ことば探し
まゆ [MAIL] [HOMEPAGE]
 

2004年05月31日(月) 優しさが欲しければ、優しくなることです。

優しさが欲しければ、優しくなることです。
真実が知りたければ、真実を話すことです。
自分が与えたものを、あなたは見いだすでしょう。

あなたの人生は、あなた自身を映す鏡にほかなりません。


「運命は今日から劇的に変わる!」より  ジェームズ・アレン著
                   こころの置き方研究会訳 



ジェームズ・アレンはイギリスの思想家である。
彼が亡くなってから、多くの人が、
彼の語っていることの価値やすごさに気がつき、
没後140年たった今も語り継がれている。
そして、未だに多くの人に影響を与えている。
http://www.james-allen.net/

しかし…ハッキリ言って、凡人の私にはちょっと難しい。
と言うより、立派すぎてどうもついていけない。
にもかかわらず…ジェームズ・アレンの著書に流れる、
澄んでいる感じが好きである。
生きることがとてもシンプルであると、
思い出させてくれるような、そんな潔さがある。

ジェームズ・アレンのようには決して生きられないけれど、
ジェームズ・アレンが語っている言葉も忘れないようにしたい。








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2004年05月29日(土) 愛されているとか愛されていないとか、頭がいいとか悪いとか、

愛されているとか愛されていないとか、頭がいいとか悪いとか、
スゴイ人間だとかダメな人間だとか……
幼児期に形成された自分に対する見方というのは、
その後の人生に大きく影響する。

幼児期に身につく考え方は客観的な裏付けが何もないことが多いのだが、
自分はみんなから好かれると自信を持っていると、
本当に好かれるようになり、
自分はみんなから嫌われているとひがんでいると、
ほんとうに嫌われるようになる。

 
 「80対20の法則」より  リチャード・コッチ著
                 仁平 和夫訳


やっぱり自分の持つ自分に対する評価とか、自信はとても大事なのだろうな。
なかなかいい評価や自信は持てないけれど、
誰かから力をもらっても、
何かかから刺激を受けても、
何かをやることからでも、やり続けることからも、
いい自己評価や自信は身につけた方がいいんだと思う。





《ちょっとひといき》
「カメレオンガクアジサイの花」花の色がどんどん変わって行くはず…






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2004年05月28日(金) 同じ話も、他人を主語にして話すとただの愚痴だが、

同じ話も、他人を主語にして話すとただの愚痴だが、
自分を主語にして話せば、問題を解決していくための
糸口が見えてくる。

  「したくない症候群の男たち」より  梶原 千遠著


単発で頼まれていた仕事の打上げで、
以前の仕事仲間と飲み会があった。
その後、仲間の一人の女性とお茶を飲むことになった。
女性は、つい最近離婚したばかりである。

その女性は、「私は負け犬だ」と言う。
「信じていたのに、旦那さんには逃げられ、
 一生懸命やってるのに仕事ではあまり評価されず、
 気がつくと、自分は空っぽで何も残されていない…」
「自分には魅力がないのかなぁ…」と彼女は言う。

彼女は仕事も家庭も、完璧にやろうと一生懸命にする女性で、
端で見ていても大丈夫かと思ってしまうくらいだ。
(そのため、よく必死な形相していて、顔色が悪かった)
一生懸命自分はしてるので、評価して欲しいと願ってしまう。
しかし、自分が思ったような評価は得られない…
容姿端麗で、洋服のセンスもいい。
女性から見ると、相当魅力的である。
(女性から見ると魅力的な人が男性が見てそうでないことが多いが…)

彼女の話を聞き、こちらの思っていることも言い、
世の中の愚痴やら、元ダンナやら、同僚の悪口もさんざん言い合って、
本日の彼女の気づきは、
「一生懸命やったからといって、評価されるわけでも、
 わかってもらえるわけでもない」
「自分がこれがいいと思ってやったことが、決して
 相手にとってもいいことではない」
「一生懸命が武器なるわけではなく、こちらが、どんなに
 一生懸命しても、評価するのは相手」と言うことだった。

彼女の持っている一生懸命な長所は上手に残して、
上手に、開き直れるといいなぁと私は思っていた。


《ちょっとひといき》
「レモンの花」今年はじめて咲いた。ちょっと嬉しい。
 


















 


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2004年05月27日(木) 野村には休む勇気がある。

「野村には休む勇気がある。だから体力的にも精神的にも消耗度が少ない」
 山本洋祐・全柔道連強化コーチ(軽量級)

「静と動なら、たいがいの柔道家は動ばかり。ヒロには静がある。
 それがあいつを長持ちさせた」
 野村選手の父(基次さん)


「朝日新聞」H.16.5月27日 アテネへより 野村忠宏選手特集


(野村忠宏選手は柔道60キロ級で、アトランタとシドニーで
金メダルを獲得した選手で、その後、一時全く柔道から引退し、
その休みの後で、三度目のオリンピック代表に選ばれた。
その野村選手を側で見ていた二人のことばである)


