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堀井On-Line
| 1337, 「自分を活かす極意] 」ー読書日記 −1 |
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2004年11月30日(火)
齋藤スタイル―自分を活かす極意 齋藤 孝 (著)
書店のエンドでよく斎藤孝の本を見かけたが手にとるだけで買わなかった。 いや一度、この著者の本を図書館から借りてきたが、読まずに返したことがあった。 先日、図書館でこの本を見かけ借りてきて速読をしたところ、内容が濃厚である。
斉藤孝の多角的世界を集大成してある。 日本語、身体、能力、読書、教育、子ども…。 多彩なテーマを独自のスタイルで語たりかけていて、 斎藤ワールドのダイジェストといえる。 対談という形を通して著名な人の意見と議論がより深みを持っている。
特に「三色ボールペンで読む日本語」のダイジェストの章がよい。 赤ペンチェックの言葉が多い。 「図化と文章化」 「具体的かつ本質的」 「エネルギーを出し続けているが故に、技も必然的に磨かれていく」 などもよい。
著者は、「勉強でもスポーツ仕事でも、自分が体験し学んだことは、 自分のスタイルとして練り上げ、技化しなければならない」といっている。 齋藤氏の「スタイル」と、ノウハウの集約書である。
ー今回は、まずは三色ペンについて書いてみる。
数年前に、「三色ボールペンで読む日本語」を図書館から借りてきて目を通したが、 ほとんど読まないで返してしまった。 おそらく他に面白い本があったのだろう。
しかし先週の土曜日に、この本を借りてきて再度「三色ペン」の効用を読んで、 4色ペンを買ってきた。ー著者の勧めの青、緑、赤だけの三色ペンが無く、 これに黒の入った4色ペンしかなかったー まずは買うことによって、実際の効果を確かめたかったのである。
この本では、三色ペンで読書をしながら ・重要な部分を「赤」の線、 ・少し重要な部分は「青」の線、 ・面白いところを「緑」の線、 で色分けをすることを勧めている。
これは取りも直さず20対80法則の、20の区分けをしていることになる。 メモにもこの三色を使い分けることが可能だ。 さらに、速読法に三色ペンを使うのだ。 読む前に、速読をしながら色分けをしてしまうのだ。 私のあみ出したページ折込と同じか、それ以上の効果がありそうだ。
この歳になって、こういう初歩的なノウハウの発見があまりにも多い。 数年前に、このノウハウを読んでいて全く心が動かなかったのは、 どうしてだろうか?考えてしまった。
会社の大矢さんに聞いたら、 彼は「4色のペン」を常時もっていて、 メモで、個人と、会社と、家族と、子供に分けて使っているという。
私の場合は、今のところ斉藤孝氏の三色の使い分けの他に 黒を、感動か新しい発見・知識にしようかと思っている。 あるいは書き込みもよい。
この数ヶ月間の訓練で、思わない発見がでてくるだろう。
ーつづく ・・・・・・・・ ・・・・・・・・
2003年11月30日(日) 970, 「遺言川柳」
UFJ信託銀行が11月25日に単行本「遺言川柳」を発売をした、 と新聞やTVで話題になった。 当銀行が「遺言川柳」を募集したところ、約1万2000人から 5万通以上の作品が寄せられたという。 せいぜい2000〜3000作品」と見込んでいたUFJ信託銀行にとって うれしい誤算だった。そこで急きょ、出版社からの申し出で「敬老の日」 を狙った作品集の発行が決まるなど、「遺言川柳」がちょっとしたブームに なっているという。 遺言といえば、両親とも、私にとって「有利な遺言」を書いて亡くなった。 遺言は残された子供にとって、その後の人生を左右するほど大きい要素になる。 母が亡くなったときは、さすがに4人の姉に「恨み辛み」をいわれた。 それだけ、両親は「家」というものを重んじていたのだ。 両親が亡くなるとき、同居をしていたため情が移っている部分と、 末っ子という特殊要因もあった。
相続は、それぞれの子供に連れ合いがいるから複雑になる。 日常でおこる争いの一番の原因になる。 そして生々しい。
ー以下の遺言川柳は一つ一つの意味の深さを十二分に実感できる。 ・・・・・・・・
ー特選ー 1作品
・遺書書いて 腕立て伏せを 二十回 (64歳・男性) ーーーー ー入選ー 5作品
・遺言も 開けてみるまで 宝くじ (25歳・女性)
・情よりも 法が出しゃばる 遺産分け (63歳・女性)
・書き替える たびに痩せゆく 遺産額 (70歳・男性)
・通夜の席 銀行マンが 勢揃い (55歳・不明)
・遺言を 地球が書いて いるらしい (46歳・男性) ーーーー −佳選ー 20作品
・どこからか 首だしてくる 遺産分け (66歳・男性)
・家計簿に 挟んであった 遺言書 (78歳・男性)
・遺言状 誰も知らない 名が交じり (74歳・男性)
・句読点 きっちりと打つ 遺言書 (80歳・男性)
・終章は 「信託」と書き 安堵する (81歳・男性)
・ 遺産分け 親不孝ほど よくしゃべり (35歳・女性)
・遺言を 書くと一気に 海が凪ぐ (52歳・女性)
・遺言の 中味で家族 大笑い (83歳・男性)
・遺言を 考え直す 棺の中 (48歳・女性)
・遺言も 親父らしいと 泣き笑い (69歳・男性)
・遺言に 皆んなの顔が 弾んでる (65歳・男性)
・ 紙ふうせん まあるくたたむ 風の遺書 (72歳・女性)
・身内から 火の手のあがる 遺言書 (77歳・男性)
・バブルで変え デフレで直す 遺言状 (78歳・男性)
・遺言で 結び直して いる絆 (74歳・女性)
・遺言へ 妻が本気に なってくる (74歳・男性)
・正直に いえぬから書く 遺言書 (62歳・男性)
・魚焼き ながら遺言 考える (44歳・女性)
・遺産分け ホームページに 載せてみる (67歳・男性)
・遺言の 逆転劇を 夢に見る (76歳・女性)
・・・・・・ 以下は新聞広告の見出しに載っていたものだ。 本屋ー出版業者の方が面白いものを選ぶ!
・贅沢な 育ててもらって よこせとは
・汽車賃も 出ないと遠くの 姉ふくれ
・きょうだいで 分数の答え みな違い
・嫁作る 雑煮のもちに 二度詰まり
・嫁の出す お茶が玉露に 変わるとき
・相続の 話になれば 出るうな重
・相続の 説明会で 嫁と会う
・家族への 勤務評定 書き残す
・相続は おばあちゃん おまけつき
こんなのもあった 『もう遅い?しときゃよかった 親孝行』 …(しとかなあかんで親孝行) ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・ 2002年11月30日(土) (2)
596, スーパー床屋は席貸業 -
最近、新潟でも目立つようになってきたスーパー床屋の実体が面白い。
日経流通新聞の広告でフランチャイジーの募集の内容に興味を 持った。「経営は理髪師の免許がなくても可能です」 どうして?と思うのは当然である。
既存の理髪業も今の日本の旧体質の典型?である。 若い人が既存の店で修行と称してタダ働きに近い状態?を 強いられていた職人の世界である。
そのプロセスを踏まないと新規の出店の時に想像を絶する嫌がらせに 会うと聞いていた。 誰もが知っているあの日本的馬鹿いや愚かの世界である。
関西人がそこに目をつけ、チェーン化を始めた。 場所貸し業と捉えたのである。 スーパー床屋のシステムはその席貸し業に組み替えたシステムである。
この辺の話しは良く解る。オーナーは不動産業なのである。 最適な立地の不動産のオーナーと理髪のフランチャイザーが組む。 フランチャイジーはマニュアルどおりにやればよい、 タダそれだけでしかない。 席を借りた人は働いただけお金になるのだ。
札幌のススキノで飲んで帰るタクシーの運転手さんの話が 今でも忘れられない。 深夜のタクシーは倒産した人の最後の砦の世界という。 とりあえず、お金がほしい自分達の必至の金稼ぎの世界である。
タクシー会社も深夜の高い人件費を考えると、そのままタクシーを 丸投げで貸したほうが良いという。 その応用がこのスーパー床屋の世界なのである。 場所貸しで割り切った若い人が必至に働いてもらった方がいい。
若い人で4〜50万稼ぐ人がいるとか。 都会の既存の床屋はここにきて大きな落ち込みが始まり、 また新規開店がげきげんしたとか。 床屋の世界おまえもか!である。
そういえば宅配便の運転手はもっとシビアの世界だ。 そのベンチマーキングの結果の美容・理容の世界でしかない。 全国チェーンもあるところまでいくといきずまるだろうが!
商売は全てがシステム7割、商品3割である。 そのシステムが根こそぎ変わろうとしている。
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[243] 大相撲 2001年11月30日
4〜5才の頃、住んでいた実家の店の屋上で、 地方巡業の大相撲のやぐら太鼓をうっていた。 戦災で大きいビルは他になかったためだ。
その貸賃かでタダ券が入ったのだろう, 父親からいつも相撲を見に連れてもらっていた。 吉葉山とか、千代の山、鏡里、三根山そして栃錦を憶えている。
考えてみれば10年〜20年前までは、巨人と大相撲とボクシングぐらいしか楽 しみがなかった。
好きでTVでみ続けているが、「大相撲も終わってしまった」感がある。 どうしてそうなったのか?やはり八百長と古い体質と真剣さが薄れたためだ。 ハングリーさが感じられないのも、その結果の為だ。
この50年近くで一番面白かった時期は、栃若時代と柏鵬時代と三八トリオ (小錦・大乃国・保志など)が下から上がってきた時期だ。
もうそういう時代は来ないだろう。その世界の老人たちとその一派が、 今のプロ野球と同じくその世界を壊していくのは、自民党の橋本派と同じだ。 プロレスのショーと同じ、出来合いがばれてしまったのだ。
初めは嘘だろうと思っていたが、要所の一番はショーと信じている。 そう判断すれば、見るのが馬鹿馬鹿しい。 ーーー
如何でもいい事だが、あの原を監督に選んだ長島と読売の老醜社長! コミックとしか言いようがない。 あの清原を残し、マルチネスを首!逆だろう哀れとしか思えない。 首を切るのは清原だろう!
首を切るのは、今のコーチだろう。そして凄腕のコーチを他所から引っ張って きて改革をすべきなのが解かってない。話がそれたが。
何か今の哀れな日本の象徴だ、ここまで来たか日本! ・・・・・・・・ ・・・・・・・・
11月30日(土曜日) 1968年
・11時起床。 昨日はかなり寝る前に深く考えた。 ・学校へ行こうと30分以上バスを待つがこない。 仕方なくタクシーで学校へ向かう。 260円のロスが出た。
・図書館で川崎と会う。 ・彼と食事後、図書館で彼の帳面をうつす。 ・その後、ゼミの武沢教授と卒論指導で会う。 やっと切り抜ける。厳しい。 しかし、年内に下書きを書き上げることを約束をする。 ・帰寮後、風呂に行き、20時から3時まで卒論と中間試験の勉強をする。
自分なりに学生時代を精一杯過ごしてきたが、高校までの読書習慣がなかった為、 ここにきて基礎が足りないことを実感する。
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2004年11月29日(月)
一昨日のNHKスペシャルで「ポンペイ」を特集していた。 落書きを切り口に番組みを構成していたのが、新鮮であった。 たまたまポンペイについて書いていたので、その偶然の一致が奇妙な気分である。 2000年前の生々しい人間の心が、落書きの中に出ていた。
話は少し逸れるが、 エジプトのルクソール神殿の遺跡の壁にあったレリーフに, 兵隊の絵があった。 同じ絵が多く描かれていたが、現地の日本人の女ガイドの説明が面白い。 その兵隊うちの一人だけが、ところどころ逆向きに向いているのだ。 当時の多くの職人の一人が、命をかけて?わざっと逆向きに彫ったという。 いつの時代でも、そのような遊びがあった。 それよりも、数千年の時空を超えた男の生身の人間的なジョークを伝えているのがよい。
ーその番組みで紹介していためポンペイのメモには
・〔私と貴方が一緒に踊ったことを憶えていて、訪ねてきてくれてラブレターを置いていってくれた〕 返事が壁に書かれていた。 ・隣近所のお知らせー人々は回覧板かわりに壁を使ってコミュニケーションをしていた。 ・現在の通りの商店看板と殆ど同じものが、当時のポンペイの街にもあった。 ・ポンペイの街には400軒の店があった。 24時間営業の居酒屋があった。 その居酒屋の奥の部屋でゲームと会話をしている絵が残されていた。 ・食料品店の壁には、掛け売りのメモが書きこまれていた。 家計簿的なメモもあった。 ・果物屋には桃が売られていたメモがあった。 等々である。
メモから、当時の変化がうかがい知ることが出来るという。 当時のローマ帝国の政策の大きなものとして、 パンと、サーカス(街には必ず円形劇場がつくられていた) を庶民に与えることであった。
AD・54に17歳で皇帝になったネロが、その政策を更にエスカレートさせていった。 そのためか、贅沢の限りをつくす考えが一般にまで浸透を始めていた。
その頃のメモに〔今を楽しめ〕というのがあった。 それがエスカレートしたのかタブーのメモもあった。 ・下品の言葉を慎むように ・他人の妻には手を出さないこと ・食事をしていて、着物を汚さないように 宴会場の壁には、酔っ払いの落書きに 〔とことん飲むぞ!〕というものもあった。
富める者と貧しいものとの格差が鮮明になり始めてきていた。 そして、貧しい者の荒んだ心がそのまま落書きになっていた。 〔あの男に災いあれ!」
当時の円形闘技場の落書きの中に「闘技場の外で多くの人同士が剣をもって争う 姿」があった。試合を見ていた同士が喧嘩になって殺しあう事件が起こったのだ。
普段の生活が、火山で時がそのまま密封され生々しい世界が 奇跡的に今に多くを語りかけている。 −この私のポンペイのシリーズはまだまだ続くー ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・
2003年11月29日(土) 969, 幽霊店舗
昨日、初めて聞いた言葉である。 それが「幽霊店舗」である。 一瞬何のことか解らなかったが、次の瞬間に直ぐに理解した。
「経営者が夜逃げか破産をした店で、店舗のオーナーか銀行が、 既存の従業員にそのまま営業をさせて、間接管理をしている店」でないかと。 次の店が決まるまでの店舗の劣化を防ぐ為である。 実際のところ聞いてないので真偽は解らないが、間違いがないだろう。
興味があったので、その幽霊店舗に行ってみたら、何事もないように営業をしていた。 たまたま知人が以前に勤めていた店であった。 「幽霊店舗」という言葉とその実体をみて、今の時代の典型的な事例に思えた。
この店の直前に見た店は、数ヶ月前に夜逃げをした店であった。 30年近く前から郊外のポイントの立地に店を出して、評判の良い店だったという。 三店目が失敗、全国チェーン店の攻勢の追い討ちで倒産のパターンである。
この二ヶ月間、真っ白な目で郊外型飲食店をみてまわって不思議であった。 車社会のなか不景気でも、信じられないほどの店舗が存在していることだった。 それが更にドンドン開店をしている、それも若い立地に。 どこかに必ず歪があるはずだと思っていた。 日進月歩、常に変り続けていける店以外は、淘汰されて当然である。
ところで、幽霊店舗があれば幽霊会社もあるのは当然である。 「幽霊会社」とは、どういう会社をいえばよいのであろうか。 銀行管理会社? 債務超過の会社? 実質社長業放棄の社長の会社? ドキッ!
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595, ある時間の断片ー14 - 2002年11月29日(金)
ー1968年10月4日 金曜日ー 8時10分前起床。 人事管理の受講の為に出発。 そこで性格検査をする。 「D型の準」だ。 その後図書館に行く。 雨宮がいる。彼と話をする。 以前は都会育ちのファッショナブルの男であったが、 最近はいやに人間臭くなってきた。 自分の将来図を描いて自分を当てはめようとしている。 それが不安で仕方がないようだ。 13時から16時まで武澤ゼミナール。 あまりの熱中と緊張感で前頭が痛くなる。 何とか切り抜けることができた。
17時より蒔田寿司でゼミのコンパ。 20時半に終了。 武澤先生のお宅へ先生の車で行く。 23時まで先生のお宅で騒ぐ。 先生の奥さんが先生に顔がそっくりなのに驚く。
マンションに入るのは初めてだ。 外国映画に出てくるそのままの世界である。 椅子に人形の女の子が座っていたのも印象的だ。 先生には子供がいないので、それが目立ったのだろう。 かなり酔う。やっとのことで帰寮する。 楽しい一日であった。
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[242] ゼネコンー2 - 2001年11月29日(木)
同じ見積もりでも、3〜4割の値段が違ってくる。 平気で目の前で2000万・3000万、いや数億の値引きをする。 普通の感覚の世界とはかなり違った世界である。 今の不況の原因をつくったのは、ゼネコンの存在が大きいといってよい。
日本的特質がそのまま現代的に残っている。 この30年近くはゼネコンの付合いを欠かせたことがなかった。 社会勉強をその世界を知る事で,たっぷりさせてもらった。
悲劇、喜劇の渦巻く世界でもある。 しかし男の世界でもある。新しい創造に携わるからだ。 よしやるか!という決断から、彼等との付合いが始まる。
彼らのシステムに現場主任(現場代人)と言う責任者が、 殆どの権限を与えられる。その能力次第で完成のレベルが違ってくる。
システムを含め、やはり大手の会社はしっかりしている。 何年か経つとそれがわかってくる。またフォローの体制が大手ほどいい。
大手と準大手では総て含め、建築費に5〜7パーセントの差があっても、 それだけの出来上がりの差がある。
その業界が現在大きい危機に瀕している。供給過剰なのである。 それは20年前から言われていた。しかし減ったというより、むしろ その数は増えている。
ある売り上げの量が、役所のその格づけの大きい判断材料にされる。 その為原価割れでも、請け負う事がある。その反面その役所から 談合で元を取るのだ。
今でも公然である。そのつけは国民にきているのだが、誰も知って 知らぬふりだ。この体質の結果が今の危機になっている。
工事には「箱物」といはれるビルと土木がある。 それと民間と公共にわけられている。公共は今はどうか?解からないが、 100�傭鵡隋�である。 民間の工事もかなりの確率で談合と云われている。
設計事務所も設備とか建材とかで、メーカー指定をしてそこからはねる? こちらもそれを解かっているから、見積もりを出す時指定外でもよいと いって渡す。そういう関係・因縁がびっちり詰まっている世界である。
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ある時間の断片 11月29日 ー1968年
10時前に起床。 12時に学校に向け出発。 川崎の約束を破ってしまった。 昼飯後、ゼミに出席。一回も口を開かなかった。 どうしても自信がもてなかった。 それか、傷をつきたくない為か。 17時に終了。 帰寮後、食事をする。 21時から一時間、本を読む。 その後佐藤のところで酒を飲む。 一年後輩の間中のブーちゃんと議論伯仲する。 かなりいい加減なことをいっていたようだ。 明方の3時過ぎに就寝。
ー「今日のゼミについて」で考えたことー ゼミで、個人主義と集団主義について、各自の意見を出し合って議論をした。 ホワイトのいう集団主義は「個人」を決して働かせない。 それは個人の創造性と個性と本質を見失う可能性が高い。 グループ活動は個人の水準を引き下げる効果が大である。 大勢順応を強要し、個人を否定し、創造的活動を破滅させる。 一般的にいえば、人間活動を妨げる制約を持っている、という意見がある。 個人主義においても、集団という環境に合わせて目標に向かっていく条件は必ず あるとしている。
反面、集団主義は集団であるがゆえに不可能を可能にする側面を持っている。 言葉の捉え方のニュアンスの差があった。 集団で鍛えられたものと、そうでないものとの差は大きいのは事実である。 それは個人の能力の差もあるし、個人の分析能力や統合能力によるだろう。 私も人間関係主義?によって流されて、自分の本質を見失っていた部分が大だ。 しかし今やその段階はすぎたようだ?
利己主義ー>集団主義ー>個人主義とである。 個人主義とは、帰属を決して集団に置かないことではないか。 個人に帰属を置くことである。自己の中に生きることである。 その時おきる集団との格闘により自己を獲得していくことだ。 そして集団に対しては協調をすることだ。 「友人に対しても、相対する相手」に対してもだ。 それは寂しく、辛いものである。 その葛藤の中でこそ個人は生長するものだ。 人間関係に捉われて自己の創造性や個性を否定することだけは、やってはダメだ。 その葛藤の中に本当の知識が現れてくるのだ。 ーーーーーー −2003年11月28日記ー ーこの35年前の日記を読んでー あくまでも「今の自分」と「過去の自分」の話しだが、 いま読んでいても、真っ当なことを考えていたこと?に驚いている。 いまの自分よりよほど筋が通っている。 ゼミと武澤先生の影響があったためだろうか。 多くの友人と口泡を飛ばして議論を毎晩していたせいだろうか。 それとも一生の分岐点に立っていたためであろうか。
この日記がなければ全ては忘却の彼方である。 「忘却の彼方にいる自分の姿」に驚いている。 現在の方が、体験と知識量が数十倍いや数百倍も多いはずなのに。 決して現在の自分に劣っていない当時の自分がそこにいるのに驚きである。 当時は、経験量に対してのコンプレックスは全くなかった。 それだけの自信を全員持っていた。 裏付けもあったのだ。
その後も挫折を数多く繰り返す中で、自己喪失感の強い体験を何度もした。 全くの無能感、それも痴呆症的な感覚の呆然感である。 その中で、遙か彼方の自分が、これだけの文章を書いていたことに驚いている。 他人からみれば馬鹿みたいかもしれないが。
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2004年11月28日(日)
ー前回に続いて、印象的なところを抜粋してみるー
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ーおカネが本物かニセモノかという点は、実は本質論ではないのです。 そのおカネが受け取ってもらえるのか、それとももらえないのか、 というところに、おカネであるか否かを峻別する本質があるという その性質がおカネにとって最も重要な「一般受容性」なのです。
おカネが増えるとしたら、それはそのおカネを使ってビジネスをする人が いるから増えるのです
ー株式会社の株式を所有していると、万が一倒産したときに投資がパーに なってしまうということを「リスク」と呼んでいるのであれば、 株式会社に勤めることはもっと大きな「リスク」である。
おカネの発想法に基づく株式投資 ・どの株式会社がうまくいくかわからないから、いろいろな株式会社に 分散投資することによって、 全部が全部ダメになるということのないようにしよう ・二〇銘柄に分散→「転職してみたい会社の株式」がお勧め
株式投資における究極の目的は、おカネを儲けることではないのです。 株式投資の究極の目的は、人を動かすパワーを手に入れるということ。
ーおカネというツールに頼らないコミュニケーション能力を持っている人は おカネが要らないということなのです。 おカネがなくとも、他人を動かせる人には、おカネは不要なのです。 おカネに頼らなくとも、自分の好きなモノが手に入る人には、おカネは要らない。
めざすべき究極の姿は、「自分自身がおカネになる」ということ。
コミュニティとか、仲間とか、人望とか、信頼性とか、信用というモノは、 おカネと同じなのです。 そういうおカネをどういうふうに獲得していくのかが極めて重要なのです。
おカネは、インフレで価値が減ってしまいますが、コミュニティとか、 仲間とか、人望とか、信頼性とか、信用というモノは、インフレによって 影響を受けません。逆に、そういうときこそ、真価が発揮されるに違いありません。
『金持ち父さん貧乏父さん』の教えには反してしまいますが、 まずは仕事をしておカネを稼ぎながら、自らを鍛えなければなりません。
何も他のことは考えずに一二〇%の力を現在の仕事に注ぎ込むべきである。
節約ができる人は、意志が強い人です。 自分の行動を自分でコントロールできる人です。 外部の雑音や他人の行動に惑わされることなく、自分の意志を貫ける人です。 そして、意志が強いということは、財産形成で成功するために 不可欠の要素なのです。 複利を味方につけられるかどうかが、あなたの財産形成の成否を決定づける。
財産形成のメインエンジンは、仕事からの収入→最も重要な投資は自己投資。
財産形成のスピードをアップするためには、 仕事で成功することが一番重要(中略)株式を売買する前に、 まずは自分を磨く――それが財産形成の王道です。
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ー以上が抜粋である。
書き写すに(前回分を含めて)2時間近くかかったが、戒めのためだ。
日本にバブルを起こさせたのも、アメリカの強引な景気浮揚と称して 大幅な日銀発行を押し付けためである。 そして、株価の操作で日本株の暴落を図ったり、連銀のドル操作などで 日本を骨抜きにしたのもアメリカの操作である。
さらに自国に都合の良い格付け機関をつくって、日本の株価を叩き落していった。そして、その美味しいところを買いあさっている。 我われの国庫から、アメリカの国債を買わされて、その国債の価値を落とすのだから、 「インチキ・ルーレットで胴元が操作をして全て巻き上げている」ことと、どこが違うというのか。
アメリカの従属国家として、第二次大戦後に恩恵を受けてきたことも事実である。 日本が二分割されて北朝鮮のようになっていたことを考えれば、これでも仕方がないのか? という、日本独特の諦念がある。
アラブが怒るのもわかる。世界の石油の決済の殆ど全てがドルでおこなわれている。 アメリカの紙切れで、石油が全て持ち出されているのだから。 彼等の質の悪さ?も手伝って、それをモノの再生産に投資できない事情もある。
その対極の日本も、稼いだ金をドルとアメリカ国債に半強制的に替えられているに すぎない。アラブの人たちと大して変わりはないのだ。 ユダの世界戦略の一環でしかない。
ー以上であるが、80対20の法則でいう殆どの要点はここに書いた。 あとは、本屋の立ち読みで充分である。但し、その意味を噛み砕いての 話だが。
・・・・ 「おカネの発想法 」 財産と生活を護りながら本物のおカネ持ちになろう!
著者/訳者名 : 木村剛/著 出版社名 : 日本実業出版社
目次 第1章 あなたのおカネを防衛せよ! 第2章 おカネとはナニモノなのか? 第3章 おカネは「ことば」である! 第4章 おカネは経済の血液である! 第5章 おカネとどう付き合えばいいのか? 第6章 おカネの価値を護りながら殖やす
ー内容 資本主義を生き抜く「自己投資術」! おカネがあなたを所有するのか?あなたがおカネのオーナーになるか? 本書では、「自分がおカネになる」発想、インフレ・デフレに動じない投資戦略を 一挙公開!あなたの人生におけるおカネの見方・接し方が今日から変わる。
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2003年11月28日(金) 968, 「企業の人間的側面」
学生時代の日記に、この本をゼミの教材で読まされていたことが書いてあった。 マクレガーの著書で、当時は経営書として多く読まれていた本であった。 X論・Y論という人間管理に対する考え方がテーマである。 ーX論は主に肉体労働者を管理をする方法 ーY論は知識労働社に対する管理の方法 と記憶していた。
�章世論�悪説が、Y論は性善説が根底にある。 X論とはー人間は本来怠け者で、目を離せば仕事をしないものである。 従って、常に厳格な管理監督をしていなくてはならない。 Y論とはー人間は目標とそれに対する方法を与えれば率先して仕事を するものだ。 当時これを読んで非常に納得をしたことを憶えている。
Y論も、人による。 X論に適応する人種が間違って権限を持つと、それを利用して手を抜くことに 全てのエネルギーを使うからだ。 公務員はその典型で、マネジメントという視点が全くなくなってしまう。。 そのことは社会主義の破綻が全て証明している。 反面、X論に縛られたら組織の硬直化がさけられない。 競争原理を入れて、Y論に適応した人材を厳選をしないと命取りになってしまう。
当時、経営書といえば、 この本の他に思い浮かぶのは ドラッガーの「現代の経営」「経営者の条件」「断絶の時代」「創造する経営」 マックス ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」 などである。
ーインターネットで調べた�勝Γ拵世鬟灰圈爾靴討�きます
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「X理論とY理論」
Sage, G. H. は、コーチと選手の関係が権威主義的に形成されることについて、 ピジネスの組織における「科学的マネジメント」がスポーツの世界に及ぼされたもの として見ている。「科学的マネジメント」は人間の本性を悪であり、なまけものであり、 刺激によって方向付けられるもの(X理論)と見なし、それゆえ強力なリーダーが組繊し、 目標を達成する責任を持たなけれぱならないとしている。そして、リーダーは命令し、 働く者の活動をコントロールし、彼らの行動を組繊の要求するものに合わせるように 修正するという役割を持つものとされる。
このような「科学的マネジメント」に基づく組繊においては、選手は組繊の目標を 達成するための道具として捉えられる。そこでは、「決定は、費用効果の分析後、 コーチによってなされ、選手は組繊の目標達成のためにコーチの意志に従うことを 期待している」というコーチと選手の関係が形成される。
Sage, G. H. は、このような「科学的マネジメント」に基づくコーチー選手関係を 否定し、「人間関係によるマネジメント」を提唱している。それによれぱ、 人間は本来的に受身の存在ではなく、動機や責任を引き受ける能力を持ち、 機会が与えられれぱ有効な決定をなしうる存在(Y理論)と考える。 よってリーダーは「組織の状態や手順を整備することによって、人が、組繊の目標に 対して自らの努力を向けることで彼ら自身の目標を達成できるようにしなけれぱならない」 という役割を担うこととなる。Sage, G. H. は、この「人間関係によるマネジメント」を 「気紛れな独裁的統制よりも個性と自由を強調する現代の価値と倫理により調和している」 ものとし、コーチと選手の関係について次のように述べている。
「コーチは、総合的チームプログラムはチームの選手の要求や願望に優先すると、 当然のことのように思ってはならない。個人の選択は、チームのそれと同等に 考慮しなければならない。チームの目標とそこに到達する方法はチームの全員によつて 作りあげられなけれぱならない。コーチは、本質的なものに対する自らの権威を 制限しなけれぱならないし、専制的な意志によって選手を威圧してはならない。」
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594, パソコンの恩恵 - 2002年11月28日(木)
毎日飽きずに、こうも書けるか種明かしをしよう。 パソコンのおかげなのである。 会社の机の上と、自宅の居間のパソコンの存在のおかげだ。 パソコンが無かったら絶対に不可能である。
何か思いついたときパソコン内のメモ帳に書きこむ。 それに気楽に書き足していくのである。 最後に適当にテーマを書いて保存しておく。 反対にテーマを思いついたら、まずはテーマと思いついたことを2〜3 でも書いておく。
特に一番リラックスしている夕食前後に面白いテーマや キーワードが出てくる。 10秒もしないうちに書ける休止状態にしておき、遊び感覚で打ち込む。
これで飛躍的に文章力と量が増えたのだ。 その場が一瞬に書斎に変わるのだ。
更にパソコンのよいことは修正と追加が軽くできることだ。 順序も考えないで、思いついた事が打ち込めるのだ。 後で順序を並べ替えればよい。そのプロセスは思考である。 そうするとパソコンは思考機械になる。
これが紙に書くとそれ自体で気分が重くなる。 さらに書きなぐっていると、頭が混乱してくるのだ。 勿論大切な事だが。
ポイントはテーマなどは後で面白おかしく書き換える事だ。 毎日書き続けて解ったことは推敲の回数を重ねるほど文章は良くなって いくことだ。文章上達はそれしかないといってよい。 それがパソコンの場合簡単にできるのである。
話しは変わるが随想日記の最大の読み手は実をいうと私なのだ。 数ヶ月前のある日の随想日記を突然ランダムに呼び出して、毎日のように 読んでいる。その都度、こんなことを書いていたのかという驚きがある。 これは自己対話をしていることである。 あるいは自分を深耕していることにもなる。 これもパソコンだからできる。書斎に移動して読む必要はない。 我が家には書斎はない、いや必要ないのだ??
この一年半で、自分の文章力が飛躍的に向上した。 これは毎日文章を書き続けたことと推敲を毎日重ねたおかげである。 その最大の武器がこのパソコンである。 それとホームページのおかげだ。 誰かとつながっているという動機づけがあったからである。 パソコンは知的玩具です。 痴的にもなるが?!
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[241] 健康法 - 2001年11月28日(水)
1、私の健康法の基本はウオーキングである。年平均15000歩である。 実際大変であるが、習慣化をしてしまえがそうでもない。
2、次は毎朝の風呂と、そこでやる足マッサージ。 右(左)の手の指で、左(右)の足の指の間を合掌し絞り上げるが、 かなり刺激的で、呼吸をしながらやる。次がコメカミと目の周囲のマッサージ。
3、夕食前のヤクルトと、健康食品(胚芽米の酵素と、パイウオーターに プロポリスを入れたドリンク)それと、基本として肉料理より魚料理を 食べるよう心がけている。
4、砂糖とカンジュースを飲まないようにしている。
5、ものごとをあまりクヨクヨ考えない。
6、合わない人とか、いやな事は極力避ける。
7、昼に30分アルファーはの出る音楽を聴く。
8、あと海外旅行が精神によい。年2〜3回行っていると、毒を吐き出る。
ただお腹九分目目まで食べないときが済まないのが悪い癖だ。 毎日アルコールを飲む事も良くない。
そういえば川柳を思い出した [健康法 人に説いて 先に逝き] ---------- 昨日はカミサンと長岡の居酒屋・笑笑で飲む。三日続けて 飲んだ。この連休どこも行かないし、いいじゃないかと 理屈をつけて。
一昨日は前日0時まで飲んでいたため、酔い止めの薬を薬局で 飲んだ、かつ二軒目以降は梅割を飲んでいたため無事。
もし早死にするなら、私の場合の飲みすぎだ。
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11月28日 1968年
午後「人事管理」の試験、まるで解らない。 論文形式の方は、書くのが億劫になり、いい加減な文章を書いて提出をする。 その後喫茶店に行った後、川崎と「嵯峨」で酒を飲む。 話題が寮のことになり、寮生の同期の佐藤と飲むことを約束をする。 対照的な二人の間で飲むのも面白そうだ。
帰寮後、明日のゼミの課題のマクレガーの「企業の人間的側面」を 明方の4時まで読む。 両親の従業員に対する人間観はX論に当てはまることに気がつく。 Y論は自分自身にあてはめ、X論は従業員に当てはめるということ?
