ひまつぶし日記

2003年02月27日(木) 変わる

全ては少しづつ少しづつ
変わってゆく。
変わらないものを欲するのはもう止めにしないと。

最寄のコンビニエンスストアが
3月につぶれるのだ。

バイト先のKちゃんが
気付いたらいなくなっていたのだ。

私の部屋が
いつの間にか整理整頓されているのだ。

私の髪が
一つに纏められる長さに伸びていたのだ。

梅が咲いていたのだ。
黄色い花も咲いていたのだ。
道路工事が始まったのだ。
誰かが誰かを思い始めるのだ。
意外と手が暖かかったりするんだ。

2週間
遠いところにいる間の変化が
帰国した私に
凝縮されてぶつかってきて
それに適応するのは苦しいのだけれど
どことなく楽しい気もする。

もうすぐ私は
私を取り巻いていた場所から
すっかり消えてしまうつもりなのだ。
それは少し怖くて
少し楽しみで
すこしせつない。



2003年02月23日(日) 卒業旅行・12 アート@ウィーン

朝からダウナー。
そのままベッドで伏していたかった。

けど事実上旅の最終日であり、
今後訪れる機会がなかなかないだろうと
心身ともに辛い身体を引きずって
トラムに乗った。

知らない異国の街で
誰に優しい言葉をかけられるわけでなく、
かといって
日本に帰ったところで待っていてくれる人
(待っていて欲しい人)がいるわけでもなく
結局のところ何処に居ても同じ自分
と付き合っていかなければならないんだと
強く思った。
留学とか遊学とか色々考えたけど
どこまでもついてくる自分からは逃れられない。
環境が私を変えてくれるとでも?

それでも町の端々にセンスと芸術のある街に
住みたいと思う気はまだある。
ただボーっとするため。
要するに私が今日本にいる訳は
金銭問題と和食だけ。

何かを学びたいなら
大概は東京で事足りるだろう。
異文化を求めて
留学するなんて本質を間違えてる気がする。
100年前ならともかく
今求めるべきは共通項じゃない?
違う違うと違いばかり
気にしているから争いになるんだとか。

そう思う人だけが
ここを出て行けばいい。
その人にとってそこはそう変わりない場所なはず。


MUMOKという
現代アートの美術館に行った。
各フロアごとにテーマやアーティストが異なり
それぞれが特殊な空気を醸し出していた。
リアルと妄想の間です。

何の偶然か、
腕のない人、身体の焦げた人形、
胴体部分などといった
「欠けた人間」をモチーフにしているものが
目に付いた。
昨日買った「キミコ」みたいに。
まさかキミコの欠けた腕があるんじゃないか
なんて探しながら見入った。
このような作品にグロさを求めて楽しみたくない。

あとは『禅』をモチーフにした作品も目立つ。
でもこれらはダメね。
これは禅です、
って主張してる作品の何処が禅なのよ。

それから気に入ったのは
真っ黒なトンネルに入ると
ショーウィンドウに沢山のおもちゃが
羅列してあるもの。

最初は???って思ったけど
その中に性的なものを象徴するもの
いわゆる性のシンボルが混ざっていることに気付く。
そのイメージが侵食していって
そのうちそのトンネルの中全ての玩具が
性を表現しだす仕組み。
これは気持ち悪いけどほんとうに面白いと思った。
一旦罠にはまると
チョコレートパフェの置物まで
エロティックで卑猥。まさに妄想でした。


午後はフンデルトヴァッサーの建築を見に。
市営住宅なんだけど、
曲線を用いたポップな建物で
日本でも人気がある。
平和な気持ち、取り戻す。
Hundert Wassar
ちなみにこの人の奥さんは日本人らしい。
昔のTBSのロゴマークはこの人がデザインしたらしい。


夕暮れの街をトラムで一周ぐるんとする。
オペラに向かう貴婦人が見える。
明日は帰国。

夜は4人で魚類系レストランNordSee。



2003年02月22日(土) 卒業旅行・11 ウィーン”デア クス”

