メロ


2010年02月26日(金) あがってきたよ

人前でしゃべるのなんて大っきらいだし、知らない人としゃべるのも大っきらい。でも仕事になると別。仕事のわたしは別の人。今日は良く働いた。

少しずつ、取り引きできる会社の規模が大きくなってきた。相手が大きくても飲まれずに流れをつかめるようになってきた。雰囲気に負けずに、こちらのムードに取り込むことができるうようになってきた。仕事をしたことの実感て金額だけじゃないなって最近やっと思う。曲がりなりにも2年、今年で3年目、まじめに積み上げてきたものが血肉になっている。長らくよれていた心がようやくシャキっとした気がする。

この先どうなったとしても、ここ3年はわたしの勲章。こんな時期によくぞ独立して、よくぞ維持した。最近、いろんなえらい人に「あなたは必ず何かを成し遂げる人だ」という趣旨のことをちょくちょく言われるようになった。いろいろな場で出会う、いろいろなおじさんたちに。わたしはえらいおじさんのことを特別好きでも嫌いでもないけど、昭和から現在に到るまで、仕事をしてひとつの形をなすに至った人間として尊敬はしている。そういう人たち、老人にさしかかった人たちの、おれのできなかったことをやってくれ、と言う言葉には重みがある。無責任でふにゃふにゃした評価だけども、やはり嬉しい。その一瞬の気まぐれのような期待に応えたい。

今日も酔っています。


2010年02月24日(水) movie

唐突に好きな映画の好きな場面を列挙するのまき。酔ってます。

・ラストエンペラーで少年時代の溥儀が、淡い恋心を抱いた乳母について「She is my butterfly」とゆぶやくところ。

・ヴァージン・スーサイズで、長女が男の子のズボンのバックルをカチっと鳴らして立ち去るところ。そのあとたばこの煙をふっと吐くところ。

・トラフィックで、エリカ・クリステンセン演じるジャンキーの娘が開ききった瞳孔で父親に「fu*k you」って言うところ。

・それでも恋するバルセロナで、ペネロペ・クルスが、ボロボロの状態で元夫の家に転がり込んできて「何か飲む?」と聞かれて「ウォッカ」って呟くところ。それを「やべえ」って顔で見るスカーレットヨハンソン。

・アメリカン・サイコで、チェーンソーを持って5番街のアパートメントの廊下を駆け回るベイトマン。

・ゴースト・ワールドで、貸しマンガ屋で友達が本を借りてる間に退屈して店の奥ソファでスカーレット・ヨハンソンがふんぞりかえるところ。

・その名にちなんでで、ゴーゴリくんが床屋で髪の毛を狩るところ。

・イースタンプロミスで、ヴィゴ・モーテンセンが娼婦に「もう少し生きろ」と言い捨てて娼館を去るところ。

まだまだありそうだな。ほかほかのほうでリストにしてみたいと思います。


2010年02月12日(金) 赤い靴

自分の意志で「これがほしい」と言って初めて買ってもらった革靴は、バックスキンの赤い紐靴だった。小学校6年生のときで、黒いタートルネックのセーターと、チェックのプリーツスカートに合わせるのが大好きだった。髪の毛をポニーテールにして、ベロアの赤いリボンを結ぶのが、自分ですごくおしゃれだと思っていた。

年明けにメタリックな赤い靴を買った。ラウンドトゥで大きなリボンのついた、モスキーノのもの。去年は、メリッサとヴィヴィアンのダブルネームの朱赤のラバーパンプスを買った。その前の年は、レペットで赤いラメのバレエシューズを買った。さらにその前の年は、ロッシでボルドーのエナメルパンプスを買った。毎年一足は買ってることになる。それも、ベーシックとは言えない素材のものばっかり。雑貨屋で売ってるようなオモチャのサンダルも平気で履いてしまうわたしだけど、赤い靴にだけは比較的ちゃんと投資をしている感じがする。

なんでだろう?って考えて思い至ったのは、わたしにとって魅力的な靴の原点は、オズの魔法使いでドロシーが履いていた、赤くてキラキラ光るあの靴なんだってこと。無意識にずっとあの靴を追い求めてたんだ、って気がついて、ストンと納得したような感じがした。

逃避願望のメタファー、ではなく、特別な女の子が履く靴、が欲しいんだと思う。自分が平凡であることは十分自覚しているし、もはや女の子でもないんだけど、それでも「わたし」は自分にとっては特別な存在だから。自分の生の主人公たるわたしに、主人公にふさわしい靴を履かせたいという思いがあるのだと思う。

わたしは自分が嫌いで、どうしてこんなに冴えないんだろうってずっとずっと思っているけれど、その反面、それでもやっぱり大切にしてあげようって思う気持ちもちゃんと持っているのだ、ということを知った。必要以上に自分に辛辣で批判的な反面、可愛がる思いもちゃんと持っているんだということを。そしてそれは、両親の私に対する態度と全く同じなのだ。子供は両親から、人の愛し方だけではなくて自分の愛し方までも受け継ぐのだなあ。

好きっていうだけではない赤い靴に対する何かが、わたしの中にあるはずだ、と前々から思っていたから、なんとなくスッキリ。


2010年02月09日(火) はまとぐり

さいきんtwitterばっかりやっててこっちほったらかしになってた。

なんだか暗い感じ。おしゃべりできる相手が極端に限られてる感じ。だめねーこんなんじゃ。顔出さなきゃ的な飲み会などには参加してるけど、端のほうで箸袋折ったりそのへんの男子にピーナツの殻を食わせたりしてるだけだから周りに心配されている。

わたしが貝類が嫌いなのは、貝類に自分と近いものを感じているからなんだと思う。中身がぐにゅぐにゅのヤワヤワの水浸しなのは、貝類もわたしも同じで、わたしはそのことに居心地の悪さをいつも感じている。いつか殻がバカっと割られて、日向の地べたに剥き身で放り出されるのではないかという不安もある。

ハマグリなんて、殻の模様のつまらなさも含めて、もうどうしようもなくわたしっぽいと思う。いつかわたしが自叙伝出すならタイトルは間違いなく「ハマグリの告白」だな。何を言ってるんだろう、わたしは。そもそもハマグリが好きな人に申し訳ない。

こんなことをボーっと考えているのであるからして、ゴルフのスコアとか話してる場では箸袋を折るくらいしかやることがないんである。


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