Opportunity knocks
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2001年12月31日(月) 大晦日に

2001年最後の日。
昨日のうちに大体準備を済ませてしまったため、1日中、こたつに入ってのんびりしながら、連れ合いが借りてきたビデオなんかを見た。
「普通の人々」「いちご白書」などなど、相変わらず私の趣味ではない映画ばかり。「いちご白書」なんかは特に訳がわからない。というか雰囲気そのものが嫌い。連れ合いにそういうと、「なんでだよ、おまえの大好きな村上春樹さんなんか
、もろこの雰囲気だろ?」なんて言う。わたしとしてはそういう時代性と春樹さんをひとくくりにされることに我慢できない。確かにその時代を生きた人としての宿命的な影響はあるだろうと思う。実際、風の歌〜なんかは色濃く出ている方だとも思う。が、しかし、わたしは春樹さんの小説のなかに普遍的なものを感じているし、それは特に60年代の雰囲気を想定しているわけではないのだ。
「村上春樹さんと60年代のあの頃を結びつけたって別に不思議じゃないだろ?むしろ切り離す事自体不自然だよ」とさらに連れ合いは言う。そうでしょうとも。
でも、わたしが言いたいのはそういうことじゃないんだって。。。

ううう、ジレンマ。何も言わず面白くない顔をしている私に、「なになに?言いたい事があるんだったら、きちんと言葉にしていったら?」などと意地悪な笑みを浮かべながら連れ合いは言う。「ふん、あんたにはわかんないのっ」と悔し紛れに言い返す。

もっと言葉を勉強しなきゃ、口から生まれてきたようなアイツに対抗できるくらい。。何が何だか意味不明な文章になってしまったけど、そんなこんなで大晦日の
1日は終わりました。


+ + + + + + + + + + + + + + + + + +


この日記を読んでくれている数少ない皆様、こんな文章をわざわざ読みにきて下さって、本当にありがとうございます。後から読み返してみると、その場の勢いで書いたものがほとんどなだけに、かなりの粗があり顔が赤らむ思いですが、そういう
日々の自分の率直な思いを、こうやって文章にしてみるのも悪くないなとも思っています。これからも細々と続けていこうと思っていますので、見捨てずに時々は
覗いてやってください。 次の1年が皆様に多くの幸をもたらしますように。



2001年12月30日(日) 大掃除

朝から大忙し。
午前中に書いた年賀状を郵便局に持っていき、
帰ってから本格的に掃除を始める。

私の担当は台所と洗面所、ベランダ。
黙々とやるのもつまらないので音楽をかける。
CD、MDを物色してたら、連れ合いがアメリカン・ロックを
50年代から順番に聴こう♪なんていいだした。

最初はアメリカングラフティのサントラ。
フィフティーズってすごくメロディが素直。
ノウテンキでゴキゲンな音楽を聴きながら、
ガスレンジを磨く。

冷蔵庫の中を整理していたら、今度は60年代の
曲が流れてきた。シュプリームス、プリテンダース
アニマルズ、ライチャスブラザース、ナット・キング・コール、
ベン・E・キング、キャロル・キング、などなど・・

連れ合いが掃除そっちのけで、ステレオの前に腰をすえて
CDやレコードをひっくり返している。やれやれ。
まじめに掃除しなよっ、とどなる。

洗面所を掃除する頃には、ダイア・ストレイツ、フィル・コリンズ
なんかがきこえてきた。

そうこうしているうちに掃除終了。
買い物にいって、野菜やかずのこ、お餅なんかを買ってくる。
ピカピカになった冷蔵庫に買ってきた食材を一つ一つしまうのは
私にとって小確幸の1つ。何だかシアワセな気分。

夜は、ハリーポッターを熟読。
どうなるんだろう???とどきどきはらはらしながら読む。
吸魂鬼に見つめられて、ハリーが箒から落ちる場面なんかは
思わず声がでそうになった。一度に読むのはモッタイナイので
続きはまた明日読むことにする。

そんなこんなで、慌しかった1日も終わりをつげた。


2001年12月29日(土) 2001年 その3

今年よく聴いた音楽

1. エゴラッピン(文句無くダントツで)
2. ビョーク(ダンサー〜のサントラ)
3. セロニアス・モンク(SOLO MONK)
4. 綾戸 智絵
5. バド・パウエル (IN PARIS)
6. ボビー・コードウェル
7. ラブ・サイケデリコ
8. アストラッド・ジルベルト(ボサノバは結構聴いたなぁ・・)
9. TUCK&PATTI (LOVE WARRIORS)
10. グレゴリオ聖歌集(連れ合いがしょっちゅう聴いてたため)


1月1日必着のレポートをようやく書き上げて投函した。
ふと気がつくともう年の瀬。
12月は流星のごとく過ぎたような気がする。
とりあえず明日、年賀状も大掃除もおせち作りも
餅を買うのも、とりあえず明日にしよう。
今日ぐらいゆっくりしよう。
ゆっくりさせてくれ。。


2001年12月28日(金) 2001年 その2

今年読んで感銘を受けた本

1.最後の物たちの国で    ポール・オースター
2.魂にメスはいらない    谷川俊太郎・河合隼雄 
  〜ユング心理学講義
3.銀の匙          中 勘助 
4.舞踏会にむかう3人の農夫 リチャード パワーズ
5.吹雪の産声        北條 民雄
6.文章読本         谷崎 潤一郎
7.最後の瞬間の大きな変化  グレイス・ペイリー
8.ストロベリー・ロード   石川 好
9.湿った空乾いた空     吉行 淳之介 
10.ハリーポッターシリーズ  J・K・ローリング


