ふつうっぽい日記
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2011年01月26日(水) 文化としての家族環境

文化として自分の育ってきた家族の環境を結果として客観視できる機会。
それは「実家」から距離を置くことだと考える。

血縁関係のなかった他人とこれまで生活をしていた「家」から離れ新たに生活をしていく中でふとしたときに「実家」の「珍しさ」を客観視できると思われる。
それは、「結婚」という形を取らなくてもおそらく分かるのではないかと思う。
もしかしたら、他人と暮らすことは条件には含まれず、他人に邪魔されず、一人で洞察することができる空間が保たれるのなら、いいところ、悪いところが純粋に分かるのかも知れない。

自分以外の他人と生活をしていくと、その他人の文化とも関わることになるため、一人でいる時にはない抵抗や受容、妥協を体験することになる。その体験が苦痛である、馴染むのに時間がかかる場合、かつて自分が所属していた「家」と比べて「いいところ」「悪いところ」が極端に意識されてしまうのかもしれない。自然な流れとしてその極端な思考に振り回されない穏やかな手助けのような存在になるのがもとは他人であった二人の間に織りなされた結果ともいえるかもしれない「子ども」なのかなと思った。ただ「自然な流れ」といっても、それは厳密には「奇跡」に近いタイミングに影響されるもので、タイミングが合ったうえで行動した結果であって主体性をもって行動する動物としての人間の機能の状態も重要な要素となる。
機能の状態が病的な要因によって制限されているという結果がはっきりしている場合もあれば結果が分からない場合もある。そして、病的な要因を追求していこうとする気持ちの度合いもそれぞれの文化によって違うものである。
にもかかわらず、ある型に分類して語られることも多い。
おそらくこれをステレオタイプというのであろう。


こういうことを聞く。「ああ」と、おそらく共通理解されやすい場面だと思うエピソード。

「私の子ども時代は経済的なゆとりがなかったのでせめて子どもには充分な教育を受けさせてやりたい」

それは初等教育である幼稚園であったり高等教育である大学や大学院であったりする。

自分の果たすことができなかった夢、行きたくても行けなかった思いを受け継いで自分に変わって叶えてほしいと思う気持ちもあるのではないかと推測する。
それが自然な流れで進められる場合もあるだろうし、達成されないこともあるはずだ。
そこではその親が子どもであった時の記憶と親の姿が喚起されると思われる。
「権威像」が立ちはだかるというのだろうか。

達成されそうではあるがそれに経済的な状況が迫ってきた時、それを子どもに分からないように陰ながら努力苦労していくことが出来る場合もあれば、あからさまに子どもに訴える場合や、不満を思いがけず立ち聞きされてしまう場合もあるのだ。

そして、達成された時というのはその親の未知の社会を子どもが知ってしまうことに繋がるのであり、次の段階としてそれをいかに受容し、支えていくかというのがテーマとなる。


私のことに関して言えば、教育系の課程に進学した。
これは両親の「達成」であると思われた。
だが、今思えば、ずいぶんと偏っているなと思うが、私学はお金がかかると言いながらも「遠くの国立より近くの私立」という強い方針があり、手元に置いておきたい気持ちが強かったと思われた。私に強い独立心、自立心や欲求があればあえて遠方の大学のみを受験して説得を促してみるということをしたかもしれない。
近隣に学習環境がないのが当然である、たとえば「島」に住んでいれば実家から離れるのが当たり前となるだろう。結果として自立心のようなものは早い段階で獲得されると思われる。親として巣立たせる側にも遠くで見守る力というのが発達していくのだろうと思われる。


子どもが実家を巣立っていってから、見守りの対象が物理的に離れていった後、再び「権威像」と対峙する時がやってくると思われた。

かつて達成していく主体とともに歩んできた立場からの離脱である段階であるので「自然な流れ」なのかもしれない。

妬みの気持ちを抱くこともあるだろう。

例えば「贅沢な家に住みやがって」「また車買い替えたのか」

別個の存在、離れていった別の人格である個体として認める過程では客観的には歪んだ(ひねくれた)セリフを発するのだろうと私が思えるようになったのは最近のことである。
そして、その過程では「張り合う」ということをすることもあるようだ。


