---□□草原で独り言□□---

2003年08月31日(日) 努力を怠ることだけは、するな!

もう八月も終り。
明日からは九月。

夏も終わりです。
もう、高校生ライフを楽しんでいるだけの時期は終ってしまいました。
部活も二年生に引き継いだ、志望校も、環境も整っている。
受験勉強しなきゃいけない。
受験まであと半年しかない。

大学受験は厳しい。
ちょうど三年前、私は高校受験を控えて勉強をしていたけれど、
あのときとはワケが違う。
高校は受かってあたりまえくらいの勢いだったけど、
大学は違う。門はせまいのだ。
自分の志望を、
まわりの人たちの応援に支えられながら、
努力して、頑張って自分の実力で門をくぐりぬけなければならない。

だけど、振り返ってみれば、私はまだ努力が足りてない。
それは、日々のレッスンでも明らかだし、テストでも表れてる。

そうなのだ、私はいつも考えることだけ得意なのだ。
考えて、考えて、答えを出して満足して、終ってしまう。
また、逆に悩んでもどうでもないことで、悩む。

それでは・・・成長しない。
考えることは3割、実行することが7割くらいで大事なんじゃないかな。
考えなくても、必死に頑張ったなら結果は出てくるから。
不安が心をすくっていても、
頑張ったなら結果はでてくるし、後悔は絶対しない。

だから、
これから半年の受験まで、
絶対に努力を怠ってはだめだよ、
私が夢を追うことを許して、応援してくれている人達がいるのだから。
何より、私が夢をつかむために、頑張らなきゃだめだよ。
頑張れ!私!!



2003年08月27日(水) 絶妙な空気

ひさしぶりに、あの人の夢をみた。

私は、何故か透明人間で、あの人に一生懸命近づこうとしていた。
目の前にいって、必死に呼びかけている夢だった。
何だかこれだけ聞くとめちゃくちゃ切ない感じだけど、
何と、場面はデパートだったり木造住宅だったりして(笑

忘れかけていたつもりでも、ふっと思い出せば
微妙なやるせなさにかられるもんですね。
最近ゆーちゃんがまた彼氏と復縁したからかな。
それを見ていて、何だか思い出す機会が増えたのかも。

この前のコンクールの時も、いたんですよ。
って、歌やってる人だから当たり前だし、だからこそ出逢えたんだけども。
同じ団体の女の人と一緒にロビーにいて、
その女の人と私は結構仲が良いから、
ものすごい笑顔で手を振ることだけできた。

本番終って、舞台袖から出てきて、写真撮影し終わってから、
ホールに戻ろうとしたら、また近くに発見したけれど話し掛けられなかった。

あんまり私から近づいたら、煙たがられる気がして。
しつこいと思われて、嫌われる気がして。
「もう友達にもどれますよ」
そう言って、ちゃんと宣言はしたけれど、
どこまで仲良くしてくれるんだろう?

あの人と話したとき、普通でいられなかったら嫌なんです。
まして、「しつこい」なんて思われて嫌われるんて、もっと。

去年の9月、あの人と会って、普通に笑いあっていた。
あのときみたいな風になれないかな・・・。
今は、お互い戻りたいと思いつつも、
なかなかうまくいかない絶妙な空気。



2003年08月26日(火) なんとなく


愛は愛をよぶ

愛はもっとも尊いもの


笑顔は幸せをよぶ

幸せはもっとも求められるもの


愛は幸せ
幸せは愛


人は愛を守ろうとする
愛は人を守る



2003年08月25日(月) 答え

昨日のコンクールの反省を三年と先生だけで話し合った。

三年はみんな悔しかった。
それが一番の気持ち。言葉にしなくても私達はわかりあった。
だけど、それを1・2年の前で言ってはならない。
・・・そんな風に思った。
だってそう言ってしまったら、気持ちよく引退できない気がして。

だから、三年はみんな暗黙の了解で、
「でも一ヶ月でよく頑張ったよね!」
そうやって、必死に自分達を納得させようとしていた。
「悔しい」・・・そんな言葉を、誰かの前でいったとたんに
それが後悔に変わりそうで、こわかったから。

