あまつばめの雑記
こんばんは。いらっしゃいませ。

2002年05月31日(金) 5月末日

例年になく、雨と暑い日が多いように感じた5月も終わりです。
って、これを6月に書いていますから、終わっているのですが
軒下の燕の巣も、零れ落ちそうなくらいに育ったヒナは大きな口をあけ、親鳥に餌をねだっています。
何もしなくても季節は移ろいで行き、ぼんやりとしたまま雲の流れを見ていた、そんな1ヶ月間でした。

この下は泣きごといっていますので、見たい方のみ見てください。
今、強く思うのは、太陽がまぶしすぎることです。
憂鬱が激しくて、とめどなく笑ったり、何も考えずに膝を抱えていることが多くなっています。
疲れすぎて、自分を上手く表現できない。
自分が誰なのか、よくわからなくなってきている。

いま、心は谷のそこに落ちています。

狂っている自分と、倫理で凝り固まった自分が責め合って、普通なろうと苦しんでいる。
どちらかに身をゆだねれば、それはすぐに解決するけど、作りつづけていた自分が音たてて崩れていくのが分かりきっている。今までを無碍に捨てることのできな愚か者は、ただ苦しんで何かを見つけるまで血を吐きつづけなくてはいけない。いくら探しても正しい答は見つからない。答は人の数だけあって、他人に教えられた答はただの一面でしかないのだから。そうまでして何を求める?苦しくて、嫌になって、這いつくばって、そうまでして、何で普通になる方法を求めているのだろう。
何を書いているのかわからないほど、鬱になっている自分がいる。でも、このぐちゃぐちゃな自分も、どうでもよくて、好きなんだ。吐き気がするくらいに


照りつく太陽と、激しい川の流れ。むせ返るような緑の臭いに包まれながら、夏を待っています。光と影の間にはさまれている私でも、両方が濃くなるこの季節は待ってみたくなるものです。長雨の幕を抜ければ、ひまわりの季節。

生きていくにはつらい季節。
遊ぶには楽しすぎる季節。

元気に、なれるかな。
自分自身のこと、一番わからないのが、つらい



2002年05月30日(木) 上手な宣伝方法

新聞の中に入っている折り込み広告。
なぜかよくわからないが、家の新聞には同じものが2重3重に入っていることが多い。
今日のことだ。
新記録を樹立した。
その数7枚!
これだけたくさん来ると目について、ものすごく印象に残ってしまう。
もしかして・・・計画的に複数折り込んでいるのだろうか?

第一印象がしっかりしていると、なかなか忘れられなくなる。
例えば、入学式の日に目の前で車にはねられたF澤くんを、私は一生忘れることができないし、迷子で困っていたときに優しくしてくれたお姉さんの顔も、1度しか会っていないくてもしっかり覚えていた。
やはり、第一印象が大切なのだ。

7枚の広告は、たぶん家だけに配られたものだ。けれど、広告という意味合いで、何よりしっかりと役割を果たした紙であった。



2002年05月29日(水) 眼鏡ケース

必要はないのだけど、万が一のことを考えて持ち歩くものがある。
例えば絆創膏など、小さな子供が身近にいるのでなければ、使用期限が切れきれているのがわかるほど劣化してしまうことがある。それを見て
「しまった、使い損なった」
と悔やむことは、まず無い。使えないとわかっていても、捨てる場所に困って入れ直してしまうくらいだ。新しく入れておこうかなと考えはするのだが、きれいに忘れて、それでもイザという時がくること自体、まれなのである。

私は視力が悪い。
極度の近視と乱視だ。
眼鏡やコンタクトがないと、世の中の文字というものが存在しないかのように感じてしまう。
一日の内に眼鏡を外すのは、せいぜい寝るときぐらいのものだ。お風呂にだって眼鏡をかけて入る。そうでないと怖くて仕方がない。
そんな私の鞄の中に、いつも入っているものがある。
眼鏡ケースだ。
眼鏡を外して保管しておく、プラスティック製の小さな箱である。
これが使われることは、今のところなかった。これからも、2つ以上の眼鏡を所持しない限り使うことはない。
鞄の中で、結構じゃまな存在にもなりつつ、それでも毎日入れている。
いったい、何がそうしているのだろうか。
使うことがないのはわかっているくせに、毎日鞄に入れるケース。いったい、何を期待しているのだろうか。

