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2003年03月21日(金) 信じる

 
信じてだまされるのは、まことのものを疑うより、どれほど優っているだろう。



『出家とその弟子』倉田百三



2003年03月20日(木)

 
彼らのわたしに対するうそは、ちっともわたしを傷つけていないよ。
自分たちを傷つけているだけなんだよ。
いいかね、うそをつく人は、
ほかのだれよりも自分自身を傷つけているんだよ。


(ハイラム・スミス)



2003年03月19日(水) 決意

 
決意こそが、約束を現実に変えるのです。


(あるアメリカ雑誌広告−出典不詳)



2003年03月18日(火)

 
それはおまえ次第だよ。
どっちへ行きたいか分からなければ、
どっちの道へ行ったって大した違いはないさ。


『不思議の国のアリス』ルイス・キャロル



2003年03月17日(月) 罪人

 
健康な人には医者はいらない。
いるのは病人である。
わたしが来たのは、義人を招くためではなく、
罪人を招いて悔い改めさせるためである。


『新約聖書』(ルカ 5:31-32)



2003年03月16日(日) 興味

 
あなたが今何の職業で生計を立てているか、私には興味ない。
私が興味あるのは、あなたが切望しているもの、
あなたの心が熱望する夢に立ち向かう勇気があるかどうかである。


『誘い』オリア・マウンテン・ドリーマー



2003年03月15日(土) 新しい世界

 
新しい世界は外にあるのではありません。
自分の心の中にあるのです。
自分の内部に隠蔽されている不安や葛藤に気がつけば世界は開けるのです。


『ドロシーおばさんの大事なことに気づく』加藤締三



2003年03月14日(金) 強さ

 
わたしたちの強さは弱さから生まれる。


(エマソン)



2003年03月13日(木) 豆腐屋

 
僕は豆腐屋みたいなもんでね。


(小津安二郎)



2003年03月11日(火)

無理に何かをしようとしてはいけないよ。
人生をなすがままに解き放ってあげなさい。
神は毎日、何百万個の花を咲かせているよ。
つぼみに何の力も加えないで。


(ラジニシ)



2003年03月10日(月) 後ろ

 
振り向くな、振り向くな、後ろには夢がない。


(寺山修司)



2003年03月09日(日) 出来事

 
出来事が、きみの好きなように起こることを求めぬがいい。
むしろ、 出来事が、 起こるように起こることを望みたまえ。
そうすれば、きみは落ち着いて暮らせるだろう。


『要録』エピクテトス



2003年03月08日(土) 正しいこと

 
だって、正しいことが、害になることがあるでしょう。


『エレクトラ』ソポクレス



2003年03月07日(金) 絶望

 
絶望しているあなた、信じられないでしょうが、
あなたこそが、幸福に一番近いところにいるのです。


(小泉吉宏)



2003年03月06日(木)

 
要するに、本は必ずしも初めから終わりまで読む必要はない、ということである。
本の大部分は、そもそも読み通す価値がない、ということに気がついてから、
無用の挫折感から解放されるようになった。


『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本』立花隆



2003年03月05日(水) 安心

 
安心 ― それが人間の最も身近にいる敵である。


(シェークスピア)



2003年03月04日(火) 出逢い

 
人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。
しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に。



『心魂にひびく言葉』森信三



2003年03月03日(月) dive

 
怖いのはポンとボードを蹴っとばす一瞬だけ。
あとは体が勝手に落ちていくのです。
でも、ボードの上で躊躇していると、
迷っている間中怖い思いをしなければならない。


『自分をいかす人見失う人』マリ・クリスティーヌ



2003年03月01日(土) 愛の論理

 
恋とは、相手が持つ所有物(容姿・性格・才能・富・仕事・家柄などの属性)に価値を感じて、一時的に高揚する、「相手に受容されることや相手を支配することによって、相手と一体化したい」と願う感情である。

愛とは、自分という存在の価値認識と成長意欲から生まれるものであり、相手がただ存在してくれていることへの感謝ゆえに決断し、永続的な意思と洗練された能力によって実行しようと努力する、相手の幸福を願い成長を支援する行為である。

(1) 「相手」という言葉で表現するものは、「他者」だけでなく「自己」でもあり、さらに広い意味での「愛」は、人間以外の生命や自然、ひいては地球や宇宙などに対しても向けられる。

(2) 「愛」のエネルギー源は、自分という人間がいかに価値ある存在なのかという認識と、価値ある存在としてもっと成長したいという意欲とのふたつである。

(3) 「愛」の動機は、その相手が持つ所有物(容姿・性格・才能・富・仕事・家柄などの属性)に価値を感じるからではなく、「その相手がただそこに存在してくれている」という現象に価値を感じ、感謝するからでなくてはならない。

(4) 「愛」を実行するためには、ある時点で、「その相手を愛そう」という明確な決断を下さなければならない。

(5) 「愛」を実行するためには、永続的な意思が必要である。それは一時的な衝動ではなく、愛する相手に何が起きようとも「愛」を継続するという意思であり、たとえ相手が死んでもその精神(魂)への愛を永遠に継続するという意思でなくてはならない。

この意思には先天的なものと後天的なものがある。先天的なものとは、「愛したい、愛すベきである、という本能的な使命感」であり、後天的なものとは、生まれたあとで、自分で気づき、自分に与えた「愛したい、愛すベきである、という習得的な責任感」を言う。

(6) 「愛」を実行するためには、永続的な意思だけではなく、洗練された能力が必要である。

この能力には先天的なものと後天的なものがある。先天的なものとは、「このようにすれば愛することができる、という本能的な言動」であり、後天的なものとは「このようにすれば愛することができる、という習得的な技術」を言う。

(7) 「愛」が決断、意思、能力を伴うものであれば、私たちは、その実行のために、おしみなく「努力」しなければならない。

(8) 「愛」とは、相手の幸福を願い、同時に、相手の成長を支援するということである。

「幸福を願う」とは相手に必要な何かを「与えるということ」であり、奪うことではない。「成長を支援する」とは、愛する相手につねに激励のエネルギーを送り続けることに変わりはない。

(9) 「愛」は、決断、意思、能力に支えられた「行為」である。「恋」のような感情ではない。



『愛の論理』飯田史彦


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