ふつうっぽい日記
もくじ過去未来


2004年08月30日(月) パンパカパーン

今日は、HPの誕生日だ。
さてさて、何歳になる?
たしか、4歳かな?
HPカウンターは、プロバイダが変わる度にリセットしてきたので、本当のところの訪問者数は分からない。
TOPからでなく、何やらキーワードで検索をかけた結果、日記にたどり着いたというパターンも多少あるようで。
ふつうっぽい日記では、どこからのリンクでアクセスしてきたのかが分かるようになっていて、たまに、その様子を見る。
「スッポンスッポン」とか「だちょう料理」だとか特殊なワードでの検索でたどり着いたというケースもあった。

あれやこれやと、まだまだ更新したい気持ちはあるものの、なかなか行動に起こせていない。時間はあるなずなのに。
要領よく、でも、心地よくHP更新できたらいいなと思っている。


2004年08月22日(日) 夏期休暇

18日〜22日の5日間(正確には土日は休みなので3日間?)、夫は夏期休暇を取った。私も、その間は仕事を休んだ。

前日の17日の深夜に旅支度を短期集中で行う。ちなみに17日の天気は雷雨。そして、翌日はとある場所にて海水浴を予定していた。
「水着どうする?雨かもしれないね。この分じゃ」「いや、晴れるかもしれない。オレは晴れ男だし。日ごろの行いもいいし」ってことで、浮き輪とビーチボールと、膨らますと長い寝椅子になるタイプのやつを2個と、空気入れポンプとレジャーシートをバッグに詰めて。

18日、朝8時半に家を出発。コンビニで朝ごはんを調達。出発時の天気はまずまず。盆過ぎの平日とあって、トレーラーが目立ったが、交通の流れとしてはスムーズだった。阪神高速で松原方面へ。そして、伊勢方面へ車は進む。
今回は伊勢は二見の夫婦岩の近くに宿をとった。
イッチョマエに「プライベートビーチ」をもっているその施設。
建物自体はかなり気合が入っている(古い)
「全室オーシャンビュー!」横文字にすると、なんかかっこよく映る。でも、やっぱり、しょぼい。でも、部屋のトイレはウォシュレットが場違いのように輝いていたのでよしとする。展望露天風呂というのが、この夏に増築されたとかでまぁ、風呂に関しては「いい感じ」ということにしておこう。
でもね、4階部分にあった露天風呂。
屋根はある。外に面した大窓が開放されているというのが「露天」という意味らしく、たしかに外の景色はリアルな風とともに堪能できるといえた。
私等は、海水浴の後、つまり夕方5時くらいに大浴場へ向かったのだが、当たり前だが外は明るい。
まだ海岸で泳いでいる人間もいる。浜でグアハハハハと低い声をあげている若者の集団もいる。それらの姿、見えるのだ。
もしも、海岸から、望遠鏡で、風呂場あたりを見たら丸見えだろうって感じ。窓辺から1メーターくらい離れたら、セーフ。
でも、やっぱり、初めは「どんな景色なのかな〜?」と近づきたくなるのが心理だ。
また、シャワー設備のある身体洗い場は、露天風呂部分には2つあるのだけど、1つは大窓側に設置されている。少し、気にしながら洗わなければならない。
まぁ、大浴場(内風呂)も、脱衣場を2歩くらい進んだところにあり、そこにはシャワー設備は10個くらいあるので、ゆっくり洗うのはそこだろう。
入浴は海水浴後(つまり夕食前)と、翌朝(6時半〜7時半)にした。
大浴場は女性、男性1日入れ替わりで、少し窓からの景色も違って新鮮だった。翌日の朝風呂では海の端っこに虹が見えた。