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2004年11月27日(土)
父が末期ガンで死期を悟った時、私に意味深のことを言ったことを思い出す。 「紙に一千万と書いて、この一千万と通帳の一千万と自分にとって何が違うだろうか。 今さら一千万の現金を手にとって使おうとしても何に使えない」と。
死を目前にした父にとって、いくら現金があろうが、それが何にもならない。 お金も、元気なうちに使わなくては価値がない。 「使えるから価値があるので、使えないのは価値がないのと同じである!」 と言いたかったのだろう。
好きな事業をしてきて、地方としては戦前・戦後と二つの時代に渡って成功をしてきた 人である。そして、道楽も幾つか持ち人の数倍も人生を楽しんでいた。
「全く同じ人生を、いま一度生まれてきた繰り返したい!」 が、父の最期の口ぐせになっていた。
父は事業の恐ろしさを知り尽くしていたので、最悪のヘッジとして 不動産や、証券や、古道具や、現金にして溜め込んでいた。 しかし死を目前にして、何だったのか疑問を持ってしまったようだ。
反面、事業をしていると、資金は命の次に大事であるとを思い知る。 会社の血液である。 「ある日突然、思いもよらない時代の激変が起こって裸になってしまう!」 ことが、経営の宿命である。 そのため、経営はそれに備えて置かなくてはならない。
しかし、あるところまで生きてきたら、生き方そのものを転換をしなくては ならないことを、その時に父から教えてもらった。 ーーー
ーーこの本の印象に残ったところを抜粋してみる。
ーあなたは、おカネである金貨を大きな袋に詰め込んで船に乗り込んでいます。
ところが、乗っていた船が激しい嵐に襲われて、船を捨てて避難しなくては
ならなくなりました。そこであなたは、金貨の袋を腰にくくりつけて、
海にとびこみました。
海底に沈んでいきながら、あなたは人生を振り返りこう思い悩みます。
私はお金を所有していたのか、
それとも、お金が自分を所有していたのだろうか、・・・と。
お金は所有するものであって、所有されるものではありません。
お金に振り回されないためにも、お金を所有することの向こうにあるはずの
リアルなコミュニティの重要性に気づくべきです。
ーーー ーヤップ島の石のおカネの話と我われの通貨とどこが違うというのか。
ヤップ島には、車輪のついた乗り物がなかった。
したがって、道路も整備されていなかった。
そこで、、1898年にドイツ政府がコロリン諸島をスペイン政府から買取り、
所有権を引き継いだ時、荒れ果てた道を修繕するように通達を出しました。
ところが、全然修繕が進みません。
そこで、ヤップ島の通貨として指定したドイツマルクで金を取ろうしたが、
島民達は、笑うだけで自ら修繕しようとしません。
そこで一計を案じました。
通達を出した村や町に役人を送ると、価値ありそうな現地の通貨の
「フェイ」に「×印」をつけて、政府所有にしたのです。
この政策がウソのように効果をあげ、ドイツマルクに対して、
何とも思わなかった島民は「フェイ」を失ったことを悲観して、ひっしに働きだした。
修繕が終わると、政府は「フェイ」に書かれた「×印」を消して回りました。
島民たちは、自分達の財産が戻ってきたことを心から喜んだという。
ヤップ島のひとを笑うのは自由だが、本当に笑えるだろうか。
というのは、私達がお金と信じている預金通帳のデーターも、
本質的には「フェイ」に書かれた「×印」と大同小異だからだ。
ーーー
ー1930年代の前半、まだおカネと貴金属がリンクをしていた時のこと。
フランスの中央銀行は、金塊一オンス20ドル67セントという従来の
価格では、アメリカが金本位制度を堅持できないかと懸念を抱いていた。
そこで、フランス中央銀行は、アメリカで所有しているドル資産と
金塊を交換するようにニューヨーク連邦準備銀行に持ちかけました。
もっとも、金塊を海を越えて搬送するわけでなく、ドル預金を
引き落とす代わりに、ニューヨーク連銀に開設してある
フランス中央銀行名義の口座に移管するだけのことです。
この求めに応じた連銀は金塊の貯蔵所に係員をやると、
しかるべき数の金塊を別の棚に移動させて「フランス所有」というラベルを貼りました。
つまり、連銀はヤップ島のドイツ政府が「フェイ」に×印をつけた同じことをした。
しかし、この効果はすぐに現れました。
新聞の見出しには「金貨減少!」と文字が躍り、
「これは、アメリカの通貨制度を脅かす事態である」と騒がれはじめました。
為替相場はドル安・フラン高に動きました。
このアメリカからフランスの金塊の流出ー正確には棚の移動ーは
1933年の金融恐慌を起こした遠因になったのです。
これはヤップ島の「フェイ」の×印のように、ニューヨーク連銀における
ラベルと大して変わりありません。
そのラベルのように、ある「データー」をお金として利用しています。
つづく ・・・・・ ・・・・・
2003年11月27日(木) 967, PDPテレビをいれて一年、の感想
一年前の随想日記を振り返って読んでみて、PDPテレビをいれて一年経った ことに気づいた。丁度その頃、会社の近くにDVDのレンタルショップが 開店したため毎週のように借りて見ていた。 オーバーにいえば、そこの見たい映画を殆ど見てしまった、といってよい。
普通のTVがハイビジョン並みの画面である。 それと画面の大きさが一番のポイントである。 映画館にいっているようで、綺麗で迫力がある。 その為、劇場中継や音楽番組や自然紀行などの番組がすばらしい。
次の世代は「実際見るよりより綺麗な画像」になる可能性があるという。 人間の眼よりも世界を鮮明にとらえてしまうのだ。 プロの使うカメラの世界は、ずっと前にその段階まで入ってしまっている。 これからは映像の世界がそうなるというから、想像を超えた世界になるだろう。
PDPの値下がり幅がもっと進むと思っていたが、それほど下がってない。 しかし「カタ落ち」では1インチ一万円(50インチー50万)に近づいている。 価値はあるかと問われれば、「充分ある」というのが答えである。 「36インチのブラウン管のハイビジョンと変わらないのでは?」といえば、 そうではない、それなりの価値はある。 来年から爆発的に売れ出すであろう。 3年後、1インチ5千円あたりが落ち着きどころだろう。
それよりも一緒に買ったDVDがよい。 ハードに録画を貯めておくのが非常に便利である。 DVDに録るということは皆無である。 どんどん録って、見て面白くないのは消去できるからだ。 あのビデオの物理的な煩わしさから開放されたのが良い。
ー以前、PDPTVについて書いた内容をコピーしておきます。 ・・・・
581, PDPTV - 2002年11月15日(金)
PDPーTVを先週に居間に入れて6日が経つ。 設置に3人で5時間以上もかかった。
パイオニア製で50インチだ。 それにソニーの音響システムとラックを組み合わせて 税込みで76万円だった。あと半年で3割は下がるだろう。 半額はローンにした。
さすがに迫力が違う。 相撲などは音響も含めて会場にいる気分になる。 まだじっくりと見る時間はないが、今週末から見るつもりである。 コンサートや歌謡番組を夜電気を消して見ていると、 その価値を充分感じ取ることができる。
あと15万を出すとソニー製の新型を買えたが、値崩れを起こし始めた パイオニアにした。ますますお宅になりそうだ。 何か凄く豊かになったような気分だ。
あと数年がたつと、PDPや液晶から有機TVが出てくるそうだ。 ソニーはそれに絞って商品開発をしているという。
こういう時代に、遠出をしないでカウチポテト族になって いるのに丁度よい代物だ。それとこのパソコンが。 つまらないスナックで飲んでいるより居間の方が刺激的だ。
ただ集中度が高まるので疲れるのも事実だ。 お勧めはあと半年経つと1インチ1万円に下がった時だろう。 それも部屋によっては42インチあたりでよいのでは。
車を小型や軽にしてTVやパソコンにシフトしていく時代だ。
・・・・・・ ・・・・・・ 593, 八ちゃんの時代 - 2002年11月27日(水)
八ちゃんという言葉が私のアイデンティーである。 8人兄姉の末っ子で、父親の42歳の子供であった。 両親と兄姉と従業員の中で可愛がられ育った。
特に父親に溺愛されていた。 但し物理的には何も与えられなかった。当時は誰もがそうであったが。 今も人好きなのは三つ子の魂いつまでもである。
今でも姉が憎憎しく「あの八ちゃんは何処にいったの?」という。 「しょうがないだろう、あれから五十年経ったのだから」 これが私の答えである。
今考えてみても刺激の強い幼児期だった。 映画のような世界であった。 刺激は強く貧しいが、明るく豊かな世界だった。
今も鮮烈に当時の記憶が残っている。 子供心に当時の出来事を全て受け止めていた
・無尽上がりの??相互銀行のKが成り上がってきたとか。
・十日町のイチムラが近くに百貨店をオープンした。
・同じく三条の香具師が百貨店を開いたとか。
・母の従兄の内山由蔵さんが市長になった。
・北越銀行の頭取が何処かの未亡人に熱を上げて通っているとか。
見ていても、聞いていても刺激の強い世界であった。 自殺、夜逃げ・妾の話が子供ながらに面白くワクワクして聞いていた。
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[240] 土日.祭日のすごし方 - 2001年11月27日(火)
土日.祭日は ・5〜6時起床。パソコンに30分向かう。 ・6時前にウォーキング、8時前に帰る。 ・風呂に入り、食事、新聞・TVと続く。 午前はこれにパソコンいじりが加わる。
・午後はTV(愛の貧乏脱出大作戦、新婚さんいらっしゃい、ETC) 図書館、スーパー、読書、ショッピングセンターか何処かにいく。
・夕方は散歩をかねての居酒屋か、郊外の飲食店で食事。 更にウオーキング、 ・そして夜はTVかパソコン、これで一日が過ぎる。 単純だがこれが私にとって楽しい。
1〜2月に一回は柏崎の家内の実家に行く。 BSハイビジョン放送が始まって以来、TV が面白い。 あと数年たったら50インチの液晶TVを買うのを楽しみにしている。 50万くらいになったら、今は100万する。 (この前石丸電気で見たら、そのままそこに入っていけそうな別世界があった。)
一週間で今が一番楽しい時間だ。土曜日,散歩と風呂の後、TV を見ながら パソコンと美味しいコーヒーを飲んでいる時だ。
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ある時間の断片 1968年 11月27日
10時10分に学校。川崎と会いノートを返す。 彼と食事をして、独りで図書館で勉強をして帰寮。
部屋で、明日の中間試験の勉強。 その後に風呂にいく。
夕食後、瓜生君が部屋に遊びに来る。 そこに米林君も来る。 彼をからかうと、かなり怒り心頭のようであった。 独り大声を発した。そして佐藤嬢のところに行ったようだ。 この男、イヤな奴だ。卑しい奴と言ってよいだろう。
友人では、こういう男と純粋を保っている男に二分される。 いや2割がこういう男だ。
寮で来るなといえないので仕方がないが、普通は傍に寄せ付けない。 夜半の3時まで試験勉強。 洗濯後、就寝。
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2004年11月26日(金)
遺跡の中でポンペイの遺跡は、奇跡に近い状態で当時の世界をそのまま閉じ込めて 現在に提示してくれている。 この世界のグラビアの本を開いているだけで、気持ちが2000年の時空を飛び越えて ローマの時代にはまりこんでしまう。
この小プリニウスの手紙には、大きな衝撃を受ける。 この青年の知性にも、驚きざるをえない。 それと、大プリニウスの行動にも当時の知的レベルの高さを知ることができる。
この内容が、2000年前の事実がそのままドキュメント風に記載されているから 迫力があるのだ。人間の変わらない感動、恐怖、そして生活がそのまま伝わってくる。 街全体が、当時のまま残っているから、更にこの手紙の内容が生々しい。 18世紀の初頭まで人々の記憶から忘れ去られたことが、当時のままの姿を 残すことにもなった。
35年前の日記を昨日のように感じるのは何ら不思議ではない。 全て昨日のようなものである。
数ヶ月前に放映されたTVドキュメントは、この手紙を忠実に映像化をしていた。 そして、爆発が起きてからポンペイが埋まるまでの19時間も、当時の遺体の様子から 想像をしたドキュメントが生々しく時系列で構成されていた。。
ー6月20日の手紙
私は先に、あなたの求めに応じて、伯父の死についての手紙を書き送りました。 手紙を読で、ミセヌムに残されたこの私がいったいどんな恐怖を味わい、 そしてどんな危険にあったかぜひ知りたいと貴兄はおっしゃいます。
実は、先の手紙ではそれを書こうとしていて、筆を置いてしまったのです。 「思い出すのもつらく、悲しみは深いけれど、とにかくやってみましょう」 (訳注:ウェルギリウス『アエネーイス』からの引用)。
伯父が出発した後、私はずっと勉強をして過ごしました。 そのために残ったのですから当然です。 それから入浴と食事をし、そして短く途切れがちな睡眠をとりました。
それまでも、前ぶれのような地震が幾日も続いていましたが、カンパニア地方では 珍しいことではなかったので、さほど恐ろしくはありませでした。 しかし、その晩起こった地震はあまりに激しく、もはや揺れているという 程度ではなく、すべてがひっくり返ってしまったかのようでした。
母が急いで私の部屋にやってきました。 私の方ももう起き上がっていて、母がまだ眠っていたら起こそうと考えていた ところでした。私たちは中庭に避難し、腰を下ろしました。 そこは海と建物を隔てる格好の空間でした。
当時17歳だった私は、落ち着いていたというか、無分別だったというか、 ティトゥス=リウィウス(訳注:古代ローマの歴史家、『ローマ建国論の著者)の本を 持って来させ、いかにも暇を持て余しているかのようにその本を読み、 やりかけのレジュメを続けていました。そこへ伯父の友人がやって来ました。
伯父に会いにスペインから戻ったばかりだというその友人は、私が母と一緒に 座って本を読んでいるのを見て、私の無気力と不注意を責めました。 それでもなお私は、熱心に読書を続けようとしていたのです。
もう昼の第1時だというのに、光はなおもぼんやりとして、まるで病人のように 弱々しいままでした。すでに建物には亀裂が入っていました。
私たちは屋外にいたのですが、建物が崩れ落ちたときのことを考えると、 その狭い場所では安全とは言えませんでした。 ついに私たちは町を出る決心をしました。 私たちの後には茫然となった群衆が続きました。
人は突然激しい恐怖に襲われると、自分の決断より他人の決断に従う方が 賢明だと考えるらしいのです。 私たちは町を出ようとする人々の長い列にせきたてら、押し流されていきました。 建物のある区域を過ぎたところで私たちは立ち止まりました。
ここで私たちは、とても恐ろしく、また驚くべき経験をしました。 というのは、私たちが引かせてきた荷車が、坂道でもないのに、様々な方向に 動き出していたのです。小石で輪留めをしてあるのに動いてしまうのです。 そのうえ海が、まるで地震によって押し戻されたかのように引いていくのが 見えました。
とにかく海は岸へと変わり、乾いた砂の上に海の生き物がたくさん残されました。 一方、赤く恐ろしげな雲は、ジグザグにきらめいて走る熱風に切られて 大きく裂け、稲妻のような、大きく長い炎を形作っていました。
しかしその時、例のスペインから戻ったという伯父の友人が、先程より力強く、 有無を言わせぬ調子でこう言いました。 「もし貴女の兄上が、そして貴君の伯父上が生きておられれば貴君らが 助かることを望まれるだろう。もし亡くなっておいでなら、貴君らには 生き残って欲しいと思われるだろう。なにゆえぐずぐずしておられるのだ」
私は伯父の安否が分からないのに自分たちのことを考える気にはなれないと 答えたのですが、彼は逃げ遅れることを恐れて、私たちを置いてすさまじい 勢いで走り去っていってしまいました。
ほどなく、雲が地上に降りてきて海を渡りました。 雲はカプリ島を包み込んで視界から消し、ミセヌム岬を隠しました。 その時、母が私に逃げてくれと懇願しました。
私は若いから逃げられるが、母は年老いて太っているから体が言うことを きかない、母のせいで私が死ぬのでなければ喜んで死んでいけるというのです。
私は逃げるなら一緒でなければ嫌だと言いました。 そして母の手を取り、無理矢理に急いで歩かせました。 母はしぶしぶ言うことに従ったものの、足手まといになるといって 自分自身を責めました。
このとき灰が降ってきましたが、まだまばらでした。 振り返ると、黒く厚い霧が背後に迫り、地面に広がる急流のように追いかけて きていました。 「視界のきくうちに回り道をしよう。闇の中でころんで、一緒に逃げている 群衆の下敷きになるといけないから」と私は言いました。
そうして、ちょうど腰を下ろしたとき、夜がやってきました。 月のない曇った夜というよりは、明かりを全部消して閉め切った部屋のような 闇でした。 女たちのしゃくり上げる声や赤ん坊の弱々しい泣き声、男たちの叫び声が 聞こえました。
父や母を探す声もあれば子供や妻を呼ぶ声もあり、みな相手の声を聞き分けようと 必死でした。自らの不幸を嘆き悲しむ者、家族の運命を嘆き悲しむ者、 死の恐怖にかられて死を望む者、両手を差し出して神に救いを求める者。 もうどこにも神はいない、この永遠の夜が世界の終わりなのだと説く者も 数多くいました。
見せかけや偽りの恐怖こよってかえって危険を増大させている者も少なく ありませんでした。 ミセヌムではあの建物が倒壊した、あの建物が焼けたなどと触れ回る者が 現れました。それはデマでしたが、信じる者もいました。
弱々しい光が現れましたが、それは昼の光ではなく、火が近づいてきた しるしのように思われました。 ただし、少なくとも、火はかなり遠いところで止まったようでした。
再び真っ暗になり、重い灰がどっと降ってきました。 ときどき起き上がって灰を払い落とさなければなりませんでした。 さもないとすっかり灰をかぶり、その重みでつぶされていたでしょう。
私は、これほど恐ろしい危険の真っ只中にいながら、嘆いたり、情けない言葉を 吐いたりしなかったと豪語することも許されるでしょう。 それは、自分とともに万物が滅びるのだと考えることで、つらいながらも 慰められたからだったかもしれません。
最後に黒い霧は薄れ、煙か雲のように消えていきました。 まもなく太陽が姿を現し、本物の昼が訪れました。
とはいえ、その太陽は日食のときのように青白い色をしていました。 まだおぼつかない視界では、あらゆるものが雪のような厚い灰の層に埋もれ、 新しい様相を呈していました。
ミセヌムに戻った我々は元気を少し取り戻し、希望と恐れとが入り交じる 不安な一夜を過ごしました。それでもやはり恐れの方がまさっていました。
というのは、地面は相変わらず揺れていたし、ぞっとするような予言に 錯乱した者が方々で自分や他人の不幸を嘲弄して回っていたからです。 しかし、このときでさえ、危険の訪れを懸念しながらも、伯父の消息が 分かるまで出発する気はありませんでした。
以上が私の身に起こった出来事です。 歴史に残すにはふさわしくないつまらない話ですから、お読みになっても 貴兄の著作に書き入れる気にはなれないでしょう。 また、もしこれが手紙の名にさえ値しないとしたら、 私に頼んだ貴兄自身を責められるべきです。 では。
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2003年11月26日(水) 966, 悪口についての一考察 −2
どんなに憎んでも、面と向かって言ってはいけない言葉がある。 だから、その人の居ないところでいう悪口は楽しいのである。 これが人間の悲しい性である。
4~5年前にある泥酔の高校の同級生二人に呼び出されたことがあった。 片っ端から知人の悪口を言っていたが、私を呼び出す前までは私の悪口を言っていた のがミエミエであった。 そして「人の悪口は楽しい!」といっている姿に唖然とした。 そう、こう書いているこの文章も、彼らの悪口である。
私の場合、こと人間の真髄に関しては何を話しても悪口になってしまう。 虚飾などどうでもよい?見えるのは裸の猿の狂った姿である。 大学のたまたま入った学部が社会学部であった。早くいえば人間学である。 人間関係の網の構造を瞬時に洞察する訓練を受けているから始末が悪い。
さらに、こういう社会学的な本が好きで40年近くも読み続けているから 知らないうちに外部化しているのだろう。 表面的な付き合いの人間には、全てが悪口に聞こえるはずだ。 同級生のスナックのママに説教をされたが、その道の専門家いやアマチュア ということは知らないようだ。
ところで悪口という概念は、なんの思想も持ち得ない。
ー怒れば、ストレス解消・精神衛生などという隠れみので、自己のプライドなど 微塵もみせず?に罵詈雑言をいい続ける。
ー気分の良い時は調子よく聖句などを持ち出してきて、 「悪口はいけません」とのたまう。 この二面性を持っているのが人間の姿である。 悪口の後で「仕方ないさ、人間だもの」と繰りかえす。
ー悪口をいま思い出せる言葉を羅列してみるとー 「服のセンスが悪い」「だらしがない」「カスが人間をまとっているような奴」 「子狐のような奴」「屑どもめ」「仕事が出来ない」「気がきかない」「痴呆迷死」 「ミス何々ー失敗ばかりする女」「ダニ」「自民党のような奴」「たかり」 「くそったれ」「共同便所のような女」「東京ガス」 悪口はまるで無尽蔵である。
嫉妬心・怒り・敵意・ねたみ・憎しみ・優越感・軽薄など心の底に渦巻いている ドブから発するガスである。 ーインターネットで調べた内容をコピーしておきます。 ・・・・・・・・・・
「悪口をやめよ 」 ヤコブ4:11〜12 箴言26:17〜28 マタイ5:21〜24
皆川尚一牧師
悪口をやめよ 兄弟たちよ。互に悪口を言い合ってはならない。兄弟の悪口を言ったり、 自分の兄弟をさばいたりする者は、律法をそしり、律法をさばくやからである。 もしあなたが律法をさばくなら、律法の実行者ではなくて、その審判者なのである。 しかし、立法者であり審判者であるかたは、ただひとりであって、 救うことも滅ぼすこともできるのである。しかるに、隣り人をさばくあなたは、 いったい、何者であるか(ヤコブ4章11〜12節)。
「兄弟たちよ。互に悪口を言い合ってはならない」(11節)。 ここで「悪口を言う」(カタラロー)というギリシャ語は「逆らう」(カタ) という語と「言う」(ラロー)という語が合わさって出来た合成語で、 「逆らって言う」とか「反対して言う」という意味です。 しかし、この語の使い方は、面と向かって相手に逆らって言うのではなくて、 今そこにいない人の悪口を言う場合に使われます。
だから日本語では「陰口(かげぐち)をきく」とか「中傷する」とか「ざんげんする」 とか言います。顔と顔を合わせて相手に反対したり、悪口を言ったりする場合には、 相手の人は自分の考えを説明したり、自分のやり方を弁明したり、相手に反論したり できますから、ある程度公平だと言えるでしょう。
しかし、今そこにいない人のことを悪く言う場合には、言われる人は弁明できず、 反論も出来ませんから、悪いうわさは毒ガスのように人から人へと伝わります。 二、三人のヒソヒソばなしやいわゆる井戸端会議からゴシップが流され、 話に尾ひれがついて、あること無いことが発展して人の名誉が汚され、信用が失われ、 せっかく築かれかけた良い人間関係が壊れていくのです。だから陰口ほど質(たち) の悪いものはありません。
しかし、クリスチャンになってもこの悪い行いは、なかなか改まらない人が多く、 このために教会の親しい交わりが汚されるので、使徒ヤコブは、 特にクリスチャンお互い同士が陰口をきかないで、愛の交わりを育てるのに 心を配って行こうと呼びかけているのです。 そこで大切なことは陰口をきくのは恐ろしい罪だということを認識する必要があります。 それは「神の律法に違反する罪」と「神の大権を犯す罪」の二つです。
・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・
592,ーこころにのこった詩ー2 - 2002年11月26日(火)
ー兄弟ー びーと たけし
兄ちゃんが、僕を上野に映画を見につれていってくれた
初めて見た外国の映画は何か悲しかった
ラーメンを食べ、喫茶店でアイスコーヒーを飲んだ
兄ちゃんが、後で入ってきた、タバコを吸っている人達に
殴られて、お金をとられた
帰りのバス代が一人分しかなく
兄ちゃんが僕をバスに押し込もうとした
僕はバスから飛び降りた
兄ちゃんと歩いて帰った
先を歩く兄ちゃんの背中がゆれていた
僕も泣きながら歩いた
・・・・・・
これを読んで子供のころの出来事を思い出した 詩的に書いてみるー
小学校の低学年の頃、兄と歩いていた 兄が急に頭に手を当てた
帽子を取ると頭が血だらけだった 兄はそれを見て泣き出した 帽子に穴があいていた
すぐに誰かが空気銃を撃ったのが解った 近くに不良の中校生がいた 彼だろうと思った
兄の手をひいて帰った その問題は大きくはならなかった それから10年経ってその少年は殺人事件をおこした
ざまみろと思った
・・・・
この文章を考えて寝たため昨日の朝 ビートたけしの兄弟の夢をみた。 夢の中の対談で私が司会者だった。
たけしが兄にふざけて昔貸した200円を返せという。 また二人で読んでいる新聞を取り合いをしている。 兄弟でいつの間にコントをしている。 それがこの詩のように仲がよいのだ。
何か失われた家族を見ているようであった。 また自分の脳の想像力の凄さ単純さに驚かされる。 自分でいっているのだから間違いがない。
・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・
238,)糸井重里のインタネット的 - 2001年11月26日(月)
彼の著書の「インターネット的」が面白かった。 買おうとしていたところ、たまたま図書館にあったのを 借りてきて読んだ。買うほどでないが読む価値が充分あった。
ーまとめてみると、
インターネットのキーワードが4つあるという 1、[リンク]ージョイント的のつながりとは違うという。 ジョイントは‘問いに対する答え’のように交互の繋がりをいうが、 リンクは問いに対していろいろな答えがある、それを有機的に つながっていくことが可能なのがリンクという。 それぞれのホームページのお気に入りのコナーから、 新しいページに行き、 そこからまた新しいページにリンクしていける。 これがまず一番の特性。 2、[シエア]ーおすそ分け、情報の無条件の提供である。 そうでなくては誰も見てくれない。自分の利益を考えることは大事だが、 それを無条件に公開して与える。 3、[フラット]ーたいらー公平無名性に情報をやりとりすることが大事で、 そこには肩書きも、立場も意味がなさない。 4、[グローバル]ー民族や国の枠を超える、世界的な視点になってくる。 以上のリンク、シェア、フラット、グローバルの4っがキーワードだ。
自分でこういうホームページをつくって、何のためと自分で自問自答する ことがある。自分の経験・体験・知識・考えを知らせる事と、 問い掛けることである。
毎日目に見えない何人に向って,語りかけを実際しているように書く。 それには虚飾をすて本音で書かないと、すぐ見るる方も書くほうも飽きてしまう。
本音で書き続けると、本音の中にある虚飾に気づくことがある。 今までの日記(ノートに書いていた日記)より、深くなっていく部分と、 やはり観られている為に本音をカモフラージュしている部分が出てくる。
また内容のイイカゲンさは排除しなくてはならない。 その為集中を自分に課せることが必要になる、これが最大の収穫だ。
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ある時間の断片 1968年 11月26日 9時15分に起床。 10時半に学校へむかう。 川崎と待ち合わせて、ノートを借りる。 食事後川崎と「サルビア」へ行き話す。 「昔の彼女に会って婚約を知り、再び結婚を前提で付き合いたい」と いったという。聞いていて馬鹿馬鹿しくなってきた。 「身勝手もいい加減にしろ」と思ったが、口には出さなかった。
試験勉強をする為に、独りで図書館に行き、その後再び川崎と食事をする。 帰寮後、川崎に借りた本をうつしていると、駒村が来る。 少し彼と話す。 その後、炊事場で米林から、南波嬢と蒲生が何とやらと聞く。 本当かどうか解らないが、もしそうなら南波嬢もその程度の人かと 失望をする。佐藤に知られなければ良いのにと心配だ。 佐藤は気が多い男だからだ。
その後、大妻の宮本さんがくる。 彼女から、その女性が「清田」さんと聞かされる。 何回か会ったことがあるが、別に何とも思ってなかったが。 確かにスゴイ美人である。しかし、それを鼻にかけているのが気になる。 逃げる理由も無いが、追いかける理由も無い。
宮本さんも面白い人だ。 間中君の「自他とも認める何」だから気楽に傍に寄せているが。 彼女が帰った後に、食事に行く。 その後、集中して勉強。 夜半0時に米林がくる。 佐藤嬢とのノロケを聞かされる。 彼は今は女性のことしか頭がないみたいだ。不安なのだろう。 それにしても、シモの具体的なことを何故言いたがるのか理解できない。
後記 2003年11月26日 書き写していると当時をアリアリと思い出すものだ。 そして、よくもまあ、色いろのことがあったものだ。 何事も忘れるから生きていけるのだろう。 日記に書いてなければほぼ全てを、忘れていることだ。 過去を振り向かないことを自分に課してきたが、このように思い出すのも 面白いものである。
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2004年11月25日(木)
1969年 3月29日 四日市にて
勤めて、まだ一ヶ月も経ってないのに、既に壁に当たっている。 後方部隊の管理部は総員37名、そのうち30名が若い女性だ。 今年配属された男子4名の他に、課長と係長と肩書きのない古手の男子2名が男だ。 それにしても、肉体的の限界の激務である。
寮で同室の堀田君は本店から離れている郊外の食品スーパーに配属されているが、 話からみると、仕事の厳しさは本店の管理部は彼よりも数倍厳しいようだ。 部屋に帰ってきて、布団にバタッと倒れる状態である。
それでも、既に数回同期の4人と三回も居酒屋に行っている。 同期の仲間は西尾、桜井、渡辺、そして私の4人だ。 酒好きというのが共通点である。 いずれも地方の大學出身のせいか純粋であり、温厚である。 学生時代の寮の連中からみれば、地方大学出身の為かすれてないのがよい。
上司の松又さんは九州出身の純朴な好青年である。 高卒で8年目だが仕事が出来る。 我われ四人に、非常に気を使っているのが解る。
今の課題は、同僚としての女性に対してどう接してよいのか解らないことだ。 純朴な地方の擦れてない若い娘達の同僚としての対応の仕方である。 傷つきやすい敏感な年頃である。 全く難しい。 自分としても、どう気持を開いてよいのか解らない。 やはり、自分を取り払わないとわかっているが。 それと、寝る時間の前に本を読む癖だけはつけておかないと。
本店には、300人ほどの女子店員がいるが、息を呑むような美人が 7〜8人はいる。 働く女性の姿が輝いている姿を身近にみるのは初めてである。 小説を見ているようだ。 それにしても良く働く、いや働かされている。
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4月2日
どうも、若い女性を扱うのは難しい。 他の三人は結構上手く、楽しそうなのに自分は駄目なのだ。 まず彼女らを人間として認めなくてはならないのだ。 何か焦りを自分に感じている。
取りあえず、問屋の名前を一つずつ憶えてみよう。 次に店内の配置図を頭に入れてしまおう。 そしてコード名を憶えよう。 何か一日一日に追われているだけだ。
統一伝票の合理的なシステムには驚かされる。 4枚綴りの複写で、それが本部用、店用、取引先分類、そして最後の一枚は、 受領書として相手方に送り返される。 この伝票システムが、仕様書発注として内容がこと細かくないようが 伝票にギッシリ書かれるのだ。 凄いと思わざるを得ない。
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2003年11月25日(火) 965, 悪口についての一考察 −1
悪口については、随想日記の中では何回も書いている。 しかしテーマにしたことは無い、一番イヤなテーマであるからだ。 昨日、新聞を見ていたら‘メジャー’ヤンキ−スの松井は中学校二年生以来、 悪口を言ったことがないという。(所詮は勝ち組が言っているから注目している 部分もあるが) それでは「私の場合は如何だろうか?」と考えてみた。 本音でいうと 可能な限り言わないようにしている。その為には嫌いな人のいる場には 極力行かないようにしている。例えば、ライオンズとか商工会議所などである。 痴呆名士志向の子狐的人間である。 地方で頑張っている人はこういう傾向が強いから始末が悪い。 自分より肩書きや収入が多い人間には媚びへつらい、下の人間には尊大な人だ。 まあ仕方ないのは解っているが。 「お前の姿でもある」といえば、そうかもしれない。 人間にとって自分は善人であり他人は悪人なのである。 自分を理解しろと必死になるが、嫌な人を理解しようとはしない。 それは、怠惰という無精者に過ぎないことに気づいていないからだ。 辞典には ー悪口は「他人について、劣っていると(事実に反し、また実際以上に)いう言葉」 とある。 ー陰口は「その人のいないところで、いう悪口」と書いている。 悪口とは事実に反してと書いている。 週刊誌などは、それで持っているいるようなものだ。 大衆の一番弱いところを狙っているのだ。 辞書のとおりならば、悪口の経験のある人は虚言罪で天国の門は間違っても 叩かれないことになる。
思いつくまま「悪口」について頭に浮かんだことを書いてみる。
・「悪口はドロボーより悪い!」と曽野綾子の本にあったが、まったく 曽野(その)とおりである。ドロボーは人を殺さない、しかし悪口は時に 人を殺す。 ・悪口は結局は、自分の事をいっているに過ぎない。 したがって根は深い。ただ自分で気がついてないのだ。 悪口はその人の歪んだ心象風景といってよい。 ・悪口にも色いろある。 本人に面と向かっていう悪口と 陰でいう悪口がある。 ・宗親(居酒屋おやじ)「馬鹿野郎!これで俺等居酒屋が、 商売でもっているんだ!でも酷いもんだよ! サラリーマンの悪口は耳を塞ぎたくなるより、 『その対象の奴より、言っている本人を張り倒したくなるよ!! まあ、そうでもしなくては精神のバランスが保てないのだろうがね』 ー続く −−−− ーーーー
591, ある時間の断片ー13 - 2002年11月25日(月) ー 1968年 10月3日ー 9時半起床。 10時40分学校へ出発。 12時に図書館に行く。途中で石川と会う。 図書館で数人の人と話ばかりで、試験勉強が身に入らない。 試験は予想どおりで、簡単であった。 必死になったのが馬鹿みたいである。
帰寮後、床屋に行く。 夕食後TVを見る。 今の自分が何かあるべき自分とのギャップが大きい。 どうかしているのではないか? 石川に今日言われた。 「かなりいいかげんだ!」と。
そうだ、新潟の六日町の禅寺の雲洞庵にいこう! これで遅れた分が取り戻せるだろう。 このままだと、その半分以下だろう。
この7日か8日にいこう。 そこで集中して卒論の大筋をまとめあげよう! 同時に人生の将来図ー目標とか理想をつくりあげよう。 イメージにまでにしてしまおう。
ーーーー ーーーー 11月25日(火曜日) 1968年
朝10時起床。 卒論のマトメをしたが中途半端であった。 部屋に米林がくる。 彼もかなりクールのようだが。 佐藤嬢との、あけすけな話をする。 他人にいうことでないのに、馬鹿な奴だ。 それより、他人のことに気を向けている時間が無い。 夜半の2時まで集中したが、まだまだだ。 時間が足りない。
ところで冗談で言ったことが独り歩きをした。 今は、外に気がいってはならない時期だ。 仕方がないが、軽く考えて深入りしないことだ。 取ってつけたような相手捜しは止めにした方がよい。 何を焦っているいるのか。 試験に、卒論に、ゼミに、会社のレポートに、山積みなのに 馬鹿な事をいった。
自分は会社を創りたいのだ。 そして二年勤めて、その後違う大学の三年に編入して 四年後に創業をしたいのだ。 流通か、貸しビル業が面白そうだ。
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2004年11月24日(水)
数年前までは、 ・学生相撲 対 序の口からの叩上げ相撲の対戦であったが、 現在では ・外国勢士 対 日本勢、 ー異種格闘技化 ・古参力士 対 新鋭力士 対戦を見ていると、その分類に7割は入る。
無双山が引退に追い込まれたが、現在の大関と元大関のほぼ全員が一〜二年後には 引退に追い込まれているだろう。 魁皇が横綱挑戦というが、彼も相撲の世界に存在しているかどうかである。
モンゴルなど元ソ連圏の力士が、小さな相撲業界を占拠はじめた。
相撲を、日本的ルールの多国籍の格闘技としてみると違って見える。 相撲は八百長が当たり前の旧態依然の世界であった。 談合を確認するために、それぞれの親方が土俵の周りに居座っているとも 解釈することもできた。
それにしても、新鋭力士の台頭が新鮮にうつる。 今年になっての新入幕力士は10人もいる。 昨日のワインの話ではないが、今年はワイン同様あたり年である。
以前、昭和38年生まれが台頭した大当たりの年もあった。 今は、それが外国勢のハングリー精神旺盛な若者というのが特徴だ。 外国人を相撲に開放するのは問題というが、もし彼らがいなかったら 全くつまらないものになっていた。これも時代である。
それにしても、お客があまりにも少ないのが気になる。 平日で3~4割も入っているかどうかである。 それも年に一度の地方場所でだ。 大型TVの普及もあるのだろうが。
ならば、世界各国にTVの放映すればよいのだ。
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2003年11月24日(月) 964,「アルビレックスの優勝」
今日13時から新潟で、地元のアルビレックス新潟と大宮アルデージャの 一戦が行われた。アルビレックスが1−0で勝ってJ2の優勝を決めて、 サッカーのJリーグの一部昇格を決めた。 TVで見ていたが、息をのむ緊迫した盛りあがった試合であった。 勝った瞬間のスタジアムの熱気がTVでも感じることができた。 一年で再び2部に落ちないことを望むが。
夏に招待券を貰って新潟スタジアムに初めて行ってみた。 やはり現場に行くと迫力は違う。 これで来年は一部昇格で、新潟もサッカー人気で盛り上がり、景気には少しは 良い材料になるだろう。新潟は公共事業の削減で、北海道・長野に続いて 落ち込みの厳しい地域である。 来年は長岡を中心にして更に落ち込みが厳しいだろう。 その意味では、少しは明るい材料になればよいが。
サッカーは、あまり興味が無かったが、去年のワールドカップが新潟で開催を されたこともあって少し関心が向いてきた。そしてJ.1に昇格である。 来年はこれを契機に、今の二倍の感心が向くのではなかろうか。 オリンピックの年ということもあり、面白い年になりそうである。
去年新潟で一軒だけあった「サッカーファンに絞り込んだパブ」に行った。 大きなTVプロジェクターにサッカーの試合の場面が映し出されていた。 店内は新潟アルビレックスの旗が飾られていた。 しかし、近く閉店をするといっていた。 ファンはお金の無い層で成り立たなかったとか。 その前が、夜のホステスを対象にした店で、23時から朝の8時まで営業を していたという。 バブルがはじけてホステスが来なくなって「サッカー専門パブ」に変えたが、 やはり駄目だったとか。 色いろあるものだ。
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590, 愚か者と馬鹿者 - 2002年11月24日(日)
宗教学者の対談の中で、愚か者と馬鹿者の定義をしていた。 ・愚か者とは社会一般の常識しか知らない者。 ・馬鹿者とは一般社会を離れて見ている者。 そう見ると、世間様は愚か者の世界そのものだ。
見るところ80�佑�愚か者? 愚か者の目で見たら、超越している人は正しく馬を鹿という 文字どうり馬鹿者だろう。
「馬鹿になれ!」とかいうのは愚か者に対する宗教者の視点である。 教養はその視点を時間をかけて積み上げた経験と知識をいうのか。
私などは愚か者に馬鹿が加わった馬鹿愚者である。 それすら気が付かない愚か者よりマシなのか、 それ以下なのか??
社会常識を元々知らない事と、知った上で離れてみる視点を持つ ことは別だが。 愚か者はその識別さえできない。 私の知人のある匂いを持った愚者の群れは私が一番嫌う人種だ。 嫌うという事は、自分もその匂いを持っているという事だ。
何か誰にもいえることだから、誰もが考えてしまう問題だ。 「男はつらいよ」の映画のある場面に印象的な場面があった。 ある地方の少し頭の軽い男に誰かが「この馬鹿!」といった。 言われた男が「馬鹿に馬鹿というのが一番馬鹿だ!と母ちゃんが 言っていたぞ!」
私は馬鹿と信じてきた自分が一番愚者だった!!?? おわり!