野村忠宏選手と井上康生選手のファンである。
柔道の戦い方はわからないが、見ていてものすごく
スカッとするからだ。すごいっ!と思えるからだ。
(まっ言ってみれば、ただのミーハーなのだが…)


それはさておき…、
「休む勇気」である。

休むことは、大事だし、権利だし、必要だと分かっていても、
有給休暇のある会社でさえ、なかなか休むことが出来なかったり、
休むと罪悪感を持ったり、妙に落ち着かなかったりする。

休んでいても、何かしなくちゃいけないと焦ったり、
ゆっくりと身体を休めてのんびりと過ごすことは、
時間の無駄と思ったり…

ましてや、長期休暇など…とても取れないし、
実は、取りたくなかったりする。
自分が置いて行かれるような気がしたり、
不必要だと思えたり…寂しかったり…するからだ。

ましてや、順調な自分の人生を一回休みするなど、
とても考えられないことなのではないかと思う。
しかし、その休みはとても大事と思う。
なぜなら、休みを取ることで力が蓄えられるからだ。
それは、今、必要な力ではないかも知れないが、
いつか必要になる力のような気がする。
また、これから先の自分を見つめることが出来るからだ。


なんてことを考えていたら、友人から偶然電話が来た。
「今日仕事があるのに、身体の調子が悪くて…、
 仕事休んじゃってさ…、落ち着かなくて電話しちゃった」

休んでいいんだよ。
休もうよ…
(と、自分にも言い聞かせている)












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2004年05月26日(水) そのやり方が相手には「何の意味ももたない」ことが理解できないのです。

私たちは、自分はさておき相手を優先してきたと堅く信じています。
相手の欲求を満たしてあげたいと思うあまり、
それぞれ知っている唯一の方法で、
(つまり自分自身がこうしてほしいと思う方法で、
 自分が聞きたい言葉を使って)
それをしようとしてきたのです。

それは、必ずしも相手が求めているやり方ではないことが、
私たちにはわかりません。
そのやり方が相手には「何の意味ももたない」ことが
理解できないのです。
それでは、相手のニーズは少しも満たされません。
お互いの目には、相手の欲求がゆがめられて映っています。


 「心を読む本」より    D・グレン・フォスター
              メアリー・マーシャル著
                   新田 久美訳



うーん、やってるな、こういうこと。
こんなことばかりやってそうな気がする…、あーあ。

そっか、相手が求めているやり方ではないと、
相手には「何の意味ももたない」のか…
だから、何の反応もないのだな、ちっ。
うーん、どうしたらいいんだろうな。
何とか反応を引き出したいのに…



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2004年05月25日(火) 仕事や物事が早く進むと周りの人に十分な注意を向けることができません。

仕事や物事が早く進むと周りの人に十分な注意を向けることができません。
そういう状態が続くと周りの親しい人が徐々に離れていきます。
これは辛いことです。


  日経エンタティメントMOVIEDX 「独占インタビュー」
                オーランド・ブルーム 




うーん、いいなぁ。
こんなふうに言える人。
オーランド・ブルーム…ますます好きになるなぁ。

それはさておき…
親しい人が静かに、徐々に離れていくときには、
何か自分に原因があるのだと思う。
忙しすぎるもその原因の1つだが、
恐らく、自分では気がつかない原因があるのだ。
その原因に気がつくかどうか…
その人の人間としての力量が問われるように思う。






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2004年05月24日(月) 自分が無力な犠牲者で救われないと信じていると、

自分が無力な犠牲者で救われないと信じていると、
宇宙はその思い込みを持続させ、
私たちはただダメになっていくのです。

私たちに必要なのは、
生きていく支えや成長を妨げる一昔前の愚かで
悲観的な思いを取り去ることです。 


「ライフ・ヒーリング」より     ルイーズ・L・ヘイ
                     中西珠佳江訳



久しぶりに、全身マッサージに行ってきた。
このごろ、運動不足が続いていて、
身体が固くなって、血液の流れが悪いと感じていたし、
膝と坐骨神経痛が痛み出したからだ…あーあ。

どうして膝と坐骨神経痛が痛み出したのか、調べてみることにした。
(この「ライフ・ヒーリング」には、
 部位の症状と精神の関係を書いてある)

ひざの痛みの原因として考えられるのは、
「頑なエゴとプライドで、曲げられない、
 恐れ、融通がきかない、譲らない」
といった内的要素があるそうである。
それらを変えるのは
「許し、理解、同情、もっと柔軟になればが全てがうまくいく」と
いったような、新しい思考パターンが必要らしい。

坐骨神経痛はこうだ。
考えられる原因は、「偽善者、お金と未来に怯えている」で、
それを変える新しい思考パターンは、
「私はもっと幸せになる、私の幸せはいたるところにあり、
 私は守られている」と思うことらしい。

