ふつうっぽい日記
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2009年05月31日(日) 5月末に思っていたことを振り返っても今日は今日(6/1)

月一更新はやろう!

そう思っていながら、本当は今日は6月1日です。
この日記は便利で日付を調整できます。(未来日記もできるのかも?!)

5月頭の連休から5月末。
心情曲線は、自己満足のうねりだったと思う。
それでも、いっちょまえに悩み、凹まさせていただいた。
1日前はふわふわしていたのに、その後、ふわふわし過ぎたことへの自分の自己評価を下げる。
でも、それは多分反省ではない。

反省とは、後になって前にしたことを徹底的に批判することではないはず。
後になって前にしたことを批判しているのは、前にしたことをした日よりももっと自分が落ちていることを知ろう。

その日のあるいろいろなタイミングや様子、コンディションによって、「そのこと」は軽く見過ごせたり(何もなけりゃ安泰なのか?!)「そのこと」は重くのしかかったり、「そのこと」は泣きそうなのに幸運とさえも思う。


今朝(正確には「明日」)「金がなくなてもなんとかなる?!ふざけんな!じゃぁ、お前やってみよろってんだ!そう言えるのかよ!」的なことをあるメディアに出ていた人が言っていた。
私はそれを見て、その人の生き様(ザマ)の空気を感じた。


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5月の中旬:「面接のような打ち合わせのような謎ながら自分の主張もせねばならない臨機応変さが結構もとめられた」場所へ行った。
その場は、数ヶ月先、2ヶ月程度、わずかながら「給料」(賃金が正解だろうな)で勤める可能性がある施設でもあった。


この施設では前年度もボランティア的、賃金で雇われる人材として関わらせていただいた。
その日々は、それなりに充実していて、「それが普通」だと思っていた。
正式にはその組織の一員ではないが、組織のトップにはそこそこ尊敬もしていた。

その日、現場へ行くと「今日から活動できるとのことですよね…」


えっ?

そんなコト、私言ったからしら。
いや、言ってない。それどころか、数ヶ月後に賃金で雇われる人材として採用か不採用か、そして、ボランティアとして関わることが可能かの私の希望についての返事も聞いてないのに。
もしかしたら、「詳細のために現場に行くこと=採用と理解せよ」ということを、空気から読まねばならなかったのか…(そんな器用じゃありません〜)

5月中旬の打ち合わせの連絡をしてきたのは、組織のトップ的な方で、その連絡があった時に、確認すればよかったのだろうか?!
いや、その中旬の日になれば「問い合わせていることの返事も揃っているはず」とかそういうことを言っていた。
まぁ、「残念ながら(不採用です)」という知らせは、電話1本でも可能なわけで、現場に出向く日が決められたということは、それなりにフットワークを軽くしておくのが「普通」だったのかなぁ。



5月末少し前:数ヶ月先、賃金で雇われる人材候補としての研修に参加した。
この研修には日当が出ないため、あくまでも参加は任意だが、初めて勤務する者にとっても前年度勤務経験がある者にとっても学ぶことが多かっただろうと私は信じたい。

その研修は日にちが3回設定されていた。
私は3回目の回に参加した。
スケジュール的にはいつでもOKではあった。
でも、3回目というのは、話も精選されていて、話す側も余裕が出て来ていて、聞きやすいと判断したのだ。
1回目に参加した者によれば、人数も多くザワザワし、話す側のハプニングもあり流れとしては「いかがなものか…」と感想を持ったらしい。

私が参加した3回目。
受付で名前を書く時、7名くらいすでに名前があった記憶。
前方に入り口があり、スクリーンがあって、そのスクリーンに一番近い席に私は陣取った。
後ろの着席状況が見えなかった私としては、その会場に何人参加者がいたのか全く分からなかった。私の隣の席にも誰も座らなかったし、その隣にも座らなかったし、その隣には1人座っていた。10名弱だったのだろうか…

研修担当は、Mさんという方。
表情豊かで話が上手だった。

「私は人の前で話をするという機会があって、話を聞く方の観察もしています。
だいたい前に座った方は、多動で前に立って話をする人が何かミスをしないものかとチェックしています。足は貧乏揺すりをしていることもあります。したがって、眠る人はほとんどいません。
後ろの方に座る人は、時々上手に眠ってあります。…
だいたい人はのんびりしていて誰にでも優しく接する「いい人」と呼ばれるタイプと、イライラして落ち着かず取りつかれたように働くタイプがいて、どちらかに必ず属します。一緒に仕事をする場合には、イライラしているタイプの人とは出来るなら組みたくないと言われます。
そういう時には、こう言っています。最初は大変だけど、うまく使えば、あなたの仕事までやってくれるようになりますよ。理解してあげてくださいね。」

研修が終わり、質疑応答の時間になったが、1人質問があって、後は個人的に質問をするような流れになった。
私は、Mさんと話してみたいという関心が主な理由で解散後に話しかけた。
実は数週間前、Mさんだろうと思われるブログに出会った。
そこで紹介されてある本がMさんの著書であることも知った。
そして、私はその本も入手した(まだ読んでいない)

よって、Mさんによる話はとても私にとっては有意義であった。
「今、ボランティアとして活動しているのですが…」という話し始め。
Mさんは、困った表情。考えるときは困っているような表情になる人なのかもしれない。
Mさんは、賃金で雇われる人材として関わってほしいと言った。
そこで、私は自分の状況を話した。
取り留めのない方向へ行きかけた時、Mさんは思いがけず進路相談をしてくれた。
その分野は人材が不足していると言った。
私の気質を見抜いたからとかそういうのではなかったと思う。
賃金制のそれも安定しているとはお世辞にもいえない不安定な期間の労働条件で、少しでも安定した「仕事」として目標を持つことを関わった人間にはアドバイスしてきた方なのだと思う。

私は簡単に舞い上がった。
そのときは、自分で予想していなかった展開だったので、「そういう道もありますね!ありがとうございます!調べてみます!」と、明るく拳を握った(気合いの表現)
去り際に私はMさんのブログを知っていることと、本も買ったことを伝えた。
Mさんの表情はさらに温和になった。
そして、私がどこの施設で活動しているのかを尋ねてこられ、その組織の幹部とは面識がありかつて一緒に仕事をしたことがあると言ってあり、「困ったことがあれば相談するといい」というアドバイスもしてくださった。

話しかけてみるものだ。


そして、私には後からどんどん現実が迫ってくることになるのだ。

Mさんはとても有名な方だった。
「M先生」だ。
プロだ。

活動先の施設で、浮かれた気持ちで幹部に研修の感想を伝えた。
幹部は驚いていた。
「そんなことまで話したの!?」

なぜ驚くのか私には分からなかった。

それほどにM先生は有名なのだ。
たまたま参加者が10名程度で、こじんまりとして、調子にのって話しかけることができただけだ。

多分、人数が多くて、残って質問をする人も多かったら、私はあっさりと撤収しただろう。
そして、M先生の情報をもっと知っていて、大尊敬していたら、恐れ多くて足早にその場を離れたかもしれない。

「知らない」ということは大胆になれる。


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反省は「後悔」することではない。
反省はどんなに恥ずかしくて失敗だと思い悩む「前のこと」、思った通りに進んで満足だった「前のこと」をも、プラスに受入れる自分に気付くことだ。

そして満足だった出来事やミスをせずに安泰に進んだ出来事であればあるほど、有意義な反省や考察をすることから遠ざかる。

占い1位こそ、調子にのってはいけない。
落ちて行くしかない危険な立ち位置であることを忘れない慎重さを心がけたい。




KAZU |MAIL