ふつうっぽい日記
もくじ未来


2001年10月31日(水) たこ焼きみたいなオヤジ

たこ焼き屋のご主人のことではない。では、いったいなんなのか。

8年前に私は自動車の免許を取得した。当たり前だが教習所というところに通った。私が通った教習所は担当制(補講を除き指導教官が決まってる)だった。コジマ先生といった。(コジマセンセイ、見てますか?Σ( ̄∇ ̄)性格的にイメージ的に「アンパンマン」みたいだった。私と数人の同期の(?)仲間では「アンパンマン」と呼んでいた。いや、顔が似ていたのかしら(笑)
アンパンマン先生はとても丁寧でノロマな私のペースにも巻き込まれず“ちゃんと”誘導してくれた。しかし、補講ナシで進んでいったわけではない。お決まりのように1段階では1コマ、2段階以降では2コマ以上補講を受けたはずだ。さて、その補講ってやつが曲者だ。決まった時間は担当なのだが、補講は当日にならないとどの教官になるのか分からないのだ。1段階の補講の時は渋い刑事みたいな教官だったような気がする。アンパンマンから刑事なのだから、こっちも緊張したがなんとか1段階は修了。2段階の1コマはたしか「ダイブツサン」と呼ばれていた女性の教官だった。大仏さんのように優しいのか?違う。パンチパーマばりの髪型だったからだ。まあ、その教官もさしさわりのない程度だったが修了のサインはくれなかった。次の補講が「たこ焼きみたいなオヤジ」だったのだ。ほっぺたがたこ焼きってカンジだったのだ。この教官にはもう泣かされた。(実際に泣かなかったものの、涙目になったことは確かだ)怒られたのか?違う。たしか60メートルの距離の間に60キロまで加速せよ!という指示だった。1回目、40キロくらいしか出なかった。4回目も同じ。原因はギアチェンジが遅い!ってことだった。(マニュアル車で取得。。)「片手でハンドル持って!ほら!早く!ぶつかるぞ!曲がってる!」と2回くらい言われる。ため息までつかせてしまった。「KAZUさん…本当に免許取るの?だったらちゃんとしなきゃ。先に進めないよ。ほら、もう一度!」もう涙いっぱい。消え入るような声で「…はい…」と返事する私。そして、ラストの1回、意地もあって踏ん張って加速した。見事クリア!「ヤレバ、できるジャナぁイ」とオカマっぽく(?)言われた。結果オーライとしても、その日はすごくブルーだった。
早くに免許を取った友人に悔しくて電話したら「あのたこ焼きみたいなオヤジやろ?知っとう知っとう!ちょいムカつくっちゃんね〜あげんあるっちゃん〜こっちはお金出しとっちゃけん、ちゃんと指導せれってねぇ〜」と同情してくれたものだ。でも、後からだんだんとたこ焼きみたいなオヤジのおかげで今の私があるんだと思うようになった。とことん、課題に到達するまでつき合ってくれた「たこ焼きみたいなオヤジ」に今日はひそかに感謝しておこう。


2001年10月30日(火) カラオケ

カラオケって好きか?嫌いじゃない。歌が上手いか?上手くない。へたくそと言われたことがあるか?ある。素面(しらふ)で歌うのか?歌わない。
カラオケといえば、飲み会の二次会がお決まりのパターンだった。結婚してからも、そんな感じかもしれない。もちろん、家でカラオケを楽しむ訳でもないので、外食したついでにカラオケに行くことがほとんどだ。独身時代に5時間だったか8時間だったか忘れたが(この3時間の差は何だ!!)素面で友人(つまり合計2人)とカラオケに行った。10年近く前だろうか。初めはもう、緊張して、選曲も慎重だったが、もう、後半になると目についたモノを歌うし、相方がトイレに立って一人になっても同じペースで歌って。何を歌ったのかメモしてれば面白かったんだろうけど、そんなことは考えない。傾向として“いい気分”になるとアニメの『アタックNo.1』の主題歌(♪くるしくたってぇ〜かなしくたってぇ〜)を台詞付きでしっかり歌うようだ。ちょびっと年輩の方がいると沖縄調の「花」(♪はなぁはーながれぇてーどこどこいくぅのぉ〜…泣きなぁさぁい〜笑いなさぁあい〜)を歌う。発声の音域が狭いのかソプラノ歌手のようになる( ´θ`)また、友だちがアニメの「もののけ姫」を熱唱していたのを聴き、私にも歌えると過信して、やはりママさんコーラスばりで歌う。
小学生の時は一瞬だったが、友だちと歌手になろう!と誓いあった。誰も足を踏み入れない中庭で色違いのカーディガンを着て石の上に立って2人で作曲作詞した歌を歌っていた。それも振り付きで。なつかしいなぁ〜( ´▽`)


