---□□草原で独り言□□---

2002年09月30日(月) 「心配したって・・・」

先生は仕事をしていたけれど、
「先生〜、相談があるんですけれども仕事終りますか・・・?」
「おわ・・・ってないけど、仕事しながら〜でもいいんならよいですよー」
例によってゆーちゃんも交えてまた相談をした。

昼休み。私は担任の先生に
「音大に行きたいので、理系講座から文系講座にうつります。」
と言いにいった。
すると先生、中々キツイことを言う。
「合格率や就職も聞いてきてゆっくり考えろ。
何せ他の方面とはまた違ってすごく厳しい道だからな。」
・・・合格率なんて聞けなくて放っておいたのに、さすがにそうはいかないか。

私はまず就職のことから聞いた。
先生はどうして音大に行ったのか。
初めから教師になるつもりだったのか。
色々聞いた。
私は意外だと思った。
ゆーちゃんもそうだけれど、プロになりたいんじゃなくて
はじめっから先生になりたかったのだと言うから。
話を聞くうちに私の悩んでいた就職の悩みが少し解消された。
「教職」もいい。そう思ったから。
もっとひらかれた、歌の教室を開くのがいいかも知れない。
歌をもっと普及させるのだ。

話し始めてかなりたった頃。
私はついに切り出した。
「・・・私はどれくらいの見込みがありますか?」
・・・先生は厳しいことを言わなかった。
その内容は私を喜ばせたけれど、果たして真実なのだろうか。
・・・おっと!
私のよくないクセが出た。
「常に物事を批判的に見る」というクセ。

ゆーちゃんの「歌は上手くなれるんですか?」という問いに、
先生は答えた「やればやるだけ歌は上手くなる。」
私の「先生は才能をどう思いますか?」という問いに
先生は話した。
「99パーセントの努力と、1パーセントの才能。
100点とれる人間はわずか。
でも99点までなら誰でも頑張ればとれる。」

最後に聞いた。
「自分にいいものがあるかどうか、不安になることはないのですか?」
先生は言った。
「心配したってしょうがないだろ?
多分、そんなの死ぬまでわからないんだよ。」

私は先生を尊敬する。
尊敬するから、その言葉を信じてやってみようと思う。
不安だと思っていたことは全て話した。
あとは私がどこまでやれるか。
どこまで自分を信じれるか。






2002年09月29日(日) 愛されているのだと

昨日。
おじいちゃん(祖父なんて気取って書けません/笑)が趣味で作っている
メロンがたくさん取れたというので
とてつもなくお世話になっているピアノの先生にも持っていった。

母さんが運転する車に乗って、おじいちゃんと私、3人でいった。
ピアノの先生の家へ着き、私はドアホンを押した。
母さんとおじいちゃんは車の中で待っていた。
「はい〜、どなた?」
「おはようございます〜」
「あら、○○さん!ええっ!?今日レッスン入ってたかしら!?」
「あ、違います〜。メロンをおすそわけに」
そして先生は慌ててでてきた。
そしてあまりに慌てて先生が出てきたので、母さんも車からでてきた。
それから先生と母さんは、立ち話を5分弱くらいしたが、
やはり内容は「私の進学のこと」。
先生は私を応援する発言をする。
何せお金がかかる道なので
単刀直入に「行かせてあげてください」とかはもちろん言わないけれど、
「私も練習は嫌いだったのですけれどね、
結局今でも続いているっていうことはやっぱり好きだったんですねぇ」
「でもお母さん、好きなことがあることはとてもいいことじゃないですか。」

夜。夕食が終ってTVをみながらだんらんの時間。
母さんがTVを消した。
母さんにはもう話してある。私の学びたいこと、私の一番希望する進路。
私は、それを機に話を切り出した。
「お父さん、話があるのね」
「何」
「私の進路のこと」
それから、私はすべて話した。
音楽を、歌を学びたいこと、続けたいこと、頑張りたいこと。
大学は私立になるということ。
高額な授業費、バイト、・・・。
私が一段落話し終えると、母さんが今度言った。
「お金なんだけど・・・」
母さんは私がもし私立音大に入ったときのことを考えてお金の計算をしてみたらしい。
母さんは、おじいちゃんとおばあちゃんに
「○○(私の名前)が音大にいきたいって言ってる」という話したらしい。
そうしたらおじいちゃんとおばあちゃんが「応援する」と言ってくれたらしい。
きっと農業の規模を少し広げてくれるのだろう・・・。
家系的に言うと私は外孫なのに。

不安が残るお金の問題。
見えない私の才能。
あてがないその後の就職。

なんて険しいんだろう。
私はなんて家族に迷惑をかけるんだろう。
きっと「諦めろ」といわれるだろうと思った。


それなのに父さんは
「何とかなるだろう」
と言って、なんと私の出した答えを許してくたのだ。



中3の頃からずっと無理だ無理だと思って諦めようと決心した夢。
ふとやっぱり、消したはずの夢がまたよみがえってしまったから
思い切って先生に話し出すことからはじめた。
今まで私はこわくて踏み出せなかった。
「もう間に合わない。」
そういわれるのが怖くて私は言い出すことができなかった。
お金の理由を都合よく夢を諦める口実に使おうとしてたんだ。
本当は「お前がいけるはずがない」そう言われるのが嫌で、
先生に音大についての詳しい情報をきこうとしていなかった。
だから去年の今ごろ、「音楽のみちへ行きたい」と言ったとき、
父さんも母さんも「お金がない」という現実で私の気持ちを砕いた。
あれは「本気なのか」と、私にそう問い掛ける言葉だったんだ。
けれど、私は更に追求することをしなかった。
きっとまだどこかで「諦められるだろう」という心があったんだ。
だけど、今。
ブレーキをかけないで全てを言い切った今、
こんなにあっさりと家族が認めてくれるなんて思ってもみなかった。
たくさん問題は残っているのに、「何とかなる」で許してくれるなんて。
それはきっと、
父さんや母さんが私を絶対的に愛してくれているからだ。
そして応援してくれるおじいちゃんやおばあちゃんも、私に注ぎ込んでくれる愛は大きすぎて、私は嬉しいを通り越して感激の涙があふれた。

