日々雑感
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2004年03月31日(水) 時は流れる

電話にて研究室の教授が他の大学へと移動することを聞く。まるで予想していなかっただけに驚いた。

担当教官というわけではなかったが、何かと気にかけてくれた人だった。専門の対象が違うこともあって直接指導を受けることは少なくなっていたけれども、お酒の場ではなぜか近くの席になることが多かった。その度に、論文の内容だとか何とかについてさんざん言っておいて、けれども最後にはいつも、他のテーブルにいる担当教官を指しながら「あいつをびっくりさせるようなもの書いてみろ」と笑うのだ。いちばんきついことを言うのも、もう少し踏ん張ろうと思うきっかけをくれるのも、どちらもこの先生だった。

帰る頃には、もうそこに彼はいない。いつかこの人にだけは認めてもらえるようなものが書きたいと思って続けてきたけれども、何かひとつ、大きな波が過ぎていったような気がする。自分も先に進まなければいけない。いつまでも同じところにはいられないのだ。

明日から四月。昨年のうちに友人が送ってくれたカレンダーをめくると、小学校の入学式の光景。小さな子は父親の腕を両手でしっかりと握っている。花咲き始めるこの季節を、この子がやがて笑いながら思い返せますように。あんなに心細いこともあったかと。


2004年03月30日(火) 窓辺

どこかへ出かけたい気持ちを何とか抑えつつ本読み。まだ休暇中にもかかわらず大学の図書館には人が多い。勉強関係の本読みは、周りに人の気配があったほうがはかどる。

今日は裏道を通って帰る。白壁の建物に挟まれた細い路地だ。最上階にいくつか並ぶ窓のひとつでは七色の風車が回っている。ぼんやりと眺めていると、その隣りの隣りの窓際にて本を読んでいる女の人と目があった。ここでは、上方の窓に注意すべし。それでも、あの場所もきっと本を読むにはもってこいだ。


2004年03月29日(月) 青い花

快晴。日の光がまぶしい。いつもはバスで通り過ぎるところ、公園を突っ切って歩いてみる。

木登り練習中の女の子。それを下から見守るお母さん。太極拳をする二人組み。そして、いちめんに青い花が咲いている。小ぶりの花びらが忘れな草に似ている気がするが、実際のところはわからない。桔梗。りんどう。あるいは、あじさい。青い花はいろいろあるけれども、青で埋めつくされた原っぱを見たのは初めてだ。ただきれいというだけでなく、何か見てはいけないものを見てしまったような不安な気持ちにさせる光景。

それにしても、晴れた夕方ともなると外を散歩する人びとの何と多いことか。公園の中を、川べりの道を、それぞれ思い思いに歩いてゆく。たいていは二人連れ。あるいは犬といっしょ。その中に混じって歩きながら、ふと見上げると、五階建てのいちばん上の窓から通りを見下ろしている老夫婦と目があった。揃って白い服を身にまとい、肩を並べていた二人。


2004年03月28日(日) 「ロスト・イン・トランスレーション」

橋向こうの映画館へ。この街では、日曜午後ともなると決まってどの映画館も混んでいる。家族連れ、夫婦、あるいは友人同士などでやって来る人がほとんどで、ひとりの客はほんとうに少ない。皆いそいそとポップコーンや飲み物を買い、始まるまでの間は座席でおしゃべり。「娯楽」としての映画がしっかり生きているのだろう。

この日見たのは「ロスト・イン・トランスレーション」。仕事で東京へやって来たハリウッド・スターと、ちょうど同じホテルに滞在していた女性とが、ふとしたことから出会うところから物語は始まる。とにかく「東京」の描き方がうまい。東京が舞台でなくては、この物語は成立しなかったろうと思わせるような存在感。

東京は寂しい。10年以上住んでいたけれども、いまだにそう思う。外から来た者を心許なくさせる街。そして、同時に愛しい。例えば、ネオンの灯る夜の街を早足で歩いているときに湧いてくる幸福感。あの空気を、久しぶりに懐かしく思い出した。

この映画、ラストシーンがまたよし。個人的に「ラストシーン大賞」をあげたい。

「ロスト・イン・トランスレーション」公式ページ


2004年03月27日(土) へそくり

部屋の掃除。しばらく使っていなかった外出用の小さな鞄のポケットから、お札が出てくる。いつ、どうやってここに入れたのか、まるで思い出せず。日本円にして一万円近く。旅行したこともあって、ちょうど懐がさびしくなっていたところ、期せずして「へそくり」となった。

厚めのノートを買ってきて、振り返り振り返り旅の記録をつけていたのだけれども、今日になってようやく最終日に辿り着く。あれから二週間。一区切りついたところで、明日からはサマータイムとなる。


2004年03月26日(金) 春の準備

晴れ。気温は低い。それでも、花屋に並ぶ水仙やスミレや鈴蘭など見ると、もう冬に後戻りすることはないのだと安心する。厚いセーターをしばらくは使わないスーツケースに仕舞い込んだ。寒くて、セーターを二枚重ねて着たりしていたのは二ヶ月前のこと。

今日は一日中本読み。何冊かを並行して、あっちへいったり、こちらへ戻ったり。おぼろげに見えつつあるものに向けて、手探りで進んでいるような感じか。見失わないようにしなくては。



