堀井On-Line



1823, 日暮里界隈 −3

2006年03月31日(金)



              才八∋ウ_〆(∀`●) 
 
 飲み屋の話になると話は、
           止まらない!

   日暮里の・谷中銀座の商店街が、何ともレトロの味がある。
   数十軒の商店が両側に並ぶが、空き店舗が一軒も見当たらない。
   昼間は観光客で溢れかえっているのだろう。
   魚屋、衣料品店、肉屋などパパ・ママストアには商品が満ちていた。
   夕方の閉店まぎわの店の雰囲気が何ともいえない情緒がある。
   こういう風景に惹かれるのは地方の商店街では、
   もう失われてしまったからだ。

その通りから一歩はいった処に、情緒ある居酒屋が目に入った。
前までいくと料金が書いてあったが、普通の居酒屋の倍近い。
次男も一緒なので、たまには良いだろうと入った。
25坪ほどの店だが居酒屋にしては高級つくりである。
変わっているのは、店の中央に奥の料理場から人ひとりが商品を出せる
空間のある10席位のカウンターがある。(吉野家のカウンターのような・・)

   サラリーマン風の中年男性が4人飲んでいた。
   その入れ替わりに60歳代後半の品の良い旦那様風の人が入ってきた。
   何かのキッカケで話を始めたが、
   上野周辺で『三河屋』という老舗の葬儀関係の商品を扱う旦那という。
           
                 ( ・・)つ―{}@{}@{}- 
                       やきとりどーぞー♪
   「新潟から来て、東京在住の息子と飲んでいる」というと、
   自分の生活圏の文化ー趣味(常磐津・・)とか、町内の話などを
   面白おかしく話してくれた。下町文化の話は聞いていても飽きない。
   二軒目に入った店なので、あまり注文しなかったためか高くはなかった上に
   谷中ならではの雰囲気を充分味わえた。
                     旦_(。-_-。)いい仕事してますな〜

ところでJRの日暮里駅駅周辺の居酒屋は、店構えは良いが殆んど外れである。
下町の為か、朝鮮系の店が多い。
宿泊しているホテルに紹介された駅近くの居酒屋に行ったら、
かん酒(前の客が残してアルコールの抜けた酒)を出されたり、
どう計算しても何割か高く後味の悪い思いをしたこともあった。
日暮里界隈というイメージとおりの危ないところもある。
その危なそうなところが面白いのだが!

              バイ ._〆('Д'*⊂⌒`つ
 ・・・・・・・
 ・・・・・・・
  
 2005年03月31日(木)
1458, はだしの学者ー西江雅之


以前、図書館から借りた西江雅之の旅行記「花のある遠景」を読んで、
常識をはるかに超えた生き方に驚いてしまった。

世界を乞食のように放浪して、その土地・土地の言語と文化の研究に従事、
50ヵ国の言語を話す。
ハダシの学者といわれるように、目線が現地人になっている。
そのためか、どこの地に行っても誰とでも友人になってしまう。
深い教養があってこそである。

「砂漠で出会った人と、二人で手を取って歩きながら、どちらかが失敗したら
死ぬであろうというギリギリの状況で二月、三月と一緒に過ごしたというような
経験がたくさんある。別れたらもうその人と生涯会えない。
住所を聞こうにも、手紙を書こうにもその人は字が読めないし、書けない。
居所もわからない。
そういう経験を何十回も重ねて・・・・・
そのときの思いは言葉では表現できない。いやしたくない」と、
ときには言葉を重ねないことの大切さを述べている。
無理に言葉に置き換えるという作業が、驚きを別のものにしてしまいがちになる。

「外国の何とか村を紹介した本があって、読むと面白かったりするでしょう。
だけど本当は、その村が面白いんじゃなくて、書いた人が面白いんです。
その人は何とか村を面白がれる力があるんです。
面白がる力があれば、世界中どこでもおもしろい。
実力のない人は、変わったものでないとよく見えないんです。」

以上の言葉から見ても、その言葉の奥行きの深さを充分に知ることができる。
以前読んだ本の概要を紹介してみよう。
 
 
ーーーー

「花のある遠景」
 西江雅之著 (旺文社文庫)
 副題は「東アフリカの裏町から」である。

アフリカであっても、普段多くの人間は街に住んでいる。
働いてもいるし、食事もするし、酒も飲むが、しかしほぼ働いていない。

この旅行記で出てくる女たちは娼婦である。
彼女らは著者にとっては、性の相手対象ではなく、
キクユ語の先生であり友達である
(著者は、言語学者で文化人類学の研究をしている)。
彼女らは娼婦だからといって、娼婦的な陰鬱さが全く無い。
さわやかさまで感ぜられるほど、さばさばいている。

この本の内容は日本では考えられないことがほとんどだ。
彼らにとって、それがなんでもない日常でしかないのだ。
旅行をしているというと、じゃあ俺も一緒にいこうという。
荷物持ちでも何でもいいから雇ってくれ、と。
西江は中古車を買って、運転手を雇って旅行しようと思い立つ。
雇った運転手に車を修理してもらい、出発する段になって雇った運転手の男が、
じゃあ荷物をとってくるから待てという。
もってきたのは帽子とズボンだけ。
しかもそのズボンを、この部屋で帰るまで預かってくれという。
バッグも金もなんにも無い。面白そうだからただその話に乗ろうというのだ。
そういう動機の方が自然で面白い。
本当に着の身着のまま。他に何が必要か。恐らく真剣には考えていない。
考えたところで仕方が無いのだ。

お前が行こうとしているところに俺の婚約者がいる。
久しぶりに会えるというので大変にはしゃいでいる。
ところが着いたとたん、そこで偶然知り合った女と仲良くなってどこか消えてしまう。
彼女と会うのはまた今度でいいや。
出発する時には何にも悪びれる様子もない。
ーーー

まあ、こんな感じでアフリカの原住民の生活が、そのまま正直にリアルに書いてある。
そのため読んでいて、引き込まれてしまうのだ。
読んでいると、現地にタイムスリップしたような気分になってしまうから不思議である。

その運転手と、突きつめた自分と何処が違うというのだろう。
何も違わないのだ。

ー著者の概略は検索で調べたら以下の通りであるー

西江雅之(にしえ・まさゆき)。
昭和12年、東京生まれ。言語学・文化人類学者。
主に東アフリカ、カリブ海域、インド洋諸島で言語と文化の研究に従事。
多数の言語を話し、土地の人々の生活に容易に溶け込む研究態度で
"ハダシの学者"との異名を持つ。
また、現代芸術とのかかわりも深く、美術、音楽活動 への参加も多い。
教育面では、過去30年の間に東京外国語大学、東京大学、東京芸術大学、
早稲田大学などで文化人類学または言語学の講義で教壇に立った。
第二回「アジア・アフリカ賞」受賞(1984)。
専門書の他に、エッセイ集『花のある遠景』、 『東京のラクダ』、『異郷をゆく』、
半生記『ヒトかサルかと問われても』、
対談 『ヒトの檻、サルの檻-文化人類学講義』などがある。
平成13年11月には、JTB旅行文化賞記念出版として『自選紀行集』が刊行される予定。
また、多くの高校・中学の国語教科書にエッセイが採用されている。
 ーーーー

ー以前書いた著者の本の感想文である。

2003/11/14
954, 「意味」の意味を考える

 言葉や言語を考える時、重要な事として、すぐに「意味」が出てくる。
「人生の意味」とか、「意味がないよ」とか、「このことにどういう意味があるか」
とか、言葉と意味は一体である。
考えるとは、言葉の羅列の繰り返しをしているといってよいが、
それは羅列によって意味を幾とおりも置き返していることである。
といって「意味」の意味を考えると何が何だか解らなくなってしまう。

「意味」の意味を考えるとは、半分ジョークみたいな話だ。

 言語学者の西江雅之氏の本に、「意味は『価値』である」に注目をした。
「意味がない!」などと1人で解ったような気になるのは、
「自分の価値観とは違う」とっていることでしかないのだ。
「人生の意味」も「人生の価値観を何処においておくか」の問題でしかない
 ことになる。

 言語学者の西江雅之の「『言葉』の課外授業」ー洋泉社ー
 という本の中(p78)に「意味」の意味を簡潔にまとめてあった。

・一つ目は「意味」とは「価値」である。
 世界のほとんどの言語では「意味」というのは、「価値」のことを言っている。
「あの人の話は意味深い」とか「あの人の話は意味がない」とか、
「面白い」とか「つまらない」とかは、受けての「価値判断」のあり方を
「意味」と呼んでいるのだ。

・二つ目は、「意味」というのは、出された例の、別の表現への
「置き換え」なんです。
 たとえば「『椅子』とは何か」と言ったら、「それは『人が座る道具』
 である」と。この置き換えが、ある種の「意味」になる。
「置き換え」の二番目は、別の言葉に置き換えると言うことです。
「‘desk’の意味は何だ」というと、辞書に「机」と書いてある。
「あ、意味がわかった。この単語の意味は‘机’なんだ」となるような、
 別の言葉への置き換えである。

・三つ目は、「世界の創り変え」である。
現状から出発して新たに見出そうとする意味である。
現状を否定して、いっそう本物を求めようという場合の、
「求めるもの」と言ってよい。
日常生活で「意味を問う」などというのは、現状を疑い、現状を変革させること
なんです。

 意味には「分析的」なものと、「連想的」なものがある。
「分析的」は欧州風科学で考えるもので、「連想的」は
「ひらめき」や「インスピュレーション」などの科学で扱わない部分である。

ー以上が抜粋である。
 
 一つ目の ー「意味」とは「価値」であるーについて考えてみよう。
ある出来事を、結果として意味付けをしたがるが、それは「自分の価値観
に対して無意識的に押し込もうという働き」と見ると理解ができる。
そうすると、意味を考えることは価値を考えることなる。
そういう知識のない人が、必死になって「意味づけの演説?」をしているのを
聞いたことがある。
その時「この男、馬鹿じゃないか?」と聞いていて思ったことがある。
「結局は、自分の価値観、意味づけを言っているだけじゃないか」と聞いていた
ことを思い出して納得をした。
まあ、同じことを自分もしているのだろうが。

 二つ目の「置き換え」は、少し解りづらい。
意味というのは、同じことを置き換えているに過ぎないというと解りやすい。
「deskは机だ」という言葉の置き換えがよい例だ。
もっとわかりやすい場面が、
夏休みにNHKの「子供ラジオ電話質問コーナー」がある。
こどもの単純な質問に窮した回答者が苦し紛れに、ただ言葉の置き換えで
説明をしてしまうことがある。
「死ぬってどういうことですか?」という哲学者でも答えられない
問題を一言で片付けなくてはならない時に、言葉の置き換えで誤魔化す
ケースだ。

 三つ目は「世界の創りかえ」である。
良い意味でも悪い意味でも、宗教家が使う手法である。
経営も政治も、考えてみれば「世界の創りかえ」である。
その時、背後には大きな意味がなくてはならない。
その点では、「意味」や「価値」は最重要事項である。

「ところで、このホームページって何の意味があるの?」と問われたら
と、考えてみた。
何回も書いているが、「公開の日記と魂の記録」といってよいが。

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2004年03月31日(水)
1093, ユビキタスの時代ーIH式炊飯ジャー

数年前TVのコマーシャルで、すし屋がご飯炊きを陰でIH炊飯ジャーで
炊いているのを放映していた。

先日、その炊飯ジャーを買って食べたところ、本当にコマーシャルのように
寿司屋のシャリにそっくりに炊き上がっていた。
一粒一粒たっているようなご飯に出来上がっていた。

「今まで食べていたご飯はなんじゃい!」というのが実感である。
20年以上前のジャーと比べるのだから、当然といえば当然だが。

数年前に寿司屋でTVと同じ場面に出くわしたことを思い出した。
シャリが美味しいので褒めたら、炊飯ジャーで炊いたと女将がいっていた。

電子レンジと冷蔵庫も20年使っているが、両方とも当時15〜20万もしたもの。
今は5分の1になってしまった。機能も含めると10分の1といってよい。

それにしても、我家の電気器具の物持ちがよいのに驚く。
それが当たり前なのかもしれないが、20年前と今の電化商品は全く
別物といってよい。

PDPTVやDVDやビデオやカメラや携帯電話などの技術開発は素晴らしい。
電気売り場に行く度に、その進化に目をみはってしまう。
ユビキタスが、その背後にあるのだろう。

高度の技術が身近な家庭や職場に、どんどん使われだした時に
時代は激変を始めるのだろう。

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2003年03月31日(月)
726, 結婚式で思う

私は結婚式と葬式に参列するのが好きだ。
その中に色いろな人生の圧縮がみえるからだ。

 一般には「人生で集まって褒めてくれる」のは、
「生まれた時と結婚式と葬式の三回」だけだ。
そのうち結婚式だけが、祝福されるているのが自覚できる。

「人生は結婚式で道半ば」ともいう。
それで人生の大半が決定してしまうからだ。
当たりか外れは神のみぞ知るである。

今はジミ婚になってきて「社会の体面や家どうしの対面」というより
「本人同士のお祝い、かつメルクマール」という面が強くなってきている。
以前よりは結婚式に対しては、気楽な式になったようだ。
若い二人が夢を持っての門出を祝うのは気持ちのよいものだ。

 つぎは葬式である。
本来葬式はお祝いであるべきだ。
その人が人生を終えて、無に帰っていくのを送る儀式である。
人生の卒業式である。悲しみであると同時に、その人にとって大きい意味を持つ。

参列して思うのは、その人の生き様がそのまま現れていることだ。
その厳粛な雰囲気がなんともよい。
その人の「魂と社会と世間がそのまま圧縮されている」といってよい。
人が一人亡くなるのは、その人の積み重ねた人生が無に帰ることである。

ごくわずかな身内の人達の心のこもった葬式が好きである。
それぞれの社会的なものもあろうが、今は生き残った人の体面の場になっている。
葬式もそれぞれの残されたものの価値観があるから、とやかくいう問題ではないが。

最近は葬式に出席すると、いつも遺影を常に自分の顔に当てはめて考えてしまう。
その目で会場の人達を見ると、何ともいえない気持ちになる。
「死んでしまえばお終いよ!」と。

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 2002年03月31日(日)
362,ある思い出-慈善

中学の頃の話である。
隣にMという一家がいた。
そこに一歳年上のカッチャンという遊び友達がいた。
その家の裏に倉庫があった。

そこに乞食のような生活をしている親娘が住んでいた。
母親が肺病で、私のある姉にあの家の近くに近寄らないように言われていた。
カチャンの母親が気の毒がって面倒を見ているという。

カッチャンの父親は数年前亡くなり、
母親とカッチャンとその姉と3人の家族であった。
今考えるとカッチャン一家は、その生活を維持するのに精一杯の筈だ。
その苦しい中、その親子を面倒見ていたのだから大変だったろう。

ところが彼女(母親)が癌で、なくなってしまった。
神も仏もあるものかである。
残されたカッチャンと姉さんは、おじさんと同居する事になった。

その肺病の母親もまた二年後亡くなった。
そして娘は施設に引き取られていった。

その事を今から20年前に、何かの拍子に思い出した。
そのMという人の心に気がついた。
どういう気持ちでその苦しい生活の中、その人を面倒を見ていたのか。
そしてその中で死を迎えた時の本人の気持ちは、いかなるものだったのか?

人間の一番大事なことは何であるのか?
それとは関係なく、現実は非情に動く。
「愛は世界の中心である」という言葉がわかるが、
反面本当かとも疑問が湧く。

人生で最後残るのは、そういう愛の行為か。
少なくともカッチャンと姉さんには、深く残っているのではなかろうか?
それとその娘の心に!

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<お笑い>
[殿の姉の死]☆☆☆

この小話は7〜8年前に仕入れたが、一番気に入っている1つである。
  ーー 
殿様と家老が話をしているところに家老の家来が緊急にと、
青い顔して耳打ちをした。
‘殿(家老)の姉ぎみが亡くなった’と。

家老はてっきり殿様の姉と、勘違いをしてしまった。
それを聞いた殿は、うろたえ城内は大騒ぎ!

しかし、その後家老の姉と判明した。

家老に殿は怒り心頭、
「無礼千万な!わしの姉を勝手に殺しおって、打ち首!」
と刀を振り上げた!
その瞬間ハッとして、刀をしまった。

‘わしには姉がいなかった!’


1822, あちら側の世界 −4

2006年03月30日(木)

               ヾ(@°▽°@)ノオッハヨー
   
 ウェブ進化論ー4
 ーオープンソース現象ー
 
 
「オープンソース現象」が最近の潮流になっているというが、
これが大きな変革をもたらす要素になる。
私の、このHPも小さなオープンソースである。
これを多くの大組織がすることで、いや個人も含めてすることで
核爆発的に情報が満ち溢れる事態になってきている。

  
   ー以下は、この著書 Pー176からの抜粋である。
   (非常に哲学的にも深い示唆がある)

    オープンソースの考え方は、当初は
   「アカデミアを中心としたソフトウェア開発の世界」
    というコップの世界であった。
    Windowsnなどの爆発的広がりにより、インターネット休火山の大爆発が起こり、
    そのコップが壊れ、リナックスのような大成功が引き起こされた。
    そして、「オープンソース」は、IT業界の大潮流になってしまった。

しかし、この流れはそれだけにとどまらなかった。
「オープンソース」とは、
「知的資産の種がネット上に無償公開されると、
世界中の知的リソースが自発的に結びつき」
しかも
「集権的リーダーシップが中央にいなくとも、解決すべき課題に関する情報が
共有されるだけで、その課題が解決される」
という発見を意味していた。

    それは他の分野の、複雑な構築物や科学の分野でも応用できることを意味していた。
    その発見は、さらに
    「人は何故働くのか」
    「企業組織だけが万能ではないんだ」
    といった普遍的かつ根源的な問いかけや予感を誘発した。
    「オープンソース」はソフトウエア世界を超えて、世の中全体に
    応用できるのではないかと思わせるだけの、不思議な魅力を秘めていた。
    これがオープンソース現象である。

現にコレラ対策で、大きな成果をおさめている。
まだまだ開発途上国では、コレラは大問題である。
対策には高い治療費か、高いスキルが必要で相変わらずコレラに苦しめられていた。
ネット上でこの問題が提示されたとたん、わずか数ヶ月で、関連分野のさまざまな
領域の見知らずのプロフェッショナルたちがネット上で協力し合い、
低コストでしかも訓練なしで使える新システムが開発されてしまった。

    コレラ治療のプロジェクトに参加した人々は、自分の貢献したアイデアが
    大勢の命を救う製品に、まるでジグローパズルが少しずつ出きるのに
    はまり込んでいったのだろう。


この文章を読んだ時、
これからの時代を示唆しているように感じた。

 =もう古くなるが、著者のHPより以下のオープンソースに
  関する記事をコピーしてみる。=
  {2003年9月19日[産経新聞「正論」欄]より}
    ー知的資源の自発的な結合を誘発
      従来型の開発方式を覆す

米マイクロソフトの基本ソフト(OS)「ウィンドウズ」に対抗する
「リナックス」は、オープンソースと呼ばれる世にも不思議な方法で
開発されたOSである。
オープンソースとは、あるソフトウエアのソースコード
(人が記述したソフトウエアの設計図)をネット上に無償で公開し、
世界中の不特定多数の開発者が、自由にそのソフトウエア開発に参加できるように
することで、大規模ソフトウエアを開発する方式のことである。

    「リナックス」の成功は、(^_^)v
    「企業組織の閉じた環境において厳正なプロジェクト管理のもとで開発されるもの」
     という大規模ソフトウエアの常識を完全に覆してしまったのである。

    「リナックス」の成功によって証明されたオープンソース現象の本質とは何か。
    ・それは第一に、「何か素晴らしい知的資産の種がネット上に無償で公開されると、
     世界中の知的リソースがその種の周囲に自発的に結び付くことがある」
     ということである。
    ・そして第二に、「モチベーションの高い優秀な才能が自発的に結びついた状態では、
     司令塔にあたる集権的リーダーシップが中央になくとも、解決すべき課題
    (たとえそれがどんな難題であれ)に関する情報が共有されるだけで、
     その課題が次々と解決されていくことがある」ということである。

 現代における最も複雑な構築物の一つである大規模ソフトウエアが、
こんな不思議な原理原則に基づいて開発できるものなのだという発見は、
単なるソフトウエア開発手法にとどまらないオープンソース現象の新しい可能性へと、
私たちを導こうとしている。
                    (=^ε^= )!

ー高等教育受ける機会拡大 ー

 昨年十月二十三日付の本欄でご紹介したが、
講義内容すべてをネット上に無償公開する米マサチューセッツ工科大学(MIT)
の巨大プロジェクト「オープンコースウエア」はその一例といえよう。
二〇〇七年までに、学部と大学院課程全部を網羅した二千科目の教材が
公開される計画であるが、そろそろ、その四分の一が完成しつつある。
特に英語圏の発展途上国から、この試みは絶賛を集めており、
さらにスペイン語化の企画も持ち上がり始めている。

    科目ごとに、講義摘要、必読書、講義で使うスライド、講義メモ、
    課題、試験と解答、科目によっては講義を録画した映像が無償公開され、
    世界中の誰もがインターネットへアクセスさえすれば、
    この教材を駆使して自由に好きなだけ勉強できるようになる。

むろん講義内容だけが公開されても、世界の片隅に居て、
たった一人黙々とネットに向かって独学するのは難しい。
しかし今、「科目ごとの学習コミュニティーが世界中で自然発生する」という現象が、
人気授業の周辺ではぽつぽつとだが生まれ始めている。

    その学習コミュニティーは当然ネットでつながってくるから、
    自分が悩んでいる個所を質問すれば瞬時にアドバイスが返ってきたり、
    課題プロジェクトに共同で取り組む仲間を見つけたりできるようになる。
    そんなコミュニティーが二千科目すべての周辺にいずれできあがれば、
    MITの教育が世界の高等教育におけるプラットホームとなるのではないか。

 こんなMIT「オープンコースウエア」構想は
「素晴らしい知的資産を無償公開すると、世界中の知的リソースがその周囲に結び付く」
というオープンソース現象の本質の第一点から、強く影響されてスタートしたものである。

                 (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
                    (=^ε^= ) ありがとう!
                 
ー企業経営でも先駆的試み ー

 一方、本年六月八日付の本欄では、
シリコンバレーで最も有望視される「グーグル」という検索エンジン・ベンチャーが
追求する組織原理もご紹介した。
これはオープンソース現象の新しい可能性のもう一つの実例として挙げることができる。

    グーグルは最優秀な人材のみを選び抜いて採用し、
    「社内には三人一組のチームがたくさん存在するだけで、管理職は不在、
    その代わり情報共有ツールだけは最先端システムを導入する」
    という見たこともないような組織原理を模索し、
    これを成功要因の一つだと標榜(ひょうぼう)している。

 この組織原理は、
「強く動機付けされた優秀な才能の集まりを作って、
きちんと情報を共有しさえすれば、自然に問題は解決していく」
というオープンソース現象の本質の第二点を、現実の企業経営に応用しようとする
先駆け的な試みであると言っていいだろう。

    インターネットは、われわれの社会の土台を揺るがすような変化の胎動を、
    水面下で引き起こし続けているのである。

 ーー
オープンソース現象は、人類の、そしてインターネットの未来に
大きな明りになるだろう。

                     ホンジャ o(▽^*)ノ~~
・・・・・・・・
・・・・・・・・

2005年03月30日(水)
1457, 乱気流の恐怖


先日、「台湾行きの飛行機が乱気流で42人の重軽傷者!」
と報道されていた。

私も台湾周辺で乱気流に遭遇したことがあるが、あの恐怖感は言語で言いあらわせない。
(どうなるかは神のみぞ知る異常事態である)
スーッと50丹漫飛行機が垂直に落ちる感じで、体が上につきあがりそうになる。
それも何度もつづくから恐怖も頂点になる。
もちろん、シートベルトをしてなければ体が放り出されている。
死なないと確証があれば逆に面白い?のだろうが。

飛行機は順調の場合は恐怖感はゼロであるが、乱気流に出あったり、
飛行機に不調があるのではないかと疑いが出たときは恐怖のどん底に落とされる。
もしかしたら、このまま消滅してしまうのではないかという恐怖感である。
二十数年前のことだが、
ハワイで「飛行機の上部が吹き飛んで座席が丸見えの状態で着陸をした映像」
をニュースで見て、そのリアルな状況にゾッとした記憶が鮮明に残っている。
確か何人かが吹き飛ばされたと記憶しているが。

また映画でも、墜落ギリギリの状態のものを何本か見たことがある。
実際に経験したものでなければ、あの恐怖感はわからない。

飛行機は時速1000キロで一万メートル上空を飛んでいる。
そのことに何もない時は気がつかないが、意識をした時にそのことに気がつく。

9・11の時も、実際にテロリストが飛行機を乗っ取ってビルに突入したのだから
乗客は恐怖のどん底であったはずだ。

以前にも書いたことがあったが、飛行機で夢を見たことがあった。
自分が空にドンドン浮き上がっていく。
電信柱が下に見えてきて、まずいと思っているうちに夢から醒めた。
そしてやっと地上にいる自分に戻ったと思った瞬間、自分が飛行機の中にいる。
その瞬間、直感的に空を1000キロの時速で飛んでいる体感がした。
大声を上げて助けを呼びたいが、回りの人は寝ている。
その時の恐怖の極みを今も鮮明に記憶している。

普通の日常では経験できない異常密室空間が飛行機の中である。

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2004年03月30日(火)
1092, 大相撲・千秋楽

一昨日が大相撲の千秋楽であった。
4人が11日目まで全勝。
最後の一番で優勝が決まった面白い場所であった。
一時のつまらない時期を過ぎたようだ。
外国出身の力士ということを気にしないようにしたら面白くなった。

幕下、十両、幕内前半に有望の歴史が目白押しに出てきた。
大関・横綱になる素質は大体わかるが、それでも多くは外れてしまう。
怪我や病気で伸びが止まってしまう場合が多い。

幕下に「萩原」という17歳の超有望な日本人力士も出てきた。
若手で大関横綱級としては、
他には朝赤龍・白鵬・黒海・琴欧州あたりだろう。
萩原以外が外人というところが面白いが。

モンゴル人だけで37人もいるのだから、何処の国で開催しているのか
錯覚してしまうほどだ。

モンゴルの大草原で羊の肉で育った飢えた彼らに、日本人が敵わないのは
仕方がない。元々はモンゴル相撲がルーツである。

数日前も、総合格闘技のK−1が放映、興奮をしてみていたが、
別に日本人かどうかは全く関係はない。

格闘技に関して、世界には底知れない強い選手が多くいる。
異種格闘技という垣根を取り払ったことが、試合を面白くしている。
さらにグローバル化で、広範囲になったこともある。

野球に、スケートに、K−1に、サッカーなど時間が足りないほど見ていて
面白いスポーツが増えた。

その時間は自分自身という面では何もプラスになるものはない?

いや、ストレスの解消になる?

・・・・・・・
・・・・・・・

2003年03月30日(日)
725, 今日の結婚スピーチ

 今日は会社の女子社員の後藤早苗さんの結婚式だ。
何か祝辞をいわなくてはならないが、これはというのが出てこない。
気持ちの入らない祝辞ほど聞いていて、いやなことがないのを知っているから
流す事もできない。こういう時は自分の話しをすればよい。

結婚観をそのまま話をするしかないと思ったが、そうはいかない。
初めて図書館で「祝辞・結婚スピーチ」のコナーを覗いてみた。
「結婚スピーチー死ぬまで忘れられない話」斉藤茂太著があった。
さすがだ、といってそれを読んでいる時間が少ないので、
やはり自分の話しをする事にした。
今日の11時10分あたりに話している内容を先に書いて出かける。
  ・・・・・・・・・

・まずはうちの会社の女性ーすなわち花嫁の褒め殺しとして、  
 彼女が陽気であることを紹介します。
 陽気は最大の美徳であり、素質であります。
 陰気は罪悪です。

・結婚は決してよいことことばかりではありません。
 「二つ良いことさてないものよ」という言葉がありますが、この言葉を
 一番実感するのが結婚です。離婚がいまや三割を超えているといいますが、
 家庭内離婚を入れたら過半数は破綻です。
 これだけは家電と同じで、当たり外れは長い時間を経って見ないと解りません。
 あとは神のみぞ知るのみです。当たりであることを心より願っています。
 
・また結婚は二人の権力闘争です。それも死ぬまで続く泥沼の死闘です。
 これも仕方がありません。それでは如何したらよいか?
 「過去の事は持ち越さない、ぶり返さない」ことです。
 それしかありません。

・私の家内と本当に結婚してよかったと思います。 
 いやそう自己暗示を与えています。
 陽気であり大らかさからです。
 最後は泣くか笑うかです、なら笑う人が良いのではないかと思います。
 
  まあこの程度にしておきます。
 ライオンに食べられそうになったら、耳元にこっそり次の事を呟けば
 ライオンは逃げ出すそうです「私を食べる前に、少し長い演説をさせてくれ!」と。

良い家庭を築いてください。
それと収入の10%以上の天引き預金を習慣にしてください。
以上です。お幸せになってください。

斉藤茂太の「結婚スピーチ」の抜粋は明日か明後日書きます。

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・・・・・・・・・

2002年03月30日(土)
361,イスラエル

主観であるが、旅行をしたところに事件がおきる。
ペルー、エジプト、イスラエル、そしてフィジー、ケニアと次々と、
ああそれとパキスタンとネパール。

それから考えると、今度はヨルダンかシリアあたりか。
考えてみたらペルーを除けばイスラム教に関係している。

イスラエルに行った時に危ない感じがした。
まずは入国審査の審査は異常なくらい厳しいものだった。

また国内はあちこちで兵士が機関銃を持って歩いていた。
私用の時も身から離さないようだ。

あちこちの広場に兵隊が駐屯していた。
市場で兵隊が3人血相を変えて走って行く。
その後を商店主のアラブ人が何事かと走って行く。
これが日常のようであった。

アラブ人地区に入るとやはり民度が落ちるのが解る。
4000年の対立は致し方ないのだろう。
3年前の文章をコピーしておく。

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H1105イスラエル聖なる旅 

この旅行は、四千年の旧約・新約聖書に出てくる歴史と出会う旅であった。
四国の面積とほぼ同じ中に、数えきれないほどのドラマがあった。
現地の日本人ガイドのシャワ−のような説明が新鮮かつ面白く驚きと感激の連続であった。
その為か帰ってきて、新約・旧約聖書をじっくり読む事ができた事が最大の成果となった。
関連を含めると十冊を前後二ヶ月たらずで読んでしまった。

考えてみたら私の人生の転機の度に必ず聖書か聖書関連の本があった。
人生のもっと早い段階で、じっくり読むべきであった!。
旧約は先入観で固く難しそうであったが、読んでみれば何もむずかしくない、
ただただ面白い!内容であった。
旧約はユダヤとユダヤ民族の歴史の書であった。
また新約は出会い=イエスの心との出会いの書と言ってよかった。

印象の強い順に列記してみると、

まずは何といってもエレサレムである。イスラエルがそのまま凝縮されているといってよい。
四千年の昔から神の名と民族の誇りをかけ、数え切れない戦いの舞台となった。
そして現在も続いている。
この街を歩く事は世界の歴史の生き証人と出会い同行することかもしれない。
イエスが十字架を背負って歩いた悲しみの道=ヴィア・ドロロ−サ。
磔刑に処せられたゴルゴダの丘。
最後の晩餐の部屋。イスラム教の重要な寺院=岩のド−ムとアクサ寺院。
ユダヤ教徒にとって最も貴い嘆きの壁と広場。そしてダビデの塔。
旧市街を囲んでいる城壁は四千年の歴史の深さをそのまま物語っている。

次はモ−ゼの十戒で有名なシナイ半島のシナイ山である。
深夜の二時に三時間かけて登って山頂からのご来光とシナイ山の山並み。
そして、その麓にあるカタリ−ナ修道院と、神の声をきいたという“燃える柴”。
そして帰路にたちよったベトウィンの部落。そして、そこで飲んだ紅茶。

“マサダの要塞”=この旅行までは全く知らなかったが、キリストが死んだ四十年余り後に、
ロ−マ軍に追いつめられた熱心党員のユダヤ人九六七名がたてこもった自然要塞。
陥落の前日、そこの指揮者ベン・ヤイルの演説の後、
七名を除く九六〇人の集団自決のあった場所であった。
その時の詳しい内容が生き残った者の証言で残った
(ヨセフスの“ユダヤ戦記”に生々しく残っている)。
=「奴隷にされる前に...自由の状態におもむこうではないか。」
=自殺を厳禁しているユダヤ教徒の集団自決であるからその意味が違ってくる。

イエスの生まれたベツレヘムの岩のほら穴の馬小屋と岩の飼葉桶。

ユダヤ教エッセネ派の“死海写本”が発見されたクムラン洞穴。
一九四七年、近くを歩いていたベトウィンの少年が、洞穴で土器に入った巻物を発見。
壷に納められた六〇〇を越える巻物には、イザヤ書全巻や旧約聖書等々記されていた。
今世紀最大の発見といわれている。ここで他にとんでもない事が記された文書があった。
−イエスキリストが主張された大すじが、そのずっと昔のこの文書の中にあったという。

“イエスはエッセネ派の指導者の一人でしかなかったのでは?”
という疑問がでてきたのである。そうすると西欧キリスト教の根底が変わってしまう。

あと十年後に振り返った時、恐らく今回のイスラエル旅行は私の内的深奥で
一大転機の経験となるのではないだろうか。
旅行は外界を訪れるだけでなく内奥の自分との出会いの機会でもある。

【別記】

この旅行と旧約聖書を読んで今の日本に絶望的気分になった。
四千年間の他民族・他宗教と血と血で争う闘いが現在まで続いている。
六十年前には六〇〇万人ものユダヤ人がナチに殺されている。
現在も一歩間違うと今の国土より追放されかねない緊張感・危機感が全土にあった。
男子は三年、女子は二年の兵役があった。
国中どこにいっても機関銃を持った兵隊がいた。
一歩家の中に入ると機関銃が無造作においてあるという。
といってその手の事件は一切ないという。
その銃の目的は敵に使うもの、国を守る為のものというのがはっきりしているからである。
今の日本の防衛に対する考え方甘さが対比すると浮き彫りにされた旅行でもあった。
1999.4.14〜4.24

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<お笑い>

[破れ傘 ] ☆☆

ある男 夜 山道に 迷っていたところ 一軒の家があった。

1人の綺麗な後家さんふうの女が 気持ちよく 泊めてくれた。

夜中よからぬ気持ちになり、ついつい夜這いにおよんだ。

どうしてもうまくいかずそのまま寝込んでしまった。

狐に化かされたのだ。朝 山道に一人転がっていたのだ。

そして  そこに一本の破れ傘が落ちていた。

男曰く、‘どうりでさせない訳だ’


1821, あちら側の世界 −3

2006年03月29日(水)



                ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨ 
  
   ウェブ進化論ー3
  −ロングテールとはー
 
この本で印象的だったのが、ロングテールというキーワードである。
ロングテールが最大限生かせるようになったのは、情報化のなせる業である。

    最近買う本の半分近くが、アマゾンからの中古本である。
    一度消費者が買って読み終わったというより、出版社か中間流通業者が個人名を
    使って販売しているのではとしか思えない。

ただ同然で買い入れて、それをアマゾンに貼り付けておいて、
直接送ってきているのでは??
また、一度買った本ー中古本はロングテールの部類ともいえる。
しかし、それもロングテールの大きさと長さを知らないのだろうか?

    世の中、音をたてて変化している!
    
  ーー

ーネット世界で利益を稼ぐ 
     「ロングテール現象」とは何か


 ロングテール(Long Tail:長い尾)とは?
この言葉は最近少しずつ米国で使われるようになった。

    ロングテールとは何なのか、本という商品を例にとって考えてみる。
    一年間にどんな本がどれだけ売れたのかを示す棒グラフを作ってみる。
    縦軸に売れた部数を取り、
    横軸には左から第一位『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』、
    第二位『世界の中心で、愛をさけぶ』、第三位『バカの壁』……と
    売れた順に一冊ごとに棒グラフを連ねていく。
    横軸には「一冊あたり五ミリ」、
    縦軸には「千部あたり五ミリ」でグラフを書くと、
    本の売れ方の全体像はどんな形状になるか?
 
縦軸は「千部で五ミリ」だから「二百万部で十メートル」になる。
第一位の販売部数はそれを軽く突破する。
しかし第十位になると販売部数は一桁少なくなるから、
グラフ左端の形状は十メートル以上の高さから急降下したような形になる。

このグラフをどんどん右に向かって書いていくとどうなるか。
あるところからは、売れる部数の少ない本が延々と並ぶことになる。
日本での年間出版点数は約七万点なので、三年分並べると二十一万点。
「一冊五ミリ」で棒グラフを書くと「二十万冊で一キロメートル」になる。
第二十万位の本は、売れていてもせいぜい一冊であろう。
一冊の棒グラフの高さは「千部で五ミリ」だから五ミクロン。

    よって横一キロにわたって伸びたグラフ全体は、高さ十メートルから急降下して、
    あるところから地面すれすれを這う。
    そして一キロ先では五ミクロンの高さになるまでなだらかに下っていく形状になる。
    体高十メートル以上で一キロメートル以上のロングテールを持った恐竜。
    それを横から見たシルエットのようになる。
 
本を取り巻く関係者といえば、インターネットが登場するまでは、
出版社と流通業者と書店であった。
皆、店舗や倉庫や在庫といった大きな固定費を抱えるから、
ある程度以上売れる本(グラフの左側)で収益を稼ぎ、
ロングテール(延々と続くグラフの右側)の損失をそれで補うという
事業モデルで長いことやってきた。
 
しかしインターネット書店はこの構造を根本から変えてしまったのである。
米国のアマゾン・コムの本の売上げの半分以上が、販売部数ランキングの四万位から
二百三十万位までのロングテールから上がっているようなのである
(外部の研究者による推定)。

    高さ一ミリ以下で十キロ近く続くグラフ上のロングテールを積分すると、
    まさに「塵も積もれば山」、売れる本の販売量を凌駕してしまうのだ。
    リアル書店では在庫を持てない「売れない本」でも、インターネット上に
    リスティングする追加コストはほぼゼロだから、
    アマゾンは二百三十万点もの書籍を取り扱うことができる。
    しかも「売れない本」には価格競争がないから利幅も大きい
    (米国では新刊書にも値引き競争がある)と良い事ずくめになる。
     これがロングテール現象である。
 
このロングテール現象は、特にデジタルコンテンツのネット流通において顕著に現れる。
三月二日、アップルの「iチューンズ・ミュージックストア(iTMS)」での
音楽ダウンロード総数が三億曲を超えたが、アップル関係者によると、
取り扱っている百万曲以上の楽曲の中で一回もダウンロードされなかった曲はないらしい。
ここでもロングテールは長く連なっており、大ヒット依存のリアル世界とは
全く異なる経済原則で事業モデルが成立しはじめている。
 
    ではロングテールの反対概念とは何か。
    それは大組織を支配する「80:20」の法則である。
    「80%の売上げは20%の商品から」
    「80%の利益は20%の大口優良顧客から」
    「80%の成果は20%の優秀な社員から」などなど、
    大組織における「80:20」の法則は枚挙にいとまがない。

この法則は、品質・人事・営業と大組織のいたるところで通用するあまり、
「あらゆる物事において、重要なのは少数であり、大多数は取るに足らぬもの」
という思想に結実し、
「取るに足らぬ80%は無視し、重要な20%にリソースを集中せよ、
それこそが経営の効率を高めるのだ」
という考え方が大企業経営の常識となった。

    この「取るに足らぬ80%」とは、まさにロングテールのことである。
    「ロングテールに関わりあっても固定費を賄えるだけの売上げを生まない」
    というこれまでの常識は、リアルな大組織においては今も正しい。

ネット世界とリアル世界のコスト構造の違いが、ロングテールに関する
正反対の常識を生み出しているのである。
アマゾン、グーグル、ヤフー、eベイといった米ネット列強は、
リアル世界が何百年も無視してきたロングテールという未開のフロンティアに
狙いを定めた冒険者たちなのである。
                      
     ーー                     
    これが「あちら側の世界」の、典型的な例である。
    ブログの世界でも同じである。
    決して「糸井新聞」の必要性はない。
    それぞれの趣味の連中が集まればよい。
    それを可能にするのが「チープ」の成果である。

   次回は
    ーオープンソース現象についてー 
               
               .@(-ェ-)@ノ~~~バイ〜

・・・・・・・
・・・・・・・

 2005年03月29日(火)
1456, 生命保険に入る馬鹿、入らない馬鹿


私は生命保険には入らない主義である。

「馬鹿馬鹿しい!何で自分が死んで保険金が?
それ位なら、その保険金を相手に直接やるか貯金すれば良い。
保険屋は確率の問題で、奇麗事をいってピンハネしているはずだ。」
というのが私の理屈である。

もう一つは、
「先のことはわからない、だから心配したって仕方がない。
最悪の事態になったとして、それがどうした?!」という考え方が基本にある。
保険に入る人は「先のことはわからない、だから心配だ」という考え方なのだろう。
「だから心配だ」と「だからどうした」の分岐点で考え方が変わってくる。
それぞれの人は色いろな立場と事情があるので、私の場合の話と断っておくが。

平均寿命80歳が、生死の五分五分のラインである。
それ以上生きた場合、生命保険金は支払われないものが多い。
この辺に保険屋のマジックがある。その事実を知らない人が意外と多い。
(母もそうだったが、この事実を知らないで80歳まで保険に加入していた)
80歳以前に死んだ場合に、残された家族の生活には有効であるから保険に入るのだ。

しかし保険屋というものは、不安事業でしかない。
その不安をくすぐって加入させる保険のオバちゃんがいるのだろう。
したがって、詐欺的要素が出てくるのだ。

壮年で亡くなった場合に、家のローンや子供の教育費が負担に対するヘッジとして
必要だろうが。といって博打であることも確かである。

保険屋の立場からみれば、あくまで博打の胴元でしかない。
無知な大衆から利益を得るのが目的である。
相互補助団体といえば、何処かの宗教団体と同じだが、
不安解消ビジネスであることも同じである。

箪笥預金も同じだろう、将来が不安と、生活を切り詰めて貯金をして死んでいく。
お笑いであるが、本人にとって不安なのだろうが。
不安感に対して、
「それがどうした!」
「で、どうした!」
 「何とかなるわい!」
「大丈夫大丈夫!」と、
自省してみれば、その金を楽しみに向けたほうが良いのがわかるはずなのだが。
無知の一番気の毒なカタチである。

最後は生活保護を受けられるから何とかなるし、
死んでしまえば一円もかからない。
自分は死なないと思っているから貯め込みたくなるのだろうが。

「大金を残して死んだ孤独な老人」というのが一番滑稽である。
金の本質を考えれば、哀れな生き方ということは自明である。
使い切れないほど使って、大金が残っている人もいるから一概に言えないが。

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2004年03月29日(月)
1091, 公示価格は時代反映の象徴


少し日が経ったが先日、全国の公示地価が発表された。
都心の一部が下げ止まり感とあったが、地方は下落率が拡大していた。
1991年に比べて平均して、商業地で67.6諭⊇斬霖呂43.2猷爾った。
土地と株価は連動するというから、あと10〜20佑浪爾ってよいことになる。

この一年で地方の6大都市などの中核都市以外は、商業地は10パーセント以上の
落ち込みである。新潟もその落ち込みになっている。
地方経済が悪いというが、そのまま地価に比例している。

家内が長岡の自宅の町内の役員会に出て聞いてきた話だが、
近くにある長岡にある唯一の高層貸しビルのテナントがドンドン撤退。
町内費が減って困っているという。
東京まで新幹線で一時間半の長岡なら、それが当然であろう。

事務所を撤退して、そこの出身者の自宅を営業所代わりにして、
月数回出社して報告する会社が、激増しているという話を聞いている。
自然と駅周辺の地価は下がって当然であろう。

デフレの一番象徴的な部分である。
下げ止まり感が無いのが不気味であり、デフレスパイラルもよいところだ。
合理化のため拠点や社宅の売却が一巡しない限り、下げ止まりは無いだろう。

東京一極化、それも東京・品川周辺を中心にした集中化は益々進む。
その反面、地方の衰退は激しくなっている。

80対20の法則ではないが、20の首都圏対80の地方にたいして、
80のエネルギーが首都圏に集中しだしたのだ。
中国などの海外に対する拠点などの情報基地としてである。
これが公示価格の大きく反映している。

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2003年03月29日(土)
724, プロ野球開幕

 昨夜からプロ野球が開幕した。
他に面白いプロスポーツやアメリカの大リーグ中継をNHKが衛星TVで開始した
ために,以前ほどの興味がなくなったが、それでも始まれば別である。
ON時代に育った為に、どうしても巨人中心になるが、それでもよい。
NHKも衛星TVで民放の巨人戦にぶつけて、録画をゴールデンタイムにぶつけてきている。
見るほうも同時に2画面で見るから、その差がシビアに見えてくる。

 今の巨人のトレードはやりすぎという感がする。
その豊富な戦力の巨人を長嶋の支離滅裂の采配で壊していくのが何とも面白かった。
しかし去年それが無くなった原監督巨人は、当然優勝をした。
今年も原監督に気の緩みがない限り優勝するだろう。
昨夜は上原の開幕投手の巨人と、松坂の西武が敗れてしまった。
これだからおもしろい。

 私の好きのタイプは目立たない自力ではい上がってきた選手である。
巨人の清水、斉藤あたりである。
嫌いなタイプは清原のような常に日に当たってないと枯れてしまう優等生である。

 毎日新聞がこの時期に「スポーツ記者による優勝予測」を毎年おこなっている。
セリーグでは中日、パリーグではダイエーが一番多かった。
私の予測は巨人と、ダイエーだが。

 大リーグでは、今年が松井が話題の中心になるだろうが、イチローと
比較されるのは酷である。
イチロウとはレベルが違う。イチロウは自分で自分をつくってきた男。
松井は巨人につくられた男でしかない。
大リーグに対する日本の興味はますます大きくなることは間違いない。
ますますカウチポテト族になっていく。

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2002年03月29日(金)
360,末っ子相続

世界の何処の社会でも長男相続である。
それが当然と思っていたら、末っ子相続の社会があった。
世界は広いそしていろいろあるものだ。

北欧のバイキング社会がそうだった。
成人をすると、男は船に乗り外の社会に出て行く。
最後に残った男か娘が両親の面倒を見るという。
その代わり、家督を相続するシキタリという。

彼等にとっての海は夢を実現する世界。
長男から成人になると、さっさと出て行くのが慣わしという。
それが永年の試行錯誤の中で、ベストのシステムになったのだろう。

広い自然資源があるから、そういうシステムになったのだろう。
力が付いたら広い世界へ旅立つ、大きい自然環境があった為。
バイキングといえば、海賊だ。
40〜50人乗りの海賊船を数十隻を連ねて、村や街を襲ったという。

日本などの農業社会では、すぐにでも男手が必要であり、
外にはそれほどの資源が無かった。
昔から長男以外は都会などに丁稚奉公や女中に出された。
継ぐべき田畑があったが、一家が生活出来るぎりぎりだった。

北欧の場合、せいぜい家と舟ぐらいだったから、長男などは魅力も
引き継ぐ仕事も無かったのだろう。
しかし海や海の向こうに、無限の自然のめぐみと夢があった。

バイキング社会は10世紀から200年ほどしか続かなかった。

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<お笑い>
貧乏人の楽しみ

「月は雲間に隠れたし、貧乏人のおいらにはなんの楽しみは
 ないし!・・・」

「おやお前さん今夜もかい!」

「.....   」


1820, 今場所の大相撲

2006年03月28日(火)


               おっ w(゚Д゚)w ハァョ〜

徐々にだが大相撲が面白くなってきた。
同じモンゴル人・白鵬の実力が朝青龍に近づいた。

半分以上の8日間、大入りというのも数年来である。
この数年らい、大阪場所は平日で半分以下の入り。

大相撲も永年みていて、景気に大きく左右されるのが分かる。
目先、少しは良くなってきたのだろう。

今場所は、
白鵬が大関と、栃東の横綱がかかっていた。
栃東の横綱は有得ない?ことは自明だが、
白鵬は間違いないと思っていた。
結果は予想どおり終了。

    朝青龍が千秋楽の決定戦で優勝をしたが、
    三賞は全てモンゴル人。
    そのうえ関取9人のモンゴル人が、全て勝ち越し。
    朝青龍の独走の時代は終わり、白鵬が実力をつけてきた。
    そしてブルガリアの長身の琴欧州と、
    十両で全勝優勝をした金髪のバルト人、
    やはりモンゴル人の安馬、
    の五人の時代が来るだろう。
    但し、怪我を負わなければだが!

