堀井On-Line



1945, 満水の阿賀野川河口でカヌーに乗る

2006年07月31日(月)

           (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜 ヨウ


豪雨で満水の阿賀野川河口でヨットカヌーに乗った。

大学時代のゼミの後輩Mさんが、
最近ヨットカヌーに凝っていて、
「今度、是非カヌーを乗ってみませんか」と誘われていた。
先日行われた「新潟県活性化の会」を仕掛けている人だ。

    来県の前日の27日に電話があり、
    「車の上にカヌーを乗せて東京の自宅から来たい」という。
    天気予報では豪雨注意報が出ていたので、
    「カヌーなど絶対に無理」と言ったが、
    それでも車の上にカヌーを乗せてやってきた。
   「出来ないとしても、帰りの道すがら何処かの河で浮かばせるから!」
    という。好きな人はそういうものだ。

天気予報では豪雨、絶対にこんな時にカヌーなど不可能と、
服装などの準備は全くしていなかった。
一昨日の29日の朝、どういうわけか打って変わった穏やかな天候になった。
(前夜半はかなり降ったようだが)


    前回にMさんが来て、一緒に飛行場周辺を見て回った時に、
    阿賀野川の河口がカヌーの最適の場所と目を付けていた。
    当日そこに行ってみると、数日の豪雨のため河は溢れていた。
    しかし、Mさん「平気で大丈夫です、乗りましょう」という。
    
    この玩具みたいなカヌーでこの数百m、
    いや1キロ以上?もある河口を乗りまわるなど、
    とんでもないと思ったが、
    本人は「平気、平気、何でもないですよ」という。
    そして、ドンドンカヌーを組み立て始めた。    (o_o ;)


岸沿いを漕ぐのかと思いきや、どんどん河の真ん中の主流に出て、
そして対岸まで行ったしまった。             \(゜ロ\)
当然この満水の中、他のボートは1隻も見当たらない。
沿岸にはモーター・ボートが20艘ほどあったが、この洪水一歩手前の中、
誰も乗るはずがない。       ヽ(///>_<;////)ノ


    始めは少し恐怖があったが乗っているうちに、
    恐ろしさが全くなくなってきた。
    地元の人からみたらとんでもことであろうが・・
    
    それにしても、面白い!
    豪雨のため大きな流木が彼方此方流れてくるが、
    それを避けながらボートを操るのだ。
    ふと気づくと2時間近くたっていた。

そして、午後は寺泊の海岸に移動、
再びカヌーを浮かべた。
また河とは違ったスリルがある。
風が不意に舞うのと、海流の動きをみながら操る。
河とは全く違う面白さがある。

    Mさん、「このカヌーあげましょうか」というが、
    私が乗りこなせるものではない。
    丁重にお断りをした。

Mさん、ヨット歴をいれると30年は舟に乗っているという。
そりゃそうだろう。
あの川幅のある阿賀野川の満水の中、流木を避けながら
ヨットカヌーを乗りこなすには長年の経験が必要だ。
    
    Mさん、その日は遅くなったので急遽、長岡に宿泊。
    殿町を深夜まで飲み歩いた。( ^^)/▽☆▽\(^^ )
    
    そして、翌日の15時過ぎまで、再び寺泊で、
    午前・午後にわたりカヌーをして、
    16時に東京にある自宅に帰っていった。
    やってくる前日、知人の通夜があり、数時間しか寝ないで
    新潟にきたというから、凄いエネルギーである。
    
    こういうのも、能力というのだろう。

   28日の活性化の会を含めて、
    この三日間は、刺激的であった。
    
   ー阿賀野川の満水の河渡りは、
        一生ものの思い出になった!ー
                (@´∀`p★)゚*。
・・・・・・・・
・・・・・・・・

2005年07月31日(日)
1580, パンセについて

昨日の随想日記の昨年の同日分に、パスカルについて書いてあった。
その中の格言を読み返してみて、現時点の考えを書きたくなった。
学生時代に感じたこととは自ずから違ってくる。


・人間は一つの極端にあるからといって、その偉大さを示しはしない。
 むしろ同時に二つの極端に達し、その中間を全て満たすことによって、
 それを示すものである。
 ーー
 二つの極端とは、善と悪・神と野獣・観念と実践、等々あるが、
 中庸こそ偉大さがあるということか。
 偉大さも所詮は人間の価値観の判断でしかない。

・人間は偽装と虚偽と偽善にほかならない。 
  自分自身においても、また他人に対しても
 ーー
 偽装・虚偽・偽善と気づくかどうかだ。

・もしクレオパトラの鼻がもっと低かったなら、世界の歴史は変わっていただろう。
 人間のむなしさを知ろうとするなら、恋愛の原因と結果とをよく眺めるがよい。
 −ー
 恋愛の原因と結果とを眺めてみて、男とは他愛のないものである。
 それだけ若き性欲は昇華して恋愛を促進する。
 その障壁が高ければ高いほど燃え上がり、お互いが見えなくなるから困ったものだ。
 
・人間はつねに、自分に理解できない事柄はなんでも否定したがるものである。
 −−
 それが、親から・環境からの植えつけられた強固な先入観であれば、
 養老猛のいうバカの壁になってしまう。
 
・人間相互の尊敬を結ぶ綱は、一般的に必要から生じたものである。
 というのは、全ての人間が支配者になりたがるが、みながそれになるわけにはいかないし、
 種種の階級が存在せねばならないのだから。
 ーー
 お互いの尊敬か〜 

・悲しみは知識である。多く知る者は恐ろしき真実を深く嘆かざるをえない。
 知識の木は生命の木ではない。
 ーー
 軽く、いや生命の木でもある!といえないところが、この格言の深いところである。
 不条理が何事にもついてまわるし、無知の涙と同じくらい知識は涙をともなう。 

・好奇心というものは、実は虚栄心にすぎない。
 たいていの場合、何かを知ろうとする人は、ただそれについて他人に語りたいからだ。
 −−
 実をいうと、これがあるから、この「随想日記」が続いている。
 これが無かったら、これだけ毎日本や雑誌などこれほど読まない。
 といって、その時点時点の好奇心を書き残すのは、
 自分のためのメルクマールである。
 パスカルもそうだったのだろう。
 
・人からよく言われたいと思ったら、自分のよいところをあまり並べ立てないことである。
 −−
 このHPを閉鎖して方がよいと、忠告されてはいるが。
 人に良く思われたいと全く思わないから自分のことを並べ立てることができるのだが。。

・この無限の空間の永遠の沈黙は私に恐怖を起こさせる。
 
・人間は考えるために生まれている。
 ゆえに人間は、ひとときも考えないではいられない。
 −−
 一日、6〜7万位のことを考えるというが。
 人は本当に考えるために生まれてきたのかどうか?

・ひとつの事柄についてすべてを知るより、すべての事柄について何らかのことを 
 知るほうが、ずっとよい。

・我々は現在についてほとんど考えない。たまに考えることがあっても、
 それはただ未来を処理するために、そこから光をえようとするに過ぎない。
 現在は決して我々の目的ではない。
 過去と現在は我々の手段であって、未来のみが目的である。
 −−
 若いうちは、そうだとしても未来がだんだん少なくなってくると、
 現在と過去に光を与えようと必死になる。
 それも必要ではないのか?
 
・習慣は第二の自然だといわれているが、
 人は、自然が第一の習慣だということを知らない。
 ーー
 自然体を基礎においた習慣を意識してないと、習慣そのものが続かない。
 
・誤った法律を改正する法律くらい誤ったものはない。
 法律は正義であるがゆえに従うといって服従している者は、
 自分の想像する正義に服従しているのであって、
 法律の本質に服従しているのではない

・偉人が我々より偉いのは頭が少しばかり高くでているだけのことで、
 足のほうが我々と同じくらい低いところにある
 ーー
 足の位置が同じとみて、同じ気になってしまうから困ったものだ。
 しかし、少し頭の位置が高く出るということは大変なことである。

・実物には一向に感心しないくせに、それが絵になると、似ていると言って感心する。
 絵とはなんとむなしいものだろう。
 ーー
  実物も移り変わるものだから。
 関心をもつチャンスになることも確かだ。
 画家の意図を見てくれる人が必ずいるものだが。
 
 ・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・
 
 2004年07月31日(土)
1215, 「世界の名著をあらすじで読む」         
        ー読書日記

最近、本屋の平積みのコーナーで、古典などのダイジェスト版が目立つ。
文庫本も出始めているからブームになっているのだろう。 
先日、図書館で
「世界の名著をあらすじで読む」と、
「子供に読ませたい世界の名著」
を借りてきてさっそく読んでみた。

振り返ってみて、世界の名著はあまり読んでない。

古典的なものとして、「罪と罰」「大地」「赤と黒」「魔の山」「旧約聖書」
「新約聖書」・・・それと、ロマンローランの数冊と、
最近ではソルジェニーツェンの数冊と、あと数人の作家の本ぐらいである。

ノンフェクションが好きなためだ。

「子供に読ませたい世界の名著ーベスト26冊」の中に挙げてある本は
殆んど読んでいたので安心はしたが。

読んでみて、名著といわれるものはダイジェストでも非常に面白いことが解った。
それと過去に読んだ本でも99佑亘困譴討い襪里砲篭辰い拭
それを思い出すだけでも充分に価値があった。

トルストイの「戦争と平和」やモーパッサンの「女の一生」や、
ショーロフの「静かなるドン」などダイジェストでも面白い。
サドの「悪徳の栄え」など、当時の社会によく受けいれらたものだ。

買ったまま、まだ読んでないが、
「世界の旅行記・101」「世界の哲学書」などのテーマ別のダイジェストがある。
今度は「日本の名著をあらすじで読む」をよんでみよう。

ーーー
「子どもに読ませたい世界の名著」
あらすじで読むベスト26

著者: 三浦朱門

出版社:あ・うん
ISBN:4901318217
サイズ:単行本 / 213p
発行年月: 2003年 12月
本体価格:1,200円 (税込:1,260円)

【目次】
宝島(ロバート・スティーブンソン)/ロビンソン漂流記(ダニエル・デフォー)
/小公子(フランシス・ホッジソン・バーネット)
/不思議の国のアリス(ルイス・キャロル)
/ピーターパン(ジェイムス・マシュー・バリ)/フランダースの犬(ウィーダ)
/十五少年漂流記(ジュール・ベルヌ)/星の王子さま(サン・テグジュペリー)
/にんじん(ジュール・ルナール)/三銃士(アレクサンドル・デュマ)
/グリム童話(グリム兄弟)/アンネの日記(アンネ・フランク)
/青い鳥(モーリス・メーテルリンク)/ピノッキオ(カルロ・コッローディ)
/アンデルセン童話集(ハンス・クリスチャン・アンデルセン)
/赤毛のアン(ルーシー・モンゴメリ)/荒野の呼び声(ジャック・ロンドン)
/トム・ソーヤの冒険(マーク・トウェイン)
/アンクル・トムの小屋(ハリエット・ビーチャー・ストー)
/若草物語(ルイーザ・メイ・オルコット)/ノンちゃん雲に乗る(石井桃子)
/潮騒(三島由紀夫)/ビルマの竪琴(竹山道雄)/二十四の瞳(壺井栄)
/銀河鉄道の夜(宮沢賢治)/坊ちゃん(夏目漱石)

ーーー
「あらすじで読む世界の名著」
楽書ブックス
小川 義男 (著)
目次

『誰がために鐘は鳴る』ヘミングウェー
『動物農場』オーウェル
『風と共に去りぬ』ミッチェル
『怒りの葡萄』スタインベック
『阿Q正伝』魯迅
『車輪の下』ヘッセ
『ジャン・クリストフ』ロマン・ロラン
『桜の園』チェーホフ
『ドリアン・グレイの肖像』ワイルド
『女の一生』モーパッサン
『アンナ・カレーニナ』トルストイ
『罪と罰』ドフトエフスキー
『レ・ミゼラブル』ユゴー
『はつ恋』ツルゲーネフ
『嵐が丘』E・ブロンテ
『アッシャー家の崩壊』エドガー・アラン・ポー
『若きウエルテルの悩み』ゲーテ
『リヤ王』シェークスピア
『ドン・キホーテ』セルバンテス
『ガリア戦記』カエサル

以上20編

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2003年07月31日(木)
848、10の小法

ホームページのネットサーフィンをしていたら
「10の小法」が出てきた。
なかなか含蓄のある内容である。
   
    小食多噛
    小肉多菜
    小塩多酢
    小糖多果
    小煩多眠
    小衣多浴
    小車多歩
    小言多行
    小念多笑
    小欲多施

それでは「10の多法」と大と小を入れ替えてみた。
『成人病への近道−10の多法』というとピッタりだ。
 逆も真なりである。
下記が私の自己評価であるが、一番悪いのが多食少噛である。
これさえなおせばよいが、終戦直後の生まれのせいか腹が膨れないと
食事をした気にならない、それも早食いのため小噛になる。
20歳なら80諭■苅虻个覆蕋僑悪諭■僑虻个覆蕋苅悪佑蛤个鳳じて
胃に収める量を減らしていかなくてはならないという。

半分以上バツなら成人病間違いなしである。
  ○ー無し、△ー普通、×ー傾向あり
  
  『10の大法』  
    
    多食小噛  ×
    多肉小菜  ○
    多塩小酢  △
    多糖小果  ○
    多煩小眠  ○
    多衣小浴  ○
    多車小歩  ○
    多言小行  △
    多念小笑  ○
    多欲小施  △

・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・

2002年07月31日(水)
473,一言タレント

小泉首相が大衆に人気がある大きい要素に
毎日だす一言コメントがある。

すべてをこめていると言ってよいほど簡素で
鋭いし、いいえて妙だ。
−ワンバイト(一言)化というらしい。

それで気が付いたが、随想日記も「一言コメント」に似ている。
テーマが一言コメントで、文がその解説と言えよう。
そういう面では時代に適しているのかもしれない。

テーマの決定にエネルギーをつかうが、それなりに出てくる。

小泉首相の場合、そのプロのコピーライターが側近にいるだろう。

時代が一言タレントを求めているのだろう。
これも情報化社会の一現象である。

TVの色々の分野の専門的な番組を初心者向けに放送すると、
よい番組が出来上がるという。
簡単に、特化して、編成すると内容が芯をつくという。

田中真紀子女史もその事をしって、批判をしているから
人気の大きい要素になっている。
つまらない時代になったのか、面白い時代になったのか
どちらであろうか?

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2001年07月31日(火)
[93] 旅行で出会ったー普段会えない人

・日本生産性本部の元トップとおぼしき人
・NHK幹部
・いつもお付きと来るが今回は一人できている山の手の奥様、
・天下ったばかりの元官僚、
・日本興業銀行本部のキャリアウーマン
・遠い親戚が亡くなりおもわず数億の現金を相続した人
・ツアーを2重がさねで続けて、現地でおち合った80台半ばの見た事がないくらい
 品の良い老夫婦、
・TVの経済解説でよく見る人
・えげつない関西のおばちゃん

まあ彼等から見たら、反対にどうみられているのだろうか?


1943, ローマから日本が見えるー17

2006年07月30日(日)

            
才八∋ウ_〆(∀`●)


第七章「創造的天才カエサル」−4

ーカエサルがヨーロッパを作ったー

ところで、カエサルによるローマ帝国の安全保障構想は、
後世のヨーロッパ史にも大きな影響を与えることになる。
「カエサルがヨーロッパを作った」とする人も多い。

現在の西ヨーロッパの都市の多くは、
カエサル以降のローマ帝国時代に作られた軍団基地や、
植民都市を起源としています。

フランスのリヨン、ストラスブール、フレジュス
ドイツのケルン、ボン、マインツ
イギリスのヨーク、チェスター、バース
オーストリアのウィーン
ハンガリーのブタペスト、セルビィア
ユーゴスラビアのベオグラード
などなど・・・
ハッキリいってヨーロッパは古代ローマ人によって作られた。

ーなぜカエサルは寛容を掲げたのかー

カエサルは「新しいローマ」のグランド・デザインを描き、
それを次々と具体化していったが、その構想をよく理解できた人は
同時代に一人もいなかったといってよい。
当時の一番の知識人であった歴史家のキケロさえ、
カエサルは協和制の再建に力を貸せてくれるものと信じていた位である。
領土が拡大してしまった現在、そのローマに適した統治システムは何か、
それを君主制にみたのだ。そうした彼の思考を読みとれた人は少なかった。

カエサルは生前に書き記したとおり、
「人間ならば誰にでもすべてが見えるわけではない。
多くの人は自分が見たいと欲することしか見ていない」ということである。
ここまで冷徹にローマ世界を見ていたカエサルなのに、反対派を決して
弾圧をしなかった。
彼は政権に就くなり「寛容」をモットーに掲げ、かって剣を交えた
ポンペイウス派の人々の安全な帰国を保障したほどであった。

それゆえに彼は自分の護衛隊を解散してしまい、丸腰同然でローマ市内を
歩いた。これは彼の気性と見るしかない。
彼は自分の身を守る鎧は信義だけでよいと考えたようだ。
そして、彼はBC44年に暗殺をされてしまう。
「カエサルは王位を狙っている」という確信から彼を暗殺をした
ブルータス以下14名の元老院の議員によって・・


・・・・・・・
・・・・・・・

−7月30日分ー

10年後の日本は?−1

「10年後の日本」という本を買った。
    下記のの箇条書きの幾つかは、この本の目次を参考にした。
    まだ飛ばし読みだが、近々読書日記を書く。
   
   『日本の論点』編集部編というから、
    鋭く切り込んでいる。
    島国の閉鎖社会の日本が、この世界の潮流の激変の中での
    大問題が明快に書かれている本である。

十年後の日本で間違いなく起こっている問題点である。
日本が、これらをどの様に乗り越え体質を変えていくかを考えると、
悲観的になって当然である。
 
  ・消費税の20涌幣紊良蘆
 
  ・少子高齢化社会の到来

  ・外国人労働者の比率の増加による犯罪の増加と、
   治安の悪化。
 
  ・フリーターの増加と、
   下層階級の増大
 
  ・年金財政の悪化と破綻、
   団塊の世代の大量定年後の負担の問題
 
  ・中国とインドの台頭と影響力の増加、
   それに付随する大混乱
 
  ・北朝鮮の崩壊と、朝鮮半島の混乱
  (これは数年先と思われる)
 
  ・2005年からの人口減と経済縮小
 
  ・介護保険増大による財政の悪化
 
  ・地球温暖化による大問題の噴出

  ・関東大震災の可能性の増大

  ・「ゆとり教育」で育った年代が人口の中心になってくる
  社会的大問題。

  ・行き過ぎた自由競争の弊害の噴出


これらを考えると、絶望的な気持ちになるが、
間違いのない近い未来の日本の姿である。
逃げ切り世代で「運が良かった」と、ホッとしてはいられない。

    現在、連載で塩野七生著「ローマから日本が見える」の
    読書日記を書いているが、当時のローマと現在の日本が酷似している。
    少子高齢化で衰退の危機に陥いり、さらに高齢化と経済の停滞である。

中流階級は没落し街に失業者があふれ、
上流階級の人々は既得権を決して手放さない。

    そのときに現れたのがカエサルである。
    支配地の国民にもローマ市民権を与え、既得権を取り上げ競争を奨励した。
    カエサルが、これほどの人物とは、この本を読むまで知らなかった。


現在の日本は、自民党の既得権を取り上げ、
日本的社会主義の破壊が当面の問題だが・・・・・。
   
                           つづく
           \(^▽^*)ホンジャまた!!
                (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
    ・・・・・
    ・・・・・
2005年07月30日(土) 1579, 閑話小題

一昨夜の夢の話ー

面白い夢を見るものだ。
医者から薬による至高体験のため、無害の麻薬を注射してもらった夢である。
薬によるハイ状態とはどんなものか、病院のベッドに横になって
冷静に薬によるハイを待っている。
ところが、横になっていなければならないのに、歩き出してしまった。
危ないと思って元のベッドに戻った。
しばらくすると、フア〜とした酔った感覚になった。
潜在意識が、薬の至高状態の経験を夢のカタチでさせようとしたのだろう。
安全であれば一度は経験してみたいが、安全のわけがない。

インドに行った時、ツアーの同行の女性から??を飲んだ体験談を聞いたことがあった。
とにかく、可笑しくなり腹の底から笑って嬉しさが極限になるという。
経験者がいうことは解りやすい。


ー広い世界に馬鹿ひとりー

何気なく浮かんだ言葉で、何も深い意味は無い。
自分に対する心の奥底の言葉といったらよいだろう。
「小さい井戸の殿様蛙」という言葉と対比すると面白か。
世界を一人漂流旅をつづけていると、こんな言葉が出てくるのだろう。

孤独感と、広い世界に拠りどころを見出せない虚無感が覆いかぶさった自嘲の叫びか。
しかし、この言葉に何ともいえない親しみを覚えるのは何故だろう。

一人大声で『あ〜あ!』と大きな溜息をつく癖がある。
この溜息の背後にあるのは「広い世界に馬鹿一人」と「小さな井戸の殿様蛙」
という自嘲の気持のクロスか。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2004年07月30日(金)
1214,パスカル(3)
−哲学についてー24

ー「賭けの断章」

「賭けの断章」は『パンセ』の中でも最も有名な断章の一つである。
神の存在と信じる方に賭けることの有利さを確率的議論から
説得しようとするものである。

「神は存在するか、しないか。どちらに賭ける? 」
すでにこの世に生きている以上、この勝負を降りることはできない。
賭けないということ自体が、結果的に一つの選択になる。
賭ける対象は、「自分の人生そのもの」であるから大きな命題だ。
 
・神が存在するという方に賭けて、
 勝てば永遠の生命と無限に続く喜びを得て、人生は意味あるものとなるが、
 賭けに負けても、失うのものは何もない。
・反対に、神は存在しないという方に賭た場合、たとえ賭けに勝っても、
 儲けは現世の幸福だけである。
 死後は虚無とみなすことになるから、得るものは何もない。
 
 逆に負けたとき、損失はあまりに大きい。
 来世の幸福をすべて失うことになるからである。
 如何みても神の存在を認めるほうが有利であると言いたかったのだ。

 37年前、『パンセ』のこの断章を読んだとき、ナルホドと納得をした。
といって、今さらキリスト教関係のクラブに入るには遅かった?
せっかくミッション系の大学だったのに惜しいことをしたと悔いが残った。
理性で納得し、心情が同意するためには時間がかかる。
そのためには人との出会いと時間が必要であった。

しかし、今から考えてみて、自分は仏教の方が向いているが。
 
ー以下はパンセの中の断片集の抜粋である。

・人間は一つの極端にあるからといって、その偉大さを示しはしない。
 むしろ同時に二つの極端に達し、その中間を全て満たすことによって、
 それを示すものである。 

・人間は偽装と虚偽と偽善にほかならない。 
  自分自身においても、また他人に対しても

・もしクレオパトラの鼻がもっと低かったなら、世界の歴史は変わっていただろう。
 人間のむなしさを知ろうとするなら、恋愛の原因と結果とをよく眺めるがよい。

・人間はつねに、自分に理解できない事柄はなんでも否定したがるものである。

・人間相互の尊敬を結ぶ綱は、一般的に必要から生じたものである。
 というのは、全ての人間が支配者になりたがるが、
 みながそれになるわけにはいかないし、種種の階級が存在せねばならないのだから。

・悲しみは知識である。多く知る者は恐ろしき真実を深く嘆かざるをえない。
 知識の木は生命の木ではない。 

・好奇心というものは、実は虚栄心にすぎない。
 たいていの場合、何かを知ろうとする人は、ただそれについて他人に語りたいからだ。

・人からよく言われたいと思ったら、自分のよいところをあまり並べ立てないことである。

・この無限の空間の永遠の沈黙は私に恐怖を起こさせる。

・人間は考えるために生まれている。ゆえに人間は、ひとときも考えないではいられない。

・ひとつの事柄についてすべてを知るより、すべての事柄について何らかのことを 
 知るほうが、ずっとよい。

・我々は現在についてほとんど考えない。たまに考えることがあっても、
 それはただ未来を処理するために、そこから光をえようとするに過ぎない。
 現在は決して我々の目的ではない。
 過去と現在は我々の手段であって、未来のみが目的である。

・習慣は第二の自然だといわれているが、
 人は、自然が第一の習慣だということを知らない。

・誤った法律を改正する法律くらい誤ったものはない。
 法律は正義であるがゆえに従うといって服従している者は、
 自分の想像する正義に服従しているのであって、
 法律の本質に服従しているのではない

・偉人が我々より偉いのは頭が少しばかり高くでているだけのことで、
 足のほうが我々と同じくらい低いところにある

・実物には一向に感心しないくせに、それが絵になると、似ていると言って感心する。
 絵とはなんとむなしいものだろう。
 
 ・・・・・・・
 ・・・・・・・
 
 2003年07月30日(水)
847, 海は見ていたー映画日記

 wowowで放映した映画『海は見ていた』がすばらしい内容であった。
レンタルのDVDで見た『たそがれ清兵衛』と『阿弥陀堂』に匹敵する。
山本周五郎の作品を黒澤明が脚本をしたものを、熊井啓が監督して面白くないわけがない。
江戸の深川岡場所でくりひろげられる人間模様と心根の美しさが何とも清々しい。
熊井啓も二人の作品を映画化できたのだから監督稼業として最高だろう。
主役の若い女郎の心根の美しさがよく出ていた。
日本には日本の素晴らしい人情がある。
この三本の映画を見てから邦画に対するイメージが全く変わってしまった。

ー『海が見ていた』の荒筋は
江戸・深川。
 将軍のお膝元である八百八町の町の中でここは、大川(隅田川)の向こう“川向こう”
と称され、ちょっと吉原、辰巳の遊びに飽きた粋人や訳ありの衆が集う岡場所(私娼地)
がある、葦繁る外れの町とされていた。
深川のお女郎宿“葦の屋”で働く、まだ若く器量よしのお新(遠野凪子)は、
女将さんやら姐さん方から「客に惚れてはいけないよ」と哀しい掟を教えられていた。
ある夜、お新は町で喧嘩して刃傷沙汰を起こし逃げてきた若侍・房之助(吉岡秀隆)
をかくまってやる。
 房之助の「こんな商売をしていても、きっぱりやめれば汚れた身体もきれいになる」
という言葉に心動かされる。
 
 その言葉を立ち聞きして感動した姐さんたちは、彼女のために一肌脱いでやろうと提案する。
姐さん衆のまとめ役、菊乃(清水美砂)は、気のいい隠居善兵衛(石橋蓮司)の身請け話と
ヒモの銀次(奥田瑛二)との腐れ縁が断てず悩みを抱え揺れている分、お新の純な恋を暖かく
見守る。そんな恋路にも終わりが来る。房之助が勘当を許された報告にやって来た際、
お新と姐さんたちに自分の婚礼の話を晴れやかに告げたのだった。
憤りを隠せない姐さん衆、突然の告白に動揺するお新。そんな彼らに房之助は当惑する。
彼はただ、お新を姉妹のように慕っていただけだったのだ。
 
 一時は寝込むほど傷ついたお新も、徐々に立ち直りかけていた。
そんな彼女の前に一人の謎めいた青年が現れる。名を良介(永瀬正敏)と言い、寡黙な彼が
少しずつ自分の厳しい生い立ちを語るにつれ、同じ境遇の宿命を背負った人間だと、
お新は理解する。
不幸に打ちのめされ、自暴自棄になった良介を優しく励ますお新に対して、
菊乃は「そんな男はヒモになるのがオチだ」と諦めるようにさとす。

 お新をめぐる人生模様の糸が絡まり合った、ある夏の日。雷鳴の轟音と共に激しい雨が
降りしきる。やがて嵐に変わり、川は氾濫、高潮の兆しも見せ始める。
逃げまどう人々をよそに“葦の屋”を守ろうと居残る菊乃とお新。
水位は増し、菊乃もお新も逃げ場を失い“葦の屋”の屋根まで追いつめられる。
「みんな水に浸かってだめになるのなら、一番いい着物を着よう」と、
とっておきの着物を身にまとい二人は屋根へ登る。
海に呑み込まれた“葦の屋”の屋根の上、その時だった、小舟に乗った良介が助けに現れた。
しかし二人しか乗れない舟に菊乃は自分ひとり死を覚悟して残る。

・・・・・・・
何とも山本周五郎作品を黒澤明が脚本した世界がよかった。
また黒井啓とキャストが一体となり素晴らしい作品に出来上がっていた。
昨日書店に立ち寄ったら、黒澤監督が書いたこの脚本が絵入りで新刊で出ていた。
買うかどうか迷って、一週間後に判断することにした。

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 2002年07月30日(火)
472,近くの川の鴨

15年前に自宅から150m先の川に鴨のツガイが来た。
そして半年がたった頃13羽の雛を連れていた。

そしてある時期が来ると旅立っていった。
そしてある時期が来ると再びやってきた。
その都度その数がどんどん増えて、一時200〜300羽まで増えていった。

ところがその一番多い時期から河川工事で川の泥が整備され、
鴨が住む場所が少なくなり、今では50〜100羽は近くまで減ってきている。
今では鳩やカラスと並んで、鴨の姿は一般的の光景になっている。

人家の近くは猟がない事を経験的に知っているのだろう。
鴨にも大型と小型の鴨がいる。
それと渡っていく鴨とのこり鴨がいる事が、散歩で解るようになった。

少し話が反れるが、結構多くの種類の鳥がいる事も知った。
見たこともない鳥もけっこういる。

こんな近くで鶯、カッコウ、鷺、雲雀、もず、などだ。

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2001年07月30日(月)
[92] 変わった人ーとの出会い

 旅行それも秘境系に面白い人が多い。
・人生の余白を埋めにきましたとか、
・毎月ー年12回来ている人とか、女の人で退職金使い切るまで続けるそうだ、
・100回目の人とか(はじめ50回で目を回してしていたが)、
・12日間の旅行に布のショルダーバッグ一つ。
  グレーのスーツにポロ、その上によれよれレーンコート。
  行き先はヨルダン・シリア・レバノン。着いてみると現地人
  は正にそのスタイル。彼のほうがピッタシ。
・57歳のグランドオールドミスが一人いらいら。
 キャリアウーマンの明らかに会社から見たらヘドロの典型!
 今会社の中は天国、こちらは地獄!
・大手の社長か会長あがりの人物。この前まで偉かろうが旅行の最中
 はただの旅行仲間!の意味が全く解ってない!人。
 奥さんこっそり社会復帰のリハビリのこれが初めての旅行と教えてくれた。
・生死の手術の後、奥さんと来てヒマラヤを見て泣いている人、
・10年ボケの父親を見送り世界中を旅行しまくっている人、


1942, 今日は「新潟活性化の会」

2006年07月28日(金)


              \(^▽^*)おはよう
          
これで4回目になる。
あと一回で私の役割は終了。
地域活性のデザインつくりに加わってみて、
なるほどプロセスに筋が通っているのが理解できる。
本来は代議士と市議会がすべきことだが、当事者は目が曇るのだろう。
転がっている球は自分では方向転換できないのと同じだろう。

アウトサイダーの生き方・視線が少しは役に立っているようだ。
ただ、アウトサイダーとしては、のめり込まないことだが・・


このプロセスの中で気づいたことは新潟県は危ない!本当に危ない!
日本が危ない!ということと同じだが。

金沢は富山と福井を従え、その後背に関西を控えていて、これに関東が直結する。
金沢が環日本海の玄関として拠点都市になって至極当然である。
森元首相も、まだ当分隠然たる政治力もあるし、それに引き換え真紀ちゃん、
あまりにも・・・?ここでは、まあいいや。

手をこまねいているのか新潟よ!という感があるが・・
でも材料が無い!いや、本当に無いのだろうか?
よく目を凝らしてみたら、過去のインフラが膨大にあるじゃないか。
高速道路、
新幹線、
飛行場、
港・・・

無いのは戦略構想が無いというから・・・
頭の足りない巨人と同じである。

・絵図・絵図!!環日本海都市としてのデザイン描いて、
 知事と市長が馬鹿みたいに言い続けなくてはならないの!
 そして東港とか西港の空き地に何を持ってくるか考えるの!
・そして特区とかを造るの。東京都新潟区という隠れコンセプトを作るの!
・飛行場に乗り入れるの、それも新潟駅再開発の完成に合せて!

 これをゼロからやれ!といっているじゃないの!ホボあるんじゃないか。
 無いのはグランドデザインでしょう!

・それと、あと数パーセントの投資で拠点都市のイメージと明確な位置づけが出来るの!
・20数年前に飛行場まで開通させておけば、新潟は変わったでしょ!
・飛行場周辺に、中国・韓国・ロシアの物流と情報基地が出来ていたでしょ!
・サッカー場も、イベント場も、佐渡観光も行きやすくなったでしょ!
・北関東圏の人は北海道、九州、沖縄、韓国、中国の飛行ルートも新潟になっていたでしょ!
・新潟競馬場も至近距離にあるので、もっとお客を呼べたでしょう!
・中国特区とか、ロシア特区もできていたかもしれない?でしょ!

新潟は東京の天領だったの!
それを生かさなくては!
北海道に向けて、飛行場の近くから船が出ているでしょ!
これだって飛行場至近に貨客船乗り場を造ってやれば?

お客、お客、お客の立場で見てみたら・・
いくらでもネタはあるじゃない?
小手先のイベントを持ってくるとか、
野球場とか、サッカー場だってどうだか?


要は新幹線なの!もう一度言う!
「かなめ」は、新幹線なの!
もう一回言おうか、「要ーかなめ」は、新幹線なの!

「国際飛行場」と「港」への直結の新幹線が何処の国にあると思うの!
新潟だけなの、新潟だけなの!

これと物流特区などの一大特区地区造りを加味すればよい。
おまけに新潟駅再開発があるじゃないですか。
これを利用しない手は無い!
数千億かかる話ではない・・・
コンセプトを先ず作らなくては!


ーーこれは日々のことを書いている「バード・ウォッチ」の内容だったが、
 熱が入っているので随想日記に格上げ?をしたーー

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2005年07月28日(木)
1577, 大阪から何がみえるか−1


ー大阪の衰退は日本の近未来の姿か?

大阪と札幌から、いち早く時代の流れが見えると言われている。
特に商人の町の大阪は、いち早く時代の流れをつかんで動いた。
しかし、最近の大阪は全く変わってしまったようだ。

まずは終戦後に総合商社が、メーカーが、そして金融機関と東京に本社を移し始めた。
現在残っているのは、電力・ガス・私鉄という地域産業のみになってしまった。
更に、大阪の企業は生産拠点までもが海外に移転してしまった。

東京などの大都会には、高所得者の住む高級住宅地がある。
しかし、大阪市にはそれが殆どないという。
富裕層は、神戸の芦屋や西宮の高級住宅地に邸宅を構えている。
ある意味で、金持ちの極端に少ない社会主義国の様相を示している。

その結果、何と生活保護が26人に1人になってしまった。
もちろん日本一である。
西成区においては、区民7人に1人の割合が生活保護という。
(ちなみに、日本では100人に1人の割合。新潟県もその割合である。)
大阪市は全国平均の4倍の生活保護者がいることになる。

先ほど書いた、大阪と札幌はいち早く時代を先取りをすると書いたが、
生活保護は、その日本の先行きの悪さを暗示しているようだ。

下手に国民年金を払うより不払いで、生活保護を受けた方が得という。
これでは「何で国民年金の金を払う必然性があるか?」
という疑問が湧いて当然である。
若いヤクザの夫婦で、偽装離婚をして母子の生活保護を受けているケースが
多々あるという。

               ー つづく
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2004年07月28日(水)
1212,パスカル(1) 
 −哲学についてー22


学生時代には、パンセが常に傍らにおいてあった。
当時の不安な気持をいつも和らげてくれた愛読書であった。
現在、読み返してみて当時の哲学書の幾つかが、心の底の根幹をなしていた
ことに気がついた。
特に人間観は、大きくパンセに影響を受けていた。
生き方はニーチェとロマン・ローランである。
当時のささやかな読書が、人生を大きく左右しているとは。

「人間は一本の葦にすぎない。自然の中で一番弱いものだ。
だが、それは考える葦である」パンセの第一節である。
彼は物理学、数学などで成果をあげたが、哲学者としても名を成した。

あまり知られてないが、慢性的な病による苦痛の中で
人間とは何か、生きるとは何かを問い詰めた。
彼の20年の慢性病が哲学を深めていった。

「考える」という一事において、
「自分が苦しんでいる」という一事において、
パスカルの「尊厳」のすべてがある。
パンセの中の所々に「病の善用を、神に願い祈る」部分が見られる。

ーパスカルが31歳の時、神秘的な体験した。
1654年11月23日22時30分〜24時30分の間に、
パスカルの生涯を一変させる出来事であった。
「火」の夜の出来事である。
(恐らく)ヨハネの福音書17,18章を読んでいた時に、
白光色の「光」が見えた。
彼の死後に、上着の裏に縫い込んだ『覚書き』が発見された。
その一節が次の文章である。
 ーーー
アブラハムの神、イサクの神、ヤコプの神よ。
あなたは哲学者や学者の神にあらず。
感動、歓喜、平安!
ああ、イエス・キリストの父なる神よ。
あなたが私の神となってくださったとは!
キリストの神がわたしの神。
わたしは、あなたを除くこの世と、その一切のものを忘却します。
福音書に示された神こそ実在の神です。
わたしの心は大きく広がります。
裁しき父よ、世はあなたを知りませんでした。
しかし、私はあなたを知ります。
歓喜、歓喜、歓喜、歓喜の涙!
私はあなたから離れ、命の水の源を捨てていましたが、
わが神よ、あなたは私を捨てたりなさいませんでした。
どうか私が、これより後、永久にあなたから離れませんように。
永遠の命とは 、まことに、唯一の真の神であるあなたと、
あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることにあります。
イエス・キリスト。イエス・キリスト。
わたしは彼から離れ、彼を避け、捨てて、彼を十字架につけました。
しかしこれよりのち、私が彼から離れることが永久にありませんように。
福音書に記されたあなたこそ、実在の神です。
ああ、全き心。快い自己放棄。
イエス・キリストよ。
私はあなたとあなたのしもべたちに全く従います。
わたしの地上の試練の一日は永遠の歓喜となりました。
わたしはあなたの御言葉を、とわに忘れません。アーメン。
 ーーー
以上が、その時の文章である。
心の奥で深い痛苦を抱え、社会のひずみ、欺瞞に満ちた人間関係の幻滅等が、
この一夜で一挙に溶け去った。
そして歓喜にいたった。

キリスト教徒でない私が読んでも感動する言葉である。
                        
                      ーつづく
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2003年07月28日(月)
845, 親父の小言   わが愛息へ

 −親の小言と 冷や酒は後で効く

火は粗末にするな     朝は早起き機嫌良くしろ
人には腹を立てるな    風ふきに遠出するな
恩は遠くから返せ     年寄りをいたわれ
人には馬鹿にさせていろ   子の言うことは八九聞くな
年忌法事は怠るな     初心忘れるな
家業には精を出せ     借りては使うな
働いて儲けて使え     不吉はいうべからず
人には貸してやれ     難渋な人には施せ
女房は早くもて      義理はかかすな
博打は打つな       大酒は飲むな
大飯は食うな      判事はきつく断れ
世話焼きにはこるな    貧乏は苦にするな
火事は覚悟しておけ   水は絶やさぬようしろ
戸締まりは気をつけろ  怪我と災いは恥と思え
何事も身分相応にしろ   小商ものは値切るな
神仙はよく拝ませ    産前産後大切にしろ
人の苦労は助けてやれ   病気は仰山にしろ
浮気は程々にしろ    家内は笑うて暮らせ
 
 ーさればとて墓に着物は着せられず

・・・・・・・・・・・
 
 実をいうとオヤジに小言を一回も言われたことがない。
おそらく8人兄姉の末っ子というのがあるのだろうが。
その代わりに、隙を一部でも見せると鋭い皮肉が飛んでくる。
社員を多く使っていたためだろうが、父の皮肉ほど恐ろしいことはなかった。
父が亡くなったとき、反面ホッとしたところもあった。
ゴッドファーザーの影が消滅をして解き放たれた為である。
「親の死は子供に対する最大のプレゼントである」というが、ある部分当たっている。
そうすると私も早く死ななくてはならないが。
 
両親は最大の教師である。
「子を持って知る親の恩」というが、歳を重ねるほど実感をする。
無条件に限りない愛情を与えてくれるのは親しかいない。
若い時この文面を見て感じたことと、今とでは全く感じ方が違っている。
経験が、この言葉の奥深い意味を裏付けるためだ。
冷酒と親父の小言はあとで効くというが全くそのとおりだ。
身につまされる文章が多くある。

 ところで一昨日、この下書きを書いた直後、家内と新規開店したばかりの全国チェーンの
居酒屋に行ってきた。帰りに大きな湯呑み茶碗を貰って帰ってきたが、そこに「親父の小言」
の同じ文面が書いてあった。シンクロニシティー(意味ある偶然の一致)
だろが面白いものである。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2002年07月28日(日)
470, いい人とは

この意味を考えたことがあるだろうか。
子狐レベルの対話の「いい人悪い人」の話である。

突き詰めると「自分にとって都合のよい人」でしかない。
「いい人の振りをしよう」というのが子狐の名前の語源といってよい。
「その時の自分の都合のよい権力者に擦り寄っていく」のも、もう一つの語源だが。

あの人は本当にいい人だーそう自分にとってとっても都合のいい人だ。
ただそれだけだ。
それが解ってないからお互い傷つけあうことになる。
都合などその都度変わるからである。

ゲゼルシャフトー契約社会とゲマインシャフトー血縁社会の差も
一生理解できないレベルである。
少し知り合うともう何か相手を利用することだけを考える人がいる。
教養のない女ー特に小汚い中年の女に多い。
男も子狐というレベルの男もそうである。

こういう人間にとっての人脈とは利用できる集団か、人との繋がりでしかない。
人脈とは「自分が過去奉仕し続けてきた貸しのある繋がりである」ことが解らない。

少なくともいい人の振りをしないことだ。
ベタベタした人間関係がこういう誤解をつくりあげる。
地方などの非移動社会ー固定社会では、いい人を演じなくてはならないのか?
どうであろうか?!

真っ当に生きようとしたら、悪い人を演じなくてはならないのか?
いい人とは善悪という道徳的価値観が、それも小さな社会の縛りが入ってくる。
それも気違い部落の?

・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・

2001年07月28日(土)
[90] 人生のコツ

ツアーで今ひとつの楽しみは、全国より集まってくるツアー仲間である。
本当に色々な人がいるものだ。推測だがどこかの高校の校長だったのでは
ないかと思われる67歳初老の人の事が印象的であった。

「60歳までに50回の秘境を中心にした海外旅行と、人生の余白を可能な限り
埋め尽くす生き方」をその人の感化でその旅行で決心した。

その人の言うに「自分の父の家系は40歳前半までに全員死ぬ家系!
若いときよりその死期までに人生総て生ききる生き方をしてきた!家族で
日本中を車で総て回る計画を立て実行、そしてその時期がやがてやってきた。
しかしどういうわけか死ななかった。
それなら一年一年が勝負と世界中を回る計画をたて実行、いまだ死なず世界中を
ほとんど回ってしまった。」

この時, これだな!と思った。そして先ほどのの決心をしたのである。
「人生は後回しでなく、前回し」人生だけでなく何事もそうであるが。
その時「貴方だけが何故生き残れたか、こころあたりは?」の私の質問に
「毎日朝食にキャベツを千切りにして、紫蘇のドレッシングをかけて食べている」
との答え。
 後は好きな事だけをやる事だそうだ。
 
 なるほどと考えさせられた。


1941, ローマから日本が見えるー16

2006年07月27日(木)



                \(^▽^*)おはよう

第七章「創造的天才カエサル」−2

 ー植民都市の建設ー

  徴収上の問題を解決をすると同時に、カエサルが行ったのは、属州にも
  ローマ市民権を積極的に増やしていく方策であった。
  ローマと属州が共同運命体になるには、属州にもローマ市民を
  積極的に増やしていく方策である。


彼は大きく分けて二つの方法で、属州在住のローマ市民を増やしていった。

・一つは、族州民にローマ市民権を与える方法。
  「古くからローマ人は敗者も同化する」という独特な哲学を実践していたが、
 それを属州民にも適用していった。ガリアや北イタリヤにとどまらず、
 スペインの原住民の有力者にも、ローマ市民権を与えたのです。
 後世の歴史家が、ヨーロッパはカエサルが創造したとする、ゆえんである。

・第二は、カエサルはローマ市民を属州に送り込んで、
  そこに「植民都市ーコローニア」を造らせるという方法であった。
 すでにローマはイタリア半島に防衛拠点に植民都市を建設していたが、
 それを属州までも広げるというやり方である。
 
 このアイデアはカエサルの独創ではない。
 かってグラックス兄弟の弟ガイウスが試みて元老院に潰されたカルタゴもそうだし、
 ポエニ戦役当時スキピオ・アフリカヌスがスペインに建設させたイタリカも、
 ローマ人が建設をした本国外の「コローニア」の例である。
 
 カエサルは、この植民都市をより多く建設していくことだけだった。
 カエサルのこの政策によって、属州に移住したローマ市民は8万人にも達した。
 これは、あたかも棄民のように思われるが、そうではない。
 植民者となったのは、ローマにいても仕事の無い失業者であり、
 カエサルの軍団の兵士だったからだ。

 カエサルのこの「植民都市」の建設は一石三鳥の効果をもたらした。
 これらの政策によって、ローマと属州は「運命共同体」への道を歩み始めた。


 カエサルはローマ本国と属州との一体化を進めるための方策として、
 これ以外にも様々な政策を具体化していった。
 ・首都ローマと属州を結ぶ街道ネットワーク整備がそうだ。
 ・また通貨の改革
 ・ユリウス暦の制定もそうだ。

カエサルは元老院が造幣権を一手に握っていたのを、
これを取りあげて、国立の造幣所を開設し、そこで金貨・銀貨を
作らせてることにした。

  ユリウス暦の制定にも、カエサルの考えが反映されている。
  同盟関係にあったエジプトから天文学者、そしてギリシャからは
  数学者を招いて、正確な暦作りに着手する。
  こうして出来上がったのが、
  一年が365日、4年に一回、うるう年が入る太陽暦であった。
  これがユリウス暦である。

これで貨幣として「基軸通貨」をつくり、
暦としてユリウス暦という「基軸暦」をつくった。

歴史は一朝では作られない、
数千年の時間の中で、多くの血と汗で作られている。

                    i (ω・`) bai
・・・・・・・
・・・・・・・

2005年07月27日(水)
1576, 次にくる波 

ー2007年から、いよいよ経済大変動がやってくる
 著者:浅井 隆
          −読書日記

HPに「次にくる波」の概略が解りやすく書いてあった。
これを数回読めば、買って読むことも無いだろう。

少しオーバーと割り引いて読んでみても、現在の日本は異常事態である。
何らかのクラッシュをきっかけに、このような最悪な事態になる可能性は大きい。
ゼネコンと政治家と官僚のタカリシステムをみても、絶望的になる。

初めはマサカと思いながら読んでいても、決して有りえないことでない。
「これから5年 土地の価格が半値になる」「日本壊死」「日本崩壊」と、
悲観的な本を読んで、先行きを考えると末恐ろしくなる。
しかし、これが現在の日本の現実である。

小さいからこそ感じるのだろうが、経営の舵取りをしていて経営環境の激変を実感する。
情報化という波が、根こそぎ世の中を変えている。


以下は、そのHPの要約である。
ーーーーー

ー過去を変えることはできないが、
 未来を創ることはできるー

多くの人は、戦後から現在までの60年間の日本の歴史を一つの時代として
認識していることだろう。しかし、本当の意味で過去を振り返った場合、
日本が太平洋戦争に負けた以降の60年間を時代的に3分割してみるべきだと
私は思っている。


・第1ステージは
1945年8月15日、
日本が負けた日から朝鮮戦争が始まる前日の1950年の6月24日まで
(翌25日、北朝鮮軍は38度線を突破して韓国領内に侵攻した)の5年間である。
戦闘はアメリカを始めとする西側諸国や中国を巻き込んで、38度線を境に行ったり
来たりの攻防戦を繰り返し、3年後の1953年7月27日の終戦まで
約3年間続いた。この戦いは、日本にとっては復興へ向けての最大のチャンスとなった。
朝鮮戦争がなければ、戦後の日本の繁栄はあり得なかったかもしれないという
ほどの出来事だった。
これを契機に、アメリカを中心とする自由主義諸国、
ソ連を中心とする共産主義諸国との間で決定的な対立を生む冷戦が始まった。
この時にアメリカはそれまでの日本弱体化政策を改め、
日本を極東最大の同盟国として育て、アジアにおける自由主義諸国連合の防波堤に
するという大きな政策転換を図ったのである。


・第2ステージは、
1950年6月25日から1989年12月29日までの40年間であり、
日本にとって本当に素晴らしい時代だった。
しかし、おそらくこんな時代は二度とは来まい。
89年、戦後の夢のような時代が終わりを告げるのを見計らったように、
社会主義諸国に異変が起こっていた。89年にベルリンの壁が崩壊し、
ついに91年12月21日、社会主義国家の牙城ソ連が崩壊したのだ。
この時、アメリカは気が付いた。
冷戦が終わり、自由主義圏の勝利が明白になり敵がいなくなると。
ところが、その敵がいなくなってふと自分の周りを見渡してみたら、
身内と思って育てていた日本という飼い犬に噛まれていたことを。
こうして、1989年12月29日に1つの時代が終わり、
正月を挟んだ翌90年初頭から日本の株が崩れ、新しい時代が始まった。


・第3ステージは、
今まさに私達が生きているこの時代である。
そしておそらく、この第3ステージが終わるのは2005年、つまり今年だ。
1990年から2005年のバブルの崩壊から現在までだ。
第3ステージはいろいろなことが起こった。
株価は2003年4月に7600円で大底を打ち、最盛期の約5分の1になった。
土地は東京都心の一等地でも、ひどいところは一時の8分の1〜10分の1まで下がった。
40年間で膨らみきった日本の経済は、この15年ほどで一気にぺしゃんこになった。
本来ならばそこで、政治家や官僚、そして国民も一丸となって、来るべき時代に
相応しい新しい産業構造や国家の形を模索しなければならなかったはずだ。
ところが政治家や官僚は問題を直視しようとせず、延々とツケを先送りし続けた。
そのしっぺ返し、しかも取り返しがつかない規模の大激震がいよいよ2006年から
始まろうとしている。


・つまり、そうした時代こそが、
2006年から2030年にわたる第4ステージだ。
既にその前兆は至る所に現れている。
例えば増税論。そして近い将来、金利が急騰するかもしれないという話も語られ始めた。
今の日本の長期金利の1.55%(2005年1月)という水準は、
国家が極度の不健康状態であることを示す値なのである。
ではもし、長期金利が平常の5%、6%になったらどうなるだろう。
日本は今、国・地方・財投(財政投融資)を合わせて1100兆円の借金を抱えている。
その金利がある日突然1%台から5%台に上がれば、毎年利息分が最低でも
30兆円程度増えることになる。
国の信用力を背景としている国債が大暴落し、それが引き金となって
金利が上がるという負の連鎖によって、国の経済はあっという間に瓦解する。


ローマ帝国もその滅亡の直接の原因は国家破産だったのだ。
帝国末期には全土をすさまじいインフレが襲っていたという記録も残っている。
日本国家が野放図に借金を重ねた末路に待っている第4ステージ、
それが「国家破産時代」なのである。これが「次にくる波」の正体だ。
次にくる時代を一言で表現すると、「二極分化の時代」ということになる。
つまり、「勝ち組」と「負け組」にますます分かれていく時代なのだ。

国家が破産すれば、これまでの歴史を見てわかる通り、国内にはすさまじい
ハイパーインフレの嵐が吹き荒れ、大増税や徳政令など、
政府は国民の資産を奪い続けるような政策を取らざるを得なくなる。

日本国が破産する可能性は、このままいけば95%以上の確立である。
この数字は2000年の夏、経済企画庁(当時)が著した論文の中に、
「従来型の財政運営を続ければ、財政赤字は拡大し、
95%の確率で税金では返せなくなる」
とある通り、当の国自身が認めている事実だ。
国債という名の借金を無制限に重ねた結果、日本国は後戻りできない
「ポイント・オブ・ノーリターン」をついに越えてしまった。

やがて来る国家破産の時代は、相当な長期に渡る厳しい時代となるだろう。
あなたがもし50歳以上の方なら、自分が生きているうちに日本の再生を見ることが
できないことを覚悟すべきである。
つまり、日本が破産状態から抜け出すまでには、
長ければ30年近い期間を要することになるということだ。

小泉首相が郵政相時代にテレビ番組に出演し、
「財政投融資には莫大な不良資産が隠されている。
その財投の出口には92もの外郭団体が群がっていて、そこにある不良債権は
民間の不良債権よりずっと深刻だ」、と警告していた。
私の推測では、焦げついている財政投融資の総額は200兆円
(これは財政投融資総額のおおよそ半分)と見ており、国と地方の借金に次いで、
国の財政を圧迫する第三の要素となっている。
「消費税35%にしないと財政破綻する」
という論文を経済企画庁が2000年に作成している。

ロシアが財政的に破綻した時、
つまり、海外に対して債務不履行をした98年の時点で、
国の債務はGDP比で60%の水準だった。アルゼンチンでも同様だ。
GDPの2倍の借金を抱えるということが、いかにとんでもない事か、
これで想像がつくだろう。それでも日本がなんとか持ち堪えている理由は、
政府や行政の頑張りではない。個人金融資産1400兆円の信用力、
そしてトヨタやキャノンなど、世界的企業が上げる貿易黒字の存在である。

秒読みに入った“Xデイ”。
個人金融資産1400兆円−個人の借金250兆円=本当の個人金融資産1150兆円
国の借金1100兆円−本当の個人資産1150兆円=50兆円
国・企業が持つ資産100兆円+50兆円=日本国全体が持っている資産の余力150兆円
150兆円÷毎年の政府の借金60兆円=2.5年しかもたない!