2004年03月25日(木) ワイン三昧

雪が溶けて、土や少し湿った枯れ草が見えてくるこの時期、外を歩いていると、名前を知らない小さな白い花や、ひと冬眠っていたのかもしれないゴム製のボールや、いろいろなものが見つかる。日なたの匂いがし始める頃。今日は寮の前の通りで何やら赤いものを発見。近寄ると、トマトの上半分だった。まさか、これは越冬したわけではあるまいが。

夜、ワインの試飲会に誘ってもらう。シャンパンから始まって、白二種、ロゼ一種、赤二種、最後にサービスでコニャック。どれもそれぞれに美味だったけれども、驚いたのはコニャック。しっかり飲んだことはなかったが、こんなに美味しいお酒だったのか。甘すぎず、辛すぎず、後味が何ともよい、余韻の深いお酒。よい気分で、つい、もう一軒ハシゴする。

夜道を歩いて、暖かい部屋へ帰って、読みかけの本のつづきに取り掛かる。けれども、たぶん本を開いたまま直に寝てしまうだろう。ぱたりと意識を失うように眠りこんでしまう日々が続いている。


2004年03月24日(水) 流れの音

雨の音で目が覚める。こんなにしっかり降るのは久しぶりだ。気温も下がる。近くの街は雪だという。

午前中、部屋の掃除。はじめは物が少ないこともあって「散らかる」ところまで行かなかったのだが、ここにきて、だいぶ雑然としてきた。本棚に本や雑誌、各種印刷物の山。机の上に旅先からやってきた小さな物たち。床には箱やら衣類やら。片づけは進まないが、こうなってようやく、落ち着いて自分の部屋にいられるようになった。さながら、巣にいろいろとため込んで、ぬくぬくしている何かの生き物のごとし。

午後、友人とその友人がやって来る。川沿いのいつもの店でソーセージとビール。川は、雨のせいか、いつもよりさらに流れが速い。怖くなるほど。先週から旅行に来ているという友人の友人であるところのひとは、今回とにかく川を見ることを目的として歩き周っているらしい。ひとしきり歩いたあと、二人はこの同じ川を下ったところにある街へと向けて発っていった。あそこでは、川幅はもっと広くなって、遠くから流れてくる他の川と交わるのだ。

夜、部屋の中、川の音がまだ聞こえているような気がする。けれども実際には、窓をたたく雨の音ばかり。


2004年03月22日(月) イースターうさぎ

イースター(復活祭)が近いということで、街のいたるところに色とりどりの卵、それに、うさぎ。ここでは、イースターの卵はうさぎが運んでくるとされ、「イースターうさぎ」という名前もつけられている。先週末あるお宅を訪ねたときも、お土産にといって、このイースターうさぎのお菓子を手渡された。黄緑と白の卵を抱いた小さなうさぎだ(とても食べられず)。

夕方、天気雨。ひと雨ごとに緑は鮮やかに、春の気配は濃くなってゆく。まさに生まれ直しの季節と思う。


2004年03月18日(木) 静かな夕暮れ

友人から電話あり。一件はワインを飲みに行くお誘い、もう一件は引越し後の報告。ようやく、また少し時間が動き始めたような気がする。

日はゆっくりと暮れる。上着を脱いだ人びとに混じって、川沿いの道を歩いた。声もなくユリカモメが飛んでいる。川から吹いてくる風の匂いがする。どこまでも歩いていけそうな、そんな幸福な春の夕暮れ。こんな日があってもよいだろう。


2004年03月17日(水) 音が生まれる場所

週末から音楽祭で有名な街へ行っていた。夏には人であふれかえるという街も、この時期はひっそりとして、教会の鐘の音がよく響く。

知り合いのご夫婦のお宅に三泊。庭にクロッカス。食卓に水仙。本格的な春が来る前に庭仕事をしなければと、ふたりして話している。この家での日課は、就寝前に一皿分の大根を食べること。かつて、多忙によるストレスで不眠気味となった際、大根を食べたら嘘のようにすんなりと寝付けたらしく、それ以来の習慣という。滞在中は、ふたりと共に毎晩大根を食べた。

小さなピアノ工房も訪ねた。音が生まれる場所。修業を始めて三年目だという青年は、お土産にといってピアノの中に入るハンマーをひとつ手渡してくれた。

知らない街を、人を、知るということ。流れ込んできたものを言葉にするのに時間がかかる。今回は特に。ほとんど春といってよい陽気の中、ふらふらとした日々がつづいている。


2004年03月12日(金) 行きて還りし

どこかへ出かけたあとは、しばらく熱に浮かされたように、その場所のことばかり考えてしまうけれども、今回は特に重症らしい。喧騒も、緊張感も、無法地帯の大通りも、夜のスタジアムで身体の芯まで冷え切ったことも、何もかもみな懐かしい。毎晩通ったチーズ屋のおじさんは、今日もあのお店で常連のお客を相手にしているのだろうか。

大きな円を閉じるかのように、夜行で発ち、同じ街からまた夜行で帰ってきた。旅のはじめと終わりとで、不思議と、対照をなす出来事が次々と起こった。行きて還りし、けれども、それはほんとうに「円環」なのか。

数週間ぶりに立つ駅のホームは、まだ寒かった。家への帰り道、花屋の店先にはネコヤナギが並んでいた。


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