………だったら試してみようではないか。
とりあえず、ケースを持っていないと、何が不便なのか知るために家に置いてきた。
今日という日が終わって感じたのは、鞄が妙に寂しく感じたことだ。
あれだけ邪魔者も、いなくなると寂しいものがある。
全く、わがままだ。
使いもしないケースを、無ければないで寂しがるのだから。

まあ、私の中で意義を持たせてやるのも悪くはない。
よし。
『使わないこと』に意義を持たせてみよう。あるだけで安心できるものを。

他人から見れば無駄なこと。
だからこそ、持っているのだ。眼鏡ケースを。



2002年05月28日(火) 方言は苦手なのでつっこまないで下さい

『生ぬるい』
朗らかにこの言葉を言う人はいない。たいてい怒っている。
いったい、何がぬるいのだろう?
怒るほどぬるいと困るものは何だろう?

単純に考えるとぬるいものは液体だ。
ぬるい「茶」や「風呂」は悪い意味でよく聞くが、「ごはん」や「コンクリートブロック」のように固体では聞かない。空間もそうだ。「2LDK家賃9万円」「家族全員が入った後の風呂場」これらを「ぬるい」と聞いたことがない。聞いたとしても「ぬくもり」という単語で良い意味でとらえることがほとんどだ。手厳しく怒っている相手はそんなものを対象にはしない。

液体だ。
ぬるいものは液体でなくてはいけない。
そして、考える。
「生」の液体とは何だろうか?

まずは水だ。
生水は飲むと当たる。それを考えると生ではいけない。生ぬるいと怒るのも当然だ。

次にビールだ。
店で出てきたビールがぬるかったら客は怒る。少しおいておくとビンの周りが結露して白く曇るくらいに冷やしておかなくては。これは冷やしてこそ価値がある。

ジュースだって生だ。
天然果汁の生ジュースはおいしい。
しかし、これは氷を入れてしまったら薄まってしまう。かといってそのまま冷やしたら、できたてのおいしさは損なわれる。本当の生を望んだらそれほど冷えたものではない。これはぬるくても許容範囲ではないか?
ジュースではなかった。

生たまごはどうだ。
あれだってかき混ぜれば液体になる。
ぬるいたまごを手にしてみると、何となく不安にならないか?
「もしかしたら半分ひよこだったりして…」
すごく気にかかる。割ったらひよこが出てくるのだ。やけに気にかかってしまう。でも、怒る気にはならず、「やられた」と笑ってしまいそうだ。
たまごではいけない。

風呂ではどうだ。
江戸っ子は煮えたぎりそうな湯を好む。真っ赤になりながら「けっ、まだまだぬるいくらいだ。もっと湯、足してくんねぃ」などと強がりをいってのぼせてこそ、江戸っ子だ。
ぬるければぬるいほど、よけいにあつくなる。
「バカヤロウ、なんだ、このぬるい湯は」
「あら、いやだ。おまえさん知らないの?ちまたじゃあ、半身浴て言って体に良いのよ」
「バカヤロウ、江戸っ子がこんなぬるい湯にはいれっか」
「あら、じゃあ今度からあなたがいれてくれるかしら、お・ふ・ろ」
最近のお風呂では勝てない。
そもそも生風呂なんてものはないからだめか。

レンジで暖めたものならどうだ。
外側の一部が沸騰するほど熱いのに、中が冷蔵庫から取り出したばかりのように冷たい。
明と暗のコントラストがか織りなす『生ぬるい』というハーモニー。
問答無用なくらいだめである。



口に出して言ってみる。
「なまぬるい」
全身から力が抜けていくような気がしないか?
なんとなく語尾を延ばして
「なまぬりー」
と発音してみたくなる。別に「なまぬりゃー」でも「なまぬるかってん」でも大丈夫だ。

調べるほどに意味を考えてしまう言葉だ。
どうしてこんなにひきつける言葉なのだろう。
もしかして、使っている人たちに何にか優越感を与える不思議な言葉だ。
ぜひ使っている人に、何がぬるいのか聞いてみたい。

