堀井On-Line



1488, 全日本柔道選手権−4

2005年04月30日(土)


この数年間、4月30日には全日本柔道選手権について書いてある。
今年も書かなくては気持ちが悪い。
毎年、同じ日に同じ対象を書き続けるのも面白いものである。

昨日は、去年に続いて鈴木桂治選手が優勝をした。
ライバルの井上康生選手が休場した為に、今ひとつ盛り上がらない大会になった。
棟田選手も早々と負けてしまったし、若手の高井選手も元気がなかった。

そして予想通り鈴木選手が村元選手を破って優勝をしたが、僅差であった。
気になるのが、若手で生きのよい選手がいないことである。
いつの時代にも必ず若手でいるものだが、現在は見当たらない。
高井、穴井というのがいるが、井上、鈴木の若い時の輝きはない。
仕方がないのだろ。

今年の総評も、書くほどの内容はなかった。
相撲も、柔道も、どうしても時代の勢いによって選手のレベルが決まってくる。
そして、優秀な選手には必ずライバルによい選手がいるものだ。
この4年間の文章を読んでいても年々、柔道のレベルが落ちていくのが解る。

桜も充分見たし、連休で英気を養って夏を向かえる何時ものパターンである。
そういえば鯉幟の姿を殆ど見かけないが、地震のためだろうか。

この三年間の文章を読んでいて、同じような文章を書いている自分が其処にいる。
それと、殆どの記憶は忘却の彼方になっていることに気づく。

読み返してつくづく思う事は、
とにかく書き残すべきことは書き残したほうが良いということだ。
TPOSの時の具体的な事と、その時の正直な気持ちを言葉に書き残す事は、
自分の気持ちの刻印になる。

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2004年04月30日(金)
1123, 全日本柔道選手権−3

今年で3年連続で「全日本柔道選手権」について書く。
日記を読み返してみても、この選手権はドラマがある。

なんといっても準決勝で鈴木と棟田のオリンピックをかけた勝負が
伯仲をした面白い内容であった。
二人の実力は五分であったが、消極的ととられた棟田が注意・指導ー有効の差で負けた。

これで鈴木が100キロ超級でオリンピック出場が決定をしたが、終わってしまえば
やはり順当というところであった。
負けた後に涙をこらえていた棟田の姿もよい。

最後は最優勝候補の井上康生を鈴木が勢いで破って優勝をした。
鈴木も前回、負けた井上に勝ったのだから、自信を持ってオリンピックに
出場できるから、このオリンピックも期待できるようになった。
当分この三人が100キロ級と100キロ超級の二つの枠をかけて争いながら日本の重量級を
引っ張るだろう。

これと、天皇賞と、連休が終わるとで春は終わり、初夏に入ることになる。

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2003年04月30日(水)
756, 全日本柔道選手権−2

去年も書いたが4月29日は講道館ルールでおこなわれる「全日本柔道選手権」
がある。勝てば天皇杯をもらえる。
毎年必ず楽しみにしてみている。
無差別でおこなわれるのが面白いし、毎年何らかの因縁の試合がある。
今年は、
・篠原選手が引退をかけて出場してきた事と
・鈴木と井上選手の勝敗がどうなるかである。
数ヶ月前の世界選手権をかけて争った体重別選手権で鈴木が勝った。
しかし過去の実績で代表は井上が選ばれた。
もし今度も鈴木が勝てば、井上の代表はどういうことか疑問を持たれる。
結果は井上が一本勝ちで面目を保った。
優勝インタビューで井上は男泣きしていたが、鈴木も表彰式で泣いていた。

篠原は僅差で負け引退をした。
去年準優勝の棟田は怪我をおして出たが、そうそう負けてしまった。
感動的な緊迫した一瞬も見逃せない真剣勝負が多かった。

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 2002年04月30日(火)
392, 「全日本柔道選手権」−1

4月29日といえばこれである。
この面白さは体重別でない事だ。
軽い体重の選手が結構勝ち抜く。
それと真剣さを感じる、永年の歴史の重みであろう。

柔道の面白みはもともと「小さいな男が大男を投げ飛ばす」ところにあった。
それが世界的に広まっていく過程で、階級別になっていった。
それぞれの体重別のトップが次々に出てくるところが面白い。
その人が2〜4ランク上の準実力者と闘うからだ。
100キロの井上が150キロの選手を投げ飛ばしたていた。
最後は井上が一ランク上の棟田を破り優勝した。

この試合が近年まれなるよい試合であった。
両者とも絶対に勝つというぶつかり合いで、会場も異様な熱気に包まれた。

一〜二階級の違いなら、トップクラスの方が勝つ事が多い。
勝ち方を知っている為だ。
四月最終日曜日の天皇賞と、これを見て初めて連休を実感する。
ああそれと鯉のぼりだ。


1487, 郵政民営化と自民旧守派

2005年04月29日(金)

郵政民営化は、至極当然の流れである。
しかし、反対派との猿芝居で殆ど骨抜きになったが、
国鉄の民営化より先にしなければならないことであった。

この旧守派の連中のトップで反対しているのが、
トナミ運輸のオーナーで、前の橋本派(恥元派)の現在の実質トップの綿貫という男。
自社の利益を守るための反対であるのは自明である。
郵政が民営化されると、一番困るのが運輸会社である。
もう政治とか何とかいっている以前の話である。

こんなのが、政界の中心にいるというからエログロである。
この男の反対理由に
「利益だけではなく、公共の利益を考えなくてはならない」とか言っておられる。
自社の利益を守るためであるのは誰の目にも明らかである。
これが政治家だというからお笑いである。
それも元衆議院議長というから、その質の低下もいいところである。

政治的犯罪行為が露出しているのが、この連中には解らないのだ。
あの亀井静とかいう政治家も、政界にまだ存在しているから恐ろしい。
郵政族と称する票?食(乞?が怒るか?)も哀れな存在でしかない。

言葉が汚いかも知れないが、この連中のことを書くかぎり言葉の方が汚れてしまう。
彼等の存在と名前は、汚点として政治歴史として間違いなく残る。

自民の旧守派どもが郵便預金を露悪的公共事業に注ぎこんできた主犯。
その残党どもが、その元金を断ち切られるのを恐れて反対をしているに過ぎない。
恥を知れ!というほどのレベルでもないが。
書いていても情けないというより、その醜悪の姿に日本の将来に絶望を感じる。
こういうのが、まだ存在しているのだから。

国鉄を振り返ってみれば、郵政の民営化は当たり前のことである。
郵便局の存在は国鉄の数倍も国にとって効率の悪い存在でしかない。
何が公共的存在というのか。
国鉄の末期のとき、共産党と社会党の連中が同じことを言っていた。

コンビニで郵便局の存在意味は、ほぼ終わってしまったのだ。
特に、郵便局の連中の言い訳に羞恥心があからさまに見えていた。。
あまりの非合理性を自分で知っているからだ。

とにかく自民党を潰さなくては!
小泉も含めてだが。
民主党の党首が、あの程度である。
貧すれば鈍するが今の日本の政治である。

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2004年04月29日(木)
1122, 「ライフ・レッスン」ー8

ー怒りのレッスン

・怒りは文字通り腹部でつきあわなくてはならない。
そのこつを身につけるには、眼をとじて、片手を胃のあたりに
当てるとよい。脳でなくからだを使うというかんたんな動作が、
そのとき感じていることを知るのに役立つ。
自分の感情とつきあう習慣は、現代社会ではほとんど知られていない。
現代人はからだで感じるということを忘れている。
わたしたちは理性と感情を分けようとする。
理性に支配させることに慣れすぎているで、感情やからだのことは忘れてしまう。

・怒りは、うけた傷に自分がなんの対処もしていないことを知らせるシグナルである。
その傷は現在進行形の苦痛だが、怒りはだらだらと長びく苦痛になる。
傷をためこみ、それに注意を向けないでおくと、怒りは成長をする。
わたしたちは怒りを多くためこみ、やがて傷の分類ができなくなって、
最後には自分に怒りがあることにさえ気づつかなくなってしまう。
怒りの感情とともに生きる事になれてしまい,それが自己の一部と思いはじめる。
その怒りがアイデンティテーの一部になる。
だから、わたしたちは、自己のアイデンティテーと古い感情とを分ける作業を
分けなくてはならない。

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ー感想

怒りっぽい性格のためか、このレッスンを過去の人生で多くしてきた。
怒るには怒るだけの理由がある。また、その怒りによって適切な判断が
できたことが多かった。
怒りは、その感情の高まりによって自分の世界を他者との間に一瞬ラインとして
見ることができる。
怒りの感情を抑圧することで対処しようとする人が多い。
その必要はないのだ、といって怒ってばかりいるのは問題だが。

はなしは変わるが、去年の同日の随想日記の内容が偶然の一致で
「怒る技術」であった。面白いものである。
怒るということからのレッスンが全く足りないのか?
方向違いを知らしめようとしているのか?
じっくり考えてみる必要がある、特に私の場合は。

怒りの背後にあるものの一つに「恐れがある」という。
なるほどそうかも知れない。
怒ってみて初めて、その正体がわかることもある。
怒りを溜め込むと、憎しみになる。
憎しみのヘドロを溜め込むなら、怒ってそのつど吐き出すことも
必要なこともある。

憎しみのヘドロでドロドロの人が、あまりに多い。
そのヘドロを他人に投げつけるから始末が悪い。

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《--怒りについて--》

怒る……
(「起こる」と同語源で、勢いが盛んになる意から、感情が高ぶるのを言うように
なったもの)自分の意に反するものの存在によって感情がいらだち荒れること。

・いつまでも人を恨んでいてはならない。あなたが恨んでいる人は、人生を楽しんでいる。
                      ーハケット

・敵のため火を吹く怒りも、加熱しすぎては自分が火傷する。
                      −シェークスピア

・怒りの結果は、怒りの原因よりはるかに重大である。
                      ーマルクス・アウレリウス

・汝を傷つけた人間は、汝より強い者か弱い者かのどちらかである。
 もし弱い者であれば、その者を許しなさい。もし強い者であれば、汝自身を許しなさい。
                      −セネカ

・あなたの敵を許しなさい。しかし、絶対に名前を忘れてはなりません。
                      −ジョン・F・ケネディ

・過去を忘れ、心から怒りを消し去れ。どんな強い人間もそんな重荷に耐え続ける
 ことは出来ない
                      −チェロキー族の格言

・間違っていながら、しかもそれを認めたがらないとき、人はついには怒り出す。
                      −トーマス・ハリヴァーン

・怒れる人は再び怒る――彼が冷静になったとき、彼自身に向かって。
                      ープブリリウス・シルス

・死ぬほどの怒りは狂気よりもずっとひどい病で、
 胸の奥の奥にある一番の秘密をしばしばさらけだすものである。
                      −ヤコプス

・怒りは他人にとって有害であるが、憤怒にかられている当人にとっては
 もっと有害である。
                      −トルストイ

・我々がある人間を憎む場合、我々は彼の姿を借りて我々の内部にある何者かを
 憎んでいるのである。
                      −H・ヘッセ

・怒りと愚行は並んで歩み、後悔が両者のかかとを踏む。
                      −フランクリン

・人間は、理性のうちに負けたものの埋め合わせを怒りのなかでするものだ。
                      ーW・R・アルジャー

・人は軽蔑されたと感じたときに最もよく怒る。だから自信のあるものはあまり怒らない。
                      −三木清

・争いの場合、怒りを感ずるや否や、我々はもはや真理のためではなくそれのために争う。
                      ーT・カーライル

・怒りは無謀をもって始まり、後悔をもって終わる。
                      −ピタゴラス

・自分で怒りを抑えるには、他人の怒る姿を静かに観察することである。
                       −L・A・セネカ
・遅延は憤怒の最良の治療薬。
                       −L・A・セネカ

・腹が立ったら、何か言ったり、したりする前に十まで数えよ。
それでも怒りがおさまらなかったら百まで数えよ。それでもだめなら千まで数えよ。
                        ージェファーソン
・怒りに対する最上の答えは沈黙。
                       ードイツのことわざ

・恋人達の憤りは愛の力を更新する。
                       ーシルス
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2003年04月29日(火)
755, 「怒る技術」ー読書日記

 
 タイトルが面白そうなので買ったが期待したほどの内容ではなかった。
私が怒りっぽい人間でこの技術を経験上身につけてきた事もある。
 著者と同じ年齢で闘争的であることもあってか合点することが多かった。
私の場合は子供の頃から兄姉やクラス内の喧嘩で怒りの山であった。
また学生時代の寮生活で、怒りのテクニックを身につけざるを得なかった。

 創業でも色いろな場面に遭遇したことが多かったこともある。
怒りの山を一づつ乗り越えてきたというのが実感だ。
その意味では、この本は哲学者の言葉の遊び的な甘さもあった。
しかし彼がウイーンで、怒らなくては生きていけなかったというのは
よく理解できる。ヨーロッパ人は実によく怒るそうだ。
喜怒哀楽を冷静に使い分けないと、事業など出来ない。
著者も彼らの「怒る力」には及ばないと書いてあった。
彼らはわれわれ大和民族と怒りの表出の仕方が違うという。

彼らの特徴は
・すぐにその場で怒りを表出する
・以前の怒りを根に持つことが少ないこと
・怒りは激しく、しかしただちに収まること
・怒りの表出が言葉中心であること
・個人的に怒ること
・演技的怒りであること
以上であるが、全く私が身につけた怒りかたと同じである。

 寮生活をしていて、大学を卒業しながら、社会に溶け込めず寮に入り
浸っている先輩の群れがいた。
大人しくしていたら部屋のものを持ち去ってしまうこともあった。
直接攻撃もできないし、ただ見ているしかないこともあった。
彼らの姿から、脱皮していくには過去の場所には二度と行っては
ならないことを学んだ。
  
 怒りは貯めておくと、膿になり化膿してくる。
自分でコントロールしなくてはならない。
この本の中に「怒れない人達」というのが書いてあった。
何か気の毒のような気がする。
最近こんなものかと怒りが少なくなってきたが、それでも山のようにある。

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「怒る技術」
PHP研究所(2003-02-28出版)
・中島 義道【著】
販売価:\1,300(税別)
ー内容ー
たとえ間違っていようと、あなたは怒るべきである。
20年にわたる壮絶な対人闘争から掴んだ「怒りの哲学」。

1 怒りを感ずる技術
2 怒りを育てる技術
3 怒りを表現する技術
4 相手に怒りを伝える技術
5 相手の怒りを受けとめる技術
6 怒らない技術
怒りを効果的に表現する著者独自のテクニック。
日本人は怒るのが下手だ。周囲との軋轢を恐れ、すぐ黙る。
ヤワな日本人に向けて、筋金入りの怒り巧者が語る実戦的な怒りのテクニック。

 現代日本には、怒らない、あるいは怒ろうとしてもうまく怒れない人が
うじゃうじゃ生息している。そうかと思うと、突如としてキレる青少年も、
蔓延している。著者によると、これは車の両輪のような深い関係にあって、
「怒る技術」を学ぶ機会がなく、むしろ怒ってはならないことばかり教えられて
きたがゆえに発生している、現代日本人特有の症状である。
著者もまた怒れない青年だったが、ウィーン留学時の体験が大きな転機になった。
ヨーロッパ社会では、怒りを表出しなければ、まともに生きていけなかった
からである。帰国後も騒音の音源に対する抗議を通じて、著者の怒る技術は
ますます磨きをかけられ、ついには、場面に応じて怒りの表出のしかたを
自由自在に操作すること、つまり「怒りを演技する」ことが可能になった。
これは相手に怒り伝達し、具体的な効果を得るために最も有効な技法であり、
本書では、そのテクニックを著者の体験に即して読者に指南する。

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 ー感想ー
 この著者は怒りの代用として対象への軽蔑がある。
そのことに気がついてない。
自分が生きているだけで精一杯でしかないのか、それとも哲学者のゆえんか。
「怒りの代用としての軽蔑と、生きていくだけで精一杯」は自分のことだからよく解る。
私の場合と違うのは、この人の人生は全く楽しくないということだ。
本人もそう書いている。  「笑いの技術」でも書けばよいのに!
要らぬお世話と怒られるか!

 昨夜この下書きを書いて寝た為か今朝面白い夢をみた。
ペガサスクラブというチェーン店理論のコンサルタントの
一種気違いに近い怒り方をする渥美俊一先生が、セミナーで招いていた
先生ー経済評論家のリチャード・クーを、私語をしていたといって殴りつけたのだ。
なんでリチャー・クーなのだろか解らないが?
そして二人は喧嘩をしながら、会場外に出て行った。
恐らく警察をクーが呼んだのではと思いながら・・・・
で夢が覚めた。こんなものだが、それにしても脳は面白い!
話は変わってしまったが!

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2002年04月29日(月)
391, 休日の風景

休日の一日の典型の日が昨日であった。
時系列に書くと
・5時に目が覚める、30分位 うとうと
・5時半、 起床ーすぐ仏壇の前でおまいり
 「天国のお父さん、お母さん、運一さん、進さん、正子さん、(兄・姉)
  ご先祖様、そしてあの世のすべての人が安らかにお休みなられますように!そ  してこの世のすべての人が良くありますように、特に大変な人がよくあります  ように。ご両親様ありがとうございました。
  仏様ご苦労様です。今日一日最大限いきます。そして明るく・・」
・5時35分^6時15分  パソコン・・・・
・6時15分〜8時15分  散歩
・8時15〜11時   食事・新聞TV・読書
・11時      風呂
・12時     食事 パソコン
・13時     愛の貧乏大作戦ーTV
・14時     図書館・選挙
・15時     競馬・天皇賞ーTV
・16時^17時45分  WOWWOW ー映画ーリプレイスメント 
           これが大当たりー面白い!
・17時45分^  笑点
・18時   近くのー100m先のサイゼリヤで食事
     (500mlの赤ワイン、牛肉の角煮、ムール貝、アンチョビの
     ピサ、ドリア) 以上で2人で税込みで2100円。スーパーより安い!
      ウオーキング
・19時  サンマのからくりTV
・20時  巨人戦
・21時  居眠りーTVの前で  ビデオ少し
・10時半 就眠  
大体これで休みが過ぎる。80パーセントがこんなもの。
あとはSC と映画 とあたりが加わる。


1486, 男と女

2005年04月28日(木)

男と女を語らせるなら、「オカマ」が面白い。
その話が面白くて一時オカマバーにかよったものだ。
あからさまな女の本音を聞かせてもらえたり、
突如、男に変身?する身の変わり方が絶妙である。

最近になって書店で、特に目につのが美輪明宏である。
なるほど読んでいて鋭いが、あくまでも男女間の機微だけで、
人間の本質に関しては深くはない。
これもオカマの宿命で仕方がないのだろうが。

近くの図書館から借りてきた本で、
現在売れっ子の美輪明宏と斉藤隆の対談集の
「人生賛歌」ー大和書房ーがよい。

特に「第四章のセクシュアルに生きる」
ー弱い女と強い男は見たことがないー美輪明宏
の言葉がなかなか男女の本質の差を言い当てている。

ーその一部を抜粋してみるー

長い間、男女を見てきて思うのは、
女はものの考え方がとても大人なんですよ、老獪なんです。ところが視点が
「浅いところ」をみている。
男の考え方はとても幼稚で子供っぽい、稚拙なんです。ところが実は
「深いところ」を見ている場合があるんです。
そこが女と男の本質的な違いがあります。

女は生まれながらにして、大年増、「オバタリアン」なんです。
小学校の6年生の男女を比べると、一年と六年生位の差があります。
はるか年上の先生を好きになったり、性的に迫ったり、悪知恵を働かせます。
最近私がよく言うのは「弱い女と強い男は見たことがない」ということです。
中小企業の社長で死ぬのは男だけ、女は絶対に死にません。
社会通念では「女がロマンチスト」で「男は現実的」と考えられているが、
これはあべこべなんです。ちょっとした叙情的な要素はあるが、女は現実そのもの。

私は男性がロマンチストで女が現実的というのは、それが必要だから、
神様がそのようにつくったのだと思います。
男が雄雄しく、女は繊細でつつましく、やさしくあれというのは、実は
そうでなかったからそう言われていたわけなんです。

女が現実的で、男はロマンチストだから、女に天才が少なくて男に天才が多いんです。
男は仕事のほうでは驚くくらい老獪でしたたか、抜け目がなくて油断ならないところを
もっている。しかし、私生活になったら、迷子になるぐらい方向音痴だったり、
世の中の常識を知らなかったり、ストンと大きなところが抜けています。
そのギャップが天才の資質なんです。・・・・・・・・
子供っぽさと深いところを見ている大人のところの落差が、天才の条件なんです。

 ーーー

姉が上に4人もいたことと、女性の職場にいたため、
この程度の男女の違いの内容は常識で初歩的でしかないのは解るが、
しかしオカマが言うから面白い。
何で時間をかけて書き写したかといえば、ズバリ解りやすく表現しているからだ。

女は男よりシビアで現実的なのは生理があり、
ひとつ間違えば妊娠してしまう立場にあるからだ。
雄犬と雌犬の差である。
雄犬は本能に任せておけばよいが・・・
女性も見ているので、この辺で止めておいたほうがよい。

ーーーー
2001/12/21
[215] オカマバーー2

前回書いた初めて連れて行ってもらった時の事、カウンターで若い女性が二人飲んでいた。
「へー、若い女がこういう処にのも来るのかなー」と見ていたところ、
一人の女性が「社長!こんな処に来るのですか!」と話かけてきた。

よく見るとうちの会社の社員。「お前こそ、なんでこんなところに!」
と逆にこちらがビックリした。それぞれ世界があるものだと感心した。

毎年行われている長岡高校の同級会を新潟でやってくれと、
私の幹事の番に言われた。
そしてその日の3次会で残った4〜5人で
その店に行った時、0時を過ぎていた。
確か二人の女性が踊りながら、我々を見てホモの集団を見ているような目つきで見た。
その時「これが引き時かなー」と、それから行かなくなった。

丁度その頃、古町で(Zoo)という店がオープン、値段が7700円で
かなりの話題になっていた。
女装している店で、筋肉隆隆のコミックのうりの面白い女?か、
あれは切ったとか、いやに女っぽい女?を憶えている。
別世界の驚きがあった。

二回行ったが、そのホステス(ホスト?)が中学の同級会に女装で
行った時、担任の先生の驚いた表情の話が、印象的であった。
その世界の素人?に、その世界を面白おかしく見せたり話すのが
「彼らの売り」であったようだ。
「笑われて何ぼ」という世界のようだ。
ただエログロの面白さ一見の価値はあった?

学生の時、歌舞伎町で女装のオカマの店の前で、お客を見送っている姿を
見た時のことを急に思い出した。
その時は如何いうことか全く解らなかったのだから、かなりオクテだったのだろう。
2001/11/04

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2001/12/21
[214] オカマバー  −1

05:48 NoName

14〜5年ぶりに新潟駅前にある、オカマバーにいってきた。
オカマバーの面白いのはその話術である。

変わった飲み屋がないかと言われて当時よく、知人を連れて行ったものだ。

始めは近くの大原簿記の理事長が近くにビルを創りたいが、
この辺の情報を知りたいとので一献と、どう云うわけか奥さんと娘と
行ったのがきっかけであった。

やはり初回は異様な感じで、カウンターに男同士の絡みの置物の像には
驚いた。
しかし知人に話をすると殆どの人が連れていげという。
喜ぶが二度と行こうとは誰も言わない。

奥にやはりもう一軒あるそうで、そこはその気のあるホモのタマリ場という。
男同士はあまり猥談は言わないが、かなり際どい下ネタをあっさり言う。

以前姉達が新潟に来た時つれていったが、その時私の手をとって人先指をふき始めた。
そして目をツブレと言うつぶった瞬間その指をシャブラレタ!ぞっとした。
もしホモの味を知ってしまったら、抜けられないとその時思ったが、
それより気持ちが悪いほうが先であった。

悲鳴をあげたが、1人の姉が私にもやってみてという。
真面目を絵に書いたような人で、皆凝視の中シャブラレタが
「何ともないわ、それより真面目な顔でやってるほうが面白いは!」と
言ったのに驚いた。

私の知り合いが、子供を連れてサウナに行ったららそのママがいたと言う。
子供を盾に下半身を隠し方法のていで、出てきた時のシグサガの話が
面白かった事を思い出した。

2001/11/03

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2004年04月28日(水)
1121, 平均寿命100歳!

新聞を読んでいたら、
「今世紀後半に平均寿命が100歳になるとなるかもしれない」とあった。

ーその概要を書いてみるとー

線虫をモデルに、老化にかかわっている遺伝子「クロック1」を傷をつけると
1・5倍に延びるという。同じような遺伝子は人間にも見つかっており、
「人も遺伝子の操作で最大1・5倍の延ばすことも不可能でないはず」という。
人間の寿命が120歳が定説になっているので、単純に当てはめれば180歳まで
延ばすことが可能でないかということになる。
「老化は体内の神経系、免疫系のバランスが崩れ、体全体の機能が低下すること」である。
この研究を進めることによって、老化そのものを遅らせることも
可能になる。脳が重いほど最大寿命量が長いともいう。その意味からみても
人間はより長生きができる可能性を持っているといえる。

ー以上であるが、
新聞の死亡欄を毎日見ているが、90歳を越えた人が多いのに驚かされる。
100歳の平均寿命の可能性は、一昔前までは考えられなかったことだ。

長生きは、元気であるかぎりしたいものだが、100歳まで生きたいとは思わない。
やはり80歳から85歳辺りが丁度よい。

もし神様が「100歳まで必ず生かしておくという契約を結ぶかどうか?」と
契約書を出されたら、拒否する方を選ぶだろう?
元気で頭がしっかりした状態だとしても躊躇するだろう。

でも、長生きはしたいのが本音だが。

・・・・・・・
・・・・・・・

2003年04月28日(月)
754, サエゼリアで思うこと

 サエゼリアのことは、よく事例として書くが更に書く。 
先日の新聞でスパゲッテーを何割か値下げを発表した。
290円ラインのスパゲッテの新商品も新たに加えていた。
少し工夫すれば夕食を二人で千円で済むことになる。
ドリアにスパゲッテーにミニサラダにグラスワインで千円である。
さすがである。
イタ飯は、一つのサラを2~3人で食べるのが中華料理と同じだ。
前菜を入れて三品を食べたことになる。

ー以下の文章は数ヶ月前に書いてそのままペンデングしておいた内容である。

 イタ飯レストランのサエゼリアのニュースが出ていた。
前年の9〜12月の既存店の売り上げがマイナス14佑箸いΑ
それでもこの三年間で450店の出店をして1000店に持っていくという。
豪州にその為の工場を作って完成したと日経新聞に書いてあった。

 この店には自宅の至近距離にあって、月に1〜2度は行く。
スーパーの弁当と同じか安いのには驚く。そして行く度に値段が下がっている。
量も減らしているが、不味くはないのが良い。
1千店になった時に規模のメリットがさらに出てくるだろう。

 殆どの商品がセントラルキッチンから半製品になって店に送られてくる。
あれだけの席のホールをアルバイトと思しき若い子が1〜2人でこなしている。
忙しくなると中の人が飛び出してきて、ホールを手伝うのも合理的だ。
品出しをした後、必ず食べ終わった食器を下げるのもこの店の特徴である。

 考えてしまうのは、このような勝ち組で業態がしっかりしている店が
14佑稜笋蠑紊殴瀬Ε鵑箸い事だ。
実勢として15〜20佑離瀬Ε鵑今の日本の消費の実態ではないだろうか。
北海道出身の家具のニトリも定点観測で数ヶ月に一度は見に行くが、
行く度に安い商品に重点が移っている。
応接セットのイスと机もばら売りに切り替えている。
それだけ厳しくなっていると考えてよい。

ー以上が数ヶ月前の文章だが、それからやはり手を打って客単価を下げてきたのだ。
たまたま至近距離にあるので、定点観測をしやすいので注目しているが、
居酒屋も含めて飲食チェーンで一番お値打ちを感じる。
最近はチェーン店以外に入ると、いつも失望して店を出てくることが多い!

・・・・・・・
・・・・・・・

2002年04月28日(日)
390, 因縁と果報


因は直接原因、縁は間接原因。
果は直接結果、報は間接結果。

嫁を求めている男が、ある知人の家に遊びにいて、妹を見初め
結婚をした。
因が嫁を求めていたである。
縁がタマタマ遊びに行ったーこれが間接原因である。
果は妹と結婚したである。報は知人と嫁本人が納得して応じたである。

よい果報を得る為には、よい因と縁をなくてはならない。
特に因が大事だ。その因に縁がついてくるからだ。

その中に感謝する気持ちがある。
感謝をすれば、感謝をするような事がどんどん集まってくる。
これは意外と難しい事だ。

感謝は言葉を変えれば、ありがたいことに気づく事だ。
特に商売をしていると、お客様のありがたさを見落とす事が多い。
顧客第一主義といいながら、そのことを忘れてしまう。

準備は「因」づくりそのものである。
準備は誰でもやれる魔法である。
解っていながら?それをおろそかにする。
そして「果」のみを追う。
事業でも、旅でも、人生でも全てそうだ。

教養とは生きていくための基礎知識だ。
永年かけて積み重ねていくものだ。
ところで基礎教養が自分にはあるのだろうか?
過去にその準備をしてきたのだろうか?
ただその問いかけは常にしてきたつもりだが。


1485, 24歳の日記ー3

2005年04月27日(水)


3月31日 1970年

昨日、最終的に実家の会社の一員になることが決定した。
恐らく三年後あたりが目途であろう。
それまでに、自分の力をつけなくてはならないのだ。
もう許されないのだ、いい加減な姿勢は。
息苦しい感じがしたが、それでもハッキリとしたものが見えてきた。
これからは、衣料店だけでなく他の事業も考えなくてはなるまい。
もう、サイは投げられたのだ。

これから大事なことは、
[自分を自分の相談相手にすることだ]
この時期は二度とない大事な時期である。
足元を見つめなおして一つずつこなしていかなくてはなるまい。

ー私の現在思っている言葉の定義を、そのまま書いてみようー

・「贅沢」とは、他人の目を意識をして、そのために意識や金や物を使うことなのか。

・「生きがい」とは、自分の価値を明確にしてその追求をするプロセスの
 一瞬に感じる満足感

・「言葉」は大事な要素である。
 しかし、それは行為にあとに出てくるもの。
 その行為は、生きた言葉、生きた人間そのものである。

・「神」とは、真善美の理想形として人間が創りあげたXである。

・「真」とは、ものごとの本筋・本質をいう。

・「決断」とは何だろうか?その裏づけになる理論と、その後の行為が
 肉付けされて達成に至るものだ。

・「善」とは、道徳のいや、価値の側面である。
 道徳は社会の中の規範であるが、その社会の規範は過去のものでしかない。

・「誠」とは、裏切りを知りながらそれを乗りこえて生きることである。

・「美」とは、美を感じる心が無くては。
 美を感じる心とは、対象のバランスを自分の中のバランスとして受け入れる
 感受性である。それは、真善においても同じだろう。

・「克己」とは、自分の壁を乗り越えること。
 人に勝つ前に、自分に勝たなくては!

・「価値」について、それぞれの社会の固定化された欲求?
 それとも目標?
 外部に価値を見出すべきではない。
 そうなった時は自分に迷いのあるときである。

・「力」とは何か、人間がただ頼れる一つのエネルギー?
 
 今の自分は自分自身を信じて自分の足で立つことだ!
 見えない未来に向かって。
 
 おやすみ!

 ー2005年4月27日5時半ー記
 
 よくぞまあ、35年前にこんな難しい?ことを書いたものだ。
 難しいことというより、自分の頭の中の言葉を引っ張り出して、
 曝しているのが有効である。
 深くは考えないで、その時に気ままに日記に書いたものだが、言葉の重要性に
 気づいたのだろう。
 
 この一年で、情報と言葉の「切断」の重要性にも気づいた。
 カレーライスをつくるのにそれぞれ素材を目的に合わせて切断する。
 情報や言葉も同じであることに。
 この一年ほど、自分の一生にとって有意義な年はなかった。
 一見、無駄に見えたが基礎の再構築だったようだ。
 
 常に社会と一線を引くスタンスが、この一年で身に付いた。
 姉夫婦が、小さな城下町の価値観の世界を全世界と信じて疑ってない姿を
 身近で観察できたこともある。
 内海にいる魚は海そのものがどういうものか知ることがない。
 陸に上がって海そのものを見ることができない。
 まして、自分が内海にいることも知らない。
 人間全てにいえることだが。
 
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 2004年04月27日(火)
1120, 「ライフ・レッスン」ー7

ー時間のレッスンー

・時間のなかで、すべてのものは変化する。内面も変わり、外面も変わる。
外観も、内的自己も変化している。人生はたえず変化をつづけているが、
ふつう、変化を好まない。それに抵抗しようとする。
そうこうしているうちに、周囲の世界のほうが変わってしまう。
変化の速度は、かならずしもわたしたちの内的速度と一致しているわけではない。
たいがいは早すぎるか遅すぎるか、である。
変化とは慣れ親しんだ状況に別れをつげて、不慣れな状況に直面することである。
あたらしい状況そのものでなく、そこにいたる間の時間に不安を感じることもある。
「一つのドアが閉まっても、別のドアが必ず開いている。・・・
でも、それぞれドアにつうじる廊下にいるときが、いちばんつらい」
変化はたいがい、ドアがバタンと閉まってしまった場合始まる。
先が見えなくなり、人は不安な時間を過ごす。
この時期はつらいものだ。もうだめだと思った時、何か新しいことが始まり、
ドアが開く。変化に抵抗しようという人間は、自分の人生そのものに抵抗して
いることになる。必要なことは変化に乗じること、少なくとも、
変化を受け入れることである。


・「西洋文化においては、歳をとることは尊重すべきことではなく、
しわは人生の勲章ではなく、隠すべきもの、避けるべきもの、除去すべきものだと
みなされている。ところが、青春時代の活力を懐かしみながらも、殆どの人は
まったく同じ人生をやり直したいとは思わない。
若き日の狼狽や混乱を、ありありと憶えているからだ。

中年になると人生のなんたることかも多少は解り、ばかげたことをしている
時間もなくなる。
中年期になると、いたずらに青春時代に戻りたいとはおもわなくなる。
若さの時期は、無垢の時期であると同時に無知の時期である。
青春の夢が中年の後悔に変わるのが、人生が終わったからでなく、
その夢のとおりに生きれなかったからである。

優雅の歳を重ねるということは、毎年、毎日をじゅうぶんに経験しつくす
生き方である。人生を本当に生きた人は、もう一度生きなおしたいとはおもわない。
後悔する人生は、決まって、じゅうぶんに生きれなかった人生である。

人は何歳まで生きたいと思っているのだろうか。
もし200歳まで、あるいは永遠に生きるチャンスを与えられるとしたら、
いったいどれだけの人がそのチャンスを受ける人がいるだろうか。
そう考えてみれば、寿命というものの持つ意味が理解しやすくなる。
時代をこえて生きたとしても、何の意味もない。
愛する人が誰もいなくなり、もはや理解しがたい文明の中で生きつづけるのは、
空虚以外の何ものもないだろう。


・夜空をみあげるとき、私たちはじつは遠い過去の光りをみている。
星の光りは地上のいまの光りでなく、何百万年前の光りだ。
他人にたいしても、私たちは同じ経験をしている。
私たちはなかなか現在の目で他人を見ようとしない。それは自分に対しても
おなじである。ほとんどの人はいまの真の自己をみようとせず、過去や自分や、
そうなりたかった自分としての自己を見ている。
きのうの自分がきょうの自分を規定しているわけがない。
それに気づくことのなかに、すばらしい自由がある。
もし現在という時間に意識をむけ、あるがままの人生を見つめることが
できさえすれば、あたらしい自分になり、まっさらの新鮮な気分で今日と
という日をむかえることができる。

ーー

ー感想ー

「時間がすべてを解決をする」ということを長く生きてきた人は
誰でも実感することである。だいたい深い傷でも3年が目安である。
ただし、深いところで自分で手当てをしておかなくては後々まで引きずるが。
振り返ってみる時、時間と供に自分も変わっていくので、客観的にその変化をみることができる。
時間が経つと同時に、何が大事で何が大事でないかもみえてくる。
冷静に屋上の上から見ている自分が「魂」である。
その時々に思い悩み、笑い楽しんでいる感情が「心」といってよい。
時間と供に魂の目を、その時間に伴って上方に上げてくれる。
ただ今日、今という時間に意識を集中しなくては魂は上方には上れない。
一期一会とは、すべてにいえることである。

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2003年04月27日(日)
753, 孤独について考えてみた

 自分の強みは何だろうと考えてみた。
「孤独に強い事」である。あまり人といなくとも平気である。
若い時の都会の生活や勤めの時代に鍛えられたことと、8人兄姉の末っ子だった
こともある。一人でいつも遊んでいたという。
創業を独りで何回か経験をしてきたのが、さらに孤独の訓練になった。
孤独をポジティヴに前向きにしなくては、無から有は創れない。
青年期はそれほど強くはなかった。実際は空元気であった。

「孤独を恐れるのは、ひとりそのものではなくて、孤独であることを責める自分
の中の内在化された他者の声である。それが多くの人の心を責めさいなまし、
安らかな心を破壊してしまう・・・」とある本に書いてあったが、私の場合そのような
内在化された他者の声は全くない。
独り事業を何回か立ち上げてきた為に内在化する余地がなかったのだろう。
それと行蔵が整理?されていたこともある。
あとは幼児期に両親や姉兄にタップリと愛情をそそがれた事が大きい。

 日本というのは孤独を白眼視する、同調的で画一的、群れや集団に属さないことを
忌避する、個人が自立できない幼稚な社会である。
これは仏教と島国が長年の間に影響してきたのだろう。
現代のように人から嫌われることを極度に恐れ、他人に従順になりすぎる大多数の
人には、逆に「人から嫌われる強さ」が必要である。
群れていれば安心している輩があまりにも多い、まあ如何でもよいことだが!
孤独をきっちり確立した上で、寂しさを紛らわしたくなったら、そういう場に
行けばよい。独身時期はきっちりとその組み立てをしていた。
居酒屋に行けばいくらでも、癒してくれる店主やママや飲み仲間がいた。

 本当に孤独に対して訓練されてない人が多い。
そういう人が仲間になって群れてしまうから更に悪い。
今回の青年会議所仲間同士の殺人事件など、そこがバカや低脳児の集まりの場で
しかないことの証明でもある。本人たちは全く気がついてないのが哀れである。
仕事の手段として群れているつもりだろうが、手段が目的にすりかわってしまうのだ。
手段の遊びが、目的になってしまうのだ。
 過去を考えると他人事ではないが!??