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11月24日 (日曜日) 1968年 10時に起床。 ある部屋で、朝っぱらからダンスの模擬講習会をしていた。 面白そうなので早速参加をする。 ジルバとルンバとブルースだ。 一通りマスターはする。
15時に市川さんが部屋に来る。その話をすると「自分にもダンスを教えてくれ!」 ということで、今度は私の部屋で講習会みたいになる。
そういえば昨日スナックで飲んでいたとき、 三年の植本くんが「(同じゼミの同期の)田島さんが、私について 評価をしていた」といっていたと教えてくれた。 「堀井はいつも人を冷静に見て平等に公平に評価をしてくれる」と いっていたという。 また反面「自分が傷つくのが恐くって構えている。それが堀井の 壁になっている」ともいっていたとか。なるほど鋭いものだ。
そういえば深井にも同じようなことを言われた。 「絶対にわき道にそれることはない。ノロノロと中速の速さで、 事故も無く、一定の速さで進む。しかし高速道路を見つけ得ないだろう」 と言われた。
一年、年下の駒村孝道にも 「ものごとを考えすぎだ。若いのに考えて判断できる歳ではないのに。 行動をした後に考えるべきだ」とも言われた。なるほど一理がある。 高木の言うとおり「なすがまま、その場におぼれること」も重要だ。
ー卒論について 11月になって、風邪をひいたり、ハイキングとか試験で全く進まなかった。 他のゼミの同期が卒論に対して全く進んでないことを言い訳にしている。 それを言い訳にして遊びすぎである。他の人に流されるとは。
寮生とアマリにも付き合いすぎる。 一人の時間を見つけなくてはならない。 彼らと群れることで自己逃避をしているのか。 独りの中心点の神秘な部分を大事にしなくては。
卒論は12月10日まで、下書きを書き終えること。 せっかく新潟の六日町の雲頓庵に2週間も篭ったのだから。 11月28日、12月2日、5日が中間試験だ。 そして6日がゼミと続く。 この間が卒論の勉強は無理である。 いや両立をさせなくてならない。 ゼミと人事管理は27日と28日までに。 26日には「価格理論」を。 ということは明日しかないということだ。 そうすると明日の予定は中止か。 約束はしているが、可能な限りやらなくては。
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2004年11月23日(火)
昨夜は、兄夫婦に誘われて、ボジョレー・ヌーボを家内共々飲みにいった。 兄の友人が金欠病でドロップ・アウトの代理に誘われたのだ。 盆と正月以外、あまり飲む機会がないので丁度よい機会であった。 しかし空きっ腹のためか、かなり泥酔をした。 いつものことだが。
ワインといえば、海外旅行の機内で無料の極上のワインが飲み放題。 そのためワインにはうるさい? 月に3〜4回、自宅の至近距離のイタ飯チェーン店の『サエゼリア』のワインを 飲んでいる。これが安い割りは美味しい。 さらに2Lのワインのパックを今年になってから冷蔵庫に入れてある。 月に一本の割合だが。
世界各国のワインを飲んでみたが、 ワインといえばオーストリアである。 十一月十日は、ウィーンで最も“古い酒”を飲む日である。 ボジョレー・ヌーボは新酒だが、ウィーンは古酒だ。 その古酒とは、前年の秋に収穫されたブドウで造ったワインをいう。 翌日の十一日からは新たに収穫されたブドウで造ったワインが出回る。 この新酒のことを「ホイリゲ」といい、 こうしたワインを出す居酒屋も同じ名で 『ホイレゲ』と呼んでいる。
「ホイリゲ」の歴史は結構古い。一七八四年、皇帝ヨーゼフ二世がウィーンの ワイン農家に「年間三百日を限度として、自家製ワインを売ってもよろしい」 というお触れを出したのが始まりとされる。 毎年、十一月十一日の聖マルティン祭の日に樽(たる)を開封し、向こう一年間、 その年のホイリゲとして飲む習慣だ。
ベートーベンが長く住み、交響曲「田園」などを書いたウィーン郊外に、 ホイリゲは点在する。 店で「ホイリゲ」を注文すると、たいていビールジョッキを小さくしたような コップに入った白ワインが出てくる。 味は酸味が強く、こくはない。 しかし、サラミやハム、ウィーン風カツレツなどをつまみに飲むとうまい。 炭酸水で割る飲み方もあるようだが、これはあまり美味くない。
八割以上のホイリゲが家族だけで経営している。 すべて自家製ワインだから、各店とも独自の味を持っている。 店ごとの、ワインの味比べもホイリゲの楽しみの一つだ。 そこで弾き語りの歌を聞きながらワインを飲むのだ。
そういえば、、学生時代に友人数人と『ホイレゲ』に行ったことを思い出した。 それまで、ワインといえば「ポートワイン」しか飲んだ経験が無かったため、 その美味しさに、グラスで7〜8杯も飲んで全員腰が立たなくなり、 タクシーに這うようにして乗って帰ってきた。 さらに、部屋で買ってきたボトルを飲んで目茶苦茶。 今考えてみると酒癖が悪くなった原点が、そこにあったようだ。
この8月末にも行ったが、当時と殆ど変ってなかった。 弾き語りが何ともいえない雰囲気をかもしだしていた。
話は変わるが、ブランデーのできた由来が面白い。 輸出用に一度水分を抜いて、濃度を高めて輸出していた。 ところが、それをそのまま飲むのが流行ってブランデーという 飲み物ができたという。
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2003年11月23日(日) 963, 「コーリング」ー映画日記
レンタルショップから借りてきたDVDの映画をさっそく観た。 ケビンコスナー主演である。 後にインターネットで調べた内容をコピーしておきます。
まずは私の印象を書いてみる。
ー感想記 キュープラー・ロスの「死の瞬間」の内容がベースにある。 臨死体験をした子供を通して事故で死んだ妻からメッセージが送ってくる。 といって最後の最後まで、そのメッセージが何であるかが隠されている。 そしてそのメッセージの内容とは。 その思いもかけない結末が、それまでの暗い不可解なストーリーが全て 「最後の感動の仕掛け」であったことに初めて気づくのだ。
妻は、ある未開の地で事故で死ぬ時に自分の死の換わりに子供を 生み残していた。それを知らせようと医師である夫の主人公に、 病院の臨死体験をした子供を通してメッセージを与えていたのだった。 最後の最後の一瞬まで、そのメッセージが観客には解らないようにしてある。 「自分の子供が未開の土地の部落にいる事実」を夫に知らせたかったのだ。
今回初めて解ったことだが、「虹」が死者のメッセーの一つであることだ。 私の場合、親戚の人の死で「虹」に多く出会う。 不思議と思っていたが、やはり何かあるようだ。 ー義父の死、叔父、叔母、など7~8回は虹に出会っている。 ・・・・・・・
ー以下はインターネットで調べたものであるー ーストーリーは 最愛の妻エミリーを事故で亡くし、悲しみに打ちひしがれる主人公の身の回りで 起こる不可思議な出来事。 それは彼女が生きていれば絶対に起こらないはずの奇妙なことばかり。 なぜだかはわからない、しかし、現実に起こる現象の数々に畏れながらも、 やがて主人公は思い始める。もしかしたら何か伝えたいことがあるエミリーが、 様々な出来事を通じて自分に呼びかけているのではないか、と。
何かが起こるたびに、ジョーはそこから“何か”を読み取ろうと必死になるが、 その行動は周囲の人間にとっては、到底、理解に苦しむものでしかなかった。 孤独と不安を噛みしめながら、その答えを見つけるため、ジョーはひとり 新たな旅へ出る。エミリーへの一途な想いだけを頼りに…だが、その想いはやがて 彼の運命を大きく変えるのだった。
この世では理屈では説明がつかない、不思議なことが起こる。自分を辿る旅で このことに直面したジョーは、どんなに苦難を強いられようとも、自身に課した 想いをひたすら守り続ける。真心とも言える、その意思の力、すなわち<意志力>が 最後には信じがたい力を蓄え、やがて運命すらも変えていくさまをこの映画は 描いている。
危険を顧みず、純情を一途に貫く男、主人公の医師ジョー・ダロウ役の ケビン・コスナーが素晴らしい演技を見せる。 その演技は『フィールド・オブ・ドリームス』でのシューレス・ジョーに熱中する あまり、アイオワ州のトウモロコシ畑を野球場に変えてしまう情熱的なレイ・キンセラを 彷彿とさせ、さらに円熟味の増した大人の魅力で観る者の心を深く打つ。 また、死んでもなおジョーに愛され続ける妻エミリーには『ランダム・ハーツ』 のスザンナ・トンプソン、媒介を通じてエミリーがメッセージを送っているとの考えを ジョーに確信させるシスター・マデリンには個性派女優リンダ・ハント、 ジョー夫婦を暖かく、時には厳しく見守る隣人ミリアムにはアカデミー賞女優 キャシー・ベイツが扮し、物語に厚みを加えている。
監督はこの作品には特別な思い入れがあると語るトム・シャドヤック (『パッチ・アダムス』)。壮大なスピリチュアル・ワールドを舞台に、 感動的な人間ドラマを情緒豊かに描き切っている。『コーリング』は観る者を 神秘の世界へと誘うばかりか、一度は潰えてしまったあのときの想いをふたたび 胸に甦らせる―。「もう一度信じてみよう」そんな気持ちにさせてくれる。
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589, 癒しについて - 2002年11月23日(土)
癒しはヒーリングの訳語だ。 ヒーリングの意味は「本来備わっている自然治癒を引き出す事」 をいう。そうすると癒しの意味はそれを妨げているものを 取り除く事になる。
人間の中の元々ある力を導きだす事だ。 気安く癒しを求める事がおかしいといえばおかいし。 安易に傷を治したいというからだ。
甘い生き方を更に甘さで埋めようということでしかない。 垂直に自分を突きつめないでー軽く傷を治そうというのが みえみえだ。
更にゴッドマザーやゴッドファザーが出てきて治そうとする から傷が深くなるのだ。
このホームページに癒しのコーナーがあるのはいかなる事か? 笑って時間をやり過ごす為だー 傷ついた時や疲れたときの居酒屋の自分のコーナーのつもりだ。
生きていれば傷つくのは仕方がないことだ。 消毒をしっかりしてバイキンよけの薬を塗って時間を待つしかない。
感謝が足りないのが傷口を大きくしている。 縦の自分の関係が浅くなっているから、横の関係に惑わされるのだ。 垂直に自分を掘り下げるチャンスにすればよい。
深いところで変わらなくては、傷が治るわけがない。
・・・・・・・・・ ある時間の断片 1968年 11月23日(土曜日) 10時起床。洗面後、OB会に行く準備をする。 駒村のところに「多恵ちゃん」と、飯野さんが来ている。 佐藤のことだが、何か割りきりがつかない。 先日の件で陰険な抵抗にあっているようだ。 飯野さんは別に約束を破った私が悪いが、まあいいか。 佐藤とはこれで完全に気持が離れてしまったようだ。
ゼミのOB会の出席のため、高輪ホテルにいく。 14時半に始まる。 17時半に終了。 空腹に油系を食べたためか、気分が悪くなる。 先輩は組織人という感じで、魅力のある個性的な人はいない、 仕方がないが。 その後、高輪プリンスに行き、コーヒを飲んでくつろぐ。
そこで、ゼミの同期で親しかった石川がしつこくからんでくる。 最近無視をしていることに対する怒りだろう。 いま石川と妥協したら、お互いマイナスだ。 腹を立てないことだ。
その後、高木と三年生の三人と5人で、武蔵小山の 「なつめ」というスナックに飲みに行く。 そのママさんが面白い。 千田敏さんという名のホステスもなかなか面白い。 非常に面白い時間を過ごす。 ホステスどうしの争いの大変に見えた。
0時過ぎに店を出る。 1時に帰寮、2時に就寝。 いろいろあった一日であった。
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2004年11月22日(月)
「教養とは自由になるためのアーツ(芸術・芸)」と、 昨日の読書日記で書いた。 そういえば「自由」について以前書いたことがあった。 (後に、コピー)
そこでは、自由について ・積極的な自由とは、自分の真にしたいことを見つけて追求すること、 ・消極的な自由とは、束縛されていることから解放されること、 の二つに分類した。
教養とは、真に自分がやりたいことを見つけ実施していくための、 蓄積しておく知識、経験を芸にまで高めておく、ということになる。 また自己を束縛していることから、いかに解放するかのアーツ(芸術)といえる。 「話が通じない時、情報を遮断しているもの」を養老孟司が、 「バカの壁」と名づけたが、情報を遮断している小さな固定観念を一つずつ クリアーしていくことが、経験を芸に昇華していくことになる。 自由とは、選択の自由である。 多くの選択肢の中から、一つの選択をしなくてはならない。 これは非常に難しいことである。
そこには決定という自己責任と結果が生まれてきて、その不安に常に付きまとわれる。 そこに哲学が必要になってくる。
教養としての哲学は、取り囲んでいる壁に対して自覚することから始り、 その壁を土台にすること、そして乗り越えるのに必要になる。
話は少し変わるが、 「英語をマスターすることも教養のうちか?」と、問われれば勿論 教養のうちだ。 英語を話せる分、読める分、それだけ自由の枠が広がる。 特に英語は、現在世界の標準語になっているから。
ーーーーーーーー 2004/05/17 1140, 自由についてー1
学生時代より『自由とは何』を考えてきた。 そして自分の自由を優先して生きてきた? しかし、よく考えてみたら、自由は自分のしたいことをみつけ、それを追及すること であった。自らの自己実現に対して忠実に生きることであった。 字のとおり「自らに由り、生きること」である。 そして自由な生き方ー周囲の因縁や世間といわれている束縛から解放されている 状態を理想としてきた。
調べてみると、自由には多くの意味やとらえ方があるようだ。 手の自由といっても、しょせんは人間の体の一部としての腕の範囲内の自由でしかない。 といって使い方は自由である。
また自由には、当然の責任がともなってくる。
アイザリア・バーリンは自由を「消極的自由」と「積極的自由」の2つに分類した。 ー「消極的自由」とは「他者からの強制・干渉を受けずに自分のしたいことができるという 意味での自由」であり、 ー「積極的自由は自己が自己を支配している状態」と捉えられる。 例えばカントは、恣意に従うのではなく「理性」に従う状態が自由であると主張している。 また、ハンナ・アレントは政治活動を通じての自己実現こそを自由の本質と看做している。 これは「より高次の自己」を獲得するための手段・条件として捉えられることになる。 このような積極的自由は「個人主義的積極的自由」ととらえられる。
キリスト教世界においては、人間存在の根源的価値を「自由」としている。 ルソーは、その著書「社会契約論」で「人間は自由なものとして生まれた」と述べたが、 「全ての人間が社会において等しく自由である」という事は絶対に不可能である。 かつてホッブズは、各自が己の自由を守る為には「万人の万人に対する闘争」に陥る。と 指摘した。 キリスト教世界において、人間が自由であり続ける為には、戦い続けなければならない。 「自由」という言葉には、英語では2つの単語が存在します。 「Liberty」と 「Freedom」である。 「Liberty」とは「束縛からの自由」を意味し、束縛から逃れる為には、 戦わなくてはならない。 一方、「Freedom」は束縛から解放された結果もたらされた自由であり、 「自由な状態」を指します。そして自由な状態が脅かされる時には、やはり戦わなくては ならない。
哲学者のホッパーは自由を 文化的粉飾から自由になることが大事だとしている。 日本的にいえば、世間の常識に縛られないということだ。
日本は自由という言葉は明治初期まで無かったという。 欧州から入ってきた「Liberty」と「Freedom」を 西周が「自由」と訳した。 それまでの封建社会では自由の意味もまったく無かったのだ。
鈴木大拙は自由に相当する言葉を自然(じねん)と看破した。 自らを然らしむ、自由自在に自分を伸ばす、自分で自分の納得する境地を拓く、 という内容である。
この「自然」の然は、もとは「燃」という説もある。 「人間は燃えているときに仏性をもつ。醒めた人間は悪魔だ」という。 「自由とは道理」という解釈も面白く納得できる。 自由ー自然ー道理と考えると、なるほど納得できる。
「家内の束縛から自由になりたい」と思ったら、 「家内の束縛から自然になりたい」ということになる。 束縛を束縛ではなく、それが自然と考えればよいのか? 束縛に対し、自らを納得させるということになる。 束縛が道理であると諦めるということと考えると、解るような気がする。 まあ、あまりに日本的だが。
「不自由を恐れるなかれ、無意味な自由を恐れよ」 と、この文章を書いていて思いついたが、そのとおりだ! 逆もいえる 「自由を恐れるなかれ、無意味な不自由を恐れよ」 の方が、理にかなっているか。 ーーーーー 2004/05/19 1142, 自由について −2
「自由ほど不自由」ということを感じたことを誰もが経験していると思うが? これは「自由な自己決定」を迫られる「不自由」ということにある。
自由とは主体的であるということだが、その主体ということが怪しいのだ。 主体的と思いこんでいるだけでしかないことに気がついてないのだ。 その主体も外的要素によって規制されているから矛盾が出てくる。
目の前の「自由」が、ちゃんと何かによって規制されていることを嫌というほど、 思い知らされていることを。
人生経験の中で主体と思ってきたことも、所詮は限定された世界の泳がされてきた 小さな池の魚でしかなかったことを。
主体を「気短」という説がある。 なるほど、面白いドキッとする内容である。 主体的ということは、気短で、その結果として目先の判断で動いているだけという。 なるほど、そうかもしれないところが、身に沁みる。 自由から、何で気短に行きつくのが不思議であるが。
現在の社会の様々な問題の根底の部分に、 「自立した自己」や「自由な主体」などの、幻想が潜んでいるのではないだろうか。 「ゆとり教育」とかいうものが、幻想でしかないことを国は気がつき始めた。 国民レベルは、それが幻想ということを初めから知っていたが。
自由は戦いとるもの、積極的な自己目的を追求する姿勢の中にこそある。 「不自由論」という本がある。 曖昧な自由論を批判している内容である。
風刺漫画を思い出した。 「夫婦が、お互いの首についた紐を握りしめ溜息をついている絵」である。 何とも不自由そうであった。
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【-自由について-】
・あまり安価で手に入れたものは軽く扱われる。 自由のように神々しいものが高価でなかったら、実におかしいではないか。 −ペイン
・人間の自由を奪ったものは、暴君でも悪法でもなく、社会の習慣である。 −J・S・ミル
・痩せた自由は肥えた奴隷にまさる。 −イギリスのことわざ
・自由は外的な事実の中にあるものではない。それは人間のうちにあるのであって、 自由であろうと欲するものが自由なのである。 −エルンスト
・自分自身を支配できないものは自由ではない。 −マッティアス=クラウディス
・自由に気がついていないときこそ、人間は一番自由なのだ。 −ローレンス
・自由は責任を意味する。だから、たいていの人間は自由を恐れる。 −バーナード・ショウ
・人間が自由であり得るためには、神があってはならない。 ーシェリング
・自由であるとは、自由であるべく呪われていることである。 ーサルトル
・真に重大な自由はただ一つです。それは経済的な自由なのです。 −モーム
・我に自由を与えよ。そうでなければ死を与えよ。 −パトリック・ヘンリー
・自由は新たな宗教であり、われらの時代の宗教である。 −ハイネ
・ビロードのクッションの上に大勢で座らされるよりも、 カボチャの上に座って、カボチャを自分で占領した方がいい。 −ヘンリー・ダビット・ソロー
・自由を愛することは他人を愛することだ。力を愛することは自分を愛することだ。 ーハズリット
・おお自由よ!汝の名においていかに多くの犯罪がなされたことか。 −マダム・ジャンヌ・ローラン
・人は自由を得たのち、いくらかの歳月を経過しなければ自由を用いる方法がわからない。 ーマコーレイ
・世界史とは、自由の意識の進歩以外のなにものでもない。 −ヘーゲル
・自分の好きなように生きている人間は自由である。 ーエピクティタス
・個人の自由も次の点では制限されなければならない。 すなわち、他の人達に迷惑をかけてはならない。 −J・S・ミル
・アダムはリンゴが欲しかったから食べたのではない。禁じられていたから食べたのだ。 −マーク・トゥエイン ・・・・・・・ ・・・・・・・ 2003年11月22日(土) 962, 「わ、金持ち!」
‘不景気になるわけである。’ 今日からの3連休の時間つぶしの為に?昨日レンタルDVDショップにいって 映画と異種格闘技の試合などを3本、借りてきた。 その時、前の中年の男の人が10本も借りて2500円の支払いをしていた。 今までみているのはセイゼイ3〜4本である。 この話を家内にしたら「わ、金持ち!」であった。 ご飯を食べていて、思わずムセテしまった。
「普段時間の無い人が、この連休に思いきって映画三昧を決め込もうという姿」 を家内に言ったのだが。主婦の視点は全く違うのだ。 しかし、ただ驚いてしまった。 映画館で観れば一本2000円近くとられるが、自宅で見れば10分の1で済む。 そう考えれば十本は贅沢なのかもしれない。 家内曰く「もともとWOWOWなどで見れる映画を、レンタルでDVDも10本も 借りるのは信じられない」という意味で言ったと。 私にしてみれば「居酒屋などの酒代から見れば、数倍も価値がある」 と思うのは当然である。
こういう時代は、異種の対象との価値が比べられる。 「レンタルDVDや映画館と居酒屋」 「100円ショップとラーメン」 「車とPDP.TV」 「本とDVD」 「旅行と豪華な食事」 等々である。 比較される方にとっては大変な時代である。
スナックのつまらない店より、レンタルのDVD10数本の方が ズット面白いに決まっている。
・・・・・ ・・・・・
588, 服装は着る言葉です - 2002年11月22日(金)
本屋をのぞいていたら[[服装は着る言葉です」とある服装評論家 の文章が印象深かった。そこに更に他の評論家が 「似合うということと、高い、新しい、華やか、流行とは無関係です」 と書いてあった。 「どう着るかは人生をどう生きるかの自己表示である」 というと、少しオーバーになる。
服と服装は違うという。 服はあくまでパーツである。その組み合わせが服装という。 それもTPOSの場に合わせるので 自己表示そのものといってオーバーではない。 ファッション店はそうすると情報産業そのものになる。 「こういう組み合わせやパーツありますよ。 うちの店のこれで自分を表現したらどうですか」という情報業だ。
真っ赤な胸の開いた服ならさしずめ 「私はさかりがついているメス」と自己表示している? あのメスサルの尻の赤い状態である?
若いうちから服装にもっと気を使うべきだ。 中年のきんきらのオバサンを見ていると、この人は若い時に そういう気を使ってないことの自己証明である。
大学に入った時に一番ショックだったのが服装であった。 都会育ちの友人のセンスのよさにコンプレックスを持った。 一枚の開襟のシャツを何気なく着ているが、センスが違うのだ。
中学や高校時は制服でカジュアルを着るチャンスは全くなし。 急に華やかな世界に投げ込まれても、即席で身に付くものではない。 言葉と服装に本当に苦労するのが当時の地方出の悩みであった。 今はTVやマスコミで均質化されているが。
その為に、鈴屋や鈴丹という地方出の為の女性のファッションチェーン店 があった。今は鈴屋は潰れ、鈴丹は消滅直前だ。
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[235] 糸井重里のインタネット的 - 2001年11月22日(木)
彼の著書の「インターネット的」が面白かった。 買おうとしていたところ、たまたま図書館にあったのを 借りてきて読んだ。買うほどでないが読む価値が充分あった。
まとめてみると、 インターネットのキーワードが4つあるという 1、[リンク]ージョイント的のつながりとは違うという。 ジョイントは‘問いに対する答え’のように交互の繋がりをいうが、 リンクは問いに対していろいろな答えがある、それを有機的に つながっていくことが可能なのがリンクという。 それぞれのホームページのお気に入りのコナーから、 新しいページに行き、 そこからまた新しいページにリンクしていける。 これがまず一番の特性。 2、[シエア]ーおすそ分け、情報の無条件の提供である。 そうでなくては誰も見てくれない。自分の利益を考えることは大事だが、 それを無条件に公開して与える。 3、[フラット]ーたいらー公平無名性に情報をやりとりすることが大事で、 そこには肩書きも、立場も意味がなさない。 4、[グローバル]ー民族や国の枠を超える、世界的な視点になってくる。
リンク、シェア、フラット、グローバルの4っがキーワードだ。
自分でこういうホームページをつくって、何のためと自分で自問自答する ことがある。自分の経験・体験・知識・考えを知らせる事と、 問い掛けることである。 ーー
毎日目に見えない何人に向って,語りかけを実際しているように書く。 それには虚飾をすて本音で書かないと、すぐ看る方も書くほうも飽きてしまう。 本音で書き続けると、本音の中にある虚飾に気づくことがある。
今までの日記(ノートに書いていた日記)より、深くなっていく部分と、 やはり観られている為に本音をカモフラージュしている部分が出てくる。
また内容のイイカゲンさは排除しなくてはならない。 その為集中を自分に課せることが必要になる、これが最大の収穫だ。
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ある時間の断片 11月22日(金) 1968年
・8時起床 今日は人事管理に出席。 ゼミの同期の外山君と食事。 彼は新潟の三条市の同郷だ。おとなしく誠実な男だ。 彼と行きつけの喫茶店の‘ウイーン’に行く。 田島のグループがいる。 彼らと口泡を飛ばして話し合う。 奥野君も来る、彼は先日突然部屋に訪ねてきた男だ。
・13時にゼミに参加。 ゼミの先輩で社会人になっている人が二人がきて、社会人になった 実感を語る。 その後マクレガー「企業の人間的側面」という本の内容について、 読後感を各自発表する。 15時に終了。その後、16時まで明日のゼミのOB会のネームのバッジつくりをする。 ・帰寮後、大妻大の宮本さんから電話で昨日の件で 1人いい人を紹介するという。かなりの美人だとか。 冗談だったのに、まあいいや、なるようになるだろう。 ・その後、市川さんと飲みにいく。 夜半の2時に就寝する。
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| 1328, 「哲学者たちは何を知りたかったの?」−1 |
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2004年11月21日(日)
読書日記 ー教養は何故必要か?−
ふと本屋で立ち読みをしていたら、 ー教養とは自由になるために必要なアーツー という文章にいきあたった。。 早速買ってきて読んだが、なかなか読み応えのする本であった。 特に教養に対して、ズバリその本質をついている。
ー「日本で教養というと、大学の教養課程やその延長線上で身につけるものと
受けとめられがちだが、本来教養とは、人間が自由(リベラル)になるために
必要な(アーツ)だったのです。ですから、教養としての哲学、教養を持てば、
それがガイドやパイロット、あるいは乗り物となっているので、
脳空間の中を自由に飛躍でき、さまざまな世界をのぞき見ることが可能になる。
人間は、神のもとから自由な空間に解放され、そのために多くの不安や悩みを
もつようになりましたが、教養としの哲学を持つことで人間として生きていくことの
素晴らしさを味あうことができ、それがまた、不安や悩みの解消につながり、
「幸せ」を招来してくれることも確かです。ーー −以上だが、なるほどそのとおりである。
生まれでたと同時に、多くの刷り込みが行なわれるが、 教養とは、それを乗りこえる為のパーツの総量ともいえる。
教養といえば、字のとおり「教え養われたもの」であるが、 それでは、「それが何のため?」といわれると、言葉に窮してしまう。
一流の職人が 「おれ中学しか出てないけど、大学を出ているのと、あまり変わらないと思うんだが?」 という素朴な言葉の中に、多くの問いかけと答えが含まれている。
現象が全てなのだから、それはそれで仕方がない。 彼は言葉の中に含まれる意味の世界とは全く無縁であるから、 目の見えない人に視覚が解らないのと同じことである。
しかし、その分他の感覚が研ぎ澄まされるようになったから、 一流になれたのだ。
宇宙から見れば人間の存在などチリ以下、いや地球の存在自体チリ以下で あることを考えれば、その知識の差、教養の差など些細なことでしかない。
しかし、せっかくこの世に生を受けたからは、この宇宙のこと、地球のこと、 自然のこと、人間のことなど、可能な限り知り体験することは大事なことだ。
人間という拘束された存在を自覚して、少なくとも刷り込みの拘束から 自由になることが最も重要である。
私が最も嫌っている、「教養のないオバちゃん」「小狐のような男」とは、 現象が全てと信じて疑わない世間という世界の住人をいう。 束縛されている自分に全く気が付いてない存在である。
人間である限り全ての人に、その要素が殆どを占めている。 それを、最小にしていくのが人間の一生の課題といってよい。
読み応えのある本であるが、この随想日記でシリーズで 哲学について書いたベースがあったので、興味を持って読むことが出来た。 しかし、刺激的な内容でもある。 「飛岡健が哲学を書くと、こういう風なのか」という視点を持てるのも、 そのベースがあったためである。
教養は、積極的自由を得んがための知識の総量ということか!
ーーーーーーー 「哲学者たちは何を知りたかったの?」 ―はたして、彼らは“答え”を見つけられたのか… 河出書房新社 (2004-11-05出版)
・飛岡 健【著】
ソクラテス、プラトン、カント、ニーチェ…。 “哲学者”とよばれる彼らは、つまるところ何に悩み、どう解決したのか? その思索からいまを生きる我々が学ぶべきものとは? 「人と世の中の見え方」が一変するやさしくて刺激的な“知”の実践本。 プロローグ 「哲学者」って誰のこと、そもそも「哲学」ってなに? 1章 「幸福」はどこにあるか哲学者たちは考えた 2章 「愛」と「性」の本質について哲学者たちは考えた 3章 「神」は人を救えるか哲学者たちは考えた 4章 なにが「善」で、どれが「悪」か哲学者たちは考えた 5章 「死」と「生」の意味を哲学者たちは考えた 6章 「自由」と「社会」の関係を哲学者たちは考えた 7章 「真理」は発見できるか哲学者たちは考えた エピローグ 未来図を描くうえで哲学は欠かせない
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2003年11月21日(金) 961, 「いらっしゃませ〜!ぽんぽこぽん〜」
昼は、毎日のように新潟の郊外に色いろなレストランやファーストフードに 通っている。昨日はイタリヤン・レストラン、今日はお好み焼屋、その前は 讃岐うどん屋、180円ラーメン屋などなど。 ダウンタウンの昔ながらの古い商売を、郊外型のレストラン方式にするのが 流れのようである。 その中で一番驚いたのは、讃岐うどんのカフェテラス方式の業態だ。
今日、初めて郊外型の「お好み焼屋」に入って驚いてしまった。 入ったと同時に 『いらっしゃいませ〜!ぽんぽこ、ぽんぽこ、ぽんぽこぽん』である。 中年が入るには、お客としてはミスマッチの店である。 少し気が引けて?、入った瞬間、 『いらっしゃいませ!ぽんぽこぽん・・・』と、全員が山彦のように 繰りかえすのだ。 たったこれだけで、お客の心を掴んでしまうのだ。 特に子供の心を掴まえてしまうだろう。 こういうバカバカしい?のが大好きである。
キャラクターの漫画がタヌキで、メニューなどに書いてあった。 鉄板焼きということで『かちかち山のタヌキ』を連想させる為だろう。 居酒屋で注文をした時、『喜んで!』と言われたとき以来の新鮮さである。 何回か聞き慣れてしまえば、奇異でなくなってくるのが不思議だ。 お好み焼屋は開店をして、まだ一週間だった。
長岡の郊外で数店見かけたが、如何してこんな店が郊外に存在をしているか 不思議であった。しかし考えてみれば家族客にとって気楽に入れる店である。 12時過ぎであったが、私たちを除いて全員ヤングママで、満席であった。 昨日もイタメシ屋に入ったが、やはりヤングママで盛況であった。
・・・・・・ ・・・・・・
587, 方針について - 2002年11月21日(木)
ある経営セミナーでなるほどとイヤに納得をした事があった。 「経営方針とは何々をするというのではなく、何々は 絶対にしないという事である」
非常に解りやすいし、ずばり本質をついている。 枠をハッキリ明示して、エネルギーの分散を避けることだ。 何かをする為には何々を守るためには何々はやらないという事を 明示しておく事だ。
家訓などはそういえばそうだ。 住友の家訓は「浮利を追わず」がその典型だろう。
父は「無借金経営」であった。 家訓は ・請け判はするな ・実力以上のことをするな ・質実剛健ー贅沢するな ・肩書きを求めるな−ライオンズやノータリンクラブにはいるな! 2代目が家を潰してしまうのは、家訓をふみはずてしまう ケースが多い。家訓に縛られて何もしないのも問題だが。
老舗や名家は代々続いたその家訓が光り輝いている。
・・・・・・・・・・ [234] ゼネコンの世界-1 - 2001年11月21日(水)
26歳から増築2回も含め八回工事を経験したことになる。 その業界の深さ、得体の知れない不気味さを書いてみよう。
まずは「談合世界」が基本にある。それと業界の情報網がある。 国家が認める?犯?システムである。 こんな事を書いていいのか? もちろんよい。 誰も告発は出来ないからだ。
全員が解かっていながら薄ら笑いをしながら、集っているからだ。 イタリヤのマフィアの日本的国家版だからだ。
私ら素人?が如何あがいても、どうにもならない世界である。 新潟県のその大本は「大成建設」という話を聞いた事がある。 ヤクザの世界にそっくりだ、いやそのものだ。
普通の素人は、その世界に入ってきた子羊一匹といったところ。 その中で自分が出来る最大の抵抗を試みるだけだ。
考えてみれば、出来上がりの製品を買うわけでないし、設計事務所を 100パーセント信用してよいわけがない。 甘ければ甘いだけ商品の価値を下げた建物を造ってくる。
その噂を聞くと、色いろな因縁を作って業者が寄ってくる。 もし親戚とか同級生の業者を入れたとしたら、そこはノーチェックとなる。 それがあるから彼らは因縁があるほど有利になる。 もしそれが成立すれば‘いただき!’である。
そんな善意(利害をを目指した因縁)は金を屋上よりばら撒く以下だ。 その連中(騙す奴と騙される奴)がいるから、世の中が成り立っているのだ。 こんな事を書いているだけ、私が純粋か低脳だからだ。 暗黙知を形式知にかえるバラシを楽しんでいる。
建物を創るほうから見れば、命を懸けた塊だ! もちろんそれを受けるほうもそうだ。 だから談合もあるのだろう。 情報化で、このダニどもが、陽ー情報にあてられのたうちまわり始めてきた。
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ある時間の断片 −11月21日 1968年
11時過ぎ起床。 12時に登校、学食で食事後、 「価格理論」に出席をする。 16時から寮の駒村君のところで過ごす。 18時に、大妻女子大の宮本さんと、その友人が間中君のところに来る。 宮本さんに「誰か可愛い人を紹介してよ!」と冗談を言うと、 話がこじれてしまった。 二人を侮辱してしまったようだ。 二人は可愛くないといっているようなものだった。 後味が悪い事になってしまった。 どうも最近、無神経すぎる。 唯我独尊の自分が知らないうちに周囲を傷つけてしまう、困ったものだ。
ー2003年11月20日記 何かこういう文章を見ると、今と全く変っていない。 知らないうちに人を傷つけている。 全く、もう!と思う。 この性格はどうも昔から蒲鉾ー板についているーのようだ。
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2004年11月20日(土)
今回の損害は、おおよそ3兆円と発表された。 ・インフラー高速道路、山間部の斜面などで、一兆二千億 ・民間家屋、7000億 ・商工関係、3000億 ・他 8000億 という。 阪神大震災が兵庫県だけで9兆9000億というから、 およそ、その三分の一の損害規模になる。 阪神大震災が都市型であるのに対して、中越地震は山間型地震の典型だ。
損壊した家屋が4万8千戸。 そのうち全壊とほぼ全壊で2300戸という。 現時点で、解雇が50社で420人。
この地震での事業への影響は、目先プラスであるが、 当面の復興の為の応援が収まったときのことを考えると背筋が寒くなる。
長期的にみたら、この大震災は新潟県にとって大きなマイナスである。 目先の資金の確保は非常に楽になるが、消費マインドが冷え込む。
ことの深刻さは、日が経つにつれて深くなってくる。 本当の問題が出てくるのは、これからである。
ただ年内に新幹線が全面開通の見通しが経ったのが救いである。
・・・・・・・ ・・・・・・・
2003年11月20日(木) 960, バードウオッチングの面々−3
火の鳥ー小竹??
