ふつうっぽい日記
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2008年04月25日(金) 健康診断レポート

今まで、町の診療所みたいな規模でしか健康診断は受けて来ていません。(学校時代は別)

今回、検診に行った施設は健康診断(人間ドックとか)をするための施設のようでした。駐車場には大きな検診車も止まっていました。検診施設はビルの中にあって、病院みたいなイメージで大きな扉を開けると…

温泉センターで見るような格好の男女がたくさん。
作務衣のような…そう、検査着というやつです。
受診要領が書かれた説明書には、「柄のない薄手のTシャツを持参されると便利です。ストッキングはNG。ステテコはOK。」みたいなことが書かれてあって、色々考えたものです。
同じように、ココに検診を受けにきた人を見ればかなりの普段着。
若い女性は、当たり前のようにストッキングを履いているし、脱ぎにくそうな洋服。(私は薄手のTシャツの上にブラウス、ストッキングを履きたいところを我慢して靴下。そしてスカート:子宮がん検診の時はスカートがよいという数少ない経験からの知恵)

受付で持参物を渡すと、「この検査着にそこの更衣室で着替えて、まずは検尿ですね、そして次に…」という説明。
ロッカー付きの更衣室へ(ロッカーは寄せ集めのような会社の更衣室的です)
緑色のマジックテープで着脱ができる上着とパジャマのズボンのような衣装に着替え。

トイレの入り口にマジックで書かれた足形枠の中にピンクのスリッパが2組置かれてありました。そのスリッパに履き替えてトイレに行くということに気付いたのは3分くらい経った後で、それまで私はその置かれたスリッパの人がトイレから早く出て来ないか待っていました(誰も使用してないのに)
ふと、自分のスリッパを見ると置かれてあるスリッパと色や模様が違うのでそこで使用中ではないことに気付いたのでした。
2回ほどこの近くを通りましたが、自分のスリッパを履いたままトイレに入ってしまうようでした。
検尿カップを提出するところにスタッフがいて、「待合室で血圧を測ってお待ち下さい」と言われました。

血圧を測る機器は2台あって使い方の説明も丁寧でした。
が、なんせビビリの私です。落ち着いたふりして、かなり心臓バクバク。
後から分かりましたが、ありえないくらいのハイレベルの数値でした
操作パネルのところに数値による判断の図が書いてありましたが、それを見る気持ちの余裕などなく、機器から出てきたレシートみたいなのをポケットに入れて次の指示があるまで待ちました。思い出してみれば近くにいた人が驚いた顔をしていました(多分、数値がスゴかったので)

さて!胃のレントゲンです。バリウムです。
の前に、胸部レントゲン。胃のレントゲンのマシンと同じ部屋にあって、てっきりバリウムを飲むと思っていたのに肩すかし。でも、すぐにバリウムを飲むところに連れて行かれました。
少し大柄の気さくなお姉さんに誘導され、「初めてですか?」と聞かれ「ハイ」と答えます。「コレを一気に喉に流してコレで一気に流し込んでください」みたいな感じで発泡顆粒と少量の液体が入ったカップを渡されました。
サッサとそれを実行すると、「次は、コレ。ちょっと重いですが、全部飲んで下さい」それが存在感のあるバリウムです。ほんのりヨーグルト風味のような存在ですが、あまり歓迎したくない雰囲気を放っています。
一気飲みしました。ゲップが出そうになる、とのことですが、それはありませんでした(というか、息を止めていた)
検査台は載るのではなくて鉄板みたいなものを抱っこするみたいなスタイルで、両サイドに握り棒があってそれを握るのにも逆手で持つ、というきまりがあって、「そうじゃなくて、小指の方からこうやって」と説明を2、3回受けました(それほど緊張デス)
顔を鉄板に付けたまま、目をつぶって待っていると、なんだか回転した様な気配(どんな動きをしたのか分かりませんが、イメージでは宇宙飛行士の訓練です)そして、「今から検査を始めます。こちらの指示通りに動いてください。」と言われたかと思うと何か動かされる気配、そして「はい!右向いて、もっと右、はい!そのまま息を止めて!はい!楽にして!次は左!もっと左!息を止めて!…」こんな感じで動かされながらさらに指示された動きをしなければなりません。「仰向けになって!」とあって、しばし(?)考えました。
自信無げに握り棒から手を離して逆を向きました。また同じように指示がありましたが、ほとんど目を閉じていました。「終わりです」と言われて、床に降りたら少しクラクラしました。下剤をその場で飲むように言われ、多めの水とともに飲みました。

