堀井On-Line



1549, 宇野千代

2005年06月30日(木)



宇野千代が代表作「おはん」を書き終えた後に、
一行も書けなくなってしまった。
そこへ中村天風が
「今度ね、自分の頭の中に舞台をこしらえて、その中でいろいろ、
あの女とこの男とひっつけよう、この男とこの男とこうしようというふうに
躍らせながらそいつを書いていったらいいだろう」
「出来ないと思うものはできない。
出来ると信念することは、どんなことでも出来る」
と言った。
「いい事聞いた!」宇野千代は、それいらいスランプを脱し、
書く文章も変ったという逸話がある。

この天風の言葉を、スットンと脳に入れてしまう彼女が凄い。
彼女は中村天風の弟子であり、その教えの実践者である。
天風の言葉が、彼女の中で血肉になって明るく具体的に
噛み砕いているところがよい。
ー「私は不幸に対してはなかなか凹まない自信がある。どんなところからでも、
私流に幸福を見つける自信がある。私は、勿論不幸は好きではない。
…自分を不幸だと思うことの方が、もっと好きではない。…」

ー「何事をするにも、それをするのが好き、という振りをすることである。
それは、単なるまねでよい。すると、この世の中も、嫌いな人がいなくなる。
このことは決して偽善ではない。自分自身を救う最上の方法である。」

ー「私たち人間は、何時でも、ものの考え方の方向を、絶対に明るい方に
もっていきたいものです。明るいところには元気が、暗いところには
病気が必ず宿っているのです。」など、
まさに、天風の言葉が彼女の体験を通して具体的に諭しているようだ。

また、彼女の
「私、なんだか死なないような気がするんですよ。」という言葉もよい。
90歳半ば頃に発した言葉である。本心から出ているからよいのだ。
「人生はいつだって、今が最高の時なのです。」と語っている彼女の顔が
目の前に浮かぶようだ。
人生を最大限に生きた人は、サッパリとして清清しい。

                    ーつづく


1548, 私の酒中日記−11

2005年06月29日(水)

 金沢−7

1972年7月20日

明日で、金沢を去る。
一番上の姉・正子さんから電話があり、京都に行く途中に金沢に寄るという。
そのため今夜、金沢で酒を飲むことになった。
片町から少し歩いた犀川大橋の先にある、ごり料理の有名店に行く。

「ごり」とは金沢を流れる浅野川などに生息するハゼのような川魚だが、
昔から金沢料理に使われる名物である。
川のほとりに建ち、「ごり」を中心にした加賀料理の店である。
二階の一室に通されるが、なかなか趣がある。

ワラビのヌタや、ごりの佃煮と揚げ物が出た。
夕景の中での料亭も風情があってよいものだ。
ごりは、小さな川魚でゴツゴツした形である。
金沢で初めて食したが、良い思いでになった。

その後、金沢の郊外にある「ホワイト・ハウス」
という有名レストランに案内をする。
金沢市内を一望できる有名店だ。
同僚と一度いったことことを思い出して案内した。
その後、都ホテルに姉を送る。

金沢の夜も今日で最終になった。
一年半近くいたが、五年もいたような気分であった。
会社が揺れていたこともあるが、中味の凝縮された日々である。
気分的には屈辱の日々であった。
金沢は見方によれば、露骨な差別社会で、
そと者の社員は人間扱いはされない。

金沢で特に感じたことは、加賀百万石の文化の深さである。
自分の故郷も元長岡藩だが、その歴史の深さがまるで違う。
金沢は、派手なのだ。
背後には能登半島、福井、富山、高山を控えた観光地である。

対極にある長岡は、それに対して地味の世界である。
比べること自体が問題であるが。

幕末に長岡藩家老の河井継之助が「贅沢禁止令」を出した文化が、
今でも脈々と続いている世界である。
それと江戸末期に官軍に敗れたことが、どこか卑屈になっている。
金沢に住んで、このことがよくわかった。

長岡は、金持ちが「めかけー愛人」を持つことは悪口の対象になる。
金沢では、それは羨望であり、ほめ言葉である。
男女の??も非常に大らかで、自由な雰囲気が満ちていた。
日本の中のスウェーデンと内々で自認している世界である。

また、男は今でも自分のことを「わし」という。
相手を呼ぶ時は「お前」か、「貴様」という。
店では、男は絶対に掃除はさせないのだ。
箒を持ったら誰か女性がきて、取り上げられてしまう。

とにかく、加賀百万石の異様な?世界であった。
外者にとって、長くは住みたいとも思わない世界である。
でも三年住むと、それも無くなるという。

さらば!金沢。

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 2004年06月29日(火)
1183, ショーペンハウエルー哲学について-12

 ショーペンハウエルは、カントの思想を修正して完成をさせたドイツの哲学者で、
主著は「意志と表象としての世界」である。
(一七八八〜一八六〇)に生き、その思想はカント・ショウペンハウエルと
いうものをつくりあげた。
彼はあくまでカントを自分の理論の前提条件とした。その意味で彼の哲学の出発点は
「カント哲学批判」だった。

「真の実在は盲目的な生存意志であるとし、個々の人間の中に意志として現れ、
盲目的意志の衝突が相継ぐ結果、苦痛に満ちた人生を送らざるを得ないという厭世哲学」
 を主張した。
 
 この苦痛から解脱する道は、
・芸術活動に専心して個体の意志を克服するか、
・個体はすべて同一の形而上学的本質をもつ意志であると自覚し、
 他人の苦痛への同情を根拠として倫理的に解脱するか、のどちらかであると論じた。
 
 絶え間ない望みと恐怖を伴う欲望の渦に身をゆだねるかぎり、
永遠の幸福と平和は手に入らない、と説いた。
 
 カントは、物自体の世界にやどる意志の働きによって、人間の体は
「自由」な運動をすることができると主張した。
それに対して、ショーペンハウエルは、それは不可能でとして、
意志の働きとそれに関する体の働きは、本当は同じ一つの出来事が二つの側面から
とれえられているいるだけと考えた。
一つは内側から経験されているもの
もう一つは外から経験されているものだ。
このことを、彼は
「動機とは内側から経験される原因である」という有名な言葉でいいあらわしている。
人の倫理観の源になっているのは「同情心」であってカントが信じている理性ではない
と論じた。彼によればこの同情心こそ愛と倫理が生まれてくる基盤と考えた。

彼まで、西洋では東洋哲学は全く知られてなかった。
その東洋哲学はこの時期に西洋哲学と同じ結論に達していたのだ。
これを知った彼は、この発見を書にあらわした。
 
ショーペンハウエルは、人間が閉じ込められているこの世界の地下牢からのつかの間の
解放される方法を一つだけ示している。それが芸術であった。
人は絵、劇、彫刻、とくに音楽を聴いているとき、一生逃れることができない欲望から
自分を解き放つことができるといった。
その瞬間、経験世界の外にある、異なる次元の存在に触れることができると。

 学生時代にショーウペンハウエルを知った時に何ともいえない神秘的なイメージを
持った記憶が生々しい。
ワーグナーやフロイトやトルストイの人生の大きな影響を与えた哲学者として読んで
おきたい人という想いがあった。
多くの偉大な芸術家や作家の若き日の人生の転機のきっかけをつくったのだ。
その36年後の今になって再会した神秘的な哲学者、というのが正直な気持ちである。
そのショーペンハウエルを深く知るためには、カントをいま一度読みなおす必要がある。

彼の後に登場した哲学者のニーチェも、彼の本を読んで哲学者になる決意をしたというから、
よほどの文章力があったのだろう。

 彼が幅広い分野にわたって影響があった理由として「人のおかれた状況を見通す、
 たぐいまれなる洞察力と文章家としての才能を合わせ持っていた」 からだ。
 
 ーーー
 
 ー彼の言葉を書き出してみるとー
 
・医者は人間を弱いもの、弁護士は人間を悪いもの、牧師は人間を愚かなものとみる。
                    ―「パレルカ-ウント-パラリポメナ」―

・我々の肉体が衣服に包まれているように、われわれの精神は虚偽に包まれている。
                    ―「幸福のためのアフォリスメン」―

・一般に、男性のあいだでは愚かで無知な男が、女性のあいだでは醜い女が愛され、
 ちやほやされる。           ―「幸福のためのアフォリスメン」―
 
・われわれの人生の場景は粗いモザイクの絵に似ている。
 この絵を美しいと見るためには、それから遠く離れている必要がある。
 間近にいてはそれは何の印象も与えない。
                    ―「自殺について」―

・人は通常、金を貸すことを断ることによって友を失わず、
 金を貸すことによってたやすく友を失う。
                    ―「幸福のためのアフォリスメン」―

・全ての享楽と、全ての幸福とは消極的なものだが、苦労は積極的なものだ。
                    ―「意思と表象としての世界」―

・結婚とは、男の権利を半分にして義務を二倍にする事である。

・謙遜(けんそん)というものは、平凡な能力を持つ人間の場合には単なる誠実であるが、
 偉大な才能のある人間の場合には偽善である。

・人間の幸福の敵は、苦痛と退屈である。
                    ―「随筆」―

・孤独は、すぐれた精神の持ち主の運命である。
                    ―「パレルカ-ウント-パラリポメナ」―

・推理する能力を持っている人はたくさんいるが、
 判断する能力を持っている人は少ししかいない。

・紙上に書かれた思想は、砂上に残った歩行者の足跡に過ぎない。歩行者のたどった道は見える。
 だが歩行者がその途上で何を見たかを知るには、自分の目を用いなければならない。
                    ―「読書について」―

・人の社交本能も、その根本は何も直接的な本能ではない。
 つまり社交を愛するからでなく、孤独が恐ろしいからである。
                    ―「幸福のためのアフォリスメン」―

・宗教とは蛍のようなものだ。光るためには暗闇を必要とする。
                    ―「パレルカ-ウント-パラリポメナ」―

・信仰の強制は、不信仰を喚起するだけである。

・人はその生涯の40年間で本文を著述し、
 これにつづく30年間において、前者についての注釈を付加する。
                    ―「幸福のためのアフォリスメン」―

・富は海水に似ている。飲めば飲むほど喉が渇く。
 名声についても同じことが当てはまる
                    ―「幸福のためのアフォリスメン」―

・人は何でも忘れる事が出来るが、自分自身だけは、自分の本質だけは忘れる事はできない。
                    ―「幸福のためのアフォリスメン」―

・読書しているときは、われわれの脳はすでに自分の活動場所ではない。
 それは他人の思想の戦場である。
                    ―「読書と書籍について」―

・老年の歳月における人生は、悲劇の第五幕に似ている。
人間は悲劇的な最後が近いことは知っているが、それがいかなるものであるかは知らない。
                    ―「幸福ののためのアフォリスメン」―

・読書は他人にものを考えてもらうことである。
 本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるに過ぎない。
                    ―「読書について」―

・知は力なり……とんでもない!きわめて多くの知識を身につけていても、
 少しも力を持っていない人もあるし、逆になけなしの知識しかなくても最高の威力を
 振るう人もある。          
                    ―「知性について」―

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 2003年06月29日(日)
816、『80対20の法則』ー読書日記

 リチャード・コッチ著 
 仁平和夫訳 
 TBSブリタニカ
 

ー私の解説ー 
 数年前になるが、この本を読んだ時はショックであった。
約100年前のイタリアの経済学者パレートは、19世紀のイギリスにおける所得と資産の分布を
調査した結果、所得と資産が一部の人達に集中していることを発見し、
2つの奇妙な事実に気が付いた。
「わずか20%の人達に資産総額の80%が集中していた」という数理的事実を発見した。
以前からABC 分析や戦略論などがあったが、この本は非常にわかり易い内容であった。
この法則を知っているかどうかで、数倍も人生を濃く生きる事が可能になる。
7つの法則ー最優先事項ーに、要約すると似ているところがある。
人は無意識的に「如何でもよい方の80」を選択しているように思えて仕方がない。 
どの要因の20%が結果の80%を決定するのかを、つねに自分に問いかけてみる習慣を
つけるかだが。 

ー 以下は幾つかのホームページから抜粋したものである。 
■この本の内容
・80対20の法則とは、たとえば、あなたが成し遂げる仕事の80%は、費やした時間
の20%から生まれる。
・あるいは、本の価値の80%は、ページ数にして20%以下の中 にみつけることができる
ことなどをいう。但し、80対20というのは目安にすぎず、 不均衡がもっと大きくなる
場合もあれば、小さくなる場合もある。
★80対20の法則を理解すれば、自分の周りで起こっていることがじつによくわかっ てくる。
 80対20の法則をうまく活かせば、何もかも驚くほど改善する。
★80対20の思考とは、数量分析をせずに、80対20の法則を日常生活に適用することである。

★目に見えない20%、水面下に隠れている20%をみつけ、求めよ。
★80対20の思考の目的は、行動はひとまず忘れ、しずかに考え、心の闇の中に光を 見いだし、
それから行動を起こすことにある。そして、行動を起こすときは、目標をふ るいにかけ、
いちばん大切なものに的を絞り、必要最小限のエネルギーと資源で最大限 の結果を出すために
全力をあげる。

★戦略的ということは、重要なこと、他人にとって以上に自分にとって重要なことに力 を集中し、
計画を立て、断固とした決意で粘り強く、その計画を実行していくことである。
★80対20思考は、経験と思索と想像力に訴えるものなので、線形ロジックの罠から
抜け出すことができる。自分は今不幸だと感じているとしたら、その原因をあれこれ考 えては
いけない。幸せだった日々を思い出し、それと同じような状況をつくり出そうと 考えたほうがいい。
★達成と幸福の80%は、時間の20%の中で起こる。
★重要な鍵を握っている要因はつねに、ごく限られており、それは目に見えにくいこと が多い。
それが何であるかがわかったら、その力をいままでの何倍も活かせる。
★誰でも、偉大なことを成し遂げられる。鍵は努力ではなく、やるべきことをみつけられるか
どうかである。
★もっと努力しようと思うより、好きなことに力を集中したほうが勝つ確立は高くなる。
★すばらしい事を成し遂げるのは、モノを選り分ける能力があり、
一度決断したら迷わない人である。
★ほとんどの人は、自分にとっても他人にとっても価値がないことに、 
たくさんの時間を費やす。
★価値ある仕事の80%は、使う時間の20%で達成される。
★幸福の80%は、人生の20%で経験する。
★時間のわずか20%を有効に使うだけで、時間が足りないということはなくなる。
★80対20の法則は単純明快である。衆に抜きんでていること、自分がいちばん楽しいと
思うことに全力をあげろ。それが80対20の教えである。
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八〇対二〇の法則は、われわれが何をすべきかを教えてくれる。

◆努力の平均水準を上げるのではなく、努力を一点に集中する。

◆決められたコースを走るのではなく、近道を探す。

◆最小限の努力で、人生の支配権を握る。

◆網を広げるのではなく、網を狭める。

◆多くの分野で平均点を取るのではなく、一つの分野で突出した成 績を上げる。

◆日常生活で、できる限りアウトソーシング(業務の委託・外注)を進める。
 庭仕事でも、自動車の修理でも、自分でやらずにでき るだけ専門家に任せる。

◆よくよく考えて、仕事と会社を選ぶ。できれば、他人に雇われるより、
 他人を雇ったほうがいい。

◆いちばん得意とすること、いちばん楽しいと思うことだけをやる。

◆水面下に隠れている皮肉な現象や不思議な出来事を探す。

◆重要な分野ではすべて、二〇%の努力が八〇%につながるように 調整する。

◆手当たり次第にチャンスに飛びつくのではなく、気をしずめ、仕 事量を減らし、
ゴールへの最短距離に照準をあてる。

◆脂が乗り切った時期に訪れる「幸運の連続」を大切にし、
それを 元手に将来の成功を確保する。

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 2002年06月29日(土)
452,「まあだだよ」

昨夜TVで見た黒澤明作品である、これで見るのが3回目だ。
見れば見るほどその味わいが深くなる。

内田百聞とその門下生だった男達の心あたたまる物語である。
その内容は省くが、見るたびに新しい味わいを感じる
百聞の記念式典で花の贈り物を持ってきた生徒の孫に、
思わず説教をする。もちろん小学生低学年でその意味が解るはずがない。

その内容は普段私が本当に実感している事である。
「自分の好きな事を見つけなさい。そして周囲に惑わされる事なくやりなさい!
自分の持っている範囲で最大限やりなさい!」
私の見る範囲では90涌幣紊凌佑それができなかった人だ。

黒澤作品で目立たない作品ほど味がある。
「夢」という作品もあまり評価は高くなかったが、私の気に入っている作品だ。
黒澤明の隠れテーマは「人間」である事に昨夜見ていて初めて気づいた。

昨夜の百聞の映画の最後の夢がよい、
「子供の時の田舎の田圃でのカクレンボで、
ーもういいかいー まあだだよーという思い出の夢」の内容である。

ー黒澤はやはり世界的映画監督である。

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2001年06月29日(金)
[68] 久しぶりの古町

久々に新潟に泊まる。
古町も数ヶ月ぶり、さすがホステスもママも洗練されている。
ただ何処もお客が入っていない。
このところ11時前に必ず帰る、翌日二日酔いがしないぎりぎりの時間だ。
以前ほど面白いと感じないのは年のせいか?
新潟駅前の客引き、異常に多いどういう事だろう。


1547, エホバの証人ー2

2005年06月28日(火)



彼らの世界に一度踏み入ると、多くの規則に従しなくてはならない。
信者は教会活動に全身全霊を捧げることを強要?される。
・献血の拒否
・偶像崇拝の禁止
・国の祝祭日の否定
・特定の学校行事への不参加
・長時間の伝道の義務
 (多いもので月に140時間、少ないもので60時間、
 『ものみの塔』と『目ざめよ』の両誌を手にして家をまわる)
・毎週5つの集会の出席

以上のような義務を果たそうとすると、
家庭はもとより、職場や学校から次第に離れるようになっていく。
そこが、彼らの狙いがあるのだ。
それゆえ、
「社会に背を向けた宗教集団」
「真理外の人々と社交をまじわるのは危険という独特な集団」
として、外部から敬遠される。
それが、ますます信者同士を強める結果となり、
家族との隔離をうんで、その結果がトラブルになってしまう。

彼らの説では1914年と、1942年と、1975年にハルマゲドンの大戦があるはずが
何も起きないことが、マイナスのイメージを強めている。

これらから考えてみても、典型的なカルト?と見られても仕方がない。
この教義を信じて教団に入っていれば、楽しいであろうが。
少なくとも疎外感とか、悩みはホボ解決されるからである。

検索でHPをみると、洗脳された人と、その家族とのトラブルが深刻である。
どこにもあるカルト対家族との対立構造が見てとれる。
このシステムに取り込まれたら、本人の自力では脱出はまず不可能だろう。
あのカルトの「オウム教」との共通点があるが、
信者の財産を根こそぎ奪い取らないからまだましか。

年間、三万数千の自殺者が出ている現在、
カルトを一方的には既存宗教も批難できない。
カルトも、その人達が金にならないことも知っている。
難しいところだが。
経済が右下がりの時代、カルトにとっては草刈場の場面である。

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2004年06月28日(月)
1182, 秘境・異郷ツアーレッスン −3

いま一つ面白いのは、添乗員と現地ガイドである。
旅行の3分の1は添乗員の質できまってくる。
そして、質とは我々をいかに楽しませてくれるかである。
結局、自分でその仕事を積極的に楽しんでいるかどうかである。
そして自分の仕事の役割を理解しているかどうかだ。
どんな仕事でも、それは共通している。

そこには、その人の素材としての質と会社の教育が重なって出てくる。
ツアー客の、代理店に対する評価は辛辣であり、それに耐え得なくては存立し得ない
厳しい世界である。見ていて本当に激務の仕事である。
次から次に起きてくる予期せぬトラブルを、一つずつ確実に処理をしていく。
ベテランなら解るが、まだ20代の女性の場合見ているほうが辛くなることが多い。
トラブルを処理をしてくれるのから、ツアーは非常に楽といえば楽である。

北スペインの時の女性はまだ忘れることができない。
20代半ばなのに、30分前に閉館した博物館を日本からワザワザ来たと談じ込んで
開けさせたのには驚いてしまった。「私は不可能を可能にする女」と自分でいっていた。
そして最後まで、その姿勢を崩さなかった。
最後は泣きながら大きなトラブルを処理をしていた。
仕事の辛さという面で、究極の場面が次々と出てくる。

やはり南スペインのアンダルシアの時の女添乗員もすばらしい。
スペインが大好きという本人の気持ちが全員に伝わっていた。
スペインのカセットを持ち込んで、バスの中ではその地方地方の音楽を流してくれた。
まあ、人生の何であるかを教えてもらったようだ。
厳しい中でも、その環境を楽しむこと、それだけでなく世界を知る努力の必要性である。
                            つづく

ー以前書いた文章をコピーしておきます。
[90] 人生のコツ   2001/12/21

ツアーで今ひとつの楽しみは、全国より集まってくるツアー仲間である。
本当に色々な人がいるものだ。推測だがどこかの高校の校長だったのでは
ないかと思われる67歳初老の人の事が印象的であった。

「60歳までに50回の秘境を中心にした海外旅行と、人生の余白を可能な限り
埋め尽くす生き方」をその人の感化でその旅行で決心した。

その人が言うには「自分の父の家系は40歳前半までに全員死ぬ家系!
若いときよりその死期までに人生総て生ききる生き方をしてきた!家族で
日本中を車で総て回る計画を立て実行、そしてその時期がやがてやってきた。
しかしどういうわけか死ななかった。
それなら一年一年が勝負と世界中を回る計画をたて実行、いまだ死なず世界中を
ほとんど回ってしまった。」

この時これだな!と思った。そして先ほどのの決心をしたのである。
「人生は後回しでなく、前回し」人生だけでなく何事もそうであるが。

その時「貴方だけが何故生き残れたか、こころあたりは?」の私の質問に
「毎日朝食にキャベツを千切りにして、紫蘇のドレッシングをかけて食べている」との答え。
「あとは好きな事だけをやること」だそうだ。

なるほどと考えさせられた。

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2003年06月28日(土)
815, たそがれ清兵衛

構想十年、山田監督が藤沢周平の時代劇を選び映画化した話題の作。
中年男性が目に涙をいっぱいためて映画館から出てくるという。
昨年、行きそびれてしまい、DVDレンタルがでたら借りようと待っていた。
4月に貸し出し開始の予告の張り出し広告が、レンタルショップに出た。
しかし店頭には中々でなかったが、やっと3週間前に出た。
ところがいつも貸し出し中。それがやっと昨日借りることができた。

 藤沢作品は表題作を始め、どの短編もいじらしく人間くさい主人公と、
普段は見せぬがいざというときに出てくるあざやかな剣さばきの対比が素晴らしい。
作者が晩年に達したといわれるユーモアとペーソスをさわやかに織り成しながら、
剣客小説としての凄絶さも失われないのがよい。
彼の多くの小説の共通点がある。
地方の名も知れぬ小さな藩の中の、風変わりな主人公が、それゆえに周囲からあざ笑われている。
しかしそこで、お家騒動がおこり巻き込まれていく。
そして・・・

早速、映画をみて驚いた。
小説と映画は全くといってよいほど違っていた。

ー映画のあらすじは
 時は幕末。庄内地方の海坂藩の平侍井口清兵衛は妻を亡くし、家には二人の娘(萱野と以登)、
そして老母がいる。そのため生活は苦しく、下城の太鼓がなると同僚の付き合いなどを
一切断って帰り、毎日家事と内職に励んでいる。同僚たちはそんな清兵衛をからかって、
陰で“たそがれ清兵衛”と呼んでいた。

ある日、かつて想いをよせていた幼なじみ・朋江の危機を救ったことから剣の腕が藩士の
噂となり、上意討ちの討ち手として清兵衛が選ばれる。
藩命には逆らえずやむなく承知した清兵衛は、朋江への秘めた想いを打ち明け、
意を決して邸に向かう。愛する家族に背を向け、命を賭けた果し合いに向かった・・・。

ー小説の「たそがれ清兵衛」では、
人間愛(夫婦愛)が描かれている、それと完全並立するかたちで、武士社会の論理も描かれている。
主人公のもとに上意討ちの討手の役がひそかに舞い込む。
実は彼は若い頃には藩内でも一,二を争う剣の腕前であった。
夕方の城中での上意討ちが刻々と迫る中、愛する女房の下がもれてないか気が気でたまらぬ。
が、そこは主人公、相手を鮮やかな腕で始末した後、いそいで女房の下の世話へと急ぐ・・。
病気の妻に優しい主人公。しかし「上意」(主君の命令)により何のためらいもなく、人を殺す。
いやためらいはある。
それは殺害の日には帰りが遅くなるので、妻の介護に差し支えはしないかという心配のためだ。
 また、その後日、殺した相手の護衛が主人公を殺そうとするのですが、この時も、
主人公は実にあっさりとその人物を殺している。何のためらいも、葛藤もなく。
そして平然とその場を立ち去り、妻の元に急いで帰ってゆく。
  ・・・・・

 私はどちらかというと山田洋次の映画のストーリーが好きだ。
やはり、私も映画をみ終わって涙があふれていた。
何ともいえない藤沢と山田洋次の合作がよい。
とくに上意討ちにあう男の生き様に、何ともいえない日本人の悲しさ、美しさが出ていた。

ーーある書評ーーのコピーです。

山田洋次監督の「幸福の黄色いハンカチ」「学校」は、邦画の中では私のベスト5に入る
くらい大好きな作品です。見る度に涙が溢れて仕方がない傑作ですね。
そんな山田監督が初めての時代劇を作ると聞いた時、普通のチャンバラ映画にはならないなと
密かに思っていました。
黒澤時代劇を敬愛する監督のこと、それまでにはない時代劇を目指すのは当然と言えば当然です。
そこで描かれる世界は、とてもリアリスティックで現代的。
まるで平サラリーマンの生活を見ているかのような感覚です。家族を養う為に仕事に出かけ、
家に帰れば内職する毎日。定時になると、すぐに帰ってしまう付き合いの悪い人って確かに
現代でもいますよね。
そんな人を陰でからかう人がいますが、もしかしたら清兵衛のように家族の為に帰っている
のかもしれない。
家族のあるべき姿、現代人のあるべき姿が、清兵衛という平侍の生活を通して語ること、
それこそ山田洋次監督が描きたかったことのように思います。
映画の後半、清兵衛はある暗殺を命じられます。もちろん断ることはできない。
現代社会で言えば、上司に逆らえない平サラリーマンの姿そのもの。
果し合いの日、周囲は何事もなくいつもの朝を迎えるが、清兵衛にとっては心中穏やかではない。
養わねばならない家族を残し、死ぬかもしれない果し合いに挑む清兵衛の心だけは、激しく
揺れ動いていたに違いない。
朋江に身なりを整えてもらうここでのシーンは、印象的で素敵な名場面です。
果し合い。男なら誰でも一度は迎える真剣勝負。
文字通り、清兵衛は小太刀を握り締めて、死闘に赴いていく。
送り出すのは、妻か恋人か。このようなシチュエーションは、常にどの時代でもあったはずです。
山田監督は、この朝を迎えるまでの清兵衛の生活を、じっくりと描き出している。
それだけに、この時の清兵衛の胸中を思うと、胸が苦しくて仕方がない。
そして、見せ場となるクライマックスの死闘。この余吾善右衛門との一連のシーンは、
従来の時代劇にはない生々しさがあって壮絶です。山田監督の描きたかった思想は、
ここでの清兵衛と余吾善右衛門の会話に最も現れているような気がしました。
やがて迎える爽やかなエンディング。井上陽水の主題歌「決められたリズム」が効果的に
使われていて、素晴らしい余韻を残す作品になっていました。
必見です。

複雑な清兵衛の役どころを繊細に演じる真田広之が素晴らしい。
私の好きなこの役者さんは、どんな役でもこなしてしまう人。
つい最近の「助太刀屋助六」でも好演していましたし、
演技派として最も才能のある一人だと思います。
そして、ラスト数十分ながら最も印象を残す田中泯さん。
これが銀幕デビューだとは思えない気迫のある演技で、真田と対等に渡り合っていました。
最後の殺陣シーンは、本気で望んだそうです。それだけにリアルで怖ろしかった。
最も重要なこのシーンが成功したのも、彼の存在によるところが大きいと言えるかもね。
もちろん、朋江役の宮沢りえも言うことなしです。
「遊園驚夢 華の愛」を観た時にも感じましたが、本物の女優として着実に成長している人
だと思います。頑張って欲しいですね。

http://www.shochiku.co.jp/seibei/

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 2002年06月28日(金)
451,星野富弘ー詩画展

先日、新潟近郊の豊栄の公会堂で彼の詩画展に行ってきた。
数百人が来ていて,何ともいえない熱気に包まれていた。

ー彼の概略は
・私と同じ年の1946年生まれ。
 24歳のとき教師をしていたクラブ活動で、首の骨を骨折して手足の自由を失う。
・入院の2年目より口に筆をくわえて文や絵を書き始める。
・9年後の退院の年に前橋で絵画展を開く。
・その後国内やアメリカ各地で花の詩画展を開く。
・1991年に生地の群馬県勢多郡東村で村立富弘美術館を開く。
   毎年40万人が訪れるという。

彼のことを知ったのは十数年前の「到知」という雑誌である。
対談だったと思うが、その中で「傷口よりあなたの優しさが沁みこむ」
という文が忘れられない。

早速詩画集を買って絵を繰り返し見た。
口で、これだけの絵を書くエネルギーに別世界を感じ取った。

今回の豊栄の「花の詩画展」で彼の絵を同じ目線で直接見て、
自分が彼そのものになって、自分の絵を見ているような気持ちになってしまった。

何か悲しい、しかし底から突き上げてくるような暖かさを感じとった。
更に動けない自分と花が一体化したような。
花も星野という一つの生き物が自分と一体になっていることを喜んでいる感覚。

見方によっては、反対に不自然な絵でもある。

これまで一人の人間に見つめられた花が過去にあっただろうか?
愛情と言葉とエネルギーに包まれ一体化して、絵として表現されたことが。
絵の世界ではあったのか知れないが。

決して幸せでない、動けない自分に対する苛立ち、諦め,怒り、そして
愛がそのまま絵と文を通して迫ってきた。
地方の女性が一生、因縁に縛られ他の世界を知ることなく終えようとしている。
そういう人にとって、その絵と文は今はやりの癒しとなるのだろう。

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2001年06月28日(木)
[67] 月次決算

20年前の創業時より月次決算と毎月監査を実施している。
そしてその報告書を銀行に提出している。
都銀の担当者がいうに県内で大手も含めて殆どなかったという。

不況に入り今になってその実施を慌てて地銀が要求始めていると聞く。
これをきっちりしてあるから権限の委譲ができる。
安心して海外旅行もできた。


1546, 人生の最後に後悔すること

2005年06月27日(月)

アメリカの90代の男女1万人の質問、
「90年も生きてきた人生の中で、最も後悔していることは何ですか?」
の答えは、
「もっと、いろんなことにチャレンジすれば良かった・・」
ということだという。

おそらく今後未来永劫?同じ答えになるだろう。
一度しかない人生、やりたいことをどんどん見つけ存分生きることこそ、
人生が私たち問いかけている問題である。
この人生の問いかけを、人生の全てをかけて答えを探すことこそ、
後悔をしない生き方になる。
中村天風のいう「積極一貫」を、人生を通して徹することである。

何故、色んなことに頑なに目を向けなかったのだろうか?
知識がなかった、
現状に満足しきっていた、
余裕がなかった、
人生を真剣に考えなかった、
等々、いろいろあるだろうが。

豊かなアメリカの90代の人々が
「もっと多くのことをチャレンジすれば良かった」
という切実な後悔は、何を意味しているしているのか?
旧共産圏や後進国では、こういう問いかけは少ないはずだ。
それを言えるだけの豊かさという環境があるからこそいえるのだ。

ということは、
「余裕が出来たら可能なかぎり色いろなことにチャレンジしてみるべきだ」
という答えが自動的に返ってくる。
教養とは、
・家庭や社会から縛られた先入観や馬鹿の壁を、広く深い知識と経験持つことによって知ること
をいう。また、
・『人生は可能ながぎり多くのことことにチャレンジすべし』
を知る経験と知識である。

しかし、一つのことを突きつめた人に、この問いかけは無かったはずだ。
精一杯生きてきたからだ。それしかないし、他は考えられないからだ。
それでも、あるのが人間であるが。

「もっと多くのことにチャレンジしておけばよかった!」
この半年間、人生の直線コーナーに入る前である、
もっと深く問い詰めてみよう!

父が死期を悟った時に、私に預金通帳を見せて
「この中味は、自分にとって単なる数字の羅列でしかない!」
と言ったことを思い出す。
中味も大事であるが、といって死んでしまえばそれまでだ。
人間を支配している不安と恐怖が、新しいチャレンジを阻害するのだろう。
そして貯金をすることで解消しようとする。
それに支配される状態が、
老いている状態である。
今度、不安について哲学的に問い詰めてみよう。

90歳の人がいうから問題がクローズアップする。
20歳の人でも同じ問いかけが必要である。
周りを見渡せば幾らでもチャレンジの対象がある。
見えてないのだ。
それも足元にあるのに。

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2004年06月27日(日)
1181, カント ー 哲学についてー11

カントは、一般的にギリシャ以降の哲学の世界に登場した最大の思想家と
みなされている。

カントは、ドイツのケーニヒスブルクの貧しい馬の蹄鉄屋の家に生まれます。
因果なことに、“ せむし ”で、背中にコブがあり、身体がゆがんで胸が小さく、
生まれついての喘息もちだった。
脈はいつも120をこえ、いつもゼイゼイと今にも 死にそうな子供であったのだそうです。
毎日毎日苦しみながら、それでも17歳を迎えたとき、 父親はカントを「 駄目でモトモト 」
と半ばあきらめつつ、年に数回巡ってくる有名な医者のところへ連れて行く。
そうするとこの医者は、じっとカントの様子を見てからこう言います。
「 あなたは本当に気の毒な身体をしている。辛かろう、苦しかろう。それは医者として
見ただけでわかる。しかし、それは身体だけのことだ。身体は確かに気の毒な状態だけれど、
心はどうでもなかろう。心までも“ せむし ”みたいにゆがんで、息苦しくてゼイゼイ
しているのならともかく、あなたの言うことも心もしっかりしている。
身体のことで辛い、苦しい、といくら騒いでも、父さんや 母さんやみんなが辛いだけで
何にもならない。それよりも、心のしっかりしていることに感謝しなくては。
死なずにいるのはそのおかげなんだよ。そのことを喜びと感謝にしていけば、
身体の方も次第に軽くなって 良くなっていくものなんだ。
このことがよくわからないようだったらお前は本当に不幸なんだよ。」

カントは、家に帰ってからこの言葉をじっと考えます。
人間というのは、 身体あってのものだろうか、心あってのものだろうか・・・。
そしてついにカントは、世界が誇る大哲学者への道を歩み始めた。

終生独身だった彼の生活は、平凡で真面目いっぽうにみえた。
毎日きまった時間に散歩をする姿を見て、街の人は時計の時間を修正をしたという。
しかし彼は、聡明で闊達な楽しい人物だったという。
気に入った人と時間を過ごすことを好み、昼飯はかならず人を招待をしていた。
講義のすばらしさも、今も伝説になっている。

中世以降、哲学を教えることを職業にした初めての人物であり、彼以降は
高名な哲学者が大学教授になるのが珍しくなくなった。
彼は*経験論と合理論の統一*をして観念論をうちたてた。
それは、一言で言えば人間に知りうることと知りえないことを明らかにすること、
言い換えれば「経験」つまり「認識」の成り立つ条件を原理的に究明することによって、
認識能力の範囲と限界を明らかにしようとすることである。

ー難しいようだが、人間の持っている五感の機能の範囲でしか世界のことを理解できない。
盲人に自然の美しさは理解できない。
舌のない人にあの美味しい料理の味を味あうことはできない。
反面、5感では感知できない他の世界があるはずである。

カントは
デカルトやスピノザの合理主義にも、ロックやバークリやヒュームの経験主義を超えていた。
・合理論を唱えた人々は「あらゆる認識の基礎ははじめから意識の中にある」と考えた。
 理性を重視し、認識の源泉は理性にあるとする。
 つまり理性だけを信頼し、経験を軽視していた。
・それに対して、経験を通して確実な知識を手に入れようとした経験主義者たちは、
 感覚によって認識できるものしか存在しないと考え、経験を超えたものは何も存在しないと
 唱えたのである。

 カントは経験論、合理論ともに否定している。
哲学史上、カントはこの2つの思想を批判統合し、さらに啓蒙思想を加え、批判哲学を
確立したと位置付けられている。
カントの思想が批判哲学といわれるのは、理性そのものを批判、吟味する立場をとっためだ。 

 近代思想として生まれながら、
合理論も経験論も、人間の認識の対象(自然)は人間から独立して存在すると考えたのに対し、
カントは、
「普遍的な真理は、人間が外のものを正しく受け止めるところに成り立つのではなく、
人間が自ら持つ形式によって自発的につくりあげたものについての判断なのである。
そしてこの能力を、人間は経験によって獲得したのではなく、先天的に備えている」と
論じた。

これは、天動説を否定して地動説を主張したコペルニクスにちなんで、
「コペルニクス的転換」と呼ばれる。
しかし、自然科学的な認識として人間が知りうるのはあくまでも現象界における経験の
範囲内での自然の因果関係に限られる。
つまり、経験を超えたもの、物自体を認識することはできないのである。

ー「我が上なる星空と、我が内なる道徳法則」
これはカントの墓碑銘にも刻まれたカント哲学を象徴する
『実践理性批判』の結びの言葉である。
カントはニュートンの自然科学にも大きな影響を受けており、
彼の哲学の目的は科学と道徳の絶対確実性を見出すことにあった。
・「我が上なる星空」とは、自然法則を象徴し、
・「我が内なる道徳法則」とは、人間の意志の自由と自律の上に築かれるべき
 人生の法則を 意味している。
カントは生涯をかけて自然界の法則の理論的基礎を築くとともに、
人間一人ひとりの心の法則を追い求めた。

ーカントの
「道徳論」
「人間の尊厳について」
「永久平和のために」
のまとめを、あるホームページからコピーした。

ーーーーーーー

ーカントの道徳論ー

 カントは私たちが何かをする時、「同じ状況なら誰もが同じことを望む」
と確信できなければならないとした。
これは『定言的命令』といわれ、何らかの目的の手段としてではなく、
無条件に人間の心に生じてくる普遍的妥当性をもった命令である。
この反対が『仮言的命令』で条件付きの命令である。カントによればこの命令は目的を
達成するための手段として用いられているにすぎず、動機が不純なので善くないとされる。
人間は理性的存在であると共に、感性的存在である。
感性によって捉えられる現象界に属するものとしては、自然の法則に従わざるを得ないが、
他方、理性界に属するものとしては道徳法則に従って生きるべきである。
定言的命令に従うことが、人間の道徳的、倫理的に正しい生き方であり、
また、道徳法則は良心の命令であり、一切の目的や条件を超えたものである。

 人間が道徳法則に従うこととは、具体的には、様々な場面で理性が命じる義務に耳を傾ける
ことである。
カントは、道徳法則への尊敬だけを動機としてその命令に従うことを義務と呼んだ。
もし義務が果たせなかったとしても、人間は「果たすべきことを果たせなかった」
という良心の呵責を感じる。
そしてその時、自分はその義務に従うことができた、という自由を自覚する。
カントは
「道徳的な振る舞いは、自分の損得を乗り越えた結果、出てくるものでなくてはならない」
としている。
つまり、行動が道徳的に正しいかどうかを決めるのは、行動の結果ではなくて心構えなのである。
道徳律を心に留めて行動している、と自覚している時だけ人間は自由意志でいられるのである。
つまり、人間としてどう いう風に行為すべきか、と真剣に道徳法則に直面して、
初めて自由の存在を知るのだ。


*人間の尊厳*

 カントによれば、自律とは自らのたてた道徳法則に自らを従わせることである。
それは意志のもつ自由という特性によって、行為の主観的な格率(個人の行為を決定する原理)
を普遍的な法則に一致させることに他ならない。
言い換えれば、それは理性の命令であり、義務の声である。
「汝の意志の格率が同時に普遍的立法の原理に妥当し得る様に行為せよ」というのがカントの
説いた最高の道徳法則である。
それ故、自由な意志と道徳法則のもとにある意志とは同じであり、
真の自由は自律的自由を意味する。
人間が理性に従って道徳法則を自ら打ち立て、それに対する義務と責任から自律的に行動する
ところに真の人間らしさと自由がある。
カントは、この自律的な自由の主体、神聖な道徳法則の主体としての人間を人格と呼んだ。
そうした人格は人間以外の理性なきものと異なって、常に目的そのものとして絶対的価値を
もつものであり、単なる手段としてのみ扱ってはならないのである。
カントの主張した理想的な道徳的共同体である「目的の王国」は各人がそれぞれ自律的な人格を
手段ではなく目的として尊重する国家である。
「目的の王国」は、カントの言葉で言うと、全ての人間が「幸福を求めて生きるのではなく、
幸福に値する人間になれ」るように、自分に対しては道徳的完全さを求め、他人に対しては
幸福を促進する努力を続けることで建設される。