彼が一番長く続いた。 一年近くである。 ある突如の出来事でヤムナク中断してしまった。
彼はやはり解放という面で、生き生き楽しんで書いているのが内容から 窺い知ることができた。
字数の関係で、全ては「分類のコーナー」の方に掲載をしてある。 ・・・・・・・・・ 火の鳥ー小竹 2002/12/12
戦争映画に学ぶ ー火の鳥 先週戦争映画をまとめてみた。史上最大の作戦なんて古いのから比較的新しい プライベートライアンまで8本、いずれもハリウッドもの。 ドンパチとスリルと友情ってトコなのは、容易に想像のつくところですが、 よく観ると勧善懲悪、アメリカが善って、一本調子の、ばかりでないのである。 しかし今日はその事ではない。
潜水艦ものでケッコウ深く考えさせられてしまったのである。 いろいろ有って生き残ったのが、出来の悪い副艦長と必ずしも信頼を寄せて いない乗組員。次から次へと襲いかかる危機、瞬時に判断しなければ そこでオシマイの世界で、実に大胆な手を打って、事態を打開していくのである。 それまで出来が悪いと思われていた副艦長が。で、最後は信頼を勝ち得て ハッピーエンドのエンタテイメントである。 ではあったがその時なぜか、我と我が身に置き換えてしまったのだった。
責任回避はしてないか、状況打破の大胆な手を打っているか、などなどと、デアル。 単純と言えば、実に単純。で、言いたかったのは、思考回路を時には単純にしてみる のもいい、デアル。その為にはハズレは覚悟の上で、連続8本もの映画を見てみる。 デアル、ジャンジャン。 Date: 2002/12/12/Thu/18:37:30 [93]
辻井喬と田中康夫
ー火の鳥 辻井喬って、堤清二のペンネーム。田中康夫はご存知、作家で長野県知事ノ。 だからなんだと言うのかって事ですが、二人の小説を理解するには、 注のサポートなしで固有名詞を理解する程度の教養がいるって事。 実は辻井喬のエッセーを読んだのです。「深夜の読書」って言うのですが、 出てくる固有名詞を理解できない文章が実に多かったのです。 堤清二と辻井喬と同等の教養を持つにいたらなかった事は自明の事では有ります。
が、しかしです、それでいいってか・・・・。 それでいいわけないっしょ、注をつけなきゃ読めないエッセーってエッセーか、 なわけない。
一方の田中康夫はその対局に居て、これも下世話な固有名詞ながら普通の人が 体験する事は少ないであろう事がこれでもかと、ワカンナイ。 Date: 2002/12/03/Tue/18:56:10 [92]
2002/11/26 メルクマールとの二人旅 ー火の鳥 このコーナーを独占状態でノンビリと奥阿賀の旅の書き込み一人旅って思ってたら、 突如メルクマールが闖入してきた。 こうなりゃ作戦変えてバトルを挑むか、我が道を行くかって考えた。 相手は名うての書き手、仕込みの質量が桁違い、しかも可処分時間がまるで違って 勝負にならない。 次元を変えろって、考えさせられるって、快感ですって、変態かヨって。 で、結局我が道を行くしかないって事なんだけど、先週の書き込みに続いて 今週も火の鳥だってのは通じないので、一話完結にしなきゃなんないって、 日ごろの意識もそのように変える必要が有るって訳なんです。 Date: 2002/11/26/Tue/19:05:29 [85]
2002/11/18 山荘と温泉と少年達
火の鳥 10年ほどになるが、福島県境の山奥に民家を借用した。 そのままでは面白くないので、天井を落し、間仕切りは取り払い、床を木に張り替え、 囲炉裏を切った。改造費は、材料代のみ〆て20万円、こういう時友達は助かる、 何せ手間賃いらず、だからである。 マイカーで行く以外は、1日に3本のバスが足となる。朝と昼と晩の3本 、わかりやすい。 去年、至近距離に村営の温泉ができた。 温泉はありがたいが、やはり訪れる人も多く騒がしくなってしまったのには、 ちょっと困っている。 しかし、夕方になれば辺りは集落の人だけとなり、静けさが戻る。しかも、 それまで500円だった入館料も300円となり、私たちも地元民の仲間入りとなる。
テレビも電話もなく、携帯電話は圏外となるこのような所に、秋になると行きたいと 少年達はせがむ。肝試し、薪割にたき火、囲炉裏を囲んで弾む会話、トランプゲーム、 枕投げ、プロレスごっこ。小さい存在でいようと振る舞う、私以外に大人はおらず、 何をやってもよい。あるのは、すべて事故責任と言うルールのみ。
温泉に入る楽しみが増えたと言うのである14歳の少年達がである。
Date: 2002/11/18/Mon/19:12:47 [76]
2002/11/13 磐越西線
火の鳥 磐越西線は五泉駅を過ぎたあたりから奥阿賀の風情である。 14歳の少年4人とわたし、何時もは高速道路をすっ飛ばしての山行き。 なぜか電車とバスを乗り継いでの道行きとなった。 新潟駅を11時04分に出発、新津駅からが磐越西線となる。 少年達は、買い込んだ駄菓子を手にボックス席、わたしはスーパードライの ロング缶と一冊の本、少し離れて座った。 ところで新津駅の巨大さには少し驚いた。 荻川と新津の間に新しい駅が誕生していたが、構内の端っこと言う感じであった。 電車は阿賀野川に沿って進み、渓谷と紅葉を十分に楽しませて、だから津川駅までは、 あっという間であった。ここから更にバスに乗り換えて、福島県境を目指すのである。 何せ1日に3本しかないのである、バスが。
11月3日に雪合戦ができるほどの雪が降った のである。 Date: 2002/11/13/Wed/15:16:46 [75]
2002/11/01 騒々しいみらい ー火の鳥 10月は2週サボってしまいました。身辺いささか騒々しかったのです。 始まりは、佐渡のダイビングで呼吸するための道具を海底で見失うと言う アクシデントでした。あれでパニックになっていたら今ごろ49日の法要って とこでした。続くアクシデントは、J1昇格目前のアルビ負けないけど勝てない試合が 続いてフラストレーションが溜まりっぱなし。 極めつけは29日の引き分け試合、勝てば単独2位、だったのににセレッソと 連れションの引き分け、いつも温厚なアルビサポーターも、意地みせろの大合唱
ノー天気にもアルビだ、ダイビングだとすごしているうちに、 経営関係の人たち深刻です。追いつめられてバタバタと言う感じで、 倒産情報がメールを埋めています。ゴルフ場と不動産関係、銀行も完全に 見限ったようで、上場や第三セクターと言えども容赦してないようです。 次はどこでしょうか。 気を付けよう暗い夜道と銀行、なんてしゃれにもナンナイッテノ。
Date: 2002/11/01/Fri/19:30:51 [73]
2002/10/08 松本清張も昔は下手だった ー火の鳥 佐渡へスキューバダイビングに行ってきた。有名なコブダイに会いに。簡単ではない、 まるで宇宙飛行士のような装備をしての海底25メートル。空気を吸ったりは いたりするのをレギュレーターと言うが、そいつが海底でいきなり外れ、 見失うと言う事態。
今日はその話ではない。宿泊先で見つけた古い文庫本、佐渡なんとかと表紙に あったので手にとって観ると、松本清張の短編集。 昭和23年から27年にかけて書かれたもので、ほとんど時代小説、やはりと言うか、 らしさはあって推理する楽しさのあるエンタテイメントに仕上がってはいた。 しかし、しばらく読み進むと結末が分かってしまうし、定型的で終わり方が雑。 でも発見でした、松本清張にして、はじめはと言う事と、その後の力量との差異、 推理小説でなかったらと言う想像。 Date: 2002/10/08/Tue/18:27:37 [72]
2002/10/02
アルビのマーケティング成果 ー火の鳥 新潟スタジアム以前の観客数3千人、以後3万人。タダ券配りまくった成果ですが、 驚く事に有料入場者が2万人に上るとの事。平均入場料2千円とすると1試合の あがりは締めて4千万。主催20試合で8億円、キャラクターグッズが バカ売れ状態なので、合わせて10億円を超す。存続すら危ぶまれていたチーム、 企業なら倒産の瀬戸際からのV字回復と言ったところ。
手口はこうです、町内会単位で希望者を募る。何回か繰り返してリピーターの 数を確認し、次からその地域に招待券はこなくなる。基本は是、マ、商売の鉄則か。 モチロン、ホームで勝っている事とゲームそのものが面白く、スリリングだ からなのですが、かく言う、火の鳥の私もまんまとハメられた一人なのだ。 それにしても一人旅はつらいなー。 Date: 2002/10/02/Wed/18:08:17 [71]
2002/09/17 B`zとアルビの客層
ビーズって解かるかな、新潟スタジアムでコンサートやって芝生をめちゃめちゃに したヤツなんだ。アルビレックスフリークとしては許せないんで敵情視察、 B`zにハマッタ間抜け面、拝みに行ってきました。
一言で印象言うと、新興宗教の青年部の大会、のノリでした。 なにがって、盛り上げかたがサ、B`z登場前なんだけど盛り上がりかたの練習する のって新興宗教ッしょ。
で客層。平均年齢35歳ってトコ、ペアと男が多い。ジョギングしながらすれ 違う訳だけど、30才前後にいい女がいて思わず、もっこり。 男なら、矢沢ッしょ、ヤッパ。ペアのヤツらはコンサートで盛り上がって、 インサート。に決まってるのに、男同士でドーするって言うの。
アルビの方。試合が終わるや否や、すばやく消える招待券でタダの人。 いつまでも帰ろうとしないのが、サポーター席、立ちっぱなしで立て乗り しているお疲れの人。宴会場と思っているのか、クーラーボックスにやまもり ビールにお造り、おせんにキャラメル・・・・・の人。 このカオスぶりって健全ッしょ。
NHKがゴールデンタイムに放送するは、あの朝日新聞までが、連載コラムを 掲載するにいたったアルビ現象、さて、いかが相成りますか。 Date: 2002/09/17/Tue/19:16:56 [70]
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586, 不気味 - 2002年11月20日(水)
株が連日底割れをしている。 日経平均8千円割れも目前になってきた。
さらに悪いのは銀行株の連日の下げである。 UFJとみずほ銀行が50円額面で100円を割ってしまった。 UFJが年内、みずほが来年そうそう国家管理になるという噂も、 現実味をおびてきた。
昨日一日早く週刊朝日が手に入り、木村毅の銀行トップ批判の 記事を読んだ。 日本経済の実情は一般のマスコミが言っている以上に悲惨だ。
団塊年代の世代交代期と情報化による時代の変化が重なっている。 これが今の日本の悲劇的のところだ。 先日もその世代の宿泊客の自殺未遂が自社ホテルであった。
しかし不良会社の清算はしなくてはならない。 イラク戦争のドサクサでやってしまうのが政府の狙いだろう。 次の朝鮮戦争?が控えているから、やはり先倒しで?整理は しておいた方が良い。イヤやるべきだ!
装置産業の当事者として他人事ではない。 悲壮な話しだが暴風は覚悟はしなくてはならない。 今までが良い時代だったと割り切った方が良い。
実際のところ来年は想像するのも恐ろしい。 事業も社会情勢も。
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[233] イチロウ - 2001年11月20日(火)
「今の天才と言われる新人類は,皆コンピューター付きマシーンを使っている」 とメケメケの美輪?が言っていた。 バッテングマシーンに,何か工夫をしているのではないかとは思っていた。
それが昨日のBSNHKのイチロウ特集で、 その秘密の一部を知る事が出来た。それは何か! 「テニスボールを投げ込むマシーン」であった。 それで230�舛離謄縫好棔璽襪鯏蠅温�み、スピードに対し目を作ることと、 反射の訓練をしていたのだ。これが彼の秘密のかなり本質の部分と直感した。
スピードに目を慣らすのだ。実際に球がきた時に、 緩く見えるまで訓練するのである。そこに赤と黒で数字が書いてあった。 それが見えるまで訓練するのだろう。
バッテングと守備の捕球に対して、 球の見極めができるよう訓練をしていた。 子供の時から、そのマシーンを使っていたのではなかろうか。
脳と身体のサイボーグ化をしていたのだ。脳作業もしっかりしていた。 もちろんそれだけでは、あれだけのプレーはできない!その上に 努力を人一倍重ねたのだろう。努力は誰もできる、ようはその方法を 如何見つけるかだ。
イチロウは自分の練習を人に見られるのを極端に嫌っていた。他にも 彼なりの科学的方法を積み重ねていたのだろう。 3年前に森監督の講演を聞いた時、「イチロウは王・長島とは格違いの レベル」と言っていた。そのとうりになってきた。
・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・ ある時間の断片 ー1968年11月20日(水曜日)
11時過ぎ起床。 14時に市川さんがくる、休みのようだ。 彼は早稲田を卒業をして、この春より医薬品メーカーに勤めている。 MEという職種で、お医者さん病院まわりが仕事だという。 この8ヶ月でまるで人が変わってしまった。 お医者さんのオモリだそうだ。 勤めると彼のようになると思うと複雑な気持である。 すごく自分と性格が合うが、理工系で生真面目な人である。
その後、風呂に行き、Tvを見て食事をしたりしてすごす。 22時から夜半の2時まで卒論のまとめをする。
もう市川さんのように社会に出なくてはならないのだ。 最後の学生生活をもっと有意義に過ごさなくてはならない。 いい加減な生活だ。 あと4ヶ月でジャスコオカダヤに就職だ。 三重の四日市に行く事になるだろう。
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2004年11月19日(金)
今までいった旅行履歴である。 あらためて、よく行ったと自分でも感心する。
60歳まで50回という目標は無理であるが、 年二回のペースなら63歳に達成する。 この不況の中、年二回のペースを守れるかどうかだが?
70歳まで、年二回のペースを守ると65回になる。 このくらい行けば、心の大きな財産になり、 人生に対する悔いは残らないだろう。
ある地区に偏らないで、まんべんなく行っていた。 「オーストラリア、アメリカのグランドキャニオン、東欧、モンゴル インドネシアの辺りが空いている」が、 今のところあまり行きたいとも思わない。
「42」オーストリア ー2004・08 「41」アイスランド ー2003・10
「40」アラスカ 2003・07 「39」パタゴニア ー2002・12 「38」スイス 2002・07 「37」西アフリカーコート−ジボアール ・ガーナ・ベナン・トーゴ 2002・03 「36」ベトナム ー2001・11
「35」北欧ーロシア-スカンジナビァ 2001・06 「34」メキシコ 2001.01 「33]モッロコ ー2000.11 「32」パキスタン・中国 2000・06 「31」シリア・ヨルダン・レバノン 2000・04
「30」ノルウエー・トロムソ ー1999・12 「29」ケニア・ヌー ・08 「28」イスラエル ・04 「27」ネパール ・02 「26」北インド ー1998・10
「25」 北スペイン パンプローナ ・07 「24」タンザニア(ウンゴロウンゴロ・セレゲッテイ高原)ー1997・12 「23」 べネゼイラ・(ギアナ高地) ・08 「22」 ペルー・(マチュピチ・チチカカ湖) ー1996・06 「21」エジプト・トルコ(カルナック神殿・ ピラミット) ・02 「20] 南アフリカ(ビクトリアの滝・チョベ国立公園・喜望峰)ー1995・10 「19」ニュージーランド (クウィーンズタウン・ バンジージャンップ・ミルフォードサウン)・05 「18」ブラジル(リオのカーニバル・イグアスの滝) 「17」ケニヤ(ナクル湖・マサイマラ・アンボセリ ) ー1994・06 「16」ドイツ・パリ(ライン川下り・ロマンチック街道) ー1993・12
「15」フィジー(コマ島・ ) ー1992・11 −−− 「14」スペイン1周の旅 (アンダルシア・アルハンブラ宮殿・闘牛) ー1991・08 「13」カナダ・ロッキーの旅 ー会社 ・05 「12」香港クルージング ー1990・07 「11」アメリカ・ペガサス(ボストン・アトランタ) ・04 「10」スペイン・イタリア・パリ・ヘルシンキの旅 ー1989・12 「9」 中国(北京・けいりん・上海) ー1988.09 「8」アメリカ西海岸SC・ペガサス ・06 「7」カナダ・ナイアガラの旅 ー個人 ー1987・08 「6」香港の旅 ー1986・10 「5」ハワイの旅 ー1983・08 「4」ハワイの旅 ー1980・08 「3」ハワイの旅 ー1978・08 「2」アメリカ・商業界 ー1976・07 「1」欧州30日一周 ー1967・07
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ーー地域別分類ーー
『アメリカ大陸』
ー中南米 「18」ブラジル(リオのカーニバル・イグアスの滝) −1995・02 「22」ペルー・(マチュピチ・チチカカ湖) ー1996・06 「23」べネゼイラ・(ギアナ高地) ー1997・08 「34」メキシコ ー2001.01 「39」パタゴニア ー2002・12
ー北米 「2」アメリカ・商業界 ー1976・07 「7」カナダ・ナイアガラの旅 ー個人 ー1987・08 「8」アメリカ西海岸SC・ペガサス ー1987・06 「11」アメリカ・ペガサス(ボストン・アトランタ) −1989・04 「13」カナダ・ロッキーの旅 ー会社 −1990・05 「40」アラスカ ー2003・07
ーーーーー 『欧州』 ーーーーー 「1」欧州30日一周 ー1967・07 「10」スペイン・イタリア・パリ・ヘルシンキの旅 ー1989・12 「14」スペイン1周の旅 (アンダルシア・アルハンブラ宮殿・闘牛) ー1991・08 「16」ドイツ・パリ(ライン川下り・ロマンチック街道) ー1993・12 「25」北スペイン パンプローナ ー1998・07 「30」ノルウエー・トロムソ ー1999・12 「35」北欧ーロシア-スカンジナビァ ー2001・06 「38」スイス ー2002・07 「41」アイスランド ー2003・10 「42」オーストリア ー2004・08
ーーーーーーーーー 『アフリカ・中近東』 ーーーーーーーーー
ーアフリカ 「17」ケニヤ(ナクル湖・マサイマラ・アンボセリ ) ー1994・06 「20] 南アフリカ(ビクトリアの滝・チョベ国立公園・喜望峰)ー1995・10 「21」エジプト・トルコ(カルナック神殿・ ピラミット) −1996・02 「24」タンザニア(ウンゴロウンゴロ・セレゲッテイ高原) ー1997・12 「29」ケニア・ヌー −1999 ・08 「33]モッロコ ー2000.11 「37」西アフリカーコート−ジボアール ・ガーナ・ベナン・トーゴ ー2002・03 ー中近東 「31」シリア・ヨルダン・レバノン ー2000・04 「28」イスラエル ー1999・04
ーーーーーーーーー 『アジア・オセアニア』 ーーーーーーーーー ーアジア 「6」香港の旅 ー1986・10 「9」中国(北京・けいりん・上海) ー1988.09 「12」香港クルージング ー1990・07 「26」北インド ー1998・10 「27」ネパール ー1998・02 「32」パキスタン・中国 ー2000・06 「36」ベトナム ー2001・11
ーオセアニア 「3」ハワイの旅 ー1978・08 「4」ハワイの旅 ー1980・08 「5」ハワイの旅 ー1983・08 「15」フィジー(コマ島・ ) ー1992・11 「19」ニュージーランド(クウィーンズタウン・ バンジージャンップ・ミルフォードサウンド) −1995・05
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2003年11月19日(水) 959, バードウォッチングの面々−2
書くということに対して私もそうであったが、特殊な気持ちを持っている ような気がする。確かに筋道を通して理屈になっていなくてはならない。 しかし続けていて、あるところを過ぎると思ったことが、そのまま文章に なって出てくる。そしてそれが自分を解放ー開放することにもなる。 いずれにしても自分のホームページを持つことを勧めます。 今日は飯田さんに続いて、鷲頭さんの文章です。 本人も書いた内容を忘れていると思いますが、忘れていた自分の文と 会うということは何か不思議な感じがする。
ー明日からは一年前・二年前の同月同日の随想日記と同時に35年前の 日記をコピーします。 ーーーー ー金の鳥ー鷲頭勝吉 2002/02/22 「小泉内閣崩壊の予感」 ー金の鳥 田中外相更迭、鈴木議員の外務省に対する関与問題等の小泉首相の対処のしかたに 国民は納得せず、激怒している。NGO問題に鈴木議員の関与があったこと、 そして野上事務次官が嘘をついていることを先ず解決し、国民を納得させる べきであった。そのことが外務省改革の基本であり、小泉改革の入口でないかと思う。 小泉首相の言う改革は口先だけで、問題の本質が分かってない。 私も当初、小泉さんを支持し、必ずやってくれると期待してました。改革は進まず、 支持率の急落、国民の痛みのみを残して小泉内閣の崩壊、そんな予感をするのは 私だけでしょうか。どうか予感が外れますように。
・・・・・・・・ 2002/02/15 バレンタインに思う
ー金の鳥 E-Mail 昨日はバレンタインデーだった。毎年義理チョコ何個か届いたので、 昨日も期待するとはなしに気にしてた。しかし会社には一つもこなかった。 心の中に無意識のうちに期待感があったのも事実である。 ちょっぴりにがい思いの一日であった。 閑話休題、 今年のバレンタインは全国的にはどんな傾向なのだろうか、日本人は熱し安く、 冷め安い、年々かなり下火になってきていると感じるのは私だけなのだろうか?。 それとも不景気のせいか、チョコの売れ行きが気になるところです。 チョコは届かなくとも、心のこもったメッセージ、愛する友(人)におくりたい。
Date: 2002/02/15/Fri/21:23:34 [21] ・・・・・・・・・・
2002/02/08 ー処世訓について
金の鳥 E-Mail 随想日記325(いまによくなるさ)と324(中村天風)まったく同感です。 今の時代大変です。 そこで何年か前に日経の私の履歴書に、三菱商事の会長諸橋晋六氏が書いた 座右の銘を書いてみます。「不将不逆」荘子の言葉だそうです。 即ち、不将は過ぎ去ったことをいつまでもくよくよするな、不逆はありも しないことを取り越し苦労するなと言う意味です。当面する問題に適切に対処し、 あとは心にとどめない。いまによくなる、前向きな姿勢、これあるのみと思います。
Date: 2002/02/08/Fri/13:44:04 [15]
・・・・・・・・・・ 2002/02/04
ーまめまきに参加して
金の鳥 E-Mail 昨日宝徳神社のまめまきに行ってきました。裃つけて11時からの神事の後、 まめをまきました。不景気のせいか、天気のせいか大変な人出で立錐の余地も ないくらいでした。参加者全員の平安を祈るばかりです。 越後に待望の春、もうすぐです。 頑張りましょう。
Date: 2002/02/04/Mon/12:49:22 [11] ・・・・・・・・・・
2002/01/31
ーはじめまして
金の鳥 E-Mail 金の鳥を拝命しました。毎週の書き込みは、正直なところ大変な気がします。 大上段にかまえず、気楽、気長に、そして気ままにいきます。 自己紹介はせず、ミステリアスに神出鬼没にいきたいと思っております。
宜しくお願い申しあげます。 Date: 2002/01/31/Thu/11:19:01 [9]
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585, ある時間の断片ー12 - 2002年11月19日(火) 1968年 10月1日
9時半に起床、11時までボーと過ごす。 その後学校に行く。石川と入れ違いに兼子がくる。 一緒にコピーをとりに校外にでる。そこでフェステバルの行進にであう。 かれの食事に付き合うーそれまで私は終えていたが。 彼も自分に対して自信を持ち始めたようだ。
女性に対してかなり発展しているとか−同棲をしているとか。 彼とボーリング場に行くが満員で時間待ちということそのまま帰る。
帰寮後、風呂に行き試験勉強を1時間半する。 キックボクシングを見た後、石川へ電話のため電話ボックスにいく。 9時半より夜半の一時まで試験勉強。 精神がまだ甘いとつくづくおもう。 就寝。 ・・・・ 1968年 10月2日 10時起床、11時に学校に向かう。 食後図書館に行く。石川と隣り合わせで試験勉強をする。 途中に同級の雨宮がくる。彼と話をするが、外国に行きたいとのこと。 必死に将来を考えているようだ。兼子も来る。
図書館の私が座っている場所が溜まり場みたいになっている。 今日の試験はまるで簡単であった。 まじめにやりすぎたのが馬鹿みたいだった。
帰寮後、先輩の佐々木さんと高橋君と食事、その後後輩の 駒村君と米林君と話す。 駒村がのろける。自分がもてるのに驚いているという。
そういえば今日昼の12時半に深井と会う。 彼が今度の土曜日に聖心女子大の彼女等と会うという。 私も行くことになるが、その前に小作とどこか女性と遊びに行く予定 がドタキャンになる。 そう考えていると偶然の一致に彼と出会う。 面白いものだ。彼の誘いを断る。
・・・・・・・・・・ 「232」人生の三つの坂 2001/11/19
人生に三つの坂があるという、 一つは「上り坂」「下り坂」「まさか!」である。
この最後の「まさかこんなことが!」は誰でも起こるはずである。 問題は、その時の対処の仕方である。 どうそれを受け止め受容していくかが問題になる。
特に人生の後半には、遅かれ早かれ誰にも否応なく起こってくる。 という事は、これは[まさか]ではない必然ということか?
「上り坂」も「下り坂」も直接原因で生ずるケースが多いが、 「まさか」は間接原因のケースが多い。あるいは突発のケースだ。
悄然とそれを受け止めることは、ほぼ不可能だ。 少なくともそうなった時、今まで好きな事をやれたのが救いだ! という生き方が必要ではないか。
誰もが持っている心理として、自分だけは大丈夫という、 そして特別という甘さがある。 それがあるから生きられるのかもしれないが。
それが「まさか」という冷徹な事実に木っ端みじんに砕かれてしまう。 「まさか」の坂を一歩踏み違えると、 「まっさかさま」に転げ落ちる
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2004年11月18日(木)
以下は、10月末に一斉にマスコミに流された内容である。
「新種」のヒト化石を発見、 インドネシア東部フロレス島 2004.10.28 - CNN/REUTERS/AP
シドニー──現代人が分類されるヒト科ヒト属の新種とみられる化石が、 インドネシア東部のフロレス島で発見された。 身長1メートル弱の女性らしい化石で、少なくとも約1万8000年前まで 生存していたと見られる。オーストラリアとインドネシアの科学者が、 28日付の英科学誌ネイチャーに発表した。
フロレス島西部にあるリアン・ブア洞窟(どうくつ)から見つかったのは、 女性と見られるほぼ全身大の化石のほか、別個体7人分の骨や歯など。 頭蓋(ずがい)骨の大きさは現代人のものより小さく、 脳の大きさは約3分の1程度。 あごと歯が残っていた。発見場所にちなんで、 「ホモ・フロレシエンシス」と名付けられた。
化石の近くには石器のほか、コモドオオトカゲや、 今は絶滅した小型ゾウのステゴドン、鳥類、魚類の骨も見つかった。 これら骨の一部は炭化しており、ホモ・フロレシエンシスが調理した 可能性があるという。
ヒト科は約700万年前に、チンパンジーと共通の祖先から分かれたと 考えられている。 その後、約150万年前に、北京原人やジャワ原人などが含まれる ホモ・エレクトスが分岐した。 ホモ・フロレシエンシスは、このホモ・エレクトスの子孫だと見られている。
ホモ・エレクトスは進化に伴い、身長や脳容積が大型化したが、 今回見つかったホモ・フロレシエンシスは、いずれも小さい。 これは、外敵や食料が少ない孤島で進化したため、小型化したもとの考えられる。
ホモ・フロレシエンシスはこの地域に、約9万5000年前から 約1万2000年前まで生存したと考えられ、ヒトの祖先である ホモ・サピエンスと同時代を生きていたことになる。
研究者らは今後、この化石のDNAを調査し、 種族間の関係を調べたいとしている。 毎日新聞の社説に『小型のヒト』という題名で記事が出ていた。 最近、この発見のニュースを新聞で見ていたが「アジアのどこかで、 一�丹未両�型の人類が発見された」という位しか印象には残ってなかった。 それを解りやすく、面白く解説をしてあった。 数年前までは全くといってよいほど知られてなかった事実である。
ーーーーーー 記者の筆は一つの記事を元に、このような(後記)内容に 発展させて書く。 特に、 ー生物の小型化は孤立した島でしばしば起きる。 資源が少ないことが一因で、いわば「省エネ型」への進化だ。 生き延びたのが私たちではなく省エネ型人類だったら、 エネルギー問題や食糧難は生じていないかもしれない。 環境破壊の度合いも違ったのではないか。 彼らが現代まで生きながらえ、我々と遭遇したら、と想像するのも 興味深い。現代人の祖先は、数万年前に各地で原人を滅ぼして 今に至ったと考えられる。その「好戦性」が健在であることは 各地の紛争から明らかだ。ー のくだりの文章は、現在の人類・文明に対する批判にもなっている。
一つの発見から、考えを発展させる良い見本の文章である。
ーーーー
(毎日新聞 解説 2004年11月12日 0時27分 )
人類はどこからきてどこへ向かうのか 1万数千年前のアジアの島に、小型象や巨大トカゲとともに、 小さな人々が生きていた。 インドネシアのフロレス島で見つかった小型人類の骨は、人類進化の見方を 変える驚きの発見だ。
島の名前から「ホモ・フロレシエンシス」と名づけられたこの新種の人類は、 私たちと同じホモ属に分類される。 ところが、身長は約1メートル、頭蓋骨(ずがいこつ)はグレープフルーツ大で、 脳の容積は現代人の3分の1に満たない。 これまで想像だにしなかった小さな「親戚(しんせき)」だ。
しかも、この人々は約1万2000年前まで存在していたらしい。 人類史からみると「ついこの間」のことだ。現代人の祖先が地球上に登場したのは 約16万年前。両者が同時代を生きたかと思うとなんとも不思議な気がしてくる。
彼らはジャワ原人から進化したと考えられる。 であれば「ヒトは進化につれて体も脳も大型化した」との常識は覆る。 高度な石器を使い、小型象のステゴドンを狩っていたとみられることから、 小さな脳と「劣った能力」の関係も見直しを迫られる。
私たちは人類進化の唯一の帰結ではなく、偶然の産物だった。 ほかにも最近絶滅した人類がいるかもしれない。 そう気づくと世界の見え方は変わってくる。
生物の小型化は孤立した島でしばしば起きる。 資源が少ないことが一因で、いわば「省エネ型」への進化だ。 生き延びたのが私たちではなく省エネ型人類だったら、 エネルギー問題や食糧難は生じていないかもしれない。 環境破壊の度合いも違ったのではないか。
彼らが現代まで生きながらえ、我々と遭遇したら、と想像するのも興味深い。 現代人の祖先は、数万年前に各地で原人を滅ぼして今に至ったと考えられる。 その「好戦性」が健在であることは各地の紛争から明らかだ。 とはいえ、人類の仲間を安易に殺りくすることは現代人の理性や倫理に反する。
英国のドーキンスが提案した「利己的な遺伝子」の考えをあてはめれば、 体が大きく戦いに強いことは自分の遺伝子を増やすのに有利かもしれない。 一方で、ドーキンスは 「発達した脳を持つ人間は利己的遺伝子のたくらみに反逆できる」とも言う。 別種の人類と私たちは共存できるのか。
現代人も進化を止めているわけではない。 小型人類の発見で、人間も他の動物同様、環境に応じて変化していくことが 確かめられた。 数百万年後の人類は思いもよらない姿かもしれない。
生物的進化とは別のレベルの「進化」も進んでいる。 コンピューターを手に入れたことで人類は脳を拡張した。 インターネットや携帯電話は、人間の社会を根本から変えてしまった。 この早すぎる「進化」の行方はまだみえない。
人類はどこからきて、どこへ向かうのか。 小さいヒトをきっかけに考えたい。
・・・・・・・ ・・・・・・・ 2003年11月18日(火) 958, バードウォッチングの面々 −1
サンダバード ー飯田紀忠氏 以前このコーナーを書いてもらったが、書き続けることは難しい。 数回でダウンをしてしまった。 一週間のそれぞれの曜日に、知人に毎週書いてもらおうと依頼したが、 そのぼう大なエレルギーとプレッシャーの為か長続きはしなかった。 先日のホームページの変更でそのコーナーを消してしまった。 続けていれば面白くなったのにと、反面教師として学ばせてもらった。
その人の内面の特徴が、書き続けていると自然と醸し出ているのに。 書き続ければ、大上段の構えが自然体に変わっていくのに。 そして、それが面白くなっていくのに。 継続は力になってくるのに。
記念に保管していた「サンダバード ー飯田紀忠氏」の文章のコピーを 貼り付けてます。 その時の自分が、そのまま文章に込められている素晴らし内容を自分では気が ついてない。 継続は力だが、継続することが力になっていく。 継続するから「自ら」から『自分』になっていくのに。
明日は『鷲頭勝吉』さんです。
ーーーーー 2002/04/15
桃梨不言 下自成蹊 ーサンダバード
私の好きな言葉の一つである。 桃や梨の樹は何も云わないが、桃や梨の 樹の花や実を愛でてその樹の下には自ずから路ができる。 成蹊大学の名前の由来はここからきています。 日曜日、私は久しぶりに左近の土手(長岡の信濃川)を散歩しました。 辺り一面桃畑いまや盛と満開に咲ほこっています。 桜も良いですが私は陽気そのものの桃畑に本当の春を感じます。 土筆をとり家に帰って貰ったウド、木の芽と共に肴にし酒に桜の花弁を 浮かべ一人春の豊潤さをゴチていた春の宵でした。 Date: 2002/04/15/Mon/14:47:58 [42] ・・・・・・・・・・・・ 2002/04/08
中越地区の桜 ーサンダバード ご無沙汰しております。 土、日曜日と桜見物と洒落込み近くをハイカイしました。 その結果のベスト3を発表します。 1位 長岡工業高校の正門前の桜 樹の勢いが激しく夜見ると狂気の桜 2位 寺泊の相沢美術館の脇の桜 3本の桜であるが、黒い建物とマッチし空と 海を背景に癒し系のさくら 3位 福島江の川に流れ落そうな桜 長岡、分水、弥彦、寺泊、柏崎をハイカイしての独断と偏見の結果 しかしやはり桜は京都か 清水へ祇園をよぎる桜月夜 こよひ逢う人みなうつくしき 晶子 Date: 2002/04/08/Mon/14:44:02 [39] ・・・・・・・・ 2002/02/10
日本再生
サンダバード 金曜日までは春がきたような天候だったが真冬に逆もどり。 先週は悪い夢をみたが日本はそんなに弱くない。 世界最大の債権国であり貿易黒字も世界1位、外貨準備金も世界1位であり 1200兆円と云われる個人金融資産も世界1位、弱いのは1次産業と金融、 建設等政府に守られてきた産業だけである。 今や世界最大の社会主義国と云われている。 ナノテクをはじめ家電から派生してきているDVD、最近のTV、携帯電話等 日本は用途開発では世界1位である。 マスコミをはじめ将来を心配しすぎである。 成長率は分母が大きくなったんだから気にしないで小さな政府を確立することが 日本再生の道である。 日本人はまだ優秀である。
Date: 2002/02/10/Sun/13:43:48 [17]
・・・・・・・・ 2002/02/04
日本崩壊 ーサンダバード
PCがご機嫌ななめで書き込みが不可能でした。皆様もたまにはPCを掃除して あげましょう。 処で今の日本の財政状態をご存知でしょうか?1世帯当たりに 換算しますと、年収500万円で年間消費が680万でこの家庭の借金が6700万 だそうです。ある女性エコノミストが言ってました。先進17カ国の最低です。 どうやって建て直すのでしょうか? 簡単です。族議員と旧い体質の官僚をクビにすることです。これ以外ありません。 と日曜日うたた寝しながら夢をみていました。
Date: 2002/02/04/Mon/14:52:20 [12] ・・・・・・・・・
2002/01/25 和み ーサンダバード
日曜日担当ですが曜日に関係なくつれずれなるがままにかきこみます。 日曜日(20日)寺泊の相沢美術館にいってきました。 この日は前日と2日間冬には珍しく晴天でした。 この美術館にはオープン以来通っています。年5,6回はきています。 絵は難しいものばりです。併設されている喫茶ルームが私の和みの場所です。 どんな時でも和む事ができます。 海を眺めながら何も考えないで。
Date: 2002/01/25/Fri/14:51:45 [5]
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584, ーこころのかぜをひいたら - 2002年11月18日(月) ー宗親 そうかい こころのかぜをひいたのかい こころのかぜは からだのかぜとおなじだよ こじらせると はいえん まんびょうになってしまうんだ
そのときは おいらの いざかやにおいてよ ぶるーの こーなーにおすわり そこはかぜをひいたひとの せんもんこーなーなんだ
そこで たまござけ のむといいよ そして にんにくのまるあげを ちゅうもんするのさ かえりに もうひとつ にんにくあめを おみやげにあげるよ
そしたらすぐに へやにまっすぐおかえり へやをあっためて そうそう ねることさ
こころのかぜは さむさに とくにゆわいんだ ひえたこころを まずあっためてやらなくてはね そして つかれをとることさ
こころのかぜは からだより びみょうなんだ とくにさむさにね
だれにも あわないほうがいいよ ひとにうつしてしまうからね
ひとり ふとんのなかで なんにも かんがえないで ゆっくり ねることさ ゆっくり つかれをとることさ そして あせをたっぷりかくといいよ はやく なおそうとしないのが こつなんだ
こころのかぜは こころのかぜは こうねつになるからね きをつけたほうがいいよ
こころのかぜは かみさまのさいん うすぎを しているよという さいんだよ わるいばしょに いるという さいんだよ
・・・・・・・・・ [231] ベトナム旅行記ー3 −偽100ドル事件ー 2001/11/18
今回の旅行で面白い事件に出くわした。 明らかに観光客を狙った偽100ドル詐欺事件だ。
日本では大事件だが、ベトナムでは日常に行われているのだろう。 三日目になるが、写真に載っているハロン湾で食事を終えた頃、 ベトナムの刺繍を売りに来た。
私達はもちろん買うわけでなし、しかし何人かが買っていた。 4人席の目の前の同行の2人の老女がそこで買い物をしていた。 確かその場面の写真を撮っていた。 現地の金とドルの交換を頼まれ、親切心で替えてやったのだ。 それも人の良さそうな老女を狙ったのだ。
そして最終日の帰る日に、その目の前の年寄りの一人がデパート で100ドル札の引き取りを拒否された。それを添乗員が偽札と疑い 銀行で偽札と判断した。
添乗員が言うにはカラーコピーの幼稚なシロモノ。 観光客の老人を狙ったのだ。日本では大事件だが、ベトナムでは 単なる日常の軽い詐欺なのだ。
現地の代理店の責任で、その100ドル札は彼女に本物と取り替えられたが。 日本とベトナムの差を垣間見た。何人かがその詐欺の女の写真を撮って いたため恐らく警察にマークがされるだろうが、日本ではありえない 事件である。 ーーーーーーーーーー どうなってるの!ー恐慌に入ったのだろうか? -何回も書いたが、「どうなってるの?」
新潟駅前は、本当に夜は西部劇のあのゴーストタウンみたいだ。 本当に誰もいない(少しオーバーだが)客も部屋より出ないらしい。
恐慌に入ってしまったのでは?と思うのはこの仕事のせいだけでない。
‘延べ10000室の契約’が出来たのと、サッカーで2000室 のプラスが見込めるため、丁度差し引きゼロで来年度は目途がたっているが、 それがなかったらどうなるのだろうと寒気がする。
今の数字の流れから見て、客数はいいところで10パーセント、 悪いところは20〜25パーセントのマイナスが予測される。
恐慌はその時点の数字より30パーセントの落ち込みになるという。 今はそれに近い状態といってよい。
冷静にみればこれは何も不思議でないはずだが、いざ 現実に現象に起きてくると、ほんと?と疑うのは、まだまだ現実が 解かってないのだろう。
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2004年11月17日(水)
10日ほど前のTvのワイド・ショーの衝撃映像が面白い。 台湾の動物園のライオンの柵内に、男が入り込んでいる映像が流れた。 思わず息を止めて見入ってしまった。 寝ていたペアの雄ライオンが立ち上がリ、その男に突進していった。 そして、男の腕にかぶりついたが、あくまでも威嚇をしているようだった。
その男は恐れる風でもなく、振りほどくと後ずさりをして岩の上に上がった。 次に、ライオンは前足で男の体に数回爪を立ててパンチのような攻撃をした。 それを三回ほどした後に、攻撃を止めてしまった。 相手に敵意がないと思ったのか、 これ以上攻撃をするとマズイと本能的に思ったのか。 ライオンのみぞ知るである。 元にいた場所に戻って、全く無視をして寝てしまった。
その後の映像では、かぶりつかれた腕や、体全体に咬み傷や引っ掻き傷が アチコチ映し出されていた。しかし命に別状はなかった。 みている方も、思わず悲鳴を上げそうな緊迫をした内容であった。
Tvでは、餌を食べた直後であったのが幸いをしたといっていた。
私の解釈を加えると、 ・この男が後ろ向きにならなかったことと、 ・恐怖心がなかったこと、 ・動物園の野生を失っている飼育ライオンであり、 人間の中で育ったため、自分のテリトリーの中に入っても、それほどの 怒りではなかったのだろう。
その男は、キリスト教の狂信的な信者で、その愛を確かめる為に自分の身をかけて、 実験をしたという。 動物的な、躊躇する何かが体全体から出ていたのだろう。
キリストの愛は、ライオンにも通じたということか。
そういえば、中村天風の話しを思い出した。 「サーカスのライオンの檻に入ったが、気合いでライオンが襲ってこなかった」という。 これも考えてみたら、飼育と訓練が入っていて攻撃しないように躾けられていたライオン にすぎなかっただけだ。
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2003年11月17日(月) 957, ナレッジマネジメント −1
「図解、解る!ナレッジマネジメント」の本から、 ナレッジマネジメントの意味と本質を考えてみる。
数年前に、「ナレッジマネジメント」という言葉がしきりにいわれた。 ナレッジは言葉の通り「知識」である。 この場合はむしろ「知恵」に近い意味と考えてよい。
「人、物、金、情報」の経営資源に対して、変化の激しい情報化社会では、 「情報」が最も重要になる。 この情報をコントロールした変化対応が、生き残りがポイントになる。 それを活用する「知識」活用がナレッジマネジメントである。 「第5の重要な経営資源が、ナレッジー知識(知恵)である」
まずは現場社員が持つ「知的資産」の活用が求められている。 知とは「組織経営、企業活動に価値ある全ての情報」である。
ナレッジ経営の第一目標は顧客満足にあり、顧客志向が鮮明でない企業は 生き残れない。その為の「組織知」の拡大と、「個人知」の共有が必要である。 ナレッジマネジメントの目的は、顧客サービスの向上である。