               お茶どうぞ 且_(゚◇゚ )ノ゙

栃東が横綱とは、誰もなれるとは思ってはいない?
もしなったとしたら、引退が早まるだけである。
但し来場所フロックがあるかもしれないが、やはりないだろう。

モンゴルや、東欧、旧ロシアに話題を提供するだけでも
日本国技として大相撲は貢献していると見たほうがよい。
衛星TVで放送しているというから、
TVの普及で大きな人気になっているのだろう。


    日本力士とモンゴルや東欧の力士とは骨格・体格が全く違う。
    金髪のバルトの力士が相撲を始めて二年というから、
    相撲の奥行きは深さ?に疑問を感じる。

モンゴル・東欧人は、ハングリーさも違う。
家族の生活もかかっている。
日本人では、19歳の若者が唯一、
5人に対抗できる可能性はある。

    大相撲について書き続けていると、あとで読みかえすと
    その時々の力士の力関係が分かるので面白い。
    
                 \(^▽^*)  バ〜イ

・・・・・・・
・・・・・・・

2005年03月28日(月)
1455, プロ野球改革私案


パリーグからプロ野球が開幕した。
一リーグ制にしてしまえばと思うが、色いろあるのだろう。

そこで私のプロ野球改革私案を考えてみた。
即興の案であるが、読み返してみて結構気に入っている。
単なるお遊びだが。
 −−
 
・前半を一リーグにして(60試合)、 
 後半を二リーグ制(60試合)にする。
 最後に前半・後半の勝者上位二位で、ミニリーグ戦(30試合)にする。
 (もちろん1,2位のハンデをつける)
・三位以下は敗者復活戦をおこない、その勝者と勝ち組の優勝者と決勝戦をする。
 もちろん優勝者に有利にすればよい。
 下位チームは4勝、上位チームは2勝で優勝にする。

すべてのチームが最後の最後までチャンスが残り面白くなる。
観客も20^30佑老擇アップするはずだ?
(消化試合がなくなるだけでも観客が増える)

現状では、半分もしないうちにギブアップするチームが出る。
これでは最後まで必死に野球はしない。
このシステムでは全軍の総力を必要となるから、二軍選手のチャンスも多くなる。

落合の中日は、全軍の総力を使い切る戦略である。
一軍二軍の壁を低くしている。
巨人は金をかけてとってきた選手が多いため、二軍に下げづらい。
自分で壁を作ってしまっている。養老流にいえば、「馬鹿の壁」である。
これでは巨人は中日には勝てないはずだ。

それにしても、巨人と西武のオーナーが交代したのがよかった。
ヘドロでしかなかったのだ。

・・・・・・・・・
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2004年03月28日(日)
1090、ニコイチ

私が事業としている「ビジネスホテル」も曲がり角にある。
こういう装置産業は20年~40年スパンの投資になる。

時代の変化に対して、あらゆる仮説をたてて潰しのきく建物にしておかなくては
ならない。以前にも書いたが、私が手がけた建物は殆ど柱が入ってない。
中を掻き出せば、他の転用が利くようになっている。

少し先走ったが、24年前に光ファイバー用の配管が各客室に入っている。
新潟駅前で現在1DKマンションが、この数年ドンドン建っている。
調べるまでは、在庫オーバーと思っていたが、何とほぼ満室という。
驚きであった。

なら在庫オーバーのビジネス客室をそれに転用すればよい。
二部屋の一つの客室を掻き出してミニキッチンと居間空間に変えればよい。
サービスアパートメントへの転用である。

建設業界には元々「ニコイチ」という言葉があったのだ。
マンションの住人が隣が売りに出た時に買い取って改築をしたりする時や、
手狭になった市営アパートを一つにしてしまう場合の用語だという。
「なるほど、そうか!」と唸ってしまった。

現在、多くの建設業者は、不況の煽りで苦境に立っている。
その打開策として「改築・改装」に力を入れ始めた。
古ビルを創り変える仕事もこれからの事業として面白い分野になるだろう。
大変だろうが。

それにしても、転用を前提にして創っていて助かった!のが実感である。
この数年は、この改築?が仕事になりそうだ!
事業から、色いろ人生を学ぶことが実に多い。
長期的視点、鳥瞰的視点、忍耐、人間観察、何よりも自分自身を知ることなどだ。

・・・・・・
・・・・・・

2003年03月28日(金)
723, 仰げば尊しー卒業式

 三月といえば卒業式の時期である。誰もが昔の卒業式を思い出す時期でもある。
幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と卒業式の記憶は鮮明である。
かすかな記憶だが書いてみる。

幼稚園ーその日に多くの玩具を貰ったのが印象深い。
    何か絵本や、その付録のようなものがあった。
    その日のことはいやにリアルに憶えている。
    あまり悲しいとかというの記憶はない。
    その時の同級生数人と今でも会うことがある。
小学校ー何かふてくされていたような気がする。
    壇上に卒業生が全員上がり、呼ばれたら大声で答えたのを憶えている。
    拍手で送られてたのが少し記憶に残っている。
中学校ーこれも校門を拍手で送られたことが記憶に残っている。
    まとまりのあるクラスで、全員がいやに親しみ感じていた。
    「よいクラスの仲間たち」という感じだ。
    数年前まで20年以上クラス会を開いていた。
高校ー校内問題があって、変わった荒んだ卒業式だったようだ。
   この最後の3年のクラスもイヤに変なまとまりがあった。 
   このクラス会も20年近く毎年開かれていた。

大学ー卒業式としては、一番感激した卒業式であった。
   チャペルでお祈りの後の卒業式が印象的だった。
   一人一人が壇上で総長?から卒業証書を貰った。
   その後、学食で卒業パーテーが開かれ、全員がビールで乾杯の後、
   全員でコップを一斉に床に叩きつけ割ったのがよかった。
   学生時代との決別という意味だったのだろう。
   その後、父やゼミの武澤先生と同期の連中と写真を撮った。
   その時に何かこの学校がますます好きになったのを憶えている。
   「もう二度と会わないのでは!」という互いの感慨があったために
   最後の別れという気持ちが強かった。
   その一月前の2月末から四日市のジャスコに既に就業していた。
   卒業後10年単位で、学校が主催で同期生があつまる会がある。
   4分の1の5〜600人が集まる。これも本音でお互い話し合えるよい会である。

   卒業式をキーワードに、過去の節ふしを振り返ると、
   実に恵まれていた時代だった。時代も全てが光り輝いていた!ように思える。
   教授に先輩に友人に両親に、心から感謝ができることが最大の収穫だ。
 
 卒業式からみても一番よい時期というとやはり大学時代だ。
 とくに私の場合恵まれていたようだった。

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2002年03月28日(木)
359, ST訓練

毎年この時期、新入社員に私が直接する訓練である。
もう2〜3回の入社ゼロの年を除いて、
前にいた会社も含めて26年間行っている年中行事である。

初めの頃は二泊三日で行っていたのがいたが、一泊二日になり
今は一日だけだ。
研修所や旅館を使って密室状態であったのも、現在は事務所で行っている。

センセビリテー・トレーニングを、途中から独自に変えた内容である。
当初の頃は、感性訓練を目的としていたが。

密室に新入社員を閉じ込め、それぞれ二人に問いかけと、答える立場を決める。
そして彼らにテーマを出させ、そのテーマについてどことん聞き出させる。
脇道にそれたり、いいかげんな事を言った時大声で叱咤する。

あるところまで来たら、立場を逆にする。
それを密室の中で、繰り返しそれぞれの相手を変えてやっていく。

その中で自分のいい加減さ曖昧さを互い気づかせ、表面的会話から、
本音の会話へ、更に対話に深めていく。
その中で感性を磨く。あるいはお互いの気心を理解させ、
仲間意識や帰属意識をつくる。

組織は人間どうしの意思や情報伝達が基本にある。
聞いたことを、はっきりと他の人に正確に伝える事が前提になる。
時間をかけて、叩かれていく過程で身に付けるものだが。
それを初めに、きっちり訓練を入れることを目的とする。

それとリクルートの能力適正試験の内容と、実際の本人の内容の誤差を見る。
ほとんどないが、それでもそれだけで見えない部分がある。
ある意味で一生もう決まっている、その人のソフトのベースもある。

こういう訓練を通して、自分で把握した事がある。
日記を書くこと、本を読む事、人の話を聞くこと、自分で考える事、
理想も持つ事、良い習慣を多く身に付けること、変化する事、初心を持ち
それを大事にする事、その訓練を通して一番教えられるのは自分だ。

・・・・・・・
・・・・・・・
<お笑い>

殿が太鼓もちに庭で,池の蟹を見て何か面白い小話をつくってみろと命じた。

ウロタエタふりの太鼓もち「そんな俄かにいわれても」と、

怒った殿「何をぬかすか、その位の駄洒落も創れないのか!」

隣にいた小姓「解らないのですか、庭ー蟹と今創ったのが」


1819, あちら側の世界 −2

2006年03月27日(月)

      才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)

   ー 読書日記
   「ウェブ進化論 」−2
      ウェブ社会の現状は?
  

ー「あちら側」のウェブ社会と
   「こちら側」のリアル社会は、
    あまり融合しないのではないかー
 
 
 若い人が当たり前だと思っていることでも、リアル社会の大人たちは何にも知らない。
 ネットの「あちら側」の興奮はリアルの「こちら側」には全然伝わらない。
 
 ウェブ社会とリアル社会の本質的融合はイメージできない。
 ウェブ社会では特殊で不思議なことが起き、影響力が大きくなっても、
 普通に暮らしているリアル社会の人には全然見えない。

     家庭で言えば、お父さんとお母さんはリアルの社会で暮らしている一方、
     15歳と13歳の子どもはアフィリエイトとグーグルのアドセンスで
     小遣い稼ぎしている。
     昼間、学校に行ってる間に、子どもたちの分身のウェブサイトが
     パートの母親より稼ぎだす。
     でも、親にはよくわからない。
     子どもは相変わらず「勉強していい大学行きなさい」と言われ続けている。
     若い人たちは「説明してもしょうがないからいいや」となってしまう。
     「ウェブ」と「リアル」の隔絶は時間がかかる。

 生まれた時にはウェブがあった子供たちが、リアル社会の主役になると変わってくる。
 だから長い時間がかかる。
 世代交代によってしかリアル社会への変化は起きないように思う。


     ―シリコンバレーから、
        日本のIT産業をどう見えているか?ー

    
      現在の日本のベンチャー企業のあり様は、
     20年から25年ぐらい前のシリコンバレーに近い。
     90年代後半にシリコンバレー型の起業家経済の種が日本にも輸出された。
     日本社会でも芽が出てきている。
     普通の経済ルールとは違うから、鬼っ子みたいな企業も生まれるだろう。
     でも、種は植えつけられた。
     だから20年ぐらいかかると、そういう起業家経済圏が広がってくる。

 例えば、ビル・ゲイツは50歳、スティーブ・ジョブズも50歳。
 PC産業が誕生した70年代半ばに20歳ぐらいだった人が、成功したのが80年代前半。
 ゲイツら有名人だけではなく、そういう企業の成長期に会計士や弁護士で入った人がいる。
 ベンチャーキャピタル(VC)でも、グーグル、アマゾンなどへの投資で知られる
 大手クライナー・パーキンスのジョン・ドーアとかも同じ世代だ。

     彼らは、まず親しい仲間と会社を立ち上げた。
     その後、違う会社で失敗したり成功したりして、
ある人に引っ張られてこっちにきた、
     というようなことを繰り返している。
     彼らは30年間、同じような経験を積み重ねてきた。
     一緒に仕事した経験の蓄積が、あの土地で見えないネットワークになっている。
     シリコンバレー活性化の理由は、このコミュニティの存在だ。

 日本の30歳前後の起業家にも、5年ぐらい前から同じようなことが起きている。
 現在の若手のソフトハウスの社長も20年もすれば、50歳ぐらいになる。
 このコミュニティに広がりがでてくる。
 何かやろう、となっても電話一本で、さっとチームができる。

     
  ―シリコンバレー型のベンチャー企業には誤解もある。

     起業家経済圏というのは「無」から「有」を生み出す世界だ。
     起業家は新しい技術やビジネスモデルで社会に大きな貢献を果たす。
     それに対して、例えばライブドアの事件は、報道によれば「生み出していない」
     のに「生み出した」とウソをついた、ということになる。

「売り上げは全然ありません、でもその会社には高い時価総額がつきました」
という話と、ライブドア事件を混同してはいけない。
つまり「すごい技術を開発しました。でも売り上げはありません」
と正直に言える会社には種がある

その種をどう評価するかはマーケットの問題。
マーケットが、評価するか、しないか、ということは、
起業家経済につきものの「ゆらぎ」なんですよ。

     大企業になると客観的な評価基準がある。
     「無」から「有」を生み出す最初の過程には、ものさしがない。
     売り上げがなくても、
     「この会社の価値はすごく高い」とか
     「才能のある人が10人、20人いるから何かを生み出してくれそうだ」
     といった期待値をお金の額で評価しなければならない。
     この見極めが難しい。
     だが、その過程がないと、起業家経済圏は育たない。
     そこで重要なのは、
     ベンチャー企業が正直に自らの情報を開示しているかどうかだ。
                       
                    
著者は2002年に
NPO「ジャパニーズ・テクノロジー・プロフェッショナルズ・アソシエーション」
(JTPA)を設立した。
シリコンバレーへの日本人技術者進出を支援する「日本人1万人・シリコンバレー移住計画」
にも取り組まれている。 これも20年計画。
活動の中心は若い人とコミュニケーションをとること。
バブル期は、シリコンバレーも人をどんどん雇用していたから、
気軽に現地入りしても仕事が見つかった。
今では、相当の実力を持った人でないと、
1、2年は働けてもコミュニティの中でやっていけるとは限らない。

    アップルやアドビ、サン・マイクロシステムズなどの中核で活躍している
    優秀な日本人ハッカーはいる。
    そういう人たちは自力で、腕一本で、やっていくことはできる。
    ただ、米国でビジネスマンとしてやっていきたい、という人の場合は、
    やはり留学をして、大学院卒業後、プラクティカル・トレーニング期間に
    どこかの会社にもぐりこむ。
    そこでビザを取ってもらい、いい仲間とも知り合う。
    そういう経歴が米国に根付く方法の王道ですね。
    それができる時間の余裕のある人たちに、
メッセージが伝わるといいと思っています。


 ウェブの世界(とそれに絡むビジネス、広い意味での情報産業)で、
今何が起きているのかがどうしても分からないという人は、
まず無心にこの本を読むべきである。


    この本は「Google論」思って読むと理解しやすい。
    ・Googleがどういう会社であるか?
    ・どんなパラダイム・チェンジをウェブの世界
    (とそれに繋がる情報社会)に引き起こしたのか?
    ・それがどのような思想的な特徴を持っているのか、
     など最新のキーワードをちりばめつつ書かれている。

Googleの功績が、
「ネット上での情報の組織化の効率性を現実世界よりも高める
 イノベーション競争に火をつけた」といみじくも著者は看破している。
彼は「ネットでは(世の中に革命的なことは)何も起こらない」だった、
とまとめている。
    この総括は厳密には正しくない。
    90年代のインターネットブームでビジネスの人々が学んだのは
    「ネットはそれ自体でビジネスを完結させない(させにくい)が、
    現実のビジネスの強力な支援ツールになる」ということだ。
    この時点では、インターネット(の少なくとも主流)は
    エスタブリッシュメントの掌中にある、と思われていた。


シリコンバレーの中は「るつぼ」でも、
その外に出てくるものは順列組み合わせの済んだ、
完成品のビジネスだ。

    「インターネット技術のイノベーション」というが、
    実際のイノベーションのスピードは
    カフェ・サロンや友人のネットワークに依存するという矛盾が、
    2000年のインターネットバブル崩壊の遠因だった。

Googleとブログが登場したことによってこの様相が根本から覆ってしまった。
そのことに多くの人が気づいたのは、たぶん2003年頃だったと著者も指摘している。
個々の技術者やビジネスマンの持つ、無数の技術とアイデアの順列組み合わせ、
の技術の「情報の組織化」が、ある日突然現実世界を介さずにネット上だけで
効率的にできることを、人々が発見してしまった。
 
     ここで初めて
     「ネット上で完結するビジネス」というのが出現する。
     楽天などのECモデルは、
     顧客とモールの商取引はネットで行われるかもしれないが、
     店舗の運営や商品のデリバリーには現実世界のビジネスが介入する。
     楽天のモールビジネスはネットバブル崩壊にも強く、
     着実に業績を伸ばしてきた。

ビジネスにおいて最大の課題である「売り手と買い手のマッチング」が、
どのような規模でもネットの中だけで効率的に行われるとなると、
あらゆる商行為がすべてネットで完結するようなビジネスが爆発的に増える。
(アマゾンの中古本の取引など、その典型例になる。)
広告ビジネスであったり、さまざまなWeb2.0的サービスであったりする。

    個人的には、Googleは「ひとりシリコンバレー」の例えが解りやすい。
    社内に5000人ものPh.D取得者がいて研究開発を行っており、
    情報共有をしてイントラネット上で「順列組み合わせ」を試す。
    いけると直感したら小さなチームで猛スピードの開発を進め、
    それらの中から「マーケットにインパクトがありそうなもの」
    を順番に“上場”(サービスリリース)していく。
    これは「シリコンバレー」の仕組みに似ている。

かつて多くの技術者とキャピタリストが集まっていたサンノゼのカフェは、
今やGoogleのイントラネットの中、Googleが提供する
「インターネット・アプリケーションのプラットフォーム上」に移った。

  
  ー次回は、この著書の中から印象に残った処を抜粋してみる。
                  
             ー  つづく  
                   βyёε('c_,'`)з゛ 

・・・・・・・
・・・・・・・

・・・・・・・・
・・・・・・・・

2005年03月27日(日)
1454, BOSEのステレオ−5

BOSEのコンポが居間に入って二週間経った。
年に数回しか聴かなかったCDを、一日朝晩平均2時間は聴くようになった。
(BSラジオで週一は、音楽を聴いていたが)
恐らく、このパターンは変わらないだろう?
パソコンを打ったり、本を読んでいるバックグランドにもよい。
目と頭が休まるし、何よりも音楽そのものがよい。

セットなどで買った100枚以上のCDの在庫がある。
一枚に平均10曲以上入っているので、1000曲はある。
そのカセットボックスを近くに置いて気の向くまま曲を選ぶ。

音楽は好きだが、TVのほうに気持ちがいっていた。
家では殆ど居間にいるが、パソコンをいじっているか、TVを見ているか、
新聞か本を読んでいるかである。要するに一点を見つめているだけだった。
それが目を瞑り、耳に集中する時間が多くなった。
目がホッとしているのではないか。
その上に音楽は気持ちを深く安らかにしてくれる。

ところで、知人の音楽マニアがコンポについてのレクチャーをしてくれた。
マニアにとっても興味がある代物という。

・コンポは買って直には良い音はでてこない。
 野球のグローブの皮と同じで、音に馴染んでくるのに最低半年、
 最適に聴けるようになるまでは1年半から2年はようする。
 とにかく多く聴いてやること。

・偏った音楽ばかりかけると、その音楽にあったマシーンになってしまう。
 生き物と同じで、色いろな音楽で慣らした方がよい。
 愛情をかければ、良いものになっていく。

・今の高度なコンポは音楽のマニアが、色いろの調整をするのを、
 コンピューターで自動でしてくれるのが凄い。
 小さなマシーンの中に多くのノウハウが詰め込まれていて
 自動処理をしてくれる。
 
 以上が知人の教えてくれた要約だが、世界のオーディメーカーの流れを聞いたが、
 やはり日本のメーカーが強いとのこと。
 
 ・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・
 
 2004年03月27日(土)
1089, その一言が運命を!

私の最大の欠点は一言多いことである。
それも親譲りの胸を深く切り裂く言葉を言ってしまう。
子供の頃、父親の言葉の鋭さが一番恐ろしかった。
そして、その部分を引き継いでしまったようだ。

昨夜もスナックのママから以前、「グサリと、その一言で刺してしまった」
状況をリアルに聞かされてしまった。ついついジョークで言ったつもりが
心の一番深いところをついていたからだ。
 本当に困ったものだ。

さらに、学生時代のゼミで現象分析の訓練をしたためか、一瞬で言葉が脳に出て
しまう。当時の日記を読んでいると、その当時言ってしまった「その一言」
の多くが思い出される。

家内も私に負けず言葉が鋭い。
言い違いや甘さに対して、即座に強烈な皮肉で帰ってくる。
言葉に対しては家庭内でも真剣勝負である。
結婚当初になるが、泥酔している私の顔を見て「白ナス!」と言われたことがあった。
鏡を見たら、本当に白ナスのような顔であった。


「言葉の持つ恐ろしさ」をいっている格言が幾つかある。
自戒を込めて列記してみる。

・「神は言葉が持つ破壊的な力から私たちを守っていてくださる!
  鋭い刃物よりも胸を深く切り裂く言葉がある。
  一生胸に突き刺さったまま忘れられない言葉がある」

・「賢者の口は心にあり、愚者の心は口にある」

・「ガチョウのわめき声は、ライオンの爪よりも痛みを感じさせることがある」
  というスペインの諺がある。

・「黙れ、さもなくば沈黙にまさる言葉を口にせよ」
  ーピタゴラス

・「ふさわしいことを話すのだ。それができなくては黙ることだ」
  ジョージ・ハーバード

・「気難しい口調で真実を述べるくらいなら、沈黙を守っていないほうがましだ。
  それは美味しい料理にまずいソースをかけるようなものだ」

  ーー
 
 言葉は人を生かしも殺しもする。
 一度発した言葉は元に戻すことはできない。
 これで人生の幅をいかに狭くしてきたことか。
 
 特に酒の入った時の言葉の鋭さは「気違いに刃物」である。
 酒を飲むときは「一期一会」という気持ちで飲んでいるのが逆に悪いのだ。
 酒は脳に敵を入れ込むようなものだ!
 
 悪口や陰口は言わないようにしているが、逆に目の前では抑えることができない。
 今更、陰口に切り替えるわけにもいかない。
 陰口をいくら言われても、目の前でグサリとやられるより傷は少ない。
 あまり懇意な集会以外は行かないことにしている。
 特に殿様蛙のあつまるところには。
 
  ・・・・・・・・
  ・・・・・・・・
  
 2003年03月27日(木)
 722, 「日本酒について」

新潟といえば「酒と魚と米」と美人?である。
新潟の酒に対して書いてみる。
朝日山の「久保田」とか「越の寒梅」などの全国的に知られている酒がある。
全国的でないが、ほぼ匹敵する酒として「麒麟山」や「雪中梅」や「〆張鶴」
「八海山」「マスカガミ」など数え切れないほど美味しい酒が多い。

私レベルの評価なので、かなりの先入観が入るが、「ごく普通の新潟の酒飲み」
の実感を書く。
・「越の寒梅」は確かに美味しい、といって「麒麟山」や「〆張鶴」などの酒と比べて
 ほとんど味のランクは変わらない。ブランドという自己満足という事だろう。
・「麒麟山」と「〆張鶴」と「越の寒梅」を並べて飲んでも、銘柄を当てる事が
 難しい。
・私の好きな酒は朝日山の「吟醸古酒」である。
 ただ一時期飲んだが、今は飲んでない。ワインを飲んでいる感覚になる。
 あとは「〆張鶴」と「辛口菊水」である。」
・地味だが、長岡の老舗の酒の「吉乃川」も美味しい。

あるレベルを超えると酒は同じ味に感じるのも事実だ。
ところで次元の低い話だが、日本酒の場合、二種類の酒を混ぜると
美味しいほうの酒に味が移行する。自分のブレンドをつくるのもよい。
以上のことは新潟の酒好きの人は大体同じことをいうはずだ。

新潟はこと酒と米と魚は間違いなく美味しい!
あとは美人か?

http://www.sakesake.com/kurabetu/12.html


 以下はあるホームページよりコピーしてみました
  ・・・・・・・・・・・・・
  ーー新潟のお酒を楽しんでみましたーー
               ー投稿者 渋谷の庄助
 
ー【八海山】本醸造酒
醸造元:新潟・南魚沼郡 八海醸造株式会社
 いわずと知れた淡麗辛口の本道をいくお酒。「飲みやすく、飲み飽きしないお酒」
を目指しているので、おでんなどと一緒に飲むとどんどん行けてしまう。
ラベルから見ると濃厚な感じがするが、手間暇かけて造っているので吟醸の感じさえする。


ー【越乃燦月】 特別本醸造
醸造元:新潟・新潟市 今代司酒造株式会社
 感想:ほんのりフルーティでさわやかな口あたり。吟醸酒かと思わせる。
ラベルの絵のように月の光が海を照らすような、穏やかだがキラキラした印象だった。
料理との相性:
.織海療眇瓢匚腓─覆舛腓辰肇團蠅ら)。
 肴が刺激的だったせいか、お酒が柔らかく感じた。


ー【無冠帝】 吟醸酒
醸造元:新潟・新発田 菊水造株式会社
 感想:冷やで飲む。オレンジを思わせるフルーティな香りで清涼感ある上品な
口あたり。今まで体験した吟醸とは趣が違い、香りに特徴を感じる。
食前酒または食中酒としておすすめの酒である。
これは、お気に入りのお酒の1本として自分の好みの酒として登録した。
日本酒度+5、酸度1.4の辛口。ふなくち菊水一番しぼりも有名。
料理との相性:
.織海筌ぅ、カニなどの洋風サラダとの相性もよい

以下詳細は、ページの枚数の制限の為、カットしました。
あとは、当日の部分をクリックしてください。
 

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2002年03月27日(水)
358,縞模様

縞模様は、中世では囚人やらい病や魔女とレッテルを貼られた人に
着せられていた。
悪魔の象徴の模様が由来という。

それがパジャマの模様で着ているのは、どういう理由なのであろうか。
囚人服や病院服と似ているのは?

悪魔の模様であったのが、いつの間にか日常に
使われているのが面白い。

よこしま(邪ま)な野郎だ、という語源がここから来ているとは思えないが。
明治や慶応のラグビー部が確かこの模様であったが、このことを知っている
いるのだろうか。

いや相手がこの模様のために、少し臆してしまうのを狙う効果もあるか。
シマウマは悪魔の馬と聞いた事がない。

そういえば葬式の時、バックに張る布も縞である。
いやあれは縦縞か。


1818, あちら側の世界-1

2006年03月26日(日)

   (’0’)d おっ w(゚Д゚)w ハァ?
                    ー読書日記
   ウェブ進化論 −1   
            ー概略編ー 

新聞広告をみて面白そうだと思っていたが、
買って読んでみてショックであった。
(ウェブの世界の深遠をみてしまった!ということで)

私のような門外漢でも理解できる内容がよい。
読んで現在進行しているウェブ世界の奥行きの深さを思い知らされた。
というよりGoogleの世界の奥行きを知らされた思いだ。

    私の場合、毎日平均数?回はGoogkeの検索を使っているから、
    なおのこと理解できたのだろう。
    そして、5年間このHPを維持してから。
    そしてamazonのHPの進化を実感してきたからである。
    
    キーワードが現代のお金で、
    検索の向こうが
    現金引き出し機か、
    何でもでてくる自販機、
    という譬えの世界である。

ウェブのとてつもない世界が、向こう側で自己飛躍している。


 ー資料をGooglの検索で集め、まとめてみた。
  ほぼ、この本の概要の7〜8割は把握できるだろう。
 
 (このプロセスで、この本を2〜3回読んだ効果はあったが。
  本そのものの読み方も、キーワードを検索をしながら読むと、
  理解が早く深くなる。
  それより、やはり買って読んだほうがよいが。)
  
  ー私の感想文というカタチにしたー
    
      


ーー                  (。・・)_且~~ お茶
                        
ウェブの世界の人達からみれば、何ということが無いかもしれないが
その利用者として、驚きの毎日を過ごしている此方側の自分が、
著者としての当事者のアチラを含めたウェブの世界を鳥瞰している内容である。

ネットの「あちら側」と「こちら側」というユニークな視点で、
Webの進化がもたらす影響を論じている。

   
   Googleの検索エンジンなど情報を取捨選択する方法が広まったことで、
   Webの世界が変わりつつある。
   あちら側とはGoogle、Amazonなどネット上でサービスを展開する世界。
   こちら側とは、企業内で閉じた情報システムなどのローカル環境を指す。

・「あちら側」では、Googleなどの圧倒的な資金力と知の集積により、
 高品質なサービスが無料で提供されるようになった。
・「こちら側」は、依然として高いコストを投じて、閉じたシステムを開発し続けている。
 著者は今後10年間で、システムや情報をこちら側に持つ時代から、
 あちら側のサービス、情報を利用する時代へシフトすると予想。
 

   実際、Googleのサービスを利用して、従来なら開発に数億円かかったシステムを、
   数十万円で作った企業も出てきている。
   私が、この随想日記を毎日書けるのも、あちら側のサービスの利用のお陰である。
   
   IT関連コストの劇的な低下=「チープ革命」と技術革新により、
   ネット社会が地殻変動を起こし、リアル世界との関係にも大きな変化が生じている。
   ネット参加者の急増とグーグルが牽引する検索技術の進化は、
   旧来の権威をつきくずし、「知」の世界の秩序を再編成しつつある。

・ブログ、
・ロングテール、
・Web2.0
などの新現象を読み解きながら、大変化の本質をとらえ、
変化に創造的・積極的に対処する知恵を説いている。
 
    GoogleのようなWeb上の世界で生き残ることができるのは、
   1. リソースを持ち、走り続けるもの
   2. リソースはないが、独創性があるもの
   3. amazonやgoogleのように、競争のプラットフォームを敷くものになる

・衛星写真活用マップ「グーグル アース」、
・持ち運び用ポータルサイト「グーグル パーソナライズ」、
・CDタイプの持ち運び用OS「ブーストOS」
・インターネット上にHDDを所持できる「オンラインストレージサービス」。
 のようなサービスなど驚くべきWeb世界の成果である。


    パソコンや携帯電話、値段はほとんど変わらないものは
    機能はどんどん上がり続ける。
    ブロードバンドも電話代程度、ブログをやるのもタダ。
    そんな「チープ革命」の果てに「総表現社会」が訪れる。
    無数の人々が「知」を持ち寄り、「検索エンジン」が
    それらを巨大な情報のインフラに組み上げていく。
    このウェブの世界に起きつつあるこの動きは、
    私たちに何をもたらすのだろうか。

 
インテルの創業者の1人、ゴードン・ムーアが唱えた
「ムーアの法則」というものがある。
18カ月ごとにトランジスタの集積度は2倍になる、という法則。
どんどんモノが安くなり、どんどん便利になる。
スピードも加速する。

    この半導体の法則の「ムーアの法則」が広い意味で使われるようになった。
    つまりIT関連製品は年率30〜40%安くなる。
    この流れは、今後10年は変わらないだろう。
    ということは、先ほど述べた『チープ革命』は留まるところがない。
    主としてハードウェア分野の革新が、ある値を超えると、
    もう普通の人が必要なものはほとんど全部タダ、
    もしくはタダ同然に近い状態になる。
    子どもでも、デジカメや携帯を持つようになる。
    それが、この「チープ革命」がもたらしたことだ。
    通信なら、光ファイバーの普及であり、
    ソフトウェアであればオープンソースがある。
    グーグルの検索エンジンを利用するのもタダだ。

    この「チープ革命」と「総表現社会」とは密接につながってくる。
    自分が表現しようとして不特定多数に配るのは、膨大なコストがかかった。
    選ばれた人だけの行為であり、メディアが中心になり、
    1万人に1人ぐらいの人が表現者として活躍する時代が続いていた。
    だが、チープ革命が「誰でも表現者になれる」という可能性をもたらした。
    そこで現れてくるのが「総表現社会」である。


実際の「総表現社会」とはどのようなものか?
それは不特定多数無限大の「知」の集積化の始まりをもたらしている。
そこでネットの「向こう側」にいる不特定多数無限大の1人1人を、
プラスかマイナスと思うかで、大きな分かれ目になる。

    先ほどあったようにこれまでの社会は、
    1億人の中から表現者を1万人選ぶプロセスがあった。
    成績がいい、誰に認められるか、誰の弟子になる、
    とかである。
    そのプロセスで認められるようになると、だんだん傲慢になり、
    そういう表現をしていない人に比べて、圧倒的に優れたものだ、
    と思い込んでしまう。
    ところが、インターネットの「向こう側」にいる人々は、
    たまたまこれまで表現行為をしなかった(しなかった)人たちである。


著者はシリコンバレーに12年住んで、
IT産業について考え続けてきたプロである。
著者は「その世界の何か語れ」と言われれば、何についても語ることはできる。
ところが、アップルについて、スティーブ・ジョブズについて語ったとすると、
ネットの「向こう側」には、スティーブ・ジョブズに会ったことがある人や、
アップルに勤めていたことがある人、あるいは一緒に仕事している人達が無数存在している。
そういう、不特定多数無限大の人々の「知」の集積と比べれば、
全く優位性などなくなってしまうのだ。

    ー不特定多数が参加する「ウェブ社会」では、
    本質的な違いとして、
    表現する道具が安くなったことで、
    カジュアルに、誰もが表現ができるようになった他に、
    もう一つは「検索エンジン」の存在が大きい。
    
    インターネットを第1世代と第2世代に分けると、
    第1世代はリアル世界のアナロジー(相似形)でインターネットを考えていた。
    
    例えば、雑誌のアナロジーとして、野球のウェブサイトをつくるには
    「有名なサイトをつくらなければ多くの人はやってこない。
    企業がカネをかけ、いいコンテンツそろえ、パッケージにしなければ」
    という発想だった。

だが、検索エンジンの登場で、容易に未知のコンテンツに出会うことができるようになった。
何かを知りたいと思ったら検索エンジンに聞く。
友達に「見にきて」とでも言わない限り、誰も来てくれなかったホームページにも、
検索エンジン経由で、見知らぬ人も来てくれる。
参加者の拡大が、ウェブ全体に貢献する構造ができた。

    グーグルは、
    情報インフラとして、検索エンジンの意味を最も理解し、次の手を打っている。
    関心のある言葉を検索窓に投げるとリストが返ってくる。
    そこで、関心のデータが情報として蓄積され、
    メタデータ(データについてのデータ)が積み重なる。
    参加者が増えれば情報量も増える。

    グーグルは情報インフラに組み上げ、どんどん賢くなる。
    グーグルが賢くなれば、インターネット全体が賢くなる。
    ネットの世界が豊穣(ほうじょう)に発展し出す。
    というwin-winの世界が拡大しているのだ。

このように不特定多数の人たちが参加できるなら、
その力を使って何かをつくろうとか、
サービスを考えようという動きも出てくる。
誰でも書き込み、利用できるオンライン百科事典「ウィキペディア」は一つの実例。
誰でも自由に参加できる仕組みをつくり、人々が表現したことの上に、
メタデータを用意する。
「そこに新しいビジネスチャンスがある」という仮説もある。
そういうサービスを「ウェブ2.0」と呼ぶ人もいる。

                  (。・・)_且~~ コフィーでも!
    
   ー「ウェブ2.0」という概念とは?を取り上げてみる。

    インターネットが普及して10年がたった。
    IT産業には10年から15年に1回、新しいパラダイムができる。
    80年代のパソコンの後は、90年代のインターネットだった。
    かねてからインターネットに代わるのは何だという議論はあった。
    次は携帯だ、ナノテクだ、バイオだ、などと言われてきた。
    産業界全体に「次が来て欲しい」という期待が高まる一方で、
    「やっぱり、次の10年もインターネットだ」
    という確認の言葉が「ウェブ2.0」である。
    「総表現社会」の先には何があるのか?
    それは現実の社会にどんなインパクトを持つのだろうか?
    の答えが、「ウェブ2・0」そして「ウェブ3・0」である。

 
          ー つづく
  ーーーー
「ウェブ進化論 」
  −本当の大変化はこれから始まる
   ちくま新書 −梅田 望夫 (著)

             サラバジャ〜  ゝ(-_- )
・・・・・・
・・・・・・

2005年03月26日(土)
1453, おどろき、そして感動

「考えるにはどうしたらよいですか?」
 という純朴な問いかけがある。
この問いかけに対して、いずれの哲学書にも
「おどろき」が「考える」突破口になると書いてある。
何でもないことの中にも、新しい発見を見つけ驚くことがその出発点になる。
驚きは、そのまま感動につながる。その感動が人生を動かす。

仏教の教えの中に「驚きをたてよ」という言葉がある。
この言葉は、考える、生きるという面で深い意味がある。
歳を重ねると、あまりにも多くのことを経験しすぎて驚きが少なくなる。
しかし、歳をとって解ったことは
「驚きが桁違いに多くなった」ことである。
知れば知るほど、その周辺に知らない発見が増えるからだ。

驚くということは、未知・無知の分野に果敢に挑戦して新しい何かに
衝撃を覚えるということだ。それと未知なるが故の不意打ちが驚きになる。
そして、それが考えにつながっていく。

無能の人は、何を見ても聞いても驚かない。
驚く素養がないのだ。
いや思い込みというバカの壁が取り囲んでいる。
破れている太鼓が音が共鳴しないのと同じである。
隣の太鼓の音にもよい太鼓は響くが、破れ太鼓は実際に叩いても音が響かない。
驚きには、その皮の張りが必要である。

世界を旅をすると、驚きに満ちている。
そして、その深い世界に感動をする。
こんな世界があったのかと、内面が爆発しそうなほどの感動を数知れず経験する。
そして対象にのめりこんでいく。

人間は感情の動物といわれる。
たしかに理性的な部分が人間たる所以だが。
人間を突き動かすエンジンのはたらきをするのが感情である。

感情は
・おどろき
・愛
・憎しみ
・喜び
・悲しみ
・欲求
の6つから成り立っている。
他の感情は、この6つの感情の組み合わせでしかない。
希望はー>喜び+欲求
ねたみー>愛+悲しみ

この感情の中で「おどろき」は一番の根本にある。
未知なものに不意に直面した時に、こころは変容する。
その変容の状態そのものが「おどろき」である。
おどろいて呆然と立ちすくむ状態である。
おどろきは、最も原始的な感動である。

おどろきは未知なものが現われた時、それを説明できない不思議を自分に知らす。
正も反(喜びに対して悲しみ)の感情も越えた「おどろきの対象」に対して、
説明できる必要性が出てくる。
おどろきは未知に対する無知に気づき、知的探求を刺激する。

あるイベントの会場で、BOSEのコンポを聴いた時に思わず立ちすくんでしまった。
聴いたことのないような音響におどろき、何回か足を運んで聴きなおした。
こんな小さなコンポから、こんな音が聞こえてくるのか不思議でたまらなかった。
そこで係り員から説明を聞いた。
パンフレットを見て、その原理を知って、知人から情報を得て、
インターネットで検索をして、購入に至った。

会場で聴いた音に対する、おどろきと感動が出発点であった。
そして、なぜ、どうして?と、その理由を探していった。
昨日も早速、音楽に対する本を二冊買ってきた。
三枝成彰の「音楽の本」と、「CDクラッシクの名盤」である。

一流なものに接して感動と驚きをシャワーのように浴びなくてはならないのだ。
以前にも書いたが、親は子供に感動とおどろきをシャワーのように
与えなくてはならない。

躾と、最高のものを知らしめることが家庭教育の基本である。
おどろきを得るためには、
3C-チェンジ、チャレンジ、コンペティションがキーワードになる。
挑戦しろ、変化しろ、そして戦えである。

・・・・・・・・
・・・・・・・・

2004年03月26日(金)
1088, 商売人

「商才は西進する」とシルクロードの旅行で聞いたことがあった。
ところが、曽野綾子の文章に同じ内容があった。
・東京商人は大阪商人に比べたら子供
・大阪商人は中国商人に比べたら赤子
・中国商人はインパキ(インド・パキスタン)に掛かったら、それ以下
・そのインパキもレバシリ(レバノン・シリア)に掛かったら、問題外という。
もしそうなら、世界一金持ちのはずだが、ここで言う商売人は小商人を言うのだろう。

そのレバシリもユダヤ人に掛かったら、馬鹿なアラブ人でしかないのだ。
ツアーで一番多く現地人と接しる場面といえば、市場などの商売人である。
そして、そこで安物の高値つかみをさせられる。まあ、それが面白いのだが。

商売人といえば、日本でも士農工商というほど一番下に位置づけられていた。
安く買ってきて高く売るのだから、胡散臭さや怪しさがつきまとう。
「男はつらいよ」の寅さんもテキヤという路上商売人である。
瞬間芸でお客を騙してお金を稼ぐ仕事である。

第三次産業といえば流通・サービス業である。
人の集まるところに、その機能が必要とされる。
初めは、自然発生のハエみたいなものである。
しかし、その時代にそったニーズを一番敏感に感じ取るのが彼らでもある。
現在、日本が変になっているのは、商売人の強かさを失っているいるためだ。
これも他人事ではない自戒のことである。

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・・・・・・・・

(お笑い)
「氷水」☆☆☆

アフリカ縦断鉄道、あまりの暑さにある老夫婦の奥さんが氷水が飲みたくなった。

車掌に頼むと、
‘有るわけがない、とんでもない’とのこと。

それでもなんとかと頼みこむと暫く考え込んだ車掌わかりましたと
言って、氷水を持ってきた。

暫くするとまた奥さん飲みたくなった。
チップをはずみ2杯3杯と持ってきてもらった。

更にと言うと車掌困った顔をして、

‘これ以上もってくると死体が腐ってしまう。


1817, 日暮里界隈 −2

2006年03月25日(土)

                 ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚・:*☆

最近の定宿は日暮里のホテルである。
日本旅行社の元支店長の知人に、
「都心(東京〜秋葉原)に近くて、安くて・便利で・気楽で、インターネットもあり、
 かつ面白そうな居酒屋が近くにあるホテルはないか?」と聞いたら、
「自分が定宿にしているホテルが全ての条件を揃っている」という。
値段は7千円である。

    そこが日暮里駅至近のホテルである。
    早速泊まったら正しく、ピッタリである。
    おまけに7〜8分歩いたところに谷中銀座という昔ながらの商店街がある。

    ところが、たまたま同行した人が谷中銀座近くに10年近くに住んでいて、
    谷中の飲み屋街を熟知していた。

そのある一角に、タイムスリップしたような昭和半ばの雰囲気を残た路地がある。
殆どの店が、50代後半の少しクタビレタ?ママがやっている。
7〜10席位の店が両側に十数軒並んだ飲み屋横丁。
そこで4回も通って馴染みになったのが、沖縄料理の店である。
少し高い?が、料理と泡盛が美味しい。


    先日、長男と沖縄の店の後に入った店がトルコ専門店。
    谷中銀座を歩いていると、
    ある飲食ビルの一角から騒々しい音楽とドヨメキが聞こえてきた。
    面白そうなので、玄関口までいってみるとトルコ人がいた。
    『この騒ぎは何?』と尋ねると、
    『今、ベリーダンス・ショーが始まるところ。
    トルコ料理一式とダンス鑑賞で一人三千円。面白いよ!』という。
    面白そうなので入ってみることにした。
    
30坪位の絨毯のスペースに三十人位のお客が真ん中に空間を囲んで、
車座に座っていて異様に盛り上がっていた。
お客の半分は在日トルコ人。あとは何と殆んどが若い女性である。
そしてショーの開始。 
          (=^‥^=)┘♪└(=^‥^=)┐♪
             ┌(=^‥^=)┘♪└(=^‥^=)┐
    
以前トルコに行ったときベリーダンスを見たが、それはあくまで観光用。
ところが、ここは違う。
蛇のように、身体をくねらせながら色気を表現する。
全員がが手を叩いて、音楽に合せて囃し立てるほど踊りが過激になっていく。
    
      ━ヾ(   )ノ゛ヾ( ゜д)ノ゛ヾ(゜д゜)ノ゛
          ヾ(д゜ )ノ゛ヾ(  )ノ゛━!!
        
    ところが日本人の女性のお客にプロダンサー?がいて、
    一緒に途中から踊りだした。
    常連のようだが、身体の動きからみてダンサーのようだ。
    そのあたりから雰囲気は佳境に入り、不思議なトルコの夜の世界になった。
    まあ、大当たりの店である。    
                  
                  
その次に入ったのが『何と申しましょうか?』と、いう店であった。
飲み屋横丁の一番奥にあるスナック風居酒屋?の店である。
50代のサラリーマン風が4人座っていた。
何とママが86歳で、手伝いが71歳という。
大年増というのが話題になりTVによく出るといっていた。
お客とダンスを踊ったのには驚いた。
店の中は凄いアルファー波に満ちていたが、
お客は癒しを求めてきているのだろう。

       
                         ーつづく
      ΒΥΕ.._〆('Д'*⊂⌒`つ
ーー
2003/06/26
日暮里界隈 −1

一度、日暮里に行きたい思っていたが、念願かなって知人に夜の日暮里を
案内してもらった。
谷中銀座と日暮里駅の中間を少し入り込んだところに、
時代から取り残されたような場末の飲食街があった。

それが何ともレトロ調で映画のセットの中に入ってしまったよう感覚だ。
知人の会社の東京事務所があったため、よく通ったという店があった。
沖縄出身の60歳位の女将がやっている7~8人位しか入れない
沖縄料理の小さい店であった。

店の名前は『あさと』といって、本人の名字の安里をそのままつけていた。
石垣島出身で、具志堅用高もわざわざ訪ねてきたという。
何とも沖縄料理がおいしい。
豆腐よう、ほしぶどう、ゴーヤーの炒め物、そして泡盛が絶品であった。

そういえばこの数ヶ月、泡盛を晩酌で飲んでいる、
スーパーでブレンドされた泡盛がいやにおいしいのだ。
店の中の全員がお互いの話を旧知のように話し合える感じがよい。
それこそ若い人は皆無という雰囲気がまたよいのだ。

たまたま若い女性が一人入ってきて飲んでいた。
話しかけると「2~3日うちに石垣島に亭主と行く」とのことで、
女将に知り合いの店を紹介してもらっていた。
何か楽しくなって、下の息子を呼びだして一緒に呑むことになった。
本人も目をクリクリさせて、「今時、凄いところがあるものだ!」と驚いていた。

その後にもう一軒谷中銀座の中にある居酒屋にいったが、ここも印象深い店であった。
大きいメンチカツが何とも美味しい!
                 
・・・・・・・
・・・・・・・

2005年03月25日(金)
1452, 「仏教の根底からの否定」の文章−2


ー山根二郎かく語りき−2

ー前回に続いて印象的な部分を書き出してみるー

あのオウムが、教団の対立者を「ポア」という名で殺したが、
これは特殊な教義を信奉していたからと信じられている。
が、しかし「救済」の名の下でなされる殺人の容認は仏教にも多く認められる。


私が書いた「仏教解体」は、仏教を根底から解体しつくした日本では稀有の書である。
そこに述べられている仏教否定思想は、これまでの日本にはなかったものだ。
内容の一部を紹介すると「仏教思想、禅思想」が、どれほど恐るべき
非人間思想であるかということが分ってくる。
日本人は、この思想に取りつかれたままになっている。
要するに、日本および日本人は、戦前・戦中・戦後を通して、今日まで巨大な
オウムをやってきたことになる。


「日本人は恐い」「日本人は特殊である」
 と世界の人々が思ってきた根底は、これである。
「世界の人々よ、気をつけろ。そして日本人よ、仏教から目を覚ませ」

般若心経で、 色即是空ってのがある。
存在とは空だって意味だ。
無限耳鼻舌身意 耳も鼻も舌も体も心もすべて無だと言い切る。
浅原じゃあないが、まさに涅槃の境地に達しないと言えないことだ。
しかし、この凄いことを、我々日本人は日常で坊さんに言われ続けている。
葬式で般若心経を坊さんが唱える。月命日でも坊さんは仏壇の前で唱えてる。


「もともと、無いものが無くなったんだから、死んだからといって、
そんなに嘆くな悲しむな。殺されたからといって、そんなに怒るな」
って言われていることになる。 葬式でこんなこと言われていたのだ。
いま、犯罪被害者の人権などと騒いでいるが、まっさきに糾弾されるのは坊主である。

9・11のあと、追悼集会が開かれたが、仏教界は招かれなかったらしい。
もし坊ずがその会場で般若心経唱えたら大変なことになっただろう。
なんせ「殺されたからって、そんなに怒るな」が基本の教えだから。


キリスト教は「存在は存在している」のが前提。
仏教は「存在は空」なのだから、欧米と日本の文化的な相違は、
イスラム教の比ではないぐらい大きいのだ。
悟りの境地に入らないと理解しがたい哲学である。
オウム真理教のように厳しい修行しないと永遠にわからない世界である。

明治維新政府は、神仏を分離し、日本人を仏教から分離しないと近代化は
無理だと考え、維新後いち早く「神仏分離令」を出し、火葬は仏教のものだから
ということで全国的に火葬禁止令も出している。


火葬はよく考えると、残酷なことだ。
愛する人を焼いて骨だけにしたうえに、その骨を拾わせるのだから。
この風習って仏教の修行からきている。

仏教では「存在は空」「生もなければ死もない」ことを悟るために出家して
修行することになっている。
その修行によって悟ったものが仏陀であり「仏」になったということ。


ところが出家も修行もせず欲望のままに生きている、
我々一般人は、仏教では凡夫と呼ばれていて、この凡夫は死んでも仏にならないのである。

我々は、よく死んだ人を「仏さん」と呼んでいるが、これは大間違い。
ただの凡夫なのだ。
その何でもない死者をせめて仏弟子にしてやろうかってのだから坊ずは、
なぜか骨拾いの現場には立ち会わない。
残酷な火葬ってのは出家もしない凡夫が行う唯一の修行なのだ。
人間の存在とはもともと無いものだ、という仏教観を教え込むための修行が火葬なのだ。


仏教の修行に「不浄観」ってのがある。
なにをやるのかっていうと、死体が腐乱していくのを何日も見続けながら、
その腐乱死体が自分や、自分が恋焦がれたあの美しい女性の本当の姿なのだと観想し、
自分も、他者も、生などというものも本当は存在しない、それをあると
思っているのは幻影なんだと「悟る」こと。
火葬は、その「不浄観」の修行のひとつ。

これは、両親からいただいた体を大事にしなさいっていう、
中国や朝鮮の儒教思想とも相容れない考えかた。


仏教ってテロリストの思想を持ったこともある秋野孝道という
明治42年に曹洞宗大学(駒澤大学)の学長が
『禅の骨髄』(大正4年)にこう書いている。
「もし、慈悲同情の心よりせば殺しても殺したにはならない」
「日本軍人として敵兵を止むなく殺すのも皆これ東洋の平和の為と
 云ふ慈悲同情の念からするのであるから殺生にはならぬ」

慈悲同情心があれば殺しはゆるされる
これが道元直系の伝統・本格派の禅僧!の言葉である。
座禅は、罪も無い他人を殺すための修行でもあるのだ。
ーーー

以上のように初めから終わりまでこのような文章が続く。
この人の文章を読んでいると、全くそのとおりと思えてくるから不思議である。

極東の島国では仏教は丁度良い思想と思っていた。
禅坊主が「考案」とか訳のわからない議論をして悟り顔をしているも、
山岳の多い風土には丁度良いのだろうが。

あのアブラハムが創りだした「アラーの神」も、東洋の片隅から見てみれば、
砂漠の無知の民をマトメル為の嘘ー方便にしか見えない。
その反対に彼等から見れば山根二郎のいう論も、的を得ている。

この位の論を持っていないと、葬式坊主どもに集られてしまう。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2004年03月25日(木)
1087, ある日突然

ある日突然、今まで順調であった仕事や商売が成り立たなくなる時代になった。
以前は、時計屋が典型的な事例であった。
・25年前に、デジタル時計の出現でアナログ時計の売り上げが激減をしてしまった。
・10年前には駅前旅館も消滅をしてしまった。
・その後、業種店はスーパーなどの業態店の出現で殆ど壊滅した。
・そして、酒屋や米屋やガソリンスタンドなどの規制で守られてきた業界も
 一瞬で壊滅をしてしまった。
・最近では、駅前のあちこちにあったDPEの店もデジタルカメラとプリンターの
 普及で、いつの間にか無くなってしまった。

次は、何であろうか?
全ての経営者が自分のところではないだろかという恐怖の時代になった。
DVDとビデオレンタルの「ツタヤ」が光ファイバーとデジタルTVのドッキングで、
ある日突然消滅するのではという可能性を秘めているとか。

鳥インフルエンザで、京都の養鶏場のオーナー夫婦が「ある日突然」国家的犯罪者に
仕立てられ、自殺に追い込まれた。
経営者なら誰も身につまされる出来事であった。

私の事業もごたぶんに漏れず、「日帰りの徹底」で、打撃を受けている。
これに新幹線がテロに狙われたり、SARD騒ぎが起きたら、ホテルの顧客はゼロに近くなる。
本当に恐ろしい時代である。

あの絶対大丈夫と思われていたNTTや電力会社や郵便局でさえ、一歩間違えれば
明日は解らない時代である。時代の変わり目は、こういうものだろう。
日々の科学技術の進歩が背景にあるのだ。
事業も考えてみれば、情報と技術の能力の差である。
それが情報化で瞬時で格差がなくなってしまったのだ。

・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・

2003年03月25日(火)
720,「お金の哲学」ー3

デフレになって、お金の価値が物の価値より上がってきて、日本ではタブーの
お金に対して関心が増してきている。
過去何千年も祖国を追われていたユダヤ人は特にお金にシビアであるのも、
最後頼るべきはお金や金ダイヤなどの貴金属ということが骨の髄まで解っている
からである。

日本人がお金に対して「お金は汚いもの」とか、「お金のために生きているのではない」
とか言っていられるのは、島国の環境の為である。
世界中にお金を汚いとか、甘く見ているのは日本人だけである。
 
 江戸時代の幕藩体制下の宮仕えの貧乏藩士の建前意識が、美徳としてごまかされ飼い
ならされた結果でしかない。それを儒学で覆い被せて、それしか世界をしらない田舎侍たちを
無垢に信じさせていただけの事。上手く金は汚いものと洗脳してしまったのだ。
惨めな話だが、それがそれだけの世界ならそれでよかったのだろう。
その意味でまだ日本はその影響下にあるのだ。

 「もう人生を終わってしまった敗残者か、成功した人が外装としての理屈」
の為に集まって、鼻声で儒学を楽しんでいる分にはよいが。
これから一生を妻子を養っていかなければならない真っ当な人間に、
その教えをまともに教えている無知な人種がいるのが問題なのだ。

 現在日本がこのような状況にある根本原因は、この「虚勢犬意識」が国民的
潜在意識にあるからだ。
もし一億のお金を貯めようとしたら、5百万の預金をしたとしても20年はかかる。
その為には2000万の収入を20年続けなければならない。
その能力のある人は1000人に一人?いるかどうかだろう。
それだけお金を蓄積するのは時間を要するものである。
実際のところ
二代三代をかけなくてはならない。
 
 商人であった両親から学んだ事は、お金の大事さと、その使い方である。
晩年になってよく父が言っていたのは「お金の使いかた」である。
見栄でなく、本当に自分の好きな事に納得して合理的に、使うことだ。
そこには一点の隙があってはならない。
稼ぐと同じくらい前向きに合理的に楽しむことだった。

 それを聞いていた割に全く身についてない自分は何故??
装置産業の為に、大借金をしているためであるー言い訳か!
大儲けをして現金の山を見たことは一度もない。
「健康法説いて あの世に先に逝き」ではないが、
「金のこと説いてた あのバカ夜逃げをし」ということになる
可能性もあるからあまり偉そうな事を書かないほうがよい。

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・・・・・・・・・・
2002年03月25日(月)
356,西アフリカー3

ー能力探しー

今回の旅行で面白い人とであった。
予備校の講師でミュージシャン、今度小説を出すという。

年令が31歳、数学の本を何冊か出し、予備校の講師。
今回の旅行で3つの歌を作ったという。

音楽のゴーストライターもやっているという。
ゴーストライターで本は聞いたことがあるが、音楽では珍しい。
ミュージシャンと数学の先生の二刀流ということだ。
CDを数枚出し、有線でトップテンに入ったことがあるという。
「防波堤」は、長岡のスナックで聞いた事あった。
夜バーで聞いた弾き語りがなかなかよかった。

昼からビールを二本飲んでいた。夜もしかり。
話しているだけで、自分の中の創造性が喚起される。

私の目では一応本物に見えた。
エルミナの夕景を見にホテルの海岸に出たら、一人海辺に隣接している
誰もいないスナックでビールを飲んでいた。
声をかけると、夕日で変わる海の色の変化を見ているという。
これはいえない言葉である。

何か変わった人だと気に留めていたが、家内からあの人はミュージシャンで
予備校の講師と聞いて納得した。

その後何回か話す機会があったが、講師とミュージシャンの仕事の特性の
為か、相手を自分の世界に引き込む話術には驚いた。
いや話術ではなく、その人の中味なのであろう。

http://yoshiki-o.hoops.ne.jp/
大上芳樹

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[月曜の朝に ]☆☆☆

−哲学的にも有名なユーモアー

ある死刑囚が月曜日の朝、
死刑執行に引き出され連れられていくときのジョーク、

「ふん!今週も今日から幸先がいいわい!」

(・彼にとって今週がない   
 ・長い間の死刑の恐怖から解放される
 ・目の前の死の恐怖を和らげようとする自嘲)


1816, 靴修理の面白さ

2006年03月24日(金)


                 (○´・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●)


最近自宅にある、捨てるに捨てられない靴を5足を修理してしまった。
殆どの靴の踵部分が消耗して擦り切れてしまう。
靴ヘラを使っているが、先ずそこがボロボロになってしまう。
特に廉い靴は直に傷む。
ウォーキングと通勤で、普通の人の倍は歩くため消耗度が大きい。

    最近まで履いていた靴の右足の小指の部分が割けてしまった。
    靴屋に持っていけば最低5千円以上はとられる。
    そのウォーキング・シューズは私にすれば高めの1万2千円である。
    直すに直せないし、他は頑丈に作ってあり、3年以上も通勤、
    ウォーキングに、海外旅行にと、履き続けてきたので馴染んでいる。


ジッと見つめて知恵が出てくるのをまった。
内側から踵の修理用の部品を貼り付け、
外側から傍にあった金物修理用ボンドを埋め込めば何とかなる!と。
こうなると、遊びの領域になる。
そして無事完成してウォーキングで履いてみたが完璧に直っている。
その上を黒の靴墨で塗りこんであるので外見からも分らない。

    そうすると俄然面白くなって、踵の磨耗部分などは簡単に直してしまった。
    新しい靴の踵部分に初めから修理用の部品をボンドで貼り付けておけば、
    靴ヅレの心配も無くなり、靴の事前メンテにもなる。
    
    何ごとも楽しむことだ! 
                 (。・・)_且~~ お茶
                 
そういう訳で、我が家の玄関にはウォーキング・シューズが9足も並んでいる。
玄関のドアがガラス張りなので泥棒よけにもなっている。
判ったことは、高めの靴は履きやすいことと、長持ちをする。
それと履けば履くほど使いやすくなる。

    けち臭い話だが、殆んどはウォーキング以外は履かない靴だから
修理の部分も気にならない。
    自分で治すという発想が今まで無かった。
    しかし自分で治せると判れば良いものを買って、
    メンテをして長く使ったほうがよい。

                   ヾ(●・з)ノ" バイバイ!