ずっと運がないと思っていた。
お金がないことを不幸だと思っていた。
なんて傲慢で鈍感な自分だったのか。
今、私はすごく自分が幸せだと思う。
幸せすぎる人間だと思う。

父さん、母さんに愛されている。
おじいちゃん、おばあちゃんは私を可愛がってくれる。
先生達は私をずっと見守っていてくれる。
好いてくれる人たちがいる。
大好きな友達がいる、大好きな人たちがたくさんいる。

私はこんなに愛されていたんだ。



2002年09月27日(金) 夢の岐路

すべての思いを吐き出して

隠しつづけていた涙さえとどめようとせず

不安も恐怖も

すべてをさらけだしました


返ってきたのは

心に羽をあたえる言葉

ひとつひとつが力をくれる

先生は大きくて広くて暖かい


重りを取り除く言葉

共に悩んで

互いに本音をいうたび心は軽くなっていく

ゆ―ちゃんは私の大親友


背中に翼があらわれそうだ

空にさぁっと舞えそうだ


天よどうか私を応援してください

風よどうか私の背を押してください



私よ

私になろうと必死にもがけ



2002年09月26日(木)


校内合唱コンクールが終って私達は音楽室にいた。
部活の顧問の先生とゆーちゃんと私。
もう6時。外は暗くなっていて、空気はしんみりとしていた。

私とゆーちゃんは音楽室でいつも通りのふざけた会話をしていた。
そしてふといい間ができたので私は言った。
「先生、『私を泣かせてください』歌ってくださいよ〜」
ピアノの発表会で私がこれを歌うことを知ってるゆーちゃんは即座に
『あ、手本にするんだー』と思って一緒にせがんでくれた。
先生は修理から帰ってきたPCを再インストールしながら
「なんでー」
と、面倒くさそうに返事をした。
「実は私、これをピアノの発表会で歌うんですよー」
「何で、ピアノの発表会なのに歌うの」
私は慌てふためいた。
まさか、単刀直入に「歌いたくて頼んだんです」なんていえない。
私はいつもはそんな積極的なキャラじゃない。
「えっ、えーと。私これが最後の発表会なんですよ」
なんだか質問に対してあっていない答えだけれど、
あわてふためいていた私にとっては精一杯の理由だった。事実ですし。
「なんで最後なの」
意外な反応だった、
「へ?来年になったらピアノやめるんで・・・」
そんなの決まってるじゃないか。そんなの・・・。
「やめるの?」
先生はあくまで淡々と言った。
「あー、来年には。はい。」
私も淡々と答えたつもりだ。
けれど、
私のすぐ向かい側にいたゆーちゃんは、ハッと息をのんだように見えた。
私の目からはいつのまにか涙があふれていたから。
先生はずっとPCに向かっていたので気付かなかっただろう。
私はゆーちゃんを見て、
自分の口に人差し指を立てて「言わないで」と合図してから、
ごく自然に左手でほおずえをついて、先生から目が見えないようにした。
あいかわらず目からは「止まれ」と願う意思とは反対に
ボロボロと涙があふれてくる。
ゆーちゃんはずっと私が泣いているのは黙ってくれながら、
いつもとおりの口調で会話をもたせてくれた。
そして私達は先生にごく普通に「さようなら〜」と言って、
駅まで歩き出した。

帰り道で、いったん止まった涙がまたあふれだした。
口調も声のトーンもまったく変わらなかったけれど、涙だけはとまらない。
ゆーちゃんと音楽学校の話をしながら、ずっとそうだった。
でも我慢しないでボロボロ泣いた。恥ずかしくなかった。
初めてだ。コンクールの時に見せた感激の涙とは違う。
誰にも見せたことのない涙だった。
ゆーちゃんは特別優しくなるわけでも、責めるわけでもなく
いつもどおりに話してくれた。

友達に初めて涙をみせた一日だった。
ずっと隠していた思いがあふれでた一日だった。



2002年09月23日(月) 電車4回

今日は何と公園で部活があったのです。
はて、それは何故か?

それは21日の昼間でした。
部長さんからのメール
「23日の9時から、梓公園(仮名)で部活やります。
ごめんね、私の都合でこんな場所になっちゃって☆」
一体なんだろう〜。と思いつつも、はっとする。

「梓公園ってどこ!?」

しりません。それってどこ〜っ(滝汗
しょうがないので部活の先輩にメールをして、
電車の時刻をきいて、今日あたふたと行ってきました。

そして公園についてやっとこさ理由がわかりました。
何と部長、中学の同級生たちが遊ぶときに作ったという
野球チームのマネジャーさん役なんですと。
で、今日その公園でみんなで野球やろうという話になってたから
「私も行かなきゃいけないの」ということで梓公園になったという。
部長さん〜・・・あなたって人は・・・(涙)
それって、地域とか学校とかの野球チームじゃなくて
あえて言うならば遊びの野球でしょう!?
そんなことのために部員を振りまわさんといてーっ!
「男子ばかりのなかに私は女子1人なのよ」みたいな顔して自慢するの止めましょう。
たしかにすごいです、私達じゃそんなことはできません。
でもお願い、後輩たちがいるだしね・・・だからそんな醜いことは(T-T
って、後輩達も部活そっちのけで野球みてんじゃなーいっ!
それから部長「あvv昼休みになったらお互い紹介することになってるからねvv」
って、そいうこと企まなーいっ!!
出会いを求めるのはまぁしょうがないにしても、時と場所を考えなさい。
今は「部活中」です。
部長もそういう個人的な欲でみんなを巻きこんじゃいけないでしょう。

