃ。ふざけて書くわけにもいかないし、教訓を垂れれば面白くもないだろうし。 
ところで、これを読んでカルトのそれと、用心している人もいるだろうが、全く関係ないから。
カルトは直ぐに解るだろうけどね!
         
    何か今日は書いていてぎこちないが、ワシは指の動くままキーボードでも動かしていればよい。
    何時でも話す準備はできているが、お主が構えて考えようとするからワシそのものが固まってしまうのだ。 
               \(∀\)ココハドコ?  (/∀)/アタシハダアレ?娑婆娑婆♭♯♪〜              
今日、昨日そして明日のことで頭が一杯のお主らに対して、数十年、数百年、いやせめて
5年~10年のスパンで事象を見つめる視線を、ワシの言葉から気づかせようとしているのじゃ。
それだけではない、鳥瞰、虫瞰、モグラ瞰を一瞬に気楽にできるのじゃ。

    現在は人類20万年、いや数百万年来の大変革期に現在ある。
    それが解っているかというと、大部分の連中は解ってないだろう。
    この情報革命というのはワシらの世界から見てもすざましい出来事なのだ。
    この情報革命はマスマス激しく社会の根本を変革を始めているが、
    特に、これから十年は日ごと加速度をますだろう。そしてそのいく末は想像を絶する変化になる。
                                       ( ^-^)_且~~~
   (字数の関係で以下をカット2008年07月21日)
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2005年07月21日(木)
1570, 日本壊死
           ー読書日記
この恐ろしい題名の本を書店で見て、買おうかどうか迷った。船井幸雄氏の本は数多あるが、
ほとんど読んだ事はない。その場かぎりのいい加減なことを言っているのは私でも解る。
しかし、多くの顧客を持ち、本も出し続けているのだから何かがあるのだろう。

以前いた会社で二年間、船井総研に加入したことがある。(30年も前のことだが)いい加減というのを、体験上知った。
数回、この人とも一対一で話ししたことがあるが、怪しげな生臭坊主というイメージしか残ってはいない。
たまたま、この本が図書館にあったので、丁度良いタイミングであった。
副島隆彦氏の本は図書館で数冊借りて読んでいるが、本筋は正しい。(売らんかなのオーバーな表現が目立つが)
この二人の対談で、彼(副島)の「日本の近い将来の悲観」に対しては同感する。

船井氏の話術で、彼が言わんとするところがクローズアップしていて解りやすい内容になっている。
アメリカ帝国主義の崩壊のシナリオから始まり、日本がいかに駄目になったかを説いている。
具体的には アメリカ帝国主義とロックフェラー支配の終焉、 1ドル60円時代の到来、 ユーロの台頭、 
借金1000兆円国家・日本の地獄絵図、 財務省の重罪、 預金封鎖と老人税の導入の可能性、
行革が進まないワケ、 脱米入亜の可能性、 次世代国家を作る新しい人たちの登場 等々、内容は悲観的である。

ー 概略を目次順に書いてみるー
(字数の関係でカット2008年07月21日)

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2004年07月21日(水)
1205, 実存哲学(3)ー哲学について−19
 ーマルクス−2

マルクスの考えでは、当時の資本主義社会は歴史的に見て、
対立なき社会が実現する二つ手前の発展段階とみなした。

近代技術はますます発達を続け、失業者はますます増加すると考えた。
その結果、いわゆる一般大衆が増加、彼らはいっそう生産手段から疎外され、
ますます限られた者に生産手段が握られてしまう。その結果、数の上で圧倒的な
労働階級が資本家を打倒し、生産手段を自らの手に収めることになる。
そしてこの革命が、歴史の繰り返しを終わりに導く。
この到達点に必然的に進んでいって、いったん理想郷が実現されると、もはや弁証的でなくなる。
生産手段は万人の所有者となり、万人の利益のためにつかわれる。

マルクスは哲学そのものを否定し、「哲学者は世界をさまざまに解釈してきただけだ。
大切なのは、世界を変革することである」と断じた。

しかしその予言は実現しなかった。それはマルクスが、一人よがりに自分の理論を科学的と思い込んだからである。
自分が生み出した社会主義を、「科学的社会主義」とよび、これが説得力があったためマルクス主義者が
ただのマルクスの個人的意見を「絶対的な事実」と考えてしまった。
彼らは未来の社会の姿を科学的に予測できると主張、自分たちが未来の側に立っていると盲信してしまった。
その結果「歴史がわれわれの側にある」がマルクス主義者の口ぐせになってしまい、敵はみな、
「歴史のごみ」として捨て去られるものと信じてしまった。

この考えが、20世紀に共産圏を中心として大虐殺を引き起こしてしまった。ソ連や中国では、数千万の大虐殺が生じた。
また現在の北朝鮮の不可解な体制は、このような考えの背景があるからだ。

当時、彼の思想は短期間に世界に大きな影響を及ぼした。これほど一時期に大きな影響を世界に与えた思想は歴史上ない。
1883年に、亡くなってからわずか70年で、世界の3分の1がマルクス主義の国家体制に
なってしまた。それは驚くべきことであり、それが歴史に残る大失敗であった。
芸術にたいしても、その真の役割は社会を批判をすることであると主張した。
芸術は革命の一つの道具とみなしたのだ。その結果、多くの芸術家がその影響を受けてしまった。
サルトル、ピカソなどは、その最たる人である。

現在でも多くの国で、その体制が残っているが、独裁の一種の建前として使われているにすぎない。
一度手にした権力を人間は、決して国家人民の為には使わない動物であることを
見落としていた。これほど理想と現実の差がある思想も過去になかった。

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2003年07月21日(月)
838, アメリカの世界戦略を知らない日本人
                 ー読書日記ー
「イラク戦」後、時代はこう動く  日高 義樹 (著) 出版社: PHP研究所 ;
ー感想文ー
 新たなる世界大戦の序幕が切って落とされた。 中東、北朝鮮、中国、そして日本は…。
ブッシュ政権要人の肉声から読み解く驚愕のシナリオをシビアに書いてある本だ。
この本を読んでいると、今の世界の流れの一部が見える錯覚?に陥ってしまう。
日高義樹はNHK記者時代を通じ、アメリカの専門家として有名で、その著書も数多く出版されてる。
この本は、イラクへの武力攻撃が懸念される2月始めに出版されたものだが、

先日、図書館で借りてきて一気に読んでしまった。
主軸通貨を利用して、ドルと国債を世界にばら撒いて物資を集めてくれば良いのだから、
やはり帝国主義そのものでしかない。特に日本はいまだに属国から抜け出ることができない。
そして、紙切れー国債を押し付けられている状態だ。今までは、毒饅頭ー大衆消費社会ーを与えられ、
骨抜きをさせられた。 ソ連よりはズットましだっただろうが。

ー印象に残ってところを抜粋してみる
・ヨーロッパは終焉してしまった。 一見「EUの発足」で力の統合が始まったように見えるが
・中国は恐れるに足りない。いずれ分裂するとみている。
・日本の平和主義は終わった。 ー日本が核武装をしようがしまいがどうでもよい。
・イラク戦争のアメリカの狙いは中東石油支配。ーこれは時間が経てばたつほど露骨に現れてくるだろう。
 
ーさらに詳細に抜粋すると
・9月11日の同時多発テロ以来アメリカは変わった。
「冷戦後の世界で、一番先に変わるのがアメリカであり、他国に先駆けて変化するのがアメリカの特徴である」。
 自発的に変化することを苦手にしているのが日本であり、憲法改正、有事法制も先送りしながら
日米安全保障条約だけを頼りにしている。北朝鮮の脅威が現実のものとなった以上、「アメリカが助けてくれる」
ことを期待を込めて信じるだけでは、国として無責任すぎる。 北朝鮮の拉致事件も、見方を変えれば、
宣戦布告なき戦争であり、日本は国民の生命と財産も守れない国ということになる。
日本も今までのように安穏としてはおれず、現実的な選択を迫られている。

・第4次世界大戦”に、既に突入した(第3次大戦は米ソの冷戦)。
 それはアメリカなどの民主主義を奉ずる先進諸国とテロリストの国や組織との戦争。
 今までの戦争とは全く異なり、ITや大型輸送機を駆使し、少ない人員で遠隔地まで直接効率的且つ
 破壊力に富んだ攻撃を可能な戦争になる。 ーその第一幕が今行われているイラク戦。
・ついで起きるのが2005年頃と考えられる北朝鮮との戦い。
 このとき北朝鮮は日本を人質にとってアメリカと交渉しようとする可能性は大きい。
 ブッシュは“悪”とは決して妥協しようとしないから北朝鮮は日本攻撃に追い込まれる
 可能性がある。その際、日本が当然アメリカが守ってくれると期待するのは甘い。
・冷戦の終了と共に日本はアメリカにとって重要性を失っている。 
 後は日本の古い金融体制を不良債権整理と共に破産させてのっとることくらいが関心事。
 資金の裏打ちの無い“強いドル”を維持するために日本の円を自由にして 取り込もうとしている。

 [コメント]
 この原稿が書かれたのは昨年12月。(イラク問題は一進一退だが・・・)。
著者は、アメリカ政治に精通している著名なジャーナリストで、アメリカに関する著作は多い
(私も何冊か読んでいる)。歯切れの良い文体とちょっと過激な論調は、結構ファンも多いはずだ。
著者の結論は、ブッシュ政権は近日中にイラクと戦争を行い、第四次世界大戦の幕を切って落とし、
中東情勢が落ち着けば(アメリカの思惑通りに)、再選に向けて動く。
再選後、北朝鮮の金正日体勢を武力をもって崩壊させるといシナリオである。
確かに、ブッシュ大統領も、危険分子(危険要因)の排除ためには、先制攻撃も辞さないことを
明言している。9月11日の同時多発テロ以来、「アメリカは変わった」ことを認識すべきである

・・・・・・・・・
2002年07月21日(日)
463,再び業態について

何回か業態について書いているが、地元の今井家具が昨日店の前を通ったら、いつの間にか倒産していた。
業種店の消滅である。
ひと時代前,いやふた時代前の商売である。メーカー分類ごとの商品を並べる商法である。
靴屋、家具や、薬屋、金具屋、今でも原始的の兼業商家として駅前立地で一部残っているが。
これに対し業態とは、お客ー生活者のサイドで商品の括りを変えることである。
全国チェーン化を始めた「ニトリ」がそうである。

店独自のコンセプトで商品を開発する。それえも早くから、インドネシヤとか中国で開発輸入をしていた。
台所、居間、トイレ、ガーデニングとそれぞれのシーンごとに分類。
そこで買っていれば、家の中はカラーコーデネートが自然と出来ている。
昔は金持ちの一部しか出来なかった「家を飾り立てる楽しみ」が誰でも出来る。

これは考え抜けば、個人でも小さな企業でも出来る事だ。5年ほど前、九州のある大きな神社に行った時、
ある店がお客でいっぱいであった。何と「土産1000円ショップ」であった。笑ってしまったが、
これこそ生徒の小遣いの範囲を見抜いた商法ー客サイドである。
百貨店は今大都会の一部を除いて殆んど淘汰されたか、されつつある。
これは業種店の典型である。地方銀行以下もしかり。時間の問題である。

昔の駅前繁華街は業種店の集積で栄えていた。今はご覧のとおり毎日のように廃業が続いている。

・・・・・・・・
2001年07月21日(土)
[82] 人生がモチーフの公園

なんとその公園のモチーフが人生!であった。
広大な公園の中央に建つ塔に、時計の刻印のように12のそれぞれの複数の像。
「赤ちゃん、幼児、少年期、青年期、・・老人期そして死」と像が、その時期を象徴して表現してあった。
その中央に死体の山。人生をリアルにそのままずばり表現してある。
その周辺にそれぞれの人生の哀歓の像が立ち並ぶ! 何故誰もが考えつかなかったのか、
今まで見た公園で一番印象的と言ってよい。さすが北欧と感心させられた。
このような思いもよらない現物に突然出会うのが、旅行の醍醐味である。


2663, 「哲学づくと、どうなるか」

2008年07月20日(日)

 この随想日記を7年以上毎日書き続けたためか、
 以下のように左から右へと変わってしまった。 但し重心だが。
  ということは、過去の自己否定の辛い日々になっている? 

根本を突き詰めない日々  −>   考える日々(考えざるを得ない日々))
日常に流される日々    −>   新しい知識を求め続ける日々
役立つことを追求する日々 −>   役に立つとか立たない外を求める日々
常識を加える日々     −>   常識を根本的に疑う日々
実生活のプラスを加える日々ー>   真実とは何かを求める日々
マスコミに左右された日々 ー>   自分の道理を最優先にする日々  
群れを求める傾向     −>   孤独の時間に重心を移動

要するに、自分の話す言葉、書く言葉を大事にするようになった。
その反面、これまでの表層的な自分の姿を思い出しながら赤面している。
そういえば、二十・三十歳代半までは右側の傾向が強かったようだが・・・

インターネットと、印刷の発明とドチラが人類にとって大発明になるのかといえば(私自身の判断だが)
数段、インターネットだと思う。その人類の大きな転機の大事件に立ちあっているのである。 
それぞれがブログを通して「語ること」を始めたのである。
ブログで語り始めて、語りを継続をして、私の場合、哲学づいたのである。
自分の知識と経験の限界を知ることは、何か空しい気もする。 知っていることより、知らないことが
膨大に広がっているのを知ると、先ほど書いた右側の傾向になっていくのである。
それにしても、面白い岐路を生きたものだ。

・・・・・・・・・
2007年07月20日(金)
 2299, また地震!どうなっている?まったく! −3
  「柏崎原発直下に断層」 ー耐震設計の前提崩れるー
    これが昨日の地元紙の新潟日報一面のトップ記事である。

更に一面の下にある「日報抄」というコラムに以下のようにあったが、これしか書けないのがマスコミの限界だろう。
しかし地元紙としては思い切ったことが書いてある。この地震は、日本だけでなく世界に匕首を突きつけた大問題。
角栄神話の根こそぎ否定の問題であり、娘の真紀子にもつながってくる。代議士として存在していること自体が、
この地区の後進性を現している。 世界一位の規模を誇る柏崎原発は、マグネチュード6・5までの耐震で造られていた。
ところが、今回の地震は6・8である。0・2で二倍の衝撃度が増すというから、今回は二倍以上の衝撃が原発にかかったことになる。
ということは、ただ事でない事態が起きて当然ではないか? 情報はパニックを起こさないために隠蔽せざるを得ないだろう。
・放射能が大規模に漏れたなら隠すということは殺人そのものになるから、ないだろう??と考えるのか、
・それとも隠しざるを得ないと考えるか。どうだろうか? 後者なら、とりあえず新潟まで租界しなければならないか?
 ーー
ー日報抄ー
世界のメディアは、激しい揺れに襲われて放射能漏れや火災を起こした東京電力柏崎刈羽原発を大きく報じている。
中越沖地震は日本の原発が地震の巣の上にあることを国際社会に伝えた震災として、人々の記憶に残ることになりそうだ

▼米原子力規制委員会の警告を思い出す。「原発の重大事故の発生確率は故障によるものよりも、
地震による方がはるかに大きい」。柏崎原発は最も避けなければならない断層の上に建てられていた
可能性が高いことが、気象庁の解析で明らかになった
▼ 神戸大学の石橋克彦教授はいう。「普通、原発の事故は単一要因故障といって、どこか一つが壊れる。
それを多重防護システムや安全装置で守ることになっている。だが突然激しい地震の揺れに襲われると、
機器や配管のあちこちに損傷が生じ、多重防護システムでは対応できなくなる恐れがある」
▼地震が原発にとって最大の脅威といわれるゆえんだろう。原発が被害を受ける規模の地震が発生すれば、
周辺もライフラインが寸断され、人的被害が出る。死の灰の降る中で救援や原発事故の応急対応は困難を極める
▼二月の衆院委で石橋教授が訴えた「原発震災」のシナリオは悪夢だ。
「おびただしい人が被ばくし、土地や水も汚染され、混乱は海外に広がる。
大震災の時は世界が同情し救援に来てくれるが、逆に厳しい非難を浴びかねない」
▼柏崎市長は原発の使用停止命令を出した。中越沖地震を詳報した英科学誌ネイチャー
(電子版)は「原発が閉鎖になる可能性がある」と論評している。
安全性を県民をはじめ全世界に説明できるまで、運転を再開してはならない。
                   [新潟日報7月19日(木)]
 −−
以上だが、 株価が一日置いた一昨日、200円も下落(昨日は100円反発したようだが)、
原発の火災と漏れに対する深刻さを現している。自動車部品大手のリケンの生産休止で、トヨタなど6社が週内に
一時的にせよ7割が週内に生産休止になるという。また知人の保険屋の社長に電話をしたら、現地はかなり深刻という。
風呂に入るため長岡の郊外にあるスパに行ったところ、10人の柏崎の知人と会ったという。

今回の地震の深刻なのは「地震は一度あれば、当分は無い」という前提が崩れたことだ。
さらに原発の直下に断層があったことが問題を深くしている。「数年後に、同じ規模の地震の可能性は否定できない」
と地元の地震学者がTVでコメントをしていたが、問題は深い。
もし柏崎原発が再開されたとしたら国際社会から一斉に反発を受けてしまう。
一年や二年の停止ではなく、閉鎖が現実的になるのは避けられないとみてよい。
そうすると原発の大きく依存している柏崎経済にとって致命傷になり、直接・間接的に長岡にとっても大打撃になる。
3兆数千億以上の設備投資というから、そう簡単に閉鎖はできないが、といって安全は無視できない。

新潟の魚や酒や米や、観光にとってもストレートに影響してくる。
恐ろしいことだ、他の原発周辺の住民も不安が高まるだろう、特に福井周辺に密集している原発周辺の住民は・・・
 一見、前回より規模が地域的に限定されていて、影響は小さいように思えるが、原発の直下型ということ、
二回たて続きに起きたことは、新潟県だけでなく日本そのものにとって大問題である。
時間が経てば経つほど、今回の地震の持つ影響の大きさに驚きざるを得ない。
 
 以上のことが、もし悲観的過ぎると言えたら、むしろ幸いである。

・・・・・・・・
2006年07月20日(木)
1934, 二つ目のブログ−2            
  (♯ゝωσ♯)人(+>∀<+)ノぁはは〜 よう!
           
ブログを始めようとすると、まずはどのサイトのブログを選ぶか迷よう。
私も、とにかく5つのブログに入っては止めてみた。実際に入らないと対象に集中できないからだ。

    どれもが一長一短があるが私の結論はグーグルのブログである。デザインを気楽に替ることができる。
    理屈から考えても、世界中のブログの中のベストプラクティスをしているから一番良いに決まっている。
    それに気づいたのは、試行錯誤をした後である。もし迷ったらグーグルを勧めます。
    ナンバーワンのグーグルのブログが悪いわけがない。
    それぞれの特性も各々が持っているから一概にいえないが、長期的視点からみて良いはずだ。

もう一つ心しなくてはならないのは、誰が見ているか解らないことだ。 何度か冷や汗を書いたことがある。
何処かのTVのキー局の記者が見ていて、ある内容のネタ元は何処か?と電話が来たことがある。
たしか、西武鉄道の堤義明氏の件であった。
5年間も書き続けていると「書かない日常は有得ない」という感覚になる。 ただボヤキとか、他人の悪口を書いている
サイトを見かけるが、それはそれで、本人の性格もあるから一概に否定できないが、プラスになることを書く!
と思ってないと、無意識のうちに自分の膿を撒き散らすことになってしまう。

    最近、過去に行った旅行先のブログを見ているが、デジカメとブログの進化のためか、
    素晴らしい写真がフンダンに出てくるようになった。
    自分撮った写真より上手いスナップが次から次へと出てくる。
    自分の撮りきれなかったスナップを色いろみることができるのがよい。
    これでは、現地で写真をとる必要がないではないか?とさえ、思えてくる。
    
この世に生を受けて、一番驚いたことといえばインターネットであるが、
さらに検索能力の飛躍的アップと、ブログの威力と普及(オープンソース化)である。
今話題になっている映画「日本沈没」を書いたSF作家の小松左京が、
「現代は自分の書いてきた小説より遥かに先にいっている」とインタビューに答えていたのをTVで見たが・・

グーグルアースは、いくら衛星写真の中とはいえ、地球上を自由に飛びまわれるのだから・・・
画面チャットや、見知らずの相手とのゲームも、しかり・・・
                    (*^▽^)/バイ!
・・・・・・・・・・ 
2005年07月20日(水)
1569, わたしの酒中日記−15
 ー倉敷の夜ー 1977年8月某日

仕入れで、岡山と広島の福山に行った帰りに倉敷アイビースクエアガーデン・ホテルに来ている。
赤煉瓦に蔦のからまる紡績工場を、文化施設のある複合ホテルに改築してある。
広い赤レンガの敷き詰めた中庭が売りのホテルである。欧州のホテルに来ているようだ。
2Fの建物に、部屋が中庭を囲むようにある。女性の好みそうな風情のあるホテルである。

近くには倉敷の昔ながらの街並みがある。同行の二人と街の居酒屋に入ってみる。
観光客用につくってあり、江戸時代をモチーフにした店である。
100年以上経った商家を改造してあるので、映画のロケの店のような錯覚をしてしまうのがよい。
少し値段は高めだが、それだけの価値を十分に感じることが出来た。それと土産物店が何ともいえない風情がある。

福山と倉敷に来たのは二回目である。ここはジーンズと作業服の生産地である。
メーカーから直接発注するのだ。昔風の繊維メーカーと、アパレルの工場が並んでいる。
行く先々に父の話を聞かされた。仕入れは亡くなった父に出会うたびでもある。
 明日は、大原美術館を2時間ほど見た後、学生服メーカーのベンクーガーによる予定である。

・・・・・・・・
2004年07月20日(火)
1204, つれづれなるままに

ー自宅の6軒先の家の主人が、仕事先で行方不明になり五日目に発見された。
東北電力に勤めていて、その保守点検のため決壊の現場にいたためだ。
行方不明になる前日に、初めて顔を見たのが印象的に残っている。
そこの柴犬が落ち着いた犬で、早朝の散歩時にいつも声をかけていた。
たまたま、その主人と顔をあわせたのが初めてで最後であった。近所だけでも、最近色いろなことがある。

ー橋本元首相がまた疑惑だ。
今度は危ないだろうが検察も信用がおけないのが、この国のレベルだ。
彼が捕まって初めて自民党の旧体制の崩壊が本格化するだろう。
いやしないか!? 彼ほど、首相を辞めてから人相が悪くなったのも珍しい。
利権の渦の真っ只中にいれば、ああいう顔になるのだろう。
中国の女スパイと関係を持って脅かされたとか、色いろいわくのある人物だ。
戦後日本を悪くした10人には間違いなく入る?。
角栄に、竹下に、この男の流れがまだ保守本流といっているのだから、
早く抹殺をしなくてはならない。 丁度良い時期なのか、少し遅れてしまったか。

ーUFJ銀行、三菱東京に吸収合併と報じているが。
数年前にさくら銀行との縁組で、すき放題いって破談になったが、その三和銀行の
トップもほぼパージをされて、今度はライバルの三菱銀行に吸収合併という。
これが終わると、今度は地方銀行の大幅な再編が始まる。 地方銀行は膿がタップリたまっている。
来春、ビッグバンがあるのを忘れてしまっているようだが、地方の脆弱化が表面化する。

ー農業も自由かも待ったなしになってきた。
自民党の票田を守るために、保護政策を続けてきたが、農業のグローバル化も抑える事が不可能になってきた為、
国内も大幅な自由化が来年から実施である。 しかし米だけは守られるという、米を自由化しなくては
何の解決にもならないが、とりあえず、日本的に外堀から産めるということか。

・・・・・・・
(橋本元首相関係の記事)
ー日経新聞ー (7/16)よりー
 (字数の関係でカット2008年07月20日)

・・・・・・・・
2003年07月20日(日)
837, 民間校長ー腑におちる教育を!

 昨日、何げなくNHK・BS1をまわすと、東京の杉並区和田中学校の民間から採用された校長を取り上げた
番組を放送していた。広島の民間出の校長が日教租?によって自殺に追い込まれたり、教育委員会の担当も、
自殺をしたニュースが生々しいが、その成功例もちゃんとあった。

ー内容を大筋は
・「よのなか科」をつくって一線で働いているゲストを、年間25人のペースで招いて 実際の生の教育をしていた。 
 産能大学でゲスト・ティーチャーを経験してきただけに、 その内容に引きつけられた。
・「ハンバーガー」や「輪ゴム」の具体的な分析から、中学生に世の中の構造を教えていく手法は解りやすく
 道理に合っている。 この事例研究から何故数学や国語や社会科が大事かを教えていくのだ。
・ロールプレーイング(役割演技)をさせて、世の中を教える手法が良い。生徒にハンバーグ屋の店長の役割をさせてみて、
 実際の店長にきてもらい対話をさせる。 少年事件の模擬裁判をそれぞれの役ー裁判長とか検事・弁護士とか被告人ー
 を経験させて、実際の裁判官を呼んで実態を聞く。
・クローン問題を議論させて、科学者をよんで議論をさせる。
・自転車放置問題を議論させてみる。
・ニューハーフを実際きてもらい話をさせて、ハーフの差異から、社会にある価値観について話し合う。
 等々、シュミレーションやロールプレーイングやケーススタディーを駆使した授業を 通して教育をしている。
「ふにおちる授業」が一番大事だということだ。 
 
 自分は熱血でなく、クールであると言い切っていた。「今の校長は社長ではなく、営業所長代理でしかない」
という彼の言葉が鋭い。社長として任務を遂行するには、コミニケーションをどれだけつくれるかにかかっており、
「子供の教育は、大人の姿によってしか変えることができない」という。
今の日本の教育はサラリーマン教育を前提でしかなく、市民教育がゼロ。
シンボルマネジメントー一箇所をよくすることから全体を良くする手法が大事だという。(校庭の緑化運動を推し進めるとか)

 「中学の校長と小学校の校長とどちら大事か」とアナウンサーの問いに、「中学校の校長!」と言い切っていた。
中学は大人の始まりであり、子供の終わりの時期であり、膿が一番溜まっている時期。
この時期の教育が大事なことは、自分のその時期のことを考えれば納得できる。今それが急に社会問題になっている。
「静の教育」と「動の教育」を分けて、教え込む時期である。
「縦横の関係だけでなく、斜めの関係を教えるべきだ」という言葉も真をついている。
「世界中の中学生が一番来たい中学校にしたい!」が最後の言葉であった。
日本にも、こういう芽生えも出始めている。 彼の名前は藤原和博である。
 
・・・・・・・・
2002年07月20日(土)
462,臭いのするような話し

子供頃から母親に「臭いのするような話しはするな!」といわれてきた。
そういえば家族の会話では、そういう会話は殆んど無かった。
具体的な下ネタや、下痢や生理的などのデモノ・ハレモノの話しをするなということだ。
言葉は大事だ。下痢の事を、そのまま下痢というか、お腹がゆるいというかで、全くニュアンスが違ってくる。
言葉に無頓着の人と接すると、どうしても影響されてしまう。
学生時代に聖心女子大のグループと一時接する事があった。
その言葉のきれいな事に驚いた。その前提の生活環境が、まずその第一歩のだろう。

私が嫌う子狐と飲むと、自分でも信じられない汚い言葉が出てくる。
変幻自在ではあるが、こういう人は可能な限り遠ざけなければならない最大の理由だ。
不幸の人はそういえば言葉が汚くなっている。心の傷は、膿となって言葉に出てくる。
心が荒れると、言葉も荒れる、心の管理は言葉の管理でもある。
怒りやすい私も、その時は自分でも信じられない言葉がでてしまう。
話しは少しそれたが、言葉の重要性を言いたかった。

・・・・・・・・
2001年07月20日(金)
[80] 北欧ロシア旅行記

    ー印象順に書いてみよ  
1 ・レニングラードが良かった。
  ・特にやはりエルミタージュがよい。冬の宮殿と言われる建築物が予想以上だ。
   300万点もあると言う美術品がよい。
  ・ エルミタージュの小劇場でみたバレーが今回の旅行のハイライトの一つだっだ。 
  ・ 川からみたレニングラードの街並みの光景が今まで見た街の美しさでナンバーワン
   といってよい。街そのものが芸術と言える。
  ・夏の宮殿と呼ばれるカタリ‐ナ宮殿もすばらしい内容であった。

2 ・次はフィヨルド 2時間の川下りふうな船よりの景色がすばらしい!
   最も長いそれは200キロ、深いところは1000メートルもあると言う。

3 ・登山列車からの景色もいい。最も印象的なのはトンネルの合間の空間に列車を止め、
  下車して見た見た滝がすばらしい。突如‘ジョニ‐は戦場に行った’に似た音楽が
  鳴り響き、滝の途中に突き出た岩の上に赤いドレスを着た女性が踊りだした。
 ‘水の精の踊り’をモチーフにしたのだろうが、幻想的で感動的であった。

4・ノルウエーのベルゲンの世界遺産のブリッゲン地区の街並みと魚仲買人の家も
  当時の生活が垣間見えた。
  北欧の国民性として家の部屋の中を飾り揃えて、お互い見せ合うのが楽しみだそうだ。
  家具が何処を見てもセンスがいい。バイキングは末っ子相続の変わった風習の国だ。
  海は日本は堀で外敵より守るものだが、バイキングは夢の実現のの所だそうだ。

5・ノルウエーのオスロのフログネル公園が印象的であった。モチーフが人生! 
  赤ちゃんから成人〜老人そして死が像で立ち並ぶ公園である。
  なにかヒンヤリした、しかし超越した視点が空間に漂っていた。
   今回の旅行は5ヶ国をまわるダイジェスト的な内容であった。
   飛行機、遊覧船、登山列車、高速列車、一泊の豪華船、バスと毎日が移動の旅行であった。
   何でもあり、変化の激しいしかも楽しい旅行であった。
 ーー
 [81] 無事に帰ってきてよかったすね。


2662, 閑話小題

2008年07月19日(土)


 *図書館の、ある光景
もう三月になるだろうか、昼休みに図書館の、あるコーナーに行くと、その二メートル先の
立ち席の机に三十冊ほどの本を積み上げ、腕まくりをしてノートに書き写している40歳位の男の人がいる。
週に一度は、そのコーナーに行くので互いに意識?をする。 座り机が幾らでもあるのに、立って調べている。
その方が気持ちを集中出来るからである。 研究者なのだろうが、ただ者ではない雰囲気を漂わせている。 
 何事かと、思うのは当然だろう。
 〜〜
 *地球儀
私の事務所の机の前に地球儀がある。二人の息子が使い、その後ゴミ箱に捨てられいるのを見つけて、
会社に持ってきたもの。 表面は茶色になり、割れてボロボロでみるに耐えない。
そこで新しいのを買おうと決心して「ツタヤ」で特価品を見つけ買おうとしたが、留まった。
そして汚い地球儀をジッと見たところ、表面の割れているセルロイドは実はカバーで、二重構造に気づいた。
そこでハサミで剥いでいったら、内側の新品同様の地球儀が顕れたのである。
25年前の地球儀で、ロシアはソ連であるが、何となく地球を俯瞰するのが目的で大よその位置が解れば十分。
 〜〜
 *喉ぼと過ぎれば熱さを忘れる
先日の地元紙に、柏崎沖震災の被災者300人アンケートで「原発再開が6割容認、2割が反対」とあった。
震災から一年しか経ってないのに、驚きである。無知?としかいえない。
たまたま、大爆発が起きなかっただけというのが解らないのである。それより、もし東電が撤退したら
柏崎は「死」の街になる。ドッチの「死」を選択するかという皮肉な選択を迫っているということか。
 〜〜
 *神様に信じられる人間か〜
新聞の本の見出しに「神様を信じなくて良い、神様に信じられる人になれ」という
言葉が目に入った。神様に信じられる人間?とは如何いう人間だろうか?
果たして、そんな人間などいるのだろうか。 マザー・テレサ? 
それより神様とは、何だ? この宇宙の外の何かで、この宇宙を創造した存在?
人間が自分のサイズに合わせて都合よく創った存在? それに気に入られる人間?など、薄気味悪い?
いや、現に、それらしき人がいる? 解りません!

・・・・・・・・
2007年07月19日(木)
2298, とどまりたまへ旅人よ

  わきめをふらで急ぎ行く  君の行衛(ゆくえ)はいづこぞや
  琴花酒(ことはなさけ)のあるものを  とどまりたまへ旅人よ
 ーー
藤村の、この言葉を若いときの自分を振り返って、投げかけてやりたい言葉である。
「わきめをふらで」何を目指していたというのか?‘お前、何を焦っているのか、もっと今・そこをみたら!’と。
時は戻らない、しかし、しかし!・・である。それが青春なのだろう。ただ、精一杯生きればよい!ということではない。
といって、精一杯生きなければならない時節もある。誠実に生きることだ、自分自身に。そして、その時、そのことに。
しかし、とどまっていては駄目な時もある。 わきめをふらないで歩む時も! 
  まっすぐに、歩かなければならない時もある。 とどまることも、必要ならとどまることだ、琴花酒とともに。
楽しんだら、酔いがさめたら、立ち去ることだ、それが人生だから。
  
  ーー
 島崎藤村 「若菜集」ー『酔歌』より
 
旅と旅との君や我
君と我とのなかなれば    
酔ふて袂の歌草を 
醒めての君に見せばやな
               
若き命も過ぎぬ間に
楽しき春は老いやすし
誰が身にもてる宝ぞや
君くれなゐのかほばせは
 
君がまなこに涙あり           
君が眉には憂愁あり
堅く結べるその口に
それ声も無きなげきあり
 
名もなき道を説くなかれ
名もなき旅を行くなかれ
甲斐なきことをなげくより     
来りて美き酒に泣け
 
光もあらぬ春の日の
独りさみしきものぐるひ
悲しき味の世の智恵に
老いにけらしな旅人よ
         
心の春の燭火に
若き命を照らし見よ
さくまを待たで花散らば
哀しからずや君が身は
              
わきめもふらで急ぎ行く
君の行衛はいづこぞや
琴花酒のあるものを
とゞまりたまへ旅人よ

ーーー
最近、こういう歌に惹かれるようになってきた。 振り返るようになったからである、人生を! 
少なくとも、人生に大きな悔いが無かったことが、すくいである。

・・・・・・・・
2006年07月19日(水)
1933, 霊界からの訪問者-2
   (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜 ヨウ
             ユーレイイホー ♯♭
ー四四太郎の霊日記−3

宗親よ、御前の命も10年か20年、早ければあと5年だろう。
そんなものだ。それじゃ~、本当に解っているというと解ってないだろう。
こちら側の殆んどの連中は「まさか自分が死ぬなんて思ってもいなかった」
と言っているよ。死ぬ意味がわからなかったようだ。それは生きる意味がわかってないことと同じことなんだよ。
死ぬとね完全に無になって数十年か数百年の休みを貰って娑婆世界に戻される、と思ってりゃ良いんだよ。
実際は、??・・ ただ、誰もが死に際に後悔をするんだ。 あれもこれも、何故しなかったのだろう?と。

   「人生は二度とない」は、お前の口ぐせだったろう。
   ワシがこうして出てきたからには、これから死ぬまでの間、生き方を指導してやるよ。
   それとも、お前の脳に光を当ててやるよ。前にも言ったとおり、人生の60年や80年など一瞬でしかない。
   そして、ある日、一瞬に終わりになるんじゃ。
                    \(+×+)/バタンキュー
それでいいんだが、その日まで 光り輝いて生きるべきだといっているのじゃ。
といって、それほど深刻になることも無い!ただ、せっかく短い人生、何時までもあると思うな!ということさ。

    御前の好きな言葉に「正中心一点無」という言葉があるだろう。 常に物事の中心を見つめ求めること、
    そうすると中心点の無からエネルギーがでてくるのじゃ。その正中心一点無がワシであるのだ。
    だからワシの声は真実なのじゃ。                   つづく     
              ( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪   
ーーーーー
四四太郎の霊日記ー4

霊のことを、結局はお主の頭で考えた範囲のことでしかないと思うだろうが、
ワシの口を通すと全く違う視点になるのじゃ。「無への窓としてのワシがいる」と言っただろう。
だからワシが話している時は、一種の瞑想の状態と同じ。
御前はワシが付いた時は、全く違った人間になっているのじゃ。ワシは気まぐれで、扱いにくいのだ。
この宗親氏の道具でも使用人ではないからの~。 さて今日は何を言おうか考えてなかったが、
最近、癒しとかいう言葉があるじゃろう?    ( ̄ω ̄;)!!
あれはワシの目から見たらおかしいと思うのじゃ。人間は生きていく上で、傷つき血だらけになるものじゃ。
その根本を変えないで、結果としての心の傷の対処をしようとするだろう。
まともな癒しは、その根本対処をするもので、傷口だけを治そうとする癒しは何の対処にならない。
ただ爛れるよりよいから、緊急処置も必要だがね。人間世界では、何かおかしな風潮があるのが不思議でたまらない。
傷つくのを異様に恐れたり、嫌ったりするが、それと同じくらい、その傷は人生の深さを教えてくれるものじゃ。
親鸞とかいう坊様もいっているだろう、悟りとかは深い心の傷を乗り越えてこそえられるもの。
アチラから見ているとそれがよく解るのじゃ。 それにしてもワシの言っていることは胡散臭いの~  (^_^)v
まあまあ、もういっぱい  (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?

・・・・・・・・
2005年07月19日(火)
1568, 退屈について

退屈な時間を誰もが当然経験をしている。 
しかし一部の哲学者を除いて退屈に対して真正面から考えようとしなかった。
退屈といえばトマス・マンの「魔の山」を思い出す。隔離された療養所の中で延々と議論がつづくのだ。

過去の人生を振り返ってみると、暇で退屈な時ほど一番効果的な何かをしていた。
何かをやろうとする時は、意図的に空白時間を置く。
ABC分析のAのことだけに直面できるが、多くの手持ち時間を持て余す。
それが、良いのだ。 般若心境の[[空即是色]である。その退屈な時間に多くのことを考えることができる。
忙しくて仕方がないときは、ロボット的仕事ばかりをしていた。

暇な時間、いや退屈な時間という現象をもっと深く考えてもよいだろう。
携帯電話は考えてみたら、暇や退屈な時間を無くしてしまったのかもしれない。
「小人閑居して不善をなす」という言葉もあるように、退屈な時間に何をするかである。

退屈とは意味の欠如からくることが多い。何もすることに意味を見出せない状態が退屈の状態であろうか。
フランクルの「意味への意志」の欠如ということである。
反面、そんなことに全く関係ない、退屈の気晴らしの人生もよいのかもしれない。
いや実際、それが人生だろう。所詮人生は何の意味の無いことの上で成り立っているのか?
もし、そうだとしても、それで良いのではないか?

子育てに、家事に忙殺されている主婦に退屈はないだろう。また女性にとって子育ては最も意味あることである。
子育ても終わり、家事もマンネリになった時に退屈がでてくる。そこで、次に意味を探すことになる。
それを見出せないと、退屈が覆いかぶさってくる。そして欝になる。欝はだいたい10佑凌佑かかるという。
欝体質の人はもっと多いだろう。

まあ退屈紛れに、退屈について書いたが意味は深い。「退屈の小さな哲学」という本を、図書館で借りてきた。
まだ読んでないが、この本の中に多くのヒントがありそうだ。

・・・・・・・・・・
2004年07月19日(月)
1203,実存哲学(2) 
 ー哲学についてー18

ーマルクス−1
実存哲学が「主体」(自己)をテーマにしたのに対して、
マルクスが「存在の哲学」を主張した。包括的な主体の哲学である。

マルクスの哲学上の最大の発見は、資本主義生産システム分析を通して、
・この社会は合理的に統御不能な存在である、
・人間の「主観」から独自な「主体」(意志)を持つことを見出したことである。
「資本主義社会を根本的に動かしている力は、生命力を無制限発動している無意識(自然)である」
ということを明らかにした。

マルクス主義がみごとな思想体系をそなえている理由は、ドイツ哲学、フランス政治理念、イギリスの経済学という
三つの知的伝統を融合させたものであったからだ。したがって、マスクス主義は哲学には分類できない。
マルクス主義は、そのほとんどがヘーゲルから受け継いだものでしかない。
ある本に、ヘーゲル哲学とマルクス主義の共通する考え方を10に要約していた。
非常に解りやすくまとめてあったので書き出してみた。

1、現実はものごとの状態ではなく、つねに進行中の歴史的プロセスである
2、現実を理解するには、歴史的変化とは何かを理解する必要がある
3、歴史的変化は、無作為におきるのでなく、発見可能な法則にのっとっている
4、この発見可能な変化の法則は弁証法的であり、
  テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼという三段階のうんどうをくるかえしている
5、この法則を繰りかえす原動力は疎外といわれ、その疎外によって、どのような
  状態になっても内部に矛盾を生じ、それは終わりを迎える
6、このプロセスは人間にはコントロールできず、それ自体が内部にもつ法則によって前進させられる
7、このプロセスは、内部にある矛盾が解決されるまで反復され、矛盾が解決されると
  疎外も解決される。変化をうながす原動力もなくなる
8、このような対立のない状態に達すると、人間は自分で制御できない力によって
  流されることもなくなり、自分で自分をコントロールし、自分自身が変化の決定者になる
9、こうなってはじめて人間は、自由と自己実現を達成できるようになる
10、最後には、自由が謳歌され、自己実現が可能な社会が到来するこの社会は、自由主義者が理想とする、
  個々人がバラバラに活動する分断した社会ではなく、それ々人の人生とは比べものにならないほど
  大きく充実した全体の中に個人が吸収される有機的な社会になる

・・・・・ 
2003年07月19日(土)
836, 私のクレートジャーニー

ー<グレート・ジャーニーとは>
「人類は、400 万年前、東アフリカに誕生し、アジア、極北の地を経て、
ついに 1万年前には、南米大陸最南端のパタゴニアへ到った。
この 5万キロの大遠征をアメリカの考古学者フェイガンは'GREAT JOURNEY 'と呼んでいる。
関野吉晴氏が大遠征の道筋を、自らの脚力を頼りに、逆ルートで踏査をした旅をTVで、
数年間ドキュメントで放送した。私はツアーだが、今回のアラスカ旅行で(シベリアの地をを除いて)
点線で、グレート・ジャーニーをしたことになる。ー少し強引な理屈付けになるが。

・ケニア・タンザニアから下は南アフリカ、西アフリカからモロッコ、スペインを経て西ヨーロッパから
北欧、ロシアのルート。・シルクロードのコースはエジプトからトルコ、イスラエル、ヨルダン、シリア、
レバノンを経て、インド、ネパール、パキスタン、ウイグル地区、桂林、北京を得てシベリアへ。
・香港より南下するコースはベトナム、タイ、フィリッピン、そしてフィジーからニュージーランドへ。
ーまだ行ってないが、オーストラリアとイースター島に行けば南米へ行くコースも完成することになる。
・シベリアからのコースはアラスカ、カナダを通ってアメリカ、メキシコ。
テーブルマウンテンのあるベネゼイラ、そしてインカのペルーへ。
ブラジルのイグアスの滝を見ながら、サンパウロを通って、リオへ。
アルゼンチンのブエノスアイレスを通り、ペルーへ南下をして最南の地
パタゴニアに到着。一応コースは出来上がることになる。

そうすると、残された地は東欧、カザフ、モンゴル、シベリア、オーストラリア、
イースター島ということになる。しかし今回のアラスカで一応完成した感がする。

・・・・・・・・
2002年07月19日(金)
461,海外旅行のもう一つの難関

今は殆ど気にならなくなったが、下痢である。 何とかなるものだが、初めの慣れてない
一回目の一ヶ月の欧州旅行ではあわやということが数回あった。
やはり経験不足で、食事制限とかポイントが解らないことからくる。
大事なのはワンフライト(10~12時間)の機内食である。

飲み物はアルコールを含め飲み放題。時差も含め次々と食事はこちらの体調に関係なく出てくる。
それが美味しいときているから自制がきかなくなる。

さらに気圧の関係で着陸後の2時間目あたりに、お腹がおかしくなる。
丁度煎餅などを入れておく真空パックが機上でパンパンになるのと同じ。
お腹もパンパンに張っていたのが、元に戻って腸を刺激する。
それに疲れと時差の関係で、2~3日はおかしくなって当然。
それを前提にして、機内食を制限したりして体調を整える。

一般的には、現地で出発の最低2~3時間前に起きてトイレにいき、朝食後の出発前に更に行く。
9割がたの人はそのようだ。そして到着後2~3日は、昼食後もいく。これは時差の為身体が慣れてない対策だ。
それとワンフライト目の食事、いや機内食は3ぶん1しか腹に入れない。更に梅干を一日3個を食べる。
これで大体大丈夫だ。迷ったら人の目を気にせずドンドントイレに行くことだ。

私の場合、お城の牢獄に入るとどういうわけかオカシクなる。
インドは9割以上の人が、かなりひどい下痢になる。日本の薬では全く効かない。
それと今回のスイスのように高度のところも危ない。高山病は下痢と頭痛と倦怠が同時に襲ってくる。

・・・・・・・
2001年07月19日(木)

先ほど無事帰る。変化の激しい旅行だったが、満足の行く旅行であった。新潟の会社へ直接よる。
修理に出したパソコンを自宅に持ち帰るためだ。あまり国内は変わったことはないようだ。
おりおり旅行内容な書いていくつもりだ。


2661, 読書の価値について

2008年07月18日(金)


 読書について、ある哲学書に、その意味=価値が丁寧に説明してあった。
学生時代に、読書の必要性を感じ取った。そして、卒業まじかになって、その絶対量の少なさに唖然とした。
そこで社会に出てから毎日、最低二時間は読書をすると、自分に誓ったことを憶えている。
高等教育で一般教養を教える目的は、「学校教育が終わった後でも学び続ける人間をつくること」というから、
一応、その成果は少しはあった???ようだ。 考え、問いかけ、答えを自分で得る方向に努力する素養である。

以下は、哲学講義書「考える快楽ーグレイリング先生の哲学講義」
 の《読書》についての中の一節である。
 −P−251
《読書》*一冊の本を読むことから、いったい何度、人は新たな人生を歩みはじめたことだろう

・・・読者は多少経験をつめば、読書を通じて、歴史、喜劇、悲劇といった多様な人間の経験を、
あたかも飛翔するワシのように俯瞰することができる、偉大な国へと進むようになる。 そして、
読書に意識を集中できるようになれば、差しだされた豊潤な世界から多くを得ることができるのだ。
読書の鍵は、集中という言葉にある。 どんな教育であれ、後世に遺すことができる最善のものは、
熟考と疑問をもつ習慣だ。 読書は受け身の行為になりうるし、一時の気晴らしに過ぎない娯楽になる場合もある。  
たしかに多くの本は、読者がそれ以上のものを必要としないくらいにたっぷりと技巧をこらして書かれているし、
べつにそのことが悪いわけではない。 しかし、それ以上のものを求めようとすれば、読書は受け身ではなく、
能動的な行動にならねばならない。 よい本をよい本たらしめているものを定義する、とはむずかしい。
ひとくちによい本といっても、さまざまな種類があるからだが、その大半に共通するのは、読者に考えさせ、
感じさせ・元気づけ・当惑させ、その結果、本を読んだあとは世界がすこしちがって見えるという点だ。
端的にいえば、そうした本は積極的な読書活動へと人を誘う。 
数冊の本から得られるのは、読書を通して生まれる自分の思考以外にはほとんどない。
そして偉大な書物には多くの思考をうながす余地があるものだ」と、ジョゼフ・ジュベールは言っている。

読書をしたからといって、自動的に前より賢くなったり、よい人間になったりするわけではない。
読書に効果があるとすれば、それは、印刷されたページに反応し、そこから素材を切りだすという仕事を、
読者が自分でやりとげたからだ。 しかし、人生の最高の家庭教師である実体験をべつにすれば、
素材を切りだせる鉱床として、読書に比肩できるものはほとんどない。
本を読むことは、他人の考え方のなかにはいっていくことであり、自分自身の人生ではけっして理解できない
状況にたいして、見えざる観察者になることだ。 個人が経験するであろうことよりも、数のうえでも
種類のうえでもはるかに多様性に富んだ状況や人々と出会うことだ。
その結果、読書は自己理解をうながすだけでなく、他人にとっては大きな関心事だが自分にはない欲求や関心、
欲望にたいする洞察力を身につけ、やがて他人の関心を理解し、寛容になり、ときには共感できるようになる。
こうして他人とどう接するかを決定する際に必要となる知識の量を増やしていくことは、
市民共同体と人類の兄弟愛の基盤にもなる。

   −−−−
  そういえば、読書は旅に似ている。心は全く知らない世界に鳥のように飛び込んでいけるし、
  違う時間の流れに置くことも可能である。

・・・・・・・・・
2007年07月18日(水)
2297, また地震!どうなってる?まったく! −2
                     ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…ヨウ!