・・・・・・・
・・・・・・・
2005年03月24日(木)
1451、「仏教の根底からの否定」の文章−1


ー山根二郎かく語りきー

ある雑誌で山根二郎という人の文章を読んで、ただただ驚いた。
仏教を根こそぎ否定・批判しているのである。
ここまで仏教を根底から批判している文章も初めてお目にかかる。

宗教業界の坊主の質が悪いと思っていたが、
仏教そのものを根底から否定している日本人に初めて出会った。
それが正しいとか、間違っているかが問題ではない。
日本のような仏教国?で、あからさまに否定できる知識に驚いている。
また、その豪胆さにも。
反面、マイナスから照らした仏教の教えの真髄も見えてくる。

江戸時代に、幕府がキリスト教を封じ込めるため寺請制度に問題があった。
市役所の戸籍の役をお寺に丸投げをしたのだ。
もし、人別帳から外されたら大変な事態になるからだ。
そこを利用した坊主の利益享受システムが、長年にわたってつくられた。
その流れをそのまま受けついでいるのが現在の仏教業界である。

不幸につけこんだ搾取を、立場と信心を利用して行なっているのだ。
それに対して、誰も声高く批難できないのが島国の環境のためでもあった。
それと似たことが、中世キリスト教会も行なわれていたが。

まあ創価学会にしても、その類でしかない。
自分達だけは無税と手前勝手な屁理屈で大手を振っている。

一年ほど前、寺から京都の本堂の改築のため、一万の寄付の要求をしてきた。
「この不景気に何をいっている」と言いたいが黙っていた。
全く坊主丸儲けである。

山根は、その根底から否定しているから痛快である。
ー以下は彼の文章のポイントを抜粋したものである。
 −−
 
仏教が入ってきて日本を悪くした。
日本人は、なぜこんな空・無の思想に取りつかれたままなのか。
それは、もともと「私」という観念が希薄な列島の部族的存在としての
日本人の意識の上に「自分というものはどこにもない」という仏教思想が
張り付いてしまったからなのだ。だから永遠に「私」という「個」の意識
など生まれようがなく、日本人はいつまでたっても「色即是空」の中に
封じ込められたままである。
ハンチントンが「日本人は孤立している」と言ったのはこのことなのだ。
日本人は孤立していくのではないかと感じだしているが、その一番の
原因がどこにあるかは誰も分らないまま、日本人はますます仏教に
のめりだしている。
その仏教そのものが、日本人が世界で孤立していく最大の原因なのだ。

今日本で起こっていることは、「仏教」をやりながら「近代」もやってきた。
本居宣長の言葉を借りるなら、虫のよい「きたなき心」の日本人の崩壊が
始まったということである。結局日本人には近代化は無理であった。

たとえば、地方都市のある禅寺では、坊主が、本堂とてめえの住まいを
建て替えるといって寄付を募ったところ、瞬く間に檀家から13億円が集まった。
本堂と総檜造りの住まいで7億円の普請で、6億あまった勘定になる。
これこそ坊主丸儲け、笑いが止まらない。
その坊主の住まいが本堂管理棟と言うそうだ。
こいつらには一銭も税金を払わなくてもよいようになっていて、
税制改革といっていても、こいつら宗教法人には非課税を撤廃せよという
声は聞こえてこない。
 (書き写していて全く痛快である。よくここまで書けるものだ)
                      
                      まだまだーつづく

以前書いた仏教批判の文章をコピーしておきます。
 ーーー
   2002/12/30
葬式仏教の由来

現在の日本の仏教の堕落を随想日記で何回も書いている。
葬式仏教の集り体質である。

その成り立ちを、ある仏教学者の本に明快に書いてあった。
・その発端は徳川幕府がキリシタンを弾圧した江戸時代にある。
 キリスト教徒を撲滅する為に、お寺に監視機能を持たせた。
 お寺の檀家にならないと、キリシタンにみなした。
 −具体的にはお寺に宗門人別帳という登録権をもたせた。
 そこで布施や付け届けをもってこないと宗門帳から抹殺すると、
 脅して間接賄賂ー布施や付け届けを強要した。
 それにより自ら堕落をしていった。

・更に徳川幕府はお寺に葬式を命令した。
 キリスト教の葬式をやらせない為だ。
 本来坊主は出家をしている為、家族の代わりに坊主仲間がやっていた。
 一般人は家族が出していた。
 そこで葬式を命令されたので、一般人を死んでから出家した事にして葬式を
 あげることにした。戒名はその為に作られた風習でしかない。
 弟子の葬式をやってやる建前にした。
 在家の葬式を坊主が始めたのは江戸時代の幕府の命令で行われたにすぎない。

本来それは本物の宗教とかけ離れたものだ。
先祖を弟子にしてあるから、先祖供養をネタに葬式業としての職業化を図った
のが実情だ。
それが現在になって壊滅を始めているのが彼等葬式仏教界の深刻な問題だ。

もっとひどいのは現世利益を約束している新興宗教団体だ。
戦後、宗教団体に免税したのが最悪の状態にした。
それを利用してドンドン大きくなって政治まで利用して国家を動かしている
何とか学会とかいうカルト教まで出てきている。
ここまでくるとエログロである。

きっちりと毎朝おまいりをしていると、逆にそういう集りの意味が見えてくる!


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2004年03月24日(水)
1086, 疑惑

台湾で陳総統が0・2佑虜垢悩徳されたニュースを報じていたが、
何か胡散臭い銃撃事件と思いざるをえない事件である。
この事件が無ければ対立候補が絶対有利であったからだ。
自作自演事件?と考えるのが、穿ったみかただろうか。
政治家なら、平気でその位のことをするものだ。
腹を丁度よく横にかすめたものである。
おまけに、隣にいた副総統の足にも当たり負傷をしたという。
弾丸まで車の中で発見されたとか。

対立候補は早速疑わしい状況があったとして『この選挙は無効』と宣言している。
台湾では抗議行動が進んでいるが、後進国の一つの現象と割り切ってみると、
漫画的でもある。
何処かの国の密室政治も外部から見たら、このレベルの世界だとも言えるだろう。

ある月刊誌に『逮捕されたイラクのフセインは替え玉で、本物はアメリカの
手で実際は匿われている』と書いてあった。
まさかと思いつつ読んでいると、なるほど有得ると思ってしまう内容であった。
情報化社会は、実際に表面化している情報が本当かどうか一度疑ってみる必要がある。
情報操作が簡単になったからである。
哲学者が、こういう情報化社会の現象をイチハヤク解剖ー分析ーをしている。
真実と現象の構造を、精密に説明してみせている。

事実と思い込んできたことが、実は虚構でしかなかったというのは
人生を振り返ってみるとよく解ることである。
ソ連邦や東ドイツが崩壊した時に、その共産主義を信じて疑わなかった
多くのエリート官僚が、その虚の崩壊に呆然として精神の異常をきたしたという。
テーマと少し話しは外れたが、今度の台湾の総統の茶番はアマリにお粗末である。

他山の石として見ている分には面白いが。

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2003年03月24日(月)
719, 「私の無名人名語録」

永六輔の「無名人名語録」があるなら、「私の無名人名語録」もあってよいだろう
と考えてみた。

・「会社を良くしようと思ったら、よい人間をどんどん入れることだな!ゴミがすぐ
 浮いてきて、出て行くんだ」ーあるセミナーの隣席の社長が言っていた。

・「事業で大失敗をするほど、どういうわけかその都度大きくなるんだよな〜」
 これも事業を立ちあげた社長から聞いた。

・「地方って3流の人物が親の財産をバックにしてさ、一流と思い込んでいる奴が
 多いだろう。おれは田舎のプレスリーって奴」。

・本当にあった話だそうだが、もう亡くなった往年の二枚目俳優の田宮二郎が
 ある地方の温泉街を歩いていると、「田宮二郎一座」という劇場があった。
 面白がって入ったが途中で腹が立ってきて、座長の所に終わってから行った。
 文句を言うと戸籍を出して、田宮二郎が実名ということが解った。
 ところがその座長曰く「いいですよ、私の名前をそのままつかっても!」
 と逆に言われたそうだ。これこそ無名人?語録である。
 変な逸話をおもいだした。

・「女にしても物にしても、並べて比較するとどっちがよいかすぐ分かるよ。
 比較ほど簡単な科学はないよ」これわたしの経験から出た言葉。

・「オカマって、寝ると凄くいいんだってさ!」高校の同級会で、ある男が言っていた。

・やはり先回の会で、その男に「おまえ市会議員になったんだって?」と聞いた。
 冷かしをかわすつもりで「市会議員になるほどバカではないよ!」と答えた相手に
 すかさず「てっきり市会議員になるほどのバカと思っていたよ!」と言ってしまった。
 本人「・・・・」ムッとしたのが露わだった。「お前は言葉のアルカイダーだ!」
 と言われた。私は言葉の遊びで言ったつもりだったが。

 時間をかければ幾らでも思い出すだろうがすぐ出てくるのはこの位だ。

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 2002年03月24日(日)
355、西アフリカ旅行記−2

今回の旅行は西アフリカのコートジボアールとガーナと
トーゴとベナンの4カ国を突き抜けるバスツアーであった。
人間の頭に例えると、インド洋が顔、大西洋を後頭部とする。
その後頭部にあたります。

1000舛隼廚辰討い燭実際2000舛任△辰拭
バスツアーそのものを楽しむものだった。

ほとんど景色は変わらず、淡々とした旅行でもあった。
やはり異質性はあった。
東洋人を全く見たことがないようで、彼らの好奇の目に驚かされた。

何処でもそうだが、こういうところは市場が面白い。
各地の市場にいったが、現地の特性があり生活の匂いがしていい。
彼らは写真を撮られることに、異常に拒否反応を示した。

4カ国を短時間で見て、それぞれの政治情勢が手に取るように解った。
当然のことだが、政治の重要性を感じとることが出来た。

奴隷についても、日本でもありえたのでないか。
隣国が海で囲まれていない場合、
戦争捕虜を皆殺しをしないで、隣国に売り払った可能性があった。
戦国時代は負けたほうは、条件をつけない場合は皆殺しであった。

何処がどうという事でなく、トータルで異国情緒を愉しむという旅行であった。
同行者もアフリカのみならず、世界中を行きつくしたツワモノぞろいであった。

私にとって行きたい処の情報の宝庫であった。
もう一つの楽しみの同行者がよかった。
何かを背負い、また降ろしてきた人生のツワモノ達でもあった。

こういうところに来る人は、変わった人というより旅行をしているうちに
ここに行き着いたという人が多い。その中で感性が磨かれたものと思われる。
それと初めから何かのきっかけで来ているか、どちらかである。

これから数人具体的に見てきた人を紹介してみる。

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<おわらい>
[ 彼と彼女の違い ] ☆   

今日は彼と彼女のデートです。映画と食事とお酒、
そしてホテルというお決まりのコース。

帰宅後、その日のできごとで記憶に残っていることを2人は日記に書きました。

--- 彼女の日記 ---
わたしが30分も遅れて行ったからかな。彼は少し不機嫌だった。
1人でどんどん行っちゃうから泣きそうだった。
映画館でもずっと気になった。
でも食事のときは、ちゃんと笑ってくれた。うれしかった。
わたしは彼の笑顔が好きなんだとつくづく思った。

食事はイタリアン。すてきなお店だった。雰囲気もよかったし。
映画の方はまあまあだったかな。あのお姉さん役の女優、なんて名前だったか。
いい感じだった。スーツがよく似合ってかっこいい女性。

お酒を飲んでいるときその話をしていたら、いつのまにかうちの家族の話になった。
彼ったら、うれしそうに聞いてくれた。
もしかして・・。いえそんなこと。

でももしかして・・。ちゃんと考えてくれてるのかな。だとしたらうれしい。
ホテルでもなんだかやさしかったし。
うふ。し・あ・わ・せ。

--- 彼の日記 ---

「した。よかった!」


1815, 近聞遠見

2006年03月23日(木)

              ォ'`ォ'`( ゚,_・・゚)ノ"ォ'`ォ'`ョゥ


先日の毎日新聞のコラム「近聞遠見」の岩見隆夫の
「岩国哲人の『偽の国』論」が含蓄が深い。

  ーまずは、その内容を紹介してみるー

   今週、所用で何年ぶりか、出雲空港に降り立った。
   さらに、JR山陰線の特急<スーパーおき>に乗り、日本海沿いを大田、浜田、
   益田と西に走る。海岸線が目に心地よく、飽きない。

ところで、17年前、この出雲市の市長に、いまは民主党衆院議員の岩國哲人が就き、
アイデア行政で話題をまいた。突然市長を辞め、東京都知事選に出馬したこともある。
永田町ではあまり知られていないが、岩國は名物コラム<一月三舟(いちげつさんしゅう)>
の執筆者だ。
タイトルは仏教語で、一つの月も見上げる舟によって異なる、という教えである。

   郷里の「日本海新聞」に毎週1回、400字詰めで約7枚、
   書き続けて10年目に入った。多忙な政務のかたわら、容易にできることではない。

   1月9日付は、<魏(ぎ)の国、偽(ぎ)の国>という題である。
   出雲市の友好都市、漢中市は中国史で名高い魏・蜀・呉の三国時代の舞台になったところ。
   3世紀の日本の政情、風俗などを記した文献「魏志倭人(ぎしわじん)伝」の縁もある。

ところが、同じギでも、最近の日本は<偽の国>に迷いこんでいる、と岩國は嘆く。
 去1年を振り返っても、数多くの<偽>の字がマスコミ報道をにぎわした−−。

 ▽昨年の初詣で、各地の神社で<偽札>が使われる。

 ▽西武鉄道の株主名簿が<偽装>され、いわば<偽株>の売買を50年間も許してきた。

 ▽カネボウの粉飾による<偽決算>が投資家を驚かせた。

 ▽永田町でも、日歯連の1億円献金を隠した<偽収支報告書>に司法のメスが入った。

 ▽イラク戦争の名分は大量破壊兵器の存在とされたが、
 これも<偽情報>とわかり、小泉純一郎首相の自衛隊派遣も根拠が崩れた。

 ▽極めつけはマンション、ホテルの<耐震強度偽装>という衝撃的事件だった。
                          (´Д`;)/ヽァ・・・

    本物の影が薄い。岩國は米国の中央銀行を見学したとき、
    本物の金塊が一般見学者用にどしんと置かれているのを見て
感激したことがある。
    そこで昨年1月の衆院予算委で、
   「日本銀行本店にうやうやしく展示されている金塊は本物か偽物か」
    と福井俊彦総裁に質問した。 
    答えは、
   「模造品です」だった。
    プラスチック製の金の延べ棒21本をピラミッド状に積み重ね、
    本物らしく見せているという。
   
            (*^ー^)/C□~~ コーヒー                    

   <本物を展示しているアメリカにお金を貸す国になっても、まだ《偽金塊》
   しか置かないところに、この国の《偽》の伝統が象徴されているように思える>
   と岩國は書いた。日銀にしてみれば、不本意な言われ方だろう。

日銀側によると、一昨年夏、地下金庫を公開したのを機に、
見学コースに模造金塊を展示したのは、本物だとセキュリティーの問題もあり、
気軽に身近に接してもらいにくくなる、という配慮からだった。それもわかる。

 だが、岩國の指摘も鋭い。
金塊展示をめぐる日米の差は、論争テーマとして興味深いし、
<偽>に対する日本人の深層心理をあぶり出せるかもしれない。

    岩國は、
    <「偽の国」日本の新年には、どのような偽物が登場するのだろうか>
    と正月コラムを結んだ。
    予想にたがわず、年初以来、ライブドア社の決算粉飾の疑いで
ホリエモンが逮捕され、 ついで、民主党の永田寿康衆院議員が
<偽メール事件>を引き起こした。

    際限ない連鎖を思わせる。
    衆院懲罰委員長として、岩國が永田議員の処罰を取り仕切るのも、くしき因縁だ。
    
    =毎週土曜日に掲載 岩見隆夫のホームページは
    http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/iwami/kinbun/
       毎日新聞 2006年3月18日 東京朝刊

  ーーー

以上だが、それでは先進国といわれているG・8以外の国はどうか?
といわれれば、偽なんてものじゃない!
中国、韓国、フィリッピンはどうか?と、
対象にするほうがおかしいか!
アメリカも同じことがいえるだろう?
真偽とは何か?を、深く考えてないので?と、
いや、こういう視点も大事なことである。


             ε(´',_c')зβyё☆βyёε('c_,'`)з゛
             
 ・・・・・・・・
 ・・・・・・・・
 
 2005年03月23日(水)
1450, 書く(一人、語る)ということ −2


このHPを開設をして、あと1ヶ月あまりで丸4年になる。
よく書き続けてきたと思うが、私自身にとって開設前と後という位の
大きなインパクトがあった。
書き出して公開するということは知性の乏しさや品性が出てしまう。


20代前半の日記を読んでみると、書き残すという意味と必要性が解る。
問題はその後書き続けてなかったことである。
書き続けていれば、人生は全く違ったものになっていた。

日記など、自分の考えを書き続けている人は1佑靴いないという。
それだけ自分の気持を書き連ねることは大変なことである。
記憶として思い出したくないことが人生には多いからだ。


随想日記は、考える生活、語る人生への転換であった。
(それまでも少しはあったが、毎日書き出すことはしてなかった。)
・考えることが少ない生活から、 考える生活へ
・必要なことを求める生活から、  知を求める生活へ
・役立つものを価値としいた生活から、目先は役立たない価値を求める生活へ
・常識に従う生活から、        常識を疑う生活へ
・実生活の利害から物事をみる見方から、 真実を見ようとする生活へ
・日常の会話重視から、          哲学的論理を重視する生活へ
と変わっていった。  


これは一般社会の見方を根底から否定することになる。
それ以上に自分の知識欲求が、日にちを重ねれば重ねるほど大きくなっていくほうが
素晴らしい。
しかし、興味本位でみている人は少しは納得はするが?、
何か可笑しな戯言に思えるだろう。


過去の天才を調べると、共通点は日記や、詩、手紙などに自分の気持や考えを
雄弁に書いていたという。天才などなりたくもないし、なれるわけがないが、
脳の基礎構造を拡大している実感がする。
4年間書き続けてみて、内面のコペルニクス的な大転換を経験している。

おそらく、このペースであと6年間ー合計10年続けたら、
何かが爆発する予測はできるが、それが具体的に何かはわからない。


一昨日、NHKの「クローズアップ現代」で、
‘最近の若者が気楽に小説を書くようになった’という特集をしていた。
全く、他の本を読んだことがない若者が芥川賞をとってしまうのだ。
携帯やパソコンでメールをしているので、いつの間にか文章力、表現力が
ついてしまっている。
おまけにインターネットやゲームで感覚が研ぎ澄まされている。
彼らの文化もチャンとできているのだ。

言葉とイメージは人間に対し、
神が与えた最大の能力(脳力)である。

 参考の為に
「テーマ日記」を書き始めて一年 ー1
              2002年5月
 をコピーしておきます。
  ーーー
あと一ヶ月でホームページに「テーマ日記」を書き始めて一年になる。
旅行を除けば一日も欠かさないで書いた。

何処までやれるか自身との闘いで始めた。
あまり苦しい事はなかったが、しかし気をとられたことは事実である。
気がついたら、370以上の文章を書いた事になる。
よく書いたものだが、内容はこんなもの。


あと1〜2年つづけたら殆ど内面を、いや底を尽くのではないか。
その後で底から真水が出てくるのではないか。
今現在もう底を突いているのではとは思えないでもないが。


テーマの種が尽き始めた事は事実だ。
大した事を考えてない自分が顕わになった。
本気になって第三者を意識して書き出して、プロの文筆家の能力に
今更驚かされる。それで食べているのだから当然といえば当然だが。


書くということと、内面で考える事とあまり違いはない。
内面を赤裸々に顕してしまう。
毎日書き続け公開していることは、とんでもない事かもしれない。

しかし今更そういう生き方をしてきて(^^ゞ−(;一_一)(+_+)(-_-;)
ー恥ずかしいことはない。
後どうしても過去の事考えたことに偏ってしまう。
人生の7割生きたのだから仕方ない。
自分史そのものだ。
自分史の先取りだが、自分史は早いほどいいという。

ーーーーーーー
 2002/05/23
テーマ日記を書き始めて一年 ー2

ホームページ上のテーマ随想日記は、非常に有効だ。
一年書き続けて、毎日それなりにチャンとテーマが出てくる。
10日に一度くらいが、まったく思いつかない状態になるが、
それでも、その状態の中でも湧くように出てくる。


書き続けることが、大事である。
「一ヶ月で、千項目テーマをあげて文章を書け」
といわれても絶対に不可能だ。


しかし毎日一項目書き続けることは不可能でない。
その習慣をつければ、何とか千項目書けるのではないか。
後二年近くかかるが。


それさえ作っておけば、自分のデータベースになる。
大テーマを立ちあげた時に、それぞれの大テーマに合わせて
それを組み替えればよい。

書いているうちにコツが解ってくる。
新幹線の中とか、散歩の時間にそれを集中する。
またどういう訳か集中できるのだ。


この時間の集中の積み重ねが、膨大のデーター化になる。
またテーマを考えることと、そのテーマに対し色々言葉を
組み合わせる作業が考えを深める。


内容に対しては、それぞれ批判があると思うが、その時点の自分の
自然に出てきたテーマと内容なので、これ以上でも以下でもない。

書き続けるポイントは「ギブ・アンド・ギブ」である。
そうでなくては、続けられない。


今までの自分の持っている経験・知識を全て吐き出し、
現在、得た情報をそのまま出し続けなくてはならない。
しかしそれを実行していると、他のホームページのそれが
良く理解できるからだ。


そうする事が、逆に自分の為になるからだ。
仏教の布施、キリスト教のボランティアみたいに。
それをすることで、他のページのそれが解ってきた。
自分が入れたエネルギーの数十倍、いや数百倍が入っている事が、
理解できるようになったからだ。それもギブアンドギブで。


そうしていれば、相手の内容を見る目が違ってくる。
また謙虚な眼で、それを見ることができるようになってくる。
またその時々のメルクマールにもなる。

時間が経つにつれて、自分の考えもどんどん変化していく。
その変化した視点で、過去の自分の考えを見つめ直すこともできる。

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2004年03月23日(火)
1085, 「80対20」革命 −3
   (読書日記)

現在、全ての企業は新しいコンセプトの創造と、その業態つくりが
求められている。
その一点に、全てのエネルギーをむかなくてはならない境目の時代である。

ところで、その途方もない
「創造活動」はどのようにして起こるのだろうか?
この書で解りやすく書いている。

・創造活動の一つは、「既存のものを再構築する」ということである。
「日の下に新しきものなし」と旧約聖書にも書いてある。

一万年前の農業革命も、自然の中に元々あったものを再編成をして、
はるかに生産性の高いものにした。
 そして1750年以降の農業革命は、古来の生産様式を再編成をして、
規模と機械の効力を利用した。
現在のバイオテクノロジーは自然の行為を真似をして、その速度を上げ、
新たな変更を行っているに過ぎない。

・第二の特徴は、
「もっとも大きな強力な力を増大させる」というこである。

自然な力は無数にある。生物も生物でないものも。
創造に役立つものはその中の少数のものだけである。
有益なものは少数しかない。
植物の中で、滋養分が多いのは少数である。
栽培方法でも、優れているものは少数である。
生産物の中で、多産のものは少数である。

・創造の第三の興味深い点は、
「創造は、アイデアと個人がぶつかり結託するときに生じる」ということである。
創造の本質は物理的なものではなく、知的なものである。
マイクロソフトのアイデアは砂漠の砂遊びから生まれたのではなく、色々な
アイデアをいじくり回したことから生まれた。
創造に必要なものは、アイデアと個人、それも少数のアイデアと個人である。
偉大な科学的飛躍はすべて、元をたどれば個人や小チームがあれこれ考え
再構築した少数の豊かなアイデアである。

・ビジネスの創造には、第四の特徴がある。
「ビジネスの創造は、顧客にとって価値が向上するものでなくてはならない」
ということである。より多くのものをよりやすく提供することである。

創造をおこなうことが不思議でもなんでもないのは、
科学者の非凡な才能や狂気じみた発明家、霊感を得た起業家だけである。

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2003年3月23日
718, 「無名人名語録」
     ー永六輔ー  読書日記
     
 無名人、普通人、一般人……の片言隻句の集成である。
誰かが言いそうで、オレが言ってもおかしくない、と思わせる言葉だ。
こう言っている人はどんな人かと想像を刺激する言葉に満ちている。
普段バカ話を話している時、こんな事をいつもいっていし、高尚な哲学の話より
ずっと親近感を感じる内容だ。
こうなると言葉の収集家といってよい。

ーまえがきー の一部
考えてみると老人たちが何げなくつぶやく「道家」も、江戸時代の「無名人命語録」だ。
少し並べてみる
:堪忍袋の袋を常に首にかけ 破れたら縫え破れたら縫え
:今日ほめて明日悪く言う人の口 泣くも笑うも嘘の世の中
:ぶらぶらと暮らすようでも瓢箪は 胸のあたりにしめくくりあり
:手や足の汚れは常に洗えども 心の垢を洗う人はなし

・「若い奴には教養がないっていいますが、その教養を身につける素養というものが
 ありませんねェ」
・「美人の浮気を不倫というの、ブスの浮気は不貞というの。・・・これも美輪明宏語録」
・「美輪明宏が言っていたけど、美人は三日で飽きる。ブスは三日で慣れる」
・「夫婦喧嘩しててね、ダンナ言葉の言葉に、お国訛りが出てきたらそろそろ注意するの。
 訛ったら、その次は暴力なの。だから、相手の言葉遣いをよく聞くようになちゃった」
・「良く風呂が熱いと文句をいただくんですけど、私どものように団体の多い温泉宿は
 風呂を熱くしておきませんと、とても汚れがひどくてねェ。
 ほどよい湯加減ですと、どうしても浴槽の中で身体をこすります。この汚れがバカに
 なりませんので」
・「生きにくい世の中ってのはわかるけれど、/死ににくい世の中でもあるんですよね」は、
 病床の爺さんだろうかだろうか。
・「旅行をリョコウって読まないでさ、リョギョウって読めば、少しは厳しい感じが
 するけれどね……」は、ツアーコンダクターが言いそうな気がする。
・「インドから日本に来て、驚いたことがあります。
 紅茶にレモンを入れることです。/安い、悪い紅茶を使っているからだと思います」
・「狂言では歩くと言いません。/身体を運ぶと言いますね」 通人のセリフである。
・「死刑囚には/最後にタバコをすすめるのですが、/肺癌になるからと断って/刑場に向かった
 男がいましたよ」
・「農業をやっている事に誇りを持てって言う奴がいるけどさ。
 どうやって?どうやったら誇りを持てるんだよ。
 歴史上、農業をやって誇りを持った奴がいたら逢いたいよぉ!
 誇りなんてものは、周囲を見下したとき持てるものじゃないのかい」
・「日本人妻という言葉があるのに日本人夫と言わないのは何故ですかね。」
・「暴力団がいなくなるようだったら、もうその町は活気が無いってことです。」
・「住宅ローンのこと、子どもの受験のこと、親の介護のこと、そして女房のことを考えている
 うちに自殺しちゃったんだって・・・・。/駄目だよ、バラバラに考えなきゃ。」
・「生きるということは、/生き残るということです。」
 「面白い話はいくらでもある。/でも、面白い話し方は滅多にない」
・「しなやか、したたか、つややか、この三つ、
 これが長持ちするコツだすな」

 『無名人名語録』
  永六輔
 (講談社、1987)
  2003年03月10日
  長岡中央図書館
 ★★★
 
・・・・・・・
・・・・・・・

2002年03月23日(土)
354,偶然の一致 -時差ぼけ

心理学でいうシンクロニシティーである。
今起きてきて、台所の時計が9時16分で止まっていた。
居間の時計も9時16分で止まっていたのだ。
寝室の時計で6時過ぎである事は確かである。
現在は6時21分のはずである。
腕時計を見たら、9時21分になっていた。
ウソじゃないか!ウソじゃない!
そうすると3っの時間が9時16分に一緒になっていた事になる。
台所の時計は止まり、居間の時計は現在9時35分でどういう訳か
今動いている。腕時計を今見ると9時35分である。
(16分から19分たって35分になっていた為、時間が違う)
シンクロニシテーが起こったのだ!

TVをつけたら9時35分であった。
4っつ目の偶然の一致?いや寝室の目覚ましが壊れていたのだ。
お粗末!これが時差ぼけだ。家内は今も寝ている。
それにしても朝4時に目覚ましを見たとき、いやに明るかった!
それに何の疑問を持たないのが時差ぼけである。

たった今起きた小さい迷事件である。

・・・・・・・
・・・・・・・
<お笑い>
長生きの秘訣


ー百歳のおばあちゃんー長生きの秘訣

百歳のおばあちゃんの処に遊びに来た曾孫、

帰り際に「また来年も元気で会おうね」と言うと、

おばあちゃん不思議そうな顔をして

「お前、体のどこかおかしいのかね?」
           


1814, WBC−まさかの、日本が優勝!

2006年03月22日(水)

                  才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)

WBCで、日本が優勝するとは誰も思っていなかっただろう。
韓国戦で二連敗をした時には、こんなものだろうと白々とした
諦めの気分になってしまった。
この冬期オリンピックで、日本の最低の負け様を見せつけられたからだ。

今回の勝利は日本のスポーツ界にとって、今だかってない偉業といってよいだろう。
まさか大リーグの選手が多くいるアメリカと中米のチームの中で、
日本が勝てないのは誰の目にもあきらかであった。

    4勝33敗のキューバに寄せ集めの日本が勝てないと思うのは、当然である。
    中盤まで勝っていたとしても土俵際で軽くウッチャリと、過去の経験が示していた。
    それが・・・・
    何と勝ってしまった!
                     \(^ ^)/ バンザーイ
                          (v^ー°) ヤッタ!

日本の野球にとって、歴史的な勝利になってしまった。
日本のプロ野球にとって神風になるだろう。

この勝利はアメリカにとってプライドが地に落ちてしまった。
審判に怪しげな人物を配置したり、
ルールをアメリカに有利にしても、
敗北したのだから!

    メジャー・リーガーがゼロのキューバと、
    二人しか出てなかった日本が決勝戦に勝ち進んだのも皮肉である。
    松井も事情があったとしても、
    イチロウと選手としての商品価値が大きく開いてしまった。

韓国戦の準決勝と、この決勝の緊張感はそうそう観ることはできない。


ー今回のWBCで印象的な場面とキーポイントは
・デービットソン審判の意図的?誤審
・韓国に連敗後の、準決勝の勝利と、
 韓国の日本への敵対心と、
 その民度のレベル?の露出
・メキシコのアメリカ戦での、マサカの勝利
・イチロウのプロの執念
・短期決戦でのスモール・ベースボールの勝利

   「僕の野球人生で最大の屈辱を味わった」と、韓国に二連敗をしたときの言葉が、
    日本の選手に火をつけた。
    優勝後のイチロウのコメント
   「最大の屈辱を味わい、最高の気分を味あった」と、
   「選手としてつぶれても、このWBCで勝つことに全てを注いだ!」
    が印象的であった。
 
 イチロウ日本の勝利といっても過言ではない。
 イチロウの力と、王監督の性格が重なってチームとしてマトマリ、
 まさかの優勝になった。
 
 飛び石連休に丁度良く、準決勝と決勝が重なってくれた。                    

                   βyёε('c_,'`)з゛

・・・・・・・
・・・・・・・

2005年03月22日(火)
1449, BOSEのステレオ−4

「利益は全て研究開発に投資する、投資家の配当はなし」
が会社の方針というから、アメリカ的でない。
現在も株主は殆んど配当金を貰ってないのだ。
音響研究開発集団をめざすことが、この会社の行き方である。
株主にとっては、目先の配当より売却時に株価で利益を得れば良いのだ。

ー以下はボーズ社のパンフレットの要点をまとめたものです。

会社の創業が、MIT(マサチュウーセッツ工科大学)の一研究室という。
若き日のDr.ボーズが、BGM用に購入したオーディオシステムに不満を持ったことが
その出発点という。

その研究結果から、
理想的な生演奏の再現には音の来る方向の多角性とその量の均一性
及び時間性がきわめて重要であることを理論づけ、ついに22個のスピーカーを持つ
8分の1の球体という空前絶後の試作機が誕生した。

そんな1959年のある日、偶然、彼の研究室にある‘不思議な物体’の正体を知った
電子工学部長のウジズナー博士は、この研究成果に感銘を受け、直ちに、
ボースの「音響に関する研究」をMITの公式プロジェクトにすることを決定した。

‘タイムレコーダーはなく、予算があるだけ'といわれるボーズ社の自由闊達な
雰囲気は、今もMITの研究室時代そのものといってよいと言われている。

アクースティマス・スピーカー・テクノロジーは、スピーカーの大きさと音の関係
における従来の考え方を一変させた。
手のひらに収まるサイズのスピーカーから、これまで考えられなかった素晴らしい
サウンドが再生可能になった。

世界のGMやベンツやニッサンやホンダ、マツダの高級車に搭載されている。
また1992年のスペースシャトル「エンデバー」にも搭載された。
ーーー

以上だが、ソニーとホンダ神話しか知らなかったので、
この会社の研究集団の若々しさに驚いてしまった。

音響マニアからみたら、あまりにも有名な話だろうが。
音の再生は、聴く立場からみれば直接肌に伝わってくるもの、
技術が生に感じて当然である。

視野を広く、何にも興味を持たなくては時代についていけないことを
この音響機器の世界で知った。
知らない壁を勝手につくっていたのか、ただ馬鹿なのか。

この時代、軽く軽くも大事なことだ。
情報時代なのだ。
深沈厚重第一の資源とか言っていたのがいたが、何だったのか!
殿様蛙には良い言葉だ。第二が磊落剛勇だと!よく言ったものだ。
モンゴル相撲の横綱にはピッタシだが。

面白い時代である。

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2004年03月22日(月)
1083, 「80対20」革命 
          −2(読書日記)

この本は、簡単に言えば、いま「創造的な個人を中心とした新しい経済」
が出現しつつあり、つまり、個性を発揮して新しく有益なものを作りだす
『80対20人間』こそが次の時代の担い手であり、その一人になりたい人には、
どんなビジネスが可能か、そのための方法があるかを説いている。・・・・・

特徴的なのは、
「何かを創造したいなら、まず自分の20佑離好僖ぅ(強み)を見つけ、
伸ばさなければならない。新しいビジネスをつくりたいなら、ビジネスについて
考えることからはじめてはならない。自分自身について考えることから始める
べきである」
個人の中にある20佑離好僖ぅ(強み)に対して忠実であるべきである。
この並外れたスパイクを自分で見つけ、強力に育て上げなくてはならない。
そして「取るに足りない多数」を外に外注に出し、エネルギーを
「きわめて重要な少数」の20佑肪蹐阿海箸世伴臘イ靴討い襦

20佑凌諭垢寮源裟は80佑凌諭垢裡看椶任呂覆ぁ何とその二乗の
16倍なのである。

・農業革命(10000〜7000BC)ー>
 産業革命(1750〜1850)ー>
 経営者革命(1900〜1950)ー>
 80対20革命(1980〜2020)
 へとニューエコノミーの時代は移行している。
・時代背景という面でみると、
 農業経済ー>市場資本主義ー>経営資本主義ー>個人主義
 へと変化している。
 
 ほとんどの企業が主要な個人を中心に回る時代がやってくるだろう。
 個人のスパイクこそが重要な資源に取って代わるのだ。
 個人主義が資本主義に取って代わるのだ。
 
  −−−−
 以上は私が主観を込めて、まとめてみたものだが、
 優秀な個人が世の中を支配する時代になってくるのか?
 下手をすると、違ったカタチの独裁の時代になるのか?
 結局は動物社会と同じところに行き着くということか?
 (一番優秀な個しか生き残れないのでは?)
 
 等、考えさせられることが多い本であった。
 それもグローバルという単位であるから、企業も個人も激しい競争に
 直に巻き込まれる時代になったのだ。

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2003年03月22日(土)
717, 温帯魚

 事務所で温帯魚を飼っていた時、よく熱帯・温帯魚の専門店に餌を買いに行った。
その時に店の片隅に小さな鯉が、タライにいっぱい入っていた。
場違いの存在に「何でこんなものを売っているの?」と聞いた。
店主が「餌だ」とばつの悪そうに答えた。思わずゾッとした。
料理屋の生簀の魚を見ても何とも思わないのだから、不思議なものだ。
鯉は20~50万が孵化して、選り分けられて数匹以外は肥やしか、餌として売られる。

 事務所で温帯魚を飼っていたとき、2^3日に一匹の割合で魚が消えていった。
不思議だと思ってみていたら、ハリセンボンが目の前で小さな魚を追いかけていた。
まさか、ハリセンボンが食べていたとは想像すらできなかった。
一匹の魚は頭を岩の間に隠したまま、尻尾のほうが三分の一食べられて死んでいた。
もちろんすぐに隔離をした。

 ある種類の温帯魚だけを数匹飼っていたときに不思議な現象をみた。
ある一匹が他の一匹を執拗に追いかけていた。
ところが一番大きい一匹がいつも中に割ってはいるのだ。
たまたまそう見えたのではと思ってみていたが、そうでなかった。
どういうことなのか今でも理解できない。

 ある温帯魚を飼っていたら、あまりにも巨大になり鑑賞用としては耐えられなくなり
全てを店に返してしまった。そして現在は金魚だけである。
ランチュウだけに絞って10匹を飼っている。
 温帯魚を飼っていたときは、どんなに見ていても飽きないのだ。
はたから見ていたら不思議な姿だろう。

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2002年03月22日(金)
353、流通再編ーウォルマートの進出

旅行の留守の間の新聞をみていたら、3月15日付けの日経に
ウオルマートの西友の買収の記事に驚いた。
当然といえば当然だが。

これでジャスコとヨーカ堂とウォルマートとの3極の再編成が
この4〜5年で始まるだろう。

ユニーなどの地方の準大手や中堅企業のSMも、
吸収か倒産のどちらかの選択に迫られる。

この3極の一角も10年以内に倒産に追いやられるのは、
アメリカのKマートの倒産を見れば当然だろう。

自動車業界や電気業界と同じ世界に、流通もおいやられるということだ。
まずはダイエーの淘汰はこの数年で必至だ。そして今最盛期を誇っている
ホームセンターも3〜4年先から倒産の嵐も必至である。

もちろん地元の原信やウオロクなどは、そのどこかに参加するか
消滅しかない、面白い時代になってきた。
といって全ての企業がこの数年で存続か消滅の岐路に立たされている。

最終的にダイエーを買収すると思っていたが、西友とは思ってなかった。
SMのスパーセンター(1500〜2000坪)
あたりを狙ってくるのは当然だ。

仕事人生の前半に流通業に身をおいていたから、その競争世界の激しさに
震撼とする。

地方(痴呆)豪族化していたー(ペガサス主幹の渥美俊一)
痴呆スパーの淘汰に入った。

ー地方豪族化を敢えて説明すると、
自動車販売会社やケーブルTVとか、印刷会社や貸しビルなど持つ
??などの地方スーパーをいう。
ーあくまで渥美談ー

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<お笑い>
[こわい話ー黙殺]☆☆☆


男A「棺桶にテレコを隠しておいたんだ。
       ‘おい開けろ!’って声がしたはずなんだが」
男B「奥さんビックリしたろうな!」
 
 A「いや俺がビックリしたんだ!」
 
 B「なんで?」
 
 A「昨夜はおくさんがひとりで通夜してたはずが、 
   なんの騒ぎも起きなかったんだ!」


1813, スモ−ル・ベースボール

2006年03月21日(火)



               は(* ̄(エ) ̄)ノろぉ(* ̄(エ) ̄)ノ
               
最近、WBCでスモール・ベースボールという言葉を耳にするようになった。
去年の王監督のソフトバンクと、優勝チームのロッテのチーム方針が、
このスモール・ベースボールだった。
今年の巨人が、清原・江藤とローズを含め外人全ての首を切ったトレード・オフからみて、
明らかにスモール・ベースボールへの切り替えである。===くやし〜(っ≧ω≦)清原

    ところで、WBCの日本代表のチーム方針は「スモール・ベースボール」
    と言われているが、実際は「スモール&ストロング・ベースボール」という。
    あれだけの選手は、長打を打てて当然。
    スモールベースボールの真の意味の「守り勝つ」布陣を目指す合言葉。

マリナーズのイチロウをはじめ、出塁率4割を越えた中日ドランゴンズの福留、
ホークスの松中、4割を目の前にした西武ライオンズの和田、
東京ヤクルトスワローズの岩村・青木を打者を起用している。
投手では、巨人の上原、西武の松坂、ロッテの藪などそれぞれの役者が揃っている。
決してチマチマした野球を目指すというのではない。


   ーそこで検索でスモール・ベースボールとは何か?
    を調べてみた。

    スモール・ベースボールとは、
   「ホームランなど大技に依存せず、
    打線の繋がりと堅実な守備により少ない得点差で勝つ」である。
 
    マイケル・ルイス著、
    講談社「マネー・ボール」で、
    スモールベースボールを駆使してチームの強化に成功した
    オークランド・アスレチックスのビリー・ビーンGMの手法を紹介している。
                  
                  ~~旦 ゝ(-_- )
  ー彼のスモール・ベースボールは
走塁、バント、エンドランといった小技の駆使ではない。
彼はそれらの小技は禁止しており、その代わりに徹底的に出塁率を重視している。
打者には初球を振らせることや、走者には走塁を禁じている。
またドラフトやトレードでは出塁率を指標に補強を進めている。
出塁率が高いとは、相手にアウトカウントを提供せずに得点のチャンスを得られる
ことを意味する。

     例えば無死1類の場合、エンドランが成功すれば無死1、3塁でチャンスは
     広がるうえ、犠打でも1アウトを許す代わりに走者を得点圏に進められる。
     しかしそのリスクは高く、失敗すればチャンスは一瞬にして費える。
     チャンスがその試合唯一の得点機会になるかもしれない。

これに対し出塁を重視したスモールベースではどうか。
同じく無死1塁の場合、安打は出なくても四球で出塁すれば無死1、2塁に
チャンスは拡大する。そうなれば、攻撃の選択肢もいっきに拡大する。
 
 ーー
    以上だが、今回アメリカが苦戦したのも
    スモール・ベースボールに敗れたといってよい。
    キューバは如何なんだろうか?
    今日の試合が楽しみである。

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 2005年03月21日(月)
1448, BOSEのステレオ −3


数日前、BOSEのオーディオ・コンポが送られてきた。
早速聴いてみると、なるほど素晴らしい。

現在のステレオ・オーディオの環境は、PDP/TVの音響機能に
ソニーのホームシアターとセットしたものである。
これでBS/TVのコンサートなどを聴いていたが、CDの音楽は聴いてなかった。
BS/TVでコンサートなどを聴いていると、会場にいるような錯覚に陥ってしまう。
また映画も映画館にいるような感覚になる。


このシステムとBOSEのコンポの違いを比較して、この良さは何か探ってみた。
初めは、その違いがわからず「失敗をしてしまったのか」と、
不安になってしまった。
しかし聴き込んでいるうちに、だんだんこのコンポの良さが理解できるようになった。

とにかく臨場感がある、それと楽器がそれぞれ独立してクリアーに聴こえてくる。
過去に、このようなステレオ・オーディオを聴くチャンスが多くあれば、
もっと音楽を身近なものになっていただろう。


十日ほど前に「BOSEのステレオ」について書いたところ、知人からメールが入った。
2000万のステレオの紹介のHPが貼り付けてあった。
こういう世界があるのだ。

これを予約をしてから、本屋や図書館でオーディオ雑誌に目を通すようになった。
それぞれの世界にはマニアがいて、いろいろな機器を組み合わせて自分の
オーディオ環境を作っている。


オーディオの世界も、研究成果で、私のような全く素人のリスナーが、
マニアしか聴けなかった音質の音楽を楽しめるようになったのだ。

ハイビジョンTV、PDP/TVで、茶の間生活が一変したと同じことが、
このコンポでも起きるのだろう。
値段は高いが、とにかく手軽なのがよい。


コンポの購入で、ボーズ社という得意な会社とオーディオ機器に対して興味を持った。
ボーズ社の類まれなる研究集団と、株主にはいっさい配当をしないで利益を全て
研究開発に向けるという理想的な音響研究集団がアメリカにあった。

その最新の研究の集約のマシーンということだ。
この会社を知れば知るほど、その理想的な組織と、その結果としてのマシーンに
興味を持たざるを得ない。


今まで買いおいたCDが100枚はある。
まずそれをジックリ聴いてみるつもりだ。
ますます、お宅になる。

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2004年03月21日(日)
1082、「80対20」革命 −1
(読書日記)

 前著に続いて、早速この本を買ったがなかなか面白い。
この本は、ベストセラーになった「人生を変える80対20の法則」
(TBSブリタニカ、1998年)の続編である。
前著は、ABC分析やパレートの『80対20』の法則を解りやすくまとめてあり、
非常にインパクトの強い内容で、特に80に対する見直しをするキッカケになった。


この新著は更に深耕された内容といってよい。

ビジネスに特化し、「より少ない労力で富と幸せ」を獲得する方法が書いてある。
特に大きな組織から自立し、個人として成功するための方法を、具体例を多数
紹介しているのが特徴である。


もともと『80対20の法則』はパレートが発見をした法則である。
前回も書いたが、ここでおさらいをしてみる。

ーイタリアの経済学者ヴィルフレード・パレートが1897年に発見した法則で
今では社会の様々な分野で実証されている経験則である。
例えば、
「会議では20%の出席者全体の80%を決める」
「営業マンの上位20%が、利益の80%を出している」
「納税者の上位20%が税金総額の80%を負担している」
など、いろいろと当てはまるのです。

これは、自然界にも当てはまる。
例えば、働きアリの集団でも本当に一生懸命に仕事をするのは2割で、
残りの8割のアリたちは、仕事を怠けているという。
「働く2割か、怠ける8割か」が、生まれつき決まっているか、と言うと、
そうでも無い。試しに、働いている2割のアリと、怠けている8割のアリを
分けてみるとまじめに働いていた集団の8割が怠け始めるという。
反対に、怠け者のアリの集団では、2割が働き始める、というから不思議である。
人間の場合ありえないと思うが。

つまり集団をどう選んでも、やがて全員の2割が平均以上に働いて、
残り8割は怠けてしまうという結果に落ち着くのが実験結果という。

ーこれを人間に喩えると…
怠け者を全員解雇して、よく働きそうな人間ばかりを雇用し直しても、
しばらくするとやっぱり、結果は同じことになる。
どこの会社でもみられる「なんで、うちの社員は働かないんだ!」
という悩みが、無くならないことが、このことよりよくわかる。

本書にはこのパレートの法則でいうところの20%を、
自分の中に見つける方法が多く書いてある。

著者はこの本の『主人公』である“80対20人間”について、こういっている。

・「おそらく一パーセントにも満たない人々が、ほぼすべての変化をもたらしている。
 創造力豊かな個人が、これまでの物事のあり方を変えているのである。」
(31ページ)。
・「こうした80対20人間の特徴のひとつは、独自の強みを生かそうとすると同時に、
 多くの弱点をも自覚していることである。
 80対20人間はその弱点を補うため他の個人を必要とする
 −80対20人間が能力を発揮できるのは、周りに他の人たちがいるからなのだ。」
「私が「個人」と言った場合、「個人とその小チーム」の意味であるということを
 覚えておいてほしい。」(38ページ)
                        つづく

以前書いた『80対20の法則』をコピーしておきます。                       
ーーーーーー

2003/06/29
『80対20の法則』ー読書日記
リチャード・コッチ著 
 仁平和夫訳 
 TBSブリタニカ
 ・・・・・・
ー私の解説ー 
 数年前になるが、この本を読んだ時はショックであった。
約100年前のイタリアの経済学者パレートは、19世紀のイギリスにおける所得と
資産の分布を調査した結果、所得と資産が一部の人達に集中していることを発見し、
2つの奇妙な事実に気が付いた。「わずか20%の人達に資産総額の80%が集中していた」
という数理的事実を発見した。
以前からABC 分析や戦略論などがあったが、この本は非常にわかり易い内容であった。
この法則を知っているかどうかで、数倍も人生を濃く生きる事が可能になる。
7つの法則ー最優先事項ーに、要約すると似ているところがある。
人は無意識的に「如何でもよい方の80」を選択しているように思えて仕方がない。 
どの要因の20%が結果の80%を決定するのかを、
つねに自分に問いかけてみる習慣をつけるかだが。 

ー 以下は幾つかのホームページから抜粋したものである。 
■この本の内容
・80対20の法則とは、たとえば、あなたが成し遂げる仕事の80%は、
費やした時間 の20%から生まれる。
・あるいは、本の価値の80%は、ページ数にして20%以下の中 にみつけることが
できることなどをいう。但し、80対20というのは目安にすぎず、
不均衡がもっと大きくなる場合もあれば、小さくなる場合もある。
★80対20の法則を理解すれば、自分の周りで起こっていることがよくわかっ てくる。
 80対20の法則をうまく活かせば、何もかも驚くほど改善する。
★80対20の思考とは、数量分析をせずに、
80対20の法則を日常生活に適用することである。

★目に見えない20%、水面下に隠れている20%をみつけ、求めよ。
★80対20の思考の目的は、行動はひとまず忘れ、しずかに考え、
心の闇の中に光を 見いだし、それから行動を起こすことにある。
そして、行動を起こすときは、目標をふ るいにかけ、いちばん大切なものに的を絞り、
必要最小限のエネルギーと資源で最大限 の結果を出すために全力をあげる。

★戦略的ということは、重要なこと、他人にとって以上に自分にとって重要なことに力 を
集中し、計画を立て、断固とした決意で粘り強く、その計画を実行していくことである。
★80対20思考は、経験と思索と想像力に訴えるものなので、線形ロジックの罠から
抜け出すことができる。
自分は今不幸だと感じているとしたら、その原因をあれこれ考 えてはいけない。
幸せだった日々を思い出し、それと同じような状況をつくり出そうと 考えたほうがいい。
★達成と幸福の80%は、時間の20%の中で起こる。
★重要な鍵を握っている要因はつねに、ごく限られており、
それは目に見えにくいことが多い。
それが何であるかがわかったら、その力をいままでの何倍も活かせる。
★誰でも、偉大なことを成し遂げられる。鍵は努力ではなく、
やるべきことをみつけら れるかどうかである。
★もっと努力しようと思うより、好きなことに力を集中したほうが勝つ確立は高くなる。
★すばらしい事を成し遂げるのは、モノを選り分ける能力があり、
一度決断したら迷わ ない人である。
★ほとんどの人は、自分にとっても他人にとっても価値がないことに、
たくさんの時間 を費やす。
★価値ある仕事の80%は、使う時間の20%で達成される。
★幸福の80%は、人生の20%で経験する。
★時間のわずか20%を有効に使うだけで、時間が足りないということはなくなる。
★80対20の法則は単純明快である。衆に抜きんでていること、自分がいちばん楽しい
と思うことに全力をあげろ。それが80対20の教えである。 -------

■80対20の法則ってよく聞くものだが、この本を読むと「一人勝ちの経済」
「スピードの経済」とも絡みあい、そのバックボーンとなっている。
この法則を知るか知らないかは大きな分岐点。

★80対20の法則は、われわれが何をすべきかを教えてくれる。
 努力の平均水準を上げるのではなく、努力を集中する。
決められたコースを走るのではなく、近道を探す。最小限度努力で人生の支配権を。
多くの分野で平均点をとるのではなく一つの分野で卓越した成績を上げる仕事でも
自動車の修理でも、自分でやらずにできるだけ専門家に任せる。
よくよく考えて、仕事と会社を選ぶ。
できれば、他人に雇われるより、他人を雇った方がいい。
 一番得意とすることで一番楽しいと思うことだけをやるあたり次第にチャンスに
追いつくのではなく、気を沈め、仕事量を減らしゴールへの最短距離に照準をあてる油が
乗り切った時期に訪れる幸運の連続を大切にし、それを元手に将来の成功を確保。

★成功している企業は、努力で最大限の収益を上げられる市場で事業を行っている。
そして、投資収益率の絶対水準が高く、なおかつ利益率が競争相手より高くなければ、
成功している企業とはいえない
 これはすべての企業にいえることだが、現在最大の「黒字」を上げている市場分野や
顧客グループにまとを絞れば、業績を目覚ましく伸ばすことが常に可能である。
最も黒字を出している分野に資源を再配分し、他には資源と経費の全体の水準を
下げなければならない。社内の不均衡を解消することで、黒字を増やすことができる。
最高の黒字を出している会社の部分・営業所・部門などを見つけ、抜本的な改善策を
メリット、改善の見込みがなければ、その部分での資源投入をやめることで、それができる。

★時間の利用法ワースト10。
 ‖梢佑ら頼まれたことをやる。
 △い弔盡き合っていることをやる。
 あまり得意でないことをやる。
 こ擇靴ないことをやる。
 イ燭┐瑳挧發入ることをやる。
 β梢佑ほとんど関心を持っていないことをやる。
 Ч佑┐討い燭茲蠅垢任忙間が二倍かかっていることを続ける。
 ┸頼できない人と仕事をする。
 山あり谷ありのサイクルが予想できることをやる。
 宇宙電話が気に入っている

★時間の利用法をベスト10
 /誉犬量榲に沿った事をやる。
 △い弔發笋蠅燭い隼廚辰討い襪海箸鬚笋襦
 H十%の成果を生み出す二十%のことをやる。
 ず脳限の時間で最大限の成果を上げる方法も考える。
 シにはできこないといわれていることをやる。
 κ未諒野で波誰かが大成功を収めたことをやる。
 Ъ分の想像力を生かせることをやる。
 ┸佑貿い擦蕕譟⊆分はほとんど遊んでいればいいことをやる。
 常識外れの時間の使い方をしていて成功している人と手を組む。
 やらなければ生涯出来ない
 ・・・・・・・・・・・・
                        
2003年03月21日(金)
716, 「新潟日報」をやめて50日

地元紙の「新潟日報」をやめて50日になるが、それによる不便は何にもない。
べつに日報に恨みがあるわけでないが、止めてよかったというのが感想である。
自宅で毎朝見ないと何か不安だけだったのだ。

 恐らく次は朝日新聞を止める可能性も出てきた。
家内が朝日新聞を気に入っているから、当分は止めないだろうが。
しかし私の場合、会社に来れば全紙見れるし、各紙のWeb上の新聞でも充分に
こと足りる。
 
 はっきりいって、サイト上の新聞が便利で面白いのに驚く。
さらにブロードバンドのためか映像の内容が面白いものが目立つようになってきた。
本当に時代が変わったと思う。

 先日知人が事務所に来て言っていたが、これからはTVからのインターネット
が主流の時代になるとか。
光ファイバーにパソコン経由か何かで、TVにそのままインターネットが繋がる時代が
もう目の前にきている。

 地元紙がこれだけ早く家庭内から消えるとは思ってなかった。
週刊誌も月刊誌もインターネットをやりだしてから読まなくなった。
またTVも地方局はほとんど見なくなった。
衛星局かDVDの取りだめかレンタルDVDが中心になってきた。
決してオーバーに言っているのでない。

光ファイバーが家庭に本格的に入りだしたら、それに対応してTVやパソコンの
端末もできてくるだろう。面白い時代になってきた。


・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・

2002年03月21日(木)
352,西アフリカ旅行記

・海岸をただバスでひたすら高速ではしるリゾートの旅であった。

・見えるのはココナツの木とやしの木の林、それと10人位の人が
 引いている地引網。一全岾屬阿蕕い砲修譴見える。
 その道路の反対側にその魚村が見える。

・海には丸太をくり抜いた帆かけ舟の魚船。

・ガーナのエルミナのケープコーストの城塞。
 奴隷を一時収監していた牢獄をもつが、奴隷倉庫の為か陰惨さは
 想像していたより少ない。これが世界遺産かと驚く。
 しかしそれを取り巻く漁村のトータルとしてみれば納得する。

・感動感激の連続の旅とは程遠い事も事実である。

・ここで始めて知ったのは、白人が奴隷を捕まえて売り払ったのでない事だ。
 ガーナのアシャンテ王国を中心とした国々が、他民族を征服していく過程で
 捕まえた捕虜が奴隷として売られていったのだ。
  
 ーほとんどがアメリカ大陸に、2500万人が売られていった。 
 今でもその民族同士の恨みがあるという。
 男が25人女が31人に一台の大砲が、
 相場だったというー大きさにより前後するが。
 男は屈強、女は絶世の美女が条件だった。

 アメリカ大陸の白人が決して悪いわけでない。
 ただそれが売られていただけだ。
 当時の自殺よけの口銜えが悲しい!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
同行の人達をみると、過半数以上が一人参加。
ほぼ全員が50回以上の海外旅行参加の人達。
アフリカはほぼ行きつくした「アフリカ大好き人間」の集団であった。
私の行ってないナミビヤ、エチオピア、リビア、マダカスカルは、
大体の人が旅行経験者だ。これは数年のうち行くつもりだ。

行った場所が温暖の気候の為、アフリカ大陸としては
物質的には比較的恵まれていた?
しかし資源が少ない為、世界から取り残されていた。

同行の顔ぶれで変わったところでは、ミュージシャンや商店主などや
茶髪の女性の新婚さん(10歳年上をカバーする為と後でわかった)
・・・・年齢は30歳前後から70代まで
ーーーーーーーーーーーーー
総括として
まだ早いという感じ。
ナミビヤ、エチオピア、リビアなどの後でも良かった。


1812, WBC−日韓戦が面白い!