部活外ならばいくらでもやっててくれですが、
うんざりだったので、私は昼休みになる前の電車調べて帰りました。
1人だと駅までの道順はわからなかったのですが、
でも何となく部長さんに案内してもらうのがおっくうだったので
「あ、大丈夫だよ〜、行けるいける!多分、きっと(笑)迷ったら電話するよ〜」
といったら
「あ、1人なの?」
と言って、先輩が一緒に帰ってくださいました。
結構熱心に野球を見ていたのに・・・(本当に野球好きらしいです)
なんてよい方だ・・・(T-T)

家にかえって(pm一時)昼ごはん。

そして
------昼寝中-------

そうです。今日は月曜日。
「塾だ・・・」
4時ちょい前に起きる。
一瞬本気で授業を振替えようかと思いましたが、
「いや、ここで怠けたらカロリーがたまる」(笑)
という思考に背をおされ、今日3度目の電車へ。

今日にかぎって疲れる授業でした。
現代文の授業。30分も延長してますよ、先生。

そして次の数学も30分おくれでスタート。
でもベクトルがやっとわかってきました。
ベクトルって数学じゃないみたいで不思議です。



2002年09月22日(日) 遺産相続

父方の親戚のおじさんが亡くなって、
その家で今、遺産相続のいざこざがおこっているらしいです。

相続税に関してとか、土地の名義とかでもめてるらしく
それにおじさんや、父方の祖父母がかかわっているらしいです。
んで、何でもその親戚さんから「500万払え」とか言われていて、
我が家の家計には関係ないことといっても、
父にとっては自分の父母のピンチなわけで、
当たり前ですがいろいろ怒ってたりします。

「普通払わなくていいだろ、そんな金っておやじに言ったよ。
大体なんだ、ふざけんな!問題を片付けるために金を払ったとしても、
あの家とは俺達だって親戚の付き合いは切ってやる」
「でも、片付けるためには普通払わなきゃだめでしょう。
私だって向こうの立場だったら払えよと思うよ。」

父と母がこんな話を夕食時に居間のテーブルで話していた中、
もちろん私と妹もそのテーブルで夕食を食べていた。
知らんふりしてTVを見ていました。

これが世間だと思って聞いておかなきゃと思って
あえてその場から立ち去ることはしませんでしたが、
やっぱり聞いていて気持ちがよいものではありません。
しょせん、親戚でも他人は他人。
心と金は別問題。
日本は血縁というものを重視すると言うけれど、それが何だという感じです。
だって、血がつながっていたって絆なんてものはないじゃないか。
そこに金が立ち入ったとたん、心の入る余地はない。
でも確かに、お金の問題は別格ですよね。
お金がなきゃ何もできない世の中だから。

これが現実。
よくよく話やドラマで聞いてはいたけれど、
でも悲しいもんですね。
兄弟という関係すら、紙幣ひとつで他人に変わってしまうる。
今ごろ天にいるそのおじさんは泣いてる。絶対。

父と母の話はまだまだ終りそうにない。
父さんは怒りをあらわに口調を荒げている。
それをなだめてる母さん。
私は依然として私と同じようにTVを見つづけている妹にぼそっと言った。

「ねぇ、TVの音量上げてよ」
「リモコンおねえちゃんの方にあるじゃん」

私達は目をあわせると、両親にみえないようにひそかに苦笑いをした。



2002年09月21日(土) ・・・


・・・。

一目惚れなんて嘘だろと思うけれど、
今まで2度目の本気かも知れない。

本当に一目惚れに近い。
こんなことありえないと思うけれど
歌っている姿を見た時、何故か

今、「お近づきになりたい」そう願ってしょうがない。



2002年09月20日(金) 歌練

今日の放課後もクラスの歌練習だった

というか・・・本当に私仕切っちゃってていいんだろうか。
何故かというと、本来先頭にたっているはずの鑑賞委員会の女の子を差し置いて
こんないつも指揮とっているなんて、
いくらコーラス部とはいえ鑑賞委員会の子の身の置き場がないじゃないかっ
まぁでも、それも26日までだしそれまでは指導させてもらってしまおう。
指導って言ってもスムーズに進めるとくらいしか出来ないけども、
役に立てるっていいことだ〜

さて近頃部活の雰囲気が明るくてよい感じです。
3年生の先輩方が引退して、しばらくは寂しい空気だったけれど
夏休みちょい前くらいに入った男子の3年生の先輩はまだいるし、
補習が終ると先輩達は時々顔をだしにきてくれる。
こうして少しずつ適応していくんだと思う。
先輩達が抜けたことで、
私の部内での「位置」は変わったし、「役割」も変わってきている。
1年生はそれほどでもないけれど、
私達、部の先頭となる2年生は変わり目だ。

実感が湧かなかったけれど、
今は「確かに私達が部をひっぱっている」、そう感じている。
先頭の荷は重い。
この空気が壊れないように気をつかうのも先頭の役割。



2002年09月19日(木) 諦めきれない

どうして、また
今ごろになって
音楽の道への思いが掘り起こされてしまったんだろう。

諦めたはずだったけれど、
やっぱり私は諦めきれない。
もちろん理系も頑張ってはきたし、
これからも頑張るつもりで決心していた。

だったけれど、
私はやっぱり音楽の道が諦めきれない。
まだ、精一杯のことを努力してないから、
この道での私の限界を知らないし、
一度きりの人生だから私の力を試せるだけ試してみたい。