ちょっと訳が分からないこともあるが、
何となく、当たっているような気がする。






   


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2004年05月23日(日) 自分と他人が違っているということは重要ではない。

自分と他人が違っているということは重要ではない。
どんな違いがあろうとも、人は誰でも個性的であり、
価値のある存在なのだ。

私たちは自分が他人と違っているという理由で
落ち込むことがあるが、むしろ喜ぶべきなのだ。

もし私たち全員が似ていれば、
人生は耐えられないほど退屈になる。
私たちは一人ひとりの違いを認め合い、
お互いに個性的な存在であることを評価しようではないか。


 「すぐに役立つとっておきの考え方」より
               ジェリー・ミンチントン著
                      弓場 隆訳



人と違うと感じることは、なんとなく不安である。
横並び体質が身に付いてるからだ。
なぜか突出が怖いのだ。
(特に、同じような環境、同じような状況の時には特に)
といっても、本当には横並びの基準などないのだが…。

反面、人と同じでは嫌なのだ。
どこか違いを見いだしたくもあるのだ。

実際に、人はみんな違うのだ。
同じように振る舞ってみたり、
同じような行動をしたりしているが、
実は、一人一人全員が違っている。
その違いを、何かで出したがったり、
出したくないとひっこめたりしている。

最近は、大きな違いは認めないが、
ちょっとの違いはある方が、認められるようだ。
逆に、ちょっとの違いがないと評価されないらしい。
みんな、そのちょっとの違いの出し方に苦慮してるようだ。
(何だか妙だが…)






















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2004年05月22日(土) 相手からやりこめられたとき効果的に自分を守るには、

相手からやりこめられたとき効果的に自分を守るには、
まず第一にあなた自身の利害損失を考えることです。
つまり、いちばん大事なことは、
何があなたにとってベストであり、重要であるかということです。
相手があなたの反応に対してどう思っているかなど、
どうでもいいのです。

厄介な状況でいちばん大切なことは、
落ち着いて全体を見渡してみること、
そして感情の渦のなかに巻き込まれないことです。
大事なことは、あなたが敵の攻撃に対してどう反応するか、
いざというとき明確な意志決定ができるかということです。

そのためには、冷静にものごとを考えることが大切です。


 「アタマにくる一言へのとっさの対応術」より
           バルバラ・ベルクハン著
                瀬野 文教訳



厄介な状況で、冷静でいるには訓練がいると思う。
厄介な状況に巻き込まれるほどではないが、
何か怒ったり、ムカつくとそんなに冷静でいられない。

このごろ、ムカつくことが多い。
まだ、これから夏本番だというのに夏物サイズがすでに欠品していて、
そのことについて、
「この商品は大分前から出ておりまして、もう少し前だとあったんですが」
などと、言われたとき。
私がもっと早く来なかったのが悪い、と言いたいのねと思うし、

他の店を探してもらえるように頼んだら、
「もう他の店でもないと思いますが」などと
調べもしないで言われたとき。
ちゃんと調べてから言ってよと、文句の1つも言いたくなる。
(もちろん全部反論して、文句の1つも言って帰ってくるが)

また、
「こちら側から連絡します」と言ったにもかかわらず、
連絡が来なくて、急ぎだったのでこちらから連絡すると、
「一度したんですが、携帯がつながらなくて」だの
「今、しようとしてたんです」とか言われたときなど。
本当にムカつく。
まず、最初に謝れって、思う。

こんなことが続いたので、この本を読み返してみた。
まだまだ修行が足りないな…









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2004年05月21日(金) 他人とくらべて自分は幸福だと満足しているようなひとほど、傲慢な人間はいないとわたしは思う。

他人とくらべて自分は幸福だと満足しているようなひとほど、
傲慢な人間はいないとわたしは思う。
そこには他人を低めることによって、
自分が高い位置に立とうとする愚かな優越感が見え隠れしている。
         (略)
他人とくらべて幸福など何の価値もないとわたしは思う。
自分が持っているものを他人の持っているものと比較して、
そのわずかの差で満足を得るということにいったい
何の意味があるというのか。

重要なのはそれが生きるに値する人生であるかどうかということだ。
生きるに値する人生は健康な身体や財産や家族の数で
測られるものではないだろう。


 「幸福コンプレックス」より  中嶋 真澄著



著者は、
「他人とくらべることによって自分を幸福だと信じ込もうとする、
 このような発想が現代人の幸福感を支えている。
 そこには、不幸であることは負い目だというような、
 一種のコンプレックスが横たわっているように思える」と言う。


幸福かぁ…私にとっての幸福って何だろう。
ちゃんと考えてみる価値はありそうだ。

私は、他人を羨ましく思うことも多いが、
私の方が幸福だなと思うことも多い。
それは、傲慢かも知れないが、
そんなことで、自分の不幸を思ったり、満足を得たり
してるような気もする。
その満足にあまり意味などなく。

