股・戯れ言


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セックスエリート狂騒曲

わはは。気持ちいいくらい日記書いてないなー。
1ヶ月ぶりですよ。気がつけば6月ですよ。5月はあっという間に過ぎ去ったな、怒涛の一ヶ月であったな、などと思っていたけど、この半年が怒涛の勢いで過ぎていったような気がする。まあそれなりに元気にやっております。5月はwell歌夢関連2つやったしなー。
わたくしの日記はwebの大海でひっそりとやっている個人のくだらねえ日記であるのだが、この一ヶ月休んでいる間にメールがきました。感激した!ありがとうございます。今しばらくはものすごくゆるやかなペースでしか更新できないんだけども、書けるときは書くようにしますわ。


と、いざ書こうにも最近は話題に乏しい日々を送っている有様。ものすごくつまらない日々であるよ。それも日記を書かなかった、否、書けなかった理由でもある。いや、話題が乏しいんではなく、自分の感性が鈍っているんであろう。なんというか、目に留まるもの読んだ物体験した物は今までと変わらないのに言葉が追いつかない。何も感じない。いや、何も感じないわけではないんだが、感じても言葉にするのが面倒くさい/わざわざ言葉にする必要がわからなくなる、というような感じだ。感性が朽ちて始めていました。やばいわな。
言葉にする/文章にするのはあんなに刺激的であったのに、どうしたものか。
なんでくだらないことをくだらなく長々かけなくなってしまったのか。
言うなれば心のインポテンツ。
いや、インポテンツというか感性との間にセックスレスが起こっていたわけです。
ちょっと前にも「文章がかけないと悩んでいた」という日記を書きましたが、あの時はセックスレスではなかったのだろう。「日記書きたい、でもおもしろいのが書けない」と悩んでいたのだから、言ってみれば
「セックスはしたい、がビンビンに勃たない」
という状態だったわけだ。最後まで射精できないかも、中折れするかも、というようなことを思っていたわけだから、勃ってはいたんである。
しかしこの一ヶ月は「あーもうセックスめんどくせー」「いっそこのまましなくてもいいかも」というように「あー日記にわざわざ書くのめんどくせー」「いっそ書かなくてもいいかも」と思っていました。
なんでそういう風に思ったかというと

1.先述の通り代わり映えのしない、大しておもしろいことの起きない日々を送っていたから
2.仕事で疲れていたから
3.どうせ文章にしても自分がたいしておもしろくないから
4.そんな文章読んでも誰も喜ばないから

というような思いがあったから。
書けば書くほど本当にセックスレスのようだ。特に「仕事で疲れていたから」あたりが。私は中年男か。


ほんの2,3日前に加藤鷹の「エリートセックス」という本を読んだ。
カリスマAV男優の鷹さんの本であるから話題はもちろんセックス。どのページを開いても「セックス」「クンニ」「クリトリス」「Gスポット」「イク/イカせる」という言葉が満載でした。私は客先から帰る途中、電車の中でこの本を開いたのだけど両脇に座っていたのが中年サラリーマンであったので内容見られたらどうしよう、とヒヤヒヤしてしまったよ。顔の幅ギリギリしか開けないでコソコソ読んでました。完全なる不審者。だったら電車の中で読まなきゃいいんだが。
書店で購入したとき(幻冬舎新書であるので買うのに抵抗はなかった)、「6000人の女とセックスした男」「潮吹きマジシャン」などの謳い文句で売り出されておったのだが、女をイカせるテクニック指南書という趣は皆無。むしろ加藤鷹のセックス観が書かれておりました。
本書は基本的に男性に向けて書かれているもので、イカせることにこだわるセックスなんてたいしたことない、だとかセックスは「やってやる」ものではない、「やらせてもらう」ものだ、とか俺は上手い/長くて太いと鼻にかけている男なんてダメだ、だとかが書かれている。そしてそれと同じくらい書かれているのが「女性は必ずしもイクことがすべてではない」だとか「バイブが気持ちいい女はそんなにいない」だとか「女性からやりたいと誘うのは難しいことだから、求められたら拒否してはいけない」といったような女性を理解した発言の数々である。
それを読んで、セックスで悩んでいる/悩んだことがある女性が読んだらちょっと泣けてしまったりするんではないか、と思った。
本書に掲載されている下記のくだりに私は思わず体中の力が抜けてしまったよ。なんというか、張り詰めていたものが切れたような感じ。