夕食は部屋食にした。部屋食に移行するオプション料金が2000円。
やっぱり、部屋食は落ち着く。
まぁ、宴会場で、うわーっと食べるのもそれはそれでいいんだけど。
風呂上りに自販機の缶ビールを飲んでいたのだが、食事時はやっぱり瓶ビールでコップでちょまちょまいただきながらが風情がある。
「瓶ビールお願いします」というと、「冷蔵庫に入っているのでどうぞ」とサクッと回答。冷蔵庫の飲み物、そう、コンピューター内蔵とかいうやつで、引っこ抜いたら加算されるというあれだ。めちゃめちゃ、割高。
1本750円、小瓶だよ、小瓶。
まだ、自販機の缶ビールのほうが良心的。
ま、せっかくだからってことで、瓶ビールを2本堪能させていただいた。
食事内容は、文句なし。
完食。
食事は6時半からスタートと言っていたのだけど、6時くらいから「少しずつ準備させていただきます」とのことで、でも、その準備も割りとてきぱきとこなされ、6時半には、舟盛のお刺身も結構箸が進んでいた。
7時半には、おひつのご飯も食べつくし、片付けの仲居さんが来ないか念じていた(笑)その間に、部屋を間違えた仲居さんが「今からご飯お持ちしま〜す」と言ってきて、ズルッとなった。もう食えないよ〜〜〜〜!
8時前くらいに片付け&布団敷きタイム。
朝ごはんの会場の説明を聞いて、「ではおやすみなさいませ」(まだ寝ませんよ〜)

ダラーンと布団に寝そべり、テレビを見る。
窓から、海を見る。
浜ではグループや家族連れが花火をしている音がした。
女性二人で浴衣姿で浜を散策というのを羨ましげに見つめる夫。
我々も散歩するか、と、部屋を出た。
散歩といっても、1階の売店だ。
玄関には、多数のスリッパが脱ぎ散らしてあるし、走り回る子どもの姿。
玄関近くには、「ラウンジ かもめ」だかそんな風なのがあり、透明なドアから、合いの手を入れるラウンジ係の仲居さんの営業スマイルも見えた。
大衆スナックみたいな感じ。カラオケ1曲500円、先着順みたいな。
売店をさらりと見たが、コレというものもなく、あっさりと部屋に戻った。
それから家から持ち込んだ、ワインとお菓子で二次会。
海水浴と、温泉と、おいしい食事で満たされ、結構早くに就寝。

朝は予定通りに入浴を済ませ、宴会場で朝食。
ご飯はおかわり。
だいたいこういう感じの食事では、ミニ鍋料理が朝晩ある。
そこの朝ご飯の鍋物は湯豆腐だった。
ちなみに夜ご飯の鍋物は松阪牛のすき焼きだった。
チェックアウトは9時半とあったが、9時くらいに宿を後にした。
天気は、怪しかったが、しばらくは持ちこたえそうな感じだったので、某テーマパークへ。ジェットコースター的アトラクションもいくつかあり、少しチャレンジした。
そう、私はアトラクション、とくに、コースター系は弱いのである。
夫は好きなほうで、私は「これは(も)嫌だ!」とわがままばかり言うのでつまらなそうだった。
「これは大丈夫だろう?」という動く蛸足の先についたバルーンに乗るというタイプのものを乗ったところ…
悲鳴、雄たけびどころか声も出ず、西田敏行の物まねしてるのか?といわれそうなくらい両目をしっかり閉じて、てすりをちぎれんばかりに握って。
楽しむところではなかった…
「目を閉じていたほうがコワイだろ?」といわれるが、閉じずにはおれなかった。
これを初めに乗ったかはもはや記憶には残っていない。
あと、チャレンジしたものとしては、急流すべり、海賊船、暗闇の中を疾走するローラーコースター。
急流すべりは、「しっかりベルトをお締めください」という割に、ベルトはマジックテープ製で、心配だった。荷物も、預けるカゴなどはなく、抱っこして着席。大きな船ではなく、丸太に見立てた小さめの船で3人まで乗れそうな規模。前方席には、もちろん夫が。カチカチカチカチと、いやらしい音を立てながら、上っていく。乗ったすぐから、「コワイよぅ〜」と情けない声を発する私。夫は「着々と上っております。結構、上っております。もうすぐ落ちます」と実況をする。
一回目の山は低めだった。「もう1個あるよ〜」という夫の声。「もう1個も、さっきくらい?」というと、「もっと高めだよ〜」と。
再び、カチカチカチカチと上っていく。
一瞬、身体が浮き、大量の水しぶきとともに終了、、、、
こんなに水がかかるのか!?と言いたいくらいだった。
というか、実際言った。他の客はタイミングがよかったのか、我々のようには濡れていなかった…
暗闇の中のコースターは、意外と平気だった。
アップダウンは、さほどなくて、左右の揺れが強くて、安全バーで両頬を打ちまくる衝撃のほうが驚きというかショックだった。
闘牛をイメージした乗り物だったらしい。