「何が生でぬるいのですか?」
「はっ?何よけいなこと考えているんだ」

怒気混じりに言葉をたたきつけられた。
わかりもしない言葉を使おうとは、本当に私は『生ぬるい』。



2002年05月27日(月) 異常ない

予想通りのセリフ。
ただの疲れと判断された。
むしろ日焼けのあとのほうが痛々しく、皮膚科を紹介されかけた。

肩から感じるのは幻。
そう言い聞かせ、やっぱり現実にある不思議。

『自分の体は自分が一番知っている』
嘘だね。そんなこと。
何となくわかっているような気がするだけで、
何一つわかっていないようだ。

機械のようにパーツ交換をしたいと願う。
それは怖いと肉が叫ぶ。
矛盾した、よくわからない心と体。
それが、私。



2002年05月26日(日) 月・星そして雷

今宵は月がきれいだ。
だからなんだといわれると困るのだが、まあキレイなのだ。

こんばんは、あまつばめです。
日光浴を楽しみつつ、川原でサギが魚を獲るところを見ていました。
上手いものですね、さすがに。
急流の中にくちばしを差し込むと、しっかりとつかまえている姿。
人間は竿やモリを使わないといけないのに。
簡単に見えて、怠惰な人間にはできないことなのでしょう。

月を眺めることも、立ったままだとつらいです。
駐車場に車をとめ、シートを倒して月を眺めていました。
左方面に満ちた月が雲にかかりながら浮かんでいて、周りには星も見えていました。
でも、不思議なこともあります。
右の空には、星が見えず、暗雲から雷が光っているのです。

2つが同時に見れることって、たぶん数えるくらいしかないでしょう。
晴れの日も、雨の日も、それなりの楽しみ方があるものです。
ただぼんやりと眺めながら、きれいだな〜ってのんきに考え、しばらくぼうっとしている私でした。


雑学
雨の日というのは1ミリ以上の降雨があった日で、
晴れの日というのは日照時間が40%以上の日だったと思います。
雨が降っても日照時間さえ長ければ、その日1日は
雨の日と晴れの日
という2度おいしい日になるそうです。



2002年05月25日(土) 忘れることは大事なこと

何かの本で読んだこと。
人間は『思い出せない』という立派な才能をもっているのだと。
全てのことを憶えていて、決して忘れることはない。ただ、思い出し方を知らないだけ。生まれてから今の現在まで、全ての記憶がつながっている。
でも、細かいことを思い出せないだけ。

チャットで書き込んだ文章はしばらく残っている。
読み返してみると、自分が案外ひどい人間だと自覚してしまう。

本心だけど、こんなに傷つけるような言葉をなぜ選んでしまったのか?
もっと、気づかってやれなかったのか?
偽悪的な言葉に酔っていない?

打った瞬間、心の中の言葉を思い出せないでいる。
形作るまでの間に思い出せなくなっている。
どうしよう。
3歩歩くより先に思い出せないなんて、鶏未満じゃないか。
そんな悔やんだことも、明日になれば思い出せない。
それは、いつまでも引きずってはいけないから…



2002年05月24日(金) 痺れる右手、痛む首

ここのところ、右手が痺れるように痛い。
首筋から親指の先まで、痺れるような太いスジを感じる。

仕事帰りの夜空を見上げるのがつらい。
ただ空を見上げるだけで、首筋に鈍い痛みが広がる。
痛みが親指の先まで広がって、しばらく消えることはない。
ワタシハウエヲノゾムコトスラユルサレナイノ?
大きく見える月も、少しの雲で隠れてしまう。
ただ見上げ、「月を隠さないで」とつぶやいて、
下を向いて歩き出す。
月曜に休みをとった。病院に行って診てもらおう



2002年05月23日(木) むか〜し、むかし・・・

大人もぞっとする 原典『日本昔ばなし』(著:由良弥生 三笠書房)を読み終えた。
昔話を読んでみると、意外に気づくことが多い。
「知っている話と、微妙に違う」と。
「食わず女房」という話が、二口女だったり山姥だったり蛇だったり、そう記憶していたのに、この本では蜘蛛だった。
「姥捨て山」の主人公は独身ではなかったか?
その他色々、原典としている話は同じようだが、微妙に違う。そこがまた、地方性がでていて面白いのだ。