去年は音楽の先生にいえなかった。
「私は音楽の道に進みたい」ということ。
だから、音楽学校の情報とか聞けなかった。
すごくお金がかかることは知っていたし、
「才能がない」とか「今からじゃもう間に合わない」と
言われることにおびえていた自分がいた。

「こんなことすら言えない私は無理なんだ」と、自分を説得した。
そんなお金はない、と納得した。

諦めた。

・・・諦めたはずだったけれど、
諦めきれていない。

後悔しないように、
この気持ちがあとで傷として残らないように、
私はこの気持ちに踏ん切りをつけたい。

待っているのは喜びか悲しみかわからないけれど。



2002年09月17日(火) 冷たい?

今日も中学の仲間で遊ぼうと予定が入っていた。

でも、今日も理由を作ってキャンセル。

最悪だ、私。
・・・というか、冷たい?
高校入学したての頃、あんなにみんなを頼って、
いざ今になったら「もういい」と思ってるなんて。
でも、本当にもういい。
実際、私があの場にいることが苦痛だと感じるようになってきた。
ついていけていない空気の中にいるのがもう嫌で嫌でしょうがない。
そしてもう、ついていこうとする気すらおこらない。
「闇プー」の一件で、
友達でいるには価値観が離れすぎてしまっていたことに気が付いた。

ことわった理由・・・
「物理で0点をとったから、次、せめて平均点とるまで遊べない」
あながち嘘じゃない。父さんにだってまだ言ってないという0点という大事件。
だけどこのことを「なんてよくできた理由だろう」と上手く利用した私がいる。
この理由って「嘘」になるんだろうか「本当」になるんだろうか。



2002年09月16日(月) 照れくさー

あー。今日は休日だけど塾はあるのね・・・。
お勤めに出てくる先生達もえらいもんです。

現代文と数学の講座がありました。
現代文・・・だめだ、
50点問題で私は前回も今回も「29点」。
合格ラインは30点。
あと一点の壁。

数学は私のクラスは1人しかいなかった。
みんな休日の上雨降りだからって休んどるなー、ってわけでもなさそうです。
運動部の方々はもうすぐ新人戦だもんな。
こんな休みの日とあらばもう、一日中部活まっしぐらはあたりまえか。
・・・この日記読んでる都会の方。
これが長野県の高校生、
大学現役合格率全国ワースト2位(1位?)の県です。
うわー、情けない・・・。
私達は
「都会の高校生は部活なんかにうつつ抜かさないで、ちゃんと勉強してるんだ」
といわれつづけてきてますが、本当ですか?
東京とかの人って部活にそんなに熱中しないんですか?
う〜ん、わからない・・・。
でも、「熱中しない」というか、ちゃんと両立してそう。

ところで、昨日は「敬老の日」でしたね。
だったので、今日、爺婆と外食に行きました。
何だか昔は、食事が運ばれてくるまでとかに話すこととかいっぱいあって
話題が途切れることってなかったのに、
どうもなにを話していいのかわからない自分が嫌だ。
本当に爺婆は私達と食事をして楽しんでくれているんだろうか。
すごく不安になる。
何より、何も話さない私の態度から、
「ああ、嫌われてるんだろうか。」とか思ってしまっていたら胸が痛い。
高校生がお年寄りに冷たいっていうけども、
私の場合はどうも照れくさくて感謝の言葉なんていえないっていうのがある。
「長生きしてね」とかの言葉を
せめて敬老の日くらいは・・・と思うんだけど、言えない。
小さい頃だったら言ってたのに。
そうしたら「せめてお前が結婚するまでは生きてるぞー」とか
言ってくれたりとかあったなぁ・・・。
でも、私が大きくなったことで、向こうも何となく照れくさいんだろうなぁ。

まぁ、もうすこし待ってて。
もっと大きくなったら、
今度は照れくささを隠して言う術くらい身につけてみせるから。
だから、せめてそれまで生きていて。
そして、それからもずっと生きていて。

きっと爺婆も私の気持ちをわかってくれてると、
そんな風に都合よく解釈しつつ
こんなとろこにたたずむ日記で感謝の言葉を口にするのでした。



2002年09月15日(日) 演奏会を聴きにいった

部活の先生が歌うということで、聴きにいってきました。

「先生チケット売ってくださーいっ。聴きに行く!」
と言ったら、
「あー。いいよ、やるよ。もってけもってけ。」
と言ってくれましたし♪

何気なく私は先生をめちゃくちゃ尊敬しています。
人間的にも素晴らしい人格の持ち主で
部活のみんなからも慕われているし、
担当しているクラスの生徒からも好かれています。
別に金八先生みたいな先生というわけではなくて、気取らない先生です。
もちろん、私も大好きなのです。
あ゛。この日記をみてるかも知れない私の学校友さん。
非常に恥ずかしいからこのこと言わないように(笑)

まず、駅でゆーちゃんと待ち合わせ。
それが5:30。
ちょうどその時刻に出ていた市の周回バスにのって、
6時ちょい前に会場付近へつきました。
演奏会は7時からホールだったのですが、
ホールがどこだかわからなくて迷っていたら、事務室のおじさんが
「あっちだよ」
と指差して教えてくれました。控え室のほうへ迷い込んでたのでした。

