ふつうっぽい日記
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2008年07月30日(水) ある繋がりのはじめ

気ままなネットの散歩がきっかけで、必要だった情報に深く関わる方と知り合った。
この日記でも、何度か話題にしていた、「特別支援教育」関連。

「療育」を扱うある保護者の方が集う掲示板を見つけたのは4月か5月くらいだったと思う。
「支援員」の応募を決心した頃か。
その方々の活動の拠点は私の居住区から1時間くらい離れたエリアではあるが、その方々は「支援員」が募集されていることに関しても話題にされてあった。
失礼だろうか?とも迷いつつ、削除されても仕方がないみたいな気持ちも持ちながらの投稿。
返信が付くまでは、何日か間があったかもしれない。
しかし、反応があった。
それも、運営してある事務局宛に直メールをしてほしいと。
すぐに、事務局にメール。
すると、代表者の方から直々に返事がきて、もう何度もやりとりをした。
その代表者の方も、「支援員」として応募し、奇遇にも説明会というか研修会のスケジュールがその方と同じ日(エリアが違うのに)メールだけのやりとりで、果たして当日分かるものなのか、自信がなかったが、研修修了後、狙いを定めて声をかけた方はビンゴであった。
その方は、その日に別の何人かの「支援員」さんとメルアド交換されたとのことだった。
さすがな方である。

その方のお宅へ訪問した。
メインの目的は漫画を借りること。

夏休みとあって、息子さんも在宅。
人なつっこい、陽気な子だった。

お弁当も取ってもらって、思いついたことをお互いに話した。


育児に関わっている立場ではないのに、なんとも不思議な縁だな…と思いながら私にとっては充実した時間がゆっくりと流れた。


いろんなレベルでの「共通理解」そして「受容」。



2008年07月22日(火) 泣いてしまいました

今日から学校活動はお休み。
正確には、「支援員」の任期が18日で終了し、次の支援員としての任用対象となるのは11月から。それでも、11月から確実に採用されるかの保証はありません。

では、どうするのか?
私は、どうしたいと思ったのか?


任用対象ではない時期、及び、厳選なる採用試験で任用されなかった場合は、「ボランティア」として学校に入りたいことを、派遣元(ボランティアの調整をする機関)には伝えてあって、それは可能であることを確認。

一部の管理職には、その意志を伝えてあったので、私はてっきり、立場(職員→ボランティア)は変わるけど、学校活動は継続して出来るんだ!と思っていました。

しかし。
18日の終業式の流れが終わり、「お別れする先生」というプログラムで、体育館の前方に私の席が準備されました…
私以外には、産休に入る先生が一人…

そりゃあね、なんだかの「けじめ」は必要だとは思うんですよ。
でも、全校児童の前で、「お別れする先生」として紹介されるなんて思ってもなく、私の頭の中は少々パニック。

「支援員」としてやれることはやってきたつもりなのに、実際はもうお呼びじゃないんだ…ボランティアとしても来るなってことなんだ…と、絶望的観測…そして、結果、号泣となったわけです。


マイクが回って来て、


ひとしきり泣いて、


でも、笑おうと頑張って(低学年の子にはその姿がウケて)


「…せっかく、仲良くなれたと思ったのでお別れすることになって、先生はとても寂しいです。…(頑張って笑顔)でも、みんなとはまた会えると思っています。そのときは、また、一緒に遊んでくださいね。今までありがとうございました」

みたいな短い言葉でした。
何人かの先生方から、「言葉が少ないながら、感動しました。子どもたちにも伝わりました」と声をかけてくださり、終業式後も、担当のクラスに入って、挨拶をしました。その頃には、ボランティアとして入れるに決まっているじゃないか!と強気な自分もいて、冷静でした。

低学年の教室では、「あ〜先生、泣きよったやーん。」と言われながらも、「知らないよ」などと、ベタにすっとぼける表情で対応。
ある学級では、寄せ書きを作ってくれて、さらに「歌」のプレゼントまであって、やっぱりお別れか?!と不安も戻って来ましたが、笑顔でいることができました。
その学級のある子どもからは、「先生がまた来れる時が来たら、来ればいいんだから!また会えるよ!それに、先生は2人の時にちゃんとお話できるんだから、100人とか人が増えても大丈夫だよ!(泣かないでいいんだよ)」と言われました。それを聞いて、またもや涙が出そうでしたが、笑顔で頑張りました。

高学年の教室では、微妙な沈黙があありましたが、帰りの会で少し時間をくださって、「終業式の時は涙のお別れの挨拶をしちゃいましたが、みなさんとはまた会えると思います。また、そのときはよろしくお願いします。これからもみんなはどんどん成長していくと思います。先生もみんなの成長の姿を見ることを楽しみにしています。今までありがとうございました。」と、言いました。


その日の午後、管理職に呼ばれ、校長室で、涙の訳を軽く尋ねられ、ボランティアで入りたい希望を伝えました。学校側も、歓迎してくださっていることも確認。
その日の夕方に、派遣元に、そのことをFAXで報告。
FAXで知らせたのは、言い忘れが出そうなのと、視覚的に記憶に残しておくため。それに、派遣元は代表電話でいろいろと担当があってごちゃごちゃしていそうだったから(自分が楽な伝達手段を選んだ)

すると、今朝、派遣元から連絡があって、「本来は、学校から派遣の要請があってからボランティアを決定していくのですが、早くに連絡をいただけたことと、学校側とすでに話がまとまっているので、あとは学校から派遣希望手続がくれば、保険の手続きもコチラでしますし、あ、今回から保険料はコチラで持つことになりました。お手数ですが、学校にその連絡だけしておいてもらえますか。おそらく、そう言えば分かると思います」と。


まだまだ「初の試み」の段階で、段取りというか流れが決まっていても、必要な人間に知らせるタイミングがマチマチのようで、おそらく、私の行動は前代未聞だったと思われました。
でも、「初の試み」だからこそ、「こういう人もいる」というアピールというか、一つの実態になったかな、と思うことにしました。


派遣元も分かっていました。今の「支援員」制度が2ヶ月単位で、継続されないことで現場も動揺することを。そして、慣れた人材が継続して、関わることで子どもも職員も安心することを。


KAZU |MAIL