ふつうっぽい日記
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2002年01月23日(水) ささみ梅肉

今日は、英会話のレッスンの日だった。前回は30分遅刻したので(すっかり忘れていた)今回は気合いを入れて前日に宿題をして、今朝も30分ほど予習復習をして余裕を持ってレッスンに出かけた。信号待ちをしていると、相方さんに声をかけられた。「ちょうどよかった!」「すみません、前回はm(_ _)m」と日本語でやりとりをした(笑)信号を渡ってから「次のレッスンなんだけど、私30分早く退出させてもらわなきゃ次の用事に間に合わないんですよ、KAZUさん、いいかしら?」「構わないですよ〜」そして30秒ほどで教室に到着。ノックをして入室をしいつもの挨拶をする。先生も早くに到着していたらしく、5分早くレッスンは始まった。衣服に関することがテーマに取り上げられ、“ひょん”なことから「ハラマキ」という言葉が先生(カナダ人)から発せられた。私は( ̄○ ̄;)!動揺しながら「Yes,I have.....」と恥ずかし気につぶやく。テキストに「ハラマキ」が載っていた訳でもないのだが。さらに、後半で色の説明をするという練習があり、気をぬいている隙に「ハラマキ ナニイロ?」と聞かれた。

KAZU:「It's pink......」
Teacher:「〜〜〜〜〜〜〜Good!!」
KAZU:(;´▽`A`
Partner:「ヾ(>▽<)ゞヾ(▽^  )ゞヾ( >▽)ゞ〜〜〜〜〜先生、見たいんじゃないのかしら〜〜おっほっっほ〜〜〜〜」
KAZU:(ρ_・。)「…んなっ…」
Teacher:「ナニィ?ミテミタイノ○○さん(Partner)?ヒョエ〜ッナンデヤネン〜〜〜ナンカチッガ〜ウ〜〜」
そんな感じであっという間に1時間は過ぎていったのだった。

****************
風は強かったけれど、天気がよくてすがすがしい気分であっという間に1日は過ぎていきそうだ。今晩はあっさりとした「ささみのしそ梅肉巻」。


2002年01月22日(火) そこの自転車!バイク!!

今日は、昼から出かけた。週末にバタつかないように、早々と家賃を振り込んだ。すでに振り込んだことを後は忘れないようにしなければならない。

さて、今日は自転車とバイクに少々腹が立っている。どういう状態が腹立つかというと、止めてはならないところに止めている車輪にである!ガードレールで歩行者をガードしている通路に止めるのは全く神経を疑ってしまうΨ( `∀´ )Ψただでさえ、狭い通路に、今日はなんとバイク(50CCだがバイクだ!)が止めてあったのだ。さらに、説明するとそこは高架下、つまりトンネル。半分は道が塞がっているのにも関わらず自転車が強引に止めてある。そのガードレールに足を踏み入れて瞬時に分かればコッチも、道を選ぶが、後半にさしかかってから、障害物とご対面すると強行突破してしまいたくなる。特に、今の時期は工事車両が行き来していて、歩行者はヒヤヒヤしながらその道を進まねばならぬのに、まったくもって…(*`ε´*)ノ彡☆今日はせっかく歩んだ道のりを引き返すのも切なかったのでソロリソロリと、少々足首を擦りむかせながらも間をぬって進んだ。

妊婦さんだったらきっと体がつかえて危険だっただろうに(妊婦さんはその通路を選ばないかな)


2002年01月21日(月) はらまき

今日は、長めの日記はお休みします。

<<週末あれこれ>>
○チーズケーキを作った
○お隣にお裾分けをして美味しいといっていただいたo(^-^o)o(^-^)o(o^-^)o○土曜日の朝からトイレと友だちになった(もう親友と言えるかもしれない−笑−)
○主人もお腹を壊した
○二人揃って発熱
○KAZU、腹巻きを求めてお店へ
○無事に腹巻きを入手(お客さま感謝デ−で割り引きにて購入(^ー^)v
○明日は英会話の予習復習をするぞ!!\(^o^)/