もちろん、そんな比較ばかりしてるわけではない。
ただ、1つの尺度して、それもありなのではないかと思う。
もっとも他人と比較してばかりの幸福では、
あまり価値はなく、全くつまらないとも思っているので、
オリジナルのオンリーワンの幸せも得たいと思っている。





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2004年05月20日(木) 幸福と幸運とを取り違えてはならない。このふたつはまったく別のことなのだ。

幸福と幸運とを取り違えてはならない。
このふたつはまったく別のことなのだ。
(略)
ひとは幸運によって幸福になるものでもなければ、
また、不運によって不幸になるわけでもない。
もし、不運な人が不幸になるとすれば、
それは不運が不幸をもたらすのでなく、
不運を嘆くことしかできないために不幸になってしまうのだ。
不運にうちのめされてしまえば、ひとは不幸になるだろう。
しかし、一方で不運な出来事を試練と受け止め、
そこから幸福をつかみとるひともいる。

わたしたちはともすると、
幸運が必ずしも幸福をもたらすものでなく、
不運が不幸な人生を運んでくるものでもない
ということを忘れてしまう。


  「幸福コンプレックス」より  中嶋 真澄著



そうか、幸運が降ってきたからと言って、
幸福になるとは限らないのか。
しかし、とりあえず、幸運は来てほしいな。
宝くじが当たったり、いい仕事を受注したりしたい。
そうしたら、何となく幸せになれそうな気がする…
やっぱり、そう思ってしまうな。
幸運=幸福は、何だかあり得る気がする。
恐らくその一瞬はとても幸せだと思うからだ。

不運が続いたら、やっぱり不幸になりそうな気もする。
やっぱりその一瞬は不幸のどん底になるだろうから。
ただ、確かに不運がかえって力になったり、
その不運をはねのけて幸せを掴んだり、
成功している人もたくさんいるので、
不運=不幸と言えないとは思う。

ああ、そうか、それぞれの一瞬はそう思うのだ。
幸運があれば幸福だと、
不運がつづけば、不幸だと…
その瞬間は強く感じるのだ。
しかし、本当の幸福とか不幸は、
それが続くかどうか、その先が大事ってことだな。

などと、お風呂に入りながら、考えてみた…









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2004年05月19日(水) 「足元の見えていない人」から、大きな成果は期待できない。

「足元の見えていない人」から、
大きな成果は期待できない。


          ジョン・ラスキン



元の会社から、仕事を頼まれて自宅でするようになった。
本当に幸いなことだととても感謝している。
今、4本ほど仕事を抱えている。
その4本が全部違う人からの依頼で、所属部署も違う。
私は初めて、元会社の人たちの実力を知ることになった。

実力の差は…あるんだなぁ…
まぁ、何となく気がついてはいたが、
これほど差があるとは…。

担当の一人は、足元が見えてないと感じる。
ともかく今の仕事をこなすのでいっぱいで、
足元どころではないのだろう。
ともかくやってと言うような、依頼の仕方で、
本当にこのまま進めていいかどうか、心配になってくる。
もっとも私が客先の癖を知ってると判断もあるだろうが…。
成果を出すのが、私の仕事だが…
何だか、心もとないなぁ…
しっかりしてくれっ。



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2004年05月18日(火) 「人生は毎日の繰り返し」

「人生は毎日のくり返し」


 「腹の立つこと、笑うこと」より  大藪 正哉著


うーん…
今日はこのことばを前に、しばらく考え込んでしまった。

「人生は毎日のくり返し」
だから、毎日を大事にして生きないと
いけないのだろうなぁ…

大藪さんは、お坊さんでもあるので(大学教授でもある)
やっぱり深いことを言うなぁ。



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2004年05月17日(月) ただやりたくないからという理由で、どれだけの仕事が中途半端になっていますか?

ただやりたくないからという理由で、
どれだけの仕事が中途半端になっていますか?
そして、このやり残しが一日中気になって仕方がない
ということがどれほどあるでしょうか?

終わってないプロジェクトや、起きてしまった嫌なことが
気になって、どれだけ眠れない夜を過ごしたことがあるでしょう。

私たちのほとんどが、
いつもぶつぶつ文句を言いながら生きています。


「今ここに生きる力」より  エリエール&シーヤ・カーン著
                     大野 百合子訳



まさに、私だ…
中途半端になっていることがいくつもある。
「いつか」やろうと決めていることだ。
しかしそれは、いつも「いつか」のままなのだ…
気にはなっている、しかし、手がつかない。
いや、つけない…
多いなぁ…こんなことが。

よーーしっ、明日からやろう…
…と、いつも思うのだが…


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2004年05月16日(日) 人生で一番大切なキーワード

人生で一番大切なキーワード
「できない理由を探すな!」


「考える力、やり抜く力、私の方法」より  中村 修二著



できない理由って、考えなくても浮かんでくる。
しかし、できる理由は、
かなり考えないと出てこない…曖昧としていて。
ぼわーっとしていて。
それでも、できる理由を探した方がいいな。
できるという直感を信じた方がいいな。
できない理由を並べてみても、
一歩も前にすすめないもの。