その後、子宮がん検診で、これは2回ほど経験があったのでビビることはありませんでしたが、やはり屈辱ですな。。。。
検査台は年々進化しているように思います(ココの機器がスゴイのかは分かりませんが)

その後、心電図、採血、身長体重視力検査へと進みました。
身長と体重は、一度に計測できるんですね
自動で身長を測るバーが降りてきて(それも一瞬)頭にコンと当たったかと思うと終了。視力検査の椅子も近くにあって、体重と身長の数字をパネルで確認。「いつもと同じくらいの数値ですか?」と聞かれ「ハイ」と返事。
視力検査は、コンタクトをしたままで左右1.5でした(眼科では1.0なんだけど)
心電図の部屋では、お腹周りも測られました…(ウエストの数値よりも12センチ大きめでした)

そして乳がん検診(超音波)、問診、内科診察、指導へと続きます。
乳がん検診は後ほど詳しく書きます。
問診コーナーでは血圧の数字が気になるということでアナログな機器でスタッフによって計測されました。待合室で測った血圧はとんでもなく高くて、脈拍も120近かったし、下が100、上が165とかいう数値だったのでした。
アナログで測ってもらった数値は91と104だったと思います。
「平均ですね。コレ(電子機器で計測の分)は、違いますね。こんなことはありえません」とレシートには大きく×印が書かれました。
指導というのは、自分でできる乳がんチェックについての説明で模型を使ってしこりを探すというトレーニングでした(これがなかなか分かりにくい)

乳がん検診は、今回は超音波を使った検査で40歳以上(多分)はマンモグラフィーという機器で検査します。
横になって温かいジェルが胸部にのせられローラーで、内部の様子を見て何枚が画像を取り出していたようでした。
「ちょっと、ココ触りますよ。痛くないですか?」と言われ、ドキドキでしたが痛みはないと返事。でも、同じところを何かの設定を変えながら結構丁寧に(時間をかけて)見てありました。
あ、スタッフは女性です。
受付から医者からとにかく関係者は全て女性。

全てが終了し、受付に申告して着替えて退室。
もう、ぐったりでした。

下剤の効果は1時間後くらいから定期的にあって、しばらく落ち着きそうにありません …

あとは結果を待つのみです。
何も無いことを祈って…


2008年04月23日(水) 関心の度合いで耳の大きさが変わったら

関心の度合いで耳の大きさが変わったら、大変なことになりそう。
私は人間観察が好きで、バスの中や電車の中で寝たふりをしながら近くの人々の会話をしっかり聞いていたりする。片耳を窓に張り付くくらい接近させて、そして片耳は通路に立つ人々の雑談を事細かに分析、そして妄想…。


「…お父さんはね、お母さんに渡してくれたお金に関しては何も文句を言わないの。でも、お父さんが自分に関係あるモノを買ったりすることは、すっごい細かく言って来たりするんよー。」
「一人で旅行とか行きたいのに行かせてくれないって文句言っている人もいるみたいだから、恵まれているんじゃないの、お母さんは」
「…お父さんだってね、本当はいろいろ聞きたいんだと思うのよ。でも、聞けないのよ。…○○のランチバイキングもいいらしいね。○○○は、量が少なかったわ…。あ、ここのスーパーね、昔お父さんがよく弁当を買っていたのよ。詰め放題みたいでね。そういえば、一度忘れ物を届けるためにこの近くで待ち合わせをしたんだけど、それぞれ別のところで遅いねぇって待っていたことがあってね。おかしいよね」
「ふーん。そうなんだ。…あ、次で降りたらいいよね」
「ここから歩いても近いし、降りよう。…(バスカードを提示して)2人分でお願いします」

