Wanderings / 千津
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 2004年08月29日(日) リハビる。 

大学のほうに用事があって、実家から日帰りで行きました。
行くのがすっごい嫌だった割にはなんともなくて、でも残る理由も無かったので、用事を済ませてすぐ実家に帰りました。
彼氏には申し訳なかったですが(夜を徹して迎えに来てもらったから)。

私は実家でだらだら生活をしていて、あーずっとこれが続けばいいな。
というか身分を保証されて、かつ、こんなにまとめて休めるのは長い人生の中でこれっきりだろうから尚更満喫していたかったので、それを打ち切ってまで大学に行くのは泣いて嫌だったのだけれど、不思議なもので大学に行くと色々と仕事をする気になるんですな。
でも色々のうち少しだけ片付けて、帰ってきたけど。

でも、今まで家にいて学校関係のことは何にもしていなかったけど、今度は参考書を持って帰ってきて、ホントに勉強してます。
えらい?というか、現場復帰までのリハビリです。

 2004年08月24日(火) 22才の登校拒否 

あー。帰りたくないなー。というか作業したくない。一緒に何かをする事の楽しい面子ではない、雰囲気ではない。やる気のある人だけで勝手に進めて欲しい。人生最後の夏休みを無駄に奪われたくない。

私が本当に自分勝手な人間なら帰らなくて済むのにな、なんでそう育たなかったんだろう。小心者だからそこそこ参加します。でも残業はしません。来年残るから多少は知らなきゃいけないんだろうし。でもよく考えたら、来年引っ張る奴は今年から自主的に参加しているんじゃないだろうか。じゃあ、私はいらなくないか?

肩こりがひどい。この体勢は絶対こる。

 2004年08月01日(日) ようやく気付いた 

私は自分を否定することしかできず、肯定することを知らなかったから神経症になった。
神経症を持ち続けたままの生活に不都合を感じて、なにより苦しく感じたから、それを直す為に、自分を肯定できるよう変わろうと努力した。
何年か経って、ようやく私は自分を肯定できるようになった。
今の生活にほぼ満足して、自分の選択に責任を持って、自分自身を肯定するようになった。
だけど、私を助けるふりをして否定し続ける人が、私のすぐそばにずっといた。
それは私の母だった。
治療中から、まわりの人がそれとなく知らせてくれていたけれど、実感したのは今が初めてだった。
彼女は彼女が失敗したと感じているその人生に、私のそれを重ねて、私の選択と暮らしを否定する。
それは「親からの忠告」の形をとって私に服従をせまるものだ。
忠告は聞くけれど、私の選択は私のものだ。


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