さて、指差された方へ歩いていくと、
なんと、ホールのすぐわきの外にあるベンチに先生たちが座ってました。
ちなみに先生の伴奏をしたのも、同じく学校の国語先生で、
二人で一緒にくつろいでいたらしいです。

迷ってしまったことやら、時計を忘れて困っていることやらを話しているうちに発覚。
近くにあったローソンで夕飯を買おうと思っていたのに、つぶれてしまったらしい。

周りを見渡せば、近くにあるのは「薬屋」だけ。
しょうがくなく、私達は途方にくれて店をさがしながら道を歩いていたら・・・
「ゆーちゃん!あれ見て!!」
そう、希望の光が。
「本当だ!!あれは・・・」
「「 ジャスコ!! 」」
というわけで、店発見。
マクドナルドで夕飯を調達。安くて嬉しい。

あと、
「ねぇねぇ、先生に差し入れ何もってく?」
「やっぱ、ここはのど飴だよね!」と話していたので、
100円ののど飴をふたつ買ってまた会場にもどりました。

夕飯食べていたら、部活の何人かと出会ったので話して、会場入り。
すでに席がいっぱいになっていて、すごく驚きました。
誰もかれもとにかく上手くて上手くて、すごかった。
ソプラノ歌手の声に圧倒されました。
どうしたらあの高い声がでるんだろう。
私もあんな声が出せたら、嬉しくてしょうがない。

先生ももちろん上手かった。
いつもはいつもの先生だけれど、
ちゃんとステージに立つとやっぱり音楽家なんだと思う。
国立の声楽家を出て、オペラにも出て、私の憧れとする道を歩んでいる先生。
先生はやっぱりすごい。

演奏会が終ったのは9時。
部活の先輩やみんなといたら、国語の先生がでてきました。
「せーんせ〜〜〜」といって近寄ってしゃべっていたら、
今度は先生が会場からでてきました。
「お、そうだ。のど飴べりーぐーだったよ。
ちょうど、のど飴が切れてどうしようかと思ってたし、うまかった」
といってくださいました。
心から喜んで下さったようで、
私もゆーちゃんもちょい照れくさかったですがすごい嬉しかった。
そして、いつもだったら「べりーぐー」なんて言葉つかわないから、
先生もちょっとお礼をいうのに照れくさかったようだ(笑

先生とみんなと別れをつげて、駅へ。
駅に行ったら、部活の先輩がいたので一緒に帰りました。
3年生の近頃我が部に入部した元男バレーの先輩で、
大学は環境系の学部を目指しておられる先輩です。
そういえばこの先輩も、非常によい方です。
分け隔てなく私達に接してくれるし、面白い上にしっかりしているし。
おまけに目指す学部が同じとなれば、ここはもう色々聞くしかあるまい!!
ということで、電車の中でずっと大学やら勉強やらの話してました。
私もちょうど、再び3年時での文理選択とか、科目選択で悩んでいますから。
あはは、本当にどうしようか・・・。
あと、なんと化学雑誌「ニュートン」とか「エルニーニョ」の話まで(笑
同じものを志す人と話をすることが、こんなにも楽しいだなんて初めて知りました。
初めて一緒に帰る人と、言葉が一回も詰まらずに会話ができたなんて
私にとってはすごいことです。

将来の職業の話もしました。
「私は気象予報士なんて・・・と考えてますけど・・・」
「あーなるほど。
俺は、なれるかどうかなんてわからないけど、環境測量士になりたいんだよね。
ほら、こう、町の水質調べるとか」

何気なく頭をこだまする「なれるかどうかなんてわからないけど」。
勉強もできて、しっかりした人、そんな人でもやはりそう思うんだ。
やっぱり誰でも不安なんだ。

うーん、すごく収穫の多い一日だった。



2002年09月13日(金) 校内合唱コンクール

校内合唱コンクール。

たしか9/26にあります。
うちのクラスは「ひとり林に・・・」という曲に決まりました。
ですが、この曲。
みんなでノリで選んだはいいけれど、
だーれも聴いたことも歌ったこともないという。
曲名からして、すこししけった感じがしていたのですが
実際聴いてみた感想は、すごく綺麗な曲でした。
曲を曲名のイメージが邪魔してる〜とすら思ってしまいましたよ。
詩も美しいし、メロディも綺麗なのに、なんとなーく「林」が(笑

ところで、クラスの合唱練習といのは「鑑賞委員」が仕切ります。
でも、私・・・仕切っちゃったんですけど(汗)
伴奏の子とか、鑑賞委員の子に
「ねぇ、私勝手に色々言ってるけどいいの?(汗)」
って言ったら
「うん、全然いいよ。仕切ってよ」
といってくれたから・・・。
だって、みんなあまりに合唱のこと知らないのですね。
誰も仕切れないもんだから、
みんな自信なくて歌えないし、初めてだから伴奏にも合わせられないし
・・・となると、見本っているかなと思って。
私は特別よい見本だとは思わないけど、
みんなよりは上手く歌える。合唱部で毎日それなり練習してるから。

それに、実は頼りにしてくれるというのは
すごく嬉しいんですよね。しかも私の好きな「歌」だから。

色々みんなに指示している私を再度認識しやっぱりて思った。
自信のあることでは、私も積極的になれるんだなと。

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クラス練習が終ってから、すぐさま部活へ。
もう結構な時間になっていて、部活は終ってしまってました。

でも電車とかの関係もあって、
ゆーちゃんに「オー・ソレ・ミオ」を弾いてもらって、
私はそれ歌ってました。
ピアノの発表会でやらせてもらう、ソロの歌でこれ歌おうかと思って。