2006年03月20日(月)

           才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)

昨日のWBCの日韓戦が面白い試合であった!
勝ったから尚のことだったのだろうが。

WBC戦で6勝全勝の韓国と、三勝三敗の日本の戦い。
おまけに日本は韓国に二戦二敗である。

   15日に韓国に敗れ99幼めていた日本が、米国がマサカの敗戦で生き返った。
   日本は負けて元々。全勝をしてきた韓国は負けられない戦いであった。
   中盤までの緊迫した投手戦が、7回に日本の大量得点で勝ってしまった。
   それまでは、日本が押し気味に進んでいたが、チャンスにあと一押しがなく
   嫌な雰囲気であった。
   それが、福留の一発のホームランで流れが一挙に日本に傾いてしまった。

                  ヾ(●´▽`●)ノ彡☆
                     ゚・。・(●ノ∀`●)σ・。・゚

試合というものは、こういうものである。
韓国にとっては二勝一敗の日本が決勝に進んでしまったことに、
割り切れない無念さが残ってしまっただろう。

韓国に三連敗は許されない日本と、
二連勝している日本に決勝に出すわけにいかない韓国の立場があり、
お互いに負けられないという緊張感がヒシヒシと迫ってきた。

日本は決勝まで進めるとは思っていなかっただろう。
万一、日本がキューバに勝つようなことがあれば、
日本の野球界にとって、神風?がふくだろう。

冷静?にみると、イチロウの存在が大きい。
『自分の野球人生で一番の屈辱の日』という言葉が、
転がり込んできた準決勝で、チーム全体に火をつけた。
全員の目が据わっていた。

   韓国野球界はサッカーなどの影響で、ジリ貧の韓国野球の起死回生という、
   コンセプトがあって万全な準備を続けてきたという。
   準決勝進出をすると兵役免疫という条件の選手が何人もいたため、
   日本戦の勝利で必死だった緊張感が切れたのだろう。
   日本とすれば、大リーガーの二人の松井と、井口をメンバーに
   揃えたようなものである。

   これで、イチロウ株が上がり、
   松井秀樹選手は大きな傷を背負ってしまった。

日本という立場からみれば、悪役のアメリカの審判あり、韓国戦の惜敗が二度あり、
結果として劇的なWBC戦になってきた。

これで白けていた日本のファンは、一挙に盛り上がってきた。

明日の試合が楽しみであるが、
流れからいって、五分五分だろう!
いや、やはりキューバが・・・

優勝すれば、冬季オリンピックで惨敗のスポーツ界にとっても朗報になる。
いや日本全体にとっても。
                ☆ミ(ヾ(≧∇≦)〃)  )≧∇)ノ彡☆

                
                    (ノ´・∀・)ノ ⌒.。
                     *・☆グドバイ!
                            
・・・・・・・
・・・・・・・

2005年03月20日(日)
1447, ロシア人立てこもり


 3日前の夜半に、シングルイン第二新館で大立ち回りがあった。

ー現場の人の証言から、内容は以下の通りであるー

深夜の0時近く、警察官が第二新館のホテルに宿泊しているロシア人を
なだめながら連れてきた。
近くで騒ぎを起こして、通報されて連れ帰されてきた。

警官が帰った後、何かが面白くなかったのか、フロントの対応が悪かったのか、
いきなりロビーに置いてある新聞に火をつけて火災報知器にかざし、
ロビーの椅子でバリケードをつくり外部から入れないように閉鎖。
更に消火器で三人のフロントマンに噴射した。

火災報知器の音で降りてきたお客さんが消防に電話、消防士と警察官も
含めて30人近くが駆けつけて一時は騒然となったとか。
隣の大きな飲食ビルの酔い客の野次馬も集まり、映画に出てくるような
大騒動。

ホテル内には180人の宿泊客がいたが、大部分は気がつかず寝ていた。
もし気づいていたら、騒ぎはその数倍になっていた。

収まったのは、夜半の3時半。
現場の掃除も翌日のチェックインの時間ギリギリまでかかってしまった。
こういう仕事も、お客商売ー水商売とつくづく感じざるを得ない。

たまたま、新館にはロシア人の団体十数人が泊まっていたが、
その騒いだロシア人とは全く関係のない人達だった。
翌日は朝から警察の事情聴取で、支配人は半日以上も対応で終止。
消防からは、その時のお客の対応を明確に報告をするように電話があった。

ここまで派手な立ち回りはホテル開業以来初めてである。
火事騒ぎ、自殺、自殺未遂、指名手配逮捕劇、薬中2人のナイフによる喝上げ、
この事件の一週間前におきた女性による手首??自殺未遂とある。
こういう事件が起こるのもグローバル化ということか。
ホテルは、自分の住所を書き込むためか、宿泊客は大人しいものだが。
(もし偽住所を書くと、違反になる)

アルコールも薬の反応も無かったというから、異国の地でストレスがたまって
いたのか、それとも?
近くの飲食ビルの丁度よいネタだろう。
新聞などのマスコミには、報道されなかったようだが。

もちろん、告訴をした。

・・・・・・・・
・・・・・・・・

2004年03月20日(土)
1081, ST訓練 −2

去年の今頃に「ST訓練」について書いた。
ー(後でコピーしておきます)
先日、二年ぶりに新入社員に対する「ST訓練」のインストラクターをした。
30回近くしたことになる。

人の話をきっちり聞く事が出来ない人が意外と多いのに驚く。
特に地方の馬鹿二代目に多い。
優秀な場合や、独りで超越した世界を確立してある場合は、人の話を
むしろ聞かない方がよい場合もある。しかし、それはまれである。

今ベストセラーになっている「馬鹿の壁」
というのは、人の話をきっちり聞けない事を言う。

まずは、相手の話を把握する事と、そして自分の話を相手に手短に話せる訓練を
しなくてはならない。日記を書く習慣のある人は、すでに身につけている。

今の若い人の言葉に対する感覚は10年〜20年前に比べると格段の差がある。
不況の為、質が良くなっていることもあるが、言葉に対する感覚が鋭くなっている。

終了後、総括としてのレポートを書かせたが、全員がほぼ訓練内容を把握していた。
その一つを書きうつしてみる。
これで大体どういう内容か解ってもらえるだろう。

ーーーー

「ST訓練を受けて」   
           佐藤春美 
機言葉について

(1)言葉
今日の訓練で、いかに‘言葉’が大事であるかを改めて考えさせられた。
人間が人間たるゆえんは言葉を使うことである。
しかし「人間」と「動物」を決定的に分ける「言葉」は非常に難しい。
主語をつけたかどうか、副詞・助詞を何にするかで全く違う意味になって
しまうからです。また、起承転結で論理を構成したり、短文にして話すことを
普段何気なくしているが、意識をしていざ話を纏めようとすると非常に難しく
なります。

私は学生時代、手話を学ぶ機会がありました。
そして実際に聴覚障害の人とも交流しました。
そのなかで、私たちが当たり前に使っている言葉での意志交換の
難しさや、手話ゆえの素晴らしさを知りました。

(2)人の話を聴くこと
人との対話の中で大事なことは、人の話をまずよく聴くこと、そして
自分の言いたいことを正確に相手に伝えることです。
まず相手のいうことを把握しなくては、自分の言うことに曖昧さが出るからです。
そして、そのやり取りの触発で自分の考えが飛躍することがあるのです。

(3)自分の考えを纏める
今まで普段の友人や家族との会話で、別に何も考えず話していた。
しかし会話から対話になると、そうはいかない事が解りました。
自分の考えを纏めながら相手に伝えなければならないのです。


供⊆分について

(1)自分とは何か
「自分」を考えると非常に曖昧で、定義することは難しい。
「自」は「他」があってはじめて存在する相対的なもの。
他人と関わりを持ってはじめて自分というカタチが形成される。
他人との関わりで生まれてくる考え方、姿勢、積み重なっている経験、
性格などの要素で形成されている。

(2)他人とは何か
広い意味で言えば、自分以外の人。
つきつめれば、自分と関わりのある価値観の違う人だと思います。
違う経験と立場の人です。関わりのない人は他人とはいいません。
『他人』を考えるということは『自分』を考えることになります。

(3)社会とは
社会は「場」であるともいえる。
人間集合の場の総称といってもよいでしょう。
テーマがあって、時間と空間で構成されるのが「場」です。
人間を喩えにとると、それぞれの人は多くの立場を持っています。
それゆえに人が人間になるのです。
家でいえば子供の立場であったり、姉妹の姉の立場であったり、学校では
生徒・学生であったりします。このようなそれぞれの多くの立場をもって
社会は形成している。


掘△海譴ら社会人に

(1)学生時代は終わりました。
これからは、学生というお客様より、企業人としての(プロとしての)
労働を売る立場に変わったのです。これは責任を伴うということです。
新入社員という甘いは、一歩現場に立たされれば許されません。
お客様にとって、それは関係ないことです。早く仕事を覚えることが
現在私に課された大きい勤めです。

(2)読書
今まで私は趣味として小説を読んできました。
教養とかは意識をしてなく、ただのんびりと読んでいただけのようでした。
今までは、時間は充分にあったようです。
しかしこれからは無い時間の中で(心に残る読書)を心がけようと思います。
『学び』を。私のキーワードにしたいと思います。

(3)日記
二年前より日記を書くようにしていたのですが、どうしても毎日は無理でした。
「こころ」は「言葉」と同じです。
「言葉で残す」ということは「こころ」を記録することです。
内容も大事ですが、継続こそ大事。
それは自分にそのまま跳ね返ってくることになります。
日記の重要性を改めて思いました。
                   2004年3月17日
・・・・・・・
・・・・・・・
 2002年03月28日(木)
359, ST訓練

毎年この時期、新入社員に私が直接する訓練である。
もう2〜3回の入社ゼロの年を除いて、
前にいた会社も含めて26年間行っている年中行事である。

初めの頃は二泊三日で行っていたのがいたが、一泊二日になり
今は一日だけだ。
研修所や旅館を使って密室状態であったのも、現在は事務所で行っている。

センセビリテー・トレーニングを、途中から独自に変えた内容である。
当初の頃は、感性訓練を目的としていたが。

密室に新入社員を閉じ込め、それぞれ二人に問いかけと、答える立場を決める。
そして彼らにテーマを出させ、そのテーマについてどことん聞き出させる。
脇道にそれたり、いいかげんな事を言った時大声で叱咤する。

あるところまで来たら、立場を逆にする。
それを密室の中で、繰り返しそれぞれの相手を変えてやっていく。

その中で自分のいい加減さ曖昧さを互い気づかせ、表面的会話から、
本音の会話へ、更に対話に深めていく。
その中で感性を磨く。あるいはお互いの気心を理解させ、
仲間意識や帰属意識をつくる。

組織は人間どうしの意思や情報伝達が基本にある。
聞いたことを、はっきりと他の人に正確に伝える事が前提になる。
時間をかけて、叩かれていく過程で身に付けるものだが。
それを初めに、きっちり訓練を入れることを目的とする。

それとリクルートの能力適正試験の内容と、実際の本人の内容の誤差を見る。
ほとんどないが、それでもそれだけで見えない部分がある。
ある意味で一生もう決まっている、その人のソフトのベースもある。

こういう訓練を通して、自分で把握した事がある。
日記を書くこと、本を読む事、人の話を聞くこと、自分で考える事、理想も持つ事、
良い習慣を多く身に付けること、変化する事、初心を持ちそれを大事にする事である。

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 2003年03月20日(木)
715、「退場宣告」-読書日記

 借りている手前、銀行の現状を書くことができないのが現在の中小企業経営者。
「よく書いてくれた!」というのがこの書である。
実際現場で起きていることは、大手の不良資産の処理の肩代わりを中小企業に
押し付けている。大手がつぶれると、その資産圧縮に中小企業の貸しはがし
を露骨にしている。担保が足りないとか、金融庁に指摘されたとかいい辛辣に
貸し剥がしている。
 旅行先などで出あう中小の経営者は、貸し剥しの辛辣さに口を揃えて非難の嵐である。
一番の利益の元を虐待をしていれば、必ずその逆襲にあう。
担当には若い役のついてないのを遣し、トップ直談判で貸しはがしと追加担保要求をする。
暴力団と手口は同じである。直接間接の脅しである。
ここまで落ちたかというのが現状である。
この不信感は銀行にとって数年後には致命傷になるのは目に見えている。

 ある人の話だが[地元の「大蔵省の天下り先専用の銀行」に行ったら、「その件は前例がない
から全く考えられません」と50代後半の次長がのたまったのに驚いてしまった。
50代後半の次長にも驚いたが、その旧体質の空気がすべての今の日本の現状をそのまま
現していた。70歳位の頭取が今でも時たま新聞に出てきて、自画自賛をしている姿は
??としかいいようがない。]といっていた。
彼らの言い分も解らないでもないが、金融庁から尺度を急に変えてきて
その基準で自己保全をやれ!ということだから。
といって現場にとって、それは暴力団になれということだが。

ー大筋は以下の通りである(これは私の主観で書きうつしたものだ)

・銀行の経営者はお気楽なエコノミストとは立場が違う。それを忘れてしまっている
 のではないか。彼らは結果を日々問われるプロなのだ。
 不振の言い訳を考える暇があるのなら、難局を打開するスーパープレイにトライし続ける
 べきだろう。それが出来ないのなら、経営者のポジションから潔く立ち去るべきだ。

・日本には昔から「法律は破ってもいいけど、村の掟は守らなくてはならない」
 という感覚があった[田原]

・「金を借りたら返す」という当たり前のルールをみんなが守らない限り、
 自由主義はだだの暴力主義になる[木村]

・日本経済はおかしい。中小企業は失敗したら退場必至の資本主義だが、
 大企業はどんなに失敗しても退場しなくてもよい社会主義。 
 中小企業は貸し渋りにあって続々潰れていくのに、大企業は失敗したら
 債権放棄で救ってもらえる。中小企業の経営者は、包括の連帯保証で身ぐるみはがされる
 のに、子会社に更迭されても、悠々自適の生活が待っている。天と地の差がある。
 アンフェアそのものである。ー田原

・いま中小企業経営者の怒りは,すべて銀行に向かっている。
 日本の構造改革をこばむ元凶は銀行ということだ。
 銀行の本部に行くと必ず言われるのが「金利を上げてもよければ融資の応じる」
 というセリフである。融資されないのだから仕方がない。融資を申し込むごとに
 金利が上がっていく。
 そして経営を軌道に乗せたところで、当然金利の下げを頼みにいくと「業績が上がる、
 つまり利益が上がれば金利を下げてもよい」というセリフ。
 しかし、そもそも金利が高いから利益が上がらない。利益を上がらないようにしておいて、
 それを理由に金利を上げていくのである。ー木村

・木村氏は日本の銀行のことを「不動産質屋」とカンパしたが、まさしく平成不況の
 元凶は銀行であり、さらにそういう銀行の構造改革を進めることのできない金融行政にある。
                                     −田原
・ノンバンクが勝手にリスクを取ってくれて、銀行は一括で大量貸し出しをすればよい
 だけですから。銀行は卸で儲けているんですから。
 卸しなんですよ。どんどん銀行免許を認可する事です。一挙に不良債権のない銀行
 ができるのですから。世の中がいっぺんに変わりますよ。ー木村

ーこの本を読んでいると、怒りと絶望感と哀れみを今の日本に感じる。
 こんな姿を見ようとは思ってなかった。しかしこの中で生き抜いていかなければ
 同じ穴のムジナでしかない。知恵を搾り出して自分を変えていくしかない。

「退場宣告」
著者/訳者名
: 木村剛/著 田原総一朗/著
出版社名
: 光文社
発行年月
: 2002年09月
ISBNコード
: 4-334-97361-2
 
 目次
第1章 構造改革を阻む「日本村の掟」(「日本村の掟」と「グローバリズム」
  のギャップに気づかない政治家と官僚
  誤った企業を守ることに終始したのが「失われた十年」だった ほか)
第2章 世界のルールを知らなかった大蔵省の罪(「ジャパン・イズ・ユニーク」と
 「アイ・ラブ・USA」しかない日本の金融外交
  ロシアにマクドナルドを開店したのは、アメリカの通貨戦略だった ほか)
第3章 行き詰まった小泉改革、逆転の秘策(自民党は田中角栄がつくったビジョンに
  いまだにしがみついているいまの日本の状況はミッドウェー海戦以降に似ている
   ほか)
第4章 退場宣告―日本独自の潜在能力が開花する時(粉飾決算をめぐる日米の
 決定的な差

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
2002年3月20日

旅行中につき書き込みなし

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
<お笑い>
「リンカーンと息子]☆☆

テレビゲームばかりやっている息子に、お父さんは勉強させようと
偉い人の話をしました。
「ジミー。リンカーンって知ってるだろ?リンカーンがお前の年の頃には、
暖炉の明かりで勉強してたんだぞ。それぐらい勉強したんだ」

「ふうん。パパ、ボクも言っていい?」
「なんだ?」

「リンカーンはパパの年の頃には、アメリカの大統領だったよ」


1811, ずっとやりたかったことを、やりなさい−3

2006年03月19日(日)


           Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning


空想上の子供をイメージで作り、その子供のために
特別な時間をとって、二人だけのデートをする。
その子供のために特別指導をする。

   私のライフワークにしてきた、秘境旅行がそれに似ている。
   世界の端を点?で埋めていくストーリーをたて旅行していく。
   
   上野のスカイライナーを乗ったと同時に、別世界の子供になる。
   そして、帰ってきてスカイライナーに乗ると同時に元の自分に戻る。
   これは年二回・平均10日間の私にとっての違ったカタチの
   アーチィスト・デートである。少し違うか?
   20年間続けてきたウォーキングもアーチィスト・デートか?


まずはアーティスト・デートとは何かを要約してみる。

                  ~~旦 ゝ(-_- )
                         まあ、お茶でも!
 ーアーティスト・デートー

  「人は皆、内なるアーティストをその心に抱えており、
   今までの経験や年齢等に関係なくアーティストとしての創造性を秘めている。
   そして誰でもカンタンに(もちろん継続と努力は必要だが)
   その才能にアクセスする方法がある」

ここで誤解しないでもらいたいのは、アーティストの才能とは
画家・音楽家・歌手・陶芸家・舞踏家といった俗にいう「アーティスト」
だけを表すものではなく、全ての職業に共通して求められる
「創造性」の開花をいっている。
その意味で、全ての人を対象にした才能開花術である。
特にクリエイターの方々(デザイナー、各種コーディネーター、ライター)
には参考になる方法である。

    机上の空論ではなく、才能開花のための実践的なトレーニング法が
    12週間という具体的なプランに落としこまれた、レーニングプログラム。
    本を読みすすめていきながら書かれている通りに、一週間約30ページずつ、
    作業を進めていけばよい。

そのプログラムの核ともなるべきものが「モーニング・ページ」と
「アーティスト・デート」。
先回はモーニング・ページを紹介した。
今回は「アーティスト・デート」である。

                    _〆( ̄Д ̄||)
  ー本文から要旨を抜粋してみる…

《アーティスト・デートとは具体的に何なのか?
それは週に二時間程度のまとまった時間をとって、
あなたの創造性の象徴である「内なるアーティスト」
の育成に専念することだ。

    もっとも基本的な形を言えば「アーティスト・デート」とは旅行であり、
    あらかじめ日時を指定しておくデートであり、他人の進入を禁じた時間だ。
    「アーティスト・デート」には部外者を同行させてはいけない。

行ってもいいのはあなたと、あなたの「内なるアーティスト」、
つまりあなたの「想像する子供」だけだ。
恋人も、友人も、配偶者も、子供もだめ−どんな肩書きの人もお断りだ…》


   要約すると
   「週に二時間ほど自由な時間をとって、その時間だけは
    自分が好きなアートを好き勝手にやりなさい」ということ。
    
   * 私は読んだとき、私が毎朝しているウォーキングが正に
     「アーティスト・デート」である。

《 怒りは耳を傾けてもらいたがってる。
 怒りは声であり、叫びであり、懇願であり、要求である。
 怒りは敬意を払ってもらいたいのだ。というのも、それは心の地図だからである。
 怒りは私たちの限界がどこにあり、私たちがどこに向かいたがっているかを
 教えてくれる。

    また、自分が現状に満足できなくなっていることを知らせてくれる。
    ・・・ 怠惰、無関心、絶望は敵だが、怒りはそうではない。
    怒りは友達である。
    素敵な友達でも、やさしい友達でもないが、きわめて誠実な友達だ。
    それは私たちが裏切られたときや自分自身を裏切った時、
    かならず知らせてくれる。
    そして、自分の興味に従って行動するときであることを告げてくれる。
    怒り自体は行動ではない。行動への招待である。》


《アートとは、みずからを社会にさらす行為である。
 アートは物事に光を当て、私たちを照らし出す。
 そして、私たちの中に残っている暗闇に一条の光を当て、
 「みえるでしょう?」と語りかける。
 あるものを見たくないと思っている人たちは、
 それを見せる者に怒りを覚え、徹底的に糾弾する。》

    《真摯な表現はクロゼットを開け、
    地下室や屋根裏に新しい風を送り込み、癒しをもたらす。》

「違った別人格の子供を内に持ち、その子供のために課題を与え二人だけの
 時間を持って、育て続ける」ということ。
 
    それはライフ・ワークには待っている自分とどう違うのか?
    と問われれば、
    「それをもっと合理的に内なる指導者の目をクリアにしなさい」
    ということか。
                   ε(´',_c')зβyё 〜

 ・・・・・・・・
 ・・・・・・・・
 
 2005年03月19日(土)
1446, 小学校中退、大学卒業 −2

花柳幻舟の文章の中に、実際に血みどろになりながら、
極限を乗りこえようとする魂の叫びを感じ取ることができる。
言葉の中にウソも虚飾も全く感じない深い心の叫びがある。

学問に対しても、その本質を求める気概が正直に述べられている。
自分を日本のインテリと、お述べになっている何処かの教授より
学問の意味・真髄を実感しているのが解る。

以下は、昨日のつづきである。
ーー

一日20時間の猛勉強をつづけ、塾入学6ヶ月には、
司法試験の模擬試験で優秀者の中に堂々と並んだ。
一橋、中央、東大等法学部現役学生を抜いていった。
アルファベッドもろくに読めない小学校中退の、
しかも人生の折り返し地点を過ぎた私がある。

人間、やったらできる、それまでできなかったのは、
私がやらへんだけかっただけや。
集中力は全てを可能にすると実感した。

学校という、地域という排他的の中で、私ははじき出され、
私の読み書きは奪われてきたのである。
私にとっては恐怖の学校と先生に必死の思いで対峙した。

ついに私は、学問と学校は違う、教養と学歴は違う、
無知と無学も違うということを心底知った。
私は学校と学問を一緒くたんしていたのだ。

学校は、教育の現場は、今も排他的で差別的だが、学問は素晴らしい。
学問は、人間に勇気と希望、物事の本質を見せてくれる
誰にも開かれた世界だ。

私の大学卒業論文は、誤報と伝聞を繰り返すメディアによってつくりあげられた
虚像化された「花柳幻舟」という一人の創作舞踊家の、デビュー当時の
いびつな加熱な報道を検証し、いまや巨大権力といわれているメディアの
‘光と影'の深層に踏み込んだものである。

卒業論文の評価を、副学長が次のように言ってくれた。
「こんな面白い卒業論文があってもよいんじゃないか」
と。

・・・・・・・・
・・・・・・・・

2004年03月19日(金)
1080, フランチャイズ・ショー −5

・一番印象的であったのが「MBE]という会社である。
「メールボックス・エトセトラ」の頭文字の略である。
 MBEのサービスは、
 Document,
 Information,
 Logistic
の大きく3つのカテゴリーからなるサービスを中心に、
それぞれのサービスをリンクさせながら、ビジネスや暮らしに欠くことのできない
”必要”に対するサービスを開発・提供している。

各事務所や、SOFOなどのサービス機能の代行といってよい。
面白そうな反面、9佑裡藤知繕發高すぎる。
といって、この不景気にあればこそ便利な機能である。
1DKマンションの一角にコンビニを入れるのと同じように、
SOHO専門ビルの一階にセットとするのによいだろう。

・いま一つ託児所のフランチャイズも面白い。
立ち上げさえしてしまえば、後はノウハウは無いと堂々と言ってのけていた。
絞っているのが1^3歳児で、一年未満と夜間はカットがポイントだという。
成功確率は9割以上だという。
平均30人が定員で、損益分岐点の数字が十数人だという。
大きなショッピングセンターなどの商業集積の近くが面白そうである。

・今回のFCショーには出てなかったが、衛星予備校も面白そうだ。
場所と大学院でも出た人をセットをすれば誰でも可能である。

こういうネットの時代だからこそ
フランチャイズは受け入れられるのだろう。

・・・・・・・・
・・・・・・・・

2003年03月19日(水)
714, 難関ー困難性

 学生時代読んだ本に「困難に出会ったら、チャンスと思いなさい。
それを躓きの石にするか、土台の石にするかは貴方の意思できまります」
という言葉があった。
その時これから生きていく人生のキーワードでないかと思った。
事業を立ち上げる目標を掲げていたので、この言葉がストンと頭に入ったのだろう。
 
 そして早速に「修行と事業の立ち上げ」で常に壁が立ちふさがっていた。
今日止めてしまおうか、放棄しようかという時に「土台の石、土台の石、土台の石」
と念仏のように繰り返していた。

他にも「困難性は宝の箱である、そこには必ず鍵穴がある。キーを捜せば必ずある。
キーさえ見つかれば宝が手に入る」という言葉もあった。
また「どんな大きい岩でも筋がある、その筋を叩けば必ず割れる」ともあった。

若い時から事業を立ち上げてきて、段々この意味が実感できるようになってきた。
「次々くる困難のウエーブを乗りこなすことが事業そのもの」と解ってきた。
そうなると、困難に当たることがむしろ面白くなってくるのだ。

一づつこなしていくうちに、どの辺が最大の困難性かも解ってくる。
こうなると、ゲームになってしまうのだ。
こなしていることが脳の奥のほうで面白くなってくる。

若い人が、何かに挫折して断念をしているのをみると気の毒に思うことがある。
精神論そのものになってしまうが、あと一ミリ一センチのところに秘密があるのにと
つくづく顔(ーー゛)を見てしまう。

自分で知識を捉え、それを経験してみなくては解らないことだ。
成功体験とはそういうものである。
小さい成功体験を、徐々に大きくしていくしかない。
最後は成功体験である。それは困難の乗り越え経験である。
それを方法まで、手順になるまで経験で身につけるしかない。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
2002年03月19日

旅行中につき書き込みなし

・・・・・・・・・

[ 薬物追放 ] ☆☆   

2人の男が覚醒剤で捕まりました。
そして裁判にかけられましたが、深く反省している2人に対し、裁判長は温情判決。

「刑務所には入らなくていいです。
その代わり街に出て、危ない少年少女に薬物の恐ろしさを話して来なさい。
その子たちが永遠に薬物手を出さないよう、よく説得して来なさい」

3日後、2人は裁判長に結果報告にきました。

まず1人目。
「何人に説得して来ましたか」
「はい。私は36人の少女に説得して来ました」
「それはすばらしい。どうやって説得しましたか」
「絵を使いました。これなんですけど・・
○ o
この大きな円は、クスリを使う前の脳。
そして小さな円は、クスリを使った後の脳です。
どの子も、クスリなんかやってはいけないと納得しました」

「なるほど。よくできました。では2人目のあなたはどうでしたか。
何人に説得して来ましたか」

「はい。僕は298人の少年に説得して来ました。
どの子も、これからは絶対法律を守ろうと言っていました」
「それはすばらしい。どうやって説得しましたか」
「僕もやはり絵を使いました。これなんですけど・・
o ○
刑務所に入る前のあそこと出るときのあそこ! 」


1810, 女子社員の結婚式祝辞

2006年03月18日(土)

         \(^▽^*)おめでとう!
        (*^▽^)/

昨日は会社の女子チーフの結婚式があった。
新潟市の護国神社であったが、
格式と趣きがあり神聖でよい結婚式であった。
神前の結婚式での巫女の舞いが、何とも日本的でよい。

             ゛♪(o´・ω・)人(・ω・`o)♪゛
  最近は、祝辞を言うのが楽しみになってきたのも、
  歳のせい?!
  それと結婚式の若い二人の門出に立ち会うのも、
  幸せを(o^v^o)を共有できて心から祝えるからよい。


昨日の祝辞の原稿をコピーしてみた。
     実際、話した内容は少し違ったが。
              
               ♪♪(*´∀`*人*´∀`*)♪

  ー祝辞(原稿)ー

ご両家の結婚式、誠におめでとうございます。
謹んでお祝い申し上げます。
何かスピーチということで・・

数回前まで結婚式の前日あたりに何人かが部屋にコッソリきて
「お願いがあります、明日の結婚式、あまり刺激的なことを言わないでください。
 私は貞淑な妻になるのですから、それに相応しい内容にしてください・・・」
 といいに来るのです。
そう言われると尚のこと、際どいことを言いたがる私の癖を知らないのです。
今回の新婦はそういうことはありませんでしたが。

といって、私は決して際どいことを言っているわけではないのです。
話を面白くするために、際どくみせて最後に落ちを入れているだけなのですが。

まあ、結婚は
一年目は、支配権をめぐっての権力闘争になり、
二年目辺りが、せめて同権要求の闘争、
三年目は、最後の生存権を求めての争いになります。

そして、その後は哀れみと軽蔑の中、家の片隅においてもらっているのが
私の現状になります。
更に言えば、たんなるカネヅルと、つかい走りです。

といえ、気持ちの中では20組に一組位、上手くいっていると思っています。
そう自己暗示をかけているのが、本当のところです。

その33年間の闘争の結果、得たノウハウを今日は特別教えます。
それは、
・夫婦間の日常の会話で可能な限り他人の悪口を言わないことです。
 これは、重要のことです。絶対に言わないのではなく、言わないように
 心がければよいのです。

・次に、相手と自分の間に距離を置くことです。
 私たち夫婦には、溝がありません。
 そのかわり、広くて浅い川があります。
 いやなら、反対側の岸辺にいればよいのです。
 もちろんこれは、気持ちの問題をいっているのです。
 
 決して心をお互いに許してはなりません。

ゲシュタルトの祈り という言葉あります。
それを紹介して、私のお祝いの言葉として終わります。
                (o´・_・o人o・_・`o)ギュッ

ーゲシュタルトの祈り

Ich lebe mein Leben und du lebst dein Leben.
私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。

Ich bin nicht auf dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen -
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。

und du bist nicht auf dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen.
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。

ICH BIN ich und DU BIST du -
私は私。あなたはあなた。

und wenn wir uns zufallig treffen und finden, dann ist das schön,
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なこと。

wenn nicht, dann ist auch das gut so.
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいこと。

(フレデリック・ハールドン)
                ♪(p´・∀・)乂(・∀・`q)コ♪
 −
以上、ながく幸せな結婚生活を過ごしていくための秘訣です。
お互いの自立を尊重しあってこそ、円満にいくのです。

私が招かれた‘会社の円満退社の女性の結婚式’が十組いました。
全て上手くいっています。
それを裏切らないように!!

                。.@(-ェ-)@ノ~~~バイ〜

・・・・・・・
・・・・・・・

2005年03月18日(金)
1445, 小学校中退、大学卒業


ある雑誌の中に花柳幻舟の文章が載っていた。
「家元制度に疑問を感じて傷害事件などを何回かおこした問題の多い舞踏家」
という印象がある。が、そのテーマが面白そうなので読んでみた。
その特異の生立ちと、その世界に引き込まれていった。


その文章の一部を抜粋する。

ー1994年、父は逝ってしまった。
旅芸人として私とともに闘い、極貧の中を生き抜いてきた私の同期であり、
芸の師父は、私を残して、あっさり逝ってしまった。

父が私を残して逝ってしまったあと、私の周りの人たちは、まるで櫛の歯が
抜けるように、一人、また二人と去っていく。
私のどん底の精神状態を百も承知でのトンズラには、私は激怒した。
ガソリンを一杯にしたポリタンクを持ち、深夜の道をたった独り、
それらの人の家の前に立ったこともある。・・・・・・
 
父の死によって、大海の中で羅針盤を失い、自死を本気で考えた。
しかし、なぜ今死ぬのか、自死の理由を自分の中で検証し、
悲壮感や絶望感を、主観的でなく、客観的に、確たる自死の理由をつかみ、
父の元に元気に行きたかった。

大きな模造紙を買ってきて、自死の理由を思うまま書いてみた。
父を失った喪失感、裏切られた絶望感、あれこれ考えていくうちに、
劣等感、疎外感という文字が表れた。私自身思ってもみなかったことだ。

幼いころ、旅回りの先々で学校に行ってもろくろく勉強をしていないため、
テストに遭遇しても全く理解できず0点。
旅役者ということも重なって、疎外され、虐めにあう。
それが「トラウマ」であることがハッキリした。

この「傷」と向き合って、この傷を癒して、元気になって父の元に行こうと
私は決心し、小学校中退でも入れる「放送大学」に入学をした。

入学したといっても、並大抵のことでなかった。
教室から逃げ出したり、深夜飛び起きて、おお泣きしたり、
まさに心の「傷」の後遺症が噴出して、心のバランスを保つのに必死であった。

大學の勉強に少し自信がもてるようになってきたころ、
負けん気の強い私は、どうせやるならと、司法試験にチャレンジするため、
法曹界へ90佑凌佑鯀り出しているという有名専門校に入った。

                        つづく
 ーーー
花柳 幻舟(はなやぎ げんしゅう、1941年5月15日 - )は、
 舞踊家、作家、社会運動家、フェミニスト。
 本名は、川井 洋子。

2歳で舞台に立ち、旅役者の子であることを理由に転校先の学校でいじめに遭う。
18歳で結婚して家父長制の矛盾に直面し、夫から自立するために花柳流(踊り)に入門。

花柳流名取となったが家元制度に疑問を感じ、その根源に天皇制があるとの認識を
持つに至って、家元制度打倒の運動を開始。
花柳流家元(三世)花柳寿輔を襲撃して包丁(*1)で刺し、傷害罪で服役。
天皇即位礼の祝賀パレードで爆竹を投げて道交法違反(路上危険行為)で
罰金の支払いを拒絶し服役。

2004年、放送大学を卒業し、その報告をまとめた『小学校中退、大学卒業』を上梓する。
講演活動などを続けながら舞台への復帰を目指している。

映画『幻舟』は、
キム・ロンジノット監督が、1989年、共同監督ジャノ・ウィリアムズとともに
撮影したドキュメンタリー映画。幻舟が被写対象になっている。
原題タイトルは、『Eat the Kimono(着物を食え)』。
日本女性を縛る因習を描いた作品である。
拘束衣でもある着物に家父長制の象徴的な意味を込め、
「着物を着て自由を表現したい」
「着物に食われてはいけない、着物を食え
(着物に食われて身動きのとれない女性になってはいけない)」
と作中で語る幻舟の言葉からつけられた。
ロンジノットは黒澤明のファンだったが、映画に登場する日本女性に親しみを持てず、
違和感を感じていたところ、花柳幻舟の記事を読んで興味を持ったことが
撮影のきっかけとなった。
英国のテレビ局・チャンネル4が放映、アセン国際映画祭ではグランプリを獲得した。

1995年、幻舟は放送大学学園に入学、途中、司法試験を目指して勉強した3年間の
ブランクをはさみ、2004年3月に卒業した。
禁固以上の刑を受けた者は弁護士の欠格事由(弁護士法六条の一)となることを知り、
司法試験は断念することになった。
卒業論文は、
「メディアの犯罪、その光と影−ある創作舞踊家が逆照射した現代の報道イズム」で、
著書『小学校中退、大学卒業』に掲載されている。

・・・・・・
・・・・・・

2004年03月18日(木)
1079, 晴れ間の出来事
 ーつれづれなるままに

車に乗っていて、信号待ちをしていると、家の軒先のガレージで
犬が自分の毛布を引っ張っていた。
日陰から陽があたっている場所に移動していたのだ。
犬のその微笑ましい姿に笑ってしまった。

以前、犬に手を上げて挨拶をしたら、何と手(足)を上げて挨拶をかえしてきた。
私は犬が大好きなのだが家内が大嫌いで、家で飼うことが出来ないのが残念だ。

十姉妹と一緒に入れていたインコを、違うカゴに移したら、インコが焦って
入り口を其処にあった小さな棒でこじ開けようとしたこともあった。
動物を見ていると時々信じられない行為をすることがある。

先日、久々の日曜日の晴れ間に土手を歩いた。
この時期、居残り鴨(残り鴨)が、アチコチに5〜6羽づつ群れをなしていた。
彼等は人家近くは逆に安全であることを知っているのだ。
この時期の散歩は冬を越えた何ともいえない春の芽ばいがよい。

近くの河の桜の花の芽がチラホラ目だってきた。
ニュースで、福岡のソメイ桜が咲き始めたといっていた。
東京の桜も今週中にも開花するとか。
給料前の開花は、花見の客目当ての業者には大きなマイナスという。

そういえば去年、京都に深夜バスで見にいってきた。
盛りを過ぎていたが、それでも良かった。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2003年03月18日(火) 713,
「メシのタネはどこに行った」
        ー読書日記

 邱 永漢 著の「メシのタネはどこに行った」が面白い。
現在の日本の現状をわかりやすく書いてある。
東南アジアや中国にその工業生産地の地位を奪われ、まさに
地方は空洞化で劣化の道を歩んでいる。
首都圏が世界に向けての工業地帯ー企画と高品質化を提供する発信基地となり、
地方からシフトの変更をしている。

 地方の時代といわれたが、一瞬で終わってしまい、いまや寒風が吹き荒れている。
もう二度と春は来ないであろう。次ぎの日本鉱脈を探っているが、海外に資本と
ノウハウをもっていくしかない。
「国がどうなるかと考える前に、自分が如何したらよいか考えるべきだ」
と日本人一人一人につきつけられている。
みんなで大損をして再出発の時である。
フローが細ってしまえば、ストックは減るのは当たり前のことである。

 ー以下はあるホームページの要約のコピーである。
以下の要約を何回か読めば大筋がわかる。

 ・・・・・・・・
「メシのタネはどこに行った」
 邱 永漢 著
 経済界 刊
  1238円+税金
 発効日 2002年8月8日
 中央図書館 3月15日
   ☆☆☆

1.工業的豊作貧乏のトップ・バッター日本

 日本の富の大半は工業生産によってもたらされたものであり、工業生産が付加価値を
生み出す限り、日本経済は安泰だったし、サラリーが貰えなくなる心配はなかった。

それどころかサラリーは年々上がり続け、円高のせいもあるが、遂にアメリカを追い越して、
世界のトップに立ってしまった。それでも世界中にマーケットがあり、
メイド・イン・ジャパンを売り込める余地が残っている間はまだよかった。

ところが全く予期していなかったことが起こった。輸出で財を築いた日本だが、
輸出で稼いだお金で日本国中が資産インフレになると、一大消費ブームが巻き起こったのも
束の間、国内消費が壁にぶつかってしまったのである。

1989年の株高を頂点として日本の株価も地価も反落に転じたが、それがきっかけになって、
日本が不況に陥ったわけではない。実は工業化社会に転じてからの日本が欠乏と不足を
充たしてほぼ飽和点に達し、豊作貧乏に見舞われるようになったことが日本に大きな変化を
もたらしたのである。

日本の景気を左右するのは実は国内の消費動向であって、輸出の好調、不調ではないのである。
消費の減退は日本経済に重くのしかかっており、お金の流れそのものを変えてしまったのである。
実はそうした認識を私自身もつい最近までは持っていなかっ た。

これはひょっとすると60年に1度あるかないかの大恐慌かもしれないと考え直すようになった。
今の日本で起こってい ることは世界で類例のないことであり、日本がトップ・バッターとして
世界ではじめての経験をしているということにほかならない。

では世界に先んじて日本がおかれている社会条件は何かというと、いち早く工業化に成功して、
世界のトップを行く工業先進国になったということである。その成功によって世界中で最も
稼ぎの多い富裕国になったわけである。

工業化によってつくり出された過剰生産は人間自身がストップをかけない限り、
ライバルが敗退して姿を消すまで続く。
従って一時的な勝者はあっても、永遠の勝者はなく、
息の長い殺し合いが繰り返されることになる。

ダイエーやマイカルやそごうの業績不振を見れば、
過剰生産のもたらすデフレが企業をどういう形で痛めつけるか、いやでもわかってしまう。
欠乏と不足の時代は終わってしまった。
これから工業化による豊作貧乏の時代が始まろうとしている。

2. 日本の大企業がメーカーでなくなる日

物の不足した時代と物のありあまる時代を昨日の続きの今日と考えてはいけない。
供給が完全に需要をオーバーし、物が売れないことが目立つようになると、値段を下げるか、
生産をコントロールするか、二つに一つもしくは、同時に二つとも手を打つか、以外に方法が
なくなってしまった。

戦後の日本が豊かになったのは工業生産に従事することによって付加価値を生み、富を創造する
ことができたからだが、同じことをやっているうちに付加価値を生まなくなってしまったら、
鉱石の出なくなった鉱山、湯の出なくなった温泉になってしまったようなものだ。

今回必要とされているコスト・ダウンは既に省エネと省力の限界をきわめたあとに更に
要求されているものである。従って、生産工場をもっとコストの安い外国に移動するか、
現地の生産工場に生産を委託して、それを自分たちのルートにのせて売るか、二つに一つの
選択枝しか残っていないところまで一挙に追い込まれてしまったのである。

3.職人日本を襲う戦後最大の危機

日本人はものづくりには熱が入るが、財産を運用してふやすということについて全くと言って
いいほど無関心だった。
それに比べると、中国人は物づくりより金づくりに熱心だから、自分で物をつくるよりも、
右のものを左に動かすことによってその差額を稼ぐことに力を入れてきた。

日本に比べて工業化が遅れを取ったのは、むしろこうしたお金優先の思想が
ブレーキになっていると言ってよいだろう。先ず中国人にとって工業化は金儲けための
手段だから、効率が高くてあまり時間がかからない方法を選ぶ。

そのために資本や技術も外国に頼ることをためらったりしない。
世界中の資本と技術がますます中国に集中すると見て間違いないだろう。
また、技術やノウハウを外国に頼りすぎるので、少なくとも近未来では、独自のブランドを
つくりあげることは難しく、極端に言えば、諸外国の委託工場に徹することになる。

日本人の場合は、現地の生産に資本と技術を投じるのだから、そこからの利益が日本企業の
収入になるし、また国際間の格差を利用した流通過程からあがる収入も日本企業の収入になる。
労賃として支払われる分と税金分が現地に落ちるだけで、成熟した日本の取分は資本と経営が
もたらした分に集約されることになる。

日本人はグローバル化の中で自分たちの生産者としての役割をはっきり見定める必要がある。
日本のメーカーは今後も世界的規模で生産を展開して行くのか、
それともユニクロのように計画とデザインは日本でやって加工は現地企業に任せるべきなのか、
二者択一を迫られるところまで来てしまったのである。
足元の明るいうちに流通分野だけ残して生産過程から退去する道を選ぶべきだろう。

・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・

2002年03月18日
旅行中につき書き込みなし

・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・

<おわらい>
『それどころ じゃない !』

 ある男、友人のお見舞いに行きました。
「どうじゃな。具合は」
「う・・。ぐ・・」
あちこちチューブでつながれた友人は、しゃべることもできません。

「かわいそうじゃのう。息子さんに何か伝えたいことがあったら、
この紙に書いてくれ。わし、ちゃんと持って行くぞ」
「ぐぅっ!!!」
「どうした!どうした!」

その友人急いで走り書きしたかと思うと、急にぐったりし、
帰らぬ人となってしまいました。

お通夜の日、その息子に会いました。
「あんたに伝言はないかっちゅうて聞いたら、死ぬ1分前にこれを残した。
よっぽどあんたに伝えたかったらしい」

「え・・。これが僕への伝言ですか」

「たのむからチュウブを踏みつけた足どけてくれ!」



1809, ずっとやりたかたことを、やりなさい−2

2006年03月17日(金)


   
           才八∋ウ_〆(∀`●)          
               
                   ー 読書日記
 ーモーニング・ページー


この三日間、起き掛けに大學ノートに筆の向くまま書いて驚ろいた。
思ったままそのまま、大学ノート3ページに何の起承転結など制約せずに書く。
だいたい30分位である。

著者は、十年間これを続けているという。
この随想日記に似ているが。


ーまずは「モーニング・ページとは何か」を、
    私の主観で集約して書いてみるー

   モーニング・ページとは
   朝起きて書くノート3P分の日記のことをいう。
   創造性を開発するためのツールである。

   寝起きの潜在意識がむき出しの脳で、ノートを3P埋める。
   テーマなどなしに思いついたことを「排水」のように、とにかく書き続ける。
   作文とさえいえない代物でよい。

ただ手を動かして、心に浮かんでくる、愚かなこと、奇妙なこと、
何でも、どんなことでもかまわないから、そのまま書き続ける。

書き始めの八週間は、それを読み返さないほうが良い。
続けていると、だいたい2P目、3P目には思いもつかなかった新しいアイデアや、
自分の中に隠れていた気持ちやアイデアが次々と現われる。

   こんなことを考えていたのか。こんなことが好きだったのか。
   毎朝、発掘されるのは自分という潜在に隠されていたアイデアと気持である。

   続けているとダンダン面白くなるという。
   誰にも邪魔されない静かな時間の中で一人書き続ける。

マイナスの言葉ばかりが飛びかう日常的世界から離れのがよい。
早朝座禅を組んでいるのに似ている。
                      (。・・)_且~~ お茶どうぞ

座禅は始めた当初、表面と違って心の中は雑念で騒々しい。
このモーニングページは、その雑念を言葉にして一人書きだす作業であろうか。
そのうちに雑念の向こうにある創造的活動が出てくる。

   この本では毎週課題が出ていて
   「あなたが他人がばかげてると言わなければ是非やってみたいことを
    10個取りあげなさい」とか
   「あなたが取りあげた10個の中から一つ始めなさい」
    等、わかりやすい。

   自由に日記を書いていたつもりでいたが、自分の左脳の検察官が
   チェックをしていた事実を、たった数日のモーニング・ページで気がついた。

この本の基本的ツールは
・毎日3P書くノート「モーニング・ページ」と、
・週に最低2時間は「自分一人で自分のココロや魂の喜ぶ行動をとりなさい」
 という「アーチスト・デート」の二つである。
  