後悔を残して引退するなんて、私達は耐えられない。
高校生活の全てを捧げてきた部活。
そのフィナーレに、後悔の二文字を掲げるなんて、こわかった。

私達は必死に笑ってた。
自分の心にすくう悔しさが目に見えないように、笑ってた。
その笑顔で、誰かが「悔しい」なんて言い出すのを禁じてた。

そんなときに、先生が
「少しは落ち込めよ、せめて2・3日くらい」って言った。

私達はそれでも笑った。
「ええっ、これでも落ち込んでるんですよ〜」
おどけたようにいって、暗くならないように気をつけた。
にじむ涙を知らないフリをした。

「悔しくないの?」

「悔しいけど、それ言っちゃダメじゃないですか」

「そうか?俺はめっちゃくちゃ悔しいんだけど」

「私達だって悔しいですよ」

部長がせきをきったように、ついに、小さく叫んだ。
本音を口にしたその瞬間に、わたしたちは泣いた。

「悔しいと思えばいいじゃん、
 悔しいとおもわなきゃ、先へは進めないよ」

私達の涙はとまらない。
でも、自分達の正直な気持ちを口にして、
自分達自身で認めたとたんに、
何かもやもやとした中で、出口が見えた気がした。

「でも、先生、『悔しい』と『後悔』は・・・違うんですよ」

部長が言った。

きっとこれが私達の必死でしぼりだした答えだ。



2003年08月24日(日) 後悔しないために

夏休み最終日、私たち三年は最後のコンクールがあった。
金賞をとって、次の大会に進めたならば違ったけれど・・・
そして、今日で二年に部をひきつぐ日となってしまった。

今年は難易度の高い曲に挑戦をした。
金賞をとって次の大会に進みたいと本気で思ったからだった。

でも結果は銅賞だった。
しかも、散々な順位で。
第一の原因は、4パートあったメロディの重なりがずれたこと。
コンクールの場で、歌がずれるなんてこと有ってはならないし、有り得ない。
ましてや指揮者がいるのだから。
ずれるなんていうのは・・・楽譜を歌えないなんていうのは、
もう審査の対象外だ。

悔しかった。嫌だった。

どうして、間違いが起こってしまったのか。
それは、練習不足の一言だ。

練習を始めてみてわかったのは「今までの曲とはワケが違う」ということ。
発声の問題はもちろん、
まず、よっぽど譜読みができる人でないと、リズムが読めない。
それから、ハモる音が微妙な位置にある場面が多い。
あと、表現力が要求されること。
とにかく課題だらけだった。
楽譜が手に渡っても、
一体どこからどう手をつけて練習すればいいのか見当もつかなかった。
だから、避けてしまっていた。
練習を先延ばしにしてしまって、気付いたら日がなくなっていた。
これは、三年の責任だ。

そして、曲が未完成の状態であるにもかかわらず、
夏休みの練習にくるのは三年ばかりだった。
それでも部長はお盆中は休みをとった。
この期間ばかりは、家の事情でどうしようもないからだ。
先生はお盆中でも各自で自主練ができるように、テープをつくった。
なのに、お盆明けときたら、どうだろう。
本当に自主練をしたのだろうかと疑問をもつような具合。
実際私もそれほど練習できなかった。
一年、二年は一人だけでは戦力にならないような声だし、
その上練習の出席も努力しない。

私達も少し気が抜けていた部分があるのだと思う。
だけど、だけどね、ひとつだけ納得いかないものが、ある。
結果発表の後に、
「今年は銅、去年は金・・・はぁ、どれだけ去年の三年がすごいかがわかる」
って言ったね?二年生。
ちがうよ、それ。
「どれだけ、去年の二年にくらべて、今年の二年がヘタかわかる」
っての、あるんじゃないの?
去年のコンクールでは戦力が2・3年だったけど、
今年は3年しか戦力になってなかったでしょう?
今日大きな間違いしたのも、2年の子だったよね?

部活全体として、今回のコンクール、どれだけ頑張れただろう?
必死だったのは三年だけじゃない?

そんな風な言い訳みたいな、愚痴みたいな嫌な言葉が胸に放置されてる。
本当は、
「いや、でも他の高校は、別の場でつかった曲を使い回しして出場してるのに
私達は新しい曲を一ヶ月で夏休み中だけで頑張ったんだ」
て、いい部分だけ心に思っていたいけど。
100パーセント満足がいかなかった今回だから、
何が悪かったかちゃんと考えなきゃ、たくさん成長できないから。
だから、胸の中の嫌な言葉もちゃんと聞いておこう?
そして、きれいに整理していこう?

