今から2週間ちょっと前にプレミエがあり、
そのあとのパーティでのビュフェ(タダ)にがっついていたら、
パートリーダーのゼバスティァンが一言。
「そういえば、投票は再来週だから」
まるで
「そういえば、明日の天気は晴れだから」
みたいな口調で言うのが彼らしさ。
待ちに待っていたこの瞬間に興奮してしまってそのあと食欲うせました。
試用期間後には投票が行われて、3分の2の賛成票で合格となる。
しかも所属するパートからのみによる投票なんだこれが。
(オケによっても役職によっても違うので参考にしないでね)
その週というのが先週だったのです。
パートリーダー両氏から木曜と金曜の晩にまた隣で一緒に弾くかい?と聞かれて、あ、これは最後のテストなんだね、来たね、と。
つうか聞くなよと思ったけどね。やだなんて言えるわけないのに。
じゃあ、このオペラ2つともさらいなおしだー、と気合入っていた矢先、事務所から電話。
「ずっと休んでいるテオがまだ治んないから、降り番になっている定演にやっぱ乗ってくれるかい?」
というわけで先週はなんと存在する全てのDienstを弾きました。この週は11個。いつさらうねん。ちなみに今週も9。
(分かる人にしか分かんないなこれ。ごめん)
もうみんなもタフだけど自分もどんどんタフになってきてるなーと分かる1週間だったね。ラストスパートだって分かってたしね。
テオさんはですね。休みとってスキーにいったっきり帰ってこない、いや家にはいるんだけど。肩をおかしくしたらしくて、それ以来出てきてないんだな。
木曜日に一番前で弾いたのはスペードの女王。
ちなみにこの我がグループのトップ奏者さまは今なんと日本にいます。
Stuttgart放送響がノンヴィブ大魔王ノリントン指揮で日本ツアー中。なんとそれに乗ってんの。
私の上司を生で見たい方はぜひコンサートにいってみてね。
セカンドトップのちっちゃい人です。
(東芝グランドコンサート2008、で検索したらすぐ出るよ。)
この日、一緒に弾いててなんと私は彼女よりも3センチだけ小さいことが発覚。それが分かったときちょっと嬉しそうだったし。
まあそんなことで喜んでくれるならいくらでもビッテだ。
で、彼女はこの日が日本に飛ぶ前の最後の仕事だったので、帰りに投票してったらしい。
正式に投票が始まったのは土曜、定演のGPの休憩時間。
その日の晩にも定演を降りてた人が投票したらしく、残りはテオの票のみ、と。日曜になっても何も結果がきけなくて、仕事中もなんか集中力ゼロだし、もう勘弁して、って感じだった。
そしてテオの票はなんと電話投票という形になったそうで、その電話をかけた人(Orchestervorstand、団員の中にいる役員)自らが開票して、分かり次第、携帯に電話してくれると約束してくれたので、月曜日の午後はまったくだめ人間でした。人と話しても上の空。
バロックのレッスンもあったんだけど、事情話して携帯をつけっぱなしにさせてくれたのに、なるたびに飛びついた携帯に出る名前は、友人たちばかり。しかも後で分かったのは全部雑用。なんとも集中力ゼロのレッスンだったので、先生も笑ってた。
そして、夕方6時ごろ、電話。
「まだ自分以外の人は誰も知らないし、グループの人にも知らせてないけど、先にキミに伝えるよ、つまり、
14人中、14人の賛成票により試用期間を合格した、ということをね。」
夜の定演後、楽屋口で15人ぐらいの団員が、いろんな人と話して遅く出てきた私を待っててくれて、来てくれた皆にビールおごりました。
14人中14人ってまだ信じられない。本当にいろんなタイプの人間が集まってるグループで、そこが好きだけどそれがグループの大きな問題でもあるので、そんなことはありえないと思ってた。受かればあとはこっちのもんだ、って。それがこの結果。
ビール飲みながらゼバスティアンも、この結果に驚いてたので、やっぱりいろいろあったんだろうなと。
その14票、額縁に入れて飾りたい。