ある事業の立ち上げをしようとすると ・「情報」収集がまず第一歩になる。 ・次にその情報の蓄積が「知識」になってくる。 ・その集積と熟成が「知恵」に変わってくる。 その「知恵」で、「情報と金とモノと人の組み合わせ」を再編成をして、 企業目的を遂行していく。 情報化の時代に、知恵をまず第一の資源としてエネルギーの集中が必要と される。
事業を創めるとき、「目的を持って人を集めるのでなく、優秀な人を集めて 事業の目的を決める」という今までの逆の発想も重要になってきている。 「まずは知恵のある人間を集めて、目的・目標をさがす」。 目標を決めて、その手段として人材を集めるのは、あくまで道具を集めるにすぎない。 道具は道具の知恵を遣って「馬鹿の壁」をつくっていまう。 道具は道具以上の力を出すことが無い。
今までリ・エンジニアリングからベンチマーキング、そしてナレッジマネジメントと 色いろな技法が開発されてきた。。 事業のベストプラクティスから、小さな業務上のコツまで、さまざまに収集、蓄積できれば、 間違いなく会社の有力な財産となるはずである。 ナレッジは知識というよりは知恵に近いものである。 ーつづく ・・・・・ ・・・・・
583, 風邪のひき方-こころにのこった詩 - 2002年11月17日(日)
なかなか良い詩があったのでの載せておきます。
明日は「かぜをひいたら」という人生で初めてつくった 詩を載せます。 散歩で即興でつくってみたので今日一日で何回か修正して みたいと思っている。
辻征夫 かぜのひきかた
こころぼそい ときは こころが とおく うすくたなびいていて びふうになびいていて みだれて きえて しまいそうになっている
こころぼそい ひとはだから まどをしめて あたたかく していて これはかぜを ひいているひととおなじだから ひとは かるく かぜかい? とたずねる
それはかぜではないのだが とにかくかぜでないのだが こころぼそい ときの こころぼそい ひとは こころにあがらう げんきもなく かぜです と つぶやいてしまう
すると ごらん さびしさと かなしさがいっしゅんに さようして こころぼそい ひとのにくたいは すでにたかいねつを りっぱに きちんと かぜをひいたのである
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[230] 抽象概念と具体概念 2001/11/17
抽象概念と具体概念を、ある本に書いてあったのをまとめてみた。 −少し硬い表現だがー ・それ(抽象・具体概念)以前は「非言語的原始概念」−原始記憶の集合や 組み合わせを、頭の中でこねくりまわしている状態を言い、あと一歩で 言葉になる状態をいう。 頭の中のヴィジュアルな素朴な原始記憶を「非言語的原始概念」という。 言葉にまとめておかないと、この原始記憶のジャングルのままになってしまう。 ー毎日このような文章かをしていると、なにか毒だしをしているようだ。 宿便を毎日吐き出しているいるようでもある。 ほとんどが以前文章化したことがある。 一日7〜9万回考えていた一部でしかない。 それを概念として、まとめる事が最大の収穫でもある。
文章化とは原始記憶の集合や組み合わせを、頭中でこねくり回した状態を 概念化していることになる。 ‘経験を素朴な言語化をして置いておいた原始記憶’の蓄積があるから 毎日かけるのだ。
抽象的言語と具体言語とそのミックスしたものを概念化として吐き出す。 これが慣れてくると面白い、こうなればしめたものだ。 毎日飽きずに書いているのは、実際のところ面白い。 何かわけのわからないことを書いている! 抽象概念も具体概念も、所詮はーーーー わけが解らなくなってきた。 あまり理解していないためだ。 しかし、キーワードの抽象・具体概念とその以前の「非言語的原始概念」 について少しは理解したか。
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2004年11月16日(火)
やっと収まったと思いきや、昨日も震度三の地震があった。 しかし三週間以上も余震とは、全くシツコイ。
道路などの公共施設の損害が約2000億円と発表されたが、まだ膨れあがるだろう。 学校や役場なども酷い状態とか。 民間を含めたら、その倍だろう。 「被災地の多くの家の躯体は大丈夫だが、内部が目茶目茶で使えない」 というのが実体だという。 屋根瓦が雪国用に厚く作られている為、重量がかかって押しつぶされている。 青いシートが多く屋根にかかっているのでよく分る。 特に長岡の悠久山よりの住宅に多い。
新幹線も、「トンネル内部などの損傷が激しく実体を発表できない状態」 との話も洩れ聞こえてきた。 1〜2年、いや数年、という事も考えられるが、これだけは予測が付かない。 まだ高速道路が通るから救いがあるが、何といても新幹線の影響は大きい。 長岡、新潟駅の専門店など如何なるのだろうか。 いや他人事ではない。
------- メルクマール 堀井 11月12日 ・今朝方はAM2時半位に震度1〜2の地震あり。 何だこの程度か、せっかくなら、せめて3~4位になれと!思う余裕も出てきた。 これは被災の大きい人達に悪いと、考え直したり。 それでも一時であるが大雨が降ってきた。あのダムの土石流は大丈夫か心配になる。
・東京に出張を控えていた人達が、そろそろ出張に行きはじめた。 長岡を新幹線で朝6時40分に出たら、10時に東京に着いたとか。 来週、仕事で東京に行くとか。バスが一番手ごろのようだ。 それにしても、駅は可哀想なぐらい人が少ない。 毎日のように長岡駅の専門店に通勤の帰り道によって、 大幅値引きの弁当や酒の肴を買っている。
売れないため、スーパーの半額以下。 いや、もっと安い。
せめての贅沢?である。可愛いものだ! ーーー 11月11日
・2〜3日続いた夜半の余震が無かった。 寝ているところを突然揺れると、少しは動揺する。
・幼児の頃、よく両親に連れて行ってもらっていた成願寺温泉ホテルが、 この地震で倒産と新聞に出ていた。 子供の頃、すぐ上の兄と姉と三人で遠足に行ったことを思い出す。 およそ片道5^6キロの道を2~3時間以上もかけての遠足だった。 モルモットがいたのが印象に残っている。 130年以上続いた湯治場の旅館だったという。
・新幹線は相変わらず人が極端に少ない。 年末まで開通が、JRの本音だろうが。 年末の帰省者も躊躇するだろう。 新聞に数千億規模の復興投資がおこなわれるとあった。 阪神大震災は九千億、普賢岳の時は、1000億というから、まちがいないだろう。 既に、県内の職人の数が足りないという話も出ている。 ・・・・・・・・ ・・・・・・・・
2003年11月16日(日) 956, ハイビジョン超特急
昨日の昼、NHKハイビジョンで過去3年間の「ハイビジョン番組」 90本を5分以内にまとめて、4時間ぶっとうしで放送をした。 デジタルだから可能なのだろう。 様々なジャンルの番組を繋げて放送するもので、息をつかせない内容であった。 未来の一部を垣間見たような時間であった。 そして、至福に近い4時間であった。
元々ハイビジョンの内容は、選りすぐりのものが多い。 その二時間を5分にまとめて、次々に放送するのだから一瞬も目を離せない。 年末に再放送をする予告編も兼ねていた。 音楽スーパーライブ、美の回路、お祭り、サッカーなどのスポーツ番組、 動物、自然、宝塚、歌舞伎、遺跡などなど次から次へと出てくる。 7割は見た番組だったからこそ、更に面白かったのだ。
これからは、こういう番組が多くなるのだろう。
ワールドカップのサッカーも5分にまとめてあるのだから、目が離せないのも当然だ。 スポーツ、遺跡など、それだけを集めて5分にまとめて放送する番組も出てくるだろう。
印象的なものとして、 「長野オリンピック」「源氏物語・絵巻師との対話」「エチオピア」 「イグアスの滝」「ベネチアの仮面祭り」「ワールドカップ」 「謎の深海大峡谷アメリカ西海岸・モントレーの神秘」「ミレニアム・オリンピック」 「リオのカーニバル」「青森ねぶた祭り」「天空への道」「南極大紀行」 「大砂漠ラクダキャラバンーテネレ砂漠」「永平寺」「九さい溝」「リビア」
どれ一つとっても非常に興味をひかれる内容である。 ハイビジョンの良さは遠くの背景がしっかりと見て取れることだ。 すごい時代である。
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582, NTTと日本の現状 - 2002年11月16日(土)
このところ光ファイバーを会社や自宅に導入して、 NTTの現状を垣間見ることができた。
自社ホテルの電話の使用売上が10年前の十分の一以下に落ちている。 携帯電話に変わった為だ。
各家庭や会社はホームベースとしての据え置きの電話があるが、 使用回数が激減しているのは間違いはない。
そうするとあの電信柱から引き込まれている数兆とか十数兆の 設備投資の価値が激減していることになる。 NTTの知人が「電電公社に入り、こういう目-肩たたき-にあうとは 思ってもみなかった」と言っていた。
この現象が今の日本の大不況と酷似している。 新しい流れに転換できないでいるのが日本だ。
すでに電信柱からデジタルの携帯電話や光りファアイバーの 変わろうとしているが、転換できないでのた打ち回っている。
不良会社の整理も当然しなくてはならない。 電信柱に例えられる旧体制がまだ抵抗している。
有線放送とかいろいろな関連会社も、その脱皮についていけないで。 駄目の者は駄目なのに。その代表が自民党の橋本派である。 実際に利権を握っている為現実が見えてないのだ。
NTTもNTTドコモがあるから救われるが、 今の日本には殆ど見当たらないのが恐ろしい。
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2001/11/16 [222] ベトナム旅行記−1 1、 −オートバイ社会ー 驚いたのは街にオートバイがあふれている事である。 一家に一台の普及率で、50CCまでは免許がいらない。それに 2〜4人が乗っており、フルスピードで街を駆け巡る。 よく事故がおきないと思えるほど危ない。おまけに殆ど信号がない のに、平気で十字路をお互い横切る,曲芸だ。 やはり、いや当然事故が異常に多いという。 ー今から10年前の中国が自転車社会であったが。 今もそうか!?
2、活気に満ちてるのも、自由経済の導入の為か。 ドイモイ政策で7パーセントの経済成長。 これでかなり物質的に豊かになった。 国民がアメリカ、日本に目がいっているという。
3、80パーセントが農業人口で占められとおり、 貧しい中でも何か最低限の生活が保障されているのが解かる。
4、昭和30年頃の日本に都会は似ている。
5、貧富の差があまり感じないのは、好感が持てる。
6、人口は7800万、文盲率は20パーセント、給料は2万円とか。 仏教が60パーセント、イスラムは6万人とか。 学校制度は5、4、3,4年制だ。
7、ベトナム料理は美味しいことで知れているが、 中国風ベトナム料理、フランス風べトナム料理があり、 評判どうり美味しい。
8、地方の風景は、日本のそれに似ている、 水牛とアヒルが多くみられるのが特徴といってよい。
印象をそのまま書くと ・まじめな、仏教徒国、 ・農業が80パーセントの縦に長い国 ・失業率が17パーセントー社会主義から自由経済の過渡期にあっての混乱期 ・大体の国民は5時に起床、7時半より17時まで仕事 ・過去は数百年は中国、19世紀半ばより1954年までフランスに支配される。 ・そしてその後アメリカとベトナム戦争。100万人が死亡、200万人が不傷。 ・今は石油が発掘。輸出の1位を占めている。小さくまとまった国。
今回の旅行での出来事 ・中間あたりでーダナン。ハイホンで台風にあう ・ハロン湾で連れの人が目の前で、100ドル札の偽札の両替 ーもちろん意図的につかまされる。
2001/11/15
今朝、成田に7時半に帰ってきました。 午後は疲れか熟睡し、さっき起床しました。
明日から出社予定です。 旅行記は改めて書くつもりですが、印象を書いてみます。
1、成田は意外とピリピリしたところはなく、少し警官が多いと感じでした。 シーズンオフを含めガラガラでした。 2、ベトナムは思ったより、西欧かされていました。
3、やはりアフリカや中東やインド・パキスタンなどに行き続けたためか、 刺激という面で今ひとつでした。
4、その中で、イロイロな見聞がありました。
5、ベトナムも観光や、輸出などでテロの影響が出ているようでした。
疲れは殆ど残ってないようです。
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2004年11月15日(月)
2年前の今日、PDPTVについて書いていた。 そこで、この2年間の感想と実感を書いてみる。 値段の値崩れが、思ったより少ない。 50インチで年15〜20�猷爾�っていれば、40〜50万円位のはずである。 今でも型落ち(新商品が出た為、在庫処分品)で60〜70万である。 それでは機能が飛躍的に良くなっているのかというと、少し画質が よくなった程度である。 結論からいうと、少し早めに買いすぎたのかと思ったが、タイミング的に 丁度良いタイミングだった。 しかし来年から各メーカーが大量生産体制に入って値崩れがおこるから、 機種や時期の選定は難しくなる。 使った実感として、 「素晴らしい!」というのが感想である。 特に、映画と大自然のドキュメントがよい。 会社の近くにDVD のレンタル店が出来たこともあって、それ以来は 月に10本以上は借りている。そのペースは今も落ちていない。
何回も同じDVDを借りようとして、レンタル店の人に注意された。 (レジが、一度借りたDVDを知らせてくれるシステムになっている) 一本、100円・200円、新作300円だから価値は充分ある。
番組内容のボタンを押すと、詳細の情報が流れる。 それと、BSラジオがよい。 20以上の番組みがあって、それに合わせて風景やイラストが流れる、そして 違う画面に変わっていく。 今ヒットしている音楽や、むかし流行したポップスや、クラシックなどの 専門番組みが多い。
画面の大きさと部屋とのバランスもあるが、 最低で42インチ、出来たら50インチが望ましい。 日本のように、小さい家屋やマンションには薄型TVは丁度良い。 特に右下がりの時代には、もってこいである。 ますます、バカになるが。
どのメーカーと機種を選んだら良いのか? これは、店に足繁く通うしかない。 その時間が無いとしたら、どうしたらよいか?
まず、インターネットの価格.comで最低値段を調べて、 コジマとヤマダ電機に行って、その事実を述べて交渉することだ。 そして安い方から買えばよい。 取り付け、故障を考えたら、やはり近くにある店が良い。 その程度のことは、誰も知っている? 商売は大変な時代に入った。 ・・・・・・・ ・・・・・・・
2003年11月15日(土) 955, 自分づくりの文章術 ー読書日記
毎日、随想日記というカタチで書き続けていると 自分の中の、見えない自分や忘れてしまった過去に愕然とすることがある。
暗黙知を形式知に置き換える作業を毎日コツコツしていると、 それが暗黙知の中にある自分を引き出し、直視することになる。 その点で書くことが無くなるまで?書き続ける効果は絶大である。 書くことが無くなるまで書くと、そこから暗黙知の中の本筋が出始めるからだ。
いまひとつは、分類コーナーに投げ込んだ文章を改めて読み返していると、 何気なく書いている文章の蓄積が、違ったものとして存在をしているように感じる。 もう一人の自分が、独立をして存在していて、自分の知らない自分を 見ている感覚になる。 分ければ資源、いやその蓄積が資源になるのだ。
以下の本は、1000近く随想日記を書き続けて、文章に対して言いたいことの 全て、いやその数十倍のことが書いてある。 その遙か多くの文章を書いているからだ。 アマチュアとプロの差は、如何にもならないのだ。 いや素人とプロの差だ。
ホームページを立ち上げ、毎日「テーマ随想日記」を書き出して二年半経つが、 「自分づくり」というのが、ズバリ言い当てている。 毎日毎日、コツコツと自分をつくっている、いや自分の世界を広げている 感覚である。その手ごたえが無ければ続かなかっだろう。
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「自分づくりの文章術」
清水良典/[著] 出版社:筑摩書房 発行:2003-08-10 体裁:219p 18cm ISBN:4480061282 価格:700円
(要旨) 文章を書くのは正直しんどい。さまざまな約束ごとがうるさいし、 自分の内面や教養までがもろに評価されかねないのは相当の重圧だ。 …それでも、迷ったり悩んだりしながら、結果的に書けたときの歓びは 格別である。 なぜか?それは、文章を書くことが、とりもなおさず「自分」 をつくることだから。 旧来の窮屈な文章観を駆逐し、自分にしか書けないことを楽しみながら 書くコツを手ほどきする革命的な文章読本。
ー抜粋ー ー・・・・人が生きていくということは、そのまま「文」なのである。 ・・だとすれば、文章を自分らしく創り出すこと、いいかえれば 文章によって自分づくりをする力を持つことは、どんな処世術や ビジネス戦術にも増して、生きるうえでの有利なツールであろう。
ー思考は断片だ 論旨のエッセンスとなるような直感とか、ハイライト部分の‘決め’ になるようなフレーズを思いついたときに「これは書ける」なんてわくわく して思い立つのである。つまり、思いついたものは、ばらばらな断片と 大まかな展望に他ならない。そのピンポイントの断片と他の断片との間を、 スムーズな説得力のある流れになるように継ぎ足していく作業が 「書く」という仕事である。 ・・・・ひとは書こうとしたことをきちんと書けるわけではなくて、 むしろ積み木のように書き足しているうちに、最初は書こうとおもわなかった ことを知らず知らずのうちに書いてしまうものである。 そのくせ書いてしまうと「そうか、自分はこういうことを考えていたのか」 などと思えてくるから不思議だ。 私たちの意識は、言葉とイメージの網の目をふわふわ漂っているような ものである。それが言葉や文章に定着したとき、「考え」というものになる。
言葉を抜きにして「考え」は存在しない。 順序として「考え」がもともとあったから言葉が出てくると思いがちだが、 逆に言葉が出てきて初めて「考え」がハッキリするものである。
・・・・・・・・ この抜粋の最後の、 ー言葉を抜きにして「考え」は存在しない。 順序として「考え」がもともとあったから言葉が出てくると思いがちだが、 逆に言葉が出てきて初めて「考え」がハッキリするものである。
これが、随想日記を書き続ける一番の利点である。 知り合いの具体的な10数人の顔を思い浮かべながら、言葉の羅列をして いると逆に「考え」がまとまってくる。 大学の先生などは、これを環境の中でしているのだろう。 作家も、そうだろう。 自分の愛読者と否定的批判者などを、頭に浮かべながら言葉の収集と羅列換えを しているのだろう。 いや、それは素人の考えることだろう。
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581, PDPTV - 2002年11月15日(金)
PDPーTVを先週に居間に入れて6日が経つ。 設置に3人で5時間以上もかかった。
パイオニア製で50インチだ。 それにソニーの音響システムを組み合わせて 税込みで76万円だった。あと半年で3割は下がるだろう。 半額はローンにした。
さすがに迫力が違う。 相撲などは音響も含めて会場にいる気分になる。 まだじっくりと見る時間はないが、今週末から見るつもりである。 コンサートや歌謡番組を夜電気を消して見ていると、 その価値を充分感じ取ることができる。
あと15万を出すとソニー製の新型を買えたが、値崩れを起こし始めた パイオニアにした。ますますお宅になりそうだ。 何か凄く豊かになったような気分だ。
あと数年がたつと、PDPや液晶から有機TVが出てくるそうだ。 ソニーはそれに絞って商品開発をしているという。
こういう時代に、遠出をしないでカウチポテト族になって いるのに丁度よい代物だ。それとこのパソコンが。 つまらないスナックで飲んでいるより居間の方が刺激的だ。
ただ集中度が高まるので疲れるのも事実だ。 お勧めはあと半年経つと1インチ1万円に下がった時だろう。 それも部屋によっては42インチあたりでよいのでは。
車を小型や軽にしてTVやパソコンにシフトしていく時代だ。
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[222] ベトナム旅行記−1 2001/11/15 1、 −オートバイ社会ー 驚いたのは街にオートバイがあふれている事である。 一家に一台の普及率で、50CCまでは免許がいらない。それに 2〜4人が乗っており、フルスピードで街を駆け巡る。 よく事故がおきないと思えるほど危ない。おまけに殆ど信号がない のに、平気で十字路をお互い横切る,曲芸だ。 やはり、いや当然事故が異常に多いという。 ー今から10年前の中国が自転車社会であったが。 今もそうか!?
2、活気に満ちてるのも、自由経済の導入の為か。 ドイモイ政策で7パーセントの経済成長。 これでかなり物質的に豊かになった。 国民がアメリカ、日本に目がいっているという。
3、80パーセントが農業人口で占められとおり、 貧しい中でも何か最低限の生活が保障されているのが解かる。
4、昭和30年頃の日本に都会は似ている。
5、貧富の差があまり感じないのは、好感が持てる。
6、人口は7800万、文盲率は20パーセント、給料は2万円とか。 仏教が60パーセント、イスラムは6万人とか。 学校制度は5、4、3,4年制だ。
7、ベトナム料理は美味しいことで知れているが、 中国風ベトナム料理、フランス風べトナム料理があり、 評判どうり美味しい。
8、地方の風景は、日本のそれに似ている、 水牛とアヒルが多くみられるのが特徴といってよい。
印象をそのまま書くと
・まじめな、仏教徒国、 ・農業が80パーセントの縦に長い国 ・失業率が17パーセントー社会主義から自由経済の過渡期にあっての混乱期 ・大体の国民は5時に起床、7時半より17時まで仕事 ・過去は数百年は中国、19世紀半ばより1954年までフランスに支配される。 ・そしてその後アメリカとベトナム戦争。100万人が死亡、200万人が不傷。 ・今は石油が発掘。輸出の1位を占めている。小さくまとまった国。
今回の旅行での出来事 ・中間あたりでーダナン。ハイホンで台風にあう ・ハロン湾で連れの人が目の前で、100ドル札の偽札の両替 ーもちろん意図的につかまされる。
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2004年11月14日(日)
ー時代の変遷の象徴
堤義明のオーナー会社・西武鉄道グループは、この不況下でも安定をした 会社と思われていた。 それが突然、不正が発覚、株式が上場廃止という。 関連会社が西武鉄道の株を担保に借金をしている為、一挙に担保割れの事態になる。
日本の影のドンの一人といわれ、 「総理大臣が誕生する度に3億円の祝儀を払い続けてきた」 と囁かれていた堤義明もついに逮捕?の可能性がでてきた。 世の中どう変わるか解らないものである。 ーもっとも、コネにて一件落着の可能性があるが。
十年位前まで、西武株といえば5000〜6000円はした。 最近は、株価と連動して1500円まで下がっていたが、この数年間は不動であった。 それが400円近くまで下がってしまった。 上場廃止は、10分の1まで下がるといわれるから150円まで下がる可能性もある。 西武鉄道クループそのものの存続も問われかねない事態になった?
一時は、西武流通グループの堤清二と、張り合っていた時代もあった。 その流通グループも解体され、清二も追放された。 今度は義明の番になった。 「エレベーターの待合を、お連れが一般客を制止して天皇・首相並の扱いで 乗り込んだ」「飛行場でビップ待遇の専門通路から乗り込んだ」とか、 とかく噂は聞いていた。 今は、その彼も逮捕におびえている日々である。
もし、あの人の逮捕姿をみるとしたら、複雑な心境な人が多いだろう! これも情報化、大衆民主主義化の一つだろう。 以前は黙認されていたことが、今では全く通らなくなったのだ。 ・・・・・・・・ ・・・・・・・・
2003年11月14日(金) 954, 「意味」の意味を考える
言葉や言語を考える時、重要な事として、すぐに「意味」が出てくる。 「人生の意味」とか、「意味がないよ」とか、「このことにどういう意味があるか」 とか、言葉と意味は一体である。 考えるとは、言葉の羅列の繰り返しをしているといってよいが、 それは羅列によって意味を幾とおりも置き返していることである。 といって「意味」の意味を考えると何が何だか解らなくなってしまう。
「意味」の意味を考えるとは、半分ジョークみたいな話だ。
言語学者の西江雅之氏の本に、「意味は『価値』である」に注目をした。 「意味がない!」などと1人で解ったような気になるのは、 「自分の価値観とは違う」とっていることでしかないのだ。 「人生の意味」も「人生の価値観を何処においておくか」の問題でしかない ことになる。
言語学者の西江雅之の「『言葉』の課外授業」ー洋泉社ー という本の中(p78)に「意味」の意味を簡潔にまとめてあった。
・一つ目は「意味」とは「価値」である。 世界のほとんどの言語では「意味」というのは、「価値」のことを言っている。 「あの人の話は意味深い」とか「あの人の話は意味がない」とか、 「面白い」とか「つまらない」とかは、受けての「価値判断」のあり方を 「意味」と呼んでいるのだ。
・二つ目は、「意味」というのは、出された例の、別の表現への 「置き換え」なんです。 たとえば「『椅子』とは何か」と言ったら、「それは『人が座る道具』 である」と。この置き換えが、ある種の「意味」になる。 「置き換え」の二番目は、別の言葉に置き換えると言うことです。 「‘desk’の意味は何だ」というと、辞書に「机」と書いてある。 「あ、意味がわかった。この単語の意味は‘机’なんだ」となるような、 別の言葉への置き換えである。
・三つ目は、「世界の創り変え」である。 現状から出発して新たに見出そうとする意味である。 現状を否定して、いっそう本物を求めようという場合の、 「求めるもの」と言ってよい。 日常生活で「意味を問う」などというのは、現状を疑い、現状を変革させること なんです。
意味には「分析的」なものと、「連想的」なものがある。 「分析的」は欧州風科学で考えるもので、「連想的」は 「ひらめき」や「インスピュレーション」などの科学で扱わない部分である。
ー以上が抜粋である。 一つ目の ー「意味」とは「価値」であるーについて考えてみよう。 ある出来事を、結果として意味付けをしたがるが、それは「自分の価値観 に対して無意識的に押し込もうという働き」と見ると理解ができる。 そうすると、意味を考えることは価値を考えることなる。 そういう知識のない人が、必死になって「意味づけの演説?」をしているのを 聞いたことがある。 その時「この男、馬鹿じゃないか?」と聞いていて思ったことがある。 「結局は、自分の価値観、意味づけを言っているだけじゃないか」と聞いていた ことを思い出して納得をした。 まあ、同じことを自分もしているのだろうが。
二つ目の「置き換え」は、少し解りづらい。 意味というのは、同じことを置き換えているに過ぎないというと解りやすい。 「deskは机だ」という言葉の置き換えがよい例だ。 もっとわかりやすい場面が、 夏休みにNHKの「子供ラジオ電話質問コーナー」がある。 こどもの単純な質問に窮した回答者が苦し紛れに、ただ言葉の置き換えで 説明をしてしまうことがある。 「死ぬってどういうことですか?」という哲学者でも答えられない 問題を一言で片付けなくてはならない時に、言葉の置き換えで誤魔化す ケースだ。
三つ目は「世界の創りかえ」である。 良い意味でも悪い意味でも、宗教家が使う手法である。 経営も政治も、考えてみれば「世界の創りかえ」である。 その時、背後には大きな意味がなくてはならない。 その点では、「意味」や「価値」は最重要事項である。
「ところで、このホームページって何の意味があるの?」と問われたら と、考えてみた。 何回も書いているが、「公開の日記と魂の記録」といってよいが。
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580,中国の陰と光 - 2002年11月14日(木)
昨日は三井住友銀行の講演会とパーテーがあった。 常務がパーテーでの挨拶がかなり深刻な内容であった。 ここまできたらハードランニングしかないし、後は自助努力 しかないという。 初めて聞いたが三井住友銀行も持ち株会社をつくって、 本体はそこに残し、後は子会社化していくといいう。 この数年間続くであろう暴風を前にした決起式みたいでもあった。
本題の講演は「現在の中国について」であった。 ・「中国脅威論は的外れ」というのが結論であった。 今開かれている中国共産党大会で、これから20年で経済規模を 4倍にするという。 もしそうしなくては中国の未来はないとまで言っている。 ・その為には年率7�佑寮個垢鯊海韻覆�てはならない。 しかし絶望的の数字である。 もし発表された数字が成長7�佑覆薺�偽の数字とみたらよい。 ・汚職、農村問題、私的企業の認可等の問題が山積みだという。
こういう問題が共産党の統治メカニズムを弱体化させていく。 孫文が「中国国民は砂のようなもの」と喩えた。 極端な個人主義を言いたかったのだろう。 その為に強烈な統治が必要で共産主義の統治は今までは 有効に働いたが、これからはその解体過程にあるのは納得できる。
中国内部でも地域間賃金格差は十数倍あり、これが8000万人の 流浪の民をつくっている。 現在、中国の内部の矛盾が大きく内部に膨らみだしてる。 あまり日本のマスコミでは言われてないが今までなかったような 情報が多いとか、暴動とかストなど。
いずれにしてもあまり過大評価をしない事だ。 今は光の部分しかみえてないが、背後の影が見すえなくては。 これが結論であった。 国内も世界も今まで経験したことのない時代に一歩踏み出したようだ。
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[221] ただいま帰りました - 2001年11月14日(水)
今朝、成田に7時半に帰ってきました。 午後は疲れか熟睡し、さっき起床しました。
明日から出社予定です。 旅行記は改めて書くつもりですが、印象を書いてみます。
1、成田は意外とピリピリしたところはなく、少し警官が多いと感じでした。 シーズンオフを含めガラガラでした。 2、ベトナムは思ったより、西欧かされていました。 3、やはりアフリカや中東やインド・パキスタンなどに行き続けたためか、 刺激という面で今ひとつでした。 4、その中で、イロイロな見聞がありました。 5、ベトナムも観光や、輸出などでテロの影響が出ているようでした。
疲れは殆ど残ってないようです。
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2004年11月13日(土)
小プリニウスの「手紙」−1
ポンペイについて書いた直後に地元の新潟中越地区に大地震がおきた。 何かの偶然の一致だろう。
ポンペイの遺跡から当時の情報が多く知ることができた。 歴史から忘れられたポンペイの遺跡が発見され、発掘が始ったのが 18世紀の半ばであった。 そして現在に至るまで250年にわたって発掘が続いている。 まだ発掘してないところが多くあるという。
歴史家のタキツゥスが、書の中で当時のある若い青年の手紙を残していた。 当時まだ17歳だった青年の2通の手紙が当時の模様をこと細かく整然と 後世に伝えていた。 その文章を読んでいると、その一言一言が身に沁みる。
その青年とは、当時、地中海艦隊の司令官として ナポリ湾岸の町ミセヌムに駐在していた大プリニウスの甥、 小プリニウス(61年頃〜112年頃)である。
歴史家タキトゥスの求めに応えて書いたこの手紙は、 ローマ帝国内の美しい都市に起きた大惨事の貴重な目撃談となっている。
この手紙を読んでいて、彼の驚きと当時の若い彼の興奮がそのまま、 2000年の時空を超えて伝わってくる。
「言葉を持つことは魂を持つこと」という言葉の重みを実感する。
発掘された遺跡の姿そのものが、そのまま 人間の変わらない生活と真実を伝えている。
ーー 小プリニウスの「手紙 ー6月16日の手紙
伯父の死をできるだけ正確に後世に伝えるため、あなたに手紙を書くように とのご依頼を受け、私はとても嬉しく感じました。
というのは、伯父の死があなたによって書き留められることで、 彼に不滅の栄光が与えられると考えたからです。
恐ろしい災厄によって死んだために、伯父の死は、他の被害にあった住民や 美しい町とともに永遠に記憶されるでしょう。
また、伯父自身、後世に残るであろう多くの作品を書いています。 しかし、それに加えてあなたの著書に書き留められるとすれば 伯父の歴史上の記憶は、より確かな、永遠のものになるはずです。
私は思うのですが、歴史に残るようなことを行うか、 あるい、は価直のある文章を書く能力を神から与えられた人は恵まれた人であり、
しかもこの能力を2つとも与えられた人は、最も幸せな人です。 私の伯父は、彼自身の著書とあなたの御著書とによって、 そのような恵まれた人物の一人となるでしょう。
というわけで、私はあなたの御依頼をお引き受けいたします。 いや、むしろこちらから進んで手紙を書かせて頂きます。
伯父はミセヌムにいて、船団の指揮をとっていました。 異様な形の巨大な雲が現れたことを母が伯父に知らせたのは、 9月の第1日より9日前(8月24日)の第7時(午後1時)頃のことでした。
伯父は日光浴と冷水浴をしてから軽い食事をとった後で、 ちょうど仕事の最中でした。
伯父は靴を持って来させると、その超自然現象を一番よく観察できる場所に のぼりました。 見ると雲が湧き上がっています。
遠くからではどの山から出ているか分かりませんでしたが、 やがてヴェスヴィオ山から出ていることが分かりました。
まるで松の木が巨大な幹を上に向かって伸ばし、小枝を空に広げたような形の雲でした。 多分、蒸気によって吹き上げられた噴煙がしだいに自らの重みによって横に広がり、 そのような形になったのでしょう。 雲はところどころ白く、また土や灰を含んでいるところは灰色に汚れていました。
博学な伯父には、これがもっと近くから観察すべき大事件であることが分かりました。 伯父はリブルニア式ガレー船(2段擢の軽装傭船)に部下を乗り込ませ、 私にその気があれぱついて来てもよいと言いました。
私は勉強しているほうがよいと答えたのですが、そう答えたのは、 他ならぬ伯父から課題を与えられていたからです。
伯父が家を出ようとしていたとき、友人タスキウスの妻レクティナから伝言が 届きました。彼女は身に迫る危険におびえていました。
彼女の家はヴェスヴィオ山のふもとにあって海路でしか脱出できません。 そこで救いを求めて来たのです。
伯父は急遽予定を変更し、救助に向かうことにしました。 研究心から乗りかかったことを、義務感という高い次元の感情で実行することに したのです。 レクティナだけでなく大勢の人々を救助することに決め、 4段櫂ガレー船を用意させてみずから乗り込みました。
魅力的なその海岸には実際多くの人々が住んでいました。 人々が脱出を始めているその場所目指して伯父は急ぎました。
航路を直線に保ち、危険に向かってまっすぐに舵を取ったのです。 全く恐れることを知らない伯父は、噴火の全段階と様相を、 目にするそばから人に書き取らせるか、みずから書き留めていきました。
すでに灰は船の上に降り注いでいました。 目的地が近づくにつれそれはしだいに熱を帯び密度も濃くなりました。 真っ赤に燃える軽石や砂利も見え、川床が露出し、崩れた岩が岸を塞いていました。
伯父は引き返すべきかどうか一瞬ためらいましたが、 水先案内人が引き返しましょうと進言すると答えました。 「勇気を持て。運命の女神がついている。ポンポニアヌスの家に進路を取れ」。
この家はスタビアエにあり、ミセヌムからは湾の半分程難れていました。 海岸線はわずかに湾曲していて、そこに海が入りこむような形になっていました。
このあたりには、当面の危険はなかったものの、状況は目に見えて危うくなって きていました。
ポンポニアヌスは船に荷物を積み込み、向かい風が止んだら直ちに出航するつもりで いました。 この風がじつに都合よく伯父の船を押し進めたのです。
無事上陸した伯父は、ポンポニアヌスを抱きしめて慰め、元気づけました。 そして、自信に満ちた態度を取って友人の恐怖心を和らげようと、風呂場に 向かいました。 水を浴びると食卓につき、楽しげに食べました。 というよりは、これが伯父の偉大なところで楽しいふりをして、 友人を励ましたわけです。
この間、ヴェスヴィオ山の何カ所かで大きな炎や火柱が上がり、 その輝きが夜の闇にあかあかと浮かび上がりました。
しかし、伯父はみなの恐怖を鎮めようとして、あれはあわてて逃げた農夫が 消し忘れていった火だとか、取り残された屋敷が燃えているのだと繰り返しました。
それから少し休憩するといって、本当に眠り込んでしまいました。 伯父は太っていたため寝息が大きく、戸の前を行き過ぎる人にもいびきが 聞こえました。
しかし、伯父が休んでいる部屋に通じる中庭は、すでに軽石混じりの灰に埋まり、 もう少し休んでいたら脱出できなかったと思われるほど地面が高くなっていました。 目を覚まして起き上がった伯父は、一晩中起きていたポンポニアヌスらのところに 戻りました。
彼らは屋内にとどまるぺきか、外に出るべきかについて協議を重ねていました。 頻繁に起こる大きな地震で、家は土台から大きく揺れ、それも今こちらに揺れたかと 思うと次はあちらという具合でした。
一方、家の外では人々が軽石の雨におびえていました。屋内と屋外、両方の危険を 検討し、結局外に出ることになりました。
伯父にとっては当然の判断でしたが、他の人々にとっては恐ろしい方の選択でした。 皆、頭に枕を載せて布で結わえ、降って来る軽石から身を守ろうとしました。
もう夜は明けていたのに、屋外ではまだ暗闇が続いていました。 どんな夜よりも深くて濃い闇がたれこめていたのです。
とはいえ、いくつもの赤みを帯びた輝きや様々な光が闇を照らしていました。 一行は海岸に戻り、船を出せる状態かどうかを確かめることにしましたが、 このときもまだ海は荒れ狂っていました。
伯父は海岸の地面に布を広げてその上に横になり、 何度も冷たい水を欲して飲みました。
火の前ぶれである硫黄の匂いが近づいてきたため、伴の者は逃げ出しました。 目を覚ました伯父は2人の若い奴隷に支えられて立ち上がりましたが、 すぐに倒れてしまいました。
想像するに、煙がひどくて喉がつまり、息ができなくなったのでしょう。 もともと伯父は喉が弱く、終始咳き込んでいました。
伯父が見た最後の日の出から3度目の太陽が昇ったとき、伯父の死体は 無傷のまま発見されました。服は出発したときに着ていたものでした。 死体というよりは休息している人の感がありました。
この間私と母はミセヌムに居ました。 しかしそれは歴史とは関係のないことです。 あなたも、伯父の死についてだけお知りになりたいのでしょうから、 これで終わりにいたしましょう。
ただ一つだけ追加いたします。 それは、私は自分で目撃したすべてのことを、そしてまた、記憶の確かな 事件直後に聞いたことを、書き記したのだということです。 じっさい、手紙を書くことと歴史を書くこととは別のことですし、 友人に書き送るのと、万人のために書き記すのとでは違うのですから。
− つづく ・・・・・・・・ ・・・・・・・・ 2003年11月13日(木) 953, 腰痛ー2
腰痛のことは以前にも書いたが、一昨日の朝、例年どおり腰痛が出た。 いつも季節の変わり目に出るが、私の場合は寒さで体を冷やしてしまうのが 一番の原因である。 いま一つは、パソコンを座って打っていると腰に負担がかかる。 今のところ時間をかけて暖めるしか方法はない。
間接的には、パソコンと寒さがあるが散歩の後、屈伸とストレッチをしたのが 悪かったようだ。
腰痛について書こうと思って過去の随想日記を調べたら、去年の連休後に 書いていた。五月の連休後も例年腰痛が出るのだが、今年はどういうわけか なかったが。
腰痛になると何もする気が起きなくなる。 また一回一回ごの痛みの内容が微妙に違う。しかし今まで一回も医者がかりはない。 経験上、暖めていると長くて10日で大体直ってしまうからだ。 その治療法を40年近くしている。
インターネットで調べたら、腰痛にも色いろある。 デスクワークの人や、お産や生理が原因であったり、内臓の負担からくるものや、 運動のやりすぎ、等々ある。 今朝おきたら3分の1位に痛みが減っていた。 全治四日の予測が当たっていたようだが、どうなることやら。
ーーーーーーー 401, 腰痛 - 1 2002年05月09日(木)
昭和38年の三八豪雪の時、長岡高校の屋根の雪落としをしていて、 腰痛になってしまった。
母が腰痛もちで、よく腰が左右に曲がっていたのを見たが、 それがそのまま遺伝したようだ。 腰の骨が本当に左右にずれるのである。
その時の痛みは言葉に言いがたく、脂汗がにじみ出る。 大体が季節の変わり目に出る。
その対策として15年前から散歩を始めたが、今は腰痛対策というより、 精神的肉体的両面の健康のすべての対策になっている。 散歩も一日30000歩を超えると、逆に腰痛になる。
人間の今の身体の構造は、歩く前提で出来ているという。 何かあったら歩くのが一番自然だ。
腰痛は猿が人間に進化する過程で、腰に不自然な力がかかるようになった。 その結果、人類共通の持病になってしまった。 歩行がその対策によいことは、15年続けての実績で解る。 しかし完治はしない。
腰痛が出はじめたら、ホッカイロをその部分に当てるのが一番効果がある。 (母の対策を見て知ったことだが)それで4~5日で直るからだ。 医者には一度もかかったことはない。 あとは腰痛と仲良くしていくしかない。
・・・・・ ・・・・・
579,ある時間の断片ー11 - 2002年11月13日(水)
1968年 9月29日ー日曜
8時起床、午前中は部屋と寮の大掃除。 気持ちもすっきりした。 午後は3時間、明日のための準備の読書だ。
そういえば最近寮の他の人との距離が出てきたようだ。 仕方がないのかもしれないが、あまり開放をしていると 自分の世界が保てない。 彼らは彼らの価値観があるのだ。 当然のことだが、20数年お互いに違う道を歩いてきたのだから 仕方がないことだ。 これからもまったく違う道をお互い歩くのだから。
そのことを考えれば今の疑問が少しは晴れるだろう。
1968年 9月30日ー月曜
8時10分前起床、学校に出発をする。 武澤ゼミに参加する。 武澤先生に皮肉を言われたー少なくとも私のいい加減さを 指摘されたと感じた −気持ちだけは積極的になっているが、その実はやっていることは いい加減だということだ。 ゼミ終了後、図書館で卒論のまとめをする。 気持ちが落ち着かず中途半端であった。
校庭であった奥野と中野と話をする。 試験がその後あった、ここは出ないと思っていたところが出てしまった。 もっと駄目押しをしておけばよかった。70点ぐらいだろう。 兼子と池袋駅まで一緒であった。 バスで帰るがこの風景もあと半年で終わりだ。
帰寮後夕食に行くと、寮の佐藤嬢がいる。 少しの時間だが食事をして話をする。
何か毎日が矛盾だらけだ、今日の先生の皮肉が聞いたのか気持ちの 動揺が残っている。 現在の自分はゼミと卒論に気持ちが集中している。 それと就職のことがーこのまま就職してよいのだろか? 今の寮生とあまりに気持ちが違っている、これも仕方がないか?