 ー孤独を失った時の損失を考えてみると
・独創性や創造性であり
・夢や目標や目的の喪失であり
・自我の確立であり、また自己の心の成長であり
・自分らしさや個性、独自性、心の自由、行動の自由、趣味の自由などである
群れや際限なき仲良しゴッコはそれを補ってあまりあるものなのか疑問である。
たえず友達や仲間といっしょにいる人は、群れの奴隷となり、自分を失っている。
私の嫌う子狐があちこちで群れているが、「和して同ぜず」ではなく、
「同じて和す」ということか。その「同じる」が恐ろしいのだ。

「個性個性、孤独孤独といって石のカタチの違いこそ大事だといっても、
所詮は砂利は砂利でしかないのに、解ったことをぬかすな!」
という心の奥の声がする。

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2002年04月27日(土)
389, どういう時代に?

今年来年はどういう年になるだろうか?

・今年はブロードバンド時代の新しい形が、
   製品や社会現象で新しい形で出てくる年である。ー孫正義
    携帯TV電話、液晶TV、BSハイビジョンTVなどの普及

・何を発信できるか、するかの時代になってきている。−堺屋太一
   ホームページは発信の窓か

・嵐の年、そして来年も
 ビッグバンを間接原因にした倒産の嵐、失業の増大
   身近に失業者や倒産廃業が増えてくる
    デフレの進行

・テロの続出と社会不安の増大
  新たな戦争?イラク、北朝鮮

・身近に具体的に危ない事件の続出

・思いもよらない大事件が生じるー社会的にも政治的にも

ますます殺伐とした時代になっていくことは間違いはないだろう。
しかし面白いことも事実である。
20世紀的のものの崩壊と、21世紀的の出現が同時に見れるのだから。

時代の変わり目である。
こういう時こそ、戦略の練り直しが必要だ。
一人で考え抜かなくては生きていけない時代だ。


1484, 24歳の日記ー2

2005年04月26日(火)

1970年3月22日
 
朝11時に、実家の店に手伝いに行き、17時まで手伝う。
よく売れるのに驚かされる。

今日、大鵬を見ていておどろいてしまった。
再起不能といわれながら、努力で再起をして優勝をしたのだ。
ただ驚きである。人間の一番美しい姿を見せてもらった。

今日、一年の設計図の大枠を考えるつもりが何も考えられない。
どうしたことか、例の手紙のせいか気持ちが揺らいでいる。

明日は病院に行って、精密検査をしなくては。

    3月23日

午前中は、病院で検査である。
午後は設計図を書いたが、いい加減である。
早々簡単に書けるわけがないが。
焦りだけあって、何もできないのだ。

こういう時間をもらっていながら、何もできないのが情けないが。
といって時間だけは過ぎていく。
一日一日、一歩一歩、歩むしかない。
走ろうとしても無理、歩くしかないのだ。
自分と直面して解るのは自分の甘さと、いい加減さである。


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3月30日

今朝、急に父が8時半に居間に集まるように言われた。
両親に、家の裏に住んでいる姉夫婦、兄の三郎、そして私である。
遺言の内容の言い渡しという。

急なことで全員が、吃驚する。
ー内容の概略は以下の通りであるー
・大手通の本店のビルを私、兄、義兄の三人名義にする
・会社の名義も以上の三人の名義とする
・台町の社宅になっている土地と会社名義の資金も三人共有にする
・今後三人には、別個積み立てで毎月20万づつ積み立てる
・今朝白の土地と、父個人の名義の預金は、母のものとする
・父が万一の時は、母が社長となること
・株式は母も加えた4人名義とすること

以上が遺言の骨子であった。

父が、兄と私の立場を心配をして作ってくれたものだ。
特に、一番足がかりのない私を心配したようだ。
早く言えば兄と、私と、姉夫婦に対して三等分にするという宣言であった。
姉夫婦は半分か三分の二と思っていたようだ。

それと「長姉夫婦の派手な生活ぶりに対する父親の怒りがあった」
ようだ。それにしても姉夫婦の華やかな生活振りには驚くが。

姉夫婦は、顔色を変えていたのが解った。
しかし何にも言わせない父の迫力があった。

父親の私に対する心配がこうさせたのだろう。
父親から、多くのものを得なくてはならない。
私もこれから力をつけなくてはならない。
父が元気のうちにである。
ある意味で、私の青春は終わったのだろう。
これからは一個の人間として、自分に真の力をつけなくてはならないのだ。
今日で、青春は終わったのだ。
 −−−
−2005年4月18日記ー

全く書いたことも憶えていない生活信条には驚いた。
これを土台にもっともっと書き直して、常に手帳に書いておけば
もっと違った人生をおくれただろうに。
少し硬いが、いま読んでも面白い内容である。
もう少し、軽いもののほうが良かっただろうが。
書いてあることの方が、自分でいうのは何だがすごい。
書き残すことの重要性に社会に出てから無頓着だったようだ。
現在から考えてみても、よく狂わなかったものだ。
それだけ追い詰められていたことを思い出す。

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2004年04月26日(月)
1119, 北朝鮮の怪?

 今回の北朝鮮の大爆発の事件,何か不可解な事件である。
数百メートルが瞬時吹っ飛んでいたのに、どうして電線から引火をしたのが
解るのだろうか?
組織的な大掛かりのテロ?
TVで、
「近くの中国側の街での噂で、今回の事件は暗殺未遂といわれている」とか、
「金総書記が通過する近くに、危険物を乗せた貨車があること自体不自然だ」とか、
報じていたが、異常な事件であることは間違いはない。
北朝鮮は単純なミスと報じていたが、そんなわけがない事件である。

NHKでも、阪大の爆発物の専門の教授が出てきて「電線から引火は考えられない、
爆発物によるものと考えられる」と言っていた。
中国から近い駅というと、アメリカのCIA?がとも想像してしまう。
北朝鮮そのものが、援助目的の窮余の一策ともいう仮説は少し無理がある。
状況からみたら、軍部のからんだ大掛かりな暗殺未遂のテロとみるのが自然だろう。
これから、いろいろな情報が出てくるだろうが。

スターリン型の国家が隣国に存在していること自体信じられないことだが。
現在の北朝鮮にピッタリの事件に思えるが、いつも犠牲になるのは一般大衆である。

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2003年04月26日(土)
752, SARSの不安

 もしアルカイダーか北朝鮮のテロなら!と考えると、背筋がゾッとする。
発生源が特定しているからまだよいが、そうでなかったらテロと疑われ
パニックになるところであった。
単純な自爆テロなら、その範囲で済むが、火薬を細菌に置き換えたテロを
彼らが始めたら大変なことだ。
 
 中国の香港や広東州からばら撒くのが、世界恐慌を狙う彼らからみた時に、
一番効果的である。あまりにもTPOSがよすぎる疑問が残る。
もしアルカイダーの立場なら、自分を感染させてアメリカとか日本に行くのが
効果的である。不特定多数の殺戮とパニックを狙うのがテロである。
悲観的に考えたらどこまでもマイナスに考えられるが、そこまで今は危ない
状況である。これが世界中に蔓延をしたら、パニックと恐慌は必至である。

日本などはすぐにパニックになりやすい国だ。
北朝鮮あたりが、その病原菌を貯水池などにばら撒くことも考えられる。
北京は市内閉鎖の噂で飛行場に人が殺到したとか、スーパーや小売店が買いだめの
お客で殺到している内容のニュースでやっていた。
私達のようなサービス業は、国内で蔓延をしたら一番影響をうける。
全ての人が他人事でないのが流行り病だ。
先日、新幹線で咳をしたらいっせいに視線が集まった。
飛行機で世界中に一瞬に広まるのだから、恐ろしい。

これに北朝鮮の大問題だ、どうなっていくか?

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2002年04月26日(金)
388, 温度差

3~4年前の将棋の米長棋士の講演会で聞いた話だが、
丁度北海道拓殖銀行がつぶれた直後で、
彼の講演がそこの主催で入っていた。

当然のことながら急遽中止なった。
急なことで時間もとっていたし、飛行機の切符も送られてきたし,
他の人との予定も入れていたので、そのまま行ってきたという。

それと札幌の雰囲気がどうなっているかみたかったという。
飛行場からのタクシーの運転手に話を聞いて、思わぬ内容に耳を疑った。
北海道中、特に札幌の道民は内心皆、喜んでいるという。

彼らは北海道では超エリートで、威張り尽くしていた。
永年のその鬱憤が一般の中に蓄積されていた。
確かに北海道経済にとってマイナスで、喜んでいられないが、
道民感情は拍手喝采だという。

そして数日札幌滞在中、会う人全員がそういっていたという。
これは実際現地に来てみなくては解らない情報である。
彼が言いたかったことは、実際マスコミに流れる情報と、そこの情報の差である。

「何事も現場の声を実際聞いてみなくてはわからない」ものだという事だ。
反面ITの時代は、こういう情報が瞬間流れてしまう。
「それにしても、あれは何だったんだ?」ということだった。

そこまで嫌われる理由は?
マスコミはこういう情報は間違っても流すことは出来ない。
こういう情報は現地で直接しか聞けない。

どこかの県市でも、同じことが生じている。
気がつかないのは当事者だけ、破綻したときそれが表面化する。
何処かの城下街のそれは時間の問題という。

リストラにあった元管理職や街の中から???
という話が生々しく聞こえてくる。


1483, 桜咲くーつれづれに −2

2005年04月25日(月)



昨日、昼過ぎに栖吉川の土手を上流に向かって散歩をしていると
悠久山への道路が車で列をなしていた。
「まだ桜には4~5日早いはずだが」と思いながら土手を悠久山の裏山に向かって
上っていくと、遠くに桜が見えてきた。
参道の桜並木が満開に近い状態である。

そこで悠久山まで思い切って行ってみた。
参道まで行って桜並木の道を歩きだしてビックリしたのは、
その両側の石灯籠がことごとく倒れていた。
江戸時代に献上された見事な大きな石灯籠である。
さらに子供のときから馴染みの竜神橋も落ちていて渡れなかった。

お参りをした後に、桜の名所になっている広場に出たところ、
近年見たことがないほどの花見の人で溢れていた。
連休直前の給料日前で、手軽にレジャーを楽しもうというのだろう。
山の上はまだ3~5分咲でしかなかった。

瓢箪池まで行って、団子茶屋から長岡城の資料博物館まで行って、
裏の山道を降りて帰ってきた。

ものはついでと帰路、福島江まで足を運んで花見をしたが、
ギリギリの散りぎわで、桜吹雪の中を歩くことができた。
「例年並の桜の咲き具合」というのが今年の私の評価である。
所要時間は二時間半であった。
カメラを持っていかなかったのが少し残念であった。

そして、今朝の6時過ぎに朝の花見に再び悠久山に行ってくる。
一晩だけでも開花は進むようだ。
5~7分咲きになっていた。

毎年の恒例になっている人気のない花見もよいものだ。
鶯などの多くの鳥の鳴き声が、何とも優雅な気持ちにさせてくれる。

今週の散歩は車で悠久山まで行っての花見の予定だ。

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2004年04月25日(日)
1118, 寝るほど楽はなかりけり

「世の中に寝るほど楽はなかりけり、浮世の馬鹿は起きて働け」
という、人間の本質を辛辣に笑った川柳がある。
人間の本質は、実際のところこんなものだろう。

「仕事ほど私を魅了するものはない。私はそれを座ったまま
何時間でもみていられる」ージェローム
これも面白い。人の仕事を割り切ってみているほど魅惑されるものはない。

「私はマゾである。その辛さが快楽だったため、仕事に熱中でき
出世することができました」という本音を書いている人がいるが
これも真実をついている。
そう思って仕事をすれば、辛さも辛くは感じないだろう。
また出世する人間は、仕事マゾの傾向があるのでは?

私の仕事観は父親の影響が大きい。
「より働き、より楽しめ、仕事の中にこそ本当の楽しみがあり、真実がある」
大体が、その思想のようであった。
適職にあえるかどうかが、その人の人生を左右するといってよい。

とはいっても、目先の話ではだれも働きたくないし、先ほどの川柳が本音である。
といって、生きていくためには仕事をしなくてはならない。
一部勝ち組以外、ほとんどが負け組みになってしまう時代、仕事を
どう捉えていくか難しくなってきた。
ふて寝時代の時代になってきた?

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 2003年04月25日(金)
751, 不思議-シンクロニシテー

 以前にもシンクロニシティーについて書いたが、また書く。
親戚の葬式で不思議なことがおこることが多い。
不思議な現象で特に多いのが虹だ。5~6回はある。
先日も葬式から帰ってきて散歩にでると、過去15年以上を散歩
をしているコースで初めて大きな虹を見た。
ああまた出たという感覚である。

 その中で一番凄かったのは、7~8年前に義父が亡くなった時である。
葬式が終わり柏崎から車で帰ってくる曾地峠で虹が7回も
次々に出て、その下を通ってきたのだ。
曾地峠は過去に数百回は車で通っているが虹が出たのは勿論
はじめてである。
 
 以前にも書いたが、ゾクッとしたのは8年前に近くの分家にあたる
従兄が自死した時のある現象である。
納棺の時に、突風が自宅に吹き込み桜の花吹雪が舞い込んだのだ。
写真を撮っていたが、汗びっしょりになった。
そして納棺が終わると同時に、その突風が止んでしまった。
天気予報で午後の三時過ぎに突風が吹くといっていたが、
納棺の時間が偶然に一致したのだが。
死ぬ前日に桜の花をいっぱい撮っていた。
こういうのをユングが「意味ある偶然の一致」といっている。

 涙雨というのは昔からある。
晴天でも葬式の時だけ雨が降る現象だ。
それなら大都会では毎日降っていなくてはならない。
地方におきやすいのだろう。
人知のはかれない何かがあることは間違いない!

以前書いたものをコピーしておきます。
   ・・・・・・・
H0407霊的体験
 二十年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで何度か不思議な
 体験をしてみた。

死後一週間後位か妙な夢をみた。私自身父の気持になり“死にたくない。
もっと生きたい、生きたい”という“念”になってしまった夢である。
そして夢よりさめた時の妙な気持。私自身父になってしまった。いや私自身
(父自身)生きている!という妙な不思議な感覚である。
夢の“念”は父そのものであるし、父と一年身近で苦しんだ為に“念”が
自身実感できたのだと思う。それが夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒に
なったという不思議な実感。恐らく経験した人間ではないとわからないはずだ。

また死後二〜三日後の夢も強烈な夢(?)であった。
何か強烈な恐怖感がおそってきた。その時、父のベットで寝ていたが
“おやじ助けて!”と言ってしまった。と同時に廊下の向こうにある仏間より
本当に強烈な“引力”が足をひっぱった。
そのひきずりこまれた瞬間ベットにしがみついたがその時隣に寝ていた母が
スクッと立ちあがりトイレに行った。全身汗びっしょりであった。
まだまだ不思議な事がいっぱいある…。あれ以来最近は少なくなったが
幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった。


H0511妙な夢―(機  ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。
泥棒ではないかと起きようとするが半睡眠状態で身体が動かない!
起きよう起きようとしているうちにスーッと身体が起きて廊下に出て、居間に行き、
台所を通り、寝ていた部屋へ一周してもどってきて布団に入る。
ところが、ところがである。自分の肉体は反対側の向きでねている。
まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になるという夢(?)である。
これが単なる夢か幽体離脱七日まだわからない。
 また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が1.8m位浮いて
(そのまま水平にいて)下をみると自分の肉体が下にみえる!直観的にまずい
と思い下にもどろうとするがもどれない。かなりうなされていたと思うが?
何年か後に誰かにきいたが、霊現象の一つで、よくある事だそうだ。
こんな事もあった、これは夢ではないが部屋の天井や床の下四ケ所で次々と音がする。
はじめは気のせいか夢かと思い、じっくりと観察を数夜してみたが、しかし夢では
なかった。ところで当社の税務事務所の応接間でも同じ現象があるそうです。
H0511妙な夢―(供  秋葉原のワシントンホテルに泊まった時の事、夜半、
何かのケハイに横を見ると女の人の顔が浮いている。夢だろうと腕をつねったが痛い、
これは面白いと、メガネをかけじっくりとみた。全体が白光色の黒髪の27〜28才位の、
のっぺらした美人であった。別に恐ろしいという事もなかったが顔ははっきりと憶えている。
ところが何年か後に会社のある人にその話をしたところ
、“それってみんな同じ顔をしているんだよね!”
といわれた時、はじめてゾーッとした。
 またこんな夢もある。夜半目がさめて寝むれないので、般若心経をとなえて、
 ウトウトした頃、急に別空間にひきずりこまれそうな感覚になり、まずいと中断した。
 あの別空間は“別宇宙”“ブラックホール”的イメージであった。
 その前後の夜半に夢で宇宙船みたいなものが近くおり、乗れという、
 これも乗ったら危険と直観し去けた夢である。あれに乗ったらどんな景色がみえた
 のだろうか?単なる夢とかたずけられない妙な内容であった。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2002年04月25日(木)
387, 習慣ー極限

人間が極限の時にする行為が、
健康法にいいと聞いた事がある。
それを習慣化してしまえば良いという。

頭を掻き毟る。
顔をこするーマッサージする。
ため息を吐く。
喚くー叫び声をあげる。
身辺の整理をする。

これを普段から習慣ですればいいと。
そのとおりである。

遺言もそうかもしれない。死ぬという極限の状態を常に忘れない。
毎日は無理かもしれないが、毎年の年末に書くこともそれに似ている。

末期がんで死を宣言されて、写経を始めるケースがある。
それなら普段から、暗記をして唱えているか、写経をしておけば良いことになる。

積極という言葉は正しくそれを普段から積んでおけという事だ。
消極はそれを避けて生きることである。

「あと一週間で死ぬならなら何をしますか」
というテリー伊藤の本があった。
いろいろの人がふざけて書いているが、
全部いつでもその気になったら出来る事であった。

人間の弱さをそのまま出てしまう問いかけである。


1482, ラジウム岩盤浴−2

2005年04月24日(日)


スモールビジネスとして岩盤浴経営も増加しつつある。
新潟市内にも、先日郊外に開店をした。

数年前に流行したアカスリブームや、足マッサージに似ており、
一時的ブームも可能性も充分考えられる。
三〜四年が目安であろう?

料金は一回600円〜1500円。
天然ミネラル風呂と併設されているところもある。
女性の利用が9割ということもあり、女性専用のところが多い。
最近は男性も利用者が増えつつあるという。

取引先の社長が、この岩盤浴に興味を持って岩盤温泉サウナを準備をしていたが、
開店直前に失火で全焼してしまった。
現在、違う場所で開店準備に入っているという。

失火した店を、その数日後に社長と見てきたが、見るも無残であった。
その時にラジウム石?を一部譲ってもらって風呂に入れたり、
枕の下に入れたりしている。
特に風呂に拳大の大きさの石を入れたが、身体に保温効果が出ている。
風呂のタイルに付いていたカビや水垢も不思議なことに自然と
消えていた。

また、この素材でできているカップでコーヒーを飲むと一段と美味しい。
また酒やワインも、この小石を入れて飲むと味が一段と美味しくなる。

最近はラジウム石のブレスレッドや、ネックレスも身に着けている。
パソコンに集中しているためか目が異常に疲れるが、
その疲れが減っている。

ーあるHPのこぴーです。
 
 ルルドの泉って何?
フランスのスペイン国境近く、ピレネー山脈の麓にルルドという村があります。
1858年2月11日、この村に生まれたベルナデッタ・スビルーという13歳になる娘が、
たきぎにする流木を拾い集めている時、彼女の前にマリア様が姿を現しました。
それから7月16日まで18回にわたってマリア様は彼女の前に姿を現しました。
2月25日の9回目に、マリア様がお告げになられた場所から湧き出た泉が、
後に数多くの病人を奇跡的に治したと言われる”ルルドの泉”です。

1879年4月16日、35歳という若さで昇天された聖ベルナデッタは、
現在ヌヴェ−ルの聖ギルダード修道院の聖堂に安置されています。
昇天されてから120年以上経った現在も、そのお姿は腐敗しておらず、
”もうひとつの奇跡”がここにあります。

この村にある泉の水を飲んだり、身体に接触させると、近代医学では不治の病と
考えられている病気や身体の不調・障害が急速に回復していくという実例があります。
ローマ法王庁からは奇跡と認定されています。
後の研究の結果、泉の中には、実は驚くほどの多量のゲルマニウムが含まれている
ことがわかりました。

現在この奇跡の泉には年間300万人を超える病人が世界中から訪れています。
また東洋でも評判の良い漢方植物にゲルマニウムの含有が知られています。
ルルドの泉の奇跡が全てゲルマニウムで説明がつくわけではありませんが、
現在医学界ではゲルマニウム(元素番号32)は予防医学の切り札として、
大変な脚光を浴びています。

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2004年04月24日(土)
1117, 「ライフ・レッスン」ー6

ー罪悪感のレッスン

・罪悪感は自己の判断に根ざしている。自分が何か悪い事をしてしまった
という意識である。
それは自己の信念体系に抵触をしたときに生じる、内側に向かう怒りである。
多くの場合、その不幸な判断基準は、幼児期に受けた教育によって
形成されるものだ。
それもしばしば「売春婦」になるべく育てられたということが原因になっている。
不穏当な表現だが、これは事実である。象徴的に売春婦とおなじく、われわれは
他者の親愛の情を得るために自己を売るべく育てられてきた。
自己のためのアイデンティティを強化するよりも、他者の願望実現の為に
専念するのがいい子であると教えられてきた。
真の独立や相互依存よりは、共依存すべく訓練されてきた。
われわれは自己の幸福実現のために自己の欲求を満たす方法を知らないままに
育ったのだ。
適切な時に「ノー」といえることを学ぶべきなのに。


・罪悪感は時間とも密接に結びついている。
罪悪感はつねに過去から生じ、人は過去に生きつづけさせるものである。
罪悪感とは、現在というリアリティを見ないようにするための方法なのだ。
それは過去にまでひきずっていく。過去の罪が未来の罪をつくりだす。
罪をてばなした時、人ははじめて過去を手放すことができ、あたらしい未来
創造ができる。
人は罪に値するものではなく、許しに値するものである。
そのレッスンを学んだとき、われわれはまったき自由になるのだ。

ーー

笑い話に「こどもの嘘」を思い出した。
ーあぶらげを隣から貰ってきた子供が、思わずかじってしまった。
それをとがめらると「トンビが下りてきてかじっていった!」この類だが。

良心という問題が出てくるが、両親ー良心ーの姿が一番影響する。
自分も両親ー良心ーの片割れだ。

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2003年04月24日(木)
750, ある人生

 先日親戚の葬式で、故人の息子の一人に30年ぶりにあった。
2歳年下で、中学を卒業したと同時に日本橋の蕎麦屋に勤めにいった。
といっても出前持ちである。
一度その店に行ったこともあったが、将来自分の店を持ちたいといっていた。
大人しい無口な、あまり機転が利かないタイプで、店を出せるタイプでない
典型の人と思っていた。

 その彼が何と店を持ったという。そして数年前に7年やった店を
閉鎖をしたと聞いて驚いた。涙がドッと出てとまらなかった。
大小にかかわらず創業がいかに大変かを身にしみてわかっているから、
彼がまがりなりにも新潟で単身で店を出した苦労が解るのだ。
 
 20数年働いた1千万で、誰の力も借りないで新潟市で、
あの大人しい彼が開店から閉鎖まで自分一人でやったという。
彼の性格からいって、人の数倍の苦労があったのが想像できる。
若い時の甘い顔は一仕事をやり遂げた野武士のような面構えに変わって
いた。そして自分のやってきたことに自信を持っていた。
この自信こそ人生で一番大事なことだ。

 一心は岩をも通すというが、正に彼はその人生を貫いたのだ。
20数年かけて一心に働き、店の営業を含め合計30年以上の
ワンクルーを一心にやりとげたのだ。
隣で、その兄が「凄いことだ!」といっていたが、
それを聞いてただ涙が出て止まらなかった。
「それが如何したことか?何処でもある話ではないか」
というストーリーかもしれないが、彼の純粋な大人しい性格を
知ればこそ感動したのだ。それも独身で!

 彼の30年以上のスパンで、やり遂げた一心さは,
どんな成功者より凄いことだと思う。
少しオーバーかもしれないが、「山田太一の世界」といってよい。
人生の何たるものかをこの人に教えてもらったようだ。
私の尊敬する人が一人親戚にできた。
 今は柏崎の実家で母親と住んで、掃除会社に勤めているといっていた。
この経済の暴風の中やる気をもらった。

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2002年04月24日(水)
386, 宗教的タカリ

オウム教はとんでもない犯罪行為をしたが、
一つだけよい事を、いや結果的に良いことをした。

宗教の怪しげな一面を浮き彫りにしたことである。
その一つが現在の仏教界の集り体質である。
葬式仏教の陥っている偽善体質である。

数百年かけ巧妙に、そのシステムを作っていったのだ。
彼らも商売?のだから仕方ないと、誰もが疑わないのもおかしい。
仏を盾に集っているのだ。

彼等の法事等の話など聞けたものでない。
こちらの知識の数段下レベルである。
プロの素人化の典型といってよい。

戒名料とかなんとか、勝手に値段を決め金をせびる。
彼らも生活をしなくてはならないのは判るが、豪奢な生活が問題である。

幸福の科学にしろ、創価学会にしろ、その怪しげな一面を見ると、
もっとその共通点を洗い出し、白日にさらけ出さなくてはならない。
信じさせて金を騙し取るという点で、詐欺師のテクニックとほぼ同じである。
特に結婚詐欺に似ている。

夢を売って金を騙す、お布施と称して。


1481, ラジウム岩盤浴

2005年04月23日(土)



最近、話題になっているのが岩盤浴である。

岩盤浴とは、
温められた天然石の上に寝ることで多量の汗を促進して、
新陳代謝を高め老廃物を排出する”お湯を使わない温石療法”である。

天然石は
ブラックシリカ・ラジウム石・セラミックなど と種類があるが、、
どれも遠赤外線とマイナスイオンを発する石だ。

岩盤浴で有名なものとしては
秋田の玉川温泉の地熱を利用した天然岩盤浴がある。
最近は北海道でサウナ感覚のものが急増して、それが全国に
飛び火をしているようだ。
北海道のものは、ブラックシリカであり、国内では
北海道の檜山郡上の国町でしかとれないためか道内からブームがおきた。

サウナ式岩盤浴では、
・受付でパジャマのような服をもらい着替える。
・岩盤浴の部屋は大体が10名程度が一度に寝転べる程度の広さ。
・室温は38度、湿度80%位。
・うつ伏せで10分、仰向けで10分、その後いったん退室して、
 マイナスイオンの入った水を飲んで1、0分間水分補給。
 これを1〜3回繰り返しす。

岩盤浴はマイナスイオンをたっぷり吸って、
クラッシック音楽などをバックグランドにして、
深い眠りにつくのがよいようだ。
ベタベタしない、匂わないサラサラの汗がタップリでる。
特に顔と首周りが汗が出るという。
この汗がダイエットにも効果的をもたらす。

ダイエットや、美肌効果や、体質改善など、
週1回のペースで 一ヶ月くらい続けると効果が出てくるという。
           
                           ーつづく
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2004年04月23日(金)
1116, 「内面なんて、見せかけだけのもの」

何気なく図書館で立ち読みをしていたら、この言葉が飛び込んできた。
早速借りてきて読んだが、一理あるようなないような。
しかし面白い内容である。

ー抜粋をしてみるが、際どい内容だが、まあいいだろう。

老詐欺師が私のおだてに乗って、自分の若いときの女性遍歴を話し始めた。
よくぞまあ、こんなことまでという内容であった。
その話も終盤にさしかかったとき、私は彼に、
「・・・女性の、どんなところがあなたはいいと思いますか?」
と訊いてみた。しばしうつむいて考えていたが、やがて
「・・・やっぱり、美しさだね」
と言った。
「それは・・・顔の?それとも、内面の?」と私。
「顔だよ。顔。それしかないよ」
「内面とかはどうでもよいこと?」

「・・・きみはね、まだ若いね。いいかい、内面の美しさなんてものは、
見せかけにしか過ぎないんだよ」
「内面なんて見せかけだもの」という言葉は、ズット私の言葉に残った。

それから十数年の間に、わたしもかなり、さまざまの女性とつきあった。
もちろん仕事上だが。
例外なく心の美しい人たちであった。

彼女たちは心が純粋で、内面が美しくて、それのみを自分の価値観として生きてきて
ビジネス的な話は何ひとつ理解できなくって、それどころか、私の方にも
内面の美しさを要求し、つまり金などという汚いことを云々するなと,強要して
ほどほど困った。

一方で、外面〜顔〜の美しい女性は、世間に対する見栄を大事にして、シビアな
プロの論理をキチット応えてくれる。
こちらが芸能プロダクションということもあって、求めているのが綺麗であること
だけだ、というプロの要求にシビアに答えてくれた。

そういう体験をするたびに、あの老詐欺師の言葉が、常に私の脳裏にフラッシュバック
したものである。

ーー

以上であるが、社会生活の中では女性の職場が多かった経験を話すと
実際のところ、当たらずとも遠からじである。

美人ほど、冷たく心汚いと思っていたが、その逆であった。
コンプレックスが無いことと、常に愛されている状態にいるせいか
こころ豊かな人が多い。

「私は特に美人が好きだ、だから貴女が好き」と思って接すると、
相手も解ってくれるから、逆に気持ちが通うケースが多かった。
まあ、人畜無害と思われていたのだろうが。

もっとも美人でも卑しい人間も多いが、両親などの家庭問題があるからだ。
それと自称美人と思い込んでいる人も例外になるが。

「内面なんで見せかけ」という言葉は偽善という意味あいもある。
心が綺麗なわけがない、そう見えるだけ、そう本人も思いたいだけとも
いえる。多くの人をこなしてこなくてはいえない言葉である。


ー唐沢俊一 「壁際の名言」 海拓舎 長岡中央図書館

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2003年04月23日(水)
749, リオのカーニバル

 この時期になると例年、NHKハイビジョンでその内容が放映される。
毎年三月の初旬に開かれ,約一月後に放映されている。
何とも派手で陽気で豪華で楽しい!
8年前にいって、その雰囲気を知っているから、観ていても楽しいのだろう。
違うのは音量の大きさと、会場の熱気が直接伝わっていることだ。

 TVを観ていると、会場に行っているような錯覚をしてしまう。
以前にも書いたものを後でコピーしておくが、なかなか奥行きが深い。
ブラジルではTVなどで生中継される全国的な行事なっている。
今回、あるチームの準備などの内幕をドキュメント風に紹介していた。
80分の持ち時間の演技のために一年間の準備をする。

 審査項目が10項目あり、それを細かく説明していた。
・テーマ曲の良し悪し
・打楽器ーバテリアの内容
・テーマの紹介のパフォーマンス
・同じ衣装のダンス隊のダンス
・山車の美しさ、テーマの解りやすさ、迫力
・チームの旗手の踊り
・そのチームの女王の観客へのアピールと反応
 等々ある。
プロの演出者を雇い、その年のテーマにそって
カーニバルとサンバと山車や音楽や衣装が組み合わされる。

今年もなかなかの出来であった。
数回再放送でやるから、何回もみるつもりである。

ーー以前書いた文章をコピーしておきますーー

H0703  ブラジル旅行記

 “行って吃驚!玉手箱”主観をこめて現地の実感を書いてみる。
カーニバルはリオディジャネロだけでなく、全国津々浦々の都市で行われており、
四日間全国がお祭りの為休みとなる。その最も有名で世界的に知られているのが
リオのそれなのである。
リオのカーニバルのランクがA・B・CとなっておりAランクが9チーム、
Bランクが15〜16チーム、Cランクは数十チームとなっている。
AとBチームが特設スタジオのメーン、ストリー800mを80分の持時間で
踊りながら行進する。そこは六万人の観客席があり、審判席で厳格に審査され、
その年の優勝等順位があらそわれる。

 そのチケットは一般の人はほとんど入手不可能である。
我々のTV新聞等で目にするのはCチームが街頭で行進するものでしかなかった。
チームは四千名が1チームで構成されており、それが約500名×8チームに
細分化され統一のコンセプトのもとに仮装が華やかにつくられている。
音楽も各チームごとに毎年新しいコンセプトのもとに有名作曲家が名誉を
かけてつくる。その作曲も採点の大きなポイントになるという。
一日6〜8チームが夜の七時より翌朝の七時まで延々と踊りの行進が続く。
観客席もその行進曲にあわせて半数以上が踊っている。
音響もすさまじく隣の人の声は全く聞こえない。

 上位数チームが翌週の土曜日に優勝をかけて再び行進がおこなわれて優勝チーム
は10億以上の賞金がつき、かつ翌年に向けてのよいスポンサーが約束される。
その年の山車とか衣装は翌年に持ちこさずすべて破棄するという。
カーニバルをみていて“気”とか“色即是空”とか“禅の悟り”がすべて含まれ
ており、東洋的なこのような言葉が小さくみすばらしくさえ思えるくらいだ。
ブラジルの印象として残ったイメージとしてのキーワードを書くと“サッカーと
“サンバ”(カーニバル)と“森林”と“イグアスの滝”そして“汚職まみれの国”
である。さらに加えるなら“まずしさ”である。

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2002年04月23日(火)
385, 安楽死

定期的に安楽死が問題になる。
今回の内容は、記事を見る限り詳細は解らないが、
私が知る限りのことを書いてみよう。
ただ誰が見ているかわからないので、ある程度は抽象的にしておく。

・安楽死は実際日常的に行われている公然の秘密である?
 何処までを安楽死というかもあるが。
・末期癌で、集中治療室で最後の苦しみの段階で、身内の了解のもと
 筋弛緩剤をうつなどは当然のことと思っていたが。実際は医者の手で??、
酸素呼吸器を外すことも。
・苦痛をとめるモルヒネは、死をいっきょに加速するのは公然の秘密だ。
 しかしそれより本人を楽にする方法はない。
・脳死など、それをもって死と判断し移植につかう時の最後の
 「方法」は何だろうか。
・身内のなかで、悪意の第三者?がリークして自分に有利にする事が多い。
 TVドラマでもあった。

 ところで私がその事態になった時は、
 「モルヒネはどんどんうってくれ、さっさと積極的安楽死をしてくれ」
  と常々言っている。
 「苦しんで死んでいった」という話を聞くと、周囲にそういう経験者がいなく
 「モルヒネは死ぬから、うたないで」と望む為、
 最後の最後までノタウチマワッテ、死んでいくケースが多い。
 
 こういう事について、あまりにも議論ないし、理想論が勝ちすぎだ。
 駄目なものは早く死なせてやるべきだ。生まれる前に戻るだけなのだから。
 どっちも管を巻かれノタウチマワル事は一緒か。
 出来たら死ぬ時はそれを回避してほしいものだ。