Xデイは2007年!

国家破産を迎えたとき、歴史上、3つの大きなことが起こっている。

ハイパーインフレ(国の信用力が落ちて、円の通貨価値や国債の価値が暴落)
大増税
徳政令(デノミと預金封鎖)

社会的な影響
(1)金融不安(取り付け騒ぎなどで銀行からお金がなくなる)
(2)トリプル安(株・国債・通貨の3つのすべてが暴落する)
(3)社会不安(人心が荒廃し、治安が悪化する)
経済が破綻すると中産階級が没落し、極端なお金持ちと貧困層に二極分化することは
既に歴史が証明している。
資産家はだいたいにおいて慎重であり、お金に対して非常に敏感である。
その結果、危機を察知するといち早く海外にお金を逃がすか物に換えてしまうので、
比較的に生き残りやすい。
国家破産、あるいはハイパーインフレを経験したどの国にも共通する傾向だ。
トルコ、アルゼンチン、ロシア、いずれも同様に中産階級が没落し、
金持ちと貧困層の二極分化が急速に進んだ。

<お金の鉄則7ヵ条>
自分の資産を詳しく把握する
分散投資をする
ハイパーインフレ下の不動産を過信しない
流動性の確保
ローンはすぐに返さない
運用に回せる余裕資金を確保する
お金や経済について勉強する

以上が本書の概要である。
われわれの周りを見回すと、昨年ぐらいから増税論議、
社会保障制度改革を含めた医療政策の転換などが一気に噴出した感じが強い。
今年度の社会保障費は20兆2240億円であり、
一般歳出47兆3000億円の43%を占めるに到っている。
本書の中にもあったが、国・地方などの借金は1100兆円、
金利負担だけでも大変である。
本書に書かれていることは、事実に基づいているわけであり、
あながちオーバーな表現とは言えない。現実は読者の皆さんがどのように評価し、
判断するかであろう。

個人的に思うことは、自分なりに情報を集め、分析し、それをどう評価するかである。
今年になって日本のビジョンが発表されたが、その中にも消費税の増税が記載されている。
国家の運営は国民が納める税金の中で賄う以外に方法はない。
今の借金は消費税を35%に引き上げないとやっていけないという官僚の発言にあるように、
消費税1%で約2兆円の税収が見込めるとすれば、35%の消費税収入は70兆円である。
そんなことが起きることもあり得る時代に入ったということである

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これがHPで調べた内容であるが、割り引いて考えても
最悪の事態を常に想定しておかなくてはならない事態である!

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2004年07月27日(火)
1211, 哲学についてー21

ー哲学つれずれに

「哲学について」は、読んでいる方は面白くないだろうが、書いていると意外と面白い。
自分の内面を見つめていることになるからだ。
そして、自分の考えと思っていたことが、以前読んだ哲学者の言葉でしかないことに
気づいたり、それまで考えていたことが浅知恵でしかなかったことに一人赤面をする。
私たちが経験して考えたり、脳の中で考えたりしていることなど、先人は数百年前、
数千年前に既に考えていたのだ。

書き連ねるほど、自分の知識と未知のラインが見えてくる。
哲学のバカバカしさと反面、深さと効用も解ってくる。
哲学をきちっと勉強をしておけば、新興宗教に引っかかったり、社会の表層に
流されたりはしない。教養の背骨になっていることも事実である。

学生時代の寮に、「哲学さん」というアダナの先輩がいた。
何時も一人でニヤニヤしてブツブツ言っていた。
「あまり哲学を勉強をすると、ああなるのか!」と、哲学は程々にしていたが。
しかし、人間最後は一人で考え決断をしなくてならない局面で、哲学の基礎教養は
最も重要に働く。

周辺に、常に人生の重要な局面から逃げ回っている人が多い。
哲学や宗教などの基礎知識がない人だが、必ず大きな壁にぶつかっている。
自分からは逃げることができないからだ。-他人事ではないが!
自分と直面をした時に、哲学が始まる。

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2003年07月27日(日)
844, パイロゲン

 十数年位前に知人に紹介されて、パイロゲンという健康ドリンクを飲んでみた。
たまたま初めて飲んだ日に「飲み会」があった。
酒がそのままストレートで・・・一晩で10回以上トイレに行くことになった。
しかし次の日は二日酔いは全くなし、早速常用するようになった。
3年以上は飲み続けた。
 その前後に胚芽米酵素の『ハイ・ゲンキ』という健康薬品を飲み始めた。
ところが、この二つを同時に飲むと、効きすぎの感がした。
ききすぎるのか脱水が激しくなり、数ヶ月で体重が数糎困辰討靴泙辰拭
二つを同時に飲むのは合わないらしい。
どちらか一方と考えて『ハイ・ゲンキ』を選択した。

いま考えると、パイウオーターを薄めて夕方飲み、
朝には玄米酵素元気を飲み続けるべきであった。
3年前にある知人の事務所に遊びに行くとパイロゲンをお茶代わりに出してくれた。
二年前に軽い脳梗塞にかかったが、知人に紹介されたパイロゲンを飲んだところ、
ほぼ全快したという。今はお茶代わりに飲んでいるという。
そこで再びパイロゲンを飲むことにした。
現在、健康食品は『ハイ・ゲンキ』と『アガリスク』と『ヤクルト』を飲んでいるが、
3年前より『パイロゲン』が加わることになった。
特に酒を飲む直前に飲むと即効性がある。

 それぞれの人が、その人に合った健康食品を飲んでいるようだ。
生姜を乾燥させ粒状にしたものとか、梅干などだ。
自分にあったものを早く見つけて継続することだ。
ある人にいわれた、「真っ当に生活していれば健康食品など必要ないのではないか」
そこで「真っ当な生活ができないからこそ飲んでいるんだ』と答えた。

  以前も書いたが川柳に

 健康法 人に説いて 先に逝き 

 が正しく矛盾をついている。

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2002年07月27日(土)
469,チンパンジーの話

チンパンジーの集団行動について2~3年に一度くらい
TVでドキュメントを放映する。
大体が京大の研究グループのものだが、違うものもある。
面白いので必ず見ている。

彼らの集団は猿の集団と一緒で一匹のボスで率いられている。
常に二番ボス、三番手がいて、その序列は実力により明確に決まっている。
ボスは常に二番手の脅威にされさてている。

時に二番手と三番手が組んでボスを追い落とすこともある。
ボスも時にデスプレーとして、ヒステリックに木や石を投げつけたりして
自分の存在の示威行為をする。

時にボス争いで死闘が行われたりする。
その争いは政治家の派閥や権力争いに酷似している。
チンパンジーの研究は人間の原点の研究でもある。

ボスのいない時に浮気や小競り合いなどある。
若い恐れを知らないチンパンジーに対するリンチ事件や
序列争いも人間に酷似している。

今でもハッキリ憶えているのが、あるボスがメスに恋するが
全く相手にされず遠くからメスを見ている目付きが人間のそれとそっくり。
おまけに下半身が!!しているのが、あまりに人間的だった。

彼らは下痢をしたとき枯葉で尻を拭ったりする。
またウンチを踏んだときも葉っぱに何度も足を拭ったりする。

風邪で鼻が詰まったときなど、鼻に小枝を入れてクシャミを誘発したりする。
笑いに似た表情をしたりもする。

集団でアカゲザルの狩もする。
遺伝子の研究がすすむにつれて、彼らは人間の範疇でないかという
説も出てきている。

ボノボという種類の猿は更に人間に近い。
TVゲームもできて、その姿は空想映画のようでもある。

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2001年07月27日(金)
[89] 城と教会そして宮殿

ヨーロッパはお城と教会そして宮殿が素晴らしい!
何処の街に行ってもこの三点セットはある。
それぞれの個性という点で素晴らしい!

また周辺のくにを侵略して富を根こそぎ奪うのだから規模が違う!
美的センスもよい。外観を眺めているだけで充分満足できる。
文化という点である時期、王侯貴族のシステムも必要であろうか?


1940, 新潟活性化案ー3

2006年07月26日(水)


                   おっ w(゚Д゚)w
                           ハァョ〜

7月の22日、三回目の新潟活性化のための会が、会社の事務所で開かれた。
県の??と、長岡、三条、新潟の地区の経営者など7人の会であった。
7月の28日に開かれる会の下準備の意味もあった。

当日の朝、
それまで二回の会の主だった流れを以下の通り纏めてみた。
 ーー

・環日本海拠点基地としての位置づけを明確に打ち出す
 −首都圏の日本海への窓口として物流や工場の基地としての
  機能を充実させる
   
・環日本海基地としての拠点として
 新幹線の東京駅から直接乗り入れの国際空港を打ち出す。
 
・新潟駅再開発が、今年施工命令を出されたが、
 その工事に重ねて新潟空港と機能を一体化をしていく。
 新幹線の延長線路に新潟駅と国際空港のリニアを共同運用をする。
 飛行場周辺に10~20万単位で土地を先行取得し、高層ビル特区として
 容積率を1000パーセントにアップして取得額の倍を目標にして売却。
 それを工事費用の一部に当てる。
 350億の試算になっているが、単線など考えられるあらゆる知恵を使い
 半額以内にコストを抑える。
 
 そこの住民はリニアカーを格安で利用できるようにする。
 
 
     キーポイントは、
     *東京駅からの新幹線の飛行場乗り入れ
     *新潟駅再開発との共同事業
     *新潟駅と飛行場と飛行場周辺地域との一体化
     *飛行場周辺の高層ビル特区による事業費の捻出
     *飛行場周辺の特区構想
      養老特区、外国人特区、物流特区、中国人特区、
      レジャー特区・・・
     *北陸新幹線への待ったなしの対策として
      完成を2015年(新潟再開発新駅の完成)を厳守する
 
    ーー
 
地元の経営者は、現在の新潟県の環境に非常に厳しい危機感がある。
だからこそ、こういう会が開かれているのだろう。
北陸三県対新潟県の地域間競争が切って落とされようとしている。
そして、どちらが勝利を収めるか誰の目にも明らかである、
それに対して枝葉末節の対案も出せないのが現状。


    2014年の北陸新幹線の開通までに、
    新幹線の新潟空港の開通、そして特区構想の推進。
    そのプロセスを通して環日本海拠点基地化を確固たるものにする。
    その最終の計画を早急に決め、その手順に入らないと手遅れになること必定。
    凡庸な?政治家ー前県知事などや地元国会議員・・
    ーのお陰さまで手遅れなのかもしれない。
    このままでは新潟県の衰退が激しくなる。


このさい東京都新潟地区と割り切った方が良い
(元々新潟は幕府の天領だったのだから)。
昨日の地元紙の新潟日報の中越・上越版で
「発車ベル9年前」−上越地域と北陸新幹線ー
という特集のシリーズが始まった。
かなりシビアな内容である。
タイミングもよい!

    全くどうなっているのだろうか、この県は?
    野球場じゃないじゃないか!
    同じ200億をかけるなら、東京駅からの直接乗り入れの飛行場だろう!
    そして飛行場周辺の極東地区に向けての
    本格的な物流・情報拠点づくりじゃないか!
    東京都新潟地区づくりでよいのだ。
    「日本海を内海とみたてた長期的ビジョンの地域つくり」
    こそ、早急にたてる骨組みである。

何処かの新幹線駅建設が住民の反対意見で取り止めになりそうだ、
というレベルと、この延長工事は違うはずだ。
それさえ解らないのだ!
私はこの辺で、この論については打ち切りだが!
これは政治家がやるべきことである!
何で私がここでいわなくてはならないのか?
まあ、面白い経験であった!

              (*^▽^)/ ホンジャ!

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2005年07月26日(火)
1575, 道路公団副総裁が逮捕!


現職の道路公団の内田副総裁が逮捕された。
道路公団に対する公聴会の席での猪瀬氏の質問に、
慇懃な返答をして中座した男である。

道路公団発注の鋼鉄製橋梁(きょうりょう)工事をめぐる談合事件が、
現職の副総裁の逮捕になってきた。
道路公団そのものが??の巣窟というのは公然の秘密である。
いや、猪瀬氏が暴露をしていたが。
歴代の総裁、副総裁を含めて、組織そのものが??集団ということだった?
こういう日本の談合体質が暴露されていくのは非常に良いことである。
現在の日本の役所とゼネコンの関係の象徴的なカタチと見てよい。

石原都知事の息子石原伸晃氏が、前の総裁に、
「もし、真実を言えば死人が出る」と凄まれたことが記憶に新しい。
これでも今後も、この巣窟はそのままの体質でつづくだろう。
改革のため、新たに総裁になった近藤総裁も知らないわけが無い。
改革などしようという意志など全く感じられなかった。
この男も早かれ更迭をしなくてはならなくなるだろう。

いままで、これで通ったことが今後はそうはいかなくなったのだ。
今後とも、内側から多くの暴露がドンドン出てくるだろう。
道路族議員の数匹が逮捕されるかどうかだが。
改革の真っ只中の道路公団の副総裁が逮捕とは、全くの異常事態である。

それにしてもよく逮捕したものである。
郵政の民営化の法案が参院を通るかどうかの瀬戸際に、丁度良いタイミングである。
政治的な思惑はあったのかどうか?だが。

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ー産経新聞の記事から
2005年7月25日

道路公団副総裁を逮捕 
独禁法違反ほう助と背任 橋梁談合事件

 日本道路公団発注の鋼鉄製橋梁(きょうりょう)工事をめぐる談合事件で、
 東京地検特捜部は25日、受注調整を助け、道路公団に不要な支出をさせたとして、
 独禁法違反(不当な取引制限)ほう助と背任の疑いで、
 道路公団副総裁の内田道雄(うちだ・みちお)容疑者(60)=川崎市多摩区=を逮捕、
 東京都千代田区の公団本社を家宅捜索した。

 国発注工事に端を発した事件は、道路公団本社の捜索、公団OBらの逮捕などを経て、
 現役の公団首脳が関与した「官製談合」に発展した。

 調べによると、内田容疑者は元公団理事の神田創造(かんだ・そうぞう)容疑者(70)
 =前横河ブリッジ顧問、独禁法違反容疑で逮捕=が受注企業を決める形で各メーカーが
 談合していると知りながら、昨年5月、神田容疑者の依頼を受け、一括発注が決まっていた
 「富士高架橋工事」を分割発注に変更するよう公団静岡建設局職員らに指示。
 分割工事で受注企業が増え、神田容疑者の調整を容易にさせて談合を助けた疑い。

 また分割工事にしたことで一括工事よりコストがかさみ、道路公団に少なくとも
 約5000万円の不必要な支出をさせて損害を与えた疑い。

 公団ルートでは、メーカーの担当者が談合組織「K会」「A会」の総会で
 神田容疑者の受注調整に従うことで合意、神田容疑者が落札予定企業を割り付けたとして、
 東京高検が6月末に公団本社などを家宅捜索し、今月12日には神田容疑者ら5人を逮捕。
 東京地検特捜部が中心になって公団の関与を調べていた。

 内田容疑者はこれまで政府の道路関係4公団民営化推進委員会で
「落札率(予定価格に対する落札価格の割合)が高いから即談合と決め付けるのはいかがなものか」
「あくまでも競争の結果」などと発言してきた。

 また、6日の記者会見では「談合に関連しているのではないかといわれているK会、
 A会、 かずら会という組織、その存在そのものを承知していない」と強調していた。
 (共同)

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2004年07月26日(月)
1210, つれづれなるままに

ーアメリカの最終断末魔ー

アメリカの双子の赤字は何を意味するのかを考えると、底知れない恐ろしさを
おぼえる。石油の決済は、全てがドルでおこなわれている。

アメリカがイラクに侵攻したのも、フランスやロシアがフセインとユーロダラーで決済を
しようとしたからといわれている。
現在の世界の石油の決済は全てドルでおこなわれているが、ユーロでおこなわれれば、
ドルへの信頼感が薄れる。
輪転機でドル札を刷って世界中から物資を集めていたシステムが壊れてしまうからだ。

アメリカにとって双子の赤字など、全く問題はない。
輪転機の紙切れの数字がマイナスをあらわしているだけである。

それとアメリカ国債も同じく紙切れでしかない。
かろうじて、その二つの暴落を防いでいるが、ある日突然で恐慌を引き起こして、
その価値を落としてしまえばよいだけだ。
全く酷いものである。手形乱発とどこが違うというのだろうか。
そのアメリカの属国が日本である。
日本がその一番被害を被ることになる。

アメリカの断末魔の後は世界大恐慌となり、日本崩壊は?

ー「有限会社」が廃止

再来年から、有限会社制度が廃止されて株式会社に一本化されるという。
現在の実体からして、中小の株式会社と有限会社を区別をする必要性が乏しいと
判断された為だ。

これまでの中小の株式会社に規制を有限会社並に緩和をして、取締会や監査役の
設置義務を撤廃する。

もともと有限会社は、資本と経営が分離してない中小企業を想定していた制度だ。
中小企業でも、会社の格にこだわって株式会社を選択するところが多かった。
中小の株式会社に義務つけていた取締役三人以上で構成する取締役会や、監査役に
関して、約款で自由に決めることができるという。
最低一人の取締役でも設立可能となる。

ただ、中小株式会社のうち、株式譲渡制限のない会社については、株主保護の
観点から取締役会と監査役の設置義務を残す方針という。
今まで、何かあると、色いろの手続きを必要とした「株式会社」の不必要な
書類が減ることになる。

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2003年07月26日(土)
843, SF小説作家・小松左京の21世紀検証

 今月号の「文芸春秋」で小松左京が
「SF作家として21世紀が予測していたようになったかどうかを自分で検証する」レポートが、
面白い内容であった。
本人が正直に「自分はその頃は生きていないから、責任をとらなくていいや」と思っていた。
それが「まさか21世紀に自分が生きているとは!」と。

 ー要旨を私の主観でまとめてみると
・一番の衝撃は平成7年の阪神大震災だという。
 本人が書いた「日本沈没」が現実になろうとは。
 ほぼTPOS が酷似していた。
・三十年前は米ソの冷戦真っ只中、まさかソ連と共産圏がこれほどあっさりと崩壊するとは
 正直思ってもいなかった。
・今のエレクトロニクノロジーの発達で電卓、パソコンに、携帯電話、ロボット・・等
 電子機器がこんなに「小型」「安価」になってしまったことは、本人の予測をはるかに
 超えたことであった。当時百億したコンピューターがいまやもっと性能が良くなって
 10万そこそこ買える時代は今でも信じられない。。
 本人は現在この時代の速さについていけないので、携帯電話を持ってない
・宇宙開発はもっと進むと思っていたが、意外と進まなかった。
 今の人類にとっての、予測したほどの必要性が無かったためだ。
 しかし宇宙への進出は人類に必要である。
・イラク戦争も衝撃的であったという。多くのビデオカメラが入って戦場の
 映像がリアルタイムで入ってくる。
・高齢化社会と今の子供の問題は予測をしていた。

ー以上だが、
 ソ連と共産圏の崩壊、今の科学技術の発展、情報化社会の予想を超える進歩など、
私が感じたこととほぼ同じであった。
この情報化の進歩はSF作家の想像をはるかに超えていたようだ。
ソ連さえも、まずは軽く崩壊させたのだから。

 彼等のような戦中派が今の時代の変化を見ていたら、これほど面白いものはない。
特に戦争体験をしてきた人が、アフガンやイラク戦争のアメリカのハイテク技術を駆使した
武器はSF小説をはるかに越えている。
アフガンのゲリラさえ消滅させてしまう。

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2001年07月26日(木)
[87] エルミタージュ宮殿

今回の旅行のハイライトはやはりエルミタージュだ。
カテリーナ兇療澆竜榲造箸い錣譟△舛腓Δ疋僖蠅離襦璽屮詒術館と匹敵する内容であった。
300万点ある所蔵の一部しか見れなかったが、ただ案内された壁画や展示物は見た事の
ある物ばかりであった。

制限された時間内で駆け足であったが、その印象は強いものだった。
エルミタージュはただ美術館と思っていったが、広大な宮殿でベルサエユ宮殿に似ていた。
その豪華さにまずは驚かされた。

夏の宮殿と言われるカテリーナ宮殿も行ってきたが、
それも目をみはる豪華さで感激してしまった。
当時のカテリーナ女王の権勢は絶大であることは、この2つの宮殿を見て
うかがい知ることが出来た。


1939, 降りかけコーヒーの味!

2006年07月25日(火)

             おはよ〜!(*^ワ^*)i
                (~O~)ふぁ・・
                     
昨日の朝、朝食の御飯に何とコーヒーをかけてしまった。
「山葵ふりかけ」のビンと「コーヒー」のビンを勘違いをしたのだ。
「気候のせいで、おかしいのかな〜」と独り言をいっていると、
「たんなるボケじゃない!」  
             だと。
 「耐えている!
     こういう妻に耐えている!」
    という川柳を思い出した!
 
    そのコーヒー振りかけの御飯の不味いこと、この上なしである!
    もしかしたら美味いのかもと!期待したが。
    マ・ズ・イ!!
    食べる方も食べる方だが!

ところで毎朝,もう二十年近くになるが、
「山葵ふりかけ」をかけて御飯を食べている。
あまり一般的でないので、スーパーでも数軒しか売ってない。

   
山葵といえば、面白い思い出がある。
    既に亡くなったが、大學のゼミの武澤先生が新潟の学会の出席のため、
    来県した夜の出来事。もう十年以上経つが・・・
    近くのフグ屋で刺身を注文した。
    ところが、先生が山葵を少し箸の先に摘み刺身の上に乗っけて
    それから醤油に軽く付けて食べているのだ。
    通の食べ方のようだが、私が見たのは初めてである。

「先生、醤油皿に何故山葵を入れて食べないのですか?」
    と、聞いてしまった。
「僕の周りでは、こういう食べ方をしている人が多いよ」
    
    また言わなければよいのに
   「酒を数十年飲んでいますが、こういう食べ方をする人は
    初めてです。」と・・・・
    (*‘_‘*):
     何か庶民と民度が違う人種なのだろうか?
     あとで酒通の人に聞いたら、
    「そういう食べ方する人多いよ!」
    
 ところで、この十年来、長岡での飲み会の一軒目の店の名前が
 「山葵」である。もちろん売りは刺身である。

              バイヾ( ̄ー ̄ヾ))))
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2005年07月25日(月)
1574, 日本人の苗字ー2


日本の苗字の多い順ランキングは、この本によると
以下の通りである。

1位 佐藤 1914300人
2位 鈴木 1692300人
3位 高橋 1406000人
4位 田中 1324200人
5位 渡辺 1090400人
6位 伊藤 1072400人
7位 山本 1068200人
8位 中村 1041200人
9位 小林 1011900人
10位 加藤  853300人

田、藤、山、野、川、木、井、村、本、中などが
名前によく使われる漢字ベスト10である。
これからみて、自然と土地の名前と関係の深い文字が多いことが分かる。

元々、苗字を持つことは特権階級のものだった。
江戸末期の苗字を持っていた人口は20〜30万人、約1万姓だった。
明治初期の苗字の義務化により、29万の姓が増えてイッキに30万になった。
それ以前より非公式に使っていた例も多かったようだが、
一般的には、苗字は100年しか経ってない新しいものなのである。

明治8年の平民苗字必称義務令が出たときに、慌てて作られた苗字が多くあった。
そのため、苗字を決めるときの悲喜こもごもが、そのまま現在でも残っている。
笑うに笑えない実話が無数にある。

ーこの本の中の幾つかの実例を抜粋してみるとー

・喧嘩の耐えない夫婦に、庄屋の旦那が「円満」といわれて、
 そのままそれが、苗字になった。
・若い身空で後家になった女に、ご隠居に
「口説かれたら『射矢』といいなさい」 と言われて、名前をそのままつけた。
・大学の前に住んでいたので『大学』
・大工だったので『大工』
・仙人のような顔をしていたので『仙人』
・女道楽が過ぎるので『女楽』
・愛媛県南宇和郡網代村の村民の名前が、
 株菜、大根、浜地、鱒、稗田など、魚と野菜の名前ばかりの村がある
・庄屋が、その男の顔が蛸に似ているので、面白がって 『太古』とつけられ、 
 教師になった後で「タコ、タコ」と馬鹿にされて辞職した。
 
 ーー
そういえば親戚の葬式に出たときの話、
隣の席に「家老」という珍しい名前の人がいた。
「珍しい名前ですね!」というと、
「実は『けら』という名前だったが、虫の名前で馬鹿にされるので、
今の名前に改名したのです」とのこと。

あるHPには、数学的計算から
「日本人が27人以上いれば同姓者がいる可能性の方が高い」という。

5000種で、日本人の苗字の約80%をカバーしている。
世界で一番苗字の種類の多い国は、アメリカで、世界中からの移民で
成り立った国の由来であろう。

自分の名前は、先祖からのメッセージという。
更に自分の名前は、親からのストレートのメッセージということになる。
父親から「八郎の八は末広がりで、中国ではお金という意味がある」
と言われたことがある。実際のところは、兄姉八番目に生まれたからだが。

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以下は幾つかの参考サイトである。
みればみるほど、面白い!

・日本の苗字7000傑
http://www.myj7000.jp-biz.net/

この苗字はどの都道府県に多いか?
http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/bunpu.htm

・ドイツの上位200姓やアメリカの上位200姓
http://www.ipc.shizuoka.ac.jp/~jjksiro/dtsjin.html

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2004年07月25日(日)
1209, ヘーゲル ー哲学について−20

ーヘーゲルー

マルクスの後になってしまったが、近代哲学でヘーゲルが基点になる。
ヘーゲルは、「現実世界とその歴史は精神的な発展していく姿ー現象と考え、
それは自己認識に到達するための歴史的プロセスである」と考えた。

心や精神は無機質の自然から生まれたのではなく、それ自身が存在の
中心的な構成要素であり、現実を構成する歴史的プロセスの主体と捉えた。
この全プロセスを現におこっていると認識しているもの
(存在の究極的な本質)を、ドイツ語で「ガイスト」と呼んだ。
この意味は「精神」と「心」の中間のようなものであった。
ヘーゲルにとって、ガイストは、存在の核心、存在の究極の本質であった。
ガイストが自己認識を目指して発展する姿であった。
それが達成されると、全ての存在は調和をしてひとつのものになる。
それをヘーゲルは「絶対者」とよんだ。
それが「絶対的観念論」である。

ヘーゲルには3つの理論がある。
1、さっき述べた現実とは歴史的なプロセスであるという考え方

2、二番目には、歴史は合理的な構造を持っており、その構造を理解するために
  必要なのは変化の法則、すなわち弁証法(正・反・合)であるという考え方
  
3、三番目には、疎外についての理論である。
  人間は、文明を築くプロセスの中で色いろな組織や規則や思想や宗教を生み出してきた。
  それが逆に人間を抑圧するようになって、自分で作ったものなのに自分のもので
  なくなってしまった。
  宗教が、その端的なものと考えた。神を自分の投影として作っておきながら
  それとは異なる存在、正反対の存在として考えてしまうようになった。

ヘーゲルの思想のいま一つの特徴は、「国家への崇拝」がある。
{人は全存在を国家に背負っている}と考えた。それがヒットラーなどに利用され
右翼的な民族主義者とみなされた。また共産主義者からもその国家観を利用された。

現在の哲学思想の四大潮流、ヘーゲル哲学・マルクス哲学・実存哲学・分析哲学
は、ヘーゲル以後の哲学史そのものといってよい。

[ヘーゲルの弁証法]とは、
ー出発点の第一段階は、「テーゼ(正)」とよばれ、これに刺激をされて生まれる
対立的な反応が第二段階で「アンチテーゼ(反)」で、この二者の対立がやがて解消されて
そのどちらものりこえた新しい状態が生まれる。それが第三段階の「ジンテーゼ(合)」
になる。しかし、この第三段階は新しい状態なので
新しい対立を内包して、テーゼになる。
そして、ふたたびテーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼという三段階が始まる。
この変化は途切れることなく変化し続ける。
これは宗教、科学、経済、社会などの内側からの変化として現れることになる。

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2003年07月25日(金)
842, エンドレスの巡礼

 先日、殺人未遂で逃げ回っていたお爺ちゃんが、エンドレスのお遍路さんでTVに
出演をして、たまたまTVを見ていた刑事に正体がばれて逮捕されてしまった。
当地では「エンドレスお遍路」で有名の人だった。
TV出演を拒否すればと思ってしまうのだが、そこが人間の持つ浅ましさだ。

 実を言うとこのエンドレスの老人の存在を知っていた。
『到知』という月刊誌で、俳優のショーケンー萩原健一の文章に登場していたのだ。
ショーケンは、お遍路を年中恒例にしており、その詳細を書いていたのだ。
その文章でエンドレスのお爺ちゃんの存在を知って
「70歳を過ぎたら、こういう生き方も良いのかもしれない」と感心をした。
すべてを失い駅などでホームレスをしなくてはならない時が万一きたら、
思い切ってエンドレスのお遍路も良いじゃないかと考えた。
絶望をして、死にたくなった時でもよい。
実際に、お遍路の道中に行き倒れて死ぬのも、病院で管に繋がれてのた打ち回って
死ぬよりはずっと良い。
その最後のよりどころを、この老人は儚くも潰してしまった。
「歳とっての逃亡」でしかエンドレスの巡礼はできないのかもしれないが。

 「巡礼は自分の過去に向かって歩いていくこと」と聞いたことがある。
その行き先のまた先が神仏なのだろう。
まだ巡礼をしたいとは思わないが、いつか駆り立てられる日がくるかもしれない。
母が80歳を過ぎ痴呆症の現象が出始めの頃に面白い夢をみた。
母が5~6歳の巡礼姿で玄関口にいる。
その姿をすでに亡くなっていた母の妹がじっと見つめているのだ。
恐ろしい悲しい神秘的な夢であった。
人生はエンドレスの旅路なのかもしれない。

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2002年07月25日(木)
467,内山由蔵さんへの手紙

葉書ありがとうございます。
この春奥様がご逝去されたと、
兄より五月の連休頃に散歩の途中に会った時に聞きました。
謹んでご愁傷申し上げます。

丁度私が西アフリカに行っていて留守、参列できなった
非礼お詫びします。

今年の2月ごろ堀内トシさんより手紙で
「見聞皆師そのご追加分を送ってもらいたい」との依頼されました。
去年の五月より個人のホームページを開設して、
毎日「随想日記」を書いたのをコピーして送りました。
その時に2部コピーして、内山さんにもと思ったのですが、
少し差出がましいかと、そのまま手元にあるのを今回送ります。

その後の分もあるのですが、この秋頃に再び送りたいと思っています。
毎日文章を一文書くのは大変ですが、頭の活性化にはベストのようです。
自分でも色々のことを考えているのに驚きます。
「書き出す」ことの重要さを改めて実感しています。

土曜日が一番都合が良いので、いつでも連絡をください。
大手通りは何をしても無駄だと思います。
同じ努力をしても半分以下の効果しかないからです。
同じ努力なら二倍の効果のある場所でやるのが道理だと思います。

    −内山さんの手紙の下書きーより

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 2001年07月25日(水)
[86] ホームページ用3dソフトが完成

ホームページ用3dソフトが完成したようです。
http://www.fsn.co.jp/bonoboのサイトでダウンロードして

このホームページの3dの絵をクリックすると動き始めます。
私のホームページに似たものが私の立上げの10ぶんの1のエネルギー
で出来そうです。
ただし有料です。詳しくはそのサイトで見てください。
富士総業のソフト部門で作成したものです。

ホームページ開設勧めます。

世界が2〜3月経つと変わると本に書いてあったが
正しくそんな感がします。


1938, 急増“働く貧困層

2006年07月24日(月)

  
 Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning

    
    昨夜のNHKスペシャルがシビアな内容であった。
   (急増“働く貧困層"07/23(日) 後09:00 >> 後10:15 )

    ▽400万世帯が生活保護水準以下
    ▽リストラで年収200万・父親の涙
    ▽仕事に就けない若者都会を漂流
     等が、骨組みとして構成されていた。

 NHKも日曜日のゴールデンタイムの21時に
思い切った番組を組むものだが、これが現実であるからだ。


ーまずはNHKのHPから紹介文をコピーしてみるー
 
いくら働いても豊かになれない「ワーキングプア」と呼ばれる
低所得者層の実態をリポートする。

働いているのに生活保護水準以下の暮らししかできないワーキングプア世帯は
全世帯の約10分の1に当たる400万世帯とも、それ以上ともいわれる。
景気が回復に転じたとされる都会でも正社員は狭き門で、
3人に1人が非正規雇用で働いている。

子どもを抱える低所得世帯では食べるのに精いっぱいで、
子どもの将来にも暗い影を落としている。

一方、地方では低収入が原因で税金を払えない人が急増している。
基幹産業の農業は厳しい価格競争にさらされ、離農する人が後を絶たず、
集落の存続すら危ぶまれている。

高齢者世帯には医療費や介護保険料の負担増が追い打ちをかけている。
憲法が保障する「人間らしく生きる最低限の権利」さえ脅かされかねない
ワーキングプアの深刻な実態に迫り、これから目指すべき社会の在り方を模索する。

ーー

    現実の地方経済は信じられないような落ち込みなので、
    この番組は身近の現状の断面を鋭く切り取った内容として
    受け止めることができた。

この番組の中での印象的なケースといえば
・30歳過ぎのホームレスが職を求めて彷徨う姿が生々しく深刻である。
 このままいって最後に食えなくなったとき、犯罪しか生きる道はなくなる?

・地方都市の寂れた商店街の洋服屋のお爺ちゃんの姿も現代の姿だ。
 妻は痴呆症で入院、国民年金の大部分はその支払いで消えていく。
 生活保護を受けるには、持ち家と預金が有ってはならない規定がある。
 それが人間としての尊厳の問題となって決断できないでいる。

・50歳のお父さん、中学生の少年二人を抱えて月に21~22万円で生活をしている。
 奥さんには先立たれ、数年前にはリストラされ、現在は3つのアルバイト先で
 働いている姿が映し出されていた。
 
    身近で、これに近い姿を多く見ているので、他の世界の出来事ではない。
    商家で生まれ育って、幼児の頃から生々しい浮き沈みの世界を見てきたので
    現実の問題として深く沈んだ時の恐ろしさには、さほど驚かないが・・・

今までは勝ち組?にスポットライトに当てられていたが、
反対に、ワーキングプアの姿を通して現代を考えてみる必要がある!
倒産、離婚、生活苦、そして自殺のケース。
もっと辛辣に時代を見つめた番組を作ってよい!

  普通の生活がしたいだけ!
  という、言葉が重い

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2005年07月24日(日)
1573, 日本人の苗字

        −読書日記
        
−30万苗字の調査から見えたことー

図書館で借りてきた本だが、身近なことのためか面白い内容であった。
知っていることといえば、佐藤などの藤は、藤原氏の藤から頂いたこと位である。

日本人の約30万姓をデータに日本人の苗字を探って、
その苗字の驚くべき由来などを紹介している。

中国人の姓、約3500、韓国人の姓、約250。
欧州では、全てあわせても30000というから、いかに日本が多いかわかる。

まず「鈴木」がもともとは熊野方言で、稲束の中心の一本棒であると述べている。
江戸時代末期の人口が3000万人、
そのうち苗字があったのが4佑100万人。
苗字の数は10000と推測されるから、明治以降から三十倍に増えたことになる。

この本によると、苗字の由来には様々なタイプがあるが、
大体次の三つになる。
1、地名型
2、職業・屋号型
3、官職型

1、苗字の8割が地名に由来するという。
 たとえば、全国に無数ある田中、内田、中村・・・
 といった地名。その地と何らかの関わりがあると考えられる。
 それが領主の血筋か、領民か、単に地名から名を貰ったかである。
 田中などの地名は全国に数千とあるから、それだけの源がある。
 何代かを遡れば自分が何処の田中か解るだろう。
 逆に、黛は埼玉県児玉郡上里町にしかない地名。
 そこしかないから解りやすい。
 どこかに転じると、自分の出身の名前を残しておきたくなるのが人情。

2、職業・屋号型
 戦国時代が終わって、豊臣、徳川の時代になると、
 百姓町人は刀を取り上げられ、苗字を名乗ることが禁じられた。
 武士を特権化するため、差別的階級制度を構築したのである。
 そこで何々の在の〇〇兵衛、で用が足りたかというと、それだけでは 無理であった。
 特に江戸などの都市圏の町人は、名前も自分の商売と考えた。
 取引上、必要になった。たとえば、糸屋の九兵衛とか。
 俵屋、枡屋、針屋、飴屋などなど。
 元は蕎麦屋でも、職業を布屋になれば布を売っていても
 「蕎麦屋」という屋号にしていた。
 明治時代になって、目出度く苗字を名乗ることを許された時に、
 屋をとって苗字にすることが多かった。
 綿屋を綿矢とか、綿谷とかにした。

3、官職型
 官職型としては、
大蔵ー勘定方
監物ー出納係
工藤ー今でいう国土交通方
左近ー宮中を警護する左右に分かれていた役所の官史
太宰ー九州統監の役人
などなどある。
 
その他にも、
信仰由来のもの(神、釈、三輪)
芸名型(幸若、善阿弥陀、世阿弥)
名前型(太郎、源内、為貞、源五郎)
外来型(高麗、百済、秦)
などがある。
             ー つづく
ーーー 
光文新書
丹羽基二著


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2004年07月24日(土)
1208, 自殺 3万4427人

昨日の新聞の一面トップに、昨年の自殺者が前年より7佑眩加して
3万4427人と報じていた。

ー内容をまとめてみると

・原因として、病苦が45諭経済苦が25
 特に経済苦の増加が目立って増えている
・40歳以上が、4分の3を占め
・男女の比率は、男子が70諭⊇子が30
・鬱病が30〜70諭
 他の精神疾患を入れると、殆んどが精神疾患があった
・1997年まで、年間2万〜2万5千人と推移していたが、
 1998年から3万人台になり、ついに3万4千人になってしまった
・職業別に見ると、無職が半分近くだ

20万都市で一週間に一人が、日本全体では、毎日94人が自殺で
亡くなっていることになる。

大都会の真ん中で失業をして、駅などの人ごみの中にいると、ふっと虚無が
自分を覆いこみ電車に飛び込みたくなる衝動に駆られるという。
何か解るような気しないでもないが。
「自殺は最後に残された意思の遂行」というが、その心中は当人でなくては
解るはずがない。
しかし自殺をしようとする人の大部分が
「ほんとうは死にたくない、誰かに声をかけてもらいたい」という。

歳をとり、連れ添いに先立たれ、重い病に侵され、一人孤独に毎日を
過ごしていたら、自分でも死にたくなるだろう。
簡単に「自殺はすべきでない」というが、絶望と孤独の岸辺に立っている人
の立場からみれば、その苦しみをから解放される唯一の方法かもしれない。

ゲーテの「若きウェルテルの悩み」の中で、
主人公ウェルテルと愛するロッテの恋人(後の亭主)のアルベルトとの
自殺の議論があった。

ーウェルテルは人間の本性には限界があり、喜び、悩み、苦しみもある程度まで
耐えられるが、限界を超えると破壊してしまう。自殺は、けっしてバカな人間や
卑怯者するのではなく、生きることに悩み、迷ってどうしても出口が見つからない
時に仕方なくとるものと主張した。

一方、アルベルトは、自殺に対して徹底的に反感を持つ。
彼は「苦しい人生を対し忍ぶ事ができない弱さから引き起こされる」と考えていた。

この世で最も尊いものは、愛である。しかし、人間に喜びを与えるはずの愛が
悲劇のもとになることもある、それがまさに、ウェルテルの悩みを引き起こした。
最後には、そのウェルテルが自殺をしてしまった。

死ぬには死ぬなりの悩みと苦痛の蓄積がある。
しかし、生きることも、生きるだけの理由もある。
自殺について語る資格は私にはない。
ただ、死にたいと思ったことは一度もない!
いや、若い時にあったか?

地獄も天国も、この世にあるものだ。
地獄の業火(精神の激痛)に焼かれてこそ、自殺の意味が解る!

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 2003年07月24日(木)
841, 初めての経験ーユースブック

 ある本を店頭で買おうとしたが、一度「アマゾンの中古本」を買ってみたかった
ことを思い出した。
そこで買うのを止めて、webのアマゾンで調べてみたら30優フで出ていた。
早速注文をしたら、一週間で直接「持ち主」から本が送られてきた。
大阪の女性の人からで、本は全く新品同様であった。
家内にそれを見せると「きれいに読んで、また売ったら」と考えも及ばない事をいう。
恐らくアマゾンは2回目のそれは受け付けないと思うが?
そのシステムは革命的だ。

 アマゾンのweb書店に入ると「買った本を売りに出しませんかと?」、
過去に買った本の一覧が出てきて、その売値まで書いてある。
汚さないように読み、手数料を払って売ればよいのだ。合理的そのものだ。
これでは益々本が売れなくなるだろう。
本以外では楽天市場があるが、そこで買ったことはまだない。
消費者の立場で有利なシステムなら、早くやった方がよい。
今度アマゾンは、本だけでなく他の商品の販売を本格的に始めてきた。

本の半分近くは、週2回以上書店に行くにかかわらず、web書店で買っている。
恐らく今度はユースブックを買う頻度が多くなるだろう。
面白い時代である。数年後にはTVにインターネットが組み込まれて、
気楽にweb上で買い物をする時代になる。

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 2002年07月24日(水)
466,内山由蔵さんからの葉書

W杯のお陰でアフリカの地図を引っ張り出すチャンスが多く、
だいぶ勉強しました。
ホテル業も大変のようで、長岡のグランドホテルも市議の中では
云々されています。
日本精機の永井さんが赤字のグランドホテル手本にして
新潟の万代島の再開発の大ホテルをやるとか云っていますが、
永井さんでは経営はできませんね、どうするんでしょう。

貴方がメルクマールで誉めておられ、私もフアンになったユニクロ、
一揃え買ったが着こなせず若い者にやりました。
ユニクロも元の元気はありませんね。

大手通も今月一杯で丸越と覚張も廃業、キッドも閉まったまま。
どうするか考えはありませんか?
市民センターは一日600人の入場があるとか。

お会いして貴方の話を聞きたいと思っています。
私は元気でいます。

ー葉書の日付は7月20日ー2002年

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 2001年07月24日(火)
[85] NoSubject

先日も書いたがフィヨルド見物あとの登山列車のトンネルと
トンネルの合間の空間で列車が停まった。
そこで全列車の乗客がおりて5分間の滝見物という。
100メートルいくと突然空間が開けていた。
そこに大きなショール滝が現れた。

その滝に見とれ写真を撮り乗客の半分近く帰った時、
突然音楽が鳴り出した。
ふと滝の中間に赤いものが見えた。
赤いドレスの女が踊っている。写真を撮ろうか、
それとも見ることに集中しようか
迷ったが両方にすることにした。

まさしく水の精が踊っているようであった。一生に残る
感動的場面であった。
明日写真アルバムの載せます


1937, ローマから日本が見えるー15

2006年07月23日(日)


              \(^▽^*)おはよう
                \(^▽^*)おはよう!

    待ちに待ったカエサルの章である。
    ローマ帝国といえばカエサルと言ってよいほどカエサルの業績は大きい。
    現在のヨーロッパはカエサルが作ったといってほどの改革をしてしまった。
    
    その意味では現在の世界システムのベースを作り上げたといっても
    決してオーバーではない。
    実際に、この本を読むまでは知らなかったことである。

 −−

第七章「創造的天才カエサル」−1

ーカエサルの登場−

元老院側BC44年に立つポンペイウス派との内戦を終えたカエサルが
終身独裁官に就任した。
前回のスッラに似ているようだが、その意味するところは全く違う。
スッラの独裁官就任は、一種の緊急避難的措置である。
スッラは自分の改革を独裁官権限で全て実現をすると、ただちに職を辞しただけでなく、
政界からも引退してしまう。

    本来、独裁官とはローマ共和政の危機管理システムであった。
    カエサルが、
    「独裁官に終身という名を付ける」ことによって、
    彼が生きている間はローマの共和制度が停止することを意味する。
    
    これがローマの政治体制を事実上変えてしまった。

スッラは「共和政の浄化のため必要」と政治改革と粛清をした。
それに対してカエサルは
「ローマの領土の拡大によって、共和制度の寿命は尽きていた」
ことを知っていた。
イタリア半島内に留まっているうちは機能していたが、
地中海が我らが海になった時点で、元老院は機能不全におちいっていた。

    スッラが元老院の定員を600人に増員してからは、
    その機能は更に酷い状態に陥ってしまった。
    カエサルは「スッラは何も分ってなかった」と、彼にしては
    辛らつに評言を下したのは、このような理由があったのだ。


 =カエサルの改革とは

まずは首都ローマに張りめぐらされている城壁を取り壊すことで、
デモンストレーションをしてみせた。
城壁は内と外の区別を産み出す。
元老院の特権意識も、壁が産み出したものといえなくはない。
「都市国家ローマの時代は終わった」
 ということを明らかにした。
この後、ローマは城壁なしの首都として存在続けます。
「ローマによる平和」の時代の始まりである。

    彼は「属州もまたローマなり」という考えを実際の政策にどんどん
    取りいれていった。
    属州を『ローマ本国によって直轄支配されるされる土地』から
    『ローマの一地方』という位置づけに変えていった。
    徴収に対しても公平に基準を明示をしたことなどが、
    その象徴と言ってよい。

    カエサルは元老院の定員を更に300人増やして、900人にした。
    スッラは元老院の力を増やすためだが、
    カエサルは力を減らすために増員をした。
    その300人の新参者の中にはアルプスの向こう側の
    かっての宿敵のガリアの部族長たちがいた。

これは、元老院のものたちにとって、非常に不愉快なものであった。
カエサルはガリアを征服したが、ガリアを支配し搾取する地とは考えなかった。
たとえ民族や文化が違っていても、ひとたびローマの覇権下に入れば、
そこはもう国家ローマ帝国なのである。
それこそがローマにとって最良なやり方であった。

こういう思い切った改革は、既存の利益受益者に恨みをかうことになる。
そして・・

                −つづく
                     (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
  ・・・・・・・・
  ・・・・・・・・
  
 2005年07月23日(土)
1572, 詐欺師

身近な詐欺師としては、毎日のように電話が来る「??取引屋の営業」である。
しつこく同じ会社から数百回も十年近くもある。もうここまでシツコクかかってくると、
声は懐かしい知り合いになる。
こちらにしては、丁度良い怒鳴りのストレスの解消相手である。
相手も、解っていて社内向けにかけているのだろうが、最近怒鳴り声に閉口したのか
かかってこない?

詐欺師は、遇えば半分は落としたようなものだという。
学生時代の同級生の野村證券や大和證券の営業の男から、昔何回も聞いた事があった。
「俺らのやっていることは、1?0パーセントは詐欺である!」
真面目な奴も、稀にはいるだろうが?現在は、そうではないだろうが。
その露骨なのが、??取引の営業の手口である。
最近は脅しまがいの手口の電話もかかってくる。
その手口を冷静に見ていると、重罪の犯罪者から学んでいるとしか思えない。

 −−

昨日、通勤の帰り道に車が私の目の前に急ブレーキで停まった。
親しそうな顔をした中年の男が、何か早口で話し始めた。
高校の同級生とテッキリ思ってしまい、立ちとまって相手の話を聞くことにした。
財布とライターとネクタイピンの入った木の箱を開けて、貰ってくれという。
てっきり同級生が、それをくれると思って貰おうと手を差し出すと違う男なのだ。

その男が言うには、
「いま、会社の創業祭が終わって、記念品を貰った。
これから東京に帰るが、こんなものを貰っても仕方が無いから地元の人にあげようと思う。
丁度あげるにピタッリ人がいたので、ビール代を貰えれば彼方にあげたい。」
「タダなら貰うが、金は払う気は全く無い!」と言うと、
顔色を一瞬変えて、そのまま行ってしまった。
こういう場面を何回か経験しているので、路上詐欺の手口の一つだろうと直感したが、
未経験なら軽く引っかかるだろう。
それにしても、あの瞬間芸は迫力があった。

交番に届けても仕方が無いが、あれでは引っかかっても仕方がない。
交番のお巡りさんは、こういう話も小ばかにしてしか聞かない。
応対の言葉は聞かなくてもわかっている、
「実際被害にあったのですか?・・・」である。

ー検索で「詐欺師の手口」のHPに似たようなものがあったー

[1]ヌケサク1号 02/05/20 14:35v.NrWsoO038
仕事で道を歩いていたら、車に乗った兄ちゃんに声をかけられました。
なんでも、時計の展示会かなんかで、ペアウォッチが余ってしまって
持って帰ると給料を減らされるから貰ってくれないか?とかいう話でした。
俺は普段腕時計をしないし、ウサン臭い話やな。とも思ったのですが
まあ、話のネタにでもなれば、と思って話を聞いたのが運のツキでした。

飲み代として、いくらか寄付してくれ。
と言われて、たまたま手元に会社の金が20万円くらい。
全部万札だったのも不幸だったなあ、結局1万円渡しちゃいました。

帰ってきてみて、ネットで検索してみたら、数年前から同じ手口の詐欺が
あったみたいで、みごとに引っかかったことを悟りました。
この場合、引っかかった俺が全面的にヌケサクであったと思う。
それにしても1万円は払いすぎだったな。

皆さん気をつけましょう。

 −−
 勝負師 03/02/15 11:06 sSX7YXpcWU7w

やっぱり、詐欺でしたか。私もやられました、LIGONに.
私は、四ッ谷駅近くの郵便局前で声をかけられました.
その内容は、ヌケサク1号さんとほぼ一緒でした.違うことといえば、
値段が40万円ということと、ワゴン車で男三人組でした.
私も胡散臭いとは思っていたのですが、初め一万五千ぐらいほしいといっていたのを、
三千円までまけてくれたのとバッタモン臭さに惹かれて、ついつい買ってしまいました。
気分的には、宝くじを買った気持ちで買ったのですが、
家に帰って、インターネットでLIGONというメーカーを調べると、
はずれということが分かりました.
多分この時計は、ドンキホーテで買うと、千円くらいかな?
まあ、授業料と思ってあきらめます.
俺もアホやな!でもこういうバッタモノにチャレンジしなくなることはないと思います.
そこで逃げるとなんか男が廃るような気がするんで.
まあ、これからは、このことを話の種にして、三千円分元を取ろうと思います.
今回引っかかった御人好しの皆さんにこれからいいことがありますように!