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2004年05月15日(土) 非常識を怖がっていてはいけないのだ。

考えてみてもらいたい。
論文や資料を見て、
他にも同じような製品の研究をしている奴がいたといって
安心しているようではダメなのだ。
他にもいるということは、とりもなおさず
独創性に欠けるということなのである。

それよりもむしろ、誰もとりかかっている者がいない、
自分一人がやっているようだという認識に立った時、
むしろそれを誇りに思うべきなのだ。

ひょっとすると、そのことを誰かに話せば、
「お前はマヌケだ」と言われるかも知れない。
誰もやらない非常識なことをやろうとしているといって、
相手にされないかもしれない。

けれでも、私の経験では、
それこそが独創的でとてつもない製品を発明する第一歩となるのである。
非常識を怖がっていてはいけないのだ。


 「考える力、やり抜く力、私の方法」より  中村 修二著




やっぱり、とてつもなく大きなことをやり遂げた人は違うな。
非常識から逃げずに発想することが大事だと言っている。

私のような、何となくバランスを取って生きている者にとっては、
「あなたは非常識だ」と言われると、どうも居心地が悪い。
そう言われると、どうしてもいわゆる常識的発想をしようとしてしまう。

本当は、常識なんて人によって大いに違うし、
育った環境によって違うし、会社によっても違うし、
地域によっても全然違う。
世界まで広げたら、日本の常識は非常識と言われるくらいに違う。
何の基準もないものだが、みんながなぜか拠り所にして、
「常識」を振りかざして、それに当てはめようとする。
そして、自ら当てはまろうとする、私みたいに。

それはそれとして…
なんだかんだ言ってみても、
私には、独創的な発想が出来ないのだ。
独創的なアイディアが出てこないのだ。
(って、そう決め込んじゃいけないけど)

自分の中では「これはっ!」ととてつもないことを発想してみるが、
調べてみると…誰かがすでにやってる。
「やられたっ」と思うことばかりなのだ…(つまり発想が常識的)
もっとも、そう簡単に独創的な発想がわいてくるはずもないのだが…

だから、独創的な発想にとてもあこがれがある。
いつもポンポンと独創的なアイディアを出す人がいる。
そういう頭の構造を持った人が、とても羨ましい。
(それを実行できるかどうか別にして)












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2004年05月14日(金) 人間には二通りある。

人間には二通りある。
一つは壁にぶつかるとすぐにへこたれてしまう人間、
もう一つは、たとえ壁にぶつかっても、
必ず自分は何とかできると努力し続ける人間、
この二通りである。


              ウォルト・ディズニー



壁かぁ…
その時々で、どっちもあったような気がする。
めげたり、立ち直ったり…
その前で立ちすくんだり、
蹴飛ばしてみたり…
なんだか、いろいろやってきたなぁ。







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2004年05月13日(木) 私たちは、とかく言葉で「どうしたの、何かあったら言って」と心配するふりですませてしまいがちです。

私たちは、とかく言葉で「どうしたの、何かあったら言って」と
心配するふりですませてしまいがちです。
が、人間関係はそんなところから、
崩れていってしまうものなのです。
「心配するふり」は、本当はその人と関わっていません。

ふりはあくまでもそのように振る舞うということですから、
どこかおざなりなところがあります。
そのおざなりな部分を、相手は見抜いてしまうのです。
そこから、信頼関係が失われていくのです。


  「終わらない愛を手に入れる」より  大原 敬子著



「何かあったら言って」と、確かに言うことがある。
相手が困っているか、悩んでいるか、落ち込んでる時で、
でももう時間がなくて、話をそれ以上聞けない状況になったときや、
話しを聞くのがイヤになってきて、話しを打ち切る時に多いと思う。

「何かあったら言って」のその後は、なんと続くのだろう。
また、話しを聞いてあげる、かな、
どうにかしてあげる、かな、
出来ることがあったら、手助けするから、かな。
どれにしても、でも出来れば言ってこないでねというような
思いもこもっているように思う。

もし自分が誰かに、
「何かあったら言って」と言われたとして、
私は、何かあったら言うだろうか…
親友か、よく私のことを知っている人になら言うかも知れない。
しかしそうでない相手なら、恐らく言わないと思う。
そんなに簡単に言えるようなものではない。
それに、「何かあったら」の「何か」がハッキリしないから
何の時に言っていいのか、わからないと思う。
つまり、かなり曖昧なのだ。

そう考えると、この「何かあったら言って」は
私にとって、社交辞令に近いのかもしれない。
お茶を濁す、って感じに近いかもしれない。
そして、本音は、何かあっても言わないでと
言ってるのかもしれない。
使い方を考えないとダメだな。
便利そうだけど、あまりいいことばではないな。





