私的正論。

2002年10月29日(火) 生け贄は誰でも良い。

始めに、昨日の日記に間違いを指摘されちまったんで、報告。
何気なく直しとこうか、と思ったものの。
かえって恥ずかしいんで止めました。

 × おじいさんの古時計 ○ 大きな古時計

流行りモノを間違うのって年寄り臭い。
と、てめえで書いておいてダメージを受ける、器用な桜木です。




さて。

悲惨な事件が有りすぎて、何とも言いようが無ェが。
一番イヤだったのは、やっぱし「蓮池さんちに届いた手紙」の類だな。

結局、生け贄は誰でもいい。
日本の未来も北朝鮮の未来もどうでもいい。
ただ、てめえの半径50センチぐれェのストレスだけが問題で。

そいつが清々するんなら、生け贄は誰でもいいわけだ。

WEB日記で毒を吐くたらいうのも同じ。
蓮池さんちに手紙書かなかっただけ常識人かっちゅうと、ただてめえが可愛いだけ。
ただ、ケーサツに掴まるのがイヤだからだ。




拾った財布のカネだけ抜いて、残りはドブ川に捨てちまう奴と同じ。
何にも考えて無ェ奴は、皆同罪。

向こう側に居る人間が何思うか。
そこでイバラに絡みつかれてもホントウって奴に手を伸ばすのか。
そうじゃないのか。
ただ、ストレスを解消したいだけか。


そんなのは。
見ればわかる。

一歳の子どもを連れだして放置するのも。
動けなくなった母親を放置するのも。
全部、おんなじ脳味噌の中身をした、似たような「考え無し」のやるこった。

そして「考え無し」てのを作り出すのも世の中だから。
始末が悪ィ。


頭のいい人間は、大抵。
頭の悪い人間は、てめえ一人のせいでそうなったと思ってるから。

始末が悪ィ。



けどまー、お上でも先生でも無い桜木が。
せめても出来ることと言えば。

あほかと思った時にあほかと言うこと。それだけ。



生け贄なんぞは要らない。

あほか、あほか、と怒りながら。
気が付けばストレスなんざ感じてるヒマも無く。

時間ばかりが過ぎていく。



2002年10月26日(土) 不憫と思うな。

尊敬する年上の人と飲んで居て。
平井堅の「おじいさんの古時計」リバイバルの話になった時。

そういえば、うちの小僧には爺さんが居ない。
桜木の親父はバックれたし、家人の父親も無いから。
小僧には「おじいちゃん」と慕う年老いた人が居ないのだと。
そう淡々と話していた時、ふいにその人が、

「それを不憫に思うんじゃないぞ」

と言った。




親の自殺。離婚。病死。
親世代のそうしたツケが子世代に回る時代の。

たくさんの青年たちを見て来たその人は。
「一番悪いのは、我が子を可愛そう可愛そうと育てることだ」と言った。

不幸は等分に有り、幸福なだけの人間なぞ居ないのに。
わかりやすい不幸に親が浸り、我が子を不憫に思いながら育ててはいけない。



不足は、言えば真実になるが、言わねば、無いも同然よと。
その人は笑った。

不足の中で生きた人が言うから、説得力がある。
そもそもかつての日本人は、そういう時代を生きていた。

米が食えぬと不憫がられて育ったことは無い。
無いものは無いが笑いながら生きて居たと、その人は言った。
しかしそうして生き抜いて、年老いた親がふと言ったそうだ。
お前たちには本当にひもじい思いをさせていたと、言ったそうだ。
そしてそれを、幼い時分に聞かなくて良かったと、その人は言うのだ。

不憫がられて生きたツケは必ず回ると。
社会や歴史を恨み無関係の豊かな他人を恨む感情にとらわれていれば。
空な心で世間に臨むことは出来なかったろう、と言うのだ。



恨みつらみ妬み嫉み。
てめえの目を暗くさせてた感情に思い当たる。
親は桜木を不憫と思うたか。

思うたろうな。
明るさは確かに失っていた。
笑いは確実に目減りしていた。
ただ、どこかで一族は浮上した。
全てを受け入れ。
無いものは無い、居ない者は居ないのだと受け入れた。