2002年01月18日(金) かぼす茶物語

私は漬け物やお茶が好きな人間である。とはいっても、「こうでないとだめ」だとかいうこだわりがあったりとか「知識が豊富」という訳でもない。

焼肉を食べる時はキムチが進む、というのが分かる人間っていうのかしら。キムチは成人してビールが飲めるようになってから(一応、真面目な表現で書く)美味しさが分かったと思う。「いかめんたい」や「ワサビ風味」がまた、お酒を進めることにもどんどん気付いていった。また、それらは炊きたての温かいご飯とマッチすることも自分なりにつかんでいった。

二十歳になったかならないか?の時に私はアルバイトとして家庭教師を始めた。名門とかいう大学ではなかったし、学力に自信があった訳でもなかったので、決まったテキストを進めるタイプの家庭教師派遣会社に登録した。大学に近い場所ではなくて、どちらかというと自宅に近いような場所を紹介された。私が住んでいたところは、何年か前に市に昇格したがそれまでは○○郡というのに属しており、当然のことながら○○郡にはいくつかの町があった。派遣会社はどちらかというと、大学に近いところ(つまり、都会)にあり、私が○○郡に住んでいることを知ると一気に3件くらい紹介してきた。
つまり、○○郡をフォローする学生(先生)が少ないようだった。しかし、同じ○○郡といっても、移動距離はある電車沿線の端から端までで、1日に回れ!といわれたら身がもたないのであった。現実は、1日に2件回れという指令はなかったのだが。3件の内の一件がわりと家に近い場所だった。なんとその時の生徒とは今でも交流しているのだった。そういう彼女も今や結婚適齢期になっており、今さら「KAZUさん」と言うのも恥ずかしいのか(?)私は今でも「先生」と呼ばれている。彼女には結婚式でドッキリスピーチ(その日に指名され、何か言わないといけない)をしてもらった。

彼女の実家は釣り具屋を営んでおり、家も海の近くだった。暖かい夏の頃は、カニが部屋まで侵入していて、驚かされたものだった。一番長く面倒を見た生徒だったと思う。公立高校に合格したのもとくに家庭教師がついていたからとは言えない(つまり、彼女が要領がよかった、気力があった)と私は今でも思っているのだが、親御さん(母親)がわざわざ私の自宅まで泣きながら「ありがとうございます」とお礼に来た姿は今でも忘れない。たしか、二十歳の成人祝い(ジュエリーボックス)もちょっとしたものをちゃっかりいただいたのだった。だから、繋いでいる人間関係というのではない。

「家庭教師の時間」が終わると「ちょっとしたお茶タイム」をたいがいの家で出してくれた。これは、とくに決まりがある訳ではないのだが、私は素直に出されたケーキやお菓子や、ときには「焼きおにぎり」を遠慮せずにたいらげ、お茶もある時はおかわりをして「ちょっとしたお茶タイム」を時には生徒と時には母親も交えて満喫していた。もしかしたら私はそれを励みに通っていたのか?(笑)

今でも付き合いのある彼女の家では美味しいお茶がふるまわれた。それは一見ただの緑茶っぽいのだがちゃんと風味があった。おせじやツッコミが苦手な私でも「このお茶美味しい!!」と言った。このお茶が「かぼす茶」だったのだ。何度かそのお茶の素をいただき、家でも「かぼす茶」を楽しんだひとときも今思い出す。


2002年01月17日(木) 鼻を疑う

今日は午前中は、ゆったりと過ごした。午後は洗濯と買い物とケーキ作りと活動的に動いていた。

ゆったりと過ごす時はかなりラフな格好な私。場合によっては、今来客あったら面会は勘弁してください、みたいな時もある。今日の午前中はまさしくそんな感じであった。そして、出かけるために着替えをしている時のこと。

久しぶりにボーダーのセーターを引き出しから出した。袖口が伸びきってきたな〜などとココロでツッコミを入れつつ袖を通した。すると…どこか懐かしいような、でも、嫌な臭いが私の鼻付近を通過した。「あれ?」「…もしかして!!」と周りを軽く見渡す。何も変わったことはない。クンクンと袖を通したセーターを部分的に臭ってみる私。「んん?…」やっぱりナニカの臭いがする。でも、周りにその原因は見られなかったので、臭い直しに香水を少しかけた。そして、振り返って着替えていたあたりと見ると…

( ̄○ ̄;)!