午前中はケルントナー通りという
ショッピング街で各自お買い物。

H&Mという、日本にはない洋服屋さんがあって
そこの廉価で可愛い服を買った。
和テイストが流行ってるらしく、
そんな服を物色する日本人な私に違和感。


それからナッシュマルクトと呼ばれる
「蚤の市」に行く。
ウィーンの蚤の市はかなり有名で、
目利きのある人には鼻血なお宝が、ガラクタの中に
混ざっているらしい。
アンティークのブローチや
戦争時代の手紙やハガキ(勿論本当に誰かが
誰かに宛てて書いたもの)はロマンを掻き立てて
ステキだった。

私はここで
腕のない女の子の人形を買った。
1ユーロ。ダンボールの中にうずもれてて
でもひと目で気に入って選んだ。
小さいながらも寝かせるときちんと目を閉じる
美人なインディアンの女の子人形。
うふふ。
欠けているものがある人は美しいの。
欠けているものがある人は痛みが分かるの。
この子のお名前は「キミコ」


Sparというスーパーでお土産を買い、
4人は思い思い自分の行きたいところへ。

私はウィーンで必ずお目にかかろうと思っていた、
クリムトとシーレの絵を見に
ヴェルヴェデーレ宮殿へ。

クリムト風景画展が今日までってことで
なかなかの賑わい。
あのような鮮やかな海の絵を描くなんて意外。

エゴンシーレの生の絵は
やばい。
痛々しくて自虐的で哀しかった。
本当に愛に飢えてるひとの渇望が辛かった。
体へのひどい執着と肉体関係の執着とが
とにかくすごかった。
あれは本物じゃなきゃ絶対響かない。

それに続いて見たクリムトの「接吻」の
幸福さ。
どうして師弟関係である二人がこんなに対照的なのよと
思いつつも
シーレに比べて
クリムトは究極の理想(妄想)を描いたんだなって思ったら
求めているものはきっと二人とも同じ。
そして誰でも同調できるんじゃないか。
なんておもった。

接吻の絵の前でキスをすると別れないんだとかで、
ウィーンのバカップルがキスしてたよ。
けどいいと思う。
私にはそのカップルにも
同じオーラが見えた気がする。

この日からなんとなく放心。

ウィーンはやはり芸術の街だ。



2003年02月21日(金) 卒業旅行・10 ローマ〜ウィーン

イタリアはどこ行ってもカプチーノが美味い。
セガフレードの味は本物に近い。
だから好き。

もう少し居たい気分になったイタリアを離れる日。
マックでサラダを買ったら
オリーブオイルがついてくるイタリア。

しかし時間にルーズなイタリア。
空港に向かう列車が
国際空港に向かう列車が
1時間に2本しかなく、しかもそのうちの一本が
勝手に時間変更していた。

いらいらいらいらいらいら

このたびマックスのいらいら。
飛行機に間に合わないんじゃないの?
しのぶと共に腕時計見つついらいら。
インド人みたいな親子が居て
なんかいらいら。

列車を降りてスーツケース引きずってダッシュ。
このときの4人は傍から見たら
相当滑稽だっただろう。
割り込み韓国人にいらいら。
カウンターに駆け込んで
ウィーハブノータイムとかいってチケット見せたら

「Too Late.(フゥ←タメイキ)」

嫌な予感的中。
東京飛行機に乗り遅れるの巻。

約3万円が飛んでいった。
さよなら〜〜


しかしそのおかげで
ドイツを経由することができた。
ドイツ語版の日本マンガがざくざく売ってて
興奮した。

日も暮れた頃、ようやくウィーン到着。
湿った雰囲気。
ラテンの要素皆無。
好奇の視線が一気になくなって
あぁドイツ語圏に来たんだなって感じた。

そしてウィーンのホテルは5つ星。
ラディソンサスパレという宮殿を改築したところ。

フロントでチェックインする時
場違いな気がして
職業欄にセクレタリーって書いたのは私。
ステューデント、なんて書いたら顰蹙じゃない?


加代の暴走。
(詳しくはマリコデジカメまで。)


イタリアで買ったバッグを早くもおろして
(ショルダーバッグで歩くのが気まずいホテル)
グラーシュ(ビーフシチューみたいの)を食べに行った。

危惧していたほどの寒さはなかった。
東京と同じくらい。
街全体が上品で、とてもうれしい。

加代がイタリア語とドイツ語が混ざって
混乱している上にホテルの豪華さに興奮し
狂っていた。





2003年02月20日(木) 卒業旅行・9 ローマでジェラート

まず朝一でバチカン市国へ。
言わずと知れたカトッリクの総本山。
ホテル近くのバスターミナルから容易く行ける。

テヴェレ川(だったっけ?)
を越えると荘厳で少し古びた彫刻が目立つ。

天気も良くて
スケールの大きさに圧倒されて
みんな静かに教会の中に入る。
でもさすが世界中の人が集まるだけあって。
偏見かもしれないけど、アジア圏や
イスラム圏の旅行人ははしゃいでる感強い!