可愛い子じゃあないかと。
写真見て笑う人の目尻に泣いた。


不憫と思うな。


その何より強い、世代を越えた大きな励ましに。
止めようもなく目の奥で泣いた。


そして爺さんが居ない分。
小僧には大勢の、温かき先達があるのだと知った。



2002年10月22日(火) 最も身近な殺人者。

家に帰るということ。
それは人類が「家」というモノを持った時から不変の安らぎであるはずだった。

が。帰宅拒否症が増えてるらしい。大人も子供も。
本当は家に帰りたくないが、他に行く所も無ェちゅうんで。
大人はサウナやカプセルホテルに泊まり、子供はさっさと部屋に閉じこもる。
相変わらず家に帰るのが楽しくてしょうがない人間も居る中で。
そういう人らは、いつどんな風に、家という安らぎを失ってしまったんだろう。

昨日、遠縁の従姉から珍しく電話が来て。
この頃とみに、伯母の言動がおかしいのだと言う。
そして、ちょうどテレビで特集をしていたのを見た、
もしかすると更年期障害による鬱ではないか、と言う。

家人に尋ねてみると、やはり身内に思い当たる例もあると言っていた。
主に40代の半ばから後半にかけて女性を襲う、更年期障害。
身体の不調に留まらず、精神的なイライラやストレスに悩まされる人も多いらしい。

しかし一番悪いのは、その言葉の響きなんだろう。
閉経の前後に起こるという生半可な知識だけは持つ世間は、「更年期」と聞いて。
ああ、あの人ももうそんなお年なのね、と反応することがあるらしい。
症状の出方や重さには個人差もあり、女性同士だからといって共感してもらえるとは限らない。
更に言うなら、夫の無理解がある。
それでなくても仕事で脂の乗ってきた男たちは、その年代は特に妻や家庭を軽視しがちで。
飲みの席などで見ていても、妻の容色の衰えを殊更に笑い話にする無神経な輩も多い。


そうなると、家庭の中に居る40代の妻たちというのは。
ある意味最も平穏であるべき場所で、最悪の「間接的殺人者」と同居しているも同然なんだな。

せめて、夫の理解と協力があれば違うだろうにと言うと。

従姉は、本当にそう、と溜息をつき。
聞いてくれてありがとう、と電話を切った。

ひきこもる子供。
帰宅拒否する夫。
そしてひそかな更年期に心を病んでいく妻たちは。
それぞれが、それぞれの、最も身近な殺人者となってしまっているんだろうか。

しかし家族がストレスしか生まないのだとしたら。
家族は何のために居る?

むさくるしい家に命をもたらしてくれた家人も。
いつかは閉経し。
重い更年期に悩む時期を迎えるのかもしれないが。
そうなった時、桜木が彼女の身近な殺人者とならないためにはどうすれば良いのかを。
示唆してくれる情報は、今、あまりにも少ない。


開き、閉じていく当たり前を前に苦しむ人たちに対し、優しくなれない社会の側面を見る。

家庭を内側から支える人たちをないがしろにして。
家ちゅうもんに、かつてのような安らぎが戻るわけ無ェ、と思うんだが。

こんなもんは。アホみてぇな愛妻家だけが感ずる戯れ言か?


ま、家人曰く。
家の外でも、ダンナの悪口言う奥さんの周りの方が盛り上がるのよ、てことだが。
いずこも同じか。

それにつけても。
最も身近な殺人者に寝首をかかれるのだけは御免。


この世の中は。
本当に労るべき対象を見失ったまま、どこまで行くのかナ。



2002年10月19日(土) 行きつ戻りつ。

赤ん坊は、あやされてナンボという顔をしており。
いたずら坊主は、「これボクんの」と言う時最高の顔をし。
中学生にもなると小僧どもは。
何かしらてめえの懐に辿り着いたもんを、ベッドの片隅でこっそり開いて。
やっとニヤリと笑う。

そしてガキの頃は、大人になるちゅうんは。
日々積み重ね、山を登るように決して下には戻らないこと。
全てを失うことなく、ただひたすら手に入れ。
てめえの持ち物と相棒を増やしてくだけのことだと、思ってたんだが。

