Opportunity knocks
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2003年03月30日(日) オムハヤシライス

今日は一日中何をするともなく、ぼんやり過ごした。
連れ合いは同僚の先生の結婚式で出かけたので、
子供と一緒に図書館へいったり、のんびり買い物をしたりした。

夕ご飯はコドモのリクエストでオムハヤシライス。
普通のオムライスのうえにデミグラスソースをたっぷりかけて食べる。
コドモはこれが大好きで、何がたべたい?と聞くと必ずこれをリクエストする。デミグラスソースは本当は最初から作りたいところなのだけど、今日は連れ合いもいないのでかなり手を抜いて市販のものを買って来た。

薄くスライスした玉葱を時間をかけてバターで炒め、そのなかに市販のソースを入れる。少し水を足した後、しめじとマシュルームとローリエを入れてくつくつ煮る。
オムライスはごくごく普通に作ったもの。ただしご飯は熱くもなく冷たくもないものを使う。卵はできれば良いものを使ったほうがおいしくできる。卵を焼くときは温度に気をつけて大きくかきまぜながら手早くすること。ぜったいにかたくなるまで火を通さない。以上の点に気をつければ結構簡単においしいオムハヤシライスを作ることができる。

そんな感じでたのしく二人でご飯をたべた。



2003年03月27日(木) 物語とその情景

「イギリス人の患者」読了。
映画は何回も観た事があるけれど、小説を読んだのははじめて。
何というか、すごく詩的な文章。思わずためいきがでる。
映画も素晴らしいけど、小説はやはりそれ以上に素晴らしかった。

ひとりひとりが持つ物語とそれに付随する情景がすごくイメージとして残っている。例えば砂漠を飛ぶ飛行機、熱のこもった空気、例えば患者を看病する看護婦の
なめらかな手の動き、例えば地雷の信管を抜くときの、息の詰まりそうな緊張感など。

読み終えたあと、無性に映画の方が観たくなった。
また違う視点で観ることができるかもしれない。
とにかく素晴らしい小説だった。


読書熱が高まっているかもしれない。
次は金城一紀の「対話篇」か、トマス・ハーディの「カスターブリッジの市長」を読むつもり。最近良い感じで本が読めている気がする。この調子でいろいろ読んでいけたらと思っている。


2003年03月26日(水) 花をいとおしむ気持ち

義母の家の庭に咲いていた水仙をもらってきた。
昔は水仙という花があまり好きではなかったのだけど、
今はなぜかすきになっている。色も形も香りも。

水仙はもともと地中海沿岸が原産で、
シルクロードを通って東アジアに伝えられたものらしい。
そういわれてみれば、日本の花にはあまりないような香りかもしれないなと思う。


ほかに沈丁花、白椿、小手毬、なども貰ってきた。
うちのベランダにもいくつかの鉢植えがあって、細々と植物が花を咲かせているのだけど、やっぱり地植えの花には鉢植えの花にはない生命力がある気がする。
とくに義母が育てる花はどれもすごく発育がいい。
せっかちで落ち着きがなくて自己中心的な人だけど、植物を育てるのはとても上手なのだ。義母はわたしが考える以上に根気強く、気配りのある人なのだろう。たぶん。
根気強さも気配りも欠けているわたしにはそんなふうにたくさんの植物を育てることはできないけれど、花をいとおしむ心くらいはいつまでも持ちつづけていたいと思っている。


2003年03月25日(火) 無題

毎日戦争のニュースが報じられている。
わたしやわたしの家族や友達がいつもどおりの日常を送っているその今の今、
遠く離れたかの地では、大きな暴力が正義の名のもとに行使されている。

米国に従う事がわたしたちの国の国益となる、とわたしたちの国の首相は言う。
米国に守られている限り、わたしたちの国は安全なのだと。
そうなのかもしれない。そうじゃないのかもしれない。
よくわからない。

たぶんわたしたちの国はまだまだ未熟なんだろうとおもう。
自我を持たず、大人の庇護のもとに安住し、厳しい世界にでていこうとしない。
でも学んでいくことはできると思う。そしてそのうち、声をあげることができるようになるかもしれない。間違っていることを間違っていると言うことができるようになるかもしれない。それがいつになるかはわからないけど、わたしたちはそうなるように一人一人が努力していくべきなんだと思う。


