ふつうっぽい日記
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2002年08月29日(木) ありがとうのタイミング

今日も、天気はへんてこりんだった。朝方、晴れ間が出たのでシーツを洗ってさあ、干すかと思ったら雨、雨。

明日は、30日。HP記念日到来。くす玉が割れたりなんていうそういうのがある訳ではない(o^∇^o)ノでも、なんだかけじめなので、日記以外のページの更新をしたいと思っている。

明日は、従妹の誕生日だ。早々に、誕生日プレゼントを郵パックで送った。配達確認ハガキが届いたので無事に届けられたことは確認していた。偶然にも今日、父親が彼女の家を訪問したとかで、プレゼントの全てを嬉しい顔で披露していたらしい。嬉しそうな顔が浮かぶ。今回は私の好きな音楽と彼女からリクエストがあった“あゆ”の曲の寄せ集めのCDと2種類のレターセット。そして、ざっくりとゲームセンターで捕獲された(笑)マスコットを。(:チェーンのついた小さなスヌーピーがなんと8匹!)
贈り物が届くと嬉しいもの。また、贈り物をする側もその嬉しさが伝わってくると嬉しいもの。

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ありがとうのタイミング、ごめんねのタイミング大切ですね。


2002年08月28日(水) バタバタしたオープニング

今日は、久々に英会話のレッスン。気合をいれて、早めに入室。すると、ドアに貼り紙が。教室変更か?と思いきや、「15分レッスンは急用でお休みです。鍵を置いておくので、早く来たら入室どうぞ」と書かれてあった。

15分レッスンというのは事務をしてあるひそかに“おばあ”と呼んでいる方の短いレッスンで、好意でやってくれているのだ。ドキドキしながら、教室の鍵を開け、入室。テラスの窓が開いてあり、涼しかったけど、雨も降り始めて、蒸し蒸ししてきたので、相方さんが来てから、エアコンを付けた。

「15分レッスンはお休みですって〜」と日本語で伝え、世間話を日本語でして、定刻ジャストか数秒遅れで先生到着。すると、なんと手に買ったばかりの消毒液と巨大な絆創膏を持ち、息を切らしていた。七分丈のズボンをたくしあげて、傷口を私たちに見せる。「自転車ですっ転んだ」と英語で言っていたようだった。相方さんは元教師ってこともあって、臨機応変に持ってきていたティッシュを出し、消毒をする。先生は消毒液を手で塗ろうとしていて(スプレー式タイプだったのに)相方さんのするどい「ダメダメ!触っちゃダメ!」(日本語)言葉で治療を相方さんにまかせ、感情のまま叫んでいたヽ(;´Д`)ノ相方さんは「自分やったらようせんけど、消毒はしておかないとね」と豪快にスプレー噴射。「ウヲォ〜〜」という奇妙な叫びをする英語の先生。私は絆創膏のスタンバイ(それくらいしかできんかった( ̄△ ̄;)

まさに、生きた教材ではあるけど、痛々しかった。冷静になって聞くと、京都の賀茂川(加茂川?鴨川?)ぞいを自転車で走っていたら犬が飛び出してきて、急ブレーキをかけて転んだということだった。事務の“おばあ”には連絡してあったらしく、レッスンが始まってから、“おばあ”から教室に電話があり、留守電に耳をすますと「KAZUさん、相方さん。もしこれを聞いたら電話に出てもらえませんか?」と。私は一番若いのにも関わらず、「あ、電話に出てくださいって!」と叫び、相方さんを動かしてしまった(^^;)相方さんは上品に電話対応をして、先生の“治療”は無事済んだことを報告し、先生に受話器を渡す。先生はドラッグストアで消毒液などを買って、ちゃんとケアをしたことを報告して、笑顔で電話を切った。

今日のレッスンは、なんともバタバタしたオープニングだったが、雰囲気はなんだかホットで(笑)私の勘違いもいいように、解釈してくれて、レッスン後、久々の開放感があった。

雨降りは、自転車も車も滑りやすくなっています。気をつけましょう。


2002年08月27日(火) 「ドラキュラ」と3回言えますか?