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2004年11月12日(金)
新聞広告の欄を見ていたら、新刊本で『スリッパの法則』という文字が 目に入ってきた。事務所でスリッパを履き替えさせる会社は要注意という。 以前から、このことは言われていたことだが、本の題名になるのは初めてである。
当社もメンテを考えて、移転する前の事務所からスリッパに履き替えていた。 たまたま一週間前から、来客は土足にしたばかりだった。
数年前に若い銀行マンがはじめて来て、何か万引きを見つけたような顔をしていた のが印象的であった。その時、真剣に土足にしようか考えたが・・・。
早速、本屋で立ち読みをしてきたが、買うほどの本ではない。 そこでインターネットのパソコンで検索をした内容とは。
ー2、600億円を運用したとかで「カリスマ・ファンドマネージャー」 と呼ばれた著者が、延べ3、000社を超える企業を訪問し、調査をした過程で、 良い会社かどうかの以下の一定の法則性を帯びていることに気づいた。
「人の話を聞かない社長のいる会社」 「社長室の豪華さとその会社の成長性は反比例する」 「スリッパに履きかえる会社に投資しても儲からない」 「極端に美人の受付嬢がいる会社には問題がある」 「相談役のいる会社は成長性が少ない」 「ラジオ体操を強要している」 などを上げていた。 これでほぼ全てを言い尽くしているだけで、後はなんの内容もない。
そういえば、むかし仕入れで関西や広島の問屋やメーカーをまわっていた時、 玄関で靴を履き替える問屋・メーカーは旧態以前で、社員の平均年齢も高かった。
当たらすとも遠からず、ということだ。
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2003年11月12日(水) 952, 「殴られ屋」ー読書日記
http://www.rosetta.jp/hareruya/back.html サロンのコーナーに貼り付けてある。
世の中には、想像を絶した生き方があるものだ。 「殴られ屋」の存在は「ホームレス作家」を読んだ時に、そのレフリーのアルバイトを した内容が詳細に書いてあったので知っていた。 その本を図書館で偶然見つけた しかし借りてきて暫くの間は、手に取ることができなかった。 気の毒で正視できない思いが先立ったからだ。 しかし、読んでみてサッパリした体育会系の生の必死さが伝わってきて 好感の持てる内容であった。 人間死んだ気になれば、何でもできるものである。 そして、その凄みが周囲の人に感動を与えていく様は素晴らしい。 それはものごとから逃げないという信念が直に伝わってくるからである。
ヤクザにショバ代を要求された時、殴られることで支払おうとした。 それを親分が見にきて「馬鹿野郎、殴られて商売をする奴から金を取れるか!」 と子分を叱ったというのが、よい。
お客は素人と思っていたが、プロの挌闘家が多いという。 まさに命がけである。
本は買う必要が無いが、是非ホームページを見てください。 破産せずに、毎日、殴られ屋をやって「借金の全額返済」を目指している 姿を、いまの政治家や役人に是非見てほしいと思う。 いや自分のことか!ほんと。 今の時代これがジョークでなくなるから恐ろしい。
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『殴られ屋』 晴留屋明著、古川書房
■借金1億5千万の男
殴られ屋をご存知だろうか?奴はいつも歌舞伎町に立っている。
ボクシング・グローブ、ぼろぼろのヘッドギア、スウェットの上下という 出で立ちで、夜になると商売を始める。 「さあ、だれか私を殴ってください!」 殴られ屋は一分間千円で、客に好きなだけ殴らせる。 蹴りや投げなどは無く、拳による攻撃だけだ。しかし、殴られるだけでは たまったもんじゃないからパンチを避けるわけだが、これが見事なまでに 当たらない。たまに一二発当たってもクリーンヒットはほとんど無い (もちろん反撃はしない)。 モハメド・アリのようにヒラヒラと攻撃をかわすさまは、自らが 『世界一のディフェンス技術』とうそぶく程だか、あながち嘘とも言いがたい。
その男の名は晴留屋明という。 彼は借金1億5千万を返すために、今日も歌舞伎町に立ち続ける。
■いい人なんだなぁ〜
こんな多額の借金を背負っているからと言って、晴留屋氏が決してナマケモノ だった訳ではない。むしろ勤勉でまじめな人だ。 殴られ屋なんて商売をしてはいるが、昼間はちゃんと仕事をしている。
ごく普通の電気工事会社の社長であった彼は、自ら進んで働き社員には 優しい男だった。どんな駄目な人間でも辞めさせたりせず、なんとかいい所を 見つけてやろうとする。また情にもろく、貧乏教会から頼まれた工事を破格の 値段で引き受けてしまう。情に厚いといえば聞こえがいいが、 結局はお人よしなだけである。人としては合格だか、社長としては失格である。
結局その人のよさが災いして、お決まりの連帯保証人→債権者失踪という パターンにハマってしまう。バブル崩壊の時によくあったアレだ。
まあだから、本当は晴留屋氏はぜんぜん悪くない。 たまたまお人よし過ぎただけだ。
■あと3日で止めろ。さもなきゃ死ぬぞ!
ある日彼がいつものように歌舞伎町で客に殴られていると、酔っ払った ヤクザが近寄ってきて、涙しながしながらこう言ったそうだ。
確かに殴られ屋なんて商売は危険きわまりない。そもそも彼はなんでこんな 商売をしているのか?それはもちろん借金を返すためなのだが、もっと他の 方法はないのだろうか?結論から言ってしまえば、ある。 自殺して保険金を借金返済にあてるなり (偶然にも晴留屋氏の保険金は1億5千万だったそうだ)、 死なないまでも自己破産するという手もあるだろう。 僕なら間違いなく自己破産を選ぶ。
しかし晴留屋明は「殴られ屋」という道を選んだ。 なんという馬鹿だ。
自殺や自己破産のようなネガティブな事はしたくない、人様から借りたものは 返さなきゃいけない、というのがその理由だ。 財産といえば、ボクシングで鍛えたという自分の体だけだ。 できる事といえば殴られ屋しかない。
それにしても、なんという不器用な生き方だろうか。 つーかお前、そんな事いってる場合かヨ!奇麗事ばっかり言いやがって。 借金一億五千万を返すためには、一分間千円として15万人に殴られなくては ならない。15万人!?できる訳が無い。僕ならさっさと自己破産する。
でも、彼はできると信じている。
頭では無理だと思いつつ、本を読んで体の奥から震えがくるのは、 僕だけではないはずだ。男だったら誰もが共感せずにはいられないだろう。 いや、女にだってわかるはずだ。 僕や君にこんな波乱万丈な生き方が出来るだろうか。
■勇気をもらう
しかし晴留屋明は一人ではない。 彼の生き方に共感した多くのサポートがいる。サポーター達は無償で彼を 支える。多くの人がもともと客として晴留屋を殴りにきて、その生き方に 感激し、勇気をもらった人々だ。
そもそも彼には妻と子供がいる。今はこんな生活をしているので一緒に 暮らしてはいない。彼のささやかな夢が、家族と再び一緒に暮らす事だという。 本当にささやかな夢だが、実現は困難と言わざるを得ない。 そのためには借金1億5千万を完済しなくてはならないからだ。
でも彼はできると信じている。
この本を読んで僕は根拠の無い希望を持った。勇気が湧いてくる。 いつか挫けそうになったら、歌舞伎町を訪れてみたいと思う。 あの晴留屋明に勇気をもらう為に。
・・・・・・・・・・・ 578, 読書について - 2002年11月12日(火)
以前「本を読むときのポイントは何か?」と不意打ちに聞かれて、 瞬時に出た言葉が「読みたいところを探して読む」であった。 小説や本の構造が大事の場合が多いから、すべての本にはいえないが。
「一冊の本からその真髄を一つを掴め!多くのものを得ようとするな!」 そう割り切ってそのノウハウを身につけた時、本屋や図書館は 知識の宝庫に変わる。立ち読みでも多くの知識を得る事が出来る。
勿論(^^ゞしいー自嘲の話しだが,今まで本を読んで一つでも本当に モノにしてきただろうかというと疑問だ。 「要するに一番のポイントは、結論は何なんだ?」 「読み終わった後に、この本はこういう事がポイントだった」 とまとめていただろうか?何回も自省してみる必要があるのに。 読書の一番の要諦はこれしかないのに。
多くのものを得ようとして何も得る事ができなかったのでは? また自分の壁がそれを不可能にしていたのでは? このことを考えてみても、内部の壁が如何に大きく自分を取り囲んで いるかが解る。自分でこの随想日記を書き続けて、作家や記者などの 物書きの凄さが解ってきた。
文章の中に込められたエネルギーや魂が感じ取れるようになった。 本屋や図書館はエネルギーのルツボである事も。 そこに行きなれない人が行くと便意をもよおすのは、 人間の脳の中枢を刺激されるからだ。
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2004年11月11日(木)
橋本元首相が、数年前に大手術をしたことは、ニュースで知っていた。 この本の中に、その時の生々しい心情や、具体的な日々が書いてあった。 何かキザな鼻持ちのならない男と見ていた存在が、 急に身近な一人の人間に思えてくるから不思議である。
またTV「お宝鑑定団」に出ている中島誠之助のエッセイもあった。 普段あまり知ることのできない骨董品の世界を覗き見ることが出来た。 骨董の世界は本物、偽者が混合している世界。 本物の中でも、価値が大きくわかれている深い世界である。
ー中島のエッセイの印象に残ったところを抜粋してみる。 「骨董の世界では、初めから人をだますために作られたものを、 偽者にもおよばない最下級におき、 『嫌物(いやぶつ)』と呼んで下げすんでいる。 嫌物は、それをこしらえた人化身であるために、そのもの自体に罪がある。 それに対して偽者は、その人が作りあげたもので、品物自体に 罪はないといえる」
著名の作家の書く文章は、何気ない日常の描写が鋭く、しかし、 それを思わせないタッチがプロの凄みである。 一流の人は何気ないことでも、その文のタッチで改めて対象を 見つめさせてくれる。それが一流の一流たる所以である。 一流の役者が端役を演じると、その役そのものが端役でなくなってしまう から不思議である。何ごとも魂を込めるからであろう。
このエッセイ集に選ばれることが、著名なもの書きや、政治家や、 エッセイストの大きな名誉となっているという。
この数年分の「ベスト・エッセイ集」を ジックリ読んで勉強してみようか。 ーーーーーー ーうらやましい人-’03年版ベスト・エッセイ集 日本エッセイスト・クラブ (編集) 文藝春秋 内容(「MARC」データベースより) 富や名声にこだわらず、植物学一途に95年の人生を捧げた、 高知県出身の植物学者・牧野富太郎。 その孤高にして崇高な生き方にふれた表題作「うらやましい人」 をはじめ、プロ、アマ66篇の傑作エッセイの競演。 2003年版。 目次
うらやましい人(視覚障害者との一期一会(安原みどり) 大統領と戯れ絵(山藤章二) ほか) イカの足三本(水に敬礼(井上ひさし) 仁慈の心、保科正之と松江豊寿(中村彰彦) ほか) 半日ラマダン(ゴンタ(田辺聖子) 名医の中の名医(浅田孝彦) ほか) いらぬオマケ(長谷川平蔵のこと(逢坂剛) 私の遇った革命家(柴田翔) 他に60篇近くーー
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2003年11月11日(火) 951, 衆議院総選挙の結果を考える
終わってしまえば、こんなものだろうというのが選挙の結果である。 もう少し、投票率がアップするのではと思っていたが、それにしても低すぎる。
総括として「二大政党のカタチが、でき始めた選挙」であった。 小沢一郎の捨て身の合併劇で、マニフェストー選挙公約を争う機運ができた。 小選挙区制度の良さがここでやっと出てきた。 自民党保守派の社会主義者が、中選挙区制度の復活を言っても誰も相手に しなくなった。
「もう一歩で民主党が勝てたかもしれない」という期待が少しあったことと、 「自民党よ、そう甘い顔はしていられないよ」という忠告が相まっている。 しかし、もう少し民主党に勝って欲しかった。 190議席あたりが理想的であった。
やはり若い人の選挙に対する無関心が、その壁になった。 結局は自分で自分の首を絞めていることになるのが解らないのだ。 無知の彼等の未来から借金をして、生き延びようというのが旧守派だろう。 自民党の恥元派と官僚だろう。その彼等に間接的に手助けをしているのが 解らないのだ。これも若年層の質の低下の現象と見てよいだろう。
ソ連と中共と北朝鮮からの資金援助をしてもらっていた社会党の残党の 社民党が、そこから金が入らなくなったら消滅するのは当然である。 共産党は今更、何もいうことがない。 この残物整理という点でもこの選挙は意味があった。
ー毎日新聞の記事をweb毎日からコピーした。 2003年11月8日 −−− [2003衆院選]投票率、自民「60%前半」期待 民主は「70%になれば圧勝」
9日の衆院選の投開票を前に、選挙戦の勝敗を左右する投票率動向に注目が 集まっている。公明党の組織票に頼る候補者を多数抱える自民党は 「60%台前半がいい」(幹部)と前回(62・49%)程度の投票率を 期待するが、無党派層の支持に期待する民主党は「70%になれば圧勝」と 高投票率に政権交代への望みを託す。毎日新聞の終盤情勢調査では、投票に 「必ず行く」の回答が76%に上ったが、候補者の間では「選挙戦自体は今 一つ盛り上がりを欠く」との声も強く、投票行動にどう結びつくか読み切れない。 【中西拓司】
「正直言えば、有権者に対して『投票に行って下さい』とは口が裂けても 言いたくない」。自民党幹部は6日、こう本音を漏らした。 選対幹部も「無党派層は民主党に投票する可能性が高く、投票率が上がれば 自民党に不利。逆に低すぎると比例代表で公明党に投票する人が相対的に増え、 自民党の比例票が伸び悩む」と予測。「64%を超えると自民党が危ない」 と指摘する。
自民党単独政権時代の傾向は投票率が上がると、組織票中心の公明党や 共産党の得票率が下がり、自民党の得票率が上がった。公明党と連立を 組んでからは、公明党の支持母体・創価学会の組織票に依存。 10月の参院埼玉補選は、27・52%という記録的な低投票率と公明党の 組織票によって、自民党候補が辛勝したとの見方が強い。
一方で東京、大阪、愛知などの大都市圏の無党派層が自民党にソッポを向く 傾向が強まっているため、投票率の大幅上昇は自民党の屋台骨を揺さぶりかねない。
これに対し、民主党の岡田克也幹事長は4日の記者会見で「投票率が70%を 超えれば、(目標の)200議席という数字が出てくる」と強調。 小沢一郎旧自由党党首も「66〜67%にしたいが、70%になれば圧勝する」 と語るなど、投票率上昇への期待が強い。
◇今も昔も決め手は天気?
今回の衆院選では、不在者投票が前回よりも増加しているため、 投票率が前回よりも上昇する可能性がある。 ただ、最近の衆院選の投票率は下落傾向にある。前回は投票時間が 2時間延長されたにもかかわらず、62・49%にとどまった。 有権者の「政治離れ」に歯止めをかけるには至っていない。
投票率の高低を分ける要因の一つは、今も昔も天気。自民党が有利と されていた79年10月衆院選(大平内閣当時)は、悪天候で低投票率となり、 自民党が大敗。今回は気象庁によると、9日は北海道、東北、沖縄地方で 晴れ間がのぞくものの、関東以南では曇りか雨との予想だ。
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577, 一人旅 - 2002年11月11日(月)
20代前半に北海道と九州に二回一人旅をした。 他には勤めていた会社にいたころ、近くの半島に旅行をした。 紀州半島と能登半島だ。これは一泊二日だったが。
一歩家を出れば、あとは旅行代理店とつくった日程どおり にこなしていけばよい。結構楽しい旅であった。
写真を多く撮っておけばよかったが、そのアルバムも不明だ。 傷心旅行だったり、学生時代の最後の休みの旅行だった。 一人頭の中でブツブツ独り言を言っていた思い出がある。 それがよいのだろう。
一種のロマンチズムで、有り余るエネルギーの捌け口だった。 ただ記憶が鮮明に残っているのが不思議といえば不思議である。
今考えてみれば、一人で外国に出てみるのもよかったが、 あの当時の社会情勢からも、自分の性格からいっても無理だった?? 一人旅は一歩踏み出せば、なかなか味がある。
「深夜特急」という沢木耕太郎のドキュメンタリー風の小説がある。 世界の一人旅を目指している若い人の手引書になっている。 7〜8年前にTVでもドラマ風に仕立てられて数回に渡って 放映された。この出来もなかなかよかった事を憶えている。
といって親しい人との旅行と比較すれば、やはり一人旅より良い。 TPOSによるが。
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2004年11月10日(水)
’03年度版ベスト・エッセイ集「うらやましい人」がなかなか面白い。 何冊か図書館で借りてきた本の一冊で、殆んど読まないで返そうとした本である。 この地震で図書館が閉館していた為に返しそこねて手元にあった。 何となく新幹線の中で目を通したところ、それぞれが面白い。
そこで、後書きをよく読むと、 毎年、日本エッセイスト・クラブと日本文藝家協会が、 前年の日本の雑誌に掲載された膨大な数のエッセイのなかから、 それぞれ「ベストエッセイ」を選び、単行本化しているものであった。 エッセイ好きを大いに楽しませている本で、20年間も毎年刊行されているとか。 なるほど、面白く味わい深いのは当然である。 もっと早く知っていれば、必ず毎年ごとに購入したと思わせる内容である。
作家のみならず、多くの分野の専門家や素人の作品まで掲載してあって ミックス感覚で飽きないのも良い。 著名な作家や経営者や政治家が並び、文章のプロとしての充実感や 多くの分野の深い内容が書いてあったで読み応えがある。
このベスト・エッセイ集のおもしろさは、 エッセイという切り口から、色いろな人の心が浮き上がってくることだ。 まとまった作品群を読んでいると、それぞれの世界が、それぞれの内側から わかってくるような錯覚に陥ってしまう。
この本に掲載された文のなかから、たびたび国語の入試問題が 出題されていて、教育関係者では知らない人はない本でもある。 60〜70編のエッセイが収録されており、多くの世界を味あうことができる。 '04年版も刊行されているので、早速図書館で探してみる。 まだ半分しか読んでないので、その後になるが。
もののプロセスが見えにくい時代の中で、 エッセイは、日頃見えないプロセスや人の感情の機微や揺れを描き、 隠れた世界をかい間みることができる。
短文が心に残るのは、それぞれの世界を凝縮して見せてくれるためだ。
続く ---------- ----------
2003年11月10日(月) 950、「泣いて笑ってハッケヨイ」
昨日より大相撲が始まった。 そういえば先日、再放送であったが、NHKの人間ドキュメント 「泣いて笑ってハッケヨイ」が良かった。 今年の春場所に入った新弟子の何人かを追っていく内容である。
中学を出たばかりの子供が、わずか数ヶ月の中で全く違った顔に変わっていく。 もし自分の子供であったら、涙が止まらないだろう。 気の弱い登校拒否の子が、相撲の中で克服していく姿が生々しく映し出されていた。 大きな志と小さな自信をもって相撲に取り組んでいく姿がそこにあった。
「体に痛さを慣れさせないと恐怖心に勝つことが出来ない」という兄弟子の 言葉が印象的であった。 そして稽古で痛さを体に憶えさせて行く場面は、人生の根底の要点であった。 まずは自分の恐怖心を乗り越えなくてはならない。
勝つことによって、だんだん意欲が出てくる姿が初々しくてよい。 いま大相撲が面白くなくなってきたが、こうして一人一人が自分の人生を背負って 闘っている姿をみると、じっくりと見直してみる必要がある。
今場所は、横綱の武蔵丸が引退かどうかが一番の注目されている。 実際は無理だろうが、相撲の世界はわけの解らないところがあるから どうなることか?
過去に書いた大相撲の随想日記をコピーします。
・・・・ ・・・ 相撲を考える 2003年9月22日 大相撲が昨日で千秋楽、朝青龍が優勝をした。 他の格闘技も多くできたこともあるが、最近の大相撲はつまらなくなった。 つまらなくなったという点で、今のプロ野球に似ている。 NHKのBSでメジャーリーグを見るようになってから、全く見なくなった。 以前、「過去の相撲の大一番」を特集していた。 子供の時から相撲が好きであった事もあって、ラジオやTVで大一番は 殆ど見ていた。 ・私が見た中での大一番は「栃若の千秋楽の全勝の一番」である。 ・大鵬と柏戸の千秋楽の全勝同士の一番も素晴らしい一番であった。 ・生まれる前なので見てないが、歴史に残るのが双葉山が69連勝の 後に負けた相撲も大一番といえるだろう。。 栃若が全勝で向かえた千秋楽の前日の逸話がある。 栃錦があまりのプラッシャーに「一人でこっそりと映画に行ったところ、 前の席にやはり若乃花がいた」という。 大乃国・双羽黒・保志・小錦が一度に昇進していく時期も面白かった。
相撲は、立合いの一瞬に大方が決まってしまう面白さである。 また数秒間の中に、それまでの二人の全てが圧縮されて出てくる。
いま人気の高見盛の相撲が面白い。 特に「入魂の儀式」としての、最後の仕切り前の気合を入れる仕草が 人気をよんでいる。それが神憑りになるから見ていて面白い。 緊張を気合に転換するための、純粋な仕草さが受けているのだ。 勝てば胸を張って退場するし、負ければ泣きそうな顔をして引きあがる姿が 滑稽で、忘れかけた人間の原点を見せ付けられるようだ。
今場所、横綱をかけていた魁皇が逆上せ上がって自滅していった姿が 印象的であった。高見盛の人気に対して個人的嫉妬がアリアリで、 軽くいなそうとしてヒンシュクをかってしまった。 勝負の世界は一瞬の隙がチャンスを潰してしまう。
朝青龍の弟弟子のモンゴル出身の朝赤龍というのが強くなりようだ。 それと目覚めてきた旭天鵬が一年後には、大関か横綱になっている可能性がある。 とにかく彼等はハングリーだ。 半年前に書いたようにモンゴル大相撲になってしまうか? 日本人には個性的な力士はいても、彼らに対抗しそうなのは殆ど見当たらない。 十両の普天王と豪風というのが面白そうだが。
面白いもので去年の今日相撲のことを随想日記に書いていた。 丁度千秋楽が、前後にあったためだろう。
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2003年03月12日(水) 707, モンゴル大相撲
先場所の各段の優勝は序二段を除いて全て外人が取ってしまった。 今場所からは、両横綱とも外人である。 外人力士が50数名いるうち8割がモンゴル出身である。 下位の有望力士の大部分が外国力士という。数年後には幕内上位は 大部分がモンゴル人に占められる可能性が出てきた。
今の横綱の朝青龍より強くなりそうな素材を持ったようなのが 私の目で見ても数人はいる。 彼らはモンゴルの大地で羊の肉を食べ、馬に乗り自由に生きているため 骨格からして違う。 更に所得が日本の100分の一しかないために、関取になれば数ヶ月で モンゴルの一生の生活費が稼ぐことができる。 目の色が変わるのは当然の事である。今の日本人が敵うわけがない。
日本の相撲のルーツはモンゴル相撲という説が有望である。 グローバルの時代、それでもよいと割り切ったほうが良いだろう。 一時代前には考えられなかったことだ。 ロシアに朝鮮にアメリカにモンゴル人と面白くなってきたが、 日本人だけと割り切っていた方がよかったのかもしれない! 巨人・大鵬・玉子焼きの時代は終わったのか。
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2002年09月22日(日) 527, 大相撲ー頑張れ武蔵丸!
まさか貴乃花が千秋楽で同点決勝に持ち込めるとは思ってなかった。 もし優勝をしたら大騒ぎになるだろう。 こういう時に勝つのが大スターであるが、彼はそれを持っている。 しかし心情からみたら武蔵丸の勝利が望ましい。
前回あまりにも貴乃花が劇的すぎた! 武蔵丸のその時の姿がリアルにある記事に書いてあった。 おまけにその為に貴乃花を大怪我をさせてしまい、 かれが負けると、場内に座布団が荒れ飛ぶ。
この一年余り、独り横綱も大変であったろう。 それが7場所も休んだ主役に優勝をさらわれたら、余りに気の毒である。 もし彼が勝ったら、盛り上がった今場所に水を差すことになる。
貴乃花が勝ったら、一応彼の人生の大きな節目になるのではないだろうか。 大横綱の道を歩く為には、今日は負けた方がよいだろう。 大鵬の30回の優勝に向けて、身体を作り直すチャンスだ。 勝てば他の力士に焦点を当てられてしまう。
それにしてもスターの要素を持った若手がいない。 このままでは、ますます人気の陰りが増すだろう。 幕下と十両に元学生横綱の個性派と外人が数人いるが、 輝いているかというとどうか? 他の格闘技で面白のが、どんどん放映されているから八百長体質 があるなら、相撲人気はますます落ちていくだろう。
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576, ある時間の断面ー10 2002年11月10日(日)
ー1968年 9月27日 7時半起床、8時55分に受講するがプリントをもらい損ねる。 受講後、川崎と池永とタッカーホールで話し合う。 石川をチョット無視をする。たまには薬になるだろう。 図書館で合気道の同期の助川と久々に会う。 昼食を一緒にとり、今後のことを聞く。 彼も大変のようだ。
その後ゼミに出席する。体調が悪いせいか議論では絶不調だ。 石川が今日は絶好調だ。彼に独壇場を許してしまった。 どうしたことか?疲れているようだ。
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9月28日 9時起床、また寝すぎたようだ。10時20分に川崎と待ち合わせの 場所に行く。しかし彼はこない、図書館に直行して、卒論のまとめを していると、石川がくる。12時頃再び待ち合わせのところに行くが 彼はこない。図書館にいるとやっと川崎がくる。
石川と深井と川崎と松村の家に車で行く。 凄い家だ、山の手の家に入るのは初めてだが凄い。 (いや鳩山御殿に、ある会合で、映画でいうその他大勢のエキストラで 行ったことがあったが)
その後松村の家を出て、石川と深井と3人で[[赤と黒」というスナックへ行く。 それぞれの性格について話あう。 23時に帰寮後、服を着たまま寝てしまう。 夜半の2時に隣の部屋に先輩の川路さん、満田さんがきて騒いでいた。 それっきり眠れない。
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2004年11月09日(火)
昨日の月曜日、ホテルの今週予約が如何なっているのか、実のところ心配であった。 新幹線と在来線の不通の事態なら、普段の客数の五分の一か、十分の一である。
実際、下越の観光ホテル・旅館でさえも殆んどがキャンセルである。 中越地区はゼロは情況から見れば、今さらいうこともない。
新幹線がストップなら、駅前型のホテルも同じ情況で当然だが、 復興の為の手伝や、役所が全国から当分は集まって来ていて、 差し引してもプラスになっている。 イベントも殆どキャンセルになっている。
お客様のほとんどが、作業服を着た被災救援の関係者。 今のところ、復興部隊の人の宿泊でカバーしてくれるが、 新潟県の経済は大打撃を受けたことは間違いのない事実だ。 建設・土木関係は当面、神風がふいた状態だろうが。
何処まで続くかわからない事態の余震が、まだまだ収まりそうもない。 昨日も震度4〜5の余震があった。 通勤の帰路にある長岡駅裏のダイエーが、地下の食品売り場を除いて 閉鎖をしていた。 今朝の4時前に震度4弱の余震があった。
余震がいつまでも続いている。 今では余震の度に、震度の当てあいをしている。
メルクマールの日記内容である。 ーーー メルクマール 堀井 11月08日 ・今日、会社に来ると、国土省の延べ400人の予約が入っていた。 これからも震災関係も入ってくるから、予測していた動きが、でてきたようだ。 殆んどが事務方だ。長岡では宿がとれないためだ。 といって、これは一時的なことでしかない。 東京〜長岡間は4時間15分〜5時間半はかかる。 高速道バスで6時間だから、値段から考えたら、バスが多くなる。 新幹線の脱線の工事は、11月10日からというから、当分開通はないが。 しかし亀裂をおこした立柱は、もう工事に入っているだろう?から、 年内は無理としても最短年越し直後辺りではないか。 長岡の奥座敷といわれた、蓬平温泉の「イズミヤ」など、 三つのホテルの従業員全員−100人あまりーが解雇されたと、新聞に出ていた。 失業保険で急場をしのいで、一年後に再開するのか? いずれにしても、経済は生きるか死ぬかの大打撃であることは間違いのないことである。 11月7日 ・朝8時過ぎに、また震度3の余震があった。 ドッスンという縦揺れのドキッとする地震だった。当分はこの状態が続くだろう。 ・「男はつらいよ」DVDを借りてきた。 こういう時は、これにかぎる。
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2003年11月09日(日) 949, 流通大戦争
長岡と隣接している見附市の今町に5000坪のスーパーセンター 「PLANT5」が開店をした。10月29日に開店をしたがチラシを まかなかったのでオープンをしている事に気がつかなかった。 規模もさることながら、それぞれのアイテムの多さと値段の安さに驚いた。 エブリデー・ロープライスをそのまま実践をしていた。 お客の立場からみればアイテム数が多く、廉価であることが第一である。 ただただ「安い、アイテムが多い!」と驚いてしまった。 新潟の郊外にも聖篭の長崎屋の後に入っているが、その一回り大きいものだ。 47台のレジがフル回転をしていた。 チラシをまかないで、これだけ入っているのだから凄い。 今月末には同じバイパスの反対側の小千谷市の郊外に「ベイシア」がオーペンする。 これで長岡はSSM(スーパー・スーパーマーケット)のウオロクも含めた 三箇所のポイントが、この数ヶ月でおさえられた事になる。 合計で200億である。 20�涌幣紂�の売上げがいっきょに奪われたことになる。
一番の影響を受けるのが、勝ち組のジャスコと、スーパー原信と、 HC(ホームセンター)のコメリとムサシである。 中越地区が無店地帯であったことが、これで証明された。 流通は車社会になって、いちだんと競争が激しくなった。 確かに今の私の商売は厳しいが、流通の厳しさからみれば全く軽い。 ただ真綿で首絞めのところもあるが?!
