samahani
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2005年07月30日(土)

夫の日本での仕事は、28日に終わるはずだったけれど、海外からの帰国者を集めての講演会というものに、夫も一時帰国者の立場で急きょ参加することになり、朝から資料作りをしたり、その合間に移動のための荷物まとめをしたり、夫はばたばたとしていた。

「その講演会、面白そうだから私も聴きに行っちゃいけないの?」と訊いてみたけど、「うーん、ここは日本だからねぇ」と言われて諦めたのに、夜9時、名古屋に向かう新幹線の中で「やっぱり聴きに来てもらえばよかった雰囲気だったよ」「むしろ来てもらえばよかった、さとこは一番いい聞き手(どこが悪かったかダメ出しをしてくれる)だもんね」などと言われてがっくり疲れ、不機嫌がMaxになった。ただあなたの仕事が終わるのを待っていてあげた私の一日を返せ。・・・優しい気持ちも、たった二日しかもたなかったらしい。

世の奥様方は大抵、ダンナさんの仕事を最優先とし、「仕事だから」と言われれば「仕方ないわね」と言わざるを得ない。私も仕事が一番大事なのはちゃんと理解しているけれど。

昨日も成果のない一日だった。見に行ったマンションは予算オーバーなのに、少し都心に近づいた分、狭かった。アメリカで暮らして、洗面所とトイレとお風呂が一部屋のようなつくりに慣れてしまうと、4畳の空間を部屋と呼ぶ感覚にはなれない。

滞在7年という中途半端な年月は、私を中途半端な人のままに、どこにも属せず放置している。駐在員の妻でもなく、永住でもなく。日本人の感覚にも馴染めず、もちろんアメリカ人でもなく。子供を通じての母親のつながりがなくなって、最近お付き合いがあるのは、うんと若い人か、お年寄り。もともと社交性に乏しいうえ、しがらみもない身分で、無理して日本人と付き合うこともないと考えていたら、どんどん世界が狭くなってしまった。

滞在が長くなって、アメリカ生活に慣れた私の周りの日本人は、もう日本には帰れないなどと言う。

私も、もう今は、日本に帰りたいのかどうかもよく分からなくなった。


2005年07月29日(金) マンションを見に行く

私には、いままで10年以上ずっと欲しいと言い続けていたものがある。東京におうち、つまりマンションが欲しい。「どこにもおうちのない私は、精神の拠りどころがなく、すぐ精神不安定になるかわいそうな人。私が元気になれるなら2500万円なんて安いものじゃないの」などと、ことあるごとに言い、そのたびごとに、「そんな高いものが買えるワケない!」と言われ続けていたのであるが、ついに夫が「考えてもいいよ」と言うまでになった。そういうわけで昨日は、ものすごくたくさん歩いて、いくつかのマンションを見て回った。

けれども、安いマンションにはそれなりの理由がある。初めのは「えっ、こんなところ?」というところに建っていた。そのうえ、安い価格帯のものは隣のビルの陰になり、日当たりゼロだそう。なのに、売り切れ。2番目のは、人気のタワーマンション。出来上がるのは2年後で、数も多いのに、安い価格帯のものは全て売り切れ。3番目のは、もういい加減歩き疲れていたところに駅遠物件で、いくら歩くのが苦にならない私でもこれはちょっとと思ってしまう遠さ。そのうえ、希望の物件はまだあったにもかかわらず、遠いというだけで、これほど安いのは何か他に理由があるのでは?と思ってしまう。これでは永遠に決めることなんて出来そうにない。

夕食に七輪焼きを食べながら、一日の成果を報告する私の「いいものないし、なかなか決められないよねー」という言葉に、分かってたよと言いたげに頷く夫。「でもさ、私、今回日本に帰ってきてから、ぜんぜんテレビも見てないし(8時過ぎには眠くなってしまうため)、それより何よりショックだったのは、コンビニおにぎりやコンビニパン食べてもぜんぜん感動しないの、どうしてだろう?」「もうそれほど、日本に帰ってこなくてもよくなったってことなのかなあ、マンションどころじゃないね」という私に、夫は一言「そだね」と言った。


2005年07月28日(木)