このテーマパーク滞在中は、雨には合わず、帰りの車に乗り込んだ途端に、大雨が降りだした。時間は夕方。
鳥羽駅前の公共駐車場に車をとめ、お土産店を散策。
カキ氷も堪能。
午後9時前には近所のスーパーまで戻ってこれた。
給油もせず、往復500キロ走った愛車フィット君。

それから金、土、日は、ほとんど家でゴロゴロしていた。
あっという間の5日間。
来週末は、福岡より妹が大阪訪問してくる。
まだ、私の夏休みは終っていない。


2004年08月16日(月) 浴衣

今年はよく浴衣姿の方を見かける。
男性、女性、問わず。

私の浴衣は実家にある。
小物が揃ってから、持ち帰ろうと思いつつ、もう5年経った。
その間、一度も袖を通していない。
最後に着たのは、もしかしたら、高校3年の体育祭かもしれない。

なぜに?
体育祭か?

それは恒例のプログラムだったからだ。
私の出身校では、被服科というのがあった。
聞くと、今はないらしい。
たしか体育祭では、被服科の生徒は自作の浴衣を着たはずだ。
あ、私は被服科出身ではない。
被服科は1クラスしかなく、残り9クラスは普通科。
特殊なコースゆえに、なかなか交流はなかった。(部活で一緒というなら別)
体育祭で、3年の女子が浴衣を着て、盆踊りみたいなの(笑)を踊るのだ。地方の音頭っていうのか。
着付けの練習とかもたしかあった。
その時の“先生”が、被服科の生徒。テキパキと指導する姿は同じ女性であったがかっこいいな〜と思ったものだった。
私の浴衣は、祖母が作ったものだった。
母によると生地は、近所の特売セールで買ったものらしい。
本当は生地選びから、祖母にしてもらいたかったみたいだった。
妹の時は生地から祖母が選んだと聞いた。
その時、祖母は90歳とかそれに近かった年のはずで。
尊敬ものだ。

我が夫は浴衣を持っていない。
甚平はあるけど、浴衣はない。
母は言っていた。「もしも、おばあちゃんが、元気だったら…作ってっていうのにね…」と。

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昨日の夜、夕食時にババババ〜ンと音がした。
雷か?
音が近いので、ベランダに出た夫。
「花火だよ!見えるよ!スッゲェ〜〜〜〜!!!☆☆」
あまり期待せず、私もベランダへ。
「ウヲ〜〜〜〜!」たしかに、たしかに花火だ。
遠いけどきれいに見えた。
どこで上がっているのかは、分からなかった。
他のマンションの東側の部屋の人も見ていた。
今年初めての花火で、最後の花火かな。

ちょっぴり、夏の終わりの気配を、空気を感じてオセンチ。
明後日から5日間、夫も一緒に夏休み。
小旅行に出ます。


2004年08月12日(木) 福岡帰省日記(その2)

8月9日(月)のこと。
朝、8時近くに起床。妹は、出勤の準備のラストスパート。
朝食も取らず、弁当を詰め、バタバタと出て行った。
我が家(大阪)での定番である、小道具を使っての送り出しも、習慣で行ったつもりだったが妹はその姿に気づかず、私だけからぶりの動きを玄関でむなしくしたのだった。

