日々雑感
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2008年06月16日(月) 明け方のアジサイ、夜道のバラ

オーストリアとスイスにてサッカーの欧州選手権が開催中。観戦のため最近では明け方まで起きていることが多い。4時をまわる頃には、外がだんだんと明るくなってゆくのがわかる。カーテンを開けて窓から外を見ると、夜明け前の青い空気の底にアジサイの花が咲いている。そういえば、いつだったか夜遅くに歩いていると、そこだけ静かに光を放つように黄色いバラが咲いていた。日の光のない場所で見る花の色は、なぜだかいつも一際深い。


2008年06月13日(金) 商店街にて

部屋の中にいるのがもったいないような快晴。夕方、少し遠出しようと、隣りの町の商店街へ行く。

どこかから帰ってきた人たちや、どこかへ帰る人たち、ちょっと買い物に出てきたといった風情のサンダル姿のおばちゃんたち、夕方の商店街は賑やかだ。洋菓子店でレモンケーキを買うと、「これ、おまけね」といって、ロールケーキを一切れ紙袋に入れてくれた。「メリケン粉じゃなくて、お米の粉使ってるやつだからね」。八百屋ではおばさんが外に出て、そら豆がお買い得だと声をかけてくる。総菜屋からは揚げ物をする音が聞こえ、お客さんがひっきりなしにやって来ては、コロッケやメンチカツ、唐揚げなどを買っていく。総菜屋の向かいには「囲碁・将棋倶楽部」と大きく墨で書かれた看板があり、入り口を開け放した建物の中では、半袖やランニングシャツ姿のおじさんたちが、向かいあって将棋をさしている。扇風機がゆっくりと回っているけれども、たぶん外からの夕風のほうが涼しいだろう。商店街の真ん中を横切る路面電車の線路際にタチアオイが咲いている。

ぶらぶらと歩いて買い物を終えたあと、商店街の中ではほとんど唯一の飲食店らしき焼き鳥屋に入った。テーブル席が二つとカウンター席だけの小さな店で、おじさんが一人で注文も焼き物もこなしている。カウンターには一人のお客ばかり。勤め帰りらしいおじさんはネクタイをゆるめ、やはり会社帰りだろうか、スーツの上着を脱いだ女性がビールの中ジョッキを傾けている。おじさんが黙って串を焼く音、開けた窓から時折響いてくる踏切の音、それに、お店の人や外を歩く人たちの声、たぶん自分の声もそんなふうにして混じり合って、夕方、商店街のざわめきは、七時をまわっても暮れないこの時期の空のように、いつまでも響き続けてなかなか消えてゆかない。

帰りがけ、商店街の端にある酒屋の店先に、ドイツビール大特価の貼り紙を見つける。賞味期限が迫った瓶ビールが、発泡酒よりも安い値段で売られている。思わず1ダース購入、大丈夫かとおばちゃんに心配されつつ、次に住むならばこんな商店街のある町がいいと思いながら、抱えて帰る。


2008年06月07日(土) 夕景

団地の前の道路に、小さな女の子がしゃがみこんでいる。見ると、足元に野良らしいキジトラの猫が寝転がり、じっとお腹を撫でられている。猫は時折寝返りをうちながら、嫌がりもせず気持ちよさそうに目を細め、女の子のほうはといえば、口を結んだまま真剣な表情をして、横を通り過ぎても身動きもせず視線を猫から外さない。しばらくして振り返ると、女の子の後ろ姿はまだそのままで、立ち上がる気配もなかった。猫の尻尾がぱたんと動くのが見えた。猫の身体は日向と同じに温かかったろうか。夕方。団地のフェンスの向こうに青いアジサイの花が咲いている。


2008年06月04日(水) 発芽

細切れに夢ばかり見ている。知っている人や知らない人、既に亡くなった人もこの頃はよく現れる。なぜだか、どの人も皆なつかしい。頻繁に会っている人ですら、夢の中に現れると、ずいぶん長いこと声も聞いていない相手のように、なつかしくてたまらない。昨日の夢に現れた人は、トルコを旅したときのものだといってスケッチブックを見せてくれた。街を歩く物売りの姿が色とりどりに描かれていた。

朝顔の芽が出る。種まきして以来、水は足りているか、寒くはないかと、たぶん必要以上に鉢を眺めては近くをうろうろしていたのだが、今日、土の中から細くて薄い赤色をした芽が出ているのが見えた。うれしくて、何度も何度も見てしまったり、日当たりのよい場所に移動させたり、これを過保護と言わずして何と言う。


2008年06月01日(日) 種まき

昨夏、友人が入谷の朝顔市のお土産だといって朝顔の鉢を持ってきてくれた。青い花をいくつも咲かせたあと、かなりの数の種がとれた。今日、久しぶりの晴れ間を見て種まき。水につけて種を柔らかくしておくと発芽しやすいというので、湿らせた脱脂綿の上に一晩載せておいたところ、二つが種まきを待たずして小さな根っこらしきものを出している。引き出しの中に入っていた間も、芽となり、やがて花を咲かせるものは、じっとこの時を待っていたのだ。無精してこの時期まで延ばして申し訳なかったと思う。明日から十分に気温が上がって、楽に発芽できるとよいのだが。

「種」といって思い出すのは、

まだ夏が終わらない
燈台へ行く道

と始まる、西脇順三郎の「燈台へ行く道」の中の次の箇所だ。

岩山をつきぬけたトンネルの道へはいる前
「とべら」という木が枝を崖からたらしていたのを
実のついた小枝の先を折つて
そのみどり色の梅のような固い実を割つてみた
ペルシャのじゆうたんのように赤い
種子がたくさん 心のところにひそんでいた
暗いところに幸福に住んでいた
かわいい生命をおどろかしたことは
たいへん気の毒に思つた
そんなさびしい自然の秘密をあばくものでない
その暗いところにいつまでも
かくれていたかつたのだろう
人間や岩や植物のことを考えながら
また燈台への道を歩き出した


午後からバスに乗り、隣り町の図書館へ。帰りは歩く。路地裏の、とある家の前に、子どもの小さな靴が二足、きちんと並べて干されていた。


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