日々雑感
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2003年12月24日(水) クリスマス・ミサ

クリスマスを過ごして、いちばん印象に残ったのは、その静けさだ。気温は零下15度まで下がった。ミサの始まりを告げる鐘の音が、冷たい空気の中、近くから遠くから響いてきた。

教会では照明がおとされ、蝋燭だけが長い列となってともされている。その灯りに浮かび上がる目を閉じた人びとの姿。自分がここにいるということに気づいてもらうための灯りか。あるいは、何かを導くための道標としての灯りか。

外に出ると、ものすごい数の星である。地上でともす灯りと、天上の星と。


2003年12月23日(火) 年の瀬

違う街から、友人が二人やって来る。三人して昼食。昼間からワイン。その後、街中を散歩する。

裏道や路地などにもだいぶ詳しくなったけれども、やっぱりいちばん好きなのは川岸の眺めだ。橋の真ん中から旧市街を振り返る。流れの先に目をやる。昨日からの雪で、どこもかしこも、うっすらと白い。

ひとしきり歩いたあと、今日が最終日のクリスマス市にてソーセージとグリューワイン。ひとりは帰り間際に、駅前のショッピングセンターにてアイスクリームも食べていた。これが若さか、とは、残りのふたりの弁。アイスクリームの彼女とは何といっても、10歳近くも違うのだ。

駅のホームでは、帰省する人、遠くへ向かう人などがひっきりなしに行き交っている。なつかしいざわめき。雪の匂い。


2003年12月21日(日) 教会にて

教会の日曜ミサへ。いつも隅っこのほうで、おとなしく聞いている。

オルガンの音。聖歌隊の声。人びとの唱和。ステンドグラス越しに届く鈍い光。そして、ミサの終わりと共に、いっせいに鳴り出す鐘の音。その和音。教会と音楽とは一体なのだ。どこもそうなのだろうか。

教会にあるのは、旋律やリズムというよりも「響き」だ。「向こう」からやってくるのか、「こちら」から向かってゆくのかは分からないけれども、それは世界を震わせる。震わせ、開き、そして、その裂け目からこぼれ出すものがある。

外へ出ると小雨。冷たい雨だ。直に雪になるかもしれない。


2003年12月19日(金) 寒い夜には

大きなツリーのあるお店にてクリスマスパーティー。この日の目玉は部屋の真ん中で作るホットパンチである。

大鍋に赤ワインを注ぎ、香辛料とオレンジの輪切りを入れる。そこに火挟みを渡し、砂糖の固まりをのせてラム酒をかけ、火を点けるのだ。砂糖は燃えながら大鍋の中にゆっくりと落ちてゆく。灯りを消した中に青い炎だけが浮かぶ。

それまでは食べたり、飲んだり、喋ったりで大騒ぎだったのが、この瞬間だけは静かになって、それぞれに炎の動きを見つめている。寒くて暗い季節に、親しい人たちと灯りを囲むこと、温かいものを飲み、食べること。これが冬の楽しみなのだと、隣りに座っていた人が小さな声で教えてくれた。

出来上がったホットパンチは、グリューワインに似ているけれども、アルコール度数はさらに高いらしい。確かに一杯で効果てきめん。残った分は瓶詰めにしてもらう。その瓶を抱えたまま、さらに何軒かはしご。


2003年12月18日(木) ふたつの時計

眠る前、あるいは目が覚めたとき、電気もつけず、カーテンも開けず、暗い中でベッドに入ったまま外の音を聞くのが好きだ。まばらな車の音。バスの音。まだ早い時間に寮から出て行く誰かの物音。

大学構内の本屋にて、いきなり背後から現れた友人に驚かされる。あまりにもびっくりしたので大笑いされた。日本でもしばらくやられたことはなかったので、免疫をなくしていたらしい。

夜、実家から電話。祖父母の家に犬がやってきたという。その途端にふたりとも元気になってしまい、世話をやくわ、それぞれの部屋に連れて行きたがるわで大変らしい。豆柴の男の子。玄関前にちょこんと座っているのだろうか。

向こうでも、こちらでも、時間は流れている。ゆっくり変わってゆく。あと10日余りで今年も終わる。


2003年12月15日(月) アドベント

朝、目が覚めると雪景色だった。雪を踏む感触がなつかしい。

夕方から、車で一時間ほど離れた小さな村にある家を訪ねる。12月1日から24日までの待降節のあいだ、今日はこの家、明日はこの家というように、その日の当番の家に村の人びとが皆集まって、お喋りをしたり、何か飲んだりするのだという。今日の当番のお宅では、ガレージに大きなクルミ割り人形を置き、ランプをいくつも灯し、大鍋いっぱいのグリューワインが用意されていた。帽子をすっぽり被せられて重装備の小さな子たちは雪合戦などしながら走り回っているけれども、大きい人たちはマグカップを手に震えている。何といっても吹雪。グリューワインもあっという間に冷たくなる。