この歌いい。
すごい自分で歌っていて面白いくらい声が響く。

ゆーちゃんが発狂しながら大絶賛してくれて嬉しかったな〜。
この歌は私も実は自信あるので、迷わずスカーンと声が出せるのです。



2002年09月12日(木) 不思議な感覚


私達は人間という種族であって、
私達は地球という引力につながれて、
動揺に宇宙にちらばる原子でできている。

変わらず、繰り返す原子の組換えによって
私達はこの世界に生き物として
ここの土の上を歩いている。

今私のもっている鉛筆の原子は、
昔、恐竜だったかもしれないし。
さっき、私の食べたサラダだって、
昔、ただの岩だったのかもしれない。

今、私はキーボードを指でちょこまか打っているけど、
この手だって、
昔は誰かの一部だったかもしれないし、
宇宙のどこかにあったものかもしれない。

人間は、膨大な数の細胞でできているわけで、
死んだ人の細胞はまた原子になって、めぐりめぐる。
それこど膨大な数な原子なんだから、ひとつひとつが
世界全体の人の体の一部になっていることもあるんじゃないだろうか。


肌の色も違うし、目の色も、顔の色も違う人たち。
言葉も通じなくて、考えることも多少食い違って、
まるでまったく関係ない人に思えるけれど、
こんなところで細く、だけどかならずつながってる。

それでも、私達は誰とでも仲良くなれるわけじゃない。
うまの合わない人ってたしかにいると思うし、
意見があわないことも確かにある。
それは、原子には心がないけど、
それが集まって人になった瞬間、「命」が生まれるから。
「命」は必ず、それぞれひとつの「心」をもって、
人はそれぞれ違う者になっていくから。
・・・命って何でできているんだろう。
血が流れて、心臓が動いて、笑って。
ただの原子の塊、それに生まれる命ってなんだろう。
すごく不思議な感じがする。

心ってそれぞれだけど。みんな共通の想ってある。
「幸せに生きたい」
これは、みんな一緒だと思う。

私達は確かに生きているけれど、
宇宙に目を向けてみると、すべてが何事もないかのように
からっぽな感じがする。
その中で、地球という原子のかたまりのなかで
心と心がお互いを消そうと戦ってる。

どうして、どうしてうまくいかないんだろう。

私達は心をもっている。
いままでは「生きよう」とするだけだったけど
心をもったから「幸せに」ということも付け加わった。

幸せは追求してもきりがない。
どこかで妥協しないと、満足はできない。幸せになれない。
その妥協は、「人を許すこと」でもあるかもしれないし、
「我慢に耐えること」なのかもしれない。



2002年09月09日(月) また詩



傷を治すのは大変なこと


麻酔をして

糸をとおして

針をさし

傷を荒々しく縫い直していく


糸は傷がふさがるまで居座って

見るたびに

怪我した時を思い出させる

忘れたいその痛みとともに


やっと抜糸ができたとしても

残った痕が思い出させる

苦しい悲しい

傷をおったその記憶


痕を見ても苦しくならなくなるのは

一体いつになるんだろう


傷が治るのはいつだろう



−−−−−−


明日からはちゃんと文になります。



2002年09月08日(日) 詩なんてかいてみたりして


私は私の道を行く

太陽が見たいなら
日のあたる道を

星がみたかったら
真っ暗な道だって

時には
道をはずれて
森に迷うこともあるかも知れない

迷って途方にくれて
怖くなって寂しくなって
歩く足取りがゆっくりになって

迷ってしまった自分が
憎くて憎くて
嫌いになるかも知れない

けれど

それすら受け止めていこう
森の木々をみれたこと
それは素敵なことだから

そう受け止められたらなら
私はまた
私が好きになれるから

私の道は長すぎて
先が見えないことばかり

だけれど行きたい
私の善いと信じる道

私は行こう
私の心が示す道



2002年09月06日(金) 足麻酔

学校休んで、某大学付属病院へ行って足のホクロとってきました。

今日は皮膚科がかなり混んでいたので、
とりあえず研究室みたいなところで
研修生さんに症状の確認みたいなのを先に聞かれました。
その研修生さん、何故か面白い方でした。
ホクロの大きさを測る器具みたいなのを探すとき、
机の上をがしゃんがしゃん音を立てながら
「あれ?な・・・い?いや、この前はあった。
この前ここに・・・いや、ない?
や。ちょっと待てよ、あるはず、あるはずだ。・・・でもなく・・・」
という感じで1分ほどつぶやいてました。
しかも、「よし、じゃあ」が「よっしゃ」に聞こえて、
やけに江戸っ子風な雰囲気がしました(笑)

その確認が終って、1時間後。
やっと診てもらったのですが、
「悪性じゃないと思いますが、形が不規則なのでとっておきましょう。」
ということで、とるハメに。

まず写真とって、拡大してまた写真とって、
おくの手術室へ〜。
普通の診察しつでとるのかと思いきや、
ちゃーんと、麻酔やら、ライトやら、器具やらがあるところでした。
青いタイルがちょっと不気味ー。
でもそこは先生が(手術してくれたのは女の先生でした)
「あはは、まさか今日とるなんて覚悟してた?」
「いやー、まさか即日とは思いませんでした(汗)」
といったら、ラジオを流してくれて気がまぎれました。
別に大きなことじゃないんですけどね、
私は「縫う」ということが初体験なんですよ。
いままで健康〜にすごしてきたので(笑

まず、麻酔。
ていうか、麻酔いてぇっ!
足の裏の切除するところに直に麻酔針をプスっと。
や、自分からは見えなかったですけど。
でも痛かった。
その時ばかりはラジオから流れる
「恵の日本三大銘菓」も聞いてる余裕はありませんでした。

