語り
DiaryINDEXpastwill


2016年07月29日(金) 心折れる


3日ほど前に目を疑うようなことが2件立て続けに起こったので
ちょっと心が折れました


しばらくぼんやりしようと思いました


2016年07月28日(木) いつか消えるかもしれないので


(覚えておきたいことメモ)


http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1463546664?fr=pc_tw_share_q






弱者を抹殺する。

不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂ければと思います。
自然界では弱肉強食という単語通り、弱い者が強い者に捕食される。

でも人間の社会では何故それが行
われないのでしょうか?
文明が開かれた頃は、種族同士の争いが行われ、弱い者は殺されて行きました。

ですが、今日の社会では弱者を税金だのなんだので、生かしてます。
優れた遺伝子が生き残るのが自然の摂理ではないのですか。
今の人間社会は理に適ってないのではないでしょうか。

人権などの話を出すのは今回はお控え頂ければと思います。


ーーーーーーーーー

ベストアンサーに選ばれた回答
プロフィール画像
mexicot3さん 2011/6/118:19:42
え〜っと、、、よくある勘違いなんですが、自然界は「弱肉強食」ではありません

弱いからといって喰われるとは限らないし、強いからといって食えるとも限りません

虎は兎より掛け値なしに強いですが、兎は世界中で繁栄し、虎は絶滅の危機に瀕しています

***

自然界の掟は、個体レベルでは「全肉全食」で、種レベルでは「適者生存」です

個体レベルでは、最終的に全ての個体が「喰われ」ます
全ての個体は、多少の寿命の差こそあれ、必ず死にます
個体間の寿命の違いは、自然界全体で観れば意味はありません
ある犬が2年生き、別の犬が10年生きたとしても、それはほとんど大した違いは無く、どっちでもいいことです

種レベルでは「適者生存」です
この言葉は誤解されて広まってますが、決して「弱肉強食」の意味ではありません
「強い者」が残るのではなく、「適した者」が残るんです
(「残る」という意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味であることに注意)


そして自然というものの特徴は、「無限と言っていいほどの環境適応のやり方がある」ということです

必ずしも活発なものが残るとは限らず、ナマケモノや深海生物のように極端に代謝を落とした生存戦略もあります
多産なもの少産なもの、速いもの遅いもの、強いもの弱いもの、大きいもの小さいもの、、、、
あらゆる形態の生物が存在することは御存じの通り

「適応」してさえいれば、強かろうが弱かろうが関係無いんです

そして「適者生存」の意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味である以上、ある特定の個体が外敵に喰われようがどうしようが関係ないんです

10年生き延びて子を1匹しか生まなかった個体と、1年しか生きられなかったが子を10匹生んだ個体とでは、後者の方がより「適者」として「生存」したことになります


「生存」が「子孫を残すこと」であり、「適応」の仕方が無数に可能性のあるものである以上、どのように「適応」するかはその生物の生存戦略次第ということになります

人間の生存戦略は、、、、「社会性」

高度に機能的な社会を作り、その互助作用でもって個体を保護する
個別的には長期の生存が不可能な個体(=つまり、質問主さんがおっしゃる"弱者"です)も生き延びさせることで、子孫の繁栄の可能性を最大化する、、、、という戦略です

どれだけの個体が生き延びられるか、どの程度の"弱者"を生かすことが出来るかは、その社会の持つ力に比例します
人類は文明を発展させることで、前時代では生かすことが出来なかった個体も生かすことができるようになりました

生物の生存戦略としては大成功でしょう
(生物が子孫を増やすのは本源的なものであり、そのこと自体の価値を問うてもそれは無意味です。「こんなに数を増やす必要があるのか?」という疑問は、自然界に立脚して論ずる限り意味を成しません)

「優秀な遺伝子」ってものは無いんですよ
あるのは「ある特定の環境において、有効であるかもしれない遺伝子」です

遺伝子によって発現されるどういう"形質"が、どういう環境で生存に有利に働くかは計算不可能です
例えば、現代社会の人類にとって「障害」としかみなされない形質も、将来は「有効な形質」になってるかもしれません
だから、可能であるならばできる限り多くのパターンの「障害(=つまるところ形質的イレギュラーですが)」を抱えておく方が、生存戦略上の「保険」となるんです

(「生まれつき目が見えないことが、どういう状況で有利になるのか?」という質問をしないでくださいね。それこそ誰にも読めないことなんです。自然とは、無数の可能性の塊であって、全てを計算しきるのは神ならぬ人間には不可能ですから)


アマゾンのジャングルに一人で放置されて生き延びられる現代人はいませんね
ということは、「社会」というものが無い生の自然状態に置かれるなら、人間は全員「弱者」だということです

その「弱者」たちが集まって、出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略なんです

だから社会科学では、「闘争」も「協働」も人間社会の構成要素だが、どちらがより「人間社会」の本質かといえば「協働」である、と答えるんです
「闘争」がどれほど活発化しようが、最後は「協働」しないと人間は生き延びられないからです


我々全員が「弱者」であり、「弱者」を生かすのがホモ・サピエンスの生存戦略だということです


2016年07月17日(日) よくあること


自分が星矢にはまったころは、おそらく自分が二次腐的には一番年下世代だったため、今いい歳になって、新しい若いファンの方が周りに沢山いて自分が年寄りなのを自覚しても、歳の自虐発言するのは憚ってしまう

SNSにおられるかどうかはわからないが自分より歳上だった人達の存在感が未だすごくある

そして当時は自分の好きな作品描いてくれる方をめっちゃ尊敬してたから、その人にもし見られて厭な思いをさせたくないという気持ちがある

いまの若い方も、星矢が古いジャンルなのをわかってて、そのへんきちんと配慮されてる方もおられて、尊敬する


2016年07月11日(月) 何がいいかな



15年前からおなじペンタブでもう先っぽが擦り切れてしまったし
同機種もうないしでパソコン含めてオール買い替えを検討してるけど、
めまぐるしいアップデート情報で調べるのさえ疲れてる


2016年07月06日(水) KBOOKSさんより



通販はじまりました



渚ですいかを食べないか | CQ-WEB https://www.c-queen.net/i/2502300001訳も

その訳も知らないで | CQ-WEB https://www.c-queen.net/i/2502300002


2016年07月04日(月) 昔の二次創作


もう記憶が消える寸前だけど、春麗ちゃんが実は大きなマフィアだか政治家だかの一人娘で危険だから廬山に預けられてて、有事の時は紫龍が替え玉になったり、彼女のガードしたりする話があった(長い髪はそのためっていう)

昔の二次創作めっちゃフリーダムでマイ設定も壮大だったですね...


特に覚えてるのは、聖闘士なので一般人相手に本気だせなくて紫龍がたまにピンチになるとき、銃の腕はめっちゃある春麗が紫龍の代わりに敵を仕留めたシーンがめちゃくちゃカッコ良かった...


毎週敵が攻めてくるデビルマンみたいな構成で楽しかったです。


ぶな |MAIL