そんな中マリコさんは本物だわ。
私はアメリカ人?の傘を手に持った似非ガイド(無料)
に勝手に付いていってみたりした。

バチカンを出て
テヴェレ川沿いを散策。
ヨーロピアンな雰囲気抜群。
行った事ないけどパリみたいだった。冬のパリ。

ポポロ広場って所に出て
スップリ(トマト味のご飯&チーズのライスコロッケ)
ピスタチオジェラート(懐かしい味、さわやかな緑色)
をテイクアウトしてランチ。
ホントに美味しくてヤヴァイ。
しつこくなくってヤヴァイ。

それからフォロロマーノ〜コロッセオ(ただでかい)
という神聖ローマな感じの遺跡地区へ。
観光客だらけ。
客引きだらけ。
個人的には全くピンと来ず。

次にトレヴィの泉。
狭い割に人が密集。一応投げた!
一枚投げるとまたローマに来られる。
二枚投げると恋が成就する。
この投げたコインは貧乏なイタリアの
大切な財源らしい。

この後ネットカフェではんなりに書き込み。

シノブマリコと分かれて私とカヨで
FURLAというブランドバッグのお店行った。
凄く綺麗な色の革製品が有名で
若者向けでキュートで
200ユーロくらいのをゲット!!!
これ、日本だと倍くらいするの。
調べたの。5万くらいするの。
やったーー

晩御飯は
トラットリオでカルボナーラを食す。


このカルボナーラは う ま い。
あたし初めてこんなの。
さっぱりしてるカルボナーラ。
ローマご飯美味すぎ。ローマなら住める。
ラテも美味すぎ。
ここのお兄さんキャッチーすぎ。
ここのお店でお惣菜をいくつかテイクアウトして
ホテルでそれをつまみに乾杯。

イタリアの9チャンネルは熱い!!!
アニメ専門チャンネルなのだが
全て80年代の日本アニメ!!
酒盛り中にパーマンが『SUPER KID』
として放映された。うれしくて思わず写真に撮った。


とてもアクティブな一日で、且つ
日本人観光客らしくメジャースポットを
謳歌することができました。

しかし、翌日大きな災難が東京を襲うのです。

・・・・



2003年02月19日(水) 卒業旅行・8 ナポリ〜ローマ

前日の疲れで不眠気味。

ガラガラとスーツケースを引き
列車でナポリからローマへ。

ローマにくるのは2度目だが、
以前大変怖い目に何度も会った為、
なかなか良いイメージはなかった。
例えばスリ、泥棒子連れジプシーなどなど。

しかしローマテルミニ駅が改装され、
明るい雰囲気に変わっていたので、
なんだか良い予感がした。今回は楽しめそう。

ホテルは近くにバスターミナルのある
便利な場所で、
古くからあるらしいクラシックな☆☆☆。
古めかしいロビーやエレベーター。
旅行者慣れしてきちんとした従業員さんに好感。
ホテル ヌォーバ ローマというところ。おすすめ。

東京一行はまずショッピング街に繰り出した。
ブランド店がの気に連ねるコンドッティ通りにうっとり。
セレブな感じだわ。
たまらない。お金持ちになりたいと思わせる。
日本人観光客もたくさんいるが、
本物の金持ちも紛れて買い物している。
一目で品のよさってわかる。

この日は
来るべきウィーンの寒さに備えて
有名な皮手袋のお店で手袋ゲット。
ここは日本人がターゲットなので、
イタリア人店員は片言の日本語で応対。
「ナニイロ?ピンク?アカ?」
「コレハサンジュウユーロ」
「カードツカエマスヨ」
「アリガトー」