昔話というと、子供を寝かしつけるまでに話すもので、特に考えなくても『桃太郎』『浦島太郎』などは語れるものだ。
何べんも聞いたということもあるだろうが、やっぱりそこには不変の軸、教訓となるものが存在して、わかりやすく教えているからだろう。

自分が知っている話。
当たり前のような簡単な話。
もう一度、原典を読んでみるのも面白い。
以外に、忘れていたものに気がつくかもしれない。



2002年05月22日(水) 無題

人にも翼がある
はばたき方を知らず ただ がむしゃらに 動かすだけの翼


空は  あんなに広く
雲は  あんなに遠く
星は  あんなに静かに
太陽は こんなにも熱く

変わらず そこに存在する


人の翼はブザマに動く
求めるものも知らず ただ がむしゃらに はばたいている



人は どこにでも行ける

空は 飛べないけど
翼は 醜いけど
何も 知らないから

ホントダヨ ホントナンダヨ…



2002年05月21日(火) 季節はずれの花

私信
月曜日のことで申し訳ないのですが、カーネーションをいただきました。
それも100本。
赤と白、桃色を20本ほど束にして飾ると、殺風景な景色も艶やかになりました。
〇〇さん。
お礼が遅くなりましたが、ありがとうございました。

ここから日記です
〇〇さんは花の生産者なのですが、毎年花をいただきます。
蘭やシクラメン、ポインセチア(これは花じゃないですね)そして、カーネーションを、今までにいただきました。

全部に言えるのは季節が過ぎた、商品としては価値が薄いもの。ただし、何の落ち度もない花たちです。

季節はずれのことですが、クリスマスの時のイチゴはものすごい高値になります。
農家はそれに合わせて苗を冷蔵庫に入れたり、温室で暖房を焚いたりします。
それだけの価値があるのですが、でも、植物も生き物です。計算どおりに実をつけてくれはしないので、早すぎ、遅すぎが出ざるを得ません。

まだ売れるものは別として、ほとんど価値がなくなってしまうものは捨てられてしまうのです。
少し日時がずれただけなのに…

華やかに飾られているその裏で、いくつもの廃棄されるものたちがいること。
飾られる花を見るたびに、心の隅に書き留めておきたいです。



2002年05月20日(月) 鯛焼きもって出かけよう(違)

ビワの青い実も黄色く色づき、夏の足音が近づいてきます。

毎年、5月20日になると、地元は急ににぎやかになります。
鮎釣りの解禁日、です。
普段は寂れて田舎町も、この日だけは人・ヒト・ひとの群れ。
平日だというのに、どうしてこんなに集まるかは不明です。
天気予報は「曇、ところにより雨」だそうです。
気怠い中、仕事に向かう途中の私から呪詛歓待の言葉を。
釣りなんか大嫌いだ〜
大漁になりますように

それにしても、メディアは一斉に「全国の太公望が〜」と放送しています。
そんなに釣り好きだったわけではないのに、太公望。
針のない仕掛けを垂らしていただけなのに。
魚じゃなくて人をツッてばかりなのに
大公が望んだ才人という意味のあだ名なのに
(本名は「きょうしが」漢字は忘れた(笑))

恐るべし、太公望。
それにしても、今年は例年に比べて気温、水温共に低いそうです。
そうなると鮎の活性は弱く、釣果があまりあがらないそうで、
まさしく、つれないのは太公望状態

仕事帰りに雨が降っていることに気がつきました。
軽くガッツポーズを取ってつぶやきました。

『ところによっちゃったのね』

以上、雨好き釣り嫌いの言葉でした。



2002年05月19日(日) 無料の情報はない

最近、チャットにはまって寝不足気味です。
ネット中毒とはこのことでしょうか。


チャット中にオンラインゲームのことを放送していた。
チャット中の一人に勧められたゲームだ。
さっそくテレビでやっていることを伝える。
集まる仲間が仲間だから、ほとんどの人が耳をかたむけたようだ。

激しい部分だけ抜き出してみた

『韓国 魔性のゲーム』
『現実でも殺人が!』
『妻を殺す気!?』


悪意があるとしか思えない放送振りである。

放送は、一見すると正しいことしか放送していないように見える。
独自の倫理規定を元にしているから、一部を除いて間違ってはいない。
でも、NHKが受信料をとるように、全ての放送には見ているものに対価を求めている。
スポンサー会社の商品に購買意欲をそそらせるようにするのだ。
そのためには見てもらわなくてはならない。