日記を書く暇がないほど忙しいというわけではないのですが、
どうも最近さぼりぎみで。
手短に近況報告。
試用期間の終点が見えてきました。
2月に決定する模様。
年末に、家の犬が死んだと連絡があり、
ちょっと頭がそれでいっぱいな感じです毎日。
何年も家に帰ってなくて、就職までしちゃって、
ドイツに馴染もうと日本人の心も誇りも捨てて、
それでいいんだと思いこんで毎日生活してるけど、
こういうときにずしっと重みのあるパンチをくらう感じ。
忘れられた祖国からのカウンターパンチ。
全部自分の中でのことなんですがね。
いわゆる移民になろうとしているということによって、
なにかどっかにひずみとか見えないところにたくさん出来てきて、
外人としての差別されることからのガードとして、
日本的であるというすべてのことを避けるように、
見て見ぬフリをするように生活しているのかもなと。
眼に見えるほどの大きなものではないけど、
時間がたったらやっぱり無理したとこが目立ってくるのかなと。
いや移住・移民ということ自体そもそも不自然なのじゃないの?と。
移民ってなんだ?
ゲルマン民族も大移動したし、
アメリカ人なんて北も南もみんな移民だよ?
ブラジルで日系の人たちが話すのを聞いたとき、すごく興味深いなと思った。
彼らは100年前ぐらいだっけからブラジルに移ってきて、
100年前って明治維新からそんなに経ってないよ。
で、日本語も日本家庭では話されてたと思うけど、
そのまんま100年ってわけはなく、やっぱり変化したわけで、
日本で話されてる日本語とはちょっと違うのだ。
例を出せばきりがない。
たとえば、学校で南米系の人と南欧系の人がポルトガル系言語でしゃべってる。お互いに理解は問題なく出来るけど話し方はだいぶ違うらしい。
あと、カナダのケベックというフランス系移民の街の出身の人って、ネイティブが英語とフランス語らしい。フランス出身の団員がその人とフランス語で話してたので、あとからそのフランス人にすごいねーおもしろいねーと言ったら、理解はできるけど話し方はずいぶん違うので、強い方言のようなもので、聞き取るのに努力しないと分からない時もあると。
今の若者言葉なんて、私今日本に帰っても全然理解できないだろうしな。たったの6年でこれだもの。
今更後に引く気はないし、
どっか歪んでいても、無理をしてるとしても、
ここに残って音楽を続けたいという思いは変わらない。
ただ、無我夢中で6年間やってきたことで得たことと、
それと引き換えに失ったこともあるのかもしれないと、
自分の力だけで今ここでこうしているわけではないと、
そういうことを考える時期が来ているのかもしれない。
山根美代子先生の訃報は最近になってやっと聞いた。
彼女なしには私は今フランクフルトにいない。
今から7年以上前。
レッスンの時に、先生にドイツで誰かいい先生を知りませんかと聞いた。そのときは「今の世代の人たちは知らないわねー。」と言われたのだが、それから考えていてくれたらしくしばらくして携帯(!)に先生から電話。そこで生まれて初めてForchertの名前を聞いた。
屋外で風が強くて、全然分からなくてつづりを何度も言ってもらった。
あるレッスンの時に先生はゴールドベルクのベートーベンのソナタのバイオリン譜をどっさりコピーして持ってきてくれた。
すごい量だった。コピーするだけでもすごい時間がかかったはず。
そんなことをたくさん思い出した。
よくしてもらったのになんとも恩知らずだった。
せめて年賀状でも出しておけばよかった。
自分のことばっかり考えていた。
これからのことばっかり考えていた。
そんなことを思う2008年の始まり。
2007年は無我夢中でラストスパートを突っ走ってゴールした年。
2008年は、その中で忘れていたことを思い出す年にしたい。
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