メロ


2010年08月27日(金) くだらないこと

前回の多幸症のような日記はなんだろうか。双極性障害というやつなのかと最近少し思う。

ここ数日、混乱していて日常生活に支障をきたしている。起床してコーヒーを淹れてメールチェックをして火急のものだけ片付けたところで憂鬱がはじまる。作業と作業の合間に考えても仕方のないことを考えて少し泣く。部屋を片付けたり洗濯をしたり何か食べたりして、また少し泣く。夕方になるにつれ、いろいろな依頼がメールで飛び込むから少しづつ作業のスピードを上げて端から処理する。だけど混乱しているから普段ほど素早く物事は片付かない。そのことにうんざりしてまた少し泣いて、いい加減目が腫れた頃に、心配そうな顔をして夫が帰ってくる。腫れ物に触るように労られているうちにますます悲しくなって泣く。夫が寝たら、一人で懐かしい本を読む。まだ自分が、生きることの苦さを知らなかったころに夢中で読んだ、生きることの苦さを語った本を。そして空が白みかけてきたころに、キッチンの床で少しだけお酒を飲んでベッドに入って無理やり眠る。それを繰り返している。人に会う用事はすべてスキップした。外でいつ泣きたくなるかわからないから。

夫は自分を安心させるためにわたしを甘やかし労る。問題の本質を知ろうとはしない。頭をなでたり甘いものを与えることが一番の薬であるかのように振舞っている。妻は妻の義務として夫に甘え、夫は夫の義務として妻を甘やかす。そのやりとりを実践して、問題を共有しているという事実を、夫は確認しているのだと思う。彼にとっては解決よりも共有が大切なのだと思う。そうすることで彼が安心して眠るのだから、それはそれで良いことなのだと思う。

母親が大好きで、彼女に幸せな気持ちでいてほしいといつも願っている。彼女にはわたしは「予想以上にしっかりやっている娘」を象徴するエピソードしか話さない。彼女が落ち込んでいるときは、原因を聞き出し、理論的に分解して、彼女を落ち込ませている要素をひとつひとつ潰して、最後に笑ってくれるように導く。特別に親不孝をしたわけではないし、並の心配しかかけていない。それでも、育ててくれた苦労に報いたい、あの子を育てて良かったと思われたい、そういうふうに考えている。

父のことはよくわからない。およそ10年、口をきかなかったから私は父のことをよく知らない。好きではあるし、感謝もしている。だけど、それはなにか、わたしが大人として自立した時点で、借りを返したと思えてしまう程度の感謝でもある。たくさん拒絶されてきたけれど、それでも愛情は感じている。実感としてではなく、この律儀な人間は自分の子供のことは正当に愛するのであろうな、という憶測に基づいて感じている。母に対するように、人間らしく父のことを想うことができない。

母には溺愛され、父には拒絶された。それがこんなにも長く自分を混乱させるなんて、親子関係というのはなんてややこしいものかと思う。ただとにかく、父に可愛がられたかったという子どもじみた欲求が、ありとあらゆる形でわたしの暮らしを圧迫してきた。ある一点の強烈な飢餓感が、いつもわたしをおかしな行動へと駆り立ててきた。母親に対して理想的な娘であろうとする欲求は年々肥大していく。同時に、父から得られなかったものへの未練がわたしを理想の娘からは遠く離れた人間にしていく。この乖離が混乱の原因なのだと、はっきりと自覚している。

そしてこれがすべて、のんきな奥様の自己陶酔でしかないと意地悪く笑う自分もいる。わたしはわたしを、あらゆる意味で軽蔑しているんだろうと思う。付ける薬はないんだろうか。みっともない怪我だけど、怪我は怪我として痛む。なんとかしたい。


2010年08月11日(水) とりとめ茄子

17歳のとき、恵比寿のZ会に向かう坂を歩いてて突如雷に打たれたように「わたしの人生はなんだかんだうまいこといく。いきつづける。」と強く確信したことを思い出す。なにごとにも確信を持たずに曖昧に生きているわたしだけど、それに支えられて今に至ってる。支えられてというか、その根拠なき自信に引っ張られて、たしかになんとなくなんだかんだうまくいっている。

そういうスピリチュアルな事象にはまるで関心もないしハナからバカにしているんだけども、あのとき夏期講習に通うコギャル(当時の用語)を直撃した脳髄を貫くような確信の強さは忘れられない。なんだったんだろうあれ。

ちょうど今くらいの時期だったな。Z会通っても全然勉強しないで結局彼氏ができただけで大学もアホ大を軒並み落ちて、浪人してから受かったのは名前だけハデな中途半端な大学だったけど、そこで初めて同性の友達ができて、やっと女の子らしい青春が送れて、というか送りすぎて留年して就職も決まらなくてバイトから入って、ひどい社会人のスタートだったけど同時に結婚して、幸せーと思ったら裏切られて死にたくなったけど紆余曲折あって許すことを知って、夫もまた未完の人間であったということを受け入れて楽になった。仕事も結局バイトから契約になって社員になって、それから独立してどうにかやってるし、子供を作ってもいいかなというくらいの気持ちになって、自分で好きなように産休取れる環境は整ってた。

どうこの結果オーライっぷり。

さきのことは何も楽観してないし、どうせ嫌なことはたくさんあるし生きることが嫌になるだろうとも思う。でもきっと全部その先でどうにかなって、死ぬときはやっぱり「結果オーライだった」って思うって今でも強く思う。思うというか自分の人生の大前提としてその言葉が存在している。

不思議なもんだなあと思う。


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