なんのこたー無ェ。

人生なんちゅうもん。
んな気の利いた山みたいなもんじゃねくて。
ある種ほとんど真っ平らのつまらん道に、よほど近い。

必死で正しい道を歩いていると思いこみ。
なかなか報われねーんで、手近な人間に顔を隠してクソを投げ。
そういうことをやってるもんで、なかなかますます報われねーし。

けど。やってる本人は必死。

なんせ正しい道を歩いてると思いこんでんだもんナ。
そんなんばっかりだ。

実際、道に迷う時と。人生とやらの道に迷う時と。
人のたどる過ちちゅうんは、ほぼ一緒。

こっちか、こっちか。あっちかも。と。

ただ一点、おんなじ所で、間違える。
それも、あたかも、是非とも間違えたい! ナンゾと思ってるかのようにヨ。

グルッと振り返って同じトコに行く。
けど。

それが「狸に化かされたまま白骨になってく道」なのか。
あるいは「課題が残されてるから敢えて解決するまで出るべきでない袋小路」なのか。

その区別は、誰にも付けられない。


更にマジメなヤツほど「飽きたからもう辞める」ちうのが出来無ェもんで。
ますますハマる。

ありゃりゃ、そっちじゃねーんだけど。ナンゾと。

赤の他人の桜木が思うた所で大きなお世話。
ただ一つだけ有効なんは。

クソだけは投げ無ェ方がいい、ちゅうくらいのこと。
クソは。
持っただけで、てめえの手が臭くなっちまうからな。例え匿名でも。




スタンダールの言葉にこういうのがある。
好かれる相手が多くなるほど、通りいっぺんの好かれ方になる。

いつの世も大衆が好むのは。
わかりやすく、それでいて「どっかコバカに出来る」もん。


本気で心酔すりゃ宗教で。
笑いながら見てられる程度のもんが一番カネを稼ぎ。


「だけど本当に求めてるものは、そんなもんじゃない」

とか何とか言いがちな人間が成功するほどには、世の中ってのは複雑じゃない。




気難しい顔で、たまに笑い。
その照れ臭い感じが、なんでか、わかる。

そういう相棒。
そういう仕事。

本当に欲しいのは結局、ウソ吐かねーでもラクしてできる仕事と。
ウソ吐かねーでもラクで居られる相手。


なあ。十週連続第一位とか絶賛人気たらいうもん、そんなに羨ましいんかな。


桜木の基準はいつでも「そいつ幸せそう?」だ。

同時期に始めたサイトの管理人が10万HIT御礼とか言うて。
後輩がうなだれて今まさにまじい酒飲もうとしてたんで。

そういうの以前に、お前全然幸せそうじゃないし。言うたった。





行きつ戻りつ。本当に必要なものはなかなか手には入らねーが。
たまには手に入ることもある。

そしたらそいつを、ぎゅっと握りしめ。

たまにはニヤリと笑いたいだろ。



わかりやすーくコバカにされながら。
愛玩される動物になりてーんなら。

それでもいいが。

くだくだ言うて、まじい酒飲んでんだったら。
ちっと考え直した方がいい。


10年経っても忘れねー言葉。あんたにはある?
桜木には有るよ。

その人が良い匂いのする綺麗な手でしたためた言葉は。
多分。

墓場まで持ってける。




そんな言葉のひとつも吐いてくれよ。なあ。
きっと桜木はそいつを墓場まで持ってく。

けど後輩よ。忘れんな。



誰ぞに投げつけたクソのへばりついた手で書いた言葉は。
どう飾ってても臭ェってこと、忘れんな。




2002年10月18日(金) 空々漠々。

ありふれた貧乏人の心情すら想像出来ない人間どもが。
かの国に拉致された人間の気持ちや立場を想像出来るわけが無ェ。

本気で踏み込むことが国家レベルで許されて無い問題を。
どうこう言うだけ空しい。

かの国で息を潜め生きようとしている日本人と。
どうにか救いが来ることを夢見て生きようとしている、かの国の人々の間に。
尊さの違いが何らあるわけも無い。

空々漠々として、ただ空を眺み、己の業を成す。



2002年10月14日(月) 孤独。

振り返ってみれば、おかしなもので。

他人に馴染まず独りを好んでいた頃の方が、よほど。
他人の目や評価を気にしており。

他人と関わる楽しみを覚え、無闇に友人を増やしていた時代の方が、よほど。
自己中心的だった。

だから孤独のうちに人は疲れ。
むしろ喧噪の中で自己を癒す。


ひとりぼっちだから疲れないはずなのだ、と思うけれど。
そうではなくて。
ひとりぼっちだからこそ、疲れるんだよ。


人は群れて生きるもので、むしろ群れている時のほうがずっと孤独で。
その孤独は、しかし、愉快なものなんだな。
人と群れず、何かに必死で背を向けて生きる孤独のうちで。

他人に振り回されているバカげた自分に気付くよりか。




洞窟で身を寄せ合い眠った原始。
一つ屋根の下に居候が十人居た時代。
血縁の良くわからない老人に食わせていた農家。
一人また一人他人をこぼして行き。
今や小さな家庭。

