ヘレンの日記
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2004年08月30日(月) 主人の親友の弟が、メダリストになった日。

主人は京都人。京都と言っても、最北端の町、網野なんだけどさ。
合併して「京丹後市」に今はなってる。
「天の橋立」から、そう遠くない所に実家があり、網野高校の卒業生。

網野って、メッチャ田舎で、小学校も1学年、1クラスしかない。
途中で学校が閉校になり、なんて話も聞いたことある。

高校卒業してから、地元を離れる人も多いけど、皆の絆はちゃんと
つながってる。毎年、盆、正月が近づくと「今年は帰るのか」コール
が、ジャンジャンかかってくる。。。。。

その中の1人、高校時代からの親友に井上さんがいる。
主人は今年、34歳。 私は31才
井上さんの奥さんと私は同い年。大学の専攻も同じだし、気もあう。
実は主人と私、2004年を井上宅で迎えたのである。


網野高校の友人が、いっぱい来てた。
男性陣はマージャンをやったり、例のボブサップvs曙のk1見てた。
その時、井上さんは昔、弟さん(27才)は今もレスリングをしてる
って会話をしたのを今でも覚えている。

前置きが長くなったが、7月のある日、電話が主人にかかってきた。
井上さんからである。
「家の弟、オリンピック出ることになった。俺も応援に行く」

そうなのである。60キロ級、フリースタイルで銅メダリストとなった、
あの井上選手のこと。
私も、試合を見たけど、スゴイ粘りだったよね。

感動した! メダル獲得を知った瞬間に、井上さんの奥さんに
「おめでとうメール」を主人と一緒に送ったのでありました。




2004年08月26日(木) バリ島、最終日。

今日でバリともお別れ。アノムさんの出張の時間と一緒に
空港に送ってもらう。何度も通った道路、愛しい椰子の木、
そして何よりお世話になったみんなとの別れが辛い。
車の中で、「次に来る時も家に泊まると良い」
そんなありがたいことを言ってくれる。本当に嬉しい。
「次に来るなら、ニュピ(バリのお正月)が良いな!」
そんな約束を交わす。帰りの飛行機の中でも私の頭の
中はバリのことで一杯。

ニュピとは、雨季の終わり、春の訪れを告げるお祭り。
地獄の神が悪霊の国を掃除する。だから悪霊がバリ島に
逃げてくる。だから島を浄化しよう! ←面白いよね。
ってことでニュピ前日に「大浄化奉納祭」がある。

男性は鶏頭に狂う。不浄な大地に血を流すことで土地が
回復するので、政府がこの日だけ鶏闘を許可する。
↑ 実際は隠れて、しょっちゅうやってるんだけどね。
鶏闘は宗教的義務、賭け事の機会を提供するスポーツというか
楽しみ、翌日の食べ物を用意する手段として催される。

女性はお供えものの果物を頭に載せ、行列をなして海を歩く。
これは神々を海まで象徴的な水浴に連れて行くムリスの行列である。
なお供えものの果物は持ち帰り自分だちで食べる。果物の精は神へ
捧げ、果物は人間が頂くらしい。日本もそうなのかな??

聞けば聞くほど面白く奥深い。特に宗教観に魅了された。
インドのヒンドゥ教を、自分たちの形として取り入れ、それでいて
大昔からの自然や諸物に対するアニミズム信仰を崇拝してるバリ人。
どうやら彼らは太陽と水とを生命をもたらす豊穣の源として、火を
浄化作用のあるものとして崇拝している。
だから、あらゆる所に神がいる。そして日々、人々は祈っている。
縁があったら、また来たい! 

さて明日はグアム! 何しようかな。。。。


2004年08月25日(水) バティック完成!

作りかけのバティックを完成させに行く!
シャトルバスに乗り11時頃、やっと到着。

色をつけ、少しずつ仕上げていく。
店内に居た人間は3人。アメリカの美大で絵を教えてる男性講師。
カナダのファッションデザイナーの女性。あと私。
前回、来た時は観光客ばかりだったのに、今日はスゴイ面々と作品
を作ることとなる。二度とない機会だろう!笑

「ウブドは芸術の村」訪れる人にも'What do you do?'ときくと
写真家や音楽家、芸術家も多い。これにも驚きである。
気分を良くしながら色を付けていく。しかし慣れぬ作業。水が
多くにじんではみ出し、なかなかうまくいかない。

一通り、塗った所で師匠に見せる。彼は天才である。
「そこには濃い色を置けば良い。あとここは、線をもう1本
ひくから模様を変えよう」などと的確なアドバイスをくれる。

おかげで3時頃。下塗りが完成!
「乾かしてから薬液をつけよう。」と言われ、休憩に入る。

雰囲気の良いカフェでチョコケーキを食べる。「とろけそ〜」
極上の幸せを味わい、ゆっくりしてから工房に戻る。

薬液をつけてもらう。目の前で一瞬にして布の色が変わっていく
様子は圧巻! 「綺麗」 バティック予想以上のできである。

お礼を言い、ウブドをさらに散策し、シャトルバスに乗って
帰途につく。


2004年08月24日(火) 学校訪問 〜日本語の授業〜

娘のエカちゃんは中学校1年生。昨年まで小学生だった。
去年まで、通っていた小学校にお邪魔できることになった。
何と去年、プトゥさんはこの学校のPTA会長!すごいな〜。
インドネシア社会は「紹介者」が非常に大切。コネに感謝!

車で学校に送ってもらい、まず校長室に通される。
簡単に私の紹介や訪問目的をアノムさんからしてもらう。
私の訪問目的は「教育関係で何か役にたてれば嬉しい。
ただ言葉の壁があるので交流ができれば有難い。」

そんな気持ちを組んで頂き、日本語及び英語の授業の見学と
参加を許可してもらう。

この学校は市内でもモデル校と言われるほど恵まれている。
4年生から日本語を始める。先生は日本人と現地人のTT。
私も日本語で話したり、モデルダイアログを見せる。
「私の名前は○○です。どうぞ宜しくお願いします。」
などと一生懸命言っている。

子供たちの表情は非常に豊か。自分が1年前、小学校で
教育実習をしたことを思い出す。あの子供たちも確かに
笑顔だった。けど何か違う。素直さかも・・・

席を出歩く子もいない。先生を尊敬してる様子が見て取れる。
勉強の先に待ってるものが違うのだろう。非常に熱心!
微笑ましい勉強態度である。

喜びと共に、私は日本の子や将来を危惧した。う〜ん。


2004年08月23日(月) 芸術の村、ウブドでバティック製作。

前回、ウブドを歩いてた時に見つけたバティック製作所。
絶対に作りたい、そう思ってた場所に帰ってきた!

まずはデザイン決めから。型紙をペラペラめくる。
「前回、これにしよう」と思ってた奴がない。
ま、いいや。今日のフィーリングで決めよう。
トカゲと魚が目につく!

迷ったが、綺麗な海を思い出に残したい!
そう思い、「海中を泳ぐ魚」に決め、作業開始!

まず型紙の上に布を置く。
そして鉛筆でトレースしていく。15分後に完成!
次は鉛筆の線の上を、特別なインクでなぞっていく。
ところが、これが意外と難しい。
練習の段階で、大失敗。手に熱い「インク」を大量にこぼす。
「熱い!」 3秒後、液体は凝固していく。
「お〜こうやって固まっていくんだ」感心してる場合ではない。
火傷ものである。急いで、お手洗いに駆け込み、手を洗う。

気を取り直し、今度は本番に突入! 順調に行く。快調!
自分では、そう思っていたのも束の間、ポトポト布の上に
インクを落とす。インクの量が多すぎる所、少ない所と
まだらだが、少しずつ進んでいく。

気づくと時計は3時。昼食を食べるのも忘れ、作業してた。
でもバティック作りたい! そう思い、筆を走らせる。
よし下書き完成! そう思って職人に見せる!
「なかなか良いね。」そうは言ってくれたものの
職人は、そこから10分くらいかけて私の下書きの手直しを
してくれる。プロの職人が私の他愛もない作品のために
一生懸命、手を入れてくれる姿に感動!!!

