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嫌いな食べ物「キュウリ」


2006年02月10日(金)

グロテスクナンセンス、オーイエ!

深みに行ってみようと思った。


全く関係無い話をします。
酷く乱文になると思います。




もう考えることもままならないほど、私は今ヤバい事態になっているらしい。
さて、さて、さて…

この世に理解できる内容で行動を起こしてゆくのと、私が理解できる内容で行動を起こしてゆくのと、どちらも結局、同じところに行き着くのであれば、一体どちらを選ぶのが正しいのでしょう。

私は私からもこの世からも、嘲笑われるのが恐ろしい。
恐怖で、無価値だ。

けれども嘲笑われることしか辿り着けないのであれば、どちらの理由を選ぶにしても、私を少々、空気に投げ打つようなものだ。

ああ、こうして私を空気へ恵むたびに、私が嘲笑う。
反抗?はっはーそんなこと。しようもんならこの世が嘲笑う。

おかしなものです、どうやってみても。

精神と嘲笑と生の系図を描こうものなら、時空次元と時間軸を無視して、私の頭のてっぺんから私の頭のてっぺんまで、そしてまた私の頭のてっぺんまで、「行ったり来たり」「右往左往」とも表現できない見えない何かで描くしか術は無いのです。
ただ、筆と能力があまりに無さすぎた。

一度でも描くことができたらそう苦労して私はここまですることも無い。


ああ、でもただ死なないだけだなぁ。
何をするにも、非常に無念です。
何を考えるにも、非常に無念でした。


私の言わんとしていること、やろうとしていること、見たいと思うこと、その全てが向こうにあるということを私はなぜか知らずに知っていたけれども、その「向こう」の場所が明確では無かった。そしてその場へ辿り着くことが出来ずにもがき苦しみ、歩き続け、何時も倒れては一度死ぬ。ただ、私は知っていた、其処が決して辿り着ける場所で無いことを。それなら何故私はこうも其処へ向かって歩こうとするのか。何故私は其処へ向かって歩かなければならないのか。待ち受けるものが絶望と知ってなお、何故其処を希望と思うのか。「其処」と「絶望」と「希望」と「挫折」と「予感」が、お互い重なり合っていた。遠くからは良く見えないことも。そして近くに行くことすら出来ないことも。さて、それでは何故私は歩くのか。このひとつの個体が所属している種族や、この世の全てが、情けなくも汚くもがいて、目だけは爛々と輝かせて、あの向こうを見つめて歩きつづけるのに、辿り着けずに次世代につなぐ。幾つも世紀を重ねたとしても辿り着くはずもない。無駄を生きているのだ。こうして私は一つの世界を見たと言おう。…だがその言葉も唯空しいだけだ。何も変わるはずもない、何か、酷く大きなものが私達を掴んでいて、私達はそれによって、気付きと行動すら奪われてしまった。…ああ、ああ。


やめた、疲れた。この話は次回に持ち越そう


2006年02月05日(日)

最近は、何も書けない。

あーしたこーした、という話では無いところが。

肋骨の下から鳩尾のあたりまで、確かに何かあるものは、ある。大抵こういうときはとてつもなく何か、吐き出したいことがあって、ところが今の私はそれを手掴みで掴んで他人に「ほら、私だ」と言って見せることが出来なく、なった。
指は確かにその場所の上に在る。その場をなぞって、動きに合わせて指先を動かしてゆくことも出来る。けれども私の指と私とを挟む何物かが其処には在って、其れを私は皮膚、と今は言う。
皮膚を掻いても私は未だ掴めない。血は出ても、其の血は血であって、私が掴もうとしている私の血では無い。唯痛いだけで、其れは単なる皮膚の痛みでしか無い。

時折、そうして不安になる、私は何処に居るんだ、と。私というものがこの入物だったときから、もう幾つも年を取って、私というものはこの入物の中の奥深くに仕舞い込まれてしまった。(今は)

そうしてこの指も私の指かと言えば、そうでも無い。この文章が私の物かと言えば、それもそうでも無い。

私の中に潜む私をなぞる指先が象った物質で、この、一行を書くのに、なぞった指先の行き先を思い出し乍書くものだから、異常に時間が掛かってそれゆえに、もうそこに私という香りすらしない、ものになっている。のだと思う。

入物が中身を失ったら最後、ハコとしか思わないが、私は多分、ハコになるんじゃないか、中身が無くなるんじゃないか、まさかもう無いのでは無いか、中身の無いこのハコは何処へ捨てれば良いのだ、…と、もう只管に中身の存在有無についてだけ、視線と目を向けている。
…ところが思うのは、実際は私そのものが、考えず、見もせず、触りもせず、此処に居ることで私が在る、ということを、私は(というよりも、今は寧ろ、私という入物が)求めて居るのじゃないかということ。


ああ、そうか、多分、私は此処に居て此処に無い、という感覚に近いのかも知れない。



物凄い、「     」だ。



この言葉が思いつかない。
私が在ったら見つかっているはずだった、と思う。


さくま