2001年10月29日(月) ジャンケン

「私、ジャンケン弱いの〜」「勝負に強い」なんてよく言う。ジャンケン、されどジャンケン。私はどちらかというと、勝負運なんてものがあるとしたら弱い方だと思う。しかし、昨日近所のCDレンタルショップのイベントでジャンケンに買ってCDシングル3枚を獲得できた。小さな幸せ。さて、ジャンケンにはいくつか想い出がある。今日はそのことについて。
会社勤め時代、あることでほとんど毎日ジャンケンをしていた。ある取引先の対応。受領書を受け取るというただそれだけのことだったが、それだけのためだからこそ、であった、朝礼が終わってから「じゃあ、今日の当番、決めようか」とお決まりのジャンケンが5〜6人で行われる。取引先の方もまさかジャンケンで対応する人間が変わっているなんて思わなかっただろう。私は何度も対応した。そう、何度も負け続けていたのだ。ある週は負けっぱなしで「それって才能なんじゃない?」とか言われていた。1発負けもよくあった。しかし、ジャンケンには心理的なルールがあることを学習した。誰から教わったのか?それは主人である。「いいか、この順番で明日ジャンケンしてみぃ。絶対、勝つはず!」と。本当か?と思いつつ、信じて彼からの教え通りにジャンケンに挑んだ。結果は1発勝ちだった。私も周りも驚いていた。それからは、負けても5連敗なんてことはなくなったのだ。今でも迷ったら、主人の言葉を信じることにしている。
しかし、極端なこともあるのだ。友人の結婚二次会で「ジャンケン負けたらコレあげるゲーム」的なイベントがあった。ジャンケンして勝った方は負けた方に100円玉を渡すというものだ。最後に負け残った(?)人が王者というちょっと変わったものだ。さて、そこで…まあ、気楽なイベントだったけど、あのルールにのっとってジャンケンをした。負けた、次も負けた、その次も負けた。30〜40人いたのだろうか、忘れたが新婦の父親にも負け、ベスト3に負け残った。私のテーブルの周りは私に期待する。もしも、めでたく、コインをゲットしたらそのお金で三次会にくり出そう!なんて声もあがっていた。女三人が残った。結果は、三回のあいこの後、惜しくも勝利。つまり、王者にはなれなかったのだ。なんだか複雑な心境でテーブルに戻ったのは言うまでもない。
たかが、ジャンケン、されど、ジャンケン(笑)