そして太陽に乾かし、洗う。洗ったら一部の下書きが
取れてしまったので、もう一回、そこをインクでなぞる!

やった〜。完成!!!!
そして色付けに入っていく。

気づくともうすぐ、5時。
あとは後日にしよ。そう思い、バス停に歩いて向かう。


2004年08月21日(土) バリの送り盆。

昨日の夕方から私は、アノムさんのお家でホームスティしている!
出国前、あるボランティア団体から彼を紹介して頂いた。
そして彼と先週の土曜日にコンタクトを取り、実現したのだ。

今日は送り盆。バリの重要な日。皆に起床時間を確認したら
「早朝4時には起きる」ということなので、私も4時にアラームを
セットし、眠い目をこする起きる。きついよ〜。

身支度を済ませ部屋を出ると、すでにアノムさんも、奥さんの
プトゥさんも活動してる。驚きを隠せないが、様子を見ながら
私もできることを探しながら、手伝う。

昨日のうちにチャナン(花のお供え)は作ってた。袋から出すだけ
のはず。アノムさんは朝食を作ってる。よし家の掃除でもするか!
そう思い私は外にホウキを取りに行き、掃除を始める。
鶏が鳴いている! 心地の良い自然の音だな〜。

時計が4時半をさす頃、プトゥさんがお供えに手をかけ「寺に行く」
と言う。私もついて行く。まだあたりは暗いので懐中電灯を持参。笑
まだ寝てる家もあると思ってたのに、それは大間違い。
どの家の電気も煌々とついている。恐るべしバリ島。

しかも「エザ」まで聞こえ、なかなか風流。
エザは普通、イスラム教のムスクから流れ、朝のお祈りを知らせる。
昔、トルコで聞いた。インドネシアはイスラム国だったことを思い出す。

「きっと一番のりだよね。」「多分ね」などと話してたが、それは間違い。
なんと既に、お祈りに来た人がいる様子。「皆、早いよ!」笑
そして家に戻り、いつも通り、家の中でもお祈りをする。
私は線香係り! お祈りの度に、線香をそこに置くのが嬉しかった。

6時前には全て終了。あっけなく終わってしまった。
プトゥさんは実家に行き家族との時間を楽しむ。そして9時頃戻ってきた。
今度はアノムさんの実家(本家)に家族で向かう。私も行く!

約30人の大家族と一緒に話したり、食事をしたり家族との一時を
過ごすのがお盆の過ごし方!日本で主人の実家に帰らなかった私は、
皮肉にもバリ島でスティ先の実家に行くこととなる。苦笑

寺に行くのでシャワーを浴び身を清め、腰に巻くサロンを借りて
出かける。まずはお祈り! 線香係りの私も大忙し!笑

その後は話したり、食べたり家族との交流をはかる。何語でって?
もちろんインドネシア語である。アノムさんは日本語も英語も分かる。
時折、助けてもらった。しかし親戚は皆、インドネシア語を話す。
「旅の指さし会話帳」を持ち、単語を指差し、口にしながら
やり取りを楽しむ。約5時間インドネシア語だけで、よく頑張った。

午後には、だいぶインドネシア語が、うまくなってきて笑いまで
取れるようになってきた。多様性を認め合うホスピタリティある
人種だし、面白い人が1人いてね〜。笑いが絶えなかったんだって。

クニガン(クニは黄色って意味)だけに黄色のご飯も食べた。
中には辛〜い料理もあった。(私は辛いものが苦手)苦笑
バリワインはおいしかったけど、地酒の強さには、これまたビックリ。
疲れて女性だけ固まって雑魚寝、昼寝もしたし楽しかった。

家族って良いね! 家族と言えば帰宅して、こんな話をした。
「結婚してどのくらい?」「5ヶ月かな」
「子供はまだ?」「まだまだ。それに欲しくないかも」
これは問題発言だった。アノムさんプトゥさんにはエカちゃん1人だけ。
どうやら2人流産し、やっと授かったようである。

バリでは結婚=子供を意味し、子供は、早ければ早いほど良いらしい。
3ヶ月たって奥さんが妊娠しないと「どうしたんだ」と言われ、
半年たってしまうと、バリアンや病院に行くことを薦められる。

「2人で十分」が今の国の政策で、現状だが(教育費もかかるしね)
バリの人は本当に子供が好きみたい。


2004年08月20日(金) バリ島の火葬式

人生最高の通過儀礼! 華やかで尊い火葬式。
祖先こそ一番、身近で最初の神々。
祖先を祀るのは、この世と霊界のつながりを築くこと。

バリ人にとって、肉体はただの殻、魂の入れ物。
魂は体のいたる所、髪の毛やつめにも宿っている。
この魂を天に送るのが火葬式である。

バリ島は世界でも珍しく公開火葬を行ってる。
ず〜っと見たかったんだ。念願叶って見れました!

車はウブド始め風光明媚な村を横切る。農作業の様子に、
川で洗濯をする人、クニガン(送り盆)の前日だったので
豚を運ぶ人が見れる。ホテルが立ち並ぶ町から一歩離れた
この辺りの生活感ある場所に大満足!

ガイドから火葬式は貧富の差で様子が違うことを聞く。
人口の約1割、裕福な人だけが個人火葬ができる。死後から
約1週間後、村人が集まり式を行う。経費は5000ドル!高い。

通常は人が死ぬとまず土葬。そしてお金、共同基金がたまったら
30人程度で村で火葬式を行う。土葬期間は最高で5年。この間に
火葬式ができないことは恥。島民は必死にお金を貯める。
経費は200ドル。← 島民にとって大金なのだ!

今日は運が良いことに華やかな、単独火葬を見れる。
車を降りると間もなく、かけ声と共に、黄色の牛の形をした
みこしがを、男性がかついでくる。

そして曲がり角で3回転している。はて?
「故人が誤って家に入ることがないように」という意味を持つ。
その後ろから、正装しフルーツや花を頭に載せた女性に子供たち
がやってくる。総勢300人くらいかな? すごい!!
約3分ほど歩き村の火葬場にたどり着く。

僧侶がお祈りを捧げ、聖なる水や故人の持ち物、お供えものが
棺に入れられる。  ←日本にそっくりでビックリ。
何と棺は「白と黄色で牛の形」。白は聖なる色、黄色は繁栄の象徴。
牛はバリ・ヒンドゥで聖なる動物。

後ろにはガムラン(木琴)の楽団や、もの売りもいる。
音楽が始まって間もなく点火。ご〜っという音と共に死体が少しずつ
燃えていく。ところが泣いている人は1人も居ない。

不思議に思いガイドに聞く。悲しくても泣かない!
ここに居る人が悲しそうだと故人は天に行けない。
だから明るく見送るそうである。

完全に火葬するには4時間程かかるという。家族、親戚は残り、
あとは解散になる。村人の衣装を見ると親族の女性の衣装は白と黒。
喪服を着ている。子供と村人は色とりどりの正装をしている。

そして我らも車に乗り込む。
家族は火葬が終わったら、骨を海に散骨に行くそうだ。
その時「椰子の実」に骨を入れるらしい。「ココナッツ」
がここでも活躍することが微笑ましく笑ってしまった。

あ〜カルチュラルな体験ができて、良かった〜。


2004年08月19日(木) バリアン、呪術師に会いに行く。

昔、テレビで見たバリアン。私も呪術師に見てもらいたい。
そう思っていたが、私は術を知らなかった。

そもそも人の体は「サクティ」と呼ばれる呪的エネルギーを
電池のように蓄積し、自分の術的力を弱めようと狙っている
悪の力の攻撃に抵抗できる。この「サクティ」を生まれつき
操れ、超自然の力や素質を備えている人がバリアンになる。

ネット検索し、やっとの思い出見つけた画面!