2001年12月27日(木) 2001年 その1

今年感銘を受けた映画(ビデオを含む)

1.ダンサー・イン・ザ・ダーク
2.ガタカ
3.ほんとうのジャクリーヌ・デュプレ
4.小説家をみつけたら
5.海の上のピアニスト
6.ルル・オン・ザ・ブリッジ
7.イル・ポスティーノ
8.アラバマ物語
9.リストランテの夜
10.愛を乞う人


2001年12月26日(水) TOM・WAITS

本屋で久しぶりに本を買った。
「ふわふわ」村上春樹・文 安西水丸・絵
「ハリーポッター アズカバンの囚人」J・K・ローリング
「TOM WAITS」ジェイ・S・エイコブス

「ふわふわ」は猫ずきの友達のために買ったもの。
「ハリーポッター アズカバンの囚人」は、賢者の石よりも
おもしろいというKさんの言葉を信じて購入(ハリポタについては後日ゆっくり)
そして、「TOM WAITS」
これは本当は買う予定のものではなかったのだけど、
ぱらぱらと読んでいるうちに、ついついひきこまれて
最後には買わねばという気にさせられてしまった。
結構昔からトム・ウェイツは気になっていた。
最初に「ダウン・バイ・ロー」をみたとき、
ジョン・ルーリーよりもベニーニよりも、
トム・ウェイツにいちばん好感持ったし、
「ショート・カッツ」でも飲んだくれの最低な亭主役を
これ以上のリアリティはないってくらいそのままに
演じててすごく良かったし、なぜかCDも持っている。
TOM・WAITS 「CLOSING TIME」というのと
TOM・WAITS 「NIGHTHAWKS AT THE DINER」

本質的な部分ですごく興味を引かれているにもかかわらず
トム・ウェイツが具体的にどんな人間なのかということは
全く知らずにきた。
でもこの本を読んで、自分の直感は正しかったんだと思った。
すこし文中のトム・ウェイツの語録を抜粋してみる。

「エンターティナーってのは、ある意味、みんなフリーク・ショーの一員みたいなとこがあるんだ。誰もが幼い頃、なにがしか心に傷を負ってる。家族の死とか、家庭崩壊とか。だから旅にでるのさ。9歳の時に家をでてった親父を探しに、あるいはステーション・ワゴンに乗って自分探しの旅にな。旅の途上、ジューク・ボックスの横にひざまずいてはレイ・チャールズに祈りを捧げるようになるんだ。そして、いつの日か有名になって「ライフ」の表紙を飾ったりすりゃ、カタルシス感じて、自分のアイデンティティを取り戻せるってわけさ」

「俺は浮浪者ってどこかキリストに似てるなって思うようになった。スケートボードに乗った足のない男、泥まみれの道、教会の鐘の音、そうした原風景のような体験は、今でも俺の一部なんだ」

アウトローには違いないんだけど、大切な物をいつまでも持ちつづけ、
なおかつ、自己表現していける稀な人なのだと思う。

最後にもう一言・・

「俺が音楽の道に入ったのは、何ものにも順応する必要がなかったからさ。
もし、自分の音楽に縛られるようになったら、この世界から足を洗うよ」

かっこいいよね、すごく。
本を読みながら、久々にCDを聴いた。
「ダウン・バイ・ロー」が見たくなってきた・・・。


2001年12月25日(火) クリスマスプレゼント

今日はクリスマスだというのに仕事。
昨日、おとついの疲れがたたって
1日中ぼんやりした意識のまま過ごす。

夕食後、連れ合いとクリスマスプレゼントの交換。
わたしはキルティング地の黒のジャケットを贈った。
なかなか良く似合ってて、連れ合いも気に入ったみたいだった。
で、こっちは何をもらったかというと、電子辞書。
そういえば、四苦八苦しながらレポートを書いてたときに
あー電子辞書がほしいなあ・・・なんてぶつぶつ
いったりしたっけ・・・・。

広辞苑と和英、英和辞典、漢字辞典が入っている電子辞書は
知ってる人は知ってると思うけど、かなり高い。
自分で買うとなると大変だなあと思っていただけに
このプレゼントはすごくうれしかった。
いちばん欲しかった物をちゃんとわかって、
プレゼントしてくれた事が、電子辞書を手に入れた
うれしさよりも大きかったような気がする。

でも、最後にひとこと、
「無駄にすんなよ、大事にしろよ、おまえはすぐもの壊すんだから。。」
・・・・一言よけいなの、いつも。




2001年12月24日(月) クリスマス前夜

冬季スクーリング4日目の朝。
目覚ましの音で目が覚める。洗面所を借りて
眠い目をこすりながら顔を洗い、歯を磨き、
コンタクトをつけ、化粧した。

7時20分、京都行きの快速に乗る。
8時45分、大学に到着。
Mさんとお昼を一緒にたべようと約束して、
お互い教室へ向かう。

今日の講義は前にも少し書いたのだけれど、
北條民雄という人の文学と人生をとりあげるというもの。
前もって短編集など読んだおかげで、講義内容にすっと入りこむ事ができた。
自分が本を読んで得た知識に、また新たな知識が肉付けされ、より深く核心に
近づく感じがすごく刺激になって、あっという間に時間が過ぎた。