2001年10月26日(金) 上を向いて歩きなさい

今日はお昼前11時45分ジャストに歯医者の診察台にいた…家にいる11時あたりから、もう緊張していた。診察台の頭当て部分につっかからないような髪型を思案したり、化粧はしないほうがいいだろう、とかとにかく至れり尽せりの体勢で臨んだ(笑)ドキドキしながら、歯科の名前の入った入り口の透明ドアを引く。私の他に男性一人が待ち合い室に座ってた。入室してすぐさまあたふたと挙動不審をやってしまった私。何をしたのか?スリッパが見当たらないのだ。先客の男性は持参したとは思えない備え付けらしき緑色のスリッパを履いてる。考えられるのは下駄箱。でもこの下駄箱がタンスみたいな感じで「ここを開けてください」なんて書いてない。でも、先客の方に訪ねる勇気もなく受け付けの人も偶然に席を外していて、私がとった行動は、そのタンスを開けることしかなかった。一番上の引き出しを開けた。そこには職員のと思しき外靴が収納されていた。うわっ、違った!どこにあるのだ〜〜?しょうがなくひとまず、靴を脱いで一歩内部に進んでみるとボーリングレンタルシューズボックスみたいなのが場違いにあった。それをよぉ〜く見ると「いつも安心清潔さわやか!」的なキャッチフレーズとともに赤いボタンが目についた。「このボタンを押してください」と書かれてあった。恐る恐るボタンを押した。するとケロッと緑色のスリッパが出てきた。スリッパ殺菌ボックスという名前がついてそうなスリッパ入れだったのだ…時代は変わったもんだと急に年取った気分になった。それだけでもう充分に気を使ってしまって椅子に座って雑誌を読む余裕なんかなかった。3分くらいして名前が呼ばれた。処置としてはかぶせてある石を削って噛み合わせをチェックしただけだった。たしかに、そうしたことによって全く「痛み」はなくなった。さすが先生!と感動。でも、親知らずが90度曲がって生えてきているので要経過観察にはなったが。ひとまず、初診で歯医者通いは終了した。ほっと安心して診察台から降りると狭い部屋なのにどこから入ってきたか分からなくなっていた。少し挙動不審になったが、迷った右側は先生が肘を付いて何かしている近くだったので違うはず!と思い左手のドアから無事脱出。間もなく会計のために呼ばれた。そして、間もなく次なる戸惑いが私を狙った。このスリッパはどこに置けばいいの?ってことだった。これしかないとスリッパ殺菌ボックスに接近。すると上部に「ここに揃えて置いてください。方向注意!」的な図入りゾーンがあった。違ったらどうしよう?という不安を持ちつつそこに恐る恐る置いてみた。するとフニョ〜ンとスリッパは下に降りて行き、殺菌光線レールに流されていった…「ぬォおっ」と声にならない声をあげて歯医者を後にした。たしかに、自業自得とはいえ、医者に通う時は凹みがちで下を向きたくなる。でも、前を見なきゃ、上を見なきゃ、簡単なものでも見えなくなってしまう。いい経験をさせていただいたと今はかなり冷静だ。


2001年10月25日(木) ひょっこり買い物袋からサンマ君

今日は「はい??」とパチパチ瞬きしそうなタイトル。今日は25日、銀行とか郵便局とか信金とかを巡る日だ(笑)我が家の近くには銀行がない(T_T)だから、電車に揺られて最低でも月1回は小さな街に出かけることになる。出かけるのは大雨、嵐じゃない限り苦ではない。今日はとっても天気がいい。街で買い物もして、帰りにデジカメで何か撮影しようかな〜と思ってバッグに入れて行った。しかし…。家計財布が暖かくなったので街のスーパーでじゃかじゃか買い物をしてしまった。出費は少ないけど、かさ張ってもう写真を撮るどころではなかった(^^;)近所の本屋にはなさそうなPC周りの本もチェックしたかったので買い物ぶくろからパック詰めされた2匹のサンマをのぞかせながらお目当ての店に入る。夢中になると自分がどんな荷物を持っているかなんて忘れる。結局、迷った挙げ句買ってしまった二千五百円の本。レジのお兄さんもおそらくサンマと目があったことだろう(笑)サンマ2匹で120円って安くない?今晩はもちろんコレである。


2001年10月24日(水) 絶交/シカト

なんだか、「えっ…そんな…」とどんよりさせるタイトル。私は「シカト」という言葉を、使ったことがない…と思う。でも、意味はなんとなく分かる。会話で出てきて、それに反応したりしたことはある。「無視」と同義語だろうか。「絶交」という言葉は記憶をたどれば、幼稚園くらいの時から使ってたし、その状態を実施したこともある。しかし、「絶交」と言いつつ、3日後には「和解」「仲直り」して「親友の契り」を交わすことも珍しくなかった。「絶交」はそういえば高校時代ぐらいから使ってないと思う。やっぱり、頻度的には幼稚園、小学校が全盛期だったと思う。「ぜっこー」と何やら耳障りな音の響きは、子ども社会において、すごく重要な言葉で、儀式であることを自然に分からせる力があったと思う。そこにはドラマがあった。小さな社会。そこで自分と、また、自分とも家族とも違う人間と触れあう中で言葉の重みや恐さを体得していく。…シカト…最近受信した携帯メールにその言葉は使われていた。そのメッセージは受信対象を限定してないほとんど機械的な言葉の羅列だった。いくら、ハートマークが使われても機械的な文章からは冷たさしか伝わってこない。幼い時代の「ぜっこー」という言葉との遭遇がフラッシュバックした。言葉に振り回されるな、情報に振り回されるなと返信した。