1480, 桜咲くーつれづれに

2005年04月22日(金)

昨日か今日あたりが長岡の平地では満開である。
もう散りかけてもきている所もある。
近くの山は大よそ一週間おくれになる。

何でも咲きがけか蕾のころがよいものだ。
満開で散りかけも良いが、何か心さびしいものがある。

近くに福島江という桜の名所があり、この時期の楽しみになっている。
車で10分ほどの悠久山の桜も良い。
特に豪雪の年は良い桜が咲く。

家内は如何いうわけか「桜が好きでない」という。
「どうして?」と聞いても解らないと言う。
「すぐ散るからじゃないか」と言ったら、
「恐らくそうじゃない」と答えた。
私は、すぐ散るから気にいっているのだが。

10年に一度位は大当たりになる。
悠久山などで早朝に見ると、思わず息を呑むような神秘的な
光景を目にすることが何度かあった。
一瞬の艶めかしい雰囲気が漂っている。

全国的にみたら、無数に名所があるのだろう。
サロンに、時々訪ねてくれる井上さんの桜の写真も楽しみだ。
現場で見る桜は、写真では表現できないほどの濃艶な妖精が
無数に漂っているのだろう。

先日の日経新聞の最後のページの「文化欄」に作家の山本一力氏が、
吹かずともと言う文章を書いていた。
桜の花と、人の引退時を重ねて書いていた。
ー引き時に迷ったら、桜に教わればよいー

今週の長岡は、桜の週である。

庭の梅の花も散り始めてきた。

近くの川に鴨の姿がチラホラ見えてきた。
本格的な散歩が、この時期から始まる。

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2004年04月22日(木)
1115, 中年期の「八つの危機」

思春期妄想症、青年期神経症をやっと乗り越えて、中年期から老年期になると
一番恐ろしい中年期の危機が大きく口を開いて待っている。

中年から老年に向かっている身にとって、一つ間違えればとんでもない危機に
陥ってしまう年齢になってきた。

アルフォンス・デーケンは、この中年期の危機を「八つの危機」にまとめている。
バランスを崩せば、何時でもこの鬱の世界に転げ落ちてしまう。
この「危機」に対して、上手に対応することが必要になってくる。

以下は、アルフォンス・デーケンの本に書いてあった内容である。
いくつかは誰もが心の奥で感じたことであろう。
どういうわけか私の場合、ほとんどない??
常にコントロールしてきた為だろうが。
今まではそうであったが、今後は解らないのが人生というものだ。

このすべてを背負って、万年鬱になり自殺未遂を繰り返している人がいるが、
ある日突然、こころの芯棒が折れてしまって、この幾つかの穴にはまり込まないとは
限らないことばかりである。

ーその一部をまとめて抜粋をしてみるー

「気がついたら人生の折り返し地点を過ぎてしまった・・・」
「仕事がサッパリ面白くない」
「同僚と付き合うのが億劫だし、妻や子供との時間が楽しくない」
「何の為に生きているかわからない」
「ちょっとしたことでも、くよくよ考え込んでしまう」
「若い頃のように、やる気が出てこない」
「上司や同期の葬式に出ることが多くなったな・・・」
「コメディ映画をみても、素直に笑えないよ」

よく聞くぼやきであるし、身に覚えのあることである。
以上のことは中年期に忍び寄ってくる特有な「八つの危機」の典型的な
現れである。それぞれを説明してみると

1.「気がついたら人生の折り返し地点を過ぎてしまった・・・」
 :時間意識の危機
 時間の概念は客観的なクロノスと主観的なカイロスに
分けることが出来るが、中年期は主観的なカイロス時間意識(残された時間が
少なくなってきたという感覚)に目覚める時である。今までの時間意識を変革して、
自分の人生のカイロス時間(生きているという実感をいだける時間)に対して、
ためらわずに進むことが時間意識の危機に対する望ましい対応である。

2.「仕事がサッパリ面白くない」
 :自分の役割意識の危機
 多くの人は中年期までに社会的に一つの役割をはたしますが、
現在の長寿社会では、更に第二の人生が控えています。
そのため、中年期から老年期と進むにつれて、新しい役割意識を模索する必要があります。
それは、新しい生きがいの探求と結びつき、新しい人生の価値を見いだすことになります。

3.「同僚と付き合うのが億劫だし、妻や子供との時間が楽しくない」
 :対人関係における危機
 中年期になり、協調性や柔軟性が失われ対人関係がスムーズに
いかなくなります。深刻な問題は、長年連れ添ってきた夫婦間の関係がうまくいかなくなり、
家庭内離婚や家庭内別居とよばれている事態が生じたりします。この時期の人間関係は、」
その人とより深く出会うためのアプローチ(デーケン氏は「人格的アプローチ」と言っています)
を目指すことが大切です。

4.「何の為に生きているかわからない」

 :価値観の危機
 若いときには、仕事の業績を上げること、地位を獲得すること、
財産を築くことなどに大きな価値を置がちです。中年期にはこの価値観が揺らぎ始めます。
一定の業績を上げ、地位を得、財を成しても虚しさが残ります。
そのため、価値観の見直しと再評価が必要となります。

 自分の人生の真の目的な何なのかと、問い直すことが不可欠となります。

 場合によっては、自分の価値観を見直し、新しいライフ・スタイルを創造することも
 中年期の価値観の危機を乗り越えるために有効です。

5.「ちょっとしたことでも、くよくよ考え込んでしまう」
 :思いわずらう危機
 中年期になると、健康に関する不安や将来に対する不安など、
無用な不安や思いわずらいが増えてきます。それにより貴重な精神的エネルギーを消耗して
しまい、創造的な人生を送れません。思いわずらう危機に対しては、自分でコントロール
出来ることと、自分ではどうにもならない事をはっきり区別して認識することであり、
私達の思いわずらいの95%までが、不必要な心配であると言ってもいいくらいだと、
デーケン氏は語っています。

「自分にできることならベストを尽くしますが、そうでないことについては、思いわずらわない」
ことです。

6.「若い頃のように、やる気が出てこない」
 :平凡な人生の危機
中年以降になると、仕事も家庭も平凡な繰り返しが多くなりがちです。
その結果、次第に生きる意欲や喜びが感じられなくなります。更には、倦怠や怠惰、
無気力なあきらめなどを引き起こしてしまいます。


この危機に対応するには、自分の中の潜在的能力の可能性を開発することが大切です。
ほとんどの人は、未開発のままの潜在能力をたっぷり持っています。
この潜在能力の可能性を開発することが平凡な人生の危機を乗り越えるための最良の方法です。
自分で自分に限界を設けず、何にでも取り組んでいく積極性が必要です。

7.「上司や同期の葬式に出ることが多くなったな・・・」
 :死に直面する危機
 中年になり、初めて自分は段々と「死」に向かっていることを
意識させられます。また、家族、友人、隣人などの死に遭遇することが増えてきて、否応なく、
人間の死について考えざるを得ません。

デーケン氏は、中年期の死に直面する危機を、自分自身の死、と身近な人の死に分けて考えて
います。
いつか必ず訪れる家族や友人の死により、私達は否応なく悲嘆のプロセスを味わいます。
特に、配偶者を失うことは、中高年期における最大の危機です。時間をかけて悲嘆のプ
ロセスをやり遂げなければならない人生の重要な課題です。

8.「コメディ映画をみても、素直に笑えないよ」
 :真面目になりすぎる危機
 この危機を乗り越えるためにはユーモア感覚を豊かにすることが必要です。
ユーモアは人間らしく生きていく上で欠くことの出来ない条件です。

 ーーー

いずれにしても、年齢ごとに多くの精神的危機が大きな口を開けて待っている。
やはり、直面している問題を直視して上手く対処するしかない。
こころに膿をためないことだ。
他人事ではないが!

・・・・・・・
・・・・・・・

2003年04月22日(火)
748, 思い込み

中学の頃、血液検査でB型といわれて30年経った10数年前に、
自分が実はA型ということが解った。
その時の驚きは天地が引っくり返る位であった。
「自分はB型で、その性格は努力型で、独創型のマイウエータイプ!
部下や友人にはO型が適正、女性はA型が(^_-)-☆−大好き!
男の相性の悪いタイプはAとAB型と信じて生きてきたのに!」
そのA型が自分自身だと!!
「今まで信じてきたことは何じゃい、これは!」が、その時の実感である。

 逆に考えてみると、条件を設定をして、その中でパーツをたてれば
いろいろな自分を創れるということだ!
暗示をかければ、その通りになってしまう実例でもある。
それにしても、こんなバカみたいな事が実際にあるのだ。
実の親と思っていたが、実は違っていたという感じである。
面白いものでBの対極のA型といわれてみると、自分は本来はA型タイプ
に思えてくるから面白く、かつ単純なものである。
それからはA型類型の性格の自己暗示にいつの間にかかかっている?

 金沢の会社にいたころ、誰かの手術で緊急に寮生のA型が集められた。
全く自分とは正反対な性格の連中であった。その時やはり血液型は性格
形成の基礎になっているのだと実感したのに、あれは何だったのだ?

 人間なんてものは全て言葉による刷り込みを、言葉によって剥がしていく
動物でしかないのだろう。そこに不条理が発生してくるのだ。
イスラム教とキリスト教の対立も、その思い込み?が起因している!
宗教ー経典は刷り込みの典型である。

地方にいれば地方の、都会にいれば都会の思い込みがそれにあたる。
思い込んでるのが愚か者、それを冷笑しているのがバカというのが
何かに書いてあった。

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・・・・・・・・
 2002年04月22日(月)
384, 我が内なる無能性−2

以前も「我が内なる無能性−後まわし」という題で書いたが、その続編。
そういう人が反面教師として多くいる。
といってそれを云うだけの資格があるのかといわれれば、ない。
それでも書き出してみる。

・自己責任がない ーーー人のせいにする。
 全て人が悪い、よく言うよという位人のせいにする。
 その点で狡猾そのものだ、その芸術家だ。
 誰もがその要素を持っているから書いては駄目なことだが。
 人間それほど強いものでない。
・過去の記憶だけは、よーく憶えている、特にマイナスの記憶を。
 その壁を自分の周りに作り上げ、その中から出れない状態。
 芥川龍之介の「山椒魚」はこれを揶揄したのだろう。
・本を読まない、人の話しを聞かない、変化を嫌う、議論をしないーいや出来ない。
・長期的視点ーグランドデザインが全くない。
 ー人生でも、家族の事でも、仕事でも。したがって準備という意味が解らない。
・人の付きあいが小さい枠。
 両親の呪縛から抜け出る事が出来ないーとっくに死んでしまっていても。
・人の欠点を探す事で、凝視する事で自分の影をカバーしようとする。

考えてみたら、大部分の人がほぼこれに当たる。
もちろん私もである。少し濃いか薄いかの差でしかない。

それを「子狐」という象徴でその無能性を書いている。
時々「子狐」とあったら、上記の象徴と思ってほしい。
ただそっくりなモデルはいる。


1479, 『知りたいことがなんでもわかる 音楽の本』−1

2005年04月21日(木)



クラシック、ジャズからワールドミュージック、日本のポップスまで、
幅広く網羅した、音楽の基礎などが書いてある本である。
 ほぼ全てのジャンルの歴史が詳しく分りやすく書いてある。
入門書に留まらず歴史的な考察も入っている。
一冊にこれだけ音楽の体系をまとめてあるのに感心した。
この一冊で、音楽の世界を鳥瞰したような気分になれる。

「人生を肯定するもの、それが音楽」というが、
どん底の時に何度も音楽で救われたことがあった。
むしろどん底の方が、音楽を受け入れることができるようだ。
音楽の奥底から感じ取られる作曲家の気持ちが通じやすくなるためだ。

ボーズのステレオを買ったのをキッカケに、音楽の世界に
急に興味をおぼえ始めたに過ぎないが、先ず知りたいのが歴史と
分野の体系であるから、この本はタイミング的にみてもベストであった。

これまでに、知識としてクラシック、ポピュラー、世界の民族音楽の三分類と、
・クラシックではバロック、古典派
・ポピュラーではブルース、ジャズ、フォーク、ロック
・世界の民族・地域音楽として、アルゼンチンタンゴ、スペインのフラメンコ、
 ロシア民謡、イタリア民謡、
・・・位のものであった。

それが、この本では解りやすく、時系列と分類を鳥瞰できるように
纏めてあった。

ー以下は検索で調べた概要である。

 ーーー
ー知的生きかた文庫
 三枝成彰監修

 この一冊で‘音楽通`になれる!
・バロック、古典派、ロマン派・・・どんな音楽? 
 代表的な作曲家は?
・「ソナタ形式」「交響曲」の定義は?
・バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン・・・これだけは知っておきたい!
・どんなオペラが有名で、何から観ればいい?
・ジャズは、いつどこでどうして生まれた?
・「スウィング、ビバップ、ハード・バップ」ってどんなもの?
・ブルースが生んだ重要な音階「ブルーノート」って何?
・プレスリーブームからフォーク・ロック、ハード・ロック、パンク、
 そして90年代グランジ・ロックまで
・歌舞伎に欠かせない音楽の知識とは?

ー目次
1 クラシック音楽(中世・ルネサンスの音楽
バロックの音楽
古典派の音楽 ほか)
2 ポピュラー音楽(ジャズ
ロック
世界のポピュラー音楽
日本のポピュラー音楽)
3 世界の民族音楽(ラテン・アメリカの音楽
アジアの音楽
アフリカの音楽)
4 知っておきたい日本の伝統音楽(邦楽の世界)

 ーー
次回から、
具体的に、それぞれの音楽の言葉の意味(ジャズとは?クラシックとは?とか)
をまとめてみる。
                        つづく
 ・・・・・・・・
 ・・・・・・・・
 
2004年04月21日(水)
1114, 「ライフ・レッスン」 ー5

ー力のレッスン

・ほんとうの力はその人の社会的な地位、銀行の高額の預金残高、華麗な肩書きなど
から生まれるのではない。
それは自己の内なる真正さ、つよさ、誠実さ、いさぎよさから生まれる。
どんな人にも内奥には宇宙の力があるのだということに、わたしたちは気づいていない。
一粒のタネがたくさんの花を咲かせ、毎日、太陽を大空をわたっていくのをみて、
そこに力を感じ取る。

・感謝をする人は力のある人である。感謝が力を生み出すからだ。
世にある豊かなものはなんであれ、いまあるものに感謝する気持ちに根ざしている。
真の力、真の幸福、真の幸福は、感謝という高度の技術の中にみいだされるものだ。

いま与えられているものに対する感謝、
ものごとがそのようにあることへの感謝、
自己が自己であることへの感謝、
生まれてきたときに自分がこの世界に持ち込んできたものへの感謝。
自己の唯一無二性への感謝。−たとえいまから100万年経ったとしても
  自分とまったく同じ人間は現れない。
  自分と同じように世界を眺め、同じように反応する人間はいない。
感謝の種は尽きない。
「感謝の筋肉」を鍛えたことがない限り感謝をすることはできないのだ。
「もっと」というゲームをやめて「もう足りている」というゲームをはじめよう。

・人間は内部に大きな力を持っているが、その使い方には無知同然である。
真の力は、真の自己を知り、世界のおける自己の立場を知ることより生まれる。


ー感想
力のレッスンに感謝ーありがとうーがあるとは思ってもみなかった。
しかし考えてみれば、内奥の力は今あるものに対する感謝・気づきから
出発することを考えれば至極当然のことである。
「感謝の筋肉を鍛える」という言葉も心にのこる。
感謝は長年のトレーニングが必要ということだ。
毎日「ありがとう」という言葉を繰りかえすのも、
トレーニングで感謝の筋肉を鍛えあがていることになる。

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・・・・・・・・

2003年04月21日(月)
747, 散る桜残る桜も散る桜ー2

 ー雨中の花見
 昨日、散歩がてらの悠久山の花見に行ってきた。
毎年のこの時期の恒例の一人花見である。
もう十年以上続いている。
他の場所はどうか解らないが、長岡は4~5年に1度があたり年である。
季節の微妙なバランスが影響しているのだろう。
今年は例年並であったが、満開時期に雨が続いたという点で外れの年と
言ってよいだろう。

 午後一番に悠久山に向かって出発したが、小雨がダンダン大粒の雨になり、
丁度悠久山の参道に到着したと同時に大雨になってしまった。
いまさら帰るわけにもいかないし、とりあえず瓢箪池に行く。
それでも、いろいろな団体がテントの中で「やけ花見?」をしていた。

 雨が桜にとっての天敵ということが散歩をしていて解った。
それまでは大風と思っていたが、雨も桜の花を叩き落してしまう。
最近の桜では6年位前に2~3年に大当たりが続いた。
その時に早朝、悠久山で写真を撮っていると、中年の男の人が話しかけてきた。
「自分はこの近くに住んでいるが、これだけの桜は初めてだ!」
という。それだけすばらしい桜だったのを憶えている。

 ここで桜を見ていると、子供の頃家族で夜きたことを思い出す。
参道の両側に多くの屋台がならんで華やかな雰囲気であった。
もう50年も前のことだ。
 
 花見こそ一期一会である。
吉野とか京都の名所のあたり年の桜は、魂を吸い取ってしまうのだろう。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
2002年04月21日(日)
383,チンパンジー

TV のドキュメントや本などでチンパンジーの生態の研究が面白い。
人間そのものである。
まずはその社会、ボス争いが面白い。
彼らの社会は厳格な序列が決まっていて、常にその力関係の争いと緊迫が漂っている。
特にボス争いが熾烈である。
また2番手3番手の力バランスが、人間の政争とそっくりである。

鼻が詰まった時など鼻の穴に小枝を入れ、くしゃみを誘発したりもする。
蟻の穴に棒を入れ蟻を抜く行為もする。
ボスのいない隙に浮気をしたりもするし、子供期の遊びと虐めも人間とほぼ同じ。
嫁いびりや集団リンチなどもある。

京都大学の霊長研究所の代々の名物教授が、数十年にわたりその研究を続けている。
その内容がいろいろ出版されている。
またTVでそのドキュメントを数年に一度づつ放映している。

今アメリカの研究所で、チンパンジーの一番人間に近いボノボというチンパンジー
の研究が進んでいる。数回そのドキュメントを見た。
言葉の研究やゲームの姿を見ていると、「人間との差は何処にあるのだろう?」
と考えさせられる事がある。

日本でもアイコという雌チンパンジーとその子供の研究がすすんでいる。
今ではヒトを「第三のチンパンジー」と呼ぶべきという動物学者も出てきている。
人間は狂ったチンパンジーパンジー(猿)というが、言葉を持った猿の
欲望の無限の拡大のなせる業か。


1478, 居酒屋放浪記

2005年04月20日(水)



土曜日は家内と至近にあるサエゼリアか、歩いて十数分の駅周辺の
全国チェーンの居酒屋に行っているが、もうソロソロ飽きた。
そこで、昔からの居酒屋をあらためて見直すことにして三週続けて行った。
今更の感もあるが、年齢もあるのだろう。
家内はもう行きたくないというが。

最近、BSi・6で「吉田類の居酒屋放浪記」を放映している。
平日の19時半に放送しているが、毎日これを見るのを楽しみになっている。
全国のレトロな居酒屋を訪ね歩く内容だが、吉田類と現場で酒を飲んでいるような
カメラ目線がよい。先々には、何十年も積み上がられた味と雰囲気が漂っている。
店と料理と親父・女将とお客の醸しだす暖かさがよい。
それと、その地域の日本酒の紹介も時々ある。

以前に「居酒屋の親父」のミニ小説?を書いたことがあったが。
男の楽しみは酒と女と博打であるというが、軸は一つという。
間違いなく私は酒である。

そういえば32年前に初めての創業で貸しビルつくった時に、
その中に「養老の滝」を立ち上げて経営したことがある。
二年間だったが、忘れられない経験だった。

酔っ払いの恐ろしさ、嫌らしさ、そして面白さをジックリ味わった。
居酒屋は客としてはよいが、自分がやるものではない。
カウンターの外と内側は全く違う世界である。
人間、酒が入ると別人になる。
歪みと誠実さなどの人間性がそのまま露呈する。
割り切ってみれば、これほど面白いものはない。
人生の縮図が、そこにある。
書き出したら止まらない。

 ーーー
吉田類の番組の幾つかを、HPからコピーしておきます。

#86 「とんちゃん」
老舗居酒屋として知られるとんちゃんは 
戦後間もない頃、昭和29年から屋台として現在の場所で開業。
その後、店舗営業に切り替えて現在に至っている。
黄色に赤い文字ののれんがひと目をひく
豚のあらゆる部分をトコトン味わえることで有名で 
連日会社帰りのサラリーマンで賑わっている。
人気の銀鍋、にらとん、蒙古ステーキなど全て200〜600円と
どの料理も安くてうまい。
屋台の心を忘れないために 天井には窓が・・、
月が姿を現すと お客は見上げながら月を肴に一杯やれる
ーー
#87 「葉牡丹」
昼間の散歩では 今高知で一番人気の場所ひろめ市場を覗いてみる。
何が凄いのか、入ってみましょう。
高知の新鮮な魚や、野菜。
お惣菜やからラーメン屋、うどん屋、100円ショップまで。
小さなお店がいっぱい。
 そして・・・市内にはなんと昼の12時から営業している居酒屋がある。
創業50年、ここ、葉牡丹。その日にならないと入荷がわからないドロメ、
チャンバラ貝などでまずはひっかける。
煮込みトーフ110円、豚串350円、お財布にも優しい。

ーー
これからは私の文に戻るが、
東京の中野の居酒屋もよかった。

創業以来47年の女将と、それ以来のお客との会話が何とも味があった。
苦しい時の居酒屋の酒の味の何とも心の気休めはなかった。
神戸のガード下の中華料理店の油にまみれたモツの炒め物とか、
おでん屋(関西では、たしか関東煮といった)のスジ肉の美味しさ。
誰もが、甘じょっぱい酒のつまみの思いでは数知れずあるだろう。

今度、養老の滝の立ち上げの時の話をジックリ書いてみよう。
あまり思い出したくないが、書きたくなったということは、その時のことを
受けいれる余裕が出てきたのだろう。
その時の相棒もこのHPを見ているとメールが入った。

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2004年04月20日(火)
1113, ヘビー級の醍醐味 −2

 ー家内性手工業ー

昨夜、世界ヘビー級ボクシングを見ていたら、アナウンサーが面白い言葉
をいった。IBFの世界チャンピオンのセコンドが何とトレーナーが父親で、
カットマンが母親であった。
解説者も長くボクシングを見ているが初めてと言っていた。
その時のアナウンサが「家内性手工業」と言ったから笑ってしまった。
上手いジョークである。

大型の選手が小型の選手を、追い回している試合であった。
その内容を称して「コンニャクを押さえつけて包丁で叩き切ろうとしているようだ」
という表現もおもしろい。
際どい壮絶な試合だからこそ、ジョーク?が出るのだろう。

大型選手の名前がまた良い「ゴロタ」というポーランドのゴロツキあがりの
柄の悪い選手なのだ。
いつも負けそうになると相手の下腹部を叩きつけて、反則負けになる。
数年前もタイソンに負けたばかりだ。

この試合ではないが、観客席で見ていた母親が、負けそうな息子を助け
ようと興奮して「ハイヒール」で、相手の選手に殴りかかったこともあった。

この試合は最後の最後までわからない大接戦でドローであった。
ヘビー級は面白い。

そういえば具志堅というチャンピオンが
「あなたの職業はどういう関係?」
と聞かれて
「肉体関係」と答えた話しを聞いたことがあるが。
まあ、どうでも良いことだが。

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 2003年04月20日(日)
746, 笑われている自分を笑っている面

 数年前の話である。 
高校の同級生が、ある会ー精神修養団体の支部ー主催で講演会をやるから、
聴講して欲しいと頼まれた。
たまたまその話し手の手記を読んだ事があったので、二つ返事で参加をした。

 300人位の講演会で同級生が開会の挨拶をした。
恥ずかしいそうな顔をしての挨拶が何とも可愛らしい味のある顔であった。
それから数ヶ月後に、同級会で顔を会わせた。
何げなく「お前も、やっと面ができてきたな!」と言うと、
本人がすかさず「どういう面か?」と聞いた。
正直にそのまま「笑われている自分を笑っている面になっていたぞ!」
と言葉がでてきた。
どうしようも隠せない心の顕れが純粋にでた面であった。
それも他人に良かれという仏心のが表れた表情は何とも良いものだ。
本人も何か嬉しそうな顔をしていた。

 自分の心の傷を最小にするには、他人に笑われる前に先に自分で笑ってしまう
のがコツである。その意味で、この随想日記も赤裸々に心の奥を曝け出して
笑われるのを承知の上で書いているのも「笑われている自分を先に笑っている」
ことにになる。

 ところで人間の顔というのも面白いものだ。気持ちや品性がそのまま出てしまう。
酔っ払った時の(^。^)y-.。o○−顔を鏡で見てビックリした事がある。
漫画のアトムで小さく出てくるブタの顔そのものの顔であった。
実際そういう顔をしているのだろう。
そういう顔をして、総てを忘れたい為飲んでいるのだから、それも仕方がないが。

顔はごまかせない。
バカな女が必至で化粧をするのも解る。

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2002年04月20日(土)
382,能力とは

人間の能力は無限だ。
問題は発揮できる環境をどうやって作り上げていくかだ。

それを伸ばす為に、人生設計ーグランドデザインが必要である。
それを前提にして目標の設定を立て、その達成のプロセスとその結果が
能力という。
したがってグランドデザインが明確でかつ高くなくては伸びない。

まとめると
・高い志を持ち
・ウオームハート&クールヘッドで
・事の本質を見つけ
・自ら常にその時点の最重要の問題を見つけだし
・失敗を恐れず、その重心と中心点に向かい
・全エネルギーを持って
・チャレンジとコンペテションとチェンジをする

知性と愛と力のバランスをとり、それぞれの価値を見つけ
継続してやり続ける。その為には好きな事を見つけそれをやり続けるか、
それを好きになるかだ。

まあこんなところか。


1477, 男はつらいよ

2005年04月19日(火)



ある保険会社のアンケートによると、

・また生まれてきて再び
 同じ亭主と再婚したいと思っている女性が20佑紡个靴董
 同じ女房と再婚したいと思っている男は75
 (40佑硲僑悪佑猟敢嵯覯未發△襪)
 女は更に、結婚は嫌だから一人で暮らしたいが5佑發い

・60代夫婦で、夫が妻を看取るのが15諭
 妻が夫を看取るのが85諭
 看取ったあとの男の余生は5年、
 逆に夫を看取った妻の余生は22年。
 
私の親戚を見ていると、この数字に納得がいく。
女は逞しいものであるし、夫につくづく愛想をつかしているのがわかる。
定年をむかえると妻は外に遊びに出て、夫が家にいて妻の管理をする
逆転現象がおこってしまうという。

しかし、もう亡くなった姉から聞いた話。
コーラスの先生をしていて、コンセプトごとにグループ化をしていた。
その中に未亡人の会があったが、
「やはり夫に死なれた女性は強がりを言っているが、実際は片羽を失った鳥」
という。しかし、妻に先立たれた夫の方が更に惨めであるが。

60歳過ぎると、甘いものでないことは事実のようだ。
夫婦がいがみ合っても、お互いが生きているうちが花。
女性の場合、横社会に生きている割合が多いので、すぐに群れることができる。
しかし男は、いまさら横社会といっても難しいようだ。

人生は甘いものではないのは老後も同じ。
ライフワークをチャンと創っておかなくては!
おかあちゃんの奴隷になってしまう。
最後は、老後も含めて生きてきてよかったといえる人生を終えることか。

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2004年04月19日(月)
1112, 「ライフ・レッスン」−4

ー人間関係のレッスン

ー感想文

人間関係ほど難しく、かつ人生勉強になるものはない。
それも対立している相手や、悩ましてくれる相手ほど自分の姿の合わせ鏡になる。
その軋轢の中に真の自己が表れてくる。

また私たちが無意識の中に求めているロマンチックな関係の相手こそ、
ありもしない自己逃避の空想の相手である。
そして勝手にイメージとして作りあげ、対象に求めていくから幻滅が生じる。
解りやすい例としては、成田離婚がある。

そのイメージこそ自分を不幸にする「バカの壁」になる。
しかし人間はイメージの中でしか生きられない側面もある。
「ブランド」は、その一番リアルなイメージ商品といってよい。
お互い自分自身というブランドをつくりあげ、そのイメージに縛られてしまう。
真実の自己に気づくのに一生かかってしまう。
人間関係のレッスンこそ、そのイメージを剥ぐ目的になる。

ー抜粋ー
・人間関係は人生のレッスンを学ぶ最高の機会をあたえてくれるものである。
自分はほんとうはどんな人間なのか、何を恐れているのか、自分の力は
どこから生まれるのだろうか、真の愛とはどんなものなのか、
人間関係はそれを発見ための場である。

人間関係は多くの場合、なかなか上手くはいかない、時にはひどく辛い
経験だからだ。だからこそ、学び、成長し、愛し、愛されるための
最高の機会にすることができる。


・全体性や完全性は自己の内部から生まれるものでなければならない。
誰かとくべつの人を見つけることは、親密な人間関係
にかかわる問題の解決にはならない。
独身で不幸な人は結婚しても不幸なのだ。
専門職につけない人は、とくべつな人をみつけても、パートナーのいる
専門職のない人しかなれない。

他の人にもとめることをやめて、自己を完成させることなかにある。
だれか愛する人をみつけようするのではなく、自分自身を愛されるに
値する人間につくりあげていくべきなのだ。


・あなたは、ただあなたであるというだけで、だれかとくべつな人なのだ
ということを、けっして忘れないでほしい。
仕事で成功していようがいまいが、完璧な相手と結婚していようと
独身であろうと、あなたはこの世界にとって、唯一無二の尊い贈り物なのだ。
あなたはすでに一個の全体であり、外から何かがやってくるのを待つ必要
がないのである。人生にロマンをもとめたいなら、あなたの人生そのものと
恋におちればよいのだ。

・・・・・・
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2003年04月19日(土)
745, 散る桜、残る桜も散る桜

 「散る桜、残る桜は散る桜」は人間の死を一言でいっている。
他人の死も、すぐに自分の死になる人生の無常を喩えている。
この季節の桜の花を見ていると、ものの哀れをつくづく感じる。
桜は生臭い死の臭いがする。
人生の縮図を桜の花に感じるのは歳のせいか?

 今年の桜は[あたり年ではなかった?]が、例年並だった。
2~3日前が近所の桜の福島江の桜が満開だった。
「悠久山の桜」は今日あたりが満開だろう。
悠久山の桜も絶品だ!
5〜6年に一回はあたり年になるが、雪などの季節の要素が微妙に
関係してくる。
 桜は毎年思うことだが、自分の生死を考えさせられる。
以前、桜の精の女に迷って死んでいく侍の映画をみた事を思い出した。
ゾクッとする日本的エロチックの内容であった。

 また7~8年前に近くの従兄が桜とともに自殺をした。
多くの写真を撮り残して。
新潟は桜とともに春が来るという感覚である。

・・・・・・・
・・・・・・・
2002年04月19日(金)
381,システム販売

「IBMが物流コストを一~二割カットできるシステムを提案、
初年度のカット部分の半額をシステム料として貰う。
診断料は無料」という提案の講習会に出てきたと、
あるメーカの専務が言っていた。

システム販売そのものである。
物流システムの販売をIBMが始めたのに時代の変化を感じた。
IBMの世界から集めたノウハウなら一~二割のコストカットは
そう難しい問題でないだろう。

私もフランチャイズを2回経験してシステム力には納得している。
息子が去年宅建の試験を受ける為に日建学院に通った。
授業は衛星で送られてくる画面と聞いた。
「もし日建に通ってなかったら試験は受かってなかった」と本人が
言っていた。全国数百箇所の教室で、いっせいに聞くのだから合理的だ。

もし落ちても来年は、無料で通えるとか。なるほどと納得した。
これもそのシステムを売っているのだ。

イトーヨーカ堂もシステム70余ι複械悪佑箸い考え方を柱にしていた。
システムを主体に売っているということだ。
もの主体から、こと主体の時代の変化である。


1476, 24歳の日記

2005年04月18日(月)

ここで22歳・23歳の日記に続いて、
「24歳に日記」が始まる。
数回だが。

あまり書きたくないのが本音であるが、
自分を見つめ返すためには、目をそむけてはいけない足跡である。
途中から、日記をカード式に切り替えたが、そのカード式の日記帳は全て捨てた。
今から考えてみたら残しておけばよかった。
残っている日記帳には十数日分は書いてあるが、大まかにしか書いてない。

まず、生活信条が書いてあった。
真面目に書いたものである。
それが若さであろう。
35年経っても、ほとんど変わってない自分がそこにいる。

それでは24歳の日記ー十数日分だが、開始である。
直視したくないので、数回で終えるが。

中原中也の詩の中に、当時の私の気持ちがそのまま書いてあった。
当時、ある姉に勤めたら薄れ汚れてしまった感じといわれたが、
当時の悲しみが直に伝わってくるものだ。
それと中原中也の心も。

それと当時の両親の温もりと愛情もそのまま自分の中に残っている。
人は愛情の中で生かされていることを実感する。
全ての人に感謝をしなくては。
特に両親に対して。

昨夜、独身時代の自分の夢をみた。


 ーーー
1970年3月

ー私の生活信条

誠実であることー動機においても結果においても常に清潔であること

愛情を基本とすることー常に相手の意思・立場を理解をして、
           それを持って自己の満足とする

毅然たる態度でー何があっても自分を見失わないで、自分の善に従うこと

善悪を明確にしておくこと
      ー他人(自分以外の人)に対して、自分と等しく愛するように勤める
     善悪の基準は他人に対して、いかに自分と同様に満足せしめるかにおく
     打算においても、同じ扱いをする
     動機において不純はさけることとする 
     (最後に拠るべきは純粋な動機のみである)

人間関係ー常に相手側と同じ立場におく
     ただし、能力レベルが同等に対してであるが

不言実行(無言実行)ー
     有言不実行の矛盾に陥らないこと
     経験を振り返ると無言実行が一番実効があった
     言葉が先に立ったときは、自信のないときと自覚すること

自己投資をすること
      −人生とは、投資である。
      自分に対して、そして創造行為もである
     与えられた時間、物、金、チャンスを投資に向けること

克己ー 自立性と自主性を持って,他人志向的個人主義を目指す
   そのために己に打ち勝つこと


1970年3月21日

現在、自分を見直すために会社を辞めた。
そして、現在は長岡の自宅にいる。
会社には丁度1年在社したことになるが、いざ辞めてみて解ったいたことだが、
動揺があまりにも大きい。
今も夢の中にいるようだ。
辞表を出して、2〜3週間大きな揺れがあった。
色いろのことがあったこともあるが、自分も人間だったのだ。
これからは決心をしてしまったからには、1年ジックリ勉強のやりなおしである。

コンピューター関連は、技能職でしかないので私には向いていない。
マーケッテングのほうも面白そうだ。
義兄に西村さんに聞いてみようと思っているが。
それより、この一年間どうすれば一番効果のある時間を過ごせるか
考えてみなくてはならない。
それより、この一年で一生の自己設計をつくるのがポイントになるだろう。
そのために如何するかを考えるべきである。

日記を考えると、即自と対自の会話である。
また自分自身である時間。
反省と焦りが交差するところである。

・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・

 2004年04月18日(日)
1111, 「今時の若いものは!」

エジプトの遺跡にも「今時の若いものは・・・」と書いてあったという。
数年前から、数人の知人が会社の後輩に対して「今時の若いものは!」と、
批判的にいっている言葉が気になった。
年寄り臭い嫌な響きがあった。

若い人にも個々それぞれある。
この言葉は自分の価値観が若い人の変化を受け入れられない心理から
出ている。「それにしても、今の若いものは!」という言葉が出てきそうだが。

一年前、アメリカがイラクへの侵攻から、若ものの間でイラクが究極の
旅行先としてのターゲットになっているという。
今回のイラクの人質騒ぎも、その類の範疇でしかない。

ボラティアの女性だけが救いであったはずが、
??を吸いにいく丁度よい名目?で、NPOを利用してだけ?という疑惑も
浮かびでてきた。
18歳の坊やも、共産党一家のパフォーマンスでしかなかったのか。
といって、彼らには彼らの正義があったはずである。

インターネットの検索で調べたら、私が書いた文章より、内容の濃いものでてくるから
困ったものだ?
しかし、このテーマを考えたらこそ、より深く見えてきたこともあるが。

・・・

  演題:「近頃の若者」   養老猛

この講演は平成10年6月に鎌倉芸術館小ホールにて行われました。
その時の講演の録音テープをおこして原稿を作成し、養老 孟司先生に御了解を得て、
このホームページに掲載しています。