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・・・・・・

 2003年06月27日(金)
814, 「ありがとう」の言葉 −6

 昨日、現地見学ということで千葉の越谷に行ったが、どうしても現地の場所がわからない。
たまたま通りがかりの自転車に乗った女の人に聞いたら、そっちに行くから案内をしてくれる
という。ところがなかなか現地のその場所がわからない。
普通なら、途中で「誰かに聞いてください!」というのが当たり前なのに、30分近くも
一緒にさがしてくれた。
人品のよい、かなりの人というのは勘でわかったが、こういう時の親切は本当に嬉しいものだ。
最後にお礼を言おうとしたが、逃げるように帰って行った。
その時ハッとしたのが、「ありがとう」という言葉が心から出ていたことだった。
さがしている間に何回も何回も「ありがとうございます」といっていたのだ。
「ありがとう」といい続けていれば有り難いことがよってくる。
先日から「ありがとう」の言葉を繰りかえしていたために、ありがたい気持ちが伝わったのだ。
もちろん、その人がそれなりの人品の人という前提があったが。
「ありがとう」を口ずさむ習慣を身につけて、実感として自分が一番足りなかったのが、
「ありがとう」という気持ではなかったかということだ。
私の場合は特に亡くなった両親に一日千回いったとしても、足りない。
まして恩師や上司や先輩に対して考えてみると、数千回いっても足りない位だ。
そういう視点で周囲を見渡すと、幸不幸は「ありがたい」という気持ちをどれ位持てるか
どうかで決まってくるのが歴然としている。
何か修身みたいな話だが、やはり歳をとった為なのか?
「やれる親切は可能な限りする」というのが信条なのだが、見知らぬ地で見知らぬ人に困り
果てた時にあってみて、親切心は、教養という面で身に付けておきたいものだと思い知らされた。

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2002年06月27日(木)
450,吉村作治-宗教・教えー3

・スフィンクスはピラミッドの守りの動物といわれているが、 
 実際は「夕陽の神様」で岩を掘りぬいた岩細工である。
・ルクソール神殿は神様の家-ルクソールのオべリクスは肉を刺す串を意味しており、
 二本で一対をなしている。一本はフランスのコンコルド広場にある。
・ピラミッドは現地では「メル」といっていた。
 ギリシャ人が2300年前に多くの人が観光に来ていた時に、パンに似ていることから
 ピラミス(パン)といったのが語源。
・エジプトは予算制度をとっていた。
・彼等の宗教は自然崇拝で多神教であった。
 自然に逆らわない。
 自然循環ー輪廻の考え方の元。
 自分が自分に責任を持つためには自分が循環しなくては。
・魂というカタチのないもの矛盾をどう調節するか、
 矛盾はあってよい、それをどう調節するかがポイント。
 ギリシャ哲学の元となるものが、その2000年前に考え出していた。
・エジプトの42のやってはいけない事の決まりがあった。
 ユダヤ教のモーゼの10戒のうち7つがこの42の中にあった。
 それを神の教えとしてモーゼが創作した。
  ー私の感想ー
 考えてみれば宗教はこんなもの。
 モーゼも十戒も事実を知ればこんなこと。
 旧約聖書も新約聖書もこんなものでしかない。
 しかし真実という面では、それでよいのでは。
ー統一した真実を規定するという面で。

ー時間に対して
 時間の概念もエジプト人がつくった「ある絶対という仮説」である。
 エジプトは10進法であるが、時間に関しては12進法である。
 これは今の世界の趨勢であり、当時のエジプト人がその基礎を創っていた。
 ー夜が12、昼が12。夜は星の位置で決め、昼は太陽で決めた。
 しかし昼の太陽の位置は時期により変わる。
 天文学もそこより・・・・・・

 絶対は元々ないー人間が創ったものだ。
 それを信じるということは、おかしい上に恐ろしいことだ。
 しかし便利なものだ。

以上が今回の講演の内容だ。
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以前書いた文をコピーしておく

 ー H0805−エジプト感激の旅  

・まさにタイム・スリップして数千年前の古代を旅している日々であった。
まず最初に訪ねたのがカルナック神殿であった。
“まさしく驚愕!”直径が二mの石の大列柱が百数十本並ぶ神殿。
これが三千数百年に本当に!周辺の王侯貴族を驚かす為に造られたというが、
今まさに自分が、目を丸くして驚いているのだ。
歴史が私という小さな存在を見下ろしているのだ。
日本ではまだ縄文の時代、これを造りあげた高度の技術があったのだ。
そして壁に刻みこまれたレリーフ、古代文字、
現地のまだ若い日本人女性ガイドの熱心な説明も手伝って,
古代文明の世界にタイムスリップした気分になってしまった。
そらに天を指すオペリスクとラムセス鏡い覆匹硫Δ篆世料の数々、
今まで何度か海外旅行をしていながら、何故ここにもっと早く来なかったのだろうか?
と考えてしまったほどだ。

・次に行った“王家の谷”。
 ここは何代の王様の墓が、かくれるように数々掘られている集団墓地だ。ここで、
 英国の考古学者カーターの執念でつきとめられたツタンカーメンの墓室にも入ってみた。
 また夕日の長い影を落としていたハトシェプスト女王の壮麗な葬祭殿と,
 そこにやはり刻まれていたレリーフの数々。
 その帰りにたちよったネクロポリスの麗に立つ,
 メムノンの二体の巨像の神秘的な光景も印象的であった。

・その翌日行ったアブジンベルの大神殿、小神殿、のラムセス凝の巨大な立像も,
 実際そこに立ってみて古代歴史の深さを実感する事ができた。

・またアスワンのナイル川で乗ったのんびりした“ファルーカ”
 という小さな帆かけ舟の夕日の中での“ひととき”も、
 一瞬の中に永遠を感じる事ができるようだった。

・旅の後半になってカイロに入ったが、ナポレオンが言ったという
“四千年が諸君を見下ろしている!”というまさに異様なイスラム社会が,
 大きなカルチャーショックになった。
 丁度、ラマダン(一ケ月間の日の出から日の入りの断食の行)という事もあり、
 異様さがさらに目立ち、日本人は西欧社会に感化去れているのが対比する事ができた。
 早朝、街中とどろくアラーラの祈りのスピーカーの音も異様そのものだった。
 我々の目からみると、接するエジプト人全員が金に特に汚い詐欺師そのもの、
“騙すより騙されるのが悪い!”“車は轢かれるほうが悪い!”とか、
 イスラム教という。

・カイロ郊外にある二百五十万個の巨石を積みあげたピラミッドも本当にすばらしいの一言。
 考古博物館のツタンカーメンの黄金のマスクと財宝をみた瞬間、
 ゾクゾクと身ぶるいがした。
 今にも起きあがりそうなラムネス兇鬚呂犬瓩箸垢訖堯垢離潺ぅ蕕,
 数千年をこえて不死への激しい希求を魂にかたりかけてくるようであった。

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 2001年06月27日(水)
[66] ソフト変更

昨日よりこのコーナーのソフトが変わった。
今までのものは70日で書いた内容が自動的に消される。
これは写真も貼れる。

そうなると写真日記とダブルという問題もでてくる。
お笑いも分類のコーナーをつくり、見やすくした。
まだ分類の移行ができてないが、徐々にしていくつもりだ。

昨日は3Dホームページソフトの打ち合わせと、このホームページの変更の
打ち合わをしたが、だんだん形が見えてきた。


1545, エホバの証人ー1

2005年06月26日(日)


誰もが年に数回は、街角などで二人連れで本をかざして立っている姿や、
自宅への訪問伝道で、彼らの姿をみているはずだ。
といって、「エホバの証人」で知っていることといえば、
献血拒否で時々新聞に載る位のことである。

学生時代の友人が入ったが、みるみるうちに異様な男に変容していった。
(しかし、自力で脱会してきたが)
中学校の同級生が自宅に訪問伝道にきたり、
前の会社の元部下が街角に立っている姿をみたりしていた。
貰ったパンフレットなどは馬鹿馬鹿しいのでみたことがなかった。

街角に立っていた元部下に偶然、10年ぶりに会った時の話。
「抜けることができるのか?」と聞いたら、
「もう無理でしょうね!」と答えた。
「あれだけ本を読んでおけと言ったのに!読まなかったのだろう。
だから洗脳されて抜けだせないんだ!自業自得さ。」
と冷たく言ってしまったが、それはそれで仕方がないのか。
基礎教養が少ないと、こういうものを盲信してしまうのだ。

ある本に彼らの概要が解りやすく書いてあった。
成る程、こういうことーシステムーだったのかと、納得できるものだった。
典型的なカルト?の異常集団である。
しかし、教徒を盲信させる教えや、洗脳システムは凄いとしか言いようがない。

ーこの教団の要点をまとめてみた。

・エホバの証人は19世紀半ばにチャールズ・ラッセルによって始められた
アメリカ生まれのキリスト教の一派である。
その頃のアメリカは、合理主義や無神論が興隆した時代であった。
その時代に彼は、真実とは何かを考えて、
最後に得た結論は『聖書』の中にこそ真実がある、
というものであった。

1879年、聖書研究会の仲間と
「シオンのものみの塔およびキリストの臨在の告知者」という雑誌を創刊し、
文書伝道に着手した。家から家への訪問伝道と多くの聴衆を集める講演会が
中心であった。だが、正当性を主張するあまり、他宗派を攻撃。
その結果、大きな反感を買うことになった。
彼らはそれを「真実を語るものが受ける試練である」と言い、
逆に結束を固める手段とした。

・エホバの証人の教義は、新・旧両聖書をもとに説かれている。
現在の世界を「犯罪、暴力、戦争、汚染等によって苦痛に満ちている」とし、
その手先になっているのが他宗派の聖職者、資本家、政治家、等々だと説明。
だが、その支配もまもなく終わる。
まもなく「ハルマゲドンの大戦」が始まるからだ。
ーこの戦いはキリストを総司令官とする神の軍団と、
ー悪魔を総司令官とする悪の軍団の戦いである。
その戦いには、もちろん神の軍団が勝つ。
悪魔の軍団に加担した人々は、
「酒舟のなかでぶどうのように打ち砕かれる」か
「生きたまま硫黄で燃える火の湖に投げ込まれる」という。

この戦いの最中に信者たちは、ただ神(エホバ)の証人として
戦いの成り行きを見ていればよい。
−これからエホバの証人という名が付いたー
そして、戦いが終わると最初のエデンの園のように美しく生まれ変わった地球で、
キリストとともに千年の素晴らしい生活ができる。
また、千年が過ぎると、神の最終審判があり、
それに合格すると永遠の命が与えられる。

なるほど、このイメージを特殊集団の中で洗脳されれば、抜けることは
不可能になってしまう。
私など、最終審判で地獄に落とされてしまうか?
漫画、劇画の世界の思えるが、共同体での安心感と最終審判のあたりが
大きく信者の心を揺さぶるのだろう!
                      − つづく

・・・・・・・・
・・・・・・・・

2004年06月26日(土)
1180, 秘境・異郷ツアーレッスン −2

このツアーで出会う人が素晴らしい?
私の過去に出会った人の中でも「特A」?の人と出会えることである。
それも、濃厚な空間で共通の趣味ということもあって互いの気持ちを開く。

金を出してまで南米やアフリカやインド・パキスタンなどのシルクロードに危険を
冒してまでくるのだから、よほど好きか、そこに何かすばらしい体験がまっているのを
知っている人である。

旅行をし尽くしたか、大きな人生の忘れ物を捜しにやってくるか、何らかの理由で
その地域に興味がある人か、人生の癒しを求めに来ている人である。
また写真や絵や小説の題材を探している人とか様々である。

職業は役人、先生、商店主、会社役員、主婦、等々いろいろある。
年齢は中高年が多いが、若い人も少なくない。

その人たちと同じ目的で濃厚な時間と空間を供にする。
そこでは普段聞けない面白い話や人生を垣間見ることができる。

一回の旅行で、本や周辺の人では絶対に聞けない濃厚な話が聞ける。
遠藤周作の小説「遠い河」のような、それぞれのおもい人生を背負った人の集団と
赤裸々な日々を過ごすことにもなる。

もう二度と会わないから、本音の話になる。
そこでは、それぞれの旅行経験の情報交換の場になる。
旅行回数と情報の質は、ほぼ正比例をする。

旅行をしていて気がついたことは大まかに
・自然派と遺跡派と欧州派
・アフリカ派とインド派と南米派と中国派
に分類することができる。
                       ーつづく
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・              

2003年06月26日(木)
813, 日暮里界隈

一度、日暮里に行きたい思っていたが、念願かなって知人に夜の日暮里を
案内してもらった。
谷中銀座と日暮里駅の中間を少し入り込んだところに、
時代から取り残されたような場末の飲食街があった。
それが何ともレトロ調で映画のセットの中に入ってしまったよう感覚である。
知人の会社の東京事務所があったため、よく通ったという店があった。
沖縄出身の60歳位の女将がやっている7~8人位しか入れない沖縄料理の
小さい店であった。

店の名前は『あさと』といって、本人の名字の安里をそのままつけていた。
石垣島出身で、具志堅用高もわざわざ訪ねてきたという。
何とも沖縄料理がおいしい。
豆腐よう、ほしぶどう、ゴーヤーの炒め物、そして泡盛が絶品であった。
そういえばこの数ヶ月、泡盛を晩酌で飲んでいる。
スーパーで売っているが、ブレンドされた泡盛がいやにおいしい。
店の中の全員がお互いの話を旧知のように話し合える感じがよい。
それこそ若い人は皆無という雰囲気がまたよいのだ。

たまたま若い女性が一人入ってきて飲んでいた。
話しかけると「2~3日うちに石垣島に亭主と行く」とのことで、
女将に知り合いの店を紹介してもらっていた。
何か楽しくなって、下の息子を呼びだして一緒に呑むことになった。
本人も目をクリクリさせて、「今時、凄いところがあるものだ!」と驚いていた。
その後にもう一軒、谷中銀座の中にある居酒屋にいったが、
ここも印象深い店であった。大きいメンチカツが何とも美味しい!

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2002年06月26日(水)
449,吉村作治ーピラミッドは王様の墓ではない!ー2

「歴史」ー岩波文庫
に書いてあるが、紀元前ギリシャのヘロドトスがピラミッドを見たときに、
近くにいた老いた神官が「これは何か?」の問いに「王の墓ではないか」
と答えたという。ただそれをヘロドトスが歴史書に書いただけで、
数千年それが信じられてきただけだという。

最近になってピラミッドを造った人達の街が見つかった。
墓や出勤簿が出てきたという。
それまでは奴隷が造ったと信じられてきた。
出勤簿には欠勤の理由が書き込まれていたという。
二日酔い、兄の結婚式等々。

発掘で事実がまったく変わってしまう。

日本では中ぐらいの川が3000本あるという。
エジプトはナイル川一本だけ。

しかしエジプトの農耕地は日本の面積分が今もあるという。

ピラミッドは公共事業という説がある。
それも無用の長物だから意味があるという。
収穫の50佑王様、25佑地主、25佑農民が取った。
する仕事がない時に王様が25佑鬚修慮共事業のために放出したという。

一回だけ200年かけて4,500年前に運河を作った、しかしそれが王様の利益と
判ると二度とそれをやらなくなった。
その後神殿造りに変わっていった。

今地球上で61億人中45億の人間が神がいると信じているという。
当時のエジプトで神について以下のように考えた
・一番良いのは、神などいる訳がないと理解した上でいた方がよいという考え
・二番目に良いのは、神が本当いると信じること
・三番目は神はいないと思うこと
・最低なのは神がいてもいなくてもどうでもよいと思うこと

{これが今回一番面白い内容であったー現代人とあまり変わってない}

日本は古い国と思っているのは日本が世界を知らないだけでしかない。
新しい国だ。AC3世紀にはもうエジプトは終わっていた。

エジプト中には83のピラミッドがあるという。
ほかに50はあるといわれているが、まだ発掘されてない。
王様にも最大5個のピラミッドを持つ者や、ゼロのものもいる。

今は3年に一個の割合で発見されている。
最終出るまでに後200年かかるといわれている。

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2001年06月26日(火)
[64] おまいり

毎日の散歩のユーターンの地蔵様に祈っている言葉がある。
もう4〜5年続けている。

「あの世のお父さんお母さん、運さん(長兄)進さん(次兄)誠さん(次次兄)、
祖父さん祖母さん、親戚の人たち、ご先祖様、そして総ての霊が安らかお眠りください。
仏様有難うございます。そしてご苦労様です。お父さんお母さん有難うございます。
そしてこの世の総ての人達がより良くありますように。
特に大変な人こそより良くありますように。
かさねてお父さんお母さん有難うございます。
今日一日精一杯活きます。そして笑って暮らします。」

大変な人は、今周辺で大きい問題に突き当たっている人の具体名をあげる。
これを続けているせいか、精神のバランスが崩れることはない。


1544, 私の酒中日記−10

2005年06月25日(土)



 金沢ー6
 ー1972年3月某日

武蔵店の店次長と最近飲むようになった。
店長の愚痴をよく言うが、私が口が堅いことを見抜いているのだろう。
これで二人目の店次長だが、二人とも現在の店長の悪口を平気で言う。
何時ものように居酒屋に飲みに行こうと歩いていると、目の前に店の女子がいる。
丁度よいから誘うと、嬉しそうについてきた。

ところで、店次長の今日の話が面白い。
金沢でよく言われている裏話があるという。
その地区でしか聞けない面白い話しである。

「能登と福井の女は止めておけ、嫁を貰うなら富山がよい。
自分の出身が能登だから、間違いはない!潮風と海に囲まれているのが良くない。
富山は山が背景にある。豊富な水が人間性まで豊かしている。
一番は金沢市、二番が石川県内、三番が富山、四番が福井、能登だけは止めておけ。
自分が能登出身だから間違いがない!
潮風が土地を枯らし、人間性まで枯らしてしまう。」
その同僚女子は金沢周辺の出身で問題はなかったが。

そういえば、前の会社に居たときに伊勢出身の女性が良いと聞いたことがある。
神社のあるところは、湧き水が特に良いからだという。
人間も米も水しだいというが、
こと結婚相手の女性は湧き水の綺麗なところの人がよい。

今日は居酒屋から、スナックに行く。
以前から飲みに誘われていた女性だったので、これでよかった。
二年先輩の彼女だが、サッパリしていて好きなタイプだ。
去年の暮れに二日間、金沢の郊外で一緒に売り出しのダイレクトメール配りを
したことがあった。下手なデートよりズット面白かったが。
彼氏のいる女性は安心して遊べるし、複数なら問題はない。
三人で、かなり盛り上がった。

ところで、先日会社の私的な集まりがあった。
40人位の若手の男社員が集められていた。
西友ストアの資本提携に対する反対総会のようであった。
西武系の東大出の嫌味な人事部長と、慶応出のキザな総務課長が乗り込んできたが、
あまりも見下すような気持ちが露出していた。
その爆発なのだろうが、明らかに社長が裏で動いているのが解った。
その直後、西武から来ていた10人ぐらいの社員が一せいに引き上げた。
重大な局面にあるようだ。

会社は弱者の立場に多ってはならないケースとして、
しっかり見ておかなくては!

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2004年06月25日(金)
1179, 哲学についてー10

ー現在の哲学

現在の哲学はどうなっているのだろう。
現在の哲学を考える時、「構造」主義の概念がベースになっている。
この「構造」とは「構造化されたシステム」をいうのではなく、
無意識であり、自己の限界を次々に乗りこえていく根源的生命力のことをいう。
構造主義とは
[さまざまに変化していく諸現象の背後に隠された深層的で不変な「構造」
(無意識)を探求する]と、いうことである。
解りやすく大雑把にいえば
「哲学であれ何であれ、あらゆる種類の言説は言語の構造であり、それが
すべてである」

その構造主義を唱えたのはソシュールである。
彼は、人間は言語を持つことによって人間になった、「人間は言葉だ」と主張。
構造として「主体の発見があり、言葉は真の創造者だ」とした。

このような構造主義や、脱構造主義が出てきた背景には情報化社会の到来がある。
情報化はデジタル社会といわれ、すべてを情報量で記述する記号社会のことである。
情報化はコトバを持たない人、自在に駆使できない人やシステムが敗北をする
社会といってよい。
その意味で哲学は個々人にとって真正面から取り組みざるを得なくなっている。
哲学は日常実世界には一見無用にみえるが、人生そのものにとって非常に
重要になってきている。
自分のホームページを持ち、そこに自分のコトバで主張することの重要性をあらためて確認した。

「哲学について考える」を書いてきた効用か、いままでとは何か違った目で
「哲学」の本を読めるようになった。
 この程度でだ。

ところで、
本棚には哲学に関する本が何冊かある。
何冊か書いてみると

「哲学のカフェ」 ノーラ・K
「ソフィーの世界」ヨースタイン・ゴルデル 
「哲学を知ると何が変わるか」鷲田小弥太
「哲学がわかった!」鷲田小弥太
「哲学のコテン101物語」木田元
「新哲学入門」三木清
「ツァラトゥストラかくかたりき」ニーチェ
「ユング」コリー・ウイルソン
などなど、30〜40冊以上はあるが、それを理解しているかといえば
話は別である。ー哲学書かどうかファジーの本が何冊かあるので30〜40とした。

哲学者が子供か大衆向けにやさしく書いた本ほど、本質を突いている場合が多い。
難しいことをシンプルに、シンプルのことを深く、深いことを面白くである。
哲学の世界にいつの間にか引き込まれ、難しいことでも解ってくる。

ーまったくの粗い内容であったが、哲学についての概論を終了する。
今度は思いついた順に、哲学者や[実存主義」とかの概念をテーマにして書くつもりである。
次回はデ・カン・ショか、ニーチェあたりか。

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2003年06月25日(水)
812, 変な人が書いた成功法則 ー 読書日記

 昨日、新潟駅のセゾンの本屋で本を眺めていると、ふと見たことのある人がいる。
コンサルトをお願いをしている林さんだ。
先日、産能大学で臨時講師という珍しい経験をさせてもらった人だ。
まさかと思って声をかけたら、やはり林さんである。
これからある会社にコンサルトにいくという。
「面白い本がある!」と彼がいう。
ピンときたので、この本でしょうとその本のところに案内をすると、
やはりそうであった。
先日「大丈夫」というテーマで書いた本だった。
買うには、少し俗っぽい本で、10回に分けて立ち読みで済ますつもりであった。
しかしこれも因縁と買うことにした。

「長者番付日本一」といううたい文句が嫌で買わなかったが、それが買ってみると面白い。
自腹を切るとやはり違う、元を取ってやろうと思う為だ。
元気が出る名言が次々書いてあるのだ。
中村天風の小型バンという内容だが、この不景気に面白い。
ー楽しい生き方を真似をすると、お金と健康と幸せが雪崩のようにやってくる!
というのが、一貫して流れている。
・「しあわせだな〜」を口癖に
・言葉が変わると行動も変わってくる
 何事も千回言葉に出していうと『千回の法則』で心が見違えるほどきれいになる
 口に出せば幸せはあとからついてくる
・外見だけでも人生が変わってくる
・モテる超簡単な口癖
・抵抗力が強いほど幸せになれる

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「変な人が書いた成功法則 」
 講談社
 斎藤 一人 (著)
ー目次
 第一章  千回の法則
 第二章  バランスの法則
 第三章  加速の法則
 第四章  七八点の法則
ー内容ー
 中学卒業後、裸一貫から「日本一の大金持ち」になった著者が説く、
人生を明るく楽しく生きてリッチになる「究極の成功法」!
「仕事がカンタンでなぜ悪い? 楽をするから成功する」
「口に出せば幸せはあとからついてくる」「外見だけで人生は変わる」
「ダメ人間のほうが成功する」など、著者が語る「新常識」の数々には、
幸せになる「宇宙の法則」がいっぱい。「人生に困ったことは起こらない」
と神様が決めているから、誰だって笑いながら大成功する!
内容(「MARC」データベースより)
日本一の大金持ちが極めた努力しない成功法。成功の秘訣は楽しくて仕方が
ない生き方。「千回の法則」「バランスの法則」「加速の法則」「七八点の法則」
にしたがえば、幸せは向こうから雪崩のようにやってくる!

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2002年06月25日(火)
448,吉村作治ー考古学について −1

昨日、彼の講演があったので聞いてきた。
エジプトなど遺跡が好きであった事と彼の本を読んでいたため、
一言一言が非常に興味をもてた。

講演内容を時系列にそのまま書いてみる

・考古学は人間学である 
 骨董屋とは違う
・掘ること自体が面白いー好きにやれと好きに掘らせておくと60日経つと
 虜になる
・自分だけの史料を見つけることができる
・歴史学は批判学であるー歴史上言い伝えられていることは真っ当な事はない
 非難とは違うーそれを検証する事である
・考古学はない史料を探すこと
 図書館の片隅の史料を探す事も発掘という
・一回の発掘のクルーはー60日*20人・現地人100〜150人・
 2000万の費用ーが目安
 今までない史料探し、それを今までの史料と検証する

生き様ーこれは造語
死に様の対語としての造語

全部の人が死ぬ、「生まれ変わり」というのはギャグである。
エジプト人は生きるにあたっての大事なことを発明していた。
ーいろいろな概念をつくっていた
「あの世は何か」という概念をびしっと明確に決め文字に残していた。

・あの世とはこの世ではないーその前提としてこの世を知っている
 死を知るということは前提として生を知っていなくてはならない
・神の住んでいるところ
・西の空に太陽が沈んで、東の空から出てくる向こうをあの世と規定した
・あの世の風景が書いてあるがーこの世と同じ風景でしかない
 想像は人間のイメージの範囲しかできないのは当然だ
 火星人のイメージは人間と同じ頭があって、直立で・・・
                            −続くー
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 2001年06月25日(月)
[63] 秘境ツアーコーナー故障中

3Dホームページ作成中故障発生?明日中に直ります。
ホームページ面白いがメンテとランニング大変!
好きだからやってるが、そうでなくては無理。


1543, 新宿・歌舞伎町の変容

2005年06月24日(金)


歌舞伎町といえば、1~2年前までは風俗無法地帯であった。
しかし石原知事が『歌舞伎町浄化作戦』を展開させてから
昨年の4月から半年間で、風俗関係を162店、人数にして500人、
暴力団員が200人、それから不法外国人が700人が検挙されて
歌舞伎町の街が一変しているという。

それまでは、日本暴力団とチャイナ・マフィアが仕切る無法地帯に近い状態。
そこで石原都知事が元広島県警本部長の竹花豊を副知事に任命。
彼は、
「NYはここ10年間で犯罪は減ったが、歌舞伎町は犯罪が増加傾向にあり、
その原因は違法風俗店が増え、その資金が暴力団に流れている」
と宣言し、本格的に浄化作戦に出た。

アジア最大の歓楽街と言われる歌舞伎町を、
「親子で歩ける健全な街に戻そう」という動きが本格化した。
警察などの取り締まり強化で怪しげなネオンが消え、飲食店舗ビルの看板は虫食い状態。
違法風俗店が続々と摘発され、キャバクラやクラブなどの店舗も相次いで閉店。
歌舞伎町の町内会では、監視カメラを据付てビデオで録画などの警察と共同作戦が
効を奏し、売春婦、呼び込み、前科者、ヤクザ、不法滞在者などが消えてしまった。

以前なら客引きに付きまとわれたが、今では飲食店を含む客引きは一切規制され、
ピンクビラは配布するだけでなく、配布用に持っているのも禁止。
「路上のたむろ」さえ規制の対象された。
この三月に、北池袋の東横インに宿泊したが、以前のような怪しげな店や、
呼び込みの姿は殆ど見られなかった。

このため、ピンク対象の飲食ビルなどのテナント撤退が進み、不動産の相場が
暴落したという。
2007年問題(現在工事中の高層ビルが一斉に完成すると、中小ビルから
高層ビルへの移転がさらに進み、地価暴落の大きな要素になる)が控えていて、
どの要素をみても、地価に対してはマイナスである。

それにしても、あの桃源郷?といわれた歌舞伎町が健全の街になるとは!
そして地価が暴落するとは数年前までは考えられないことであった。
政治の力は絶大である。

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2004年06月24日(木)
1178, 哲学についてー9

ー現代の哲学−2

実存主義の大きい影響を受けたサルトルは、たんに優れた著述家としてだけでなく、
劇作家・小説家としても名を知らしめていた。
彼はハイデッガーを研究し、最初の戯曲を発表。
また1943年には哲学上の著作として重要な「存在と無」を書き上げた。
彼の言葉に「精いっぱい生きること」がある。
「社会が課す規制や規則に反発するのは若者であり、
誰でも『自己についてのあらゆる選択権』をもっている」という、彼の言葉に当時の若者が
飛びついた。

現代の哲学を考えると、アメリカのプラグマティズムをあげなくてはならない。
「知識を実践的な活動としてとらえる」考え方である。
18世紀後半アメリカが国家として独立すると、アメリカ特有の新しい文化や思想が
生まれるようになる。その後100年かかって優秀な哲学者がハーバード大学などから
でてきた。バース、ジェームス。そしてディーイである。
バースはプラグマティズムを「言葉に表れた意味を確認する手法、意味論である」と主張した。
彼の一主張で「知ることはひとつの行為」であるというのが印象的だ。

20世紀には分析哲学が飛躍的にのびた時代でもある。
哲学者の多くは学者や科学者ばかりという背景もあった。
論理分析や言語分析などは歴史的に見ても飛躍的といってよいものであった。
人間の知識の本質に対する徹底的な再検討と分析である。

そして構造主義がうまれてくる。

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・・・・・・・

2003年06月24日(火)
811, 「最良」の敵は「良」である

ある本の冒頭に出ていた見出しである。
ー以下に書き写してみるー

「重要事項を優先すること」は、人生の核心に関する問題といえる。
ほとんどの人は、「やりたいこと」や「やらなくてはならないこと」が
ありすぎて疲れ果てている。自分の時間を最大限に使い果たすために、
そのときどき、あるいは一瞬一瞬、行動を決定することは大変なことである。
「良」か「悪」を見分けることは簡単だ。無駄な時間や愚かな時間の
時間の使い方なら誰にもすぐに分る。

「良」か「最良」かを見分ることが難しいのだ。
「最良』の敵は「良」であることが多いからだ。
あなたにとっての「最良」とは何だろうか。

「最良」のために時間を使うことを妨げているのは何だろうか。
それは意外なことに、あまりに多い「良」が邪魔をしている。
数多くの「良」に邪魔をされて、最優先事項を優先できなかったことを、
ほとんどの人が後悔するのである。・・・・・・・・・・・

ー以上であるが、
「無意識的に小事に取り組んでいるのは、意識的に大事に取り組まないのと同じだ」
と次の項目にあった。
小事が「良」大事が「最良」と考えてみると
小事が最大の敵というのが解る。
小事も大事であるが、それにとらわれて大事を見逃すことが致命傷になる。
目先の緊急を処理することが、いっけん大事そうだが、これが敵である。
「最良」を明確にして、真北(北極点)に向かって常に磁石の針を「最優先事項」
に向けていなくてはならない。

 何かハッとする言葉である。
イトーヨーカドウで「ヘドロー売れ筋外れ商品」の仕入れ原因を調査した。
ーそれがなんと売れ筋商品の品切れをカバーする為に仕入れた類似商品だったー売れ筋を
最良とみて、次善の商品を入れたつもりが、最悪の事態を呼び寄せてしまった。
少し意味がそれたか?人生そのものであると同時に、すべてに当てはまることといってよい。
今の日本の姿といってもよいだろう。
自民党旧守派が常に「足して二で割る」政策をしてきたことが、この「良」といえる。
日本をここまで追い込んだのは醜悪集団が「良」の選択をしてきた結果である。
単なる利権集団屋さえ気がつかない低俗国民に問題ありだが。

最良の「敵」が「良」とは、もっと早く気がついているべきであった!
気がついているほうであったが、それは「良?」の人に比べてか。
最良じゃない自分がいう権利はないか?
しかし真北の選択という面で最良は選ぶことはできたはずだ。
その都度真北を見てきたつもりであったが、どうであろうか。
私が意識的にー敵(良)としてきたことは俗に言う「世間様」である。
それでも一言で「『最良』の敵は『良』である』とずばりいってのけるとは!

「7つの習慣」よりこの本のほうがずばり書いてあってよい!
  
  ーーーーーーーー
「7つの習慣 最優先事項」
  ―「人生の選択」と時間の原則

出版社: キングベアー出版 ;
ISBN: 4906638112 ; (2000/07)
スティーブン・R. コヴィー (著), レベッカ・R. メリル (著),
宮崎 伸治 (翻訳)
ー内容(「BOOK」データベースより) ー
・『7つの習慣』で世界を揺るがせたスティーブン・コヴィーが再び放つ話題のベストセラー、
 ついに登場!「人生の本当の仕事」を探しに、いま知的冒険の旅が始まる。
『7つの習慣』における最大のポイントを徹底追究。

・もっと時間を有効に使いたい。ストレスを感じることなく毎日を過ごしたい。
人生の目的や目標を達成したい。これらを実現させるための原則や法則を詳細に
掘り下げてまとめた。「7つの習慣」の続編。
http://www.asahi-net.or.jp/~gw5k-tksw/business/book/seven/seven_habits.htm
http://member.nifty.ne.jp/hamada/f990704a.htm
ー目次ー
ー第1部
 時計と羅針盤(コンパス)(死の床で、どれくらいの人が、
「人生をもっと仕事場で過ごせばよかった」と思うだろう。
・緊急中毒
・生きること、愛すること、学ぶこと、そして貢献すること)
ー第2部
 最優先しなければならない重要事項を探る(第二領域時間管理―重要事項を
 優先する方法とは
 ビジョンが発するエネルギー役割と役割の間のバランス ほか)
ー第3部
 相互依存の相乗効果(相互依存の現実ほかの人と一緒に重要事項を優先する
 インサイド・アウトからのエンパワーメント)
ー第4部
 原則中心の生き方における"力と安らぎ"(時間管理から自己リーダーシップの確立へ
 結果としての「安らぎ」)
 
カスタマーレビュー
おすすめ度:
9 人中、8人の方が、このレビューが参考になったと投票しています。
ーこれを読むと怠惰でいられなくなる, 2003/03/31
レビュアー: 九州商人 (プロフィールを見る)   宮崎県宮崎市
凄い本です。
大抵の書籍は人間の「脳みそ」に働きかけてきます。しかし行動までも変えてくれた書籍に貴方は
出会った事がありますか?例え行動を変えられたとしてもその行動を継続して維持できていますか?
「ようし、やるぞ!」と燃える事は出来ても継続させる事は出来ない、
そんな事が多くないでしょうか?
この本は「正直者が報われる」ための本です。この書籍に書かれてある事をバカ正直に
実行してみてください。私自身「テレビ依存症」がすっかり直り、仕事への時間配分を
「苦しむ事なく」実行できる様になりました。

毎朝5時起床してますがそれは、「嫌がる自分に打ち勝っているから」ではなく、
この本を読んだ事で「怠惰でいない自分が気持ちいい」という域に達したからだと思ってます。

・・・・・・・
・・・・・・・

2002年06月24日(月)
447,内面処理の仕方ー心の自己処理

昔から自我の強い性格「プライドの高い性格=コンプレックスの強い性格」
でいろいろ行き詰まりなどあった?。
それなりに乗り越えてきたのは、「最後は一人」ということが実感で
解っていることもある。

行き詰まりとかトラブルがあった時の気持ちの処し方で
・一番手っ取りはやいのは、辛らつにその内容を紙に書く。
 自分の気持ちと事象を、とことん書き連ねる。
・それでもどんどん出てくる気持ちの混乱、それをとことん書く。
・脳内に出てきた言葉を全部、書き出す。
 もう出てこなくなるまで書く。
・その内容を読み返す、そして更に書く。
 これを繰り返すと、幾らでも出てくる、それを書き尽くす。
・それをきっちりまとめて、最後は破って捨てる。
・そしてその全てを袋に入れて紐で縛りつけ、
 心の奥にしまっておくイメージを繰り返す。

その時は残るが、時間が経つと全く内面から消滅する。
「割り切」を合理的にしていることになる。
それを中途半端にすると後に残ってしまう。

あとは時間が全て洗い流してくれる事を信じる。
その時間の見積もりをする、これは一年、三ヶ月と、最近は誤差がない。
一番辛いという、連れ添いの死も三年という。

般若心教を暗記してあるのも良い。
全ては宇宙の出来事の些細な出来事でしかないことが自己確認できる。
般若心教は憶えておいた方がよい、心の保険としても。

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 2001年06月24日(日)
[62] あと2週間

あと2週間で北欧ロシア旅行だ。
まだ実感がわかないが、かなりハードな旅行になりそうだ。
南アフリカやシルクロードからみれば、半分ぐらいだろう。
このコースはやはり外せないコースだ。

ペルーにいった時、同行の人に「旅行道という言葉があるならインドは絶対外せない」
と言われて、インドに行ってみて納得したが、このコースもそれに近い何かを直感した。
それが当たっているかどうか?「12日で5カ国、バスあり飛行機あり船ありだ」
毎日が面白そうだ。


1542, バージン島にオフショア会社設立?

2005年06月23日(木)

一昨日、取引先の保険会社の社長が、
「面白い人を連れて行くから会ってくれないか」という電話が入った。
何回か、その面白い人?の話を聞いていたので、気楽に会うことにした。
菊池ファイナンシャルグループ代表の菊池重喜氏という人である。

持ってきたパンフレットによると、
1966年にカナダ移住。
現地で、伊藤忠商事カナダ、サンライフ生命保険を経て、
1980年に保険会社の菊池ファイナンシャルを創立、
2000年には現在の菊池ファイナンシャルグループを創立をしたという。

彼の話の要点は、
・日本そのものが危ない状態に入った、
・AAA格付けのカナダ国債・アメリカ国債を
 オフショア金融センターで購入しておけば資産が安全に育ちますよ!
そのお手伝いが、彼の仕事である。

今までは、海外のオフショア会社の設立など、全く別世界に思えていたが、
手軽につくれるという。
このサービスは、日本にいながらにして、国際的オフショア金融センターである
英国領のバージン諸島において、オフショア会社の設立が可能となるという。
それにより、法人・個人の合法的節税対策に有効な手立てをこうじることが
可能になるとのこと。
その設立費用は3000ドル、年間会計監査費用として、1500ドル必要とのこと。
最低ロットが2500万円という。
決して胡散臭くはなさそうだが、解ったような解らないような話ではあった。

私の感想として、
彼はアメリカが絶対に大丈夫といっているが、
その前提の上で、アメリカ国債の買いを勧めている。
果して「今後10年~20年以上、アメリカが大丈夫!」かに対して、
非常に疑問を感じる。5年すら疑問である!

彼があげていたアメリカが大丈夫という理由
1、軍事力が絶対的に優位
2、ドルが主軸通貨
3、英語が世界共通語である
4、金の保有量を世界で25パーセント保有

これが果たして絶対的な理由になるだろうか?
奇麗事の言葉の羅列でしかない!という仮説をたてると、
同じくらいの反対理由が成り立つ。
信じるかどうかだが、 
 私は信じない!

半分恐喝的に、アメリカの国債を日本政府が買わされているのは、
周知の事実である。それを肯定することと一緒である。
それと同じことを奇麗事で個人に勧めているに過ぎないのではないか?

彼が勧めているはカナダ国債だから、少し話は変わるが。
ただ、オフショア会社の設立をして、その利益をプールしておくのは、
日本の個人国債を買うことから比べたら、リスクは少ないし大きなヘッジになる。
金融のグローバル化をまさに地でいっている事例としてみれば参考にはなる。
金(きん)を買って、銀行の貸し金庫に入れないで
(銀行閉鎖の場合、金庫も閉鎖されるという)、民間の貸し金庫に入れておけばよい話だ。
自己責任とは、恐ろしい時代である!
紙幣も国債みたいなものだが?
金融のクローバル化の一現象!

まだ私の頭が固いのか、それとも?
それほどの余裕がないから、どうでもよいことだが!