その後、部屋の中に入って、大きい人たちはビール。小さい子たちは、直にベッドへ行く時間となる。もうすぐ2歳になる男の子は、ちゃんとそれぞれの頬っぺたにキスをしていった。右と、左と、一回ずつ。


2003年12月14日(日) 「春にして君を想う」

窓に叩きつける雨音で目が覚める。風が強い。外では雲がものすごい速さで流れている。明け方だけの嵐だ。

午後からは晴れる。友人とクリスマス市にてグリューワインを2杯飲んだあと、彼女の幼なじみだという友人の家へ。アイスランドへ行ってきたばかりだという彼から、アルバム3冊分の写真を見せてもらう。氷河。間欠泉。その上にかかる虹。溶岩大地。そして、ひたすらの地平線。

前に見たアイスランド映画を思い出す。故郷から離れ、都会の老人ホームに入ることになった農夫が、偶然幼なじみの女性と再会し、ふたりしてそこを脱け出して、かつて自分たちがいた土地を目指すのだ。ふたりは買ったばかりの真新しいスニーカーを履き、盗んだジープに乗って北へ向かう。荒涼とも見えるアイスランドの風景の中では、感傷の余地なく、人はただ人であり、死は死そのものであり、けれどもそれは決して恐ろしいことではないのだ。アイスランド、いつか行ってみたい。

皆してピザを食べたあと、2対2に分かれてサッカーゲームをする。友人の弟が小さい頃に遊んでいたという、小さな人形を使ったとてもシンプルなもの。「日本対ドイツ」ということで対戦したのだが、ドイツ圧勝、日本惨敗。ふがいないことをしてしまった。


2003年12月13日(土) 風の吹くまま

昨日訪ねた友人の部屋はよかった。小さなソファや、木の机が置かれた窓際の勉強コーナー。ストーブが暖かく燃えて、オーブンも付いたキッチンからはよい匂いがしてくる。いろいろなものが、あるべくしてそこにあるといった感じで配置され、かといって余りに機能的というわけでもない。おまけに、窓からは大聖堂が見える。この部屋だったら、例えば寒い雪の日、こもっているのも楽しいだろう。

住む場所を居心地よく整えるという能力が、たぶん自分には欠けている。巣作りがつくづく下手だと思う。どこにいても、ずっとここにはいないだろうと無意識に考えているのか。そして、そうだとすれば、それは何かから目を背けているということか。いろんな人に「風任せ」と言われるのも、もっともである。

終日、雨。夜にはみぞれになるかもしれない。


2003年12月12日(金) お箸の国の人びと

友人宅で鍋会。日本、中国、ベトナム、シンガポールと、お箸を使う国の人びとばかり集まった。ベトナムの生春巻から始まって、麻婆豆腐、すき焼きと、遊びに来ていたドイツ人いわく「東アジア」の食卓。久しぶりに豆腐が食べられて嬉しかった。どれも美味。ワインも何本も空いた。

それぞれの、いわゆる「彼氏」も来たりしていたのだけれども、ベトナムの子の彼氏(やはりベトナム人)を見て、これがアジアの美しさというものかと思った。凛としているところ。背筋がのびているところ。それでいて色気のあるところ。その佇まい。惚れ惚れした。

夜、また霧がおりる。握手をして別れるあたりは西欧風か。


2003年12月11日(木) 混交

東京がとても好きだという人がいる。仕事の関係で毎週のように世界各国を飛び回っているのだが、できるだけ多く行き先が東京になるように、同僚と相談して日程を調整したりもするらしい。東京の特徴は何だと思うかと聞いてみたところ「混交」との答え。古いものと新しいものというだけでなく、とにかく、いろんなものが混ざり合い、そして変容してゆく都市。そんな彼が他に好きな街はバルセロナとベルリンだという。

細い路地沿いの小さな店にてクリスマスカード買う。その後、郵便局で切手。クリスマスプレゼントを送ろうとする人の列が出来ている。


2003年12月09日(火) 光と影の国

寮の入り口前にクリスマス・ツリー現る。

夜、ラジオから聞き慣れたピアノの旋律。ブエナビスタ・ソシアルクラブだ。よい。とってもよい。歌ならば、スペイン語の響きがいちばん好きかもしれない。なぜか本棚にある、旅行雑誌のポルトガル特集号などもめくってみる。ファドもいい。ポルトガル・ギターも。夏の海辺の夜の匂い。寒い冬、深い霧の中に閉じ込められている反動か。