ーー
[40]東京都分倍河原で 03/05/08 12:35 5y5kOmpV458
昨夜遅く帰るために駅に向かって歩いているとこいつと思われるのにあたりました。
手口はまったく同じですね。

・ペアウォッチ
・ネックレス
・余ったからあげる
・もって帰れない
・車は営業車なので隠せない
・質屋はもう閉まっている
・上野松坂屋の裏の和光で主任をやっている
・飲み代が欲しい
・3000円しかもっていないというと、
 「すぐそこにコンビニがあるじゃないか、そこで下ろせばいい」

男が1人で紺色のセダンに乗っていました。
ナンバーまでは確認できませんでしたけど。
幸いここのことを知っていたので、危うく難を逃れました。
引っかからなかったのでここに書くのは間違いかもしれませんが、情報をと思いまして。

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2004年07月23日(金)
1207, 排除勧告

昨日の朝日新聞の一面トップが新潟市公共工事の談合の排除勧告の記事であった。
このホームページでも何回か書いてきたが、この国を取り仕切ってきた
ゼネコン・マフィアの一端が全国的に明らかにされる。
公然と、このマフィア・システムを書いてきたが、全国紙トップで露わにされた
のだから、けっしてオーバーでないことが証明されたことになる。

新潟県は大成建設が仕切り役を割り当てられていて、その下に地元の福田組、本間組、
加賀田組の三社が組んで、重大犯罪を数十年ほぼ100融点擇辰討た。
民間工事でも何らかのカタチで談合がなされる。
このマフィアに立ち向かうのが、施主としてのメインの仕事になるが、
その影が常に付きまとっていた。

それに市や県の役人もつるんでくるから、このマフィア連中のシステムは深く
張り巡らされている。
市や県の元幹部を、定年後こぞって営業に向い入れ、そのツテで犯罪を仕掛ける。
それに自民党や民主党などの政治家が、利権と票を狙って入り込んでいる。
そのシンジケートの基盤は確固たるものである。

彼らの利権の一端が、少し見えただけでしかない。
彼らの不気味なシンジケートが橋本派を扇の要として張り巡らされている。

何故ここまで検察が放置していたのか、不思議でたまらない。
公正取引委員会も12年ぶりの勧告というから酷いものだ。

「歴代の下水道建設課長らが関与していた」と書いてあるが、検察が把握を
していなかった訳がない。
この国はマフィア支配という面でみると、イタリア以下に成り下がっている。
それでも、今日も談合が何時ものように行われているのが現状だ。

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2003年07月23日(水)
840, プロジェクトー

 NHKTVのプロジェクト召なかなか面白い内容だった。
このシリーズは三回に一回は見ているが、昨夜はソニーのロボット犬『アイボー』の
開発プロジェクトのチームリダーとメンバーの苦労話であった。
一つの商品の中に、多くのメンバーの思い人生とエネルギーがぎっちりとつまっている。
社長の井深大の『人の真似をするな!』が、ソニーの商品開発のコンセプトの一つ
ということは知っていたが、しかし現場の技術者にそれが貫かれていたのをみせつけられた。
 
 新規開発では、重役や周辺の無理解が大きな壁になるのが何処も同じである。
特に若い技術者が『オモチャを創るためにソニーに入ったのではない!』という言葉が
その象徴であった。
何度も何度も大きな壁ー障害が立ちふさがってくるのを、切り抜けていく姿が感動的だった。
プロジェクトとは、その壁を乗り越えていくのが任務である。
一度、会社を辞めてゲーム会社の部長になっている男を、このチームに呼び戻そうとした時、
その男がゲームメーカーのナムコの社長と供に断りに来る。
その時、チームリーダーは本来は絶対に見せてはならない創りかけのロボット犬を見せる。
それを見た本人は興味を示し、ナムコの社長は直ぐに翻意してソニーの復帰を認める。
ナムコの社長の一言がよい「日本の為になることだ!」

 復帰したこの男が、大きな壁にぶつかっていたプロジェクトに入るやいなや、
根こそぎロボットを否定する。自分の役割を知っていたのだろう。
そして対立。しかし、そこからアップスケールー脱皮が生まれてくる。

 たった一匹?のロボット犬の中に多くドラマと感動が詰まっているからこそ
多くの人にそれが伝わるのだ。
「プロジェクトX」に流れているテーマ は今の日本に『起業魂』を思い出させるのが目的だ。
その気持ちが直に伝わってくる番組である。
チームリーダーと復帰してきた二人の最後の言葉がよい。
『ものつくりは面白い、出来上がったときの感動が、それまでの苦労を総て流してくれる!』

商品に対する思いや感動が薄くなったら引退の時期としなくてはならない。
それは年齢と関係なく。
いま一度仕事に対する自分の気持ちを内省してみる必要がある。

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 2002年07月23日(火)
465,流離(さすらい)のランチャー

ある長年サラリーマンを勤めている人から、
彼らの昼飯をとることの大変さを聞いたことがある。

昼飯時は何処も混んでいる、それを同僚か誰かと探し歩いて食べる大変さ。
その気遣いだけでかなりのエネルギーを使うという。

私の場合は、殆ど一人で11時45分に出る。
サラリーマンで混雑する直前に入ってしまうのだ。

週5日のうち2日は回転寿司である。
今のランチは500円から300円以下になってきているという。
マクドナルドのハンバーガーに缶コーヒーで200円でも結構悪くない。

昨夜家に帰ると家内が不思議そうな顔で、
長岡の駅前のアルファー・ワンというホテルで、
680円のバイキングに入ったという。
12時少し前に入り13時まで自分達一組だけだったという。

値段も安いし、内容も良いし、店は大きいのに誰もいないのが不思議だという。
それとあの大量のバイキングの料理をどうするのだろうかと。

新潟駅前で自分が行く店で少し遅れて入って、
ピーク時間に誰もいない事は月に1〜2度出くわす。
週一度の居酒屋の楽しみを欠かさない為に、節約の一番のターゲットになる。
ランチは一番に景気に左右する。

流離のランチャーという言葉ももの悲しく聞こえてくる。
不景気だ!

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 2001年07月23日(月)
[84] 北欧の印象

いま欧州各国の首都はインターネット化による合理化と、EC統一で本社機能が
ドイツのベルリンに移転、本社の支店化や支店の撤退が進んで、合理化と人員削減に
よる不況が進んでいるという。

いずこの国も一緒と感じた。
ロシアの国境以外は完全オープンといった感だ。
ただノルウエーだけは北海油田が発見された為、海陸資源が豊富な上に石油の心配が
無くなったためECに参加せず一国強気という。

北欧とロシアは欧州の片田舎とい位置づけられている。
北欧4国の各国の位置付けはスエーデン・デンマーク・ノルウエーの順で彼らは
ゲルマン民族で言葉もほぼ一緒。
フィンランドだけはハンガリー系のフン属で彼らは露骨な?差別意識があるようだ。
何処も一緒か。

常にロシアとドイツなどの外敵にさらされてきたという。
どこも立憲君主の政治体制をとっている。
また社会民主主義が進んでいる。
ノルウエーの学校制で考えさせられたのは小中9年間クラス換えがなく、先生も一緒。
一クラス20人のため先生は80人の生徒を見ることになり、責任を持って生徒を
指導できるという。
虐めや差別は少なく、20人は一生の付き合いになる。

競争社会の日本でこれがそのまま良いかどうかわからないが、
ヒントになることは確かだ!


1936, ローマから日本が見えるー14

2006年07月22日(土)


        (≧∇≦)オハヨウ~ゴザイマス!

第6章 勝者ゆえの混迷−3

ー同盟者戦役ー

マリウスの改革は、特に志願兵の導入は『誰の既得権をも損なわない』
という意味で利点があったが、思わない副作用をローマにもたらすことになった。
志願兵の導入は元老院の力を最終的に削ぐ作用を働かせていく。

ローマ連合に属している同盟国や地方自治体の市民にとって、
兵役はいまだに義務のままだった。
彼ら非ローマ市民たちは、直接税を納めた上に、『血の税』としての
兵役に就く義務が課せられていた。

    これに対してローマ市民は、兵役が免除され、
    しかも直接税はもともと存在しない。
    これではあまりの不平等である。
    こうして起こったのが「同盟者戦役」である。
    イタリア半島の比較的貧しい8つの部族が一斉蜂起したこの戦争は、
    さすがに苦戦を強いられてしまった。

結局この戦いは、戦闘に勝ったローマが大幅な譲歩をしたことで完全に収拾する。
戦役の二年目にあたるBC90年の冬、ローマは「ユリウス市民権法」を制定、
同盟国に暮らす市民がローマ市民権を自由に取得できるようにした。

かってガイウス・グラックスが市民権改革を提案したのは、30年前のこと。
人間とは、厳しい現実を目の前に突きつけられてしか改革はできない。
しかし、この市民権を開放をしたのは大英断であったと言うべきである。


ースッラの登場と改革ー

マリウスはもともとローマ市民権さえ持たない出自で、
軍団畑をたたき上げでのし上がってきた。
そして40歳でユリウス一門のカエサル家の娘と結婚する。
カエサル家はローマでは2流の家柄だったが、これで名門につながることになる。

マリウスが48歳のとき、北アフリカで問題が起こし、ハンニバル戦役時代に
ハンニバルを破ったスキピオ・アフリカヌスと同盟して戦った騎馬民族の
ヌミディア王国がローマに敵対する。
この戦闘に副官として参加し、功を上げたマリウスは執政官に当選する。


    マリウスが職業軍人を生んだことによって、ローマ軍団の私兵化が問題になる。
    その後のポンペイウスやカエサルが軍団を自由に動かせ土壌を作ったことになる。
    その後暫くは平穏な時代を過ごしたローマだが、市民権問題にことを発した
    同盟者戦役がおこる。これは、内乱というにふさわしい戦役であった。

しかしこの間に小アジアの勢力であるポントスがローマに反旗を翻し、ローマ領に侵攻。
同盟者戦役を和解で切り抜けたローマは、この戦役で功のあったスッラに
オリエント戦線を担当させようとしたが、マリウスがこれに抵抗した。
スッラはイタリアを抜け出し編成中であった軍団を擁してローマに進軍。
これを制圧。武装クーデターによってローマを制したスッラだが、
彼は私利におぼれることなくオリエント戦線の重要さからギリシャに入る。

    しかしローマの後をたくしたキンナがまたもや反旗を翻しマリウスは復権し、
    ローマに戻った彼はスッラ派の人々を片っ端から処刑をする。
    その直後にマリウスは病死。
    あとをついだキンナは小アジアにローマ正規軍を送る。
    一方スッラはギリシャで侵攻してくるポントス軍を数度に渡って破り、
    陸路小アジアに進撃し、ローマ正規軍を打ち破る。

このようにしてスッラは小アジアの安定とギリシャの制圧を完成。
キンナはスッラとの決戦をギリシャで臨み、
2年の戦いの後にスッラの勝利に終わる。

そして今度はスッラがマリウス派勢力を処刑していく。
当然マリウスの甥でありキンナの娘の夫であったカエサルも目標にされます。
当時カエサル18歳。しかし若年で何ひとつ政治活動をしていなかったことを理由に
度重なる助命嘆願にスッラも仕方なく承知する。
この時、スッラは ”君達にはわからないのかね。
          あの若者の中には100人ものマリウスがいることを”
            といったという。

    スッラの条件はキンナの娘との離婚だったが、カエサルはこれを拒否。
    カエサルはイタリア中を逃げまわり、ついには小アジアにまで落ち延びる。
    スッラは様々な改革をしたが、元老院の強化こそがローマを栄えさせると考えて、
    それに沿った政策をとる。

後年2流の家系であったカエサルが、妻の血筋の庶民派として
地位を確保していったのは当然のこと。


    名門貴族の出身ならば元老院への道は開かれていたが、
    平民貴族や平民出身者にとっては護民官から元老院に出馬が道であった。
    ローマの重職は元元老院議員であることが暗黙の了解であった。
    しかし次第に大きくなる護民官の力がローマの弱体化を招いたと考えるスッラは、
    これを押さえ込んだ。

スッラは私利私欲の少ない人で、
58歳で引退後は別荘で暮らしながら死んでいく。

           i (ω・`) bai  
・・・・・・・
・・・・・・・

2005年07月22日(金)
1571, 五稜郭


幕末の混乱期、軍艦・開陽丸を駆って官軍と戦い蝦夷地に
共和国を樹立しようとした男たちがいた。
この時期、オランダに派遣されていた榎本は帰国、同じ幕臣として勝海舟の幕引きに反発。
新政府に不満を持つ幕臣と新撰組の土方と合流して未開の地・函館の五稜郭に
共和国を樹立する。

そこで、官軍の参謀に就任した薩摩の黒田了介(後の内閣総理大臣・黒田清隆)
率いる軍と熾烈な戦いを繰り広げる。
その戦いの中で、榎本の人柄を知った黒田は全面降伏を勧め彼の命を救う。
しかし土方など幕府方の残党は殆んどここで最期を遂げる。
やがて刑期を終えた榎本は新政府のロシア交渉特使として活躍する。

阿部公房が「五稜郭」という小説で、
榎本武楊が政治的に江戸幕府の残党を纏めて整理する役割になってしまった
矛盾を書いている。
学生時代に読んで、その複雑多層の立場を初めて知った。

攘夷か開国か、尊王か佐幕か倒幕か、公武合体か。
それらの混沌とした中で維新の歴史は作られていったが、
その中で榎本武楊の果たした役割は、結果として皮肉な結果をもたらした。

阿倍公房の小説は、
函館の五稜郭で負けた幕府軍の囚人300人が脱走して、厚岸(あっけし)の海岸から上陸、
山の奥深くへ消えていった、という地元の伝承をもとにそれを追う男の話から始っていた。
「蝦夷共和国」という、とんでもない構想に魅力を感じて読んだが、
実は?その背後の複雑な背景を抱えた夢の世界であったという阿倍公房の世界観があった。
もう三十数年前に読んだ本だが印象に深く残っている本である。

 −−
ー榎本武楊ー
1836-1908

江戸御徒町生まれる幕臣、幕府留学生としてオランダへ3年造船、
機械が学ぶため留学し滞在地で国際法を習得、開陽丸回航と共に帰国、
帰国後幕府海軍教官として基礎を築き海軍副総裁となる。

戊辰戦争では、江戸陥落後に徳川残存艦隊を率い蝦夷箱舘へ脱出、
蝦夷地を占領『蝦夷共和国』を樹立し総裁になるも、明治2年函館戦争で降伏。
新政府に拘束された後、敵将であった黒田清隆の強い要望により新政府に仕官し
北海道開拓使に任官、その後日露関係の外交交渉の為、海軍中将に任官するとともに
ロシア派遣特命全権公使となり力を尽くした。

ちなみに彼は明治22年子爵の爵位を受け明治23年文部大臣に就任した。
生前最も愛した向島にちなんで、その地の木母寺境内に銅像が建てられ
その後現在の梅若公園内に整備された

・・・・・・・・・
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2004年07月22日(木)
1206, 「半落ち」ー 映画感想

30万部を越すベストセラー記録を樹立した横山秀夫ワールドの最高峰
『半落ち』が映画化され、今年の1月に公開された。
そのDVDが、もうレンタルショップにあった。
さっそく借りてきた見たが、素晴らしい内容であった。
見おわった時、涙が知らずと溢れ出ていた。
あとで家内から聞いたが、みた人のほとんどが泣くという。
私の感想文は、最後に書いてある。

ー解説と内容(ホームページよりコピーしたもの)
を貼り付けておきます。


ー解説
愛する妻を手にかけた、元捜査一課の敏腕警部。彼が自首するまでの
「空白の2日間の謎」を追う幾多の人々。
が、この作品は、警察というフィールドで展開されるまぎれもない
ヒューマン・ドラマである。年齢を重ねるにつれ、人はさまざまな理不尽を
呑み込んで生きていかねばならない。
その現実に対峙し、何を、どう選ぶのか?状況に流されず、自らの生き方を選び
取っていくのは容易ではない。アルツハイマーの病状が進む妻に懇願され、
嘱託殺人という重罪を犯した主人公・梶聡一郎。その心の襞を探っていく物語は、
いつしか彼を取り巻く人々の心のうちまでも照らし出していく。
『半落ち』に仕込まれた'合わせ鏡'の見事さは、登場人物たちはもとより
観る者をも巻き込んで、自分の<今>のありようを見つめさせるのだ。

ー内容
「私、梶聡一郎は、3日前、妻の啓子を、自宅で首を絞めて、殺しました」
梶聡一郎が最寄の警察署に出頭してきた時、捜査一課強行犯指導官、志木和正は、
連続少女暴行犯人の自宅を朝駆けで急襲する最中だった。梶の取調べを命じられて、
何ヶ月も追ってきたヤマから最後の最後で引き剥がされ、警察署へUターンする
志木の胸中に去来する複雑な思い。

半年前、アルツハイマー病を発症した啓子の看病の為、自ら刑事を辞して警察学校で
後進の指導にあたり、広く敬愛を集めてきた梶が、なぜ殺人を犯したのか。
取調室で向き合う梶の視線の奥が、あまりに澄んでいることに驚く志木。

志木の取調べに対して、啓子の扼殺後自首してくるまでの2日間のことについて、
固く口を閉ざす梶に、志木のみならず、駆け付けた県警幹部すべてが困惑する。
現役警部の殺人という一事件が、県警そのものの権威と、そこに属する何千という
警察官の信用を地に墜とそうとしているのだ。
取り調べにあたる志木に、誘導尋問で「空白の2日間」を捏造した事実で穴埋め
するように、命じる県警幹部たち。

そしてその命令に背き、取り調べ官を解任された志木は、独自に、梶がひたすらに
隠そうとしている〈真実〉を探り出そうとする。
7年前に一人息子の俊哉を急性骨髄性白血病で14歳の誕生日を待たずに亡くし、
寄り添うように生きてきた夫婦に、一体何があったのか。
そして梶の事件がやむなく表沙汰になる。

さらに「空白の2日間」についての県警の発表にウソがあることが、梶が東京行の
新幹線ホームにいたことを目撃した男のマスコミへのタレ込みで明らかになり、
県警の周囲は騒然さを増す。事件の推移と共に、担当検事(佐瀬)、弁護士(植村)、
スクープを狙う新聞記者(中尾)、裁く判事(藤林)が、各々の人生を背負い、
思惑を抱え、事件の真相を暴く為に、梶の人生、梶という人間そのものに
近付いていく。

個人として捜査を続ける志木。県警と地検の犲茲螳き瓩任笋爐覆手を引く佐瀬。
これを機に名を上げようと、意気込んで梶との接見に臨む植村。梶の「空白の2日間」
の行動の一端を掴む中尾。
公判で、啓子と同じ病を持つ父のことが脳裏を掠める藤林。
そして、亡くなった俊哉の担当医、高木の「俊哉君の発病から間もなく、
ご夫妻でドナー登録されたんです」という言葉。

裁判の証言台で、「私は…啓子を殺してやることもできなかったんです…」
と泣き崩れる、姉・康子が保管している啓子の日記に貼られた、
「命をありがとう」
と題された投書記事。弁護を引き受けた植村に梶が問い掛ける、
「あなたには、守りたい人がいませんか」という言葉……

“来るべき日”を待ちわびる梶の、拘置所での、贖罪と希望への祈りを捧げる日々。
どんな犠牲を払い、誹りを受けようとも、あと1年だけ生きようとしている
梶の人生の〈真実〉とは !?

 −−−−−
< 感想>

母をアルツハイマーで5年半、看護した経験があったので、主人公の
深い思いに感情移入をしてしまった。
そして、それに関わる色いろな立場の思惑や利害も、身に憶えのあることばかりで、
主人公の心の壁を探っていく物語は、そのまま自分自身の心の壁を抉りだしている
ようであった。そして、当時の自分の心の姿が浮かび上がってきた。

辛く悲しい母の姿と家族の、それぞれの立場で必死に生きていた当時の日々
がリアルに浮かんできた。しかし、そこには底知れぬ暖かさがあった。

アルツハイマーの身内を抱えた崩壊一歩手前の家族が、どういう気持ちで
毎日を過ごしているか、この映画は深く入り込んではいなかった。
それも、しかたがないが。

高齢化社会の、大きな問題がアルツハイマーである。
どこの家庭でも、ぶつかる大きな問題でもある。

いまの寝室の寝ているところが、母の寝ていたところである。
アルツハイマーになった母が夢で月に二回は出てくる。
母は今でも私の中では生き続けている。

・・・・・・・
・・・・・・・

2003年07月22日(火)
839, あいうえおー生き甲斐測定法

今やっていることが、生き甲斐があることか、天職か、ベストかどうかの
判定基準として、あいうえお生き甲斐測定法がある。

「あ」は、アイデア 
「い」は、インタレスト
「う」が、ウォーク
「え」が、エキサイティング
「お」が、オーナーズシップ
この内の一つは抜けていてもよいが、二つ以上の場合情熱が感じられなくなる。

「あ」は、要は自分のアイデア、企画かどうか。
「い」は、興味、関心のこと。
「う」は、歩くことで、行動につながる。待っていたり行動なしでは何も始まらない。
「え」は、エキサイティング。燃えるような情熱の涌くこと。
「お」は、オナーズシィップ。自分でやり遂げたという喜びや自負心ー行蔵です。

 これは藤本儀一の『人間ほど面白い動物はない』サンマーク出版ーの最後に
 書いてあった内容である。
創業では、これが一つでも欠けていたら上手くはいかない。
これを満たした上で総てを注ぎ込んで初めて動き出すものだ。
この5つを満たす為には、いつも随想日記で書いているように、
「自分の好きなことを見つけて、それに集中する」しかない。

 私自身、好きなことをして生きてこられたことが一番の誇れることだ。
この随想日記で一貫して私も主張してきたことである。
最後に『楽しかった!』と言い切れる生き方である。
『好きなことだけをして生きていく』には、それなりのノウハウと
能力と環境が必要である。

 その方法論を具体的に解りやすく書いてある本があった。
 初心者向きで、どちらかというと先人の知恵を租借している内容だ。
といって好きなことをしてきたと自分で言い切れることがよい。
以下、インターネットで調べてコピーしておきます。

・・・・・・・・・・・・

「『好きなことだけをして生きていける人』はここが違う」
中川 昌彦 (著)
価格: ¥1,300
ユーズドストア価格: ¥500より
単行本 - 238 p (2002/09)

ー内容ー
自分の好きなことをして生きていきたい。自分の思い通りの人生を生きたい。
そう思うが、拘束の多い社会で、あきらめてしまう。
しかし、「自分の好きなことをして生きること」はできるのである。
実際、自分の思い通りに生きて、納得して、成功してきた人たちはたくさんいる。
主体的に生きるためには、やはり方法がいる。
この本ではそのための方法、すなわち固定観念や思い込みをはずし、必要な戦略や戦術、
効果的なノウハウ、知恵をお伝えする。自分自身の人生を生きるための技術である 

  ー目次
第1章 人はそれぞれ、好きなように生きればよい(最後に「楽しかった!」 
   と言える人生を送りたい
   博士を捨て、碁会所席亭になった男 ほか)
第2章 仕事も遊びも本当に好きなことを見つけよう(「本当に好きなことがある」が出発点
   仕事を楽しめる人の発想に学ぶ ほか)
第3章 「一人で生きるぞ」と思い定めよう(しっかりした「自己基準」が、生きる上での
   覚悟をもたらす
   幸せになりたければ、まず一人で生きる方法を身につけることだ ほか)
第4章 "ウィル"人間の優雅な生き方(ウィル(Will)人間になるか、
   シャル(Shall)人間になるか「枠」にはまる人、はみ出す人はこんなに違う ほか)
第5章 「おもしろ、おかしく生きる」と心に決めよう(おもしろくない世を楽しく生きる  
   「晋作術」気楽に楽しく日々を過ごせば、周りも愉快になる ほか)
・・・・・・・・・・・・
好きなことを早く見つけて、それに集中する、そして十分楽しむ。
それが長期的に継続した時、やってよかったいえるかどうかを見極めて。
「踊りと歩行」の組み合わせ、目的地をしっかりと見極められるかどうかだ。

・・・・・・・・
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2002年07月22日(月)
464,煮た豆

母から聞いた言葉で印象的な言葉で「煮た豆」がある。
もう出来上がってしまって芽が生えて来ない豆をいう。

人間に喩えると「もう出来上がってしまって、潰しのきかない人間」
をいう。
この言葉は自分の自戒の言葉であり、
常に前向きでチャレンジと変化と闘いを自分に課し続ける姿勢だ。

ある同?会の大部分が煮た豆だけでなく、納豆のようだ。
腐ってしまって、お互い粘粘している。
仕方がないが、もうオカラのような人もいる。

豆の質も10歳で殆ど決まってしまうらしい。
「3歳では遅すぎる」というソニーの創立者の井深大の本があるが。
私の見るところ、95佑呂い筍坑広佑呂修糧疇だ。
もっともその時の優等生も大部分がただの人だが。

私のよくいう子狐は「煮た豆」が必死になって「生豆」を演じている姿だ。
いや「生豆」を粘々で絡もうとする姿だ。

そういう自分ももう煮た豆か?

こういう文章を書いているといろいろ気づきがでてくる。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2001年07月22日(日)
[83] バイキングについて

ー北欧旅行記ー 
バイキングは今より1200年前突然始まり200年で終わったそうだ。
キリスト教の影響ではないかと言われている。

面白いのは相続は末子相続で、長男次男はある年令に成ると家から
出て行くそうだ。

海は日本の場合お堀の役割だが、夢に向けての希望という。
1000年前のバイキングの船がそのまま発掘されて展示されていた。
一艘40人ぐらいの定員で50艘位で攻めていくそうだ。

アメリカまでも行っていたそうで、コロンブスの発見より5^600年
さかのぼる事になる。

それにしても金髪で背が高く足が長い、それに美男美女である。
料理も上手い!
厳しい自然だが資源に恵まれている。


1935, 霊界からの訪問者 −3

2006年07月21日(金)


           (\ Y /)(\ Y /)オハヨウ! ♪

ー四四太郎の霊界日記ー5

霊がブログを持つのも面白いものじゃ。
ふざけて書くわけにもいかないし、教訓を垂れれば面白くもないだろうし。

ところで、これを読んでカルトのそれと、
用心している人もいるだろうが、全く関係ないから。
カルトは直ぐに解るだろうけどね!
         
    何か今日は書いていてぎこちないが、
    ワシは指の動くままキーボードでも動かしていればよい。
    何時でも話す準備はできているが、お主が構えて考えようとするから
    ワシそのものが固まってしまうのだ。
            \(∀\)ココハドコ?
               (/∀)/アタシハダアレ?
                      娑婆娑婆♭♯♪〜
               
今日、昨日そして明日のことで頭が一杯のお主らに対して、
数十年、数百年、いやせめて5年~10年のスパンで事象を見つめる視線を、
ワシの言葉から気づかせようとしているのじゃ。
それだけではない、鳥瞰、虫瞰、モグラ瞰を一瞬に気楽にできるのじゃ。

    現在は人類20万年、いや数百万年来の大変革期に現在ある。
    それが解っているかというと、大部分の連中は解ってないだろう。
    この情報革命というのはワシらの世界から見てもすざましい出来事なのだ。

    この情報革命はマスマス激しく社会の根本を変革を始めているが、
    特に、これから十年は日ごと加速度をますだろう。
    そしてそのいく末は想像を絶する変化になる。
                         ( ^-^)_且~~~
ワシのような魂が電波に乗って行き交う時代なのじゃ。
霊界では、それぞれの魂が直接触れ合うことが出来るが、
ブログやインーネットで、それが全ての人にも可能になるのだ。
魂なら良いが、邪悪のものも一瞬に駆け巡るから問題になるのだ。

魂とは、それぞれが持っている経験と、未来への夢の芯の部分をいう。
それぞれが、それぞれの経験を通して学んだことを開放すれば
互いが深いところで通じ合うことが可能になるのである。

    霊感は人間の五感とは全く違う受信機能である。
    娑婆では六感という言葉を使っているがね。
            霊だぞ〃∋(`∇´∋〃  
                〜(m ̄ ̄m)
                  〜〜(m´ρ`)m
                    〜(m~ー~)m
                       ー御前らアフォか!
                       いや、霊です。
    御主・宗親は33年前に父親が死んだ時に、
    父親のエネルギーで霊感を得ただろう。
    あの不思議な感覚が霊感である。
    だからワシを呼び出せるのだ。
    人の奥の共通した不思議な感覚世界は、
    深く人生を生きないと到達できないというものではない、
    あるキッカケで身につくのじゃ、体質もあるがね。。

人の心の底の底にある六感世界は、
永遠にある魂にコンタクトしているのだ。

                   ヽ(゜∀Å)ゞ バイ!

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2005年07月21日(木)
1570, 日本壊死

       ー読書日記

この恐ろしい題名の本を書店で見て、買おうかどうか迷った。
船井幸雄氏の本は数多あるが、ほとんど読んだ事はない。
その場かぎりのいい加減なことを言っているのは私でも解る。
しかし、多くの顧客を持ち、本も出し続けているのだから何かが
あるのだろう。

以前いた会社で二年間、船井総研に加入したことがある。
(30年も前のことだが)いい加減というのを、その体験上知った。
数回、この人とも一対一で話ししたことがあるが、
怪しげな生臭坊主というイメージしか残ってはいない。

たまたま、この本が図書館にあったので、丁度良いタイミングであった。
副島隆彦氏の本は図書館で数冊借りて読んでいるが、本筋は正しい。
(売らんかなのオーバーな表現が目立つが)
この二人の対談で、彼(副島)の「日本の近い将来の悲観」に対しては同感する。

船井氏の話術で、彼が言わんとするところがクローズアップしていて
解りやすい内容になっている。
アメリカ帝国主義の崩壊のシナリオから始まり、
日本がいかに駄目になったかを説いている。

具体的には
アメリカ帝国主義とロックフェラー支配の終焉、
1ドル60円時代の到来、
ユーロの台頭、
借金1000兆円国家・日本の地獄絵図、
財務省の重罪、
預金封鎖と老人税の導入の可能性、
行革が進まないワケ、
脱米入亜の可能性、
次世代国家を作る新しい人たちの登場
等々、内容は悲観的である。

ー 概略を目次順に書いてみるー

目次

第1章  すべての波動が指し示す二〇〇五年の大激変

・ドル大暴落の果てに世界は、日本はどうなるのか?
 -合理的に導かれる「1ドル=60円」時代の到来
 アメリカのロックフェラーの世界支配が揺らぎ始めている。
 米ロックフェラー家対欧州ロスチャイルド家の覇権争い
 ロックフェラーの石油 対 欧州のロスチャイルドの金の戦い

 ー1000兆円の借金を抱え、アメリカのツケを払い続ける日本
 倒産したに等しい「財政赤字1000兆円」の日本

 −アメリカ帝国が崩壊するまで日本は耐えなくてはならないのか
 帝国崩壊のシナリオはすでにスタートしている
 資本主義崩壊後の生みの苦しみを経て日本は良くなる

第2章  ついにここまできた!「ニッポン財務省」による国民いじめ

ー財務省は財政赤字を国民に肩代わりさせようとしている
 
ー相続税の強化と消費税率アップが国の狙いだ

ー相続税の強化と消費税アップが国の狙い
 消費税30佑了代がやってくる。

ー預金閉鎖と新札発行で国民の虎の子が炙り出される
 新札発行に仕組まれた「カラクリ」

第3章
 あまりに情けない日本の実像

ー世界皇帝に君臨するロックフェラー家の実像
 アメリカ政治の背後に見えるユダヤ(ロックフェラーが、その象徴)
 の巨大な影
 世界はロックフェラーとロスチャイルドの二つのユダヤ資本で
 大きく動かされている。

 いまや日本はアメリカに直接統治されている ほか)

第4章
日本国への処方箋
―「公務員七割削減論」から「本物技術」まで
 公務員の大削減なくして日本再建はない
 大きな視点、大胆な発想が日本を救う

附章
日本が真の独立国となるために
(人間の意識が変われば世界が変わる
日本人は自らの言葉による憲法を取り戻せ)

ーー

以上だが、不安感を煽り立てるだけの本なのか、
現在の日本は、これ以上にひどく痛んでいるのか?
全ての分野で、 一強多弱になっている。
これがグローバル化の結果である。
その一強も明日は多弱の仲間入りになる可能性を含んでいる。
間違いなく、数年先には大変動があるはずだ。

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2004年07月21日(水)
1205, 実存哲学(3)ー哲学について−19

ーマルクス−2

マルクスの考えでは、
当時の資本主義社会は歴史的に見て、対立なき社会が実現する
二つ手前の発展段階とみなした。

近代技術はますます発達を続け、失業者はますます増加すると考えた。
その結果、いわゆる一般大衆が増加、彼らはいっそう生産手段から疎外され、
ますます限られた者に生産手段が握られてしまう。その結果、数の上で圧倒的な
労働階級が資本家を打倒し、生産手段を自らの手に収めることになる。
そしてこの革命が、歴史の繰り返しを終わりに導く。
この到達点に必然的に進んでいって、いったん理想郷が実現されると、
もはや弁証的でなくなる。
生産手段は万人の所有者となり、万人の利益のためにつかわれる。

マルクスは哲学そのものを否定し、
「哲学者は世界をさまざまに解釈してきただけだ。
大切なのは、世界を変革することである」と断じた。

しかしその予言は実現しなかった。
それはマルクスが、一人よがりに自分の理論を科学的と思い込んだからである。
自分が生み出した社会主義を、「科学的社会主義」とよび、これが説得力があったため
マルクス主義者がただのマルクスの個人的意見を「絶対的な事実」と考えてしまった。
彼らは未来の社会の姿を科学的に予測できると主張、自分たちが未来の側に立っていると
盲信してしまった。
その結果「歴史がわれわれの側にある」がマルクス主義者の口ぐせになってしまい、
敵はみな、「歴史のごみ」として捨て去られるものと信じてしまった。

この考えが、20世紀に共産圏を中心として大虐殺を引き起こしてしまった。
ソ連や中国では、数千万の大虐殺が生じた。
また現在の北朝鮮の不可解な体制は、このような考えの背景があるからだ。

当時、彼の思想は短期間に世界に大きな影響を及ぼした。
これほど一時期に大きな影響を世界に与えた思想は歴史上なかった。
1883年に、亡くなってからわずか70年で、世界の3分の1がマルクス主義の国家体制に
なってしまた。それは驚くべきことであり、それが歴史に残る大失敗であった。
芸術にたいしても、その真の役割は社会を批判をすることであると主張した。
芸術は革命の一つの道具とみなしたのだ。
その結果、多くの芸術家がその影響を受けてしまった。
サルトル、ピカソなどは、その最たる人である。

現在でも多くの国で、その体制が残っているが、独裁の一種の建前として
使われているにすぎない。

一度手にした権力を人間は、決して国家人民の為には使わない動物であることを
見落としていた。これほど理想と現実の差がある思想も過去になかった。

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2003年07月21日(月)
838, アメリカの世界戦略を知らない日本人

  ー読書日記ー
「イラク戦」後、時代はこう動く

日高 義樹 (著)
出版社: PHP研究所 ;
(2003/01)

ー感想文ー
 新たなる世界大戦の序幕が切って落とされた。
中東、北朝鮮、中国、そして日本は…。
ブッシュ政権要人の肉声から読み解く驚愕のシナリオをシビアに書いてある本だ。
この本を読んでいると、今の世界の流れの一部が見える錯覚?に陥ってしまう。
日高義樹はNHK記者時代を通じ、アメリカの専門家として有名で、
その著書も数多く出版されてる。
この本は、イラクへの武力攻撃が懸念される2月始めに出版されたものだが、

先日、図書館で借りてきて一気に読んでしまった。
主軸通貨を利用して、ドルと国債を世界にばら撒いて物資を集めてくれば
良いのだから、やはり帝国主義そのものでしかない。
特に日本はいまだに属国から抜け出ることができない。
そして、紙切れー国債を押し付けられている状態だ。
今までは、毒饅頭ー大衆消費社会ーを与えられ、骨抜きをさせられた。
ソ連よりはズットましだっただろうが。

ー印象に残ってところを抜粋してみる
・ヨーロッパは終焉してしまった。
 一見「EUの発足」で力の統合が始まったように見えるが
・中国は恐れるに足りない。いずれ分裂するとみている。
・日本の平和主義は終わった。
 ー日本が核武装をしようがしまいがどうでもよい。
・イラク戦争のアメリカの狙いは中東石油支配。
 ーこれは時間が経てばたつほど露骨に現れてくるだろう。
 
ーさらに詳細に抜粋すると
・9月11日の同時多発テロ以来アメリカは変わった。
「冷戦後の世界で、一番先に変わるのがアメリカであり、
他国に先駆けて変化するのがアメリカの特徴である」という。
 自発的に変化することを苦手にしているのが日本であり、憲法改正、
有事法制も先送りしながら日米安全保障条約だけを頼りにしている。
北朝鮮の脅威が現実のものとなった以上、「アメリカが助けてくれる」
ことを期待を込めて信じるだけでは、国として無責任すぎる。
北朝鮮の拉致事件も、見方を変えれば、宣戦布告なき戦争であり、
日本は国民の生命と財産も守れない国ということになる。
日本も今までのように安穏としてはおれず、現実的な選択を迫られている。

・第4次世界大戦”に、既に突入した(第3次大戦は米ソの冷戦)。
 それはアメリカなどの民主主義を奉ずる先進諸国とテロリストの国や組織との戦争。
 今までの戦争とは全く異なり、ITや大型輸送機を駆使し、
 少ない人員で遠隔地まで直接効率的且つ破壊力に富んだ攻撃を可能な戦争になる。
 ーその第一幕が今行われているイラク戦。
・ついで起きるのが2005年頃と考えられる北朝鮮との戦い。
 このとき北朝鮮は日本を人質にとってアメリカと交渉しようとする可能性は大きい。
 ブッシュは“悪”とは決して妥協しようとしないから北朝鮮は日本攻撃に追い込まれる
 可能性がある。その際、日本が当然アメリカが守ってくれると期待するのは甘い。
・冷戦の終了と共に日本はアメリカにとって重要性を失っている。 
 後は日本の古い金融体制を不良債権整理と共に破産させてのっとることくらいが関心事。
 資金の裏打ちの無い“強いドル”を維持するために日本の円を自由にして
 取り込もうとしている。
・日本は拉致問題について、北朝鮮に特殊工作部隊を送り込んで、
 工作員を捕虜にしてくるとか、テポドン基地を爆撃するなどの、
 「自らの主権を自ら戦って守る」姿勢を示さなくてはならない。
 今のままではアメリカのみならず世界から相手にされなくなる。
・ヨーロッパ及びロシアはアメリカが中東の石油を支配することで
 自分たちの既得権益を失うことから戦争に反対したが、
 彼らは既に二流国ですら無くなっている。
 そんなヨーロッパに投資する日本は情勢を読めていない。
・第4次大戦の終幕はアメリカ対中国であるが、アメリカは中国の“脅威”について、
 軍備を始め殆ど歯牙にもかけていない。
 台湾の処遇をきっかけにして中国を滅ぼすことも考えられる。
 冷戦が終って、やれこれで平和が訪れた、などと考えた国や人はおめでたいにも程がある。
・日本人は国際連合を世界の中立的な裁定機関であると捉えがちですが、
 アメリカはそれほど神聖なるものとは思っておらず、むしろ国家こそが、
 最高の意思決定機関だということです。
 従って、国連決議を粛々と遵守しなければならないのでは、と考えるのが日本人、
 決議なんてこちらからのプロポーザルでどうにでもなる、
 と思っているのがアメリカということ。
 この度のイラク攻撃に関する一連の動きを見ているとなるほどと頷けます。
 
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【目次】
第1章 イラク戦争が世界を変える
第2章 日米安保の時代が終る
第3章 「次はお前の番だ、キム・ジョンイル」
第4章 当分北朝鮮と韓国は合併させない
第5章 中国はブッシュ大統領に脅えている
第6章 中国は怖くない
第7章 ヨーロッパは終焉した
第8章 ブッシュ政権はけた違いに強い
第9章 ドルの立場を守るには日本円が必要だ
第10章 日本の平和主義は敗れた

 [コメント]
 この原稿が書かれたのは昨年12月。
(イラク問題は一進一退だが・・・)。
著者は、アメリカ政治に精通している著名なジャーナリストで、アメリカに関する著作は多い
(私も何冊か読んでいる)。
歯切れの良い文体とちょっと過激な論調は、結構ファンも多いはずだ。
著者の結論は、ブッシュ政権は近日中にイラクと戦争を行い、
第四次世界大戦の幕を切って落とし、中東情勢が落ち着けば(アメリカの思惑通りに)、
再選に向けて動く。再選後、北朝鮮の金正日体勢を武力をもって崩壊させるといシナリオである。
確かに、ブッシュ大統領も、危険分子(危険要因)の排除ためには、先制攻撃も辞さないことを
明言している。
9月11日の同時多発テロ以来、「アメリカは変わった」ことを認識すべきである

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2002年07月21日(日)
463,再び業態について

何回か業態について書いているが、地元の今井家具が
昨日店の前を通ったら、いつの間にか倒産していた。
業種店の消滅である。

ひと時代前,いやふた時代前の商売である。
メーカー分類ごとの商品を並べる商法である。
靴屋、家具や、薬屋、金具屋、今でも原始的の兼業商家として
駅前立地で一部残っているが。

これに対し業態とは、お客ー生活者のサイドで商品の括りを変えることである。
全国チェーン化を始めた「ニトリ」がそうである。

店独自のコンセプトで商品を開発する。
それえも早くから、インドネシヤとか中国で開発輸入をしていた。
台所、居間、トイレ、ガーデニングとそれぞれのシーンごとに分類。

そこで買っていれば、家の中はカラーコーデネートが自然と出来ている。
昔は金持ちの一部しか出来なかった「家を飾り立てる楽しみ」が誰でも出来る。

これは考え抜けば、個人でも小さな企業でも出来る事だ。
5年ほど前、九州のある大きな神社に行った時、ある店がお客でいっぱいであった。
何と「土産1000円ショップ」であった。笑ってしまったが、これこそ生徒の
小遣いの範囲を見抜いた商法ー客サイドである。

百貨店は今大都会の一部を除いて殆んど淘汰されたか、されつつある。
これは業種店の典型である。
地方銀行以下もしかり。時間の問題である。

昔の駅前繁華街は業種店の集積で栄えていた。
今はご覧のとおり毎日のように廃業が続いている。

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2001年07月21日(土)
[82] 人生がモチーフの公園

なんとその公園のモチーフが人生!であった。
広大な公園の中央に建つ塔に、時計の刻印のように12のそれぞれの複数の像。
「赤ちゃん、幼児、少年期、青年期、・・老人期そして死」
と像が、その時期を象徴して表現してあった。
その中央に死体の山。人生をリアルにそのままずばり表現してある。

その周辺にそれぞれの人生の哀歓の像が立ち並ぶ!
何故誰もが考えつかなかったのか、今まで見た公園で一番印象的と言ってよい。
さすが北欧と感心させられた。
このような思いもよらない現物に突然出会うのが、旅行の醍醐味である。


1934, 二つ目のブログ−2

2006年07月20日(木)


           
        (♯ゝωσ♯)人(+>∀<+)ノぁはは〜
           ☆-(ノ●´∀)八(∀`●)よう!
              (@´∀`p★)゚*。+゚★ (??????)? ??♪?
                
                 
ブログを始めようとすると、まずはどのサイトのブログを選ぶか迷よう。
私も、とにかく5つのブログに入っては止めてみた。
実際に入らないと対象に集中できないからだ。

    どれもが一長一短があるが、私の結論はグーグルのブログである。
    デザインを気楽に替ることができるのがよい。
    理屈から考えても、世界中のブログの中のベストプラクティスを
    しているから一番良いに決まっている。
    
    それに気づいたのは、試行錯誤をした後である。
    もし迷ったらグーグルを勧めます。
    ナンバーワンのグーグルのブログが悪いわけがない。
    それぞれの特性も各々が持っているから一概にいえないが、
    長期的視点からみて良いはずだ。

もう一つ心しなくてはならないのは、誰が見ているか解らないことだ。
何度か冷や汗を書いたことがある。
何処かのTVのキー局の記者が見ていて、ある内容のネタ元は何処か?
と電話が来たことがある。
たしか、西武鉄道の堤義明氏の件であった。

5年間も書き続けていると「書かない日常は有得ない」という感覚になる。
ただボヤキとか、他人の悪口を書いているサイトを見かけるが、
それはそれで、本人の性格もあるから一概に否定できないが、
プラスになることを書く!と思ってないと、無意識のうちに
自分の膿を撒き散らすことになってしまう。


    最近、過去に行った旅行先のブログを見ているが、
    デジカメとブログの進化のためか、素晴らしい写真がフンダンに
    出てくるようになった。
    自分撮った写真より上手いスナップが次から次へと出てくる。
    自分の撮りきれなかったスナップを色いろみることができるのがよい。
    これでは、現地で写真をとる必要がないではないか?とさえ、思えてくる。
    
この世に生を受けて、一番驚いたことといえばインターネットであるが、
さらに検索能力の飛躍的アップと、
ブログの威力と普及(オープンソース化)である。

今話題になっている映画「日本沈没」を書いたSF作家の小松左京が、
「現代は自分の書いてきた小説より遥かに先にいっている」
とインタビューに答えていたのをTVで見たが・・・

グーグルアースは、いくら衛星写真の中とはいえ、
地球上を自由に飛びまわれるのだから・・・

画面チャットや、見知らずの相手とのゲームも、しかり・・・

                    (*^▽^)/バイ!
            
    
  ・・・・・・・・・
  ・・・・・・・・・
  
 2005年07月20日(水)
1569, わたしの酒中日記−15

 ー倉敷の夜

 1977年8月某日

仕入れで、岡山と広島の福山に行った帰りに
倉敷アイビースクエアガーデン・ホテルに来ている。

赤煉瓦に蔦のからまる紡績工場を、文化施設のある複合ホテルに改築してある。
広い赤レンガの敷き詰めた中庭が売りのホテルである。
欧州のホテルに来ているようだ。
2Fの建物に、部屋が中庭を囲むようにある。
なんとも女性の好みそうな風情のあるホテルである。

近くには倉敷の昔ながらの街並みがある。
同行の二人と街の居酒屋に入ってみる。
観光客用につくってあり、江戸時代をモチーフにした店である。
100年以上経った商家を改造してあるので、映画のロケの店のような
錯覚をしてしまうのがよい。
少し値段は高めだが、それだけの価値を十分に感じることが出来た。
それと土産物店が何ともいえない風情がある。

福山と倉敷に来たのは二回目である。
ここはジーンズと作業服の生産地である。
メーカーから直接発注するのだ。
昔風の繊維メーカーと、アパレルの工場が並んでいる。
行く先々に父の話を聞かされた。仕入れは亡くなった父に出会うたびでもある。

明日は、大原美術館を2時間ほど見た後、学生服メーカーの
ベンクーガーによる予定である。

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2004年07月20日(火)
1204, つれづれなるままに


ー自宅の6軒先の家の主人が、仕事先で行方不明になり五日目に発見された。
東北電力に勤めていて、その保守点検のため決壊の現場にいたためだ。
行方不明になる前日に、初めて顔を見たのが印象的に残っている。
そこの柴犬が落ち着いた犬で、早朝の散歩時にいつも声をかけていた。
たまたま、その主人と顔をあわせたのが初めてで最後であった。
近所だけでも、最近色いろなことがある。

ー橋本元首相がまた疑惑だ。
今度は危ないだろうが検察も信用がおけないのが、この国のレベルだ。
彼が捕まって初めて自民党の旧体制の崩壊が本格化するだろう。
いやしないか!?
彼ほど、首相を辞めてから人相が悪くなったのも珍しい。
利権の渦の真っ只中にいれば、ああいう顔になるのだろう。
中国の女スパイと関係を持って脅かされたとか、色いろいわくのある人物だ。
戦後日本を悪くした10人には間違いなく入る?。
角栄に、竹下に、この男の流れがまだ保守本流といっているのだから、
早く抹殺をしなくてはならない。
 丁度良い時期なのか、少し遅れてしまったか。

ーUFJ銀行、三菱東京に吸収合併と報じているが。
数年前にさくら銀行との縁組で、すき放題いって破談になったが、その三和銀行の
トップもほぼパージをされて、今度はライバルの三菱銀行に吸収合併という。
これが終わると、今度は地方銀行の大幅な再編が始まる。
地方銀行は膿がタップリたまっている。
来春、ビッグバンがあるのを忘れてしまっているようだが、地方の脆弱化が
表面化する。

ー農業も自由かも待ったなしになってきた。
自民党の票田を守るために、保護政策を続けてきたが、農業のグローバル化も
抑える事が不可能になってきた為、国内も大幅な自由化が来年から実施である。
しかし米だけは守られるという、米を自由化しなくては何の解決にもならないが、
とりあえず、日本的に外堀から産めるということか。

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(橋本元首相関係の記事)
ー日経新聞
春秋(7/16)よりー
 
金脈を追及され退陣した田中角栄元首相は、下野後にロッキード事件で逮捕された。
首相時代のロ社からの5億円の賄賂(わいろ)が裁かれた法廷で、段ボール箱に詰めた
札束が丸紅の役員から首相秘書官に渡る生々しい場面を、検察官が立証した。

▼派内クーデターで田中派の過半を受け継いだのが竹下登元首相だった。
その竹下内閣は、やはり政界と黒い金の疑惑、リクルート事件に翻弄(ほんろう)
され退陣に追い込まれた。
竹下氏にまつわるさまざまな金銭疑惑に捜査の手が及んで、氏の資金担当秘書が
自分で命を絶つ。後に竹下氏は自ら「罪万死に値する」ともらした。

▼竹下派の大番頭で政界の最高実力者などと形容された金丸信元自民党副総裁は、
東京佐川急便からの5億円のヤミ献金受領が発覚して議員バッジを外した。
それでは済まず、ゼネコンなどからのヤミ献金を蓄えていたのを国税局が突き止めた。
脱税で東京地検が逮捕。巨額の割引債などが詰まった金庫も押収された。

▼田中派、竹下派の流れを汲(く)む橋本派(平成研究会)の疑惑は
日本歯科医師連盟が振り出した1億円の小切手だ。
3年前の参院選の直前、会食の際に橋本龍太郎元首相に渡されたようだ。
日歯連に領収証は渡されず、政治資金としての届け出もなかった。
小史をたどると政界ヤミ献金史に重なる橋本派。どうする?

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 2003年07月20日(日)
837, 民間校長ー腑におちる教育を!