他人の気配の中で。
他人を尊重しつつ敢えて他人を無視し。
愉快な孤独を感じられる人間になれと願う。


孤独が辛いのは。
自己中心的になることを罪深く感じるからだよ。

自己中心的で良い。


利害を侵せば他人は顔をしかめてくれる。
だからわかるが。

てめえの利害は侵しても侵しても。
てめえのゆがんだ顔や心は、なかなか見えては来ないもの。


人の中で。
人の顔ゆがませ。
覚えてけ。

耐え過ぎたって良いことは無ェさ。

孤独で辛いのは当たり前。

どっちみち孤独なのなら。
人の海に漕ぎ出て。
むしろ誰とも重ならない自分に出会い。

好きなようにしか生きられないてめえを知って、笑う方が良い。



2002年10月11日(金) 雑談の力。

オフィスで働いていた頃は良かったナァ、と思うのは。
特に、会議に提出するための企画書を書いている時。

しょーもない会話から思いがけないアイディアが涌くこともあるし。
異なる価値観、異なる感性の持ち主たちによって、意外な指摘を受けるということも多々あった。
もちろん彼らの企画に対し、こちらからそうした指摘を行っていくことも同じだけあった。

それぞれの性格にもクセがあって。
それぞれがそれぞれの企画に「よし、もうこれでいい」と結論を出すタイミングも違っていたが。
企画会議では揃ってボロクソに言われ合い。
結果、提案は何一つ通らず、互いに説得力の足り無さを自覚し合いながら。
懲りずに成功と昇給を夢見て、次を目指した。

一見無責任な「だってこうじゃないか」「ああじゃないか」といった言葉の応酬に。
独りよがりな発想や言語が磨かれて行くことが、ただ単純に楽しかった。

人は一人では生きていけないと言う。
それは何故なのと。いつか小僧に聞かれたら、こう答えたい。

人は一人では生きていけない。
何故なら。
てめえの頭ン中だけで「思いがけないこと」を起こすのは難しいからだ。

ちゅうか、てめえの頭ン中で、そう煩雑に「思いがけないこと」が起こっちまったら危ねェしヨ。



絶対こうしたらこうだろ、ちゅう思いこみを。
いとも簡単に「それは無いっすよ」「えー。無い無い」等と否定しまくってくれたかつての同僚たちよ。

人が満員電車で押し合いオフィスに出かけて行き。
雁首並べてジッと仕事することの意味。
結局人間にゃ、他人以上の宝は持てねェってこと。



座敷ワラシ。

なぞと一人つぶやいて不気味がられる金曜の午前。



2002年10月08日(火) さよならだけが、人生だ。

たくさんの自分を置いて来たし置いて行く。

他人と別れるまでもない。
自分自身との別れを繰り返す。

若い頃良く飲んだ酒を久しぶりに飲み。
訳もなく瞳を潤ませて笑う。

愛する人が居てくれて良かった。


今日は、どんな自分をここに置いていくのか、なんてことは。
多分、何十年も過ぎ、死期も近づいたという頃にわかるんだろう。

いろいろな愚かしさや情熱と別れてここまで来た。
愚かに見える分別なぞも身につけながら。

たくさんのものに出会っていくようで、実は。
別れていくものの方がずっと多いんだよ。



かわいい人たちよ。

幸せで居てほしい。



今日も、もう終わる。

いくばくかの金を稼ぎ。
少しの酒で酔い。
小さな寝顔を一瞬照らして、明日へと繋ぐ。



要らない自分なぞ捨てていけ。

さよならだけが、人生だ。



2002年10月07日(月) 嫌な同僚とのつきあい方。

後輩から久しぶりにメールが来たと思ったら、今の職場に嫌な奴が居てツライ、という内容。

自称毒舌家で、自分は何を言っても良い、と思いこんでいるのだという。

例えば後輩の職場には、子どもの頃の後遺症で少し足の悪い女の子が居るらしいのだが。
その子が目の前に居る時でも、新聞の記事などを読みながら、障害者は家の外に出るな、などと口にするのだという。
本人は周囲の同僚にだけ言っているつもりなのだろうが、その女の子の耳にも当然入っている。

一般に、リベラルで言いたいことが言える雰囲気のあるオフィスでは、仕事がはかどる。
しかし後輩によると、言いたいことを言っているのは「ほぼ」そいつだけで。
他の同僚は、ただ呆れながら相槌を打っているだけなのだ、という。