  まだ始めたばかりなので、経験を重ねた後に再び書く。
  始めて数日だが続けたら、
  何かが根本的に変わってくるだろう。
                       
                       ーつづく
          バイ ._〆('Д'*⊂⌒`つ
 ・・・・・・・
 ・・・・・・・
 
 2005年03月17日(木)
1444, 孤独について−5

孤独は心の問題をそのものをズバリ語っている。
絶望の果てに突詰められる心の状態は、人生で何度もある。
孤独は絶望感の果てに到達するケースが多い。。

「孤独であるためのレッスン」NHKブックスー諸富 祥彦 (著)
の本の内容で考えさせられる部分を書き出して、更に考えてみる。

・「ひとり」と「孤独」について
ムスターカスによると、彼の孤独について考えを語るうちに、さまざまな反論を
受けました。孤独というものは、人間関係の失敗であり、挫折の印に他ならない、
と言われ続けてきたのです。

彼によると、孤独の真の意味を理解できない人の多くは、
・ひとりでいる体験と、
・深い孤独との区別ができない
 ゆえに誤解を生じているのです。

 両者の区別について、いずれも大切なものだと断りながら、
 次のように言っている。
「孤独とは対照的に、ひとりの時には、私達は意識的なコントロールを働かせて、
 意図し、考え、決断している。ひとりでいると、私達は必要な休息を得られる。
 一方、孤独でいると、私達はギリギリの状態に追い込まれる。
 
 ひとりの時は、私達の体験に、展開と継続性がもたされる。
 一方、孤独の時は、全体的、革新的な変化を私達にもたらしてくれる。
 ひとりの時は人の中に帰っていく。
 孤独な時は自分に帰っていく道を開いてくれる。」

 また、別の箇所では、
「ひとりとは、たいてい過去や未来にまたがった中間的な状態であるが、
 孤独とは、常に生命に直接、今、ここでかかわっている状態である。
 
 ひとりとは、自分に没入していることである。
 孤独とは、自分とともにありながら、さらにそれを越えて、
 新しい自己を創造しようと激しく一瞬に生きることである。」
 と説明を加えている。
 
ムスガーカスのいう孤独な時とは、
「人生の一大転機点の時であり、孤独に浸っている時、人は、もっと
この激しさが続けばよいと願ったり、永久に離れたくないと思ったり、
あるいは、底なしの絶望感に捕らえられたり、信頼が裏切られたり、
さんざんに打ち砕かれてしまうことがある。

このような強烈な驚きに震え、深いショックに身を砕かれた時に
『私はひとりだ』と言っても、その体験を伝えるには不十分である。
それでは孤独の肯定的部分も否定的部分も伝えられない。
一方、『私は孤独だ』と言うと、独特のニュアンスが付け加えられ、
引き裂かれた状態が示される。」

過去と未来を断ち切り、新たな自分に生まれ変わりを余儀なくする、
有無を言わせぬ、一瞬の体験を意味するのです。

次に、ムスターカスは
「孤独に対する不安」と
「実存的な不安」を区別します。

「孤独に対する不安」は
ー生と死の重要な問題に直面するのを避けるために、絶えず他人とかかわりを
求めて、忙しく立ち働いて、本質的な孤独を打ち消そうと防衛から生まれる。
一方、
「実存的な孤独」とは、
ー人間の本質に目ざめていることの証であり、生の動乱や悲劇、
変転に直面していく際に育まれるものである。
この世に生まれて、激しく生き、ひとり死んでいくことの本質にある
孤独が、実存的な孤独である」

さみしさは、しばしば、人と人とのつながりが拒否されたり、
離れ離れになることによって体験されているものである。
一方、孤独とは、自然の静けさの中で無言で木や雲や波に語りかけたり、
静かに詩をひとり読んでみたり、音楽に聴き入ったり、芸術作品を
ひもといていたときに去来する。

孤独になる勇気を持つこと。
孤独を楽しむ能力を持つこと。
この二つを備えた人間にしか、これからの時代、ほんとうのしあわせを
獲得はできないはず、である。
ーーー

孤独は誰も何時も直面している問題である。
だから教養とての知識の必要性が出てくる。
社会通念としての「孤独はさびしいもの、避けるもの」を、
まず疑ってみることだ。

特に、携帯を持った猿にとって!
「自覚のないゴミ」になり下がる前に。

去年の同日の、永六輔がいう「虚しさ」を知った孤独こそ
永遠への扉の「いま、ここ」を覗いていることになる。

・・・・・・・・
・・・・・・・・

2004年03月17日(水)
1078, 「最後の言い分」ー読書日記

図書館で借りてきた「最後の言い分」が面白い。
50人の有名人が語る人生のラストメッセージを、それぞれ短編にまとめてある。

東京新聞編集局 (編集)
ーレビュー

内容(「MARC」データベースより)
死ぬ前に言っておきたいことがある! 各界著名人が語った死生観。
どのような臨終を思い描き、どのような野辺の送りを望むのか。
介護、遺言、葬儀、墓、形見…。五十人五十色の生・老・病・死。
『東京新聞』連載を単行本化。

目次
安部譲二(小説家)
嵐山光三郎(作家)
淡路恵子(女優)
池宮彰一郎(小説家)
五木寛之(作家)
今村昌平(映画監督)
永六輔(作家・放送タレント)
大島渚(映画監督)
大林宣彦(映画作家)
岡田真澄(俳優)〔ほか〕

ー以上がインターネットで調べた内容であるが、
簡易な文章の中に、深い内容がアチコチ見られた。
その幾つかを書きうつしてみる。

・永六輔が、生々しい深い悲しみが直に伝わってくる。
ー「看取るのは感動的でした。ホントウに。こんな感動的なら、看取られたいと
思うくらい」1991年に父、99年に母、そして2002年に妻・晶子さんを見送った。

戒名、遺影、法名、棺はダンボールでいいと言い残した住職の父。

感謝の言葉をつづった遺言と、自ら縫った死に装束を用意した母。

余命3ヶ月と悟った妻は、死にまつわる要望を家族に伝えた。
家族に見守られる中、自宅のソファーで、安らかに息を引き取った。
「母の死の見事さに、ボクよりも女房のほうが感動したのですね。
母のように死にたいって。母とは状況は違いますけど、本人の思い通りに亡くなって。
看取り方は百点満点もらっても良いと思いますよ。

父を亡くしたときは『寂しい』、
母を亡くしたときは『つらい』、
女房を亡くしたときは『虚しい』。

寂しいのもつらいのも、我慢すればなんとかなる。
虚しい時の対処のしかたはちょっと・・・・。
何をもってすれば、虚しさを埋められるか。まだわかってないですね。
習慣だった旅先の電話は、死後一年でやめましたけれど、はがきは今も
出しています。女房あてに、はがきを書いて、ポストに出し、週末、自宅に
帰った僕が受け取る。無駄のように見えますが、はがきはやめないと思いますよ。
面白いから」

・加藤登紀子は永六輔の反対に近い。それぞれの立場があるものだ。
ー「コンサートでも、最後の一曲を何にするかは何よりも大事なプログラム。
お葬式は人生最後のアンコールみたいなものだわね。だからちゃんとやってほしいし、
いいお葬式でしたねって言われるものにって思いはあります」

「畳の上で娘や夫に看取られたいなんて、全然思いませんね。父が急死
したとき、ボキッと折れた人生もいいなと思ったんです。
ギザギザが出ているから、残された人はほうって置けないでしょう。
どうしてもその上をつながなくちゃならないから、現実を受け止めざるをえない。
完結しすぎない父の逝きかたを見て、上手くいったわねと思いましたよ」

・佐高信も彼らしい内容である。
ー「死というものを、あまり大げさに考えたくない。淡々と、日常と同じ歩幅で
歩いて死んでいきたい。野垂れ死ぬより野垂れ生きるちゅう。
死を美化するのは、非常時の思想だと思う。」

「白蓮に純白という陰あり」という、この句が好きでね。結構、白が好きなんです。
白蓮の時期だったら、棺に入れてもらいますか。
行き先は善人たちのいる天国は避けて、魯迅の『天国には行きたくない。なぜなら
聖人君子と付き合いたくないからだ』っていうのがいいね。」

 ーー
この随想日記に「私の遺言」「死について」を書いてきた。
ラストメッセージにはチト早い気がしたが、死は直視し続けると逆に生がみえてくる。
私の場合、
父が亡くなった時は喪失感
母が亡くなった時は自立感であった。
ただ、寂しさは無かった。
二人とも自分の中でしっかり生きていたからだ。
母は今でも月に数回夢にリアルに出てくる。
二人から学んだことは、死ぬのは生きることと同様、そう簡単なことでない
ことだ。

「最後の言い分」も生きている内の戯言でしかない。
でも、戯言が死んだ後のシミにもなる。
残すか残さないかはその人しだいである。

・・・・・・・・
・・・・・・・・

2003年03月17日(月)
712, 光ファイバー導入半年の実感

 以前も光ファイバーのことを書いたが、導入後半年の感想を書く。
強引に営業に入れられてしまったが、それでもよかったと思えるようになった。
月に一万円もするが、この4月から6千円に値下げの予定とか?
電話代が一切かからないから、5〜6千円あたりが適正プライスだろう。
ADSLでもよかったのではないかと疑問が今でも残っている。
今までの100倍、ADSLの10倍に近い速度だ。
時間が経つほど、その能力の凄みを実感している。
特にホームページが映像に移行しているしているのがよく解る。
古館伊知郎のホームページ「トーキングブルース」8本が
3ヶ月間で5千円とか。

この普及はホームページだけでなく、IT電話など根こそぎ時代を変えるだろう。
実際どうなっていくか誰も解らない。
先日も書いたが、本の読み方が全く変わってしまった。
1度目を通し後に、その本の題名をキーワードにいれて書評を読むのだ。
その後読んだ方が効率的になる。

たまたまネットウエーブで知った人の読書日記を読むと、
今のベストセラーの概略と書評を読むことができる。
8割がたは?内容を把握できる。
それができるのも瞬時にホームページが出てくるからだ。
まだブロードバンドの入り口しか立ってないが、想像すらできない時代に
入ってしまったようだ。

  ・・・・・・・
ー以前に書いた文章をコピーしておきます。
2002年09月20日(金)
  525,−光ファイバー

昨日から、会社のランが光ファイバーでネットされた。
今までの電話線の10涌造ぅ優奪販繕發妊灰好肇僖侫ーマンス
はよくなったが、諸経費等が65万である。
1~2年で元はとれるが、それで1000倍近い速度だ。

自宅では来月半ばに入る。
長岡で導入の一号だそうだ、その証明書も出してくれるという。
何か営業に強引に加入されてしまったが、一号の証明書をもらって我慢だ。
月9000円で、来春5800円に下がる?そうだ。
電話代が無料になるから、その辺が入り時という。

ブロードバンド ポルノと検索入力して、はじめは 定番から
入るしかないか?
「ブロードバンドと何々」の何々をこれからキーワードに
意識をしていくと、面白いものに行き当たるだろう。

愛犬家だったら犬と入れると、犬の画像が出てくる。
おしゃべり日記といれたら、何か話している人の画像が
出てきたりする?
自宅ではADSLが一月前に入ったが、早速ブロードバンドとポルノ
と入れたら、リアルな映像が出てきた。
それから見ていないが、あれはこっそり見るもので、
パソコンで見るのに適してない?

美術館とか博物館などが早速取り入れてくるだろう。
それとサービス関係のホームページも。
これに携帯が連動してくると、さらに面白い時代なってくる。
今まで写真中心の海外旅行のホームページが、写真が出てくるまで
時間がかかりすぎて、見るのに躊躇していた。
その問題は軽くクリアーするだろう。

二紙とっている新聞を一紙にしようかと、今月中に結論を出す。
トレードオフだ。
以前は3紙とっていたが、日経をまずやめた。
この時はWOWOW に加入した時だった。

次は朝日か?新潟日報か?どちらを残すか。
会社に行けば見れるのだから。

今の若い人は新聞を見ない傾向にあるという。
インターネットでネット新聞を見ているという、もちろん無料だ。
死亡広告がなかったら日報もやめたいのだが、全くつまらない!
考えてみたら、とってないのもいいかもしれない??!!
新聞社の斜陽が更に進むだろう。

ヒカリファイバーで3年先には大きな社会的な変化が進むだろう。

・・・・・・・・
・・・・・・・・

2002年03月17日

旅行中につき書き込みなし

・・・・・・・・
・・・・・・・・
<お笑い>

「どっちが父親?」

少年が慌てて警察官のところに来て
「大変だお父さんがトラブッテ、喧嘩してこのままでは死んでしまうよ!」

駆けつけた警官が少年に
「おいどっちが父親だ?」と聞いた。

「ぼくも解らないんだ!その件でけんかしてるんだ!

 


1808, ずっとやりたかたことを、やりなさい −1

2006年03月16日(木)

 
(☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》○            
                 ー読書日記

図書館で何気なく借りてきて読んでみたが、
すばらしい本である。
早速、中古だがアマゾンで発注をした。
特に、「モーニング・ページ」の技法がよい。

自分の心のブロックなどを徹底的に見つめて,
気がつかなかった心の奥から知恵を引き出す合理的な手法である。
   
   人生は自分の馬鹿の壁を一生かかって乗り越えていく
   道筋であることを、この本が教えてくれる。
   『夢日記』と同じくらい深い示唆がある。

(*^ー^)/C□~~ コーヒー
ーまずは、訳者のこの本の紹介文であるー
   
       ジュリア・キャメロン著 菅 靖彦訳
     サンマーク出版 

人は誰でも、自分の中にアーティストの子どもを住まわせている。
その子どもを大切に養い育てれば、
創造的な生き生きとした人生を送ることができる。
どうすれば自分の中のアーティスト・チャイルドを育てることができるのだろう。
その疑問にきわめて具体的なプランをもって答えてくれるのが本書


   『ずっとやりたかったことを、やりなさい』
   (原題『the artist’s way』 )である。
   著者のジュリア・キヤメロンは十五年以上も前から
   創造性のワークショップを手がけており、
   本書はそのワークショップの豊富な体験をもとに書き起こされている。
   彼女自身、映画の脚本や監督を手がけ、
   『ワシントン・ポスト』『ニューヨーク・タイムズ』『ローリング・ストーン』
   などにいろいろな論説を載せているアーティストだ。


本書が最初に出版されたのは一九九二年のことだが、ほぼ十年近くたった現在でも、
ベストセラーの上位に名を連ねるほどの人気ぶりをしめしている。
自己啓発書としては、この十年でおそらくもっともよく売れている本の一つだろう。
なぜそれほどの人気の高さを維持しているかというと、本書に掲載されてい
るプログラムを実践した多くの人々が、その効果を公に認めているからである。
世界最大のインターネット書店「アマゾン・コム」のサイトにも、本書によって
創造的な自分に目覚めたというメールが多数寄せられている。


    日本でもよく知られている映画監督のマーティン・スコセッシは、
    本書が自らの創造怯に触れるための貴重なツールであることを保証している。

    しかし、本書で取り上げられている「創造性」が、「芸術家」だけがもてる
    特別な資質ではないことを断っておきたい。
    自由を保障された一人ひとりの人間が、個性的に自分らしく生きていくために
    欠かせない資質として、著者は「創造性」を位置づけている。
    自分をいかんなく発揮して生きるための必須の要素と、
    創造性をみなしているのだ。
    そのような意味で、本書はより充実した人生を送りたいと思っている
    すべての人に向けて書かれたものだといっていい。


本書はきわめて実用性の高い本である。
全体が十二週間の創造性開発のプログラムに分けられており、
読者が最初に紹介されている基本ツールを用いて、
自分一人でプログラムをこなしていける体裁になっている。
実際にどのように進めていけばいいかに関しては、本文に書いてあるので、
参考にしていただきたい。


    何人かでスタディー・グループを組み、
    いっしょにプログラムを進めていく方法もある。
    その場合に注意すべきこととして、著者は次のような点をあげている。

^貊鬼屬飽貪戞二、三時間の集まりをもち、
一週分ずつプログラムをこなしていく。
モーニング・ページとアーティスト・デートは欠かさないこと。
モーニング・ページは他人に読んで聞かせるものではない。
自分でも、コースの後半にさしかかるまで、読み返さないように。

   会の進行をつかさどる進行役のような存在はいてもいいが、
   グル的存在は認めないようにする。
   グループ内に階級をつくらないこと。

人の話をよく聞くこと。他人の話にコメントする必要はない。
人数が多い場合には、四人一組で輪を組み、体験を共有しあうとよい。

   い互いに尊重しあうこと。

ゼ分に起こる変化を受け入れること。
自分や他人のプロセスを操作しようとしてはならない。

   進行役やグループが自分に向かないと思ったら、
   あなたはいつでもやめる自由をもっていることを忘れないように。
   自分でグループを組織するという方法もある。

 訳者も長年、創造性というものに関心をもち、
さまざまなワークショップを手がけてきた。
本書の翻訳は、私自身が長い時間をかけて探求してきたことを
再確認する貴重な機会になった。
と同時に、自分の中で漠然としていたものの多くが、本書を通して、
より明確になったような気がする。

   とりたてて創造性というものを考えたことがない方でも、
   本書のプログラムを実践してみれば、生き生きとした自分を取り戻す
   きっかけになることを発見するだろう。
   自分をもっと発揮して生きたいと思っている方は、
   それぞれの生活の場で、ぜひ本書を実践的に活用してみてもらいたい。

                       菅 靖彦

                 −  つづく
  ε(´',_c')зβyё
ーーーーー

2005年03月16日(水)
1443, 孤独について−4

「孤独であるためのレッスン」
NHKブックスー諸富 祥彦 (著)を図書館で借りてきた読んだ。

過去に4回、随想日記に「孤独について」書いてきた。
この本はより掘り下げた`孤独であるためのレッスン'が主テーマである。
今流の言葉でいうと、「孤独力のつけ方」が大筋である。


「孤独力」には、
・消極的な意味では、自分が他人の目に左右されずに生きる能力。
・積極的な意味の「孤独力」は、自分自身と深く対話することの出来る能力。
 深さの次元が、ここでは問題になる。
 この「孤独力」が、楽しく生きるための大きな要素になる。


孤独はすばらしい。
孤独こそが人が人として生きる王道だと、孤独を賞賛し、
そして孤独を全うするには、
「自分を超えた地点から自分をながめるもうひとつの目を意識して
その目を通じて自分をながめることができること」という。
{年二回の海外旅行は、その目を養うために行っている}といってもよい。


また、
「人は孤独なときだけ、精神の深みへ降りていける。
そして、本来の自己を探し当てることができる」と。

さらに、
「本来の自己を探し当てた人だけが、真に他者との出会いができる」と。
(逆に言うと、真の自己を見つけ出していない人は真の出会いができない、
ということ)子狐を嫌うのは真の自己の何かも知らない輩だからだ。

だから、
「寂しいからといって、ただ単に人と群れていたら、真の自分は見つけられない。
無理に人に合わせていたら、自分を見失ってしまう。群れない自由な孤独人たれ」と。

「ひとりだと感じているあなた。
人の中にはいりこめないと思っているあなた。
わずらわしい人間関係から、逃れたいけど、できないと思っているあなた。
孤独になることを恐れないで。 
ひとりになって、本当に自分のやりたいことは何か、見つけ出して。..」と。
この本が語りかけてくる。


 この中の<孤独であるための8つの条件>がよい。

1:「分かり合えない人とは、分かり合えないままでいい」と認める勇気を持て。

2:人間関係についての「歪んだ思い込み」やこだわりに気づけ。

3:自分の人生で「本当に大切な何か」を見つけよ。

4:「自分はまもなく死ぬ」という厳然たる事実を見つめよ。

5:「たった一つの人生という作品」をどう作るか、絶えず空想しながら生きよ。

6:ソーシャルスキルを身につけよ。 他人の話を聴き、他人を認めよ。

7:「この人だけは私を見捨てない。どこかで見守っていてくれている。」
  そう思える人を見つめよ。

8:自分だけは自分の味方であれ。「自分を見守る眼差し」を自分の中に育め。

人との距離感を適度に保つため、
むやみやたらと人に近づかないように、
相手との距離を保つためと考えた方が良いが。


P-172の文章が孤独について、わかりやすい要約になっている。

ー私はこれまで、こう述べてきました。
孤独を恐れるな。
孤独は、人生の普遍的な本質であり、人間であることの真実なのだから、
孤独であることを自ら積極的に引き受けよ。
 
 人はみな、ひとりで生きていく。
この真実を深く引き受けたものだけが、自分自身と対話し、より深い心の知恵を
聴きながら、生きていくことが出来る。
自己との対話を絶えず積み重ねることでしか手に入れることのできない精神の厚みを、
増すことができる。

 つまり、孤独な人間だけが、自分自身と対話し、自己と出会うことができる。
また、そのようにして、自分自身と出会い、自分の声を聴くことのできる孤独の
人間同士だけが、深く出会うことができる。

 お互いのつながりや共通点を確認し、他者を排除することで自分の寂しさ不安を
打ち消すような表面的なつながり、もたれあいでなく、お互いの違いを前提とし、
どうしようもない解りあえなさを認め合う中で、それでも少しでもわかり合い、
響きあうような深い心と心の交流を持つことができる。
つまり、孤独な人間同士だけが、心の深いレベルで対話をし、交わり、出会うことができる。

 孤独を癒すことができるのは、人とのつながりではない。
孤独を癒すことができる、ただ、一つの道。
それは、孤独から抜け出すことでなく、
より深く、より深く、その孤独を深めていくことだ。
 
 もし、孤独を癒すことのできる人間関係がありうるとすれば、それは、
その関係の中で、お互いがより深く孤独に徹していけるような人間関係、
その関係の中で、お互いがますます深くますます深くひとりになり、
自分自身になりきることができるような人間関係しか、ありえないであろう。
 
 
 ーーー
この詩は孤独を恐れている心を
励ましてくれる。

【詩】ゲシュタルトの祈り

わたしはわたしのことをやり、あなたはあなたのことをやる。

私はあなたの期待に応えるために、この世にいるわけではない。

あなたは私の期待に応えるために、この世にいるわけではない。

あなたはあなた。 わたしはわたし。

もし偶然にお互いが出会えれば、それは素晴らしいこと。

もし出会わなければ、それはそれで仕方がないこと。


フレデリック・パールズ作 (ゲシュタルト療法の創始者)
  −−−

・・・・・・・・・

2003/08/04
孤独について −3

『人は人、我は我、されど仲良く』と武者小路実篤がいっていたが、
それこそそれぞれの「独」を認め、かつ自分の「独」を大事にする言葉である。
『和して同ぜず』も母校の長岡高校の校是であるが、意味がほぼ同じだ。

 孤独を特に感じるのは、一人旅であろう。
若い人のバックパッカーの聖書になっている沢木耕太郎の『深夜特急』
という小説に、「独り言をブツブツ言いながら一人、旅をしていた」と書いてあった。
サルトルのいう「即自」と「対自」の会話である。
青年期によく国内だが一人旅をした。
一人旅に出なくては精神のバランスが崩れてしまいそうであった。
帰ってくると何か大きなものによって満たされる感じがよかった。

旅行の最中は寂しいということは全く無かった。
誰かと対話をしていたのだろう。
旅は孤独のプラス面が一番よく出る異次元の世界に浸れる。
いま振りかってみて、「旅日記を克明につけておけばよかったのに」と悔やまれる。

「孤独」というキーワードで検索をしていたら、
脳性麻痺の青年のホームページが出てきた。
「孤独などと軽がるしく使うな!」とどやされたようだった。
口が聞けない人や、盲目の人の孤独感は想像すら出来ない。
私の強みは「孤独に強い」と思っていたが、とんでもないことと思い知った。

「孤独は人を殺さないが、絶望は人を殺す」
という言葉をアンドレ・マルローがいっているが、
孤独の中の絶望に潰されてしまうのが問題なのだ。
その時こそ愛読書が一番自分を癒してくれる。
大いなる孤独ー作家の心ーとの出会いが本を通じて可能になる。
孤独であればあるほどその邂逅が大きくなる。

 いま一つの孤独で考えさせられるのが老人の孤独であろう。
結婚後、母と同居をしている時にトラブルが何回かあったときに、
母が「独り暮らしの孤独の知人がいっぱいいる。
彼等はどんなにトラブルがあっても、子供から離れてはならないと
シミジミ言っている。我慢をしなくては」
とポツリと言った事があった。

知人に数人家庭内離婚者がいる。
ほとんどが浮気から出ているケースだ。
それでも離婚をして一人暮らしよりましの為だろうか。
一番嫌いなのは、孤独と孤立の違いも解らない輩だ。
群れたがる内なる羊である。

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2003/07/16
孤独について −2

 以前も書いたが(あとでコピーしておきます)、再び孤独について書く。 
 経営者は孤独でなくてはならないとか、孤独であるという。
特に創業は孤独に徹しないと、甘さが生まれてくる。
山の中の孤独というより、街の中の孤独である。
街の中の孤独とは自分と他者の間にラインを引くことである。
お互いの距離をおくことである。

ある本に孤独を「六独」6つに分解して、説明をしていた。
1 独想
2 独学
3 独行
4 独遊
5 独創
6 独楽

 これが出来るようになるには強い意志が必要だ。
創業を何回か経験をすると深い孤独の経験をする。
独り着想と構想をねり、その為の情報を集め、分析をして決断、たった独りで
嘲笑のなか行動開始、途中からゲーム化をして遊びまで高め、創りあげる。
そしてその起承転結を楽しむ。
しかし実際はつらい孤独業である。つらさと楽しみは裏表であることを知る。
二代目が失敗をするのは、この孤独に耐えられないためである。

 孤独に耐えるためには、宗教が必要である。
日本人が平気で自分は無宗教と答えるが、グローバルでみるとんでもないことだ。
欧米では自分が気違いだと言っているに近いことになる。
スモールS (多神教)の集まりを宗教観を前提で答えていることを、自覚して
いない為である。
                   ーつづく
  ・・・・・・・・

2002年09月01日(日)
506, 孤独について

人間は独りで生まれ、独りで死んでいかなくてはならない。
本質は孤独である。
学生時代、名僧いや怪僧?の新井石龍禅師との問答で、
禅師は、[禅は一言でいうと何ですか?]の私の問いに
「字のとおり単を示すことだー宇宙に自分が独りということに
気づくこと」と答えられた。全くそのとおりである。

若い時に大都会に出る必要性は、
大都会の中で、凍りつくような孤独の経験をしておくことである。
圧縮された大都会の真ん中での孤独な生活である。

じっくりと孤独の厳しさを知ると
・仲間の大切さを知る事ができる、但し真っ当な人だが!
・本を通して数千年前、数百年前の人物と出会うことができる。
・独り遊びの大切さ知るー音楽会や映画に独りで行くとか。
・自分のアイデンテティーが見えてくるー自己の確立。
・孤独の賑やかを知る。

それを若い時にじっくり経験してないと、
「何処かの子狐?」のように中年期・壮年期を迎えたとき、
どのようにしてよいか解らないで、
そのレベルでベタベタ群れるしかないのだ。
それか濡れ落ち葉になるしかない。
失敗の人生である。

地方にはこういう人が大部分だ。
仕方ないことだが?

・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・

2004年03月16日(火)
1077, 三分間

スピーチ三分、カラオケ三分、電話三分、メッセージのやり取り三分、
スポーツでは、ボクシングが一ラウンド三分、相撲も土俵に上がって立合いまで
三分である。

数年前まで、公衆電話の料金が三分十円だった。
本の立ち読みも大体一冊三分である(私の場合だが)。

インスタントラーメンは、お湯を入れて三分である。
これは意味が違うか?我慢できる時間が三分ということか。

この随想日記の閲覧もユックリ読んで三分である。
これ以上だと、気持ちが他に移り変わってしまう。

集中の一ユニットが三分ということだろう。
効率面から考えると、三分の積み重ねをするのが合理的といえる。

会社の朝礼で「三分間スピーチ」を毎朝各人に持ち回りで
するところがあるが、これは思考訓練と自己表現の場になる。

 岡惚れ三年 本惚れ三月 思い遂げたが三分間
 
これは全く関係ないか。

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・・・・・・・・

 2003年03月16日(日)
711, キャッシュポイント

 このシビアの言葉が気に入った!
ヤクザが恐喝のネタを掴んで「これ脅せる、銭になる!」という瞬間が
キャッシュポイントといってよい。。
 人生の中で、自分では気がつかないポイントがあったはずだ。
私のごく身近の人に、集ることを人生のポイントにおいている人が数人いるが
「これをいっちゃお終いよ」の世界だが。
子供が資産を受け継いだその瞬間も、その人にとってキャッシュポイントである。


 「キャッシュポイント」は、その人にとって経済的に豊かになってしまう、
豊かさの源泉のポイントである。これは誰にでも必ずある。
成功する人は人生のある時点でこのキャッシュポイントを見つけている。
この、「自分の内奥に眠る資産」を現金化する方法を見つけてしまえば恐れるものは
ない。このキャッシュポイントをいかに探って掘り当てるかが重要なテーマである。
これを見つけ、実際にお金に変えることができると、この上ない幸福感を感じる。
本人にとっては「これでお金をもらっていいの?」と考えてしまう感覚である。
そういうものをどんどん掘り進めることがポイントになる。


 しかしこのポイントは結果としてしか解らないことが多い。
この反語としての言葉、失禁ーいや失金ポイントがある。
私も何回かある、致命傷にならなかったから事業が生き延びているが。
キャッシュポイントより失金ー失敗ポイントのほうが厳しいのが現実である。
事業は14勝一敗では駄目で8勝7休の方が優先されなくてはならない世界である。
それまでの蓄積を一瞬に奪い去ってしまう。
上手くいった時も失敗した時も、そのポイントにいきつくまでの準備に全ての
原因が含まれている。

 この言葉はチャンスポイントとも言い換える事ができる。
チャンスはそうあるものでない。やはり準備をしっかりしておかなくては
その一瞬を捉えることができない。
このキーワードをレンズとして過去を振り返ってみると面白い。
やはり自分の意志がチャンスポイントをつくっていることが解る。
逆に危機ポイントをみてみると、その裏腹である。
チャンスは危機であり、危機はチャンスでもある。

・・・・・・
・・・・・・
<お笑い>

「三年峠」

 三年峠で転ぶと3年で死ぬという。
 そこで転んで泣いて帰ってきた。

「どうしようこのままじゃ3年で死ぬ」

 それを聞いた男
「戻っていって20〜30回 転んで来い!」

・・・・・・

「27・27・27」

ニューヨーク のハレムで「27・27・27」と楽しそうに
マンホールのうえを飛び上がっている黒人がいた。

そこをとうりかかった白人が不思議がって、どうしてそんな楽しいのかと尋ねた。
 そして俺にもやらせろと言った。
そして「27・27・27」とその上で飛び跳ねた。

その瞬間黒人はそのマンホールの蓋をひいた。
そして再びその蓋の上で「28・28.28」

  


1807, 新書と文庫について

2006年03月15日(水)

                おっ w(゚Д゚)w ハァョ〜

 「いまどきの新書」永江朗著ーを読んでいたら、
  新書と文庫について書いてあった。
  
  新書が大きく変容しているのを実感していたので、
  その内容に注目をした。
 そこで、それをベースに
 「新書と文庫について」纏めてみた。

 ーー

書店には新書と文庫のコーナーがあるが、
新書と文庫は少し前までは、地味な存在であった。

デザインは、書店ごとに統一されていて似たようなもの。
テーマも[学術・教養もの]と呼ばれていた。

    新書・文庫という形態は、岩波書店の岩波新書・文庫が始めたもの。
    岩波新書は現代的教養を、岩波文庫は古典的教養を集めた。
    相手は、主に学生で、学校の先生を次のターゲットにした。
    
    ところが、最近になり新書が大変身をしてしまった。
    多くの出版社が新書を作るようになり、岩波新書、中公新書、
    現代新書の御三家に割ってはいってきた。
                       
               (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
                       
値段が安いことがうけ、古典的教養書という意味あいは薄れ、
軽いエッセイや対談や、趣味的な旅行本、写真集や、
はてはマンガ本的なものまで新書として出版されだした。

不景気や印刷技術の向上や物流の合理化を背景として、
何処でも読みやすい小型本としての手軽さが受けてきた。

またデジ・カメや印刷の高度化で安価に写真などが新書に、
掲載できるようになったこともある。

    本屋も、文庫本のコーナーを拡充して、
    文庫本を平置きして買いやすくしている。

    学生時代買った新書本が今でも自宅の書棚に多く残っている。
    小型で場所をとらないので残しておけたこともある。
    
    中公新書の加藤秀俊『整理学』、川喜多二郎の『発想法』
    講談社の現代新書の立花隆『知のソフトウエア』
    岩波新書の梅棹忠夫『知的生産の技術』
    など、懐かしい本が2百冊位が捨てられることなく並んでいる。

 かっては古典の代名詞だった文庫が、
 単行本の普及版、小型版、かつ価格破壊版になってしまった、
 ということだ。

              ホンジャ o(▽^*)ノ~~マタ〜
・・・・・・・
・・・・・・・

2005年03月15日(火)
1442, ホテル・レストランショー


店舗ショーに続いて、毎年のこの時期に有明のビッグサイトで
4日間にわたって開かれる。
先週、日帰りで見学してきた。


店舗ショーと同じく、癒し系のラジウム石を使ったサウナや、
化粧水を使ったエステなどが目立った。
日本人は疲れているのだろうか?
それとも女性の立場が強くなり、そういう出費には目がないのだろうか?
これも一過性であろうが、時代が変わったのもあろう。
合理的な考えが進む一方、体や心の癒しには平気で大金をつかう。


私自身も大型薄型TVやDVD,そしてソフト関係にはお金を使う。
その反面、外食や飲み代や日用品や衣料には非常にシビアになった。
出店していた音響メーカーの「ボーズ」の、30万近いオーデオを
買ってしまった。
こういう世界も、技術革新がドンドン進んでいるようだ。


ベーカリーの世界も日進月歩のようで、
冷凍パンを、そのままレンジで焼き上げてしまう技術が開発され、
パートでもクロワッサンやデニッシュを焼き上げることが可能になった。
街のレストランなどが、焼きたてのパンを70〜100万円の器械で、
気楽に出せるようになった。


ホテルが一般的に不況で、新たなサービスを付加して客を取り込もうと
している。ベッドもシングルベッドの下に、もう一つのベッドが
収納してあって、家族ずれのお客にも即応できるものなどが、目についた。
また、防犯カメラなども多く展示されていた。

・・・・・・・・
・・・・・・・・

2004年03月15日(月)
1076, 《獄》

昨日、何げなく朝日新聞の社会欄を開いたら、<獄>が大きく載っていた。
内容は山本譲二元代議士の獄中の体験談であった。
刑務所の服役の体験談を読んだことがあったが、直視できない異常な世界である。
体験談の文章によると、収監された晩は一晩中誰もが泣き過ごすという。


政治とは清濁併せ呑む世界であり、奇麗事の世界とは違う。。
犯罪になるかどうかは、「洗浄を幾つか通して政治資金を集める体制があるか、
無いかの差でしかない」のも事実である。
全ての政治家は、一歩間違えると監獄が待っているといえる。


この文章を読むと、刑務所だけは入りたくないと思う。
別世界のことではない。ある日思わず、交通事故をおこして動転して轢き逃げを
しないとも限らない。
それとも酒を飲んでいて、隣の客と喧嘩をしてとか・・・・


asahi.comを検索したら、この文があったので貼り付けておきます。

ーーーーーー

−以下は朝日新聞に載っていた内容である。
■《獄》「詫び状」が扉を開けた

看守に促され、栃木県の黒羽(くろばね)刑務所の分厚い鉄扉を抜けると、
妻真由美さん(39)の姿が目に飛び込んできた。
 02年8月13日午前5時。
 刑務所近くの空き地でまんじりともせず4時間をすごした妻は、
 いまにも泣き崩れそうだった。目が合うと駆け寄ってきた。
「お帰りなさい。長い間、ご苦労さまでした」
 抱きとめることができなかった。


 1年2カ月。隔てられた面会室のアクリル板が目の前にあるかのような錯覚に
 山本譲司さん(41)はまだ、とらわれていた。
「苦労はそっちだと思うよ」 看守を横目にそう答えるのが精いっぱいだった。

 東京郊外の妻の実家に着くと、軒先に、1人砂遊びしている息子がいた。
 到着を知った義母(62)は1歳半になった孫を抱き上げると、山本さんの胸に
 押し込んだ。
「パーパ。パーパ」
 罪の重さと、待ちわびてくれていた人のいる幸せとを、体全体で受け止めた。


    □    ■

 衆院議員による秘書給与の詐取という「申し開きのできない」狡猾(こうかつ)
 な犯罪で受けた判決は、懲役1年6カ月の実刑だった。

 早稲田大を卒業後、現在の民主党代表の菅直人氏の秘書を経て、26歳で都議に
 当選した。衆院に転じて2期目。独自の都市政策を掲げ、「民主党のホープ」と
 持ち上げられ始めたさなかの蹉跌(さてつ)だった。01年6月、罪を認め服役した。


 配役(はいえき)先は、刑務所内でもほかの受刑者や見学者の視線にさらされる
 ことのない隔離舎房――知的障害や重い身体障害のある受刑者たち50人のための
 施設だった。

 「大変なんてもんじゃないよ、あそこは。汚物まみれでね……」
 看守は、そこに世話係の一人として赴く山本さんを哀れんだ。

 その通りだった。ろうそくの色分けやひも結びなど繰り返される軽作業に付き添い
 ながら、食事や風呂の介助もする。
 漂う悪臭に吐き気を催しながら、房の床や壁にこびりついた汚物をつめではぐ。
 週に2度、たった10分の楽しみだった入浴は、湯に汚物が浮かんでいることも
 珍しくなかった。


 出所後は、保護司のもとへ月に2回、顔を見せて近況を知らせ、息子と向かい合う
 ほかは何をするでもなく数カ月が過ぎた。

 手元には毎日のように妻から届いた手紙300通と、その返信、それに独房で
 書き連ねた日記があった。

 自らへの戒めと、かつて1票を投じてくれた人々への詫(わ)び状として、
 経験のすべてを記そう――そう意を決し、2階の一室にこもった。
 400字詰めで6千枚。推敲(すいこう)を重ねて800枚にまとめた原稿は
 昨年末、『獄窓記』(ポプラ社)として結実した。

 著書は思いもかけず、閉ざされがちな世間への扉を押し広げた。
「だれも語らず、伝えられることのなかった刑務所での障害者の処遇のありようを
 あなたは初めて記した。話を聞かせてもらえないか」

    □    ■

 今年2月初め、編集者経由でファクスが届いた。刑事事件を起こした知的障害者の
 弁護で知られる副島(そえじま)洋明弁護士(57)からだった。

「失礼ながら、刑務所に入ってくれたあなたに感謝したい」
 
 かけた電話で、面識もない弁護士はのっけからこう言った。
 5日後の昼、戸惑いながら自宅近くの駅の改札で落ち合った。

 お互いの現況、刑事裁判で知的障害者の置かれている現実、刑務所に送られた
 彼らの多くが身寄りがないまま満期出所になること……。塀の入り口までを担う
 弁護士と、その中で過ごした山本さんの話は尽きることがなかった。

 日付が変わりそうなころ、副島さんが言った。
「あんた、知っているかなあ。僕が事件を担当した……30歳ちょっとの男で……」
 
 しばらく説明を聞いた後、山本さんは口を開いた。

 「彼の介助をやっていたのはこの僕です。絵を描いている時の笑顔が忘れられず、
 今でも夢に出てきます」

 副島さんは携帯電話をつかんだ。

 「阿部さん! 僕たちがその後を一番心配していた彼のことが初めてわかった」

 携帯の相手は、東京都八王子市にある知的障害者施設「八王子平和の家」(50人)
 の施設長をしている阿部美樹雄さん(49)だった。

 事件は、自立に向けて一歩を踏み出そうとした彼が平和の家を出て間もなく起きた。
 あてにできる家族もなく、好意で受け入れてくれた滞在先を抜けて街をさまよう
 うちに、一軒の貸家に何事かを叫びながら火を放った。
 母親が失踪(しっそう)するなど家庭の事情が一段と複雑になっていた時だった。

 副島さんや阿部さんは、法廷で服を脱ぎながら奇声を発する彼について
 「受刑は不可能」と訴えた。「こんな法廷は初めてだ」。
 裁判長は戸惑いながらも3年ほど前、長期の服役を言い渡した。
 黒羽刑務所に入ったことはわかったが、弁護士といえども消息を知るすべはなかった。

 2月半ば。彼が取り結んでくれた縁を機に、山本さんは平和の家を訪れ、
 かつて彼がにこやかに耕していた野菜畑に立った。

 「自分の存在に確信を持てない知的障害者に、不条理な環境が幾重にも重なった時、
 不幸にも事件に結びついてしまうことがある。それは私たちの責任です。
 障害に前科が加わってしまうと受け入れ先はまず、ない」と阿部さんは言った。

 山本さんは幼児のように語りかけてきた彼の言葉を思い出していた。
「山本さん、ずっとお友達でいてね。また一緒にお絵描きしようね」

 刑を終えた障害がある人たちを、受け入れる特別な施設ができないか――
 3人の構想は、会合を重ねるなかで静かに動き始めている。

 その一端を担うことになった山本さんは、時給千円の支援スタッフとして
 平和の家に通う。ベテラン職員にも見劣りしない手慣れた介助はいま、
 山本さんの生活の張りであり、糧でもある。(角田 克)

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2003年03月15日(土)
710,「逆さ仏」の時代

 親が子供の葬式を出す意味である。
戦前生まれの人は、成人までに自然食で育った。

しかし戦後インスタントラーメンが丁度出始めた頃から防腐剤の入った
食品が出始めた。また農薬の散布で毒入りの農産物を口にするようになった。
農家は出荷する農作物と自分たちが食べるー農薬なしの農作物を分けているとも聞く。
最近の人間の骨は腐らないという、防腐剤がたっぷり骨に入っているためだという。
 
 上記の理由で、20年位前に西丸震哉が40歳寿命説を言い出した。
先日も親戚の人が98歳で亡くなったが、7人の子供のうち3人が亡くなっていた。
逆さ仏も今は珍しくない時代になってしまった。

 ある薬局を経営をしている人から、絶対に缶物は口にしないことと教えてもらった。
それと内臓物ー焼き鳥やタラコーや白砂糖やカップヌードルなども毒を口にしている
のと同じとか。緩慢なる毒殺をされているのだろう。

その意味ではスーパーの食品売り場は毒物売り場そのものだ。
少しでも注意をしていれば、その量を減らす事はできる。

 あるホテルの人から聞いた話だが「離婚調停でホテル住まいの母子が半年間
三食インスタント物を部屋で食べていた」と聞いたことがあった。
聞いていて背筋が寒くなってしまった。

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2002年03月15日
旅行中につき書き込みなし

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<お笑い>

「血縁関係」

「父さん母さん、おれ結婚するよ!肉屋のローズがOKの返事をくれたんだ」
ジミーは有頂天だったがその夜、父に呼ばれた。

「ジミー、お前に言わなければならないことがある。
実は肉屋のローズは、お前の腹ちがいの妹だ。父さんは若い頃、
ちょっと魔が差してしまったんだ。母さんには内緒だぞ」

ジミーのショックは相当なものだったが、若さで立ち直り新しい恋を見つけた。
「父さん母さん、おれ結婚するよ!パン屋のデイジーがOKの返事をくれたんだ」

でもその夜、ジミーはまた父に呼ばれた。
「ジミー。パン屋のデイジーもお前の腹ちがいの妹だ。
父さんな、魔が差した時期が長かったんだ。母さんには内緒だぞ」

二度目となるとさすがにジミーは父を恨み、母に言いつけることにした。
「母さん聞いてよ。ローズもデイジーも僕の腹違いの妹なんだ。
これじゃ僕、結婚できないよ…」

「まあ!」
母は驚いたが、やがて微笑んだ。

「安心しなさい。ジミー、あなた父さんの子じゃないから」


1806, 秋葉原再開発

2006年03月14日(火)



               |。っω-)..。oо○(゚+。ぉレ£∋ぅ゚+。)

先日、東京・秋葉原にたち寄って、その変容に驚いてしまった
三十年以上前から秋葉原のワシントンホテルが定宿で、年数回は電気街を歩いていた。
しかし5年ほど前から日暮里のホテルに変えてしまった。

    久しぶりに秋葉原の電気街など駅周辺を散策したが、
    駅周辺の再開発で街が一変していた。
    
    最近になり、電気・電子機器などの世界の秋葉原と注目されているが、
    猥雑な感じが残っていて、街そのものが面白い。

昨年、筑波都市と列車が直結したこともあり街が萌えているようだ。
IT宅族にとって、この街は魅力のある街だ。

    立ち寄った当日(3月9日)に、秋葉原UDXが開業したが、
    その事実を知らなかったため見学できなかったのが残念である。
    
    再開発地区「秋葉原クロスフィールド」に オフィスや飲食店街などの
    複合ビルが立ち並んでいる。
    秋葉原文化の発信地としての役割が期待されているようだ。

東京に行く度に、エネルギーを東京にとられ地方がマスマス弱体化して
いっているのが手に取るように分る。
東京駅や新橋周辺だけでなく、神田界隈、秋葉原、上野・アメ横、
日暮里と下町の個性の集積が出来ているようだ。

    特に東京駅再開発が2011年に完成予定というが、
    日暮里、上野、秋葉原、東京、新橋と駅周辺の再開発が進んでいる。
    これに地下鉄と結びついて、足の便が非常に良くなっている。
    
    これがバブルなのか、本物なのか十年先には判るだろう。

        o(▽^*)ノ~~=バイ〜バイ♪

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2005年03月14日(月)
1441, 星野富弘ー詩画展 −2


先週、近くの長岡中央図書館に行ったところ星野富弘ー詩画展が
2Fで開催されていた。
3年前に新潟市に隣接している豊栄町で見ていたこともあって、
今回は見るのをパスをしたが、いま一度見ておけばよかったと後悔している。


画家から見たら、星野さんの絵に対して違う見方をするだろが、
絵からは花に対する思いと、美しさへの感動が直に伝わってくる。
花という儚い一瞬の生命の光りが、そのまま絵にこめられている。
花が自分で星野さんを通して、その姿を刻印しているようだ。


首から下が麻痺で動けない状態で、口だけで描くのだから、
「念写のような」という表現の方が正しいのかもしれない。
誰もが感動するのも納得する。


反面、あまりに波動が強いこともあって、少し不自然?の感もするが、
絵は、それで良いのではないだろうか!
いかなる状況でも、人を感動させる道があるものだ。


以前、書いた文章をコピーしておきます。
ー文章に書き残していると、その時の感動、感想が残るからよい。
 絵に残すのは、もっと残るだろう。
ーーーーーーー

2002/06/28
星野富弘ー詩画展 −1

先日、新潟近郊の豊栄の公会堂で彼の詩画展に行ってきた。
数百人が来ていて,何ともいえない熱気に包まれていた。

ー彼の概略は
・私と同じ年の1946年生まれ。
 24歳のとき教師をしていたクラブ活動で、首の骨を骨折して手足の自由を失う。
・入院の2年目より口に筆をくわえて文や絵を書き始める。
・9年後の退院の年に前橋で絵画展を開く。
・その後国内やアメリカ各地で花の詩画展を開く。
・1991年に生地の群馬県勢多郡東村で村立富弘美術館を開く。
   毎年40万人が訪れるという。

彼のことを知ったのは十数年前の「到知」という雑誌である。
対談だったと思うが、その中で「傷口よりあなたの優しさが沁みこむ」
という文が忘れられない。

早速詩画集を買って絵を繰り返し見た。
口で、これだけの絵を書くエネルギーに別世界を感じ取った。

今回の豊栄の「花の詩画展」で彼の絵を同じ目線で直接見て、
自分が彼(星野)そのものになって、自分の絵を見ているような気持ちに
なってしまった。

何か悲しい、しかし底から突き上げてくるような暖かさを感じとった。
更に動けない自分と花が一体化したような。
花も星野という一つの生き物が自分と一体になっていることを喜んでいる感覚。
見方によっては、反対に不自然な絵でもある。

これまで一人の人間に見つめられた花が過去にあっただろうか?
愛情と言葉とエネルギーに包まれ一体化して、絵として表現されたことが。
絵の世界ではあったのか知れないが。

決して幸せでない、動けない自分に対する苛立ち、諦め,怒り、そして
愛がそのまま絵と文を通して迫ってきた。
地方の女性が一生、因縁に縛られ他の世界を知ることなく終えようとしている。
そういう人にとって、
その絵と文は、いま流行の癒しとなるのだろう。

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2004年03月14日(日)
1075, スペインのテロ


・スペインのテロがあったが、次は日本と連想をしてしまう。
「大国?で、60年近く戦争が無いこと自体が異常」と考えたほうがよい。
何かが起こるのは必然と考えておいたほうがよいだろう。
北朝鮮が仕掛けてくる可能性もある。


イスラエルやシリアでは、生の虐殺のすざましい話を聞く。
シリアの前首相のサダトは、テロリストの潜伏している町の住民全て殺して、
町ごと埋めてしまったという。それ以来、シリアではテロは無くなったという。


旧約聖書を読んでいると、預言者が「この町をの虫一匹残らず殺せという神の
お告げがあった」いえば、そのとおりにしてしまう世界である。
一神教は仏教とは違う世界なのだ。
それに対抗する為に「マホメット」がアラブ人ようにイスラム教を創作した。
その争いから、グローバル化になってしまった現在、逃れる事は不可能である。


中国のウイグル地区でイスラムに滅ぼされた仏教国の遺跡を見てきたが、
仏教とイスラム教では(戦いという点で)次元が違う。
だんだんアルカイダの術中に引き込まれているのかもしれない。
これはテロというより戦争のゲリラ戦と考えたほうがよい。
日本は新幹線か山の手線をバズーカ砲一発で大混乱だろう。

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 2003年03月14日(金)
709, シンプルー2  

 −ワンプライス・ショップ

私の経営するホテルはワンプライスホテルである。
ホテルは値段を数種類にしておいて、繁盛時期ー夏期や連休や、
週間単位では火水木曜日に高い値段の比率をあげて売るのが常識であった。
それを一切無視してお客本位にしたのが当ホテルだ。
100円ショップもそうだ。


スナックでも、時間性で3千円とか5千円という店がある。
九州の境内の土産物屋で、中学生がいっぱい入っている店があった。
千円均一の店であった。修学旅行の中学生に一番手ごろの千円に絞って品揃えを
してあった。土産物屋でも業態が可能であったのだ。


居酒屋で300円か400円の均一の店を出せばと思うのだが。
料理や酒すべてワンプライスにすればよい。おそらく多くある筈だ。
おでん屋もよいのではないだろうか。

今なら不況なので200円均一にして、ビールなら生ビールだけにして、
千円のセットー5品から出せばよい。
格安なセルフの讃岐うどん屋が流行っているが、これも100円ショップにすればよい。
素うどん100円、トッピング100円とか。


すべての事にいえるのは「絶対に例外を認めない!」ことだ。
一つでも認めれば意味がなくなる。100円ショップで「200円コーナー」
をという誘惑にかられそうになるが。例外なく均一100円だからよいのだ。
値札をつける必要もないし、値下げの必要もない。ヘドロ商品は2個100円に
すればよい。メーカーも問屋も分かりやすいし、お客の方もそうだ。


ワンプライスでなくても、ファミリーレストランや居酒屋チェーンでは値段を
3〜5種類に絞っている。「シンプルイズベスト」の典型である。
駄目な店ほど多いアイテムの商品と値段の店が多い。
無知の涙を地にいっている。
こういう眼で見ていると、飲食店ウォッチングになる。

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2002年03月14日

旅行中につき書き込みなし

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お笑い

「どっちもどっち 」

アメリカの軍隊で将校が中国人のコックに
「お前は一生懸命料理を作ってくれる、チンコロと言っていたが
今日から名前で呼ぶことに決めた」

コック
「ありがあとうございます、それなら今日からス―プに小便を
 入れるのを止めます。


1805, おひとりさまー3

2006年03月13日(月)



              (○´∪`●)φ
                   ...【ォハョゥゴザィマス】

「おひとりさま」について、二回書いてきたが、
この言葉を流行らせた原本の、
岩下久美子の「おひとりさま」は読んでなかった。

    ところが先日図書館で、この本を見つけて読んでみた。
    自立した女性というより、自立した人間について書いてある。
    私のような「ひとりさま」のプロ?は、
    今さらの内容だが。

組織に組み込まれている人に自立した行動に苦手な人が多い。
共通の目的を持って分業をしているので、お互いの連携が前提になる。
群れる傾向の強い女性に、この本は良い教訓になる。
一人で行動するのは若い女性にとってまだまだ制限がある。
一人では出来ないことが二人だったら出来ることを女性は知っている。