「近頃の若者」という題をいただきましたが、私ももう相当な年になったのでこの題が
ちょうどいいのではないかと思われたのではないかと思います。
「今時の若い者は…」というのは一番古くは、エジプトのパピルスに書いてあるといいます。
ですから紀元前の頃から年寄りは若者のことを「近頃の若い者は…」という習慣というか
癖があったようです。

自己紹介いたしますと、私は1年だけをのぞき、小学校からずっと学校におりまして
卒業してからは教師になり、東京大学に57歳までおり、58歳からは北里大学におります。
ですから仕事では若い方とお付き会いするというのがほとんどでございました。

戦後50年を過ぎましたけれども、この半世紀で世の中が相当変わりました。
その間に若い方もずいぶん変わってきたというのは当然でございます。私が小学校に
入った時というのは戦争中でございまして、1年生の時が昭和19年でした。
ちょうど東京で空襲が始まった頃です。

その頃病院に入院したことがありましたが、ご存知のように病院の食事というのは
ひどいものですが、そのひどいのが戦争中でしたから一層ひどいものでした。
その時代、親は食べていくことで精一杯。
子供たちは青天井で、学校が終わると川へ行って
魚を捕ったり、空き地で虫取りをしたりの生活でしたので、学校は大変ありがたいところでした。

私がまず最初に「近頃の若者」と違いを感じたのは、団塊の世代でした。団塊の世代の人たち
(昭和21年〜25年生まれの人たちの事)は何でもみんなでやるという世代で、
戦後の典型的民主主義教育を受けて育った人達です。

私たちの世代は(私と同い年の人というと橋本龍太郎、美空ひばり、江利チエミ、雪村いずみさん
などですが)自分は自分、人は人という個人主義的世代で、自分自身で決めればよいと考える私と、
団塊の世代の人達は合わなかったのです。

昭和42年に東大で助手になり昭和52年に教授になりましたが、その間大学紛争の後始末に
明け暮れたという感じでした。

次に非常に驚かされたのがオウムの世代であります。
よく宇宙人と言いますが、ある日、解剖の実習をしていましたら、ある学生が突然
「先生、尊師が水の底に1時間いる実験をするので、一緒に見に行って証人になってください。」
と言います。

「何をやっているのか」と聞くと「ヨーガをやっている」と言い、良いことがあったか聞くと、
「食欲や性欲がなくなった。オウムでは空中浮遊等も日常的だ。」と言う。
まったく愕然としました。

私の講義の中では「血液を5分間止めると人間の脳は回復不能である」と教えています。
彼らの頭の中はどうなっているのだろうか。
現在起っている世の中の事と超常現象が頭の中で同時並行に走っていて、現実の世界と
そうでない世界の区別が無いのです。

私はこのように頭の中が何重にもなっていいる学生に、私が本音で教えると学生にどのような
影響を与えるのかとても理解できないし、また試験で口頭試問をしても本人が「本当は」
どう思ってるのかとうてい信用できないと思いました。

自分にはこのような学生を教えることはできないと思い、東大を辞めてしまいました。
今は、北里大学で教えていますが、医学部ではなく一般教養なので、学生にどう聞いて
もらっても良いし、学生にとって私はテレビの画面であって、学生が自分のことをやりながら
チラチラとこちら(テレビ)を見て、参考になれば聞き、つまらなければ友達と話をし、
丸々損にはならないというぐらいに思っています。そう思ってやっているとこちらも気が楽で、
「俺はテレビだからな。」と学生に断って教えております。それが今の学生であります。

最近になってオウムの世代の若者のことが少しずつわかってきました。その世代の若者は、
「知識は全て自分の外に蓄えるものである」という風になったのであります。
知というものはコンピュータや本や先生の頭の中に入っているものだ、マニュアルを見れば
なんでも出来ると思っている。CD―ROMというものがありますが、コンピューターの中に
蓄えられた知識を必要な時にとってくればいい。知は自分の都合で自分の外から取ってくるもの、
すべての知がそうなってしまったのです。

子育てもそうなってしまったのではないでしょうか。
けれども子育ては「ああしても、こうならない」
ことだらけで、甘いものを食べさせなければできない「虫歯」でさえ、外でこっそり
甘いものを買って食べてしまえばダメです。今の世の中は「ああすれば、こうなる。」
で動いていますが、そういう風にやってもそのつもりがないのに不景気になるし、子どもも
こう育てたいと思っても、思い通りにはいかないのです。

私が東大出版会の理事長をしていた頃、「知の技法」という本が東大出版会始まって以来と
いうぐらい売れました。その時はなぜ売れているのか分かりませんでしたが、今は分かります
「知は技法になってしまった」のです。技法というのは、ノウハウということです。

知のノウハウということ、つまりマニュアルであります。
こうしたい時はどうしたらいいのかがマニュアルを見れば、理も非も無くわかるのです。

私が育ってきたときの「知」というのは、そうではなかった。
私たちの世代にとって「知識」とは、論語に「あしたに道を聞かば、夕べに死すとも可なり」
と書いてあることに表されるように、自分が変わるということは、それまでの自分が死ぬと
いうことなのです。

そのことの繰り返しなのです。
「知る」ということはそれくらいガラッと自分が変わることなのです。
もっと具体的な説明をすれば、「癌の告知」というものがそれに近い面を持っています。

自分が癌であるかどうかを知るということは、それまでの自分が変わってしまうということを
意味する。

今から50年位前の戦時中は二十歳前後の人でも死を覚悟していました。
いまでは、年寄りでも未来の事は考えているのに自分の死のことは考えていないと思います。
仏教で言う生老病死が家庭から消えてしまっています。

現代においては9割の人が病院で生まれ、病院で死を迎えます。
人間の抱えている自然が隠れてしまい、非常に多くの人が自分が死ぬとは思っていないのです。

日本では勉強することはマニュアルを頭に入れることだと思っています。
知るということが軽く扱われています。「知る」ということは恐ろしいことなのです。

技法でない知に吸い込まれてしまった一部の人がオウムであります。
近頃の若者は全てのものが頭の中で並列に並んでいます。

 ・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・
 
2003年04月18日(金)
744, まずは一日一図から −2 

 これを実行して10日が経つ。
三日坊主と思っていたが、今もしっかりと続いている。
始めたら面白いのだ。
一番面倒で避けたい思考が面白いのだから、大変な習慣であり収穫である。
この歳で色いろのことが解り始めている、この鈍さも実感する。

ポイントは
・初めに漫画を中央に小さく書き込み、
・それに、漫画の「声の噴出し」を書いてしまう。
・そして漫画の上にテーマを書きこむ。
・「噴出し」に思いついたことを気楽に書き込んでいく。

 漫画の人形を書いたケースの場合、自分の分身と思ってしまう為か、
頭の中から色いろなことが浮かび上がってくる。
「半分遊び気分で問題の追及」を、結果としてしてしまう。
「左手を上に挙げ、右手を腰に当てている小さな人間の絵を中央に描いて、
左右に三づつ声の噴出しを書き込む」と、どういう訳か難しい問題でも、
気楽に考えられるのだ。

 読書法で10〜100倍の速度が可能という本が多く出版されている。
私の場合、その方法を身につけて10倍以上の読書力になった。
それもこの1^2年である。
しかし、「一日一図」を始めてわずか10日で、10倍の思考力が増えた?
ようだ。
その程度の頭脳でしかないのが、事実だ。
以前から天才のノート法とかいう本を読んで、色いろ工夫していたが
「毎日一図の習慣と、漫画を中心に描いてから、埋める方法」がよい。

 随想日記を書き始めて、文章力と文章量はそれまでの十倍に増えた。
そうすると、「読書力と文章力と思考力」がこの数年で10倍になったことに
なるが、集中力がそれだけ増えた事は間違いない。
これらの方法は過去からいくらでも在ったのだから、今になってやっと気づいた
に過ぎない。
この随想日記を続けてきたことが、こういうノウハウを身につかせている
いるのだろう!

・・・・・・・
・・・・・・・

2002年04月18日(木)
380, 姉正子さん

姉正子が亡くなって2ヶ月すこし経つ。
去年の6月に来て,3時間半なにを話したか?

大体がこんな内容であった。
・自分の生い立ちー声楽のコンクールで、
 中沢桂に高校時に負けたことが一生の分岐点であった
・高校しかいけなかったハンデキャップが一生ついてまわったこと
・倒産時に私に助けてもらったのが、地獄に仏であった
・今回自分はセンガンでないが、主治医がセンガンと書いてくれた為
 保険が全額降りた。
・いつもこの家に来ると、肩に重い何かが被さるが今回はないのが不思議だ
・両親の思い出、今までの思い出
・なにがあっても自分は生きぬくーEM 菌を飲んでいるので順調
・病気の状態ー入院の後先の話

彼女にとって、「もしかしたらこれが最後の実家帰り」
という気持ちがあったのだろう。
彼女にとってここは(自宅)やはり実家なのだ

この内容から私なりの彼女の心理分析をすると

・この長岡の街で、この世界を出ることができなかった一生であった。
・やはりやってはいけない事?をしてしまった無念、後悔。
・両親に対する恨みと、反面後悔。
・病気の恐怖に対しての自分の気持ちの説得ー自己詭弁

一昨年の手術の前日の20時過ぎか電話が鳴り、「実は自分は肺がんで明日手術。
最後の電話をやはり貴方に電話をしてしまった。これからお風呂に入って
身体を清め、手術に臨む。もしものことがあるかもしれない。
いろいろ有難う。」
ー私「もし間違えてあの世に行ったら、両親によろしく。それとうまくやって。」
ー正子「仲良くするし、待ってるからね」
だいたいこんなものだった。
 
 面白い人でもあった。
        


1475, 汚れつちまつた悲しみに−2

2005年04月17日(日)



「汚れつちまつた悲しみに」の
「汚れ」を「倒れ(挫折)」にして、
「倒れてしまった悲しみに」
 という詩を書いてみた。
昔の何度かの挫折を思い出しながら。
    −作成時、2005年4月16日 20時20分


ー倒れてしまった悲しみにー


倒れてしまった悲しみに

今日も涙の雨が降りかかる

倒れてしまった悲しみに

今日も嵐が吹き荒れる


倒れたしまった悲しみは

たとえば樹氷のように突き刺さる

倒れてしまった悲しみは

たとえば黒い血海のよう


倒れてしまった悲しみは

たとえば虚空の空飛ぶ蜻蛉よ

倒れてしまった悲しみは

あなたの愛に気づくとき


倒れてしまった悲しみは

夢みた昔を懐かしみ

倒れたしまった悲しみは

倒した人を思いだす


倒れてしまった悲しみは

光りの日々が走馬灯

倒れてしまった悲しみは

独りの自分に出会うとき


倒れてしまった悲しみは
悲しい悲しい悲しみよ 
悲しい悲しい悲しみよ

倒れてしまった悲しみは
倒れてしまった悲しみは
倒れてしまった悲しみは


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2004年04月17日(土)
1110, 「ライフ・レッスン」ー読書日記 −3

 第二章 愛のレッスン
 
・ことばで説明するのがきわめてむずかしい愛こそが、人生という経験のなかで
ただ一つの真実である。永続をするただひとつのものである。

愛は恐れと対極にあるもの、つながりの本質、想像の核心、力の美しい部分、
自己が自己である為のもっとも微妙な部分である。

・自分を愛する事は、いつも周囲にある愛を受け入れる事である。
それはあらゆる障害をとりのぞくことである。
自分がつくってしまった障害に気がつくのは容易なことではないが、
実はこころの中にいくつもの障害があり、それが人間関係影をなげかけている。

神に会うことができたら、神は「おのれに愛をあたえたか、人に愛を
あたえたか?人からの、おのれからの愛をうけたか?」と問うだろう。
自分自身を愛する力は、人の愛を受け入れ、人を愛することによって身に
付いていく。神はわれわれに、愛し、愛される無限の機会をあたえてくれる。


・わたしたちのほとんどは、じつは愛を経験をしたことが無い。
経験をしてきたことは愛ではなく報酬である。

子供の頃、わたしたちはお行儀よくしていれば、いい成績をとれば、
オバアチャンにやさしくしてあげれば、手をよく洗えば、
「愛してもらえる」ことを学んできた。

愛されようと努力はしたが、それが条件つけの愛であり、にせものの愛であった
ことに気がつかなかった。

いちいち他人から是認を必要とするような愛を本当の愛とよべるだろうか?
自分自身への慈しみの心を持つことが、本当の愛の第一歩である。
 
 あなたはたましいによい栄養をあたえていただろうか?
自分を愛している人は、何をするにも顔にほほえみを浮かべている。
それをすることがうれしくて、たましいが歌をうたっているのだ。

そうすべきだと教えられきたような行為ではなく、そうしたいからしている
行為である。たましいに栄養をあたえる行為とは、もしかして、休日でも早起きを
してなにか「有益な」ことをするのではなく、ただのんびりと寝ていること
かもしれない。


・「愛にツいてないのです」と彼は答えた。
「何人かの女性を愛そうとしました。相手を幸福にしようと努力をしました。
ほんとうです。相手を幸福にしよう努力もしました。」
わたしはかれに質問をしました。かれにとっては、まったく意外な質問
だったらしいのです。

「もし愛が、相手の女性を幸福にするものでなかったとしたら?
そんなこととは無関係に、ただ傍にいるだけが愛だとしたら?
相手を幸福にするという思い込みすてて、ただ傍にいることが、
長い目でみたら、相手を幸福にすることになると考えてみたら?」

人生には浮き沈みがある。愛する人がかかえる問題をすべて解決してあげる
ことはできないが、そばにいることなら、できなくはない。
長い目でみればいちばんの愛のしるしではないだろうか。 


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2003年04月17日(木)
743,『金持ち父さんの子供はみんな天才』−2

             読書日記
抜粋ー6

父は話をつづけた。
「天才とは、自分の中にいるランプの精を見つた人のことだ。
ちょうど『千夜一夜物語』のアラジンが、ランプの中に押し込められた
精霊を見つけたように、私たちもみんな自分の中にランプの精を見つける
ことが出来る。天才とは自分の内側にランプの精を見つけた人、
与えられた才能を見つけた出した人のことなんだ」
「ランプの精が見つかると、精がおまえらにこう聞く。
『一つ目の願いは自分の才能を自分に与えること、
 二つ目は自分の才能を愛するものや親しい者たちだけに与えること、
 三つ目は自分の才能をみんなに与えることー
 さあどれを選ぶ?』
「この世界に天才はあふれるほどいる。私たちはみな天才さ。
問題は、たいていの人がその才能をランプの中に閉じ込めたままに
していることだ。才能を自分のためだけや愛する人だけに使おうとする
人が多すぎる。ランプの精は三つ目の願いを選んだ時だけランプの中
から出てくる。
つまりランプの精の魔力は、自分の才能をみんなに与えようとした時にだけ
効果を発揮するんだ」

以下はホームページからのコピーである。
  ・・・・・
 金持ち父さんの子供はみんな天才
 著 者:ロバート・キヨサキ、シャロン・レクター(著)、白根美保子(訳)
 単行本:345 p
 サイズ: 210 x 148
 出版社: 筑摩書房
 ISBN: 4480863427
 発行日:2002/11/05

累計100万部を突破したベストセラー『金持ち父さん貧乏父さん』シリーズの第5弾です。
著者ロバート・キヨサキ氏が、子どもの人生を豊かにするための教育方法を指南した
1冊です。
この本は、世界が変わったことに気付き「今の教育システムは子供のニーズを満たして
いない」と疑問を持つ親や、子供の教育の責任を学校でなく、自ら果たしたいと思う親の
ために書かれています。

また著者が「金持ち父さん」から学んだファイナンシャル・リテラシーも紹介
されています。金銭的に豊かになるためには、どんな考え方をし、どう伝えれば
よいのかが丁寧に書かれています。
具体的には大きく分けて次の3つの内容が書かれています。

「学習のための勝利の方程式」
「仕事のための勝利の方程式」
「お金のための勝利の方程式」

子どもだけでなく現役のビジネスパーソンにも参考になります。
また、本書ではこれまで散々だった「貧乏父さん」もかっこよく描かれます。
呼び名も「貧乏父さん」でなく「賢い父さん」になりました。

読むと彼が実のお父さんからも多くを学んでいたことが分かります。
特に学校の勉強で悩んでいた著者に「おまえは頭がいい」と励まし続け、
生涯学び続けることの重要性を説いたのがお父さんだったそうです。

本書を読むまで、彼の著書に共感を持ちながらも、違和感や嫌悪感を持った方も
いたのではないでしょうか?いくら何でも実の父を「ダメおやじ」とは何事か!
と思いました。
実は著者は「金持ち父さん貧乏父さん」を世に出すまで、お父さんに敬意を払い、
没後5年の歳月を待ったそうです。そしてお父さんが自分の体験が人の役に立つことを
喜んでくれる、と確信したから世に出したんだそうです。
なんとなくほっとするエピソードです。

【1】

今日ほど教育が必要な時代はない。時代は産業時代から情報時代へ移り変わり、
それに伴い教育の重要性は増し続けている。
では学校教育は、この新しい世界で役に立つのだろうか。
産業時代には、学校に通い卒業すれば職業人としてスタートでき、それ以上の教育は不要
だった。なぜなら物事の変化が遅く、学校は人生に必要なことをすべて教えることが
できたからだ。

だが今や情報時代だ。残念ながら情報時代を生き抜くための教育を受けている人は少ない。
結果、教育水準が高いとされる人が、低い人たちと全く同じ経済的問題を抱えている。
これからは高学歴の人も、今の仕事が求める要件を満たすために、
継続的に教育を受け直し続けていく必要がある。

【2】

ある統計によると65歳のアメリカ人100人のうち金持ち1人、快適な暮らしを送る人4人、
まだ働く人は5人しか居ない。あとの56人は政府か家族の援助を必要とし、残りの人は
亡くなったそうだ。

よく「引退すれば、生活費が減る。だからお金はそんなに必要ない」という人がいるが、
それは間違いだ。なぜなら生活費は下がるが、医療費は大幅に上がるからだ。
多くの保険機関は高齢者を制度から締め出そうとしている。これから高齢者はお金を
持っていれば生きられるのに、お金がないために死ぬということも起きる。

人生の終わりに何かに頼らねば生きて行けない人間を生み出し続ける現在の教育は、
もはや時代遅れだ。子供が未来に必要なお金を得る技術を身に付けるかどうかは
あなた次第だ。

【3】

子供はみな生まれつき賢く金持ちだ。教育とはこうした才能を引き出すことだ。
ところが子供は教育の過程で、貧乏になることや他の子供ほど賢くないと信じることを
“学んで”しまう。

人間には、言語、数学、空間、身体、対人など30以上の才能があるのに、
現在の教育システムは、そのうちのたった一つの才能しか認めない。
だから自分の才能が教育システムで認められない子供は、「自分は馬鹿だ」と感じるよう
になる。その間、本当の才能のほうは無視され、やがてだめになってしまう。

こうして多くの子供が「自分は頭がよくない」と思いながら卒業する。
こうした認識を持つことは、その子供にとって計り知れない大きなハンデを負わせる。
親はこうした子供の才能を見つけ、その才能がダメになることから、子供を守り、
学習意欲を保ち続けるようにすることが大切だ。

【4】

これは子供がお金もちになるためにも必要だ。
多くの人が「お金を儲けるためにはお金が必要だ」
と思っている。だがお金を儲けるのはお金ではない。お金に対する考え方だ。
人は皆、自分が望むだけのお金を手に入れる力を持っている。
お金に対する正しい考え方さえ持てれば、お金に支配されず、お金を支配する力を
得ることができる。

ところが学校はお金について教えない。だからたいていの人は、それを親から学ぶ。
こうしてお金に関する考え方は何世代にもわたり親から子へと伝えられていく。

お金持ちの親は、お金持ちの考え方を子供に教える。だからその子もお金持ちになる。
もしあなたが子供にお金の面で有利なスタートを切らせたいなら、
お金に関する考え方に大きな注意を払うべきだ。

【5】

お金の問題は、いずれもほんのわずかな認識によって生み出される。
だから親は、お金に関する子供の認識によい影響を与えるべきだ。
お金の奴隷になるのでなく「自分はお金をコントロールする力を持っている」
という認識を子供に持たせることが肝心だ。
そして子供が本当に効果のある勝利の方程式を作り出すことを助けるべきだ。
もし子供が「何か買いたいからお金をくれ」と言ってきたら「私には買えない」
と絶対に言ってはならない。
こう言うと自分は貧乏だという認識をさらに強化してしまう。

代わりに「私からお金をもらわずに欲しいものを買うにはどうしたらいいか、
合法的で道徳的にも問題のない方法を10通り考えて紙に書いて見せてくれ」
と言ってみたらいい。こうすれば子供は考える。
頭を柔軟にし、富を蓄積する可能性を探そうとするはずだ。

 ーーーー
ー感想ー子供の時から「お金の知識」を認識させ、実際にコントロールさせて
おかないと、大人になってからの即席の知識ではすでに遅いということだ。

・・・・・・・
・・・・・・・

2002年04月17日(水)
379,外国人犯罪

外国人犯罪

一昨日、新潟の万代の金券ショップで老夫婦の殺害があった。
たまたま昨日の飲み会の1人が隣家であった。
NHKの全国放送でインタビューに出たそうだ。
取材攻勢で家にはいられないという。

外国人の犯罪らしい。
ヒット&ウエーで恐らく捕まらないのではないかと思われる。
発覚前に飛行機に乗って逃げてしまうらしい。

ベトナム旅行に商店を休んできている夫妻がいた。
休業の張り紙は出せないらしい。
外国人がトラックで全て持ち出すという。

10年前の外国旅行で聞いた犯罪が、日本でも当たり前になりつつある。
犯罪もグローバル化になってきた。
平気で殺すから恐ろしい。

同席していた1人はセコムに近じか入るという。
自分も真剣に考えなくてはならない時期にきている。
8000円が少し高いが 。


1474, 汚れつちまつた悲しみに

2005年04月16日(土)

      中原中也


汚れつちまつた悲しみに

今日も小雪の降りかかる

汚れつちまつた悲しみに

今日も風さへ吹きすぎる


汚れつちまつた悲しみは

たとへば狐の皮裘

汚れつちまつた悲しみは

小雪のかかつてちぢこまる


汚れつちまつた悲しみは

なにのぞむなくねがふなく

汚れつちまつた悲しみは

倦怠のうちに死を夢む


汚れつちまつた悲しみに

いたいたしくも怖気づき

汚れつちまつた悲しみに

なすところなく日は暮れる

・・・・・
河上徹太郎編
「中原中也詩集」より
-汚れてしまった悲しみに-

この詩を読んでいて、何か深い悲しみを感じ取ることができる。
特に失恋をした若い女性にとって、深い癒しになるだろう。
年をとるにつれて、人間は誰もが多く挫折をし、傷を負う。
深い挫折の中で、汚れたという言葉が自分を苛む。
その中で自分の汚れを拭き取りながら
「所詮こんなもの、人生は!」と、自嘲する。

24歳の日記をまもなく、書き写すつもりだが当時の
自分の気持ちも、この詩の心に似ている。

昨夜、極近に挫折をし自殺直前で思いとどまった人と、
膝付き合わせて話した。
一言一言の言葉の中に、深傷の痛みを感じ取ることができた。
「汚れてしまった」という言葉の替わりに、
「倒れ(挫折)てしまった」が、彼の気持ちであった。
その悲しみは、本人しか知ることはできない。
その傷は本人しか治せない。

「それでも生きているのは何故か」を自問自答をして、
「何かに生かされている」ということに真に気がついた時に、
初めて一人で立ち上がることができる。

それにしても深い詩である。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2004年04月16日(金)
1109, 「ライフ・レッスン」ー読書日記 −2

  ー第一章 「ほんものの自己」のレッスンー

この本の意味は読めば読むほど、その深さに驚かされる。
キュープラ・ロスが死にゆく人々から学んだ教えの数々。
すべてを終えた時、「生」と「死」の本当の姿があらわれる。
その深さに少しでも自分の意識を降ろす為に、一章づつ、印象深い文章を
書き出してみる。

私たちは、自分に与えられたレッスンを学ぶ為に、地上に生まれてきたのだ。

25歳の金沢時代の、どん底にいた時のある瞬間に「ハッ!」としたことがあった。
今でも忘れられない瞬間であった。
自分は何故ここまで惨めな気持ちにならなくてならないのだ。
自分が何故ここに、こういう状態いるのだろう?

その瞬間に思ったことは
「自分は修行をしにきたのだ、修行で苦しみの極限を味わう為である。
その極限を嫌っていては何の意味もない。
極限の境遇を学ぶ為に今ここにいるのだ。
それなら、いま自分がこの状況にいることが必然である。
学ぶのだ、学ぶしかないのだ、それなら今の自分が自分で納得できる!」
という、こころの大転換があった。

その時から、視点が変わった。
全てが可愛い表象に見てきた。
分厚いレンズー現実が目の前から消えたようだった。

この本を手に取ったとき、
なるほど究極に生きてきた人の、暗闇に光り輝く魂の言葉の深さを感じ取った。

過去を考えてみると、全てがレッスンであることが理解できる。
人生は学校なのだ。
現象は神があたえた教科書の練習問題。
何故、その問いに答え続けなくてはならないのか?
それが生きるということだから!


ー抜粋  第一章 「ほんものの自己」のレッスンー

・人生のレッスンを学んでいくにしたがって、さまざまな役割の層が一つ剥がれて
いき、内奥に潜む、自分にとって好ましくないものが見えてくる。
自分が完全無欠な超善人ではないことが解ったら、ありのままの自分である時期に
きただけだ。

・自分がほんとうはどんな人間なのかがわからないということに気づいたとき、
多くの人は深刻に悩みはじめる。真の自己を発見し、真の自己でありつづけること。
ほんとうはなにがしたいのか、なにがしたくないのかをみわけること。
ふだん抑圧している衝動が頭をもたげたとて、何か『変ったこと』、新しいことを
してみたいと思ったときがある。
そのときが、真の自己について学ぶいいチャンスになる。

・自己の本質を見つけたその男は、からだに何が生じているか、お金をいくら持っているか、
こどもが何人いるかということを超越したところにいた。そういう役割を剥ぎ取った
あとに残るもの、それがわたしなのだ。どんな人の中にも、報酬をもとめることなく
あたえるための、裁くことなく耳をかたむけるための、無条件に愛するための、
想像を絶するほどの善の萌芽が休眠している。その萌芽をゆりおこし、それを育てる
ことが、わたしたちの目標である。

・ある男性が70歳後半の祖母について話をしてくれた。
『お前さん』祖母がいいました。
『わたしは何の不足もないんだよ。わたしは充実した人生をじゅうぶんに
生きてきた。おまえさんの目には満身創痍で,いのちのかけらしか残ってない
ように見えるだろうが。わたしはね、たっぷりいのちをもらって生きてきたんだよ。
人間はパイみたいなものさ。両親に一きりあたえ、愛する人に一きりあたえ、
子供たちに一きれあたえ、自分の仕事に一きりあたえる。だから、死ぬ時には
自分のパイが無くなっている人もいるだろうさ・・・・・自分がどんなパイだったか
思い出せない人だっているさ。でも、自分はどんなパイだったかが、よく解っている。
これだけはだれでもが自力で見つけるものだからね。」

 次は第二章 愛のレッスン
 
 ーーーーーーー

ー以下は、過去に書いたライフレッスンー1の内容である。 
   
 938, 「ライフ・レッスン」ー読書日記
       2003/10/29

各レッスンの内容が愛と真実に包まれている。
「死ぬ瞬間」シリーズは世界的ロングセラーで多くの人に癒しを与えてきた。
ロスの本は何冊も読んだ。終末期医療から死にいく人々から学んだ数々を
わかりやすく説いている。
すべてを終えたとき、「生」と「死」の本当の姿があらわれるのだ。
 
 彼女がマザーテレサに亡くなる数ヶ月前に会ったとき、
ロスに、
「生きることがとてもたいせつと考えているからこそ
死にいく人達と一緒にいることを最大の使命としているのだ」
また「生は一つの達成であり、死はその達成の成果です」言われたという。

 大部分の人は死を達成とみていないだけでなく、生も達成とみていない・・
死の淵にいる人は、そのことをよく知っている。
ロスは生そのものの大切さについて多くことを教えてくれる。

彼女の本を読んでいると、暗い?内容なのだが、暖かい愛に包まれたような
気持ちになる。

ーまずは、この本の抜粋からはじめたいー

・一生と呼ばれる時間のあいだに学ぶべきレッスンは色々ある。特に死に直面して
いる人々と一緒にいるときにはとりわけ多い。

死に行く人々は人生の終わりに多くを学ぶが、通常は学んだ教訓を生かすための
時間が残されていない。1995年にアリゾナに引っ越した私は、ある年の
母の日に脳卒中で倒れ、麻痺状態になった。

その後数年間は死の入り口にいた。時には数週間で死ぬのだと覚悟をした。
そして幾度も訪れてこないことに失望した。準備は完了していたからである。

しかし、死ななかった。その理由は、私にはまだ学ぶべきレッスン、最後の
レッスンがあったからです。そのレッスンの多くは人の生についての究極の
真実であり、命そのものの秘密である。私はもう一冊本を書きたいと思った。
今度は「死」そのものではなく「生」についてである。


・人には誰でもガンジーとヒットラーが住んでいる。
象徴的な意味であることは当然である。ガンジーは人の中のベストなもの、
もっとも慈悲ふかいものをあらわし、一方のヒットラーは最悪のもの、人の持つ
否定性と卑小性をあらわしているのだ。

人生における人ノレッスンとはおのれの卑小性に働きかけ、否定性をなくして、
己のなかにも他人の中にもあるベストなものを見つけ出す作業である。
人生の暴風に似たそのレッスンは、人をして本来の人に戻してくれる。

人間が地球上にいるのは、互いに癒しあうためである。
これは身体的不具合を癒すだけでなく、はるかに深いレベルでの癒しである。
精神と魂の癒しである。


・人がこういった人生のレッスンについて語るとき、人は完結していない
気がかりな問題の解決について語っている。完結していない気になる問題とは死に
ついての問題ではなく、生についての問題である。'確かに私は豊かな暮らしを
実現した。

しかし、本当に生きるために時間を使ってきただろうか?'
というように最も大切な問題である。多くの人々は確かに存在はしてきたが、
本当に生きてはこなかった。
それらの人々は完結していない気になる問題に蓋をするために、膨大なエネルギーを
費やしてきた。


・完結していない気になる問題は人生最大級の問題であるから、死に直面したとき
焦眉の急の課題になる。大多数の人々は完結していない気になる問題の多くを
未解決のままで終わる。問題の一部しか解決できない人も多い。


・人生には学ぶべきレッスンがあまりにも多い。一度だけの人生では習得不可能で
あろう。でも、学べば学ぶほど未完結の問題が少なくなり、それだけ充実した人生に
なり、本当に人生をおくることができる。
いつ死ぬかは不明であるが、死ぬときには、'オーイ神様、私は生きました'
と言えることになる。
   
 ・・・・・・・・・・・・  
 「ライフレッスン」  
 エリザベス キューブラー・ロス (著),
 デーヴィッド ケスラー (著), 上野 圭一 (翻訳)
 角川書店
 
 ー内容(「BOOK」データベースより)
幾多の死に向き合い、自身も幾度となく死の淵を覗いた終末期医療の先駆者が、
人生の最後で遂に捉えた「生と死」の真の姿。
死にゆく人々から学んだレッスンの数々。
愛・喪失・力・罪悪感・恐れ・許し・幸福など、
人生が提示する14のレッスンとその意味を静かに語りかける、
心にしみる一冊。

ー 目次ー
「ほんものの自己」のレッスン
愛のレッスン
人間関係のレッスン
喪失のレッスン
力のレッスン
罪悪感のレッスン
時間のレッスン
恐れのレッスン
怒りのレッスン
遊びのレッスン
明け渡しのレッスン
許しのレッスン
幸福のレッスン

 ・・・・・・・・
ー以下はインターネットで調べた書評であるー
ー書評
 一生のあいだには、学ぶべきさまざまなレッスンがあり、
とりわけ死に直面した人たちとともにいるとき、それを実感すると、著者はいう。
人生がわれわれに習得せよ と要求するレッスンを15にまとめている。

 すなわち、「ほんものの自己」のレッスン、愛のレッスン、人間関係のレッスン、
喪 失のレッスン、力のレッスン、罪悪感のレッスン、時間のレッスン、
恐れのレッスン、 怒りのレッスン、遊びのレッスン、忍耐のレッスン、
明渡しのレッスン、許しのレッス ン、幸福のレッスンである。

 たとえば、病気とたたかっている人を見ていると、自分とはなにかを知るためには、
「ほんものの自己」でないものをすべて脱ぎすてなければならないということが
分か ってくる。生の終局にあって、人は以前よりずっと純粋に、正直に‥‥
まるで赤ん坊 のように‥‥その人自身になっていくからだ。
「どんな人でも偉大さの萌芽をもっている。『偉大な』人物が、ほかの人たちの
もっていないものをもっているというわけ ではない。
『偉大な』人物はただ、最良の自己のまえに立ちはだかる余分なものを脱ぎすてて
いるだけなのだ。」
結局は、「ほんものの自己」のレッスンが、愛のレッスン、人間関係のレッスン、
喪失のレッスン等々のレッスンの根底にあるように思われる。

 人間関係のレッスンでいえば、だれかとくべつな人がいなければ自分は無価値な
 存在 だと感じている人は、その人との関係のなかでも、いずれは無価値性が
 外にあらわれて しまう。求めている全体性や完全性は、自身の内部にあって
 発見されるのを待っている のだ。つまり「ほんものの自己」の発見なのだ。

 喪失のレッスンについても同じことが言える。死という絶対的な限界状況に
 直面してはじめて人は、余分なものを削りとって≪いのち≫のして輝き出す。
 自己の内部に、失われることのないなにものかを見出す。死を前に徹底的な
 喪失を味わい、すべてに「さようなら」をいうこと によって、
 それによってもあせることのない何かをつかむ。 人生に 避けがたい喪失の
 体験によってわれわれは、かけがえのない学びを得るのだ。

 『余分なものを削りとる』作業さえすれば、だれであれなんらかなの場で輝きを
 放つ ことができる。「あなたの本質はもっとも純粋な愛であり、壮大ともいえる
 完全性であ る。あなたは自己を癒し、自己がだれであるかをおもいだすために、
 地上にうまれてき た。おもいだすべきあなたの本質こそが、闇夜を行くときの
 みちびきの光である。」

 これが一生のあいだに学ぶべきレッスンのうちもっとも核心的な部分だろう。
著者たちは、これらのレッスンがいかに深い真実であるかを、印象的な事例や
説得力のある言 葉で語る。その言葉の一つ一つからゆるぎない真実がにじみ出る。
真実から発せられた 言葉のみが持つ強さに満ち、じんわりと心に沁みこむような
感じの本だ。

 本書は、まちがいなく絶筆となるだろうと言われたキュブラー・ロスの自伝
『人生は 廻る輪のように』(角川書店、1997年)のあと、奇跡的に体力を
回復した彼女が、その 弟子であり友人であるホスピス・ワーカー、
デーヴィッド・ケストラーとの協力によっ てまとめたものである。

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2003年04月16日(水)
742,『金持ち父さんの子供はみんな天才』−1

ー 読書日記

『金持ち父さん』シリーズの三冊目『親だからできるお金の教育
ー金持ち父さんの子供はみんな天才』を買って読んだ。
この本のシリーズの本は、どの本もそれぞれが理にあっている。

何回も読んで金銭感覚を磨かなくては、この時代には挫折をしてしまう!
何割かは実行してきたことだが、しかしあいまいな部分が多い。
この激動の時代だ、一つ間違えると致命傷になってしまう。
お金は、ある意味で生きていく交通手形である。
お金に対する考え方は人生観の大きい基礎といってよい。
 ーまずは印象に残っているところを抜粋してみる。

抜粋ー1
昔、先生からこんな話しを聞いたことがある。
「神様は私たちに右の足と左の足を与えてくださった。
正しい足と間違った足を与えてくださったのではない。
人間はまず右に向かい間違いを犯し、次に左に向かって間違いを犯すことで
進歩をする。いつも正しくあらねばならないと思っている人は、
右足だけで歩こうとしているようなものだ。
そういう人は、自分では前に歩いていると思っているが、たいていは
一ところを回っているだけだ」