親子(母娘)のバスの中での会話。
娘さんは、結婚していた様子。



「…いい弟ができてよかったね(兄さん)」
「おふくろもきっと喜ぶと思う」
「…治療の方針とかちゃんと説明してもらえると思いますし、免疫関連の…」
「おふくろのあの髪、どうにかしてやりたいな…ほらほら、お前たちも何かジュースでもいいから飲まんね。オレばっかり飲んどるみたい」

明日母親ががんで入院している病院に兄と妹夫婦が連れ立って行くことになって、妹夫婦は新幹線で駆けつけた、そんな様子。(居酒屋にて)



「え?!ボク、お父さんの膝に乗らなきゃいけないの?もう○年生になったのに?そんなことしていたら笑われるよ。おかしいよ。僕、一人で座りたい。お父さんの膝の上は嫌だよ。」
「だって、椅子が二つしかないんだから、しょうがないでしょ。言うことを聞きなさい。」
「嫌だよ」
「ほら、お母さんももう少ししたら来るから」
「嫌だ。一人で座りたい。」
父息子の会話。
その隣のテーブルで二つのテーブル、四つの椅子を陣取り、友人と食事をしていた私。
友人もそのやりとりを聞いていて、テーブルと椅子二つをその親子側に「どうぞ、使って下さい」と寄せた。
父親は「どうもありがとうございます。ほら、○君もありがとうってお礼を言いなさい」と息子に言う。
息子は「どうもありがとう」と笑顔で言った。





「映画○○は、私の中ではラインキング対象外ってカンジ。最悪。見なけりゃよかった!それと、今めちゃくちゃCMしているけど、○○も最低。で、何?ってカンジ。」
「思う思う。CMやめてくれって思う。それと、○○系っていうの?アアいうのってさっぱり分かんない。…○○をレンタルして見たんだけど、コレは休日ぼけ〜っとして見続けたいってカンジ。」
「ああ、○○ね。分かるぅ〜」

バスの中で会社員さんが映画について語っていた。
私は彼女等が「最悪」と言っていた映画をたしか見たばかりだったし(又は見るぞ!と計画していた)、同じタイトルの舞台も見た事があった。
こういう得意げな評論のやりとりは、「観客」としてはプププッと思えたりして面白い。


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今日、外の廊下に面した部屋の通風口から、こんな声がした。
「…誰や?!今、コレ投げたとは?!」
「スミマセン…」
「ちゃんと謝るときは謝らんかい!!ゴルァ〜!」
「スミマセン!…本当、申し訳ありませんでした」

バケツの音がしていたので、清掃員と住人(または訪問者)の会話かもしれない。
急いで、玄関の覗き穴から廊下を見たけど、それらしき人の姿はなかった。

どうか、ゴルァ〜!とカツを入れた人がエレベーターの中とか敷地内でタバコの吸い殻を平気でポイ捨てするような人ではありませんように…
正義感の強いだけの人でありますように…


2008年04月07日(月) ある市民の感情曲線その2

「ある市民の」と、入力する途中で次の言葉の候補「感情曲線」が上がったのは、自分の中では嬉しかった。

さて。

なんだろう、怒りでもないし、悲しみでもない。
でもどちらかというと、怒りに近い不満かもしれない。

周りの人間にぼやけば、「初めてのコトっていうのは、だいたいそういうモノですよね」という反応も結構あるから、焦っているだけなのかもしれない。
でもでも!


