「悪口はいけない」 というのは、私の中で刷り込みされている道徳観の一つなのだけれども、 実は私は悪口が好きだ。
職場には、密かに私が 「エレガントな江戸っ子」と呼ぶ女性がいる。 たいそう美人でおしゃれな、定年間近の女性で、 書く文字も美しく、電話応対などまるで接遇の講師のようであるが、 何か腑に落ちないことがあると、 聞いていて胸のすくような悪口を、 よく通る声で近くの人に言っている。しかもばりばりの甲州弁である。 端でそれを聞くのは、けっこう楽しい。
こういう悪口は、面白いなぁと思うのだけれど、 では、どういう悪口はいけなくて、どういう悪口はいいのか。
話は変わるが、 先日、同世代の知り合いからのものの頼まれ方にムっとしたことがあった。 その気持ちを持っていくところがなくて、 一緒に頼まれた人に、それを話してみようかと思った。 きっと、同じように感じていれば、 共感できるだろう。 これはまぎれもない悪口である。
けれども、ふと思ったのは、 「この人は私たちをムッとさせるような人」ということが、 共通の認識になったときに、 「じゃあ、『私たちはムッとした』ことを知らせるために、 冷たく反応しよう」 ということが、 自分一人がムッとしているときよりも、 簡単にできてしまうのではないか、 ということだ。
これは、いじめの心理ではないだろうか。
「○○は自己中心的だから、無視して気付かせる」だったり、 「いじめられる側にも責任がある」といった心理である。
いつのまにかこれとすり替わっているのは、 「自分を傷つける人に対しては、 傷つけてもいい」 という理論である。
こういう理論を振りかざすのは、 未成熟な人間だ。
大人なら、 傷つけられたことを言葉や態度で伝えるか、 飲み込むかだ。 傷つけられたことを言葉や態度で伝えるとしても、 それはあくまで「伝える」ためであって、 相手を傷つけ返すためではない。 だから集団にはならないし、 なりそうであれば回避しなければならない。
横道にそれた話を元に戻そう。 いけない悪口に挙げられるうちの一つは、 「いじめに発展するおそれのある悪口」である。
先にあげた上記の女性の悪口が面白いのは、 遠くにいる電話相手とか、力関係のない相手の悪口だからだ。 上司の悪口なら面白いけれど、 部下の悪口なら、聞いていてきっといやな気分になるだろう。
もうひとつ、自分が傷つけられたことに対しての、 怒りとしての悪口も、 見苦しい。
これからも、面白い悪口を研究していこう。
(それでいいのか?)
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