そこには潰れて褐色になった物体があった。「やっぱり…」そう、カメムシだったのだ。おそらく洗濯して干した時に視角に隠れていて、忘れられ、畳まれ、引き出しの中で息絶えたのだろう。

<<<ここまで書いて主人が日記を覗きに来た>>

主人:そういえば、この前はパンツから出てきたよ…
私:ぇえ?それは、でも、夏の話でしょ?最近はめったにいないはずだし…
主人:いや、結構いるよ…2〜3日前にはパジャマから出てきたよ…
私:( ̄○ ̄;)!

おそるべし、カメムシの存在感…干す時もパンパンするけど、取り込む時もパンパンしなきゃいけないらしいΨ( `∀´ )Ψ


2002年01月16日(水) 雨の日は傘をさして

「雨の日は傘をさして」というタイトルで演劇の脚本を書いたことがある。ふと、思い出したので日記のタイトルにしてみた。

本当に今日は雨の日だったことも関係している、かなり。「普通」、「いつも」の私だったら雨という天気にうんざりして、外出も必要最小限に抑えようとする。今日は違った。それは、目的があったからかもしれない。でも、それは今日でなくても、こんな雨の日でなくても構わなかったのに。傘をさして歩くことも苦ではない、そんな日だった。

「甘えてもいーい?」というタイトルの携帯メールが来たのは先週末だった。年末に「発作」で辛い思いをした彼女からの素直な言葉のメール。「レターセットが欲しいの。ちょっとでもいいから、何かいろんなのが欲しいの。自分で買えよって話だよね?でも…この前もらった分もセンスよかったしさ。おねだりしてもいーい?ついでの時でいいから送ってくれると嬉しいです」と。たしかこんな内容だった。

身内であっても、ほめる、認める、ほめられる、認められる、受け入れる、受け入れられるという気持ちの体験はこんなに嬉しいものか?と振り返らないわけにはいかなかった。

言葉にすると、文字にすると、見えてくるモノや整理される気持ちに気付く。

今度、雨が降ったら手紙を書こう。


2002年01月15日(火) 温泉入場制限

正確には「温泉」ではないかもしれないのだけど、大浴場の設備のある施設に日曜日行く予定だった。1週間前くらいにテレビのコマーシャルで「1000円キャンペーン中」というのを偶然目にして行ってみるか?と計画にあがったのだった。「3連休だし、そんなに多くはないだろう」という甘い考えの夫婦がここにいた。結果を言うと、「3連休だから、こんなに多いのだ」「1000円だからこんなに多いのだ」という事実を受け入れることになった。つまり、「断念」したのだった。会場に着いたのは午後4時過ぎくらいだっただろうか。そこは水着で入れるお風呂(温水プール的なもの)と男女別れた大浴場があるのだった。3〜4年前に一度行ったことがある。大浴場の施設の他に宿泊施設や小さな遊園地ようような空間もある。家族サービスにもカップルにももってこいの場所といえば場所なのだ。電車はさほど混んでおらず、軽い考えのまま、大浴場のゲートへ向かった。すると、そこにはざっと500人ほどの列ができており、ガードマンが会場整理をしていた。つまり、入場制限をやっておられたのだ。しかし、「これは、きっと別のイベントの行列だよ」と鼻で笑った夫婦はまだその時は笑顔だった…しかししかし。よぉ〜く、その人々を観察すると、子どもは浮き輪を持っているし、若い女性は見るからにバカンス風(笑)の雰囲気をかもし出しているのであり。入場した人には時間制限がないわけなので、入ってしまえば自分達のペースで温泉気分を満喫できるのであるが…回転寿司のような軽い考えはそこでは通用しないのだった。3分ほど、考えた、私達夫婦。「今日はやめておこう…(;^_^Ak…次来る時は6時に起きて行こう!」と決意を新たに抱き、いさぎよく退場したのだった。

