Opportunity knocks
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2003年10月26日(日) 無題

また愛知で虐待による子供の死亡事件が起きて、暗澹たる気分になっている。
何のために子供を産むのだろう?なんのために?虐待して死なせるために?
もっともっと幸せになれたはずなのに。なんで殺されたり殺したり、そんなことが起こるんだろう。わたしにはよくわからない。ほんとうにわからない。


2003年10月21日(火) 無題

相変わらず黒澤映画にはまっている。
野良犬、悪い奴ほどよく眠る、天国と地獄、影武者、生きる、酔いどれ天使、赤ひげ、白痴、10月に入ってからみた黒澤映画のラインナップ。今週末は隠し砦の三悪人、用心棒を見る予定。
黒澤映画といえば影武者以降のものしかほとんど観ていなかったのだけど、こうやって昔のものをひとつずつ観ていると、ほんとうに黒澤明という人はすごい人なんだなとあらためて思う。自分の中に表現したい世界がはっきりあって、それを形にする術もしっかり持っている人。
でもこうやっていろんなのを見ていると、それぞれの作品にそれぞれの特徴みたいなものがあるのがわかる。エンターテイメントの要素が濃い映画、社会的問題をとりあげた映画、抽象的で感性の赴くままにとったような映画、などなど。それもみんな黒澤明という人から派生した一つ一つの形なんだろうな。

それにしても昔の役者っていうのはやっぱり演技が違う、と思う。黒澤映画に出演する役者なのだから、もちろんただの役者ではないのだけど、それにしても今の役者と比べるとなんていうか凄みがある。自分にはこれしかない、っていう確信的なものがちゃんとあるというか。もちろん役者をそこまで持っていくのが監督の手腕なわけで、そこらへんがやっぱりすごいなあと思うのだけど、それに真摯にこたえる役者もやっぱりすごいなあと思う。視聴率とるために起用されるアイドルグループ出身の俳優とは根本から違うってわけ。


2003年10月20日(月) とうとう

携帯をかえた。
前回のと比べるとかなりのハイテクマシーン。
使いこなすのに時間がかかりそう。

それはそうと、コドモが勝手に触るので困る。
勝手に着信音をダウンロードしたりする。
勝手に写真をとって保存したりする。
勝手に待ちうけ画面を変えたりする。
あー、オレもケータイほ・し・いーよーっと聞こえよがしに言う。

欲しがるものの対象がどんどん変ってきている。
1、2年前はおもちゃが殆どだったのに、
今は洋服だとか靴だとかケイタイとか。
ほほえましくもありほんのちょっとさびしくもあり。

とりあえずケイタイはまだまだ先。
そんなに早く大人にならないでよ、
なんて小さな声でつぶやいてみる。


2003年10月13日(月) 無題

朝、雨の音で目が覚めた。起きて外を見るとかなりの雨風。
木が大きく左右に揺れて、視界は白くにごっている。

雨の音で目覚めた朝は何となく所在がない。
休日ともなるととくにそう。
そのせいか今日はぼんやりとはっきりしない一日だった。
明日は、晴れるだろうか。


2003年10月05日(日) 無題

 明日からコドモは自然教室。3泊4日の予定で県外へ出かける。しおりをみると、ハイキングだの山登りだのキャンプファイヤーだの座禅体験だのあまごのつかみ取りだの温泉めぐり(!)だのナイトハイキング(日本語でいうときもだめし、らしい)だの、かなりいろんなことをやるらしい。まえまえから楽しみにしていたので、今もしおりとにらめっこしながら荷物のチェックに余念がない。
 かあさんが中学校のときもこういう行事あったの?とコドモがきくので、苛酷だった立山登山のときのことを話してきかせる。話ながらそのときのことを少し思い出した。楽しみにしていたお弁当のおかずが鮒の姿煮でがっくりして山に登る気力がなくなったこと、雷鳥をみつけようときょろきょろしてこけたこと、消灯後、好きな男子の話で眠れなくなったこと、残雪の残る山道を息も絶え絶え歩いたこと、山頂から眺めた特別な景色のこと。
コドモにもいろんな思い出を作ってきて欲しいと思う。今は何でもない記憶にすぎないかもしれないけど、あとになってきっと大事なものになると思うから。