今月中は、何処に行っても地震の話で持ちきりだろう。前回の災害時から推測すれば大たいこうだ。
 
「その時、私は〇〇(TVを見ていた)という状態で、ビックリして〇〇をした。
まさかね~、もう絶対無いと思っていたのに、何で、この地域だけ起こるんだろうか。
それでTVを見たところ柏崎沖が震源で、原発の火災に驚いてしまった。
で、〇〇さんのところに電話をしたが、大丈夫というので、ともかく
家の中に散らばったもの後片付けをして、落ち着いたところで外に出てみた・・・」
これを近所とか、友人に面白おかしくオウム返しに話す。それしかないが・・・

   考えてみたら、私のHPにも、ほぼ同じことが書いてある。
   県外からのお見舞いの何本かの電話には、この要約を話している。
   前回の中越地震と全く同じパターンである。TVを見れば能登半島の地震と同じ質問と答えが繰り返される。
   見るほうからすれば、またか!ぐらいだろう。 と言って、やはり見舞いの電話は嬉しいものである。

日本は世界に冠たる地震の国、その中で特に新潟最北から神戸にかけてのライン上が、更に危ないということが、
最近わかったと報じていた。40数年前の新潟地震に、最近では神戸大地震、能登半島地震と、
直近では三年前の中越地震がライン上にある。今後とも地震が起きる可能性大というから、気が抜けない。

   家内の実家が、死者が集中した本町にあり義弟と、近くに嫁いだ義妹がいる。
   義妹は箪笥の下敷きになったとか、家内の実家の会社の倉庫の一部が大きな木造で、
   内部がグチャグチャとか生々しい話が入ってくるが・・・
   柏崎の本町の民家が多く倒壊したのは、海岸線のため海風で積雪は少ないため、
   民家そのものが頑丈に造られてないのと、大火災と空襲にあってないため
   築100年以上の古い家が多かったのが原因だった。

前回も、今回も、長岡市内の家が倒潰した話は殆ど聞かない。
潰れたのは郊外の古い農家。前回の地震では、新築をした隣にある旧家を物いれに使用していた所が
潰れていたのを数軒見たが・・・。普通は積雪のため、家の構造がしっかり造ってある。
それと第二次大戦で、市内が殆ど火災で焼けたこともある。
 
  今回は、柏崎と、その周辺に被害が限定していたのが、特徴です。
                 グッ。・:*:・゚☆w(´・з・`)バァイ
・・・・・・・・
2005年07月18日(月)
1567, つれづれに

  ー二ヶ月に一度ぐらい、全く随想日記のネタが無くなる時がある。
今がそうだ。面倒になるのと、馬鹿馬鹿しくなる。
随想日記は毎日「独り言」をいっているようなものだ。独り言に起承転結をつけていることになる。
思考には非常に有効なことが解っているし、止めたら張り合いが無くなるのも解っている。
このお陰で目の前の人たちへの、言葉の攻撃が少なくなった。しかし、そうそうネタが思いつかない。
ネタが無くなった後に、以前より多くのテーマが出てくるから不思議である。
全く違う分野に視点を向けざるを得なくなるからだろう。

  ー昨日の「サンデープロジェクト」を見ていて呆れてしまった。
 ゼネコンから送り込まれた代議士の「犯罪を犯して何が悪い!」という開き直りの言葉には空いた口が塞がらない。
 この程度の連中が日本の中枢にいて、そしてTVに出てきて堂々と、犯罪肯定をしているのだから何をかいわんやである。
 談合を止めると多くのゼネコンが倒産するという論法である。
 談合という犯罪で生き延びている方がおかしい。泥棒を認めないと餓死者が出るというのと同じ論法だ。
 奴らは犯罪者なのだ、それもマフィアなのだ。この国は、犯罪組織が牛耳っている。
 ゼネコンと、官僚と、政治家が犯罪システムを組んでいる汚職システムが長年かけてつくられているのだ。
 それが、情報化で抑えきれなくなった事態が現状である。

  ー昨日、ダイエーに行ってみた。
閉店前の店というのは、もの悲しい何かがある。ここが閉鎖されると、一挙に駅裏は寂れた雰囲気になる。
これに反して、信濃川をはさんだ川西地区には、来年二つの大型SCがオープン予定である。

  ー梅雨が明けたようだ。
 雪と梅雨は日本の農業にとって大きな恵みとなる。これから2ヶ月熱暑がつづく。

  ー今日明日中に、旅行先を決めないと。
不景気ためか?気合が入らない。といって、そろそろガス抜きも必要だ。

・・・・・・・・・
2004年07月18日(日)
1202, 実存哲学(1) 
   ー哲学について-17

実存の哲学とは[真理」ではなく[実存」を出発点とした哲学である。
最初に実存の哲学を語ったのはキエルケゴールである。
実存とは[この私がここにいる]であり、キエルケゴールは「真理」を語る
伝統的な哲学者を批判し、ニーチェなどに大きな影響を与えた。
哲学上の近代から現代への大テーマの転換は、認識論から存在論への転換です。
「本質」から、「存在」への転換といってもよい。

実存という言葉は、中世スコラ哲学が本質存在と対比させた事実存在という概念に由来する。
「〜である」に対応する概念が「本質存在」であり、「いる・ある」に対応するのが「事実存在」である。
すなわち実存とは、事実をして存在していることが重要だという考えを含んだ
概念であり、サルトルはそれを「実存は本質にせんこうする」と表現した。

キエルケゴールは以前にも書いたが、不安や孤独や絶望を真正面からとらえた。
それは、人間が精神を持ち、自由であることの証であると。 主体の哲学である。
人間が人間であることの特性や意味を哲学の対象としたことで、
それまでの哲学とは違った実存哲学が注目されるようになった。

それまでの古典哲学の代表者であるヘーゲルと基本的なキーワードで比較すると
ヘーゲル    ー普遍性ー客観性ー抽象的
キエルケゴール ー単独社ー主体性ー実存的 となる。

このキエルケゴールに対して、サルトルが彼の絶対者ー神を前提とすることを根底から否定して
「実存が本質に先立つ」と主張をはじめた。
サルトルはー
ーわれわれを取り巻く根本状況は、本質を持った「何ものかである前に、すでに
事実存在としてある、実存している。この根本状況はわたしたちが自ら選択したものではない。
それでは流されていてよいのかというと、そうではない。
受動的に決定されているだけの「何ものでない」わたしが、「何ものか」になるべく自己を投企して、
状況に主体的に関わっていくことこそ、真の実存のあり方である。 と主張した。

自分の「本質」を自ら生み出すような「決断」を自分に課して生きる必要がある、
といっているのだ。 サルトルは、人間は自分が生きるべき「理念」を想定し、
それを実現するために自由に決断する「自己投企」をする能力をもっているといっている。

・・・・・・
2003年07月18日(金)
835, 丁度よい

 お前はお前で 丁度よい
 顔も 身体も 名前も 姓も   お前にそれは 丁度よい  
 貧も 富みも 親も 子も 息子の嫁も その孫も それは お前に丁度よい  
 幸も 不幸も 喜びも  悲しみさえも 丁度よい  
 歩いたお前の人生は  悪くなければ 良くもない  お前にとって丁度よい  
 地獄へ行こうと  極楽へ行こうと 行ったところが丁度よい      
 うぬぼれる要(よう)もなく 卑下する要もない 上もなければ 下もない    
 死ぬ月日さえも丁度よい  
 仏さまと二人連れの人生 丁度よくない はずがない    
  南無阿弥陀仏          
                浄土真宗の篤信家ー藤場美津路  
 ・・・・・・・
 ある会社の専務に「ありがとうの言葉」について話していたら、
そういえば、似た言葉で印象的な言葉があるとのこと。「丁度よい」という言葉だそうだ。
ある会社の応接間に飾ってあった額縁の中の言葉で、
それから彼は何かにつけて「丁度いよい」をつけて自己納得していたとか。
・うちの母ちゃん丁度よい
・今の仕事丁度よい
・今の悩み丁度よい
・今日の夕飯丁度よい
・リストラされて丁度よい?
等々、なるほどと感心をしてしまった。考えてみたら、その人に神様は丁度よい環境と条件を与えている。
まあ若いうちから、現状肯定ばかりしていたら成長がないが。

 早速、インターネットで検索をしたら、上記の内容が出てきた。この詩は、はじめ良寛の作と思われていたそうだ。
「丁度よい」と思うことができれば、悲しみや喜びの感情の起伏が少なくなる。諦観ということだろう。
『ありがとう』にしても、『丁度良い』にしても、何か納得してしまうのは、年齢のせいだろうか。

・・・・・・・・・
2002年07月18日(木)
460,スリにあう

海外旅行のトラブルでは「盗難と下痢」が一番問題となる。今回の旅行で初めてスリにあった。
といっても家内の話である。 ユングフラウヨッホに登山列車でのぼった時にスラレタ。
頂上の売店で日本へ出す葉書の切手を買った。その時らしいが、帰りの列車に乗ったとき気づいた。
その時はまだ落としたと思っていた。雨と霧の為ハイキングは中止で、降りた駅で2時間ほど時間ができてしまった。
そこで国際電話でカードの中止の手続きをした後、売店に入った。
目の鋭い30歳ぐらいの白人女が、日本人のバッグを見ているのが目に付いた。
その時は、店の人が万引きの監視でもしているのだろうと思った。

そして店の外に出ると、グループの女性が2人騒いでいた。店内でバッグの蓋が開けられていたという。
何かバッグのあたりがモゾモゾするので、手で触ると空いていたので慌てて出てきたという。
違うもう一人の女性も、全く同じ状況で飛び出してきたという。
家内がその時やっと自分もすられた事にはじめて気づいたのだ。
そういえばユウグフラウの売店で買ったあとトイレに行った時、
バッグが空いているのに気づき不思議に思ったという。その時はまだすられた事に気づかなかった。

万引きに気をつけてと添乗員に言われていたが、まさか自分たちとは思ってもいなかった。
雑踏をしていて、気圧の関係で少し頭がボーッとしているその場は万引きの絶好の稼ぎ場である。
そして二度と顔を合わせない観光客ならさらに都合がよい。

カードの実損はなかったが3000円ぐらいの金が被害だった。

・・・・・・・・
 2001年07月18日
 旅行中


2660, 幸福の4階建て ー2

2008年07月17日(木)


「克服できない苦難の中こそ、幸福がある」とは? それも最上階の幸福というのは何故か?
頭の中が混乱して、今も考え続けているが、実感として解らない。

エイズになった人が、果たして幸福なのだろうか?
ガン末期の人が、ライ病の人が、最上階の幸福なのだろか?
明日の朝、特攻で旅たつ若者が幸せだったのだろうか?
(実際にあったかどうか別として)キリストが十字架で意識がモウロウとした中で
「神よ私を見捨て給うのか?」というギリギリの苦悩が、幸福だったのだろうか?
深い絶望のうちに自らの命をた断たなければならない者が幸福なのだろうか?
自分の不注意で子どもを死なせてしまった母親の絶望が幸福なのだろうか?

問題提起としては重く、深いが、何か反発の方が強い。
もし「克服できない苦難の中にこそ、幸福がある」と思えたら、
それだけで苦難を幸福に切り替えていることになる。
その切口からすると、軽く否定するこもできない。

崇高な幸福は、そんなに甘いものではない?ということからみても
「克服できない苦難の中こそ、幸福がある」というのも筋が通っている。
不幸の真っ只中の、その中心に実は幸福がある!ということなのであろうか?
「どん底になったら、その底を掘れ」というが、そういうことなのか?

人生を振り返ると、実感として、どん底?から水が湧き出てきたのは解る。
その水が自分を支えてくれていたのも解る。 苦難の中にこそ、大きな喜びがあった。
事業では、問題にブツカッタとき、その問題の中心に解決の鍵があった。(その理屈は知っていた)
それからみると、最上の幸福は、克服できない苦難の中に、幸福があるというのも筋である。
ところで、屋上は何だろうか? それより、4Fの意味である。
「克服できない苦難の中こそ、幸福の『鍵』がある」なら解るが。

もし、この言葉が理解できたら、過去の出来事に対する視点が全く変わる。
いや、現在の世界観も根本的に変わる。 


・・・・・・・
2007年07月17日(火)
2296, また地震!どうなってる?まったく!
            才ノヽ∋― (゚▽゚*)♪

   昨朝の10時過ぎ、居間で家内とお茶を飲みながらTVをみていたら突然、
   地響きと同時に揺れが始まった。アレヨアレヨと思っているうちに、揺れが大きくなって、
   横揺れから縦て揺りになり、茶箪笥の食器が飛び出してきた。
   あわてて裸足で食器やガラスコップの破片の中、開きドアを閉めにいった。
   慌てるとは、このことだろう。破片で怪我をしなかったものだ。
   前回の揺れより大きいような気がしたが、気のせいではないかと思った。
   すぐに玄関外の獅子の置物を見たが横に傾いていただけ。
   庭の石灯籠も小さいのが3つ飛び散っているだけで、他の5つは大丈夫だった。
   前回の地震で壊れものは破壊されてしまったので、被害は三分の一以下であった。
   これでは長岡市内で大きな被害が出ているはずだ!近くに住む実兄に電話をしたら、以前ほどではないという。
   TVでは、六強というから前回より激しいことになる。

午後三時過ぎに至近にあるスーパーとドラッグストアが開いているかどうか、
ウォーキングの途中に立ち寄ってみたが、二軒ともしっかりオープンしていた。
スーパーの酒売り場は何ともなかったかのように整然と並んでいた。
かなりの量の酒ビンが割れていただろうに・・・。惣菜と弁当は買出しのためか商品量は少なかったが、
他はチャンと元通りに並んでいた。
地震の危機管理の訓練がしてあったのだろう! まあ、合格というより、流石である!
お客は買出しのためか多く出ていたようだ。

その後、土手でウォーキングをしていると、何と余震が始まったのである。
もう余震は無いものと思っていたので驚いたが、前から歩いてきた三人が何事もない
ように歩いているので、立ち止まったまま揺れの止まるのを待った。
土手の横の住宅が地響きをたてて揺れていた。
震度四くらいか思っていたら、携帯を持った人が震度六と話をしているのが聞こえてきた。
まさかと思ったが、帰ってから家内に聞くと震度六弱の地震があったという。

三年近く前に、あれだけの大地震があったので、日本で一番地震の起きる確率の低い場所!
と勝手に決め込んでいた。それが、何と同じ震度の地震などありえないことだった。
それが再び起きたのだから、どうなっているのだろう?本当に、こういうことが起きるのである。

    脅かすわけじゃないけが、いま東京に住んでいるなら、一度、じっくり考えたほうがよい! 
    リスクはあまりにも大きい。たしか今後30年で、大地震が起こる可能性が八割だったと思うが。
     刺激を求めるかどうか、その辺が微妙なところだろうが!
    柏崎で全壊300世帯、半壊が600世帯で、死者が一桁とは、信じられない。
    ますます中越地区は不景気になる。その後、連絡が取れた柏崎に住む三人の義弟と義妹は無事だった。
     ただ家の中はグチャグチャという! 前の地震は殆ど被害が無かったので、今度は逆である。
    平々凡々?の日々の中、刺激的なことが満ちている!それも、そういうものと思えば娑婆娑婆である!!  
                           (○´ω`○)ノ**SeeYou

・・・・・・・・・
2006年07月17日(月)
1931, 10年後の日本を考えてみると
            才八∋ウ_〆(∀`●)

十年後の日本で間違いなく起こっている問題点を考えられる限りあげてみた。
  ・消費税の20涌幣紊良蘆
  ・少子高齢化社会の到来
  ・外国人労働者の比率の増加による犯罪の増加と、治安の悪化
  ・フリーターの増加と、下層階級の増大
  ・年金財政の悪化と破綻、団塊の世代の大量定年後の負担の問題
  ・中国とインドの台頭と影響力の増加、それに付随する大混乱
  ・北朝鮮の崩壊と、朝鮮半島の混乱(これは数年先と思われる)
  ・2005年からの人口減と経済縮小
  ・介護保険増大による財政の悪化
  ・地球温暖化による大問題の噴出
  ・関東大震災の可能性の増大
  ・「ゆとり教育」で育った年代が人口の中心になってくる社会的大問題。
  ・行き過ぎた自由競争の弊害の噴出

これらを考えると、絶望的な気持ちになるが、間違いのない近い未来の日本の姿である。
逃げ切り世代で「運が良かった」と、ホッとしてはいられない。
  現在、連載で塩野七生著「ローマから日本が見える」の
  読書日記を書いているが、当時のローマと現在の日本が酷似している。
  少子高齢化で衰退の危機に陥いり、さらに高齢化と経済の停滞である。
中流階級は没落し街に失業者があふれ、上流階級の人々は既得権を決して手放さない。
  そのときに現れたのがカエサルである。支配地の国民にもローマ市民権を与え、既得権を取り上げ競争を奨励した。
  カエサルが、これほどの人物とは、この本を読むまで知らなかった。
現在の日本は、自民党の既得権を取り上げ、日本的社会主義を破壊しなくてはならない時期に来ている。

   先日、「10年後の日本」という本を買った。まだ飛ばし読みだが、近々読書日記を書く。      
                  (。・ω・)ノ☆゚+.バイ! 
・・・・・・・・
2005年07月17日(日)
1566, つれづれに

ーユニクロ社長交代ー
ユニクロの社長に、創業者の柳井氏が返り咲くことになった。
全く流通に関係ない人が社長になったことに疑問を持っていたが、やはり当然の結果となった。
参謀とトップは別ものということが、理解できなかったのだろう。
それが現在のダイエーのトップ人事にもいえる。数年後に、その失敗のカタチが表面化をしてくるだろう。

ー橋梁談合事件ー
この事件の、奥行きの深さが段々と見え始めてきた。
道路公団の元理事が逮捕されたが、道路行政に巣食う政治家の利権が複雑に絡み合っている。
これは、現在のゼネコンの世界の凝縮された姿である。
役人や政治家の利権も絡んだ構図が日本の隅々まで張りめぐらされている?。

ーイギリスの爆弾テロー
イギリスの爆弾テロの4人が特定された、とニュースにでていた。意外と早く犯人が特定されたのには驚いたが、
マークのされてない人達というのが不気味である。 次は日本という連想が出てくる。

ー大相撲も中日になるー
今場所も、朝青竜が抜け出してきた。ますます若手の外国勢の力が増してきた。
幕下では金髪の力士が出てきた。格闘技と思えばよい。
そういえば、公開の横綱総見の猛試合をTVで見ていて、朝青竜の抜群の強さには驚いた。
それと相撲に対する姿勢が、他の三役と比べて全く違うのが見て取れた。
当分は彼の天下が続くだろう。モンゴルに帰れば数年で大統領になれるというが。

・・・・・・・・
2004年07月17日(土)
1201, 仮説について

ー仮説を辞書で調べてみると、
ある現象を理論的に統一して説明するために立てられた経験科学上の仮定。
その真偽の検証は、仮説から必然的に演繹(えんえき)された諸命題を実験や観察によるテストで
確かめることによってなされる。検証された仮説は法則や理論として公認される。 ーとある。
事業では、生じてきた問題に対して常に仮説を幾つか立てて、知るかぎりの情報を検証して判断決断をしてきた。

わたしの思考法として、
・自分の立てたテーマと結論に対して正反対の仮説を立ててみるという「仮説思考法」
・本や人の論を全く疑ってみる「一刀両断思考法」
・喩えをつかって、その現象を一度パッケージ化をして、それを鳥瞰してみる方法ー「喩え話鳥瞰法」
・KJ法をつかう方法(帰納法の一種だろう)ー「紙切れ書き出し思考法」
・テーマを考えて、それを構成する材料を集め、そのプロセスで考える方法「テーマ思考法」(演繹法)などがある。

正・反・合を自分で組み立てる時、立てた説(正)の反対(反)を大胆に考えること
が重要である。往々にして、その反対の説の方が理が通っているケースが
多い場合がある。そして、そのプロセスでよりよい案(合)を考え出す。

情報化社会へ大きく変動していている時代に生き抜くには、いろいろな状況に対応できる幅広い考え方が必要になる。
固定した考え方は、状況が一変したときに、それに対応できなくなってしまう恐れがある。
そこでは、シミュレーションする能力の「仮説」を立てる能力が重要になる。
「仮説」を立てる能力とは、「常識」を少し違った角度から構築することだ。
その為には「常識」を疑うことがまず必要になる。仮説には、仮説演繹法と実践仮説がある。

ー実践仮説 ー 実践の中での疑問・想起・想定・仮定・仮説 を立てる  
まず実践者の行動の一部に「おやっ」とか「どうしてだろう」という疑問が生じる。 
△弔に「たぶん〜だろう」という形を思う。 これを「想起」とここでは呼ぶ。 想像が始まるのである。
この想起が当たると、疑問は解消する。
い修譴任眦たらないと、「〜か」と思う。想像にある方向性が生じる。 これが想定である。
イ海料杁が当たると、疑問は解消する。
Δ修譴任眦たらないと「〜か、あるいは〜か・・・・・」となり。
 これを「仮定」である。 そして想像の分類が始まる。
Р渉蠅魍稜Г垢觝邏箸鮃圓Αそれにより仮定が支持されると、疑問は解消する。
┐修譴任皺樟發支持されない場合は、研究の懸案として残される。

ー仮説演繹法は考え方の手順を示している。
 その考え方として、以下のような手順を調べるー
 〜杁:
 確認可能な命題の形で仮説を立てる
 2樟發鮗存海覆票尊櫃妨‐擇垢
 じ‐擇気譴覆った仮説は採用しない
 ジ‐擇気譴寝樟發鮑陵僂靴届斥を構成する
 Δ修譴鮃雄
 このようにして構成された論理の体系が「科学」という。
科学的というと実験を連想しますが、実証する方法はなにも実験に限らない。
日常の観察で確認される事柄も、上記の手順に合致すれば、科学的な事実といえる。
仮説を意識して立てることは、実践を高める上で役に立つ。特にフィードバックを瞬時に可能にする。
「3案・5案を考えて、その中から選定すべし」というが、それだけ多くの視点を持つべし、
案を練りこむことになるからである。

・・・・・・・
2003年07月17日(木)
834, 沖縄の中学生のリンチ殺人事件

3年前の春の土曜日に、自宅近くの土手を散歩していた時のこと。
川崎小学校裏の土手を歩いていたら、一人の高校生?が相手を殴っているのが見えた。
瞬間に「この馬鹿野郎、、何をやっているんだ!」と走りよっていた。
ところが、その場に踏み込んだ瞬間とんでもない修羅場であった。
グループ同士の喧嘩の場で、2~3人が倒れて気絶している。15歳位の犬コロのような餓鬼3~4人が逆に粋がって
『何だと、やるのか!』と迫ってきた。 しまったと思ったが、もう遅い!

 私も学生時代に合気道をやっていた経験がある、しかし実践には全く役に立たない位はしっている。
こういう時は物を持つのだ。目の前の木を拾い、逆手に持った。
その瞬間誰も突っかかってはこれなくなった。物を持つと相手はそう簡単には殴りかかってこないことは知っていた。
もし来たら、目を狙えばよい。相手もじりじり迫って来るが、ヤバイ相手位は解ったようだ。
私の「警察沙汰になるぞ、留置所だけで済まないぞよく考えろ!」という言葉に全員がひるんだ。
その時、お互いが仲間に携帯電話で連絡をしあっている。何か私の入る世界でない次元の違う世界であった。
「もう殴るのはやめろ!」と言って、その場を離れた。離れ際に「絞めてしまえ!」という言葉が聞こえてきた。
たまたま先日の沖縄の場合、殺人になってしまっただけでしかない。いま考えても危ない瞬間であった。

 5月の末に里帰りの千葉の姉と23時過ぎに、長岡駅裏のダイエーの前を歩いていると、暴走族が
オートバイを歩道の真ん中に乗り入れて道を阻んでいた。当然のこと乱闘寸前、姉が間に入って事なきを得た。
警察に電話をしたが、まずフルネームをいえという言葉に、面倒だと途中で切った。
先日、道路に寝ていた若者二人を注意した人が殺される事件がおきた。深夜はこの道を歩くのは当分やめることにした。

 ところが、昨夜新潟で飲み会があった。十時近く、そこを通ったら7~8人の警官が例の暴走族二人を
取り囲んで言い合っていた。もし警官がいなかったら、私と鉢合わせのところだ。
通り過ぎたが、酔っている勢いで取って返して5月末の顛末を言った。
度々似たようなことがあり、警察に苦情があり取締りをしていたようだった。
5月末を思い起こすと、彼らの溜まり場で一種無法地帯の感じだった。 顔も割れてしまったのだから、
これからは大っぴらな溜まり場では無くなってほしいが。「君子危うきに近寄らず」だ。

・・・・・・・
2002年07月17日(水)
459,危機一髪

今年2月、ある取引銀行が「ドルが必ず上がるはず買わないか」という提案。
当時130円、その時期は三月決算に向けて140円は誰の目にも明らかであった。
そこを銀行の担当もついてきたのだ。「上げるべき金利は上げないからドルを買ってくれ!」
一瞬どうしようと迷った、そうするうちに週末になり翌週になってしまった。
円が135円まで上がってしまっていた。そうすると大して旨みがない。手数料を入れると139円になるからだ。
迷ったが、それでも132円辺りになったら買おうかと数字をみていた。

そのうち少し下がり133円辺りになり、さてと買いかなという時、大矢氏が反対した。
「もうリスクを負った金融をやらないと決めたはず。それと売買で4円の手数料を取られ、
銀行のテラセンの餌食でしかない。それも銀行に今になって薦められやるのはおかしい?!」
それも戦略的に円を買っていれば話は違うが、全くそのとおりである。
買っていたら今は1000万近く損をしていた? 途中で売っていたとしても500万は損をしていた?

「まさかアメリカがここでバブルが破裂しようとは思ってもいなかった!!」
それで担当者は済むが、こちらはとんでもない事になる。 危ない所であった!
NTTの株で大損をしておいて(8000万)、またもやというところであった。
それと去年の春先に金融関係者が一斉に持ってきた「変額保険」
うたい文句が、確か節税とかいうやつ。先日TVでとんでもないシロモノと放送していた。

30万件売ったらしいが、これが???らしい!「ある子狐が持ってきて断ると手の裏をかえした」のもそれだった?
手数を稼ぐためには、何でもしなくてはならない時代になってきたのか!!
本人に悪気がないから困ったものだ?恐ろしい時代になってきた。  情報化とはこういうことだ!

・・・・・・・・・
2001年07月17日
 旅行中


2659, コールド・リーディング

2008年07月16日(水)


 本の新聞広告に「コールド・リーディング」という言葉が目についた。
そこで、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で調べてみたら面白い。
 〜〜〜
・コールド・リーディング(Cold reading)とは話術の一つ。
 外観を観察したり何気ない会話を交わしたりするだけで相手のことを言い当て、
 相手に「わたしはあなたよりもあなたのことをよく知っている」と信じさせる話術である。
「コールド」とは「事前の準備なしで」、「リーディング」とは「相手の心を読む」という意味である。
 詐欺師、占い師、霊能者などが相手に自分の言うことを信じさせる時に用いる話術であるが、その技術自体は
 セールスマンによる営業、警察官などの尋問、催眠療法家によるセラピー、筆跡鑑定、恋愛などに幅広く応用できる
 ものであり、必ずしも悪の技術とは言えない。

・よく似たものでショットガンニング(Shotgunning)も、超能力者や霊能者を自称する者が用いる技術である。
彼らは実演する相手に大量の情報を話すが、そのうちのいくつかは当たるため、相手の反応を見計らいながら
その反応に合わせて最初の主張を修正し、全てが当たったように見せかける。
エドガー・ケイシー、ジョン・エドワードらはショットガンニングの疑いがもたれている。

・コールド・リーディングの技法として、実際のリーディングを始める前に、読み取る者は相手の協力を引き出そうとする。
「私には色々なイメージが見えるのですが、どれも明確ではないので、私よりあなたの方が意味が分かるかもしれません。
 あなたが助けてくだされば、二人で協力してあって導き出しましょう」という。これは情報を引き出そうという意図である。
 そして分からないように相手をよく観察しながら、誰にでも当てはまりそうなごく一般的な内容から入る。
*「あなたは、自信がなくなる感じのすることがあるようですね。特に知らない人と一緒にいるときなどです。
 そのように感じますがどうですか?」(バーナム効果を参照) または、観察に基づき、より具体的にみえる内容
(実は具体性はあまりない)に踏み込んで推測を行う。
*「私には年老いた婦人があなたのそばによりそっているイメージが見えます。
 少し悲しそうで、アルバムを持っています。このご婦人はどなたかお分かりになりますか。」
*「私はあなたの痛みを感じます。多分頭か、もしくは背中です。」相手はこれら具体性のない推測に対して、
 びっくりしたり思い当たることを話したりするなどの反応をすることで、リーディングを行う者になんらかの情報を
 明かしてしまうことになる。これを基礎に、リーディングを行う者はさらに質問を続けることができる。
 推測が次々当たれば、相手はリーディングを行う者への信頼をどんどん深めてしまう。もし相手に推測を否定されたとしても、
 態度を崩したりうろたえたりせず、威厳をもって「あなたは知らないかもしれないが実は私にはそのように見えるのです」
 と言い張るなど、信頼を損なわずうまく切り返す方法がある。

 コールド・リーディングには確立した技術がある。多くの演者がこの技術を習っており、能力者を装って一対一の占いを行ったり、
 ジョン・エドワードのように「死者と対話する」などと題した公開の場で、観客に死んだ近親者からのメッセージを披露したりする。
 演者の中には、観客について言い当てて大喝采を受けてからはじめて、実は超能力は使っておらず、
 心理学とコールド・リーディングの知識だけあればできるとばらすものもいる。
  ーーー

 以上だが、少し前は宜保愛子、最近では細木数子などが、この手法を使っていた。
 スタッフに相手の下調べをさせたり、待合所に隠しマイクを設置して、情報をとる「ホット・リーデング」がある。
 営業にしても人間関係にしても、それを利用して悪いわけがない。この手練手管の営業の男を何人も知っている。
 それも、どうも自分で意識をしないでしているから、恐ろしいのである。
 営業テクニックで、これを無意識でやる人こそプロ?である。

・・・・・・・・・
2007年07月16日(月)
2295, 中島義道の「池田晶子」追悼文 -1
                      ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕
   
   自ら書いているように奇人変人の哲学者の中島義道が、池田晶子と知り合いであり、
   彼女への追悼文を、ある月刊誌の中で見つけて驚いてしまった。
   この随想日記も中島は何回か取りあげてきたが、その奇人ぶりには読んでいて、
   あきれていた。唯我独尊で、ただへ理屈?を並べ立てている姿、誰かに似ている。
   かた方の変人の雄の池田と知り合いで、その追悼文を書いていたとは!
   中島にしては、前半はシンミリとした感じであった。何か自分に劣らない奇人の死に戸惑っているようだった。
   
   中島は池田を哲学者と認めてないようで、哲学者でも哲学研究者でもなく、
   著述業として切り捨てているところが、彼らしい。
   昨年から池田晶子にはまってしまっているが、亡くなったことで更に、
   もう一歩踏み込んでいる。とにかく根源的で、純粋であるのがよい。
   その彼女の姿を中島がどの様に見ていたかを知るのは面白くないわけがない。

哲学者の間では彼女は無視された存在であり、著述家としてしか、見られてなかったようだ。
哲学者にとっては哲学用語を一切使わないのは、それだけで、相手にされなかったのだろう。
初心者向けに絞って、哲学みたいな文を書いている女とみられていたようだ。
   前半は、中島が見た池田の哲学学者仲間としての心象。
   後半は、中島独特の批判で構成されている。
   
  まずは、前半の中島の彼女の心象から・・・
 ー 月刊・新潮45−2007年・5月号ーより  P-152
ーー
池田晶子さんが亡くなった。四十六歳の若さである。
新聞報道は三月二日の読売新聞が最初だが、私は翌三日の朝日新聞社会面で知った。
昨年末、新潮社の編集者と忘年会と称して呑んだとき、彼女が癌を患っていることは
聞かされていた。その口ぶりから、末期ということはわかったが、
こんなに阜く逝くとは思わなかった。ショックはないと自分に言いきかせていたが、
その日大学にいても彼女のことばかりを考えて過ごした。
いままで意図的に避けてきたが、ある種の独特の形で哲学に携わった彼女に対する
自分の気持ち(評価)をごまかすことなく語ってみようと思う。

池田さんとは四、五回会っている。はじめは十五年以上も前のことであるが、
(いま慶応大学の教授である)斎藤慶典さんが「おもしろいことを書く人が後輩にいるから」
と「大森先生を囲む会(略して「大森会」)」に連れてきたのだ。
池田さんは例会の日に、教室の入り口でそっとお辞儀をして入ってきた。
そのころ彼女は三十歳位であり、とびきり美人であることは誰の眼にも明らかだったが、
そこにいた参加者たちはまったく無視していた。
水玉の(?)袖が長めの白っぽいワンピースを着ていたように記憶している。

池田さんは、当時まったく哲学仲間のあいだでは知られておらず、
まだ本を二冊書いた程度であったから、世間的には、ほぼ無名であった。
そこには、永井均、野矢羨樹、飯田隆、丹治個治、・・・など、
いまや日本哲学界を担う人々が決集していたが、当時彼らは哲学界という
狭い世界の中では評価されていたが、誰も世間的には有名ではなかった。

永井さんが有名になったのは『〈子ども〉のための哲学』あたりからであり、
それが講談社のPR誌『本』に掲載されていたとろから評判であった。
そして、一九九五年の夏に『ソフィーの世界」が大ペストセラーになると、
相前後して出版界は「哲学ブーム」という軽薄な掛け声と共もに浮かれ出し、
池田さんの『帰ってきたソクラテス」(新潮杜)、
永井さんの『ウィトゲンシュタイン入門」(ちくま新書)、
木田元さんの「反哲学史」など、それぞれ部数を仲ぱした。・・・(中略)

池田さんは、例会のあと渋谷での呑み会にも時々参加した。
何を話したかすっかり忘れたが、彼女としぼらく話し込んでいると、
丹治君がまん前に座り込んで、しげしげと二人を見比べ
「やっぱり綺麗っていいもんだねえ」と言った。私がそのあとを受けついで、
「池田さんの欠点は、綺麗すぎる乙とレと言うと、彼女はのけぞっで笑い
「そうなの、中島さん〜!」と言って、私の膝を,ハシヅと叩いた。・・・(中略)

ある日、呑み会のあとで、数人を彼女の行きつけのバーに連れて行ってくれた。
彼女は真紅のツーピースに銀の靴を履いて、(私の正直な印象なのだが)
マネキンのように綺麗だった。挟い階段を上がって薄暗い郎屋に入り一番奥のソファーに陣取った。
そこで野矢君が「池田さん、自分で問いを出して自分で全部答えているから、読者は必要ない」
と言ったら、ふんふんと頷いていた。田島君がカフカについて話していたのをぼんやり覚えている。
池田さんが「私、街を歩くとき、いつも耳栓しているの」と言ったことも覚えているから、
たぶん私は後に『うるさい日本の私』(新潮支庫)として刊行される騒音の話をしていたのであろう。

何回目の大森会か記憶が定かではないが、帰りがけに駒場東大前の駅で、
ごそごそ鞄の中から、彼女の著書『事象そのものへ!』を取り出して、
「中島さん、法蔵館っでずるい会社だから、出版してはいけませんよ」といった。
私が彼女かららもらったのは、これと『考える人ーロ伝西洋哲学史」(中公文庫)だけ。
ふたりともその後著述業で忙しくなると、お互い一切の関係をもたなくなった。
やがて破女は大森会にも参加しなくなった。これも、自然の成り行きだと思う。
 ーー                         ーつづく
    彼女の文章からは、こういう姿は窺い知れない。
    どの世界も大変である。    
                       ヾ(。・v・。)【バィバィ】
・・・・・・・・・・
2006年07月16日(日)
1930, 二つ目のブログ
               ( ̄▽ ̄;)!! オハヨウ!               
新しいブログを二つ開設した。
一つは、このHP上に貼り付けてある海外旅行の写真ブログ。
いま一つは堀井宗親というペンネームで400年前の霊が私の脳を通して話す方式をとっている。
毎朝書いているモーニングページに現れた 霊ー着想であるが、出てきてから二週間経つ。
「霊界からの訪問者」とは、面白そうなネーミングである!                