お昼は教育学部のFさんとMさんとわたしで昨日と同じ食堂にいく。
今日の講義の内容や、教授の印象など話す。

午後からは体育実技。
今日はテニス。
なんとバスにのって大学専用のグランドにいく。
すごい急坂をのぼって、どんどん山の奥へ。
延暦寺がすぐ前方にみえる山の上にそれはあった。
40分の道程。。
ボールを打つ音がこだまになって返って
きそうな山の中で、楽しくテニスをした。

4時、グランドを出発、5時10分前に大学へ。
ほっとするまもなくダッシュで更衣室に向かい着替える。
コドモとクリスマスイブの夜、3人一緒にご飯をたべる
約束をしたので、大急ぎでバスに乗り、京都駅に向かった。
ついてすぐ、あと2分で到着の「ひかり」があったので
文字通り飛び乗る。新幹線の中から自宅に電話。
「7時10分にはウチにつくよ」といったら、
「早く着くんだね!」とうれしそうな声。
やはり寂しい思いをさせてるのかな、と少し胸がいたむ。

7時17分、少し遅れて帰宅。
シチューと鳥胸肉の香草焼きというのを
連れ合いが作ってくれていた。
今年1年で、いちばんシアワセな1日だった。
こんな1日にしてくれたすべての人に深く感謝。

Merry・Christmas


2001年12月23日(日) 冬季スクーリング3日目

冬季スクーリング3日目の朝。
当然のことながら、先週よりも先々週よりも寒い。
いつものように始発に乗って、京都に向かう。

がたごと揺れる新幹線の中、窓の外を眺めていたら
ようやく東の空が明るくなってきた。
空の色が刻々と変り、光の温かみが全体を覆っていくのを
ぼんやりと眺めた。まだ夢の中にいるようで意識がはっきりしない。
規則的に揺れる列車の振動を感じているうちに、浅い眠りにおちる。
はっと目が覚めると、もう京都。いつもながらよく乗り過ごさない
ものだと変に感心してしまう。

京都に着いて、いつものルートで大学まで。
バスの中で、同じ講義を受けている人と乗り合わせた。
先週の講義のこと、今日の講義の内容のことなど話すうちに大学に到着。

午前はこのまえの続きで体育実技。
みんなで仲良くソフトバレーをした。
やってるうちにみんな力が入ってきて
なかなか楽しかった。

お昼は、一緒の講義で仲良くなった人たちと一緒に学食をたべた。
教師を目指している1回生のFさん、歴史に興味があって史学学科を専攻
しているHくんとNさん、みんな良い意味での緊張感を持っていて
お互いに刺激を与え合う事ができそうな感じ。
リポートのこととか、今日の講義の印象について話をした。


午後の講義は今日で3日目、そして最終日。
終わり際に課題を出され、400字以内にまとめなさい
なんていわれて、びっくり。
四苦八苦しながらも何とか時間内に提出できた。
教授に受講証とレポート用紙を出して、ようやく講義は終わった。
外をみるともうすでに薄暗い。
大学の中庭で、Mさんと待ち合わせ。
Mさんは最初のスクーリングの日にバスの中で意気投合した女の子。
明日も続けてスクーリングを受講するので、今夜はMさんのウチに泊めて
頂く事にした。Mさんは大阪に住んでいる25歳の社会人。
英語が好きで高校卒業したあとアメリカへ留学し、帰国後外国語専門学校で英語を
学び、通訳などしながら現在大学の英米学科で勉強している。
大人びた雰囲気と、真直ぐで純粋な好奇心をもったすごく素敵な人。

MさんとJRの快速に乗って、30分足らずで大阪についた。
環状線に乗り換えて天満というところまで。
夕ご飯をどこにしようかとあれこれ迷いながら歩く。
Mさんおすすめの韓国料理のお店や、めちゃくちゃおいしい焼き鳥屋など
さんざんまよったあげく、すき焼きと焼肉の中間的料理を出してくれる
お店へいく。すごくおいしかった。
夕ご飯後、Mさんのウチへ。
ひとり暮しの女性の雰囲気が漂ってて、何ていうのかな・・・
すごく懐かしい感じがした。
ひとりでがんばってた遥か昔のことを少し思い出したり。

帰りに買って帰ったミスドと、私が持ってきたクッキーをたべながら
いろんなことを話した。勉強の事、仕事の事、好きな本や映画の話、音楽の話、
恋人の話(男の人がいつまでも持っている幼児性についての話)
ケッコン生活について、などなど。

その後かわりばんこにおふろに入ったあと、お互いに1時間ほど明日の予習。
12時。夜も更けたので目覚まし時計をセットして就寝。
こうしてなんとか、スクーリング3日目が終わった。





2001年12月22日(土) 無題

冬至。
ゆずを浮かべたおふろに入りながら、
うとうとしてしまった。

明日から2日間、連泊で京都。
何かにせきたてられるように日々が過ぎていく。

風邪ひきませんように。

いってきます。


2001年12月21日(金) 明日は初雪が見られるかも…

12月にしては暖かいな、と思っていたら
今日はものすごく寒い1日だった。
冷たい雨が音をたてて1日中降り続いた。
吐く息も白く、手足が冷え込んでいくのがわかる。

こんな日は1日中何もせずにこたつにもぐって、
ストーブの上の薬缶がたてる、しゅんしゅんという
音を聴きながらぼんやりしたいなぁ・・・
何て願いもむなしく、師走の日々は飛ぶように
過ぎさるのだ、きっと。

