ことば探し
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2003年12月31日(水) 人生がうまくいかないとき、

人生がうまくいかないとき、
他人を責めたり状況のせいにしたりするのをやめなくては人は幸せになれません。
誰かを責めても、仕返ししても、罰をくだしても、幸せにはなれないのです。
許さなければ、求めているものは得られません。
怒りや心の傷、恨み辛み、そして心の中の争いや、
他人との争いという悪循環を止めるのは、自分自身だけなのです。

私たちの一人ひとりが、自分ででっち上げた
「ゆるさない理由」を取り除けき、自分や他人を許したとき、
私たちは癒され、喜びにあふれ、心が安からになるのです。


「ゆるすということ」 ジェラルド・G・ジャンポールスキー著



今年は、私にとってとてもいい年だった。
いろんなものが見えたし、気がついた。
たくさんの人に感謝している。
目に見えないいろいろなものをたくさんもらった。
感謝しても感謝しれないほどだ。
本当にありがたい年だった。

いくつか、自分の中で「ゆるした」ものがある。
こういうと、かなり奢ったようにも思えるが、
自分の中で「ゆるせた」と思えた。
もっとも、まだ「ゆるせない」ものも残っている。
しかし、この「ゆるせない」ものとは、ゆっくり付き合っていこうと
思っている。
まだ、「ゆるせない」ものは、仕方ない。
まだ、時期ではないらしい。

そして、手放したものもある。
怒りや、絶望だ。
持っていても仕方ないと、自分で思えたからだ。
もちろん、新たな怒りや、絶望はまた出てくるのだろうが、
手放し方を見つけた。
ともかく、つき合い方を見つけたのは良かった。

今年は…いい年だった。
来年は今年以上にしたいなぁ…


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2003年12月29日(月) いつでも死ねる。

いつでも死ねる。
そんなつまらんことをやるな。


        坂口 安吾



このことばは、坂口安吾が、太宰治の入水自殺のことを
聞いて思わず発したことばだそうである。

最近、死が怖くなってきた…
守るものが多くなってきたせいだろうか。
若いときには、死を安易に考えすぎて、
死を理想化していたように思う。
いつでも死ねると、思っていた。
だから、相当な無茶もしてきた。

今は…
いたずらに怖れたくはないが、
自分で命を絶つのは、やめようと思う。
まだ、死ぬほど生きてはいないと思うからだ。
自分一人で生きてるわけではないと
実感として感じるようになってきたからだ。

何より、年老いた両親を見ると、
この人たちより、一日でも長く生きようと思う。
ああ、年を取ってきたんだなぁ…私も。


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2003年12月28日(日) 人は一般に、人間としての自分の価値を自己イメージの中につくりだしています。

人は一般に、人間としての自分の価値を
自己イメージの中につくりだしています。

そして、それを事実だと思い込み、多くの場合、
その自己イメージどおりの行動をとるようです。

自分は快活で明るい人間だと思っている人は、
イメージどおり明るくふるまうでしょうし、
内向的で内気だと思っている人は、
イメージどおり思慮深くふるまうでしょう。(略)

こうした自己イメージは子どもの頃から育まれるようですが、
性格的な面があるにしろ、
けっして固定化されたものではありません。

自己イメージの土台になっているもの、
それは、自分自身に対する自分の評価なのです(略)

自己イメージが「自分は平凡な人間だ、成功などしないだろう」
というイメージだったら、マイナス思考、行動を繰り返すだけです。
けっして成功には至らないでしょう。


 「七田式超右脳イメージトレーニング」より  七田 眞著



今話題の、七田式CD付きイメージトレーニングを買ってみた。
(タイトルがすごいな)
イメージトレーニングは、大事だと多くの本に書いてある。
イチローも、松井も、北島も、井上も、みんなやってるらしい…
(ってレベルは全然違うが…)
なので、今度は本格的にやってみようと思っている。
自分のイメージをいい方に向けるために、
そして、これから先いいイメージで生きていけるように。

この本の中に、こんなことばが書いてある。
●成功の最大の敵は、「目標がない」こと
●自分を凡人だとイメージする人に成功者はいない
●キーワードは「熱意(スピリット)」である。
●人は「自分はできる!」と思ったことはできる。

一度くらいは、聞いたことのあることばばかりである。
しかし、今までは流して来た…いや、流れてきた…
でも、これからは、右脳にしっかりたたき込んで、
いいイメージ作りをしてみるつもりである。
やってみるか!