   「おひとりさま」という言葉が広く受けられるようになったのは、
    時代の要請があるからだ。

この本で面白いのは、「パラサイト・ラブ」という言葉である。
携帯電話がパラサイトを助長させたのだろうが、
愛情寄生虫とは良くいったものだ。

    ひとりー孤独ーを愛せない人間が、お互いを愛せるわけがない。
    ひとりの時間をキチっと持てない人間が、
    二人の時間を維持できるわけがない。

自立してない人は、相手の自立が理解出来ないので適度の距離を保てない。
だから、人間関係が短期的になってしまう。
相手に気持がいってしまうので、気持ちが不安定になってしまう。

    情報化の時代である。
   「自分は、こうである!」という『個』を確立しておけば、
    そしてブログなどに主張しておけば、
    会うべき人との出会いのチャンスは幾らでもある。

           ((o(´・з・`)グッ。・:*:・゚☆w(´・з・`)バァイ
              
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2005年03月13日(日)
1440, 閑話小題ーつれづれに

ーライブドア問題ー

ライブドアとフジTVの日本放送株の新株予約権発行を巡っての
地裁の発行差し止めの仮処分申請は、ライブドアの言い分が認められた。
フジと日本放送の経営者の保身のための「奥の手」
でしかないのは、自明のことである。

フジのトップがあの程度ということがハッキリしたのが第一の収穫。
いろいろな問題があるのだろうが、それだけでも堀江の今回の問題提示はよかった。

それにしても、なんじゃいあのフジの連中!
判決が不利になると、急に低姿勢に変身しだした。
時代の変化と金融のことが解ってない。

多くの解説者が「あのフジの??」と論をはるだろう。
あくまでも結果を待って言っているに過ぎない。


ードロドロした話ー

数年前のことだが、
「慶応の在学中に、会計士の試験に合格をした男がいる」という
知人の話を聞いて、「是非面白そうなので会わせて欲しい」
と頼んで、会った人がいた。

大学と、(会計士になるための)専門学校に同時に通ったという。
話していて、目から鼻に抜けるような頭の切れる人で、
地方では珍しい人というのが印象的だった。

しかし、人生の一番大事な時期に全く社会から隔離されたいた左脳人間にも思えた。
でも、こういう人のほうが、痴呆名士様よりズットまともであるが。
痴呆迷死的な要素は一年もあれば、いや一週間もあれば飾り立てることができる。

税理事務所の二代目で、会った時は親父の会社に入社したての頃であった。
「親父も、事務所の人たちも大変でしょう?」と聞くと、
「そのとおりで困っている」との返事であった。

たまたま、アニメの「「千と千尋の神隠し」」が話題になっていた時で、
「あの大きな赤ちゃんに類推できるのでは?」というと、本人も
「全くそのとおり」と納得していた。

ところが2〜3日前のこと、新潟日報の三面を見て驚いてしまった。
親子して逮捕されたとの報道。
病院乗っ取り事件で、複雑なドロドロした事件のようだ。
補助金詐欺というが、
「せっかく貰えるものなら」という気持ちも解らないでもない。

それだけ補助金とはいい加減なものでしかない。
政権を保持している政党が圧力業界と組んだ??の要素が強い。
その方が問題である。


ー「NHKのど自慢チャンピオン大会」−

昨夜、「NHKのど自慢チャンピオン大会」を見た。
16組がグランドチャンピオンを目指して熱唱したが、
ある女性をうたう前に家内に、
「歌う前だが、この娘が間違いなく優勝するだろう!」と、いったら、
その予言どおり優勝をした。
もしかしたら、彼女の歌を偶然聞いていた可能性があるが、
ホボのど自慢は見ていないので、見ていない。
見た瞬間、光る何かを感じただけなのだが。


ー今日の「閑話小題」は、
「閑話休題」をもじったものであるー


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2004年03月13日(土)
1074, ホテル・レストラン・ショー (2)

ユビキタス(隠れたコンピュータ)を利用した調理器具や健康器具などが
目立っていた。その一つが電子調理機器である。
IH式の焼肉機器も、その一つであった。
焼肉屋といえば多大な設備投資が掛かる、個々のテーブルに換気機能が必要だからだ。
それがHI方式で、換気設備が必要なくなり手軽に、焼肉コーナーや焼肉店が
出せるようになるという。

また製麺機や小型餃子製造機やパン焼き機とか、職人(経験)の分野への
ハイテクによる代替えが進んでいるようだ。

中国に生産基地を置いて、内装工事や家具を現地で生産して、短期間でコンテナで
送り届ける会社があった。紳士服の一部が数年前から行っていたようだが、建設の
分野まで中国現地生産が出てはじめた一例である。
大よそ国内の3割〜半分の価格をうたい文句にしていた。

他に目立っていたものに、インターネットカフェがあった。
漫画喫茶がいち早くインターネットやゲームを取り入れて新しい業態を
つくりあげていた。若者を中心に社会的認知を得てきてるようだ。
インターネットカフェが出来ると、近くのビジネスホテルの客が激減するという。
個別に仕切られたボックスのリクライニングの椅子で、千円から2千円もあれば
一晩過ごせる。
これにシャワールームでもあれば、別にホテルで寝る必要もないのだ。
カプセル・Hから、更により小さなスペースで済ます流れになってきているのか。

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2003年03月13日(木)
708, シンプルー単純の勧め

「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを愉快に」というが、
「難しいことをシンプルに」とも言い換えることができる。
何事もまずはシンプルにである。

チェーン理論の基本は「シンプルに、それをスタンダードにしつづければ、
スペシャルになっていく」である。「スペシャルをスタンダードにしていけば、
シンプルになる」ともいえるが。

 デジタルは10進法を0・1の二進法に置き換えたところから出発している。
アメリカの大統領だったレーガンは全ての問題をー「テーマとそれに対して
3分類、それを3分類、さらに3分類と27分類にした報告書を出させて、
それに従い判断していた」という。
この分類こそスタッフの最重要な仕事である。

 自分の生き方をはっきり決めておけば、自然とシンプルになっていく。
それに遵って生きていけば、判断と決断は簡単になる。
複雑になっていくのは、自分のルールや生き方が確立されないからだ。
自分で判断をする主体性があれば、全てがシンプルになっていく。
私の場合は早いうちに創業をしたのが最大のメリットであった。
正しいかどうかは別として、とりあえず主体的に判断せざるをえなかったからだ。

「最期は独り」ということを常に自覚していれば、シンプルに生きられる。
複雑に考える必要もないし、悩みも最小になる。
何事も単純に単純に単純に考えれていけばよい。
画家の山下清などは、それがプラスに働いたのだろう。
シンプルということは、ABC分析でいうAに絞る事でもある。
エネルギーの集中ということだ。
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2002年03月13日

旅行中につき書き込みなし

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ーお笑い

「逆もあり」

アインシュタインにある女優が言い寄った。
「貴方の素晴らしい脳と私の豊満な肉体が結婚すれば
             素晴らしい子ができるわ!」
アインシュタイン
「もし貴女の脳と私の貧弱の体の子が
               できたらどうするのですか」


1804, 店舗ショー

2006年03月12日(日)

               才ノヽ∋―
                   _φ(≧ω≦*)♪
                          ございます!
毎年、この時期に店舗ショー(FC、警備防犯、資材、店舗機器)が、
大規模に開催される。
今回も2日間にかけて見学をしてきた。

時代の流れを見るなど悠長なことでなく、
何か一つか二つでも具体的に何かを把握することを課しているが、
それでも漠然としたものになる。

顔みしりが何人もいて情報を交換する。
幾つかの館内を歩いて歩いて歩き回る。
その中から時代の変化が見えてくる。

今回の圧巻は警備防犯の館内であった。
直接の仕事とは関係がないが、防犯という視点でみると面白い。
特に、防犯カメラと録画を大手メーカーが本格的に力を入れていた。
マンション、オフィス、学校関係が本気になって対策を始めたためだ。

メガネに超小型カメラを設置するのもあった。
まだ電波では飛ばせないと言っていたが、可能になるのも時間の問題だろう。
人の視線の映像を気楽に携帯電話でみたら面白い。
BS・TVで外国の街を人の目線で歩き回る番組を土日に放映している。
ちなみに、昨日はスペインのトレドだった。

あと面白いのは、ビッグサイトの館内の公衆電話のように館内のコーナーに
パソコンが並んでいて、コインタイマーがついていて10分100円で使える。
席は何時みても満席であった。

フランチャイズの館では、
昨年と一昨年、勢いのあったインターネット・カフェと、癒し系の店と、
セルフウドン店、の出店が激減。
それに引きかえラーメン店が根強く、多く出店していた。

                     (●´∀`)σ)д`○)プニッ♪
全体のイメージとして、
「ユビキタスが浸透、IT化と結びついて時代が大きく変化をしてきた」
ということだろう。

店舗の機材の館では、
スーパーで商品を買い物カゴに入れると、
それがそのままカウントされてカートの液晶画面に表示される
のが印象的であった。数年先のスーパーのスタイルだろう。
自分の口座から自動的に引き落とされれば、
スーパーのレジの携帯も様かわりする

私の買い物の半分以上がネットである。、
この傾向はもっと進んで、根こそぎライフ・スタイルを変えるだろう。
どのへんに落ち着くのか?
                
                  †_(・ω・*)β.。.:*・゚
                        βyё
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2005年03月12日(土)
1439, BOSEのステレオ−2


会場で見たものより一回り小型のコンポ・ステレオの広告が、
数年前から雑誌などに出ていた。
たまたま先月あるBS・TV局で、このステレオのミニ特集を見て、
「一度は聞いてみたい」と思っていた。

店舗ショーのコンポは、広告で見ていたコンポの3倍近くの値段。
もちろん買う気はなかったが、その音が耳に焼き付いてしまった。

そして、いつの間に自分でも買えないものかと考えるようになった。
分割をすれば何とか買えるが、衝動買いにしては高い買いものになる。
「次週のホテル・レストランショーに出店するかどうか」聞いたら、
出店するという。そこで時間を置いて冷静になって判断をすることにした。

翌日、長岡で友人と酒を飲みながら前日の話をした。
ところが9万弱の、広告に出ていた方のミニ・コンポを買って、
聞いているという。
曰く、
「その上機種が売り出されると聞いている。
 それだけの価値は十分にあるはず。
 現在持っている機種も素晴らしい!」

3日前のホテル・レストランショーの会場でも、それでも迷っていた。
ところが担当が、
「まだ迷っているのですか、それなら3ヶ月前に買ってくれた本人に、
直接聞いてみたらよいですよ」と、50胆茲離屐璽垢凌佑鮖悗靴拭

そこで、言われたとおり聞くことにした。
「全く素晴らしい!ぜひ勧めます。損をした感じは全くないし、私の部下に
音響マニアがいて、聞いてもらったところ驚いていた。間違いはありません」
とのこと。互いに打ち合せている様子でもなく納得をした。

気持ちの問題で、ローンで買うことにした。
私が28万円のコンポを買うとは、自分でも不思議である。

納品は、来週末というが、その感想も後日書く。

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2004年03月12日(金)
1073, ホテル・レストラン・ショー (1)

先週のフランチャイズ・ショーと同様、五年ぶりに一泊2日で
ホテル・レストラン・ショーに行ってきた。
FCショーの方がエキサイティングだったが、ここも見るべき内容が多くあった。


2会場で3月9日から12日まで晴海のビック・サイトで4日間にわたって
開催されている。
ホテルと飲食関係の調理器具と、家具・設備と、各種ソフトの展示・相談会である。
笑ってしまうほど面白いものや、唸ってしまうものが多くあった。


ーフランチャイズ・ショーと同じく、
数回に分けて面白い順に書いていく。

・まずは「厨房機器・用品」のディスカウント・リサイクルチェーン。
新潟にもあるが、それは単独店である。
そこに出店していた店は全国チェーンで、ほしい機器は全国から取り寄せが
可能なのだ。チェーン・ネットの一番良いところが機能しているようだった。
飲食店一軒を、全国から取り寄せたリサイクル品で、半額前後で開店可能という。
店舗の名前もズバリ「テンポスバスターズ」である。


・鰹節屋のコーヒーのドリップ式を真似た、出汁を取る方式にも驚いてしまった。
挽いたコーヒーのように、カツオ節を粒状にして、大型ドリップにいれ、
熱湯をかける。カツオ屋でしか出せないアイデアである。
「カツオ節を削って煮込んだ出汁と同じ味が出る」と若い社長が言っていた。
数ヶ月前に死んだ父親の考えたものだという。
紅茶パックのような、小さい出汁パックの商品化はあるのだろうが?
もし無かったら、面白い商品化が可能なはずである。


・TVで見たことがあるが、「自動式天麩羅揚げマシーン」も面白い。
天麩羅は揚がってくると浮いてくるのを利用して、揚がってくると、金網の
コンベアに乗るようなっている。
入れると、自動的に揚げあがった頃に反対側に出てくるのだ。
よく考えたものである。
チェーンのコロッケ屋がこれで大当てをしているとか。
自動飯盛機を使えば天丼屋が手軽に出来る。
これにカツオパックの抽出した出汁をかければよい。
ある天丼チェーン店がこれを利用しているという。


・笑ってしまったのが、ラーメンの水切り器である。
湯であがったラーメンの水切りは、ラーメンつくりのポイントである。
これをいい加減にすると、麺と出汁の微妙な混ざり具合が崩れてしまう。
しかし全身で振らなくてはならないのだ。
何と、すくい上げた麺を金網ごとに機器に入れると、バキュウムのように
水分だけを数秒で吸い上げてしまうのだ。これには唸ってしまった。
千円床屋の、頭を洗う代わりに掃除機を応用した「吸い上げ機器」
と同じ方法である。
人間のすることは殆ど機械に代行可能なのだ。
その横で人間の腕のようなものが中華鍋を振り上げていた。
これなら美味しいチャン飯が苦労しないで作れそうだった。

                   つづく
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2003年03月12日(水)
707, モンゴル大相撲

 先場所の各段の優勝は序二段を除いて全て外人が取ってしまった。
今場所からは、両横綱とも外人である。
外人力士が50数名いるうち8割がモンゴル出身である。
下位の有望力士の大部分が外国力士という。数年後は幕内上位は
大部分がモンゴル人に占められる可能性が出てきた。

今の横綱の朝青龍より強くなりそうな素材を持ったようなのが
私の目で見ても数人はいる。
更に彼らはモンゴルの大地で羊の肉を食べ、馬に乗り自由に生きているため
骨格からして違う。

更に所得が日本の100分の一しかないために、関取になれば数ヶ月で
モンゴルの一生の生活費が稼ぐことができる。
目の色が変わるのは当然の事である。今の日本人が敵うわけがない。

 日本の相撲のルーツはモンゴル相撲という説が有望である。
グローバルの時代、それでもよいと割り切ったほうが良いだろう。
一時代前には考えられなかったことだ。
ロシアに朝鮮にアメリカにモンゴルと面白くなってきたが、
日本人だけと割り切っていた方がよかったのかもしれない!
巨人・大鵬・玉子焼きの時代は終わったのか。

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2002年3月12日

旅行中につき書き込みなし

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<お笑い>

「テスト」

開始5分後---。
「山田くん。テスト中にえんぴつ転がして、何してるの?」
「先生、決まってるでしょ!答をこれで決めてるんですよ」

終了5分前---。
「山田くん、もう全部できてるのに、まだえんぴつ転がしてるの?」
「先生、決まってるでしょ!再度見直ししてるんですよ!」


1803, 閑話小題

2006年03月11日(土)


            (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》○

ー日曜日の殿町

先週の話になるが、家内が所用で留守なので日曜の殿町に
ウオーキングを兼ねて行ってみた。
日曜日に飲み屋街に行くのは十年に一度あるかないかである。

17時半の殿町の実態は!
スナック・バーは殆んど休み。
駅前のチェーン店の居酒屋は全て営業。
個人の居酒屋の三分の一が営業。
ピンク系はホボ休み。

そこでマンションの1Fにある古びた居酒屋に入ってみた。
40年営業を続けていて、マンションなどの立ち退きなどで、
この店で三店目という。
居酒屋にしては、ネタがそろっていたが、
客単価は居酒屋として上の下?ー4000円位。

「開いていて客が来てくれれば、それでよし」で、
用が無いかぎり店は開いているという。
何軒か店を覗いてみたが、その時間帯でも数人の客が入っていた。

              (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
                    C□^(゚◇゚;)ノ゙ アチチ!

ー道州制についてー

道州制について以前にも書いたが、
最近になって新聞に大きく扱われだした。
市町村大合併の次に、道州制も流れだろう。

47の都道府県を五分の一にして、思い切った権限委譲は、
日本国をスリムにするベスト?の方法である。
情報化が進んだ現在、県そのものの機能は遅かれ早かれ必要はない。
時代の変化に対応していく為にも必要なことである。
反面、州都の所在地以外は間違いなく寂れるだろう。

ある新聞の全国知事調査で、
道州制賛成の知事が47人中27人。
反対が二人。
どちらでもないが18人という。


知事のかわりに首相制度にして、
現在の日本の首相制度を大統領制度にすれば、役割がハッキリする。
その位のことをしなければ、この日本の行革は追いつかない。


ー自民!どうしたー

自民党のライブドアの送金指示メール問題で、
前原民主党代表への風当たりがあまりにも弱い。

推測するに、
前原代表が改憲論者で憲法改革が待ったなしの現在、
自民党にとって前原の方が組みやすいからだ。

小沢一郎が表舞台に出てきたら、自民党にとってマイナスになる。
国会対策委員長が渡部恒三になったのだから、
鳩山が代表、幹事長が小沢も考えられる。

それにしても、渡辺恒三が国会対策委員長になったと同時に、
風が変わるのだから、政治は面白いものである。

                   ε(´',_c')зβyё

・・・・・・・
・・・・・・・

2005年03月11日(金)
1438, BOSEのステレオ

先週の店舗ショーのあるブースで立ちすくんでしまった。
今まで聞いたことのない生演奏のような音楽がコンポから聞こえてきたのだ。
立体的な音響効果がきいた上に、それぞれの楽器が分かれて聞こえてくるようであった。
(好きな人なら、格別取り立てる音ではないだろうが、音の世界には
全く無粋な人間の話である)

看板を見ると「BOSE」という名前が目に入ってきた。
立ち止まって聞いていると、セールスの人が話しかけてきた。
 その内容をリアルに再現してみる

ー凄い音でしょう!
これこそ音響マニアが百万円以上をかけて部屋に音響機器をセットした音です。
誰もここで‘信じられない’と立ちすくんでしまいます。
新商品で、まだ一般には売られていません。

コンサートの音を解析したボーズ博士がある発見をした。
その研究から解ったことは、楽器からリスナーに届く直接音は10諭
残りはまわりの壁、天井に反射して到達する間接音であること。
間接音が音の暖かさ、臨場感、豊かさを認識させる大事な役割があるとわかった。

この発見からスピカーで20世紀最大といわれるモデルが誕生した。
その理論を発展したのが、この小さなステレオです。

全面左右に二個。
側面の両側に二個。
後ろの両側に二個。
合計六個の中高音スピーカーを配置してあり、間接音と直接音を
理論の通り配置してあります。

その音は後ろは後ろと、その方向にそのまま直線的に流れ、壁に向かって反響してきます。
また、それぞれのスピーカーを専用アンプで別々にドライブさせてある贅沢な
方式がこの音を出しているのです。

これなら、マニアが凝りに凝った音響機器と部屋で聞くと同じ音楽が素人でも聞けるのです。
だから、貴方だけでなく誰もが立ちすくんでしまうのです。

ーー
以上が、その中年の担当のトーク?の内容である。
それをリアルに憶えているのは、「信じられない」音であったからだ。

以下は、BOSE社のHPの会社概要のコピーです。                                                ーつづく
 ーーー
BOSE CORPORATION

マサチューセッツ工科大学(M.I.T.)の教授であるアマー・G・ボーズ博士。
自分でもバイオリンをたしなむ彼は、
スピーカーの測定結果と実際の耳に感じる音の違いに疑問を持ちました。
そこで、それを解析する為にM.I.T.の技術とスタッフを駆使して音響工学はもちろん、
物理学・材料工学・流体力学・心理音響学といったあらゆる学問から音を見つめ直し、
独自のスピーカー理論を生み出しました。

これらの研究がきっかけとなって1964年ボーズ・コーポレーションが
M.I.T.学内に設立されることになったのです。
このM.I.T.の頭脳を母体とするボーズコーポレーションはNASAや
アメリカ合衆国の軍事計画にまで技術を提供しています。

たとえば、世界一の豪華客船クイーンエリザベスIIやスペースシャトルの船内全てに
BOSEのスピーカーシステムが搭載され、無給油無着陸地球一周を達成したボイジャーには
消音ヘッドフォンを提供しています。
また、カルガリー、アルベールビル、バルセロナ、長野で行われた国際的な
スポーツイベントにも音響設備を提供しました。

真の原音再生とは何か?
この命題の答えは測定値だけでは得られないという考えをもとに、
BOSEの技術陣は演奏会場の分析というところから原音再生の研究を始めました。

1966年には製品第一号として「2201」を発表。
その奇抜な形と理論は世界のオーディオ界もさることながら音楽業界で学問的に
大きな反響を呼びました。
その後、1968年にBOSEの代名詞とも言うべきスピーカー901を発売。
前面に1つ背面に8つのスピーカーユニットを配置するという独特の構造は、
オーディオ業界で最も注目すべき発明といわれ、世界中の専門家、特に音楽家から
高い評価を得ています。

BOSEは901シリーズのようにリスニングルームで再生するスピーカーを作るためには
演奏会場、カースピーカーでは車の中といった具合に、用途に応じて場所や条件を
想定して研究しています。

BOSEのスピーカーは、ただ単に原音の追求だけをしているわけではありません。
スペースシャトルに搭載されているスピーカーやボイジャーの通信装置のように
宇宙での過酷な条件にもびくともしない信頼性の追及にも力を入れています。
たとえばユニットの素材、表面処理、果ては接着剤にまで宇宙開発技術を
惜しみなく投入しています。

企業というより技術集団を自負するBOSEは、設立以来一度も株式配当せず、
利益の全てを研究開発費に投資して常に新理論の開発、改良に力を注ぎ夢を
かなえるために歩みつづける会社です。
人間は「音楽を聴いてくつろぐ」といったいつまでも変わらない欲求を持っています。
BOSEではその欲求を満たすために
「自然に聴こえる音楽の再生」を最大の使命と考えています。

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2004年03月11日(木)
1072.つれづれにー今日はお笑いの日ー3
 ーお笑い
      ジョーク・ユーモア辞典より
 
 <持ち物自慢>
 
 男「俺の一物は大きいぞ」
 女「私のは小さいわ」
 ホモ「私のは小さいのと、大きいのと」
 
 女「それって、自慢?それとも卑下?」
 
<ヴァイオリン>
 
 ある夫人がヴァイオリンを習いはじめた。
 毎日毎日熱心に練習ををしていたが、ついに亭主が我慢できなくなって
 叫んだ。
 ーやめてくれ、やめてくれ、お願いだ。さもないと頭が変になってしまう。
 すると奥さんがビックリして答えた。
 ーでもね、貴方、一時間も前にわたし、弾くのをやめたわ。
 
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 2003年03月11日(火)
706, スーパーTV-コンビニ戦争

 昨日の21時のスーパーTVの番組が面白い。
私の初めの事業の立ち上げが、郊外型貸しビルであった。
ところがドルショックがカウンターパンチになってしまった。
誰もテナントが入らないのだ。
これが良かったのか悪かったのか?!
いかなる場合でも最悪を想定しなくてはならないことが、骨の髄まで知ることになった。
その一角で養老の滝のフランチャイズに参加して、日本で初めての郊外型居酒屋を始めた。
日経流通の記事に大々的?出た。
まあそれはそれでよい!

 二年前に長男が失業した時に、息子の仕事にコンビニと考えた。
そしてまずは情報を取った結果は、すざましい内容で、
開いた口が閉まらない世界であった。
土地持ちの酒屋や、自然消滅寸前の小売店を狙った搾取商売そのもの。
無知の敗者を狙った残酷物語。しかし自殺より良いのかもしれない。
出店では当たりと外れの部分がある。
当たりると本部は、その店を基点として周辺に店を出すのだ。
卑劣そのものの世界である。しかし彼らからすれば他の競合店が出る前に
自社の店を出すのは当然のことである。

 当たり外れは実際のところ店を出してみなくてはわからない。
セブンイレブンの場合、当たりは一日あたり100万円、外れは50万円だ。
平均が62〜63万万である。
外れは、そのマニュアルがあってハイサヨナラの世界。
当たりの場合が、それをダシにして他のオーナーに売りこむ。
無知ー無力のオーナーは、如何にもならないのだ。
「よくやるよ!」という世界である。今の北朝鮮のドン様と人民の世界である。
しかし契約の世界なら仕方がないのが現実である。
 
 当然家庭内は崩壊のケースが多くなる。
子供の非行や離婚や自殺が多いのは当然の事だ。
何よりも、商売がなによりすきかどうかが問題になる。
そうでない人が安易にやるから、こじれるケースが多い。
好きな人がヒットしたらこれほど面白い仕事もないだろう。
したがって決してなるべきでないといってはいない。
やる前に熟考して、覚悟をしてやるべきだといっているのだ。
 
 フランチャイジーの立場から見れば、家賃分は入るし一日60万の売り上げがある。
しかし、オーナーは大体夫婦一人当たり時給7百円位の人件費の収入にしかならない。
それで満足するかどうかである。人の褌で相撲をとるとロクなことはないが、能力が
ないことには仕方がない世界である。

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2002年3月11日

旅行中につき書き込みなし。


1802, 世界三大

2006年03月10日(金)

        
               オハヨウ!
       (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》○


「世界三大○○」と検索してみて、その種類の多さに驚いた。
世界中で代表するような存在として、滝、山脈、料理、絵画、
美術館など思いつくが、それ以外は考えたことがなかった。

   それに興味を持つ者たちにとっても、三大という意味は大きい。
   その3つを制することは、世界を制することにも等しい。
   本当に「世界三大」がどうかは?より、
   「そう呼ばれる」ということが基本であり、
   かなり微妙なものが多く含まれている。

ナイアガラの滝など、世界の滝を見てきて、非常に疑問である。

ーその幾つかをインターネットでコピーしてみたー
 世界三大というと一時でも細事から離れ、
 大きな気持になれるからよい。
                    (゚ω゚)(。_。)ウミュ(゚ω゚)(。_。)ウミュ           

ー*自然、地形 −

世界三大河川
アマゾン川、ナイル川、ミシシッピ川

世界三大運河
キール運河、スエズ運河、パナマ運河

世界三大瀑布
イグアスの滝、ナイアガラ滝、ヴィクトリア滝

世界三大夕日
釧路市、バリ島、マニラ


ー*構造物・建設物ー

世界三大天然橋
雄橋、プレヒシュ、ロックブリッジ

世界三大図書館
大英図書館、アメリカ議会図書館、フランス国立図書館


ー*遺跡 −

世界三大陵墓
始皇帝陵、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)、クフ王のピラミッド

世界三大秘宝
ツタンカーメン黄金のマスク、ミロのヴィーナス、モナ・リザ

世界三大宗教空間
法隆寺(日本仏教)、サン・ピエトロ大聖堂(カトリック教)、
《パルテノン神殿(ギリシャ神話)、タージ・マハール(ヒンドゥー教)》

ー*文化・芸術ー

世界三大劇場
オペラ座 (パリ)、コロン劇場(ブエノスアイレス)、スカラ座 (ミラノ)

世界三大歌劇場
ウィーン国立歌劇場、オペラ座 (パリ)、スカラ座 (ミラノ)

世界三大バレエ団
ロイヤルバレエ団(イギリス)、オペラ座 (パリ)(フランス)、
ボリショイバレエ団(ロシア)


ー*世界三大美術館 ー

エルミタージュ美術館、ルーヴル美術館、メトロポリタン美術館
ミレー美術館

世界三大国際映画祭
カンヌ国際映画祭、ヴェネチア国際映画祭、ベルリン国際映画祭

世界三大交響曲
運命(ベートーヴェン)、未完成(シューベルト)、
新世界より(ドヴォルザーク)

世界三大ピアノ協奏曲
ベートーヴェン(第5番「皇帝」)、チャイコフスキー(第1番)、
《リスト(第1番)、ラフマニノフ(第2番)》

世界三大ヴァイオリン協奏曲
ホ短調(メンデルスゾーン)、ニ長調(ベートーヴェン)、
《ニ長調(チャイコフスキー)、ニ長調(ブラームス)》

世界三大行進曲
旧友、軍艦行進曲、星条旗よ永遠なれ

世界三大叙事詩
イリアス、カレワラ、ラーマーヤナ

世界三大近代建築家
ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライト、
ミース・ファン・デル・ローエ

世界三大肖像画家
東洲斎写楽、レンブラント、ベラスケス

世界三大文豪
シェイクスピア、ゲーテ、ダンテ

世界三大ファンタジー
指輪物語、ナルニア国物語、ゲド戦記


ー*食ー

世界三大料理
フランス料理、トルコ料理、中華料理

世界三大珍味
キャビア、トリュフ、フォアグラ

世界三大スープ
ブイヤベース、ふかひれスープ、《トムヤムクン、ボルシチ》

世界三大ハム
プロシュット・ディ・パルマ、ハモン・セラーノ、金華ハム

世界三大ブルーチーズ
ゴルゴンゾーラ、スティルトン、ロックフォール

世界三大果実
マンゴスチン、マンゴー、チェリモヤ

ー*経済・産業ー

世界三大経済(金融)都市
ニューヨーク、東京、ロンドン

世界三大発明
活版印刷、火薬、羅針盤

世界三大モーターショー
デトロイト・モーターショー、東京モーターショー、
フランクフルト・モーターショー

ー*スポーツ・競技ー

世界三大スポーツイベント
オリンピック、FIFAワールドカップ、
《フォーミュラ1、世界陸上選手権、ツール・ド・フランス》

世界三大レース(モータースポーツ)
インディ500、モナコ・グランプリ、ル・マン24時間レース

日本の将棋、ヨーロッパのチェス、中国の象棋


ー*宗教 −

世界三大宗教
イスラム教、キリスト教、仏教

世界三大聖人
釈迦、イエス・キリスト、
《マホメット、孔子、老子》

世界三大聖地
エルサレム、バチカン、マッカ(メッカ)

世界三大聖堂
ウェストミンスター寺院、サン・ピエトロ大聖堂、
カテドラル (セビリア)

世界三大悪妻
クサンティッペ(ソクラテスの妻)、
コンスタンツェ・モーツァルト
(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの妻,
《ソフィア・トルストイ(トルストイの妻)、ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ
(ナポレオン・ボナパルト第一夫人)、北条政子(源頼朝の妻)》

世界三大美女
ヘレネ、クレオパトラ、楊貴妃

世界三大予言者
ノストラダムス、ジーン・ディクソン、エドガー・ケイシー

世界三大植物園
キューガーデン、ベルリン植物園、モントリオール植物園

世界三大長寿地域
コーカサス、ビルカバンバ、フンザ

世界三大珍獣
オカピ、コビトカバ、ジャイアントパンダ

世界三大都市
ニューヨーク、東京、ロンドン

世界三大法典
ハンムラビ法典、ローマ法典、ナポレオン法典

世界三大キャラクター
ミッキーマウス、ピカチュウ
《ドラえもん、スヌーピー、マリオ、ハローキティ》

世界三大がっかり
シンガポールのマーライオン
(正面から見られない、水を吐き出してるときは稀)、
コペンハーゲンの人魚姫(小さすぎ、バックが造船所)、
《シドニーのオペラハウス(大きいだけで何にも見るところが無い)、
ブリュッセルの小便小僧(小さすぎ、柵があり近くに寄れない)、
日本・札幌市時計台

                マタ!  ’ω‘●)ノ
・・・・
・・・・

2005年03月10日(木)
1437, 感動について

人間の一番重要な能力は感動である。
感動力という言葉もあるが、その能力は‘感動の回数と質の賭け合わせ’
によって醸造される。

「質の高い感動をいかに多く体験をするか」が人生のポイントになる。
親は子供に、感動体験をシャワーのようにチャンスを与えることが、
躾と同様に一番の家庭内教育になる。

展覧会や、音楽会、名作の映画、本、旅行、自然などに直に接する機会を
増やしてやることだ。
それは個人ー自分自身ーにも言えるが。

感動は自分を変えてしまう力がある。
その都度、感受性が鋭く豊かになっていく。

感動は、対象の振動に共鳴することである。
共鳴は対象と同一化することになる。
共鳴するほど、振動の対象が内面に焼き付けられるのは、同一化のためである。
そして奥に沈殿し、心の豊かさになる。

感動の最高のものが歓喜になる。
いや歓喜は、その一歩手前の経験でしかない。
歓喜さえ通り越してしまっている状態が至高体験である。

感動体験は自分の小さな殻を叩き割る役割を果たす。
その殻からの脱皮が重なりが、多くの対象の波動に敏感にしてくれる。
「一流のものを見て聞いて、体験しなさい!」
とは、そこから出ている波動に共鳴しなさいという意味である。

人間も本も、然りである。
良い学校に行きなさい!というのは、
良い先生、良い仲間に出会えるからだ。

もっと青少年の頃、本を読んでおけばよかったと悔やまれる。
今更だが。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2004年03月10日(水)
1071, フランチャイズ・ショー −4

三日間もいると見る必要のないと思われるものまで見てしまう。
コンタクトレンズ・ショップ、中古ゴルフ用品、中古釣具、結婚紹介所、
近視矯正器具販売、などなど。

以前より関心のあった介護ビジネスも、経営という面で面白い。
数年で投資回収が可能なのだ。
この厳しい経営環境の中で、異質の世界であった。
その中で、デーサービスに絞ったFCがあった。
新潟では乱立ぎみで来年度で飽和状態になるというが、一年で投資回収可能の
ケースもあった。

ところで会場に足マッサージ器具の展示品があった。
毎回、必ず会場で販促をしているのだが、行く度にドンドン良くなっていく。
プロが足を揉んでいるようであった。
足を両側から包み込んで強く圧縮する。
但し上代15万、割引で8万円もしたが、それだけの価値があったようだ。
健康機器もドンドン良いものが出てきている。

フランチャイズ・ショーの会場は今の第4次産業の見本市でもあった。
今の時代、経験をパックにして売ることも買うことも可能なのだ。

・・・・・・・・
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2002年03・10
旅行中で書きみなし

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・・・・・・
ーお笑い
「世界一の嘘つき 」

禁猟区の近くのスナックである男が猟の自慢を隣の男に始めた。

隣の男
「私が禁猟査察官と解ってますか?」

すかさずその男
「私が世界一の嘘つきとわっかってますか?」


1801, 日本経済改造論

2006年03月09日(木)



         才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪
             
                −読書日記

    またまた野口悠紀雄である。
    このところたて続き読んでいるが、
    どの本を読んでも飽きさせないから不思議である。

この本では、
現在の日本経済の不況の原因が
・1940年体制を起点とした戦時体制を引き継いだ1945年体制以降から
 現在まで続いている間接金融による銀行支配にあるとしている。
・また日本企業のリスク回避的な行動にも原因がある
 と指摘している。

    従ってそれらを克服するには45年体制から続いている間接金融 から
    直接金融に移行し、リスク回避的な企業が市場から直接資本を集め、
    新しい事業を立ち上げない限り今後の日本経済は立ち行かなくなることを
    指摘している。

企業がリスク回避的であることを利益率の低さから考察している。
食料自給率の低さこそが日本の食糧の確保を確かなものにしていると看破。
人口問題は、人口減少が問題なのでなく、年齢構造の高齢化が問題であると指摘。
日本企業の資本収益率は国際比較で見てもきわめて低いし、
長期トレンドとしてこれを高めることは容易なことではない。

    郵政民営化は不要であり、他にもっとやるべき大事な仕事がある、
    それは年金改革と税制改革などである。


第一章では、日本経済の現在を概観
 日本経済はまだまだ巨大であり
 2001年の時点では、
 アメリカの半分
 中国の4倍
 ドイツの2倍
 ロシアの25倍もある。
 但し、農業とサービス業は生産性が低いとみている。

   第二章では、1940年代体制とバブルに書いている。
    その体制がアメリカの間接統制の政策の結果として
    現在も官僚統制として続いているとみている。
    その一つとして銀行システムもそのまま残った。
    それらの結果として、
    間接金融と民間企業は閉鎖的システムになってしまった。

    世界的なIT化と、共産圏の自由市場への参入に対して
    日本のシステムは成り立たなくなり、現在の大不況を招いてしまった。

第三章では、日本の金融は正常化したかという問題にふれている。
第四章で、日本経済の利益率は何故低いかにふれている。
 世界的な大変革に対して1940年のシステムのため閉鎖システムは
 立ち行かなくなってきている現状を論じている。


    彼の本はほとんど読んでいるが、学者にしてはなかなか目線が
    実態をリアルに表現していてわかり易い。


「日本経済改造論」
ーいかにして未来を切り開くか
 著者 野口悠紀雄
  東洋経済新報社

              ( 。・_・。)人(。・_・。 ) ジャ〜

・・・・・・・
・・・・・・・

2005年03月09日(水)
1436, つれづれなるままに

ー面白い日記のコーナー

10年後の私が現在に立ち戻って来たイメージで日記を書いている。
それが書いていて面白い。
実際の日記より書きやすいのである。
それと、現実が良く見える。

なかなか10年スパンで物事は考えにくい。
が,日記で遊びとして書くと、気楽に現在の自分を見つめることができる。
新しい発見である。
我が内なる天使様?か、守護神様か?か、冷静に見つめている良心か?
その目で見ると、いかにつまらない事に日々追われていることに気づく。

ーーー
ーはなまる・うどんーについて

一年ほど前に、「はなまる・ウドン」にFC加入をして、
セルフうどん屋を新潟市内に数店開店をしようとした。
ところが契約直前にフランチャイズ・ショーに行って、
数社の競合相手の話を聞いて急遽中止をした。

セルフうどん屋の状況が、彼等の言っていることと違うのだ。
6千万の投資をする直前で、あと2〜3店舗も出店するはずであった。

その後、社長が例の詐欺で問題になった豊田商事の元社員ということが
週刊誌に暴かれた。
その直後に牛丼の吉野家に株式の33・4佑鯒箋僉△修侶藁鷁修貌った。

そして現在、ほぼ出店ストップの状態である。
焦りもあって、調査もしない甘さもあった。
軽い損失で済んだのは、不幸中の幸いであった。

佐渡で一店だけ「はなまる」が開店したが、
悲惨な状況という風評が入ってきた。

経営は、ひとつ間違えば舟下は地獄である。

・・・・・・・・
・・・・・・・・

2004年03月09日(火)
1070, 美容整形医師の「美人の定義」

ある月刊誌に書いてあった美容整形医師の「現代美人の定義」が面白い。

ーその文章を書き写してみるー
普通、美人と問われれば「目がパッチリ」「肌がきれい」「鼻が高い」「小顔」
・・・・・と思いがちだが全部間違い。
現代美人とは「顔立ちが整っていること」が絶対条件。
浜崎あゆみの目であろうが、ベッカムの鼻にしても、バランスが悪ければ
立派なブス(ブ男)である。
つまりプロポーションの良いのが美人であり、いくら部品がよくても
組み立てが悪くてはブスなのです。
一点豪華主義の美人は存在しません。むしろ全部地味なほうが美人なのです。
日本の伝統的美人は雛人形に見られるように、目も鼻も口も全て小さく、
平べったい顔をしています。
ヨーロッパの美人はミロのビーナスに見られるように、口も鼻も口も全て大きく、
立体的な顔をしています。
美人に見せるには、全部大きいか全部小さいかどちらでも良いから均一化して、
バランスをとることが重要なのである。日本人は突出することを嫌います。
「出る杭は打たれる」などいって、平均的な小さくまとまった美しさを好みます。
これが美人の基準にもなる。
いま一つは、権力によってその基準は左右される。
北朝鮮では「金正日がいい男の面」になっている。
欧州の貴族は、それだけで顔立ちに係わらず美人美男になる。

ー以上である。

美人バランス論ということか。
中年になってきて、特に45歳を過ぎると急激に体形や顔立ちが崩れるのは
バランスが悪くなる為であったと考えると納得できる。
本来、化粧はそのバランスを直すためするものである。
わざわざ崩している人がいるが。
太りすぎも体形のバランスの崩れを直すため痩せようとするのだ。
固太りの人は、それほど見たほどデブに見えないのはバランスが崩れないから
であろう。
西欧的美人より日本的美人の方が歳を重ねた時に美的段差が小さいのは、
チマチマしているからバランスの崩れが小さく済むためだ。
顔は、その人の家系や過去の集約として現れるが、化粧一つで誤魔化しがきくから
恐ろしい。といって品位などは三日も経てば直ぐ見えるが。

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 2003年03月09日(日)
704, [つかず離れず]ー群れない為に

「つかず離れず」は人間関係の基本である。
「和して同ぜず」ー和同の精神である。
(仲良くはしても、お互い同じでない事を理解することだ)
「隣の芝生は緑に見えます」「隣の花は赤い」は 同じ意味だ。
「味噌汁の冷えない位の距離」は嫁姑の距離である。

以上は相手が良く見える距離を保つことの必要性をいっている。
人間関係には「親しき仲にも礼儀あり」という基本ルールがある。

離婚した女性を見ていると、この距離感の果たす役割の解ってない人が多い。
スナックや居酒屋のママは離婚経験者がほとんどだ。
フレンドリーで、お互いに距離を置かないのが逆にプラスに働くのが
皮肉といえば皮肉である。
お客は群れに来るのだから丁度フィットするのか。

 群れといえばこういう話しがある。
私のある姉が東京圏で、サラリーマンに嫁いで団地に住んでいる。
そこで色々な家庭を見ていて、子供の数の理想は3人以上と言っていた。
「3人以上だと群れという感がする」
「家庭は群れの場、その為にはその数が必要と見える」
といっていたのが印象に残っている。
人間は孤独を求めると同時に、何らかの形で群れてないと生きていけない。

 カナダやアラスカで一人で荒野に住んでいる人が街に出てきて人に会うと、
ハイになって話しまくるという。スナックなどでは多く見かけるという。
何か解るような気がする。
都会のスナックの片隅で一人飲んでいる人は、人間の持つ両面を裏表にした姿である。
群れの中で自分を見失わないためには、自分の世界をしっかり持ち距離を保つことが必要だ。

 朝鮮人は儒教の影響が非常に強く、家庭の結びつきが日本に比べ格段に強い。
それに比べ日本は幕藩体制を300年続けてきた為か、組織に対する所属意識が
強い。侍は藩に〜百姓は5人組に組み込まれていた。
韓国人ー朝鮮人と結婚した人はその文化の違いに驚くという。
基本的には日本人と全くかみ合わない。
とくに男女間の距離感が違うという。韓国では結婚した男は妻以外の女性とはどんな形でも
付き合ってはならないという不文律があるらしい。
夫婦間の愛情は濃密で老夫婦でも小さな布団に一緒に寝る。

 韓国人は情が厚く、寂しさに耐えられないために、家族間の人間関係は深い。
他人同士でも一つの共同体になったときには「親しき仲にも礼儀あり」という日本的習慣は
通用しないという。親しくなったら甘えてもいいという発想があるという。
今でも地方では日本でも強く残っている。韓国人は親しくなればなるほど相手を騙す。
馴染みの店から不景気だから来てくれと電話がかかったら、それはサービスをするという
意味でなく、馴染みだから高い金を払ってくれということになる。
あの北朝鮮の金王朝の異様さは、この濃密さを政治体制にくみ込んだためである。

 韓国的濃密さは日本では一番嫌われる。日本人と韓国人の結婚の話が少ないのは文化の
違いがあまりに大きいからだ。
朝鮮人が日本で「つかず離れず」のスタンスで住むには最適であろう。
在日朝鮮人にむしろいえることか。

いつの間にか朝鮮人論になってしまったが、「つかず離れず」とは正反対の文化である。
逆にいえば、「つかず離れず」こそ日本人の文化といってよい。
色いろな社会に属すことを好む日本人は、「つかず離れず」が一番良いスタンスになるからだ。
属している共同体が、それでいて最優先にする。

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2002年3月9日
西アフリカ旅行中で書き込みなし

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ーお笑い

「サンゼルマンの嘘 」

18世紀に実際にいた大詐欺師サンゼルマンの話。

自分の年は2000歳でキリストとは知り合いだという。
そのふれこみでヨーロッパ中を詐欺をして回っていた。

その従者にある男が聞いた「キリストに会ったというが本当ですか?」
従者「300年しか生きてないので、その頃のことはわかりません」


1800, 「一夫多妻」男

2006年03月08日(水)

               (ρ_・).。o○ おはよぉ・・

少し話は古くなったが、「一夫多妻」の事件は、
日本中の多くの男達の丁度良い酒のツマミであったろう。
私など家内一人でも辟易しているので、羨ましいとは全く思わなかったが?
本人は酒池肉林で幸せだっただろう?
その後、12人の多妻は現在でも共同生活をしているという。
行くところが無いのだろうが、
何か現代の病巣を象徴している。

    この事件から直に思い浮ぶのは、
    九州のキリスト研究集団千石イエス(千石剛賢)である。
    本人は数年前に78歳で本人は亡くなったが、
    残った彼女らはクラブを今でも経営しながら集団生活をおくっている。
    (TVで、この事件に関連してクラブ内の様子を放送していた。)
    マスコミが騒ぐほど千石イエスの会は問題の無い会であった。
            ♪(〃⌒▽⌒)八(〃⌒▽⌒〃)八(⌒▽⌒〃)♪


   今回の事件が産経新聞の社会面のトップ記事で詳細に掲載されていた。
   そのポイントをまとめると
  
・擬似家族に温かさを求めていた。
 現在でも12人の女性は、主のいなくなった東大和市の民家で暮らしている。
  
 親との関係が希薄な中、一夫多妻の生活の中で集団生活の楽しみを見出した。
 彼女たちは、「外の世界が間違っており、自分たちだけが正しい」
 と凝り固まった状態にあるのではと推測される。

    ・「夢の中に出てきた宇宙生物に指示された」という話は嘘。
     恐怖心をあおり一緒に暮らすのが目的だった。
     女性を増やしていったのは、収入も増え生活も安定するためで、
     女性が増えるほど、孤独や寂しさを解消できると思った。

・洗脳とマインドコントロールは違うもので、
 洗脳は強い力でねじ伏せるもの、マインドコントロールは
 日常の生活の中で情報を与える方法で、このばあいは
 マインドコントロールであった。

    ・占いに関しては、あくまで肩書きだけで、
     女性を集めるための口実でしかなかった。

・手口としては、被害者を多妻の一人にするため、
 候補を見つけると自宅に多妻の一人に誘わせて、
 隣の部屋で事情を盗み聞いて、
 あたかも占いが当たって信じ込ませる手法だった。
 
 ー
 以上だが、人間の性(サガ)の深い問題である。
 オットセイのハーレムの雌も気楽で良いのかもしれない。
 
              ヾ(。´・ェ・`。)Bye
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2005年03月08日(火)
1435, 人生の第四コーナー


私の年齢ともなれば競馬でいえば第四コーナーを回って
最後の直線コーナーになる。
名馬は、この第四コーナーから最後の追い込みに本当の力を出す。
逆にいえば胸突き八丁でもあり、一番大事な時期でもある。


両親の生き様を直接目にすることができた。
それは、長年かけた楽しみを追及することである。
その準備を如何にしてきたかが問題であるが、
その一つにお金もある。

先日書いた中年クライシスは、社会的世界だけで生きてきた人間に生じる。
ライフワークのベースをつくっておかなくては、
人生の第四コーナーの直線で息が尽きてしまう。

今年の4月1日から、私の同期の定年が始る。
私の知る限り生き生きしている人は僅かである。
自分の趣味と独自の世界をつくっていなかった人が多い。

人間には、社会的側面の欲求を満たす部分と
     文化的側面の欲求を満たす部分がある。

直線コーナーまでは、社会的側面の充実が主になり、
その後は、文化的側面の欲求の充実が主となる。

社会的側面を一つずつ剃り落としていく為には、本当にしたいことを
見つけておくことである。
そのためには、まずは孤独、孤立を恐れてはならない。
それを恐れていては、
社会的仮面ーチンドン屋ーを演じ続ける日々しか過ごせなくなる。

51歳の年に、ジックリと考える節目の時期があった。
そこで、
「60歳までに、それ以降の人生を全て詰め込んで生きる。
 人生の余白を残さない!やりたいことは、この十年で全てやりつくす」
と決めた。
これは人生設計というより、ある程度の悟りに近かった。
その60歳まであと1年、この8年でやり残したことが多い。

このHPも一種の自分史でもあり、遺言でもある。
他人から見たら、この程度のことかも知れないが。

「定年になったら」とか、
「子供が大学を卒業をしてから」からといって先延ばしにするのではなく、
現在できることを先取りをして、ドンドン実行すべきである。

その為には、世間にドップリつかっている俗物を多く見つけ、
心の中で徹底的に否定することである。
早く言えば近寄らないことだ。
そういう私自身が、その最もいやな俗物ではないかという疑問がでてくるが。

そこで「60歳を過ぎたら何をするのか?」という疑問が出るが、
50代で実行してきた周辺で、やり残したことを見つけ一つずつ潰していけばよい。
それと、全く未知の分野に気楽に入ってみることだろう。

ところで、ライフワークをどのようにして見つけたら良いか?
私の考えつくした経験からいうと、
若い時、それも幼児期とか、青春時代の色いろな願望や経験の中にヒントがある。
それを考えることが、ある意味の瞑想である。

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2004年03月08日(月)
1069, フランチャイズ・ショー −3


変わったものでは、「ブランド物の中古品仲介店」があった。
そのシステムが理にかなっていて面白い。
TVで以前、このシステムの商売を見たことがあるがFCは初めてである。
「その辺街中情報」としては、とっておきの内容である。


ーその内容とは

・対象商品はブランド品だけに絞り込む。
 持ち込まれたブランド品の売価をお客と店が交渉をして決める。
 目安は定価の10分の1だ。また千円以下は扱わない。

・展示した時点で、客は10%を店の展示代金(場所代)として払う。
 40日で売れない場合は、お客が商品を引き取る。

・売れた場合は、店・30諭Ц楜辧Γ僑悪佑亮茲衒になる。
 それでも中古専門店から買い叩かれるよりは有利だという。

・お客はまず50代、40代、そして30代の順で、中年女性が中心とか。
 買い手は掘り出し物を求めて定期的にくる。

・店サイドはリスクはゼロである。
 ブランドの鑑定のノウハウは、フランチャイザーが数日間かけて
 本部で教え込む。高価なもので鑑定が難しい場合は本部に送り届けて
 鑑定をしてもらうという。

・本部からは、全国からオークションで仕入れをしたブランド物が
 送られてくる。
 フランチャイザーの狙いは、その販売経路だという。
 
なるほどFC本部も、店サイドも、売り手も、買い手も、誰もが
有利になることになる。面白いことを考えるものである。
面白いシステムだが、店長の個人的能力が最も必要とされる仕事でもある。


話は全く変わるが、会場をまわっていて、
FCの競合店のことを聞くと、間違いなくお互いにマイナス情報を流す。
特にナンバーワンに対する批判はすざましい。
よく聞いていると、その「立場の範囲の視点」でもある。


より多くの角度の情報がほしい場合は、多くの競合店に聞くにかぎる。
お互いの限界がより見えてくる。
人間関係にも似ているが。
                  ー続く

・・・・・
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 2003年03月08日(土) 703, 
「金持ち父さん貧乏父さん」ー読書日記


この本を読んで、読めば読むほど納得する事が多い。

もうこの歳でいまさらというひとがいたら何回か読んで、
自分の子供にぜひ説明すべきだ。
貧乏父さんなら失敗談として尚更である。

読んでいて気がついたことは、大阪商人に似ていることだ。
徹底的に節約型で、合理的である。違うのは投資に対しての積極性だろう。
金持ち父さんと貧乏父さんの考え方の違いを書き写してみる

ー金持ち父さん   ・・上段
 貧乏父さん語録  ・・下段ー

・「どうやったらそれを買うためのお金を作り出せるだろうか?」
 「それを買う為の金がない」
・「一生懸命勉強をしろ、そうすればいい会社を買う事ができる」
 「一生懸命勉強をしろ、そうすればいい会社に入れる」
・「この家は負債だ。持ち家が自分にとって最大の投資であり、最大の投資
  という人は大いに問題がある」
 「この家は私たちにとって最大の投資であり、最大の資産だ」
・「私が金持ちなのは子供がいるからだ」
 「金がないのは子供がいるかだ」
・「金は力だ」
 「お金には興味がない」 
・「私はお金のために働いているのではない、お金が私のために働いているのだ」
 「お金のために働いているのだ」
・ 「人は損をするのが怖くって、その為に損をする」