今日は、少しだけ寝坊をした。でも、ちゃんと朝食と弁当作成は完了。

昨晩は、ちょっとしたことで、笑いながら眠った。何が起きたと言うのか?

私は朝の連続ドラマ『さくら』を見ているのであるが(主人もほぼ見ている)今週は「V(ブイ)」から始まる単語ということで、「バンパイア」というのが番組の最後に出てくる。
英会話のレッスンも迫っている(明日である)ので、主人も協力したいのか(たぶん違う)「ヴァンパイア」なんて気取って発音していた。布団に入ってからである。私が「バンパイアステートビルってあるよね?」なんぞ、ボケボケな事を言うと、ちゃんとツッコミが入り、「では、おやすみなさい」と夫婦の会話も普通では終わるはずだったのだが…

主人が「言っておくけど、ドラキュラなんだからね!」と絡んできたので、知ってるよ「ドリャキュリャでしょ?」と事もあろうに、言ってしまったのであった( ̄△ ̄;)

これに、ツッコミを入れない関西人はいないであろう。それから、30分、いや、それ以上に渡り、私の日本語レッスンが執り行われたのであった。

私:「ドラにキュラでしょ?簡単。ド・ラ・キュ・リャ…」

夫:「やり直し!一回言えたところで自慢にはならないゾ!3回言えるようになるまで寝てはならん!」

私はめげずに「ドラドラドラキュラキュラキュラ…」と練習し、

私:「ドラキュラ、ドラキュリャ、ドラクラ…ヽ(;´Д`)ノ」

夫:「なんだ!ドラクラって!!ダメダメそんなんじゃダメだ!!俺は(笑い過ぎで喉が乾いた!お茶を飲んで来る!ちゃんと練習しておくように!!」

そうは言うけど、秘密練習をするほど、私は真面目でなく、束の間の休憩タイムとばかり、目を休める。ややあって、主人が戻ってきた。

夫:「さあ、言ってもらおう!」

私:「言えるってば。いくよ、ド・ラ・キュラ〜♪ド〜ラ・キュラ〜♪ドラ〜キュラ〜余裕やん」

夫:「歌ってはダメだ!もう一度!」

私:「ドラキュラ、ドリャキュリャ、アリャリャ〜」

夫:「ダメダコリャ〜ヽ(;´Д`)ノ」(チョウさんみたく)


皆さん、早口で「ドラキュラ」と3回言えますか?誰だって苦手なことってあります。私はラ行が苦手。高校時代に指摘されてほとんど治ってない。いやはや(^^;)


2002年08月26日(月) 惰眠を楽しみ、外出

今日は、主人を送りだして少し、惰眠を楽しみ、外出。かつてお隣に住んでいらっしゃった奥様(某隣人さんと言う)のお宅訪問をした。(お引越しされたのであった)といっても、ちゃっかり、車で送迎してもらったのであるが。

隣人さんのお家は、住宅街の一角にあり、ココの環境とはちょいとばかり(いや、かなりか?)違っていた。両隣りの家とは思った以上に接近していて、“お家探検”の時にコソコソ声になったのがなんだか印象的だった。お母さまも偶然に(笑)滞在しておられ、針仕事をされていた。そういえば、私の母親も洋裁学校出身で、私が小さい頃(中学くらいまでかな)洋服を作ってくれたり、編み物をしていたりする姿をよく見ていた気がする。今、実家に帰っても、まったりとミシンを動かしたり、編み針を持って何か作ったりしている姿を見ることはない。自分の子どもが、自分の作った服を着るというのはさぞかし嬉しいだろうなぁと裁縫下手な私は思う。大人になってからは、不器用なところが目につくようになってきて、イライラすることが多いけど、たまに、振り返ると“ちゃんと”母親らしいことやってたんだなと思い出す。

自分が母になるという機会が今後、無事にやってくるかは分からないけど、自分の母親がどんな気持ちで子どもの私と向き合っていたんだろうかってことは、これから先も、思い出したりしたいなと思う。こうやって、少しずつ親離れしていくんだなと実感してきた29歳の夏の終わりである。


2002年08月23日(金) だだだ〜んと更新するつもりが、

だだだ〜んと更新するつもりが、8時過ぎの電話により、外出をすることに(^ー^* )

マッシュルームカレーの準備も「少し」進めていたのだけど、主人の企画により、「外食しようよ」って運びになりまして。準備していたモノは明日あたりに使うとして、さっさか外出準備であります♪

今日は、なんだか刺激的な(笑)日で、ちょろっと日記のネタもあったのだけど、また後日に。
see you next week!!


