つれづれ草^^
DiaryINDEXpastwill


2005年12月27日(火) ずっと書きたかった事。。。



こちらのつれづれ草の方はすっかりご無沙汰になってしまい・・・
ブログにばかり書いてしまっていますが
こちらも一応続いています(笑)

書きたかった事は山ほどあって、でも随分と時間が経ってしまったり
なんだかどう書いていいのかわからなかったり・・・・・
一つは・・・・・ロンの事。
いろいろと経緯など書いておきたいのです。

「ひまわりの朝」方で書いたので(右下のblogからどうぞ^^)
読んでくださっている方もおられると思いますが、
2005年9月2日早朝・・・午前6時30分頃ロンが亡くなりました。
13歳でした。
まだ13歳・・・。
肝臓がんという病気を抱えていたので、長生きできるかなぁ・・と
少し思ってはいましたが、こんなにはやく逝ってしまうとは
思っていませんでした。

今年の夏は高齢の動物たちにはとても厳しかったようで
お向いの19歳の猫ちゃんもお隣の・・・こちらはまだ若いですが
5歳か6歳・・のブルちゃんも、ロンと時期を同じくして
亡くなりました。
ロンは昨年の2月にも一度体調を崩し、一時はもうダメかもしれないと、
言われましたが・・・なんとか持ち直し、その後は以前より
元気になったような回復ぶりでした。
その様子に、ロンはまだ頑張ってる。
まだ大丈夫だ。
もっと一緒に居れる・・・。
と、思えたくらい・・・元気でした。
昨年9月に、私が実家に戻ってきたのを、本当に喜んでくれ・・
その事がより一層、ロンを元気にさせたようでした。

毎朝、毎夕・・そして夜11時の散歩をとても楽しみにしてくれて
嬉しそうに、下から私を見上げ、振り返り振り返り・・・散歩する姿を
今でも思い出し、胸が締め付けられるような・・せつなさが
こみ上げてきます。


ロンが大きく体調を壊したのは、7月のはじめだったでしょうか・・。
お腹をこわし、下痢が2日ほど続いたので、病院に行きました。
相変わらず肝臓がんは大きく居座り、炎症反応も高く
食事もあまり取れなくなってきていたので、毎日点滴に通う事になりました

しかもほぼ一日中の点滴のため、午前中に病院に行き
迎えに行くのは夜・・という生活になりました。
家が大好き、家族と一緒が何より幸せ・・のロンでしたから
毎日、病院のゲージの中で点滴を受けるのは、どんなに辛かった事だろう。
そう思うと、また・・・・なんとも言えない気持ちになります。

そういう生活を3週間ほど続けると、ロンはまた元気を取り戻し
目つきも変わってきて、元気な時の・・・嬉しそうな、わくわくしている
ような・・・そんな目に変わってきました^^
先生からも、良くなったと言われ、またこれ以上点滴を続けても
その効果が上がるとは思えないので・・・という事で
毎日の点滴が、3日おきくらいに減りました。
ロンはどんどん元気になり、もうそろそろ散歩に出てもいいんじゃないか
と思い始めた頃でした。
8月・・私が留守をする事になり、母がロンの面倒を見れないというので
病院でお願いする事にしました。
面倒と言っても、散歩はないので・・・朝晩のご飯と、日に数回・・庭に
オシッコに出すだけなのですが・・・・・・・。
ロンはどういうわけか、この1〜2ヶ月、母からの食事は受け付けず
同じものを私が手にすると食べる・・という状態になっていたので
しかたなかったのかもしれませんが・・・。

これには私なりの考えがあります。
小さい時から、家の中にトイレを設置しても、そこではせず
必ず、外で用を済ませるのがロンでした。
そのため、日に何回と外に出さなくてはならないんですが・・。
ロンはほとんど家の中で粗相をするという事が今までありませんでした。

今回、お腹をこわし、夜中に我慢できなくなった時も
お風呂まで行き、ちゃんと洗い流せる所でしてくれていました。
しんどくて、お腹も痛くて・・・そんな中で、お風呂までトコトコ歩いて
行ったのか・・と思うと、ロンが健気で、毎朝そんな状態でも
頑張ったね・・・
偉いね・・・・ちゃんと掃除しやすい所でしてくれてありがとうね。
と声を掛けていました。


ある時、母がそれを叱ったんです。
どうしてあんな風に怒ったのかなぁ・・と思いますが
きっと・・・ロンは傷ついたんじゃないかなぁ・・と、その時思いました。
まぁ・・・・これはロンに聞いてみなければわかりませんが、
とにかくそういう状態だったので、もしも体調を壊した時のためにも
と思い、病院でお世話になりました。
菜々も一緒に、一週間ほど。。。
一週間後、迎えに行ってみて、愕然としました。
あまりのロンの衰弱ぶりと、その身なりの汚さに。。。
可哀想すぎて、ショックで・・・恐ろしいほどの後悔が襲ってきました。
菜々も同じ状態でした。

ロンを預けていった自分に対する後悔と同時に、その病院に対する不信感が
この時生まれました。
元々、預ける前日、暴れたらお薬を飲ませられないかもしれない・・と
言われ、「は??」と思ったのですが、前日で・・どうしようもなく・・。
ロンは一人で立てない状態で、点滴やら薬やらで・・・首から顔から
ベタベタ・・おまけに、これは帰ってから気付いたのですが
ゲージの中で恐らく下痢をしたのでしょう。
お尻からお腹から・・便で汚れ、ものすごい匂いを放っていました。