抜粋ー2
人生における選択肢について、お金持ち父さんはよくこんなことを
話してくれた。
「飛行機のファーストクラスもエコノミークラスも、目的地につく時間
に変わりのないことは私も知っている。問題はそういうことではない。
問題は、ファーストクラスかエコノミークラスの選択肢を持っているか
どうかだ。エコノミークラスに乗っている人の大部分は、一つしか
選択肢を持ってない」「お金は力だ。なぜなら、より多くのお金を
持っていれば、それだけ多くの選択肢を与えられるからだ」
ファイナル・インテリジェンスがお金持ち父さんに買ってくれたものは
何か、私に言わせればそれは『自由」であった。

抜粋ー3
「金持ちと中流以下の人のちがいは、余った時間に何をするかにある」
「たいていの人は、お金を稼いだあとそれをどうするかについて、
貧乏になるプラン、やり方しか持ってない。金持ちは余った金でゲームを
やるんだよ」

抜粋ー4
「つまり、人間が時代遅れになるんじゃない。でも、考え方が時代遅れに
なることはある・・」「その人の勝利の方程式が時代遅れになるんだ。
・・・古い考えにこりかたまった老人だ。まだほんの50歳だというのに。
問題は、10年前、既に歳をとりすぎて時代遅れになっていたのに、
それに気がつかなかったことだ。」

抜粋ー5
本書の目的は、次のようなことを言わないように、親たちに警告を
与えることである。
「借金を返しなさい」
「預金をしなさい」
「請求書の払いをきちっとしなさい」
「クレジットカードを切って捨てなさい」
「お金は借りてはいけません」
・貧乏人は銀行を悪者と考え、避ける。
・中流の人は銀行はいいサービスと悪いサービスがあると考える。
・金持ち父さんは、全てに関していい点と悪い点を見分けるように教えて
 くれた。そして、お金に関しての殆どのいい点と悪い点の両方を
 見つけるよう促すことで、より細かく区別する力を伸ばしてくれた。
 つまりファイナンシャル・インテリジェンスを高めてくれたのだ。
               −続くー
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2002年04月16日(火)
378,不況

昨日、地元の中堅の食品メーカーが倒産した。
1989年に設備投資、その3年後に70億の売り上げになったが、
現在はその半分の売り上げに激減。
家内が言うに、今の社長は
「10数年前に文芸春秋を辞め,帰って来たと話題になった人」とか。

今の倒産の多くに見られるパターンだ。
先日倒産した新潟市の香月堂もしかりだ。

全国に、このパターンの倒産予備軍で満ちている。
昨日の新聞に載っていた、ある雑誌のアンケートで、
サラリーマンの30パーセントが「自社の倒産の不安」を持っているという。

大丈夫と思っているのは僅か17パーセントとか。
私の感じていた、「3分の一はいつ倒産してもおかしくない会社」
と同じ数字だ。

新潟県はあと一割増か。
自社は一応17パーセントに入ると思うが?
社員はそう思ってないかもしれない。

どうして不安かと思うと、
・中堅幹部がどんどん辞めていく。
・給与カット、時間外勤務の削減。
・売り上げの激減。
・会社資産の売却。

今のところ当社は一つもないが。
しかしこの経済情勢はただ事でないことは確かである。


1473, 指桑罵槐(しそうばかい)

2005年04月15日(金)



ある知人が中国人の国民性を一言で表している表現としてとして、
教えてくれた言葉である。
問題になっている中国のデモは明らかに中国政府の政治的な意図が読み取れる。
日本も中国人の何時もの手法として、ただ蔑視を決めつけている状態といってよい。

中国内で起こっている暴動の目を逸らそうという意図と、尖閣列島問題などに対する
駆け引きが目的である。
チャイナリスクという言葉まであるが、都合が悪くなると問題を摩り替てしまおう
とするのは、いま始まった問題ではない。

15年ほど前、中国に行ったとき現地のガイドが何げなく
「文化大革命のときは、地方の村に行くと死体の山があちこちにあった。
2千〜3千万ほどの人が虐殺をされました]と、
平気で言い放ったのを聞いて、思わず耳を疑った。
まだ今ほど国内の開放が進んでない時のことである。
中国とは、そういう国である。いや共産主義か。

現在もそうだが日本のマスコミは中国の入国拒否を恐れて真実を報道しない。
都合が悪くなると、60年以上前の中国侵略と虐殺を言い立てる。
すでに17回も陳謝させているのに。

以下は指桑罵槐を検索で調べた内容である。
ーーーー
指桑罵槐
ー桑(くわ)を指さして槐(えんじゅ)を罵るー

桑は、蚕の食べる桑の木のこと。
槐は、えんじゅの名で知られ、街路樹や庭木として植えられる喬木を指します。
つまり、似ても似つかないものどうしのことです。
本当の怒りの対象とは全く違うものを攻撃する、という意味だといいます。
「鶏を指して犬を罵る」というのも同じです。

中国人は当事者を直接批判することはほとんどなく、この「桑を指さして槐を罵る」
というやり方をするという。
ある相手を攻撃しているように見せているけれど、実は別のところにいる人を
批判していることになっているというのです。
中国が激しく批判などしてくる問題があったなら、マに受けて腹を立てるのではなく、
彼らが真に攻撃したいのはどこなのか、誰なのかという視点で思いを巡らして
みるのがよいらしい。

中国産冷凍ホーレンソーから基準を超える残留農薬が検出され問題になったことが
あるが、中国当局は記者会見で、
「日本の野菜に関する現在の安全基準が非科学的で不合理なところに問題がある」
と、逆に日本の検査手法を非難してきた。

指桑罵槐で読み解けば、中国国内の検査方法や検査担当者たちを非難している、
と見るべきなのだろう。

「言いたいことがあるなら正面切って言ってこい」とか、
「陰でこそこそ言ってないで本人に言いなさい」など、
正々堂々を良しとする日本のメンタリティーとは違った面があるようです。


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2004年04月15日(木)
1108, 西武鉄道・堤会長の辞任

「西武の堤義明会長が辞任!」とニュースで報道していた。
随想日記で専務が逮捕された時「お笑い西武鉄道」という文章を書いたが、
所詮は悪口でしかないと、掲載を止めた。
しかし辞任ということで、ケジメをつけたということで書く。

西武の森元監督が講演会で、彼のことを「超ワンマンで、西武の試合の采配に対して、
口うるさく電話がくる」と言っていた。監督にとって大きなプレッシャーだったとか。
テープだけはとらないようにと講演前に言っていたのは、堤を恐れていたのだろう。

西武鉄道の専務が逮捕された時「彼が知らないわけがない!」と誰もが思ったはずである。
逮捕されないだけよかったのだろうが、やはり辞めて当然である。

歴代の首相が就任をすると、3億の祝い金を払っている?という話を聞いたことがある。
一つの時代が終わった事件である。

堅実経営で、バブルにもたいして踊ることなく西武グループをここまで率いた力は
大である。最後をまっとうすることの難しさをつくづく感じる。
もっとも、辞めるのは本社の会長だけで他はそのまま留まるというから、カタチだけ
なのだろう。

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 2003年04月15日(火)
741, デフレと対策 −2

ー 前にもこのテーマで書いたが、今一度書く。

 今の日本はデフレである。
しかしそれでもアメリカの物価より物価は実感として、2倍3倍高い。
それが修正過程に入っているだけである。
戦後の実質社会主義制度による統制物価が、その崩壊とグローバル化で
世界的な物価への平準化プロセスに入っているだけである。

 家具のニトリにしても、イタ飯屋のサエゼリアやマクドナルド、100円
ショップが好調なのは、グローバルな物価の追求を実践をしているためだ。

 世界的な物価に下がるまでデフレは続くのが当然である!
それで恐慌になっても仕方がないことだ。
ジタバタバタしないで、このデフレの中で自分を変えるしかない。
政治頼みや批判をしても、仕方がないのは自明の事。
やるべき事をキッチリやってそれで駄目なら退場するしかない。
やるべき事もしないで仲間内で愚痴をいいあってもどうにもならない。

 先日の日経流通新聞に、箱根の湯本の二番目に古い、370年の歴史を持つ
温泉旅館の『一の湯』が一面トップ記事で出ていた。
半値から三分一のプライスー一泊二食つきで6800円をうちだして、
低価格旅館グループを拡大しているという内容であった。
親父が高級旅館をつくってしまったが高プライスの為に不振になった。
座して死を待つよりよいだろうと、25000円から9800円に期間限定で、
この値段に下げたら、お客が殺到した。
それで延長延長で、この値段を固定にしたとか。
その代わり徹底した合理化を図ったという。
最近は一泊4500円の旅館も始めたとか。
潰れた旅館を買い取れば、これも可能になるだろう。
こういうのを「高級を高度に切り替える」という。
 
 銀座のクラブも三分の一以下で、商品価値を落とさない店
が好調だと先日このコナーでかいた。  
昨日いって来た京都は深夜にバスに乗って、宿泊なしで翌日の深夜に帰ってくるパックさえ出来てきている。

これで京都に一万円でいってこれるのだから、価値がある。
凄い時代である。

http://www.ichinoyu.co.jp/
以前書いたのをコピーしておきます。
 
 ーーーーー
デフレと対策 ー1  2002年10月01日

 現在上手くいっている店を見ていると、やはりデスカウントの
業態の店である。
それも思い切って、20年前か25年前のプライスを打ち出しながら、
現在の嗜好を取り入れた店や会社だ。

 衣料品は20年前の半値以下の商品が多くなってきた。
自転車も、半値か四分の一だ。電気商品もしかりだ。

 落ちないのが公共料金だけである。ホテルの値段もその様相になった。
ラーメンの値段も落ちてない。過去の三次産業の異端は価格破壊である。
そうすると落ちてないのが狙い目である。

 先日TVで180円のラーメンチェーンを紹介していた。
マクドナルドのように、徹底した機械化を厨房で図っていた。
吉野家や松屋の牛丼も400円を280円に下げた。
そうすると他の甘いラーメン屋とか何でもや食堂のお客が流れてくる。

 先日に法事で帰ってきた姉が、面白い温泉旅館にいってきたと教えてくれた。
関東圏の温泉旅館で、4名以上で一泊二食で4500円という。
予約をすると東京周辺のJR駅の近くの三箇所の指定した場所に,マイクロバスで
迎えにきてくれるという。更に食事のときは従業員が即興の演劇をしてくれたり、
とにかく飽きさせないようにしてあるとか。
社長はつなぎを着て陣頭指揮にあたっているという。
先ずは安く、そして価値があればお客は殺到する。
「もうそういう時代だよ!」とつくづく言っていた。

 何かどこかで聞いたことがある話だと思ったら、
そうアメリカの航空業界の異端児で大不況の中、飛躍的に伸ばしている
サウスウエスト航空を温泉旅館版に換えただけの話である。
斜陽産業の温泉旅館が良くぞ考えたものと驚いてしまった!!
(こういうのをベスト・プラクテスという)

 客の立場にたてば,全く違った設定ができるのである。
淘汰されている所は、ただ不況と仲間内で傷を舐めあっているだけだ。
発狂してベスト・プラクテスをするか、廃業するかどちらかだ。
今更発狂はできないか??!!
(発狂とは、出来ない人の目から見たベスト・プラクテスのプロセスを
踏んでる姿)

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2002年04月15日(月)
377,「知ったかぶりをするな」

「到知」という雑誌に出ていた文章で、今でも強烈に残ってる言葉だ。
誰かに聞かせたい言葉でもある。

ーその人が社命をかけて、ニューヨークにセールスに行った。
ある製品を売り込まなくては、会社が潰れる瀬戸際である。

まともに英語も話せず、どのセールスも上手くいかない。
英会話さえ出来れば何とかなるが、その時間もない。
どうにもならず、公園で途方に暮れ泣き出してしまった。

その姿をみて近くの老人が事情を聞いてくれた。
その人は事情を聞いて「よし解った。明日からここで英語の特訓をしよう。
ただし条件がある、けして知ったかぶりをするな。わからないことは正直にいえ」

それから公園で英会話の特訓が始まった
そして数ヶ月もしないうち、英語がだんだん話せるようになった。
そしてセールスを始めると、見る見るうちに上手くいくようになった。
以上である。

この話の中に多くの教訓がある。
・ぎりぎり追い詰められた状況ーゼロからの出発になった。
・その老人がかなりのレベルの人であった。
・本当にそれが必要であった。
・真剣なぶつかり合いになった。

実際事業の立ち上げは、この状態からの出発といってよい。
赤裸々の対話の積み重ねである。
それもぎりぎりの。

いつでも立上げはそうであった。
みしらずの人を集め、どうなるか判らない事を始めるのだから。
しかし新しい事業を興す時は、そのほうがいい。

真っ白から始められるからだ。
ゼロからの出発は、新しい材料で始めるほうがいい。


1472, カリスマについて

2005年04月14日(木)



先日、少女暴行で朝鮮人の変態牧師様?が捕まった。
キリスト教の普及手段として、音楽を取り入れたりして現代風にアレンジした
ファッションが売りのようだ。
しかし、見るからに怪しげな集団である。

宗教そのものも、本来怪しげなものであるが。
といって、30人以上の少女を毒牙にかけていながら問題にならないのもおかしい。
カルトもオットセイ的絶倫教祖様が異常なハーレム世界がいきつく先だ。
この手合いは、現在でも世界中に満ち溢れている。
ニーズがあるからである。
救いとしてのセックスもカリスマならストレートで効用があるのかもしれないが。
(もちろん皮肉である)

前に読書日記でカルトの教祖様について書いたことがあった。
コリン・ウイルソンの「カリスマへの階段」という本で、
初めから終わりまで息を詰めて読んだ。

教祖様の描いた天国の世界に、教徒は洗脳され、そして・・・の世界である。
共同体は、カタチは変われど似た側面があるが。
言葉を使った教祖様空想世界の夢商品の販売である。
信じるものは救われるのだろう。

以下は、以前書いた読書日記のコピーである。
今度[カリスマへの階段]−2で、
他にも幾つかの集団と教祖を紹介してみる。
ーーーーー
2003/05/08
「カリスマへの階段」

 いまマスコミで連日報道されている白装束の集団「パナウエーブ研究所」
を見ていて、誰もが「何故真っ当な大人?が、かくも幼稚な教祖様の御教えを
信じてしまうのだろ?」と首をひねる。
マインドコントロールというヤツで洗脳されてしまうのだ。

 7~8年前に『オウム真理教』が騒がれていた時に、図書館で
コリンウイルソンの「カリスマへの道」を借りてきて、あまりの
面白さに蔵書として買ったのを思い出して、また読み返した。
何度読んでも面白いものは面白い。
9年前にスイスのカルト『太陽寺院』のメンバーの集団自殺がおき、
その前後して麻原の『オウム教』の問題が出てきた。
彼らは決まって終末思想がある。
そして、その信者だけが救われるという教えを繰り返し教え込んでしまう。

 オウム教のそれは
『世界の終末は1997年に起き、オウム真理教の信者のみが救われる』
と説いていた。

この白装束の主張は
・この5月15日に何処かの流星が地球に衝突する
・また共産ゲリラが彼らに電波で攻撃を仕掛けているという。
このような幼稚なカルトに何故ごく普通の人たちが、
 妄想にひた走る「メシア」様の命令を唯唯諾々と従うものか?

その原理を「カリスマへの道」では歴史を遡って書いている。
その中で一番面白く本質をついていると思われるところを
以下に書き写した。
ーーー

 西暦1666年の初頭、全欧州が人類の歴史上の最大イベントを待ち構えて
いた。ユダヤ民族を昔日の栄光に導くメシア登場である。
この神の使者はサバタイ・ゼビという40歳のユダヤ人で、今はスルミナに住んでいるが、
やがてトルコのスルタン(皇帝)を打倒し、龍に乗ってエルサレムに入城する手筈に
なっている。そしてその後は戦いで次々と敵を倒して世界の王になる予定。
ユダヤ人が『我々が今にあなた方の主人になる」と言うと、キリスト教徒も心配を始めてた。
・・・

 大都市の多くではこの期待は早くも混乱を生みつつあった。
ユダヤ人社会が商売を止めて最後の審判の準備に入ったため、
まずは商業が機能停止になった。ハンブルグでは人々は家と土地を売り至福千年期に備えた。
・・・・・・・・
だが年も押しつまる頃に信じがたい噂がながれ,歓喜は落胆に一変する。
イスラムにサバタンが改宗したという。
サバタンが若いメフメト4世の前に引きずり出され
「イスラム教に改宗するか、さもなくば生きたまま串刺し」と二者択一を迫られた。
これに応じたメシアのサバタイは直ちにユダヤ帽を地に投げ捨て唾を吐きかけ、
これに変わって白いターバンが頭に巻きつけられるに任せた。
そしてスルタンー皇帝はこの改宗を優雅に受け入れと新しい名前と門番の
職を与えた・・・

ーーー 
 
こういう新興宗教のメシア様の色いろな内容が次々と出てくるのだ。
神の名での教祖様のハーレムがつくられ、組織内での多くの殺人が繰りひらかれるのだ。
宗教ごっこならよいが、セックスと殺人が終末思想の元で日常になって自己破滅を
始めて行くのである。オウムのようなことは、宗教の創立期にはどこでもつきものである。
 
理想社会は教祖様にとっての意識下の世界でしかない。
95佑僚晶腑織ぅ廚旅垢覆訛梢融峺を求めている人は、
その理想社会の空想社会の餌にごく簡単に飛びついてしまう。
そして全財産を剥ぎ取られてしまう。
世界中がそれに満ちているといってよい。
精神的に傷つき癒されたい人が、それだけ多いのだ。
自分で本を読みつづける中から癒されるのが、一番効果があるのに!!
それしかないのに!?
・・・・・・・・・・

「カリスマへの階段」
コリン ウィルソン (著)
関口 篤 (翻訳)
価格:¥2,130
出版社: 青土社 (1996/03)
レビュー

内容(「BOOK」データベースより)
強烈な個性と卓抜な指導力で偶像化されるカリスマたち。
カルトの教祖から時代をリードするイデオローグまで、たえず生み出しつづけられる
「超人」の深層を赤裸々に検証する。

ー目次ー
1 救いとしてのセックス
2 メシアの歴史
3 信者の心理
4 殺人者としてのメシア
5 権力の美味
6 現実を変形する手段
7 メシアとしての精神科医
8 魔力
9 自由恋愛の福音
10 性の分水嶺
11 力の仮面
12 第二の流れ

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2004年04月14日(水)
1107, 大逆転ー2

昨夜の巨人戦が久々に面白い内容であった。

一昨夜は、世界ヘビー級の劇的逆転KOに驚いたが、
昨夜は7対1で負けていた巨人が8回の裏に9対9の同点に追いついた。
たまたま逆転の場面からTVを見たので,一番面白いところを見ることができた。

そのうち、安部が二本のホームランで6点の打点をあげた。
まさかと思っていたら、いまの巨人はそれをやってのけるから凄い。
最後は12回裏に阿部の押し出しでファーボールでサヨナラ勝ちをした。
その時は寝てしまっていたが。
あれだけのバッターを集めるのだから、こういうことがおこるのだろう。

昨夜の対戦相手が中日であるが、今年から監督になった落合監督が
飄々として面白い。
長年の構想を練って監督になったのが見ていてよく解る。
長島元監督とは全く違うタイプである。

阪神の岡田、中日の落合、巨人の堀内という新しい監督の個性が
これからの試合で、出てくるだろう。過去に蓄積されたものが
どの程度であったか、あからさまになるのだから監督業も大変な仕事である。

・・・・・・・・・・
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2003年04月14日(月)
740, 深夜特急

沢木耕太郎の「深夜特急」という小説がある。
彼が若い時にロンドンへ貧乏旅行をしたときの深夜に移動する乗り継ぎ
バスからとった小説の題名である。
TVドラマにもなった。

 昨夜の十時半に京都の桜見に出かけた。
一万円パック・バスツアーで、翌日の21時半に帰ってくるのもであった。
天気が良かったが、先週に桜のピークは過ぎていた。
しかし、この桜の時期のパックのシステムが良い。

・朝6時に、京都の清水寺の開門に合わせて到着するコースが組んであっ
た。
・その後7時に嵐山に行って、あとは解散してそれぞれが嵐山・嵯峨野
めぐりをして11時に集合して、オプションの食事
・その後、一般公開の最終日の京都御所をみて14時半に帰ってくる内容で
あった。

ハイライトは自転車を借りて周った、嵐山周辺のお寺周りであった。
印象順に書いてみると
・愛宕念仏寺の羅漢仏の群れがよい。
 写真では何回もみたが、実際にみたのは始めてであった。
 人間臭い像が多くあちこちに郡をなして並んでいた。
・壇林寺の多くの仏像と仏画が印象的であった。
・祗王寺の小宇宙を思わせる庭とその中の家もすばらしい。

 最近は殆ど国内旅行はしなくなったが、こういうパックシステムに
参加して、効率的に行ってくるのもよいことが解った。
こういうシステムに参加して嵐山だけに絞って周り最終地で待ち合わせて
帰りのバスに乗るいう方法もある。
43人の参加で添乗員がついていた。
新発田、新潟、三条、長岡と参加者を拾っていくのも効率的である。

深夜特急?が意外と疲れないのを知ったのも収穫であった。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
2002年04月14日(日)
376,新潟駅前界隈

新潟の駅前で事業を始めて21年になる。
場所柄、いろいろな商売をみてきた。

本当に商売の難しさを思い知らされる。
意外と潰れてないのが驚きだ。半分は生き残っている。

しかし多くの潰れていく店も多い。
数年たつといつの間にやめている。その共通点は私生活の乱れが多い。
それといつの間に「唯我独尊」になってしまうことだ。
店が悪くなると、すぐ客単価を上げようとする。

お客は「お値打ち」を求めて店に来ているのが解らなくなる。
こと値段に対して厳しい査定をしている事が見えなくなる。
そういう危なくなっている店が、ここにきて多い。

おかしくなる数年前に、何かその種をつくっている。
お客は一度離れたら二度と戻ってこない。

いろいろな事情と思惑で、商売を始めている。
しかし原理原則が商売にきっちりある。
その原則がわかってない人が多い。
大きい本屋を数軒回れば幾らでもあるが、気がつかないのも仕方ない。
他人事ではないが。

特に飲食店がよくない。
原因は
・一人当たりの可処分所得と小遣いが減ったこと。
・出張と社交費が激減したこと。
・自宅近くのチェーン店に行くようになった。
・TV のハードとソフトがここにきて格段によくなった。
 その為、家でビールを飲みながら、TV を見ていたほうがずっと価値がある。
・そして最大の原因は不景気である。

デフレと売り上げが減っている為、客単価を下げる事が出来ない。
商品の質を一ランク上げ、価格を一ランクか二ランク下げなくてはならない。
客が来ないため鮮度と質が落ち、客単価を上げてくれば客は減って当然だ

お客は食べ物には敏感である。
おまけにデフレの為スーパーやファーストフードは合理化を進め、値段を下げてくる。
「誰がそんな不味いものを高い金を出して食べるか!」と黙って行かなくなる。

それでもまだ店を出したがる人がいるのだから。


1471, 『冥途のお客』を読む

2005年04月13日(水)



佐藤愛子著の「霊の話」光文社ーが面白い。

月刊誌の「新潮45」で、数年前に霊体験を連載していた。
読んでいて、背筋が寒くなるほどリアルで中味の濃いものであった。
文春文庫から[あの世の話]という題名で出版されている。

私は27歳時の父親の死の直後、霊体質になった。
最近は、あまり妙なことは起きなくなったが、以前は信じられないような
色いろな現象に出くわした。
そのことは随想日記にも何度か書いてきた。

佐藤愛子は30数年前、50歳で霊体質になったというから、
私の方が若くしてなった。ほぼ同時期になる。

霊体質になる以前は、こういう話は興味本位で聞いていただけで、
内心は全く信じてなかった。
しかし、自分がなってみると違うのだ。
違う感覚器官が、身についたという感覚である。
そのことを、佐藤愛子も書いている。
耳の聞こえない人に、音楽の話や、風の音の話をしても何も解るはずがない。
それと同じことである。

私の場合は、身近な人の葬式前後に何かが起こる場合が多い。
どこどこで、全く知らない霊と出会うことは少ない。

最近は本当に少なくなっている。
おそらく仏壇で毎日、亡くなった因縁のあった人の名前を挙げて、
[あの世で静かにお眠りください]と祈っているためだろう。

2年位前の、自社ホテルの因縁部屋(初の自殺者出た部屋)に泊まった時の話である。
夜半トイレに入ったところ、換気扇が人の鳴き声になっていた。
「今更、そこで亡くなった人が泣いているわけもあるまい」と、
気を取り直して、何回もスイッチを入れたところ人の鳴き声に聞こえる。
それも何回も聞きなおしてもである。
この部屋で亡くなった、あの女性が出てくるはずがないと思いながら、
まんじりとしない一晩を過ごした。
翌日事務所に行って暫くすると、私の泊まった前の部屋で
「病死のようだが、人が死んでいた」という報告が入った。
あの泣き声は、故人が私に悲しみを伝えたかったのではと?

理屈から考えれば有り得ない話だが、実際信じられない現象が起こるのだ。
霊感の強い人は、普通の人が見えないものが見えるのだから大変である。
佐藤愛子の場合、私よりズット霊体質は強い。
自分に霊体質が無ければ、こんな内容の本には見向きもしない。
理屈に全く合わないのだから。

ー以下は検索で調べた、この本の大筋と感想を書いた内容である。
けっこう上手くまとめてある。
 ーーー

著者自らの霊体験を告白
 「夢か現(うつつ)か、現か夢か」とサブタイトルにあるように、
「冥途(めいど)の客」、すなち霊界や幽霊を扱ったエッセー集である。
といっても、これは最近のホラーブームや冗談で書いたものではなく、
霊などに取り憑(つ)かれる霊媒体質になってから三十年の体験を踏まえて、
作家としてのすべてを賭けて告白したものである。
 
「後書き」にも
「以上の話を真実と考えるか、妄想駄ボラと思うかは読者の自由です。
私はただ実直に、何の誇張も交えず私の経験、見聞を伝えました。(略)
死はすべての終わりではない。無ではない。肉体は滅びても魂は永遠に存在する。
そのことを『死ねば何もかも無に帰す』と思っている人たちにわかってもらいたい
という気持ちだけです」と書いている。

 霊媒体質の強い知人友人、作家・中山あい子や色川武大の話などがあるほか、
好奇心旺盛な著者が幽霊が出て話題になった岐阜県富加(とみか)町の町営住宅へ
訪ねて行く話が載っている。

 そこでは、スピリチュアル・カウンセラーの江原啓之が同行し、
そのさまざまな現象を霊視すると、戦国時代の古戦場であり、その戦場で
浮かばれない霊の武士や兵が合戦を繰り返しているために起こる現象であると
している。

 しかし、江原でも、この戦場の霊たちの怨念(おんねん)が強いために、
完全に除霊できないという。
著者は、こうした事実を淡々と描いている。

 表題の冥途のお客で興味深いのは、作家の遠藤周作の話。
遠藤周作は生前、著者に死後の世界があるかと尋ね、あるならば互いに先に
死んだ方が幽霊になって「あった」ということを知らせようということになった。

 すると、ある日、霊能者の江原と電話で話していたとき、江原が遠藤周作が
著者の家に訪ねて来ていると述べた。
江原が実況放送のように遠藤や開高健、有吉佐和子などの言葉を伝えるわけだが、
遠藤はあの世で世直しをする仕事があるなどと述べているし、なかなか面白い
内容になっている。

 しかし、著者は霊能者の霊視を次のように述べている。
 「霊能者の霊視の範囲は人によってそれぞれに違う。
霊能者の眼にはあの世の様相すべてが見えるのではなく、時には断片であり、
人によって見える角度が違う。(略)
従って、A霊能者とB霊能者のいうことが違うからといって、
どちらを信じどちらを信じないと決めることは出来ないのである。
(略)綜合的に判断することが出来るのは、そして霊能者の優劣、
あるいは真贋(しんがん)を見抜くのは結局は自分なのである。
高い人格を感じる人物を私は信じる。それには自分も無心にならなければならない」

 霊界があるかどうか、幽霊が存在するかどうか、改めて考えたくなるほど、
リアリティーを感じさせるエッセー集である。

ーあとがきより
以上の話を真実と考えるか、妄想駄ボラと思うかは読者の自由です。
私はただ実直に、何の誇張も交えず私の経験、見聞を伝えました。
これらの体験を書いて人を怖がらせたり興味を惹きたいと考えたのではありません。
死はすべての終わりではない。無ではない。
肉体は滅びても魂は永遠に存在する。
そのことを「死ねば何もかも無に帰す」と思っている人たちにわかってもらいたい
という気持ちだけです。三十年にわたって私が苦しみつつ学んだことを申し述べたい。
ひとえにそれが人の不信や嘲笑を買うことになろうとも。
私にはそんな義務さえあるような気さえしているのです。
この世でわれわれは金銭の苦労や病苦、愛恋、別離、死の恐怖など、
生きつづけるための欲望や執着に苦しみます。
しかし、それに耐えてうち克つことがこの世に生まれてきた意味であること、
その修行が死後の安楽に繋がることを胸に刻めば、「こわいもの」はなくなっていく。
それがやっと八十歳になってわかったのです。
この記述によって好奇心を刺激された人、この私をバカにする人、
いろいろいるでしょう。でもたった一人でも、ここから何かのヒントを得る人が
いて下されば本望です。その一人の人を目ざして私はこの本を上梓します


目次


あの世とこの世

怪人の行方

どこまでつづく合戦ぞ(1)

どこまでつづく合戦ぞ(2)

ノホホンと天国行き

心やさしい人への訓話

生きるもたいへん 死んでもたいへん

珍友

地獄は……ある。

あの世からのプレゼント

狼男は可哀そうか?

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2004年04月13日(火)
1106, 大逆転-ヘビー級の醍醐味

昨夜、ヘビー級の世界タイトルマッチを見ていて驚いた。
圧倒的有利のウラジミール・クリチコフが、サウンドバックのように
相手選手を攻め立てていた。そして4回に相手選手がダウンをきっし、
ノックアウト寸前。
5回はいつダウンをするか一方的の試合になってしまった。

そしてラストの40秒前に、相手のパンチが当たって、最後0秒で
劇的大逆転でクリチコフが負けてしまった。
数年に一度見れるかどうかの面白い内容であった。
映画の「ロッキー」を見ているようであった。
ヘビー級はこれがあるから面白い!

当り前のことだが、見ていないと、その面白さがわかるわけがないが。
9回2アウトからの大逆転のようなものである。

最盛期のタイソンが日本でまさかの敗退や、レノックス・ルイスが
数年前に負けるわけのない選手に一発で負けた試合を思い出す。
しかし今回みたいに、サンドバックのように一方的に攻められていた選手の、
劇的な大逆転も珍しい。

子供の頃の楽しみは、「巨人・大鵬・玉子焼き」ではないが、今から見れば
ごく限られたものであった。白井やファイティング原田や海老原などの
世界戦が思い出に残っている。
それと青年期にはカシアス・クレイ(アリ)とリストン戦や、フォアマン戦が
記憶に残っている。

ボクシングも最近以前のように熱心には見なくなってしまった。
しかし昨夜の対戦は記憶に残る面白い内容であった。

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2003年04月13日(日)
739, 睡眠時無呼吸症候群

一度だけだが、寝ていて息苦しいので目が覚めてた時に,
息するのを忘れていたことに気がついた。
「エッ!」というのが、その時の印象だった。
「なんで呼吸を忘れるんだ?」という疑問であった。
「こういうことが実際にあるんだ!」と思った記憶がある。
5〜6年前の事だった。

ところが最近になって無呼吸症候群が問題になって、初めてなるほどと感じた。
それで死んでしまう事ってあるのだろうか?
そういえば新幹線の停車ミスの運転手も無呼吸症候群だった!
そこでインターネットで、「睡眠時無呼吸症候群」を調べた。
その結果、私のその経験と違う?ので安心をした。
ー睡眠時無呼吸症候群の定義

一晩(7時間)の睡眠中に10秒以上の無呼吸が30回以上おこる。
または、睡眠1時間あたりの無呼吸数や低呼吸数が5回以上おこる。
実際に止めてみると辛いことがわかります。
 睡眠時無呼吸症候群(SAS:Sleep Apnea Syndrome)は、睡眠中に呼吸が止まった状態
(無呼吸)が断続的に繰り返される病気です。
その結果十分に睡眠がとれず、日中の眠気、集中力、活力に欠ける、居眠りがちになる、
居眠り運転で事故や重大事故などを起こしやすくなります。
治療をせずに放置しておくと生命に危険が及ぶ場合もあります。
よって適正な症状分析と診断、治療、予防などの対策が必要になります。

眠っている間に呼吸が数十回、ときには数百回と止まるようであれば、体内の酸素不足が
深刻になってくるでしょう。酸素不足がおこれば「寝苦しい」「息苦しい」
などの症状が現れ、睡眠不足がおこります。
また酸素不足は循環機能に負担をかけ、不整脈、高血圧、心不全、糖尿病が現れ生存率が
低くなるなど無呼吸症候群には様々な問題がでてきます。
いびきのあとに呼吸が止まるようなときには無呼吸症を疑い、 早めの治療が必要です。

ーーー
もしこういう症状であったら本当につらいだろう!
睡眠はある意味で、天国の世界である。
それが楽々眠れないとしたら、これほどの不幸はない。
信じられない病気が多い。
病気になった当人しか、その苦しみは解らないものである!

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2002年04月13日(土)
375, 「テーマ日記」を書き始めて一年

あと一ヶ月でホームページに「テーマ日記」を書き始めて一年になる。
旅行を除けば一日も欠かさないで書いた。

何処までやれるか自身との闘いで始めた。
あまり苦しい事はなかったが、しかし気をとられたことは事実である。

気がついたら、370以上の文章を書いた事になる。
よく書いたものだが、内容はこんなもの。

あと1〜2年つづけたら殆ど内面を、いや底を尽くのではないか。
その後で底から真水が出てくるのではないか。
今現在もう底を突いているのではとは思えないでもないが。

テーマの種が尽き始めた事は事実だ。
大した事を考えてない自分が顕わになった。
本気になって第三者を意識して書き出して、プロの文筆家の能力に
今更驚かされる。それで食べているのだから当然といえば当然だが。

書くということと、内面で考える事とあまり違いはない。
内面を赤裸々に顕してしまう。
毎日書き続け公開していることは、とんでもない事かもしれない。

しかし今更そういう生き方をしてきて(^^ゞ−(;一_一)(+_+)(-_-;)
ー恥ずかしいことはない。
後どうしても過去の事考えたことに偏ってしまう。
人生の7割生きたのだから仕方ない。
自分史そのものだ。
自分史の先取りだが、自分史は早いほどいいという。

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<おわらい>
ー貧すれば鈍する

「隣の家 借金苦で夜逃げしたんだって!」

  「貧すればド(ろ)ンする」


1470, 書く(一人、語る)ということ−2

2005年04月12日(火)



このHPを開設をして一番の効果について何回か書いてきた。

今までは、知識を得ても自分の内面に落とし込んで、それでお終い。
殆んどが記憶の底から出ることなく埋没するだけであった。
知識・教養とはそれでもよいが、やはり外部化をしておいたほうが
より良いに決まっている。
いつでもコピーをしたりできるし、分類や再考が可能になる。

反面、このHPに落とし込んだ場合に第三者にも曝すことになり、
自分のノートや備忘録に落とし込むのとはおのずから違ってくる。
まず第三者にも理解するように書かなくてはならない。
自分の気持を書き込む時には、自分の中の第三者の目ー理性ーで、
一度濾過をしなくてはならない。それが自分をコントロールをしてくれる。
1年、3年、10年経った時の自分や、子孫の目も意識しなくてはならない。
しかし、その加工は時間が経った時の自分にとってプラスに働くうえに、
第三者の人とも共用が可能になる。
この共有感が、気持ちを安らげてくれることになる。

いま一つ良かったことは、
何か感じたリ驚いたりした時に、それを無意識に起承転結として文章化を
するようになった。いつの間にか、書くように頭の中でまとめている習慣が
ついてしまったことだ。

また他人と話している時なども、書くように話しているのだ。
これも結果として大きな収穫であった。
更に、他人の話を聞くときも、文章を読むように聞いてしまっている。
相手の起承転結を整理しながら聞いてしまっている。
インプットも、アウトプットも、無意識に整理しながら聞いたり
話したりする習慣(脈絡を掴むよう)になっていた。

                    つづく
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2004年04月12日(月)
1105, 「ありがとう」戦略ー2

・「幸せだから感謝をするのではない。感謝をするから幸せなのだ」
 感謝はー大勢の人々のお陰、宇宙の森羅万象のお陰という気づきは、
 チャンスのときよりピンチのときに生じることが多い。
 ー「ありがとう」と、心の底から周りに対して言える状態が
 幸福といえるのだろう。
 
・「お客様は来てくださらないもの」
 「取引先は商品を卸してくださらないもの」
 「金融機関はお金を貸してくれないもの」
 ヨーカ堂の伊藤名誉会長が母親から受けた教えだという。
 この「ないないづくし」を前提に考えれば、『有り難い』という言葉が
 自然とでてくるものである。
 ーこの気持ちを忘れてしまうのが人間である。他人のことは見えるがいざ
 自分のこととなると見えなくなる。
 
・言葉の原則がある。
 第一は「言葉はレストランのオーダーの如し」という原則がある。
 注文どおりの料理が運ばれてくるものだ。
 言葉のとおりになっていくのだ。
 「疲れた」「(>_<)困った」「できない」と、消極的な言葉を発するとおり
 不幸な状態を発注をしているのだ。
 第二は「言葉はエネルギー」という原則である。」
 言葉の強力な言霊エネルギがピンチをチャンスに変えてくれる。
 第三は「言葉は表情」という原則である。
 言葉や表情を明るく変えるから人生も明るくなる。
 
・言葉には「明元素言葉」と「暗病反言葉」がある。
ー「明元素言葉」は
「ありがとう」「簡単だ」「愉しい」「恵まれている」
「面白い」「美しい」「楽しい」「嬉しい」「素敵だ」
これらの言葉は、積極的で、肯定的で、状況を陽転していくエネルギーを
持っている。「現状打破言葉」とも言える。

ー「暗病反言葉」は
「忙しい」「疲れた」「嫌だ」「困難だ」「やってられない」
「駄目だ」「不幸だ」「もう歳だ」「できない」「どうでもよい」
これらは「現状維持言葉」という。
この言葉を使っていると本当に「暗病反」になってしまう。
                          ーつづく

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2003年04月12日(土)
738, NTTの現状から時代の変化をみる

 先日、NTTの人が光ファイバーの件できたので、IP 電話の内容を聞いた。 
NTTが現在、大きい分岐点にあるのは私でも解る。
一般回線からの収入は数年後には、減っているなか更に激減するという。
今後の収入源が光ファイバーと、ADSLの収入しかなくなるという。
それも他業種の参入で競争が厳しいという。
固定費が本来高いので競争に不利である。
今の時代の象徴そのものだ。
あの電信柱と電話回線という数兆の資産が、たんなるゴミになってしまうのだ。

他人事ではない!観光白書によると一昨年だけで、
ビジネス客が一年間で6割も減っているのだ。
昨年は更に減少傾向にあったから、三分の一になっている。
ある日突然、ある価値が全くの無価値になるのが、今の時代である。
東京の中央部の中型・小型の貸しビルが、最近目立ち始めた超高層ビルに
取って代っているという。NHKスペシャルでやっていたが、
出揃う4年後の2007年に大問題になるという。
立地がよいという理由だけでは存在価値が無くなるのだ。
 
それにしても、この情報化革命という奴は、想像をはるかに超えて世界を
根底から変えている!