「バリの人々は昔から悩みや問題、病気があるとバリアンに
相談にいきます。彼らはバリの神々と交信し、あなた自身を
スピリチュアルな面からチェックできるからです。

現代社会では人間関係、競争、過去の体験などが原因で蓄積
されたストレス、疲れ、不安など否定的な感情のエネルギーを
貯めると精神、身体の病気の大きな原因になります。

そこでバリアンがチャクラ・パワーを使いあなたの内面を診断。
心の奥底のネガティブな要因を取り除き、あなた自身のインナー
パワーを蘇らせ癒していきます。」

これにピンと来た!朝一でアポを取り、ウブドに行くことを決める。

時間は9時20分。次のシャトルバスまで2時間半もある。
そんな時タイミング良く運転手が話しかけてくる。

ブルータクシーにしか乗らない!
万全を期し、安全面を考え、そう決めていたが、
ここ一週間で十回以上も話したドライバーだ、大丈夫。
直感を信じ、言い値の約8割でウブドまで送ってもらう。
なんと彼の車は通りに一日中、車を止めていた。そして
通り沿いにぎっしり並ぶ車も観光客相手に「運転手」の仕事を
してるドライバーのものだった。激しい競争社会に驚く!

彼が生活の様子を語り出した。3年前は全てが簡単だった。
観光客もいっぱいいたし、仕事も順調だった。
そこでローンで車を購入した。その2日後、クタに爆弾事件
が起きた・・生活は激変。

毎月のクレジットも、2人の子供の授業料のやりくりも大変。
奥さんは掃除の仕事をしており月給は20から30ドル足らず。
自分の収入は不安定。私が今月、初めての客。
「一体、どう生活する?」疑問に思わずいられない。

その犯人はアルカイダと関係しているテロ組織。
これだけ迷惑をかけているのに、ただ牢獄に入れられただけ。
「そんな」と驚く私に彼は一言。「この国はイスラムの国。
バリ人はマイノリティなんだ」

華やかに見えるバリ、けど・・・いろんな面があるね。
例え体調不良でも病院に行けず働き続ける。
家に居ては食べれない。外に出て仕事をしなければならない。
観光業が主流となったバリの宿命とも言える。
客引きをする人の気持ちさえ、必死さが少しずつ分かってきた。

約1時間タクシーに乗り、私が払ったのは600円。
「安い」などと軽々しく言ってはいけない。彼にとっては大金。
400円あれば10キロの米が買えるはず。一週間程度の食費くらいに
なったかもしれない。そう考えると観光客対象のビジネスが
いかに高額か、分かって来る。

ウブドに到着し、エイジェンシーでお金を払い車に乗り込む。
そしてバリアンの家に向かい、そこでサロンを巻き、
聖なる水をかけてもらい、ヒンドゥの神に祈る。
一緒に「シャンティ シャンティ シャンテイ」と唱えてから
館内に入る。あ「サイババの絵だよ。」独特な雰囲気の室内に座る。

英語の通訳を介し、バリアンの言葉を聴く。
「あなたの神は3人。アリ・クリスナー(ヒンドゥ教の愛情の神)と
ヒンドゥの仕事の神。あとキリスト教の愛情の神。祈りなさい。
その時「アリ・クリスナー」と穏やかになるまで、唱えるのよ。

胃腸が弱いわね。甘いものを食べないように。辛いもの、酸っぱい
ものはコントロールするのよ。う〜ん牛肉は食べないで。あなたの
精神のバランスを壊すわ。豚と鳥は大丈夫、ただ本当はベジタリアン
になった方がいいわね。牛肉を食べず、祈ることで、物事を我慢
できるようになるはず。

間接の痛みで苦しんでるわね。特に腰の間接。骨がずれてる、
病院に行きなさい。バリアンは診断だけ、医学的に悪い所は
バリ人も病院で見てもらうの。」

見事だ! 1年前、私は尾骨を骨折した。タイ王国で。
まさか骨折とは思わず、タイガーバームだけ塗っておき、帰国後に
病院に行ったが時、すでに遅し。骨が少しズレテくっつていた。

せんちょう間接(骨盤と腰をつなぐ間接)が、それ以降、痛み
寝返りができない日もある。新潟の病院を紹介してもらってはいたが
一度も行ってなかった。そこを見事に当てられたのだ。

靴下を脱ぎ、足の裏のツボか? お清めしてもらう。
一部の場所は飛び上がるほど痛い。激痛が走る。
累積疲労ね。ストレスも溜まってる。

そして最後に祈ってもらい終了。後日、整形外科にも行きました!


2004年08月18日(水) ジョグジャ、デイツアー。

バリ以外の島も行きたい!

本当は原始的な生活が残るパプアに一番行きたかった。
しかし、ここは今、政情が安定しない。
「入島許可」を自国で取ってきた外国人でさえ、
「一旦国外に出て再入国しないと行けない」と昨日
門前払いをくった。

次に行きたかったカリマンタン。ここに船で行く
のはあまり望ましくない。「女性1人で、現地人しか
乗らない船には乗らない方が良い。念のために」

そう言われ、考えた挙句に結論を出す。
ジャワ島に飛行機で行くことにした。
治安が良いとは言えないこの国を旅するのは
地元民のアドバイスに従うしかない。

デイツアーに乗る。朝6:15の飛行機に乗りジャワ
を目指す。たまたま飛行機の窓から下を覗くと
山が見える。「プロモ山」だ!幸運に感謝。

飛ぶこと1時間ジャワ島の小京都、ジョグジャカルタ
に到着。ガイドと挨拶を交わし、世界最大級の仏教寺院、
ボロブドゥール(世界遺産)を目指す。
道中、ジャワの話をもろもろ聞かせてくれる。

インドネシアには13000以上の島があり、それぞれの島
には独自の文化が根付く。バリだけでなく別の島の
様子が知りたかった私は、気分も絶好調!

ここジャワ島には国の人口の6割が住むという。
バリにもジャワ人は、結構、住んでいる。
仕事として屋台や新聞売りなど路上でのもの売りも多い。
ジャワ島では今、就職が非常に難しく、生活は苦しい。
事実、観光名所そばには物乞いが多い。売りも、しつこい。

面白いなと思ったのは彼らの価値観。
大切なものベスト5は1妻 2家 3鳥 4刀 5乗り物
だと言う。なぜ、そんなにも鳥が大事??

今日、一番、印象に残ったのはボロブドゥール。
インドより海を渡り伝来した仏教が、ここ南海で母国を
凌ぐほど高度な芸術文化を花咲かせた証と言えるこのお寺。

多くの謎に包まれている。

1・そもそも建立目的も分かっていない。
  (王または僧侶の墓? 寺院? 王朝の廊? 曼荼羅?)

2.なぜか1000年以上も、火山灰にうもれていた。
  (王朝の衰退? 疫病の蔓延? 山の噴火?)

3.寺の土台に使われた石と、埋められてた石が同じ。
  完成と同時に埋められた可能性もある。 なぜ??

ジャワ原人の発祥と言われるこのジャワ島。
太古の歴史まで遡ると、エライ昔になっちゃうけど
イマジネーションを働かせ、ひょっとするとなんて
思いながら目の前の遺跡を見、古代に夢を馳せてみた。

ストゥパの中で優しく微笑む幸運の仏像の足の裏を
こぞって触り(幸運になるジンクスだって)
大ストゥパを右に5周回るのが仏教徒、ぜひと言われ
360度のパノラマを楽しみながら、旋廻。

きっと私は幸せになれる!
そんな夢を抱いて。

日本に居る時には正直「お墓参り」に行く時くらいしか
寺には行かない。不思議な感は否めないが、苦笑
今日見た仏像の顔、本当に優しそうで神々しかった。

ジャワ島に来れたことに感謝はしてるが、バリの独特の雰囲気に
すでに魅了されきった私は正直、バリに戻りたかった。
やはりバリ島は格別。とは言うものの、やはり
次回、インドネシアに来れる機会がもしあれば、
政情を見ながら別の島にも、やはり行きたい!