それができて、やっと次に進める気がするんだ。



2003年08月23日(土) その背中を追ってきました

24時間TV見てました。

義足の少年が400M走をするっていうの、ありましたよね。
高い目標をたてて、一生懸命練習して、走っていた。
それでも最後、ちょっとだけペースが落ちてしまって
目標タイムに届かないんじゃないか、否かって時。
少年が憧れている強い人、ボブ・サップが彼の横にいって、
一緒に走り出した。
ボブ・サップは応援しているようにも見えたけど、
少年の一歩前を行くようにも見えた。
まるで、「おれについてこれるか?」・・・そんな風にも見えた。

かけっことか、マラソン・・・って、
目の前に誰か速い人がいると、
その人に「ついていこう!」とか「おいこすぞ!」って思う。
だから、速い人と一緒に走ると、たいていタイムあがるんですよね(笑
不思議ですね、一緒に走る相手だけで自分のタイムが変わるんですよ。
そう、
速い人を追って、自分も速く走っている。


これって、何かに似てる。


一緒に走る人という意味では・・・そうだ、ゆーちゃんと私だ。
私はゆーちゃんと逢って、そして一緒に同じ夢をめざしてる。
ゆーちゃんは、私の前を走ってた。
私は、その道を走る覚悟がなかったけど、
だけど、夢をめざして頑張ってるゆーちゃんを見たら、
私も思わず走れそうな気がしてきて、一緒に走り出した。
そして私は、頑張ろうと思って、そして今も走りつづけてる。
不安になることだって、つかれることだってある、
だけど、一緒に頑張ったり、笑ったり、泣いたりできる友達がいる。
片方が立ちすくんでも、走りつづける片方の背を見て、
また立ち上がって、追いかける。


あと、私にとっての常に前を走っている人は、先生だ。
どんなことがあっても、必ず私の前を走ってるから、
知らず知らずのうちにその背中を追っていて、私は思わず速く走れてる。
だけど、先生はとてもすごすぎて、私は追いつけない。
だから、もっともっと走る。
息切れして苦しくなった私に、先生はアドバイスをくれる。
もっと走れるようにと、教えてくれる。

私が今ここでこうして夢を追うことを続けられているのは、
その背中を必死に追ってきたから。
私はこれからも、その背中を追います。
同じ音楽をする者として、尊敬しているから。



2003年08月22日(金) 子供

今日先生の息子が学校にやってきました。
なんでも、奥さんが用事で家にいないため、
先生がおもりをしなきゃならなかったらしいです。

二歳半くらいの男の子です。
も、も、もう、かわいすぎる・・・(ため息)
部活練習中、先生が指揮する横でずっとイスに座らされてたんですが、
ぬいぐるみを「どぅぞ、どぅぞ、」っていって
一生懸命手をのばして、お父さんに渡すんですよ!!
あんたかわいいんじゃーーーーーっ!!
部活終ってから、ゆーちゃんと二人でずっと面倒みてました。
素直な子です、はしゃぐ姿が可愛すぎるんですー!
もう、ひねくれたとこがなーんもない!
なんであんなにかわいいの。
ボール遊びしたんですけど、
初めて「おねぇちゃん」っていったんです、
・・・瞬間、私とゆーちゃん大絶叫(笑


こんな私だけど。
実は、前は小さい子嫌いだったんですよ。
小さい子の面倒見るなんて絶対できなかった。

私、最近、子供嫌いだった理由がわかったような気がするんです。
とくに保育園〜小学校低学年の子なんてもうダメでした。とくに女の子。
「ひねくれて見えた」からです。
あんな可愛い風貌しながら、
腹のそこはヘソからひんまがってるように思えたんですね。

どの子もそうゆう風に見えました。
見栄っ張りで、自分勝手で、おませで。
小さい子ってそういうものだと思ってました。
なんでそう思ったんだろう・・・。

きっとそれは私が小さい頃そうだったからなんでしょうね。
私は・・・けっこうひねくれ者でした。
私は、私の小さい頃のような女の子がいたら、
絶っ対、心の底から『かわいくねぇっ!』と思います。

バカですね。
「小さい子はひねくれてる」って決め付けて、
接するのを嫌がってたから、実際を知らずに「嫌い」っていってた。
素直でかわいらしい子ばっかりなのにね。
まぁ確かに時々は、ひねくれっ子もいるけど・・・。
でも、実際接してみてわかったんです。
小さい子って、自分の利益とか得とか考えない。
だってよく知らないから。
ここで「いや、知ってるっつーの」って思ってしまったら
前の私と同じです。(笑
以外にね、小さい子ってのは素直です。
小学校上がる前ってのは、とくに。