今日も連れ合いに、生徒と(連れ合いは中学教師)
クリスマスパーティーをやるから、ケーキの土台
(スポンジのことね)を4つほど作っといてくれ、
と突然いわれて愕然とした。(おおげさか?)
だって、この忙しい時に、8号のスポンジを4つも
作れなんて・・・。それも女子生徒がチョコケーキが
良いと言っていたから、2つはチョコのスポンジに
してくれ、だとー。
このつけは高くつくぞと思いながら、泡立て器を
しゃかしゃか動かす。

+ + + + + + + + + + + 

結構大変だったけど、思考錯誤の後、
無事に作り終えることができた。
チョコレートのあまい匂いが部屋中にみちて、
少し良い気分。

生徒くんたち、よろこんでたべてくれると良いなあ。






2001年12月20日(木) 今日1日のこと

AM6:30、綺麗な朝焼けをみながら朝食をたべた。
家族を送り出したあと(戦場のような慌しさ)
MEJAを聴きながら、しばらく掃除、洗濯。
一段落後、あたたかいほうじ茶を飲みながら、
書き上げたレポートを指定の用紙に清書した。
3200文字。
原稿用紙にして8枚足らずだけど、
手を使って文字を書くことから
遠ざかっている為、とても疲れる。

お昼、寿退社するスタッフのためのお別れ会に出席。
結婚生活なんていいことばかりじゃないんだから、
ね、今から大きな期待をもっちゃだめ!とシアワセそうな彼女に
横やりをいれる。もちろん良いこともあるにはある。
が、もちろん、はらがたって100回くらいこんちくしょう、って
叫びたい時だってあるのだ、結婚生活ってそんなものなのだ。

お別れ会が終わって帰宅。
しばらく読書。
コドモが帰宅。
こたつに入って今日1日のことを話す。
給食に納豆がでてイヤだった、明日は終業式だと思うと
うれしい反面、気が重い・・・云々。
夕食。
風呂。
連れ合いとコドモのクリスマスプレゼントについて相談。
グレイス・ペイリーを読みながら就寝(予定)

平凡的なシュフの1日・・。
面白くも何とも無いな、まったく。


2001年12月19日(水) とりとめのない1日

何もかもほどけて

ばらばらになってしまいそうな

とりとめのない1日。

綺麗な青いクッションを買う。

何も考えたくなくて

何もしたくなくて

でもやらなきゃいけないことが

ちゃんとあって

それをなんとかしなきゃいけなくて…

ためいきがでてしまう。


2001年12月18日(火) 北條民雄の短編について

ここずっと、北條民雄という人の短編集を読んでいる。

北條民雄は17歳でハンセン氏病(癩病)に罹患した後、
24歳で亡くなるまでいくつかの優れた小説を書いた人である。
彼が書いたものは、当時親交があった川端康成氏を通して文壇に
発表され、高い評価を得た。
癩患者はその当時、社会から隔離され収容所ともいうべき劣悪な
環境で入院生活を送っていたらしい。北條民雄が書いた原稿も
常に療養所関係者の手によって検閲され、不適当と思われる部分は
伏字にさせられ、削られた部分も多くあったとのこと。
文章を読むと、癩病という病気がどんなに恐ろしいものであるか
ということが、よくわかる。例えばこんな文章。

「その時、とたんに風呂場の入り口の硝子戸があくと、腐った梨のような貌がにゅっと出てきた。尾田はあっと小さく叫んで1歩後ずさり、顔からさっと血の気がひくのを覚えた。奇怪な貌だった。泥のように色艶が全く無く、ちょっとつつけば膿汁が飛び出すかと思われる程ぶくぶく膨らんで、その上に眉毛が一本も生えていないため、怪しくも間の抜けたのっぺら棒だった。黄色く爛れた眼でじろじろと尾田をみるのであった。中略・・・どれもこれも崩れかかった人々ばかりで人間というよりは呼吸のある泥人形のようである。」
これは、北條民雄自身がはじめて癩病棟に入院することになった初めての夜のことをもとに書いた短編の一部である。 それからこんな文章。

「尾田さん、あなたはあの人達を人間だと思いますか?」
佐柄木は静かに、だがひどく重大なものを含めた声で言った。尾田は佐柄木の意が解しかねて、黙って考えた。
「ね尾田さん、あの人達はもう人間じゃあないんですよ。人間じゃありません。尾田さん、決して人間じゃありません。」佐柄木は思想の中核に近づいたためか、幾分の興奮も浮かべていうのであった。
「人間ではありませんよ。生命です。生命そのもの、いのちそのものなのです。僕のいうこと、解ってくれますか、尾田さん。あの人達の『人間』はもう死んで亡びてしまったのです。ただ生命だけが、ぴくぴくと生きているのです。何という根強さでしょう。誰でも癩になった刹那にその人の人間は亡びるのです。死ぬのです。社会的人間として亡びるだけではありません。そんな浅はかな亡び方では決してないのです。廃兵ではなく廃人なんです。けれど、尾田さん、僕らは不死鳥です。新しい思想、新しい眼をもつとき、癩者の生活を獲得した時、再び人間として生き復るのです。復活、そう復活です。ぴくぴくと生きている生命が肉体を獲得するのです。新しい人間生活はそれから始まるのです。尾田さん、あなたは今死んでいるのです。死んでいますとも、あなたは人間じゃないんです。あなたの苦悩や絶望、それが何処から来るか考えてみて下さい。ひとたび死んだ過去の人間を捜し求めているからではないでしょうか。」