次はフローレンス島やパブア、ロンボクのギリに行きたい。
あとスラウェシ島にも。。。行けたらいいな。


2004年08月17日(火) 朝市そして独立記念日。

朝、早く起きれるなら「海で朝日を見たり
早朝マーケットを見るといいわ。」
女主人から、そう言われていた。

言われたら、即実行! 地元民のすすめを
私は忠実に守る。その方がガイドブックより、
貴重な経験ができることが多いしね。

朝6時に起き、海辺に座る。
少しずつ白んでくる水平線を見つめる。
無心に眺める自分がいる。
海って光って、自然って本当に不思議。

日も上がった所で、朝市に向かう。
大通りに出てヒッチハイクのように親指を立て
ベモをひろう。「ケ マルケット。プラパ?」
と慣れてきたインドネシア語で話しかける。

観光客だし。ここで税金を払い生活してるわけじゃない。
倍払うのは当然と思うよ。けど5倍はないでしょ。
そんなに高いなら歩くよ。「サヤ ジャラン」
と、手に持っていたお金をしまうしぐさを見せると
「2000ルビアで良い。乗れ」って言われる。
交渉成立。早速、乗り込み。「スラマットパギ」
と挨拶や、簡単な会話を交わす。こういう一時って幸せ!

歩けば20分くらいかか所も車だとすぐ。楽ちん。
マーケットの入り口の、割れ門が見えて来た。
バイクがたくさん止められ、地元民が颯爽と
食材やチャナン(お供え物)の材料などを持ち
歩いている。私は生活感の垣間見れる、こういう
空間が大好きである。

昨日、女主人のユーディアナさんはデンパサール
の市場に野菜をたくさん買出しに行っていた。
デン(北の)バサール(市場)はバリの州都で
あると共に、市民の台所。

スーパーマーケットの価格は地元民には高い。
だから私たちは市場で食材をそろえるの。
サヌールのために、朝市の仕入れや野菜の販売に
私も関わってる。だから私も明日、早朝に
市場で野菜を売るわ!彼女は、昨夜そう言っていた。

それほど広いわけではないが、店も人も多く、
非常に活気がある。生の肉や魚も売られ。
独特の香がする。

私の訪れた目的は2つ。好奇心から見たかったこと。
もうひとつ。金曜日から、アノムさんの家に一週間も
寝泊りさせてもらう。その時のお土産を買いが欲しい。
「りんごやドゥリアン、メロンあたりが喜ばれる。」
と、地元民から聞いていたのでフルーツ売り場を探す。

観光客らしき人は、誰もいない。
時々、英語を話す人もいるが、基本的に英語の通じ
にくい空間。当然、ものに値札などついてはいない。
ちゃんと買えるのかな私? インドネシア語の本で
数字を再確認し、値段を交渉するシュミレーション
を頭の中で繰り返す。

りんごはキロ買いの様子。おしりの色を見るとイマイチ。
バナナは日頃食べれるだろうし、目の前にあるのは青すぎ。
ドリアンは匂いが強烈。これおをあと2日、部屋に置い
たら私の体調がヤバイ。好き嫌いもあるだろうし却下。
メロンをコンコンとたたくと結構、良い音。

よし、これにしようかな? けど、よその店も見たい。
重たいから、後でもう一度、来よう!
そんなに複雑なことまではインドネシア語で言えない。

「メロン(これ)重い。後でまた来る。」
重いが分からないよ。本を出す。
たどたとしく「イニ」と話出すと「英語分かる」と
隣の店の子が助けてくれる。「家のバナナも買って」
とおまけの言葉が着いて来るが。笑

状況を説明し、また来ることを約束し、市場をゆっくり
見て回る。「ボレ サヤ アンビル フォト?」と
写真を取りたがると皆、好意的に応じてくれる。
「お供え買う」など営業はされるが
「今日はメロン買うの」と意思表示すれが分かってくれた。

無事に一周し、さっきの店でメロンを約60円で買う。
これは言い値である。多分、値切れるんだろうが
私はその気にならなかった。

日本円に比べてどうという問題ではない。
このメロンを育てたり、ここまで運んでくる手間、
彼女の時給を思うと「値する」いや、本当は
それ以上の金額ではないだろうかと思ったから。
売り手と買い手の間で値段が決まってくる交渉。
これが、くせになりかけてきたかも。笑

朝食を取りながら、独立記念日だよねって話になる。
「式典を見たいからデンバサールに行こうとした
けど言葉分からないし」と伝えると
「中に入ってテレビを一緒に見よう。
ジャカルタの式典が放送されるはず」とありがたい
言葉を頂く。お礼を言い、お言葉に甘えることとする。

今日は独立記念日。どこからの独立か、日本からである。
8月15日、哀悼の念で追悼をする国があれば
日本からの支配を盛大に喜ぶ国々がアジアにはある。
アジアに行くと私が何よりも辛いのが戦争。
歴史を思うと胸が痛むが、これが事実である。
1945年8月17日、この日はインドネシア建国記念日である。
とは言っても事実上、日本が侵略する前から支配を
続けたオランダ(約300年間の統治)の支配下にまだあるのだが。

この手の話題に切り込んでいくのは、辛く悲しい思いになる。
しかし、今日だからきいてみたい。
「自分の国が侵略したことは申し訳なかったと私、個人は
思ってる。」という言葉を皮ギリとし、戦争のことなどを
話し出す。この時をどうというより、彼らは今後の自国の
平和を心底、願っている。

祖国を思う日。それが独立記念日みたいだ。




2004年08月16日(月) ホームスティ先で「お供えもの作り体験」

ホームスティと言うと、ホストファミリーがいて
その家族と交流しながら寝泊りする英語圏のもの
をついイメージしてします。

しかし、ここインドネシアでは家の敷地の中に
宿泊施設を作り、その1室を貸すことをホームスティ
と呼ぶ。朝食の時に宿泊客が一緒に食事をする程度
しか交流はない。

そう思っていたし、実際それが一般的な様子である。
しかし、こちらが関わりたい意思を見せれば応えて
くれることを昨日、会った女性から学んだ。

そこで朝、思い切って「お供えはいつ作るの」
と話かけると「今、作ってる。中においで」
と声をかえてもらえ早速、一緒に作ってみる。

なんと55個分を作っていた。あまりの量に驚く。
この家で毎日30個使い25個は義理の嫁の分だ。

まず椰子の葉で正方形のお皿を作る。刃物で葉を
適当な大きさに切ったり、切り込みを入れる。
椰子の葉の固い部分を糸として、縫いこむ。

出来上がったお皿に、まず緑の草を敷く。
それから数種類の色取り取りの花びらを盛る。
「このぐらいの量?」「もっと入れて!」
「今度はチョット多い」とアドバイスを受け
私もイッチョ前に花びらを盛る。

お供え物も数種類必要。ちゃんと、それぞれの
役割があるようだが、さすがにそこまでは
きけない。だって130種類ほどあるみたいだし。

作り終わり、約30箇所、家の中をお祈りして
回る。許可をもらい私も一緒について行った。
家寺や家の敷地の四隅に置かれるお供え物。
さらにはガスコンロの横(火の神)シンク
(水の神)にもお祈りしてる。
まさにバリは「神々の島」
気づくと、もう2時間くらいたっていた。
これは毎日、大変だろうな、率直にそう思った。
しかし、それは私のものさし。