  以下は日経WEBよりコピーをした。
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接続料上げでも減収に

 今回の引き上げはNTT東西には増収要因となるが、一方で通話量が前年に比べ20%
近くも減少しているため、最終的な接続料収入は前年を約200億円下回る見通しだ。
新電電側は接続料の値上げは新たな支出となるため、「利用者料金の引き上げにつながる」
と反対している。

接続料はNTTの電話網の開放に伴い発足した制度で、最初は実際の設備コストをもとに
計算した。しかし「それでは電話料金の高止まりが続く」という新電電の批判を踏まえ、
現在は「長期増分費用モデル」と呼ばれる計算式が使われている。

 このモデルではNTTが低額の最新設備を導入していると仮定し、その投資コストを
通話量で割って接続料を計算する。通話量が増大した今までは接続料の引き下げに役立ったが、
今回は通話量が減ったため、計算上、接続料を上げざるを得ないという逆転現象が
起きてしまった。総務省が了解したのもこのためだ。

 従って本当の問題は接続料の引き上げよりも電話の通話量が減少に向かい始めたことにある。
原因は携帯電話の急速な普及や、ダイヤルアップ接続からブロードバンド(高速大容量)
通信への移行、それに伴うIP電話の登場などが考えられる。
中でも影響が今後最も大きくなるとみられるのがIP電話である。

 IP電話はADSL(非対称デジタル加入者線)などの常時接続環境を使い、データ通信に
よって通話する仕組みで、基本的には通話量に伴う電話料金は発生しない。
通話品質も最近は一般の電話と変わらなくなってきた。
一方、IP電話に必要なADSLの付加利用料は月額170円前後の固定制で、
IP電話同士なら何時間でも無料で話せる。

 総務省はさらに「050」で始まるIP電話専用番号を割り当て始めた。
これを使うと光ファイバーやケーブルテレビなどのIP網から直接、相手を呼び出せるため、
現在の電話網に依存しない電話システムが可能になる。
つまりIP電話が普及すれば通話量は減少し、電話網も不要となるなど、NTTの基本的な
サービスの前提が崩れることになる。

 実際、NTT東西の収入は2年続きで4000億円ずつ減少しており、接続料が値上げされても
5年後には1兆円を超える減収が避けられない。
このためNTT東西では社員10万人を対象に関連会社への転籍や賃金の引き下げを進めているが、
この傾向が続けば、ADSLを支える電話網の品質劣化も避けられなくなる。

 総務省は「今回の結果はNTTと新電電が合意した計算式によるもの」として一応認め、
5月の連休明けにも新たな研究会を作り、IP電話時代に適した通信料金制度の在り方を
検討する計画だ。米国でも市内通信網の開放義務により地域電話会社の経営が悪化したとして、
米連邦通信委員会(FCC)は開放の義務づけを緩和する決定を下した。


通信距離が意味を失う

 IP電話の増加は今後3年間で600万台とも2000万台ともいわれる。
そうなれば電話やデータ通信、市内や長距離といった従来の区分は全く意味を失う。
新しい料金制度を作るにはそれを前提に、利用者の負担が増えないこと、技術革新を妨げないこと、
警察や消防などの緊急通報手段が損なわれないこと、通信設備の維持存続が可能なことなどの
政策目標を満たさねばならない。

 約130年前、英国式の郵便制度を導入した前島密は郵送距離を問わない「全国均一料金制度」
を確立し、日本の近代化に貢献した。その郵便制度も今、日本郵政公社に衣替えした。
一方、電話事業は1985年に民営化されたものの、携帯電話やインターネットが広がるまではNTT、
新電電ともに基本的な電話サービスの仕組みは変わらなかった。

 音声通話は携帯電話網、IP電話を含むデータ通信は固定通信網といった流れが加速している今、
NTTたたきだけで問題は解決しない。固定電話料金は下がっても、国民1人当たりの
通信料負担は携帯電話の普及で逆に高まっている。
緊急通報手段やユニバーサルサービスの実現も携帯電話を含めて再検討する必要があろう。
接続料だけに議論が終始すれば、この国の通信制度は大きな危機にさらされることになる。
    
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2002年04月12日(金)
374, 主観と客観(喜劇と悲劇)

以前も書いた事があるが?
「滑って転んだとする、その人は骨を折ったか、悲しいぐらいのいたみである。
たまたま横にいた人にそれが非常に可笑しく見えた。
前者にとって悲劇、後者は喜劇である。」

後者は同じ出来事を傍観している。他人事として見ている、これが喜劇。
前者はその滑った本人の目で書いている、これが悲劇だ。
後者は客観で、前者は主観である。

あれだけ苦しんだ事も、あとで笑い飛ばした時に気持ちが癒される。
何事も笑い飛ばしてみれば、どうっとことはない。
「早く忘れたい嫌な事は、笑い飛ばしてしまえ!」
というのが肯ける。

「喜劇と悲劇は紙一重」とは、視点を主観から客観に少し変えてしまう事だ。
「人を笑う前に自分を笑え」ともいえる。
特に日本人は「恥じの文化」ともいわれるように、他人に笑われる事を嫌う。
それだけ自立していないのと、多神教のせいもある。

逆に他人を笑っている自分は何だろう? 自嘲か軽蔑か、それとも同化か?
あまり他人を笑わないほうがいい!その他人に対する同化になってる状態だ。

考えてみたら、この二律背反だからこそ生きられるのだろう。

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<おわらい>

以前 隣の男にお酒を一本ご馳走になった。

焼き鳥のツクネが一本残っていたので

「これツクネけでどお返し」とあげてしまった。


1469, 負い方ひとつで、重荷も軽い

2005年04月11日(月)

徳川家康の言葉で「人生は重荷を背負いて坂道を往くがごとし」という言葉がある。
人生には確かにそういえる部分がある。
特に年齢を重ねるほど、その意味がよく解るようになる。

「負い方ひとつで、重荷も軽い」という言葉が人生の妙を言いあらわしている。
人生の荷物も、「人生のコツー技術」と、「心の持ち方」という面で
何分の1にすることができる。

常に荷物を点検して減らすことを務めれば、重荷は軽くなる。
過去を如何に忘れるか、そして未来の不安を軽減するかは、努力と技術で可能になる。
いつも書いていることだが、
「早く好きなことを見つけ、ライフワークにすること」
がポイントになる。
荷物は決して減りはしないが、一時でも荷物の重さを忘れることが出来る。

荷物の背負い方を知っていると知らないとでは、重圧が全く違ってくる。
そういう私も大きな荷物の重圧があるが、しかし無いよりはズット良いと思っている。

海外旅行先で、2日に一度は旅行カバンの中身を全て外に出して整理をする。
翌日必要なものを直ぐ取り出せるようにしておく。慣れれば15分で可能だ。
気持ちが、落ち着くのだ。

これは人生の荷物にもいえることである。
常に中身を整理しているだけで、荷物が軽く感じるものだ。
その繰り返しの中で何が重要で、何が必要ないかが見えてくる。
そしてシンプルになっていく。

金沢にいた時、先が見えず状況も最悪であった。
その時、悩みぬいた時にフッと
「今は修行の時、学ぶ時である。こういうマイナス状況こそプラスになる」
と思った瞬間、肩の荷の重みが半分以下になったのを覚えている。
考え方一つで、荷物は軽くなるのだ。
状況そのものより、それに対する考え方がより重要である。

本当に、軽い荷物を重そうに背負っている人が多い。
整理がついてないからだ。そして、ストレスの塊になっている。
無知と言おうか、誰でも思い浮かぶ人が何人かいるだろう。
居酒屋や、スナックのママさんあたりの。
「負い方ひとつで、軽荷も重い」を、実践しているのだ。
他人事ではないが。

いらない荷物を幾つも持って喘いでいるのに、
さらにドンドン背負いこもうとする。
それも人生か!

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2004年04月11日(日)
1104、「ありがとう」戦略ー読書日記−1

以前「幸せの宇宙構造」という本を読んで、人生観が一変してしまった。
心の底の一番大事な芯として、「ありがとう」の言葉が根付いてしまった。
単純といえば単純だが。

朝方、色いろ考えた後、後は自然の流れに従うしかないと思うと同時に、
「ありがとう」の言葉の繰り返しが、心を明るくしてくれる。

この本もジックリと読むと深い暗示を多く含んでいる。
「ありがとう」という言葉には、考えれば考えるほど深い意味が含まれている。

過去に出会った周辺の「人生や仕事の上手くいっていない人」は、
100佑「感謝の念の少ない人」である。
私自身も上手くいってない時期の原因を考えると「感謝が足りない」ことによる。

この本は個人でも会社でも「ありがとう」を「戦略」として持つことを
勧めている。
会社でもサービスや商品を売って成り立っている。顧客サービスは最大の使命である。
しかし、『ありがとう』という視点がハッキリしているかといえば、そうでもない。

また人生には一つの無駄も、マイナスもない。
起こっていることはすべてに意味があり、すべて「有ること」が「難しい」ことに
「当たる」から「有難当」なのだ。

「ありがとう」は‘良樹細根’である。
良樹という正しい結果を得るために、細根という正しい原因を育てる。
つまり、毎日「ありがとう」を、できるだけ多くの場で、できるだけたくさん
の人や物や現象に発し続けることが細根になる。

すべては「ありがとう」から出発する。
この言葉より「幸せ」「(^_-)-☆−大好き」「愛している」「誇りだ」が
言霊曼荼羅が出てくる。

この本の中で印象的な言葉を書き写してみる。
                     ーつづく
・・・・・・・
ーサンマーク出版
ー清水秀雄著
ー内容
感謝・感動・感激をつねに発信しつづけよ! 「ありがとう」こそが、揺らぐことの
ない不動の戦略。
実例をふんだんに紹介しながら、企業を繁栄へと導く「ありがとう戦略」について
紹介する。

目次

プロローグ こんな時代こそ、「ありがとう」で生きる  (今なぜ、「ありがとう」
  戦略が必要なのか  現状打破の起爆剤となる「ありがとう」パワー ほか)

第1章 自分を変える魔法の言葉「ありがとう」(ピンチのときこそ、言葉のパワーを
   活用しよう「お疲れさま」というかわりに「お元気さま」という ほか)
第2章 人も企業人も企業も元気になる「ありがとう」実践法(誰にでも「大秀才」
   になるチャンスがある
  「戦略」と「戦術」があなたの人生の扉を開く ほか)
第3章 繁栄・発展をもたらす「ありがとう」の感動経営
  (七福神の住む「ありがとうの家」をつくる建設会社
  強い会社は、深い「企業文化」をもっている ほか)
第4章 「ありがとう」を知れば人生すべてが一変する(「ありがとう」を発見し、
  結晶化させるまず自分の内側を見つめることから始めよう ほか)

 本書では具体的な感謝方法が「ありがとう」の実践という形で示されている。

「ありがとう」戦略を実践する多数の企業事例が出てきているため、企業戦略構築に
 悩む経営者に最適な本になります。
 顧客満足はほとんどの企業の経営理念に入っているものですが、
 意外と「顧客や地球等々に感謝する」という視点は抜け落ちているものです。
 お客様に感謝さえしていれば、どうすればこの感謝を
 「お客様に伝えることができるのか」つまり「顧客満足度を高められるのか」
 と考えることができますので、ビジネスだけでなく考え方の基本を学べる本
 です。

 感謝しながら怒る人はいないし、何か一つでも感謝することがあれば命を
 絶つ人は いないと思います。「感謝なんかできないよ」というマイナス
 発想の方に是非とも一読して欲しい本です。
 「日本人は言霊の国」であることがわかります。
 
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・・・・・・・・・・

2003年04月11日(金)
737, 若い人の価値が下がってしまった

 現在の新卒の就職が問題になってきている。
大学を出ても、まともな就職先がないのだ。
周辺の知人の子供が丁度その時期に来ているが、まともに就職している人が
殆どいない。フリーターか、準社員の勤めとのこと。

 何かの雑誌に、若い人の価値そのものが下がってしまったとあった。
会社が若い人を育て上げるだけの余裕がなくなってきた為だ。
ある程度育て上げると、訳のわからないことをいって辞めてしまう。
余裕のあるうちはよいが、会社も人件費を考えると正社員の比率を
下げざるを得なくなってきた。いくらでも良質な準社員やパートを
採用できるなら、敢えて正社員を入れる必要がなくなったのだ。
会社の寿命のサイクルもここにきて、極端に短くなっていることもその原因にある。

 それと若い人の間でも、勝ち組と負け組みの質の差がはっきりしてきた。
あえて負け組みの劣化した人は準社員として、割り切ってしまった方が得策に
なったのだ。
「素養のない人にどんなに教育しても金をドブに捨てるようなものだ」
ということが、過去会社経営してきて身に沁みて解った。
十数年前になるが、男子社員が「教育するなら金をくれ!」と嘯いていると聞いた。
ただ呆然として聞いたが、こうなると血筋のレベルの問題だ。
他人事でないか?

 今ではアルバイトでさえも、就職が困難といわれる時代になった。
  時代は変わった!

・・・・・・・
・・・・・・・

2002年04月11日(木)
373, 何故マイナス思考になるのか

ーこれは面白い問いかけだ。
経験を積むにしたがい、必ず失敗の経験を重ねていく。
そしてその失敗の経験が、マイナス思考を生み出す。
あれも駄目、これも駄目、全て駄目、一番悪いのはそういっている俺!

ある???会に行くと、マイナス思考の愛好会そのもの!
どうしたらあのような考え方が出来るかと不思議なくらいだ。
現実に溺れて(下と横だけを見て)???

子狐がいるせいもあるが。
この子狐不景気になってきたら急に元気になった。
周りが自分並に見えてきたためか。
ーマイナスに対するマイナスは拙いか?

いま一つがマスコミの毎日流される、事件の報道である。
事件はほとんどがマイナスの出来事である。
犬が人を噛んでも事件にならないが、人が犬を噛むと事件になる。
それは別にマイナスの事でないが、幸福な家庭からは事件は起きない。
それはニュースにならない。

めったに起きないマイナスを報道するのがニュースである。
それをまともに脳に流し込んでいるから、
いつの間にか頭はマイナスに侵されてしまう。
それに気づかないから、どんどんマイナス思考に落ちてしまう。

「あまり人を恨むな、恨んでいると知らないうちに主語が消えてしまう。
主語が消えた後、他の人達に主語が転化してしまう。」
という話を聞いた事がある。
「あまり恵まれてない状態の人や人生の人に近づくな!」というが、
この年になると実感する。

といってマイナス思考も必要である。
ただ冷静に見据えておかなくてはならない。

人は他人の不幸をどういうわけか好むという。
江戸時代の盲人が、それを看破していた。
目が見えない分だけ、人の気持ちが良くわかるという。
不幸の話をしている人の声が弾んであるという。
幸福の人の話をしている時は沈んでいるという。
他人の不幸を悲しみ、幸福を喜ぶことは意識して訓練しなくては出来ない。

いやその前に自分が幸せと芯から思えなくてはならない。
まずは考え考え考え抜いて、自分が幸せと気づかなくては。
それがプラス思考の第一歩。

以前にも書いたが、家内が「自分の友達の大部分が自分不幸と思っている。」
と驚いていた。「どうみても幸せの筈なのに、どうして?」
これなど、典型的なマスコミとか、周囲のマイナス思考に対する浄化装置を
身に付けてない典型の例だ。

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<おわらい>

 理屈っぽい彼女へ!

「論よりシヨウ(コ)ヨ!」


1468, 通販の時代の到来

2005年04月10日(日)

先日、NHKのニュースで
「韓国のホームショッピングが、デパートの売り上げと同額になった」
と報じていた。
・韓国では既にインターネットの普及率が70佑鯆兇┐燭海
・光ファイバーが隅々まで配置されている
などが理由にあげられるという。、
結婚式などの無形商品もTVでそのサービスを見て選定をしてから、
2〜3の会場に行って決定するという。

日本もここにきて、本格的に光ファイバーが家庭に普及しだしてきた。
数年もしないうちに韓国と同じような状態になるだろう。
このことは情報化の象徴的な現象とみることができる。
それにしても、TVショッピングがデパートの売り上げを超えようとは感慨深い。

私の場合は、電気製品を買う時は必ず価格ドットコムを見てから、
量販店に、その事実と価格を告げて数佑鮠緇茲擦鬚靴毒磴Α
万一故障の時、直接メーカーと交渉するのが面倒だからである。

健康食品と書籍も、半分は直接ネット上で買っている。

生物は経験の重なりが知識・情報になり、その結果として進化してきた。
ところが、その情報がインターネットで瞬時で世界中に飛び交う時代になったのだ。
これは人類にとって大革命である。
そして、このことが社会を根底から変えている。

新潟の駅周辺にも、隠れ居酒屋が彼方此方に出来始めて何処も結構繁盛している。
リクルートなどが出している情報誌を見て、予約をしてくるという。

新幹線の中で、最近パソコンを使っている人が目立ち始めてきている。
また、事務所も自分のセクションのないフリーのものが増えてきたという。
パソコンに事務所機能が入っているのでセクションがないほうが合理的になる。
日本も光ファイバーが、会社と事務所に本格的に入ってきた。
さらにTV機能の付いたパソコンと携帯電話が一般的になってきた。
これらが社会にもたらす影響はこれから色いろなカタチで出てくるだろう。

一昔(5~6年前)では考えられない面白い時代になった。
経営する立場は大変である、一強多弱しかないのだから。

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2004年04月10日(土)
1103, マスコミは戦争地域には・・

今回イラクでこうそくされた邦人は何なんだろうという疑問がわく。
NPOに名を借りた1発屋のフリージャーナリストである。
現地に行って、その体験記や写真を新聞社に提供するのである。
リスクを売りにするのだから、殺されてもいたし方が無いともいえるのだ。
当然殺されるのも覚悟の上のイラク行きであったはずである。

以前「ヌーの河渡り」に行った時の、添乗員兼インストラクターが
自称「アフリカ専門何でも屋」であった。
TVでアフリカの事件が起きると何回かTVに出たことがあるが、殆どの人は
名前も顔も知らない。
アフリカの紛争地に日本のマスコミと契約をして、記者が行くには危険すぎるところに
乗り込んで行くのが仕事。

新聞社などの記者では、現地で死んだり、怪我をした時に、自社の社員には余りにも
リスクと金がかかりすぎる。
フリージャーナリストの存在は互いに都合がよいという。
生命の危機や虐殺の現場に何回も出くわしたが、慣れてくると、その危険が
たまらないという。日本に帰ると病院の精神科に通院しているとか。

マスコミは奇麗事をいっているが、実際に身体を張っているのは、そういう人なのだ。
アフガンの戦争時も、そういう日本人ジャーナリストが一時現地で行方不明になった
ことがあった。
今井さんという18歳の青年は、両親や兄に必死に止められたようだ。
しかし退避勧告の中に行ったことは、まぎれもない事実である。

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2003年04月10日(木)
736, まずは「一日一図」から

 このホームページを開くきっかけをつくったのは久恒啓一著の
「インターネット勉強法」である。
先日、彼の本を買った、三冊目である。
『人生がうまくいく人は図で考える』である。
なるほど買って読んだら単純にみえたが、なかなかよい本である。
・なかでも「一日一図」がよい。
・それと「借図から創図へ」。
・「文図両道」
・また「図解は一日にしてならず」もよい。

 サッソクこの本の勧めるとおり、3日前から大学ノートに「一日一図」
専用ノートをつくった。
そこでまずは「借図」がポイントと気づいた。
気に入った図を、そのまま真似るのだ。
次に「図解は一日にしてならず」もなるほどと思った。
「借図」を続けることで、自分の「創図」をつくっていくのもうなずけた。

レオナルド・ダビンチなどの天才のノートは、空間を
タップリとって文と図を解りやすく書いてある。まさに「文図両道」である。
レオナルド・ダビンチのノートなどを借図にして、身につくまで真似ればよい。
しかし、なかなか図解するのは身に付かないものである。
そこで「1日一図」を実行するのが第一歩だ。
どこまで続くかだが、四行日記あたりをこれにしてもよいだろう。

 まずは「随想日記の下書き」や「読書日記やその目次写し」から始めてみよう。

以下はインターネットのホームページからのコピーである。
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「図解 人生がうまくいく人は図で考える 」
久恒啓一
販売元: 三笠書房
定価: 1000円 外税
出版年月: 2003/02
種類: 単行本
ISBN: 4837920136
新潟セゾンー
2003年4月
★★★

■ 書評 ■

自分の人生を図で描いてみると、こらが意外と楽しい。「ここにこれを置いて、
こっちにこのことをっなげて、次には、最初は不足していた条件をくっっけて……」。
こんな調子で自分の人生図をっくっていくと、結構のめり込んでいく。楽しい上に、
バラバラだっ事柄同士のつながりが見え、今後の進むべき方向まですっきりしてくる。
たとえば、「人間関係」という項目では・三人の人間に図解してもらったが、三人が
三人ともまったく違う図を描いている。つまり、会社人間なのか、自分中心なのか、
友人関係だけで成り立っているのか、さらには、その人が今何を一番大切に考えて
いるのか、どういう人間なのか、生活のパターンといったことまでが、たった一枚の
図の中ですべて明らかになってしまうのだ。

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2002/04/10
不安解消法

学生時代読んだ本だが、
カーネギーの「道は開ける」に書いてあった方法である。
記憶なので何処まで内容が正確か定かでないが書いてみる。

  ある不安があったとすると、
1、まずその不安な気持ちの対象を書き出す。
2、その不安のさらなる最悪の出来事を想定して書いてみる。
3、その解決方法を幾つか書き出してみる。
4、それが本当に起きるだろうかと、今一度自問してみる。
5、そのプロセスで不安感は消滅してしまう。

という内容だったように記憶している。
これを実行していく中で、不安症の性格がかなり修正された。

「まあその時はその時さ!」「何とかなるさ」
「考えても仕方ない事は、考えても仕方ないさ」が口癖になった。
不安を感じた時、それを直視すればそれは不安でなくなる。
それに対する方策を考えれば、それが不安そのものを解消する。
不安そのものが、手順を考えるプラス要素に逆転する。

実際にケニヤにはじめて行った時の不安は、想像以上であった。
添乗経験10年の女添乗員と家内がヒソヒソと不安そうに
ロンドンへの機内で話していた。
「ロンドンで降りようか」と。

実際タンザ二アやインドに行った時も「不安というプレッシャー」
が襲ってきたが、実際はその数百分の一でしかなかった。

その時時に、その不安を具体的に考え、その対処を具体的に考えていくしかない。
事業も然りであった。具体的に具体的に考えるしかない。
そして具体的に一つずつ解決していくしかない。

「それで済むな生易しい問題は、本当の不安でない」
という言葉が聞こえそうだが。

「直視できない問題だから大変なんだ、不安なんだ」
それももっともだが。

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<おわらい>

失敗は成功が元!
    あの人の場合
       失敗は性交が元


1467, おしっこ

2005年04月09日(土)



雑誌に面白い歌が載っていた。
なかなか面白いので、詩を書き写してみた。

おしっこをしている時の顔はみんな哲学的である。
「水を飲みながら、おしっこをすると妙な気持ちになる」
と何かに書いてあったので、試みたこととがある。
やはり妙な気分であった。馬鹿みたいだが面白い。

この詩の、おしっこの代わりにウンコを思い浮かぶと更に面白い。
何か臭いがしそうなので、やはりおしっこの方がよい。
でも、その方が人間の露な姿を表現できるだろう。

シンプルな詩であるが、中味は濃い。

曲・ 小室等、
作詩・谷川俊太郎
ーお し っ こー

    谷 川 俊 太 郎


大統領がおしっこしてる

おしっこしながら考えている

戦争なんかしたくないんだ

石油がたっぷりありさえすれば



テロリストもおしっこしてる

おしっこしながら考えている

自爆なんかしたくないんだ

恋人残して死にたくないもの



兵隊さんもおしっこしてる

おしっこしながら考えている

殺すのっていやなもんだぜ

殺されるのはもっといやだが



男の子もおしっこしてる

おしっこしながら考えている

マシンガンを撃ってみたいな

きっと気持ちがすっきりするから



武器商人がおしっこしてる

おしっこしながら考えている

銃がなければ平和は守れぬ

金がなければ自由も買えぬ



道で野良犬おしっこしてる

おしっこしながら考えている

敵もいなけりや味方もいない

ただの命を生きているだけ


・・・・・・
2002/06/05
おしっこをしながら、水を飲む

「おしっこをしながら、水を飲むとそのまま飲んだ水が
垂直に排出された感じになる。宇宙が身体に流れ込む感じ」
という本を読んで、昨日3回も実行してみた。

・まず感じたことは、「こんなことを実際やってみる人は,
 この本を読んだごく僅かな単細胞の人だろうな〜」という気持ち。
・世界広しといえども、こんな経験をした人は殆どいない事を
 してみた自分の可笑しさ。
・現実にはそうでないが、飲んだ水がじかにそのまま排出されるという
 実感が愉快であった。
 そこには胃も腸もないそのまま出て行く実感である。

ところでそれがどうしたの?と聞かれても答えようがない。
新鮮な気分と、誰もやったことない体験をしてみた!
という可笑しさで,気分が一新しただけでも価値があった。
  
 何事も経験です!!!!!!!!!!!
  貴方も経験してみたら??!

「え!ばかぬかせ」と考えたら、
貴方は頭が固いのです。

暑い夏に、ビールをドンドン飲んで、トイレに行っていると似たような気分だが。

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・・・・・・・・・

 2004年04月09日(金)
1102, つもりちがい十ケ条

 高いつもりで 低いのが教養     低いつもりで 高いのが気位
 深いつもりで 浅いのが知識     浅いつもりで 深いのが欲望
 厚いつもりで 薄いのが人情     薄いつもりで 厚いのが面皮
 強いつもりで 弱いのが根情     弱いつもりで 強いのが自我
 多いつもりで 少ないのが分別    少ないつもりで多いのが無駄
        そのつもりでがんばりましょう
                    天台宗別格本山 両子寺

人間の浅はかさ、のぼせ上りをいっている。
「般若心教を唱えていたので、高いも低いも、深いも浅いも、多いも少ないも、
『色即是空・諸法空想』としか思っていなかったつもりであった」が、
果たして実際はそうであろうか。
いや、そんなことはない。この通りであった。この随想日記をその全てを
露呈しているではないか。恥ずかしいことである。

それにしても、人間の心理の一番奥の逆上せ上がりをそのままついている。
これを読めば読むほど、本当に自分はバカで卑小とつくづく思ってしまう。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2003年04月09日(水)
735, ホームページを開いて二年

このホームページを開いてあと一ヶ月足らずで二年になる。
旅行以外は随想日記を一日も欠かさなかった。
脳内の何パーセントを汲みだした感覚である。

その時その時の興味が移り変わっていくのもわかる。
お笑いであったり、癒し系であったり、人間観察であったりだ。
・何事も三年である、あと一年は今のペースは続けるつもりである。
 随想テーマ日記の千項目がもう一つの目安だ。
・毎日書き続けるとネタ不足になるが、それが外部の情報収集の動機になる。
 公開をして第三者の目を意識をして書くことで、自己コントロール
 をするようになった。
・書き続けること、改善し続けることで自己の外部化をしていることになっている。

 毎日文章を書き続けることは大変である。「今日飯食って、会社に行って、テレビを見て寝た」
という内容なら如何といことないが、テーマをみつけて筋の通った?文章にするには
エネルギーをつかう。考える時間を入れると、2〜3時間ぐらいはかかる。
その危なさが面白いと感じるから、続けることができるのだが。

 一人で、机の中の日記帳にこれをやろうとしても無理である。
第三者に対する意識があるから続けることができるのだ。
なんで毎日書き続けるのかという疑問があるが、誰のために書いているのではなく、
自分のために書いているだけだ。読み返していると結構自分を鏡でみているようで面白い。
ハッキリいって見る人が見たらバカじゃないのかと思うだろが、これが自分でしかないのも
事実である。

参考の為に一年前に書いた
「テーマ日記」を書き始めて一年 ー1・2
            をコピーしておきます。
ーこうしてあらためて読んでみると、今も一年前も考えることは
ほとんど変わらないものだ。今のままの自分がいる。

・・・・・・・・・

「テーマ日記」を書き始めて一年   −1ー
             (2002・05・22)
あと一ヶ月でホームページに「テーマ日記」を書き始めて一年になる。
旅行を除けば一日も欠かさないで書いた。
何処までやれるか自身との闘いで始めた。
あまり苦しい事はなかったが、しかし気をとられたことは事実である。

気がついたら、370以上の文章を書いた事になる。
よく書いたものだが、内容はこんなもの。
あと1〜2年つづけたら殆ど内面を、いや底を尽くのではないか。
その後で底から真水が出てくるのではないか。
今現在もう底を突いているのではとは思えないでもないが。

テーマの種が尽き始めた事は事実だ。
大した事を考えてない自分が顕わになった。
本気になって第三者を意識して書き出して、プロの文筆家の能力に
今更驚かされる。それで食べているのだから当然といえば当然だが。

書くということと、内面で考える事とあまり違いはない。
内面を赤裸々に顕してしまう。
毎日書き続け公開していることは、とんでもない事かもしれない。

しかし今更そういう生き方をしてきて(^^ゞ−(;一_一)(+_+)(-_-;)
ー恥ずかしいことはない。
どうしても過去の事考えたことに偏ってしまう。
人生の7割生きたのだから仕方ない。
自分史そのものだ。
自分史の先取りだが、自分史は早いほどいいという。

2002/05/23
「テーマ日記を書き始めて一年   ー2ー

ホームページ上のテーマ随想日記は、非常に有効だ。
一年書き続けて、毎日それなりにチャンとテーマが出てくる。
10日に一度くらいが、まったく思いつかない状態になるが、
それでも、その状態の中でも湧くように出てくる。

書き続けることが、大事である。
「一ヶ月で、千項目テーマをあげて文章を書け」
といわれても絶対に不可能だ。

しかし毎日一項目書き続けることは不可能でない。
その習慣をつければ、何とか千項目書けるのではないか。
あと二年近くかかるが。

それさえ作っておけば、自分のデータベースになる。
大テーマを立ちあげた時に、それぞれの大テーマに合わせて
それを組み替えればよい。

書いているうちにコツが解ってくる。
新幹線の中とか、散歩の時間にそれを集中する。
またどういう訳か集中できるのだ。

この時間の集中の積み重ねが、膨大のデーター化になる。
またテーマを考えることと、そのテーマに対し色々言葉を
組み合わせる作業が考えを深める。
内容に対しては、それぞれ批判があると思うが、その時点の自分の
自然に出てきたテーマと内容なので、これ以上でも以下でもない。

書き続けるポイントは「ギブ・アンド・ギブ」である。
そうでなくては、続けられない。
今までの自分の持っている経験・知識を全て吐き出し、
現在、得た情報をそのまま出し続けなくてはならない。
しかしそれを実行していると、他のホームページのそれが
良く理解できるからだ。

そうする事が、逆に自分の為になるからだ。
仏教の布施、キリスト教のボランティアみたいに。
それをすることで、他のページのそれが解ってきた。
自分が入れたエネルギーの数十倍、いや数百倍が入っている事が、
理解できるようになったからだ。それもギブアンドギブで。

そうしていれば、相手の内容を見る目が違ってくる。
また謙虚な眼で、それを見ることができるようになってくる。
またその時々のメルクマールにもなる。

時間が経つにつれて、自分の考えもどんどん変化していく。
その変化した視点で、過去の自分の考えを見つめ直すこともできる。

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・・・・・・・・

2002年04月09日(火)
371,花見

いつもこの時期、福島江と悠久山の花見に行く。
といって朝の散歩で行くのだが。
今年の桜は当たり年のようだ。

「散る桜、残る桜も散る桜」 毎年このことをおもいしらされる。
人間の人生の短さに例えて言っているのだ。
所詮自分の死もいずれ近くやってくる事を言っている。

京都の桜も素晴らしい。
それぞれの地区で素晴らしい桜の名所がある。
この時期の名物の一つである。

7年前私の従兄弟が桜の散際に自死をした。
桜が好きで毎年写真を撮っていたという。

なくなった後で、その時の写真を見せてもらった。
なくなった通夜の納棺の時、突風が吹いた。
納棺の桜吹雪である。背筋がこうりつく思いであった。
こういう事が実際あるのだ。
桜は人間の人生を見せてくれる。
その年も桜の当たり年だった。

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<おわらい>

ークロマテーもの

牽制ではさまれて

相手選手「黒待てー」

アウトになりベンチで
「クロマタ失礼しました」

長島監督「クロマイッタ」

ーー
・三振して
『クロマイッタ!』」

・ホームランを打つとすぐ天狗になった。
「クロマ天狗」

・いつも人の車を借りて事故ばかり起こしていた。
そこでいつも言われていた
 『クロマモテ!』
 
*クロマテー元読売ジャイアンツ4番バッター


1466, 閑話小題

2005年04月08日(金)



ーロシア人の大立ち回りのその後ー

拘留されて三週間、あと一週間で国外退去になるという。
領事館が中に入って、警察の提案で告訴を取り下げることになった。
本人は日本の留置場に入るために来たようなものであった。

頭がおかしいとか、薬中とは警察も言わなかったが、
国外退去が妥当というところであろう。
損害は20万弱でほぼ保険が下りることで実損は無かった。
「何で?」という疑問が残ったが。

ー不景気風ー

このところ、4月になるとピタッと客が遠のく。
毎年のことだが、連休までは気持ちが悪いほど街そのものも閑古鳥が鳴く。


ー音楽の世界ー

私にとって高価なコンポを買った為に、知らなかった音楽の世界を
飛躍的に知ることになった。
これが10万以下ならそうはいかなかっただろう。
そろそろボーズのコンポの熱が冷めてよいころだが、
それでも最低2〜3時間は聴いている。
元々CDのソフトが揃っていたこともあるが。

読書日記で書くつもりだが、
「知りたいことがなんでもわかる・音楽の本」がクラシックから、
ジャズ、ロックから、日本のポピュラーや伝統音楽まで、地図のような
案内書になっている。何回か読んでいるうちに、それまで断片的にしか
知らなかった音楽の世界を少しは鳥瞰できるようになった。

他にも楽器の成り立ちや、種類や、音響マニアの存在、そしてCDよりすぐれた
SACD(スーパーオーディオCD)が5〜6年前より市販され、
最近になってドンドンソフトが出されているということも知った。

あの会場で聴い音が良かったのは、コンポそのものの性能だけでなく、
録音技術も、CDそのものも飛躍的に進化していたためだ。

本屋で立ち読みをした音楽雑誌の音響広告に、
サッカーボールのようなものに、多くのスピーカが何面(8〜12面?)
も付いていたものがあった。
其々にアンプがついていて、室内の空間の壁に向かって反響させるためだ。

・・・・・・・
・・・・・・・

2004年04月08日(木) 1101, 春がきた



新学期が始まった。春は誰にとっても心躍る時期だ。

幼稚園生、小学生、中学生、高校生、専門学校生、大学生と街に
初々しい姿が見え始めた。

そして春といえば桜、その桜の花も咲き始めた。

自然と春の歌が自然と口に出てくる。
「春がきた、春がきた、何処にきた、山にきた・・・」
「春のうららの隅田川・・・」
何か魂の故郷に里帰りをしているような気持ちになってしまう。

近くの川には鴨が浮かび、雀がさえずり、小さな花があちこちに見える。

春は皆にとって、心がときめく。
全ての始りのような気持ちにさせてくれる。
新鮮な希望の時なのだ。

長い冬は、春にとっての母でもある。
そこで大きな愛を充分与えられるのだ。
春は長い冬の眠りの中で過去を蓄積をして未来を膨らます。



・・・・・・・・・
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2003年04月08日(火)
734, またまたお金の話ー銀座のママの・・

「銀座ママが明かすーお金に好かれる人 嫌われる人のちょっとした違い 」
の題名につれてて図書館で借りてきた本だ。
日本のトップの財界人や政治家や役者などのお客の色いろな
人生の浮き沈みを見てきているはずである。
軽く読むにはなるほど面白い内容だ。

 私は高級クラブなど、殆ど行かない主義。
バカバカしいと思うのだが、といって数回行った銀座の店の気分の好さは
今でもはっきり憶えている。
5万10万出しても、価値を感じさせる何かを常に店に演出しているのだろう。
なるほどというのが所々納得できる。
 このママの店のホームページをみてキーワードは、「明朗会計」と「銀座としての
安さ」である。以下はある書評からのコピーである。
   
・・・・・・・・
 数々のベストセラーを生み出した作家「ますいさくら」の双子の姉、ふたご屋の
オーナーママ、「ますい志保」が「銀座」から学んだ成功法則を元に、お金をつかむ
コツを知ったいわゆる出来る男と出来ない男の違いを語ってくれます。
不況こそチャンスと考える「出来る男」の成功法則やノウハウもぎっしり!
やはり彼女は男を見る眼が違います!