2001年10月23日(火) 新発売158円チョコ

チョコレートが大量に出回るのは2月だろうか?しかし、過ごしやすい10月だからか、食べ物も美味しく感じる秋だからか、新発売のチョコレートをチェックしてしまう。OLであれば、年中お菓子チェックはしていたかもしれないが。いや、私の会社勤め時代はとくに率先して新発売のお菓子を買って批評していたほうではない。偶然“おこぼれ”にあずかってしまう(?)天然ラッキー人間だった。「なんかコレもしかしたら美味しくないかも〜」と渡されるモノ、「すごく美味しいKAZUちゃんも食べてみて〜☆」とそのまま口に投げ込まれるモノ、隣の席と微妙な位置にモノが忘れたように置かれて「誰の?」と言うと「食べとかんですかー」とおじちゃんみたいな口調で背後から囁かれたりしたこともあったっけ。一応、視界に「お菓子」の存在は認めていたようだ。しかし、私はどちらかというと流行にうとく、新発売158円よりもチョコボール58円2箱で80円を4箱買う傾向にあったと思う。(今でもその傾向は強い)しかし、ここ一年くらい、家計をあずかる身でありながら、新発売158円をじぃ〜っと見つめている自分にハッとする。「食べたいんでしょ?買ったら?」と同居人が背中をドンと押す。試されているのか?試しているのか?という葛藤と向き合い、3回に2回は誘惑に負け、結果食べられる新発売158円のチョコの運命の瞬間をしっかりと見届けるのだ。明日、何が起きてもおかしくないご時世、経費として落とされる新発売158円チョコは有意義だと思う今日この頃である。


2001年10月22日(月) 食器棚からこんにちわ

かなりおどけたタイトル。昨晩、食器棚がガッシャ〜ンと音をたて、グラスが倒れた。何が起きたのか?地震ではない。夫婦喧嘩でもない。“本人”の名誉のために(?)細かいことは書かない。部分的に書くなら…ある人がお尻からこけた。ガッシャ〜ンと音がした。驚いた。私が朝、起床して何気に食器棚のある部分を見ると…穴が空いていた…ということ。そうあることではないので、記念に日記にかいておく。(*“本人”≠私)


2001年10月20日(土)

今晩はテーマは「魚」の献立。週末は手抜きが許される我が家。ツバスのお造りと、さんまがメインディッシュ。そして、茶わん蒸しもレンジでチンするタイプ(松茸風味)が食卓にのぼった。そして、白ワイン。ほろ酔い気分で日記の更新をした。


2001年10月19日(金)

少し前から、どうも虫歯っぽい。歯医者に行こう行こうと思いつつ、一ヶ月経過。さっき、行きつけの歯医者に電話予約を入れた。来週の金曜日の11時45分。強引でも予定に組み入れられると行かないと!という気持ちになる。はぁ…自業自得だけど、やっぱり怖い歯医者。お化けが出る怖さではなく、痛みの怖さ。しかし今までの歯医者通いからみてみると、その日になると結構開き直ってて「どうにでもしてくれ〜!」状態になる。信じるしかないもの。


2001年10月18日(木)

気を張る、気遣う、気が済む、気に触る、気を落とす、気を回す、気が気でない、気を紛らす、気を取り直す。“気”とは目に見えないけど、時に自分を支え、時に自分につかみ所のない疲れや疑問を与える。そして、「秋」だから?なんだか“気”がどこかへ今沈んでしまってる。上がってくるまでちょっと待とう。