何度、「特別支援教育 福岡市」や、「特別支援教育 ボランティア 福岡市」や「ハートフルボランティア」を検索しただろう。
「発達教育センター」というのも何度も入力した。

福岡県というところが、福岡市と北九州市とそれ以外の福岡県内という内訳になるから微妙に情報が集めにくいのかもしれない。


去年の11月から今年の3月24日まで小学校で学校支援のボランティアをした。
「市」機関の事業の一つ。
それも初の試み。

私自身、「ボランティア活動」とはっきり言えるのは初めての体験だった。
だから、不安や心配や疑問が日々を重ねるほどに、回数を重ねるほどに、関わるほどに増していった。
でも、それをどこの誰に相談したらいいのか分からなかった。
一度、派遣元に生意気にFAXでそういう思いを書いて伝えた。
すると、すぐに電話がかかってきて、電話の主は「難しく考えないでいいです。負担にならない範囲で活動してください」というばかりで、具体的な解決には繋がらなかった。

初の試み、という時、誰の声を参考にして「これから」に繋げていくんだろう?

実際、現場で初の試みというステップで活動してきたボランティアの思いとか感じたことを伝えたいと思うのはイケないことなんだろうか?
「ふつう」じゃないんだろうか?
ウザい声なんだろうか?


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県や市のホームページで「特別支援教育」が関わる情報もよく分からないまま読んだり、プリントアウトしたりもしている。
最近は「特別支援学級の担任になったら」という手引きにも関心がある。
とにかく、もっといろいろ知りたいなと思うようになった。

具体的に行動を起こすとしたら、講師への志願なのだろう。
しかし、待て。
教員免許を大学卒業と同時に取得して、どれくらいの歳月が流れた?
そして、体力は?健康は?気力は?
不透明だとはいえ、ちらりとでも再びこういうことを考えるようになった過程は、たしかにボランティア活動。
幻になるかもしれない貴重な活動だったのかもしれない。


「待つことの大切さ」を試そう。


まずは、自分の健康の声を聞くとしよう。



2008年04月01日(火) 4月新しい年度に寄せて

4月1日付けの新聞。
教職員の異動発表が掲載されていた。
コッチに来て、2回目の春。
去年も多分、新聞をチェックしたんだとは思う。


さて。
今回は、去年とは違って、ボランティアとはいえ、学校に関わっていたので、さらに興味をもって新聞のその発表を見た。

ボランティアで関わっていた学校の校長先生は、たしかに異動になっていた(学校で聞いたけど)
そして、同級生の名前も確認。私の出身校の隣の校区に異動になっていた(異動だとは聞いていた。)
見覚えのある講師の方の名前も見つけた。(「採用」と書かれてあった)
去年の夏に実施された試験に合格されてあった!(現場では全くそういうのは見えなかった!)
驚き。驚き。


そして、さらに見つける。
私が4年の時の担任の先生は、教頭の欄に名前があった。
教諭から教頭へ。

うーん。

想像がなかなか出来ない。
この先生(女性)は、大卒で即採用されて、私は一番目の教え子となったのだが、当時先生はバリバリの22歳であった…
その後、偶然に2回ほど見かけたのだけど、その時もまだまだ若さは溢れていて、現役バリバリだった。
それが…
教頭センセイです。
どんな顔になったんだろう。


そして、さらに見つける。
私が学生時代、小学校で実習した時の担当の先生(女性)。
前年は、行政職として活躍されていた。
もう、現場からは離れたんだ…と、その時はそう思っていた。
しかし、それは一つのステップだったのだろう。
その先生もまた教頭の欄に名前があった。
年齢は私の記憶の中にはまったくない。
出会った時が学年主任であったということもあって、リーダーシップを発揮されてあるやり手な方だとは学生なりに思っていた。そして、威厳があった。たしか2人のお子さんの母親。



そして、さらに見つける。
百人一首に出会わせてくれた妹の担任だった先生(女性)は、退職の欄に名前があった。
この先生もまた自分を持っているしっかりした方だった。
多分、退職後も別の分野で何かガッツリと関わるんじゃないかな、と思われた。


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