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2003年12月27日(土) 「願いを込めると、そこには不思議な念力が宿る」

「願いを込めると、そこには不思議な念力が宿る」

願いを込めるという行為は、夢を現実のものにする過程で、
魂の成長をもたらします。
       (略)
願いを込めるということは、
何をどうしたいのかを自分自身で決断し、
ゴールをはっきり心に描くことです。
ただ、頭で考えるプロセスではありません。
ゴールに到達することが、
自分にとって「正しい」進路だと心と体で感じ、
それを全身全霊で受け止める過程なのです。


「新月のソウルメイキング」より  ジャン・スピラー著


新月に願い事を書き留めると、願いが実現するそうだ。
また、新しいことをはじめると早い展開が期待できるそうだ。
新月になってから8時間以内がいいそうだ。
(※新月 月は12の星座上をぐるりと巡り、
     29.5日毎に太陽と結合するこれが新月。)

ちなみに、12月の新月は23日だった。
私は考え抜いて、10個の願いを書いた。
(願いは10個以内でないといけないらしい…)
叶わないと思いたくないので、
絶対に叶うと信じることにした。
夢が叶うなら、何でもやってみようと思っている。
お金がかかるわけでもないので。
これから毎月、新月に願い事を書こう。
とても楽しみだ。

今後の新月は、
1月は22日 AM6:06分
2月は20日 PM6:19分
3月は21日 AM7:42分


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2003年12月26日(金) 子どもたちをトラブルから遠ざける方法は、

子どもたちをトラブルから遠ざける方法は、
何かに興味を持たせることだ。
子どもたちに講義などしても、
非行の何の答えにもならない。
牧師の説教も子どもたちをトラブルから引き離せないだろう。
可能なのは、子どもたちの心を何かに没頭させることだ。


  「夢をかなえる100の言葉」より  ウォルト・ディズニー



何かに興味を持たせること…
興味を持ち続けること…
これが、案外難しいことかも知れない…
没頭できるほどの、興味持てることを見つけて欲しいと
望むばかりだ。





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2003年12月25日(木) いいかい、リトル・トリー、理解というのは愛と同じものなの。

いいかい、リトル・トリー、理解というのは愛と同じものなの。
でもね、かんちがいする人がよくいるんだ。
理解してもいないくせに、愛してるふりをする。
それじゃ、なんにもならない。


   「リトル・トリー」より  フォレスト・カーター著



12月になると読み返したくなる本がある。
「リトル・トリー」がそうだ。
もっとも今年は読み返しは出来なかったが…
「リトル・トリー」の中で語られることばは、
ずっと前に、忘れてしまったような人としての生き方、
考え方を思い出させてくれる。
なんだか、とても心が洗われるよう気がして、
私のこころもキレイになれる気がして、
12月になると取り出す。
(読んだからといって、簡単にキレイにはなれないのだが…)


そういえば、そんな本が何冊かある。
こころの調子に合わせて選ぶ本だ。
落ち込んだときに手に取る本。
寂しいときに取り出す本。
こころが乱れているときに読みたくなる本。
人のこころがわからなくなったときに読み返す本。
ああ、こう書いてくると、
いつも本に救われているという気がする。






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2003年12月24日(水) 出来ればわたしも完璧なバカとして生きたかった、と少しだけ思う。

出来ればわたしも完璧なバカとして生きたかった、と少しだけ思う。
もしそうできたらなら、どれほど楽だったことか。
なにしろバカは自分を疑うということがない。
したがって相克も葛藤もない。
「自分」はあくまで正しい。
悪いのは全部「他人」だ。
あとは、「だって好きなんだもん」とか、
「だって欲しいんだもん」といっていればいいのだから。
「できません」「やりたくありません」「無理です」と
いっていればいいし、なにがあっても
「ま、いっか」とか「関係ねぇよ」とか
「やっべ」などといっていればいいのだ。


  「まれにみるバカ」より  勢古 浩爾著



ふふふ、なるほどなぁ…
そうか…バカだったのか、彼らは…。
そう思えば気持ちも楽になるかな。

いるんだよなぁ、「自分だけが絶対に正しい人」
どこにその自信があるのかと思うほどに、「正しい人」
自分の行動を棚にあげまくって「正しい人」
本当は、きっと彼らなりに悩みがあると思うが、
その前にちゃんと自分の足元見て見ようね、と言いたくなる。
でも、その勇気はないように見える。