良い悪いがあったら一方しか強調しない。

見ている人は思ってしまうだろう。これは良い(悪い)ものだと。
まるで自分が判断したかのように。



世の中はね、


僕が思っているほど良い人ばかりじゃないけど、
君が思っているほど悪い人ばかりでもないんだ。


本当に全てを見ていない限り、決め付けられないんだよ。

テレビの情報を鵜呑みにして知識人気取ったり、他人を評論しているだけなら、誰だってできることに気がついてよ。
一方的な代替わりしてもらった情報なんかで、全部を得られるわけはないのに。
世の中の評価というのは一つの目安で、それが自分にどう位置付けるか。
そうやって考えることが大事なんだと。



2002年05月18日(土) タグの練習

練習
練習
練習
練習
回も書くことではありませんがHPのためタグの勉強中です。
…ようやく手を付けはじめました、HP。
最も、構図などは考えていないので、できるのはいつのことやら。

さっさと作れ、私。

正月に立てた目標は、今のところ何一つ達成できておりません。
ヘタレヘタレです。
作成ソフトを使ったほうがいいかな?



2002年05月15日(水) つながれた猫・抱かれた犬

こんばんは、欽ちゃん走りで靴おれをおこしたあまつばめです。

朝方に首輪にリードをつけて散歩させられている猫をみます。
とても歩きづらそうに見えます。

夕方は夕方で、犬を抱いたまま散歩する人を見かけます。
犬にとって、何か意味があるのでしょうか?


飼い主にとっては愛情でも、犬猫の顔を見ると、嫌そうに思えます。
いい迷惑です。

ペットは家族で、おもちゃではないのですから。
そういいつつも、法律上ではペットはモノ扱いなのですよね。

ペットだけにはなりたくないと思ってしまいました。



2002年05月14日(火) 気分は世界新

一心不乱に欽ちゃん走りをする人たち。
その姿、乱れることなく。

うにょ〜、あまつばめです。
・・・うにょ〜って何でしょうか?(笑)

ファイブミニのCMです。
ルームランナーの上をそろって走る人たち。それを見てあざけ笑う女優。
女優の方が間抜けに見える私です。
こういうのは、『数の暴力』ってだからでしょうか。

間違っていることを、何の恥じらいもなく、かつ、集団でやっていると、不思議とそれが正しいことのような気になってきます。
数は、ただ多いだけで一つの力となっていて、たいてい暴走します。
たとえば、赤信号であっても、200人ぐらいでねり歩いてしまえば、何かのイベントと思って素通ししてしまうでしょう。
でも、それは、素に帰ったときに重くのしかかります。

CMに出ていた人が、一人寂しい部屋で自分の姿を見てしまったら、どのくらい恥ずかしいのでしょうか?
「いや、あれは仕事だから」と言い切ろうとする片隅で、どこか喜んでいる自分も感じてしまう。
「(実は望んで走っていたのではないか?)」
ちょっとした疑惑が生まれる。
CMが流れるたびに、その疑惑はふくらんでいく。
風船に空気を送り続けるようにふくらんでいく。
ふくらむ。
ふくらみきって、最後にはじける。

「僕は欽ちゃん走りの人だ」


まあ、たぶん、そんなことはないでしょうが、あの走り方が人間力学的に最も早い走り方だったりしたらどうなるのでしょうか?

オリンピックの100M走でクラウティングスタイルから、号砲と共に走り出す風たち。
深い一呼吸の間に終わる勝負。
駆け抜けた後に出たタイムは、8秒台。
アナウンサーは興奮気味に中継する。

「出ました!夢の、夢の、欽ちゃん走りで8秒台〜〜!!」

・・・夢は夢でも、悪夢です。
そんな悪夢を夢想しながら走ってみることにしました。
バス停から家までの道路。100Mくらいでほんの少し上り坂。
人がいないことを確認し、おもむろに走り出す。

欽ちゃん走りで。

玄関先まで駆け、床に汗が流れ落ちる。
やってしまった。
高揚と背徳を混ぜ合わせた不思議な感覚だった。
知り合いに見られたらきっとこういわれるだろう。
「疲れているな」
間抜けな汗が噴き出る、湿気の多い夜だった。