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2004年05月12日(水) 美しく、堂々とした戦いだった。

「美しく、堂々とした戦いだった。
 日本の戦いぶりが、歓喜を呼んだのだ」
        (ドイツ キッカー誌)

2004年5月12日 NHK「その時歴史が動いた」より
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/sonotoki_syokai.html#sa



このことばは、68年前にヒトラーの政権下で開催された
ベルリンオリンピックで、サッカーの後進国だった日本が
優勝候補だったスウェーデンを破って「奇跡」の一勝をあげた時に
ドイツのキッカー誌が記事にした賞賛のことばである。


「美しく、堂々とした戦いだった。」最高の賛辞ではないかと思う。
今日はこのことばにものすごく感動した。

今の私に足りないものは、レベルは違うが、
「美しく、堂々と戦う」こういう心意気ではないか…。
言い訳なんてせず、勝敗云々よりも、
自分の力を全部出し切って、結果を怖れない勇気。
なにより、自分の力を出し切れる勇気。

言い訳を考え、力を出し切れず、
命がけで何かをしようともせず、
そこそこでお茶を濁し、本気でやらない(やれないのか)
そして、いつもちょっと引いている…
それが、今の自分で、ちっとも美しくないと思う。
ちっとも堂々としてないと思う。
悔しい…情けない…

私は、「美しく、堂々」と生きていきたい。
そのための努力をこれからしていきたいと、強く強く思った。

















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2004年05月11日(火) 自己憐憫ほど自らをおとしめ、魂を損なう感情はありません。

自己憐憫ほど自らをおとしめ、魂を損なう感情はありません。
そのような感情は速やかに捨て去ることです。
心を蝕む感情が巣くっているうちは、
人生が真に開花することはありません。

自分の境遇を他者のせいにするのをやめ、
自分の中に原因を探すようにしてみましょう。
自分の行いや願望、思いの中に、
少しでも反省すべき部分があれば、それをしっかり見つめるのです。


 「運命は今日から劇的に変わる!」より  ジェームズ・アレン著
                    こころの置き方研究会訳 



この数日間、すっかり自己憐憫に浸っていた…
何とか脱することが出来た。

自己憐憫に浸っていると、いつも他人責めたくなる。
私は悪くないと言いたくなる。
私以外の周りが悪いと言いたくなる…
あーあ、情けない。
他人のせいにして、或いは環境のせいにして、
解決できることなんてほとんどないって
ちゃんとわかっているのに…

今日、試験を受けた学校の結果が来た。
筆記と面接があったが、結果はダメだった…
あーあ、ちょっぴり勉強したのになぁ。
(うーんとした人にはかなわないな、当然)
自己憐憫には陥らなかったが、
見る目のない、私を取らない学校が悪いと、
学校が悪いことにした。
すっきりした。









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2004年05月10日(月) 沈黙は、実に強力なメッセージです。

沈黙は、実に強力なメッセージです。
暖かい沈黙は「あなたといっしょにいるとくつろげる」
と言う意味になりうるし、
ぎこちない沈黙は
「次に何をしたらいいか、わからない」という意味にもなります。


    「キレないための上手な怒り方」より
     クリスティン・デンテマロ&レイチェル・クランツ著
                      ニキ・リンコ訳




怒りについての本を読み返している。
怒りについての本を本棚から引き出してみたら、
なんと、13冊程あった。
…そうか、私は昔から「怒り」については、課題だったんだと
改めて思ったりしている。
この際だから、徹底的につきあってみようと決めた。

怒りの沈黙の裏には、
「言わなくてもわかっているだろう」という思いと、
「言ったらまずいことになる」という思いとか
隠されていると言う。

怒って、自分の気持ちをことばで表現しても、
沈黙してみても…なかなかうまく相手に伝わることは
ないような気がする。
どちらにしても、こちらの求めているものが
得られるというものではないらしい。







 


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2004年05月09日(日) その人達の好むままに来させ、また行かせればよい。

その人達の好むままに来させ、また行かせればよい。
来ようと行こうとあなたにとってなんの変わりもないという態度で。
何の変わりもないというとそれは冷淡だと人は考えがちであるが、
そうではない。
それは愛なのである。
ただ、そういう人達にそれが分からないだけのはなしである。


 「なぜあなたは我慢するのか」より   V・ハワード著         
                    川口 正吉訳



昨日の怒りがまだ残っているので、
今日は我慢せずに午前中からさっさと家を出た。
昼から好きなものを食べ、午後からは好きなことをして
家事を完全放棄した。
あーあ、スッキリしたと言いたいところだが、
まだまだスッキリはしない。
まぁそんなに簡単には取り除けないか…

私は怒りがあると、どうも良くないことが起こる
(気がする)
怒りのことで頭がいっぱいになるので、注意力散漫になる。
なので、何か失敗をする。
今日もそうだった…全く恥ずかしい失敗をしてしまい、
情けない思いをした。
そして自己嫌悪に陥った…