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2004年06月23日(水)
1177, 「物語の主人公になる方法」ー読書日記

人生は一冊の小説のようなものというが、図書館でいつも見ているコーナーに
新たに新刊本が追加されてあった。
さっそく借りてきて読んだが、実行しやすい手順が書いてあった。
若い人が読みやすい内容だ。
人生ではそろそろ残された人生劇場の幕間もいくつかしか残っていない現在,
物語にどう落ちを入れていくかという面を考えていたので非常に参考になった?
以前、ミッション・ステートメントで粗筋は書いてはあるが。

誰も人生において自分の人生の主人公であるが、
「物語を作家になってつくって、その主人公を自ら演じる」ことを勧める
自己啓発的な本であり、岡本太郎のように「生活はアートだ!」
と唱える人生設計本である。

あまり考えずに日々を暮らして、その結果に対してストーリーを
自分の都合の良いように修正するのが一般的だろう。

 具体的手順として
1、まずは作家の誕生―あなたの内なる作家を呼び覚ます。
2、そして作家としての心構えをこと細かく書いておく。
 ー駆け出し作家が決して忘れてはならないことや、
  空想世界の番人であることなどをー
3、作家はそれまでの過去と訣別する―
  それにとらわれと平凡な物語になってしまう。
4、暗示の影響力を意識をして構想を立てる。

第一の診断―主人公の現状を把握する
第二の診断―お望みの主人公をイメージする
第三の診断―主人公の十二大特性をチェックする
第四の診断―不良プログラムを削除する

物語の主人公になるヒントは3つある。
・1つ目は、
「自分のライフスタイル、その判断は良し悪しではなく、自分が満足すること」
 それが、スターティングポイントであると。
・2つ目は、
「家族や周りの言うがままの人生、受動的なライフスタイルでは面白くないこと」
・3つ目は、
「人生はひとつの物語です。自分の物語を作って、その中で主人公を作って、
 自分の日々の満足度をパーセンテージを出すこと」

人生は自作自演の人生劇場であり、特に大事なのは自分の中の作家としての能力である。
そこで忘れてならないものは、人生に何が必要かという冷徹な目。
人生が自分に何を求めているかに気がつくことだ。
この本の著者は、そこまで到達していないが人生設計を構想するには
解りやすい内容である。

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「物語の主人公になる方法 」
著者/訳者名 : パトリス・ジュリアン/著    
        宰務智子/訳
         出版社名 : にじゅうに
         長岡中央図書館 2004年06・21日
         
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 2003年06月23日(月)
810, 「ありがとう」の言葉−5

 最近は殆んど見られなくなったが、石油スタンドが完全自由化になる以前は、
まだ石油の価格が暗黙のうちに規制されていた。
その際の、ガソリンスタンドの差別化として、お客の車に対して深深と頭を下げるのが
流行っていた時期があった。
 
 30年前に千葉市の千城台で「養老の滝」を始めたとき教えられたのが、
「お客の後姿に頭を下げろ」であった。
帰ったお客ではなく、店内のお客に対して見せる為だ。
ガソリンスタンドも同じことだ。
「頭を下げなくともいいから値を下げろ!」
といつも思っていたが。

 長年メイン銀行の店長や次長が転勤する時、栄転祝いを贈っていた。
もう10年前のことで問題がないから書くが、ある支店長が転出の挨拶に来たときに、
不思議な顔をして「何も見返りがないのに何で祝い品をくれるのか?」と聞いた。
その時に千城台で教わった話をした。
「こうしていると、直接関係のない、栄転祝いなど関係ない人もくる。
この地を去る時に侘しい気持ちがあるが、ここにくれば気持ちを含めて見送ってもらえる。
その意味で直接の見返りなど全く期待してない」と。
一本やられてしまったという感じであった。
彼が去ってから解ったことだが、金利変更時で当然上がるべき金利が上がってなかった。
彼の指示で、200万は金利が低かった。

「ありがとう」のエネルギーはブラックホール内の特異点から出てくる光という。
これ似ている言葉が「正中心一点無」がある。
この「正中心一点」とは特異点といってよい。
そして「無」がエネルギーである。
無は色即是空・空即是色の空である。

ー先日、サロンのコーナーに載せた内容をコピーしておきますー
 ーーーーーーーー
 ・「あ」というのが「絶対[ぜったい]」という「光源[こうげん]・光[ひか り]・
 命[いのち]の本源[ほんげん]」というのが
 「あ」、全[すべ]ての始[はじ]まり。
・「り」が、らせん状[じょう]」に全[すべ]てが生[う]み出[だ]されて組 [く]み
合[あ]わさっていくという意味[いみ]で、ら行音[ぎょうおん]の「り」を使[つか]っていて、
・「が」が、「か」をダブらせて「輝[かがや]きに輝[かがや]く」という意味[いみ]で、
「無限[むげん]に無限[むげん]に輝[かがや]いている」というのがが」。
・「とう」いうのが「十字[じゅうじ]」にみて、縦横[じゅうおう]の組[く]み合[あ]わせ、
と見[み]てもいいし、また「ありがたし」のた行音[ぎょうおん]とさ行音[ぎょうおん]
というふうに分[わ]けた時[とき]は、た行音[ぎょうおん]が縦[たて]で、さ行音[ぎょうおん]が
横[よこ]。
相対[そうたい]に別[わか]れた両極[りょうきょく]を縦横[じゅうおう]に組[く]み合[あ]わせて
一[ひと]つのものを創[つく]りあげる。

 だから絶対[ぜったい]の無限[むげん]の無限[むげん]の更[さら]に無限[むげん]の
大光明[だいこうみょう]がね 出発点[しゅっぱつてん]にあって、そこから複雑無限
[ふくざつむげん]の創造[そうぞう]活動[かつどう]が行[おこな]われて、無限[むげん]に
輝[かがや]いた最高表現[さいこうひょうげん]が生[う]み出[だ]されて、
それが完璧[かんぺき]に組[く]み合[あ]わさって本当[ほんとう]の全大宇宙[ぜんだいうちゅう]
の姿[すがた]をとってる。これが「ありがとう」という意味[いみ]ですね。

・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・

2002年06月23日(日)
446,喧嘩のコツ

・まずは先手必勝、なんでもそうだが
 − 王手・飛車より、先手が怖い
・相打ちを狙う。 ー但し、相手よりより力を込め、弱点を狙う
 自分が傷つくことを恐れて腰が引ける、やるなら相打ち
・逃げ道をつくっておくー 引き際を見つける
 相手の逃げ道もつくるー窮鼠猫を噛む
・短期決戦ーこれも鉄則
・大義をつくっておく
・時には捨て身でも
・長期に喧嘩か短期で戦法を変えるー見際めをする
  ー長期戦は江戸の敵を長崎で討つ方式
  こういう奴の在庫がいっぱいある、男社会は仕方ないが。
  その前に殆んど自滅していくが。

喧嘩はしない事だ、但し仕方ない時は全力ですべきだ。

事業は見方を変えれば喧嘩そのものだ。
事業は弱い相手を探して叩けばいいが。

子狐がけっこう喧嘩を売ってくる、
仲間内に自慢か話題つくりか箔付けの為に。
その場合けっこう面白がってやる。
生理的に楽しくかつラインが作れるからだ。

エネルギーのロスだが、長期戦にすぐ切り替える。
長期戦の相手は徹底的に蔑視する,内面から消滅するまで。
おかげで人間関係で悩むことは少ない、割り切れるからだ。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2001年06月23日(土)
[61] 小泉総理メルマガの紹介

[61] 小泉総理メルマガの紹介
らいおんはーと 〜 小泉総理のメッセージ]
● 感動のスポーツ

[大臣のほんねとーく] 

● 私がタケノコ医者であったころ(坂口厚生労働大臣)

 藪医者に至らない医者のことをタケノコ医者という。私が大学院の在学中
で、衛生学を学びながら一方で小児科臨床を1年半ばかり研鑽したある日、
上司の助教授に呼ばれた。

 「宮川村は三重県一の短命村、その調査に一年ばかり行ってはどうか。」
行ってはどうか、は「行ってきたまえ」の命令に等しい。

 平均寿命35歳の短命村へ、結婚間もない私でしたが、妻を残したまま、
赴任した。

 調査とは名ばかり、宮川村の一番奥に旧大杉谷地区があり、約千名の人口
に一カ所の診療所があった。その診療を行いながら、短命の調査研究をやれ
というのだ。

 赴任したのは五月の中頃だったと記憶している。診療所は村立で看護婦さ
んが一人、事務員さんが二人、私の食事や洗濯をしてくれる人が一人、四人
で私を迎えてくれた。診療所の二階が私の住処で、お茶を一杯入れてもらっ
たところで、患者さんの第一号が来たという。

 泣き叫ぶ子供の声に驚いて診察室に入ると、小学校六年生ぐらいの男の子
が床を転がるようにして「痛い、いたい」を連発している。聞けば、耳にコ
ガネムシがはいったという。

 右耳を覗くと、大きなコガネムシがお尻を外にしながら、外耳道いっぱい
に入っている。「どうしましょう」看護婦は私の腕を試すように見ている。
ピンセットでコガネムシのお尻を摘もうとすると、ツルッとすべって、ムシ
はさらに前へ進もうとする。前に進むと、少年は悲鳴をあげて転がった。

 小児科でも耳鼻科でも、コガネムシが外耳道にはいった治療など、習った
ことはなかった。四〇キロ四方、医者なるものは私一人しかいない。「どう
すべきか」患者や家族より、自分の方が心細くなってきた。

 「水を入れたら死なないか」私の言葉に従い、看護婦は水を入れたが、水
がコガネムシの頭の方へ入っていく隙間はなかった。

 一呼吸して、看護婦は手際よく小さい注射器を取り出し、「麻酔液を入れ
ましょう」そういってコガネムシのお尻に注射針を刺した。すぐにムシは動
かなくなり、痛みのなくなった少年は起きあがり、看護婦は巧みにコガネム
シを引き出した。

 以後一年半、私の滞在期間中「婦長さん」と呼び、常に頭が上がらなかっ
た。このときだけでなく、何度も「婦長さん」に助けられて、急場を凌いだ
ことがあった。

 私にとって、医学部のどの教授から教えられたことよりも、この「婦長さ
ん」から教えられたことの方が多かった。お世話になったから言うわけでは
ないが、激務の中で知恵をしぼる看護婦さんの待遇はもう少し考えなければ
ならない。

 現在の保険点数は看護婦さんの頭かずだけを決めている。その仕事内容を
評価すべきだ。医師と看護婦、その教育に違いはあるが、それにしても評価
が違いすぎないか。看護婦さんが辞めて行くのは何故なのか。

 今、私の考えなければならない仕事の一つである。

====================
[小泉内閣メールマガジン]
http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/


1541, わたしの酒中日記−9

2005年06月22日(水)

 
金沢ー5

ー1972年5月某日

先日、東京の東京女子医大に父を見舞う。
その数日前に一番上の姉の正子さんから電話があり、
「父が癌で手術することになった。しかし悪性で長くて一年」という。
看護をしていた母の話だと、10時間以上の大手術だったそうだ。
執刀が、あの有名な中山先生だと聞いた。
この会社も数ヵ月後に辞めて、「千葉の千城台の土地」で、
何か事業を始めることになるだろう。
(一昨年、産能大学時代に新聞で売り出し広告を見つけて応募。
抽選で当たった千葉土地供給公社の商業地の一角の土地。
父に投資に良いと買わせた土地である。三年以内に建物を建設する
条件付きで、再来年そこで事業を始める含みがあった)
それより、父があと一年で亡くなるとは!信じられない思いである。
父は私の最大の後ろ盾の人だ。

今日は、同じ店にいる同期の井上と酒を飲む。
兼六園公園の裏手にある洋風のパブだ。
昼は喫茶店、夜はパブになる店で、何度か来たことのある店だ。
なんともセンスが良い情緒のある店。
彼が学生時代から通った店である。

井上は金沢大学を出た寡黙の男だ。
昨年暮れ大学時代の同級生と結婚式を挙げた。
もちろん出席したが、今村という姓から井上に変わった。
どういう訳か気が合う男だが、私が辞めるということで少し動揺したようだ。
いや、動揺したのは私の方か?

いざ金沢を去ると思うと心残りがする。
が、といって限界でもあったことも事実である。
早々に荷物を送り返すほうがよい。

昨日は習いにいっている「茶道」の先生に、金沢を去る旨の話をする。
「独立をするなら相棒が必要なはず!」と、女の先生は執拗に聞いてくる。
「金沢では、女性に近づかないことにしていたが、良い人がいたらお願いします!」
と冗談で言うと、チラリと何時も来ている女性を見る。
美人だが、こういう席では色気を考えては続かないので意識はしてなかった。
が、改めてみると背が高いが私のタイプの美人である。
こんな美人なら、もう少し意識をしておけばよかったが。
その後・・・・・・・・・????

もう一人、違う日に来る美人がいたが、・・・か?
あと数回では、時間がたりない。
愛は決断だが。何も知らない人に決断も何もないか。
急ごしらえは無理だ。

金沢では、際どいことはなかったが??
これまでも何回か決断出来なかったのは、愛でないということだ。
結婚相手を真剣に考えている余裕はなかったのが事実だ。
会社の人は今ひとつだし??
??部長の娘に引き合わされたが、あまり好きなタイプではなかった。
まだ機が熟してなかったのだろう。
学生時代、多くの女性に接する機会が多くあった為に、
常に冷静?になれたのもある。
それと「束縛されるのが死ぬほど嫌な性格」もある。

また、「自分の姉達よりも相手の基準を落とせない意地」もある。
友人は人生の伴侶を気楽に決めるが、傍でみていて
「本当にそれで良いの?」と、思ってしまう!人が多い。
一生付き合う人を、そう簡単に決めてよいのだろうか?
それを麻痺させるために恋愛感情を神は創られたのだろうが。
それにしても何度も書くが、金沢は美人が多い。

父があと一年で亡くなるとは信じられない。
家が複雑なので、亡くなった後が大変になる。
どう人生が展開していくか全く見当がつかない。
とにかく頭は真っ白である。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2004年06月22日(火)
1176, 哲学について −8

ー現代の哲学−1

ギリシャの国家都市が衰退した後、ふたたび民主的とよばれる社会が出てくるのは
18世紀のフランス革命とアメリカの建国である。
とくにフランス革命は、「愛と自由と平等」をうたいあげた民主主義思想
をヨーロッパ全体に広がるきっかけとなった。
民主主義思想を推し進める為に、個人の自由を社会的平等に結びつける
思想が大きな役割を果たすようになった。
自由を重心においたのが自由圏といわれる資本主義社会であり、、
平等に重心を置いたのが社会主義圏の共産主義社会であった。
そして愛のかわりに憎しみで対立したのが20世紀の時代といってよい。

現代哲学ではヘーゲル哲学の継承者としてのマルクスの思想を上げなくてはならない。
マルクスは19世紀半ばに「共産党宣言」を執筆した。
マルクス主義は一般的な意味では哲学に分類されないが、現代哲学へは大きな影響を与えた。
マルクスの考えでは、当時の産業資本主義社会は歴史的に見て、対立なき社会が出現する
二つ前の段階にあった。彼は、近代科学技術は発展をし続け、ますます失業者を生み出し、
一般大衆は生産手段から疎外されると予想。
資本家と労働者の対立が激しくなり、労働者大衆が資本家階級を打倒すると説いた。
しかし彼の思想はみごとに外れてしまった。権力を持った人間の本音として
エゴイズムと腐敗の温床になっていった。そのエリート集団は資本家より
ブルジョア的になっていた。

また現在の哲学を考えるとき、「実存主義」を考えなくてはならない。
代表的な哲学者としてキエルケゴールとハイデッカーである。
「人間は自己のアイデンティテイに問題を見つけ、自己の経験の不可解さに目を向けて
人生の意味を明らかにしたいとと望む」という考えが基礎になっている。
キエルケゴールーはもっとも倫理的な存在は自己であり、よって最も重要なものは
「個人の主体性」であると主張した。
人間にとって最重要な活動は意志決定であるとした。
実存哲学として代表されるのはサルトルである。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2003年06月22日(日)
809, 与三八さんー名前と人生

以前にも少し書いた事があるが、私の兄ー三郎と、私ー八郎の仲人の名前が
与三八さんである。ウソみたいだが本当の話である。
本人に以前、意識していたか訊いたことがあるが(^^ゞと笑って答えなかった。
たまたま母に頼まれ嫁さんを探してきたのだが、ブラックジョークのようだ。
兄にしても、私にしても他の何処かで因縁があれば他の人と結婚していたと思うし、
やはり奇遇といってよいのだろう。

名前は、その人の人生をある程度左右するのは間違いない。
(刑務所の囚人に恵とか豊とつく名前はいくらでもあるから一概に言えないが)
私が名前に対して意識しだしたのは20代なかばであった。
「ビルを八つ建ててやろう」と、過去に6棟つくったが、ホテルの第二と第三の増築を
入れると8棟になる。
私の家内は恵子だが、これだけ何事?にも恵まれている人は見たことがない。
そのように生まれてきたようだ。但し亭主には恵まれてはいなかったか?

何かの本に名前の中に人生が隠されているとも書いてあった。
字の組み合わせをパズルのように変えたりすると現れるという。
女性が結婚を繰り返す場合など、恐ろしく運命が変わったりするが名前の組み合わせに
暗示しているケースがあるという。
名前は親が願いを込めてつけるのだから、念が入っている。
その名前を朝から晩まで呼ばれるのだから運命を左右するのは当然である。

私の八はきょうだいで八番目に、兄の名前の三郎は男で三番目に生まれた為につけられたが、
戦災後のドサクサで名前をイチイチつけるのが面倒でつけたのではないか?と邪推している。
母に八は末広がりでよい人生が待っていると度々いわれていた。
中国では八はお金に因縁があるというが、どうであったか?
少なくともお金の苦労はしたことがなかった。
もっとも、これから何か怪しくなってきたが??!!

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2002年06月22日(土)
445,腰痛ー2

この4~5日前よりの腰痛、山場を越したようだ。
数年に一度のひどい状態であった。
現金なもので酒が入ると痛みが激減、あったたまるためであろう。

今は痛みが一進一退の状態、今朝も少し痛みが残っていた。
一昨日より腰痛バンドを買っていたのを思い出して、つけてみる。
熱を腰の部分に持つ。更に通勤途中で腰痛向きのシップを買って張る。

なかなか利くので吃驚する。
今まではホッカイロ一筋であったが、他にもあるのに初めて気づく。
暖めるのがポイントのようだ。
いつも冬場と、この時期の湿気の多いときになる。

腰痛は猿から人間に進化する過程で、
−4つ足から、二足歩行に切り替わったときにー
腰にその過重がきている為に腰痛になるという。
人類の大きい課題だ。

母が腰痛持ちでそれが遺伝したようだ。
今みたいに自宅で座った状態でパソコンを打つのが一番悪い。

これは腰痛を検索したものだ。
http://www.h3.dion.ne.jp/~kumihimo/k/txt/t3-4.htm

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2001年06月22日(金)
[60] 小泉サイト

先日パソコン教室の香月先生が、例の小泉首相のメルマガに入ったという。
そこでついでに私も入る事にしたが、昨日より早速メールが届いた。

首相のその時々の生の気持ちが書き込まれ100万以上の人に届けられるのだ。
これが情報革命か!と唸ってしまう。100万人が見てるというと本人が
一番楽しいだろうと思う。


1540, 「人を動かす」−2

2005年06月21日(火)


  
         ー読書日記
         
 この本を読んで実行した感想は、少しのことで人間は変わりうるということである。
人間関係という一番初歩的な基本を身に着ければよい。
会話や対話で、まず相手の話を把握した後で自分の意見を返すという基本がある。  
(世の中には、この基本を全く知らないで一生を終える人がいる。
 数知れずみてきたが、それを自覚してないから始末が悪い!
 もしかしたら、自分も?)
誠意を持って相手の話を聞くことは、
「人からして欲しいことを、まず自らなせ」の実践である。
少しまともな営業屋なら当然身につけている。
接客業の飲み屋のママやホステスなどは初期段階で叩き込まれるものばかりだ。

まずは、ふり(演技)から実践してみると面白い。
人間なぞ他愛のないものに思えてくる。
それだけ、自分のことを認めて欲いし、話したいのだ。
しかし、小手先で身につけると、
「ただ感じのよい人になってしまう」ことにもなりかねない。

会社の入社前教育で、まず訓練するのは「対話訓練」である。
新人は会話術は身につけていても、対話術は身につけていない。
この「人を動かす」は、会話術より対話術に属する?
会話術としても使うと、誠実さに欠けたり底の浅さを露呈してしまう。
しかし、それを知っているといないとでは違いが出てくる。

人の話を真剣に聞くことは、並大抵のことではない。 
ー以下のカーネギーの原則は、
 対話術というより会話術に近いが。

 −−−
ーあるHPより抜粋ー

人を説得する12原則

1.議論に勝つ唯一の方法として、議論をさける。

・議論はほとんど例外無く、双方に自説をますます正しいと確信させて終わるものだ。
議論に勝つことは不可能だ。たとえ勝ったにしてもやはり負けている。
相手は劣等感を持ち、自尊心を傷付けられ、憤慨するだろう。
・・・議論に負けてもその人の意志は変わらない。

・意見の不一致を歓迎せよ。いつも意見が一致するなら、
そのうち一人はいなくてもいい人間だ。
思い及ばなかった点を指摘してくれる人がいたら感謝しなければいけない。

・最初に頭をもたげる自己防衛本能に押し流されてはいけない。
・・・不快な状況の時、まず現れてくるのは、自分の立場を守ろうとする本能だ。
冷静に構え、最初の反応を警戒する必要がある。
あなたの最悪の人柄が突出し、最善の人柄がかくれてしまうかも知れないのだ。

・腹を立ててはいけない・・・何に腹を立てるか、それ次第で人間の大きさが
決まってくる。

・まず相手のことばに耳を傾けよ・・・相手に意見を述べさせ最後まで聞く。
逆らったり、自己弁護したり、争論したりすれば、相手との間に障壁が高まるばかりだ。
相互理解の橋を架ける努力こそ大切で、誤解の障壁をかさ上げするなど、
愚の骨頂である。

・意見が一致する点を探せ
・・・相手の主張を聞き終わったら、まず賛成できる点を取り上げる。

・率直であれ・・・自分が間違っていると思う点を探し、率直にそれを認めてあやまる。
それで相手の武装が解け、防衛の姿勢がゆるむ。

・相手が反対するのは関心があるからで、多いに感謝すべきだ。
だから、相手はあなたの手助けをしたいと願っているのだと考えよ。
そうすれば論敵を味方に変えることができる。

・早まった行動を避け、双方がじっくり考え直す時間を置け。

2.相手の意見に敬意を払い、誤りを指摘しない。

・人に物を教えることはできない。
  自ら気づく手助けができるだけだ。(ガリレオ)

・相手が間違っていると思った時の切り出しの言葉はおそらく私の間違いでしょう。
わたしはよく間違えます。ひとつ事実を良く考えてみましょう。
これで議論が収まり、相手も寛大で公正な態度をとりたいと思うようになり、
自分も間違っているかもしれないと反省する。

・われわれは、真実を思い慣れてきたものを、いつまでも信じていたいのだ。
その信念をゆるがすようなものが現れれば、憤慨する。
そして、何とか口実を見つけ出して元の信念にしがみつこうとする。
結局、われわれのいわゆる論議は、大抵の場合、自分の信念に固執するための論議を
見出す努力に終始することになる。

・決定的な意見を意味する“確かに”“疑いもなく”という言葉は一切つかわず、
「自分としてはこう思うのだが・・・」「わたしにはそう思えるのだが・・・」
 と言うことにした。(ベンジャミン・フランクリン)

3.自分の誤りをただちにこころよく認める。

・自分が悪いと思ったら、相手にやっつけられる前に自分で自分を
やっつけておいた方がはるかに愉快ではないか。
相手の言うことを自分で言ってしまうのだ。
そうすれば相手は言うことが無くなり、寛容になり、
こちらの誤りを許す態度に出るだろう。

4.おだやかに話す。

・人を無理に自分の意見に従わせることはできない。
しかし、優しい打ち解けた態度で話し合えば、相手の心を変えることができる。

5.イエスと答えられる問題を選ぶ。

・意見の異なる問題を初めに取り上げてはならない。
まず意見が一致しているイエスといわせるような問題から始め、
それを絶えず強調しながら話をすすめる。
互いに同一の目標に向かって努力しているのだということを、
相手に理解させるようにし、違いはその方法だけだと強調するのである。

6.相手にしゃべらせる

・相手のことは、相手が一番良く知っている。だからしゃべらすのだ。
相手が言いたいことをまだ持っている限り、こちらが何を言っても無駄だ。
大きな気持ちで辛抱強く、しかも、誠意を持って聞いてやる。
そして心おきなくしゃべらせてやるのだ。

・敵を作りたければ、友に勝つがいい。
味方を作りたければ、友に勝たせるがいい。
(ラ・ロシュフーコー)

7.相手に思いつかせる。

・人から押し付けられる意見よりも、自分で思い付いた意見のほうを我々は、
はるかに大切にするものである。人に自分の意見を押し付けようとするのは、
そもそも間違いだともいえる。
暗示を与えて結論は相手に出させる方が、よほど利口だ。

8.人の身になる。

・自分の意見を述べるだけでなく、相手の意見を尊重するところから、
話し合いの道が開ける。
まず、話し合いの目的、方向をハッキリさせて、相手の身になって話を進め、
相手の意見を受け入れていけば、こちらの意見も相手は受け入れる。
(J・S・ニーレンバーグ)

9.相手の考えや希望に対して同情を持つ。

・口論や悪感情を消滅させ、相手に善意を持たせて、あなたのいうことを、
おとなしく聞かせる魔法の言葉――――「あなたがそう思うのはもっともです。
もしわたしがあなただったらやはり、そう思うでしょう。」

・われわれが交渉をもつ相手の4分の3は、みな同情に飢えている。
それを与えてやるのだ。

10.人の美しい心情に呼びかける。

・相手の信用状態が不明な時は、彼を立派な紳士と見なし、
そのつもりで取り引きを進めると間違いが無いとわたしは経験で知っている。
要するに、人間は誰でも正直で、義務を果たしたいと思っているのだ。
これに対する例外は、比較的少ない。人をごまかすような人間でも、
相手に心から信頼され、正直で公正な人間として扱われると、
なかなか不正なことはできないものなのだ。(トマス)

11.演出を考える。

・現代は演出の時代である。単に事実を述べるだけでは十分ではない。
事実に動きを与え、興味を添えて演出しなければならない。

12.対抗意識を刺激する。

・成功者はみなゲームが好きだ。自己表現の機会が与えられるからだ。
存分に腕をふるって相手に打ち勝つ機会、
これが、いろいろな競争や競技を成立させる。
優位を占めたい欲求、重要感を得たい願望、これを刺激するのだ。

 −−−−−−

ー人を変える9原則

1.まずほめる。

 ・われわれは、ほめられた後では、苦言も大して辛く感じないものだ。

2.遠まわしに注意を与える。

 ・「しかし」という言葉を「そして」に変えると、すぐに成功に転じる。
 人の気持ちや態度を変えようとする場合、ほんの一言の違いが、
 成功と失敗の分れ目になることがある。

3.まず自分の過ちを話した後、相手に注意を与える。

4.命令をせず、意見を求める。

 ・命令を質問のかたちに変えると、気持ちよく受け入れられるばかりか、
 相手に創造性を発揮させることもある。
 命令が出される過程に何らかの形で参画すれば、だれでもその命令を守る気になる。

5・顔をつぶさない。顔を立てる。

 ・たとえ自分が正しく、相手が絶対に間違っていも、その顔をつぶすことは、
 相手の自尊心を傷つけるだけに終わる。

6・わずかなことでも、惜しみなく、心からほめる。

7・期待をかける。

8・激励する。

9・喜んで協力させる。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2004年06月21日(月)
1175, 哲学について −7

ードイツ哲学の時代

イギリスの経験主義哲学につづいて、ドイツ哲学の時代がくる。
18〜19世紀にかけて古代ギリシャに匹敵するほどの哲学がドイツを中心に発展する。

その先がけがカントで、
それまでの合理主義哲学と経験主義哲学を統一させた。
「人が経験することができるのは、身体的なあり方によって枠組みをされており、
その枠組みのなかでしか、個々のものごとの存在を想像することができない」と説いた。
盲人にとって、見ることを理解することができない、嗅覚のない人も臭いについて
理解するのは不可能である。
人間の理解は、その持っている機能の範囲内に限られる。

カントの文章は非常に深遠で難解で、理解することが非常にむずかしい。

カントの思想はショーペンファウアーによって受け継がれ、
さらに豊かなものになっていく。

ヘーゲルは絶対的な観念論をうみだした。
彼は「現実世界のすべてとその歴史を、精神的なものが発展していく姿」と考え、
世界と現実は自己認識に到達するための歴史的プロセスと考えた。
その過程は「正、反、合」の三つのプロセスを繰りかえし、
すべての変化の理由とした。

マルクスはヘーゲル哲学を基礎として観念論から唯物論を導き出した。
 
ニーチェはあらゆる既存の道徳を攻撃した。
彼は「神が死んだ」という有名な言葉を残した。
当時の価値観はギリシャ哲学とユダヤ教徒キリスト教の教えが土台になっていた。
しかし当時は、その信仰心が薄れていて、自らの価値観を求められていた。
その土壌の上で、多くの偉大な哲学者が輩出したのである。

この頃の哲学者が生み出した思想は現代哲学に大きく影響している。
そして現代の哲学が現れてくる。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2003年06月21日(土)
808, 大丈夫

一休が死ぬ間際に、自分が死んだ後もし如何にもならなくなった時に開く
ようにと一通の封筒を残した。

そして残されたものが、如何にもならなくなった時がきた時に封筒を開いた。
その中味には「何とかなる!」と書いてあったという話が残っている。
本当かどうか解らないが、一休らしい逸話である。

 先日、本屋で立ち読みをしていたら、
ある本の目次に「女に持てる法」という項目があった。
さてと心トキメイテそこをみて驚いた。
常に「大丈夫!」といい続けることだと。
何か肩透かしを食らったようであったが、納得した。
言葉だけでも、誰もが「大丈夫!」といって欲しいのが心理である。
それも女性なら尚のことである。

 最悪の「死」を考えてみても、死んだ瞬間には本人にとって死ではなくなる。
あるのは「死」に対する恐怖である。だから何事も「大丈夫!」といえるのだ。
何事も90数佑、あくまでも不安という恐怖心でしかない。

 話はそれるが「女にもてる法」といえば、
九州の学生時代の友人が新潟に遊びに来たときの話である。
彼は長崎で飲食店を数軒経営しているのだが、女性が大好きだという。
そして、女にもてる話が始まった。
実際にもてるのだろう、なかなか含蓄があった。
ー我われ中年はそうでなくても若い人から見たら脂ぎっている。
それを自覚して「演技でよいからポヨーンとして、女には全く興味がない
ようにしていなくてはならない。それで普通の状態に見られる。」

 なるほど一理があるが、勝手に持てているのは自分だけ信じているのが面白い。
経験的にみると「お前は女に持てるだろう!」というと、殆んどの男が舞い上がってしまう。
そして「如何に自分が持てているか」の自慢話が始まる。
誰かに実験してみたらよい、罪のないジョークとして。
少しアルコールの入っている状態で、
誠意を込めていえば大部分の男は舞い上がってしまう。
挙句に「お前はもてないだろう。ケチで口が悪い上に・・・」と始まる。
ほっとけバカと思うのだが
「もてるのもてないは苦労の結果だろう」というのが持論だ。
もてない男のいい訳か。これも男の永遠の課題だろう。

テーマが変わってしまった。
この不況の中、今度は「ありがとう」だけでなく、
「大丈夫」を呪文のように唱えるか。
今さら、どうでもよいか?

・・・・・・・・・・
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 2002年06月21日(金)
444,面白い話ー本??

 http://www.melonpan.net/tatsu/yatta/index.html
 「やった。」坂本達著

図書館の海外旅行のコーナーで面白い本を見つけた。
なかなか面白い。
子供服の「ミキハウス」に勤め数年、何処でもある話で自己逃避も含めて
「海外旅行に出たい」という気持ちが出る。辞表を書く段階で社長の耳に入る。

オーナー社長がそれを宣伝材料?とみて、有給休暇を条件に引きとめる。
そして夢のような4年3ヶ月の旅行記。
なかなか面白い内容であったー本もホームページも。

そして社長の思惑どうり?帰国後その体験をホームページに書き込み、
さらに講演を続けている。それなりに面白い内容である。
少なくとも自分でしたいができなかった事だ。

こういう社会もあるということで目を通してもいいのでは?
またこういうことがあっても、良いのではと思った。


http://www.nikon.co.jp/main/jpn/society/sakamoto/
http://www.melonpan.net/tatsu/
http://www.melonpan.net/tatsu/report/index.php

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2001年06月21日(木)
[59] 3D-ホームページー三回目打ち合わせ

富士総業の小竹さんより3dのホームページの
モニターという話に乗ったがちょっとしたプロジェクトだ。
当たればおお化けする可能性がある。

デジタル文化の1現象を目の当たりにしている。
7月1日を楽しみにしているが凄い世界に入ったものだ。



1539, 秘境探検家の「幸福論」−2

2005年06月20日(月)

この二人の会話には抽象的でない「実感としての幸福感」が伝わってくる。
真・善・美とは何か?
人間は如何あるべきか?
人間は何が可能か?
など難しい話はない。
大自然の中で、ただ自然の中で生き、死んでいく未開の地の人々の
純粋な生き様のなかに、人間としての原点の共通点を見つめている。

ーーー

ー関野
・・・ほとんどの日本人は、本当は景気が悪くて困っているんじゃないよ。
経済という唯一の価値観にがんじがらめに縛られて困っている。
苦しんでいる。景気がよくなったからって解決する問題ではない。

人間が生きていて嬉しい瞬間って、
美味しいものを食べたとか、
子供が成長を実感したとか、
差別されてないとか、
好きなところに住めるとか、
他人の誤解が解けたとか、
そんなところにある。
人類が生まれた時からこれはズット同じである。

ところが、そんな喜びがみんな経済に取り込まれてしまった。
効率よくお金を儲けたら、こんなことみんな上手くいくと思い込んでしまった。

ーーー
ー長倉
「生きている実感がない」という人がいますね。
そういう人は間近で懸命に生きている人を見ていないんじゃないか。
生を実感するということは、自分自身を知ることにつながってくる。
自分を知れば生きる喜びをつかみやすくなるんじゃないか。
アマゾンのアユトン・クレナックは
「人はたった一人の存在だからこそ、人と出会うことに意味がある」
と話していたけど、これは人が在ることの意味をストレートに言い当てている。

ー関野
アマゾンのマチゲンガ族の村にもう30年も通っているんだ。
父親を「トウチャン」、母親を「カアチャン」と呼んでいるんだけれど。
そのトウチャンが死んでしまった。
カアチャンは元気なんだけれど、何というかな、静かに、植物みたいに生きている。
要するに、目的がない。ただ、生きている。
彼らは、「何のために生きているのか」なんて愚問は受け付けない。
「何いってるの」って感じで、質問の意味が理解できない。
どこに行きたい、この先どうしたい、将来こうなりたい、何を求めなくてはとか、
考えたこともないだろうね。
でも今を楽しんでいる。
この人たちには敵わないと思うよ。

ーー
ー長倉
タイ南部の山岳地帯で、イスラム国家建設を夢見て戦うイスラムゲリラと
ちょっとの間、暮らしたことがある。
山の中の古びた木造のモスクがあったんです。
入ると、壁に古びた紙が貼ってあった。
そこには、
「人はいつか生まれたところに帰っていかなくてはならない」
とかかれていました。

この言葉に僕はグッと突き刺さったのです。
いろんな国に行き、いろんな人と出遇った。
そして、それぞれの人をしっかり支えている根っこを見た。
彼らが辛くても生きていけるのは、その根っこがあるからだと知り始めた頃でした。

その紙片の言葉によって、
「それじゃあこの俺の根っこは何だろう」と、
鋭い問いを突きつけられたように感じたんです。

そんな経験を重ねるうちに、僕の故郷を見る目が凄く変わってきたわけです。
故郷の北海道にも、ぼくが訪ねてきたところと同じように、懸命に生きてきた
人がいるはずだ。そんな人々と故郷の風土が自分を育んでくれたと思うに至った。
そして、故郷は二つとないんだと考えると、故郷に対するいいしれぬ
慈しみの情が湧いてきた。故郷から遠く離れて初めて故郷をみつめることが
できるようになったんです。
きっと意外なところに、自分にとってかけがえのない大切なものが、
無二の存在があるんじゃないか。

ーーーーーー

「西欧的な幸福感に縛られている世界観を一度、
冷静に見直してみる時期にあるのではないだろうか」
という二人の問いかけが深く問いかけてくる。
それぞれの価値観は、それぞれの地域の土壌の中から生まれてくるもの。
その土壌の中から、根っこが生まれてくる。
しかし、その土壌を冷静に見てみることも必要だろう。

グローバル化すればするほど、それぞれの地区の特性が求められる。
それぞれの異質なものを、異質として認めることが要求される。
そして自分が異質に気づくことも重要なことである。

数年前の立川談志のTV旅行ドキュメントが印象的であった。
彼が癌に襲われて殆どの仕事を中止した直後、
ベネゼイラのギアナ高地へ行った内容である。
全くすることがない彼は、そこで何と落語の稽古を始めた。
挙句のはて、現地のオカアサンをつかまえて、
「お前、暇で仕方ないだろう!」という愚問をはっした。
それに対するオカアサンの返事が良い!
「暇とはどういう意味?」
暇という言葉が無いのだ。
「それじゃあ、何もしないと面白くないだろう!」と、談志が訊ねると。
「いや、毎日が楽しい、チャンとすることがあるし、丁度よい自然もある」
談志は、その返事に何も答えられなかった。

私のギアナ高地の実感と彼のそれの違いがあまりに違っていた。
私はギアナの大自然にただ呆然、一場面一場面に感動感動の連続であった。
談志は「死に対する恐怖感」のため、自然を見る余裕がなかったのだろう。



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2004年06月20日(日)
1174, 哲学についてー6


ー経験主義哲学ー

合理主義に対してイギリスとアイルランドから経験主義哲学が生まれた。
合理主義の「理性をとおしてのみ知識が得られる」という主張に対して、
「現実世界の知識は感覚器官をとおして得られる」という論である。

感覚による経験を絶対視する考え方は、合理主義に対してあまりにも対極にあるが、
アメリカとイギリスなどの英語圏では現在の主流になっている。

ジョン・ロックがいみじくも残した言葉がある、
「いかなる人にとって知識もその人の経験を超えることはできない」
経験主義は「人間は物体の観察可能な性質と運動しか観察できないのだから、それを
理解する為にはその性質をとおす以外ない」というロックの認識論が基本になっている。
「現実世界についての理解は感覚をとおした経験から導き出される」というのが
経験主義の中心になった。
彼は自由主義的な民主主義の基礎づくりに貢献した思想家であった。
ロックは、アメリカ独立運動とフランスの革命に、大きな影響を与えた貢献は大きい。

アイルランド出身のバークリーも経験主義者として、大きな位置を占めている。
「意識の内容は、その意識の主体にとって、経験されることのすべてである」
それ以外のことは、存在していることさえわからないという、いまでは当たり前の
ことを合理主義に対する一番いたいところをついた。

経験主義の哲学者としては何といってもヒュームである。
彼は人間を「感覚の束」としてとらえている。
彼はロックと同じく現実世界についての知識は、自分自身についても、
他人についての経験も、実際の経験を通してしか得られないと主張した。
我々が内省をするとき、頭に出てくるのは、感覚をとおして得た経験や思索、感情、
記憶からである。
「私とは感覚の束である」という彼の言葉あまりに有名である。
心理学でいう観念連合ということである。
私たちの行動は欲望や情念によって目的が決められる。
理性が介入してくるのは、目的を達成する為の手段を選び、適応する段階になってからである。
「理性は情念の奴隷」も、ヒュームが残した言葉である。
そして18世紀末から、ドイツ圏において古代ギリシャの時代に匹敵する
哲学が開花していくのである。
                     つづく
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2003年06月20日(金)
807, 心の構造進化ー書き続けるということ

 少し難しい話をすると、
 社会学者のレビィ・ストロースは、人間社会の基本形を
「時計仕掛け型」と「蒸気機関型」に分けた。
・「時計仕掛け型」の社会は実質的に歴史を持たず、構造変化をしない社会
 ー南アメリカのアマゾン奥の部族の人達やアフリカのマサイや・・・・・
・「蒸気機関型」は我々の社会のように進化をしていく社会をいう
 
 この両者の違いを、ストローは「書く」ことによるとしている。
ーといって、「どちらが文化的に優れているかというとむしろ『時計仕掛け型』ではないか!」
といえるが、この問題は違う時に考えてみる。
 
 社会だけでなく私たちの心も言葉にして書かない限り「時計仕掛け型」である。
内語を書きとどめることによって、人間の心も言葉との相互作用によって、構造進化を始める。
 二年間書き続けてつくづくそれを実感する。

 この随想日記を書き始めて、何かが大きく変わっているのを実感する。
毎日書いていて解るのだが、大体が過去の話である。
ということは、過去のことしか書けないのだ。
未来のことも書けるが、結局は過去の前提の上での未来でしかない。
せめて夢か予定の一部だけでしかない。
書くことで、過去の自分を見つめ直すことによって、心の構造進化をしている。

 もし、過去を無理してふりかえないようにしているなら、心に蓋をしていることになる。
 このように書き出すことによって、心の中の曇りやその奥にある光に気がつく。
 その意味では、二年以上毎日書き続けたおかげで自分を見つめなおすことができた。
 心がどんどん構造進化ー私の場合は構造変化だがーをしているのを実感する。
 そして書くこと自体が面白くなる?!
毎日が一語一会になったしまう。
しかし、いつもネタさがしにキュウキュウとしているが。

(注)ストローズ
ークロード・レヴィ=ストロース

 フランス生まれの文化人類学者(1908-まだ生きている)。
「構造主義」のリーダーとなった人。あらゆる民族の神話を分析することによって、
浮かび上がってくる「構造」を発見することによって、未開社会も、われわれの社会と
なんら変わらないではないか、と考える。
しかし、彼の神話解釈はそこに共通する「構造」があることを前提としているので
しばしばうさんくさい(と感じる)。
《著書&論文一覧》
『悲しき熱帯』(『悲しき南回帰線』)
『野生の思考』『神話学』etc

 レヴィ・ストロースは、各地に伝わる神話を洗いざらい分析し、
 それらに共通する法則(=<構造>)を発見する。
 それまでその地方オリジナルの神話だと思っていたところに、共通する<構造>
が存在するということが分かり、ヨーロッパ社会に衝撃が走る。
自分たちのヨーロッパ文明が最頂点であり絶対であると信じていたら、
いわゆる「未開」社会のそれも、その<構造>という点に関しては共通だった
からである(ザマ〜)。
聖書に関しても、神様の言った言葉(テキスト)を無視して
<構造>を見出せてしまう点において、キリスト教社会たるヨーロッパ社会に同様の衝撃が走る
(本当にザマ〜)。
 
 人間個人個人にも<構造>があると言った人がフロイトであり、彼の場合は個人レベルにおける
構造主義者である(岸田秀は、その個人レベルの<構造>は、社会全体にも当てはめることが
できると言っている)。
インセスト・タブー(近親相姦の禁止)に関して、レヴィ・ストロースは社会成立の必然
(女性交換の際の必然)にその起源を見出し、その過程にややインチキ臭さがあるので、
僕としては岸田理論の「幼児の性欲存在説」のほうに共感を覚えてしまうのだが、
岸田論とは違っても、そこから社会の<構造>を見出したレヴィ・ストロースには
感心を覚えてしまう(岸田秀のインセスト・タブー論を確認するために『哺育器の中の大人』
を読み返してみたら、ちゃんとレヴィ・ストロースの名前が出ており、やや嬉しくなった)。
 
 ということで『はじめての構造主義』はおすすめだ。内容もさるものながら、
橋爪大三郎の本の構成がまた憎たらしい。第1章、第2章では構造主義の成立過程のみ(
音韻論、語学、人類学の説明など)
が書かれているだけで、構造主義そのものの内容は分からないままになっている。
第3章に入っても数学について論じられているだけで、構造主義の具体的なイメージが湧かない。
このまま本が終わってしまうのではない読者の不安が最高潮になったところで、
「それらをレヴィ・ストロースにつなげると」という文章が始まり、「要するに構造主義とは・・・」
という大まとめに入って、第3章の最後の数ページで一気に構造主義のイメージが
つくり上げられてしまう。
音韻論、言語学、人類学、数学の諸説明が最後のまとめですべて構造主義の概要に結びつくのである。
多くの読者はその構成に感動を覚えることであろう。
 
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2002年06月20日(木)
443, 見せ金ーブランド志向心理

ヤクザが1万円札を財布にビッシリ入れ見せびらかす。
詐欺の手口の応用である。俗にいう見せ金である。
中学の同級会で久々に出てきた男がまったく同じ事をしていた。
普段金に困っているから、逆に故郷に帰ってきたときぐらい
金を持っている振りをしたくなるのがミエミエである。
可愛いものだが。

銀座で永くクラブのマネジャーをしていた人の「人の見分け方」の話。
「高価な服装、靴、時計で身を固めている人が一番危ない!ツケはできない」という。
外見が金持ちに見える人は、成金とかバブルの成り上がりの人が多い。
実用本位の質素の服装をしている人が一番信用できるという。

何回か会社を潰した人が再び会社を興し、少しうまくいくとベンツに
髭に皮ジャンに高級クラブ、お決まりのコース。
そして数年後夜逃げ、身辺でいくらでもある。

すぐに逆上せ上ってしまう。
結局は事業はそれをしたかったための手段でしかなかったのだ。

それと同じ事が、スナックで見かけるやり手ブスの中年女。
ブランド品を上から下まで飾りつけ、香水の匂いを撒き散らす姿は喜劇。
コンプレックスの裸の王様そのもので、−心理は見せ金と一緒。
それに気がつかないから世の中面白いのだろう。
日本人のブランド好きは上記のやり手ブスの心理そのもの。

それが人間の全ての集約した姿だ、自分の見えない姿でもある。

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2001年06月20日(水)
[58] 一六会について

毎月の16日に第二新館近くの大橋ー料理屋で開かれる平均7〜8人集まる会である。
もともと花園のマルヒロ不動産の後藤会長が開いていた会で、会長が元気な4年前までは
20人以上集まっていた会であった。

亡くなった後も続いていること自体不思議なことで、やはり後藤会長の人柄だったのでは
ないかと思われる。ただ酒を飲んで騒ぐだけなのだが、全く利害のない集まりで
好きなことを言っても喧嘩にもならないのが良い。

ただ流れているのはやはり後藤会長の好きな連中の集まりというコンセプトだと思われる。
なんの気を使わず騒げる場もそうあるもでない。
平均年齢が65〜70歳とすこし高いが、それが何ともいえない味を出している。


1538, 銀座24時-女たちの戦い

2005年06月19日(日)

昨夜のTVスペシャル
ードスペ!「欲望の巨大街・銀座24時-女たちの戦い」
銀座の象徴・“高級クラブ”の舞台ウラにカメラが潜入!!ー
というTV番組の見出しにつられてみた感想である。
二時間という時間がアッという間に過ぎ去った。
次から次へと、多くのケースを映し出したからだ。
人間観察という面で、人間社会を赤裸々に見せてくれる世界である。
この「高級クラブ・内幕もの」は随想日記でも何回も取り上げたが、
見ている分には面白い。
この不景気で銀座のクラブの多くが淘汰されたが、
その中にあってしぶとく生き残っている店があるのだ。

まず一番印象に残ったのが
ー30歳新人ママ…涙の生き残り大作戦であるー
昨年11月にオープンしたクラブに半年間密着したもの。
その店を仕切るのは、同じグループ店のナンバー1ホステス。
一般ホステスと、ママの立場の違いを開店前から映し出していた
オープン時は、彼女を目当てに客が押し寄せる。
しかし高級クラブ業界では、開店3カ月までは"ご祝儀黒字"。
それ以降に店の真の評価が分かるものだ。
正念場を迎えた新ママに、ホステス同士の内紛というトラブルが降り掛かる。
さらに、黒服といわれるスタッフ役の男達とホステス達とのトラブルが発生。
黒服の長であるマネジャーといわれる立場は、オーナーである会社側にある。
雇われママはホステスと黒服との間で苦闘する。
それらの多くの障害を一つずつ乗り超えながら、店を切り盛りする。
そして、一人前のママに育っていく。

一晩で、数百万をつかっている生の現場をカメラは正直にとらえている。
数万もするドンペリが、どんどん注文される。
果ては百万のドンペリを注文した場面もあった。
また、誕生日に100万の指輪に10万の花を添えてホステスの贈る場面も。

また、あるホステスが給料明細も公開した。
自給4万円、それに指名料が加算される。

24歳のホステスと、27歳のモデルのお客の奪い合いの実態を冷酷に追っていた。
黒服が辞めたホステスの客を、二人のホステスに競わせるのだ。
銀座クラブの掟として、店では客の馴染みホステスが決まると
「永久」に固定化される。
しかしホステスが辞めた場合、客に指名権が与えられる。
店として、それを争わせる。
そのプロセスをお客に楽しませるのだろう。
そこで、あらゆる手段で指名権を得ようと店の外で女の争いが始る。
結局は、新しく入った27歳のモデルが勝ちを収める。
下手なドラマよりズット迫力があった。

TVでは取り上げることの出来ない「下ネタ」が、背後にあるのだろうが、
まさか茶の間には出せない。実際は凄いのだろう?
エログロ番組になってしまう。

早朝から、こんなことを書いている自分が面白い?
いや、馬鹿か!

