メロ


2008年07月22日(火) よわむし

今月のPMSはひどすぎた。仕事ははかどらないわ、悲観的だわ疑心暗鬼だわ、強烈な自己嫌悪とともにだらだら過ごしてまったくもってムダな数日を過ごした。

ピルを飲んでずいぶん軽減されたとはいえ、数ヶ月に一度すんごいのが来るので困る。ピルを飲む前はもっとひどくて、一日中布団の中で丸くなって泣いてるようなこともあった。今はさすがにそこまでにはならないものの、仕事が手につかないというのは自分で自分に営業妨害されてるみたいで非常に腹が立つ。肉体の痛痒ならかなりのところまでガマンできるんだけど、心に来ると全然だめだ。メンタル弱すぎて情けない。

で、そういうPMSのあと。生理がはじまったとたんに、いいことが座布団みたいにぽすぽすぽすっと積み重なるようにして起こる。今日もそんなかんじでいいことがいくつかあった。不思議なもんだ。

こうやって書いておけば、次にきっついPMSがきた時に、「あ、このあと良いことが起こるんだ」って思えるかもしれないから書いておく。

切実に、メンタルを鍛えなくてはと思う。アメリカ横断ヒッチハイクでもするべきか。


2008年07月17日(木) ITブルース

同僚、無事でした。泣きながら笑いながら怒りまくる私はさながら竹中直人。

運命共同体、ともいえる今の仕事仲間。全員がお互いを、もう家族みたいなもんだ、と言うに至るにはもうすんごい数の苦楽を共にしたという背景があって、全員がそうそう簡単に他人を信用しないひねくれ者でありながらも、全幅の信頼を置きあっているという奇跡のような集まりなので(もちろんすごいケンカとかしますが)、わたしはこの集合体を失うことが本当に怖かったんだなあと、今回のピンチに際して改めて思った。

とにかく無事でよかった。

そして今、ここ二日の作業がサーバエラーでまるごと飛ぶというWEB制作の世界における最大にして不可避な悲劇が起きたため、本日の徹夜が確定。しびれるぜ。

でも大変なのはぜんぜんへっちゃらなぼくちん。

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と、膨大なデータをアップする間に書いた2時間後、復旧完了。経験に助けられた。ピンチはしんどいけど、乗り切ってしまったあとはむしろ無風のときより気分がいい。

行方不明になった同僚とスカイプであーでもないこーでもない言いながら共同で作業して片付けて、そういえば最近この人とわたしは経営の話ばっかりしてて現場作業を全く一緒にやってなかったと気付いた。もともと、有り得ない案件を無理矢理二人で片付けたのが、仕事で信頼関係を深めるに至ったきっかけだった。その原点に戻ったみたいで、ちょっと嬉しかった。

彼が精神的に追い詰められていることに気付けてなくて、年上だし男だから大丈夫だんべと安心していた。とにかく仕事のことであたまがいっぱいだった。

ごめんとは言わないし言う筋合いがあるとも思ってないんだけど。だれもが私みたいになんでもかんでもスパスパ割り切って生きてるわけではないってことを忘れないようにしようとは思った。

しかし私のみもふたもない思考ルーティン。恋愛にだけは適用されないのが惜しい。恋愛もスパスパいけたら、きっともっと楽な人生だっただろうと思う。
期待・邪推・深読み・悲観・ぬか喜び。これ、恋愛以外でしたことない。けど、恋愛ではとても多い。実に惜しい。


2008年07月14日(月) 泣き言もいいとこ

仕事において最大のぴんち到来。納期とか作業量というレベルではなく。

同僚が行方不明。

理由はおそらく健康問題で、それはかなりの自業自得で。健康管理をしてくださいお願いしますしろしないと殺すといっても聞いてくれなくて、しまいに健康管理をする気がないならあんたが倒れたときの危機管理を万全にした上でいつでも勝手に倒れろと言うに至ってた。

