メロ
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あれさえなければこんなことにはならなかった。
些細な出来事がわたしを壊した。
ほんとに些細なことだったけど、わたしにとっては世界の崩壊だった。
いまでもそう思う。
修復とか恢復とか許しとか救いが、いずれ訪れると思って
親を悲しませたくなくて
死なないことにして
そしたら思ったとおり、修復や恢復や許しや救いが訪れたけど
まったくおんなじようにもとには戻らなかった。
自分のなかにあった、一番よい部分をすっぽりと損なって
それ以外がもとにもどった。
かしこいとか、きれいとか、ほめてもらえると嬉しい
だけどもっともっと、わたしにはいいところがあった。
尊いものをもっていた。
それがもうあとかたもない。そのことがときどきとても残念。
えげつない毎日のなかで、反省をすることはもっとえげつないと
自制をしているけどたまに自制しきれない。
絶望して死ぬほうが、自己嫌悪のあまり死ぬよりもぜんぜんよかった。
だからどうせまだまだわたしは生きていく。
気が重い。
おかしなことを書いてごめんなさい。
なにしろ悪声で、声に対するコンプレックスが強い。 なので喋るのも歌うのも苦手。 そもそも人前で口をあけるという行為に抵抗がある。病的だけどまあ実際。
自分の笑顔が好きじゃない。 おまえは笑うとぶっさいくだから笑うな!と昔のDV彼氏に言われた。 DV彼氏だったけどわたしもDV彼女だったのでお互い様なんだけど。 ほかの事は何も覚えてないけど、その言葉は残っていて いまでも笑うときはブサイクと思われることを覚悟しながら笑ってる。
減点法で子育てをした父の影響がまだ残っているわけです。
だけどハッピーな気持ちとかポジティブな思いを、すんなりと表現できたほうが人生はずっと楽しい。むっつり口を閉じてたら法令線だって人より早く刻まれるかもしれない。なんて思ってたら。
踊るという手段を得た。ベリーダンスはわたしを救ってくれるような気がする。人に救われることなんてずっと期待してない、その反面、自分を救うのは自分だけ、という常套句に対しても、救いようのない自分に救われてたらそれはパラドックスなんでねえの?なんてヒネくれて思ってもいた。
そんなことないのかもしれないなって最近は思う。踊るの、気持ちいいです。
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