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2004年06月19日(土)
1173, つれづれなるままに

・先日、競売物件の新聞公示欄を見ていたら、近くのホテルが売りにでていた。
富士銀行が80億の金を出したホテルで何と3億1500万の値段であった。
金に余裕があったら買いたいぐらいだが、色いろ権利が入り組んでいて力に余裕
がないと手を出せないのが残念だ。バブルの大きな傷を残した一つの事例である。
それにしても、この差額は実際誰が損をこうむるのだろう。
間接的に国ー国民なんだろう。
二年前に、このまん前のホテルも20数億が3億5千万で、競売が落とされた。

・最近、昼飯を食べにいってもお客の少ない。
そういえば、私も昼飯の単価が2〜3割も下がっている。
近くに牛丼の「松屋」ができ、他がランチの値段を下げた為だ。。

・一昨日は、宅建主任者の3年に一度の講習会。
長岡郊外のハイブ長岡であった。
大きな会場で500人位が受講していた。
初めて時計を持たずに行ったのが正解で、あっという間に時間が過ぎてしまった。
危険物取扱者の受講もそうであったが、嫌がらずに真面目に講義を聞くのが
ポイントである。
せっかく時間を過ごすなら、その時その時のテーマの中心から目をそむけないのがよい。
宅建の内容は聴いていて面白い。
法律の改正の変化が世相を現している。
何事も、まともに聴いているとなかなか面白いものだ。
大學時代がそうであった、授業とは面白くないという概念が根本から崩れた。
特に専門コースに入ってから面白くなった。

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2003年06月19日(木)
806, 『自分様と馬の骨』 読書日記

 〜なぜ認められたいか? 〜

「ぶざまな人生」「わたしを認めよ!」「まれに見るバカ」
等、彼の文章のタッチの面白さに、次々に買って読んだ。
人間の一番の本音をあまりにもシビアに書いている。
先日、図書館でこの本を見つけたときは、しめたと内心叫んだ。
早速読んでみるとやはり面白い。
「わたしを認めよ!」の続編であり、何ともいえない力がこもっていた。
彼のいっていることは別に難しいことをいっているのではない。
・自分を持して一生懸命に生きればよい、
・ダメならまた自分を立て直してやり直せばよい。
 たとえそれがぶざまな人生であっても。

 「懸命に生きる」とは「自分ひとりの関係」である。
それが自分ー自分様であり、自己が自分になっていくことだといっている。
人間は自分はとるに足りない馬の骨と思うことに耐えられないのだ。
特に比較において。
友人との年収の差、学歴の差、同業他社との利益の差、性経験の差において、
馬の骨として、耐えられないのが人間であると主張している。

 創業を経験すると、人間観が変わるーこれは私だけでないと思う。
自分の骨の髄のエゴイズムを知ることになるからだ。
その骨の髄のエゴイズムから、出発をしなくてはならない。
それを嫌というほど、自分に対して思い知ることになる。
表層で生きている人は、創業のそのリアルな姿を見て冷笑する。
しかし、自分がその立場になれば全く同じ利己主義に落ちざるを得ないことに
気がついていないのだ。また環境がそこまで追い詰めない。

創業は自分ひとりになって、その一人の内語から出発をする。
自己から自分へのプロセスの始まりである。
馬の骨からおれ様への本質的な転換を事業で始めることだ。

ー「自己」と「自分」のちがいについて書いてあるのを少し抜粋してみるー
「自己」とは匿名的個人のことである。
それゆえに、一人ひとりの「自己」は同等の存在価値を持つ。
世界の人口の数だけ「自己」がいる。
他方、「自分」とは何々の某という名前を持った、世界のなかでただ一人
の、この自分のことである。この「自分」に価値がある。
・「あなた」も「わたし」もおなじ個人だから、おたがい大切というのが
 「自己」
・「おまえ」は「わたし」でないから、「おまえ」がどうなっても知ったこたない
 というのが「自分」
この二重性を生きているのが人間である。

ー以上である。
何故ここであえてこの問題を出すかというと、「他人とは何か」を知ることが
生きていくうえの一大事である。それが自分を知ることになる。
その自分の骨の髄はエゴイズムー利己主義でしかない。
そこのところを知らないと、自分の中の悪魔と神と出会うことがない。

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『自分様と馬の骨』
 勢古浩爾 著
 三五館
 発刊日ー2002年11月
(四六判並製 240頁 
 本体価格1400円 +税)
 長岡中央図書館
 2003年6月15日
◆◆内容紹介◆◆

「仕事のできない奴だと思われたくない」
「ブサイクだなんて陰口を叩かれたくない」
「小心者には見られたくない」
……かくしてすべての人間は生まれてから死ぬまで、
こう叫び続ける。
「俺(私)は馬の骨なんかじゃない!」。 そして、「俺(私)が馬の骨」
ではないことを、両親に、恋人に、友人に、上司に、同僚に、果ては見ず知らずの
他人にまで証明し、認めてもらおうとする。お化粧・ネクタイ選びといった一般生活上の
行為からプチ整形・暴走族といった現代の病理、宅間守・造田博が犯した犯罪までが、
この考え方と深く結びついていると著者は述べます。
これこそが著者曰く「承認論」!
歯切れよく過激にして、斬新軽快な評論です。 とここまででは本書の50%に
しかすぎません。ただの時勢評論にとどまらないのが本書の真骨頂であり、ここから本書は
評論の域を完全にオーバーランし、感動のラストへ向かってほとんど小説・ドラマの
ごとくに諄々、切々と説く、説く、説く……。
誰しもが読めばきっと力の湧いてくるであろうラストの感動=単純な真理
(また遣り直せばよい)に、いかに説得力を持たせられるかのために本書丸々一冊が
費やされたといって過言でありません。「敗北からいかにして立ちあがるか」
「自分で自分を支えていくことはいかにして可能になるのか」――。
自分自身すら溶解しつつある現代において、確固たる自己を打ち立てる方法
(本書が言いたいことはこれだけなのです!)が明らかされます。

【目次】
第1章 瀕死の承認――人間が変わった
第2章 認められたい!
第3章 自分様と馬の骨
第4章 終着駅は犯罪だった
第5章 敗北はなぜ恐ろしいのか――中流崩壊のなかの承認
第6章 最後の承認――言いたいこと

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2001年06月19日(火)
[57] 3D-ホームページ

今日は午前、午後パソコンずけだ。
午前はインテリア山下の南雲さんと、富士総業の小竹さんと3d開発の増嶋さんだ。
そして夕方はパソコン教室だ。
パソコンはやはり凄い世界だ。

このホームページの作成だけでも、背後に多くのエネルギーが入っている。
何気なく見過ごしている中に、情報がびっしりつまっているのだ。
情報革命は時代を大きく変えるだろう。


1537, 「これから5年・地価は半値になる」−2

2005年06月18日(土)


      ー読書日記

ー対談方式だが、概略をまとめてみた。
{−−}は私の意見である。

40年前の山の手線内の駅の数が、多くの地下鉄などの開発によって、
現在では三倍以上に増えたという。
山の手線内では殆んどの場所から5分以内に、何処かの駅に歩いていけるようになった。
それが地価の高騰を招いたのであって、山の手内の地価の高騰はバブルではなかった。
それにつられて上がったところが、バブルになったと看破している?
{それにしても、あの高騰はバブルである!}

最近目立ち始めた高層ビルも、2000年頃から建ち始めたもの。
2003年には都内の大型オフィスビルが面積換算で、例年の倍以上も完成。
1999年には36万崑膩織フィスビルが、2003年には218万屬4年で6倍に増えてしまった。
そのオーナーも森ビル、三菱地所、三井不動産と大手が目立っている。
ところが、そのビルにはチャンとテナントがはいっているから不思議。

需要の多いビルには法則があり、『新・近・群・大』である。
駅に至近で、新しく、複合かつ多くのビルが群れていて、大きい。
それに最近では、地価の下落後のため、安い家賃のビルが出て来ている。
安いもプラスされている。
なぜ坪10000円の中小ビルから、30000円もする大型ビルに移動するかというと、
ワンフロアーに子会社や部門を集約して、効率化を図ったのだ。

超高層ビルなどを『親ビル』、中小のビルを『子ビル』と表現すると、
親ビルが子ビルのテントをドンドン吸収している。
その子ビルが『孫ビル』の小さなビルのテナントを吸収する図式が出てきている。
『孫ビル』とは、新宿や池袋などにあるペンシルビルである。

最近では更に、『親ビル』同士の闘いが始まって、
大小入り乱れての大乱戦の状態になっている。
これが地価の崩壊を更にすすめる。
先ずは親ビルが玉突き状態で『子ビル、孫ビル、ひ孫ビル』と崩壊させ倒産させている。
それが周辺の地価を引き下げているのである。

特に、銀行への金融庁に対する引き締めが強まれば強まるほど、
中小のビル経営が崩壊、これが社会現象を悪化させ、更に二等地の地価を引き下げる
というマイナスの循環が出ている。

{こういう事態から5年~10年先を考えると、先行きは真っ暗闇といえる。
 一強多弱の世界が、不動産の世界にも明確に現れてきている}
   
                          つづく

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2004年06月18日(金)
1172, ビューポイント

学習曲線というものがあって、自転車の乗り方や勉強や企業経営も同じである。
新しいことを学ぶということは,S字を横にしたようなパターンをたどる。
初めはゆっくりだが、次第にペースが上がり、ピークに達してから穏やかに
下降するパターンである。エントロピーは学習パターンがピークを過ぎたころに
みられるエネルギーの喪失を意味している。

山道を車で走っていると、何処にもビューポイントがある。
大体が8〜9合目の辺りで、それまでの急勾配から緩やかな坂に変わるところだ。
下界と遠景が遥かかなたに見え、その前後は今までいた道がよく見える。
そこでは駐車場になっていたり、土産物屋や休憩所になっていたりする。
そして、どういうわけか道の枝分かれをしているところが多い。
そこで立ち止まって、自分の歩いてきた道を観察する必要がある。
そこでは一歩後退をして見ることも重要である。
大きな分岐点になるからだ。
人生においても、事業においても全く同じことがいえる。

ジョージ・ランドが「展望点ービューポイント」を喩えている論法が面白い。
頂上への8〜9合目辺りで坂が緩やかになるポイントで、サーファーが
波の衰えを感じて、崩れる前に新しい波に乗り換えるのと同じポイントである。
新しい学習曲線への波に乗り換えるポイントになる。

自分がビューポイントに達したかどうかは簡単に解るわけがない。
しかし注意をしていれば兆候を見つけることができる。
それが過ぎてから初めてわかるケースが多い。
波が最終局面になって、初めて気がつくケースが多いことも事実だ。
とくに事業はそうだ、他人事でない。
その時はブラックジョークではないが、再生のプログラムになるが。

それぞれの人生にとってのビューポイントで違う波に乗り換えることも必要だろう。
乗り換えた波がより合わない波の場合が多いから難しいのだ。

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2003年06月18日(水)
805, 「ありがとう」の言葉ー4

一週間「ありがとう」を、一日おおよそ500回を言った実感を書いてみる。
まずは、気持ちが落ち着いた。特に夜半2時半に目が覚め、この経済の異常事態や
事業のことをあれこれ考えてしまう。
ベッドの中では考えない訓練はしてあるのだが、今の状況は過去になかった異常な事態である。
会社も日本経済もだが。
しかし、その時しめたと「ありがとう」を繰り返すと、あれこれ考えないで済むのだ。
また新幹線の中や散歩やふとした空白時間に繰り返していると、結果的に否定的な考えが
激減している。不思議といえば不思議である。
単純に思えるかもしれないが、何か否定的な感情を消す作用があるみたいだ。
それと、意識をしていると結構細かい時間が多くあることに驚く。
マイナスな時代に、否定的な言葉の毒消し作業がよい。

 死ぬ時に、周囲に対して心の底から「ありがとう」と言っていけたら、残った人に
対して
最高の癒しになる。と同時に自分の死に方としても最高の死に方になる。
その為には「ありがとう」を数万回、数十万回、脳の中に叩き込んでおくというのも
理屈に合っている。

 以下はインターネットで調べた、50年以上「ありがとう」を言いつづけて2億回
言っている人を書いた内容をコピーしておく。
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 昨年の8月に皆さんが集まった席で、おじさんの本を創ることを提案しましたところ、
皆さんには是非、本があるといい、と賛同いただき、又、ありがとうおじさんにお尋ねした
ところ「観音様は33身に変幻自在に変わり世を救う」と快諾してくださいました。
ありがとう村で、毎回4時間、皆さんがおじさんに質問し、おじさんが皆さんに応えると
いう形で今日まで、30回を超えるツアーを行なっており、今も継続中ですが、
その質疑応答の中から、この本は生まれました。珠玉のような回答の随所に大きな愛や
光を感受したのは私だけではないと思います。
 
 この本の決定的な他の本との違いは2つあります。宇宙の根源につながる方法は、
 坐禅だとか瞑想なのですが、他に、ヨーガのバクテイ―や神さまの名前を呼び続けるとかの
 法もあるのですが、あまり一般的ではありません。ところが、この本の主人公である、
 ありがとうおじさんは、驚くべきことに、誰にでも簡単に出来る方法を57年間かかって
 実証してしまったのです。その、方法が余す所無くこの本には記されていると思います。
もし、あなたが素直にこれを捉える事が出来たなら、凄い事なのです。
あまりに凄い事なので最初はなかなか、解らないかも知れません。
しかし、実に簡単なことなので実践し続けていると内側から変化が起こって来ます。
つまり宇宙の根源とつながり、絶対的な幸せに到るノウハウがこの本には書かれてあるのです。
 
 次に、この本には定価が無いという事です。自由価格なのです。
自由価格とは無料ではありません。無料という時には、だれかが、必ずスポンサーに
なっている訳ですが、この本にはスポンサーは存在しません。
何故に自由価なのか?この本の価値が判る人の間で、価格が決められ流通するのです。
この本の価値は大多数の人にとってお金以上の価値があります。
金銭を超えた価値というものは存在するようです。
ですから、価格は付けないことにしました。一人でも多くの方に、広く日本中の方々に
読んで頂きたいと思い、買い求めし易くしたものです。
通常の本の相場というものもありますので常識の範囲内で流通することを願っております。
高い安い、損した得したの勘定の入らない世界でみなさんに読んでいただきたいばかりです。
 ありがとうございます。


ーどう 生きたら いいの?ー
 *** まえがき ***

「ありがとうございます」は感謝を表現する言葉だという事は、知らない人はいないでしょう。
しかし、「ありがとうございます」という言葉の中に秘められている、深い意味、そして、
不思議なパワーについて知る人は、とても少ないと思います。既に知る人は幸運と
いわなければなりません。私も、例外なくその一人でした。
滋賀県の山の中にお住まいの、ありがとうおじさんに出会うまでは。
この本に、出会うことになったあなたさまは、実に幸運な星の元に生まれ、そして、
「ありがとうございます」という、とんでもない「生きもの」に出会ったことに、
やがて感謝せざるを得なくなる自分を、発見するかも知れません。
 
 ありがとうおじさんは、昭和16年に日本で生まれました。三歳の時から、
誰に云われた訳でもなく、神仏の前に坐り、朝夕、一時間以上も感謝のお祈りを、
捧げる不思議な子どもでした。
中学生の時には、「僕の、この世に生きてる理由は何だろう?」と深く悩み、その答えが、
どうしても見つからないので、自殺しようと思っていたそうです。
ところがある時、どこからともなく、囁くような小さな声で、
「おい、きみ死んじゃダメだよ!きみの人生の目的を教えるから!」って聞こえてきたそうです。とても不思議なことだけど、その声によって、生きられるようになったそうです。
どんなことを云われたのか?

 この本を読み進んで行く内に解ってくるけれど、少しだけ、ヒントを書かせていただきます。
おじさんの言葉とは、違うけれど、大体、私の説明できる範囲では、人間の
生き方には二通りがある、ひとつは「思いに生きる」こと。もう一つは「感謝に生きる」こと。
「思いに生きる」とは文字どうり、自分自身で色々学んで、計画を立てたりしながら、
自分が満足できるような、身近な家族や、友人も含められたら、それに越した事は無いけれど、
とにかく自分が納得できそうな生き方を「思いに生きる」という。

 一方、「感謝に生きる」とは、簡単にいうと、宇宙の法則に従って、「おかげさま」
に感謝しながら、目の前に現れたご縁を大切に、一所懸命に、しかも楽しく、イキイキ、
ワクワクと耀いて生きること。そんな生き方に周囲の人も感化されて、明るく、楽しく、
生きたくなるような、そんな生き方でしょうか。
 この本に登場する、ありがとうおじさんに沢山の人が押しかけて、色んな質問をします。
 日常の悩み事やら、神仏のこと、恋愛のこと、病気のこと、あの世のこと、それこそ、
 1000以上の様々な質問に、これまた不思議な事に、間髪を入れず答えが返ってきます。
おじさんは、ただ口を開けて、パクパクやってると、そこから言葉が、勝手に出てくるという、
不思議な「何でもおじさん」という感じがします。
 
 私は縁あって、このありがとうおじさんという、世にも稀なる不思議な方のそばで、
 一年間、直接に皆さんの質問、おじさんの応答に、立ち会うことが出来ました。
その貴重な体験の一部をみなさんと分かち合うことが、この本で出来ることを嬉しく思います。
また、みなさまも、今の不安と不満の気が充満し、末期的症状がむき出しの社会の中で
「どう、生きたらいいのか?」という問いに、きっとその核心に気づいて頂けるものと
信じております。
 尚、念の為に書き添えたいと思いますが、おじさんは宗教家ではありません。
宗教を超えた真理を語って下さいます。だだひたすら、感謝の「ありがとうございます」
を唱え、万類のしあわせを祈り続けておられる、徹底した感謝の実践者であり、
奉仕に生きておられる方です。そのことは参加されたみなさんがご存知のことでもあります。
 ありがとうございます。

2002年2月  
 詠人不知  
ーどう 生きたら いいのー

  ー*** 目次 ***

はじめに・・・・・・
まえがき・・・・・・

第1章  ありがとうございます

1・ありがとうございますの本当の意味・・・・・・
2・感謝のなかに全てがある・・・・・・・

第2章  宇宙が自分

1・宇宙の創造とおわり・・・・・・
2・完ぺきな神さまは、なぜ不完全な人間を降ろしたのか・・・・・
3・どん底に行くまでに、何度でもストップをかける神・・・・・
4・言霊は神さまの世界、言葉は思いの世界・・・・・・・
5・神道と古神道の違い・・・・・・・・・・・・・・・
6・共通の天命と個性の天命・・・・・・・・・・・・・・・
7・天命、個性は神さまが中に入ったときに発揮される・・・・・・
8・低い番組を見たがる魂がある・・・・・・・・・・・・・
9・魂の生まれ変わり・・・・・・・・・・・
10・言葉の縛り・・・・・・・
11・ありがとう村に集う人・・・・・・・・
12・新しい世界、本物の世界が必要・・・・・・・
13・人のする事と神の計画との違い・・・・・・・・
14・不登校の子どもの方が正しい・・・・・・・・・・・
15・子どもは親にとってなに?・・・・・・・・・
16・徳の預金を残す・・・・・・・・・
17・病気には二つの見方が・・・・・・・・・・
18・宇宙が自分・・・・・・・・・・・
19・神を感じるには手放すこと・・・・・・・・・・
20・中村天風と同じものが・・・・・・・・・・・


第3章  心配は何も無い

1・憑依ってあるのですか・・・・・・・・・
2・道元さんと古神道・・・・・・・・・・・
3・悟ってる自分が何故修行する・・・・・・・・・・
4・自然と神というものの関わり・・・・・・・・・
5・落ちて骨折することの意味は?・・・・・・・・・・
6・どうして折れた骨がすぐに治ってしまうの?・・・・・・・
7・世界維新〜神さまがひとり一人の中に・・・・・・・・・
8・子どもを授かるということ・・・・・・・・・・・・・
9・家族と仲良くする秘訣・・・・・・・・・・・・・
10・生き方を求める若者たち・・・・・・・・・・・・・
11・本当の自分は宇宙と一体・・・・・・・・・・・・・・
12・教からの開放・・・・・・・・・・・・
13・心配は何も無い・・・・・・・・・・・・


第4章  初めてのインタビュー

1・ありがとうおじさんの修行・・・・・・・・・・・・・
2・おじさんの結婚・・・・・・・・・・・・・・・
3・ありがとう村・・・・・・・・・・・・・・・
4・ありがとうを唱える事による奇蹟・・・・・・・・・・・・・・
5・心の修養道場・・・・・・・・・・・・・・
6・般若心経の祈りの言葉・・・・・・・・・・・・
7・無限の無限のしあわせとは・・・・・・・・・・・
8・神計らい・神さまのお手伝い・・・・・・・・・
9・お祈りはどのように・・・・・・・・・
10・神社仏閣は模型・・・・・・・・・・
11・「私は神です」について・・・・・・・・・・・
12・古神道と惟神(カンナガラ)の道・・・・・・・・・・

あとがき・・・・・・・

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2002年06月18日(火)
441,時間持ち

「金持ちがあるなら、時間持ちという言葉もあってよい」
というのを本で読んだ事がある。

若いときから時間だけは多くあった。
時間のブルジョアといってよい。現在もそうである。
初めは持て余していたが、今は充分?に有効利用をしている?

現在も装置産業を選んでしまった為、時間だけはたっぷりある。
初めの数年は本当のところ、どうしてよいか戸惑った。
小人閑居して不善をなす」というところもあった、今もか。

経営セミナーに出るか本を読むか??しかなかった。 

お金と同じである。
人がお金を持て余さないのは、お金を自分のために使おうとしている為である。
「主体的」に使えるから、お金は幾らあっても持て余さない。
お金は自由の塊そのもの。

時間があるということは、自分で使える自由があるということだ。
時間を持て余すことは、その自由を使いこなせない事。

もう十数年も前の事になるが、ある長岡の不動産屋の社長が
毎日が日曜日のくらい暇な日程の私の姿を見ていて笑っていた。

3月のある日、年度替りで不動産屋が一番忙しい時だった。
奥さんと二人パニックに近い状態に。

その後二人で喫茶店に行った。
本人自慢げに「イヤー忙しいくってね〜」
私「その仕事何パーセント、500円のパートのできる仕事?」
不動「99パーセント」
私「ふーん、あんたの時給はいくら?」
不動「一万円あたりかな!」
私「時給一万が、500円(当時)の仕事をして喜んでいるんだ」
 その後、本人はすぐ一切の雑務をしなくなった。

話しは外れたが、
時間もち(金持ち)とは、主体を持って使いこなしているかどうかだ。

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2001年06月18日(月)
[56] 母のアルバム

昨日母のアルバムを見ていたら、若かりしころの父とその兄弟達の写真があった。
そこでパソコンのアルバムに取り入れようスキャンしたところ、
上部が細くなる写真に映し出された。
何回やってもそうなるので、ひっくり返してやってみてもおなじように上部が細くなる。
怪奇現象化と薄気味悪くなりっていると、TVのBSデジタルラジオから
‘故郷’曲(ウサギ追いしかの川ーーー)が流れてきた。

遇然の一致は解っているがなにか不思議な感覚にになってきた。
仕方がないので隣にならんであった、母の見合い用と聞いていた写真をスキャンする。
何回やっても歪む、かなり小姑に虐められた話を聞いていたので
‘あの世でも上手くいってないのでは’と心配になってきた。
思い出の写真コーナーに載せてある。


1536, 「これから5年・地価は半値になる」

2005年06月17日(金)


−読書日記ー

数日前から書店で立ち読みをしていたが、
少し眉唾の「売らんかな」の題名の本と疑心暗鬼であった。
しかし、気になったので買って読んでみた。
東京の不動産・事務所ビル・マンション事情が解りやすく、
三人の対談方式なので読みやすい。

内容は業界関係なら周知している事実であろうが、
地方では疎い情報を具体的に教えてくれている。
「都内の勝ち組立地の大型の物件以外は5年後に半値」
というのも決してオーバーではないようだ。

現在、高層の億ションのいくつかの売れ残りが始まっているとか。
大都市圏の一部での地価下げ止まりと上昇は、海外有力ブランドの出店ラッシュと
都市基盤整備による一時的カンフル剤をうったにすぎない。

・既に高級マンションの値引き合戦がおきていること、
・都心以外はビル賃料のダンピングで地価が下落していること、
・5年後の半値は銀座や青山ではなく、東京の十字架ゾーンを外れた場所とか、
 地方の値崩れが激しく総体では半値になるだろう
・十字架ゾーンから外れた郊外住宅やマンション、ニュータウンは既に暴落している。
・千葉の某団地は、都心マンションの頭金ほどの価格で購入できる。
・右肩上がり時代ではなく何時リストラされるか分からない時代はムリしてローンを
 組むと破産者になるだけと警告している。
・さらに日本人の「持家信仰」からの脱却を奨めている。
 持家の広い家が必要なのは
「子どもが高校を卒業するまでの18年間」だけと、看破している。
等々が、印象に残った。

そういえば先日、都心から一時間のところに住む姉が法事で帰ってきたときに、
現在住むマンションの近くに、
「値段の下がりきったマンションを娘のために買った」
といっていた。

−以下、要点を抜粋してみるー

ー井上
40年前までの東京の地下鉄は、
銀座線、丸の内線、日比谷線、都営浅草線ぐらいしかなかった。
ところが現在では、地下鉄網が完備してきて、山手線の内側なら、
地下鉄駅から、どこでも歩いて五分以内に行けるという。
そこで地下鉄、東京メトロ、都営地下鉄の総数を数えてみたら、
40年前の3倍強になっている。
こんな都市は世界中に東京しかないのではないか?
となると、東京の高度成長期の地価上昇も、インフラ整備が主因といえるのかもと。
この十数年の東京の地価の値下がりは、インフラ整備の終息による結果かも知れない。
考えようによっては、東京都の地価上昇は、バブルではなかったともいえます。
東京地区の上昇につれて上昇した他の価格は、バブルと見るべきでしょうが。

{なるほど、山の手線内はバブルでなかったという井上氏の見方は正しいのかも}
           
                   ーつづく
−−−−
「これから5年・地価は半値になる」
副題 プロ不動産のウオッチャーがそっと教える
   「ほんとうの話」
著者
   井上明義 三友システムアプレイザル代表取締役
   浅野夏紀 不動産関係経済アナリスト
   橋本淳司 ジャーナリスト
発行 PHP研究所 
奥付発行日 2005年6月10日初版
-----------------------
ー目次
●地価上昇ムードに楽観的になってはいけない
●都市のオフィスビル戦争が地価の足を引っ張る
●マンション暴落から不動産不況へ
●地価は5年で半値になる
●土地神話はもう忘れなさい
●「勝ち組の不動産」・「負け組の不動産」に二極化する
●家はムリして買うべきではない

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2004年06月17日(木)
1171, 哲学についてー5

ー合理主義ー 

近代科学と同時に、近代哲学の芽吹きが始まってきた。
「世界は理性で理解できる」という「合理主義」の考え方である。

初めて合理主義哲学を提唱したのはデカルトである。
16世紀末にフランスに生まれた聡明な学者だった彼は、志願将校としてヨーロッパを
見てまわって、人間の世界が書物の世界より多様性に富んでいることに気がつく。
そして次第に、「人間が芯に確信できるもの、確実に知ることができることが
あるのだろうか」と思うようになる。

人間の思考というものを、哲学、数学、科学の分野から研究を始めた。
出発点に戻って思考する「私は何を知ることができるか」である。
そしてかの有名な「われ思う、ゆえにわれ在り」という結論に達する。

彼は「人間の究極は精神である」という結論から現実世界は精神と物質という
二つの要素から構成されるという考え方を導き出した。
このように自然界を精神と物質、主体と客体、観察する人される人の2種類に分ける
考え方は、西洋人の考え方に組み込まれていく。今日まで哲学者の間で
「デカルト的二元論」といわれてきた。

デカルトは、このシリーズで取り上げなくてはならない一人である。
その時は、より詳しくその思想の内容をマトメテみたい。

彼から後、多くの合理主義哲学の一派があらわれる。
彼らの基本理念は
「現実世界の知識は理性をとおして得られるのである、知覚することによって
得られた情報は本質的に信頼できず、知識になるどころか、間違いの原因になる」
というものである。

デカルトの後にはスピノザやライプニッツのなどが出てくる。
デカルトやスピノザは天才的な数学者であり、この二人にとって数学は
「真に確実な知識を手に入れるための理想的な手本」であった。
彼らは数学者が使っている手法を、現実世界を理解する為に利用できるなら、
あらゆることが解明できると考えた。

我々が何気なく考えていることや、言葉などが殆どすべてが先人に
よって考え出された上のことでしかない。
そう考えると、自分とは何ぞやと考えること自体ばかばかしくなってくる。
                      
                           −つづく
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 2003年06月17日(火)
804, 50歳の頃ー2

ー50歳といえば1996年、平成8年である。
今から見れば、まだ景気の先行きに明るさがあった。
・村山から橋本に首相が変わり。
・狂牛病の0−157が社会的な大問題になっていた。
・携帯電話やパソコン・インターネットがが普及を始め
・この頃から『援助交際』とか『ルーズソックス』が流行りだした。
・アトランタオリンピックが開かれ、マラソンでは有本が銅、柔道では
 野村、恵本が金、田村が銅メダルをとった。
・ロシアではエリツィン、アメリカではクリントンが大統領に再選された。
・国内のベストセラーでは春山茂雄『脳内革命』野口悠紀雄の『超勉強法』
 がベストセラーになっていた。
個人的には
・母が亡くなった年である。海外旅行はエジプト、インカーペルーと
南アフリカに行った。
会社のほうは第三の増築をして、客室が合計500室になった。

こう当時を振り返ってみると、時代背景が個人も会社にも大きく関わっている
ことが解る。また刻一刻と時代が変化している。

個人的にも色いろの出来事があった。
その殆んどが忘却のかなたになっているが、それだかこそ生きていける
のだろう。これからは60,70,80歳の坂を乗り越えていかなくてはならない。
現在とは過去から見たら最長老であり、未来から見たら最年少といえる。
こうして文章を書いているとつくづく実感する。

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2002年06月17日(月)
440,自己不一致の人

誰でも持っている要素である。
組織も対象の人とも合わない、突き詰めてみると自分と合わない人だ。

自分の事といってよい。
・今所属している組織か職業と自己一致しているかである。
・夫婦間の問題
・両親の仲が良かったか

中学時の問題児は両親の不一致である場合が多い。
不幸にしているのは本人にその意識がないことだ。
あと舅・姑の関係も絡んでくる。
家庭内が安定しているかどうかであるし、やはり家系も関係している。

夫婦間を見ていると、いろいろな問題がある。
それがそのまま子供に反映してくる。
あるいは自分に反映してくる。

その蓄積が自己不一致を深めていく。
そしてそれが対象に不満という形で向けられる、実際は自分の問題なのに。
誰もが多かれ少なかれ抱えている問題である。

会社が両親が離婚をしている人を入れたがらないのは、
多くの人の中で経験的にそれを知っているからである。
何事も例外はあるだろうが。

言葉を持ってしまった人間が無限の欲を持ってしまった。
アダムとイブが蛇に勧められて食べてしまったりんごである。
しかしそれは有限である。そこに不平が出てくる。
仏様はその欲の対処の仕方を教えた、それが仏教である。

ただ自己不一致も捉え方によっては必要なことがある。
理想主義による不一致、それを埋めるための視点であるからである。
あるいは経営にとって、計画の不一致のフィードバックとして必要な事だ。
前向きな建設的な自己不一致ならむしろエネルギーにもなる。
コンプレックスもそうなのかもしれない。

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2001年06月17日(日)
[55] ジョーク集について

面白いジョークは意外と少ない。
これだけの‘一応面白いジョーク?’を、集めるのは大変だといえば大変だったが。
好きだからできた。
一応半分は吐き出した?
このままいくと一~二カ月ごに在庫が尽きる。  
一応分類をして週1〜2追加していく方式に変わっていくだろう。

ちょっとした本一冊分になる。
二十~三十秒のショートエンターテナーである。
超ミニノートに分類ごとに題目を書いて鞄に入れて持ち歩いている!

そして何もしないとき眺める。
月に一~二回みる。
何回みても思わず笑ってしまう。
他人が見たら薄気味悪いだろう。

暗いといえば暗いか!