 昨日、何げなくNHK・BS1をまわすと、東京の杉並区和田中学校の
民間から採用された校長を取り上げた番組を放送していた。
広島の民間出の校長が日教租?によって自殺に追い込まれたり、教育委員会の担当も、
自殺をしたニュースが生々しいが、その成功例もちゃんとあった。

ー内容を大筋は
・「よのなか科」をつくって一線で働いているゲストを、年間25人のペースで招いて
 実際の生の教育をしていた。
 産能大学でゲスト・ティーチャーを経験してきただけに、その内容に引きつけられた。

・「ハンバーガー」や「輪ゴム」の具体的な分析から、中学生に世の中の構造を
 教えていく手法は解りやすく道理に合っている。
 この事例研究から何故数学や国語や社会科が大事かを教えていくのだ。

・ロールプレーイング(役割演技)をさせて、世の中を教える手法が良い。
 生徒にハンバーグ屋の店長の役割をさせてみて、実際の店長にきてもらい対話をさせる。
 少年事件の模擬裁判をそれぞれの役ー裁判長とか検事・弁護士とか被告人ーを経験させて、
 実際の裁判官を呼んで実態を聞く。

・クローン問題を議論させて、科学者をよんで議論をさせる。

・自転車放置問題を議論させてみる。

・ニューハーフを実際きてもらい話をさせて、ハーフの差異から、社会にある価値観に
 ついて話し合う。
 
 等々、シュミレーションやロールプレーイングやケーススタディーを駆使した授業を
 通して教育をしている。
「ふにおちる授業」が一番大事だということだ。 
 
 
 自分は熱血でなく、クールであると言い切っていた。
「今の校長は社長ではなく、営業所長代理でしかない」という彼の言葉が鋭い。
社長として任務を遂行するには、コミニケーションをどれだけつくれるかにかかっており、
「子供の教育は、大人の姿によってしか変えることができない」という。
今の日本の教育はサラリーマン教育を前提でしかなく、市民教育がゼロ。
シンボルマネジメントー一箇所をよくすることから全体を良くする手法が大事だという。
(校庭の緑化運動を推し進めるとか)

 「中学の校長と小学校の校長とどちら大事か」とアナウンサーの問いに、
「中学校の校長!」と言い切っていた。
中学は大人の始まりであり、子供の終わりの時期であり、膿が一番溜まっている時期。
この時期の教育が大事なことは、自分のその時期のことを考えれば納得できる。
今それが急に社会問題になっている。
「静の教育」と「動の教育」を分けて、教え込む時期である。
「縦横の関係だけでなく、斜めの関係を教えるべきだ」という言葉も真をついている。
「世界中の中学生が一番来たい中学校にしたい!」が最後の言葉であった。
日本にも、こういう芽生えも出始めている。

 彼の名前は藤原和博である。
 
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2002年07月20日(土)
462,臭いのするような話し


子供頃から母親に「臭いのするような話しはするな!」といわれてきた。
そういえば家族の会話では、そういう会話は殆んど無かった。
具体的な下ネタや、下痢や生理的などのデモノ・ハレモノの話しをするなということだ。


言葉は大事だ。
下痢の事を、そのまま下痢というか、お腹がゆるいというかで、
全くニュアンスが違ってくる。
言葉に無頓着の人と接すると、どうしても影響されてしまう。

学生時代に聖心女子大のグループと一時接する事があった。
その言葉のきれいな事に驚いた。
その前提の生活環境が、まずその第一歩のだろう。


私が嫌う子狐と飲むと、自分でも信じられない汚い言葉が出てくる。
変幻自在ではあるが、こういう人は可能な限り遠ざけなければならない最大の理由だ。

不幸の人はそういえば言葉が汚くなっている。
心の傷は、膿となって言葉に出てくる。
心が荒れると、言葉も荒れる、心の管理は言葉の管理でもある。


怒りやすい私も、その時は自分でも信じられない言葉がでてしまう。
話しは少しそれたが、言葉の重要性を言いたかった。

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2001年07月20日(金)
[80] 北欧ロシア旅行記

 印象順に書いてみよ  
1 ・レニングラードが良かった。
  ・特にやはりエルミタージュがよい。冬の宮殿と言われる建築物が予想以上だ。
   300万点もあると言う美術品がよい。
  ・ エルミタージュの小劇場でみたバレーが今回の旅行の
   ハイライトの一つだっだ。 
  ・ 川からみたレニングラードの街並みの光景が  
   今まで見た街の美しさでナンバーワンといってよい。街そのものが芸術と言える。
  ・夏の宮殿と呼ばれるカタリ‐ナ宮殿もすばらしい内容であった。

2・次はフィヨルド
   2時間の川下りふうな船よりの景色がすばらしい!
   最も長いそれは200キロ、深いところは1000メートルもあると言う。

3・登山列車からの景色もいい。最も印象的なのはトンネルの合間の空間に列車を止め、
  下車して見た見た滝がすばらしい。突如‘ジョニ‐は戦場に行った’に似た音楽が
  鳴り響き、滝の途中に突き出た岩の上に赤いドレスを着た女性が踊りだした。
  ‘水の精の踊り’をモチーフにしたのだろうが、幻想的で感動的であった。

4・ノルウエーのベルゲンの世界遺産のブリッゲン地区の街並みと魚仲買人の家も
  当時の生活が垣間見えた。
  北欧の国民性として家の部屋の中を飾り揃えて、お互い見せ合うのが楽しみだそうだ。
  家具が何処を見てもセンスがいい。バイキングは末っ子相続の変わった風習の国だ。
  海は日本は堀で外敵より守るものだが、バイキングは夢の実現のの所だそうだ。


5・ノルウエーのオスロのフログネル公園が印象的であった。
  モチーフが人生! 
  赤ちゃんから成人〜老人そして死が像で立ち並ぶ公園である。
  なにかヒンヤリした、しかし超越した視点が空間に漂っていた。
 
今回の旅行は5ヶ国をまわるダイジェスト的な内容であった。
飛行機、遊覧船、登山列車、高速列車、一泊の豪華船、バスと毎日が移動の旅行であった。
何でもあり、変化の激しいしかも楽しい旅行であった。

 ーー
 [81] 無事に帰ってきてよかったすね。
 


1933, 霊界からの訪問者-2

2006年07月19日(水)

           (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜 ヨウ
             ユーレイイホー ♯♭

四四太郎の霊日記−3


宗親よ、御前の命も10年か20年、早ければあと5年だろう。
そんなものだ。
それじゃ~、本当に解っているというと解ってないだろう。

   こちら側の殆んどの連中は、
   「まさか自分が死ぬなんて思ってもいなかった」
   と言っているよ。死ぬ意味がわからなかったようだ。
   それは生きる意味がわかってないことと同じことなんだよ。

死ぬとね完全に無になって数十年か数百年の休みを貰って
娑婆世界に戻される、と思ってりゃ良いんだよ。
実際は、??・・
ただ、誰もが死に際に後悔をするんだ。
あれもこれも、何故しなかったのだろう?と。

   「人生は二度とない」は、お前の口ぐせだったろう。
   ワシがこうして出てきたからには、これから死ぬまでの間、
   生き方を指導してやるよ。
   それとも、お前の脳に光を当ててやるよ。
   前にも言ったとおり、人生の60年や80年など一瞬でしかない。
   そして、ある日、一瞬に終わりになるんじゃ。
                    \(+×+)/バタンキュー
それでいいんだが、その日まで 光り輝いて生きるべきだといっているのじゃ。
といって、それほど深刻になることも無い!
ただ、せっかく短い人生、何時までもあると思うな!ということさ。

    御前の好きな言葉に
   「正中心一点無」という言葉があるだろう。
    常に物事の中心を見つめ求めること、そうすると中心点の無から
    エネルギーがでてくるのじゃ。
    その正中心一点無がワシであるのだ。
    だからワシの声は真実なのじゃ。

                   つづく
              
              ( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪   

 ーーーーー
 
四四太郎の霊日記ー4

霊のことを、結局はお主の頭で考えた範囲のことでしかないと思うだろうが、
ワシの口を通すと全く違う視点になるのじゃ。
「無への窓としてのワシがいる」と言っただろう。
だからワシが話している時は、一種の瞑想の状態と同じ。
御前はワシが付いた時は、全く違った人間になっているのじゃ。

    ワシは気まぐれで、扱いにくいのだ。
    この宗親氏の道具でも使用人ではないからの~。

さて今日は何を言おうか考えてなかったが、
最近、癒しとかいう言葉があるじゃろう?    ( ̄ω ̄;)!!
あれはワシの目から見たらおかしいと思うのじゃ。
人間は生きていく上で、傷つき血だらけになるものじゃ。
その根本を変えないで、結果としての心の傷の対処をしようとするだろう。
まともな癒しは、その根本対処をするもので、傷口だけを治そうとする癒しは
何の対処にならない。
ただ爛れるよりよいから、緊急処置も必要だがね。

    人間世界では、何かおかしな風潮があるのが不思議でたまらない。
    傷つくのを異様に恐れたり、嫌ったりするが、それと同じくらい、
    その傷は人生の深さを教えてくれるものじゃ。
    親鸞とかいう坊様もいっているだろう、
    悟りとかは深い心の傷を乗り越えてこそえられるもの。
    アチラから見ているとそれがよく解るのじゃ。
    
  それにしてもワシの言っていることは胡散臭いの~
                         (^_^)v
  
        まあまあ、もういっぱい
          (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?

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2005年07月19日(火)
1568, 退屈について

退屈な時間を誰もが当然経験をしている。
しかし一部の哲学者を除いて退屈に対して真正面から考えようとしなかった。
退屈といえば、トマス・マンの「魔の山」を思い出す。
隔離された療養所の中で延々と議論がつづくのだ。

過去の人生を振り返ってみると、
暇で退屈な時ほど一番効果的な何かをしていた。
何かをやろうとする時は、意図的に空白時間を置く。
ABC分析のAのことだけに直面できるが、多くの手持ち時間を持て余す。
それが、良いのだ。
般若心境の[[空即是色]である。
その退屈な時間に多くのことを考えることができる。
忙しくて仕方がないときは、ロボット的仕事ばかりをしていた。

暇な時間、いや退屈な時間という現象をもっと深く考えてもよいだろう。
携帯電話は考えてみたら、暇や退屈な時間を無くしてしまったのかもしれない。
「小人閑居して不善をなす」という言葉もあるように、
退屈な時間に何をするかである。

退屈とは意味の欠如からくることが多い。
何もすることに意味を見出せない状態が退屈の状態であろうか。
フランクルの「意味への意志」の欠如ということである。
反面、そんなことに全く関係ない、
退屈の気晴らしの人生もよいのかもしれない。
いや実際、それが人生だろう。

所詮人生は何の意味の無いことの上で成り立っているのか?
もし、そうだとしても、それで良いのではないか?

子育てに、家事に忙殺されている主婦に退屈はないだろう。
また女性にとって子育ては最も意味あることである。
子育ても終わり、家事もマンネリになった時に退屈がでてくる。
そこで、次に意味を探すことになる。
それを見出せないと、退屈が覆いかぶさってくる。
そして欝になる。
欝はだいたい10佑凌佑かかるという。
欝体質の人はもっと多いだろう。

まあ退屈紛れに、退屈について書いたが
意味は深い。

「退屈の小さな哲学」という本を、図書館で借りてきた。
まだ読んでないが、この本の中に多くのヒントがありそうだ。

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2004年07月19日(月)
1203,実存哲学(2) 
 ー哲学についてー18

ーマルクス−1
実存哲学が「主体」(自己)をテーマにしたのに対して、
マルクスが「存在の哲学」を主張した。
包括的な主体の哲学である。

マルクスの哲学上の最大の発見は、資本主義生産システム分析を通して、
・この社会は合理的に統御不能な存在である、
・人間の「主観」から独自な「主体」(意志)を持つことを見出したことである。
「資本主義社会を根本的に動かしている力は、
生命力を無制限発動している無意識(自然)である」ということを
明らかにした。


マルクス主義がみごとな思想体系をそなえている理由は、
ドイツ哲学、フランス政治理念、イギリスの経済学という三つの知的伝統を
融合させたものであったからだ。
したがって、マスクス主義は哲学には分類できない。
マルクス主義は、そのほとんどがヘーゲルから受け継いだものでしかない。

ある本に、ヘーゲル哲学とマルクス主義の共通する考え方を10に要約していた。
非常に解りやすくまとめてあったので書き出してみた。

1、現実はものごとの状態ではなく、つねに進行中の歴史的プロセスである
2、現実を理解するには、歴史的変化とは何かを理解する必要がある
3、歴史的変化は、無作為におきるのでなく、発見可能な法則にのっとっている
4、この発見可能な変化の法則は弁証法的であり、
  テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼという三段階のうんどうをくるかえしている
5、この法則を繰りかえす原動力は疎外といわれ、その疎外によって、どのような
  状態になっても内部に矛盾を生じ、それは終わりを迎える
  
6、このプロセスは人間にはコントロールできず、それ自体が内部にもつ法則によって
  前進させられる
7、このプロセスは、内部にある矛盾が解決されるまで反復され、矛盾が解決されると
  疎外も解決される。変化をうながす原動力もなくなる
8、このような対立のない状態に達すると、人間は自分で制御できない力によって
  流されることもなくなり、自分で自分をコントロールし、自分自身が変化の
  決定者になる
9、こうなってはじめて人間は、自由と自己実現を達成できるようになる
10、最後には、自由が謳歌され、自己実現が可能な社会が到来するこの社会は、
  自由主義者が理想とする、個々人がバラバラに活動する分断した社会ではなく、
  個々人の人生とは比べものにならないほど大きく充実した全体の中に
  個人が吸収される有機的な社会になる
  
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2003年07月19日(土)
836, 私のクレートジャーニー

ー<グレート・ジャーニーとは>
「人類は、400 万年前、東アフリカに誕生し、アジア、極北の地を経て、
ついに 1万年前には、南米大陸最南端のパタゴニアへ到った。
この 5万キロの大遠征をアメリカの考古学者フェイガンは'GREAT JOURNEY '
と呼んでいる。
関野吉晴氏が大遠征の道筋を、自らの脚力を頼りに、逆ルートで踏査をした
旅をTVで、数年間ドキュメントで放送した。

私はツアーだが、今回のアラスカ旅行で(シベリアの地をを除いて)点線で、
グレート・ジャーニーをしたことになる。ー少し強引な理屈付けになるが。

・ケニア・タンザニアから下は南アフリカ、西アフリカからモロッコ、スペイン
を経て西ヨーロッパから北欧、ロシアのルート。

・シルクロードのコースはエジプトからトルコ、イスラエル、ヨルダン、シリア、
レバノンを経て、インド、ネパール、パキスタン、ウイグル地区、桂林、北京を得て
シベリアへ。

・香港より南下するコースはベトナム、タイ、フィリッピンそしてフィジーから
ニュージーランドへ。
ーまだ行ってないが、オーストラリアとイースター島に行けば南米へ行くコース
も完成することになる。

・シベリアからのコースはアラスカ、カナダを通ってアメリカ、メキシコ。
テーブルマウンテンのあるベネゼイラ、そしてインカのペルーへ。
ブラジルのイグアスの滝を見ながら、サンパウロを通って、リオへ。
アルゼンチンのブエノスアイレスを通り、ペルーへ南下をして最南の地
パタゴニアに到着。
一応コースは出来上がることになる。

そうすると、残された地は東欧、カザフ、モンゴル、シベリア、オーストラリア、
イースター島ということになる。
しかし今回のアラスカで一応完成した感がする。

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 2002年07月19日(金)
461,海外旅行のもう一つの難関

今は殆ど気にならなくなったが、下痢である。
何とかなるものだが、初めの慣れてない一回目の一ヶ月の欧州旅行では
あわやということが数回あった。

やはり経験不足で、食事制限とかポイントが解らないことからくる。
大事なのはワンフライト(10~12時間)の機内食である。

飲み物はアルコールを含め飲み放題。
時差も含め次々と食事はこちらの体調に関係なく出てくる。
それが美味しいときているから自制がきかなくなる。

さらに気圧の関係で着陸後の2時間目あたりに、お腹がおかしくなる。
丁度煎餅などを入れておく真空パックが機上でパンパンになるのと同じ。
お腹もパンパンに張っていたのが、元に戻って腸を刺激する。

それに疲れと時差の関係で、2~3日はおかしくなって当然。
それを前提にして、機内食を制限したりして体調を整える。

一般的には、現地で出発の最低2~3時間前に起きてトイレにいき、
朝食後の出発前に更に行く。9割がたの人はそのようだ。
そして到着後2~3日は、昼食後もいく。
これは時差の為身体が慣れてない対策だ。

それとワンフライト目の食事、いや機内食は3ぶん1しか腹に入れない。
更に梅干を一日3個を食べる。これで大体大丈夫だ。
迷ったら人の目を気にせずドンドントイレに行くことだ。

私の場合、お城の牢獄に入るとどういうわけかオカシクなる。
インドは9割以上の人が、かなりひどい下痢になる。
日本の薬では全く効かない。
それと今回のスイスのように高度のところも危ない。

高山病は下痢と頭痛と倦怠が同時に襲ってくる。

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2001年07月19日(木)
[79] NoSubject

先ほど無事帰る。変化の激しい旅行だったが、
満足の行く旅行であった。新潟の会社へ直接よる。
修理に出したパソコンを自宅に持ち帰るためだ。
あまり国内は変わったことはないようだ。
おりおり旅行内容な書いていくつもりだ。


1932, 霊界からの訪問者

2006年07月18日(火)

  

       Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning

霊・堀井四四太郎の日記−1

今日から、新しくデビューする
400年前の霊の堀井四四太郎である。
一瞬のうちに、現代の宗親の脳を読み取って、
現状把握できるので、現代の殆どのことは理解でる・・
  
                    ?σ(゜ー゜*) ゆ(you)~霊
ワシは、堀井宗親氏(うじ)の先祖である。
400年前には上杉家の家臣であったが、
謙信殿が亡くなった後の起きた御館の乱で、
上越から中越の小千谷の近郊に落ちてきた者。
その後百姓をして細々暮らして世を終えた。
                     霊?( ¬ _ ¬ )アホ!か

まあ、どう展開していくか宗親氏が歪めない限り面白くなるはずじゃ。
気が向いたら出てきて宗親氏の脳を借りて書かせるつもり!
何度も、宗親氏の夢を通してワシを出すように頼んだが、
何時も起きると忘れてしまうのだ。
でも、こうして現代の最新のHPに出して貰ったのだから、
霊界から好きなことを言わせてもらうからね!


霊界の仲間で言いたいことがある人(いや霊)が多いから、
その霊?も出てくると思うよ。
また楽しみにして!


ところで、さっそく言いたいことがある。
その辺の本に、いくらでも書いてあるが、人生って短いものだよ。
そして生きているうちだよ人生は。
霊界って悪いところではないけれど、刺激が無いね〜
娑婆って本当に刺激的で面白いけど、そのことに誰も気づいていないね。
死の間際になって、やっとそのことに気づくのさ!

(-""-;) (ー'`ー;) sira~

「死んでしまえばそれまでよ!」と、
宗親氏(これから御前という)の父親が言っていたが、その通りなのだ。
といって、お金にも、仕事でも限界があって好き勝手には出来ないのも解るがね~、
いまさら遅いというかもしれないが・・・しかし、そうでもないよ!
いくらでも娑婆の日常で面白いことがあるんだよ!

早朝に起きて近くの公園や土手など歩いてみなよ!
御前はしているからよいがね〜。
しかし、まだまだ楽しみ方が下手だね〜。


この情報化社会、まだまだ変わるよ!
アチラから観ていると解るんだ!
これからは携帯電話とパソコンが融合した面白い発信と受信が
気楽にできる面白い機器が出来てくるよ!現在もハシリがあるけどね。
ブログももっと変わってくるよ。
そういう点から見ても、御前は、あと20年は生きたほうが良いよ!
            
            2006年7月5日ー記


霊日記ー2             (;´д`)ノキミワル!

前回は、久しぶりに娑婆に顔を出して少し緊張していたが、
今日はもうリラックスしているよ。

まあ、ワシの役割は宗親氏の思考のための雲
(まあ孫悟空の自由に飛びまわれる雲)の役割になれば良いと思ってね!
私の場合、もうこの世のものでない霊だからね。
自由に飛びまわれるんだ
400〜450年前の空間だけでなく、数千年も一瞬でいけるからね。


それとね、私と一緒にいると、
宗親氏(うじ)の因縁のある亡くなった人の霊と気楽に話せるんだ。
イメージでワシが、その人を連れてきて一緒に話す方法になるがね。
特に明方起きる20分か30分前と散歩時に、ワシを呼び出して、
父親にしろ、母親にしろ、誰かを連れてきてくれというと、
直に連れてくるからね、ただし一人だけだよ。


直接の因縁のない人は難しいの〜
でも、時には頼んでみればよいさ、たまには連れてくるかもしれないよ。
とにかく、みていると娑婆にとらわれすぎているよ、生きている連中は!

それと、モーニング・ページの自動書記をしている時も、
時々ワシを呼び出してみるとよい。
私のコーナーをつくったようだが、それもよいよ。


まあ、広大な宇宙の中で、こういう因縁でお互いに出会えたということは、
偶然ではないんだよ。
まさか、自分が400年後にこうして、娑婆に呼び出されるとはね〜
これは、お前さんの父親の因縁が大きいのだよ。
ワシを知ったのは、親父さんが家系を調べたからだろう。
そして、直系の私の名前が資料にあったのを、知ったためだろう。


父親も、死後それを直感で望んだから、こういう出会いができるのだ!
そして、ワシという指導霊と出会うことになったのじゃ。
お前の守護霊は両親、特に父親の誠作が主の守護霊で、母親は従の守護霊じゃ。
そして、いま言ったとおり指導霊は私である。


特に、私の存在は小間使いを平気でするから、
お前にとって便利なはずだ。
とにかくワシは霊界から現代、娑婆をみているのだから。
                  
                 −2006年07月06日12時50分
            −この内容は、「霊界からの訪問者」という
            ブログで書き始めたものですー
          http://blogs.yahoo.co.jp/horii862000/12085895.html
          
          さむ~ ○=(≧Σ≦)へっくし
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2005年07月18日(月)
1567, つれづれに

ー二ヶ月に一度ぐらい、全く随想日記のネタが無くなる時がある。
今がそうだ。
面倒になるのと、馬鹿馬鹿しくなる。
随想日記は毎日「独り言」をいっているようなものだ。
独り言に起承転結をつけていることになる。
思考には非常に有効なことが解っているし、
止めたら張り合いが無くなるのも解っている。
このお陰で目の前の人たちへの、言葉の攻撃が少なくなった。
しかし、そうそうネタが思いつかない。
ネタが無くなった後に、以前より多くのテーマが出てくるから不思議である。
全く違う分野に視点を向けざるを得なくなるからだろう。


ー昨日の「サンデープロジェクト」を見ていて呆れてしまった。
ゼネコンから送り込まれた代議士の「犯罪を犯して何が悪い!」
という開き直りの言葉には、空いた口が塞がらない。
この程度の連中が日本の中枢にいて、そしてTVに出てきて堂々と、
犯罪肯定をしているのだから何をかいわんやである。
談合を止めると多くのゼネコンが倒産するという論法である。
談合という犯罪で生き延びている方がおかしい。
泥棒を認めないと餓死者が出るというのと同じ論法だ。
奴らは犯罪者なのだ、それもマフィアなのだ。
この国は、犯罪組織が牛耳っている。
ゼネコンと、官僚と、政治家が犯罪システムを組んでいる汚職システムが
長年かけてつくられているのだ。
それが、情報化で抑えきれなくなった事態が現状である。


ー昨日、ダイエーに行ってみた。
閉店前の店というのは、もの悲しい何かがある。
ここが閉鎖されると、一挙に駅裏は寂れた雰囲気になる。
これに反して、信濃川をはさんだ川西地区には、
来年二つの大型SCがオープン予定である。


ー梅雨が明けたようだ。
雪と梅雨は日本の農業にとって大きな恵みとなる。
これから2ヶ月熱暑がつづく。


ー今日明日中に、旅行先を決めないと。
不景気ためか?気合が入らない。
といって、そろそろガス抜きも必要だ。

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2004年07月18日(日)
1202, 実存哲学(1) 
   ー哲学について-17

実存の哲学とは[真理」ではなく[実存」を出発点とした哲学である。
最初に実存の哲学を語ったのはキエルケゴールである。

実存とは[この私がここにいる]であり、キエルケゴールは「真理」を語る
伝統的な哲学者を批判し、ニーチェなどに大きな影響を与えた。

哲学上の近代から現代への大テーマの転換は、認識論から存在論への転換です。
「本質」から、「存在」への転換といってもよい。

実存という言葉は、中世スコラ哲学が
本質存在と対比させた事実存在という概念に由来する。
「〜である」に対応する概念が「本質存在」であり、
「いる・ある」に対応するのが「事実存在」である。
すなわち実存とは、事実をして存在していることが重要だという考えを含んだ
概念であり、サルトルはそれを「実存は本質にせんこうする」と表現した。

キエルケゴールは以前にも書いたが、不安や孤独や絶望を真正面からとらえた。
それは、人間が精神を持ち、自由であることの証であると。
主体の哲学である。

人間が人間であることの特性や意味を哲学の対象としたことで、それまでの哲学
とは違った実存哲学が注目されるようになった。

それまでの古典哲学の代表者であるヘーゲルと基本的なキーワードで比較すると
ヘーゲル    ー普遍性ー客観性ー抽象的
キエルケゴール ー単独社ー主体性ー実存的
となる。

このキエルケゴールに対して、
サルトルが彼の絶対者ー神を前提とすることを根底から否定して
「実存が本質に先立つ」と主張をはじめた。
サルトルはー
ーわれわれを取り巻く根本状況は、本質を持った「何ものかである前に、すでに
事実存在としてある、実存している。
この根本状況はわたしたちが自ら選択したものではない。
それでは流されていてよいのかというと、そうではない。
受動的に決定されているだけの「何ものでない」わたしが、「何ものか」になるべく
自己を投企して、状況に主体的に関わっていくことこそ、真の実存のあり方である。
と主張した。

自分の「本質」を自ら生み出すような「決断」を自分に課して生きる必要がある、
といっているのだ。
サルトルは、人間は自分が生きるべき「理念」を想定し、それを実現するために
自由に決断する「自己投企」をする能力をもっているといっている。


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2003年07月18日(金)
835, 丁度よい

 お前はお前で 丁度よい
 顔も 身体も 名前も 姓も   お前にそれは 丁度よい  
 貧も 富みも 親も 子も 息子の嫁も その孫も それは お前に丁度よい  
 幸も 不幸も 喜びも  悲しみさえも 丁度よい  
 歩いたお前の人生は  悪くなければ 良くもない  お前にとって丁度よい  
 地獄へ行こうと  極楽へ行こうと 行ったところが丁度よい      
 うぬぼれる要(よう)もなく 卑下する要もない 上もなければ 下もない    
 死ぬ月日さえも丁度よい  
 仏さまと二人連れの人生 丁度よくない はずがない    
  南無阿弥陀仏          
                
                浄土真宗の篤信家ー藤場美津路  
・・・・・・・・・

 ある会社の専務に「ありがとうの言葉」について話していたら、
そういえば、似た言葉で印象的な言葉があるとのこと。
「丁度よい」という言葉だそうだ。
ある会社の応接間に飾ってあった額縁の中の言葉で、
それから彼は何かにつけて「丁度いよい」をつけて自己納得していたとか。
・うちの母ちゃん丁度よい
・今の仕事丁度よい
・今の悩み丁度よい
・今日の夕飯丁度よい
・リストラされて丁度よい?
等々、なるほどと感心をしてしまった。
考えてみたら、その人に神様は丁度よい環境と条件を与えている。
まあ若いうちから、現状肯定ばかりしていたら成長がないが。

 早速、インターネットで検索をしたら、上記の内容が出てきた。
この詩は、はじめ良寛の作と思われていたそうだ。
「丁度よい」と思うことができれば、悲しみや喜びの感情の起伏が
少なくなる。諦観ということだろう。
『ありがとう』にしても、『丁度良い』にしても、
何か納得してしまうのは、年齢のせいだろうか。

・・・・・・・・・
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2002年07月18日(木)
460,スリにあう

海外旅行のトラブルでは「盗難と下痢」が一番問題となる。
今回の旅行で初めてスリにあった。
といっても家内の話である。

ユングフラウヨッホに登山列車でのぼった時にスラレタ。
頂上の売店で日本へ出す葉書の切手を買った。
その時らしいが、帰りの列車に乗ったとき気づいた。

その時はまだ落としたと思っていた。
雨と霧の為ハイキングは中止で、降りた駅で2時間ほど時間ができてしまった。
そこで国際電話でカードの中止の手続きをした後、売店に入った。
目の鋭い30歳ぐらいの白人女が、日本人のバッグを見ているのが目に付いた。
その時は、店の人が万引きの監視でもしているのだろうと思った。

そして店の外に出ると、グループの女性が2人騒いでいた。
店内でバッグの蓋が開けられていたという。
何かバッグのあたりがモゾモゾするので、手で触ると空いていたので
慌てて出てきたという。
違うもう一人の女性も、全く同じ状況で飛び出してきたという。

家内がその時やっと自分もすられた事にはじめて気づいたのだ。
そういえばユウグフラウの売店で買ったあとトイレに行った時、
バッグが空いているのに気づき不思議に思ったという。
その時はまだすられた事に気づかなかった。

万引きに気をつけてと添乗員に言われていたが、
まさか自分たちとは思ってもいなかった。
雑踏をしていて、気圧の関係で少し頭がボーッとしている
その場は万引きの絶好の稼ぎ場である。
そして二度と顔を合わせない観光客ならさらに都合がよい。

カードの実損はなかったが3000円ぐらいの金が被害だった。

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 2001年07月18日
 旅行中


1931, 10年後の日本を考えてみると

2006年07月17日(月)



            才八∋ウ_〆(∀`●)

十年後の日本で間違いなく起こっている問題点
を考えられる限りあげてみた。
 
  ・消費税の20涌幣紊良蘆
 
  ・少子高齢化社会の到来

  ・外国人労働者の比率の増加による犯罪の増加と、
   治安の悪化。
 
  ・フリーターの増加と、
   下層階級の増大
 
  ・年金財政の悪化と破綻、
   団塊の世代の大量定年後の負担の問題
 
  ・中国とインドの台頭と影響力の増加、
   それに付随する大混乱
 
  ・北朝鮮の崩壊と、朝鮮半島の混乱
  (これは数年先と思われる)
 
  ・2005年からの人口減と経済縮小
 
  ・介護保険増大による財政の悪化
 
  ・地球温暖化による大問題の噴出

  ・関東大震災の可能性の増大

  ・「ゆとり教育」で育った年代が人口の中心になってくる
  社会的大問題。

  ・行き過ぎた自由競争の弊害の噴出


これらを考えると、絶望的な気持ちになるが、
間違いのない近い未来の日本の姿である。
逃げ切り世代で「運が良かった」と、ホッとしてはいられない。

    現在、連載で塩野七生著「ローマから日本が見える」の
    読書日記を書いているが、当時のローマと現在の日本が酷似している。
    少子高齢化で衰退の危機に陥いり、さらに高齢化と経済の停滞である。

中流階級は没落し街に失業者があふれ、
上流階級の人々は既得権を決して手放さない。

    そのときに現れたのがカエサルである。
    支配地の国民にもローマ市民権を与え、既得権を取り上げ競争を奨励した。
    カエサルが、これほどの人物とは、この本を読むまで知らなかった。

現在の日本は、自民党の既得権を取り上げ、
日本的社会主義を破壊しなくてはならない時期に来ている。

   先日、「10年後の日本」という本を買った。
   まだ飛ばし読みだが、近々読書日記を書く。
  
      
                  (。・ω・)ノ☆゚+.バイ! 
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2005年07月17日(日)
1566, つれづれに

ーユニクロ社長交代

ユニクロの社長に、創業者の柳井氏が返り咲くことになった。
全く流通に関係ない人が社長になったことに疑問を持っていたが、
やはり当然の結果となった。
参謀とトップは別ものということが、理解できなかったのだろう。
それが現在のダイエーのトップ人事にもいえる。
数年後に、その失敗のカタチが表面化をしてくるだろう。

ー橋梁談合事件

この事件の、奥行きの深さが段々と見え始めてきた。
道路公団の元理事が逮捕されたが、道路行政に巣食う政治家の利権が
複雑に絡み合っている。これは、現在のゼネコンの世界の凝縮された姿である。
役人や政治家の利権も絡んだ構図が日本の隅々まで張りめぐらされている?。

ーイギリスの爆弾テロ

イギリスの爆弾テロの4人が特定された、とニュースにでていた。
意外と早く犯人が特定されたのには驚いたが、マークのされてない人達というのが
不気味である。次は日本という連想が出てくる。

ー大相撲も中日になるー

今場所も、朝青竜が抜け出してきた。
ますます若手の外国勢の力が増してきた。
幕下では金髪の力士が出てきた。
格闘技と思えばよい。
そういえば、公開の横綱総見の猛試合をTVで見ていて、朝青竜の抜群の強さには驚いた。
それと相撲に対する姿勢が、他の三役と比べて全く違うのが見て取れた。
当分は彼の天下が続くだろう。
モンゴルに帰れば数年で大統領になれるというが。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2004年07月17日(土)
1201, 仮説について

ー仮説を辞書で調べてみると、
ある現象を理論的に統一して説明するために立てられた経験科学上の仮定。
その真偽の検証は、仮説から必然的に演繹(えんえき)された諸命題を
実験や観察によるテストで確かめることによってなされる。
検証された仮説は法則や理論として公認される。
ーとある。

事業では、生じてきた問題に対して常に仮説を幾つか立てて、知るかぎりの
情報を検証して判断決断をしてきた。

わたしの思考法として、
・自分の立てたテーマと結論に対して正反対の仮説を立ててみるという
 「仮説思考法」
・本や人の論を全く疑ってみる「一刀両断思考法」
・喩えをつかって、その現象を一度パッケージ化をして、それを鳥瞰してみる
 方法ー「喩え話鳥瞰法」
・KJ法をつかう方法(帰納法の一種だろう)
 ー「紙切れ書き出し思考法」
・テーマを考えて、それを構成する材料を集め、そのプロセス
 で考える方法「テーマ思考法」(演繹法)
 などがある。

正・反・合を自分で組み立てる時、立てた説(正)の反対(反)を大胆に考えること
が重要である。往々にして、その反対の説の方が理が通っているケースが
多い場合がある。そして、そのプロセスでよりよい案(合)を考え出す。

情報化社会へ大きく変動していている時代に生き抜くには、いろいろな
状況に対応できる幅広い考え方が必要になる。
固定した考え方は、状況が一変したときに、それに対応できなくなってしまう
恐れがある。
そこでは、シミュレーションする能力の「仮説」を立てる能力が重要になる。

「仮説」を立てる能力とは、「常識」を少し違った角度から構築することだ。
その為には「常識」を疑うことがまず必要になる。

仮説には、仮説演繹法と実践仮説がある。

ー実践仮説 ー 実践の中での疑問・想起・想定・仮定・仮説 を立てる  

まず実践者の行動の一部に
「おやっ」とか「どうしてだろう」という疑問が生じる。 

△弔に「たぶん〜だろう」という形を思う。
 これを「想起」とここでは呼ぶ。
 想像が始まるのである。

この想起が当たると、疑問は解消する。

い修譴任眦たらないと、「〜か」と思う。
 想像にある方向性が生じる。
 これが想定である。

イ海料杁が当たると、疑問は解消する。

Δ修譴任眦たらないと「〜か、あるいは〜か・・・・・」となり。
 これを「仮定」である。
 そして想像の分類が始まる。

Р渉蠅魍稜Г垢觝邏箸鮃圓Α
 それにより仮定が支持されると、疑問は解消する。

┐修譴任皺樟發支持されない場合は、研究の懸案として残される。

 
ー仮説演繹法は考え方の手順を示している。
 その考え方として、以下のような手順を調べる。

 〜杁:

 確認可能な命題の形で仮説を立てる

 2樟發鮗存海覆票尊櫃妨‐擇垢

 じ‐擇気譴覆った仮説は採用しない

 ジ‐擇気譴寝樟發鮑陵僂靴届斥を構成する

 Δ修譴鮃雄

 このようにして構成された論理の体系が「科学」という。
科学的というと実験を連想しますが、実証する方法はなにも実験に限らない。
日常の観察で確認される事柄も、上記の手順に合致すれば、科学的な事実と
いえる。

仮説を意識して立てることは、実践を高める上で役に立つ。
特にフィードバックを瞬時に可能にする。
「3案・5案を考えて、その中から選定すべし」というが、それだけ多くの
視点を持つべし、案を練りこむことになるからである。

・・・・・・・
・・・・・・・

2003年07月17日(木)
834, 沖縄の中学生のリンチ殺人事件

3年前の春の土曜日に、自宅近くの土手を散歩していた時のこと。
川崎小学校裏の土手を歩いていたら、一人の高校生?が
相手を殴っているのが見えた。
瞬間に「この馬鹿野郎、、何をやっているんだ!」と走りよっていた。
ところが、その場に踏み込んだ瞬間とんでもない修羅場であった。
グループ同士の喧嘩の場で、2~3人が倒れて気絶している。
15歳位の犬コロのような餓鬼3~4人が逆に粋がって
『何だと、やるのか!』と迫ってきた。
しまったと思ったが、もう遅い!

 私も学生時代に合気道をやっていた経験がある、
しかし実践には全く役に立たない位はしっている。
こういう時は物を持つのだ。目の前の木を拾い、逆手に持った。
その瞬間誰も突っかかってはこれなくなった。
物を持つと相手はそう簡単には殴りかかってこないことは知っていた。
もし来たら、目を狙えばよい。
相手もじりじり迫って来るが、ヤバイ相手位は解ったようだ。
私の「警察沙汰になるぞ、留置所だけで済まないぞよく考えろ!」
という言葉に全員がひるんだ。
その時、お互いが仲間に携帯電話で連絡をしあっている。
何か私の入る世界でない次元の違う世界であった。
「もう殴るのはやめろ!」と言って、その場を離れた。
離れ際に「絞めてしまえ!」という言葉が聞こえてきた。
たまたま先日の沖縄の場合、殺人になってしまっただけでしかない。
いま考えても危ない瞬間であった。

 5月の末に里帰りの千葉の姉と23時過ぎに、長岡駅裏のダイエーの前を
歩いていると、暴走族がオートバイを歩道の真ん中に乗り入れて道を阻んでいた。
当然のこと乱闘寸前、姉が間に入って事なきを得た。
警察に電話をしたが、まずフルネームをいえという言葉に、面倒だと途中で切った。
先日、道路に寝ていた若者二人を注意した人が殺される事件がおきた。
深夜はこの道を歩くのは当分やめることにした。

 ところが、昨夜新潟で飲み会があった。
十時近く、そこを通ったら7~8人の警官が例の暴走族二人を取り囲んで言い合っていた。
もし警官がいなかったら、私と鉢合わせのところだ。
通り過ぎたが、酔っている勢いで取って返して5月末の顛末を言った。
度々似たようなことがあり、警察に苦情があり取締りをしていたようだった。
5月末を思い起こすと、彼らの溜まり場で一種無法地帯の感じだった。
顔も割れてしまったのだから、これからは大っぴらな溜まり場では無くなってほしいが。
「君子危うきに近寄らず」だ。

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2002年07月17日(水)
459,危機一髪

今年2月、ある取引銀行が「ドルが必ず上がるはず買わないか」という提案。
当時130円、その時期は三月決算に向けて140円に成ることは誰の目にも
明らかであった。
そこを銀行の担当もついてきたのだ。
「上げるべき金利は上げないからドルを買ってくれ!」
一瞬どうしようと迷った、そうするうちに週末になり翌週になってしまった。
円が135円まで上がってしまっていた。
そうすると大して旨みがない。手数料を入れると139円になるからだ。
迷ったが、それでも132円辺りになったら買おうかと数字をみていた。

そのうち少し下がり133円辺りになり、さてと買いかなという時
大矢氏が反対した。「もうリスクを負った金融をやらないと決めたはず。
それと売買で4円の手数料を取られ、銀行のテラセンの餌食でしかない。
それも銀行に今になって薦められやるのはおかしい?!」

それも戦略的に円を買っていれば話は違うが、全くそのとおりである。
買っていたら今は1000万近く損をしていた?
途中で売っていたとしても500万は損をしていた?

「まさかアメリカがここでバブルが破裂しようとは思ってもいなかった!!」
それで担当者は済むが、こちらはとんでもない事になる。
危ない所であった!

NTTの株で大損をしておいて(8000万)、またもやというところであった。
それと去年の春先に金融関係者が一斉に持ってきた「変額保険」
うたい文句が、確か節税とかいうやつ。
先日TVでとんでもないシロモノと放送していた。

30万件売ったらしいが、これが???らしい!!
「ある子狐が持ってきて断ると手の裏をかえした」のもそれだった?
手数を稼ぐためには、何でもしなくてはならない時代になってきたのか!!
本人に悪気がないから困ったものだ?恐ろしい時代になってきた。

情報化とはこういうことだ!

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2001年07月17日
旅行中


1930, 二つ目のブログ

2006年07月16日(日)



               ( ̄▽ ̄;)!! オハヨウ!
               
新しいブログを二つ開設した。
一つは、このHP上に貼り付けてある海外旅行の写真ブログ。
いま一つは堀井宗親というペンネームで、
400年前の霊が、私の脳を通して話す方式をとっている。
毎朝書いているモーニングページに現れた 霊ー着想であるが、
出てきてから二週間経つ。
「霊界からの訪問者」とは、面白そうなネーミングである!                

    別人格のように自分の発想を超えて話しかけてくる。
    今までは父親や母親の霊を呼び出して話しかけても直ぐに消えてしまう。
    ところが、このご先祖様・四四太郎の霊に誘導してもらい、
    一緒に話す形式をとると今までは直ぐに消えた両親などの対話が、
    延々と続くから不思議である。
    亡くなった恩師も何人かと同じように誘導をしてもらって話をしてみたが、
    成る程どこまでも話が途絶えない。


以前、考える手段として死者でも生者でも、その人のイメージを持って
(その人をイメージをして、後ろから自分が入り込む)考え事をした。
思わない着想が出て驚いたが、しかし長続きはしなかった。


これからは、このご先祖様の霊に誘導してもらい、介添えをしてもらえば、
数倍も効果があるだろう。
現実に何人の霊?の中に入ってみた!
おまえ馬鹿か?と思われるが、
本を読みながら考え事をしていると同じことになる。
思考形式の一つとみればよい。

                 ( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪
                 
    以前、芹沢光次郎の「人間の運命」のシリーズを読んだことがある。
    14巻のシリーズで10巻までは読んだが・・・
    
    天理教の教祖がある人に降りてきて、その霊と対話する小説。
    「文学は 物言わぬ 神の意思に 言葉を あたえることである――」
    というとおり、信じ難い物語が美しい文章で綴られていた。
 
    90才までの人生をあらためて振り返りながら、
    次々と新たに起こる不思議な体験−天理教の存命の親さまとの出会い、
    神の世界と死の世界への訪問、大自然の親神の人間への思惑等、
    フィクションなのかノンフィクションなのか、
    読んでいて、気味が悪くなるようなストーリーであった。


これを続けていると、それに近い状態になる可能性がある。
人間の運命は、天理教の教祖様と大文学者の組み合わせ。
こちとらは、地方の小企業の親爺と元地侍の百姓?組み合わせ。
まあ、それぞれ違っているから面白いといえば面白いだろう。
だいたい比べること自体が、オコガマシイが・・・


    多重人格者になるのか心配になり、調べたが全く違うものである。
    気晴らしのお遊びとは違うようだ。
    自分の本質を擬人いや、擬霊化して自問自答をすることになるからだ。
    
    モーニングページを続けていると何か思わない着想が出てくると思っていたが、
    まず第一弾はご先祖様の出現である。
    
 驚いたのはアクセスが2日で130以上もあったことだ。
 霊お宅が多いんだ!
 霊霊というけれど、
 人間は生きているときは魂に心を包んでいるけれど、
 それ全体は霊といえば霊じゃないか?
 書き残した言葉は数千年、数百年の時空を通して我われに語りかけてくる
 ・・それを霊と言ってもよいはず?ジャありませんか。
    
    
    まあ遊び!いや・・      
                    
    ブログ一つぐらい持ったほうが良いよ!
    これでHPを含め三つも持っている本人が言っているのだから、
    間違いございません!
    大した材料がないのも解るけど、それで良いじゃない!
                    *^_^*)
    
                    ホンジャ Σ( ̄□ ̄;;;)!!
・・・・・・・
・・・・・・・

2005年07月16日(土)
1565, 新潟駅周辺再開発が動き出す

ここにきて、新潟駅再開発が本格的に動き出した。
昨日(7月15日)、近くの市民会館で住民説明会が開かれた。
一時間あまりであったが、400人位が来ていた。
同じ内容で、この数日で6回も開かれるという。

当社のホテル4棟のうち2棟が駅東線道路の拡張に引っかかり、
更に200坪の駐車場が明石紫竹線道路に面していることもあり、
このプロジェクトは非常に大きな要素を持っており、ホテル事業に大きな影響を与える。
丁度、ホテル建設から10~24年経っており建て替え時期になっているので、
プラスになるだろう。
また工事が始まると工事関係者の宿泊に多大な影響をもたらす。
10〜30佑離▲奪廚見込める。
(朱鷺メッセと、至近の東横インの入っている再開発ビル工事で実証済み)

総事業費が1445億というから、新潟市にとっては巨大プロジェクトになる。
この事業構想から13年も経つが、やっと具体的な動きになってきた。

年度内計画決定を目指すという。
事業完成目標は平成25年というから、
決定さえしてしまえば工事は急ピッチになる。

今までの大きなプロジェクトとして
ー県事業として
・万代島再開発事業で 
  290億円
・サッカーの新潟スタジアムに
  300億円
ー市事業として
・市民芸術文化会館の建築費
  180億円
・市民病院建設費
  220億円
 等々である。
これに比べても、この1445億円の開発の大きさは新潟市レベルからみて
大きいことが解る。

内訳として
・立体交差事業に
  707億
・駅周辺整備事業として
  738億(鳥屋野線・85億 駅西線・85億 
      駅東線・129億 明石紫竹線・12億)
高架区間は2、5キロ
在来線ホームは現在の4面7線から3面5線になる。

投資効果が、投資額の2、6倍という。
それほどある訳がないが、まあ何もいわない。

以前の説明会の時、道路拡張計画で道路の反対側のホテルの社長が
大反対をぶっていた。
初めは両側の拡張計画が、当方の側一方に変更になった。
買収先も半分で済むし、当然の結果である。
彼も後で地団駄を踏んで後悔したと思われる。
十年前に、近くの再開発ビル建設の時も、反対にまわって・・・・

これさえ決定すれば、新潟駅前事業も軟着陸できそうだ。
ついているのは、最後までついていることになるはずだが?
それにしても丁度良い時に、丁度良い工事が図ったように始まるものだ。

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2004年07月16日(金)
1200, ロマン・ロラン
 ―哲学についてー16

学生時代、野田一夫教授の[経営学]の授業で、ロマン・ローランの
ーベートーベンの生涯ーを勧められ読んだ時の感激を今だ忘れることができない。
1967年6月中旬だった。
高度成長期の時代背景もあってか、彼の理想主義が大きく心に刻まれた。
彼は生涯をかけ人間の善意と崇高さを信じ、理想を求めたヒューマニズムの作家であった。
演劇作家から、しだいに偉大な天才たちの評伝を書くようになった。

『ベートーベンの生涯』の中で
「ぼくの芸術は貧しい人々の運命を改善するために捧げられねばならない」
と述べている。「第九」は作者ベートーベンの人生ー病苦、難聴、絶望―
を投影している。それでもベートーベンは生き抜く意思を込めた曲である。
悲痛な心情とともに、それを乗り越えて、芸術で人々に尽くすことに生きる意義を
見いだそうと格闘する魂。
その使命感が彼を救ったのである。
音のない闇の中、ベートーベンは光を見つける。
「これこそそうだ! 見つかった!! 歓喜!  
        われらに不滅のシラーの歌を歌わしめよ!」
(『第九』発表1年前、音楽ノートにつづった言葉)
「第九」は、第1楽章から第3楽章まで、あの「歓喜の歌」の旋律が断片的に現れては消え、
最終楽章に向かって苦悩し続ける。
そしてついに「おお、友よ。この調べではない」と、最終楽章でこれまでを否定する。
それは、これまでを全否定しているわけではない。
実は、現れそうになっては消えたあの調べ、あの旋律こそが主題の「歓喜」であり、
今までの苦労の中に「歓喜」はあったのだと劇的に展開していく。

 ーベートーベンの言葉がよい

「良くかつ高貴に行動する人間は、その事実によってだけでも不幸に耐えることができる」
「苦悩を突き抜け歓喜に至れ」
「私は善良よりほかに卓越性のあかしを認めない」
「諸君、喝采したまえ。喜劇は終わった」
            (ベートーベン最後のことば)
「苦難の時に動揺しないこと。これは真に賞賛すべき卓越した人物の証拠である」

ロマン・ローランは、彼の音楽と言葉から苦痛と、それをのりこえた魂の偉大さを
感じとる。そしてその生き方と彼の理想主義がマッチしているのがこの本であった。
「良くかつ高貴に行動する人間は、その事実によってだけでも不幸に耐えることができる」
「苦悩を突き抜け歓喜に至れ」は、
私の20代の心の芯になっていた言葉であった。

ロマン・ローランは、他にも多くの格言を残している。
ー彼の言葉を抜粋するとー

・愛はそれが自己犠牲であるときのほかは、愛の名に値しない。
              ―「トルストイの生涯」―

・真理への愛のみが、我々を決して裏切ることのない唯一の愛だ。
              ―「愛と死の戯れ」―

・三つの大きな性的異常のうち、
第一のもの《自愛》は、個人にもっとも害を及ぼす。
第二のもの《同性愛》は、人類種族にもっとも害を及ぼす。
第三のもの《近親同士の愛》は、社会にもっとも害を及ぼす。
              ―「回想録」―

・諸種の主義のあいだの闘争がなんだというのか。
 唯物論、唯心論、社会主義、共産主義といったところで、
  それはどれも繋いだ犬の首輪なのだ。
              ―「魅せられたる魂」―
  
・理想主義のない現実主義は無意味である。 
 現実主義のない理想主義は無血液である。
              ―「先駆者たち」―

・英雄とは自分のできることをした人である。ところが、
 凡人はそのできることをしないで、できもしないことを望んでばかりいる。
              ―「魅せられたる魂」―

・男性は作品を創る。しかし女性は男性を創る。
              ―「ジャン=クリストフ」―

・まさしく音楽こそ、精神の生活を感覚の生活へと媒介してくれるものです。
              ―「ゲーテとベートーヴェン」―

・大半の聴衆が興味を抱くのは、音楽ではなく音楽家である。
              ―「ジャン=クリストフ」―

・多くの者は、自分達の階級を軽蔑するふりをしながら、
 自分達の階級から頭角を現わす機会を狙ってばかりいる。
              ―「ジャン=クリストフ」―

・自己放棄は偽善である。
              ―「ジャン=クリストフ」―

・個人の権利は、国家の権利がなければ無為に等しい。
 
・恋は決闘です。右を見たり、左を見たりしていたら敗北です
             ―「魅せられたる魂」―

・幸福は世界のリズムの一瞬間であり、生の振子が往来する両極の一つである。
 その振子を止めるには、それを破壊するほかないであろう。
             ―「ジャン=クリストフ」―

・誰でも幸福について語るが、それを知っているものは少ない。
             ―「断片」―

・《自然》は感傷主義には頓着しない。
 《自然》は自己の目的を達するには、人間の徳性をふみつけて通る。
              ―「愛と死の戯れ」―

・新聞・雑誌は嘘の巣窟だ。そして読者の大半は、その嘘にまるめこまれる可能性がある。
              ―「内面の旅路」―

・弱者達の貧血している生活は、神の信仰を必要とする。
 だが、太陽と生命を自己の内部に有する人は、自己以外のどこに信仰をさがしに 
 行くことがあろうか。
              ―「ジャン=クリストフ」―

・人生は幾度かの死と、幾度かの復活の一続きである。
              ―「ジャン=クリストフ」―

・人生は往復切符を発行してしません。一度出立したら、再び帰ってきません。
              ―「魅せられたる魂」―

・人生は人間が共同で利用するブドウ畑です。一緒に栽培して、共に収穫するのです。
              ―「魅せられたる魂」―

・知識人は政治家を軽蔑し、政治家は知識人を軽蔑する。
              ―「ジャン=クリストフ」―

・真実の生活に根ざす唯一の真の道徳は、調和の道徳であろう。
 だが、人間社会は今日まで圧迫と諦めの道徳しか知らなかった。
              ―「魅せられたる魂」―

・国家は祖国ではない。それを混同させるのは、それによって儲ける連中だけだ。

・秩序とは、したいことはさせずに、したくないことをさせることだ。
 片目でよく見ようして、もう片方の目を潰すことだ。

・今もっとも革命的な人々も、知らないうちに、おそらく一番古い伝統の人間となる。
              ―「ジャン=クリストフ」―

・悲しみは最良の友であり、人に法外な歓びを与える。
              ―「ミレー」―
・人生はすぐそこに、
 すぐ私たちのそばに、
 まったく単純に
 やさしく静かに在るのですわ
            ー「愛と死との戯れ」
・私の目を正面に見てください!
 ただひとつの真理は
 私たちの目の中にある。
 あなたと私とがあるばかりだ
            ー「愛と死との戯れ」−

・恋は決闘です。
 右を見たり、左を見たりしていたら敗北です
            ー「魅せられたる魂」ー

・幸福とは魂の香りであり、
 歌う心の調和である

ーロマン・ローラン概略ー

フランスの小説家であり思想家。
トルストイの思想的影響の下に出発、人類への愛、理想主義の信念に基づき
創作や平和運動に活躍した。
ベートーベンの研究もある。
代表作は「ジャン=クリストフ」「魅せられたる魂」。
    (一八六六〜一九四四)

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2003年07月16日(水)
833, 孤独について −2

 以前も書いたが(あとでコピーしておきます)、再び孤独について書く。 
 経営者は孤独でなくてはならないとか、孤独であるという。
特に創業は孤独に徹しないと、甘さが生まれてくる。
山の中の孤独というより、街の中の孤独である。
街の中の孤独とは自分と他者の間にラインを引くことである。
お互いの距離をおくことである。

ある本に孤独を「六独」6つに分解して、説明をしていた。
1 独想
2 独学
3 独行
4 独遊
5 独創
6 独楽

 これが出来るようになるには強い意志が必要だ。
創業を何回か経験をすると深い孤独の経験をする。
独り着想と構想をねり、その為の情報を集め、分析をして決断、たった独りで
嘲笑のなか行動開始、途中からゲーム化をして遊びまで高め、創りあげる。
そしてその起承転結を楽しむ。
しかし実際はつらい孤独業である。つらさと楽しみは裏表であることを知る。
二代目が失敗をするのは、この孤独に耐えられないためである。

 孤独に耐えるためには、宗教が必要である。
日本人が平気で自分は無宗教と答えるが、グローバルで見たときとんでもないことだ。
欧米では自分が気違いだと言っているに近いことになる。
スモールS (多神教)の集まりを宗教観を前提で答えていることを、自覚して
いない為である。
                   ーつづく
  ーーーーー
 2002年09月01日(日) 506, 孤独について

人間は独りで生まれ、独りで死んでいかなくてはならない。
本質は孤独である。
学生時代、名僧いや怪僧?の新井石龍禅師との問答で、
禅師は、[禅は一言でいうと何ですか?]の私の問いに
「字のとおり単を示すことだー宇宙に自分が独りということに
気づくこと」と答えられた。全くそのとおりである。

若い時に大都会に出る必要性は、
大都会の中で、凍りつくような孤独の経験をしておくことである。
圧縮された大都会の真ん中での孤独な生活である。

じっくりと孤独の厳しさを知ると
・仲間の大切さを知る事ができる、但し真っ当な人だが!
・本を通して数千年前、数百年前の人物と出会うことができる。
・独り遊びの大切さ知るー音楽会や映画に独りで行くとか。
・自分のアイデンテティーが見えてくるー自己の確立。
・孤独の賑やかを知る。

それを若い時にじっくり経験してないと、
「何処かの子狐?」のように中年期・壮年期を迎えたとき、
どのようにしてよいか解らないで、
そのレベルでベタベタ群れるしかないのだ。
それか濡れ落ち葉になるしかない。
失敗の人生である。

地方にはこういう人が大部分だ。
仕方ないことだが?

