---□□草原で独り言□□---

2010年12月31日(金) プライド

私はどうでもよいプライドだけは高いらしい

自分の情けない部分をを
他人に見られるのは
絶対に嫌だ

いつだって強気で
いつだってしっかり者で
いつだって飄々としていたい

そんな私を演じていたい
つねにそんな私で
人前に在りたい

それが出来なかった時
たとえば涙など見せてしまった時
とんでもない嫌悪にさいなまれる

私が涙を見せてもいいと思える人
それを浮かべたなら
ただ一人しかいない

その弱さを受け入れてくれるか
そんなことはどうでもいいのだ
私が打ち明けられるか
私が打ち明けてもいいと思えるか
それが稀有なんだ

この人なら
目の前でうわーんと泣き叫んでもいいや
そう思える人



2010年12月30日(木) 金の亡者

どうにもならないから仕方ないけど
在るものへの感謝を忘れた
欲望だけに染まった黒くて我が儘な
悪魔のように尻尾の生えた子供が
私のなかでだだをこねる

お金があったなら
ああ羨ましい
あの子が羨ましい
あんな風に自由に
お金を気にせず好きなことを出来たなら

羨ましい 羨ましい
あんな風に一人暮らしの必要もないのなら
アルバイトも少なくてすむのに
アルバイトが少なければ
もっと時間ができるのに
毎日悩まなくていいのに

お金さえ お金さえあれば
なんだって解決できる

美しくだってなれる
技能だって学べる
自由に動ける

お金さえあれば
たいていのことは
解決できる
解決できなくとも
その問題にたいしての
最高の努力を出来る

お金さえあれば
もしくは
それを稼ぐだけの持て余す時間があれば

誰も頼れない
もう助けを求められない
大人になった私は
そうするべきなのだと
白い衣服をきた白い翼の私がいう

じゃあやってみろよ

ほら やってごらんよ

その甘っちょろい頭で

一生懸命

おまえが考えるんだ

みんながみな

金を奪い合って生きているこの世界で

純朴でどうやって生きていくのか
よぉく考えるんだな



2010年12月27日(月)

心は素直に
言葉は正直に

そういう手紙や書を
自然にかけたらと思う

私は頭が悪いし
世間知らずで気もきかず
人を喜ばす本当の思いやりもわからない

馬鹿な私は
ただ純朴にひたむきでいるしか
脳がないだけ
ただそれだけだけど



2010年12月20日(月) 甘ちゃんだったんだなぁ

現実を見て
社会を見て
ひとを見て

ああ
これは無理だな
迷惑がかかってしまうから
家族に 誰かに

だから
これは駄目だな
諦めよう

そこで思考は終了

迷惑がかかるということは
すなわち
助けてもらうということ

迷惑がかかるから
助けてもらわなきゃならなくて
負担をかけることになってしまうから
諦める

それが大人の考え方だと思っていた
現実を理解した当たり前の見方だと

でも
『なに甘えたこと言ってるのかしら』
そう 呆れ果てた目で
今日みつめられた

『どうしてそれを打破してまでやろうという情熱がないのかしら』

『誰かに迷惑をかけてしまうなら、かけずに達成する方法をなぜ工夫しないのかしら』


『自分でどうにかしようと出来ないのかしら』


言葉としては普通のお話や口調だったと思う

「みんな色々考えて、工夫してるみたいよ。まるで法の穴をかいくぐっていくようにして、自分のやりたいように出来るのね。したたかというか…たくまわしいわね!」

その声音に
罵りや呆れは伺えなかったけど
その瞳は
間違いなく伝えようとしていた

あなたは甘えている
あなたがどうにかすれば
諦めなくてはならないなんてことは
なにひとつだってない
あなたはもうこどもではない
自立もせずになにをしている
情熱があるのなら
自分の手でなんとかしなさい


私はその瞳を
そらさずに見つめることしか
出来なかった

その瞳が語る気持ちを
真摯に聴くことしか
私に出来ることはなかった

穴があるなら入りたい
顔をかくして逃げ出したい
心底自分が恥ずかしかった

反省する 反省するから
そんな目で私を見ないでくれ

叫ぶかわりに
私は一生懸命
みつめて きいた

あれは励ましじゃない
ましたや慰めでもない



叱られた
真正面から感じた

諦めるのなら諦めるなさい
自分で何もせずに
その程度の情熱ということよ

泣きたくなんてならなかった
苛立ちだってしなかった
恥ずかしかった

自分を正当化する理由を
慌てて探したけれど
見つからなくて
やはり恥ずかしかった


なんと言ったらいいのか
なんと言葉を返せるのか
ぐうのねも出ない

頭で考えても
何も浮かばず
心から
ひねりだした

「しぶとく 頑張ります」



2010年12月12日(日) 朝のあいさつ

小学生の頃
「あいさつ運動」っていって
家族
知ってる人
知らない人


顔を合わせたみーんなに

「おはよう」
「おはようございます!」
って言った

すると
みーんな
「おはよう」
って帰ってきた

その運動は小学校中学校とつづき
高校生になっても
私のなかでそれは勝手に当たり前の習慣となってた

だったはずなのに
気づけば25歳の私は忘れてた

今朝
突然
道にいたおじいさんに
「おはよう、いってらっしゃーい」
と声をかけられる

私は驚いた

おじいさんにもだけど
私に

すぐそこにいたおじいさんなのに
無意識に視界に入っていなかったこと

そこに立っていたのに
声をかけられるまで
まるっきり私の世界に
入っていなかったこと

どうして
いつのまに
私はこうなってしまったんだろう

むかしは
どんな人でも
無関係じゃなかった
朝には
「おはよう」というために
みーんな視界に入ってたのに

悲しくなった

だから
また始める

あいさつ運動



2010年12月08日(水) 在り方

私は素朴に生きていきたいと思う



2010年12月03日(金) 結果は

結果は
努力したものにだけついてくる

努力しつづけているものには
おのずと結果がついてまわる

ただ
それだけのこと


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S.Soraka [MAIL]