1535, 秘境探検家の「幸福論」−1

2005年06月16日(木)



『対談集「幸福論」』(発売・東海大学出版会)
のグレートジャーニーの関野吉晴と、
フォトジャーナリスト長倉洋海との対談集が面白い。
2300円と少し高いが、思い切って買った。

私も秘境旅行が好きなのだが、あくまでもツアーの視点でしかない。
また、私が興味があるのは「秘境の大自然」である。
そこで、人間までジックリ見る余裕がないのがツアーの限界だろう。

しかし、壮大な大自然の奥ふかさに気持ちが奪われてしまうが、
そこの住民がどんな自然観や幸福感を持っているかにも興味が湧く。

稀代の旅人二人の紡いだ「幸福論」が、未開発の住民の目を通しての
澄んだ視点であるからこそ考えさせられる。
二人が、様々な体験を語りあい、自らをさらして、「幸福」について考えている。
多くのカラー写真、若き日のスナップが、その内なる旅を実像化しているようだ。

スローライフという言葉がマスコミで踊っている。
「あくせくとした働き方や生き方を見直そう、
物質の豊かさではなく、心の豊かさを求めよう」
などと言われることが多くなった。
「しかし、人は本当にそれだけで幸せになれるのか?」
という問いかけが深い。

世界の秘境を自分の足で旅して、多くの人々と関わりを持ち、
いまの日本に疑問を持ち続けてきた二人が生活の「原点」に視点を置いて、
新しい「幸福」とは何かを語り合っている。

飛行機の隣席や、訪問先で、世界を一人放浪している若者と何度も出会った。
彼らは、久々に見る日本人に冷たいというより、懐かしさのためか人懐っこい態度で
我われに接してくる。
色いろな世界の原住民と多く接してきて、その中で大きな禅僧の悟りのようなものを
得たのだろう。近寄りがたい神聖なオーラを感じることがある。
彼らは世界の最果てで、一人自問自答をしているからだ。
彼らは、多くの世界の果ての人たちとの心の通じ合いを
「瞳と瞳を見つめあってニッと笑うだけで通じる」
ことを体験上、知っているのだ。

この二人の対話から、その悟りのようなものを多く垣間見ることができた。
それも、かなりのレベルの禅僧の対話のようだ。

 次回は、彼らの対話で私の心に響いた部分を抜粋してみる。

                  つづく
 ・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・
 
 2004年06月16日(水)
1170, 哲学についてー4

ー近代科学の芽吹き
近代科学が16〜17世紀にかけて登場してきた。
新しい科学がそれまでの世界観を根本的に変えようとした。

まずはポルトガルのコペルニクスである。
宇宙はこの大地にあるのではなく太陽であるとすると仮定したら、数学的に
解明できなかった問題が多く解決できると指摘をした。
地動説である。
それまで教会が主張してきたことを、聖書に書いてあったことを根本的に
否定することになった。

そしてガリレオ・ガリレイが時の権力者と地動説で真っ向から対立をする。
キリスト教の教義と対立をするため宗教裁判にかけられてしまう。
結局は自分の地動説を放棄させられてしまう。
しかし彼は有名な言葉をつぶやく
「それでも地球は回っている」と。

次に、史上最高の科学者アイザック・ニュートンがあらわれる。
1666年に自分の庭でリンゴが木から落ちるのを見て、引力の意味に気がついた。
彼はそこでリンゴを落下させるために働いている力は、月を地球に引きつけている力、
地球を回らせている力と同じであると気がつく。

近代科学の登場で思想に対する教会の影響力が薄まってくると、
哲学の分野でも合理主義の芽吹きが出てきた。

                     つづく
                     
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・

 2003年06月16日(月)
803、50歳の頃ー1

 −60歳までの人生
曽野綾子の本で『人生の良いところは60歳まで』という文章があった。
丁度私が50歳の時であった。
50歳で、母親を見送り(亡くなり)
人生の損益分岐点を超えたという思いがあった。
あとの人生を如何生きようかという自分への問いかけをしていた。
その翌年、下の子供と家内と3人で南米のギアナ高地に出かけた。
テーブル・マウンテンのキャンプ場で、夕陽を見ながら息子と日本酒を
飲みながらふと思った、「ああ自分の人生の元は充分にとった」と。

 その時に考えたのは、「曽野綾子の『人生60歳までがよいところ』
なら、それ以降の人生を60歳までに詰め込んで生きよう!
『人生の純益』を60歳までにとってしまおう」であった。
・海外旅行をそれまでに50回行くこと-不景気で難しく?なってきたが
・人の目を気にしない生き方を更に徹しよう
・好きな事を可能な限りしよう
 等、生き方を変えようであった。
しかし曽野綾子は60歳少し前の文章である。
母の行き方を見ていたので、この人はまだまだ解っていないと思った。
本当に「良いのは60歳から」というのを母の生き様から教わっていたからだ。
しかし「60歳以降の前倒しをしてしまおうという決心』は良いのではと解釈した。 

 その翌年にネパールに行ったとき、67歳の初老の人が人生の秘訣を教えてくれた。
「私は43歳までに必ず死ぬ家系であった。
それを前提にして、そこまでに人生のすべてをし尽くした。
その一つに日本を全てを家内と娘と3人で回り尽くした。
その後は世界にチャレンジしてほぼ全てをまわり尽して今もこうして生きている。
短命の家系という前提それがなかったら人生をここまで味わいつくせなかった」
かなり深い人生の示唆であった。
「60歳までに人生の全ての前倒し」を自分の生き方に取り入れた直後であったから、
尚のこと心に響いた。

 あと2年半で、その60歳に近づきつつある。
「それでは60歳以降如何いう生き方をするのか?」。
元を取ってしまったので、逆にあとは一日一日をじっくりと味わって生きることが
できるのではないだろうか。
そして、それまで経験をしたことのない分野を探し出しチャレンジすることである。
その意味では、逆に広い世界に飛び出せるのではないかと考えている。

 最近になり、景気後退ー恐慌一歩手前になってきたり、SARSや
テロなどでアフリカや中近東には以前ほど気楽に行けなくなってきた。
この時勢に優雅に海外旅行などともいっていられなくなってきた。
あの時点にやはりギアチェンジをしていて良かったと思っている。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

 2002年06月16日(日)
439,随想日記の不思議

毎日書いていて不思議な気がする事がある。
気の置けない友人か家内に話す内容を、そのまま正直に書いている。
それが何か非常に気持ちが安定するのだ。

心の中の自分との対話を常に書き込んでいるのである。
悪趣味?といえば、そうかも知れないが、
見られていることを意識して書いている事で一応修正はしてある。
書いた翌日一番で書き直すことは度々だ。

書き続けていて不思議な感覚がどんどん深くなる。
色々の人の日記を見ていても、やはり「ソフィーの世界」
のような不思議な感覚を受ける事がある。
ある意味で開き直っている自分とコントロールしている自分がいる。

もっと面白いのは、過去の自分の文章である。
読み返した時に、空の上から自分を見ている自分の視点が何とも不思議である。
書き続けている事で、その日その時間の心のメルクマールになる。

過去に日記を書いておけばよかった。
反面忘れる事も大事である、書かなかった良さもある。
学生時代の卒業間じか半年分は書いたのがあるが、その時の心情が赤裸々に書いてある。
書くという事は排泄と感じることもあるし、昇華ということもある?
メルクマールでもあるし、呼吸でもあるし、発散でもある。

一度書けばコピーをして、その書き足しもできる。
思考の再深耕が容易になる。
ビルの上からの視線でその方向も見えてくる。

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2001年06月16日(土)
[54] つれづれに

朝20000歩歩く。
前日の飲み会のアルコールを抜く為だ。
更に風呂でほぼ完璧!二日酔いなし。
ホームページを開いてから、毎日が楽しい。

パソコンの先生のように、故郷の友人がお互いにホームページを覗きあい
コミニケをしているという。
女性だからできるのだろうが、ある意味で理想に近いコミニヶだろう。
もし知人が私にようなホームページを開いたら毎日か、一日おきに見るだろう。
自分の居間の開放をしたうえで、かつサテライトスタジオを開いたようなものだ。


1534, わたしの酒中日記−8

2005年06月15日(水)

 
ーミニ能登旅行

1972年4月某日

今朝、急に思いたって観光バスで「能登一周コース」を、まわってきた。
50人乗りのバスに、乗客が12~3人位。
車内がゆったりしていたこともあり、楽しい一日であった。

金沢駅から出発、金沢港近くを通ってしばらく経った後、海岸線に出る。
何と波の打ち寄せる際の砂浜をバスが走るのだ。
今まで、海岸線が道になっているのは初めてである。
こんなのが、日本にあるとは全く知らなかった。
「千里浜なぎさドライブウエー」というが、能登の情緒がそのまま出ている。
しばらく走ると海の家の前に止まり、そこで「サザエのつぼ焼き」が出された。
その景色の中で食べる味が何とも良い。
ビールを一本買って飲んだが、その美味しいこと。
まだ4月のためか風は寒く波が荒いが、天気が良いこともあって風情があった。

数ヶ所名所を観た後に、輪島に到着。
そこでは有名な「朝市」を覘いてみる。
昼近くに着いたが、殆どの店はまだ開いていた。
風情のあるオバサン・オバアチャンが、それぞれの個性を売りにしている。
帰りは、逆に富山寄りのコースになっている。
七尾と数箇所を観て、最後は金沢駅で解散。
観光バスは気楽に最短のコースをまわってくれるからよい。

その後、駅の地下のおでん屋に寄る。
ここは、いつも帰省する時に寄る店で、何げないオデン屋だが有名店である。
ここの土手焼きとオデンとハンペンが絶品で、また焼き蛤が美味しい!
何ともこたえられない店である。

そのあと香林坊まで移動、そこで一人飲むことにした。
初めて入る店で、少し高級そうなスナックである。
靴を脱いで入る店だ。
中は幌馬車内をモチーフにしてある。
初めてみる異様な雰囲気を漂わせている面白い店だ。
ママとホステスは、ウエスタン・スタイルで、何か西部の田舎町に
来ているような錯覚をしてしまう。
薄暗いカウンター内に、赤い顔文字のネオンが印象的だった。
アメリカのウエスタンの片田舎にいる!という感覚になる。
今度、誰かを連れてこよう!
とにかく金沢は何処もあか抜けている。

今日は一日としては、充実をした時間を過ごせた。
こういう急に思いたって一人でする旅は、自分を開放してくれる。
小さな籠から飛び出し、小さな自由を満喫して、再び籠に舞い戻った鳥のようだ。
来月は金沢市内の観光バスに乗ってみよう。
面白そうだ。
まだまだ、市内で知らない場所が観光ガイドに多くあった。
金沢は、富山に福井に能登に加賀温泉、そして金沢市内に多くの観光資源が豊富にある。

そういえば、一昨年も四日市にいた時に紀伊半島を一泊旅行をした。
尾鷲に一泊した列車旅だった。
まだまだ、学生時代を背負っていた。

また四日市を去るとき、同期の連中と尾鷲と伊勢に「お別れドライブ」をした。
急に変なことを思い出した。渡辺、西尾、桜井、私に、女性が二人いた。
その一人と西尾が結婚したと、桜井から聞いた。
彼らは一番初めに配属された職場の連中だった。

いろいろあった。
昔を思い出すには、まだまだ早い!
明日は、結婚で辞める藤井さんの送別会だ。

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2004年06月15日(火)
1169, 秘境・異郷ツアーレッスン −1

過去にいろいろ秘境・異境ツアーを書いてきた。
この随想日記の引き出しのコーナに「秘境・異境コーナ」をつくる予定だ。
そのための前段として、このテーマで書いてみる。
このツアーから得たもの学んだものは、あまりにも多い。

今まで書いてきた文章を読み返してみると、想像をはるかに超えた自然や遺跡や文明に
出会い、感動をしてきた痕跡が記録してあった。
実際にこの目で見て肌で感じ取ったことは心の奥底に残るものである。
「うあ〜、何じゃこりゃ!、この地球上にこんな世界が実際にあるんだ、知らなかった!」
と何度も何度も思ったことか。

そこで何よりも感じたのは、世界の広さと、自分の小さな世界である。
自分の満足や不満のことなど、この広い世界からみれば些細なことでしかないと実感できる。
世界では人間の占める立場が、いかにささやかなものであるかをつくづく悟らされる。
旅行は人間を謙虚にさせてくれる。

10日から半月の旅行でも、秘境に行くには莫大のエネルギーをつかう。
一回の旅行の経験ごとに、間違いなく自分が成長していくのがわかる。
自分の世界が広がり、それだけ内面が深耕していくのがよく解るのだ。
そこの大自然に感動するのは、自分がそこに同化したことであり、自然の中にある
霊性と自分の霊性がつながることになるのだ。
それが精神の若返りの秘薬になる。
多くの旅に出かけたところで人生観が変わっても、人格は変るわけではないが。

「世界は一冊の本と喩えると、旅をしないものはその本を一頁しか読めない」
という。まだまだ、これから先のページが多く残っている。
旅をするのは到着するためではなく、そのプロセスこそ意味がある。
そのすべて楽しみに引き上げることだ。人生と同じである。

秘境旅行という本を1ページごと読み続けている限り、連続線の旅行を
していることになる。それだけ、私にとって強烈な体験でもある。
成田で、飛行機に乗ると逆に「ああ旅行に帰ってきた!」と思ってしまう。
それだけ私にとってインパクトの強い経験である。

ー10年前の文章をコピーしておきます。
この時16回と書いてあるから、現在41回とすると、10年で25回も旅行したことになる。
ーー

H0603
海外旅行について

 二年前まで五年つづけて年二回ずつ海外旅行に行った。
さすがこの二年は一回ずつだったが合計十六回になる。
私の大きな趣味の一つといってよい。
海外旅行より得た感激は私の人生を非常に豊かにしてくれた。
それぞれ全てがすばらしい。違う“とき”が流れていて、その中にはまりこむ、
その広がりと深さの味わいは旅行し、現実にその場に立ち感激しなければ理解できない。

初めて旅行したのは昭和四十二年、たしか海外旅行が自由化された翌年だった。
大学の海外旅行研究会が募集した三〇日間世界一周というコースであった。
当時はまだ年間二十万人しか旅行者はおらず、旅行先で日本人と出会う事はほとんどなく、
オーストリアなどでは見ず知らずの日本人を平気で自宅に招待してくれたり、
英国では留学生が日本人が恋しいのだろう、どこまでも市内を案内してくれた。

欧州の文化文明に大きなカルチャーショックを受けた。
帰国して数ケ月はただ呆然としていた。
二十才という年齢もあろうがオーバーに言えば人生の一大転機のきっかけになった。
それだけ感激とショックは大きかった。

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2003年06月15日(日)
802, サッカー観戦記

 先日、知人からサッカーの招待券を貰った。
アルビレックス新潟とサガン鳥栖の対戦である。
こういうチャンスはめったにない、行くことにした。
昨日ー6月14日、場所は新潟市の駅裏から数キロ先である。
去年のワールドカップの為につくった新潟スタジアム、一度見てみたかったから
丁度よかった。雨が気になったが終了後、車に乗ったと同時に降ってきた。
もっとも雨よけがあったが。

 キックオフが14時、その30分前に着くように出かけたが、車の渋滞で開始後30分後
席に着く。初回は一時間前につく予定を立てるべきであった。

やっとたどり着くと会場から、唸りのような歓声が聞こえてきた。
観客席に座った時には、アルビレックスがすでに一点を取られていた。
何とも会場の大きなウネリのような歓声が凄い。
その世界に一瞬に吸い込まれてしまった。 
招待席は相手チームの席、といってほとんどが地元の人たちであった。
若い人ばかりかと思っていたが、年代層は広い。
3万4千人の入場者と場内放送でいっていた。

 試合は一点リードされていた新潟が後半に逆転、2対1で勝った。
攻めまくった新潟がなかなか点が入らず会場が苛立っていたが。
それでも試合の後半に新潟が2点を入れて逆転、非常に面白い内容であった。
これで引き分けを挟んで四連勝である。
サポータが熱くなるのも解るような気がした。
あの熱気の世界も一度経験しておくと良い。

 最近は何事も経験と、チャンスがあれば何でも参加するよう心がけている。
今度は後楽園で巨人戦にいってみたいと思っている。

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002年06月15日(土)
438, 因縁についてー与三八さん

私の仲人の名前である。
私が八郎ー兄が三郎。
兄は男で3番目、私が兄姉の8番目で八郎になった。
多くて最後の方は面倒だったのか、戦時戦後のドサクサで
じっくり考えている余裕がなかったのだろうか?
シンプルだ・

兄も私も嫁さんを与三八が紹介してくれた「仲人」である。
三八に与えるで与三八である。
そのことに気づいたのは、結婚して数年経ってからである。

本人に「自分の名を宿命と考えてか、ブラックジョークと考え意識して
紹介したのか」と聞いた。
本人はエヘヘと笑って答えをはぐらかした。
まあ面白いものだ。

話が変わるが
最近はあまり行かなくなったが7〜8年までは、よく経営セミナーに行った。
会場の席とか食事等で隣席の人と話すと何処かで因縁がある事が多い。
またかと思うほど何処かで繋がっている。
確率から考えて異常に多い。何かがあるのでは?目に見えない??

あるセミナーで聞いたが、「集まりで同じ姓名の人が集まる確率が、
理屈ぬきで多い」という。また誕生日も月単位で同じ人が集まるという。

会社も斎藤だったら斎藤が集まるという。
以前プロ野球で国鉄で、
「田」のつく人が異常に多くて話題になったことがある。
金田投手のいた頃だ。

自分の名前は大事だ。
名前で無意識で縛られている事が多い。

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2001年06月15日(金)
[53] 北欧ロシアに決定!

朝スイスに決まっていた旅行、急遽‘北欧・ロシア’に変更。
理由は「迷った場合は今先に行っていたほうがよいほう選定基準にする」である。
スイスも捨てがたかったが、
‘モスクワとサンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館’と
‘北欧の大自然’が捨てがたかった為だ!
ぎりぎり迷い判断するから、後で後悔が少なくて済む。

ぎりぎり迷うのも旅行前の楽しみの一つだ
それだけ多くの情報を真剣に探し、その世界に入るからだ。
あと三週間今からが呼吸を整える時期になる。

たまたま朝、決断後書いた文章で、一度ホームページに載せた後削除した内容である。
  
  ーーーーー

 スイスーアルプスに決定
 6月15日(金)06時52分33秒

かなりハードな10日間の旅行になりそうだ。
スイスの三大明峰(マッターホルン・モンブラン・アイガー)や多くの湖をめぐる。
ミニハイキングも織り込まれており、想像を絶した景色に出会えると期待できる。

ヨーロッパは60過ぎてから集中的に行く予定だったが、今回はどういう風のふきまわせか、
スイスに決まった。一度決めるてしまうと、このコースの、いやヨーロッパアルプスの
素晴らしさがわかってくる。

実を言うと初めての欧州旅行の時と、10年位前のライン下りの旅行でユングラウヨッホは
行っている。特に初回のそれは、非常に印象的であった。

登山列車から見たパノラマは絵に出てくる世界そのものであった。 
‘楽しみだ!’


1533, タイソンの終焉

2005年06月14日(火)

一昨日の昼、タイソンとマクブライトとの(ノンタイトルだが)、
ボクシング・ヘビー級の一戦がwowowで放映された。

6回終了後、試合放棄でタイソンが敗れたが、
試合後のインタビューでは涙を流して、
「もう気力が出てこない!」
と言ったのが印象的であった。
一時代を築いた男も、これで終わりであろう。

相手のマクブライトは、明らかに2流選手。
肉体は贅肉でブヨブヨ、2メートルの巨体で出来る戦術は
小柄のタイソンに覆いかぶさって肉体的な疲れを待つだけ。
それに、まんまと引っかかった平凡な試合であった。
あの肉体に突き刺すようなフックやパンチは影を潜めていた。
終わりはこんなものだろう。

あと数日で39歳というから丁度引退時期。
20年前の野獣のような試合も、今は昔の話。
解説者のコメント「野獣が人間に戻ってしまった!」が、言いえて妙である。
日本での、まさかのKO負けや、
イベンダー・ホリフィルドの激戦を思い出す。

あるHPに歴代のヘビー級の強さのランキングがあった。
もちろん時代が違うので、主観なのだろうが。
タイソンと、ロッキー・マルシャーノが入れ替えれば、こんなものである。

やはりモハメッド・アリは一番である!
そういえば、この試合の前座でアリの娘が女子ヘビー級の試合をしていた。
娘が勝ったが、アリ本人も会場にいた。

このHPのランキングの殆どの選手を子供の頃から知っていた。
当時は、ボクシングと野球と相撲ぐらいしか、スポーツはなかった。
丁度、白黒TVが出はじめた頃に、
ジョー・ルイスや、ロッキー・マルシアノなどの過去の映像が流されていた。

現在は、歴代に残るようなスター選手はヘビー級にはいない。

 ーーーー
ー歴代ヘビー級ランキングー

1位   モハメド・アリ
 2位   ジョー・ルイス
 3位   マイク・タイソン
 4位   ジャック・デンプシー
 5位   ジョージ・フォアマン
 6位   ジョー・フレイジャー
 7位   ジャック・ジョンソン
 8位   ロッキー・マルシアノ
 9位   ラリー・ホームズ 
10位   イベンダー・ホリフィールド

ーマイク・タイソンー

スーパースターの光と影。スポットライトを浴びる量が増えれば増える程、
影もまた大きくなっていく。
マイク・タイソンほどその影の部分が強調されるボクサーもいないだろう。
マイケル・ジェラルド・タイソンの世界デビューはセンセーショナルだった。
86年11月トレバー・バービックを鮮やかな2回TKOに下し、WBC世界ヘビー級王座へ。
20歳4ヶ月の史上最年少ヘビー級王者が誕生した。
アリ・ボクシングに欠けていたもの−パワーと迫力を再びヘビー級に持ち込んだ
タイソンの登場は、時代の潮流として必然だったのかもしれない。

87年にはWBA王者ジェームズ・スミス、IBF王者トニー・タッカーを破り3団体の王座を統一。
90年2月、”世紀の番狂わせ”でジェームズ・ダグラスに10回KO負けで王座を失った。
私生活の乱れから、ボクシングにも狂いが生じたのだった。
ついには婦女暴行罪で収監され、4年間のブランクまで作ってしまう。
95年に復活したタイソンは、翌年3月フランク・ブルーノを3回TKOで破り
WBC王座にカムバック。
半年後にはブルース・セルドンに1回TKO勝ち、WBA王座も手に入れた。
そして11月ホリフィールドの執念の前に番狂わせの11回TKO負けを喫する。
97年の再戦では有名な”耳噛み事件”で失格負け。ライセンスもサスペンドされた。

99年のカムバック後、順調に白星を積み重ねルイス挑戦も視界に捉える位置に上がって来た。
しかし、ここに来てまた私生活のお騒がせが増えている。
ルイス戦の勝敗の行方は、タイソンの”自らとの戦い”の如何によると言ってもいいだろう。
ー52戦48勝(42KO)4敗1NC。

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2004年06月14日(月)
1168, 笑いについてー2

笑いについて、度々この随想日記で書いている。
動物のなかで笑うことができるのは、人間だけである。
人間はちょっと工夫すれば、いつでも笑うことができるし、
笑いの習慣化も可能である。

とくに、自分を笑うことができれば、その効果が倍増する。
自分を深刻に考えている時ほど、可笑しいことはない。
深刻な出来事も10年も経ってしまえば、どうでもよい出来事でしかない。
いや、むしろ滑稽とさえ思える事だ。
笑いは陽気な客観化をしてくれるし、自分自身の癒しになる。

また笑いは周囲の笑いを引き出すことができる。
自分が笑っていれば周囲にも笑いが広がる。
笑いは神が与えてくれた最大の贈り物である。

私の場合以前にも書いたことがあるが、日曜日を笑いの日にしている。
特にTVのお笑い番組みを効率よく使っている。
「新婚さん、いらっしゃい」
「笑点」
「からくりTV]
 前日に録画した「BS笑点」である。
笑ってやろうと、待ち構えていると倍は笑える。
笑うから、可笑しいということが実感できるのだ。
笑えば心が軽くなるし、消化もよくなる。

同じ時間を過ごすなら、楽しい時間を過ごした方がよい。
とくに笑っている時間は人生で最も貴重な時間帯の一つである。
「笑え、笑え、もっと笑え!」
笑ってさえいれば、肩に背負った重荷は半減をする。
すべての悩みは、いずれは時間が解決をしてくれる。

どこの国でも「ジョーク」がある。
日本では落語があったし、川柳もあった。
これは笑いを国民レベルで創作をしていたのだ。
この随想日記にも「ジョーク」のコーナーがある。
最近は書き込みが少ないが。

まあ一番の笑いは、いい歳をして「お笑い」を見て大笑いしている自分だろう。
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以前書いた笑いについてを貼り付けておきます。
ーー
笑いについてー 1

2001年12月22日(土)

私の最大の素質は腹から笑える事だ!
昔からいろいろあったが、これは子供の時からの特技である。
激しい真ん中(商家)に生きていたからだろう。
笑っていなくては、やってられない!

TVの漫才をみて笑っていたら、親戚の叔母が見ていて不思議そうな
顔をして「どうしたらそうして笑えるの?」と学生の時聞いたことがあった。

笑うとは何だろう?もちろん理屈はある程度解かっている。
でも実感としての(笑)とは何?と考えた事があるか?

人生から笑いをとったら、残るのは何だろう?
笑う為に生きてきたみたいなものだ。それだけで人生元を取ったように
思える。いや感動・感激もいえる。

魂の顕現化といっていい!それでは落語家か、漫才家になればよい。
しかしそれは商品でしかない。

実際の(笑)は違う。心、いや魂の緩みだ!
どういうわけか、過去を振り返ってみて、笑いだけは常にあった。
笑えない時期でも(笑)は別腹であったことは事実である。
その理由は今でも解かってないが、結局は背後に豊かさがあった為だろう。

家内に言わせると、どんな時期でもTVの「落語や漫才」を見て、
大笑いをしていたらしい。
でも本当にそうかと自問してみるとそうでもないか!
「凍りつくような時期」ではどうであろうか?笑いはなっかった!
 
やはり結婚をして,家庭を持ってからはどんな時期にも笑いだけはあった。
それが家庭の効用?か。


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2003年06月14日(土)
801, 一期一会 「一語一会」−2

「一期一会」それは元来、お茶の世界のこころとして
「すべての客を一生に一度の出会いとして、悔いのないようにもてなしなさい」
という意味である。

 私が酒を人と飲む時に常に「一期一会」で飲むことにしている。
そうすると、飲み方が変わるのだ。
ある会が面白かった、といってそれはそのTPOS がたまたま良かっただけと
割り切るのだ。一回ごと徹底的に割り切って飲む。
店でもそうだ、一回こっきりと常に割り切って楽しむ。
そうすると酒の味も、その場の感じ方が全く違ってくる。
スナックなどでボトルを入れる人の気持も解らないでもはないが、私は絶対に入れない。
従ってあまり飲み屋のママにはいい顔をされないが、明日から二度と来ないかもしれない、
という緊張感が良いのだ。
 
 そういえば一期一会の酒を数限りなく飲んできた。
そして、その全てが思いで深い、よい酒であった。
桜と同じである。一回性だからこそよいのだ。
年齢を重ねてくると、この意味が今更のように思い知らされる。
「べき時に、べく事を、べくすべし」を常に意識してことがよかった。
これは酒席だけの事を言っているのではない。

 言語学者の西江雅之のー「ことば」の課外授業ーという本に
「ことば」はその場、その時、一回限りである、という趣旨のことがあった。
ー以下に少し書きうつしてみるー
現実の場では、人はことばを二度と同じようには言えない。
すべての発言は「一回限り」である。
たとえば「これは何ですか」と、同じ調子で二回言ったら、二回目はくどい
と思われます。怒鳴っていったり、これも当然違ってきます。
また何か言う場合には、必ず前後関係があります。それによって嫌味になったり、
単なる質問でしかなかったり、・・・・・・・・・

以上のとおり、ことばも一期一会である。
もじれば「一語一会」といえる。
その意味では「ことば」にもっと注意をして話さなければならなかったと反省している。
それと感銘した「ことば」こそ一語一会と言える。
その意味でー事業百訓というカタチで、その時々に書き残してきたことも一語一会を
記録してきた事になる。
この随想日記もそういうことになる。

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2002年06月14日(金)
437,地球に気が満ちている

朝散歩をしていて、今までにない全身に気が満ちていて驚いた。
何故だろうか、そうだサッカーのせいだ。

一球に地球上の多くの人の気が集まっている、それを毎日見ている為だ。
ワールドカップはサッカーを通した国家間の戦争ともいえる。

オリンピックは多くの競技で行われるが、
サッカーはその時間帯では一試合か二試合である。

それも自国の試合だけでなく、他の国も微妙に関係してくる。
少しのミスが取り返しのきかない致命傷になったりする。
数億いや10億人以上が全神経を集中してみている。

庶民レベルでは、今地球上のイベントでは最大の催事といってよいだろう。
地元で行われることにより、私のようなあまり興味のない人間でも
俄かファンになってしまう。

その為か見ている自分にまでも、そのエネルギーが流れてくる。
地球上がこの期間、人の気で満ち溢れる。
これからは勝ち進んでいく国にそれが集中していくのだろう。

フランスが前回優勝した時のフランスの気は、満ち満ちていただろう。
これとオリンピックが隔年で行われるのだから、丁度よいバランスである。

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 2001年06月14日(木)
[52] つれづれに

情報化社会がもたらしている時代の変化をつくずく感じる。
共産社会‐ソ連も東側ベルリンの壁も、遅くなったが自民党ー経政会?も
壊してしてしまった。

情報端末の究極は携帯TV電話だという。
これが普及はじめる3〜4年先は想像不能だ!

この秋玩具メーカーから7〜8万円で撮影機のついた移動式ロボットが売り出されるという。
これだとTV携帯電話に連動すれば家の移動式防犯カメラになり、警備会社の存亡の危機
になりかねない。

ホームページに連動して個人や情報の公開や、お店なども家にいながら観て回れる。
あらゆる場所に固定して置いて、自由に公開しておけば世界のあらゆる場所に、
視界と言う意味で自由に何処でも飛べるようになる。


1532, 「おばさん」の定義

2005年06月13日(月)


図書館で何気なく見た本に「おばさんとは?」という、
チェックポイントがあった。
私の一番嫌いな人種といえば、教養のないオバサンである。

「オバサン」の私のイメージでいうと、
以下の通りである。
  1.傲慢で緊張感が全くない
  2.自己中心的かつ利己的で
  3.他人の噂話が日々の潤いになっている
  4.他人の行動が気になり節介をやきたがり
  5.服装が世帯じみていて、アンバランス
  6.知性が全く感じられない

「お前こそ、オジサンそのものじゃないか?」
と言われれば返す言葉もないが。
しかし、「何がオジサン・オバサンか」は、自覚をしておかなくてはならない。

その本を目を通しただけでも
「なるほど!」という内容が幾つかあった。
服装研究家のようであったが、男の私でも合点がいった。

「過去を背負っている感じが出ている人」と、まずあった。
時間とともに人間は変わっていくが、気を許すと年齢の変化についていけないで、
アンバランスになってしまう。その過去の蓄積度の露出が、オバサン度を高くするという。  

その年齢にあった着こなしをしなくてはならないが、
放漫のため 気がまわらなくなるのだ。
まずは「クローゼットの大整理を、常にしておくべし!」と。
「オバサンにならないためには服装や化粧は気をつけて、
年齢だからと諦めては駄目!」ということを聞いたことがある。
諦めたと同時にオバサンに転落するのだ。
心のクローゼットも整理をしなくてはならないが。
 
 姉をみていても、オバサン化をしているかどうかは五分五分である。
常に何かを求めて、世界に自分を晒している環境にいるかどうで左右する。
 
新幹線にオバサンのグループが入ってくると、異物がチン入してきた雰囲気になる。
新幹線の車内は社会の集約された場である。
そこに全く緊張感のない変な集団が入ってくると・・・?
ゾロリ・ゾロリ軍団という弛緩の塊が異様に目立つのだ!
 
懐かしのメロディーで、昔のアイドル歌手が出てくるが、その外形の変容や、
「普通のオバサン以下になっている弛緩の姿」を見ると、悲しく哀れになる。
一番大事な時期に基礎教養を蓄積しなかった無残な姿が、そのまま露出している。
中尾ミエなどの三人トリオや、天地真理などが典型である。

今日も、スーパーの近くで「凄いオバサン」を見た。
ブラジャーなしで、アパパーを着て、頭はボウボウで、
だいたい想像がつきそう?

「エ~、何処かのカアチャンの家の中の姿?」
そこまで、言うな!家の中は弛緩の場だから?

 ・・・・・・・
 ・・・・・・・

2004年06月13日(日)
1167, 哲学についてー3

哲学の歴史については、
いまさら哲学の授業ではないので大まかに述べると

・紀元前6〜4世紀にギリシャに始まる
 それもソクラテス以前と、以後の分けることができる
 ソクラテス以前は
  最初に登場した特徴は
 ・宗教や権威や伝統とは関係ない、論理で現実や世界を理解しようとした。
  これは、それまでとは全く違った画期的なものであった。
 ・他の人にも自分の力で考えるように説いたことも、それまでに無かったことだ。
 そして、   
  「宇宙とは何からできているのか」
  「何が大地をまっすぐにささえているのか」
  「万物は何からできているのか」
  という根本的な問いかけを突詰めて考えていったのが、最初の思想家のタレスであった。
  またヘラクレイトスが「万物は流転する」という有名な言葉をのこしている。
  この頃ピュタゴラスが、天才的な能力で「ピュタゴラスの定理」で、数学の
  幾何学的概念を考え出した。「平方」や「立法」である。  
    
 ソクラテス以後は
  まずソクラテスが哲学的対話を求めて問答法を生み出していった。
 彼は「友情とは何か」「勇気とは何か」「敬虔とは何か」
 とくに「正義と何か」を問いかけたとき、いろいろな人間や判断や法律などの
 取り決めに対して、その何らかの真実を探り出そうとした。
彼はすべてを疑えと人びとに教え、権力や権威あるという人びとの無知を
徹底的に暴いていった。彼がここまで哲学の代名詞のようにいわれるのは
基本的概念を徹底して疑うことを初めて説いたからである。
ソクラテスは誠実であることこそ、何よりも大切であるとして、神や法に対する義務より
自分自身への義務こそ最も優先にすべしと説いた。

そしてプラトン、アリストテレスへと現在への西洋哲学の基礎がカタチつくられていった。

・その後、哲学でいう暗黒の時代が1000年も続くことになる。
 これは、キリスト教会の影響が大である。
 キリスト教と矛盾するものは、排除すべきものとして、徹底的に吟味された。
 あくまでも哲学としては、キリスト教との結合の範疇でしかなかった。
 トマス・アクィナスがその思想体系を世界観をつくりあげただけであった。
 
 そして、中世になってやっと近代科学がはじまったのである。
                          
                           ーつづく ・・・・・・
 ・・・・・・・・

2003年06月13日(金)
800,「ありがとう」の言葉−3

「幸せの宇宙構造」
ー七つの言葉「祝福神」ーより
 
自分が最も得をする生き方はどういうものでしょうか。
何よりも大事なのは笑って愉快に生活すること。
そのために私たちが発すべき言葉は
・うれしい、
・楽しい、
・幸せ、
・愛している、
・大好き、
・ありがとう、
・ついてるの
七つ(これを七福神ならぬ「祝福神」と呼んでいます)です。
そうすれば健康になるし、つまりは自分の人生にとって大変得になるということになります。
人間は自分の発した言葉で自分の人生をつくります。
私の周囲の環境や、自分が立たされた状況はすべて自分の発した言葉によって
形成されていきます。ですから、朝から晩までうれしい、楽しい、幸せ、愛している、
大好き、ありがとう、ついてる、と言い続けると、
この言葉しか言いたくなくなる人生に囲まれてしまいます。
私の周りの多くの人がそうなってしまいました。
 私には最近、次のようなメッセージが届いています。

七つの「祝福神」を年間、五千回唱える人はその言葉を再び言いたくなるような現象が来年、
五千回降ってくる。
逆に嫌だ、嫌だ、疲れたという否定的な恨み言葉を五千回発すると、
その言葉を言いたくなるような現象が、来年五千回降ってくると。
もちろん、五万回発すれば五万回、十万回発すれば十万回降ってくるというという意味です。
私は自分や仲間たちの身の回りに起こる現象を知れば知るほど、
このメッセージが正しいと納得せざるを得ません。
 

 損得勘定で七つの「祝福神」を繰り返し口にしてきました。
でもいつのまにか夕焼けを見ては「きれいだなあ、楽しいな」と感動し、
お茶一杯飲むのでも「ああ、幸せだ。ありがたい」と心から喜べるようになっている
ことに気づきました。口先だけだったありがとうを何万回、何十万回と繰返すうちに、
身の回りのありとあらゆることが本当にありがたいと思えるようになりました。
損得勘定でやってきたら、最後には一つひとつのありがとうの言葉に真心が
こもるようになりました。そして、いま本当に幸せを実感しています。
宇宙に対してありがとうの言葉を投げかけていると、誰が一番豊かになり得をするのか。
それは自分です。このことに改めて思いをめぐらしていただきたい。
宇宙の方程式はシンプルですが、やればやるほどその深さに驚くことでしょう。
・・・・・・・・・・・・・

ー感想文ー
当たり前のことだが、その当たり前のことがこういう時代になればこそ、
失われそうになる。
戦場の真っ只中でこうは言ってられないのも事実だ。
大不況の中で、どうしても暗い風潮に流されやすいからこそ、言葉ー心の
コントロールが必要である。
その意味で心ー言葉だけは明るく、習慣になるまで明るい言葉を繰り返して、
セットしておく必要がある。
その意味で一番大事な言葉『ありがとう』を含めた七福神の言葉をセットしておくことは
重要である。20年近く前に般若心教を憶えて数万回唱えてきた。
その効果は絶大あった。二人の子供と会社の正社員全員も含めて
三桁近い人がこのお経を暗記してくれた事が最大の成果であった。

「ありがとう」を数万回数十万回いうことはそれに匹敵すると直感をした。
特に良いのは細切れ時間をつかえることだ。
もし若い人がこれを実行したら、人間的な暖かさがプラスされ若さの輝きを更に増すだろう。
この小林正観氏の本を、この本を含めて他の著書と供に3冊注文をした。
web上の書店にはなく、直接出版社に電話で宅配にしてもらった。
他の二冊も面白かったら読書日記として書くつもりだが、
初回だから面白かったのかもしれない。
いずれにしてもシンプルで解りやすい習慣だ。

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2002年06月13日(木)
436,凄い時代 ー光ファイバーの時代

ADSLを自宅に入れようと思っていたところ、パソコンの
先生に9月まで待ったほうがよいと言われた。
光ファイバーが各家庭やオフィスに入るという。

会社の方の切り替えも考えて、早速NTTにきてもらって話を聞いた。
契約後、導入に3ヶ月位かかるが9月より新潟でも可能という。

そのパンフレットを見て驚いた、インターネットを通さずに
直接メールやチャットが映像でやり取り出来るようになる。
あるペットの好きな人が、映像でチャットで話している,
そこの席が空いていればそこに入り,お互いの顔を見ながら話ができる。
驚きである。

またホームページ内で映像も編集しておけば、いつでもそれをみる事ができる。
今まではスイスの写真を見る事ができたが、今度は映像をみる事ができる。
メールも映像を送れるしTV電話もできる。
ホームページも個人サテライトスタジオになってしまう。

3~4年前では考えられない現象がいまや現実になろうとしている。
携帯TV電話の時代に、これなど当たり前の事かもしれない。
インターネットとホームページに集中しているが、
それを超えた?時代の変化がきている。

光ファイバーの家庭への導入は3年先と考えていたのが、
あと数ヶ月と現実になってきている。
出張が減るのは間違いないだろう。
1000倍~2000倍の大量の情報量が安価になりTV会議や営業活動も
一般的になる。

面白い反面、ナンバーワンしか生存できない競争社会の到来だ。

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2001年06月13日(水)
[51] 無駄な事なし

人生ふりかえってみて感じる事は無駄な事は全くないという事である。
もっともある程度燃焼してきたから、言えるのかもしれないが!
それも全く無駄にみえる事ほどふりかえってみた時、一番重要なポイント
だったようだ。皮肉と言えば皮肉だ。ポイントはぼろを羽織ってくるのだろう。
老年にさしかっかた時、死と同じくらいの恐怖「自分の人生これでよかったのだろうか?」
という問いかけだそうだ。ある本に自分の母が死ぬ時「私の人生失敗だった!」
という言葉を残していたと、姉より死後聞いてが立ち上がれないほど
ショックを受けたという内容が書いてあったが。
無駄な事だらけという人生もあるのかもしれない。
人生にやはり意味を求めていないと
、失敗だった?という気持ちになってしまうのだろう。


1531,わたしの酒中日記ー7

2005年06月12日(日)

2005年6月10日

ーバイアグラ飲めず!

今日は、高校の同級会があった。
三年ぶりの同級会、久々のせいか21人も集まった。
担任の先生が41年ぶりに、この会に出席してくれた。
16歳年上だが、もっとふけた男が?何人かいた。全く若い!
20年来、毎年続いていたが、仕切りをしていた?スーパーツチダ社長の
土田君が亡くなってしまい、この三年間は休会状態であった。

久々に電話があって、急遽開くことになったのは、
この8月2日の長岡花火に「還暦祝いの花火」をあげるための寄付金集めと疑っていた。
ところが、ある男が反対と気炎を上げて、その隣に座った私も同調。
その勢いのためか、その意を受けていた?幹事が言いそびれてしまった?。
結局、根回しが足りないのが問題だった。

その男が言うには、
「あれは同期の主流派の主張したもの、このクラス会は反主流派。
ボイコットだ~!」
何時ものように、子供の遊びの世界に戻って大盛り上がり。
20人のマトマリも考えてみたら大きな勢力で、顔を立て損なったようだ。
その日たまたま欠席した男達は、すべて主流派にされてしまった。
それをネタに笑いを取っていただけだが、
ほぼ今日の話の内容は主流派に流れるだろう、また嫌われるか。

この会は地元の二代目が殆ど、このHPをみたら袋叩きにあうのは間違いない。
いつも二代目の悪口を書いているからだが、この会の反主流派は明らかに私だ。
笑いを取るため
「自分はこの会の反主流派だ!」というと、
すかさず
「お前はただのアウトサイダーだ!」という突込みが入った。
そうか、アウトサイダーでしかないのか。
今度、アウトサイダーについて考えてみよう。
「人生のアウトサイダー」がよいだろう。

60歳になろうする男どもが子供にかえった会で、よく20年以上も続いたものだ。

その後、二次会三次会と流れて、午前0時過ぎに帰路についた。
最後の店で、ある男が
「近々にアメリカに行くのでお前の着ているジャケットをくれ」という。
スナックの勘定を払ってもらう交換条件で、脱いで渡してきた。
私にしては高いもので気に入っていたものだが、これも縁である。

しかし他の男から貰ったバイアグラが、その胸ポケットに入っていた。
一度飲んでみたいと思っていたが、残念である。
 即効というが。
                    終わり!