2001年10月17日(水) 肉じゃが

肉じゃが。誰が考えたんだろう。こんなに美味しいもの。昨晩は肉じゃが。「にくじゃが」→「肉じゃが」ちょっと個性的な私のPC(Mac)でも一発で変換できている。でも、レシピを見ずには作れない私。結婚前に母から選んでもらった雑誌に載っている。なつかしいあの時。「これがいいよ」「こっちの方が分かりやすいよ」と初めはあれこれ一緒になって本をあさっていたけど、後から現実に戻ってちょっと投げやりになった母の姿。「この子が嫁に行く…この家を出て行く…ちょっとしたことでも相談していたこの娘が一人前に巣立って行く…」きっとそう思っていたであろう一瞬が何度かあったっけ。私が実家で包丁を握ろうとするとあまりいい顔をしなかった母親の気持ちが今になって分かる。でも、「肉じゃが」の載ったあの本を買って、「作ってみようかな」という私の声に嬉しそうな顔をしてくれた母。「何だ簡単じゃん!」と強がったっけ。本当は簡単じゃなかった。本当は。一緒に台所に立って料理手伝ったりすればよかった。それは技術とか要領とかそんなんじゃなくて。お互い素直じゃない時期が長過ぎたね。強がって意地になってたことに気付きながら…母はまだ元気だけど、今なぜかしんみり思う。秋ってこんな思いに浸らせてくれる、気付かせてくれる季節なんだね。


2001年10月16日(火) 紫ずきん

昨日、主人は「紫ずきん」をもらって帰ってきた。(赤ずきんちゃんの世界ではない)このことろ、ブームなのか偶然朝のテレビでも「紫ずきん」を扱っていた。何者か?それは枝豆の仲間なのだ。見た目は枝豆そのものだが、マメの色がちょっと紫っぽいのだ。何とかという栄養価が非常に優れていると言っていた。(重要な部分を聞き逃している…)今日は「58円の卵」に引かれて、午前中にスーパーに買い物に行ってきたのだが、野菜コーナーに「紫ずきん」はちゃんとあった。主人がもらってきた「紫ずきん」は会社の人の自作のモノだそうで、「皆に配っていた」という。何粒あったか数えてないが2人分は堪能できる量(想像が難しいだろうな)だと思った。早速、湯がいた。枝豆にするのはなぁ…(今日は禁酒の日だし)と考え、豆ご飯にしようとサヤから今出したところだ。さて、お味はどうなのだろうか…


2001年10月15日(月) 睡眠学習

睡眠学習マシンというのが、私が中学時代くらいの時に通信販売のチラシで見たなとふと思い出した。チラシというか、雑誌の折り込みハガキというのだろうか。資料請求はしてないと思うのだが、すごく興味があったことを思い出した。前にも思い出した時があった。それはさくらももこさんのエッセーを読んだ時だったと思う。「もものかんづめ」だったか「たいのおかしら」だったかは忘れたが登場していたはずだ。私は枕元に携帯を置いて寝ている。寝る時は電源を手動で落とし、起きる時に自動電源ONになるようにし、且つアラームを3段階に分けて鳴らしている。昼寝をする時も枕元に置いている。昼寝の時は電源は落とさない。日中は携帯メールが入ることが多く、それがきっかけで爽やかな(?)起床(というのか!?)ができることも多い。さて、今日も実は昼寝をした。重い腹痛に耐え切れなかったからだ。2時間くらいだったと思うが、その間にメールを受信していた。寝ぼけながら携帯の画面を見てまた寝てしまった。その携帯メールが睡眠学習されたのか夢に“彼女”出てきた。要約すると「ドライブをしました。今も車に乗ってます。」という内容でしっかり夢の中に写し出されたという訳だった。実は“彼女”とは面識がなかったりするのだが(笑)なんだか最近、やたら睡魔と向き合ってばっかり(負けっぱなし)のような気がする。今週から英会話教室通いも再開するので有意義に過ごしたいと思う。(思うだけは簡単だ…)