バリの人は「お供えを作るのもお祈りの一部
で楽しいし、大切なことだからやりたいって
皆思ってるのよ。」そう答えてくれた。

午後は、新しく来たサヌールを散策。
ビーチもあるし、行ってみる。
サヌールは、おとといまでいたクタより静か。
物売りや運転手の客引きも、だいぶ穏やか。

快適に町を歩き、ビーチへくりだす。
クタはサーファー好みでインド洋の荒波が
押し寄せ、遊泳禁止だった。
一方、島の反対側にあるサヌールの海は穏やか。
カヌー、シュノーケリングもできる。
景色もよくバリの神聖なる山、アグン山が東に見える。
南には先週行ったレンボガン島などが見える。
海ってどれだけ見てても飽きない。
写真を取ったり、潮風を感じながら歩いていた。

チョットおなかすいたな、そう思って時計を見ると
4時すぎてた。昼ご飯さえ忘れてた。笑
歩いている先に見えてきた看板に目が止まった。
「ワルン カミサマ」←レストランの名前
そこで食べた「バクミゴレン」は最高。

今日も、素敵な一日になりました!!



2004年08月15日(日) ジェゴグ体験。

1ヶ月に、たった2回しかない
ヌガラでのジェゴグの演奏会の日。
ピックアップの場所にむかい、車に乗り込む。
ウブド村経由で、もう1人の日本人を乗せる。

その女性はなんとバリ、ジェゴグのリピーター。
車の後部座席で、いろんなことを話してくれる。
バリの開拓直後から今にいたるまで。
現地人の金銭感覚。そしてバリ人の宗教観まで。

そしてヌガラに到着!
なんと一緒に来た女性はコンサートマスターに
「久し振り。元気にしてた?」と話しかけている。
横に居たこともあり、私にも握手をしてくれる。
今年の日本公演でも、東京で2千人の人が集まった
コンサート。それほど有名な楽団である。

そのコンサートマスターや演奏者と、笑いながら
話すこの女性、やはりただ者ではない!
彼女の粋な計らいで、近所を散策。
偶然にも「ヌガラ織」製作中の様子を見れる。
私は本当に周りの人に恵まれてる。

ここヌガラの講演は、ただのコンサートとは違う。
ワークショップも兼ねているので、一緒に踊ったり
演奏したり、聴く時も楽器の真下に入って聞ける。
まさに体験型のワークショップ!

書き遅れたが「ジェゴグ」とは
バリ音階の木琴(ガムラン)
の一番大きなサイズの楽器。

ガムランと共鳴し、ジェゴグは素敵な音色を響かせる。
実は私、中学校で吹奏楽部、打楽器をやっていた。
木琴もマリンバも一応できる!
だからガムランやジェゴグに強く興味を持った。

楽譜がない彼らは耳で聞き取り、音を合わせていく。
指揮者も表向きはいない。
しかし良く見てると、前列の真ん中にいる
コンサートマスターの手足、腰の動きが合図。
見るべき所では、しっかりと視線が集中し、
見事に息があっている。

完全にメロディが体に入っており、見事な演奏。
若い世代と、おじいちゃん世代、そして孫世代がいる。
今日は特別、孫たちも参加。

通常なら若い世代とおじいちゃん世代の掛け合い。
それがジェゴグ。若い人が演奏してる時には、
おじいちゃんたちは休憩。その間の休み方が笑える。

舞台から降りて、別の場所に行く人あり、
隣の人と大声で笑ってる人あり、
観客に話しかける人あり、様々。
コンサート中なんだよ!日本の感覚ではあり得ない。
でも自分の出番は真剣! こそインドネシア人らしさ!

お言葉に甘え、木琴やジェゴグの下に入って聞く。
管の真下が一番、音が聞こえるしさ。素敵な音色。

第2部のワークショップでは、マレットを持ち
一緒に踊ったり、実際にガムランを叩く。
「うまい、うまい」と誉められ、なんと私は
コンサートの最終曲まで一緒に参加させてもらう。
(本当は、混ざっちゃいけないとこだったけど)
「上手だから良いよ」と横にいたおっちゃんがフォロして
くれた!! 久し振りに味わう演奏の喜びに大感動! 
コンサートは野外、荒野で行われた。

そして帰途につく。なんと演奏者がドライバーを
兼ねていた。彼は、もうすでに眠くなってきてる。
そりゃ、片道約3時間半の往復に演奏じゃ激務。

ドライバーを寝かさないように、面白い話をしよう!
と私たちは盛り上げる。そのためインドネシア語の
会話が飛び交う。最初は何を言ってるのか不明だったが。

いくつかのキーワードの意味を把握すると、何度も
その言葉が出てくる。そして、注意して聞いてると
語順に並びから文法を見出し始めた。

そして20分もしないうちに、なんとなく何を話してるか
予測がつくようになった。さすが「世界で2番目に楽」
との異名を取るインドネシア語。簡潔である。

話題は「女」プルンパ。「男」ラキラキ。
特に日本での講演、東京の話になる。魚好きの彼。
気づくと話は「女体盛り」へと。

そんな我々の努力もあり無事に、ホテルに近づく。
まずウブド村の女性から送迎される。
彼女が車を降りた後、「インドネシア語で、すみません」
とガイドに言われた私は「ティダ アパ アパ 大丈夫」
と答えてた。そして続けてインドネシア語を習う。

30分間のレッスンの間で異常に上達した私に彼は驚く。
車を降りる時に私は彼に「スラマ ティドール お休み」
と言っていた程である。時計は真夜中を指していた。
今日も楽しい一日でした!


2004年08月14日(土) 出会い!

主人が昨日、帰国し一人旅となってしまった。
いつも海外に行く時、1人だったし平気!
そう思ってたはずなのに、正直、淋しい。

そんな私の気持ちを一掃してくれたのがアノムさん。
今日、私が待ち合わせをしてる男性。

日本を出る間際に私は、
「ボランティア インドネシア 教育」
って入力してヤフーで検索をかけてみた。

そこで見つけた団体にメールを送ったら、
アノムさんを紹介してもらえた。
「この人を頼っていけば、きっとよくしてもらえる」
その言葉を信じ、おととい電話をかけ、今日
待ち合わせすることとなった。

待ち合わせより1時間半早いはずなのに、部屋を
ノックする音がする。あれっ?

外に出ると初対面のアノムさんと奥さんが立っている。
「約束の時間に授業があるので、時間を変えて欲しい」
そのために寄ってくれた。

そこで12時頃にまた来るという言葉を残し勤務先の
大学に出かけていった。(彼は国立大学の教授だった)

そして12時をチョット過ぎた頃、彼が再び訪れる。
先ほど話して信じても良い人と直感した私は、
彼の車に乗る。そしてお昼を食べながら話をする。

まずはお互いの自己紹介から始まる。
自分は日本の中学校で英語を教えていること。
過去にNPO主催のある団体を通して、
トルコやタイの子供たちと交流したり英語を
教えた経験があること。

可能なら小学校に訪問し交流できたら嬉しい。
そのため日本文化グッズを用意してきてる。
ただ私はインドネシア語は、現時点ではあまり
話せない。どうでしょうか?

そう伝えると彼は、即答で「分かりましたと
OKを出してくれました」
実は、もう1つ別の団体に声をかけた時には
かなり苦労し、嫌な思いをしてただけに
拍子ぬけだったかも。

彼の娘さんが去年まで通ってた小学校に行ける
ことになりました! 驚くべきことに奥さんは
去年、その学校のPTA会長だったんです!