「男性は視覚的な興奮を感じると、好きでもない初対面の女性であってもセックスが出来てしまう動物、という面がある。
 しかしそれに対して女性は、基本的に1ヶ月にひとつの卵子のために、しっかりといいオスの精子を選択して受け入れなければならない。必然的に、恋愛感情を持つという選択肢の結果として、男とセックスをするという仕組みになっている」

ああ、そうなんだ。そうなんだよ鷹さんよぉ。
女性がセックスをするということ、セックスをさせるということはたとえヤリマンだろうと、仕事だろうと、とてもとても重要なことなのだよ。簡単なことではないんだよ。スポーツだとか、私は割り切ってやってるから、なんていう人もいるけれど、そうではないのだよ。
だからヤリマンと呼ばれる女はやった後に傷ついたりするのさ。ヤリマンじゃなかろうと、そのセックスが無に近いセックス/無かったものにカウントされてしまうと切ない気分になったりするのさ。セックスをしているということが、多くの場合受け入れられているということで安心感になったり、(でも正式な相手ではない場合など)不安要素になったりするのさ。
ああ、こんなに女性を理解しようと努め、理解しつつある今も模索中という彼は素晴らしいなあ。セックスを仕事にしているのだから、セックスが嫌いになることだってあろうに。セックスというものが重いと思うことだってあろうに。女に嫌気をさす、マンコなんか見たくない、って思うこともあろうに。


最近、熟女ビデオを見る機会がありました。熟女が「心がドロドロになるくらいのセックスがしたい」という要望を出し、そんなセックスの様子を演出一切ナシで撮影しているビデオなのだが、この熟女の相手役が加藤鷹でした。
最初はキスシーンから始まったのだが、女性と密着し、片時も距離を置かないキスに女性が早くも涙涙。キスだけで感じてとろけてしまっていたのは視線を一切離さなかったから、なんだろうが、視線どころではなく見ているこっちにも加藤鷹が
「たとえ撮影であっても、彼女とセックスをする間は彼女を真剣に愛している」
からだというのが伝わってきた。
本当に心がドロドロになるようなセックスしてました。
射精した後も彼女に折り重なったまま、キスをするというのが一番グッときた。口に出したにも関わらず、だ。
そんでわしも涙涙。うらやましいと思った。
熟女ビデオはいろいろ感慨深いので書きたいことが沢山あるのだがまたの機会にしておこう。話がそれる。


って、加藤鷹が素晴らしいって話が書きたかったのではなく、あんなにセックスしていてもセックスにはまだまだわからないことがある、特に、
「セックスに決まりは無い」「その人の生きてきたすべてが出る。それ以上もそれ以下も出ない」と言う鷹さんの姿勢は見習わなければなーと思ったわけです。まあそれが、おこがましいが、私にとっては文章であるということなんだが。文章を書きたいという欲望を面倒くさいなんて思ってはいけないなー。おもしろい文章が書けないのは、自分が文章を書くおもしろみを忘れているからであって、平坦な毎日が悪いわけではない。また、必ずしもおもしろい文章を書かなければいけないなんて、仕事なわけでもないからいいんだよ、と。特にここで書くことは自由でいいじゃないか。誰かに「おもしろくねー」「話題が偏っている」と言われても関係なかろうと。
仕事が忙しいなんてどうってことないことだったんだよなー今までだって忙しくてもフル更新していたりしたのに。
稚拙であろうと、レベル低いわーと自分で思っても、まだ書きたいと思ったりする。その衝動がすべてなんだと思う。世界と空回りしても、何もかもが上手くいかなくても、これから自分はどうなるのかわからなくても。他に命をかける何かが見つかっても、全財産失っても、天災にあっても、自分以上の素晴らしい文章を書く人間に出会っても。
うんこしたりメシ食ったり、バカ笑いしたり、くだらないことで怒ったり、セックスしたりするのと同じくらい文章を書いていこうと思う。



今日の日記はオナニーのようだが、現在の私が一生懸命自分の感性とセックスしたものだ。決してオナニーではないのよ。オチがないので射精してないようにも思うかもしれないが、まあ、射精する/イクだけがセックスではないからな。イカなくても満足するのがセックスってもんの不思議だから。
2007年06月04日(月)

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