私の中ではその過程で「張り合わなくていいのに。そんな時間やお金があるのなら、自分を労ってほしい」という気持ちを抱いた。
例えば借金してまで、心身を壊してまで張り合うような偏った過剰な行動が確認されなければ、その人生を見守ってやるくらいな距離で関わればいいのだろうと私の気持ちは変容していった。


自分が変われば周りの見方も変わり、やがて周りからの関わりも変わっていくのだろう。
いいことであってもわるいことであっても。


2011年01月24日(月) 「お帰りなさい」

年賀状には多くの人から「お帰りなさい」というメッセージがあった。
実は正直、複雑であり「ただいま!」と素直に反応できない自分が私にはあった。

周りの人々には「戻ってきた」という印象が強いらしい。

ある定位置があって、そこを基点として移動している、またはこれまで移動してきたことへのねぎらいに受け取るのはおそらく狭い視点なのだろう。
狭い視点にとどまっていると、気分は不愉快になっていく。


また、「やっぱり、福岡がいいでしょう」となるとそこではない土地で過ごした日々を否定されているかのような不愉快な気持ちも喚起される。
これもまた、狭い視点にその言葉を受け取る私が立っているからそうなるだけだ。

不愉快な気持ちであるという意識(自覚)があって、また、不愉快な気持ちから脱したいと思えば、まずは不愉快な気持ちになっても当然だと冷静に受け止め、そして「そんなことより」と通過させて、これからの楽しみや喜びにワクワクすればいいのだ。

実際に動いていない他者(誰か)は想像で「私だったら」との仮説でその時漠然と、適当に相づち的な言葉を発しただけで、他者もまたもうその話題にはたいして重要性など抱いておらず、「そんなことより、来月どこにランチに行く?」みたいな気持ちに移り変わっているものだろう。

滞っていても、または、それを議論してもあまり意味がないことに決着をつけるのは(話題を変えるのは)その出来事に近い人間からであるほうが自然に目の前のことが流れていくのかも知れない。


年末の引っ越しは、初めてであり、時期が時期であるだけに新住所の知らせは年賀状で通知すればいいと思うのは共通理解してもらえる範囲だろうと思っている(私は)
何人かの人には少し前もって新住所を伝えておいた。
よって、その何人か以外の人たちは私が新しい住所になったことを知らされない状態で当たり前のように旧住所に郵便物を送ることになる。
当たり前である。

「前の住所に送ってしまってごめんなさい」と反応を伝えてきた人がいた。

思いがけず、謝らせてしまう状況となり私が今度は「ごめんなさい」と言わないといけないような気持ちになる。

その人がたまたま後輩である立場であったゆえに、私はカジュアルに伝えた。
前の住所に郵送してしまうのは当たり前であって、貴女は何も悪くはないこと。
そして、転送届け手続きもちゃんとしているので大丈夫であること。

お互いに不愉快な気持ち、詫びないとならない気持ちから解放される気持ちを持てた時、話題はいい感じでずれて行く様だ。

後輩はただいま妊娠中であることや上の子の就学でいろいろと慌ただしい状況であることを伝えた上で、私に今まで連絡を取っていなかったことに詫びてきた。

「なんだか申し訳ない」気持ちが彼女にはいろいろと漂っているらしかったが、私の中では「とにもかくにもこうやって繋がってくれたこと(反応をくれたこと)がただただ嬉しい」という気持ちで満たされて、「嬉しかった」と伝えた。

すると、「これからはちょくちょくメールすると思います♪」と空気がほぐれたような弛んだような雰囲気になった(と私は感じた)

妊娠や就学という状態は「大変」ではあるのだろうなとは思うが、「いろいろと大変だろうけど頑張ってね」という言葉はあえて避けた。
おそらく、たとえ同じ経験をしてきた(妊娠経験、子どもの就学に関わってきた)としても、大変さを共有したいから状況を伝えてきた訳ではないのであるし、彼女も私の状況(家族構成)を知っているので期待をしている訳ではないのだ。

「見守っているからね♪」とくくって、そのやりとりはひとまず一段落。

環境としての大人、人間という広い視点に立てたコミュニケーションをすることができて、冷静らしい自分の状況に安心した今日この頃である。


KAZU |MAIL