ナポリに比べて都会なので
一気に町の人は冷ややかになる。
死ぬほど日本人観光客がくるので
ものめずらしく視線を投げてくることもない。
どこか見下されてる感じがするのは
私が黄色人種の劣等感を持ってるからってだけじゃなく
残念ながら事実だ、と思う。

ブランド街にあるカフェテリアで
お茶する。
セレブな場所柄少々お高いが、おいしい。
ミニケーキを数種にカプチーノ。
幸せすぎる。

明日はカードを駆使してバッグ買うこと決意。



2003年02月18日(火) 卒業旅行・7 ナポリたん

この日は朝から元気だった。

車だらけの街を歩いて港へ。
20分くらいかなぁ。歩いた。
建物がなくなって開けた視界に映る青い海。
絵に描いたような港町の景色だった。
カモメが飛んでる。
海の男たちもちらほら。
私この日とあるものを二つ捨てた。

港には卵城と呼ばれる小さな要塞のお城があり、
そこからしばし海を眺めてぼーっとした。
ぼーっとすると
懐かしいだけではすまない種類の
痛い思いが甦ってくる。
そういうのの内の一つを捨てた。
なんか区切りが欲しかった。
日記を書いてる4月現在上手い事捨てられたと
自負しております。

それから海沿いを歩き
ショッピング街を歩き、丘の上にある
美術館をみんなで目指すことにした。
けど方向感覚がつかめなくって
適当に坂道をあがってみたら
そこは危険(だとガイドブックに書いてある)地帯。
スペイン人街でした。(あとで気付いた)

でもそこの団地のようなところに居た
小学生の男の子達に、
道を尋ねたらなんだか仲良くなっちゃって
記念写真とりまくり。
ぎゃあぎゃあ言いながら
イタリア語で美術館がどこか案内する遊びを始めた。
ホントはどこかよく分からんようだった。
なぜかピンポンダッシュの共犯にされた。
東京4人×イタリア人ボーイ4人の出会い。
かなり楽しい出会いでした。

で、結局そこでは場所がわからず・・・

やがて方向だけつかんで歩き、
おばさんに聞いたら無理矢理バスに乗せられ
何とか美術館には着けたのだった。

ナポリの人間は
英語で話し掛けてもイタリア語で返してくる。
しかも3倍返しでまくし立てる。
ナポリのバスは
無銭乗車が当たり前で誰も咎めない。
ナポリには信号があるが
人々はなかったことにしているようだ。

私はこの適当さに
カルチャーショックを受けた。
そして郷に入れば郷に従え。
日本ではモラリストなんだけどね。
どちらが正しいとかじゃないよね。

やっとたどり着いた美術館は
現代アートなコーナーがステキでした。
まっくらでまっくろな部屋ごとアートな部屋に
二つ目の痛いことを置き去りに。

夜はレストランで
念願のポモド−ロ(トマト)のスパゲッティに
魚介類を堪能。
店の若旦那とその妻が情熱的だった。
ワインも美味いよ。

旅のハイライトでした。



2003年02月17日(月) 卒業旅行・6 アルベロベッロ〜ナポリ

かなりの長丁場の移動日。
早朝おとぎの町を出まして、列車の旅です。

早朝のアルベロベッロの駅には
通学中の高校生?でいっぱい。
みんな原色の派手なダサいリュックしょってる。
ヨーロッパの田舎にはつき物の
スプレー落書きだらけの電車。

マルティーナというマイナーな駅で乗り換え。
ここから乗った列車の駅員さんたちは
バリバリのイタリア人で陽気だった。
運転席まで入れてくれて
記念写真とりまくり。・・・陽気としかいえない。

私は散々眠ったので
ようやく元気になってきた。
時差にも慣れていい感じのコンディション。

ターラントという駅の待合室で
美味しいカプチーノ2杯。あわあわおいしい。

ターラント〜ナポリは国鉄(名前忘れた)だから
雰囲気ばっちりで『世界の車窓から』
革張りの向かい合わせの3×3人掛けのシートで
個室になってる列車。
アガサクリスティの小説っぽいって加代と話した。


ナポリ着
駅前はやはり汚い。
そして何よりもビックリなのは
交通量の多さ!!
車だらけでうるさい。

ホテルについて近場を歩いたが、
排気ガスで汚れてる壁や教会の彫刻。
犬のフンだらけの歩道、といやな感じ。
狭い路地は「上野」ってかんじ。
やたら楽器の売ってる路地も歩いた。御茶ノ水。