2002年08月22日(木) 頑張れ、子ども、頑張れ、親。

旅は、、いろいろと観察できる場である。

北海道の旅の帰りの飛行機の中での話を二つほど。私の座る席の左前の通路側の女性。高校生くらいだろうか。もしかしたら、社会人だったかもしれない(以後、困ったちゃんと呼ぶ)離陸前にも関わらず、テーブルの上に飲み物やお菓子を並べる。もちろん、シートベルトなんぞしていない。そして、シートを倒してくつろいでいた( ̄△ ̄;)回ってきた客室乗務員は、2度それを見送ったが、最終チェックの時もまったく困ったちゃんは危機感がなく、チョコレートをむしゃむしゃと食べてジュースを飲みまくっていた。優しい雰囲気の客室乗務員の女性が屈んで、「テーブルを元に戻して、ベルトをお願いします」的なことを指示する。困ったちゃんは「え?」って顔をしつつも、ちゃんと聞いてそれを正す。だが、シートを戻すという学習はなかったらしく、客室乗務員の女性が正しい場所に戻す。飲みのものサービスが始まったくらいに、困ったちゃんは再び前と同じような体勢に変えていた。まあ、これはいいだろう。しかし、着陸体勢に入ってから、再び、困ったちゃんは同じ客室乗務員の女性から同じ指示を受けていた。おそらく、優しい客室乗務員さんだったが、同僚とのアフターファイブの話題に困ったちゃんのふるまいはあがったのかもしれないな(笑)

まあ、旅の恥はかき捨てとも言うし、困ったちゃんは飛行機に乗るのが始めてだったのかもしれない。

さて、お次である。私の後ろに3〜4歳くらいの男の子が座っていた。その隣にはたぶん、その男の子の母親と赤ちゃんがいて、通路挟んで窓がある側の通路側には男の子の父親が座っていたようだ。たしかに、子どもは落ち着きがない。それは、子どもらしいので許せる。しかし、安定飛行に入り、心地よい眠りに私はついたのだが…突然の背面の衝撃に目を覚ました。そう、男の子が椅子の背面を蹴ったのだった。まあ、1回くらいは何かの拍子かもしれないし、滑ったりしたのかもしれないので、再び眠りの世界に入ろうとした…が!( ̄△ ̄;)男の子は、さらに、ドンドンと椅子蹴りを続ける。さすがの私も、不愉快になって、ギロっと後ろを振り返り、子どもを見た。子どもはキョトンとして「ぼくちゃん楽しいんだモン」みたいな満面の笑み。しばらく、平和だったのだけど、また、懲りずにキックをしてきた。またもや、ギロッと後ろを振り返ると父親が「どーも、すみません」と謝り、子どもを叱っていた。こういう公共の乗り物では、絶好のしつけのタイミング。この男の子はなぜに、父親から怒られたのか、ちゃんと学習してくれただろうか。

頑張れ、子ども、頑張れ、親。


2002年08月15日(木) 今日は、なんだか、おセンチ。

ちまたは、お盆休み最終日なんだな。スーパーやホームセンターや百円ショップは家族連れが多い。また、おじいさんおばあさん年代の方も多い。ほんのりとお線香の香りなんかしてきて、お盆なんだなって思う。実家の父によれば、今日はお墓参りをしてくるとか言っていた。

お盆休みといえば、夏休みって感じでお正月みたいな行事の感覚なんてこのところない。小さい頃は、おばあちゃんの家に集まったりして、大勢でご飯食べたりしていたような気がするけど、細かいことはもう忘れつつある。古いことを忘れていきながら、新しいこと詰め込んでいっているんだろうか。