怒り心頭の他に、情けない思いと自己嫌悪が加わってしまう。
最悪の事態に陥ってしまった。
あーあ、好きなことをしてもこれじゃ楽しめないなぁ…
そうだ、明日も、また好きなことしよう。
今度は注意力散漫にならないように気をつけて、
怒り心頭と情けない思いと自己嫌悪を払拭するために。
私は我慢なんてしたくない、
って何だかちょっと違うか…











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2004年05月08日(土) ●人は、「自分が不当な扱いを受けている」と思った場合に腹を立てやすい。

こんなときに、怒るのが正しいとか正しくないといった
発想は意味がありません。
どんな感情でも当人にとっては、感じたままが真実なのですから。
それよりも、さまざまな場面で、怒りのきっけけになる
要因はどれだろうかと、考える方が役に立ちます(略)

《怒りの共通の要素》

●人は、「自分が不当な扱いを受けている」と
 思った場合に腹を立てやすい。
●人は、問題を自力で解決したいのに、無力さを思い
 知らされるときに腹を立てやすい。
●人は自尊心を傷つけられる思いをした場合に
 腹を立てやすい。


「キレないための上手な怒り方」より
     クリスティン・デンテマロ&レイチェル・クランツ著
                      ニキ・リンコ訳



もっかの私の課題は「怒り」をどう表現するかである。
表現というより、どう収めるか…かな。
もっかというより、今日の「怒り」をどう収めるか…
これは直近の問題だ。
ああ、頭にくる!!

腹が煮えくりかえるほど怒っている時、
何だかよくわからないが怒りがふつふつとわいてくる時、
つまらない些細なことが頭に来る時、
どうにもならないほど、不愉快な時、などなど、
怒りの感情に火がつくことは多い。

全くどうしたものかと自分でももてあます。
自然になくなってくれる怒りならいいのだが、
心の奥にくすぶり続ける怒りもあるからやっかいだ。

どうしたら自分でうまく対処出来て、
私の思うとおりにうまく行って、
気分良くなって、
人間関係も丸く収まって、
相手にも不愉快な思いをさせないで、
いつも穏やかな気持ちでいられるか…
          ……無理だな…

ともかく…だ。
今のこの「怒り」の気持ちを何とかしなくちゃ…
また、爆発しそうだ…
しかし、頭に来る!!



          


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2004年05月07日(金) 不安というのは臆病と似ています。

不安というのは臆病と似ています。
臆病というのは、傷つくのが怖い、という感情が
根本にあります。
で、どうするか、
他人に傷つけられる前に、
自分で自分を傷つけてしまうのです。


「わたしのためにできること」より  唯川 恵著




例えば、何かをして結果を待っている時、

「どうせうまく行くはずがない」と考える人、
「もしかしたら、うまく行くかも知れない」と考える人、
「きっとうまく行く!」と思える人がいると思う。
(もっといろんなパターンがあるかもしれないが)

私は大分前から、「うまく行くかも知れない」と
思えるようになってきた。
最近は、「きっとうまく行く」とまで思えるようになってきた。
これは相当嬉しいことだ。

そう思えるようになったのは、
結果が怖くなくなったからだと思う。
別に結果がすべてではないと思えるようになってから、
先回りして「うまく行かない」と思うことはやめた。

うまく行かなかったときの落胆を考えて、
悪い結果を先回りして「どうせダメだ」と「うまく行かない」
と、思っていたら、
うまく行くことも、行かないように思えてきたからだ。
福が回ってこない気がするからだ。
どうも、そんなような気がするのだ。

ダメだったら、それをその時に受け止めればいい。
今回はダメだった、でもそれが全てではないと。





          


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2004年05月06日(木) 会話は男にとっては情報のやりとり、女にとっては心のやりとり

女はプライベートスピーキング
男はパブリックスピーキング

会話は男にとっては情報のやりとり、
女にとっては心のやりとり

男は会話で相手に尊敬されることを求め、
女は好かれることを求める。

男は「命令」の序列社会で
女は「提案」の共同社会

女「理由を説明してほしかったのに」
男「そんなことまで説明する必要はない」

男の会話スタイルは「攻撃」からはじまる。
女の競争は「協調」の装いの下でなされる。


「わかりあえない理由」より  デボラ・タネン著
                田丸 美寿々訳



ふぅ…なるほど。
話しが食い違う訳だ…

今読み返している本の中からの抜粋である。
デボラ・タネンさんは、言語学者で、男女の会話から
男女の違いを研究している。

違っているから、どうだってこともないけど、
(いや、かなりどうでもあるな…本当は)
なるほどと妙に納得している。












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2004年05月05日(水) 唯一、勇気のいることは、過去をきっぱりと捨て去ることだ。

唯一、勇気のいることは、過去をきっぱりと捨て去ることだ。
過去を求めず、過去を積み重ねず、過去にしがみつかないことだ。
誰もが、過去をひきずっている。
そして、過去に執着するからこそ、
今を生きることができないのだ。