それから、麻酔がきいたころにホクロ切除開始。
麻酔のかげで全然痛くないと思うでしょう?
それが、時々痛いんですってー。
「痛かったら言ってください〜、麻酔たしますので〜」と言われましたが、
我慢できないほどじゃなかったし、時々だし
何より麻酔もう一回打つの嫌だし(切実)
麻酔痛かった・・・(T-T

んで縫うとき、パチンパチンという音が!
糸きってるんだーと思いつつ、何となくおそろしかったので
例によって「三大銘菓」を聞いていました。
日本には、お茶の時間に普通に抹茶のんでいる所もあるそうですよ。

縫い終わって、
「はいー、終りましたよ」
といわれ、ちらっと切り取ったのを見てみると
『すごー、スプーンでえぐったみたい』←実際は違います
に見えました。

でも、痛い。
いまじんじんしてます。
まぁ、これで私の健康は安全。



2002年09月05日(木) 軽蔑してしまった

また中学の仲間であそぼうっという計画が持ち上がってます。
日にちは明日夜8時。
こんかいの目玉は「闇プー」・・・

「今度はいつもと違うって感じにしたいから闇プーします!」
というメールがきて
「闇プーってなに?」と聞いたら
「暗闇の小学校のプールで泳ぐこと」
だそうです。
おいおい・・・警備員さんとか、人に通報されるから!!

あーのーねー、ごめん、
今まで好きだったみんなのこと突然嫌いになりそうだ。
それって、
ただ「ちょっと危なくて、悪いことしてる」っていうのがしたいだけでしょ。
少しスリルのあることしたいだけでしょ。

私はそういうのはいけ好かんな。
ここで私がみんなと縁が切れるのが怖くて明日の闇プーに参加したら、
自分が情けない。自分が嫌いになる。
私は流されたくない。

「私は行かない。」
明日の朝、計画をたてた友達にそう言うつもりだ。
いえ、言い方はソフトにするけれど。
でも注意をするつもりはないよ。
薄情だけど、私はもうそれほどみんなを心配しないから。
悲しいけど、ちょっと軽蔑してしまった。
昨日まであんなに大好きだったのに。

どうしてみんながそうしているからといって、危険を見逃してしまうんだろう。
どうして善し悪しを自分自身で考えようとしないんだろう。

・・・どうして、みんなそんな風に変わってしまうんだろう。



2002年09月04日(水) だめだ、文がまとまらない。

近頃、友達に毎日相談されるんです。

「私、あの子を見るのも嫌なくらいきらいなの」

人付き合いって非常ーに難しいです。
でも、このごろ思うんですよね。
人付き合いは本当は難しくないんじゃないかって。

こんなことをいいつつ、私だって実際人付き合いは苦手です。
中学の頃は
「別に友達に嫌われたっていい、
1人でいられるなんてそれはかっこいいじゃないか」
とか思ってました。・・・何様だって感じです。
これっていいわけだと思いませんか。
自分に友達がいない理由を
「1人がいいから」っていう風にごまかしているように見える。
「1人でいたい」っていうだけなら、
友達に嫌われないでも1人でいることなんてできます。
たとえば学校内でも常に1人で行動するとか、
映画見に行くにも1人でいくとか。
別にわざわざ嫌われる必要はないんです。
なのに嫌われていることを
「1人がいいから、嫌われたほうが楽でいい」なんて、言い訳っぽい。

だからって、好かれているのが当たり前とは思いません。
私は、人に嫌われないのように在るのがいいと思います。

嫌われるってことは「何かした」ってことなのですよ。
しかもなかなか気付けない。
私は昔、ある子とお互いにわがままにふるまってしまって、
それ以来、友情は壊れっぱなしです。
気付かないうちにわがままになっていたんです。
まるで「私が女王様」みたいな。
きっと心の奥底で、
私は正しくて、かしこくてからあの子よりもすごい・・・
そんな風にどこかで勘違いしたくなるのですね。

けれど

そんなことはありえない。
あるはずがないんですよ。
だって、友達だから。「友達」という関係だから。
いつだって対等。
どっちが偉くなることも、どっちが下になることもない。
けれど、わがままになって、
「私はすごい。みんなとは違う」そう思って、
対等である位地から抜け出したら、そこからもう友達じゃない。

自分が何様だと思うのかわからないけれど、
「自分は周りとは違う」なんて誰もが思って当たり前だと思う。私も含めて。
だって、自分のことは、誰にもいえないような秘密とか全て知ってるから、
「こんな秘密があるのは私だけ。私は特別」みたいに思ってしまう。
馬鹿ですよね、誰にもいえない秘密なんて、
口に出してないから他の人は知らないけれど、みんな持ってるんですよね。

とにかく、「自分は特別」だって思いたいんですよ。
特技とか、自分のアイデンティティーとかまだわからなかったり、
曖昧に浮かんできてもすごく不安定で。
人はみんな違うから、必ずあるとは思うけれど、気付けない。
だから自分は何もないんじゃないかと不安になってしまう。

けれど、大人はわきまえてる。
だから、いらない見栄をはったり、誇示したりしない。

私はそういう人を見て、いいなぁと思う。

「意地」とか「見栄」とか「誇示」とか、
そういうことをしなければ人付き合いなんてうまくいくんだろうなー。
でも、わがままになるとこれが出来なくなるのですよね。


あー、話が変わった!
これもかれも、その相談してくる友達に
なんと言ってよいかわからなくて困っているのです。
嫌いならそれでしょうがないけれど、話してくれて嬉しいけれど
・・・でも同意を求められても、なかなか「そうだね!」とは言いがたくて。
も少し、一生懸命考えてみよう。