学校はお盆明けからスタートということで
行ける日を決める。訪問ならいつでもOKだけど
もし授業をしたいなら、先生と打ち合わせる必要がある。
そんなことも丁寧に教えてくれる。

しかも、その学校のそばに泊まりたいんですが
どこが良いでしょうか?
と自分の持ってるガイドブックを持ち出すと
「私の通勤中の通り道だし送迎しますよ。
家に泊まって下さい。」とまで。

結局、送り盆の日の前日から約1週間も無料で
ホームスティさせてもらえることになった。

こんなに良くしてくれる人が世の中にいるなんて!
後光が指して見えた。

今まで随分、日本人観光客ということで、
もの売りにたかられたり、いろいろしてきたが
インドネシア人の優しさに触れた気がした。

そして少しずつ、バリ島が好きになってくる自分に
気づいた。今日から一週間は、田舎町、サヌールに
泊まることにした。

ホームスティ式のホテルで一泊約650円、朝食込み。
雰囲気も良い。今、新たな旅が始まろうとしている。

部屋に戻り、今日起こった嬉しさを噛み締め、
明日からの予定を立て始める。







2004年08月13日(金) 主人、帰途につく。

6泊7日って本当に短い。
彼自身、「今日帰国なんだ。ヤダナ」と
バリ島の魅惑に後ろ髪を引かれるような
気持ちで朝を迎える。

今日しかないのだ。
バリ経験者から「ウブドが良いよ」と聞いていた。
芸術の村、ウブド。やはり彼にも見てもらいたい。
そこで籠や石の彫刻の製作所を見た後、アルマ美術館
に寄り、昼食を食べ、ライステラスを見ることに決定!

ウブドは、大通りは観光客で溢れているが一歩、裏通り
に入ると人々の生活が垣間見える。観光地でありながら
人々の生活臭が残る。そんな村である。

正直言って、一日は短すぎた。
ただ通っただけではウブドの良さは分からなかった。
(何度も通う内に、ジワジワと分かってきたんだ)

けどウブドに流れるゆったりとした空間は確かに居心地
が良かった。ウブドにはバリ島のアーティストがたくさん
いる。美術館など行かなくても、画家の絵をショップで
たくさん見ることもできた。

今夜、主人は帰国なので、ツアーを早めに切り上げ、
スーパーマーケットに土産を買いに行く。
「バリコーヒー」「マカデミアンチョコ」「アロマキャンドル」
を、やったらとたくさん買い込んで終了。

夕飯は「クタの屋台」に行く。知らずに入ったそのお店。
軟派の名所だったの! 次から次へと日本人女の子達が
ジゴロにお持込されてる。その会話、聞くに堪えがたい。
なぜ日本人ばかりがひっかかる? 

気を取り直し、食事を味わい店を出る。
最後は、やはりこれまでお世話になったレザーショップ
「クイーン」の店員、彼の友人の所に挨拶に行く。

私は彼の滞在中に、どうしても友達を作りたかった。
「言葉や文化の壁を越え異国の人と仲良くできる経験こそ
旅の醍醐味」と彼に体感して欲しかったから。

そんな私の気持ちは、彼に届いたようである。
帰国してまず、彼が発した言葉は・・・
「お帰り。ちゃんとクイーンにも寄ってきたんか?」
だった。この日記を書いている今も「早く、写真やいて
送ったろう。手紙、俺、英語で書けんから書きや」
という声が聞こえてくる。

現地の皆に良くしてもらい彼の旅は、幕を下ろした。




2004年08月12日(木) 絶景、キンタマ−ニ高原

主人のリクエストで、キンタマーニ高原に行く!
私には、まだ2週間という時間が残されてるが
彼は仕事の休暇上、明日、帰国する。
当然、行きたい所は、彼優先。

あいにくの曇り空。仕方ない。天気には勝てないもの。
ガイドのステナさんの案内で、今日は北に向かって
進んでいく。結構、遠いらしい。

あまり期待してなかったが、道中、寄った
ゴアガジャ(象の穴)とティルタ・エンプル
が、思いもよらず良かった!
正直言うと、私はキンタマーニ高原より
こっちの方が気に入った。

特にティルタ・エンプルは「聖なる水のある寺」。
目に飛び込んできたシーンは、インドのガンガー。
やっぱりここはインドネシア(インドの島)である。
バリヒンドゥ教徒が、服をの上から沐浴している。

ずっと昔からインドのガンガーに行き、沐浴や
火葬場を見るのが夢だった私に突然、舞い降りた幸運。
一瞬声が出ないほど驚き、やっと言葉を発する。
「スゴイ。ここで、こういう景色を見れるとは
正直、思ってなかった。」
文化面や歴史はちゃんと本を読んだけど、
観光名所については、私は何も読んでなかった。
それが吉と出たようである。
本当に感動した!

もうこの時点で今日の観光に満足してしまった。

ってことでチョットはしょるけど、キンタマーニ高原に到着。
眼下に見える景色を眺めながら、ゆっくり食事をする。
個人的にはそこから見える景色の中でも、特に
「トルニャン村」に興味を持った。

バリで唯一、「風葬」する村、トルニャン。
どんな所だろう? 行って見たい。
そんな気持ちになる。

しかし、これは叶うことはなかった。
その後、地元の人に聞いても、行ったことのある人は
数十人に1人。行きたいと思う人は、まずいない。
ガイドが一番嫌がる村、トルニャン。

閉鎖的な彼らは、火葬の習慣を受け入れることはなかった。
ゆえに今でも昔のバリの様子をとどめている。
けど、村に来る観光客から取る金が唯一の現金収入。
行ったら最後、場合によっては暴行さえ加えられる
ってことであきらめました。

死体を風化させるために、入れる芳醇な木。
不気味な「シャレコウベ」に、その雰囲気を味わいたかった
けど、結婚し仕事も始めた今、私が無事に帰れないことは
もはや1人の問題では済まないので。

いつかもう少し、彼らが変わったら訪れてみたい。
そんな希望を残して。



2004年08月11日(水) バリのお盆。

210日に1回来るお盆。
特に何の計画もなく、行く日を決めたが
非常に運の良いことに、見れることとなる。
ヤッタネ!

そうとなりゃ、見なきゃ。
そこで今日の午前中は、町を散策することにした。

朝9時、外に出る。いつもと違うぞ!
休みの店も非常に多く、もの売りもいない。

どの家も、祖先が家を間違えないよう、門の前に
「ペンニョール」を立てている。それに入り口の
門番をする魔人像に黒白チェックの布(善悪調和の意味)
が巻かれ、耳の後ろいは赤いハイビスカスをかけてる。
かわいいな〜。

3分も歩かない内に、正装に身を包み、供え物を頭に載せ
さっそうと歩く女性に出くわす。急いで後に続く。

彼女たちはお寺に入り、お祈りをしてる。初めて見る、お祈りの瞬間。

神の祀ってある祠に、まずお供えものを置き、次に線香をたて祈る。
ところが、どっこい次は下にも同じように(種類は違うけど)
お供えものを置き、聖なる水をかけ、全く同じように祈る。

あ、ガイドさんが言ってた!「善の神にも悪の神にも祈る」って。
そんなことも思い出しながら見守る。

なお、女性たち、たくさんのお供えものを持っている。
どこに行くんだろう? 許可をもらい写真をとったり、後をついていく。

後からわかったが、1人平均して、毎日30箇所お祈りにいく。
それにしても、みんな敬虔な信者。宗教って一体、何だろう?  