9時過ぎに母も、父も仕事へ出かけた。
実家の部屋には、私一人がポツンである。
友人Rにコンタクトをとる。10時に我が実家に来てくれることになった。
駐車場も空いているのでそのことをメールで伝えて、10時半くらいにピンポンがなった。少し難しい我が家の駐車場にもケロッとRの車は駐車されていた。素敵素敵。小学生の令嬢も同伴である。お邪魔しますを言うか言わない間に、令嬢は私に道中、車中で描いたというハム太郎の絵を渡してくれた。
上手上手。
お茶を出して、美容の話などをして、せっかくだからと眉カットタイム。
元がキレイなので、ほとんど私の出番はなかったが、眉マスカラなど珍しいアイテムはチェックしていた様子。
令嬢は、その間、テレビで会っていた名探偵の方のコナン(未来〜ではなく)に集中していた。やがて、番組も終わり、母親が何やら、よだれかけみたいなエプロンをかけられ、目のあたりに色物を塗られている姿を観察。
「あやちゃんも、やってもらたい〜」との声。
母親のメイク講座の後は、娘さんのメイクタイムとなった。
メイクといっても、眉カットと、アイカラーをちょろっと入れるくらい。
プールでこんがり焼けた肌に薄い水色のアイカラーは、可愛すぎるくらい似合っていた。
後から聞いたところによると、その後、おばあちゃんのお宅(Rの実家)に寄った時に得意げだったという。ほほえましい光景だ。
学校にはしていかんようにね(^^;)
R親子は、12時くらいで退散していった。
私は少しの間、再び、一人で利きすぎる(←字、あってますか?)エアコンのある部屋でお昼の番組を見ながら、昼ご飯。

次は高校時代の友人Yとの面会に向けての準備だ。
4時にT駅で待ち合わせで、都合のいいことに(笑)3時過ぎに父が帰宅した。駅までの道のりは急いで15分くらいかかる。ましてや、炎天下の中徒歩で、となると相当に気合がいる。
少し早く、駅に着いた。
切符を買って、ホームに降りるとすでに電車はいた。
通過列車待ち合わせのためだ。
大阪では考えられないくらい、通過列車待ち合わせにこだわっている福岡のJRさん(泣)
たしか3時43分発だったはずだ。でも、36分にはいたぞ。ってことは、7分は停車していることになる。
福岡だよなー九州だよなーとほのぼのしながら、座席へ。
後から気づいたが、ハンディキャップ優先席に座っていた。
全体的に、空席が目立っていたので、気にしていなかったのだ。
お決まりのように、携帯を取り出し、メールをしたりして時間を潰す。車掌さんが、頭を下げながら接近してきた。
乗車券拝見か?と、アタフタする私。
でも、違った。
彼が去ってから気づいた。「ココでは携帯は使わないでくださいね」ということが言いたかったようだった。
その車両は、優先席付近では電源オフにするようになっていた。
大阪の阪急電車では、一番前と後の車両が携帯オフ車両である。
私の隣に座っていた若い子は、別に気にする様子もなく、携帯をさわり続けていた。
私は気づいてから、携帯をご丁寧に断。
T駅に到着してから、電源オン。
懐かしい駅。
高校時代に乗り降りしていた駅だ。

Yの姿を探す。
いない。
Yの携帯番号は分からなかったので、メールにて到着の旨を伝えた。
すると、Yより着信。
「まだ、家〜○○出口の本屋さんで待ってて〜すぐにコッチも行くから」と。予想通りの場所に、本屋はあり、そこで5分くらい涼んでいると、Yが現れた。
彼女の家に、歩いて移動。
1階が店舗になっていて、その2階部分に住んでいた。店舗の入り口と、住居の入り口は反対の場所になっている。
玄関の前に、駐車スペースがあり、玄関を開けると右側にお手洗い、正面に2階へ上がる階段がある。
3DKくらいの造りだっただろうか。
エアコンの利いた和室でしばし歓談。
まもなく、ご主人(高校同級生でもある)が登場。
その後、ご主人の友人2名(同級生でもある)も登場。
Y夫婦は1年前に結婚したのだ。
お付き合い自体は、かなり長い。
同級生カップルというのが、新鮮で、さしさわりのない程度にツッコミを入れたり、観察(許せ、友よ)
私とYとは高校1年が同じクラスで、あと、部活が同じだった。
たしか私の記憶が正しければ、Yのご主人とは2年の時に私は同じクラスになったはずだ(違うかもしれない)ご主人の友人2名に関しては、部室が近くだったという記憶の程度であり、Y宅で卒業アルバムをめくるひとときはこっ恥ずかしかったが、懐かしくもあった。
「この先生は、訳分からんかったよね…」とか、「○○って呼ばれていたよね」とか「もろ、田舎の高校生って感じだよねー」とか。
やがて、食事会場へと移動。