ごはんは食堂けんピッツェリアみたいなとこで
マルゲリータと生ハムの三日月形ピザと
タコのトマト煮?を食す。
これはおいしかったよぉ。
釜で焼きたてのピザだよーー
ジューシーーーだった。
食には大満足。

ナポリのイメージが大幅にアップするのは翌日のことである。



2003年02月16日(日) 卒業旅行・5 バーリ〜アルベロベッロ

フェリーで海を超えイタリアへ上陸。
バーリという港町は、ガイドブックで散々危険!
と書かれている治安の悪い街だというので、
かなり用心して駅までタクシー。

南イタリアの貧乏な薄汚い感じがした。
日曜日だったので人通りは少なく、
静かで店はほとんど開いてない。
けどイタリアに来たんだなって思った。

ここでは観光はせず、
アルベロベッロへ行くバスをひたすら待つ。

バス乗り場を探すのにも一苦労。
ホントに何もない住宅地なの。
ここにホントにバスが来るのだろうか?
とやや心配に思いながら、
長い待ち時間をただ一軒だけ開いてたバール
でぼーーーっとすごした。
私はこの日疲労のピーク。
けどこのなんでもないバールの
カプチーノとパンがやたら美味しかった。

ちなみにここのバス乗り場から見た
景色(ただの小さなロータリー)が
なぜか今でもよく思い出されます。


やっとバスが来てアルベロベッロへ。
トゥルッリっていう
丸いドーム型の小さなレンガ作りの家?
みたいなのが群れをなしている小さな町で
かなり観光化されている。
かわいらしいがお土産屋さんばっかだ。
どこの土産物屋も笑顔で日本語で話し掛けてくる。

それとは対照的に
観光に来ているイタリア人のガキどもは
チャイナ!チャイナ!
チッチッチッ〜
とかいってバカにしてくるから笑える。

なんだかマイナスなことばっかかいてしまったので
良かったところ。
住宅としてのトゥルッリはとてもかわいかった。
小さな窓にのれんが掛かっているんだけど、
それが色のついたパスタみたいでかわいいの。
あと、レースのカーテンとか、
レトロな柄のカーテンとか、
どの家もセンスがあって凄くかわいかった。

この日は夕食も食べずに
18時くらいから翌朝までばくすい。


アルベロベッロ




2003年02月15日(土) 卒業旅行・4 アテネ〜船

移動日。
あさ、バスの乗り場を探しに行ったら
町では反戦デモの準備がなされていました。

ニュースとか見ていなかったので、
最初祭りかと思いました。
マックの店員に
「トゥデイはカーニバル?」
と聞いたら「イェス」と言っていました。

デモ隊の子が新聞を売ってて
一生懸命ギリシャ語で何か言ってるので購入。
反戦マークのシールをゲット。
それはいつも持ち歩いてる鏡に張った。


そしてバスにて港に移動。
パトラスという港。
ここでフェリーに乗る。

フェリーはクシェットというドミトリーの部屋で、
夜行電車みたいなかんじで
狭苦しいもの。
でもまぁフェリー内部は
レストランというかラウンジがあったりで
知り合ったオーストラリアンおばちゃんと
赤ワインでカンパイした。

テレビでワールドニュースが放映されていて
各地の反戦デモの様子が流れていた。
アテネ、燃えてる映像だった。
うまいタイミングで脱出したもんだわ。

フェリーの一番上の甲板のところ、
風が強いけど良かった。
酔った足で登ったら
プレアデス星団がくっきり見えた。
うれしくて一人で何の曲か忘れたけど
口ずさんで眠った。



2003年02月14日(金) 卒業旅行・3 アテネの小雨

やはし寒い。

通勤ラッシュの地下鉄に乗り
リカビトスの丘というアテネで一番小高いところへ
向かってみました。
戦争博物館というところで小学生の
社会科見学とかぶりました。
むしろうちら4人が見物されていました。
ものめづらしそうに。

小雨が降ってきて
一層寒くなりました。
私は2年前と記憶や意識がごちゃまぜになってきて
3人が丘を上る途中の坂道でお土産を見ていたとき
少し脳内トリップだった。
小雨を見て気分を落ち着かせた。