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2004年06月12日(土)
1166, 豊かな時間

「貧しい時間」とはなんだろうかを考えてから、「豊かな時間」を考えてみる。

貧しい時間
・虚飾と虚栄に満ちた時間のなかで空虚に過ごすとき
・好きでないことを、状況から嫌々しているとき
等、思い浮かぶが、虚飾と虚栄の時間のなかで空虚?に過ごすことが
豊かな時間の人もいるし、群れていることが真に充実している人もいるし、
刑務所にいるのが一番の充実している人もいるというから、複雑だ。

まあ質の問題になるが。
豊かな時間・贅沢な時間についてソローの言葉がよい。

「生活がいくら惨めであろうとも、そこから顔をそむけずに、ありのままに
生きることだ。自分の生活を避けたり罵倒してはいけない。
生活は、諸君が一番富んでいるときに一番貧しくみえるものだ。
粗捜し屋は天国にだって粗を見つける。貧しくても、生活を愛しなさい。
救貧院に入っていたとしても、楽しくて胸のときめく、素晴らしい時間はあるだろう。
落日は金持ちの邸宅の窓だけでなく養老院の窓からも、おなじようにあかあかと照りかえる。
春が来れば雪は同じように早々とドアの前で溶ける。
おだやかなこころの持ち主なら、そういう場所に住んでいても、宮殿にいると
変わらない満足感や、ひとを奮立たせる思想をいだきながら生きていけるだろう」

自分の本当の時間、自分の真に充実できた時間こそ豊かな時間という。
ありのままに生きることが、そのまま簡素な生活を生きることである。
金や名声よりも、精神を高く、そして真理をもとめる生活がより大事であり、
その時間こそ、豊かな時間といえるのではないか。
自然の美しさや音楽を聞いていて感動したり、心の底から笑うのも豊かな時間といえる。
そのためには、やはり孤独の時間を自分の生活のなかに確保しなくてはならない。
孤独の時間とは、内面へ向かう時間といってよい。

孤独、感動、感謝、自然、真理の追究、笑い、等がキーワードになる。

私にとって散歩が最も孤独であり、孤高な充実した時間になっている。
そういえば、この随想日記を書いているときもそうだ。
そう考えると、本当に豊かな日々を過ごしていることになるが、
不景気で経営の悩みが丁度よいくらいマイナスになっている。
  まあ人生とはそういうものだ。

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2003年06月12日(木)
799, 「ありがとう」の言葉−2

「幸せの宇宙構造」
 小林正観著 
 弘園社刊
 
 (昨日の続き)
・・・ある講演会に『ありがとうの実践会』の人が200人ほど
いらっしゃったとのことでした。
『私は60万回』『俺は70万回』『今はまだ97万回』というような人が次々に現れ、
私は驚きました。5万、10万回という人は結構多かったのですが。

 『ありがとう』の回数が5万回あたりで、奇蹟が起こるモードが第一
段階がくるらしい。10万回あたりで、第二モードがくるらしい。
 50万回あたりで第三モードに入り、100万回を越えたあたりで
第四モードに入り、1000万回を越えたあたりで第五モードに入り、
一億回を越えたあたりでは第六モードに入るらしい、というものです。
その『ありがとう実践会』の中に癌の人がいて、20人くらいの仲間が
みんなでその人を囲んで、朝から晩までただひたすら「ありがとう」を
言い続けたところ、その人の癌細胞が無くなってしまった、という例
もあるそうです。・・・・・・

日本に『ありがとう』を一億回を超えて言い続け、 そして今も言い続けている人がいる。
滋賀県住むMさん。年齢は50歳後半です。
子供の頃から一日10時間、一時間で約1000回で、一日平均一万回を
50年間一億8000回で2億を超えているかもしれません。
10万、50万、100万回を超えると、とんでもないことが起こるらしい
ことは、超常現象研究家の私としても大変興味があったが、一億回を超える
とどうなるか、未知なる領域でした。
Mさんの日常的な話を少ししておきますと、一年間、傘を一度もさしたこと
がないそうです。玄関を出ると、降っていた雨がピタリと止まるそうです。
次の建物に入ると雨がザ~と降るという具合だそうです。
たまたま電車に乗ろうとすると、10~20分遅れても、電車が待っている。
それは三次的には電車の事故だったり、物理的な連絡ミスだったりするが、
その意味ある偶然の一致が必ず起こるそうです。
ー本田宗一郎も、そうだったと聞いたことがあるー

 ーありがとうの語源ー
日本語の語源辞典で『ありがとう』の言葉を調べてみた。
語源は『有り難し』からきている。
『存在し得ないこと』『あるり得ないこと』という意味で、
あり得ない事を神・仏が起こしてくれた場合使った言葉である。
神仏を褒めたたえ、賞賛する言葉として存在した。
室町時代以降だそうだ。
『自らの伝言』という写真集が出て、あちこちで評判になったが、
「ありがとう」という日本語で声をかけた水と、「サンキュー」と
声をかけた水とでは、結晶の形が違います。
私に印象では、「ありがとう」の方がきれいで、透明感のある
結晶になっているように思いました。
「ありがとう」は、神仏に対しての賞賛の言葉で、
「サンキュー」は」人に対する言葉なのです。
『ありがとう』は一種のお祈りととらえる事ができます。
神様は「ありがとう」という言葉を聴くとガバッとおきてカウント
するようです。
・・・・・・・・・・・・・
とりあえず、毎日500回を一ヶ月続けてみよう。
そうすると二ヶ月で3万回になるが、私の場合は到達する前に、
不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を数百回言ってしまうから、
涙が溢れることはない。いったという事実は事実である。
毎朝、両親と仏様には5〜6回は言っていたのだが、まだまだ甘いことが解った。
数ヶ月後には仏様みたいになっているか(笑い)。
 
 ーつづくー

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2002年06月12日(水)
435, 酒の話ー2      
−酒飲みの作法ー

女か酒か博打どれか一つは、癖の悪いものがあるものだ?
私の場合それが酒だ。

かなり危ないことが多くあった。
警察沙汰にならなかったっことが不思議なくらいだ。
それでも最近は2年に一度は??

酒で失敗したことで、かなり自分の人生で失ったことが多い。
しかし全然後悔していないのも、それだけ酒が好きということだろう。
更に失った以上に、失ったことで逆に得ていることのほうが多い??
子狐との喧嘩はむしろ??、いやしないほうがいいか?!

酒席はお茶の世界と同じで、一会一期で飲んでいる。
ボトルを入れる人の気持ちが解らない。
従って、非常に楽しい思い出が山ほどある。
ただ飲みすぎて身体を壊さないように、自己ルール化をしてある。
−30数年の痛飲からの知恵である

タブーとしてー自己規制
・一人酒 a 一人で気にった店を探して入るプロセスを楽しむ酒
     b なじみの店に一人通う酒-
・自宅での日本酒の晩酌  −これが一番危ない、蓄積される 。
             自宅で飲んで二日酔いしてる馬?がいる
        ーその代替として7~8年前より紹興酒に切り替えた
・誘い酒ー こちらから誘わない
・二日続けての酒席ー どうしても重なるが
・自棄酒ー面白くない時の憂さ晴らしの酒 −不快さがより深くなる
・子狐との同席ー最近これだけは十分気をつけているつもりだが・・
・人の噂、悪口を話題にしないー 子狐どもの子狐たらしめているもの
・女性と2人だけで飲むことー家内は除くーよった勢いで???
・23時を目途とする
このルールを憶えるまでに数千万の金と、あわや???のリスクを負った。
好きとは、こういうことだ。

実際の酒乱はこんなもんじゃないと聞く。
軽症と思っているが。   一応許容範囲か???
記憶が全く無くなるという、はじめは言い訳と思っていたが。
実際経験してみて、嘘でないことが解った。

「酒飲まずタバコを吸わず100まで生きた馬鹿がいる!」
というが、どうであろうか?

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2001年06月12日(火)

[50] 日本のプロ野球がつまらない!

どうして?もちろん理由は解っている。
野球もいっきょにグローバルになってしまった為だ。
イチロウ効果だ!

いい意味で野球馬鹿の長島監督、もちろん監督としての裸の王様を、
彼も含め皆で遊んでいた!でもそれが自分の姿をと解って
いながら!

アメリカの隷属国家の日本の微笑ましさ!
アメリカは多民族社会の実力社会。野球に関してとくに土壌が違う!
ここまで日本のプロ野球を駄目にした読売新聞の痴呆老人の渡辺某!
老醜の判断ミス!

正しく認可民放の象徴たる日本テレビの壊滅の姿が、
あのミスターのジャイアントである。

スター気取りの巨人選手がグローバルで見た時、
もう言葉でいわないほうがいい
‘巨人大鵬卵焼き’の自分がここまで変わるとは。


1530, わたしの酒中日記−6

2005年06月11日(土)



金沢ー4

ー1972年3月末日

大学時代の友人の島村君が訪ねてくる。
年賀葉書に金沢にいると書いたためだ。
何か金沢というと、東京では憧れがあるようだ。

やはり一月前に、前いた会社の同期の桜井君が訪ねてきた。
寮には社外の宿泊禁止規定があるが,こっそりと泊める。
これだけうるさい会社で、二回も規定違反をするのだからスリルがある。
二人とも、寮に泊めてもらうつもりで来ているから。

夜に落ち合って、香林坊で飲む。
金沢の独特の雰囲気にのまれ、行く先々に興奮気味だった。
私の現状はこれ以下ない惨めさである!
観光気分の立場とは全く違うのだ。

それにしても、大学を卒業して激しい環境にいたのを島村君と対比して実感する。
丸善石油の総務にいて、ほとんど苦労していないみたいだ。
それに引き替え私は、あまりにも惨めな気持ちである。

居酒屋にしてもスナックにしても、東京の世界とは全く違う。
ただただ目を白黒している。
直感的に金沢の異質な世界がわかるようだ。

最後はホテルの最上階のスカイラウンジに連れて行く。
金沢の街が一望に見えるバーカウンターで、学生時代を懐かしむ。
しかし懐かしむほど、惨めな気分になる。
サラリーマンは気楽で良いものだ。

「私は独立を目指してここにいる」
という気持ちが、現在の自分を支えているだけだ。

・・・・・・・
・・・・・・・


2004年06月11日(金)
1165, 哲学について−2

 「私は何をすることができるか」の「形而上学」は事物の本質、存在の根本原理を
 思惟や直観によって研究する学問であるが、
 ーアリストテレスにおいては存在一般を考察する存在論、また超越的なものを探究する
  学問であった。
 ーカントは純粋理性からの認識論をめざした。
 ーヘーゲルは反弁証法的思考を形而上学的と呼んだ。
  
 我々の住む世界の特徴は、空間(三次元)と時間(一次元)から成り立っているが、
その「空間とは、時間とは、そもそも何ぞや」という疑問から、その問いに対する答えを
探そうとする。そこでは信仰にすりかえたり、権威にすりかえることは許されない。

哲学といえば、さきほど述べた形而上学には二つの基本課題がある。
・「存在するものは何か」
・「もし何かを知ることができるとしたら、それはどのようにして可能か」である。
 「存在論」と「認識論」である。
 この何が存在し、何を知ることができるかという課題は哲学で探求される問題の
 大前提である。

哲学を芸術と宗教と科学の違いから見てみると
ー宗教は理より信仰がまずあり、宗教心を育てることに重きを置く。
ー芸術は哲学とものごとの底流にある真実をもとめ、人間を理解しようとするが、
 その手段が絵画や音楽などの作品を通して直接的な感にうったえる。
ー科学もしかりである。真実を追究するが、実験や観察によって答えが出せる問題に限られる。
 物質的な問題が主になる。
フォイエルバッハではないが、
「宗教にとっては、神聖なるもののみが真実である。
哲学にとっては、真実なるもののみが神聖である。」というが、
芸術は、さしずめ作品そのものの感動が真実である。

これらはけっして相反するものではなくどれも宇宙や社会や人間の存在という
不思議を深く理解しようとするものである。
また、直感と批判をどれもが必要としている。
              
                           ーつづく
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

 2003年06月11日(水)
798,「ありがとう」の言葉  −1

 長年生きてきてつくづく感じるのが「幸せ系の人」と「不幸系の人」がはっきり分かれて
いることである。家柄、結婚の相方との相性、本人の品性等いろいろの要素がある。
多くの人を見てきて、不幸系の人に感謝の念が足りない人ー特に両親に
対する感謝が少ない人ーが多いことに気づいた。両親に対する不信感ーが本人を不幸にしている
ことに気がついてないのが、更に不幸を拡大している。その不信感が人間観になってしまうからである。
夫婦間のトラブルー権力争いーが子供を傷つけ、子供が恨みで感謝を忘れてしまうことも起因している。
人間には感謝はしないが感謝される事を求める傾向がある。
昨日図書館で何げなく借りてきた本を読んでいたら、
あるページに目が釘つけになった。
  
  以下に書き写してみる。
ー不思議なことに、心を込めない「ありがとう」でよいから2万5千回ほど言うと、涙が出てきます。
呪文のように言っておくと、その累計が2万5千回を越えたあたりで、突然涙がどっとあふれてくる
ということが、多くの人にあるようです。
その涙というのは、短い人で1時間、長い人で3時間、平均2時間ほどで、とにかく止まらないのです。
こんなに自分の体から涙が出てくるものと思うほど激しく流れ続けます。
この涙が出終わって、そこからまた続けて「ありがとう」
と言おうとすると、今度は心の底から感謝の念がわいてきて、体中が温かい思いに満たされ、
本当に有り難くて「ありがとう」という言葉が出てくるようです。
 
 さらに、心を込めた「ありがとう」が湧いたところから、2万5千回ほど
心を込めて「ありがとう」を言い続けると、なぜか突然「私」にとって奇蹟と思えることが起こる
ようになります。この話をあちこちでしていて、「実際言ったが、そんな涙出てこない!」
という質問を受けました。私はその人達に同じ質問をしました。
「2万5千回に到達する前に、不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言わなかったですね」と。
その答えはすべて「言ってました」でした。
「それを言った瞬間、チ~ンという音がして、『ありがとう』の回数が
ゼロになったのだと思いますよ」と答えています。・・・

ー続くー

・・・・・・・・
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2002年06月11日(火)
434,創業の勧め??

過去に創業を何回か繰り返してきた。
好きで自分で望んだ事だから、そう苦ではなかった。

しかしそう甘くもなかった。
その時は、のるか反るかの大勝負を賭けている。
やはり脳は全開、見えない相手を考え尽くした上で一つづつ
判断していかなくてはならない。ゼロからの出発である。

表面には出してないが、しかし色で出ているだろうが、
キーワードは「発狂」である。
まったく存在してない自分の主張を、実際のカタチに創り上げていく
工程を踏んでいるのだから。

部外者の人は狂っているという。
そうでなくては実際新しい創造は不可能だ。
基本に忠実にゼロから一人で、一日一日孤独の行為の積み重ねである。

その時、見えるのは人間の浅ましさと嫌らしさである。
これは自分の事でもある、人間の底である。

・人間はエゴであるー生命の発展はそれぞれのエゴイズムが原点である。
・それがどうしたというのかーその当然の行為を始めたのだ。
・その積み重ねが事業の出発点である。
・馬鹿二代目が冷笑している、結構である。
 むしろそれが正しい事を証明してくれている。
・赤裸々な莚旗を立てた赤裸々な姿、それが創業である。
・事業に関していえば、まずは金そして金そして金・・・・・・・・・
  ・・・・・・・・・・・金である。
  それを命を賭けて投資するのである。
  なけなしの金と銀行から借りた資金を合わせて、
  その「思い込みの対象」に対する命を賭けた博打である。 
  それが面白いといえば面白いが、それは結果がよければの話しである。
   
 いま世の中の風潮で創業の勧めがあるが、そう甘いものではない。
 コツがあるとすれば、時間をかけた準備、準備、準備、計画の練り上げしかない。
 500佑寮功確立の見通しになるまで練り上げるしかない。
 それで実際のところ50佑靴うまくいかないだろう。

 実際のところ事業を始める時、自分の心に約束した全て失っても
 後悔はしないと。
   創業は勉強になる!!それでこの程度!

・・・・・・・
・・・・・・・

2001年06月11日(月)
「49」一期は夢 ただ狂え

 世の中はチロルにすぐる チロリチロリ
 
 何ともなやなう 何ともなやなう  浮世は風波の一葉よ
 
 何ともなやなう 何ともなやなう  人生70古代稀なリ
 
 ただ何事もかごとも  夢幻や水の泡
 
 笹の葉に置く露の間に あじきなの世や
                   夢幻や南無三宝
 
 燻む人は見られぬ 夢の夢の夢の世を 現がおして
 
 何しょうぞ くずんで 一期は夢よ ただ狂へ
               
                ー 閑吟抄ー

470〜480年位前、富士山の近くに庵を開いていた名も知らぬ男
が古今集をまねてつくった歌の一つ。

‘人生など一瞬でしかない。
なら狂ったようにしたいことをして生きたいものだ’
と言う内容である。

今年の年賀状にこの一節を載せたほど、感じろところがあった
内容だ。500年前この無名の男の人生‐過去に何があったのだろうか?
今500年の時空を越えて、激しく共感するのはなぜか!


1529, 「人を動かす」−1

2005年06月10日(金)

  
      ー読後38年目の読書日記

この本は思い出深い。
学生時代に出会い、この原則を忠実に実行してみた。
その結果、数ヶ月もしないうちに、私の周囲に多くの人が群れだした。
丁度、都会の生活にも慣れ、脱皮の時期であった時に書店で見つけて
読みながら一つずつ実行したのだ。

成る程、
・自分の言いたいことを我慢して相手の話を聞き、かつ認めてやるのは難しい。
・それも相手が自分自身を重要人物と納得するように誘導するのだから。
・人を非難するかわりに、相手を理解するように努め、
・相手の話に興味を持って聞いてやることこそ万人の求めていることなのだ。
 人は他人の親が死ぬことより、自分の歯が痛いことの方が問題である。

心がけていると、身に付くものである。
その時から、一人一人と友人が増えていった。

この本の冒頭に社員を300人以上解雇した男の例をあげている。
部下に褒め言葉一つも言わない、いやな上司の典型だが、
カーネギーの講義を受け
「けっして批判したり、責めたり、文句を言ったりしない」という
原則を実行すると、その男は「314人の敵を314人の友に」変え、
それまでなかった部下の忠誠心を高め、増益を出したという。
それだけでなく、家族がさらに彼を愛するようになったし、
人生観ががらりと変わった」という。

「人間は誰も重要な存在になりたい」という大きな欲求がある。
この認められたいという渇望を理解している人こそ、
ひとを幸福にする方法を知っているのだ。

過去に、世界42ヶ国で2000万冊以上も売れた本である。

<あるHPに、この本の原理原則がマトメてあった>
抜粋してみる。

ー人を動かす三原則ー

1.批判も非難もしない。
   苦情も言わない。
 ・神様でさえ、人を裁くには、その人の死後までお待ちになる
 (文学者ドクター・ジョンソン)
 
 −−−
2.重要感を持たせる。
   素直で、実直な評価を与える。
 
・人間のあらゆる行動は、二つの動機から発する
 ――すなわち、性の衝動と、偉くなりたいという願望・・・。
 (フロイト)

・人間の持つ最も根強い衝動は“重要人物たらんとする欲求”。
 (哲学者ジョン・デューイ)

・お世辞と感嘆の言葉とはどう違うか?
 後者は真実、前者は真実でない。
 後者は心から出るが、前者は口からでる。
 後者は没我的で前者は利己的。
 後者は誰からも喜ばれ、前者は誰からも嫌われる。

・人の気持ちを傷付けることで人間を変えたりすることは絶対にできず、
 全く無益である。

・この道は一度しか通らない道。だから、役に立つこと、人の為になることは、
 今すぐやろう。先に延ばしたり忘れたりしないように。
 この道は、2度と通らない道だから。
 (エマーソン)

・どんな人間でも、何らかの点で私より優れている
 ―――私の学ぶべき物を持っているという点で。
 (エマーソン)

・自分の長所、欲求を忘れて、他人の長所を考えよう。
 うそでない心からの賞賛を与えよう。
 相手はそれを心の奥深くしまいこんで、終生忘れないだろう
 ―――与えた本人が忘れても。
 ーーー

3.人の立場に身を置く。
   そして強い欲求を起こさせる。

・成功に秘訣というものがあるとすれば、それは他人の立場を理解し、
 自分の立場と同時に、他人の立場からも物事を見ることのできる能力である。
 (自動車王ヘンリーフォード)

・まず相手の心の中に強い欲求を起こさせること。
 これをやれる人は、万人の指示を得ることに成功し、やれない人は、
 一人の支持者を得ることにも失敗する。
 (オーヴァストリート)

・自己主張は人間の重要な欲求の一つである。
 (ウィリアム・ウインタ−)
 
  ーーー
  ーーー

次の原則は一番重要なもので、もし実行すれば
人生観が一変するだろう。学生時代に一つずつ実行した内容である。


ー人に好かれる6原則ー

1.誠実な関心を寄せる

・他人のことに関心を持たない人は、苦難の人生を歩まねばならず、
 他人に対しても大きな迷惑をかける。
 人間のあらゆる失敗はそういう人たちの間から生まれる。
 (アドラー)

・我々は、自分に関心を寄せてくれる人に関心を寄せる。
 (詩人パブリアス・シアス)

2.笑顔を忘れない

・微笑みはこう語る
 ―――私はあなたが好きです。あなたのおかげで私はとても楽しい。
 あなたにお目にかかって嬉しい

・動作と感情は並行するもの。
 感情は動作を調整することによって間接に調整することができる。
 したがって快活さを失った場合、それを取り戻す最善の方法は、
 いかにも快活そうに振る舞い、快活そうにしゃべることだ・・・。
 (ウイリアム・ジェイムス)

・幸不幸は、財産、地位、職業などで決まるものではない。
 何を幸福と考え、また不幸と考えるか
 ―――その考えが幸不幸の分かれ目なのである。

・家から出る時はいつでも顎を引いて頭をまっすぐに立て、
 できるかぎり大きく呼吸をすること。日光を吸い込むのだ。
 友人には笑顔をもって接し、握手には心をこめる。
 そしてまっしぐらに目標に向かって突進する。 
 大きなすばらしいことをやりとげたいと考え、それを念頭に置く。
 すべての物事は願望から生まれ、心からの願いはすべてかなえられる。
 人間は心がけた通りになるものである。
 (エルバート・ハバード)

3.名前を覚える。名前は、当人にとって、最も快い、
 最も大切なひびきを持つことばであることを忘れない。

4.聞き手にまわる。

・商談には特に秘訣などというものはない・・・
 ただ、相手の話に耳を傾けることが大切だ。
 どんなお世辞にも、これほどの効果はない。
 (チャールズ・エリオット)

・自分のことだけしか考えない人は教養が無い人である。
 たとえどれほど教育を受けても、教養が身につかない人間である。
 (ニコラス・バトラー)

・話上手になりたければ聞き上手になることだ。
 興味を持たせるためには、まず、こちらが興味を持たせなければならない。
 相手が喜んで答えるような質問をすることだ。
 相手自身のことや、得意にしていることを話させるように仕向けるのだ。

・あなたの話相手は、中国で百万人の餓死する飢饉が起こっても、当人にとっては、
 自分の歯痛のほうがはるかに重大な事件なのだ。

5.関心のありかを見抜く。そして話題にする。

6.心から誠意をこめてほめる事で、重要感を与える。
 −人間の美点をみることである。その習慣をつけることだ。

・人はだれでも周囲の者に認めてもらいたいと願っている。
 自分の真価を認めてもらいたいのだ。
 小さいながらも、自分の世界では自分が重要な存在だと感じたいのだ。
 心からの賞賛に飢えているのだ。

・人はだれでも他人より何らかの点で優れていると思っている。
 だから、相手の心を確実に手に入れる方法は、
 相手が相手なりの世界で重要な人物であることを素直に認め、
 その事をうまく相手に悟らせる事だ。

・人と話しをする時は、その人自身のことを話題にせよ。
 そうすれば相手は何時間でもこちらの話を聞いていてくれる。
 
                     − つづく
 ・・・・・・・・
 ・・・・・・・・
 
 2004年06月10日(木)
1164, 哲学について −1

哲学について、いつか書いてみたいと思っていた。
といって、これは簡単に書けるテーマではない。
知識の浅さがそのまま露呈してしまうゴマカシがきかないテーマであるからだ。

そうとわかっていても自分のために、まとめてみたいという誘惑にかられる。
挑戦をしてみるが、知識や経験の浅さを露呈しても今更と割りきるが、
しかし恐ろしい。

今まで哲学書で、一番納得したのは末広渉の「新哲学入門」である。
「従来の物的世界像から事的世界観への転回をはかって、認識、存在、実践の三つの側面から、
私たちを捉えている近代的世界観の根底的批判を展開し、新しい知の枠組への案内を試みている」
と、説明文に書いてあったが。
 ーーー

日常におわれていて、ふと日常のおなじパターンを繰りかえしていることに疑問を感じ、
「このことに何の意味があるのだろうか」と疑念を持つことから哲学が始まる。

この随想日記で「世間さま」を茶化して書いてきたが、これも哲学の初歩的なものだ。
「我々が住む世界の基本的な概念と原理に疑問に持つこと」が哲学の始まりである。
前提そのものを先ず把握して、それを疑ってかかることが哲学の始まりだ。
過去の歴史的な偉大な哲学者が、2千数百年にわたり,いろいろな概念を思索して
根本的なことを解明しようとしてきた。
いまさら根本問題を深く考えても仕方がないが、といって避けては通れない問題でもある。

ー哲学そのものについては
カントの哲学の定義が分かりやすい。
 (一)私は何をすることができるか。
 (二)私は何を為すべきであるか。
 (三)私は何を希望してよいか。
 (四)人間とは何であるか。
 
誰もが、漠然と常に考えている問題である。
 第一の問いに答えるのは形而上学であり、
 第二の問いには道徳、
 第三の問いには宗教、
 第四の問いには人間論が答える。
  人間論に含ませてしまえば哲学も簡単であるが。
  
学生時代、自分というものに目覚めた時、そして社会を目の前にしたとき
まず直面するのが、この問いである。そしてわからないまま、とりあえず社会に
飛び出していく。そして晩年になって過去を振り返り、ふたたび後悔という意味で
結果論として問い直す。
 (一)私は他に何をすることができたのではないか。
 (二)私は何を為すべきであったのか。
 (三)私は何を希望すればよかったか。
 (四)人間とは何だったのか。
 そして、後悔と、自己満足の間をゆれる。

 哲学はなけっして難しい問題ではない、身近な問いかけでしかない。
                         
                          ー つづく
  ーーーーーーーー
 
 書いていて、恐ろしくなってきた。
 何もわかってないのに、解ったような気になって適当の
 文章を書いているのだから。
 
 目的は、それぞれの有名な哲学者の言葉・思想を何人かまとめておきたい
 前段として、この恐ろしいテーマに挑戦する。
 やめておいた方がよさそうだが。
 
 「ショーペンファウアーについて」等のテーマを、何冊かの本からまとめた
 内容を、冷静にみるのも面白そうだ。
 ダイジェストの本はいくらでもあるが、「哲学について」のテーマで10以上
 書いたら、やはり世界観が変わってくるだろう?
 
 何処まで続くか?
 
                             
 ・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・
 
 2003年06月10日(火)
797, 流通業界よりみた時代の変化ー

流通業界の事は度々書いているが、10年前の状態と今を比べると段差に
驚かされる。

ー10年前は、
・ダイエーの中内功は、まだ他の会社の建て直しをしていた。
・西武グループの堤清二もバブルの後始末に入ったところであった。
・マイカルーニチイも創業者の一人小林某が、マイカルシティーとかいう、
 アメニティーなど入れた複合の施設をつくっていた。
・長崎屋も駅前型から郊外にその重点を移そうと必死であった。
・ヤオハンは香港に本部を置き中国に出店を始めていた。
・ソゴーも大型店を破竹の勢いで出店していた。
 
 その全てが潰れてしまったか解体である!
時代の変化の激しさを痛感する。
すべて多角化によるエネルギーの分散による競争力の低下で自滅したパターンである。
当時チェーンストアのコンサルタントの渥美俊一は現状に近くなる事を予言していた。

今だに元気のよいのが、イトーヨーカ堂とジャスコである。
それと十数年前に一時潰れそうになったユニーである。
今後10年後はどうなっているか?というと、想像すらつかないのが流通の世界である。
もっとも日本そのものがどうなっているのかも想像を絶するが!
経済的大変動に90涌幣紊禄韻錣譴討い襪呂困澄
愚民の選んだ自民党と官僚の利権維持の為である。
それとアメリカの毒饅頭をタップリ食べさせられたことも背後にある。

若い人は本当に大変だと思う。
大激動時代を生きていかなくてはならないからだ。
話しをもとに戻すと、この情報革命とそれによるグローバル化により
想像もできない流通形態になっいるだろう。
ビジネスの宿泊が3分に1に僅か2~3年で激減する時代である。
当面始まるのが東京周辺の百貨店の淘汰である。
高島屋、東急、松坂屋とか株価欄を見ればいくらでも候補がある。
まだ高島屋みたいに表面化してないところもあるが。

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2002年06月10日(月)
433,自由ほど不自由なものはなし!

自由ほど不自由なものはなし!
誰もが経験がある事だと思うが。

ー至近の例で、
サラリーマン生活をしてきて、待っていた定年がきた時ただ呆然。
こんな筈でなかった、何もできない自分に直面する。
あれだけ求めていた自由に躊躇してしまう。

今まで束縛されていた組織からの自由を求めているだけ。
「自らに由る」という言葉の意味さえ考える余裕も無かった自分に直面する。

如何してよいか判らない。
仕方がないので、それまでの行動をとるしかない。
会社の近くに同じ時間に出勤する。
今まで行っていた喫茶店やスナックなどの溜まり場に行きざるをえなくなる。
目の見えない首輪がそのまま付いたままなのだ、紐まで付いたまま。

そして紐付き首輪を付けて、それまで出たことのない同級会に出たりする。
「元・・などの肩書き」はそこでは何も通用しない事をそこで思い知らされる。
そして他の軽く軽蔑してきた人と同じレベルまで引き摺り下ろされる。
いや彼らの中味のほうがズット詰まっていることに初めて気が付く。

自らに由るとは何か?自ら判断し責任をとることだ。
ただ群れて、その群れと同じ行動をして、
何も考えず判断をしてこなかった自分に初めて直面する。

自由とは本当に厳しいことだ。
人に甘く自分に厳しさが基本になくてはならない。
普通、人間は逆になってしまう、自分に甘く人に厳しく。

自由、平等、博愛のフランス革命の精神。
自由に重きを置いたのが資本主義社会。
平等に重きを置いたのが社会主義である。

自由は平等ではなく公平を求められる。

それまでの平等の意識が根底から崩される。
もう誰も相手にしてくれない小さな自分にはじめて気づく。
公平?社会がすぐに冷たく圧し掛かってくる。
自由はそれに適応できる人には優しく、出来ない人には
厳しく反応してくる。

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2001年06月10日(日)
[48] 同じ人生を

全く同じ人生を生きたい!
私の常識的判断では、90%以上の人は‘とんでもない!’と即座に答えそうだが。
しかし生きていく上で、全く同じ人生を生きたい!と思える人生を生きることこそ
必要な事と、ある人生論の本に書いてあった。

そういえば父がガンで死を悟ったとき、
母に何回も「もう一度生まれ変わって全く同じ人生を生きなおしたい」と言ったと聞いた。
その時はやはりとんでもない!と自問自答したことを憶えている。
最近そうおもえるようになってきた。


1528, 生きて死んでいく重み

2005年06月09日(木)

最近、中島義道の哲学書をよく読んでいる。
そして、この日記にも何度か取り上げてきた。
同年齢ということもあって身近に感じられ、似た考え方だから
次々と図書館で借りてくることになる。

特に還暦を八ヶ月後に控えていることもあり、
「人生とは何だったのか?」
という人生の総括が頭をよぎる。
その時、中島がストレートに著書の中で答えてくれる。

大体は本を借りてくると、まずは目次と最後の10ページの中の要所を探す。
そして遇った、彼が真剣にいっている箇所が。

ー抜粋してみるー

オリンピックで金メダルをとっても、どんなに災害撲滅を見出しても、
せいぜい二番目に重要なことだと思います。

では、一番目に重要なことは何かというと、
「生きている」ことでしょう。
生きて死んでいくことでしょう。
この絶対的な重みは、忘れてはならないと思います。
有名人が死ぬと、その人が何をしたということばかりが報じられますけれど、
そのすべては、ハッキリいいまして幻想です。
何故かというと,全体を見ていないからです。
100億年もすれば全部なくなるわけです。
そうすると、多分一回きりだと思いますけど、自分の人生を、見ないようにして、
仕事に逃れていくというのは、もったいないのではないかと思うのです。

つまり、自分の持っている不適正、欠点をしっかり見ていくことです。
私は理不尽に人生を与えられしまった、その中でよいことをしようということでなくて、
それをごまかさないで見よう、そういうことです。
つまり、世間的には何も貢献しない、場合によってはマイナスのことをしてきたかもしれない。
でも、その人の生きてきた重みは、立派な建設をしたとか、トンネルを掘ったり、という
すべてをもっても代えられないものだ、と実感するんです。
私にとっては、生きる仕事以上の仕事はないわけですから、どんなに世間的に立派な
仕事でも、そんなに感動しないわけです。

働いて生きがいを感じ生き生きと生きる人生を、私は批判しませんし、
そういう人を批判しません。
働くことが嫌でしようがない、あるいは働いても働いても報われないということを、
ごまかさないで徹底的にみてみると、そこから新しい視点が出てくるのではないかと
思います。

ーーー

以上だが、
これは私にとって、根こそぎ考え直さなくてはならない見方・視点である。
自分の中で、観ないふりをしていた自分の欠点や、自分を鼓舞するために
否定してきた考え方を含めて、
「もう一度人生観を見直してみる必要のある問いかけ」
をしている。

身近な人の死を経験した時、まず実感するのは
「人生は生きているうちが花!金持ちとか、肩書きとかいう社会的属性などは
二次的なもの!生きていることが、生きてきたことが、最も大事。
この人は(亡くなった人)好きなことをどれだけしてきたのか?
その総量こそが人生である!人生は生きているうちである。
そして最後はたった独りで死んでいくのだ!人生などはかない。
常に死を思え!そして生きていること、生きてきたことを味わえ!」
である。

中途半端に生きてきた人や、他人の批判だけが特性の人を徹底的に嫌い、
傍によらないようにしてきた。
しかし身近な人の死で実感することは
生きること、生きていることが人生の第一の仕事ということだ。
「長く生きればよいということではない!」
ではない。
「生きて死んでいくことそのことが、人生である!」
人の人生を勝手に判断すべきではない。
当たり前のことだが、それぞれの人生があるのだ。

誰もが光の中を生きてきたのである。
そして、光の元に戻るのである。
社会的属性や、行蔵も二の次でしかないのである。

しかし、
小学生や中学生が、こんなことを親から学んで老成していたら、
おかしいんじゃないか?
気の小さい優等生哲学者の戯言でしかない?
それとも、哲学病者の戯言じゃないか?
とも思うが、その疑問自体が彼に哲学を誘導されていることになる。

今朝の新聞の週刊誌広告の見出しに
亡くなった二子山と二人の息子の確執が出ていた。
彼が何をしたかというより、家庭の揉め事も含めて全てが
生きてきたことである。
揉め事結構!部屋を繁栄させたことも結構!
それが生きてきたことであり、亡くなった時にその重みの一端が
顕れただけである。
一人一人を見れば、誰もが人生の荷物を抱えている。
そして、それを抱えてこの世から消えていく。

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・・・・・・・・・・

2004年06月09日(水)
1163, JR−駅なか商店街

最近JRの駅がドンドン変わっている。
JR関連に知人がいる為に、駅内SCの内情を聞いていた。
パテオやセゾンなどの構内専門店街をつくって、いま勢いのあるテナントを誘致する
デベロッパーに変身している。
JRになって、一番変わったところだろう。
身近な新潟駅や長岡駅もこの十年で、全く様かわりをしてしまった。

駅前の「街」を、構内の「駅なか」に取り入れることによって、
根こそぎ顧客を奪ってしまうという発想である。
よいところに目をつけたものだ。
最近はビジネスホテルもつくり始めてきている。

見方によれば駅前商店街の最大の敵のはずだが、彼等はそれすら気がついてない。
まだまだ見ていると、幾らでもネタがある。
映画館・専門学校・カプセルホテル・専門病院、変わったところでは動物用ホテル、
託児所などある。
そういえば、私の学生時代に山手線の駅にステーション・デパートとかいう、
商売気のない専門店街があったが。

考えてみたら、自社でも駅構内の広告代で年300万も払っている。
バカバカしいが、といって駅からのお客が半分以上を占めているから、出さないわけには
いかない。駅前の25万のテナントの賃料と同じである。
最近、新幹線の席の前の網に2冊の通販のパンフレットを置いている。

来年から新潟駅の再開発が始まるが、そこで全く新しい街づくりが始まろうとしている。
オーバーにいえば、そこが新潟の一極集中の場になる可能性を秘めている。
新しい時代に対して、新しいコンセプトで、新しいテナントを組み合わせて、
国や、県、市の援助金をもらってやるのだから、上手くいって当然である。

といって国や県そのものが衰えれば、単なる空虚な空間になる。
最後の賭けになるかもしれない。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

 2003年06月09日(月)
796, 至高体験ー読書日記ー2

「歓喜 ー>  理智 ー> 意志 ー> 気  ー>肉体」
至高体験=歓喜の体験、それを知った理智、そして意志にかわる、それが気になり、
肉体に反応する。たとえると野球で9回の裏逆転のホームランを打った。
そして歓喜する、その体験が理智になる、さらなるよい選手・バッターになる意志を固める、
それが気(気合)に変わり、練習をして積み重ねるようになり一流選手なっていく。

 他には薬草や苔類を使う場合と、アルコールを使う場合や、禅などの修業で到達する
場合などがある。教祖様やシャーマンは、この歓喜体験を通して自己より解脱をして理智を得る。
好きなことを見つけ一生かけて続けるプロセスで、この歓喜体験をするケースが多くある。
女性の千人切りも好きな人には、歓喜体験ー至高体験を多くする事になるのだろう。

 音楽会の会場が歓喜に包まれ、アンコールの嵐をTVなどで見かけるが、至高体験をしている。
この瞬間を味あう以前と以後位に感動するのだろう。

そういえば初めてロッキーに行った時も、旅行に行く以前と以後位に感動をした。

ー昨日とは別のホームページよりコピーしてみた。
 ・・・・・    
■覚醒・至高体験とは(1)

◆事例集に入れる基準は?  
「臨死体験・気功・瞑想」の中心になるのは、やはり「覚醒・至高体験の事例 集」です。
さまざまな文献や投稿のなかからこの事例集に入れるにふさわしいと思われるものを
Noboru(このサイトの作成者)が選んで載せています。
そのおおよその基準をまずここで明らかにします。

ところで「覚醒・至高体験」というときの覚醒と至高体験の違いは何でしょうか。
この点については私自身の中では明確な区別があります。最初にこの違いを明らかにしながら、
それぞれの意味を考えます。

◆自己実現した人間  
覚醒と至高体験という二つの言葉は、はっきり区別できるものとして私自身は使用しています。
この区別は、人間性心理学の代表的な提唱者・マズローに負っています。  

マズローによれば、人間は一般に心理的な健康に向かって成長しようとする強い内的 傾向を
持っています。そうした潜在的な可能性を完全に実現し、人格的に成熟し、到達 しうる最高の
状態へ達したと思われる人々のことを、彼は「自己実現した人間」と呼び ました。  

しかし、心理的・精神的に「最高の状態」や「完全な発展」を問おうとすれば、何が
「最高の状態」で、何が「完全」であるのかという価値基準や判断の問題がつねに
つい てまわります。そこでマズローは、客観的・分析的な心理学の方法ではなく、
いわば循 環的方法を採用しました。  

循環的方法とは何でしょうか。とりあえず世間一般で通用している言葉から優れた
「人間性」を意味するものを集め、その用い方や定義をつきあわせ、論理的にも事実の
上でも矛盾するところがあればそれを除き、定義をしなおす。
そしてその定義に適合すると思われる「自己実現した人間」のデータを集め、
それによってもとの定義をもう一 度検討する。  

こうして修正された定義からさらにデータを見直すという作業を繰り返す。
このよう にラセン階段を登るように修正を繰り返して定義を検討していくのが、
循環的方法です。
このプロセスをへて、最初はあいまいだった日常的な用語をますます厳密で科学的な のに
しながら研究を深めていくのです。  

こうしてマズローは、たとえばアインシュタイン、シュバイツァー、マルティン・ブ ーバー、
鈴木大拙、ベンジャミン・フランクリン等の著名人を含む、多くの自己実現し たと思われる
人々を研究しました。この研究を通してマズローが気づいたことの一つは、 高度に成熟し、
自己実現した人々の生活上の動機や認知のあり方が、大多数の平均的な 人々の日常的な
それとはっきりとした違いを示しているということでした。    

平均的な人々の日常的な認識のあり方と区別される、自己実現人の認識のあり方を彼 は
B認識と呼びました。BとはBeing(存在・生命)の略です。こうした認識のあ り方が、
実は覚醒とか悟りとか呼ばれるものとぴったりと重なるといえるのです。

◆至高体験  
ところで、マズローがこの研究を学問的に説得力のあるものにすることが出来たのは、
ごく少数の「自己実現した人間」の研究ばかりでなく、平均人の一時的な自己実現とでも
いうべき「至高体験」の研究をも同時に行ったからなのです。

 「至高体験」とは、個人として経験しうる「最高」、「絶頂=ピーク」の瞬間の体験 の
 ことです。それは、深い愛情の実感やエクスタシーのなかで出会う体験かも知れませ ん。
 あるいは、芸術的な創造活動や素晴らしい仕事を完成させたときの充実感のなかで
 体験されるかも知れません。  

ともあれそれは、一人の人間の人生の最高の瞬間であると同時に、その魂のもっとも
深い部分を震撼させ、その人間を一変させるような大きな影響力を秘めた体験でもある
といわれます。そうした体験をすすんで他人に話す人は少ないでしょうが、しかし、
マ ズローが調査をしてみるとこうした「至高体験」を持っている人が非常に多いことに
気 がついたというのです。  

ここで大切なのは、いわゆる「平均的な人々」のきわめて多くが「至高体験」を持っ ており、
その非日常的な体験が、「自己実現」とは何かを一時的にではありますが、
あ る程度は垣間見せてくれるということです。
何らかの「至高体験」を持ったことがある 者は誰でも、短期間にせよ
「自己実現した人々」に見られるのと同じ多くの特徴を示す のです。
つまり、しばらくの間彼らは自己実現者になるのです。
私たちの言葉でいえば、 至高体験者とは、一時的な自己実現者、覚醒者なのです。  
こうしてマズローは、ごく少数の人々にしか見られない「自己実現」の姿を、
多くの 人々が体験する「至高体験」と重ね合わせることにより、彼の研究の意味をより
一般的 なものにし、その内容をより豊かなものにしたのです。  

以上で、覚醒と至高体験の区別をマズローに負っているという意味が理解いただけた でしょう。
至高体験とは、つかのまの覚醒を意味する言葉として使用しているのです。

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2002年06月09日(日)
432, スイス旅行

スイス旅行日程ー  7月3日(水)〜12日(金)   新日本トラベル

http://www2.plala.or.jp/dontak/Swiss-AlCont.htm
http://www2.plala.or.jp/dontak/map01.html

1日目、 日本航空でチューリッヒへ。          
 −チューリッヒ泊

2日目、 リヒテンシュタインの首都ファドーツ散策と
「アルプスの少女ハイジ」の舞台マイエンフェルトで
ミニハイキングを楽しんだ後、サンモリッツへ。
   夕食は郷土料理ビュントナー・ゲルステンズッペ。−サンモリッツ泊
http://www2.plala.or.jp/dontak/heidi-01.htm
3日目、 神秘的な白い湖を眺める”もうひとつの氷河特急”ベルニナ特急
とディアボレッツァ登頂観光の旅。夕食はマス料理。
   http://www2.plala.or.jp/dontak/glacier1.html −サンモリッツ泊
4日目、スイスの観光列車の中でも最も人気のある氷河特急で
ツェルマットへ。夕食はチーズ料理ラクレット。     −ツェルマット泊
http://www2.plala.or.jp/dontak/mthr01.htm
5日目、登山電車でゴルナグラードへ登り”
ピラミッド”の愛称をもつマッターホルン(希望者は高原ハイキ
ング)。下山後モンブラン山麓のシャモニーへ。
   http://www2.plala.or.jp/dontak/dan04.htm    −シャモニー泊

6日目、 ロープウェーでエギーユ・デュ・ミディへ上がりモンブラン観光。
   昼食はサヴォア料理。
午後、美しいシヨン城を観光しながらモントルーへ。
   夕食はレマン湖産の魚料理とヴォー州産ワイン。  −モントルー泊

7日目、 風景の美しさで有名なパノラマ特急と”山峡の宝石”
   と謳われてエッシネン湖観光を満喫後グリンデルワルドへ。
   夕食はミートフォンデュ。         −グリンデルワルド泊

8日目、 登山電車で名峰ユウグフランヨッホ登頂観光
(希望者はアルプス高原ハイキング)。
   下山後、中世都市ルッツェルン小観光。
  夕食はゲシュネッツェルテス。         ールッツェルン泊
http://www2.plala.or.jp/dontak/Jungfr01.htm

9日目、チューリッヒへ。
   チューリッヒ発日本航空で帰国の途へ。  −機内泊

10日目 成田到着

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2001年06月09日(土)
[47] シンクロ二シテ-

これは普通では考えられない、遇然の一致を言う。
‐意味ある遇然の一致と心理学で言う‐特にユングが深く研究ー
私の場合非常に多い。人間個人を考えれば、今生きている事こそ
奇跡‐遇然の一致の積み重ねである。

・ある自死をした元の部下の所に行ったとき起きた、不思議な遇然の一致の
   重なり

・柏崎の義父の葬式の帰り、そち峠で7回の‘虹の下’を通りすぎた考えられない出来事!