「ふたご屋」のWebサイトはこちら
http://www009.upp.so-net.ne.jp/futagoya/

 人の世の摂理、富、名声、愛、信頼と裏切り。
人生の「旬」、成功と挫折、欲にまみれた人間模様。
濃密な時間が流れる街、「銀座」。
巷には、不況や不景気を言い訳にする人は多く、夜ごと、愚痴や不満を口に
していませんか?語った「夢」に今でも責任を持っていますか?

能力だけではつかめない「お金と成功」。
では、成功者たちは日頃からどんなことを実践しているのでしょうか?
「どなたも特別なことをされているわけではありません。誰にでもできる、
ちょっとした工夫で成功と大金をつかんだのです。」

―ますい志保―
その「ちょっとした違い」の一部をご紹介しましょう。
【目次から】
はじめに 私が一流の男たちから学んだこと

第1章 「できる男」は人生の答えを知っている
・ ちっぽけなプライドは疫病神
・ ピンチのときほど、「高楊枝」の精神
・ 肯定的な意見こそ疑ってみる
・ 私利私欲はお金を生まない
他…12の法則

第2章 銀座で垣間見た「敗軍の将」たちの失敗学
・ 「プライド」と「見栄」、違いはどこにあるのか
・ 「自分の賞味期限」を知らないと、命取りになる
・ いくら有能でも「三かく印」では誰も相手にしない
・ 事業失敗で陥った大ピンチを一発逆転した男気
他…7つの法則

第3章 異性に好かれるから、お金にも好かれる
・ お金で気持ちを表すときの上手な方法
・ 銀座の女の子に好かれる人、嫌われる人
・ 「できる男」は、女の「ちょっと嬉しい」が演出できる
・ 思わずドキッとさせられた、ある社長の一言
他…6つの法則

第4章 ちょっとした工夫がお客とお金を引き寄せる
・ 手紙もメールもタイミング次第で効果が倍増する
・ 人との縁が深くなる「アルバムの使い方」がある
・ 銀座ママも驚いた!メモ魔社長の手帳の中身
・ 従業員満足度の向上が、「最高の顧客満足」につながる
・ お金よりも人を動かす「大きな声」の魔法の法
 他…11の法則

第5章 もっと金運体質になる「お金の法則」
・ モノに惚れたら、お金は残らない
・ 貯金とは「お金を貯める感覚」を身につけること
・ “大企業体質”だと金運は逃げていく
・ 「試されている」という意識を持つ
他…9つの法則

ーあとがき ー「人材」は「人財」と実感する日々 
「多く傷付いた魂にこそ光を。」人をもてなす。人を惹きつける。
この銀座ママの箴言に耳を傾けてはいかがでしょうか?
「あなただけの使命」を持つことが、成功をたぐり寄せる。
私は彼女のこの言葉に「元気」をもらいました。

ー感想ー
この本から感じたことは、著者に上手くいく人の典型をそのままに観たことだ。
学ぶ姿勢、不景気の時代の合わせた廉価の追及、好きのことの追及などなどである。
一番印象的だったのは、たたき上げの居酒屋チェーンの社長が言ったという
「プライドを捨てられるだけのプライドを持て」であった。
自信がなくてはいえない言葉である。
また、仕事で成功している人は全てが好きで仕事をしているか、
仕事を遊んでいる人だという。まあそうだろう。

 典型的な虚飾の世界であることも間違いはない。
銀座などのクラブの世界は、日本にしか存在しないシステムだという。
売春を目的にしたシステムなら幾らでもあるが。
「擬似ー擬餌?恋愛を前提にした場か、権力の誇示の場としての虚飾を時間売りして
いるシステム」は欧米の人がみたら、全く理解しにくいだろう!
まあ面白いものだ。

・・・・・・・・・
「銀座ママが明かすーお金に好かれる人
             嫌われる人のちょっとした違い 」
◇著者:ますい志保
◇価格:\1,470-(税込)
◇発売日:2002年12月18日
◇ISBN:4-7762-0019-8
△長岡中央図書館
△2003・04・05
△ ★★

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
2002年04月08日(月)
370,なりきる

散歩のときはウオーカーに、旅行の時はツーリストに、
会社に行けば会社の立場に、家に帰れば父親になりきる。
そしてなりきった立場で色々な自分を見てみる。

散歩の時、会社のことを考えたりして景色が見えなかったりする。
海外旅行でのケース。
今まで会社の役員をしていた人が、その役員の状態で来ていた。
奥さんがその人を、社会へのリハビリでこの旅行にきたといっていた。
かたっぱなしに同行者を皮肉っていた。
上から見下ろしている視線を引きずってきていたのである。

考えてみたら、なりきってない方が多いのではないだろか。
学生時代に学生になりきっていなかった自分。
必至で働いていたあの時期、その時はなりきっていた。
実際なりきれないで、失敗を重ねていくのが人生かもしれない。

同級会などで久々に会うと、時間を超え昔の自分にいつの間になっている。
花が「今花やってんねん」と主張していると、考え見ている自分。
その時は見ている人になりきっている?いやなりきってないか?
名優は端役をやっても光ると云うが、名優の名優たる所以はなりきることだ。

ところで自分は今、書き手になりきっているだろうか?

・・・・・・・
・・・・・・・
<おわらい>

ー喘息
うちの社長、春になると喘息になる

ゼイゼイ、ぜいぜい、税税と言い出す。


1465, なんじゃい、こりゃ!

2005年04月07日(木)

またかい!このホームページを見ている常連なら、
オーバーな表現と思うだろう。
ただ実感でいう正直な話で、その時書いた文章である。
 −−

たまたま日本酒を取引先から貰って飲んだ感想をそのまま書く。

「これは今までとは全く違うほど美味しい酒ですよ!」
といって置いていった酒である。
その人から、普段は飲まないような極上の酒を数回か貰っていたが。

そのことも忘れて口に含んだと同時に、その美味さにビックリ仰天。
新潟の土地柄もあり美味しい酒は数限り飲んできたが、これが特別なのである。

早くいえば、今まで飲んだ日本酒で一番美味しい。
「嘘だろう、今まで日本酒に関しては美味しい酒は飲んできたのに。
自分が変ではないだろうか」と、飲んで何回も口に含んでみた。
しかし美味しいのである。

日本酒に関しては、この随想日記にも書いたことがあるが、
美味しい酒が飲める環境にあった。
地元の人がみている前提で書いているが、美味しいものは美味しい。

そこで、その酒の箱を見てみたら、ヤッパリ仰々しい印刷があった。
「ロンドン開催ー第12回国際酒祭り酒類審査会ー世界第一位受賞」と書いてあった。
「天領盃 大吟醸」が、酒の名前。
メーカーは佐渡の「佐渡吟醸株式会社」。
このラベルにつられて、美味しいと思ったのではない。

口に入れた瞬間、ただ水を飲んでいるようで何の味もしなかった。
そして二口目を口に入れたとき、何ともいえない香りと味がしてきた。
朝日山の久保田(万寿)や、吟醸古酒を少し薄口にした味というと、
かなり大雑把な表現になるが。

酒の世界の深さを殆ど知らないが、底の知れない世界があるのだろう。
そういえば先日TVで、メーカー名は忘れたが四号瓶で数万円もする日本酒を紹介していた。
数十年かけて醸造したものであった。
どんな味がするのだろうか。

ワインなどは、もっともっと深い世界があるのだろう。
ー酒通がこの文章を読んだら、この程度でと鼻先でわら笑うだろうがー

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2004年04月07日(水)
1100, 撃墜王の秘密

ある本の「撃墜王の戦法」がなかなか面白い。
そのまま書き写してみる。

ー第二次世界大戦で「独特の戦法をとった」二人のパイロットは、ハルトマン少佐と
その師であるロスマン軍曹。ハルトマンは確認されているだけで敵機352機、
ロスマンも80機以上も撃墜している。

その戦法を最初に考案したのはロスマンである。
彼はパイロットになりたての頃、完治不能の傷を負った。

普通、接近戦になると体力が勝っている方が有利であった。
そこで普通の戦法ではとうてい生き残れないと悟ったロスマンは、考えつくした末、
自分の体力を補うテクニックを編み出した。

彼は体力戦勝負の接近戦をやめて、計算しつくした戦法に切り換えた。
一つ一つの攻撃に、それぞれの計画を練り上げた。

敵に実際に銃弾を浴びせることを考えないで、どうチャンスものにするか、
さまさまな情況を分析することに多くの時間を費やしたのである。

彼が攻撃に出るのは確実に勝利が取れるポジションを取れたときだけだった。
理想的な標的となった相手にだけ、ありったけのエネルギーを使って
集中攻撃をしかけるのだ。

ハルトマンは、ロスマンの「相手をよく見極めてから集中砲火を浴びせる」
戦法が優れていることを、自らの戦果で証明をした。ー


ー以上のことより学ぶことは、
完治不能の腕を持ったことで、考えつくして全く違った戦法を自ら作った
ことである。色いろな情況の研究に全てのエネルギーを入れたことだ。
 孫子の兵法と同じである。

普通のパイロットは、接近戦の銃撃の手法を研究したのに対して、
確実に勝利の取れるポジションとりの研究をしていたのだ。
チャンスが来るまでエネルギーと知識の保存を充分に蓄積していたのだ。

過去に上手くいったケースを考えると、大体がそうである。
勝てるポジション取りであったのだ。
人の真似とか、表面を見て準備不足の事業は失敗をしてきた。

といって、この時代ジックリ準備といっている間にチャンスは一瞬で消え去る。
難しいところだ。

一病息災というが,一つ病気を持っていたほうが健康にとってよいのも
事実である。
 
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2003年04月07日(月)
733, 30年間着ている礼服

現在も着ている礼服は忘れもしない記憶がある。
ちょうど30年前になる。
父が「あと2週間の命」と医者に宣告された直後に母にいわれて、
「村田仕立て屋」に、父に解らないように出かけて、つくったものだ。
今でもしっかり冠婚葬祭に着ているが、全く古い感じがしない。
私が子供の頃に注文服も扱っていた頃から出入りしていた仕立て職人で、
腕がよい人だった。

 年に4回位、平均して着ているとしても、120回でしかない。
それも大体が半日だから、そういたむものではないが。
しかし身につけるもので30年も使っているものは勿論これだけある。
まだまだ十年以上は使えそうなので、一生ものである。
ということは体形が30年変わってないということだ。
当時は体重が56キロ、ウエストは76センチ。
現在は60キロ、ウエストは79センチだ。
ズボンの腰周りを20年前に直したが。こうなると愛着がわくものである。

 話は変わるが、
その時もしかしたら、「父は勘で注文にいっていることを知っていたので
はなかろうか?」とこの文章を書いていて気づいた。
何か生々しい話になったが、私が死んだ時にお棺に入れてもらおう。
嬉しいとき、悲しい時に着ていたものだからだ。

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2002年04月07日(日)
369,植民地経営

西アフリカに行った時聞いた話しである。

未文明国を統治する方法として、次の3つがある。

1、直接統治
2、間接統治でそこの王族と手を組み統治
3、隣国に間接統治の王国に攻めさせ統治

大体がこの3つである。
まずはフレンドリーに入って行き、徐々に統治していく。

その前にキリスト教の宣教者を派遣して、内側から攻めていくのが常套手段だ。
秀吉がそれに気づき、キリスト教禁止令を出したのは賢明だった。

戦後の日本も戦犯の天皇や官僚をそのまま温存させたのも、
王族の間接統治を狙った為だ。
今の日本は王族を飾り物に、戦後から続く官僚の支配がそのまま続いている。
そして悲しい事に、間接統治をされていることに全員満足している。

この不況は「1986年のアメリカのバブル押し付け政策」の結果である。
そして、直接支配に今露骨に入ってきたのは周知の事実だ。

今回の9・11テロは、
この間接支配の露骨のアメリカ世界戦略に対するテロである。

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[ターザンの最期]☆☆☆


ターザンが木から落ちて死んでいた。

土に書置きがしてあった。

「誰かがツタにー」

調べたら、いつも通るツタに油が塗ってあった。

   −−−
  ーここで一句
 
 ターザン殺すに刃物は要らぬ ツタに油を塗ればいい


1464, 発想名人 −読書日記

2005年04月06日(水)

最近よく本屋で見かける斉藤孝の本を図書館から数冊借りて読んでいたが、
また「発想名人」を借りて読んでみた。

内容は前の本からみると軽いが、表紙裏の言葉がなかなかよい。

ー『ネガティブな意見を言っている暇があったらアイディアをだせ!』
これが私の最近のスローガンである。すべての現実の困難は、具体的な
アイディアによって乗りこえるものだと私は考えています−

ネガティブな意見を出すのは簡単である。
相手の正反対の視点を設定して正面から突き刺すのである。
私も独りで考える時に、正反の問いかけを何回かしてみる。
その繰り返しの中で問題を掘り下げる。
それが、考えることである。
したがって、肯定だけでなく否定の視点も必要である。

計画を練ることは、正反合を繰り返し繰り返ししていくことである。
ネガティブの意見も「異見」として正の立場を逆に見直すことになる。

チームで計画を練ると、否定だけの人がいる。
ネガティブはエネルギーを殆んど使わないで済むことを知っている。
ただ、アイデア・バスターをしていれば済むからだ。
ほぼ対案を持ってない。

特に女性に多い。
亭主の否定をして、稼ぎを当然のように取りあげれば済む。
それも自覚してないケースが多いから泥沼に陥ってしまうケースが多くなる。
判断を相手にさせて失敗した場合に、その非をなじるか、冷笑しているばこと足る。
その辺は巧妙であり、テクニックである。

これを繰り返していると、本人がアイディア欠乏症になる。
ネガティブが体質として身につくと、アイデアー知恵が出てこなくなるのだ。
思考停止になってしまい、武器は否定だけになる。
全ての神経が武器に集中することになるから、アイデアなど出てくるわけが無い。

恐ろしいのは、自分のアイデアさえも否定してしまうことである。
いや、出てこないのだろう。

正・反・合の繰り返しが経験知として蓄積されて、
知識から知恵へと醸造されてくる。
否定はそこで全て切断してしまい、思考を切断してしまう。
秀才があるところまで行くと、全く成長が停止をしてしまうのは、
アイデアが出てこなくなるからだ。
だから評論家には、このタイプが多くなる。

色いろな人がいるから世の中が成り立つのだろうが、
企業活動ではプラスにはならない。
企業は知恵の集合体でなければならない。
特に情報化社会では、無限にある情報を選択して知恵に換えて
いかなくてはならないからだ。
寝ても醒めても、自分の仕事に集中しないと知恵は出てこない。
その知恵を否定するのだから、そのエネルギーの深さが見えなくなる。

考えつくしていると、考えない人の否定が見えてくる。
最後はこの辺に話になってしまうが、
実際のところ自分自身にこそ、その傾向が強いのだろう。
「我内なる否定者」の話でもあるが、
しかし、・・・
口先だけの肯定もあるから何ともいえないが?

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2004年04月06日(火)
1099, 「80対20」革命 −4

「自分の20佑離好僖ぅ(強み)を見きわめる問い」が
考えさせられて面白い!
ー以下に書き写してみる。

△あなたが心底興奮するのは、どんなことに対してか?
 一番熱心になれることは、どんなことか?

△自分が有名になったと想像してみる。
 どんなことなら有名になれるか?

△自分の個性でもっとも特徴的なことは何か。
 人と一番変わっているところは何か?

△何をしているときがもっとも幸せで充実していると思うか?

△一番得意なものは何で、他の人より得意なものは何だろうか?

△どんな役割や仕事がもっとも適していると思うか?

△別の分野や活動で、自分が優れていることがないか、あらためて考えてみる。
 できるだけ現在とかけ離れた意外なものがよい。
 あまり深刻にならない方がよい。

△もし新しいベンチャーを始めて驚くほど成功するとしたら、
 どんな事業であろう?
 想像力をはたらかせて考えてみる

ー以上であるが、
現在の自分について考えてみて書いてみた。
ここでは書けないが、如何に深耕があった部分と、無かった部分が
よく見極めることができた。今回は内容を書くのは控えるが、この随想日記
に殆ど書いてあることばかりである。まあバカの壁を辛辣に見えてしまって
いるからだ。もう見せているから今更だが。
全て反省の言葉が多いのが人生と思っているが。

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2003年04月06日(日)
732, 「こうすれば良くなる」??

いまの日本の議論で大部分が、「こうすればよくなる!」という発想が、
基点となっている。
これに対して「もうこの発想から脱却すべきではないだろか?」という
論が新聞にあった。

その内容を私なりにアレンジをして書いてみた
ー誰もがいまの日本は縮小すべき時期にきていることを知っている。
それを回復とか現状維持を前提に議論しているから、ますますおかしくなる。
失業率だって今の倍の2〜3倍になってどこが悪い。
それで西欧並みでしかないからだ。
日本をとりまく環境が変わってしまったのだから失業が増えて当然である。

 デフレもグローバルになったのだから仕方がない。
どうして日本の経済規模を縮小していくかを真剣に議論すべき時期である。
そうしなくては、自然の暴力にもろに破壊されてしまう。
恐慌というやつにだ。

 いまや株価や土地が20年以上前になっているなら、政府の予算規模も
縮小すべきである。それができないなら、恐慌が起こるのが当然である。
「良くするなどと考えている非常識」がまかり通っている。
思い切って、国家規模ー予算を20年前に戻すべきだと宣言すればよい。
それにしても、箱物や道路や橋や新幹線を造ってしまって、その借金をもあるから
単純にはできない。
このジレンマからいつ抜け出る事ができるのだろうか?

ー以上になる。
人の意見をこうアレンジして書いてみると、これが自分の意見になるのだ。
なるほどと、自分でも感心する。大体がこんなものだから批評家が存在
するのだろう。

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2002年04月06日(土)
368,リオのカーニバル

いまTVをつけたら、NHKのハイビジョンで
「リオのカーニバル」をやっていた。
2時間があっという間に過ぎてしまった。
7年前に行った内容をコピーしておくが、本当に素晴らしい内容であった。

今見ている内容は当時に比べ、かなり豪華にかつ派手になっているようだ。
カーニバルは元々はヨーロッパで行われていた、キリスト教のお祭りである。
南米の農園に売られていった奴隷が、一年に一度のカーニバルに与えられる
休日に輪を作って歌い踊ったという。
普段でも彼らの楽しみは歌と踊りだけで、それが段々サンバに変わっていったという。
1888年に奴隷制度が廃止された時、彼らはリオに仕事を求めていった。

彼らはグループを作って踊っていたが、そのうち互いに競いだしたのが
リオのカーニバルの始まりという。
リオだけでも400のグループがあり、そのトップクラスと準トップクラスが
正式に会場で競う。

それぞれチームごとにテーマがあり、それによってストーリがある。
それにより、衣装や歌や踊りが決まってくる。
上位のチームにそれぞれのチームにスポンサーが付いているという。

それぞれ項目があって、厳格の審査のうえで順位が決まる。
去年から見ているが、ハイビジョンのせいもあるが素晴らしい。
一年は全て、カーニバルを中心に回っている。

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H0703ブラジル旅行記

 “行って吃驚!玉手箱”主観をこめて現地の実感を書いてみる。
カーニバルはリオディジャネロだけでなく、全国津々浦々の都市で行われており、
四日間全国がお祭りの為休みとなる。

その最も有名で世界的に知られているのがリオのそれなのである。
リオのカーニバルのランクがA・B・CとなっておりAランクが9チーム、
Bランクが15〜16チーム、Cランクは数十チームとなっている。

AとBチームが特設スタジオのメーン、ストリー850mを80分の持時間で
踊りながら行進する。そこは六万人の観客席があり、審判席で厳格に審査され、
その年の優勝等順位があらそわれる。

そのチケットは一般の人はほとんど入手不可能である。
我々のTV新聞等で目にするのはCチームが街頭で行進するものでしかなかった。

チームは四千名が1チームで構成されており、
それが約500名×8チームに細分化され、統一のコンセプトのもとに、
仮装が華やかにつくられている。

音楽も各チームごとに毎年新しいコンセプトのもとに有名作曲家が名誉をかけてつくる。
その作曲も採点の大きなポイントになるという。
一日6〜8チームが夜の七時より翌朝の七時まで延々と踊りの行進が続く。
観客席もその行進曲にあわせて半数以上が踊っている。

音響もすさまじく隣の人の声は全く聞こえない。
上位数チームが翌週の土曜日に優勝をかけて再び行進がおこなわれる。
優勝チームは10億以上の賞金がつき、かつ翌年に向けてのよいスポンサーが約束される。

その年の山車とか衣装は翌年に持ちこさずすべて破棄するという。
カーニバルをみていて“気”とか“色即是空”とか“禅の悟り”がすべて含まれており、
東洋的なこのような言葉が小さくみすばらしくさえ思えるくらいだ。

ブラジルの印象として残ったイメージとして、キーワードを書くと
“サッカー”と“サンバ”(カーニバル)と“森林”と“イグアスの滝”
そして“汚職まみれの国”である。

さらに加えるなら“まずしさ”である。

・・・・・・・
・・・・・・・

 ーお笑いー

<新しいメイド >

 家に電話をしたら、新しいメイドが出た。
 家内を呼んでくれと頼んだら、男と寝室にいると言う。

 頭にきたその男、メイドに書斎の机にある銃で、二人を撃ち殺すよう命じた。

 暫くすると、二発の銃声が聞こえた後、電話口で今殺してきましたとのこと。
 ついでに、死体を庭のプールに投げ込むように命じた。
 暫くすると、メイドが電話口で
 
 ‘庭にプールはありません!’


1463, 「虚構の王国」−NHKスペシャル

2005年04月05日(火)


一月前ほど前、このHPで堤義明のことを書いた。
ところが、その内容についてTBSの記者から電話が入った。
「自民党の歴代の派閥の長が首相になると3億の祝儀を彼が云々・・」と書いたが、
そのニュースソースを知りたいとの問い合わせで、
「翌日の、報道番組に取り上げたい」との内容であった。
キーワードで検索をして、知ったようだ。
「ヤバイことを書いてしまった!」と、少しパニック状態になってしまった。

しかし、10年程前には誰も知っていた話である。
年代が変わったのだろうと、知人に何人か聞いてみたところ、
「現在はどうかわからないが、当時は流布していた」と聞いてホッとした。

ところで先日、
NHKスペシャルで
「虚構の王国」
ー西武鉄道・土地神話の五輪計画とサミット・闇の株式取引ー
というテーマのドキュメントを放送していた。
 その最後のナレーターの言葉が印象的であった。
「虚構の王国の向こうに見えたのは、戦後日本の実像である」
この言葉は、現在の日本のバブルの崩壊の姿そのものである。

インフレ時代の勝ち組が、現在負け組に変わっている。
最後のバブル崩壊の象徴として西武が浮かび上がってきた。
担保に入れていた西武鉄道の株が上場廃止になってしまい、
実質債務超過になってしまった。
それをキッカケに、隠れていた事業のボロが露出してしまった。
その具体的な内容のドキュメントであったから、見ごたえがあった。
多かれ少なかれ、時代の流れの中で誰もが出会った現象である。

不景気の直撃がレジャー産業に直撃。
更に、海外にレジャーの鉾先が向かってしまった。
レジャーもグローバル化が生じたのである。
そのため西武ー国土の思惑が全く崩れ去ってしまった。
日本中の観光産業は、その直撃で生死の境を彷徨っているのが現状である。

ここにきて、あらゆる分野で根底から変化の現象が現われてきている。
全ての国民にとって、他人事の話でないのが深刻である。
 −−
以下は、先月書いた西武鉄道の内容である。
あぶないところは、かなり書き換えてあるが。

ーーーー
2004/04/15
1108, 西武鉄道・堤会長の辞任

「西武の堤義明会長が辞任!」とニュースで報道していた。
随想日記で専務が逮捕された時「お笑い西武鉄道」という文章を書いたが、
所詮は悪口でしかないと、掲載を止めた。
しかし辞任ということで、ケジメをつけたということで書く。

西武の森元監督が講演会で、彼のことを「超ワンマンで、西武の試合の采配に対して、
口うるさく電話がくる」と言っていた。監督にとって大きなプレッシャーだったとか。
テープだけはとらないようにと講演前に言っていたのは、堤を恐れていたのだろう。

西武鉄道の専務が逮捕された時「彼が知らないわけがない!」と誰もが思ったはずである。
逮捕されないだけよかったのだろうが、やはり辞めて当然である。

歴代の首相が就任をすると、3億の祝い金を払っている?という話を聞いたことがある。
一つの時代が終わった事件である。

堅実経営で、バブルにもたいして踊ることなく西武グループをここまで率いた力は
大である。最後をまっとうすることの難しさをつくづく感じる。
もっとも、辞めるのは本社の会長だけで他はそのまま留まるというから、カタチだけ
なのだろう。

ーーーーーー
2005/03/04
1431, 「堤義明の逮捕」のショック

西武鉄道の会長の堤義明が逮捕された。
角栄の逮捕ほどでないが、大きな時代の変わり目の事件と言える。

JOCの元会長で、西武ライオンズのオーナーで、西武鉄道グループの総帥で、
日本では名実ともに経済界のナンバーワンの実力者の逮捕である。
健全になったとも言える。

私が客室主体の客室のホテルを考え出したのは、
堤義明の言葉である。
「ホテルに利益の元は、あくまでシングルルームがベースである。
また全てのホテルの建設の基本設計は、潰しが効く(転用可能)ようになっている。
客室の壁を取り払えば事務所ビルになる。」

それならオールシングルの客室のホテルにして、
更に柱の少ない建物(鉄骨つくり)にすれば良いと考えた。
このテーマとは少し違うが。

彼の経営手法では成り立たなくなったのか、
大きな判断ミスをしてまいったのか。

一時代を築いた、義明の兄・堤清二、ダイエーの中内功、ミサワハウスの
三沢千代治、と次々と消えていく。
西武鉄道グループは、日本では最も安定している会社と思っていた。
いや安定していたのだろう。崩壊する時はこんなものだ。
ーーー
ー先日書いた、関連の内容であるー

「西武鉄道前社長の自殺と、カリスマ失墜」

何回か堤義明について批判的な文章を書いてきた。
・突然ヘリコプターでホテルに乗り付けて、査察をした
・頭の良い奴は要らない、実直な人材の方が使える
・西武ライオンズの森元監督の講演会で話で
「試合が終わると、その日の指揮の内容に細かい注意があった」
 等々、傲慢な噂を何回聞いたことがある。

昨日の毎日新聞の三面記事の特集に、数ヶ月前まで栄華を誇った
「堤王国」の崩れたシナリオを生々しくレポートしていた。
この記事によると、
・今回の事態収拾後に院政を敷くシナリオであったとか。
・その事実を、証券取引等監視委員会の側近が証言をしている。
・昨年の役員辞任後も、電話などで頻繁に指示を出していた。
・有価証券報告書のほころびが、巨大グループの足をここまですくうとは
 誰も想像もしてなかったという。
・監視委員の幹部は「砂山に小さな針が落ちたら、山が崩れてしまった」
 と証言。
・そして、その堤は
 「気持ちの整理もまだつけかねている」
 「逮捕に脅える日々をおくっている」という。

晩節を汚してしまったことを、彼自身いまだに信じられないのだ。
週刊誌に昨年の暮れ「3月に堤義明の逮捕!」とリーク?されたが、
そのスケジュールに入ってきたようだ?

総務部次長の自殺に続いて、前社長の自殺だ。
これで彼が逮捕をされないほうが不自然な状況である。
大いなる中小企業の崩壊から、地方の崩壊の序曲がはじまるのだろうか?

せっかく逮捕されるなら、政治業界の??を何匹か道連れにしていくべだ。
この事態は一年前までは、考えられないことであった。
確固たる地盤がある珍しい存在に見えていた。

有価証券報告書への虚偽記載などが発覚した昨秋以来、
株価が3分の1以下になってしまった上に、上場廃止となった。
そのため株価が暴落、株式を担保に借金をしていた資金が担保割れの事態になった。
そのため銀行の態度が一変せざるを得なかった。
一皮剥けば張子の虎でしかなかったのだが、
崩れる時はこんなものである。

この問題は、考えてみれば中小企業問題でもある。
これから始る解体は?、中小企業の行方に重なるところが多い。
ペイオフの時期と重なるから、尚のことである。

これからは地方銀行の合併と、解体が今後進む。
西武の問題は、形を変え中小企業、特に地方に押し寄せてくる。
他人事の話しではない。

この数年の情報化で、何かが変わったのだ。

・・・・・・・
・・・・・・・

2004年04月05日(月)
1098, 拾い物

拾い物は殆ど無いが、それでも幾つか記憶が残っている。
10年ほど前になるが、池袋のサンシャイン・ビルで何かの研修で行った時のこと。
腹の具合が悪くなりトイレに駆け込んだところ、カードと現金が数万も入った
財布が忘れてあった。

現金だけを抜くという手もあるのかなと頭によぎったが、過去に一回も
そういう経験をしたこともないし、良心に対してマイナスになる。
早速、案内嬢のところに持っていくと、係わり合いになりたくないというのが
アリアリであった。
警備の受付のところに直接持っていけという。
電話をして呼べばよいのに、本人はタダタダ面倒でイヤだという態度。
(西武系は流通・鉄道系両方ともお客に対して不遜のところがある)
言われたところに行っても、その事務所がない。
むかむかしながら、乗りかかった舟、聞き歩いてやっとのことで警備事務所に届けた。

本人からは礼の葉書が一枚届いただけだが、なるほどと思った。
30分以上も歩き回り、その上書類にこと細かく内容を書かされた相手の好意が
わかる由はない。

数年前の、通勤の新幹線で高崎と小田原の回数券を10枚近く拾った。
これも新潟の駅前の交番に届け出たが、彼等は直ぐに権利放棄書にサインしろと
いわれ、何か釈然としない嫌な感じを持った。

そう考えると拾い物は殆どないということだ。
そういえば新幹線で皆が降りるのを待っている人がいる。
そしてキョロキョロ見て回っている。週刊誌の面白そうなものを漁っているのだろうが。
もし悪意があるなら、忘れ物を2両でも探したら一年に一度は何かに行き当たるだろう。
考えること自体が卑しいことだ。

・・・・・・・・・
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2003年04月05日(土)
731, 前提を疑ってかかるという事

 「縦社会の人間関係」

「縦社会の人間関係」という中根千枝の本を学生時代のゼミで読まされ、
それに対する議論をした事を思い出した。

ー要旨は
「日本社会は蛸壺のように縦社会になっている。
これは島国特有の社会であると同時に、江戸時代の藩体制がそれぞれの縦社会を
つくった。西欧社会はそれに対して資格社会であり、横社会である」であった。
日本社会の人間関係は、個人主義・契約精神の根づいた欧米とは、大きな相違を
みせている。
「場」を強調し「ウチ」「ソト」を強く意識する日本的社会構造にはどのような
条件が考えられるか。
「単一社会の理論」によりその本質をとらえている。
日本社会の人間関係は、個人主義・契約精神の根づいた欧米とは、大きな相違を
みせている  ー等々である。

 なるほどそのとおりであると納得したが、そこで問題にしていたのが
その縦社会という視点そのものが、はたして正しいのだろうかという提示であった。
「何々それってどういうことなんだ??」
私が考えていたのは、それぞれの部分の成否でしかなかったのだ。
根底ー前提から、それがはたして正しいかどうかを疑う姿勢こそ科学の第一歩である。
日本社会こそ「横社会ではないだろうか?」という仮説である。

 逆に資格社会ー横社会であるという仮説をたてると、縦社会と同じように
説得力があるのだ。
「士農工商」という身分社会が大きく社会に残っている日本こそ、縦社会でなく
横社会ともいえるのではないだろうか。その中でも殿様,家老、老中など
それぞれの階級があった。そしてその資格は日本のどこでも通用するものであった。
インドのカースト制度は5百数十種類の身分が細かく決められている。
横社会そのものだが、個々の立場に立てば縦社会といえる。

この時に、なるほど前提を盲信してしまう自分の無知の限界を初めて知った。
常に前提を疑ってみる必要性をこの時より身につけた時だった。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2002年04月05日(金)
367,「携帯TV電話」は究極の情報機器。

5年前、マスコミで聞いた内容である。
それが今年から始まったのである。

「携帯電話」が我々の生活を劇的に変えた。
いや社会を変えてしまった。
空間の溝を取り払ってしまった。

それ以上に「携帯TV電話」が社会のありようを変えてしまうだろう。
これにそれぞれの場所にカメラが設置して、それにリンクすれば、
一瞬にして世界中の何処でも見ることが可能になる。

現在でもそのサイトが多くある。
これにデジタルTVをリンクさせれば、想像を超えた使い方が可能になる。
インターネットを使っていて、こんな時代が来るとは思ってもいなかった。
それが更に劇的な「携帯TV電話」が普及する時代とは驚きだ。

昨日もソニーの出井会長がNHKノインタビュウで、
情報機器の進歩により、この10年後は世界が劇的に変わっていると言っていた。

これに期待しすぎて、先行投資で電気メーカが苦境に陥っていることも事実だが。

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ースナックジョーク
(ママかホステスをからかうジョーク)ひとつ
  
森に一匹のメス鹿が迷い込んだ。向こうからきた狼に森の出口を聞いた。

狼「ひとつヤラセテクレタラ教ええあげる」

もちろん断り、向こうからきたトラに聞いた

虎「ひとつヤラセタラ教えてあげる」もちろん断った。

熊も狐も同じ答えだった。それでも何とか森から出ることができた。

そこでママ(かホステス)に

「どうして出ることができたか知ってる?」

ママ「・・・・・・・・???」


「ひとつヤラセテクレタラ教えてあげる」


1462, 永遠に生きるように学べ

2005年04月04日(月)

学生時代に、
「永遠に生きるように学べ、そして明日死ぬかのように生きろ」
という言葉に出あった。
最近、再びある本で出会ったが、年齢を重ねたためか、この言葉の重さ・深さを
改めて実感する。
母親が向学心が強い人で、その後姿を見ていたので死ぬまで勉強の必要性は感じていた。
その都度、自分も社会も変化していくのだから、基盤も変えていかなくてはならないのは
至極当然のことである。

年齢を重ねるほど、経験の裏づけが多くあるので吸収度が高くなる。
せっかく地球に生まれてきて、80年の時間を貰ったのだから、
地球のこと、宇宙のこと、そして人間が長年かけて積み上げてきた知識・文化を
可能な限り見て・知って・経験するのが、人間の生きる最大の目的になる。

自分で意識をしてこの言葉を自問していないと、虚脱感の強い・虚無的な人になってしまう。
「もう歳だから何で勉強をする必要があろうか」
「まあ世間様と同じように何事なく生きていれば良い」
と何もしない生き方になってしまう。
それならまだしも、真っ当に生きている人に対して批判をするのが
趣味になってしまうから、自分に対して更に害を及ぼすのを自覚できない。
90涌幣紂が、私の見る限りそうである。
いや、もっと多いか。

その辺で老人同士が、いい歳をして人の悪口を言っているのをみると、
思わず顔をそむけてしまう。
それまで生きてきたようにしか歳をとれないのはわかるが。

「永遠に生きるように学べ」は「死ぬまで勉強」と、同義語であるが、
響きが明るいのが良い。
「明日死ぬかのように生きろ」は人生のコツである。
明日死ぬかもしれないのが人生である。
だから「いま、ここ」を大事に生きなくてはならない。
一期一会である。

いま、ここの一瞬は永遠である。
生きているとつくづく、このことを実感する。

この随想日記も、そう思って気持ちを集中している。
何十年後に子供が読んでも、この今の一瞬の集中の閃きは、
そのまま言葉の中に永遠に篭っているはずである。

若き老人達よ,この言葉を自分の手帳に書いて、繰り返し読むことを勧める。
最低千回は口ばんでみるべし。
「15歳で自分の人生を投げ出してしまった貴方のこと!」

「自分のこと!?」
「そう!」
 
 ・・・・・・・
・・・・・・・



2004年04月04日(日) 1097, 落し物

 散歩をしていたら熱くなってきたので、ベストジャケットを脱いだ。
持っていた折りたたみ傘をそのジャケットに入れたところ、いつの間にか
無くなっていた。傘はどういうわけか愛着がある。
散歩道で15分前にジャケットを脱いだのでその時落としたのだろうと、
その道を取って返した。

ほとんど誰も歩いてなかったので、そのまま落ちているだろうと下を向いて
道を探したが見当たらない。いま時、傘を拾う人もいないだろうにと思い
拾った人は(私なら)如何するだろうかと考えた。
「おそらく目立つところに置くのでは?」
と思い浮かんだ。橋の欄干ではないか。
今度は下でなく、目立つところ見て歩いたら、やはり橋の欄干に置いてあった。
拾った人が分かるようにそうしたのだろう。
いまの日本人にはそういうところが残っている。

 傘は平均2年に一度は無くすが、後味の悪さがどうしても残る。
新幹線通勤で降りた瞬間、気がついて何度か引き返したことがある。

 15年前、生の現金を封筒に入れたまま、数万円を落としたことがある。
泥酔をしての事だ。長岡駅の交番にいったところ、うけあってもらえなかった。
「奥さんに言えない金を使ってしまって、狂言ではないか」と言われた。
怒りさえでなかった。「なるほど、そういう見方もあるんだ!」と驚いてしまった。
じつをいうと、数万入った財布をいま一度落としたことがある。
この時も出てこなかった。

学生時代に5000円の入った財布を落としたことがあった。
それは警察に届いていた。
500円のお菓子を持ってお礼に行ったことがあった。

明日は、拾い物について書いてみる。
拾い物は以外と少ないものだ。

落し物は数知れずだが、記憶に残るものはこんなものだろう。
 
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2003年04月04日(金)
730, 「ほめ芸王」ー読書日記

ー褒め上手は芸のうち
営業を何年もやっているうちに身につける芸である。
口先だけの営業手段として、ただで一番効果のある手段だ。
十年以上営業をしていれば、営業術から営業芸にランクアップして
しまっている。
キーマンに会ったときの枕詞として、「さて今日は何の褒めネタでいくか?」
と考える。それが営業の第一歩であり、まずは切り口となる。
今日の芸はどの程度であったかを日記に克明につけたらプロであろうが。
「どっこいしょ」と持ちあげて、次に相手を落とすのだ。
「どっこいしょ日記」に、おだて上げと落としの日記を克明に書けば
いかに人間は幼いものと解ってくるだろう。
人間は誰も褒めて欲しいのだ!

