日々雑感
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2003年01月31日(金) 夜毎、現れる

夕方、渋谷センター街を通り抜ける。この時間帯に歩くのは久しぶりだ。

昼間の様子とまるで違う。いろんな色の灯り。大音量のリズムや店頭の呼び込み。声をあげて笑いながら歩く女の子の群れに、他にも雑多な人びと。何かが渦巻いているような熱気がある。この空気は何かに似ていると思ったら、宵宮のそれだ。非日常のお祭りの空間。夜毎、渋谷には異空間が現れるのか。

その中をくぐり抜けて本屋まで。「ハレ」の空気にあてられたのか、つい気が大きくなって散財してしまう。


2003年01月30日(木) 電車の中

東京は今日もよく晴れる。地元では大雪だという。

『物語・ウクライナの歴史』黒川祐次(中公新書)が面白い。中公新書の世界史「物語」シリーズは、イタリア、北欧、ドイツなどいろいろ出ているけれども、このウクライナとカタルーニャが特によい。電車の中で読みながら、暖かいし、ちょうどよいところだしで、降り難くなる。平日午後の空いた山手線は、本を読むには最適の環境かもしれない。

数日前から爪切りを探しているのだが見つからない。この狭い部屋で、どうして物がなくなるのか不思議だ。チックとタックでもいるのか。「おじさんのうちのボンボンどけいの中には、子どもがふたり、すんでいるんですよ」という、あの夜毎時計から忍びだしては、いたずらしていたふたり。


2003年01月29日(水) そんな夕暮れ

午後から大学へ。構内の人口密度の異常な高さに驚く。どうやら必修語学の試験日だったらしく、生協や図書館のコピー機には長い列ができ、あちこちに試験のことやら、春休みの計画やら話し合う固まりが散らばっている。ざわざわした空気。そうした流れからは外れたところを歩いてるなあと思う。風が強い日。

今日の夕暮れはすごかった。日が暮れてゆくにつれて、空の青がどんどん深く澄んでいった。夕焼けに染まることなく、そのまままるごと夜へと沈み込んでゆくような、そんな夕暮れのときは、いろんな音は聞こえているのに何故だかきまってとても静かだ。


2003年01月28日(火) 兆し

道端の梅の花咲く。空気は冷たいけれども、季節はしっかり動いているのだ。紅梅はうす青い空の色によく映える。

移動の多い日。いろんな路線の電車に何度も乗った。夜、電車で川を越える。窓の向こうには、同じように遠くの橋を渡る電車の灯りが見える。


2003年01月27日(月) ちゃんこパワー

昨晩はコタツに入ったまま寝てしまったらしい。朝早く目が覚めると、外はまだ暗いし、雨の音はするし、課題はできていないし、ACミランは試合に負けているし、すっかり気が滅入る。おまけに今日は月曜日だ。

ゼミの日。4時間耐久。今年度最終回ということで、終了後は学校そばの「ちゃんこ屋」にて打ち上げとなる。鳥ガラスープのちゃんこ鍋も美味しいが、そのあとの「おじや」がとにかく素晴らしい。茶碗5杯分くらいは軽く食べた。ぬる燗のお酒もよくすすむ。

きつかったけれども、ちょっと無理して、そのあと皆してお酒飲んで、なんとか「よし、今週も行くか!」という気分になる。ちゃんこパワーか。


2003年01月26日(日) こんな日

急いでやらねばならぬことがあるときほど、他のものに目がいくのは昔からだ。みんなそうか? 明日までの仕事やら課題やら山積みにしつつ、はかどらず。時間ばかり過ぎる。

夜更けすぎ、外から雨の音が聞こえてくる。


2003年01月25日(土) ここから始まる

ブルガリア舞踏団の練習へ。顔を出すのは3回目になるけれども、今回はいつも参加しているアルゼンチン舞踏団の面々もいっしょだ。まるで違う世界でやっていた者同士が、ひょんなことから接して、結びついて、何かが始まってゆく。そういう場に居合わせることができたのは幸せ。わくわくする。

全身の細胞が活性化したような一日。


2003年01月24日(金) 風通しよく

図書館の5階には窓際の席がある。大きな窓だ。今日はよく晴れて、ずいぶん遠くまではっきり見える。大気が澄んでいるのだろう。

ひどく空がきれいな日。久々の外歩きは快適で、冷たい風すら気持ちよい。今週は屋内にこもっての作業が多かっただけに、風通しのよいところに身を置いてすっきりする。

夜、テレビで「千と千尋の神隠し」。もう何度目になるかわからないけれども、やはり観てしまう。物語の後半、夕暮れの浅瀬を電車が行く場面が大好きなのだ。湯屋から見晴らす一面の海と、彼方に浮かぶ街の灯りの眺めもよい。スタジオ・ジブリの次の作品は「若い男女のメロドラマ」ということで、こちらも楽しみ。