2003年03月23日(日) 無題

「物語に閉じこもる少年たち」読了。
この本は精神障害を負った少年たちについて書かれた本なのだけど、エッセイというかノンフィクションという形ではなくて、小説という形で書かれている。臨床例として患者をえがくのではなく、内側から一人の人間としての精神世界を描いている。その点でとても印象に残る本だった。

精神障害を持った人達の世界というものはあまり表にでてこないものだと思う。
患者本人が本を書くなんていうことはあまりないことだし、本人でないものがその人の持つ複雑な世界を十全に理解し言葉にするということは、至難のわざであるからだ。でもその本を読んで、精神障害を負っている人の世界というものを少し垣間見ることができたような気がした。それは作者である精神科医が対人間としてぎりぎりまで患者に近づき、共鳴しようとした結果なのだと思う。
とても考えさせられる本だった。



2003年03月22日(土) 読書週間

「ライ麦畑でつかまえて」読了。
前回読んだ時は思い出せないくらい昔(しかも最後まで読めなかった)で、この本に書かれていることの10分の1も消化できなかったのだけど、今回はだいぶ主人公であるホールデンの心理などを掘り下げながら読めたように思う。

これでサリンジャーの作品を2作読んだわけだけど、わたしの中でサリンジャーの小説がどのような位置付けをされているのか、まだよくわからない。惹かれているような気もするし、自分には合わないと拒絶反応を示している部分もある気がする。もう少し読めばはっきりするのかもしれない、と思う。

ということで、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」がでる前に、できたら「ナイン・ストーリーズ」を読もうかなと思っている。


2003年03月21日(金) 無題

昨日は卒業式で休みをとり、今日からは三連休ということで、久しぶりにまとまったお休み。特に何もすることがないので、図書館へ行ってたくさん本を借りてきた。
「カスターブリッジの市長」  トマス・ハーディ
「昨日」           アゴタ・クリストフ
「物語に閉じこもる少年たち」 S・A・ルービン
「イギリス人の患者」     M・オンダーチェ
「ダブル/ダブル」      マイケル・リチャードソン編
などなど。

今は「ライ麦畑でつかまえて」を読んでいる。3分の2ほど読んだ。
昔ほどホールデン・コールフィールドに対して嫌気がささないことに少し驚く。
はっきりいってあんなやつはだいきらいだった。生意気でこうるさくって小心者で意気地なしのスノッブ気取りの鼻持ちならないやつ。そんなふうに思っていた。
でも今は少し違っている。うまくいえないけど。

少し前に「斜陽」を読み返したばかりだったので、何となくホールデンと直治がだぶっている。生きにくいタイプというか、生きているだけでどんどん苦しくなっていくタイプ。
彼らは彼らなりに苦しさに喘ぎながら生きているんだなと少し思う。

はじめに読んだ時は半分も行かずになげだしてしまったので、実はこの小説の結末を知らない。どんなふうにこの小説が終わるのか、楽しみにしながら最後まで読もうと思う。


2003年03月20日(木) 卒業式

コドモの卒業式。
買ったばかりの黒のスーツをきて学校へいく。
受付をすませて所定の場所へ。
卒業式独特の雰囲気と緊張感。
コドモの学校の卒業式はわたしたちがやった卒業式とは少し違っていて、卒業生はステージの上へあがり、そして講堂の真ん中に校長先生、その後に在校生、そして父兄はその両側に座るという形になっている。卒業生と在校生が向き合う形になりそれを両側から父兄が見守るという、そんな感じ。
ステージから真ん中の校長先生のところまでは、綺麗な花が咲いた植木鉢が置かれてあって、卒業生はその花道(?)を通って卒業証書をもらいにいく。
へえーと思ってながめているうちに、式がはじまった。

卒業生入場という在校生の声を合図に卒業生が入場してきた。男の子はブレザーにシャツ、折り目のついたズボン、女の子は思い思いの服をきて、すごく晴れやかな顔をしている。コドモの学年は全部で96人しかいなくて、ほとんどの子が一度は一緒のクラスになっているので、たいていの子の顔はわかる。
みんな大きくなったんだなと、もうその時点で目がうるんできた。
コドモも真面目な顔をして歩いてきた。目が合うと照れたように少しだけ笑った。
良い卒業式だった。