私は自分が大まぬけだと思っている。
バカと大まぬけがどう違うのか…全然よくわからないが…
あっ…今、「まぬけ」の方がちょっとだけかわいいって気がした。
……ってバカだな。






 


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2003年12月23日(火) 「もうバカばっかしやっていますよ」という男がきらいである。

「もうバカばっかしやっていますよ」という男がきらいである。
ほんとに「バカばっかしやって」るからである。
本人は、こんなに不真面目なんだぞ、器がでかいだろう、と
誇らしげなのだが、私は額面どおりにしか受け止めてやらない。
まちがっても気持ちなんか察してやらずに、
「うん、おまえは文句のつけようがないバカだな」と思うのである。


         「まれに見るバカ」より  勢古 浩爾著



またまた、にやりと笑った本である(好き嫌いはあるだろうが)
ともかく、著者の読んでいる本の量に驚かされる。
本を読んでバカ探しをしている姿もおかしい。
(本だけでなく、あちこちでだと思うが)

「もうバカばっかしやっていますよ」についてだが、
私ならこう言う。
男「もうバカばっかしやっていますよ」
私「えーっ、そうなんだ、相変わらずなんだね」
そして、こう思う。
「この人、相変わらずバカやってんだ、成長しないね。
でも、まっいいか、関係ないもん」
私にはいささかの哀愁を感じる言葉でもある。
自分が思って欲しいように、
人は思ってくれないということでもあるかな。


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2003年12月22日(月) きっと、誰にも2度目のチャンスが訪れる。

きっと、誰にも2度目のチャンスが訪れる。
その時は、希望を持って夢を追いませんか?


    朝日新聞 「ひと」欄より
    映画オールドルーキーの実在モデル
              ジム・モリス


2度目のチャンス…何だかワクワクする。
来たらしっかり掴もう。
きっと来る、そう信じて。
いや、実は今がそのチャンスのはじまりかもしれない…

ジム・モリスさんは、こうも言ってる。
「夢を信じること。そして追い続けることが尊いのだと思う」と。
うん、夢は信じたい。


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2003年12月21日(日) 大切なのは批評家ではないし、

大切なのは批評家ではないし、
強い人物がどうつまずいたかを指摘する人でもないし、
いいことをした人に、どこをもっとうまくすればよかったかを
指摘するする人でもない。

賞賛は、実際にリングに立っている人のものだ。
その顔は血と汗と埃にまみれ、雄々しく戦い、
何度も何度も間違い、
力不足に終わっても、
すばらしい熱意を知り、強い献身の心を持ち、
価値あることのために自分を費やす。
それが最善の結果になると信じ、高いものを成し遂げる。
たとえ、最悪の結果になって失敗したとしても、
少なくても思い切ってやったのだから、
勝利も敗北も知らない冷たく臆病なたましいと
同じ場所にいることは決してないだろう。


             セオドア・ルーズベルト



批判するのは簡単だ…
実際にやってみるより、はるかに簡単だ。
そのことを無視して、或いは忘れて、
批判したり、文句を言ったりする。

やった人より、やらない人の方が言葉は多い。
そして、その言葉が力を持ったり、
正しいかのような錯覚を与えたりする…
だから…「やったもの損」という言葉が生まれる。
(私の回りだけかも知れないが…)

「実際にやってみろ」と言いたいが、
やらない人はいつもやらない。
批評家は、いつまでも批評家でいたいようだ。
そんな人は、批評家としてしか認知されない。
批評家がそんなに価値あるか、立派かどうかは、
回りがみんな知っている。







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2003年12月20日(土) 百知って何もしないより、

百知って何もしないより、
三知って、その三つを実践するほうがいい。


          師友塾塾長  大越 俊夫




実践すれば、初めは三の知ってることが、
いつしか十にもなり、
その十が、いつか百を超えることが出来るかもしれない。
そして、それは、生きた知恵となるのだと思う。





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2003年12月19日(金) 二人とも何か欠けてていい夫婦

二人とも何か欠けてていい夫婦


     「サラ川」傑作選  びわこ




サラリーマン川柳で見つけたことば。

とてもいいなぁ…
夫婦として理想だな。
私も、こう思えるようになりたい。

今はまだ、欠けてるものばかりが目について…
欠けてるものばかり気になって…


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2003年12月18日(木) 変わることは、恥ずかしいことではない。