この短編は、北條民雄がはじめて癩病というものと向き合った時期に書かれたものである。生への強い肯定(佐柄木)と生きることの絶望感(尾田)がせめぎあい、懐疑と希望が常に入りみだれている。北條民雄は実際に何度か自殺を企てた事もあり、その両者(生への肯定と否定)は、彼の文学の大きな主軸になっている。
彼の短編を読んで、生きることについて真剣に考えた。
人間は何のために生きるのか。 幾度の苛酷な辛苦を乗り越えてまで何故生きようとするのか。なぜ起きあがろうとするのか。
死にとりつかれながら、なぜ生に執着するのか。
当然のことながら、答えはでない。死の間際にたたされたものでしか、その本当の意味はわからないのだろう。ただ彼の小説を読んで、考える機会が得られたと思う。そのことだけでもわたしにとっては得がたいことだと思うし、読書という行為自体にすごく大きな意味をもたらしたような気がする。


わたしが読んだ北條民雄全集は実は、来週のスクーリングの講義で取り上げる教材として大学から送られてきたもので、始めはこんな作家きいたこともないし退屈な本だったらいやだなあ、なんて思いながら予習の意味で読み始めた。
今日の日記は、こんな小説を読んでいるということをさらっと書くつもりだったのに、つい力が入り長々とかいてしまった。それだけこの小説に深く入りこんでしまった、ということだろうと思う。すばらしい文章にであえたことに深く感謝。


2001年12月17日(月) トンガからやってきたかぼちゃ

今日、何となくかぼちゃが食べたくなったので
スーパーに出掛けた。
野菜の陳列棚に並んだかぼちゃを見てみたら
”トンガ産 えびす南瓜”と書いてある。

トンガ?

トンガという国が、地球上のどこに存在する国なのか
即座に言えるあなたはかなり賢い人です。

ためしに連れ合いにきいてみた。
「ねえ、トンガっていう国がどこにあるか知ってる?」
「南太平洋、オセアニア、元イギリス領、サモアとか
フィジーとか、あのへんだな・・。」
「へえ、」
「へえ、っておまえ、知ってた?」
「知らなかった、アフリカ、かな?…と思ってた」
「・・・・・おまえってさ、結構あほだよな。」
「・・・・・」
くやしいけど何もいい返せない自分がさらにくやしい・・。

これはまたの次の機会に仕返しするとして・・・
今日はトンガの南瓜をつかってとりひき肉の
そぼろあんかけかぼちゃを作った。だしと味醂で
しっかり味をつけた南瓜に薄めのあんかけをかける。
わたしの料理の腕もさることながら(?)、トンガの南瓜も
すごくおいしかった。
南の島で作られた南瓜が、はるばる海を渡ってきたのか…
と思うと不思議な感じがする。
褐色の肌したポリネシアの人々が、日本人の食べる南瓜を作っている…
不思議だよね?








2001年12月16日(日) スクーリング2日目

冬季スクーリングの2回目。
先週にもまして寒い京都の朝、
くっきりした白い息をはきながら
大学へと向かう。

今日は基礎教育の講義と体育実技。
大学生になっても体育というものは
必修なのかと思って、少しびっくり。
で、何をしたかというとウォーキング。

今日は哲学の道から、法然院、真如堂
吉田山へと約6〜7kmの道程を歩いた。
一応、ウォーキングもスポーツの一環として
とらえているので、少し早めの速度で歩く。
道端の民芸品、甘味処なんていうお店に目を
奪われていると、あっというまに前の人が
見えなくなってしまうので、視線を前に戻し
ストイックになって黙々と歩いた。

足を運ぶ事に集中していると、
いろんな事に気付く。
頬を撫でていく風のにおい。
川ベリの道を歩くと水の匂いがしたし
山の中を歩くと木の匂いや、落葉の匂いがした。

あと、音。
ざっざっざという足音と風が木を揺らす音、
水の流れる音、鳥の声だけ。とても静か。
普段いかにわずらわしい音に囲まれているか
という事がよくわかる。

山道を早歩きしたせいか、
かなり足が痛くなってしまったけど、
歩くという行為に対してここまで
集中したのは久しぶりだったので、
すごく有意義な時間を過ごす事ができた。

帰りの新幹線は熟睡。
乗り過ごしそうになりながらようやく帰宅。
布団に入って5分で意識がブラックアウト。

スクーリング2日目はこうして終わった。




2001年12月15日(土) ちょこれーと中毒

今週は読書週間、ということで今日も本読みの1日。
なのはいいのだけど、本を読みながらまたチョコレートを
大量に消費してしまった。
本を読みながらチョコレートをたべるのは、私の楽しみであり
悪癖のひとつ。今日は3枚で200円!という値段につられて
買った板チョコレートを残らずたべてしまった・・・。

お菓子類はあまりたべない。ガムもアメもケーキもいちご大福も
ポテトチップスも、とくに自分から積極的に買ってたべることは
あまりない。でもチョコレートだけは別で、夜中に突然チョコレート
が食べたくなってコンビニに走ることがしょっちゅうある。

あー、何だか罪悪感を感じる。
板チョコの裏のカロリーの表示をみてためいきがでた。
1枚346kcal・・ということは3枚で…

明日は今日のチョコレートの分、がんばろう。




2001年12月14日(金) 無口なきみ

黙っていても気持は相手に通ずるのか?
君は通ずる、という。

時々、無口な君に向かって何を考えてるのか?
ときくと、君はいつもこう答える。

何も言わなくたってわかっているでしょう?