    別人格のように自分の発想を超えて話しかけてくる。
    今までは父親や母親の霊を呼び出して話しかけても直ぐに消えてしまう。
    ところが、このご先祖様・四四太郎の霊に誘導してもらい、
    一緒に話す形式をとると今までは直ぐに消えた両親などの対話が延々と続くから不思議である。
    亡くなった恩師も何人かと同じように誘導をしてもらって話をしてみたが、成る程どこまでも話が途絶えない。

以前、考える手段として死者でも生者でも、その人のイメージを持って(その人をイメージをして、
後ろから自分が入り込む)考え事をした。思わない着想が出て驚いたが、しかし長続きはしなかった。

これからは、このご先祖様の霊に誘導してもらい、介添えをしてもらえば、数倍も効果があるだろう。
現実に何人の霊?の中に入ってみた!おまえ馬鹿か?と思われるが、本を読みながら考え事をしていると同じことになる。
思考形式の一つとみればよい。
                 ( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪             
    以前、芹沢光次郎の「人間の運命」のシリーズを読んだことがある。14巻のシリーズで10巻までは読んだが・・・
    天理教の教祖がある人に降りてきて、その霊と対話する小説。
    「文学は 物言わぬ 神の意思に 言葉を あたえることである――」
    というとおり、信じ難い物語が美しい文章で綴られていた。
 
    90才までの人生をあらためて振り返りながら、次々と新たに起こる不思議な体験
    −天理教の存命の親さまとの出会い、神の世界と死の世界への訪問、大自然の親神の人間への思惑等、
    フィクションなのかノンフィクションなのか、読んでいて、気味が悪くなるようなストーリーであった。

これを続けていると、それに近い状態になる可能性がある。人間の運命は、天理教の教祖様と大文学者の組み合わせ。
こちとらは、地方の小企業の親爺と元地侍の百姓?組み合わせ。それぞれ違っているから面白いといえば面白いだろう。
だいたい比べること自体が、オコガマシイが・・・

    多重人格者になるのか心配になり、調べたが全く違うものである。気晴らしのお遊びとは違うようだ。
    自分の本質を擬人いや、擬霊化して自問自答をすることになるからだ。
    モーニングページを続けていると何か思わない着想が出てくると思っていたが、まず第一弾はご先祖様の出現である。
    
 驚いたのはアクセスが2日で130以上もあったことだ。
 霊お宅が多いんだ! 霊霊というけれど、人間は生きているときは魂に心を包んでいるけれど、
 それ全体は霊といえば霊じゃないか?書き残した言葉は数千年、数百年の時空を通して我われに語りかけてくる
 ・・それを霊と言ってもよいはず?ジャありませんか。  まあ遊び!いや・・      
                    
    ブログ一つぐらい持ったほうが良いよ!これでHPを含め三つも持っている本人が言っているのだから、
     間違いございません! 大した材料がないのも解るけど、それで良いじゃない! *^_^*)
                    ホンジャ Σ( ̄□ ̄;;;)!!
・・・・・・・
2005年07月16日(土)
1565, 新潟駅周辺再開発が動き出す

ここにきて、新潟駅再開発が本格的に動き出した。
昨日(7月15日)、近くの市民会館で住民説明会が開かれた。
一時間あまりであったが、400人位が来ていた。同じ内容で、この数日で6回も開かれるという。

当社のホテル4棟のうち2棟が駅東線道路の拡張に引っかかり、
更に200坪の駐車場が明石紫竹線道路に面していることもあり、
このプロジェクトは非常に大きな要素を持っており、ホテル事業に大きな影響を与える。
丁度、ホテル建設から10~24年経っており建て替え時期になっているので、プラスになるだろう。
また工事が始まると工事関係者の宿泊に多大な影響をもたらす。
10〜30佑離▲奪廚見込める。(朱鷺メッセと、至近の東横インの入っている再開発ビル工事で実証済み)

総事業費が1445億というから、新潟市にとっては巨大プロジェクトになる。
この事業構想から13年も経つが、やっと具体的な動きになってきた。年度内計画決定を目指すという。
事業完成目標は平成25年というから、決定さえしてしまえば工事は急ピッチになる。

今までの大きなプロジェクトとして
ー県事業として
・万代島再開発事業で  290億円
・サッカーの新潟スタジアムに 300億円
ー市事業として
・市民芸術文化会館の建築費  180億円
・市民病院建設費   220億円
 等々である。これに比べても、この1445億円の開発の大きさは
 新潟市レベルからみて大きいことが解る。

内訳として
・立体交差事業に  707億
・駅周辺整備事業として
  738億(鳥屋野線・85億 駅西線・85億 
      駅東線・129億 明石紫竹線・12億)
高架区間は2、5キロ  在来線ホームは現在の4面7線から3面5線になる。
投資効果が、投資額の2、6倍という。それほどある訳がないが、まあ何もいわない。

以前の説明会の時、道路拡張計画で道路の反対側のホテルの社長が大反対をぶっていた。
初めは両側の拡張計画が、当方の側一方に変更になった。
買収先も半分で済むし、当然の結果である。彼も後で地団駄を踏んで後悔したと思われる。
十年前に、近くの再開発ビル建設の時も、反対にまわって・・・・

これさえ決定すれば、新潟駅前事業も軟着陸できそうだ。
ついているのは、最後までついていることになるはずだが?
それにしても丁度良い時に、丁度良い工事が図ったように始まるものだ。

・・・・・・・・・
2004年07月16日(金)
1200, ロマン・ロラン
 ―哲学についてー16
(以下、字数の関係でカット2008年7月16日)

・・・・・・・・
2003年07月16日(水)
833, 孤独について −2

 以前も書いたが(あとでコピーしておきます)、再び孤独について書く。 
 経営者は孤独でなくてはならないとか、孤独であるという。
特に創業は孤独に徹しないと、甘さが生まれてくる。山の中の孤独というより、街の中の孤独である。
街の中の孤独とは自分と他者の間にラインを引くことである。お互いの距離をおくことである。
 ある本に孤独を「六独」6つに分解して、説明をしていた。
1 独想  2 独学  3 独行
4 独遊  5 独創  6 独楽
 これが出来るようになるには強い意志が必要だ。創業を何回か経験をすると深い孤独の経験をする。
独り着想と構想をねり、その為の情報を集め、分析をして決断、たった独りで嘲笑のなか行動開始、
途中からゲーム化をして遊びまで高め、創りあげる。そしてその起承転結を楽しむ。
しかし実際はつらい孤独業である。つらさと楽しみは裏表であること知る。
二代目が失敗をするのは、この孤独に耐えられないためである。

 孤独に耐えるためには、宗教が必要である。
日本人が平気で自分は無宗教と答えるが、グローバルで見たときとんでもないことだ。
欧米では自分が気違いだと言っているに近いことになる。
スモールS (多神教)の集まりを宗教観を前提で答えていることを、自覚して
いない為である。
                   ーつづく
・・・・・・・・
2002年07月16日(火)
 458,一期一会

 以前にも書いたが、旅行の楽しみの一つが色々の人と会えることである。
それも字のとおり「一期一会」である。殆んどの人が初めて会い、2度と会うことがないことが解っているから、
全てを曝け出し、そして別れていく。「天国?に行く途中の舟で一時隣り合わせた人たち」に喩えることができる。
 平気で自分を曝け出せる場でもあり、人生の学問の場でもありうる。
 お互いの人生の通知表を見せ合える場であり、人生の決算書を携えて来ているともいえる。
 色々な人生があるものとつくづく思う。遠藤周作の「深い河」というインドのツアー参加者のそれぞれの人生を
 描いた小説があったが、正しくそれである。

 直にそれを見れるのも、一種独特の圧縮された社会がその期間形成されるからだろう。
 特に秘境系のツアーには濃い人生を生きてきた人が多い。
 私のように人間ウオチャーにとって、最高の観察ができる場でもある。

・・・・・・・・
2001年07月16日
 旅行中


2658, 幸福の4階建て

2008年07月15日(火)


      ヾ(●´∀`●)GOOD MORNING!!
京都大学の工学部の新宮教授が、古今東西の幸福論を読み漁った成果としての
「幸福の4階建て論」説が面白い。
《「幸福ということ−エネルギー社会工学の視点から」 新宮秀夫著 》

「新ストレス学説」の創始者・ハンス・セリエ(1907-82)は、そこで、
 《人間はあまり「無事」だけでは、死ぬ時にガッカリする。
「ストレスは欠くことのできない人生のスパイス」こそが重要》と主張しているが、
 その部分から触発されて、幸福論を4つのステージに分類した。これが面白い。
 
  4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
  3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。
  2階:獲得した「快」を永続させる。
  1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。

・幸福の1階は人間の本能的な「快」、つまり富、恋、名誉を得て、それを増やすことである。
・2階は獲得した富や名誉を永続させることである。 そこに時間的要素を入れ、いかに長続きさせること。
・3階は苦難や苦しみを経験し、これを克服することである。自己実現の要素が入ってくる。
・4階は克服できない苦しみや悲しみの中に究極の幸福があるのだという。これは解かりにくい。
 さすがに、教え子達に猛反発を受けたそうだ。
 1、2階の心の感動よりは、3階の苦悩や、難問を乗り越えた方が、より感動を得られることを経験的に知っている。
「感動することが幸福」なのだと看破している。確かに1、2階による心の感動よりは3階の自己実現のほうがはるかに
大きな感動を得られる。苦難を乗り越えた成功体験を知った人たちは自発的かつ前向きになる。
成功の対価としてのお金はもはや副次的なものとなってくる。 達成感が生きがいになるのである。
しかし新宮教授は、その上のランクとして、克服できない苦痛や悲しみの中に、幸福があるという。
この辺は、解るような解らないような。 三階までは、この世の幸せ。
4階は克服できない苦しみの中でこそ強まる天国の世界の願望と、その混濁した中の幸せ。
その苦しみの中で、己が融けてしまう状態が幸せということのようだ。

  何か、凄い話になってきたが、両親の創業期の苦しみを身近に見たのが、その感じである。
  ロマン・ローランの「ベートヴェンの生涯」の中に、『苦悩を通り抜けて歓喜へ』という言葉にも近いか。
  苦悩を得てこそ歓喜があるが、歓喜を予感しながら苦しみに耐えることが、最上の幸福ということだ。
   
  それにしても、頭を大きな棍棒で思い切り殴られたようである。教え子は大反発をするのも当然のこと。
  死ということを前提にして、この4つのステージはなりたっており、死という最大のストレスを迎える
  人生の終わりに、最上の感動を見出すこと!という意味なのか。 
   この問いは今後の持続的自問自答になるほど、大きな問いである。 
    「克服できない苦難の中こそ、幸福がある」とは? それも最上階にあるとは?
            (^わ^)(^か^)(^ら^)(^ん)(^!^)
・・・・・・・・
2007年07月15日(日)
2294, ハニカミ王子に、ハンカチ王子って何?
        オハ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(≧∀≦)゚・*:.。. .。.:*・

    ハンカチ王子の後はハニカミ王子とか、いい歳をしたオバサンが騒いでいる。
    「これって何?」と、家内に聞いたら「韓流(はんりゅう)ドラマの熱が醒めかけたきたオバサンたちが、
    身近な若い子に憧れている現象」と、TV番組でコメンテーターが解説をしていたという。
    女性は「シンデレラ・コンプレックス」を持っていて、心の奥で私を探し出してお城に連れて
    行ってくれる夢がつきまとうという。 解らないでもないが。この現象の起こる4年前に発刊された
    中村うさぎの著「壊れたおねいさんは、好きですか」ー母性という名の魔女たちー
    に、このオバサンたちの切ない心情が書いてあった。(また、うさぎ、である)
    男が女に求める処女性と同じように、清潔な王子様願望である。
    この中のホストに求めるオバサンの本音が、王子様願望として転換した心情。
    可愛いといえば、それまでだが・・・・ 
  ーー
 【「壊れたおねいさんは、好きですか」 中村うさぎ著
     ー魔女が白雪姫に嫉妬した理由ー  P−64】  
   
「ホストって、色っぽいオーラが出てないよ。お肌もツルツルで、毛なんか生えてなさそうで、
 男臭さが全然ないんだもん」「まあ・なかには男っぽいのを売りにしてるホストもいるけどさあ、
 そーゆのはたいてい単なる勘違い野郎で、単に無神経だったり、ガサツだったりするだけなんだよねー」
「そうそう、そ〜ゆのは男っぽいんじゃなくて、タダのバカだよ。バカにはフェロモンがないからね。
 結果的には、ホストにフェロモンはないってことになるよね」

「男っぽさ」と「ガサツさ」とを混同してる男に、フェロモンなんかあるワケない。
 フェロモンってのは、ある程度、知性や品性を隠し持ってるモノなのだ。
「男の獣性」なんてものに惹かれる女はいようが、それだってよほどの
 マニアじゃない限り、本当にケダモノみたいな男を求めてるワケじゃない。
 心の中に野獣を飼い慣らしてるような男をこそセクシーと感じるのであり、
 野獣を飼い慣らすにはある程度の知性や品性が必要なのである。
 一方、ホストたちの多くは、野獣どころか、愛玩犬のような清潔さと人工的な美貌を
 備えており、そんなお人形みたいな男たちにフェロモンの発生する余地はない。

だが・私も含めた一部の女たちは、そんな清潔で無毛の人形のようなハンサムに、
強く惹かれてしまう。我々にとって、彼らは「王子様」なのであり、
王子様にはフェロモンなんかあっちゃいけないのである。考えてもみるがよい。
王子様がフロモンむんむんの胸毛生やしたラテン男だったら、シンデレラも白雪姫も、
抱かれた途端に鼻をつまんで逃げ出すぜ。だって彼女たちは、処女なんだもの。
世間知らずで臆病な処女のお姫様は、中性的な美貌を持つフロモン皆無の王子様にしか心を許せない。 
と、このようなことを言うと、「中村、おまえは処女のお姫様のつもりか。四十四歳のバツイチ女が」
などと嘲笑されそうだが、自分が処女でもなければお姫様でもないからこそ、私は「王子様」を
必要としてしまうのであった。いや、もっと言えば、私が「女」ですらなくなったからこそ、なのかもしれない。
 
ある時期から、私は「女」になった。「少女」でもなく「お姫様」でもなくなった私は、「女」
というアイデンティティを、さしたる感傷もなく受け容れ、何の疑問も持たずに「女」として生きてきた。
ところが中年にさしかかった頃から、もう「女」として生きていく必要すら感じなくなり、
人生から「男」を締め出してしまったのであった。「女」でなくなった中村は、「男」の代わりに、
フェロモン皆無の「王子様」を愛玩する趣味を持った。 ボケ老人が幼児に退行するように、
「女」をリタイアした魔女は姫様に退行するのであろうか。白雪姫に嫉妬した魔女は、
本当は白雪姫より王子様が欲しかったのかもしれない。だとしたら、あれは哀しい話である。
   −−−−
   という内容である。王子様願望の中年女性の心情が解ったような、でも少し解らないような・・・
   満たされてない女性は、何かを追いかけてないと居たたまらない?ということか。
   それとも、ハンカチ王子様はホストの代用として騒いでいる、ということか。
   ホストは、それを知っているのだろうが。
   そういえばプロのホステスやママは、何もかもご存知で、お相手をしてくれた。
   今は、その残存のママ?しかいない。それも、性的な魅力はゼロとなってしまえば、
   サッサと帰った方がよい。 いや、行かないでよいということ! アフォ〜
                 
                  byebyeヽ(o・ω・o)ノ゛
・・・・・・・・
2006年07月15日(土)
1929, ローマから日本が見えるー13
        (♯ゝωσ♯)人(+>∀<+)ノ おぁはは〜
                      ー 読書日記 −
 第6章 勝者ゆえの混迷−2
  ーグラックス兄弟の改革ー

 ローマの名門貴族出身の若者でティベリウス・グラックスとガイウス・グラックスという兄弟がいた。
彼らはスキピオの一族でもある名門の出。このグラックス兄弟が、ローマ農民の没落をくいとめる改革を断行する。
                               Σ(・ε・|||)
  最初に改革を試みたのは兄のグラックスである。彼の政策は非常に筋が通っていた。
    都市に流入している者達に土地を与えて再び自作農民に戻し、ローマ軍を再建しようと考えた。
    土地は貴族のラティフンディアである。125ヘクタール以上の土地を占有している貴族から
    それ以上の土地を国家に返させ、それを市民に再分配しようとした。

この政策に平民たちは喜ぶが貴族たちはマイナスである。
農民の没落でローマ軍の弱体化は解るが、土地を取り上げられるとなると反発して当然だ。
彼は元老院との相談もなしに、改革を推し進めようとした。
反対派貴族と改革を歓迎する平民の対立でローマは騒然とした。

    兄グラックスは護民官。護民官は神聖な立場のため反対派も手が出せない。
    そこで反対派が多くの人を雇ってグラックスを襲わせて、
    その死体は川に投げ込まれた。この事件が起きたのは前133年であった。

弟ガイウス・グラックスは兄の死の10年後、同じく護民官になって兄の政策を実現しようとした。
このときも暴動が起こり、混乱の中で弟グラックスは自殺してしまった。
(前123)       \(∀\)ココハドコ?
                (/∀)/アタシハダアレ?
ーマリウスの軍制改革 ー

 貴族は大土地所有を守ることができたが、ローマ軍の弱体化の問題は残った。
これを解決したのがマリウスの軍制改革(前107)である。
ローマの軍の基本は、財産を持ったローマ市民が武器を自前で調達して従軍すること。
それを狙ってグラックス兄弟は農民を作りだそうとしたのだ。

    マリウスはこの基本をあっさり捨ててしまう。
    マリウスは市民を兵士として採用し、武器を与え、給料も払うことにした。
    その費用は基本的には彼の自費である。兵士として働ける期間は長いモノではなく、年をとったら引退する。
    その兵には土地を分けて、自作農民として育てていった。
    それで兵士不足は解決して、マリウスはこの新しい軍隊で勝利を続けた。。

この軍制改革でローマ軍の質が大きく変化した。それまでの兵士はローマ市民の義務を自覚して、
ローマのために戦っていた。ところが、マリウスの兵はローマのためとか、ローマ市民の義務として、
という意識は小さくなる。マリウスの「私兵化」になっていた。

    この軍事力で、マリウスのローマでの発言力が増していった。
    この後、多くがマリウスのやり方を真似ることになる。
    私兵を養った将軍同士の内乱が続いてローマは混乱の時代になっていく。

グラックス兄弟の改革から100年間を「内乱の一世紀」とよぶ。
前91年から前88年には、イタリアの都市がローマ市民権を求めてローマに反乱を起こす。
これが同盟市戦争である。ローマはローマ市民権をイタリア諸都市に与えることでこの戦争を終わらせた。
前88年から前82年まで、マリウスとスラ将軍の抗争が起こる。マリウスは平民派、スラは閥族派である。
そして、スラは軍隊は入城することが許されなかったローマ市内に乱入した。

ローマの元老院は、この二人の将軍の抗争に対して解決できなかった。
この結果、あれだけ強大だった元老院の権威が低下してしまった。
                       − つづく
 【;´∀`(~〒~)/== 卍卍卍 。゚+.゚ヽ(●´ω`●)ノ。バイ!

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2005年07月15日(金)
1564, 「これから5年・地価は半値になる」−3
 ーマンション編

都心の高層マンションの計画が進んで、売れ行きがよい。
しかし、今後これも供給過剰になり、クラッシュで不動産不況を引き起こす可能性が大きい。
マンションは売り残って翌年になれば、2割引とかで売らなくてはならない。
もし売れ残りの動きが出はじめたら、これらの土地の値上がりはストップして、
値下がりに転じかねない。

2005年までに、品川、港区、中央区、江東区などの湾岸エリアを中心に40棟以上の大規模マンションが建設される。
現実にマンションの値下げ合戦が激しさを増しているという。
売れ残りが出ると、その後に売り出されたマンションが予期せぬ値下げをしなくてはならなくなる。
特に、今年のマンションの売り出し数がピークに達するから、間違いなくダンピングが激しくなる。
このような高層マンションの破綻が、不動産不況の引き金になる可能性がある。

−基盤整備はカンフル剤になりえるか?
JRなどの駅、高速道路の入り口、大規模ビル、複合大型商業施設などがつくられると、
目先は周辺の地価は上がる、それは地価下落を抑える一時的なカンフル剤に過ぎない。
少し時間が過ぎれば、他の土地の値動きと同じになる。
現在勝ち組みといっても、未来が約束されているとは決していえない。

ー西武鉄道グループの問題も地価下落要因にこのグループの本格的なリストラもこれから始まる。
レジャー施設も150あって、スキー場、ゴルフ場なども110もある。
それらの大部分が一気に売却されるようになったら、地方の地価にあたえるマイナスのインパクトは相当大きくなる。
もともと森林を切り開いて、そこに無理にレジャー施設をつくって、
土地の付加価値を高めていったから閉鎖をされれば、価値は元に戻ってしまうだけ。

ーーーー
以上要点をまとめてみたが、どう考えてみても地価の下落は抑えられない。「これ以上の不動産の下落はない」
と見ていたが、供給サイドは有り余っているのだから、今後も下がり続けるのは当然である。
特に地方の地価は半値ではなく、三分の一とみてよいだろう。 考えただけでも恐ろしいことである。
地元の新潟の勝ち組の土地は新潟駅の周辺だろうが、そこすらどうなる事か?

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2004年07月15日(木)
1199, つれづれなるままに
ー夢ー
この数日、最近たて続きに面白い夢をみている。他人の夢ほどつまらないものはないというが、
潜在意識を覗くという面でみると面白いのではないか?

ー何かの乗り物で地球外の何処かにいってきた夢である。 そこは小さな惑星で、別宇宙という感覚であった。
恐らく、鈴木秀子とユングの臨死体験を読んだ影響と思われる。二人の臨死体験を夢で疑似体験をするところが不思議。

ー子供の時に亡くなった兄が帰ってきた夢をみた。何か、寂しそうで生気が無い顔をしていた。思わず泣いてしまった。
翌日、家内に寝言で泣いていたと言われた。その後に、仏間に誰かがいる気配がした。
起きていってみるが、そこには誰もいない。 それも夢であった。

ー過剰情報ー
全国ニュースを見ていると、中越地区が水浸しで沈没しているような感じる。
一番凄そうなところをカメラマンが取っているのだが。情報化はこういう異様な現象が出る。
ほんの限定的な一時的な現象をことさらオーバーに報じる。そういえばイスラエルに行った時の事を思い出す。
アチコチでテロが続発しているイメージが強いが、現地の99.99佑寮験茲鷲當未任△襦
世界各国から信者が礼拝に来るが、どこの国の人も家族に戦地の真っ只中に来るように誤解されるという。
よほど自分の病気か自動車事故のほうが恐ろしいのに。

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2003年07月15日(火)
832,「阿弥陀堂だより」−映画日記

 先週末にDVDレンタルショップで『阿弥陀堂だより』を借りてきて見た。
何げなく借りてきたのだが、何とも味わいのある内容であった。
あとで作家の南木けい士の『自書を語る』をコピーして貼り付けておくが、日本の味わいと、
スローなテンポと日本人が忘れていた故郷の世界を感慨深く表現していた。

主役の夫婦が春に信州の田舎に転居して来て、田舎の四季の美しさを見せながら
ストーリーを展開していくスローなリズムが良かった。
美智子役の樋口加奈子がいう言葉『悲しくないのに、涙が出てくる』という言葉が
このストーリを全て言いあらわしているように思えた。
また北林谷栄役の、おうめ婆さんが長野の自然の中に溶けこんでいたのも印象的である。

黒澤明の遺稿シナリオを映画化した『雨あがる』で、日本アカデミー賞を受賞した小泉堯史監督の新作であることを、
インターネットで調べてしった。  気楽に話題の名作をDVDレンタルで見ているのが不思議な感覚である。
特にアラスカから帰ってきたばかりだからこそ、日本のアイデンティテーが印象的だったのだろう。
下手な感想文より以下をご覧あれ!
ーあらすじー
(字数の関係でカット2008年7月15日)

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2002年07月15日(月)
457,スイス旅行記ー2
ーマッタホルンの凧揚げー

マッターホルンで凧揚げた!といっても、他人の凧揚げの紐を一時も持っただけだ。
マッターホルンを近くに見る展望台の横の小高い丘で写真を撮っていると、
突然ある中年の夫婦が小さな凧を二つ取り出し、揚げはじめた。

家内と登山列車の隣席で話をしてきたという他のグループの夫妻。その写真を撮って欲しいと頼まれた。
そこで「是非自分も記念で凧揚げしてみたい」とお願いすると、気持ちよく私らに貸してくれただけの話だ。

それでも揚げたことに間違いはない!貴重な体験だった。
それにしても色々のことを考えるものだが、その情報を持っていたら私も凧を買っていったに違いない!
ーこれも情報なのだろう。 今度からは、大自然のツアーには凧を必ず持っていくつもりだ。

キリマンジェロやタンザニヤのセレンゲッテーの凧揚げなど最高だろう。
10個ぐらい持っていき、現地の人にあげるのも喜ばれるだろう。
その凧は横15cm、縦25cmぐらいの小さなモノだったが、風に乗りどんどん高く舞いあがった。
おそらく西洋凧ではないかと思われるが、玩具屋で捜す楽しみがまた増えた。 いろいろ楽しい!!

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2001年07月15日
 ー旅行中


2657, いちゃつき −2

2008年07月14日(月)

前回に鷲田が宗教学者・植島啓司から聞いた話を書いた。
「‘解脱’は自分を遠ざけて、世界の中に自分を溶け込ませる技術で、‘救済’は逆に自分を開いて、
 他人を迎え入れて他人でいっぱいにするというかたちで自分を溶かしてしまう。 だから方法が違うんですよ。
 自分が相手の中に吸収されるか、逆に他が自分の中に浸透するか。どっちにしても、自分と世界の距離をなくして、
 自分を触っているか。相手を触っているかわからないような『いちゃいちゃ状態』を宗教だ」
 という内容だが。いちゃいちゃする中で互いに自分を溶け込ませて、距離を無くす至福の状態は男女の仲だけでなく、
 宗教の中にこそ、その原型があるという。
 
そこで思い出したのが、一月前に図書館で借りたDVDの「A2」という映画である。
オウムの内部から、住民との対立を両者の目線で撮ったドキュメント映画である。
<後でわかったことだが、「A]の続卷である。それを探したが、図書館にはなかった。>
住民の反対運動、右翼、警察、マスコミ・・地上波のテレビから映し出される視点とは全く違った内容。
社会的にオウムは凶悪犯罪を犯した団体だけに、一方的なイメージが先行してしまっているのも事実である。
これを観ていてオウムの内側から撮影された映像も見る価値もあると思えた。
 それより、何ともいえない教団内の共同意識の甘酸っぱい空気に驚いた。
あの空気から下界に出て社会生活をしろというほうが無理、それが宗教の解脱の世界の恐ろしさである。
それを表層だけをみて、一方的に純朴な信者を攻めるのも気の毒にさえ思える内容だった。
 ーその概要はー
1999年10月、群馬県藤岡市。倒産した印刷工場とその社長のかつての自宅に、多数のオウム信者が移住した。
工場の前には群馬県警が常駐し、その外側には地元住民たちによる監視小屋ができる。
やがてここでも、他の地域と同じように地元住民の反対活動によって信者たちは退去していくことになる。
地元住民のボランティアで組織される監視団は、意外にも久しく失ってきた住民同士の交流の場として機能していた。
また、信者との濃密な時間の共有はオウムに対する嫌悪とは別に、信者個人に対する人間的な心のつながりを芽生えさせていった。
 ー 以上だが、
  観ているうちに、信者同士の‘解脱’と‘救済’への修行で、何とも言えない連帯感がみてとれた。
  彼らの距離感が消えた不思議な感覚が、『いちゃつき』と同じ状態である。
  そして反対住民とも、何時の間にか奇妙な連帯感が生まれていくのを映像がしっかりと撮っていた。
  集団殺人は許されるものではない。 このドキュメント映画で、修行とおして「自分と世界の距離感、そして自分と自分の距離感」
  が無くなっている状態(法悦)=いちゃつき、からくる解脱と救済の世界を、監督は表現したかったようだ。
  オウムとは宇宙からの振動という意味もあるが、
  それに己を同調できるように修行するのが、彼らの目的のようだ。

・・・・・・・・・
2007年07月14日(土)
2293, 女ってバカなんじゃないか?
                  才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪

    昨日、「男ってバカなんじゃないか?」というテーマで書いた。
    しかし逆に「女ってバカなんじゃないか?」という論も成り立つ。
    中村うさぎの「霊長類オンナ科図鑑」には「バカ女」という切り口で、
    多くの女類が小気味よく分類されて掲載されている。
    女も男も、逆の立場から互いを見ればバカに見えて当然である。

「男は女を、『可愛いかどうか』という優先順位を変えることができない。
それってバカじゃないかい?」という見方は、成る程正しい。
しかし大部分の女たちは一生の間、他人様に可愛い、奇麗と思われたいため、エステなどで苦労するのだろう。
それでも無理と思えば、ブランド物でフォローしようと涙ぐましい努力をする。
多くの趣味を持って教養を積んで、内面の美しさが滲み出てこそ真の美しさになるんじゃないか。

    男に対しては、冷静に価値規準を変えて評価するのに、こと自分に関しては、からっきし努力をしようとしないで、
    ブランド物を追いかける。 極めつけはハン流ブームに乗ってフヤケタ男に熱を上げ、最近は童貞趣味に陥って
   「はんけち王子様」とか「はにかみ王子様」とかに、熱を上げているのだろう。「全くバカじゃないかい、女って!」
   というのが、亡国日本の女の姿だろう。

バカといわれる女の成れの果てが「オバサン」である。今さらエネルギーを内側へ向けることができないから、
徒党を組んでグルメだ旅行などに走り回る。
彼女らは恥じらいを忘れて恐れをしらない一群として、居酒屋・ファミレス・デパート、そして観光地へと繰り出す。
    −−
   てな、理屈になる。  まあ、ドウでもよいことだが! 男といえば社会的刷り込みから抜けきれず、
   それを傍目に大人しく佇む。 そして妻に絡みつく濡れ落ち葉! どっちも どっちだが・・・
                    byebyeヽ(o・ω・o)ノ゛
・・・・・・・
2006年07月14日(金)
1928, ブログについて
                     おっ w(゜Д゜)w ハァョ〜
二月ほど前に、ブログについて書いてみた。
「 2006/05/14〜/15
 1868, ブログは社会革命ー(1)  1869,ブログは社会革命ー(2)」
『ウエブ進化論』と『グーグル』の中から抜粋し、まとめたもの。

    それから二ヶ月経ち、ブログを開設してみて、その可能性に驚いている。これは社会の根本を変えるだろう。
    携帯電話とは違ったカタチの情報発信基地を、気楽に誰もが持つことが出来るようになった。

このHPを作るのにパソコン教室に通ったり、プロのSEに事務所に来てもらってデザインなど苦労した。
それが現在では20分から30分もしないうちに、数倍も良いデザインで、かつ便利な機能を持ったものが無料なのだ。
そのためか、2~3年で600万人以上がブログを持つようになってしまった。

    ハッキリいって、このHPを持っていることが自慢であった。それが、現在では20~30分で誰もが持てるのである。
    随想日記のように5年間書き続けた在庫は、自分の経験と知識の蓄積庫になっているし、
    書き続けたことによって世界観と価値観が全く変わってしまった。英語を使いこなせないハンデも知った。

ブログにはトラックバックや、RSS配信機能という機能が付いている。
HPを5年維持してきたから、それが凄い機能か解るのだ。テーマがドラッガーについて書いたとしよう。
まず検索にドラッガーの文字を入れて、共感できるブログを幾つか見つけて、
トラックバックすればよい(その日書いた内容を相手のトラックバックのコーナーに貼り付ける)。
相手のブログのアクセス順位が高いほど、多くの人が見ているので、多くの人がクリック一つで
自分のブログに見にきてくれる。 そのテーマで、多くの意見の書き込みもある。

    また自分が気に入ったブログに対して、RSS機能を使って張り込んでおけば、
    相手が新たに書き込んで発信したと同時に、自分のブログのコーナーに数行の文章が張り込まれるのだ。
    さらに私が毎日苦労している分類への仕分け作業も、クリック一つで仕分けされる。
    これからのブログは写真と文から映像と文へと重心が移行するという。
    ライブの映像の流すのもあるようだ。一人一人が、独自発信機能を持ったのである。

私の同年代の半分はインターネットを使いこなしていない。
今年になってから、インターネットを使っている人と、使えない人と二分類で見るようになった。
しかし、これからは三分類に分けて見るようになるだろう。
使いこなしている人でも、自分のブログを持って使いこなしているかどうか?
で見分けて見るようになるだろう。少し言い過ぎか? いや、そうでもないだろう!
                  (。・ω・)ノ☆゜+.バイ! 
・・・・・・・・
2005年07月14日(木)
1563, 死について再び考えるー2

死について何回か取りあげてきたが、一番印象に残っているのが、中村天風とドフトエフスキーの死刑執行直前体験。
中村天風は、銃殺の直前に仲間に助けられたが。ドフトエフスキーは死刑直前の恐怖体験をリアルに書いている。

ー以下の話は、あまりにも有名である。 ある本より抜粋してみる

彼は若いときに、革命秘密結社に入ったことがある。それは社会の不正を糾弾する議論のレベルであったが、
秘密警察に目をつけられて、時の皇帝ニコライ一世はメンバーの逮捕を命ずる。
しかし彼らの犯罪の事実は出てこない。そこで政府の面子で有罪となり、軍法会議で刑が確定する。

最終的には、皇帝の恩赦が書き込まれ、シベリアで4年の刑と強制労働と、その後の兵役に服することになる。
ところが、その恩赦を言い渡す前に一度死刑が確定し、処刑の真似ごとをする。政府が仕組んだ罠である。

1849年12月21日、処刑劇が行われる。彼は処刑場に連れて行かれ、
三人ずつ銃殺されることになる。ドフトエフスキーは処刑の二番目である。
その時の死の恐怖を「白痴」の主人公の口を通して、以下のように語っている。

「生きていられるのはあと5分ばかり。この5分は本人にとって果てしなく長い時間で、膨大な財産のような気がしたそうだ。
この5分間に最後の充実した生活が送れそうな気がしたので、色んな処置を講じたというのです。
つまり時間を割りふりをして友達との別れに二分間、いま二分間にいま一度自分自身のことを考える時間にあて、
残りの時間はこの世の名ごこりに、周りの風景を眺めるためにあてた。
・・・・しかし、その瞬間最も苦しかったのは、絶え間なく頭に浮かんでくる想念で、もし死なないとしたら、
もし命を取りとめたら、それは何という無限だろう。 その無限の時間がすっかり自分のものになったら、
おれは一分一分をまるで百年のように大事にして、もう何一つ失わないようにする。
いや、どんな物だってむだに費やさないだろうに」『(世界文学全集・ドフトエフスキー)より抜粋』
減刑が言い渡されると、ドフトエフスキーは狂喜する。その仲間のうちに発狂したものもいた。
死の宣告は人間を極限の状態のおかれる。 人間は弱い存在でしかないのだ。
ーー

以上であるが、この体験があったからこそ大小説家になったのだろう。
バンジージャンプの飛下りの板の先に立ったときの恐怖経験がある。
その時思ったことは、「これは死である。この凍りつくような恐怖は考えていたことと全く違う。
飛び降りるしかないが、今更止めるわけにいかない。何をやろうとするのか?
どうしても飛び降りなければならないのか! ただ前に体を投げ出すしかない! 
何か時間が止まるという言葉があるが・・・・考えていたことと、実際がこれだけ違うのは初めてである。
しかし、ドフトエフスキーのそれは、比べ物にならないほどのはずだ。

私はガン末期の死の宣告はすべきでないと思う。このドフトエフスキーの心理を、
カタチを変えて経験しなくてはならないからだ。その瞬間から、極限の状態に置かれるのだ。それも肉体的極限の苦痛で、
七転八倒して! 死を考えることは、生を考えることでもあるから取り上げているが。
「死ぬまでは生きているから」と気楽に考えてもいられないが、しかし気楽に考えるしかない。

ーーーーーーーー
1253, 死について再び考える −1

 過去に死について多く書いてきたが、五十嵐恭一さんの死で改めて考えてみる。
毎晩、何気なく寝ているが、そのまま目が覚めないと仮定して、そのまま、
深い長い夢をみながら死んだとしたら、その夢と現実とはさほど変わりはしないのではないか。

 死んでしまえば、重油をかけられ燃やされ、灰に帰す。
骨は墓に入れられ、一年もしない内にほとんどの人から忘れさられる。それはそれでいいのではないか。

人生とは何なのだろうか?ー意味
その行蔵の中味の意味は何か?ー経験
何を成しえたのか?ー希望
何を成しえなかったのか?ー挫折
それを成し得たとして、それが如何ということだろうか?
人の苦しみ、喜び、快楽、達成とは何か?
精一杯生きたのだろうか?

答えは無いと思うが、それでもヒントは以下の格言に多く隠されている。
 ・・・・・・・
(格言は字数の関係上カットしています)

・・・・・・・・・
2004年07月14日(水)
1198, 口ぐせー2
ーどうしようもない!−

最近ついつい使ってしまう言葉に「どうしようもない」がある。
マイナス用語の最たる言葉が、この「どうしようもない」である。
考えてみたら、これがトンデモナイ言葉のトリックになっていた。
自分の努力不足を棚に上げて、自分で自分の範囲を決め、思考をストップさせてしまう。

デフレには、どうしようもない! もう歳だから、どうしようもない! 頭が悪いから、どうしようもない!
からだがわるいから、どうしようもない。 じかんがないから、・・・! おかねがないから、・・・!等々、
知らないうちに、あらゆる機会に使っている。 この「どうしようもない」という言葉は世界中にある。
中国語では「メーファーズ」 フランス語では「セラビー」 英語では「オブライジド」
それだけ、この言葉は世界的に軽率きわまりないのだ。

どうしようもない状態を解決していくのが、人間が人間たる所以である。
「歳だからどうしようもない」を考えてみても、明らかにナマケモノ、無能者の言いわけでしかない。
「どうしようもない」は「何ともならない」という意味である。
それに対して、「何とかなる」「何とかできる」[何としよう」という意思から努力と知恵が生まれてくる。
最近になって「どうしようもない」と多用していた自分に気がついた。
「ほんと、この不景気にはどうしようもないもんな〜」と、何百回呟いたことか!
考え抜くしかないが、それにしても変化が激しすぎる!どうにかしなくてはならない。

・・・・・・・・・
2003年07月14日(月)
831,アラスカ旅行記ー6

 旅行のもう一つの楽しみは、全国レベルで変わった人との接点である。

・まずは、60代後半の女性。6年間、毎月旅行に出て62回目の参加という。
 6年前に旦那と大喧嘩が勃発して、いまや修復不可能。
 別れるより良いと、毎月出ているという。もう疲れたが、後は野となれ山になれと出続けているという。
 旅先で部屋に戻っても、旦那のことを思い出して腹を立てているとか。 聞いていても悲しくなる。
 「ありがとう」を毎日千回、いや一万回言え!といいたくなった。
 夫婦しかわからない何かがあったのだろう。 先日も身辺の60過ぎの知人が離婚したと先日聞いた。
 旦那に若い女ができたのが原因だという。また学生時代の同級の女性が離婚をして、新たに結婚をしたという。
 これで3回目の結婚である。人生の深遠さを思い知らされる。
 
・若い女性が二人参加をしていた。自意識過剰の若い女性が、終始大きな声でアラスカの地で自らの恋愛話をしていた。
 黙っていろともいえず、場違いの二人に他の全員が辟易!
 もっとアラスカの地をじっくり堪能すべき!と思うのも年齢と経験の違いのためか。
 その世界しかないのだから仕方がないが、「無知ということは罪」と思い知らされた。
 その聞き役の方の女性が面白いことを話してくれた。
「自分は蚊に刺されない。一年に一度位刺されることがあるが、朝起きると腕の上で死んでいる」という。
「血液型によってそういうことがあると聞いたことがあるが、血液型は何型?」と、グループの一人がを聞くと
「両親がAとO型。自分自身は一回も調べたことがないので解らない」という。いろいろな体質の人がいるものだ。
 
 ・ホテルのロビーで同じチャーター機のグループの人達がいた。その一人が新潟県の燕の人であった。
 家内工場をやっており、この1~2年で両親がたて続きで亡くなったとか。
 2年前に初めての海外旅行でアラスカに来てキングサーモンのオプションに参加。
 今度は4日間車を借りて、独り釣り三昧をしてきたという。
 魚は釣った後で逃がすとか、また2年後に来たいといっていた。
 これも巧いツアーの利用の仕方と感心をした。

・・・・・・・・
2002年07月14日(日)
456,スイス旅行記 

感想をそのままかいてみると

・天気に恵まれた素晴らしい旅行で、数年に一回の大当たりであった。
・自然の美しさでは、カンデアンロッキーに匹敵するかそれ以上であった。
・自然の雄大さに圧倒された
・牧歌的な村や、絵のような牧草地や高原が印象的
・珠玉のような湖や村が何ともいえない
・毎日が感動感動の連続であった
・下を見れば高山植物とその花、上を見れば白銀に輝く峰峰
・美しき小さな村々と牧場

38回の過去の旅行でベスト5に入る内容といってよい。
一日一日が夢のような連続線で結ばれているようであった。
私の過去の「旅行の思い出の宝箱」の宝が一つ増えた。

こんなにスイスアルプスが素晴らしいと思ってもいなかった。時系列で印象順に書いてみると
・まずは二日目の「アルプスの少女のハイジ」の舞台になった マイエンフェルトが素晴らしい!
 今でもあのアニメのハイジが跳ね回っているようだ。 作家の家がハイジーの魂で満ちているようだ。
 そしてミニハイキング−季節も含めて何ともいえない明るさがよい。

・三日目のアルプグリュムのハイキングがよい。峠から見る眼下の谷と白銀の山々がよい。
  
 デアアレッツタ駅からの「パリュー氷河」が素晴らしい絶景であった
 あまり知れれてないが、そのパノラマに思わず息を呑んだ。
 永遠の時が一瞬凍り付いたようであった。−いろいろな氷河はは見ているが
 これだけ身近のパノラマで幻想的の景観ははじめて見るものであった。
 −これで元を取ったような気持ちになってしまった。

・5日目のツエルマットのマッターホルンが今回のハイライト!
 ホテルの窓からのマッターホルンがまたよいマッターホルンの麓の高原ハイキングが素晴らしいー
 ーここにこうしてハイキングしている自分が夢の中にいるようであった

・六日目のシャモニーよりロープウエーで3800mのエギーユ・デュ・ミディの展望台へ、
 そこから見た景観がやはり絶景

・7日目の「パノラマ特急」の車窓からみる珠玉のような高原の景観が夢のようだ。
 絵の世界が、いや絵よりもズート素晴らしい世界が延々と続く・・・・
 カンデシュテークからのったチェアリフトでいったエッシネン湖のトレッキングも忘れられない景色であった。

・8日目のグリンデルワルトからのユングフラウヨッホは途中で霧に包まれて楽しみにしていた
 トレッキングが中止になったが、 ユングフラッホには過去2回いっているから諦めがついた。
 しかしやはりその景観は何回見てもよい。

・最終日のルッツェルンのアバルトシュテッテ湖とそこから登った
 ピラツス山から見たパノラマの景観が素晴らしい

     今回の旅行はただただ良かった!!!
   ある女性が何回も「うれしい!」と言っていた。


2656, コミュニケーション力とは?