たまに考えることがある。「もし、あの時…」と。主人も「独身だったら…」とか「独身時代は…」と言うことが多い。「独身時代は財布に10万入ってないと気がすまなかった」とか。まあ、昔話をしたくなるのは、着実に年を重ねていることだし、しょうがないけど、でも「現実を見ようよ」と、いつも私は彼の想い出のひとときを遮っているような気がする。それは、私自身も同じくらいにタイムスリップしていて「もし、あの時…」というのが頭を回るからで。自分自身に「現実を見ようよ」と実は言っているってことになんだか今になって、それも、こんな暑いひとときに思った。

たまに、振り返ってばかりで、現実から逃げそうになることがある。せめて、お盆ぐらいは背伸びして、明日に期待していたい。なんでだ?今日は、なんだか、おセンチ。蝉の声もいつのまにか止んでいるし。


2002年08月08日(木) いつかの私たちが、そうなるように。

今日は、3階の人が引越していった。朝9時前後くらいから大きな引越しトラックが止まっていて、どやどやと騒がしかった。3時間くらいで、荷物は詰め込まれたらしく、12時過ぎにはトラックは駐車場から姿を消した。その世帯は4人家族で子どもが2人いる。1人はまだ乳飲み子である。ママさんも小学校のバレーボールのサークルに入っているとかで、友達も多いようで、公然と井戸端会議の拡大判(総集編?)が執り行われていた。ママさん友達は10人弱いたようで、それぞれに子どもが2人くらい引っ付いていて、お別れの儀が賑々しく駐車場で開催され(笑)ベランダに干した布団を取り込む時に、圧倒された。「ハイ!チーズ!」なんて声も聞こえていたので、記念写真も撮っていたようだ。赤ちゃんではなく、大きい方の子ども(小学1年生)は、まだ、引越しの別れっていうのがピンときていないのか(もしかしたら、実はそんなに遠方に越すのではないのかもしれない)母親から「ほら!ご挨拶なさい!」と言われるまで、おいかけごっこをして遊んでいたようだった。しょうがなく「ありがとうございましたぁ!」と叫び、引越す家族を乗せた車はゆっくりと駐車場を出ていく。でも、ギャラリー達はなおも詰め寄り、最後のお別れの雄たけび(?)をあげる。ベランダからその様子を私はひそかに見守るしかできなかった。子どものチカラ、母親のチカラ。

そんなこんなで、午前中は何やら騒がしかったのだけど、夕方は静かだった。「ちょっと!なにしてんの!やめなさい!」とかいう母親の叱る声が近くで聞こえないんだな、と思うと少しだけ寂しいなと思った。まあ、所詮賃貸マンション。入れ代わりはどうしても避けられない。いつかの私たちが、そうなるように。


2002年08月07日(水) 午前中からバタバタ

今日は、午前中からバタバタした。洗濯を1回して、化粧をして、買い物の準備。帰省のための手土産と、図書館の本&CDの返却と、パソコンのパーツの調達のために、電車に揺られて街まで外出。パソコンショップは11時開店だったので、後回しにして、他の用事を済ませて、街に住む友人のところへ押し掛け、パスタをご馳走になった。そして、私の持参したプリンを堪能し、2時くらいに友人宅を後にした。パソコンショップは駅の近くにあるので、先に食材の買い出しをした。まだお昼過ぎだからか、スーパーはいつもよりも客が少なかったような気がした。暑い時間だったからかもしれない。夕方になると、値引き合戦で八百屋やらお惣菜屋は賑わうのだ。週末帰省ということもあって、買い物は控えめに。

そして、パソコンショップへ。主人から頼まれていたパーツは店員に尋ねなくても探すことができて、なんか嬉しかった(笑)このパーツは週末に納品する妹のPCに使われる。たしか、昨晩、寝入りばなに「オーディオケーブルと犬君(モニタを掃除するマスコット)は、僕がプレゼントしよう」と主人が言っていたような気がして犬君も買い物カゴへ。さらに、私からってことで、CDラベルシールの張り具を買った。

汗だくになって家に帰ったのは3時前だった。滝のように汗が流れて暑くてたまらなかったので、一人エアコンタイムをしばし満喫。もちろん、今は、エアコンは消され、調子の不安定な扇風機がなんとか平気な顔をして、活躍している。福岡の今日の天気は快晴だけど、台風のように強風だという。さて、週末の天気はどうなのだろうか。日曜日はバーベキューをする予定らしいので、晴れてほしい。