僕はそうは思わない。
いろいろと考えてしまう。
君が何も言ってくれない理由を。

僕はほしいんだ。
曖昧な微笑みではなく、微妙な目の動きでもなく
確固とした君の意思が。

僕は時々わからなくなる。
君が何をみているのか、何を感じているのか、
何を信じているのか。
誰もいない空家に、ひとり取り残されたみたいに
不安になる。

いってくれよ。
はっきりしたものを僕にくれ。
君の言葉がほしいんだよ。



2001年12月13日(木) 鈍色の雨

冷たくて重い雨降りの1日。
遠くまで行く用事があって
久しぶりに長く車を運転した。

車を運転しながらミシェル・ブランチを聴く。
彼女の歌を聴いていると、自分がアメドラの
主人公になったような気がしてくるのだけど、
そう思うのはワタシだけだろうか?

・・・恋人との駆け引きに疲れ、自暴自棄になった
主人公(わたし)が、訳も無く雨の中、車を走らせている…
そんな設定の中、BGMにミシェル・ブランチ。
くだらない・・・・。

車を運転している時、頭の中でいろんなことを考えてしまう。
(いちおう、無事故無違反5年目)
左脳で運転、右脳で考えごと(もしくは妄想、空想)。。
使い分けながらそれなりに集中して運転しているんだけど、
たまに、右脳の方が活発になった結果、無意識のうちにまったく知らない
道を走ってたということもあるにはある。ごくごくまれに・・。
(いちお、無事故無違反5年目ですからっ)

でも、あんまりそういう人は公道を走るべきじゃないのかも
しれない。少しこわくなった今日この頃。

どうでもいいけど、タイトルと全然関係無い
内容になっちゃったなあ・・。




2001年12月12日(水) コドモ

先々週、コドモと一緒に「ハリーポッター 賢者の石」
を見にいって以来、コドモはハリーポッターに夢中に
なっている。今もソファに寝転がって第2弾の
「ハリーポッター 秘密の部屋」を読んでいる。
集中して読んでる姿を眺めてたら、オットが言った。
「あいつの読書スタイルっておまえにそっくり。」
確かに。。
まずソファに仰向けに寝転んで、
おなかのうえにクッションをおき、
その上に本を乗っけて読む。
おなじだ。。
寝転がって本を読むと目が悪くなる!と言いたいのだけど
自分が同じスタイルで本を読むので結局何もいえない。

悪い事も良い事もみんなひっくるめて、知らない間にコドモは
いろんなことを吸収していく。そのことに少し驚いてしまう。

自分の部屋のドアに、「ノックしてください!」とはり紙を
張るくらいのお年頃になってしまった彼。。
どんな人間に成長するのか・・・それはわたしたち(わたしとオット)
次第なのかもしれない。


2001年12月11日(火) 試聴

買い物のついでにふらっと
TOWER RECORDSによった。

ENYAのCDを試聴してみる。
冷静と情熱のあいだの主題歌
を聴いた。良い曲だな、と思う

そのあと、レディヘのCD、
ラップ系のCDを試聴してみた。

サラ・ブライトマンの
アヴェ・マリアなんかも聴いてみた。
一瞬店内にいることを忘れそうなくらい
素晴らしい歌声だった。

でも何となくそれだけだった。
何かあたらしいのを聴きたいなと思ったけど
今はあまり音楽に入りこめない時期なのかもしれない。
結局何も買わずにお店をでた。
そういう時期なのだ、きっと。





2001年12月10日(月) 本読み

今日は、午後から本読みに没頭した。

最低限の用事を可能な限り適当に済ませ、
恋人のもとへ向かう時のように、いそいそと
本読みの態勢に入る。

何らかの知識を得るため、何らかの刺激を求めるために
本を読むときも多くあるけれど、たまには何も考えずに
本の中にどっぷりとつかりたくなる。
今日はそんな感じの午後だった。


2001年12月09日(日) スクーリングの1日について

今朝、余りにも早い目覚ましの音で目が覚めた。
そうか・・スクーリングだった。。
ぼんやりするアタマをなんとか動かして、
家族の朝食をつくり、顔を洗って歯を磨き、
はねまくっている髪の毛にドライヤーをかけ、
3分で化粧を終えた。

5時57分の始発にのって、とりあえず新幹線が
乗り入れている駅へと向かう。日曜日なのに結構
会社員らしき人がいたり、始発にのって何の用事が
あるのか見当もつかない人がいたりする。
そういうワタシもたぶん、この人どこへなにしに
いくんだろうって思われてるんだろう、きっと。

新幹線の座席に座ったら、強烈な睡魔が襲ってきた。
ずるずるとひきずられるように、眠ってしまう。
ピンポンパンポン♪・・・・まもなく、京都・・
のアナウンスではっと目が覚める。。危ないトコだった。