2003年01月23日(木) なつかしいあの歌

雪が降る。湿った雪だ。はじめは静かだったが、やがて屋根をたたく音が聞こえてきて、みぞれに変わったことを知る。

久しぶりに近所のブック・オフに寄り道。しばらく来ないうちに、棚の品揃えがずいぶん変わっている。『星界からの報告』池澤夏樹(書肆山田)、『上海 魔都100年の興亡』H.サージェント(新潮社)を購入。冬休みに上海に行ったという人の話を聞いて以来、「とにかくすごいところ」というその街が気になっている。訪れる人のエネルギーを吸い取ってどんどん大きくなっているような、混沌とした街。

店内にフライングキッズの「幸せであるように」が流れている。珍しい。また、なつかしい。今聴いても名曲だと思う。店内放送が入って途切れないことを祈りつつ、最後までしっかり聴いてから帰る。


2003年01月22日(水) 仰げば尊し

外へ出ずに家の中にいても日は暮れる。一日、部屋にこもって作業の日。気づくと時計の針がずいぶん進んでおり、驚くと同時に少し焦る。

高校に入って一年目のお正月、中学校の頃の担任の先生から年賀状の返事が届いた。「君は一時間一時間を大切にする人で、私はそういう人が好きです」。今までとまるで違う環境、人々に囲まれて、不安な思いで宙ぶらりんでいたときに、その言葉がどんなに嬉しかったことだろう。スヌーピーの絵柄のその1枚は、今でもしっかりとってある。

大好きな先生だった。無精ひげをはやして、酒のみで、ヘビー・スモーカーで、だらしなくて、けれども変に真剣なところもあり、怒鳴ったり、笑ったり、何よりこちらが何をしても受け入れてくれるという安心感があった。

今でも、どこかでその先生の言葉を基準にしているところがある。先生だったら、こういうとき何と言うだろう? 今の自分は「一時間一時間を大切にしている」とはとても言えない。ふと先生のジャージ姿が目の前に浮かぶ。「しっかりしろ」とは言わずに、ただにやにや笑っているような気がする。


2003年01月21日(火) 依存

夜、いきなりネットにつなげなくなる。そもそもパソコンに詳しいほうではないので、何か問題が起こっても対応できない。あれこれと試してみるが、結局復旧せず。

使えない状況になってみて、自分がいかに近頃ネットへ依存していたかということに気づき、驚く。心細いのだ。メールによる連絡ができないといった実際的な問題よりも、むしろ、常に動き続けている流れから取り残されてしまうというような不安や寂しさのほうが大きい。ネットの力おそるべし。

たまには頭を冷せということかもしれない。一晩たてば元通りになっているかもという甘い期待を抱きつつ、おとなしくパソコンを閉じて眠る。


2003年01月20日(月) マッコリ

夜、友人と韓国料理屋へ。チゲ鍋とねぎサラダ、あとから石焼ビビンパ。韓国式どぶろくであるマッコリを注文してみたところ、酸味の強い「マミー」のような感じで飲みやすい。美味いねと言いながらふたりしてお銚子を空けていると、「サービスです」とお店の人がもう1杯ずつ持ってきてくれる。

帰りがけ、その友人から漫画を借りる。単行本にして全28巻の大長編である。ときどき無性に長編漫画の一気読みがしたくなる。時間も食事も何もかも忘れて、どっぷり浸れるのがいい。漫画の山を抱えて足元はよろめきつつも、気分は幸せ。


2003年01月19日(日) 『ディナモ・フットボール』

一日部屋の中で過ごす。

『ディナモ・フットボール』宇都宮徹壱(みすず書房)を読む。ロシア、東欧といった旧共産圏の国には、「ディナモ」という名のつくサッカークラブが多い。「ディナモ・モスクワ」「ディナモ・ザグレブ」「ディナモ・トビリシ」「ディナモ・キエフ」等々。写真家でもある著者が、社会主義体制崩壊後のそうしたクラブの道行きを辿ってゆく。社会にせよ、個人にせよ、どうしようもない状況にあってサッカーが救いとなることもある。武器となることもある。その根付き方、分かち難さをまざまざと見せられるような一冊。