丘の上は高くて
パルテノン神殿のあるところよりも高くて
ミニ展望台見たくなってて
小さなギリシア正教の教会があって
なぜかサボテンが密生してて
へんてこなオフシーズンさをかもし出していた。


丘を下って
町に戻った。
アテネには謎のチャイニーズファーストフードの
チェーン店「88」というのがあって
そこで塩やきそばとタマゴスープを食らう。

ユーロめ、
やはり物価が高い。
ありえない。
ちきしょーー




2003年02月13日(木) 卒業旅行・2 アテネでぶるぶる

寒い。
暖かで温和なギリシャとは程遠い、
東京と変わらぬ冬だった。

パルテノン神殿に行く。
寒いせいか
日向ぼっこの犬たちが少なくて残念。
入り口で
なんと
某4女のNほにばったり出会う!
これには本当にビックリいたしました。
「世界って狭いんだね」
使い古された言葉をあえて使いたくなるヒトコマ。

2度目のパルテノンは
(てか2回行くってのもめずらしい)
やっぱりギリシャ神話の神様が
そのまま降りてきそうな錯覚で。
高い丘の上。
町を見下ろせます。
雲が町に影を落としているところが見えます。
その合間の光も見えます。

ところでギリシャ、ユーロで統合された為、
物価跳ね上がり!!!
はっきりいってひどいところは2年前の2倍だ。
これには一番のショックを覚えた。

晩御飯は
ギリシヤ料理&ワイン
肉料理は角煮みたいなかんじ。


そうそう、ギリシャでは
謎のギリシャポップスがどこでも流れている。
私たちはG−POPと名づけたんだけどね。

J−POPと違うのは
おじさんとかがよく口ずさんでいる点。
ラテンなリズム、
女性の声はどれもセクシーなかんじ。
演歌みたいなものなのか。

ヤーサス!



2003年02月12日(水) 卒業旅行・1 長い1日。

『はぐれはんなり東京派
〜麗しの欧羅巴旅情編〜
和洋折衷いいとこ取り』

今回の東京4人の卒業旅行のテーマです。
byかよ・しのぶ

12日。
夜も明けていない暗がりの早朝に私の旅スタート。
既にパンパンのスーツケースの
中身は主に服とスパッツとレッグウォーマーと和食。

待ち合わせ時間を1時間も上回る
普段ではありえないフライングで成田に着く。

ここぞとばかり
ひとりうどん屋に入り、
最期の和食を堪能する。

定刻どおり3人登場。

スイスエアウェイズにてチューリッヒへ。
チューリッヒはただの乗り継ぎポイント。
長い待ち時間に狭い空港。
イマイチ異国間を味わうことなく
そのまま深夜のアテネへ。

アテネに着いたのは1時くらい。
空港から町に出るバスに乗って
すぐさまホテルに向かう。

次期オリンピック開催地だからだろうか、
道路工事なんかが多くて、
整備されつつある町の姿。
2年前よりキレイになったような。

バスから降りると
3匹の犬たちが早速寄ってきた。
アテネは野良犬天国。
私はこれだけのために来たかったといっても
過言じゃなかったり。

1匹の犬が
ホテルへの道へといざなってくれた。
深夜の外国でちょっと怖いけど、
周りに向かってワンワン吠えて
守ってくれた。

ホテルにてバクスイ

とにかく長くて
乗り物の中ですごした
32時間くらいの2月12日でした。



2003年02月09日(日) ホスピスと隔離病棟(真面目話)

さっきテレビで南アフリカにある
エイズホスピスのことを放送してた。

ホスピス
[hospice]
〔原義は、巡礼者などを泊める宗教団体の宿泊所〕死期の近い患者を入所させて、延命のための治療よりも、身体的苦痛や死への恐怖をやわらげることを目的とした、医療的・精神的・社会的援助を行う施設。


そのホスピスに日本人の神父さんがいて、
死んでいく患者たちのケアしてた。

壮絶なドキュメンタリーを見た後の
感想というのは安っぽくなってしまいがち。
私の言葉は足りないし。
でも死んでいく人たちの最期の
生きている姿に呆然としてしまい
書き記しておかないとって思った。