ー「ほめ芸王」の内容の一部を抜粋する

・わたしはほめない、ほめちぎるのだ。
 ほめるのでは足りない、ほめちぎらなと、ほめたうちにならない。
・「ほめ下手の人は、ほめているものの、相手を見下げている。
 ほめるということは、見上げる事である」
 −これは言いえて妙である。「このことに関しては全然あなたの方が
 上ですね」という言い方にすれば、相手も受け入れる。
・「ほめることは簡単だ。しかしほめ続けることはむずかしい」という。
・「感嘆」に勝るほめ言葉はない。
・ほめるとは相手を語ることではない、自分を語ることである。
 自分のほめ方は自分にしかできない。
・相手をほめることで、自分自身の存在を確認する事ができるのだ。
 神様の心にならなくては、ほめることができない。
 ほめることで神様の心になれるのだ。
 怒った顔で、ほめる人はいない。
 ほめる時、人は誰でも、神様になれるのだ。
 ほめるとは、感動である。
 ほめるとは、感謝である。
 ほめるとは、感激である。
 ほめることで、二人の人が幸せになる。
 一人は相手。そしてもう一人は、あなた自身なのだ。

感想ーどうもほめる事は難しい。自信がないのだろか。
やはり営業でそうせざるを得ない立場の人は身についている。
私がほめると効果てき面だが、軽々しくほめたくはない。
まずは顔色からほめるのもよいが。
家内を実験台に少し始めてみるか!
少なくとも貶すのはやめよう!

「ほめ芸王」
中谷彰宏
パルコ出版
1500円ー税別
2001年06・20
長岡中央出版
2003年03・30日
☆☆

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2002年04月04日(木)
366, 速読法

先回も書いたが、速読法という本を読んでいて吃驚した。
一つ一つの語句に目を合わせるのでなくて、一度にページ全体を眺め、
フォトフォカス状態で文書を眺める。意識下でなく、無意識下で
その文書を取り入れてしまうものだ。

初め読んだ時、本当かと疑ったが、実際やってみて驚いた。
見開きの2ペジの中央に目を合わせ、それを4つかどの隅に全体の視野を
広げていき、ジッと10秒ぐらい見続ける。
そして再び、一ページ単位で中央に目を持っていき、それをまた意識を
そのページの隅に持っていき10秒ぐらい見続ける。

そして文章を読むと、通常の数倍の感覚で文章がスラスラ読めるのだ。
目そのものがスキャンの能力をもっているのだ。
もし疑うなら実際やってみればいい。

人間の脳力の凄さの一端をみたおもいだ。
一回めくる度に4秒をかければ、250ページなら20分かかるが、
かなりの情報が脳に記憶されるという。

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<お笑い>

ー幽霊が出てきた

「何かよーかい(妖怪!」
「この化け(あ)もん!」
「YOU-霊?」

ー立川談志が癌になって
「おれガンマニア!、  ガンファイター! 
 指きりガンマ    おれガン張るよ」


1461, 「どう思いますか格差社会」

2005年04月03日(日)

昨夜の19時半から22時半の特番が深く考えさせられる内容で、
好きな?巨人戦も殆ど見ないで、この番組に見入ってしまった。
社会ウォッチャーとしては、現在の凝縮された社会を見たおもいであった。

一部の勝ち組と負け組が、情報ネット社会とグローバル化のために分かれてきた。
それに対して、シビアな議論がつづいた。
議論内容はレベルの高いもので、自由闊達で好感が持てた内容であった。

「競争激化の結果としての格差も仕方がない」
という前提で議論をしているのがよかった。
もう日本一国だけの論理は許されないのを周知しての前提の議論であった。

格差はどの時代にも元々あったもので、今更でもあるが。
格差・差別をいうなら、天皇制そのものを問うことになる。
島国の王国の血筋だけで何で??という大問題がある。

国の体裁を取り繕うための飾りに、何で国税・血税であそこまで?
という議論がある。
アフリカならいざ知らずだが?
北欧的な庶民レベル的王族制度にすべしというと、問題がすりかわってしまうが。

面白いのは、出席者が「この中の座っている席の上側と下の段差で出演料が違う。」
という暴露があったことだ。前の席は、大学教授や、成功経営者が占めていた。

いま一つの問題提起が、
「引き継がれる格差」という問題がある。
「学力は、親の経済力と知識量によって決まってくる」という大問題である。
「家族の資源」の差がそのまま「子供の資源」の差になってしまう厳然たる事実がある。
中学校の同級生を事例に見るとはっきりしている。 
所得の低い層では、学力が低くなるのは生活環境からみて当然である。

豊かな人と、貧しい人との差がますます大きくなってきている。
先進国で日本ほど教育費に親の負担がかかる国は世界にない、といわれている。

格差の問題は、深い問題であり、そう簡単に解決できる問題ではない。
行き過ぎた平等社会こそおかしいともいえる。

世界中で大都会でスラム街のない国は日本だけである。
また明治以来、社会で血筋より学歴を優先する社会も日本特有である。
潔癖に近い機会均等の日本社会が、グローバル化のため崩れるのも仕方がないことだ。

この番組の面白さは、参加者に多くの職業の勝ち組と負け組を意識的に集めて
議論させたことである。
勝ち組、負け組という言葉に囚われすぎているのが良くないことだが。
日本そのものが戦後、経済的に筆頭の勝ち組で40年以上も謳歌してきた。

「アメリカ属国優待国の崩壊過程の現象で、その結果としての負け組への
移行過程の一現象でしかないのではない!」
と言えば、あまりもの現実的お言葉でしかないか。

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2004年04月03日(土)
1096, 人生と時間

 1日=24時間、
 1年=8,760時間、
 80年=700,800時間

 人生80年間を時間換算すると、確かに700,800時間になる。
人間には睡眠や食事、排泄など、生理的に欠かせない時間がある。
そうした時間を1日10時間とすると、70万−292000(10時間×80年)=約41万時間となる。
<人生は41万時間の配分ゲーム>といえる。


・ 1日=労働時間+生理的必要時間(睡眠、食事、排泄etc.)+自由時間
・ 他律的時間と自律的時間
・ ライフサイクル 疝直期→少年期→青年期→壮年期→老年期
・ ライフサイクル◆疊鑄淪楴國生徒・学生→労働→結婚→家族→引退

1日を、一生を、どのような時間で構成するかは生涯設計(ライフ・プラン)、人生設計
そのものになる。
 自分をライフ・デザイナーと意識している人と、していない人では、まったく異なった
結果になることは確かである。
自分が実はデザイナーであることを知らない人から、優れたデザインが生まれるはずが
ない。時間認識の有無は優れたライフ・デザイナーにするための前提条件です。
それは豊かな充実した人生を送れるか否かを決定する最も重要な前提条件でもある。

話は少しずれるが、「自分の時間が持てない」とかいう人が見かけられる。
自分の時間を持つコツを知っている人というのは、自分の「場所」を幾つか持っている。
自分の時間を持つことは、自分の場所を持つことと同じことになる。
行きつけの居酒屋やスナックはその典型である。
といって、読書の好きな人で居場所など何処でもよい場合も考えられるが。
それでも自分の好きな場所で読むことが最上である。

ある哲学書に何げなく書いてあった
「心身の問題は、時間の問題である」という一文も考えさせられる。
内容を読もうとしたが、難しので深くは読んでない。
ただ経験から、どんな深い心の傷も三年も経てば殆ど消えている。

連れ添いを亡くした人を、年配のヤモメが慰めていたのを聞いたことがる。
『何事も三年よ!』と。
倒産や身近な人の不幸や失恋などの心の傷も、完治大体三年である。
学生時代の日記を読んで見ると、次から次へと心の傷を負っている。
といって、次の問題が起きると殆ど忘れてしまう。

そう考え見ると、心身の問題も時間の問題と割り切って考えればよいことになる。
「時間が全てを解決する」ということだ。
それでは時間とは何ぞやという難しい問題が出てくる。

「人生二度無し」が『自分に与えられた時間』の重要性を
ズバリ言い当てている。

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2003年04月03日(木)
729, 「イヌが教えるお金持ちになるための知恵」
               ー読書日記

 お金をある金額まで貯めるということはそう簡単な事ではない。
この本を読んでいると、そう難しい事ではなさそうに
思えてくるから不思議である。
子供の時から、しっかり基本として知識として知っているかどうかに
かかっている。その意味で是非、子供のためにも「お金の知識」
を学ばなくてはならない。
長期の生活習慣の結果が金持ちの状態ということだから。

 周辺を見ていると、90佑凌佑「お金の知識」を知らないのではないかと
思われる。知人で今でも寸借詐欺に近いことをしている人がいる。
話をしていると聡明に思えるのだが、今日明日のお金がないのだ。
こういう人をみると、教養とは何だろうかと思いざるを得ない。
この小説は少女がお金の知識と魅力に気づいていくプロセスである。

ーわたしが気に入ったところを幾つか抜粋してみるー
抜粋ー1
金回りのよい従兄に少女が電話で小遣いの稼ぎ方を訊いた
「できないことを考えたってしょうがないじゃないか。できることをさがすんだよ。
いちばんいいのは、まず何がすきってことをはっきりさせておくことだよ。
それからどうやったらそれで金を稼げるか、よく考えることだよ。
オレだってはじめはそうやって配達サービスを考えついたんだ。
自転車に乗るのが大好きだからさ。自転車に乗りながらお金が稼げて
最高の気分だよ。もちろんそれだけでは満足しちゃいないぜ。
毎日何軒もベルを鳴らして、パンの配達はいりませんって聞いて回るんだ。」

抜粋−2
「いつだってあれこれ問題は起こってくるだろうけど。
けれども君の将来にとって最も大切な事は毎日やらなくてはいけないよ。
時間にとって十分とかからないことだ。だけど、この十分が決定的なちがいを
生みだすんだ。たいていの人は、この十分がとれないためにただの人に終わって
しまうんだよ。彼らはいつも、まわりの状況が自分たちのために変わってくれることを
願っているんだ。けれども、変わらなくてはならないのが自分たちのほうだということに、
彼らは気づかずにいるんだ」
イヌのマネーはしばらく間をおいてから続けました。
「この十分こそが君を変えるための時間なんだ。だからサクセスダイアリー
を必ずつけること、イメージをつけて視覚かすることを自分に約束するんだ。
どんなことがあっても、毎日つけるんだと」

抜粋ー3
「だとしたら、あなたの両親は多くのほかの人達と同じ間違いをしていることになるわね。
今よりも幸福で満たされる生活を望むんだったら、自分のほうを変えなくてはだめよ。
お金が変えてくれるんじゃないのよ。お金そのものは人を幸福にも不幸にしないのよ。
お金は公平なの。良くも悪くもしないの。お金というものは誰かの手にはいったと同時に、
その人にとって良いものにしたり悪いものになったりするの。
それが良い目的に使われたり、悪い目的に使われたりするものなの。
幸せな人間が持てばもっと幸せになるし、心配を抱えてマイナスの人生を送っている人、
お金を持てばますます心配がふえることになるの」
「でもうちの母はいつも、お金は人をだめにするといっているわ」
「お金はその人の性格をあらわにするのよ。お金は一種の拡大鏡みたいなものなのよ。
やりたい放題のことをさせてくれて、自分を大きく拡大して見せてくれるわ。
だから、あなたがいい人ならたくさんのお金でたくさんのいいことをするでしょうし、
泥棒ならおなじお金をくだらないことに浪費してしまうでしょうよ」

抜粋ー4
「楽しいことをやってきたさ。 そうさ!でもそのたびに、いつもそれに
見合うだけの不安も抱えていたんだ。だって考えてもごらんよ。
職人修行を途中でやめてパッと世界に飛び出すなんて、簡単にできると思うかい?
不安で胃が痛くてしょうがなかったよ。私の人生でもっともすばらしいことは、
いつも不安をのりこえたとこにやってきたんだ」
「不安というものはね,うまくいかないと思ったときに出てくるんだよ。
だけどサクセスダイアリーを見ているうちに、あたまのなかが成功したことで一杯に
なってしまったんだ」

・・・・・・・・・・・・
【本の内容】
つらい思いをしたり、やましい気持ちになったりすることなく
お金持ちになる方法があったら、なんて思ったことはありませんか?
それが、あるのです。この本にはリッチになるための心構えと方法が、わかりやすく
童話のかたちで書いてあります。ある日、11才の女の子キーラのところにあらわれた
マネーという名の犬。この犬が教えてくれるお金もうけの法則が、彼女の夢を次々に
かなえていきます。
この本はお金持ちになるための心構えと方法を、わかりやすく童話のかたちで書いた本。
実践的なガイドブックではなく、一つのお話です。
少女は、お金との付き合い方を学だけではありません。
それを使って貧しい両親を経済的ピンチから救い出してしまうのです。

ココで二点説明をしておきます。まず
・第一に、ココで述べる富と成功の法則は私が勝手に考え出したものではないと
 言うことです。それらはみな昔からある自然の法則のような物で、人間たちの意思
 とは関わりなく、私達の生活を支配しています。
・第ニに、実際に成功した人々は全て、この法則にしたがって生きていると言う事です。
 なんだってー!?実際に成功した人々は“全て”この法則にしたがって生きている!! 


【目次】
・お金の勉強はできるだけ早く!
・まず自分がほしいものをはっきりさせる
・うまくいったことだけ書く日記
・好きなことでお金をかせぐ
・やると決めたら七十二時間以内に
・借金を返すためのルール
・なんのために貯金するの?
・銀行口座を開く
・アイデアと自信がお金を招く
・投資をはじめる
・家のローンが払えない!
・株ってどんなもの
・投資信託ってどんなもの?
・株と貯金
・お金持ちになった私

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「イヌが教えるお金持ちになるための知恵」

著者/訳者名
: ボード・シェーファー/著 瀬野文教/訳
出版社名
: 草思社
発行年月
: 2001年01月
ISBNコード
: 4-7942-1033-7
長岡中央図書館
:2003年03月30日
☆☆☆

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2002年04月03日(水)
365,ミカン集中法

「ミカンを頭の上15センチ上に置くイメージを抱き、
本を読んだり、書き物をすると集中力が数倍増す」という。

読書や文章を書くとき、「頭の上に意識を集中するといい」とは
昔からいわれていた。
それを「具体的にイメージとしてやると効果が上がる」という事だろう。

今朝、ウオーキングでやってみて効果抜群であった。
集中が数倍ついたようだ。この文章はほぼ散歩で頭で書いた。

中国で「魔術師がかぶる三角帽」「思考帽」と、実際あったという。
落ち着きのない子に罰でかぶせる「ダンスキャップ」もあった。

ミカンもいいが、鳥もいい。
他に気がいったら、飛び去る鳥だ。
それを意識していれば、他の思考や情報が遮断されるからだ。
授業でも、読書でも、この随想日記を書くときに早速利用できる。

石のアーチの頂点に置くカナメ石に似ているという。
カナメ石は他の石が所定の場所に固定させる役割になる。

注意の一つを一点に集中する事により、残りの集中力を
読書などの対象に集中させる事が出来る。

仕事でも、考え事でも、授業でもなんでも使える。

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<お笑い>

ー本当にあった話

結婚したての頃、家内がタラノコをみて
 
 家内 「タラノコって塩鱈の子?」
 私  「・・・・・・・・・」


1460, 頭脳の果て −読書日記

2005年04月02日(土)

この本は数年前に買ったが、目を通しただけで本棚に並んでいた。
何げなく手に取ってみたところ、面白い。
前に読書日記で書いた「迷ったときは運命を信じなさい」に似ている。

ネット書店の「アマゾン」で、この本の基本情報を取ろうとしたら、
この中古本が、何と10倍近くの値段で出ていた。
絶版のため、値段が競りあがっているという。
書き込みと、ページの折込をしてあるので売り出せないが、
そうでなかったら、売りに出したのだが。
(売り手の戦略の可能性もあるが)

それにしても、面白い本である。
特に天才のイメージを借りるテクニックが面白い。
天才の感覚を借りるテクニック(Genius Code)、イメージワークである。。
天才をイメージで呼び出して、その人になりきり、その人の疑似体験をする。
イメージトレーニングを発展させたと言えばわかりやすい。
使いようによっては、かなりパワフルにはたらく。

大まかにいえば、
1.リラックスする
2.モデルとなる師を具体的にイメージの中で描写する
3.着ぐるみの中に入るようにして師匠の背中から中に入り、
 師の焦点と、言葉と、体の使い方を体験する。
 終わった後では、その着ぐるみを脱ぐ。
 というような感じになる。

実際、随想日記を書いて読み直すとき、物書きのイメージで批判的に
自分の文章を読み返すと、いつの間に全く違った添削をしている。

他にもイメージ・ストリーミングが色いろ書いてある。

その一つを紹介すると、
1・エレベータのようなものに乗る。
2・ボタンを押すと、他の星に移動する。
3・そこには、他の星の自分がいて、自分よりはるかに能力がある。
4・その自分と一体になって、ものごとを考える。
  そして何かヒントがでてくるはず。
5・そして元の自分に戻って、そのマシーンにのって帰ってくる。
 まあ、大雑把にいえばこうだ。
 私が考えた、「三つの部屋の物語」も、これがヒントかも知れないが。

更に、いま一つを紹介しておこう。

夜寝る前に目を閉じて、最も偉大な9人を透明な顧問にして、
彼らと一緒にいると想像する。
彼らは私を楽しい冒険の旅に導いてくれる。
おかげで真実の偉大さに再び深く感謝することができ、創造的な試みに
向けて努力する気持ちと正直な考えを表現する勇気を持つことができる。
自分の好きな9人を選ぶのもよいだろう。
「迷ったときは運命を信じなさい」の、ギリシャ神話の神様と似通っているが。

これらは、私達が持つ大脳の素晴らしい潜在意識のメッセージに
耳をそばだてることである。また違う視点を得ることが可能になる。
大脳皮質とそれが持つアイデアを吸収したイメージを形作ることになる。
そうすることによって、より優れた能力を発達させることが可能になる。

スター・ウォーズに出てくる、フォースをイメージするのも面白い。
フォースは基本的な訓練やテクニカル・スキルをマスターしてみて
初めて得られる威厳ある自由な力
フォースとは、右脳と左脳が完璧に調和したときに同時に
作用したときに得られる解放された力である。
 (フォースー潜在能力から湧き出してくる力)
 
これらのテクニックは幼稚に思えるが、実際は右脳をフルに使うことになる。




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2004年04月02日(金)
1095, わからないという「方法」

この本を本屋で見たとき、てっきりーわからないという「方法」で、自分の
枠の世界からでない方法のことを言っているのかーと思ってしまった。
それはできませんと勝手に思い込んで、小さな世界に閉じこもってしまうのも
同じである。

立ち読みをして、インターネットで調べてみると、
わからないと、一度0に立ち戻って1つずつ理解しようとする努力方法をいっている。
ナルホドと肯いたが、わかるとは何かを一度考えるチャンスにもなった。
わかるとは理解することである。
といって何処まで理解するとわかったことになるか、あいまいである。

むしろ「わからないという方法で」対象に入り込んでいくとよい。
私はあのひとを、わかっているといって全くわかっていないのが実態である。
あれはこう、これはこういうものという勝手な思い込みを捨て去ることを
いっているのだ。異業種参入が新しい業態を作ってしまうケースが多いのは、
むしろわからない「方法」を利用している為である。

・・・・・・・
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2003年04月02日(水)
728, 天国と地獄

 人生を長く生きてきて「天国と地獄」は死後にあるのではなく、
生きている人間の心ー思いの中にあることが解った。
その意味で一生かかって、天国のイメージをつくるのが宗教のはたす役割と
いってよい。

 事業は経営が順調だと天国、上手くいかないと地獄である。
これほどのハッキリしたものはない。上手くいっている時はこの世の天国である。
 しかし経営悪化で、資金繰りが行き詰まり自転車操業になった時は生き地獄そのものである。
その意味では「日本中は現在は地獄のふたが開いている状態」と経済評論家
の高橋乗宣がいっているが、実感としてよく解る。
自民党という鬼が今も利権のため地獄の世界に国民を巻き込んでいる!
何ともいえない日本を覆っている暗い雰囲気は、それを物語っている。

 サラリーマンはよい職場か、悪い職場でそれが決まってくる。
ある時期に倒産直前状態で大手の資本下にあった会社にいたことがある。
この世の地獄である。お互いの足の引っ張り合い、傷のつっつきあいになる。
また上司の相性も、その分かれ目になる。大の男がトイレで号泣!になってしまう。

 家庭もそうだ、基本の夫婦関係が「あたり」か「はずれ」で、天国か地獄かの
分かれ目になる。五分五分でまずは、試される事になるのだ。
いかにいい加減に相手を決めてしまうのが人間の弱点だ。
誤解をして結婚してしまい、理解して離婚というケースになってしまう。

 重いうつ病もこの世の地獄である。
その人が理想としてつくった家は、その人にとっての天国のカタチという。
なるほど解るような気がする。
いま住んでいる自宅は両親が「自分の人生の最後を飾るため」に造った家だ。
そうすると、私は両親の天国世界にいることになる。
なるほど!
私の天国は家内と秘境旅行をしている時だ。
それぞれのカタチがある。

・・・・・・・
・・・・・・・

2002年04月02日(火)
364,新入社員歓迎会


毎年この時期におこなわれる。
かなり毎年盛り上がる。

当社の宴会はもともとかなり盛り上がるが、
歓迎会がさらに盛り上がる。

2〜3年に一回はトリック・スターが出るが今年は2人いた。
お陰で例年の数倍の盛り上がりようであった。

まだ酒の飲み方の解らない新人に飲ませるのだから、こちらも責任がある。
その辺を調整しながら、盛り上げる。
しかし面白いことこの上ない。

若い人のエネルギーを戴く感じである。
若いということは、本当にいいことだ。とにかく明るい!
花が咲いたという例えがピッタシである。
それと時代に左右されている。

彼等はとにかく携帯電話世代だ。
意思疎通の早い事が特徴で、感覚が研ぎ澄まされている。
新人類から、宇宙人といってよいのかもしれない。
反面、孤独という一番大切な世界を知らない。

宇宙人といえば、かぐや姫のストーリ何か今の時代になってみると
以前事実に近い事があったのではと、イメージが湧く。

・・・・・
・・・・・

ーお笑い
<寝ぼけた子供>

子沢山で寝室が1つしかない夫婦、
‘夜の営み’子供が皆寝静まるのを待って

お母ちゃんが手を上げると、おとうちゃんが
這っていく事になっていた。

ある晩やっと子供が寝静まると、手が上がった。
お父ちゃんが這っていくと、
  
 子供が寝ぼけて手を上げていた!


1459, 遠くにありて日本人 −2

2005年04月01日(金)



この番組が面白いので見ていたら、先日で最終回になっていた。
スペイン在住の日本人画家であったが、その中で印象的な場面があった。

大きなキャンパス全体に、斑模様の微妙な茶色を背景として塗りこんで、
あとは数日間、その画面を睨み続けて、何か閃きが来るのを待つ。
そしてヨギッタ一瞬に、それをすくい取るという。

そのキャンパスを睨み続けて数日、やおら絵を書き込み始めた。
元々頭には、何の構想もないという。
その構想は、絵を睨んでいるうちに自然に湧いてくるという。
自分の潜在意識から湧き出るイメージを絵にするのだ。
ただただ、驚いてしまった。

それを見ながら、レオナルド・ダビンチのヒントの掴み方を思い出した。
天井の節目とか、何かの模様を見て、それからの発想・展開をしていったという。
これも、自分の脳(潜在能力)の中のメッセージを得るキッカケにしていたのだ。

その絵の作成行程を最後まで映し出していたが、最終には素晴らしい絵が完成していた。
何ごともそうだが、プロセスは似ているものである。
ただし、自分の中に十分の経験と知識があっての話だが。

ーーー
2004/12/13
1350, 遠くにありて日本人 −1

この番組み、度々見ているが、昨日のアメリカのロス近郊の
バイク・ビルダー(手づくりバイク)の日本人がなかなか面白い。
ライダーからの特注のバイクをつくるミニメーカーの日本人の紹介なのだが、
ライダーの世界と、そのバイクの製造過程が垣間見れた。

この「遠くにありて日本人」は世界のそれぞれで自分の生き方を貫いている
日本人を紹介しながら、その地域や、人間の生き方を覗き見る内容である。

自分の好きなことを見つけ、それを貫いていることが、
人間としての理想的な生き方である。

グローバルの時代に、本場に行って理想的な生き方をしている人を紹介している。
アルゼンチンに行って、「アルゼンチンタンゴ」の踊り手になっている中年に
差し掛かった女性も印象であった。

この番組みを見ているとき、
時たま街で出会う高校の同級生から電話が入った。
「佐藤というあの無口の同級生が、中越地震で被害にあった山古志村の診療所の
医師をしている。いま仮設の住宅地でやはり仮設の診療所を開いて苦労しているから
クラスの同士で来年早々、慰安会を開いてやらないか」とのこと。
時々TVや新聞に出ているという。

それを聞いた家内がいうには、
「近くにありて日本人。ね」
なるほど上手いことを言うものだ。
色いろな人生があるものだ。

・・・・・・・・
・・・・・・・・

2004年04月01日(木)
1094, 『携帯電話不安症』症候群

先日、ニュースで携帯電話不安症について特集をしていた。
メールが来ないと、不安になってしまい精神のバランスを失ってしまい、
不安と疎外感で一晩中泣いてしまうという。
手軽に自分の気持を携帯電話で誰にも伝えることができる反面、
孤独になる機会が少ない為に、チョッとしたことで精神のバランスを
崩してしまうという。
常に誰かと繋がってないと息もできない感覚になるという。


いま一つの特徴としては、
'周囲の人と同じような自分'でなければ不安でしかたがなくなる。
それは、今までにない異常な大ヒット現象を生み出す一方、
いじめなどの社会不安の増加をもたらしている。

さらに彼らの、「カリスマを求めてしまう心」は、社会をファシズムに
走らせる危険性もはらんでいる。

会社員の場合、会社の携帯電話を待たされていると、

・いつも誰かに追われているような気がしてストレスを感じる。
・携帯電話の電源をオフにする勇気がない。
・呼び出し音がする度にドキッっとする。(心拍数の上昇)
・冷や汗が出る。
・呼吸が苦しくなる。(過呼吸症候群)
・動悸・息切れがする。
・お腹が痛くなる。(過敏性腸症候群)

これは「仕事上のストレス、会社に束縛されるストレスの二重のストレスの
状態が原因」という。

いずれにしても、携帯電話が今の社会を大きく変えたことは間違いはない。
これからは、使い放題の定額制になってくると、若者のマスマス携帯の
利用頻度は増すだろう。

携帯電話の使い過ぎは、自分の放棄といってよいほど、人間を無能にすることは
間違いない事実である。

ある中年の男の人で、友人のたった一人の電話呼び出しを待っている
姿をみた事がある。別にヘンな関係ではないが、友人がいない人なのだ。

たび重なる不祥事の為、奥さんや子供にも相手にされず、たった一人の携帯電話を
見つめている姿は鬼気迫るものだった。

中年にとって、携帯電話なんぞは、そのレベルの使い方なのだろう。
もし学生時代に携帯電話があったら、数倍愉しい時間を過ごせただろう。

身近で見ている限り、(仕事や家庭への連絡を除いて)携帯を多用している人間に
ロクの奴はいない。
自分を持てない付和雷同になっているからだ。

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2003年04月01日(火) 727,  
「結婚スピーチ 」-読書日記

  サブタイトルー死ぬまで忘れられない話 ー  
 
 この本がタイトルとは違って、斉藤茂太の人柄の為か面白いのだ。
おそらく我々のスピーチの数十倍の機会が多いから、色いろの逸話を集めたのだろう。
考えてみれば、夫婦の何ともいえない機微を取り上げるのは結婚式が一番多い。
夫婦の関係ほど微妙で複雑で赤裸々で面白いものはない。
ー以下を抜粋してみたー私の感想を入れた。

・ある人がアインシュタイン夫人に、
 「あなたは相対性理論をおわかりになるの?」
 と訊いた。それに答えて、
「いいえ。でも,わたしはアインシュタインをよく理解していますよ」
 といった。
 (感想)フォード1世に、ある記者が学歴がないことを知っていて、
 わざと難しい質問をした。フォードいわく「それは解りませんが、
 それが解る人間はすぐ呼べますよ」の逸話を思い出した。

・結婚をしなかったわたしは、なんてバカだったんでしょう。
 これまで見たものの中でいちばん美しかったのは、腕を組んで歩く
 老夫婦の姿でした。    ーグレタ・ガルボ
 (感想)朝のモーニングショーで、離婚をしてよかったといっている
 中年女タレント数人に小沢昭一が、
「歳をとってね、ばあさんと一緒に飲むお茶の味はいいものだよ」といった。
 元気のよかったバカタレント何もいえなくなった。

・作家の吉川英治は、亡くなる前に奥さんの手を取って、こういった。
 「7たび生まれかわっても,7たびきみと結婚するよ」
 (感想)わたしの知人の奥さんが亡くなるとき
 「またわたしを貰ってね!」といったそうだ。
 家内には「今度生まれてきたらあなたとは結婚はしないわ!」
 といわれてしまった。
 結婚生活のコツは「また生まれ変わったら、この人と結婚したいと思うよう
 にお互い努力することと聞いたことがある。

・人間にとって昔から大事なことは、夜、家に帰ってこないとき、
 どこにいるのかと心配してくれる人がいるということだ。
                 −マーガレット・ミード
 (感想)アメリカの地質学者の言葉だ。
 やはり港があるから楽々遊べるのだ。

・結婚は鳥篭のようなものだ。 
 外にいる鳥は、入りたがり、
 なかの鳥はいたずらに出ようともがく。 
              −モンテーニュ
 (感想)理想は開けっ放しの餌の充分ある篭がよい。
 そうもいかないか?!
 夫婦生活は最後は
 明るく、暖かいことと、最後はお互いの品性である。

 「結婚スピーチ 」
   ー死ぬまで忘れられない話   
 斉藤茂太著
 文化創作出版
 1996年出版
 長岡中央図書館
 2003年03・29日
 1300円
 ★★★

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 2002年04月01日(月)
363,人に好かれる方法

聞き役

学生時代読んだ本に、カーネギーの「人を動かす」という本があった。
その中にあったデールの6原則があった。確か
1、名前を覚える 2、聞き手にまわる 3、誠実な関心を寄せる
4、相手の関心を把握する 5、笑顔で接する 
 6、褒める
と記憶している。

学生時代まだ田舎を出たばかりで、
人間関係の都会的センスが身についてなかった。
どうしたら人に好かれるか上手くやれるかに、悩んでいた時にこれを読んだ。

即実行、ものの半年もしないうち世界が一変した?
もちろん男だが、友人が私の周りにオオバーに云えば屯したのである。
そうも上手くいくものかと自分で驚いたものだ。

特に聞き役は大変だ。
そこですぐ覚えたのは、聞いたフリをして他の事を考える事である。
と同時に関心の中心に、相手の話題を掘り下げてやる事である。

あの頃は頭でっかちである。
誰かに知ったばかりの知識をヒケラカシタイ歳である。
誰か聞いて欲しいのである。
また孤独で自分を知って欲しいのだ。
そして2年続けていたら馬鹿馬鹿しくなった。

「おれはカウンセラーじゃねえぞ!」
「今度は逆をやってみよう!」

ヒステリック的に自分でハッタリをかましてみようと。
その時読んだ本が「教祖の話術」−赤塚行雄ーであった。
聞き役の寡黙の男が、急にわめきだしたのだから周りは吃驚した。
そしてその話にそのバックあるから、その効果があった。

行動科学のシュミレーションをしていたことになる。

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<お笑い>
ーmanuke

ある男休日に浮気を誤魔化すため、釣りに行くといって釣り道具を持って出かけた。

帰ってきて「イヤー釣り針を忘れて、行ったがいいが釣りができなくて!」

奥さん「あら落ちてたんで釣り箱に入れておいたのに!」

男「−−−−−−−!」

 ーーー
ー結婚

「私なんどもなんどもシツコク結婚してくれって頼まれたわ」

「だれに?」

「両親に」

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