次の日から病院に点滴に通うのを止め、どこか別の病院を探した方が
いいのではないか・・・・と思い、ペットショップの方を始め
いろんな人に聞いたりして、病院探しを始めました。
そんな日が続いていたある日、突然ロンが食事を取らなくなり
下痢・嘔吐を繰り返しました。
この時、どこでも・・・・・・違う病院に電話でもすればよかったのですが
今までの経緯を診ていた病院の方がいいかと思い、
「今回は」もう一度、かかりつけだった病院に行く事にしました。
今回だけのつもりでした。
連れて行くと、すぐに点滴が開始され、夜に迎えに来るようにと言われ
心配な一日を過ごし・・・・夜に迎えに行きました。
そこで予想していなかった事を言われ、動揺しました・・。

「肝臓の炎症反応が悪く、命に関わる数値が出ている。
 このままでは家には帰せない」

・・・胸の奥のほうから、ドキドキドキドキとしてきて
思わず目の前に座っているロンを抱きしめて、泣いてしまいました。
「ロン死なないで。」
「ロン逝かないで。」
たぶんそう言ってロンを抱きしめたと思います。
ロンを病院に預け・・・というか、帰せないと言われたのと、
さすがに命の危険のある子なのだから、ちゃんと診てくれるだろうと
思ったのです。
次の日、相方と一緒に午前中に面会に行きました。
ゲージの中で、点滴をされながら、ロンは力なく私を見上げました。
また涙が込み上げてきました。

「ロン・・・元気になってお家に帰ろうね。」と声をかけ
お医者に状態を聞きました。
変わらずの状態だと言われたので、
「もうどうしようもないのなら、最後は自宅でみてあげたい。
 もし、そうなら連れて帰りたい」と言ったところ
まだその段階ではない、もうあと一週間ほど点滴で様子を診て
それからの話・・・・と言われ、「あれ・・?大丈夫なの?」と
相方と二人思いました。
希望が湧いてきて、また元気になって戻って来る!そう信じたのです。
その日の夜にも面会に行き、ロンお家に帰ろうねと声をかけ帰りました。


次の日の朝6時30分。
電話が鳴りました。
1階と2階とで電話番号が違うのですが、1階の電話が鳴り続け
ぼんやりとした意識の中で、こんな朝早くに誰だろう・・・と
思った次の瞬間、はっとして飛び起きました。
階段を駆け下りたら、母が電話をちょうど切った瞬間でした。
「ロンあかんかったわ」
ベッドで横になりながらそう言った母の言葉を聞き終わらないうちに
私は絶叫してしまいました。
泣き叫びました。
どうしていいかわからないほどの悲しみと後悔と悔しさと
ロンが可哀想だという気持ちと、もうぐちゃぐちゃで、何がなんだか
わからない状態で、わんわん泣きました。
その声に驚いた相方と菜々が飛んできました。
菜々は階段の中段で、じっと私を見ていたそうです。

どうして?
昨日はまだ大丈夫だと言ったじゃないか。
連れて帰ってあげたかった。
家で逝かせてあげたかった。

すぐに怒りが湧いてきて、病院に電話をして迎えに行きたいと言いました。
電話口に出たのは見知らぬ女の人で、それなら先生を電話で呼ばなくちゃ
いけないので・・と言われました。
「先生いないんですか?」
「・・・・はい。」
「何十分か前に嘔吐したんですよね?」
「・・・はい」
「何か処置はしていただいたんでしょうか?」
「・・・・・・」
「先生がいないのに、誰が判断するんですか?
 その嘔吐が大丈夫だと誰が判断するんですか?
 喉に詰まっての窒息死じゃないんですか?」
泣きながらそう訴えましたが、どうしようもない答えしか返ってこず
「今から行きますから」と伝え、電話を切りました。

病院に着くと、その日の担当の先生なのでしょう、ちょうど同じくして
病院に着いた時でした。
呼ばれて行くと、診察台の上に、そのままの状態でロンが寝ていました。
何にも包まれず、無造作にドンッと置かれていました。
可哀想で可哀想で、駆け寄って抱きしめて・・・・・泣きました。
持って行ったタオルで包んであげ、車に乗せて・・・連れて返りました。

怒りと後悔と悲しみで、どうにかなりそうでした。
こんな逝かせ方って・・・・。
自分を責めました。
毎日毎日・・・。そして今も。
それと同じくらい、病院を許せません。
小さい個人病院だったそこは、数年して大きな病院を立て
若いインターンの先生ばかりを雇い、院長先生は指名しないと
診察には出てこなくなり・・・後で知ったのですが、評判も悪くなっていた
そうです・・。
帰り際、「お支払いは後日でいいですから」
今、それを言わなくてもいいんじゃないですか?
そんな事わかってますよ。
何の言葉もなく、出てきた言葉がそれですか?
こんな病院を選んで連れて行き、そこに預けてしまった自分を
私はきっと許せないと思います。
そしてそれと同じくらい、病院の事も許さない。
今はまだ、毎日・・・ロンにごめんねと言う毎日です。
動物霊園の方や、良くしてくださったペットショップの方からも
「ロンはそんな事、思ってない。ありがとう・・って思ってる
 楽しかったって思ってる。だから悲しまないで」と言われましたが
今はまだ無理です。
笑ってるロン、一緒に過ごした楽しい日々を思い出すと同時に
ごめんね・・という気持ちも湧いてきます。

長々と書きましたが、ロンが亡くなった経緯はこうでした。
ロンの死をきっかけに、今の病院を見つけ出し
菜々も茶太もお世話になっていますが、丁寧に診て頂いて
今のところ・・と言うと失礼ですが、とても信頼の置ける病院に
巡り合えたなぁと、ロンに感謝しています。

なんか・・まとまりなく、ダラダラと思ったまま書いてしまいましたが
どう終わればいいかもわからないまま・・・・
この辺で。。。









こでまり |blog

My追加