2008年07月13日(日)


   中島義道の「コミュニケーション力」についての一考察が、面白い。
  これによると、あくまで家内と私の関係だが、私がコミュニケーション強者で、家内はコミュニケーション弱者になる。
  しかし、如何みても家内の方が強者で、私の方が弱者に思えてしかたがない。
  外国に行って、観光地や飛行場で隣の人に平気で話しかけ英語の勉強をしたり、宮城県の医師会会長婦人と仲良くなり、
  ブランド店で見えの張り合いをしたり、ディナーで周囲の人と瞬間芸のようにハイソサエティー婦人に変身をしてしまう。
  私など何時も微笑をたたえて無言である。 たまに酔って、その場を目茶目茶にすることもある。
  中島のいう「コミュニケーション力」とは、私がいう「対話力」のことのようだ。
  対話をするには、自分の主張を相手に理解させ、相手の言っていることを理解し、できれば互いに一人では
  思いもよらない一段上の内容まで内容を止揚することである。それは対「本」の著者ともである。
   ーそれよりまずは、中島の、面白い部分を抜粋してみよう。
  〜〜〜
今回のテーマは、斉藤孝の造語のコミュニケーション力についてである。
私は電通大の人間コミュニケーション学科で、「コミュニケーション論」とか「ディスコミュニケーション論特論」
という名の講義を受け持っているが、多分一般の大学のコミュニケーション論とは随分毛色の変わった授業をしている。
普通、コミュニケーション論の目的は、コミュニケーションカをつけることにより、他人に正確に自分の意思を伝え、
他人の言語的・非言語的メッセージを正確に受け取り、他人との円滑なコミュニケーションを目指すことであろう。
面接にうまく合格するとか、上司に気に入られるとか、部下がついてくるとか、職場の人間関係がうまくいくとか、
恋愛においても勝ち組に入るとか……、つまりこのせち辛い現代日本で「得する」ことを学ぶのである。
これを一概に否定するわけではないが、私が目指すコミュニケーションカとは、似ていて非なるものである。
それは、「総合的人間力」とでも言えるものであって、
なるべく自分の信念を貫きながらも共同体から排斥されない生き方を」実現できる力である。
自分の信念を曲げて権力者や多数派に媚びなくても済む力を体得すること。
そのためには、血の滲むような(?)努力をしなければならない。ただ無防備に好き勝手に生きて、
他人を納得させることはできない。 入間の生き方は、大きく分けて、努力に努力を重ねて自分の信念を磨き上げ、
それを貫き通すか、それともとにかくラクに生きることを第一目標にして信念を放棄する(持たないようにする)かの二つしか
ないように思う。オルテガは、前者のような生き方をする者をエリートと呼び、後者の生き方を選び取った者を大衆と呼んだ。
私の言葉に翻訳すると、前者がコミュニケーション的強者であり、後者がコミュニケーション的弱者である。
私は、講義の初めに学生たちに、できればコミュニミュニケーション的弱者の原理は、「とにかく安全にとにかく無難に」
である。さしあたり自分ないし自分の守備範囲が危険に瀕しなければ、それでいいのだ。
そのためには、どんなに卑劣なことでもあえてする。真実も捻じ曲げ、言いたいことも言わず、明らかに間違った
ことでもじっと黙しているのだ。なぜなら、本当のことを言うと、身が危ないからであり、クビが飛ぶからであり、
家族を路頭に迷わすからである。そして、このすべては許される。
なぜなら、自分は学歴も縁故も人間的魅力もない正真正銘の「弱者」だからである。そうなってもらいたくない、
と私は学生に訴えている。だが、教室は早くも「余計なお世話だ」という反感的空気に満たされる。
そうか、楽に生きたい人を無理やり裸にし、冷水摩擦を施し「強くなれー」と叫んでも、心臓麻癖で死んでしまうかもしれない。
そのうえで言うのだが、コミュニケーション的強者とは、社会的強者の責務を身に引き受けるほどの覚悟がなければならない。
 〜〜
 養老猛の「ばかの壁」を叩き壊して己を解放して、書物や人間から知識や情報を出し入れする力はこそ、
情報化の時代に必要とされるが、膨大な情報の中で如何にして総合的人間力を確保していくかがポイントだろう。

・・・・・・・・
2007年07月13日(金)
2292, 男ってバカなんじゃないか?
       (★>з<)。o○[ォハヨ]○o。
       
   ある本の中に、「男ってバカなんじゃないか?」というのがあった。
  −−
【女は、小学校、中学校、高校、大学と、男の色いろな側面、人間の才能の様々な
魅力を見出していく成長過程は、動物から人間への進化の過程に違いない。
子供の頃は、強い子。そして、スポーツの強い子。成績の良い子。
そして高校から大學になると、成績だけでなく、アートのセンスのある人。
そして、それらを加味した個性的な人を求めるようになる。
男性の好みの変転という契機から、人間における精神的側面に目覚めていく。
 しかし、男にとって女が体育ができるからとか、成績が飛びぬけているとか、
突出したアートの才能があるのは、決定的の要因にはならない。
それに対し、男は生まれてから死ぬまでどうであれ、まず第一は可愛くて奇麗の人だろう。 
ほぼ、これだけは死ぬまで一貫している。バカというか、芸がないというか。】
    ー
    そう言われてみれば、その通りである。逆にいえば女性に対して、それほど求めてない。
    反対に女性は、その時々の男の価値観を見極めているということになる。
    男は節目の度に価値観を変え、自ら変身していかないと社会に適応できない。
    だから男は同性に対しては、相手を一瞬に見抜く。
    しかし女性に対しては「美しさと教養と優しさ」を第一の要素にする。 
    それ以外、もともと求めてはいないのである。男なら明石屋さんまなどのお笑いタレントは持てるが?、
    女となると、泉ピン子などお笑い系はもてはしない。

    この歳になってやっと、可愛いや奇麗など第二・第三の要素になってきたが、数年前では、そのとおりである。
    いや、姉が多かったので、知性と人柄を同列においていた!性格が良く、知性的で、その上に可愛い人で、
    相性の合う人。 ほぼどれか欠けているが、もし満たしていたとしても、そう思っただけ?  
      ところで考えてみたら私は、全て欠けている!(拍手!・・・)
      女じゃないから、いいか!  笑っている、あなたも、そうだろう!      
                       ホンジャ〜 ´・ω・]ノ ヂャァ ネッ
・・・・・・・・
2006年07月13日(木)
1927, 閑話小題
        Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning

ー北朝鮮・ミサイル問題と、日本の軍事力ー
 (字数の関係でカット2008年7月13日)
 ー社会主義についてー
 社会主義、共産主義と、最近は誰もいわなくなった。ソ連邦と共産主義国家群が崩壊、中国も社会主義経済を放棄した。
 ソ連邦の崩壊には、のソ連共産党同士諸君は驚いただろう!ある日突然、「建前としていた計画経済は全く間違ってました。
   全員が公務員という経済体制は、権力を握った高級官僚が権力を握って私服だけを肥やすだけ。
   マトモな経済計画を作れないので放棄することになりました」と、認めてしまったから一大事!
   まあ、それまで悪事を重ねて私財を溜め込んでいただろうが。
   現在も、それに近いことが日本の霞ヶ関の役人どもと、自民党の一部に残存しているようだが。
   この前の選挙で殆んどの、これらゴミを廃棄したが!亀とかいうのが、ゴミダメコーナーでウロウロしているのが哀れ。
   あれは何だったというのか? バブルの崩壊とともに終わってしまったシステムの残存ーゴミである。
   最近は、共産対資本主義の対立軸がアッラーとキリストに転嫁されてしまった。
   アッラーは、茶色ーアラブの神、キリストは、白ー白人系の女子供に比重をおいた神ユダヤは、白人の拝金の男を
   中心とした神でしかないか!    仏教は、黄色か? 白、黒、茶色、黄色の混ざったインドは、
    有難いことに3千年にアーリア人が階級をつけたヒンズー教の神じゃないか。
       神は偉大なりか〜! 般若心教でも唱えておこうか!
                      (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
 ・・・・・・・・
 2005年07月13日(水)
1562, わたしの酒中日記−14 
   ー岐阜の夜−2  1976年 7月某日

夜行で岐阜に来て、今日は丸一日市内を駈けずりまわる。肉体的には、緊張しているせいか疲れはない。
日曜日の店の売れ具合をみて、一度帰宅のあと3時間ばかり休んで、夜行列車の「佐渡」に飛び乗った。
夜行列車にやっと慣れてきた。枕木の音を眠るためのリズムとして聴くように努めてから寝れるようになった。
2歳年下の大森さんと一緒である。彼も私にしごかれて8ヶ月、やっと戦力になってきた。

朝の7時に岐阜駅に着く。駅ビルの地下の喫茶店で、モーニングサービスを食べて時間を過ごす。
そして、9時過ぎから問屋街を駆け回る。 仕入れのコツも9ヶ月も経てば解ってくる。
とにかく多くの問屋を回って情報を仕入れることだ。 それと大手の問屋とメーカーも大きな情報源である。
小野、岡庭嬢が今朝長岡を出発、東京から名古屋の問屋をまわって夕方にホテルのロビーでいきあった。
チェックインを一度して、何時もの「千成寿司」に行く。 彼女達も意欲的に仕事をする。

千成寿司は高校の時に、父の仕入れ見学の鞄持ちで来て、食事をした店である。
12~3坪の店に職人だけで5人もいて、いつも行列待ちをしている超繁盛店だ。
とにかくネタが大きくて新鮮で安い。普通の店の三倍のネタの大きさである。
こういう出張は、夜の食事とチョイ一杯をしながら仕入れの戦果の話が楽しみである。

店の仕事の終了後、夜行列車に揺られたあと、朝からの駆け足の仕入先まわりは、激務といえば激務である。
しかし、仕入れは買い手の立場であるから、面白いといえば面白い。
仕入れた商品が売れるか売れないかは博打的要素がある。当たるか外れるかは半々といってよい。それが面白いのだ。

今夏は、ジョーゼットの素材の花柄の婦人服が爆発的に売れている。
しかし、どこを探しても売り切れて商品がない。ところが、諦めかけた直後にやっと一軒見つけだした。
その小さな店の商品一軒分全て買い上げた。これで、今回の仕入れの大きな収穫が完了。
こういう日の酒は特に美味い。明日は、岐阜を終日仕入れをした後に、大阪と名古屋の問屋の予定である。

・・・・・・・・
2004年07月13日(火)
1197, ユングの臨死体験

臨死体験といえば、立花隆が「文芸春秋」で特集で連載をしたことがあった。
死にかけたときに生じる脳内の異常状態から見る夢か幻想と思うのだが。
ユングの書の中の「臨死体験」を読んでいるうちに、何か今までの世界観が変わってしまった。
ユングが書いた時は、まだ宇宙衛星が地球外に出てない。しかし、ユングが臨死体験で見てしまった
宇宙からの景色と、宇宙船から飛行士が見た景色が全く一緒だったという。何とも不思議な気持になってしまった。

ーその部分を抜粋してみる
 −−−
1944年のはじめに、私は心筋梗塞につづいて、足を骨折するという災難にあった。
意識喪失のなかで譫妄状態になり、私はさまざまの幻像をみたが、それはちょうど
危篤に陥って、酸素吸入やカンフル注射をされているときにはじまったに違いない。 
幻像のイメージがあまりにも強烈だったので、私は死が近づいたのだと自分で思いこんでいた。

後日、付き添っていた看護婦は、『まるであなたは、明るい光輝に囲まれておいでのようでした』といっていたが、
彼女のつけ加えた言葉によると、そういった現象は死んで行く人たちに何度かみかけたことだという。
私は死の瀬戸際にまで近づいて、夢みているのか、忘我の陶酔のなかにいるのかわからなかった。
とにかく途方もないことが、私の身の上に起こりはじめていたのである。  
 
 私は宇宙の高みに登っていると思っていた。はるか下には、青い光の輝くなかに地球の浮かんでいるのがみえ、
そこには紺碧の海と諸大陸がみえていた。脚下はるかか なたにはセイロンがあり、はるか前方はインド半島であった。
私の視野のなかに地球 全体は入らなったが、地球の球形はくっきりと浮かび、その輪郭は素晴らしい青光に照らしだされて、
銀色の光に輝いていた。地球の大部分は着色されており、ところどころ燻銀のような濃緑の斑点をつけていた。
(中略)  どれほどの高度に達すると、このように展望できるのか、あとになってわかった。 
それは、驚いたことに、ほぼ1500キロメートルの高さである。
この高度からみた地球の眺めは、私が今までにみた光景で、もっとも美しいものであった。

ーこのときユングが見た地球の姿の記述は、立花隆も指摘するようにアポロが撮った地球の写真の姿と合っている。
それをユングはアポロ宇宙船よりも以前、それどころかガガーリン以前に書いているー
しばらくその美しい地球を眺めたあと、自分の家ほどもある大きな隕石のような黒い石塊が宇宙空間を
ただよっているのを発見する。その石の中央には入口があり、その中はヒンドゥー教の礼拝堂になっていた。
その中に入っていった。  

 私が岩の入り口に通じる階段へ近づいたときに、不思議なことが起こった。
つまり私はすべてが脱落していくのを感じた。私が目標としたもののすべて希望したもの、思考したもののすべて、
また地上に存在するすべてのものが、走馬灯の絵のように私から消え去り、離脱していった。
この過程はきわめて苦痛であった。しかし、残ったものはいくらかはあった。

それはかつて、私が経験し、行為し、私のまわりで起こったすべてで、それらのすべてが、
まるでいま私とともにあるような実感であった。それらは私とともにあり、私がそれらそのものだいえるかもしれない。
いいかえれば、私という人間はそうしたあらゆる出来事から成り立っているということを強く感じた。これこそが私なのだ。

『私は存在したものの、成就したものの束である。』 この経験は私にきわめて貧しい思いをさせたが、
同時に非常に満たされた感情をも抱かせた。もうこれ以上に欲求するものはなにもなかった。
私は客観的に存在し、生活したものであった、という形で存在した。 最初は、なにもかも剥ぎとられ、
奪われてしまったという消滅感が強かったが、しかし突然それはどうでもよいと思えた。
 
 すべては過ぎ去り、過去のものとなった。かつて在った事柄とはなんの関わりも
なく、既成事実が残っていた。なにが立ち去り、取り去られても惜しくはなかった。
逆に、私は私であるすべてを所有し、私はそれら以外のなにものでもなかった。
「私が目標としたもののすべて、希望したもの、思考したもののすべて、また地上
に存在するすべてのものが、走馬灯の絵のように私から消え去り、離脱していった」

 これに対し、彼に残されたものは何だったか。孤独な宇宙空間にただよいながら、
かつて自分が地上で経験し、行為したことのすべてが自分とともにあるという実感だけは残った。
そのとき残されたぎりぎりの「私」とは、自分がこれまで地上で経験し、行為したもろもろの事実のみであった。
それは要するに、「私」とは私のカルマ(業)にほかならないということなのか。
私に所属する多くが離脱しても、私の行為のすべては、おそらくは死後もカルマとして存続する。
 ーー
以上であるが、鈴木秀子の臨死体験に似ている部分がある。現実のとらわれから解放される部分である。

ーあるHPのユングの臨死体験の解説をコピーしておきます。
 非常に解りやすい内容であるー
 −−−
 (字数の関係でカット2008年7月13日)
・・・・・・・・・・
2003年07月13日(日)
830, アラスカ旅行記ー5
   ーアラスカつれづれにー

アラスカで感じたのは、豊かさである。そして、その対比としての日本の豊かさの底の浅さだ。

・高校の前を通ったら、大きな駐車場があった。16歳で免許が取れるという。
 多くの高校生が車で通学をしているという。16歳以下でも親と一緒であれば運転できる免許もあるという。
・また地域性もあるが、50人に一人当たり割合で飛行機を持っているという。
 飛行機の車輪部分を季節ごとに変えることができるという。冬はスキーを履き、夏は車輪、湖や河では
 浮き輪を付け替えるという。 安いので500〜600万で買えるという。
 夏は釣りや泳ぎに、冬はスキーとかに、色いろの場所に下りて遊ぶという。
 それでも、夏の期間が短く、秋はほとんどなく冬が長いために、鬱病になってしまう人が多いとか。
・アンカレッジの街を歩いていても、豊かさが直に伝わってくる。
 ワンフロアーの大きい住宅、そしてこじんまりとした芝生と花のある庭。
・しかし乞食があちこちで見ることができた。 アルコールでやられるらしく、
 彼等を収容するシェルターがあるという。特に地元インディアンに、生活に適応できない人が多いとか。

『地球の歩き方』に面白そうな日本料理店があったので行ってみた。
「やまや」という店で正しく国内の居酒屋そのもの。小さなカウンターが5~6席に、テーブルが16席。
 50歳位のマスターと20歳位の男のアルバイトが二人で働いていた。
 「何が美味しいか?」と聞いたら、「ユーコン川で獲れたキングサーン の刺身がお勧め」、
 とのことで注文したが、もちろん絶品。 鰊の塩焼きと子持ち昆布もなかなかであった。
 少しほろ酔いの頃、40歳ぐらいの白人が一人入ってきた。
 マスターが「よー!食い逃げのジョー」と日本語で声をかけると、赤い顔をして
「食い逃げのジョーじゃなくて、朝逃げにジョーだよ」と嬉しそうに答えていた。
 常連らしいので話しかけると、何と今回の現地日本人ガイドの上司。
 三重県の津に2年いたこともあるとかで、飛行機の整備士からガイドにトラバーユしたといっていた。
 その時60歳がらみの人品のよい日本人が入ってきた。 そして我々の間に座った。
 知り合いらしく急にジョンは大人しくなった。そして英語で二人話し始めた。 後で家内がいうには
 今回のジャンボの機長ではないかという観測 私もその時に一瞬そう思ったが、商社関係者ということもありうると 
 それ以上考えなかった。でもTPOSから考えても、ジョンの態度からみて 機長の可能性が強い?
 一度店を出たがジョンの写真記念をと、とって返して思わず「ただ乗りのジョン、写真を一枚撮らせて下さい」といった。
 本人曰く「ただ乗りのジョンでなく、朝逃げのジョンです!」

・・・・・・・・・
2002年07月13日
旅行中
・・・・・・・
2001年07月13日
旅行中


2655, いちゃつき

2008年07月12日(土)

阪大総長の鷲田清一対談集「気持ちのいい話」に、なかなか含蓄のある話があった。
多田道太郎との対談の中で「気持ちがいい」とはなんだろうと考えたとき、
それは「いちゃつく」という言葉に行き着くという。
最近の若い人は、スローセックスというか、最後まで行かないプロセスをダラダラ楽しむ感じが、また良いと。
鷲田は、女子高校生同士が、ベッドで何となくいちゃついている光景が、一番イメージしやすいという。
だいたい飲みにいって、ママとかホステスに何となく酒を飲んでいるのは、横から見れば子供に帰って
いちゃついている姿に似ている。 
そういえば、私が以前に女性の職場に居たときのタブーは特定の人との親しい関係だが、
不特定多数と何気なく仕事の中でいちゃつくのは、誰も見てみぬフリをする。 
それが女の職場の中の男の特権である。 誰とも目的無しに共同作業の中で引っ付いて、
適当に仲良くするのは、幸福の最たるものである(この本で気づいたことだが)。

この対談集の中に、 鷲田が宗教学者・植島啓司から聞いた話として紹介している話が興味深い。
「‘解脱’は自分を遠ざけて、世界の中に自分を溶け込ませる技術で、‘救済’は逆に自分を開いて、
 他人を迎え入れて他人でいっぱいにするというかたちで自分を溶かしてしまう。 だから方法が違うんですよ。
 自分が相手の中に吸収されるか、逆に他が自分の中に浸透するか。どっちにしても、自分と世界の距離をなくして、
 自分を触っているか。相手を触っているかわからないような『いちゃいちゃ状態』を宗教だ」という。
 これから考えると少女が他人の体でいちゃいちゃしている状態や、部屋の中にぬいぐるみをいっぱいにしている状態と、
 宗教の解脱、救済と、きれいにオーバーラップするという。

鷲田は、自分はこれまでの人生で最も欠けていたのが、いちゃつき、といい、寝転んで誰かと飽きるまで、
とことんゲップをしそうになるまで、いちゃつき続けるのが、今の彼にとっての一番の幸せのイメージと
正直に告白している。 セックスになると、相手を満足させなければとか、社会的なこととか心理的な束縛がかかるから、
いちゃつきの方がイメージとしてよいとか。  阪大の総長という立場など、捨ててやってみれば!
といいたいが、そうもいかないか。

いちゃつきは、酒の席の二次会では常道で今さら。5~6歳の頃、実家の商売上、若い綺麗な女性が入ってくると、
直ぐに擦り寄っていって、太ももに抱きついた思い出が、リアルな記憶としてある。
また4人の姉たちの中で育って、オモチャかわりに可愛がられたのも、
いちゃつきの一つだったのだろうか。そういえば姉さんタイプに惹かれたのも、その辺の事情か?
最近、いちゃつくということが、殆ど無くなってしまった! 家内とは?言葉でジャレテイル、それもいちゃつき?
 〜〜
次ぎの鷲田の言葉がいちゃつきに対して、明確に説明している!
 「だから、一人っきりじゃなしに、誰かどなんの目的もなしに引っついて、密着する。
  そうやっていちゃついているような幸福のイメージを、僕なんかはポジティヴにとらえたいという感じがあるんです。
  なにかと親密な関係にあることの安心感。その相手は、友だちじゃないときはぬいぐるみだって、毛布だっていいわけ。
  部屋にいつばいぬいぐるみを置いておくような、そういう少女が持ってる気持ちよさ、少女が素直に気持ちいいと
  思えるような感じって、僕は意外と大事なんじゃかいかと思っているんです。
  でも、いちゃいちゃってことを考えてみると、子どものときって、ほとんどいちゃいちゃ生活だったと思うんですね。
  親にトイレットのトレーニングしてもらう前だって、おむつの中にウンコが漏れてもけっこう気持ちよかったし、
  海水浴に行けば、砂遊びしながら指の間から砂が漏れる感じとか、砂で作ったものが波がきたらバーッとさらわれる感じとか、
  あるいはドロんこ遊びにしても粘土細工にしても、モノと自分を切り離すんじゃなく、モノといちゃいちゃしてドロまみれに
  なったり汚物まみれになったりしている。それは子どもにとって、とても気持ちのいいことだったはずなんですね。」
  〜〜
  男がキャバクラで、アルバイトの女子大生などと遊ぶのも、いちゃつき願望なのかもしれない。
   少し いちゃつきたくなってきた!

・・・・・・・・・・
2007年07月12日(木)
2291, 10歳の放浪記 −3
    。っω-)..。oо○(゚+。ぉレ£∋ぅ゚+。)

この番組の中で、作家がドラマの中の10歳の頃の子役を抱きしめた場面を
紹介したが、これは深い意味が含まれている。この行為そのものが「究極の癒し」になるのである。
精神症や精神病の原因として最近「トラウマ」が取りあげられている。辞書でトラウマを調べると、
「耐えられないような体験・その痕跡。内的原因(欲動興奮的)と外的原因(侵襲破壊的)がある。」とある。
特に幼少時のトラウマが大きな原因となっている場合が多い。癒し系の本には、その時の自分を思い出して、
イメージとして抱きしめることが、本人のトラウマの一番の治療になる、とある。

ところで、NHK/BSで「わたしが子供だった頃」のシリーズで、童謡作家の上条さなえさんの「10歳の放浪記」を
ドラマ仕立て観て、感動し、この随想日記に二回にわたり書いてきた。
本を買おうかどうか迷ったが「図書館にあるかもしれない」と思って、買うのを控えていた。
先日の日曜日に近くの図書館のファンタジーなどのコーナーで探したが、無い。
 諦めかけたが、それでもと思い直し更に探したところ、あったのである。
   −−
 ー以下は、この本の一番のクライマックスの場面であるー
四月になると、暖かい日が続いたので、早苗は母が買ってくれた半コートを
父のボストンバッグにしまった。父は数日にわたって、風邪で熱を出していた。
早苗は天井を向いている父の横で、算数の計算ドリルをしていた。「なこちゃん」父が目を開けた。
「ン?」早苗が父の顔をのぞきこむと、「死のうか…」と、ポヅリとつぶやいた。
「やだ。まだ、マティー二を飲んでないもん」早苗は首をふった(映画館で見た、マティーニを飲むことを夢みていたのだ)
「もう、金がないんだ。明日の朝十時にここを出たら、行く所がないんだよ」父の言葉が、ショックだった。

早苗は大きな溜め息をはくと、外に飛び出た。姉は、東京の巣鴨だときいていた。
姉なら、なんとかお金を貸してくれるだろうと思ったが、電車賃がなかった。
早苗は歩く道々に、お金が落ちていないか目を皿のようにして探した。駅前の通りを歩いていると、パチンコ店の中から
『軍艦マーチ』の曲がきこえてきた。 早苗がその曲につられるようにして、店内を見ると、銀色の玉が一つ、二つ、
床に落ちているのが見えた。 ここで稼ぐしかない。

ドアを開けると、耳をつんざくような軍艦マーチ一の曲と、チン、ジャラ、ジャラという音が聞こえてきた。
床に落ちている玉を探し求めて、何個かの玉を握りしめた。人に怪しまれないように、
早苗はおばあさんの隣を探して座った。 そうすれば、祖母と孫だと入は思うだろうと考えた。

早苗は・おばあさんのやり方を見た。パチンコ台の右わきの小さな穴に玉を入れて、
バネを右手の親指で掃せばいいのだとわかった。早苗はゆっくり玉を入れた。
そして、ゆっくりとバネを押した。力が弱すぎたのか、玉はパチンコ台のくぎにも届かず下に落ちていった。
二つ目はバネを押す力が強すぎて、台のくぎの外側を大きく回って下に落ちた。
早苗は深呼吸した。三つ目がようやく、台のてっぺんにあるくぎで囲まれた
小さな穴に入ろうとして、くぎにはじかれて下に落ちた。(ここをねらえばいいんだ)
早苗は四つ目を、はじいた。四つ目の玉はてっぺんの穴に吸いこまれるように
ストンと落ちた。チン、ジャラ、ジャラという音とともに、台の受け皿に玉が出てきた。
早苗はホッとして・五つ目を入れた。すると右わきの穴の途中に玉が引かって止まった。
早苗が小さな声で「あっれ」と言うと、隣のおばあさんが「上についてるブザーを抑しな」と教えてくれた。

早笛が思い切ってブザーを押すと、台の後ろから、ニキビがたくさんある
若い男の店員が顔を出した。そして、体を乗り出して台の扉を開けると、
引っかかっていた玉を下に押してくれた。それから、早苗を見て、「どうしたの?」ときいた。
早苗は、「どうしたの?」という言葉を、「どうして子どもが一人で来てるの?」という意味にとって、
「お父さんが病気で」と、小さな声で言った。そのあと、早苗の台は、まるで壊れたように玉が出てきた。
「あんた、上手だね」隣のおばあさんが手を止めて、早苗の指つかいを見た。
早苗は、バチンコ台の玉が出るようしてくれているお兄さんの秀が迷惑にならないよう、必死にうった。
 ーーーー                   
   実際の経験だから、人を引きつける。戦争体験は、もっともっと凄い体験をしたのだろう。
   地元長岡は空襲を受け焼け野原、両親から色いろ聞いてきたが・・・・
   それでも、国を守るためには戦わなければならない!それが現実である。戦争放棄だと、この国は!                     
                                    −つづく
                         ヾ(。´・ェ・`。)Byeヾ
・・・・・・・・
2006年07月12日(水)
1926, 教養について
            おっ w(゚Д゚)w ハァョ〜

先日のTV「田舎に泊まろう」という番組の中のできごと、お笑い芸人の一人が、田舎の家に泊めてもらうことになった。
(この番組については、今度チャンスがあったら書いてみる。たまたま泊まった家に14歳の少年がいた。番組が進むうちに、
その子が不登校ということが解った。ところが、少年と打ち解けてくるうちに、そのお笑い芸人(現役の広島大学生)が、
その子に説教を始めた。
   その内容が良い。表現は違うかも知れないが、趣旨はこうだ。「学校は行かなくてはいけないよ。学校に行かないと、
   それだけで自分の選択の余地を自分で小さくしていることになる。さっき自分は何になりたいか希望がないといったね。
   これから自分で何かになりたいとか思うようになるだろう。その時学校に行ってないと、
   何かになりたいという幅が小さくなる。チャンと学校に行ってな、勉強をして幅はつくっておかなければ!」

その子は、何かハッとするところがあったようだ。
両親は「何をいっても聞かない!」と嘆いていたのが嘘のように素直に聞いていた。
人生を振り返ってみると、特に中学生時代に何をしていたかで、ほぼ決まってくる。!
大人になっても同じことがいえる。教養は一生ついてまわるだけでなく、子供にもそのまま影響してくる。
歳を重ねると、そのことが身に沁みて解ってくる。

    そこで教養について、考えてみる。こういう場合、インターネットはよい。
    幾つかのHPを読むうちに教養の大枠が見えてくる。

・「教養」概念は、英語では「文化」を意味するculture、ドイツ語では「形成」を意味するBildungに対応している。
・ 豊かな人間性の形成のための素養としての知識・経験。
・「いかに生きるか」という問いが教養の始まりであった。
  古代ギリシア人にとって教育の目的とは、一人一人が教養を身につけることであった。
  それは専門知識の集積ではなく、市民としてよりよく生きるための知恵の獲得を意味した。
・「世間」とは、建前の無教養に重なる。世間には、当然と思われる価値観が厳然としてある。
  しかし、概して知識のない人種のコントローラーとして機能している場合が多い。それを知るのが教養である。

    なぜ人生の後半になってから、そのことに気づくのだろう。何が大切で、何が大切でないかが、
    経験を通して見えてくるのだろう。見えてない人が殆んどだから始末に悪い。それが世間とかいうヤツだが。
    だから娑婆は面白いのだが・・・  面白すぎる、人間というのは!
    もっとも、一番おもろいのは自分だが!!   へ( ̄_ ̄へ)(ノ ̄_ ̄)ノ ♪
 私にとっての教養とは、「感動すること、感激すること、感謝すること、
 その響きを可能な限り大きくするための知識・経験を蓄積すること」
 「知ること、愛すること、創造すること、そしてそれらを楽しむこと、このために必要な知識・経験」である。
 「お前を見ていると、どうしても教養があるように思えないが・・」という声が、何処かから聞こえてきそうだが・・
  まったく、もう。 自分でも、そう思っているから間違いないことです。
                              バイヾ( ̄ー ̄ヾ))))(((((ノ ̄ー ̄)ノ
・・・・・・・・
2005年07月12日(火)
1561, わたしの酒中日記 −13
 ー岐阜−1  1975年 9月末日

初めての仕入れで岐阜に来ている。高校の二年の時に父の仕入れの鞄持ちで来たことがある。
あのときの感覚を頼りに生まれての初めての仕入れである。
まずは、東京の現金問屋街で仕入れ、その後に名古屋廻りで岐阜に入った。

今回は婦人服である。生地の素材さえ知らない、まして流行など知る由もない。
しかし、全く経験のない「養老の滝」「ベーカリー」を立ち上げたことからみれば、遊びでしかない。
学生時代の合気道の経験が役に立つ。ただ虚心に対象と立ち向かえば、プロより強いということを信じればよい。
とにかく情報を仕入れること、それしかないのだ。そのためには歩き回るしかない。
それと自分の人間性を前面に出せば相手も反応する。一回目にしては、上手くいったようだ。
そして父と昔、泊まった宿に入る。懐かしい、本当に懐かしい。そこで夕飯を軽く食べた後に、街に出てみる。

知らない街で赤提灯を探すのは、何とも愉しいものだ。疲れのせいで、直ぐ近くの「なまずや」という鰻屋に入る。
鰻をここでは、むかしは「なまず」といったのが由来とか?
一人カウンターでまずは鰻を肴に酒を飲んでいると、小座敷で飲んでいた二人づれの一人が
話しかけてきた。今日、行ったメーカーの人だ。一緒に飲まないかということで、彼らの席にいく。
昔、父にお世話になったという。父のことを、一時間ほど彼らから聞かされる。

その後、彼らと柳ヶ瀬のスナックに行く。私の学生時代に大ヒットした「柳ヶ瀬ブルース」発祥の地である。
彼ら二人はかなりの遊び人のようだ。とにかく疲れたので、早々帰ってきた。
緊張した一日であった。反面、面白いのだ。買う立場は売り手からみたらお客様なのだ。
何か仕入れとはこういうものかと、少しは解りかけてきた。
 明日は大阪に行って、その日のうちに広島だ。未知な世界は、全てが冒険である。我ながら、よくやるよ! 
                                ーつづく
・・・・・・・・・・・
2004年07月12日(月)
1196, 口ぐせ

先日この随想日記で書いた「私は幸せ」ではないが、普段のつかっている言葉がいかに大切かつくづく実感する。
中村天風も、繰り返し述べているが、世の中マスコミなどでマイナス言葉を蓄積されていて、
その毒が我々に大きく影響を与えている。
 て意識的に除外し続けてないと、その毒に侵されることになる。
それが自分の運命に影響していることに自ら気がついてない。

ー私が気をつけていることを書いてみると
・何気なく飲み屋や普段話す内容に気をつけること
・普段の思考としての内語に気をつけて、マイナス用語を使わないこと
 とくに布団の中では、マイナス用語に注意している
・マイナスの人の近くには寄らないことーマイナスの人−常に他人のうわさ話をネタにして生きている人ー
・あまり過去の話はしないこと。 楽しいこと以外、考えないことにしている
・まず一番身近な家内とは、他人のうわさ話や悪口の話題をしない
・一年前に「幸せの宇宙構造」という本に出会ってから、「ありがとう」という言葉を 繰り返すようになった。
 とくに散歩の時間は「ありがとう」を五百回はいうようにしている。
 
私の過去を振り返ると、実感として
・恵まれていた ・ついていた ・面白かった、であるが、
 そういえば昔から繰り返し自分に言い聞かせていたところがあった。
 経験から、噂や陰口の多い人の末路を見てきたこともあるが。 やはり中村天風の影響が大きかった。

私の口癖に「おいしい!」というのがある。実際美味しいのだから言うだけだが、口に出すと美味しさが倍増する。
少し不味くとも、美味しいと何回か言えば不思議と美味しく感じるのだ。
逆に、不味いと口に出すと数倍不味くなるから言葉は本当に不思議である。
 最近意識して使っている言葉は
・うれし、たのし、しあわせ
・ありがとう、だいじょうぶ、ついている
・おいしい、よかった、すばらしい
・おもしろい、めぐまれている、悔いはない
すべて、心の底から思うようにしている。しかし、知らないうちに、マイナスの言葉を多用している自分がいるが。
 
・・・・・・・・・
2003年07月12日(土)
829,アラスカ旅行記ー4
ー26氷河クルーズー

アンカレッジからバスで一時間半のところにある港街ウィッティシア。
ここよりクルーズ船に乗り、プリンス・ウイリアム湾に流れ込む大小26もの氷河が
密集するフィヨルドを巡るクルーズがよかった。

氷河といえば昨年の12月にいったパタゴニアのモレノ氷河などと比べたくなる。
この対比でアラスカ氷河をみると、この26氷河に限っていうと、
・一つ一つをとってみれば、氷河そのものはモレノ氷河の方が奇麗で大い。 
 また流氷の大きさや数、氷柱が倒れる迫力などもモレノ氷河の方が格段良かった。
・モレノ氷河は氷河自らの水で湖をつくっている。その為、湖には冷たすぎるためか生物は一切いない。
 これに対し26氷河は直接海に氷河が流れ出ている。温度も海水と調和をして、多くの海の生物が棲息している。
・空と海を背景とした氷河の美しさがアラスカにはあった。それと5時間のクルーズの間、どこかしこに
 愛らしいラッコが海に浮いていた。またアザラシや鯨やオウムに似た鳥のパラフィンも見ることができた。

 アラスカ・クルーズは、地中海クルーズやカリブ海クルーズと並ぶ世界三大クルーズの一つ。
特にカナダのバンクーバーからのクルーズは有名だ。丁度我々の目の前をその大きな客船が横切っていった。
客船サービスで、氷を引き上げてお客に配っていたが、さっそくウイスキーのオンザロックで飲んでみたが、
何ともいえない数億年の味がしたようだった。 当たり前のことだが、アラスカにはアラスカの氷河があり、
パタゴニアにはパタゴニアの氷河がある。 対比するのはよいが、どちらが良いとはいえない。

 旅行をしているうちに、いつの間にか世界各地で多くの氷河を見ることができた。
スイス、パキスタン、ニュージーランド、パタゴニア、そしてアラスカなどなどだ。
氷河だけ追いかけても、その自然の美しさと壮大な営みの一部を見ることができる。
氷壁が崩れ、数億年の旅を終える姿を目の当たりみると、人間の小ささを改めて思い知る。

 ホテルから港まで往復3時間、車の運転をしてくれた佐久間さんという人の話もなかなか面白い。
20年前サラリーマンが嫌になりアメリカ本土に渡り各地を転々、その後ハワイに3年いて、
2年前にアラスカに流れてきたという。50歳ぐらいだが、なかなか話の内容が深く面白い。
そのままサラリーマンの一生も人生、自由気ままな生き方もまた人生である。
但し人生の真髄をどちらが深く考えているかというと前者であろう?!
 アラスカの広大な自然の中で、いろいろ考えさせられる事が多かった。

・・・・・・・・
2002年07月12日  旅行中
・・・・・・・
2001年07月12日  旅行中


2654, 結論で読む人生論

2008年07月11日(金)



      「結論で読む人生論 ―トルストイから江原啓之まで」勢古 浩爾 (著)
                              −読書日記
  古今の人生論を批評しながら著者の人生論を展開する本。
  著者の「わたしを認めよ」「まれに見るバカ」「この俗物が」を読んだが、
  非常に軽妙で、自虐的な文章が私の性に合って面白かった。
  この人生論も、勢古の人生論批判で、「結局何なんだよ〜」という彼の主観が面白い。
  まずは、アマゾンの内容紹介文と、まえがき、の一部を紹介して、
  次からは、それぞれの章の面白そうなところを抜粋しながら、考えてみる。
  人生論は、哲学と同じく読まなくてはならない。それが自分の人生の司令塔になるからである。
   〜
 ーまずは、この本の概要からー
  ー内容紹介ー
人は何のために生きているのだろう? 
この問いには、紀元前から現代まで、老子、孔子、カント、トルストイ、漱石、アッラー……などなど、
作家、哲学者から、思想家、科学者、果ては神(の代弁者)に至るまで、ありとあらゆる「賢者」たちが答えを示してきた。
しかし、実際に彼らの人生論をひもといてみると、迂遠で、晦渋で、いつのまにかはぐらかされたり、結局「結論」
がよくわからなかったりする。  そんな「賢者」たちの人生論を「結局なにが言いたいのか」の1点で読み解き、
著者独特の視点から「判定」「批評」するという大胆不敵な試みである。 
人類史上の叡智が凝縮された何十通りもの「人生の意味」を、端的に紹介する。

  ーまえがきよりー
伝説の登山家、ジョージ・マロリーの言葉(返答)である。もともとは、ニューヨーク・タイムズ紙記者の
「なぜエベレストに登るのか」という質問に」(そこにエペレストがあるからだ)と答えたものである。
では「人はなぜ生きるのか?」。 なぜなら「そこに人生があるからだ」。いや「すでに生きているからだ」。
この答えでいいか。十分である。だが、その先がある。どの山にどのように登り、どのように下山するのか、
をわたしたちは身をもって示さなければならない。そのときに重要なのが「どのような人生を自分はよしとするのか」
という人生観である。 もちろん、事は簡単ではない。 生老病死、愛別離苦につかまれた入生には、
そんなわかったかわからないような、禅問答的な、のんきな父さん風の答えは許されない。人生につかまれた人間は、
その人生に意味を求め、生き甲斐を求め、そのためにさまざまな「意味の物語」を創作したのである。
人生論を読むとは、その「物語」を読むことにほかならない。「主要な人生論を総覧し」と書いたが、
いうまでもなくおこがましい。せいぜいフランス料理のフルコースの前菜の一口を齧った程度、
スープを一口畷った程度にすぎない。 いや、そうではないな。フレンチも和食も中華もステーキも
フィッシュアンドチッブスもジャンクフードもゲテモノも一応食べてみました、といったほうが適切か。
でもいい。 人生論は人生観の土台である。 人生論は「価値」を論じ、人生観は「意味」を論じる。
そのふたつを問うて、謙遜すれば、本書はそれなりに有益な人生論、人生観読本にはなっているはずである。
謙遜になっていないか。読まれる方の人生観構築の参考になってくらべれば、という期待もある。
だが、それでも執拗な疑問が残る。人生をこねまわしてつべこべいうんじゃない、という気分がある。
はたして、人生は論じるに値するのか。 
  〜〜
後記)
 勢古の本を数年、読んでなかった。その間に多くの本を出していた。
何処にもいる普通の才能の人が、自虐的に書いているから、親しみを覚えるのである。
特に古今東西の人生論を、彼の目線で書いているから,同調するのである。
人生論は人生という旅の歩き方に似ている。
地図としてみれば、位置や方角がわかるし、訪れたい場所と他の場所との位置関係もわかる。
人生論を考えない者は、地図無しで異国にいるようである。
自分が道に迷って、混乱している者にとって、どの角も道も同じように見える。
しかし実は違うことを人生論の中で示唆してくれる。 人生論を読み、哲学書を読んで考えない限り、
到着した場所はただ行き着いた場所でしかない。 それはそれで良いのだろうが、
その人のレベルでしかない場所だけである。 実際のところ、書いている自分が一番、身につまされる。
若い時に、より多くの地図を見て、計画を緻密にたて、多くの場所を見ておけば良かったのに!と、
この歳になって気づかされる。  携帯電話が、若い人に、こういうジックリ考える機会を奪っている。

・・・・・・・・・・
2007年07月11日(水)
2290, 「豊かさ」とは何か?、そして図れるのか
                         (。ゝω・)ノ☆;:*おはよう*:;☆

豊かさとは、決して経済的な豊かさだけではないが、しかし「経済的豊かさがあってこそ」というのも決して否定できない。
真の「豊かさ」とは何か?は、考えれば考えるほど難しい問題である。
そこで「豊かさとは」と検索したところ、去年の11月の「豊かさ指数」というネット新聞記事がでてきた。
 ーまずは、その記事のポイントを要約してみるとー

「豊かさ指数」というのがある。 この指数とは、国連開発計画(UNDP)が1990年より
世界177ヶ国・地域を対象に毎年発表している「人間開発指数」のことをいう。
「人間開発報告書」では国民の生活の豊かさは経済的な指数だけでは表せないとして、健康、教育、
所得(具体的には平均寿命、就学率、国内総生産など)などをもとに、人間の豊かさを国別にランクしたもの。
ー2006年の報告では、
1位・・・・・ノルウェー(6年連続)
2位・・・・・アイスランド
3位・・・・・オーストラリア
4位・・・・・アイルランド
5位・・・・・スウェーデン
6位・・・・・カナダ
7位・・・・・日本
8位・・・・・アメリカ
9位・・・・・スイス
10位・・・・オランダ
 
ーこのほかでは
韓国・26位、ロシア・ 65位、ブラジル・69位、
中国・81位、インド・126位、最下位ニジェール(前年同じ)

ー2006年11月ー
 国連開発計画(UNDP)は9日、06年版の「人間開発報告書」を発表。
経済力に教育や健康を総合して「人間の豊かさ」を示す人間開発指数で、日本は177カ国・地域中7位だった。
05年は11位で、初めてベスト10から転落したが、今年は景気の回復も反映して再浮上した。

 人間開発指数は、1人当たり国内総生産(GDP)のほか、識字率や平均寿命などをもとに算出した。
1位はノルウェーで01年から6年連続。次いでアイスランド、オーストラリア、アイルランド、スウェーデン、
カナダの順。日本が順位を上げたのは、大学院などの就学率や平均寿命、1人当たりGDPがそれぞれ向上したためだ。

ちなみに日本は1990年,91年,93年ではなんと1位。バブル崩壊でその後10位以下に。(1999年は4位)
2000年〜4年間は9位  2005年11位  2006年日本経済の回復から7位になっています。
    
 ー以上であるが、
他のHPに 豊かな社会の構成要素を、次のようにあげていた。
1. 不幸がない社会
2. 自殺数
3. 最弱者の生活が保障される社会
4. 格差がない社会
5. セイフティネットがある社会
6. 選択肢の豊富さ
7. 時間的余裕
 これをみると、日本は到底豊かには思えないが、世界と比較すれば、まったくかけ離れて豊かということだろう。

−ーーーー
以上が検索から調べたことだが、日本が1990年から3年間、世界で一位とは?何を基準にしたのだろうか疑問が残るが!、
といって現在世界で7番目というのも、あながち外れているとは思えない?