しかし3泊4日は長い、と思う。その間連れ合いと二人きりかと思うと・・・ふう。



2003年10月04日(土) このうえなく素敵な贈り物をもらう

シゴトから帰って夕飯の準備をし、できたよー!とコドモを呼びに部屋に入ってみるとコドモの机の上に見慣れない封筒があった。
これなあに?と手に取ってみるとわたし宛ての郵便物。
「こらー、なんでかあさん宛ての手紙もってるのー」
というと、
「帰りにポストのぞいたときに入ってたんだよ。かばんと一緒に自分の部屋においたまま忘れてた・・」 とコドモ。
「でもこれってあの人からの手紙なんでしょう、ほらここにあの人の絵が書いてある」と封筒の表紙に書かれた絵を指差す。
「わかってるならなおのこと、かあさんに渡さなきゃいけないでしょう、まったく」
なんてぶつぶつコドモに文句を言いながらあわてて開封。
中にはとっても素敵なものが入っていた。

ぼくの記憶が確かならば。
わたしはこの絵がとっても好きで、この絵をみるととっても静かで穏やかな気持ちになる。鏡のような水面にそっと波紋が広がっていくような、それをただ静かな気持ちで眺めているような、そんな気持ちになる。とっても深い緑。
封筒の中にはそれが入っていた。
もちろん、とってもたのしい小さな絵本と一緒に。

こんなに素敵なものをいただいたのは本当に久しぶりで、言葉にならないくらいシアワセな気持ちになった。
心からのありがとうを。


2003年10月03日(金) 旅行に行く夢をみる、のはいいのだけど

どこかへ旅行に行く夢をよく観る。
それはいいのだけど、たいてい冷や汗もののめちゃくちゃな旅行であることが多い。
例えば、現金・カード類を忘れてきた、空港に着いたらまったく目的地とは別の国だった、トランクを盗まれて無一文になった、電話をかけたくてもお財布の中に1円玉しかない、ホテルから1度もでずに旅行が終わった、外国にいったはずなのに何故か日本風の商店街の中を歩いている・・などなど。
その他、時間を間違えて飛行機にのれなくなった、まったく別の飛行機にのってしまった、夢遊病患者のように気がついたらどこへいくかわからない飛行機の中にいた(しかも着の身着のまま、お金もカードもバックもない)などの夢もかなりみる。
当然のことながら朝起きてあー良い夢だったー・・なんてつぶやけるような夢ではない。あーもうっどうしようー!!と夢の中で叫んで、その声にびっくりして目が覚めたことだってある。なんでそんな夢ばかりみるのだろう。何かを暗示しているのだろうか。旅行自体は結構好きなんだけどなぁ。

昨日、「フリーダ」を観にいったせいでマイラテンブームに拍車がかかりつつあるのだけど、そんな夢をみるようじゃ、スペイン・ポルトガル語圏へ旅行にいくのは夢のまた夢かもしれない。ためいき・・。


2003年10月02日(木) メキシコにいきたくなってきた

いつものミニシアターで「フリーダ」を観る。
とっても素敵な映画。時間があったらもう1度観たい。いやほんと観るかも。
それぐらい良い映画だった。
絵と映像を組み合わせた演出といい、メキシコの風土や文化を際立たせたカメラセンスといい、ほんとに良かった。

観終わって映画館を出て、いつものように映画のこと考えながらぼんやり歩いた。
フリーダの生き方、ディエゴの生き方、それぞれの愛のこと。誰かのことを強く一途に愛することの素晴らしさと辛さ。人はそれほど強くなれないということ。強くなれないから誰かを愛するのだということ。でもそれは自己欺瞞と傲慢さを併せ持っているのだということ。そんなことを考えながら歩いた。


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