今年は余裕持って行動すべしだということを十日戎の入場制限と今回の入場制限により再確認できただけてもよしとしようか。


2002年01月11日(金) 赤門入場制限

昨日の夜は天気もよかったので予定通りに「えべっさん」に行った。主人とは7時に待ち合わせをして阪神電車に揺られて西宮まで行った。本戎(えびす)ということもあり、もう、とんでもない数の人間でごったがえしていた。電車の中はそう混雑もなかったのだが、神社の入り口の混み様といったらもう半端じゃなかった。参拝者の安全を守る警察はとうとう「入場制限」をしたのだった。「ただいま入場制限をしております。境内付近は大変混み合っております。順路に従って参拝ください。赤門は入場のみとしております。お帰りの方は赤門ではなく…」赤門といわれる表の入り口意外に3つほど門があって帰る時はそこからということだった。帰ることよりもまず入場することが大変。まだかまだかと待つ参拝客の中からは「入場制限するから押し合って危険なんや!警察はそのあたりを分かってないんや!」と叫ぶ者もいた。制限をしたことにより、門のごく近くの露店には客が寄り付きたくても物理的にできない状態で、その店の存在により道幅も必然的に狭くなっていることから文句を言う者さえ出ており。でも、不思議なものでその門を超えると本当に混雑してるのか?ってほどに人は分散していた。まあ、多いといえば多かったのだが。なんとか参拝を終えて、出口の順路通りに歩を進める。もちろん赤門ではなく別の門を目指して。しかし、状況がよく分かっていない“これから参拝する人々”は赤門以外の、つまり、出口専用とされる門から入場しようとしていることから、複雑な「人間渋滞」がおきていた。「コッチから行ったら押し倒されて死ぬで!赤門回りや!」と出口組のおじさんが親切心で言う。入場組も負けずに進もうとする姿もあり、最初から最後まで目にする人の多さに、本戎の威力と不況の威力と穏やかな天候の威力を感じた夜だった。

今年の経済情勢はいかに…


2002年01月10日(木) まったりと

今日は、まったりと過ごせた。(まだこれからイベントがあるかもしれないけど)午後3時あたりから草野球のホームページを更新して、それとそれと、と初めは欲張っていたのだが、「ちょっとその前に」と実家の両親にメールを書くためのネットの旅に出て戻ってきたのは4時過ぎでおり、それから20分近くかけてメールを書き送信。それからぶ〜にゃん(お気に入りマスコット)たちの写真撮影と写真の簡単な加工をして…結局野球のホームページには手を付けられなかった(^^;)

明日はラストスパートで決めようかな。

今晩、もしかすると「えべっさん」に行くかも知れない。寒いだろうな(暖かいはずないわな…冬の神社だもの)準備の余裕があったらデジカメを持って行こう。


2002年01月09日(水) 新年早々(;´▽`A`

今日の話題は何ていったってコレしかない(^^;)

( ̄○ ̄;)!「今日は第二水曜日!忘れていた!!」

何の日なのか、ゴミ出し日か?違う。英会話のレッスンの日!1月のレッスンは16日だし〜なんて余裕をかまして宿題をしてなかったのは誰か?私だ。年明け早々、やってしまった。10時からのレッスン。10時15分くらいに家の電話に事務の方(おばあ)の声でそれは告げられ慌てまくる私。

その時、私は何をしていたのか?主人の草野球のホームページをいじっていた…その作業も監督さんからの携帯に入ったメール「電話ください!!!」というのがきっかけになって始めた作業であり…保存もそこそこに身支度と宿題をこなす。かなりのナチュラルメイクであまり乗らない自転車に乗って現場へ向かった。英語で何ていい訳しようか?と頭はグルグルしつつ、I'm sorry...I forgot....と言うしかなく…しかし、相方さんも先生も休みぼけムードを漂わせており泣きそうにならずに済んだ。

今度はしっかりと復習予習して、頑張るぞ!!という意気込みが必然的にできた。今日の失敗で気力が戻ったのでおそらく、今週の残りの日々も活動的に過ごせるだろう。よっしゃ!!(o^−^o)