2002年08月05日(月) 期待をして、笑顔でいることも大切

今日は、自分で自分を客観視して反省をした。でも、表向きはあっけらかーんとしていようと思う。

話は変わって。今週末、帰省する予定ができた。車での帰省である。運転のほとんどは主人なので、実はあまり期待をしていなかった。でも、その期待薄な私の態度は彼を少し傷つけたみたいだった。たしかに、期待が膨らんで実施されなかったら肩透かしをくらったようで、切ない。でも、期待をして、笑顔でいることも大切だなって思った。最初の2行とはまったく逆のシチュエーションで、冷静に自分を観察することができた。まだ、人間関係に亀裂を入れるほどのことは起きていないので、自然体でのほほんと行けばどちらも双方楽に進むことができる、そう信じて。(話を変えておきながらやっぱり、少し引きずっているな、私)

帰省はお盆だから(休みが取れた)ということと、あと、いくつか理由がある。★実家にあるレコードを持って帰ること。★大きなぶ〜にゃんを連れて帰ること(ちびっこいぶ〜にゃんは、福岡に返却)★妹にパソコンを納品すること、である。3つ目のパソコンの話は先週の土曜日の夜に急に決まった。実家の妹のパソコンは私が嫁ぐ時に置いて帰ったモノなので(私自身はほとんど触っていない)もう4年目ということになる。Macではなくて、WINなのだが、アップデートもしておらず、もう、何がなんだかディスクの中は分からないようなのだった(こんなことを書いたら怒られそうだが)「強制終了の嵐」がもう半端じゃないらしいのだ。ネットは最近ダイアルアップから、ADSLの環境にバージョンアップされ(笑)、イライラからは解消されつつあるけど、やはり、不安定とのことだった。主人が細々と自作を楽しんでいるということもあって、作ることになったのだった。まあ、そんなに大きなことをやるわけじゃないので、そこそこネットができて、CD-R(W)が使えるような環境にしてやろうと言っていた。今晩と明日の2日を目標に動作確認まで進めたいらしいが、果たしてどうなることか。まあ、体調を崩さないように、見守っていこうと思う。


2002年08月02日(金) 彼女に本を贈ろうと

今日は、いろんなことをやった気がする。まさに、「一人時間」を満喫。あるきっかけで、昨日立ち読みした本『29歳からの「一人時間」の楽しみかた』(中谷彰宏著)を買ったのだった。そのきっかけとは、何か?

午前中に3件ほど、スーパーやらホームセンターを回った。ご飯の残りがなかったので、私の昼の「うどん玉」(33円)も買った(笑)汗だくになって、買い物を終え、郵便箱を覗くと見なれた文字F子からの手紙だった。

F子は筆まめで、つい何日か前には暑中見舞いの葉書を送ってきたのだったが…とうとう、彼氏ができたか?それとも、私の耳の心配が伝わって励ましのお便りか?などと想像をしつつ、封を切る。そこには、悩みの姿があった。漠然としていたけど、彼女の苦悩の顔が浮かんだ。その時、私は鍋に水を入れて「うどん玉」用のお湯を湧かしていたのだが、「あ!!」とひらめき、火を消し、タンパンに履き替え、リュックに財布とタオルを詰め、自転車で(←珍しいことなのだ。何ヶ月ぶりか??)本屋に向かった。

彼女に本を贈ろうと思ったのだった。昨日の日記には書かなかったが『ダメージ〜そこからはじまるもの〜』(乃南アサ著)という本だ。お節介は、百も承知だけど、F子にはきっと私の突っ走り企画は伝わると確信したのだった。そして、自分用に中谷氏の本を買った。本当はこの本もF子に贈りたいと思った。でも、そこまでしてしまっては、返って気を遣わせてしまうと思い、参考文献として軽く紹介し、ほのぼのとしたメッセージと共に、昼食後(冷やしうどんの麺つゆかけ)苦手な郵便局へ歩いて行った。ただ、郵便を出しに行くために。ちょうど、収集車が郵便局前に止まっていて、このタイミングのよさに我ながら感動した。携帯メールで予告のメールを流そうかなとも思ったが、いきなり、何やらモノが届くというドキドキは有意義だと思い、ぐっと我慢(笑)