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 2002年07月16日(火)
 458,一期一会

 以前にも書いたが、旅行の楽しみの一つが色々の人と会えることである。
 それも字のとおり「一期一会」である。
 殆んどの人が初めて会い、2度と会うことがないことが解っているから、
 全てを曝け出し、そして別れていく。
 「天国?に行く途中の舟で一時隣り合わせた人たち」に喩えることができる。
 
 平気で自分を曝け出せる場でもあり、人生の学問の場でもありうる。
 お互いの人生の通知表を見せ合える場であり、
 人生の決算書を携えて来ているともいえる。
 
 色々な人生があるものとつくづく思う。
 遠藤周作の「深い河」というインドのツアーの参加者のそれぞれの人生を
 描いた小説があったが、正しくそれである。

 直にそれを見れるのも、
 一種独特の圧縮された社会がその期間形成されるからだろう。
 特に秘境系のツアーには濃い人生を生きてきた人が多い。

 私のように人間ウオチャーにとって、最高の観察ができる場でもある。

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2001年07月16日
 旅行中


1929, ローマから日本が見えるー13

2006年07月15日(土)



        (♯ゝωσ♯)人(+>∀<+)ノ おぁはは〜
           ☆-(ノ●´∀)八(∀`●)ノ   イエーイ
              (@´∀`p★)゚*。+゚★ (??????)? ??♪?
                (☆嬉o∀O*)♂♂♀♀ ようござい、
                  (=△=)凸 (。^。)コケ!  
                      (ー(●) ̄) m(_ _)m
               馬鹿!~  (θ_θ)

           ー 読書日記 −
 
 第6章 勝者ゆえの混迷−2

ーグラックス兄弟の改革ー

 ローマの名門貴族出身の若者でティベリウス・グラックスと
ガイウス・グラックスという兄弟がいた。
彼らはスキピオの一族でもある名門の出。
このグラックス兄弟が、ローマ農民の没落をくいとめる改革を断行する。
                               Σ(・ε・|||)
    最初に改革を試みたのは兄のグラックスである。
    彼の政策は非常に筋が通っていた。
    都市に流入している者達に土地を与えて再び自作農民に戻し、
    ローマ軍を再建しようと考えた。。
    土地は貴族のラティフンディアである。
    125ヘクタール以上の土地を占有している貴族から
    それ以上の土地を国家に返させ、それを市民に再分配しようとした。

この政策に平民たちは喜ぶが貴族たちはマイナスである。
農民の没落でローマ軍の弱体化は解るが、土地を取り上げられるとなると反発して当然だ。
彼は元老院との相談もなしに、改革を推し進めようとした。
反対派貴族と改革を歓迎する平民の対立でローマは騒然とした。

    兄グラックスは護民官。
    護民官は神聖な立場のため反対派も手が出せない。
    そこで反対派が多くの人を雇ってグラックスを襲わせて、
    その死体は川に投げ込まれた。
    この事件が起きたのは前133年であった。

弟ガイウス・グラックスは兄の死の10年後、
同じく護民官になって兄の政策を実現しようとした。
このときも暴動が起こり、混乱の中で弟グラックスは自殺してしまった。
(前123)

                \(∀\)ココハドコ?
                (/∀)/アタシハダアレ?
ーマリウスの軍制改革 ー

 貴族は大土地所有を守ることができたが、ローマ軍の弱体化の問題は残った。
これを解決したのがマリウスの軍制改革(前107)である。
ローマの軍の基本は、財産を持ったローマ市民が武器を自前で調達して従軍すること。
それを狙ってグラックス兄弟は農民を作りだそうとしたのだ。

    マリウスはこの基本をあっさり捨ててしまう。
    マリウスは市民を兵士として採用し、武器を与え、給料も払うことにした。
    その費用は基本的には彼の自費である。
    兵士として働ける期間は長いモノではなく、年をとったら引退する。
    その兵には土地を分けて、自作農民として育てていった。
    それで兵士不足は解決して、マリウスはこの新しい軍隊で勝利を続けた。。

この軍制改革でローマ軍の質が大きく変化した。
それまでの兵士はローマ市民の義務を自覚して、ローマのために戦っていた。
ところが、マリウスの兵はローマのためとか、ローマ市民の義務として、
という意識は小さくなる。マリウスの「私兵化」になっていた。

    この軍事力で、マリウスのローマでの発言力が増していった。
    この後、多くがマリウスのやり方を真似ることになる。
    私兵を養った将軍同士の内乱が続いてローマは混乱の時代になっていく。

グラックス兄弟の改革から100年間を「内乱の一世紀」とよぶ。
前91年から前88年には、
イタリアの都市がローマ市民権を求めてローマに反乱を起こす。
これが同盟市戦争である。
ローマはローマ市民権をイタリア諸都市に与えることでこの戦争を終わらせた。

    前88年から前82年まで、マリウスとスラ将軍の抗争が起こる。
    マリウスは平民派、スラは閥族派である。
    そして、スラは軍隊は入城することが許されなかったローマ市内に乱入した。

ローマの元老院は、この二人の将軍の抗争に対して解決できなかった。
この結果、あれだけ強大だった元老院の権威が低下してしまった。

                 つづく
                     【;´∀`
                   (~〒~)/== 卍卍卍
                 。゚+.゚ヽ(●´ω`●)ノ。バイ!
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2005年07月15日(金)
1564, 「これから5年・地価は半値になる」−3

ーマンション編

都心の高層マンションの計画が進んで、売れ行きがよい。
しかし、今後これも供給過剰になり、クラッシュで不動産不況を引き起こす可能性が大きい。
マンションは売り残って翌年になれば、2割引とかで売らなくてはならない。
もし売れ残りの動きが出はじめたら、これらの土地の値上がりはストップして、
値下がりに転じかねない。

2005年までに、品川、港区、中央区、江東区などの湾岸エリアを中心に
40棟以上の大規模マンションが建設される。
現実にマンションの値下げ合戦が激しさを増しているという。
売れ残りが出ると、その後に売り出されたマンションが予期せぬ値下げを
しなくてはならなくなる。
特に、今年のマンションの売り出し数がピークに達するから、
間違いなくダンピングが激しくなる。
このような高層マンションの破綻が、不動産不況の引き金になる可能性がある。

−基盤整備はカンフル剤になりえるか?

JRなどの駅、高速道路の入り口、大規模ビル、複合大型商業施設などがつくられると、
目先は周辺の地価は上がる、それは地価下落を抑える一時的なカンフル剤に過ぎない。
少し時間が過ぎれば、他の土地の値動きと同じになる。
現在勝ち組みといっても、未来が約束されているとは決していえない。

ー西武鉄道グループの問題も地価下落要因に

このグループの本格的なリストラもこれから始まる。
レジャー施設も150あって、スキー場、ゴルフ場なども110もある。
それらの大部分が一気に売却されるようになったら、
地方の地価にあたえるマイナスのインパクトは相当大きくなる。
もともと森林を切り開いて、そこに無理にレジャー施設をつくって、
土地の付加価値を高めていったから閉鎖をされれば、価値は元に戻ってしまうだけ。

ーーーー

以上要点をまとめてみたが、どう考えてみても地価の下落は抑えられない。
「これ以上の不動産の下落はない」と見ていたが、
供給サイドは有り余っているのだから、今後も下がり続けるのは当然である。
特に地方の地価は半値ではなく、三分の一とみてよいだろう。
考えただけでも恐ろしいことである。
地元の新潟の勝ち組の土地は新潟駅の周辺だろうが、
そこすらどうなる事か?

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2004年07月15日(木)
1199, つれづれなるままに

ー夢ー
この数日、最近たて続きに面白い夢をみている。
他人の夢ほどつまらないものはないというが、
潜在意識を覗くという面でみると面白いのではないか?

ー何かの乗り物で地球外の何処かにいってきた夢である。
そこは小さな惑星で、別宇宙という感覚であった。
恐らく、鈴木秀子とユングの臨死体験を読んだ影響と思われる。
二人の臨死体験を夢で疑似体験をするところが不思議である。

ー子供の時に亡くなった兄が帰ってきた夢をみた。
何か、寂しそうで生気が無い顔をしていた。
思わず泣いてしまった。
翌日、家内に寝言で泣いていたと言われた。
その後に、仏間に誰かがいる気配がした。
起きていってみるが、そこには誰もいない。
それも夢であった。

ー過剰情報ー
全国ニュースを見ていると、中越地区が水浸しで沈没しているような感じる。
一番凄そうなところをカメラマンが取っているのだが。
情報化はこういう異様な現象が出る。
ほんの限定的な一時的な現象をことさらオーバーに報じる。
そういえばイスラエルに行った時の事を思い出す。
アチコチでテロが続発しているイメージが強いが、現地の99.99佑寮験茲
普通である。世界各国から信者が礼拝に来るが、どこの国の人も家族に戦地の
真っ只中に来るように誤解されるという。
よほど自分の病気か自動車事故のほうが恐ろしいのに。

 ー 1リーグ制についてー
近鉄の合併が出てくるまで、マスコミの論調は一リーグ制度であったのに、
ところが急に論調が反対に変わってきた。
そう書いたほうが、ニュースになるからだ。
それと読売系対反対派という図式もある。
業界そのものをリストラをしなくてはならないのが底流にある。
特に星野元監督はじめ軽いマスコミは奇麗事をいい始めている。
バカもほどほどにしろである。
そのまま二リーグ制にしておくことなど考えられない。
考えるという面で議論も必要だが。

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2003年07月15日(火)
832,「阿弥陀堂だより」−映画日記

 先週末にDVDレンタルショップで『阿弥陀堂だより』を借りてきて見た。
何げなく借りてきたのだが、何とも味わいのある内容であった。
あとで作家の南木けい士の『自書を語る』をコピーして貼り付けておくが、
日本の味わいと、スローなテンポと日本人が忘れていた故郷の世界を、
感慨深く表現していた。

主役の夫婦が春に信州の田舎に転居して来て、田舎の四季の美しさを見せながら
ストーリーを展開していくスローなリズムが良かった。
美智子役の樋口加奈子がいう言葉『悲しくないのに、涙が出てくる』という言葉が
このストーリを全て言いあらわしているように思えた。
また北林谷栄役の、おうめ婆さんが長野の自然の中に溶けこんでいたのも
印象的である。

黒澤明の遺稿シナリオを映画化した『雨あがる』で、日本アカデミー賞を受賞した
小泉堯史監督の新作であることを、インターネットで調べてしった。
 気楽に話題の名作をDVDレンタルで見ているのが不思議な感覚である。
特にアラスカから帰ってきたばかりだからこそ、日本のアイデンティテーが
印象的だったのだろう。下手な感想文より以下をご覧あれ!

ーあらすじー
 東京に住む夫婦、孝夫と美智子。夫はなかなか日の目を見ない小説家。
妻は大学病院で働く有能な医者だった。ある時、美智子はパニック障害という心の病にかかる。
それをきっかけに、二人は、孝夫の故郷、信州に移り住むことを決意する。

山里の美しい村に帰った二人は、96歳の老婆おうめを訪ねる。
彼女は阿弥陀堂という、村の死者が祭られたお堂に暮らしていた。
おうめのところに通ううちに、孝夫は声の出ない少女・小百合に出会う。彼女は村の広報誌に、
おうめが日々話したことを書きとめまとめた「阿弥陀堂だより」というコラムを連載していた。
美智子はこの村で診療所を開き、おうめや小百合、村の人々の診察を通して、
医者としての自信と責任を取り戻してくる。…

ー南木けい士の『自書を語る』ー
 阿弥陀堂は生まれ育った群馬県吾妻郡嬬恋村大字三原の下屋組と称される十軒あまりの
 集落の裏山にある。そのすぐ下の墓地には私が三歳のときに死んだ母や、以後十三歳の
 春までこの集落で私を育ててくれた祖母の墓がある。弱りきった精神は退行を好む。
 あのころの私は底上げなしの、あるがままの存在を許されたふるさとの自然や人の
 なかに還りたかった。
 
 しかし、実際に還ったところで懐かしい人たちはみな死者であり、ともにながめる人を
 亡くした風景は色あせて見えるだけだろう。ならば言葉でふるさとを創り出すしかない。
 そんな想いで『阿弥陀堂だより』を書き始めた。

  祖母は村の広報誌のことを「村だより」と呼んでいた。「阿弥陀堂」と「村だより」
  、小説の題名はこの二つをくっつけたのだ。祖母たち老人が先祖供養の念仏をもうしながら
数珠を回していた阿弥陀堂。その小さな庭からは向かいの崖と谷底の川と狭い集落が見渡せた。
それが幼い私にとっての世界の景色のすべてだった。
もし生きのびられるのなら、もう一度この世界から歩き出したかった。
切実に、誠実にその世界を創りあげたかった。

うつ病による罪業妄想と言ってしまえばそれまでだが、末期の癌患者さんたちを看取ることの
多い生活をしてきた私は夜ごとに 亡くなった人たちの顔を思い出し、彼、彼女たちの訴えの
十分の一も理解できていなかったことを悔い、ひたすら詫びた。

悪夢で深夜に目覚めるたびに「天罰」という言葉が天井から降ってきた。
書くことで供養ができるなら……そんな想いを先祖の霊を守る老婆に託た。
記憶に刻まれた人や風景を寄せ集め、仮想の村、集落を創り、それらを忠実に描写して
いったら一つのおとぎ話ができあがった。

この物語を誰よりも読みたかったのは私自身なのだった。完成したとき、
これが小説たりえているのかどうか判断できなかったからとにかく編集者に送り、
大丈夫ですよ、の回答をもらって安堵のため息を何度もついた。
 
 しかし、ある新聞に載った文芸時評では、その内容の甘さをこっぴどく批判された。
そんなにひどいことを書くならなんでこれほど大きく時評に取り上げるんだよ、
と涙ぐみつつ送られてきた新聞を庭の隅の焼却炉で燃やした。
ものを書くことを仕事にしてから、他者が私の作品について評した文章を燃やすのは
初めてだったが、いかにも後味の悪い体験だった。
 
 都会の病院勤務で心を病んだ女医が小説家である夫のふるさとの村で癒されてゆく。
たしかに安易と言われればそれまでのプロットだが、そのころの私には企んだ小説を
書ける余力がなかった。細部をていねいに書き込むことしかできなかった。

『阿弥陀堂だより』には私の存在の世話をしてくれた人たち、底上げされた
私のいたらなさを口に出して責めぬまま静かに逝った人たち、そして、ただの存在に
もどった私の目に映った自然の生なましさなどが詰め込まれている。
甘く書くしかなかった酷薄な事実が隠されている。

書きあげ、本になった時点でこれらのものはすべて本のなかに大事に封印した。 
表紙の阿弥陀堂の戸はしっかり閉じている。
そうすることでなんとか今日まで生きてこられた。
少なくともいまのところこの封印を解くつもりはない。
他者の解釈を観たり聞いたりする勇気もない。
 
 いつか、どこかの映画館の片隅で『阿弥陀堂だより』を観る機会があったら、
私はこの懐かしいタイトルを観ただけで泣き出してしまうかもしれない。
そんなことを書きながら、流れに乗れば気軽に観終えてしまうのも私の根性なしのところで、
実はもうそういうつっぱりはどうでもよくなっている。
それにしても、試写会に行かない原作者なんて他にも誰かいたのだろうか、
と気にしてしまう小心さだけはいかんともしがたい。

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2002年07月15日(月)
457,スイス旅行記ー2

ーマッタホルンの凧揚げー

マッターホルンで凧揚げた!といっても、他人の凧揚げの紐を
一時も持っただけだ。
マッターホルンを近くに見る展望台の横の小高い丘で写真を撮っていると、
突然ある中年の夫婦が小さな凧を二つ取り出し、揚げはじめた。

家内と登山列車の隣席で話をしてきたという他のグループの夫妻。
その写真を撮って欲しいと頼まれた。
そこで「是非自分も記念で凧揚げしてみたい」とお願いすると、
気持ちよく私らに貸してくれただけの話だ。

それでも揚げたことに間違いはない!貴重な体験だった。
それにしても色々のことを考えるものだが、その情報を持っていたら
私も凧を買っていったに違いない!ーこれも情報なのだろう。
今度からは、大自然のツアーには凧を必ず持っていくつもりだ。

キリマンジェロやタンザニヤのセレンゲッテーの凧揚げなど最高だろう。
10個ぐらい持っていき、現地の人にあげるのも喜ばれるだろう。
その凧は横15cm、縦25cmぐらいの小さなモノだったが、
風に乗りどんどん高く舞いあがった。
おそらく西洋凧ではないかと思われるが、玩具屋で捜す楽しみがまた増えた。

いろいろ楽しい!!

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2001年07月15日
旅行中


1928, ブログについて

2006年07月14日(金)

              おっ w(゚Д゚)w ハァョ〜

二月ほど前に、ブログについて書いてみた。
「 2006/05/14〜/15
 1868, ブログは社会革命ー(1)
 1869,ブログは社会革命ー(2)」
『ウエブ進化論』と『グーグル』の中から抜粋し、
 まとめたもの。

    それから二ヶ月経ち、ブログを開設してみて、
    その可能性に驚いている。
    これは社会の根本を変えるだろう。
    携帯電話とは違ったカタチの情報発信基地を、
    気楽に誰もが持つことが出来るようになった。

このHPを作るのにパソコン教室に通ったり、
プロのSEに事務所に来てもらってデザインなど苦労した。
それが現在では20分から30分もしないうちに、数倍も良いデザインで、
かつ便利な機能を持ったものが無料なのだ。
そのためか、2~3年で600万人以上がブログを持つようになってしまった。

    ハッキリいって、このHPを持っていることが自慢であった。
    それが、現在では20~30分で誰もが持てるのである。
    随想日記のように5年間書き続けた在庫は、
    自分の経験と知識の蓄積庫になっているし、
    書き続けたことによって世界観と価値観が全く変わってしまった。
    英語を使いこなせないハンデも知った。

ブログにはトラックバックや、RSS配信機能という機能が付いている。
HPを5年維持してきたから、それが凄い機能か解るのだ。
テーマがドラッガーについて書いたとしよう。
まず検索にドラッガーの文字を入れて、共感できるブログを幾つか見つけて、
トラックバックすればよい(その日書いた内容を相手のトラックバック
のコーナーに貼り付ける)。
相手のブログのアクセス順位が高いほど、多くの人が見ているので、
多くの人がクリック一つで自分のブログに見にきてくれる。
そのテーマで、多くの意見の書き込みもある。

    また自分が気に入ったブログに対して、RSS機能を使って張り込んでおけば、
    相手が新たに書き込んで発信したと同時に、自分のブログのコーナーに
    数行の文章が張り込まれるのだ。
    さらに私が毎日苦労している分類への仕分け作業も、
    クリック一つで仕分けされる。
    これからのブログは写真と文から映像と文へと重心が移行するという。
    ライブの映像の流すのもあるようだ。
    一人一人が、独自発信機能を持ったのである。


私の同年代の半分はインターネットを使いこなしていない。
今年になってから、
インターネットを使っている人と、使えない人と二分類で見るようになった。
しかし、これからは三分類に分けて見るようになるだろう。
使いこなしている人でも、自分のブログを持って使いこなしているかどうか?
で見分けて見るようになるだろう。
少し言い過ぎか?
いや、そうでもないだろう!

                  (。・ω・)ノ☆゚+.バイ! 
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2005年07月14日(木)
1563, 死について再び考えるー2


死について何回か取りあげてきたが、一番印象に残っているのが、
中村天風とドフトエフスキーの死刑執行直前体験がある。

中村天風は、銃殺の直前に仲間に助けられたが。
ドフトエフスキーは死刑直前の恐怖体験をリアルに書いている。

ー以下の話は、あまりにも有名である。
  ある本より抜粋してみる

彼は若いときに、革命秘密結社に入ったことがある。
それは社会の不正を糾弾する議論のレベルであったが、
秘密警察に目をつけられて、時の皇帝ニコライ一世はメンバーの逮捕を命ずる。
しかし彼らの犯罪の事実は出てこない。そこで政府の面子で有罪となり、
軍法会議で刑が確定する。

最終的には、皇帝の恩赦が書き込まれ、シベリアで4年の刑と強制労働と、
その後の兵役に服することになる。
ところが、その恩赦を言い渡す前に一度死刑が確定し、処刑の真似ごとをする。
政府が仕組んだ罠である。

1849年12月21日、処刑劇が行われる。彼は処刑場に連れて行かれ、
三人ずつ銃殺されることになる。ドフトエフスキーは処刑の二番目である。
その時の死の恐怖を「白痴」の主人公の口を通して、
以下のように語っている。

「生きていられるのはあと5分ばかり。
この5分は本人にとって果てしなく長い時間で、膨大な財産のような気がしたそうです。
この5分間に最後の充実した生活が送れそうな気がしたので、色んな処置を
講じたというのです。
つまり時間を割りふりをして友達との別れに二分間、
いま二分間にいま一度自分自身のことを考える時間にあて、
残りの時間はこの世の名ごこりに、周りの風景を眺めるためにあてた。
・・・・しかし、その瞬間最も苦しかったのは、絶え間なく頭に浮かんでくる想念で、
もし死なないとしたら、もし命を取りとめたら、それは何という無限だろう。
その無限の時間がすっかり自分のものになったら、おれは一分一分をまるで
百年のように大事にして、もう何一つ失わないようにする。
いや、どんな物だってむだに費やさないだろうに」
『(世界文学全集・ドフトエフスキー)より抜粋』

減刑が言い渡されると、ドフトエフスキーは狂喜する。
その仲間のうちに発狂したものもいた。
死の宣告は人間を極限の状態のおかれる。
人間は弱い存在でしかないのだ。
ーー

以上であるが、この体験があったからこそ大小説家になったのだろう。
バンジージャンプの飛下りの板の先に立ったときの恐怖経験がある。

その時思ったことは、
「これは死である。
この凍りつくような恐怖は考えていたことと全く違う。
飛び降りるしかないが、今更止めるわけにいかない。
何をやろうとするのか?
どうしても飛び降りなければならないのか!
ただ前に体を投げ出すしかない!
少しでも躊躇したら恐怖は倍になる!
うわ〜〜〜〜〜〜!」

何か時間が止まるという言葉があるが
・・・・考えていたことと、実際がこれだけ違うのは初めてである。
しかし、ドフトエフスキーのそれは、比べ物にならないほどのはずだ。

私はガン末期の死の宣告はすべきでないと思う。
このドフトエフスキーの心理を、カタチを変えて経験しなくてはならないからだ。
その瞬間から、極限の状態に置かれるのだ。
それも肉体的極限の苦痛で、七転八倒して!

死を考えることは、生を考えることでもあるから取り上げているが。
「死ぬまでは生きているから」と気楽に考えてもいられないが、
しかし気楽に考えるしかない。

ーーーーーーーー

1253, 死について再び考える

 過去に死について多く書いてきたが、五十嵐恭一さんの死で改めて
死について考えてみる。

 毎晩、何気なく寝ているが、そのまま目が覚めないと仮定して、
そのまま、深い長い夢をみながら死んだとしたら、その夢と現実とは
さほど変わりはしないのではないか。

 死んでしまえば、重油をかけられ燃やされ、灰に帰す。
骨は墓に入れられ、一年もしない内にほとんどの人から忘れさられる。
それはそれでいいのではないか。

人生とは何なのだろうか?ー意味
その行蔵の中味の意味は何か?ー経験
何を成しえたのか?ー希望
何を成しえなかったのか?ー挫折
それを成し得たとして、それが如何ということだろうか?
人の苦しみ、喜び、快楽、達成とは何か?
精一杯生きたのだろうか?

答えは無いと思うが、それでもヒントは以下の格言に
多く隠されている。
 ・・・・・・・
(格言は字数の関係上カットしています)

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2004年07月14日(水)
1198, 口ぐせー2

ーどうしようもない!−

最近ついつい使ってしまう言葉に「どうしようもない」がある。
マイナス用語の最たる言葉が、この「どうしようもない」である。

考えてみたら、これがトンデモナイ言葉のトリックになっていた。
自分の努力不足を棚に上げて、自分で自分の範囲を決め、思考をストップさせてしまう。

デフレには、どうしようもない!
もう歳だから、どうしようもない!
頭が悪いから、どうしようもない!
からだがわるいから、どうしようもない。
じかんがないから、・・・!
おかねがないから、・・・!
 等々、知らないうちに、あらゆる機会に使っている。

この「どうしようもない」という言葉は世界中にある。
中国語では「メーファーズ」
フランス語では「セラビー」
英語では「オブライジド」
それだけ、この言葉は世界的に軽率きわまりないのだ。

どうしようもない状態を解決していくのが、人間が人間たる所以である。
「歳だからどうしようもない」を考えてみても、明らかにナマケモノ、無能者
の言いわけでしかない。

「どうしようもない」は「何ともならない」という意味である。
それに対して、「何とかなる」「何とかできる」[何としよう」という意思から
努力と知恵が生まれてくる。

最近になって「どうしようもない」と多用していた自分に気がついた。
「ほんと、この不景気にはどうしようもないもんな〜」と、
何百回呟いたことか!
考え抜くしかないが、それにしても変化が激しすぎる!
どうにかしなくてはならない。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
 
 2003年07月14日(月)
831,アラスカ旅行記ー6

 旅行のもう一つの楽しみは、全国レベルで変わった人との接点である。

・まずは、60代後半の女性。
 6年間、毎月旅行に出て62回目の参加という。
 6年前に旦那と大喧嘩が勃発して、いまや修復不可能。
 別れるより良いと、毎月出ているという。
 もう疲れたが、後は野となれ山になれと出続けているという。
 旅先で部屋に戻っても、旦那のことを思い出して腹を立てているとか。
 聞いていても悲しくなる。
 「ありがとう」を毎日千回、いや一万回言え!といいたくなった。
 夫婦しかわからない何かがあったのだろう。
 先日も身辺の60過ぎの知人が離婚したと先日聞いた。
 旦那に若い女ができたのが原因だという。
 また学生時代の同級の女性が離婚をして、新たに結婚をしたという。
 これで3回目の結婚である。人生の深遠さを思い知らされる。
 
 ・若い女性が二人参加をしていた。
自意識過剰の若い女性が、終始大きな声でアラスカの地で自らの恋愛話をしていた。
黙っていろともいえず、場違いの二人に他の全員が辟易!
もっとアラスカの地をじっくり堪能すべき!と思うのも年齢と経験の違いのためか。
その世界しかないのだから仕方がないが、「無知ということは罪」と思い知らされた。
その聞き役の方の女性が面白いことを話してくれた。
 「自分は蚊に刺されない。一年に一度位刺されることがあるが、朝起きると腕の上で
死んでいる」という。
「血液型によってそういうことがあると聞いたことがあるが、血液型は何型?」と、
グループの一人がを聞くと「両親がAとO型。自分自身は一回も調べたことがないので解らない」
という。いろいろな体質の人がいるものだ。
 
 ・ホテルのロビーで同じチャーター機のグループの人達がいた。
 その一人が新潟県の燕の人であった。
 家内工場をやっており、この1~2年で両親がたて続きで亡くなったとか。
 2年前に初めての海外旅行でアラスカに来てキングサーモンのオプションに参加。
 今度は4日間車を借りて、独り釣り三昧をしてきたという。
 魚は釣った後で逃がすとか、また2年後に来たいといっていた。
 これも巧いツアーの利用の仕方と感心をした。


2002年07月14日(日)
456,スイス旅行記 

感想をそのままかいてみると

・天気に恵まれた素晴らしい旅行であった。
   数年に一回の大当たりであった
・自然の美しさでは、カンデアンロッキーに匹敵するかそれ以上であった。
・自然の雄大さに圧倒された
・牧歌的な村や、絵のような牧草地や高原が印象的
・珠玉のような湖や村が何ともいえない
・毎日が感動感動の連続であった
・下を見れば高山植物とその花、上を見れば白銀に輝く峰峰
・美しき小さな村々と牧場

38回の過去の旅行でベスト5に入る内容といってよい。
一日一日が夢のような連続線で結ばれているようであった。
私の過去の「旅行の思い出の宝箱」の宝が一つ増えた。

こんなにスイスアルプスが素晴らしいと思ってもいなかった。

時系列で印象順に書いてみると

・まずは二日目の「アルプスの少女のハイジ」の舞台になった
 マイエンフェルトが素晴らしい!今でもあのアニメのハイジが跳ね回っているようだ。
 作家の家がハイジーの魂で満ちているようだ。
 そしてミニハイキング−季節も含めて何ともいえない明るさがよい。

・三日目のアルプグリュムのハイキングがよい。
 峠から見る眼下の谷と白銀の山々がよい。
  
 デアアレッツタ駅からの「パリュー氷河」が素晴らしい絶景であった
 あまり知れれてないが、そのパノラマに思わず息を呑んだ。
 永遠の時が一瞬凍り付いたようであった。−いろいろな氷河はは見ているが
 これだけ身近のパノラマで幻想的の景観ははじめて見るものであった。
 −これで元を取ったような気持ちになってしまった。

・5日目のツエルマットのマッターホルンが今回のハイライト!
 ホテルの窓からのマッターホルンがまたよい
 マッターホルンの麓の高原ハイキングが素晴らしいー
 ーここにこうしてハイキングしている自分が夢の中にいるようであった

・六日目のシャモニーよりロープウエーで3800mのエギーユ・デュ・ミディの展望台へ、
 そこから見た景観がやはり絶景

・7日目の「パノラマ特急」の車窓からみる珠玉のような高原の景観が夢のようだ。
 絵の世界が、いや絵よりもズート素晴らしい世界が延々と続く・・・・
 カンデシュテークからのったチェアリフトでいったエッシネン湖のトレッキングも
 忘れられない景色であった。

・8日目のグリンデルワルトからのユングフラウヨッホは
 途中で霧に包まれて楽しみにしていたトレッキングが中止になったが、
 ユングフラッホには過去2回いっているから諦めがついた。
 しかしやはりその景観は何回見てもよい。

・最終日のルッツェルンのアバルトシュテッテ湖とそこから登った
 ピラツス山から見たパノラマの景観が素晴らしい

     今回の旅行はただただ良かった!!!
   ある女性が何回も「うれしい!」と言っていた。

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・・・・・・・・・・

 2001年07月14日
  旅行中


1927, 閑話小題

2006年07月13日(木)


            Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning

ー北朝鮮・ミサイル問題と、日本の軍事力ー

・実際の日本軍?(自衛隊でなく)の軍事力は、
我われがイメージをしているより遥かに大きい。
長年そしらないふりをして積み重ねた蓄積は膨大で、アメリカ軍を加えたら、
中国なども足元に及ばないという。
ある時期に、何気なく近代戦で闘える装備に切り替えてしまっている。
声高にいうと、予算を減らされるからただ黙っているだけ。

    おまけに共産圏の傀儡の象徴だった社会党がホボ壊滅をしたので、
    何時でも原爆も持てる条件が出来たが、建前があるから持つにいたってないだけ・・
    北朝鮮は最後の断末魔で、これが最後の賭け?といってよい。
    もう一発大きい賭けをしてくるだろうが、体制がギリギリの局面に来ている。

ロシアと中国は、北の体制が崩壊すれば難民が押し寄せてくるのが解っている。
その事態を避けたいから、強硬な採決を嫌がっている。
アメリカにとっては、このミサイルの乱射は丁度良いタイミングである。
イラクはほぼ終了、次はイランではない、北朝鮮である。
これからは日本は経済的な波乱も含めて刺激の強い日々になる・・・

    現在の北朝鮮は、どこからみても現代奴隷国家。
    数年以内にクーデターが起き、凄惨な殺戮が行われるだろう・・
    ドン様の質の悪い劇画の世界と嘲笑していても、他人ごとではない。
    訓練された奴隷ー軍隊が、最後の断末魔にドン様の命令で何をしてくるか・・・
    先制攻撃論も出ているが、やるなら米軍と共同作戦だろう。
    そうすると原発が狙われるだろう、そうすると・・・


ー社会主義についてー

社会主義、共産主義と、最近は誰もいわなくなった。
ソ連邦と共産主義国家群が崩壊、中国も社会主義経済を放棄した。
ソ連邦の崩壊には、のソ連共産党同士諸君は驚いただろう!

    ある日突然、
  「建前としていた計画経済は全く間違ってました。
   全員が公務員という経済体制は、権力を握った高級官僚が権力を握って
   私服だけを肥やすだけ。マトモな経済計画を作れないので放棄することになりました」
    と、認めてしまったから一大事!
    まあ、それまで悪事を重ねて私財を溜め込んでいただろうが。

現在も、それに近いことが日本の霞ヶ関の役人どもと、
自民党の一部に残存しているようだが。
この前の選挙で殆んどの、これらゴミを廃棄したが!!
亀とかいうのが、ゴミダメコーナーでウロウロしているのが哀れだが。
あれは何だったというのか?
バブルの崩壊とともに終わってしまったシステムの残存ーゴミである。

    最近は、共産対資本主義の対立軸が
    アッラーとキリストに転嫁されてしまった。
    アッラーは、茶色ーアラブの神、
    キリストは、白ー白人系の女子供に比重をおいた神
    ユダヤは、白人の拝金の男を中心とした神
    でしかないか!
    仏教は、黄色か?
    白、黒、茶色、黄色の混ざったインドは、
    有難いことに3千年にアーリア人が階級をつけた
    ヒンズー教の神じゃないか。
    
    神は偉大なりか〜!
    般若心教でも唱えておこうか!

                      (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
  ・・・・・・・・
  ・・・・・・・・
  
 2005年07月13日(水)
1562, わたしの酒中日記−14 

ー岐阜の夜−2

1976年 7月某日

夜行で岐阜に来て、今日は丸一日市内を駈けずりまわる。
肉体的には、緊張しているせいか疲れはない。
日曜日の店の売れ具合をみて、一度帰宅のあと3時間ばかり休んで、
夜行列車の「佐渡」に飛び乗った。夜行列車にやっと慣れてきた。
枕木の音を眠るためのリズムとして聴くように努めてから寝れるようになった。
2歳年下の大森さんと一緒である。
彼も私にしごかれて8ヶ月、やっと戦力になってきた。

朝の7時に岐阜駅に着く。
駅ビルの地下の喫茶店で、モーニングサービスを食べて時間を過ごす。
そして、9時過ぎから問屋街を駆け回る。
仕入れのコツも9ヶ月も経てば解ってくる。
とにかく多くの問屋を回って情報を仕入れることだ。
それと大手の問屋とメーカーも大きな情報源である。

小野、岡庭嬢が今朝長岡を出発、東京から名古屋の問屋をまわって
夕方にホテルのロビーでいきあった。
チェックインを一度して、何時もの「千成寿司」に行く。
彼女達も意欲的に仕事をする。

千成寿司は高校の時に、父の仕入れ見学の鞄持ちで来て、食事をした店である。
12~3坪の店に職人だけで5人もいて、いつも行列待ちをしている超繁盛店だ。
とにかくネタが大きくて新鮮で安い。
普通の店の三倍のネタの大きさである。
こういう出張は、夜の食事とチョイ一杯をしながら
仕入れの戦果の話が楽しみである。

店の仕事の終了後、夜行列車に揺られたあと、朝からの駆け足の仕入先まわりは、
激務といえば激務である。
しかし、仕入れは買い手の立場であるから、面白いといえば面白い。

仕入れた商品が売れるか売れないかは博打的要素がある。
当たるか外れるかは半々といってよい。それが面白いのだ。

今夏は、ジョーゼットの素材の花柄の婦人服が爆発的に売れている。
しかし、どこを探しても売り切れて商品がない。
ところが、諦めかけた直後にやっと一軒見つけだした。
その小さな店の商品一軒分全て買い上げた。
これで、今回の仕入れの大きな収穫が完了。
こういう日の酒は特に美味い。

明日は、岐阜を終日仕入れをした後に、大阪と名古屋の問屋の予定である。

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2004年07月13日(火)
1197, ユングの臨死体験

臨死体験といえば、立花隆が「文芸春秋」で特集で連載をしたことがあった。
死にかけたときに生じる脳内の異常状態から見る夢か幻想と思うのだが。
ユングの書の中の「臨死体験」を読んでいるうちに、何か今までの世界観が
変わってしまった。

ユングが書いた時は、まだ宇宙衛星が地球外に出てない。
しかし、ユングが臨死体験で見てしまった宇宙からの景色と,宇宙船から飛行士が
見た景色が全く一緒だったという。
何とも不思議な気持になってしまった。

ーその部分を抜粋してみる
 −−−
1944年のはじめに、私は心筋梗塞につづいて、足を骨折するという災難にあった。
意識喪失のなかで譫妄状態になり、私はさまざまの幻像をみたが、それはちょうど
危篤に陥って、酸素吸入やカンフル注射をされているときにはじまったに違いない。 
幻像のイメージがあまりにも強烈だったので、私は死が近づいたのだと自分で
思いこんでいた。

後日、付き添っていた看護婦は、
『まるであなたは、明るい光輝に囲まれておいでのようでした』といっていたが、
彼女のつけ加えた言葉によると、そういった現象は死んで行く人たちに
何度かみかけたことだという。私は死の瀬戸際にまで近づいて、夢みているのか、
忘我の陶酔のなかにいるのかわからなかった。
とにかく途方もないことが、私の身の上に起こりはじめていたのである。  
 
 私は宇宙の高みに登っていると思っていた。
はるか下には、青い光の輝くなかに地球の浮かんでいるのがみえ、そこには紺碧の海と
諸大陸がみえていた。
脚下はるかか なたにはセイロンがあり、はるか前方はインド半島であった。
私の視野のなかに地球 全体は入らなったが、地球の球形はくっきりと浮かび、
その輪郭は素晴らしい青光に 照らしだされて、銀色の光に輝いていた。
地球の大部分は着色されており、ところど ころ燻銀のような濃緑の斑点をつけていた。
(中略)
 
 どれほどの高度に達すると、このように展望できるのか、あとになってわかった。 
それは、驚いたことに、ほぼ1500キロメートルの高さである。
この高度からみた地球の眺めは、私が今までにみた光景のなかで、もっとも
美しいものであった。

 ーこのときユングが見た地球の姿の記述は、立花隆も指摘するようにアポロが
撮った地球の写真の姿と合っている。
それをユングはアポロ宇宙船よりも以前、それどころかガガーリン以前に書いているー

しばらくその美しい地球を眺めたあと、自分の家ほどもある大きな隕石
のような黒い石塊が宇宙空間をただよっているのを発見する。
その石の中央には入口があり、その中はヒンドゥー教の礼拝堂になっていた。
その中に入っていった。  

 私が岩の入り口に通じる階段へ近づいたときに、不思議なことが起こった。
つまり、私はすべてが脱落していくのを感じた。私が目標としたもののすべて、
希望したもの、思考したもののすべて、また地上に存在するすべてのものが、
走馬灯の絵のように私から消え去り、離脱していった。
この過程はきわめて苦痛であった。
しかし、残ったものはいくらかはあった。

それはかつて、私が経験し、行為し、私のまわりで起こったすべてで、それらのすべてが、
まるでいま私とともにあるような実感であった。
それらは私とともにあり、私がそれらそのものだいえるかもしれない。
いいかえれば、私という人間はそうしたあらゆる出来事から成り立っているということを
強く感じた。これこそが私なのだ。

『私は存在したものの、成就したものの束である。』 
 この経験は私にきわめて貧しい思いをさせたが、同時に非常に満たされた感情を
も抱かせた。もうこれ以上に欲求するものはなにもなかった。
私は客観的に存在し、生活したものであった、という形で存在した。
最初は、なにもかも剥ぎとられ、奪われてしまったという消滅感が強かったが、
しかし突然それはどうでもよいと思えた。
 
 すべては過ぎ去り、過去のものとなった。かつて在った事柄とはなんの関わりも
なく、既成事実が残っていた。なにが立ち去り、取り去られても惜しくはなかった。
逆に、私は私であるすべてを所有し、私はそれら以外のなにものでもなかった。

「私が目標としたもののすべて、希望したもの、思考したもののすべて、また地上
に存在するすべてのものが、走馬灯の絵のように私から消え去り、離脱していった」

 これに対し、彼に残されたものは何だったか。孤独な宇宙空間にただよいながら、
かつて自分が地上で経験し、行為したことのすべてが自分とともにあるという
実感だけは残った。

そのとき残されたぎりぎりの「私」とは、自分がこれまで地上で経験し、
行為したもろもろの事実のみであった。
それは要するに、「私」とは私のカルマ(業)にほかならないということなのか。
私に所属する多くが離脱しても、私の行為のすべては、おそらくは死後もカルマと
して存続する。

 ーー
以上であるが、鈴木秀子の臨死体験に似ている部分がある。
現実のとらわれから解放される部分である。

ーあるHPのユングの臨死体験の解説をコピーしておきます。
 非常に解りやすい内容であるー
  −−−
 
 他の多くの臨死体験者と同じように、この体験のあと大きな変貌を遂げたという。
『ユング・地下の大王』の著者、コリン・ウィルソンも言うように、
これはユングの生涯のなかで大きな転換点だった。
この体験後、彼にとって仕事上で実りの豊かな時期がはじまったのだ。

彼の学問への態度にも、大きな質的な変化が起こった。
 それまで彼は、研究者として「自分は科学者だ」ということを世間に示して自分
が傷つかないように護らなければならないと感じていた。
しかし体験後は、自分が科学者であり、それ以外でないという熱狂的な見かけを維持する
必要がないことに気づいたようだ。

自分の心のいちばん深層にある信念を示すことを厭わなくなり、
科学の限界を越えて進んでいると非難されることを気にしなくなった。
「もはや私は、自分自身の意見を貫きとおそうとしなくなり、思考の流れにまかせた。
このようにして問題の方が私の前に現われてきては、形をなしていった」と。
彼はまた、たとえば第一次大戦後に住んでいた家に出没する幽霊を話を率直に
語り始めたりもするのである。
 
 またもう一つ、病気によって私に明らかになったことがあった。
それを公式的に表現すると、事物を在るがままに肯定するといえよう。
つまり、主観によってさからうことなく、在るものを無条件に『その通り(イエス)』
といえることである。
実在するものの諸条件を、私の見たままに、私がそれを理解したように受けいれる。
そして私自身の本質も、私がたまたまそうであるように、受けとめる。
ー病後にはじめて、私は自分の運命を肯定することがいかに大切かわかった。
ー私はまた、人は自分自身のなかに生じた考えを、価値判断の彼岸で、真実存在する
ものとして受けいれねばならないと、はっきり覚った。

 これらによって語られているのは、自分のなかに湧きあがって来るものをそのまま受けとめ、
また事物を自己の主観というフィルターで歪めずに、あるがままに肯定して受けとめるという、
受容性の増大であろう。

これまでに見てきたように臨死体験者たちの多くは、自分の周囲のあらゆる人々や生物、
事物に心を開き、それらをあるがままに受け入れていくという傾向があった。
それは、自分自身のあるがままを素直に受け入れていくことと表裏一体である。
要するにそれは、「自己」という垣根を崩して自分の内と外により開かれていくという傾向である。
ユングも、外については「実在するものの諸条件を、私の見たままに」、
そして内については「私自身の本質も、私がたまたまそうであるように」
受け入れるようになったという。

だとすればユングの変化も、多くの臨死体験者と共通する方向への「成長」だったと
言ってよいだろう。つまりユングの場合も、「自己」という殻が崩れて自分の
内と外へと開かれいったのだ。
ただし、彼の場合、それが「宇宙と一体となるという感覚」につながっていたかどうかは
わからない。

---------------
ユング(1875-1961 Carl Gustav Jung)

スイスの精神医学者,分析心理学の創始者。ボーデン湖畔ケスビルに牧師の子とし
て生まれる。
バーゼル大学医学部卒。E.ブロイラー,P.ジャネ,S.フロイトらに学ぶ。
とりわけフロイトとは1907年の初会見以来親交を重ね一時後継者と目されるが,
1913年に訣別。

〈集合的無意識〉〈元型〉〈自己〉といった独自の概念を駆使して人類の心の深層を
探査し続けたその営為は,特に1970年代以降世界的な注目を集めている。
超常現象,東洋思想,ヘルメス的伝統(ヘルメス思想)などの再評価という側面からも,
大きな現代的関心が寄せられる思想家。
(マイペディア97(C)株式会社日立デジタル平凡社より)

主著
《変容の象徴》(1912年),《タイプ論》(1921年),《心理学と錬金術》
(1944年),《結合の神秘》(1956年)など。

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 2003年07月13日(日)
830, アラスカ旅行記ー5

ーアラスカつれづれに

アラスカで感じたのは、豊かさである。ーそして、その対比としての日本の
豊かさの底の浅さだ。

・高校の前を通ったら、大きな駐車場があった。
 16歳で免許が取れるという。多くの高校生が車で通学をしていると
いう。
 16歳以下でも親と一緒であれば運転できる免許もあるという。
・また地域性もあるが、50人に一人当たり割合で飛行機を持っていると
いう。
 飛行機の車輪部分を季節ごとに変えることができるという。
 冬はスキーを履き、夏は車輪、湖や河では浮き輪を付け替えるという。
 安いので500〜600万で買えるという。
 夏は釣りや泳ぎに、冬はスキーとかに、色いろの場所に下りて
遊ぶという。
 それでも、夏の期間が短く、秋はほとんどなく冬が長いために、
鬱病になってしまう人が多いとか。
・アンカレッジの街を歩いていても、豊かさが直に伝わってくる。
 ワンフロアーの大きい住宅、そしてこじんまりとした芝生と花のある庭。
・しかし乞食があちこちで見ることができた。
 アルコールでやられるらしく、彼等を収容するシェルターがあるという。
 特に地元インディアンに、生活に適応できない人が多いとか。

『地球の歩き方』に面白そうな日本料理店があったので行ってみた。
「やまや」という店で正しく国内の居酒屋そのもの。
 小さなカウンターが5~6席に、テーブルが16席。
 50歳位のマスターと20歳位の男のアルバイトが二人で働いていた。
 「何が美味しいか?」と聞いたら、
 「ユーコン川で獲れたキングサーン の刺身がお勧め」、
 とのことで注文したが、もちろん絶品。
 鰊の塩焼きと子持ち昆布もなかなかであった。
 少しほろ酔いの頃、40歳ぐらいの白人が一人入ってきた。
 マスターが「よー!食い逃げのジョー」と日本語で声をかけると、
 赤い顔をして「食い逃げのジョーじゃなくて、朝逃げにジョーだよ」と
 嬉しそうに答えていた。常連らしいので話しかけると、何と今回の現地日本人ガイドの上司。
 三重県の津に2年いたこともあるとかで、飛行機の整備士からガイドに
 トラバーユしたといっていた。その時60歳がらみの人品のよい日本人が入ってきた。
 そして我々の間に座った。知り合いらしく急にジョンは大人しくなった。
 そして英語で二人話し始めた。
 後で家内がいうには今回のジャンボの機長ではないかという観測。
 私もその時に一瞬そう思ったが、商社関係者ということもありうると
 それ以上考えなかった。でもTPOSから考えても、ジョンの態度からみて
 機長の可能性が強い?
 一度店を出たがジョンの写真記念をと、とって返して思わず「ただ乗りのジョン、
 写真を一枚撮らせて下さい」といった。
 本人曰く「ただ乗りのジョンでなく、朝逃げのジョンです!」

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2002年07月13日
旅行中
・・・・・・・
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2001年07月13日
旅行中
                     


1926, 教養について

2006年07月12日(水)


            おっ w(゚Д゚)w ハァョ〜

先日のTV「田舎に泊まろう」という番組の中のできごと、
お笑い芸人の一人が、ある田舎の家に泊めてもらうことになった。
(この番組については、今度チャンスがあったら書いてみる。
たまたま泊まった家に14歳の少年がいた。
番組が進むうちに、その子が不登校ということが解った。
ところが、少年と打ち解けてくるうちに、
そのお笑い芸人(現役の広島大学生)が、その子に説教を始めた。