2002年01月08日(火) たぬき

今日は昼から出かけた。昨日の夜、姉貴的存在の友人から電話があって休みが取れたからちょっと会おうよ、という誘いがあったのだ。少し警戒したが、素直に茶菓子を持って遊びに行った。前に会った時よりも、顔色がよかったような気がした。とくに、身体が弱いわけではないのだが「彼氏できてんO(≧▽≦)O」という報告をしてくれた無邪気な顔が印象的だったからだろう。やはり、姉貴は占い関係が好きでひょんなことから動物占い(懐かしい〜)の話になり、「うち、たぬきやねん」との告白で「うちもたぬきやねん」ってことでお互い微笑をした。「たぬきの中でも控えめなたぬきやねん」と言われ「たぬきにもいろいろあるん?」「そうやで。この本に書いてあんねん。読んで見ぃ」と会話が進む。私が微笑している間に私の“具体的なたぬき”の項を音読し始めた姉貴…「この漢字何て読むん?」と時々尋ねられながら、たまに、「ほう!」「いいね〜!」とツッコミ付きで完読。当たっているようないないような微妙な言葉にやはり微笑を浮かべて聞いていた私。結局、「持って帰ってもええで〜」という声に甘えて素直に持ち帰った私。ケロケロした気分で読もうかなと思う。

正月1週間過ぎながら、どうやって年を越したのかを忘れないようについでに書いておくことにする。感情曲線は複雑なのはどうしようもないのでアッチに置いておいて、深夜11時30分過ぎからNHK教育テレビであっていた「ムトゥ踊るマハラジャ」を途中から眺めていたのだった。ふぅ〜ん…と初めは軽い気持ちであったが、単純なストーリー展開と登場する役者の表情に釘付けになり、爆笑爆笑。なんと笑いまくっている間に12時を回っていたのだった。どこかのチャンネルに変えていたらおそらく、カウントダウンがあっていただろうが、そのチャンネルは時報もなかったのでありNHKってこともあり、コマーシャルもないので現実に戻るきっかけがなかったのだろう(勝手な分析ですね)主人から「知ってた?12時回っているよ〜新年だぞ〜!」と言われるまでは気付かなかったであろう。それからは名残り惜しくテレビを消して近所のお寺(神社に行くつもりがお寺だった)に詣って年越しそばを食べたのだった。まあ、悲しみで暗い顔をして年越しをせずに済んだというのは幸いであるということにしておこうか…近い内に「ムトゥ〜」のビデオをレンタルするだろう。
インド映画もなかなかよろしいようでO(≧▽≦)O


2002年01月07日(月) 新年

新年始まり、1週間。今日は実母の誕生日。ちょっと前に父から携帯にメールがあって誕生日のメッセージの依頼が来た。忘れているんじゃないか?!と思われたのであろう。たまに、ポォ〜ッとしている時があるので確認してくれるのは有り難いことで。

年末年始は「何かとバタバタするモノ」であることに救われた年越しだった。「年末年始は忙しいモノです」というのがなかったら「あなたたち、大変そうね〜まったく、どうしちゃったの〜????」と興味本意のツッコミも入っただろう。実妹には持病があってたまたま年末に「発作」が出てしまい、久々の事態に両親はドタバタドタバタしており、私のところには「結果」が届けられた。初めての「発作」の時は動揺する母に変わって車に妹を乗せて、いくつか病院を回ったものだ。一度目の「発作」が大きかったので家族として学習することは多かった。年末の2度目の発作は「重症です」「しばらく面会謝絶です」と診断されており(主治医ではなかったからなのか?)、どよ〜んとせずにはいられないギャラリー。無理もないことだ。「今回は覚悟しておいてください」ということも言われたということを遠いところにいる私に報告をする母の気持ちを想像しても。しかし、現実は様子を見るしかなく、1日が長いような短いような4日ほどが経過。2日に八坂神社のおみくじで大吉が出たことを父親に告げるか告げない内に、母親から「面会できて、近々退院かも」というメールが来た。どうも「小さな発作」で済んだカモ?という感じだった。最悪な事態を想像していただけに肩透かしをくらったような感じだった。さらに、元気にはしゃぎ過ぎてなのか、おでこに「たんこぶ」ができていたことを聞いてそっちのほうが大丈夫なのか?と思ったほどだ。「発作」は薬で抑えることができたのでしばらくは要経過観察といったところのようだ。私達の心配に反して本人はあっけらかぁ〜んとしているようで、「面会の時はお菓子持ってきてねぇ〜〜〜〜んっ!」などと留守電に「いつもの声」で録音しており、一気に両親の暗い気持ちは飛んだという。今回は年末年始の微妙な時期であったし、帰省しても本人には会えないということだったので私は見守っていたのである。落ち着いたら妹の彼氏も込みで大阪に招き、遊びまくりたいと思う姉であった。


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