京都についたのが7時52分。
思ったとおり寒い。誰もいない駅の中を
大きなリュックを背負って、てくてくと歩く。
とりあえず地下鉄で北大路までいく。
北大路について、市バスのターミナルへ向かう。
大学へいくバスが発着する停留所は探さなくても大体わかる。
ある種、異様な団体がかたまって列をつくっているのがそれ。
ある種異様、というのは見れば何となく納得できる。
朝からいろんな年代の人間(老若男女さまざま)が一様に
大きな荷物を背負ってあるいは手に持って、緊張した雰囲気を
漂わせながら、バスがくるのを今か今かと待っている。

バスの中で、英米文学を専攻している女の子と結構仲良くなった。
スクーリングははじめて、と彼女はいった。バスの中でいろいろ
話しているうちに大学についた。
この大学は通信学生のための教育が結構充実しているところで、
かなりの数の学生がいろんなところから集まっている。校舎も
すごく綺麗だし、いろんなところにわかりやすい表示がある。
バスの中で会った女の子とお昼ご飯をたべる約束をして、
お互い講義をうける教室へいく。

いろんな年代の人がいるが、いちばん多いのは30代から40代
の世代ではないかと思う。3年次から編入してくる人も結構いる。
小学校教諭の免許を通信でとりたいという、現役の先生もたくさんいる。
もちろん、見るからに若い人もいる。こういう形で大学教育を
受けるというのも選択肢のひとつになっていいのではないかと思う。
何となくとか、嫌々だとか、そういう中途半端な学生は目立たない。
みんなそれなりに学習意欲があるというか、学ぶ事の明確な意思を
持っている人がほとんどなので、落ち着いた雰囲気で講義が進む。

お昼になって、バスの中で知り合った女の子とお昼ご飯をたべる。
学食が安い、とその子は感動していた。お味噌汁が30円、
ご飯が50円、天麩羅うどんが220円、日替わりランチが450円
その他いろいろなお惣菜が小鉢に入って100円などなど。
ほかの大学と較べて特に安いのかどうかはよくわからない。
女の子と講義のことについて話す。英米学科は迷った挙句断念した
学科なので、熱心に話しを聞く。女の子は専門学校からの編入なので
初めてのスクーリングながら、講義の内容も興味深いものばかり。
わたしはというと、これから2回生まで基礎教養科目なので、
専門的な講義はまだまだ先の話。
でも学ぶ事はたのしい。自分の感覚がだんだん研ぎ澄まされて
いくような昂揚感はほかでは体験できないものだと思う。

講義が終わったのが、5時30分すぎ。
一緒に講義を受けていた人の中に同じ学科の人がいて
いろいろと話をした。いろいろと情報交換。
知り合った人たちと、電話番号、メルアドの交換をして
「また来週ー」といって別れる。

外に出たらもう真っ暗。おまけに時雨れている。
当然の事ながらすごく寒い。マフラーをぐるぐる巻いて
手袋をはめる。市バスの停留所は大勢の人がすでに長い列を
作っていたので、開き直って歩くことにした。

結局、北大路まで歩いて地下鉄で四条までいく。
友達に教えてもらったお店で、豆腐の湯葉まきコロッケと麦飯
を食べた。とても美味。
そのあと四条から京都駅まで歩いて、9時ちょうどの新幹線に乗った。

なかなかハードな1日だったけど、疲労感はほとんどなし。
少しずつ前に進んでいる自分を感じながら
深い眠りにつき、スクーリングの1日が終わった。


2001年12月08日(土) 明日は・・

明日は京都の学校へ講義を受けに行く日。
今月は毎週日曜日ごとに受講しなければならない。

学生証に、受講許可証・・・新幹線の切符に、
教科書、筆記用具、ハンカチ、お財布・・・。
何か忘れ物をするんじゃないかと気がもめる。
大学への道々に聴くためのMDは何にしようか。。
結局、レニー・クラビッツとシェリル・クロウを選ぶ。

あーもう寝なきゃ。
寒いだろうな・・京都。


2001年12月07日(金) いいとこなしだけど・・。

車を車検に出した。

エンジニアの方がボンネットをあけて
いろいろ説明してくださった。
(自慢じゃないけど、わたしはかなりの
キカイ音痴であると自負している。)

「ねっ?こことここのボルトが緩んでますよね?
そうすると、こことここがこうなって、
こうなっちゃうんですよね。。ほらここから
オイルが漏れてるでしょう? ・・・・・
あとね・・・ここ、どれんこっくぱっきん
を交換して、ふゅえるこんでぃしょなーを注入すれば
かなり改善されるんですが、悪くすると
おいるぷれっしゃーすいっちも取り替えないといけない
かもしれないなぁ・・・うーん」

などとわたしにはちんぷんかんぷんなことをいいながら
片手で電卓のスイッチをぽちぽち・・・。
そして・・・・
「最終的には、これくらいみといてください。」
と言われてのぞいた数字にめまいがしそうだった、ほんとうに。

わたしがいま乗っている車は、結構台数が少なくて
同じ型、同じ色の車をみかけるのは年に1回くらい。
3ナンバーでRV、ディーゼルのAT車。しかも中古車。
燃費は悪いし、税金はいちばん高いの払わされるし
立体駐車場には入れないし、いいとこなしの車。
で、何故そんな車を買ったのか?というと
形と色、つまり外見のデザインがすごく良かった、
ただそれだけの理由。
それだけの理由で、それを買い、高すぎる税金を払い
今に至っている。今のところ手放そうとは考えていない。