変わることは、恥ずかしいことではない。
変われないやつの方が「根性なし」だ。


           師友塾塾長 大越 俊夫


人は、なかなか変われないものであるが、
一夜にして変わることもある…

「変わる」ことがいい場合もあれば、
「変わらない」ことがいい場合もある。
「変わった方がいいもの(人)」もあれば、
「変わらない方がいいもの(人)」もある。 

自分が心から「変わろう」「変わりたい」と思うとき、
「変わってみる」チャンスだと思う。
少なくとも、チャレンジしてみる価値があると思う。
何か見えるかも知れないから…。
何かつかめるかも知れないから…。






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2003年12月17日(水) どうもうまくいかないなと、思うときは、

どうもうまくいかないなと、思うときは、
きっと楽しいほうを選んでないときです。
正しいことばかりを突き詰めてしまっているときです。
「ツイている」と言えなくなっているときです。
正しくて、楽しいと、苦しくはないはずです。
     (略)
楽しいほうを極めていくと、楽になります。
すると、人は自然と苦労の扉を開けなくなっていくのです。


「変な人が書いた驚くほどツイてる話」より 斎藤 一人著



斎藤さんは「ツイてる」「ツイてる」といつも言っていれば
ツキがちゃんと回ってくると、言っている。
「ツイている」と言える人は、ツイてる人生を送ると。

私は今日から「ツイてる」人生を送ることに決めた。
ぶつぶつと不平を言っていても仕方がない。
「ツイてない」と思っていると、
本当に「ツイてない」人生になりそうだ。
ならば、毎日「ツイてる」と思う人生を選ぼう。
その方が気持ちがよさそうだし、楽しそうだもの。
私は「ツイている」
私は「ツイている」


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2003年12月16日(火) 自分は12歳の時に事故で耳が聞こえなくなった。

自分は12歳の時に事故で耳が聞こえなくなった。
13歳からは小鳥のさえずる声を聞いたことがない。
今では時折2,3の言葉が聞こえる程度である。
しかし、悲観などしていない。


                   エジソン


エジソンが耳が聞こえなかったこと、伝記を読むまで、
私は知らなかった。

エジソンはしかしこう言い切っている。
「耳が不自由であるからこそ、蓄音機や電話の発明や
 改良に成功できた」
ものすごいなぁ…
自分の小ささが、よおーく分かる。
比べようもないが…こころに響いてくる。


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2003年12月15日(月) 不機嫌な人、いわれなき罪悪感に苦しんでいる人、

不機嫌な人、いわれなき罪悪感に苦しんでいる人、
自分におびえている人、何か自分の存在が許されないと感じている人、
それらの人は、自分が何を望んでいるか分からなくなっている。
自分が心の底で望んでいるものは何なのか、
自分が必要としているものは何なのか、
それが本人に分からないということが問題なのである。(略)

自分の望んでいるものに、勇気を持って気づくことである。


  「やさしさ」と「冷たさ」の心理より  加藤 諦三著




加藤氏は、それらの人が望んでいるものは「やさしさ」であるという。
そうなのかどうかは、よくわからないが、
自分が望んでいることを見失ってしまうことはよくある。
今だってそうだ…
だから最近不機嫌なのかな。
確かに、今は見失っている。
何がなにやら分からなくなっている。
そして、今、確かに…やさしさはほしいと思う。




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2003年12月14日(日) 相手を必要としているからではなく、相手が好きだからつきあうのが、

相手を必要としているからではなく、
相手が好きだからつきあうのが、
健全な人間だ。
自分が価値のある人間だと思えて初めて、
率直に人とつきあえる。


 「もっと人間関係がうまくいく心のケンカ術」より
              ティム・ウルシニー著


「好き」という気持ちは大事だと思う。
それを人に伝えることが出来たり、表したり出来ることは、
幸せなことで、さらにその気持ちを受け止めてもらったり、
受け入れてもらえることは、とてもラッキーなことだと思う。

しかし、その「好き」の前で、
逡巡し、困惑し、悩み、右往左往することもある。
「好き」だからこそ、言えないこともある。
「好き」だから、出来ないこともあるのだ。
「好き」という気持ちは、大切なものだけど、
やっかいなものでもあるのだ…私にとって。