金持ちは自分のためにお金を働かせる
中流以下の人間はお金のために働く

「無知」が「欲望と恐怖」を大きくする。
「恐怖と欲望を大きくするのは無知だ。ある程度のお金を持った人の多くが、
金持ちになるほど、それを失ったときの恐怖を強く感じるのは無知のせいだ。
お金はニンジンなんだ。けして手に入らない幻みたいなものだ。
もし馬が自分の姿を遠くから眺めることができれば、自分の立場がわかり、
ニンジンを追いかけることが自分にとってためになるかどうか、考え直すかも
しれないだろう?」
人間の一生が「無知」と「啓蒙」のあいだの絶え間ない戦いである。
人間が自分を知るための情報や知識を求めなくなると、すぐに無知が忍び寄ってくる。

金持ちになりたかったら、お金について勉強しなくてはならない。
「お金の流れの読み方」は高層ビルの基礎に喩える事ができる。
・まずは資産と負債の違いを知ることである。
ー資産は私のポケットにお金を入れてくれる
ー負債は私のポケットからお金をとっていく

「どうやってお金を稼ぐか」でなく、「お金をどう使うか」である。
つまり「稼いだあとどうするか」だ。
一番悪いのは「稼いだ金は全部使う」ことだ、収入が増えた分、支出の増えるだけの事。
だから「馬鹿が金を持つとろくなことが無い」という格言がある。

 普通の人は、まずは夢の確立の為に、家を持ち、車を買い、家庭用品を買い揃える。
ある程度の自己資金を貯めてからすべきなのに。
せめて車は返済をかなりの額を返してから買うべきである。
これらの負債のために一生返済のおわれるのだ。


 著者の感心する言葉は次の言葉である。

ー私だって人並みに贅沢は好きだ。
「人並み」と違うところは、ふつうの人が贅沢品を借金で買おうとするが、
私はそうしないことだ。
借金で贅沢品を手に入れることを覚えた人は、周囲の人が持っているものを
何でも手に入れるという「罠」にはまっていくのだ。
何かほしいものがあると、人はお金を作り出すことでなく借りることばかり考える。

ーお金に関する私の哲学の基本は、資産欄に種をまくことだ。
これは、お金を作るための「公式」といってよい。

ー実践にあたって、いつも覚えておいてほしいことが一つある。
それは「楽しむこと」だ。これは単なるゲームにすぎない。
勝つこともある、負けてそこから学ぶこともある。
でも、どんな時でも楽しむ事だ。勝ったことが一度もない人は、勝つ気持ちより
負けるのを恐れる気持ちが大きいから勝てないのだ。

私の経験からして、要約をすると
・お金の知識について、もっともっと学ばなくてはならない。
・若いうちから、長期戦略を持って自分の財テクを磨き上げなさい。
・自分の収入の中で、種銭を作りー積み立てをして、それで財テクをしなさい。
・お金をつかうことと生活を楽しむ事はイコールではない。
・資産と負債の違いをハッキリさせること。
・考え方が人生を左右すること。
・本当の教育の基本はお金に対する知識であること。

お金に対する知識に対して、これだけ解りやすくストレートに書いてある本に
初めて出くわしたのが実感だ。
そして両親が夕食時にいつもお金と投資と商売の成功談を話していた。
それが最大の教育だったことが確認できたのが最大の収穫であった。

・・・・・・・
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2002年3月8日
旅行中につき書き込みなし

・・・・・・・
お笑い
[ 愛は地球を救う ]    

マザー・テしサは車を運転中、道端の草を食べている男たちを見かけた。
「あなたたち。どうして草など食べているのですか」
「実は・・。食べ物を買う金がないんです。
 飢えをしのぐため、こうして草を食うしか」

「まあ、なんてことでしょう!あなたたち、うちへいらっしゃい」
「えっ。いいんですか。でも、私には妻と2人の子が」

「一緒に連れてきなさい。そっちのあなたも」
「いいんですか。私は子供が8人も」
「かまいません。みんな連れていらっしゃい!」

こうして車にみんな乗り込み、マザー・テしサの家に向かった。
男たちは泣いて言いました。

「あなたはなんて慈悲深いお方だ。感謝します。このご恩は一生忘れません」

「いいのよ。うちの庭の草、よく伸びてるから!」


1799, 風太郎の死ぬ話

2006年03月07日(火)

           (○´・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ
  
            −読書日記
          
山田風太郎「死」に関する本を読むと、
色いろの人の死に様が面白可笑しく書いてある。
そして読み終わって「死」が軽く思えてくるから不思議である。
また「死」を考えることは、「生」を考えることになるのに気がつく。
死に様が、そのまま生の完成といえるということだろう。

   これまでも山田風太郎の『死』について取り上げてきた。
   暗いと言われるが、お経を読んでいるようで逆に安らぎを感じる。
   
   私が風太郎の死に対し一番好きな言葉がある。
  「・・・いろいろあったが、死んでみれりゃ〜、なんてことった。
   はじめから居なかったのと同じじゃないか皆の衆」である。

この本の中にも強烈な言葉が次々と出てくる。

・信長は本能寺で死んだからこそ信長であり、
 西郷隆盛は城山で死んだからこそ隆盛なのである。
 あるゆる欲望を満喫し、大往生した死に方は、その人の人生が誰の同情も
 関心も共鳴を買わないという点で、芸術的に失敗作である。

     ・フィリップ・アリエスの
     「昔の死は、人が死にいく人物を演技する喜劇的な悲劇であった。
      今日の死は、人が自分の死ぬのを知らない人物を演技する
      悲劇的な喜劇である」を取り上げ、
      これによって、著者の風太郎が
     「人は管につながれて生まれてきて、管につながれて死ぬ」という
      アフォリズムを作ったという。
 
・「 臨終の人間『ああ神も仏も無いものか?』
   神仏『無い』」
 「また臨終の人間『いま神仏が無いといったのは誰だ?』
  答え無し。
  ー暗い虚空に、ただぼうぼうと風の音」

    −−−
    
    ここからはこの本(風太郎の死ぬ話)から少し離れる!
    死といえば宗教学者であり東京大学教授だった
    岸本英夫の「わが生死観 」の言葉が深く響いてくる。
    十年間の死と闘いの中で冷静に死の恐怖の心理を克明に書いている。
     
     父の死に際をみていたので、その恐怖感が理解できた。
     
ーその一部を紹介してみるー

もう一度くりかえしていえば、死後の生命の存続を信じない私が、
癌というような思いもかけない病気のために、生命飢餓状態におかれ、
死の暗闇の前にたたされたのである。

天国や浄土などの理想世界を信ずるものにとっては、
死後の世界は、暗闇ではない。
一つの実体である。

    しかも、輝かしい世界である。
    しかし、私にとっては、それは、真黒の暗闇であった。
    私は、その絶望的な暗闇を、必死な気持で凝視しつずけた。

    そうしているうちに、私は、一つのことに気がつきはじめた。
    それは死というものは、実体ではないということである。
    死を実体と考えるのは人間の錯覚である。

死というものは、そのものが実体ではなくて、
実体である生命がない場所であるというだけのことである。
そういうことが、理解されてきた。

    生と死とは、ちょうど、光と闇との関係にある。
    物理的な自然現象としての暗闇というのは、それ自体が存在するのではない。
    光がないというだけのことである。
    光のない場所を暗闇という。

人間にとって光にもひとしいものは、生命である。
その生命のないところを、人間は暗闇として感じるのである。
死の暗闇が実体でないということは、理解は、何でもないようであるが、
実は私には大発見であった。

    これを裏返していえば、人間に実際与えられているものは、
    現実の生命だけだということである。
    人間は、日々の生活をくり返して生きている。
    これは、疑いのないことである。

人間にとって生命は実体である。
しかし、人間にとってあることは、今生きているということだけである。
人間には、生命がある。

    五十年か六十年か生きているが、その寿命の中の一日一日は、どの一日も、
    すべて人間にとっては同じように実体としての生命である。
    どの一日も同じように尊い。

    寿命がつきて、死が近ずいたとしても、その死に近い一日も、
    健康の時の一日と同じように尊い。
    そのいのちのなくなる日まで、人間は生命を大切によく生きなければならない。

死というのは別の実体であって、これが生命におきかわるのではない。
ただ単に、実体である生命がなくなるというだけのことである。
このような考え方がひらけてきた後の私は、人間にとって何よりも大切なことは、
この与えられた人生を、どうよく生きるかということにあると考えるようになった。

    いかに病に冒されて、その生命の終りが近ずいても、人間にとっては、
    その生命の一日一日の重要性はかわるものではない。
    つらくても、苦しくても、与えられた生命を最後までよく生きてゆくよりほか、
    人間にとって生きるべき生き方はない。

このようにして、死の暗闇の前に素手でたっていた私は、
このギリギリの限界状況まできて、逆に、大きな転回をして、
生命の絶対的な肯定論者になった。
死を前にして大いに生きるということが、私の新しい出発になった。

    それ以来、私は、一個の人間として、
    もっぱらどうすればよく生きることができるかということを考えている。
    しかし、そう生きていても、そこに、やはり生命飢餓状態は残る。

人間は、一日一日をよく生きながら、しかも同時に、
つねに死に処する心構えの用意をつずけなければならない。

    ーー

岸本は死の告知を受け、   ガ━━Σ(゚Д゚|||)━━ン!!
「身の毛がよだつほどおそろしい」と実感を述べている。
その恐怖を乗り越えて、「いま」を生きることの尊さに目覚め、
「今が最後」とつねに思いつつ生きるところに、
   自分の安住をおいた。

  ☆~~ヾ・ェ・)o尸~死んじまえばそれまでよ!
                 マタネ~♪
ーーーーー

2005年03月07日(月)
1434, 滝の話

1月前になるが、「白川義員の世界百名瀑布に挑む」
をNHK・ハイビジョンを見た。
再放送で見るのが二回目だが、一回目見たときと同じ位の感動をおぼえた。
よいものは何ごとも、見れば見るほど、知れば知るほど、その奥行きの深さが
見えてくる。

滝、氷河、山脈、草原、断崖、海岸などの大自然に対する感動は何にも変えがたい。
水には、生物が発生した「海水」の原点がある。
「生き物」のように、色いろな表情をみせるため、本能的な何かが騒ぐ。

世界3大瀑布といえば、
・ブラジルの「イグアスの滝」
・南アフリカのジンバブエの「ビクトリアの滝」
・カナダの「ナイアガラの滝」である。
・そして、4番目が南米のベネゼイラにある
「エンゼルフォールの滝」である。

その中でイグアスの滝は、ずば抜けている。
とにかく規模が他の滝に比べて桁違いである。
昔、アメリカの大統領夫人が、この滝を見て
「ああ、可哀想なナイアガラ!」と思わず言ったという。

しかし、何で三番目がナイアガラなのか解からない。
ただ、美しさは抜群である。
遊覧船で滝の近くまで行って、180度の滝に囲まれてみる豪快な光景は
さすがに凄い!

この番組みでは、アメリカ大陸のランク20の滝を紹介していたが、
やはり、ナイアガラの評価を最下位にしていた。
そんなものでしかないのは、誰でも解っていることである。

旅行をしていて、思いもよらない素晴らしい滝に出会うことが度々ある。
そして、ただ呆然と立ちつくす。

人は滝に対して、何故これほどまでに引きつけらるのだろう。
横の流れが一瞬の落差によって、縦の流れに変わって生ずるエネルギーのためか、
それとも、水そのものの踊っている美しさであろうか。

アイスランドに、欧州で一番大きいといわれる
「ゴーザフォスの滝」がある。
アークレイリから車で1時間ほどのところにある。
溶岩の平原に流れている川が、突然落ちて滝になっている。
落差は小さく幅が広い。

平地によくある形の滝であるが、遠くの氷河から流れ出た豊富な水量のため、
音と水煙を上げている。

ゴーザフォスの意味は「神々の滝」。
「ヴァイキングがキリスト教に改宗した時、それまで崇拝していた神々の偶像を
この滝に投げ込んだ」という話からきているという。
雨の中で見たが、豪快に神々しい滝であった。

滝ではないが、裸の山並みに千本もあるように見えた細い糸のような滝?
も忘れることができない。
ニュージーランドのミルフォード・サウンド の途中で見た山の光景である。

滝の話になると話題は尽きない。

・・・・・・・
・・・・・・・

2004年03月07日(日)
1068, フランチャイズ・ショー −2

主観を込めて「面白い順」に書いてみる。

・まずは「1980円のフグチリ」を売りにしているフグ専門店。
フグ専門店の3分の1値段で、ふぐ料理の価格破壊を目指している。
味は高級専門店にまけないという。

以前TVで見たことがあったが、実際担当者から生で聞く話は格別面白い。
「フグ料理や開店指導やフグの供給」をするという。
客単価は6700円とか。開店資金まで希望なら融通するとか。

現在は東京から30キロ圏がチェーンテリトリーという。
別にフグ屋をする気はないが、何事も好奇心で聞いてみたが、
本当に面白い!

・次は介護ビジネスで、デーサービスだけに特化した業態のFCが面白い。
一日あたり、顧客?一人単価一万円、人件費一人当たり一万、ハード(施設)の
ランニングコストが一日1万。ビジネスとして割り切ると面白そうだ。
30人収容で、職員9人のチームでまわす。
開店指導から軌道に乗せるまでのノウハウの販売である。

・保育園の開店指導主体のFCもあった。
開店が一番大変で、一度オープンをしてしまえば、その後のノウハウは
ほぼないとか。開店ノウハウ販売型FCと堂々と言ってのけるのもよい。

・目立ったのが、インターネット・カフェである。
漫画本とゲームとインターネットの併設のもので、時間制の料金システムのものが
印象的であった。(例:15分ー100円)

・自分史のCD作成の商売もあった。
50万円で写真から履歴や文章などをCDに収め、10年間大手銀行の
貸金庫に預けて置くシステム。死んだ後に配る饅頭本の現代版といえる。
面白いことを考えるものである。
                     ー 続く
・・・・・・・・
・・・・・・・・

2003年03月07日(金)
702, 心と魂

以前に社内報の事業百訓で、
「心」と「こころ」と「魂」の違いを書いたことがあった。
ーホームページH09/05-見聞皆師
ーhttp://csc.jp/~888888/fr/kenbun/bun_h09.htmー

先日、ある本を読んでいたら、
パソコンのハードデスクを「魂」、ソフトを「心」に喩えていた。

ーその概要は以下に書き写す
 魂と心は厳密に言うと違います
・魂はパソコンでいうとハードディスクやCPUを中心としたハードウエアにあたり、
・心は基本OSを含むソフトと例えることが出来る。

 心の基本形成は、親の心のエネルギーを吸収しながら6才頃に、そのアウトラインが
ほぼ完成するという。
パソコンでいえばウインドウズのインストールを終えた状態。
・「こころ」の核となっているのが魂で、これは生まれながらのもの。
・魂は天命・宿命に関わり
・心は運命を左右します。
・そして双方の共同作業の結果が、あなたの「個性・能力」となって現れる。

魂の進化は心とともに ある。  
パソコンは平成8年春の製品でクロックは120しかありません
150以上を指定してあるウインドウズMeはインストールできない.

メモリーとハードディスクは最大限増設してあるが、クロック増設の手間と費用に
見合うだけの魅力がMeに有りや否や?
深層心理学者のユングは「魂はしだいに進化し、聖なる方向に向かっていく」と
いっている。

この進化の方向に関わってくるのが心なのです。
Me(心の向上)を諦めたので、ハードウエアのクロック(魂)は120のままで
進化していません。

こころの葛藤とは魂と心の綱引きをしている。  
魂は多くの業(ごう、因縁ともいいます)を持っていて、その業は縁あらば表へ
出ようとしています。

れが自己本位の好ましくない事だったら、心がセーブをかける仕組みに
なっているが、本質的には「魂の方が強力」です。

魂が要求している事柄を実行して良いかどうか…を
・「判断するのが心なのです」が、
・「決断するのは魂」です。

心が「ノー」という結論を出すと、そこで魂と心の綱引きが始まるのですが、
魂が心の判断を無視して行動を起こすと、人間社会の中では往々にして問題行動となる。

40にして惑わず、という言葉があるように、どうやら人間は、
その年代以上にならない
ことには、「魂を制御できるだけの心は完成しない」ようだ。

ー以上であるが、喩えが解りやすい。

 また他の本で「自己」と「魂」は似ているとか。
自己の背後にある大本が「魂」といってよい。

「自己実現」を「魂をつくること」と言い換えたほうが
むしろ解りやすいことからも納得できる。

魂の喩えとして
・心の親。
・心の故郷
・心の実家
・宗教心
・他己
・御祖先様
・心の積み重ね
・神ーラージX

「心を込める」と「魂をいれる」と言葉の重みが違う。
「魂を入れる」は全身全霊を入れるという意味合いにがある。
そうすると全身全霊ということか。

対象の物事に対して「魂がこもる」ともいう。
一生は「魂をつくること」ということか。
自己実現を図る事だ。

・・・・・・・・
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2002年3月7日

ーこの日から2週間、
西アフリカ旅行中で書き込みなし

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・・・・・・・・
「母子家庭 」

先生『お父さんは何してるの?」
生徒「死んでいないの」

先生「じゃーどうして生活しているの?」
生徒「うん大丈夫、毎晩ちがう父さんがお金を置いていってくれるの」

先生「?・・・・・・・!!」


1798, 自分を変える魔法の「口ぐせ」

2006年03月06日(月)

             (*´・ω・)ノはよー

「あー疲れた…」とため息をついたり、
「駄目だ駄目だ…」と、遥か昔のことを思い出しながら一人つぶやてしまう。
日常、私たちが何気なく口にする言葉には、
ネガティブなイメージを持つ言葉が多い。
内語の70〜80佑魯優ティブな言葉だという。

   “言葉は言霊(ことだま)”と言われているほどパワーを持っている。
    NYヤンキースの松井秀喜は、中学生時代のある苦い経験をきっかけに、
   「2度と他人のことを悪く言わない」と誓ったという。
    だから同僚から信頼されるのだろう。

口ぐせは
“一種の習慣になっている言葉であり、
無意識のうち行動を支配するもの”である。
そういえばスナックのママで
「私頭が悪いから…」が口ぐせになっている人がいた。
その言葉が大脳に私はバカなのだとインプットしていることに
気がつかないのだ。
                 ~~旦 ゝ(-_- )
                 
    「口ぐせリストを作成しよう」という項目の中には、
     次のような口ぐせ項目がある。

    『鏡のなかの自分に向かってのひとことは?』
    『明日もまた頑張ろうという気持ちを表す言葉は?』
    『気分のいい時は?』
    『気分の悪い時は?』
    『一日に何回“ありがとう”と言っている?』
     ・・・
    それぞれ、プラス用語を決めておくとよいだろう。

項目ごとに自分は如何か考えてみたら、
殆んどプラス用語が自動的に出てきた。

理想像と現実のギャップに悩むあまり、自分を卑下してしまうが、
それをプラスの口ぐせに代えれば自然にポジティブな人生を築くことになる。
自分が選択した行動の結果について、
「これでよかったんだ!」
 と思うことで、すべてが上手くいくという。
「もし、あそこでああしていたら・・・」は誰でも思うことだが
「これでよかった!」と自分の意志や心情を認めることで、
頭を切り替えることができるようになる。

     中村天風は言葉の持つエネルギーの重要性を説いている。
     二十数年前に天風の本を精読して、
     現在もトイレに置いて毎日のように目を通している。
     それでも何時の間にかマイナス内語を呟いてしまっている。

   天風の本を毎日目を通すことで、人生が非常に豊かになっている。


ーーー
自分を変える魔法の「口ぐせ」
  夢がかなう言葉の法則
佐藤富雄・著 かんき出版・刊  
\1,470(税込)
著者:佐藤富雄氏
医学博士、理学博士、農学博士。経営学修士。
早大在学中から「口ぐせの心理学・生理学」について研究を重ね、
言葉と大脳・自律神経系の関連を世界で初めて科学的側面から立証。

                ヾ(。´・●_・`。)バィバィ
・・・・・・・
・・・・・・・

2005年03月06日(日)
1433, フランチャイズ・ショー −2

この時期に、有明の東京ビッグサイトで店舗総合見本市が開かれている。
もう34年になるが、そのうち半分近くは見学に訪れている。

去年に続いて3月2〜3日に行ってきた。。
FCショー、建築資材、店舗、街づくりなどの棟に分かれている。
一棟5000〜10000坪の会場に、多くの会社が出店している。
会場を歩いているだけで、夢があって楽しい。

通っていると、時代時代の変遷が見えてくる。
居酒屋が目につく年、コンビニ、インターネットカフェ、中華そば、
と主流が変わる。

今年はマッサージや、化粧品を使ったエステなどの癒し系が目についた。
(去年はインターネットカフェ)

面白いところでは、犬の洗滌機を組み込んだ車。
SCの駐車場を借りて、犬の洗濯をする。
B級の犬が狙い目というのが面白い。
血統書つきは、犬屋で専門家が洗うが、
これは食器の洗浄器のような発想でつくられている。

去年も見かけた目の矯正の器械の販売会社も面白い。
音波で、目の疲れをとってしまうのだ。
去年は「怪しげな!」という先入観があったので、声をかけられたが無視をした。
しかし、今年はカラカイ半分でつかってみた。
ところが何と使った後に目の検査をしてみたら、
使用前と使用後では検査表が二ランクも良く見えるようになった。
音波で目の疲れをとるだけなのだが。
なるほど、これを使えば少しは目が良くなるのかもしれない。
インターネットや大型TVの普及で、目をマスマス酷使する時代に
目の矯正センターも見直されて良いはずだ。

養殖フグの料理店のFCもあった。
とにかく安くフグを食べさせるのだ。
これも、大商圏のポイントを押さえれば上手くいく可能性がある。
コンビにもそうだが、フランチャイズは本部だけが儲かるように出来ている。
しかし、旧来のやり方から抜け出さないなら、FCも致し方ない。

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2004年03月06日(土)
1067, 高級1DKマンション −2

店舗ショーに3日間見学に行ってきたが、
その午前中は高級1DKマンションを見てまわった。
時代の最先端の多くのヒントやノウハウが隠されているからだ。

最新のものは、最近オープンした品川の300室規模のものである。
10日ほど前に資料を取り寄せて前知識を持って行ったが、やはり本物をみると
見ないでは違う。
なるほどTVに出てくるようなスタジオタイプのマンションである。
1Fの無機質なロビー、そして最上階24Fの住民だけのプライベート・バー
ラウンジとトレーニング・ルームそして大浴場。
部屋は最新のユニット設備や家具と、電化製品。
朝食は家賃の中に含まれているという。
こんなところでパソコンを打ちながら夜景を眺めていたら、新しいアイデアが
いくらでも出てくるのだろう。
そして最上階で夜景を見ながら風呂でも入ったら、もう生活を落せなくなる。

他にも、共同サービスのない小型の高級(高価格)マンションを幾つか見てきた。
住み慣れた後にくるのは、東京砂漠の殺伐とした心象風景の世界である。
しかし一歩外にでれば、都合の良いことに赤提灯街が点在しているのが
都会の良いところでもある。
私はもう東京のような大都会は住みたくないが。

サービスマンションはアメリカや香港にあったもの。
最近アパマンとかいって、サービスを付加したアパートを売りにしている
雑誌情報誌があるが、そのベスト・プラクテスをしたものだろう。

話は変わるが、品川や新橋や汐留のビル群には驚きである。
ユリカゴメの車内から見る景色は、新しい東京の象徴といってよいだろう。
箱物(ビル)好きとしては、こたえられない景色である。

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2003年03月06日(木)
701, 「最強の勉強法」

本屋のコーナーで何度か目に入っていたが、
衝動買いをしてしまった。ハウツーものとしては面白い。
今になって昔何故ハウツーものをもう少し読まなかった悔やまれる。
まあ仕方がないが。
事業と同じで「プロセスを楽しめ、成果をあげる工夫を徹底しろ」の二つに尽きる。
大体の本は、2時間で殆ど把握できるようになった。
1、まずは前書きと目次と終わりにを中心にポイント読みをする。
2、次に、本に折込を入れる。それぞれの章と目次と太字のところを中心に入れる。
3、インターネットでホームページをさがし、書評と概要を読む。
4、最後の章からポイント読みを逆に遡って読む。
5、できたら随想日記の読書日記に書くためにまとめる。
  以上が2時間だ。
6、一番大事な事は、読書日記に自筆で「目次とレジメを書くこと」である。
 これを過去40年何もしてこなかったのが、人生の最大の後悔といってよい。
 一ヶ月前から始めたが、これがよい。あとで読み直した時は赤のペンで
 書き足すのだ。
 この歳になって悔やまれる事があまりにも多い。 
 いまさら仕方がないが。
・・・・・・・
インターネットで調べた概要をコピーしておきます。

『 不可能を可能にする、最強の学習法!』
吉田たかよし・著
PHP出版より2002年8月9日刊行 
定価1350円(税別)

1.『吉田たかよし』とは
 日本で初めて、NHKアナウンサー出身の医師です。
また、衆議院議員の公設第一秘書として政策立案にも携わりました。
この他、エコノミストや報道記者としての顔も持っています。

2.不可能を可能にした学習法
 そんな『吉田たかよし』も、もともと記憶力は人並み以下で、
 大の勉強嫌いな普通の人間でした。
にもかかわらず、なぜ数々の不可能が可能になったのか。
それは、誰でも成果を上げられる画期的な学習法を確立したからです。
「ガンバレ!」「集中しろ!」「気合だ!」こうした、精神論だけに頼った勉強法では
結果は出ません。むしろ、あなたの多様な能力を萎縮させるだけです。
学習法には、あなたの秘められた能力を100%開花させるため、
とことんまで合理的な技術や工夫が必要です。
また、単なる思いつきではなく、科学的、医学的に裏付けがあることが求められます。
 これらすべての条件を満たした夢の勉強法、
 それが『吉田たかよし式学習法』だと信じています。

3.勉強が苦手だという方にこそ、読んでいただきたい
 この本は、ごく限られた『エリートくん』や浮世離れした
『勉強オタクくん』を対象にしてあるわけではありません。
勉強が苦手な方や勉強嫌いだという人にこそ読んでもらいたいのです。
こうした方こそ、効率的な学習法が必要だからです。
自分は平凡だと思い込んでいる方も、非凡な人生を送れる。
それが『吉田たかよし式学習法』の真骨頂です。

4.見出し 本の中身をざっとご紹介します。
ーー目次 ーー
ー第1章 灘高校がすごいわけ
自己解放が能力を伸ばす! 灘高校は学習のルネッサンス。
サラリーマンも必読。暗唱ゴールデンタイムがあなたを救う!

ー第2章 異なる分野を同時に学べ
『理系』+『文系』でリストラも怖くない!
あれは何だ?東大の銀杏並木を白衣の自転車が爆走!

ー第3章 学習のための時間の使い方
永田町マジック!国会議員に学ぶ『朝飯学習法』
目覚めよ!遺伝子に刻まれた潜在能力。

ー第4章 記憶力倍増法
生放送も怖くない!NHKアナウンサーを救った『連想記憶術』
伝説の語呂合わせ『ハタチを過ぎたらオバン』には最強の論理があった。

ー第5章 最強の読書法
国会図書館を征服!「1週間に50冊」を可能にしたマル秘読書術
ツッコミのミラクル!読書の秘策は漫才にあった。

ー第6章 資格試験はワールドカップ
これであなたも合格!韓国チームの勝利に隠されていた試験突破の秘策。
官僚大国ニッポン!勝つためには敵を知れ!国家試験には霞ヶ関を知れ!

ー最終章 人脈を広げて、人から学ぼう
あなたもできる!堺屋太一さんの心をつかんだ私の右手。
一度見たらもう最後!たった一枚で人生を変えた究極の名刺


マルチ勉強論
異分野マルチ学習(p.58)
・全く異なった分野の勉強を並行して行う。関連性がないほうがいい。
e.g. 法律と数学

・効率が上がる(気分転換になる)。
・ユニークな発想をするには、ユニークなインプット
 → 異分野マルチ勉強。
・出来れば文系と理系の分野を同時に。
・理系は経済学。文系はバイオ、ナノ、ITがお勧め。
・勉強のテーマごとに本棚・机・文房具を分ける。(p.76)
 (吉田氏は、机(場所)や文房具まで分けた。)
・やりたいときが最も効率が上がる。飽きたり疲れたりしたら、 他の分野の学習に切り換える。
・精神的に安定していることが最も大切。スランプなのに無理して 勉強を続けるのは長い目で
 見てよくない。学習は根性でやるもの ではない。
・異分野を学習すると、複眼思考が身につく。(p.81)
  e.g. 医者の眼と、倫理学者の眼

時間活用法
勉強は場所と時間を選ばない(p.85)
・勉強部屋、机以外にも勉強できる場所はたくさんある。
・やみくもに「どこでも」ではため。効率を上げるにはTPOを考える。
・場所よりも時間帯の方が大問題。
・ホルモンの日内変動(サーカディアンリズム)に則った学習が大切。
・通勤時間はゴールデンタイム。
 毎日同じ時間を確保できる。
 景色が眼に入ってくる、雑踏の音が耳に入ってくるのもよい。
・自転車に乗りながら、歩きながら、知識を整理する。
 うろ覚えの事項を(頭の中で)暗唱する。
・読書など、吸収タイプの勉強は難しい。
「条件付け」が有効。 e.g. 「みなと未来」のビル群が目に入ったら勉強を開始する。
・5分に1回でいいから窓の外の風景を見る。
 → 眼精疲労の回復、メラトニン(睡眠誘発)からセロトニン(脳を活性化) への切り換え。
・駅から駅の間がワンセット。その間集中する。
・炭酸ガスを追い払うには「うそアクビ」(p.97)
・お風呂でも勉強。
 布製のガムテープにマジックで記憶したい事項を書いてはる。
 お湯の温度はややぬるめにする。
・トイレでも勉強。(p.100)
 トイレに入るごとに壁に張ったメモを読む。丸暗記によい。
 字は大きくする。またカラーで派手にする。
・就寝直前と起床直後に同じメモを見る。(p.102)
 人は眠っているときに記憶を整理し、脳の中で忘れにくい 形態に置き換えている。
 →就寝直前に覚えたことは、よく記憶に定着している。
→ それを起床直後に復習。
→ 長期記憶。

・文字を音として記憶するのでなく、写真を撮るように、映像で覚える。
・食事中も勉強
 よく噛む
・ニュースを見たり、雑誌を読んだり。
・耳でするものがいい?
・目覚めにもアイドリングが重要(p.110)
・タイマーつきスタンドを使って、光で目覚める。
 セロトニン、メラトニン。

記憶法
マンガを使うとよく記憶できる(要復習)
・映像の力は大きい
・記憶したいことは映像に置き換える(p.120)
・映像と単語が一対一になるようにする。
・喜怒哀楽をこめるようにする。
・ストーリーの力も大きい
・語呂合わせもいい。
・インパクトが重要。エッチなのとか。
・映像も思い浮かべる。
・記憶にはよく眠ることが大切(p.149)
・短期記憶を長期記憶にするには、よく眠ること。
・レム睡眠が重要
・最低6時間は眠りたい。出来れば7時間。

読書
・本は最初から最後まで読もうとしない。
・読むことが自己目的化してはいけない。 (学習効果が上がらなくては無意味)
・読書の下見をして、まず本の全体像をつかむ。
・ページをペラペラとめくって、軽く全体に目を通す。 (吉田氏は1ページ3秒)。
・必要な個所だけを熟読する。
・膨大な情報を取捨選択することが大切。
・ツッコミを入れながら本を読む。読書の最大の欠点は受け身であること。
・自分なりの感想を持つ
 e.g. 本「広さは3ヘクタールです」 自分「広いですね」
・最初は「凄いなー」「本当?」でよい。
・左脳(言語)、右脳(感想)、両方を活性化。
・新聞もまず眺めて、世相、時代風景のうねりを感じる。 (文字情報よりもまずレイアウト)

資格試験
資格試験では、超リアリストになる

・過去問を解いて、傾向を分析。出題者を分析。
・試験と同じ時間帯に同じ科目を勉強する。
・深夜の勉強は体内時計を狂わせるので、試験前はダメ。
・イメージトレーニングもいい。
「3日後のこの時間帯に試験を受けている。」
・コーヒー(カフェイン)を飲んで脳を活性化させるのもよい。
・ビタミン剤の中にカフェインが入っていないか、チェック
・職場の同僚や家族も味方につける。
 仕事の分量など、配慮してもらう。
 応援してもらえる。
・大学受験の参考書も使える(教養を深めるのにもよい)。
 勝利にこだわる「努力」こそが宝物である(p.204)

人脈構築
本当に大事なことは人に教わる(人脈構築)(p.208)
・人に会うと脳が幅広く活性化する。
・講演会を利用する。
・質問をして講師に食い込む。 真っ先に手をあげる。勢い良く手をあげる。
 声も大きくハイ!
・ 司会者の目を見る。 終了後の移動時に声をかけて名刺交換など。質問もする。
・電話で情報が集められる人脈づくり。
・名刺も自己PRに活用すべし。(裏面を有効活用)。
・合コンも人脈づくりに使える。
・人に教えることで自分の知識も整理され、深まる。
・勉強会で討論するのもよい。
「分かりました」はダメ。感想やまとめなどのコメントを心がける。
 他人と知識を共有するべき(教える、教わる、感動を伝える)(p.234)

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2002年03月06日(水)
351,自己配転

キャリアとは、「多くの経験をしてきた」といういみである。
役人の出世コースは若いうちにどんどん配転させ、経験を積ませる。
いわゆるキャリア組である。

会社も「将来の幹部候補」は別に配転コースを組み、それに従いどんどん配転させる。
そのプロセスの中で実績を重ね、適正を見つけ、それぞれのコースにえり分けていく。

仕事も何事も経験がまず第一である。OーJ−Tが基本である。

私も務めで、寝具、日用雑貨、子供服、靴下、配送センター等々経験した。
経営では、飲食で養老の滝ー1122号店、焼きたてのパンのセンチュリー・ベーカリー、
衣料量販店、今のビジネスホテルー学生ショップを経験した。

「よくいろいろの経営ができるね」と聞かれるが、皆一緒である。
商品変われど、システムとして捉えれば全部同じである。
そういう意味で自己配転をしてきた事になる。

ホテルをやるとき、「単品のズボンを一日70本売るのと客室を
70室売るのと何が違う?」と考えたからだ。
何も違わない!ただそれだけ。4千円の値段まで一緒だ。
そしてそのとうりだった。
一つだけ違うところは、それを20^30年、売り続けなければならない事だ。

職を変えていく事とフリーターと何処が違うか、
といえば「目的を持ってそれを経験として蓄積できるか」どうかである。

フリターも結果としてよい場合もある。
それが結果としてプラスになればだが、ほぼ絶望が99佑澄

ある社長がきて「息子が勤めた会社を1年で辞め、フリターになってしまった。
本人が言うに、若いうちにどんどん色々な経験を積みたいという。どういうものか?」
と聞くから「いいじゃないか、ただのフリーターじゃないよ。
自己配転をしようとしているじゃないですか。考え抜いたそれだから素晴らしいよ。
応援してあげなさい」と言うと、本人もそれに気づいたようだった。

目的を持つという事は、人生に意味を多く持たせる。
更に目的に向かって、舵とりを覚えるようになる。

・・・・・・・・
・・・・・・・・
ーお笑いー
ファンタジー

ー早とちり ー

「どうしてそんなに苦虫噛み潰したような顔をして」
「人にはわからないよ、この気持ちは僕の秘書知っているだろう」

「あの金髪の美人かい」
「そう僕の誕生日に、家にのみにこいというから、喜んで出かけていったんだ」

「それがどうして不愉快なんだ」
「まあ聞いてよ、照れくさいんでカクテルぐいぐい飲んで、適当に酔いが
まわったところ彼女が、意味ありそうにこう言うんだ」

「あなたにビックリさせることがあるんで、私が先に行ってるんで、二分たったら
 来てね」と言うんだ。
「二分たっていってみると、僕の部下たちがいていっせいに
 ハッピバースデーを歌うんだ」

「何てこたないじゃないか。そうときはにっこり笑えばいいじゃないか」

「冗談じゃない、僕は素っ裸になっていたんだ!」


1797, 心に効くクラシック−3

2006年03月05日(日)

              才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪

ー作曲家の性格の三分類

偉大な作曲家はそれぞれの性格的な傾向を持っているという。
強い個性があるからこそ、個性的な曲を生み出すことができるといえる。
性格分類といえば、クレッチマーの気質の三類型がある。

   S型ー分裂気質
   Z型ー躁鬱気質
   V型ー粘着気質
    で、誰にも当てはまるものである。

S型ー分裂気質は、体型的には痩せ型。
   一般的には内向的で自分独自の世界を作るのが特徴。
   天才肌が多く、自らを孤独に追い込み、シャープな頭脳で思考を重ね、
   独特の研ぎ澄まされた世界をつくり、芸術上に現れたものは
   恐ろしいような美しさがあります。
   服装も調度の好みもうるさく、いわゆる貴族趣味に走る傾向がある。
   感受性が豊かなゆえに矛盾した要素を抱え込み、
   冷淡で利己的で鈍感だと思うと、別の面では非常に敏感で情熱的で   
   興奮しやすかったりします。
  −ベートーヴェン、ドビッシーなど

Z型ー躁鬱気質は、体型的に肥満型多く、循環気質ともいわれる。
   S型の怜悧な美しさとは対照的に、親しみやすさに溢れ
   人間的な美しさがある。
   一般的には、人間大好きで、他者への共感性や同情心に溢れ、
   社交的、快活、温厚、善良、陽気、といった性格に富んでいます。
   目新しいことにひかれ、アイデアが閃くと直に実行します。
   循環気質といわれるように、気分の段差が激しく、明るく陽気と思えば、
   落ち込むと自室に籠るような極端さがある。
  −バッハ、モーツアルト、ヴェルディーなど
                        =ε=(。・ω・)_旦~~ オマタセー
                        
V型ー何ごとにもこつこつと丁寧に打ち込み、
   まじめで粘り強いという特徴がある。
   少々スロースターターだが、礼儀正しく、社会の常識や伝統を
   大切にします。冗談やユーモアにも縁遠い。
   気質は、蓄積と爆発と評される。
   ネガティブな感情や不愉快な体験などの心的エネルギーを
   溜め込み、世間に従おうとするが、時に大爆発をする。
   体型は筋肉質、闘士型でがっしりして、スポーツマンタイプが多い。
  −ベートーヴェンはS気質にV気質が加味されている。
   作家だがドフトエスキーなどが典型である。
   ヘーゲル、ジュリアス・シーザーのこのタイプである。

この三分類に当てはめることはできないが、
実際には、複数の類型の中間型であったり、特定の分類の属していても
それほどの明確な特徴を現していなかったりする。
この本では三つを使って作曲家の心理を分析している。

                ε(´',_c')зβyё☆

  ・・・・・・・
  ・・・・・・・
  
2005年03月05日(土)
1432, 危ない格言−6 ー読書日記ー

教育に関しては、危ない格言が真実に近いから恐ろしい。
教育は大事なことを認めるが、その前に躾としての訓練が大事ではないか。
それも教育の一環であるか!

・児童教育は、子供達が躓かないように歩きやすい道を示し、
 そこを行く歩き方まで教えると称している。
 子供たちというと、まずはこの教育に躓く。

 ーmy感想ーこういう躓きも、道さえ解らないのよりましだ。
 弄りすぎという奴、いや弄られ過ぎか。
  ーー

・教育の自由ってあり?
 教育からの自由は?

 ーmy感想ー時に、狂育も必要では?
  ーー

・親が子供に対して行うべきことは、何よりも生活の術の伝承と
 できるだけ多種の人物見本の呈示であって、決して教育などでない。

 ーmy感想ーまず親が第一の人物見本になる。
 よい親に当たればよいが、悪い親に当たった場合如何したらよいのか?
  ーー
 
・個人は教育できない。個人は、教育の外で、教育に反して、
 そして、その欠如において育つ。

 ーmy感想ー基本はまず教育からつけなくてはならない。
 基本がないと、狂育になる可能性が強い。
 プチブルになる教育なら、狂育の方よいが。
  ーー

・家族生活は、ますます、各人がやもめ暮らしを一箇所で送るための
 妥協の成果となっている。

 ーmy感想ー何らかのカタチで身辺に余りに多いから、
  この感想書けない!パラサイトシングルとか・・
  ーー

・いつまでも子供心を失わないー直接か変わりない人からすれば、
 それはそのように褒め言葉で語られる。
 日常、付きわざるを得ない人から見れば、それは、
 いい歳をして子供じみている、ということだ。

 ーmy感想ー子供が大きくなったのが大人だろう。
  何処かに、子供心が残っていて当然のことだ。
  大人じみている子供こそ気味悪い。
  いや大人じみている大人こそ気味悪いか!
  特に中年のしたり顔した人

・・・・・・・・
・・・・・・・・

2004年03月05日(金)
1066, フランチャイズ・ショー −1

この三日間、東京晴海のビッグサイトで行われてた
フランチャイズ・ショーに行ってきた。
10年ぶりに行ってみたが、驚いてしまった。

以前は、店舗ショーの一角で行われていたが、
現在は独立した大きな会場で市民権を得ていた。
フランチャイズもネットビジネスという時代の流れにそってきたのだ。

三日間きめ細かく見てまわった感想は、「面白い!」である。
全然飽きがこない、ただただ面白い時間であった。

今回の感想は
「インターネット・カフェ、介護、学習塾、うどん屋」
が目立っていたこと。
その他に、面白いところでは
「幼稚園、中古ゴルフ、中古釣具、ブランド品交換ビジネス、激安ふぐ屋」
であった。

「成功したビジネスモデルのソフトを販売しよう」
というのだから、面白いのは当たり前である。

といって怪しげな世界の化け物屋敷でもあるのだ。
生きた化け物世界をリアルで見れるのだからコタエラレナイ!

・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・

2003年03月05日(水)
700, お金の哲学ー2

私の父親と家内の父親は「地方の金持ち父さん」の典型だった。
秘境旅行仲間の人も私を除いて?金持ち父さん母さんである。

 その共通点がある。
・長年をかけて、ひとつ事を成し遂げてきた。
・誠実で真面目な性格である。
・合理的な生活態度が徹している。
 −質素で堅実の塊りといってよいー
・生活の楽しみ方をしっている。
・女性関係は潔癖である。
・常に精神は安定している。
・群れる事を嫌う。


家庭にとっても、これがベースである。
家庭がしっかりしてないと、子供に何かが出てくる。
精神が不安定になったり、社会生活が苦手になる。

クラスの虐めのボスなどは100誘瓩が家庭が不和である。
全てが家庭生活、夫婦間の安定が基礎である。
離婚と家庭内離婚が半数以上というから今の子供は大変だ。
いや昔もそうか、下手に離婚できなかったからより大変だった?

話は変わるが、「普通預金に100万円以上」というのが意味深長である。
 これは「お金のたまる人たまらない人」(著者・マネーライター丸田潔)に書いて
あった内容だ。 細かい出し入れに気をつかわないで済むし、気持ちが豊かになる。

有利な運用にチャレンジするのは、普通預金に十分な資金をためた後にすべきといって
いる。サラ金も使わないで済むし、ローンもする必要もない。

今のような低金利の時は、むしろ一箇所の銀行の普通預金に潤沢なお金を入れておいた
ほうがよい。そして買物はデビットカードかゴールデンカードをつかう。

現金を持っているほうが有利の時代であるからこそ、
「潤沢な現金を普通預金に」という理屈になるのだろう。

私も定期にしないで全て普通預金である。会社に全てを投じているので
定期をするほどもないが。
でも何といっても気持ち豊かになる。

以前書いたが、私の場合は常に財布に多めのお金ー7~8万と、家内にわからないお金
(一般にはヘソクリという)がある。といって10万だが。
少し使いすぎたかなという時は、それを使う。
そうしていると反対にいつでもつかえると思うから、使わないで済む。

装置産業は、その装置がある日全くの不良資産になる可能性がある。
特に借入商売のためにデフレには非常に弱い。
これは価値が無いあるのかという自問自答の世界でもある。
話がそれた。

父は収入を土地と堅実な株(当時ー1960年頃ー電力株やガス株)に変えていた。
もっと徹底していたら、より資産形成ができたろうにと母が愚痴っていたが。
男の従業員には給料から天引預金をして、ある金額になるとガス株を買わせて、
その後自宅を造らせていた。
ベストセラーの「金持ち父さん貧乏父さん」の要約を、そのまま実行をしていた。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2002年03月05日(火)
350,プラスの言葉とマイナスの言葉 

ープラスの言葉
                 (^o^)丿(^^♪!(^^)!(#^.^#)(*^^)v
                 ヽ(^o^)丿(^^♪!(^^)!(#^.^#)(*^^)v
楽しいヽ嬉しい、おいしい、きれいだ。
可愛い。美しい。元気だ。丈夫だ。
のびのびしている。満ち足りている。どんどんよくなる。笑う-可笑しい。
全てうまくいっている。すべておだやかだ。ポカポカ暖かい。成功する。
順調にいく。自信がある。かならずうまくいく。
実に楽しい。とても愉快だ。とても幸せだ。


ーマイナスの言葉
                ー(+_+)(/_;)(ーー゛)(;一_一)、
悩む。苦しい。悲しい
腹が立つ。痛い。憎い。辛い。不平。不満だ。泣く。
どうしていいかわからない。暗い。失敗。ぞっとする。
意地が悪い。寒い。冷たい。どんどん悪くなる。汚い。
汚らわしい。自信がない。どうしても嫌だ。
私ほど不幸なものはない。

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以上がある本からの抜粋だが、
周辺で上手くいってない人が多い。
これは事実だ。上手くいっている人も多い。


周辺でも「信じられないような幸せな一生」
を過ごしている人がいる。
私の義母ーである。
こんな人生もあるのかと思えるような、幸せな環境である。


上手くいっている人生と、全く上手くいってない人生とに、
それぞれの共通点がある。

・上手くいっている人は「育ち」という言葉で集約できる家系がある。
幸せ系の家系というか、それは親の性格と夫婦間の相性だ。
子供にとって、これは集約された環境といっていい。

・上手くいってない人の両親は夫婦仲が悪い。
あるいは嫁姑の関係が悪い。
その間がマイナスであるから、自然に言葉もマイナスになってしまう。
その環境に育てば、マイナスの言葉や空気が子供の時から脳にしみこむ。
プラスの人はその反対である。


性格改造は言葉使いの改造である。
言葉は言魂といって、それ自体魂が入っている。
プラスを使っていれば、人生そのものがプラスになる。

自戒の文章である。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
ーお笑い

「旅たち」

修道院から、少女たちが旅立とうとしています。
女性院長がはなむけの言葉を贈ります。

「いいですか。修道院の外には危険がいっぱいです。
 一番気をつけなければいけないのは、男という生き物です。
 あなたたちにお酒や食事、お金をくれるのと引き換えに、
 やつらはあなたたちの服を脱がせ、とんでもないことをします」

「院長。男って、そういうときお酒や食事、お金をくれるんですか?」

「そうですとも]

「でも院長。ここの司祭さまはクッキーだけでしたよ」


1796, 超アメリカ整理日記 −2

2006年03月04日(土)


                                           
           Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning  
                
                  ー 読書日記

日本人のスタンフォードの留学者数はどんどん減っており、
現在韓国の1/3、
中国の1/5、
韓国との人口比を考えると十倍近くの差になる。
これは日本にとって大問題である。

    著書の中で、教育は経済の先行指標であると述べているが、
    日本の将来の大きな悲観材料になる。

カリフォルニアは、アメリカの中でも特殊な地域である。
本書でも統計が出ているが、
白人の占める割合が46.7%(全米では69.1%)、
黒人の占める割合が6.7%(全米では12.3%)である一方、
ヒスパニックの占める割合は32.4%(全米では12.5%)で、

    ヒスパニックとアジア系(中国系やベトナムや韓国系)
    が圧倒的に目立つ国である。
             
              ~~~~~ヾ(* ̄▽)_旦~~オチャドーゾォー♪

ー日米の比較を生活者の視点で書いてある箇所を抜粋してみると

・まず第一は、日本は店員が親切なことだ。
 特に、女性店員が。
 アメリカの店員はそもそもサービスするという意識がないので、
 「客が頼んでお願いする」ようになる場合が多い。

    ・そしてレストランの食事のうまさ!
    高級レストランのことではない。
    普段着でいける町中のレストランだ。
    値段はアメリカと比べて高い感じがするが、
    感激するような味が、それを充分に補う。
    私の評価では、イタリア料理では、イタリア以外では
    ニューヨークと並んで東京は世界最高水準だろう。
    また、中国料理では、中国以外でロンドンと同じ水準である。

・もう一つすばらしいのが、日本の都市では、
 電車とバスで何処にもいけることだ。
 つまり誰にも移動の自由がある。
 アメリカでは日本の都市と同じ自由度があるのは、ニューヨークだけだ。

    ・それでは日本がすべて良いかというと、そうではない。
    気候という面では、カルフォルニアである。
    澄んだ空気の中のすばらしい夕暮れ。
    私は、夏の夕暮れがこんなにすばらしいとは、これまで知らなかった。

・もう一つは、農産物だ。特に果物。
 イチゴやリンゴが、これほどまでうまいものとは知らなかった。
 この違いは、日米の違いより、大都会と田舎の違いなのかもしれない。

    日本はサラリーマンと正直者が負担を負う社会である。
    とにかく、戦後社会はそうなってしまった。

              
              ε(´',_c')зβyё☆βyёε('c_,'`)з゛
    ・・・・・・・・
    ・・・・・・・・
 
 2005年03月04日(金)
1431, 「堤義明の逮捕」のショック


西武鉄道の会長の堤義明が逮捕された。
角栄の逮捕ほどでないが、大きな時代の変わり目の事件である。
JOCの元会長で、西武ライオンズのオーナーで、西武鉄道グループの総帥で、
日本では名実ともに経済界のナンバーワンの実力者の逮捕である。


私が客室主体の客室のホテルを考え出したのは、
堤義明の言葉のヒントからである。
「ホテルの利益の元は、あくまでシングルルームがベースである。
また全てのホテルの建設の基本設計は、潰しが効く(転用可能)ようになっている。
客室の壁を取り払えば事務所ビルになる。」


それならオールシングルの客室のホテルにして、
更に柱の少ない建物(鉄骨つくり)にすれば良いと考えた。
このテーマとは少し違うが。
彼の経営手法では成り立たなくなったのか、
大きな判断ミスをしてしまったのか。


一時代を築いた、義明の兄・堤清二、ダイエーの中内功、ミサワハウスの
三沢千代治、と次々と消えていく。
西武鉄道グループは、日本では最も安定している会社と思っていた。
いや安定していたのだろう。崩壊する時はこんなものだ。
ーーー

ー先日書いた、関連の内容であるー

「西武鉄道前社長の自殺と、カリスマ失墜」

何回か堤義明について批判的な文章を書いてきた。

・プリンスホテル内で御付が、待っている宿泊客を制して、
 堤をエレベーターにのせた
・突然ヘリコプターでホテルに乗り付けて、査察をした
・頭の良い奴は要らない、実直な人材の方が使える

昨日の毎日新聞の三面記事の特集に、数ヶ月前まで栄華を誇った
「堤王国」の崩れたシナリオを生々しくレポートしていた。
この記事によると、
・今回の事態収拾後に院政を敷くシナリオであったとか。
 その事実を、証券取引等監視委員会の側近が証言をしている。

・昨年の役員辞任後も、電話などで頻繁に指示を出していた。

・有価証券報告書のほころびが、巨大グループの足をここまですくうとは
 誰も想像もしてなかったという。

・監視委員の幹部は「砂山に小さな針が落ちたら、山が崩れてしまった」
 と証言。

・そして、その堤は
 「気持ちの整理もまだつけかねている」
 「逮捕に脅える日々をおくっている」という。

晩節を汚してしまったことを、彼自身いまだに信じられないのだ。
週刊誌に昨年の暮れ「3月に堤義明の逮捕!」とリーク?されたが、
そのスケジュールに入ってきたようだ?


総務部次長の自殺に続いて、前社長の自殺だ。
これで彼が逮捕をされないほうが不自然な状況である。
大いなる中小企業の崩壊から、地方の崩壊の序曲がはじまるのだろうか?