夜、雨が降る。冬なのに冷たくない雨。


2003年01月18日(土) 水入らず

母帰る。

東京で母親といっしょにいるのは居心地が悪い。家族や親戚や、よく知る町の人々や、そうした輪の中から外れてふたりだけで向き合うことになるのが落ち着かないのだろう。部屋でふたりきりのときには地元と同じように方言のままの母親が、外へ出たとたんにどこかぎこちない「標準語」になるのが、おかしくもあり、かなしくもあり。そんなふうに感じてしまう自分に苛立ちもし。

夜、無事に着いたと実家から電話。雨のせいで雪がすっかり溶けていて驚いたという。東京も明日は雨らしい。


2003年01月17日(金) この場所で暮らしている

新宿は紀伊国屋書店にて友人とばったり会う。平日夕方、会社にいるはずの時間帯なのにどうしたのかと尋ねると、外での用事ついでに「ちょっとさぼり中」なのだと言う。

新宿は相変わらず人が多い。あっちにも人。こっちにも人。けれども、その中にたとえひとりでも知っている人がいるというのは、すごいことだ。ふと、自分はこの街で暮らしているのだなあと思った。人によって場所につながれるということ。

それにしても、本屋で友人と遭遇する確率がほんとに高い。類は友を呼んでいるのか、何なのか。


2003年01月16日(木) 遺伝子

上京中の母親とその友人の付き添いで世田谷ボロ市へ。よい天気ということもあって、午前中からすごい人出だ。通りいっぱいに露店が並び、いろんな声が飛び交っている。

人がお金を出して物を買うときには何かエネルギーが出ていると思うのだけれども、それが大勢の人数分集まると一種異様な空気がうまれてきて「あてられて」しまう(なので、バーゲン会場には近寄らない)。今回は野外ということもあってか、そうした熱気がうまい具合に抜け道を見つけている感じ。そんな中でも、果敢に人込みに突進してゆく母親たちの背中は頼もしい。

後ろから母親の姿を眺めながら、歩き方が祖母にそっくりなことに気がついた。早足。ほとんど小走りのようにして、ずんずん進む。遺伝子おそるべし。ということは、自分もいつかはああなるのか。それとも、もしかして既にそうか。


2003年01月15日(水) 「アレクセイと泉」

東中野にて映画「アレクセイと泉」を観る。上映時間よりだいぶ早く着いてしまったので、駅前のミスター・ドーナツにてドーナツとコーヒー。午前中の店内は、小さい子どもを連れたお母さんたちで満員だ。ほとんどが常連らしく、店員もコーヒーのおかわりを注ぎにきては言葉を交わしてゆく。地元密着型ミスター・ドーナツか。

「アレクセイと泉」は、ベラルーシにある小さな村の物語だ。チェルノブイリの原発事故によって汚染されたこの村に現在も暮らすのは、55人の老人と、ひとりきりの若者であるアレクセイ。村の真ん中には泉がわいている。半永久的に汚染された土地の中で、なぜかその泉からは放射能がまったく検出されない。

泉のほとりで、村人たちは自分たちの食べ物を得るために働き、笑い、泣き、収穫祭にはダンスを踊り、いかにも嬉しそうにウォッカを飲んでは酔っ払う。人間によって汚染された土地も、そこで暮らし続けてゆかねばならぬ人々の生き死にも、すべてを越えて泉はわきつづける。こんこんとわいてくる。その揺るぎなさ。

泉の前に村人たちは十字架を立て、イコンを飾る。その前で目を閉じて、じっと祈る。いつか誰もいなくなっても泉は変わらずそこにあるだろうか。木を彫ってつくりあげた十字架もやがて朽ちて、それでも水だけはわきつづけるだろうか。

風も強く、寒い日。映画館を出ての帰り道、坂の向こうの遠くのほうまではっきり見える。手袋がほしい。


2003年01月14日(火) 目をそらしてはいけない

暖かい日。桜の咲く頃の陽気だという。外を歩くと、風にも川の匂いが混じっている。

先週末に東京に戻ってからというもの、持ち帰りバイトの山にほとんど部屋から出ずに過ごす。そのせいもあってか、いつものリズムがまだうまくつかめない。焦点も合わない。やらねばならないことは多いけれども、どれも手につかず気持ちばかり焦る。

夜、銭湯へ。帰京直前に実家で体重を量ったとき、その増えように「きっと体重計が壊れてるんだ」などと笑っていたのだが、銭湯にて乗ってみた体重計は、しっかりそのときと同じ数字を示している。何か他のもののせいにしてはいけない。事態を直視せねば。今年はじめの教訓。