午後からは、ツアーに参加。
主人が楽しみにしてた「タナロット寺院」がメイン。

道中、村を通る。農作業中の人たちが、たわわに実った稲を
手で刈っている。なかなか日本では見れない景色に感動。
ガイドさんの粋な計らいで、車を止め写真がとれることになった。

声をかけると思いっきりカメラ目線。あら・・・
作業してる様子が取りたいので、「そのまま、そのまま。作業を続けて」
と声をかける! 結局、作業中の写真を一枚と、ややカメラ目線の人がいる写真を一枚取った。
帰ろうとすると、冗談めいてお金を要求される。

冗談と受け止め、ニコニコと「ノー」と言いながら、車に戻る。
すると主人が「あれ本気で、要求してたと思うよ。
俺、後ろ振り返ったら、ついてきてたし」
おめでたい私は、そこで初めて気づく。そういえば、「農民の仕事は
大変で生活は極めて厳しい」って、別のガイドさんが言ってた。
現実や、悲しい気持ちが襲ってくる。

金銭価値が軸となる社会に、やっぱりバリも向かっている。
そんな気持ちを抱き、「モンキーフォレスト」に向かう。到着!

ボランティアガイドの女性の案内で、猿の餌ピーナッツを買う。
猿に、えさをあげながら公園内を歩く。実は私、バックを
開けっ放しだった。猿はバックの中でキラキラ輝く私の小物に
興味を持ち、バックに手をかける! 「エッ」

お行儀の良い、猿で? かろうじて取られずにすんだがビックリ!笑
慌ててファスナーを閉める。危ない、あぶない。

出口が近づく頃、ショッピングに案内される。「買い物しないよ」
そう言うが、彼女の耳には届かない。日陰の路地に入っていく。
暑い日だったので、日陰だし行くか。

たどりついた先に店員はいない。あれ??
見えてきた。ボランティアガイドとは、ショップをの店員。

「何か、買ってよ」馴れ馴れしく、そう言われたので
フランクに「買わなきゃ駄目?」と応えてみる。
「そういうわけじゃないけど。上司が喜ぶから」
「何か欲しいものがあれば、よその店じゃなくてここで
買うけど、今、欲しいものもないんだ。悪いけど」

そう答える。しら〜っとした空気が流れ出口のゲートに案内される。
いつも味わう、この感覚。買わないことが分かると、訪れるこの間。
正直、辛い。気分を取り直し、今日のメインタナロット寺院へと向かう。

夕日が綺麗で有名なお寺、友達からもお勧めされた所だけあり、本当に綺麗。
少しずつ暗くなり、夕焼け色に変わっていく空が綺麗なのは当然!
それ以上に私が気に入ったのは寺のシルエットが、段々、黒く浮かびあがっ
ていく様子。海に、そして夕日に浮かぶ、タナロット寺院、最高でした。


2004年08月10日(火) レンボガン島でマリンスポーツ満喫

主人、念願のマリンスポーツに挑戦。

ブノア港からバリハイ・クルーズのフェリーに乗って
レンボガン島そばの浮島に到着!
約90分の船旅。しかし、このフェリー結構ゆれた。
おかげで2人とも完璧に船酔い。

やっと回復し、まずはパラセイリングに挑戦!
2人とも、初体験。なんせ今日のメイン、待望の瞬間である。
意外と固定するワイヤーとか紐はシンプル、これで本当に
自分の重みに耐えられるのかな?

などと思っているのも束の間、気づくと自分が空に向かって
上がっていく。天に雲に手が届きそうなくらい高い所に自分が
いる。「わぁ綺麗」目を見開く。眺めが最高なの。

島も海も、よ〜く見える。本当に珊瑚の綺麗な海なんだね!
海の色が場所によってチョットずつ違う。
風に揺られ、本当に心地よく、夢のような一時だった。

次は、バナナボートに挑戦! 5人乗りのボートだったので
オージー3名と一緒に乗り込む。快調、無事に戻ってくる。
ところが一番前に座ってた子が「もう1回行こうコール」を
かけ、全員が賛同したので、もう1ラウンド乗ることに。

ウイーンとエンジン音がしてボートが進む。さっきより早い。
必死につかまっていたものの、5人そろって突然海に投げ出される!

沖まで走ってきて、バイクを運転してる、おっちゃんが
どうやら、エンジンを突然切った様子。←そりゃ、全員落ちるよね。

お決まり、サービスでやってくれたというか(苦笑)
必死にボートまで泳ぎ、助けをかりながら、よじのぼる。
あろうことか、私たちは到着寸前に、もう一回落ちた。
これは私のせいかも? バナナボートって意外とバランスいるね。笑

次は潜水艦に乗り珊瑚を見る。海の中の珊瑚はもちろんのこと、
魚もいっぱい。よ〜く見えて大満足。おまけにビートルズの
イエローサブマリンがかかったりして、チョット変な気分。

潜水艦を降りると、スタッフがランチを知らせてくれる。
船に戻るとビックリ。豪華なランチが、並んでる。
けど、軽いものしか食べれない。船酔いには懲りたもの。

昼食をあきらめ、レンボガン島の村に行くツアーに参加。
島に着いたらなんとそこには日本語ガイド、英語ガイドなど
言葉別にガイドが待っていた。担当者と共に、なぜか行く方角が
違う。不思議に思いつつも、ついて行く。

レンボガン島が「カンテン」のおかげで豊かになったことを
聞かせてくれる。小さな村を見て回る。何軒かお店がある。
買う気がないのにお店には入れない。「財布持ってきてないよ」
バリハイの船の中に置いて来たと伝えても、ガイドは店に寄る。
「船にお金があれば、後でも大丈夫ですよ。」

現金収入が村にとって大切なこと。
客が買った時、連れて来たガイドにバックマージンが入ってくること。
村観光の時には、○○に立ち寄る規定があること。

そんなきまりが、旅行業界にあるのはとうの昔から知ってる。
買わないと知った途端、相手の態度が急変するのを見るのはやはり悲しい。
実はバリ島のあらゆる所で、私たちはこれを味わうことになる。

さて村から戻ると、もう1時30分を回っている。
確か浮島に居れるのは3時頃まで。まだ遊びつくしてない!
急いでウオータースライダーをすべる。これも意外と面白い。

満足した所で、今度は主人とシュノーケリングをやってみる。
耳抜きのできない2人は、息継ぎのために何度も顔をあげながら
水中の魚や珊瑚を見る。やはり海中は綺麗でずっと見ていたいと
いう気持ちになった。

自由時間ギリギリまで、シュノーケリンし海を満喫した。
しかし、やはり綺麗な海、楽しい遊び場に背を向け帰っていくのは
いくら満喫したからと言っても、正直、淋しかった。

マリンスポーツ、本当に楽しかった。
またやりたいな〜。










2004年08月09日(月) デンバサール市内観光。

ガイドのステナさんが、8:30に迎えに来る。
30分程度の遅れなら遅刻のうちに入らないのがインドネシア。
のはずだが、さすが日本人相手に仕事をしているだけの
ことはある。10分以上前から、待ち合わせ場所で待ってくれてた。

早速、車に乗り込む。Slamat pagi. Aba Kabar?
と、突然インドネシア語で話しかけられる。
日本でペラペラと本をめくったり、これまでのいくつかの
外国語の勉強歴のある私は、雰囲気で何を言ってるか分かった。
本を取り出し、Baik-baike Saja.と答えてみる。通じた!
主人は横で「ぼけ〜」っとしてるけど、ゴメン
現地の言葉で話すのって最高!!

バスの中でも、インドネシアやバリについていろんな話を聞く。
聞くもの、見るもの全てが初めてでとっても新鮮!
(そりゃそうだよね。初めて来たんだもの。笑)

まずは石彫りとバロンダンスで有名なバトゥブラン村でダンスを見る。
バリの木琴、思わず癒されてしまいそうな「ガムラン」の調べにのせ、
聖獣バロン(善)と魔女ランダ(悪)が戦いを繰り広げる。
バロンの見た目は、日本のナマハゲに、そっくり!!
善悪の争いの結末は、「引き分け」。白黒はつかない。

万人、誰でも善悪の両方の心を持ってる。
だから善と悪のお互いの力のバランスが取れてることが大切!
っていう、メッセージを込めた「バロンダンス」に大満足。
手足や目の動きが本当にエキゾチックで、魅了された。

州都デンパサールは「デン(北の)パサール(市場)」の意味。
待ってました! 市場へ出かける。
主人は匂いに圧倒され辛い様子。そこが良いじゃんね!