状況を説明する後輩の言葉の端々に、その女の子への好意がにじみ出ていた。
後輩は、その女の子に嫌な思いをさせたであろうそいつが、なおのこと許せなかったんだろう。


どこの職場にも嫌な同僚というのは居るもんで。
だからどこの職場でも、ほとんどの人がそういう人間を遠ざけきれずにストレスを負うて居る。

けど。

誰かが「他人の気持ちを推し量ってモノを言うことが出来なくなっている時」というのは。
アクションゲームで言うなら中ボスのオバケ花が。
花びらをグワッと開いて中のメシベを丸出しにしている瞬間みたいなもんなんだから。

ある意味「しんせつ」でもあるのだから。
そいつのそういう無防備さには、感謝こそすれ憎んだりするべきじゃない。
そこでお前は、嫌な同僚のなんたるかを学び。
自分が嫌な人間にならないためにはどうすればいいか、ちゅうことを研究しなきゃいかんよ、と。


そう伝えた。


遠慮の無い先輩後輩同士だから、
「桜木サンはフリーになったからそんなこと言えるんすよ」
等とも反駁されたが。

そんならお前もフリーになりゃいいじゃん。苦しいから。
と書いてやった。


嫌な人間は居なくならねーよ。
死ぬまでつきまとう。
ただし、身の回りで接触する機会を減らすことは出来る。年を取れば取るほど。
もちろん年と共に逃げ足が早くなる、なんちゅうことでねくて。

自分の周りを、嫌じゃねーヤツで固めていけるテクが身についてく、て意味。



大体日記読んでても一番ムカつくのは、ダンナやヨメや友人や恋人の悪口書いてるやつ。
桜木に言わせりゃ、そんなヤツと結婚したりつきあったりする方が悪ィ。
相手の程度を叩いた時点で、てめえも同等。
そんな友人としか連めねーとは気の毒に。
また日記の掲示板なんちゅうのは、うってつけの見本市。
見事なまでに程度の粒の揃ったとこが、拝見出来るって寸法。


人が群れ集う時、そのほとんどは「類友」状態。
だからとりあえず、気に入らねーやつからは離れろよ。
ハタから見たら一緒に見える。一緒にされる。

批判してれば自分だけ違って見えると思ったら、大間違い。
軽くムカついて誰かに告げ口すりゃ、ミソもクソも一緒。
だから後輩よ。
気持ちでそいつから離れ。
気持ちで。
お前がそばに居たいと思う誰かのそばに、もう少し近づいていけよ。



長電話してウンウン頷いてたくせ、受話器置いた瞬間に家人にメタクソ言い始めな気が済まんような。
そんなツレ、桜木なら要らね。
そんなクライアントなら居ないことも無ェが、遠ざけてたら死ぬ。
仕事と私事は別。


長電話でウンウン頷かされてストレス溜めてる、そこのあんた。
むしろ、いっぺん、受話器を置いたフリをして。
そのメタクソ、そいつに直接聞かせてみ。

向こうの方から。
今後金輪際おつきあい御免被ります、言うて来てくれて、さぞラッキーだろうさ。



2002年10月05日(土) 本当に必要なもの。

例え1億円積まれても手放せないのが、本当に必要で大切な何か。

そして、その本当に大切で必要な何かのために。
1億円の現生に匹敵するほどの気持ちを捧げられるかどうかで、人間の程度は決まる。


1億円じゃ手放せない、ぐらいのことを言うのは簡単だ。

けど。
それに匹敵するだけの気持ちが注げないってんなら、そんなもん、口先だけだ。


てめえにとって大切な何かの価値を言い募るだけなら、簡単だ。

問題は、その何かのために、どれだけ具体的な行動をし、気持ちをかけてるか、てことだと思う。

辞められないとか譲れないとか渡せないとかヨ。
言うだけなら簡単だよ。
ただ執着してさえいりゃいいんだから。

けど。

譲れない何かのために、どれだけ気持ちをかけられるか。
誰にも負けないだけの気持ちをかけられるか、ての。
それが、全てだと思う。


1億円と引き替えになら簡単に捨てられるようもんは、この際どうでも良い。
問題は「1億円積まれたって、手放すことは出来ない」てこだわってる何か。


あぁ、そんなんは、言うだけなら簡単だが。
1億円と引き替えに手放した方がマシってこたー無いんか。桜木よ。

気持ちをかけ、時間をかけ。
金に負けない何かを注げてる自信が持ててヨ。それで初めて言え。


譲れない渡せない何かを。
その何かを、本当に大切に、必要にしていると言え。




2002年10月04日(金) どうすれば、もっと働きやすくなるか、だって?