この上げられている殆どの国には行っているが、順位は正しいようにも思える。
(観光旅行でわかるのか?というが、観えている部分の比較から垣間見ることはできる)
デンマークが入ってないのが、少し不思議だが。オランダとスイスは、なるほど豊かだが、
イギリス、フランス、イタリア、ドイツは、移民や南北地域の格差で民度が落ちている。

そこで「豊かさとは、どういうことか」と自問自答すれば、まずは三つの側面から考える。
・空間的な豊かさ、 ・時間的な豊かさ、 ・金銭・物理的な豊かさ、
次は、
・人的側面、 ・家庭的側面、 ・教養的側面、
 をあげることができる。

時間的側面は、いかに自由な時間を持ちえるか。
空間的側面は、自分の置かれた空間がゆったりとしているか。
金銭・物理的側面は、自分の生活をエンジョイするに適当なストックとフローがあるか。

人的側面は、友人関係や職場で嫌な人より相性の合う人に恵まれているか。
家庭的側面では、両親や兄弟、連れ合いに恵まれていたか。
教養面では、自分の心を自由、かつ豊かに保つための知識を培ってあるか。
      またライフワークを培ってきたか。
ー以上を自分の心でよし!といえる人が豊かな人と定義する。

 これも、あくまで私の定義でしかないが・・・。
ところで私は豊かかな〜? 豊かかどうかは捉えかた次第だが!
      まあ、豊かということにしておこう!
                       SeeYou**(○´ω`○)ノ
・・・・・・・・
2006年07月11日(火)
1925, シャイン   \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/
              −映画観想日記

何げなくDVDレンタルショップで借りてきて観た『シャイン』という映画が素晴らしい。
今も活躍している天才ピアニスト、デビッド・ヘルフゴットの半生を描いた映画である。

    そんなことも全く知らないで、観ているうちに『シャイン』の世界に引き込まれてしまった。
    この映画の成年期の主役の演技が素晴らしいと思ったら、何と彼は、この映画でアカデミー主演男優賞を
    とっていたのだ。ジェフリー・ラッシュはこの映画の後、「レ・ミゼラブル」「恋に落ちたシェークスピア」
   「エリザベス」「テイラー・オブ・パナマ」などに出演していた。  
   「それでも人生は続いていく」という主人公の最後のセリフが、耳の奥に残っている。

    この映画の中で演奏された「ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番」が素晴らしい。
    何度か聴いたことがあるが、これを演奏できるのは限られた天才のみ!である。
    クラシックの良さが少しだが解るようになってきたのは、一年以上の間、
    クラシックを寝る間際に一時間、聴き続けた結果だろうか。

映画の主人公の父親の、息子に対してスパルタ教育と異常な歪んだ愛。そして二人の葛藤の何とも激しく、
矛盾に満ちていた。 「愛情は自分のエゴでしかない」ことが自覚できない父親の愛が哀しい。

    多くの印象的なシーン
   ・小さなレストランでのピアノ演奏の場面
   ・ジャケットになっている、青空の下トランポリンで跳ねる場面
   ・冒頭の街の小さな教会でポロネーズを弾く場面、
   ・疲れきって噴水の前で寝ている場面 ・・・等々。

近くのレンタルDVDショップには、まだまだ気づかない名作が多くあるのだろう。
 それはどれか、見ない限り解らないから・・ 
 ーーー
ー「シャイン」の背景を、検索で調べたみたー

「シャイン」は、1996年のサンダンス映画祭で上映され、 もっとも注目された作品です。
「シャイン」は非常に大きな反響を呼び、一般公開前からすでに伝説の作品となりました。
すでにいくつかの国際映画祭で賞を受けたほか、主役のデヴィッド・ヘルフゴット扮する
ジェフリー・ラッシュが1997年のアカデミー賞で主演男優賞を受賞しました。

彼は、訓練を積んだ優秀なクラシック音楽のピアニストでした。
しかし、天賦の才能をもつそのピアニストが世界の舞台から姿を消します。
ストーリーは、それから10年後にパースのあるレストランで再び
ピアニストとして復活するまでの夢と苦悩の日々を描いています。

 ・・・・・・・・
2005年07月11日(月)
1560, トヨタ流 仕事の哲学
               ー読書日記
       若松 義人 (著)
著者は、この書で一番いいたかったことは
「当たり前のことをトヨタほど徹底的にやり続けるは、何と難しいか」である。
「日々改善、日々実践」を50年以上も積み重ねこそ現在のトヨタがあるという。
トヨタ流の基本は「人間はすごい」であり、「人間の智慧に限界はない」である。
トヨタの強さの源泉は、創業以来脈々と受け継がれてきた暗黙知にある。
この書はトヨタ式の物の見方、考え方、行動の仕方が解りやすく書いてある。。

トヨタといえば、「かんばん」や「ジャスト・イン・タイム」など経営手法ばかりが注目されてきた。
この本はトヨタの精神性ー「哲学」が明らかにされていること。
換言すれば、「トヨタそのもの」がテーマになっている。そこから見ている限り、トヨタの哲学は見えてこない。
 この書はトヨタのブラック・ボックスの部分を、トヨタ生産方式の生みの親である大野耐一氏の直弟子で、
「トヨタ式の伝道師」とも言える著者が、自らのノートを紐解きながら語っている。

本書を読むことで、トヨタの強さの源泉が、その「行動規範」「価値観」「組織文化」にあることを知り、
また読者はそれを自らのものとして吸収できるだろう。この本の中には、たんなる一企業の理念を超えて、
多くの企業、そしてビジネスマンにとって有効な「普遍性」を有しているからだ。
以下、それぞれの章ごとに印象に残った部分をメモ代わりに抜粋してみた。
  (以下1〜6章までは字数の関係でカットしました。2008年7月11日)
ーー
以上であるが、システム的なものは前書きにあったように、ほぼ書いてなかった。
何度も何度読む必要性のある本である。

・・・・・・・・・・
2004年07月11日(日)
1195, 授かった不思議な力

ー鈴木秀子の本を何冊か読んだことがある。
先日図書館で借りてきた対談集を読んで、その中の臨死体験の話に興味を引かれた。
何かこの世には私の窺い知れない何かがあるような気がする。
何回か書いたことがあるが、私の場合何回か幽体離脱?の経験がある。
歳を重ねれば重ねるほど「不思議」という言葉の奥行きの深さを感じるようになってきている。

私自身「自分の接した人の運勢が良くなる」話しは、かって聞いたことがない。
神憑りである、いや今風にいうと「上げまん」だろうが、これは結婚した場合である。
有能な右上がりの人は、周囲に似た現象が生じるだろうが、全ての人の運勢を
良くはしない。やはり、何かの特殊能力が臨死体験以降身についたのだ。
人間には、本来持っているが退化して隠れてしまった能力が多くなるような気がして
ならない。あるキッカケでそれが飛び出してくるのだ。
 以下は、ある対談集を書き写しました。 まずは、ごらんあれ!
ーー

臨死体験後、不思議なことがありました。
結婚式に招かれて待機をしていたら、背広を着た人が男性がいらして、
「あなたのような人にようやくお会いできました」っておっしゃるんです。
自分は高野山の系統の住職で、生まれたときからひとを見ぬく特別の能力がある。
そして、あなたの授かったような能力を自分も欲しかったけれどもらえなかった。
どういう能力ですかと聞くと、大きな大宇宙の力が私を通って出会う人に伝わって、
どんどんその人の運勢が良くなる能力だというんです。

私も最初はその能力をまじめには信じませんでしたが、それだけ色いろなことが
重なると信じざるを得なくなりました。今では人に会うのが楽しみになりました。
そのたびに、その方の運勢がこれから良くなると思うと、人に会うのがうれしい。
だから生きていくことが、とても楽しくなったのです。ー

ー人間は地球上にみんなバラバラに住んでいるような気でいて、実は根っこでは繋がっているということです。
自分の手にたとえると良くわかりますが、人は指の部分、見える部分だけを見てこの人の学歴がいい、
お金があるってお互い比較するんです。でも手のひらの部分、根っこの見えない部分では平等で,
全部繋がっているんです。何が平等かというと,命をもらって生かされている存在であるということ。
誰もいつか死ぬということ。大宇宙の大きな慈しみに満たされて生かされている
大切な存在という三つにおいて平等だと思うんです。

だから臨死体験をしてつくづく、あの至福の世界が本物で、この世は経ていく世界だっていう感覚があるんです。
やはり人間の本分、ビーイングと、現実社会での自分の役割、ドゥーイングのつながりに意識を向けていかないと
虚しくなっていくのではないかと。人生のテーマを考える時、ビーイングの世界にまなざしを据えてこそ、
充実したものになるのではないでしょうか。
 
ーその臨死体験の講演をまとめてみるー
(字数の関係でカット 2008年7月11日)
 
・・・・・・・・・
2003年07月11日(金)
828, アラスカ旅行記−3

デナリ国立公園ーb
 ーマッキンリー遊覧飛行ー
一度ホテルに帰ってきて、3時間ほど休んだ後にオプションのマッキンリーへの遊覧飛行に参加をしてきた。
230砲半し高いオプションで他のメンバーは誰も行かないが、ここまできて行かないてはない。
「食事抜きのコース」を選択、朝夕食は部屋で近くのスーパーで買ってきた果物や持っていった
食料で食いつなぎ昼はスナックで済ました為に、その分の振り替えと思い、迷わずに参加した。そして大正解であった。

 ホテルまで迎えに来た車で小さな飛行場まで行って、他の白人3人と供にオモチャのようなセスナに乗った。
20分ほどマッキンリー山脈の峰の間をフライトしてマッキンリー山まで行き、
北米大陸最高峰の6194辰△觧劃困髻下から螺旋状に30分もかけ5~6回も旋回をしたのだ。
その雄姿だけでなく、山頂付近の広大な氷河の世界や、どこまでも広がるアラスカの大地が,
この世のものとは思えない景観で、今回の旅行のハイライトであった。
「植村直己もこの風景を見た後亡くなったのだ!」という思いがフト頭をよぎった。
ギアナ高地のテーブルマウンテンの遊覧飛行に匹敵する感動感動の連続。
マッキンリーの山頂に200叩近くまで接近をして、数十の山々を従えて神々しく聳え立つ姿を至近で
みている時間は「至福の時間」であった。思わず『ありがとう』という言葉を口ずさんでいた。
この遊覧で、この旅行の価値が数倍になったといっても過言ではない。

いつも旅行で経験するのが「あと一歩を踏み出すかどうか」である。本当に人生と同じである。
ヨルダンのぺトラに行った時のこと、翌朝疲れきっている中、更にぺトラの奥にある遺跡まで行ってきた。
家内はダウン、早朝に同じグループの元気の良いオバサンと二人、3時間かけて
エド・ディル(修道院)まで行ってきたが、その遺跡とそこからみた景観がまた素晴らしいのだ。
またぺトラの朝日に染まった朱色の輝きが言語に絶するものであった。あと一歩踏み出したお陰であった。

 何事も経験、帰ってきて同じ星野道夫の写真集を見ても、全く違って見えてくる、もちろん文章もである。
特にガイドの伊藤さんが星野道夫の親しい友人で、多くの逸話を多く話してくれたこととアラスカの大地の
この目で見た為だ。  また行蔵のお宝が一つ増えた!ような気分である。

・・・・・・・・・・
2002年07月11日
スイス旅行中
・・・・・・
2001年07月11日
北欧旅行中


2653, サッカーやオリンピックで、何故ひとは熱狂するのか

2008年07月10日(木)

   あまりサッカーの歴史のない日本人が、欧州や南米のサッカーの盛り上がりに、
  「何故あそこまで熱狂するのか?」戸惑うことが度々ある。
   人種間や、国家間の代理戦争?とは気づいてはいたが、ある本にその辺の事情が詳しく書いてあった。
   巨人阪神戦が盛り上がるのは、関東人対関西人の、特に関西人のコンプレックスのハケグチということか。
   サッカーで韓国が異常に燃えるのも、先進国に対する追いつけ追い越せ精神が拍車をかけている。 
   現在では、世界共通の集団チームプレーとして、代理戦争の様相さえ示している。
   そう思ってみると、またサッカーが面白く見えてくる!
   
 ーーー          (哲学ワンダーランド・貫成人著)より
ある時期以降の世界的サッ力ー熱の背景には、「人間の本質」などという、
ある種崇高とも見えるような事柄には収まりきらない複雑な事情がある。
アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにはボカ・ジュニアーズとリバープレートという
二つのチームがあり、互いにライバルチームだ。 いわゆるダービーマッチ」といわれる
同一フランチャイズのチームだ。・・・・
Jリーグなどでは、かつての横浜マリ・スと横浜プリューゲルスなど、ダービーマッチの対決でも、
その応援は、ほかの試合とそれほど変わらないが、アルゼンチンの場合には異なる。
・ポカ・ジュニアーズはブエノスアイレスの低地、港湾地域のひとびとをサポーターとし、
・リバープレートはより高台のブルジョワ階級のチームである。
前者は主として、もともと貧しいイタリア系移民労働者の地域であり、
後者は裕福なイギリス系移民の住むところだ。
両チームの対戦はしたがって、テクニックやスピード、戦術などの優劣を競う単純なスポーツ試合ではない。
それは、同じブエノスアイレスの住人同士でありながら、人種や階級、言語を異にするふたつの
エスニック・グループ同士の「戦い」なのだ。
低地の住人にとってボカ・ジュニアーズの勝利は、常日頃自分たちを見下し、こき使っている富裕層に対して、
自分たち労働者が勝利することであり、高地の人たちの敗戦は革命に等しい。
だからこそ、それぞれのサボーターは、「たかがサッカー試合」なのに、
両チームのプレイのひとつひとつに熱狂するのである。

同じようなことはスコットランド・リーグのセルティックとレンジャーズにも見られ、この場合には、
新教と旧教という宗教的対立、英語とスコットランド語という言語的対立とも連動している。
同じ町のチームというわけでなくても、スペイン、リーガ・エスパニョーラにおけるレアル・マドリードと
バルセロナの対戦は、もともと地域ごとの独立性が強かったスペインにおいて、
地方自治を弾圧する国王のチームであるレアル・マドリードと、言語その他において独立性の強い
カタロニア地方のチームであるバルセロナの対戦という意味を持つ。ここにも文化的。政治的対立が潜むのである。
ヨーロッパでも南米でも、それぞれの地域ごとに、
近代化以前からの先住民、近代化=欧米化とともに渡来した住民、
そのかれらが強制的に連れてきた住民といった、それぞれの履歴の落差がある場合、
こうした言語的・人種的・宗教的・階級的・経済的・文化的対立が、各サッカーチームの成立の要因となり、
サッカー試合はエスニック・グループ同士の代理戦争という様相を呈する。

各チームのファン、「サポーター」は、自分が応援するチームのプレイやゴール、勝敗のたびに、
スタジアムやテレビの前で「一体となって」、喜びや怒り、悲しみを共有する。
アメリカ合州国の文化人類学者ペネディクト・アンダーソン(一九三六〜)は、
国民国家について「想像の共同体」という言い方をした。
サッカースタジアムの観客は、むしろ「熱狂の共同体」を、しかもきわめてリアルに形成するのである。
Jリーグの場合には、第二次世界大戦後に世界的にも希有な形で国民全体の富や資産の平準化(一億総中流)が
達成された日本で生まれたリーグであるために、欧州や中粟でみられるこうした性格は見られない。
その各チームを「地域に根付いたチームではない」
  ーーー
 それで会場では、熱くなった観客同士が乱闘するのが理解できた。
  *今気づいたことだが、一昨年の今日に、ワールドカップについて偶然書いていた。
・・・・・・・・・
007年07月10日(火)
2289, 霊長類オンナ科図鑑 −2
                 才ノヽ∋―_φ(゚▽゚*)♪
  ーヨゴレ自慢女ー
    この本の中でも特に「ヨゴレ自慢女」が、面白い。私も「偽悪主義」と、ある姉に言われるほどである。
    奇麗事をいう人の前に出ると、意識的に「非奇麗事」を言わないと気が済まない性質である。 
    しかしこの「ヨゴレ自慢女」には敵わない。中村うさぎといえばやはり「うんちネタ」が浮かぶほど、露悪主義女。
    「ヨゴレ自慢女」は、自分のことを書いているので、言葉が躍っていて迫力のある内容である。
    本人は病気と開き直って、それを盾にとって好き言いたい放題である。
    それがまた、面白いところである。他人を子供扱いをし、エロ系などのヨゴレネタが9割といってよい。
    自らを貶め、その場の人々に対して優越感を抱こうとする、逆説的な「露悪魂」が彼女の彼女たる所以である。
 
 ーまずは、そのの真骨頂の部分を抜粋してみる。
  ーーー
(字数の関係で中間カット2008年7月10日)
   ーーー
   等々、つづく。 彼女のエログロも慣れると、何とも快く?聞こえてくるから不思議である。
   でも、読んでいて反省するのも、合せ鏡になるからである。
   たっくもう〜!こういう上手(うわて)の話は反面教師になる。
   考えてみると、私は「露悪的偽悪主義」か、 いや、「偽悪的露馬鹿主義者」か??   
                 ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ
・・・・・・・・
2006年07月10日(月)
1924, ワールドカップー2
   おはよ〜!(*^ワ^*)i (~O~)ふぁ・・
               2006年7月10日6時記

今ワールドカップが終わった。有利といわれていたイタリアの優勝で終わった。
試合はフランス優位であったが、1対1で終了。PK戦の結果,イタリアが優勝した。
PKを外したフランスの選手は一生ハンデを持つだろう。 フランスのジダンが後半の終了間際に、
イタリアの選手の挑発に乗って頭突きをして退場になったのも印象的であった。
    
開催前はブラジルが優勝候補で、イタリア、フランス、スペイン、イングランド、アルゼンチンが、
次の候補に挙げられていた。私の予測は、「ドイツが開催国の勢いに乗ってもしかしたら?しかし、やはりブラジル」
と、思っていた。イタリアが優勝の予測は、あまり見あたらなかった。
これだけは、終わってみなければ解らないことだ。サッカーは玉一つの行方に、世界中が注目するのがよい。
日本と世界の差はまだ歴然としている。体格と歴史の差はいた仕方がない。

私の楽しみ方は、家内の反対側を応援することだ。その方が面白いからだ。決勝戦は、家内がフランス。
私がイタリアであった。 国同士の戦うなら、互いに反対の立場で応援した方が盛り上がる。
 昨日は、21時に寝て、3時半に起きてみた。4年に一度のことだから・・
             n(0 ̄) ネム~(ρ_-) (/_-)    バイ!ヾ(  ̄ヘ ̄)θキック!(★)゚
ーーー
2006年07月04日
ワールドカップ−1
    (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ヨ〜

 前回のサッカーのワールドカップの感想が
2002年07月01日(月) 「454,面白かった!! 」というテーマであった。
この内容からみると、当地の新潟でも試合があった。そのわりには、あまり興に乗っていない。
しかし今年は、4年前の何倍も興味を持って観ている。
私も変わったものだ。この4年で多くの劇的な試合を多く観たためである。
      ヽ`д´)┌┛┌┛★( )〜〜(ノ★´з`)┌┛☆(:*・*゚)
日本は早々に敗退し、優勝候補筆頭のブラジルも、準準決勝で敗れてしまった。
  ブラジルの二つのジンクス、
・ペレがいた、958年の大会で優勝して以外は、欧州大会開催でのW杯の南米の優勝はない。
・ブラジルは優勝候補に挙げられた時の優勝はない。 を破ることはできなかった。
           (*・-・)θ (*・-・)θ (*・-・)θ☆ 【蹴り隊】      
 ーーー                    
 2002年07月01日(月)
 454,面白かった!!

ワールドサッカーが終わった。やはり世界のトップが集まる試合は面白い。
サポーターと一体になった選手が段段燃えていくのがよい。その時の勝負のアヤが左右するのが特に面白い。
優勝候補のフランスとアルゼンチンが早々に敗れるというのも、勝負のアヤであった。
   =字数の関係上カットしてます。   タタタタッッ≡≡≡≡≡
                     ☆^(*≧ω≦)ノ~~~βyёβyё♪
・・・・・・・
2005年07月10日(日)
 1559, つれづれに
   
ー新潟駅連続立体交差ー
やっと新潟駅連続立体交差事業が動き始めた。十年は工事関係の宿泊見込めるので、稼働率のアップが見込める。
三年前までの4年間は、朱鷺メッセと東横インの再開発の工事関係者の団体宿泊で潤った。
これが至近距離の駅の工事だと、かなり見込める。来年の今頃は一日一日が、その具体的な動きで沸き立つだろう。
「25年間このために事業をしてきたといってよいと思える」とまではいかないとしても、それに近い状態が期待できる。
たんなる書いた餅ではない。長期宿泊用の低プライスの価格帯は当社しか出せないからだ。
やっと、4棟を建てた辻褄があってくる。

ー梅雨、真っ只中ー
梅雨と雪が日本の豊かさの源泉と思えば、それもよい。散歩をしていて雀とカラスの巣立ちの時期だ。
カラスのツガイが巣立ちしたばかりの子ガラスを連れているのが何とも微笑ましい。
また巣立ちしたばかりの雀の雛が、まだ人間の恐れをしらないのが可愛い。

ー同期会の打ち合わせー
昨夜は中学校の同期会の打ち合わせ会が開かれた。10人集まった。60歳のなろうとしているのだ。
一応、この歳が一つの人生の目安になる。逆成人式というのが良い表現になるだろ。
41歳が同級会で一番良い時という。 そして60歳は次の大きな目安である。

・・・・・・・・・
2004年07月10日(土)
1194, ニーチェ(2)
ー哲学についてー15

ニーチェの最も受け入れられている考えかたとして、
「人は自分自身にとってどんなに受け入れられない不快な現実であっても、ひるまずに立ち向かい、
それを直視すること、そしてその知識に基づいて、人生そのものを目的として、それ以外の見返りを
求めずに生きるべきだ」が支柱にあった。当時、信仰心が薄れていた人たちにとって、まさに生きるべき指標となった。
これは儒教とほとんど同じ考えといってよい。

人生を徹底して生ききろうとしたとき、人はその分だけ争いに巻き込まれる。
それだけ振動が大きくなるのだから当然のことだ。 しかし、ニーチェによれば、「争いの緊張感が、
指導者としての力を最大限に引き出しその能力をさらに高めてくれる」と説いた。

反面、彼の思想はファシズムにも大きな影響を与えた。
ファシズムの創始者のムッソリーニが彼の本を幅広く読んで、ヒトラーと1938年に
歴史的会談をおこなった時に、ニーチェの作品を贈呈している。
そのため彼の思想は大きく誤解されることになってしまった。
彼はむしろ、ドイツの民族主義を嘲笑し、反ユダヤ主義を軽蔑していた。

19世紀末から20世紀にかけて、ニーチェは芸術家にも大きな影響を与えた。
その一人バーナードショーはニーチェの思想をシェークスピアがリチャード三世に語らせている次の言葉に
要約されていると指摘した。良心など臆病者の使う言葉しかすぎない。そもそのも勇者を脅かすための計略なのだ。
我々の力だけが良心、剣をもって法律とするのだ。

ニーチェは特に文学的才能を持ち合わせていたのが特徴といってよい。
多くの人によって散文作家とみなされている
彼の文章は哲学者に見られがちな、主張と反論がつづく長い文章ではない。格言や聖書のように短く区切られていた。

新しい視点でものごとを見てもらうために、心に残るイメージを利用した。
彼の主張は、暗示的であり、喩えから類推しなくてはならない。
[稲妻の閃光のあとで轟きわたる雷鳴]のように工夫してあった。
当時の人に直接大きな影響を半世紀にわたって与え続けた哲学者として、やはり特記すべき人である。

ー以下の抜粋の言葉の中にニーチェの思想がことごとく入っている。
彼の言葉は、難しく体系化されてないところが、逆に解りやすくなっている。
・私は君たちに、君たちの官能を殺せと勧めるのではない。 私が勧めるのは官能の無邪気さだ。
・独創的――何かの新しいものをはじめて観察することではなく、
 古いもの、古くから知られていたもの、あるいは誰の目にもふれていたが見逃されて
 いたものを新しいもののように観察することが真に独創的な頭脳の証拠である。
                     ―「人間的な、あまりに人間的な」―
・善とは何か――人間において権力の感情と権力を欲する意志を高揚するすべてのもの。
 悪とは何か――弱さから生ずるすべてのもの。 ―「反キリスト」―
・生きるとは何のことか――生きるとは、死にかけているようなものを
 絶えず自分から突き放していくことである。 ―「華やかな知識」―
・真実の山では、登って無駄に終わることは決してない。
・誰であれ、若いうちは、思う存分遊ぶべきである。
 長いあいだ活字の森にばかりいると、そこから抜け出られなくなるものだ
・人間のみがこの世で苦しんでいるので、笑いを発明せざるを得なかった。
・人間は深淵に架けられた一本の綱である。
 渡るも危険、途上にあるも危険、後ろを振り返るも危険、身震いして立ち止まるのも危険。
                     ―「ツァラトゥストラ」―
・狂気は個人にあっては稀なことである。しかし集団・民族・時代にあっては通例である。
                     ―「善悪の彼岸」―
・自殺を想うことは強い慰謝剤である。これによって数々の悪夜が楽に過ごせる。
                     ―「善悪の彼岸」―
・怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくては
 ならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。
・私は隣人に対する愛を諸君には勧めない。
 私が諸君にすすめるのは遠き者に対する愛である。 ―「ツァラトゥストラ」―
・苦しみを共にするのではなく、喜びを共にすることが友人をつくる。
                     ―「人間的な、あまりに人間的な」―
(2008年7月10日字数の関係でカット)
                       
・・・・・・・・・・
2003年07月10日(木)
827, アラスカ旅行記ー2

ーデナリ国立公園ー
 今回のハイライトは、なんといってもデナリ国立公園のワイルドライフツアーであった。
デナリ国立公園は四国を少し大きくした位の大きさで、アンカレッジから3百数十繊⊆屬韮胸間の距離にある。
このデナリに二泊をした。ワイルド・ライフツアーは朝5時過に出発して午後の1時過ぎに帰ってくる、
野生動植物や自然を堪能する内容だった。グリズリーベアーやヘラジカ、ムースカリブー、大型鷲、山岳羊、
雷鳥などが多く見られた。アラスカの大地を背景にした動物が自然に溶け込んでいたのが印象的であった。
なんといってもビューポイントからみた、マッキンリーの美しさに息を呑んだ。
スイスのマッターホルンと、パタゴニアのパイネ山の夕景に匹敵する神々しさであった。
ツアー客の全景をみれる確率は20佑肇僖鵐侫譽奪箸暴颪い討△辰燭、その20佑謀ったのが幸運であった。

 更に幸運が続いた。 偶然、有名な日本人ガイドの伊藤さんがガイドについたのだ。
彼の年齢は63歳、顔中髭だらけの現地のエスキモーそのものといってよかった。
ーこのバスは40人乗りで、幾つかの日本人のグループが乗り合わせていたが、
その一つのガイドが彼であった。その彼がバスのガイドをかってでたのだ。
彼のことはミッキーハウスの坂本さんの本でしてっいた。
またその本に「三億円事件の犯人」疑われた人と書いてあったが、本人も嬉しそうに、その逸話を話していた。
3億円事件当時、ハーレーダビットソンを乗り回していたのが疑われた理由という。
日本からアラスカに渡って30年経って、アラスカのエスキモーとの外見の差は全くない。
「アラスカン・ハイ」という言葉を聞いたことがある。
人里離れた人がたまに街に出てくるとスナックなどで話しまくる姿が見られるという。
発語(専門用語でさかりのついた動物の発情と同じで、溜まった言葉を吐き出す)
が伊藤さんの特徴のようで、マイクを持って話しまくっている姿が何とも自然でよい。
ーイスラエルの老添乗員もそうであった。めったに来ない日本人に自分の生き様を全て話すのだ。
自己承認を求めているのだろう。色いろな人生があるものだとつくづく思う。

 彼は星野道夫の友人で、彼とのエピソードを色いろ話してくれた。
NHKで彼のドキメントタリーを数年間にわたってシリーズでやっていた。
また地球シンフォニーという映画にも出ていた。『旅をする木』『森と氷河と鯨』など何冊かを読んでいた。
数年前にグレズリーベアに食べられてしまった。そのためか伊藤さんの一言一言が胸に突き刺さるようであった。

 マッキンリーで亡くなった冒険家の植村直己とも親交があったという。
彼が死んだのは日本では、クレパスに落ちて死んだと信じられているが、アラスカでは風速100辰瞭揺で
飛ばされたといわれている。 アラスカに遊びに来る変わった人のエピソードも中々だ。
沖縄の裏世界の実業家の話も面白い内容だーその人が舌癌になったが、足の肉を切り取って舌の再生手術で、
また味が感じ取れるようになった人間の身体の不思議な話とか、名古屋の実業家の自由奔放の生き方とか、
彼でなくては聞けない話を次々と話してくれた。 伊藤さんのような生き方に何か男のロマンを感じた。
ガイドと猟師が本人の職業で、好きな生き方をしながら現在、二人の息子を大学にいかせているという。
                                ー続く

・・・・・・・・
2002年07月10日
スイス旅行中
・・・・・・・
2001年07月10
北欧旅行中


2652, 人間、互いに理解不可能なのは、如何して?

2008年07月09日(水)

ある哲学書(*ー参照)の中に、何故人は互いに理解不可能なのかを分解していた。。
長男がUターンで帰ってきて、再就職のことなど、節目ということもあり、話を始めるが全く互いに通じない。
それでいて、居酒屋などに誘うと親子三人が仲の良い家族になる。 そのことを、知人に話したところ、
 ・一人は、「親子で対話など有り得ないこと、会話さえないのが実情だろう。親子であるのは、ただ説得だけ」。 
 ・そしていま一人は、「私の息子は三十半ばになるが、今まで会話さえ殆どしたことがない、
  最近になって上京した時に ご馳走をしてくれと、電話がきだした。会話さえ、していること自体で充分」。
そういうものか?と、思いつつ、それでも何とか成らないものかと思っていた矢先、わかりやすい道理に出くわした。 
               <*−(哲学ワンダーランド・貫成人著)第一章の 嶇辰擦个錣る」1−3)>
    ーまずは、その部分を書き出してみる。
  〜〜
 ーひとは誰でも、自分の「地平」に束縛されているー

二十世紀ドイッの哲学者ハンス・ゲオルク・ガダマー(1900〜2002年)は、
‘理解しえないものをいかに理解可能にするか’ をきわめる「解釈学」を構想した。
かれによれば、人々がお互い理解不可能なのは各自が持っている「地平」が異なるからである。
たとえば、物置から古い掛け軸がでてきたとしよう。その値打ちを判断するには相当の経験と知識を必要とする。
それに、そもそもそのようなものに価値があると考えていなければ、その価値を判定しようとも思わない。
実際、古いものには価値がないと思われていた明治初年には、貴重な文物が安値で買いたたかれて海外に流出した。
およそ何かを判断するときには、一定の知識や価値に頼らざるをえない。
そのような判断や価値付けの拠り所となるものをガダマーは「地平」とよぶ。
大海原や砂漠に立ったときに三六〇度ぐるりを水平線、地平線が取り囲む。「地平」とは、地平線の内側、
自分が立っている足下とは逆に、地平があればこそ、その中にある何かを認識することができる。
もちろん、今わたしが位置する地平の外側にある対象も、わたしが移動すれば見えるようになる。
しかし、そのとき地平もわたしと一緒に移動しており、したがってその対象が地平の内部にあることには代わりはない。
物置から出てきた掛け軸の場合、この地平にあたるのは、骨董品を貴重とする価値観、その値打ちを判定するための経験、
知識だ。一定の価値観や知識があればこそ、古びた品物をそのまま捨ててしまうのではなく、目をとめ、
値打ちを判定することができる。あらたな経験を積み、地平が移動し、拡大すれば、これまでわからなかった
ものの値打ちもわかるようになるだろう。肝心なことは、自分の足下にある地平を通常、ひとは意識しないということである。
自分にどれだけの経験があるのか、どのような価値基準をもっているのかのリストをもっている人は誰もいない。
いつの間にか身につけた価値観や経験に応じて、ひとは、その場の諸問題に対処する。
その結果、各人は、自分でも気づかないまま自分の地平に束縛されている。 なにしろ、自分がどのような価値観や経験を
持っているかを客観視する方途はないのである。 しかも、このように地平に幽閉された状態であるかぎり、
それぞれは自分がそれまでに身につけた価値観や経験から、身の回りのすべてのもの、したがって他人をも判断するしかない。
もし、相手が自分とは異なる地平に立っていれば、その相手の言うことや、やることはまるで理解の範囲外ということになる。
古物に意味を認めない人物には、物置の掛け軸を二束三文で売ってはいけないという人物の言うことは理解できないのである。
では、この状況が変わることはありえないのだろうか。
自分とは異なる他者を理解しうるためには、各人が「心を開いて」いなければならないとガダマーは言う。
他人の言葉や行為をすべて自分の地平の枠内で処理しているかぎり、そもそも【自分とは異なるものがいる」
ということ自体に気づくことはない。けれども、何かのきっかけで、自分が何らかの地平にとらわれていることに気づくときがある。
そのときはじめて、ひとは自分の地平を対象化し、相対化するだろう。そして、それまで自分がとらわれていたのとは別の地平も
ありうるということに気づくことになる。 官僚出身者特有の話し方をしていた政治家も、落選が続けば、
土地の人たちの言葉でしゃぺり、かつ、自分の意見を伝えることができるようになるだろう。  
  〜〜
 他人から理解してもらえないという嘆きほど、バカバカしいことは以上からみても解るだろう。
 一人の人間を理解するなど、到底不可能でである。自分でさえ理解できないのに。
  ただ馬鹿なオッサンだけは解るが! 

 ・・・・・・・・・・
2007年07月09日(月)
2288, ちょっとした勉強のコツ −2
  (p≧w≦q) オッ☆ o(≧▽≦)o  ハァァァァァァ♪ ヨウ〜
             
                 ー読書日記
 この本の中の「三つのことば」についても、面白い!
  ーまずは、その要約をしてみたー
  −−−−
ことばには三種類ある。
,劼箸弔蓮∪犬泙譴討泙些个┐襪發里如△燭い討い蓮△發里量樵亜
それと、ごく少数の動詞をふくむにすぎない。日常の最小限のコミュニケーションはこれでできる。
この特質は、ものごとを直接的に指し示すところ。‘いま’‘ここ’にある事がらについての表現である。
  これをアルファーとする。
△發Δ劼箸弔蓮▲戞璽拭爾里海箸个箸垢襦
これは、人間の文化、価値のあるウソを多くふくんでおり、そういうものにかかわりのあるもの。
虚構、フィクション、創作、創造など。 昔話、おとぎ話などをいう。
昔話をきいているうちに、見ることのできない、触れることもできない非現実的世界を
頭の中に描き出すようになる。 つまり、想像力によってストーリーを理解することば。
そしてもうひとつは、ガンマーのことば。
これにはベーターのことばと違って、ストーリーがない。
その代わりに、ものごとの関係を扱う。それは論理といいかえてもよい。
物語りや小説を読んだだけではガンマーのことばは育たない。
論説や理論のある文章、表現にふれることで体得するほかはない。
……
(字数の関係上カット、2008年07月09日)
                ヾ(。´・ェ・`。)By〜               
・・・・・・・・・
2006年07月09日(日)
1923, 孤独であるためのレッスン
 おっ w(゚Д゚)w ハァョ〜   著・諸富祥彦
        ー読書日記
             
孤独について何度か書いてきた。
自由と、孤独と、死は、哲学的にみても大きな人間の課題である。
図書館で、ずばり孤独について具体的かつ解りやすい本をみつけた。

    我われは、ひとり孤独に生まれてきて、さいごはひとり孤独に死んでいく。
    その土壇場で人は死を恐れるのではなく「自分はやりたいことをやった!」
    といえない自分に直面することを恐れるのだという。
    真の疎外感は、その恐れに支配された時に出てくる。

だから、やりたいことを早く見つけ、世間とかいう奴を無視するか、
処理をして、やりたいようにしないと仮面の人になってしまう。
仮面の人は孤独を恐れ、群れることこそ人間の性(さが)と信じている。
この本は、そういう連中は無視をして孤独の重要性を説いている。

そのための条件を以下のとおり書いている。

 ー孤独であるための八つの条件ー
一 「わかり合えない人とは、わかり合えないままでいい」と認める勇気を持て。
二  人間関係についての「歪んだ思い込みやこだわり」に気づけ。
三  自分の人生で「ほんとうに大切な何か」を見つけよ。
四 「自分は間もなく死ぬ」という厳然たる事実を見つめよ。
五 「たった一つの人生という作品」をどうつくるか、絶えず構想しながら生きよ。
六  ソーシャルスキルを身につけよ。他人の話を聴き、他人を認めよ。
七 「この人だけは私を見捨てない。どこかで見守ってくれている」。
   そう思える人を見つけよ。
八  自分だけは自分の味方であれ。
  「自分を見守るまなざし」を自分の中に育め
   まあ、巧くまとめたものだ。
  
   また、ー孤独の中の四つの出会いー
     を一章にわたって書いている。

   ・自己との出会い ー自分の中の深い自分と出会う
   ・他者との出会い −深い孤独を知っている他者と出会う
   ・普遍的なものとの出会い ー深い孤独の中に普遍的なものをみる
                  公平な内なる観察者
   ・`人間を越えた何’かとの出会い
        −人間を越えた何かは大自然の深い波に出会い
         感動した時に感じる何かである

   この出会いは深い孤独の世界でしか出会うことができない。
   そして、逆に深い孤独でこそ、人間関係も自由に柔軟になる。

   「『ひとり』でいることのできる人の人間関係は、とても自由で、
    柔軟で、開かれたものです。他人の視線はあまり気になりませんし、
    他人と自分を比較したり、評価し続けたりすることもありません。
    他者とのほんとうの『つながり』に開かれた生き方と言ってもいいでしょう。」

ーおわりにー
の最後の締めくくりの言葉がよい!
 −−
他者とのつながりをきっぱりと絶ち切って、自分の孤独を、深さのほうへ、
深めていくこと。そのことによってしか孤独は癒されない。
表面的な人間関係は、さらに孤独を強化する。
もし、孤独を癒すことができる人間関係があるとすれば、
それは、その関係の中で、互いがより深く孤独に徹していけるような人間関係、
その関係の中で、互いがますます深くひとりなり、自分自身になりきることが
できるような人間関係でしか、ありえないだろう。

    孤独は素晴らしい。人間が真の自分に出会うのも、自分の人生で何がほんとうに大切か知るのも、
    すべては孤独においてである。孤独を深めていける人間同士が出会ってはじめて、
    深い心のふれあいというのも、可能になる。

孤独になる勇気を持つこと。 孤独を楽しむ能力を持つこと。
この二つを備えた人間しか、本当の幸せを獲得できないはず、である。

    ー池田晶子が自分の本で孤独について次のようなことを書いている。
     ーー
   「自分の孤独に耐えられない人が、その孤独に耐えられないために求めるような友だちは、
    やっぱり本当の友だち、本当の友情じゃないんだ。
    本当の友情というのは、自分の孤独に耐えられる者同士の間でなければ、
    生まれるものでは決してないんだ。

なぜだと思う?
自分の孤独に耐えられるということは、
自分で自分を認めることができる、
自分を愛することができるということからだ。
孤独を愛することができるということは、
自分を愛することができるということなんだ。」

   「孤独というものはいいものだ。友情もいいけど、孤独というのも本当にいいものなんだ。
    今は孤独というとイヤなもの、逃避か引きこもりとしか思われていないけれども、
    それはその人が自分を愛する仕方を知らないからなんだ。
    自分を愛する、つまり自分で自分を味わう仕方を覚えると、その面白さは、
    つまらない友だちといることなんかより、はるかに面白い。
    人生の大事なことについて心ゆくまで考えることができるからだ。」


孤独について書いた内容をコピーしておきます。
(一部カット二〇〇八年月9日)
                  
・・・・・・・
2005年07月09日(土)
1558, BOSEのステレオ−6

購入してから4ヶ月経つ。
7万円台のものでもよかったのではないか?と疑問を持ちはじめた頃、
TVの横から、6m位先の部屋の隅に置いてみた。 そして、それが正解であった。

二m先のTVの横なら7万円代のものでも充分だが、
部屋全体の反響を使って聞くなら、これが丁度よいようだ。
ただ、このコンポの効果的な使い方を知らなかったのだ。
そして、このステレオの良さを改めて知った。

それと
「ベストクラシック・100」シリーズが、3千円で販売された。
100曲で3000円は安い。
・ベストクラシック・100
・ベストクラシック・100モア
・ベストピアノ・100
と買いこんだのが良かった。
半分ほどは、過去に買ったシリーズのCD に入っているが、音質がよくない。

家内には、「7万台で充分だったのでは?」と、言われつづけてきたが、
位置を変えてからは何も言わなくなった。

イギリス人はゴルフやテニスなどの道具は思い切って良いものを揃えるという。
良い道具を揃えると対象に気持ちが入るし、途中でやめるわけにいかなくなる。
また一生物になる。

今まで、音楽に対してはそれほど興味があったわけではないが、
このコンポのお陰で一日一~二時間は聴くようになった。

「人が皆、我より偉くみえる日は、コンポを聴いて妻と愉しむ」
というところか!

・・・・・・・・・
2004年07月09日(金)
1193, ニーチェ(1)
  ー哲学についてー14

 ー概略はー
ドイツの哲学者。(一八四四〜一九〇〇) 実存哲学の先駆者。

キリスト教的・民主主義的倫理を弱者の奴隷道徳とみなし、
強者の自律的道徳すなわち君主道徳を説き、その具現者を「超人」とする思想に達した。
機械時代・大衆支配時代に対する批判は、一面ファシズムの支柱ともなった。
薯「ツァラトゥストラはかく語りき」「善悪の彼岸」
 「道徳の系譜学」 「権力への意志」など。
  ーーーー
 
 人生を振り返って、一番影響を受けたのがニーチェである。
 高度経済成長の時代という背景もあったのだろうが、自分の能力を最大限発揮するのが
 男の務めと考えていた。儒教的頑張りズムに相通じるところもあるが。
 自分が考えることは、しょせんは全てが借り物。ただ借り物と意識をしないで踊っているにすぎない。
 それを気がつくかつかないかでしかない。
 
 ー印象的なことを書き連ねてみると、 

 この世には神は存在せず、人間には不滅の魂などないというショーペンファウアーの主張には賛同した。
 人生とは大部分が意味のない苦しみや争いの連続で、[意志]とよばれる非合理な
 力に引きずられていくだけという点でもショーペンファウアーに同意している。
 しかし、この世界は部分にすぎない、それも大して重要ではないという彼の主張には
 反対をした。この世界こそすべてだと考えた。
 
 更にショーペンファウアーの「人はそのような軽蔑すべき世界から背を向けて、
 関わりを持たずに生きるべきだ」という結論を否定した。 逆にニーチェは、
「人は自分の人生を精いっぱい生き、可能なかぎりのものを手に入れるべき」と考えた。
 
 ニーチェ哲学の最大の課題は、
 「神が存在せず、意味もない世界で、人はどのようにすれば情熱を持ち続けながら生きていけるか」。
 自己の能力を最大限に伸ばした人間は一種の超人的存在であるため、ニーチェはそれを「超人」といった。
 ニーチェにとって人がもつべき最高の価値観とは「自己の人生を肯定する」ことであった。
 「誰もが完全に自己を表現し、充実した人生を送り、人生を肯定すべきである」と説いた。

 ニーチェの二つの主張がある。

・充実した人生そのものこそ意味があり、価値があるとした。
 充実した人生は芸術作品のようである。
・すべては永遠の無に帰すのではなく、永劫回帰する、というものである。
 時間は巨大で宇宙的な同心円を描いて進むため、以前おこったことはすべて、
 ふたたび巡り帰ってきて、その後永久の時を経て同じことが繰りかえします。
 人は精いっぱい生きることで、永遠に生きたいと思う人生を送る。
 時間は永遠に繰りかえすことで、限りある閉ざされた世界にいる人間に、
 永遠といえる生命を与える。
                          − つづく
・・・・・・・
003年07月09日
826, アラスカ旅行記 −1

一週間の予定でアラスカツアーに参加してきたー2003年7月2日ー8日
行く前は、もしかしたら「外れ」になるのではと不安であった。
山脈や海を中心とした旅行は『天気』に大きく左右されるからだ。
それと「アラスカが良い」という人の話は過去の旅行仲間から一回も聞いたことがなかった。
良ければ必ず情報が入ってくる。

このツアーは大手の旅行代理店が数社共同で、日本航空のジャンボを借り切って、
アラスカとしては廉価で打ち出した企画のパックである。ーだいたい一般の30OFFあたり。
ーSARS対策に、アラスカ州と日航と大手代理店が組んで打ち出した破格の商品ということを
現地ガイドに聞いて初めて知った。今夏は一ヶ月間だけの企画で、来年は未定だそうだ。

直行便以外は、成田からシアトル経由で入るか、ソウルに飛んでそこからの直行便で行くかどちらかである。
その為シアトル経由は14時間、ソウルでも10時間以上は軽くかかる。ーソウルからの直行便は出ているが、
日本はないということ。その為、一週間にしては内容の非常に充実したものであった。
パタゴニアやアフリカには34時間以上かかったのに比べ、6時間というのは信じられない感覚である。
全くの素人がキングサーモンの釣りのオプションに参加をすれば、
ガイドの指導のもと一m以上の鮭を釣れるのだから、さすがアメリカはサービスの国と感心する。

ー印象順に書いてみると
1、何といってもマッキンレー山である。 あまり期待をしていなかったが、
 実際に見るマッキンレーは想像を絶する素晴らしさであった。
 特に、軽飛行機からのフライトで見たマッキンレーは言語に絶する内容であった。
 ー詳しい内容は明日書く予定です。
2、氷河もパタゴニアを見ているので、全く期待していなかったが、
 実際は決して見劣りのしない素晴らしい内容であった。
3、期待していたアラスカ鉄道の景観が思ったより良くはなかった。
 どこまでも単調な景色でハイビジョンで見たものとは違っていた
 ー値段の高い展望車でなかったこともあるが−それと天気がよくなかった。
4、ハイライトのデナリ国立公園のワイルドライフツアーのガイドが偶然に
 日本人ガイドの有名な伊藤さんであった。星野道夫やミッキーハウスの坂本某の本の出てくる人だ。
 まる一日、彼のガイドで現地の色いろなことや、星野道夫などの現地でのエピソードを詳しく 話してくれた。
 彼はガイド兼猟師で狼やムースやヘラジカの狩猟の話しが別世界を垣間見た おもいであった。  
            ーこの内容も後日書く。
                           −つづく
・・・・・・・
2002年07月09日
スイス旅行中
・・・・・・・
2001年07月09日
北欧旅行中


2651, ロジャーズ 中国の時代 −1

2008年07月08日(火)

最近の中国事情の本を読むのは、邱 永漢 の中国関連の本以来である。この本は、目から鱗である。
20年近く前に中国を訪れて以来、5年前に北京を訪れてその変貌ぶりに唖然としたが、
この本によると、更に変わっているようだ。
ただ、その劇的な成長に対する反動が、どういうカタチでくるのか問題だが。
そのクラッシュ後の中国は、これを読む限りより大きく成長するのではと思われる。

ジム・ロジャーズは、中国の成長をいち早く見抜き、国際商品の高騰を予言した冒険投資家。
これは中国株投資の手の内を明かした全米ベストセラーになった本。
どのページを開いても、唖然とする内容である。
この十年間で、耐久消費財の生産能力は、驚くなかれ100倍になったのである。
ロジャーズは、「現在の中国は、1800年代終わりのアメリカは、こんなものだったと思われる」という。
  ソ連のように分裂というカタチを通るのか?これだけの大国を束ねるのに、
一党独裁という強権も必要なのか? 独裁国家がオリンピックを開催すると破綻する事例からみると、
やはり同じ道を通るのだろう。
 
  この本の、次の一節が現在の中国の偽ざらない本音であろう。
  〜〜
中国人の友だちが言うには、
「中国は貧乏のどん底から這い上がってきた。 経済改革の夜明け前の一九八○年、購買力平価で換算した
中国の一人当たりのGDPはたったの四一〇ドルだった。 当時の米国は一万二三三〇ドルだ。第二次世界大戦以降、
世界経済が何十年にもわたって成長している傍らで、私たち中国人は完全に孤立してしまっていた。
扉を閉ざして社会主義の桃源郷を作ろうとしていたのだ。 私有財産は許されない。何から何まですべて国の持ち物だ。
民間企業もない。全部中央政府が管理しているからだ。競争もない。食べ物も着る物も、それこそ調理油まで配給制だ。
いつも、何とか生きていけるぐらいしかもらえなかった。 サービス業なんてものはない。人民に仕えるのが当たり前で、
仕えてもらうなど論外だったからだ。 仕事や職種、勤め先を変えたり、新しいことを始めたりするのも不可能だった。
生まれたそのときから何になるかは決められていた。 資本市場もない。資本は諸悪の根源のレッテルを貼られていた。
そんなふうだったから、私たちが生きている間に世の中が、こんなに変わったのは、一九八0年代の初め以来、
成長率は平均九%であり、中国経済の価値は一〇年毎に倍になった。」
 〜〜
 といって、先月の上海の証券取引所の株は半値近くまで下がってしまった。
 下がりきった有望株を、地頭で考えて長期的に投資すべきということである。

・・・・・・・・・・
2007年07月08日(日)
2287, ちょっとした勉強のコツ −1
    (´∀`σ)σ オハYO!
                     ー読書日記ー
    外山滋比古氏の著書(エッセイ)である。7年前に発行された本だが、内容は新鮮である。
    この本を図書館から借りるのは三度目であるが、何度読んでも新鮮に感じるのは、
    内容が濃いからだろう。 冒頭からして、深く考えさせられる。
    特に、現在の日本は「オーストラリアの蜜蜂」以下?になりかけてはいまいか?
     何度読んでも考えさせられる内容である。2003/01/11 に「ハングリー? 」というテーマでも、
    少し取上げたことがある。 敢えて、いま一度考えなおすのも良いだろう。
    それだけ、オーストラリアの蜜蜂化した若者の「下流社会化」の問題の根が深い。

  ーオーストラリアの蜜蜂ー

かつてある人が、ヨーロッパからオーストラリァへ移住した。
ヨーロッパには長くきびしい冬があるけれども、オーストラリアでは常夏のように年中、
なにか花が咲いている。それを見てこの移住者は養蜂業を始めようと思いついた。
こんなに花があるのなら、さぞ蜜がたくさんとれるだろうと考えたのである。
さっそくヨーロッパから優秀な蜜蜂を輸入して、仕事は始まった。
最初の年は大成功だったが、二年目には収穫が激減、それから年々大きく減りつづけ、
やがてほとんど蜜を集めなくなってしまった。おかしいと思って調べてもらったら、
いつも花があるからだという意外なことがわかった。
ヨーロッパで働き蜂といわれるほどに勤勉であったのは、花のなくなる冬があるからだった。
年中花のある恵まれたところに移って、蜂はハングリーでなくなってしまったらしい。
それは、蜂のはなし、人間は別だ、とは言い切れないようである。

人間も概して、きびしい環境におかれた方がよく働く。
欧米の人たちは、雪の降る国でないと、文化、文明は栄えないと信じているようだ。
寒いところの人間は、温暖なところで生活する人に比べると、おしなべて勤勉で努力する。
それがやがて社会の繁栄に結びつく、そう考えるのである。
悪条件のもとではハングリーにならずにはいられない。
ハングリーならよく働くというわけだ。 ひとりひとりについても同じことが言える。

いまアメリカでもつとも優秀な学生は、ベトナムやカンボジアからボート・ピープルとして
アメリヵへ渡った難民家族の子女である、と言われる。
ハーヴァード・イエール、プリンストンなどの名門大学へすいすい入学する。
ハーヴァードなどでは定員の二十パーセントを超えて問題になったほど。 
ベトナム・カンボジアからの難民が秀才、才媛だけをつれて行ったわけではあるまい。
不目由・不如意な環境で育ったために、石にかじりついても、といった勉強をした。
ハングリーだったからこそ、目ざましく学力をのばしたのである。

   ーーー
    現在の韓国や中国、そしてインドの若者が目覚め、必死に学んでいるが、
    ユトリ教育とか訳のわからない理屈で遊び呆けてきた日本の若者の姿が痛た痛たしい。
    この文章は本の発刊の3年前の10年前に書かれた内容である。
    現在の日本は更に問題が深刻化している、いや、表面化してきたということだ。
   「茹で蛙」という言葉があるが、自分が茹で蛙と気づけばよいが、
    茹で上がった蛙は、その自分の姿が解らないものである。
    それも、周りの蛙がホボ茹で上がっていれば、気づけというほうが無理? 
            [ ・ω・]ノ  ヂャァネッ !
・・・・・・・
2006年07月08日(土)
1922, 第二次・関東大震災
       \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/           

今後30年以内に首都圏で、関東大震災クラス(マグニチュード7)
の地震が起こる確率は70佑箸いΑその時には阪神淡路大震災の二倍の被害になるという。
死者は最大で13000人というから、1000人に一人になる。
イメージでは5~6万以上の死者と思えそうだが。700万人の避難者が出て、 建物の全壊や焼失は85万棟。
損失の総額は110兆円と予測される。国家予算の150佑砲覆襦

もっと、恐ろしい事実がある。マグニチュード8程度の地震発生が予測される原発が、世界に一つある。
中部電力浜岡原子力発電所である。 政府や電力会社は「『安全基準』を満たしている」というが、
専門家の間では、安全基準自体を疑問視する声が根強い。 よく、そんな場所に造ったものだ。
東海地震にしても、関東大震災にしても、単独ではなく、一つの地震につづいて起こる可能性が高いという。
    
そんなこと考えることないよ!というかもしれないが、一昨年の暮れに、私の地元でマサカの大地震があった。
夜になると近所は真っ暗闇になり、近くの学校に被災者で一杯になった。
そして、新幹線が脱線をして惨劇一歩手前であった!
現在でも、裏の我が家の貸家には『被災者が住んでいる』という事実がある。
私なら、間違いなく何処かに引っ越すが! もう一度言う、間違いなく引っ越す。
せめて住居は埼玉か、千葉か、鎌倉かにする。歳を召されたかたは、それも寿命でよいが!