所狭しと積み上げられた野菜や果物。容器に入ってない肉や魚。
日用品に香辛料、お寺に捧げるお供えものの材料(やしの葉、
色とりどりのお花)もある。

それに、竹篭を頭の上に載せ颯爽と歩く女性がかっこよく見えた。
あら、通路には「足を縛った鶏」や「お供えもの」まで置いてある。
生活感が思いっきり感じられ見てるだけで感動してしまった。
ランブータンを買おうと探したけど、時期はずれでなかった。残念

その後、バリ博物館、ジャガナッタ寺院、アートセンターなどに行く。
バリ・ヒンドゥの独特の宗教観・世界観が表現されてるお寺も趣がある。

午前中の観光と食事は楽しく終了!
ところが午後はどっこい。ショッピングが主流。ヤダヨ〜。
チュルク村の金細工工房や、籠屋さんに行くってより、連れてかれる。

ものを作る過程には興味はあるけど、ショッピングにはない。
だいたい3週間の滞在になるのに、初日から買ってどうするよ!

ってなわけで、ショッピングにあまり時間がかからず、エステ行き
も断ったので予定より早くツアーが終わる。
明日からの予定を何も入れてなかった二人はホテルに帰り作戦を
練るのであった。









2004年08月08日(日) バリ島に到着!

家族と海外に行くのは、初めて!
一緒に荷物を支度し、鍵をかけ荷物を確認しながら
旅路につく。出発は新潟空港から。

今回の目的地は、インドネシア、バリ島。
バリに着いた翌日の市内観光だけがついていて、
あとは自分たちで好きに予定を決めるフリープラン。
主人は5泊7日。私は3週間の滞在。
彼の寛大さが、私のロングスティを許してくれたの。

グアムを経由し、バリ島へ向かう。
新潟からグアムまでの機内は、空席が目立つ。
おかげで、3人がけの所に、主人と2人っきり。
窓側には彼。旅に不慣れな彼は食い入るように、
外を見る。私も窓から外を覗く。

「あ、横切ってる!」成田や名古屋発の飛行機にしか
乗ったことのない私は、ビックリ!
日本を横断していたのだ。よく考えれば当然だけど
とっても新鮮な光景だった。

夜の9時近くに、バリ島へ着く。
預けた手荷物をターンテーブルから、取った。
2秒後、横から手を伸ばし、私の荷物を運ぼうとする
見知らぬ奴がいる。

後から法外な料金を、請求してくる「ポーター」
である。落ち着いて「自分で持てますから」と答えると
意外に、あっさり荷物運びはやめた。
今、思えば、ここからバリ島の客ひきは、始まっていた。

到着ロビーには現地ガイド「ステナさん」がお迎えに来た。
クタにあるホテルに送ってくれ、後日の日程を確認。

ホテルはプールもあり、落ち着いた内装で、良い感じ。
床が石でできててお洒落だし気に入ったけど、ベッドから
落ちたら痛そうだな。。。などと馬鹿なことを考える。
(実際、3日目に1回、落ちたの。かなり痛かった。)

翌日のために目覚ましをかけ、先ほど、空港でもらってた、
パンフを片手に、気づくと私は眠っていた。



2004年08月06日(金) 平和と日本人。

59回目の広島の式典をテレビで見た。
本当に、戦争って悲しいことですよね。

毎年、この時期になると思い出すことがある。
(戦後生まれなので、体験したわけじゃないけど)
小学校の宿題で「戦争について、家族にきこう」
ってのがあり当時8歳だった私はおじいちゃんに質問。

いつも何でも答えてくれたおじいちゃんが、言葉につまり
「あれは本当に辛かった。思い出したくない。」
小声でそう言うと、おじいちゃんは下をむいた。

子ども心にも、辛さを感じ、その先は何もきけなかった。
おじいちゃんの命日、もうすぐなんだ。

日本人の私たちは、広島、長崎、原爆って言う傷を確かに負った。
毎年、この時期になると、そればっかりがクローズアップされる。
ただ、それと合わせて忘れちゃいけないことがあると思う。

私は、ここ5年間に、アジア在住の人と交流する機会があった。
若い世代は、今の日本に好意を持ってくれててることが多いけど
過去に私たち、日本人がしたことを、忘れたわけじゃない。
ちゃんと知ってるし、彼らも、傷を負ってる。

日本は、被害者と共に加害者。
アジア諸国を侵略、搾取し、多くの人たちを殺めた。
その事実も合わせて見直そうよ。

私は8日から23日まで、インドネシアにいる。

8月17日は、独立記念日、お祭りなんだ。
終戦を心から喜び、日本などからの独立を祝う国がある。

ボルネオ(現 カリマンタンん島)で、地元民を脅し、
捕虜を目的地に収容するために、暑い中歩かせた。
マラリアにかかってる人さえ、二度と立ち上がれなくなるまで。
通称「デスマーチ」。これは、日本人が過去にしたこと。

日本人として、こちらにも責任を取らないと、いけない。







2004年08月04日(水) ねぶた祭り。

時間があったら見て、気分だけでも楽しんでね。
青森県の「ねぶた祭り」だよ。

五所川原立佞武多 インターネット動画配信
(3台のカメラにより生中継)

日付:8月4日〜8月8日/時間:18:00〜21:00
http://www.aomori-pc.ac.jp/tati.htm

良かったら、こっちも見てね。結構、迫力ある。
「立佞武多の館」HPです。

特に《祭りの風景》のクリックをお勧め。
http://www.tachineputa.jp/ 

下のHPでスライドショウでは、お囃子が聴けます。
http://homepage1.nifty.com/ja7bal/tachineputa.htm

Have fun!


2004年08月01日(日) 旅程をもらいにいく。

来週出発の旅程を、旅行会社に、もらいに行って来ました!
担当者は、新人さんで、チョットこみいったことをきくと
常にビックリしつつ、周りの先輩に確認とってた。
(当然、いじめるつもりなんて、私ないよ。)
ただ旅慣れている私の質問は、結構答えにくいものが多く
手をかけちゃって、ごめんなさ〜い。

前の日に、「お時間がかかりますので」と
言われてただけあって軽く、1時間はかかりました。
説明をだいぶ考えられた様子で、カンニングペーバーを
何度も見ながら、一生懸命話してくれました。

主人は海外旅行初心者だったので、詳しく説明して
もらえて、助かりました!

が、やはり新人さん、請求書を見ると空港使用料にミスがある。
バリ島に入国時には「各自で25米ドル」をビザ代として払う。
出国時には10万ルピアを自分で払うはず。
じゃ、加算してあるのは? それとなく、きいてみた。

彼女もパンフレットを開き、追加説明している内に、
経由地、グアムの空港使用料と勘違いしてたこと。
そして多く請求しすぎてることに気づいた様子。

先輩が横から訂正印を押し、請求額を変えてくれ、無事に清算終了。

帰りに主人から痛い一言。あの新人さん、おまえの担当で苦労
したんやろな〜。旅行に異常に詳しく、難しいことばっかりきくし。
「帰ったら、お土産でも置きにいくか。」

確かに、今日も、グアム空港の手荷物預かり場所の営業時間と、
今、キャンペーンをやってる「ワンパス」の会員になれるよう
依頼した。

昨日、電話をもらった時も「ツアーを離脱する場合、
コンチネンタル航空はリコンファームが必要ですか」って質問もしたよ。
あ、解答してもらってないや。次回行った時にきかないと。

もう1回、取りに行く書類があるけど。
今度は主人1人で行って貰おうかな。その方が担当が喜ぶかも。






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