Yahoo!のニュースで、働き続ける女性の苦闘についてのトピックを読む。

女性の記者が。
どうすれば、もっと働きやすくなるか、と結んでいた。



簡単だよ。

みんなで少しずつ働いて、たくさん家に居れば良い。
みんなで少しずつ時間を持ち寄って、少しずつ耕し。

足りないものを補い合って生きれば良いんだよ。

共産主義みてェか?

みんなで働く量を減らし。
みんなで家に居る時間を増やしたら能力主義の社会が壊れちまうんか?



なぁ。背中を駆け上がる憤りとも哀しみともつかねぇ、この気分は何だ。

親が子供らに伝えることをないがしろにした結果。
愛情のバケツリレーの最後で落ちこぼれた連中は、死んだ目をしてる。


すくいあげてくれる誰かが何処にも居なかったら。
世の中を恨み。
持たざる者は持つ者どもをゆすり、たかり。
時に躊躇なく傷つけ奪う。


アジアの人が犯罪を犯した時、偏見や差別しか発想できねーヤツらは。
彼らがどれほどこの国の日々に怒りとも哀しみとも疑問ともつかねぇ気分で居たか。
そこに思い至ら無ェ。


豊かなんだ。
この国は豊かだ。
だから貧乏になれとは言わない。
ただ、有り余る溢れ変える何かをほんの少しずつみんなで我慢し。
みんなで持ち寄り。


その分、家に灯りをともそうとヨ。なんで思えねーんだ?



どこに帰れる場所が?

寂しいコドモがさまよい歩くうち、道に迷って暗い街灯の下で泣いた時。

そのコドモに声をかけてやれる大人たちは何処に行った?



買い物籠下げたおばさん。
会社をはね、ゆっくり着物に着替えてから煙草を買いにでたおっさん。
犬の散歩のねえさん。
仕事の後、青年団の集まりでの猥談を楽しみに、ワクワク出かけてくにいさんは。


何処に行った?


この豊かな国に溢れてるのは、シゴトでくたびれた金の亡者ばっかりか?

盲導犬を横に座らせ募金の箱を置いて立つ人の横を素通りし。
ガキの好き嫌いを無くさせる時ばかり「食べ物も無い貧しい国があるのよ」と言い聞かす。


町をカラッポにしたまんま、誰かに必要とされるわかりやすい記号ばかり追い求め。

何処に行きてェんだ?

何処にも行くところは無ェんだよ。

生まれた土地をどれくらい離れ、どんな生き方をしてる人間も。
人と人のつながりや温もりや助け合いを離れては生きられない。



どうすれば、もっと働きやすくなるか、だって?

シゴトも無く家もなく公園で。
これからの季節は死と隣り合わせの人たちも居るというのに。

他人のシゴトを奪い。
他人の生き甲斐はシカトして、てめえだけは「より稼ごう」と。


どうして余分に働く必要がある?
どうしてみんなで足りるだけ働いて、みんなで十分なくらい必要な愛情を蓄え。
時には赤の他人にさえそれを分かち与えることが出来ないんだ?





雇用差別は、行うべきじゃない。
無論育児にせよ家事にせよ、女性だけが負わされるべきじゃないさ。

けど。

満ち足りすぎた人々をシェルターで隠し。
庶民はちっせえ喜びで騙されて。
子どもに教育をと。

満ち足りた日々をと。


けど。

誰がどこで、いつ。
人の心を豊かにしてくれるってんだ?




上の空で大切なものが見えなくなる。
シゴトに追われている時はいつもそうだ。
自分にとって本当に大切な何かを当然のように見失い。
もう金になるわけでもない日記なぞやめようとか。
車を売ろうとか。

目先の安寧に囚われ。

見えない契約書にサインをしかかっている。



まっぴらだ。





どうすれば、もっと働きやすくなるか、だって?

山猿の群と揶揄されてもジーンズに自転車で会社に向かい。
暗くなる前に家に帰り、スーパーで新鮮な食材を買い。
父も母も預けた子どもたちを迎えに行き、手をつなぎ。
働かない母たちには今日も一日、町を守ってくれてありがとうと、心の中で礼を言いお辞儀をして。




家に帰るんだ。

どうすれば、もっと働きやすくなるか、じゃない。

今、俺たちの世代は、これからの時代は。

どうすれば、全ての人たちがもっと生きやすくなるのかを、考えなきゃいけないんだよ。



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