地震の予知は、実際のところ無理だという。関東に住むのも、働くのも、命がけになったのだ。
少し脅かすと、関東沖でインドネシア沖の大地震クラスが発生して大津波が来たら、数十万でなく・・
今月の日経新聞の「私の履歴書」は小松左京である。
「日本沈没」を書いたSF作家の・・ 日本の人口は昨年より減り始めたが、
東京の人口は、この先10年間は増え続けるという。年配を中心としてだから、それはそれでいいか?

30歳と27歳のわが息子よ! うするっぺ~か? 埼玉辺に住むようだから、安心か〜
それに避難所も、三国の山を越えればあるのだから、大丈夫か!
越後も、日本海に面して、北朝鮮の頭のいかれたドン様がミサイルで恐喝をされており、
柏崎原発にミサイルを・・・ どちらも同じことだ・・
              i (ω・`) bai
・・・・・・・・
2005年07月08日(金)
1557, 宇野千代ー3
  ー宇野千代語録−2

忘れるということは得なことである。
私は幾度も失恋したが、そしてその瞬間には泣いたりした記憶があるが、
すぐに忘れた。人と別れても、決してその人を恨んだりはしないから、
或る時が経つと忽ちその人とまた仲良しになったりする。  (「願望」より)
 ー内語ー
そうだよな〜、そうだよな〜!
でもなかなか、それができないのが人間の弱さ。 この人、強い人なんだ!
ーー
あ、いやだなあ、つらいなあ、とため息をつく代わりに、
ちょっと心のチャンネルを切り替えてその答えでも見つけるつもりで、幸福の種を探してみてください。
最初はなかなか大変でも、くり返しているうちに、すばやく見つけられるようになり、
そのうちどんなときにも幸福を探すのが癖になります。
そこまでくれば、あなたは達人、私と同じ幸福探しの達人になれます。(「幸福に生きる知恵」より)
 −内語ー
そうか?そうか!
ーー
「粋」とは「とりつくろわないもの」のことである。
化粧はしていても、決して、してはいないように、
素顔であるように見えなければならない。
身なりもとりつくろわず、自然で、小ぎれいで、
しゃんとしていなければならない。    (「願望」より)
 ー内語ー
純粋の粋か?
ーー
「お洒落をしない人間は泥棒より醜いと思う」女は幾つになっても、
お洒落をすることを忘れないようにしてほしいものだ、と私は思うのである。
世間には、お洒落をしないことを自慢のように言っている人もあるが、しかし、
私は、そのときそのときに会う相手に対して、それでは失礼ではないかと思う。
                 (「しあわせ人生」より)
 ー内語ー
泥棒の方がまだまし?  ・・・、まあいいか!
その位、自分に対して気を使わなくてはならないということ?
 ーー
恋人同士、または夫婦同士で、別れたくない、いつまでも愛し合っていたい、と思う間柄の人たちは、
ちょっとの間でも、決して遠く離れて暮らしてはならない。      (「願望」より)
 ー内語ー
 深い言葉だね!離れれば、直ぐに、その言葉ー気持ちの真実が見えてくるものね!
 ーー
人間はいくつになっても、恋愛をしてはいけない、と言うことはありません。
それどころか、恋愛感情の枯渇している人は、もう、人間をやめているのだ、と思いませんか。
                             (「普段着」より)
 −内語ー
(            )
 ーー

理解するとは何か、ただ、ただ、そのもの自身を尊敬することである。
人々よ、あなたが何事をでも、理解する事を望むのであったら、ただ、ただ、
そのもの自身のことを、とことんまで尊敬することである。
目的は忽ち達せられるであろう。              (「普段着」より)
 −内語ー
 そうか!そうか!  
ーー
人間同士のつき合いは、この心の伝染、心の反射が全部である。
何を好んで、不幸な気持ちの伝染、不幸な気持ちの反射を願うものがあるか。
幸福は幸福を呼ぶ。
幸福は自分の心にも反射するが、また、多くの人々の心にも反射する。(「生きて行く私・下」より)
 −内語ー
すべての根っこに夫婦関係があります!

・・・・・・・・・
2004年07月08日(木)
1192, 国家破綻供柴表馥記

       藤原直哉 長岡中央図書館 2004年7月3日
この4月に出版された国家破綻兇鯑匹鵑如暗澹たる気持になった。
前刊を読んだときは、まさか!と思いつつよんだが、今回は現実的として読むことが
できた。不況をセンセーショナルに書いてあるが、ジックリと読んでみるとけっして誇張には思えない。
現在の景気は中国のバブルとIT・デジタル関連の好況で、少し景気が持ち直して
いるように見える。しかし私の事業を通して見える世界は、それとはほど遠い世界である。
去年の11月のりそな銀行の破綻、そしてUFJ銀行のトップの追放劇などからも、
その根の深さに只ならぬことが垣間見れる。

現アメリカのブッシュ政権も風前の灯である。小泉首相も改革といいながら実際のところ
何もできない現状を見ていると、20世紀的なものの最終崩壊の時期がきているようである。
アメリカとイスラエルはマスマス世界から孤立、アメリカ経済もいつ崩壊するどうかの状態といってよい。
現在、好調に見える中国もバブルのピーク、はじけるのは時間の問題だ。
円もドルも輪転機でこれだけ多く刷っていれば、何時かは価値がなくなり、紙くずになる。
ハイパーインフレが必ず来るという筆者の主張も当たり前といえば当たり前である。

国民向け国債を販売したら、国家としての体をなさない状態と五年前に聞いたことがあったが、
いつの間にか販売を始めている。第二次世界大戦で国家が大量に国民に売り出し、敗戦と
同時に紙くずになった歴史がある。紙くずの分配でしかないのに国民は気がついてないのだ。
もう、守れる資産は現物の金を持つしかないという主張も肯ける。
現状を考えると、どうしても悲観的になってしまうのは仕方がないことか。

・・・・・・・
003年07月08日
アラスカ旅行中
・・・・・・・
2002年07月08日
スイス旅行中
・・・・・・・
2001年07月08日(日)
[76] 行ってきます!
まずコペンハーゲンへ
今日8時57分長岡発 15時成田発ロンドン経由
2日目はベルゲン
3日目はバルダンゲル・フィヨルド
4日目はグッドバンゲン。フロム。オスロ。
5日目はストックホルムへ
6日目はストックホルムから船旅〜1泊
7日目はヘルシンキ
8日目はレニングラード
9日目もレニングラード
10日目モスクワ
11日目帰路
12日目早朝成田。
 


2650, 資源世界大戦が始まった

2008年07月07日(月)



   図書館で「アメリカ狂乱」とともに借りた元NHKの日高芳樹の本である。
  サブプライム問題から始った問題は、アメリカの覇権の終了なのであろうか。
  その中にあって、資源のない日本はどの方向にいくべきか?などを問うている。
  やはり、この本を読む限りに日本の行く末は悲観的になる。
  アメリカの属国でしかなかった日本が自立する道はあるのだろうか。

 「資源世界大戦が始まった
        ―2015年日本の国家戦略 ー 」日高 義樹 (著)
 ー内容紹介
独裁国家・北朝鮮が大国アメリカを揺さぶる現況は、ヒトラーが台頭した1920年代に酷似している!?
米国の要人と直接対話して得た独自情報から、日本と米国の数年後の未来を高確度で読み解いた、
衝撃の最新作。政局の混迷が深まる危うい日本の行く末を、大統領選を控え、
変わりゆくアメリカの世論と政策、政界の要人たちの発言をもとに近未来を予測。
 ーカバーの折り返し
アメリカの力の後退と中国の台頭は世界に、1930年代の再現ともいえる混乱をもたらそうとしている。
この本では、国際社会で現在起きている情勢を世界的な視点から整理すると同時に、
日本は自らを守るための国家戦略をいかに立てるべきかを考えてみたいと思う。 <序章より>
 〜〜〜
ー大ざっぱに、概要をまとめるとー

●「石油資源」を軸とした、近未来の世界は、土地を取り合う戦争から、資源(石油)の奪い合いになるという。
 マクロ的には、地球温暖化のため、厚い氷が溶け出している北極圏では、現在、国家間での激しい資源争奪戦が始った。  
 世界各地にある、平和利用目的の原子力施設を、高精度になったミサイルで攻撃することで、核兵器を持たなくとも、
 通常兵器が核の抑止力となったこと。
●石油価格の高騰で、ドルの価値が低落しており、ドルが世界の基軸通貨としての存在を脅かされている。
 アメリカは、日本ではなく、中国に向いたアジア戦略をたてているが、
 原油高によるドル体制の崩壊、それによるアメリカの衰退が始った。
●資源戦略によるロシアの一時的な繁栄をしているようにみえるが、
 新しい状況に対応する力を失っているロシアは崩壊する以外にない。
●日本は経済力、軍事力、科学技術などでは、世界の一流国家になったが、政治力だけは、いまだに三流国家で、
 世界の大国と伍 することができないこと。  民主党は、日本の労働人口の減少に対応するため、
 移民を積極的に受けいる政策を掲げているが、過去に同様の移民政策を行った、ドイツ、フランス、
 スウ ェーデンが移民問題に対応できずに苦悩していることを省みていないことなどをあげている。
●これから日本のとる道には、3つの選択肢があるとしている。
 一つ目は、日本が軍事力を保有し、独立の道を行く。
 二つ目は、アメリカと対等的な協力関係を構築していく。
 三つ目は、中国に頼っていく。
 〜〜
その何れも選択できないまま、ずるずる行くしかないだろう、日本は。

・・・・・・・・
2007年07月07日(土)
2286, LSDを一服した状態とは、どんな状態? −1
                    おはよー (((。・-・)从(・-・。)・゜
         
   植草甚一の「カトマンズでLSDを一服」という本が面白い。 ただし、30年前の本で、
   著者もこの本を出した直後に亡くなった。  しかし内容は、朽ちてはいない!

    「植草甚一スクラップブック」の一冊でNO/11になるが古今東西、植草甚一の読んだ麻薬に関する
    記事・文献などが話題になっている。図書館で借りてきた本だが面白そうなので、ひととおり目を通して、
    中古本だが、直にアマゾンで注文をいれた。 麻薬のトリップに対して興味がある。
    しかし麻薬をまさか使うことは出来ないし、中毒になったら取り返しがつかない。
    といってバッド・トリップやグッド・トリップの状態を経験してみたい誘惑もある。
    まあ、死ぬ直前の楽しみにしておいた方がよい。ならせめて、どういう状態なのか、
    知識として知りたくもなる。 手元に何冊か、その状況を紹介した本がある。

私の枕元にはトリップの状態に近づける音楽のCDのセットがある。
買って10年近く、寝る前などに聴いてきたが、そのためか寝つきが非常によい。
酒を飲んだホロヨイの気分と同じである。私の場合、秘境旅行や、酒席などの盛り上がりなど、
至高体験を数多く経験してきたので、少しアルコールを飲んだり、寝る前の音楽で、
直にトリップしやすい蓄積がある。 体質的に脳内には回路が出来ている、ということ!
その体験の倉庫に入るようにすればよい。

    以下は、この本の冒頭に出てくる心理学者ジュラール・ボルの「麻薬への旅」の中の一節である。
    麻薬のトリップの状態を書いた本を何冊か持っているが、どれも似ている。
    ともかく、面白く解りやすいので紹介しておこう。
   ーー1967年10月から著者ボルの2年間の経験談であるーー
 
ーーー        p・12~13「カトマンズでLSDを一服」
 ネパールではハシーシを政府が許可しているし、1舛涼傭覆150フラン前後
(ヨーロッパでは五十倍の値段)なので、ヒッピーの顔ぶれは変るが、いつも400人ぐらいいるそうだ。
力トマソズには彼らの連絡場所になっている「リトル・チペタソ」というチベヅト人経営の小さな
キャバレーがあるが、ある日のことリーというアメリカのヒッピーがLSDを持ってやってきた。
そうしてカトマソズの谷間の平地に仲間たちと「ヒヅピーラソド」と名付けた
小コミュニティのテソト生活をはじめるのだが、夜の十時ごろ、
みんなしてカプセル入りのLSDを少量の水で飲んだときの経験を、著者ポルは書きはじめる。

 暗い夜で、キャンプの焚火が赤い。遠くにヒマラヤ山脈の輪郭が見える。
みんな声を出さないでLSDが効きはじめるのをジーッと待っている。夜の静寂さ。
二十分したとき、耳のうしろの首筋が急に熱くなったかと思うと、舌ざわりが金属的になった。
まだ効果はあらわれないし、意識は平常どおりだ。 すると始まったなと思う感覚の変化。
神経が局部的にピリッと硬直し、その瞬間はロではいえない異常な現象がおそいかかった気持である。
いろいろなLSD体験記から想像していたのと同じ状態であって、自己が解体し、
まわりの知覚世界に溶けこんでいく。 それがすこしたつと、こうなった。
 
 焚火を見ていると、その火のなかに、ぼくがいる。ぼくは火なんだな、いや火の向うに存在しているようだ。
というのは火や明りや影が、ぼくの思考や意志に服従するように動いているからで、まわりの世界を、
ぼくが上からフタをしているような気持になってきたからである。
それなのに、ぼくとは違ったものなのだ。まわりのすべてと同じものになっていく。
(字数の関係上カット2008年7月7日)
 
・・・・・・・
2006年07月07日(金)
1921, ドラッカーの遺言        才八∋ウ_〆(∀`●)

 去年の暮れ、20世紀の経営思想をリードしたドラッガーは世を去った。

   *「自らの強みに重点を置け」
   *「知識こそ、最大の経営資源である。‘学習こそ、一生涯にわたる冒険’として心から受けとめること」
   *「自らをイノベートせよ!」、
   *「『問題重視型』の思考に囚われるな。
     『機会重視型』の発想を持て。」が、彼の思想の中核を占めている。
    全く「新しい時代」を生きる私たちへの最後の遺言としてみるとよい。
    ドラッガーは我われに大きな経営思想をのこし、昨年の暮れに亡くなった。
                    
 ー以下、(少し時間がかかったが)この本から要点を抜粋した。
  ーー                    (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
●国境が消えた
 インターネットの普及によって国境が取り払われ、国と国の距離はゼロになった。
 スペイン語を使えこなせる私の孫娘は、いつでも好きな時に
 ラテンアメリカから発信される情報にアクセスできます。
 言葉の壁を乗り越えさえすれば、世界中のあるゆる情報を瞬時に手に入れることができる。
●グローバリゼーションについて語っている時、人は情報について語っている。
  グローバルの時代の武器は英語力である。
●絶えざるイノベーションによって、常に新しい価値を創造せよ。
●西洋の価値観に支配されない「まったく新しい世界」が登場する。
●「時代の変わり目」にいま自分がいるという自覚を持て。 この転換期は30年続くであろう。
 誰も知らない世界が来る。 異なる価値観が共存する新しい世界では、ソ連崩壊後の15年間、
 唯一超大国として君臨してきたアメリカも、その支配力を失う。
 超大国が持つ「権力」でなく、グローバル化した「情報」によって世界が強固に結びつく時代が来る。
 ーそれは誰も理解しない世界であり、まだ見ぬ世界に不安を覚えるのは当然のことといえる。
●新しい秩序へと向かう混迷した世界の中で、新しい重責を担う二つの国がある。
 一つはイギリス(西欧への窓口)、いま一つは日本(アジアへの窓口)である。
●日本が直面しているのは危機でない、時代の変わり目である。
 時代が変わったことを認め、その変化に対応していくための意識改革に
 取り組むべきである。−その変化を拒絶してはならない。
●国際競争において意味を持つのは、唯一「知識労働における生産性」のみである。
●情報化が進展する新時代の世界経済のもとで、最も苦労する国は日本である。
 つねにイノベートを追求し、新しい価値を生み出すことでしか、日本は生き残れる道はないー。
●情報経済というまったく新しい世界経済の中で、日本は最大の難関に直面することになった。
 立ちはだかる相手は、インドと中国です。
 この両国が急速に経済大国の仲間入りすることで最も脅威にさらされるのは、日本なのです。
●人はリーダーに生まれない。リーダーとして振る舞える習慣を持つ人が、リーダーになるのだ。
●現実における変化h、決して以前のものとは同じにならない。そして、机上で考えるより変化は先に現れるー。
●過去50年間で最も大きな変化は、教育において現れた。
 変化し続けるスキルを身につけるため、絶えず教育に立ち返ることが個人のイノベーションを促進する。
●最も重要なことは、個人個人が自らの未来を切り拓くことである。
●成果を得るために、どんな強みを活かして、何をしなければならないか?
 −経営の本質は、すべてこの一言に言い表されているー
●『自分の仕事は何か』  『何が自分に適しているか』
 『自分に何が適していないか』 を突き詰めるべきである。
●どんな職業であれ、有能な人間は自分の得意・不得意を熟知している。
 そしてそれを知り抜いているから、生じた変化に柔軟に対応することができるのだ。
●決定の本質とは、将来に対する現時点のコミットメント」でもあります。
 決断通りにことがうまく行きません。だからこそ、リーダーは注意深く人の話を聞き、
 リスクとチャンスのバランスを考え抜き、人選にできる限りの時間を割く必要があります。
●絶えざるスキル・アップを達成するためにも最も重要となるのは、自分の強みを把握することです。
 自分が何を得意とするのかを知り、磨きをかけていくー
 これこそ個人のイノベーションの要諦であり、成果を挙げ続ける唯一の方法です。
●個人の長所をどうして見出すか? それは過去のキャリアの中に現れています。
 何をうまくこなせたか、こなせなかったのか。
   ー
 以上だが、どの言葉も鋭く響いてくる。 
 日本人は特に英語を学ばさなければならない!これが解ってるかどうかである。
                 i (ω・`) bai
・・・・・・・
2005年07月07日(木)
1556, 将来の不安−
ー島田裕己「不安を生きる」より、さらに抜粋してみる。

「不安というものからは、そう簡単に逃れられない。逃げられるような気がしても、
実は隠していただけに終わっているのかもしれない。 不安なのは覚悟が決まっていないからで、
どこかで一度しっかり覚悟を決めないと、不安から逃れる道を見つけ出すことは出来ない。」

「信仰を持ったって、必ず不安になるのです。そんな呑気な人は世の中にはいない。
何も疑問を持たずに一生そのままいける人ってあまりいるものではない。
不安そのものを根本的になくすと発想しないほうがよい。
山岸会の場合も、ユートピアをめざす運動として幸福一色の世界実現を考えた。
それがユートピアの恐ろしいところであって、人はユートピアのなかで幸福でなければならないという
考え方に陥ってしまいがちなのです。 そうすると、幸福でない人、不安を抱えている人が出ると、
その人が間違っているとして批判を受けたりする。そうすると、その反対の逆ユートピアに転じていく。」

「だから社会は、若い女性達に結婚しろというメッセージよりも、
結婚なんてしても幸せにはなれない、子育ては大変だというメッセージを流すことに熱心です。
なんとか不安に安住させて、癒しを求めて消費させようとする。それはもしかして、巨大な詐欺ではないか。
社会のメッセージでは、結婚は自由が奪われるという面ばかりが強調されすぎている。」
 
「欧米社会は、カップル社会で独りでレストランに出かけていってもよい顔をされない。
カップル社会はデート社会だから、金曜日や土曜日にデートする相手がいないとかなり苦労するという。
魅力のない女というレッテルを貼られる。 日本では、それがないから、色いろな産業が彼女らを狙う。
不安産業でいうと「エステ関連ー癒し産業」などである。それに女性は踊らされている。
「あなたは不安でしょう」とは言わない。「癒される、ホッします」という表現で客を巧妙に誘う。

ーー
最近、「ラジウム石の癒し」とか「エステ」の店が開店している。
不安定な時代になればなるほど、癒しという言葉につられて女性が殺到する。
エステが潜在的には不安解消であることを、本人達は気づいてないのでないか。

不安とは、孤独感にもつながっている。最近流行りの女性の「おひとりさま」も、その典型である。
男なら居酒屋でも、パチンコ店に平気で入ることができるが、若い女性は気楽に入ることが出来ない。
しかし、都会で一人たくましく生きている女性が最近多い。そのニーズを見越して都会では「癒しの空間」
かいうエステや石風呂などが増えてきているのだ。ホテルの女性狙いの「おひとり様コース」も出てきている。

「癒しの世界」が、不安の解消であったとは意外である。一見かっこよい世界が、実は心の闇の不安解消の世界とは。
健康食品も9割は不安感の解消と同じことである。何種類も飲んでいるのは、潜在的に不安そのものの解消だったのか?
不安になったら、エステか運動ジムに行こうか? その方がまだましか?

・・・・・・・・・
2004年07月07日(水)
1191, 異境・秘境ツアーレッスンー8
 ートラベルはトラブル

アフリカや、南米、シルクロード、北極圏などの最終目的地に着くまでは何回かの飛行機を乗りつぐ。
飛行機は気圧の関係も含め、快適の乗り物ではない。一番価格の安いツアーを選ぶ関係上、エコノミークラス。
特に成田からの最初のフライトの12〜13時間が厳しい。

酒を買い込んで、ドンドン飲んでトイレに通うのがコツである。といって飲みすぎると、
腹の具合が着陸時点でおかしくなる。 これも楽しみのうちと暗示をかけて、音楽を聴いたり映画を見る。
その合間に行き先のパンフレットや資料に目を通す。少しでも嫌だとか、早く着かないかとは考えないことだ。
人生と同じでプロセスに気持の隙を見せないことである。音楽が気持を和らげてくれるのも人生と同じである。

南アフリカに行ったとき、名も知れない国の、名も知れない飛行場で猛暑の中、10数時間も足止めを食らったことがあった。
さすがにツアー慣れをした人たち、誰も不平をいう人はいなかった。
言ったところで、どうしようもないことを皆知っているからだ。その場面をむしろ余裕で楽しんでいるようにも思えた。
人生の圧縮されたレッスンそのものである。苦難こそ、余裕を持って楽しむ姿勢が、その苦難を苦難でなくしてしまう。
トラベルとは、トラブルの語源という。旅行では苦難、問題が次々と立ちはだかってくる。

中国のタクマラン砂漠から、新羅ウイグル地区を抜けて、パキスタンのカラコルムハイウエーを通っての2週間の旅行は、
まさしくトラブルの連続であった。 それを割り切っていたためか、そのトラブルがむしろ面白いのだ。

人生も同じである、トラブルはつきものと割り切ってしまえばよい。
振り返ってみると丁度よいトラブルが、そのつど与えられていた。
中心点から目をそむけず、ひたすら立ち向かっていれば、いつの間にか問題は解決されるものだ。

感動を経験するために、トラブルを通り抜けていくから良いのである。 人生も旅行も、ゲームである。

・・・・・・・
2003年07月07日
アラスカ旅行中
・・・・・・・
2002年07月07日
スイス旅行中


2649, 閑話小題

2008年07月06日(日)

  *凄惨な事件のあとのマンションは?

昼飯に喫茶店に行って週間ポストを読んでいたら、以前から知りたいと思っていた記事に出くわした。
最近、週間ポストが面白い。 定年を迎えたシニア(団塊の世代)にも客層を広げたようだ。
セレブのバラバラ殺人や、江東区の凄惨なバラバラ殺人事件の部屋が、既に他の住人が入居をしているという。
まずは、セレブの殺人現場になった部屋は、女性が入っているという。
家賃は20万円だったが、5万円ダウンの15万円。
江東区の方は、2万引きの7万円で、これもまた入居済み。
こういうイワクつきのマンションの販売価格は、大よそ2割のダウンが相場とか。
こういう事件があると、わざわざ値下がりを期待して部屋探しに来るという。
何とも感じないらしい。家主の方からしたら、事件のほとぼりが冷めるまで待つより、
何割か下げて貸した方が得と判断するようだ。
地方なら、嫌がられるかもしれないが、都会は冷めているということだ。
いや借りる方に変わった人がいるということだ。絶対数が多いということか。

  *深刻なスタグフレーションへ突入?

原油と穀物などの値上がりで、彼方此方から悲鳴が上がってきた。
イカ釣り漁船は集魚灯の明かりでイカを集めるために燃費が経費の4割もかかる。
さらに漁場が遠くイカも小型のため、操業すれば赤字となる緊急事態。
といって、この不景気の中にあってイカの市場価格をあげられないジレンマに陥っている。
全漁連は「このまま高騰が続けば漁業経営者の3割が廃業に追い込まれ、漁業生産の40%が減少する」
と危機感をあらわにしている。 これは、決して日本だけでなく世界中で大問題。
私の宿泊業も、大よそ売り上げの10佑水道光熱で灯油はその三分の二を占めている。(7諭
もろに純益が吹き飛んでしまうことになる。 同業も同じ条件なので泥縄的に対処していけば、
収まるところに収まるだろうと楽観的にやれるほど、甘くはない。それも、まだ序曲でしかない。

  *ツタヤのネットレンタルに入会してみた

ツタヤの一ヶ月の無料レンタルに借りてみたが、心配したとおり、はまってしまった。
週に二本で、月に送料込みで2000円のレンタル料が高いとみるか、安いとみるかだ。
以前、会社の事務所の至近距離にDVDのレンタルショップ開店してから5年間、週二本を借りていた。
二年前に閉鎖したが、実のところホットした。昼休みの食事の途中にあり、金曜日には寄らずには済まない。
年間100本、5年間で500本はみたことになる。 ネットで、ツタヤのHPをみると、いくらでも観たいものがある。
このレンタルシステムがよい。見終わった後に同じビニールの封筒で送り返すと、やはり二本送ってくるのである。
これとWowowに入っているのだから、ますます馬鹿になる。 
 これ以上は、なりようはないか! コテコテの馬鹿か〜 ったく。

・・・・・・・・
007年07月06日(金)
2285, バーナム効果

  詐欺師や占い師や、健康食品のネズミ講などで、相手を信じこませる言葉のつかい方に、
 「バーナム効果」という手法がある。  
   ーネット百科辞書の「ウィキペディア」によるとー
 ー
「誰にでも該当するような曖昧で一般的な性格をあらわす記述を、
自分だけに当てはまる正確なものだと捉えてしまう心理学の現象」という。
アメリカ合衆国の興行師・バーナム にちなんで(心理学者のポール・ミールによって1956年に)命名された。
アメリカの心理学者バートラム・フォアの名をとってフォアラー効果ともいう。
  ー
被験者に何らかの心理テストを実施し、そのテスト結果を無視して以前に被験者とは無関係に用意した
「あなたはロマンチストな面を持っています」
「あなたは快活に振舞っていても心の中で不安を抱えている事があります」
といった診断を被験者に与えた場合、被験者の多くが自分の診断は適切なものと感じてしまうが、
これはバーナム効果によるものである。 占いや超能力(特に千里眼など)、霊視、血液型性格診断といった
試行や現象が科学的根拠がないにも拘らず持っている説得力の大部分は、このバーナム効果で説明出来るとされる。
 ーー
「フォアの実験」
1948年、フォアは学生たちに性格テストを実施し、
そのテストの結果に基づく分析と称して下記の文を与えた。
フォアは学生たちに分析がどれだけ自分にあてはまっているかを
0(まったく異なる)から5(非常に正確)の段階でそれぞれに評価させた。
このときの平均点は4.26であった。その後、フォアはどの学生にも、
次のようなまったく同じ分析を与えていたと種明かしをした。

『あなたは他人から好かれたい、賞賛してほしいと思っており、
それにかかわらず自己を批判する傾向にあります。
また、あなたは弱みを持っているときでも、それを普段は克服することができます。
あなたは使われず生かしきれていない才能をかなり持っています。
外見的には規律正しく自制的ですが、内心ではくよくよしたり不安になる傾向がある。
正しい判断や正しい行動をしたのかどうか真剣な疑問を持つときがあります。
あなたはいくらかの変化や多様性を好み、制約や限界に直面したときには不満を抱きます。
そのうえ、あなたは独自の考えを持っていることを誇りに思い、
十分な根拠もない他人の意見を聞き入れることはありません。
しかし、あなたは他人に自分のことをさらけ出しすぎるのは賢明でないと気付いている。
あなたは外向的・社交的で愛想がよいときもありますが、
その一方で内向的で用心深く遠慮がちなときもあります。
あなたの願望にはやや非現実的な傾向のあるものもあります。』

フォアはこの文章を占星術から構成していた。 次のような条件を満たす時、
被験者はテストの正確さにより高い評価を与える事が後の研究でわかっている。
* 被験者が分析が自分にだけに適合すると信じている
* 被験者が評価者の権威を信じている
* 分析が前向きな内容ばかりである

    ーーー
    以上であるが、言葉のテクニックでお仕事をなさる方のノウハウをまとめてある。
    政治家の口先の公約のようなものである。健康食品を小道具にしたねずみ講や、
    TVで最近よくみる女ヤクザだった細木和子などが、このバーナム効果を最大限利用している。
    引っかかる人は、その手合いからみると、すぐ分るという。
   「迷いが先に立って適切な手を打つことが出来ない他人志向的な人」である。
    詐欺師や類似した方々は、こういう子ヤギ?を探しに癒し系の会や、宗教団体の会、
    会員系の健康食品の会に素知らぬふりをして顔を出す。
    そして子ヤギを見つけ出しフレンドリーを装い近づく。 そしてこの話術をフルに使う。
    元々相手は騙されたいのであるから、これほど楽な相手はいない。

    以前の話だが、家内が興奮して言うには、あるファッション店で、
    女店員が「奥様、不思議でしょうがないです。どれを着てもお似合いです。
    どういうことでしょう?鏡のせいでしょうか?」と言われて次々と試着させられた。ところが、どもこれも
    鏡に仕掛けがあるのでは?と、思うほど似合ったという。たまたま、そういう商品が揃っていたのだろう。
    これも一つの暗示か、それとも偶然の一致なのだろうか。
    「誰にでも該当するような曖昧で一般的な性格をあらわす記述を、
    自分だけに当てはまる正確なものだと捉えてしまう心理学の現象」という、
    バーナム効果を服に書き換えてみると・・「誰にでも似合うようなありきたりの服を、
    その人だけにお似合いと捉えてしまう心の現象」ということになる。
    ファジーが世の中の現象なら「世の中、ほぼバーナム効果で成り立っている」というと言い過ぎか。
    
・・・・・・・
2006年07月06日(木)
 1920, 浮かれる景気
     \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/
       「浮かれる景気」ー 読書日記

浅井隆の本である。書いてある内容は極端に聞こえるが、中長期的視点からみれば当たり前のことである。
発刊されたばかりの本を偶然図書館で見つけた。
この数年彼が主張してきたことを書きかえているだけだが、決して間違ってはいない。
「現在の景気は、目先のミニバブルでしかない!来年か、再来年から、間違いなく国家破産に近い状態が来る。
現在からでも遅くはない、それに対応した準備をしておきなさい」というのが主旨。
さっそく速読をした。かれのHPに要点が書いてあった。

ーー
株式会社第二海援隊 浅井 隆 
(字数の関係でカット2008年7
 ☆゜+.バイ!
・・・・・・・
2005年07月06日(水)
1555, 将来の不安−3

不安について考えてきたが、図書館で島田裕己の「不安を生きる」という本があった。
2005年・4月10日発刊というから最近の本である。オウム教事件の時にオウム教擁護的発言で
バッシングにあって、東京女子大学の教授を辞めざるをえなくなった人である。
宗教学が専門のためか「不安」心理に対しては専門であり、深い。

宗教には「不安」に対する明確な解答が用意されている。
不安と宗教心は裏腹の関係にある。不安こそ誰もが何時も直面している心の闇である。
その闇に神の世界を提示して見せるのが宗教である。
不安の正体を知ってしまえば、自然と解決方法は出てくる。
更に不安を解消する一つの手段として具体的にネットワークの存在を提案している。

ー面白そうなところを抜粋してみる。
P-76
ところが不安がないということは、下手をすると今の状態に安住することにつながってしまう。
そうなると緊張感もなければ、進歩もない。進歩もないということは達成感もないということです。
イニシエーションという言葉を使えば、一つの役に挑戦することがイニシエーションになってくれない。
逆にそれをイニシエーションにするには不安が必要になってくる。
心の安定ということでは、不安を悩みに変えていく必要があるけど、安定は停滞につながっていくから、
いっぽうで不安も必要になる。海老蔵は、弁慶をやる前日に寝過ごしてしまったと思った時、
これで役者をやめなくてはならないと思ったそうです。
それだけ不安を経験しているからこそ、不安が欲しいという発言が出てくる。
彼は不安を次の発展へのバネにしようとしている。
ーー

不安について以前にも書いてきたが、その対応として思い当たるものをドンドン書き出してみることだ。
それが悩みという具体的に落とし込むことになる。その対応として思考と行動が生まれるきっかけになる。

そういえば、10代、20代の頃は、不安が常につきまとって、それがエネルギーになっていた。                 
                 つづく
ーーーーーーー
「不安を生きる 」
筑摩書房  島田 裕巳【著】

私たちの社会には今、漠然とした不安が広がっている。
将来の変化を見通せず、未来への希望が持てない。
会社もアテにできず、心底頼れる人も見当たらない。
そんな思いを抱く人が増えている。
こうした事態は、都市化が進展し、かつて私たちを支えていたムラ的な
共同体が衰弱してしまったことと無縁ではない。
しかし、便利な生活を手に入れ、自由を享受する私たちは、
もう後戻りすることはできない。
不安とどう向き合い、どう生きればいいのか。
この問いを多角的に追究した本書は、
現代社会を生きる私たちにとって示唆に富む一冊である。

1 不安と悩み
2 体感不安の時代
3 不安をとらえる視点
4 不安をバネにする
5 仕事と不安
6 都市生活者の不安
7 不安を煽る「癒し」産業
8 「支え」としての共同体
9 自分の足場をつくる

・・・・・・・・・
2004年07月06日(火)
1190, 大丈夫!−2 
 * 哲学について−13
      ー不安の哲学ー キエルケゴール

「大丈夫!」を繰り返していうことで、漠然とした不安感が半減したと前に書いた。
これを読んでいて、もし鼻先で笑っている人がいたら、その人は表面的人生しか生きてない人である!
不安感は大きい人ほど、それは自分に目覚め、自由と可能性を考えているか、
生きているからだ。大丈夫!を繰り返すことは、毒消しに単純だが絶大の効果がある。
単純であるが、どうしてそこまで心理的の効果があるかを考えてみる。

人間の不安の90数佑蓮考えすぎの影でしかない。 ルーズベルト大統領が就任演説で言ったという、
「われわれが恐れるべきは『恐れ』そのものだけである」人間は全て、恐れから派生する大きな影に脅えている。
その意味で「大丈夫」を繰り返すこととは、90佑留討鮠辰晃果がある。

不安といえば、哲学者のキエルケゴールが主題にしたテーマである。
彼が考えた「不安」は「ああもなれる、こうもなれるという、
いろいろな可能性を持っているからこそ、不安が生まれる」と考えた。
そして「不安はたとえてみれば目眩のようなものである。
・・自由がいまや自身の可能性をのぞきこんだとき、めまいがおこるのである」といっている。

若いときは、その意味で多くの自由と可能性があった。
その分だけ、大きい不安が自分を支配していた。そして絶望感に陥っていた。
さまざまの可能性を持つからこそ、不安と絶望感があるのだ。

不安感が絶望へのプロセスを生むことになる。 不安から「絶対的な何か」が欠けているという
絶望感に陥ってしまうのだ。「どうしようもならないもんな〜」という言葉が出てきて、そして
お決まりの繰り返しの暗い気持を引き込んで絶望の世界に入っていくのだ。
これが、神の前に1人たたずむありかたであり、人間としての基本的な姿としてとらえて「単独者」と呼んだのだ。

真の自分に至ることとは、神と触れ合うことである。
しかし、人間はさまざまな現世的価値観の中で生きている。しかも、その価値観は全て有限なものである。
そして有限なるがゆえ不安に襲われ、神と自分との絶対的な距離を感じる。
それが絶望のきっかけとなるとキエルケゴールと考えた。
大丈夫という言葉は、ある意味で「神からの言葉」ともいえる。
「ありがとう」という言葉と同格の重要な意味の可能性を含んでいる。

キエルケゴールは、その不安と絶望からくる内面の大きな揺れを(心の中の)「大地震」といっている。
それだけ、この大地震は人間にとって一大事である。
最近香港で、生活保護を受けていた人が亡くなったあと、通帳が発見されたという。
そこには、なんと数億あったという。この人は不安感にさい悩まされていたのだろう。
大丈夫と楽観し過ぎて地震や火災から逃げ遅れたり、倒産したり、
失業したりして明日の生活に困ることが多いのが人生だが。

過剰な不安感をあくまで問題にしているから、勘違いをしないことだ。自分自身のことであるが。

・・・・・・・
2003年07月06日(日)
823,ある時間の断片ー30

ー11月2日 1968年
10時起床、食事後12時半まで床屋。13時頃から「早稲田祭」に行く。
14時半頃に帰ってくると深井が部屋に来ている。1時間位話して彼は帰る。
その直後急に頭が痛くなる。 「香港風邪」というやつにかかったらしい。
佐藤君のところに行ってお茶を飲んでいると、佐々木さんから電話で東京駅に迎えにこいとのこと。
でかい荷物だ、やっとのことで寮に運ぶ。その佐々木さんが「明日のバスハイキング」のバスの値段が高いと
苦情をいいにくる。道理からいって、因縁をつけているだけとうことが露骨だ。
今更キャンセルや値下げができるわけがないだろう。幹事ということで言い返せないし、一応先輩だ。
折れることにした。 差額の半額を私が持つことにした。
頭の回転がきかないのか、自分の面子を立てたいのか解らないが。
よく自分で我慢したと驚く。クールに割り切った方が良い。その反動で。孝道を怒鳴りつけてしまった。
佐々木さんに対する怒りと香港風邪で頭がいたいことも含めて、彼にぶつけてしまった。
人間的な含みがまだまだないということか。

・・・・・・・
2002年0706
旅行中
・・・・・・・
2001年0706
旅行中


2648, 座敷童子と出会える宿 −2

2008年07月05日(土)