  その内容が良い。
    表現は違うかも知れないが、趣旨はこうだ。
   「学校は行かなくてはいけないよ。
    学校に行かないと、それだけで自分の選択の余地を自分で
    小さくしていることになる。
    さっき自分は何になりたいか希望がないといったね。
    これから自分で何かになりたいとか思うようになるだろう。
    その時学校に行ってないと、何かになりたいという幅が小さくなる。
    チャンと学校に行ってな、勉強をして幅はつくっておかなければ!」

その子は、何かハッとするところがあったようだ。
両親は「何をいっても聞かない!」と嘆いていたのが
嘘のように素直に聞いていた。
人生を振り返ってみると、特に中学生時代に何をしていたかで、
ほぼ決まってくる。!
大人になっても同じことがいえる。
教養は一生ついてまわるだけでなく、子供にもそのまま影響してくる。
歳を重ねると、そのことが身に沁みて解ってくる。


    そこで教養について、考えてみる。
    こういう場合、インターネットはよい。
    幾つかのHPを読むうちに教養の大枠が見えてくる。

・「教養」概念は、英語では「文化」を意味するculture、
  ドイツ語では「形成」を意味するBildungに対応している。
・ 豊かな人間性の形成のための素養としての知識・経験。
・「いかに生きるか」という問いが教養の始まりであった。
  古代ギリシア人にとって教育の目的とは、
  一人一人が教養を身につけることであった。
  それは専門知識の集積ではなく、
  市民としてよりよく生きるための知恵の獲得を意味した。
・「世間」とは、建前の無教養に重なる。
  世間には、当然と思われる価値観が厳然としてある。
  しかし、概して知識のない人種のコントローラーとして
  機能している場合が多い。
  それを知るのが教養である。

    なぜ人生の後半になってから、そのことに気づくのだろう。
    何が大切で、何が大切でないかが、経験を通して見えてくるのだろう。
    見えてない人が殆んどだから始末に悪い。
    それが世間とかいうヤツだが。
    だから娑婆は面白いのだが・・・

  面白すぎる、人間というのは!
   もっとも、一番おもろいのは自分だが!!
                へ( ̄_ ̄へ)(ノ ̄_ ̄)ノ ♪
 
 私にとっての教養とは、
 「感動すること、感激すること、感謝すること、
 その響きを可能な限り大きくするための知識・経験を
 蓄積すること」
 「知ること、愛すること、創造すること、そしてそれらを楽しむこと、
 このために必要な知識・経験」
 である。
   「お前を見ていると、どうしても教養があるように思えないが・・」
    という声が、何処かから聞こえてきそうだが・・・まったく、もう。
      自分でも、そう思っているから間違いないことです。
  
            バイヾ( ̄ー ̄ヾ))))(((((ノ ̄ー ̄)ノ
・・・・・・・・
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2005年07月12日(火)
1561, わたしの酒中日記 −13

ー岐阜−1

1975年 9月末日

初めての仕入れで岐阜に来ている。
高校の二年の時に父の仕入れの鞄持ちで来たことがある。
あのときの感覚を頼りに生まれての初めての仕入れである。
まずは、東京の現金問屋街で仕入れ、その後に名古屋廻りで岐阜に入った。

今回は婦人服である。
生地の素材さえ知らない、まして流行など知る由もない。
しかし、全く経験のない「養老の滝」「ベーカリー」を立ち上げたことからみれば、遊びでしかない。
学生時代の合気道の経験が役に立つ。
ただ虚心に対象と立ち向かえば、プロより強いということを信じればよい。
とにかく情報を仕入れること、それしかないのだ。そのためには歩き回るしかない。
それと自分の人間性を前面に出せば相手も反応する。
一回目にしては、上手くいったようだ。

そして父と昔、泊まった宿に入る。
懐かしい、本当に懐かしい。
そこで夕飯を軽く食べた後に、街に出てみる。

知らない街で赤提灯を探すのは、何とも愉しいものだ。
しかし疲れのせいで、直ぐ近くの「なまずや」という鰻屋に入る。
鰻をここでは、むかしは「なまず」といったのが由来とか?
一人カウンターでまずは鰻を肴に酒を飲んでいると、小座敷で飲んでいた二人づれの一人が
話しかけてきた。今日、行ったメーカーの人だ。
一緒に飲まないかということで、彼らの席にいく。
昔、父にお世話になったという。
父のことを、一時間ほど彼らから聞かされる。

その後、彼らと柳ヶ瀬のスナックに行く。
私の学生時代に大ヒットした「柳ヶ瀬ブルース」発祥の地である。
彼ら二人はかなりの遊び人のようだ。
とにかく疲れたので、早々帰ってきた。
緊張した一日であった。
反面、面白いのだ。
買う立場は売り手からみたらお客様なのだ。
何か仕入れとはこういうものかと、少しは解りかけてきた。

明日は大阪に行って、その日のうちに広島だ。
未知な世界は、全てが冒険である。
我ながら、よくやるよ! 
                     ーつづく

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2004年07月12日(月)
1196, 口ぐせ

先日この随想日記で書いた「私は幸せ」ではないが、普段のつかっている言葉が
いかに大切かつくづく実感する。

中村天風も、繰り返し述べているが、
世の中マスコミなどでマイナス言葉を蓄積されていて、
その毒が我々に大きく影響を与えている。

従って意識的に除外し続けてないと、その毒に侵されることになる。
それが自分の運命に影響していることに自ら気がついてない。

ー私が気をつけていることを書いてみると
・何気なく飲み屋や普段話す内容に気をつけること
・普段の思考としての内語に気をつけて、マイナス用語を使わないこと
 とくに布団の中では、マイナス用語に注意している
・マイナスの人の近くには寄らないこと
 ーマイナスの人−常に他人のうわさ話をネタにして生きている人ー
・あまり過去の話はしないこと
 楽しいこと以外、考えないことにしている
・まず一番身近な家内とは、他人のうわさ話や悪口の話題をしない
・一年前に「幸せの宇宙構造」という本に出会ってから、
「ありがとう」という言葉を 繰り返すようになった。
 とくに散歩の時間は「ありがとう」を五百回はいうようにしている。
 
私の過去を振り返ると、実感として
・恵まれていた
・ついていた
・面白かった
 であるが、そういえば昔から繰り返し自分に言い聞かせていたところがあった。
経験から、噂や陰口の多い人の末路を見てきたこともあるが。
やはり中村天風の影響が大きかった。

私の口癖に
「おいしい!」というのがある。
実際美味しいのだから言うだけだが、口に出すと美味しさが倍増する。
少し不味くとも、美味しいと何回か言えば不思議と美味しく感じるのだ。
逆に、不味いと口に出すと数倍不味くなるから言葉は本当に不思議である。

最近意識して使っている言葉は

・うれし、たのし、しあわせ
・ありがとう、だいじょうぶ、ついている
・おいしい、よかった、すばらしい
・おもしろい、めぐまれている、悔いはない

すべて、心の底から思うようにしている。
しかし、知らないうちに、マイナスの言葉を多用している自分がいるが。
 
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2003年07月12日(土)
829,アラスカ旅行記ー4

ー26氷河クルーズ

アンカレッジからバスで一時間半のところにある港街ウィッティシア。
ここよりクルーズ船に乗り、プリンス・ウイリアム湾に流れ込む大小26もの氷河が
密集するフィヨルドを巡るクルーズがよかった。

氷河といえば昨年の12月にいったパタゴニアのモレノ氷河などと比べたくなる。
この対比でアラスカ氷河をみると、この26氷河に限っていうと、
・一つ一つをとってみれば、氷河そのものはモレノ氷河の方が奇麗で大い。 
 また流氷の大きさや数、氷柱が倒れる迫力などもモレノ氷河の方が格段良かった。
・モレノ氷河は氷河自らの水で湖をつくっている。
 その為、湖には冷たすぎるためか生物は一切いない。
 これに対し26氷河は直接海に氷河が流れ出ている。
 温度も海水と調和をして、多くの海の生物が棲息している。
・空と海を背景とした氷河の美しさがアラスカにはあった。
 それと5時間のクルーズの間、どこかしこに愛らしいラッコが海に浮いていた。
 またアザラシや鯨やオウムに似た鳥のパラフィンも見ることができた。

 アラスカ・クルーズは、地中海クルーズやカリブ海クルーズと並ぶ世界三大クルーズの一つ。
特にカナダのバンクーバーからのクルーズは有名だ。
丁度我々の目の前をその大きな客船が横切っていった。
客船サービスで、氷を引き上げてお客に配っていたが、さっそくウイスキーのオンザロックで
飲んでみたが、何ともいえない数億年の味がしたようだった。
当たり前のことだが、アラスカにはアラスカの氷河があり、パタゴニアには
パタゴニアの氷河がある。
対比するのはよいが、どちらが良いとはいえない。

 旅行をしているうちに、いつの間にか世界各地で多くの氷河を見ることができた。
スイス、パキスタン、ニュージーランド、パタゴニア、そしてアラスカなどなどだ。
氷河だけ追いかけても、その自然の美しさと壮大な営みの一部を見ることができる。
氷壁が崩れ、数億年の旅を終える姿を目の当たりみると、人間の小ささを改めて思い知る。

 ホテルから港まで往復3時間、車の運転をしてくれた佐久間さんという人の話も
なかなか面白い。20年前サラリーマンが嫌になりアメリカ本土に渡り各地を転々、
その後ハワイに3年いて、2年前にアラスカに流れてきたという。
50歳ぐらいだが、なかなか話の内容が深く面白い。
そのままサラリーマンの一生も人生、自由気ままな生き方もまた人生である。
但し人生の真髄をどちらが深く考えているかというと前者であろう?!

アラスカの広大な自然の中で、いろいろ考えさせられる事が多かった。

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2002年07月12日
旅行中
・・・・・・・
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2001年07月12日
旅行中


1925, シャイン

2006年07月11日(火)


              \(^▽^*)おはようございます!
                    (*^▽^)/
         映画観想日記

何げなくDVDレンタルショップで借りてきて観た、
『シャイン』という映画が素晴らしい。

今も活躍している天才ピアニスト、
デビッド・ヘルフゴットの半生を描いた映画である。

    そんなことも全く知らないで、観ているうちに
   『シャイン』の世界に引き込まれてしまった。
    この映画の成年期の主役の演技が素晴らしいと思ったら、
    何と彼は、この映画でアカデミー主演男優賞をとっていたのだ。
    ジェフリー・ラッシュはこの映画の後、
    「レ・ミゼラブル」「恋に落ちたシェークスピア」「エリザベス」
    「テイラー・オブ・パナマ」などに出演していた。  

「それでも人生は続いていく」という主人公の最後のセリフが、
  今でも耳の奥に残っている。

    この映画の中で演奏された
   「ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番」が素晴らしい。
    何度か聴いたことがあるが、これを演奏できるのは限られた天才のみ!
    である。
    
    クラシックの良さが少しだが解るようになってきたのは、
    一年以上の間、クラシックを寝る間際に一時間、
    聴き続けた結果だろうか。


映画の主人公の父親の、息子に対してスパルタ教育と異常な歪んだ愛。
そして二人の葛藤の何とも激しく、矛盾に満ちていた。
「愛情は自分のエゴでしかない」
ことが自覚できない父親の愛が哀しい。

    多くの印象的なシーン
   ・小さなレストランでのピアノ演奏の場面
   ・ジャケットになっている、青空の下トランポリンで跳ねる場面
   ・冒頭の街の小さな教会でポロネーズを弾く場面、
   ・疲れきって噴水の前で寝ている場面
    ・・・等々。

近くのレンタルDVDショップには、
まだまだ気づかない名作が多くあるのだろう。
それはどれか、見ない限り解らないから・・・

 
 ーーー

ー「シャイン」の背景を、
    検索で調べたみたー

「シャイン」は、1996年のサンダンス映画祭で上映され、
 もっとも注目された作品です。
「シャイン」は非常に大きな反響を呼び、
一般公開前からすでに伝説の作品となりました。
すでにいくつかの国際映画祭で賞を受けたほか、
主役のデヴィッド・ヘルフゴット扮するジェフリー・ラッシュが
1997年のアカデミー賞で主演男優賞を受賞しました。

 ヘルフゴットは、聴衆を引きつける才能に富んだ魅力的な
ピアニストというだけの存在ではありませんでした。
彼は、訓練を積んだ優秀なクラシック音楽のピアニストでした。
しかし、天賦の才能をもつそのピアニストが世界の舞台から姿を消します。
ストーリーは、それから10年後にパースのあるレストランで再び
ピアニストとして復活するまでの夢と苦悩の日々を描いています。

 ヒックス監督は年月をかけヘルフゴットおよびギリアン夫人と
緊密な関係を築いた後、1990年、有名な脚本家ジャン・サルディに脚本を依頼した。
その後6年間にわたり、ヒックス監督とジャン・サルディは、
プロデューサーのジェーン・スコットと協力してシナリオの細部を詰め、
現在多くの映画ファンを魅了している「シャイン」を完成させました。


スコット・ヒックス監督は1986年に、デヴィッド・ヘルフゴットという
1人のエキセントリックなピアニストに関する「小さな新聞記事」に目を留めました。
その晩、ヒックス監督は、ヘルフゴットの演奏を聞くために
小さなコンサート・ホールを訪れました。そこで見た光景は、
その後10年間にわたってヒックス監督の心から離れることはありませんでした。

 ーー
 
 映画で、これは!というのに当たるのは一年に1~2本でしかない。
 観続けないと、これだけは解らない!
 今回のように、観終わって調べてみて、
 10年まえに大きな話題の映画だったと知るのも良いものである。
              
                  ーーー\(∂∇∂)/ーーーバイバイ!

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2005年07月11日(月)
1560, トヨタ流 仕事の哲学

        ー読書日記
            若松 義人 (著)

著者は、この書で一番いいたかったことは
「当たり前のことをトヨタほど徹底的にやり続けるは、何と難しいか」
である。
「日々改善、日々実践」を50年以上も積み重ねこそ現在のトヨタがあるという。
トヨタ流の基本は「人間はすごい」であり、「人間の智慧に限界はない」である。

トヨタの強さの源泉は、創業以来脈々と受け継がれてきた暗黙知にある。
この書はトヨタ式の物の見方、考え方、行動の仕方が解りやすく書いてある。。

トヨタといえば、「かんばん」や「ジャスト・イン・タイム」
など経営手法ばかりが注目されてきた。
この本はトヨタの精神性ー「哲学」が明らかにされていること。
換言すれば、「トヨタそのもの」がテーマになっている。
外から見ている限り、トヨタの哲学は見えてこない。

この書はトヨタのブラック・ボックスの部分を、
トヨタ生産方式の生みの親である大野耐一氏の直弟子で、
「トヨタ式の伝道師」とも言える著者が、自らのノートを紐解きながら語っている。

本書を読むことで、トヨタの強さの源泉が、
その「行動規範」「価値観」「組織文化」にあることを知り、
また読者はそれを自らのものとして吸収できるだろう。
この本の中には、たんなる一企業の理念を超えて、多くの企業、
そしてビジネスマンにとって有効な「普遍性」を有しているからだ。

以下、それぞれの章ごとに印象に残った部分を
メモ代わりに抜粋してみた。

●1章 トヨタ流 改善哲学
  ー成功地図を明快に描こう 

・変化は「現状」を敗者にする
・大切なことは「一気にやること」より「一番にやること」
・負けたということは伸びる余地があるということ
・「変えないために変える」哲学
 日々改善することこそが強さを維持する秘訣だ。

●2章 トヨタ流 問題解決の哲学
  ―「システム」が能力を引き出す 

・「わかっている」をまず疑おう
・精神論は問題を見えにくくする
 五木寛之が
「簡単な答えに真実はない。一言で断言できるような現実など、あるわけがない。」
 と言っていたが、その簡単な答えの奥にこそ本当の真実がある。
・自分の60点は他人の100点に勝る。

●3章 トヨタ流 行動哲学
  ―「今までは」に軸足を置くな 

・不可能はあきらめの別称である 
・敗者のように発想せよ
  最善の行動は最悪に備えること
トヨタの生産方式の基本は「限量経営」にある。
売れるものだけをつくって、売れないものはつくらない。
限られて量を、良くて、早くて、安くつくる方法を徹底的に
追求した。高度成長でも、低成長でも稼げる仕組みだ。
これを長年かけてつくってきた。

●4章 トヨタ流 失敗の哲学
  ―小さなミスを目ざとく活かそう 

・成功は「あと少し」の積み重ね
・能力とは自分を信じる力のこと
・善後策より予防策をつくれ
・人は失敗より成功に縛られやすい

●5章 トヨタ流 現場の哲学
  ―自分について「人」に尋ねよ

・まずつかむべきは「何をしたいか」
・頭の中にこもるな
・大切なのは「今売れている」より「これから売れるか」かどうか
・現場は最良のビジネス導師である。 
・改善は根気である。
 ・・創意工夫は、ひらめきではなくて科学であり、根気さえあれば
 誰にでもできるが、トヨタの基本だ。そのためには問題に対して、
「なぜ」を繰り返すことや、問題に対する絶えざる関心を持ち続けなくてはならない。

●6章 トヨタ流 人間関係

・「大過なく」は大きな過ち
・「いいね」で始めて「面白い」で続けるために
 何故を5回繰り返せば、ものごとの本質に迫ることができる。
 天敵は「でも」である。
 この「でも」を「なるほど」に変えることが必要だ。

ーー
以上であるが、システム的なものは前書きにあったように、ほぼ書いてなかった。
何度も何度読む必要性のある本である。

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2004年07月11日(日)
1195, 授かった不思議な力

ー鈴木秀子の本を何冊か読んだことがある。
先日図書館で借りてきた対談集を読んで、その中の臨死体験の話に興味を引かれた。
何かこの世には私の窺い知れない何かがあるような気がする。
何回か書いたことがあるが、私の場合何回か幽体離脱?の経験がある。
歳を重ねれば重ねるほど、「不思議」という言葉の奥行きの深さを感じるように
なってきている。

私自身「自分の接した人の運勢が良くなる」話しは、かって聞いたことがない。
神憑りである、いや今風にいうと「上げまん」だろうが、これは結婚した場合である。
有能な右上がりの人は、周囲に似た現象が生じるだろうが、全ての人の運勢を
良くはしない。やはり、何かの特殊能力が臨死体験以降身についたのだ。
人間には、本来持っているが退化して隠れてしまった能力が多くなるような気がして
ならない。あるキッカケでそれが飛び出してくるのだ。

以下は、ある対談集を書き写しました。
まずは、ごらんあれ!
ーー

臨死体験後、不思議なことがありました。
結婚式に招かれて待機をしていたら、背広を着た人が男性がいらして、
「あなたのような人にようやくお会いできました」っておっしゃるんです。
自分は高野山の系統の住職で、生まれたときからひとを見ぬく特別の能力がある。
そして、あなたの授かったような能力を自分も欲しかったけれどもらえなかった。
どういう能力ですかと聞くと、大きな大宇宙の力が私を通って出会う人に伝わって、
どんどんその人の運勢が良くなる能力だというんです。

私も最初はその能力をまじめには信じませんでしたが、それだけ色いろなことが
重なると信じざるを得なくなりました。今では人に会うのが楽しみになりました。
そのたびに、その方の運勢がこれから良くなると思うと、人に会うのがうれしい。
だから生きていくことが、とても楽しくなったのです。ー

ー人間は地球上にみんなバラバラに住んでいるような気でいて、実は根っこでは
繋がっているということです。自分の手にたとえると良くわかりますが、
人は指の部分、見える部分だけを見てこの人の学歴がいい、お金があるって
お互い比較するんです。でも手のひらの部分、根っこの見えない部分では
平等で,全部繋がっているんです。
何が平等かというと,命をもらって生かされている存在であるということ。
誰もいつか死ぬということ。大宇宙の大きな慈しみに満たされて生かされている
大切な存在という三つにおいて平等だと思うんです。

だから臨死体験をしてつくづく、あの至福の世界が本物で、この世は
経ていく世界だっていう感覚があるんです。
やはり人間の本分、ビーイングと、現実社会での自分の役割、ドゥーイングの
つながりに意識を向けていかないと虚しくなっていくのではないかと。
人生のテーマを考える時、ビーイングの世界にまなざしを据えてこそ、
充実したものになるのではないでしょうか。
 
ーその臨死体験の講演をまとめてみるー

奈良での学会に出席するため、友人のいる修道院に泊めてもらっていた。
その修道院は、宮家の立派な屋敷を改造した建物で、二階の客間から下に降りる
階段は高く急であった。

その夜、寝つかれなかった彼女は、何となく夜中に起き出し、暗がりの廊下を
壁づたいにそっと歩いた。曲がり角らしきところで一歩足を踏み出したが、
実はそこは廊下ではなく、その急な階段だったのである。
 踏み出した瞬間、足は空をつかみ、体はバランスを失った。

恐怖を感じる暇もなく、一気に下まで落ち、床に叩きつけられて、そのまま気を
失ってしまう。 ふと気づくと、私のからだは宙に浮かんでいます。
そして、空中にまっすぐ浮いている私を、高いところから、もう一人の私が
見つめているのです。

空中に浮かんだ私 の足の周りを、なぜかたくさんの筍の皮のようなものが
覆っていました。 それが蓮の花びらだとわかったのは、ずっとあとのことです。
台湾のさる有名なお寺を訪れたとき、仏像の足の周りを筍の皮のようなものが
包んでいるのを見て、あ、これだったんだと思いました。

それは蓮の花びらでできた台座でした。
その筍の皮のような花びらが足もとから一枚一枚散っていくのです。
高いところからそれを見ているもう一人の私は、花びらが散るごとに、自分が
一つひとつの苦しみから解放されて、自由になっていくのがわかりました。
 
一枚落ちると、
「ああ、これでもう人の言うことに煩わされなくてすむ、私は自由になった」  
 と思い、さらにもう一枚落ちると、
「もう人に気を遣い、不安に脅かされなくてもすむ、私は自由になった」   
とつぶやいているのです。   限りない解放感と喜びが胸に溢れてきました。  

花びらが最後の一枚になり、これが落ちたら完全な自由になれると思ったとき、
最 後の一枚の花びらは落ちることなく、からだがすっと飛翔しました。
そのとき、見ている自分と見られている自分が一つになりました。   

一瞬のうちに高さの極みに飛翔し、私は今まで見たことのないような美しい光に
包み込まれました。白っぽい金色の輝きに満ちた、いちめん光の世界にいたのです。
まばゆい輝きでしたが、まぶしすぎるとは感じませんでした。  
 
それは人格を持つ命そのものの光であり、深い部分で、自分とつながり、
交流している生きた光なのでした。
これが至福なのだ、完全に自由なのだ、と私は感じていました。
不思議なくらい、五感も思考もすべてが生き生きと冴えわたっています。
オリンピック選手がベストコンディションで世界記録を破る瞬間とは、
こんな状態のときなのでしようか。

からだの全機能が最高の状態に保たれ、調和し、研ぎ澄まされているのです。
その冴えわたった意識の中で、私ははっきりと理解したのでした。
 「この命そのものの光の主に、私はすべてを知りつくされ、理解され、
受けいれられ、許され、完全に愛しぬかれている」 これが愛の極致なのだと。

もし愛の究極の状態というものがあるのなら、こういう感情に貫かれることでは
ないかしらとも思いました。
真に満たされた状態とは、こういうことを言うのでしよう。 
しかもその満たされた光の世界には、時がないのです。

あっ、これが永遠なんだと私 は思いました。
心は愛に満たされ、知性は冴え、能力のすべてが最高の状態で調和しています。
 そんな至福感に包まれていたとき、どこからか声が聞こえてきました。
「癒してください、癒してください」  
 その声には、少しつたない感じの独特のアクセントがありました。  
その声が聞こえてきたとき、光であり命そのものの主が「現世に帰りなさい」
と言いました。
それは言葉ではなかったのですが、そう伝えられたのがわかりました。そしてさらに、
「現世に戻ったとき、いちばん大切なのは、知ることと愛すること、その二つだけが大切なのだ」
というメッセージを私は受け取ったのです。  
 
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2003年07月11日(金)
828, アラスカ旅行記−3

デナリ国立公園ーb
 ーマッキンリー遊覧飛行ー
一度ホテルに帰ってきて、3時間ほど休んだ後にオプションのマッキンリーへの
遊覧飛行に参加をしてきた。
230砲半し高いオプションで他のメンバーは誰も行かないが、ここまできて
行かないてはない。「食事抜きのコース」を選択、朝夕食は部屋で近くのスーパーで
買ってきた果物や持っていった
食料で食いつなぎ昼はスナックで済ました為に、その分の振り替えと思い、
迷わずに参加した。そして大正解であった。

 ホテルまで迎えに来た車で小さな飛行場まで行って、他の白人3人と供に
オモチャのようなセスナに乗った。
20分ほどマッキンリー山脈の峰の間をフライトしてマッキンリー山まで行き、
北米大陸最高峰の6194辰△觧劃困髻下から螺旋状に30分もかけ5~6回も
旋回をしたのだ。
その雄姿だけでなく、山頂付近の広大な氷河の世界や、どこまでも広がるアラスカの大地が,
この世のものとは思えない景観で、今回の旅行のハイライトであった。
「植村直己もこの風景を見た後亡くなったのだ!」という思いがフト頭をよぎった。
ギアナ高地のテーブルマウンテンの遊覧飛行に匹敵する感動感動の連続。
マッキンリーの山頂に200叩近くまで接近をして、数十の山々を従えて神々しく
聳え立つ姿を至近でみている時間は「至福の時間」であった。
思わず『ありがとう』という言葉を口ずさんでいた。
この遊覧で、この旅行の価値が数倍になったといっても過言ではない。

いつも旅行で経験するのが「あと一歩を踏み出すかどうか」である。
本当に人生と同じである。
ヨルダンのぺトラに行った時のこと、翌朝疲れきっている中、更にぺトラの奥にある遺跡まで
行ってきた。
家内はダウン、早朝に同じグループの元気の良いオバサンと二人、3時間かけて
エド・ディル(修道院)まで行ってきたが、その遺跡とそこからみた景観がまた素晴らしいのだ。
またぺトラの朝日に染まった朱色の輝きが言語に絶するものであった。
あと一歩踏み出したお陰であった。

 何事も経験、帰ってきて同じ星野道夫の写真集を見ても、全く違って見えてくる、
もちろん文章もである。
特にガイドの伊藤さんが星野道夫の親しい友人で、多くの逸話を多く話してくれたことと
アラスカの大地のこの目で見た為だ。
 また行蔵のお宝が一つ増えた!ような気分である。

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2002年07月11日
スイス旅行中
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2001年07月11日
北欧旅行中

 


1924, ワールドカップー2

2006年07月10日(月)



おはよ〜!(*^ワ^*)i
(~O~)ふぁ・・
               2006年7月10日6時記

今ワールドカップが終わった。    
有利といわれていたイタリアの優勝で終わった。
試合はフランス優位であったが、1対1で終了。
PK戦の結果,イタリアが優勝した。
PKを外したフランスの選手は一生ハンデを持つだろう。

    フランスのジダンが後半の終了間際に、イタリアの選手の
    挑発に乗って頭突きをして退場になったのも印象的であった。
    
開催前はブラジルが優勝候補で、
    イタリア、フランス、スペイン、イングランド、アルゼンチンが、
    次の候補に挙げられていた。

私の予測は、
「ドイツが開催国の勢いに乗ってもしかしたら?しかし、やはりブラジル」
と、思っていた。
イタリアが優勝の予測は、あまり見あたらなかった。
これだけは、終わってみなければ解らないことだ。


    サッカーは玉一つの行方に、世界中が注目するのがよい。
    日本と世界の差はまだ歴然としている。
    体格と歴史の差はいた仕方がない。

私の楽しみ方は、家内の反対側を応援することだ。
その方が面白いからだ。
決勝戦は、家内がフランス。
私がイタリアであった。
国同士の戦うなら、
互いに反対の立場で応援した方が盛り上がる。


   昨日は、21時に寝て、3時半に起きてみた。
   4年に一度のことだから・・・・

            n(0 ̄) ネム~(ρ_-) (/_-)
               バイ!ヾ(  ̄ヘ ̄)θ
                     キック!(★)゚
ーーー
2006年07月04日
ワールドカップ−1

        (p≧w≦q)オッ☆
             o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ヨ〜

前回のサッカーのワールドカップの感想が
 2002年07月01日(月)
「454,面白かった!! 」というテーマであった。

この内容からみると、当地の新潟でも試合があった。
そのわりには、あまり興に乗っていない。
    しかし今年は、4年前の何倍も興味を持って観ている。
    私も変わったものだ。この4年で多くの劇的な試合を多く観たためである。
                      ヽ`д´)┌┛┌┛★( )
                   〜〜〜〜〜(ノ★´з`)┌┛☆(:*・*゚)
日本は早々に敗退し、           
優勝候補筆頭のブラジルも、準準決勝で敗れてしまった。
ブラジルの二つのジンクス、
・ペレがいた、958年の大会で優勝して以外は、
 欧州大会開催でのW杯の南米の優勝はない。
・ブラジルは優勝候補に挙げられた時の優勝はない。
を破ることはできなかった。
                            (*・-・)θ
                         (*・-・)θ
                        (*・-・)θ☆ 【蹴り隊】      
    ロナウニージョ、ロナウド、カカ、アドリアーノという
    超花形選手を擁しても勝てなかったのだから、致し方ないだろう。


明日と明後日の早朝、準決勝が行われるが、全てが欧州勢である。
ブラジルが残っていないのと、ポルトガルとイングランドが入れ変わった以外は
順当の国が残っている。

    何でもそうだが、超一流の試合は感動する。
    私の予測では、
    準決勝ではドイツとフランスが勝ち残り、
    決勝では開催国ということもあり、ドイツが優勝だろう?
    しかし、これだけは時の運があるから何ともいえない!
                          
                
4年後に、どういう気持ちで、この文章をみているだろうか?
   楽しみである。

                   o(^ー^ θ""
                     けりっっっ♪
 ^^                     
2002年07月01日(月)
454,面白かった!!

ワールドサッカーが終わった。
やはり世界のトップが集まる試合は面白い。
サポーターと一体になった選手が段段燃えていくのがよい。

その時の勝負のアヤが左右するのが特に面白い。
優勝候補のフランスとアルゼンチンが早々に敗れるという
のも、勝負のアヤであった。
              タタタタッッ≡≡≡≡≡
                    

ワールドカップというのがこういうものだという事が、
理解できたように思った。
実際のところサッカーの面白みがいま一つピンとこなかったのが、
これを契機に好きになれそうだ。

決勝戦が終わったときの,勝者と敗者の差の大きさもそのまま画面に出ていた。
やはり一国でやるべきというのも確かであった。
最終戦で会場の勝者に対する会場のシラケぶりには世界に対して、
この国のセンスの低さを曝け出してしまった。
                       
韓国の熱狂と比べ、途中で負けてしまった事を差し引いても
盛り上がりが少なかった事は否めない。

ブラジルが勝ちあがっていくプロセスでやはり強かったようだ。
南米の予選ではやっと勝ちあがってきたという。
彼らも実際優勝できると思ってなかったことも含め、
喜びは最大級だろう。

TVの前でこれだけ熱狂するとは思っていなった。

           ☆^(*≧ω≦)ノ~~~βyё 
                     βyё♪
・・・・・・・
・・・・・・・
  
 2005年07月10日(日)
1559, つれづれに

ー新潟駅連続立体交差

やっと新潟駅連続立体交差事業が動き始めた。
十年は工事関係の宿泊見込めるので、稼働率のアップが見込める。
三年前までの4年間は、朱鷺メッセと東横インの再開発の工事関係者の団体宿泊で潤った。

これが至近距離の駅の工事だと、かなり見込める。
来年の今頃は一日一日が、その具体的な動きで沸き立つだろう。
「25年間このために事業をしてきたといってよいと思える」
とまではいかないとしても、それに近い状態が期待できる。
たんなる書いた餅ではない。
長期宿泊用の低プライスの価格帯は当社しか出せないからだ。
やっと、4棟を建てた辻褄があってくる。

ー梅雨、真っ只中

梅雨と雪が日本の豊かさの源泉と思えば、それもよい。
散歩をしていて雀とカラスの巣立ちの時期だ。
カラスのツガイが巣立ちしたばかりの子ガラスを連れているのが何とも微笑ましい。
また巣立ちしたばかりの雀の雛が、まだ人間の恐れをしらないのが可愛い。

ー同期会の打ち合わせー

昨夜は中学校の同期会の打ち合わせ会が開かれた。
10人集まった。
60歳のなろうとしているのだ。
一応、この歳が一つの人生の目安になる。
逆成人式というのが良い表現になるだろ。
41歳が同級会で一番良い時という。
そして60歳は次の大きな目安である。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2004年07月10日(土)
1194, ニーチェ(2)

ー哲学についてー15

ニーチェの最も受け入れられている考えかたとして、
「人は自分自身にとってどんなに受け入れられない不快な現実であっても、
ひるまずに立ち向かい、それを直視すること、そしてその知識に基づいて、
人生そのものを目的として、それ以外の見返りを求めずに生きるべきだ」
が支柱にあった。
当時、信仰心が薄れていた人たちにとって、まさに生きるべき指標となった。
これは儒教とほとんど同じ考えといってよい。

人生を徹底して生ききろうとしたとき、人はその分だけ争いに巻き込まれる。
それだけ振動が大きくなるのだから当然のことだ。
しかし、ニーチェによれば、「争いの緊張感が、指導者としての力を最大限に引き出し
その能力をさらに高めてくれる」と説いた。

反面、彼の思想はファシズムにも大きな影響を与えた。
ファシズムの創始者のムッソリーニが彼の本を幅広く読んで、ヒトラーと1938年に
歴史的会談をおこなった時に、ニーチェの作品を贈呈している。
そのため彼の思想は大きく誤解されることになってしまった。
彼はむしろ、ドイツの民族主義を嘲笑し、反ユダヤ主義を軽蔑していた。

19世紀末から20世紀にかけて、ニーチェは芸術家にも大きな影響を与えた。
その一人バーナードショーはニーチェの思想を
シェークスピアがリチャード三世に語らせている次の言葉に要約されていると指摘した。

良心など臆病者の使う言葉しかすぎない
そもそのも勇者を脅かすための計略なのだ
我々の力だけが良心、剣をもって法律とするのだ

ニーチェは特に文学的才能を持ち合わせていたのが特徴といってよい。
多くの人によって散文作家とみなされている
彼の文章は哲学者に見られがちな、主張と反論がつづく長い文章ではない。
格言や聖書のように短く区切られていた。

新しい視点でものごとを見てもらうために、心に残るイメージを利用した。
彼の主張は、暗示的であり、喩えから類推しなくてはならない。
[稲妻の閃光のあとで轟きわたる雷鳴]のように工夫してあった。
当時の人に直接大きな影響を半世紀にわたって与え続けた哲学者として、
やはり特記すべき人である。


ー以下の抜粋の言葉の中にニーチェの思想がことごとく入っている。
彼の言葉は、難しく体系化されてないところが、逆に解りやすくなっている。

・私は君たちに、君たちの官能を殺せと勧めるのではない。
 私が勧めるのは官能の無邪気さだ。

・独創的――何かの新しいものをはじめて観察することではなく、
 古いもの、古くから知られていたもの、あるいは誰の目にもふれていたが見逃されて
 いたものを新しいもののように観察することが真に独創的な頭脳の証拠である。
                     ―「人間的な、あまりに人間的な」―
・善とは何か――人間において権力の感情と権力を欲する意志を高揚するすべてのもの。
 悪とは何か――弱さから生ずるすべてのもの。
                     ―「反キリスト」―
・生きるとは何のことか――生きるとは、死にかけているようなものを
 絶えず自分から突き放していくことである。
                     ―「華やかな知識」―

・真実の山では、登って無駄に終わることは決してない。

・誰であれ、若いうちは、思う存分遊ぶべきである。
 長いあいだ活字の森にばかりいると、そこから抜け出られなくなるものだ

・人間のみがこの世で苦しんでいるので、笑いを発明せざるを得なかった。
 
・人間は深淵に架けられた一本の綱である。
 渡るも危険、途上にあるも危険、後ろを振り返るも危険、身震いして立ち止まるのも危険。
                     ―「ツァラトゥストラ」―
 
・狂気は個人にあっては稀なことである。しかし集団・民族・時代にあっては通例である。
                     ―「善悪の彼岸」―

・自殺を想うことは強い慰謝剤である。これによって数々の悪夜が楽に過ごせる。
                     ―「善悪の彼岸」―

・怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくては
 ならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。
 
・私は隣人に対する愛を諸君には勧めない。
 私が諸君にすすめるのは遠き者に対する愛である。
                     ―「ツァラトゥストラ」―

・苦しみを共にするのではなく、喜びを共にすることが友人をつくる。
                     ―「人間的な、あまりに人間的な」―

・我々のうちでもっとも勇気のあるものでさえ、
 自分が本当に知っていることに対する勇気を持つのは、まれなことだ。
                     ―「偶像の薄明」―

・人間は行動を約束することはできても、感情は約束できない。
 自己欺瞞なしで永遠の愛を誓うものは、愛情の見せかけを永遠に約束するものだ。
                     ―「人間的な、あまりに人間的な」―

・武装平和とは、自国と隣国を信頼せず、
 半ば憎悪、半ば恐怖から武器を放棄しかねる意向上の平和である。
                     ―「人間的な、あまりに人間的な」―

・どちらも相手を通して自分個人の目標を何か達成しようとするような夫婦関係はうまくいく。
 例えば妻が夫によって有名になろうとし、夫が妻を通して愛されようとするよう場合である。

・地球は皮膚を持っている。そしてその皮膚はさまざまな病気も持っている。
その病気の一つが人間である。
                     ―「ツァラトゥストラ」―
                     
・男が本当に好きなものは二つ――危険と遊びである。
 そしてまた、男は女を愛するが、それはもっとも危険な遊びであるからである。

・人間とは神の失敗作に過ぎないのか、それとも神こそ人間の失敗作にすぎぬのか。

・たくさんのことを生半可に知っているよりは何にも知らないほうがよい。

・脱皮できない蛇は滅びる。その意見をとりかえていくことを妨げられた精神も同様だ。
                     ―「曙光」―

・高く登ろうと思うなら、自分の足を使うことだ!
 高いところへは、他人によって運ばれてはならない。人の背中や頭に乗ってはならない!
                     ―「ツァラトゥストラ」―

・到達された自由のしるしは何か?――自己自身に対して恥じないこと。

・話題に窮したとき、自分の友人の秘密を暴露しないものはまれである。
                     ―「人間的な、あまりに人間的な」―

・多く考える人は党員には向かない。というのは党派などを突き抜けて考えてしまう
 からである。
                     ―「人間的な、あまりに人間的な」―

・事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。
                     ―「権力への意志」―

・善悪において一個の創造者になろうとするものは、まず破壊者でなければならない。
 そして、一切の価値を粉砕せねばならない。
                     ―「この人を見よ」―

・悪意というものは他人の苦痛自体を目的とするのではなく、
 われわれ自身の享楽を目的とする。

・君は言う「善行のためには戦いを犠牲にせよ」と。
 私は言う「善戦のためには万物を犠牲にする」と。
                      ―「ツァラトゥストラ」―

・世論と共に考えるような人は、自分で目隠しをし、自分で耳に栓をしているのである。
                      ―「反時代的考察」―

・宗教は間接的にも直接的にも教義としても比喩としても、いまだかつて一つの真理も含んだとはない。
といのは、どんな宗教も不安と欲求から生まれたものであるから。
                       ―「人間的な、あまりに人間的な」―

・人間は、もはや誇りをもって生きることができないときには、誇らしげに死ぬべきである。
                       ―「偶像の黎明」―

                       ―「人間的な、あまりに人間的な」―
                       
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・

2003年07月10日(木)
827, アラスカ旅行記ー2

ーデナリ国立公園ーa
 今回のハイライトは、なんといってもデナリ国立公園のワイルドライフツアーであった。
デナリ国立公園は四国を少し大きくした位の大きさで、アンカレッジから3百数十繊
車で6時間の距離にある。
このデナリに二泊をした。
ワイルド・ライフツアーは朝5時過に出発して午後の1時過ぎに帰ってくる、
野生動植物や自然を堪能する内容だった。
グリズリーベアーやヘラジカ、ムースカリブー、大型鷲、山岳羊、雷鳥などが多く見られた。
アラスカの大地を背景にした動物が自然に溶け込んでいたのが印象的であった。
なんといってもビューポイントからみた、マッキンリーの美しさに息を呑んだ。
スイスのマッターホルンと、パタゴニアのパイネ山の夕景に匹敵する神々しさであった。
ツアー客の全景をみれる確率は20佑函▲僖鵐侫譽奪箸暴颪い討△辰燭、
その20佑砲△燭辰燭里幸運であった。

 更に幸運が続いた。
偶然、有名な日本人ガイドの伊藤さんがガイドについたのだ。
彼の年齢は63歳、顔中髭だらけの現地のエスキモーそのものといってよかった。
ーこのバスは40人乗りで、幾つかの日本人のグループが乗り合わせていたが、
その一つのガイドが彼であった。その彼がバスのガイドをかってでたのだ。
彼のことはミッキーハウスの坂本さんの本でしてっいた。
またその本に「三億円事件の犯人」疑われた人と書いてあったが、本人も嬉しそうに、
その逸話を話していた。
3億円事件当時、ハーレーダビットソンを乗り回していたのが疑われた理由という。
日本からアラスカに渡って30年経って、アラスカのエスキモーとの外見の差は全くない。
「アラスカン・ハイ」という言葉を聞いたことがある。
人里離れた人がたまに街に出てくるとスナックなどで話しまくる姿が見られるという。
発語(専門用語でさかりのついた動物の発情と同じで、溜まった言葉を吐き出す)
が伊藤さんの特徴のようで、マイクを持って話しまくっている姿が何とも自然でよい。
ーイスラエルの老添乗員もそうであった。めったに来ない日本人に自分の
生き様を全て話すのだ。自己承認を求めているのだろう。
色いろな人生があるものだとつくづく思う。

 彼は星野道夫の友人で、彼とのエピソードを色いろ話してくれた。
NHKで彼のドキメントタリーを数年間にわたってシリーズでやっていた。
また地球シンフォニーという映画にも出ていた。
『旅をする木』『森と氷河と鯨』など何冊かを読んでいた。
数年前にグレズリーベアに食べられてしまった。
そのためか伊藤さんの一言一言が胸に突き刺さるようであった。

 マッキンリーで亡くなった冒険家の植村直己とも親交があったという。
彼が死んだのは日本では、クレパスに落ちて死んだと信じられているが、
アラスカでは風速100辰瞭揺で飛ばされたといわれている。
アラスカに遊びに来る変わった人のエピソードも中々だ。
沖縄の裏世界の実業家の話も面白い内容だーその人が舌癌になったが、
足の肉を切り取って舌の再生手術で、また味が感じ取れるようになった
人間の身体の不思議な話とか、名古屋の実業家の自由奔放の生き方とか、
彼でなくては聞けない話を次々と話してくれた。
伊藤さんのような生き方に何か男のロマンを感じた。
ガイドと猟師が本人の職業で、好きな生き方をしながら現在、
二人の息子を大学にいかせているという。
ー続く

・・・・・・・・
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2002年07月10日
スイス旅行中
・・・・・・・
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2001年07月10
北欧旅行中


1923, 孤独であるためのレッスン

2006年07月09日(日)



 おっ w(゚Д゚)w ハァョ〜
             読書日記
             著・諸富祥彦
              NHKbooks

孤独について何度か書いてきた。
自由と、孤独と、死は、哲学的にみても大きな人間の課題である。
図書館で、ずばり孤独について具体的かつ解りやすい本をみつけた。

    我われは、ひとり孤独に生まれてきて、さいごはひとり孤独に死んでいく。
    その土壇場で人は死を恐れるのではなく
   「自分はやりたいことをやった!」といえない自分に直面すること
    を恐れるのだという。
    真の疎外感は、その恐れに支配された時に出てくる。

だから、やりたいことを早く見つけ、世間とかいう奴を無視するか、
処理をして、やりたいようにしないと仮面の人になってしまう。
仮面の人は孤独を恐れ、群れることこそ人間の性(さが)と信じている。
この本は、そういう連中は無視をして孤独の重要性を説いている。

   そのための条件を
   以下のとおり書いている。

 ー孤独であるための八つの条件ー
一 「わかり合えない人とは、わかり合えないままでいい」と認める勇気を持て。
二  人間関係についての「歪んだ思い込みやこだわり」に気づけ。
三  自分の人生で「ほんとうに大切な何か」を見つけよ。
四 「自分は間もなく死ぬ」という厳然たる事実を見つめよ。
五 「たった一つの人生という作品」をどうつくるか、絶えず構想しながら生きよ。
六  ソーシャルスキルを身につけよ。他人の話を聴き、他人を認めよ。
七 「この人だけは私を見捨てない。どこかで見守ってくれている」。
   そう思える人を見つけよ。
八  自分だけは自分の味方であれ。
  「自分を見守るまなざし」を自分の中に育め
まあ、巧くまとめたものだ。

  
   また、
    ー孤独の中の四つの出会いー
     を一章にわたって書いている。

   ・自己との出会い ー自分の中の深い自分と出会う
   ・他者との出会い −深い孤独を知っている他者と出会う
   ・普遍的なものとの出会い
        ー深い孤独の中に普遍的なものをみる
         公平な内なる観察者
   ・`人間を越えた何’かとの出会い
        −人間を越えた何かは大自然の深い波に出会い
         感動した時に感じる何かである

   この出会いは深い孤独の世界でしか出会うことができない。
   そして、逆に深い孤独でこそ、人間関係も自由に柔軟になる。

   「『ひとり』でいることのできる人の人間関係は、とても自由で、
    柔軟で、開かれたものです。他人の視線はあまり気になりませんし、
    他人と自分を比較したり、評価し続けたりすることもありません。
    他者とのほんとうの『つながり』に開かれた生き方と言ってもいいでしょう。」

ーおわりにー
の最後の締めくくりの言葉がよい!
 −−
他者とのつながりをきっぱりと絶ち切って、自分の孤独を、深さのほうへ、
深めていくこと。そのことによってしか孤独は癒されない。
表面的な人間関係は、さらに孤独を強化する。
もし、孤独を癒すことができる人間関係があるとすれば、
それは、その関係の中で、互いがより深く孤独に徹していけるような人間関係、
その関係の中で、互いがますます深くひとりなり、自分自身になりきることが
できるような人間関係でしか、ありえないだろう。

    孤独は素晴らしい。
    人間が真の自分に出会うのも、自分の人生で何がほんとうに大切か知るのも、
    すべては孤独においてである。
    孤独を深めていける人間同士が出会ってはじめて、
    深い心のふれあいというのも、可能になる。

孤独になる勇気を持つこと。
孤独を楽しむ能力を持つこと。
この二つを備えた人間しか、
本当の幸せを獲得できないはず、である。


    ー池田晶子が自分の本で孤独について
     次のようなことを書いている。
     ーー
   「自分の孤独に耐えられない人が、
    その孤独に耐えられないために求めるような友だちは、
    やっぱり本当の友だち、本当の友情じゃないんだ。
    本当の友情というのは、
    自分の孤独に耐えられる者同士の間でなければ、
    生まれるものでは決してないんだ。

なぜだと思う?
自分の孤独に耐えられるということは、
自分で自分を認めることができる、
自分を愛することができるということからだ。
孤独を愛することができるということは、
自分を愛することができるということなんだ。」

   「孤独というものはいいものだ。
    友情もいいけど、孤独というのも本当にいいものなんだ。
    今は孤独というとイヤなもの、逃避か引きこもりとしか思われていないけれども、
    それはその人が自分を愛する仕方を知らないからなんだ。
    自分を愛する、つまり自分で自分を味わう仕方を覚えると、その面白さは、
    つまらない友だちといることなんかより、はるかに面白い。
    人生の大事なことについて心ゆくまで考えることができるからだ。」


孤独について書いた内容をコピーしておきます。
ーーーーーー
2003/07/16

孤独について −3

 以前も書いたが(あとでコピーしておきます)、
再び孤独について書く。 

経営者は孤独でなくてはならないとか、孤独であるという。
特に創業は孤独に徹しないと、甘さが生まれてくる。
山の中の孤独というより、街の中の孤独である。
街の中の孤独とは、密着している他者と、自分の間にラインを
引くことである。

ある本に孤独を「六独」6つに分解して、
説明をしていた。
1 独想
2 独学
3 独行
4 独遊
5 独創
6 独楽

 これが出来るようになるには強い意志が必要だ。
創業を何回か経験をすると深い孤独の経験を何度もする。

独り着想と構想をねり、
その為の情報を集め、
分析をして決断、
たった独りで
嘲笑のなか行動開始、
途中からゲーム化をして遊びまで高め、
創りあげる。
そしてその起承転結を楽しむ。

しかし実際はつらい孤独業である。
つらさと楽しみは裏表であることを知る。
二代目が失敗をするのは、この孤独に耐えられないためである。

 孤独に耐えるためには、宗教が必要である。
日本人が平気で自分は無宗教と答える・・・
欧米では自分が気違いだと言っているに近いことになる。

スモールS (多神教)の集まりを宗教観としていることを
自覚していないためだ。

                   ーつづく
ーーーーーーー

2003/04/27
孤独について−2


自分の強みは何だろうと考えてみた。
「孤独に強い事」である。あまり人といなくとも平気である。
若い時の都会の生活や勤めの時代に鍛えられたことと、
8人兄姉の末っ子だったこともある。
一人でいつも遊んでいたという。
創業を独りで何回か経験をしてきたのが、さらに孤独の訓練になった。
孤独をポジティヴに前向きにしなくては、無から有は創れない。
青年期はそれほど強くはなかった。
実際は空元気であった。


「孤独を恐れるのは、ひとりそのものではなくて、孤独であることを責める自分
の中の内在化された他者の声である。それが多くの人の心を責めさいなまし、
安らかな心を破壊してしまう・・・」と、ある本に書いてあったが、
私の場合そのような内在化された他者の声は全くない。
独り事業を何回か立ち上げてきた為に内在化する余地がなかったのだろう。
それと行蔵が整理?されていた

                   (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
・・・・・・・
・・・・・・・
2005年07月09日(土)
1558, BOSEのステレオ−6

購入してから4ヶ月経つ。
7万円台のものでもよかったのではないか?と疑問を持ちはじめた頃、
TVの横から、6m位先の部屋の隅に置いてみた。
そして、それが正解であった。

二m先のTVの横なら7万円代のものでも充分だが、
部屋全体の反響を使って聞くなら、これが丁度よいようだ。
ただ、このコンポの効果的な使い方を知らなかったのだ。
そして、このステレオの良さを改めて知った。

それと
「ベストクラシック・100」シリーズが、3千円で販売された。
100曲で3000円は安い。
・ベストクラシック・100
・ベストクラシック・100モア
・ベストピアノ・100
と買いこんだのが良かった。
半分ほどは、過去に買ったシリーズのCD に入っているが、音質がよくない。

家内には、「7万台で充分だったのでは?」と、言われつづけてきたが、
位置を変えてからは何も言わなくなった。

イギリス人はゴルフやテニスなどの道具は思い切って良いものを揃えるという。
良い道具を揃えると対象に気持ちが入るし、途中でやめるわけにいかなくなる。
また一生物になる。

今まで、音楽に対してはそれほど興味があったわけではないが、
このコンポのお陰で一日一~二時間は聴くようになった。

「人が皆、我より偉くみえる日は、コンポを聴いて妻と愉しむ」
というところか!