   「生きる智恵の言葉」より    シェラ・ラジニン



過去に執着しているなぁ…
どうしても忘れることができない過去があって、
確かに引きずられているなぁ。
たいした過去でないとわかっているけど、
頭のすみっこにこびりついて離れない。
さっぱりと捨てられたらいいのに…
って…自分でそうするしかないな。
誰かが捨ててくれるわけではないのだから。


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2004年05月04日(火) 多くを所有する者は、なお多くを手に入れる。

多くを所有する者は、なお多くを手に入れる。
僅かしか所有しない者は、その僅かなものさえ奪われてしまう。


                  ハイネ



最近の年金問題を聞いたり、読んだりすると
このことばがいつも浮かんでくる。
いや、年金問題だけでなくて、
様々な賄賂事件や、詐欺事件を聞いても、見ても
思い浮かべる…
どうも、世の中そんな仕組みらしい…
こんなふうに、不公平なのだなぁ…


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2004年05月03日(月) 週末のスケジュールを埋めるように、人間同士の関係のすき間を埋め尽くすことは、

週末のスケジュールを埋めるように、
人間同士の関係のすき間を埋め尽くすことは、
必ずしも幸せにはつながりません。

水墨画に空白がなければ、墨で塗りつぶしたただの
黒い紙になってしまいます。
恋愛もそれと似ています。
“空白”って、ほんとうはすごく大事なのです。


 「泣きたいのをがまんしつづけてきた人のための本」より
                    森川 那智子著




友人は、スケジュールが埋まってないと不安になるらしい。
特に大型連休などというの場合は、埋まらないと嫌らしい。
先日もメールが入って、会わないかと言ってきた。
恐らくその日、スケジュールが埋まらなかったのだろう…
そういう彼女の行動パターンがわかってしまっているので
かわいそうだと思うが、積極的に会いたいと思わない。
どうせ、空きスケジュールを埋めるためだと思ってしまうからだ。
私と会って、話したいと思って連絡してくるのではなく、
スケジュールを埋めて、彼女の不安を取り除くためだと思うからだ。
メールだって、恐らく何人にも出しているに違いない…と
そう思ってしまうからだ…
(結局今回も断った…もう連絡は来ないかな)

なぜ、そんなにスケジュールが空くことがイヤなのか、不安なのか、
何がそんなに彼女の不安をかき立てるのか…

一人の時間…いいと思うけどなぁ…
スケジュールのない日、いいと思うけどなぁ…


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2004年05月02日(日) 他に向けて満たしてくれ、愛してくれと願い続ける限り、

自分の心の渇き、愛への渇望は、
いかに望んだとしても他の誰かによって満たして
もらえるものではありません。

他に向けて満たしてくれ、愛してくれと願い続ける限り、
心はいつまでも渇きにもだえ苦しみ続け、
求め合う者同士の間に、情熱と裏腹なアレツキを
生じさせ続けてしまうのです(略)

己の心の渇きを満たすのは、実は自分自身である。
そう決心したとき、人は誰かを愛するということの本質に、
一歩も二歩も近づき、
より豊かな愛への歩みを始めることができます。


「「自分を信じる」ただそれだでいい」より 金盛 浦子著



こんなふうに…悟りを開けたら世の中はもっと
豊かに、ぎすぎすせずに回っていくと思うなぁ…
なかなかこうは、行かないのだなぁ、現実は。


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2004年05月01日(土) どういうわけか、私たちのなかには、憎しみや怒りや苦痛にしがみついたままでも、

どういうわけか、私たちのなかには、
憎しみや怒りや苦痛にしがみついたままでも、
安らぎを得られると思い込んでいる自分がいます。

自分を守らなければならないと考え、
いつまでも憎しみ続け、復讐しようとしながらも
幸せや安らぎを感じたがる自分です。


 「ゆるすということ」  ジェラルド・ジャンポルスキー著
                      大内 博訳



山菜採りに実家に来てみて、相変わらずの母と父の関係に驚く。
お互いに、憎しみと怒りと苦痛を持ちながら(にしか見えない)
暮らしているから、安らぎなど得られないだろうなぁと思う。
お互いに譲り合うこともできなくなっているし、
話しを聞く耳も持たないくせに、お互いに干渉しあっている。
これでは、安らぎどころではないだろうなぁ。

私はこの両親をずぅっと見てきて、
こういうふうな夫婦になるのだけはよそうと心に誓ってきた。
違う意味で隣人も、自分の両親のようにはなるまいと、
思って生きてきている。

今、私と隣人がどうなのか、そうなっていないのか、
違う形を歩んでいるのかよくはわからないが、
もしも、互いに、憎しみと怒りを持つようになったら、
その時には、立ち止まってちゃんと考えようと思う。

私は歳を重ねて行く毎に、安らぎを得られる関係でありたいと思う。
また、そうあるように努力もしたい…


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