2001年10月14日(日) ビデオとDVD

昨日、DVDソフトをなけなしの小遣いで買った。あと11日2000円でやっていかねばならないKAZUのお財布事情。KAZUのお財布事情については、少しずつ日記で書いていくかもしれないので置いといて…(取ったらダメよ - 笑 - )何のソフトを買ったかというと、プレステのソフトではなく某ミュージシャンの音楽DVDってやつだ。私は今までビデオソフトでも音楽のものは買ったことも観たこともなかった。どこかケッ…と軽く思っていたところがあったのだった。ビデオテープ、カセットテープはたしかに大切な思い出の記録があって捨てられないものがたくさんある。それらは、何度も聴けば磨り減るもので、また、ひらひらしたテープ部分が思いもよらぬハプニングで引き出されたりして無惨な姿になったことは数少ないけどショッキングなことだと思うところが強い。しかし、CDやDVDソフトというのはカセットテープやビデオテープのように劣化の想像は私の中ではまだほとんどない。だからといったら変だが、音楽DVDを買ってみるに至ったのだった。主人がPCと戯れていた少しの時間、観てみた。深夜ということもあり、彼女の独特の世界に引き込まれそうだった。そのミュージシャンが誰なのかについては、追々私のプロフィールでひそかに書きたいと思っている。主人が観たら「ふぅ〜ん」「うっわ〜」的な“どこがいいのだぁ…”ときっと思うだろう。だから3曲ほど聴いて普通のテレビに変えた。おそらく、主人は昨晩の私の音楽DVDに浸る姿なんて見てないはずだ。(ふぅ…)明日お茶でも飲みながら再び彼女の世界に浸りたいと思う日曜日の昼下がりだった。


2001年10月12日(金) おでん+日本酒+刺身

昨日、主人が言っていた。「もしかすると明日飲み会になるかも」と。「明日はおでんだよ」と言ったら「おでんは次の日でも食えるしね」と。そりゃ、そうだけど。まあ、たまにはいいか、と私も「ふぅ〜ん」と返事をした。そして、今日夕方「飲み会だよコール」はない時に「刺身と日本酒も買ったよ。偉いでしょう。」と携帯メールを主人に送った。すると7時前に帰るコールがあった。早い!7時台に帰ってくるなんて珍しい。主人が帰ってきてから「飲み会は?」と訊ねると「断った。刺身と日本酒につられて帰ってきた。」と言った。遅いなら遅いでHPの作業が進められるし、早ければ早いで私もお酒を飲めるしよかったんだけど。


2001年10月11日(木) 圧力鍋

このところ、炊飯は圧力鍋を使っている。短時間で炊けるので炊飯器のタイマー炊飯よりも経済的だと考えたのだった。しかし、いくつか問題があるのだった。それは、鍋に付いていた取説を紛失してしまったこと。普通の鍋ではなくて、「圧力鍋」という何やら普通ではない鍋なのにこういうことでいいのか?いいわけない。ホームセンターで衝動買いしたのだが、その時はまさか取説を紛失するなんてこと考えてもなかったし。幸い、実家で圧力鍋は触っていたので自己流で炊飯以外のことはやってきたのだ。炊飯以外というのは、パスタを茹でる、カレーやシチューの下ごしらえ、お粥くらいなのだが。何が難しいかというと水加減と調理時間だ。圧力がかかると「おもり」が回るのでそれをサインに火を消す。そして、適当な圧力に下がるまで待って蓋を開けるのだ。比較的「おもり」が回りはじめるまでは速い。火を止めてからの時間が勝負なのだ。とくに炊飯に関しては取説なしで手探りで納得のいく米の堅さにするまで努力を要す。4回ほどの試行の後、主人がなっとくできる米具合になったのだった。(そう、うるさいのは主人だ!(^^;)
「マズイものはマズイと指摘しないと改善されないし、無理してウマイなんて言いたくない」これは素面(しらふ)の時主人が言った言葉。「そうだね」と素直に言えなかった私は「だってだって!」といい年してすねたのだが。まだまだ挑戦することはたくさんある。


2001年10月10日(水) 試行錯誤

少しずつ、新しい空間ができあがってきている。新しいお家に家具を配置しているような感じ。HPのタイトルは同じだけど、最初っから作り直すというハードな作業を選んだのは私で、後悔なんてしてない。でも、こういう時期もあった。「そのままコピーして何もかんも貼付けてそれから変えていけばいいやーひとまずー」と。たしかに形は整ったスタートになるだろう。でも…。つまりは、やりたい風に作っていく、それがHPだって思ったら楽だったってことかしら(笑)


KAZU |MAIL