2002年05月13日(月) 掌の会話

4月から、駅のホームで見かける二人の子供がいる。
小学校の低学年ぐらいの男の子と女の子。
いつも、女の子が先にきて、ホームで男の子を待っている。
それだけ見れば、どこにでもある穏やかな風景。
でも、たった一つだけ、それは違っていた。


こんばんは、あまつばめです。
通勤中の一風景のお話です。


その2人に気がついたのは4月のはじめです。
つい、目で追ってしまうその子には、ある理由があります。
男の子と女の子が意思を伝え合う時、互いに言葉を使いません。
言葉が喋れないもしくは、耳が聞こえないようです。

手話での会話。
ただの意思疎通をしているだけで、この子たちにとってしっかりとした言葉でしかないでしょう。
でも、手話はわかりません。

英語なら、聞いたことある単語が出てくることもあり、(何となく)わかることもあります。
でも、手話はわかりません。
どこに行けば手話がわかるのかさえも知りません。

別に、この子達と話すこともないですし、身近には手話を必要とする人はいません。
そして思うのです。
興味だけで手話を知りたいと。


ただの好奇心で知りたい。
他人が使っているから、知らない自分が損をしている。
そんな気持ちで願うこと、それは、いけないことなのでしょうか?

よくわかりません。



2002年05月12日(日) 朝はあんなにがんばるのに

眠いです。
もう、べらんべえに。
どんなに眠いのかよくわからないほどに眠いです。

こんばんは、あまつばめです。
麺棒で伸ばされるようにフトンに倒れこんでます。
幸せだけど頭痛で気持ち悪いです。

結局、朝の7時くらいに横になったのですが、気がついたら笑点が終わる時間になっていました。
2日分、たっぷりと寝てしまいました。

こんな寝ボケを起こしたのは、家のどこかで鳴っている目覚し時計でした。

24時間の時計でない限り、『6時』という時間は1日に2回きます。
目覚し時計の大半が、1日に12時間を2回繰り返すカタチの簡素なものです。
ということですよ、止めておかなかった目覚ましは、12時間後にもう一度鳴っているのですね。


朝が早い家で、目覚ましが5時にセットしてあって、
止め忘れの日は御近所に響きまくっている。


夕暮れに鳴くカラスのように力が抜けてきます。
それを御当人が聞いたら行き所のない笑いが溢れてきます。

いい加減に止めようと起き上がると、音が止みました。
ちっ
からかわれたような目覚めを味わいました。
どこの時計だったのやら?



2002年05月11日(土) 久しぶりの歌

寝不足のためか、1日を呆然と過ごしていました。
頭の中の78%を眠らせて反射のみで1日を過ごす。
読み返した本を逆さに開き、ただ惰性でページをめくる。
端から見ればマヌケで、本人はそれも気づかないくらいマヌケな時間を延々と過ごしました。

こんばんは、あまつばめです。
寝ぼけっぷりたっぷりです。
予定してない徹夜ではこんなのもしょうがないです。
昼間の記憶がないのですが、家族曰く、そんなことやっていたそうです。

今日は早く寝ようと思いつつ、惰性でテレビをつけていました。
普段は見ない番組に、『永井さん』が出ているじゃないですか。
一瞬で目がさえてしまいました。

えっ?しかもミニライブ!
お友だち?『辛島さん』!

わーわーわー

真夜中だというのにはしゃいでしまいました。
両方ファンなんです。
力強いエネルギッシュな『永井さん』と、澄んだグラスを弾くような『辛島さん』の声が…もう、至福の夜です。

それにしても、共演するのは初めてだったのですね。
同じ歌も歌ってますし、最初のレコード会社が同じでしたから共演していると思っていました。

嬉しいです。
興奮して眠気がどこか行ってしまいました。
古いCDをいくつも出して、朝まで聞いてしまいました。

妙なほどにハイテンションです。
次の日に来なければよいのですが。
(書いているのは次の日なので、結果は出てます)

それにしても、2人とも何歳なのでしょうか?
知ってはいますが、外見がそう見えません。
まあ、ファンの目が足されてますので正しくないけど、私より少し上に見えました。
芸能人って、年のとり方が遅いのかな?
汚されない夢みたいで嬉しいですからOKです。



2002年05月09日(木) 信号待ちにて

眼の前に横断歩道がある。
歩行者用の信号は、赤い色。
1車線しかないから。
何人も、何人も、気にせず歩いている。


どうしてだろう。
そのほとんどが笑っている。

楽しいの?
おかしいの?
優越感に浸っているの?