・従兄弟が自死をした時の納棺のおり、突風が吹き桜吹雪が舞い散った光景!

・大学を卒業して1年ぶりに池袋の本屋に行ったとき、たまたま学生時代の親友だった
  男が目の前を歩いていた。

・家内の実家で展示会があり、いっしゅのお祭りで地元の道具やが出店を出していた。 
 そこの象 牙の仏像が気になり、帰ってから電話でそれを買いもとめた。
 4〜5日経ってから送られてきて、底をみたら
 家内と同じ銘で恵子と彫ってあったこと。‐その時全身鳥肌が立った!
 等々書けばきりがない。
  
 遠藤周作などは、イギリスにある作家に興味があり、その地を訪ねた折ホテルの
  エレベーターでぶつかった相手がその作家だったと言う。
 葬式とか、自分が行きずっまってヒステリック状態の時とか、気持ちが異常に近いときに
 考えてみるとおき易い。


1527, わたしの酒中日記−5

2005年06月08日(水)

金沢ー3

ー1972年3月某日

とにかく部外者の目でみると、金沢は特異の街である。
加賀百万石の数百年の重みが詰まっている。
それが酒場に集約しているから、あちこちと探して歩くだけの価値が充分にある。
それと人間味も面白い。

今日は会社の島君に酒を誘われる。
同期の男なのだが、現在所属している武蔵店に配送センターから
配属になったばかりの男だ。
いい男なのだが、全く彼女ができないという。
何かオドオドしていて頼りがなさそうでモテナイ典型である。

店では日常的に、月に1度は飲みに誘われるが、気楽に一~二度喫茶店に行っただけでも
「自分の男」にされてしまった。
噂が流れた瞬間から、他の誰も口を利かなくなるから女の職場は難しい。
その後は注意はしているが。

島君に、その話をしても信じない。
今まで男だけの配送センターにいたためだろう。
すべて需給のバランスである。

彼氏がいる女性ほど気楽に飲みに誘ってくる。
「オイ!彼氏にいいのか?」というと、決まった返事が帰ってくる。
「彼は彼、私は私、別に悪いことをするわけじゃない。
酒を一緒に飲んで何処が悪い?あっちはあっちで適当にやっているわ!」である。
そういうことか、女というものは?!
お互い、その方が上手くいくのだろう。
しかし一つ間違えば当て馬の一匹だ。いや、一頭か。
もっとも、その方が面白いが、常に試されているようだ。

彼女達は女子寮で話し合っている?
「誘ったが駄目だった、今度彼女誘ってみたら?」と。
女性の職場は監視がキツイ!半面、個々人は面白い人が多い。
例外はいるが。
女を使えれば天下を取れるという。
使えなくてもよいから仲良くしたいが。

二人で、帰りのバスで香林坊を降りて、よく行く店に行く。
寮の近くの居酒屋が香林坊に引っ越した店。
金沢大学の学生がよく出入りしていたが、同じ顔ぶれがいた。

その店を出て、一月前に行った大和の隣のスナック行く。
前回の空約束を忘れていたが、彼女は憶えていた。
数日前に友人の車でドライブをしていた姿を見たそうだ。
もちろん冗談だろうが、
「今度私をドライブで東尋坊に連れてって!」と、誘われる。
「今度な!」というと、
「お願いします!」で、終わり。
前回の「期待を持たせる!」という二人の会話が下地にあることと、
「スナックの言葉のお遊び」を島さんは知らないようだ。

彼女が席を離れて隙に
「どうしたの〜?」
「おれ生まれて一度も女性に誘われたことがないのに!」
もちろん、種は明かさなかった。
彼女達は約束をしても絶対来ないし、言葉遊びをしているから面白のだ。
島さんは、まだ純朴だ。

帰りに会社の(他店だが)知り合いの女性にであう。
寮の近くに、「茶道」を習いに行っているが、そこを紹介してくれた人だ。
何かお礼をと思っていたので、スナックに誘う。
夜見ると、なかなか濃艶な近づきがたい雰囲気が漂っている。
助平根性が出そうになるが、あとが面倒だ。
今夜は島さんと大人しく帰る。

帰り道、島さん曰く
「こんな楽しい夜は初めてだ。なんで〜?」
「場数、場数!」とはいったが、実際面白い夜だった。

最悪の職場環境の立場ほど、反面おもろいことが多い。
人生で一番辛い?時ほど。

この会社は西友の子会社化になっているが、社員は惨めだ。
とにかく会社は強者の立場に置いておかなくては。
人生は弱者の立場に立ってはならないことを痛感する。

明日は「売り出し」で忙しい!

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2004年06月08日(火)
1162,  「金融資産が狙われている」
 
ー日本の恐ろしい未来ー     
 ビジネス社 ー長岡中央図書館 2004年0606

高橋乗宣の最新の書が面白い!
ー 概略を書いてみるとー
「2004年・日本経済」で9月以降の経済の後退と国債暴落と、
日銀による国債の直接引き受けによる日本経済の破綻の危険性の増大を指摘しているが、
 この書では、9月以降ドル暴落の見込みが高まっていることを指摘し、
現在デフレのど真ん中にあり地方から疲弊した日本経済もより深刻な状態が
予想されると一歩踏み込んだ言い方をしている。

これからの日本では、個人個人が自己防衛しなければならない。
双子の赤字が限界に達し、ブッシュの大減税により無理やり上昇させた
アメリカ経済は9月以降必ず失速し、ドルの暴落を呼び、アメリカ経済は
縮小していくだろうとしている。
グローバル市場を管理することは不可能であり市場の実勢に任せざるを
得ない。
 
日本経済がデフレから脱出するためには、実質を伴った財政出動と、
適切な規制緩和が必要であり、適切な規制緩和は新しい市場を作り出す。

 
・今の日本の僅かな株高は、アメリカの演出したもの?
 あと半年で終了ー大統領選挙まで
 アメリカの景気は幽霊景気であり、ドル安、株安、国債安というカタチで
 崩れていく。
 まもなくアメリカ経済の大規模な減税効果は剥げ落ちる

・日本の地方の空洞化は一段と激しさを増す
 地方経済はますます土砂降りがつづく

・深刻なデフレ経済はますます激しくなる

・いまの地価の下げ止まりは一部の地区でしかない

・デフレもリストラも激しさを増す
 人員や設備の過剰感は消えていない

・ドル安基調が本格的になるだろう
 円が80円をこえる場面もありうる

・国債の発行が続いていくと、株価の暴落をまねく
 株価は7000円割れも考えられる

・地域金融のショックがアチコチで生じて、中央に逆流の可能性あり

ー感想
経済ファッショの足音が聞こえてきたといってよい。
なし崩し的に国民の金融資産を「収奪」「劣化」させようとする
政策に切り替えてきているようだ。
国民一人一人が自己防衛をしなくてはならない時代に入ってきたようだ。

「職業を持っていること自体がステータスになる時代になる」というが、
そこまで本当にいくのかと信じられない思いである。
景気悲観論者でバブル期から景気の先行きに警告を発してきたが、流れとしてみていて
彼のいっていることは間違いはない。

徳川幕府から明治政府への転換期、第二次大戦の終戦時期、と比べて
今回の方がはるかに大きい転換期であると考えれば、彼がここで述べていることは
けっして誇張ではない。
情報化と、それと伴う経済現象としてのデフレのインパクトは社会の根本を
変えようとしている。情報格差による弱肉強食はますます激しい時代に
なってきている。
面白いといえば面白いが、大部分の弱者にとっては厳しい時代だろう。

現に、政府系金融機関がかりに融資しても、その資金が大手銀行への債務の支払いへと
還流する仕組みが出来上がっている。大手銀行にしてみても、地価が下がっている以上、
‘貸し剥がし'をせざるを得ない。そうしないと不良債権になりかねない構図になっている。
地方経済は目詰まりを起こし、壊死をしているのが現状だ。
これがデフレの恐ろしいところである。

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2003年06月08日(日)
795, 至高体験ー読書日記 -1

 数年前に買って読んだが、人に貸したまま帰ってこない本である。
当時コリン・ウイルソンの文章の巧さもあって、その面白さに夢中になって読んだ。
インターネットで調べた内容を後でコピーしておくが、至高体験の
内容に対して詳細に情報が載っている。

 私の知人で精神症の人が、鬱の治療薬を飲んで一回だけ歓喜の体験談を話始めた。「それは至高体験といい、薬物を使わなくとも経験できる。またその体質を持った人にはたびたびおこる現象」と説明したところ、その人は怒り出した。「絶対に度々経験ができるはずがない!」と。
「じゃあ長島茂雄はどうなんだ。あの人は過去に他人の体験できない歓喜を数百倍経験しているだろう」といったら、本人は納得をした。
その直前に巨人が10・6?の劇的逆転優勝をしていたからだ。

 この本は19世紀から現在までの精神分析の流れが書いてある。
フロイトやユングなどはマイナスの精神病の患者からの切り口で精神分析をしてきた。これに対してマズローが精神分析を健康人に対して、自己実現などの視点で前向きにとらえた。
 多くの普通人が「至高体験」を経験していることに注目をした。
そしてそれを真正面に分析して解ったことは、超人とか成功をしているほど
この「至高体験」を多く経験しているのだ。成功体験などもそうだろう。
一時巨人の9連覇した選手が多くのチームの監督になったのも、至高体験者の原動力と成功手順の経験を求められた為だろう。

私がいそいそと秘境旅行に出かけるのも、そこで大自然の何かに打たれて「至高体験」を経験するからだ。三桁以上は軽くある。
酒を飲んで騒ぐのも、ミニ至高体験を求めるからだ?少し違うか。

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「至高体験―自己実現のための心理学 」
河出文庫
コリン ウィルソン (著), Colin Wilson
(原著), 由良 君美 (翻訳),
四方田 犬彦 (翻訳
ー内容ー
人間の新しい地平をひらく、悦びの純粋な瞬間「至高体験(ピーク・イクスペリエンス)」。
倒錯や異常といった病理を斥け、あくまでも健康人の心理学の確立を目指した
エイブラハム・マスローの仕事のなかに、『アウトサイダー』のウィルソンが見出した
驚くべき可能性―。十九世紀以降の心理学が辿った複雑な歩みを、分りやすく語った本。

ー目次ー
機械論の時代―デカルトからミルへ
意志の心理学へ―ブレンターノからジェイムズへ
フロイト以降
マスロー、伝記的スケッチ
人間の限界をより高く

ースポーツ医学の分野で解明されつつある現象で、真のトップ
アスリートのみにあらわれるという次元。
それは、ZONE(ゾーン)と呼ばれる現象です。
ここに登りつめること、そして、それを常時日常的に感受する
心理的身体的状況を実現すること、これこそが人類の求めている
一つの到達点ではないか、というのがコリンの主張です。
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2002年06月08日(土)
431,モテル男

世の中に、自称持てる男が多くいる。
そういう男をからかうのが好きだ。
「貴方持てるでしょう!」大体がこれに引っかかる。
そしてレクチャーが始まる。

・まずは[貴方は持てないでしょう。
 けちで努力もしなくては持てるわけがない。]
     (−−)心の言葉
(ほってけ!馬鹿!うっせいこの女貧乏!勝手にそう思っているだけだろう。
 ー貴方が持てたいと思っている相手など傍にいるだけで反吐が?)

・「自分等中年はそうでもないのに脂ぎっている、
 それを如何に隠すかが勝負!」(それは当たっている)
・「とりあえず自分から絶対に積極的にいってはならない」
(ふんふん・・・・)
・「服装と言葉には十分気を配る」
(へーそうか、苦労してるんだ)

日夜それだけを考え努力しているという事だ。
ちやほやされている状態が趣味という事。(負け惜しみ)

逆に持てないという事は、そういう努力もしないで、
表面だけを見て持てたいと思っているということか。
ギラギラした欲をそのまま出してしまう男??

ところでゴッド姉ちゃんが4人もいた立場で育った環境。
いっぱい教訓をいただいている。今度書いてみる。

もてる人(但しここでいうのは自称の人)
は職場とか家庭環境に女性が少ない人か、母親とか女姉妹がいない環境の人。
心の奥に常に女性に対する渇望があるからだろう。
こういう人は奥さんが離婚か自殺など早死にしている人が多い。

クリントンあたりなら、少しは羨ましいが??
くだらない話、しかし人間の一番の本質の話か。

女性もそうだが、そういう人は
こまめに、常に積極的、気配りを欠かさない。
   −どれもないなー??!
関係ないことだがー
昔から,好きなタイプの女性には共通点があった
・身長が162cm当たり
・血液A型
・長女
・お嬢様タイプ
・美人−清そ
・知的
学生時代よりそうだった、自分が好きのせいもあるが。
56歳の男の書く内容でないが。

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 2001年06月08日(金)
[46] ユニクロのホームページ

ユニクロのホームページがよい。
そこで何点か商品を買ってみた。またパンフレットも取り寄せてみた。
ズボンの裾上げもサイズをうちこむと直され送ってくる。

一度注文するとメールで週末その日の特売情報を知らせてくる。

衣料の小売りで私の知っている限り、ネット販売でこれほど買いやすいサイトはない。
サイズ、色、形、管理が大変だと思うが、
そこがコンピューター管理の得意なところ!200メートル先に店があるが、

どーも中年で行くのがおっくうな気分の時に注文する。
こういう部分を一つとってみても、ユニクロのシステムの凄さを感じる。
けっこうネット販売売れているのでは。


1526, ディープ・フロート判明

2005年06月07日(火)

あのウォーターゲート事件(72年)の情報源が
米連邦捜査局(FBI)の元副長官、マーク・フェルト氏とは驚きだ。
情報源については、諸説紛々であったが、その一人とも目されていた
FBI副長官であったとは。

外部からのFBI長官の招聘に対して、第一候補であった副長官の恨みが、
当のニクソンを失脚をさせたことになる。
後任の長官に自分が指名されることを期待していたが、
実際に任命されたのはニクソン大統領側近のグレー司法次官補だった。
このような因果関係から、フェルト氏が情報提供に協力する背景にあったのだ。

彼はFBI退職から6年後の1979年に
著書「FBIピラミッドの内部」を発表し、
その中では「ディープスロート」ではないと否定していた。
たった一人の怨念が世界を揺るがす大事件になったのだ。
非常に興味が持たれた真相も、この程度のことであった。

ミステリーのままの方が良かったのだろう。
彼の名前も挙がっていたが、キッシンジャーやブッシュ大統領の父親の名前も
挙がっていた。

それにしても、フェルト氏も命がけであったと同時に、
ニクソンが窮地に立たされていくのをみていて快感であっただろう。

ー以下は、あるHPからコピーしたニュースの内容であるー

ウォーターゲート事件の
ディープ・スロートが 全米に反響をよんでいる。

「ワシントンで最も厳しく守られてきた秘密が、ついに暴露された」
(ニューヨーク・タイムズ紙)。
ニクソン元大統領を失脚させたウォーターゲート事件(72年)で、
米連邦捜査局(FBI)の元副長官、マーク・フェルト氏(91)が、
ワシントン・ポスト紙の「ディープ・スロート」と呼ばれた極秘情報源だと
5月31日判明した。
米政界、メディアの間で30年以上も「最大の謎」だった。
全米のメディアは特集記事や番組で大きく報道した。

 ウォーターゲート事件と、ポスト紙の独壇場となった調査報道は、
米社会やメディアのあり方に大きな影響を与えた。
「大統領の犯罪」を追及するポスト紙を、政権内部の情報源が継続的に
支援していたことは当時から明らかだった。
「所属組織に弓を引く裏切り者」ととらえる向きが強かった
「ウィッスル・ブロウワー(警笛を吹く者の意味で内部告発者を指す)」が、
肯定的に評価される契機にもなった。

 ニクソン政権による政敵の盗聴やFBIやCIAなどの操作・情報機関の
“私物化”が白日の下にさらされるきっかけを、ポスト紙の粘り強い報道が
つくったことで、調査報道の重要性が広く認識されるようになった。


 同紙によると、社内でもディープ・スロートの正体の守秘体制は徹底していた。
知っていたのは、
直接の担当だったボブ・ウッドワード(現編集局次長)、
カール・バーンスタイン(現在フリーランス)の両記者と、
当時の編集主幹のベン・ブラッドリー氏、ウッドワード氏の妻の4人だけだった。
同紙の故キャサリン・グラハム社主も取材源を質問することすらせず、
ブラッドリー氏も「聞かれても答えなかっただろう」と語った。

 ウッドワード氏がフェルト氏と連絡したい場合、電話の盗聴を警戒して
自宅アパートのベランダに目印の植木鉢を置くなどして連絡した。
フェルト氏からは、ウッドワード氏の自宅に配達されるニューヨーク・タイムズ紙
の20ページ目に時計の針を書き込むという形で接触の合図を送った。
ワシントン市内の地下駐車場での面会時は、複数のタクシーを乗り継ぎ、
わざと間違った場所で下車するなどして、尾行に注意したという。

 「自分がディープ・スロートだ」とするフェルト氏の発言を
総合月刊誌バニティ・フェアが公表したのは31日。
AP通信やロイター通信は緊急電で同誌の記事を転電。
CNNテレビなども緊急特番を組んだ。

ウォーターゲート事件は、
72年6月にワシントン市内の同名のビル内の民主党本部に、
共和党のニクソン陣営関係者が侵入、盗聴器を仕掛けようとして逮捕されたことが
発端だった。ホワイト・ハウスは関与を否定したが、両記者は調査報道で追及。
ニクソン氏がFBIによる捜査を妨害するようCIAに指示したことが、
後にホワイトハウスの録音テープで暴露され、ニクソン氏は74年8月辞任に
追い込まれた。
両記者は重要情報源を、当時人気のあったポルノ映画の題名から
「ディープ・スロート」名づけた。

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2004年06月07日(月)
1161, 衛星授業

アメリカのデンバーのあるコロラド州は校内で銃乱射があったところで、
学校に通わせたくない親が極端に増えているという。
そこでインターネット・ハイスクールが注目されてきており、生徒数がアメリカ全体で、
もう10数パーセントになっているという。
ところが、その方が教育効果が遥かに高いということがわかりはじめ、まてよという
ことになっているとか。

実際インターネット・ハイスクール出身の学力は普通の高校よりはるかに高くなっている
という。そこでは非常にユニークな教えかたをする。
重要なキーワード出てくると手元にあるパソコンに、「それを調べてみてみてください」
という指示がくるそうだ。
生徒は指示されたと同時に検索で調べる。
そこで、さらに専門的なキーワードを調べるようにという指示がくる。
そしてドンドン深く問題を掘り下げていくという。

十年もしないうちに過半数を超えるのではなかろうか。
そして日本も似たような状態になることは間違いはないだろう。

予備校や専門学校もインターネット授業が本格的になったきた。
代々木ゼミとか東進ゼミが取り入れている。英会話もそうだ。
講義中心なら、それで充分である。いやむしろ一流の先生の授業を聴いたほうが
効率がよいはずだ。

考えてみたら、高校受験は受験雑誌や参考書を中心に勉強をしていたし、
大学受験は、それに加えてラジオ講座が中心に変わった。
それが、パソコンや衛星TVによる映像に変わっただけだ。

面白い時代になってきたものだ。

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2003年06月07日(土)
794, 夢とイメージ

 学生時代に3番目の姉が結婚をして、家を建てた時の話である。
その姉は節目ごとに私にノウハウを教えてくれていた。
(小学校5年時の勉強のコツ、中学2年時に具体的な目標のたて方と
挑戦の仕方を教えてくれた)

「実を言うとね、この家と庭と旦那とのこの生活、ずっと願って心に
イメージをしていたの。それがね、このままいま現実にあるんだよね。
夢を持って、イメージまで高めなさい。そうすると叶うんだから。
本当に驚いているんだから」と教えてくれた。

 今ではポール・マイヤーとか、ナポレオン・ヒルとかの本に詳細に
そのノウハウが本に書いてあるが、当時は新鮮な情報であった。
「なるほど夢を持ち、それを目標に変えて、具体的にイメージ化をして
実行していけば夢が夢でなくなる」と解釈した。
建物なら平面図を描き、次にビルのイメージ画を先に書いてしまうのだ。

 女性なら好きな女性のイメージを頭に描くのだ。
しかし世の中には自分の想像を超えた理想の女性がいることを現実に
知った、高嶺の花でしかなかったが。
好きなタイプをイメージ化した為、早めの判断をしないで済んだ。
(ダブルデートで、もう一組が何人も結婚していった)
当時、簡単に一生の伴侶を決めてしまうのが不思議であった。
いま考えると、自分の未来を考えてない人が大部分であった為だ。
私の勝手の見方だったのかもしれないが。

 夢のイメージの類の本を小ばかにして拒否している人がいたら、
とんでもないことだ。
夢の実現の方法論として、高度のシステムとして体系化してあるからだ。
特に若い時に、この知識・情報を持っていると人生を効率よく生きる
ことができる。
全く知らないのと知っているとでは天地の差が出る事は間違いない。
偉人などの自伝を読み、その中で自分を投影して夢を創っていくのが
一般的であるが。
もっと割り切った時の方法論である。
末っ子は、つらい反面けっこうノウハウを貰っていたことになる。

・・・・・・・・・
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2002年06月07日(金)
430,自分の居場所

誰もが自分の居場所を持っている。
逆に居場所がすくないということは、非常に厳しい状態の時である。

自宅の自分の場所、会社の自分の場所、通勤の自分の場所、
日祭日の自分の居場所、すべて時間と同時に変わっていく。

20代のある時、ある姉にいわれた。
「あなたはすぐ自分の居場所を作り始める。
まず部屋の中に本と椅子と机に本棚に手帳を配置する。
そうすると、そこにあなたの居場所ができあがる。
座ると何気なく自分の物を机の上などに配置する。
いつの間にあなたの場所ができている。」


その時代だけでなく何時もそうだった。
私だけでなく人間すべてがその筈だ。

居場所とは、
・自分が一人でいても寂しくないところ
・何かをしていて、自分が生き生きしてるところ
・すわり心地の良いところ
 
 そうすると趣味など、そういえるかもしれない。
 それをしている時、それが心の居場所だ。
 毎朝あげるお経もそうかもしれない。


引っ越したら、別に住まいだけでなく、まずは居酒屋,
そして昼飯を食べる店と自分の座る席。

猫でもそれを本能的にあるはずだ、テリトリーとして。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2001年06月07日(木)
[45] 創業の話

27歳、千葉の千城台で千城ビル建設と養老の滝1122号店の立上げをやった。
準備1年4カ月かかった。その間に一緒に計画に携わった父も亡くなった。
今も忘れられない1973年5月30日であった。

11月07日、店の立上げとビルの完成でパニックの頂点をむかえた。
地獄!・・・・・

その頃写真を撮っているいる余裕などない、
写真日記のそれは千城台を引き揚げたあと、懐かしく行った時に撮った写真である。
全く知らない千葉で我ながらよくやったと思う。

この地獄の中で創業のノウハウしっかり身につけることができたと思う。
自らを空にして、おきて来た問題を一つずつ解決していくしかない。
その時本能的に相手に両手で拝んでいた。

どういうわけか拝まれると人間引き受けてくれるものだと感じた事を憶えている。

軽い気持ちで拝むポーズを時々みると,張りたおしたくなるのそのせいだ。
当時のことを記した文章があるのでコピーをしておく。
また写真も写真日記にコピーしておきます。

ーーーーーーー

H0907 養老の瀧1122号店、店長の日々

 両親の創業を幼児の時みていて、その厳しさを知っていたつもりであったが、
いざ自分がその立場に立って、その認識の甘さをつくづく思い知らされた。
千葉の新興住宅地(五万人)の十字路に“貸ビルの建築”と“養老の瀧オ−プン”と
“結婚”という、人生の初体験を同時に始めた。
丁度石油ショックにより高度成長期が弾け、
ビルの前の数千世帯のマンション計画が中止となり、最悪の出発となってしまたった。
そしてオ−プン...!完全にパニック状態!オ−プン人気も含めお客の列!
しかし、こちらは全くの素人である。ビル建築等、他に諸々が重なり、
地獄のような日になってしまった。辛くて、恐ろしくて、一日一日が精一杯、
今考えても、よく持ちこたえたと思う。当初の、2〜3ヶ月は朝8時より
夜半の1時までの激務であった。指導員と私とアシスタントの3人の激しい日々であった。
“勤め人”と自営業の立場の大転換がその時おこった。
それまでは8時間プラス2〜3時間、という立場が、“24時間(休んでいても仕事のう
ちという)仕事”という立場になった。
サラリ−マンが事業をおこして大部分失敗するのは前者より脱皮できない為である。
大手ス−パ−の創業期に入社、異常に近い厳しい世界に3年近くいたが...。
その厳しさが全く違うのだ。はじめの数ヶ月は、今日辞めるか明日辞めるかという
位、厳しいものであった。
あの空ビルをテナントで埋めなければ、私の立場が無くなる!という
前提があった為乗り越えられたと思うが。
でも不思議なもので、真っ正面より立ち向かっていると、
いつの間にか辛さが辛さでなくなってくる、適応能力が自然についてくるのだ。
ヤクザ、土方、得体の知れない人間に“気違い水=酒”を飲ませているのだ。
それと兎にも角にも全くの無警察状態に近いのだ。
そこで自分1人で店を衛らなくてはならない。
酒を飲んだ人間の本当の恐ろしさをそれまで、ほとんど知らなかったためだろう、
命が幾つあっても足らない位の事件が月に一度はおきた。
恐怖の中で1人トイレの中で(他の人にはわからないように)震えた事があった。
そこで、大きく唸った。そしてお客に対処したところ腹が据わったのだろう、
お客が逆に竦んでしまった。“これだ!”と直感した。
また店の従業員に前もって、うちあわせをしておき、
お客に怒鳴る変わりに従業員を怒鳴りつけ竦ませたり、
土壇場に立つと知恵がついてくる。
ただフランチャイズのシステムは今でも素晴らしいものであったと思う。
標準化、単純化、マニュアル化がきっちりできあがっていた。
創業時の勉強という点で、このシステムは自らに非常に有効に働いたと
振り返って思えるようになった。
             創業は辛い! 1973.11.07〜

ニクソン元大統領を失脚させたウォーターゲート事件(72年)で、
米連邦捜査局(FBI)の元副長官、マーク・フェルト氏(91)が、
ワシントン・ポスト紙の「ディープ・スロート」と呼ばれた極秘情報源だと
5月31日判明した。
米政界、メディアの間で30年以上も「最大の謎」だった。
全米のメディアは特集記事や番組で大きく報道した。

 ウォーターゲート事件と、ポスト紙の独壇場となった調査報道は、
米社会やメディアのあり方に大きな影響を与えた。
「大統領の犯罪」を追及するポスト紙を、政権内部の情報源が継続的に
支援していたことは当時から明らかだった。
「所属組織に弓を引く裏切り者」ととらえる向きが強かった
「ウィッスル・ブロウワー(警笛を吹く者の意味で内部告発者を指す)」が、
肯定的に評価される契機にもなった。

 ニクソン政権による政敵の盗聴やFBIやCIAなどの操作・情報機関の
“私物化”が白日の下にさらされるきっかけを、ポスト紙の粘り強い報道が
つくったことで、調査報道の重要性が広く認識されるようになった。


 同紙によると、社内でもディープ・スロートの正体の守秘体制は徹底していた。
知っていたのは、
直接の担当だったボブ・ウッドワード(現編集局次長)、
カール・バーンスタイン(現在フリーランス)の両記者と、
当時の編集主幹のベン・ブラッドリー氏、ウッドワード氏の妻の4人だけだった。
同紙の故キャサリン・グラハム社主も取材源を質問することすらせず、
ブラッドリー氏も「聞かれても答えなかっただろう」と語った。

 ウッドワード氏がフェルト氏と連絡したい場合、電話の盗聴を警戒して
自宅アパートのベランダに目印の植木鉢を置くなどして連絡した。
フェルト氏からは、ウッドワード氏の自宅に配達されるニューヨーク・タイムズ紙
の20ページ目に時計の針を書き込むという形で接触の合図を送った。
ワシントン市内の地下駐車場での面会時は、複数のタクシーを乗り継ぎ、
わざと間違った場所で下車するなどして、尾行に注意したという。

 「自分がディープ・スロートだ」とするフェルト氏の発言を
総合月刊誌バニティ・フェアが公表したのは31日。
AP通信やロイター通信は緊急電で同誌の記事を転電。
CNNテレビなども緊急特番を組んだ。

ウォーターゲート事件は、
72年6月にワシントン市内の同名のビル内の民主党本部に、
共和党のニクソン陣営関係者が侵入、盗聴器を仕掛けようとして逮捕されたことが
発端だった。ホワイト・ハウスは関与を否定したが、両記者は調査報道で追及。
ニクソン氏がFBIによる捜査を妨害するようCIAに指示したことが、
後にホワイトハウスの録音テープで暴露され、ニクソン氏は74年8月辞任に
追い込まれた。
両記者は重要情報源を、当時人気のあったポルノ映画の題名から
「ディープ・スロート」名づけた。


1525, わたしの酒中日記−4

2005年06月06日(月)

金沢編−2

1972年2月某日

武蔵が辻の職場からバスで、20分位のところに寮がある。
その中間点にある繁華街の香林坊で降りて、老舗風の飲み屋を探す。

今夜は片町の大和百貨店の裏にある飲食店のおでん屋に飛込みで入る。
人品の良い美人の母娘がいた。聞いたら、三代も続いている店だという。
隣の客が話しかけてくる。
「言葉が違うようだが、観光客か?」
「いや、勤めの関係で、一年います」
地元の人からすると微妙な立場のようだ。
とにかく、金沢の人は人なつこいのが特徴だ。
それと金沢べんの言葉が心を優しくする。
言葉の最後に(〜じ)をつける。
「〜だよね~」という意味である。
それと
「〜しまっし」という言葉もよい。
「~しなさい」という意味である。
そのアクセントが何ともよいのだ。
特に女性がいうと「あ~金沢」になる。
それとおいしい店が多い。

ここの土手焼きが美味い。
それと次に頼んだスジ肉の煮込みも絶品である。
おでん屋のおいしい店を彼方此方で食べたが、この店はまた格別である。
立て込んできたので、その店を出る。

このまま帰るのは、惜しいので大和百貨店の隣の飲食ビルに入る。
安そうなスナックに入って、カウンターに座る。
まだ8時なので、お客は誰もいない。
素人っぽい20代半ばの店の女性が話しかけてきた。
まだ金沢に来て2ヶ月で、一〜二年いたら、また何処かに流れていくとか。
若いうちに、彼方此方にいって転々としたいのだという。
こういう生き方もあるのか、驚いてしまった。

「この仕事の接客のポイントは何か?」と聞いたところ、
「期待を持たせること」とか。
まさか「何の期待?」とも聞けないし。
「それじゃ〜、何か期待してよいか?」と聞くと、
「今度、兼六園を案内してくれる?」というから、
「今度ね!」と、空約束をして?店を出る。

バスの定期あるが、歩いて帰ることにした。
浅野川の橋を渡って、20分ぐらいはかかったが酔いを冷ますのに丁度よい。
まあ、一人で飲むのも悪くはないが、

それにしても金沢には美人が多い。
それと金沢の文化と風情がよい。

金沢には、3年間が目安だ。
能登半島や、金沢の街を貪欲に知っておかなくては。
もっと一人旅をしなくては。

加賀100万石の城下町の歴史が観光だけではなく、
飲み屋や喫茶店などに色濃く残っている。
ここは地元の人には非常に厳しいコントロールがある。
反面、部外者には優しいのだ。
この文化的な特徴は数年住んでみなくては知りようがないが。
明日は同期入社の連中との飲み会だ!

ーー
また偶然の一致、
去年の今日も金沢関連のことが書いてあった。

・・・・・・・・
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2004年06月06日(日)
1160, 「武士の家計簿」−2

いまの時代にタイミングよく出版された、時の書といってよい。
現在の日本は、第二次大戦の終戦時や、江戸末期から明治維新の時期より大きい
大転換期にある。
この時期に江戸末期の武士がどのような暮らし向きをしていたのか、
どう対処していったかが、彼らの家計簿から大きなヒントを得ることができる。
彼ら猪山家の人たちが語りかけてくる言葉から「過去の人との対話」が可能になる。

「あとがき」の最後の文章が印象的である。

ー大きな社会変動期には「いまある組織の外に出ても、必要な技術や能力をもっているか」
が死活を分ける。家柄を誇った士族達の大部分は、その時点で社会から外れていったのだ。
現状を嘆くより、自分の現行を嘆いて、社会に役立つ技術を身につけようとした士族には、
未来が来たのである。私は歴史家として、激動を生きたこの家族の物語を書き終えて、
自分にも、このことだけは確信をもって静かにいえる。
まっとうなことをすれば、よいのである・・・・・。
ーー
転換期にある日本人にとって、いや自分にとって、この作家の努力によって
彼ら猪山家の人たちより「深いメッセージ」を与えられたといってよい。
「まっとうなことは、一日一日の努力の積み重ねしかない。」
いま問題になっているのは、
個人的にも国家的にも、過去のまっとうでなかった(バブル狂奔)シワ寄せである。
それを一つずつ引っ張り上げて、将来の姿を想定して、まっとうな姿に変えていくしか
方法はない。

 ーーーーーーー

「武士の家計簿」
    磯田道史著  新潮社
      長岡中央図書館  2004年05月29日
 目次

第1章 加賀百万石の算盤係
第2章 猪山家の経済状態
第3章 武士の子ども時代
第4章 葬儀、結婚、そして幕末の動乱へ
第5章 文明開化のなかの「士族」
第6章 猪山家の経済的選択
      
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 2003年06月06日(金)
793, 起業についてー2

 起業について実感のキーワードは「発狂」である。
精神の爆発といってもよい。
よし!やろうと決めた瞬間から、もう全てはプロジェクトの完遂をイメージ
して突き進むだけである。
よほどの粘りと信念がないと突き抜けることはできない。
当然の事だが、簡単には事業を興して軌道に乗せることは不可能だ。
可能にするのは「的」が間違ってない事と、周到な準備と、信念だけである。

 いまの事業を興した時は500佑寮功確率という確信があった。
失敗は許されないし、初めの一歩の重要さを知っていたため、
考えられるだけのことは考え抜いていた。
それと、それまでの成功体験の裏付けがあった。
何事にもいえるが一番大事なことは、成功体験である。
それが実績ということだ。

 それと育ってきた家庭環境が大事ではなかろうか。
10歳位までに,両親の立ち上げをみた経験がなければ、
計画も準備も甘くなっていた。
また20歳で起業をするという決心をして準備していた事もある。
その瞬間から女性に対しては、気を許さなくなった?
どちらを取るかといえば、迷いなく事業の立ち上げであった。
若い時の最大の難関はまずは女性である、創業以外の事を割り
切ることであった。
つまらない男になっていた!それが陰になっていた?ようだ。

 事業を始めるとき、まずは自分の心の問うたことがある。
「経営資源として金を含めた資産を全て『博打の札ー事業』に変えるが、
全てを失っても後悔しないと自分に誓えるか?
そして事業を本当にしたいのか?−−したい!!」
一人の誓いである!今更だが、それだけ勇気と覚悟が必要だった。
おそらく大小にかかわらず誰もが、その位の自問自答はしているのだろう。
いろいろな危機があったが、最後はいつもこの言葉を繰り返していた。
結局は事業経営は博打でしかない!当たり続ける事はない。
最後は裸になる覚悟は出来ている?のが強みである。

 しかし、まだ憶えているが、事業の準備をしていたときのことである。
何か一人でTVを見ているとき、急に不安になり「屋上の手すりの上に立っている
ような末恐ろしい感覚」になったのを憶えている。確か借金を初めてしたときである。
この意識下に隠れた不安が意外と経営の原動力になっているのだろう。
立ち上げで判断を迫られるとき、夜半の2時35分が一番冷静な思考になっている。
しかしこの大津波ー大不況に対して、まだそこまで意識がいってないのは
どういうことだろう?!これからか?

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2002年06月06日(木)
429,両親の死

両親が亡くなった時、一緒に住んでいた。
そしてその死に様から「生きるとはどういうことか」を学んだ。
死ぬとは如何に大変な事を知った。
今ひとつ、死の視点から生を見るということを。

世間とか、娑婆の事を徹底的に割り切って見れるのも、
両親の死から、それがいかに幻想である事を学んだからだ。

結局,残るのは「子供と愛情」だけ。
それと‘生きてきた事’ー乗り越えてきた「行蔵」それだけだ。
意味とは最後の自己慰めかー心の印ということか?

死を自覚した瞬間の人間の「生に対する渇望」のすざましさに、
側にいて身震いした。
その瞬間−死を覚悟した瞬間‘砂漠の真ん中に立たされる残酷さ’を直感した。

‘心’は「主体」と「イメージ」で成立している。
心を失っている状態は、「主体をなくして何も考えられない状態」
と考えれば逆に解かる?

何で‘心’が両親の死の話しから出てくるかと言うと、
両親が死と直面した時に、「主体」と「イメージ」が
湧き出てくる事実を見たからだ。
それは死の恐怖感からくるものである?

特に「主体」が凄い。
人生の全てのことは自分の戯曲でしかない。
それに満足できるか、できないかだ。
死ぬ事はそう簡単のことではない。

昨日の朝、隣の主人が亡くなられた。
今夜通夜、明日葬式に出る予定!