そんな感じで、気付くと3時前だった。それから、苦手なアイロン掛けの世界に浸り、PCに向かい気付いたら7時を回っていた。

明日は、義妹と義父が手土産もって、我が家にやってくる。1週間前に心は浄化されたので、「いらっしゃい」と素直に、純粋に迎えられるだろう。何を話そうかとか、茶菓子はどうしようかとか、全く考えてない。まあ、なんとかなるだろう、きっと。北海道旅行についても、煮詰めることになっているので、気が楽だ。さて、今晩は何にしようかな。


2002年08月01日(木) 29歳は、逃げてきたことに立ち向かう絶好の時期

今日から8月に突入。あと、4ヶ月で12月だ。(当たり前だ)

今日は昼過ぎに、宝くじを買ったり、本屋に行ったり、スーパーに行ったりした。すごく、暑い時間である。夕方、涼しくなってからの外出も考えたけど、涼しい時だからこそ、家にいても苦痛じゃないなと逆の発想をし、あえて暑い時間に外出した。

外が暑いのはもう、当たり前であり、常識であり、それが普通なので、さほど、気合を入れる訳でなく、タオルを手に日傘をさし家を出る。徒歩での散策である。

まず、近所にオープンした宝くじ店へ足を進めた。しかし、なんてことだろう。「しばらくお待ちください」と手書きのプレートが掲げられてあり、どうやら、休憩中らしい。そんなに大きなところではないので、一人で販売しているようだった。ひとまず、宝くじ売り場から離れ、本屋に行った。冷房はギンギンにきいてないと知っている行きつけの店であるから、気楽に足を進める。(なんだかポジティブ?)外が鬼のように暑いので、ちょうどいい空調に感じられた今日の本屋。さて、お決まりの主人の雑誌の場所を確認してから、店内をぶらつく。インテリア雑誌をぱらぱらとめくり、苦手な手芸雑誌もぱらぱらとめくり、料理本のコーナーを横目に、PC雑誌の棚へ回り込み、雑誌の見出しだけを斜読みして、文庫本、単行本コーナーへ。生き方の本やら、小説の新刊やらをざっとチェックして、生き方の本コーナーに腰を据えた(爆)

正確なタイトルは忘れたけど、「60歳のラブレター」というのを手にした。初めの5ページくらいを読んだだけで、目のあたりがじんじんした。玉葱が張り付いていたわけではない(当たり前だ)夫婦の絆に危険を感じた時や自分の人生を見つめたい時にまた手にしたいなと思った。60歳まで、同じパートナーと生きる。なんて素晴らしいことか。未熟で輝いていた心身ともに若かった自分を知る自分以外の他人、それが伴侶というのかな。若い時は「愛情」によって、その絆は深められ、それは年を重ねると「情愛」へ変化するらしい。

次に、「29歳からの生き方」だったか、「29歳の生き方」だったかとにかく29歳の素敵な過ごし方をテーマにした本を手にとった。これは、20分くらい立ち読みしてしまったと思う。店員が、足下の引き出しをうやうやしく「失礼します」と開けにやってきて、「あ、やばい。」と少し同様。それほど、吸い込まれていたのだと思う。いろいろとポイントが書かれてあって、印象的だったのか「一人時間を楽しもう」という言葉だった。一人時間。一人は孤立ではなくて、孤独であり、孤独は寂しいものなんかじゃないとあった。「一人で映画館に行きましょう」とあり、そういえば、私は一人で映画を観に行ったことないかもしれないなと振り返った。また、「ヘタなことに挑戦しよう」とあった。さらに「手のかかる料理を作ってみよう」とか「一人で笑おう」など。29歳は、逃げてきたことに立ち向かう絶好の時期なのだなと思った。また、29歳は予習復習のチャンスなのだとも書いてあったような気がする。子どもは予習復習の意義がちゃんと分かってないので、本番が重視されるけど、大人になってからの予習復習はたとえ、本番に結果が出なくても過程で得るモノは大きいともあった。29歳のチャレンジがこれから続く人生に大いにプラスになるということのようだ。なんだか、ちょっとしたことでも、前向きに動けそうな力をもらった。


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