「子供嫌い」にもいろんなケースがあると思うけど、
自分が小さい頃ひねくれものだったから
どんな子供もそんな風に見えてしまって・・・
っていう、私みたいなタイプの人いるんじゃないだろうか。



2003年08月13日(水) 私の家族たち


私の家族達(爺婆含め)っていうのは、
まぁちょっと言うの恥ずかしいけれど
本当に私のことを心から可愛がってくれているんですよ。

今日からお盆だから、おじさん夫婦と、いとこ達が帰ってきました。
実は昨日から帰って来ていたんですけど、
私が部活だったので、我が家は今日顔を合わせました。

「どうもお久しぶりです〜」
なんて会話をしていたら、
おばさんがコンクールのことを知っていました。
(6月にコンクールに参加したのですが、予選通過をして
本選を東京の地で、ゆーちゃんの伴奏でうたってきました)
私は話していないし、もちろん私の家族も話してません。

『何で知ってるんだろ?』
と、ふと疑問に思いつつ、そばにあったちゃぶ台の上を見て理解しました。
犯人はお爺でした。

ちゃぶ台の上にあったのは、コンクールのプログラム。
お爺はみずから志願し、
私とゆーちゃんの付き添いをして一緒に東京にいったので
もちろんプログラムも持っていたのですが、
昨日夕方帰ってきたいとこ達に、早速それをみせて
「○○がなぁ、東京のコンクールに出たんだぞぉ」
と言って話したんでしょう。
何だか当事者の私が言うのも変だけど、
ちょっとだけ得意げそうに私のことを話すお爺の姿が目に浮かびます。
ゆーちゃんが、
「あんたと、あんたのおじいちゃん見てると、まる子とおじいちゃんみたい」
と行ったしな。
もちろんその瞬間には、ゆーちゃんに私からのツッコミチョップが飛びましたが。

でもこんな孫バカに見えて、
いとこに、
「勉強しないとなぁ、こういう落ちこぼれになるんだぞ」
って、私や妹を指さして言うんですけどね。
あまりにテストの成績悪いんでね。(事例:前回数学9点)

まぁ、なんにしても、やっぱりいい家族達の下で育ってます。



2003年08月04日(月) おひさしぶりです。

ものすごくおひさしぶりです。
今、といってもずいぶん前からですが、
WEBサイトからサイトへうつるというウィルスにかかってしまいました。
なので「草原の猫」をいったん停止してあります。
ついでに再インストールもしようとしてるのですが
何せ時間がなくて結局まだしてないです。
夏休み中には復活させようと思っているので、しばらくご了承ください。

7月11日以来の日記・・・わぁ。
忙しかったです・・・この間。
まず、18〜20の文化祭。
21のコンクール。
そして何と私、
7/29〜8/2まで東京の地でゆーちゃんと共に過ごしておりました。
音楽の修行をしてきたのですが、
勉強になったうえに、すごく楽しかったです。
4泊5日も二人でダラダラとくつろいでました。

東京っていっても、すみっこの方で田舎だと聞いていたのに
私には十分都会でした。
歩道橋(ですか?)が右往左往していて、
何だか二階建てみたいだなぁと迷いまくってました。
そして、なんか△の中に1ってかいてあるファーストフード店のポテトに
私達は大感激を受けました。
なんていったって味の種類がたくさんあって、おいしい・・・っ!
ゆーちゃんは毎日買って食べてました。
私はさすがに太るかも・・・と思って規制しましたが。
ホテルの朝食がバイキングだったので、食べ過ぎてたので(笑

びっくりしたのは空気が薄いことでした。
サウナにいるみたいとゆーちゃんと話してましたが、
日の暑さじゃなくて、湿気の蒸し暑さなんですね。
でも思ったのは、意外に道がきれいです。
建物もきれいだし、街並みが長野よりもずっときちっと整頓されているかんじで。
東京の中の田舎だったからでしょうか?
(↑これで田舎といえるのか・・・!?って感じでしたけど)
3月にいった渋谷は本当にきたなかったです。
街の空気に毒されそうでした。
こんなこと言ったら怒られるかもしれないですけど、
人からもあまり良い印象を与えらなかったので、
都会のイメージが非常におそろしかったのですが、
今回行った街はそれほど恐くなかったです。
結構歩けました。

あと電車もラクなんですね。時刻表がいらない世界。
終電も深夜0時すぎまであるなんて、便利そうです。

まぁ色々ありましたが、楽しいたびでした♪


 < 過去  INDEX  未来 >


S.Soraka [MAIL]