2003年12月08日(月) 夜空の下

寒い夜の満月は一際明るい。地上におけるすべてのものを照らし出すかの如く。バスの中から、その月を眺める。珍しく空いた車内には、エンジン音だけ響いている。

この月が照らしているであろう、いろいろな風景を思いながら、ふと、夜間飛行のときの眺めを思い出す。例えばロシア上空。圧倒的な暗闇の中、ぽつぽつと灯りが固まっている。あれが、人のいるところだ。闇に呑み込まれないように、寄り添い、灯りをともして暮らしているのだ。あるいはマイアミ。くらくらするような灯りの洪水だったけれども、しばらくすれば、もう何も見えなくなる。カリブ海。島のかたちの灯り。その灯りを目指して飛行機は飛んでゆく。

自分が今いるところの、何という頼りなさ(月の明るさの分だけ、本来あるはずの暗闇が目の前に差し出されたような気がしたのか)。自分たちのたてた物音まで吸い込まれそうな砂漠の夜。その中で火をおこし、皆で肩寄せ合って周りを囲んでいるようなものかもしれない。けれども、心細さの反面、周りに誰かがいる、それだけでひどく安心するのも確かである。

静かだ。

バスは川沿いを走る。水面に映った月が揺れている。


2003年12月06日(土) ほっぺた

夜、飲みに行く。聖ニコラウスの日ということで、店員さんは赤と白のいわゆるサンタクロース風の衣装着用。サンタ帽をかぶって踊っている人びとも多数。久しぶりにテキーラを飲む。左手の親指の付け根に塩をのせ、右手にテキーラグラス。乾杯と共に塩をなめ、テキーラを一気に流し込み、すかさずレモンをかじる。シュナップス系では、やはりテキーラが一番美味しい。かつてさんざん飲んで、刷り込まれているせいか。

挨拶時の握手には慣れたけれども、この日、さらに一段階進む。別れ際にお互いのほっぺたをくっつけるのだ。はじめに右、次に左と2回。街中や大学などで見かけてはいたけれども、いざ自分がやられると(はじめてだったので)動転してしまい、左側の頬をくっつけるのを忘れる。忘れて気づいたが、片方だけでは何か収まりが悪いのだ。2人目からは、ちゃんと両側くっつける。

寒い夜だった。白い息を吐きながら、それぞれに家路についた。


2003年12月05日(金) 音のちから

夜、コンサート。まだ23歳の女性バイオリニストなのだが、真っ赤なドレスを着て舞台に現れ、一音目を奏でたその瞬間に場の空気が変わった。何という音。雲間から不意に太陽の光が射してきたときのように、悲しみとか、喜びとか、嬉しさとか、怒りとか、すべての感情の根っこに共通する大きな流れが、ふと垣間見えたような気がした。

ブルッフとヴォーン・ウィリアムズのバイオリン・コンチェルト、どちらも素晴らしかったが、圧巻はアンコールでの無伴奏のバッハ。隣りの席にいた友人が「音で静寂までつくり出す」と言っていたけれども、まさにその通り。いつまでも聞いていたかった。けれども終わりはやってくる。

帰り道は歩き。今晩はサッカーの試合もあったらしく、チームのマフラーを巻いた集団とすれ違う。気分が高揚気味なのは、どちらも同じ。


2003年12月04日(木) 灯りのそば

木曜日は講義のない日。あれをしよう、これもしようと思いながら昨晩は寝ついたけれども、目が覚めたら昼前だった。窓の外を見ると今日も霧。

考えていたことの半分も済ませられぬまま、夜、外出。予定の時間よりだいぶ早く着いたのでクリスマス市を覗いてみると、ものすごい人出である(どうやら暗くなってからのほうが盛況らしい)。広場中にグリューワインの甘い匂い。それに屋台の灯り。

皆、暖かいものと灯りがある場所に引き寄せられるのか。そして、誰かがいるところには、また他の人が集まってくる。寒くて暗い季節ならば、なおさら。


2003年12月03日(水) メリーゴーランド

街にいくつか現れた移動式メリーゴーランドのうちのひとつは手動式だった。毛糸の帽子をかぶったお兄さんが、木製の馬や乗り物が並ぶ小さな回転台に付いたハンドルを握りながら早足で歩く。遠くからは、子馬の手綱を引いて先導しているように見えなくもない。近くの屋台では、その様子を眺めながら大人たちがグリューワインなど飲んでいる。

帰りがけ、スーパーにてクレメンティーナ買う。お釣りの中に、イタリアのユーロコイン発見。


2003年12月02日(火) 持つべきものは

友人から荷物届く。どれもこれも「これが欲しかったのだ」と思うような物ばかり。嬉しい。本が一冊入っていたのだが、その選択もどんぴしゃり。さっそく読み耽る。思いがけず至福の一日となる。

夜、寮では聖ニコラウスのパーティー。明日の朝早い講義があるのでビール1本で引き上げてきたが、部屋に戻っても音楽がずっと聞こえてくる。サビの部分で皆が声を張り上げて歌っている曲があり、これって何だったか、絶対によく知っているのだけど、と思ったら、サイモン&ガーファンクルの「ボクサー」だった。名曲は世代を越えると思った次第。


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