車検が終わってぴかぴかになった(サービスでワックス洗車
してくれた)車を引き取りにいって、思った。
性格が悪くて、不器用で、いいとこなしだけど見た目がすごく
綺麗で自分好みの女のひとにふりまわされるオトコの気持ちって
こんな気持ちなのかなって・・・。




2001年12月06日(木) 初冬

寒い1日だった。
灰色で冷たそうな雲が空を覆っていた。
雪が降ってきそうな空模様。
北国育ちのせいか、今日みたいな空模様や
雪が降る光景はわたしにとって特別なものである。
あと冬の最中の雷も。

子どもの頃、当たり前にみていた風景。
雪が降りしきる中にとどろく雷鳴や、
雪の重みに耐えきれず、木がきしむ音。

今はそんな風景から遠く離れてしまっている。
だからこそ、心が揺り動かされるのかもしれない。





2001年12月05日(水) 学ぼうとすること

わたしはいちおう、京都のある大学の学生である。
学生だけどもいちおう社会人(という言い方が適切なのかは別として)なので
普通の大学生のように学ぶ事ができない。それで通信制という形で勉強している。

なぜわざわざそんなことを?とよく訊かれる。10代のわかいころならともかく、
生活の基盤もリズムも安定しているこの年になって、なんでわざわざ学生にならなきゃいけないんだ? ・・・それは自分の中でもよく思う。なんで自分はこんなにも落ち着けないんだろう?自分のやっていることが何の脈絡も意味も無い行為に思えて仕方ない時もある。自分は何がしたいのか?何のために大学にいくのか?
大学を卒業していったいどうなるのか?自分でもわかっていない。
ただ、ただ自分を高いところまで引っ張っていきたいっていう思いがあるだけ。
行ったことも無いような高みに自分を持っていきたい、(実際にいけるのかどうかはこの際不問)はっきりしているのはそれだけである。 
わたしの周りにいる人はみんな実際的に物事を考える。
大学にいくのは何か目的があるから。どころで、いったい何になるつもり?
その人達に向かってなんていえばいいんだろう?
いや、他人なんて関係無いのかもしれない。自分の、自分の中の問題なのだろう、きっと。


2001年12月03日(月) 素晴らしき哉、人生

久しぶりに、素晴らしき哉、人生を見た。
最近、あまりにもヒサンな日々を送っていたので、人生ってほんとに
すばらしいのか?と疑問をもってしまったのだ。
で、見終わった結果どうかというと、うん…やっぱり人生って素晴らしい、
と再認識した(よかったよかった)
心に残っている映画を、どれかひとつだけあげなさいといわれたら、
間違い無くこの映画をあげるだろうと思う。
今までどんなにこの映画に勇気づけられたかわからない。
それくらい、こころがあたたまる映画。

クリスマスに、いちばん大事な人と一緒にみてほしい映画です。
ぜひどうぞ。



2001年12月02日(日) 呪いのつまった正月の福袋

呪いのつまった正月の福袋を一足先に受け取ってしまったらしい。
先週にひきつづいて、悪運としかいいようのない事がわたしの
周りで続いている。料理中、足の小指に鍋をおとしてしまった、
買ったばかりのベネトンの黒のジャケットを電気ストーブの上に
落としてしまった、車検に出した車が故障だらけで予算を軽く
オーバーした、前を走っている車が投げたゴミが自分の車に
当たった、などなど。。
なに?なに?わたしがなにをしたっていうわけ??
と、天をあおいでしまう今日この頃。。

人生はビスケット缶だと思えばいいのよ、って誰かがいってたっけ。
今は我慢して、好きじゃないビスケットをたべよう。
あとになってきっと楽になれるんだから。


2001年12月01日(土) 何日かの空白

夜中、友達に長いメールを書いているとき、それはやってきた。
Worm.Bad-Trance-B。。ウィルスメールが届いた時、添付ファイルを開いてはいけないことは知っていた。だから、ファイルを開かなければいいんだと安易に(ものすごく安易に)考えていた。でも、わたしが考えてる以上に世の中は進歩しているのだ。(メールプレビューされただけで感染してしまうウィルスがあるなんて、考えた事も無かった・・。)
ウィルスメールが受信トレイに入った直後から、いろんなところからメールが届いた。「あなたが送信されたメールはウィルスに感染されています・・云々」
えっ?!・・・。
それから、かなりの労力と気力を振り絞ってウィルスを検出し、感染されたファイルを削除し、修復した。PCを使いなれているひとならば容易いことなのだろうが、なんせセキュリティも満足にしてない自分なのだから、わけのわからんトロイの木馬だの、セーフモードだの、その他もろもろの用語なんてまったく訳がわからない。わかるはずがない。わかっていたらこんなことになるはずがない。
そんなこんなで、ここ2,3日は頭のてっぺんからつま先まで消耗していた。。

そりゃあさ、半年以上Updateしてないノートンを常駐させてたわたしはほんとに間抜けだったと思う。IEも5.5だったし、ウィルスの知識もかなりお粗末だったのは認める。・・・・でも、でも、こんなウィルス作り出していたいけな小市民をいたぶって、密かにくっくっくなんてほくそえんでいるやつは、ほんとうに許せない。

でも、自分の無知さかげんにも結構憤りをかんじています。
ご迷惑をかけた方に心からお詫びします。申し訳在りませんでした。。





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