帰りはふたりで歩いて帰った。
「かあさん、おおなきしてるの、ステージからみえたよ」とコドモ
「だって、感動したんだもん、おおきくなったんだなって」とわたし
「そんなのあたりまえじゃん。だれだっておおきくなるんだから」
「そのあたりまえのことがうれしかったりするの。
まだあんたにはわかんないだろうけど」
「ふーん・・」
なんて会話をかわしながら帰った。

子どもを育てるのってほんとうにたいへんなことだけど、
何にも変えられない素敵なことでもあるだなとほんとうに思った。
これからもこれまで以上にいろんなことがあると思うけど、
そう思った今日のことはずっと忘れずにいようと思っている。



2003年03月19日(水) 無題

白水社のHPの、村上春樹さんと柴田元幸さんの対談を読んだ。
読みながらうんうん頷くところがいっぱいあって、すごく読み応えのある内容だった。そして当然のごとく村上春樹訳のキャッチャー〜が読みたくなった。とても。

今、野崎孝さん訳のライ麦畑〜を読んでいる。
読み始めは、ああ昔読んだ時とあんまし印象かわんないなあなんて思っていたのだけど、途中から(少しずつだけど)小説の中に入りこみながら読めるようになった。昔よりもホールデンにたいして理解が深まっているのかもしれない。

対談の中で村上さんが言われていた事だけど、小説における時代性ってかなり重要なものなんだとほんとうに思う。今の今じゃないと意味がない言葉ってあると思うし、今しか受け入れられない言葉っていうものがあると思う。そう言う意味で今の言葉でキャッチャー〜が読めるわたしたちは、すごくしあわせものじゃないかと思った。


ところで、話は違う方向にいってしまうのだけど、明日はコドモの卒業式である。
今日はお別れ会だったとかで、卒業文集とか学校に置いてあった持ち物を全部持って帰ってきた。ぼろぼろになったランドセルや習字道具なんかを見ていたら、もう6年たっちゃったのかとあらためて思った。

明日はひとつの節目として、子どもの成長を心からお祝いしてあげようと思う。
ハンカチが何枚もいるだろうな、たぶん。


2003年03月17日(月) 再録

下の文章は月曜日に書いた日記です。
あまりにもまとまらない文章だったので書いてすぐ消してしまったのですが、
何人かの方に感想のメールをいただいたので、再録することにしました。
よかったら読んでください。

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少し前のことだったと思う。
夕方、コドモを塾に送っていきがてら、木ねじを買いに
ホームセンターへいったときのこと。

目当てのものをみつけてレジに並ぼうとした時、
すぐまえに並んでいる人の横顔が目に入って、はっとした。
その人はほとんど耳がなかった。鼻もほとんど凹凸がなかった。
目は眼球だけがビー玉みたいに小さくて丸くて、そして顔の表面はほとんどケロイドで覆われていた。まだ若そうな男の人で、髪の毛は金髪だった。それも明かに地毛ではなく鬘を被っているのだということがすぐわかった。

まわりの人はその人の顔をぽかんとした顔で眺めていた。じろじろみるのが失礼だとかそんな風に思うより先に、あまりにもその人の顔が普通とは違っているので、じろじろ見てはいけないという考えが思い浮かばないようだった。
そのくらい、その人の顔は異様だった。

その人は無遠慮に見つめる人の視線を完全に無視していた。
でもその人がそのような視線に対して、怒りと怯えみたいなものを感じていることが何となくわかった。
誰とも視線をあわそうとせず、お金を払う時もずっと下を向いていた。
おつりをもらうと早足で店をでていってしまった。

家に帰ってもその人のことが頭の隅にずっと残った。
そのような体を抱えて生きるということがどういうことなのか、
考えずにはいられなかった。
どうしてそうなったのかはわからない。不幸な事故だったのか、それとも自ら望んだ結果なのか。(焼身自殺をしようとする人は思ったより存在する)
そういう人生もあるのだとぼんやり思った。

自分の知らないところで、そういう人生を生きている人がいるということが何となくショックだった。世の中にはいろんな人がいる。食べものがなくて飢え死にしそうになっている人もいれば、戦争で手足をなくした人もいる。日々虐待を受けている子供もいれば、全身にやけどを負い、常に人々の突き刺さるような視線にさらされている人もいるのだ。
そう思うと、なんだか生きていくこと自体途方もない気がした。
















2003年03月16日(日)