23歳の女の子が白目をむいて死んでいった。
ほんの2週間前の写真では
キレイな白い歯を見せて笑っているのに。
神父さんは泣いてた。
毎日毎日人が死ぬところを看取ってるのに。
それでも泣くんだなって思った。

こういうときなんて表現すればいい?
ごめんなさい思いつかない。
神父さん、患者の苦しみを少しでも引き受けようとしてた。
どうしてつぶれてしまわないのか。
私は私の抱えることだけで気が狂いそうになるのに
人の苦しみまで貰ったらどうなるの?自問

小さな女の子を残して死ぬ母親の
叶わぬ夢が苦しかった。
いつかその子にボーイフレンドができたら
3人でお買い物したいって。
叶わぬ夢は夢じゃないなんて言うな。
毎日死にたいとか消えたいとか
面倒くさいとか私ばかり苦しいとか言って、
私とよその国の末期患者は比較対象にならない
なんて大きな勘違いだ。
私はまだ今のところ生きられるんだ。
人の苦しみまで引き受けられるかどうかはわからないけど。

うちの前には大きなハンセン病患者の施設がある。
広大で林に囲まれていて中はよく見えない。
中には住居やコンビニなんかがあって
小さな町のようになっているんだって。
その昔隔離されていた人もいるのだろう。
今は自在に一般人も出入りできるそうだ。

ホスピスとは全く違う隔離病棟の跡地。
ハンセン病患者は老人しかいないから
年々亡くなって減っているらしい。

9年後にはこの施設も閉鎖されて、
大きな公園になるんだって。

ここの周囲を囲む林には
春はきれいな桜が咲くよ。
秋はキレイな紅葉が見えるよ。



2003年02月08日(土) 神様の残酷

時々笑っちゃうくらい
酷なことをしてくれるものねー。
マンガみたいなひどい展開になっちゃった。

みんなの前で笑って(自分をね)
それからひとしきり怒って(その人たちをね)

独りぼっちになったら泣くのだ。
いつもそうだ。
秋津駅からうちまでは20分。
まっくらな住宅街で人はいない。
誰も見てないから声をあげて泣いても。

一番思うのはみっともない自分に自分が
耐えられないくらい自分が弱いこと。
根拠のないプライドが傷つく痛さ。
言い換えるといつも他者によってでしか
自分のプライドの根拠付けができないということ。

私は私の力でプライドを持ったことがない。
それはたまたま手に入れた学歴であったり。
たまたま好いてくれた人であったり。
今の私はやっぱり根拠がない。
形だけ残ったプライドちっくなそいつが。
じゃま、でもないと生きていけない。

そんなところにあの人も気付いただろうか。
きっとそうだ。
で、あの人と一緒にそれを笑うの。
自分がその根拠にされることから逃げたの?
違うのに違うのに違うのに。
それだけは違ったのに。
私はそんなのが嫌だから
がんばったの、それを見て欲しかっただけ。
がんばってるのを見ていたかっただけ。

信用するということは
期待することだと教えてもらったことがありました。
でもそれだけじゃないと最近は思う。
そこは一方通行じゃない。
私を見て前に進めるような、そんな私を見て。
わたしはそのためにがんばる。
信用は両者いないと成り立たない。
そうじゃないとつらすぎるよ
裏切りだらけになっちゃうじゃない。

いつもひとりよがりに
信用ごっこをしていた。
裏切られた気分になっていた。
違った。これは一種の妄想だ。

今はもう対象がいない。
だから私はしばらく誰も信用する資格がない。
プライドの空洞がからから。



2003年02月06日(木) 神様のいたづら

絶対あると今日確信した!

あのね、とある、
会いたいような会いたくないような
そんな微妙な人がいるのです。
バイト先の別のお店にその人はいるのだ。
(こんな日記をバイト先の人に見られるときまずい)
(内容で誰だかすぐにわかってしまう・・・)
(昔の日記を読めばその店がどこかも分かるだろう)
(でも書きたいから書いちゃおう)

仕事の関係でその人は池袋にもよくきます。
仕事の関係でその人は電話もよくかけてきます。

だがしかし!