座敷童子を売りにしている旅館が、他に「緑風壮」がある。
実際、どうなのだろうか? 一度、面白そうなので行ってみたいが。     
ーまずは昨日の続きから
  ------------- 
 *優しい妖怪*
夜9時頃、旅館に帰ると、ビデオで座敷童子についての研修がある。
その後、ワイドショーの録画で「私は確かに菅原別館で座敷童子を見た」という証言を見る。
そこで、座敷童子がいるという刷り込みがなされるのだ。
9時半頃に研修が終わり、その後、旅館の若旦那が各部屋を回り、座敷童子の居場所を教えてくれる。
筆者の部屋にやってきた若旦那は、「今日はテレビの裏あたりに居る。男の座敷童子だ」と言う。
私は疲れていたので、すぐに眠ってしまった。深夜1時頃、お手洗いに行くために起きて、部屋にもどってきた。
それから、少し経ったところで、私は確かに座敷童子を見た。女の子の姿をした座敷童子で、身長はーメートル弱である。
黄色の服を着ていて、白い靴下をはいている。 ただし、胸のあたりで姿がぼやけて、首や顔は中空で消えている。
要するに頭のない化け物であるが、不思議と怖くはなかった。
座敷童子は、両手で体長30センチくらいの茶色い猫(雌雄不明)を私に渡す。そこのところで、私の記憶はとぎれている。
おぼろげにテレパシーで座敷童子と話をした記憾があるのだが、会話の内容がどうしても思い出せない。
冷静に考えてみれば、私は、座敷童子の夢を見たのである。その前週の金曜日(1月13日)は東京でも、珍しく雪が降った。
家内と二人でスパゲティーを食ぺた帰りに西国分寺駅前のコンビニェンスストアー「アップルマート」の前で
茶トラの雄猫(推定2歳)を保護した。人なつっこい猫で、いまでは家族の一員になっている。
その印象が強烈だったので夢に出てきたのだろう。しかし、私の認識では、あれは夢ではない。
確かに私は座敷童子に会ったのだ。 村上氏に座敷童子は出なかったという。
〈だけど残念ながら私には座敷わらしが出ない、邪心や欲があると座敷わらしは逃げるそうですね。
無邪気な幼心でいとおしむ、無条件で信じることが大事ですね〉(村上正邦)・・・・・
 〜〜〜

こんなところだが、TPOSで、暗示にかかっている風にも思える内容でもあるが。
大人のファンタジーを集団で楽しむには、丁度良い題材で、罪がない。
 http://www9.plala.or.jp/ryokufuso/index02.html
  http://www.zashikiwarashi.jp/
・・・・・・・・・
2007年07月05日(木)
2284, 10歳の放浪記 −2
                       *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ
 この番組の中で、教職員を前に上条さなえさんの講演の一部を放送していた。
    その内容がユニークである。
    「あなた方仲間に年配の口うるさいオバサンがいるでしょう。
     彼女らを嫌わないでください。彼女たちは誰からも愛されなくなってしまったのです。
     誰からも愛されなくなると、人を愛せなくなるのです。
     先生の仕事は子供を愛することです。人を愛することです。
     その為には人に愛されなければなりません。さらにそのために、
     まず自分を愛せなくてはなりません」 という言葉が何とも説得力があった。

一年間のホームレスの後、養護学校に初めて行ったとき、アンパンを食べようとしていた自分に、男の先生が
「自分の弁当と交換してほしい、東京のアンパンが食べたい」と、家庭の味のする弁当を交換してくれた。
その時、「必ず良い人間になる」と自分に誓い、先生になりたいと決心をする。
 教育に無条件の愛情以上に何の能力が必要なのだろうか。

ヤクザが気の毒に思い、10歳の子供にいう。「俺のような人間になっては駄目だ。
人間真っ直ぐに生きなくてはいけない」これも、自己否定からくる良心からの説得力のある言葉である。

「うらやましがられることもあるけど、やっぱり平凡な人生がよかった。
まず親が『幸せ』と感じなければ、子どもも幸せになれない。
それぞれの自分の人生に価値を見いだしてほしい」
「私の書く小説すべてがハッピーエンドに終わるのです。
色いろな経験から、そうしなくてはならなくなったのです」の言葉が重い。

最近、14歳というのがキーワードになっている。
中学二年生、誰もが覚えがあるだろう、あの揺れ動いていた時期の日々を。
誰も周囲から居なくなって、自分ひとりが取り残されてしまったような不安の日々。
ひとつの節目だが、その前の十歳も大きな節目となる。そこで決まってしまう時期でもある。
初めて自分の自我に目覚め、人間としての最初の?壮烈な戦場がある。
そこには虐めと、虐められるギリギリ中で、人間としてのベースがつくられる。

    彼女のような経験は特殊だが、しかし大きく揺れる時期でもある。
    一番問題なのは、親が全て取り仕切り、自主性を刈り取ることである。
    10歳の子供が、ケネディーの「国家が何を自分にしてくれるかより、
    国家のために自分が何ができるかを問え」を「親」に切り替えるとは、驚きである。
                         (* ̄∀ ̄)**SeeYou
・・・・・・・・
2006年07月05日(水)
1919, 睡眠負債
                才八∋ウ_〆(∀`●)
図書館で月刊雑誌を立ち読みをしていたら、睡眠についてのレポートがあった。
キーワードが「睡眠負債」である。睡眠不足のことだが、不足より負債という方が分かりやすい。
睡眠の場合、負債の免除期間が二週間。どんな溜まった不足でも二週間でチャラになるという。

    深い眠りをとろうとしたら、寝不足状態の状態が一番良い。
    脳の機能と食欲などの欲望も同じである。それなら、そうすればよいが。
    睡眠時間は世界共通で8時間だが、気にならない睡眠時間が、その人のベストの睡眠時間という。
   仕事などの関係で、いつも睡眠時間が取れない人が、小刻みに昼間の睡眠を取るのが理想的な睡眠の取り方。
    私の場合、睡眠に関しては殆んど問題はない。
    寝れない時の対処がしてあるからだ。布団滞在時間7時間が私のベストである。

インターネットの検索で調べたら、
ー快眠10ヶ条ー   があった。
1 起きたら太陽の光を浴びる
2 同じ時間に起きる
3 朝、軽い体操をする
4 朝食を食べる
5 日中も太陽の光を浴びる
6 メリハリのある生活を送る
7 適度な運動をする
8 夜は強い光を避ける
9 眠る前はリラックスする
10 ぬるめのお風呂にゆったり入る

   私の場合、100夕孫圓靴討い襪、寝際にクラシックを聴きながら寝ているが、
   これが更に初期睡眠(三時間)を深くしている。
             (。・ω・)ノ☆゜+.バイ!
  ーー
 2002/09/14
眠れない夜に

眠れない夜にどういうわけか、こうすると不思議によく眠れる。
・仰向けになり全身の力を抜く。
・頭から額にかけて力を抜くー次に目とその奥、鼻と口、
 首と肩、両手、両足と気持ちをその都度そこに集中して力を抜いていく。
 そうすると、自然に寝ていても何処かに力みが入っているのが分かる。
・完全に力が抜けた状態で、一番楽しかったことを考える。
 私の場合海外旅行の大体3番目のあたりで睡眠に入る。 
 それでも眠れないで、過去に行った全ての「思い出し旅行」
 に3時間かけたことがあるが。それはそれで楽しい時間であった。
・眠れないときは寝ようと考えず、眠れない状態で自然に任せることだ。
 それでも眠れないのが不眠症だろうが。月に一度位は、夜半に目が覚め寝つけなかったりする。
 でも苦にはならない。ポイントはマイナス思考の差し込む魔の時間にしないことだ。
 これは注意していれば防げるのが不思議だ、訓練の結果だが。
・羊の数を数えるとよいという説があるが、私の場合逆に疲れてしまう。何かの本に面白い内容があった。
 「アメリカの西部の砂漠の深い渓谷をイメージする。自分はインデアンの
 イメージで、騎兵隊のを待ち受けている。狭い渓谷に入ってきた彼らその一人一人を狙い撃ちをする。
 一人一人が自分の銃で撃たれて死んでいく。彼らはそれでも何処に潜んでいるのか、いくらでもいるのだ。
 それでも執拗に一人一人を撃ち続ける。眠りに入るまで。」

これをやるチャンスはまだないが、何か寝てしまいそうな感じだ。
寝付きのよいほうだが、不眠症の人の焦りも解る。
不眠症の原因は、寝れない時間の過ごし方が下手ではないか?
その時間を空想や過去の楽しい思い出を楽しめばと思うのも、当人でないからだ。

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2005年07月05日(火)
1554, つれづれに

ー売り手責任
先日、ニトリにホテルの共同キッチンのダイングテーブルを買いにいった。
ところが、「家庭用商品を営業用には売ることが出来ません。
売り手責任に問題が出る可能性があるので、お売りできません」という。
上の上というから、本部判断をあおいでいた。当方だって買い手責任があるし、設置責任がある。
何かおかしいいのではないだろうか?それとも、そこまで問題にしなくてはならないのか。

ー知人の息子がTV出演?
去年亡くなった五十嵐恭一さんの息子がTVに出ているというので昨夜見た。。
月曜日の23時の「あいのり」という番組。「嵐」というニックネームで出ていた。
かなりの応募の中で選ばれたのだろうから、光るものがあったのだろう。
「1年浪人後、「法政の二部」に入学金を払ったが、駒沢大に受かった。
本人は法政の二部に行くつもりというが、如何したらよいか?」という相談が、故五十嵐さんからあった。
「駒沢大に決まっているじゃないか!一部と二部では先生と、同期の質が全く違う。
それでは浪人した意味がないではないか!」と返事をした。
そこで、本人も迷って高校の担任のところに相談にいったが、
私と全く同じ返事であったので、駒沢に行くことにしたという。
その男が、TVに出ていたが、なかなかのイケ面である。若い人の間ではなかなかの人気の番組というが。

ー今日散歩で、高校の友人の墓参りによる。いつも散歩するコースの折り返し地点の橋から5分のところにある。
先週も行ってきたので、これで4回目になる。特に、この一月で三回目だ。
墓をみるかぎり誰もお参りに来ていないようだ。まさか、私がこうしてお参りをしているとは、彼も意外だろう。
たまたま散歩コースの近くにあっただけだが。一番長生きしそうな男であったが。
お参りは、対象より自分自身に出会っているようなものだ。
まあ、反対の立場だったら、彼なら絶対にお参りに来なかったはずだ。
そう考えながら、お参りをしていると色いろ考えさせられる。人生は生きているまでだ。
「生きているうちに、やるべきことをしっかりしておかなくては」と、
彼が話しかけてきているようだ。

・・・・・・・・・
2004年07月05日(月)
1189, 異境・秘境ツアーレッスン ー7
    ー大自然

 大自然の秘境の見どころには山脈系、氷河系、滝系、大草原系、平原系、海・海岸系、
 などに分けることができる。多くはその幾つかが重ねあっている。
・山脈系としては、北米のロッキー、欧州のスイスアルプス、南米のアンデス山脈、ヒマラヤ山脈、など。
・滝としては、ナイアガラの滝、イグアスの滝,ビクトリアの滝、
 エンゼルフォールの滝などがあげることができる。 あまり知られてない滝で、
 その迫力に思わず息をのむことが多い。迫力景観からいったら、やはりイグアスが一番である。
 
 ー主観をこめて印象に強い順にかいてみるー
1、一番は何といってもケニアの草原の夕景である。
 幻想的で、この世のものと思えないオレンジ色と白光色が入り混じった360度の視界の
 草原の美しさは、言葉には表現できない。
2、次にはカナダのロッキー山脈である。湖も含めてその壮大な景観は、これがほんとうに地球だろうか
 と思ってしまった。その時思ったことは[人生をこれをみた 以前と以後と分けることができる]
3、南米のベネズエラのテーブルマウンテンの絶景。
 夕景の中、キャンプの近くから見上げたテーブルマウンテンの世界は、数億年の時間が
 目の前で直感できるイメージであった。
4、スイスアルプスと、チロルの大草原、そして氷河・・・
5、南米チリのパイネ国立公園のパイネ山の夕景
6、ブラジルのイグアスの滝
7、アラスカの遊覧飛行で見たマッキンレー山脈
8、パキスタンのカラコルムハイウエーからみたヒマラヤ山脈
9、アイスランドでみた、オーロラ
10、フィジーでみた海と海岸と、小さな島々
11、イスラエルの荒野
12、アラスカとスイスとチリで見た氷河
   などなどである。 それぞれが、比較してランク付けできないほど素晴らしい。

ある高僧の言葉がよい [大自然は、自分で自分の美しさを見るために、小自然の人間をつくった]

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2002年0705
旅行中につき休止
・・・・・・・・・・
2003年07月05日(土)
822,ある時間の断片ー29

10月31日ー 1968年
・朝の9時過ぎ、松村君から電話で11月3日8時20分に地下鉄の
早稲田駅で待ちあわせの約束をする。 午後から2時間、勉強をする。
21時から佐藤君の部屋で酒を飲む。 24時の就寝。まだ卒論に集中できてない。
焦りばかりが先立つ。自分に対してまだ突き放していないようだ。
最後の学生時代の時間はあまり残されてないのに如何したことか。

11月01日
・夜半の0時半ごろ佐藤の部屋で間中とお茶を飲んでいると、OBのMさんが炊事場で高橋を説教をしている。
何か自分にあてつけのように聞こえてきた。 彼は4年間それで通してきたのだから、それでよいのだろうが。
寮を出たのだから、そうそう寮に来るべきではない。 会社では上手くいってないと聞いている。
学生気分が脱皮してないためだ。気の毒といえば気の毒だが、結局何処にも帰属できない苛立ちがああいう
かたちになっている。先日、セミナーで集団主義的烏合を私に指摘した。
二重帰属、三重帰属を割り切ってできてない甘さをつかれた。 他人事でないが。

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2001年07月05日(木)
[74] 死について

誰もが直面するまで見て見ぬふりをする、一番厄介な避けてとうれない一大問題である。
40歳過ぎれば何時直面してもおかしくない問題である。
子供の頃から両親に‘死の不安’の話を聞いていた為、死にたいして耳年増になってしまった。

そして親戚が多かったせいか、死を身近に見てきた。 そして坊さんの死の話も聞いた。
その中で一番印象に残っているのが「人(他人)は先、我は後!」である。
自分が生きてる限り全くそのとうりである。 たしかギリシャの哲人の言葉に「自分にとって死は存在しない、
なぜなら死んだ瞬間は自身無になるのだから、死は残された者たちの自身の言葉でしかない。」
という言葉をその坊さんは噛み砕いたのだろう。 
ー以下は以前書いた文章である。
−−−−−−
H0503 “死”について

・ 自宅の両隣の御主人や息子さんも含めて近所で、このところ五軒も葬式があった 。
 六年程前に“いとこ”がやはり四人、たて続きに亡くなった。 私の年令の風景の一つなのか?
・ 人間の死亡率は百%!
・ 人間の恐ろしいのは、“死”より“死に際”じゃないか?
・ 親の死は、子供に対する最大のプレゼント
・“我々が生きている間は死はこない。死が来た時にはわれわれはもはや生きていない”(エビクロス)
・ 死んでしまえば塵である。(伊藤栄樹)
・ 死んで三日もたてば三百年前に死んだと同じ事。
・ “苦”は生きているうち。それが死への苦しみであっても!
・“いろいろ、あったが死んでしまえば何ってこたあない!
      はじめから無かったと同じじゃないか!皆の衆”(山田風太郎)
・“ああ、自分が消滅した後、空も地上も全く同じとは何たる怪事!
・ 死とは人生における最後の挑戦である。(ハイデッカー)
・ 死はお浄土への単身赴任である……極楽世界があるかないかではないのです。
  あるべきなのです。いや、あらねばならないのです。(さち・ひろや)
・ 死も人生というドラマの一部分、それも最後の仕上げという。
・ 死に直面した時“さようなら、たださようなら、さようなら!”
                これこそ、死の苦しみにとらわれない妙薬。
・ 人間は死ぬ事を、ひそかに望んだので戦争をしたのだ。
  自己保存の要求はきわめて強いかもしれないが“死”への欲情はさらに深い。
・ “死の準備”は大別して“自分の心の覚悟”と“自分の愛する者達への配慮”に
  わけられる。死は根本的には“無”である。
 “無”にはいかなる準備のしようがない。“無”になる事に覚悟せよと言ったって、
  いかなる覚悟も“無”であり、“無”になる。死はどうであれ
 “無の世界”=“無”も自覚も存在のない世界へ運び去るのだ。
・ “父母によばれてこの世に遊びに来て、用が済んだら、はいさようなら”(一休和尚)
・ “自分の死”に対して、どれ位時間をかけたか?やっぱりかかった時間と比例します。
 だから死について考え続けるより他にありません。自分の心を明確にする事。
 それをやっていると毎日が濃縮されて、いつ死んでもいいと思う程、充実してきます!
                               (曽野綾子)
・ 死は暗闇ではなく光明と考えられるかどうか、もどって来た人はいないのだから。
・ 他人(ひと)は先、我は後!
・生前、死後には無限の暗黒のひろがり…その暗黒は球状をなしているように幻想され、
 私の死後ばかりか、わたしの生前もぐるっと取りかこんでいるごとくだ。
 丁度、地球儀の或る視点だけが明るくかがやいていて、
 あとはすべて球形の闇だという格好である。向こう側(彼岸・無)よりみれば
 針の尖でついたような、しかしながら、たしかにここに光っているわたしの生、
 それ故にわたしはこの世に有る限り一日一日を大切に遺憾なく生き抜かなくては…
                       (吉野秀雄−やわらかな心)


2647, 座敷童子と出会える宿 −1

2008年07月04日(金)


   借りてきた「新潮45」の5月号を読んでいると、外務省休職中の佐藤優の手記が載っていた。
   それが《私の出会った「日本の妖怪」》という、彼らしくない内容であった。
   そこには「座敷童子」と出会った体験記が書いてあった。彼には圧倒的多数の人にとって
   予想外のことを勘で当てることがしばしばあるので、それが霊視能力と勘違いされることがある。
   その彼と座敷童子との出会いの体験記が面白くない訳がない。

   東北には、座敷童子が出るのを売りにしている旅館が何軒かあるという。
   宿泊業をしているものにとって、妖怪を売りにしている逞しさに驚くばかりである。
   それも、二年先まで予約で満席というから、驚きである。
   何かファンタジーがあって、面白いキャラで何とも微笑ましいのがよい。
   妖怪に会うと幸福になるというのが、またミソである。
    たまたま、新幹線の座席の前に置いてある小雑誌の特集が[東北の妖怪・特集」であった。

ー まずは、そのサワリを抜粋してみる ー
 *「座敷童子が出た!」
大学生、社会人になって、妖怪のことは、ほとんど忘れていた。
私が妖怪を再びリアルに感じるようになったのは、2年前に岩手県盛岡市で座敷童子に会ってからのことだ。
先程、内地の妖怪は「人間に災厄をもたらす奴らがほとんどだ」と言ったが、もちろん、例外もある。
座敷童子は例外的に幸福を呼ぶ妖怪なのだ。座敷童子東北地方で、家の中に出現ナる、子供の姿をした妖怪。
これが居ている間はその家は栄えるが、いなくなると没落するといわれている。
子供には姿が見えても、大人には姿が見えない。岩手では、いくつかの小学校に「座敷童子」が現われた。
生徒と遊びたわむれたり、夜九時ごろ、無人の教室で机やいすの間をくぐっては楽しそうに遊んだりした。
やはり、その姿は子供だけにしか見えなかったという。〉(水木しげる『図説日本妖怪大全一講談社+α文庫)
座敷童子は、大人には見えないというが、これは私の経験に反する。私は確かに2006年1月17日未明、
盛岡市の旅館「菅原別館」で座敷童子を見た。
2005年末に私は座敷童子を見たという話を鈴木宗男衆議院議員(新党大地.代表)から聞いた。
ある日、鈴木氏から興奮した調子で、電話がかかってきた。
「佐藤さん、出たんだよ。出た」「出たって、何が出たんですか」「だから妖怪だ。座敷童子が出たんだ。
盛岡に菅原別館と言って、その筋では有名な旅館があって、そこに座敷童子が出る。その座敷童子に会うと、
幸せになる。村上正邦先生から、そのルートに口を聞いてもらった」・・・・・・・

座敷童子に会いたい全国の人々が殺到するので菅原別館は、2年先まで予約がいっぱいだという。
ただし、ときどきキャンセルが出る。それを狙おうということになった。機会は意外に早く巡ってきた。
2006年1月16日の晩にキャンセルが出たという。そこで、村上氏は、急遙、旅行団を組織した。
旅行団は、女子プロレスラーの神取忍氏、弁護士の弘中惇一郎氏など総勢約10名になった。
弘中氏は、村上氏、鈴木氏の弁護人をつとめている。過去、三浦和義氏(現在、サイパンで勾留中)
の弁護を担当し、無罪を獲得したことのある辣腕弁護士だ。
 −−−−−
   あとは、明日の楽しみとして、宿泊型化け物屋敷体験ファンタジーも何とも楽しそうである。
   秋葉原のワシントンホテルで、幽霊に会ったことがあるし、私の事務所の上の部屋(自殺のあった部屋)でも
   面白い体験をしている。その部屋が逆に好きになりワザワザ指定して泊まっているが、それがまた、面白い。
     そんなことを言ってたら、広島・長崎は幽霊だらけだろうが・・・そういう話は聞かない。
                                ーつづく
・・・・・・・・・・・
2007年07月04日(水)
2283, 10歳の放浪記     才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
   
    この日曜日の朝、偶然にBS・NHKハイビジョンで「私が子供だったころ」を観て、
    思わず涙が溢れてしまった。昭和25年、東京生まれの児童文学作家・上條さなえさんの実話。
    10歳の時、父親が事業に失敗し家族離散、父親と池袋でホームレスの生活を1年過ごし、
    その後児童福祉施設を経て、後に小学校教員になった経歴を持つ。

    その過酷な子供の頃の生活を「10歳の放浪記」と題して本にした。
    あまりにも悲しい過去のため出版は躊躇していたが、出版社から
    「いじめ問題や親子問題が多い現実にひとつの警鐘を」とくどかれ思い悩んだ末、
    出版したという。この本を忠実にドラマ化したのが、TVの内容であった。

 ーその大筋を書いてみるー
不動産業をしていた父が事業に失敗して一家は離散。父と東京・池袋の簡易宿泊街で暮らした。
酒浸りの父に代わってパチンコでかせいで夕食にありつく毎日。
高度経済成長期の昭和35年の頃の、学校に行けなかった1年間の生活を淡々と描写してある。

父とふたり、池袋のドヤ街でその日暮らしをしていた彼女を支えてくれたのは、
街で出会ったパチンコ屋の兄さん、やくざのお兄さん…など普通の人々である。
弱者に対して優しかった時代であった。 そこは池袋駅西口を背にして左に数分歩くと、
東京芸術劇場がみえてくる。 目的地はその斜め向かいにあるホテルメトロポリタンだ。
かつてそこには1泊100円の簡易宿泊所があった。
昭和35年、小学5年生上條は、当時43歳だったその日暮らしの父親と2人、やむなくのホームレス生活だった。

10歳という年で、道にお金が落ちていないか、道をさまよい、パチンコ屋の前で玉を拾い、パチンコをする。
1個、2個、3個と球が無くなり、4個目にチュウリップに入り玉が出る。
5個目の球が、途中でひっかかると、隣のおばさんが「このスイッチを押すと店員さんが来てくれるよ」と、
教えられ、ブザーを押す。そこの店員が機械が壊れたと思い「どうしたの」聞いた。
さなえは自分がどうしたのかと聞かれたと思い「お父さんが病気なの」とかぼそい声で答えた。
それを聞いた店員は気の毒に思い、多くの球が出してやる。
さらに金に換える方法を教えてくれた。教えられて行った景品屋のヤクザが同情して、
高い値段で買い取ってやる。それから毎日、パチンコに通い、生活を支えた。

しかし、ついに父が言う、「なぁ、なこちゃん、父ちゃんお前を育てるのに疲れちゃったよ」
「なこちゃん、死のうか」 しかし、「子どもって、かなしいよね。大人に決められたら逆らえないし、
 どんないやなことだって、がまんしなきゃならないもんね」
「でも、なこちゃんは幸せだよ。お父さんも、お母さんも、お姉ちゃんも、いるから」。
 いつも友のこの言葉を反芻(はんすう)し、壊れていく父を励まし、生き抜く。

こうした放浪の状態では、学校に通えなかったが、簡易宿泊所でドリルを使って勉強したり、
ヤクザから算数を習ったり、映画館に通い洋画の字幕などを見て勉強をする。
お金がないのに映画館に通えたのは、「中に父親がいるの。探してもいい?」
と受付の人に言って、映画館に「フリーパス」で入っていく智慧を使う。

 また、当時の米国のケネディ大統領の演説
「国が何をしてくれるか、ではなく、国のために自分が何をできるか」をTVでみて、
「親が何をしてくれるか、ではなく、親のために子供が何をできるか」に切り替えて、
親のために宿泊費を稼ぐ動機にする。

 見かねたヤクザに説教された父親は本人を養護学校に入れる。
ドヤ街生活が長く貧しく、服装も他の子供とは異なっていたこともあり、そこでは壮絶なイジメにあうが、
「いじめなんてなんでもない、それより、帰る家のない明日泊まる所や、
食べることの心配をする生活のほうがどれだけ大変か」と子供心に思い耐える。
    ーーーー
    以上であるが、感動的だったのが、そのドラマを収録している場面に、当の上条さなえが入ってきて、
    子役に涙しながら抱きついたところである。どんな気持ちで、当時の自分と抱き合ったのだろうか?
    学生時代、よくあの辺の映画館に行ったので何かドラマがリアルに思えた。
    色いろな人生があるものである。私が10歳の頃を忠実に書いたら、これまた面白いだろう!
                        バイバイ!(゚▽゚*)ノ~~
・・・・・・・
2006年07月04日(火)
1918, ワールドカップ
                        (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ヨ〜
前回のサッカーのワールドカップの感想が 2002年07月01日(月) 「454,面白かった!! 」
というテーマであった。
前回は日韓共同開催で、当地の新潟でも試合があった。そのわりには、あまり興に乗っていない。
    しかし今年は、4年前の何倍も興味を持って観ている。
    私も変わったものだ。この4年で多くの劇的な試合を多く観たためである。
       ヽ`д´)┌┛┌┛★( )  〜(ノ★´з`)┌┛☆(:*・*゚)
日本は早々に敗退し、優勝候補筆頭のブラジルも、準準決勝で敗れてしまった。
 ブラジルの二つのジンクス、
・ペレがいた、958年の大会で優勝して以外は、欧州大会開催でのW杯の南米の優勝はない。
・ブラジルは優勝候補に挙げられた時の優勝はない。を破ることはできなかった。         
                 (*・-・)θ (*・-・)θ(*・-・)θ☆ 【蹴り隊】     
    ロナウニージョ、ロナウド、カカ、アドリアーノという
    超花形選手を擁しても勝てなかったのだから、致し方ないだろう。
明日と明後日の早朝、準決勝が行われるが、全てが欧州勢である。
ブラジルが残っていないのと、ポルトガルとイングランドが入れ変わった以外は順当の国が残っている。

    何でもそうだが、超一流の試合は感動する。私の予測では、準決勝ではドイツとフランスが勝ち残り、
    決勝では開催国ということもあり、ドイツが優勝だろう? これだけは時の運があるから何ともいえない。                
    4年後に、どういう気持ちで、この文章をみているだろうか?楽しみである。
    この下書きを書いているとき、ニュースで中田がHPで引退声明を出した。
    その内容を読み上げているが、燃え尽きたのだろう! 日本の監督にすれば良かったのに?
    リスクがありすぎか!冗談冗談!           o(^ー^ θ"" けりっっっ♪  
          (字数の関係でカット、2008年7月4日)
・・・・・・・
2005年07月04日(月)
1553, 宇野千代−2

   あるHPに彼女の語録が出ていた。突き抜けた明るさが全ての語録の中に出ている。
   もし鬱になりそうになったら、彼女の言葉を何度も読んでみるとよい。
   私の場合は、十年以上もトイレに中村天風の本が置いてあるが。あるHPにあった彼女の語録をコピーしておきます。    
ー「宇野千代語録」ー 

*信じるということは面白い事である。人の力ではなく、自分の力を信じる、自分にはこれっぽっちの力しかない、
と思っていたときと、そのこれっぽっちの力を大切にし、その上にもまた積み重ねて行く力があるかも知れない、
いや、あると思うようになったときとは、違う。 (「願望」より)
 ー感想ー
言葉の力こそ、人間のイメージを作りあげる源泉である。
また自分の中の小さな力を見つけ出して、そこに集中することこそ自分の人生のゲーム化の一歩である。
ーー
*本当のことを言えば、私の九十六年の人生は決して平坦な道ではありませんでした。
それどころか、でこぼこの道の連続と言った方が早いくらいの人生でした。でも、あるとき気がついたのです。
でこぼこがひどければひどいほど、やっと見つけた幸福の味もいっそう美味になると言うことです。
そして、足をくじきそうになりながらあるいは、くたびれて膝をがくがくいわせながら
歩いたでこぼこ道の思い出のほうが、いつまでも心に残り、自分を成長させるものだ
ということを知りました。そう思うと、でこぼこの道も、ちっとも苦ではなくなりました。(「幸福に生きる知恵」より)
 ー感想ー
こう思えるのに、一生かかったのだろう。
 ーー
*私はいつでも明日から後のことを考えていた。明日は何をしよう、と思っていた。
考える事が雲霧のように寄せて来る。明日から後の世界ではいろいろなことが
出来るような気がする。今の現実から明日の夢想にまで梯子をかけて見る。
私は一段ずつ上がる。いつでも上の方を見て上がる。下の方を振り返るようなことはあんまりない。(「願望」より)
 ー感想ー
過去のことを考えていたほうが楽。明日から後のことを考えるほうが本来苦痛のはずだが。
そこが彼女の凄いところである。
ーー
*人間というものは、おかしな、間違ったことをしていても、
 一心不乱でしている中に、そこからとんでもない芽が吹いてくることもあるのですね。(「お化粧人生史」より)
 ー感想ー
この一心不乱の持続というのが難しい!
ーー
*私は、辛いと思うことがあると、その辛いと思うことの中に、体ごと飛び込んで行く。
まず、飛び込んで行くと、その、辛い、と思う気持ちの中に、自分の体が馴れて来る。 不思議なことであるが、
その、体が馴れてくることで、それほどには、辛いとは思わなくなる。これが私の生活の術なのであった。(「生きて行く私」)
 ー感想ー
正中心一点無という言葉があるが、中心点から目を外さないことだろう。
ーー
*どんなことの中にも、愉しい、と思う要素はあります。
目をみはってその、愉しい、と思う要素を探し出して、愉しく生きて行きたいものと私は思います。
愉しく思うことは、また隣の人にも伝染して、そこら中が、愉しいことだらけになるものです。
すると世の中がどんなに暮らし良くなるものか、想像するだけで嬉しくなります。
                                 (「幸福に生きる知恵」より)
 ー感想ー
愉しいと思えばよいが、なかなか難しい。 愉しんでやれ!と思う習慣をつけてしまえばよいが・・
ーー
*幸福のかけらは、幾つでもある。ただ、それを見つけ出すことが上手な人と、下手な人がある。
幸福とは、人が生きて行く力のもとになることだ、と私は思っているけれど、世の中には、
幸福になるのが嫌いな人がいる。
                                 (「生きて行く私・下」より)
 ー感想ー
何気なく使っている普段の言葉による影響に気がついてない人だ。
内なる声はマイナスが多いことに気づいているのだろうか。
ーー
私たちはどの瞬間にも、人の着ているもの、その顔つき、その言葉、話し方の影響をうける。
今会って来た人の顔つきから、仕合わせな感じ、その反対の感じを受ける。
もし、可能なことであれば、いつのときでも人は決して不仕合わせを感得させないような顔つき、
そういう顔つきでいたいものである。                (「幸福人生」より)

・・・・・・・・
2004年07月04日(日)
1188, 大丈夫!

斉藤一人氏の本に「大丈夫」という言葉を多用すると良い、とあった。
最近その言葉を、おりあるごとに1人つぶやいている。

ところが、それを千回ほど言い終わった辺りから、何か気持が信じられないくらい気持が楽になった。
常に付きまとっていた不安感が半減したのだ。現在の日本経済の実態は、明日何がおきても不思議でない事態であり、
行く末を考えると楽観はしていられない。

ふと言葉の重要性に気づいて[大丈夫]を繰り返したら、気分が非常に楽になったのだ。
人間は、その時その時、誰もが不安を抱えているものである。
若ければ若いほど不安の渦の中にいた。それでも何とか大丈夫であった。
その時、この[大丈夫]という言葉を繰り返す効用を知っていたら、どれほど楽であっただろう。
しかし、その不安感が努力を喚起させていたプラスの面もあったが。
不安感が押し寄せてきた時に、騙されてと思って千回いってみてください。

知人が[う・た・し]ー「嬉しい、楽しい、幸せ」ーと、「ありがとう」を毎日繰り返していたら、
気分が晴れて、良いことが立て続きにおき始めているという。今度[大丈夫]を加えるといっていた。
この大丈夫をプラスの言葉に加えると更によい。 貴方はついているからー大丈夫  性格が良いからー大丈夫 
一生懸命やったのだからー大丈夫  守護霊が守ってくれるているからー大丈夫
考えてみたら、生きているかぎり人間は大丈夫のようにできている。死ねば死んだらで、無になるのだから大丈夫である。
大丈夫でないとして、所詮すべて時間が解決する些細なことだ。

・・・・・・・・
2003年07月04日(金)
821,ある時間の断片ー28

・10月30日 1968年 
10時起床、食後、読書と音楽を聴き過ごす。
20時に河路さんを羽田に送りへ出発、途中浜松町の焼き鳥屋で時間調整の為いっぱい飲む。
21時に羽田到着する。河路さんの家族、大妻女子大、寮生のOB,友愛関係者など30人が来ている。
帰りは友愛関係者の萩原君の車で南波嬢と供に飯田橋まで送ってもらう。
一緒に帰ってくるが、話している分には面白い女性である。といって一時、気があったが醒めてみれば・・・・。
夜半の2時ごろまで勉強して就寝。 河路さんもオーストリアに行った。
先輩としての河路さんだが、他人の中傷の無意味さを嫌というほど教えられた。
それと言葉で他人をいかに傷をつけてしまうかを。
相手の弱点を探し、中傷することがあたっていればいるほど、他人が傷ついてしまうことを。
それが結果として自分をより傷つけてしまうのだ。自分が他人にしていた事を彼にやられたということだ。
少なくとも自分は変えようとしているだけ良かったのか。

・・・・・・・
2002年07月04日
スイス旅行中
・・・・・・・
2001年07月04日(水)
[73] 夢についてー4

海外旅行の帰りの機内でみた夢も恐ろしい極限であった。飛行機に乗っているせいか、自分の体が空に浮いていく。
もうじき下に降りるだろうと思うが、どんどん浮いていき電信柱を超えていく。
ああもうこれ以上いくと危ないと思った瞬間目が覚めた。
そしてほっとして「自分は地上にいる」と思った瞬間、空中に飛んでいる自分に気づく。
自分が空中を1000キロで飛んでいるのが解るのだ。その恐しさは言葉で表現できない恐ろしさであった。
バンジージャンプ落下している感覚であった。 6〜7年前の恐ろしい夢が書いてあるのでまたコピーしておきます。
ーーーーーー
ーH0905魂が万代橋の上を彷った話ー
 第2新館の役所の検査の直前の話である。担当の設計士が顔をひきつらせ青い顔をして言うには、
“今回の検査はパスしない!”一瞬耳を疑ったが、次の瞬間頭の中は真っ白、地獄の底へつきおとされた思い。
“それが本当であれば、あの建物は単なるゴミの山、そして私は?、会社は?..”パニック状態である。
それも夕方の飲み会の直前である。 まあ明日の話として、頭も冷やすという事も含めて、
焼け酒という事で浴びるほど飲んだ。その夜は満室という事で事務所の長椅子に仮眠した。
恐らくそこが不安定という事と、頭がパニック状態という事と酔いを含めて妙な夢になってしまった。

魂が身体より抜け出し、さっきまで飲んでいた古町より万代橋まで目線が5m位の高さで
プカプカ浮遊しているのである。“ああ自分は浮いている。それも魂が”という感覚であった。
そして目が覚めて!魂が浮いていたのはたしか夢か!でもあの話は本当である!
それも夢であってほしい!と念じた事を今でもはっきり覚えている。


2647, アメリカ狂乱 −2

2008年07月03日(木)


   この本の次期大統領の行方以外のテーマ、
   アメリカの「偽札事件」の背景を解りやすく説明している。
   成るほど、この問題は簡単に片付くわけがない。

ーその要点をまとめてみたー
実際のところ、アメリカ経済はそれほどおかしくはなっていない。すでに述べたように
これまでの不況にくらべると、いまのアメリカには資金があふれている。
アメリカの経済専門家はこう言っている。
「アメリカには資金がいまや有り余るほどある。企業もふんだんにお金を持っている。
うまくいっていないのは金融システムだ」 この説明はきわめて意味深長である。
これまでアメリカは常に資金が不足してきた。アメリカの人々はお金が入ればすべて使ってしまう。
消費がアメリカ経済の六十パーセントを占めているのだ。
だがアメリカ自体が強くて豊かな国であるため、世界の人々がアメリカに資金を持ち込み、
アメリカは資金がないにもかかわらず景気を拡大してきた。
 
 歴史的にみてもこの事実は明らかだ。
*1970年代に金本位制度をやめ、円を切り上げさせることによってドル安を実施した。
 実質的なドルのインフレーションによってアメリカ経済は不況を脱し、経済が拡大をした。
*1980年代はレーガンがアメリカの国有地をせっせと売ってサウジアラビアなど中東のオイルマネーを
 アメリカに取り込み、アメリカ経済を拡大した。
*1990年代には、世界に先んじてクリントンがIT革命をおし進め、世界中の資金を集めて
 アメリカ経済を豊かにした。
*2000年代、ブッシュは強いドルと土地、住宅バブル政策によってグローバル化した世界の金融界から
 資金を集め、アメリカ経済の好況を維持した。 この強いドルと住宅バブルを続けるために
 アメリカ政府が必要としたのが、サブプライム債券である。
 サブプライム債券という言葉が経済用語として確立しているかどうか分からないし、
 この問題について経済専門家が明確に説明をしているわけでもない。 だが政治的に見れば、
 このサブブライム債券は、ブッシュ政権にとって世界中から資金集めるのに役立った。
 「アメリカが偽札で世界をだました」と私が言うのは、このことである。
 その証拠にポールソン財務長官はじめアメリカの財政金融当局に大勢の人間を出している
 ゴールドマン・サックスは、MBSをいち早く売り払って難を免れている。

かってアメリカは三つ子の赤字と呼ばれる財政赤字、貿易赤字、所得収支の赤字を抱え込んだとき、
せっせとドルを印刷をして世界の人たちに渡した。 受け取った人たちは紙切れになるのではと、
心配になったが、アメリカ経済が拡大したためにそうした事態にはならなかった。
しかし、アメリカがドルを集めるために使ったサブプライム債権が紙切れ同然になった。
次の大統領はブッシュの「偽札事件」の後始末をしなくてはならない。
 −−−
 ブッシュは、最悪の大統領として歴史に残るはずだ。「アメリカ狂乱」は言いえて妙の言葉である。

・・・・・・・・・
2007年07月03日(火)
2282, ハンモックを設置! (p≧w≦q)オッ☆ ハァァァァァァ♪

    新幹線の座席前においてある通販のパンフレットに結構面白いものがある。
    (ただし値段は、ネット上の価格の2〜3倍する!)
    その中にフレーム付きのハンモックがあったが、2万円近くする。
    そこでネットで調べたら、多くの種類が売られていた。
    コンパクトのものは一畳のスペースがあれば何処にでも設置できる。
    フレームの形が舟型をしていて、その中にハンモックを吊るすようになっている。
    土曜日に注文したものが送ってきたが、値段は送料込みで5300円。
    さっそく居間のベランダをサッシでガラスを囲ったスペース(幅1.5×7メートル)に設置した。
    そこで寝てみたが、これが非常に良い。一枚の網にスッポリ包まれ浮遊した感じが、それだけで
    別世界に移動した感覚になる。 大人の揺り篭といったらよいだろう。
    この夏、暑さで寝れない時、かなり頻繁に使うことになりそうだ。

ハンモックは一度、旅先で使ったことがあった。ベネゼイラのエンゼルフォールへのキャンプ地に、
エンジン付きの10人乗りのカヌーでキャンプをした時である。
大きな広い屋根の下に、数十のハンモックが吊ってあった。
初めは怪訝に思ったが、まあ郷に入ったら郷に入れと寝てみた。
ところが、これが寝心地が非常に良いのである。 寝返りの必要がないのである。
少し腰を動かすだけで寝返りをしたと同じ効果がある。
疲れていたこともあったが、熟睡をした。一緒に行った家内と次男も、熟睡できたと言う。
それ以来のハンモックだが、別世界に移動したような気分がよい。
サルは木の上で寝ていたので、ハンモックは原始に帰るようでいいのだろう。
それと宙に浮いている気分が、瞑想をしているようである。
  
    買う前から分かっていたことだが、もう少し良いものにしておけば良かった! 
    でも、よい! ますます「お宅」か!         バイ☆(^∀^)ノ~~
 
 ・・・・・・・・・
2006年07月03日(月)
1917, スペイン画家・堀越千秋ー8 Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning  
    「スペイン七千夜一夜」−読書日記 ービバ、ジョ!(俺様万歳!)

