メロ


2009年07月24日(金) 自分の取説

朝一で新潟に向かいーの11時のギターウルフみーのなのに眠れない朝6時。着いたら仕事な人のために運転してあげたいのだがー。寝れてくれ自分。

前からうすうすACなんだろうとは思ってたけど、wikipedia読んで、自分のことすぎて驚いた。習慣化された思考パターン、という項目にいたっては、当たりすぎる占いのような気持ち悪さ。

機能不全家庭、と自分の育った家庭を認めるのは、抵抗があるといえばあるんだけど、父親とのあいだに、10年近く一切会話がなかったということはやはり異常なんだろうなあ。ずーっと嫌われてると思っていたし、父にも「責任があるから仕方なく育てている」とはっきり言われてたので、怖くて悲しくて近づけなかったし、目を合わせないように暮らしていた。

支配的で厳格で、母とは仲良く話すのに、わたしには厳しい視線を向けるだけで、早く家を出たい一心で嫁に行ったようなところがあった。小学生までは仲良しの父子だっただけに、当時はほんとにわけがわからなかった。

10年のあいだ、挨拶と、はい/いいえ、ごめんなさい、しか言ってない。母のはっきりとした愛情があったから、自家中毒みたいになりながらもどうにかすくすく育ったという自覚がある。自分の結婚式で父が泣いているのを見て、本当に救われた気持ちになった。結婚して、父も安心したのか、突然やさしくなって、気軽におしゃべりもできるようになって、嬉しいけどなんだか混乱するし今でも父に対してどうしていいのかわからない。ものをくれたりしたときに、気持ち悪いくらい礼儀正しいお礼のメールを送ったりしてしまう。

派手なかっこうしたり悪さもしたけど、グレたというかんじではなかった。10時の門限も一度も破らなかったし、補導されたこともないし、口答えもしなかったし。概ね良い子だったのに、どうしてあんなに父が恐ろしいことになっていたのか。母にいわせると「娘が心配すぎておかしくなってた」とのことだけど、そんなことってあるんだろうか。
どういう人間になることを、期待されていたのだろうか。

ACって病気ではなく、性質なので、だからどうということもないのだけど、とにかく生きている上で苦しいことがすごくすごく多いのでどうにかしたいなあと思う。ここ何年かのつらい思いとか、愚かな行動の大部分が、この性質に起因している気がする。

最近なんだか頭がいかれた系の話題ばかりでごめんなさい。膿が出る時期なのだと信じたいところであります。


2009年07月20日(月) 朝だー

2時過ぎてやっとエンジンかかってやっと半分終了。アパレルの仕事はデザイン要求高いからめんどくさいー。デザイン要求高いわりにユーザビリティとかまるで無視だからきもちわるいー。そんで高級感とか言うわりにメインビジュアルの写真素材は用意できないので素材集でとかケチなこと言うし、文化偏差値低いから「LEONみたいな感じで」とか低脳なベンチマークだし。
アパレルの内勤への憎悪がつのる今日この頃。

ここんとこ所得が低いので遠慮して積極的に家事をしている。なぜ遠慮するんだろう夫婦なのに。旅行も完全折半でお金払っちゃった。丸めてこれくらいでいいよ、って言ってくれてるのにいいよ!出すよ!とか言って。
なんでそんながんばっちゃうの?って聞かれるけど、体質としかいいようがないのだニャー。お小遣いちょうだい★とか言える人間だったらラクな人生だったんだろーか。十分ラクな人生だけど。
まあ要は、仕事人として夫と対等になりたいんだろうなあ。一生到達できないレベルにいる人だけど。そこんとこのリスペクトは色あせない。

さて。お風呂はいろう。6時だけどフルコースでボディケアしたろうじゃないか。


2009年07月18日(土) 無視して

ここ数年のもやもや。人に語ることが憚られるような、わたしの一番最悪な部分、そして自分にとって最も重要な日々のパーツでもある部分。自分で直視するのも辛いくらいの化膿した傷。たすけて本当に誰かたすけて。ってずっと思ってる。

でも、自分を助けるのは自分でしかない。ということも知っている。

人間は、尊厳の奪われてる状態が継続しすぎると必ず発狂する。ということも知っている。

しかし一度放棄した尊厳はなかなか手元には帰ってこない。ということも知っている。

5年前になぜ自分を自分の手で抹殺しておかなかったのかと思う。

久しぶりにギリギリなんだぜ!


2009年07月17日(金) ぼやき

10キロくらい痩せたいなあ。この歳でやせたらやつれた、になるんだろうか。

太ったいまのほうが健康的でいいって誰も彼もが言う。どうして誰も本当のことを言ってくれないんだろう。今のほうがみっともないに決まってる。

痩せよう。自分で納得がいく程度に、きれいだった時期がわたしにもあった。もう一回そこに戻りたい。

外見のコンプレックスは何もかもを深刻に奪う。ここ何年も、わたしが弱気で後ろ向きなのは、自分の外見に対してのコンプレックスゆえだと断言できる。

少し前向きなことを考えても「・・・とか思っちゃってブスのくせに」とか「デブなのにそんなうまくいくわけないじゃん」って思ってすぐに打ち消す。そういうのがもうほんとにほんとにほとほと嫌になった。

本当になんとかしないと。自分が何かをしでかしそうで怖くなってきた。


2009年07月13日(月) 上書き

10代のころ「おまえの死因は自殺」と人にいわれた。

以来、暗い気分になるたびに思い出して

「そうなのかも・・・」と長期的にへこんでいた。

それを今日、人に打ち明けたら

「君の死因は92歳ではちみつですべって即死だよ」

と言ってくれて簡単に気が晴れた。

言葉はひとをたやすく傷つけそして元気付けるとおもった。


2009年07月10日(金) ボエー

20年ぶりくらいに浴衣を着ました。諸般の事情で。一瞬おもしれーなと思いましたが、やっぱ非合理的な衣料だなと思いました。暑いし動きづらいし。慣れだよ、とかいうけど、慣れるまで動きづらい服なんてイヤじゃ。