で、恐らく恐れていた事態が起こったんだろうと思う。嫁は全く使えないお姫様なので連絡もつかない。電話にコールバックもない。明日、自宅に行ってみるしかない。

長いこと一緒に仕事をしてきた。仲間だと思うし友人だと思う。だけどどうしても彼の安否よりも仕事の心配が先に立つ。半年、ほんとにほんとに頑張ってきた。でもこれでたぶん全部だめになる。それくらい最悪のタイミングでやってくれた。

久しぶりに純粋な悔し泣きをしたなあ。


2008年07月12日(土) どうでもよすぎること

上目線の男の人が好きなので下から目線でちやんこほやんこされるとイラっとする。かといって好きでもない男に上目線でやられるともっとイラっとする。つい本腰いれてやっつけてしまい、下から目線に矯正したあげく、結局イラっとする。めんどくさい性分でございます。

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好きな人におまいはバカだなあって頭を撫でられて日を暮らし、あまり難しいことを問われずにいたい、というのが昔からの願いで。なんでそう思うのかと考えたら、断絶前の父親がそういう態度だったから。一回断絶して9年くらい口をきかなくて、仲直りしたらおまいはバカだ、って言ってくれるところまで戻った。だからなおさら、私にとって、バカにできる/されていられる、のは仲良しの証拠なのだろうと思う。

ひどいファザコンで自分でもうんざりするし、そこから脱したくてあがいたりもしたけど、結局治らない。父との7年はケロイドの残るケガだったのだろう。

溺愛が過ぎて娘をなかば憎んでいた父の幼さを、仲直りをした嬉しさであっさりと許せた。一方的なひどい言葉に随分戸惑って傷ついて混乱したけど、でも許せた。許せてよかったと思う。

なんでこんなこと朝っぱらから書いてるのかな。でも今そう思ったの。


2008年07月04日(金) いきなり読書感想文

唐突に好きな本のことを書きますよ。演説がしたい気分というのではなく、脳のストレッチです。

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阪口安吾の「青鬼の褌を洗う女」という小説。14のときに初めて読んで、なんかちょっとこの人の言ってること、わかっちゃうかも、と思った。17あたりで、だいぶわかるぞになって、大学出る頃には、これは自分にとって特別な一冊だと認識して卒論のテーマにした。いまやこれ以上同化した気持ちで読める小説がほかにあろうかというレベルにまでなっている。

そういう小説に出会える確率ってどれくらいなのかわからないけど、わたしはとてもラッキーだと思う。

自分を理解されたいという願いは人間にとって絶えざるものだけど、わたしは見知っている誰にも理解されなくても、この小説がてもとにある限りは、常に自分の人間性を見知らぬ誰かに理解されていると感じることができる。
それだけで声高に、私を知って、理解して、把握して、と好きな人に訴え続ける無様から解放される。

本当に幸せなことだと思う。何度読み返してもそう思う。

なぜきみは自分を出さないのか、なぜ理解されようとしないのか、なぜ受け入れようとする自分を拒むのか、と、何度も人に(特に異性に)問われた。そういう人間なんだもん、と応え続けてきたけれど、次に誰かにそれを問われたら、この話しをしてみようと思う。

相互理解って人と人が関わって生きていく上で、幸せの絶対条件とは限らないのではないか、ずっとずっとそう思ってきた。相互理解のための努力ってすごくリスクの高い感情のやりとりだと思うし、理解された側にしか、理解の正誤はわからない。永遠に。理解した、という実感が、単なる思考停止ではないという保証はどこにもない。

そのことを忘れずにいたいと思うから、わたしはいつも、あまり理解してくれなくていいのよ、表層だけを見ていてね、という態度を取って来た。解けない難問に挑んで二人で傷つくのは悲しいから。冷たいの暗いの後ろ向きのと言われるけれど、わたしはわたしなりに考えたやりかたで幸せを追求しているのだ。

それは自分にとっては理想的なあり方で、その実践の前提にはこの小説がある。だからほんとうにラッキーだと思う。

こんな主張を、あらたまって誰かにしたことはないんだけど、涅槃の安吾には伝わってるんじゃないかという気はする。


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