といって、このディスカウントが本物かというと、5〜10年スパンで終わりで あることも間違いはない。それにしても圧倒的な廉さには驚いた。
http://www.palge.com/news/h15/5/plant20030509.htm
以前書いた流通関係の文章をコピーする。
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797, 流通業界よりみた時代の変化ー - 2003年06月10日(火)
流通業界の事は度々書いているが、10年前の状態と今を比べると段差に 驚かされる。 ー10年前は、 ・ダイエーの中内功は、まだ他の会社の建て直しをしていた。 ・西武グループの堤清二もバブルの後始末に入ったところであった。 ・マイカルーニチイも創業者の一人小林某が、マイカルシティーとかいう、 アメニティーなど入れた複合の施設をつくっていた。 ・長崎屋も駅前型から郊外にその重点を移そうと必死であった。 ・ヤオハンは香港に本部を置き中国に出店を始めていた。 ・ソゴウも大型店を破竹の勢いで出店していた。 その全てが潰れてしまったか解体である! 時代の変化の激しさを痛感する。 すべて多角化によるエネルギーの分散による競争力の低下で自滅したパターンである。 当時チェーンストアのコンサルタントの渥美俊一は現状に近くなる事を予言していた。
今だに元気のよいのが、イトーヨーカ堂とジャスコである。 それと十数年前に一時潰れそうになったユニーである。 今後10年後はどうなっているか?というと、想像すらつかないのが流通の世界である。 もっとも日本そのものがどうなっているのかも想像を絶するが! 経済的大変動に90�涌幣紊禄韻錣譴討い襪呂困澄� 愚民の選んだ自民党と官僚の利権維持の為である。 それとアメリカの毒饅頭をタップリ食べさせられたことも背後にある。
若い人は本当に大変だと思う。 大激動時代を生きていかなくてはならないからだ。 話しをもとに戻すと、この情報革命とそれによるグローバル化により 想像もできない流通形態になっいるだろう。 ビジネスの宿泊が3分に1に僅か2~3年で激減する時代である。 当面始まるのが東京周辺の百貨店の淘汰である。 高島屋、東急、松坂屋とか株価欄を見ればいくらでも候補がある。 まだ高島屋みたいに表面化してないところもあるが。
ーーーーーー 648, 流通業界を考える - 2003年01月16日(木)
実家も勤務も前業も流通業界の出身の為か業界のウネリに興味がある。 一般小売店と地方百貨店はほぼ壊滅。その流れが都心の百貨店にきている。 そごう百貨店の倒産、西武流通グループの解体と西武百貨店の再生法。 東急もしかり。三越の不祥事の連続の事態。 これからは高島屋の隠れた問題が吹き出るはずである。
百貨店といっても、その実体は不動産業でしかない。 問屋とアパレル業やメーカーの場所貸しでしかない。 それに優勝劣敗の管理を加えている位だ。 当然、スーパーや大手専門チェーンに侵食される運命だった。
その勝ち組であったスーパーがおかしくなり始めた。 マイカル・長崎屋・九州の覇者の壽屋・ヤオハンの倒産である。 ダイエーは解体過程、西武流通グループは完全解体、西友は外資に 買収された。原因は多角化の失敗である。 アメリカのNO・1であったスーパーのKマートが去年倒産したが、 これはシアーズの生活総合業の真似によるエネルギーの分散の為である。
ダイエーは、野球やリクルートとホテルなどの多角化が本体のエネルギーを そぎ落としてしまった。他もそうだっだ。 勝ち組と見られるヨーカ堂とジャスコは売り上げ経費率が25〜28�佑� あり、近々大量出店を見込まれるウォールマートの16�佑裡嫁楸瓩ぁ� 10年後の流通図が、この数字に全て暗示されている。 この2つが合併しても16�佑砲修�落とす事は無理だ。
傍で見ている分には面白いが、これから始まる大競争時代を象徴している。 解体と再統合の繰り返しの始まりだ。
これは今の銀行の先行を明確に現しいている。 地銀以下レベルは40年前の日本の流通業に酷似している。 どう収れんされていくのか? 今年からその再編成が始まる。 これは日本の根底の再編成になる。
ーーーーーー 516,デフレと流通大乱 - 2002年09月11日(水)
夏季の土日・祭日の午後の散歩はダイエーに行く。 店内を3〜40分歩いて帰ってくると、1時間の散歩コースに 丁度よいからだ。クーラーもきいているし面白いし。
それにしてもお客が少ない。 商品はそんなに悪くはない。ただこれはという商品は ヨーカ堂と比べると少ない。 ニーズ商品は悪くはないが、ホット商品が少ない。 でも安いし、面白い事は確かだ。
家内もダイエーとヨーカ堂と専門店の特売を使い分けている。 それにしても消費物価が信じられないくらい安いのに驚く。 300円、500円クラスで面白いぐらい良い商品がある。
これでは洗濯屋が悪くなるはずである、洗濯代の方が高くつくのだ。 誰もわかっていることだ。
「バーミアン」というスカイラークが展開を始めた中華料理屋も、 ここに来てやっと本物になり始めてきた。 イタリヤ料理の「サエゼリア」の価値に近づいている。
とにかく安い、味はまあまあだが価値は充分感じる。 チェーン店評論家?として、この2つと、マクドナルド、家具のニトリ、 ユニクロ、無印良品、100円ショップ、しまむら、吉野屋、 居酒屋の一部に、日本にも本物が出始めてきた。 デフレに強い業態で、ロアーポピュラープライス専門店グループだ。
それにしても大手GMSのチェーンの盛衰が凄い。 ・西武流通、ダイエーグループの実質解体。 ・長崎屋、マイカルーニチイ、ヤオハン、九州最大の寿やの倒産。 百貨店だが,そごうの倒産。
総合店が苦戦している構造になっている。 本来GMS(ゼネラル・マーチャンダイジング・ストア) は専門部門を束ねたものであるはずだが、組織がそれについて いけないのだろう。
アメリカでは、10年前の雄であったK−マートが倒産。 今はウオールマートの時代だ。西武流通グループから西友を 買い取って日本に乗り込んでくる。
ジャスコとイトーヨーカ堂が合併しても太刀打ちできない相手だ。 ジャスコは、この3年間荒利をこのままにして人件費を20�邑困蕕� という。正社員は3年間殆んど入れないという。 それも可能かどうか???実際は不可のはずだが??
ところが下げたとしても、20�涌幣綽遊鑒颪糧耄┐� ウオールマートより高いという。 創業者の元会長が「あと3年で準備ができないときはジャスコも危ない」 と、警告を発している。
流通は渦中でなく、横でウオッチングしていると面白いが、 渦中で働く人は阿修羅の世界だろう。 デフレが更にこれに拍車をかけているからだ。 時代の変わり目だ!!
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575, つれづれに学生時代のこと ー2 - 2002年11月09日(土)
現在、学生時代の日記を書き写していることは意味のあることだ。 ユングは「人生に午前の人生と午後の人生がある」といっている。 その価値観はまるで違う物差しになる。
今の私は午後の人生の学生期にある。 それで敢えて「学生時代の日記を書くことで、これからの 午後の人生の設計の基礎を考えようとしている」事になる。
若い時には仕事や家庭創りや物質など外に見出そうとした。 午後はその時に見出されなかった事や、人生全体の何かを自分の中に 見出していく時期だ。
そのことは「夜と霧」を書いた心理学者のフランクルもいっている。 「コペルニクス的視点の大逆転、『人生に何を求めるのでなく、 人生が何を求めているか』の追求」である。
人生の意味の完成というと難しいのかもしれない。 午後の人生を余白でなく、新しいページの書き込みの過程として 捉えると解る。
その意味で学生時代を省みるのは理のある行為である。 可能な限り行動し、知り、新しいものを開拓していく設計図の再構築が 必要ということだ。
その下敷きとして学生時代の日記を見てみると違う視点が生まれる。 別に難しい事をいっていない。 両親がそれをしっかりやって死んでいったモデルがある。
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2001年11月9日 ーベトナム旅行中
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2004年11月08日(月)
数年前、パソコンショップで椅子と腰の間に置く「ビーズ・クッション」を見つた。 早速買って使ったところ非常に良い。 そこで海外旅行に持っていって、飛行機やバスの席の腰に当てて使っている。 空気枕代わりにも使える。 長時間同じ姿勢をしていると、この有難みが増す。
数ヶ月前に、ホームセンターで大きな枕位の「ビーズ・クッション」を見つけた。 TVの前でごろ寝をする時に腰に当てると、これも非常に快適である。
家具屋のソファー・コーナーをブラブラしていると、 今度はソファー大の「ビーズ・クッション」があった。 何種類かあったが値段は3〜6万円もする。 いつかは買うだろうが、とにかく高いので買わなかった。
一ヶ月ほど前に、長岡駅にあるセゾンの「無印良品」店で、 手頃の大きさの「ビーズ・クッション」があった。 居間のTVの前で、座るのに丁度よい。 値段は16000円である。 家具屋の値段から見てもそう高くない。
そこで、インターネットで「無印良品」とキーワードで検索をして HPの「ビーズ・クッション」を調べたところ、 この商品の開発プロセスが図入りで詳しく紹介をしていた。 これでは失敗は無いだろうと、ネットショップで発注した。
使いだして一週間、非常に快適である。 姿勢に合わせて、クッションのカタチが変わる感覚である。 それと、座ると包みこむように沈み込むようで、 昔の王様が豪華なソファーに座ったようである。
これに液晶TV付きパソコンがあれば、 部屋は快適空間になるのだろう。 これも、ローテク?のなせるワザである。
ますます、お宅の世界か!
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2003年11月08日(土) 948, ユーモアのセンス
このホームページにもユーモア・小話のコーナーを設けてあるが、 世の中には、面白い小話、ダジャレ、ユーモアは多くあるものだ。 といって本当に面白いものは少ない。
以前もユーモアについて書いたが。 当時は小話を100近く集めて、知人に話した。 それが、ここの癒し系のコーナーに書いてある。
ユーモアについては、全く通じない人が多い。 「どうして?」と共通項を考えてみたが、本を読んでない人にその傾向が強い。 言葉の中にある微妙な面白いイメージが全く湧いてこないのだ。 それと、身構えて冷笑してしてしまう。 早くいえば教養のない人であるが、それをいってはお終いだが。。 「じゃあ、あなたは自分の教養があると思っているのか?」 と言われると答えようがない。
全くつまらないと思うか思わないかのテストをしてみる、 ー身の上相談 アメリカのラジオ番組で、ある女性の回答が評判であった。 あるとき、小学校のこどもが相談の電話をかけてきた。
「うちのママは、毎日、毎日、 朝は早くおきなさい よく手を洗いなさい よく勉強をしなさい TVをいつまでも見てはいけません 夜は早く寝なさい と言って、うるさくて、うるさくてしかたがありません。 ボク、どうしたらよいのでしょうか」 それに回答者が答えた。 「朝は早くおきなさい よく手を洗いなさい よく勉強をしなさい TVをいつまでも見てはいけません 夜は早く寝なさい 以上、サヨウナラ」
この何が面白いのかと疑問に思ったら、 少し考えた方がよいのでは、と思うのは少し厳しすぎるだろか? 「子供の期待する答えと、全く正反対の言葉を斬って返すセンス」が 面白いのだ。隣の席の女に気がいっていてはダメだ。
ーまた他の話で ある男が片腕を失って、将軍から銀の勲章を貰った。 男は将軍にもう一方の腕を失くしたら金が貰えますかときくと、 将軍は「もちろん、あげますよ」と答えた。 それを聞いたその男やおら剣を抜くと、もう片方の手を切り落としてしまった。
この話、何にも面白い内容ではない。 ところが少し考えると、あることに気がつくはずである。 もし気がつかないなら、一日考えてください。 これが解らないと 「言葉に対するセンスがない」といわれても仕方がない?
ー説明すると、いややめておく。 引き出しのコーナーの、この文章の最後に書いておきます。
ー江戸の小話でも似たのがあった。 「後家さんになると綺麗になると聞いた熊さん、 『俺のカカアも早く後家さんになってほしい!』」
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574, つれづれに-学生時代のこと - 2002年11月08日(金)
学生時代の最後の半年間の日記を「ある時間の断片」という題で 書き写している。 そのときは34年の時空を飛び越えて青春真っ只中の自分に 立ち返っている。 記憶もそのときのことが走馬灯のように立ち返ってくる。
変わらない自分と全く変わってしまった自分がそこに見える。 今時に悠長なことを思い出しているものだとも考えてもしまう。
学生時代は、 ・そこで住んでいた青雲寮の生活 ・武澤ゼミと卒論 ・欧州の一ヶ月の旅行 ・影響を受けた大学の先生と授業 ・クラブの先輩同僚などの思い出 ・軽井沢の友愛山荘のアルバイトの思い出 ・合コンや合宿などなど
結構多くの構成が重なっている。 この4年間が人生の圧縮であった。 物理的には馬小屋のような部屋に住んでいたが、出来事は数え切れない ほどのことがあった。
脱皮脱皮の連続線上にあった。20代30代は誰でもそうだが 私の場合創業を目指していたこともあり、刺激の強い20年間であった。
武澤ゼミ、欧州旅行、青雲寮、軽井沢友愛山荘、個性的な教授と 結構恵まれていたのは時代の背景もあったようだ。 高度成長期で日本がアップスケールの真只中だった。
毎日日記の中で色々な友人と語っている内容は、これからどういう生き方を しようかという内容と、その批判である。未来が光り輝いていた。 ・自分は留学しようと思う。 ・いや大手の会社に勤めようと思う。 ・大学に残ろうと思う。 ・自分で事業を起こしてやろう。
そういえば結婚をしようという人は誰もいなかった。 如何しようか?という人は多かったが。
自分が何か使命を持って社会に期待されているようであった。 何かやっと自分の出番が回ってきたようでもあった
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[220] 実感の言葉 - 2001年11月08日(木) 「自分の人生の今までの実感を、幾つかの言葉で表現してみたら?」 と聞かれたら
1、まずは「恵まれていた」これが全てと言ってよぐらいだ。 (時代、両親、恩師・・) 2、次は、「ついていた、運が良かった」 3、第三は、「面白く楽しかった」 4、第四が、「有難う」ー感謝・感謝・感謝である。 5、そして、「愛こそ全て」愛情の大切さである。 6、「もう一度全く同じ人生を!」ー
「ありがとう、面白かった、悔いはなし」 実際のところ、うそ偽りなしの気持ちである。
ーなんか遺言みたいだー
−−−−−−− ーいざベトナムへ!ー こういう時代になった為に、一回一回が最後のチャンスと考え旅行を しなくてはならない。 行く方も必死だ、ベトナム航空でベトナムなら大丈夫だろうと決定した。
いざベトナムを決めて情報をとると、サイゴン(ホーチミン)や ハノイはかなりスサンだ状態だそうだ。かなり危ないらしい。 しかし地方は良さそうだ。
一週間で、近いということで殆ど緊張感がない。 18時に成田発だ。
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2004年11月07日(日)
ウォーキングで、彼方此方みるうちに地震の大きさに驚いている。 近くに避難所があることと、 自宅の裏の空家に被災者一家が入居してきたことと、 一昨日の殿町の飲食街で、具体的な被害を見てきたこともある。 お客は閑散、店と客のボトルは殆ど棚から落ちて割れたとか。 次々に廃業をしているという。
30分ほど歩いた所にSCがあるが、ゲームセンターは閉鎖のまま、 隣接している玩具のチェーン店「トイラザス」もやはり閉鎖のまま。 ジョウシンという家電の全国チェーンも、痛々しいほど店の商品はスカスカ。 駐車場の一角に大きなテントを張って、壊れた商品を一時保管していたのをみても 多くの商品が破損したのだろう。
近くのパチンコ店も閉鎖のままである。 遊技場など行く雰囲気でもないが。
道路は、陥没のまま手がつけられてない状態。 アルファルトで応急処理をしてある道路も、余震で再び陥没していたところが多い。
この地震で家の崩壊や死傷者が少なかったのは、建物が雪国用に頑丈に 作られていたことと、過疎地で人口の密度が低かったことなどで、 第二次災害が最小であったためだ。
これだけの災害でよくぞ三十数人の死者ですんだのは、不幸中の幸いである。 新幹線も、雪国用の特別仕様のため大事故をまぬがれた。
この地震の特徴は余震が異常に多く、現在も続いていて、 余震の地域が更に広域に広がっていることだ。
昨日のメルクマールでも書いたが、 散歩途中で聞こえてきた農家の人の立ち話が印象的だった。 「丁度良い時期に、地震が起きてくれた。 早ければ、稲刈りや農作物の取り入れに影響をしたし、 遅ければ寒さや雪で大変であった。水害の跡片付けも丁度終わった頃だし」 なるほど、その通りである。 大きなマイナスの出来事の中にも、必ずプラスがあるものだ。
これからの被災者の大きな問題は、普段の生活に戻れないことだろう。 一番変化に対応しにくい人達?だからだ。
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2003年11月07日(金) 947, 女の視線
「田中真紀子は選挙になると、一番汚い服を着る」という噂が専らであるとか。 なるほど,その同年代の女の視線を、彼女には解らないのだろう。 所詮は票乞食にならなくてはならないのが代議士だろう。 もっとも選挙運動に綺麗な外行きの服も着ることができないだろうが。 しかしパフォーマンスで着ているかどうかは女の目には誤魔化せない。 目白御殿に住み、何不自由なく生きてきて、今更庶民派もないだろう。
真紀子パフォーマンスも前回で終わったのか。 あまりマスコミも取り上げないのも、新鮮味が無いことと、彼女への風が 吹いてないということだろう。 橋本が破れたのは、彼女の力もあったが橋本が悪すぎたのだ。 外務大臣のときの、大臣芸者としての役者ぷっりがひど過ぎた。 もっと風が吹くと思ったが、パフォーマンスは前回の一度で終わりか。 結局は「親の看板と地盤とカバン」しかないのが彼女の本質である。
この人から誠意のひとかけらも感じられないのが、彼女の本質を突いている。 国をどうするとかの理念が全くないのは言うまでもない。 といって、この選挙には勝つだろうが。 選挙は最後の最後まで何がおきるか解らないが、大勢に影響はないだろう。 困ったものだ。
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573, 健康機器 - 2002年11月07日(木)
以前ある人に「ニギニギ」を紹介されてから、散歩の時は必ず持ち歩き、 握ぎ握ぎをしながら歩いている。肩こりや目などに非常に良い。 数種類を持っていてその時々に使い分けている。 海外旅行の時など飛行機や移動のバスの中では、必ず手で握り締めている。
ボチボチや突起物が付いており、それが手のツボを刺激をする。 足と目と手にツボが集中しており、手が気楽に一番やりやすい。 100円ショップに多くの種類が売っており、7〜8種類を持っている。
2週間ほど前に会社の近くの家電の量販店をブラブラしていると、 磁気付きのニギニギがあったので早速買ってみた。 使ってみるとなかなか良い。
また自宅の近くのダイエーをブラブラしていると、 店頭で磁気付きブレスレッドの定価8千円のものが1千円で売っていた。 迷わず買って腕にした。 その夜何か寝ていても気分がよく良い夢を見た、そして翌夜も。 気のせいもあるだろうが。
更に再び同じ家電の売り場に再び行くと、アイマスクの磁気入りの物を 売っていた。これを早速買って夜付けて寝ると頭がすっきりした。
今度はヨドバシカメラに行くと、頭に掛けるイヤホーンの形の コメカミに磁気を当てる物があった。 これも良い。付けて本やTVを見ると疲れないのだ。
従ってこの二週間で頭や目や肩が非常に楽になった。 腕にブレスレッド、頭にイヤホーン、手にニギニギ、寝室では アイマスクをしている。まあ馬鹿みたいだが?! 肩こり、目の疲れに間違いなく良い!!
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[219] 無駄な事なし - 2001年11月07日(水)
人生ふりかえってみて感じる事は[無駄な事は全くない]という事である。 ある程度燃焼してきたから、言えるのかもしれないが!
全く無駄にみえる事ほどふりかえってみた時、一番重要なポインだった ようだ。皮肉と言えば皮肉だ。重要な事はボロを羽織ってくるのだろう。
老年にさしかっかた時、死と同じくらいの恐怖 「自分の人生これでよかったのだろうか?」という問いかけだそうだ。
ある本に`自分の母が死ぬ時「私の人生失敗だった!」という言葉 を残していたと姉より死後に聞いて、立ち上がれないほど ショックを受けた’という内容が書いてあった。 なにか非常に悲しい響きが残っている。
母に「人生の元をとった?」と聞いたことがある。 「とったとった十分とった!」と嬉しそうに言っていた! 人によって「無駄な事だらけ」という人生もあるのかもしれない。
人生にやはり意味を求めていないと、そうして精一杯生きてないと、 失敗だった?という気持ちになってしまうのだろう。
無駄とはどういう事だろう? ある事業に失敗したとする、それをどういうように解釈するか? 自分の解釈で意味ずけをするかだ。 無駄にみえても、意味があると解釈するかどうかだ。
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2004年11月06日(土)
ー経済に与える影響は
この地震による家財などの破損などで一般消費は, 目先、家具や家電などは売れるだろう。 しかし一般的には災害地以外も含めて大打撃になると予測される。 被害の殆どない新潟市でも飲食店、ホテル、タクシーに大きく影響が 出始めている。
新潟では、タクシーは一晩に一組の客が取れかどうかという。 飲食店でも学校、企業関係の宴会が殆んどキャンセルされている。 新潟駅前など、新幹線と関越自動車道の不通で、普段の賑わいの 半分以下である。それでなくとも数年来、駅周辺も人出が減っていた。
この一ヶ月で、個人飲食店の閉店が目立ち始めてきた。 新潟の事務所の100m以内で、三店も閉鎖した。 長岡だけでなく、新潟もこの冬で多くの飲食店が閉鎖されるだろう。
当社の長期滞在型アパートメントで、フロアー貸しをしている自動車教習所の 話しによると、東京からの「宿泊の教習生」が、殆んどいなくなった。 あらゆる分野で影響が出始めてきた。
反面、長岡ではホテルとタクシーは目先特需という。 長岡駅裏のタクシーの待合に、一台しか止まってなかったし、 ホテルは今月半ばまで全て満室状態という。 それも長くは続かないだろうが。
JRの在来線と新幹線と、関越自動車道がストップしているのだから、 如何にもならない。
昨夜、長岡の殿町の飲食街に飲みに行ってきた。 いずこも殆ど客が入ってなかった。 最後に、馴染みの自宅近くの居酒屋に行ったが、 近くの避難所に来ていた山古志村の被災民が一人で飲みにきていた。 あまり詳しくは話さなかったが、自宅は壊滅といっていた。 この居酒屋も年内で閉店する。
この下書きをしている現在も余震が続いている。 夜半も、かなり大きな震度3〜4?の余震が二回あった。 どこまでつづくのだろう。
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2003年11月06日(木) 946, 22世紀への伝言ー読書日記
この人の本は図書館に2ヶ月に一度ぐらいの割合で追加される。 やはり「幸せの宇宙構造」が何ともいって一番である。 しかし他の本も決してまけてはいない内容である。
平易の文章の中にキラリと光る内容がふんだん含まれている。 難しいことを易しくアッサリと言ってのけているのがよい。 幾つかを書き出してみる。
ーパワー充電法ー パワーの充電法として別の方法を三つ、教えておきましょう。 ・その一。 人間そのものもパワーをくれるものです。 元気な人、若い娘、よく働く人、動き回る子供、大声で笑う人、 考え方が前向きな人、建設的、肯定的で明るい人、 それに、気力・体力・精神力・意志力などを強く感じさせる人。 そういう人の傍にいるだけで元気になります。 喫茶店やレストランで席を決めるとき、友人もそういう人の近くに なるべく近づくべきです。 ・そのニ。 室内で充電する方法です。 コンセントから5センチほど(手を広げて)離し、出ている電気を取り込みます。 同時に、「気」が体に流れ込んでいるようにイメージしてください。 ・その三。 空中に「栄養の塊」「エネルギーの塊」があるようにイメージし、それを 木の実を採るように空中から手で掴み取り、口に入れます。 実際にゴクリと飲み込んでください。
ー渦の原理ー 最初に、この原理は、何故そうなるか分からないということをお伝いしておきます。 ただ事実だけが存在します。 インスタントコーヒーを用意します。 普通はスプーン一杯のコーヒーをお湯に溶かすわけですが、ここでは1杯半溶します。 ちょっと苦めです。それを飲み、苦味や渋みをよく味わい、覚えていてください。 (2~3杯になると、苦すぎて味の違い分かりません。)
カップの上2~3cmのところから右手で右回し、らせん状に離していきます。 地殻(地球の中心)から離れるようにまわすのです。 らせんの直径はカップの直径から始まり、5回まわし(らせん状まわし)でカップ 直径の三倍ほどに広げます。 高さは5倍ほどにしてください。 上にいったらそのまま上にエネルギーを投げます。(上に放り投げるように。) それを5回ほどしてください。ただしきれいならせん状を描くように。 はじめての人は手をらせん状に回すときに、カップに近づいたり遠ざかりしがち なので、注意しましょう。正しいらせん渦でないときは、味に変わりが出にくいのです。
さて、らせんでエネルギーを上に飛ばしたあと、飲んでみます。 多分苦味も渋さも、薄くなっています。 「水っぽくなった」というのがほとんどの人の感想。 今度はは反対に、逆回しにしてみてください。 右手で、カップに近づけつつ、らせん状に左回しをしてみます。 苦味や渋みが元の元に戻っているはずです。 「体が余り歓迎したくないエネルギー」は「左回し接近で収束」のようです。 誰がやってもそうなります。
この「渦の原理」は痛みや体の不調にも使えます。 体のその部分を横にして、らせん渦が地球の中心から離れるように 回すと、痛みや重さが和らぎます。 歯の痛み、頭痛、腹痛、神経痛、リューマチなどに有効です。 「右回し拡散」で悪いエネルギーが空中に放出されるらしいのです。 これをしてから手当てをすると、治療時間が少なくて済みます。 逆に、「右回し収束」は、宇宙的プラスパワーを呼び込むらしい。 疲れている時に元気になったり、体の不調を改善したりするようです。 頭頂部の「百会」のツボにむけて、漏斗状に「右回し収束」をしてください。
どうも、人体に望ましくないエネルギーは「右回し渦」で離していくと 粒子密度が薄くなり、「左回し渦」で接近させていくとそこに粒子が集まる。 (粒子密度が高くなる)らしく、逆に人体にプラスのエネルギーは「右回し渦」 で接近させると粒子密度が高く(強く)なり、「左回し渦」で離していくと粒子 密度が薄くなるらしい。 私たちが気がついてない何かの原理があるかも知れません。 コマは回転方向によって重さが違うことがあり、物理学者も頭を悩ましているそうだ。
・・・・・・・ 「22世紀への伝言 」
イライラせず、心穏やかで温かく、幸せで満ち足りているときに、 自分の中の眠っている潜在能力が花開きます。では、どうすれば “心おだやか”でいられるのか。その方法と実践の為の手引き書。
◆目次より◆ ・ 誰でも超能力者 ・人生は自分が書いた設計図 ・スプーン曲げの方法 ・雲消しの術 ・若さの秘密 ・自分で自分を好きになる
金 額:1,500円 発行所:弘園社 発行日:1996年2月18日 ・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・
572, ある時間の断面ー9 - 2002年11月06日(水)
1968年 9月24日 8時前に市川さんが起こしにくる、そのまま寝てしまう。 9時半に目がさめる。 川崎との待ち合わせに間に合わない。 顔を洗い寮を飛び出る。 タクシーで校庭の通称 4丁目の交差ベンチに行く。 5分の遅れだが、待っていてくれた。 その直前に綾部嬢とバッタリ出くわす。
ヨーロッパに行ってきたという。 「すごく良かった、ITAの主催の旅行で行って良かった」と 言っていた。そういえば私が紹介したんだっけ? 石川のガールフレンドだったが、今は上手くいってないと 彼が言っていた。まだお嬢さんだが気持ちのよい人だ。 吉田嬢にも出会う。アメリカに行ってきたという、去年欧州旅行の グループの一員だった。
川崎と喫茶店に行く。かなり溜まっていた話を一人話していた。 松村に腹を立てていた。 彼の言い分はよく解るが、そう言っていたら人とは付き合えない。 川崎もこの一年で成長したようだが、人間に影がなく好きだ。 帰寮後TVを見て、風呂に行く。さて洗濯だ。
9月25日ー水曜日
また寝過ごしだ。全く何たることだ。流されているのだ。 小学生や中学生以下でないか。自分の中の力があるはずなのに 何故流される。この時期一瞬でも大事なはずなのに。
大学の図書館で3時間卒論の本をまとめをする。 その後、小作と石川とウエストサイドで話す。 帰寮後、3時間卒論のまとめをして、就寝。
9月26日
朝9時に学校に向け出発。 産関論を30分受講、食事の後掲示板を見るためにタッカーホールに 行くと、ゼミの武澤先生に会う。 「学館の問題」でタッカーホールで説明会があるから是非聞くよう 言われた。偶然深井と会ったので、ホールに聞きに行く。 途中で出て、図書館で卒論のまとめ、その後深井と早稲田の本屋へ行く。 彼の求めていた本がなく、途中で分かれて寮に帰ってくる。 深井もここで変わってきた。
卒業間じかのせいか友人が皆練れて男臭くなってきたようだ。 19時頃に大妻女子大の人が尾形君のところに来るが、 いないので私の部屋で一時間位待つ。 結構面白い子だが、その後市川さんと食事に行く。 一時間本を読んで夜半の一時に寝る。
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[217] 夫婦別姓 - 2001年11月06日(火)
夫婦別姓について、あるいは行き過ぎた女性の社会参加についても、 如何でもいいとも言ってられなくなった。そうでもないか? かなりの思い切った男性優位論を掲げた、ユング系の教授の ホーページが面白い。 http://www09.u-page.so-net.ne.jp/ka2/rindou/contents.html
アメリカに与えられた民主主義で、消化されてない女性の異常な権利 の主張が日本の特質になっているが、それのみならず家庭を崩壊始め ている。 誰も男の立場で何も言わなかったが、正々と論陣をはった彼に敬意を 表する。
かなり行き過ぎもあるが、どうであれ面白いので、 是非彼のページを覗いて見る価値がある。
すっきりするが、今の日本男子の哀れな姿を彼が教えてくれている。 今の原理主義も全く肯定できないが、今の日本の一部の馬?女を見て いると、そのとうりと言いたくなる。その連中(テロ)の前でこの馬? 女ーどもに「銃を持って戦ってみろ!」と言いたくなる。
これは旧約聖書の原理の解釈の戦いだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー ー林道義ホームページー
夫婦別姓への疑問
夫婦別姓を唱える女性は、弁護士や官僚が多いが、彼女達は親が 弁護士や旧家なので、実家の姓が誇りであり、夫と同じ姓にするのが嫌 なのである。「自立した女性」ではなく、実家に寄りかかっているだけだ。 それでいて「家」を否定するのだから、恥をしれといいたくなる。
明治の民法論争は、封建道徳の擁護といった問題ではなく、家の中のこと に法律を振りかざすことに疑問を感じた人が多かったのではないでしょうか。
工業化がすすめば給料取りが増え、自然に「家」から離れるわけです から、民法で無理に夫婦中心の小家族にする必要はなかったと思います。 夫婦別姓を唱える人は、大切な物を破壊しようとしています。
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男女共同参画は社会を破壊する
女性副知事の増加は、男女共同参画法の影響でしょう。 クラス委員長が男子なら副委員長は女子にするというのは、学級会だから うまく行くのであって、企業や官庁にもちこんだら組織は破滅します。 こういう場合は、フェミニスト団体を背景にした女性が売り込んできます ので、組織の健全な発展ではなく、破壊をもたらします。 ーーーーーー-------------------------
1 フランス在住の「専業母」より(リヨン在住 Cさん)
先日、少年バスジャック事件の記事から、先生のホームページを知り、 一気に読ませていただきました。 私は、フランスのリヨン在住の主婦で3人(4才半、3才、8ヵ月)の 子供の専業母をしています。主人はイタリア人です。
先生のホームページを読み進める間に、何度か思わず拍手をしてしまい ました。私の、常日頃思っていたことが、解りやすい言葉で書かれていた からです。漠然と頭の中にあったものが整理されてきた感じがします。
と、どうしても先生に手紙を書きたくなりました。あれもこれもと書いた後 で無理やりつなげた、要点のまとまらないもの(しかも長い!) になってしまい、無知をさらけ出すようで恥ずかしいですが、 やはり送らせていただきます。
お時間があれば、現役主婦・母の声として読んでいただければ幸いです。
昨年はじめあたりから、日本で女性の社会進出を叫ぶ人達 (多くは自称フェミニスト?)と専業主婦の間で、論争が起こっている、 という話は耳にしておりましたが、海外におりますので、テレビや誌上で どのような経緯でどんな論争がなされたのかは、詳しく知りません。
しかし、身近な声の中にも「自立した女性・母親でありたいので、 子供を保育園に入れて仕事を続けることにした。」 「身の回りの世話や育児をすることと引きかえに、夫を束縛し、 夫に依存するような女性にはなりたくない。」 というように、専業主婦そのものを蔑視する気配が感じられました。
私は、彼女らを非難するつもりはありません。 むしろ母親業をするときはマメで、効率よく家事をこなしている例も多く、 見習いたいところがいっぱいです。ただ、私にはこれらの考え方が、 とても視野の狭い、片寄ったものに感じられるのです。
第一に「専業主婦は自立していない」とは、何をもってそういうので しょうか?経済的な事にだけ焦点を当てているのでしょうか。同じ 「収入がない」ということで、理由もなく働かない健康な若者と混同されては、 話になりません。
主婦業は持続力、判断力、創造力をいかんなく発揮できる恵まれた仕事だと 思っています。人間が生きていくのに不可欠な「家庭」を取り仕切りることを 一生の仕事として受け入れ、日々を送ることを「自立しているしていない」 などという命題で片付けようとするのはあまりにも矮小な捉え方のように 感じます。
次に、保育園についてですが、例えば、看護婦など、特殊な仕事の場合や、 経済的にどうしても母親が一家の稼ぎ手として働かなければならない場合 などは保育園の存在は助かると思います。 しかし、先生もおっしゃるように、保育園の拡充(「駅前保育所の増設」 「24時間保育の実現」)などは、一部の女性の利益にしかならない無駄な ことだと思います。
もし実際にこれが実現して、女性がみな出産後すぐ社会に戻るように なったら、古い言葉ですが「ゆゆしきこと」だと思います。 保育園で働く保母さんはみんな自分の子供を保育園に預けるのでしょうか?
「自立した女性は、将来、自慢できる母親になるであろう」といいますが、 3才までの子供のその日、その時はどうでもよいのでしょうか? 保育園には専門家がいるとよく言いますが、本当の専門家はどれだけいるで しょうか?