  「ビバ・ジョー!」という言葉が、スペイン人を表す言葉なら、「世間様(に対して、恥かしい)!」
   という言葉が日本人を表わすといってよいだろう。 
   東洋の島国の湿気の多い農耕民族として割り切ってみると、その特質も理解できる。
   狩猟民族や、ジプシーなど放浪の民族では、世間様など気にしては生きていけない。
   (仲間内があるか?)最近、国内でも「オイラが大将!」という言葉が流行ったことがあったが。
   まずは、「スペイン七千夜一夜」の一節を、ご覧あれ!
    ーー
         o(●´ω`●)o♪ Y(´∇`*o)(o*´∇`)oIビバ・ジョ 〜
誰でも、スペイン人をつかまえて問うがよい。 「あなたは、ふだん誰も口にしないこのひとこと
『ビバ・ジョー』をどう思いますか?」「もちろん」と彼は答えるだろう。「それこそ最も私のいいたいことです」と。
それは「私は神を信じますか?」にハイと答えるスペイン人より、多いに決まっている。

    スペイン人は、初めからまっすぐなつもりで線を引く。それは道理や物理にかなった直線である。
    しかし現実社会の間違った悪い事件が心を痛めたり道理を歪めたりする。
    すると、この正しい直線に外的な力が加わり、多少のズレが生じる。
    しかし、彼はそれに気づかず、また気づいたとしても、それは彼のせいではない。
    外部の悪いもののせいである。外部の悪いもののせいであるから、
    彼はひたすら彼の直線を引き続ける。彼はまとこに正しいのである。

しかし、悲しいかな、地球の直線は宇宙から見るとまさしく、らせん、なのである。
ロマネスクの教会などで見られる、素朴な力強い直線的な表現が、やがて渦を巻き、
天高きらせんになって、ついには「悪趣味」「過剰」の代名詞ともなってゆくところの、かのバロック。
これこそ、このねじれゆく姿こそ、スペイン人のこころの奥深く潜むエッセンスなのではあるまいか。

    あれはれた砂漠のようなスペインの大地に根をおろし、老獪にねじくれて、
    節くれだって、乾いた木肌をらせんに巻きつつ天に伸びて繁る、かのオリーブの樹。
    そのオリーブの樹のように渦巻く精神が、他に植物の湿り、陰とてないスペインの
    荒れ地で、どうして同様に人の心に育たないわけがないだろうか。
    彼らスペイン人においては、直線は、やがてかならず捩れ、ネジくれて、渦となり、らせんとなって
    天へと吸い上げられるように天に昇るのである。 (エル・グレコの絵を見よ)。
    スペイン人は、家族を愛し、故郷を愛し、故国を愛す。自己愛にもとづく、それへの依存度は非常に多きい。
    それは、「ビバ・○○(地名)!」の言葉に表れている。
    哲学者も指摘する、スペイン人の究極のひとことが、「ビバ・ジョー!」である。
   
 ーーー
 「俺様、万歳!」   ヾ(>ω<○)【。゚+.万歳。゚+.】(●>ω<)ノ゙
 これこそ、これからの時代のキーワードになるのか? それとも、500年前にピークを向かえて、
 時代から取り残された国の姿なのか? 歳をとると、そういえば俺様万歳!になっていくのではないか?
 先が短くなると、見えなかったことが見えてくるか?
 思い切って、アウトサイダーになるか?それとも、仮面を被ってインサイダーに徹するか?
 どうでもよいか? 「貴様」どうする?  ε(´',_c')зβyё ☆βyёε('c_,'`)з゛

・・・・・・・・
2005年07月03日(日)
1552, アウトサイダー

高校の同級会で「お前はアウトサイダーだ!」と言われた事がきっかけで、
コリン・ウイルソンの「カリスマへの道」の中の『アウトサイダー』の章を読みかえしてみた。
これから見ると、私は「アウトサイダー」に確かに重なる部分がある。
しかし全くのアウトサイダーとは違うようだ。自分の人生を大切にしようとするなら、
アウトサイダーの要素を持っていないと自己放棄の人生になりかねない。

彼は「アウトサイダー」の特徴を、サルトル、カミュ、ヘミングウェイ、ヘッセ、ニーチェ、
ドストエフスキー、ブレイク、キルケゴール、ラーマクリシュナ、グルジェフ、T・E・ヒューム、
バーナード・ショー、等々の中から引用して共通項を上げて、以下のように描写している。
ー「あまりに深く、あまりに多くを見とおす」人間であるアウトサイダーにとっては、
現実の社会における人々の尊厳も、哲学も、宗教も、すべてが、野蛮で、無統制で、
不合理なものに艶だしを塗って、何とか文明的、合理的なものに見せかけようとする
欺瞞の試みにしか見えない。 そしてこう述べる。
「(自分には)才能もなく、達成すべき使命もなく、 これと言って伝えるべき感情もない。 
 わたしは何も所有せず、何者にも値しない。が、それでもなお、なんらかの償いをわたしは欲する。」
 アウトサイダーとは、
・世人や文明規範の価値を受け入れることができず、
・それらを蔑視し、世界も自己も無意味なのだとみなすと同時に、
・それでもなお何か代わりとなる究極の真理、あるいは体験、あるいは目的を欲している者なのである。 
  等々である。
誰でもこの要素を持っている。早くいえば孤高に似ている態度でもある。
孤高は自己を無意味とは思わないところが違う。諸子百家の中では、荘子にも重なる部分がある。
鳥瞰、虫瞰、モグラ瞰という視点の鳥瞰にも重なる。
また敗者が社会からはじき出された時の心情にも似ている。この辺は何度も経験しているからよく解るが。

「アウトサイダー」といえば、その逆の言葉「インサイダー」が思い浮ぶ。
株の取引で、内側情報を知りえたものが、その立場を利用して株で儲けることを『インサイダー取引』という。
内側でこそ知りえる視点情報がある。 反面、外側からこそ見える視点情報もある。
「アウトサイダー」の視点も、「インサイダー」の視点も人間には必要である。「和して同ぜず」というが、
「同じて和せず」になるのが人間である。小さな世界で生きる知恵としての両者の立場が各々ある。

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2004年07月03日(土)
1187, 異境・秘境ツアーレッスンー6
  ー遺跡編ー

37年前の欧州旅行時に立ち寄った、ローマの遺跡のコロッセウムを見たのが初めてである。2000年前の動物の臭い?
がいまだに残っていたのは驚いた。それと西洋文明の奥深い歴史に圧倒されたのが今でも記憶に生々しい。
十数年前に行ったイタリアのポンペイの遺跡も素晴らしい。
近くのベスビオス山の大爆発で一瞬に埋まったために、2000年前の当時の生活がそのまま完全保存されていた。
ローマ帝国華やかなりし頃の市民の生活がそのまま埋もれており、当時の様子が分かる。
鉛の水道管が施されて水道があったのは驚異だ。 猛犬注意の表示もあり、今と変わらない生活ぶりが忍ばれる。
歩道もあり、横断歩道もある風呂に入ったままの姿の人とか、石化した遺体が多くあった。
パン屋や娼婦の館や民家が、ほぼ完全に奇跡的に残っていた。街の中心の水飲み場で、街の人がそこに手をついて
飲んだところが、回数を重ねたためか、すべすべしていて当時の人間の感覚がそのまま伝わってきた。

遺跡の虜になったきっかけは、8年前にいったエジプトの遺跡である。
(あとで、その時の文章をコピーしておきます)とにかく、そのスケールの大きさに圧倒された。
シリアとヨルダンの遺跡もただ驚いてしまった。 今後2000年〜5000年先は気の遠くなるほどの彼方と思うが、
過ぎ去ってしまえば昨日のように感じるのも妙である。シリア砂漠のオアシスに忽然と現れる大遺跡パルミラ。
かつて隊商都市として栄華を極め、ローマを向こうにまわすほどの権勢を誇った文明の残照は、圧倒的な存在感を
漂わせている。 記念門・列柱通りは自分がタイムスリップをして、2000年前にいたような気持ちになった。

神秘的という面では、インカの遺跡である。その中で、やはりマチュピチの遺跡は圧巻であった。
霊界の世界というのが、正にいいあてている。
日本と違い石文化は、数千年経ってもそのまま残るから、当時の痕跡を多く残してくれる。
時空をこえていつの時代も変わらぬ人間の暮らしと文化はある。

ーーーーー
H0805 エジプト、トルコ感激の旅  ーエジプト編ー 

 まさにタイム・スリップして数千年前の古代を旅している日々であった。
まず最初に訪ねたのがカルナック神殿であった。
“まさしく驚愕!”直径が二mの石の大列柱が百数十本並ぶ神殿。
これが三千数百年に本当に! 周辺の王侯貴族を驚かす為に造られたというが、今まさに自分が、
目を丸くして驚いているのだ。歴史が私という小さな存在を見下ろしているのだ。
日本ではまだ縄文の時代、これを造りあげた高度の技術があったのだ。

 壁に刻みこまれたレリーフ、古代文字、現地のまだ若い日本人女性ガイドの熱心な説明も手伝って
古代文明の世界にタイムスリップした気分になってしまった。そらに天を指すオペリスクと
ラムセス鏡い覆匹硫Δ篆世料の数々、「今まで何度か海外旅行をしていながら、
何故ここにもっと早く来なかったのだろうか?」と考えてしまったほどだ。
 
 次に行った“王家の谷”。ここは何代の王様の墓が、かくれるように数々掘られている集団墓地だ。
この中で英国の考古学者カーターの執念でつきとめられたツタンカーメンの墓室にも入ってみた。
また、夕日の長い影を落としていたハトシェプスト女王の壮麗な葬祭殿と、やはり刻まれていたレリーフの数々。
その帰りにたちよったネクロポリスの麗に立つメムノンの二体の巨像の神秘的な光景も印象的であった。
 
 翌日行ったアブジンベルの大神殿、小神殿、のラムセス凝の巨大な立像も
実際そこに立ってみて古代歴史の深さを実感する事ができた。
またアスワンのナイル川で乗ったのんびりした“ファルーカ”という小さな帆かけ舟の
夕日の中での“ひととき”も、その一瞬の中に永遠を感じる事ができるようだった。

 旅の後半になってカイロに入ったが、ナポレオンが言ったという“四千年が諸君を見下ろしている!”
というまさに異様なイスラム社会が大きなカルチャーショックになった。
丁度、ラマダン(一ケ月間の日の出から日の入りの断食の行)という事もあり、
異様さがさらに目立ち、我々日本人は西欧社会に感化去れているのが逆に対比する事ができた。
早朝、街中とどろくアラーラの祈りのスピーカーの音も異様そのものだった。

 我々の目からみると、接するエジプト人全員が金に特に汚い詐欺師そのもの、
“騙すより騙されるのが悪い!”“車は轢かれるほうが悪い!”とか、それがイスラム教という。
カイロ郊外にある二百五十万個の巨石を積みあげたピラミッドも本当にすばらしいの一言。
考古博物館のツタンカーメンの黄金のマスクと財宝をみた瞬間、ゾックと身ぶるいをしてしまった。
まだ今にも起きあがりそうなラムネス兇鬚呂犬瓩箸垢訖堯垢離潺ぅ蕕
「数千年をこえて不死への激しい希求」を魂にかたりかけてくるようであった。

・・・・・・・・・・
2003年07月03日(木)
 820,ある時間の断片ー27
・10月28日 1968年
 午前10時に起床。 深井と『オリンピックの開会式』の実況を見る。
 13時に深井の家に出発、15時まで彼の家にいる。 その後、江ノ島に行く。
 第三京浜を彼のスカイラインGTでとばす。江ノ島の夕日を浴びた富士山が絶景であった。
 自然のこれだけの夕景は初めての経験である。右手に真っ赤な夕陽と左手に江ノ島。
 秋の海岸が何ともいえない。一生の思い出といってよいだろう。 夜3時間、勉強をする。
・10月29日 1968年
 10時起床、洗濯をした後食事だ。12時から13時半まで勉強、その後高橋君の部屋に行きコーヒーを飲む。
 部屋に帰ると近藤君がレコードを聴きに来る。 聴いているうちにうたた寝をしてしまう、一時間半も経っていた。
 その後、瓜生君の部屋に行き話をする。その後夕食をして、21時から本を読む。
 深井がまた新橋から20分位遊びに来る。

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2002年07月03日 スイス旅行中
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2001年07月03日(火)
 [72] 3D-ホームページ延期
三D−ホームページソフト7月2日の予定が富士総業の都合で7月23日に延期。
打ち合わせの中でかなりの手直しの部分が見えてきた為、延期になりました。
ホームページを三Dを取り入れる画期的なもので、大化けの可能性もある為、
徹底的な練り上げが必要のようです。


2646, 世界の株価ー上半期の騰落率

2008年07月02日(水)


先日の日経新聞に
「世界の株価・資源高の明暗(08年上半期の騰落率)」が、出ていた。

ー概略をまとめてみるとー
 ●国別の明暗からみると、
2008年上半期(1―6月)の世界の株式市場の値動きは、資源国と非資源国とで明暗が分かれた。
株価騰落率を比較すると、上昇率上位には南アフリカ共和国、カナダ、ロシアなどの資源国が並ぶ一方、
中国やベトナム、インドの下げが際立った。
日本はデフレが長かったことが、インフレに抵抗力があると逆に見直され、株価の下げが小幅にとどまった。
全世界の動向を示す「MSCI世界株価指数(48カ国・地域ベース、現地通貨建て)」は昨年末比 14%下落。
このなかで上昇したのは南アフリカ、カナダ、ロシア、ブラジルの4市場で、いずれも資源国だ。
ベトナムが何と57佑硫射遏中国の上海が48諭▲ぅ鵐匹30数佑任△襦
上海とインドは6月だけで20佑涼猷爾り。 
原料を仕入れて加工し輸出する国が原油と穀物などの値上げが直撃をした結果が出ている。

 ●業種別でみると、
金融、自動車が大幅に下落した。反面、資源高が追い風になったエネルギー関連が高騰した。
中国最大手のペテロチャイナや、ロシアのガスプロムなどの時価総額が世界有数の規模になった。
自動車が下げた。ホンダなどの燃費の良い車を生産している会社株の下げは小さかった。しかし、大型頼みの
GMの株価は、この半年で半分になった。 6月26日には34年前の1974年12月の水準まで下げた。
時価総額が6900億と、トヨタの17億兆円の25分の1の程度になった。自動車株全体で20誘瓩まで
下げた。 金融株も全体で20猷爾押金融最大手のシティは、資本増強を好感して4月に持ち直したが、
最近になって安値をつけている。

 ●日本株は一割安で欧米より小幅
昨年、世界的にみても大幅に安値をつけていたので、小幅の一割安だった。
ポイントは日本のデフレで、多少上がっても、企業や家計に与える影響は西欧に比べて影響は小さい方。
それは外国の投資家が消去法で買いに入ったに過ぎなく、不安定なことに違いはない。
 −−−
以上になるが、中国と、インド、ベトナムが、今回の石油、穀物などの資源の高騰の最大の被害を受けている。
日本は、この十数年の値下がりがあったので、少なく見えるが、これからジワジワ影響が出てくる。
フランス、イタリア、ドイツなどの欧州も打撃が大きい。昨夜のニュースで、世界中が困惑していると報じていたが、
打つ手なしの大津波を前にして呆然自失というのが実感である。
 日本一国ではなく、世界全体の問題だから深刻である。

・・・・・・・・・・
2007年07月02日(月)
2281, 大学下流化時代
                   才ノヽ∋― (≧ω≦*)♪ !!
   図書館から借りてきた数ヶ月前の月刊誌に「大学下流化時代」という特集があった。
  (中・高校生の質の低下は知っていたが)大学生の質の劣化を露骨に分析してあった。
   現在の社会や経済と同じ現象が大学でも生じていると思えば納得する。これでは中国・朝鮮・インドに
   将来、追い越され、さらに遅れをとるのは必然と考えざるをえない。 恐ろしい現実を知った。

 ー要約をすると・・・
大学進学率が10〜20佑了代は、東大・京大をはじめとするエリート大学に中堅上流大学の
学生文化が上位同質化をしていた。ところが、30%を超え、さらに50%を超えた現在、
中堅上流大学が下位同質化になってしまった。
中堅上流の大学そのものが学生消費者主義への迎合やポピュリズム大学改革で、下流化して負け犬になってしまった。
もはや東大・京大等の一部エリートと、中堅上流校以下は分断してしまい、ほとんどの大学が下流に陥ってしまった。
これは非常に日本の将来に暗雲が立ち込めた事態である。

仏国の大学生を例にみると、文化資本の形成にあたっては学校効果よりも家庭効果が高い。
つまりどんな大学で学んだかより、家庭の文化資本の多寡によって本人の文化資本形成が
左右されるということである。日本は逆で、家庭の文化資本によるより、学校文化によって
文化資本が形成される度合いが強い。とすれば、日本における文化資本形成における
せっかくの学校効果を、近年の下流化が根こそぎ破壊されていることになる。
負け犬キャンパス文化の上限が中堅大学にせりあがり、彼らはこうした文化に浸っているので、
「これでいいのだ」文化によって、負け犬の道を意識しない。こうした事態ははなはだ深刻である。
    −−−
    以上であるが、大学も20対80から、5対95の分断化が進んでいる。
    そこまで、日本は絶望的な状況なのか! 私立では慶応だけが抜きんじて、早稲田以下に差を
    つけてしまったというが、そこでも同じ現象が生じているのか?それとも、ブランド戦略の差なのか?
    それと、現在短大を含めた大学生が51・5諭高専・専門校生が25佑箸いΔ里癲
    知ってはいたが、改めて実態を確認すると問題の深さに驚いてしまう。          
                           ´・ω・]ノヂャァネッ
・・・・・・・
2006年07月02日(日)
1916, スペイン画家・堀越千秋ー7
                 才八∋ウ_〆(∀`●)
      スペイン七千夜一夜  集英社文庫  ー読書日記

スペインといえば、やはり闘牛である。何回か闘牛について書いてきたが、
堀越氏の闘牛の見方が独特の視点である。「俺と一緒にするな!」という著者の声が聞こえそうだが!
一回目は衝撃的だったが二回目に見たときは、観衆と一緒に興奮して、面白いと思えるようになった。
早くいえば、寄ってたかって一頭の牛を殺すのを楽しむショーである。
 が、慣れてくると、それが恐ろしいことに、面白くなるのだ。
    
現在は、闘牛士と戦う前に、槍で刺して弱らせる。そうしないと殺される確率が高くなるからだ。
初め観たときに誰もが思う「卑怯ではないか!」と。しかし、ここはスペイン!
それが現地の文化?の一つなら一緒に楽しむこと、と決め込み、何度か自分の良心に言い聞かせて・・・
  まずは、その一部を抜粋してみた。
    ー
    スペイン名物、闘牛とは、そもそもそんな主客転倒の様式化といってよい。
    牛は、平和な原野の牧場からある日突然連れさられる。
    暗闇に閉じ込められて、いきなりドアが開くとまぶしい闘牛場だ。
    怒ってやみ雲にも角を振り回しているうちに、あちこち槍だの銛だのに
    突き刺されて、最後に長剣を刺されて死ぬ。 何が何だかわからない。
    一方、客の方は、やれあの牛は闘士がない、いや勇敢だ、角を左に回す癖があって
    よくない。いや口を結んだままで強い、右足がゆわい、いやダメな牛だ、
    いや素晴らしい牛だ、これこそ牛の中の牛だ、等々、勝手なことを言う。
    そして、血の泡吹いて息絶えた牛が、4頭のラバに引かれて退場をするところを、
    拍手をしたり、口笛をふいて避難したりする。人間どもの勝手もいいところだ。牛の都合など一切、考えない。
    人間の都合と審美観のみを一方的に牛に押し付ける。元々人間対動物の関係は、そういった一方的なものだが。

    牛の都合は、実は、無視されているのではない。
    スペインの人間によって、主客転倒や主客合一の甘露をかけられて、つまり人間にとって良い牛は、
    恐ろしい野生の黒牛でもないし、敵でもない。美しい、雄雄しい、勇気ある、気高い「自分」なのである。
    強い牛は自分の美点の反映なのである。勿論こっちの自分は、牛がいくら刺されても痛くもかゆくもない。
    牛の中に一瞬、自分の美しい反映を認めただけなのだから、
    牛がばたりと死んでしまえば、あーあと葉巻をくわえて背伸びするだけだ。

こういう便利で自分勝手で、自由にあっちへ行ったりこっちへ来たり、一瞬のうちに都合の良いほうへ
乗り移る「自分」というものを、日常的に心の中に飼っておかないと、闘牛という、不思議な審美観によって
支えられる「芸術」を理解したり、まして愛したりなど、到底できない。
    ーーー
 スペイン人と日本人は違うのです!!  
ー以前の闘牛について書いた文章ですー
 −−
2002/09/07
パンプローナの牛追い祭り

今朝9時半より、衛星TVで今年のサン・フェルミン祭を放映していた。もし神様が一日だけ
もう一度同じ日を与えてくれるといったら、4年前のこの祭りの最終日を間違いなく選ぶだろう。
今年は例年になく多くの負傷者が出た。
今日の番組は毎朝の牛追いに絞った8日間の内容の為、毎年放映される中でも特に迫力があった。
初めから最後まで手に汗を握る内容であった。
この祭りはヘミングウエーの「日はまた昇る」で舞台になり世界に一躍知られるようになった。

この期間ー7月上旬の8日間、町中の人が白い服に赤の腰巻の布を巻き、
(字数の関係でカット弐千八年七月弐日)  
・・・・・・・・
2005年07月02日(土)
1551, わたしの酒中日記ー番外

わたしの酒中日記を書き出して、驚くほど昔の記憶が戻ってきている。
居酒屋やスナックのことから記憶と背景をたどっていくと、芋づる式に記憶が次から次へと出てくる。
その記憶をたどると、その時々に精一杯生きていた姿に驚かされる。
真面目?に不器用に生きていた当時の自分の姿が、輝いて思えてくる。

今まで後ろを振り返らないことをモットーにしてきたせいか、最近になって振り返ると、
その瞬間瞬間の記憶が生々しく新鮮に感じる。その時々の心のひだがドンドン思い出されてくる。
しかし書けないことは幾らでもある。 その辺がプロと素人の書き手の違いである。
本当のことは作家以外、そうは書けるものではない。

読み返してみると、若さ特有の自意識過剰がそのまま見てとれる。それが若さなのであろうが。
昔のことを書くのは気持ちが重いが、好きな酒を飲んだ思い出なら気楽に書ける。
その切り口からのTPOSの背景を書き出すのも面白い。
誰もがフラッシュ的な記憶の断片が脳裏に浮かぶ。しかし、それを書き出すということはなかなか出来ない。
そのフラッシュのように戻った一瞬の記億を、酒場にからめて書けばよい。

酒中日記を書いて、「人生は多くの何げない日常の断片から構成されている」ことに気づいた。
決して大きな塊ではないし、光り輝いた結婚式や旅行などだけにあるのではない。
何げない日常の中にこそ、深い人生の意味が詰まっている。

酒席のことを書いていたら、いくらでも昔のことが思い出される。
それが果たして良いのか、良くないのかまだ判断できない。このレベルなら、いくら思い出せるものだ。
人生は、日常の根っ子の地中の中にこそ、味わいと真髄があるようだ。

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2004年07月02日(金)
1186, 異境・秘境ツアーレッスンー5
ー感動は蓄積される

何故、異境・秘境に行くのかというと、想像を絶する素晴らしい世界がそこにあるからである。
そして大自然や遺跡の異質の世界に、直接触れて感動するからだ。
実際体験して解ったことは、歓喜と激しい感動は、ほぼ同じではないかということだ。
旅行のたびに期待していた数倍の感動と歓喜?がそこに待っていた。

とくに大自然の中の壮大な美しさや神秘性から受ける感動は何にも変えがたい。
その感動を得る為に、いそいそと飽きずに家内と一緒に出かけていく。
感動の蓄積が磁力になり、更により大きな感動を引き寄せる。
そして感動は確実に自分の中にドンドン蓄積されて醸造される。
私と酒を飲んだ人はわかるだろうが、酒を飲むと普段のブロックが外れて
その時の蓄積された感動の波動が開放される。
毎日晩酌で、ほぼそのブロックが開放されハイに瞬間なってしまう。

幼児期から青年期にかけて可能な限り、親は子供に芸術(音楽会や一流の絵)や自然を見せて
感動のシャワーを浴びせてあげなさいという。その量×質が、その人の人生を決めるという。
感謝・感激・感動は、その人の潜在能力のベースになるからだ。
今からでも遅くはないから、可能な限り一流なものを見て、触れて感激・感動を
意識的にしていかなくては!いまさら遅いか?豊かな人生とは、感謝・感激・感動の豊かな人生をいう。

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2003年07月02日(水)
819, 恵まれていた時代に生きて

50歳の時に、「自分の人生を振り返って実感をいってみろ!」と自問自答した。
直感的の出た言葉が「恵まれていた!」「面白かった」「悔いはない」である。
特に思ったのは「恵まれていた」である。
・第二次世界大戦直後の1946年の一月に日本に生まれたことが全てといってよい。
 ー冷戦下における日本という環境において、アメリカが中国・ソ連・北朝鮮など共産圏に
 対する前線基地と位置づけて、 日本に最優遇待遇を与えてくれていた。
・新潟県という全国でも最も豊かな自然を背景にした環境も良かった。
・両親も含めて家庭にも恵まれていた。 多くの兄姉にも恵まれていた。
・ちょうど青春時代が高度成長期にあたり、時代の波に乗ることができた。
 国に若さと希望があった。

歴史的にみても、20世紀は(特に後半)は、日本にとって黄金の時代といわれるだろ。
この時代を背景として事業チャンスもいくらでもあった。
また時代の変化も激しいのが特徴であった。とにかく面白い事が多かった。
時代が上向きだからこそ変化が面白かったのだ。

あと10年、恵まれていた時代に稼いだ資産の食い潰しをしていくだろう。
そしてその後は亡国に近い状態になることは明らかである。今の日本は、それしか選択ができないだろう。
魚は頭と尻尾から腐るというが、今の日本の姿がそうである。いま1968年の時代の日記を随想日記に
書き写しているが、時代の背景の違いが全く違うことに驚く。やはり経済があってこその国であり、個人がある。
そして特に「国が豊かで恵まれていた」ことが大前提であった。

話が変わるが、昨日12の宮のことを書いたが、その宮一つ一つとっても全て恵まれていた。
宮の意味はどういうことかと考えてみたら、ありがとうという感謝をする祠ということだ。
12番目の異性の替わりに国をあげたほうがよい。 その一つ一つにできたら100回、
計1200回あげるのが理想だろう。とりあえず50回「ありがとう」をいってみよう。
これを一年続けたら運命が変わるのも至極当然である。

「ありがとう」を一万回以上続けて「マイナス思考の毒が激減した」と実感を先日この随想日記で書いた。
「幸せの宇宙構造」というの中に、『3つの帝国』という項目に正にその理由が書いてあった。
人の心には『好帝国ー肯定国』と『悲帝国ー否定国』と『ありがてい国』の3つがあり、
それぞれの国民が住んでいる。一番良いのは「ありが帝国」であるのは当然で「ありがとう」と言っているうちに
無意識の中の否定国の住民が少なくなった為だ。 単純だが、しかし真理をずばり突いている。

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2002年07月02日(火)
455,地球をサッカーボールに喩え

今回のワールドサッカーを新聞はどう捉えているか、毎日新聞の社説がダントツよかった
「・19世紀のナショナリズム、
 ・20世紀の資本主義、
 ・21世紀のグローバリズム化。
この3つが今の世界を動かす理念だとすれば、地球がサッカーボールに凝縮して私たちの前に現れた。
私達は本物のサッカーの興奮を始めて知った。欧州と南米で4年ごとに繰りかえされる祭りに加わった。
スポーツが野球などアメリカの影響下にあった日本、アメリカの影響から逃れたい無意識の願望に後押しされて、
アメリカが作らなかった国際標準を初めて選んだ」

この鋭い分析に納得した。「サッカーボールを地球に喩える」とは、書くプロはさすがに違うと感心した。
・延べ500億の人が見たと予測されているという。大きいビジネスでもある。
・「90分ナショナリズム」という言葉も新鮮だった。
・朝日新聞に出ていた川柳もよい「球ひとつ生命あるようなゴール決め」
・選手の過半数が何処かの国のプロサッカー  多国籍の選手ーグローバルの時代
印象的キーワードを並べてみる
・地球最大の運動会
・国家の威信をかけた模試ー代理戦争
・壮大な民族展示会

・・・・・・・・・・・
2001年07月02日(月)
[71] 夢についてー3

夢は犬や猿など他の動物も見るという。
子供の時母や姉が実際幽霊を見たとかの体験談をきいて、いい年をしていいかげんな事と、
気持ちの中で全く受け付けなかた。ところが経験を積むにしたがって、何か常識で考えられない
何かが存在している事を確信してきた。
特に‘夢’とか‘遇然の一致’そして‘死’‘自然現象’に何か人知を超えた存在を感ずるようになった。  
  ー以前の文のコピーをまたしておきますー
      H05 11 記   妙な夢―(供
 秋葉原のワシントンホテルに泊まった時の事、夜半何かのケハイに横を見ると女の人の顔が浮いている。
夢だろうと腕をつねったが痛い、これは面白いと、メガネをかけじっくりとみた。
全体が白光色の黒髪の27〜28才位の、のっぺらした美人であった。
別に恐ろしいという事もなかったが顔ははっきりと憶えている。

ところが何年か後に会社のある人にその話をしたところ、‘それって皆同じ顔しているんだよね’言われた時た時、
はじめてゾーッとした。 またこんな夢もある。夜半目がさめて寝むれないので、般若心経をとなえてウトウトした頃、
急に別空間にひきずりこまれそうな感覚になり、まずいと中断した。 あの別空間は“別宇宙”“ブラックホール”
的イメージであった。その前後の夜半に夢で宇宙船みたいなものが近くおり、乗れという、
これも乗ったら危険と直観し去けた夢である。

あれに乗ったらどんな景色がみえたのだろうか?単なる夢とかたずけられない妙な内容であった。


2645, アメリカ狂乱 −1

2008年07月01日(火)


 「アメリカ狂乱 −次の大統領統は誰か」 日高 義樹 (著)

   本屋で平積みしてあった本だが、何時か図書館に並んだら読もうと思っていた。
   それが数日前に、長岡の図書館で読んだら、これが面白い。 
   40年近くに渡り、アメリカの国内事情と、大統領選挙を見てきた著者の視点のためか
   多角的に分析していて説得力がある。  

  ー面白そうな部分を抜粋しながら、まとめてみるとー

●民主党有利と言われているが、現時点では共和党のマケインがもっとも大統領に近いのではないかという。  
 その理由として、 ヒラリー、オバマ両民主党候補の争いが泥沼化していること、ベトナム戦争の英雄である
 「強い指導者」をアメリカ国民が選択するであろうという。  
 「大統領選挙の本番になればアメリカ国民は、それぞれの候補にアメリカ軍の最高司令官としての能力があるか
 どうかを慎重に見きわめる」というキッシンジャー博士の言葉を引用して、誰がアメリカ軍の最高司令官に
 ふさわしいかどうかと言えば、経験と力量からいってまぎれもなく 元海軍士官にしてベトナム戦争の英雄であるマケインだ。  
 ブッシュがマケインの主張を取り入れ、ラムズフェルドを解任し、兵力が不足していたイラクに一度の大部隊を送り込んだ 
 という話や、共和党の政治家のほとんどがイラク問題を身辺から遠ざけていたときに、マケインは流れに逆らって 
 自分の主張を通したという。 71歳の高齢ながらベトナム戦争時の英雄として扱われており、民主党の候補者同士が 
 泥仕合を続けるならば、勝機は十分にある。しかし、現在は、上院・下院とも 民主党が多数を閉めており、 
 大統領になったとしても苦しい政局が続くだろう。 
●ブッシュはイラク戦争によって中東に新しい情勢をもたらした。 戦争そのものはアメリカが勝ったというかたちで
 終了しつつあるが、彼の後継者となる次の大統領は、アメリカの利益を中心とする新しい中東政策を考えなければならない。 
 ブッシュが唱えつづけてきた『テロリストとの戦い』にもアメリカは勝ちをおさめる形成になっている。
●オバマは、ケネディーの再来を演出しているが、政治家としての経験が決定的に不足している。  
 政策も、北米自由貿易の破棄、イラクからの軍の即時撤退など非現的なものが多い。  
 アメリカは地方には、古い部分も多く残っており、黒人の大統領が出るまではあと1世代  (30年)はかかるだろう。
●ヒラリーは、予備選挙で敗けた時泣き出す、オバマを敬称をつけず呼び捨てにする、  
 コマーシャルがあまりに過激等、性格的な問題が国民に知れ渡っている。 
 全米で最も有名な 政治家であるが、最も嫌われている政治家でもある。その他ヒラリーには問題点が多い。
  ー以上だが、民主党はオバマが勝利した。しかし、二人の亀裂は民主党の亀裂と同じ。
   マスコミは、オバマの方がネタとして面白そうなので、マケインより有利と煽るが、
   この本を読む限り、そうでもなさそうだ! 政権が変わると、ホワイトハウスなど1万7千人が、
   全て交代という。また、官公庁も役職が殆ど交代という。システムとして汚職が出来ないようになっている。

・・・・・・・・
2007年07月01日(日)
2280, ビジネススーツ・ビル
                       ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!           
ー 超高層ビル=ビジネススーツ・ビル論 ー

*半月ほど前の読売新聞に掲載されていた建設史学者の鈴木博之氏の「ビジネススーツ・ビル論」が面白い。
超高層ビルの外装を、ビジネス・スーツと類推するところがユニークである。

ー超高層ビルが林立すると、そこに立ち並ぶ超高層群は無個性化を始め、ビジネススーツのように縦ストライブの、
抑えた色調の外装パターンになり、外観からはビルの存在感を消そうとする傾向に入った。
それを「国際化」と見る人もいる。ー  概略は、このようである。
(以下、字数の関係上カット、2008年7月01日)
                  ホナナァ☆ |∀・`@)ノ|Юバイバイ
・・・・・・・・・
2006年07月01日(土)
1915, スペイン画家・堀越千秋 −6
       \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/

文化とかという難しい?ことでなく、スペインの日常料理から現地の生活実感を垣間見ることができる。。
私など、三度行ったスペインのバールの美味い酒のツマミの印象だけで、
「もし永住するならスペインが良いな〜」と思っていたら、一撃を喰らう内容があった。
  ー 
  スペインの町でキョロキョロしている日本人旅行者たちは、
   「イヤァ、スペインは美人が多くて結構ですな」など言いがちである。
    おまけに「スペイン料理は日本人の口にあっているし」とも言う。
   「オリーブ油が如何だこうの言いますが、私は大丈夫です、美味しいですよ」という人がいる。

じゃあ、今夜みそ汁も白米も一切やめて、固いバンにオリーブオイルとラード(マンテカ)塗ってくてみなよ。
あんたの好きな烏賊のリンク揚げと、二週間続けて揚げて使ったオリーブ油で好きなスペイン・オムレツを
こしらえて喰いなよ。皿からこぼれそうな豆と豚の脂身のスープに、さらにオリーブ油をドブドブかけて喰いなよ。
アンダルシアの貧乏人のように。皿からハミダシしてテーブルに垂れているアビラの牛肉、食ってから、ベロベロに
甘いサンチャゴ・ケーキ、全部喰いなよ。 これを乗りこえて、著者はスペインを理解しているのである。

 堀越流の国家観もよい。「西洋人は、面子より実質的な損得をとる。欧州とは、金品と武力で倫理を
売買してきた歴史ではないか。もちろん、人間の一人一人は、道理をもって説けば通ずるものである。
何処の国だって、個人というものはおおむねそうである。
が、国家とか政府というものは、個人より随分劣っているものである。野蛮である。

    どの町だって、何とかというとピストルや刃物を出してくる隣人というのは、
    そうそうない(アメリカは知らないけど)。しかし、国家というのは全部軍備を持っている。
    いつも腰に刀やピストルをさして歩いているようなものだ。核兵器を背負っている老人もいる」
 −−
スペインにいればこそ、こういう見方ができるのだろう。
島国で、四面を海に囲まれて、元寇に攻められたことと、第二次世界大戦で敗戦で占領された以外、
外敵を意識したことがない日本にいては、軍備の必要な事態が理解できないのだ。
               つづく                   
                   i (ω・`) bai
・・・・・・・・・
2005年07月01日(金)
1550, 将来の不安−2
      ー不安を哲学するとー

我われは、過去に対しては悔恨があり、未来に対しては、不安が付きまとう。
といって、まだ来ぬ未来を不安がっていても仕方がないし、反対にノンビリ過ぎるのも問題。
最悪を想定しておくことも必要であり、「大丈夫!」という言葉を口ぐせにしておくことも、一つの解消方法である。
不安の対象に対して考えつくしたあとで、「その時は、その時だ」と放念することも時に必要である。

青年期の日記を読み返してみても、その時点時点で不安感が大きく口を開けていた。
不安は一生我々を悩ますものだ。我われを脅かす「特定の対象」に向けられたものが「恐れ」であり、
「不安」は漠然とした恐れの感情をいう。その恐れに対して、打ち勝つ克己心が勇敢、勇気ということになる。
前にも、「将来の不安」という題目で書いた。不安は目先の変化に対する不適応から生じる心理の揺れと書いたが、
目的意識の希薄さも不安心理の一つである。 その不安感に対して、哲学者がどのように考えてきたのだろか?

ーある本からの抜粋をしてみるー

・先ずは、キリスト教の初期に神に対する畏敬や罪に対する恐れを不安とみた。
 その不安を克服することが永遠の生を得るための前提であるとした。

・次には、19世紀になって、キルケゴールが不安の心理分析をおこなった。
 その後、ハイデッガーやサルトルなどの実存主義者やフロイトなどの精神分析で中心概念になった。
 キルケゴールは不安感を罪の問題に結びつけて考察する。アダムとイブの原罪から,
 人間は皆罪を持って生まれてきたとして、 罪の状態に陥る可能性の中で罪あるものとなると。
 不安とは、悪魔的なものが持つ妖しい魅力に堕落できるという「自由のめまい」であり、それは堕落の深遠を
 覗き込む時の感覚にたとえられる。サルトルは、これを「めまいが不安であるのは、私が断崖に落ちはしないか
 という恐れだけでなく、私みずからが断崖に身を投げはしないかと恐れるかぎりにおいてである」と考えた。
 ひとは天使や動物と違って、可能性に対してたえず不安を覚える。
 それは人間がこころと身体との総合としての精神という特殊のあり方をしているからだ。つまり人間はその本性上、
 不安になりざるをえないのだ。 不安の中でおのれの罪を自覚して、はじめて目覚めた精神となる。
 その絶望的な不安にかかわらず、なおも自分自身に真剣であり続け、
 ひとりの単独者として信仰へと飛躍することによって、不安から解消され、真に自由になることができる。
 キルケゴールは不安の心理を分析することを通して、人間のあるべき姿を探求した。

・ハイデッガーは、不安とは現存在として最も根本的な気分であるとした。
 彼によると、現存在は世界内存在として理由もなくこの世界に投げ出され、そのつど、何らかの気分に規定されている。 
 日常性の中に埋没されて生きている非本来的あり方から、本来的自己を呼び覚ますきっかけとなるのが不安である。
 とりわけ「死」の可能性の前にしての不安において、現存在としての 根源的開示がはじめて生起する。 
 我われはいつか死ななくてはならない。 「この私」の死を誰も変わってはくれない。
 その死を痛感する時、人は日常から引き離され、単純化し自分自身と対面せざるを得ない。
 その死を見つめることによって、その可能性に「先駆」することによって、本来の自分を取り戻すことができる。
 おのれの実存をたえず知覚させてくれる 気分として「不安」を考察した。

・精神医学において、フロイトは神経症と不安の関係を探求した。
 はじめは、不安を性的不満足にたいする生理学的な反応とみなしていた。
 しかし後半は不安とは自我に対する危険を知らせるシグナルであり、
 それを回避するための防衛機制を作用させる感情であるとした。

ーー
不安感は誰にもあるが、その度合いであろう。不安感のないのもおかしなものであるし、
強すぎて何もしないのも問題である。我々の究極の不安は、やはり「死」である。
といって、死ぬまでは生きているのも間違いのない事実である。
・キリスト教的な神への原罪意識
・精神を持ったためにあらゆる可能性を持つ不安
・死への恐れ
・自我に対する危険のシグナル  等々、を不安の根本原因とみている。
これらの不安を抱えて生きていくからこそ、人生は面白いのだろう。
所詮、不安感からの解放はないのだ。それならば、精神の属性として仲良くしていかなくてはならないのか。

・・・・・・・
2004年07月01日(木)
1185, 異境・秘境ツアーレッスンー4

秘境ツアー先の現地の日本人ガイドを見てみると、多様な人生が垣間みえる。
それぞれの色いろな事情を聞いているとドラマそのものである。

・日本でたまたま、その国の人と知り合って結婚、移り住んでいるケース。
・その国の留学滞在や、連れ添いが仕事で駐在しているケース。
・旅行をしていて気に入り、一度帰ったが忘れられないで、何とか手続きをとって住み着いたケース。
・世界中を数年単位で渡り住むことを、自分の生き方にしている人。 等々さまざまである。
日本人がほとんど行かない現地の人ほど、日本人に会うと、そして日本語が話せることが嬉しいようである。

・最近の変わった人といえば、去年行ったアラスカのマッキンレーの伊藤さんという人だ。
60過ぎの、見た目はエスキモー人そのものであった。若いときにアラスカに渡って、そのまま現地人に同化してしまった。
観光シーズンはガイド、それ以外が猟師をしているという。
「アラスカのエスキモーが、たまたま間違えて日本人に生まれたきた」といっていた。
この人の存在は私も本で何回か出てきていたので知っていたが、まさか会えるとは思ってもいなかった。
狼などの猟の話が、リアルで原始的で非常に面白い。30数年前の「3億円強奪事件」の犯人ではないかと先年、
週刊誌に騒がれた人物でもある。 嬉しそうに、その逸話を話していた。

・やはり去年の、アイスランドの若い女性ガイドは、「旅行先のパリで知り合った白人男とたまたま
アイスランドに来て数年滞在している」といっていた。結婚をするかどうかは解らないとか。
今風の若い人は、こうなんだと驚いたが、日本人と思わなければ如何ということはない。

・イスラエルのガイドは、以前にも書いたことがあるが、ヘブライ大学出で神学者くずれの60歳位の人。
癌で何時死ぬかわからないといっていた。 日本にいまさら帰っても、友人もいないし、
現地で死ぬかもしれない寂しさを10日間、切々と話していた。自己証明をしておきたかったのだろう。
日本人はイスラエルに来ることは殆どないという。そのためか、マイクを離さず「自分の過去」をこと細かく
話しまくっていた。「イスラエルの地で、自分が消滅する不安がたまらない」という叫びが心の底から響いていた。
旧約・新約聖書の地を巡りながら、ガイドの心の十字架を背負って生きている姿が印象的であった。

・人間的と思ったのは、ニュージーランドの70歳ぐらいの女性である。若い時にニュージーランドの豊かさに憧れ、
移住した。 ところが、その直後から日本が高度成長になり、この国より豊かになってしまった。
そのまま日本に住んでいた方がよほど豊かな生活ができた、無念であるという言葉が
何か微笑ましく、しかし悲痛な叫びに聞こえてきた。

・南アフリカの50歳位の女性はもっと切実であった。
日本の商社でイギリスの男性と知り合い結婚、イギリスに行ったが、仕事の関係でケープタウンまできて生活をしている。
日本人の墓は一つしかなく、彫られていた年号は明治末期という。その女性に何があったのだろう、推理するだけでも面白い。
みていて寂しさが墓から伝わってきたという。 若い時の海外生活はよいが、歳を重ねたそれは厳しいという。
自分の子供の名前を日本名前にするか、イギリス名にするかで夫婦で争うという。
死んだ後、自分の存在が子供の名前しか残らないからだという。

ツアーはよい、絶対に個人では行けないところまで、行けるからだ。
それも安く、安全に。 [皆で行けば怖くない]ということか。

・・・・・・・・
2003年07月01日(火)
818, 12の宮

ある本に面白いことが書いてあったので抜粋する。
  ーーー
昔読んだ本の中に、こんなことを書いたものがありました。うろ覚えなのですが、こんな内容でした。
私たちには「12の宮」があり、その宮には必ず一つの黒丸がある、というものです。
「12の宮」というものを私なりに作ってみました。
・家族・家系的な6つの宮に対して
・自分にかかわる6つの宮があるような気がします。

ー家族・家系にかかわる宮として
1番目として家系運  2番目として親運  3番目として子供運  4番目として兄弟運
5番目として親戚運  6番目として配偶者運ー結婚運ー結婚できるかどうかも含む

ー自分運として
7番目として金銭運ー出入れする金ー短期スパンの金
8番目として財産運ー蓄積された長期スパンの金  9番目として仕事運 
10番目として健康運 11番目として友人・先輩運 12番目として異性運
以上は私が考えたものです。その本の著者が考えたものと違うと思います。

この「12の宮」に必ず1つの黒丸がある。つまり瑕疵(キズ)があるという考え方です。
(以下、字数の関係上カット、2008年7月01日)

・・・・・・・・
2002年07月01日(月)
454,面白かった!!

ワールドサッカーが終わった。 やはり世界のトップが集まる試合は面白い。
サポーターと一体になった選手が段段燃えていくのがよい。その時の勝負のアヤが左右するのが特に面白い。
優勝候補のフランスとアルゼンチンが早々に敗れるというのも、勝負のアヤであった。
ワールドカップというのがこういうものだという事が、理解できたように思った。
実際のところサッカーの面白みがいま一つピンとこなかったのが、これを契機に好きになれそうだ。

決勝戦が終わったときの,勝者と敗者の差の大きさもそのまま画面に出ていた。
やはり一国でやるべきというのも確かであった。 最終戦で会場の勝者に対する会場のシラケぶりには
世界に対して、この国のセンスの低さを曝け出してしまった。
韓国の熱狂と比べ、途中で負けてしまった事を差し引いても盛り上がりが少なかった事は否めない。

ブラジルが勝ちあがっていくプロセスでやはり強かったようだ。
南米の予選ではやっと勝ちあがってきたという。彼らも実際優勝できると思ってなかったことも含め、
喜びは最大級だろう。 TVの前でこれだけ熱狂するとは思っていなった。

・・・・・・・・
2001年07月01日(日)
[70] 夢についてー2

何か欲しい!とか、どこかに行きたいという夢と夜見る夢と共通点が非常に多いという。
トイレにいきたいと探している夢は目を覚ますと殆どトイレにいきたい状況である。
次の夢は不思議な不思議な夢だ。‘母とか父が死んだ後自分のなかに生きている!’とかいうが、
少なくとも私の中で事実の世界だ!夢で事実生きている。
痴呆症になり幼児に退行した幼児に変身した母が出てくる。それは正しく母が私の中で事実生きているのだ。
次にまた以前書いた文章をコピーしておく。
ーーーーーー
H0511妙な夢―(機

 ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。泥棒ではないかと起きようとするが半睡眠状態で身体が動かない!
起きよう起きようとしているうちにスーッと身体が起きて廊下に出て、居間に行き、台所を通り、寝ていた部屋へ
一周してもどってきて布団に入る。ところが、ところがである。自分の肉体は反対側の向きでねている。
まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になるという夢(?)である。
これが単なる夢か幽体離脱七日まだわからない。
 
 また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が1.8m位浮いて(そのまま水平にいて)
下をみると自分の肉体が下にみえる! 直観的にまずいと思い下にもどろうとするがもどれない。
かなりうなされていたと思うが?何年か後に誰かにきいたが、霊現象の一つで、よくある事だそうだ。
こんな事もあった、これは夢ではないが部屋の天井や床の下四ケ所で次々と音がする。しかし夢ではなかった。

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