この事態は一年前までは、考えられないことであった。
確固たる地盤がある珍しい存在に見えていた。


有価証券報告書への虚偽記載などが発覚した昨秋以来、
株価が3分の1以下になってしまった上に、上場廃止となった。
そのため株価が暴落、株式を担保に借金をしていた資金が担保割れの事態になった。
そのため銀行の態度が一変せざるを得なかった。
一皮剥けば張子の虎でしかなかったのだが、
崩れる時はこんなものである。


この問題は、考えてみれば中小企業問題でもある。
これから始る解体は?、中小企業の行方に重なるところが多い。
ペイオフの時期と重なるから、尚のことである。


これからは地方銀行の合併と、解体が今後進む。
西武の問題は、形を変え中小企業、特に地方に押し寄せてくる。
他人事の話しではない。
この数年の情報化で、何かが変わったのだ。


・・・・・・・
・・・・・・・

2004年03月04日(木)
1065. つれづれに-今日はお笑いの日ー2

ージョーク・ユーモア事典ー

<予言的中>

寝言で未来を予言する少年がいた。
しかも少年の予言は百発百中。
ある晩のこと、父親が突然口走るのを聞いた。
ーパパは明日の正午に死ぬ。

それからというもの一晩中まんじりとしなかった。
仕事を休んで、かかりつけの医者にすっ飛んでいった。
しかしどこも悪いところはなかった。
それでも心配で、精密検査をしてもらったが同じであった。
下手に動くと交通事故などに会うとまずいと自宅でジッとしていた。

刻一刻と正午が近づいてきた。
ついに、時計が12時を打ち始めた。

と、その時コツコツと靴音がして、郵便配達人がやってきた。
その12時を打ち終わった時、郵便配達人はドアの前で
バタリと倒れて、こときれた。

・・・・・・・
・・・・・・・

 2003年03月04日(火)
699,「ホームレス作家」−2 読書日記

「ホームレス失格」しか読んでないので「ホームレス作家」は書評できないので、
あるホームページの書評をコピーする。

 周囲に実質ホームレス以下の人が多くいるー最下位5佑澄
周辺と家族にも見放され、誰にも認めてもらえず、数度の自殺未遂の狂言がばれ、
今もその辺を彷徨っている人間だ。
 もうじきホームページを持たない人を「ホームレス」という時代が来るだろう。

「ホームレス作家」 書評 
  ーー・・・−−
石井 英和
  評価:A
  ホ−ムレス生活を心ならずも実体験しつつ著者は、彼等の日々が
「はっきりと記すことは出来ないが、もっと切実で狂おしい何か」への渇望に満たされている
ことを発見する。人類が太古の闇に捨ててきた筈の、恐怖の叫びに満たされた心の地獄。
その底へ落ちてゆきたいという倒錯した欲望が、実は万人の心の底にある。
だから人間は、無理矢理発明した「社会のシステム」を機能させ、それにすがって、
やっとのことで命脈を保ってきた。システムのほころびにはまりこんだ著者は、
「自分は作家失格?夫失格?なおかつ浮浪者失格?」と律儀に自問を繰り返しつつ彷徨い、
この手記をものにする。その視線の先、欠陥だらけの生を送る人間たちとその社会は、
いつかもの悲しいコメディの様相を呈し始める。
世界は実は、一個の壊れたオモチャなのだと知らしめてくれる書。

-------------------------------
 
  今井 義男
  評価:B
  本書をホームレスの一般論として読むのは適当ではない。著者は現役の作家であり、
原稿を書く環境が整い、それを買い取る出版社があれば収入が見込めるのだ。
現にこうして本が出ている。住居を失ったとはいえ家族は施設で保護され、
なにかと気にかけてくれる人もいる。他のホームレスに比べればずいぶんと状況はマシである。
したがって、大変な事態には違いないのだろうが、著者の苦闘ぶりはどこか仮の姿のようで
あまり深刻な印象はない。本文中ボランティアや宗教関係者に対する強固な偏見が見受けられる。
他人が口をはさむ性質のものではないが、彼らがいなければ明日にでも生死にかかわる人たちが
いることにも目を向けてほしい。もの書きならなおさらである。本筋とは離れるが、
著者が三日でクビになったバイト先の<共同出版>の話は実に興味深い。
色んな商売があるものだ。

-------------------------------
 
  唐木 幸子
  評価:A
  この著者は前の年の年収が500万円、通常は1000万円の年収があったという作家だ。
妻子を養うに充分な収入だと私は思う。それでも、こんなにあっけなくホームレスになるのだ。
最近は、ホームレスになる恐怖にサラリーマンでもさらされている。
私だって23年間も月給を貰うのが当たり前の暮らしだが、そういう心配が全くないとは言えない。
でも本著を読んで私は学んだぞ。例えそういう事態になったとしても、
他のホームレスの人々と寄り集まって酒盛りだけはしない。酒を飲む金があったら、
体の汚れや臭いを落とすことに使う。ここが著者が再び社会に戻って来れた分岐点だ。
それにしても居丈高に登場しては著者を貶めるケースワーカーの女は本当に腹立たしい。
このように無知で程度の悪い人間を取り立てる行政は、一体、何の積りなのだ。
こんなのにも負けず、よく頑張ったなあ、この著者。今、どうしているんだろう。
この本が売れて、ちゃんとアパート借りて、奥さんや、あの可愛い娘、産まれた赤ちゃんと一緒に
暮らせていますように。待てよ、そうするとまたホームレスへと…。


ーーーーー
「ホームレス失格」書評と概要

−あの「ホームレス作家」の第二弾です。以前、本サイトでもご紹介しましたよね。
 普通に考えると、「そうか、あの企画、当たったもんな。ここは柳のしたにドジョウが
 7匹いる出版界だから、この路線でまた売るんだな」と考えてしまいますが、そうじゃないんです。
 この人、ホントは「連帯保証人」という作品を書いてたんです。
 ところが、これが終盤まで書いてどうも筆が進まない。編集者からは、
 「ホームレス作家という作品はたまたま書けただけで、もう、あなた、書けないんじゃないです
 と言われる始末。でも、そうじゃなかったんです。
 「じりじりするようなリアリティ」が感じられなかったんですね。だから、どうしても乗れない。
 そんな自分を感じていたわけですね。

 では、じりじりするようなリアリティというのはどんなことか?
 それを述べる前に、この人が「ホームレス作家」という作品を出す前、
 出した後の状況変化について話しておきましょう。
 まず、出す前。文字通り、ホームレスでした。夜中の一時半から五時まで、吉祥寺界隈を
 歩き回っていたといいます。そして、始発と同時にホームに入る。 
 そうすれば、暖が取れますからね。食べるものもない。借金や食べ物を頼むと、説教だけされる。
 そんな毎日だったそうです。
 奥さんは子供を連れて出奔してしまいます。「貧乏はもう嫌だ」というわけです。
 小さい子供とお腹に第二子を孕んだ奥さんが頼るのは生活保護しかありません。
 それで、新宿、品川と流れていくんです。

 さて、出版後です。この企画は当たりました。
 出版と同時にテレビで再現ドキュメントなどが放送されるなど、社会的な注目も浴びました。
 しかも初版4万部ですよ。こんな数字は堺屋太一さんでもありませんよ。印税が600万円。 
 このお金があれば、ホームレスから足が洗えます。 
 実際、この人も版元の社長の紹介で家賃5万円のアパートを借りられたんです。
 一年分前払いです。まだまだ残る・・・と思うでしょ?
 ところが、数カ月すると、せっかく買ったテレビやプリンタを売りに行く始末。
 どうしてか?
 
 前に住んで自治体から請求が山のように来たんですね。市民税、健康保険、その他、
 そに個人から借りた返済もある。テレビを見たサラ金から、再び、請求が来る。
 あれこれ払ってると、もう手持ちが数十万円しかない。それだけではありません。
 もっともかかった費用。それは3人の弁護士に払った費用なんです。

 どうして、弁護士など雇ったのか。
 それは品川区の社会福祉部の横暴に対して、個人ではどうすることもできず、
 区議会議員や弁護士で対抗せざるをえなくなったからです。
 しかし、行政というのは勝手なもんですね。担当者は自己保身ばかりが先に立ち、
 てんで市民のことなど考えない。
 市民を騙し、区議会議員まで騙し、それで顔色一つ変えない。
 個性というか、人間性もない、機械のような、仮面をかぶった人たちなんですね。
 おかげで、これだけの印税収入が入ったのに、親子で暮らせないんですよ。
 会わせてもくれない。考えられます?
 それが法律上のことではなく、一担当者、一組織の見解として、邪魔するんですね。
 その理由は?
 どうも、法律違反をして、問題視されることを恐れて、隠しに隠す。
 そう、外務省や警察と同じです。公務員というのは、どうしようもない人種のようですな。
 ホームレスから脱出できた幸福感というか、安心感。
 そして、奥さんと子供たちと暮らせないという空虚。この二つの間を、著者は何度も
 行ったり来たり。「たしかに、この日、私は定住の場を回復して、ハウスレスではなくなった。
 しかし、ホームという言葉が家族の存在を前提とするのだとしたら、
 私はまだホームレスの状態を脱したわけではになかった。そして、これから先も長く、
 この状況を続けなければならないことを、このときの私は知りもしなかったのだ」

 このじりじりするようなリアリティを先に書きたい、そんな魂の叫びが随所に感じられる一冊。

・・・・・・
・・・・・・
2002年03月04日(月)
349、われ思う、ゆえに我あり

「われ思う、ゆえに我あり」この言葉をもじって、
過去の哲学者がいろいろ書いている。

「われ意志す、ゆえに我あり」
「われ笑う、ゆえに我あり」
「われ行動す、ゆえに我あり」
「われ感激する、ゆえに我あり」
等々。
その中で「われ意志する、ゆえ我あり」がいい。
意志するとは、人間の思考の基本といっていいからだ。

意志薄弱はその正反対の言葉だが、意志が固いはモノゴトを
やり遂げるベースである。

「われ??する、ゆえに我あり」の??探しが一種の課題なのかもしれない。

今考えられるのは
ーセックス、夢みる、感動、感謝、耐える、食べる、話す、恋愛、愛、働く、
死ぬ、いきる(生きる、活きる、・・)読書、創る、働く、遊ぶ、・・

いくらでもあるものだ。  
  


1795, 心に効くクラシック−2

2006年03月03日(金)


            っω-)..。oо○(゚+。ぉレ£∋ぅ゚+。)
               
               ー 読書日記
 ー音楽がもたらす効用ー

音楽がもたらす効用は多大なものがある。
まずは感情伝達の効果をあげることができる。

私も音楽で何度か人生の危機を救われたことがあった。
最後は目をつぶり静かにしているしかない時、
何げなくかけた音楽が心の底で魂を包み込んでくれた経験を何度かしてきた。

   気分が滅入ったとき、励ましてくれる凛々とした曲を聴いていると
   いつの間にか気持ちが立ち直っていることがある。
   朝起きたときに庭の小鳥の声を聞きながら、軽やかなフルートなどの
   音楽を聴いて目覚めれば一日が爽快になる。
   疲れを癒すような音楽を聴きながら就寝すれば、快適な就眠ができる。


その意味で心理状態のコントロールが音楽の選択ひとつで可能になる。
現在はCDなどがITで安価で手に入る時代、
感情コントロールがしやすくなっている。


我われは自我の成長にしたがい、親からも、世界からも、
切り離された存在が思い知らされる。
生まれる時も、死ぬ時も自分一人であるという孤独感を抱え込む。
それは人間という動物が持つ不安である。
分離不安といわれるものである。
それが母親の懐へ回帰しようという願いを抱える。
それを音楽が深いところで慰めてくれる働きをする。

                   且_(゚◇゚;)ノ゙まあ、コフィーを!
クラシックは長い時代のフィルターを経て残ったものである。
ポピュラーは時代の限定を受けているが、
クラシックは時代を乗り切ってきた普遍性がある。
音楽のプロの選択眼を乗り越えてきたものは
信頼に足るものであるのは当然である。

   
クラシックは一般的に欧州の音楽をさすが、
   なぜ欧州なのだろうか。
   これは5線符は、他の文化圏の音楽をある程度書き取ることができる。
   その反対に、日本の音符は楽譜に書き取ることは難しい。
   だから、多くの音楽の音を表現できる構造になっている。

人間は普遍的なものに近づく努力を常に何処かでしているが、
音楽においてはその努力が、クラシックを残していくことになる。
その淘汰の中で残ってきたものを、われわれは今、
「クラシック」として聴くことができる。

                    ゚+.βуё゚+.(つ●_`*)ノ"
・・・・・・
・・・・・・

2005年03月03日(木)
1430.危ない格言 5

・死後の世界は、もっぱら、まだ生きている人間専用にある。

ーmy感想ー
死んだ人間のためにも、必要なのにね〜
死後の世界を信じて死ぬのと、信じられないで死ぬのと、
ドチラガよいかが,その人の信仰の突き詰めた原点では?
信じたほうが気楽なのに。

ーー

・釈迦は、水の上を歩いて見せるような奇術を弄さなかった。
インドにはその手の奇術を見せる輩が沢山いたので。

ーmy感想ー
存在していたかどうかさえ定かでないのに・・・
まあ、やめておこう!
宗教は必要です。

ーー

・信仰が確固として成り立っているなら、信仰の対象は実在する必要がない。
信仰が人間の精神、関係、社会統制にもたらす効果は、その対象の
実在がもたらす効果は、その対象の実在がもたらし得るかもしれない
それを遥かに凌駕する。
たとえ、その対象が全能の神であろうと。

ーmy感想ー
「信じるものは救われる」ということか。

ーー

・霊魂は不滅であってもかまわない。
さて、不滅を信じ、主張するものたちにとって不幸なことは、
それが何であるかを、彼等は全く説明できないということだ。
何だかわからないものは、勿論不滅であっても、なくてもかまわない。

ーmy感想ー
霊魂は言葉の中にもあるから、どう解釈してよいのか?

ーー

・神というのは、信じる者たちの敬虔さと信仰を欠く者への強烈な敵意と
憎悪による脅しが除かれてしまえば、むしろ滑稽な観念のつぎはぎ細工に
しか見えない

ーmy感想ー
イスラム教徒を、遠くから見ると全くその通りである。
キリストも、ユダヤも同じか?
アブラハムとかいう人の発明品のXに対して、
白・赤・土色が都合よく創りあげた宗教でしかないのに。

・・・・・・・
・・・・・・・

2004年3月3日
1064,つれづれに

つれづれにー今日はお笑いの日
ージョーク・ユーモア事典ー

<合い鍵>

小さい女の子が生まれて初めて母親とお風呂に入った。
そして母親の下半身を見てきいた。
ーあら、それってなに?
ーこれはね、天国の入り口よ。

一週間後、娘は初めて父親とお風呂に入った。
そして父親の下半身を指をさしてきいた。
ーパパ、これなに?
ーこれは天国の鍵だよ。

ー天国のドアを開けられるのパパだけ?
ーそうだよ、もちろん。
そうすると娘は不思議そうな顔をして、父親の耳元に口を寄せてささやいた。
ーパパ・・・上の階のおじさんは合い鍵を持っているようよ。

・・・・・・・・
<7歳の坊や>

司祭館から出たとき司祭は小さな男の子がタバコをスパスパ吸っているのを
目撃した。
ーおや坊や、タバコを吸うのはまだ早いよ。いくつだね?
―7歳だよ。吸いはじめてもうだいぶんになる。
ーエッ、なんだって?いつから吸いはじめたの?
ー童貞を失った日さ。
ーいつのこと?
ーもう覚えてない。あの時はへべれけだったからな。

・・・・・・・
・・・・・・・

 2003年03月03日(月)
698, 「都都逸」の世界

・信州信濃のしん蕎麦よりも わたしゃあなたのそばがよい
・女房にいえない仏ができて 秋の彼岸のまわり道
・嫌なお方の親切よりも、好いたお方の無理が良い
・好きと嫌いとどれほど違う 命ただやるほど違う

若い頃に、このような都都逸を知りよく口ずさんでいた。
今でも「その味わいに感激した」のが印象に深く残っている。
7~8年前まで、いまは亡くなったが、近くの不動産の社長と
古町の料理屋で、芸者を上げて彼が都都逸を歌っていた。
なんともいえない雰囲気と味があった。
十数年通ったか?

インターネットで調べてみたらもっともっと味がある都都逸がでてきた。
何ともいえない味がする。そろそろ小唄か都都逸を年増のお師匠さんの
ところに習いにいく歳になってきたのか?
芸者でも上げて座敷で歌ったらおつなものだろう。

・都々逸は「七七七五」の二十六字詩。どどいつの起源は、寛政十二年(1800)
名古屋の宿場遊里・東海道宮の宿のお仲という熟女が唄い始め、三十余年
経て東漸したというのが定説である。
名古屋市熱田区伝馬町裁断橋のそばに「都々逸発祥之地の石碑がある。
その囃し詞 から、どどいつ節といわれる様になったという。

  ・・・・・・
・お酒飲む人しんから可愛い    
           飲んでくだまきゃなお可愛い
・淋しがりや一本提げて
           淋しがりやに逢いにくる
・私にはしらふで言わせてそのくせずるい
           あなたはお酒に言わせてる
・可愛い女の寝顔にただの
           水がしみじみうまい夜
・あの人のどこがいいかと尋ねるひとに
           どこが悪いと問い返す
・弱虫がたった一言ちいちゃな声で
           捨てちゃいやよいった晩
・9分と9分と互いに許した心と口に
           はっきりいえないあと一分
・朝から嬉しく立つ茶柱に
           逢える布団を陽にあてる
・酒の相手に遊びの相手
           苦労しとげて茶の相手

・赤い顔してお酒を飲んで 今朝の勘定で青くなる

・諦めましたよ どう諦めた 諦めきれぬと諦めた(伝:都々逸坊扇歌作)

・あついあついと言われた仲も 三月せぬ間にあきがくる

・色はよけれど深山の紅葉 あきという字が気にかかる

・色が黒うて惚れ手がなけりゃ 山のカラスは後家ばかり

・入れてもらえば気持ちはいいが ほんに気がねなもらい風呂

・梅も嫌いよ桜も嫌よ ももとももとの間(あい)がいい

・うちの亭主と炬燵の柱 なくてはならぬがあって邪魔

・団扇づかいもお客によりて あおり出すのと招くのと

・浮気うぐいす梅をばじらし わざと隣りの桃に咲く

・嬉しい首尾したそのあくる日は 仕事出しても手につかぬ

・岡惚れ三年 本惚れ三月 想い遂げたは三分間

・親の気に入り私も惚れる 粋で律義な人はない

・帯も出来たし箪笥も出来た そろそろ旦那と別れよか

・面白いときゃお前とふたり 苦労するときゃわしひとり

・おまはんの返事一つでこの剃刀が 喉へ行くやら眉へやら

・岡惚れしたのは私が先よ 手出ししたのは主が先

・逢うて心のくもりも晴れて ふたり眺める 蚊帳の月

・重くなるとも持つ手は二人 傘に降れ降れ 夜の雪

・鬼が餅つきゃ閻魔がこねる そばで地蔵が なめたがる

・可愛いお方に謎かけられて 解かざぁなるまい しゅすの帯

・顔見りゃ苦労を忘れるような 人がありゃこそ 苦労する

・君は吉野の千本桜 色香よけれど、きが多い

・君は野に咲くアザミの花よ 見ればやさしや 寄ればさす

・遅い帰りをかれこれ言わぬ 女房の笑顔の気味悪さ

・おろすわさびと恋路の意見 きけばきくほど涙出る

・お名は申さぬ一座の中に 命あげたい方がいる

・重い体を身にひきうけて 抜くに抜かれぬ 腕枕

・逢うたその日の心になって 逢わぬこの日も暮らしたい

・酒は飲みとげ浮気はしとげ 儘(まま)に長生きし遂げたい

・白だ黒だと喧嘩はおよし、白という字も墨で書く

・末はたもとを絞るとしらで 濡れてみたさの 春の雨
(伝:陸奥宗光作)

・すねてかたよる布団のはずれ 惚れたほうから機嫌とる

・千両万両の金には惚れぬ お前一人にわしゃ惚れた

・添うて苦労は覚悟だけれど 添わぬ先からこの苦労

・便りあるかと聞かれる度に 別れましたと言うつらさ

・猪口々々(チョクチョク)逢う夜を一つに纏め徳利(トックリ)話がしてみたい

・出来たようだと心で察し 尻に手をやる 徳利

・主と私は玉子の中よ わたしゃ白身で、きみを抱く

・花は咲いても身は山吹よ ほんに身になる人がない

・ひとりで差したる唐傘なれば 片袖濡れよう筈がない

・惚れた数から振られた数を引けば、女房が残るだけ

・惚れて通えば千里も一里、逢わで帰ればまた千里

・惚れさせ上手なあなたのくせに あきらめさせるの下手な方

・枕出せとはつれない言葉 そばにある膝知りながら

・ゆうべしたのが 今朝まで痛い 二度とするまい、箱枕

・横に寝かせて枕をさせて 指で楽しむ、琴の糸

・よその夢見る浮気な主に 貸して口惜しい、膝枕

・わたしゃお前に火事場の纏 振られながらも、熱くなる

・面白いときゃお前とふたり、苦労するときゃわしひとり

・おまはんの返事一つでこの剃刀が、喉へ行くやら眉へやら

・岡惚れしたのは私が先よ、手出ししたのは主が先

・逢うて心のくもりも晴れて、ふたり眺める 蚊帳の月

・重くなるとも持つ手は二人、傘に降れ降れ 夜の雪

・鬼が餅つきゃ閻魔がこねる、そばで地蔵が なめたがる

・可愛いお方に謎かけられて 解かざぁなるまい、しゅすの帯

・顔見りゃ苦労を忘れるような 人がありゃこそ、苦労する

・君は吉野の千本桜 色香よけれど、きが多い

・君は野に咲くアザミの花よ 見ればやさしや、寄ればさす

・・・・・・・・・・・・・・
http://www.ne.jp/asahi/rokusekitei/kamigata/doditu.html

・・・・・
・・・・・

2002年03月03日(日)
348,否定の否定の落とし穴

「マイナス言葉+ない」という言葉のトリック。
「苦しくない」「悲しくない」・・・
これは意外な落とし穴がある。

否定語を否定するとプラスにみえるが、
それが常態になると、否定語が勝ってしまう。

私の嫌いな「子狐」を例にとる。
否定を否定しているが、そのうち子狐が勝ってしまうのである。
悪貨は良貨を駆逐するのは真実だ。悪貨から離れるしかない。

従ってどうしたらいいか。
父が教えた「近所の人と親しくなるな!」である。
これ以上書くと差し障りがあるから、書いてはいけないが。

近所は否定語の最たるものだ?ー意味深長!
空間は早々変えることができない、真空にしておくべきだ。
一年に一度ぐらいが最高レベルの付き合い限度と、ある本に書いてあった。

言葉は難しい、そのトリックに知らないうちに落ちてしまうからだ。
人間関係も然りだ。

「いやよいやよも好きのうち」の最たるものだ。
嫌いなら離れるべきだ。
人間にもプラスとマイナス要素をがある。
プラス要素の多い人となるべく付き合うべきだ。

マイナス要素(多い)の人は長期的に付き合っていると、
必ずマイナスの毒を飲まされる。今更いうことがないが。
よどんでいる所、人にはガスが溜まる。

マイナスの要素の否定は、その否定よりマイナスが勝ってしまう。
更に否定そのものが、マイナスの加勢する。


1794, 超アメリカ整理日記 −1

2006年03月02日(木)

超アメリカ整理日記 −1

              (o´・ェ・`o)♪ぉはょぅ
                       
                   ー読書日記
ースタンフォードから日米をみると・・・ー

野口悠紀雄氏がスタンフォード大学客員教授時代に週刊ダイヤモンド誌の
2004年5月1・8日合併号〜2005年4月16日に連載したものをまとめたもの。
米国生活からみる日本の政治経済システムの貧困を説いている。
政治経済学者の視点で、米国と日本のシステムの差異の分析が解りやすい。


    現在の日本の国際競争力の低下、高コスト構造、年金制度、など、
    社会システムの非合理性を指摘している。
    イケア、マイクロソフト、トヨタ、米国デトロイトの盛衰なども登場。
    経営、経済、経済システムや、荒涼とした大地に、
    都市と生活とクルマ社会のアメリカのシステム。
    それに対する、日本という国土の狭い国の諸処にシステムとの比較、
    それによって、浮かび上がってくるシステムの矛盾の指摘がわかりやすい。
              
                   ~~旦_(^O^ ) コフィーどうぞ!

ー印象に残ったところを幾つかあげてみる。

p.43 「能力に応じた役割分担」こそ、
 アメリカ社会の能率を支える基本的なメカニズムなのだ。

   p.190 日本で所得を得て海外で生活すればよい
   →日本の高い物価を回避する手段。
   年金生活者にとっては、不可能ではない。
   ただし、現地のコミュニティに溶け込むことが、重要。

p.204 伸びる中国、追うのは日本ではなく韓国
→スタンフォード大学に留学生数では、中国人がトップ。
現在、2番手は日本ではなく、韓国。ここ10年で逆転されている。
日本の資源は人材であると考えると、将来が不安と指摘。
米国のトップスクールで学んだ経験とそのときの人的ネットワークは、
ビジネスをする上で非常に有利に働くと考えられる。
これらを考えると、
10年後の日本はどうなっているのだろうか心配になる?

   p.237 まともに生きる人間が正当に報われるアメリカ社会

   p.245「人間の時間間隔は、<新しい経験をどれだけしたか>によって決まる」
 
最近の野口悠紀雄氏の本は、ほとんど目を通しているが、
この本は実際のアメリカ滞在者の実感が正直に書かれていて
説得力があってよい。
自己制御がきかなくなっている日本の現状は、
一歩外からみると鮮明にみえるのだろう。
               
               [○´・ω・]ノ ヂャァネッ

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・・・・・・・・

2005年03月02日(水)
1429, 中年クライシス(中年の危機)の悲劇


岐阜で57歳の父親が子供と孫と犬を道ずれに心中を図った事件があった。
以前から、随想日記で書いてきた「中年クライシス」の暴発である。

母親の痴呆と、長男の問題、病気、職場の関係、犬の世話等々で、
自分の神経をやられてしまった典型的な事例である。


そういえば、十数年前の私の環境に似た環境である。
海外旅行と、精神療法系の本を読んでいたので何とかのりこえた。

40代後半から60代前半は、こういう問題が誰にも押し寄せる。
見せているか見せていないかだけである。
その中で一人でする、スキップと鼻歌は、
背中に大きな荷物がある為か演歌調になるが。


真面目な人ほど、ある日突然爆発する。
その処理法の知識がない上に、気弱だと、尚のことである。
この人の趣味は警察犬の調教とTVでいっていた。
それでも苦しみを乗り越えることができなかったのだろう。


外的適応に疲れ果てた末路といえばそれまでだが、
人生の転換期に、内側に対して目を向ける術を知らなかったのだろう。
深い洞察に裏づけされた内的適応が必要だったのだ。


痴呆症の親族と同居は、苦しみの底に落とされてしまう。
直接原因はこれだろう。


以前、読書日記に
ー『心』の出家ーの感想文を書いた。
後でコピーしておきますが、
その一節の言葉が印象的である。
                       
ーー

自分の周囲に張りめぐらした垣根(ペルソナー仮面)
を取りさることである。
神吉拓郎の「金色の泡」の中での主人公欣吾と従兄弟の会話で
以下のことを語らせている。

 ー文雄がいった。
「俺、発見したんだ」
「なにをさ」
「40にして惑わず、という言葉があるだろう。騙されてはいけない。
 あれは偉大なる皮肉なんだ。本当はそうなんだ」
「どうして」
「とにかく、そうなんだ。40前には、迷うことなんかないよ。
 夢中だよ。世の中に出たばかり、目がくらんでいるか解らない。
 あり合せの目標に突っ走る。
 一段らくしたときが一番恐い。
 40をすぎた頃に初めて迷いが出るんだ。
 今まで何をしてきたのだろうか気づくんだ。
 え、そうじゃないか。迷いが出てきただろう」
「そういえば、そうかな」
「迷うのは、40からなんだ。それが本当だよ。
 恐らく、死ぬまで迷い続けるんだろうと思う」
「迷わない奴だっているだろう」
「そんな奴は、一生馬鹿なままさ。
 しあわせという言い方もあるだろうがね」

ペルソナ(社会的仮面)は必要なものである。
それは一定の効果を持つし、社会を渡って行くために不可欠かもしれない。
しかし、その仮面を剥いで生きたいと、こころの奥に思っているものだ。
そのことに気づき、生き方の大転換を図るのが、こころの「出家」なのだ。

ペルソナについて、ユングは、外部に対する適応とか、やむをえない便宜とか
理由から生まれてきた一種の「機能コンプレックス」であるという。
それは個性というものとは違うものである。
安定したペルソナの下に。常にそれに影響を与え、それを脅かす内的世界が
存在している。ーーーー

ーー
誰も、この一家心中の中年男の心を知ることが無かった。
タマタマ犬の調教で、TVのニュースの映像が流されていた。
真面目な、気弱そうな、何処にでもいる善人面をしていた。
私の解釈では、
・真面目な、
・気弱そうな、
・善人面
ということが、問題全てを一人抱え込んでしまった。
誰に聞いても、優しい良い人だというところに問題があった。
それ故に、
母親と長男の問題と、職場の配転とか、犬の調教の疲れなどの
全てが、長年にかけて山積になった。
良い人というペルソナを、脱ぎ捨てるとかができなかったのだ。

ーーー
2002/05/19
自分の人生のつくり方 -いろいろな悩みー3

それでは自分の人生のつくり方とは?どうしたらよいか。

ライフワークをきっちりつかまえて、その都度脱皮すればよい。
「脱皮できない蛇は死ぬ」というが、そういう人間で満ちている。

ライフワークとは、一生涯を通じてやり遂げる趣味と仕事。
そして一生涯を通して脱皮の時期がある。
7年説、8年と10年という説がある、ライフサイクルというが。

・7年ー7歳、14、21,28、35、42、・・と節目がある。
・8年ー16、24、32、40歳・・
・10年ー20,30,40,50年歳と・・

またこういう説がある
1、児童期・青年期  0〜22歳
2、成人前期     17〜45歳
3、成人中期ー中年期  40〜65歳
4、成人後期ー老年期   60歳以降

重なっているところは移行期、これが一番わかりやすい。
これと7年説が私の一番納得できる。

その節目ごと、脱皮していく事をいう。
「節目を叩け!」という諺があるが。

自己実現という言葉がある。たしかユングの言葉であった。
自分のなりたいこと、したいことを実現することをいう。
それも一生涯を通してだが。
それを自分の人生という事にならないか。

子狐がここにきて、にわかにそれをつくろうとしている。
やらないよりはいいが。
やるなら10年〜20年スパンで何をすべきか判断して、
それぞれ節目を作り、やり通すのがライフワークである。

それをやり通すことが、結果として自分の人生という。
「濡れ落ち葉」はそれを全くやってこなかった人、
そして、これからもそれを見つけられない、その気力のない人
をいうのではないか。

 中年クライシスという中年の危機といわれてのが、これである。
 中学の先生もそれだった。
 今度中年クライシスについて書いてみよう。
     周囲はその人たちで満ちている。
   一ヶ月前、近くの58歳の人が自殺したという。
      家を新築したばかりなのに!
 それにしても、無知すぎる!

ーーーーーーーー
2002/10/13
予定挫折

ミスマッチの組み合わせの言葉である。
挫折は途中で断念してしまう事で、予定していれば挫折でない。

この組み合わせの意味は、挫折時期を予想しておいて
その準備をしておく事である。

私の場合、大学受験失敗や他の挫折を人生の前半に重ねた為、
挫折の痛みと、反面その必要性を実感をしていた。

必ず生きていくうえで変化と転進の必要性がある。
大体が7年である。
その時期を読み、変化を積極的に自分で創らなければならない。
その時にそれまで続けてきた事を止める、これが予定挫折である。

スキーを子供のとき滑って失速した時、自分から前向きに倒れるコツ
を覚えた事があった。
その方が大事にならないで済むことを繰り返しの中で知った。
柔道や合気道で、まず訓練をされるのが受け身や倒れ方である。
予定挫折を初めから組み込ん、その時期がきたら割り切って
しまう事が必要である。節を予定して積極的に創っていく事だ。

ある甥が大手の会社に7年在職後、さっさと辞めて漫画家になった。
有名らしいが漫画を見たことがない。
曰く「入社前から、そう予定していた!デザインで社長賞を貰った
し、自分では為残した事はない。漫画家は自分がなりたかった仕事。
それで生きていけそうだし楽しい!」

私事だが、29歳の時に成り行きで実家の商売をみる事になった。
五年を目安とその時の勘で思った。勿論そう宣言をしていた。
3年も経てば兄弟が一つ舟の舵取りは無理!と実感。

予定どうりに5年で今の事業に転進したが、少しは挫折感があった。
これが予定挫折というのかと苦笑をした。
しかしすぐに次の仕事がたっぷり待っていた。

挫折時期はある程度読めるものだ。
定年退職やリストラとかで、無知の為に中年クライシスに
なってしまうのは、ただ流されて生きているからだ。
準備をする時間はあった筈である、たっぷりと!!

 ・・・・・・・
・・・・・・・

2004年03月02日(火)
1063, 高級1DKマンション−1

 高級というよりアッパープライスのマンションという表現が適当だが。
最近インターネットで、最新型の1DKマンションをネットサーフィンを
しながら調査をしている。そして面白そうなものは、資料を取り寄せている。

特徴としては、多くのホテル並みのサービス機能がついているものが多い。
もちろん、高速インターネット付である。
イメージとしては「スタジオ・マンション」という感じである。

ホームページを見ていると、何か別世界に入り込んでしまったような錯覚を
してしまう。情報化社会の時代の新しい空間とは、こういうカタチと
見せつけられたようだ。
またソフトハウスとしても利用可能のようである。

特に新橋や品川や山の手周辺に多く、一室で月20万〜70万もする。
ホテルの1泊3万の部屋を月契約で2万円にしても、月60万になってしまう。
ならば少し高くとも、長期滞在専門の本格的な1DKが求められて当然である。

大規模のものが近々、品川にオープンするが、都心だから入居者があるのだろう。
買って、そこに縛られるより、こういうところを渡り住んで楽しんだ方が
良い。面白い時代になったものだ。

古ビルを買って、情報・サービス機能付き空間に大改築をするのも面白い。
時代の変化に合わせて、既存のものを変える事業も出てきているようだ。

組み合わせを変えることによって、新しい価値の創造をするデザインが
現在求められている。

ホテルプロジェクトを1DKに集中?
「高度化」がキーワードになる。

・・・・・・・
・・・・・・・

2003年03月02日(日)
697, ルーツー2(縦人脈)

ーその資料によると
 先祖を遡ると「平家の侍」であったが「源平の戦」で負けて、落人となって
富山から上越と逃れてきた。そして「上杉家の家来」になった。
上杉謙信の時代に、上越の高田の先にある新井市の郊外にある「鮫ヶ尾城」という
出城の城主であった。
 謙信の死後、跡目相続の争いの「お館の乱」に巻き込まれて、小千谷の郊外の
片貝の近くの「池津」の村に知人を頼って逃れてきたという。
その時の先祖の名前が「堀井宗親」と「堀井四四太郎」という。
一緒に逃げてきた名前が馬場、小黒、大矢とか。

その後、そこで百姓をしていたようだ。
ルーツというほどのものではないが、平家・上杉という流れと、関西ー富山ー新井
ー小千谷ー長岡の流れがある。
また、武士ー百姓ー商人という流れも時代によって変わってきている。
金沢にいた時(25歳)によくいった店が落人焼きの「平家」であった事を思い出した。
また第二新館の鉄骨が富山の「堀井鉄工所」であった。
その検査に富山に行った時に会った社長は正しく「堀井ヅラ」であった。

その時入った食堂の電話帳で堀井の名を調べてみたら、三桁に近い堀井の姓があった。
上越市も新井も小千谷も本当に多いのだ。
長岡は10あるかないかで、新潟市では数人しかいない。

20年近く前に家内と子供と、ドライブがてら鮫ヶ城に行ってきた事を思い出した。
車を止めて、そこから独りで歩いて城跡に行ったが、そこに立った時に何ともいえない
気持ちになった。
何か昔の記憶が沸き立ってくるようなフワ〜という感覚で、何かオーラに包まれたような
気分である。この気分は柏崎の「極楽寺」に行った時に同じ気分になった事があった。
そこで亡くなったある僧の墓を訪ねた時だった。
人間の脳には全く知られてない領域を感じた瞬間であった。

家のルーツ探しから500年ー1000年スパンの鳥瞰ができたのが最大の収穫だ。
それと「自分とは何か?」を考える一つのヒントになったことだ。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

 2002年03月02日(土)
347,心の陰

人を指さしたとき、他の指は全て自分のほうを向いている。
人を非難するのは、結局自分の影を非難しているに過ぎないことを,
いっているのだ。

「他者認識は不可知」という論がある。
ー他人のそれを認識はできない、認識したらもう他者のそれでなく
自分のそれを認識しているに過ぎないー

これが理解できるかどうかで、
「人生に背負っている人間関係の重荷」が半分か三分の一に軽減する。
特に「嫌いな人間」に対しては「自己の嫌いな部分」
をみているにすぎないからである。
自己脱皮のできない「子狐」どもを嫌っているのは、
今でも脱皮できなかった自分の部分を見ているからだ。
自分もその「子狐」で、少し程度がいいだけだからだ。

私の嫌いな
「教養のないオバサン」
結局教養のない現実志向も、自分のある一面であるからだ

・・・・・・・・
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ーお笑い
「収賄 」

自眠党経政会
「コネにて(賄賂)一件落着!」
  −−
自眠党経政会陣笠代議士
「なんで警察に呼ばれた?」
自眠党経政会大物代議士
「収賄だよ!」
陣笠代議士
「何で解決したんですか?」
大物代議士
「贈賄だよ!」


1793, 心に効くクラシック

2006年03月01日(水)



          ォ'`ォ'` 。+゚ヽ(。・c_,・。)ノ゙。+゚ォ'`ォ'`
             
                 ー読書日記
 ー深夜のクラシックー

昨年の3月に高性能のコンポを買ってから毎晩、
約一時間CDを聴きながら就寝している。

    十年前にクラシックのセットものや、
    最近では100曲3000円のセットを幾つか買ったものがある。
    それほどの愛好家でもないのに、もう千数百曲以上になる。
    レコードなら、大きなスペースが必要だろう。

少しボリュームをあげて聴いているが、
大体CDが終わる直前で寝てしまう。

                 Φ( ̄▽ ̄Φ)♪(Φ ̄▽ ̄)Φ"〜♪
                 
                  (*ゝ,●・*)ノ^【☆sweet dream!!☆】
    ところで、先日買って読んだ
    「心に効くクラシック」という本が良い。
    音楽が心に及ぼす効果や、クラシックの心の効用を探り、
    それぞれの作曲家の特質と曲を解り易く説明している。
    バッハ、モーツアルト、ベートーベンや、ショパンなどを
    紹介して、それぞれの代表作を紹介している。

絵画もそうだが、
それぞれの時代背景と作曲家の音楽に込めた魂の意味と深さを知ると、
対象の音楽が全く違ったものに聞こえてくる。

    やはり意味を知ってこそ、音楽の醍醐味を味わえる。
    極度のスランプに陥った時に、
    慰めてくれるのは音楽と先人の格言である。
                        ♪♪((((*`・´))))♪♪
この本の紹介文をコピーしておきます。
 
 ーーー
「心に効くクラシック」

  生活人新書
 富田 隆/山本一太 著

悲しい気分のときに、
ある曲を無性に聴きたくなるということはありませんか。
それが浜崎あゆみであったり、中島みゆきであったり、
ビートルズであったり、はたまたモーツァルトであったりと、
きっと百人いれば百曲の好みが出てくることと思います。

すべての人を同じ気分にさせるような音楽というものはありえません。
しかし、比較的多数の人々にある一定の心理的効果をもたらす曲の存在が
さまざまな実験を通してわかってきました。

この書では、クラシックの名曲がなぜ心に効くのかを探るとともに、
あなたの心が欲しているとっておきの一曲を紹介しています。
ぜひ一度心の状態に合わせて「処方」した一曲を聴いてみてください。

・心の疲れを自覚したときに
   ペルト「フラトレス」
・派手に気分転換したいときに
   レスピーギ「ローマの松」
・心焦がす想いをもう一度味わいたいときに
   シューマン「詩人の恋」
・自然の息吹に触れたいときに
   ヤナーチェク「青春」

「心を癒す60の処方箋」の中のほんの一部です。
このほかにも多種多彩な名曲がずらりと並んでいます。
誰でも知っているような曲もありますが、
それはむしろ例外といえるかもしれません。

 心と体をリフレッシュさせながら
「クラシック通」にさせてしまおうというのが、
この本のもうひとつの(隠された?)テーマなのです。

ーー

以上だが次回から、
この本からポイントを抜粋してみる。
                   Byeヾ(。´・ェ・`。)Bye
・・・・・・・
・・・・・・・

2005年03月01日(火)
1428, ワインの話−1

 思索紀行ーぼくはこんな旅をしてきた  
        ー読書日記

飛行機の中や、ホテルで国ごとのワインを飲んできたが、
ー美味い、不味い。辛口、甘口。酸味の濃厚さ。
口当たりが良い、悪い。香りの良し、悪し。白・赤・ローゼー位の語彙しかなかった。

勿論、一万円を一本飲むより、1千円を10本飲んだほうが良い。
サエゼリアのグラスの一杯80円のハウスワインで良しと思っている
ようでは、何おか言わんやだ。
ハウスワインとして割り切っていれば、それで充分だが。

この本を読んで、一本数万、いや数百万のワインを飲む意味が少しは
解ったような気がした。

ワインに対する知識は、昨年ウィーンに行って少し聞きかじった位だ。
「良いワインを飲む回数が重ねた分だけ、少しは味がわかってきた」と思っていた。
しかし立花隆のこの章を読んで「何も解ってないということが解った」。

映画で、金持ちが地下にワイン貯蔵庫を持っていて、
それを一人密かに飲むのを楽しみにしている場面を見たことが何回かある。
欧米の大金持ちの道楽の一つになっている。

欧州の紹介番組みで、ワインの酒蔵の醸造オーナーが、
数十年前の取って置きのワインをレポーターの飲ませる場面を見た。
レポーターは涙を溜めてその美味しさを話していたが。

この本で知ったことだが、世界のワインの有名産地に殆ど行っていたのだ。
南アフリカ、スペイン、ドイツ、チリ、イタリア、フランス、オーストリアなどなど。

この知識があったら、その楽しみも増えたのにと残念至極である。
「人生は知らないということを知るプロセス」だが。
知らないということは、多くの経験の機会を損失をしていることになる。
それも一生を終える時に、つくづく実感をするのだろう。

これから書く内容は、
この本の第三章「『ガルガンチュア風』暴飲暴食の旅」
のワインについての記載をまとめたものである。

20年前に書かれていた、この文章に解りやすくワインの話が書かれていた。
その内容を、知識として貯蔵するために簡略してまとめた。

 ーーーー

ワインには、AOCワイン(原産地表示ワイン)と、ハウスワインに分けられる。
欧州の一般の人は、殆んど普段は安いハウスワインを飲む。
フランス国内では、前者は一本千円単位、後者は百円単位である。
といって、日本で売られている不味いワインとは全く違う。
毎日千円単位で飲めるほどフランスは豊かではない。

欧州では、ワインはがぶ飲みをしてはいけない。
特に高級ワインほど、深く味わねばならないとか。
・単に味覚で味あうだけでなく、
・目で見て色を味わい、
・香りを味わえという。
・更に、プロや通になると言葉で味わいを表現しなくてはならない。
 その表現法も様式化していて、そのための用語集もあるという。

まずワイングラスに注いで、それを光にかざしてみる。
色を見る。色の表現だけで、数十種類もの表現がある。
                 
                 ーつづく
・・・・・・・
・・・・・・・

2004年03月01日(月)
1062, 「まず街灯の下を探せ」

野口悠紀雄の「超」整理日記「デフレとラブストーリーの原則」の
「まず街灯の下を探せ」が面白!

−暗い夜道を歩いていて、鍵を落としたことに気づいたとする。
どこを探せばよいか ?
物理学者のアドバイスは、「まず街灯の下を探せ」ということだ。

数学の試験問題を解くには、この「街灯の下原則」に頼るしか方法はない。
「当面している問題は、過去に解いたどの問題と同じタイプか」と考え、
それに当てはめて解くのである。最初の発見者は十分な時間をかけたはずだ。
それと同じことを、限られた試験時間内にやるというのは、無理なのである。
つまり、「学校の数学は暗記」ということだ。
必要なのは、問題のパターンを覚えることだけである。
「自分で考えて解かなければならない。しかし、私にはできない。
だから、私には数学的な能力がない」
と思い込んで数学から離れていく人がなんと多いことだろう。
暗記した問題のパターンに当てはめれば解けると確信すれば試験の成績はよくなる。
事例問題を暗記しておくのがよい。
 「街灯が事例問題」の例である。

ー以上であるが、

まずは知らない街に行ったとする。
そうすると、何かの本かのTVか雑誌で聞いたことがある店に行く。
知らない店に行くより外れの確立は少ないだろからだ。
経営でも考えられる。
何かを新規にしようとしたらベストの事例(灯り)を見つけ、そこの灯を頼りに
鍵を探すことだ。

街灯を知識・情報以外に、考えられないだろうか。
意志だろうか、それとも愛だろうか、知恵だろうか、それとも?

情報化社会ほど、情報と知識と、それを活用する知恵が必要とされる時代である。
まずは光り(情報・知識・意志・愛・?)が一番重要になる。

この街灯が情報社会の到来で、世界中に灯ったのだ。
その為には、まずは目指す街灯を探さなくてはくては!

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2003年03月01日(土)
696, ルーツ −1

ー我家の家系
自分のルーツを探って行けば、ビッグバンにいきあたる。そして宇宙の創造、
地球の起源、生物の起源、動物の起源、人間の起源、日本人の起源、そして家系、
自分になる。
家系といえば最近「家」の崩壊が始まっている。

数年前に佐藤愛子の「家系」が数年前にベストセラーになった。
10数年前にアメリカでも、ある黒人のルーツ探しのTV映画
が放映されて、ルーツ探しがブームになった。

私の家の家系の話をしてみる。
30数年前に父のところに遠い親戚の変わった?おじいさんが訪ねてきた。
「自分ー堀井のルーツを調べたいのだが、小千谷に郷土研究家から詳しい事を調べたい。
そのためにはまとまったお金が必要だ。資金援助をしてくれ」
とのことだった。
その場で断ったが、父は「自分が調べて解ったら教える」と約束した。
そしてその小千谷の郷土研究家のところに行って調べてもらった。
そのコピーを子供たちや親戚に配った。勿論私も貰って手元に今もある。

実家の店の屋号が「池津屋」で、道具屋を戦前までしていた。
父は「山本五十六」や「ツガミ社長の津上退助」や「野本互尊」との付き合いがあった。
戦前戦後と長岡ではこの「屋号」は老舗として一目置かれていた。
母が実家に嫁いだ時の資産が八萬円だったというから、地方ではミニ資産家
だったようだ。

小千谷の近郊に「池津」の村があり今でも30代続いている「大本の本家」がある。
その時に両親が訪ねて行ったと聞いた。
幕末にある先祖が長岡に出てきて古道具屋を開いた。
その孫娘が婿をとって、分家の道具屋を開いたのが2代前の祖父祖母である。

本家筋はもう商売を7〜80年前にやめた。
両親は戦争中に道具屋から仏壇屋に転進、戦死が多く大繁盛したという。
           
                 ー続く
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 2002年03月01日(金)
346, 20歳の頃ーある教授との出会いー3

       武澤信一教授  人事管理ゼミ

私の人生で最大の師は大学の恩師武澤先生である。
もう亡くなられて7年になる。
イメージはキザな気取り屋で、底知れぬ教養人です。
話しているだけでコンプレックスの塊になる。
特に人事管理の世界的権威のレベルと聞いていた。

先生との出会いがなければ、30数年間一日平均2〜3時間の読書を
続けられなかったと思う。
知的コンプレックスを脳の中心に叩き込まれたためだ。

非常に印象は冷たく、傍にいるだけで居たたまれなくなる人だったと思います。
親分肌の正反対のタイプだ。
あだ名は「絹布団」自分でも気にっていたとか。
初めは冷たく感じるが、長く付き合ってもらえれば温みが感じられる。
目上の人で筆不精の私が何回も、手紙や葉書をやり取りしたのは先生が
初めてであった。
                − 遺稿文を載せてみるー

さようなら武澤先生ー   ー武澤先生ご遺稿・追悼文集ー「はげみ」より

武澤信一先生、そして懐かしい武澤ゼミ、八王子ゼミナール、はげみの会、
最終のゼミナールとその晩のコンパ。
そして先生の退職時のはげみの会(最後のゼミナールと称して参加者の全員の
自己紹介と経緯の説明)等々、様々なことが思い出されます。
私の学生時代、いや50年の人生で恩師武澤先生をのぞいて考えられない位、
大きい存在でした。‘ご遺稿・追悼文集’発行の手紙をいただいた時
「よかった」と思わず言葉が出てしまいました。
先生に対する追悼の思いを表現する場が、もやもやした中途半端な気持ちに
あったからです。
立大3年の終わり頃、親友だった石川譲冶さんより「今入っている武澤ゼミ、
素晴らしいから、面接に来ないか」と誘われまま、気楽に試験に行ったのが
武澤ゼミとの出会いでした。
そして入ってまもなく大学3年間の、いや人生の22年間の不勉強に、
呆然としてしまいました。
そして2学期から卒論を書くにあたって、知的コンプレックスは極限に達して
ノイローゼの一歩手前の状態になってしまいました。進路もこのまま果たして
このまま進んでいいものか?直接その迷いを先生にぶつけてしまいました。
その時の武澤先生の一言が「迷いを数字で表現してみなさい!」でした。
その時の自分の答えが忘れることができません。
「51対49」でした。すかさず先生は「それなら、51の方を選ぶべきです!」
しかしその後、最終的に選んだのは49の就職の方でした。
「それなら初めから相談に行く必要がなかったのではないか」という矛盾でした。
その後就職をしたのですが、その後そこを辞め大学に編入しなおし、再び就職後
事業を起こしました。そして現在に至っています。
そのプロセスの中でいつも先生の影が、自分を追い立てていたようです。
また「51対49」が私の人生観の一つになりました。
何事も「51対49」と考えると、迷いも冷静に対処できるのです。
好き嫌い「51対49」差し引き2。
正しい、間違い「51対49」差し引き2・・・・。

1989年の夏、先生が新潟大学で第19回の労務学会全国大会で議長をされました。
その時、私のホテル(シングルイン新潟)に泊まっていただきました。
そして「卒業後の30年のつもる話」を、させていただいた事を忘れる事ができません。
そして新潟の夜をハシゴをして飲み歩いた事も。

ところで武澤先生と最後にお会いしたのは、1993年の「はげみの会」でした。
二次会で先生が異様に元気がないのが、気になっていました。
そして、その会の帰りがけにエレベーターの前で、私の手を握って
「堀井君、遠くから有難う!身体にくれぐれも気をつけて、元気で!」
と上下に激しくふった時、「もしかしたらこれが最後のお別れになるかも?」
と思ってしまいました。
しかしまさか、こんなに早く現実になろうとは・・・。
天国の武澤先生、本当に本当に有難うございました。ご冥福をいのります。

             1996年7月13日発行
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「ローマ法王の車 」

歴代の大物大統領・首相は好色家が多い。
天国でその好色度合いで高級車を与える事にした。
アイゼンハワーはキャデラック、
ケネデーはリンカーン、
フルチチョフはボルガ、と与えられた。

その天国でケネデーがリンカーンを運転していると、
先でフルチチョフが車から降りて、一人大笑いをしていた。
その向こうで、
ローマ法王がローラースケートを乗っていた。

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2004年02月29日(日)
1061, ロード・オブ・ザ・リング

この映画の三部「ロード・オブ・ザ・リングー王の帰還」を見てきた。
一つの魔力を秘めた指輪の争奪の物語だが、ストーリーより、感想を書くことで
何かを感じ取ってもらえばよい。
一部を初めて見たときは、その特撮の迫力や、背景の田園や広大な自然の美しさと、
物語の内容の面白さに圧倒された。そして二部に続き三部も迷わず見てきた。
私のような年配が見ても、全然違和感のない面白い内容である。

特に特撮が素晴らしい。一部二部三部と段々と迫力が増している。
二部もそうだが、数十万の兵隊が激突する戦闘シーンの迫力はハイテクをフルに
使ったものだが、これを見るだけでも十分価値がある!
スターウォーズなど見てきた中でも、迫力は今までの映画で一番であった。
映画館の音響効果も含めて、進化し続けているのが解る。
要するに日ごとに面白くなっている。
10年前の映画と、現在とでは隔世の感がある。

3時間20分、一瞬も目をそらせなかった。
三部作で340億円の制作費と、15ヶ月かけて製作されたというが、
なるほどアカデミー賞のトップにノミネートされるわけである。

次は「ラストサムライ」を見てこなくては。
気持ちは若い?いやガキなだけか!

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お笑い 
 「水上を歩く」

キリストとモーゼがガリヤラ湖で魚釣りをしていたがさっぱり釣れない。
二人は退屈になり「なんか面白い遊びはないか」ということになった。

それでミラクル遊びになった。
モーゼがまず「4000年前の奇跡をおこしてみよう」
という事になり「水よ裂けよ」と声をかけた。
すると水が二つに裂けふねが湖の底に落ちた。

そこで(底で)キリストがわしの番と水の上を歩き出すと、
ドボドバと水の上にもぐってしまった。
「足に穴があくと、やっぱし水の上をあるけないか!」

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