もし本当の専門家がいれば子供はすべて専門家に預ければいいとでも 言うのでのでしょうか?これは母親の重要性のまったくわかっていない人の 理論です。
子供の専門家は、その母親であるはず(べき)だと思います。 そして必要のある場合は母親(父親)の判断で専門家の意見をあおぐ べきです。 しかし、子供の専門家は、その母親であるはず(べき)だと思います。 そして必要のある場合は母親(父親)の判断で専門家の意見を あおぐべきです。 しかし、この場合はむしろ二の足をふむ人が多いのが現状でしょう。
そもそも女性には子供を宿し、産み、母乳を出して育てる、 というしくみが備えられています。だから太古から、男性が外に出て、 食物をとり、養ってきたのだと思います。
これは、生きるために効率の良い分業であったのでしょう。 その本来の差(特徴)を無視し、「女性も社会に出て働こう!」 「男女均等の社会を!」「男女差別をなくそう!」と、 何でもかんでも男女同じにしようと見当違いの抗争をするより、
他に考えることや実行していくことは山ほどあると思います。 それも早急に。社会で女性が不当に差別されている例は実在し、 それについては改める必要があると 思いますが、それを口実に(しているとしか思えない)片寄ったフ ェミニズムを扇動 する人達がいるのは、出産や育児などの「仕事」もはたしつつ、 社会でも活躍したいという女性の邪魔にもなりかねません。 はっきりいって、本当の意味での平等な社会の実現を阻むものだと 思います。
それから、「身の回りの世話や育児をすることと引きかえにで、 夫を束縛し、夫に依存する」というのも、妙な言い替えのような気が してなりません。
類似した言い替えで「夫は稼いで妻子を養ってやるので妻は家事を やれというのはおかしい」というのもありますが、どちらも 「役割分担をする」ということが頭にひとかけらも浮かばないので しょうか?だいたい束縛し依存することなど、 そう簡単にできるものでもありません。
話はかわりますが、イタリアでよく聞かれる言葉で "Sempre pronta"という言葉があります。主婦や、特に母親について 使われます。直訳すれば「常に準備が整っていること」ですが、 これはただ「家をきれいにし食事を整えておく」というだけでなく、 「臨機応変に判断し、 必要に応じて速やかに対処する」そして「受け入れる余裕がある」 という意味を持っています。私の好きなイタリア語の一つです。
主人と結婚する前には、イタリアの女性というと 「個人主義で情熱的で自由奔放で自分の欲望のままに生きる」と いったイメージがありましたが、踏み込んでみると、 そこには違った女性たちがいました。主人の母もその一人です。
家は埃もなく気持ちよく整えられ、服は洗われアイロンがかけられ、 傷んだものは 繕われ、丁寧に着られています。これだけ家や物事を維持していく のは大変なことで、毎日ほとんど一日がかりのようです。 でも不思議と悲壮感や倦怠感は感じられません。
自分もきれいでいようと、気持ちの良い服を着てきれいな身の こなしで家族のために仕事を進める義母はやるべきことをやっている 人だけが持ちうるオーラのようなものに包まれています。 「身じまい」とか「しつらい」という言葉が思い出されました。
生活のすべてが「そうしないと心地悪い」というような確固とした 美意識と家族への愛情に支えられているのです。
「子供ができて、私は、私の人生からひきずり降ろされた感じがする」 と言った女性がいますが、「そう思っちゃうのか、かわいそうだなあ」 というのが、正直な感想です。 女性(結局男性もですけど)の生きる場所は、社会だけではありません。 外の世界にばかり、自己実現の機会があるわけではないと思います。
と、読み返すと、何かたいそうなことを述べたてておりますが、 実際には母である ことはなかなか難しく、これで子供たちは幸せなんだろうか? と不安になることもしょっちゅう…という三流母です。
今後も、先生のHPを楽しみにしております。 奥様にもよろしくお伝えください。 私も「主人が待っているから」と帰るくちです。
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2004年11月05日(金)
この地震シリーズを書くのも終りのはずであった。 書くのも飽きてきたし、面白くない内容だ。
昨日は普通の生活パターンに戻る初日。 ところが新幹線が長岡駅を発車して7分後に、再び余震があるとは 思ってもいなかった。
震度は4で、ユサユサという感じの揺れであった。 災害以後の、通勤初日の新幹線でまた余震にあうとは。
今年の台風と同じで、どこまでも続くのが不気味である。 地球規模の大気圏と地層で、何か起り始めているのではないのか? と考えざるを得ない。
観光旅館は、県内は壊滅状態という。 中越地区は、ほぼ100�佑�キャンセル。 他の地域でも80�佑�キャンセルをしているという。 本当に深刻である。
これは典型的な業種であるが、ほぼ全ての経済は壊滅だろう。 困ったものである。 長岡駅と新潟駅の専門街は殆どお客は見当たらない状態である。
旅行をしていると、この数年どこにいっても、 「地球温暖化の影響で、この数年異常気象が起きている。 生態系のバランスが崩れて色いろの分野で大きな問題がおきています」 という。神(大自然)が怒っているのだろうか。
ーーー 昨日、出社の直後書いた「メルクマール」の日記の内容である。
ー11月4日 「冗談じゃない!」 11日ぶりの新幹線、やっと平常に戻れたと思いながら外を見ていた。 ところが発車して7分ほどして、新幹線が急停車。 その後10秒程度?揺れていた。 「これは地震で震度4~5位だが、もっと大きいかもしれない。 当分、新幹線の車内から出ることが出来ない!下手すると、数時間はかかるだろう。 それにしても、危ない場面に出くわしてしまったのだ」と思い、 自宅に携帯電話をするが不通である。 そこで新潟に電話をして状況を聞くと、中越地区が震度5強の地震という。
しかし30分後に発車、長岡を出発して1時間後に新潟に着いたことになる。 これで当分警戒期間が延びることになる。 災害地は、昨日の大雨で地盤が緩んでいたはず、二次三次災害がないといいが。 先週の水曜日の余震5の時も、やはり三条と長岡の中間地点にいた。 今回の地震では、一回目の地震の三時間前に震源地に近い小千谷のスー・パー・センターに 行っていた。何か巡り合わせが悪い。 少し、それを意識しなくてはなるまい。 帰りの新幹線は長岡まで果して開通するのだろうか。 ・・・・・・・・ ・・・・・・・・
2003年11月05日(水) 945, 瀬戸内寂聴
先日たまたまBS・11にチャンネルをまわしたら、瀬戸内寂聴の講演で、 「四苦八苦」の仏話を、面白おかしく話していた。
その時の概要が 「笑うこと、合掌すること、そして鏡を見ること」であった。
この番組の後半の滝田栄と寂聴の対談が面白い内容であった。
「人の命は甘美なものだ!」と釈迦が言ったという寂聴の言葉が印象的だ。 そして「慈悲が真髄だ」というのが彼女の実感として迫ってきた。 「笑わすことが重要だ」 「渇愛こそ最も大事な愛だ」 「自分を慎め!」 「51歳で出家して、一つだけ守っているのはセックスだけだ。あとは守ってない」 「出家といっても、カタチからキチンと入ることが大事である。 もし髪を下ろさなかったら、煩悩に負けてしまっていただろう」 「髪を下ろすことを絶対に勧めます」 「仏像を彫りなさい!」 等々、印象的な言葉がドンドン出てきた。
作家である為か、難しい仏教の真理を簡単にしてしまうのが彼女の特性と 自覚しているのがよい。 「笑うこと、合掌すること、そして鏡を見ること」という言葉もよいが、 「書くこと、与えること、そして夢をみること」もよいのではないか。 ・・・・・・ ・・・・・・
571、ひしょひしょ話 - 2002年11月05日(火)
-組織づくりのポイントー 会社を始めるにしても、組織を創るとき一番大事なのは まず秘書を採用すべき事だ。次に経理そしてその次に オペレーションー運営責任者のマネジャーになる。
これは逆に考えてしまいがちだが、冷静に考えれば当たり前の事だ。 これが意外と盲点である。これを読んでハッとする人が多いはずだ。 最近は日本もスカウトなどで会社を移動する場合、 秘書を連れて行くケースが多くなった。 それだけ秘書の役割は大きい。
秘書は大学教授の助手の役割と同じである。 的確に指示を出す手助けとー雑務の代行だ。 アメリカの映画を見ていると、会社の大小に関係なく 会社といえば先ず秘書が出てくることを考えれば解ることだ。
その次に大事なのが経理課長だ。 ラインのマネジャーは最も大事だが、まず充実すべきは秘書の 機能である。一人の部下を持つ場合まず秘書としての訓練をして その機能を入れることだ。次にお金の管理ー経理課長を訓練をする。 運営は最後だ、運営はまずトップの自分がしなくてはならない。
家業で奥さんと一緒に仕事をする場合は、 自分がトップと運営責任者のマネジャーを兼ねるケースが多い。 最近はこの逆のケースの場合も多いが。
出来たら奥さんと仕事をしない方が良い。 一番大事な秘書機能が逆にはたらく?! 更にトップの舵取りを奥さんが口出しをする。 それだけでなく変化を嫌う。女の社長が少ないのはこの為だ。 この見極めがお互いしっかり分けてないと大きい失敗に繋がる。
家業でも職能を明確にしておかなければならない。 もう遅いか??!!
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[216] クルージング - 2001年11月05日(月)
10数年前になるが、3分の1の値段でいいから、クルージングのツアーに 参加しないかと、当時のある大手の旅行代理店の支店長から話があった。 定員を大きく割っているので、得意客を優先的にディスカウントをするという。 もちろん二つ返事でOK!
当時第二新館の土地の買収先のオナー夫妻と参加した。 クルージングが4泊5日で香港2泊の一週間で10万円だった。 こういうレジャーもあるものかと感激した。
毎食がバイキングで、これ以上おいしい料理がないくらいの美味しさ。 かつ夜10時から朝6時くらいの睡眠以外、船内のあちこちをブラブラしている。 それがまた楽しい。船上で甲羅干しで寝ているか、ウオーキングをしたり、 ライフルを撃ったりする。
船内ではヨガ教室に参加したり、英会話、ダンスの講習、などイロイロあり、 その好きなやつをして過ごす。それが気ままにどれに参加してもいいのが楽しい。
金持ちはイロイロな楽しみ考えるものだ。 贅沢な遊びの最高に属するものだ。三ヶ月で数百万するものが たまに見ることがある。
ここで面白い社会構造を見た。船会社と船員がイギリス人、コックが中国人、 メイドや下働きがフィリッピン人であった。それに客が日本人であった。
夜がカラオケにパーテーやカジノの時間だ。 これが毎日続く。気分的に最高であった。 そして飽きた頃にフィリッピンに上陸である。 マニラとミンダナオ島であった。 正式な上陸でなく警察つきの仮上陸の為、パトカーのサイレンを鳴らしながらの ビップ待遇である。えらい?代議士がその気になるのが解かった。
60歳を過ぎて余裕ができたら、 地中海のクルージングに参加したと思うが。
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2004年11月04日(木)
昨日の朝、何時もの散歩道を歩いていたところ、一軒の家が全壊していた。 母屋の隣にある小さな二階建ての元住宅で、今は駐車場兼倉庫に使っていたようだ。 倒壊で車が押しつぶされていた。 「サロンのコーナー」に写真を貼り付けてあるが、 小千谷など震源地に近い古い住宅は、同じように多く倒れているのだろう。
我家の自宅裏の空いていた貸家に、家が半壊した一家が昨日より 引越のため荷物を運びはじめた。 数日前に不動産屋からの紹介で、台風による洪水と中越地震のダブル被災の 長岡近郊の浦瀬の一家が入居することになった。 殆ど生活用の家具は使えなくなったという。 台風でやっと立ち直りかけた後なので、かなり深刻のようで、 もう避難所生活も限界だという。 しかし、JAへ夫婦共々勤めている内福の一家のようだが。 全壊は300万、半壊は100万円の支援金がでるというが、やはり厳しいだろう。
新幹線は今日から長岡〜新潟間が開通するので、普段に戻ることになる。 近くでは、長岡大手高校の前と、青少年センターの駐車場にテントに囲まれた 臨時浴場が現れた。中が電気で影が見えるのが生々しい。 被害は全てにくるのではなく、マダラになっている。 地盤や古い住宅など、物理的に弱い所がやられるようだ。 人間の体もそうだが。
今朝の明け方も、叩きつけるような雨が降っていたが、避難所にいる人は 本当に大変だろう。
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2003年11月04日(火) 944, 「創業者からの遺言」
佐川急便の創業者の佐川清の「創業者からの遺言」というタイトルの本が 図書館で目についたので借りてきた。 タイトルと目次をパラパラと読んで印象的であったのが 「月一億の小遣い」であった。
それでも通帳の中は何時も空であったとか。 数千万の外車を馬鹿タレントにくれてやったとか、3億の無心に ある有名タレントがきたとか、この男の馬鹿丸出しが可愛いと 思ってしまった。 そういえば何処かの県知事が、その選挙資金を佐川清に無心したことが 問題になり、刑事事件になった。 新潟県前知事の金子某とかいった奴だ。 もっとも、いまの知事よりは政治家としてはマシだが? この人も55年体制の認可を金で買って太ってきた??でしかないのが 哀れである。この人に集った政治家とか役者は、その蠅である。
そういう面で、「田中角栄の功罪」の罪という面では深いものだ。 とんでもない政治的致命傷を日本に与えたといえる。 それと中曽根も、とんでもない男である。 国鉄解体で、NTT株を野村證券と組んで国民を騙した犯罪を隠したつもりで あったのだろうが。 小泉は思い切ってこの老!!の首を切ったことは良い!! しかし政治家とは「功罪重ね持って国を変えていくもの」だが。
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「創業者からの遺言」
ISBN:4907710917
ゴマブックス (2001-08-10出版)
・佐川清【著】 販売価:\1,500(税別)
創業以来45年、沈黙を破って凄烈な経営論を解禁。 「企業の真の存在価値は社会や人(社員)の秘めたる夢の実現に最大限貢献する ことである」 創業以来45年。佐川急便社主が、沈黙を破って凄烈な経営論を解禁。
人間の章 人と出会い、交わり、人と育つ―企業は人こそすべて、 出会った人が最高の財産である
夢の章 夢を持って、夢を追いかけ、夢を実現せよ!―企業とは、すべての人が 持つ夢の実現に貢献するためにのみ存在する
金銭の章 稼ぎ、使い、妙味を会得する―金に執着すれば金は逃げる。 金は自在に操ることでよき召使いになる
トップの器量の章 常に飢え、戦い続け、決断する―経営者は、自ら省みて自己に 恥じない偉大な存在でなくてはならない
修羅の章 汚職、不正、権力闘争と向き合う ―経営に身をおく者は修羅の場に立たされる宿命を負うと心得よ
真理の章 良心に従い、精神の尊厳を貫く―「忘己利他」の境地に至る道とは
魂の章 人の魂を揺さぶるものは、虚飾を去った裸の精神である ―魂が共感しあえれば企業に不可能はない!
新生の章 志を抱き、義を守り、まっすぐ新時代を拓け―企業を永遠 たらしめるために、一路邁進せよ
佐川清[さがわきよし] 大正11年3月、新潟県中頚城郡板倉村(現在は板倉町)に生まれる。 家業に従事した後、土木業「佐川組」を興す。昭和32年、 佐川組を解散後急便業を開始。急進に次ぐ急進で日通に次ぐ運送業界No.2 (売上高7000億円)企業に育て上げた。現在、社主
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570, 仕事と性格形成−2 - 2002年11月04日(月)
以前習っていたパソコンの先生が直前まで教員をしていた。 結婚で辞めた後に「人に無性に何か教えたくて仕方なかった」 と言っていた。
警察官は私生活の中でも常に犯罪を探してしまうという。 「できたら子供は警察官とは結婚させるな!」 と父が口癖で言っていた。私生活でも常にあら捜しをしている為、 家庭が暗くなるという。 料理屋も絶対に嫁にはやるなとも言っていた、これはいわずもがだが。 ーこれは今回の内容と違う。
私の親戚に元大蔵省の査察をしていた人がいる。 仕事が面白くて仕方がなかったという。 仲間内で飲むと功績の内容の自慢と脱税の手口の情報交換という。 実直の塊のような人である。
小説家は全てが小説のねたにするのが商売だ。 その為に恋愛もし、乞食もする露出狂とも云える。
私など飲食店にしても、スーパーや専門店に入ると、店員の動きや レジや店の規模や客層を常に見てしまう。それと順調かどうかをも。 そしていつの間にその聞き取りをしてしまう。 前は近くで開店ををすると、一番客になるのが習性だった。
面白いのは母は常に話の内容を1・5倍にして話していたが、 衣料量販をしていた時に、仕入れの1・5倍の値付けの癖が話しの 内容に出たものだ。最近になってそれに気が付いた。
本人が本来もっている要素とそれがあいまって性格形成になる。 人間は生物の持っている環境の支配を抜ける事が出来ない猿だ。 言葉をもってしまった狂った猿!
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[215] オカマバーー2 - 2001年11月04日(日)
前回書いた初めて連れて行ってもらった時の事、カウンターで若い女性が二人 飲んでいた。 「へー、若い女がこういう処にのも来るのかなー」と見ていたところ、 一人の女性が「社長!こんな処に来るのですか!」と話かけてきた。
よく見るとうちの会社の社員。「お前こそ、なんでこんなところに!」 と逆にこちらがビックリした。それぞれ世界があるものだと感心した。
毎年行われている長岡高校の同級会を新潟でやってくれと、私の幹事の番に言われた。 そしてその日の3次会で残った4〜5人でその店に行った時、0時を過ぎていた。 確か二人の女性が踊りながら、我々を見てホモの集団を見ているような目つきで見た。 その時「これが引き時かなー」とそれから行かなくなった。
丁度その頃、古町で(Zoo)という店がオープン、値段が7700円でかなりの話題に なっていた。女装している店で、筋肉隆隆のコミックのうりの面白い女?か、 あれは切ったとか、いやに女っぽい女?を憶えている。 別世界の驚きがあった。
二回行ったが、そのホステス(ホスト?)が中学の同級会に女装で行った時、 担任の先生の驚いた表情の話が、印象的であった。 その世界の素人?に、その世界を面白おかしく見せたり話すのが 「彼らの売り」であったようだ。 「笑われて何ぼ」という世界のようだ。 ただエログロの面白さ一見の価値はあった?
学生の時、歌舞伎町で女装のオカマの店の前で、お客を見送っている姿を 見た時のことを急に思い出した。その時は如何いうことか全く解らなかったのだから、 かなりオクテだったのだろう。
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2004年11月03日(水)
ー卒業式の思い出
大学の卒業式の写真が数枚残っているが、その前後の事や詳細の記憶は殆ど無かった。 ところが、この日記で当日の記憶が鮮明に蘇ってきた。 最終の学校の卒業は、人生の大きな境い目である その記念日の記憶は、大事なことと読んでいて実感する、それも年齢を重ねれば 重ねるほど。幼稚園、小学校、中学校、高校とその日のことは憶えている。
その日の父親の気持ちが、今あらためて振り返ってみると少しは解かってくる。 写真も大事だが、気持ちの記録はもっと大事である。 それにもっと早く気がついていれば、日記を書き続けておくべきだった。
読み返していて感じることは、 「若いということは、若いというだけで光り輝いている」ことだ。 不安定で、歪がまだあっても、あらゆる可能性があるのが若い時の特徴である。 それが悩みになるが、その悩むということがよいのだ。 それも振り返ってみて初めて気がつく。
ー1969年 3月24日
卒業式に出席する為に、8時半に起床、10時半に四日市から東京に向け出発する。 15時前に東京駅に到着する。大学時代の友人の川崎のところに電話を入れる。 一科目、追試が残っていて、それが及第しないと卒業できないのだが、 大丈夫だった。絶対に大丈夫と思っていたが、本当に良かった。 万一の時は、就職もオジャンになってしまうのだから。
その足で、寮に行く。佐藤君は居なかったが、残してあった荷物は娯楽室にあった。 その荷物を持って、千葉の検見川にある(三番目の姉)優子さんの家に泊めてもらう ために向かう。父が私の卒業式の為、来ている。何か父も嬉しそうだ。 恐らく、最後の子供を無事卒業させたという安堵感だろう。 父に言ってはならないことをズケズケといってしまった。 「このままの仕事では、必ず淘汰されるのでは!」とか。 父は何か悲しそうな顔をした。本当に何をやっているのか、自分を怒鳴りつけたい。 それも自分の卒業式にわざわざ出てきてくれたのに。 「親父よ、私はまだまだ未熟なのだ。ご免なさい!」 本当に恥ずかしい。
3月25日
7時半に起床。 今日は卒業式だ。8時過ぎに近くに住んでいる(4女)姉の礼子さんがくる。 父と私に会う為だ。 私は寮に行かなくてはならないので、父より一歩先に家を出る。 寮で大家の奥さんに挨拶をする。
丁度その時、佐藤君とバッタリ会う。 最後の握手をする。初めは親しかったが、途中から行き違いが出た。 しかし、気持を何時も通じていた。良い寮での同僚であった。 佐藤よ、ありがとう。これで壊れた関係を元に戻せたようだ。 これで恐らく会うこともないと思うが、良い友人に恵まれた。
さて、その後父と待ち合わせて、大学に行く。 これが本当に、本当に最後の最後の行事になってしまった。 まずは深井に会う。新橋しのだ寿司の御曹司で、無神経だったが 何ともいえない暖かさがあった。彼も興奮気味であった。 その後、武澤先生に会う。父を紹介した後、父ともども記念写真を撮る。 武澤先生には、言いたいだけいい、その結論を出さずしまいであった。
その後、河村、外山、石川、奥野、兼古、広瀬、皆が居た。 本当に最後ということで涙を浮かべて最後の握手をする。 彼らとも、もう二度と会えないのだろう。 思い出の深い校庭である。 ここが日本かと思われるような何ともいえないアメリカ的な雰囲気があった。 父が、あまりに私のところに多くの友人が次々挨拶に来るので唖然としてみている。 父は何か取り残されているようだった。しかし、それより全ての友人に 挨拶をする方が先である。 卒業式は、一人一人が壇上に上がって,総長から直接卒業証書を手渡された。 その後、全員で校歌を歌い無事終了した。 そして、学食に集まり、ビールで乾杯をして、コップを床に叩きつける。 これで学生時代とお別れという儀式である。
そして学校を後にする。 ところが面白い現象がおきた。 ふと見ると、歩いているのが、入学当時のグループの兼古と奥野と 広瀬の4人なのだ。最後はそこに収まったということだ。 兼古は千葉の方向ということで、駅前の喫茶サルビアで思い出話と、 今後の人生について話し合う。 そして電車で千葉の検見川まで一緒に帰ってくる。 これで、完全に学生時代は終わってしまった。 良い学生時代であった。そして、良い卒業式であった。 これだけ、素晴らしい!と思えるというのは、 一生の宝になるだろう。 明日から再び現実が待っている。
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2003年11月03日(月) 943, トンネル怖い
先週TVを見ていたら、磐梯山から紅葉の景色の生中継をしていた。 「今年は紅葉の時期が例年に比べてかなり早い」と現地の人がいっていた。 その言葉の中に「11月初旬の連休には終わってしまって残念である」という 気持ちが読み取れた。
ところが会社の大矢さんが、その時行っていたという。 それが「素晴らしい紅葉」であったと教えてくれた。 昨日、思い立って磐梯山に行ってきた。 しかし最後の盛りは、やはり先週であったようだ。
ゴールデンラインのコースの木々の大部分の葉っぱが落ちていた。 それでも低い山には紅葉が十分残っていて、快晴に恵まれたこともあって 素晴らしい磐梯の秋の景色を楽しむことが出来た。
ところで10年位前から、高速道路の一車線のトンネルが恐ろしくなった。 誰もがそうだろうが、特に緊張をしてしてしまうのだ。 不安になり他の車はみるところ80キロは出しているのに65キロが精一杯。 手には汗ビッショリ、気持ちが悪くなるのだ。 高速道路にほとんど乗ることないのが理由なのだろうが。 神経症の可能性もある。 トンネル内の事故は死亡のケースが多いこともあり、なおのこと焦るのだ。
一般道に下りればよいのだろうが、時間を節約しなくてはという気持ちが それをさせない。帰りは高速の入る直前にある事故用?の空間に車を止めて、 後続車を追いやった後にユックリ走るようにしたが。 歳をとったということか。若いうちに家族と日本中を車でいっていて本当に よかったとつくづく思った。 今度からはバスツアーにきりかえなくては。 いや日本はもう京都を除けば行くことはないか? それとも、泊り込みで一般道をのんびりいくかだ!
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569、ケーススタデー ー2 - 2002年11月03日(日) 1968年
毎週金曜日の15時か16時より2時間開かれる。 ゼミが終わると太陽が黄色に見える位疲れていた。 知的訓練など全くしたことがなかったためか?
二年間コースで初めの一年は課題の本を読んで、それの感想と議論。 二年目の前半は事例研究で、後半は各自が自分で事例を創り、 当事者として2時間ゼミの全員に質問と追及を受け、その結果を討論 する内容だった。私は途中二年目からの編入であったが。
他の人を聞き取る場合は刑事のような内容追及がリアルで面白いが、 自分の場合は追求されて、瞬時に物語を創っていかなければならない。 今でもその全て憶えている。
このケーススタデーは「見聞皆師」にあてはめて考える事が出来る。 現象ー事象の中から真理を探し学ぶ方法にもなった 。 また人間関係だけでなく、営業や経営のベストプラクテス− ベンチマーキングにも酷似している。
ゼネコンの営業の社内研修でも、これに似たケースでOFF−JT が行われていると大手のゼネコンの営業の人から聞いたことがある。 流通やサービス業の他店見学も似ている。
サラリーマンの足の引っ張り合いは善意を装ってくる 陰険版か??????!!
現象とあるべき姿の格差を埋める作業だ。 少し違うが、帰納法に似ている。 現象の中の真理の内容を検討して結論に導くという点で??
新しい車が発売されると工場ですべて解体して、 それぞれのパーツで業者やその部門の人達が集まってチェックする のはどこのメーカーでもやっていたという。 今はコンピューター処理でインターネットをフルに利用している のだろう。 これの人事管理版が武澤ゼミのケーススタデー?!
管理されるという事はあまり気持ちのいいものではない。 でも組織体としては、それは必要欠くべからざるものである。
ここでいま一つ学んだ事は、 当たり前のことー自分の能力は自分で創りあげるものという事だ。 最後は独りの自覚で自分造りをしなくてはならない。 習慣づくりといってよい。
問題が逸れたが? 私の辛辣さは、露悪ー露善(偽悪ー偽善)を自分や他人の中で すぐ直感してその原因を構造化するためだろ ー父もそうだったから、その理論的訓練を受けた事になる。
それよりその結果として自分の無知蒙昧をいやというほど知らされた。
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[214] オカマバー - 2001年11月03日(土)
14〜5年ぶりに新潟駅前にある、オカマバーにいってきた。 オカマバーの面白いのはその話術である。
変わった飲み屋がないかと言われて当時よく、知人を連れて行ったものだ。
始めは近くの大原簿記の理事長が近くにビルを創りたいが、 この辺の情報を知りたいとので一献と、どう云うわけか奥さんと娘と行ったのが きっかけであった。
やはり初回は異様な感じで、カウンターに男同士の絡みの置物の像には 驚いた。しかし知人に話をすると殆どの人が連れていげという。 喜ぶが二度と行こうとは誰も言わない。
奥にやはりもう一軒あるそうで、そこはその気のあるホモのタマリ場という。 男同士はあまり猥談は言わないが、かなり際どい下ネタをあっさり言う。
以前姉達が新潟に来た時つれていったが、その時私の手をとって人先指をふき始めた。 そして目をツブレと言うつぶった瞬間その指をシャブラレタ!ぞっとした。 もしホモの味を知ってしまったら、抜けられないとその時思ったが、 それより気持ちが悪いほうが先であった。
悲鳴をあげたが、1人の姉が私にもやってみてという。真面目を絵に書いたような人 で、皆凝視の中シャブラレタが「何ともないわ、それより真面目な顔でやってる ほうが面白いは!」と言ったのに驚いた。
私の知り合いが、子供を連れてサウナに行ったららそのママがいたと言う。 子供を盾に下半身を隠しホウホウのていで、出てきた時のシグサガの話が面白かった事を 思い出した。
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2004年11月02日(火)
ー社員教育が終了して、現場初日の日記である。
当時の澄んだ視点と、不安一杯の気持がそのまま出ている。 それと、冷静に見ているところが面白い。 当時は、高度成長期の真っ盛り。 大卒の新入社員を確実に確保する為、一ヶ月前の3月1日に新人教育に入っていた。 卒業式の休暇はもらえたが、その辺のことも日記に書いてあった。 遥か彼方の記憶へタイムマシーンにのって、当時に、 よみ返ったような気分である。 全てが新鮮で、毎日がドキドキ・ワクワクの連続であった。 しかし、激務と変化の連続で、限界を遥かに超えていたようだ。
とにかく気持を書きのこすという事は、何か深い意味があるようだ。
ー1969年3月5日
現在、四日市市内の駅裏から歩いて10分位の男子寮にいる。 同室は、「魚職人の寡黙の男の人」と、 「同志社卒の一年アメリカに遊学してきた大人しそうな堀田という人」だ。 この人とは、いやに気が合う。 虚無的な、それでいて一言一言が哲学的な味のある男である。 一人でワインを買ってきて、フランスパンを食べている。 何かホッとした。
今朝は、8時に起床をして、寮での食事後、会社へ出発。 初仕事である。
始めは主任会議に出席して紹介される。 その後、全社員の前で辞令を交付される。 自分でも驚くほど緊張をしてしまった。 午前中は、本店店長の説明がある。 午後は、管理係長の説明、その後の15時半より実施訓練。 全神経を使ったためか、疲れてミスを重ねる。 直接の上司の松又さんという人は温厚で面倒見が良い。 初めから良い人に当たり幸運だ。 しかし、それに甘えないことだ。
湯の山の研修にしても、昨晩にしても最低の失敗をしてしまった。 何か自信が無いのか背伸びをしているようだ。 関大出の倉谷という同期に帰りの喫茶店で批難される。 「お前は、硬く考えすぎだ、そしてコチンコチンだ」と。 まあそうだろう。 敵を作らないことだ
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2003年11月02日(日) 942, ドウデモいいことだが!
ー昨夜「長島ジャパン代表」と「王プロ野球選抜」の対戦をみながら 書いた文章であるー TVで「長島ジャパン代表」と「王プロ野球選抜」の対戦を 放映している。もちろんプロ選抜は二流どころだ。 それでも王選抜が八百長をしない限り勝つのは当然である。 金で超一流を集めて、監督としては?!の長島が選定したチーム。 真剣勝負から遠ざかっていた感覚と勘で勝つわけがない。 まあ、お祭りだから仕方がないが。
東尾が解説で「日本選抜がつよいに決まっている」といっているが、 そのことをまさか解説ではいえないだろう。
二流でも監督の質と今の状況をみても、王のチームが勝つに決まっている。 結果論を言っているのではないことを証明する為にこの文章を 「引き出しのコーナー」に貼り付けておく。 今「プロ野球選抜」が逆転をしてしまった。 「日本野球の文化を守る為に闘う」といか長島がコメントを していたが、何を言っているのかこの人、自分でも解ってない。 「日本野球を駄目にしたのが、貴方と読売の渡辺恒夫だろう」 これではアジア予選で終わってしまう可能性がある! 皮肉でなく本当だ。いまの自民党と同じである。
負けた場合を考えて、日本のプロ野球が完全に否定されないことを考えて、 長島をたてたのだろうが。 「まあ長島なら仕方がないか」でごまかせるためだ。
ドウデモいいことだが! 20時35分
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568,ペイオフー断末魔 - 2002年11月02日(土)
現在竹中大臣と銀行の国家管理」?を主張している 元大蔵官僚の木村剛氏の書いた話題の小説の「ペイオフ」 がシビアである。
一連の大蔵官僚と政治家の実体が辛らつに書いてある。 まだ半分しか読んでないが、この小説はすでに2年前 に書かれた「通貨が堕落する時」という単行本の文庫版だ。 多くに人に見てもらうために早めに文庫版にしたという。
この二年の時間を経った今、更に悪化して小説の内容の同じように 壊滅に?向かっている。それでも政治家と金融関係者は自分の権益を 守ろうとしている姿は末期の現象そのものである。
もう手遅れかもしれない。 あの地銀の不思議な一連の動きが解ってきた。 実情は隠れた不良資産の在庫が多く残っている。 それを処理する為に取れるところから阿修羅のように引き剥がさざるを 得ないのだ。それと金融監督庁が大蔵省ー財務省から独立して銀行に 手心を加えなくなった事もある。なるほどと1人合点がいった。
これから辛らつな貸しはがしが露骨になる。 それと倒産ラッシュが吹きまくるが仕方がないことだ。 どうにもならない時代だ、悲観でない。 あのゼネコンが次々と潰れるのだ。 株価100円以下の企業はどれが先にいくかの世界だ。 そうすると銀行の幾つかが国家管理になる事は必定。
政変が起こるが、といって受け皿はもっと悪くなる。 それを繰り返しながらハードランデングしていく。 気の小さい国民性か、アメリカにより精神の中枢をやられた戦後日本の つけがここで清算の時期にきた。
情けないと他人事にいっていられなくなってきた。 このレベルが日本なのだろう。 「皆で渡れば怖くない!ここは地獄の三丁目、よいよい」 とジョークも飛ばしたなる。
是非「ペイオフ」を読んでみる事を薦める。 もう本屋に平積みをしてあるはずだ。 一日一日舵取りをしていくのが今の日本の姿だ。 日本的社会主義者の大元の末期としてみると面白い。 ・・・・・・・・・
[213] ーゲゼルシャフトとゲマインシャフトー - 2001年11月02日(金)
・ゲゼルシャフトー会社とか公務員の契約社会・組織をいう。 ・ゲマインシャフトー血族とか趣味とかの同好家の集団・仲間をいう。
これが解ってないと同属会社などの弊害が出てくる。 その中間の中途半端な組織ができてしまう。 中間のケースも勿論あるだろうが、その場合は 「ゲゼルシャフトを基礎においたゲマインシャフトか、 ゲマインシャフトを基礎においたゲゼルシャフトなのか」 明確にしておかないといけない。
これを明確にしておくと、社会組織の構造の一端が見えてくる。 大組織でも、鹿島建設など同属会社も例外的にあることはある。 ゲゼルシャフトの会社に、サークル的なそれ(ゲマインシャフト) を求めている二代目や甘い経営者を時たま見るが、恐らくこの知識がないのだろう。
学生の時に得た知識を述べているにすぎないが、組織論の基本でもある。 カナダの観光地で若い人の働き手は、学生アルバイトだ。 カナダは親の務めは大学の入学まで。あとは首相の息子であろうが、 働きながら卒業するそうだ。それも社会契約だ。少し違うか?
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2004年11月01日(月)
先週の金曜日、新潟に一泊のあと自宅の近くに帰ってきたところ、 200m先にある、長岡高校と長岡大手高校の周辺が、自衛隊や マスコミの車で、ものものしい雰囲気に一変していた。
一昨日(土曜日)の朝、散歩をしていたら自衛隊の大型ヘリが住民を搬送している のが見えた。長岡高校のグランドが、ヘリの基地になっていた。 近くの大手高校が山古志村の避難場所になっているようで、自衛隊が朝晩、 運んでいるようだ。
長岡も被災地であるが、自宅近くの倒壊の家はない。 生命の危機は全くなかったし、秘境旅行を十数年してきた為か、目の前の 死の恐怖以外は不感症になっている。 しかし彼等のヘリで運ばれている姿をみて、被災地の真っ只中にいるという 実感が少しわいてきた。
こういう経験は感じ方(受けとめ方)で、全く違ってくる。 昨日の夕方、同じコースを歩いてみたら、もう終わった雰囲気であった。
人生一度のあるかどうかの出来事であるが、何か実感がまだ湧いてこない のは如何してだろうか。 新幹線が長岡〜新潟間を開通すれば、ほぼ元の生活に戻ることもある。
個人的には30〜40万位の損失か。 石灯篭の復旧に15万の見積もりが、とりあえず確定したものだが。
今朝方も、震度4ぐらいの地震があった。 まだ予断が許されないが、間隔は空いてはきている。
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2003年11月01日(土) 941, 何事もない日の日記
はっきりいって今日は何も書くことがない。 何事も書くことがないときは、何もないことを書くのも面白いと考えて、 それをテーマにして書いてみる。
テーマがまったく見当たらないことは月に一〜二度位ある。 そういう時は、中途半端で終わっているパソコン内のメモ帳の中から 引っ張りだして書き足す作業をする。 その場合は書いているうちに、違うテーマが出てくる。
何もないといっても、周囲を見渡せば幾らでもテーマがあるはずだが、 毎日だとやはり全く浮かばない日が出てくる。 大体が前日荒筋を書いて、翌朝の5時半にパソコンに向かい 30分近くかけ書き直しをする。 その後一時間近く散歩をした後、風呂に入りその後いま一度見直して ホームページに貼り付ける。それでも後でふりかえると誤字・当て字がある。 しかし貼り付けた後の達成感は格別である。
常に頭の中は記者モードになっていて、何か明日書くネタはないかという 目ができている。 「これは文になる」と勘が働いた瞬間、文章の起承転結の構築を始めている。 私の場合、文章化をすることが自分の人生に深く生命を与えることになっている。 自分の文章を読み返すということは、過去の自分の生命と会話をしていると いうことが実感で解る。 毎日1年前、2年前の随想日記を一緒に貼り付けているが、 その時は真剣に読み返すことにしている。 それが内省にもなっている。
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567,ケーススタデー ー1 - 2002年11月01日(金)
前回書いた学生時代のゼミの内容を書いてみる。 人生で、このゼミの訓練が非常にプラスに働いた。
人事管理の具体的事例研究で、討論でその本質を探る手法ー 各部所で起きたトラブルの問題点の原因と解決を考える内容である。
・一週間前に翌週分の「トラブルの現象」の問題のプリントを渡される。 ・それを次のゼミで各自が自分の意見を述べる。 ・それにしたがって議論を始めるのだ。 ・それが終わった時に、そのベストの原因追求と解決案の内容を 示されるのだ。そしてゼミの結論との誤差を話し合う。
幼児期から両親の自営していた生の会社のケースを見ていた事と、 8人兄姉の末っ子で常に状況を冷静に見ていた為か、 自分の意見があたるのだ。 寮生活でイロイロのトラブルもみていたのもあった。
その為か自分のゼミにおける立場が確立さていた。 それよりも、現象の中にその骨組みをさがして、自分なりの 組み立てをする面白さを知った。
これは後で事業を起こすときに非常に役に立った。 人間関係に対して,直感的に論理だって構図になって瞬間に出てくる のが最大の武器になった。
良質な上司には可愛がられるが、逆のケースの場合は大変 な事態になってくる。 この男は何を考えているのかを不安になるらしい。 自分はサラリーマンは絶対に無理と社会に入って直感した。
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[205] 春画 - 2001年11月01日(木)
子供の時から、一番上の姉より家に春画があることは聞いていた。 それが寝室を改装した2年前に隠し??より出てきた。
かなりの価値ものかと色めきたったが、カタカナが混じっていた。 明治以降のものだろうから、期待は全く出来ない。 税務署対策用だったようで、金庫に入れておき、踏み込まれた時に、何気なく見せる ものだったとか。 ー効果は充分あったそうだ。
今はそんなものは、ポルノとインターネットに打ち込めばいくらでも出てくるが、 昔は珍しいものだったらしい。 姉からは結婚前に見せられたとは聞いていないが、昔はこういうものが一家に 一冊あって、結婚前にこっそり見せてたと聞いた事がある。
絵とすればかなり綺麗でいいものだ。 浮世絵で歌舞伎役者の顔を表情豊かにかいてある。 写楽は春画にヒントを得たのでは?とも考えてみたが、如何であろうか? 全然いやらしく感じないのは、私の歳のせいか。
そうそう、学生時代にヨーロッパを旅行した時、スウェーデンでポルノ雑誌を 友人と買い込み、お互いの雑誌をホテルの部屋で見たことがあった。
ポルノそのものよりも、北欧の女性の美しさに驚ろいた。
世界に誇る日本のポルノのサイトを、立花隆のインターネットの本に書いてあった。 確か「東京トップレス」とか、股つまらないことを書いてしまった。
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