私には、渇いた笑いにしか見えない。


私は立ち止まっている。川の流れを乱す岩みたいに。
笑顔が変わる。
迷惑そうに私をにらむ。

怒鳴ろうが、
叫ぼうが、
集団で来ようが、

道をあけるつもりなどないのに。
威嚇するようににらみつける。


浮き上がる気持ちはなんだろう。
怒り、そして、羨望。

赤信号は渡らないのじゃない。
渡れないのだ。
渡ってよくても、私には渡れない。
できないことを平気でやれる人間。
嫌悪とあこがれの反する感情を抱く。

そんな気持ちは止まっている人だけ。
急ぎ足の人に、考えてる余裕なんて…

気づくほど、自分が嫌になる。



赤信号。
ただ、立ち止まり、考えていた。
青になり、音楽が流れるまで。



2002年05月08日(水) スープ

鶏肉とえのきにタマネギ、ショウガ。
ことこと3時間煮込むその横で、ゆっくりと本を読む至福の時間。


こんばんは、あまつばめです。
帰宅したのが9時近かったのですが、のんびりとスープなんぞ作ってみましたよ。
インスタントを使えば20秒でできる品なのですが、それを3時間かけて作るのが、また楽しいもので。
無為に流してるけど無駄ではない時間。
においと共にのんびりと流れてるのがまた…

できあがりもなかなか上出来でした。
ただ、これを豆腐のポタージュ作るためのダシでしかないのですよね。
水を切った豆腐と混ぜてミキサーをかけて、温かいか冷たいかはお好みで。
結局、朝出して飲んだのが自分だけ。
たっぷりとつくっておいたのに。しまったなあ。
完全に趣味の満喫だから良いですけど。



2002年05月07日(火) 銀の席討論

〔優先〕→ほかよりも先にあつかうこと。先におこなうこと。
     「高齢者を――する」
           <参考:三省堂 現代国語辞典より>


こんばんは、あまつばめです。
帰りがけに降り出した雨は、夜がふけるに連れてにぎやかになっていきます。
トタンを叩く音が急に強くなるので、窓を開けずとも気がつくくらいに。

バスの中で小学校以来の友人Kと熱い会話をしてしまいました。
なぜかシルバーシートの話です。


私「東海道線の電車ってさ、シルバーシートが連結部そばにあるじゃん」

K「うんうん」

私「あれって意味ないね」

K「そうだね、
  ちょっと混雑してるとそこまでいけないよね」

私「そこまで来れるなら席を譲るのも失礼だろうし、」

K「譲るべき人はそこまで来るのが大変だからね」

私「東京だとドアのそばになったと思うよ」

K「そうするべきだよね。
  そういえば、この間シルバーシートで寝ている人がいてさ、

私「ふんふん」

K「そこにおばあさんが来て
  『あんた、何そんなとこで寝てんのよ。
   そこは私たちの席よ』
  って怒鳴ってたよ」

私「…それって絶対違うよね
  シルバーシートって『優先』であって『専用』じゃないよ」

K「『優先』って言ってあいているのに座らないのとよけいに混むもんね」

私「ここ(静岡県)ってマナーが最悪の部類だもんね。
  外(県外)で生活したから気がついたけど、
  中(静岡)にいたらそれが当然って思うのが恥ずかしいよ」


こんな感じで30分近く討論(小声)していました。

いつもならオタク話に花咲かせるのに…
休み明けでどこかおかしくなっていますね。
今日はゆっくり寝ることとします。おやすみなさいませ。



2002年05月06日(月) プチなリフォーム

朝早くから部屋掃除にばたばた。
昼寝したとはいえ、9時近くまでかかってしまうとは。
相変わらず手ぎわ悪いのう、私。

こんばんは。
掃除をして片付いたはずなのに、部屋が狭く感じるあまつばめです。

今日で終わりですね、連休。
振り返ってもたいしたことやっていません。
それ以上に体の所々が痛いのはしっかり休んでいない証拠ですか?
人生をムダに浪費しているようです。
垂れ流すような無駄な時間。
なんと言う人生やら。
まあ、いいですか。本をたっぷり読みましたから。