2003年01月13日(月) 心ざわめく

冬休みをはさんで、セリエA再び開幕。また心ざわめく日々が始まってしまった。

『村上ラヂオ』村上春樹(マガジンハウス)の中に、春樹氏がある医学の本で読んだという文章が載っている。「ひいきのスポーツ・チームが勝ったりすると、人間を元気にし活性化する何かの分泌物が、体内でより多く分泌される」。たしかに。試合があるときは妙に喜怒哀楽が激しくなって、自分でもコントロールがきかなくなるのは、この得体の知れない分泌物のせいか。何かに心惹かれて、それを応援する心持ちというのは、いったいどういうことなんだろうと思う。

昨日は「ひいきのスポーツ・チーム」であるミランが勝利して嬉しい。それも、なかなかよい勝ちっぷり。今後半年の精神状態は、かなりの部分ミランの調子にかかっているかもしれない。


2003年01月12日(日) 浅草心

持ち帰りバイトの山を前に、一日部屋の中で過ごす。よい天気だというのに。

夜、友人から電話。来週母親が上京してくるのだが、「浅草に行きたがっている」という話をすると、見所や美味しいお店などいろいろ教えてくれる。東京は下町生まれ・育ちの彼女は浅草通なのだ。無愛想なおやじさんがいる鰻屋、行きつけの洋食屋、必ずお土産を買うという煎餅屋に、王道・人形焼。

浅草の雑多さが好きだ。川っぷちにある街。話を聞きながら、久々に浅草心を掻き立てられる。


2003年01月11日(土) あと少し

寝る直前に川上弘美の『龍宮』(文藝春秋)を読んだせいか、妙な夢をたくさん見る。蛸男や冷蔵庫の下に潜む荒神さまこそ出てこなかったけれども、人とも、もののけともつかぬ老人がふらふらと歩いていた。川向こうからその様子を眺めながら、自分はなくした靴を探していた。黄色い靴だ。

今週号の「ぴあ」の映画館スケジュール欄、次回上映予定についに「ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔」の文字が。昨年観たときは、次が1年先なんて遠すぎると思ったものだが、あっという間にそのときが近づいてきた。あと少し。どうか何事も起こらず、無事に映画館で観られますように。


2003年01月10日(金) 帰京

東京に戻る日。雪を踏む感触も白く覆われた景色も名残惜しい。

東京は快晴。陽射しがやわらかい。山手線のホームで電車を待ちながら、これは春先の空気の匂いだなあと思う。はじめて東京に出てきたのがちょうどこんな時期だったせいか、何か「また、これから始まる」という気持ちになる。

ポストに山積みになっていた年賀状を読む。自分の帰りを待っていてくれた人がいるようで嬉しい。今年は夫婦での写真入りの年賀状がほんとに多い。写真入りの年賀状は大好きだ。どの2人を見ても、どこか雰囲気や表情が似ているのが面白い。結婚の不思議。


2003年01月09日(木) スズメ

8階にある祖父の病室の窓辺にスズメがやってくる。膨らんで、まんまる。寒さのせいだろう。このあたりは風も強い。

狭い窓枠からするりと滑るように空中へ、何のためらいもなくスズメは飛んでゆく。スズメは、自分が飛べるということを、ふと疑ったりはしないのだろうか。不安になったりはしないのか。

病院の地下には、食堂や理容室と並んで、廊下いっぱいに品物を広げた出店もある。みかんやバナナといった果物、野菜、卵から、1本まるごとの沢庵や干物まで。床に座り込んだお店の人は呼び込みまでしており、さながら露天の朝市の一角。


2003年01月07日(火) 病室にて

祖母とふたり、汽車に乗って市内へ出る。制服姿の高校生や町の人たちで車内は満員だ。何人かで乗ったり、車内で偶然知り合いに会ったりする人たちが多いせいか、ときには一両きりで走るこの路線はいつも賑やかである。

入院中の祖父のお見舞い。この病院で自分は産まれた。外は嵐で、雷も鳴り、大荒れの日だったという。産まれて、生きて、やがてこの世を去ってゆく。病院の中にいると、そういう流れの中に自分もまたいるのだということを、しみじみ思う。

8階にある祖父の病室の窓からは雪に覆われた街並が見えた。暗くなるにつれて、ひとつ、またひとつと灯りがともってゆく。しばらくやんでいた雪が、いつの間にかまた降ってきた。