「好き」という気持ちは、始まりであると思う。
その「好き」をどうするか…
その人の運とか、生き方とか、想いとか、強さとか…
そんなものが大きく影響するのだろうなと思う。



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2003年12月13日(土) 女性と比べて男性は、嘘を使い道の多い道具としてみなし、

女性と比べて男性は、嘘を使い道の多い道具としてみなし、
またそのように用いているのかもしれません。
衝突を避けるにしろ、悪事を隠すにしろ、問題を解決するにしろ、
男性は女性よりも目先の利益のために臨機応変で
嘘をつく傾向にあるようです。


 「男が女につく101の嘘」  ドリー・ホランダー著



女性のつく嘘と、男性の嘘では性格が違うと
本当に感じている。
女性の場合の嘘は、嫌われたくないための嘘で、
男性の場合は、自分の立場をとりあえず守る為の
嘘が多いように思う。
嘘ってなんだろう…と思う。

私は嘘をつくことを悪いことだと
決めつける気にはならない。
どんな人でも、嘘くらいつくだろうし、
全部が全部悪意があるわけでもない。
ただ、出来れば嘘をつくなら、せめて
ばれないようにしてほしいと思う。
それが、最低限のルールだと思う。
甘いかな…




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2003年12月12日(金) 道楽を抜きにした人生なんてなんになるだろう?

道楽を抜きにした人生なんてなんになるだろう?


               ワット



そう思って…またついつい買い物をしてしまった…
いかん、いかん、いかんぞ。


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2003年12月11日(木) 気分が悪ければ、どんな人間もやくざ同然

気分が悪ければ、どんな人間もやくざ同然


           ドクター・ジョンソン



今日はまさにこんな気分だった。
ついてないというか、むかつくというか…
あやうくやくざになりかけた。
しかし…理性で押さえた、ああよかった。


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2003年12月10日(水) 苦しみの木を揺する者は、しばしば喜びの種のまく

苦しみの木を揺する者は、しばしば喜びの種のまく


                東洋のことわざ



こんなふうに思えたらすばらしい。
うーん…


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2003年12月09日(火) 幸福というのはある種のエネルギーである。

幸福というのはある種のエネルギーである。


              アリストテレス



アリストテレスは、
このことを強調して、力説して語っている。
確かに幸福だと、ある種の力が出る。
力の元になる。
しかし…、不幸でも力が出るから、
不幸もある種のエネルギーといえるのではないか。


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2003年12月08日(月) 私とあの人どっちが不幸?

自分がいま感じている不幸が他者の不幸と比べて
どの程度のものなのか、
深刻さとしてはどうなのか、
自分の不幸の方が深刻なのかどうか、
どうしても比べたくなる。
そして自分の不安や不幸は他人と同等か、
あるいはむしろ軽いと思えればいくぶん安心できる。

人間は他者と比べることによって自分の
正当性を認めようとするのである。
それが自己評価する基準的な欲求だと思われる。


 「自分で出来るカウンセリング心理学」より
                福島 哲夫著


不幸自慢をするのが好きな友人がいる。
(かどうかは知らないが)
母も不幸自慢が好きだ。
(としか思えない)
自分がどんなに不幸か話すことが好きらしい…
(にしか見えない)

彼らは、実は比較してるのかも知れなぁ。
いや、まてよ、彼らは不幸は自分が一番と思っているし、
そうでないと我慢出来ないように見える。
不幸の一番でありたいように見える。
(見るだけかも知れないが)

「一番不幸」…それは居心地がいいのか…
私が不幸な話しをしようものなら、
「そんな不幸は不幸のうちに入らない、私のは……」と
自分の不幸との比較をされてしまう。
(そうか…私は彼らと比べると幸せらしい)
うーん、だけど、「一番不幸」でいいことって
何があるんだろう…
不幸自慢…して、何か楽しいのだろうか…
(そういう問題じゃないか…)





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2003年12月07日(日) 「いい女を連れて歩く」という男の夢と

「いい女を連れて歩く」という男の夢と
「高級ブランドを着こなして歩く」という女の夢は、
非常によく似ている……と、私は思う。
どちらも、「身の程知らず」である点と、
「本人が思ってるほど周囲は羨ましがっていない」という
トホホな現実が、大変よく似ている。
まったく、人間てぇのはバカである。