私が電話にでなかった時に限ってかけてくる。
(私マネージャーだからいつもは電話出るのに)
私がメトロ店で働いてるときに限って
西口店にやってくる。(お店は二つあるのだ)
その逆もまた然り。

今日なんてね、
私が休憩中にお店をふらっと離れた瞬間に
その人が来たらしい。
ほんの10分離れている間に。
で、入れ違いだった。
『いま○○○来たよ!!!!』
って言われて動揺しまくってしまったわ。

だから、私以外の人たちはその人に
けっこう良く会ったり話したりしてるの。
私ぜんっぜん。
このタイミングと言いますか、
いたずらにどぎまぎさせられる。
いつも間接的に知る。
その姿とか声を否応なく想像させられてね。
ちょっと笑える話。

これは哀しい片思いの話ではありません。
一応念のため。



2003年02月05日(水) 西友の底力

ただいま。
今日は清瀬で旅行に必要なものを
大量に購入した。

先日しのぶと100円ショップCanDoにて
容器とか味噌汁の素とか緑茶ティーバッグとか
そういう備品を買いだめしたんだけど、
なんか物足りないので、
一人で第2弾を催した。

だからまず清瀬の無印良品に行った。
無印大好き。
旅行用クレンジング、旅行用洗顔フォーム、
旅行用ポーチ、靴下、等等。

それからドラッグストアにて、
サプリメントを買おうと色々見てたら、
「クエン酸」を発見!!
1200円もしたけど購入。
高校のときの生物の先生が授業で、
疲れにはクエン酸よ!って教えてくれたのを
思い出したの。
ビタミンは多分うちにいっぱいあるし。
つぶ・・・(先生のあだ名)
授業役に立ってるよ!!ありがとう!!

それからさー、みな西友をバカにすんなよ?
23時までやってるんだよ?
そしてね、下着を買うなら断然西友!
しばしば割引価格で買えるし、
しかも購入層がおば様が多いためか、
若い女の子向けのかわいい色の下着が売れ残って
それが安くなるんだよ?すごくない?
しかもちゃんとワコールとかトリンプだよ?
サイズも太ったおば様には着れない丁度いいのが
たくさんあるんだよ?どうよ?

はぁはぁ・・

これからベックス同期の送別会(鍋パーティー)
行ってまいります。
またお鍋さんの力を見せてきます。





2003年02月04日(火) PINK

寒いですねー。
私冬って大嫌いなのね。
冷え性だし。
肉体的に辛いから冬は駄目だ。
肉体が駄目になると精神もつられて駄目になるわ。

今日は我慢できなくてお昼寝しちゃった。
冬眠したいよ。

この日記見てる人で
乙女座の方います?
なんかね、占星術的には
乙女座は2001年の秋冬くらいから
ずーっと絶不調が続いてるらしい。

私的にはなんとなく思い当たる気がするよ。

で、ようやくようやく今年の夏ごろから
幸運期が始まるらしいよ。
今までの苦労や努力や涙が報われて
形になったり道が開けたりするんだって。
あと半年ばかりの辛抱。
けど半年後の自分のビジョンが描けないなんて
なかなか人生って怖いです。


半年後の自分様へ
「今をたとえるなら何色?」

ピンクがいいなぁ・・・



2003年02月03日(月) 低気圧警報

す・きなのにぃ
あのひとーはいな〜いー


この曲のタイトルか歌手名知ってる人教えて!!


昨日は疲労の限界で
リポビタンDライトぐいっといきました。
おいしかった。

誰か有意義な時間の過ごし方を教えて
買い物とバイト以外していないの。
ご飯食べてお話するとか、
一人でケーキを食らうとか、
ひきこもってマンガ読むとかさ。
私馬鹿じゃない?って思う。
きっとバカに違いない、、罵ってくれ。

今日は貴重な休日にただ無理矢理眠ってみた。
眠くないのに。
夢もたいしたの見れないし。
なんだったんだ。
起きて夕方テレビを付けたら
不快な下卑たニュースが延々垂れ流しじゃないの。
すぐに消してやった。
シャトルのニュースが不愉快だ。
私アメリカ大嫌い。でもなんとなくの超主観。
知らないものはキライといっておこう。
ごはんなんだかまずいし
オレンジジュースだけ飲んで過ごした。


要するに低気圧が近づいてるんだと思うの。
わたし天気と温度と湿度に
影響されやすい体だから、
なんとなく分かるの。

パッと目覚めたら
ギリシャのホテルでお金持ちだといいな。
快晴。


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