数年前までDCで一緒に遊んでいた友人に「いつ帰りますか?」というメールをもらい、またみんなで会うことになった。(普段はほとんど音信不通なんだけど) 

4人のスケジュール調整をしたら、私の帰国の翌日になってしまい、かなり悩んだことがある。私は、日本でしか美容院に行かない。なので、日本に帰国直前の私の頭はすごいことになっている。一年に一度、七夕の織姫と彦星並みの逢瀬の日にきれいにして行きたいと思うのは、乙女心(突っ込み不可)というものだ。

「きれい」をとるか、「待ち焦がれた日本の美容院」をとるか非常に悩みどころだったのだけど、結局、やっぱり、当然(?)・・・「きれい」をとったのだった。その「きれい」というのは、 自分で白髪染めをする(見えるところだけ) ってことなんだけど。

去年も会って、なんだか落ち込んでしまって、あとでため息ばかりついていたけれど、今年はそんなふうにはならなかった。私立中学の帰国子女受験の話になると、相変わらずちんぷんかんぷんで「すっごいのよー」と言われても、そのすごさが分からなかったけど。で、高校も中学もたったひとつかふたつの選択肢しかないうちの子たちと違い、どうして都会にはそんなに山のように私立中学があるのだろうという驚きと、塾通いも受験も大変そうだなというのは分かった。

この夏は、夫が一緒に日本に来ている。出張先のイランから、直接日本に来たので約3週間ぶりに夫と会った。まだ日本での仕事があって、初日は仕事関係の人とお酒を飲みにいき、12時過ぎにべろんべろんになって帰ってきて、それが日本での初対面だったけれど、そんな夫でも優しい気持ちで迎えてあげることができた。3週間の効用は、なかなかにすばらしい。毎日顔をつき合わせていると文句を言いたくなる場面も多いけれど、居なくなるとやっぱり寂しい。

夫の勤務先の50歳くらいの日本人の奥さんが、「私たちは結婚して20数年になるけれど、夫の出張のおかげでいつまでも新婚みたいに新鮮な気持ちでいられます」と言っていた。

ウチも、この出張パターンって結構いいかもしれない。
帰ってきてからの優しい気持ちが、いつまで持つかが問題なんだけど。


2005年07月27日(水) 台風の中、東京に着いた。

子どもたちの学校は6月15日から夏休みになっていたというのに、私と長男はいままでずっとDCで過していた。これで高校生活最後の夏となる長男は受験生なのでなにかと忙しいのだ。

いままで、この時期にはDCに居たことがなかったけれど、7月のDCにもいろいろな発見があった。

そのひとつが、ときどき蝉の鳴き声がして日本情緒な夏を感じさせてくれたことだ。去年アメリカ東海岸では、17年に一度大量発生するという「17年蝉」の話題で持ちきりだった。蝉のことを知らない人が多く、蝉に襲われるとか、どんな対処をしたらいいとか、まじめに新聞にとりあげられていたのだ。確かに数は多くて、歩いているとぶつかってきたりしたけれど、蝉が怖い物だなんて、日本人からしたら、とほほである。その残骸かことしも少しだけれど、蝉が鳴いてちょっぴり風流を感じた。

もうひとつは、音楽を鳴らしながらやってくるバンのアイスクリーム屋さん。初めてそれが来たときには、この音楽は何? どこの家がこんな人迷惑なことをしているの?とイライラしたけれど、アイスクリーム屋さんだと分かり、1ドル札を持って駆けつける子どもたちを見てからは、それも微笑ましく思えるようになった。不思議なものだ。

音の公害にあふれている日本と違い、静かな住宅街であまり洗練されていないゲームセンターのような音楽が聞こえてくることは、ここではほとんどありえない。けれど、3日に一度くらいやってくるアイスクリーム屋さんも、私にとってここでの夏の風物詩となった。

昨日、空港で飛行機を待っていたら、日本発の飛行機から降りてくる人たちの中に知っている人をちらほらと見かけた。「ああ、この人たちの夏休みはもう終わり。私たちはこれからなのに」と思うとずいぶんと出遅れてしまったようで寂しかった。

終わる夏とこれら始まる夏。それぞれに。


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