その店はT駅の近くにあり、魚が食べられる店。
シケの日は臨時休業になるという。
また、その店はYの親戚がやっている店であり、Yも手伝っていたこともあるという(というか、この日もお運びさんみたいなのをしてた!)
「いわしの酢漬け」というのが、絶妙だった。
イカの刺身や焼き物もヒット!
そうそう、生で乾杯だろう?と思っていたが、生を頼んだのは私だけ。
Yは、泡盛の水割り、Yのご主人は烏龍茶、友人2人はなんと冷酒だよ。
恐るべし、九州男児?!
私はというと、生は1杯にして、その後は冷酒をちびち飲みながら、焼酎をたしか2杯(3杯だったか?!)
食べ物もおいしく、無理なく、酒も進み、この近くに住んでいる部活の先輩も1名登場。テレビ関係の仕事をしているとかで、忙しそうだったが、珍しい人(私のこと)が来ているとのことで、駆けつけてくれた。
酒も入り、関西弁丸出し(関西では博多弁を使っている)私に、「いかはります、って…関西やなー(爆)」などと、ツッコミが入る。
イントネーションも乱れまくりである。

結局、11時を過ぎたくらいに、友人2人は、Yのご主人の運転で送り届けられ、私とYは先輩の車でYの家に行った。さきほどは、卒業アルバムだったが、次は結婚式のアルバム拝見だ。
30分くらいして、Yのご主人帰宅。
「買い物がてら、KAZUちゃんも送るよ」という声に甘え、Yのご主人とYで我が実家までプチドライブ。
ご主人〜本当、すんません〜でも、助かりました♪
Yの家から我が家への道中でも、景色の変化を楽しんだりできて有意義だった。今度は、我が夫も連れて、おいしいものとおいしいお酒飲みたいね☆

10日。大阪へ戻る日。
新幹線は午前11時半。母の運転で、福岡市内のC駅まで送ってもらい、博多へ。今回は土産は夫へのタバコのみ。九州限定だか福岡限定だかのハイライトのラム風味のやつだ。
コンコースの自販機で3箱タバコをゲット。
それと、お昼のおにぎり2個、ペットボトルのお茶1本。
帰りも満席だった。
隣に座ってきたのは、子連れの男性。
他の家族も別の近くの席にいたようだ。
私は隣の人のタイプによって、豪快に食べ物を食べたり、飲んだりできる時とできない時がある。
親子連れ、、、
微妙だったが、とりあえず、睡眠をとることにした。
早く降りてくれ〜という祈りが通じたのか(笑)広島で降りた。
空席になる間もなく、今度は女性が乗ってきた。
高校生くらいかな?と、初め思った。
通路挟んで向こう側に母親らしき声が聞こえた(ような気がした)
隣が女性だと安心して、我慢していたおにぎりを摂取。
ちらりと、隣の女性のひざのあたりをみると、ピザを載せているように見えた!!PIZZAである。え????そんなはずないじゃん?!と、もう少しよく見る(でも、控えめに)ピザだと思ったそれは、バッグだった。
花模様のある。
そして、もっと、よく観察すると、かなりのオバちゃん、、、、
40歳後半くらい。
何が、高校生だよ!
珍しく、新幹線の中ではトイレにもたたず、そこそこ快適に過ごした。

あっという間の福岡滞在。
まだまだ、会いたい人がいたけど、また今度!
懐かしい人に会うって、ええもんです。
楽しく年をとっていきたいよね。
できれば、次は新しい家族を引っさげて(祈)




2004年08月11日(水) 福岡帰省日記(その1)

8/7〜8/10福岡に帰省した。
単身帰省である。
単身帰省。6月から連続3ヶ月。

6月は、友とのイベント参加のため。7月は祖母の葬儀参列のため。そして、8月は、やはり友とのイベント参加のためだ。
8月のそれは、半年くらい前から決めていた。8日にヅカの芝居を観るというメインイベント。
大学でのサークル(演劇)仲間であるMは、今、東京で作業療法士として活躍している。彼女が、ヅカ観劇の企画者の中心だともいえる。