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2004年07月09日(金)
1193, ニーチェ(1) ー哲学についてー14

 ー概略はー
ドイツの哲学者。(一八四四〜一九〇〇)
実存哲学の先駆者。

キリスト教的・民主主義的倫理を弱者の奴隷道徳とみなし、
強者の自律的道徳すなわち君主道徳を説き、その具現者を「超人」とする思想に達した。
機械時代・大衆支配時代に対する批判は、一面ファシズムの支柱ともなった。
薯「ツァラトゥストラはかく語りき」
 「善悪の彼岸」
 「道徳の系譜学」
 「権力への意志」など。
  ーーーー
 
 人生を振り返って、一番影響を受けたのがニーチェである。
 高度経済成長の時代という背景もあったのだろうが、自分の能力を最大限発揮するのが
 男の務めと考えていた。儒教的頑張りズムに相通じるところもあるが。
 自分が考えることは、しょせんは全てが借り物。
 ただ借り物と意識をしないで踊っているにすぎない。
 それを気がつくかつかないかでしかない。
 
 ー印象的なことを書き連ねてみると、 

 この世には神は存在せず、人間には不滅の魂などないという
 ショーペンファウアーの主張には賛同した。
 
 人生とは大部分が意味のない苦しみや争いの連続で、[意志]とよばれる非合理な
 力に引きずられていくだけという点でもショーペンファウアーに同意している。
 しかし、この世界は部分にすぎない、それも大して重要ではないという彼の主張には
 反対をした。この世界こそすべてだと考えた。
 
 更にショーペンファウアーの「人はそのような軽蔑すべき世界から背を向けて、
 関わりを持たずに生きるべきだ」という結論を否定した。
 逆にニーチェは、
「人は自分の人生を精いっぱい生き、可能なかぎりのものを手に入れるべき」と考えた。
 
 ニーチェ哲学の最大の課題は、
 「神が存在せず、意味もない世界で、人はどのようにすれば情熱を持ち続けながら
 生きていけるか」ということであった。

 自己の能力を最大限に伸ばした人間は一種の超人的存在であるため、ニーチェはそれを
「超人」といった。
 ニーチェにとって人がもつべき最高の価値観とは「自己の人生を肯定する」ことであった。
 「誰もが完全に自己を表現し、充実した人生を送り、人生を肯定すべきである」と説いた。

 ニーチェの二つの主張がある。

・充実した人生そのものこそ意味があり、価値があるとした。
 充実した人生は芸術作品のようである。

・すべては永遠の無に帰すのではなく、永劫回帰する、というものである。
 時間は巨大で宇宙的な同心円を描いて進むため、以前おこったことはすべて、
 ふたたび巡り帰ってきて、その後永久の時を経て同じことが繰りかえします。
 人は精いっぱい生きることで、永遠に生きたいと思う人生を送る。
 時間は永遠に繰りかえすことで、限りある閉ざされた世界にいる人間に、
 永遠といえる生命を与える。
                          − つづく
・・・・・・・
・・・・・・・
003年07月09日
826, アラスカ旅行記 −1

一週間の予定でアラスカツアーに参加してきたー2003年7月2日ー8日
行く前は、もしかしたら「外れ」になるのではと不安であった。
山脈や海を中心とした旅行は『天気』に大きく左右されるからだ。
それと「アラスカが良い」という人の話は過去の旅行仲間から一回も聞いたことがなかった。
良ければ必ず情報が入ってくる。

このツアーは大手の旅行代理店が数社共同で、日本航空のジャンボを借り切って、
アラスカとしては廉価で打ち出した企画のパックである。
ーだいたい一般の30OFFあたり。
ーSARS対策に、アラスカ州と日航と大手代理店が組んで打ち出した破格の商品ということを
現地ガイドに聞いて初めて知った。今夏は一ヶ月間だけの企画で、来年は未定だそうだ。

直行便以外は、成田からシアトル経由で入るか、
ソウルに飛んでそこからの直行便で行くかどちらかである。
その為シアトル経由は14時間、ソウルでも10時間以上は軽くかかる。
ーソウルからの直行便は出ているが、日本はないということ。
その為、一週間にしては内容の非常に充実したものであった。
パタゴニアやアフリカには34時間以上かかったのに比べ、
6時間というのは信じられない感覚である。
全くの素人がキングサーモンの釣りのオプションに参加をすれば、
ガイドの指導のもと一m以上の鮭を釣れるのだから、さすがアメリカはサービスの国と感心する。

ー印象順に書いてみると
1、何といってもマッキンレー山である。 あまり期待をしていなかったが、
 実際に見るマッキンレーは想像を絶する素晴らしさであった。
 特に、軽飛行機からのフライトで見たマッキンレーは言語に絶する内容であった。
 ー詳しい内容は明日書く予定です。

2、氷河もパタゴニアを見ているので、全く期待していなかったが、
 実際は決して見劣りのしない素晴らしい内容であった。

3、期待していたアラスカ鉄道の景観が思ったより良くはなかった。
 どこまでも単調な景色でハイビジョンで見たものとは違っていた
 ー値段の高い展望車でなかったこともあるが−それと天気がよくなかった。

4、ハイライトのデナリ国立公園のワイルドライフツアーのガイドが偶然に
 日本人ガイドの有名な伊藤さんであった。
 星野道夫やミッキーハウスの坂本某の本の出てくる人だ。
 まる一日、彼のガイドで現地の色いろなことや、星野道夫などの現地でのエピソードを
 詳しく 話してくれた。
 彼はガイド兼猟師で狼やムースやヘラジカの狩猟の話しが別世界を垣間見た
 おもいであった。  
 ーこの内容も後日書く。
 
                           −つづく
・・・・・・・
・・・・・・・
2002年07月09日
スイス旅行中
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2001年07月09日
北欧旅行中


1922, 第二次・関東大震災

2006年07月08日(土)

       \(^▽^*)おはようございます!
                    (*^▽^)/           

今後30年以内に首都圏で、関東大震災クラス(マグニチュード7)
の地震が起こる確率は70佑箸いΑ
その時には阪神淡路大震災の二倍の被害になるという。
死者は最大で13000人というから、1000人に一人になる。
イメージでは5~6万以上の死者と思えそうだが。
    700万人の避難者が出、
    建物の全壊や焼失は85万棟。
    損失の総額は110兆円と予測される。
    国家予算の150佑砲覆襦


もっと、恐ろしい事実がある。
マグニチュード8程度の地震発生が予測される原発が、世界に一つある。
中部電力浜岡原子力発電所である。
政府や電力会社は「『安全基準』を満たしている」というが、
専門家の間では、安全基準自体を疑問視する声が根強い。
よく、そんな場所に造ったものだ。

    東海地震にしても、関東大震災にしても、単独ではなく、
    一つの地震につづいて起こる可能性が高いという。
    

そんなこと考えることないよ!というかもしれないが、
一昨年の暮れに、私の地元でマサカの大地震があった。
夜になると近所は真っ暗闇になり、近くの学校に被災者で一杯になった。
そして、新幹線が脱線をして惨劇一歩手前であった!
現在でも、裏の我が家の貸家には
『被災者が住んでいる』という事実がある。

    私なら、間違いなく何処かに引っ越すが!
    もう一度言う、間違いなく引っ越す。
    せめて住居は埼玉か、千葉か、鎌倉かにする。
    歳を召されたかたは、それも寿命でよいが!

地震の予知は、実際のところ無理だという。
関東に住むのも、働くのも、命がけになったのだ。
少し脅かすと、関東沖でインドネシア沖の大地震クラスが発生して
大津波が来たら、数十万でなく・・・・

    今月の日経新聞の「私の履歴書」は小松左京である。
   「日本沈没」を書いたSF作家の・・
    日本の人口は昨年より減り始めたが、
    東京の人口は、この先10年間は増え続けるという。
    年配を中心としてだから、それはそれでいいか?

30歳と27歳のわが息子よ!
どうするっぺ~か?
埼玉辺に住むようだから、安心か〜
それに避難所も、三国の山を越えればあるのだから、大丈夫か!
越後も、日本海に面して、北朝鮮の頭のいかれたドン様が
ミサイルで恐喝をされており、柏崎原発にミサイルを・・・
どちらも同じことだ・・

              i (ω・`) bai
・・・・・・・・
・・・・・・・・

2005年07月08日(金)
1557, 宇野千代ー3


ー宇野千代語録−2

忘れるということは得なことである。
私は幾度も失恋したが、そしてその瞬間には泣いたりした記憶があるが、
すぐに忘れた。人と別れても、決してその人を恨んだりはしないから、
或る時が経つと忽ちその人とまた仲良しになったりする。
                 (「願望」より)
 ー内語ー
そうだよな〜、そうだよな〜!
でもなかなか、それができないのが人間の弱さ。
この人、強い人なんだ!
ーー

あ、いやだなあ、つらいなあ、とため息をつく代わりに、
ちょっと心のチャンネルを切り替えてその答えでも見つけるつもりで、
幸福の種を探してみてください。
最初はなかなか大変でも、くり返しているうちに、すばやく見つけられるようになり、
そのうちどんなときにも幸福を探すのが癖になります。
そこまでくれば、あなたは達人、私と同じ幸福探しの達人になれます。
                 (「幸福に生きる知恵」より)
 −内語ー
そうか?そうか!
ーー

「粋」とは「とりつくろわないもの」のことである。
化粧はしていても、決して、してはいないように、
素顔であるように見えなければならない。
身なりもとりつくろわず、自然で、小ぎれいで、
しゃんとしていなければならない。
                 (「願望」より)
 ー内語ー
純粋の粋か?
ーー

「お洒落をしない人間は泥棒より醜いと思う」女は幾つになっても、
お洒落をすることを忘れないようにしてほしいものだ、と私は思うのである。
世間には、お洒落をしないことを自慢のように言っている人もあるが、しかし、
私は、そのときそのときに会う相手に対して、それでは失礼ではないかと思う。
                 (「しあわせ人生」より)
 ー内語ー
泥棒の方がまだまし?
  ・・・、まあいいか!
その位、自分に対して気を使わなくてはならないということ

ーー

恋人同士、または夫婦同士で、別れたくない、いつまでも愛し合っていたい、
と思う間柄の人たちは、ちょっとの間でも、決して遠く離れて暮らしてはならない。
                 (「願望」より)
 ー内語ー
 深い言葉だね!離れれば、直ぐに、その言葉ー気持ちの真実が見えてくるものね!
ーー

人間はいくつになっても、恋愛をしてはいけない、と言うことはありません。
それどころか、恋愛感情の枯渇している人は、もう、人間をやめているのだ、
と思いませんか。
                  (「普段着」より)
 −内語ー
(            )
ーー

理解するとは何か、ただ、ただ、そのもの自身を尊敬することである。
人々よ、あなたが何事をでも、理解する事を望むのであったら、ただ、ただ、
そのもの自身のことを、とことんまで尊敬することである。
目的は忽ち達せられるであろう。
                  (「普段着」より)
 −内語ー
 そうか!そうか!  
           ・・そうか!
ーー

人間同士のつき合いは、この心の伝染、心の反射が全部である。
何を好んで、不幸な気持ちの伝染、不幸な気持ちの反射を願うものがあるか。
幸福は幸福を呼ぶ。
幸福は自分の心にも反射するが、また、多くの人々の心にも反射する。
                  (「生きて行く私・下」より)
 −内語ー
すべての根っこに夫婦関係があります!

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・


2004年07月08日(木)
1192, 国家破綻供柴表馥記

藤原直哉
長岡中央図書館
2004年7月3日

この4月に出版された国家破綻兇鯑匹鵑如暗澹たる気持になった。
前刊を読んだときは、まさか!と思いつつよんだが、今回は現実的として読むことが
できた。不況をセンセーショナルに書いてあるが、ジックリと読んでみると
けっして誇張には思えない。
現在の景気は中国のバブルとIT・デジタル関連の好況で、少し景気が持ち直して
いるように見える。しかし私の事業を通して見える世界は、それとはほど遠い世界である。
去年の11月のりそな銀行の破綻、そしてUFJ銀行のトップの追放劇などからも、
その根の深さに只ならぬことが垣間見れる。

現アメリカのブッシュ政権も風前の灯である。
小泉首相も改革といいながら実際のところ何もできない現状を見ていると、
20世紀的なものの最終崩壊の時期がきているようである。
アメリカとイスラエルはマスマス世界から孤立、アメリカ経済も
いつ崩壊するどうかの状態といってよい。

現在、好調に見える中国もバブルのピーク、はじけるのは時間の問題だ。
円もドルも輪転機でこれだけ多く刷っていれば、何時かは価値がなくなり、
紙くずになる。ハイパーインフレが必ず来るという筆者の主張も当たり前といえば
当たり前である。

国民向け国債を販売したら、国家としての体をなさない状態と五年前に聞いたことがあったが、
いつの間にか販売を始めている。第二次世界大戦で国家が大量に国民に売り出し、敗戦と
同時に紙くずになった歴史がある。紙くずの分配でしかないのに国民は気がついてないのだ。
もう、守れる資産は現物の金を持つしかないという主張も肯ける。
現状を考えると、どうしても悲観的になってしまうのは仕方がないことか。

・・・・・・・
・・・・・・・
003年07月08日
アラスカ旅行中
・・・・・・・
・・・・・・・
2002年07月08日
スイス旅行中
・・・・・・・
・・・・・・
2001年07月08日(日)
[76] 行ってきます!

まずコペンハーゲンへ
今日8時57分長岡発 15時成田発ロンドン経由
2日目はベルゲン
3日目はバルダンゲル・フィヨルド
4日目はグッドバンゲン。フロム。オスロ。
5日目はストックホルムへ
6日目はストックホルムから船旅〜1泊
7日目はヘルシンキ
8日目はレニングラード
9日目もレニングラード
10日目モスクワ
11日目帰路
12日目早朝成田。


1921, ドラッカーの遺言

2006年07月07日(金)



                 才八∋ウ_〆(∀`●)

 去年の暮れ、20世紀の経営思想をリードしたドラッガーは世を去った。

   *「自らの強みに重点を置け」
   *「知識こそ、最大の経営資源である。
   ‘学習こそ、一生涯にわたる冒険’
    として心から受けとめること」
   *「自らをイノベートせよ!」、
   *「『問題重視型』の思考に囚われるな。
    『機会重視型』の発想を持て。」が、
     彼の思想の中核を占めている。

    全く「新しい時代」を生きる私たちに、
    遺した最後の遺言としてみるとよい。
    ドラッガーは我われに大きな経営思想をのこして、
    昨年の暮れに亡くなった。

                    
 ー以下、(少し時間がかかったが)
 この本から要点を抜粋した。

 ーー            (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
 
●国境が消えた
 インターネットの普及によって国境が取り払われ、
 国と国の距離はゼロになった。
 スペイン語を使えこなせる私の孫娘は、いつでも好きな時に
 ラテンアメリカから発信される情報にアクセスできます。
 言葉の壁を乗り越えさえすれば、
 世界中のあるゆる情報を瞬時に手に入れることができる。

●グローバリゼーションについて語っている時、
 人は情報について語っている。
 グローバルの時代の武器は英語力である。

●絶えざるイノベーションによって、常に新しい価値を創造せよ。

●西洋の価値観に支配されない「まったく新しい世界」が登場する。

●「時代の変わり目」にいま自分がいるという自覚を持て。
 この転換期は30年続くであろう。
 
 誰も知らない世界が来る。
 異なる価値観が共存する新しい世界では、ソ連崩壊後の15年間、
 唯一超大国として君臨してきたアメリカも、その支配力を失う。
 超大国が持つ「権力」でなく、グローバル化した「情報」によって
 世界が強固に結びつく時代が来る。
 ーそれは誰も理解しない世界であり、まだ見ぬ世界に不安を覚えるのは
 当然のことといえる。

●新しい秩序へと向かう混迷した世界の中で、
 新しい重責を担う二つの国がある。
 一つはイギリス(西欧への窓口)、
 いま一つは日本(アジアへの窓口)である。

●日本が直面しているのは危機でない、時代の変わり目である。
 時代が変わったことを認め、その変化に対応していくための意識改革に
 取り組むべきである。−その変化を拒絶してはならない。

●国際競争において意味を持つのは、唯一「知識労働における生産性」のみである。

●情報化が進展する新時代の世界経済のもとで、最も苦労する国は日本である。
 つねにイノベートを追求し、新しい価値を生み出すことでしか、
 日本は生き残れる道はないー。

●情報経済というまったく新しい世界経済の中で、日本は最大の
 難関に直面することになった。
 立ちはだかる相手は、インドと中国です。
 この両国が急速に経済大国の仲間入りすることで最も脅威にさらされるのは、
 日本なのです。

●人はリーダーに生まれない。
 リーダーとして振る舞える習慣を持つ人が、リーダーになるのだ。

●現実における変化h、決して以前のものとは同じにならない。
 そして、机上で考えるより変化は先に現れるー。

●過去50年間で最も大きな変化は、教育において現れた。
 変化し続けるスキルを身につけるため、絶えず教育に立ち返ることが
 個人のイノベーションを促進する。

●最も重要なことは、個人個人が自らの未来を切り拓くことである。

●成果を得るために、
 どんな強みを活かして、
 何をしなければならないか?
 −経営の本質は、すべてこの一言に言い表されているー
 
●『自分の仕事は何か』
 『何が自分に適しているか』
 『自分に何が適していないか』
 を突き詰めるべきである。

●どんな職業であれ、有能な人間は自分の得意・不得意を熟知している。
 そしてそれを知り抜いているから、
 生じた変化に柔軟に対応することができるのだ。

●決定の本質とは、
『将来に対する現時点のコミットメント」でもあります。
 決断通りにことがうまく行きません。
 だからこそ、リーダーは注意深く人の話を聞き、
 リスクとチャンスのバランスを考え抜き、
 人選にできる限りの時間を割く必要があります。

●絶えざるスキル・アップを達成するためにも最も重要となるのは、
 自分の強みを把握することです。
 自分が何を得意とするのかを知り、磨きをかけていくー
 これこそ個人のイノベーションの要諦であり、成果を挙げ続ける
 唯一の方法です。
 
●個人の長所をどうして見出すか?
 それは過去のキャリアの中に現れています。
 何をうまくこなせたか、こなせなかったのか。
 
 
   ー
 以上だが、どの言葉も鋭く響いてくる。 
 日本人は特に英語を学ばさなければならない!
 それと基礎知識のレベルアップ!
 これが解ってるかどうかである。
                 i (ω・`) bai
 ・・・・・・・
 ・・・・・・・
 
 
2005年07月07日(木) 1556, 将来の不安−4


ー島田裕己「不安を生きる」より、さらに抜粋してみる。

「不安というものからは、そう簡単に逃れられない。
逃げられるような気がしても、実は隠していただけに終わっているのかもしれない。
不安なのは覚悟が決まっていないからで、どこかで一度しっかり覚悟を決めないと、
不安から逃れる道を見つけ出すことは出来ない。」

「信仰を持ったって、必ず不安になるのです。そんな呑気な人は世の中にはいない。
何も疑問を持たずに一生そのままいける人ってあまりいるものではない。
不安そのものを根本的になくすと発想しないほうがよい。
山岸会の場合も、ユートピアをめざす運動として幸福一色の世界実現を考えた。
それがユートピアの恐ろしいところであって、人はユートピアのなかで
幸福でなければならないという考え方に陥ってしまいがちなのです。
そうすると、幸福でない人、不安を抱えている人が出ると、
その人が間違っているとして批判を受けたりする。
そうすると、その反対の逆ユートピアに転じていく。」

「だから社会は、若い女性達に結婚しろというメッセージよりも、
結婚なんてしても幸せにはなれない、子育ては大変だというメッセージを
流すことに熱心です。なんとか不安に安住させて、癒しを求めて消費させようとする。
それはもしかして、巨大な詐欺ではないか。社会のメッセージでは、
結婚は自由が奪われるという面ばかりが強調されすぎている。」
 
「欧米社会は、カップル社会で独りでレストランに出かけていってもよい顔を
されない。カップル社会はデート社会だから、金曜日や土曜日にデートする相手がいないと
かなり苦労するという。魅力のない女というレッテルを貼られる。
日本では、それがないから、色いろな産業が彼女らを狙う。
不安産業でいうと「エステ関連ー癒し産業」などである。
それに女性は踊らされている。
「あなたは不安でしょう」とは言わない。
「癒される、ホッします」という表現で客を巧妙に誘う。

ーー
最近、「ラジウム石の癒し」とか「エステ」の店が開店している。
不安定な時代になればなるほど、癒しという言葉につられて女性が殺到する。
エステが潜在的には不安解消であることを、本人達は気づいてないのでないか。

不安とは、孤独感にもつながっている。
最近流行りの女性の「おひとりさま」も、その典型である。
男なら居酒屋でも、パチンコ店に平気で入ることができるが、
若い女性は気楽に入ることが出来ない。
しかし、都会で一人たくましく生きている女性が最近多い。
そのニーズを見越して都会では「癒しの空間」とかいうエステや石風呂などが
増えてきているのだ。ホテルの女性狙いの「おひとり様コース」も出てきている。

「癒しの世界」が、不安の解消であったとは意外である。
一見かっこよい世界が、実は心の闇の不安解消の世界とは。
健康食品も9割は不安感の解消と同じことである。
何種類も飲んでいるのは、潜在的に不安そのものの解消だったのか?
不安になったら、エステか運動ジムに行こうか?
その方がまだましか?


・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2004年07月07日(水)
1191, 異境・秘境ツアーレッスンー8

 ートラベルはトラブル

アフリカや、南米、シルクロード、北極圏などの最終目的地に着くまでは
何回かの飛行機を乗りつぐ。
飛行機は気圧の関係も含め、快適の乗り物ではない。
一番価格の安いツアーを選ぶ関係上、エコノミークラスである。
特に成田からの最初のフライトの12〜13時間が厳しい。

酒を買い込んで、ドンドン飲んでトイレに通うのがコツである。
といって飲みすぎると、腹の具合が着陸時点でおかしくなる。
これも楽しみのうちと暗示をかけて、音楽を聴いたり映画を見る。
その合間に行き先のパンフレットや資料に目を通す。
少しでも嫌だとか、早く着かないかとは考えないことだ。
人生と同じでプロセスに気持の隙を見せないことである。
音楽が気持を和らげてくれるのも人生と同じである。

南アフリカに行ったとき、名も知れない国の、名も知れない飛行場で
猛暑の中、10数時間も足止めを食らったことがあった。
さすがにツアー慣れをした人たち、誰も不平をいう人はいなかった。
言ったところで、どうしようもないことを皆知っているからだ。
その場面をむしろ余裕で楽しんでいるようにも思えた。
人生の圧縮されたレッスンそのものである。
苦難こそ、余裕を持って楽しむ姿勢が、その苦難を苦難でなくしてしまう。

トラベルとは、トラブルの語源という。
旅行では苦難、問題が次々と立ちはだかってくる。

中国のタクマラン砂漠から、新羅ウイグル地区を抜けて、パキスタンの
カラコルムハイウエーを通っての2週間の旅行は、まさしくトラブルの連続であった。
それを割り切っていたためか、そのトラブルがむしろ面白いのだ。

人生も同じである、トラブルはつきものと割り切ってしまえばよい。
振り返ってみると丁度よいトラブルが、そのつど与えられていた。
中心点から目をそむけず、ひたすら立ち向かっていれば、いつの間にか問題は
解決されるものだ。

感動を経験するために、トラブルを通り抜けていくから良いのである。
人生も旅行も、ゲームである。

・・・・・・・
・・・・・・・
2003年07月07日
アラスカ旅行中
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2002年07月07日
スイス旅行中


1920, 浮かれる景気

2006年07月06日(木)



                 \(^▽^*)おはようございます!
                       (*^▽^)/
       「浮かれる景気」ー 読書日記

浅井隆の本である。
書いてある内容は極端に聞こえるが、
中長期的視点からみれば当たり前のことである。

    発刊されたばかりの本を偶然図書館で見つけた。
    この数年彼が主張してきたことを書きかえているだけだが、
    決して間違ってはいない。

「現在の景気は、目先のミニバブルでしかない!
来年か、再来年から、間違いなく国家破産に近い状態が来る。
現在からでも遅くはない、それに対応した準備をしておきなさい」
というのが主旨である。

    さっそく速読をした。
    かれのHPに要点が書いてあった。

ーー
株式会社第二海援隊 
 浅井 隆 

 皆さんお久しぶりです、浅井隆です。
今年も年頭からライブドア・ショック、イラクを中心に頻発するテロ、
インドネシアで再度発生した津波など波乱の幕開けとなりました。
一方、日本経済そのものは、多くの人の予想以上に景気の回復が進んでいます。
かつて私は、
拙著「国家破産サバイバル読本(下)」の中で、
2004〜2005年について「嵐の前の静けさ」と書きました。
厳しいデフレが一時的に緩和され、株も最悪の状況を脱し、
国家破産が表面化する前の一時的な小康状態が出現するというわけです。

 景気回復が力強さを増す中、ようやく量的緩和は解除されましたが、
ゼロ金利政策は依然として継続されています。
一般庶民にはなかなか回ってきませんが、大量のお金がダブついている状況です。


都心部を中心に地価も上昇に転じ、
東京や名古屋の一等地など一部地域ではバブルが指摘されるほどに過熱しています。
銀座、丸の内、さらに最近では表参道の裏通りの物件まで不動産業者による
物色の範囲は広がっています。
また、住宅地についても、特に田園調布や成城などの高級住宅地では
路線価の1.5倍や2倍もの値段で売れるという状況が見られます。

また大企業を中心に最高益を記録する企業が相次いでいます。
かつて不況業種の代表格であった造船会社などでも、受注が数年先まで
埋まっているという活況ぶりです。


株価はライブドア・ショックで一時大きく下落しましたが、
ここにきて持ち直し、再び上昇する気配も感じられます。
4月か5月頃に中東のオイルマネーが日本に入ってくる、という情報も
私のもとへ入ってきました。
株についてはあと1年ほどは良好な状態が続く可能性が高いと思います。
場合によっては「黄金の1年間」とも呼べるものになるかもしれません。


ただし、以前から申し上げているように、日本の財政赤字はますます膨張しています。
この点には注意が必要です。すぐにではないでしょうが、
いずれ大きな転換点を迎えることになるでしょう。
私はその転換点を2008年か2009年頃と予測しています。

そのような中、これから数年の日本経済の動向を予測した
「浮かれる景気」(第二海援隊刊)という私の最新刊が出版されます。
4月初旬(都内の主要書店では3月末)より全国の書店にて発売予定ですので、
ぜひお読み下さい。

 さらに、私が主幹を務める「経済トレンドレポート」なども利用しながら
財産を守り、混迷を深める時代をしたたかに生き残っていただきたいと思います。

(浅井隆の最新コメント 2006.3.24)

 −−
 
ー最後の円高局面に対処ー

 「浮かれる景気」(第二海援隊刊、P79)や
経済トレンドレポート(2005年12月30日号)の中で指摘したように
急速な円高ドル安がやってきました。
2005年12月上旬に付けた1ドル=121円台をピークにドルは下落に転じ、
2006年5月現在で1ドル=110円を割り込んでいます。

 これはアメリカの利上げ打ち止めが近いという観測と日本の景気回復をにらんだ
動きといってよいでしょう。
この調子ではもう少し円高が進行する可能性が高いと思います。
円高がいつどこまで進むかは正確には誰にもわかりませんが、
私自身は1ドル=105円前後がピークと見ています。
あと半年ないし1年くらいは円高局面が続くかもしれませんが、
5〜10年という長期で見れば、今回の円高は最後の円高になると思います。
日本の破滅的な財政状況を考えますと、やはり長期的には円安にならざるを
えないでしょう。

 そういう意味では、現在の水準は非常によいドルの買い場といえるでしょう。
それどころか、円をドルなどの外貨に換える最後のチャンスとなる可能性さえあるのです。
円を外貨に換える際には、銀行預金ではなく海外の優良ファンドを買う方がよいでしょう。
銀行に外貨預金をしていて円高になった場合は、大きな損失を被ることになります。
ところが優良ファンドであれば、仮に円高が大きく進んだとしても高いリターンが
為替差損をカバーしてくれることを期待できます。

 いずれにしても、10年後に振り返ったときに、
「あれほどの円高があったのか」と驚くほどの局面にさしかかっているのは
ほぼ間違いないでしょう。
国家破産にともなう将来の円安やインフレにより資産を目減りさせないためにも、
総資産の半分程度はドル、ユーロなどの外貨建てファンドに分散しておくことが
大切です。

 皆さんも、最後のチャンスとなるかもしれないこの円高局面を有効に活用し、
国家破産という困難な時代を生き抜く対策を万全なものにしていただきたいと思います。

(浅井隆の最新コメント 2006.5.22)                    
                
ーこれに「ドラッガーの遺言」を重ねてみると、
 間違いなく、大きな混乱期に入ったのが解る。
 特に、日本は七転八倒の苦しみに入りざるを得ない。
 そういう視点で理解できなかった事象をみると、
 解ってくるから・・・・
 
                    
                        (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
・・・・・・・
・・・・・・・

2005年07月06日(水)
1555, 将来の不安−3

不安について考えてきたが、図書館で島田裕己の「不安を生きる」
という本があった。
2005年・4月10日発刊というから最近の本である。
オウム教事件の時にオウム教擁護的発言でバッシングにあって、
東京女子大学の教授を辞めざるをえなくなった人である。
宗教学が専門のためか「不安」心理に対しては専門であり、深い。

宗教には「不安」に対する明確な解答が用意されている。
不安と宗教心は裏腹の関係にある。
不安こそ誰もが何時も直面している心の闇である。
その闇に神の世界を提示して見せるのが宗教である。

不安の正体を知ってしまえば、自然と解決方法は出てくる。
更に不安を解消する一つの手段として具体的にネットワークの存在を提案している。


ー面白そうなところを抜粋してみる。

P-76
ところが不安がないということは、下手をすると今の状態に安住することに
つながってしまう。そうなると緊張感もなければ、進歩もない。
進歩もないということは達成感もないということです。
イニシエーションという言葉を使えば、一つの役に挑戦することが
イニシエーションになってくれない。
逆にそれをイニシエーションにするには不安が必要になってくる。
心の安定ということでは、不安を悩みに変えていく必要があるけど、
安定は停滞につながっていくから、いっぽうで不安も必要になる。
海老蔵は、弁慶をやる前日に寝過ごしてしまったと思った時、
これで役者をやめなくてはならないと思ったそうです。
それだけ不安を経験しているからこそ、不安が欲しいという発言が出てくる。
彼は不安を次の発展へのバネにしようとしている。
ーー

不安について以前にも書いてきたが、その対応として
思い当たるものをドンドン書き出してみることだ。
それが悩みという具体的に落とし込むことになる。
そして、その対応として思考と行動が生まれるきっかけになる。

そういえば、10代、20代の頃は、不安が常につきまとって、
それがエネルギーになっていた。
                 
                 つづく
ーーーーーーー

「不安を生きる 」

筑摩書房
・島田 裕巳【著】

私たちの社会には今、漠然とした不安が広がっている。
将来の変化を見通せず、未来への希望が持てない。
会社もアテにできず、心底頼れる人も見当たらない。
そんな思いを抱く人が増えている。
こうした事態は、都市化が進展し、かつて私たちを支えていたムラ的な
共同体が衰弱してしまったことと無縁ではない。
しかし、便利な生活を手に入れ、自由を享受する私たちは、
もう後戻りすることはできない。
不安とどう向き合い、どう生きればいいのか。
この問いを多角的に追究した本書は、
現代社会を生きる私たちにとって示唆に富む一冊である。

1 不安と悩み
2 体感不安の時代
3 不安をとらえる視点
4 不安をバネにする
5 仕事と不安
6 都市生活者の不安
7 不安を煽る「癒し」産業
8 「支え」としての共同体
9 自分の足場をつくる

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2004年07月06日(火)
1190, 大丈夫!−2 
   * 哲学について−13

ー不安の哲学ー キエルケゴール

「大丈夫!」を繰り返していうことで、漠然とした不安感が半減したと前に書いた。
これを読んでいて、もし鼻先で笑っている人がいたら、その人は表面的人生しか
生きてない人である!
不安感は大きい人ほど、それは自分に目覚め、自由と可能性を考えているか、
生きているからだ。
大丈夫!を繰り返すことは、その毒消しに単純だが絶大の効果がある。

単純であるが、どうしてそこまで心理的の効果があるかを考えてみる。

人間の不安の90数佑蓮考えすぎの影でしかない。
ルーズベルト大統領が就任演説で言ったという、
「われわれが恐れるべきは『恐れ』そのものだけである」
人間は全て、恐れから派生する大きな影に脅えているのだ。

その意味で「大丈夫」を繰り返すこととは、90佑留討鮠辰晃果がある。

不安といえば、
哲学者のキエルケゴールが主題にしたテーマである。
彼が考えた「不安」は
「ああもなれる、こうもなれるという、いろいろな可能性を持っているからこそ、
不安が生まれる」と考えた。
そして「不安はたとえてみれば目眩のようなものである。
・・・・自由がいまや自身の可能性をのぞきこんだとき、めまいがおこるのである」
といっている。

若いときは、その意味で多くの自由と可能性があった。
その分だけ、大きい不安が自分を支配していた。
そして絶望感に陥っていた。
さまざまの可能性を持つからこそ、不安と絶望感があるのだ。

不安感が絶望へのプロセスを生むことになる。
不安から「絶対的な何か」が欠けているという絶望感に陥ってしまうのだ。
「どうしようもならないもんな〜」という言葉が出てきて、そして
お決まりの繰り返しの暗い気持を引き込んで絶望の世界に入っていくのだ。
これが、神の前に1人たたずむありかたであり、人間としての基本的な
姿としてとらえて「単独者」と呼んだのだ。

真の自分に至ることとは、神と触れ合うことである。
しかし、人間はさまざまな現世的価値観の中で生きている。
しかも、その価値観は全て有限なものである。
そして有限なるがゆえ不安に襲われ、神と自分との絶対的な距離を感じる。
それが絶望のきっかけとなるとキエルケゴールと考えた。

大丈夫という言葉は、ある意味で「神からの言葉」ともいえる。
「ありがとう」という言葉と同格の重要な意味の可能性を含んでいる。

キエルケゴールは、その不安と絶望からくる内面の大きな揺れを
(心の中の)「大地震」といっている。
それだけ、この大地震は人間にとって一大事である。

最近香港で、生活保護を受けていた人が亡くなったあと、通帳が発見されたという。
そこには、なんと数億あったという。
この人は不安感にさい悩まされていたのだろう。

大丈夫と楽観し過ぎて地震や火災から逃げ遅れたり、倒産したり、失業したりして
明日の生活に困ることが多いのが人生だが。

過剰な不安感をあくまで問題にしているから、勘違いをしないことだ。
自分自身のことであるが。

・・・・・・・
・・・・・・・

2003年07月06日(日)
823,ある時間の断片ー30

11月2日 1968年
10時起床、食事後12時半まで床屋。
13時頃から「早稲田祭」に行く。
14時半頃に帰ってくると深井が部屋に来ている。
1時間位話して彼は帰る。
その直後急に頭が痛くなる。
「香港風邪」というやつにかかったらしい。
佐藤君のところに行ってお茶を飲んでいると、佐々木さんから
電話で東京駅に迎えにこいとのこと。
でかい荷物だ、やっとのことで寮に運ぶ。
その佐々木さんが「明日のバスハイキング」のバスの値段が高いと
苦情をいいにくる。道理からいって、因縁をつけているだけとうことが
露骨だ。今更キャンセルや値下げができるわけがないだろう。
幹事ということで言い返せないし、一応先輩だ。折れることにした。
差額の半額を私が持つことにした。
頭の回転がきかないのか、自分の面子を立てたいのか解らないが。
よく自分で我慢したと驚く。クールに割り切った方が良い。
その反動で。孝道を怒鳴りつけてしまった。
佐々木さんに対する怒りと香港風邪で頭がいたいことも含めて、
彼にぶつけてしまった。人間的な含みがまだまだないということか。

・・・・・・・
・・・・・・・
2002年0706
旅行中

・・・・・・・
・・・・・・・

2001年0706
旅行中


1919, 睡眠負債

2006年07月05日(水)

                   才八∋ウ_〆(∀`●)

図書館で月刊雑誌を立ち読みをしていたら、
睡眠についてのレポートがあった。

キーワードが「睡眠負債」である。
睡眠不足のことだが、不足より負債という方が分かりやすい。
睡眠の場合、負債の免除期間が二週間。
どんな溜まった不足でも二週間でチャラになるという。

    深い眠りをとろうとしたら、寝不足状態の状態が一番良い。
    脳の機能と食欲などの欲望も同じである。
    それなら、そうすればよいが。
    睡眠時間は世界共通で8時間だが、
    気にならない睡眠時間が、その人のベストの睡眠時間という。

仕事などの関係で、いつも睡眠時間が取れない人が、
小刻みに昼間の睡眠を取るのが理想的な睡眠の取り方といえる。

    私の場合、睡眠に関しては殆んど問題はない。
    寝れない時の対処がしてあるからだ。
    布団滞在時間7時間が私のベストである。

インターネットの検索で調べたら、
ー快眠10ヶ条ー
 があった。

1 起きたら太陽の光を浴びる
2 同じ時間に起きる
3 朝、軽い体操をする
4 朝食を食べる
5 日中も太陽の光を浴びる
6 メリハリのある生活を送る
7 適度な運動をする
8 夜は強い光を避ける
9 眠る前はリラックスする
10 ぬるめのお風呂にゆったり入る

   私の場合、100夕孫圓靴討い襪、
   寝際にクラシックを聴きながら寝ているが、
   これが更に初期睡眠(三時間)を深くしている。

             (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
  ーー
 2002/09/14
眠れない夜に

眠れない夜にどういうわけか、こうすると不思議によく眠れる。
・仰向けになり全身の力を抜く。

・頭から額にかけて力を抜くー次に目とその奥、鼻と口、
 首と肩、両手、両足と気持ちをその都度そこに集中して力を抜いていく。
 そうすると、自然に寝ていても何処かに力みが入っているのが分かる。

・完全に力が抜けた状態で、一番楽しかったことを考える。
 私の場合海外旅行の大体3番目のあたりで睡眠に入る。 
 それでも眠れないで、過去に行った全ての「思い出し旅行」
 に3時間かけたことがあるが。それはそれで楽しい時間であった。

・眠れないときは寝ようと考えず、眠れない状態で自然に任せることだ。
 それでも眠れないのが不眠症だろうが。
 月に一度位は、夜半に目が覚め寝つけなかったりする。
 でも苦にはならない。ポイントはマイナス思考の差し込む魔の時間に
 しないことだ。
 これは注意していれば防げるのが不思議だ、訓練の結果だが。

・羊の数を数えるとよいという説があるが、私の場合逆に疲れてしまう。
 何かの本に面白い内容があった。
 「アメリカの西部の砂漠の深い渓谷をイメージする。自分はインデアンの
 イメージで、騎兵隊のを待ち受けている。
 狭い渓谷に入ってきた彼らその一人一人を狙い撃ちをする。
 一人一人が自分の銃で撃たれて死んでいく。
 彼らはそれでも何処に潜んでいるのか、いくらでもいるのだ。
 それでも執拗に一人一人を撃ち続ける。眠りに入るまで。」

これをやるチャンスはまだないが、何か寝てしまいそうな感じだ。
寝付きのよいほうだが、不眠症の人の焦りも解る。
不眠症の原因は、寝れない時間の過ごし方が下手ではないか?
その時間を空想や過去の楽しい思い出を楽しめばと思うのも、
当人でないからだ。

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2005年07月05日(火)
1554, つれづれに

ー売り手責任
先日、ニトリにホテルの共同キッチンのダイングテーブルを買いにいった。
ところが、「家庭用商品を営業用には売ることが出来ません。
売り手責任に問題が出る可能性があるので、お売りできません」という。
上の上というから、本部判断をあおいでいた。
当方だって買い手責任があるし、設置責任がある。
何かおかしいいのではないだろうか?
それとも、そこまで問題にしなくてはならないのか。


ー知人の息子がTV出演?
去年亡くなった五十嵐恭一さんの息子がTVに出ているというので昨夜見た。。
月曜日の23時の「あいのり」という番組。
「嵐」というニックネームで出ていた。
かなりの応募の中で選ばれたのだろうから、光るものがあったのだろう。
「1年浪人後、「法政の二部」に入学金を払ったが、駒沢大に受かった。
本人は法政の二部に行くつもりというが、如何したらよいか?」という相談が、
故五十嵐さんからあった。
「駒沢大に決まっているじゃないか!一部と二部では先生と、同期の質が全く違う。
それでは浪人した意味がないではないか!」と返事をした。
そこで、本人も迷って高校の担任のところに相談にいったが、
私と全く同じ返事であったので、駒沢に行くことにしたという。
その男が、TVに出ていたが、なかなかのイケ面である。
若い人の間ではなかなかの人気の番組というが。


ー今日散歩で、高校の友人の墓参りによる。
いつも散歩するコースの折り返し地点の橋から5分のところにある。
先週も行ってきたので、これで4回目になる。
特に、この一月で三回目だ。
墓をみるかぎり誰もお参りに来ていないようだ。
まさか、私がこうしてお参りをしているとは、彼も意外だろう。
たまたま散歩コースの近くにあっただけだが。
一番長生きしそうな男であったが。
お参りは、対象より自分自身に出会っているようなものだ。
まあ、反対の立場だったら、彼なら絶対にお参りに来なかったはずだ。
そう考えながら、お参りをしていると色いろ考えさせられる。
人生は生きているまでだ。
「生きているうちに、やるべきことをしっかりしておかなくては」と、
彼が話しかけてきているようだ。

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2004年07月05日(月)
1189, 異境・秘境ツアーレッスン ー7

ー大自然

大自然の秘境の見どころには山脈系、氷河系、滝系、大草原系、平原系、海・海岸系、
などに分けることができる。多くはその幾つかが重ねあっている。

山脈系としては、北米のロッキー、欧州のスイスアルプス、南米のアンデス山脈、
ヒマラヤ山脈、などがあげられる。

滝としては、ナイアガラの滝、イグアスの滝,ビクトリアの滝、
エンゼルフォールの滝などがあげることができる。
あまり知られてない滝で、その迫力に思わず息をのむことが多い。
迫力景観からいったら、やはりイグアスが一番である。

主観をこめて印象に強い順にかいてみる。

1、一番は何といってもケニアの草原の夕景である。
 幻想的で、この世のものと思えないオレンジ色と白光色が入り混じった360度の視界の
 草原の美しさは、言葉には表現できない。
2、次にはカナダのロッキー山脈である。
 湖も含めてその壮大な景観は、これがほんとうに地球だろうかと思ってしまった。
その時思ったことは[人生をこれをみた 以前と以後と分けることができる]
3、南米のベネズエラのテーブルマウンテンの絶景。
 夕景の中、キャンプの近くから見上げたテーブルマウンテンの世界は、数億年の時間が
 目の前で直感できるイメージであった。
4、スイスアルプスと、チロルの大草原、そして氷河・・・
5、南米チリのパイネ国立公園のパイネ山の夕景
6、ブラジルのイグアスの滝
7、アラスカの遊覧飛行で見たマッキンレー山脈
8、パキスタンのカラコルムハイウエーからみたヒマラヤ山脈
9、アイスランドでみた、オーロラ
10、フィジーでみた海と海岸と、小さな島々
11、イスラエルの荒野
12、アラスカとスイスとチリで見た氷河

などなどである。
それぞれが、比較してランク付けできないほど素晴らしい。

ある高僧の言葉がよい
[大自然は、自分で自分の美しさを見るために、小自然の人間をつくった]

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2002年0705
旅行中につき休止

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2003年07月05日(土)
822,ある時間の断片ー29

10月31日ー 1968年
・朝の9時過ぎ、松村君から電話で11月3日8時20分に地下鉄の
早稲田駅で待ちあわせの約束をする。
午後から2時間、勉強をする。
21時から佐藤君の部屋で酒を飲む。
24時の就寝。まだ卒論に集中できてない。
焦りばかりが先立つ。自分に対してまだ突き放していないようだ。
最後の学生時代の時間はあまり残されてないのに如何したことか。


11月01日
・夜半の0時半ごろ、佐藤の部屋で間中とお茶を飲んでいると、
OBの満田さんが炊事場で高橋を説教をしている。
何か自分にあてつけのように聞こえてきた。
彼は4年間それで通してきたのだから、それでよいのだろうが。
寮を出たのだから、そうそう寮に来るべきではない。
会社では上手くいってないと聞いている。
学生気分が脱皮してないためだ。
気の毒といえば気の毒だが、結局何処にも帰属できない苛立ちがああいう
かたちになっている。
先日、セミナーで集団主義的烏合を私に指摘した。
二重帰属、三重帰属を割り切ってできてない甘さをつかれた。
他人事でないが。
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2001年07月05日(木)
[74] 死について

誰もが直面するまで見て見ぬふりをする、
一番厄介な避けてとうれない一大問題である。
40歳過ぎれば何時直面してもおかしくない問題である。

子供の頃から両親に‘死の不安’の話を聞いていた為、死にたいして
耳年増になってしまった。

そして親戚が多かったせいか、死を身近に見てきた。
そして坊さんの死の話も聞いた。その中で一番印象に残っているのが
「人(他人)は先、我は後!」である。自分が生きてる限り全くそのとうりである。

たしかギリシャの哲人の言葉に「自分にとって死は存在しない、なぜなら死んだ瞬間
自身無になるのだから、死は残された者たちの自身の言葉でしかない。」という言葉
をその坊さんは噛み砕いたのだろう。
ー以下は以前書いた文章である。
ーーーー
H0503
“死”について

・ 自宅の両隣の御主人や息子さんも含めて近所で、このところ五軒も葬式があった 。
 六年程前に“いとこ”がやはり四人、たて続きに亡くなった。
 私の年令の風景の一つなのか?

・ 人間の死亡率は百%!

・ 人間の恐ろしいのは、“死”より“死に際”じゃないか?

・ 親の死は、子供に対する最大のプレゼント

・“我々が生きている間は死はこない。死が来た時にはわれわれはもはや生きていない”
   (エビクロス)

・ 死んでしまえば塵である。(伊藤栄樹)

・ 死んで三日もたてば三百年前に死んだと同じ事。

・ “苦”は生きているうち。それが死への苦しみであっても!

・“いろいろ、あったが死んでしまえば何ってこたあない!
      はじめから無かったと同じじゃないか!皆の衆”(山田風太郎)

・“ああ、自分が消滅した後、空も地上も全く同じとは何たる怪事!

・ 死とは人生における最後の挑戦である。(ハイデッカー)

・ 死はお浄土への単身赴任である……極楽世界があるかないかではないのです。
     あるべきなのです。いや、あらねばならないのです。(さち・ひろや)

・ 死も人生というドラマの一部分、それも最後の仕上げという。

・ 死に直面した時“さようなら、たださようなら、さようなら!”
                これこそ、死の苦しみにとらわれない妙薬。

・ 人間は死ぬ事を、ひそかに望んだので戦争をしたのだ。
 自己保存の要求はきわめて強いかもしれないが“死”への欲情はさらに深い。

・ “死の準備”は大別して“自分の心の覚悟”と“自分の愛する者達への配慮”に
  わけられる。死は根本的には“無”である。
 “無”にはいかなる準備のしようがない。“無”になる事に覚悟せよと言ったって、
  いかなる覚悟も“無”であり、“無”になる。死はどうであれ
 “無の世界”=“無”も自覚も存在のない世界へ運び去るのだ。

・ “父母によばれてこの世に遊びに来て、用が済んだら、はいさようなら”(一休和尚)

・ “自分の死”に対して、どれ位時間をかけたか?やっぱりかかった時間と比例します。
 だから死について考え続けるより他にありません。自分の心を明確にする事。
 それをやっていると毎日が濃縮されて、いつ死んでもいいと思う程、
 充実してきます!(曽野綾子)

・ 死は暗闇ではなく光明と考えられるかどうか、もどって来た人はいないのだから。

・ 他人(ひと)は先、我は後!

・生前、死後には無限の暗黒のひろがり…その暗黒は球状をなしているように幻想され、
 私の死後ばかりか、わたしの生前もぐるっと取りかこんでいるごとくだ。
 丁度、地球儀の或る視点だけが明るくかがやいていて、
 あとはすべて球形の闇だという格好である。向こう側(彼岸・無)よりみれば
 針の尖でついたような、しかしながら、たしかにここに光っているわたしの生、
 それ故にわたしはこの世に有る限り一日一日を大切に遺憾なく生き抜かなくては…
                       (吉野秀雄−やわらかな心)


1918, ワールドカップ

2006年07月04日(火)


        (p≧w≦q)オッ☆
             o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ヨ〜


前回のサッカーのワールドカップの感想が
 2002年07月01日(月)
「454,面白かった!! 」というテーマであった。

前回は日韓共同開催で、当地の新潟でも試合があった。
そのわりには、あまり興に乗っていない。
    しかし今年は、4年前の何倍も興味を持って観ている。
    私も変わったものだ。この4年で多くの劇的な試合を多く観たためである。
                      ヽ`д´)┌┛┌┛★( )
                   〜〜〜〜〜(ノ★´з`)┌┛☆(:*・*゚)
日本は早々に敗退し、           
優勝候補筆頭のブラジルも、準準決勝で敗れてしまった。
ブラジルの二つのジンクス、
・ペレがいた、958年の大会で優勝して以外は、
 欧州大会開催でのW杯の南米の優勝はない。
・ブラジルは優勝候補に挙げられた時の優勝はない。
を破ることはできなかった。
                            (*・-・)θ
                         (*・-・)θ
                        (*・-・)θ☆ 【蹴り隊】      
    ロナウニージョ、ロナウド、カカ、アドリアーノという
    超花形選手を擁しても勝てなかったのだから、致し方ないだろう。


明日と明後日の早朝、準決勝が行われるが、全てが欧州勢である。
ブラジルが残っていないのと、ポルトガルとイングランドが入れ変わった以外は
順当の国が残っている。

    何でもそうだが、超一流の試合は感動する。
    私の予測では、
    準決勝ではドイツとフランスが勝ち残り、
    決勝では開催国ということもあり、ドイツが優勝だろう?
    しかし、これだけは時の運があるから何ともいえない!
                          
                
4年後に、どういう気持ちで、この文章をみているだろうか?
   楽しみである。

    この下書きを書いているとき、ニュースで中田がHPで
    引退声明を出した。
    その内容を読み上げているが、燃え尽きたのだろう!
    日本の監督にすれば良かったのに?
    リスクがありすぎか!冗談冗談!

                   o(^ー^ θ""
                     けりっっっ♪
 ^^                     
2002年07月01日(月)
454,面白かった!!