朝から雨降りの1日だった。
といっても冷たい雨ではなく暖かい雨。
寒いのが辛くて参っていたのだけど、
やっとあたたかくなりそうな感じでほっとした。

春がキライだという方がわたしの周りには結構多くて、
春がきた春がきたとあまり声高によろこべないのだけど、
やっぱり春っていいなあと思う。
梅の花に沈丁花、フリージアや菜の花、桜、ハナミズキなどなど
春の花は間違いなくこころを浮き立たせてくれる。

冷たさの中に混じるほのかなあたたかみも良い。
匂いのない乾いた空気の中に少しずつ、
花の匂いや日向の匂いが混じっていく感じもすきだ。

このまえみにいった佐布里池の梅が気に入ったので、
花が散ってしまう前にもういちどいってみたいと思う。
できれば暖かい日差しの日に、本を持って。


2003年03月15日(土) 再開

やっとのことでネット開通しました。長かった。
日記を書かなかった間もたえず訪れてくれた方々に深く感謝。
これからもどうかよろしくお願いします。


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今、新しいPCの説明書に首っ引き(って古い表現だなしかし)になっている。
新しいPCを買う羽目になったのはいろいろ訳があって、事のはじめは連れ合いがネット環境を変えよう(ISDN→ADSL)と言い出したことからはじまる。

いろいろ検討した結果、プロバイダを今のipc-tokaiからyahooに変えることにした。コスト面やネット環境を考えるといちばんいいような気がしたのだ。
そしてデジタルをアナログにする工事をしてもらい、モデムも到着、という感じで比較的スムーズに事が運び、さあ接続するか、と送られてきた説明書を読んだのだが、そのうちわたしと連れ合いはふとあることに気付いた。

うちのPCのOS、yahooBBに対応していない・・・。

うちには現在3台のデスクトップのPCがあって、一つは連れ合いが使ってるMac、一つはわたしが使っているソーテック、あとひとつはコドモが使っているバリュースターなのだけど、当初の予定ではMacを親機にして3台を無線LANで繋げ、3台同時接続ができるようにするつもりだった。が、しかし、その中でyahooBBに接続可能なPCはわたしのソーテックだけだったのである。
頭を抱えてしまった。というか申し込み時点でPC環境の説明しなかったか?
なんで工事したあとになって気付くんだ?と頭の中は真っ白になり、しばらく思考不能になってしまった。(すでにアナログに工事してもらっていたので接続が不能になった)

選択肢としては3つあった。ひとつは接続不可能なPC(連れ合いのMacとコドモのバリュースター)のOSをバージョンアップする。ひとつは、何もなかったことにする。つまり契約を解除し、アナログをデジタルに戻し、すべて前の環境に戻す。そしてあともうひとつは新しいマシンを買う。

OSを入れかえるというのはわたしにとって決して簡単なことじゃない。というかかなり難儀なことである。特にMacのOSとなるとわたしははっきりいってお手上げだし、そんな作業に時間を費やせるような余裕はない。ただでさえ仕事が忙しく(今は事情があって午後4時くらいまで仕事をしている)それに加えて学業のレポートを抱え、なおかつ確定申告やらコドモの中学準備やらの雑事が多くて、とてもじゃないけどコンピューターの画面と顔を突き合わすのは無理な相談だった。連れ合いは連れ合いで学年末の行事やテスト、成績を出したりするのに忙しく時間がとれない。
お手上状態。こうしてネットなしの生活がしばらく続く事になった。
その間、何とかできないものかといろいろ考えてみたのだけど、MacのOSをいれかえるというのはMacユーザーにとっても結構難しい事であるらしく、もう新しいPCを買うしかないかもしれないという考えに次第に傾いていってしまった。わたしはもともとMacとwindowsが同じネット環境を共有するというのが嫌だったので、新しいPCを(もちろんwindows)を親機にするほうがよかったのだ。

ということで、新しいPCを買い、コドモのPCだけOSをバージョンアップ(95から98)し、ようやく同時接続ができるようになった。
新しいPCはテレパソで、昔撮ったVHSもDVDにおとせるという優れものなのだけど、機能が多すぎて使いこなすまでにはかなり時間がかかりそうである。
しかしそれよりなにより、久しぶりにネットに繋がってこうやって文章を書けるのがかなりうれしい。PC購入の出費はすごく痛かったけど(というか毎年この時期、新しいPCを買っているような気がする)まあせーいっぱいもとをとって、有効に使っていきたいと思っている。


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