東京から参加のMは6日の朝に大阪入りし、我が家で午後3時過ぎ。この日は、主人が夜勤(出張)だった。少し雑談をして、車で買い物に出た。
夜ご飯のメニューは酢豚とサラダと枝豆と白ご飯。
準備をしている間、Mは東京から大阪へのミニ旅の疲れが出たのか、西側からの心地よい風に吹かれ、爆睡。爆睡中に、私は入浴。私の後に彼女が入浴し、その後エステを施した。その後、食事タイムである。
自称高校生男子のMは、ご飯のおかわりをし、酢豚も5分の3くらい食べた。作った方としても、食べっぷりがいいので嬉しい。
12時くらいまでしゃべり、就寝。

さて。7日。
新幹線は午後3時。
朝ご飯をしっかり食べ、メークタイム。11時くらいに、出張帰りの主人が帰宅。12時頃、Mと私は近所の洋食屋でオムライスランチを堪能した。
1時半、主人の運転でJRの駅までいつもより倍の時間かかって送ってもらった。30分前くらいに新幹線ホームへ到着。
ちょっとしたお菓子とお茶を買って、ひかりレールスターに乗り込んだ。
夏休み中の土曜日とあって、満席。
1時間くらい経ったくらいにMがオモシロイことを言った。「今日は、どうだろう、富士山見えるかなぁ〜」と…Mの視線の先には確実に私の座っている側の窓。「え?」謎の表情をする私に気づかないのか、Mの表情は得意げに映った。30秒くらいして、「ヤダァ〜ワタシったら〜もう、何言ってんのよ!」と私の太ももをしこたま叩いた。マジボケってやつだ。
関東在住なので、新幹線といえば、大阪〜東京であり、その間の景色がより焼き付いているのだろう。
たまに、うつらうつら目を閉じつつ、広島まできたところで、家族連れの母親が「あのう〜この席…」と言ってきた。
同じ座席番号。ダブルブッキングか?
するどいM。「日付け、9日ですけど?」と。母親は帰りのチケットと間違った模様。父親が少し動揺して「これは、確実に博多方面に向かっていますよね?」と確認をしてきたので、笑顔で「そうですよ〜」と返事。
家族連れは、バタバタと別の車両に、何かぶつぶつ言いながら移っていった。午後5時45分くらいに博多に到着。
2名と博多駅で合流し、宿のチェックイン。
食事は大学の近くのビストロ。7時半スタート。
食事の幹事のF子は一足早くR先輩と一緒にテーブルに座っていた。
R先輩とはかなりご無沙汰。Mは短大出なので、11年ぶりくらいだ。
懐かしい語らいと、恋愛トークで12時過ぎまでそこにいた。
先輩は車だからと一切アルコールは飲まず、嬉しいことに宿まで私たちを載せていってくれた。

8日。
午後12時から開演。11時から会場で、ロビーには、観劇ツアー団体用の弁当が積まれていたりしていた。団体名に私の住むT市の福祉センターというの表示を見つけ、親近感が湧いた。もしかしたら、知っている人がいるかも?と思ったが福祉センターとあって、高齢のオバさまばかりだった。
私とM以外はヅカの芝居は初めてであり、期待を膨らませていた。
私は2度ほど、本場で観たことがあり、少し得意げだった。
「生演奏が素敵なのよ〜」とか熱く語ったのだが、博多座は生演奏ではなかった(^^;)
F子は、感極まり、鼻をすすっていた。
ショーとの2本立てであり、公演が終わったのは3時過ぎだっただろうか。
私を除く、他のメンバーは博多近辺でお茶タイムを満喫したようだ。

私は、次なる会場へ。
どこか?
それは、祖母の法事である。四十九日。正確には違うらしいが、7月4日の仏であり、初盆ではないので、お坊さんの都合もあり、この日になったのだ。
6時ちょっと前から、お経が始まり、1時間くらいで終わった。
伯父曰く、お坊さんにお経を少し短めにしてもらうように言ったらしい。
お坊さん退場の後は、食事会。
午後10時くらいまで飲み食いし、妹の運転で帰宅。
途中で、銭湯により、汗を流した。
帰宅したのは12時を回っていた。


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