ワールドサッカーが終わった。
やはり世界のトップが集まる試合は面白い。
サポーターと一体になった選手が段段燃えていくのがよい。

その時の勝負のアヤが左右するのが特に面白い。
優勝候補のフランスとアルゼンチンが早々に敗れるという
のも、勝負のアヤであった。
              タタタタッッ≡≡≡≡≡
                    ヾ(  ̄ヘ ̄)θキック!(★)゚

ワールドカップというのがこういうものだという事が、
理解できたように思った。
実際のところサッカーの面白みがいま一つピンとこなかったのが、
これを契機に好きになれそうだ。

決勝戦が終わったときの,勝者と敗者の差の大きさもそのまま画面に出ていた。
やはり一国でやるべきというのも確かであった。
最終戦で会場の勝者に対する会場のシラケぶりには世界に対して、
この国のセンスの低さを曝け出してしまった。
                       
韓国の熱狂と比べ、途中で負けてしまった事を差し引いても
盛り上がりが少なかった事は否めない。

ブラジルが勝ちあがっていくプロセスでやはり強かったようだ。
南米の予選ではやっと勝ちあがってきたという。
彼らも実際優勝できると思ってなかったことも含め、
喜びは最大級だろう。

TVの前でこれだけ熱狂するとは思っていなった。

           ☆^(*≧ω≦)ノ~~~βyё 
                     βyё♪
・・・・・・・
・・・・・・・

 2005年07月04日(月)
1553, 宇野千代−2

あるHPに彼女の語録が出ていた。
突き抜けた明るさが全ての語録の中に出ている。
もし鬱になりそうになったら、彼女の言葉を何度も読んでみるとよい。
私の場合は、十年以上もトイレに中村天風の本が置いてあるが。

あるHPにあった彼女の語録をコピーしておきます。

ー「宇野千代語録」ー 

*信じるということは面白い事である。
人の力ではなく、自分の力を信じる、自分にはこれっぽっちの力しかない、
と思っていたときと、そのこれっぽっちの力を大切にし、
そして、その上にもまた積み重ねて行く力があるかも知れない、
いや、あると思うようになったときとは、違う。
                  (「願望」より)
ー感想ー
言葉の力こそ、人間のイメージを作りあげる源泉である。
また自分の中の小さな力を見つけ出して、そこに集中することこそ
自分の人生のゲーム化の一歩である。
ーー

*本当のことを言えば、私の九十六年の人生は決して平坦な道ではありませんでした。
それどころか、でこぼこの道の連続と言った方が早いくらいの人生でした。
でも、あるとき気がついたのです。
でこぼこがひどければひどいほど、やっと見つけた幸福の味もいっそう美味になる
と言うことです。
そして、足をくじきそうになりながらあるいは、くたびれて膝をがくがくいわせながら
歩いたでこぼこ道の思い出のほうが、いつまでも心に残り、自分を成長させるものだ
ということを知りました。
そう思うと、でこぼこの道も、ちっとも苦ではなくなりました。
                 (「幸福に生きる知恵」より)
ー感想ー
こう思えるのに、一生かかったのだろう。
ーー

*私はいつでも明日から後のことを考えていた。明日は何をしよう、と思っていた。
考える事が雲霧のように寄せて来る。明日から後の世界ではいろいろなことが
出来るような気がする。今の現実から明日の夢想にまで梯子をかけて見る。
私は一段ずつ上がる。いつでも上の方を見て上がる。
下の方を振り返るようなことはあんまりない。
                  (「願望」より)
ー感想ー
過去のことを考えていたほうが楽。
明日から後のことを考えるほうが本来苦痛のはずだが。
そこが彼女の凄いところである。
ーー

*人間というものは、おかしな、間違ったことをしていても、
一心不乱でしている中に、そこからとんでもない芽が吹いてくることもあるのですね。
                   (「お化粧人生史」より)
ー感想ー
この一心不乱の持続というのが難しい!
ーー

*私は、辛いと思うことがあると、その辛いと思うことの中に、
体ごと飛び込んで行く。まず、飛び込んで行くと、その、辛い、
と思う気持ちの中に、自分の体が馴れて来る。
不思議なことであるが、その、体が馴れてくることで、それほどには、
辛いとは思わなくなる。これが私の生活の術なのであった。
                  (「生きて行く私・下」より)
ー感想ー
正中心一点無という言葉があるが、中心点から目を外さないことだろう。
ーー

*どんなことの中にも、愉しい、と思う要素はあります。
目をみはってその、愉しい、と思う要素を探し出して、
愉しく生きて行きたいものと私は思います。
愉しく思うことは、また隣の人にも伝染して、そこら中が、愉しいことだらけに
なるものです。
すると世の中がどんなに暮らし良くなるものか、想像するだけで嬉しくなります。
                  (「幸福に生きる知恵」より)
ー感想ー愉しいと思えばよいが、なかなか難しい。
愉しんでやれ!と思う習慣をつけてしまえばよいが・・
ーー

*幸福のかけらは、幾つでもある。ただ、それを見つけ出すことが上手な人と、
下手な人がある。
幸福とは、人が生きて行く力のもとになることだ、と私は思っているけれど、
世の中には、幸福になるのが嫌いな人がいる。
                   (「生きて行く私・下」より)
ー感想ー
何気なく使っている普段の言葉による影響に気がついてない人だ。
内なる声はマイナスが多いことに気づいているのだろうか。
ーー

私たちはどの瞬間にも、人の着ているもの、その顔つき、その言葉、
話し方の影響をうける。
今会って来た人の顔つきから、仕合わせな感じ、その反対の感じを受ける。
もし、可能なことであれば、いつのときでも人は決して不仕合わせを
感得させないような顔つき、そういう顔つきでいたいものである。
(「幸福人生」より)

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2004年07月04日(日)
1188, 大丈夫!

斉藤一人氏の本に
「大丈夫」という言葉を多用すると良い、とあった。
最近その言葉を、おりあるごとに1人つぶやいている。

ところが、それを千回ほど言い終わった辺りから、何か気持が信じられない
くらい気持が楽になった。
常に付きまとっていた不安感が半減したのだ。
現在の日本経済の実態は、明日何がおきても不思議でない事態であり、
行く末を考えると楽観はしていられない。

ふと言葉の重要性に気づいて[大丈夫]を繰り返したら、気分が非常に楽になったのだ。
人間は、その時その時、誰もが不安を抱えているものである。
若ければ若いほど不安の渦の中にいた。それでも何とか大丈夫であった。
その時、この[大丈夫]という言葉を繰り返す効用を知っていたら、
どれほど楽であっただろう。
しかし、その不安感が努力を喚起させていたプラスの面もあったが。

不安感が押し寄せてきた時に、騙されてと思って千回いってみてください。

知人が[う・た・し]
ー「嬉しい、楽しい、幸せ」ーと、「ありがとう」を毎日繰り返していたら
、気分が晴れて、良いことが立て続きにおき始めているという。
今度[大丈夫]を加えるといっていた。

この大丈夫をプラスの言葉に加えると更によい。
貴方はついているからー大丈夫
   性格が良いからー大丈夫
   一生懸命やったのだからー大丈夫
   守護霊が守ってくれるているからー大丈夫
考えてみたら、生きているかぎり人間は大丈夫のようにできている。

死ねば死んだらで、無になるのだから大丈夫である。
大丈夫でないとして、所詮すべて時間が解決する些細なことだ。

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2003年07月04日(金)
821,ある時間の断片ー28

・10月30日 1968年 
10時起床、食後、読書と音楽を聴き過ごす。
20時に河路さんを羽田に送りへ出発、途中浜松町の焼き鳥屋で時間調整
の為いっぱい飲む。
21時に羽田到着する。
河路さんの家族、大妻女子大、寮生のOB,友愛関係者など30人が来ている。
帰りは友愛関係者の萩原君の車で南波嬢と供に飯田橋まで送ってもらう。
一緒に帰ってくるが、話している分には面白い女性である。
といって一時、気があったが醒めてみれば如何ということはない。
夜半の2時ごろまで勉強して就寝。
河路さんもオーストリアに行った。
先輩としての河路さんだが、他人の中傷の無意味さを嫌というほど教えられた。
それと言葉で他人をいかに傷をつけてしまうかを。
相手の弱点を探し、中傷することがあたっていればいるほど、他人が
傷ついてしまうことを。それが結果として自分をより傷つけてしまうのだ。
自分が他人にしていた事を彼にやられたということだ。
少なくとも自分は変えようとしているだけ良かったのか。

・・・・・・・
・・・・・・・
2002年07月04日
スイス旅行中

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・・・・・・・

2001年07月04日(水)
[73] 夢についてー4

海外旅行の帰りの機内でみた夢も恐ろしい極限であった。

飛行機に乗っているせいか、自分の体が空に浮いていく。
もうじき下に降りるだろうと思うが、どんどん浮いていき電信柱を超えていく。
ああもうこれ以上いくと危ないと思った瞬間目が覚めた。
そしてほっとして「自分は地上にいる」と思った瞬間、空中に飛んでいる自分に気づく。

自分が空中を1000キロで飛んでいるのが解るのだ。
その恐しさは言葉で表現できない恐ろしさであった。
バンジージャンプ落下している感覚であった。

そういえば6〜7年前の恐ろしい夢が書いてあるのでまたコピーしておきます。

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H0905魂が万代橋の上を彷った話

 第2新館の役所の検査の直前の話である。担当の設計士が顔をひきつらせ青い顔を
して言うには、“今回の検査はパスしない!...”

一瞬耳を疑ったが、次の瞬間頭の中は真っ白、地獄の底へつきおとされた思いであった。
“それが本当であれば、あの建物は単なるゴミの山、そして私は?、会社は?...
”パニック状態である。それも夕方の飲み会の直前である。
まあ明日の話として、頭も冷やすという事も含めて、そして焼け酒という事で
浴びるほど飲んだ。

その夜は満室という事で事務所の長椅子に仮眠した。
恐らくそこが不安定という事と、頭がパニック状態という事と酔いを含めて
妙な夢になってしまった。

魂が身体より抜け出し、さっきまで飲んでいた古町より万代橋まで目線が5m位の高さで
プカプカ浮遊しているのである。“ああ自分は浮いている。
それも魂が”という感覚であった。

そして目が覚めて!魂が浮いていたのはたしか夢か!でもあの話は本当である!
それも夢であってほしい!と念じた事を今でもはっきり覚えている。


1917, スペイン画家・堀越千秋ー8

2006年07月03日(月)


   Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
   
        「スペイン七千夜一夜」−読書日記
 ービバ、ジョ!(俺様万歳!)

「ビバ・ジョー!」という言葉が、スペイン人を表す言葉なら、
「世間様(に対して、恥かしい)!」
という言葉が日本人を表わすといってよいだろう。
              
              世間さまニャ(;≧皿≦)。゜°うううぅぅぅ
                    OTL    疲れたぁ・・・
                     orz    俺もう駄目...
               0(^^0)*^^*(0^^)ケッ!
               (●´艸`)フ゛ハッ
             世間様とはな〜、その辺の馬鹿4〜5人じゃ〜けん
    
    東洋の島国の湿気の多い農耕民族として割り切ってみると、
    その特質も理解できる。
    狩猟民族や、ジプシーなど放浪の民族では、
    世間様など気にしては生きていけない。(仲間内があるか?)
 最近、国内でも「オイラが大将!」という言葉が流行ったことがあったが。

まずは、
「スペイン七千夜一夜」の一節を、ご覧あれ!
ーー
                     o(●´ω`●)o♪
                 Y(´∇`*o)(o*´∇`)oIビバ・ジョ 〜

誰でも、スペイン人をつかまえて問うがよい。
「あなたは、ふだん誰も口にしないこのひとこと
 『ビバ・ジョー』をどう思いますか?」
「もちろん」と彼は答えるだろう。
「それこそ最も私のいいたいことです」と。
それは「私は神を信じますか?」にハイと答えるスペイン人より、
きっと多いに決まっている。


    スペイン人は、初めからまっすぐなつもりで線を引く。
    それは道理や物理にかなった直線である。
    しかし現実社会の間違った悪い事件が心を痛めたり道理を歪めたりする。
    すると、この正しい直線に外的な力が加わり、多少のズレが生じる。
    しかし、彼はそれに気づかず、また気づいたとしても、それは彼のせいではない。
    外部の悪いもののせいである。
    外部の悪いもののせいであるから、彼はひたすら彼の直線を引き続ける。
    彼はまとこに正しいのである。


しかし、悲しいかな、地球の直線は宇宙から見るとまさしく、らせん、なのである。
ロマネスクの教会などで見られる、素朴な力強い直線的な表現が、やがて渦を巻き、
天高きらせんになって、ついには「悪趣味」「過剰」の代名詞ともなってゆくところの、
かのバロック。これこそ、このねじれゆく姿こそ、スペイン人のこころの奥深く潜む
エッセンスなのではあるまいか。


    あれはれた砂漠のようなスペインの大地に根をおろし、老獪にねじくれて、
    節くれだって、乾いた木肌をらせんに巻きつつ天に伸びて繁る、かのオリーブの樹。
    そのオリーブの樹のように渦巻く精神が、他に植物の湿り、陰とてないスペインの
    荒れ地で、どうして同様に人の心に育たないわけがないだろうか。

彼らスペイン人においては、直線は、やがてかならず捩れ、ネジくれて、
渦となり、らせんとなって天へと吸い上げられるように天に昇るのである。
(エル・グレコの絵を見よ)。

    スペイン人は、家族を愛し、故郷を愛し、故国を愛す。
    自己愛にもとづく、それへの依存度は非常に多きい。
    それは、「ビバ・○○(地名)!」の言葉に表れている。
    哲学者も指摘する、スペイン人の究極のひとことが、
   「ビバ・ジョー!」である。
   
 ーーー
 「俺様、万歳!」       ヾ(>ω<○)【。゚+.万歳。゚+.】(●>ω<)ノ゙
 これこそ、これからの時代のキーワードになるのか?
 それとも、
 500年前にピークを向かえて、時代から取り残された国の姿なのか?
 歳をとると、そういえば俺様万歳!になっていくのではないか?
 先が短くなると、見えなかったことが見えてくるか?

思い切って、アウトサイダーになるか?
 それとも、仮面を被ってインサイダーに徹するか?
 どうでもよいか?
「貴様」どうする?
                  
            ε(´',_c')зβyё
       ☆βyёε('c_,'`)з゛


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・・・・・・・・

2005年07月03日(日)
1552, アウトサイダー


高校の同級会で「お前はアウトサイダーだ!」と言われた事がきっかけで、
コリン・ウイルソンの「カリスマへの道」の中の『アウトサイダー』
の章を読みかえしてみた。

これから見ると、
私は「アウトサイダー」に確かに重なる部分がある。
しかし全くのアウトサイダーとは違うようだ。
自分の人生を大切にしようとするなら、アウトサイダーの要素を
持っていないと自己放棄の人生になりかねない。

彼は「アウトサイダー」の特徴を、
サルトル、カミュ、ヘミングウェイ、ヘッセ、ニーチェ、ドストエフスキー、
ブレイク、キルケゴール、ラーマクリシュナ、グルジェフ、T・E・ヒューム、
バーナード・ショー、等々の中から引用して共通項を上げて、
以下のように描写している。

ー「あまりに深く、あまりに多くを見とおす」人間であるアウトサイダーにとっては、
現実の社会における人々の尊厳も、哲学も、宗教も、すべてが、野蛮で、無統制で、
不合理なものに艶だしを塗って、何とか文明的、合理的なものに見せかけようとする
欺瞞の試みにしか見えない。
 そしてこう述べる。
「(自分には)才能もなく、達成すべき使命もなく、
 これと言って伝えるべき感情もない。 
 わたしは何も所有せず、何者にも値しない。 
 が、それでもなお、なんらかの償いをわたしは欲する。」
 アウトサイダーとは、
・世人や文明規範の価値を受け入れることができず、
・それらを蔑視し、世界も自己も無意味なのだとみなすと同時に、
・それでもなお何か代わりとなる究極の真理、あるいは体験、あるいは目的を
 欲している者なのである。
等々である。

誰でもこの要素を持っている。
早くいえば孤高に似ている態度でもある。
孤高は自己を無意味とは思わないところが違う。
諸子百家の中では、荘子にも重なる部分がある。
鳥瞰、虫瞰、モグラ瞰という視点の鳥瞰にも重なる。
また敗者が社会からはじき出された時の心情にも似ている。
この辺は何度も経験しているからよく解るが。

「アウトサイダー」といえば、その逆の言葉「インサイダー」が思い浮ぶ。
株の取引で、内側情報を知りえたものが、その立場を利用して株で
儲けることを『インサイダー取引』という。
内側でこそ知りえる視点情報がある。
反面、外側からこそ見える視点情報もある。
「アウトサイダー」の視点も、「インサイダー」の視点も人間には必要である。
「和して同ぜず」というが、「同じて和せず」になるのが人間である。

小さな世界で生きる知恵としての両者の立場が各々ある。

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2004年07月03日(土)
1187, 異境・秘境ツアーレッスンー6

ー遺跡編ー

37年前の欧州旅行時に立ち寄った、ローマの遺跡のコロッセウムを見たのが
初めてである。2000年前の動物の臭い?がいまだに残っていたのは驚いた。
それと西洋文明の奥深い歴史に圧倒されたのが今でも記憶に生々しい。

十数年前に行ったイタリアのポンペイの遺跡も素晴らしい。
近くのベスビオス山の大爆発で一瞬に埋まったために、2000年前の当時の生活がそのまま
完全保存されていた。
ローマ帝国華やかなりし頃の市民の生活がそのまま埋もれており、当時の様子が分かる。
鉛の水道管が施されて水道があったのは驚異だ。
猛犬注意の表示もあり、今と変わらない生活ぶりが忍ばれる。歩道もあり、横断歩道もある
風呂に入ったままの姿の人とか、石化した遺体が多くあった。
パン屋や娼婦の館や民家が、ほぼ完全に奇跡的に残っていた。
街の中心の水飲み場で、街の人がそこに手をついて飲んだところが、回数を
重ねたためか、すべすべしていて当時の人間の感覚がそのまま伝わってきた。

遺跡の虜になったきっかけは、8年前にいったエジプトの遺跡である。
(あとで、その時の文章をコピーしておきます)
とにかく、そのスケールの大きさに圧倒された。

シリアとヨルダンの遺跡もただ驚いてしまった。
今後2000年〜5000年先は気の遠くなるほどの彼方と思うが、過ぎ去ってしまえば
昨日のように感じるのも妙である。
シリア砂漠のオアシスに忽然と現れる大遺跡パルミラ。かつて隊商都市として栄華を極め、
ローマを向こうにまわすほどの権勢を誇った文明の残照は、今も圧倒的な存在感を漂わせている。
記念門・列柱通りは自分がタイムスリップをして、2000年前にいたような気持ちになった。

神秘的という面では、インカの遺跡である。
その中で、やはりマチュピチの遺跡は圧巻であった。
霊界の世界というのが、正にいいあてている。

日本と違い石文化は、数千年経ってもそのまま残るから、当時の痕跡を多く残してくれる。
時空をこえていつの時代も変わらぬ人間の暮らしと文化はある。

ーーーーー
H0805
エジプト、トルコ感激の旅  

ーエジプト編ー 

 まさにタイム・スリップして数千年前の古代を旅している日々であった。

まず最初に訪ねたのがカルナック神殿であった。
“まさしく驚愕!”直径が二mの石の大列柱が百数十本並ぶ神殿。
これが三千数百年に本当に!
周辺の王侯貴族を驚かす為に造られたというが、
今まさに自分が、目を丸くして驚いているのだ。
歴史が私という小さな存在を見下ろしているのだ。
日本ではまだ縄文の時代、これを造りあげた高度の技術があったのだ。

壁に刻みこまれたレリーフ、古代文字、現地のまだ若い日本人女性ガイドの熱心な
説明も手伝って古代文明の世界にタイムスリップした気分になってしまった。
そらに天を指すオペリスクとラムセス鏡い覆匹硫Δ篆世料の数々、
今まで何度か海外旅行をしていながら、何故ここにもっと早く来なかったのだろうか?
と考えてしまったほどだ。
 
 次に行った“王家の谷”。
ここは何代の王様の墓が、かくれるように数々掘られている集団墓地だ。
この中で英国の考古学者カーターの執念でつきとめられたツタンカーメンの
墓室にも入ってみた。
 また、夕日の長い影を落としていたハトシェプスト女王の壮麗な葬祭殿と
そこにやはり刻まれていたレリーフの数々。
その帰りにたちよったネクロポリスの麗に立つメムノンの二体の巨像の神秘的な光景も
印象的であった。
 
 その翌日行ったアブジンベルの大神殿、小神殿、のラムセス凝の巨大な立像も
実際そこに立ってみて古代歴史の深さを実感する事ができた。

またアスワンのナイル川で乗ったのんびりした“ファルーカ”という小さな帆かけ舟の
夕日の中での“ひととき”も、その一瞬の中に永遠を感じる事ができるようだった。

 旅の後半になってカイロに入ったが、
ナポレオンが言ったという“四千年が諸君を見下ろしている!”
というまさに異様なイスラム社会が大きなカルチャーショックになった。
丁度、ラマダン(一ケ月間の日の出から日の入りの断食の行)という事もあり、
異様さがさらに目立ち、我々日本人は西欧社会に感化去れているのが逆に対比する事ができた。
早朝、街中とどろくアラーラの祈りのスピーカーの音も異様そのものだった。

 我々の目からみると、接するエジプト人全員が金に特に汚い詐欺師そのもの、
“騙すより騙されるのが悪い!”“車は轢かれるほうが悪い!”とか、それがイスラム教という。
カイロ郊外にある二百五十万個の巨石を積みあげたピラミッドも本当にすばらしいの一言。
考古博物館のツタンカーメンの黄金のマスクと財宝をみた瞬間、
ゾックと身ぶるいをしてしまった。
まだ今にも起きあがりそうなラムネス兇鬚呂犬瓩箸垢
数々のミイラも
「数千年をこえて不死への激しい希求」を魂にかたりかけてくるようであった。

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2003年07月03日(木)
820,ある時間の断片ー27

・10月28日 1968年
午前10時に起床。
深井と『オリンピックの開会式』の実況を見る。
13時に深井の家に出発、15時まで彼の家にいる。
その後、江ノ島に行く。
第三京浜を彼のスカイラインGTでとばす。
江ノ島の夕日を浴びた富士山が絶景であった。
自然のこれだけの夕景は初めての経験である。
右手に真っ赤な夕陽と左手に江ノ島。
秋の海岸が何ともいえない。
一生の思い出といってよいだろう。
夜3時間、勉強をする。


・10月29日 1968年
10時起床、洗濯をした後食事だ。
12時から13時半まで勉強、その後高橋君の部屋に行きコーヒー
を飲む。部屋に帰ると近藤君がレコードを聴きに来る。
聴いているうちにうたた寝をしてしまう、一時間半も経っていた。
その後、瓜生君の部屋に行き話をする。
その後夕食をして、21時から勉強をする。
深井がまた新橋から20分位遊びに来る。

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2002年07月03日
スイス旅行中

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2001年07月03日(火)
[72] 3D-ホームページ延期

三D−ホームページソフト7月2日の予定が
富士総業の都合で7月23日に延期。

打ち合わせの中でかなりの手直しの部分が見えてきた為、
延期になりました。ホームページを三Dを取り入れる画期的なもので、

大化けの可能性もある為、徹底的な練り上げが必要のようです。


1916, スペイン画家・堀越千秋ー7

2006年07月02日(日)

                才八∋ウ_〆(∀`●)
   スペイン七千夜一夜
           集英社文庫          
              読書日記

スペインといえば、やはり闘牛である。
何回か闘牛について書いてきたが、
堀越氏の闘牛の見方が独特の視点である。
「俺と一緒にするな!」という著者の声が聞こえそうだが!
一回目は衝撃的だったが二回目に見たときは、観衆と一緒に興奮して、
面白いと思えるようになった。

    早くいえば、寄ってたかって一頭の牛を殺すのを楽しむショーである。
    が、慣れてくると、それが恐ろしいことに、面白くなるのだ。
    
現在は、闘牛士と戦う前に、槍で刺して弱らせる。
そうしないと殺される確率が高くなるからだ。
初め観たときに誰もが思う「卑怯ではないか!」と。
しかし、ここはスペイン!
それが現地の文化?の一つなら一緒に楽しむこと、と決め込み、
何度か自分の良心に言い聞かせて・・・


  まずは、その一部を抜粋してみた。
    ー

    スペイン名物、闘牛とは、そもそもそんな主客転倒の様式化といってよい。
    牛は、平和な原野の牧場からある日突然連れさられる。
    暗闇に閉じ込められて、いきなりドアが開くとまぶしい闘牛場だ。
    怒ってやみ雲にも角を振り回しているうちに、あちこち槍だの銛だのに
    突き刺されて、最後に長剣を刺されて死ぬ。
    何が何だかわからない。

一方、客の方は、やれあの牛は闘士がない、いや勇敢だ、角を左に回す癖があって
よくない。いや口を結んだままで強い、右足がゆわい、いやダメな牛だ、
いや素晴らしい牛だ、これこそ牛の中の牛だ、等々、勝手なことを言う。
そして、血の泡吹いて息絶えた牛が、4頭のラバに引かれて退場をするところを、
拍手をしたり、口笛をふいて避難したりする。

人間どもの勝手もいいところだ。牛の都合など一切、考えない。
人間の都合と審美観のみを一方的に牛に押し付ける。
元々人間対動物の関係は、そういった一方的なものだが。

    牛の都合は、実は、無視されているのではない。
    スペインの人間によって、主客転倒や主客合一の甘露をかけられて、
    つまり人間にとって良い牛は、恐ろしい野生の黒牛でもないし、
    敵でもない。美しい、雄雄しい、勇気ある、気高い「自分」なのである。
    強い牛は自分の美点の反映なのである。
    
    もちろんこっちの自分は、牛がいくら刺されても痛くもかゆくもない。
    牛の中に一瞬、自分の美しい反映を認めただけなのだから、
    牛がばたりと死んでしまえば、あーあと葉巻をくわえて背伸びするだけだ。

こういう便利で自分勝手で、自由にあっちへ行ったりこっちへ来たり、
一瞬のうちに都合の良いほうへ乗り移る「自分」というものを、
日常的に心の中に飼っておかないと、闘牛という、不思議な審美観によって
支えられる「芸術」を理解したり、まして愛したりなど、到底できない。

    ーーー
 スペイン人と日本人は違うのです!!
    
 以前の闘牛について書いた文章です。
    −−

2002/09/07
パンプローナの牛追い祭り


今朝9時半より、衛星TVで今年のサン・フェルミン祭を放映していた。
もし神様が一日だけもう一度同じ日を与えてくれるといったら、
4年前のこの祭りの最終日を間違いなく選ぶだろう。

今年は例年になく多くの負傷者が出た。
今日の番組は毎朝の牛追いに絞った8日間の内容の為、
毎年放映される中でも特に迫力があった。
初めから最後まで手に汗を握る内容であった。

この祭りはヘミングウエーの「日はまた昇る」で舞台になり世界
に一躍知られるようになった。

この期間ー7月上旬の8日間、町中の人が白い服に赤の腰巻の布を巻き、
赤いネッカチーフをつける。
パンプローナの出身者の多くが帰ってくるという。
毎朝6頭の闘牛とそれを先導する虚勢牛6頭の合計12頭が闘牛場に
向かう街の道路に放たれる。
毎日異なるドラマを生みながら熱狂を8日間重ねていく。
その6頭の闘牛が毎日おこなわれる。
4年前その最終日の闘牛をみたが、会場が異様な熱狂に包まれていた。

その牛の前を走るエニシエロが、勇気試しになる。
19世紀半ばからこの祭りが始まり、闘牛とか牛追いは途中から
その祭りに加わった。

ーユーラシア旅行社でいくと、市役所広場の
前の4階の部屋から最終日のエンデングと牛追いが見れる。

ーーーーー

4年前の「北スペインの旅」
    −より抜粋ーをコピーしておきます。

・・・ その中で一番のハイライトが
パンプローナの“牛追い祭り”であった。
延々8日間にわたって毎夜、闘牛が行われる。
その牛を毎朝、市役所から闘牛場へ、町中を追い上げる。

その前を街の若者が走って、度胸試しをする。死人が出ることがあるという。
我々が着いたその日が最終日の為、最高の盛り上がりであった。
その夜の闘牛もその為か異常な熱狂を会場にただよわせていた。
これこそ正しくスペインと思われた。

深夜の十二時に向けたファイナルギャザリングが、
一生の思い出になる感動的場面であった。
市役所前に数千の群集がロウソクを手に持って集まり、
ロウソクをかざしながら歌い踊るのだ。

彼らが心の底からパンプローナを愛しているのがよくわかるのだ。
民家の4Fの一室を借りて見たのだが、光の海を見ているようであった。
トランペットやバイオリン・タイコの楽団の演奏にあわせて
歌を全員が歌っている。

キリスト教で祭りを集団で祝うのはスペインだけといわれている。
イスラムとキリスト教が融合して、神聖かつ感動的・熱狂的な
お祭り騒ぎなのである。
このような宗教的感動的場面に出会ったのは初めての経験であった。
この場面に出会っただけでもこの旅行は充分の価値があった。
一生の心の財産になった。

               (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!   
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2005年07月02日(土)
1551, わたしの酒中日記ー番外


わたしの酒中日記を書き出して、驚くほど昔の記憶が戻ってきている。
居酒屋やスナックのことから記憶と背景をたどっていくと、
芋づる式に記憶が次から次へと出てくる。
その記憶をたどると、その時々に精一杯生きていた姿に驚かされる。
真面目?に不器用に生きていた当時の自分の姿が、輝いて思えてくる。

今まで後ろを振り返らないことをモットーにしてきたせいか、
最近になって振り返ると、その瞬間瞬間の記憶が生々しく新鮮に感じる。
その時々の心のひだがドンドン思い出されてくる。
しかし書けないことは幾らでもある。
その辺がプロと素人の書き手の違いである。
本当のことは作家以外、そうは書けるものではない。

読み返してみると、若さ特有の自意識過剰がそのまま見てとれる。
それが若さなのであろうが。
昔のことを書くのは気持ちが重いが、好きな酒を飲んだ思い出なら気楽に書ける。
その切り口からのTPOSの背景を書き出すのも面白い。

誰もがフラッシュ的な記憶の断片が脳裏に浮かぶ。
しかし、それを書き出すということはなかなか出来ない。
そのフラッシュのように戻った一瞬の記億を、酒場にからめて書けばよい。

酒中日記を書いて、
「人生は多くの何げない日常の断片から構成されている」ことに気づいた。
決して大きな塊ではないし、光り輝いた結婚式や旅行などだけにあるのではない。
何げない日常の中にこそ、深い人生の意味が詰まっている。

酒席のことを書いていたら、いくらでも昔のことが思い出される。
それが果たして良いのか、良くないのかまだ判断できない。
このレベルなら、いくら思い出せるものだ。
人生は、日常の根っ子の地中の中にこそ、味わいと真髄があるようだ。

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2004年07月02日(金)
1186, 異境・秘境ツアーレッスンー5


ー感動は蓄積される

何故、異境・秘境に行くのかというと、想像を絶する素晴らしい世界がそこにあるからである。
そして大自然や遺跡の異質の世界に、直接触れて感動するからだ。
実際体験して解ったことは、歓喜と激しい感動は、ほぼ同じではないかということだ。
旅行のたびに期待していた数倍の感動と歓喜?がそこに待っていた。

とくに大自然の中の壮大な美しさや神秘性から受ける感動は何にも変えがたい。
その感動を得る為に、いそいそと飽きずに家内と一緒に出かけていく。
感動の蓄積が磁力になり、更により大きな感動を引き寄せる。
そして感動は確実に自分の中にドンドン蓄積されて醸造される。

私と酒を飲んだ人はわかるだろうが、酒を飲むと普段のブロックが外れて
その時の蓄積された感動の波動が開放される。
毎日晩酌で、ほぼそのブロックが開放されハイに瞬間なってしまう。

幼児期から青年期にかけて可能な限り、親は子供に芸術(音楽会や一流の絵)や
自然を見せて感動のシャワーを浴びせてあげなさいという。
その量×質が、その人の人生を決めるという。
感謝・感激・感動は、その人の潜在能力のベースになるからだ。

今からでも遅くはないから、可能な限り一流なものを見て、触れて感激・感動を
意識的にしていかなくては!
いまさら遅いか?

豊かな人生とは、感謝・感激・感動の豊かな人生をいう。

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2003年07月02日(水)
819, 恵まれていた時代に生きて

50歳の時に、「自分の人生を振り返って実感をいってみろ!」と自問自答した。
直感的の出た言葉が「恵まれていた!」「面白かった」「悔いはない」である。
特に思ったのは「恵まれていた」である。
・第二次世界大戦直後の1946年の一月に日本に生まれたことが全てといってよい。
 ー冷戦下における日本という環境において、アメリカが中国・ソ連・北朝鮮など共産圏に
 対する前線基地と位置づけて、 日本に最優遇待遇を与えてくれていた。
・新潟県という全国でも最も豊かな自然を背景にした環境も良かった。
・両親も含めて家庭にも恵まれていた。
 多くの兄姉にも恵まれていた。
・ちょうど青春時代が高度成長期にあたり、時代の波に乗ることができた。
 国に若さと希望があった。

歴史的にみても、20世紀は(特に後半)は、日本にとって黄金の時代といわれるだろ。
この時代を背景として事業チャンスもいくらでもあった。
また時代の変化も激しいのが特徴であった。とにかく面白い事が多かった。
時代が上向きだからこそ変化が面白かったのだ。

あと10年、恵まれていた時代に稼いだ資産の食い潰しをしていくだろう。
そしてその後は亡国に近い状態になることは明らかである。
今の日本は、それしか選択ができないだろう。
魚は頭と尻尾から腐るというが、今の日本の姿がそうである。
いま1968年の時代の日記を随想日記に書き写しているが、時代の背景の違いが全く
違うことに驚く。やはり経済があってこその国であり、個人がある。
そして特に「国が豊かで恵まれていた」ことが大前提であった。

話が変わるが、昨日12の宮のことを書いたが、その宮一つ一つとっても全て恵まれて
いた。宮の意味はどういうことかと考えてみたら、ありがとうという感謝をする祠ということだ。
12番目の異性の替わりに国をあげたほうがよい。
その一つ一つにできたら100回、計1200回あげるのが理想だろう。
とりあえず50回「ありがとう」をいってみよう。
これを一年続けたら運命が変わるのも至極当然である。

「ありがとう」を一万回以上続けて「マイナス思考の毒が激減した」と実感を先日
この随想日記で書いた。「幸せの宇宙構造」というの中に、
『3つの帝国』という項目に正にその理由が書いてあった。
人の心には『好帝国ー肯定国』と『悲帝国ー否定国』と『ありがてい国』の3つがあり、
それぞれの国民が住んでいる。一番良いのは「ありが帝国」であるのは当然で「ありがとう」
と言っているうちに無意識の中の否定国の住民が少なくなった為だ。
単純だが、しかし真理をずばり突いている。

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2002年07月02日(火)
455,地球をサッカーボールに喩え

今回のワールドサッカーを新聞はどう捉えているか、
毎日新聞の社説がダントツよかった

「・19世紀のナショナリズム、
 ・20世紀の資本主義、
 ・21世紀のグローバリズム化。
この3つが今の世界を動かす理念だとすれば、
地球がサッカーボールに凝縮して私たちの前に現れた。
私達は本物のサッカーの興奮を始めて知った。
欧州と南米で4年ごとに繰りかえされる祭りに加わった。
スポーツが野球などアメリカの影響下にあった日本、アメリカの影響から
逃れたい無意識の願望に後押しされて、アメリカが作らなかった国際標準を
初めて選んだ」

この鋭い分析に納得した。
「サッカーボールを地球に喩える」とは、書くプロはさすがに違うと感心した。

・延べ500億の人が見たと予測されているという。大きいビジネスでもある。
・「90分ナショナリズム」という言葉も新鮮だった。
・朝日新聞に出ていた川柳もよい
  「球ひとつ生命あるようなゴール決め」
・選手の過半数が何処かの国のプロサッカー
 多国籍の選手ーグローバルの時代
印象的キーワードを並べてみる
・地球最大の運動会
・国家の威信をかけた模試ー代理戦争
・壮大な民族展示会

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2001年07月02日(月)
[71] 夢についてー3


夢は犬や猿など他の動物も見るという。
子供の時母や姉が実際幽霊を見たとかの体験談をきいて、いい年をしていいかげんな事と、
気持ちの中で全く受け付けなかた。

ところが経験を積むにしたがって、何か常識で考えられない何かが存在している事を
確信してきた。
特に‘夢’とか‘遇然の一致’そして‘死’‘自然現象’に何か人知を超えた存在を
感ずるようになった。

ー以前の文のコピーをまたしておきますー

H05 11 記   妙な夢―(供

 秋葉原のワシントンホテルに泊まった時の事、夜半何かのケハイに
横を見ると女の人の顔が浮いている。夢だろうと腕をつねったが痛い、
これは面白いと、メガネをかけじっくりとみた。

全体が白光色の黒髪の27〜28才位の、のっぺらした美人であった。
別に恐ろしいという事もなかったが顔ははっきりと憶えている。

ところが何年か後に会社のある人にその話をしたところ、‘それって皆同じ顔
しているんだよね’言われた時た時、はじめてゾーッとした。
 
またこんな夢もある。夜半目がさめて寝むれないので、般若心経をとなえて、
ウトウトした頃、急に別空間にひきずりこまれそうな感覚になり、
まずいと中断した。
あの別空間は“別宇宙”“ブラックホール”的イメージであった。
その前後の夜半に夢で宇宙船みたいなものが近くおり、乗れという、
これも乗ったら危険と直観し去けた夢である。

あれに乗ったらどんな景色がみえたのだろうか?
単なる夢とかたずけられない妙な内容であった。


1915, スペイン画家・堀越千秋 −6

2006年07月01日(土)

            \(^▽^*)おはようございます!
                    (*^▽^)/

文化とかという難しい?ことでなく、
スペインの日常料理から現地の生活実感を垣間見ることができる。。
私など、三度行ったスペインのバールの美味い酒のツマミの印象だけで、
「もし永住するならスペインが良いな〜」と、
思っていたら、一撃を喰らう内容があった。
  
  ー
  
  スペインの町でキョロキョロしている日本人旅行者たちは、
   「イヤァ、スペインは美人が多くて結構ですな」など言いがちである。
    おまけに「スペイン料理は日本人の口にあっているし」とも言う。
   「オリーブ油が如何だこうの言いますが、私は大丈夫です、
    美味しいですよ」という人がいる。

じゃあ、今夜みそ汁も白米も一切やめて、
固いバンにオリーブオイルとラード(マンテカ)塗ってくてみなよ。
あんたの好きな烏賊のリンク揚げと、
二週間続けて揚げて使ったオリーブ油で好きなスペイン・オムレツを
こしらえて喰いなよ。
皿からこぼれそうな豆と豚の脂身のスープに、さらにオリーブ油を
ドブドブかけて喰いなよ。アンダルシアの貧乏人のように。
皿からハミダシしてテーブルに垂れているアビラの牛肉、食ってから、
ベロベロに甘いサンチャゴ・ケーキ、全部喰いなよ。

    てな、辛らつな実感があった。
    これを乗りこえて、著者はスペインを理解しているのである。


   堀越流の国家観もよい。
「西洋人は、面子より実質的な損得をとる。
欧州とは、金品と武力で倫理を売買してきた歴史ではないか。
もちろん、人間の一人一人は、道理をもって説けば通ずるものである。
何処の国だって、個人というものはおおむねそうである。
が、国家とか政府というものは、個人より随分劣っているものである。
野蛮である。

    どの町だって、何とかというとピストルや刃物を出してくる隣人というのは、
    そうそうない(アメリカは知らないけど)。
    しかし、国家というのは全部軍備を持っている。
    いつも腰に刀やピストルをさして歩いているようなものだ。
    核兵器を背負っている老人もいる」
 −−
 
スペインにいればこそ、こういう見方ができるのだろう。
島国で、四面を海に囲まれて、元寇に攻められたことと、
第二次世界大戦で敗戦で占領された以外、
外敵を意識したことがない日本にいては、
軍備の必要な事態が理解できないのだ。

               つづく                   
                   i (ω・`) bai
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2005年07月01日(金)
1550, 将来の不安−2

ー不安を哲学するとー

我われは、過去に対しては悔恨があり、未来に対しては、不安が付きまとう。
といって、まだ来ぬ未来を不安がっていても仕方がないし、
反対にノンビリ過ぎるのも問題である。
最悪を想定しておくことも必要であり、
「大丈夫!」という言葉を口ぐせにしておくことも、
一つの解消方法である。
不安の対象に対して考えつくしたあとで、
「その時は、その時だ」と放念することも時に必要である。

青年期の日記を読み返してみても、
その時点時点で不安感が大きく口を開けていた。
不安は一生我々を悩ますものだ。
我われを脅かす「特定の対象」に向けられたものが「恐れ」であり、
「不安」は漠然とした恐れの感情をいう。
その恐れに対して、打ち勝つ克己心が勇敢、勇気ということになる。

前にも、「将来の不安」という題目で書いた。
不安は目先の変化に対する不適応から生じる心理の揺れと書いたが、
目的意識の希薄さも不安心理の一つである。

その不安感に対して、哲学者がどのように考えてきたのだろか?

ーある本からの抜粋をしてみるー

・先ずは、キリスト教の初期に神に対する畏敬や罪に対する恐れを不安とみた。
 その不安を克服することが永遠の生を得るための前提であるとした。

・次には、19世紀になって、キルケゴールが不安の心理分析をおこなった。
 その後、ハイデッガーやサルトルなどの実存主義者やフロイトなどの
 精神分析で中心概念になった。
 キルケゴールは不安感を罪の問題に結びつけて考察する。
 アダムとイブの原罪から,人間は皆罪を持って生まれてきたとして、
 罪の状態に陥る可能性の中で罪あるものとなると。
 不安とは、悪魔的なものが持つ妖しい魅力に堕落できるという
 「自由のめまい」であり、それは堕落の深遠を覗き込む時の感覚に
 たとえられる。
 サルトルは、これを「めまいが不安であるのは、私が断崖に落ちはしないか
 という恐れだけでなく、私みずからが断崖に身を投げはしないかと
 恐れるかぎりにおいてである」と考えた。
 ひとは天使や動物と違って、可能性に対してたえず不安を覚える。
 それは人間がこころと身体との総合としての精神という特殊のあり方を
 しているからだ。つまり人間はその本性上、不安になりざるをえないのだ。
 不安の中でおのれの罪を自覚して、はじめて目覚めた精神となる。
 その絶望的な不安にかかわらず、なおも自分自身に真剣であり続け、
 ひとりの単独者として信仰へと飛躍することによって、不安から解消され、
 真に自由になることができる。
 キルケゴールは不安の心理を分析することを通して、人間のあるべき姿を
 探求した。

・ハイデッガーは、不安とは現存在として最も根本的な気分であるとした。
 彼によると、現存在は世界内存在として理由もなくこの世界に投げ出され、
 そのつど、何らかの気分に規定されている。
 日常性の中に埋没されて生きている非本来的あり方から、
 本来的自己を呼び覚ますきっかけとなるのが不安である。
 とりわけ「死」の可能性の前にしての不安において、現存在としての
 根源的開示がはじめて生起する。
 我われはいつか死ななくてはならない。
 「この私」の死を誰も変わってはくれない。
 その死を痛感する時、人は日常から引き離され、単純化し、
 自分自身と対面せざるを得ない。
 その死を見つめることによって、その可能性に「先駆」することによって、
 本来の自分を取り戻すことができる。おのれの実存をたえず知覚させてくれる
 気分として「不安」を考察した。

・精神医学において、フロイトは神経症と不安の関係を探求した。
 はじめは、不安を性的不満足にたいする生理学的な反応とみなしていた。
 しかし後半は不安とは自我に対する危険を知らせるシグナルであり、
 それを回避するための防衛機制を作用させる感情であるとした。

ーー

不安感は誰にもあるが、その度合いであろう。
不安感のないのもおかしなものであるし、
強すぎて何もしないのも問題である。
我々の究極の不安は、やはり「死」である。
といって、死ぬまでは生きているのも間違いのない事実である。

・キリスト教的な神への原罪意識
・精神を持ったためにあらゆる可能性を持つ不安
・死への恐れ
・自我に対する危険のシグナル
等々、を不安の根本原因とみている。

これらの不安を抱えて生きていくからこそ、人生は面白いのだろう。
所詮、不安感からの解放はないのだ。
それならば、精神の属性として仲良くしていかなくてはならないのか。

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2004年07月01日(木)
1185, 異境・秘境ツアーレッスンー4

秘境ツアー先の現地の日本人ガイドを見てみると、多様な人生が垣間みえる。
それぞれの色いろな事情を聞いているとドラマそのものである。

・日本でたまたま、その国の人と知り合って結婚、移り住んでいるケース。
・その国の留学滞在や、連れ添いが仕事で駐在しているケース。
・旅行をしていて気に入り、一度帰ったが忘れられないで、何とか手続きをとって
 住み着いたケース。
・世界中を数年単位で渡り住むことを、自分の生き方にしている人。
 等々さまざまである。
日本人がほとんど行かない現地の人ほど、日本人に会うと、
そして日本語が話せることが嬉しいようである。

・最近の変わった人といえば,
去年行ったアラスカのマッキンレーの伊藤さんという人だ。
60過ぎの、見た目はエスキモー人そのものであった。
若いときにアラスカに渡って、そのまま現地人に同化してしまった。
観光シーズンはガイド、それ以外が猟師をしているという。
「アラスカのエスキモーが、たまたま間違えて日本人に生まれたきた」といっていた。
この人の存在は私も本で何回か出てきていたので知っていたが、まさか会えるとは
思ってもいなかった。
狼などの猟の話が、リアルで原始的で非常に面白い。
30数年前の「3億円強奪事件」の犯人ではないかと先年、週刊誌に騒がれた人物でもある。
嬉しそうに、その逸話を話していた。

・やはり去年の、アイスランドの若い女性ガイドは、「旅行先のパリで知り合った
白人男とたまたまアイスランドに来て数年滞在している」
といっていた。結婚をするかどうかは解らないとか。
今風の若い人は、こうなんだと驚いたが、日本人と思わなければ如何ということはない。

・イスラエルのガイドは、以前にも書いたことがあるが、ヘブライ大学出で
神学者くずれの60歳位の人。
癌で何時死ぬかわからないといっていた。
日本にいまさら帰っても、友人もいないし、現地で死ぬかもしれない寂しさを10日間、
切々と話していた。自己証明をしておきたかったのだろう。
日本人はイスラエルに来ることは殆どないという。
そのためか、マイクを離さず「自分の過去」をこと細かく話しまくっていた。
「イスラエルの地で、自分が消滅する不安がたまらない」という叫びが心の底から
響いていた。旧約・新約聖書の地を巡りながら、ガイドの心の十字架を背負って
生きている姿が印象的であった。

・人間的と思ったのは、ニュージーランドの70歳ぐらいの女性である。
若い時にニュージーランドの豊かさに憧れ、移住した。
ところが、その直後から日本が高度成長になり、この国より豊かになってしまった。
そのまま日本に住んでいた方がよほど豊かな生活ができた、無念であるという言葉が
何か微笑ましく、しかし悲痛な叫びに聞こえてきた。

・南アフリカの50歳位の女性はもっと切実であった。
日本の商社でイギリスの男性と知り合い結婚、イギリスに行ったが、仕事の関係で
ケープタウンまできて生活をしている。
日本人の墓は一つしかなく、彫られていた年号は明治末期という。
その女性に何があったのだろう、推理するだけでも面白いが。
みていて寂しさが墓から伝わってきたという。
若い時の海外生活はよいが、歳を重ねたそれは厳しいという。
自分の子供の名前を日本名前にするか、イギリス名にするかで夫婦で争うという。
死んだ後、自分の存在が子供の名前しか残らないからだという。

ツアーはよい、絶対に個人では行けないところまで、行けるからだ。
それも安く、安全に。
[皆で行けば怖くない]ということか。

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2003年07月01日(火)
818, 12の宮

ある本に面白いことが書いてあったので抜粋する。
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昔読んだ本の中に、こんなことを書いたものがありました。
うろ覚えなのですが、こんな内容でした。
私たちには「12の宮」があり、その宮には必ず一つの黒丸がある、というものです。
「12の宮」というものを私なりに作ってみました。
・家族・家系的な6つの宮に対して
・自分にかかわる6つの宮があるような気がします。

ー家族・家系にかかわる宮として
一番目として家系運
2番目として親運
3番目として子供運
4番目として兄弟運
5番目として親戚運
6番目として配偶者運ー結婚運ー結婚できるかどうかも含む

ー自分運として
7番目として金銭運ー出入れする金ー短期スパンの金
8番目として財産運ー蓄積された長期スパンの金
9番目として仕事運
10番目として健康運
11番目として友人・先輩運
12番目として異性運
以上は私が考えたものです。その本の著者が考えたものと違うと思います。

この「12の宮」に必ず1つの黒丸がある。つまり瑕疵(キズ)があるという考え方です。
その黒丸は「12の宮」のどこかにあって、どこかが良くなると必ず移動して、
この「12の宮」をぐるぐる回っているという考え方でした。
実際こういう構造になっているかどうかは別として、この考え方で、いくつかの問題や悩みや
苦しみを解決したことを覚えています。
つまり人間は、どこかで悩み苦しんでいる、という考え方です。・・・・・・・・
・・逆にいうと一つの黒丸によって、他の11の宮が守られているという考え方ができた
わけです。私の場合、障害を持った子供がいます。その子供が私の家に生まれてきてくれた為に、
他の11が守られているという考え方です。その障害を持つ子供がいるお陰で、他の11の宮が
穏やか和やかなもので推移していることが解った瞬間、子供に心底手を合わせることができました。
この黒丸に本心から手を合わせることができた瞬間に、黒丸が何一つなくなってしまう、
メカニズムを発見したのです。
 ー「幸せの宇宙構造」ーより
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 以上である。
すぐに論理を発展したくなるのが私の癖だ。
これを読んでいて、黒丸があるなら白丸が有って良いのではないだろかと考えてみた。
「白丸と黒丸が12の宮を循環している」というほうが面白い?!と。
それと、運となると、何かいいたくなる。
「白丸に気がいっている時は運が良いと思っている時、黒丸に気がいっている時は
運が悪いと思っている時」と考えればよい。
白丸・黒丸のルーレットとして自分を冷静に見ていれば良い。
運とはある決断・判断に対する結果である。
それを総称して運が良い悪いと思うことである。
また運は、親や兄弟や子供や配偶者や友人異性などの「人間観」に由来するのではないだろうか。

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2002年07月01日(月)
454,面白かった!!

ワールドサッカーが終わった。
やはり世界のトップが集まる試合は面白い。
サポーターと一体になった選手が段段燃えていくのがよい。

その時の勝負のアヤが左右するのが特に面白い。
優勝候補のフランスとアルゼンチンが早々に敗れるという
のも、勝負のアヤであった。

ワールドカップというのがこういうものだという事が、
理解できたように思った。
実際のところサッカーの面白みがいま一つピンとこなかったのが、
これを契機に好きになれそうだ。

決勝戦が終わったときの,勝者と敗者の差の大きさもそのまま
画面に出ていた。やはり一国でやるべきというのも確かであった。
最終戦で会場の勝者に対する会場のシラケぶりには世界に対して、
この国のセンスの低さを曝け出してしまった。

韓国の熱狂と比べ、途中で負けてしまった事を差し引いても
盛り上がりが少なかった事は否めない。

ブラジルが勝ちあがっていくプロセスでやはり強かったようだ。
南米の予選ではやっと勝ちあがってきたという。
彼らも実際優勝できると思ってなかったことも含め、喜びは最大級だろう。

TVの前でこれだけ熱狂するとは思っていなった。

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2001年07月01日(日)
[70] 夢についてー2

何か欲しい!とか、どこかに行きたいという夢と
夜見る夢と共通点が非常に多いという。
トイレにいきたいと探している夢は目を覚ますと殆どトイレにいきたい状況である。

次の夢は不思議な不思議な夢だ。
‘母とか父が死んだ後自分のなかに生きている!’とかいうが、
少なくとも私の中で事実の世界だ!夢で事実生きている。

痴呆症になり幼児に退行した幼児に変身した母が出てくる。
それは正しく母が私の中で事実生きているのだ。

次にまた以前書いた文章をコピーしておく。

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H0511妙な夢―(機

 ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。
泥棒ではないかと起きようとするが半睡眠状態で身体が動かない!

起きよう起きようとしているうちにスーッと身体が起きて廊下に出て、
居間に行き、台所を通り、寝ていた部屋へ一周してもどってきて布団に入る。

ところが、ところがである。自分の肉体は反対側の向きでねている。
まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になるという夢(?)である。
これが単なる夢か幽体離脱七日まだわからない。
 
 また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が1.8m位浮いて
(そのまま水平にいて)下をみると自分の肉体が下にみえる!
 直観的にまずいと思い下にもどろうとするがもどれない。かなりうなされていた
と思うが?何年か後に誰かにきいたが、霊現象の一つで、よくある事だそうだ。

こんな事もあった、これは夢ではないが部屋の天井や床の下四ケ所で
次々と音がする。しかし夢ではなかった。

ところで当社

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