 「だって、欲しいんだもん!」より  中村 うさぎ著



思わず笑った今日読んだ本の中からの抜粋。
いいなぁ、中村うさぎ。

「身の程知らず」…ああ、あるぞ。
いっぱいあるなぁ…
決してブランド好きではないが、変な見栄は人並みにある。

「本人が思ってるほど周囲は羨ましがっていない」
多分そんなことだらけなんだろうなぁ…
でも、自分はいい気でいる。
結構滑稽かも…


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2003年12月06日(土) 急いで喋ろうと思うときには、ゆっくり喋れ。

急いで喋ろうと思うときには、ゆっくり喋れ。


              中村翫右衛門




今の私にとって一番大事なことはこれかも知れない。
早飲み込みし、相手の話を最後まで聞かず、
急いで話すようなクセがある。
いかん…
本当に直そう。
本当にちゃんと人の話を聞こう…
急いでいるときも、ちゃんと最後までは聞こう…


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2003年12月05日(金) 守りに徹しているとひとりぽっちになる。

守りに徹しているとひとりぽっちになる。
ひどく傷つくこともないけれども、その間に、
真実の交わりがもたらす究極の喜びを取り逃がしてしまう。
傷ついたってかまわないさ、という気持ちがなければ、
誰かと深い愛情で結ばれる見込みはない。


 「いまの自分を抱きしめていますか」より
                レオ・バスカリア著



「傷ついたってかまわないさ」…と
思える人と思えない人…
どこがどう違うんだろう…
何が違うんだろう…




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2003年12月04日(木) この世の構造は、

この世の構造は、
時間的にも、空間的にも、
切れながらつながっている。
つながりながら切れている。


 「機を活かす発想」より  森 政弘著



切れながらつながっている…
つながりながら切れている…
こんな感じの気持ちをわかるようになってきた。
案外これって、すごいことではないかと思ってみたり、
切ないことだと思ってみたり、
ちょっとステキなことだと思ってみたり。




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2003年12月03日(水) 貯金にしても、一千万円あったものが百万円に減ると、

貯金にしても、一千万円あったものが百万円に減ると、
寂しくて仕方ない。
しかし、十万円の貯金が百万円にふえたら、
ほのぼのとしてくる。
同じ百万円でも、私たちの感じ方は随分違う。


 「機を活かす発想」より   森 政弘著



その通りだなぁ。

十万が百万円になったら、もっと増やそうという気になるが、
一千万円が百万円になったら、どうして守ろうかと思う。
気持ちの勢いが違う気がする。
人間の心理って不思議なものだなと思う。


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2003年12月01日(月) ロンドンで地下鉄に乗っていると、時々ホームレスが

ロンドンで地下鉄に乗っていると、時々ホームレスが
車両から車両へ歩き回り、物乞いをする場面に遭遇することがある。
そのホームレスのキャラクターにもよるが、歌を歌ったり、
聖書の言葉をつぶやくなど一生懸命に手を差し出す人には、
誰も何も言わずに当然のようにお金を渡している。

特記すべきは、ガールフレンドを連れた若い男性が、
こういった場面でいち早くホームレスに小銭を差し出していることだ。
それに対しホームレスが礼を言うと「よかったわね」と
笑う彼女とキスするのも定番で、その純粋さに目を見張る。

こんな瞬間、
若者はしょせん人の痛みが分からないと日本式の枠にはめて
考えていた自分に気づかされ、社会環境が違えば、
そこで育つ若者も態度も違うのは当然と教えられるのだ。


 「仕事と年齢にとらわれないイギリスの豊かな常識」より
                     井形 慶子著



イギリスに行くと、いつも老人たちがとても
いきいきしていて驚かされる。
みな自分の生き方に誇りを持って生きてるように見える。

以前、イギリスの始めていった街で、
老婦人にホテルに行く道を尋ねたときのことだ。
私は母と一緒だった。
その老婦人は丁寧に道を教えてくれた後、こう聞いた。
「お母様と旅行をしてるの?」
「そうです」と答えるとその老婦人は、
「お母様と旅行はすばらしいわね、きっと素敵な
 旅行になりますよ、これから行くホテルはとても
 素敵なところよ。きっと気に入るわ。楽しい旅行を」
とても、嬉しい言葉だった。
母に伝えると、母も嬉しそうだった。

包容力のある、確かな豊かさを感じるのは
こうしたさりげない行動とか言葉に出るものだと思う。
イギリス、また行きたくなってきた…
来年こそは行こう。














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