2002年09月03日(火) 久々のオフ♪

久々の部活オフ♪
ゆーちゃんとともに楽譜を見に行きました。

楽譜を見るってすごく楽しいですね。
FFのから普通の曲から、クラシックからサントラ、ミュージカル・・・
どれを見ていても欲しくなるばかりで、
ちょっと困りますが(笑

思わず二人で座り込んで見ていたら、お店の人が
エレクトーンの話をし始めて、
ちかじかエレクトーンの無料体験をさせてもらうことになりました。
すごくいい感じのお店の人だったな〜。
うーん、楽しみ楽しみ。
そして歌の楽譜も購入。
イタリア歌曲集、1900円。
feel3ピアノソロ1500円。
どちらも「私を泣かせてください」が入ってます。
いい曲です。

それから喫茶店に入って、
200円程度のケーキで1時間ほど二人で居座りました。
お客さん少なかったし、許してください(笑
いろいろ話しました。
しかもかなり本音暴露な話で、盛り上がったり正直に告白したり。
顔のコンプレックスの話もしたし、
中学時のはなしもしたし。
少し遠くに感じていたゆーちゃんをまた身近に感じれるようになってよかった。
やっぱり友達っていいです。

今日はいいオフ日でした♪

・・・け・れ・ど。
真面目に物理、0点でした。
これ大マジです。嘘じゃないですよ。
勉強しなかったし仕方がないかと割り切りました。
中間テストで挽回します。私は留年したくない!!



2002年09月02日(月) どうすりゃいいのさ、この顔を。

近頃実はYちゃんが遠い存在に感じる。
今までYちゃんは・・・
・・・うーん、もう「Yちゃん」はローマ字に直すのめんどさいなぁ、
仮名を考えてしまおう。
Yのつく名、えーとえ−と・・・「ゆーちゃん(仮名)」にしよう。
うーん、ありきたり(笑)まぁよいか。

ゆーちゃんは近頃、恋をしていてしかも相手とは結構順調だったりして、
今週の木曜日にも映画に誘われたらしいです。
もともと、その人+ゆーちゃん+私でつながっていたので、
しかも集まるときは必ず私を通して連絡をとっていたぶん
私としてはちと寂しいです(笑)
でも、それ以上にゆーちゃんと彼が仲良くなっていくのが嬉しいv
私は彼をなんとも思いませんしね。ただのコーラス仲間ですから。
ゆーちゃんは私を気にしてくれているようだけど、
私はなんも問題なしだったりして。頑張れゆーちゃん!

ただ、別に気がかりなことがあるわけで。
それは、私の顔。
性格がめちゃくちゃ似ているゆーちゃんが恋をしてうまくいっているのに、
私がなーんもうまく行かないのはもうこうなったら顔しかない。
日記で書くのははじめてかも知れないですが、
私はめちゃくちゃ自分の顔が嫌いです。
いつか恋をしたときに、
その人に嫌われない顔でありたいじゃないですか。
そう思うと、すごく怖い。

こんなこと思いたくないですけど、
やはり顔ってみられるじゃないですか。
そりゃあ、小学校とか小さい頃一緒だった同級生とか幼馴染だったら別ですけど、
なんだかんだいって、容姿は見られるんですよ。
ちなみに、偽善じゃなく、私はあまり相手の容姿を見ません。
というか、人の顔を覚えるのが苦手なのと関係あるのかないのか、
客観的にその人が「かっこいい」「かっこ悪い」の区別ができないので、
あまりよくわからないっていうのが本音です。
私がかっこいいと思った人を「えー?」といわれることがよくあるし、
逆に実際かなりかっこよくても「かっこいい」と思わないこと多々です。
ジャニーズも私はかっこいいと思いません。
(むしろ私的には嫌いな部類だったりして・・・汗)
私が容姿にこだわるのは、誰かを好きになったとき、
顔が理由で好きになってもらえないのが嫌だからです。

太ってはいません。
今日、健康診断の結果通知がきたのですが、
体重と新調のバランスは平均よりやせていたのでホッとした。
コレだけが私の容姿に関しての唯一のいいところ。
けれど、ああ、考えたくない。
一重の目に、しまりがないほほ。
笑ったときの顔ときたら、どんなに美しくないことか。
顔なんてどうしろというのですか!
体はなんとかなります、ダイエットという手があります。
(いえ、ダイエットも十分大変ですよね・・・。TT)
でも、顔、
顔は整形するしかないじゃないですか!
整形なんて抵抗あるし、お金かかるし。

ああ、いやだ。
どうしたら、綺麗になれるんだろう。
まずは化粧か・・・。
でも、化粧は落ちたときとのギャップが激しいからこわいんですよね。
悩み多し。



2002年09月01日(日) 金賞

金賞です。

合唱コンクール、金賞でした!!!
「失敗がいくつかあって絶対無理だ、もうだめだ。」
って思っていたら、
「○○高校。『金賞』ゴールド」
と・・・・・。

まさか取れるなんて思わなかった。
絶対無理だと思ったのに。
自分自身すごく驚いています。

そういう評価がついたことが嬉しくてしょうがない。
本当に嬉しくて、驚いて。

金賞といわれた瞬間。
隣にいたYちゃんに、
「泣いていい!?泣いていい!!?」といって、
すぐさま涙がボロボロと。
みんなで泣きしました。

先輩、ありがとうございました。これで引退なのですね。
先生、ありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。

明日からは私達が部活の先頭にたつことになる。
これからも頑張るから、
だからこれからも色んな人が私達を見守っていてくださいますように。


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S.Soraka [MAIL]