着物自体あんま好きじゃないのですが、「お着物」っていう言い方がとにかくなんかきもちわるくて。別に着物に恨みはないけど、なんかきもちわるい。
昔から「お」が付いている言葉(お鍋とかお手洗いとか)にはもちろん違和感を感じないんだけど、お着物とかお色とかお袖っていう言い方にはなんかモニョってしまいます。なんでだろうねー。

たかが衣料ってどこかで思ってるのかな。おしゃれは好きだけどこだわりすぎずに生きていきたいといつも思います。気に入ったらパっと買って、楽しい気分で着て、いらなくなったらサっと捨てるかんじが理想。大事にしすぎないかんじで付き合いたいという気持ちがあるから「お」とか付けて戴いちゃう感じがイヤなのかも。

そしておしゃれを標榜するのであるならば、自分の体の形をかっこよくしときたいと思います。垂れたお尻でこだわりデニム選びとかださすぎる。

なんでそんなミニばっか履いてんのーとか露出しすぎーとかいつもウダウダ言う女の知り合いがいて、うっせえなと思いつついつも聞き流してたけど、こないだひとしきり私の服装に文句つけた後、わたしなんてセルライトだらけで生脚出せないわ、とつぶやいていたので、なんだ結局そういうことかと思いました。

というわけで今日も短パンで出かけます。


2009年07月08日(水) MJ's memorial

マイケルの追悼セレモニーをCNNの中継で観てたら朝になってしまった。そうそうたる顔ぶれによるパフォーマンスとスピーチで、すごい見応えだったんだけど、なんだか悲しい感じはなくって、けっこう淡々と観てた。

セレモニーの最後に、ジャクソン家の人たちがそれぞれスピーチをする時間があって、ジャネットにマイクが回ったときに、ジャネットがマイケルの娘ちゃんにマイクを譲って。それまでとてもクールな態度(に見えた)で遺族席に座ってた娘ちゃんが、「ダディはわたしが生まれたときからずっと、世界で最高のお父さんだった。ただ一言、愛していると言いたい。」と涙をこらえながら言ったあと、ジャネットに抱きついて泣きながら退場していったのがたまらなく悲しかった。そこでやっと、ああ、マイケルほんとに死んじゃったんだなっていう感じがした。

棺が会場から運び出されるとき、man in the mirror という、わたしが一番好きな曲のイントロが流れていて、ステージ上にマイクスタンドだけが置かれてスポットライトが当たっていた。それが演出だったのか、そのあとの司会の牧師さんの登場待ちの準備だったのかはわからないけど、流れてるインストの上にマイケルの声が脳内再生されて、気取った言い方だけど、セレモニーの中のどんなパフォーマンスよりも心に残るパフォーマンスに思えた。

世界中の弔意が見えるようなセレモニーだった。中継で観て良かった。テレビ、いいなって初めて思った。

ほんとに、マイケル死んじゃってこれからどうするんだ、と思う。”音楽”というものを貫いているぶっとい軸がちょっと細まったような感じがする。
そして、マイケルをリアルタイムで見聞きできたこと、というかマイケルという体験があったことは、大きな幸運なだったのだと、いまさらにして思った。パラダイムシフトを体感したという実感がある。それって本当にすごいことだよね。

Rest in Peace.


2009年07月04日(土) V字ライフ

旅費やらカードの請求の立て替え(ファミリーカードなもので)やらで、知らぬ間に夫に80万以上の借金をしとった。おーこわ。先ほど返済したら残高がガッサーと減ったのでまた頑張って増やします。

ホームパーティーやら飲み会やらなにやら、人に会う予定が続いて楽しく過ごしていたら、昨日突然ドーンと暗い気持ちになってしまい、這うように仕事して、夕方にはまったく動けなくなった。で、ベリーのレッスンと歯医者の予約をキャンセルして、ダンゴムシのように過ごした。

帰宅して事情を尋ねる夫に、どうにもこうにも気持ちが暗くて家族以外の人と話したくないとか、わたしは貝になりたいとか言って。
さらには冷蔵庫の野菜を使い切る自信がない・・・里芋なんてぬるぬるでどう料理していいかわからない・・・”おかひじき”に至ってはそれが何だかもわからない・・・とか言って泣いて夫ポカーンみたいな。(この日、オイシックスから大量のお野菜が届いていたのです)
でも本当にこういうことで胸がつぶれるくらい苦しくなるから困っちゃう。今読むとほんとアホらしいんだけど。

仕事で人に会ってしゃべるのは全然苦じゃないんだけど、プライベートで人に会って話すことが続くとものすごく消耗してしまうときがある。けっこうな仲良し相手でもそうだから困ってしまう。仕事でのトークって気の使いどころが決まってるから、経験則で乗り切れる部分が多いし、右脳左脳両方バランス良く使ってしゃべるから、疲れないのかもしれない。プライベートだとそうはいかないもんなあ。

つくづく、酒と薔薇の日々、みたいなのに向いてないなと思う。

景気のいい映画とバイオレンスな映画(デスプルーフinグラインドハウスとイースタンプロミス)を観て、寝て、起きて仕事の打ち合わせ行って自転車一時間こいだら元気が出た。というか躁っぽくなってしまって、溜まってたメールレスとかコールバックして、晩ご飯(しょうが焼き・おかひじきのおひたし・きんぴら・焼きなす)を作ってランランと過ごしている。おかひじき、めちゃくちゃおいしいでやんの。

あー自分ダサ。と思いました。


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