連休中にリフォーム関係の番組が多かった気がします。
母など食い入るように見てました。

確かに真新しい家は無理でも、今までと違う家にしたいという気持ちもあるのでしょう。
フローリングにして、部屋を広くして、淡い色で塗りまくって…
でも、リフォーム後より前のほうが生活感があって落ち着く気がします。
こざっぱりした部屋だと居場所が感じられないひねくれものですので。
ダメですね、自分。

母へ。
リフォームより居間のホリゴタツを復活させてください。
子供より



2002年05月05日(日) ものふけったりしてた←帰りの電車

本日は東京へ出かける予定だった。
……うぁ、3時間も寝過ごした。
間に合うのかな、時間中に。


こんばんは、あまつばめです。
7時の電車だったのに9時過ぎに目が覚めるとは…
食事もとらずに駆け出しました。
おかげで(時間ぎりぎりですけど)間に合いましたよ。

時間は流れ、
帰る電車の窓から道路を眺めていると
ライトが壊れた車を1台追い越しました。
続いて5分もおかずにもう1台…
こういうは運転手自信、気がついているのですかね。
思い返すと免許取得時に乗車前の点検と安全確認をしつこいほどしていましたが、現実にやっている人は見たことないですね。
それでは無理もないですね。
さもあらず。
何のための講習だったのだろうかと考えてしまうもの。


電車も長くのっていると大きな駅では車掌さんが変わります。
印象に残ったのが2人の車掌さん。
ともに若くて、おそらく成り立てです。
制服にハリがあって疲れが見られません。
何が気になったのかというと、体の大きさ。
ものすごい小さい人と大きな人。
どのくらいかといいますと、電車内での通路(ボックス席の間)を

小さいほうは簡単にすれ違えそう。
大きいほうはジャストフィット。

両極端な車掌さんですねぇ。
まだすれていないせいか、どこのなく偽者っぽい。いや、本物のはずなんですけどね。
どのくらい通路を往復したらそんな感じがなくなるのでしょうかね。
走れ大小の車掌さん(偽)。
いつか本物になる日まで。(笑



2002年05月04日(土) 悩みつつも

むう。
連休に入ってから日記をサボるとは、まったくもっていい加減なやつじゃ。
そんな輩にはこうじゃ、

えぃ


こんばんは、あまつばめです。
上のとおり、バチがあたったのかは不明ですが、腰が痛いです。

部屋も汚れてるから連休中に・・・と思いつつ、ますます本を読み散らかして汚しております。
なんでかな、こういう時ほど本が面白かったりする。

明日は東京に出かけてきます。
くぅ、ますます片付かないな。
キレイになる日はいつのことやら。



2002年05月01日(水) 平等

平等って何のことだろうね。
隣と同じ服を着て同じものを食べることなら、私はいらないよ。
自分で手に入れたものじゃない与えられた服が趣味悪かったらどうするの?無理に着せられるのなんか耐えられない。
こってり脂ぎった肉を食べて、太りたいとは思わない。今のスタイルを自分の意志で保っていたい。
平等って嫌いだよ。
逃げ言葉にして自分から階段を踏みしめないのに上行く人を引き落として喜んでいる。
『何をしたって変わらない』
ちがうよ、まだ何もしていないんだよ。
望むものの大きさを見ないで何を言うのだろう。
小さな入り口しか作らなくちゃ入らないのは当たり前。広げられる入り口の前で言い訳を考えて気がついていない。
『欲しかったのはそんなに簡単に手に入るもの?
 結果が欲しいのなら簡単なことだけやって満足してれば?
 まだまだ戦えるくせに戦わないのは平等なの?』

最初から持っていたはずよ。
あなたのいう平等ってものは。
ただ気がつかずに落としたり、なくしたり、あげちゃったりしているの。それも、自分の意志でね。
誰もが最初に持っていたのは・・・


 < 過去  目次  未来 >


あまつばめ [MAIL]

My追加