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2001年06月06日(水)
[44] 何の為のホームページ

何でわざわざ個人のホームページを立ち上げ、公開するのか?
   まずはこの疑問
1・わざわざ写真を撮って入れたり、
2.貧しい内面の公開をしたり
3.せっかくとった最重要情報?の公開をわざわざしたり
4.とにかくエネルギーを使わなくてはならない

でもそんなこと、この巨大情報空間から見ればどうでもよい事。
むしろさらす事により、リンクの可能性が大きくなる。

インターネットとは考えてみてば、ホームページ間のネットである。
基本はホームページである。その拠点を個人や会社で持つことは、
情報空間に自分の基地を持つ事になる。
この時代あたりまえと言えばあたりまえである。

ウエブ上に拠点を持つことにより、他のホームページと相互関係になる。
その事をホームページ持ったことで実感できた。

もしホームページを持つまでもないと考えるなら、‘お気に入り’の集積と
その分類を自分のパソコンにきっちりしておくべきだ。
そうした場合どうしても自分拠点を持ちたくなる。
それは自分のパソコン内でいいのだが。
公開してもかまわない場合ホームページがよい。

巨大情報空間にさ迷い出た
子羊というところか。


1524, わたしの酒中日記−3

2005年06月05日(日)

金沢編−1

1971年10月某日

会社の寮から50辰里箸海蹐法
「トラちゃん」というホルモン焼屋がある。
まわりカウンターの中で、小太りのトラちゃんというに相応しい小母ちゃんが
やっている店である。

この店には月に1~2度位、ブラリ入る。
寮に近いわりには、会社関係の人はこない。
香林坊には、いくらでも面白そうな店があるので、こんなところでは飲まないし、
彼女が大体いるためか、一人で飲む奴などいない。。

香林坊からバスで10分のところにあるが、
何時ものようにモツの炒め物を注文して一人飲んでいると、
寮の2年先輩が嬉しそうな顔をして入ってきた。
「おお一人か!実をいうと、今日は競馬で大穴を当てたんだ。
一杯奢るから俺について来な!」
断る理由など一切無し、
タクシーで香林坊の少し路地に入った店に乗りつけた。

看板には「平家 落人焼き」とある。
店に入ってビックリした。
油で店の中が黒光りしてギトギトである。

威勢のよい40歳がらみの親父と、女将が愛想良くむかえてくれた。
カウンターの中に大きな1m四方の鉄板に、魚や肉を野菜と一緒に焼いて
出してくれるのだ。

メニューは鉄板焼きだけのシンプルなメニューだけである。
ツマミは、手で千切ったキャベツが大きなバケツから手掴みで、
皿に入れられて出される。
それを食塩を振りかけて前菜にする。
平家の落人が、山に隠れて兜を逆さました中で、山菜や猪の肉などを
焼いて食べていたという由来から名づけたのだろう。

ここの名物は何といっても「夫婦喧嘩」とタクシーの中で聞いていた。
ストレスの溜まったオカアチャンが、いい加減なオトウチャンに切れる。
見ていても迫力があるという。

そして何時もの通りに夫婦喧嘩が始まった。
両親の赤裸々な夫婦喧嘩もなかったので、その夫婦の迫力に驚いてしまった。
しかし、一戦が終わった後は何事も無かったように穏やかになった。
オカアチャンが休みの日など、一人しょんぼりとしているという。

その親爺が、今度は会社の先輩の絡み始めた。
「お客さんには悪いけど、今日は最高の日のように見えるが、
実際は最悪の日なんだよ!博打で当たった味が結局は深みにはまり込むんだ。
その意味で今日は最悪の日だよ!気の毒になー!」
聞いていてイヤに納得のいく言葉であった。

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2004年06月05日(土)
1159, 「武士の家計簿」

いま話題になっている本に、この「武士の家計簿」がある。
激動の時代が、武士の家計簿でリアルに浮き彫りにされている。
現在我々が直面している金融破綻や地価の下落、利権と収賄等々の問題が、
150年前に金沢で全部経験ずみなのが面白い。

・仕事は経理ー加賀藩御算用者(おさんようもの)(経理係)、
・小遣い6千円
・幕末の武士は年収の二倍の借金に苦しんでいた。
 禄高(ろくだか)では江戸と金沢との二重生活をまかない切れなかった。
 わが子に英才教育を施し、早くから出仕して禄をもらうことを考える。
 他の部署と違って御算用者は経理等の能力がなければ採用されないので、猪山家も必死だ。
 そのかいあって、息子の成之も早く採用されて俸禄は親子で二倍の収入になる。

幕末の加賀藩士の家計簿を見つけた慶大非常勤講師の磯田道史氏が、
地道に書き上げた本である。平成13年の夏、彼が現金を16万円を持って神田神保町の
古本屋に駆け込み買い込んだのが始まりである。
これが猪山直之・成之親子が三十七年間にわたってつけた入払(いりばらい)帳
(家計簿)である。
この史料から金沢城下の下級武士の詳細な暮らしぶりが分かるほか、
明治維新後に海軍主計として活躍した猪山一族の隆盛から加賀藩士が日本の
近代化に大きな役割を果したことが解る。
漠然としか知られていなかった武家の生活を、家計簿から読み解いたものである。

 天保十三(一八四二)年、高金利に耐えられなくなった猪山家は家財を売り払い、
借金を完済。「もう二度と借金を背負わない」という決心からまんじゅう一個を買っても
記録する”完ぺきな家計簿”をつけ始めた。
以来、明治十二(一八七九)年まで親子二代が克明な記録を続けた。

 家計簿からは、武家の婚礼、出産、葬儀などの儀式に伴う出費のほか、
習字やそろばんなど子どもの教育に多くの費用が必要だったことが分かる。

金沢の直之から江戸(東京)で暮らす成之への手紙も含まれており、
「犀川の土手でドジョウを焼いて売る士族が出現」
「裕福な商人に武家の娘が嫁ぐ縁組が流行」
 など明治維新後の激変ぶりが記されている。

 維新後、成之が優秀な経理マンとしての手腕を発揮し、海軍省で出世していく
ことについて、著者は「当時、金沢の理数教育は非常に水準が高く、それが
明治の近代化に大きく貢献した」とみている。

 猪山家が加賀百万石のそろばん係(財政担当)をしていたことで、数字に細かく、
なおかつ収入よりも支出が多い借金で破産しかかっていたことが当時の生々しい
生活や社会の実態を記録したことになる。
 
 興味深いのは、江戸時代の武士が結構離婚が多かったこと。
これは、妻の側の財産は独立していたことや,婚家よりも実家とのきずなが
強いためのようだ。
この文書でも、夫が妻に借金を申し込み借用書を書いたり、という事情が
記されている。

冠婚葬祭や病気見舞い、昇進祝いなど、親戚や同僚との義理を欠けない
付き合いが、出世とともに増えていった。そして 交際費がかさんでいった。
武家社会特有の通過儀礼や年中行事もあった。
ある年、猪山家が費用を支出した儀礼と行事は合計二十二回を数えていた。
真っ先に何を削ったかといえば、当主の小遣いだ。
また家財を売り払い、借金返済や利息に充てたりしていた場面もある。

主人の使いに出ては、あちこちから祝儀をもらった家来の懐の方が温かだった
ことが多かったのでは、と著者は推測している。

 猪山家は加賀藩では下級武士で、その上御算用者という身分は
他の武士身分からは一つ下にみられた。

しかし数字に強いという猪山家の能力が認められる時代が来た。
明治維新である。以後、猪山成之は海軍に勤め出世する。

著者は、この家計簿から当時の社会を分析しているが、この切口が新鮮である。
「事実は小説より奇なり」ではないが、人間の生活や社会は、いつの世も
たいして変わらない部分を垣間見た思いである。

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2003年06月05日(木)
792,起業とは−1

 現在アントレブルナー(起業家)という言葉がキーワードになっている。
国家が支援金まで援助して新しい事業を興すことを勧めている。
ベンチャーだけでなく、企業に属している人やすべての社会人に
このマインドが求められるようになった。
 しかしアイデアや着想を練り上げて、プロジェクトを立ち上げ、業績を
あげて、拡大し、次世代にひき継ぐのは至難の業である。
うまくいっても大体が25〜30年で、その生命を終了する。
営業ー不動産などで「千三つ」といわれることがある。
千に三つしか成功しないからだ。
これは2分の1の確立で10回当たった数字である。
起業で成功する確率も同じ事がいえる。
無から有を生み出すのだから、想像を絶する苦痛を伴なう。
コンサルタントの林さんも産能大学での講座では、本当は「起業論」を
やりたかったといっていた。
 
 考えてみたら、小さいながらも27歳から事業の立ち上げを数回経験してきた。
決心をしてから半独立ー27歳、
そして完全独立ー34歳、
と階段を上るように一歩づつ独立をしていった。
私の知人友人に起業をした人が数人いるが、見ていても壮絶である。
想定が甘かったり、少しいうまくいくと拡大ではなく膨張をしてしまう。
自己能力の限界の設定が甘くなってしまうのだ。
他人事ではないが。

 私も何回か立ち上げをしてみて大変であったが、両親の創業を見ていたので、
その苦労の数分の一でしかないことをわきまえていた。
時代の変化の中で、それまでとは違った業種・業態を新たに創りあげるのだから
簡単なはずがないが、しかし手順は一緒である。
今までの常識を否定して、仕掛けとして違う切り口で組立てをするのだから、
覚悟とエネルギーが要るのは当然である。

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 2002年06月05日(水)
428, おしっこをしながら、水を飲む

「おしっこをしながら、水を飲むとそのまま飲んだ水が垂直に排出された感じになる。
 宇宙が身体に流れ込む感じ」という本を読んで、昨日3回も実行してみた。

・まず感じたことは、「こんなことを実際やってみる人は,
 この本を読んだごく僅かな単細胞の人だろうな〜」という気持ち。
・世界広しといえども、こんな経験をした人は殆どいない事を
 してみた自分の可笑しさ。
・現実にはそうでないが、飲んだ水がじかにそのまま排出されるという
 実感が愉快であった。そこには胃も腸もないそのまま出て行く実感である。

ところでそれがどうしたの?と聞かれても答えようがないが、
新鮮な気分と、誰もやったことない体験をしてみた!
という可笑しさで,気分が一新しただけでも価値があった。
  
何事も経験です!!!!!!!!!!!
貴方も経験してみたら??!
 
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2001年06月05日(火)
[43] オークションサイトについて

今日インテリア山下の社長が来られて、
下取りのダンツーの絨毯を1円でネットオークションに出してみた’
と言われたので早速オークションに1000円で入札をしてみた。

またネット上の新しい世界を垣間見た思いだ
(e−ビジネスの新しい可能性の一部を)。
これこそ新しい社会の1つの可能性を現している。

ホームページにしろインターネットで毎日が新しい発見の連続である。
確かにネットバブルの部分があることは否定できないが、といって
ネット社会の方向は事実である。是非このサイト見てみる事を薦めます。
前の頑張ってます!はパソコン教室の練習です。
記念の為残してきます。
http://auction.excite.co.jp/


1523, わたしの酒中日記−2

2005年06月04日(土)

ー長岡殿町
2005年5月31日

今日は父の33回忌の法事である。
法要の席を長岡駅前の『田村』で開く。
坊様がまた例の調子で・・・・?

その席で、数年前に亡くなった姉に似ているママのスナックがあるという。
今朝、千葉から来た姉と亡き姉の墓参りをしてきたこともあり、
その店に行くことになった。
姉と兄夫婦と、私たち夫婦5人で行く。
18時なのに既に3人も来ている。
ママは期待していたほどは似てはいないが、まさか亡くなる直前の姉に
似ているとも言えない。30分もしないうちにお客で満席である。
一時間ほどいて、そこを出る。
千葉に帰る姉を駅に送りながら、次の店「ヒロ」に行く。

そこで3時間ほど、全員で歌うが、かなり盛り上がる。
年に3~4回ほど兄夫婦と飲むが、いつも盛り上がる。
その後、10年ぶりに一月ほど前に行った「禮」という名のスナックに行く。
私以外、初めての店なので冗談で
「ここは、オカマバーだよ!」というと、全員が信じる。
少したって気がついたことだが、ママの機嫌が悪い。
他の全員が「オカマバー」ということを信じていたからだ。
帰るまでママに徹底的に無視をされてしまった。
家内は何でママが機嫌が悪い理由がわからなかったようだ。
そりゃ怒るだろう!

とにかく兄夫婦と飲むと盛り上がる。
丁度0時に帰る。

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2004年06月04日(金)
1158, 年金の話

これだけ不景気になってくると気になるのが老後である。
そのためか、年金がここにきてクローズアップされてきているという。

今年から、58歳を過ぎると年金の予測の数字を希望者に郵送される。
半月前にその内容が送ってきた。
こういう時代、明日何がおきても不思議ではない。
とくに事業をしている立場上、不安の要素があまりにも多い。

ある日、ハイパーインフレがおきて金利が2倍にあがる可能性がある。
また、上越新幹線でテロの爆発がおきても不思議でない。
(新潟駅の新幹線のホームでは、各階段に警察官が二人ずつ合計10人
近く張り付いている)
新潟にアルカイダーの幹部が一年半潜伏していたとかいう情報があったことと
関係しているのだろう。

ハイパーインフレやテロで、会社は一瞬で倒産してしまう可能性を含んでいる。
経営者は何も保証されてない立場にあるから、万一のことがあれば明日からの
生活に事欠くことになる。倒産をした最悪の人を何人も現に見てきているから、
時々凍りつくような不安に落ちいることがある。
それが逆にエネルギー源にもなっているが。

社会保険センターから送ってきた年金の数字を見て少しホッとした事も事実である。
年金支給が63歳と思っていたが、今回の郵送で60からでももらえることを
初めて知った。
・1年7ヶ月経つと(60歳)全く他に収入がない場合で、190万円の年金支給。
・4年7ヶ月で(63歳)で、260万円。
・6年経つと、家内の分を加算すると3?0万位という。
ー何とか人並み?に生きていけそうな金額である。

家内に説明をすると、
「丁度よいようになっているのね!」

セフティーネットとして、あるとないとでは全く違う。
こういう年齢になったのだ。

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 2003年06月04日(水)
791, 鎌倉がよかった

 林さんに大学の授業が終わった後、鎌倉を案内をしてもらった。
家内と私にとって素晴らしい思い出になった。
鎌倉は父方の親戚が駅前で古美術(堀井古美術)の店を開いて、法事などで
数回行っていた。しかし鎌倉の大仏以外は全く未知の世界であった。

 今回初めて解ったことだが、鎌倉にも五山があった。
鎌倉時代に中国の五山制度にならって、鎌倉の禅寺に設けられた五大寺をいう。
室町初期には鎌倉・京都それぞれに五山が定められた。
その後たびたびの改定を経て、足利義満のとき、五山の上に南禅寺がおかれ、
・京五山として天竜寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺、
・鎌倉五山として第一位 建長寺 第二位 円覚寺 第三位 寿福寺 第四位 浄智寺
第五位 浄妙寺 がおかれた。

それぞれに深い歴史があることがはじめて解った。
私達が案内されたのが、第一の建長寺と第二位の円覚寺、それと長谷寺と
‘あじさい寺’の名で親しまれている名月院である。全て印象的であった。
その中で名月院を書いてみると
ー北条時宗が建てた禅興寺の塔頭の一つだっ たが、のちに足利氏満の命令で上杉憲方が
時宗の父、時頼の墓所と して中興した。
1394年上杉憲方の没後、上杉憲方の法名 をとって明月院となったという。
アジサイだけでなく スイセン、ボケ、モクレンなど草花の種類も 多い寺である。

 それぞれが、味わいのある素晴らしいお寺であった。
鎌倉がこれほど良いとは実際のところ知らなかった! 

 昼飯を御馳走になった老舗の中華料理店がよかった。
横浜の中華街にある中華料理店の支店として60年前から営業をしているという。
由緒ある別荘がそのまま店になっている高級料亭風であった。
中華料理も絶品の味であった。
林さんとでなければ、間違っても入れない店である。

 話は変わるが鎌倉でタクシーに乗った運転手が「景気が悪い!」といっていた。
特に今年に入ってから、かなり悪いとか。
鎌倉の一人当たりの地元に落とす金は平均700円?と冗談で林さんが教えてくれた。
ウォーキングスタイルにリュックを背負いコンビニで弁当を買ってベンチで食べるのが
鎌倉の一日観光のスタイルとか。

 母校の講義と鎌倉の散策、一期一会の素晴らしい二日間であった。
 
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 2002年06月04日(火)
427,世間とはー3

世間に住む人々を喩え話で挙げてみると面白い!
娑婆の集約の姿であろう。

・まずはーどぶに浮くボウフラ!!

・そしてチンドンヤー自己宣伝に全て注ぎ込んでいる倒産寸前の!!!
 ーとくに地方は−痴呆になってしまうのだろう!!
 小さい世間の中で如何によい地位をつくるかという幻想に血眼ー痴呆症か。

・太鼓もちー芸者と組み合わせ!!!
 -夫婦で、低脳の痴呆名士に対して夫婦漫才をして売り込む!!
 あの角栄の組織を乗っ取った竹ちゃんも!!
  ただただ太鼓もちの世間士???

・鳶ー不動屋やマイナス情報を探し回るあの男。

・ガマカエルー王様カエル  ノータリンクラブとかに入って偉くなったつもりの人
・宅上犬ー??

世間という心の壁は、自分と他者の問題になってくる。
あいまいな甘えの世界ともいえる。
自分を持ち得ない群集の世界ともいえる。
特に島国のような固定化社会では、その甘さがお互いのクッションの働きになる。
必要悪だからさらに性質が?!。

若い母親のまず社会の第一歩、そう公園の砂場デビュウー。
音羽で幼児殺人があったが、インタビューされた若い同じ立場の母親が
「動機がいたいほど解る」と何人も言っていた。
あれが世間という世界、日本的カースト制度の差別の世界。
あれも範疇だろう。
細かくランク付けされた立場の小さい視点!

しかし情報化社会において、その根本が崩壊してきている。
この情報化が根底から社会を変えようとしている。
日本的世間(社会)主義の崩壊である。
しかし新しいネット世間ができている、空間を越えて。

この位の割り切った眼で見てないと、世間様のゆで蛙になってしまう。

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 2001年06月04日(月)
[41] 20年の通勤

新潟と長岡を20年通勤している。
1年に250日*20年=5000
5000*2800円平均=1400万円になる。
マンションの一つも買える。
2つの地方都市の30分の新幹線の通勤も悪くない。 
仕事と私生活をきっちり分ける事が、より可能になるからだ。
長岡と新潟の気質がまるで違う事も見えてくる。
あくまで対比の話だが、新潟は鷹揚だ。そして明るい。かつクールだ。
反面こと商売という意味の仕事は甘い。反面長岡はマクロという意味で
仕事がいいかげんだ。
人間関係‐付き合いとかなにかで誤魔化してしまう。
長岡で住んで仕事をしていると、
陸の孤島の住人の感覚となってしまって当然だ。
特に中年から老年に至ったとき毒(ストレスのヘドロ化)が
とっぷりたまらないかと?
それなりに知恵で解毒しているはずだが。
5〜6年前までに4回新幹線を乗り過ごした。3回湯沢で泊まった。
それぞれにミニドラマがあった。飲んだ勢いで湯沢でも飲むからだ。


1522, 将来の不安

2005年06月03日(金)



将来に対して誰もが漠然とした不安感を持っている。
特に激動期において、大きな不安が曇り空のように横たわって見える。

ある哲学書に面白いことが書いてあった。
「将来の大きな不安は、現在が不安定である投影でしかない。
このことに気がついてないことが大きな判断ミスを犯してしまう。
将来のことは、現在考えている予測や不安とは全く違うものだ。
いや、明日のことでさえ。問題は現在の不安定が前向きかどうかである。
将来の不安は、今の問題の不適合(目をそらしている)でしかない」
という主旨である。

準備を含めると、26歳の時から新事業を幾つか立ち上げてきた経験から、
不安に対しては自分を上手くコントロールをしてきた(せざるを得なかった)。
最善を尽くしたつもりの計画を実行するにあたっても、不安はつきものである。
その不安感を、逆にエネルギーの元にするしかない。
一人震えていても仕方がない。
事前に考えていることと実際は違うが、その違いに出会った場面で
フィード・バックするしかない。
いま一つは目標と目的が明確でないことも不安要素になるが、
その信念への揺さぶりと(不安を)考えるしかなかった。

不安になったら、最悪を想定して紙に書き出してみた。
そのプロセスで問題に対して冷静に考えることになる上に、
客観視を持つことになる。

これはマイナス思考のようだが、実際はプラス思考になる。
問題の中心点にマイナスの視点から突き詰めることになるからだ。
とことんマイナスを考えれば、漠然とした不安を具体的に想定することになる。
その過程で、プラスの視点が自動的に出てくる。
それをしないから中途半端のところを行ったりきたりする。
そこまで考えてないから不安が出てくる。
プラス思考と軽く言うが、マイナス思考を背後に持ってないプラス思考は中味は薄い。
だから不安感が付きまとうのだろう。

将来への不安感は、現在の変化への不適合の自己逃避がもたらすものである。
変化への不適合が将来の不安の問題に摩り替わってしまう自分の
心理を全く気がつかないのが、自滅というカタチに自らを導いていく。
将来が不安であればあるほど、現在の問題の中心点にエネルギーを
集中しなくてはならない。

むしろ人によっては自滅も必要な時もあるが。

・・・・・・・・・
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2004年06月03日(木)
1157, 60対10の法則

1昨日、NHKのTVを見ていたらニューヨークの市警が
取り入れた「60対10」の法則の取り締まり方法を紹介していた。
「10佑涼篭茲鮟乎罎靴銅茲蠶まれば,60佑糧蛤瓩鯡ち海頬匹阿海箸できる」
という法則を使って、ニューヨークの犯罪を激減させた事例を紹介していた。

これは「80対20の法則」の応用であろう。
20佑陵彭世80佑陵彖任集中しているというのを、もう一ひねりをして
10佑陵彭世60佑陵彖任集中しているという原理だろう。
20佑糧省の10%で60佑覆里世ら、さらに効率的になる。

本でいうと、「目次」と「前書き」と「終わり」と、太字と図と箇条書きの
ところが20佑陵彭世箸垢襪覆蕁◆崛綾颪」と「終わりに」と箇条書き
部分が半分の10佑箸靴討澆襪覆蕁△修海60佑含まれているという見方だろう。
その本によって、使い分ければよいことになるが。

犯罪のように80佑茲蝓60佑遼蛭箸諒が現実的なケースの方が良い場合がある。
100融箸錣覆てはならないケースもあり、ケースバイケースである。
80対20という法則だけでなく、60対10の法則もあるということを頭にあればよいが。
200佑韮隠娃悪佑慮率の場合が必要な場合もあるから念のために!
仕事や受験などのように効率を求められている場合、平気でこれをする場合がある。
人生はこの場合の方が多いから困ったものだ。

経営もマイナス10にエネルギーを集中して気がつかないから、
本当に困ったものだ。

誰だそのバカは?
自分のこと?

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2003年06月03日(火)
790, [ 産能大学講義]談

 何事も経験と、会社のコンサルトをしてもらっている林さんの
産業能率大学の授業の臨時講師を受ける事にした。
授業70分のうちの60分が持ち時間であった。
場所は新宿より箱根に向かう小田急電鉄で一時間のところにある伊勢原である。

 気楽な気持ちであったが、二日前に講義をいている夢をみた。
あまりにも力みすぎ空回りをして一人芝居をしている夢であった。
何処かで緊張していたのだろう。
ゆっくり話すのがコツというが、力みを抜く事を忘れてしまって空回りをしてしまった夢だ。

 ところが当日は緊張感はゼロであった。
「相手は学生で、実体験をそのまま実感で話せば問題はないだろう」
という気持ちと十分の準備があった為だ。
いざ壇上に上がって驚いた、学生のほうがむしろ緊張をしているようであった!?
抽象的な話しばかりの授業が多い中、具体的な異様な?話に逆に興味を持ってくれたようだ。
まあ実務家の話は聞いたことがないから、珍獣でも見ている気分ではなかろうか。

 出席者は50人位で、女学生が半分近くいた。
私語をする学生はゼロ、少し居眠りをしている学生が2名いた。
講義は先日のレジメどおりに進めたが、
カタチ、心観学術態、好きな事を今のうちに見つけて職業にしなさい、
ダンスと歩行、般若心教を暗記しなさい等を話している時は
全員の目が光っていた。
「私の人生で得たエキスを誰か一人でも理解してくれればよい」
という気持ちが少しは伝わったようだ。
しかし禁止用語も使っていたようだ。

また大学で講義など変わった貴重な経験を一つしてみた。
そして面白い経験であった。

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2002年06月03日(月)
426,富豪の館

昨日ラーメン屋で見た週刊誌に、マリナーズのイチローの新しい屋敷が
載っていた。2億5千万にしてはプールはなかったが、豪華な建物だった。
南ベトナムに行った時、サイゴンの元南ベトナム大統領府が公開されていた。
やはり広大で豪華なものだった。

その時の説明で、豪邸の条件の話しが面白かった。
1、映画館を備えている事ーいつでも見たい映画をすぐ見れる状態
2、プールがあること
3、バーがある事ーホームパーテーが開ける事

さらにヘリコプターの離発着の機能がついていれば、さらによしという。
大統領府にその条件が揃っていた。

ホームバーと映画館は一般の家庭に形を変えて入りこみつつある。
TVのホームシアターでいつでも見たい映画を取り込める時代の到来だ。
プールだけは無理のようだ。

以前の日本では、大きい庭と池と茶室、それに法事や正月に
親戚が集まった大きい部屋だ。

こんなものより自由に世界を飛び廻っているほうが好きというのも、
「物より事の時代」のせいか!

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2001年06月03日(日)

昨日ホームセンターのムサシの外食部門のやき肉の店の‘赤大門’に行った。
‐大ジョッキーの生ビールとカルビ定食とカルビとロース四品で2100円。
二人だから一人1000円あまり!安いと思った。
長岡の郊外に焼肉の店がここで増えた。
日本人は誰かがやるとそれに集中してしまう。

焼肉は5〜10年前までは3000円以上だった。
それが合理化により半額ちかくなってきたため、新しい客層が増えてきた。
目安のカルビ680〜780円が350〜500円に下がってきた。
焼肉や同士の闘いは高額の店をますます追い詰めていく。
‐写真日記に撮ってあります。

−2004年6月3日記
先日いったら、その店はもう潰れていた。
狂牛病騒ぎでお客が激減したのだろう。


1521, お人よしニッポン

2005年06月02日(木)



昨日の産経新聞4面の「北京春秋」というコラム
ーお人よしニッポンーというコラムが、言いえて妙で面白い内容であった。
日中関係の悪化のおり、この紹介してあった小話が「日本人のお人よし」
を旨くあらわしている。
先日書いた、『知らないことを知らない恐ろしさ』に内容は通じるが!
 
 その内容とは。

小話−1
「・アメリカ人は殴りたい奴を殴る。
 ・イギリス人は殴られている奴を殴る。
 ・ロシア人は殴られたら殴り変えす。
 ・中国人は殴られたら抗議する。
 ・日本人は殴られても愛してしまう。 
 中国人は殴られなくとも抗議するというところか」

小話ー2
「六ヶ国協議で日本人がトイレに立った後の会話。
・中国「日本を本気で怒らせようと思っても難しい。
    潜水艦で領海を侵犯してもおこらない
・韓国「独島を占拠しても怒らない。」
・ロシア「北方領土を占拠し続けても怒らない。
・北朝鮮「なら俺がミサイルを撃ち込んでみようか。」
・アメリカ「よせ、もう60年前に原爆をうちこんでみた。」

まあ強烈な皮肉の小話だが、今の日本の弱腰の外交を
そのまま言い表しているようだ。

まずはアメリカの属国であることを直視すること。
そして今後も属国であり続けるのか、真の独立を図るのか?
前者を選択をしているのが現状である。

現在の事態では真の独立は無理?!

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2004年06月02日(水)
1156, 世間とは−4

「世間さま」という、我々を取り囲んでいる妄想について何回も書いてきた。
世間とは、いつの間にか自分で作りあげてきた「バカの壁」でもある。
といって、日本のような島国では、どうしてもお互いに気を使いながら
「世間さま」から自分を守らねばならない悲しい国民性も仕方がない。

藤沢周平の「海鳴り」の中で、ある商人の世間に対する気持が正直に書いてあった。
作家は、世間というものを鋭く観察するものと感心をした。
私の世間感とほぼ一緒である。
それぞれの世界では、世間の妄想とはこんなものだろう。

−たしかに世間には善意の人もいれば、悪意の人もいた。
世間は時には悪意をむき出しにして襲いかかってきたが、
稀には救いの手を差しのべても来たのである。
渡る世間は鬼ばかりではなく、世間は善意と悪意の巨大な混合物だった。
 
だが善意の人も、一たん利害が対立すると、手のひらを返したように
悪意に満ちた中傷をばら撒いたりすることもめずらしくなかった。
つまり、と新兵衛はそのころ思ったものだ。
無償の善意などというものを世間に期待するのは馬鹿げていて、
この世はむしろ悪意に満ちていて、隙があれば足元をすくおうとしている
と覚悟をしていた方がいい。

それが、どうにか自分の才覚でまわりと折り合いをつけ、自分自身も
人の足をすくうような真似をして、きわどく世を渡っているうちに。
商人である小野屋新兵衛の身についたようなものだった。

その中で得た一番の教訓は、人に弱味を見せてはならないということだった。
世間に侮られず、憎まれず世間を渡るということは難しいことだった。
だがかりに憎まれても、根性さえしっかりしていれば、商いが潰れるような
ことはない。同業に憎まれながら大きくなった須川屋嘉助のような例もある。
須川屋は人の思惑など屁とも思わず、憎まれれば反発をしてコワモテの
商いをして、ついには誰も手がつけられない大物になった。
だが、人に弱味をにぎられ、侮られるようになると、商いもお終いだった。

人の弱味をにぎり、侮る側に回ったときの世間が、いかに残酷に振舞うか
をみてきている。

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 2003年06月02日(月)
789, 東京見物

 この二日間、東京と鎌倉に行ってきた。
まずは初日の東京見物の話。
さっき帰ってきたところだが、「新潟と地球の僻地」を行ったり来たり
していた世界とは少し違う。

 一泊二日で約16000円の東京宿泊パックである。
新幹線とホテルのパックで、ホテル代が無料ということになる。
指定された列車で、二人以上という条件がつくが安い。
日曜日の8時45分の新幹線で出発する。
家内は上野で降りて、息子に会いに行く。
私は東京駅近くの八重洲ブックセンターに行く。
13時の待ち合わせまで、アッという間に時間が過ぎる。
よくぞこれだけ面白そうな本があるものと驚く。

 その後、家内と丸ビルに行く。
思ったより落ち着いた、奇をてらってないのがよかった。
そこの和食のランチが1800円と高いが、それを感じさせない店であった。
そして日本橋の三越本店に行く。
店員の多いのと、催事場の人の多さに驚く。
それと年配ー60歳から80歳が8割がたであった。

17時半より、はとバスに乗る。
20数年ぶりのハトバスである。
新宿の高層ビルの54階での食事と、お台場をまわるコースで7500円である。
50人以上の定員に12名の乗客である。
世界の刺激の強いところばかり行っていた為か喩えると、
薄いコーヒーをクリープをタップリ入れて飲んだ感覚であった。
お台場も雨上がりの為、何ともいえない趣があったが!
それより、新宿のパックの指定されたホテルが見つからず、危なそうな場所を
さ迷ったほうが刺激的であった。ポイントを効率的に回った!のがよかった。

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 2002年06月02日(日)
425,父・堀井誠作のこと−2

・女性の噂の全くない非常に真面目の人であった。
  家庭人としてこれが一番の基本である。
・非常にシャイなところがあった。

・商売では非常に厳しし反面、それを離れるとやさしいところがあった。
 これは自分で心がけているが、営業を狙ってくるタイプはその隙を狙ってくる。
  年内にその整理に入る!!!!ーこれは自分の話しか!

・その時々の時代に合わせて仕事を変えていったのは、最も学ぶ事であった。

・仕事も私生活も、楽しむ事が基本にあった。
 これも両親からの最大の教えである。

・宗教に関しては、ごく普通の仏教徒であった。
 特に法事などの仏事に関しては非常に大事にしていた。
 これを疎かにすると家が傾くと本当に信じているようだった。
 集り坊主の丁度いいお客様であった。
 所詮はレジャーでしかないのにーこれは私の主観。

・お金に関して父なりの金銭哲学があった。
   ー何を奇麗事を言っても、お金に関しては赤裸々な欲がある。
   −あまりに露骨の欲の塊が金、それをちゃんと見据えろ。
   −金は仕事の楽しみのカス、自分でその楽しみを見つけるべし。

・若い時に肋膜炎になり、戦争に行かないですんだ。
 これがコンプレックスと幸運の両方で人生観の背後にあったようだ。

・どちらかというと、母が男のように芯の強いところがあり、
 逆に父はシャイなところがあった。

・母から聞いた話だが、人間的に面白いエピソードがある。
 −戦前に一年に一商売をすると、一年間一家が生活できるだけの
  利益があったという。その商売が成立すると、50銭ー今でいうと5000
  〜10000円の硬貨を耳に挟んで、嬉しそうに一人で夜食事に行ったという。
 
 −5円なら解るが,50銭というところが自分に似ている。


1520, わたしの酒中日記−1

2005年06月01日(水)



「酒中日記」という、色いろな文筆家の飲酒に関わる切口の随想を読んで、
わたしの酒中日記を書いてみたくなった。
過去のある日を飲酒を切り口として振り返って、その時々の背景を見るのも面白そうだ。
そのカジュアルな酒場の思い出の中に、その時々の心情が思い出される。

前後の脈絡なしで、ただ思いつたまま書くので、過去の時空を気楽に
飛び回ることができそうで、書いていても面白くなりそうだ。

振り返ってみて、酒席で多くの失敗を重ねてきた。
私の人生はその繰り返しといってもよい。
それでも、致命傷を負わなかったのは?不幸中の幸いである。
といって、アル中だったわけではない?

ところで、何処から書くか迷ってしまう。
あまりに、美味い酒とホロ苦い酒を多く飲んできた。
いや面白い、楽しい酒を飲んできた。
一期一会と思って飲んできたから、美味い酒だったのだろう。
年代を入れ、月日は某月某日で書くつもりである 。
まずは、直近から。
ーー

ー長岡殿町
2005年4月某日

今日は月の恒例になっている酒友との飲み会である。
長岡の飲み屋街では、ほぼ行く店は決まっている。

まず一軒目は『山葵』という店。
粋な女将が一人、男のようなスタイルで頭にはバンダナを巻いている。
マンガ本に出てくる女板前の姿である。
60歳は過ぎているが?見た目には50歳位にしかみえない。
カウンターが7~8席で、奥に5〜6人の隠れ小座敷が二つあるが
黙っていても料理が4〜5品出てきて、客単価が3500円から4000円位。

忙しい時は、下手に注文をすると怒鳴られてしまう。
団体が入っている時は、一人で20人近くを処理しなくてはならないからだ。
(そういう時は知人か娘が手伝いに来ている)
魚を中心にした料理を出すが、気が置けないところがよい。

地元のスーパーの背広姿の二人と、私の連れが挨拶をした。
懐かしいペガサスクラブの話を嬉しそうにしている。
「私など100回近くも通ったんだよ~」ともいえず、
連れと話をしながら聞き耳を立てる。
??の話していた。

2時間近く飲んで、そこから20mほど離れた「ヒロ」というスナックへ移動する。
20時には、いつも誰もいない。
60過ぎのママさんと、55歳位のホステス?がいる。
この店は21時半になるとお客で満席になる。
お客を愉快にさせることに関しては手練手管。
とにかく、知らないうちに興に乗せてしまう。
そのためか、いつも5~6人の団体客が入ってくる。
若いホステスより、ここで団体や他の客と一緒に朗らかに歌っていた方が面白い。
そして満席になるのを待って、席を立つ。

さらに、そこから200mほど離れた飲食ビルの
『楓楓楓』という店に行く。
以前、よく行っていた店のアルバイトをしていた女性が独立してママをしている。
かれこれ十五~六年の付き合いだ。
結婚をして、近くに旦那がスパゲッティーの専門店を開いているが、
とにかく背が高い、177cmとか。ここも気を使わないで済むのがよい。
半年前にある友人を連れて行ったが、
「先回一人で来て、店の子を触りまくっていった」と注意された。
男はそれを楽しみに行っているから仕方がないか?
それにしても、あの男!

23時前だが、早々帰ることにした。

                つづく
ー後記ー
このテーマは当分続くが、何が出てくるか自分でも解らない。
酒場は人生の縮図である。

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2004年06月01日(火)
1155, 「しつけ」の話

一昨日は父の命日であった。
今から思うと、父は厳しい人であった。
特に、共同生活と金銭の卑しさに対しては異常なほど神経質であった。

昔は何処の家でも、多くの厳しいしつけがあった。
毎日の生活は「しつけ」という言葉の刷り込みで、ほとんど決められていた。
それが良いのか悪いのかは別として、多神教の宗教の日本にとって、
宗教的戒律が曖昧であるから、生活規範があったのだろう。

欧米では躾をこどもの時に徹底的に叩き込むという。
日本でも以前はそうであった。
中学・高校野球部の優秀な監督が、新任して先ずやることは「躾の徹底」である。

新入社員教育をしていて、タダタダ驚くばかりである。
しつけが殆ど入っていない。
それでも、それを隠して入り込んでくるから敵もさるものである。
両親が躾ができないのだ。
学校も、親の家庭教育が全くなってないことを知り尽くしているため、
初めから躾を入れようとしない。
社会常識や躾をする役割が今では会社の場になっている。

しつけの言葉が色いろあった。
まっとうの家庭なら、当たり前に親が子に教え込んでいるはずなのだが。
それが全くされてないから困ったものだ。

・弱いもの虐めをするな!
・ご飯粒を残しては農家の人に失礼だ。
・嘘はつくな
・自分の事は自分でしなさい
・大人の話しには口を出すな
・玄関の履物は揃えなさい
・早起きは三文の得
・敷居を踏んではならない
・他人の陰口はいうな
・贅沢はするな
・見栄を張るな

等々書けばいくらでもある。

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2001年06月01日(金)
言葉の トリック

宗教家とか占い師そして政治家がつかう言葉のトリックに
次のような方法がある。
宜保愛子がこの方法を多用していた。

1.あなたは悩んでいますね。
2.あなたは転換期にありますね。
3.−−−ははしゃいだ後落ち込んでいますね。
4.小さな動物を殺した事がありますね。
5.近くに水がありますね。ーーーー花が近くにありますね。
6.恋愛に悩んでますね。−若い女性にすべて当てはまるからだ。

これを三十〜四十位使いこなせば占い師か宗教家になれる。
こういう笑い話がある
占い師がある男に子供が2人いますね?と聞くと、
‘いや3人だ’と答えると、
‘そうあなたが思っているだけです!’

人間は自分自身の言葉のトリックに身動きできなくなっていることが多い。

宜保愛子があるTV番組で。
・玄関に花か花の絵がありますね?
・右に回ると居間で左が仏間か物置になっていて、居間の左が台所でーーと延々と続く。
間違えると首をひねりごまかす。

ほぼ私の自宅と一緒であったのに笑ってしまった。
これに私立の探偵かスタッフに外観か玄関を覗き見れば当たって当然。
さすがに最近は出なくなった。

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2002年06月01日(土)
424, 父・堀井誠作のこと -1

一昨日は父が亡くなってまる29年経つ。
早いといえば早いし、永いといえば永い年月だ。

父の供養も含めて少し父のことを書いてみよう。

・典型的な明治人で長岡商人であった。
・私が父の44歳の時の子供であり、父に間接的だが溺愛されていた。
・数代続いた骨董品屋の2代目で、
 父が跡を継いだ時7万ぐらいの資産があったと母から聞いた。
 当時の長岡では3〜5万が一応資産家の目安だったというから、
 もともと裕福な家だった?私のお祖父さんが貧乏で、お金に苦労した。
 その為必至に資産をつくり上げたようだ。
・父の代で戦前、それをかなりの資産に増やした。
 しかし戦災で大部分失ってしまった。
・戦前は山本五十六とか津上退助とか野本互尊翁等の人に贔屓にされ、
 かなりの骨董品の商売をしていたという。
・戦時中は仏壇で食いつないだという。
・戦後は長岡の大手通の4つかどの土地を手にいれ喫茶店を少しやり、
 古着屋に転業、そして衣料量販店で全国的にも知れるほどだった。

以前父のことを書いた文をコピーしておく。

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H0505小説のような本当の話!

 十数年前、父の七回忌の早朝、母と花を持ち墓にお参りに行きました。
ところがすでに墓がきれいに磨かれており、花が飾られていました。

生前仲のよかった“父のいとこ”が、すでに来てくれたと母と語らい、
お参りをしていると、見知らぬ老人が話しかけてきました。

たまたまその寺の近所に住んでいるというその本人がしみじみ語るには
“自分の子供の高校の入学時に、金がなくコートを買ってやれずに、店にいた父に、
正直に事情を話したところ、父は全く見知らずの自分に、分割払いをしてくれた。

それが本当にうれしくてうれしくて!それで父が亡くなった時以来、
必ず命日にこうして掃除をして、花を供えている”との事。

聞いていて本当に父のすばらしさの一面を知らされた思いでした。
その時、果たして私の七回忌にこんな事がありうるだろうか。
そういう“生き方”を自分はしてきただろうかとつくづく考えさせられる
出来事でした。
父の名前は誠作という事もあり、
それが本人のコンセプトになっていたのだろうか?当時、
丁度今の会社の理念を考えていた矢先、
それが大きなきっかけとなり“誠心誠意”に決まった次第です。

・・・・・・・・・
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2003年06月01日(日)
788, 産能大学ー講義レジメ
  
 来週の産業能率大学ー講義のレジメと一部内容である。

1、ペガサスの軽い説明と、チェーンストアの現状
2、現事業の立ち上げの戦略とプロセス
3、創業とは、創造とは
4、もし私が、今あなた方であったら、最優先で何をするだろうか
5、現在の景気について

ー「ペガサスクラブ」について
チェーンストアを束ねているコンサルタント会社である。
40年前に、日本にも新しい流通経路をつくる為にアメリカのチェーンストアに学ぼうとしていた。
ジャスコやヨーカ堂やダイエーの創業者達が、読売新聞の記者をしていた渥美俊一のもとに勉強会を作った。
それが発展して、コンサルタント会社の「ペガサスクラブ」が出来上がった。

私自身、設立の年にジャスコに入ったが、一年で辞めて産能大学の
二部に籍を置いていたことがある。
その後金沢の衣料チェーンの「いとはん」という会社に一年半在社した。
その会社もジャスコの偶然だが傘下に入ってしまった。
そういう経験を含めて、チェーンの内部からそのシステムを見てきた。
また会社設立から、「ペガサスクラブ」に入会した。

ー現事業の立ち上げについてー戦略とプロセス
・スペシャリティーホテルを当時、日本で初めて創った。
 オールシングル 
 統一料金
 ロープライス

ー創業ー創造について
 カタチつくり
(カ・カタ・カタチ)
 カー神・発想
 ター田・型
 チー血・エネルギー・道

ーもし私が、今あなた方であったら、何をするだろうか
 人生のトータルデザインを創る
 ホームページを作成する
 資格を取る
 哲学を学ぶ
 世界を旅をする

ー現在の景気について
 もうよくなることはない
 軟着陸をどういうカタチでするかのレベル

 ・・・
どうなることか、面白そうだ!

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