2003年01月06日(月) 冬ごもり

晴れた寒い朝に雪の上を歩くとよい音がする。調子に乗って、まだ誰の足跡もないまっさらな道を行こうとしたとたん、いきなり膝まで埋まる。油断大敵。

最近は眠るのがもったいない気がして、ついだらだらと夜更かししてしまう。特に何をするでもなく、ストーブの真ん前でぼうっと転がっているのだが。冬の夜。低いストーブの音と、雪混じりの風の音がする。


2003年01月05日(日) 謙虚であること

真冬日。外は吹雪。

雪の中、誰かが車で出て行くと、帰ってくるまで心配で仕方ない。雪道では何が起こるかわからないのだ。視界がなくなることもあれば、道路が滑ることも、雪の中に埋もれてしまうことも。

午後、友人と会う。吹雪で白く煙る窓の外を眺めながら、気合とか努力とか、そういうものではどうしようもないことってあるねえと話し合う。例えばそれは雪だったり、嵐だったり、あるいは何か大きな力だったりするのだろうが、その前では、ただ身をひそめて、じっとしているしかないのだ。

夜、NHK大河ドラマ「武蔵」の第一回を観る。武蔵役の市川新之助の声がいいと母が言う。


2003年01月04日(土) 雪を踏む音だけ聞こえる

数日前に忘年会をした同じ面々と、同じ居酒屋で新年会。お店の人にもすっかり覚えられたらしく、シャーベットを注文したとたん「もう締めっすか?まだ飲みましょうよ」などと言われる。

帰り道、外は雪である。人の気配の消えた駐車場にも車道にも雪が積もって、どこが何なのか、全くわからなくなっている。ただいちめん真っ白。

しずかに雪に埋もれてゆく町の中を歩いた。夜のあいだに、こうしてゆっくりと降り積もってゆくのだ。


2003年01月03日(金) 面影

テレビにて「アイフル」のCM流れる。チワワが出てきて大きな目をうるうるさせるやつである。

ストーブの前に陣取っていた父親、画面を見ながら、ぼそりと「こういう犬、あんまり好きでない」と言う。「秋田犬とか柴犬みたいに、凛々しいほうがいい」。父親は小さい頃、秋田犬に似た大きな雑種の犬を飼っており、それこそ兄弟のように共に過ごしていたらしい。遊ぶときも、寝るときも一緒。病気で亡くなったときは大泣きして、そのときに「もう二度と犬は飼わない」と決めたのだという。

父親にしてみれば、皆が画面のチワワにかわいい、かわいい言っている様子を見ながら、ついひとこと言わずにはいられなかったのだ。初めて出会った、ただ1匹の犬の、その面影をずっと抱えているのだろう。自分も猫はキジトラがいちばん好きだ。初めて家に来た猫がキジトラだったのだ。初めての出会いとは、かくも特別で忘れがたいものなのか。

夜、雨になる。風も強い。冬の嵐か。


2003年01月02日(木) 雪おそるべし

大荒れ。昨晩はずいぶん風の音が強いと思いながら眠った。朝起きるとあたり一面、すっかり雪に埋もれている。

朝早くから仕事に出ていた父親が「遭難してしまった」と言いながら戻ってくる。全身雪まみれ。車を運転していたのだが、吹雪で前も後ろもわからなくなり、吹きだまりの中に突っ込んでしまったのだという。車は埋まって動かない。外へ出て作業しようにも、何も見えないうえに、数分もすると自分まで雪に埋まりそうになる。結局30分くらい立往生したあげく、雪が弱まった隙をねらって脱出に成功したらしい。雪おそるべし。つい忘れそうになる怖さである。

午後から晴れる。雪かき。つららも、うっすらと雪が積もった蜘蛛の巣も、向こうの海も光る。冬用の靴をはいていても、爪先が冷たい。


2003年01月01日(水) 雪降りやまず

元旦は朝から雪。ゆっくりと、静かに降ってくる雪である。これはきっと積もる。

年賀状をポストに出しがてら外へ。自分がつけた足跡も、あとからあとから落ちてくる雪に、あっという間に消えてゆく。常にまっさらな雪景色。海沿いの道、雪の向こうには橋だけ霞んで浮かんでいる。

真っ白な野良猫とすれ違う。うさぎのように、冬だからといって毛の色が変わったわけではあるまいが、あまりに見事な保護色。のっそりと歩いて、まるで小型の白熊だ。こちらをちらりと眺め、小さな足跡を残して行ってしまった。その足跡もまた、すぐ消える。

夜、お雑煮。もちはふたつ。


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